岡本かの子

鮨—– 岡本かの子

 東京の下町と山の手の境い目といったような、ひどく坂や崖《がけ》の多い街がある。
 表通りの繁華から折れ曲って来たものには、別天地の感じを与える。
 つまり表通りや新道路の繁華な刺戟《しげき》に疲れた人々が、時々、刺戟を外《は》ずして気分を転換する為めに紛《まぎ》れ込むようなちょっとした街筋――
 福ずしの店のあるところは、この町でも一ばん低まったところで、二階建の銅張りの店構えは、三四年前表だけを造作したもので、裏の方は崖に支えられている柱の足を根つぎして古い住宅のままを使っている。
 古くからある普通の鮨屋《すしや》だが、商売不振で、先代の持主は看板ごと家作をともよ[#「ともよ」に傍点]の両親に譲って、店もだんだん行き立って来た。
 新らしい福ずしの主人は、もともと東京で屈指の鮨店で腕を仕込んだ職人だけに、周囲の状況を察して、鮨の品質を上げて行くに造作もなかった。前にはほとんど出まえだったが、新らしい主人になってからは、鮨盤の前や土間に腰かける客が多くなったので、始めは、主人夫婦と女の子のともよ[#「ともよ」に傍点]三人きりの暮しであったが、やがて職人を入れ、子供と女中を使わないでは間に合わなくなった。
 店へ来る客は十人十いろだが、全体に就《つい》ては共通するものがあった。
 後からも前からもぎりぎりに生活の現実に詰め寄られている、その間をぽっと外ずして気分を転換したい。
 一つ一つ我ままがきいて、ちんまりした贅沢《ぜいたく》ができて、そして、ここへ来ている間は、くだらなくばか[#「ばか」に傍点]になれる。好みの程度に自分から裸になれたり、仮装したり出来る。たとえ、そこで、どんな安ちょくなことをしても云っても、誰も軽蔑するものがない。お互いに現実から隠れんぼうをしているような者同志の一種の親しさ、そして、かばい合うような懇《ねんごろ》な眼ざしで鮨をつまむ手つきや茶を呑《の》む様子を視合《みあ》ったりする。かとおもうとまたそれは人間というより木石の如く、はたの神経とはまったく無交渉な様子で黙々といくつかの鮨をつまんで、さっさと帰って行く客もある。
 鮨というものの生む甲斐々々《かいがい》しいまめやかな雰囲気、そこへ人がいくら耽《ふけ》り込んでも、擾《みだ》れるようなことはない。万事が手軽くこだわりなく行き過ぎて仕舞う。
 福ずしへ来る客の常連は、元狩猟銃器店の主人、デパート外客廻り係長、歯科医師、畳屋の伜《せがれ》、電話のブローカー、石膏《せっこう》模型の技術家、児童用品の売込人、兎肉販売の勧誘員、証券商会をやったことのあった隠居――このほかにこの町の近くの何処《どこ》かに棲《す》んでいるに違いない劇場関係の芸人で、劇場がひまな時は、何か内職をするらしく、脂づいたような絹ものをぞろりと着て、青白い手で鮨を器用につまんで喰べて行く男もある。
 常連で、この界隈《かいわい》に住んでいる暇のある連中は散髪のついでに寄って行くし、遠くからこの附近へ用足しのあるものは、その用の前後に寄る。季節によって違うが、日が長くなると午後の四時頃から灯がつく頃が一ばん落合って立て込んだ。
 めいめい、好み好みの場所に席を取って、鮨種子《すしだね》で融通して呉れるさしみや、酢《す》のもので酒を飲むものもあるし、すぐ鮨に取りかかるものもある。

 ともよの父親である鮨屋の亭主は、ときには仕事場から土間へ降りて来て、黒みがかった押鮨を盛った皿を常連のまん中のテーブルに置く。
「何だ、何だ」
 好奇の顔が四方から覗《のぞ》き込む。
「まあ、やってご覧、あたしの寝酒の肴《さかな》さ」
 亭主は客に友達のような口をきく。
「こはだにしちゃ味が濃いし――」
 ひとつ撮《つま》んだのがいう。
「鯵《あじ》かしらん」
 すると、畳敷の方の柱の根に横坐りにして見ていた内儀《かみ》さん――ともよの母親――が、は は は は と太り肉《じし》を揺《ゆす》って「みんなおとッつあんに一ぱい喰った」と笑った。
 それは塩さんまを使った押鮨で、おからを使って程よく塩と脂を抜いて、押鮨にしたのであった。
「おとっさん狡《ずる》いぜ、ひとりでこっそりこんな旨《うま》いものを拵《こしら》えて食うなんて――」
「へえ、さんまも、こうして食うとまるで違うね」
 客たちのこんな話が一しきりがやがや渦まく。
「なにしろあたしたちは、銭のかかる贅沢はできないからね」
「おとっさん、なぜこれを、店に出さないんだ」
「冗談いっちゃ、いけない、これを出した日にゃ、他の鮨が蹴押されて売れなくなっちまわ。第一、さんまじゃ、いくらも値段がとれないからね」
「おとッつあん、なかなか商売を知っている」
 その他、鮨の材料を採ったあとの鰹《かつお》の中落《なかおち》だの、鮑《あわび》の腸《はらわた》だの、鯛《たい》の白子だのを巧《たくみ》に調理したものが、ときどき常連にだけ突出された。ともよ[#「ともよ」に傍点]はそれを見て「飽きあきする、あんなまずいもの」と顔を皺《しわ》めた。だが、それらは常連から呉れといってもなかなか出さないで、思わぬときにひょっこり出す。亭主はこのことにかけてだけいこじ[#「いこじ」に傍点]でむら気なのを知っているので決してねだらない。
 よほど欲しいときは、娘のともよ[#「ともよ」に傍点]にこっそり頼む。するとともよ[#「ともよ」に傍点]は面倒臭そうに探し出して与える。
 ともよは幼い時から、こういう男達は見なれて、その男たちを通して世の中を頃あいでこだわらない、いささか稚気のあるものに感じて来ていた。
 女学校時代に、鮨屋の娘ということが、いくらか恥じられて、家の出入の際には、できるだけ友達を近づけないことにしていた苦労のようなものがあって、孤独な感じはあったが、ある程度までの孤独感は、家の中の父母の間柄からも染みつけられていた。父と母と喧嘩をするような事はなかったが、気持ちはめいめい独立していた。ただ生きて行くことの必要上から、事務的よりも、もう少し本能に喰い込んだ協調やらいたわり方を暗黙のうちに交換して、それが反射的にまで発育しているので、世間からは無口で比較的仲のよい夫婦にも見えた。父親は、どこか下町のビルヂングに支店を出すことに熱意を持ちながら、小鳥を飼うのを道楽にしていた。母親は、物見遊山《ものみゆさん》にも行かず、着ものも買わない代りに月々の店の売上げ額から、自分だけの月がけ貯金をしていた。
 両親は、娘のことについてだけは一致したものがあった。とにかく教育だけはしとかなくてはということだった。まわりに浸々《ひたひた》と押し寄せて来る、知識的な空気に対して、この点では両親は期せずして一致して社会への競争的なものは持っていた。
「自分は職人だったからせめて娘は」
 と――だが、それから先をどうするかは、全く茫然としていた。
 無邪気に育てられ、表面だけだが世事に通じ、軽快でそして孤独的なものを持っている。これがともよ[#「ともよ」に傍点]の性格だった。こういう娘を誰も目の敵《かたき》にしたり邪魔にするものはない。ただ男に対してだけは、ずばずば応対して女の子らしい羞《はじ》らいも、作為の態度もないので、一時女学校の教員の間で問題になったが、商売柄、自然、そういう女の子になったのだと判って、いつの間にか疑いは消えた。
 ともよ[#「ともよ」に傍点]は学校の遠足会で多摩川べりへ行ったことがあった。春さきの小川の淀みの淵を覗いていると、いくつも鮒《ふな》が泳ぎ流れて来て、新茶のような青い水の中に尾鰭《おひれ》を閃《ひら》めかしては、杭根《くいね》の苔《こけ》を食《は》んで、また流れ去って行く。するともうあとの鮒が流れ溜って尾鰭を閃めかしている。流れ来り、流れ去るのだが、その交替は人間の意識の眼には留まらない程すみやかでかすかな作業のようで、いつも若干の同じ魚が、其処《そこ》に遊んでいるかとも思える。ときどきは不精そうな鯰《なまず》も来た。
 自分の店の客の新陳代謝はともよ[#「ともよ」に傍点]にはこの春の川の魚のようにも感ぜられた。(たとえ常連というグループはあっても、そのなかの一人々々はいつか変っている)自分は杭根のみどりの苔のように感じた。みんな自分に軽く触れては慰められて行く。ともよ[#「ともよ」に傍点]は店のサーヴィスを義務とも辛抱とも感じなかった。胸も腰もつくろわない少女じみたカシミヤの制服を着て、有合せの男下駄をカランカラン引きずって、客へ茶を運ぶ。客が情事めいたことをいって揶揄《からか》うと、ともよ[#「ともよ」に傍点]は口をちょっと尖《とが》らし、片方の肩を一しょに釣上げて
「困るわそんなこと、何とも返事できないわ」
 という。さすがに、それには極く軽い媚《こ》びが声に捩《よじ》れて消える。客は仄《ほの》かな明るいものを自分の気持ちのなかに点じられて笑う。ともよ[#「ともよ」に傍点]は、その程度の福ずしの看板娘であった。

 客のなかの湊《みなと》というのは、五十過ぎぐらいの紳士で、濃い眉がしらから顔へかけて、憂愁の蔭を帯びている。時によっては、もっと老けて見え、場合によっては情熱的な壮年者にも見えるときもあった。けれども鋭い理智から来る一種の諦念といったようなものが、人柄の上に冴《さ》えて、苦味のある顔を柔和に磨いていた。
 濃く縮れた髪の毛を、程よくもじょもじょに分け仏蘭西《フランス》髭《ひげ》を生やしている。服装は赫《あか》い短靴を埃《ほこり》まみれにしてホームスパンを着ている時もあれば、少し古びた結城《ゆうき》で着流しのときもある。独身者であることはたしかだが職業は誰にも判らず、店ではいつか先生と呼び馴れていた。鮨の食べ方は巧者であるが、強《し》いて通がるところも無かった。
 サビタのステッキを床にとんとつき、椅子に腰かけてから体を斜に鮨の握り台の方へ傾け、硝子《ガラス》箱の中に入っている材料を物憂そうに点検する。
「ほう。今日はだいぶ品数があるな」
 と云ってともよ[#「ともよ」に傍点]の運んで来た茶を受け取る。
「カンパチが脂《あぶら》がのっています、それに今日は蛤《はまぐり》も――」
 ともよ[#「ともよ」に傍点]の父親の福ずしの亭主は、いつかこの客の潔癖な性分であることを覚え、湊が来ると無意識に俎板《まないた》や塗盤の上へしきりに布巾《ふきん》をかけながら云う。
「じゃ、それを握って貰おう」
「はい」
 亭主はしぜん、ほかの客とは違った返事をする。湊の鮨の喰べ方のコースは、いわれなくともともよ[#「ともよ」に傍点]の父親は判っている。鮪《まぐろ》の中とろ[#「とろ」に傍点]から始って、つめ[#「つめ」に傍点]のつく煮ものの鮨になり、だんだんあっさりした青い鱗《うろこ》のさかなに進む。そして玉子と海苔《のり》巻に終る。それで握り手は、その日の特別の注文は、適宜にコースの中へ加えればいいのである。
 湊は、茶を飲んだり、鮨を味わったりする間、片手を頬に宛てがうか、そのまま首を下げてステッキの頭に置く両手の上へ顎《あご》を載せるかして、じっと眺める。眺めるのは開け放してある奥座敷を通して眼に入る裏の谷合の木がくれの沢地か、水を撒《ま》いてある表通りに、向うの塀《へい》から垂れ下がっている椎《しい》の葉の茂みかどちらかである。
 ともよ[#「ともよ」に傍点]は、初めは少し窮屈な客と思っていただけだったが、だんだんこの客の謎めいた眼の遣《や》り処を見慣れると、お茶を運んで行ったときから鮨を喰い終るまで、よそばかり眺めていて、一度もその眼を自分の方に振向けないときは、物足りなく思うようになった。そうかといって、どうかして、まともにその眼を振向けられ自分の眼と永く視線を合せていると、自分を支えている力を暈《ぼか》されて危いような気がした。
 偶然のように顔を見合して、ただ一通りの好感を寄せる程度で、微笑して呉れるときはともよ[#「ともよ」に傍点]は父母とは違って、自分をほぐして呉れるなにか暖味のある刺戟のような感じをこの年とった客からうけた。だからともよ[#「ともよ」に傍点]は湊がいつまでもよそばかり見ているときは土間の隅の湯沸しの前で、絽《ろ》ざしの手をとめて、たとえば、作り咳《せき》をするとか耳に立つものの音をたてるかして、自分ながらしらずしらず湊の注意を自分に振り向ける所作をした。すると湊は、ぴくりとして、ともよ[#「ともよ」に傍点]の方を見て、微笑する。上歯と下歯がきっちり合い、引緊《ひきしま》って見える口の線が、滑かになり、仏蘭西髭の片端が目についてあがる――父親は鮨を握り乍《なが》らちょっと眼を挙げる。ともよ[#「ともよ」に傍点]のいたずら気とばかり思い、また不愛想な顔をして仕事に向う。
 湊はこの店へ来る常連とは分け隔てなく話す。競馬の話、株の話、時局の話、碁、将棋の話、盆栽の話――大体こういう場所の客の間に交される話題に洩れないものだが、湊は、八分は相手に話さして、二分だけ自分が口を開くのだけれども、その寡黙《かもく》は相手を見下げているのでもなく、つまらないのを我慢しているのでもない。その証拠には、盃の一つもさされると
「いやどうも、僕は身体を壊していて、酒はすっかりとめられているのですが、折角《せっかく》ですから、じゃ、まあ、頂きましょうかな」といって、細いがっしりとしている手を、何度も振って、さも敬意を表するように鮮かに盃を受取り、気持ちよく飲んでまた盃を返す。そして徳利を器用に持上げて酌をしてやる。その挙動の間に、いかにも人なつこく他人の好意に対しては、何倍にかして返さなくては気が済まない性分が現れているので、常連の間で、先生は好い人だということになっていた。
 ともよ[#「ともよ」に傍点]は、こういう湊を見るのは、あまり好かなかった。あの人にしては軽すぎるというような態度だと思った。相手客のほんの気まぐれに振り向けられた親しみに対して、ああまともに親身の情を返すのは、湊の持っているものが減ってしまうように感じた。ふだん陰気なくせに、一たん向けられると、何という浅ましくがつがつ人情に饑《う》えている様子を現わす年とった男だろうと思う。ともよ[#「ともよ」に傍点]は湊が中指に嵌《は》めている古代|埃及《エジプト》の甲虫《スカラップ》のついている銀の指輪さえそういうときは嫌味に見えた。
 湊の対応ぶりに有頂天になった相手客が、なお繰り返して湊に盃をさし、湊も釣り込まれて少し笑声さえたて乍らその盃の遣り取りを始め出したと見るときは、ともよ[#「ともよ」に傍点]はつかつかと寄って行って
「お酒、あんまり呑んじゃ体にいけないって云ってるくせに、もう、よしなさい」
 と湊の手から盃をひったくる。そして湊の代りに相手の客にその盃をつき返して黙って行って仕舞う。それは必しも湊の体をおもう為でなく、妙な嫉妬がともよ[#「ともよ」に傍点]にそうさせるのであった。
「なかなか世話女房だぞ、とも[#「とも」に傍点]ちゃんは」
 相手の客がそういう位でその場はそれなりになる。湊も苦笑しながら相手の客に一礼して自分の席に向き直り、重たい湯呑み茶碗に手をかける。
 ともよ[#「ともよ」に傍点]は湊のことが、だんだん妙な気がかりになり、却《かえ》って、そしらぬ顔をして黙っていることもある。湊がはいって来ると、つんと済して立って行って仕舞うこともある。湊もそういう素振りをされて、却って明るく薄笑いするときもあるが、全然、ともよ[#「ともよ」に傍点]の姿の見えぬときは物寂しそうに、いつもより一そう、表通りや裏の谷合の景色を深々と眺める。

 ある日、ともよ[#「ともよ」に傍点]は、籠《かご》をもって、表通りの虫屋へ河鹿《かじか》を買いに行った。ともよ[#「ともよ」に傍点]の父親は、こういう飼いものに凝る性分で、飼い方もうまかったが、ときどきは失敗して数を減らした。が今年ももはや初夏の季節で、河鹿など涼しそうに鳴かせる時分だ。
 ともよは、表通りの目的の店近く来ると、その店から湊が硝子《ガラス》鉢を下げて出て行く姿を見た。湊はともよ[#「ともよ」に傍点]に気がつかないで硝子鉢をいたわり乍ら、むこう向きにそろそろ歩いていた。
 ともよ[#「ともよ」に傍点]は、店へ入って手ばやく店のものに自分の買うものを注文して、籠にそれを入れて貰う間、店先へ出て、湊の行く手に気をつけていた。
 河鹿を籠に入れて貰うと、ともよ[#「ともよ」に傍点]はそれを持って、急いで湊に追いついた。
「先生ってば」
「ほう、ともちゃんか、珍らしいな、表で逢うなんて」
 二人は、歩きながら、互いの買いものを見せ合った。湊は西洋の観賞魚の髑髏魚《ゴーストフィッシュ》を買っていた。それは骨が寒天のような肉に透き通って、腸が鰓《えら》の下に小さくこみ上っていた。
「先生のおうち、この近所」
「いまは、この先のアパートにいる。だが、いつ越すかわからないよ」
 湊は珍らしく表で逢ったからともよ[#「ともよ」に傍点]にお茶でも御馳走しようといって町筋をすこし物色したが、この辺には思わしい店もなかった。
「まさか、こんなものを下げて銀座へも出かけられんし」
「ううん、銀座なんかへ行かなくっても、どこかその辺の空地で休んで行きましょうよ」
 湊は今更のように漲《みなぎ》り亘る新樹の季節を見廻し、ふうっと息を空に吹いて
「それも、いいな」
 表通りを曲ると間もなく崖端に病院の焼跡の空地があって、煉瓦塀《れんがべい》の一側がローマの古跡のように見える。ともよ[#「ともよ」に傍点]と湊は持ちものを叢《くさむら》の上に置き、足を投げ出した。
 ともよ[#「ともよ」に傍点]は、湊になにかいろいろ訊いてみたい気持ちがあったのだが、いまこうして傍に並んでみると、そんな必要もなく、ただ、霧のような匂いにつつまれて、しんしんとするだけである。湊の方が却って弾《はず》んでいて
「今日は、とも[#「とも」に傍点]ちゃんが、すっかり大人に見えるね」
 などと機嫌好さように云う。
 ともよ[#「ともよ」に傍点]は何を云おうかと暫《しばら》く考えていたが、大したおもいつきでも無いようなことを、とうとう云い出した。
「あなた、お鮨《すし》、本当にお好きなの」
「さあ」
「じゃ何故来て食べるの」
「好きでないことはないさ、けど、さほど喰べたくない時でも、鮨を喰べるということが僕の慰みになるんだよ」
「なぜ」
 何故、湊が、さほど鮨を喰べたくない時でも鮨を喰べるというその事だけが湊の慰めとなるかを話し出した。
 ――旧《ふる》くなって潰《つぶ》れるような家には妙な子供が生れるというものか、大きな家の潰れるときというものは、大人より子供にその脅えが予感されるというものか、それが激しく来ると、子は母の胎内にいるときから、そんな脅えに命を蝕まれているのかもしれないね――というような言葉を冒頭に湊は語り出した。
 その子供は小さいときから甘いものを好まなかった。おやつにはせいぜい塩|煎餅《せんべい》ぐらいを望んだ。食べるときは、上歯と下歯を叮嚀《ていねい》に揃《そろ》え円い形の煎餅の端を規則正しく噛み取った。ひどく湿っていない煎餅なら大概好い音がした。子供は噛み取った煎餅の破片をじゅうぶんに咀嚼《そしゃく》して咽喉《のど》へきれいに嚥《の》み下してから次の端を噛み取ることにかかる。上歯と下歯をまた叮嚀に揃え、その間へまた煎餅の次の端を挟み入れる――いざ、噛み破るときに子供は眼を薄く瞑《つぶ》り耳を澄ます。
 ぺちん
 同じ、ぺちんという音にも、いろいろの性質《たち》があった。子供は聞き慣れてその音の種類を聞き分けた。
 ある一定の調子の響きを聞き当てたとき、子供はぷるぷると胴慄《どうぶる》いした。子供は煎餅を持った手を控えて、しばらく考え込む。うっすら眼に涙を溜めている。
 家族は両親と、兄と姉と召使いだけだった。家中で、おかしな子供と云われていた。その子供の喰べものは外にまだ偏《かたよ》っていた。さかなが嫌いだった。あまり数の野菜は好かなかった。肉類は絶対に近づけなかった。
 神経質のくせに表面は大ように見せている父親はときどき
「ぼうずはどうして生きているのかい」
 と子供の食事を覗きに来た。一つは時勢のためでもあるが、父親は臆病なくせに大ように見せたがる性分から、家の没落をじりじり眺め乍ら「なに、まだ、まだ」とまけおしみを云って潰して行った。子供の小さい膳の上には、いつものように炒《い》り玉子と浅草|海苔《のり》が、載っていた。母親は父親が覗くとその膳を袖で隠すようにして
「あんまり、はたから騒ぎ立てないで下さい、これさえ気まり悪がって喰べなくなりますから」
 その子供には、実際、食事が苦痛だった。体内へ、色、香、味のある塊団《かたまり》を入れると、何か身が穢《けが》れるような気がした。空気のような喰べものは無いかと思う。腹が減ると饑《う》えは充分感じるのだが、うっかり喰べる気はしなかった。床の間の冷たく透き通った水晶の置きものに、舌を当てたり、頬をつけたりした。饑えぬいて、頭の中が澄み切ったまま、だんだん、気が遠くなって行く。それが谷地の池水を距ててA―丘の後へ入りかける夕陽を眺めているときででもあると(湊の生れた家もこの辺の地勢に似た都会の一隅にあった。)子どもはこのままのめり倒れて死んでも関《かま》わないとさえ思う。だが、この場合は窪んだ腹に緊《きつ》く締めつけてある帯の間に両手を無理にさし込み、体は前のめりのまま首だけ仰のいて
「お母さあん」
 と呼ぶ。子供の呼んだのは、現在の生みの母のことではなかった。子供は現在の生みの母は家族じゅうで一番好きである。けれども子供にはまだ他に自分に「お母さん」と呼ばれる女性があって、どこかに居そうな気がした。自分がいま呼んで、もし「はい」といってその女性が眼の前に出て来たなら自分はびっくりして気絶して仕舞うに違いないとは思う。しかし呼ぶことだけは悲しい楽しさだった。
「お母さあん、お母さあん」
 薄紙が風に慄えるような声が続いた。
「はあい」
 と返事をして現在の生みの母親が出て来た。
「おや、この子は、こんな処で、どうしたのよ」
 肩を揺《ゆす》って顔を覗き込む。子供は感違いした母親に対して何だか恥しく赫《あか》くなった。
「だから、三度々々ちゃんとご飯喰べてお呉れと云うに、さ、ほんとに後生だから」
 母親はおろおろの声である。こういう心配の揚句《あげく》、玉子と浅草海苔が、この子の一ばん性に合う喰べものだということが見出されたのだった。これなら子供には腹に重苦しいだけで、穢されざるものに感じた。
 子供はまた、ときどき、切ない感情が、体のどこからか判らないで体一ぱいに詰まるのを感じる。そのときは、酸味のある柔いものなら何でも噛んだ。生梅や橘《たちばな》の実を※[#「てへん+宛」、第3水準1-84-80]《も》いで来て噛んだ。さみだれの季節になると子供は都会の中の丘と谷合にそれ等の実の在所をそれらを啄《ついば》みに来る烏《からす》のようによく知っていた。
 子供は、小学校はよく出来た。一度読んだり聞いたりしたものは、すぐ判って乾板のように脳の襞《ひだ》に焼きつけた。子供には学課の容易さがつまらなかった。つまらないという冷淡さが、却って学課の出来をよくした。
 家の中でも学校でも、みんなはこの子供を別もの扱いにした。
 父親と母親とが一室で言い争っていた末、母親は子供のところへ来て、しみじみとした調子でいった。
「ねえ、おまえがあんまり痩《や》せて行くもんだから学校の先生と学務委員たちの間で、あれは家庭で衛生の注意が足りないからだという話が持上ったのだよ。それを聞いて来てお父つあんは、ああいう性分だもんだから、私に意地くね悪く当りなさるんだよ」
 そこで母親は、畳の上へ手をついて、子供に向ってこっくりと、頭を下げた。
「どうか頼むから、もっと、喰べるものを喰べて、肥ってお呉れ、そうして呉れないと、あたしは、朝晩、いたたまれない気がするから」
 子供は自分の畸形《きけい》な性質から、いずれは犯すであろうと予感した罪悪を、犯したような気がした。わるい。母に手をつかせ、お叩頭《じぎ》をさせてしまったのだ。顔がかっとなって体に慄えが来た。だが不思議にも心は却って安らかだった。すでに、自分は、こんな不孝をして悪人となってしまった。こんな奴なら自分は滅びて仕舞っても自分で惜しいとも思うまい。よし、何でも喰べてみよう、喰べ馴れないものを喰べて体が慄え、吐いたりもどしたり、その上、体じゅうが濁り腐って死んじまっても好いとしよう。生きていてしじゅう喰べものの好き嫌いをし、人をも自分をも悩ませるよりその方がましではあるまいか――
 子供は、平気を装って家のものと同じ食事をした。すぐ吐いた。口中や咽喉を極力無感覚に制御したつもりだが嚥《の》み下した喰べものが、母親以外の女の手が触れたものと思う途端に、胃嚢《いぶくろ》が不意に逆に絞り上げられた――女中の裾から出る剥《は》げた赤いゆもじや飯炊婆さんの横顔になぞって[#「なぞって」に傍点]ある黒|鬢《びん》つけの印象が胸の中を暴力のように掻き廻した。
 兄と姉はいやな顔をした。父親は、子供を横顔でちらりと見たまま、知らん顔して晩酌の盃を傾けていた。母親は子供の吐きものを始末しながら、恨めしそうに父親の顔を見て
「それご覧なさい。あたしのせいばかりではないでしょう。この子はこういう性分です」
 と嘆息した。しかし、父親に対して母親はなお、おずおずはしていた。

 その翌日であった。母親は青葉の映りの濃く射す縁側へ新しい茣蓙《ござ》を敷き、俎板《まないた》だの庖丁だの水桶だの蠅帳だの持ち出した。それもみな買い立ての真新しいものだった。
 母親は自分と俎板を距てた向側に子供を坐らせた。子供の前には膳の上に一つの皿を置いた。
 母親は、腕捲りして、薔薇《ばら》いろの掌を差出して手品師のように、手の裏表を返して子供に見せた。それからその手を言葉と共に調子づけて擦《こす》りながら云った。
「よくご覧、使う道具は、みんな新しいものだよ。それから拵《こしら》える人は、おまえさんの母さんだよ。手はこんなにもよくきれいに洗ってあるよ。判ったかい。判ったら、さ、そこで――」
 母親は、鉢の中で炊きさました飯に酢を混ぜた。母親も子供もこんこん噎《む》せた。それから母親はその鉢を傍に寄せて、中からいくらかの飯の分量を掴み出して、両手で小さく長方形に握った。
 蠅帳の中には、すでに鮨の具《ぐ》が調理されてあった。母親は素早くその中からひときれ[#「ひときれ」に傍点]を取出してそれからちょっと押えて、長方形に握った飯の上へ載せた。子供の前の膳の上の皿へ置いた。玉子焼鮨だった。
「ほら、鮨だよ、おすしだよ。手々で、じかに掴《つか》んで喰べても好いのだよ」
 子供は、その通りにした。はだかの肌をするする撫《な》でられるようなころ合いの酸味に、飯と、玉子のあまみ[#「あまみ」に傍点]がほろほろに交ったあじわいが丁度舌一ぱいに乗った具合――それをひとつ喰べて仕舞うと体を母に拠りつけたいほど、おいしさと、親しさが、ぬくめた香湯のように子供の身うちに湧いた。
 子供はおいしいと云うのが、きまり悪いので、ただ、にいっと笑って、母の顔を見上げた。
「そら、もひとつ、いいかね」
 母親は、また手品師のように、手をうら返しにして見せた後、飯を握り、蠅帳から具の一片《ひとき》れを取りだして押しつけ、子供の皿に置いた。
 子供は今度は握った飯の上に乗った白く長方形の切片を気味悪く覗いた。すると母親は怖くない程度の威丈高になって
「何でもありません、白い玉子焼だと思って喰べればいいんです」
 といった。
 かくて、子供は、烏賊《いか》というものを生れて始めて喰べた。象牙《ぞうげ》のような滑らかさがあって、生餅より、よっぽど歯切れがよかった。子供は烏賊鮨を喰べていたその冒険のさなか、詰めていた息のようなものを、はっ、として顔の力みを解いた。うまかったことは、笑い顔でしか現わさなかった。
 母親は、こんどは、飯の上に、白い透きとおる切片をつけて出した。子供は、それを取って口へ持って行くときに、脅かされるにおいに掠《かす》められたが、鼻を詰らせて、思い切って口の中へ入れた。
 白く透き通る切片は、咀嚼《そしゃく》のために、上品なうま味に衝《つ》きくずされ、程よい滋味の圧感に混って、子供の細い咽喉へ通って行った。
「今のは、たしかに、ほんとうの魚に違いない。自分は、魚が喰べられたのだ――」
 そう気づくと、子供は、はじめて、生きているものを噛み殺したような征服と新鮮を感じ、あたりを広く見廻したい歓びを感じた。むずむずする両方の脇腹を、同じような歓びで、じっとしていられない手の指で掴み掻いた。
「ひ ひ ひ ひ ひ」
 無暗《むやみ》に疳高《かんだか》に子供は笑った。母親は、勝利は自分のものだと見てとると、指についた飯粒を、ひとつひとつ払い落したりしてから、わざと落ちついて蠅帳のなかを子供に見せぬよう覗いて云った。
「さあ、こんどは、何にしようかね……はてね……まだあるかしらん……」
 子供は焦立《いらだ》って絶叫する。
「すし! すし」
 母親は、嬉しいのをぐっと堪える少し呆けたような――それは子供が、母としては一ばん好きな表情で、生涯忘れ得ない美しい顔をして
「では、お客さまのお好みによりまして、次を差上げまあす」
 最初のときのように、薔薇いろの手を子供の眼の前に近づけ、母はまたも手品師のように裏と表を返して見せてから鮨を握り出した。同じような白い身の魚の鮨が握り出された。
 母親はまず最初の試みに注意深く色と生臭の無い魚肉を選んだらしい。それは鯛《たい》と比良目《ひらめ》であった。
 子供は続けて喰べた。母親が握って皿の上に置くのと、子供が掴み取る手と、競争するようになった。その熱中が、母と子を何も考えず、意識しない一つの気持ちの痺《しび》れた世界に牽《ひ》き入れた。五つ六つの鮨が握られて、掴み取られて、喰べられる――その運びに面白く調子がついて来た。素人《しろうと》の母親の握る鮨は、いちいち大きさが違っていて、形も不細工だった。鮨は、皿の上に、ころりと倒れて、載せた具《ぐ》を傍へ落すものもあった。子供は、そういうものへ却って愛感を覚え、自分で形を調えて喰べると余計おいしい気がした。子供は、ふと、日頃、内しょで呼んでいるも一人の幻想のなかの母といま目の前に鮨を握っている母とが眼の感覚だけか頭の中でか、一致しかけ一重の姿に紛れている気がした。もっと、ぴったり、一致して欲しいが、あまり一致したら恐ろしい気もする。
 自分が、いつも、誰にも内しょで呼ぶ母はやはり、この母親であったのかしら、それがこんなにも自分においしいものを食べさせて呉れるこの母であったのなら、内密に心を外の母に移していたのが悪かった気がした。
「さあ、さあ、今日は、この位にして置きましょう。よく喰べてお呉れだったね」
 目の前の母親は、飯粒のついた薔薇いろの手をぱんぱんと子供の前で気もちよさそうにはたいた。
 それから後も五、六度、母親の手製の鮨に子供は慣らされて行った。
 ざくろの花のような色の赤貝の身だの、二本の銀色の地色に竪縞《たてじま》のあるさより[#「さより」に傍点]だのに、子供は馴染《なじ》むようになった。子供はそれから、だんだん平常の飯の菜にも魚が喰べられるようになった。身体も見違えるほど健康になった。中学へはいる頃は、人が振り返るほど美しく逞しい少年になった。
 すると不思議にも、今まで冷淡だった父親が、急に少年に興味を持ち出した。晩酌の膳の前に子供を坐らせて酒の対手《あいて》をさしてみたり、玉突きに連れて行ったり、茶屋酒も飲ませた。
 その間に家はだんだん潰れて行く。父親は美しい息子が紺飛白《こんがすり》の着物を着て盃を銜《ふく》むのを見て陶然とする。他所《よそ》の女にちやほやされるのを見て手柄を感ずる。息子は十六七になったときには、結局いい道楽者になっていた。
 母親は、育てるのに手数をかけた息子だけに、狂気のようになってその子を父親が台なしにして仕舞ったと怒る。その必死な母親の怒りに対して父親は張合いもなくうす苦く黙笑してばかりいる。家が傾く鬱積を、こういう夫婦争いで両親は晴らしているのだ、と息子はつくづく味気なく感じた。
 息子には学校へ行っても、学課が見通せて判り切ってるように思えた。中学でも彼は勉強もしないでよく出来た。高等学校から大学へ苦もなく進めた。それでいて、何かしら体のうちに切ないものがあって、それを晴らす方法は急いで求めてもなかなか見付からないように感ぜられた。永い憂鬱と退屈あそびのなかから大学も出、職も得た。
 家は全く潰れ、父母や兄姉も前後して死んだ。息子自身は頭が好くて、何処《どこ》へ行っても相当に用いられたが、何故か、一家の職にも、栄達にも気が進まなかった。二度目の妻が死んで、五十近くなった時、一寸《ちょっと》した投機でかなり儲《もう》け、一生独りの生活には事かかない見極めのついたのを機に職業も捨てた。それから後は、茲《ここ》のアパート、あちらの貸家と、彼の一所不定の生活が始まった。

 今のはなしのうちの子供、それから大きくなって息子と呼んではなしたのは私のことだと湊は長い談話のあとで、ともよ[#「ともよ」に傍点]に云った。
「ああ判った。それで先生は鮨がお好きなのね」
「いや、大人になってからは、そんなに好きでもなくなったのだが、近頃、年をとったせいか、しきりに母親のことを想い出すのでね。鮨までなつかしくなるんだよ」
 二人の坐っている病院の焼跡のひとところに支えの朽《く》ちた藤棚があって、おどろのように藤蔓《ふじづる》が宙から地上に這い下り、それでも蔓の尖《さき》の方には若葉を一ぱいつけ、その間から痩せたうす紫の花房が雫《しずく》のように咲き垂れている。庭石の根締めになっていたやしお[#「やしお」に傍点]の躑躅《つつじ》が石を運び去られたあとの穴の側に半面、黝《あおぐろ》く枯れて火のあおりのあとを残しながら、半面に白い花をつけている。
 庭の端の崖下は電車線路になっていて、ときどき轟々《ごうごう》と電車の行き過ぎる音だけが聞える。
 竜《りゅう》の髭《ひげ》のなかのいちはつ[#「いちはつ」に傍点]の花の紫が、夕風に揺れ、二人のいる近くに一本立っている太い棕梠《しゅろ》の木の影が、草叢《くさむら》の上にだんだん斜にかかって来た。ともよ[#「ともよ」に傍点]が買って来てそこへ置いた籠の河鹿が二声、三声、啼《な》き初めた。
 二人は笑いを含んだ顔を見合せた。
「さあ、だいぶ遅くなった。とも[#「とも」に傍点]ちゃん、帰らなくては悪かろう」
 ともよは河鹿の籠を捧げて立ち上った。すると、湊は自分の買った骨の透き通って見える髑髏魚《ゴーストフィッシュ》をも、そのままともよに与えて立ち去った。

 湊はその後、すこしも福ずしに姿を見せなくなった。
「先生は、近頃、さっぱり姿を見せないね」
 常連の間に不審がるものもあったが、やがてすっかり忘られてしまった。
 ともよ[#「ともよ」に傍点]は湊と別れるとき、湊がどこのアパートにいるか聞きもらしたのが残念だった。それで、こちらから訪ねても行けず病院の焼跡へ暫く佇《たたず》んだり、あたりを見廻し乍ら石に腰かけて湊のことを考え時々は眼にうすく涙さえためてまた茫然として店へ帰って来るのであったが、やがてともよ[#「ともよ」に傍点]のそうした行為も止んで仕舞った。
 此頃《このごろ》では、ともよ[#「ともよ」に傍点]は湊を思い出す度に
「先生は、何処《どこ》かへ越して、また何処かの鮨屋へ行ってらっしゃるのだろう――鮨屋は何処にでもあるんだもの――」
 と漠然と考えるに過ぎなくなった。

底本:「岡本かの子全集5」ちくま文庫、筑摩書房
   1993(平成5)年8月24日第1刷発行
初出:「文芸」
   1939(昭和14)年1月号
入力・校正:鈴木厚司
1999年3月8日公開
2007年8月28日修正
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岡本かの子

蝙蝠—— 岡本かの子

 それはまだ、東京の町々に井戸のある時分のことであつた。
 これらの井戸は多摩川から上水を木樋でひいたもので、その理由から釣瓶《つるべ》で鮎《あゆ》を汲《く》むなどと都会の俳人の詩的な表現も生れたのであるが、鮎はゐなかつたが小鯉《こごい》や鮒《ふな》や金魚なら、井戸替へのとき、底水を浚《さら》ひ上げる桶《おけ》の中によく発見された。これらは井の底にわく虫を食べさすために、わざと入れて置くさかな[#「さかな」に傍点]であつた。「ばけつ持つてお出《い》で」井戸替への職人の親方はさう云つて、ずらりと顔を並べてゐる子供達の中で、特にお涌《よう》をめざして、それ等《ら》のさかな[#「さかな」に傍点]の中の小さい幾つかを呉《く》れた。お涌は誰の目にもつきやすく親しまれるたちの女の子であつた。
 夏の日暮れ前である。子供達は井戸替へ連中の帰るのを見すまし、まだ泥土でねば/\してゐる流し場を草履《ぞうり》で踏み乍《なが》ら、井戸替への済んだばかりの井戸側のまはりに集つてなかを覗《のぞ》く。もう暗くてよく判らないが、吹き出る水が、ぴちよん、によん、によんといふやうに聞え、またその響きの勢ひによつて、全体の水が大きく廻りながら、少しづつ水嵩《みずかさ》を増すその井戸の底に、何か一つの生々してゐてしかも落ちついた世界があるやうに、お涌には思はれた。
[#ここから2字下げ]
蝙蝠《こうもり》来い
簑《みの》着て来い
行燈《あんどん》の油に火を持つて来い
……………………
[#ここで字下げ終わり]
 仲間の子供たちが声を揃《そろ》へて喚《わめ》き出したので、お涌も井戸|端《ばた》から離れた。
 空は、西の屋根|瓦《がわら》の並びの上に、ひと幅日没後の青みを置き残しただけで、満天は、紗《しゃ》のやうな黒味の奥に浅い紺碧《こんぺき》のいろを湛《たた》へ、夏の星が、強《し》ひて在所を見つけようとすると却《かえ》つて判らなくなる程かすかに瞬《またた》き始めてゐる。
 この時、落葉ともつかず、煤《すす》の塊《かたまり》ともつかない影が、子供たちの眼に近い艶沢《つや》のある宵闇の空間に羽撃《はばた》き始めた。その飛び方は、気まぐれのやうでもあり、舵《かじ》がなくて飛びあへぬもののやうでもある。けれども迅《はや》い。ここに消えたかと思ふと、思はぬ軒先《のきさ》きに閃《ひら》めいてゐる。いつかお涌も子供達に交《まじ》つて「蝙蝠来い」と喚きながら今更めづらしく毎夜の空の友を目で追つてゐると、蝙蝠も今日の昼に水替へした井戸の上へ、ひら/\飛び近づき、井戸の口を覗《のぞ》き込んではまた斜に外れ上るやうに見える。お涌は蝙蝠が井戸の中の新しく湧《わ》いた水を甞《な》めたがつてゐるのかとも思つた。ふと、今しがた自分が覗いた生々として落ちついた井の底の世界を、蝙蝠もまた、あこがれてゐるのではあるまいか――
「かあいさうな、夕闇の動物」
 お涌は、この小さい動物をいぢらしいものに感じた。
「捕つた/\」
 といふ声がして、その方面へ子供が、わーつと喚《わめ》き寄つて行つた。桶屋《おけや》の小僧の平太郎が蝙蝠の一ぴきを竿《さお》でうち落して、両翅《りょうばね》を抓《つま》み拡げ、友達のなかで得意顔をしてゐる。薄く照して来る荒物屋の店の灯《ほ》かげでお涌がすかして見ると、小さい生きものは、小鼠《こねずみ》のやうな耳のある頭を顔中口にして、右へ左へ必死に噛《か》みつかうとしてゐる。細くて徹《とお》つたきいきいといふ鳴声を挙げる。「ほい畜生《ちくしょう》」と云つて平太郎は巧《たくみ》に操りながら、噛みつかれないやうに翅を延《のば》して避ける。ぴんと張り拡げられた薄墨いろの肉翅《にくし》のまん中で、毛の胴は異様に蠢《うごめ》き、小鳥のやうな足は宙を蹴《け》る。二つの眼は黒い南京玉《なんきんだま》のやうに小さくつぶらに輝いて、脅《おび》えてゐるのかと見ると嬉《うれ》しさうにも見える。またきいきいと鳴く。その口の中は赤い。
 お涌は、何か、肉体のうちを掠《かす》めるむづむづしたやうな電気を感じ、残忍な征服慾を覚え、早くこの不安なものの動作を揉《も》み潰《つぶ》してしまひ度《た》いやうな衝動にさへ駆られて、浴衣《ゆかた》の両|袂《たもと》を握つたまゝ、しつかり腕を組み合せ、唇を噛んで見入つてゐた。
「お呉《く》れよ、お呉れよ」
 とまはりの子供達が強請《せが》む中に、平太郎はお涌を見つけると愛想笑ひをして
「お涌ちゃんに、これ、やらうね、さあ」
 といつて、抓み方を教へ乍《なが》ら、お涌にこの小さい動物を指移しに渡した。
 お涌は、不気味さに全身緊張させ、また抓んだ指さきの肉翅のあまり華奢《きゃしゃ》で柔かい指触りの快いのに驚きながら、その小動物を自分の体からなるたけ離すやうにして、そろ/\自宅の方へ持ち運んで行つた。お涌に蝙蝠を取られた他の子供達がうしろから嫉妬《しっと》の喚きを立てゝ囃《はや》した。
 お涌が、自宅の煉瓦塀《れんがべい》のところまで来ると、あとから息せき切つて馳《か》けて来た日比野の家の女中が声をかけて
「お嬢さま、あなたが蝙蝠をお貰《もら》ひになつたのを、うちの坊ちやまが窓から御覧になつてまして、是非《ぜひ》標本に欲しいから、頂いて来て呉れろと仰言《おっしゃ》いますので…………ほんたうに御無理なお願ひで済みませんが…………坊ちやまのお母さまもお願ひして来るように仰言いますので…………」
 お涌は、大人の女中の使者らしい勿体《もったい》振つた口上にどぎまぎして、蝙蝠も惜《おし》くはあるが遣《や》らなければならないものと観念して、小さい声で
「ええ、あげますわ」
 といつて女中の前に小動物を差出した。
「ほんとに、済みませんで御座《ござ》います」
 女中は礼を繰返しながら蝙蝠をお涌の手から抓《つま》み代へて受取らうとする。蝙蝠は口を開けてきいきい鳴き続ける。二三度試みて、たうとう指さきを臆《おく》させてしまつた女中は
「お嬢さま、まことに恐れ入りますが、とても私の手にはおへませんから、このまま蝙蝠を宅までお持ち願へませんか」
 お涌は大人にこれほど叮嚀《ていねい》に頼まれる子供の侠気《きょうき》にそゝられて承知した。
 日比野の家は、この町内で子供達が遊び場所にしてゐる井戸の外柵の真向《まむか》ひで、井戸より五六軒|距《へだた》つたお涌の家からはざつと筋向うといへる位置にあつた。前に大溝《おおどぶ》の幅広い溝板が渡つてゐて、粋《いき》でがつしりした檜《ひのき》の柾《まさ》の格子戸の嵌《はま》つた平家の入口と、それに並んでうすく照りのある土蔵とが並んでゐた。土蔵の裾《すそ》を囲む駒寄《こまよ》せの中に、柳の大木が生えてゐる。枝に葉のある季節には、青い簾《すだれ》のやうにその枝が、土蔵の前を覆うてゐた。町内のどの家と交際してゐるといふこともなかつた。
 土蔵には、鉄格子の組まれた窓があつた。その中が勉強部屋になつてゐるらしく、末息子の皆三の顔がよく見えた。
 子供達のなかの誰もこの家のことをよく知らなかつた。富んでゐる無職業《しもたや》の旧家《きゅうか》であることだけは判つたが、内部の家族の生活振りや程度のことなど、子供|等《ら》の方から、てんで知り度《た》い慾望もなかつたのである。ただ土蔵の窓から、体格のしつかりしてさうな眉目《びもく》秀麗な子供の皆三が、しよつちゆう顔を見せてゐる癖に、決して外へ出て、みんなと一緒に遊ばない超然たるところを子供達は憎んだ。さういふ型違ひな子供のゐる日比野の家は、何か秘密がありさうな不思議な家と漠然と思つてゐるだけだつた。
 子供達は、お涌も時に交《まじ》つて、その土蔵の外の溝板《どぶいた》に忍び寄り、俄《にわ》かに足音を踏み立てて「ひとりぼつち――土蔵の皆三」と声を揃《そろ》へて喚《わめ》く。お涌もこの皆三の超然たるところを憎むことに於て、他の子供達に劣らなかつた。が、喚き立てる子供達の当て擦《こす》りの下卑《げび》た荒々しい言葉が、あの緊密|相《そう》な男の子の神経にかなり深刻に響いて、彼をいかに焦立《いらだ》たせるかとはらはらして堪《たま》らない気もした。それでゐてお涌自身も、子供達と一しよにますます喚き立て度《た》い不思議な衝動にいよ/\駆られるのであつた。お涌はさういふ気持ちで喚く時、脊筋《せすじ》を通る徹底した甘酸《あまずっぱ》い気持ちに襲はれ頸筋《くびすじ》を小慄《こぶる》ひさせた。
 窓からは皆三の憤怒《ふんぬ》に歪《ゆが》んだ顔が現はれ
「ばか――」
 と叫ぶのだが、その語尾はおろ/\声の筋をひいて彼自身の敗北を示してゐた。そのとき子供達はもう井戸の柵のところまで立退《たちの》き凱歌《がいか》を挙げてゐる。
 さういふ時の皆三と、今、自分に蝙蝠を譲つて欲しいと女中にいはせに来た皆三とは、別人のやうにお涌には感じられたが、しかし、ともかくあの変つた男の子がゐて、そして町内の子どもが誰も見たことのない神秘の家へ自分ひとり入つて行くことは、お涌に取つて女中のために蝙蝠を運んで行つてやる侠気《きょうき》以上の張合ひであつた。
 お涌の先に立つた女中が格子戸を開けた。眼の前にびつくりするやうな大きな切子燈籠《きりこどうろう》が、長い紙の裾《すそ》を垂らしてゐる。その紙を透して、油燈の灯《ほ》かげと玄関の瓦斯《ガス》の灯かげと――この時代には東京では、電気燈はなくて瓦斯燈を使つてゐた――との不思議な光線のフオーカスの中に、男の子の姿が見えた。仁王立《におうだ》ちになつてゐた。男の子は、女中ばかりでなくお涌が一しよなのに驚いた様子で、片足|退《すさ》つて身構へる様子だつたが、女中の説明を聞くうち、男の子はすつかり笑顔になつて、自分も手伝つてきいきいいふ小鳥のやうな動物を空いた鸚鵡籠《おうむかご》の中へ首尾よく移した。籠の口で、お涌が指を蝙蝠の翅《はね》から離すときに、いかにも喰ひつかれるのを怖れるやうに、勢《いきおい》づけて引込ますと、男の子はくくくと、笑つた。その声には、いぢらしいものを愛し労《いた》はる響きがあつた。
 お涌は、日頃遠くから軽蔑《けいべつ》してゐた男の子の立派な格のある姿を眼の前にはつきりと視《み》、思ひがけなくもその声からかういふ響きを聞くと、女が男に永遠に不憫《ふびん》がられ、縋《すが》らして貰《もら》ひ度《た》い希望の本能のやうなものがにはかに胸に湧《わ》き上つた。お涌はにはかに赧《あか》くなつた。それが、お涌の少女の気もちに何か戸惑《とまど》つたやうな口惜《くや》しささへ与へた。お涌は、つんと済《すま》して帰つて仕舞《しま》はうかとさへ思つたが、一たん胸に湧きあがつた本能が、ぐんぐん成長して、お涌の生意気を押へつけ、却《かえ》つて可憐《かれん》に媚《こ》びを帯びた態度をさへお涌につくらせてしまつた。
 お涌の眼と見合ふと、男の子も少し赧くなつた。男の子はその顔を鸚鵡籠へ覗《のぞ》かして
「この蝙蝠、翅が折れてら」
 とはじめて声を出して云つた。声は、金網越しに「ばか」と怒つたときの声に似てゐて、似てもつかぬ、しつかりした声だつた。だが、その声でややお涌に向いて落ちつかないもの云ひをするのだつた。するとお涌は却つて気丈になつて
「あ、ま、さうおう」
 と少し誇張したいひ方をして、美しく眉《まゆ》を皺《しわ》め、籠の中を覗き込んだ。
 十二の男の子と、十一の少女とは、やや苦しく、しかも今までにまだ覚えたことのない仄明《ほのあか》るいものを共通に感じつゝ、眼はうつろに、鸚鵡籠《おうむかご》の底に、片翅《かたばね》折り畳めないでうづくまつてゐる小動物に向けてゐた。
 その翌日、日比野の女中が、水引《みずひき》をかけた菓子折の箱を持つて、蝙蝠を貰《もら》つた礼を云ひにお涌の家へ来た。それから二日ばかり経《た》つて日比野の母親から、お八《や》つを差上げ度《た》いからお涌に遊びに来るやうにと招きがあつた。
 皆三が十七になり、お涌が十六になつた春、皆三は水産講習所に入つて、好きな水産動物の研究に従ふことになつた。皆三はよほど人並に高等学校から大学の道を通つて進まうと思つた。が、自分のはひつてゐる中学の理科の教師でTといふ老学士が水産講習所の講師を主職にしてゐるので、その縁に牽《ひ》かれてそこへはひつた。皆三は、このT老学士には、中学校の師弟以上の親密な指導を受けてゐた。T老学士は、中学生にして稀《まれ》に見る動物学といふやうな専門的な科学に好みを寄せる皆三を、努めて引立てた。
 お涌は女学校の四年生であつた。お涌が十一の少女の時、皆三に与へた蝙蝠は、籠のなかでぢき死んで仕舞《しま》つたが、お涌は蝙蝠のとき以来、日比野の家と縁がついて、出入りするやうになつた。日比野の家の、何か物事を銜《ふく》んで控へ目に暮してゐる空気がお涌にはなつかしまれた。それには豪華を消してゐるうすら冷たい感じがあつた。お涌自身の家は下町の洋服業組合の副|頭取《とうどり》をしてゐて、家中が事務所のやうに開放され、忙しく機敏な人たちが、次々と来て笑ひ声や冗談を絶《たや》さなかつた。ときには大量の刷物の包みがお涌の勉強机の側まで雪崩《なだ》れ込んだりした。
 お涌は今では、日比野の家の格子戸を開けて入ると女中の出迎へも待たず玄関の間を通り中庭に面してゐる縁側へ出て、その突当りの土蔵の寒水石《かんすいせき》の石段に足をかける――「ゐるの」といふ。中から「ゐるよ」と機嫌のいい声がして「早くおはいりよ」と皆三のいふのが聞える。そのときおくれ馳《ば》せに女中が馳《は》せつけて「失礼しました」と挨拶《あいさつ》してお涌を土蔵の中に導き、なにかと斡旋《あっせん》して退く――といふやうな親しさになつてゐる。
 薄暗いがよく整つた部屋で、華やかな絨氈《じゅうたん》の上に、西洋机や椅子《いす》が据ゑてあつた。周囲には家付のものらしい古絵の屏風《びょうぶ》や重厚な書棚や、西洋人のかいた油絵がかゝつてゐる。その間に皆三の好みらしい現代式の軽快な本箱が挟まつてゐた。しかし棚の上にはまた物々しい桐《きり》の道具箱が、油で煮たやうな色をして沢山《たくさん》並んでゐた。
 皆三は、其処《そこ》で顕微鏡を覗《のぞ》いてゐるか、昆虫の標本をいぢつてるかしてゐた。無口だが、人なつこい様子でお涌に向つた。額《ひたい》も頬《ほお》もがつしりしてゐて、熱情家らしい黒目勝ちの大きい眼が絶えず慄《ふる》へてゐるやうに見えた。沈鬱《ちんうつ》と焦躁《しょうそう》が、ときどきこの少年に目立つて見えた。
 お涌も皆三にむかつてゐると、あれほど気嵩《きがさ》で散漫だと思ふ自分がしつとり落付き、こまかく心が行届いて、無我と思へるほど自分には何にも無くなり、ひたすら皆三の身の囲りの面倒を見てやり度《た》くなるのであつた。
「だらしがないわ皆三さん。着物の脊筋《せすじ》を、こんなに曲げて着てるつてないわ」
「まるで赤ン坊」
 お涌は皆三の生活に対する不器用さを見て、いつもかういつて笑つた。しかし、その赤ん坊が自分にまともにむける眼には、最初皆三に逢《あ》つた晩に、彼の声が浸《し》みさせたと同様な慈《いつく》しみがある――お涌はそれに逢ふと、柔軟なリズムの線がひとりでに自分の体に生み出され、われとしもなくその線の一つを取上げて、自分の姿をそれに沿へる。それは自分でも涙の出るほど女らしくしほらしいものであつた。だがお涌はさういふ自分になるとき、宿命とかいふものに見込まれたやうな前途の自由な華やかな道を奪ひ去られたやうな、窮屈な寂しい気もちもあつた。
(これが、恋とか、愛とかいふものかしらん。いやそんなことは無い。)
 笑ひ声や冗談に開け放たれた家庭の空気に育ち、心に蟠《わだかま》りなどは覚えたこともないお涌は、恋愛などといふ入り組んだ重苦しいものは、今の世にあるものぢやないと首を振つた。
 ほとんどきまつた話はしたことのない四五年間の少年少女の交際の間にも、お涌はこの家の神秘な密閉的な原因が判るやうな気がした。
 先祖は十八大通《じゅうはちだいつう》といはれた江戸の富豪で、また風流人の家筋に当り、三月の雛祭《ひなまつ》りには昔の遺物の象牙《ぞうげ》作りの雛人形が並べられた。明治の初期には皆三の祖父に当る器量人が、銀行の頭取などして、華々しく社交界にもうつて出たが、後嗣《こうし》はひとりの娘なので、両親は娘のために銀行の使用人の中から実直な青年を選んで娘の婿に取つた。それが皆三の両親である。三人の男の子が生れた頃、どういふものか、祖父は突然その婿を離縁してやがて自分も歿《ぼっ》した。
 祖父は、あとでわかつたのであるが、強い酒に頭が狂つてゐたのであるさうだ。さうと知らず、離縁された皆三たちの父は、ただぽかんとして、葉山の別荘にひとりで暮してゐるうち、ある日海水浴をすると、急に心臓|麻痺《まひ》が来て死んでしまつた。
「僕が三つのときだ」
 皆三は何の感慨もなささうに云つた。
 何とも理由づけられない災難に逢《あ》つたのち、男の子三人抱へた寡婦として自分を発見した皆三の母親のおふみは、はじめて世の中の寂しいことや責任の重いことを覚つた。さうなるまでは、まつたく中年まで、この母親はお嬢さん育ちのままであつた。知り合ひのなかから相談相手として、三四人の男女も出て来たのであるが、成績は面白くなかつた。遺産はみすみす減つて行くばかりだつた。母親は怯《おび》えと反抗心から、その後は羽がひの嘴《くちばし》もしつかり胴へ掻《か》き合せた鳥のやうに、世間といふものから殆《ほとん》ど隔絶して、家といふものと子供とを、ただその胸へ抱き籠《こ》めるやうな生活態度を執《と》るやうになつた。
 祖父に似て派手で血の気の多い長男は、海外へ留学に出たままずつと帰らない。実直で父親似と思つた次男は、思ひがけない芸人で、年上の恋人が出来、それと同棲《どうせい》するために、関西へ移つたまま音信不通となつた。母親の羽がひの最後の力は、ただ一人残つた末子の皆三の上に蒐《あつ》められた。
「おまへが、もしもの事をしたら、お母さんは生きちやゐませんよ」
 少年の皆三を前にしておふみは、かういつて涙をぽろ/\零《こぼ》した。皆三は血の気で頭の皮膚が破れるかと思ふばかり昂奮《こうふん》して、黙つて座を立つて行つて、土蔵の中の机の前に腰かけた。
 そこで別の世界の子供の声のやうに「蝙蝠来い」と喚《わめ》くのを夢のやうに聞いた。中にも軽く意表の外に姿を閃《ひらめ》かすお涌の姿を柳の葉の間から見て、皆三はとても自分と一しよに遊べるやうな少女とは思へなかつた……だが、さういふ少女のお涌が持つて歩き出したあの黄昏時《たそがれどき》の蝙蝠が、何故《なぜ》ともなく遮二無二《しゃにむに》皆三には欲しくて堪《たま》らなくなつたのだ。性来動物好きの少年だつた皆三が、標本に欲しかつたといふことも充分理由にはなるのだけれど……。
 母親は皆三を外へ出しては自由に遊ばせない代りに、家の中ではタイラントにして置いた。そこで蝙蝠を貰《もら》つた機会から家へ来たお涌を皆三がしきりに友達にしたがつた様子を察して、その後、お涌をお八つに呼んだりなにかと目にかけるやうになつた。
 二人が育つて行くにつれ、母親にふと危惧《きぐ》の念が掠《かす》めた。二人があまり気の合つてゐる様子である。青春から結婚、それは関《かま》はない。もしそこに母親である自分の愛も挟める余地のあるものでさへあつたら……だが二人の様子を見ると、さういふ母親の気苦労を知らない若い男女は、年老いた寡婦の唯一の慰めを察して、二人の切情をも時に多少は控へても、自分の存在を中間に挟めて呉《く》れるであらうか。皆三は一徹者だし、お涌は無邪気すぎる女である。そこまで余裕のある思ひ遣《や》りが、二人の間につくかどうかが疑問であるとき、お涌の髪に手を入れてやり乍《なが》ら訊《き》いた。
「お涌さんは、どういふところへお嫁に行く気」
 お涌は
「知りませんわ」
 と笑つた。
「でもまあ、云つてご覧なさい」
 となほねつく訊くと
「やつぱり世間通りよ。うちで定めて呉れるところへですわ」
 と答へた。
 これはお涌にしてみれば、嘘の心情ではなかつた。
 それから少したつて、母親は晩飯のとき皆三に訊《たず》ねた。
「皆さん、妙なことを訊《き》くやうだが、もうお前さんも学校は卒業間際だから訊いとくが、何かい、お嫁なら向うの家の娘さんでも貰《もら》ひなさるかね」
 母親は、わざとお涌を娘さんといつたり、息の詰るのを隠して何気なく云つた。じつと、母親の顔を見てゐた皆三は、それから下を向いて下唇を噛《か》んで考へてゐたが
「僕は妻など持つて家庭を幸福にして行けるやうな性格ぢや無ささうですね。まあ、当分の間は、このままで勉強して行くつもりですね」
 母親は、故意に皆三の言葉どほりを素直に受け取る様子を自分がしてゐるのに、いくらか気がつき乍《なが》らも
「さうかねえ、もしお嫁さんを持つなら、あの娘は好いと思ふんだがね」

 突然の縁談はお涌の家の両親を驚かした。それは、日比野の女主人のおふみから申込まれたものであるが、相手は皆三では無かつた。日比野の親戚に当る孤児で、医科を出て病院の研究助手を勤めてゐる島谷といふ青年だつた。密閉主義の日比野の家でも、衛生には殊《こと》に神経質のおふみが、何かとこの青年に健康の相談をかけ、出入を許してゐる只《ただ》一人の親戚といふことが出来る。皆三も嫌ひな青年では無かつたが、多く母親の話し相手になつてゐた。お涌も日比野へ遊びに来た序《ついで》に、茶の間で二三度島谷に逢《あ》つたことがあつた。
 額《ひたい》が秀でてゐて唇が締《しま》てゐる隅から、犬歯の先がちよつと覗《のぞ》いてゐる。いまに事業家肌の医者になりさうな意志の強い、そして学者風に捌《さば》けてゐる青年だつた。顎《あご》から頬《ほお》へかけて剃《そ》りあとの青い男らしい風貌《ふうぼう》を持つてゐた。
 おふみからお涌の仲人《なこうど》口を聞いたとき島谷は
「だが、皆三君の方は」
 と聞き返すと、おふみは
「なに、あれとは、ただ御近所のお友達といふだけで、それに皆三は、当分結婚の方は気が無いといふから」
「では、僕の方、お願ひしてみませうか」
 島谷はあつさり頼んだ。
 おふみがお涌の家へ来ての口上はかうであつた。
「こちらのお嬢さんは、人出入りの多いお医者さまの奥さんには、うつてつけでいらつしやると思ひますので――」
 さういひ乍《なが》らもおふみは、何かしらお涌が惜しまれた。おふみに取つてお涌は決して嫌ひな娘ではなかつた。ただ皆三とお涌が結び付くときに、あまりに夫婦一体になり過ぎて母親の自分が除外されさうな危惧《きぐ》のため、二人を一緒にしないさしあたりの回避工作に、島谷との媒酌を思ひ立つたのであるけれど、おふみの心の一隅には、さすがに切ないものが残つてゐた。
 お涌の方では、あの大人であつて捌《さば》けて男らしい医師を夫と呼ぶやうになるとは、あまり唐突の感じがしないでもなかつた。しかし、これまた当然のやうに思へた。世間常識から云つて、お涌の家のやうな娘が、ああした身分人柄に嫁入りするのは順当に思へた。皆三と自分との間柄は、たとへ多少の心の触れ合ひがあつたにせよ、恐らくそのくらゐなことは世間の娘の誰もがもつ結婚まへの記憶であり、結婚後にも何の支障もなく残る感情だけのものではあるまいか。お涌は、世間並の娘の気持ちの立場になつて、かうも考へられた。
 ひどく乗気になつた兄と両親と、それから日比野の女主人との取計らひで、殆《ほとん》ど、島谷とお涌との結婚が決定的なものとなつた。
 ところが、そこまで来て急にお涌の心は、何もかも詰《つま》らないといふ不思議なスランプに襲はれた。そしてあるとき皆三の母親から聞いた皆三の、当分独身といつた言葉は、皆三の性格としては、もつともと思へるが「何といふ意気地なし」といふやうな言葉で、皆三を思ひ切り罵倒《ばとう》してやり度《た》い気持ちがお涌に湧然《ゆうぜん》として来た。それでゐながら、早速皆三に逢《あ》ふほどの勇気も出ない。日毎《ひごと》に憂鬱《ゆううつ》と焦躁《しょうそう》に取りこめられるやうにお涌はなつて行つた。
 東京には、かういふ娘がひとりで蹣跚《まんさん》の気持ちを牽《にな》ひつつ慰み歩く場所はさう多くなかつた。大川端にはアーク燈が煌《きら》めき、涼み客の往来は絶ゆる間もない。両国橋は鉄橋になつて虹《にじ》のやうな新興文化の気を横《よこた》へてゐる。本所《ほんじよ》地先の隅田川百本杭は抜き去られて、きれいな石垣になつた。お涌は、別に身投げとか覚悟とかさういつた思ひ詰めたものでもない、何か死とすれ/\に歩み沿つて考へ度《た》い気持ちで一ぱいだつた。
 電車の音、広告塔の灯《ひ》、街路樹、さういふものをあとにして、お涌はひたすら暗い道へ道へと自分の今の気持ちに沿ふところを探し歩いた。どことも覚えない大溝《おおどぶ》が通つてゐて小橋がまばらに架《かか》り、火事の焼跡に休業の小さい劇場の建物が一つ黝《くろず》み、河沿ひの青白い道には燐光《りんこう》を放つ虫のやうにひしやげた小家が並んでゐる。蒼冥《そうめい》として海の如く暮れて行く空――お涌には自分の結婚の仲立ちをする日比野の女主人も、それに有頂天になる肉親も、自分の婿にならうとする島谷も、すべてはおせつかいで意地悪く、恨《うら》めしく感じられた。皆三には――皆三には、無性に※[#「てへん+毟」、第4水準2-78-12]《むし》りつき度いほど焦立《いらだ》たしさ口惜《くや》しさ、逢《あ》つてその意気地なさを罵倒《ばとう》し度《た》くて、そのくせ逢ひもせぬ自分の不思議なこじれ方をどうしやうもない……ああ、かういふ時、蝙蝠でも飛んでゐて呉《く》れればよい。子どもの井戸替への夕、あの蝙蝠も覗《のぞ》くかと見た井戸の底の落付いた仄明《ほのあか》るい世界はいまどこにあるであらう。
 お涌は、ここをどことも知らぬ空を見上げた。

 お涌と島谷との結婚は、近来なんとなく健康のすぐれぬお涌自身の返事が煮え切らず、 遷 々として時期も定まらぬままに過ぎて行くうち、島谷は他の縁談に方向を求め、極めて事務的な結婚をして仕舞《しま》つた。
 秋になつて、真黒な健康顔をして長い旅から帰つて来た皆三は、家に一休みすると突然母親にかういひ出した。
「今度、始めて家を離れて長旅をしてみましたが、なんとなく寂しい。やつぱり結婚でもしてみたくなりました。お涌さんを貰《もら》つて頂きませうか、お母さん」
 その言葉は別だん、力の籠《こも》つた云ひ方ではなかつたが、母親には電気のやうに触れた。母親には、何か無理に力一ぱい自分がへし曲げてゐたものに最後に弾《は》ね返されたやうに感じた。(やつぱりさうか)と母親は観念すると、たちまちそこに宿命に素直になる歓びさへ覚えた。
「やつぱり、さうだつたのかお前」
 母親の皆三にむけて微笑した眼には薄く涙さへ浮んだ。

 長い年月が過ぎて行つた一夏、日比野皆三博士が、学生たちを指導してゐる間、葉山の別荘に夫人の涌子は子供たちと避暑に来てゐて、土曜日|毎《ごと》に油壺《あぶらつぼ》から帰つて来る良人《おっと》を待受けてゐた。子供といつても長男はもう工科の学生で、二十三歳になり、妹は婚約中の十九になつてゐた。
 一色の海岸にうち寄せる夕浪《ゆうなみ》がやや耳に音高く響いて来て、潮煙のうちに、鎌倉の海岸線から江の島が黛《まゆずみ》のやうに霞《かす》んでゐる。
 兄妹は逗子《ずし》へ泳ぎに行き、友だちのところへ寄つたと見えてまだ帰らない。涌子夫人は夫に食事の世話をしつゝ、自分も食べ終つた。二人とももう脂肪気の多い食品はなるべく避ける年配になつてゐた。
 近くに※[#「魚+膠のつくり」、47-13]釣の火が見え出し、沖に烏賊《いか》釣りの船の灯《ひ》が冷涼《すず》しく煌《きら》めき出した。
 冷した水蜜桃《すいみつとう》の皮を、学者風に几帳面《きちょうめん》に剥《む》き乍《なが》ら博士は云つた。
「じつに、静かな夕方だな」
「さうでご座いますね」
 涌子夫人はまだこの時代に、この辺にはちらほらする蝙蝠の影を眺めてゐた。
「油壺の方で、毎晩食後にいろいろ教職員や学生の身の上話も出るのだが、あれでなかなか複雑な経歴なものもある。それに較べると、僕とお前のコースなぞは、まあ平凡といつていいね」
 博士は、この平凡といふ言葉につまらないといふ意義は響かせなかつたが、夫人にはただそれだけの言葉ではもの足りないやうな思ひがした。夫人は何気なささうに
「さうでご座いますね」
 と博士の言葉に返事をしながら、今眼の前に見る蝙蝠の影に、二人が少年少女だつた遠い昔の蝙蝠の羽撃《はばた》きが心の中で調子を合せてゐるやうで、懐しい悲しい気持ちがした。
 しばらくして夫人はおだやかに云つた。
「それはさうと、もう二三日でお盆の仕度にちよつと東京へ帰つて参らうと思ひます」
「そしたら序《ついで》にどつかで金米糖《こんぺいとう》を見つけて、買つて来て貰《もら》ひ度《た》いね。この頃何だかああいふ少年の頃の喰べものを、また喰べ度くなつた」
 博士は庭の植物に水をやりに行つた。夫人は山の端《は》に出た夕月を見つゝ、自分が日比野の家へ入つてから、東京の家も、土蔵だけ残して、便利で明るい現代風の建物に改築したことや、良人《おっと》の母親も満足して死に、良人の兄たちとも円満に交際を復旧したことや、そして子供達の無事な成長――
 これが、良人のいふ平凡な私たちの生涯の経過といふものであつたのかと想つた。

 夏も終る頃、日比野博士一家は東京の家へ戻つて来た。またおだやかな日々が暫《しばら》く経《た》つて行つた或日《あるひ》、今も良人の研究室になつてゐる土蔵の二階から、涌子は昔、自分に貰つた蝙蝠を良人が少年の丹念を打ち籠《こ》めて剥製《はくせい》にしてあつたのを持ち出した。蝙蝠の翅《はね》の黒色は煤《すす》のやうに古び、強く触ればもろく落ちるかと見え乍《なが》ら、涌子がそれを自分の居間の主柱《おもばしら》の上方に留め付けると、古びた剥製の蝙蝠は一種の格合ひを持つた姿の張りを立派に表示するのであつた。
 涌子はそれをひとりつくづく眺めてゐるうちに、少女の自分が、とある夕暮、この家に持ち込んだ蝙蝠が、祖父の狂死からこの家に伝はつた憂鬱《ゆううつ》を、この黒い奇怪な翅のいろに吸ひつくして呉《く》れたのではないかと考へるやうになつた。日比野博士夫人涌子の穏かな平凡な生涯に、この煤黒い小動物の奇怪な神秘性の裏付けのあることを、今更誰も気づかないのが、夫人自身のうら寂しくもなつかしい感懐であつた。

底本:「日本幻想文学集成10 岡本かの子」国書刊行会
   1992(平成4)年1月23日初版第1刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集」冬樹社
   1975(昭和49)年発行
※ルビを新仮名遣いとする扱いは、底本通りにしました。
入力:門田裕志
校正:湯地光弘
2005年2月22日作成
2005年12月11日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

岡本かの子

渾沌未分—– 岡本かの子

  小初は、跳《は》ね込《こ》み台の櫓《やぐら》の上板に立ち上った。腕《うで》を額に翳《かざ》して、空の雲気を見廻《みまわ》した。軽く矩形《くけい》に擡《もた》げた右の上側はココア色に日焦《ひや》けしている。腕の裏側から脇《わき》の下へかけては、さかなの背と腹との関係のように、急に白く柔《やわらか》くなって、何代も都会の土に住み一性分の水を呑《の》んで系図を保った人間だけが持つ冴《さ》えて緻密《ちみつ》な凄《すご》みと執拗《しつよう》な鞣性《じゅうせい》を含《ふく》んでいる。やや下ぶくれで唇《くちびる》が小さく咲《さ》いて出たような天女型の美貌《びぼう》だが、額にかざした腕の陰影《いんえい》が顔の上半をかげらせ大きな尻下《しりさが》りの眼《め》が少し野獣《やじゅう》じみて光った。
 額に翳した右の手先と、左の腰盤《ようばん》に当てた左の手首の釣合《つりあ》いが、いつも天候を気にしている職業人のみがする男型のポーズを小初にとらせた。中柄《ちゅうがら》で肉の締《しま》っているこの女水泳教師の薄《うす》い水着下の腹輪の肉はまだ充分《じゅうぶん》発達しない寂《さび》しさを見せてはいるが、腰《こし》の骨盤は蜂《はち》型にやや大きい。そこに母性的の威容《いよう》と逞《たく》ましい闘志《とうし》とを潜《ひそ》ましている。
 蒼空《あおぞら》は培養硝子《ばいようガラス》を上から冠《かぶ》せたように張り切ったまま、温気《うんき》を籠《こも》らせ、界隈《かいわい》一面の青蘆《あおあし》の洲《す》はところどころ弱々しく戦《おのの》いている。ほんの局部的な風である。大たい鬱結《うっけつ》した暑気の天地だ。荒川《あらかわ》放水路が北方から東南へ向けまず二筋になり、葛西川《かさいがわ》橋の下から一本の大幅《おおはば》の動きとなって、河口を海へ融《と》かしている。
「何という判《わか》らない陽気だろう」
 小初は呟《つぶや》いた。
 五日後に挙行される遠泳会の晴雨が気遣《きづか》われた。
 西の方へ瞳《ひとみ》を落すと鈍《にぶ》い焔《ほのお》が燻《いぶ》って来るように、都会の中央から市街の瓦《かわら》屋根の氾濫《はんらん》が眼を襲《おそ》って来る。それは砂町一丁目と上大島町の瓦斯《ガス》タンクを堡塁《ほるい》のように清砂通りに沿う一線と八幡《やわた》通りに沿う一線に主力を集め、おのおの三方へ不規則に蔓延《まんえん》している。近くの街の屋根瓦の重畳《ちょうじょう》は、躍《おど》って押《お》し寄せるように見えて、一々は動かない。そして、うるさいほど肩《かた》の数を聳《そびや》かしている高層建築と大工場。灼熱《しゃくねつ》した塵埃《じんあい》の空に幾百《いくひゃく》筋も赫《あか》く爛《ただ》れ込んでいる煙突《えんとつ》の煙《けむり》。
 小初は腰の左手を上へ挙げて、額に翳している右の腕に添《そ》え、眩《まぶ》しくないよう眼庇《まびさ》しを深くして、今更《いまさら》のように文化の燎原《りょうげん》に立ち昇《のぼ》る晩夏の陽炎《かげろう》を見入って、深い溜息《ためいき》をした。
 父の水泳場は父祖の代から隅田川《すみだがわ》岸に在った。それが都会の新文化の発展に追除《おいの》けられ追除けられして竪川《たてかわ》筋に移り、小名木川《おなぎがわ》筋に移り、場末の横堀《よこぼり》に移った。そしてとうとう砂村のこの材木置場の中に追い込まれた。転々した敗戦のあとが傷ましくずっと数えられる。だが移った途端《とたん》に東京は大東京と劃大《かくだい》され砂村も城東区砂町となって、立派に市域の内には違《ちが》いなかった。それがわずかに「わが青海流は都会人の嗜《たしな》みにする泳ぎだ。決して田舎《いなか》には落したくない。」そういっている父の虚栄心《きょえいしん》を満足させた。父は同じ東京となった放水路の川向うの江戸川区《えどがわく》には移り住むのを極度に恐《おそ》れた。葛西《かさい》という名が、旧東京人の父には、市内という観念をいかにしても受付けさせなかった。ついに父は荒川放水を逃路《とうろ》の限りとして背水の陣《じん》を敷《し》き、青海流水泳の最後の道場を死守するつもりである。
 このように夏|稼《かせ》ぎの水泳場はたびたび川筋を変えたが、住居は今年の夏前までずっと日本橋区の小網町《こあみちょう》に在った。父は夏以外ふだんの職業として反物《たんもの》のたとう紙やペーパアを引受けていた。和漢文の素養のある上に、ちょっと英語を習った。それでアドレスや請求文《せいきゅうぶん》を書いて、父はイギリスの織物会社からしきりにカタログを取り寄せた。中や表紙の図案を流用しながら、自分の意匠《いしょう》を加えて、画工に描《か》き上げさせ、印刷屋に印刷させて、問屋の註文《ちゅうもん》に応じていた。ちらしや広告の文案も助手を使って引き受けていた。
 だが地元の織物組合は進歩した。画工も進歩した。今更中間のブローカー問屋や素人《しろうと》の父の型の極《きま》った意匠など必要はなくなった。父の住居|附《つ》きのオフィスは年々|寂寥《せきりょう》を増した。しばらく持ち堪《こた》えてはいたが、その後いろいろな事業に手を出した末が、地所ぐるみ人に取られた。その前に先祖から伝えられていた金も道具も失《な》くしていた。だからこの夏期は夜番と云《い》いつくろって父娘《おやこ》二人水泳場へ寝泊《ねとま》りである。
 駸々《しんしん》と水泳場も住居をも追い流す都会文化の猛威《もうい》を、一面灰色の焔の屋根瓦に感じて、小初は心の髄《ずい》にまで怯《おび》えを持ったが、しかししばらく見詰《みつ》めていると、怯えてわが家|没落《ぼつらく》の必至の感を深くするほど、不思議とかえって、その猛威がなつかしくなって来た。結局は、どうなりこうなりして、それがまた自分を救ってくれる力となるのではあるまいかと感ぜられて来た。その都会の猛威に対する自分のはらはらしたなつかしさは肉体さえも抱《かか》え竦《すく》められるようである。このなつかしさに対しては、去年の夏から互《たがい》に許し合っている水泳場近くの薄給《はっきゅう》会社員の息子《むすこ》薫《かおる》少年との小鳥のような肉体の戯《たわむ》れはおかしくて、想《おも》い出すさえ恥《は》じを感ずる。
 それに引きかえて、自分への興味のために、父の旧式水泳場をこの材木堀に無償《むしょう》で置いてくれ、生徒を世話してくれたり、見張りの船を漕《こ》いでくれたりして遠巻きに自分に絡《から》まっている材木屋の五十男貝原を見直して来た。必要がいくらかでも好みに変って来たのであろうか。小初は自分の切ない功利心に眼をしばだたいた。
 とにかく、父や自分の仇敵《きゅうてき》である都会文化の猛威に対して、少しも復讐《ふくしゅう》の気持が起らず、かえって、その逞ましさに慄《ふる》えて魅着《みちゃく》する自分は、ひょっとして、大変な錯倒症《さっとうしょう》の不良|娘《むすめ》なのではあるまいか。だが何といっても父や自分の魂《たましい》の置場はあそこ――都会――大東京の真中よりほかにないのだから仕方がない、是非もない……。
「小初先生。時間ですよ。翡翠《ショービン》の飛込みのお手本をやって下さい」
 水だらけの子供を十人ばかり乗せ、櫓台の下へ田舟《たぶね》を漕ぎ近づけて、材木屋の貝原が、大声を挙げた。飛騨訛《ひだなま》りがそう不自然でなく東京弁に馴致《じゅんち》された言葉つきである。
「お手本をも一度みんなに見せといて、それからやらせます」
 脂肪《しぼう》づいた小富豪《しょうふごう》らしい身体《からだ》に、小初と同じ都鳥の紋《もん》どころの水着を着て、貝原はすっかり水泳場の助手になり済ましている。小初はいつもよりいくらか滑《なめ》らかに答えた。
「いますぐよ。少しぐらい待ってよ」
 だが、息づまるような今までの気持からいくらか余裕《よゆう》をつけようとして、小初はもう一度放水路の方を見やった。一めん波が菱立《ひしだ》って来た放水路の水面を川上へ目を遡《さかのぼ》らせて行くと、中川筋と荒川筋の堺《さかい》の堤《つつみ》の両端を扼《やく》している塔橋型《とうきょうがた》の大水門の辺に競走のような張りを見せて舟々は帆《ほ》を上げている。小初の声は勇んだ。
「確かだわ。今晩は夕立ち、明日から四五日お天気は大丈夫《だいじょうぶ》よ」
「まあ、そんなところですなあ。遠泳会はうまく行くね」
 掌《てのひら》を差し出して風の脈に触《ふ》れてみてから貝原は相槌《あいづち》を打った。
 肩や両脇《りょうわき》を太紐《ふとひも》で荒くかが[#「かが」に傍点]って風の抜《ぬ》けるようにしてある陣羽織《じんばおり》式の青海流の水着を脱《ぬ》ぐと下から黒の水泳シャツの張り付いた小初の雄勁《ゆうけい》な身体が剥《む》き出された。こういう職務に立つときの彼女《かのじょ》の姿態に針一|突《つ》きの間違いもなく手間の極致を尽《つく》して彫《ほ》り出した象牙《ぞうげ》細工のような非人情的な完成が見られた。人間の死体のみが持つ虚静の美をこの娘は生ける肉体に備えていた。小初は、櫓板の端にすらりと両股《りょうまた》を踏み立て、両手を前方肩の高さに伸《のば》し、胸を張って呼吸を計った。やや左手の眼の前に落ちかかる日輪は爛《ただ》れたような日中のごみを風に吹《ふ》き払《はら》われ、ただ肉桃色《にくももいろ》の盆《ぼん》のように空虚に丸い。
 ざわざわ鳴り続け出した蘆洲の、ところどころ幾筋も風筋に当る部分は吹き倒《たお》れて泡《あわ》をたくさん浮《う》かした上げ潮が凪《な》ぎあとの蘆洲の根方にだぶつくのが覗《のぞ》ける。
 青海流の作法からいうと翡翠の飛込み方は、用意の号令で櫓の端へ立ち上って姿勢を調え、両腕を前方へさし延べるときが挙動の一である。両手を後へ引いて飛込みの姿勢になるときが二で、跳《は》ね出す刹那《せつな》が三の、すべてで三挙動である。いま小初は黙《だま》って「一」の動作を初めたが、すぐ思い返して途中《とちゅう》からの「二」と号令をかけ跳び込みの姿勢を取った。
 それは、まったく翡翠《かわせみ》が杭《くい》の上から魚影を覗《うかが》う敏捷《びんしょう》でしかも瀟洒《しょうしゃ》な姿態である。そして、このとき今まで彫刻的《ちょうこくてき》に見えた小初の肉体から妖艶《ようえん》な雰囲気《ふんいき》が月暈《つきがさ》のようにほのめき出て、四囲の自然の風端の中に一|箇《こ》不自然な人工的の生々しい魅惑《みわく》を掻《か》き開かせた。と見る間に「三!」と叫《さけ》んで小初は肉体を軽く浮び上らせ不思議な支えの力で空中の一|箇所《かしょ》でたゆたい、そこで、見る見る姿勢を逆に落しつつ両脚《りょうあし》を梶《かじ》のように後へ折り曲げ両手を突き出して、胴《どう》はあくまでしなやかに反らせ、ほとんど音もなく水に体を鋤《す》き入れた。
 目を眩しそうにぱちつかせて、女教師の動作の全部を見届けた貝原は
「型が綺麗《きれい》だなあ」
 と思わず嘆声《たんせい》を挙げてやや晦冥《かいめい》になりかけて来た水上三尺の辺を喰《く》い付きそうな表情で見つめた。
 都会の中央へ戻《もど》りたい一心から夢《ゆめ》のような薫少年との初恋《はつこい》を軽蔑《けいべつ》し、五十男の世才力量に望《のぞみ》をかけて来た転機の小初は、翡翠型の飛込みの模範《もはん》を示す無意識の中にも、貝原に対して異性の罠《わな》を仕込んでいた。子供のうちから新|舞踊《ぶよう》を習わせられ、レヴュウ・ガールとも近附《ちかづき》のある小初は、媚《こび》というねたねたしたものを近代的な軽快な魅力に飜訳《ほんやく》し、古典的な青海流の飛込みの型にそっと織り込ますことぐらい容易である。生ぬるい水中へぎゅーんと五体がただ一つの勢力となって突入《とつにゅう》し、全|皮膚《ひふ》の全感覚が、重くて自由で、柔軟《じゅうなん》で、緻密な液体に愛撫《あいぶ》され始めると何もかも忘れ去って、小初は「海豚《いるか》の歓《よろこ》び」を歓び始める。小初の女学校時代からのたった一人の親友、女流文学者豊村女史にある時、小初は水中の世界の荒唐無稽《こうとうむけい》な歓びを、切れ切れの体験的な言葉で語った。すると友達はその感情に関係ある的確な文学的表現を紹介《しょうかい》した。


   クッションというなら全部クッションだ。
   羽根布団《はねぶとん》というなら全部羽根布団だ。
  だが、水の中は、溶《と》けて自由な
  もっといいもの――愛。
  跳《は》ねて破れず、爪|割《さ》いて
  掻きむしらりょうか――愛。
  それで海豚《イルカ》は眼を細めている。
  一生、陸に上らぬ。

 これは希臘《ギリシア》の擬古狂詩《ぎこきょうし》の断片をざっと飜訳したものだそうだ。それと同じような意味を父の敬蔵《けいぞう》は老荘《ろうそう》の思想から採って、「渾沌未分の境涯《きょうがい》」だといつも小初に説明していた。
 瞼《まぶた》に水の衝動《しょうどう》が少くなると小初は水中で眼を開いた。こどもの時分から一人娘を水泳の天才少女に仕立てるつもりの父親敬蔵は、かなり厳しい躾《しつ》け方をした。水を張った大桶《おおおけ》の底へ小石を沈《しず》めておいて、幼い小初に銜《くわ》え出さしたり、自分の背に小初を負うたまま隅田川の水の深瀬《ふかせ》に沈み、そこで小初を放して独りで浮き上らせたり、とにかく、水というものから恐怖《きょうふ》を取り去り、親しみを持たせるため家伝を倍加して小初を躾けた。
 水中は割合に明るかった。磨硝子色《すりガラスいろ》に厚みを保って陽気でも陰気でもなかった。性を脱いでしまった現実の世界だった。黎明《れいめい》といえば永遠な黎明、黄昏《たそがれ》といえば永遠に黄昏の世界だった。陸上の生活力を一度死に晒《さら》し、実際の影響力《えいきょうりょく》を鞣《なめ》してしまい、幻《まぼろし》に溶かしている世界だった。すべての色彩《しきさい》と形が水中へ入れば一律に化生せしめられるように人間のモラルもここでは揮発性と操持性とを失った。いわば善悪が融着《ゆうちゃく》してしまった世界である。ここでは旧套《きゅうとう》の良心|過敏《かびん》性にかかっている都会娘の小初の意地も悲哀《ひあい》も執着《しゅうちゃく》も性を抜かれ、代って魚介《ぎょかい》鼈《すっぽん》が持つ素朴《そぼく》不逞《ふてい》の自由さが蘇《よみがえ》った。小初はしなやかな胴を水によじり巻きよじり巻き、飽《あ》くまで軟柔《なんじゅう》の感触《かんしょく》を楽んだ。
 小初は掘《ほ》り下げた櫓台下の竪穴から浅瀬の泥底《どろぞこ》へ水を掻き上げて行くと、岸の堀垣《ほりがき》の毀《こわ》れから崩《くず》れ落ちた土が不規則なスロープになって水底へ影《かげ》をひくのが朦朧《もうろう》と目に写って来た。
 この辺一体に藻《も》や蘆の古根が多く、密林の感じである。材木|繋留《けいりゅう》の太い古杭が朽《く》ちてはうち代えられたものが五六本太古の石柱のように朦朧と見える。
 その柱の一本に掴《つかま》って青白い生《いき》ものが水を掻いている。薫だ。薫は小初よりずっと体は大きい。顎《あご》や頬《ほお》が涼《すず》しく削《そ》げ、整った美しい顔立ちである。小初はやにわに薫の頸《くび》と肩を捉《とら》えて、うす紫《むらさき》の唇に小粒《こつぶ》な白い歯をもって行く。薫は黙って吸わせたままに、足を上げ下げして、おとなしく泳いでいたが、小初ほど水中の息が続かないので、じきに苦悶《くもん》の色を見せはじめた。それからむやみに水を掻き裂《さ》きはじめた。とうとう絶体絶命の暴れ方をしだした。小初は物馴《ものな》れた水に溺《おぼ》れかけた人間の扱《あつか》い方で、相手に纏《まと》いつかれぬよう捌《さば》きながら、なお少しこの若い生ものの魅力の精をば吸い取った。

 借家を探しに行った父親の敬蔵が帰って来て雨上りの水泳場で父娘二人きりの夕飯が始まった。借家はもう半月もして水泳場が閉鎖《へいさ》すると同時にたちまち二人に必要になるのだが、価値の釣《つ》り合《あい》などで敬蔵はなかなか見つけかねた。場所はまだ下町の中央に未練があって、毎日、その方面へ探しに行くらしかった。帰って来たときの疎髯《そぜん》を貯えた父の立派な顔が都会の紅塵《こうじん》に摩擦《まさつ》された興奮と、疲《つか》れとで、異様に歪《ゆが》んで見えた。もしかすると、どこかで一杯《いっぱい》ひっかけた好きな洋酒の酔《よ》いがまだ血管の中に残っているのかも知れない。
 都会育ちの美食家の父娘は、夕飯の膳《ぜん》を一々|伊勢丹《いせたん》とかその他|洲崎《すざき》界隈の料理屋から取り寄せた。
 自転車で岡持《おかも》ちを運んで来る若者は遠路をぶつぶつ叱言《こごと》いったが、小初の美貌と、父親が宛《あ》てがう心づけとで、この頃《ごろ》はころころになって、何か新らしく仕込んだ洒落《しゃれ》の一つも披露《ひろう》しながら、片隅《かたすみ》の焜炉《こんろ》で火を焙《おこ》して、お椀《わん》の汁《しる》を適度に温め、すぐ箸《はし》が執《と》れるよう膳を並《なら》べて帰って行く。
「不味《まず》いものを食うくらいならいっそ、くたばった方がいい」
 これは、美味のないとき、膳の上の食品を罵倒《ばとう》する敬蔵の云《い》い草《ぐさ》だが、ひょっとすると、それが辛辣《しんらつ》な事実で父娘の身の上の現実ともなりかねない今日この頃では、敬蔵もうっかり自分の言葉癖《ことばぐせ》は出しにくかった。父娘は夜な夜な「最後の晩餐《ばんさん》」という敬虔《けいけん》な気持で言葉少なに美味に向った。
 いったいが言葉少なの父娘だった。わけて感情を口に出すのを敬蔵は絶対に避《さ》けた。そういうことは嫌味《いやみ》として旧東京の老人はついにそれに対する素直な表現欲を失っていた。感情の表現にはむしろ反語か、遠廻しの象徴《しょうちょう》の言葉を使った。
「隣《となり》近所にお化粧《けしょう》のアラを拾うやつもなくてさばさばしたろう」
 これが唯一《ゆいいつ》の、娘も共に零落《れいらく》させた父の詫《わ》びの表明でもあり、心やりの言葉でもあった。小初は父の気持ちを察しないではないが、「何ぼ何でもあんまり負け惜《お》しみ過ぎる」と悲しく疎《うと》まれた。
 今夜はまたとても高踏的《こうとうてき》な漢籍《かんせき》の列子の中にあるという淵《ふち》の話を持ち出して父は娘に対する感情をカモフラージュした。
「淵には九つの性質がある。静水をじっと湛《たた》えているのも淵だ。流れて来た水のしばらく淀《よど》むところも淵だ。底から湧《わ》いた水が豊かに溜《たま》り、そしてまた流れ出るところも淵だ。滴《した》たって落つる水を受け止めているのも淵だ――」
 父親は大体こんなふうに淵が水を受け入れる諸条件を九つの範疇《はんちゅう》にまとめて、
「これを九淵の説と云って、水はいろいろの変化で向うが、それを受け容れる淵はたった一つなのだ。この淵の無心な気持ちになっていれば世間がどう変りこっちにどう仕向けようと、余悠綽々《よゆうしゃくしゃく》なのだ。ここのところをわが青海流では、
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死屍《しし》水かかずしてよく浮く
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といって、平泳ぎのこころだ」
「それは、よくおとうさんがおっしゃる、あの渾沌未分の兄弟か何かなの」
 小初は食後の小楊枝《こようじ》を使いながら父親を弥次《やじ》った。自分が人を揶揄《やゆ》することを好んで人から揶揄されることを嫌《きら》うのは都会的|諷刺家《ふうしか》の性分で、父親はそれが娘だとぐっと癪《しゃく》に触《さわ》った。しばらく黙っていたが、跳《は》ね返す警句を思いつく気力もなく、
「兄弟分でもなんでもない、全く一つのものだ」
 と低い声音に渾身の力を籠《こ》めて言った。これだけ真面目《まじめ》に敬蔵が娘に云うことはめったにない。窮《きゅう》してやむを得ずこれだけまともに言ったのだ。そのせいか、彼《かれ》はそのあと急に気まりの悪い衰《おとろ》えた顔つきをして、そっと汗を拭《ふ》いた。
 父親は電球の紐《ひも》を伸《のば》して、水泳場の下へ入って行った。そこでしばらくごそごそしている様子だった。
「いい具合に宵闇《よいやみ》だ。数珠子釣《じゅずこつ》りに行って来るかな」
 そういって、道具を乗せて田舟を漕ぎ出して行った。父のその様子を、小初は気の毒な儚《はかな》い気持ちで見送ったが、結局何か忌々《いまいま》しい気持になった。そして一人|留守番《るすばん》のときの用心に、いつものように入口に鍵《かぎ》をかけ、電燈《でんとう》を消して、蚊帳《かや》の中に這入《はい》り、万一|忍《しの》び込《こ》むものがあるときの脅《おど》しに使う薄荷《はっか》入りの水ピストルを枕元《まくらもと》へ置いた。小初は横になり体を楽にするとピストルの薄荷がこんこん匂《にお》った。こんこん匂う薄荷が眼鼻に沁《し》み渡《わた》ると小初は静かにもう泣いていた。思えば都会|偏愛《へんあい》のあわれな父娘だ。それがため、父はいらだたしさにさもしく老衰《ろうすい》して行き、自分は初恋から卑《いや》しく五十男に転換《てんかん》して行く……。くらやみの中で自分の功利心がぴっかり眼を見開いているのに小初の一方の心では昼間水中で味《あじわ》った薫の若い肉体との感触を憶《おも》い出している……。
 少したつと小初はまた起き上った。父の様子を見ようと裏口の窓を開けた。雨上りの夜の天地は濃《こ》い墨色《すみいろ》の中にたっぷり水気を溶《とか》して、艶《つや》っぽい涼味《りょうみ》が潤沢《じゅんたく》だった。下《さ》げ汐《しお》になった前屈《まえかが》みの櫓台の周囲にときどき右往左往する若鰡《わかいな》の背が星明りに閃《ひらめ》く。父はあまり遠くない蘆の中で、カンテラを燃して数珠子釣りをやっている。洲の中の環虫類《かんちゅうるい》を糸にたくさん貫《つらぬ》いて、数珠輪のようにして水に垂らす。蘆の根方に住んでいる小|鰻《うなぎ》がそれに取りつく、環《わ》をそっと引き上げて、未練に喰い下って来る小鰻を水面近くまでおびき寄せ、わきから手網《てあみ》で、さっと掬《すく》い上げる。環虫類も何だか虫の中では醜《みにく》い衰亡者《すいぼうしゃ》のように思えるし、鰻だとて、やはり時代文化に取り残されたような魚ではないか。衰亡の人間が衰亡の虫を囮《おとり》につかって衰亡の魚を捉《とら》えて娯《たの》しみにする。その灯明り――何と憐《あわ》れ深い情景であろう。むかし父親にとってこの方法の鰻取りは単なる娯しみに過ぎなかったが、今は必死の副業である。
「ゆうべ、少し漁《と》れ過ぎてね。始末に困るんだよ」
 こんな鷹揚《おうよう》なものの云い方をしながら父親は獲物《えもの》を鰻|仲買《なかがい》に渡した。憐れな父子と思いながら小初はいつか今夜の父の漁れ高を胸に計算していた自分が悲しかった。
 西空は一面に都会の夜街の華々《はなばな》しいものが踊《おど》りつ、打ち合いつ、砕《くだ》けつする光の反射面のようである。特に歓楽の激しい地域を指示するように所々に群《むらが》るネオンサインが光のなかへ更に強い光の輪郭《りんかく》を重ねている。さらにこの夜空のところどころにときどき大地の底から発せられるような奇矯《ききょう》な質を帯びた閃光《せんこう》がひらめいて、琴《こと》のかえ手のように幽毅《ゆうき》に、世の果ての審判《しんぱん》のように深刻に、夜景全局を刹那に地獄相《じごくそう》に変貌《へんぼう》せしめまた刹那にもとの歓楽相に戻《もど》す。それは何でもない。間近い城東電車のポールが電力線にスパークする光なのだが、小初は眺《なが》めているうちに――そうさ、自分に関係のない歓楽ならさっさと一|閃《ひらめ》きに滅《ほろ》びてしまうがいい、と思った。そのときどこからともなく、ハイヤーの滑《すべ》って来る轟《とどろき》がして、表通りで停《と》まったらしい。
 がっしりした男の足音が、水泳場の方へ昇《のぼ》って来た。
「どなた」
 貝原が薄暗のなかでちょっとはにかんだような恰好《かっこう》で立ち止った。
「私ですよ。少し遅《おそ》くなりましたが、街へ踊りに出かけましょう。出ていらっしゃいませんか」
「なぜ、裏梯子《うらばしご》から上っていらっしゃらないの」
「薄荷水をピストルで眼の中へ弾《はじ》き込まれちゃかないませんからなあ」
 小初は電球を捻《ひね》って外出の支度をした。箪笥《たんす》から着物を出して、荒削《あらけず》りの槙柱《まきばしら》に縄《なわ》で括《くく》りつけたロココ式の半姿見へ小初は向った。今は失くした日本橋の旧居で使っていた道具のなかからわずかに残しておいたこの手のこんだ彫刻|縁《ぶち》の姿見で化粧をするのは、小初には寂しい。小初はまた貝原に待たれているという意識から薫のことがしとしとと身に沁みて来た。だがそれはほんの肉体的のものである。少くともいまはそう思い直さねばならない。くず折れてはならない。すべては水の中の気持で生きなければならない。向って来るものはみんな喰べて、滋養《じよう》にして、私は逞ましい魚にならなければならない。小初はぐっと横着な気持になって、化粧の出来上った顔に電球を持ち添えて
「これでは、どう」と窓の葦簾《よしず》張りから覗《のぞ》いている貝原に見せた。
「結構ですなあ。さあ出かけましょう。老先生には許可を得てますよ」
 小初は電燈を消して、洲の中の父の灯をちょっと見返ってから、貝原と水泳場を脱け出した。

 貝原は夏中七八|遍《ぺん》も小初を踊りに連れ出したことがあるので、ちょっとした小初の好きな喰べものぐらい心得ていた。浅夜に瀟洒な鉄線を組み立てている清洲橋を渡って、人形町の可愛《かわい》らしい灯の中で青苦い香気《こうき》のある冷し白玉を喰べ、東京でも東寄りの下町の小さい踊り場を一つ二つ廻って、貝原はあっさり小初の相手をして踊る。
 この界隈の踊り場には、地つきの商店の子弟が前垂《まえだれ》を外して踊りに来る。すこし馴染《なじみ》になった顔にたまたま小初は相手をしてやると、
「へえ、へえ、済みません」
 お客にするように封建的《ほうけんてき》な揉《も》み手《て》をして礼をいう。小初はそれをいじらしく思って木屑臭《きくずくさ》い汗の匂《におい》を我慢《がまん》して踊ってやる。
 ときどき銀座界隈へまで出掛《でか》けることもある。そうすると今度はニュー・グランドとか風月堂とかモナミとか、格のある店へ入る。そこのロッジ寄りに席を取って、サッパーにしては重苦しい、豪華《ごうか》な肉食をこの娘はうんうん摂《と》る。貝原は不思議がりもせず、小初をこういう性質もある娘だと鵜呑《うの》みにして、どっちにも連れて行く。
 月が、日本橋通りの高層建築の上へかかる時分、貝原は今夜は珍《めず》らしく新川|河岸《かし》の堀に臨む料理屋へ小初を連れ込んだ。
「待合《まちあい》?」
 小初は堅気《かたぎ》な料理屋と知っていて、わざと呆《とぼ》けて貝原に訊《き》いた。貝原は何の衝動《しょうどう》も見せず
「そんなところへ、若い女の先生を連れて来はしません」と云った。
「でも、いま時分、こんなに遅く、いいのかしらん」
「なに、ちっとばかり、資金を廻してある家なので、自由が利くんです」
 涼しい食物の皿《さら》が五つ六つ並んで、腹の減った小初が遠慮《えんりょ》なく箸を上げていると、貝原はビールの小壜《こびん》を大事そうに飲んでいる。ぽつぽつ父親の噂《うわさ》を始めた。
「どうも、うちの老先生のようじゃ、とても身上《しんしょう》の持ち直しは覚束《おぼつか》ないですねえ。事業というものは片っぽうで先走った思い付きを引締《ひきし》めて、片っぽうはひとところへ噛《かじ》り付きたがる不精《ぶしよう》な考えを時勢に遅れないように掻き立てて行く。ここのところがちょっとしたこつです。ところが、老先生にはこの両方の極端のところだけあって、中辺のじっくりした考えが生れ付き抜けていなさる。これじゃ網のまん中に穴があるようなもので、利というものは素通りでさ」貝原は、父親には、反感を持っていないようなものの、何の興味もないらしい口調だった。
「あたし、何にも知らないけれど、あんた、この頃でもうちの父に、何かお金のことで面倒《めんどう》を見ているの」
「いや、金はもう、老先生には鐚一文《びたいちもん》出しません。失くなすのは判っているんだから。それに老先生だって、一度あたしが保証の印を捺《お》して、いまでもどんなに迷惑《めいわく》しているか、まさか忘れもしなさらないと見え、その後何にもいい出しなさりはしませんがね」
 貝原は宮大工上りの太い手首の汗をカフスに滲《にじ》ませまいとして、ぐっと腕捲《うでまく》りして、煽風器《せんぷうき》に当てながら、ぽつりぽつり、まだ、通しものの豆を噛《か》んでいる。
 小初は一しきり料理を喰べ終ると、いかにも東京の料理屋らしい洗煉《せんれん》された夏座敷をじろじろ見廻しながら、
「あなた、道楽なさったの」と何の聯想《れんそう》からかいきなり貝原に訊いた。
「若いときはしました。しかし、今の家内を貰《もら》ってから、福沢宗《ふくざわしゅう》になりましてね、堅蔵《かたぞう》ですよ」
「お金をたくさん持って面白い」
「何とか有効に使わなくちゃならないと考えて来るようになっちゃ、もう面白くありませんな」
「そう」
 小初は、もう料理のコースの終りのメロンも喰べ終って、皮にたまった薄青い汁を小匙《こさじ》の先で掬《すく》っていた。
 ふっとした拍子《ひょうし》に貝原と小初は探り会う眼を合せた。
「今夜、何か話があるの」
 小初の義務的な質問が、小初の顔立ちを引締まらせた。小初がずっと端麗《たんれい》に見える。その威厳《いげん》がかえって貝原を真向きにさせた。貝原は悪びれず、
「相当な年配の男のいうことですから、あなたも本気で聴《き》いて下さい。これは家内とも相談しての上ですから――まあ、私だちちっぽけなりにも身上も出来てみれば、出来のいい品のある子供が欲しいです。うちに一人ありますが、ひと口に云うとから駄目《だめ》なのです。人を扱いつけてる職業ですから私にはすぐ判ります。血筋というものは争われません。何代か前からきっと立派な血が流れて来ていて、それが子孫に現われて来るんですね」
「これは家内とも相談ですが」と貝原は再び儀式的の掛け合いのように念を押して、
「小初先生。世の中には、相当な知識階級の女でも、何か資金の都合のため、人の世話になるという手があります。先生をおもちゃにする気は毛頭ありません。あなたの持っている血筋をここに新らしく立てる私の家の系図へちっとばかり注ぎ入れて頂きたいのです」
 貝原の平顔は両顎がやや張って来て、利を掴《つか》むときのような狡猾《こうかつ》な相を現わして来た。がそれもじきにまた曖昧《あいまい》になり、やがて単純な弱気な表情になって、ぎごちなく他所見《よそみ》をした。
 小初は貝原の様子などには頓着《とんじゃく》せず、貝原の言葉について考え入った。――自分の媚を望むなら、それを与《あた》えもしよう。肉体を望むなら、それを与えもしよう。魂があると仮定して、それを望むなら与えもしよう。自分がこの都会の中心に復帰出来るための手段なら、総《すべ》てを犠牲《ぎせい》に投げ出しもしよう。だがこの宮大工上りの五十男の滑稽《こっけい》な申込みようはどうだ。
「貝原さん、子供が欲しいなんて云わずに真直ぐに私が欲しいと云ったらどうですの」
「ああ。そうですか。でもあんまり失礼だと思いまして」
 貝原がようやくまともに向けた顔を真直ぐに見て、さびしい声で小初は云った。
「それで子供を生んでもらうためなんてしらじらしい、ありきたりの嘘《うそ》を云ったのですか。失礼とか恥かしいとか云っている世の中じゃないと思うわ。そんなことに捉われていたから、東京人は田舎者にずんずん追いこくられてしまったのよ。私たち必死で都会を取り返さなけりゃならないのよ」小初はきつい[#「きつい」に傍点]眼をしながら云い続けた。「それには私達、どんな取引きだってするというのよ」
 小初のきつい[#「きつい」に傍点]眼から涙《なみだ》が二三|滴《てき》落ちた。貝原は身の置場所もなく恐縮《きょうしゅく》した。小初は涙を拭いた。そして今度はすこし優しい声音で云った。
「でも貝原さん、何もかも遠泳会過ぎにして下さい、ね。私、あなたのいい方だってことはよく知ってるのよ」

 二三日晴天が続いた。川上はだいぶ降ったと見えて、放水路の川面《かわも》は赭土色《あかつちいろ》を増してふくれ上った。中川放水路の堤の塔門型の水門はきりっと閉った。水泳場のある材木堀も界隈の蘆洲の根方もたっぷりと水嵩《みずかさ》を増した。
 普通《ふつう》の顔をして貝原は毎日水泳場へ手伝いに来た。自分の持ちものの材木の流出を防いだり櫓台の錨《いかり》に石を結びつけたりした。そして見ないような振《ふ》りをして、やっぱり小初の挙動に気をつけていた。
 小初は四日目に来た薫を、ちょっと周囲から遠ざかった蘆洲の中の塚山《つかやま》へ連れて行った。二人は甲羅干《こうらぼし》の風をしながら水着のまま並んで砂の上に寝《ね》そべった。小初は薫を詰《なじ》るように云った。
「あんた、何でもあたしの方から仕向けなければ……狡《ずる》いのか、意気地《いくじ》なしなのか、どっちなのよ」
 小初の言葉のしんにはきりきり真面目さが透《とお》っていながら手つきはいくらかふざけたように、薫の背筋の溝《みぞ》に砂をさあっと入れる。
「よしよ。僕《ぼく》、今日苦しんでるんだ」
 薫は肘《ひじ》で払い除《の》けるが、小初は関《かま》わず背筋へ入れた砂をぽんぽんと平手で叩《たた》き均《な》らして、
「ちっとも苦しんでるように見えないわ」
「この間、水の中で君に…………、こんなに腫《は》れた」
 薫は黒くなっている唇の角をそうっと大事に差し出して見せる。
「あら、それで怒《おこ》ってるの」
「違う――君はとても強い。なまじっかなこと云い出せないもの」
 じりじりと照りつける陽の光と腹匍《はらば》いになった塚の熱砂の熱さとが、小初の肉体を上下から挟《はさ》んで、いおうようない苦痛の甘美《かんび》に、小初を陥《おとしい》れる。小初は、「がったん、すっとこ、がったん、すっとこ」そういいながら、あらためて前に組み合せた両肘の上に下膨《しもぶく》れの顔を載《の》せて眠《ねむ》りそうな様子をする。
「なに、云ってるの」
「機械のベルトの音」
 ちょうど、水泳場と塚山と三角になる地点に貝原の持ちの製板場があって、機械の止まっているのが覗かれる。
「きゅう、きれきれきれきれきれ。これは機械|鋸《のこ》が木を挽《ひ》く音」
「ふざけるの、よしよ。真面目な相談だよ。僕は知ってる」
「知ってる? 何を」
「どうせ貝原に買われて行くんでしょう」
「誰《だれ》が、どこへ」
「知ってる。みんな」
「そんなこと、誰が云った」
「誰も云わない。だけど、僕、その位なこと、わかる男だ」
 薫は女のような艶《なま》めかしい両腕で涙を拭いた。小初は砂金のように濃《こま》かく汗の玉の吹き出た薫の上半身へ頭を靠《もた》れ薫の手をとった。不憫《ふびん》で、そして、いま「男だ」と云ったばかりの薫の声が遠い昔《むかし》から自分に授《さずか》っていた決定的な男性の声のような頼母《たのも》しさを感じて嬉《うれ》し泣きに泣けて来た。
「許す?」
「許すも許さないもありゃあしない」
「薫さん、ついてお出《い》でよ。東京の真中で大びらに恋をしよう、ね」
 小初の涙が薫の手の甲《こう》を伝って指の間から熱砂のなかに沁み入った。薫はそれを涼しいもののように眼を細めて恍惚《こうこつ》と眺め入っていたが、突然《とつぜん》野太い男のバスの声になって
「そりゃ、貝原さんはいい人さ、小初先生と僕のことだって大目に見ての上で世話する気かも知れませんさ。だけど、僕あ嫌いです。いくら、僕、中学出たての小僧《こぞう》だって、僕あそんな意気地無しにあ、なれません」
「じゃあ、どうすればいいの」
「どうも出来ません。僕あ、どうせ来月から貧乏《びんぼう》な老朽親爺《ろうきゅうおやじ》に代って場末のエナ会社の書記にならなけりゃならないし、小初先生は東京の真中で贅沢《ぜいたく》に暮《く》らさなけりゃならない人なんだもの」
 ダンスの帰りの料理屋でのいきさつ――小初を世話する約束《やくそく》のほぼ出来上ったことを貝原は友達である薫の父親にゆうべ打ち明けに行ったことを薫はとうとう小初にはなした。
 薫の弱い消極的な諦《あきら》めが、むしろ悲壮《ひそう》に炎天下《えんてんか》で薫の顔を蒼《あお》く白ました。
「何も、決定的な事じゃあるまいし……」と小初は云ったが語尾は他人のように声が遠のいて行った。小初は今日まで、貝原との約束をどう薫に打ち明けようか、思いなやんでいたのである。それに自分だとてまだ貝原との約束を全然決定し切れない心に苦しめられていたのであるけれど、薫の方から、云い出されてかえって小初の心はしんと静まり返ってゆくのだった。そしてだんだん虚脱《きょだつ》に似た無批判になってゆく心境のなかにいつか涼しい一脈の境界が透《とお》って来た。父に聞いた九淵のはなし、友が訳した希臘《ギリシヤ》の狂詩――水中に潜む渾沌未分の世界……「どうでもいいわ」……小初はすべてをぶん流したあとの涼やかさを想像した。小初の泣き顔の涙も乾いて遠くの葦の葉ずれが、ひそひそと耳にささやくように聞える。小初はまたしても眠くなった。
 薫は腹這《はらば》いから立ち上った。腰だけの水泳着の浅いひだ[#「ひだ」に傍点]から綺麗な砂をほろほろ零《こぼ》しながらいい体格の少年の姿で歩き出した。小初はしばらくそれを白日の不思議のように見上げていた。小初は急に突きのめされるような悲哀《ひあい》に襲《おそ》われた。自分の肉体のたった一つの謬着物《こうちゃくぶつ》をもぎ取られて、永遠に帰らぬ世界へ持ち去られるような気持ちに、小初は襲われた。
 小初もあわてて立ち上った。小初は薫の後を追って薫の腕へぎりぎりと自分の腕を捲きつけた。
「薫さん、だけど薫さん、遠泳会にはきっと来てね。精いっぱい泳ぎっこね。それでお訣《わか》れならお訣れとしようよ」
「うん」
「きっとよ、ね、きっと」
「うん、うん」
 そして、薫が萎《しお》れてのろのろと遠ざかって行くのが今さら身も世もなく、小初には悲しくなった。
 小初は元の砂地に坐《すわ》って薫の後姿を見送った。風のないしんとした蘆洲のなかへ薫の姿は見えなくなって行った。
 小初は眠れなかった。急に重くなって来た気圧で、息苦しく、むし暑く、寝返りばかりうっていたせいでもあるが、とてもじっとしていられない悲しい精力が眠気を内部からしきりに小突き覚ました。傍で寝ている酒気を帯びた父の鼾《いびき》が喉《のど》にからまって苦しそうだ。父は中年で一たん治まった喘息《ぜんそく》が、またこの頃きざして来た。昨今《さっこん》の気候の変調が今夜は特別苦しそうだ。明日の遠泳会にも出られそうでない……。だが小初にはそんなことはどうでも、遠泳会の後に控《ひか》えている貝原との問題を、どう父に打ち明けたものかしらと気づかわれる。薫との辛《つら》い気持も尾《お》をひいているのに、父を見れば父を見るで、また父の気持ちを兼ねなければならない……小初は心づかれが一身に担い切れない思いがする。父は娘を神秘な童女に思い做《な》して、自家|偶像崇拝慾《ぐうぞうすうはいよく》を満足せしめたい旧家の家長本能を、貝原との問題に対してどう処置するであろうか。自分の娘は超人的《ちょうじんてき》な水泳の天才である。この誇《ほこ》りが父の畢世《ひっせい》の理想でもあり、唯一《ゆいいつ》の事業でもあった。そのため、父は母の歿後《ぼつご》、後妻も貰《もら》わないで不自由を忍《しの》んで来たのであったが、蔭《かげ》では田舎者と罵倒《ばとう》している貝原から妾《めかけ》に要求され、薫と男女関係まであることを知ったなら父の最後の誇りも希望も※[#「てへん+毟」、第4水準2-78-12]《むし》り落されてしまうのである。
 うっかり打ちあけられるものではない……。だが都会人の気の弱いものが、一たん飜《ひるがえ》ると思い切った偽悪者《ぎあくしゃ》になることも、小初はよく下町で見受けている例である。貝原もそれを見越《みこ》して父に安心しているのではないか。案外もろく父もそこに陥《お》ちいらぬとも限らない。陥ちいってくれることを自分は父に望むのか。それを望むよりほか二人の生きて行く道はないのか……。
 船虫が蚊帳の外の床《ゆか》でざわざわ騒《さわ》ぐ。野鼠《のねずみ》でも柱を伝って匍い上って来たのだろうか。小初は団扇《うちわ》で二つ三つ床を叩《たた》いて追う。その音に寝呆《ねぼ》けて呼びもしない父が、「え?」と返事をして寝返りをうつ、うつろな声。――あわれな父とそしてあわれな娘。
 小初は父の脱いだ薄い蒲団をそっと胸元へ掛け直してやった。
 小初は闇《やみ》のなかでぱっちり眼を開けているうちに、いつか自分の体を両手で撫《な》でていた。そして嗜好《しこう》に偏《かたよ》る自身の肉体について考え始めた。小初は子供のうち甘いものを嫌って塩せんべいしか偏愛《へんあい》して喰べようとしなかった自分を思い出した。自分は肉体も一種を限ってのほか接触には堪《た》えかねる素質を持っているのではないかと考えられて来た。自分は薫をさまで心で愛しているとは思わない。それだのになぜこうまで薫の肉体に訣れることが悲しいのか、単純な何の取柄《とりえ》もない薫より、世の中をずっと苦労して来た貝原にむしろ性格の頼《たの》み甲斐《がい》を感じるのに、肉体ばかりはかえって強く離反《りはん》して行こうとするのが、今日このごろはなおさらまざまざ判って来た。
 自分の肉体がむしろ憎《にく》い――一方の生活慾を満足させようとあせりながら、その方法(貝原に買われること)に離反する。矛盾《むじゅん》と我儘《わがまま》に自分を悩《なや》め抜く自分の肉体が今は小初に憎くなった。――こんな体……こんな私……いっそなくなってしまえばいい……。小初は子供のように野蛮《やばん》に自分の体の一ヶ処を捻《ひね》ってみた。痛いのか情けないのか、何か恨《うら》みに似たような涙がするすると流れ出た。また捻った……また捻った……すると思考がだんだん脱落していって頭が闇の底の方へ楽々と沈んで行った。
 小初は朝早く眼が覚めた。空は黄色く濁《にご》って、気圧は昨夜よりまだ重かった。寝巻|一重《ひとえ》の肌《はだ》はうすら冷たい。
「秋が早く来過ぎたかしらん」
 小初は独りごちながら窓から外を覗いてみた。
 靄《もや》だ。
 よく見ていると靄は水上からだんだん灰白色の厚味を増して来る。近くの蘆洲は重たい露《つゆ》でしどろもどろに倒れている。
 今日は青海流水泳場の遠泳会の日なのである。
 小初は気が重かった。体もどこか疲れていた。けれども、父親の老先生が朝食後ひどく眩暈《めまい》を催《もよお》して水にはいれぬことになってしまったので、小初先生が先導と決った。
 十時頃から靄は雨靄と変ってしまった。けだるい雨がぽつりぽつり降って来た。
 小初は気のない顔をして少しずつ集って来る生徒達に応待していたが、助手格の貝原が平気な顔で見張船の用意に出かけたりする働き振りに妙《みょう》な抵抗《ていこう》するような気持が出て、不自然なほど快活になった。
「みなさん。大丈夫よ。いまじき晴れて来ますわよ」
 小初が赤い小旗を振って先に歩き出すと、雨で集りの悪い生徒達の団体がいつもの大勢の時より、もっと陽気に噪《はしゃ》ぎ出した。
 薫も途中から来て交った。濡《ぬ》れた道を遠泳会の一行は葛西川《かさいがわ》の袂《たもと》まで歩いた。そこから放水路の水へ滑《すべ》り込《こ》んで、舟に護《まも》られながら海へ下って行くのだ。
 小初が先頭に水に入った。男生、女生が二列になってあとに続いた。列には泳ぎ達者が一人ずつ目印の小旗を持って先頭に泳いだ。
 水の濁りはだいぶとれたが、まだ草の葉や材木の片が泡《あわ》に混って流れている。大潮の日を選んであるので、流れは人数のわずかな遠泳隊をついつい引き潮の勢いに乗せて海へ曳《ひ》いて行く。
 靄に透けてわずかに見える両岸が唯一の頼みだった。小初のすぐあとに貝原が目印の小旗を持って泳いで来る。薫はときどき小初の側面へ泳ぎ出る。黙って泳いでいる。生徒達は今日の遠泳会を一度も船へ上って休まず、コースを首尾好《しゅびよ》く泳ぎ終《おお》せれば一級ずつ昇級するのである。彼|等《ら》は勇んで「ホイヨー」「ホイヨー」と、掛声を挙げながら、ついて来る。
 行く手に浮寝《うきね》していた白い鳥の群が羽ばたいて立った。勇み立って列の中で抜手《ぬきて》を切る生徒があると貝原が大声で怒鳴《どな》った。
「くたびれるから抜手を切っちゃいかん」
 河口西側の蘆洲をかすめて靄の隙《すき》から市の汚水《おすい》処分場が見え出した。
 ここまで来ると潮はかなり引いていて、背の高い子供は、足を延ばすと、爪先《つまさき》がちょいちょい底の砂に触れた。
 小初は振り返って云った。
「さあ、ここからみんな抜き手よ」
 やがて一行は扇《おうぎ》形に開く河口から漠々《ばくばく》とした水と空間の中へ泳ぎ入った。小初はだんだん泳ぎ抜き、離れて、たった一人進んでいるのか退いているのか、ただ無限の中に手足を動かしている気がし出した。小初が無闇に泳ぎ抜くのは、小初が興奮しているからである。初め小初は時々自分の側面に出て来る薫の肉体に胸が躍《おど》った。が、その感じが貝原の小初を呼び立てる高声に交り合ううち、両方から同時に受ける感じがだんだんいまわしくなって来た。反感のような興奮がだんだん小初の心身を疲らせて来ると薫の肉体を見るのも生々しい負担になった。貝原の高声もうるさくなった。小初は無闇やたらに泳ぎ出した。生徒達の一行にさえ頓着なしに泳ぎだした。するうち小初に不思議な性根《しょうね》が据《すわ》って来た。
 こせこせしたものは一切|抛《な》げ捨ててしまえ、生れたてのほやほやの人間になってしまえ。向うものが運命なら運命のぎりぎりの根元のところへ、向うものが事情なら、これ以上割り切れない種子のところに詰め寄って、掛値《かけね》なしの一騎打《いっきうち》の勝負をしよう。この勝負を試すには、決して目的を立ててはいけない。決して打算をしてはいけない。自分の一切を賽《さい》にして、投げてみるだけだ。そこから本当に再び立ち上がれる大丈夫な命が見付かって来よう。今、なんにも惜《おし》むな。今、自分の持ち合せ全部をみんな抛げ捨てろ――一切合財を抛げ捨てろ――。

 渾沌未分…………
 渾沌未分…………
 小初がひたすら進み入ろうとするその世界は、果てしも知らぬ白濁《はくだく》の波の彼方《かなた》の渾沌未分の世界である。
「泳ぎつく処《ところ》まで……どこまでも……どこまでも……誰も決してついて来るな」
 と口に出しては云わなかったが、小初は高まる波間に首を上げて、背後の波間に二人の男のついて来るのを認めた。薫は黙って抜き手を切るばかり、貝原は懸命《けんめい》な抜き手の間から怒鳴り立てた。
「ばか……どこまで行くんだ……ばか、きちがい……小初……先生……小初先生……ばか……ばか……」
 風の加った雨脚《あまあし》の激しい海の真只中《まっただなか》だ。もはや、小初の背後の波間には追って来る一人の男の姿も見えない。灰色の恍惚からあふれ出る涙をぼろぼろこぼしながら、小初はどこまでもどこまでも白濁無限の波に向って抜き手を切って行くのであった。
                       (昭和十一年九月)

底本:「ちくま日本文学全集 岡本かの子」筑摩書房
   1992(平成4)年2月20日第1刷発行
   1998(平成10)年3月15日第2刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集」冬樹社
   1974(昭和49)年~1978(昭和53)年
初出:「文芸」
   1936(昭和11)年9月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:土屋隆
校正:門田裕志、小林繁雄
2007年8月29日作成
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岡本かの子

朧 —–岡本かの子

 早春を脱け切らない寒さが、思ひの外にまだ肩や肘を掠める。しかし、宵の小座敷で燈に向つてゐると、夜のけはひは既に朧である。うるめる物音、物影。

「日本的なるもの」の一つに「朧」がある。よし、それが淨土教の影響によるにもせよ、老莊道學の示唆を得たにもせよ、わが國人の氣魄とやはらぎを享けて生活趣味の常用燈となつた以上、立派に國産である。單に外來のみなる淨土教の釀す雰圍氣ならば、理想偏愛の一邊に墮ちるし、老莊思想のみならば現實分析の極の渾沌である。ここに理想の花あれど色を含み現實の霞あれど靉靆の形に於いて清亮の質を帶びるものを「朧」の本質ともいふべきか。

 歴代の文學に朧を讚へたものが多い。清少納言が枕草紙[#「紙」にママの注記]に「春は曙、やうやう白くなり行く――」といひ、兼好が徒然草に「月は隈《くま》なきをのみ見るものかは」といひ、西鶴が「笠がよう似た菅笠が」といふ。お夏清十郎の情趣も「朧」の骨子を立ててゐる。上田秋成の雨月物語に至つて「朧」の美は極致に達する。

 日本女性には「朧」のところがあつて性格美を潤澤ならしめてゐる。「いはぬはいふにいや増る」といふ氣質にして、もし、正當的確な眞情の表現をなし得るなら、これこそ最も日本女性の氣質的好標であらう。

 近世獨逸浪漫派の驍將ノヴアーリスが次のやうなことをいつてゐる。「光と闇と交錯していちじるき明暗や色彩を生むとき、誰か好みてその薄明の中を徨彷《さまよ》はざるものありや」と、若々しき心に於いて「朧」を註するものである。

底本:「日本の名随筆17 春」作品社
   1984(昭和59)年3月25日第1刷発行
   1997(平成9)年2月20日第20刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集 第十二巻」冬樹社
   1976(昭和51)年9月第1刷発行
入力:門田裕志
校正:林 幸雄
2002年12月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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岡本かの子

老主の一時期—– 岡本かの子

 「お旦那《だんな》の眼の色が、このごろめつきり鈍つて来たぞ。」
 店の小僧や番頭が、主人宗右衛門のこんな陰口を囁《ささや》き合ふやうになつた。宗右衛門の広大な屋敷内に、いろは番号で幾十戸前の商品倉が建て連ねてある。そのひとつひとつを数人|宛《ずつ》でかためて居る番頭や小僧の総数は百人以上であつた。その多人数の何処《どこ》か一角から起つたひとつの話題が、全体へ行き渡るまでには余程の時間がかゝる。そしてその話題によほどの確実性と普遍性がなければ、多くはある一角、または半数、三分の一くらゐなところで、いつも立ち消えになつてしまふ。宗右衛門のこの噂《うわさ》は、いつ、どの辺から起つたのか、どれだけの時間を経て屋敷全体に拡がつたものか判らないが、兎《と》に角《かく》今までにない確実性と普遍性とを持つてゐる。その上一同の者に、これほど直接に関係する話題はなかつた。
 山城屋宗右衛門のその一瞥《いちべつ》で、屋敷の隅々までも見透すほどの鋭い眼光は、彼が江戸諸大名の御用商人として、一代に巨万の富をかち得た偉《すぐ》れた彼の商魂によつて磨き出されたものである。彼が次第に老齢を加へて来ても、容易に衰へなかつたその眼光が、にはかに鈍つた原因として誰も否定し得ない出来事――山城屋の家庭の幸福を根こそぎ抜き散らしてしまつた悲惨な出来事が、最近突然山城屋へ現はれた。
 宗右衛門に二人の娘があつた。上のお小夜《さよ》は楓《かえで》のやうな淋《さび》しさのなかに、どこか艶《なま》めかしさを秘めてゐた。妹のお里はどこまでも派手であでやかであつた。宗右衛門の幸福は、巨万の富を一代にかち得たばかりで満足出来なくて、あの春秋を一時にあつめた美貌《びぼう》を二人まで持つたと人々は羨《うらや》んだ。その二人の娘が――お小夜は十九、お里は十七になつたばかりの今年の春、激しい急性のリヨーマチで、二人が二人とも前後して、俄跛《にわかびっこ》になつてしまつた。人々の驚き、まして宗右衛門夫婦にとつては、驚き以上の驚きであり、悲しみ以上の悲しみであつた。妻のお辻はそれがため持病の心臓病を俄《にわ》かに重らして死んで行つた。お辻は宗右衛門に添つて三十年、宗右衛門の頑強と鋭才との下をくゞつて、よく忍従に生きて来た。お辻は一日に三度か、四度侍女や乳母《うば》にかしづかれる愛娘達の部屋を覗《のぞ》くばかりが楽しみで、だまつて奉公人と共に働いて、別に人から好いとも悪いとも、批判されるほど目立ちもしない性分であつた。が、支へを失つた巨木のやうに、宗右衛門はがつかりとお辻の死顔の前へ座り込んでしまつたのである。俄跛の姉妹のことを呉《く》れ/″\も夫にたのんで逝《い》つたお辻の死顔の蒼《あお》ざめた萎《しな》びた頬《ほお》――お辻は五十で死んだのである。
 五月下旬の或る曇日の午後、山城屋の旦那寺《だんなでら》の泰松寺でお辻の葬儀が営まれた。宗右衛門は一番々頭の清之助や親類の男達に衛《まも》られながら葬列の中ほどを練《ね》つて歩いた。
 今、お辻の寝棺が悠々と泰松寺の山門――山城屋宗右衛門の老来の虚栄心が、ひそかに一郷の聳目《そばめ》を期待して彼の富の過剰を形の上に持ち来《きた》らしめた――をくぐつて行つた。宗右衛門には久しぶりに来て見たこの仰々《ぎょぎょう》しい山門が、背景をなす寺の前庭の寂びを含んだ老松《おいまつ》の枝の古色に何となくそぐはなく見えるのであつた。いつものやうな彼のこの山門に対する誇りと満足とは、決して彼には感じられなかつた。彼はむしろ、そのけばけばしい磨き瓦《かわら》の艶《つや》が、低く垂れた曇天の雲の色に、にぶく抑圧されてゐるのに安心した。彼は腫《は》れぼつたい眼を山門から逸《そ》らして、ほつと溜息《ためいき》をついた。彼は門脇の寄進札の劈頭《へきとう》に、あだかもこの寺門の保護者のやうに掲げ出されてある自分の名を、出来るだけ見まいとした。無頓着《むとんちゃく》な老師に先んじて、平常|斯《こ》うした俗事にまめな世話役某の顔を莫迦《ばか》/\しく思ひ浮べた。
 泰松寺は寺格の高い割りに貧乏であつた。新らしい堂々たる山門に較べて、本堂はほんの後れ毛のやうに古くてみすぼらしい。お辻の棺《ひつぎ》がその赤ちやけた本堂の畳敷の真中に置かれて、ます/\豊かに立派に見えた。宗右衛門は正座に据《すわ》つて自分のこの土地に於ける勢力を象徴するものゝやうに、本堂もひしめくばかり集つた大勢の会葬者の群を見廻した。そしてあらためてまたお辻の棺に眼をやつた。その中に横《よこた》はる蒼《あお》く萎《しな》びたお辻の死体……彼は、小さくても肉付きのよい顔かたちの人並すぐれてよく整つてゐた若い頃のお辻が、いつの間にか年をとつて、こんなに蒼く萎びたかと、納棺前のお辻の死体の傍で感じたことを思ひ出した。彼はそのとき、ろく/\妻の姿かたちさへ心にとめないで何十年間稼いで稼ぎ抜いた自分が、何となくあさましく思はれたのであつた。
 二人の娘を飾るための衣装の費用よりほか――それだけはむしろ宗右衛門自身が進んで出したがる費用でもあつた――何一つ出費の厳しい夫にねだつたこともないお辻の為めに、最後のお辻の衣装である棺を立派にしてやらうと、宗右衛門は思ひ付いたのであつた。角厚な檜《ひのき》材の寝棺をお辻の死体が二つほども這入《はい》れるくらゐ広く造つた。家の奥座敷でお辻の死体をそれに入れる時「出し惜しみが急に気張つたのでお辻さんは風邪をひくわい」と兼々《かねがね》気まづかつた親類の一人が、わざと聞えよがしの陰口をきいた。いつもの宗右衛門が、かつと怒るかはりに、成程《なるほど》と思考して死体のまはりの空所に色々なものを詰めてやつた。いつの間にかお辻が丹念に蓄へて置いた珊瑚《さんご》の根掛けや珠珍の煙草《たばこ》入れ、大切に掛け惜《おし》んでゐた縞縮緬《しまちりめん》の丹前、娘達の別れがたみの人形、宗右衛門自身が江戸の或る大名家老から頂戴《ちょうだい》した羽二重《はぶたえ》の褥《しとね》が紅白二枚、死出の旅路をひとりで辿《たど》るお辻の小さな足にも殊更《ことさら》に絹|足袋《たび》を作つて穿《は》かせ、穿きかへまでも一足添へた。宗右衛門は俄《にわ》か覚えの念仏をぶつぶつ口のなかで唱へながら、何もかにも手伝つてやつた。するとまた「お旦那《だんな》も我《が》が折れた。お嬢さん達があんなになりなさつて気が弱つたからだ。」と、どこかで奉公人達が、ひそひそ言ふけはひもしたが(俺はもう誰にも何にも言はぬぞ)観念すれば何事にも意志の強い自分であることを宗右衛門は知つてゐた。そして、それがまた何となく淋《さび》しいやうにも感じられて、棺を見つめてゐた眼をしばたゝいた。そのまゝ何もかも黙つてお辻の棺について寺へ来たのである。
 宗右衛門は軽い眩暈《めまい》を感じて眼を閉ぢた。何か哀願するやうなお辻の声が何処《どこ》かでした。それから、また、閉ぢた瞼《まぶた》の裏にまざ/\と二人の娘の跛《びっこ》姿が描かれるのであつた。宗右衛門は首をひとつ強く振つて、それをかき消さうとするのであつたが、却《かえ》つて場面を廻転したいまはしいシーンが、はつきりとあとへ描き出されるのであつた。やはりお辻の棺がまだ寺へ来ぬまへのことであつた。いよ/\家の奥座敷から、それを出さうとする時であつた。幾度も人の尠《すく》ない時を見計らつてはお辻の死床に名残《なごり》をおしみに来た二人の娘が、最後に揃《そろ》つて庭を隔てた離れ家《や》から出て来た。その時は如何《いか》に憚《はばか》らうにも人は棺の前後にあふれ、座敷の上下に渦をなしてゐた。低声ではあつたが、今まで何となくざわざわしてゐた人々の声が、俄《にわ》かに静まつた。宗右衛門もふと奥庭の奥深くへ眼をやつた。白無垢《しろむく》のお小夜とお里が、今、花のまばらな梔《くちなし》の陰から出てつはぶき[#「つはぶき」に傍点]に取り囲まれた筑波井《つくばい》の側に立ち現はれたところである。若い屈強な下婢《かひ》が二人左右に――姉も妹も痩《や》せ形ながら人並より高い背丈を、二人の下婢の肩にかけた両手の力で危ふく支へて僅《わず》かに自由の残る片足を覚束《おぼつか》なげに運ばせて来る。黒紋付を着た宜《よ》い老婢が一人、小婢を一人|随《したが》へて、あとから静かに付き添つて来る、……やがて薄い涙で曇つた宗右衛門の眼に、拡大されて映つた二人の娘の姿が、静まり返つた人々の間を通つて、お辻の寝棺の傍に近づいた。宗右衛門はあわてゝ立ち上つた。そして棺に高い台をかふやうに急いで命じた。人々も娘達も呆気《あっけ》にとられた。宗右衛門は娘を其処《そこ》へ座らせまいとしたのであつた。座ればその下半身は、曲らぬ片足を投げ出したまゝの浅ましい異様なもののうづくまりになるからである。棺は丁度、娘達の胸まで達した。あらためて娘達は棺に近づいた。姉も妹も並んで一所に額付《ぬかづ》いた……二人の白羽二重の振袖《ふりそで》が、二人がなよやかな首を延べて身をかゞめようとするその拍子に、丸い婢《ひ》の肩を滑つて、あだかも鶴の翼のやうに左右へ長く開いたのである……人々はこの清艶《せいえん》な有様に唾を呑《の》んだ。娘達はそのまゝ黙つてしばらく泣いた。顔を上げた時、二人の頬《ほお》から玉のやうな涙が溢《あふ》れ落ちた。御殿女中上りの老婢に粧装《つく》られる二人の厚化粧に似合つて高々と結《ゆ》ひ上げた黒髪の光や、秀でた眉《まゆ》の艶《つや》が今日は一点の紅《べに》をも施さない面立ちを一層品良く引きしめてゐる。とりわけ近頃|憂《うれ》ひが添つて却《かえ》つてあでやかな妹娘の富士額《ふじびた》ひが宗右衛門には心憎いほど悲しく眺められたのであつた。

「ごーん」と低い丸味を帯びた鐘の音が、本堂の隅々まで響いた。夢のさめたやうな宗右衛門の追想が打ち切られた。彼はあわてゝ眼を開いた。読経《どきょう》が始まらうとするのである。泰松寺の老師が、五六人の伴僧を随《したが》へて、しづ/\棺前に進み寄つた。宗右衛門は幾度も眼をしばだたいて老師のにび[#「にび」に傍点]色の法衣をうしろから眺めた。老師の後頭部の薄い禿《はげ》へ仏前の蝋燭《ろうそく》の灯《ひ》がちらちらとうつつた。宗右衛門はいつもならばひそかに得意の微笑を洩《も》らすのである。老師は宗右衛門より三つ四つ年も若い。宗右衛門にはまだ白髪交《しらがまじ》りでも禿はない。かなり名の知れた名僧でありながらいつも貧乏たらしいにび[#「にび」に傍点]色の粗服で、何処《どこ》かよぼよぼして見えるのが、無信心の宗右衛門にむしろ平常は滑稽《こっけい》にも思はれた。だが、今日の宗右衛門には老師のにび[#「にび」に傍点]色姿が何となく尊く見える。
「不思議だな、俺も変つたわい」
 宗右衛門は腹の中で独り言つた。

 夏になつて二人の娘達はいよ/\美しかつた。片輪の身のあはれさが添つて、以前の美しさに一層|清艶《せいえん》な陰影が添つた。が、今年もお揃《そろ》ひの派手な縮み浴衣《ゆかた》を着は着ても、最早《もは》やその裾《すそ》から玉のやうな踵《かかと》をこぼして蛍狩《ほたるがり》や庭の涼《すず》みには歩かなかつた。異様な醜いうづくまりをその下半身にかたちづくつて、二人は離れ家《や》の居室にひつそりとしてゐた。退屈な悩ましい――しかしそれを口にはあまり出し合ひもせず、二人は美しい額《ひたい》の汗ばかり拭《ふ》いてゐた。
「御覧あそばせな、今朝は紅が九つ、紫が六つ、絞りが四つと白が七つ、それから瑠璃《るり》色が……」
 老女が小《こ》女によく磨いた真鍮《しんちゅう》の耳盥《みみだらい》を竹椽《たけえん》へ運ばせた。うてなからちぎり取られた紅、紫、瑠璃色、白、絞り咲きなどの朝顔の花が、幾十となく柄《え》を抜いた小傘のやうに、たつぷり張つた耳盥の水面に浮んでゐる。この毎朝のたのしみを老女は若い頃の大名屋敷勤めの間に覚えた。
「あ、お旦那《だんな》が」
 小女が老婢《ろうひ》の後で言つた。皆、水面に集まつてゐた眼をあげた。古いきびら[#「きびら」に傍点]を着た宗右衛門が母屋《おもや》へ通ふ庭の小径《こみち》をゆつくりと歩いて来る。
「お珍らしい」
 老女は顔を皺《しわ》めて微笑した。
「まあ、お父様」
 おとなしいお小夜は、たゞうれしくなつかしかつた。俄《にわ》かに居ずまひを直しにかゝつた。が、敏感なお里は何事か胸にこたへた。お里は、ぢつとしたまゝ黙つてゐた。前庭の一番大きな飛石の上に、宗右衛門は立つて淋《さび》しく微笑した。
「まあ、お珍らしい」
 老女はひたすら宗右衛門を座敷の方へ招じ入れようとした。
 今朝もまた、彼が見る毎《ごと》に二人の娘の美しさは増して行つた。醜い下半部の反比例をますます上半身に現はすのではないか。皮肉の美しさを、ます/\宗右衛門は見せつけられる。美しい娘達の上半身を見る宗右衛門の苦痛は、醜い下半部を見る苦痛と変らなかつた。
 宗右衛門はこの苦痛の為めに、追々《おいおい》娘達の部屋を訪れなくなつたのであつた。母の無いのちの一層たよりない娘達を却《かえ》つて訪ねて来なくなつたのであつた。
「おとふ様、どう遊ばしました」
 お小夜が懐かしげに父親を仰いだ。
「どうも商売の方が忙しくてな。それにお母さんが亡くなつて、家の方もなにやかや……」
 ぢつと眼を伏せてゐるお里を見て、宗右衛門はだまつてしまつた。
「おう、朝顔が綺麗《きれい》だな」
 その耳盥《みみだらい》から少し視線を上げれば、そこにはお小夜の異様な脚部――宗右衛門はぞつとして、逆に老女の顔を見上げた。
「どうだな、二人とも毎日元気かな」
 宗右衛門は四日前の夕方、こゝを訪ねたきりであつた。娘達が忙しいお辻の手から育ての侍女の手に移つてこゝの離れ家《や》に棲《す》み始めて十何年間、朝夕二回の屋敷へ往《ゆ》くさ帰るさ、必ず宗右衛門はこの部屋へ立ち寄つた。時には夜ふけて寝酒の微酔でやつて来る時さへあつたのに、江戸への出入も店の商売もとかく怠り勝ちになつたといふ此頃《このごろ》の忙しさとは何であるか、老女には判り兼《か》ねた。
「お旦那《だんな》が、このごろ、泰松寺へしげ/\行かれる」
 と店の者から、ちらと聞いたが、それにしても娘達に疎遠してまで、妻女の墓参にばかり行かれるとはうけとれなかつた。
「旦那様、泰松寺にまた、御普請でも始まりますか」
「いや何にもない」
 宗右衛門は何故《なぜ》かあはてゝ老女の言葉を消した。
「お父様、お掛け遊ばせ」
 お小夜は小女に、麻の座布団をとらしてすゝめた。
「あゝ、ありがたう、かまはずにゐて呉《く》れ、わしは直ぐまた出かけなけりやならない」
 宗右衛門が庭に面して縁端の座布団へ坐《すわ》つた時、始めて父親を見上げたお里の鋭い視線を横顔に感じた――
(何もかもお里は勘付《かんづ》いてゐる)
 お里の利溌《りはつ》を余計愛してゐた宗右衛門が、今はお里が誰よりも怖ろしくなつた。やがてそれがいくらかの憎しみともなつた。小夜が不憫《ふびん》で、うつかり離れ家へ向けようとした足も、お里を考へてぎつくりと止まる。商売の算段もなまり、倉々を見廻る眼力もにぶつたが、人知れず遠くから離れ家を見詰める宗右衛門の眼の色は、異様に光つた。美しいゆゑに余計に醜い娘達の異形《いぎょう》が、追々宗右衛門の不思議な苦難の妄執となつて附纏《つきまと》つた。
 或る夜も宗右衛門は眼を覚した。広い十畳の間にひとり宗右衛門は寝てゐたのである。宵に降つた雨の名残《なごり》の木雫が、ぽたり/\と屋根を打つてゐた。蒸し暑いので宗右衛門は夜具をかいのけ、煙草《たばこ》を喫《す》はうとして起き上つた。床の上に座つて枕元の煙管《きせる》をとりあげた。引き寄せて見ると生憎《あいにく》、煙草盆の埋火《うずみび》が消えてゐたので、行燈《あんどん》の方へ膝《ひざ》を向けた――自然、まつすぐに離れ家の方を彼は向いてしまつたのである。――
(しまつた!)
 彼は喉元で自分を叱《しか》つた。宗右衛門にとつては最早《もは》や此頃《このごろ》の二人の娘は妄鬼であつた。離れ家はまさしく妄者の棲家《すみか》であつた。またしても、お小夜とお里と、それに時たまの例となつて、死んだお辻さへ異形のなかの一例となつて宗右衛門の眼前をぐる/\とめぐつた。
 宗右衛門は煙草《たばこ》を置いて、夏のはじめ泰松寺の老師から伝授されたうろ覚えの懺悔文《さんげもん》をあわてゝ中音に唱へ始めた。
[#ここから3字下げ]
我昔所造諸悪業  皆由無始貪瞋痴
従身語意之所生  一切我今皆懺悔
[#ここで字下げ終わり]
 この口唱が一しきり済んで、娘達のまぼろしの一めぐりしたあとへ、屋敷内のありとあらゆる倉々の俤《おもかげ》が彼の眼の前で躍《おど》り始めた。黒塗りに光る醤油《しょうゆ》倉、腰板鎧《こしいたよろい》の味噌《みそ》倉、そのほか厳丈《がんじょう》な石作りの米倉、豆倉。
 彼は、今度は少し大きな声で経を誦《ず》し続けた。だが、まばたき一つで、また娘達のまぼろしがかへつて来た。
 読経《どきょう》の声が、ずつと高くなると娘達の姿はかき消えて、今度は店の番頭小僧、はした[#「はした」に傍点]達のまぼろしがぞろ/\眼の前をとほり始めた。
 瞼《まぶた》をべつかつこう[#「べつかつこう」に傍点]した小僧もあり、平身低頭の老番頭、そのかげから、昔、かけ先きの間違ひで無体《むたい》に解雇した中年の男のうらめしさうな顔も出る。
 宗右衛門はふら/\と起き上ると、あやふくのめりさうになつた。が、辛《かろ》うじて足を踏みしめて再び蒲団《ふとん》の上にかしこまつた。そしてすつかり正式の読経の姿勢になつた。前の懺悔文を立てつゞけに誦し続けた。

 宗右衛門は夏の始めから、泰松寺の仏弟子となつてゐた。お辻が死んで一ヶ月程たつてからである。或日《あるひ》宗右衛門は生来の我慢を折つて、泰松寺の老師の膝下にひざまづいたのであつた。彼は突然、信仰心を起したといふわけではなかつた。彼が寂しさ苦しさのあまり、自分を救ふ何等《なんら》かの手段を、衆生《しゅじょう》済度《さいど》僧たる老師が持ち合せるであらうといふ一面功利的な思ひつきからでもあつた。その時、老師は、梅雨の晴れ上つた午後の日ざしがあかるくさした障子《しょうじ》をうしろに端座してゐた。中庭には芍薬《しゃくやく》が見事に咲き盛つてゐた。宗右衛門はお辻の葬式以来、ます
ます 老師のにび色姿が尊く思へた。今日は一層、その念を深めた。が、直ぐさま自分の心持ちも言ひ出せなかつた。老師は宗右衛門の娘達の不幸を先《ま》づ頭に思ひ浮べた。次に彼の妻お辻の死を思つた。
「まあ、あなたの心は、大抵、わしにも判る。時々来て見なされ」
 老師は、にこやかに言つて小僧に茶を運ばせた。
 それ以来、宗右衛門の泰松寺通ひの噂《うわさ》が添田家の内外に高くなつた。宗右衛門は商売も追々番頭にまかせ勝ちになつて行つた。

 夏もだんだん ふけて行つた。仏教の初歩の因果応報説が極《ご》くわづかに宗右衛門の耳に這入《はい》つて来た。過去の悪業《あくごう》が、かりに娘の異状となつて現はれたと観念することは出来ぬかと老師は宗右衛門に問ふてみた。
「めつさうなこと、私は人の命をあやめたことも、人の品物をかすめた覚えもありません」
 宗右衛門は不断の剛情を思はず出して殆《ほとん》ど老師に反抗的な口調で言つた。老師は手を振つて静かに説いた。
「それは違ふ、眼にも見えず、形にもあらはれぬ業《ごう》といふ重荷を、われ

われはどれほど過ぎ来《こ》しかたに人にも自身にも荷《にな》はせてゐるか知れぬ」
 老師の重々しい口調の下に宗右衛門はうちひしがれた。
「さうで御座《ござ》いませうかなあ。私が剛情者といふことは自分でもはつきり判ります。が、それでまたあの身代《しんだい》をこしらへましたので、剛情も別に悪いことゝは思ひませんでしたが」
「ではあなたは、なぜあの身代だけで満足しなさらぬな、娘衆がどうならうと、妻女がその為めに死になさらうと……」
 宗右衛門は、はつと頭を下げた。
「では、御老師、私はどういたしたらその業とやらが果せませうか」
「さあ、眼にも見ず、形の上でも犯さぬ業ならば、やつぱり心の上で、徐々に返すよりほかはあるまい――まづこの呪文《じゅもん》を暇のある毎《ごと》に唱へなさい。心からこれを唱へれば、懺悔《さんげ》の心がいつか自分の過去現在未来に渡つて泌《し》み入り、悪業が自然と滅して行く」
 宗右衛門は、いつか眼に見えぬ形をなさぬ業因を自分の過去に探り初めてゐた。
 宗右衛門の父祖は北国《ほっこく》の或《ある》藩の重職にあつた。が、その藩が一不祥事の為め瓦解《がかい》に逢《あ》ふや、草深い武蔵野《むさしの》の貧農となつて身を晦《くら》ました。宗右衛門の両親は、その不遇の為めに早世した。武家へ生れても孤児の宗右衛門は何の躾《しつけ》も薫育《くんいく》も授《さず》からず、その部落の同情で辛《かろ》うじて八九歳までの寿命を延ばしたに過ぎない。そして江戸の或る御用商人の小僧にやられた。覇気と頑強と、精力的なので多少主人を顰蹙《ひんしゅく》させ、朋輩《ほうばい》達に憎がられはしても、どんどん彼は他を抜いて行つた。こんな具合で彼は二十歳をあまり過ぎなくて最早《もは》や出入りの諸大名の用人達に彼の非凡な商才と勤勉とを認められた。それのみならず、争はれぬ血統からとでも言はうか、彼は無学頑強なうちにも、おのづからなる折目|躾《しつけ》を持ち、武家への応待に一種の才能をさへ持つてゐた。今や彼は衆を圧し、老練な一番々頭をまで抜いて店の主権をかち得ようとした。その時、突然、主人夫妻は、流行の悪疫で同時に死んで行つてしまつたのである。店は間もなく瓦解《がかい》した。多くの奉公人達も自然と離散した。が殆《ほとん》どその時の店の中心であつた彼は単純に身を退くわけには行かなかつた。主人が独り遺《のこ》した娘のお辻は、自然と彼の手中に来て、彼の妻となり、老齢で隠居した一番々頭の外《ほか》に、主人の得意を譲りうけるものはなかつたので、その結果も自然と彼の処へ来た。
 江戸の西郊、彼の卜《ぼく》した地の利も彼に幸ひした。彼のその精力と頑強と覇気とを余すところなく発揮した。主人から譲り受けた出入り先きの五倍、七倍、十倍、年と共に得意の大名の数を増し、二十余台の馬力車は彼の広大な屋敷内に羅列する幾十の倉々から荷を載せて毎日、江戸へ向けて出発した。江戸へ三里の往還には、いつの日もその積荷の影を絶たなかつた。彼の身辺には江戸近郷、遠くは北国西国の果《はて》からまで、何百人かの男女の雇人が密集した。彼は健康で年寄ることも忘れてゐた。妻は従順であり娘達は美しく育つた……。
 彼は自分の発展と幸福の順路を、彼の三十余年間の勤勉と律気から得た当然の報酬としか、どうしても考へられない。彼は懺悔文《さんげもん》の一札を手にして、いくらかの不平をさへ感じた――もつとも彼は妻の葬儀の時、妻に対していくらかの悔《くい》と憐憫《れんびん》は感じた。が、その程度の償《つぐな》ひとして充分あの時|追悼《ついとう》はしてやつた――彼はまた幾らか奉公人に酷な所もなかつたかと省みられる節《ふし》もないではない。しかし、それも結局、やくざ者を用捨なく解雇し、懲戒するだけであつて、その償ひは質の好い使用人を優待することで充分償はれてゐる筈《はず》であるが……はて何であらう、何が斯《こ》うまで酷《ひど》く自分の今の運命に祟《たた》つて来た業因《ごういん》であらう※[#疑問符感嘆符、1-8-77]
「まあ何でもよい、あまりな、その一念を、ひとつ所に凝らさぬがよい。凝つて凝り過ぎると必ずそこに妄想をひく、娘衆が妄者に見えても困るではないか。何も忘れてな、暫《しば》らく暢気《のんき》にしてゐたが宜《よ》い。そしてあんまり気が腐つたら、あの懺悔文を読むことぢや」
 老師はこれ以上難かしい教理など言つて聞かしても、なか/\判りさうもない宗右衛門を、ひたすら現在のまゝでなだめた。
 宗右衛門は、一時は自分から進んで難かしい経典などに親しみ、早く何事かを探り当て、どうにかして救はれようとあせつた。しかし彼には徒《いたず》らに判読しがたい文字の羅列であつた。現在の彼の悩みをさそくに救つて呉《く》れなかつた。家に居れば彼は離れ家のことばかり気になつてゐた。二人の娘に対しての無沙汰《ぶさた》がいつも彼は気がゝりであつた。素気《そっけ》ない此頃《このごろ》の父に対する二人の娘の思はくが一通りならぬ彼のなやみの種であつた。しかし、それよりも彼を恐怖の頂上に引き上げるものは、何といつても二人の娘の異形を見なければならないことであつた。
 二人は全然、離れ家から出て来なかつた。それでも彼は、家に居れば直ぐ近くに離れ家のけはひを感じた。奥庭の小径《こみち》の奥|筑波井《つくばい》の向うの梔《くちなし》の隙《すき》、低い風流な離れ家の棟《むね》。それが何度一日に彼の目につくことであらう。結局彼はいつとはなしに娘達と遠ざかつて行つてしまつた。最早《もは》や娘達に弁解の言葉も尽きた。彼の病的に弱つた神経がだん/\娘達への見栄《みえ》や虚構の力をも失つて行つた。離れ家の方から使ひに来る下婢《かひ》達の姿にも顔をそむけるやうに彼はなつた。
 繁昌《はんじょう》盛りの商売から日々揚がる莫大な金も追々彼にはうとましくなつて行つた。彼はなほ委細に彼の身辺に何か業因らしいものを認めようとあせつた。が、彼の屋敷内の数多い倉の一つにも一人の人柱は用ゐてはゐない。一日に何|石《こく》何|俵《びょう》を搗《つ》き出す穀倉の杵《きね》と臼《うす》の一つでも、何十人のなかの誰の指一本でも搗きつぶしたことがあらうか……何にもない。誰を誰もが、どうもしない。三十余年前自分が身を浄《きよ》めて土台を据ゑたこの屋敷内へ、どうしてあの様な浅ましい妄鬼――否々、何の業因が不憫《ふびん》な娘達の異形となつて現はれたのか。殆《ほとん》ど彼の生命であつた家も屋敷も、倉々も皆、今はとりとめもなく彼の憎悪と不平をたゞよはせるところとなつた。彼は家に居たくないためばかりでも度々、泰松寺へ出かけて行つた。行かなければ気が安まらなかつた。
「老師さま、本堂の改築を、私にさせて下さいまし」
 と宗右衛門は申し出た。
「有難いことぢや、しかしな、わしにはこの本堂で沢山《たくさん》ぢや、一つには、この古色を帯びたところがわしの好みぢや、それからまたわしとこの本堂とは、また格別な因縁もあるのぢや」
 老師は穏やかに宗右衛門の言葉を退けた。しかし、老師は宗右衛門のこの頃のありさまが、つくづく不憫であつた。難かしい教理や公案は刻下の彼を救ふものではない。寺へ来て、本堂と庫裡《くり》の間を何かしらまご/\してゐるだけでも彼に慰めであらうなら、それでよい。老師はいつも和やかな顔を彼に向けてゐた。
 宗右衛門は家から蝋燭《ろうそく》を一抱へ持つて来て、手当り次第、仏前に燈明《とうみょう》を上げて見た。太い南天を見付けて来ては、切り刻んだり磨いたりして何本かの鑰打《やくう》ちを造つた。結構な打ち菓子を誂《あつら》へて仏前や老師に供へた。しまひには納所《なっしょ》部屋にまでも、それを絶やさなかつた。泰念といふ静《しずか》な朴訥《ぼくとつ》な小僧が居て、加減よく茶を立てゝは宗右衛門によくすゝめた。彼は薄い夏|蒲団《ぶとん》を家から運んだ。そして涼しい庫裡裏で半日を午睡に過し、夕方すご/\家へ帰つて行く。彼のその姿を度々見かける村の者は、長年、彼の豪勢へ持つてゐた反感を、この頃、幾何《いくばく》の同情に変へて来た。泰松寺から家へ帰つて行く彼の心は暗かつた。恐ろしかつた。とりとめもなく腹立たしかつた。彼は奥座敷の離れ家の屋根の見える側の雨戸を夏の真盛りの夕刻早々厳重に閉めさした。

 秋の晩方から宗右衛門は寺の納所《なっしょ》部屋の隣へ小さな隠居所を建てゝ籠《こも》つた。寺の世話役も彼の心中を察して別段やかましく言はなかつた。村の者もあまり怪《あやし》まうとしなかつた。しかし、たゞ宗右衛門が少し気がふれたと取沙汰《とりざた》する者は多かつた。宗右衛門は三日に一度くらゐ帰つて来て、それもほんの屋敷の一部をぼんやり見廻はつて来るに過ぎなかつた。
 一番々頭が持参する日々の出納《すいとう》帳もあまり身にしみては見なかつた。極々まれに、こわごわ娘達の様子を聞くことはあつた。しかし番頭はじめ店の者も誰も、あまり詳しくは話さなかつた。事実、娘達の消息は、店へあまり詳しく判らないのであつた。たゞ、達者でゐることだけは判つた。宗右衛門はその度に何かいま/\しいやうな気がした。が、またほつと安心もした。
 宗右衛門が寺へ来てから直《じ》きに彼は一つの困難に突き当つた。納所部屋から庫裡《くり》へ続くところの一間の壁の壁画に、いつ誰の手に成つたとも知れぬ女菩薩《にょぼさつ》の画像があつた。或日《あるひ》秋の日暮れがたであつた。宗右衛門は、すつかりそれに見惚《みと》れて佇《たちどま》つてゐた。その女菩薩が妙に宗右衛門の性慾を刺戟《しげき》したのであつた。女菩薩の画像は等身大であつた。何者が斯《こ》うまで巧妙に描いたものか。そのふくよかな頬《ほお》、なよやかな鼻、しまり過ぎぬ細い唇。半開の眼が海の潮の一片のやうなうるみ[#「うるみ」に傍点]を籠《こ》めて長く引かれ、素直にそれに添つた薄墨の眉毛《まゆげ》の情深さ。それ等《ら》は丸味を帯びた広い額《ひたい》の白毫《びゃくごう》の光に反映せられ、反《かえ》つて艶冶《えんや》を増す為めか、或ひはそれ等の部分部分にことさら丹念に女人の情を潜ませてあるのか、兎《と》に角《かく》、彼は今まで如何《いか》なる名匠の美人画にも単なる艶冶や嬌態《きょうたい》を示したものに、これほど心を引かれたことはなかつた。清浄を湛《たた》へて艶冶ははじめてまことに生き、ます/\嬌色は深まるものであらうか――。
 沈み切つた暮色のなかに、この女菩薩像が愈々《いよいよ》生きて宗右衛門に迫つた。丸い肩から流れる線の末端を留めて花弁を揃《そろ》へたやうな――それも自然に薄紅の肉色を思はせる指、なよやかな下半身に打ちなびく羅衣《らい》の襞《ひだ》の、そのひとつ/\の陰にも言ひ知れぬ濃情を潜めてゐるのであつた。宗右衛門のその時の性慾は、単なる肉体の劣情ばかりではなかつた。彼が曾《か》つて、殆《ほとん》ど感じたことのなかつた、求めても得られず、また求めようともしなかつた女性への思慕――彼は胸元をひきしぼられるやうな甘い悲哀にだん/\ひたつて行つた。彼は其処《そこ》へひざまづいた。生来、始めて感じた神秘的な恍惚《こうこつ》に彼は陥つてゐた。再び眼をひらいた時、彼の眼の前は闇一色であつた。彼は、そつとその壁に手をふれてみた。ひやりと――おそらくさうであつたらう、彼は、その異様な感触に手の先を振りながら、自分の部屋へ駆け込んだ。
(俺は何といふ罰あたりだ)
 彼は炉の傍へうづくまつた。部屋は真暗であつた。かたく閉《とざ》した部屋の外には、ことりとも音がしない。炉の灰をかむつた火のかげろふが二つ三つ、遠い過去か未来の夢の中のロマンチックな灯のやうに、彼の想ひを引きいれるのであつた。
 宗右衛門は五十余歳の年齢にしては、若い肉体を持つてゐたが、それは彼の頑強と豪気との抑圧的な一種の反感を対者に加へるにとゞまつて、誰も彼から淫蕩《いんとう》の感じを受ける者はなかつた。実際、彼には、生来さうした行跡は殆《ほとん》どないと言つてもよかつた。江戸の主家に居る時、ほんの小僧の時、一度、若者になつてから二三度、無理やりに朋輩《ほうばい》や先輩に誘はれて遊女屋へ足を入れたことはあつた。彼は其処《そこ》で、いくらかの性慾の好奇心を満足させたばかりで、気持ちに何の纏綿《てんめん》をも持てなかつた。むしろ、より多くみだり[#「みだり」に傍点]がましさに反感を重ねて行くやうになつて、ふつつり他からの誘惑にも乗らなくなつた。それから主家の小間使ひであつた大工の娘のお静といふ可愛い少女に暫《しば》らく人知れず懸想して居たことはあつた。が、武士の血筋のプライドがいつか彼を謹厳にして、その懸想をもしりぞけさせた。お静が貧しい大工の娘であつたからである。妻のお辻も、主家の娘といふ点が、いくらか彼のプライドを緩和しただけで、たゞの町家の平凡な娘を、便宜上、妻にしたに過ぎないといふ気持ちばかりで終始してゐた。では、彼は、あるか無きかの如き陰性なお辻一人に満足し切つて、彼の男盛りの何十年を過して来たか。否、彼の心に全然、女の影のさゝぬことはなかつたのであつた。
 娘達の乳呑《ちのみ》時代に、半年ほど離れ家へ抱へたお光といふ乳母《うば》(今はその乳母の為めに、離れ家を聯想《れんそう》するのさへ嫌であるが)は二十五六で、或《ある》商家の出戻り娘であつた。あたりを明るくするほどの派手な美貌《びぼう》であつた。その上、気性は如何《いか》にも痴情で、婚家から出されたと頷《うなず》けるほど浮々してゐた。それから店の下婢《かひ》のなかから珍らしく可憐《かれん》なうら[#「うら」に傍点]寂しい、そして何処《どこ》か愛嬌《あいきょう》ぶかいお作といふ小娘を見出《みいだ》したこともあつた。が、前者は家が乱れはせぬかといふ打算的|杞憂《きゆう》から、後者は、例の彼の矜持《きょうじ》が、彼を逐々、何の間違ひもないうちに引きとめた。お作は、倉のみすぼらしい米搗《こめつき》男の娘であつた。
 思へば、彼の長い一生の過ぎ来《こ》しかたに、彼が本当に心身の慾情の満足と愛敬とを籠《こ》めた恍惚《こうこつ》にひたすらひざまついた女性は一人としてなかつた。宗右衛門は悲しかつた。彼の長い一生に一度も生きた女性に費《ついや》さなかつた恋の魅惑を、この老来の而《しか》も斯《こ》うした悲惨な境遇の今、手にもとられず、声も聞き得ぬ一片の画像の女菩薩《にょぼさつ》に徴されようとは。
(これも何かの業因からかな)
 宗右衛門は眼を閉ぢて、なほ深々と、くらやみのなかへうづくまつた。

 その時以来、宗右衛門は、なるたけ女菩薩の前を通るまいとした。が、一日に二度や三度は必ず通らなければ、宗右衛門のこの寺|棲《ずま》ひの自由は絶対に取り上げられてしまふのであつた。で、宗右衛門は窮屈に面《おもて》をそむけるか、瞑目《めいもく》するかして必ずその前を通ることに極《き》めた。そのうちにはまた、あの不思議な恍惚《こうこつ》を知らなかつた以前のやうに虚心平気で只《ただ》の壁画に対する気持ちに立ち返ることが出来るであらうと単純に考へた。いそいそとして宗右衛門はそれを励行して五日たち、七日たつて行つた。そして十日から半月と――が、駄目《だめ》だつた。
 といつても、始め一寸《ちょっと》した時期のあひだ宗右衛門は、それが成功したと思つた。こんな工合《ぐあ》ひなら五日も経《た》てば容易《たやす》く何ともなくなるだらうと思つた。次には閉ぢてゐた眼をやや細めに開けた。と、画像の裾《すそ》の線がぼやけて、二三|寸《すん》見えたばかりで宗右衛門の胸はいくらかときめいた[#「ときめいた」に傍点]。まだいけないと思つてあはてゝ宗右衛門は眼を閉ぢた。だが、ときめきだけが胸に残つて、いくら眼を閉ぢても無駄《むだ》になつた。今度は納所《なっしょ》部屋の角を曲ると直ぐ宗右衛門は横を向いた。その上にまたかたく眼を閉ぢた。しかし、矢張りいけない。彼が壁画の前にさしかゝるや遂《つい》に彼は女菩薩《にょぼさつ》の頬《ほお》を感じ初めた。追々、眉《まゆ》を、唇を、鼻を、額《ひたい》を、丸くなだらかな肩の線を、魅惑を湛《たた》へた着物のひだ[#「ひだ」に傍点]を――そして彼の胸は、浅ましくかき乱れて行くばかりであつた。或る日彼が企《くわだ》てた冒険は、たゞ成功しなかつたばかりでなく、殆《ほとん》ど彼を無援の谷に打ち込んだ。
 彼は寺の掃除|婆《ばば》に命じて、画像の前の窓障子《まどしょうじ》をすつかり解放させ、四方を清浄に掃除させて置いた。彼は自分の身をもよく冷水で拭《ふ》き清めた。そしてわざ/\自宅から取り寄せた新らしい肌着を着済ました。
 かげろふも立ち添ふ暖かく晴れた冬の日の正午過であつた。彼は、はつきりと眼を見開いて静《しずか》に女菩薩画像に近づいた。
(はつきり見よ。白日の明光の中にはつきり見て迷夢を醒《さ》ませよ)
 彼は自分の心に厳しく命じた。しん、とした此《こ》の光線の落ち著《つ》きのなかに、穏やかに明るく画像は彼の前に展けた。彼はその前面二尺ばかりに歩を止めて、おもむろに画像を見上げ見下ろした。
 案外な心安さ、そして、爽《さわ》やかな微風が、面《おもて》を払つて、胸も広々と感ずるかと思へた。――二分、三分、五分……と、宗右衛門はかすかな身悶《みもだ》えと共に、壁画の前へ俯伏《うつぶ》してしまつた。彼の体中の精力が、あらゆる快感と恐怖とを伴なつて、何物にか強く引き絞られ、何処《どこ》かへ発散して行くと同時に、壁画は、一層、白昼の大胆な凜々《りり》しさと艶《なま》めきとの魅惑を拡大して、宗右衛門の眉間《みけん》に迫つて来たのであつた。

 それ以来、二三日彼は、胸苦しい熱情にさいなまれて、ろく/\喰べも眠りもしなかつた。そしてそれが漸《ようや》く遠ざかつて行くと彼は腑脱《ふぬ》けのやうになつて行つた。彼は空《から》念仏を唱へながら、滅多《めった》に彼の部屋の外へ出ないため、俄《にわ》かに彼の部屋専用に付けさせた便所へ出入りするやうになつた。部屋では、大方黙りこくつて炉へ炭をくべてゐた。店から帳簿を持つて来る者にも、めつきりうるささうな様子を見せるやうになつた。
 老師の部屋へも彼は殆《ほとん》ど行かなくなつた。老師は却《かえ》つて時々、彼の容子《ようす》を怪《あやし》んで見舞つて来た。が、彼は言葉すくなに炉へ炭をくべてゐた。彼の最近の一つの恥に就いては、どうあつても彼は老師に話せなかつた。彼は老師に逢《あ》つて「打ち明けられぬ負担」を漸く感じ出した。
 その負担をのがれる為めと、やゝもすれば身辺に近づいて来る画像の誘惑から遠ざかる為めと、もひとつ彼の思ひつきの為めに彼は翌年の春の初《はじめ》、寺のうしろの畑地の隅に居を移した。家からも老夫婦の飯炊きを呼んだ。畑地は宗右衛門の所有地であつた。おびたゞしい牡丹《ぼたん》の根を諸方から彼は集めた。遠方から植木師が来て泊り込み、村の百姓を代る代る手伝ひに雇つた。初夏となつて畑一ぱいに牡丹の花が咲き盛つた。村の者や、めつたに動じない老師まで眼を見張つた。宗右衛門の苦渋の底から微笑が浮んだ。彼は誰にともなく呟《つぶや》いた。
「仏様へ御供養《ごくよう》でございますぞい」
 彼は、この上、やがて何事かの業因になるとも知れぬ我が家産を、斯《こ》んなにして散じて行くのにも幾らかの安心を持つた。
 寺の周囲の他人の所有地が、次へ次へと驚くべき高価で宗右衛門に買ひ移されて行つた。
 藤《ふじ》、あやめ、菊、蓮《はす》。桜も楓《かえで》も桃も、次ぎ次ぎに季節々々の盛りを見せた。寺の周囲を見事、極楽画の一部に象《かたど》り、結構華麗に仕立て上げた。けれども宗右衛門の心は矢張り慰まなかつた。否、むしろ追々|荒《すさ》んで行くのであつた。折角《せっかく》、精出して仕立てた英《はなぶさ》を片はしからむしつて歩く日もあつた。隠居所の扉を閉め切つて、外の景色に眼をふれまいとするやうな日もあつた。人々は寺の周囲の勝景をよろこんだ。が、それと同時に、宗右衛門の狂気の沙汰《さた》を愈々《いよいよ》、噂《うわさ》に高めた。
 三年目の年が明けて、梅もぽつ/\咲き初めた頃、添田家縁者一統の総代が、泰松寺へ出頭して、宗右衛門の家事不取締りから、使用人の怠慢、家業|破綻《はたん》の条々を縷述《るじゅつ》し、その上、娘お小夜の急病を報じて宗右衛門の自宅へ復帰することを老師に願ひ出《い》でた。それは丁度宗右衛門が、荒廃と疲労の極度に達した自分の最後の処置を老師の前に哀訴したと殆ど同時であつた。もちろん家に残した娘達への回避の念、物質本位の家業に対する倦厭《けんえん》の情は、いつもの通りくりかへして述べられた。たゞ、壁画に就《つい》ての羞恥《しゅうち》ばかりは始めて老師の聞くところであつた。彼はそれを打ち明ける辛《つら》さを敢《あえ》てするまで、老師への哀訴の情が、切迫してしまつたのである。老師は、両方の縷述と哀訴を懇切に聴き取つた。そして、今後一切を、自分の指図のもとに取り行ふやうかたく双方ともに約束させた。
「現実を回避せず、あくまでもそれに直面して人生の本然を味得すること。本当に生きる強味は其処《そこ》から出る」
 これを判り易《やす》く飜訳《ほんやく》して老師は宗右衛門に会得《えとく》させた。その具体的な手段として宗右衛門の居室は寺の花畑から不具の娘達の直ぐ傍に移された。気儘《きまま》な妄想を払つて不具に直面し、不具の実在性を確《し》つかり見詰めよといふのであつた。
「欲望を正当に生かすこと」
 これを判り易く飜訳して、添田家親類一統へ説き聞かせた。即刻、宗右衛門に適当な後妻を、あらゆる方面へ彼自身にも親類一統へも物色させた。
「個性の使命をはたすこと、自身の力量に適応した家業に、善悪貴賤の差別なし」
 これを宗右衛門にあてはめる以上、彼は急ぎ家業に復帰しなければならないのであつた。
 その年の初夏、宗右衛門は新らしくめとつた後妻と、不具の娘二人を連れて或る有名な遠国の温泉へ行つた。一ヶ月以上の滞在で彼の健康も、病後のお小夜の健康も、ずつと立ち戻つた。
 彼は再び家業に就《つ》いた。家運は見る見る旧に戻つた。寺の花園は四季年々咲いた。或年の初夏、牡丹《ぼたん》が特別に見事な盛りを見せた年であつた。添田家の花宴が其処《そこ》で催された。引きめぐらした幔幕《まんまく》の内、正面には泰松寺の老師、宗右衛門自身の左右には不具の娘が美装して二人並び、ずつと下つて上品な年増盛りの彼の後妻がつゝましく座つた。そのほか親類一統、大勢の村民達も招かれた。
 たゞ宗右衛門は、以前よりずつと沈黙になり、そして痩《や》せた――それは彼が老来の衰へを示すものではなかつた。引きしまつた彼の上皮の下には、生き生きとして落ち付いた力が寂しく光つてゐるのであつた。
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(後記)
王朝時代の末期になつて、文化の爛熟《らんじゅく》による人間の官能と情感がいやが上にも発達し、現実的には高度の美意識による肉的なものを追ひ求める一方、歓楽極まつて哀愁生ずる譬《たと》へ通り、人々、省己嫌厭の不安から崇高な求道の志を反比例に募らせる。この二つの欲求の調和に応ずべく、仏教にもいろ/\の変貌《へんぼう》を来たしたが、中にも、肉感的美欲を充足させつゝ、それを通して魂の永遠の落付きどころを覗《のぞ》かせるには、感覚的な対象となる宗教的器具設備が最も時機相応であつた。
なま/\しき絶世の美人であつて、而《しか》も無限性を牽出《ひきだ》すもの、こゝに吉祥天《きちじょうてん》、伎芸天《ぎげいてん》、弁財天《べんざいてん》などゝいふ天女型の図像が仏|菩薩《ぼさつ》像流行を奪つて製作され、中の幾つかゞ今日に残り、人間性の如何《いか》に矛盾《むじゅん》であり、また合致総和である意味深いものであるかを考へさせるのであるが、泰松寺にある宗右衛門の見た女菩薩は、身慥《みごしら》へや身構へは菩薩に違ひないが、画図の目的はまさしく前述の時代の天女型に系図をひく古画であらう。
[#ここで字下げ終わり]

底本:「日本幻想文学集成10 岡本かの子」国書刊行会
   1992(平成4)年1月23日初版第1刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集」冬樹社
   1974(昭和49)年発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※ルビを新仮名遣いとする扱いは、底本通りにしました。
入力:門田裕志
校正:湯地光弘
2005年2月22日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

岡本かの子

老妓抄—– 岡本かの子

 平出園子というのが老妓の本名だが、これは歌舞伎俳優の戸籍名のように当人の感じになずまないところがある。そうかといって職業上の名の小そのとだけでは、だんだん素人《しろうと》の素朴な気持ちに還ろうとしている今日の彼女の気品にそぐわない。
 ここではただ何となく老妓といって置く方がよかろうと思う。
 人々は真昼の百貨店でよく彼女を見かける。
 目立たない洋髪に結び、市楽《いちらく》の着物を堅気風につけ、小女一人連れて、憂鬱な顔をして店内を歩き廻る。恰幅《かっぷく》のよい長身に両手をだらりと垂らし、投出して行くような足取りで、一つところを何度も廻り返す。そうかと思うと、紙凧《かみだこ》の糸のようにすっとのして行って、思いがけないような遠い売場に佇《たたず》む。彼女は真昼の寂しさ以外、何も意識していない。
 こうやって自分を真昼の寂しさに憩《いこ》わしている、そのことさえも意識していない。ひょっと目星《めぼし》い品が視野から彼女を呼び覚すと、彼女の青みがかった横長の眼がゆったりと開いて、対象の品物を夢のなかの牡丹《ぼたん》のように眺める。唇が娘時代のように捲《まく》れ気味に、片隅へ寄ると其処に微笑が泛《うか》ぶ。また憂鬱に返る。
 だが、彼女は職業の場所に出て、好敵手が見つかると、はじめはちょっと呆《ほう》けたような表情をしたあとから、いくらでも快活に喋舌《しゃべ》り出す。
 新喜楽のまえの女将《おかみ》の生きていた時分に、この女将と彼女と、もう一人新橋のひさごあたりが一つ席に落合って、雑談でも始めると、この社会人の耳には典型的と思われる、機知と飛躍に富んだ会話が展開された。相当な年配の芸妓たちまで「話し振りを習おう」といって、客を捨てて老女たちの周囲に集った。
 彼女一人のときでも、気に入った若い同業の女のためには、経験談をよく話した。
 何も知らない雛妓《おしゃく》時代に、座敷の客と先輩の間に交される露骨な話に笑い過ぎて畳の上に粗相をしてしまい、座が立てなくなって泣き出してしまったことから始めて、囲いもの時代に、情人と逃げ出して、旦那におふくろを人質にとられた話や、もはや抱妓《かかえっこ》の二人三人も置くような看板ぬしになってからも、内実の苦しみは、五円の現金を借りるために、横浜往復十二円の月末払いの俥に乗って行ったことや、彼女は相手の若い妓たちを笑いでへとへとに疲らせずには措《お》かないまで、話の筋は同じでも、趣向は変えて、その迫り方は彼女に物《もの》の怪《け》がつき、われ知らずに魅惑の爪を相手の女に突き立てて行くように見える。若さを嫉妬《しっと》して、老いが狡猾《こうかつ》な方法で巧みに責め苛《さいな》んでいるようにさえ見える。
 若い芸妓たちは、とうとう髪を振り乱して、両脇腹を押え喘《あえ》いでいうのだった。
「姐《ねえ》さん、頼むからもう止してよ。この上笑わせられたら死んでしまう」
 老妓は、生きてる人のことは決して語らないが、故人で馴染《なじみ》のあった人については一皮|剥《む》いた彼女独特の観察を語った。それ等の人の中には思いがけない素人や芸人もあった。
 中国の名優の梅蘭芳《メイランファン》が帝国劇場に出演しに来たとき、その肝煎《きもい》りをした某富豪に向って、老妓は「費用はいくらかかっても関《かま》いませんから、一度のおりをつくって欲しい」と頼み込んで、その富豪に宥《なだ》め返されたという話が、嘘か本当か、彼女の逸話の一つになっている。
 笑い苦しめられた芸妓の一人が、その復讐のつもりもあって
「姐さんは、そのとき、銀行の通帳を帯揚げから出して、お金ならこれだけありますと、その方に見せたというが、ほんとうですか」と訊《き》く。
 すると、彼女は
「ばかばかしい。子供じゃあるまいし、帯揚げのなんのって……」
 こどものようになって、ぷんぷん怒るのである。その真偽はとにかく、彼女からこういううぶな態度を見たいためにも、若い女たちはしばしば訊いた。
「だがね。おまえさんたち」と小そのは総《すべ》てを語ったのちにいう、「何人男を代えてもつづまるところ、たった一人の男を求めているに過ぎないのだね。いまこうやって思い出して見て、この男、あの男と部分々々に牽《ひ》かれるものの残っているところは、その求めている男の一部一部の切れはしなのだよ。だから、どれもこれも一人では永くは続かなかったのさ」
「そして、その求めている男というのは」と若い芸妓たちは訊き返すと
「それがはっきり判れば、苦労なんかしやしないやね」それは初恋の男のようでもあり、また、この先、見つかって来る男かも知れないのだと、彼女は日常生活の場合の憂鬱な美しさを生地で出して云《い》った。
「そこへ行くと、堅気さんの女は羨《うらやま》しいねえ。親がきめてくれる、生涯ひとりの男を持って、何も迷わずに子供を儲《もう》けて、その子供の世話になって死んで行く」
 ここまで聴くと、若い芸妓たちは、姐《ねえ》さんの話もいいがあとが人をくさらしていけないと評するのであった。

 小そのが永年の辛苦で一通りの財産も出来、座敷の勤めも自由な選択が許されるようになった十年ほど前から、何となく健康で常識的な生活を望むようになった。芸者屋をしている表店と彼女の住っている裏の蔵附の座敷とは隔離してしまって、しもたや[#「しもたや」に傍点]風の出入口を別に露地から表通りへつけるように造作したのも、その現われの一つであるし、遠縁の子供を貰って、養女にして女学校へ通わせたのもその現われの一つである。彼女の稽古事が新時代的のものや知識的のものに移って行ったのも、或はまたその現われの一つと云えるかも知れない。この物語を書き記す作者のもとへは、下町のある知人の紹介で和歌を学びに来たのであるが、そのとき彼女はこういう意味のことを云った。
 芸者というものは、調法ナイフのようなもので、これと云って特別によく利《き》くこともいらないが、大概なことに間に合うものだけは持っていなければならない。どうかその程度に教えて頂きたい。この頃は自分の年|恰好《かっこう》から、自然上品向きのお客さんのお相手をすることが多くなったから。
 作者は一年ほどこの母ほども年上の老女の技能を試みたが、和歌は無い素質ではなかったが、むしろ俳句に適する性格を持っているのが判ったので、やがて女流俳人の某女に紹介した。老妓はそれまでの指導の礼だといって、出入りの職人を作者の家へ寄越して、中庭に下町風の小さな池と噴水を作ってくれた。
 彼女が自分の母屋《おもや》を和洋折衷風に改築して、電化装置にしたのは、彼女が職業先の料亭のそれを見て来て、負けず嫌いからの思い立ちに違いないが、設備して見て、彼女はこの文明の利器が現す働きには、健康的で神秘なものを感ずるのだった。
 水を口から注ぎ込むとたちまち湯になって栓口から出るギザーや、煙管《きせる》の先で圧《お》すと、すぐ種火が点じて煙草に燃えつく電気|莨盆《たばこぼん》や、それらを使いながら、彼女の心は新鮮に慄《ふる》えるのだった。
「まるで生きものだね、ふーム、物事は万事こういかなくっちゃ……」
 その感じから想像に生れて来る、端的で速力的な世界は、彼女に自分のして来た生涯を顧みさせた。
「あたしたちのして来たことは、まるで行燈《あんどん》をつけては消し、消してはつけるようなまどろい生涯だった」
 彼女はメートルの費用の嵩《かさ》むのに少なからず辟易《へきえき》しながら、電気装置をいじるのを楽しみに、しばらくは毎朝こどものように早起した。
 電気の仕掛けはよく損じた。近所の蒔田《まきた》という電気器具商の主人が来て修繕した。彼女はその修繕するところに附纏《つきまと》って、珍らしそうに見ているうちに、彼女にいくらかの電気の知識が摂《と》り入れられた。
「陰の電気と陽の電気が合体すると、そこにいろいろの働きを起して来る。ふーむ、こりゃ人間の相性とそっくりだねえ」
 彼女の文化に対する驚異は一層深くなった。
 女だけの家では男手の欲しい出来事がしばしばあった。それで、この方面の支弁も兼ねて蒔田が出入していたが、あるとき、蒔田は一人の青年を伴って来て、これから電気の方のことはこの男にやらせると云った。名前は柚木《ゆき》といった。快活で事もなげな青年で、家の中を見廻しながら「芸者屋にしちゃあ、三味線がないなあ」などと云った。度々来ているうち、その事もなげな様子と、それから人の気先を[#「気先を」は底本では「気先は」]撥《は》ね返す颯爽《さっそう》とした若い気分が、いつの間にか老妓の手頃な言葉|仇《がたき》となった。
「柚木君の仕事はチャチだね。一週間と保《も》った試しはないぜ」彼女はこんな言葉を使うようになった。
「そりゃそうさ、こんなつまらない仕事は。パッションが起らないからねえ」
「パッションって何だい」
「パッションかい。ははは、そうさなあ、君たちの社会の言葉でいうなら、うん、そうだ、いろ気が起らないということだ」
 ふと、老妓は自分の生涯に憐《あわれ》みの心が起った。パッションとやらが起らずに、ほとんど生涯勤めて来た座敷の数々、相手の数々が思い泛《うか》べられた。
「ふむ。そうかい。じゃ、君、どういう仕事ならいろ気が起るんだい」
 青年は発明をして、専売特許を取って、金を儲けることだといった。
「なら、早くそれをやればいいじゃないか」
 柚木は老妓の顔を見上げたが
「やればいいじゃないかって、そう事が簡単に……(柚木はここで舌打をした)だから君たちは遊び女といわれるんだ」
「いやそうでないね。こう云い出したからには、こっちに相談に乗ろうという腹があるからだよ。食べる方は引受けるから、君、思う存分にやってみちゃどうだね」
 こうして、柚木は蒔田の店から、小そのが持っている家作の一つに移った。老妓は柚木のいうままに家の一部を工房に仕替え、多少の研究の機械類も買ってやった。

 小さい時から苦学をしてやっと電気学校を卒業はしたが、目的のある柚木は、体を縛られる勤人になるのは避けて、ほとんど日傭取《ひようと》り同様の臨時雇いになり、市中の電気器具店廻りをしていたが、ふと蒔田が同郷の中学の先輩で、その上世話好きの男なのに絆《ほだ》され、しばらくその店務を手伝うことになって住み込んだ。だが蒔田の家には子供が多いし、こまこました仕事は次から次とあるし、辟易《へきえき》していた矢先だったのですぐに老妓の後援を受け入れた。しかし、彼はたいして有難いとは思わなかった。散々あぶく銭を男たちから絞って、好き放題なことをした商売女が、年老いて良心への償いのため、誰でもこんなことはしたいのだろう。こっちから恩恵を施してやるのだという太々しい考は持たないまでも、老妓の好意を負担には感じられなかった。生れて始めて、日々の糧《かて》の心配なく、専心に書物の中のことと、実験室の成績と突き合せながら、使える部分を自分の工夫の中へ鞣《なめ》し取って、世の中にないものを創《つく》り出して行こうとする静かで足取りの確かな生活は幸福だった。柚木は自分ながら壮躯と思われる身体に、麻布のブルーズを着て、頭を鏝《こて》で縮らし、椅子に斜に倚《よ》って、煙草を燻《く》ゆらしている自分の姿を、柱かけの鏡の中に見て、前とは別人のように思い、また若き発明家に相応《ふさ》わしいものに自分ながら思った。工房の外は廻り縁になっていて、矩形《くけい》の細長い庭には植木も少しはあった。彼は仕事に疲れると、この縁へ出て仰向けに寝転び、都会の少し淀《よど》んだ青空を眺めながら、いろいろの空想をまどろみの夢に移し入れた。
 小そのは四五日目毎に見舞って来た。ずらりと家の中を見廻して、暮しに不自由そうな部分を憶《おぼ》えて置いて、あとで自宅のものの誰かに運ばせた。
「あんたは若い人にしちゃ世話のかからない人だね。いつも家の中はきちんとしているし、よごれ物一つ溜《た》めてないね」
「そりゃそうさ。母親が早く亡くなっちゃったから、あかんぼのうちから襁褓《おむつ》を自分で洗濯して、自分で当てがった」
 老妓は「まさか」と笑ったが、悲しい顔付きになって、こう云った。
「でも、男があんまり細かいことに気のつくのは偉くなれない性分じゃないのかい」
「僕だって、根からこんな性分でもなさそうだが、自然と慣らされてしまったのだね。ちっとでも自分にだらしがないところが眼につくと、自分で不安なのだ」
「何だか知らないが、欲しいものがあったら、遠慮なくいくらでもそうお云いよ」
 初午《はつうま》の日には稲荷鮨《いなりずし》など取寄せて、母子のような寛《くつろ》ぎ方で食べたりした。
 養女のみち子の方は気紛れであった。来はじめると毎日のように来て、柚木を遊び相手にしようとした。小さい時分から情事を商品のように取扱いつけているこの社会に育って、いくら養母が遮断《しゃだん》したつもりでも、商品的の情事が心情に染《し》みないわけはなかった。早くからマセて仕舞って、しかも、それを形式だけに覚えてしまった。青春などは素通りしてしまって、心はこどものまま固って、その上皮にほんの一重大人の分別がついてしまった。柚木は遊び事には気が乗らなかった。興味が弾まないままみち子は来るのが途絶えて、久しくしてからまたのっそりと来る。自分の家で世話をしている人間に若い男が一人いる、遊びに行かなくちゃ損だというくらいの気持ちだった。老母が縁もゆかりもない人間を拾って来て、不服らしいところもあった。
 みち子は柚木の膝の上へ無造作に腰をかけた。様式だけは完全な流眄《ながしめ》をして
「どのくらい目方があるかを量ってみてよ」
 柚木は二三度膝を上げ下げしたが
「結婚適齢期にしちゃあ、情操のカンカンが足りないね」
「そんなことはなくってよ、学校で操行点はAだったわよ」
 みち子は柚木のいう情操という言葉の意味をわざと違えて取ったのか、本当に取り違えたものか――
 柚木は衣服の上から娘の体格を探って行った。それは栄養不良の子供が一人前の女の嬌態《きょうたい》をする正体を発見したような、おかしみがあったので、彼はつい失笑した。
「ずいぶん失礼ね」
「どうせあなたは偉いのよ」みち子は怒って立上った。
「まあ、せいぜい運動でもして、おっかさん位な体格になるんだね」
 みち子はそれ以後何故とも知らず、しきりに柚木に憎《にくし》みを持った。

 半年ほどの間、柚木の幸福感は続いた。しかし、それから先、彼は何となくぼんやりして来た。目的の発明が空想されているうちは、確に素晴らしく思ったが、実地に調べたり、研究する段になると、自分と同種の考案はすでにいくつも特許されていてたとえ自分の工夫の方がずっと進んでいるにしても、既許のものとの牴触《ていしょく》を避けるため、かなり模様を変えねばならなくなった。その上こういう発明器が果して社会に需要されるものやらどうかも疑われて来た。実際専門家から見ればいいものなのだが、一向社会に行われない結構な発明があるかと思えば、ちょっとした思付きのもので、非常に当ることもある。発明にはスペキュレーションを伴うということも、柚木は兼ね兼ね承知していることではあったが、その運びがこれほど思いどおり素直に行かないものだとは、実際にやり出してはじめて痛感するのだった。
 しかし、それよりも柚木にこの生活への熱意を失わしめた原因は、自分自身の気持ちに在った。前に人に使われて働いていた時分は、生活の心配を離れて、専心に工夫に没頭したら、さぞ快いだろうという、その憧憬から日々の雑役も忍べていたのだがその通りに朝夕を送れることになってみると、単調で苦渋なものだった。ときどきあまり静で、その上全く誰にも相談せず、自分一人だけの考を突き進めている状態は、何だか見当違いなことをしているため、とんでもない方向へ外《そ》れていて、社会から自分一人が取り残されたのではないかという脅えさえ屡々《しばしば》起った。
 金儲けということについても疑問が起った。この頃のように暮しに心配がなくなりほんの気晴らしに外へ出るにしても、映画を見て、酒場へ寄って、微酔を帯びて、円タクに乗って帰るぐらいのことで充分すむ。その上その位な費用なら、そう云えば老妓は快くくれた。そしてそれだけで自分の慰楽は充分満足だった。柚木は二三度職業仲間に誘われて、女道楽をしたこともあるが、売もの、買いもの以上に求める気は起らず、それより、早く気儘《きまま》の出来る自分の家へ帰って、のびのびと自分の好みの床に寝たい気がしきりに起った。彼は遊びに行っても外泊は一度もしなかった。彼は寝具だけは身分不相応のものを作っていて、羽根蒲団など、自分で鳥屋から羽根を買って来て器用に拵《こしら》えていた。
 いくら探してみてもこれ以上の慾が自分に起りそうもない、妙に中和されてしまった自分を発見して柚木は心寒くなった。
 これは、自分等の年頃の青年にしては変態になったのではないかしらんとも考えた。
 それに引きかえ、あの老妓は何という女だろう。憂鬱な顔をしながら、根に判らない逞《たく》ましいものがあって、稽古ごと一つだって、次から次へと、未知のものを貪《むさぼ》り食って行こうとしている。常に満足と不満が交《かわ》る交る彼女を押し進めている。
 小そのがまた見廻りに来たときに、柚木はこんなことから訊《き》く話を持ち出した。
「フランスレビュウの大立者の女優で、ミスタンゲットというのがあるがね」
「ああそんなら知ってるよ。レコードで……あの節廻しはたいしたもんだね」
「あのお婆さんは体中の皺《しわ》を足の裏へ、括《くく》って溜めているという評判だが、あんたなんかまだその必要はなさそうだなあ」
 老妓の眼はぎろりと光ったが、すぐ微笑して
「あたしかい、さあ、もうだいぶ年越の豆の数も殖《ふ》えたから、前のようには行くまいが、まあ試しに」といって、老妓は左の腕の袖口を捲って柚木の前に突き出した。
「あんたがだね。ここの腕の皮を親指と人差指で力一ぱい抓《つね》って圧《おさ》えててご覧」
 柚木はいう通りにしてみた。柚木にそうさせて置いてから、老妓はその反対側の腕の皮膚を自分の右の二本の指で抓って引くと、柚木の指に挾《はさ》まっていた皮膚はじいわり滑り抜けて、もとの腕の形に納まるのである。もう一度柚木は力を籠《こ》めて試してみたが、老妓にひかれると滑り去って抓り止めていられなかった。鰻《うなぎ》の腹のような靱《つよ》い滑かさと、羊皮紙のような神秘な白い色とが、柚木の感覚にいつまでも残った。
「気持ちの悪い……。だが驚いたなあ」
 老妓は腕に指痕の血の気がさしたのを、縮緬《ちりめん》の襦袢《じゅばん》の袖で擦《こす》り散らしてから、腕を納めていった。
「小さいときから、打ったり叩《たた》かれたりして踊りで鍛えられたお蔭だよ」
 だが、彼女はその幼年時代の苦労を思い起して、暗澹《あんたん》とした顔つきになった。
「おまえさんは、この頃、どうかおしかえ」
 と老妓はしばらく柚木をじろじろ見ながらいった。
「いいえさ、勉強しろとか、早く成功しろとか、そんなことをいうんじゃないよ。まあ、魚にしたら、いきが悪くなったように思えるんだが、どうかね。自分のことだけだって考え剰《あま》っている筈の若い年頃の男が、年寄の女に向って年齢のことを気遣うのなども、もう皮肉に気持ちがこずんで来た証拠だね」
 柚木は洞察の鋭さに舌を巻きながら、正直に白状した。
「駄目だな、僕は、何も世の中にいろ気がなくなったよ。いや、ひょっとしたら始めからない生れつきだったかも知れない」
「そんなこともなかろうが、しかし、もしそうだったら困ったものだね。君は見違えるほど体など肥って来たようだがね」
 事実、柚木はもとよりいい体格の青年が、ふーっと膨《ふく》れるように脂肪がついて、坊ちゃんらしくなり、茶色の瞳の眼の上瞼《うわまぶた》の腫《は》れ具合や、顎《あご》が二重に括《くび》れて来たところに艶《つや》めいたいろさえつけていた。
「うん、体はとてもいい状態で、ただこうやっているだけで、とろとろしたいい気持ちで、よっぽど気を張り詰めていないと、気にかけなくちゃならないことも直ぐ忘れているんだ。それだけ、また、ふだん、いつも不安なのだよ。生れてこんなこと始めてだ」
「麦とろ[#「とろ」に傍点]の食べ過ぎかね」老妓は柚木がよく近所の麦飯ととろろ[#「とろろ」に傍点]を看板にしている店から、それを取寄せて食べるのを知っているものだから、こうまぜっかえしたが、すぐ真面目になり「そんなときは、何でもいいから苦労の種を見付けるんだね。苦労もほどほどの分量にゃ持ち合せているもんだよ」

 それから二三日経って、老妓は柚木を外出に誘った。連れにはみち子と老妓の家の抱えでない柚木の見知らぬ若い芸妓が二人いた。若い芸妓たちは、ちょっとした盛装をしていて、老妓に
「姐さん、今日はありがとう」と丁寧に礼を云った。
 老妓は柚木に
「今日は君の退屈の慰労会をするつもりで、これ等の芸妓たちにも、ちゃんと遠出の費用を払ってあるのだ」と云った。「だから、君は旦那になったつもりで、遠慮なく愉快をすればいい」
 なるほど、二人の若い芸妓たちは、よく働いた。竹屋の渡しを渡船に乗るときには年下の方が柚木に「おにいさん、ちょっと手を取って下さいな」と云った。そして船の中へ移るとき、わざとよろけて柚木の背を抱えるようにして掴《つかま》った。柚木の鼻に香油の匂いがして、胸の前に後|襟《えり》の赤い裏から肥った白い首がむっくり抜き出て、ぼんの窪《くぼ》の髪の生え際が、青く霞めるところまで、突きつけたように見せた。顔は少し横向きになっていたので、厚く白粉《おしろい》をつけて、白いエナメルほど照りを持つ頬から中高の鼻が彫刻のようにはっきり見えた。
 老妓は船の中の仕切りに腰かけていて、帯の間から煙草入れとライターを取出しかけながら
「いい景色だね」と云った。
 円タクに乗ったり、歩いたりして、一行は荒川放水路の水に近い初夏の景色を見て廻った。工場が殖え、会社の社宅が建ち並んだが、むかしの鐘《かね》ヶ|淵《ふち》や、綾瀬《あやせ》の面かげは石炭殻の地面の間に、ほんの切れ端になってところどころに残っていた。綾瀬川の名物の合歓《ねむ》の木は少しばかり残り、対岸の蘆洲《あしず》の上に船大工だけ今もいた。
「あたしが向島の寮に囲われていた時分、旦那がとても嫉妬家《やきもちやき》でね、この界隈《かいわい》から外へは決して出してくれない。それであたしはこの辺を散歩すると云って寮を出るし、男はまた鯉釣りに化けて、この土手下の合歓の並木の陰に船を繋《もや》って、そこでいまいうランデブウをしたものさね」
 夕方になって合歓の花がつぼみかかり、船大工の槌《つち》の音がいつの間にか消えると、青白い河|靄《もや》がうっすり漂う。
「私たちは一度心中の相談をしたことがあったのさ。なにしろ舷《ふなばた》一つ跨《また》げば事が済むことなのだから、ちょっと危かった」
「どうしてそれを思い止ったのか」と柚木はせまい船のなかをのしのし歩きながら訊いた。
「いつ死のうかと逢う度毎に相談しながら、のびのびになっているうちに、ある日川の向うに心中|態《てい》の土左衛門が流れて来たのだよ。人だかりの間から熟々《つくづく》眺めて来て男は云ったのさ。心中ってものも、あれはざま[#「ざま」に傍点]の悪いものだ。やめようって」
「あたしは死んでしまったら、この男にはよかろうが、あとに残る旦那が可哀想だという気がして来てね。どんな身の毛のよだつような男にしろ、嫉妬をあれほど妬《や》かれるとあとに心が残るものさ」
 若い芸妓たちは「姐さんの時代ののんきな話を聴いていると、私たちきょう日の働き方が熟々《つくづく》がつがつにおもえて、いやんなっちゃう」と云った。
 すると老妓は「いや、そうでないねえ」と手を振った。「この頃はこの頃でいいところがあるよ。それにこの頃は何でも話が手取り早くて、まるで電気のようでさ、そしていろいろの手があって面白いじゃないか」
 そういう言葉に執成《とりな》されたあとで、年下の芸妓を主に年上の芸妓が介添になって、頻《しき》りに艶《なま》めかしく柚木を取持った。
 みち子はというと何か非常に動揺させられているように見えた。
 はじめは軽蔑《けいべつ》した超然とした態度で、一人離れて、携帯のライカで景色など撮《うつ》していたが、にわかに柚木に慣れ慣れしくして、柚木の歓心を得ることにかけて、芸妓たちに勝越そうとする態度を露骨に見せたりした。
 そういう場合、未成熟《なま》の娘の心身から、利かん気を僅かに絞り出す、病鶏のささ身ほどの肉感的な匂いが、柚木には妙に感覚にこたえて、思わず肺の底へ息を吸わした。だが、それは刹那《せつな》的のものだった。心に打ち込むものはなかった。
 若い芸妓たちは、娘の挑戦を快くは思わなかったらしいが、大姐さんの養女のことではあり、自分達は職業的に来ているのだから、無理な骨折りを避けて、娘が努めるときは媚《こ》びを差控え、娘の手が緩むと、またサービスする。みち子にはそれが自分の菓子の上にたかる蠅《はえ》のようにうるさかった。
 何となくその不満の気持ちを晴らすらしく、みち子は老妓に当ったりした。
 老妓はすべてを大して気にかけず、悠々と土手でカナリヤの餌《え》のはこべを摘んだり菖蒲園《しょうぶえん》できぬかつぎを肴《さかな》にビールを飲んだりした。
 夕暮になって、一行が水神《すいじん》の八百松へ晩餐《ばんさん》をとりに入ろうとすると、みち子は、柚木をじろりと眺めて
「あたし、和食のごはんたくさん、一人で家に帰る」と云い出した。芸妓たちが驚いて、では送ろうというと、老妓は笑って
「自動車に乗せてやれば、何でもないよ」といって通りがかりの車を呼び止めた。
 自動車の後姿を見て老妓は云った。
「あの子も、おつな真似をすることを、ちょんぼり覚えたね」

 柚木にはだんだん老妓のすることが判らなくなった。むかしの男たちへの罪滅しのために若いものの世話でもして気を取直すつもりかと思っていたが、そうでもない。近頃この界隈《かいわい》に噂が立ちかけて来た、老妓の若い燕《つばめ》というそんな気配はもちろん、老妓は自分に対して現わさない。
 何で一人前の男をこんな放胆な飼い方をするのだろう。柚木は近頃工房へは少しも入らず、発明の工夫も断念した形になっている。そして、そのことを老妓はとくに知っている癖に、それに就《つ》いては一言も云わないだけに、いよいよパトロンの目的が疑われて来た。縁側に向いている硝子《ガラス》窓から、工房の中が見えるのを、なるべく眼を外らして、縁側に出て仰向けに寝転ぶ。夏近くなって庭の古木は青葉を一せいにつけ、池を埋めた渚《なぎさ》の残り石から、いちはつ[#「いちはつ」に傍点]やつつじの花が虻《あぶ》を呼んでいる。空は凝《こご》って青く澄み、大陸のような雲が少し雨気で色を濁しながらゆるゆる移って行く。隣の乾物《ほしもの》の陰に桐の花が咲いている。
 柚木は過去にいろいろの家に仕事のために出入りして、醤油樽の黴《かび》臭い戸棚の隅に首を突込んで窮屈な仕事をしたことや、主婦や女中に昼の煮物を分けて貰って弁当を使ったことや、その頃は嫌《いや》だった事が今ではむしろなつかしく想い出される。蒔田の狭い二階で、注文先からの設計の予算表を造っていると、子供が代る代る来て、頸《くび》筋が赤く腫《は》れるほど取りついた。小さい口から嘗《な》めかけの飴《あめ》玉を取出して、涎《よだれ》の糸をひいたまま自分の口に押し込んだりした。
 彼は自分は発明なんて大それたことより、普通の生活が欲しいのではないかと考え始めたりした。ふと、みち子のことが頭に上った。老妓は高いところから何も知らない顔をして、鷹揚《おうよう》に見ているが、実は出来ることなら自分をみち子の婿《むこ》にでもして、ゆくゆく老後の面倒でも見て貰おうとの腹であるのかも知れない。だがまたそうとばかり判断も仕切れない。あの気嵩《きがさ》な老妓がそんなしみったれた計画で、ひと[#「ひと」に傍点]に好意をするのではないことも判る。
 みち子を考える時、形式だけは十二分に整っていて、中身は実が入らずじまいになった娘、柚木はみなし茹《ゆ》で栗の水っぽくぺちゃぺちゃな中身を聯想《れんそう》して苦笑したが、この頃みち子が自分に憎《にくし》みのようなものや、反感を持ちながら、妙に粘って来る態度が心にとまった。
 彼女のこの頃の来方は気紛れでなく、一日か二日置き位な定期的なものになった。
 みち子は裏口から入って来た。彼女は茶の間の四畳半と工房が座敷の中に仕切って拵《こしら》えてある十二畳の客座敷との襖《ふすま》を開けると、そこの敷居の上に立った。片手を柱に凭《もた》せ体を少し捻《ひね》って嬌態を見せ、片手を拡げた袖の下に入れて、写真を撮《と》るときのようなポーズを作った。俯向《うつむ》き加減に眼を不機嫌らしく額越しに覗かして
「あたし来てよ」と云った。
 縁側に寝ている柚木はただ「うん」と云っただけだった。
 みち子はもう一度同じことを云って見たが、同じような返事だったので、本当に腹を立て
「何て不精たらしい返事なんだろう、もう二度と来てやらないから」と云った。
「仕様のない我儘《わがまま》娘だな」と云って、柚木は上体を起上らせつつ、足を胡座《あぐら》に組みながら
「ほほう、今日は日本髪か」とじろじろ眺めた。
「知らない」といって、みち子はくるりと後向きになって着物の背筋に拗《す》ねた線を作った。柚木は、華やかな帯の結び目の上はすぐ、突襟《つきえり》のうしろ口になり、頸の附根を真っ白く富士山形に覗かせて誇張した媚態《びたい》を示す物々しさに較べて、帯の下の腰つきから裾は、一本花のように急に削《そ》げていて味もそっけもない少女のままなのを異様に眺めながら、この娘が自分の妻になって、何事も自分に気を許し、何事も自分に頼りながら、小うるさく世話を焼く間柄になった場合を想像した。それでは自分の一生も案外小ぢんまりした平凡に規定されてしまう寂寞《せきばく》の感じはあったが、しかし、また何かそうなってみての上のことでなければ判らない不明な珍らしい未来の想像が、現在の自分の心情を牽《ひ》きつけた。
 柚木は額を小さく見せるまでたわわに前髪や鬢《びん》を張り出した中に整い過ぎたほど型通りの美しい娘に化粧したみち子の小さい顔に、もっと自分を夢中にさせる魅力を見出したくなった。
「もう一ぺんこっちを向いてご覧よ、とても似合うから」
 みち子は右肩を一つ揺ったが、すぐくるりと向き直って、ちょっと手を胸と鬢へやって掻《か》い繕った。「うるさいのね、さあ、これでいいの」彼女は柚木が本気に自分を見入っているのに満足しながら、薬玉《くすだま》の簪《かんざし》の垂れをピラピラさせて云った。
「ご馳走を持って来てやったのよ。当ててご覧なさい」
 柚木はこんな小娘に嬲《なぶ》られる甘さが自分に見透かされたのかと、心外に思いながら
「当てるの面倒臭い。持って来たのなら、早く出し給え」と云った。
 みち子は柚木の権柄《けんぺい》ずくにたちまち反抗心を起して「人が親切に持って来てやったのを、そんなに威張るのなら、もうやらないわよ」と横向きになった。
「出せ」と云って柚木は立上った。彼は自分でも、自分が今、しかかる素振りに驚きつつ、彼は権威者のように「出せと云ったら、出さないか」と体を嵩張らせて、のそのそとみち子に向って行った。
 自分の一生を小さい陥穽《かんせい》に嵌《は》め込んでしまう危険と、何か不明の牽引力の為めに、危険と判り切ったものへ好んで身を挺《てい》して行く絶体絶命の気持ちとが、生れて始めての極度の緊張感を彼から抽《ひ》き出した。自己|嫌悪《けんお》に打負かされまいと思って、彼の額から脂汗《あぶらあせ》がたらたらと流れた。
 みち子はその行動をまだ彼の冗談半分の権柄ずくの続きかと思って、ふざけて軽蔑《けいべつ》するように眺めていたが、だいぶ模様が違うので途中から急に恐ろしくなった。
 彼女はやや茶の間の方へ退《すさ》りながら
「誰が出すもんか」と小さく呟《つぶや》いていたが、柚木が彼女の眼を火の出るように見詰めながら、徐々に懐中から一つずつ手を出して彼女の肩にかけると、恐怖のあまり「あっ」と二度ほど小さく叫び、彼女の何の修装もない生地の顔が感情を露出して、眼鼻や口がばらばらに配置された。「出し給え」「早く出せ」その言葉の意味は空虚で、柚木の腕から太い戦慄《せんりつ》が伝って来た。柚木の大きい咽喉《のど》仏がゆっくり生唾を飲むのが感じられた。
 彼女は眼を裂けるように見開いて「ご免なさい」と泣声になって云ったが、柚木はまるで感電者のように、顔を痴呆にして、鈍く蒼《あお》ざめ、眼をもとのように据えたままただ戦慄だけをいよいよ激しく両手からみち子の体に伝えていた。
 みち子はついに何ものかを柚木から読み取った。普段「男は案外臆病なものだ」と養母の言った言葉がふと思い出された。
 立派な一人前の男が、そんなことで臆病と戦っているのかと思うと、彼女は柚木が人のよい大きい家畜のように可愛ゆく思えて来た。
 彼女はばらばらになった顔の道具をたちまちまとめて、愛嬌したたるような媚《こ》びの笑顔に造り直した。
「ばか、そんなにしないだって、ご馳走あげるわよ」
 柚木の額の汗を掌でしゅっ[#「しゅっ」に傍点]と払い捨ててやり
「こっちにあるから、いらっしゃいよ。さあね」
 ふと鳴って通った庭樹の青嵐を振返ってから、柚木のがっしりした腕を把《と》った。
 さみだれが煙るように降る夕方、老妓は傘をさして、玄関横の柴折戸《しおりど》から庭へ入って来た。渋い座敷着を着て、座敷へ上ってから、褄《つま》を下ろして坐った。
「お座敷の出がけだが、ちょっとあんたに云《い》っとくことがあるので寄ったんだがね」
 莨入《たばこい》れを出して、煙管《きせる》で煙草盆代りの西洋皿を引寄せて
「この頃、うちのみち子がしょっちゅう来るようだが、なに、それについて、とやかく云うんじゃないがね」
 若い者同志のことだから、もしやということも彼女は云った。
「そのもしやもだね」
 本当に性が合って、心の底から惚《ほ》れ合うというのなら、それは自分も大賛成なのである。
「けれども、もし、お互いが切れっぱしだけの惚れ合い方で、ただ何かの拍子で出来合うということでもあるなら、そんなことは世間にいくらもあるし、つまらない。必ずしもみち子を相手取るにも当るまい。私自身も永い一生そんなことばかりで苦労して来た。それなら何度やっても同じことなのだ」
 仕事であれ、男女の間柄であれ、混り気のない没頭した一途《いちず》な姿を見たいと思う。
 私はそういうものを身近に見て、素直に死にたいと思う。
「何も急いだり、焦《あせ》ったりすることはいらないから、仕事なり恋なり、無駄をせず、一揆《いっき》で心残りないものを射止めて欲しい」と云った。
 柚木は「そんな純粋なことは今どき出来もしなけりゃ、在るものでもない」と磊落《らいらく》に笑った。老妓も笑って
「いつの時代だって、心懸けなきゃ滅多にないさ。だから、ゆっくり構えて、まあ、好きなら麦とろでも食べて、運の籤《くじ》の性質をよく見定めなさいというのさ。幸い体がいいからね。根気も続きそうだ」
 車が迎えに来て、老妓は出て行った。

 柚木はその晩ふらふらと旅に出た。
 老妓の意志はかなり判って来た。それは彼女に出来なかったことを自分にさせようとしているのだ。しかし、彼女が彼女に出来なくて自分にさせようとしていることなぞは、彼女とて自分とて、またいかに運の籤のよきものを抽《ひ》いた人間とて、現実では出来ない相談のものなのではあるまいか。現実というものは、切れ端は与えるが、全部はいつも眼の前にちらつかせて次々と人間を釣って行くものではなかろうか。
 自分はいつでも、そのことについては諦《あきら》めることが出来る。しかし彼女は諦めということを知らない。その点彼女に不敏なところがあるようだ。だがある場合には不敏なものの方に強味がある。
 たいへんな老女がいたものだ、と柚木は驚いた。何だか甲羅を経て化けかかっているようにも思われた。悲壮な感じにも衝《う》たれたが、また、自分が無謀なその企てに捲《ま》き込まれる嫌な気持ちもあった。出来ることなら老女が自分を乗せかけている果しも知らぬエスカレーターから免れて、つんもりした手製の羽根蒲団のような生活の中に潜《もぐ》り込みたいものだと思った。彼はそういう考えを裁くために、東京から汽車で二時間ほどで行ける海岸の旅館へ来た。そこは蒔田の兄が経営している旅館で、蒔田に頼まれて電気装置を見廻りに来てやったことがある。広い海を控え雲の往来の絶え間ない山があった。こういう自然の間に静思して考えを纏《まと》めようということなど、彼には今までについぞなかったことだ。
 体のよいためか、ここへ来ると、新鮮な魚はうまく、潮を浴びることは快かった。しきりに哄笑《こうしょう》が内部から湧き上って来た。
 第一にそういう無限な憧憬にひかれている老女がそれを意識しないで、刻々のちまちました生活をしているのがおかしかった。それからある種の動物は、ただその周囲の地上に圏の筋をひかれただけで、それを越し得ないというそれのように、柚木はここへ来ても老妓の雰囲気から脱し得られない自分がおかしかった。その中に籠《こ》められているときは重苦しく退屈だが、離れるとなると寂しくなる。それ故に、自然と探し出して貰いたい底心の上に、判り易い旅先を選んで脱走の形式を採っている自分の現状がおかしかった。
 みち子との関係もおかしかった。何が何やら判らないで、一度稲妻のように掠《かす》れ合った。
 滞在一週間ほどすると、電気器具店の蒔田が、老妓から頼まれて、金を持って迎えに来た。蒔田は「面白くないこともあるだろう。早く収入の道を講じて独立するんだね」と云った。
 柚木は連れられて帰った。しかし、彼はこの後、たびたび出奔癖がついた。

「おっかさんまた柚木さんが逃げ出してよ」
 運動服を着た養女のみち子が、蔵の入口に立ってそう云った。自分の感情はそっちのけに、養母が動揺するのを気味よしとする皮肉なところがあった。「ゆんべもおとといの晩も自分の家へ帰って来ませんとさ」
 新日本音楽の先生の帰ったあと、稽古場にしている土蔵の中の畳敷の小ぢんまりした部屋になおひとり残って、復習《さらい》直しをしていた老妓は、三味線をすぐ下に置くと、内心|口惜《くや》しさが漲《みなぎ》りかけるのを気にも見せず、けろりとした顔を養女に向けた。
「あの男。また、お決まりの癖が出たね」
 長煙管《ながぎせる》で煙草を一ぷく喫《す》って、左の手で袖口を掴《つか》み展《ひら》き、着ている大島の男縞が似合うか似合わないか検《ため》してみる様子をしたのち
「うっちゃってお置き、そうそうはこっちも甘くなってはいられないんだから」
 そして膝の灰をぽんぽんぽんと叩いて、楽譜をゆっくりしまいかけた。いきり立ちでもするかと思った期待を外された養母の態度にみち子はつまらないという顔をして、ラケットを持って近所のコートへ出かけて行った。すぐそのあとで老妓は電気器具屋に電話をかけ、いつもの通り蒔田に柚木の探索を依頼した。遠慮のない相手に向って放つその声には自分が世話をしている青年の手前勝手を詰《なじ》る激しい鋭さが、発声口から聴話器を握っている自分の手に伝わるまでに響いたが、彼女の心の中は不安な脅えがやや情緒的に醗酵《はっこう》して寂しさの微醺《ほろよい》のようなものになって、精神を活溌にしていた。電話器から離れると彼女は
「やっぱり若い者は元気があるね。そうなくちゃ」呟《つぶや》きながら眼がしらにちょっと袖口を当てた。彼女は柚木が逃げる度に、柚木に尊敬の念を持って来た。だがまた彼女は、柚木がもし帰って来なくなったらと想像すると、毎度のことながら取り返しのつかない気がするのである。
 真夏の頃、すでに某女に紹介して俳句を習っている筈の老妓からこの物語の作者に珍らしく、和歌の添削の詠草が届いた。作者はそのとき偶然老妓が以前、和歌の指導の礼に作者に拵《こしら》えてくれた中庭の池の噴水を眺める縁側で食後の涼を納《い》れていたので、そこで取次ぎから詠草を受取って、池の水音を聴きながら、非常な好奇心をもって久しぶりの老妓の詠草を調べてみた。その中に最近の老妓の心境が窺《うかが》える一首があるので紹介する。もっとも原作に多少の改削を加えたのは、師弟の作法というより、読む人への意味の疏通《そつう》をより良くするために外ならない。それは僅に修辞上の箇所にとどまって、内容は原作を傷《きずつ》けないことを保証する。
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年々にわが悲しみは深くして
  いよよ華やぐいのちなりけり
[#ここで字下げ終わり]

底本:「老妓抄」新潮文庫、新潮社
   1950(昭和25)年4月30日発行
   1968(昭和43)年3月20日17刷改版
   1998(平成10)年1月15日52刷
入力:佐藤律子
校正:大野晋
1999年5月5日公開
2005年9月27日修正
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岡本かの子

恋愛といふもの—– 岡本かの子

 恋愛は詩、ロマンチツクな詩、しかも決して非現実的な詩ではないのであります。恋愛にも種々あります、幼時の初恋、青年期中年期の恋、その何れもが大部分自分の意識する処は、詩的感激、ロマンチツクな精神慾ではありますが、意識無意識にかゝはらず、その底には厳として、肉体的意慾が横はり、それが流露を遂げさせんとの自然の意志が実に緊密に加勢せられてあります。ゆゑに、恋愛に於いて当事者の意識する処は大部分ロマンチツクな詩的な精神的部分でありながら、実は人類の根本義に深く根ざし最も確実な現実性を有する最も現実的人生行路のところどころに置かれたる詩篇なのであります。
 さて、私はすでに、恋愛の根底に、厳として性慾の横はれるを云ひました。では、恋愛の一分野たる精神意慾、ロマンチツクな詩的感激は必ず肉体慾にのみ支配されてあるべきものであらうか、否、その見解もまた当つたものではない、結局は霊肉一致、それをくりかへして云ふならば、最もロマンチツクなしかも最も現実に即した人生行路の途上に於ける詩篇なのであります。
 また、一見解よりすれば、恋愛はその当事者にのみ恵まれたる性慾の撰択権なのであります。恋愛が一定の対者を追及するのは、とりもなほさずその時期に於ける性慾撰択権内に於ける一つの事業であります。撰択慾を賞揚し追及性を讃美する見地よりすれば、恋愛も一種の人間至上性の発露であります。
 しかし斯う云ひ去り書き終つたならば、非常に簡単な恋愛解釈をもつて尽きることになりますが、以上は根本の概括を一粒子に搾縮した言論の具象に過ぎません。この根本よりして幾多の複雑、異端、多種、多様の実例が生ずるのであります。
 幾多の生きたる実例、または、歴史的の例証は、もはや筆者を俟たれずとも読者諸氏に於いて充分知悉せらるるを信じます。筆者も今年初夏頃の某誌にもはや充分意を尽したつもりの恋愛論を発表しました故、論筆として諸氏に見える余裕のものを多く持ちません。或ひは諸氏にとつて常凡市井の一例ならんも筆者が最近逢遭した或る恋愛者心理を掲げてこの稿をふさぐことにいたします。

 男と女の恋が成り立つてから半年程のちでした。男が朝鮮へ行かなければならなくなりましたのは、男女の哀別離苦の情、目もあてられぬほどのものでありました。しかし、その悲哀にも男女おのづからの差はありました。
 男は、女が男の遠く去つたあとの寂寞、男が遠隔の地で長の月日(男は三ヶ年行つて居なければなりませんでした。)を過す間に、自分に対する恋の心がうすらいで、他に心を移すやうな場合さへ想像しての純粋な慟哭であるのにくらべて、男は、女の純粋な貞操にふかくたのむ処を持ち、ましてその朝鮮行は、男女周囲の圧迫による止むなき結果ではありましたが、男の事業慾の発露の一端にその朝鮮行はふれて居たものでありましたから悲哀のなかにも一縷の希望を持つて居た処に、男の悲哀は女に較べてその程度の差異はかなりあつたかもしれません。
 しかしとにかく二人ははたで見る目も無惨な哀別離苦のかぎりをつくし、かたく再会を約して別れました。
 三年は経過しました。
 男は無事、かなりな貯金と、事業の端緒を得て女を迎へに日本の東京へかへりました。
 諸氏は男が女の許へ帰るが否や、どんなにか二人の間に劇的な、再会のよろこびが叙されたかを想像することでせう。
 しかし、決して、それは大変な予想違ひでありました。これは、当事者の男女に於ても殆んどその瞬間まで、夢にも想像し得られなかつた事実だつたさうです。否な当事者はまして読者諸氏にいかほどか優つた二人の激越が徐々にそのクライマックスに近づきつつあるのを感得しつつ、久々の対面の機を待ちかまへて居たか知れませんでした。
 三年ぶりの対面の夜――その時間が来ました。
 或る旅館の一室。
 女が先へ行つて待つて居たのでした。
 男が這入つて来ました。
 女は男の顔を見て、小声乍らあつと叫んで男の方へ立ちそびれました
 男も女の顔を見て、あつと同時に同じやうに云ひました。そして女に近づかうとしたばかりで立ちどまりました。
 敵! と男の顔を見た女は即座に感じました。三年の間、待ち焦れ、恋ひ慕ひ、あらゆる寂寞と閨怨とによつて刺戟しつくした揚句、今また息も詰るやうな歓喜の圧迫によつてこの自分を苦しめさいなまんとする、敵よ! 退け。これが女の感じた本当の所でした。
 男は、さうした女の気持ちの反映を直ぐに直覚しました、と同時に三年前の自分の記憶に残つて居た女とは似もつかぬ、やつれて老いた女の俤を一目見て、あらゆる歓喜と期待の心が打ち破られました。自分の為め、自分を恋ひ慕ふの情にさいなまれたその結果、斯うやつれ果てたといふ憐憫の意識は、直ぐその後に頭に登つては来ましたが、いぢわるく一瞥の時の悪感につきまとはれてどうすることも出来ませんでした。
 他に一分も心を寄せ合はなかつた相愛の男女が、三年目の再会後、間もなく永遠の破綻を来らしめました。
[#ここで字下げ終わり]

 この一例など至極不思議のやうでもあり、またつい平凡なやうにも考へられます。
 恋といふものを尊重すべきものか通常視すべきものか私にも分らなくなりました。始めの書き出しにはロマンチツクなしかも現実に即した人生行路の処々に置かれてある、眼に見ましく手にとらまほしき一篇の詩のやうには書き出しはしましたが…………。

底本:「日本の名随筆29 恋」作品社
   1985(昭和60)年3月25日第1刷発行
   1991(平成3)年10月20日第16刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:渡邉つよし
校正:菅野朋子
2000年7月11日公開
2005年6月24日修正
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岡本かの子

明暗—– 岡本かの子

 智子が、盲目の青年北田三木雄に嫁いだことは、親戚や友人たちを驚かした。
「ああいう能力に自信のある女はえて[#「えて」に傍点]物好きなことをするものだ」
「男女の親和力というものは別ですわ。夫婦になるのは美学のためじゃあるまいし」
 批評まちまちであった。
 智子は、今から五年まえに高等女学校を卒業した。兄の道太郎と共に早く両親を喪《うしな》った彼女は、卒業後も、しばらく家で唯一の女手として兄の面倒を見ていた。去年の暮、兄は鈴子という智子とは同じ女学校の下級生を妻に迎えたので、どうやら今度は自分の結婚の番になった。
 嫂《あによめ》の鈴子の兄は豊雄といって、×大出の若手の医者である。智子と新しく親戚関係になったこの青年紳士は、目的あって、せっせと智子と交際し出した。そして誰が見ても、二人は好配偶だった。殆《ほとん》ど同時に仲人を介して結婚を申し込んでいる智子の家と同じ地主仲間の北田家の当主三木雄は盲目青年の上、教育もなし、まるで周囲の問題にされていなかった。
 智子も始は、若年の医者豊雄に好感を持っていた。濶達《かったつ》明朗で、智識と趣味も豊かに人生の足取りを爽《さわや》かに運んで行く、この青年紳士は、結婚して共に暮して行くのに華々しく楽しそうだった。しかし彼が持っている円滑で自在な魂は、かならずしも、人生の伴侶《はんりょ》として特に自分を指名する切実性を持つ魂とは受取れなくなった。美人で才能ある女なら誰でもよさそうだった。ひょっとすると、彼の通俗な魂は勢逞《いさ》ましいだけに、智子が自分の大切にしている一つの性情を、幸福の形で圧し潰《つぶ》してしまいそうに思われた。
 それに引きかえ、同じ姻戚《いんせき》の盲目青年北田三木雄の頼りなく無垢《むく》なこころは姿に現れていて、ある日智子は絶えて久しい武蔵野の北田家を訪ねて、殆ど初対面のような三木雄を一目見て、すぐ、運命に対する清らかな忿懣《ふんまん》を感じ、女性のいのちの底からいじらしさをゆり動かされるのを感じた。抛《ほう》っては置けない情熱を感じた。「この青年を相手なら、自分は女の力を精一ぱい出し切れそうだ」とさえ思った。智子の盲目の夫は北田家の一人息子で、既に両親も早逝して、多額の遺産と三木雄の後見は叔父の未亡人に世話されていた。
「あら好いお天気」
 障子《しょうじ》をあけると智子は久しぶりに何の防禦もない娘々した声を立てて仕舞った。だが、直ぐにはっとして後に坐っている夫の三木雄を振り返った。初夏の朝の張りのある陽の光が庭端から胸先上りの丘の斜面に照りつけている。斜面の肌の青草の間に整列している赤松の幹に陽光が反射して、あたりはいや明るみに明るんでいる。その明るみの反映は二人の坐っている屋内にまで射して来た。
「蝉《せみ》が啼き始めるかも知れないわ、今日あたりから」
 智子は再び夫の方を振り向いて見た。夫はまだ何も云わなかった。「好いお天気」の聯想、「蝉」の想像も盲目の自分にはつかないのに妻はまたひとりで燥《はしゃ》いでいるとでも思っているのではなかろうか。三木雄は真直ぐに首は立てているが丘の斜面にめん[#「めん」に傍点]と向けた顔には青白い憂愁の色が掛っている。だが、何というきめの繊い――つまり内部から分泌する世俗的な慾望が現世のそれに適合するものと一度もその上で接触し合ったことのない浄らかな夫の顔の皮膚である。「坐るときには一番こうしているのが姿勢を保ち易いものよ」と智子が教えたとおりをそのまま、三木雄はやや荒い紬絣《つむぎかすり》の単衣《ひとえ》の前をきちんと揃《そろ》えて坐った膝の上に両手を揃えてかしこ[#「かしこ」に傍点]まっている。律義に組み合せた手の片一方に細く光る結婚指輪も、智子自身が新婚旅行のホテルの一室で、旅鞄から取り出して三木雄の指につけてやったものである。
「そうそう、蝉のこと今、私が云いましたわね。蝉の形、また、粘土で造らせて上げますわね」
 ここまで云うと三木雄は輪廓の大きな黒眼鏡の上にまで延びた眉毛を一層広々延べ、まだいくらか残っている子供らしい声音を交ぜて、「ああ」と返事をした。けれど、それも以前程はっきりした歓喜の表現ではなくなっていた。蝉の形、蛇の形、蛙の形、猿の形、犬の形……これは盲目の夫の眼に見えぬ世界の生き物を拡大して粘土やセルロイドで造らせ、夫の触覚に試しては、妻智子の楽しみともするのであった。

 今年の二月三木雄と結婚した智子はあれ程ヒロイックな覚悟と感動とを持って三木雄との生活にはいったのであるけれど、いよいよ夫となり妻となった生活には其処《そこ》に盲の夫の暗黒の世界と妻の開明な世界との差が直ぐ生じて、それはむしろ智子の方へ余計積極的な苦労となったのである。夫は新しい妻の世界に手頼《たよ》っていればまず好かった。妻はしかし、未知な夫の盲目の世界にまで探り入らねばならなかった。
 三木雄は、その生理作用にも依るものか、性質もぐっと内向的で、その焦点に可成り鬱屈した熱情を潜めていた。そして智識慾も、探求心も相当激しいにも拘《かかわ》らず、今まで余り開拓されず、無教養のままに打ち捨てられていたのに智子は驚いた。結婚前智子は二三度武蔵野の大地主であった三木雄の父の遺した田舎の邸宅へ三木雄を訪れ、其処に後見やら家政婦やらを兼ねていた中老の叔母からもよくもてなされ、その叔母さんの淡泊な性質はむしろ好んで来たのであるが、三木雄の教養に対する叔母さんの無頓着さには呆《あき》れて聊《いささ》か腹立たしくさえ感じた。或時、叔母さんに智子はそれとなく詰《なじ》った。すると叔母さんは例の男のような淡泊笑いをした。
「でも智さん、三木ちゃんには財産がどっさりあるものな、なまじっかお盲目《めくら》さんの物識りになんかさせないでね、ぼんやり長生きさせたいからな。何にも三木ちゃんは知らなくっても千年万年喰べはぐれはないからね」

 新婚旅行に三木雄と智子は熱海へ行った。三木雄はまだ白梅が白いということや、その時咲き盛っていた椿の花というものが、紅いのか黒いのかさえよくわきまえていなかったのに智子はまず驚いた。誰も、この暗黒の処女地へ足を踏み入れた者はなかったのである。この処女地もまた暗黒の世界をそのままに黙ってかたく外界との境界線を閉していたのかも知れなかった。
 結婚は、異性の愛は、妻を得た歓喜は、一時に三木雄の知性までを、青春の熱情と共に目醒めさせたものであろうか。しかも、三木雄の智性や熱情は如何《いか》にも品格と密度を備えていた。智子の最初の片輪に対する同情は追い追い三木雄への尊敬と変り、三木雄の暗黒世界を開拓する苦労を智子は悦楽にさえ感じて来た。

 海は蒼く、空も、そして梅は白く、椿は紅い。
 まず、熱海でこれを智子は一心に三木雄に教えた。

   海は蒼く空も
   そして梅は白く
   椿、くれない

 三木雄は詩のような口調でそれを繰り返すようになった。
 武蔵野へ帰って来てから二月の末に大雪が降った。「積雪|皓々《こうこう》とは雪が真白くということなの、雪はただ白いのよ、そら熱海の梅とおんなじに白いのよ、けど積るとそれが白いままに光るのよ。」
 白いいろ、白いものはただ無限。白ばら、白百合《しらゆり》、白壁、白鳥。紅いものには紅百合、紅ばら、紅珊瑚《べにさんご》、紅焔、紅茸、紅|生姜《しょうが》――青い青葉、青い虫、黄いろい菜の花、山吹の花。
 こう愛情で心身の撫育を添え労《いたわ》りながら、智子の教え込む色別を三木雄は言葉の上では驚くべき速度で覚えて行った。そればかりでなく、三木雄は次ぎの未知の世界への好奇心から、子供が菓子をでもねだるように智子の教唆をねだり続けるのであった。智子は、そういう性格の表れに、三木雄の執拗な方面をも知り得るのであった。生後二十余年間未開のままで蓄積されていた三木雄の生命の精力が視覚を密閉された狭い放路から今や滾々《こんこん》として溢れ出て来るのを感じた。それはまた時として、夫として、男性としての三木雄が妻として女性としての智子に注がれる濃情ともなり、時には、一種の盲目の片意地となっても表われて智子に頼母《たのも》しくも暗い思いをさせるのであった。
 大たい晩春もずっと詰まる頃までの二人の生活は前へ前へと進んで行く好奇心や驚異やそれらのものが三木雄によって感じ出される卒先なものであるにしても妻の智子にとってもスムーズな生活の進行体であった。それには若き二人の愛恋の情も甘く和やかに時には激しく急しく伴奏した。
 だが智子は近頃少しずつ夫の内部に変調のきざしたのを知らなければならなくなった。あるよく晴れ渡った晩春の午後、智子はその日出来上って来た新調の洋服を三木雄に着せて裏の丘続きからちょっと武蔵野の遊覧地になっている地帯に出た。その道は智子と度々《たびたび》散歩しつけているので三木雄は智子が傍で具合すれば杖《つえ》で上手に道を探って、ステッキをあしらって歩く眼明きの紳士風に、割り合いに軽快に歩けた。長身痩躯、漆黒な髪をオールバックにした三木雄は立派な一個の美青年だった。眼鏡の下の三木雄の眼はその病症が緑内障《くろそこひ》であるせいか眼鏡の下に一寸見には生き生きと開いた眼に見えた。行き逢う人達の何人が、三木雄を盲青年と見たであろうか、
「あなたね。行き合う人がみんなあなたを見返るのよ。」
「…………」
「あなたのお洋服が好くお体に似合うからよ」
「…………」
 三木雄は今までよりも杖を急にせわしく突き初めた。歩調が高まって余計さっさと歩き出した。智子はこの頃少しずつ気むずかしくなった三木雄のことを考えて素直に黙ってついて行った。
 ある丘のなぞえの日当りに来ると三木雄は停ちどまった。
「智子、僕そんなにおかしく見えるか。」
「何云っていらっしゃるの、あなたは、めったにない程お立派ですわ」
「何故人が見る」
「あら先刻私が云ったこと間違ってとってらっしゃるの、何も皮肉じゃないのよ。本当にお立派だから人が振り返るのよ。私、実に好い服地と服屋をあなたに見つけたと思って自慢しようと思って云ったのよ」
「…………」
 三木雄はうなだれた。杖の先が金具ごとぐっと砂交りの赫土にめり込んだ。
「あなたはこの頃少し、ひがみっぽくなってらしったわ……ま、とにかく茲《ここ》へ坐りましょうよ。休みながらお話しましょう」
 智子はやや呆《ほお》けた茅花《つばな》の穂を二三本手でなびけて、その上に大形の白ハンカチを敷いた。そして自分は傍の蓬《よもぎ》の若葉の密生した上へ蹲《うずくま》った。
「恰好《かっこう》が好いとか悪いとか云ったって僕には自分の恰好さえ見えないんだもの」
 三木雄はまだ停っている。智子はもう一ぺん背延びして思い切って三木雄の手を捉えた。
「さ、触ってごらんなさい。あなたのお体がどんなに均整のとれた立派な恰好だか判りますわ。序《ついで》に私のも……智子も今日は青いクレープデシンの服に黄色い春の外套だわ」
 三木雄は、少し顔を赫めながら智子の持ち添える通り手を遣って自分の体や智子の体の恰好にあらんかぎりの触覚を働かせて行った。
「ね、あなたも智子も素晴らしいんだわ、画や彫刻のモデルにされたって素晴らしいんだわ」
「うん、うん」
 目が粗らくて触りの柔い上等のウーステッドの服地から智子の皮膚の一部分へ滑って来た夫の手を智子は一層強く握って一瞬ほっと嬉びに赫らんで行く夫の顔色を視つめたけれど、今度は何故か智子自身がすこし悲しく飽き足りない思いがした。「夫に引きいれられてはいけない」智子は内心きっとなった。そして自分はどこ迄もこの盲青年の暗黒世界を照らす唯一の旗印でなくてはならないものをと気を取り直した。

「このすみれの色が紫だってことはもうすっかり僕に判ってるんだよ。だけど僕の知り度《た》いのは紫ってどんな色か……そればかりではないんだよ。僕は君と結婚したてには夢中で、白だの紅だの青だの黄だのって色彩の名を教わって覚えたろう。だけど、実際はその白や紅や青や黄やが、どんないろ[#「いろ」に傍点]だか判ってやしなかったんだよ」
 三木雄の始の口調は如何にも智子を詰るようだったが中途から思い返したらしく淋しい微笑を口元に泛《うか》べながら云った。
 珍らしく初夏近くまで裏の木戸傍に咲き残っていた菫《すみれ》の一束を摘んだ夜、智子は食後の夫の少しほてったような掌にその一摘みのすみれの花を載せてやった。その紫のいろが、またしても夫の憂いの種になろうとは思わなかった。
 智子はふとアンドレ・ジイド作の田園の交響楽の一節を思い出した。
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盲目少女ジェルトリウド「でも白、白は何に似ているかあたしには分りませんわ」
聞かれた牧師「……白はね、すべての音が一緒になって昂まったその最高音さ、恰度《ちょうど》、黒が暗さの極限であるように……」
[#ここで字下げ終わり]
がこれではジェルトリウドが納得出来ないと同じように自分にも満足が行かなかった。
 智子はこれと同じ場合に置かれている自分を知ってはらはらと涙を流した。
「今にだんだんだんだん色々なこと分るようにして上げますわ」
 智子は心に絶望に近いものを感じながら、こんなお座なりを云ったことが肌寒いように感じられて夫の方を今更ながら振り返った。悲しみをじっと堪えるように体を固くしている夫の姿が火の下で半身空虚の世界を覗いている様に見えた。
 智子は、だんだん眼開きの世界の現象を夫に語るのを遠慮し始めた。夫は其処から始めのうちの歓喜とは反対に追々焦燥と悩みをばかり受け取るようになった。鳥や虫や花の模型を土で拡大して造らせることも控え勝ちになった。夫は仕舞いには撫《な》でて見るその虫の這う処、その鳥類の飛躍する様子――もっと困ったことにはふだん按撫によってばかり知っている愛する智子の姿勢の歩行する動作までがはっきり見度い念願に駆られて来た。
 智子は危機の来たのを感じた。智識を与えるほどその体験が無いために疑いや僻《ひがみ》を増して来る。闇に住む人間と明るみに住む人間との矛盾と反撥、そしてその矛盾や反撥には愛という粘り強い糸が縦横に絡《から》んでいるだけに一層仕末が悪いことである。智子はこういうときにこそ夫婦情死というものが起るのだろうと思ってますます肌寒い思いがした。

 智子が必死の思案の果てに思極めたことは――智子がなまじ自分の智能を過信して夫を眼開きの世界へ連れて来ようとした無理を撤回《てっかい》することだった。夫を本来の盲目の国に返し自分は眼開きの国に生きて周囲から守ること――つまり盲人本来の性能に適する触覚か聴覚の世界へ夫を突き進ませて其処から改めて人生の意義も歓喜も受け取らせる事であった。

 梅の樹に梅の花咲くことわりをまことに知るはたはやすからず(岡本かの子詠)
 十何年後琴曲界の一方の大家として名を成した北田三木雄の妻智子は昔から盲人が琴曲界に名を成したりするのをあまり単純な道のように考えていた自分を振り返って恥じる日があった。誰もがいつの間にか行く常道、その平凡こそなまじ一個人の計《はから》いより何程かまさった真理を包含しているものなのだろうということを自分自身に感得した智子であった。

底本:「岡本かの子全集3」ちくま文庫、筑摩書房
   1993(平成5)年6月24日第1刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集 第二卷」冬樹社
   1974(昭和49)年6月30日初版第1刷
初出:「むらさき」
   1937(昭和12)年1月号
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2010年1月25日作成
青空文庫作成ファイル:
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岡本かの子

娘—– 岡本かの子

 パンを焼く匂いで室子《むろこ》は眼が醒めた。室子はそれほど一晩のうちに空腹になっていた。
 腹部の頼りなさが擽《くすぐ》られるようである。くく、くく、という笑いが、鳩尾《みずおち》から頸を上って鼻へ来る。それが逆に空腹に響くとまたおかしい。くく、くく、という笑いが止め度もなく起る。室子は、自分ながら、どうしたことかと下唇を痛いほど噛んで笑いを止め、五尺三寸の娘の身体を、寝床から軽く滑り下ろした。
 日本橋、通四丁目の鼈甲《べっこう》屋鼈長の一人娘で、スカールの選手室子は、この頃また、隅田川岸の橋場の寮に来ていた。
 窓のカーテンを開ける。
 水と花が、一度に眼に映る。隅田川は、いま上げ汐《しお》である。それがほぼ八分の満潮であることは「スカールの漕ぎ手」室子には一眼で判る。
 対岸の隅田公園の桜は、若木ながら咲き誇っている。室子が、毎年見る墨水の春ではあるが、今年はまた、鮮かだと思う。
 今戸橋、東詰の空の霞《かすみ》の中へ、玉子の黄身をこめたような朝日が、これから燃えようとして、まだ、くぐも[#「くぐも」に傍点]っている。その光線が流れを染めた加減か、岸近い水にちろちろ影を浸《ひた》す桜のいろが、河底の奥深いところに在るように見える。
 黄|薔薇《ばら》色に一|幅《ぷく》曳《ひ》いている中流の水靄《みずもや》の中を、鐘ヶ淵へ石炭を運ぶ汽艇附の曳舟が鼓動の音を立てて行く。鴎《かもめ》の群が、むやみに上流へ押しあげられては、飛び揚《あが》って汐上げの下流へ移る。それを何度も繰返している。
 室子は頬を撫《な》でても、胸の皮膚を撫でても、小麦いろの肌の上へ、うすい脂《あぶら》が、グリスリンのように滲み出ているのを、掌で知り、たった一夜の中にも、こんなに肉体の新陳代謝の激しい自分を、まるで海驢《あしか》のようだと思った。(事実海驢はそういう生理の動物かどうか知らなかったけれど)室子は、シュミーズを脱いで、それで身体を拭い捨て、頭を振って、髪の纏《もつ》れを振り放ち乍《なが》ら、今朝の空腹の原因を突き止めた。
 いくら上品にするといっても、昨夜の結婚披露会のあの食事は、少し滑稽だ。皿には、デコレーションの嵩《かさ》ばかりで、実になるものは極《ご》くすくない。室子は、それに遺憾の気持ちが多かったため、かなり沢山《たくさん》招かれた花嫁の友人の皆が既婚者であり、自分一人が独身であったということさえ、あまり気にならなかった。却《かえ》って傍の者達が、室子一人の独身であることを意識してかかっている様子を見せたり、おしゃまな級友は、口に出して遠廻しに、あまり相手を選み過ぎるからだなどと非難した。だが室子は、そういう人事の刺戟《しげき》は、自分の張り切った肉体の表面だけで滑って仕舞って、心に跡を残さないのを知っている。
 玄関の方に自動車の止る音がして、やがて階段の下で、義弟に当る七つの蓑吉《みのきち》の声がする。
「姉ちゃん、お見舞いに来たよ。おもちゃ持って来てやったぞ」
「いま、階下へ降りて行きます、上って来ないでよ――」
 室子は、急いで降りて、蓑吉が階段へ一足かけているのを追い戻して、一緒に階下の座敷へ伴《つ》れて行った。
 湯殿で身体と顔を洗って来て見ると、蓑吉は座敷のまん中へ、女中にほぐして貰《もら》った包みから、沢山のおもちゃを取出して並べている。
 郊外にいる室子の父の妾《めかけ》の子であり乍ら、しじゅう、通油町の本宅の家の子として引取られている蓑吉は、折を見つけては姉のいるこの橋場の寮へ遊びに来|度《た》がっている。室子が此間じゅう、一寸《ちょっと》風邪をひいたと昨日|言伝《ことづ》けたのを口実に、蓑吉は早速母親にせがんで、見舞いに来さして貰ったのだった。
 室子は縁側の籐椅子で、女中を相手に、朝飯を喰べながら
「蓑ちゃんは可笑《おか》しい。姉ちゃんはもう、とっくに風邪なおって起きちまってるのに見舞いに来るなんて」
「でも、来てやったんだい」
 蓑吉は、こまごましたおもちゃを並べるのに余念が無い。
「それ、姉ちゃんのお見舞いに呉れたのね、自分で買って来たの」
「ああ」
「それを買うおあし、お母さんにいくら貰ったの」
「二円だい」
 女中がきゅうきゅう笑った。
「済まないわね、そんなに沢山蓑ちゃんから頂いちゃ」
 室子は、とぼけた声で、云って見せた。
 すると蓑吉は、欲望を割引しなければならない切ない苦痛で顔が真赤になり、物事を決断し兼ねるときのこの子の癖のしきりにもどかしそうに両手で脇腹を掻く仕草をしたあと、意気地の無い声を出した。
「姉ちゃんにみんな遣《や》んの嫌だあ」
 それから蓑吉は人を賺《すか》すときの声を作って
「姉ちゃん、これ、いっち好いの、ひとつあげる」
 セルロイドのちっぽけなお酌《しゃく》人形だった。
「あら、驚いた。あと、みんな、あんたのに取っちゃうの」
 室子はわざと驚いた風をすると、女中がまたきゅうきゅうと笑う。蓑吉はもう大胆に取り澄して、分取ったおもちゃを並べるのに余念ない風をしている。
 室子の父の妾の子である蓑吉は、乳離れするころ、郊外の妾の家から通油町の本宅へ引取られた。蓑吉は、実母である妾のお咲が時折実家へ来て「坊ちゃん」と云って自分に侍《かしず》いても、実母とはうすうす知っていながら別に何とも無い顔をしている。用をして貰うときには、室子の父母が呼ぶように、実母を「お咲、お咲」と平気で呼びつけにする。それで実母も何ともない性質の女で、はいはいと気さくに用事を足している。
 室子は、案外その人情離れのしている母子風景が好きだった。
 霙《みぞれ》で、電燈の灯もうるむかと思われるような暗鬱な冬の夕暮であった。蓑吉は本宅の茶の間の炬燵《こたつ》へちょこなんと這入《はい》って、しきりに戦争の絵本かなにかに見|耽《ふけ》っている。お咲が下町へ買物に来た序《ついで》だと云って見廻って来た。みやげの菓子袋を前に置いていつもの通り蓑吉の小さい耳のほとりで挨拶した。本に気を取られている蓑吉はお咲に見向きもしないでそのまま本に気をとられている様子だった。だが、室子の母親が出て来て、も一度、菓子袋をお咲がその方へ「粗末なおみやげ」と云ってさし出した。紙袋がごそごそといって、蓑吉の傍へ余計近よると、蓑吉は手だけ延ばした。体はもとの炬燵の中のまま顔も本の方へ矢張り向いているのである。ただ手だけが小さい腕をぐうっと延して菓子袋に届き、蓑吉は上手に袋の口からなかの菓子を一つ握み出そうとした。
 お咲に妙な気持ちが込み上げた。
「こら、何です、この子は」
 お咲は、思わず地声で叫んだ。吃驚《びっくり》して実母を見た蓑吉の手は怯《おび》えにかじかんで、直ぐには蓑吉の体の方へさえ帰って行かなかった。お咲はすぐ傍に室子の母親のいるのに気付き、普段に戻って、からからと笑った。涙も襦袢《じゅばん》の袖口で一寸抑えて仕舞ったが、蓑吉と同じ炬燵にいた室子は、この光景を見て、何とも仕様のない、人間の不如意の思いが胸に浸み入った。
 だが暫くすると蓑吉は、また今度は、ちょっとお咲の顔を見ては、やっぱり、菓子袋へ手を出していた。
 そうかと云って室子の見る蓑吉は、手の中の珠のように可愛がる室子の両親に特になつくという訳でもなかった。何か一人で工夫して、一人で梯子《はしご》段の下で、遊んでいるような子供だった。

 寮では、今朝、子供の食べるような菓子は切らしていた。だが蓑吉は一わたり玩具をいじり廻して仕舞うと鼻声になり
「何か呉れない。お菓子」
 と立上って来た。
 室子は仕方なく蓑吉を膝に凭《もた》せながら、午前九時頃の明るさを見せて来た隅田川の河づらを覗いた。
「蓑ちゃん、長命寺のさくら餅《もち》屋知ってる」
「ああ知ってるよ。向う河岸《がし》の公園出てすぐだろ」
「じゃ、一人で白鬚《しらひげ》の渡し渡って買ってらっしゃい。行ける?」
 蓑吉は、この冒険旅行に異常な情熱を沸かしたらしい。いきなり室子の膝から離れると
「行けなくってえ――あんなとこ」
 捌《さば》けた下町っ子らしい気魄を見せた。
 実母にさえ、あんな傲慢なこの子に案外弱気なところがある。室子はそこを一寸突いても見たかった。何か、悄然《しょうぜん》としたあわれ[#「あわれ」に傍点]さをこの子から感じたかった。
 だが、女中に銀貨と小銭を貰って出て行く蓑吉の後姿を見送り乍ら、室子は急に不憫になった。だが口では冗談らしく
「蓑ちゃん。船から落っこっても、大丈夫ね、犬掻き位は出来るわね」
 蓑吉はもう、行手に心を蒐《あつ》めていた。で
「なんだい、河じゅうみんな泳げら」
 爺やの直す下駄《げた》を穿《は》いて出かけて行く蓑吉のあとから、爺やはあははと笑った。
 室子は手早く漕艇用のスポーツ・シャツに着換えた。
 逞ましい四肢が、直接に外気に触れると、彼女の世界が変った。それは新しい世界のようでもあり、懐《なつか》しい故郷のようでもあった。肉体と自然の間には、人間の何物も介在しなかった。
 室子は、寮の脇の藤棚を天井にした細い引き堀へと苔の石段を下った。室子はスカールの覆《おお》い布を除《と》って、レールの端を頭で柔かく受けとめた。両手でリガーを支えてバランスに気を配りながら、巧《たくみ》に艇身を廻転させつつ渚へ卸した。そのまま川に通ずる石垣の角まで、引っぱって行く。オールを入れて左右のハンドルを片手で握り乍ら素早くシートへ彼女は腰を滑り込ます。ローロックのピンを捻《ね》じると、石垣へ手をやり、あと先を見計らって艇を水のなかへ押し出した。
 もの馴れた敏捷《びんしょう》な所作だった。長さ二十五フィート、重量五貫目のスカールは、縦横に捌かれ、いま一葉の蘆《あし》の葉となって、娘の雄偉な身体を乗せている。室子はオールでバランスを保ちながら、靴の紐《ひも》を手早く結ぶ。朝風が吹く。
 室子の家の商売の鼈甲細工が、いちばん繁昌した旧幕の頃、江戸|大通《だいつう》の中に数えられていた室子の家の先代は、この引き堀に自前持ちの猪牙《ちょき》船を繋いで深川や山谷へ通った。
 室子の家の商品の鼈甲は始め、玳瑁《たいまい》と呼ばれていた。徳川、天保の改革に幕府から厳しい奢侈《しゃし》禁止令が出て女の髪飾りにもいわゆる金銀玳瑁はご法度《はっと》であった。
 すると、市民達は同じ玳瑁に鼈甲という名をつけて用いた。室子の家の店はその前からあったが、鼈長という名で呼ばれ始めたのはこの頃からであった。明治初期に、鹿鳴館《ろくめいかん》時代という洋化時代があった。上流の夫人令嬢は、洋髪洋装で舞蹈会に出た。庶民もこれに做《なら》った。日本髪用の鼈甲を扱って来た室子の店は、このとき多大の影響を受けた。明治中期の末から洋髪が一般化されるにつけ、鼈甲類はいよいよ思わしくない。室子の父はこれに代る道を海外貿易に求めた。近頃になっては、昭和五年に世界各国は金禁止に伴って関税障壁を競い出した。鼈長の拓《ひら》きかけた鼈甲製品の販路もほとんど閉された。支那事変の影響は、一方、日本趣味の復活に結婚式の櫛《くし》笄《こうがい》等に鼈甲の需要をまた呼び起したと共に、一方大陸への捌《は》け口はとまった。商売は、痛し痒《かゆ》しの状態であった。
 一ばん大敵なのは七八年前から特に盛になった模造品の進出であった。だんだん巧妙な質のものが出て来た。室子の父も、商売には抜からないつもりで、模造品も扱っているが、根に模造品に対する軽蔑があるのが商法のどこかに現れ、時代的新店の努力には敵《かな》わない。結局店を小規模にして、自分に執着のある本鼈甲の最高級品だけを扱う道を執《と》ろうと決めている。娘の室子のことについては、今更|婿養子《むこようし》をとっても、家業が家業なり、室子の性質なりで、うまくは行くまいとの明《めい》だけは両親に在った。蓑吉を仕込んで小規模に家業を継がせ、望み手もあらば室子は嫁に出す考えである。見合いの口が二つ三つあった。
 母親がわが事のように意気込んで、見合いの日室子を美容術師へ連れて行き、特別|誂《あつら》えの着物を着せた。普通の行き丈けや身幅ものでも、この雄大な娘には紙細工の着物のように見えた。出来上った娘の姿を見て「この娘には、まるで女の嬌態《しな》が逆についている」と母親が、がっかりした。けれども、美容師の蔦谷女史は、心から感嘆の声を放った。そして、是非、写真を撮らして欲しいと望んだ。だが、室子がそれを断った。
 見合いは順当に運んだ。附添って行った母親の眼にも落度は無いように思われた。
 ところが翌日仲介者が断りに来た。
「何分にも、お立派過ぎると、あちらは申すんで――」
「立派すぎるなんて、そんな断りようがあるか」
 父親は巻煙草を灰皿にねじ込んで怒った。
 室子はもう一度見合いをさせられた。それは口実なしに先方が返事を遷延《せんえん》してしまった。
 室子はそういう場合、得体《えたい》の知れぬ屈辱感で憂鬱になる。そして、自分に何か余計なものかもしくは足りないもののありそうな遺憾が間歇泉《かんけつせん》のように胸に吹き上がる。けれども、それは直接男性というものに対する抗議にはならなかった。彼女は男性というものには、コーチの松浦を通して対している。
 この洋行帰りの青年紳士は、室子の家の遠縁に当り、嘗《かつ》て彼女をスカールへ導き、彼女に水上選手権を得させ、スポーツの醍醐味《だいごみ》も水の上の法悦も、共に味わせて呉れた男だった。
 親切で厳しく、大事な勝負には一しょに嘆いたり悦んだりして呉れる。艇を並べて漕ぎ進む。すると松浦は微笑の唇に皮肉なくびれ[#「くびれ」に傍点]を入れ乍ら漕ぎ越す。擬敵に対する軽い憎しみはやがて力強い情熱を唆《そそ》って漕ぎ勝とうと彼女を一心にさせる。また松浦が漕ぎ越す。一進一退のピッチは軈《やが》て矢を射るよりも速くなっても、自分には同じ水の上に松浦の艇と自分の艇とが一二メートルずつ競り合っているに過ぎない感じだ。精神の集注は、彼女を迫った意識の世界へ追い込む。両岸、橋、よその船等、舞台の空幕のように注意の外に持ち去られる。ひょっとして競漕の昂揚点に達すると、颱風の中心の無風帯とも見らるべきところの意識へ這入る。ひとの漕ぐ艇、わが漕艇と意識の区別は全く消え失せ、ただ一つのものが漕いでいる。無限の空間にたった一つの青春がすいすいと漕いでいる。いつの頃から漕ぎ出したか、いつの頃には漕ぎ終るか、それも知らない。ただ漕いでいる。石油色に光る水上に、漕いでいる。
 ふと投網《とあみ》の音に気が逸《そ》れて、意識は普通の世界に戻る。彼女はほっとして松浦を見る。松浦も健康な陶酔から醒めて、力の抜けた微笑を彼女に振向けている。
 艇の惰力で、青柳の影の濃い千住大橋の袂《たもと》へ近づく。彼女は松浦とそこから岸へ上って、鮒《ふな》の雀焼を焼く店でお茶を貰って、雀焼を食べたことを覚えている。
 松浦はなつかしい。だが、それは水の上でだけである。陸の上で会う松浦は、単にS会社の平凡で勤勉な妻子持ちの社員だけである。水の上であの男に感じる匂いや、神秘は何処《どこ》へ消えるか、彼は二つ三つ水上の話を概念的に話したあとは、額に苦労波を寄せて、忙しい日常生活の無味を語る。彼女に何か、男というものの気の毒さを感じさせる。その同情感は、一般勤労者である男性にも通じるものであろう。

 室子は、隅田川を横切って河流の速い向島側に近く艇を運んで、桜餅を買って戻る蓑吉を待っていた。
 水飴《みずあめ》色のうららかな春の日の中に両岸の桜は、貝殻細工のように、公園の両側に掻き付いて、漂白の白さで咲いている。今戸橋の橋梁の下を通して「隅田川十大橋」中の二つ三つが下流に臙脂《えんじ》色に霞んで見える。鐘が鳴ったが、その浅草寺の五重塔は、今戸側北岸の桜や家並に隠れて彼女の水上の位置からは見えない。小旗を立て連ねた松屋百貨店の屋上運動場の一角だけが望まれる。崖普請《がけぶしん》をしている待乳山聖天から、土運び機械の断続定まらない鎖の音が水を渡って来る。
 室子は茶の芽生えに萌黄《もえぎ》色になりかけの堤を見乍ら「いまにあの小さい蓑吉が、桜餅の籠を提げて帰って来る――」と水の上で考えている。小さい足はよろめいて、二三度可愛ゆい下駄の音を立てるだろう。あまり往来の多くないこの渡船に乗客は、ひょっとしたら蓑吉一人かも知れない。蓑吉は一人使いの手柄を早く姉に誇ろうと気負い込み、一心に顔を緊張させ、眼は寮の方ばかり見詰めるだろう。そして船頭に渡賃を云われて小銭を船頭の掌に渡すあの子は、もう一度船頭の掌の中の小銭を覗き込むだろう。あの子は多少ケチな性分だから――丁度その頃を見計らって、自分が知らん顔をして、艇を渡船と平行に、すいすい持って行く。それを発見したときの蓑吉の愕《おどろ》きと悦びはどんなだろう。あの「小さき者」は何というだろう。
 こんな子供っぽいことに、最大の情熱を持つ今の自分は、普通の女の情緒を、スポーツや勝負の激しさで擦り切ってしまったのかしらん。
 だが、何にしても子供は可愛ゆい。男は兎《と》に角《かく》、子供だけは持ち度いものだ――室子は、流れの鴎の翼と同じ律に櫂《かい》をフェーザーしては蓑吉を待っていた。

 堤を見詰めている室子の狭めた視野にも、一|艘《そう》のスカールが不自然な角度で自分の艇に近付いて来たことを感じた。彼女は「また源五郎かしらん」と思った。金魚や鮒の腹に食いつく源五郎虫のように、彼女達は水上で不良の男達の艇にねばられることがあった。彼女たち娘仲間の三四人は、これに「源五郎」と符牒《ふちょう》をつけていた。
 彼女がいま近づいて来た相手をくわしく観察する暇もない程素早く近寄って来たスカールの上の青年の気配が、彼女に異常に伝わった。その大きな瞳といわず、胸、肩といわず、それは電気性のものとなって、びりびり彼女を取り込め、射竦《いすく》ますような雰囲気を放った。あの競漕の最中に、しばしば襲って来るあの辛いとも楽しいともいいようのない極限感が、たちまち彼女の心身を占めて、彼女を痺《しび》らす。彼女に生れて始めてこんな部分もあったかと思われる別な心臓の蓋《ふた》が開けられて、恥かしいとも生々しいともいいようのない不安な感じと一緒に其処《そこ》を相手から覗き込まれた。
 彼女はうろたえた。咽喉《のど》だけで「あっ」といった。オールもまちまちに河下の方へ艇頭を向けると、下げ潮に乗って、逃げ出した。するとその艇も逃さず追って来た。ふだんから室子は結局のところは男に敵わないと思っていたが、この青年は抜群の腕と見えて、彼女の左舷の方に漕ぎ出ると、オールへ水の引掛け方も従容《しょうよう》と、室子の艇の、左舷の四分の一の辺へ、艇頭を定めると、ほとんど半メートルの差もなく漕ぎ連れて来る。その漕ぎ連れ方には愛の力が潜んでいて、それを少しずついたわりに変え、女を脅かさぬように気をつけながら大ように力を消費して行くかのようである。
 青年の人柄も人柄なら、その技倆《ぎりょう》にも女の魂を底から揺り動かす魅力があった。室子がいくら焦《あせ》って漕いでも、相手の艇頭はぴたと同じところにある。恥かしさと嬉しさに、肉体は溶けて行くようだった。
 それだけ彼女には異常な圧迫感が加わる。今まで、自由で、独自で自然であった自分が手もなく擒《とりこ》にされるのだ。添えものにされ、食われ、没入されてしまうのだ。
 何と、うしろからバックされて行く自分の姿のみじめなことよ。今まで誇っていた技倆の覚束《おぼつか》ないことよ。自分の漕いで行く姿が、だんだん碕形になる事が、はっきり自分に意識される。
 二つの橋が、頭の上を夢の虹のように過ぎる。室子は疲れにへとへとになり、気が遠くなりながら、身も心も少女のようになって、後からの強い力に追われて行く――この追い方は只事《ただごと》では無い。愛の手の差し延べ、結婚の申込みでは無かろうか。カンとカンで動く水の上の作法として、このようなことも有り得るように思う。
 眼が眩《くら》んで来て星のようなものが左右へ散る。心臓は破れそうだ。泣いて取縋《とりすが》って哀訴したい気持ちが一ぱいだ。だが、青年の艇は大ような微笑そのものの静けさで、ぴたりぴたりついて来て離れない。
 せめて吾妻《あずま》橋まで――今くず折れるのはまだ恥かしく、口惜しい――だが室子はその時すでに気を失いつつあった。

 姉ちゃん、姉ちゃんと蓑吉の呼ぶ声がしたかと思った。室子が気がついてみると、蓑吉はいなくて、自分を抱き起しているのは後の艇にいた青年であった。

底本:「岡本かの子全集5」ちくま文庫、筑摩書房
   1993(平成5)年8月24日第1刷発行
底本の親本:「老妓抄」中央公論社
   1939(昭和14)年3月18日発行
初出:「婦人公論」
   1939(昭和14)年1月号
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2010年2月23日作成
青空文庫作成ファイル:
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岡本かの子

宝永噴火—– 岡本かの子

 今の世の中に、こういうことに異様な心響を覚え、飽かずその意識の何物たるかに探り入り、呆然自失のような生涯を送りつつあるのは、私一人であろうか。たぶん私一人であろう。確《しか》とそうならば、これは是非書き遺《のこ》して置き度い。書くことによってせめて、共鳴者を、私のほか一人でも増して置き度い。寂しいが私はこれ以上は望むまい。
 こういう序文が附加えられて、一冊の白隠伝の草稿が無理にわたくしの手許《てもと》に預けられてある。それは隣のS夫人が書いたものだ。
 夫人は娘時代に禅をすこしやったということだが、今は夫もあり子もあり、幸福な家庭の主婦と見られている。その上、世間にも社交夫人として華々しく打って出ている。
 それは兎《と》に角《かく》として、この草稿を「何故、自分の手許に置かれないのですか」と私が訊くと、「手許に置いとくとまた釣り込まれそうなので危くて危くて」という。そう言いながらS夫人は時々来て、頁を繰っている。私はしばらく勝手にさせて置いたが、ふと好奇心が湧いて或る日、その草稿を取上げて見た。なるほど不思議に思われる聖者の伝記だ。以下はそれ。

 わたし(S夫人自身のこと)がこの聖者に、憎いほど激しい嫉妬《しっと》を覚えて、その詮索に附き纏《まと》い始めたのは、この自分の部屋で聖者の逸話集を読んだときからだ。その主な章はざっとこうである。
 ――若い聖者は寺の縁へ出てふと、富士を眺めた。寺は東海道原駅に在った。駅から富士は直ぐ眼の前に見える。富士の裾野《すその》は眼で視ただけでは両手を拡げる幅にも余った。その幅も、眺めるうちにだんだん失われた。聖者は眼を二つ三つしばだたいた。すると、しずしずと身の周囲に流れるものがあって、それは雲だ。何の触覚を与えない雲は、聖者を周囲から閉じ込めて、とうとう白一色だけが聖者の視覚の奥に感じられた。間もなく聖者は自身の存在感を失って、天地にただ真白く、肉のようにしねしねした質の立方体だけが無窮に蔓《はび》こっていた。どこからそれを眺めて居るのか、眺めている自身がその白さなのか、はっきり判らぬ。聖者は訝《いぶ》かって「慧鶴(聖者の法名)!」「慧鶴!」と自分の名を二声、三声呼んだ。すると音もなく飛びすさるものがあって、数歩の前に富士が、くっきり、雪の褶《ひだ》の目を現わして聳《そび》え立った。それから、聖者はまた、二つ三つ、眼をしばだたくと、聖者の眼に富士はいつも寺の縁から眺められる距離感に戻って、青空に匂った。――
 これを読みながら不幸を私に齎《もた》らしたのは聖者が美しい富士と肉体的にも融け合って、天地はただ白い質のしねしねした立方体だけに感じられたというところだった。わたしはこれに読み当ったとき、女だてらに机の角を叩いて「畜生!」と叫んだ。
 いおうようない嫉妬が身を噛み上げて来て私は小頸だけぶるぶると慄わした。大きく身体を慄わすのは、何か意外なことが出来上りそうで怖しかった。それで唇をじっと噛んで我慢しながら先を読んだ。人々は、これを私の性慾の変形だと片付けそうである。しかし、私自身の生理の歴史を顧みるのに、すべて人並に順調だったし、結婚から子供までも産んで居る。そしてもし、人があくまで私のこの心象がその種のものであるとするなら、その人はその次を読んだ私の態度をどう解釈して呉れるのだろう。私は異常な気持を噛み堪えながら、次に聖者白隠が自分の名を呼んで富士を[#「富士を」は底本では「富土を」]数歩退かせるところに来ると同時に、むずり[#「むずり」に傍点]として、私自身、私の身体からあの巨大の土塊が引離れて行くように感じ、そして電気スタンド越しに事実富士の雪の三角の形をありありと眼底に見たことである。そしてそれが消え失せるまで、前の苦悩に引代え魂も融けるような恍惚《こうこつ》が全身の皮膚の薄皮の下まで匍い廻り、そのうれしさ、晴々しさ、私は涙のさんさんと落ちるに任せていたことである。
 第二の心象を、よし私は人々によって病的神経のなす聯想的幻覚だと指摘せられようとも私に取って、この時ほど私は生れて真実に迫った気持になったためしはないという記憶を打ち消すわけにはゆかない。それだけ慕わしい心験でもあった。もしこの聖者がこういう心験を絶えず持ち続け、或はより以上のものを得たというなら、私に取ってこの聖者は幸福の敵である。なぜならば私の持つ普通の幸福を土灰にし去り、世にあり得べからざる幸福をちらと覗かせて、私の現実生活に対する情熱を中途半端なものにしてしまったからである。その点からも私はこの聖者を、突きとめなければならない。突き止めてこの聖者から、世にも稀《まれ》な幸福の秘訣《ひけつ》を奪い取るか、でなければ、それが偽物であるのを観破して私の夢を安らかにし度《た》い。

 貞享二年十二月二十五日、聖者白隠は駿河《するが》国駿東郡原駅で生れた。家柄は士筋の百姓であるからインテリの血は多少流れている。時代は徳川将軍綱吉の世で、寵臣柳沢吉保を用い、正道はやや偏頗放縦《へんぱほうじゅう》に流れかけて来た頃だが、そのようなことは私には関わりがない。ただ生れた聖者は頭が大へん大きい子であったらしく、生れて十二ヶ月以上も経ったのに歩けなかったということは私に耳よりな記録だ。私も女にしては頭が大きい。六七歳から十二三歳までの聖者は物覚えが好くて、腺病質らしく、ときどき無常を感ずるような素振りがある。しかし、これは有名な仏者の幼時には大概ある話で、特に注目すべき事柄でもあるまい。そうかと思えば勇敢で殺生好きで利かぬ気の子供でもあった。そしてまた、宗教的な罪障感なぞに攻められ、時々身も世もあられず悔いて居る。だいぶ性格が複雑である。
 私は、この幼い聖者が、いわゆる「道に志した動機」は甚だ肉体的のものであるのを発見して嬉しくて堪らない。誰だって人間ならそうある筈なのだ。皮膚が救われるなら、筋肉が救われるなら、その外、何を人は望もう。ところで私は岩次郎=これは聖者の幼名=の求道の望みを知ってだいぶこの聖者に対する敵愾心《てきがいしん》が薄らいで来た。それはこういう事件であった。岩次郎は或る日、村の小屋掛けの芝居を見に行った。外題は「鍋冠り日親」の事蹟を取扱ったものであった。日蓮上人の弟子のこの日親は官憲から改宗を迫られて、これを肯《がえ》んじなかった。そこで官憲は紅く焼いた鍋を日親の頭に冠せた。日親の頭は焦げた。
 しかし日親は熱さを感じなかった。岩次郎はこれを芝居ごととしないで羨《うらや》んだ。そして家へ帰ると数日間一心不乱に経を唱えたうえ、もうこのくらいなら大丈夫だろうと火箸《ひばし》を焼いて股に当てて見た。股は焼け爛《ただ》れて飛び上るほど痛かった。岩次郎は落胆した。

 岩次郎が、いよいよ肉体的な恐怖に襲われ、専門の僧になって、その解脱《げだつ》を図《はか》ろうとしたのは十五歳の時だった。今まで、どうしても出家を許さなかった両親も、あまり少年の必死な望みにとうとう我を折った。村の松蔭寺で単嶺という老僧を師匠に頼んで、岩次郎を剃髪《ていはつ》させた。これに較べて私は十五歳の娘時代は何にも思わなかった。ただ人々が痛みどころがあると揉《も》んでその患部に貼る朝顔の葉を何か好もしいものに思い、痛みもないのに額などに貼りつけ、草汁の冷たさを上眼になって味わった。
 岩次郎がいよいよ剃髪して慧鶴という法名を受け、修道僧として出発したときの誓いはこうである。「肉身のまま火も焼くこと能《あた》わず、水も溺《おぼ》らすことの出来ない威力を得るまでは、どんな苦労でも修業は絶対に止めまい」と。こういう決意に私はあまり興味がない。誰だって、生物の肉体に対する自然の気まぐれな浸蝕作用に対し、不損不滅の肉体を持ち度いと希う本能は持って居る筈だけれど、よほど原始人のままでこの本能慾が取り残されているのでなければ、特別にこういう慾を起すものではない。私たちの常識は、こういう望みがこの世の中に在るということに対してすら、ひょっとかすれば真面《まとも》に嘲笑《ちょうしょう》を浴びせてしまうかも知れない。そういう慾を起すものは莫迦《ばか》か気狂いだ、こう思う骨折りさえ頭脳に課さないで塀に書かれた変った楽書を見過すような気持で、さっさと自分々々の眼の前の仕事に没頭してしまう。だがこうした原始人的の率直な本能慾が、何千年間の常識に打ち壊されないで、今からたった二百年前の同じ人間に一つの根が遺されていたということは、興味のないことではない。けれども根は根である。その上は常識の厚い層の堆積《たいせき》はこの稀有《けう》の人間慧鶴の岩次郎でさえ、自分でこの根の真偽を疑って居る。私はそれを当然だと思う。むかしから人間の中にある大きな慾望のいくつかが、常識の厚い層の堆積に堪えられず、遂に腐り果ててしまったことだろう。私は慧鶴のこの疑いを惜しいことのようにも思う。僅かに残ったたった一人の一つの根ぐらい人類の記念に無事に遺して置いてやってもいいではないか。

 慧鶴の疑いはこういう筋道で来た。
 この若い修道僧は出家の翌年沼津の大聖寺へ移ってそこで修業をしていた。ある日、彼は法華経を人から借りて読んだ。この経は仏教経典の中では王座を占めている経で大乗仏教哲学思想の中枢《ちゅうすう》になるものだと言われている。それほど宝になっている経典だから昔からこの経には宗教的な神秘性が附与され、中の意味が判らないでも、これを読誦《どくじゅ》し、書き写し、または表題の題名を唱えるだけで現実生活上にさえ功徳《くどく》があるものだと信じられて来た。ところがいま、慧鶴が読んでみると、八巻二十八品ある大部のもので、彼の心を惹《ひ》いたところは一つも無い。強《し》いて求めれば唯有一乗諸法寂滅相という言葉だけであった。これが仏教であるのか。どこに仏教の魅力があるのか。慧鶴は遂に仏教の開発性を疑い出したのだという。
 私も法華経を辛抱《しんぼう》して読んでみた。なるほど、この経典は不可解のものである。思想とか哲学めいたところは十|如是《にょぜ》の文《もん》というところただ一個所だけであって、それも、文字で数えれば、たった三十四字のものだ。あとは寓話のようなところ、劇的光景の幕、そういったあまりに拵《こしら》え過ぎた説相を採っていて、直接、無雑作《むぞうさ》に心に訴える性質のものではない。うっかり読んでいれば、迷信的な因縁ばなしや、荒唐無稽な譬《たと》え話の羅列《られつ》にしか感じられない。そして、順序に連絡が欠けている点さえ読む者に苦渋を与える。しかも、この聖典の作者は極力、この経の功徳の広大を説いて受持《じゅじ》、読誦、解説を勧めている。一体この経は何を指しているのだろう。
 註釈を読んでみればさすがに、一々もっともな理由があり、十如是の文によって支那《しな》の天台智者大師が天台哲学を組織し、勧持品の文によって日蓮上人のあの超人的な行業が誘発された能力に就いてのおよその見当がつく。けれどもそれは組織立てた学問の概念生活の情熱を喚び起せる性質の人に多く恵むところの種類の聖典なるが故で、白隠(慧鶴の号)のような直観体験から直ぐ生活に利益しようとする素質の人には可なり縁遠いものであったろうと思う。若き白隠=慧鶴がこの聖典に対して、全くの手掛りなく、仏教全般に対しての信憑《しんぴょう》さえ失ったのは無理もないことである。
 そんなわけで、この若き修道僧は、宗教的解脱の慾望を諦め、消極的ではあるが趣味に生きようと気持を転換さした。十七歳、十八歳、十九歳=人間が肉体的にも精神的にも葭《よし》の葉のような脆《もろ》くて而《しか》も強い生に対する探求の触手を身体中一ぱいに生やし、夢と迷いに向けて小さい眼を光らし、狙《ねら》いばかりつけて、却《かえ》って自分は針鼠のように居竦《いすく》まっている年頃である慧鶴は春、清水へ行き、そこの禅叢の衆寮へ入れて貰《もら》って、主に詩文の稽古をした。蔬菜の切口のように、絶え間なくしとしととうるみ出る若者の情緒を、古風な漢字の規則正しい並べ方でこつこつと、きりつもりする仕事は、あわれにも懐かしい気がする。だが、慧鶴はここでも宗教に対する疑いに輪をかける事蹟に出会って、彼は全くの享楽的なニヒリストになった。
 彼はある日、与えられた詩文の題に就いて調べる必要があって、巌頭という偉い禅僧の伝記を読んだ。この僧は唐時代の名僧で、解脱の道に就いては信ずるに足る師父として、日本でも昔から禅の宗門の間で、誰一人、尊敬しないものはなかった。しかし、若い慧鶴ばかりはそれを疑った。この唐の僧は最後に、賊に擒《とら》えられ、賊の手によって首を斬られたのだった。この世に於てさえ、こんな惨《むご》たらしい災害を避けることが出来ない。どうして死後の生活を指導することが出来ようぞ、もっとも、この僧は首を斬られて死ぬときに、大きな声で「吽《うん》」と叫んだら、その声は数里の外まで響いたという奇蹟を伝記者は附け加えているが、そんなことぐらい、生きる上の幸福をも、死後の安穏をも共々、宗教に求めている慧鶴には何の力にもならなかった。寧《むし》ろ宗教者の負け惜みとさえ受取れた。そして、これほど世間に評判の悟者でさえ、自然や運命に対する自由さはこの程度のものだ。まして自分如き凡人はいくら修業をしたところで所期の幸福は得られそうもない。若い慧鶴は遂に宗教的救済に見切りをつけ、生きているうちはせめて楽しもう、誰でも人生問題に行き悩んだ人が解決から弾ね返されて来て、寒そうに踞《うずくま》る境地、そうは決心しても決して長くは落着いていられない薄べり一枚の境地、そこへ彼も腰を据えた。彼が僅かに慰められた「死」に対する諦らめは、次のようなものだった。「どうせ遁れぬ滝の落ち口なら、われも人も手を取り合って落ちて行こうよ」と。
 私は想像する。こう諦らめて周囲を見廻した時ほど、慧鶴の眼に、人間の姿がなつかしく映ったときはあるまい、と。
 慧鶴が十七歳のときは元禄十四年であったから、千代田の殿中で浅野内匠之頭の刃傷があり、その翌年慧鶴十八歳の暮に大石良雄の復讐があった筈である。一方ああ云った公的規模の出来事があり、一方こういう個人的の稀有《けう》な本能の慾望の問題に悩まされた人間も在ったのだ。

 どうせ宗教で、人間超越の見込みがつかず、享楽本位に気持を入れ換えたのなら、いっそ俗人に立ち還って、心置きなくその目的に身を入れたらよさそうなものだと思うのに、慧鶴はそれもしなかったらしい。美しい詩をつくり、美しい筆蹟を習って思を遣る。肉慾的のものとしては飲酒だけにすべてを籠めてしまったような形跡である。こういう弛緩《しかん》の状態に在っては、慧鶴青年自身、積極的に情慾の満足に嚮《むか》わないまでも、他からの異性の誘惑には脆い筈なのだ。慧鶴にその事はなかったのか。是非、調べてみたい。
 ここで、先決問題として、慧鶴その人の風姿容貌はどんなだったというと、かなり特色のある顔付きや骨柄の青年であったらしい。
 慧鶴の最初剃髪した原駅の松蔭寺に遺《のこ》っている木像や、白隠自身たびたび描いている自画像を見ても、大きく高い峯の鼻で、黒い眸《ひとみ》の大きな眼を持っている。口はややこれらに負けるようだが、厚い唇はきっと結んでいる。骨組みはがっちりしていて、顴骨《かんこつ》が特に秀でている。どうしても人中では目立つ派手な男性的な顔付きであったことが想像される。現実的でエネルギッシュな人体電気を放散させていたに違いあるまいが、一方宗教家に特有で、人間としては欠目《かけめ》のように思われる、あの、こまかい、なやましい、而かもそれ故にこそ魅力があり、いく度繰り返しても疲れを知らない恩愛痴情、恨み、嫉《ねた》み、というような普通の人情の触手は生れつき退化し、それによって人と縺《もつ》れ合うことはとかくに不得手《ふえて》だったらしい。それ故、そういう部分を目がけて彼と認め合おうとするものには、描ける餅とも霞《かすみ》の花とも頼りなく、感ぜられたに違いなかったであろうと思う。特に女性にとっては把手《とって》の無い器かも知れない。
 ちょうど、慧鶴が清水禅叢にいた時分、清水の町に橘屋佐兵衛という呉服屋があった。一人娘があって、その頃の慧鶴とは二つ違いの十七だった。前の年の暮に江戸で行われた赤穂義士の復讐は、当時に在っても世間を震憾させる大事件だった。抜目のない興行師はそれを芝居に仕組んで名古屋を振り出しに地方の町をうって廻った。江戸市中はまだ公儀を憚《はばか》って興行を避けていた。芝居はどこでも大入りで、見物の血を湧かせた。
 この芝居が清水にもかかり、そして、忽《たちま》ち町中の評判となったので、佐兵衛の娘も母に連れられて見物に行っていた。娘は二階に席を取って居た。慧鶴は丁度その真下に居た。
 その前から酔っていた士が二階にいて頻《しき》りに管《くだ》を巻いていたが、芝居が進んで茶屋場となり、由良之助が酒や女にうつつを抜かす態たらくを見ると、酔った士はそれを義士の首領の反間苦肉の策とは知りながらも、あまりその堕落振りが熱演されるので、我慢が仕切れなくなり、舞台に向って頻りに罵声《ばせい》を浴びせかけ始めた。それが、しつこくうるさいので、見物のなかでたしなめた者があったのを、相手欲しやの酔いどれ士は、忽ち目くじら立てて立ち上り、掴《つか》みかかろうとする。それを宥《なだ》める者、よき機会と撲ち伏せて先程からの不愉快の腹癒せをしようとする者、中間に立って取鎮めようとする者、騒ぎは輪を拡げて大きくなった。もとより芝居小屋の建物は俄《にわか》作りの仮普請《かりぶしん》で、その騒動を持ち堪え切れる筈はなく、二階から先にずり落ちた。佐兵衛の娘は、丁度慧鶴の側へ、二階と一緒に落ちて来て、気を失った。その後は場内上を下への大混乱となって芝居はめちゃめちゃとなった。
 慧鶴がどうして、この咄嗟《とっさ》に佐兵衛の娘を抱え出し、畦の草むらで息を吹き返えすよう骨折ってしまったのか慧鶴自身にも、その動機ははっきりしなかった。ただ自分の近くに墜落した女の失心に愕いて反射的にこういう働きをしてしまったと解釈するのが至当ではあるまいか。幸い娘の行衛《ゆくえ》を心配して探しに来た母親や伴の者とめぐり合ったので、慧鶴は無事に娘をそれ等の手に引渡した。そしてこの事件が縁故で、慧鶴は橘屋へ出入りするようになった。
 この話は、白隠の伝記の正史にはない。江戸時代の随筆のうちにある。あまりに昔の型通りな恋愛譚の発端なので、拵《こしら》え話だとする人もあるだろうと思うが、それでもよいと思う。これ以外にはこの聖者に関する恋愛譚は全く見当らないし、私がこの伝記を書く目的は史実の為でなく、この聖者をまさぐって行ってあの神秘とあの神秘に触れた識管が、およそどのようなものであるか、いわば聖者を仮りの道具に使って私は私の中に在る慾望とその満足の仕方とを考えてみたいのが唯一の願いなのだから拵え話なら拵え話を利用して、白隠を掴んで見たい。それはちょうど、数学に於てある計算はわざと虚構な数を設け、置かれた数に加減乗除してみて、所用を達した上は、再びその数を退けるという方法に似たやり方であろう。その方法として私はこの拵え話とも思われるものを使ってみてもいい。兎に角、聖者の心理には一度ぐらい普通の恋愛を関係さしてみて、そこにどんな現象を呈し出すかを試すことは私に於て是非必要なことと思われる。

 慧鶴が橘屋に出入りしているうちに、娘はこの若い修道僧を恋するようになった。この娘は恋の懊悩《おうのう》の為、この年の翌々年、宝永二年に死んでしまうことになっているが、人間は単に恋のような精神的の苦悩の為に滅多に死ぬものではないと私は思う。それには必ず体質に弱いところがあって、精神的苦悩の綻《ほころ》びをそこに見出すように余儀なくされるのである。それで、橘屋の娘にしたところで生れ付き、金持ちの跡取り娘の脾弱《ひよわ》い体質から、がっちりしたものに縋《すが》り度《た》い本能があって、それが偶然の機会に便りを得て恋となって現われたのであろう。慧鶴は前にいう通り容姿骨柄いかにも立派で頼母《たのも》し気な青年であった。その点では女性が魅着するに何処といって非の打ち処はない。だが、そう言っても慧鶴に異性が眩惑するような若い肉体の香りの牽引《けんいん》があったとも思えない。むしろ旺盛な精神力に慧鶴の肉体の男性的な一部分はスポイルされていたかも知れなかったのだ。一たん求道の志を捨てて享楽に趨《はし》ってみたものの現実に全面的に惑溺《わくでき》することが出来なかったのを見ても察せられる。
 橘屋の娘の慧鶴に対する恋は、ただ縋りつきたい、いのちを引立てて貰いたい、一途であった。こういう愛の関係は、むしろ兄妹の情というものに似ているのではなかろうか。しかし、娘は、これを世間にあるならわしの恋と思い込み、心に恥じもし、思い返しもしようとした。それが出来ないことが判って見ると今度は積極的に慧鶴を未来の夫と思い定めることによって良心を宥《なだ》めた。
 一方、慧鶴の方でも、娘の素振りから、それと察しないわけではなかった。しかし、生れつき性格に屈托のある青年は、ただ、悲しくいじらしいものに、それを感ずるだけであって、娘の情を、どう受け止めて好いのか、取捌《とりさば》けば好いのか、まるで手足がなかった。その儘《まま》に居れば熱く重苦しい負担を覚え、振り放そうとすれば、あとに世にも残酷な焼跡を残しそうで、思い切れなかった。焦慮と反側とに心を噛ましているのが、却《かえ》ってしまいには冷え冷えとした楽しみになった。
 こういう双方の心の動きが、一つもこれといって形や言葉となって現われずに過ぎた。慧鶴は頼まれた橘屋の祖先の忌日に読経に行き、食事の施しを受けて帰った。娘はこういう青年僧の訪問のときに母と共に挨拶に出て顔を合せるだけだった。それでいて慧鶴も娘もじりじり痩《や》せて行った。

 こんなことで元禄十六年も暮れ、翌年改元して宝永元年の春になった。慧鶴が清水の土地を思い切り、美濃の檜木の瑞雲寺へ入って馬翁という詩僧に従ったのは、勿論《もちろん》、娘と得体の判らぬ心理の関係にある、その境地から逃れよう為もあったが、僧でもなく俗でもない身持で、風雅に対してだけ快楽を求める生活が、俄《にわか》に不安を増して来たからだった。それはむやみに慧鶴青年の良心に咎《とが》めた。救いに絶望してやぶれかぶれに享楽にしがみついて居る自分の姿が浅間しいものに顧みられた。
 腹と頭ばかり大きくって、手足や胸は痩せ細り、腐った死屍の肉に取り付いて貪《むさぼ》り食っている地獄の図の中の餓鬼《がき》は、取りも直さず自分に思えた。彼は湯に入ったとき自分の身体を撫《な》で廻してみて、あまりに地獄の図の予言の形に適中しているのに怖くなった。そう想って来ると自分の直《す》ぐ後に同じような浅間しい裸形で、頭の上にだけ高い島田|髷《まげ》を載せた橘屋の娘が頻《しき》りに何物かを自分に乞い求めて居る姿がまぼろしに浮んで見えた。慧鶴は叫び声をあげて、あわてて浴室から飛び出した。
 一たん、そんな想いに取りつかれ出すと、慧鶴の心は水中へ取り落した皿のように傾き暗い底の方へ沈んで行った。見るもの聞くもの地獄の姿に外ならなくなった。夕ぐれ庫裡《くり》へ行燈《あんどん》の油を取りに行く僧も、薬石と名づけられる夕飯を取り囲んで箸を上げ下げしている衆僧も、饑え渇ける異形のものとしか見えなかった。彼は独居の部屋に閉じ籠り、頭を抱えて身悶《みもだ》えして呻吟《うめ》くより外なかった。それでいながら経巻や仏像の影を見ることには前より一層厭嫌の感情を増した。
 こんなに惨めになった彼を「生」に引止めたものは「死の恐怖」だった。この世でさえすでに、これほど地獄に近い自分である。死後は一層案じられた。たとえ苦痛と恐怖が、堪え難いものであるには違いないとしても、まだそれを感じるはっきりした自己意識の便るものがある。もし、この便りをさえ失った後は、全く忘却の中に悪魔や鬼神の擒《とりこ》となり、無際限の奈落の底に引きずり込まれて行っても、それを何によって感覚したらよいであろうか。自分に意識しつつ獣に喰い尽されるのは、まだ堪えることも出来る。いつとも知らず相手を判らず茫漠のうちに喰い尽されて失くなることは想像するだに不安の極みだ。自分は飽くまで眼を瞠《み》はり、飽くまで恐れおののく自分を見守って生の岸端に足を踏み堪えなければならない。
 斯《か》くて、慧鶴は生きる力を求めて、わずかに自分の中にある名望の慾に探り当てた。人に立てられること、人に褒《ほ》めそやされること、人に羨《うらや》ましがられること、こういう慾望が破船に似た慧鶴青年の中にも残っていたことは不思議である。素質と言おうか、本能といおうか、ただただ不思議である。別けて人を押し負かして優れた力により人を見下す快を思うとき慧鶴青年の心は躍った。そしてこういうとき、必ず慧鶴の心に富士の姿が思い出された。富士のような三国一の高名者になろう。富士のように群峯を睥睨《へいげい》して聳《そび》え立とう。これまでも慧鶴は何事かに情熱をそそられるとき、其処に幼い時から眼に親しんだ富士の姿が思い浮べられた。しかし、いかに秀麗で完き形をしている大山でも余り、静まり返りあまり落ちつき払って変化のない冷たさがもどかしく思われた。自分は斯《こ》うも緊張して血を沸かしている。だのにあの無生物は永遠の理想を遂《と》げたとでもいうように、白い雪の褶《ひだ》さえ折目正しく取り澄し切っている。彼女はあれで満足なのか、寂しくはないのか。こう富士に問いかけ、疑って見ると、そうばかりでもなさそうである。それは誰にも解されない慾望かも知れない。しかし何等かの方法によって、この死灰の美女に息を吹き返させ自分同様、悩みと苦熱の血を通わしてやり度い。そう思って富士を見ても容易に自分の感情の働きかけに共鳴する様子もなく、むしろ、自分は自分でちゃんと暮らす道があると空嘯《そらうそぶ》いている様子にも見える。慧鶴にはいよいよ征服慾が湧く。世に有り得べからざることも為し得る仙術ということさえある。いかなる修業を求めてもこの山を意のままにして見度い。この不思議な意図も慧鶴青年の胸に蓄えられたまま、人間慾と超人慾とのごちゃごちゃに混った青年慧鶴は、清水と富士をあとに残し、何事かを極める為に美濃ノ国へ旅立ったのである。そして大地はこの時、五百年間の眠りを醒し、一大飛躍をすべく、地下数千尺の処で、着々その準備をすすめつつ在ったのである。

 富士の噴火は、日本に記録の残っているものから調べると、皇紀一四四一年、天応元年が初めで、それから、同一七四三年、永保三年まで約三百年の間に九回の噴火をしている。その度に大小の災害はあって、ひどいのは須走口一合目に在る小富士を噴出させたり、精進湖と西湖は、もと一つの湖であったのを山から溶岩を流して今のように二つの湖に中断したり、富士にも富士山麓の形態にさえ多少の影響を及ぼしている。そして、その噴火と、噴火の期間には或いは噴煙が認められたり、また、全く休止して静まり返った姿となったり、必ずしも同じ姿ではなかった。
 しかし、白河天皇、永保三年の噴火後、約五百年間というものは、すっかり活動をやめてしまい、ただ※[#「風にょう+炎」、第4水準2-92-35]《つむじかぜ》のようなうす煙が絶頂から煙草を燻《くゆ》らすように風に靡《なび》いていたに過ぎなかった。白隠がこども[#「こども」に傍点]のとき、こどもから青年にまで生い立つあいだ、朝夕、眼に親しんだ富士の姿はこのようなおっとりしたものであった。その煙も段々うすれて行って白隠の慧鶴が清水禅叢にあって人生問題に悩み、神経衰弱になり、現実性の薄い恋愛をし、美濃の馬翁のもとへ奔る時分には、その煙さえ全く絶えてしまっていた。あの巨大な土の堆積も頂《いただき》から細いながら一筋の煙の立昇っているうちは、息の洩らし口があるようで、まだ、いくらか楽な気持で眺め渡された。しかしそれが今のように、全く途絶してしまうと、こどものうちから見慣れている眼にはまるで窒息《ちっそく》しつつある怪物のように思えて、慧鶴には、惨たらしく感じられた。自分そのものが、咽喉《のど》を詰らされているような気がして、じっとしてはいられなかった。そのくせ、富士自身は取り澄した姿で冷たく人を見下している。何という人の気を焦らさす山だ。慧鶴自身、これも、気力の弱ったわが心身の変調かと思い、何度その苦痛感を払い除けようと努めたか知れないけれど、その効はなかった。自然と自分と何の関わりがあるのだろう。そう苦笑する下から苦しい気持が胸に込み上げて来た。この中のどれが一番、重大な原因であるか判らないほど、ごちゃごちゃのものに追い立てられて彼は清水を急いで離れて行ったのであった。

 美濃の大垣の町から西北に当って、町へは一日のうちに往来出来る里程のところに在る檜木村の瑞雲寺へ来てみると、聞きしにまさる破れ寺で、寄宿して勉強するのは許して呉れたが、台所向きは苦しそうで、待遇は随分ひどかった。それに師匠とたのむ馬翁というのは、学問はあるに違いないが、ひどく癖のある老僧で、美濃の荒れ馬と綽名《あだな》されるほど人当りが苛酷《かこく》だった。しかし慧鶴は兼《かね》て覚悟のことでもあるし、また、ともすれば清水のことが想い出される腑甲斐《ふがい》ない心を何かの強い刺戟《しげき》で眼の前の境遇に釘付けにして貰《もら》うことは、寧《むし》ろ必要とするところでもあったので、笞《むち》を嬉ぶ贖罪《しょくざい》者の気でじっと辛抱して勉強した。そういう事情に促進されて、詩文の技倆はどしどし上達し、寺へ訪ねて来る当時有名な詩人達と百句の連句を作るのに線香二三本の間に出来てしまうほど、短い期間の割には熟練を遂げた。
 だが、この程度に達してみて、うすうす判って来たのは、やっぱり詩文の稽古は自分に取って本筋の欲望ではなさそうだということであった。なるほど、当時有名な詩人と詩を作り合って存在を認められ、また同学の連中をぐんぐん抜いて行って上達する気持は悪い気持でありよう筈はない。快い朗らかさで身も浮く様に覚える時さえある。だがそれが肉体や精神の全部を支え上げて呉れるわけではない。却《かえ》ってその全部が高く揚れば揚る程取り残された部分の肉体や精神が鉛のように片側に重く残る意識が強くなって、しきりに反省を強《し》いる。全くわれを忘れた有頂天《うちょうてん》にさして呉れない。もし、この分で行けば、自分のなかに高揚する部分と、取り残された部分とが、だんだん峯と谷のような違いを来たして、遂《つい》には自分という意識が二つに割れそうな気さえもする。慧鶴青年は詩箋に落す筆を控えて、再び迷い始めた。すると得意になって肩肘張り、なおも世に高名を求めようとする側の自分は取り残して行く未解決の側の自分を努めて忘れ去ろうとし、また未解決の側の重苦しい自分は忘れられて置き去りになるまいと、藻掻《もが》き、しきりに真面目《まじめ》で憐れな自分を見せつけ見せつけ縋《すが》りつくのである。自分の中の二つの争いには、ほとほと疲弊困憊《ひへいこんぱい》した慧鶴青年は、何等か心を転ずるものを求めようとすればそこに、土足で乳のみ児の上を踏《ふ》み躙《にじ》って来るような無残な情緒が閃《ひらめ》いて橘屋の娘の顔が浮ぶ。富士の冷く取り澄した姿が憎みを呼ぶ。
 慧鶴は堪らなくなって、ついと立ち上った。一体どこに自分があるのだ。以前のニヒリスチックの気持の時は全く灰のように冷えてしまって、それは神経衰弱的な恐迫観念がときどき槍尖《やりさき》のように自分を襲って来たが、しかし、最後の落ち着きどころは空虚と見究《みきわ》めがついていたので、まだ自暴自棄《じぼうじき》の痛快味があった。だが、今度は生きながら人情のあたたかみや、憎みや、征服慾が生れ出て、それがもつれ絡んだままスランプに陥《おちい》ってしまっただけ始末が悪かった。慧鶴はただふらふらそこらを、歩き廻った。
 ちょうど、夏の初めであった。庭にはかんかん陽があたって蝉《せみ》の声の降るなかにいちはつ[#「いちはつ」に傍点]がちらほら咲いていた。庭に面した客座敷から、狭い縁側へかけて土用の虫干しをするため、一ぱい書物が並べられてあった。客座敷の隣になっている馬翁の書斎には、まだ拡げられない書物も高く並んで列を作っていた。馬翁はこれ等を、人手を借らずに並べ変えるのであったが、例の気まぐれから一日二日、大垣の町へ遊びに出かけて留守《るす》なので、書物は並べ放しにされていた。
 むっとする黴臭《かびくさ》いにおいを嗅《か》ぎ、ぼろぼろの表紙や比較的新しい表紙に陽の当っているのを見下しながら慧鶴は本の間をしばらく歩き廻っていた。するといくらか気が静まって来て、小粒に光りながら緩《ゆる》んだ綴目の穴から出て本の背の角を匍《は》ってさまよう蠧魚《しみ》の行衛《ゆくえ》に瞳を捉《とら》えられ思わずそこへ蹲《うずく》まった。
 蹲まって、まわりの書物を見廻すと、さすがに馬翁の学識の広さが判った。書物の種類は、詩に関するもののほか、儒仏、老山荘百家に亙っていた。見聞の狭い慧鶴青年にはまるで世界の知識の種本が蒐《あつ》められているように思えた。咄嗟《とっさ》に謙虚な気持が湧いて来て、彼は膝に両肘を突いたまま頭の上で掌を合せた。世の中には、まだこれほどの知識があるのだ。この多い知識のなかには、自分のような特異性を持った性癖の人間をも導くに足りる知識が無いとも限らない。世の中に神秘の力があるものならその前にひれ伏そう。もし偶然であるとしても、自分はその偶然を信頼しよう。どうか、これらの書物のなかで、自分の師とするに足りる書物を指図《さしず》して欲しい。眼はいつの間にか閉ざしていて、心ではしきりにこういう意味のことを祈った。そして眼は瞑《つむ》ったまま手を後にさしのべて、指に触った一冊を掴《つか》んで来て眼を開けて見た。さすがに胸はときめいた。その本は「禅関策進」であった。
 今日こそこの本は禅を学ぶものの間には中等程度の教科書ぐらいにありふれたものであるが、当時に於ては珍らしい書物の一つであったらしい。慧鶴青年はその場で頁を開けて熱心に読み入った。
 まだ、この書を読まない人の為にちょっと解説すると、この書は仏典や禅書から、いわゆる悟りの為になることや修業者の策励になることが、抜萃《ばっすい》してある仏教の金言警句集とでもいったような性質の書物である。
 いま慧鶴青年は、それを読んで行って、渇《かわ》く人が水を得たように眼を離せなくなった。そして清水禅叢で失ったあの時代離れのした原始的な慾望を再び取り戻した。わけて慧鶴青年を緊く初一念に引戻した書中の事蹟は何かというと慈明|和尚《おしょう》引錐自刺の条であったという。その条はどういうのかといえば慈明という僧が徹夜で座禅工夫中に、しきりに眠気がさして来て堪えられない。そこで錐《きり》を用意して置いて眠気を催す度《たび》に膝を刺して眼を醒すようにしたという事蹟であった。ここでひょっと、気がつくことは、慧鶴が宗教によって救われ度いと僧になった原因は何かといえば、彼の現実の肉体を苦痛や滅亡から救い度いという慾望からであった。そして彼はその肉体を錐で刺す苦痛によって修道の妨げを除く僧の事蹟に感奮している。これでは、彼の慾望と手段との間に矛盾があるようだが、それは別問題として彼の性格がどこまでも肉体や感覚に即して悩み、求め感じていることは、特色であるらしい。そして肉体の苦しみということを一方では厭《いと》い乍《なが》らまた一方では不思議な魅着を覚える。そのことは慧鶴青年を通して私にもその秘密が判るような気がする。負担と共に希望でもある。不思議な肉体の存在。

「禅関策進」にはこの項目以外にも肉体の自然の要求を退《しりぞ》けて悟りの道に進んだ幾多の事例が載っていた。そして彼等が悟りという意識に達したときには、肉体も精神も絶対の自由を得て、苦悩は跡かたもなくなる様子を確信をもって暗示していた。その状態は慧鶴青年の初一念である生きながらの肉身であり乍ら火も焼く能《あた》わず水も溺《おぼ》らすことの出来ない「われ」となる事と一つのものか或いは違ったものか、彼にもちょっと見きわめがつき兼ねたが、しかし、自分の初一念に優るとも劣らぬ好もしい状態であることだけはほぼ想像が出来た。そして、それを求めるために、これほど多くの歴史上の人が努力をしている。死を賭《と》してまで苦修している。しかもその人々は努力や工夫することについては、あらゆる難儀を重ねているけれど目的の悟りというものの存在については誰一人として疑っていない。この点は慧鶴を非常に気強くもさせた。人に話せば笑われるほど常識を離れた望みではあるが、こうも大勢の連れがある以上、もはや孤独の夢ではない。修業の仕方一つでその人々と同じものか、或いは似ていて自分が衷心《ちゅうしん》求めている神秘を確に自分の中に持ち来せるのである。周囲は駕籠《かご》が通り人々は煙草《たばこ》をふかし、茶をのみ乍ら四方山《よもやま》の咄《はな》しに耽《ふけ》る普通の現実の世界である。この現実の世の中で、自分一人が、仏陀とか神仙とかいわれるものに近い永遠不滅の性質を帯びたものに変質するのである。こんな張り合いのある以上の仕事がまたとこの世にあろうか。慧鶴は軒から座敷一ぱいに音もなくさし入っている夕暮近くの太陽の光線に腕をさし延べ、手を裏にし表にして光をうけ止めてみた。掌の表も裏もまるで黄金のように黄ろく光って眩しかった。それを我慢して見詰めていると目が渋くなって涙が浸み出して来た。慧鶴は「禅関策進」を懐へ入れて部屋へ帰った。

 それから慧鶴の行状はすっかり変った。明けても暮れても座禅に熱中した。眠くなれば事実、膝を錐を刺すようなことをして意識の朦を追い散らした。考えることは悟りということ、不滅の肉身を獲ること、この一途だった。眠りの幕がいつの間にか考えている頭の中を周囲から絞り狭めて行って、考えは暗中ただ一点の吸殻の火のように覚束《おぼつか》なくなる。そのとき殆ど昏睡《こんすい》状態の人の手が反射神経で畳の上の錐をふらふら拾い取り手当り次第に、膝を組んでいる脚の部分に突き立てる。白金色の痛みは身体中に拡大し、眠りの幕は放射状の爆破で、一気にどこかへ吹き飛ばされて仕舞う。その後を埋めるものは前の続きの思考状態かというと、それは直ぐに取戻されては来ない。錐を引いたと同時に去って行く痛みの尾のいおうようない甘酸っぱいひりひりした感覚の中に、うっかり閃いて来る心象は橘屋の娘のことでなければ富士の白い姿であった。一週間ほど慧鶴は新しく取り上げた求道の慾望によって竕散の意識感覚を取纏《とりまと》めることに懸命の努力をし、どうやら思考も継続して追詰めて明けるように慣れて来た。周囲の事物はだんだん慧鶴に対して正体や意味を失って来た。彼は周囲に、ただ芝居の書割の中に往来するぐらいの注意力しか奪われなくなった。生ける人間に対しても同様だった。彼等の存在や彼等との交際には一向興味が無くなって来た。
 自然彼等との応対交渉は冷淡になり、総ての情熱は内部に向っての思惟《しい》の座に注がれた。それは今まで友達に対して面白く賑《にぎや》かで親切であった慧鶴を急に、エゴイストに変ったように見えた。寺には十二人の徒弟が居た。彼等は何れも慧鶴を同僚として愛していた。だけそれだけ彼等は急にそうなった慧鶴に対してひどく反感を持ち始めた。
 ある日慧鶴は井戸端で肌着を洗濯して居た。其処へ飛脚が来て肌着に添えた駿河からの母親の手紙を一本と、序《ついで》とあって橘屋の主人からの手紙一本を慧鶴に届け、水をつるべ桶から飲んで帰って行った。慧鶴は手紙を受取ったとき母親の手紙は肌着を届けたその添状、橘屋のは便りの序の通り一ぺんの問候《もんこう》のものと合点し、母親のを半分読みさしただけで他の一本の手紙は封も披《ひら》かず一緒に袂《たもと》へ入れてしまって、なおも洗濯を続けた。彼はすべての動作を機械的に運び心は例の疑問の究明に向って鈍痛を覚えるほど頭の一処は熱く凝らして居た。で、彼は肌着を掛竿で西陽に当てて干し、家の中に戻って朋輩と夕の掃除にかかったときは、手紙の事は全く忘れていた。彼は激しく掃除に立振舞ううち橘屋からの手紙を床に取落したのを朋輩に拾われてもついに気が付かなかったのだった。
 朋輩たちは、彼にないしょでその手紙を開いてみた。それは表面だけ父の字に真似て書いた橘屋の娘からの手紙であった。その文面はこの若い女が全く慧鶴を未来の夫と思い定め、自分を離れて遠く起居している青年僧に向って、しきりに寂しさ恋しさをかこつのであった。しかし、いくらいかに慧鶴が無情の素振りを示そうとも、彼を待ちつつ、いつまでも心に変りはないことを繰り返し繰り返し誓ってあった。そして、娘は自分の態度を説明するのに女の操《みさお》というような決定的の文字さえ使っていた。娘はなお、自分の患《わずら》って居ることを報告して切々情を愬《うった》えている。
 二週間前なら朋輩たちは、この手紙を素直に慧鶴に渡してうどんか煎餅《せんべい》でも奢《おご》らせる工夫をするのが頂上だったろうけれど慧鶴に憎しみを持出した此頃の彼等は、彼等に叛《そむ》いた同僚に一泡吹かす手段にこの手紙を利用した。彼等は評議一決して手紙を無言で師匠の馬翁の手先に差出し、馬翁の裁断によって慧鶴を苦しめる目的を果そうとした。
 馬翁はちょっと意地の悪い笑いを洩《も》らしたが、ひそかに慧鶴を呼び寄せ娘の手紙を示し乍ら「恋女房とさし向いで、呉服を商うのもまた風雅ではないか」としきりに彼に還俗《げんぞく》をすすめた。けれども慧鶴は承知しなかった。
 それから間もなく国元から使が来て、彼の母親の死を知らせた。この母は慧鶴が出家することに力を添え、僧になって後も学費など気をつけて送って呉れていた。この母親の死に遇うことは慧鶴にとってはかなり打撃である筈だが、自分の求めるものに一心凝っている彼は今、さしあたり自分の力ではどうしようもないという諦らめがあった。自分が求めているものを掴《つか》んだとき、母を失った代りの何かを与えられそうな気がした。それでたいして気持に動揺はなかった。久し振りにあっさりした詩偈を一首作ってほのかに心の隅に波紋を描く悲しみの情を写し現した。それが済むと何か道草を喰ったあとのような焦立たしさで再び座禅思惟に心身を浸した。全く取りかかりの無い空間に向い、疑いそのものとなってわれを忘れ去るのは無限の谷底へ向けて崖から手を放すような不気味さがあった。しかし、思い切ってそれを始めると、超現実的な大気が、音も無い風となって、皮膚の全部を擦過する。そして孤独にも孤独の痛快味がわれとわが空虚のうちを慰め潤おし、それが弾《はず》みとなって思索から思索へと累進《るいしん》するときに、層々の闇の中にときどき神秘なうす明りが待受けていて何か異香らしいものさえ鼻に薫《くん》じた。距離感と時間的観念とはいつの間に消滅していて落下か上騰か不明の運動に慧鶴の精神も肉体も支配され、息も詰まるばかりの緊張で宇宙のどこかに放たれ飛んで行った。
 夏の初めから夏安居《げあんご》に入って、破れ寺の瑞雲寺でも型ばかりの結制を行っていた。むかし釈尊時代に、夏の雨季は旅行も困難だし歩いても道に匍う虫類を踏むと可哀想だというので室内に閉じ籠り定座思惟に耽った。その習慣が伝わって、後世の夏安居になったという。禅が日本へ渡ると共にその風習も伝わって禅寺の主な年中行事の一つになっている。夏の九十日間は雲水達はどこかの寺の道場に宿りを求め静に座禅工夫にいそしむのであった。
 慧鶴も朋輩十二人と一緒に僧堂に入って座禅に努めたが慧鶴はよい便宜とばかりに熱心に掟《おきて》通り行い澄したが、外の朋輩はそうは行かなかった。橘屋の娘の手紙以来いよいよ慧鶴との間が面白くなくなって来た朋輩たちは今度は積極的に敵対の態度に出て、事の端にも慧鶴の邪魔をした。慧鶴はよく堪えて辛抱したので彼等は張合いが無くなった。そうなると彼等は慧鶴に対する憎しみを馬翁の上に移して、しきりに馬翁に対する不平を云った。慧鶴が橘屋の娘のことで馬翁に呼びつけられたことは確かであるけれど、どう双方の話がついたものか慧鶴の様子は一向変らない。これは馬翁に依怙《えこ》ひいきがあるからで、師匠としても許しがたい振舞いである。
 それやこれや平常かんぺきの強い師匠への不平が不平を生んで月も七月に入って安居の終りの日が来たのをよい機会に彼等は暇を取り揃って寺を出て行った。

 慧鶴は寺にたった一人馬翁と一緒に残った。破れ寺ではあるが一通りの勤めはしなければならないし、掃除から台所の支度、それに馬翁の身の廻りの面倒までもみなければならなかった。たまには行乞《ぎょうこつ》にも行かなければならない。折角《せっかく》思い立った座禅思惟を取られて思うように運ばなくなった。慧鶴はそれでも辛抱した。どうも馬翁という老人の様子をみると朋輩のいったように必ずしもわが儘《まま》ばかりの人物ではなさそうだ。多少誇張して勝手|気儘《きまま》をして見せている様子がある。人より一段上の自由なものを老人は得て居るらしくはあるが、そこにゆったりと納り込んで独で楽しんでいられるほどその自由に自信と幅を持っていないらしい。はたの普通平凡な人間を見るとそれ等と自分との距てが際立って痛感され、孤独の寂しみに堪え兼ねるらしい。けれども自分の方から凡俗に降って膝を交えることは、とても出来|悪《にく》い性分なので、自分の自由をはたにひけらかし、また他を罵詈呵責《ばりかしゃく》してはたのものに何等かのショックを与えることの上に人間との交渉を保って行こうと馬翁の無意識が努めるらしい。馬翁が凡人普通に交っているとき、いかにも悲しく退屈そうな顔をして居り、軒昂として自分を立て、周囲を悪罵するときにどんなに満足と親しさを彼の表情の下に隠しているか見れば判る。誰も気付かないがそのときは皮膚の下に熱い愛情のようなものさえ血管に漲《みなぎ》らしているのである。だがこの老人の人に対する愛情は、人と同じ水準に立っては注ぐことは出来ないので、無理に高く自分を持ち上げて、その位置から獰猛《どうもう》に流しかけるのである。気の毒な超人の愛。だが、そうかと思えば、老人はまた自分が凡俗と違いのある距離を自分に意識さすためむやみに人をこき下すように云う事もある。こういう時の老人は懸命で残忍だ。慧鶴はこの老人を見た最初から尊敬は出来なかったが決して憎めなかった。詩文の造詣《ぞうけい》と才は、全く天下一品だったので、その方の世話にだけあずかる積りで止宿を乞うていたのであるが、もはや自分の目的が変った以上寺を出て仕舞ってもよかった。しかし、朋輩も出て行き自分も居なくなったあと寺に残る老人一人を想像すると、背中が寒い気がした。饑人から最後の食を奪って行く気がした。自分一人だけでも老人の叱られ相手に残っていてもやらなければなるまい=そして慧鶴は一人で破れ寺を切り廻した。その気持ちが馬翁にも通じたものか、ある日慧鶴が雨がぽつぽつ降り出した井戸端で屑大根を洗っていると大垣へ遊びに行って帰って来た馬翁がしばらく傍に立って眺めていたが慧鶴の背中を叩いて云った「立つ鳥は勇むのう」これは望みを持つ人間は努力精励するという褒《ほ》めた言葉であって、この位でも馬翁が人を褒めた事は無し、また、その語気からこのくらい馬翁が人と親しみを露骨に出して囁《ささや》いたことも無かった。慧鶴は憐れな気がして、そっと暗涙を袖《そで》で押えた。慧鶴は普通な人情よりこういう超人性を帯びた片輪な性情については生れ付きの察しと同情を持っていて、それが随分自分に不利益を持ち来すこともあるので、振切ろうと歯噛みはするがどうにもきっぱり振り切れなかった。
 そうこうするうちはや、忘れ去った橘屋の娘の死消息が、詳しく母親の手紙によって報じ越された。娘は死んだ、娘はしばらく病の床に伏していたが死期を知ると、しずかに慧鶴の名を口誦《くちずさ》み、頬に微笑のかげさえ浮べながら、そのまま他界の人となった。
 身も心も弱い娘だ。だが男を思い諦らめる一方に心の精力を使い切り、強いて慧鶴に対する自分の慾望を実現しようとも望まなかったらしい。胸に思い溜めた情熱を美しく培《つちか》うことに力一ぱいらしくあった。もし娘がそれを望んで慧鶴と結婚とでもいう事が眼の前に実現したならば彼女はあまりの生々しさに却って眉を顰《ひそ》めたかも知れない。果敢《はか》ない恋であった。それは彼女の本質にむしろ合っていた。ただその果敢ない恋の範囲内で満足した故に死に対しても何の心乱るるところもなく思い詰めたとはいうもののそれを程よい夢に化して夢の美しさに淡く酔いつつ、ほほ笑んでこの世を去って行ったのだ。それ程はっきり批判はつかぬ迄も只そんなけはいを感じてか彼女の母からも、みなあなたのお蔭、私よりも厚くお礼を申します。と彼女の母は手紙に賢く書いて寄越した。
 慧鶴に取っては多少張り合い抜けの感がないでもなかった。娘が恋狂うとか恨み死にとかいうことでもあったら肝に堪える悲痛な嘆きに苦しみはすれ、男として得意のところもあろう。男一|疋《ぴき》、女の胸中の恋人に幻影化され偶像にされ、病死の往生際《おうじょうぎわ》の念仏代りになる。あまり名誉なことではない。それにつけても普通の人情には縁の薄い自分であることが判る。そうかといって、情から離れ去った光風|霽月《せいげつ》の身の上でもない。うすいうすい真綿の毛のような繋縛《けいばく》がいつも絡みついてたいして堕落《だらく》へ引き込むという懸念も無い代りに綺麗に吹き払おうと思えばなかなか除きにくい、これが自分の性情の運命である。その意味からは橘屋の娘の恋愛関係も浅くおろかなものとも思えないようになって来て影の薄い女だけに、いじらしさも、また増して来る。こういう女の執念が附かず離れず鳥の毛のように、死んだ後までも軽く、しかし、しつこくいつまでも自分の魂にまつわって来ることを想像すると堪らない気もする。こりゃどうにか解決をつけなければならない。慧鶴は今まで解脱《げだつ》ということを、自分の身の上の慾望とのみ考えて来たが、今は死んだ果敢い女の魂の為にもその事が必要のように思われて来た。なぜならば、自分の性情に何等かの隙がある故にこそ、彼女に自分を偶像として恋を夢みさす便りを与え、そして彼女は未来永劫にこの果敢い虹の糸をまさぐりながら偽りの悦びに転々して生死を繰返さねばならないのであろう。自分が解脱することはこの絆《きずな》を断ち切って彼女を夢より醒すことでもある。そして共に真実自由な涅槃《ねはん》海に落着けるのである。今のままでは彼女も偶像を相手の夢の美しさにいつまでも中途半端な生死を繰返すことであろうと同時に自分とても似たり寄ったりの迷悟不明の境地に彷徨《さまよ》わねばならない。これはどうしても決心を新にして少しでも繋縛の気のあるところは早速《さっそく》に避け退き、ひたすら求道《ぐどう》の一途に奔らねばならない。そこへ気が付けば馬翁に対する憐愍《れんびん》も十分、自分の繋縛の一つでないことはない。かくて慧鶴は思い切って馬翁に暇を告げ桜の頃檜木村をあとにして、雲水の旅に出かけた。

 まず、美濃の国中で評判の寺々を歴訪して師家と名の付く老僧たちに会い、疑いのあることは問い、修業の方針を教えられたりしたが、どれも腑《ふ》に落ちるものはなかった。中にはただ座禅して無心になっているその生活中に解脱《げだつ》や安楽があるのだと説くものもあった。そしてこの種の禅が随分処々に流行《はや》っていた。慧鶴はそれでは満足しなかった。掌《てのひら》に載せた真桑瓜《まくわうり》のその色を見、その重さを感ずるようにわが五感の感覚や意識で明白に解脱の正体を見きわめなければ安心出来なかった。この肉体さえも仏陀《ぶっだ》と等しき不生不滅の性質や働きを得なければ究竟《くっきょう》とは考えられなかった。
 つまり初一念の希望の通りに還ったのである。そしてこの慾望を飾りなく訴えると老僧たちは黙ってしまうか、馬鹿にして笑うかの外答えなかった。慧鶴は時に落胆したり、時に怒ったりしたが、しかし、結局は現実の老僧たちの態度よりも馬翁の許《もと》の虫干で拾った「禅関策進」の中に書いてある文字上の歴史の人々の事蹟言行を信じた。解脱の正体はすべて象徴的な言葉をもって述べられてはいるに違いないが、しかし体験としては歴々として掴《つか》んでいるもののあることはどの人の上にもほぼ推測が出来た。慧鶴も多少修業を積んだお蔭で、そのくらいの推測は出来るようになった。この目準があるものだから、いくら老僧たちが嘲笑的な態度を執ろうとも最後には彼等の胡散《うさん》の誘惑から免《まぬが》れて初一念が求むる方向へと一人とぼとぼ思念を探り入れて行った。かくて彼は求道の旅の範囲をだんだんに拡大して行って翌年宝永三年には若狭の国までも足を伸ばし、それから四国へも渡って松山の寺に止宿を頼んだりした。もっともこの松山入りは学費の関係からでもあった。彼に僧として修業の費用を送っていたのは彼の母であったから母亡き後はとかく学費にこと欠いて来た。そこへ伊予の松山の城下は富裕の評判高く行乞に便利であるところからしばらくそれを便って落着いたわけである。
 ある日、慧鶴は在家の法事によばれて行き、役目をしまったあと、その家の珍蔵の大愚和尚の書軸を見せられた。文字は、うまいとも拙《まず》いとも批評に上せられぬような法外な字であった。しかし、その形の儘《まま》でいうにいわれない生命の力が徹《とお》ったところが感じられた。果して解脱はあるものである。そしてこれを掴んだものは、もう人工的の美醜良否は没交渉となるのであろう。そう感じた慧鶴は寺へ戻ると今まで、まだ未練で伴い携えて歩いていた趣味的のもの、教訓的のものそれ等の所持品を卵塔場へ持出してみんな焼いてしまった。そしてただ裸一箇の自分となり独力、座禅思惟の一法によってかの解脱を掴むか掴まえぬか、面と向った真剣の勝負に驀地《まっしぐら》に突き進むこととなった。

 明けて宝永四年、慧鶴は二十三歳となった。その道に入り切って右往左往していると妙なもので彼も雲水社会に多少名を知られるような一人となった。変った修業者、愚直に見える修業者、だが、どこか真面目《まじめ》なところもある。そういった評判だった。そして引立てて呉れる先輩も出来、引廻して貰おうとする後輩も出来て来た。
 同輩ぐらいの年期の雲水は彼を信じられる頼母《たのも》しい友人と認めて伴《つ》れになることを好んだ。しかし、彼は、どんなに多くの仲間と伍しているときでも心は孤独だった。むしろ、そういうときほど自分が取付かれている世にも不思議な神秘に対するあこがれが非常識に目立って自分を片輪もののように感じさした。さればといって彼等と同じ程度の慾望や生活に歩調を合わすことは出来なかった。それは穏健無事には違いないが自分には何の魅力も持ち来さない。当時普通に禅でいうところの虚空的な心の自由が得られて、日々これ好日の生涯を経るという程度の幸福なら、格別欲しくもなかった。あきらめさえすればよかった。彼からみるとその程度の幸福を望んでいる雲水たちは苧殻《おがら》の屑のように思えた。人間ではなかった。それに引較べて自分の中に籠《こも》っている慾望は烈々として火の玉のように燃えていた。この肉体を天地に叩《たた》きつけて、天地を自分の命令通り動かせる自分の肉体とするまでは思い絶たない望みであるのだ。天地と自分と一枚の肉体となって、そこに金剛不壊《こんごうふえ》の自己を打ち樹てる。そこまで行かねば刃を退かない勝負の修業だった。けれども、そんなことを言っても誰一人判って呉れるものはないのだから彼はただ、ときどき顔を背けて苦笑するだけで、縁あれば道伴れとなり縁なければ別れて一人となる機会の操《あやつ》るままに任せ、自分だけは切れそうになる思惟の糸を継ぎ継ぎ一向きにかの神秘の把握《はあく》に探り入った。
 そういう状態で彼は友に招かれたり、また伴れに誘われたりして備後《びんご》から播州《ばんしゅう》の寺々を漁《あさ》り歩いた。彼は体力が強いので、疲れた伴れの三人分の荷物を一人で引受けたりした。そういう歩行中でも彼の思索に探り入る習慣は立派な鍛錬《たんれん》となって、決してわきの刺戟《しげき》によって思索の軌道を踏み外すようなことはなかった。環境と無関心のその有様は自分がただ一ところに足を踏み交わしているだけで、街道筋の民家が却って並木と共に西へ西へと歩いて行くと思われたほどだった。
 兵庫から船へ乗った。彼は思索に思い入りながらすぐ寝てしまった。颶風《ぐふう》が襲って来た。今は船も覆《くつがえ》るほどの大荒になって来た。船客も船頭も最早《もは》や奇蹟《きせき》の力を頼まねばならぬ羽目になって髻《もとどり》を切って仏神に祈った。船は漸く港についた。そこで気の付いたことは船客中一人、慧鶴だけが騒ぎを知らずにまだ眠りつづけて大|鼾《いびき》を掻いていたことだ。まわりの者は呆《あき》れて怒った。しかし慧鶴は、すべてに関らず、眼が覚めると同時に眠中の無意識へ織り入れた思索の糸を再び覚めた意識の軌道上に取出して、また糸口を繋いだ。
 何となく故郷の富士が気がかりになる数日が続いた。それに引付けられて、彼はそろそろ帰り途の方向に旅路を拾うようになった。伊勢へ来たときにある雲水から馬翁が重病にかかって而《しか》も介抱するものが一人もいないという話を聞込んだ。慧鶴は舌打ちした。あの超人の出来損い、またしても自分の弱い性情に附込んで繋縛《けいばく》となるのか。そうは思ったが、彼はやっぱり急に道筋を変え、美濃の檜木へ行った。彼は無言で馬翁の看護をした。馬翁は相変らず傲岸不屈な顔をして彼の介抱を受けた。しかし慧鶴が来てからぽつぽつ勢いがつき三月ほどのうちに病気はすっかり癒《なお》った。慧鶴は漸くあわただしい心の赴《おもむ》くままに驀地《まっしぐら》に故郷へ帰った。秋の十月に諸国に地震があり、故郷の駿河も相当ひどかったということは彼の帰心を弥《いや》が上にもそそったのであった。
 彼は一先ず師匠の寺の松蔭寺へ落着いた。師匠の単嶺は清水禅叢にいる時分に歿くなって、今は兄弟子の透鱗が寺を守っていた。寺は地震で壊れた個所に手入れをしていた。寺の縁からは相変らず大きい富士が畑と愛鷹山越しに眺められた。しばらく振りに見る秋の富士は美しく気高いものには違いなかったが何となく不安な様子が漂っていた。慧鶴は、それは自分の主観の煩《わずら》いが向うに映ってそう見えるのではあるまいかと訝《いぶか》った。しかしその不安にはまた不思議に情熱の籠ったものがあった。籠ったというよりは憤ろしく鬱積しているという感じだった。慧鶴は強いてそれを押え、富士の姿に向って寺の縁で座禅に努めた。
 慧鶴が国を出てから十年近くにもなって帰って来たというので親戚や知り合のものは珍らしがって訪ねて来た。慧鶴は何を問われても「うんうん」と返事をするだけなので、みんなは気狂いか莫迦《ばか》になったものと思い、呆れて帰って行った。慧鶴は折角、寝ても覚めても思索一途に嵌《はま》り込めるようになった心境の鍛錬を俗人との世間咄《せけんばな》しに乱されてしまうのは惜しくて堪らなかった。それと、近頃、精力に似て、それでもない鬱積の塊のようなものが心身を張《は》ち切らしそうに膨脹して来て、愉快とも苦痛とも言えない気持は、とても尋常の談話などしていられる時期ではないように思われた。
 月を越して十一月になった。その間にも大小の地震が繰返された。九日の夜の冴えた空に煌々と照り渡る半月を浴びて慧鶴は相変らず寺の縁で坐禅をしていた。もう真夜中過ぎであった。富士は一きわ白く抽《ぬき》ん出て現実のものとは思われなかった。慧鶴はすこし夢心地になって思索の筋道を奥歯できっと噛み押えながら意識をとろりとさせていると、地響きのようなものが聞えて来た。慧鶴はうっすり半眼を開いてみると黒い塊が列になって富士の方角から寺の前の畑の中を通って沼津の方角へ続いている。それは長い黒幕を地上に敷いたようであった。慧鶴が何だろうと思って意識を稍々《やや》恢復さすにつれ、それは河の流れのようにざわざわ浪立って見える。そして慧鶴がはっきり意識を取り戻したときに黒い河の流れは無数の小さい塊が走り動いているのであって、その塊の数が数限りもないためただ一幅の幕の布にも見えたのである。なお慧鶴が気をつけて見ると、走り動いている小塊は悉《ことごと》く動物であって野猿と覚しきもの、山犬と思しきもの、鹿の群と思しきもの、種々雑多である。それが淀みなく東へ東へと走り続けるのである。そうは認めたものの慧鶴は一向驚くこともなかった。むしろ当然、そうするのがよいのだという気がしてただ黙って目送していた。やがて三十分も経ったであろうか。獣の行列は遂に尽《つ》きた。そして一番しまいに殿《しんが》りだとでもいうように大きな熊が一疋、無恰好な形をしてのそのそ列を追って行った。それは可笑《おか》しかった。あとは、富士山麓の夜半の景色は、一層静まり返り、冴えた月の光が寒さと共に大地へ音もなく浸み徹るだけであった。慧鶴は確《しっ》かりして来て意識を腹の底に据えて鶏の鳴くまで深い思惟に入った。

 ゆうべは妙な地響きがしたと駅の人々がちらほら噂し合っている十日の朝から、今までにない激しい地震と一緒に富士の山麓の方に当って何処という個所は判らず鳴動の音が聞えて来た。初めは一日に二三度ずつぐらいだったが、日を経るに従ってだんだん度数を増し、二十二日の夜には三十度にも及んだ。その前から用意のいいものは家の外に小屋掛けして寝起きしたり竹藪の中に仮住居をこしらえたりしていたが、もう家の中にいるものはなくなった。ちょっとの用事にも人々は匍って歩いた。翌日の朝の八時頃、車軸の轟《とどろ》くような音がすると間もなく、富士の裾野の印野村の上の木山と砂山の境のところから、むらむらと太い煙の渦巻が立昇った。同時に雷の落ちる激しい音が聞えた。煙の渦巻は一日続いた。
 夕暮から夜になると、それがすっかり焔に見え、その火焔の渦巻の中に鞠《まり》の形をした白いものと、火焔よりも光る火の玉とを絶え間なく天へ弾ね上げていた。あたり一面は明るくて昼のようだった。噴き出た火焔の末は黒煙となって東の方へ押し流れて行った。その雲の中にも雷が起って稲妻が頻《しき》りに四方に走った。稲妻は火の口より噴上る火焔と連って綾手の網になったりした。手前の小さい愛鷹山が影絵になって輪廓を刻んで見せた。
 十一月十日の朝、地震と共にどこともなく鳴動が聞えて来る時分から、寺の縁に坐禅を組みつつあった慧鶴には、いよいよ只ならぬ気配が感ぜられた。苦しみといえばこんな苦しみはなかった。まるでいのち[#「いのち」に傍点]を支えたものを、すっかり※[#「てへん+宛」、第3水準1-84-80]《も》ぎ取られてしまいそうな絶望的な恐怖だった。鋭い怯えがたびたび来て、あわや叫び声を出しそうだった。しばしば凡情に立返りかけて見栄も外聞もなく四つ匍いになって世界の果まで逃げ出し度くなった。やっと、それを止めたのは激烈な憎みだった。誰がこんなに自分を生涯一度も覚えたことのない卑怯《ひきょう》な気持にさすのか。何が、自分をこうも情無く圧迫するのか。憎みに力を添えられて辛うじて座禅の形を続けていると収縮した毛穴から干からびた皮膚へ油汗がたらたらと押し出て全身が痛いようだった。激しい地震の時には坐禅の両手を腹の前で重ね合わしていることが出来なくて寺の縁板の左右へ思わず突出して支えたりした。これではならぬと強いて指を組み合せ、動く庭を睨《にら》み据《す》えた。車前草《おおばこ》の間を蟻が右往左往しているのが眼の中に閃めきながら身体は右へ左へと転んだ。そのたびに彼は肘《ひじ》で縁板を弾ねて起上った。
 二十三日の朝、今までにない大音響と共に富士の腰から煙の渦巻が噴き上ったときに、彼は思わず眼を開いてあたりを見廻し、それを見付けると、何事か判らないが少くともこの異変が富士全山に関係あることを直覚した。すると彼の憎みは目当てが出来たので、俄《にわか》にそれへ注がれた。憎みは強い怒りとなってかの煙に注がれた。みるみる身体が熱くなって今迄に覚えない逞《たくま》しい生気が脊髄《せきずい》を突き上げて来た。おお! 富士が生きていて活気を吐いているのだ。おお! 死灰のようなあの富士が、彼女が! 怒り切ったあとにはこのような讃嘆の気持が彼の考えを支配した。それは何年の間か、その冷静をもって自分を焦らしていた彼女が、その偽りの仮面を捨て、真実を、感情を示して呉れたように思えた。自分の永い間の宿念の力がとうとう彼女の仮面を剥がしたようにも思えた。そう思って来ると雷の音と共に、あのむくむくと噴き上る白と黒の煙は、富士のではない。自分のである。今まで鬱積していた得体の判らぬ心情、それがあの煙となって渦巻き上っているのだ。むずん! ほっ! 何という太く逞しい自分の悪血の迸《ほとばし》りだ。吐け、吐け。

 慧鶴は何物とも知れぬ情念に狂える如く酔ってしまった。その酔いには濃淡があった。旧十一月の末のことだから、ときどき凍えるような西北の風が来て、あたりを掃いた。それが地震や雷の暇に来るときは寺囲いのはん[#「はん」に傍点]の木の梢《こずえ》を鳴らし落葉を縁に吹き上げた。日頃の初冬と変らぬうすら冷い白々しい景色であった。そして向うを眺めると富士は雪の肩をぶるぶる顫《ふる》わして稲妻入りの黒煙の群に覆《おお》われているのだ。それは異状な世界だった。そういうときは慧鶴には人間の自分と噴火しつつある富士とは別物に見えた。そして兼ねて望んでいたように情熱的になった自然の大|瘤《こぶ》に対し言おうようない愛といじらしさを覚えるのであった。しかし、忽《たちま》ちにして世界は変った。豆|煎《い》り網のように大地は揺れ、地上のものはみな鳴り、小径から彼方の村へかけて裂いて投げつけるような女子供の叫び声が挙がる。そして間もなく地軸を捻《ね》じ切るような底気味の悪い大音響が天地を支配して、洪水のように火焔は空に吐きかけるのだ。そのとき慧鶴は、もう自分も富士もない。きやりと閃く青白い恐怖が彼の頭の中にあらゆるものを一|嘗《な》めに浚《さら》って行ったあとは、超自然のような勢力が天地を縦横無尽に駆け廻る、その勢力に同化してしまって洋々蕩々たる気持になってしまうのだ。ただ吐きに吐く感じ一つになってしまうのだ。このとき彼の顔には泣いてるとも笑っているとも形容し切れない、白痴が酔茸にあたったときのような表情が上っているのであった。
 二十二日の夕方からは闇夜の背景に浮出されて噴火の光景、いよいよ珍らしい不思議な世界を現出した。村も畑も燦々《さんさん》と輝いた。その輝きはあまりに鋭いので却って人々を静寂な気持にした。輝きには、そのまま死んでしまいたいような神秘な魅力があった。源の富士の腰の火柱は、とても目映《まば》ゆくて見詰められなかった。強いて見詰めたものは、目を損いながら、火の柱の中に鬼神が珠を掴み上げる腕の形を見たとか、竜が噛み合う姿を見たとか言った。東の夜空に流れて行く煙の雲にも火は映って関東の方に真赤な大陸が生れて浮んでいるように見えた。それに較べて大地の物象はあまりに憐れな小さい姿となった。慧鶴はこんな、さまざまな今までには覚えたことのない気持に飜弄《ほんろう》されながら坐禅を続けた。続けざるを得なかったのだ。富士と自分は、いま絶体絶命の試錬を受けつつあるのだ。この先、どうなって行くのか、一幕々々が命の底から揺り変える激しい代りであるだけに座は立たれなかった。いのち懸けの興味であった。寺は度々の地震ですっかり損じてしまい、竹籠のようになっていた。住持の透鱗はじめ僅かばかりの寺の人数は裏の竹藪の中に仮小屋を作りうずくまって住んでいた。慧鶴を心配して様子を見に来たり仮小屋へ連れ込もうとした。慧鶴は不愛想に断った。それでもう誰も彼を関いつけるものはなくなった。ただ一人実家の老僕の七兵衛だけがときどき食べものを運んで来た。慧鶴はそれで饑を凌ぎながら胆太く自分と富士の運命を見届けにかかった。七兵衛の話では、この先どうなり行くか、これがこの世の終りかも知れない。そんな噂が立って、この騒ぎの中に酒盛りをして乱痴気騒ぎをしている連中もある。そんな連中は世間憚らず女にからかいかけるので白昼でも女の一人歩きはしなくなった。また金なぞ持っていたとて仕方がないとパッパと使い散らすものがあると同時に、今更銭を受取ってどうなるものかと物を売らなくなったので、物価だけ無闇に高価《たか》くなったけれども銭は殆んど通用しなくなった。こんな村の話をした。
 慧鶴が真底から決死の覚悟を定めたのは石や灰が降り出したからであった。初めのうちは白灰であった。昼でも濛々として宵闇の膜の中に在るようだった。灰が薄れると太陽が銅色や卵黄色に見えた。その次に石が降って来た。白くて塩の塊のような石だ。そこらじゅうの物に降り当る音は軽いけれどもやっぱり不気味な音だった。寺の縁にもときどき落ちて来た。中に火気が籠っていて、落ちた石が触れる縁板はぷすぷす煙を立てた。枯葉の塵塚に落ちたものからは火の手を挙げた。寺の男共は盥《たらい》を冠って水桶を提げて消して廻った。村で二三軒|小火《ぼや》を起した家もあった。草葺《くさぶき》屋根にも出来るだけ水を撒《ま》いた。須走村では禰宜《ねぎ》の大和家に火の玉が落ち、それから村一統も焼払われたという噂なぞ聞えて来た。
 この災害を蒙《こうむ》って若し死なば富士諸共だ。灰、石の降る中に在って慧鶴の覚悟はだんだんこういう風に神秘化して来た。これほど子供のうちより心の繋りを持つ富士が、自分が死んで、やみやみ後に安泰で残る筈がない。自分が死ぬときは、あの巨大な土塊も潰滅《かいめつ》の時だ。強くそう思えて来た。するとこの富士と自分との関係は二十年という短いものではなく、彼女が噴火を停めて以来の関係のように思われて来た。それは五百年も昔からだ。五百年という永い歳月の間に自然だとて不平不満がない筈はない。その鬱積がいまここに火を噴くのだ。人間だとて同じことだ。この五百年の間に皮相な慾望で塗り籠められた人間の久遠《くおん》の本能慾が、どうして鬱積せずにいるものぞ。それを担って生れたのが自分なのだ。五百年の自然の不平の犠牲者であるかの富士、五百年の人間の不満の犠牲者である自分。二つのものは結局一つの使命の為めに一致しているように感じられた。久遠の真実、覆い難い慾望、人間として、火も焼く能わず水も溺らすことの出来ない肉身を得ん為めの願いを再びこの現実の天地に取戻さん為めにここに叫び叫ぶもののように思えて来た。自然だとて慾望もある、肉体もある。あのすざましい噴火の焔、あれを見て誰が意志の無いものと思えようぞ。このごうごうと撓《しな》う大地、誰が無生物と思えようぞ。それは取りも直さず人間の延長なのだ。人間こそ彼の延長なのだ。そしていま吐きに吐く真実をだ、慾望をだ、苦しみをだ、力をだ。不幸にしてわたし達は稀有《けう》な望みの為めに、噴火の為めに潰れるかも知れない。だが、それが何だ。五百年間一人も抱かなかった生命の慾望を現身に意識づけたということだけでもわたしたちは幸福じゃないか。潰れて死ね、富士も自分も、他のもののために潰されて死ぬのではない。自分で吐く叫びによって擲《う》ち殺されるのだ。噴火によってわたしたちは死ぬのだ。
 落灰、墜石は二十三日から二十七日まで五日の間、降り続いた。どこを見ても枯色の塵塚ばかりとなった。あたりはすっかり灰色の世界となった。昼間から暗いので灯を点す家もあった。それが墓地の中の線香ほどに見えた。坐を組んでいる慧鶴の前半身も同じ灰色で染められた。困ったのは呼吸をする鼻から灰が入り、頻《しき》りに咳が出ることであった。慧鶴は手拭を一重にして鼻の上を巻き、これを防いだ。それでも咳は出た。七兵衛が来ての話では、灰は須走村が一番ひどくて一丈三尺にも及び、それより平地に近い御殿場、仁杉村、東はみくりやから足柄辺は三四尺ということである。誰一人として表へ出るものはない。ただ飛脚が街道筋を灰煙りを蹴上げて規則正しく行き交わすだけだ。灰は江戸まで降り、市中は大騒ぎをしているそうだ。
 二十七日の夜中から煙の出ようが薄くなったように見えた。慧鶴は自分の気のせいかと思ったが、灰の降りも少くなったらしく、そろそろ人が出だして、寺の垣外を通る話声にもそのようなことを話し合っている。慧鶴は油断はすまいと弛む心を引締めているつもりでも、どことなく、やれ安心、早く災難から脱れ度いという気持が湧き出して来た。われながら意気地なしと思いながら、どうしようもなかった。煙は一日一日と薄らいで来て、月を越えた十二月のはじめには僅かばかりの噴上げ方となった。人々はもう大丈夫なのかと恐る恐る住居の掃除なぞに取かかり始めたが八日の晩から、また噴火は激しくなって再び人々を縮み上らした。慧鶴ももう一度覚悟しなければならなくなった。だが、そのときは早や身体も心もへとへとになって、ぼんやりした気持で、ただ成行きに任せるより仕方がないという諦らめだけだった。何となく自分の不運ということだけが感じられて淡い涙が眼瞼を潤おした。夜中頃、困憊《こんぱい》してうとうとしかけた慧鶴の耳に火口から東海面へ二度ほど何やら弾ねる音がして、夜目にも火口の火気は急に衰えた。暁方に見ると煙はすっかり止まっていた。人々は今度は本当に安心しかけた声を出して外へ出だすと雪がちらちら降り出して来た。それで折角楽しみにした噴火口の展望も探り見ることが出来なくなった。けれども煙が止まったと同時に降り出した雪には何かしら善兆らしい感じが受取られた。晦冥《かいめい》の天地にはじめて純白の色を見出すのも人々には嬉しかった。たくさん村の人が表を往来し出した。午後の二時頃になって、その人々のあれよあれよと言う声が頻りに聞えた。静な雪に誘われて坐った儘、淡い眠りに覆われていた慧鶴は、それ等の声に目覚めて反射的に例の火口の方を眺めた。雪はすっかり晴れていた。青い色の空の背景に浮出されてそこに宝珠のような形の新山が出来ていた。富士の頂から海へ引いた急角度な傾斜の線はそこで見慣れない弾みを打って畸形な瘤をつけていた。びっくりしたあとの慧鶴の胸には二つの感情が頻りにもつれ合った。
 なんだ、これしきのことでおしまいか、という強気のものと、まあまあこれで済んでよかったという弱気のものとであった。そして眼からは、それ等の感情とは関係のない、何の理窟もない涙が止め度なく流れ出るのであった。彼はやっと立上り、匍うようにして寺の部屋へ入り、横にぶっ倒れるや否や、昏々と深い眠りに陥った。

 序《ついで》にこの宝永の噴火の被害のひどかったことを記すと、その被害地の恢復に幕府は三十五年間から七十年余もかかったところがある。幕府は全国の扶持取りから百石につき二両ずつ上納させて救助復興の資金にあてた。
 原駅は富士の南側だから風下の東側ほどひどい被害地には数えられなかったが、それでも大迷惑には違いなかった。田畑の灰の掻き除けはしなければならず、川や用水の浚《さら》えもしなければならなかった。たまに思い出したように郡代から下げ渡される救助米とか麦種子代とかは雀の涙ほどで何の足しにもならなかった。第一に、草地一面に焼灰が混ってしまったのだから牛馬の飼料には一茎もならなくなった。それでも年を越して春になると梢《こずえ》の花だけは咲いた。それに勢づけられ、村の人はぶつぶつ言いながら働きはじめた。故郷のこういう姿をあとに見残して慧鶴は再び旅に立った。寺の人間の口減らしをする方がいいと思ったからであった。

 私(この白隠伝の草稿を書いたS夫人のこと)はこの先の白隠の消息も調べてみたのだが、それはあまり本筋の宗教の求道に入り過ぎていて、私の求めているものの参考にはなり兼ねるように思う。というのは、これから先の白隠の修道は禅の方でいう正悟に向って驀地《まっしぐら》に進んで行った消息だからである。自然と人間の肉体とのあの不思議な三昧《さんまい》感。世にも恍惚《こうこつ》として自然と融け合った快感。そんなものは、ただ本筋の悟りの道中のところどころの景色の一つで、若《も》しそれに酔って嬉しがっているときは却って本筋の進行の妨げになると慧鶴は師匠の正受老人からきつく叱られさえしている。禅をやる人々の間では白隠が本当に眼を開かれたのは、この信州の飯山に住む正受老人についてからであると言われている。それから後の白隠は、それこそ本筋の禅になったかも知れないけれども、私にはあまり興味がない。なぜならば人間至高の肉慾にして、超人には最後に残された唯一の肉慾、あの神秘感と袂《たもと》を分ってしまったからである。けれども、たった一度――それはこの草稿の冒頭に述べて私がこの聖者に係り出した原因になる、また、この以後の修業中にもそれに襲われたことがある。――それは、飯山の正受老人について正しい修道への道眼を開かれた後に、故郷の松蔭寺へ帰り、または修業に出たり、出入して十一年ほど経った彼が、三十四歳の時である。この間の修業も並大抵のものではなかったらしい証拠は、ひどい肺病と神経衰弱にかかって命も危うくなり、山城の白河の白幽道人というのから内観の秘法を授かってやっと助かったり、美濃の岩滝の山中に入り一日半掌の米を食として幻覚の魑魅魍魎《ちみもうりょう》と闘ったり、心理的に幾つも超越の心階を踏み経たことは大悟小悟その数を知らずと後に自身の述懐に就て言っているくらいである。尋ぬべき名師は大概尋ね尽し、探るべき心疑も殆ど底を傾けたらしい。私は彼が泉州信田の蔭涼寺で坐禅究明したある暁、詠み出た歌に心ひかれる。
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きかせばや信田の森のふる寺の
小夜ふけがたの雪のひゞきを
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 斯《か》くて三十四歳の時は、押しも押されもせぬ一廉《ひとかど》の禅師になり、亡師のあとを継いで松蔭寺の住職となり、まだ破れ寺ではあるが、そこに蟠※[#「虫+居」、U+871B、262-7]《ばんきょ》してぽつぽつ集って来た雲水に向って教育をはじめた頃である。
 彼がふと寺の縁に立つと、あの富士と自分と融け合う三昧が現前したのである。もう、そのときは彼には、こんなことは珍らしくもうれしくもなかった、邪道でもあることさえ判っていた。「慧鶴!」「慧鶴!」自分の名を呼んで富士から自分を引離したのであるが、いつも白雪中に隠れている富士の秀麗に対しては決して嫌いな気はしなかった。それでこのときを機会に聖者は白隠と号し始めたという説がある。
 邪道であるか何だか知らないが、私には心牽かるる心覚なのだから仕方がない。けれども、そこまで行くには、これほどの修業をしなくてはならないのか。それならば素人の私にはとても出来ない。それともあの噴火のような異常な恐怖に出会って過ぎた後なら、思わずその三昧とかは得られるのか。だが私はこども[#「こども」に傍点]の時分から神経は丈夫で、あの忘我的な脅迫観念とか、幻覚とかはついぞ縁の無い性分だ。私はこの聖者の伝記を調べて記し終り、試しに二度目に白隠の逸話集のあの個所を読んだときは、もう何の神秘感も起らなくなっていた。結局、私のような女には達せられぬ望みだろうか。
    ×  ×  ×  ×  ×  ×  ×  ×  ×
     ×  ×  ×  ×  ×  ×  ×  ×  ×
 S夫人の白隠伝は、こののんきな嗟嘆《さたん》の声で終っている。私はこの草稿を読んでから、あまりに健康で常識円満な女性は却って奇蹟とか神秘にあこがれる一面があるものだと教えられて、あらためて、S夫人を見返してみた。夫人は白昼の牡丹《ぼたん》のように晴々し過ぎて、何か花の影をつける必要から幽隠な気を求めているように見えた。
 S夫人と、夫人の記した聖者伝に就き、こんなことを考えているうち、ふと気がつくと、富士と人間との間のその魅惑は、今度は私に取り憑いている。しまった、読むべからざるものを読んだ。けれども、もう仕方がない。不用意の隙を覗って転々、人に取り憑き、取り憑いたら一度は人を恋のように※[#「口+奄」、第3水準1-15-6]《うめ》かせてみる。これがこの種の魅惑の性質らしい。私はS夫人とも白隠とも別な溜息のつき方で、以下自然、富士への情熱を綴らざるを得なくなった。

底本:「岡本かの子全集6」ちくま文庫、筑摩書房
   1993(平成5)年9月22日第1刷発行
底本の親本:「日本小説代表作全集六」小山書店
   1941(昭和16)年6月
初出:「文学界」
   1940(昭和15)年7月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:岩澤秀紀
2012年6月1日作成
青空文庫作成ファイル:
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岡本かの子

母子叙情—– 岡本かの子

 かの女は、一足さきに玄関まえの庭に出て、主人逸作の出て来るのを待ち受けていた。
 夕食ごろから静まりかけていた春のならいの激しい風は、もうぴったり納まって、ところどころ屑《くず》や葉を吹き溜《た》めた箇所だけに、狼藉《ろうぜき》の痕《あと》を残している。十坪程の表庭の草木は、硝子箱《ガラスばこ》の中の標本のように、くっきり茎目《くきめ》立って、一きわ明るい日暮れ前の光線に、形を截《き》り出されている。
「まるで真空のような夕方だ」
 それは夜の九時過ぎまでも明るい欧州の夏の夕暮に似ていると、かの女はあたりを珍しがりながら、見廻《みまわ》している。
 逸作は、なかなか出て来ない。外套《がいとう》を着て、帽子を冠《かぶ》ってから、あらためて厠《かわや》へ行き直したり、忘れた持物を探しはじめたりするのが、彼の癖である。
 洋行中でも変りはなかった。また例のが始まったと、彼女は苦笑しながら、靴の踵《かかと》の踏み加減を試すために、御影石《みかげいし》の敷石の上に踵を立てて、こちこち表門の方へ、五六歩あゆみ寄った。
 門扉は、閂《かんぬき》がかけてある。そして、その閂の上までも一面に、蜘蛛手形《くもでがた》に蔦《つた》の枝が匍《は》っている。扉は全面に陰っているので、今までは判《わか》らなかったが、今かの女が近寄ってみると、ぽちぽちと紅色《べにいろ》の新芽が、無数に蔦の蔓《つる》から生えていた。それは爬虫類《はちゅうるい》の掌のようでもあれば、吹きつけた火の粉のようでもある。
 かの女は「まあ!」といって、身体は臆《おく》してうしろへ退いたが、眼は鋭く見詰め寄った。微妙なもの等の野性的な集団を見ることは、女の感覚には、気味の悪いところもあったが、しかし、芽というものが持つ小さい逞《たくま》しいいのちは、かの女の愛感を牽《ひ》いた。
「こんな腐った髪の毛のような蔓からも、やっぱり春になると、ちゃんと芽を出すのね」
 かの女は、こんな当りまえのことを考えながら、思い切って指を出し、蔦の小さい芽の一つに触れると、どういうものか、すぐ、むす子のことを連想して、胸にくっくと込み上げる感情が、意識された。
 かの女は、潜《くぐ》り門に近い洋館のポーチに片肘《かたひじ》を凭《もた》せて、そのままむす子にかかわる問題を反芻《はんすう》する切ない楽しみに浸り込んだ。
 洋画家志望のかの女のむす子は、もう、五年も巴里《パリ》に行っている。五年前かの女が、主人逸作と洋行するとき、一緒に連れて行って、帰国の時そのまま残して来たものだ。
 今日の昼も、かの女は、賢夫人で評判のある社交家の訪問を受け、話の序《ついで》に、いろいろむす子の、巴里滞在について質問をうけた。「おちいさいのに一人で巴里へおのこしになって……厳しい立派なおしこみですねえ。それに、為替がたいへん廉《やす》いというではありませんか。大概な金持の子も引き上げさしてしまうというのに、よくもねえ、さぞ、お骨が折れましょう。その代り、いまに大した御出世をなさいましょう。おたのしみで御座いますねえ」
 その中年夫人は黙っているかの女に、なおも子供の事業のため犠牲になって貢ぐ賢母である、というふうな讃辞《さんじ》をしきりに投げかけた。
 事実、かの女自身も、むす子に送る学資のため、そうとう自身を切り詰めている。また、甘い家庭に長女として育てられて来たかの女は、人に褒められることその事自体に就《つ》いては、決して嫌いではない。で、面会中はかなり好い気持にもなって、讃《ほ》めそやされていた。
 だが、その賢夫人が帰って、独りになってみると、反対に、にがにがしさを持て剰《あま》した。つまり夫人がかの女を、世間普通の賢母と同列に置いた見当違いが、かの女を焦立《いらだ》たせた。それは遠い昔、たった一つしたかの女のいのちがけの、辛《つら》い悲しい恋物語を、ふざけた浮気筋や、出世の近道の男釣りの経歴と一緒に噂《うわさ》される心外な不愉快さに同じだった。
 なるほど、かの女とても、むす子が偉くなるに越した事はないと思う。偉くなればそれだけ、世の中から便利を授かって暮して行ける。この意味からなら願っても、むす子に偉くなって貰いたい。しかし、親の身の誇りや満足のためなら、決してむす子はその道具になるには及ばない。実をいうとかの女も主人逸作と共に、時代の運に乗せられて、多少、知名の紳士淑女の仲間入りをしている。そして、自身|嘗《な》めた経験からみたそういう世の中というものに、親身《しんみ》のむす子をあてはめるため、叱《しか》ったり、気苦労さすのは引合わないような気がする。
「では、なぜ?」とかの女はその夫人には明さなかったむす子を巴里《パリ》へ留学させて置く気持の真実を久し振りに、自問自答してみた。まえにはいろいろと、その理由が立派な趣意書のように、心に泛《うか》んだものだが、もうそんな理屈臭いことは考えたくなかった。かの女は悩ましそうに、帽子の鍔《つば》の反りを直して、吐き出すように自分に云った。
「つまりむす子も親もあの都会に取り憑《つか》れているのだ」
 やっと、逸作が玄関から出てきた。画描きらしく、眼を細めて空の色調を眺め取りながら、
「見ろ、夕月。いい宵だな」
といって、かの女を急《せ》き立てるように、先へ潜《くぐ》り門を出た。

 かの女と逸作は、バスに乗った。以前からかの女は、ずっと外出に自動車を用いつけていたのだが、洋行後は時々バスに乗るようになった。窓から比較的ゆっくり街の門並の景色も見渡して行けるし、三四年間居ない留守中に、がらりと変った日本の男女の風俗も、乗合い客によって、手近かに観察出来るし、一ばん嬉《うれ》しいのは、何と云っても、黒い瞳《ひとみ》の人々と膝《ひざ》を並べて一車に乗り合わすことだった。永らく外国人の中に、ぽつんと挟って暮した女の身には、緊張し続けていた気持がこうしていると、湯に入ってほごれるようだった。右を見ても左を見ても、日本人の顔を眺められるのは、帰朝者だけが持つ特別の悦《よろこ》びだった。
 わけてかの女のように、一人むす子と離れて来た母親に取って、バスは、寂寥《せきりょう》を護《まも》って呉《く》れる団欒的《だんらんてき》な乗りものだった。この点では、電車は、まだ広漠とした感じを与えた。
 バスは、ときどき揺れて、呟《つぶや》き声や、笑い声を乗客に立てさせながら、停留場毎に几帳面《きちょうめん》に、客を乗り降りさせて行く。山の手から下町へ向う間に二つ三つ坂があって、坂を越すほど街の灯は燦き出して来る。そして、これが最後の山の手の区域と訣《わか》れる一番高い坂へ来て、がくりと車体が前屈《まえかが》みになると、東京の中央部から下町へかけての一面の灯火の海が窓から見下ろせる。浪のように起伏する灯の粒々《つぶつぶ》やネオンの瞬きは、いま揺り覚まされた眼のように新鮮で活気を帯びている。かの女は都会人らしい昂奮《こうふん》を覚えて、乗りものを騎馬かなぞのように鞭《むちう》って早く賑《にぎ》やかな街へ進めたい肉体的の衝動に駆られたが、またも、むす子と離れている自分を想《おも》い出すと、急に萎《しお》れ返り、晴々しい気持の昂揚《こうよう》なぞ、とても長くは続かなかった。
 バスはMの学生地区にさしかかった。五六人の学生が乗り込んだ。帽子の徽章《きしょう》をみると、かの女のむす子が入っていた学校の生徒たちである。なつかしいと思うよりも、困ったものが眼の前に現われたといううろたえた気持の方が、かの女の先に立った。年頃に多少の違いはあろうが、むす子の中学時代を彷彿《ほうふつ》させる長い廂《ひさし》の制帽や、太いスボンの制服のいでたちだけでも、かの女の露っぽくふるえている瞼《まぶた》には、すでに毒だった。かの女は顎《あご》を寒そうに外套《がいとう》の襟の中へ埋めた。塩辛《しおから》い唾《つば》を咽喉《のど》へそっと呑《の》み下した。
 かの女のむす子はM地区の学校を出て、入学試験の成績もよく、上野の美術学校へ入った。それから間もなく逸作の用務を機会に、かの女の一家は外遊することになった。
 在学中でもあり、師匠筋にあたる先生の忠告もあり、かの女ははじめ、むす子を学校卒業まで日本へ残して置く気だった。
「ええ、そりゃそうですとも、基礎教育をしっかり固めてから、それから本場へ行って勉強する。これは順序です。だからあたしたち、先へ行ってよく向うの様子を見て来てあげますから、あんたも留守中落着いて勉強していなさい。よくって」
 かの女は賢そうにむす子にいい聞かせた。それでむす子もその気でいた。
 ところが、遽《あわただ》しい旅の仕度が整うにつれ、かの女は、むす子の落着いた姿と見較《みくら》べて憂鬱《ゆううつ》になり出した。とうとうかの女はいい出した。「永くもない一生のうちに、しばらくでも親子離れて暮すなんて……先のことは先にして――あんたどう思います」逸作は答えた。「うん、連れてこう」
 親たちのこの模様がえを聞かされた時、かなり一緒に行き度《た》い心を抑えていたむす子は「なんだい、なんだい」と赫《あか》くなって自分の苦笑にむせ[#「むせ」に傍点]乍《なが》ら云った。そして、かの女等は先のことは心にぼかしてしまって、人に羨《うらや》まれる一家|揃《そろ》いの外遊に出た。
 足かけ四年は、経《た》った。かの女の一家は巴里にすっかり馴染《なじ》んだ。けれども、かの女達はついに日本へ帰らなくてはならない。
 その時かの女は歯を喰《く》いしばって、むす子を残すことにした。むす子は若いいのちの遣瀬《やるせ》ない愛着を新興芸術に持ち、新興芸術を通して、それを培《つちか》う巴里の土地に親しんだむす子は、東洋の芸術家の挺身隊《ていしんたい》を一人で引受けたような決心の意気に燃えて、この芸術都市の芸術社会に深く喰い入っていた。今更、これを引離すことは、勢い立った若武者を戦場から引上げさすことであり、恋人との同棲から捩《も》ぎ外《はず》すことだった。(巴里のテーストはもはやむす子の恋人だった。)それを想像するだけで、かの女は寒気立った。むす子にその思い遣《や》りが持てるのは、もはやかの女自身が巴里の魅力に憑《つ》かれている証拠だった。
 ふだん無頓着《むとんちゃく》をよそおっている逸作も、このときだけは、妙に凄《すご》い顔付きになっていった。
「巴里留学は画学生に取っていのちを賭《か》けてもの願いだ。それを、おれは、青年時代に出来なかった。だから、おれの身代りにも、むす子を置いて行く」
 だが、こう筋立った逸作の言葉の内容も、実は、かの女やむす子と同じく巴里に憑かれた者の心情を含んでいた。人間性の、あらゆる洗練を経た後のあわれさ、素朴さ、切実さ――それが馬鹿らしい程小児性じみて而《しか》も無性格に表現されている巴里。鋭くて厳粛で怜悧《れいり》な文化の果てが、むしろ寂寥を底に持ちつつ取りとめもない痴呆《ちほう》状態で散らばっている巴里。真実の美と嘆きと善良さに心身を徹して行かなければいられない者が、魅着し憑かれずにはいられない巴里《パリ》――だが、そこからは必ずしも通俗的な獲物は取り出せないのだ。むす子がどれ程深く喰《く》い入りそこから取り出すであろう芸術も、それをあの賢夫人やその他多くの世間人達がむす子に予言するような、いわゆる偉い通俗の「出世社会」に振りかざし得ようとの期待は、親もむす子も持たなかった。置く者も置かれる者も、慾や、見栄や、期待ではなかった。もっとせっぱ[#「せっぱ」に傍点]詰ったあわれ[#「あわれ」に傍点]なあわれ[#「あわれ」に傍点]な心の状態だった。
 所詮《しょせん》、かの女はむす子と離れて暮さねばならなかった。

  うつし世の人の母なるわれにして
  手に触《さや》る子の無きが悲しき。

 むす子が巴里の北のステイションへ帰朝する親たちを送って来て、汽車の窓から、たしない小遣いの中で買ったかの女への送別品のハンケチを、汽車の窓に泣き伏しているかの女の手へ持ち添えて、顔も上げ得ず男泣きに泣いていた姿を想《おも》い出すと、彼女は絶望的になって、女ながらも、誰かと決闘したいような怒りを覚える。
 だが、その恨みの相手が結局誰だか判らないので、口惜しさに今度は身体が痺《しび》れて来る。

 バスは早瀬を下って、流れへ浮み出た船のように、勢を緩めながら賑《にぎ》やかで平らな道筋を滑って行く。窓硝子《まどガラス》から間近い両側の商店街の強い燭光を射込まれるので、車室の中の灯りは急にねぼけて見える。その白濁した光線の中をよろめきながら、Mの学生の三四人は訣《わか》れて車を降り、あとの二人だけは、ちょうどあいたかの女の前の席を覘《うかが》って、遠方の席から座を移して来た。かの女は学生たちをよく見ることが出来た。
 一人は鼻の大きな色の白い、新派の女形にあるような顔をしていた。もう一人は、いくら叩《たた》いても決して本音を吐かぬような、しゃくれた強情な顔をしていた。
 どっちとも、上質の洋服地の制服を着、靴を光らして、身だしなみはよかった。いい家の子に違いない。けれども、眼の色にはあまり幸福らしい光は閃《ひらめ》いていなかった。自我の強い親の監督の下に、いのちが芽立ち損じたこどもによくある、臆病《おくびょう》でチロチロした瞳《ひとみ》の動き方をしていた。かの女は巴里で聞かされたピサロの子供の話を思い出した。
 かの女がむす子と一緒に巴里で暮していたときのことである。かの女はセーヌ河に近いある日本人の家のサロンで、永く巴里で自活しているという日本人の一青年に出遇《であ》った。
「僕あ、ピサロの子を知っています。二十歳だが親はもう働かせながら勉強さしています」
 青年が何気ない座談で聞かせて呉《く》れたその言葉は、かの女に、自分がむす子に貢いで勉強さしとくことが、何かふしだら[#「ふしだら」に傍点]ででもあるような危惧《きぐ》の念を抱かした。
 しかしかの女はずっとかの女の内心でいった。なるほど、二十歳の青年で稼ぎながら勉強して行く。ピサロの子どもには感心しないものでもない。しかし、親のピサロには、どうあっても同感出来ない。印象画派生き残りの唯一の巨匠で、現在官展の元老であるピサロは貧乏ではあるまい。十分こどもに学資を与えられる身分である。たとえ、主義のためであるとしても、十九や二十の息子を、親の手から振り放って、他人の雇傭《こよう》の鞭《むち》の下で稼ぐ姿を、よくも、黙って見ていられるものである。それで自分はしゃれたピジャマでも着て、匂《にお》いのいい葉巻でもくゆらしているとすれば……そんなちぐはぐな親子の情景によって、ピサロは主義遂行に満足しているのか。かの女は、それから、あのピサロの律義で詩的な、それでいてどこか偏屈な画を見ることが嫌いになり出した。そしてピサロのむす子を想像すると、いつも親に気兼ねしている、臆病で素早く動く色の薄い瞳がちらついて来る。でなければ、主義とか理想とかを丸呑《まるの》み込みにして、それに盲従する単純すぎて鈍重な眼を輝かす青年が想像されて来る。かの女はまた、かりにピサロの親子間を立派なものに考えて見た。それから更に考えてかの女の、子に対する愛情の方途が間違っているとは思えなかった。彼女は、子を叱咤《しった》したり、苛酷《かこく》にあつかうばかりが子の「人間成長」に役立つものとは思わない。世には切実な愛情の迫力に依《よ》って目覚める人間の魂もある。叱正や苛酷に痩《や》せ荒《すさ》む性情が却《かえ》って多いとも云えようではないか。結局かの女の途方も無い愛情で手擲弾《てなげだん》のように世の中に飛び出して行ったむす子……「だが、僕は無茶にはなり切れませんよ、僕の心の果てにはいつも母の愛情の姿がありますもの……時代は英雄時代じゃなし、親の金でいい加減に楽しんでいればそれでもいい僕等なんだけどな……偉くなれなんて云わない母の愛情が、僕をどうも偉くしそうなんです」
と、むす子はかの女の陰で或人に云ったそうである。
 二人の学生はかの女の思わくも何も知らずにコソコソ話していたが、道筋が大通りに突き当って、映画館のある前の停留場へ来ると急いでバスから降りて行った。

 しばらく、バスは、官庁街の広い通りを揺れて行く。夜更けのような濃い闇《やみ》の色は、硝子窓を鏡にして、かの女の顔を向側に映し出す。派手な童女型と寂しい母の顔の交った顔である。むす子が青年期に達した二三年来、一にも二にもむす子を通して世の中を眺めて来た母の顔である。かの女は、向側の窓硝子に映った自分の姿を見るのが嫌になって、寒そうに外套《がいとう》の襟を掻《か》き合せ、くるりと首を振り向けた。所在なさそうに、今度は背中が当っていた後側の窓硝子に、眼を近々とすり寄せて、車外を覗《のぞ》いてみる。
 湖面を想像させる冷い硝子の発散気を透して、闇の遠くの正面に、ほの青く照り出された大きな官庁の建物がある。その建物の明るみから前へ逆に照り返されて威厳を帯びた銅像が、シルエットになって見える。銅像の検閲を受ける銃剣の参差《しんし》のように並木の梢《こずえ》が截《き》り込みこまかに、やはりシルエットになって見える。それはかの女が帰朝後間もない散歩の途中、東京で珍しく見つけたマロニエの木々である。日本へ帰って二タ月目に、小蝋燭《ころうそく》を積み立てたようなそのほの白い花を見つけて、かの女はどんなに歓《よろこ》んだことであろう。
 巴里という都は、物憎い都である。嘆きや悲しみさえも小唄《こうた》にして、心の傷口を洗って呉れる。媚薬《びやく》の痺《しび》れにも似た中欧の青深い、初夏の晴れた空に、夢のしたたりのように、あちこちに咲き迸《ほとばし》るマロニエの花。巴里でこの木の花の咲く時節に会ったとき、かの女は眼を一度|瞑《つむ》って、それから、ぱっと開いて、まじまじと葉の中の花を見詰めた。それから無言で、むす子に指して見せた。すると、むす子も、かの女のした通り、一度眼を瞑って、ぱっと開いて、その花を見入った。二人に身慄《みぶる》いの出るほど共通な感情が流れた。むす子は、太く徹《とお》った声でいった。
「おかあさん、とうとう巴里へ来ましたね」
 割栗石の路面の上を、アイスクリーム売りの車ががらがらと通って行った。
 この言葉には、前物語があった。その頃、美男で酒徒の夫は留守勝ちであった。彼は青年期の有り余る覇気をもちあぐみ、元来の弱気を無理な非人情で押して、自暴自棄のニヒリストになり果てていた。かの女もむす子も貧しくて、食べるものにも事欠いたその時分、かの女は声を泣き嗄《か》らしたむす子を慰め兼ねて、まるで譫言《うわごと》のようにいって聞かした。
「あーあ、今に二人で巴里に行きましょうね、シャンゼリゼーで馬車に乗りましょうねえ」
 その時口癖のようにいった巴里《パリ》という言葉は、必ずしも巴里を意味してはいなかった。極楽というほどの意味だった。けれども、宗教的にいう極楽の意味とも、また違っていた。かの女は、働くことに無力な一人の病身で内気な稚《おさ》ない母と、そのみどり子の餓《う》えるのを、誰もかまって呉《く》れない世の中のあまりのひどさ、みじめさに、呆《あき》れ果てた。――絶望ということは、必ずしも死を選ませはしない。絶望の極死を選むということは、まだ、どこかに、それを敢行する意力が残っているときの事である。真の絶望というものは、ただ、人を痴呆《ちほう》状態に置く。脱力した状態のままで、ただ何となく口に希望らしいものを譫言《うわごと》のようにいわせるだけだ。彼女が当時口にした巴里という言葉は、ほんの譫言に過ぎなかった。しかし譫言にもせよ、巴里と口唱するからには、たしかに、よいところとは思っていたに違いなかった。或は貧しい青年画家であった夫逸作の憧憬がその儘《まま》、かの女にそう思い込ませたのかも知れない。
 将来、巴里へ行けるとか行けまいとか、そんな心づもりなどは、当時のかの女には、全然なかったのだ。第一、この先、生きて行けるものやら、そのことさえ判《わか》らなかった。だがその後ほとんど人生への態度を立て直した逸作の仕事への努力と、かの女に思わぬ方面からの物質の配分があって、十余年後に一家|揃《そろ》って巴里の地を踏んだときには、当然のようにも思えるし、多少の不思議さが心に泛《うか》び、運命が夢のように感じられただけであった。
 しかし、この都にやや住み慣れて来ると、見るものから、聞くものから、また触れるものから、過去十余年間の一心の悩みや、生活の傷手《いたで》が、一々、抉《えぐ》り出され、また癒《いや》されもした。巴里とはまたそういう都でもあった。
 かの女は巴里によって、自分の過去の生涯が口惜しいものに顧みさせられると、同時にまた、なつかしまれさえもした。かの女はこの都で、いく度か、しずかに泣いて、また笑った。しかし、一ばんかの女の感情の根をこの都に下ろさしたのは、むす子とマロニエの花を眺めたときだった。かの女の心に貧しいときの譫言が蘇《よみがえ》った。
「あーあ、今に二人で巴里に行きましょうね。シャンゼリゼーで馬車に乗りましょうねえ」そして今はむす子の声が代って言う、「お母さん、とうとう巴里へ来ましたね」そうだ復讐《ふくしゅう》をしたのだ。何かに対する復讐をしたのだ。そしてかの女に復讐をさして呉れたのはこのマロニエの都だ。
 こういう気持からだけでも、十分かの女は、この都に、愛着を覚えた。よく、物語にある、仇打《あだうち》の女が助太刀の男に感謝のこころから、恋愛を惹起《じゃっき》して行く。そんな気持だった。けれども、かの女は帰国しなくてはならない。かの女は元来、郷土的の女であって、永く郷国の土に離れてはいられなかった。旅費も乏しくなった。逸作も日本へ帰って働かなければならない。そこで、せめて、かたみ[#「かたみ」に傍点]に血の繋《つな》がっているむす子を残して、なおも、この都とのつながりを取りとめて置く。そんな遣瀬《やるせ》ない親達の欲情も手伝って、むす子は巴里に残された。
「お母さん、とうとう巴里に来ましたね」
 今後何年でもむす子のいるかぎり、毎年毎年、マロニエが巴里の街路に咲き迸《ほとばし》るであろう。そしてたとえ一人になっても、むす子は「お母さん、とうとう巴里に来ましたね」と胸の中で、いうだろう。だが、それが母と子の過去の運命に対する恨みの償却の言葉であり、あの都に対するかの女とむす子との愛のひめ言の代りとは誰が知ろう。
 そうだ。むす子を巴里に残したのは一番むす子を手離し度《た》くない自分が――そして今は自分と凡《すべ》ての心の動きを同じくするようになったむす子の父が――さしたのだ。
 かの女は、なおも、こんな事を考えながら、丸の内××省前の銅像のまわりのマロニエの木をよく見定め度い気持で、外套《がいとう》の袖《そで》で、バスの窓硝子《まどガラス》の曇りを拭《ぬぐ》っていると、車体はむんず[#「むんず」に傍点]と乗客を揺り上げながら、急角度に曲った。そのひまに窓外の闇《やみ》はマロニエの裸木を、銅像もろとも、掬《すく》い去った。かの女は席を向き直った。運転台や昇降口の空間から、眩《まぶ》しく、丸の内街の盛り場の夜の光が燦き入った。

 喫茶店モナミは、階下の普請を仕変えたばかりで、電灯の色も浴後の肌のように爽《さわ》やかだった。客も多からず少からず、椅子《いす》、テーブルにまくばられて、ストーヴを止めたあとも人の薀気で程よく気温を室内に漂わしていた。季節よりやや早目の花が、同じく季節よりやや早目の流行服の男女と色彩を調え合って、ここもすでに春だった。客席には喧しい話声は一筋もなく、室全体として静物の絵のしとやかさを保っていた。ときどき店の奥のスタンドで、玻璃盞《はりさかずき》にソーダのフラッシュする音が、室内の春の静物図に揮発性を与えている。
 人を関《かま》いつけないときは、幾日でも平気でうっちゃらかしとくが、いざ関う段になるとうるさいほど世話を焼き出す、画描き気質《かたぎ》の逸作は、この頃、かの女の憂鬱《ゆううつ》が気になってならないらしかった。それで間《ま》がな隙《すき》がな、かの女を表へ連れ出す。まるで病人の気保養させる積りででもあるらしく、機嫌を取ってまで連れ出す。しかし単純な彼はいつも銀座である。そしてモナミである。かの女を連れ出して、この喫茶店のアカデミックな空気の中に游《およ》がせて置けば、かの女は、立派に愉快を取り戻せるものと信じ切っているらしく、かの女に茶を与え、つまみ物を取って与えた後は、ぽかんとして、勝手な考えに耽《ふけ》ったり、洋食を喰《た》べたり、元気で愛想よくテーブル越しに知人と話し合う。
 今も、「やあ」と彼が挨拶《あいさつ》したので、かの女が見ると、同じような「やあ」という朗らかな挨拶で応《う》けて、一人の老紳士が入って来た。紳士がインバネスの小脇《こわき》に抱え直したステッキの尖《さき》で弾かれるのを危がりながら、後に細身の青年が随《つ》いていた。
 老紳士は、眼鏡のなかの瞳《ひとみ》を忙しく働かせながら、あたりの客の立て込みの工合では、別に改った挨拶をせずとも、まだ空のある逸作等のテーブルに席を取っても不自然ではないと、すぐ見て取ったらしい、世馴《よな》れた態度で、無造作に通路に遊んでいた椅子を二つ、逸作等のテーブルに引き寄せた。自分が先へかけると、今度は、青年を自分の傍に掛けさせた。青年は痩《や》せていて、前屈《まえかが》みの身体に、よい布地の洋服を大事そうに着込んでいた。髪の毛をつやつやと撫《な》でつけていることを気まり悪がるように、青年は首を後へぐっと引いて、うつ向いていた。青年は、父に促されて、父を通して、かの女たちに、かすかな挨拶をした。
 老紳士が、かの女たちに話しかける声音は、場内で一番大きく響いたが、誰も聞き咎《とが》める様子もなかった。講演ですっかり声の灰汁《あく》が脱けている。その上、この学者出の有名な社会事業家は、人格の丸味を一番声調で人に聞き取らせた。老紳士は世間的には逸作の方に馴染《なじ》みは深かったが、しかし、職務上からは、はじめて遇《あ》ったかの女の方にかねがね関心を持っていたらしい。それで逸作と暫《しばら》く世間話をしながらも、機会を待つもののようだったが、やがて、さも興味を探るように、かの女をつくづくと見詰めていった。
「不思議ですよ。おくさんは。お若くて、まるでモダン・ガールのようだのに大乗哲学者だなんて……」
 かの女は、よく、こういう意味の言葉を他人から聞かされつけている。それで、またかと思いながら、しかし、この識者を通してなら、一般の不審に向っても答える張合いがあるといった気持で、やや公式に微笑《ほほえ》みながらいった。
「大乗哲学をやってますから、私、若いのじゃごさいませんかしら。大乗哲学そのものが、健康ですし、自由ですし」
 すると老紳士は、幼年生に巧みにいい返された先生といった快笑を顔中に漲《みなぎ》らせて、頭を掻《か》いた。「やあ、これは、参った」
 けれども、かの女は冗談にされてはたまらないと思い、まじめな返事をした自分の不明を今更後悔する沈黙で、少し情ない気持を押えていると、さすがに老紳士は気附いて、
「なる程な。そこまで伺えば、よく判《わか》りますて」
といって、下手から、かの女の気持のバランスを取り直すようにした。かの女は少し気の毒になって、ちょっと頭を下げた。
 すると、老紳士は、そのまま真面目《まじめ》な気分の方へ誘い込まれて行って、視線を内部へ向けながら、独言のようにいった。
「大乗哲学の極意は全くそこにあるんでしょうなあ。ふーむ。だが、そこまで行くのがなかなか大変だぞ」
 そしてそのことと自分のむす子とが、何かの関係でもあるかのように、むす子のこけた肩を見た。むす子は青年にしては、あまりに行儀正しい腰掛け方をしていた。――かの女はこの時、このむす子がずっと前、母親を失っているのを何かの雑誌で見ていたことが思い出された。
 老紳士は深刻な顔つきで、アイスクリームの匙《さじ》を口へ運んでいたが、たちまち、本来の物馴《ものな》れた無造作な調子に返った。
「一たい、おくさんのような、華やかなそして詩人肌の方が、また間違ってるかも知れんが、まあ、兎《と》に角《かく》、どうして哲学なんかに縁がおありでしたな」今度は社会教育の参考資料にとでもいった調査的な聞き振りだった。
 かの女がやや怯《おび》えている様子をみて逸作が纏《まとま》りよく答えた。
「つまり、これがですな。性質があんまり感情的なんで、却《かえ》って性質とまるで反対な哲学なんて、理智的な方向のものを求めたんでしょうなあ。つまり、女の本能の無意識な自衛的手段でしょうなあ」
「ははあ、そして、それは、何年前位から始めなさった」
 場所柄にしては、あんまり素朴に一身上の事実を根問い葉問いされるものと、かの女はちょっと息を詰めて口を結んだが、ふだん質問する人達には誰へも正直に云っている通りに云った。
「二十年程まえ、感情上の大失敗をしました。研究はそれ以来なのです」
 かの女がいい終るか終らないかに、老紳士は、
「ははあ、それは好い、ふーむ、なるほど」
 そして、伸び上るように室内をきょときょと見廻《みまわ》した。
 感情上のはなしと聞いて、よく世間にある老人のように、うるさいものと思い取り、こういう態度で、暗に、打ち切りを宣告したのかも知れない。こまかい心理の話なぞ、どうせ人に理解して貰えやしまいと普段から諦《あきら》めをつけているかの女は、老紳士の「ははあ、それは好い」と片付けた、そのアッサリし方が案外気に入って、少しおかしくなった。そして、この親を持つ子供はどんな子供かと、微笑しながら、かの女はあらためてまた青年に眼を移した。
 煙草《たばこ》も喫《す》わないそのむす子は、アイスクリームを丁寧に喰《た》べ終えてから、両手を膝《ひざ》の上へ戻し、弱々しい視線をテーブルの上へ落して、熱心でも無関心でもない様子で、父親と知人の談話を聞いていた。
 かの女はこの無力なおとなしさに対して、多少、解説を求めたい気持になった。
「御子息さまは……学校の方は……何ですか」
 うっかり、何処の学校を、いつ卒業したかと訊《き》きそうになって、こんな成熟不能の青年では、ひょっとしたら、どの学校も覚束《おぼつか》なくはないかと懸念して、遠慮の言葉を濁した。すると案の定、老紳士は、
「どうも弱いので、これは中学だけで、よさせましてな」
と云ったが、格別息子の未成熟に心を傷めたり、ひけ目を感じている様子も見せず、普通な大きい声だった。それから質問のよい思い付きを見付けたように、
「ときに、お宅のむす子さんは……たしか、巴里《パリ》でしたな、まだお帰りにならんかな」
と首を前へ突き出して来た。この種の社会事業家によくある好意をもって他人の事情を打診する表情で「お子さんはもう巴里に何年ぐらいになりますかな。よほど永いように思いますが――」
 かの女は、何となく、老紳士の息子に対して気兼ねが出て、自分のむす子の遊学の話など、すぐ返事が出来なかった。また逸作が代っていった。
「僕等が、昭和四年に洋行するとき、連れて行ったまま、残して来たんです」
「まだ、お年若でしょうに。中学は出られましたかな」
 この老紳士は、中学教育に余程力点を置いているらしい。そして逸作からむす子の学歴の説明を聴いてほっとしたように、
「中学も立派に卒業されて、美術学校へ入られた……ほほう、そして美術学校の途中から外国へ出られたというんですな。しかし、何しろ洋画はあちらが本場だから仕方がない」
「学校の先生方も、基礎教育だけは日本でしろとずいぶん止められたんですが、どうにもこれ[#「これ」に傍点](かの女を指して)が置いて行けなかったんで」
 すると老紳士は、好人物の顔を丸出しにして褒めそやすようにいった。
「なるほど、ひとり息子さんだからな、それも無理はない」
 かの女は他人《ひと》のことばかりに思いやりが良くて、自分の息子には一向無関心らしい老紳士が、粗《あら》っぽく思えて興醒《きょうざ》めた。が、ひょっとすると、この老紳士は自分の気持を他人の上に移して、心やりにする旧官僚風の人物にままある気質の人で、内外では案外、寸刻の間も、自分の息子の上にいたわりの眼を離さないのかも知れない。老父が青年の息子と二人で、春の夜、喫茶店に連れ立って来るなどという風景も、気をつけて見れば、しんみりした眺めである。
 かの女は、だんだん老紳士に対する好感が増して行き、慈《いつく》しむような眼《まな》ざしで青年の姿を眺めていると、老紳士は、暗黙の中にそれを感謝するらしく、
「だが、よく、むす子さんを一人で置いて来られましたな。巴里のような誘惑の多い処へ。まだ年若な方を、あすこへ一人置かれることは余程の英断だ」
 老紳士は曾《かつ》て外遊視察の途中、彼の都へ数日滞在したときの見聞を思い出して来て、息子の青年には知らしたくない部分だけは独逸語《ドイツご》なぞ使って、一二、巴里|繁昌記《はんじょうき》を語った。老紳士の顔は、すこし弾んで棗《なつめ》の実のような色になった。青年は相変らず、眉根《まゆね》一つ動かさず、孤独でかしこまっていた。
 賑《にぎ》やかな老紳士は息子を連れて、モナミを出て行った。あとでかの女は気が萎《しぼ》んで、自分が老紳士にいった言葉などあれや、これやと、神経質に思いかえして見た。老紳士が年若なむす子を巴里に置く危険を喋《しゃべ》ったとき、かの女は「もし、そのくらいで危険なむす子なら、親が傍で監督していましても、結局ろくなものにはならないのじゃありませんかしら」と答えた自分の言葉が酷《ひど》く気になり出した。それは、こましゃくれていて、悪く気丈なところがある言葉だった。どうか老紳士も之だけは覚えていて呉《く》れないようと願っていると、そのあとから、ふいと老紳士がいった、「一人で、よく置いて来られましたな」という言葉がまた浮び出て来た。すると、むす子は一人で遠い外国に、自分はこの東京に帰っている。その間の距離が、現実に、まざまざと意識されて来た。もういけない。しんしんと淋しい気持が、かの女の心に沁《し》み拡《ひろが》って来るのだった。

 かの女が、いよいよ巴里《パリ》へむす子を一人置いて主人逸作と帰国するとき、必死の気持が、かの女に一つの計画をたてさせた。かの女は、むす子と相談して、むす子が親と訣《わか》れてから住む部屋の内部の装置を決めにかかった。むす子が住むべき新しいアパートは、巴里の新興の盛り場、モンパルナスから歩いて十五分ほどの、閑静なところに在った。
 そこは旧い貧民街を蚕食《さんしょく》して、モダンな住宅が処々に建ちかかっているという土地柄だった。
 かの女はむす子の棲《す》むアパートの近所を見て歩いた。むす子が、起きてから珈琲を沸すのが面倒な朝や、夜更けて帰りしなに立ち寄るかも知れない小さい箱のようなレストランや、時には自炊もするであろう時の八百屋、パン屋、雑貨食料品店などをむす子に案内して貰って、一々立ち寄ってみた。ある時はとぼとぼと、ある時は威勢よく、また、かなりだらしない風で、親に貰った小遣いをズボンの内ポケットにがちゃがちゃさせながら、これ等の店へ買いに入る様子を、眼の前のむす子と、自分のいない後のむす子とを思い較《くら》べながら、かの女はそれ等の店で用もない少しの買物をした。それ等の店の者は、みな大様《おおよう》で親切だった。
「割合に、みんな、よくして呉《く》れるらしいわね」
「僕あ、すぐ、この辺を牛耳《ぎゅうじ》っちゃうよ」
「いくら馴染《なじ》みになっても決して借を拵《こしら》えちゃいけませんよ、嫌がられますよ」
 それからアパートへ引返して、昇降機が、一週間のうちには運転し始めることを確め、階段を上って部屋へ行った。
 しっとりと落着きながら、ほのぼのと明るい感じの住居だった。画学生の生活らしく、画室の中に、食卓やベッドが持ち込まれていて、その本部屋の外に可愛《かわい》らしい台所と風呂がついていた。
「ほんとうに、いい住居、あんた一人じゃあ、勿体《もったい》ないようねえ」
 かの女はそういいながら、うっかりしたことを云い過ぎたと、むす子の顔をみると、むす子は歯牙《しが》にかけず、晴々と笑っていて、「いいものを見せましょうか」と、台所から一挺《いっちょう》日本の木鋏《きばさみ》を持ち出した。
「夏になったらこれで、じょきんじょきんやるんだね。植木鉢を買って来て」
「まあ、どこからそんなものを。お見せよ」
「友達のフランス人が蚤《のみ》の市で見付けて来て、自慢そうに僕に呉れたんだよ。おかしな奴さ」
 かの女は、そのキラキラする鋏の刃を見て、むす子が親に訣れた後のなにか青年期の鬱屈《うっくつ》を晴らす為にじょきじょき鳴らす刃物かとも思い、ちょっとの間ぎょっとしたが、さりげない様子で根気よくむす子に室内の家具の配置を定めさせた。浴室の境の壁際に寝台を、それと反対の室の隅にピアノを据えて、それとあまり遠くなく、珈琲を飲むテーブルを置く。しまいに、茶道具の置き場所まで、こまかく気を配った。
 それは、むす子の生活に便利なよう、母親としての心遣いには相違なかったが、しかし、肝腎《かんじん》な目的は、かの女自身の心覚えのためだった。かの女は日本へ帰って、むす子の姿を想《おも》い出すのに、むす子が日々の暮しをする部屋と道具の模様や、場取りを、しっかり心に留めて置きたかった。それらの道具の一つ一つに体の位置を定めて暮しているむす子の室内姿を鮮明に想い出せるよう、記憶に取り込むのであった。むす子も、むす子の父親も、かの女の突然なものものしい劃策《かくさく》の幼稚さに呆《あき》れ乍《なが》ら、また名案であるかのように感心もした。
 それからまた、遠く離れて居れば、むす子の健康が、一番心配だとしきりに案じるかの女を安心させるため、むす子はかの女達が、英国や独逸《ドイツ》へ行って居る間に出来た友人で、巴里でも有名なある外科病院の青年医を両親に見せることにした。かの女達は、むす子を頼んで置くその青年医を一夕《いっせき》、レストランへ招待した。かの女達は、魚料理で有名なレストランへ先に行っていた。むす子があとから連れて来た青年は、むす子より丈が三倍もありそうな、そして、髪も頬《ほお》も眼もいろ艶《つや》の好いラテン系の美丈夫だった。かの女はこんな出来上った美丈夫が、むす子の友達だなんて信じて好いのかと思った。むす子を片手で掴《つか》んで振り廻《まわ》しそうにも思えた。「なに、ぼんやりしてんの、お母さん。」むす子は美男子に見惚《みほ》れて居るような場合、何にも考慮に入れない母親の稚純性を知って居て、くすり[#「くすり」に傍点]と笑った。美青年も何かしら好意らしく笑った。美青年の笑顔は、まるで子供だった。そして彼女は安心した。柄こそ大きくても青年は医科大学を出たばかりで二十五歳の助手だった。そうは云っても二十歳ばかりの異国画学生のむす子が、よくこんなしっかりした青年を友人に獲得したものだと一向にだらしのないような自分のむす子のどこかにひそむ何かの伎倆《ぎりょう》がたのもしく思われた。かの女の小柄なむす子――細くて鋭い眼と眼とが離れ、ほそ面のしまった顔に立派過ぎる鼻と口、だが笑う眉《まゆ》がちょっぴり下ると親の身としては何かこの子に足らぬ性分があるのではないかと、不憫《ふびん》で可愛《かわ》ゆさが増すのだった。
 よく語り、よく喰《た》べたが、食事をしながらの青年は決して人ずれがして居なかった。この青年の親達はどんな人か、どんな育ちかと、かの女は女性にありがちな通俗的な思案にふけって居るうちに、自分のむす子が赤子のとき、あんまりかの女達が若い親だったことを思い出した。若くもあり、性来子を育てる親らしい技巧を持ち合せて居ない自分達を親に持ったむす子の赤児の時のみじめさを想い出した。そういう自分達の、まして、まだ親らしい自覚も芽《め》ぐまないうちに親になって途方にくれて居るなかで、いつか成人して仕舞ったむす子の生命力の強さに驚かれる。感謝のような気持がその生命力に向って起る。だが、その生命力はまた子の成長後かの女の愛慾との応酬にあまり迫って執拗《しつよう》だ。かの女は、持って居たフォークの先で、何か執拗なものを追い払うような手つきをした。自分の命の傍に、いつも執拗に佇《たたず》んで居る複数の影のようなものを一瞬感じたとき、かの女の現実の眼のなかへいつものむす子の細い鋭い眼が飛び込んで来て、「なにぼんやりしてんの」と薄笑いした。青年もかの女を見て「ママン泣いて居る?」と薄笑いし乍らむす子に聞いた。

「あなたんとこの息子さんを、モンパルナスのキャフェでよく見かけますよ」と、薄い旅費で行脚的に世界一周を企て巴里まで来て、まだ虚勢とひがみを捨て切らない或る老教育家が、かの女等の親子批判にいどみ込んで来た。むす子が親の金でモンパルナスに出掛けて行ってるのを知らないのかという口調だった。かの女達はよく知っていた。知り過ぎていた。というよりも、夜にでもなったらモンパルナスのキャフェへでも出掛けて行き分相応愉快に過しなさいという気持で、一人置いて行く子のアパートを、モンパルナスからあまり遠くない地点に選んでやったくらいだ。巴里の味はモンパルナスのキャフェにあるとさえ云われて居るところをむす子から封じて、巴里へ置いて行く意義はない。

  若くして親には別れ外《と》つ国の
  雪降る街を歩むかあはれ。

 一人巴里に置かれることが、むす子の願い、親の心柄であるとは云え、二十歳そこそこで親に別れ、ひと日暮れ果ててキャフェへさえ行かれない子にして置けるだろうか。かの女自身のむす子と別れて後の淋しい生活を想像して見ても、むす子が行く華やかなモンパルナスのキャフェの夜の時間を想《おも》うことが、むしろ、かの女の慰安でさえある。むす子は純芸術家だ、画家だ、なにも修身の先生にでもするのじゃなし……かの女にこういう考えもあった。
 東京銀座のレストラン・モナミのテーブルに倚《よ》りかかって、巴里《パリ》のモンパルナスのキャフェをまざまざと想い浮べることは、店の設備の上からも、客種の違いからも、随分無理な心理の働かせ方なのだが、かの女のロマン性にかかるとそれが易々と出来た。
 ふだんから、かの女は地球上の土地を、自分の気持の親疎によって、実際の位置と違った地理に置き換えていた。つまり感情的にかの女独得の世界地図が出来ていた。その奇抜さ加減にときどき逸作も、かの女自身すら驚嘆することがあった。アメリカは、ほとんど沙漠の中の蛮地のように遠く思え、欧洲はすぐ神戸の先に在るように親しげな話し振りをかの女はした。だから、四年前一家を挙げて欧洲へ遊学に出掛ける朝も、一ばん気軽な気持で船に乗ったのはかの女だった。かの女は和装で吾妻下駄《あずまげた》をからから桟橋に打ち鳴らしながら、まるで二三日の旅に親類へでも行くような安易さだった。
 かの女はまた情熱のしこる時は物事の認識が極度に変った。主観の思い詰める方向へ環境はするする手繰られて行った。
 身体に一本の太い棒が通ったように、むす子のことを思い詰めて、その想い以外のものは、自分の肉体でも、周囲の事情でも、全くかの女から存在を無視されてしまうときに、むす子のいる巴里は手を出したら掴《つか》めそうに思える。それほど近く感じられる雰囲気の中に、いべき筈《はず》のむす子がいない。眼つきらしいもの、微笑らしいもの、癖、声、青年らしい手、きれぎれにかの女の胸に閃《ひらめ》きはするが、かの女の愛感に馴染《なじ》まれたそれ等のものが、全部として触れられず、抱え取れない、その口惜しさや悲しさが身悶《みもだ》えさせる。ふとここでかの女の理性の足を失った魂のあこがれが、巴里の賑《にぎ》やかさという連想から銀座へでも行ったらむす子に会えそうな気を彼女にさせる。さすがに彼女も一二度はまさかと思い返してみるけれども、今度は、あこがれだけがずんずん募って行って、せめてあこがれを納得させるだけでも銀座へ踏み出してむす子の俤《おもかげ》を探さなければ居たたまれないほど強い力が込み上げて来る。で、ある時はむしろ、かの女の方から進んで銀座へ出たがるので、そんなとき逸作はかの女の気が晴れて来たのかと悦《よろこ》んでいる。かの女は夢とも現実とも別目《けじめ》のつかないこういう気持に牽《ひ》かれて、モナミへ入り、テーブルに倚りかかって、うつらうつらむす子と行った巴里のキャフェを想い耽《ふけ》る。

 モンパルナスのキャフェ・ド・ラ・クーポールの天井《てんじょう》や壁から折り返して来るモダンなシャンデリヤの白い光線は、仄《ほの》かにもまた強烈だった。立て籠《こ》めた莨《たばこ》の煙は上から照り澱《よど》められ、ちょうど人の立って歩けるぐらいの高さで、大広間の空気を上下の層に分っている。
 上層は昼のように明るく、床に近い下層の一面の灰紫色の黄昏《たそがれ》のような圏内は、五人或は八人ずつの食卓を仕切る胸ほどの低い靠《もた》れ框《がまち》で区切られている。凡《あら》ゆる人間の姿態と、あらゆる色彩の閃きと、また凡ゆる国籍の違った言葉の抑揚とが、框の区切りの中にぎっしり詰っている。出どころの判らない匂《にお》いと笑いと唄《うた》とを引き切るように掻《か》き分けて、物売りと、分別顔のギャルソンが皿を運んだり斡旋《あっせん》したりしている。
「しまった、お母さん、いい場所を先に取られちゃった」
 かの女をモンパルナスのキャフェ・ド・ラ・クーポールに導いて入ったむす子は、ダブル鈕《ボタン》の上着のポケットから内輪に手を出し、ちょっと指してそういった。
 そこは靠れ壁の枡目《ますめ》の幾側かに取り囲まれ、花の芯《しん》にも当る位置にあった。硝子《ガラス》と青銅で作られた小さい噴水の塔は、メカニズムの様式を、色変りのネオンで裏から照り透す仕掛けになっている。噴水は三四段の棚に噴き滴って落ち、最後の水受け盤の中には東洋の金魚が小鱒と一しょに泳いでいた。
「いいの、いいの、こんやは、こっちが晩《おそ》いのだから」    
 かの女は、ちっとも気にしない声でそういった。そして別の場所を探すよう、やや撫肩《なでがた》ながら厚味のあるむす子の肩の肉を押した。
 噴水のネオンの光線の加減のためか、水盤を取り巻いて、食卓を控えた靠れ壁の人々の姿はハッキリ[#「ハッキリ」に傍点]しなかった。しかし、向うは、もう気がついたらしく、西洋人の訛《なま》ったアクセントで呼びかけるのが聞えた。
「イチロ、イチロ」
「イチロ」
 息子の名を呼びかけるそれらは女の声もあるし、男の声もあった。クックという忍び笑いを入れて囁《ささや》くように呼ぶ声は、揶揄《からか》い交りではあるが、決して悪意のあるものではなかった。
「まあ、誰」
 かの女は首を低めて、むす子の肩からネオンの陰を覗《のぞ》き込んだ。むす子はそれに答えないで吃《ども》った。
「ああ、あいつ等が占領しているのか、だいぶ豊かと見えるな」
 そして、声のする噴水のかげの隅に向って、のびのびした挨拶《あいさつ》の手を挙げていった。
「子供等よ、騒ぐでないぞ、森の菌霊《こびと》が臼《うす》搗《つ》くときぞ」
 むす子は、おかしさが口の端から洩《も》れるのをそのまま、子供等に対する家長らしい厳しい作り声をあっさり唇に偽装して、相手の群に発音し終ると、くるりと元の方向に踏み直って歩き出した。
「やったな、やったな」という声や、またも、「イチロ、イチロ」という叫び声が爆笑と混って聴えた。五六人、西洋人らしい無造作な立ち上り方をして拍手した。
 靠れ壁の隅に無精らしく曲げた背中をもたせて笑ってばかり居る若い娘と、立ち上った群の中に、もう一人長身の若い娘が、お出額《でこ》の捲髪《カール》を光線の中に振り上げ振り上げ、智慧《ちえ》のない恰好《かっこう》で夢中に拍手しているのを、かの女は第一にはっきり見て取った。かの女はちょっと彼等に微笑しながら目礼したけれど、妙な一種の怯《おび》えが、むす子を彼等から保護するような態度を、かの女にさせた。かの女は思わず息子の身近くに寄り添った。そのくせかの女はまたすぐあとから、彼等に好感を覚えてのろのろと彼等の方を見返した。
「おかあさん、何してるんです、どうせあいつら、あとで僕たちの席へ遊びに来ますよ」
「あんた、とても、大胆ね、こんな人中で、よく平気であんな冗談云えるのね」
 そういいながら、かの女は却《かえ》って頼母《たのも》しそうにむす子の顔をつくづく瞠入《みい》った。
 むす子のこんなことすら頼母しがるお嬢さん育ちの甘味の去らない母親を、むす子はふだんいじらしいとは思いながら、一層|歯痒《はが》ゆがっていた。自分達は、もっと世間に対して積極的な平気にならなければならない。
「また癖が」、むす子はかの女の自分に感心するいつもの眼色を不快そうに外ずして向うをむきながら、かの女の手をぐっと握り取った。
「怯えなくとも好い……何でもないです。誰でも同じ人間です」
「すると、あの中の女たちは、やっぱり遊び女」
「遊び女もいますし、芸術家もいます。中には、ひどい悪党もいます」
 むす子は母親の眼の前に現実を突きつけるように意地悪く云い放ちながら、握った手では母親の怯えの脉《みゃく》をみていた。かの女には独りで異国に残るむす子の悲壮な覚悟が伝わって来て身慄《みぶる》いが出た。かの女は自分に勇気をつけるように、進んでむす子の腕を組みかけながらいった。
「ほんとに誰でも同じ人間ね。さあみんなと遊ぼう」
 この夜は謝肉祭の前夜なので、一層込んでいた。人々に見られながらテーブルの間の通路を、母子は部屋中歩き廻《まわ》った。
 通り過ぎる左右の靠《もた》れ壁《かべ》から、むす子に目礼するものや、声をかけるものがかなりあった。美髯《びぜん》を貯え、ネクタイピンを閃《ひらめ》かした老年の紳士が立ち上って来て礼儀正しく、むす子に低声で何か真面目《まじめ》な打合せをすると、むす子は一ぱしの分別盛りの男のように、熟考して簡潔に返事を与えた。老紳士は易々として退いて行った。その間かの女は、むす子がふだんこういう人と交際《つきあ》うならお小遣が足りなくはあるまいか、詰めた生活をして恥を掻《か》くようなことはあるまいか、胸の中でむす子が貰う学資金の使い分けを見積りしていた。しかし、それよりも、むす子に向って次の靠れ壁から声をかけた一人の若い娘に考えは捉《とら》えられた。その娘は病気らしく、美しい顔が萎《しな》びていて僅《わず》かに片笑いだけした。
「ジュジュウ! 病気悪いか」
 娘はまた片笑いしただけだったが、かの女は、むす子がその娘に対する挨拶《あいさつ》に、ただの男らしい同情だけ響くのを敏く聞き取って、その女は遊び女に違いないにしろ、もっとむす子は優しく云ってやればいいのに、と思った。
「イチロ。空いたところがある」
 鳶色《とびいろ》の髪をフランス刈りにしたマネージャーが、人を突きのけるようにして、かの女等親子を導いて、いま食卓の卓布の上からギャルソンが、しきりにパン屑《くず》をはたき落している大テーブルへ連れて行った。そこでマネージャーは無言でぱっと両手を肩のところで拡《ひろ》げ、首をかしげて、今夜は忙しくて忙しくてという身振りをする。ギャルソンは新しい卓布を重ねて、花瓶の位置をかの女の方向へ置き直した。かの女はしばらく、薄紅色のカーネーションの花弁に、銀灰色の影のこまかく刻み入ってるのを眺め入った。
 小広いテーブルに重ねられた清潔な卓布は、シャンデリヤを射反《いかえ》して、人を眠くする雪明りのような刺戟《しげき》を眼に与える。その上に几帳面《きちょうめん》に並べられている銀の食器や陶器皿や、折り畳んだナフキンは、いよいよ寒白く光って、催眠術者の使う疑念の道具の小鏡のように、かの女の瞳《ひとみ》をしつこく追う。
「ああ、わたし、眠くなった。疲れた」かの女はこういって、体を休ましたい気持にも、ちょっとなったが、むす子と一緒と思えば、それを押し除《の》けて生々した張合いのある精神が背骨を伝って、ぐいぐい堕気を扱《しご》き上げるので、かの女は胸を張ったちゃんとした姿勢で、むす子と向い合った。そして眩《まぶ》しい瞳を花瓶の花の塊やパンの上に落着けた。
 焦茶色で絞り手拭《てぬぐい》の形をしているパンは、フランス独得の流儀で、皿にのせず、畳んだナフキンの上にじかに置いてあった。それが却《かえ》ってうまそうに見えた。
 かの女はときどき眼を挙げて、花を距《へだ》てたむす子の顔を見た。ギャルソンに註文を誂《あつら》えた後のむす子は画家らしい虚心で、批評的の眼差《まなざ》しで、柱の柱頭に近いところに描いてある新古典派風の絵を見上げていた。鳶色に薄桃色をさした小づくりの顔は、内部の逞《たくま》しい若い生命に火照《ほて》ってあたたかく潤っていた。情熱を大事に蔵《しま》ってでもいるように、またむす子は、両手を上着のポケットに揃《そろ》えて差し込んでいた。
 新古典派風の絵のある柱の根で、角を劃切られたこの靠れ壁は、少し永く落着く定連客が占めるのを好む場席であった。隅近くではあったが、それだけ中央の喧騒《けんそう》から遠去かり、別世界の感があった。中央の喧騒を批評的に見渡して自分たちの場席を顧みると、頼母《たのも》しい寂しい孤独感に捉えられた。
 かの女は、むす子が眼をやっている間近の柱の絵を見上げて、それから無意識的にその次の柱、また次の柱と、喧騒の群の上に抽《ぬき》んでて近くシャンデリヤに照らされている柱の上部の絵を、眼の届くまで眺めて行った。その絵はまちまちの画風であった。女が描いたように描いた表現派風の絵もあった。ここへ来る古い定連の画家に頼んで勝手に描いて貰ったこれ等の絵は、統一もなく、巧《うま》いのも拙《つたな》いのもあった。かの女はむす子に案内されて画商街へモダンの画を見に通った幾日かを思い起した。それらは、むす子が素性のいい恋人と逢うのに立ち会うように楽しかった。
 かの女の眼が引返してむす子に戻り、今更しみじみ不思議な世界でわが子と会った気持になっていると、かの女はむす子の育った大人らしさを急に掻き乱し度《た》くなる衝動に駆られた。
「よして頂戴《ちょうだい》よ、大人になってさ。お願いだから、もとの子供になりなさいよ」
 かの女は胸でこう云って無精にむす子に手をかけ度い気持を堪えていると、一種の甘い寂しい憎しみが起る。むす子の上ポケットの鳶色のハンケチにかの女の眼が注がれる。「まあ、なんというお巧者な子だろう。憎らしい。忘れないでハンケチなど詰めて」ふと気がつくと、むす子もいつか絵を見ていた眼を空虚にして、心で何か噛《か》み躙《にじ》っているらしい。
 かの女の眼とむす子の眼とが、瞠合《みあ》った。二人は悲しもうか笑おうかの境まで眼を瞠合ったまま感情に引きずられて行ったが、つい笑って仕舞った。二人は激しく笑った。
「どうして笑うのよ」
「おかあさん、どうして笑うんです」
「あんたがいつか言ったこと想《おも》い出したからよ」
「どんなことです」
「あんた、いつか、こういったわね。僕、おかあさんにそっくりな小さい妹を一人得られたら、ぐいぐい引張り廻して僕の思う通りにリードしてやるって、あれをよ」
「ふんそんなことか。けど僕やめにしますよ。なにしろ、おかあさんという人はスローモーションで、どうにも振り廻しにくいですからねえ」
 むす子は唇をちょっと噛んで、面白そうに、かの女を額越しにちょっと見た。
「ついでにおかあさんに云っときますがね、いくら僕が寂しかろうといって、むやみに、お嫁さんの候補者なんか送りつけたりするのはご免《めん》蒙《こうむ》りますよ。やり兼ねないからね。いくらお母さんの世話でも、全くこれだけは断りますよ」それからはじめて手を出して卓の上へ組み合せて、
「僕、おかあさんに対する感情の負担だけでも当分一人前はたっぷりあるのだからなあ」むす子は言葉尻《ことばじり》を独り言のようにいってのけた。
 むす子が面と向ってこういう真実の述懐を吐くとき、かの女には却ってむす子から、形の上の子供子供した点だけが強く印象づけられた。
「そんなに、おかあさんの方ばかり気にしないで、ご自分が幸福《しあわせ》になるよう、しっかりなさいよ。ほんとうですよ」
 こういって、はじめてかの女は母親の位を取り戻した。
 ギャルソンがスープを運んで来た。星がうるんで見える初夏の夕空のような浅い浅黄色の汁の上へギャルソンはパラパラと焦したパン片を匙《さじ》で撒《ま》いて行った。
「香ばしくておいしい。掻餅《かきもち》のようね」とかの女はいった。
 むす子はかの女の喰《た》べ方を監督しながら自分も喰べていった。
「パパ、今晩は、トレ・コンタンでしょう。支那めしが喰べられて」
「久し振りに日本の方と会って大いに談じてますよ」
「パパもいいが独逸《ドイツ》の話だけはして呉《く》れないといいなあ、ベルリンのことを平気でペルリン、ペルリンというんだもの、傍で気がさしちまう」
「おなかじゃベルリンと承知してて、あれ口先だけの癖よ」
 母子は逸作への愛に盛り上って愉快に笑った。
 かの女とむす子は静かに食事を進まして行った。外国の食事の習慣に慣らされて、食事中は込み入った話をしない癖がついている二人は、滑かにあっさり話を交した。
 かの女は最初|巴里《パリ》につき、それから主人の用務でイギリスへしばらく滞在するため巴里を出立するとき、むす子に言葉を慣らすため一人で残して置いたのであるが、かの女はむす子の慰めになるかも知れないと、上海《シャンハイ》の船つきで買い入れたカナリヤの鳥籠をもむす子に残していった。むす子はそのカナリヤの餌を貰うのに寄宿の家のものに何といったらいいのか困り果てたという話は、かの女がむす子から度々聞いた経験談だが、観察の角度を代えていままた話されると、相変らず面白かった。
 むす子が、だいぶ経験も積んで、巴里郊外の高等学校の予備校の寄宿舎に、たった一人日本人として寄宿した経験談も出た。むす子はそこでフランスの学生と同等に地理や歴史を学んだ。
「画描きだって、こっちに長くいるなら、それそうとう常識的な基礎知識は必要ですからねえ」
 いくらか、かの女の性質の飛躍し勝ちなロマン性に薬を利かしたという気味も含めて、
むす子は落着いて語った。 
「あんたには、そういう順序を立てた考え深いところもあるのね。そういうところは、あたし敵《かな》わないと思うわ」
 かの女は言葉通り尊敬の意を態度にも現わし、居住いを直すようにしていった。しかし、こういう母親を見るのはむす子には可哀《かわい》そうな気がした。それで、その気分を押し散らすようにしてむす子はいった。 
「なに、僕だって、おかあさんと同じ性分なんです。そしておかあさんだってずいぶん考え深い方でなくはありませんさ。けれどもおかあさんは女ですから、それを感情の範囲内だけで働かして行けばすみますが、僕は男ですからそうは行きません。そうとう意志を強くして、具体的の事実の上にしっかり手綱を引き締めて行かなければ、そこが違うんでしょうねえ」
 けれども、一たんむす子へ萌《きざ》した尊敬の念は、あとから湧《わ》き起るさまざまの感傷をも混えて、昇り詰めるところまで昇り詰めなければ承知出来なかった。かの女は感心に堪え兼ねた瞳《ひとみ》を、黒く盛り上らせてつくづくいった。 
「なるほど一郎さんは男だったのねえ。男ってものは辛《つら》いものねえ。しかし、男ってものは矢張り偉いのねえ」
 これには流石《さすが》にむす子の鋭い小さい眼も眩《まぶ》しく瞬いて、「こりゃどうもそう真面目《まじめ》に来られちゃ挨拶《あいさつ》に困りますねえ」
と、冗談らしく云って、この問題の討議打切りを宣告した。
 かの女が、ほのかに匂《にお》っているオレンジに塗られたブランデーの揮発性に、けへんけへん噎《む》せながら、デザートのスザンヌを小さいフォークで喰《た》べていると、むす子がのそっと立ち上って握手をして迎える気配がした。かの女が振り向くと、さっきの片頬《かたほお》だけで笑う娘が靠《もた》れ框《がまち》の外に来ていた。
「お邪魔じゃなくって」 
「いいでしょう、おかあさん、この女《ひと》」 
「いいですとも。さあここがいい」かの女は自分の席の傍を指した。かの女に握手をして素直にかの女の隣に坐《すわ》った娘は、 
「お姉さま?」とむす子に訊《き》いた。 
「ママン」むす子は簡単に答えて、その娘が気だるげにかの女に対して観察の眼を働かしている間に、むす子は母親に日本語で話した。 
「この女はね。よく捨てられる女なんですよ。面白いでしょう」
 今度はかの女の方が好奇の目を瞠《みは》って娘を観察していると、娘はむす子に訊いた。 
「あなた、ママンに何てあたしを紹介したのです?」 
「よく捨てられる女って」
 それを聞くと娘は、やや興を覚えた張合いのある顔になっていった。
「それは、まだ真実を語っていない。もう一度、ママンに紹介しなさい。よく男を捨てる女って」
 そして、彼女はうれしそうに笑った。神秘的に悧巧《りこう》そうな影を、額から下にヴェールのように持っているこの若い娘が、そうやって笑うとき、口の中に未だ発育しない小さい歯が二三枚|覗《のぞ》かれた。その歯はもう永遠に発育しないらしく、小さいままでひねこびた感じを与えた。
 むす子は笑いながら娘の抗議を母親に取次いでこういった。 
「こんなこといってますがね。この女は決して一ぺんでも自分から男を捨てた事はないんですよ。惚《ほ》れた男はみんなきっと事情が出来て巴里から引上げなくちゃならなくなるんです」 
「どうしてなんだろう」 
「どうしてですかね」
 むす子は、ただしばしば男に訣《わか》れねばならなくなる運命の女であるというところに、あっさり興味を持っているようだった。
 ジュジュと仲間呼びされるその娘は、だんだんむす子の母に興味を感じて来た。娘は持前のフランス語に、やや通用出来る英語を混えて、かの女と直接話すようになった。娘は相当知識的で、かの女に日本の女性の事を訊くにつけても、「ゲイシャ、それからヨシハラ、そんなもの以外にちゃんとした女がたくさんあるんでしょう」といったり、「日本の女は形式的には男から冷淡にされるけれども、内容的にはたいへん愛されるんだそうですね」といったりした。
 娘は「猫のお湯屋」の絵草紙を見たことがあって、「あれがもし、日本の女たちの入る風呂の習慣としたら、同性たちと一緒に話したり慰め合ったりしながら湯に入れて、こんな便利な風呂の入り方はない」と羨《うらや》ましそうにいった。
 時計は午前二時を過ぎた。攪《か》き廻《まわ》されて濃くなった部屋の空気は、サフランの花を踏み躙《にじ》ったような一種の甘い妖《あや》しい匂いに充《み》ち、肉体を気だるくさす代りに精神をしばしば不安に突き抜くほど鋭く閃《ひらめ》かせた。人と人との言葉は警句ばかりとなり、それも談話としてはほんの形式だけで、意味は身振りや表情でとっくの先に通じてしまう。廻転《かいてん》ドアの客の出入りも少くなり、その代り、詰めに詰め込んだという座席の客は、いずれもこの悪魔的の感興の時間に殉ずる一種の覚悟と横着とを唇の辺にたたえ、その気分の影響は、広間全体をどっしりと重いものに見せて来た。根のいいロシア人の即席似顔画描きが、隣のキャフェ・ル・ドームを流した後らしく、入って来て、客の気分を見計いながら、鉛筆の先と愛想笑いで頼み手を誘惑しているが、誰も相手にしない。 
「さあ、とうとう、やって来た」
 満腹するとすっかり子供に返ってしまって、誰とでもじゃれて遊びたい仔犬《こいぬ》のように、さっきから身体中に弾力の渦巻を転々さして、興味の眼を八方に向け放っていたむす子は、そういって、おかしさに堪え兼ねるように肩を慄《ふる》わして笑った。
 さっき室内噴水のそばに席を取っていた男女の一群が、崩れかかるようにして寄って来た。
 額に捲髪《カール》のあるロザリが先に立って、その次に男と腕を組んで、少し狡《ず》るそうな美しい娘のエレンが、気取って済ましてついて来た。その後に牛のような青年がまた一人いた。
 かの女は、すっかりうれしくなって、全く子供の遊び友達を迎える気持で、彼等の席をつくった。 
 どっちも緑の褶《ひだ》が樺色《かばいろ》に光る同じ色の着物を着ていたジュジュとエレンは、むす子の左右に坐《すわ》った。そして、捲髪《カール》のロザリをかの女自身の右の並びに置き、自分の左側には小ザッパリした青年を隔てに置いて、その向うに牛のような男を坐らした。
 牛のような青年は、女がたくさんいるテーブルに、同性とタブって並ばされたので、無意識にも手持無沙汰《てもちぶさた》らしく、ときどきかの女とロザリと並んでいるのを少し乗り出して横眼で見た。しかし彼女の気持からは、その男は垢《あか》っぽい感触を持ってるので、なるべく一人垣を隔てた向うへどうしても置きたかった。
 そんな末梢的《まっしょうてき》なショックはあっても、来た男女に対してかの女は、全部的の好意と親しみを平等に持って仕舞った。鬼であれ蛇であれ、むす子の相手になって呉《く》れるものに、何で好感を持たずにいられようか。大家族の総領娘として育ったかの女には、いざというとき、こんな大ふうな呑《の》み込んだ度胸が出た。
「イチローさん、この方たちになんでも好きな飲みものでも取ってあげなさい」
 むす子がかの女の言付けを取次ぐと、めいめいおとなしく軽いアルコール性の飲みものを望んだ。
 遠慮の幕一重を距《へだ》てながら、何か共通の気分にうち溶けたい願いが、めいめいの顔色に流れた。そして夜ふかしで腫《はれ》ぼったくなっためいめいの眼と眼を見合しては、飲みものの硝子《ガラス》の縁に薄く口を触れさしていた。折角、口が綻《ほころ》びかけていたジュジュも、仲間の一人に入り混ってしまうと、通り一遍の遊び女になってしまって、ただ、空疎な微笑を片頬《かたほお》に装飾するに過ぎなかった。
 ちょっと広間の周囲の空気からは、ここはエアポケットに陥ったように感ぜられつつある。数分間のうちにかの女は、この群の人々とむす子との間に対蹠《たいせき》し、或は交渉している無形な電気を感じ取った。
 かの女の隣にいる小ざっぱりした芸術写真師は、見かけだけ快く、内容はプーアなので、むす子に案外|嘗《な》められているのかも知れない。牛のような青年は、巨獣が小さい疵《きず》にも悩み易《やす》いように、常に彼もどろんとした憂鬱《ゆううつ》に陥っている。それでむす子は、何か憐愍《れんびん》のような魅力をこの男に感ずるらしい――。
 むす子は男性に対しては感受性がこまかく神経質なのに、女性に対しては割り合いに大ざっぱで、圧倒的な指揮権を持っていた。
 女たちは、何かいうにも、むす子に対して伏目になり、半分は言訳じみた声音で物を云った。それに対してむす子は、何等情を仮さないと云った野太い語調で答えた。それは答えるというよりも、裁く態度だ。裁判官の裁きの態度よりも、サルタンの熱烈で叱責的《しっせきてき》な裁き方だ。そういえば、かの女は思い起したことがある。日本にいる時から、この子供は女性から一種の怯《おび》えをもって見られていた。かの女の周囲に往来する夫人や娘たちは云った。
「イチローさんは、何だか女の気持を見抜いているような眼をした子供さんね。子供さんでも、あのお子さんに何か云われると、仕舞いに泣かされちまうわ。怖いわ」
 そう云いながら、彼女達は家へ来るとイチローさんイチローさんとしきりに探し求めた。
 なぜだろうか。それはかの女にも原因があるのではないかと、かの女は考えた。
 かの女は、むす子が頑是ない時分から、かの女の有り剰《あま》る、担い切れぬ悩みも、嘆きも、悲しみも、恥さえも、たった一人のむす子に注ぎ入れた。判っても、判らなくても、ついほかの誰にも云えない女性の嘆きを、いつかむす子に注ぎ入れた。頑是ない時分のむす子は、怪訝《けげん》な顔をして「うん、うん」と頷《うなず》いていた。そしてかの女の泣くのを見て、一緒に泣いた。途中で欠伸《あくび》をして、また、かの女と泣き続けた。
 稚純な母の女心のあらゆるものを吹き込まれた、このベビー・レコードは、恐らく、余白のないほど女心の痛みを刻み込まれて飽和してしまったのではあるまいか。この二十歳そこらの青年は、人の一生も二生もかかって経験する女の愛と憎みとに焼け爛《ただ》らされ、大概の女の持つ範囲の感情やトリックには、不感性になったのではあるまいか。そう云えば、むす子の女性に対する「怖いもの知らず」の振舞いの中には、女性の何もかもを呑み込んでいて、それをいたわる心と、諦《あきら》め果てた白々しさがある。そして、この白々しさこそ、母なるかの女が半生を嘆きつくして知り得た白々しさである。その白々しさは、世の中の女という女が、率直に突き進めば進むほど、きっと行き当る人情の外れに垂れている幕である。冷く素気なく寂しさ身に沁《し》みる幕である。死よりも意識があるだけに、なお寂しい肌触りの幕である。女は、いやしくも女に生れ合せたものは、愛をいのちとするものは、本能的に知っている。いつか一度は、世界のどこかで、めぐり合う幕である。むす子の白々しさに多くの女が無力になって幾分|諛《へつら》い懐しむのには、こういう秘密な魔力がむす子にひそんでいるからではあるまいか。そしてこの魔力を持つ人間は、女をいとしみ従える事は出来る。しかし、恋に酔うことは出来ない。憐《あわ》れなわが子よ。そしてそれを知っているのは母だけである。可哀相《かわいそう》なむす子と、その母。
「サヴォン・カディウム!」とエレンが、小さい鋭い声で反抗した。
 むす子はエレンが内懐から取出して弄《もてあそ》び始めようとしたカルタを引ったくって取上げて仕舞ったのである。
「サヴォン・カディウム! サヴォン・カディウム!」ロザリも、おとなしいジュジュまでが立ちかかって手を出した。
 むす子は可笑《おか》しさを前歯でぐっと噛《か》んで、女たちの小さい反抗を小気味よく馬耳東風に聞き流すふりをしている。
「何ですの。サヴォン・カディウムって」とかの女はちょっと気にかかって左隣の芸術写真師に訊《き》いた。
「ママンにサヴォン・カディウムを訊かれちゃった」明朗な写真師の青年は、手柄顔に一同に披露した。
 女たちは、タイラントに対する唯一の苛めどころが見付かったというように、
「さあ、ママンに話そうかな、話すまいかな」と焦《じ》らしにかかった。
「ひょっとしてそれがむす子の情事に関する隠語ではあるまいか」こういう考えがちらりと頭に閃《ひらめ》くと、かの女は少し赫《あか》くなった。
「訊かない方がよかった」「しかし訊き度《た》い」「何でもないじゃないか」とむす子はフランス語で女たちを窘《たしな》めて置いて、今度はかの女に日本語でいった。
「カディウム・サヴォンというシャボンの広告が町の方々に貼《は》ってあるでしょう。あれについてる子供の顔が僕に似てるというんです。随分僕を子供っぽく見てるんですね」
 それから、むす子は女たちの方を向いて同じ意味の事をフランス語でいって、付け足した。
「こうママンに説明したんだが、誰か異議があるか」
 女たちは詰らない顔をした。かの女も詰らない顔をした。
「サヴォン・カディウム!」今度はかの女が突然、むす子に向ってこう呼びかけた。それは確にこの場の打切りになった感興の糸目を継ぐために違いなかったが、かの女は無意識に叫び出して仕舞ったのである。そこにはもう、何も彼も忘れて、子供をからかえる素朴な母になって、春の一夜を過したいかの女が在るばかりだった。
 すると憂鬱に黙っていた牛のような青年が、何を感じたか、むっつりした声で怒鳴った。
「ママン、万歳!」
「この男はアルトゥールと云って、独逸《ドイツ》が混ってるフランス人ですがね」
とむす子は日本語がみんなに判らぬのを幸い、かの女に露骨に説明した。
「いい思いつきを持ってる店頭建築の意匠家ですがね。何か感激したものを持たないと決して仕事をしないのです。つまり恋なのですが、随分七難かしい恋愛を求めてるんです。僕のみるところでは、姉とか母とかの愛のようなものを恋愛によそえて求めてるようなのですが、当人は飽くまでもただの恋愛だといって頑張ってるんです。西洋人の中には随分独断の奴が多いのです。自分の考えていることを一々実際にやってみて、行き詰って額をぶつけてからでないと承知しないのです。このアルトゥールもその一人ですが、そんな理ですから、また、この男くらい恋愛を簡単に女に投げかけてみて、そして深刻に失敗した奴も少いでしょう。つまり、こいつぐらい恋愛の場数を踏みながら、まだ恋愛の一年生にとまっている奴も少いでしょう」
「じゃ、一郎はもう卒業生なの」
「まあ、黙って。そこで、おかしい事があるんです。このアルトゥールがどこで女に失敗するかというと、その熱心さがあんまり気狂い染《じ》みているというんです。ここにいるロザリもエレンも、一度はその気狂い染みた恋愛の相手になったのですが、女たちの話を訊《き》くと、甘えて卑《へ》り下ってしようがないというんです。恋人を実際生活の上でほんとの女神扱いにするんだそうです。希臘神話《ギリシアしんわ》に出て来るようなへんな着物を拵《こしら》えて女に着せて、バラの冠を頭に巻かして自分はその傍に重々しく坐《すわ》っている。まあ、そんな調子です」
「それから奇抜なのは、そういう恋愛を得た時、この男のインスピレーションは高められて、しっしと、引受けた店頭建築の意匠を捗《はかど》らせて見事な仕事をするのですが、出来上った店頭装飾建築には、一々そのときの恋人の名前をつけるんです。エレンのポーチとか、ロザリのアーチとか。そして、その完成祝いには恋人の女神を連れて来て初入店の式をさせるのです。その希臘神話風の服装で」
「女は、殊に西洋人の女は、決してそういう扱いを嫌いなわけではありません。大好きです。それで、暫時は有頂天になっていますが、結局は空虚の感じに堪えられなくなるというんです。なぜでしょう」
「それは総てを与えても、結局は男が女に与うべきものを与えないからでしょう」かの女は即座に答えた。エゴイズムの男。そして自分でもそのエゴイズムに気がつかない男。かの女の結婚生活の前半の嘆き苦しみの原因もまた、そこに在ったのではなかったか……。
「そうでしょうか、そうかも知れませんね」
「パパとアルトゥールとまるっきり違うけど……私思い出したわ。ほらあんた子供のとき、パパと新しく出来た船のお客に二人だけで呼ばれてって、二三日ママと訣《わか》れてたことがあったでしょう。帰って来て、矢庭にママにぶら下がって泣き出したね。何故だか人中でパパと暮すと、とても寂しくてやり切れないって……」
 むす子は遠い過去の実感に突き当って顔が少し赫《あか》くなったのを、ビールを口へ持って行って和めた。
「パパは、はやりっ子になりたてでしたね。あの時分、世間だの仕事だのが珍しくって面白くって堪《たま》らない一方だったんですね……あの時分からみると、パパは生れ代ったような人になりましたね」
「ほんとうに、あなたにも私にも勿体《もったい》ないようなパパ……今のようなパパだと、昔のことなんか気の毒で云えないね」こう云い乍《なが》らかの女は、仕事の天分ばかりあって人間同志の結び目を知らないで恋人に逃げられてばかりいるアルトゥール青年を、悲喜劇染みた気持で見返した。
「あの青年はどういう育ちの人」
「さあ、そいつはまだ聞きませんでしたが、ときどき打っても叩《たた》いても自分の本当の気持は吐かないという依估地《いこじ》なところを見せることがありますよ。そして僕がそれをそういってやっても、はっきりは判らないらしいんです。つまり単純な天才なんですね。そこへ行くとパパは話せる。あんな天才生活時代の前生涯と、今のプライヴェート生活のような親密な性情と両面持っている……」
 かの女とむす子がプライヴェートな会話に落ちこんでいると見たらしく、アルトゥールは非常に軽快なアクセントで、他の連中に講演口調で喋《しゃべ》っていた。
「白のニッケル、マホガニー材、蝋色《ろういろ》の大理石、これだけあれば、俺はどんな感情でも形に纏《まと》めてみせるね。どんな繊細な感情でもだぞ」
「恋愛はその限りに非《あら》ずか」
 芸術写真師は傍から揶揄《からか》った。
「そんなことはない」とアルトゥールは写真師を噛《か》むように云ったが、すぐ興醒《きょうざ》め声になっていった。
「だが恋愛に関する限り、たとえば、嫉妬《しっと》だとか憎みだとかいうものは、生活に暇があって感情を反芻《はんすう》する贅沢《ぜいたく》者たちの取付いている感情だ。おれたち忙しい人間は感情は一渦紋で、収支決算をつけて、決して掛勘定にしとかない。感情さえ現金《キャッシュ》払いだ。現実から現実へ飛び移って行くんだ。嫉妬だとか、憎みだとかいうものは、感情に前後の関係を考える歴史趣味だ」
 アルトゥールの云うこととは別の中味は、もう二重になっていて、云ってる意味と違ったものを隠しているようだった。心に臆《おく》したものがあって、そういう他人と深い交渉をつける膠質の感情は、はじめからこの男には芽も無いらしい。
 大広間一面のざわめきが精力を出し切って、乾き掠《かす》れた響を帯び、老芸人の地声のように一定の調子を保って、もう高くも低くもならなくなった。天井に近く長い二流三流の煙の横雲が、草臥《くたび》れた乳色になって、動く力を失っている。
 靠《もた》れ框《がまち》の角の花壺《はなつぼ》のねむり草が、しょうことなしに、葉の瞼《まぶた》を尖《さき》の方から合せかけて来た。
 壁の前に、左の腕にナフキンをかけて彫刻のように突立っているギャルソンの頭が、妙に怪物染みて見える。
「みんな、この子と仲好くしてやって下さいね」かの女はグループを見廻《みまわ》してそういった。
「たのみますよ」
 時に、かの女のいるテーブルの反対側の広間から、俄《にわか》に鬨《とき》の声が挙って、手擲弾《てなげだん》でも投げつけたような音がし出した。かの女はぴくりとして怯《おび》えた。同じくびっくりした壁の前のギャルソンは、急いでその方へ駆けて行ったが、すぐ一抱えにクラッカーの束を持って来て、テーブルの上へ投げ出した。
 謝肉祭《カルナヴァル》
 もう、そのとき、クラッカーを引き合って破裂させる音は、大広間一面を占領し、中から出た玩具の鳴物を鳴らす音、色テープを投げあうわめき、そしてそこでも、ここでも、※[#「※」は「口+喜」、第3水準1-15-18、637-下-13]々《きき》として紙の冠《かぶ》りものを頭に嵌《は》めて見交し合う姿が、暴動のように忽《たちま》ち周囲を浸した。
「おかあさん、何? 角笛《ホーン》、これ代えたげる冠りなさい」
 うねって来る色テープの浪。繽紛《ひんぷん》と散る雪紙の中で、むす子は手早く取替えて、かの女にナポレオン帽を渡した。かの女は嬉《うれ》しそうにそれを冠った。ジュジュ以外のものも、銘々当った冠りものを冠った。ジュジュには日本の毛毬《けまり》が当った。
 活を入れられて情景が一変した。広間は俄《にわか》に沸き立って来た。新しい酒の註文にギャルソンの駆《は》せ違う姿が活気を帯びて来た。
 かの女はすっかりむす子のために、むす子のお友達になって遊ばせる気持を取戻し、ただ単純に投げ抛《う》ったりしているジュジュの手毬《てまり》を取って、日本の毬のつき方をして見せた。

  ほうほうほけきょの
  うぐいすよ、うぐいすよ
  たまたま都へ上るとて上るとて
  梅の小枝で昼寝して昼寝して
  赤坂|奴《やっこ》の夢を見た夢を見た。

 かの女はこういうことは案外器用であった。手首からすぐ丸い掌がつき、掌から申訳ばかりの蘆《あし》の芽のような指先が出ているかの女のこどものような手が、意外に翩翻《へんぽん》と翻《ひるがえ》って、唄《うた》につれ毬をつき弾ませ、毬を手の甲に受け留める手際は、西洋人には珍しいに違いなかった。
「オオ! 曲芸《シルク》!」
 彼等は厳粛な顔をしてかの女のつく手を瞠《みい》った。
 かの女はまた、毬をつき毬唄を唄っている間に、ふと、こんなことを思い泛《うか》べた。毬一つ買ってやれず、むす子を遊ばせ兼ねたむかし、そして、むす子が二十になって、今むす子とその友達のために毬唄をうたう自分。憎い運命、いじらしい運命、そしてまたいつのときにかこの子のために毬をつかれることやら――恐らく、これが最後でもあろうか。すると、声がだんだん曇って来て、涙を見せまいとするかの女の顔が自然とうつ向いて来た。
 むす子は軽く角笛に唇を宛《あ》て、かの女を見守っていた。
 女たちが代って覚束《おぼつか》なく毬をつき習ううち、夜は白々と明けて来た。窓越しにマロニエの街路樹の影が、銀灰色の暁の街の空気から徐々に浮き出して来た。
 室内の人工の灯りが徐々に流れ込んで、部屋を浸す暁の光線と中和すると、妙に精の抜けた白茶けた超現実の世界に器物や光景を彩り、人々は影を失った鉛の片《きれ》のようにひらぺたく見える。
 かの女は今ここに集まった男女が遊び女であれ、やくざ男であれ、自分の巴里《パリ》を去った後に、むす子の名を呼びかけて呉《く》れるものは、これ等の人々であるのを想《おも》えば、なつかしさが込み上げて来る。かの女は儚《はかな》い幻影に生ける意志を注ぎ込むような必死な眼差《まなざ》しで、これ等の人々を見渡した。

 或る夜のかの女――今夜もかの女は逸作と銀座に来てモナミのテーブルに坐《すわ》っていたが、三四十分で椅子《いす》から立ち上った。
「さあ、行きましょう。外が大ぶ賑《にぎ》やかになりましたわ」
 逸作は黙って笑いながら、かの女のだらしなく忘れて行く化粧鞄を取って後に従《つ》いて出た。
 瞬き盛りの銀座のネオンは、電車通の狭谷を取り籠《こ》めて四方から咲き下す崖《がけ》の花畑のようだ。また、谷に人を追い込めて、脅かし誑《たぶら》かす妖精群のようにも見えた。
 目をつけるとその一人一人に特色があって、そしてまた、特にこれが華やかとも思えない男女が、むらな雨雲のように押し合って塊ったり、意味なく途切れたりしつつ、大体の上では、町並の側と車道の側との二流れに分れて、さらさらと擦れ違って行く。すると、それがいかにも歓《よろこ》びに溢《あふ》れ、青春を持て剰《あま》している食後の夜の町のプロムナードの人種になって、特に銀座以外には見られぬ人種になって、上品で綺羅《きら》びやかな長蛇のような帯陣をなして流れて行く。
「やあ」
「よう!」
「うまくやってる」
「どうしたん?」
「しばらく」
 きれぎれに投げ散らされるブールヴァル言葉が、足音のざわめきにタクトされつつ、しきりなしに乱れ飛ぶ。扇屋、食料品店、毛皮店、組紐屋《くみひもや》、化粧品屋、額縁店等々の店頭の灯が人通りを燦めかせつつ、ときどきの人の絶え間に、さっとペーヴメントの上へ剰り水のように投げ出される。
 いつか、人混の中へ織り込まれていたかの女は、前後の動きの中に入って却《かえ》って落着いた。「藻掻《もが》いてもしようがない。随《つ》いて行くまでだ」都会人に取って人混は運命のような支配力を持っていた。薄靄《うすもや》を生海苔《なまのり》のように町の空に引き伸して高い星を明滅させている暖かい東南風が一吹き強く頬《ほお》に感ずると、かの女は、新橋際まで行ってそこから車に乗り、早く家へ帰り度《た》いというさっきからの気持は、人ごとのように縁の遠いものとなり、くるりと京橋の方へ向き直り、風の流れに送られて、群衆の方向に逆いながらまたそろそろ歩き出した。
 思考力をすっかり内部へ追い込んでしまったあとの、放漫なかの女の皮膚は、単純に反射的になっていて、湿気《しっけ》た風を真向きに顔へ当てることを嫌う理由だけでも、かの女にこんな動き方をさせた。
 本能そのもののようにデリケートで、しかし根強い力で動くかの女の無批判な行動を、逸作はふだんから好奇の眼で眺め、なるべく妨げないようにしていた。それで、かの女の転回を注意深く眼で追いながら、柳の根方でポケットから煙草《たばこ》を取り出して火を喫《す》いつけ、それから游《およ》ぐ子を監視する水泳教師のように、微笑を泛べながら二三間後を離れて随いて行った。
 無意志で歩いているかの女も、さすがにときどきは人に肩を衝《つ》かれ、またぱったり出会って同じ除《よ》け方をして立竦《たちすく》み合う逆コースを、だんだん煩わしく感じて来た。いつか左側の店並の往きの人の流れに織り込まれていた。すると同じ頃合いに、逆コースから順コースの人込みに移ったらしい学生の後姿が五六のまばらの人を距《へだ》てて、かの女の眼の前にぽっかり新しく泛んだ。
「あっ、一郎」
 かの女は危く叫びそうになって、屹《きっ》と心を引締めると、身体の中で全神経が酢を浴びたような気持がした。次に咽喉《のど》の辺から下頬が赫《あか》くなった。
 何とむす子の一郎によく似た青年だろう。小柄でいながら確《しっか》りした肉付の背中を持っていて、稍々《やや》左肩を聳《そび》やかし、細《ほっ》そりした頸《くび》から顔をうつ向き加減に前へ少し乗り出させながら、とっとと歩いて行く。無造作に冠《かぶ》った学生帽のうしろから少しはみ出た素直な子供ぽい盆の窪《くぼ》の垂毛まで、一郎に何とよく似た青年だろう。すると、もう、むす子特有のしなやかで熱いあの体温までが、サージの服地にふれたら直《す》ぐにも感じられるように思われた。
 かの女の神経は、嘘《うそ》と知りつつ、自由で寛闊《かんかつ》になり、そしてわくわくとのぼせて行った。
「パパ、一郎が……ううん、あの男の児が……そっくりなの一郎に……パパ……」
「うん、うん」
「あの子にすこし、随いてって好い?」
「うん」
「パパも来て……」
「うん」
 かの女は忙しく逸作に馳け寄ってこういう間も、眼は少年の後姿から離さず、また忙しく逸作から離れ、逸作より早足に少年の跡を追った。
 美術学校の帰りにむす子は友達と、ときどきモナミへ来て、元気な画論なぞした。そして出て行ったあと、偶然すぐかの女たちがそこへ入って行くと、馴染《なじみ》のボーイは急いで言った。
「坊ちゃんが、坊ちゃんが、いますぐ、出て行かれました。間に合いますよ」
 むす子の気配が移ったように、ボーイ達も明るく元気な声を出した。
 格別呼び返すほどのことも無いと思いながら、やっぱりかの女は駆けて往来へ出て見る。友達と簡単な挨拶《あいさつ》を交して、とっとと家路へ急ぐ、むす子の後姿が向うに見えた。かの女はあわてて呼び返した。
 むす子は表通りの人中で家の者に会うと、ちょっと気まりの悪い顔をして、ろくな挨拶もしなかった。それでいて、なつかしそうな眼つきをちらりと見せた。
 わけて彼女と人中で会うのは苦手らしかった。かの女の方もどうかしてか、とても気まり悪かった。それで、「へへん」と田舎娘のような笑い方をして、まじまじむす子を見入っていると、むす子は眼を外らし、唇の笑いを歯で噛《か》んでいった。
「また、羽織を曲げて着てますね。だらしのない」
 これがかの女に対する肉親の情の示し方だった。
 むす子はかの女と連れ立って歩くときに、ときどき焦《じ》れて「遅いなあ、僕先へ行きますよ」と、とっとと歩いて行く。そして十間ばかり先で佇《たたず》んで知らん顔で待ち受けていた。
 むす子は稍々《やや》内足で学生靴を逞《たくま》しくペーヴメントに擦《こす》り叩《たた》きながら、とっとと足ののろい母親を置いて行く。ラッパズボンの後襞《うしろひだ》が小憎らしい。それは内股から外股へ踏み運ぶ脚につれて、互い違いに太いズボン口へ向けて削《そ》ぎ下った。
「薄情、馬鹿、生意気、恩知らず――」
 こんな悪たれを胸の中に沸き立たせながら、小走りになってむす子を追いかけて行くとき、かの女の焦《いら》だたしくも不思議に嬉《うれ》しい気持。
 今一二間先に行く青年の足は、それほどの速さではないが、やはりかの女がときどき小走りを加えて歩かなければ、すぐ距離は延びそうだった。そして小走りの速度がむす子を追うときのピッチと同じほどになると、不思議にむす子を追うときの焦々した嬉しさがこみ上げて来て、かの女は眼に薄い涙を浮べた。
 かの女は感覚に誑《たぶらか》されていると知りつつも、青年のあとを追いながら明るい淋しい楽しい気持になるのをどうにも仕様がなかった。
 その青年は、むす子が熱心に覗《のぞ》くであろう筈《はず》の新しい縞柄《しまがら》が飾ってある洋服地店のショウウインドウや、新古典の図案の電気器具の並んでいるショウウインドウは気にもかけずに、さっさと行き過ぎた。その代り食物屋の軒電灯の集まっている暗い路地の人影を気にしたり、カフェの入口の棕梠竹《しゅろだけ》を無慈悲に毟《むし》り取ったりした。それがどうやら田舎臭い感じを与えて、かの女に失望の影をさしかけた。高い暗い建物の下を通るときは、青年はやや立ち止って一々敵対するように見上げた。横町を越す度毎に、人の塊と一緒に待ち合して通らず、一人ゆっくり横柄に自動車のヘッドライトの中を歩いて自動車の警笛を焦立たせた。かの女はその度に、
「よして呉《く》れればいいに、野蛮な」
と胸で呟《つぶや》き、そしてそのあとに、一郎とわざと口に出して呟いた。その人でない俤《おもかげ》をその人として夢みて行き度《た》い願いは、なかなか絶ち難い。
 左右の電車線路を眺め渡して、越すときだけ彼女を庇《かば》うように片手を背後に添えていた逸作は、かの女がまるで夢遊病者のようになって「似てるのよ、あの子一郎に似てるのよ」などと呟きながら、どこまでも青年のあとに随《つ》き、なおも銀座東側の夜店の並ぶ雑沓《ざっとう》の人混へ紛れ入って行くのを見て、「少し諄《くど》い」と思った。しかし「珍しい女だ」とも思った。そして、かの女のこのロマン性によればこそ、随分|億劫《おっくう》な世界一周も一緒にやり通し、だんだん人生に残り惜しいものも無くなったような経験も見聞も重ねて、今はどっちへ行ってもよいような身軽な気持だ。それに較《くら》べて、いつまでも処女性を持ち、いつになっても感情のまま驀地《まっしぐら》に行くかの女の姿を見ると、何となく人生の水先案内のようにも感じられた。そこでまた柳の根方に片足かけ、やおら二本目の煙草《たばこ》を喫《す》ってから、見残した芝居の幕のあとを見届ける気持で、半町ほど距《へだた》った人混の中のかの女を追った。
 銀座の西側に較《くら》べて東側の歩道は、東京の下町の匂《にお》いが強かった。柳の青い幹に電灯の導線をくねらせて並んで出ている夜店が、縁日らしいくだけた感じを与えた。込み合う雑沓の人々も、角袖《かくそで》の外套《がいとう》や手柄《てがら》をかけた日本髷《にほんまげ》や下町風の男女が、目立って交っていた。
 人混を縫って歩きながら夜店の側に立ち止ったり、青年の進み方は不規則で乱調子になって来た。そして銀座の散歩も、もう歩き足り、見物し足りた気怠《けだ》るさを、落した肩と引きずる靴の足元に見せはじめた。けれども青年はもっと散歩の興味を続け、又は、より以上の興味を求め度いらしく、ズボンのポケットへ突込んだ両手で上着をぐっとこね上げ、粗暴で悠々した態度で、街を漁《あさ》り進んだ。
 歩き方が乱調子になって来た青年の姿を見失うまいとして、かの女は嫌でも青年に近く随いて歩かねばならなかった。そして人だかりのしている夜店は意地になっても見落すまいとして、行き過ぎたのを小戻りさえする青年の近くにうろうろする洋装で童顔のかの女が、青年にだんだん意識されて来た。青年は行人を顧みるような素振りを装いながら、かの女の人柄や風態を見計うことを度々繰り返すようになった。
 離れて彼女を援護して行く逸作の方が、先に青年の企《たくら》みある行動を気取って、おかしいなと思った。しかし、かの女はすっかり青年の擬装の態度に欺かれて、人事のようにすましてただ立ち止っていた。たまたま閃《ひらめ》きかける青年の眼差《まなざ》しに自分の眼がぶつかると、見つけられてはならないと、あわてて後方へ歩き返した。
 青年のまともの顔が見られる度に、かの女は一剥《ひとは》ぎずつ夢を剥がれて行った。それはむす子とは全然面影の型の違った美青年だった。蒸気《むしけ》の陽気に暑がって阿弥陀《あみだ》冠《かぶ》りに抜き上げた帽子の高庇《たかびさし》の下から、青年の丸い広い額が現われ出すと、むす子に似た高い顎骨《あごぼね》も、やや削げた頬肉《ほおにく》も、つんもりした細く丸い顎も、忽《たちま》ち額の下へかっちり纏《まとま》ってしまって、セントヘレナのナポレオンを蕾《つぼみ》にしたような駿敏《しゅんびん》な顔になった。張って青味のさした両眼に、ムリロの描いた少女のような色っぽい露が溜《たま》っていた。今は唇さえ熱く赤々と感じられて来た。
「なんという間違いをしたものだろう」
 むす子に対する憧れが突然思いもかけぬ胸の中の別の個所から厳粛というほどの真率さでもって突き上げてきた。そしてその感情と、この眼の前の媚《なまめ》かしい青年に対する感覚だけの快さとが心の中に触れ合うと、まるで神経が感電したようにじりり[#「じりり」に傍点]と震え痺《しび》れ、石灰の中へ投げ飛ばされたような、白く爛《ただ》れた自己嫌悪に陥った。
 かの女は目も眩《くら》むほど不快の気持に堪えて歩いて行くと、やがて二つの感情はどうやら、おのおのの持場持場に納まり、沖の遠鳴りのような、ただうら悲しい、なつかしい遣瀬《やるせ》なさが、再びかの女を宙の夢に浮かして群衆の中を歩かした。
 ぱらぱらと雨が降り出して来た。町角の街頭画家は脚立をしまいかけていた。いや、雨気はもっと前から落ちて居たのかも知れない。用意のいい夜店はかなり店をしまって、往来の人もまばらに急ぎ足になっていた。
 灯という灯はどれも白蝋《はくろう》のヴェールをかけ、ネオンの色明りは遠い空でにじみ流れていた。
 今度は青年の方から距離を調子取って行くので、かの女は青年にはぐれもせず、濡《ぬ》れて電車線路の強く光る尾張町を再び渡った。
 慾も得もない。ただ、寂しい気持に取り残され度くない。ただそれだけの熱情にひかれて、かの女は青年のあとについて行った。後姿だけを、むす子と思いなつかしんで行くことだ。美青年に用はない。
 新橋際まで来て、そこの電車路を西側に渡った。かの女は殆《ほとん》どびしょ濡《ぬ》れに近くなりながら、急に逸作の方を振り向くと、いつもの通り少しも動ぜぬ足どりで、雨のなかを自分のあとから従《つ》いて来る。その端麗な顔立ちが、雨にうっすりと濡れ、街の火に光って一層引締って見える。彼女は非常な我儘《わがまま》をしたあとのような済まない気持になりながら、ペーヴメントの角に靴の踵《かかと》を立てて、逸作の近づいて来るのを待つつもりでいると、もう行き過ぎて見えなくなったと思った青年が、角の建物の陰から出て来てかの女にそっと立ち寄って来た。そして不手際にいった。
「僕に御用でしたら、どこかで御話伺いましょう」
 かの女は呆《あき》れて眼を見張った。まだ子供子供している青年の可愛気《かわいげ》な顔を見た。青年は伏目になって、しかし、意地強い恥しげな微笑を洩《もら》した。かの女は何と云い返そうかと、息を詰めた途端に、急に得体も知れない怯《おび》えが来た。
 かの女は「パパ!」といって折よく来た逸作の傍へ馳け寄った。

 あなたはO・K夫人でいらっしゃいましょう。僕は一昨夜あなたに銀座であとをつけられた青年です。僕は初め、何故女の人が僕について来るのかと不思議だったのです。それが更に世に名高いO・K夫人らしいのに驚き、最後にあれだけでお別れして仕舞うのが惜しくて堪《たま》らなくなったはずみ[#「はずみ」に傍点]で、思わず言葉をおかけしました。するとあなたは恰《あたか》も不良青年にでもおびやかされた御様子で、逸作先生(僕はあの方があなたの御主人で画家丘崎逸作先生だと直《す》ぐ判りました)の方へお逃げになりました。僕には何もかも不思議なのです。しかもあなたがお逃げになったあと、僕は一人で家へ帰りながら、どうしてもまたあなたにお目にかかりたくて仕方がなくなり、今でもその気持で一ぱいです。僕はあなたが有名な女流作家であるからとか、年長の美しい婦人に興味を持つとか、単なるそんな意味ばかりではなし、何故あなたのような方が、あの晩、あんな態度で僕をおつけになり、最後に僕を不良青年かなぞのように恐れてお逃げになったか、その意味が伺い度《た》いのです。
 こんな意味の手紙。これは銀座でそのことがあって一日おいて来た、あのナポレオン型の美青年からの手紙であった。かの女はその手紙に対してどういう返事を出して好いか判らなかった。何となく懐しいような、馬鹿らしいような、煩わしいような恥らわしい自己嫌悪にさえかかって、そのまま手紙を二三日放って置いた。
 いくらか習わされた良家的の字には違いないが、生来の強い我《が》が躾《しつけ》の外へはみ出していて、それが却《かえ》って清新な怜悧《れいり》さを表わしているといった字体で、それ以後五六本の手紙がかの女に来た。字劃《じかく》や点を平気で増減していて、青年期へ入ったばかりの年齢の現代の若ものに有り勝ちな、漢字に対する無頓着《むとんちゃく》さを現わしていたが、しかし、憐《あわ》れに幼稚なところもあった。名前は春日規矩男と書いてあった。
 書面の要求は初めの手紙と同じ意味へ、返事のないのに焦《じ》れた為か、もっと迫った気持の追加が出来て、銀座で接触したのを機縁として、唯《ただ》むやみにもう一度かの女に会い度いという意慾の単独性が、露骨に現われて来ていた。
 文筆を執ることを職業として、しじゅう名前を活字で世間へ曝《さ》らしているかの女は、よくいろいろな男女から面会請求の手紙を受取る。それ等を一々気にしていては切りがない――と、かの女は狡《ずる》く気持の逃避を保っていた。けれども青年の手紙の一つより一つへと、だんだんかの女の心が惹《ひ》かれてはいた。かの女はあの夜の自分の無暗な感情的な行為に自己嫌悪をしきりに感じるのであるけれど、実際は普通の面会請求者と違って、これはかの女の自分からアクチーヴに出た行為の当然な結果として、かの女としてもこの手紙の返事を書くべき十分の責任はある。かの女はやがてそこに気づくと、青年に対する負債らしいものを果す義務を感じた。けれども、それはやや感情的に青年に惹かれて来ているかの女の自分に対する申訳であって、なにもかの女がほんとうに出し度くない返事なら出さなくて宜い、本当に逢《あ》い度くないなら逢わなくても好いものをと、かの女の良心への恥しさを青年に対する義務にかこつけようとするのを意地悪く邪魔する心があり、かの女はまた幾日か兎角《とかく》しつつ愚図愚図していた。するとまた或日来た青年の手紙は強請的な哀願にしおれて、むしろかの女の未練やら逡巡《しゅんじゅん》やらのむしゃむしゃした感情を一まとめにかき集めて、あわや根こそぎ持ち去って行きそうな切迫をかの女に感じさせた。それが何故かかの女を歯切れの悪い忿懣《ふんまん》の情へ駆り立てた。 
「馬鹿にしてる。一ぺんだけ返事を出してよく云って聞かしてやりましょうか」
 縺《もつ》れ出しては切りのないかの女の性質を知っている逸作は言下に云った。
「考えものだな。君は自分のむす子に向ける感情だけでも沢山だ。けどこないだ[#「こないだ」に傍点]の晩は君の方から働きかけたんだから逢ってやっても好いわけさね」
 彼女は結局どうしようもなかった。こだわったまま妙な方面へ忿懣を飛ばした。――少くともかかる葛藤《かっとう》を母に惹起《じゃっき》させる愛憐《あいれん》至苦のむす子が恨めて仕方がなかった。何も知らずに巴里《パリ》の朝に穏かに顔を洗っているであろうむす子が口惜しく、いじらしく、恨めしくて仕方なかった。 
 半月ばかりたった。かの女はあまり青年の手紙が跡絶《とだ》えたので、もうあれが最後だったのかと思って、時々取り返しのつかぬ愛惜を感じ、その自分がまた卑怯《ひきょう》至極《しごく》に思われて、ますます自己嫌悪におちいっているところへ、ひょっこりとまた手紙が来た。
「僕だけでお目にかかれないとなれば、僕の母にも逢ってやって下さい。僕等は親子二人であなたから教えて頂き度いことがあるんです。頼みます」
 この手紙には今までと違って、何か別に撃たれるところのものがあった。それに遠く行き去った愛惜物が突然また再現したような喜悦に似た感情が、今度は今迄のすべての気持を反撥《はんぱつ》し、極々単純に、直ぐにも逢う約束をかの女にさせようとした。逸作も青年の手紙を一瞥《いちべつ》して、
「じゃまあ逢って見るさ。字の性質《たち》も悪くないな」
 急にかの女の眼底に、銀座の夜に見たむす子であり、美しい若ものである小ナポレオンの姿が、靉靆朦朧《あいたいもうろう》と魅力を帯びて泛《うか》び出して来た。かの女はその時、かの女の母性の陰からかの女の女性の顔が覗《のぞ》き出たようではっとした。だが、さっさと面会を約束する手紙を青年に書きながら、そんな気持にこだわるのも何故かかの女は面倒だった。
 フリジヤがあっさり挿されたかの女の瀟洒《しょうしゃ》とした応接間で、春日規矩男にかの女は逢った。かの女の手紙の着いた翌晩、武蔵野の家から、規矩男は訪ねて来たのであった。部屋には大きい瓦斯《ガス》ストーヴがもはやとうに火の働きを閉されて、コバルト色の刺繍《ししゅう》をした小布を冠《かぶ》されていた。かの女が倫敦《ロンドン》から買って帰ったベルベットのソファは、一つ一つの肘《ひじ》に金線の房がついていた。スプリングの深いクッションへ規矩男は鷹揚《おうよう》な腰の掛け方をした。今夜規矩男は上質の薩摩絣《さつまがすり》の羽織と着物を対に着ていた。柄が二十二の規矩男にしては渋好みで、それを襯衣《シャツ》も着ずにきちんと襟元を引締めて着ている恰好《かっこう》は、西洋の美青年が日本着物を着ているように粋《いき》で、上品で、素朴に見えた。かの女は断髪を一筋も縮らせない素直な撫《な》でつけにして、コバルト色の縮緬《ちりめん》の羽織を着ている。――何という静かな単純な気持――そこには逢わない前のややこしい面倒な気持は微塵《みじん》も浮んで来なかった。一人の怜悧《れいり》な意志を持つ青年と、年上の情感を美しく湛《たた》えた知識婦人と――対談のうちに婦人は時々母性型となり、青年はいくらかその婦人のむす子型となり――心たのしいあたたかな春の夜。そうした夜が三四日おきに三四度続くうち、かの女は銀座で規矩男のあとをつけた理由を規矩男に知らせ、また次のような規矩男の身の上をも聞き知った。
 外交官にしては直情径行に過ぎ、議論の多い規矩男の父の春日越後は、自然上司や儕輩《さいはい》たちに好かれなかった。駐在の勤務国としてはあまり国際関係に重要でない国々へばかり廻《まわ》されていた。
 任務が暇なので、越後は生来好きであった酒にいよいよ耽《ふけ》ったが、彼はよく勉強もした。彼は駐在地の在留民と平民的に交際《つきあ》ったので、その方の評判はよかった。国際外交上では極地の果に等しい小国にいながら、目を世界の形勢に放って、いつも豊富な意見を蓄えていた。求められれば遠慮なくそれを故国の知識階級へ向けて発表した。この点ジャーナリストから重宝がられた。任官上の不満は、彼の表現を往々に激越な口調のものにした。
 国々を転々して、万年公使の綽名《あだな》がついた頃、名誉大使に進級の形式の下に彼は官吏を辞めさせられた。二三の新聞雑誌が彼のために遺憾の意を表した。他のものは、彼もさすがにもう頭が古いと評した。
 彼は覚悟していたらしく、特に不平を越してどうのこうのする気配もなかった。それよりも、予《かね》て意中に蓄えていた人生の理想を果し始めにかかった。
「人生の本ものを味わわなくちゃ」
 これが父の死ぬまで口に絶やさなかった箴銘《しんめい》の言葉でしたと、規矩男は苦笑した。
 父の越後は日本の土地の中で、一ばん郷土的の感じを深く持たせるという武蔵野の中を選んで、別荘風の住宅を建てた。それから結婚した。
「ずいぶん、晩婚なんです。父と母は二十以上も年齢が違うのです。父はそのときもう五十以上ですから、どう考えたって、自分に子供が生れた場合に、それを年頃まで監督して育て上げるという時日の確信が持てよう筈《はず》は無かったのに――その点から父もかなりエゴイズムな所のある人だったし、母も心を晦《くら》まして結婚したとも考えられます」と規矩男は云った。
 母の鏡子は土地の素封家《そほうか》の娘だった。平凡な女だったが、このとき恋に破れていた。相手は同じ近郊の素封家の息子で、覇気のある青年だった。織田といった。金持の家の息子に育ったこの青年は、時代意識もあり、逆に庶民風のものを悦《よろこ》ぶ傾向が強くて、たいして嫌いでもなかった鏡子をも、お嬢さん育ちの金持の家の娘という位置に反撥《はんぱつ》して、縁談が纏《まとま》りかかった間際になって拒絶した。そして中産階級の娘で女性解放運動に携わっている女と、自分の主義や理論を証明するような意気込みの結婚をした。
 平凡な鏡子が恋に破れたとき、不思議に大胆な好奇的の女になった。鏡子は忽《たちま》ち規矩男の父の結婚談を承知した。父は鏡子の明治型の瓜実顔《うりざねがお》の面だちから、これを日本娘の典型と歓《よろこ》び、母は父が初老に近い男でも、永らく外国生活をして灰汁抜《あくぬ》けのした捌《さば》きや、エキゾチックな性格に興味を持ち、結婚は滑らかに運んだ。
 松林の中の別荘《ヴィラ》風の洋館で、越後のいわゆる、人生の本ものを味わうという家庭生活が始まった。
「しかし人生の本ものというものは、そんな風に意識して、掛声して飛びかかって、それで果して捉《とら》えられて味わえるものでしょうか。マアテルリンクじゃありませんが、人生の幸福はやっぱり翼のある青い鳥じゃないでしょうか」
と規矩男は言葉の息を切った。
 父はさすがにあれだけの生涯を越して来た男だけに、エネルギッシュなものを持っていた。知識や教養もあった。その総《すべ》てを注いで理想生活の構図を整えようとした。
「いまにきっと、あなたにお目にかけますが、あの家の背後へ行ってごらんなさい。小さいながら果樹園もあれば、羊を飼う柵《さく》も出来ています。野鳥が来て、自由に巣が造れる巣箱、あれも近年はだいぶ流行《はや》って一般に使われていますが、日本へ輸入したのは父が最初の人でしょう」
 父のいう人生の本ものという意味は、楽しむという意味に外ならなかった。自分は今まであまりに動き漂う渦中に流浪し過ぎた。それで何ものをも纏って捉え得なかった。静かな固定した幸福こそ、真に人生に意義あるものである。彼の考えはこうらしかった。彼は世界中で見集め、聞き集め、考え蓄《た》めた幸福の集成図を組み立てにかかった。妻もその道具立ての一つであった。彼はこういう生活図面の設計の中に配置する点景人物として、図面に調和するポーズを若き妻に求めた。
 鏡子ははじめこれを嫌った。重圧を感じた彼女は、老いた夫であるとはいえ、たとえ外交官として復活しなくとも、何か夫の前生の経験を生かして、妻としての自分の生活を華々しく張合いのあるものにして呉《く》れることを期待した。その点によって夫と自分との年齢の差も償えると思っていた。だが夫は毎朝飲むコーヒーだけは、自分で挽《ひ》いて自分でいれる器用な手つきだけのところに、文化人らしい趣を遺《のこ》すだけで、あとは日々ただの村老に燻《くす》んで行った。彼女は従えられ鞣《なめ》されて行った。
「おかしなことには、この都会近くの田舎というものは、市場へ運ばれて売られる野菜や果物同様、住む人間までも生気を都会へ吸い取られて、卑屈に形骸的にならされてしまうのですね」
 規矩男は父を斯《こ》うも観察した。女の子が生れてすぐ死に、二番目の規矩男が生れたときは、父親は既にまったく老境に入って、しかも、永年の飲酒生活の結果は、耄《ぼ》けて偏屈にさえなっていた。女盛りの妻の鏡子は、態《わざ》と老けた髪かたちや身なりをして、老夫のお守りをしなければならなかった。(母の幾分|僻《ひが》んだ、ヒステリックな性格も、この頃に養われたらしい)
「父は死ぬ間際は、書斎の窓の外に掘った池へ、書斎の中から釣竿《つりざお》を差し出して、憂鬱《ゆううつ》な顔をして鮒や鮠《はえ》を一日じゅう釣っていましたよ。関節炎で動けなくなっていました。母はもう父に対して癇《かん》の強い子供に対するような、あやなし方をしていました。食事のときに、一杯ずつ与える葡萄酒《ぶどうしゅ》を、父はもう一杯とせがむのを、母は毒だと断るのにいつも喧嘩《けんか》のような騒ぎでした」
 中学校から帰って規矩男が挨拶《あいさつ》に行くと、老父はさすがに歓んでにこにこした。そして、「おまえは今から心がけて人生の本ものの味わいを味わわなくちゃいかん」と口癖にいった。それは人生を楽しめという意味に外ならなかった。規矩男には老ぼけて惨な現在の父がそれをいうと、地獄の言葉とよりしか響かなかった。
 父が死んで荷を卸した感じに見えた母親は、一方貞淑な未亡人であり乍《なが》ら、いくらか浮々した生活の余裕を採り出した。
「面白いことは」と規矩男は云った。その昔の母の失恋の相手の織田や、いわば彼女の恋仇《こいがたき》である織田の妻が、今は平凡に年とって子供の二三人もあるのと、母は家庭的な交際を始めていることだった、もっとも織田は、その後、財産をすっかり失《な》くしてしまって、土地に自前の雑貨店を営んで、どうやら生活している。彼の知識的の妻も、解放運動などはおくびにも出さなくなり、克明に店や家庭に働いている。規矩男の母は、規矩男の養育の相談相手に、僅《わず》かに頼れる旧知の家として、度々織田の家庭を訪ねるのであった。
 規矩男自身と云えば、規矩男は府立×中学を出て一高の×部へ入り、卒業期に肺尖《はいせん》を少し傷めたので、卒業後大学へ行くのを暫《しばら》く遅らして、保養かたがた今は暫く休学しているのだという。だがもう肺尖などとうに治っている。保養とは世間の人に云う上べの言葉で、……と規矩男は稚純に顔を赫《あか》らめながら、やや狡智《こうち》らしく鼻の先だけで笑った。
「ではお父さまの云われた人生の本ものとかを、今からあなたも尋ね始めなさったの」
と、かの女も口許《くちもと》で笑って云えば、規矩男は今度は率直に云った。
「僕は父のように甘い虫の好い考えは持っていませんが……然《しか》し知識慾や感情の発達盛り、働き盛りの僕達の歳として、そう学校にばかりへばりついて行ってても仕方がありませんからね」
「でも大学は時間も少いし呑気《のんき》じゃありませんか」
「それが僕にはそうは行かないんです。僕という奴は、学校へ行き出せば学校の方へ絶対忠実にこびりつかなけりゃいられないような性分なんです。僕自身の性格は比較的複雑で横着にもかなり陰影がある癖に、一ヶ所変な幼稚な優等生型の部分があって……嫌んなっちゃうんで」
 規矩男はいくらか又不敵な笑い方をしたが、一層顔を赫らめて、
「ですから自分では、学校なんか三十歳までに出れば好いと思ってるんですが、母や織田達がいろいろ云うんで、或いは今年の秋か来年からまた始め出そうとも思っているんです」

 母と一緒に逢《あ》って呉《く》れと規矩男は手紙に書いたこともあったが、その後また一ヶ月ばかりの間に三四回もかの女と連れ立って、武蔵野を案内がてら散歩し乍《なが》ら、たびたび自分の家の近くを行き過ぎるのに、規矩男は自分の家へまだ一度もかの女を連れて行かず、母にも逢せなかった。かの女は規矩男に何か考えがあるのだろうし、かの女も別だん急に規矩男の母に逢い度《た》いとも思わなかったが、ある時何気なく云ってみた。
「あなたいつかの手紙で私にお母さんを逢せるなんて云ってね」
 規矩男は少し困って赫くなった。
「あなたが逢って呉れないものですから、僕のような生意気な人間でも、あんな通俗的な手法を使わなくっちゃならなくなったんですね」
「ははあ」
「嫌だ。今ごろあんなことでからかっちゃ。だけれどあなただって、婦人雑誌なんかで、よく、どうしてあなたはあなたのお子さんを教育なさいましたか、なんて問題に答えていらっしゃるじゃありませんか。僕はあれを覚えてていざとなったら母もだし[#「だし」に傍点]につかいかねなかった……」
「そんなに私に逢わなけりゃならなかったの」
「嫌だ。そんなこと、そんなにくどく云っちゃ」
 規矩男がますます赫くなるので、かの女はもっとくどくからかい度くなった。
「かりによ。あの時、ではお母さんとご一緒にお出下さい、是非お母さんと……と、私がどうしてもお母さんと一緒でなければお逢いしないと云って上げたらどう?」
「事態がそうなら僕は母と一緒に伺ったかも知れないな」
「そして子供の教育法をお母さんに訊《き》かれるとしたら、規矩男さんの教育係みたいに私はなったのね」
「わははははあ」規矩男は世にも腕白者らしく笑った。
「それも面白かったなあ、わははははあ」
「何ですよ、この人は……そんな大声で笑って」
 規矩男は今度は大真面目《おおまじめ》になって、
「だけど運命の趨勢《すうせい》はそうはさせませんね。僕は世の中は大たい妥当に出来上っていると思うんです」
「では妥当であなたと私とはこんなに仲好しになったの」
「そうですとも。僕だってあなただから近づいて来たかったんです……誰が……誰が……あなたでない、よそのお母さんみたいな人に銀座でなんかあとからつけて来られて……およそ気味の悪いばかりだったでしょうよ。或いはぶんなぐってたかもしれやしねえ」
「おやおや、まるで不良青年みたいだ」
「自分だって不良少女のように男のあとなんかつけたくせに」
「じゃあ、私不良少女として不良青年に見込まれた妥当性で、あなたと仲好しにされたわけなのね」
 その時、眼路の近くに一重山吹の花の咲き乱れた溝が見えて来た。規矩男はその淡々しく盛り上った山吹の黄金色に瞳《ひとみ》を放ったが、急に真面目な眼をかの女に返して、「あの逸作先生は、そんなお話のよく判る方ですか」とかの女に聞くのであった。
「ええ、判る人ですとも」
「あなた先生を随分尊敬していらっしゃるようですね」
「ええ、尊敬していますとも」
「先生は見たところだけでも随分僕には好感が持てますね……僕、先生が感じ悪い方だったら、あなたもこんなに(と云って規矩男はまた赫くなった)好きになれなかったか知れませんね」
「ではうちの先生も、あなたが私と仲好しになった妥当性の仲間入りね」
「序《ついで》にむす子さんも」
「まあ、ぜいたくな人!」
「ええ、僕あ、ぜいたくな人間……ぜいたくな人間て云われるの嬉《うれ》しいな。どんなに僕の好きな顔や美しい情感や卓越した理智をあなたが持ってたって、嫌な夫や馬鹿な子供なんかの生活構成のなかで出来上っているあなただったら、或いは僕は……」
 かの女はそういう規矩男が、自分の愛する夫や子供をまるでその心身の組織に入れているようで、規矩男に対して急に不思議な愛感に襲われた。そして次に、ふっとむす子を思い出し、一瞬ひらめくような自分達の母子情の本質に就《つ》いて考えて見た。「私の原始的な親子本能以上に、私のむす子に対する愛情が、私の詩人的ロマン性の舞台にまで登場し、私の理論性の範囲にまで組織され込んでいる。ぜいたくな母子情だ。この私の母子情が、果して好いものか悪いものか……だが、すべて本質というものは本質そのもので好いのだ。他と違っているからと云って好いも悪いもありはしない」こう考えながらかの女は何故か眼に薄い涙を泛《うか》べていた。規矩男は見てとって、
「僕あんまり云い過ぎました?」
「ううん、云い過ぎたから好かったの、あははははは」
 規矩男も「あはははははあ」と笑っちまうと、あとは二人とも案外けろり[#「けろり」に傍点]として、さっさと歩き出した。非常に脱し易そうでそれを支えるバランスを二人は共通に持ち合っているとかの女には思えた。その自覚が非常にかの女を愉快にし、爽《さわや》かにした。かの女は甘く咽喉《のど》にからまる下声で、低くうたを唄《うた》いながら歩いた。規矩男は暫く黙って歩いた。

 そのうちに二人はまたいつか規矩男の家の近所に来ていた。黙っていた規矩男は、急にはっきりした声で云った。
「いや、いまにきっと逢せます。然し、僕はあなたに母を逢せる前に聞いて頂きたいことがあるんですけれど……僕が云い出すまで待ってて下さい」
「そう? 優等生型の身辺事情には、いろいろ順序が立っているでしょうからねえ」
「からかわれる張り合いもないような事なんです」
 規矩男の家は松林を両袖にして、まるで芝居の書割のように、真中の道を突き当った正面にポーチが見え、蔦《つた》に覆われた古い洋館である。

「感じのいいお家じゃなくって」
「古いのが好いだけです。いまにご案内します」
 そういって何故か規矩男は去勢したような笑い方をした。その笑い方はやや鼻にかかる笑い方で、凜々《りり》しい小ナポレオン式の面貌とはおよそ縁のない意気地のなさであった。
「規矩男さん、あなたを見ていると、時々、いつの時代の青年か判らないような時もあってよ」
 すると規矩男は、さっと暗い陰を額から頬《ほお》へ流し去って、それから急いでふだんの表情の顔に戻った。
「たぶんそうでしょう。自分でもそう感じる時がありますよ」規矩男は艶々《つやつや》した頬を掌で撫《な》でて、「僕はあなたのむす子さんとは違った母に育てられたんですから」
「と云うと?」
「僕の積極性は、母の育て方で三分の一はマイナスにされてますから」
 かの女はこの青年のこれだけ整った肉体の生理上にも、何か偏ったものがあるのではないかと考えてみた。これだけつき合った間に気がついただけでも、飯の菜、菓子の好みにも種類があった。酸味のある果物は喘《あえ》ぐように貪《むさぼ》り喰《く》った。道端に実っている青梅は、妊婦のように見逃がさず※[#「※」は「手へん+宛」、第3水準1-84-80、648-中-4]《も》いで噛《か》んだ。
「喰ものでも変っているのね、あなたは」
「酸っぱいものだけが、僕のマイナスの部分を刺戟《しげき》するロマンチックな味です」
 規矩男には散歩の場所にもかたよった好みがあった。
 規矩男は母の命令で食料品の買付けに、一週一度銀座へ出る以外には、余所《よそ》へ行かないといっているとおり、東京の何処のこともあまり知らない様子。武蔵野のことは委《くわ》しかったが、それにも限度があった。彼の家のある下馬沢を中心に、半径二三里ほど多少|歪《ゆが》みのある円に描いた範囲内の郊外だけだった。武蔵野といってもごく狭い部分だった。それから先へ踏み出すときは、
「僕には親しみが持てない土地です。引返しましょう」とぐんぐんかの女を導き戻した。
 そんな時、規矩男の母にもこういう消極的な我儘《わがまま》があるのかしら……などと、かの女はいくらかの反感を、まだ見ぬ規矩男の母に持ったこともあったが、かの女はここにもまた、幾分母の影響を持つ子の存在を見出して、規矩男もその母もあわれになった。それに規矩男の好みの狭い範囲には、まったく美しい部分があった。そしてかの女は規矩男と共に心楽しく武蔵野を味わった。躑躅《つつじ》の古株が崖《がけ》一ぱい蟠居《ばんきょ》している丘から、頂天だけ真白い富士が嶺を眺めさせる場所。ある街道筋の裏に斑々《はんぱん》する孟棕藪《もうそうやぶ》の小径《こみち》を潜《くぐ》ると、かの女の服に翠色が滴り染むかと思われるほど涼しい陰が、都会近くにあることをかの女に知らした。
 二人はある時奥沢の九品仏《くほんぶつ》の庭に立った。
「この銀杏《いちょう》が秋になると黄鼈甲《きべっこう》いろにどんより透き通って、空とすれすれな梢《こずえ》に夕月が象眼したように見えることがあります」
 おっとりとそんな説明をする時の規矩男の陰に、いつも規矩男から聞いたその母の古典的な美しい俤《おもかげ》も沁々《しみじみ》とかの女に想像された。
 これ等の場所は普通武蔵野の名所と云われている感どころより、稍々《やや》外れて、しかも適確に武蔵野の情趣を探らせて呉《く》れるだけに、かの女には余計味わい深かった。こうして歩いているうちに、かの女はもう可成り規矩男に慣れてしまって、規矩男をただよく気のつく、親切な若い案内者ぐらいの無感覚に陥り易《やす》くなった。銀座でむす子の面影をどうしてこの青年の上に肖《に》せて看《み》て取ったのか、不思議に思った。それももう遠い昔の出来事で、記憶の彼方に消えて行って仕舞ったように思えた。だが規矩男は今だにときどきかの女のむす子のことを訊《き》きたがった。
「僕には判る気がしますよ。あなたを妹のように可愛《かわい》がるむす子さん。あなたと性質が似て居て、しかもすっかり表面の違っているむす子さんでしょう」
 かの女はむす子のことをこの青年に話すことは、何故かこの頃むす子に対する気持を冒涜《ぼうとく》するように感じて、好まなくなっていた。それを訊かれると同時に、何か違った胸の奥の場所から不安が頭を擡《もた》げて来て、訊《たず》ねられた機会を利用し、逆に規矩男から、少しずつ規矩男の身の上を訊き溜《た》めようとした。
「それよりあなたお母さんに私を逢《あわ》す前に、私に話すことがあると云ったわね。あれ何のこと」彼女は暫《しばら》く考えて、「あれことによったらあなたのラブ・アフェヤーにでも就《つ》いてではなくって」
「なぜ云い当てたんです」
「だってあなたくらい、ませた[#「ませた」に傍点]人、この年までラブ・アフェヤーのない筈《はず》はないもの。それを、今まで私に話さなかったもの。あなたの事情という事情は大がい聞いたあとに、残っているのはそればかりでしょう。しかも一番重大なことだからあとに残したってような、逆順序にしたんでしょう」
「やり切れないな。だがまあ、そうしときましょう。処でその事あんまり貧弱なんで僕恥しいんです」
 規矩男は本当に恥じているように見えた。
「それよりも、今日はあなたのその靴木履《くつぽっくり》で、武蔵野の若草を踏んで歩く音をゆっくり聴かして頂くつもりです」
 規矩男はわざと気取ってそういうのか、それとも繊細なこういう好みが、元来、彼に潜んでいるためか、探り兼ねるような無表情な声で云って、広い往還を畑地の中へ折れ曲った。其処の蓬若芽《よもぎわかめ》を敷きつめた原へ、規矩男は先にたって踏み入った。長い外国生活をして来てまだ下駄《げた》に馴《な》れないかの女は、靴を木履のように造らせて日本服の時用いるための履きものにしていた。そのゴム裏は、まるで音のないような滑らかな音をひいて、乙女の肌のような若芽の原を渡るのだった。
 規矩男が進んで話さない恋愛事件を、あまり追及するのも悪どいと思って、かの女は規矩男が靴木履と云った自分の履きものを、右の足を前に出して、ちょっと眺めた。
「なるほど、靴木履。うまい名前をつけましたね」
 台は普通の女用の木履|爪先《つまさき》に丸味をつけて、台や鼻緒と同じ色のフェルトの爪覆《つまおお》いを着せ、底は全部靴形で踏み立つのである。「この履きものおかしいですか。人からじろじろ見られて、とても恥しいことがあるのよ」
「いえ、そんなことありません。だが、あなたは必要上から何事でも率直にやられるようですね、そのことが普通の世間人にずいぶん誤解され勝ちなんでしょう」
 かの女は、それは当っていると思った。しかし、真面目《まじめ》に規矩男の洞察に今更感謝する気にもなれなかった。かの女は誤解されても便利の方がいいと思うほど数々受けた誤解から、今や性根を据えさせられていた。かの女は、同情の声にはただ意志を潜めて、ふふふと小さく笑うだけだった。
「オリジナリティがあって立派なものですよ。威張って穿《は》いてお歩きなさいよ。春の郊外の若草の上を踏むのなんかには、とりわけ好いな」
 規矩男は一寸《ちょっと》考えてまた云い続けた。「そういうオリジナリティが僕の母なんかにはまるでない」
「なまじいオリジナリティなんかあるのは自分ながら邪魔ですよ」
「そうだ。あなたはご自分の天分でもなんでも、一応は否定して見る癖があるんだな……癖か性質かな。それがあなたをいつも苦しめてるんでしょう。けどそれが図破抜《ずばぬ》けたあなたの知性やロマン性やオリジナリティに陰影をもたせて、むしろ効果を挙げているのではありませんか」
「でもうちの先生は、それが私にどれ程損だかって、いつも云っているのよ」
「先生は実は一番あなたのその内気な処を愛していらっしゃるんじゃないですか……むす子さんも……」
 かの女はむす子が巴里《パリ》の街中でも、かの女を引っ抱えるようにして交通を危がり、野呂間《のろま》野呂間《のろま》と叱《しか》りながら、かの女の背中を撫《な》でさするのを想《おも》った。かの女は自分の理論性や熱情を、一応否定したり羞恥心《しゅうちしん》で窪《くぼ》めて見るのを、かの女のスローモーション的な内気と、どこ迄一つのものかは、はっきり判らなかったが、かの女は自分の稚純極まる内気なるものは、かの女の一方の強靱《きょうじん》な知性に対応する一種の白痴性ではないかとも思うのである。かの女が二十歳近くも年齢の違う規矩男と歩いていて殆《ほとん》ど年齢の差も感ぜず、また対者にもそれを感ぜしめない範囲の交感状態も、かの女の稚純な白痴性がかの女の自他に与える一種の麻痺状態《まひじょうたい》ではなかろうかと、かの女は酷《きび》しく自分を批判してみるのである。かの女の肉体(かの女の肉体も事実年齢より十歳以上も若いのだと、かの女の薬にいつも小児散を盛り込む或る医者が云った)か精神のはげしい知性のほかの一個所に非常に白痴的な部分があり、その部分の飛躍がかの女の交感の世界から或る人々を拉《らつ》し来《きた》って、年齢の差別や階級性を自他共に忘れさせる――或る時期からの逸作は、かの女を妻と思うより娘のように愛撫《あいぶ》し、むす子は妹のように労《いたわ》り、現に規矩男という怜悧《れいり》な意志を持つこの若者までが、恰《あたか》も同年輩か寧《むし》ろあるときは年少の女性に向うような態度をかの女にとって当然としている。その他の友達。そしておかしなことにはかの女自身まで――かの女には二十四五歳位からの男女を見ると、むしろ自分より実世界に於ける意志も生活能力も偉《すぐ》れた人のように往々見える。この普通常識から批判すれば痴呆《ちほう》のような甘いお人好しの観念が、時にかの女の知性以上に働いて、かの女を非常に謙遜《けんそん》にしたり、時には反対に人を寛大に感じさせ過ぎてかの女を油断に陥れる……
 かの女が黙って考えているのを規矩男は気づかった。
「僕があれ[#「あれ」に傍点]を隠しているのが悪いかしら」
「そうじゃないの。私、時々飛んでもないよそ[#「よそ」に傍点]事をふっと考え込んじまう癖があるのよ」と云っても規矩男はその事とばかり思い込んで、彼の許嫁《いいなずけ》に就《つ》いて語り出した。
「つまり僕のあれは[#「あれは」に傍点]――始めは親達が決めて、あとで恋人同志のような気持になり、今はまた恋がなくなって(僕の方だけで)普通の許嫁と思ってるんですけれど――その女はオリジナリティも熱情もないくせに、内気な所も皆目なくって、その上熱情がある振りをしたがるという風な女です。唯《ただ》取柄なのは、家庭や団体なんかが牛耳《ぎゅうじ》れそうな精力的なところなんですが……僕あそんなもの欲しくないんです」
「そうお。だけど誰のどんな取柄だって、よく見てれば好いものでしょう」
「でも、そう云ってたらきりもありません。人間の好きも嫌いもなくなっちまう」
「まあそれはそうだけど」
 往還のアスファルトに響いて多摩川通いのバスが揺れながら来た。かの女等はそれを避けて畑道へそれた。畑地には、ここらから搬出する晩春初夏の菜果が充《み》ちていた。都会人のまちまちな嗜好《しこう》を反映するように、これ等の畑地のなりもの[#「なりもの」に傍点]や野菜は一定していなかった。茄子畑《なずばたけ》があると思えば、すぐ隣に豌豆《えんどう》の畑があった。西洋種の瓜《うり》の膚が緑葉の鱗《うろこ》の間から赤剥《あかむ》けになって覗《のぞ》いていた。畦《あぜ》の玉蜀黍《とうもろこし》の一列で小さく仕切られている畑地畑地からは甘い糖性の匂《にお》いがして、前菜の卓のように蔬菜《そさい》を盛り蒐《あつ》めている。見廻《みまわ》す周囲は松林や市街のあふれらしい人家に取囲まれていて、畑地の中のところどころに、下宿屋をアパート風に改造した家が散在し、二階から人の頭が覗いていた。

 散歩の日によって、かの女と規矩男とは気持の位置が上下した。かの女の方が高く上から臨んでいたり、規矩男の方が嵩《かさ》にかかったり――今日は×大学の前で車を乗り捨てて、そこで待ち合せていた規矩男にかの女は気位をリードされ勝ちだった。経験によると、こういう日に規矩男の心は何か焦々と分裂して竦《すくま》って居り、何か分析的にかの女に突っかかるものがあった。何かのはずみでまた許嫁の話になると、規矩男はまるでかの女が無理にその女性を規矩男に押しつけてでもいるような、云いがかりらしい口調を洩《も》らしたり、少しの間かの女がむっつりと俯向《うつむ》いて歩いていると、規矩男はだしぬけに悪党のような口調で云った。
「あなたは一本気のようでそうとう比較癖のある方らしい。僕の女性と巴里のむす子さんのと較《くら》べて考えてらっしゃるんじゃありませんか」
 これはかなり子供っぽい権柄《けんぺい》ずくだ。
「どうしたの。そんな云い方をして」
 かの女は不快になってたしな[#「たしな」に傍点]めた。
「較べて考えるとすれば、私はあなたの好みとむす子の好みと女性の上では実によく似てると思っていたのよ」
 すると規矩男はぽかんとした気を抜いた顔をして、鼻を詰め口を開《あ》けて息をした。
「怒るならあやまりますよ。どうも自分でも今日は気分の調子が取りにくい気がします」規矩男は駄々児《だだっこ》のように頭を振った。
「むす子に女性が出来てるかどうかまだ知らないけれど、私むす子の好きそうな女性を道ででも何処ででも見つけるとみんな欲しくなっちまうの。だけどそのなかに女特有の媒介性が混っているんじゃないかと思って、時々いやあな[#「いやあな」に傍点]気もするのよ」
 かの女はむす子ばかりにこだわってるようで規矩男に少し気の毒になり、わざと終りを卑下して云った。
 畑のなりもので見えなかったが、近寄ると新しく掘った用水があって、欄干《らんかん》のない橋がかかっていた。水はきれいで薄曇りの空を逆に映して居り、堀の縁には桜の若木が並木に植付けてあって、青年団の名で注意書きの高札が立っていた。
「みんな几帳面《きちょうめん》だなあ」規矩男は女性の問題はもう振り落したように独言を云った。
 水を見て、桜木の並木を見て、高札を読んで、空を仰いでから、ちょっと後のかの女を振り返って、規矩男は更に導くように右手の叢《くさむら》の間の小径《こみち》へ入った。そこにはかの女が随《つ》いて行くのを躊躇《ちゅうちょ》した位、藪枯《やぶがら》しの蔦《つた》が葡《は》い廻っていた。
 規矩男は小戻りして、かの女から預っているパラソルで残忍に草の蔓《つる》を薙《な》ぎ破り、ぐんぐん先へ進んだ。かの女はあとを通って行った。
 雑木林の傾斜面を削り取って、近頃|拓《ひら》いたらしい赤土の道が前方に展開された。午後三時頃と覚える薄日が急にさして、あたりを真鍮色《しんちゅういろ》に明るくさせ、それが二人をどこの山路を踏み行くか判らないような縹緲《ひょうびょう》とした気持にさせた。
「まあこんなところがあるの」かの女は閃《ひらめ》く感覚を「猫の瞳《ひとみ》」だの「甘苦い光の澱《よど》み」だのと手早くノートしていると、規矩男は浮き浮きした声で云った。
「何? インスピレーション採っているの? 歌のですか」
「ふふふふ、歌のよ」
 かの女はこのプラスフォーアを着たナポレオン型の美青年と歌の話をするのもどうかと無関心な顔をして、今日の規矩男の気勢を避けるため、さっきから持ち出していた小ノートに尚《なお》自分勝手な目前の印象を書き続けて行った。
「僕はあなたの歌を一昨夜母から見せられましたよ」
「あなたお母さんに私の事話しましたか」
「話しました」
「どうして知り合いになったって?」
「そんなこと気にかけないで下さい。僕だって文学青年だったこともあるもの、何も不思議がりはしませんよ。母はむしろ嬉《よろこ》んでいる様子でした。二三ヶ月前の雑誌から目つかったあなたの歌なんか僕に見せるくらいですもの。或はそれとなく心がけて見つけたんじゃないかな」
「…………」
「やっぱり巴里《パリ》のむす子さんへの歌だったな。『稚《おさ》な母』って題で連作でしたよ」
「…………」
「沢山あった歌のなかで一つだけ覚えてて僕暗記してます――鏡のなかに童顔写るこのわれがあはれ子を恋ふる母かと泣かゆ――ねえ、そうでしたね」
 突然、かの女は規矩男と若い男女のように並んで歩いている自分に気がついた。つぎ穂のないような恥しさがかの女を襲った。それからかの女は突飛《とっぴ》に言って仕舞った。
「あなたの許嫁《いいなずけ》にも逢《あ》わしてよ」
 かの女は立ち停《どま》って眼を閉じた。が、やがて何もかも取りなすような逸作のもの分りの好い笑顔が、かの女の瞼《まぶた》の裏に浮ぶと、かの女は辛うじて救われたように、ほっと息をして歩き出した。
「どうかしましたか」
と規矩男が傍へ寄って来るのを、かの女は押しのけてどんどん歩き出した。

 規矩男の家は武蔵野の打ち続く平地に盛り上った一つの瘤《こぶ》のような高まりの上に礎石を載せていた。天井の高い二階建ての洋館は、辺りの日本建築を見下すように見える。赤い煉瓦《れんが》造りの壁面を蔦蔓《つたづる》がたんねんに這《は》い繁ってしまっている。棲家として一番落着きのある風情を感じさせるものは、イギリスの住宅建築だということを、規矩男の父親は、その外国生活時代に熟々《つくづく》感じたので、辺りの純日本風景にはそぐわないとも考えたが、そんな客観的の心配は切り捨てて、思い切り純英国式の棲家を造らせ、外国で使用した英国風の調度類を各室にあふれるように並べて、豊富で力強い気分を漂わせた。建築当初は武蔵野の田畑の青味に対照して、けばけばしく見え、それが却《かえ》ってこの棲家を孤独な淋しい普請のようにも見させたが、武蔵野の土から生えた蔦が次第にくすみ行く赤煉瓦の壁を取り巻き、平地の草の色をこの棲家の上にも配色すると、大地に根を下ろした大巌《おおいわ》のように一種の威容を見せて来た。
 正面の石段を登ると、細いバンドのように閂《かんぬき》のついた木扉が両方に開いて、前房《ヴェルチビュル》は薄暗い。一方には二階の明るさを想《おも》わせる、やや急傾斜の階梯《かいてい》がかっちりと重々しく落着いた階段を見せている。錆《さ》びた朱いろの絨緞《じゅうたん》を敷きつめたところどころに、外国製らしい獣皮の剥製《はくせい》が置いてあり、石膏《せっこう》の女神像や銅像の武者像などが、規律よく並んでいる。
 かの女を出迎えて、それからサロンへ導いた規矩男の母親は、
「毎度、規矩男がお世話さまになりますことで」
と半身を捩《ね》じらして頭を下げた。もっともその拍子にかの女の様子をちらりと盗《ぬす》み視《み》したけれども、かの女はどこの夫人にもあり勝ちな癖だからと、別にこれをこの夫人の特色とも認めることは出来なかった。
 かの女は普通に礼を返した。
 話はぽつんとそれで切れた。好奇心で一ぱいのかの女には却って何やかや観察の時間が与えられ都合がよかったが、常識的の社交の儀礼に気を使うらしい夫人は、ひどく手持ち無沙汰《ぶさた》らしく、その上茶を勧めたり菓子を出したりして、沈黙の時間を埋めることを心懸けているように見えた。
 かの女は、まず第一に夫人を美人だなと思った。それは昔風の形容の詞句を胸のうちに思い泛《うか》べさせる美人だなと思った。いわゆる瓜実顔《うりざねがお》に整った目鼻立ちが、描けるように位置の坪に嵌《はま》っていて、眉《まゆ》はやや迫って濃かった。かの女は逸作の所蔵品で明治初期の風俗を描いた色刷りの浮世絵や単色の挿画を見て知っていた。いわゆる鹿鳴館時代《ろくめいかんじだい》と名付ける和洋混淆《わようこんこう》の文化がその時期にあって、女の容姿にも一つタイプを作った。江戸前のきりりとして、しかも大まかな女形男優顔の女が、前髪を額に垂らしたり、束髪に網をかけたりしていた。そして襟の詰った裾《すそ》の長い洋装をしていた。
 いま夫人は髪や服装を現代にはしているが、顔立ちは鹿鳴館時代の美人の系統をひくものがあった。土着の武蔵野の女には元来こういうタイプがあるのか、それともこの夫人だけが特にこういう顔立ちに生れついたのか、かの女は疑いながら、しかし無条件に通俗な標準の眼から見たら、結局こういうのが美人と云えるのではないかと思ったりした。蔦の葉の単衣《ひとえ》が長身の身体に目立たぬよう着こなされていた。
「この辺は藪《やぶ》がありますので、春の末からもう蚊が出ますのでございますよ。お気をつけ遊ばせ」
と、ちょっと何か払うようなしなやかな手つきをして、更に女中の持って来た果物を勧めたりした。
 始終七分身の態度で、款待《もてな》しつづけ、決してかの女の正面に面と向き合わない夫人の様子に、かの女は不満を覚えて来た。
「奥さま、もう結構でございますわ。勝手に頂戴《ちょうだい》いたしますから」かの女はなおもシトロンの壜《びん》の口をあけて、コップの口に臨ませて来る夫人を軽く手で制してそう云った。「それよりか、奥さまにもお楽にして頂いて、何かお話を承りとうございますわ」
「恐れ入ります」
 夫人はやっとソファの端に膝《ひざ》を下ろした。しかし、両手で袖口《そでぐち》を引っぱってから畏《かしこ》まるように膝を揃《そろ》え、顎《あご》を引いて、やっぱり顔を伏せ気味にしている。
 かの女はすこし焦《じ》れて来た。ひょっとしたら自分の息子と交際のある年上の女性というところをおかしく考え、一種の反意をこういう態度によって示すのではないかしらと、僻《ひが》みをさえ覚えた。かの女は何とか取做《とりな》さねばならぬと考えた。かの女は、
「規矩男さんは、なかなかしっかりしていらっしゃいますね」と云って、あまり早く問題を提議したような流暢《りゅうちょう》でない気持がした。
 夫人は息子のことを云われて、何故かぎょっとしたようであった。はじめて正面にかの女を見た。
「そうでございましょうか。なにしろ父の死後女親一人で育てたものでございますから、万事行き届かぬ勝ちでございまして」
 夫人の整った美しい顔に憐《あわ》れみを乞《こ》うような縋《すが》りつき度《た》いような功利的な表情が浮んで、夫人の顔にはじめて生気を帯ばした。
 はじめからこの顔のどこが規矩男に似てるのだろうかと疑っていたかの女は、はじめて相似の点を発見した。それは規矩男が、一番平凡になって異性に物ねだりするときの顔付きであった。この相似を示す刹那《せつな》を通じて、規矩男の眼鼻立ちの切れ目に母親の美貌《びぼう》の鮮かさが伝っているのがはっきり観《み》て取れた。
 夫人は心安からぬ面持ちを続けながら、
「なにしろわざと大学へは入学をおくらせて、ただぶらぶら遊んで居りますし、ときどき突拍子もないことを云い出しますし、私一人の手に負えない子でして、奥さまのようなお偉い方とお近付きになりましたのを幸い、あれに意見して頂き、また今後の教育の方法に就《つ》いてもお伺いもして見たいとは思って居りましたのですが、あんまり無学なお訊《たず》ね方をするのも失礼でございますし」夫人は両袖《りょうそで》を前に掻《か》き合せた。
 かの女は夫人をあわれと思い乍《なが》ら頓《とみ》に失望を感じた。あれほどの複雑な魂を持つ青年の母としては、あまりに息子の何ものをも押えていない母。ただ卑屈で形式的な平安を望むつまらない母親である。なるほど規矩男が、かの女に母を逢《あ》わせることを躊躇《ちゅうちょ》したのも無理はないと、かの女は思った。
「そんなことごさいませんわ。むす子を持ちます母親同志としてなら、何誰とどんなお話でも出来ますわ」
 かの女はそう云って、相手に対する影響を見ているうちに微《かす》かな怒りさえこみ上げて来た。もしこの上、この母親に不甲斐《ふがい》ない様子を見続けるなら、
「ぐずぐずしているなら、あなたのあんないいむす子さん奪《と》っちまいますよ」と云ってやり度《た》い位だった。
 だか夫人は、かの女のそういう心の張りを外の方へ受けて行った。
「失礼ですけれど、あなたはそんなむす子さんがおありのようにお見受け出来ません。あんまりお若くて」
 かの女はこの際「若い」と云われることに甘暖かい嫌悪を感じた。
 今までの款待《もてなし》の上に女中がまたメロンを運んで来た。すると夫人は、またその方に心を向けてしまって、これは近所で自慢に作る人から貰ったとか、この片が種子が少いとか、選《よ》り取るのに好意を見せて勧めにかかった。
 そんなことにばかりくどくかかずらっている母親にかの女は落胆して、もうどうでもいいと思った。自分の息子が大事だ。人のむす子やその母親のことなど、心配する贅沢《ぜいたく》はいらないと思った。しかし規矩男のぶすぶす生燃えになっているような魂を考えると、その母をも、もう少し何とかしてやりたいと諦《あきら》め兼ねた。窓の外の木々の葉の囁《ささや》きを聴き乍《なが》ら、かの女は暫《しばら》く興醒《きょうざ》めた悲しい気持でいた。すると何処かで、「メー」と山羊《やぎ》が風を歓《よろこ》ぶように鳴いた。
 さっきから、かの女の瞳《ひとみ》を揶揄《やゆ》するように陽の反射の斑点《はんてん》が、マントルピースの上の肖像画の肩のあたりにきろきろして、かの女の視線をうるさがらしていた。窓外の一本太い竹煮草《たけにぐさ》の広葉に当った夕陽から来るものらしかった。かの女はそのきろきろする斑点を意固地《いこじ》に見据えて、ついでに肖像画の全貌《ぜんぼう》をも眺め取った。幸い陽の斑点は光度が薄かったので、肖像画の主人公の面影を見て取ることが出来た。金モールの大礼服をつけた額の高い、鼻が俊敏に秀でている禿齢の紳士であった。フランス髭《ひげ》を両顎《りょうあご》近くまで太く捻《ひね》っているが、規矩男の面立ちにそっくりだった。
 かの女はつと立ち上り、その大額面の下に立ってやや小腰をかがめ、
「これ、規矩男さんの、おとうさまでいらっしゃいましょうか」と云った。
 釣り込まれたようにかの女のそばへ寄って来て、思わず並んで額面を見上げた夫人は、無防禦《むぼうぎょ》な声で、
「はあ」と云ったが、次にはもう意志を蓄えている声で、「これはあんまりよく似ちゃおりません。少し老けております」
と云った。規矩男から彼の父親の晩年の老耄《ろうもう》さ加減を聞いて知っているかの女は、夫人が言訳しているなと思った。年齢に大差ある結婚を、夫人がまだ身に沁《し》みて飽き足らず思っているのを感じた。
「お立派な方ですこと」かの女はしんから云った。
「いえ、似ちゃおりません」
 重ねて云った夫人の言葉は、かの女がびっくりして夫人の顔を見たほど、意地強い憎みの籠《こも》った声であった。そしてなおかの女が驚きを深くしたことは、夫人の面貌や態度に、今までに決して見かけなかった、捨て鉢であばずれのところを現わして来たことだった。夫人は、
「あは、はははは」
 何ということなしに笑ったようだが、その顔や声は夫人が古風な美貌であるだけに、ねびた嫌味があった。
 夫人は自分の変化をかの女に気取られたのを知って、ちょっとしまったという様子を見せ、指を旧式な「髷《まげ》なし」という洋髪の鬢《びん》と髱《たぼ》の間へ突込んで、ごしごし掻《か》きながら、しとやかな夫人を取り戻す心の沈静に努める様子だったが、額の小鬢には疳《かん》の筋がぴくりぴくり動いた。小鼻の皮肉な皺《しわ》は窪《くぼ》まった。
 かの女は目前の危急から逃れ度いような気もちになって、何か云い紛らしたかった。
「規矩男さんは、ご主人に似ていらっしゃいますこと」
「規矩男は主人に似てるといっても形だけなんでございますよ。あれはとても主人のようにはなれますまい」
 ここでまた夫人は白く笑った。
 夫人が云ってる様子は、かの女に云っているのか、独白なのかけじめのつかないような云い方だった。
「奥さま、あなたはさっき規矩男を、なかなかしっかりしてると仰《おっしゃ》って下さいましたが、そう云って下さるお心持は有難うございますけれども、実際規矩男はやくざ[#「やくざ」に傍点]で、世間の評判もよくありません。中学や高等学校はよく出来たんですけれども、それからが一向|纏《まと》まらないんです。多分、老後の父親が、つまらないことを死ぬまで云い聞かせて置いたためでしょう」
「それは規矩男さんからもうかがいました。でも、規矩男さんはいまそういうことに就《つ》いてだいぶ考えていらっしゃるようでございますが」漸《ようや》くかの女は言葉を挟む機会を捉《とら》えた。「大丈夫だと存じますが……」
「そうでございましょうか。わたしはあれが、どうせ主人のようにはなれませんでも、わたくしは何とかしてあの子を、勤め先のはっきりした会社員か何かにして、素性のいい嫁を貰って身を固めさしてやり度いと思うのでございます。それには大学だけは是非出て貰わねばなりません」
 かの女は夫人が、妻の自分にも子の規矩男にも夫の与えた暴戻なものに向って、呪いの感情を危く露出しそうになったのに、どうなることかとはらはらしていた。それもだんだん平板に落着いて来たが、あの規矩男にこういう母親の平凡な待望がかけられているとは、あまり見当違いも甚しく、母子ともに気の毒な感じがする。
 かの女はふと「あの規矩男さんのお嫁さんは、もうお決りのがございますの」と訊《き》いてみる気になった。それはいかにも、互のむす子を持つ母親同志の心遣いらしい会話であるのを思いついたので。
 すると夫人は可成り得意の色を見せて来て、
「はあ。少し義理のある知合いの娘で、気質もごくさっぱりしてますのがございますので、大体親達の間では決めてはいるんですけれども、これも、当人同志の折合い第一ですから、それとなく交際させて見ております」
 夫人はちらとかの女の顔色を見て、
「当人同志も、どうやら気に入り合ってるようでございます」
 そう云って夫人は、またかの女をもてなすために部屋を出て、女中に何かいいつけに行った。昔の恋人の娘をむす子の許嫁《いいなずけ》にした御都合主義も、客に茶菓ばかりむやみにすすめにかかる夫人の無智と同列なのではなかろうか、といよいよかの女は興覚めてくると、其処へ規矩男が、ふざけた子供のようなとぼけた顔をして入《はい》って来た。規矩男はかの女を自分の家へ案内して置いて、
「どうも女の人同志の初対面の挨拶《あいさつ》なんかへ、恥しくって立ち合えませんね」
 と狡《ずる》くはにかんで、書斎の方へ暫く逃げていたのだ。かの女には、それがもう十分規矩男が自分に馴《な》れて甘えて来た証拠のように思えた。かの女はあの母を見たあとにこの規矩男を見、切ない自分の「母子情」を仲介にして自分に近づく運命を持ち、そして自分の心をこれほど捉え、これ程自分に馴れ甘える青年を、自分はもう何処までも引き寄せて愛撫《あいぶ》し続けてやり度い心が、胸の底からぐっとこみ上げて来るのを感じた。 
 

 今日は規矩男の書斎に案内された。二階の一番後方に当った十五畳敷位の洋間である。浅緑のリノリュームが、室の二方を張った硝子窓《ガラスまど》から射《さ》し入る初夏近い日光を吸っている。高い天井は、他の室と同じ英国貴族の邸宅に見るような花紋の浮彫りがしてあり、古代ギリシヤ型の簡素な時計が一個、書籍を山積した大デスクの上壁に、ボタンで留めたようにペッタリと掛っている。その他に装飾らしい何物もない。その室内で非常に目立つ一つのものは、ちょっと見ては何処の国の型かも判らない大型で彫刻のこんだ寝椅子《ねいす》が室の一隅に長々と横はり、その傍の壁を切ったような通路から稍々《やや》薄暗い畳敷きの日本室があり、あっさりと野菊の花を活《い》けた小さな床があった。
 西洋室の二方にはライブラリ型の棚があり、其処には和洋雑多な書籍が詰っていた。だが、机の上の山積の書物にも書架の書物にも、紗《しゃ》のような薄い布が掛けてあって、書物の題名は殆《ほとん》ど読み分けられなかった。かの女がやや無遠慮にその布を捲《まく》ろうとすると、規矩男は手を振って「今日は書物なんかにかかわり度《た》くはないですよ」と止めた。
「だけどあなたは随分読書家なんでしょう」
「まあね」
 規矩男はにやにや笑って、
「それだけに堪《たま》らなく嫌になって、幾日も密閉して、書物の面見るのも嫌になるんですよ。今はその時期です」
「人間にもそんなんじゃない」
「まあそんな傾向がないとは云えませんがね。しかし、人間に対しちゃ責任があるもの、いくら僕だってそんな露骨なことしやしません」
「だって一度恋人だったものがただの許嫁《いいなずけ》に戻ったりして……」
「あのことですか、だって僕は女性がまだあの頃判らなかったし、ただちょっと珍しかったからですよ」
「では、今は珍しくなくって、そして女性が判って来たとでもいうのですか」
「そんなこと云われると、僕はあれ[#「あれ」に傍点]のこと打ち明けなければ好かったと思いますよ。あなたは偉いようでも女だなあ。何も人間の判る判らないのに、順序や年代があると決らないでしょう。本を読んだり年を取ったり、体が育ったりするだけでも、その人の感情や嗜好《しこう》や興味は変って来るでしょう」
「それはそうね。でもその人を貫く大たいの情勢とか嗜好とかの性質は、そう変らないでしょう」
「そうです。それだけに大たいを貫くものにぶっ突からないものは、じきはずれて行くんです」
「それで判ったわ」
「ほんとうですか。書物にだってそうです。自分がその中に書いてあることにむしろ悩まされながら、執着したりかかずらわずにはいられない書物があるでしょう」
「近頃そんな書物に逢《あ》って?」
「シェストフですね。シェストフの虚無を随分苦しみながら噛《か》み締めました。だが、西洋人の虚無は、すでに『否定』という定義的な相手があっての上の虚無です。ですから感情的で痛快ですが、徹底した理智的なものとは云えません。と云って東洋人の虚無は、自然よりずっと冷い虚無です。石か木かに持たすべき思想です。そこで僕等は『何処へ行くべき』です」
「あなたの云うそれは、東洋の老荘思想の虚無よ。大乗哲学でいう『空』とか『無』とかはまるで違うのよ。あらゆるものを認めてそれを一たん無の価値にまで返し、其処から自由性を引き出す流通無碍《りゅうつうむげ》なものということなのよ。それこそ素晴しく闊達《かったつ》に其処からすべての生命が輝き出すということなの。ところが青年というものは、とかく否定好きなものなのよ。肯定は古くて否定は何か新鮮なように思うのね。生命の豊富な資源を使い分けるよりも、否定に片付いている方がむしろ単純で楽なんじゃない?」
「そう云われれば、僕なんか嫌でやり切れないくせに、シェストフの著書に引っぱられているわけが自分でも判るんです」
 女中が紅茶を二つ運んで来て、規矩男の大デスクの上の書籍の空間へ置いて行った。規矩男は一つをかの女に与え、自分も一つを飲みながら、
「今日は母が居ないからご馳走《ちそう》がないな。だけどご馳走攻めされなくて煩わしくないでしょう」
 でもそう云われればかの女は、それが規矩男の母の美点だとさえ思えて来るのである。煩わしいのはそれが形式で、その他の気持の上での分量を何も相手に与えないから、一方の形式が目立ち過ぎて煩わしく感じられるのだ。
「規矩男さんのお母さんは……」
とかの女が云いかけると、
「まあ僕の母のことは好いです」と抑えて、「あなたゴルキーの母という小説を読みましたか」
「ええ、読んでよ」
「あの母は感心というより可愛《かわ》ゆいな」
「ほんとう。母が始めから子供の理論を理解して共鳴したりしない処がむしろ可愛ゆいわね。子供に神様を取り上げられて悄気《しょげ》ながらも、子供の愛と同時にあの思想に引き入れられちまったのね」
「それはそうと、あなたはむす子さんのいいつけ[#「いいつけ」に傍点]通りの着物の色や柄を買って着ると仰有《おっしゃ》ったね。その襟の赤と黒の色の取り合せも?」
「ええ」
「ふーむ、ユニークな母子叙情の表現法だなあ」

 かの女は、枕元《まくらもと》のスタンドの灯を消し、自分の頬《ほお》に並べて枕の上に置いてあった規矩男の手紙を更に夜闇《よやみ》のなかに投げ出した。規矩男の手紙を読み終えてから今までじっと悲しく見つめ考えていたスタンドの灯影の一条が、闇のなかで閉じたかの女の眼の底に畳まり込み、それが規矩男の手紙の字画の線の印象と同じ眼底で交り合い、なかなか眠りに入れそうもない。
 規矩男の手紙には、かの女と逢わなくなったこの短時日の間に経た苦難の後の気持から出た響きがあった。
[#ここから1字下げ]
 ……(前略)あなたが、あなたの母子情を仲介にして若い男に近づいていることが無意識にもせよ、あなたの母子情を利用しているようで堪えられないと仰有《おっしゃ》れば、僕とても、僕に潜在していた不満な恋愛感を、あなたに接触することで満足させようとしたと云われても――否むしろ僕自身そう僕を観察さえするようになりました。あなたの潔癖があなたの母子情を汚涜《おとく》することとして、それをあなたに許さないように、僕もあなたのその潔癖を汚しては済まないと思います。で、あなたとの御交際をこれ切りで打ち切らなければならないことも諒解《りょうかい》出来ました。しかし茲《ここ》で僕に少しく云わして頂き度い。あなたと僕と「性」の対蹠的《たいせきてき》な要素を無視して交響し合うことが出来なかったのは、かえりみて僕にもはっきりと判って来ましたが、僕は負け惜しみではありませんが、それを直《す》ぐフロイドのように性慾の本能というハッキリしたものへ持って結び付けることは浅はかだと思います。なぜなら、その本質はどこ迄も一元より更に基本性を帯びた根元の人間感覚では、空虚という絶対感に滅入してしまうより仕方のない奥深いところで結び合う――あのいつぞやあなたと話し合いましたね、ローレンスの文学を構成している性――あれですね。ローレンスの性の根本的意義はもちろん一方に性慾も含まれているには違いないが、もっと両性の細胞の持つ電子のプラスとマイナスの配合の問題として考え度《た》いと、あなたは仰有《おしゃ》いましたね。今にして思えば、僕等は僕等の性のおつき合いをあの解釈にあてはめ度いと思うのです。あたりまえのようで不思議なのは、あなたも僕も同じ熱情的であり自我的でありながら、それが空虚の心境にまで進んでいたことです。しかし、違うところ――つまりプラスとマイナスの相違となったのは、あなたのは何処までも教養で得た虚無であり、僕のは自我と熱情で強引に押し進めて行った結果のコチコチの殻を背負った虚無なのです。                
 僕は仄《ほの》かに力強いものをあなたに感じました。これ以上説明しにくいですが強いて云えば、あなたの空虚は――照らしているものの空虚――存在の意識を確めさせる空虚――夢中で弾ませる空虚――自然に在っては、微《かす》かな風に吹かれているときの花の茎に認められ――人間に在っては、一種の独断的な無心な状態に於けるとき湛《たた》えられている、あの何とも知れない無限で嫋《たお》やかな空虚――(後略)
[#ここで字下げ終わり]

 かの女は自分を虚無の殻に押し込め乍《なが》ら、まだまだ其処から陽の目を見よう見ようと※[#「※」は「足へん+宛」、第3水準1-92-36、658-上-27]《もが》いている規矩男の情熱の赤黒い蔓《つる》を感じる。そしてその蔓の尖《さき》は、上へ延びようとして却《かえ》って下へ深く潜って行く……かの女は自分を潔くするためにそれを見殺しする自分の行為が、勝手がましくも感ぜられて悲しい。かの女は自分の娘時代の寂しくも熱苦しかった悶《もだ》えを想《おも》い出した。
(山に来て二十日経ぬれどあたたかくわれをいたはる一樹だになし――娘時代のかの女の歌より)精神から見放しにされたまま、物足りなさに啜《すす》り泣いていた豊饒《ほうじょう》な肉体――かの女が規矩男のその肉体をまざまざ感じたその日、かの女は武蔵野へ規矩男を無断で置いて来た。それが最後で規矩男からかの女は訣《わか》れ去って来て仕舞ったのであった。
 その日規矩男の書斎から出た二人は、また武蔵野の初夏近い午後をぶらぶら歩き出した。一度日が陰って暗澹《あんたん》としたあたりの景色になったが、それを最後に空は全体として明るくなって来た。木々の若芽の叢《くさむら》が、垂れた房々を擡《もた》げてほのかに揮発性の匂《にお》いを発散する。山中の小さい峠の下り坂のようになって来た小径《こみち》は、赤土に湿りを帯びていて、かの女の履きものの踵《かかと》を、程よい粘度で一足一足に吸い込んだ。
 規矩男はまだシェストフについて云い続けていた。そして彼が衷心の感想を話す時のてれ[#「てれ」に傍点]隠しに、わざと昂然《こうぜん》とした態度を採る。その癖で今日も彼独得の陰性を帯びた背の反らし方をして、右手を絶えずやけに振り廻《まわ》していた。
「虚無でなければ無限絶対でないにしても嫋やかで魅力が無ければ僕たち人間には訴えて来ません」
 規矩男の云うことはだんだん独語的になって、何の意味か、かの女にも判らなくなって来た。しまいには規矩男はナポレオンの晩年の悲運を思わせる、か細く丸く尖《とが》った顎《あご》を内へ引いて苦笑した。稚気を帯びた糸切歯の根元に細い金冠が嵌《はま》っている。かの女は急に規矩男が不憫《ふびん》で堪《たま》らなくなった。かの女の堰《せ》きとめかねるような哀憐《あいれん》の情がつい仕草に出て、規矩男の胸元についているイラクサの穂をむしり取ってやった。高等学校の制服を、釦《ボタン》がはち[#「はち」に傍点]切れるほどぴったり身につけている。胸の肉は釦の筋に竪の谷を拵《こしら》えるほどむっちり盛り上っている。紺サージの布地を通して何ものかを尋ね迫りつつ尋ねあぐんでいる心臓の無駄な喘《あえ》ぎを感ずると、何か優しい嫋やかなものに覆い包んで、早くこの若者を靉靆《あいたい》とした気持にさせてやりたい薄霧のような熱情が、かの女の身内から湧《わ》きあがった。

 ……かの女は無言で規矩男の手を…………ただそれだけであったけれど……。

 かの女は唐突として規矩男から逃げ、武蔵野のとある往還へ出るまでのかの女は、ほとんど真しぐらに馳けた。その間雑木林の下道のゆるやかな坂を曲り、竹煮草《たけにぐさ》の森のような茂みの傍を通り、仄白い野菊の一ぱい咲いている野原の一片が眼に残り、やがて薄荷草《はっかそう》がくんくん匂って里近くなってきた往還で、かの女はタクシーを拾って、東京の山の手の自宅へ帰って来た。かの女の顔色は女中に見咎《みとが》められる程真青だった。かの女は自分の部屋へ入って半病人のように机の前に坐《すわ》ると「もう逢《あ》わない。もう逢わない」こう独言を云ってから規矩男に簡単な絶交状めいた手紙を書いた。
 その夜、かの女は晩《おそ》く、こんなことを話し合える夫と妻とについて内心不思議がりながら、逸作に規矩男と自分との経過のあらましを話した。
「はははは……。そんなことだったのか、そうかははは……。だけどお蔭で君の一郎熱が近頃余程緩和されてたね。なあに規矩男君にも時々逢うさ。そして一郎熱を緩和しながら、君ももうすこし落着いて仕事にかかりたまえ」
 逸作はこう云って莨《たばこ》に火をつけ、軽く笑い続け乍らかの女をまじまじと視《み》ていたが、
「きみい(君)、規矩男君の許嫁《いいなずけ》や僕に済まないと思わないで、一郎にばかり済まないって面白いなあ……ははは……」
「……その済まなさも私の何処かに漠然と潜んでいたには違いないのよ。でもそれは単なる道徳上の済まなさになるんだから、そんなに強いもんじゃないでしょう。こっちはしんからびりびりッと本能の皮膚にさわって来たのよ、もっともこの問題はむす子を仲介にして始まったんですから、むす子への済まなさが中心になったのがあたり前でしょうけど」
 かの女はそう云って仕舞って、ふっと涙ぐんだ。かの女が何と云い訳しようとも、道徳よりも義理よりも、そしてあんなにも哀切な規矩男への愛情よりも、もっと心の奥底から子を涜《けが》したくなかった母の本能、しかく潔癖に、しかく敏感に、しかく本能的にもより本能的なる母の本能――それには、「むす子に済まない」そんなまだるい一通りな詞が結局当て嵌るべくもないのに、今更かの女は気がついた。むす子の存在の仲介によって発展した事情に於て××××……それを母の本能が怒ったのだ、何物の汚涜《おとく》も許さぬ母性の激怒が、かの女を規矩男から叱駆《しっく》したのだ。

 四五年の日月が経過した。
 むす子の画業は着々進んでいるらしく、ラントランシジャンとかそう云った手堅い巴里新聞《パリしんぶん》の学芸欄に、世界尖鋭画壇《せかいせんえいがだん》の有望画家の十指の一人にむす子の名前が報じられて来るようになって来た。むす子はその中でも最年少者で唯一の日本人であるだけに、特別の期待の眼を向けられている様子だった。
「まあ一郎が、まあ嘘《うそ》みたいな話ね。でも有難いわ。やっぱり真面目《まじめ》にやって呉《く》れたのね」
 かの女には僥倖《ぎょうこう》という気持と、当然という自信に充《み》ちた気持とが縺《もつ》れ合った。
 芸術という難航の世界、夫をそれに送りつけ、自分もその渦中に在る。つくづくその世界の有為転変を知るかの女は、世間の風聞にもはや動かされなくなっているにしても、しかし、それを通じて風浪の荒い航行中に、少くともかの女のむす子は舵《かじ》を正しく執りつつあるのを見て取った。健気《けなげ》なむす子よ、とかの女は心で繰り返した。
「やっぱり君の子だ」
 夫の逸作は、彼もうれしさを抑え乍ら、はたで鷹揚《おうよう》に見ている態度だった。年少の画学生時代に貧困で巴里留学を遂げられなかった理想の夢を、彼は今やむす子に実現さしている。運命に対する復讐《ふくしゅう》の快さを味わっている。それだけで満足している。
 だのにむす子は真摯《しんし》な爪を磨いて、堅い芸術の鉄壁に一条の穴を穿《うが》ちかけている。彼は僥倖《ぎょうこう》というよりも、これをむす子の本能と見るよりしか仕方がなかった。
「やっぱり君のむす子だ」
 逸作は、はじめかの女にいった言葉の意味と違った感慨をもって同じ言葉を二度云った。
「なにしろ、芸術餓鬼の子だからね」
 するとかの女はからからと笑った。
 芸術餓鬼といわれて、怒りも歓《よろこ》びもしないで、かの女のただ笑うだけである笑いには、寒白いものがあった。
 兄弟の中で、二人までこの道に躓《つまず》いて生命を滅したものを持つかの女は、一家中でこの道に殉ずる最後唯一の人間と見なければならなかった。木の芽のような軟《やわらか》い心と、火のような激情の性質をもった超現実的な娘が、これほど大きくなったむす子を持つまでに、この世に成長したのは不思議である。そして、芸術という正体の掴《つか》み難いものに、娘時代同様、日夜、蚕が桑を食《は》むように噛《か》み入っている。
 逸作には、人間の好みとか意志とかいうもの以上に、一族に流れている無形な逞《たくま》しいものが、かの女を一族の最後の堡塁《ほるい》として、支えているとしか思えなかった。それは既に本能化したものである。盲目の偉大な力である。今や、はね散って、むす子の上に烽火を揚げている。逸作は実に心中|讃嘆《さんたん》し度《た》いような気持もあり乍《なが》ら、口ではふだんからかの女に「芸術餓鬼」などとあだ名をつけてからかって居る。

 或る日勤め先から帰って来た逸作がかの女に云った。
「おいおい、この間|巴里《パリ》から帰って来た社(逸作の勤め先)の島村君が態々《わざわざ》僕に云いに来たんだ。一郎君によく巴里で逢《あ》いました。実にしっかりやっておいでです。僕が何よりも嬉《うれ》しく思ったのは、一郎君が僕は僕をこんなに暮させていて呉《く》れるあんな親を持って仕合せです。否仕合せと思わなければならないといつも思ってますって、一郎君が云われたことです、とさ」
 かの女は手を合わせて拝み度くなった。それは何処へかわからない、ただ有難い。徒《いたず》らに大きな理想を持っても万人は愚か、自分自身でさえ幸福になり得ない非力な人間が、ともかくもわが子とは云え、一人立派に成長した男子を今や完全な幸福感に置いている――それでまた親の責務の一端が肩から降りた気もするのである。かの女はいつも思っている。こんな生きる責務の重い世の中へ親あればこそ生れ来たった子。この世に出ようという意志が子にあって、自ら進んで出て来たわけでもないものを、親は先《ま》ず本能愛以外の明瞭《めいりょう》な責任観念からも、この世に於ける子の運命の最大責務者とならなければならない。その子に仕合せと一言でも感謝されるまでには、幾多の親の責任感と切実な哀憐《あいれん》が子に送られた結果なのである。そしてそれはまた、子に責任感を十分感じる親の報いられたる幸福でもあらねばならぬ。

 数年間に巴里のむす子からかの女に宛《あ》てて寄越した手紙は百通以上にもなる。自分の現状を報じ、芸術の傾向を語り、ちょっとした走り書きの旅行便りからも、かの女はむす子がこの稚純晩成質の母である自分を強くし、人生の如何なる現実にも傷まず生きられるよう、しっかりした性根と、抵抗力のある心の皮膚を鍛えしむるよう心懸けている本能的なものが感じられた。
 かの女はそれを読む度に、涙ぐんで笑いながら、
「それは、また、お前がお前自身に対する註文なのじゃないか。親子は共通の弱点を持っている。お前はよくも、そこに気がついた」
 そしてさすがは男の子だ。むす子は孤独の寂しみと、他人の中の苦労によって、見事その弱点を克服しつつある。そして遥《はる》かに母を策動する。いや味ということの嫌いな男の子は、策動するにもわざと感情を見せないで、つけつけ物を云う。かの女を手荒そうに取り扱って、その些細《ささい》な近況からも、実人生の試験をするように細心な見張りを隠しながら、秘《ひそ》かに母の力を培わしている。かの女は、よくむす子と連れ立って巴里の街を歩くときのむす子の態度を思い出した。
「馬鹿だなあ」「僕もう知りませんよ」
 かの女が、ともすれば何事かを空想しながら、車馬轢轆《しゃばれきろく》たる往還を、サインに関らずふらりふらり横切ったり、車道に斜にはみ出したりする迂闊《うかつ》に対して、むす子は、こんな荒い言葉で叱《しか》りながら、両手は絶えず軟くかの女の肩を持ち抱え、幼稚園のこどもにするような労《いたわ》り方をした。
「まるでむら[#「むら」に傍点]だ」そう云って、かの女の顎《あご》に固まった白粉《おしろい》を洋服の袖口《そでぐち》で擦《こす》って呉れたりした。いちばん困ったのは、かの女がよく××××をずり下げることだった。
「一郎さん、だめだめ」かの女は顔を赫《あか》くしながらそういうと、
「ちょっ、こんなお母さんて世界にありますかい。僕絶望しちゃうなあ」そう云いながら、そっと自分の陰にかくまって、カフェの××へ人に見つからぬよう送り込んで呉れた。
 その気持は手紙を通じて年々に変らぬのみか、ますます濃くなって来る。
 
 むす子の手紙の一――今お母さんの手紙受取りました。お母さんが自分の書いたものの世評に(たとえば先々月号の××に載ったような)超然としていると聞いて、すっかり安心しました。自分の中にある汗、垢《あか》、膿《うみ》、等を喜んで恥とせずに出して行くことが出来れば万々です。僕の書いた意味は、それによって受ける反動が、お母さんを苦しめて、ますます苦境に陥れることを心配したので、今となって超然とした、はっきりした態度を持っているお母さんなら心配しません。僕は巴里でお母さんと一緒に居た時も、「世評にくよくよするお母さんが一番嫌だ、ケチくさくって、女くさくって」とよく云いましたね。しかし、その汗や垢が余りくだらないうちは到達だとは云えませんよ。
 兎《と》に角《かく》、そういう心境に到ったということは祝福すべきことです。でも、本当にそうなれましたか?
 すべての自己満足を殺さねばなりません。まだまだお母さんは弱い。うちの者の愛に頼り過ぎるということは自己満足です。お父さんがお母さんに対する愛は大きいですが、お父さんの茫漠性《ぼうばくせい》が、かなりお母さんに害を与えていると思います。お父さんの茫漠性は長所であり短所であると思います。
 真当に今しまって貰わなければ困ります。
 小児性も生れつきでしょうが、やめにして下さい。自分の持っている幼稚なものを許して眺めていることは、デカダンです。自分の持っていないものこそ、務めて摂取すべきです。一度自分のものとなったら、そこから出る不純物、垢は常に排泄《はいせつ》するのです。

 むす子の手紙二――(前略)……お母さんは余りに自分流のカテゴリーを信じようとしすぎるような気がします。だから苦しみ迷うだろうと思います。
 人生はさとるのが目的ではないです。生きるのです。人間は動物ですから。(後略)

 むす子の手紙三――(前略)ですからもうあんな作品を書かないで下さい。僕がお母さんを攻撃するのは、実に悪い半面をたたきつぶすのが僕の愛された子としてのつとめだと思っているからです。(お母さん、あなたは実に好い半面と悪い半面を持っています。第一義的から云ったら好いも悪いもないけれど、僕の知る厳しい人生や芸術に当てはめて見てですよ)
 いくら僕が云っても、わかって呉《く》れなかったら、お母さんは自分の子のいうことさえ耳に入らないということになるのです。
 今読んで打たれているコント・ド・ロートレアモン(本名イジドル・デュカス)作の「マルドロールの唄《うた》」を送ります。お母さんに読んで貰い度《た》いのです。
 お母さんの、僕が不安に思う半面が、それで多少なおされやしないかと希望を持って居ります。(後略)

 むす子の手紙四――(前略)僕はいわゆる××と芸術と云うものの間に大きな溝があると思うのです。芸術家にとっては芸術というものしかなく、それは道徳的でも非道徳的でもないのです。
 これからの芸術家は芸術を信ずるので、××を信ずるものではないと思うのです。芸術家として××よりもっと科学的な××××だって信じ切ることは出来ないのです。芸術家が自分の眼の前に××よりも優れた芸術の姿が見えないのは、意気地のない貧弱な芸術家としか思えないのです。××より崇高な芸術が見えたら、それがすぐ××だなんて××のような理窟を云い出したら、僕は逃げ出しちゃいます。其処から又××にこだわり出して仕舞うのです。一口に云えば芸術家には人の作った××などはいらないのです。××を通して芸術を見たり、××的精神をもった生活から、果してよく芸術が生れるでしょうか。 
 アンドレ・ジードなんか一生××と戦って来たではないですか。
 今まで人間として又芸術家として××を持っていなかったものは、歴史的にないでしょう。それは勿論《もちろん》社会制度、つまりトラディションのためだったらしい。偉い芸術家はみんな最後まで××に拘泥してはいないように思うのです。彼等の芸術はあまりに大きくて、××は姿を完全に消しているのです。(略)
 芸術家は飽くまでも革命家でなければならない。創造でなければならない。ここで××の科学性を引き出されるかも知れませんが、××の科学的理窟は××を汚すものなのではないでしょうか。お母さんが僕に曾《かつ》て小さい時説明して呉れたことは、もっと抜道なくベルグソンが彼のエヴォリューション・クレアートリスに説いています。万物は創造しつつ常に変形しているということです。(略)
 芸術家は芸術のみしか信じないでいいのです。芸術量の少いものが××や×××に行けばいいのです。お母さん、あなたはそんなに芸術家でいながら何をくよくよと迷っているのです。(然《しかし》し茲《ここ》にはっきり云って置くことは、××を打ち壊せということではないのです。良き社会人としての生活には、××は立派な意義や生命を持っているのです。×××の意義もそこにあるのです。すべての人の幸福のために戦うと云うところにあれら[#「あれら」に傍点]の意義はあるのです)
 しかし芸術家となった以上、そこにいわゆる社会人のおつとめ[#「おつとめ」に傍点]以外、もっと大変な芸術というすべてのモラルやカテゴリーや時代を超越したものにぶつかって行くのです。
 ジードは人間として×××になったけれど、彼の芸術までを×××に渡そうとはしません……(略)
 美のための美はいけない。
 芸術は××も×××美も何にもない処の、切実な現実を現わすのです。(略)
 この手紙を書いて仕舞って我ながら驚いたのです。何故ならお母さんの本当のところは××思想を解している。あの天地間の闊達無碍《かったつむげ》な超越的な思想からすれば、今更僕が以上のような手紙を書かなくてもいいわけなのです。こんな煩雑なことを誰がさせるのですか。お母さん、やっぱりあなたがさせるのです。お母さんはあんな立派な思想を研究し了解し得る素質を持っているくせに、お母さんの個人的にそれに添わない幼稚な到らない処が残っているのです。で、ともすれば子の僕にさえ、ただの××だなとお母さんを思わせ、こんな手紙も書かせるのです。お母さんの一方は余り偉過ぎます。一方は余り偉くなさ過ぎます。生憎《あいにく》なことには偉くない方がお母さん自身にも他にも多く働き掛けるのです。両方がよく調和した時がお母さんの本当の完成を見る時なのです。(後略)

 かの女はむす子が曾て、あれだけの感情家である自分の感傷を一言も手紙に書いて来たためしのないのを想《おも》い出しながら、書きかけの原稿紙にいつかこんな字を書いていた。
 むす子は厳しい、母は弱い。
母は女で、むす子は男で。――
「そりゃ、なんだい」
と逸作が笑いながら覗《のぞ》いて行った。
 あとでかの女はまた書いた。
 母は女で、むす子は男、むす子は男、むす子は男、男、男、男――男だ男だと書いていると、其処に頼母《たのも》しい男性という一領土が、むす子であるが為に無条件に自分という女性の前に提供された。凡《およ》そ女性の前に置かれる他の男性的領土――夫、恋人、友人、それらのどれ一つが母に与えられたむす子程の無条件で厳粛清澄な領土であり得ようか。かの女はそれを何に向って感謝すべきか。また自分よりも逞《たくま》しい骨格、強い意志、確乎《かっこ》とした力を備えた男性という頼母しい一領土が、偶然にも自分に依《よ》ってこの世界に造り出された。その生命の策略の不思議さにも、かの女はつくづくうたれて仕舞うのである。
 かの女と逸作が用事の外出から帰って来ると、取次のものが少し興奮した調子で、
「巴里《パリ》の坊っちゃんのお知合いの画家がいらっしゃいました。なにしろ東京駅へ着き立てに直《す》ぐ来られたので、鞄《かばん》もそのまま持っていられました」
 かの女の胸に、すぐそれが巴里前衛画派中今は世界的大家であるK・S氏であることが判明した。
「一人で? それとも奥さんと………」
「女の方もご一緒でした」K・S氏は新婚旅行の筈《はず》である。
 取次のものは、K・S氏が携帯した巴里のむす子からの紹介状を差し出した。
 それには態《わざ》と公式めいた簡潔な文で、先頃お知らせしたK・S氏をよろしくと書いてあった。
「で、その方達をどうしたのよ」
「よく運転手にそう云ってTホテルへお送りさしときました。只今《ただいま》、ご主人も奥さまもお留守のことをよく申し上げて」
 何となく機嫌のよくなった逸作が、持前《もちまえ》の癖を出して若者を揶揄《からか》いかけた。
「よく申し上げたとはどうかと思うね。辛うじて申し上げた程度だろう。なにしろ初等科のフランス語ではね」
「いえ、お二人とも英語でお話しでした。ですから僕も久し振りに英語のおさらいだと思って雄弁にやりました」若者は笑いながら舌で唇を嘗《な》めた。
 この上取次を揶揄う材料もなくなり、逸作は今度は、K・S氏の日本画壇への紹介方法について直ぐに考え出した。
「彼、展覧会をするような作品を持って来ただろうか」
 かの女は、
「兎《と》に角《かく》今夜は銀座でも見せてあげて、日本食を上げましょう。直ぐホテルへ電話かけてあげて下さい」
「よし、君は新夫人に花でも持って行ってあげたらいい」
 かの女は早速着物を着換えた。K・S氏は巴里画壇の大家の中でも、特にむす子に親しくして呉れている人であり、先輩というより、兄分といった程に寛《くつろ》いでむす子が交際《つきあ》っていることは、かの女によく知れていた。それ程むす子に与えられている知遇に親が報いてやるための奔走はもちろんのことながら、もし自分がむす子の母として、K・S氏に悪い印象を与えるような婦人であったら、K・S氏が今後むす子に対する思惑《おもわく》にも影響しまいものでもない。わけて女である新夫人も一緒にいることではあり、これは十分心遣いが要るとかの女は思った。母思いのむす子は、母の前では母に厳しく、母の陰では母が自慢であった。どんなにか、なつかしさに熱して、母を讃《たた》え、母をこの画家夫妻に立派に話しているかも判らない。かの女は身づくろいをしながら、どうかむす子がK・S氏の脳裡に与えているむす子の母の像を、自分は裏切り度《た》くないものだと、しきりに念じた。
 傲岸不屈《ごうがんふくつ》の逸作も、同じようなことを感じているらしく、珍しく自分の方から、かの女の支度を促しに来ながら云った。
「いやになっちゃう。子供が世話になってる人というと、何だか急所を掴《つか》まえられているようで、一目置いちまう。人間もから[#「から」に傍点]意気地がなくなっちゃう」

 K・S氏は思ったより若く、才敏な紳士であった。身なりも穏当な事務家風であった。しかし、神経質に人の気を兼ねて、好意を無にすまいと極度に気遣いするところは、世俗に臆病《おくびょう》な芸術家らしいところがあった。若夫人はわきに添って素直に咲く花のように如才なく、微笑を湛《たた》えていた。
 ホテルから早速案内した銀座の日本料理屋では、畳に切り込んであるオトシ[#「オトシ」に傍点]に西洋人夫妻と逸作は足を突込み、かの女一人だけ足を後へ曲げて坐《すわ》って、オトシ[#「オトシ」に傍点]の上の食台に向っていた。窓からは柳の梢越《こずえご》しに、銀座の宵の人の出盛りが見渡された。
「イチロは、私たちが旅行に出かける前の晩も、私のうちへ送別に来て、夜遅くまで話して行って呉《く》れました」
 K・S氏はまず何事より、むす子の話こそ、両親への土産という察しのよさを示して、頻《しき》りにむす子のことを話した。
 K・S氏は何度も繰り返して「彼はとても元気です」
 箸《はし》をあやしげに操っていた若い夫人が傍から、
「イチロ、ふふふ」と笑った。
 かの女はぎょっとして、むす子に何か黙笑によって批判される行動でもあったのかと胸をうたれた。そして夫人の笑の性質によって、それが擯斥《ひんせき》されるべきものであったのか看《み》て取りたく思った。だが、かの女が夫人を凝視したとき、夫人はもう俯向《うつむ》いて、箸で吸物椀《すいものわん》の中を探っていた。
「一郎が何かいたしましたの」
 かの女は思わず声高になった。
 すると、K・S氏が懸念を速かに取消すように簡略に話して呉れた。
「私たちが結婚して間近い頃でした。イチロが来たので、ビールを飲みながら夜遅くまで芸術論を闘わせました。一口に巴里《パリ》の新しい画派を抽象派《アプストレー》と云いますが、その中で個人個人によって、随分主張傾向は違っているのです。まあそういったことに就《つ》いての議論ですな。するうち、イチロは眠くなって椅子《いす》によりかかったまま眠って仕舞いました。私たちは日本の美術家に敬意を表して、私たちのベッドを譲りました。つまり彼を二人で運んでベッドへ寝かせてやり、私たちはソファや椅子を並べて寝たわけですな」
 かの女は「まあ」と云った。
「まだ先があるんです。朝、彼は眼を覚ましました。勝手が違ったところにいるので、彼は妙な顔をしていました。しかし、一部始終が判ると、彼は真面目《まじめ》な顔を作って云いました。どうも君たちの新婚の夢を妨げて相済まんと。それから帰って行きました」  
 ここで、夫人はまた、「イチロ、ふふふふ」と、かの女の顔を見て好意の籠《こも》った笑いを贈った。
 かの女は、再び「あ」と云って笑いに誘われた。逸作は、むす子の仕方を想像して、健気《けなげ》な奴と云った表情で笑っている。
 しかし、かの女は笑いに巻き締められるような想《おも》いが胸に泛《うか》んだ。自分がともすれば誤解を受け易い性質から、強い味方が出来ると思う一方、強い敵の出来る厄介な運命に引きかえて、むす子は到るところで愛され、縦横に振舞って、到るところで自由な天地が構えられる。何という無造作な生活力だろう。わが子ながら嫉《ねた》ましく小憎い。だがしかし、彼は見た通りの根からの無造作や自然で、果して今日のような生き方が出来ているだろうか。いや、あれにはあれだけの苦労があって、いまも底には随分|辛《つら》いものをも潜めているのではあるまいか。そういう悲哀の数々が自ずと泌《し》み出るので、たとえ、縦横に振舞い、闊達《かったつ》に処理するようでも、人の反感を買わないのではあるまいか。一郎はずっと幼時、かの女が病弱であったある一時期、小児寄宿舎にやられていた。そこで負けず嫌いな一郎は友達と喧嘩《けんか》するときよく引掻《ひっか》くので「猿」というあだ名をつけられていると聞いて「男の子やもいとけなけれど人中に口惜《くちを》しきこと数々あらん」とかの女は切なく詠《うた》ったこともあった。子供のときの苦労は身につく。しかし、その苦労を生《なま》で出さずに、いのちの闊色《かっしょく》にしたところは、わが子ながらあっぱれである。やっぱり根に純枠で逞《たくま》しいものを持って生れついて呉れたせいであろうか。
 かの女は何とも知らず感謝のこころが湧《わ》き上って、それを表現するために、誰に向っていうともなく、
「有難うございます」
 西洋人の前で不器用な日本流に頭を下げた。逸作も釣り込まれて、ちょっと頭を下げた。 
 食後に銀座通りの人ごみの中を一巡連れ立って歩いて見せた。人形《にんぎょう》蒐集熱《しゅうしゅうねつ》にかかっている若い夫人は、おもちゃ人形店を漁《あさ》った。
 K・S氏は往来を眺め見渡しながら、
「イチロも日本に居るときは、始終ここを散歩したのですね」と云った。かの女はむす子が一緒だったらどんなに楽しかろうと思って見るのだが、客を疎外するように取られる懸念から口に出しては云わなかった。

 展覧会場の交渉、刊行物や美術団体への紹介、作品の売約口など闊達の勢いで取り計った。逸作に云わすと、画家が作品を携帯している以上、これを発表し度いのは山々のことであり、出来るだけ売って金を作ってやることは、旅中の画家に対して一番親切な仕方であるというのである。逸作は、ふだん放漫で磊落《らいらく》なように見えるが、処世上の経済手段は、臆病と思えるほど消極的で手堅く、画なども自分から売ったことがない。その点で美術関係の諸方面にかなり信用が蓄積されていた。そういう下地がある上に、彼は一旦物事を遣《や》り出すと、その成績に冴《さ》えて凄味《すごみ》が出るほど徹底した。
 そんなことでK・S氏の作品展覧会は、逸作の奔走により、来着後数日ならずして、市中の最も枢要な場所に在るデパートに小ぢんまりした部屋を急造させて賑《にぎ》やかに開催された。
「こんな性急なことは、巴里のどんな有力な画家でも出来ないことです。巴里ではどんなに早くても三月はかかります」
 K・S氏はむしろ呆《あき》れながら、歓《よろこ》びにわくわくして云った。何度も何度も礼を云った。
 ホテルの一室で、立続けに電話をかけたり、紹介の文案を書いたり、訪問記者と折衝したりして、深い疲労と、極度な喫煙で、どろんとした顔付きになっている逸作は、強いて事もなげに言った。
「いや、お気遣いなさるな。あなた方はむす子の友人です」それから沈痛な唇の引き締め方をして、また事務に取りかかった。
 かの女は、今こそこの父はむす子の幼時に負うた不情の罪を贖《あがな》う決心でいるのだと思った。ときどき眼を瞑《つむ》って頭を軽く振っているのは、出そうになる涙を強情に振り戻しているのではあるまいか、それとも脳貧血を起しかけて眩暈《めまい》でもするのではあるまいか。父はあまりによき父になり過ぎた。
「パパ。少し翻訳を代りましょうか。休んで下さい」
 すると、逸作は珍しく瞳《ひとみ》の焦点をかの女の瞳に熱く見合せて云った。
「僕が満足するまでやらせろ」

 かの女と逸作は、星ヶ岡の茶寮を出て、K・S氏夫妻と共に、今日で終りの展覧会場へ寄ってみようと、ぶらぶら虎の門まで歩いて来た。春もやや準備が出来たといった工合《ぐあい》に、和やかなものが、晴れた空にも、建物を包む丘の茂みにも含みかけていた。
 かの女と逸作の友人の実業家が招いて呉《く》れたK・S氏夫妻の招待は、茶寮の農家の間が場席だった。煤《すす》けた梁《はり》や柱に黒光りがするくらい年代のある田舎家の座敷を、そっくりそのまま持ち込まれた茶座敷には、囲炉裏《いろり》もあり、行灯《あんどん》もあった。西洋人に日本の郷土色を知せるには便利だろうという実業家の心尽しだった。稚子髷《ちごまげ》に振り袖《そで》の少女の給仕が配膳《はいぜん》を運んで来た。
 K・S氏はそこで出た料理の中で、焼蛤《やきはまぐり》の皿に紅梅の蕾《つぼみ》が添えてあったことや、青竹の串《くし》に差した田楽の豆腐に塗ってある味噌《みそ》に木の芽が匂《にお》ったことを想《おも》い出して話した。
「日本人は実に季節の自然を何ものにも取り入れることがうまい」
 逸作はまた彼の友が、K・S氏はさすがに芸術家だけあって、西洋人にしては味覚や嗅覚がデリケートなことに感心していたと告げた。
 かの女はまた夫人に、稚子髷をはじめ日本の伝統の髪の型を説明していた。
 一行四人の足は日比谷公園に踏み込んだ。K・S氏は沁々《しみじみ》とした調子でかの女に云った。
「いろいろ見せて頂いたり、味わわせて頂いたりしましたが、こちらへ来てはじめてイチロのことが判ったような気がします。彼はやっぱりこの国柄を背景に持った芸術家です。
「お世辞でなく、彼は私などよりよい素質を持って生れた画家です。なるほど私は、彼より世才もあり金儲《かねもう》けの術も知っています。だが、素質に於ては到底年少の彼に及びません。
「奥さまは、私に彼を助ける何物かがあるとお想いかも知れませんが、彼はそんな必要のない立派な画家です。ただ、今のところ彼は絵を売らないだけです。
「私が私の持っている才能や経験で、彼に金になるような仕事の方法を教えてやるのは造作もないことです。彼はまたそれを立派にやって除《の》けましょう。しかし、それは恐ろしいことです。彼は出来るだけ自由に働かして、金や生活のことに頭を使わせたくないんです」
 かの女は、自分がすでに感じていることを今更云い出されるような迂遠《うえん》さを感じた。しかし、長幼老若の区別や、有名無名の体裁を離れて、実際の力の上から物を云うモンパルナスの芸術家気質の言葉を、尊敬して傾聴した。場合によっては、このむす子を自分のむす子としてより、日本の誇として、世界の花として、捧げねばならない運命になるかも知れない。晴がましくも、やや寂しい。

 かの女は一行とゆるゆる日比谷公園の花壇や植込の間を歩きながら、春と初夏の花が一時に蕾をつけて、冬からはまるで幕がわりのように、頓《とみ》に長閑《のどか》な貌様《ぼうよう》を呈して来る巴里《パリ》の春さきを想い出した。濃く青い空は媚《こび》を含んでいつまでも暮れなかった。エッフェル塔は長い長い影を、セーヌ河岸の樹帯の葉の上や、密集した建物の上へはっきり曳《ひ》きながら、広く河波に臨んで繊細で逞《たくま》しい脚を驚くほど張り拡《ひろ》げていた。
 街を歩くと、紫色やレモン色の室内の灯を背景に、道路まで並べ出されたキャフェの卓で、大勢の客がアペリチーフを飲みつつ行人を眺めていた。それは仄《ほの》かで濃厚な黄昏《たそがれ》を味わうという顔付きに一致して、いくらか横着に構えた貪慾《どんよく》な落着きにさえ見えた。
 こういう夕暮に、かの女はよくパッシィの家を出て、あまり遠くないトロカデロ宮裏の広庭に行った。パッシィの町が尽きたところから左手へ折れ、そこからやや勾配《こうばい》を上る小路の道には、古風な石垣が片側の崖《がけ》を防いでいた。僅《わず》かな樹海を通して、セーヌ河の河面の銀波に光る一片や、夕陽に煙った幻のようなエッフェル塔が見渡された。かの女は、時代をいつに置くとも判らない意識にするこの場所に暫《しばら》く立ち停《どま》り、むす子のアトリエのあるモンパルナスの空を眺め乍《なが》ら、むす子を置いて日本へ去る親子の哀別の情を貫いて、もうあといくばくもない短い月日の流れの、倉皇《そうこう》として過ぎ行くけはいを感じるのであった。
 トロカデロ宮前を通り過ぎると、小さいキャフェには昔風に床へ鋸屑《おがくず》を厚く撒《ま》いているのが匂った。トロカデロ宮を裏へ廻《まわ》った広庭はセーヌの河岸で、緩い傾斜になっていた。その広闊《こうかつ》な場面を、幾何学的造りの庭が池の単純な円や、花壇の複雑な雲型や弧形で、精力的に区劃《くかく》されていた。それは偶然規則的な図案になって大河底を流れ下る氷の渦紋のようにも見えた。傾斜の末に、青木に囲まれて瀟洒《しょうしゃ》なイエナ橋が可愛《かわい》らしく架っている。ここから正面に見るエッフェル塔はあまりに大きい。
 暮れるのを惜しむように、遊覧の人々は、三々五々|小径《こみち》を設計の模様に従って歩き廻り、眺め廻っていた。僅かに得た人生の須臾《しゅゆ》の間の安らかな時間を、ひたすら受け容《い》れようとして、日常の生活意識を杜絶《とぜつ》した人々がみんな蝶にも見える。子供にも見える。そして事実子供も随分多い。西洋の子供からあんまり泣き声が聞えない。
 かの女は花壇の縁に腰を下ろして、いつまでもいつまでもぼんやりしている。後から来る約束のむす子が勉強の仕事を仕舞って、絵具を洗い落した石鹸臭い手をして、ひょっこり傍の叢《くさむら》から現われ出るのを待ち受けているのであった。
むす子は太い素朴な声で、
「おがあさん」
と呼ぶ。それは永遠の昔に夢の中で聞いたような覚えもする。未来永遠に聴ける約束の声であるような気もする。そしていまそれを肉声で現実に聴くのだ。
 かの女は身慄《みぶる》いが出るほど嬉《うれ》しくなる。
 だが、このむす子はなぜこう大きくなってまで、「おかあさん」とちゃんといわないで、子供のときのまま「おがあさん」と濁って呼ぶのであろう。
「おまえさんが子供のときにね」とかの女はむす子に語る。むす子は来るのを急いだらしく、改めてネクタイを結び直しながら聴いている。
「鼻が詰って口で息をするものだから、小児科のお医者さんに診《み》せたのだよ。すると、喉《のど》にアデノイドがあるというのだよ。アデノイドがある子は暴れるということを聞いたので、入院して切ることになったのさ」
 ここでかの女はまず、くっくと笑った。
「その前からおまえは一通りならないやんちゃ[#「やんちゃ」に傍点]坊だった。親類の娘たちはおまえの活動には随分閉口していた。娘たちは小児科医の話を聞いて、なるほどおまえの腕白もみなそのアデノイドがさせるわざだと決めてしまった。おまえは手術が終って家へ帰って来た。どんなにかおとなしくなったろうと楽しみにして娘たちは、様子を見に来た。おまえの腕白はちっとも変らなかった。娘たちはつまらない顔をして帰って行った」
 かの女は娘たちの案に相違した顔を思い出すように、またくっくと笑った。
「何だ。そんな話ですか。親というものは、子供のちょっとしたことでも、いつまでも覚えていて興味を持つものですね」
 むす子は自分の幼時の話を聞くことは、嫌いではないらしいが、母がそれをあまり熱して興味がることは、母を平凡にし、母を年寄り臭くするので、その点を嫌がった。
「おかあさんもなるべく昔のことを忘れて、新しく出発するんですね」
「出発するってどんな風によ」
「おとうさんをご覧なさい。根が悧巧《りこう》だから、おかあさんのいのち[#「いのち」に傍点]を食って、今までの仕事をしました。今度はおかあさんの番ですよ。おとうさんのいい所を摂《と》って成長しなきゃ」
「たとえばどんなところよ」
「あのぬけぬけとしたところなど。おかあさんやこれからの僕には是非必要ですね」
「あたしはおとうさんにどんなところを与えたろうか」
「あれっ! 知らないんですか。おとうさんのあの気位だとか、純情だとかいうものは、みなおかあさんのいのち[#「いのち」に傍点]から汲み出したものじゃありませんか。うまく摂ってるからちょっと判らないが」
「おまえさんは鋭い子だねえ」
「そんなことをむす子の前で感心するのが、まだお嬢さんが抜けない証拠です。僕は賛成しませんね」

 K・S氏は一行と歩き乍《なが》ら話す。
「抽象派《アプストレー》という名前で巴里《パリ》の前衛画派を総括していますが、めいめい違った個性から出発する画論や成長に向っていることは、先日お話したと思いますが、私の唱えるネオ・コンクレチスムというのは、単に客観的分析主義でなく、その分析して得た結果のものを材料にして、人間のロマン性や創造性によって何かしら創造して行き度《た》いのです。だから従来の分析力も生かし、これに創造という活を入れることを連絡させる点を若《も》し画派の綜合《そうごう》というなら、私のネオ・コンクレチスムは綜合主義とも云えるのです。
「一郎君は一郎君で独自の路を歩いていられます。彼は自然現象中より芸術の力によって美の抽象ということに画論を立てていますが、基礎にはカントの美学が影響を持っているようです。彼はだいぶ永い間ソルボンヌ大学でそれを研究していました。だが彼の画風は、理窟っぽいぎすぎすしたところは毛頭ありません。彼の聡明《そうめい》な物象の把握力、日本人特異の単純化と図案化。それに何という愛憐《あいれん》の深い美の象徴の仕方でしょう。私はいつも彼の画を見て惚々《ほれぼれ》とします。何と云っても一番人を融かすところのものは、彼の詩人的素質です。この素質が、彼の酷《きび》しいリアリズムを神秘にまで高めます。彼は今前衛画派の花形のうちで一番年少でありながら、一番期待と興味を持たれています。彼を見ると全く芸術家はテンペラメント一つだという気がします」   
 かの女はこれを旅先の知友が、滞在地で世話をする父兄に向って云うお世辞ともお礼心とも思わなかった。事実かの女は、近年美術季節毎に、権威ある美術批評を載せるラントランシジャン紙上に掲載される十指ほどの画家の中にむす子の名も混っているし、抽象派の機関誌にアルプとかオーザンファン、セリグマンとかいう世界的な元老の作品の頁《ページ》と並んで載っているむす子の厳格な詩的な瑞々《みずみず》しい画に就《つ》いては何の疑いもなかった。あのむす子が、精力的な西洋人の間に入って押して行く体力のほどが気遣われた。
「あの子は相変らず身体は小さい方でしょうか」
 するとK・S氏は、やっぱり女親は女親だという風に見やって
「ご心配なさるな。イチロはもうあなたのお考えになっているような子供さんではありません。逞《たくま》しい立派な青年です」
 もしそうならばと、かの女はまた心配になった。今度|逢《あ》った時、取り付きにくくはあるまいか、はにかむような想《おも》いをさせられはしまいか。しかしすぐかの女は、やっぱり自分の求める通りむす子に踏み込めばいい、あの子はあの子であることに絶対に変りはないと、直《す》ぐ自信を取り戻した。公園の出口へ来た。かの女は夫人に云った。
「あまり歩いてはお疲れでしょう。もう車で参りましょう」

 展覧会場は満員だった。逸作の働いた紹介の方法も効果があったには違いないが、巴里の最新画派の作品を原画で観《み》るということは、人々には稀有《けう》の機会だった。 
 オリーブ色の壁に彩色画が七八点エッチングが三十点ほど懸け並べられてあった。その前には人々は折り重なって覗《のぞ》き込んでいた。夕刻近いシャンデリヤの仄白《ほのじろ》い光は、人いきれで乳白に淀《よど》んでいた。植木鉢の棕櫚《しゅろ》の葉が絶えず微動している。押し合って移って行く見物の列から離れて、室内には三々五々塊を作って画家らしい連中が立話をしていた。
 K・S氏夫妻は見物に来た滞在フランス人に捕まって、何かしきりに話している。逸作は入口に待ち合せていた美術記者と、雑誌に載せる作品の相談をして室内を歩き廻《まわ》っている。かの女は一人ぽつんとして中央の椅子《いす》に小さく蹲《うずく》まった。 
 見物群の肩と肩との間から、K・S氏の作品がちらちら覗ける。メカニズムのような規則的に表現された物象を押し上げるように、ロマンチックな強烈な陰影が、一種ねばねばする人間性を発散している彼の作品は、何となく新中世紀趣味と云ったような感じをかの女に与えて、先程説明を聴いた所謂《いわゆる》ネオ・コンクレチスムの理論とは、また別なものを感じられる芸術家の芸術家的矛盾にかの女は興味を覚えながら、この部屋に入って来た時から、ちらちら偸視《ぬすみみ》して胸を躍らしている壁の一場面の前の人の動きにも決して注意を怠らなかった。
 そこにはたった一枚、K・S氏が携えて来たかの女のむす子のデッサンの小品が並べられてあるのだ。
 かの女を不安にしたのは、いつもその前に人だかりがして群衆の囁《ささや》きの瘤《こぶ》を作っているに引きかえ、今日はさっさと人の列は越して行くのだ。かの女は洪水が橋台を押し流してしまったあとの、滑らかな流れを見るような極度の不気味さを、人の列に感じて来た。どうしたことだろう。むす子の絵はもう飽きられたのか。人々に対して魅力を失ったのであろうか。
 かの女は不安を抑え切れなくなって、思わず覗き加減に立ち上った。人の隙《すき》から空虚なオリーヴ色の壁だけが見えて、そこにむす子の絵はない、かの女はあわて気味に近寄った。錯覚ではない。むす子の絵は姿も形もない。張札だけが曲っている。
「どうしたんだろう、一郎の絵――」
 かの女は口に出して云いながら、部屋の中をぐるぐる尋ね廻った揚句、咄嗟《とっさ》に思いついて入口の横の売場へ来た。かの女は少し息を弾ませて訊《き》いた。洋服を着た若い店員は、びっくりして直ぐ弁解口調に云った。
「え、あれはお売りになるのではなかったんですか。でも、K・Sさんは、日本へ一枚でも残す方がいいと売価をおつけでしたが」
 かの女は冷水のあとにまた温かい湯をうちかけられたような気がした。驚きはそのまま、心の和みが取り戻せた。
「まあ、誰が買いましたの」
「今夜の汽車でお発《た》ちの方だそうですが、是非自分で持って行き度いと、そう仰《おっ》しゃるものですから、もう閉場間際だし、包んでお渡ししました。たった今。この方です」
と事務員の出した売約帳には、昔の字画もそのまま「春日規矩男」と書いてあった。かの女は思わず会場の外に走り出た。そのときかの女は、どやどやとエレヴェーターの前から階段へ移り動いて行く一塊りの人数を見た。降りる機台も機台も満員なので、待ちあぐねた人達らしい。
 人数の重なりがほぐれて階段へかかる、その中の一人に、ハトロン紙の包を抱えた外套《がいとう》の青年を見た。それは規矩男であった。
 規矩男の後姿を見たときにかの女は、規矩男もかの女に気が附いたらしいのを知ったが、かの女の足は一歩もそこから動かなかった。そしてかの女は突立ったままで「ははあ、規矩男も奇抜なことをするものだ」と単にこう思っただけだったが、直《す》ぐそのあとから、しんしんと骨身に痛みを覚え出した。

 かの女は、無事に日本の旅行を終ってフランスへ帰航するK・S氏夫妻を送って仕舞い、外人の送迎にやや疲労を感じたあとの心身を、久しぶりで自分の部屋のデスクの前に休めていた。そこへ郵便が来た。春日規矩男からである。
 その後ご無沙汰《ぶさた》しましたが、僕は今仙台市内のある住宅街に棲《す》んでいます。僕はあなたが仰言《おっしゃ》った『無』それ自身充足する積極的ないのちのあるということが気になり、これを研究立証してみたくて、普通なら哲学でしょうが現代の諸事情も参酌《さんしゃく》して、純枠科学理論の物理学を選びました。あなたにお訣《わか》れしたあの年の秋東北大学の理科に入り、今では研究室の助手をしています。今度は春の休みで一寸《ちょっと》上京しましたので直ぐにこちらへ引き返しました。研究の結果は卒業論文としました。それに尚《なお》研究を加えて一冊の書物に纏《まと》めますから、その時お送りいたしますとして今は申し上げません。それよりも僕は、三年前に母を失いましたことをお知せいたします。それからこれは余事ですが、僕はあの頃お話した許嫁《いいなずけ》とは、僕の意志から結婚しませんでした。そして今も独身です。
 K・S氏の展覧会の会場の銀座のデパートで、あなたが人中の僕を見て階段の上に佇《たたず》んでいらっしゃったのを知り、僕が何故むす子さんの絵を買ったかを云わなければ済まない気がしまして、絶えて久しい手紙を書きました。今後はまた今まで通り一切手紙を差し上げぬつもりで居りますが、僕の生活もとにかく軌道にだけは乗っていますからご安心下さい。
 僕は『世の中には奇蹟的《きせきてき》に幸福なむす子もあればあるものだ。そういうむす子の描いた絵が珍しいから僕の部屋へ掛けて眺めよう』
 こういう気持で一郎さんの絵を買ってかえりました。
[#下げて、地より1字あきで]春日規矩男
   O・K 夫 人 

 かの女もこの手紙へ今さら返事を書こうとはしなかった。しかし規矩男。規矩男。訣れても忘れている規矩男ではなかった。厳格清澄なかの女の母性の中核の外囲に、匂《にお》うように、滲《にじ》むように、傷むように、規矩男の俤《おもかげ》はかの女の裡《うち》に居た。
 今改めてかの女はかの女の中核へ規矩男の俤を連れ出してみようか――今やかの女のむす子を十分な成育へ送り届け、苦労も諸別もしつくしたかの女の母性は、むしろ和やかに手を差し延べてそれを迎え、かの女の夫の逸作の如く、
「君も若いうちに苦労したのだ。見遺《みのこ》した夢の名残りを逐《お》うのもよかろう」 
 斯《こ》うもかの女にもの分りよく云うであろうか。

  君が行手《ゆくて》に雲かかるあらばその雲に
  雪積まば雪に問へかしわれを。

  君行きて心も冥《くら》く白妙《しらたへ》に
  降るてふ夜の雪|黝《くろ》み見ゆ。

底本:「昭和文学全集 第5巻」小学館
   1986(昭和61)年12月1日初版第1刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集」冬樹社
   1974(昭和49)年~1978(昭和53)年
入力:阿部良子
校正:松永正敏
2001年5月7日公開
2003年7月27日修正
青空文庫作成ファイル:
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岡本かの子

母と娘 —–岡本かの子

 ロンドンの北郊ハムステット丘の公園の中に小綺麗な別荘風の家が立ち並んで居る。それ等の家の内で No.1 の奥さんはスルイヤと言って赤毛で赭《あか》ら顔で、小肥りの勝気な女。彼女に二年前に女学校を卒業したアグネスと言う十九歳の一人娘がある。アグネスは丈が高く胸が張って体全体に男の子のような感じがあるが、でも笑う時は笑くぼや眼の輝やきや、優しい歯並らびが露《あらわ》れて本当に可愛いい少女の容貌になる。
 此《こ》の母娘は評判の仲良しで近所の人達は彼女等が姉妹か親友のようだと言う程、何事をも共同でやっていた。中古のガタガタ自動車を安く買い求めて、車庫が無いので前庭の草花の咲いて居る芝生へ乱暴に押し入れて合羽《かっぱ》をかけて置く。郊外へ出かける折りなど蓄音器を積み込んで交代に操縦して行った。以前は家に鍵をかけ二三日留守にして汽車や徒歩で天幕や食料を分担して勇ましく母娘の小旅行に出かけたのであった。
 スルイヤの夫は工業学校出の機械屋《エンジニーヤ》であったが、あの全欧洲の男性を人殺し機械にした欧洲大戦の際、英国陸軍工兵中尉として、生れた許《ばか》りのアグネスに頬ずりして、白耳義《ベルギー》の戦線へ出征して行った。而して間も無く戦死を遂げたのであった。其の後の母娘は遺族恩給で余り贅沢は出来ぬが普通な生活を続けて来た。
 夫を失ったスルイヤは一人娘を育てる傍《かたわ》ら新しい進歩主義を奉ずる婦人団体へ入って居た。其の団体は大戦当時ですら敢然不戦論を主張し平和論を唱導して居たが大戦|終熄《しゅうそく》後は数万の未亡人を加えて英国の一大勢力となって来た。やがてアグネスは女学校へ通うようになった。始めの一年間は寄宿生活をした。土曜から日曜へかけて家へ帰って来た。女学校に於ける彼女の生活は仲々活溌なものであった。殊《こと》にメリー女王殿下の閲兵を受けるエンパイヤ・デー(帝国紀念日)の女軍観兵式にはアグネスは女士官として佩剣《はいけん》を取って級友を率《ひき》いた。級友は彼女を其の父の位の通りアグネス中尉閣下と囃《はや》した。卒業する年には持って生れた統帥《とうすい》力は全校八百の総指揮を鮮やかにやってのけて顧問の現役陸軍士官に賞讃された程だった。卒業後もアグネスは何か陸軍に関係した勇ましい仕事を見付けたいと望んで居た。友達が銀行、会社、デパート、料理店などへ会計や売子監督に就職したのに彼女ばかりは其の気になれなかった。●
 三月の或日、一新聞紙上にクロイドン陸軍飛行場で英国婦人にも飛行機の操縦法を練習させると言う記事が載って居た。余り富裕でないアグネスは英国婦人飛行協会員にはなれなかったので此の募集に自分の将来への活路を見出したように喜んでしまった。全英女子の渇仰の的《まと》、アーミー・ジョンソンのように、女でありながら英国陸軍士官に列せられる光栄を夢見て早速母親の許可を懇願した。娘の性格や傾向に深い理解を持つ母親のスルイヤは流石《さすが》に真正面から反対はしなかったが、全宇宙に唯一人の頼りにする者、そして自己の延長である娘を危険な仕事につかせる事は堪えられないように感じた。まして自分の夫を奪った戦場闘士の一員にすることなぞ………。スルイヤは娘が、一たん云い出した希望に向っていらいらして居る有様を見てすっかり途方にくれて仕舞った。
 或晩、それは欧洲の気候の内、一番よい五月の末頃、アグネスの入会して居る欧洲ハイキング・クラブの会員である巴里《パリ》のイボギンヌから誘い状が届いた。其の内容は――ロンドンのアグネスが巴里のイボギンヌの所へ来て一緒になってフランスを旅行し、次いで此の二人が、兼ねてイボギンヌが打ち合せてあるベルリンのジャネットを訪問し、三人してドイツを旅行し最後にアグネスはイボギンヌとジャネットを伴ってロンドンへ帰り、暫らくアグネスの家に滞在して其れから三人してイギリスを旅行、最後にアグネスに別れてイボギンヌがジャネットを連れて巴里へ帰って行くという計劃なのである。名刺型のイボギンヌの写真まで同封してあった。
 此のハイキング・クラブは英仏伊独等の青年男女を会員とする国際的クラブで、本部がロンドンに在り、各国の主都に支部があって、本部から毎月会員の消息や感想や注意を集めて月刊雑誌に載せ、各会員に配布して居る。其の会員は会報で知った外国の未知の会員同志交渉をつけて、夏期など一緒に落ち合ってお互いに自国の案内やら自国語を教え合い意見を交換すると言うのである。アグネスも此のクラブの会員であった。
 此の手紙はスルイヤ、アグネス母娘の感情のもつれを少し離れて冷静な立場から考えさせる余裕を与えるものとして、二人に喜んで迎えられた。斯うしてアグネスは六月五日、朝九時ヴィクトリヤ・ステーションから巴里へ向けロンドンを去ったのであった。
 以下アグネスがロンドンに残した母スルイヤに宛てて寄こした通信である。

六月五日夜 第一信(巴里にて)
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ママ、巴里へ着いたの。いつもママと一緒に出かけて色々の事務を分担してやって来た私が今度は一人旅だったので荷物やら切符やら食料やら仲々厄介でした。ドーヴァー海峡は少し荒れましたが霧が濃く無かったので定刻通り、フランスのカレーへ到着出来ました。巴里北停車場では直ぐ私の制服、徽章《きしょう》を見付けてイボギンヌが駈け寄りました。車中で初対面の挨拶をフランス語で言おうと暗誦して居たのにイボギンヌが、いきなり抱き付きましたので英語でしゃべってしまいました。タキシーでイボギンヌの家へ行きました。イボギンヌの家は可《か》なり大きな靴屋さんです。イギリス製の靴が沢山在るそうです。イボギンヌは写真に在るより美人よ。とても生き生きしてシークよ。髪はマロンよ。話す時、大げさな身振りをするので此方《こちら》が恥かしくなるわ。でもフランス娘は敏感で、とてもこちらの気持を直ぐ汲み取るわ。イボギンヌの家庭は愛想のよい御両親の外《ほか》に女学校二年生の妹が一人あるの。これから此の人達を家庭教師にしてフランス語の練習です。
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六月七日 第二信(巴里にて)
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昨日はルーブル博物館を見に行きました。古代の名画や名彫刻を見て人間の偉大な一面を感じました。其の内には随分沢山のものがナポレオンの戦利品だそうです。こんな立派な品々を力ずくで他国から取って来た勝利者の乱暴さにあきれます。近い内にアンバリドのナポレオンの墓を見に連れて行って貰います。今朝はイボギンヌにせがんで巴里の東隅に在るヴァンサンヌ広場の上空で行われるフランス空軍の大演習を見に行きました。六百台余の重爆撃機が天地を震撼させて進軍する様は世界を席捲《せっけん》するが如く感じました。とても英国なんか敵《かな》えそうもないような気がしてじりじりしました。ママ私どうしても陸軍飛行隊へ志願するわ。アーミー・ジョンソンの記録を破って見せるわ。止めないで頂戴、機械を操《あや》つるのに暴力は不必要です。女性にだって綿密な注意と沈着な態度があります。英国のような女性の過剰な国にあっては、地球をめぐって日の没せざる大英帝国を護るに女軍の補助、否第一線に立つ必要を痛感します。ママは外国の此の恐ろしい戦闘準備を見ないから呑気《のんき》で居られるわ。近頃の疑雲のただよう欧洲に於いて私共は今直ちに非常時訓練をして居なければ駄目だと思うの、ママよく考えて置いてね。
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 ロンドンの母親スルイヤは巴里に居る娘の許《もと》へ手紙を寄こした。余程心痛したと見えて取り急いで書いたらしく字も乱れていた。

六月十日(ロンドンより)
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アグネス! ママは先《ま》ず第一にあなたの旅先からの手紙をどんなに重大に読み続けて居るかを言わねばなりません。始めて自分の娘を一人旅に送り出したママは旅先きで娘がどんな刺戟や感銘を受けるかをハラハラ身もやせる程案じて居ります。でも聡明なあなたはキット立派な判断力に依って物事の核心を掴んで帰って来ると信じて気を静めて居ます。一見したのを直ぐ其の儘《まま》受け取らないで、再三再四繰返えし考え、横からも縦からも噛みしめて本当の事実を本然の姿を突き留めて来て下さい。そうでないとママとあなたは他人のようになってしまうとも知れません。あなたの熟慮の後の決心を正当と認めた私は喜んで賛成します。だから隠さないで打ちあけて下さい。巴里は何処《どこ》でも飲み水が悪いそうです、殊に夏は。充分気をつけて下さい。(ママより)
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六月十三日 第三信(モントリシヤにて)
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ママ、私達は今日イボギンヌの叔父夫婦の居るモントリシヤと言う所へやって来たの。巴里から西南へ三時間程汽車に乗って行くとロアール河の都ツール市へ着きます、其処《そこ》から汽車を乗り換えて二十分|許《ばか》りで此のモントリシヤへ到着します。此所《ここ》はフランスで一番古い町だと言われフランス語の発生地だそうです。だから農夫達の話すのでもとても正確な発音なので私の今度の旅行の重大な目的である会話の上達に役立つわ。可笑《おか》しな事には馬とも話しが出来るの。フランスの馬は皆、馬教練所の卒業生ですって、|進め《アレ》、|止れ《アレデ》、右、左、散歩《プロムナード》………。皆んな聴き分けてよ。
モントリシヤは紀元十一世紀頃に既にフランス第一の都として有名だったそうです。シーザーが攻めて来たそうです。又一時英領になったこともあるそうです。今でも其の当時からの古い城が此の町の守護神のように岩山から町全体を見守って居ります。此の城の地下道はロアール河の支流の河底を深く潜って二里も先きの城に連がって居ります。而かも其の河に架かる石橋もローマ時代から色々修理して来たもので其の橋一つにも可なり永い間の歴史が刻まれて居ります。ツール市からモントリシヤへかけて沢山の城や宮殿が建って居ります。殊にルイ王朝時代の繁栄の跡として立派な宮殿や道路が出来て居ります。町の呉服屋、家具屋などにも矢張《やは》りローマ時代のものがあり国家で保護されて居ります。だから此の地方へ毎年観光客がやって来て、落す金が八億フランにのぼるそうです。此の地方の人々はとてもそれが自慢で殊にルイ王様のお蔭で立派なものが出来た、お城も宮殿も橋も道路も偉大な事物は封建時代の王様や英雄達に依って出来たと、英雄主義を奉じて居ります。
イボギンヌの叔父夫婦の家は町から少し離れた東の方の村に在ります。私は此所へ来て色々の原始的生活のようなものを見聞するわ。此所では住民は一つの共同の井戸を中心に五・六軒から十二軒ずつ集まって部落を形成して居ります。井戸の大きい程、金持の家が多く、金持程多数(と言っても三四人)の子供を養育して居ます。彼等は葡萄を栽培して葡萄酒を造るのと小麦と牧畜で自給自足するばかりか多量の葡萄酒と小麦をフランス国中へ売りさばくのです。其の利益金の三割は必ず金貨にして床下に埋めて在る甕《かめ》の中に貯えて置きます。此所の田舎《いなか》の人々はフランス人の文明的仮面をひっぱがした赤裸々の姿を見せて呉れて面白いわ。村人は誰でも「自分は偉い人間だ、自分の妻はどういう所が世界一だ、自分の作る物は一番よい、自分の村は世界一(魅惑的)だ、ひいてフランスは世界の楽園だ、自分等は世界一の幸福者だ、唯一つの不幸は、不平は我々の国が世界一の楽園である為め、世界中から狙《ねら》われて居る事だ。●
だから稼いだお金の大部分は軍備に差し上げて仕舞わねばならぬ、世界全部が相手ですからね。見なさいフランスの陸軍は世界第一ですよ。空軍の為めには全世界に匹敵《ひってき》する程の費用を費して居ますよ。海軍だって仲々強いものですよ」と大自慢をします。だが私共だって英国に就《つ》いて大自慢ですね。此所の女達に政治の事を話しかけると「そんな汚ない、つまらない仕事はドイツかアメリカの馬鹿な女達に任せて置けばよい、我々女達にはもっと女としての立派な仕事がある、御覧なさい、どんな偉い大政治家でも私が一つ微笑して給仕すれば一遍でシャルムされて仕舞いますわ」と大真面目で語るのですよ。ママ一面の真理があると思うの?
アア書き落した一大事があるのよ。其れは此の世界一の楽園に水が欠乏して居る事よ。一杯の水を飲もうとしても数百年前に出来た古い井戸の滑車を五分間も廻さなければ汲み出せないの然《し》かも濁った水よ。駅や小学校の控室には飲用水の代りに葡萄酒が備えてあるの。農夫は野良仕事に葡萄酒を壜《びん》に詰めてぶら下げて行きます。煮炊きするのに水の代りに葡萄酒を使うのよ、それで贅沢じゃないことよ。どの家にも大きな酒樽が五六十個も一杯になって居るわ。イボギンヌは平気で此の酒を飲むのよ、私も少し飲まされるの、でもちっとも悪酔いもしなければ頭痛みもしないのよ、感心したわ。でも紅茶を飲みつけた私はお茶の代りに葡萄酒を呑まされるのに閉口してよ。
[#ここで字下げ終わり]

六月十五日 第四信(モントリシヤにて)

 ママ、昨日は大変な事があったの。お午《ひる》過ぎ二時頃イボギンヌの叔母様が大きな眼を開いて、息を切って呼びに来たの。私達は御弁当を用意して半里許り離れた溝へざり[#「ざり」に傍点]蟹《がに》釣りに来て居たの。十五六匹程捕れたのを焼いておかずにして食事をした後で周りの芝生の上に横になって空気の澄み切って随分遠くまで見透せる印象派の絵其の儘の景色をボンヤリ眺めて居た私共は、叔母様の叫び声に近い言葉に跳ね起きました。大砲を打つと言うのです。黒い雹《ひょう》を降らせる密雲が北の方からやって来ると言うのです。私は一寸《ちょっと》軽蔑したいような気持になりましたが振り向いて指示された空を見た時、北の方に怪物のような大雲を見て何だか威喝されたように不安に胸がおどりました。イボギンヌは経験がある者の如く、うなずいて走り出しました。私も後から只《ただ》夢中でついて走りました。家の周りの花園や畑や牧場や、其等《それら》を取り巻く野鳥野獣を棲息させて猟をする雑木林の中の小路を突き貫《ぬ》けて七・八丁も走りましたわ。●
そしたら小高い丘の上に人だかりがして騒いで居るのを見つけました。やっとその場へ着いた時イボギンヌは気が付いたように私にフランス語で説明して呉れました。村の男女の喧騒《けんそう》の中に在って沈着に大砲を準備して居る老人は此の村の村長でもう七十歳にもなるが砲術の名人で二十八年間此の役を引受けてやっているそうです。今此の村の農作物に恐るべき損害を与える雹を降らす黒雲を大砲で打ちまくって散らしてしまうというのです。慣れた人には此の雲は普通の雲と違って項《うなじ》を圧する一種の感じを与えるから直ぐ気付くと説明されて、成程《なるほど》私もそんな感じがすると言ったら笑われました。村人等は已《すで》に村の上に低く垂れ下って来た災難に当惑と恐怖を以《も》って眺めて居りました。それ打つのだという人々の一瞬のたじろぎのうちに最初の一発が老砲術家によってはなたれました。丘を震わして飛んで行った味方の決死隊の第一勇士は中空に於いて炸裂《さくれつ》しました。どんな効果が現われたか、果して怪物は退散させられたかと両手で耳を塞いだ儘、私達は恐る恐る空を覗きました。老人の沈着な態度、物凄い響きにも拘らず怪物は尚、形を崩さず徐々に近づいて来るではありませんか。とたん第二弾が飛び出しました。二・三分間程の間隔を置いて次ぎ次ぎに弾は発射されました。最後の十発の後もう一つ余計に打つ事に就いて村人等は声高に論議しました。やがて十一発目が飛んで行きました。科学と神秘との交錯した光景に私の頭は錯乱したようになって亢奮に身を顫《ふる》わせて空を見上げました。アアママ、自然の力の如何《いか》に偉大で人間の力の如何に弱小であるかを見せつけられました。村人等は最後の十一発も無効に終って其の黒雲が村全体の上を低く覆いかぶさってしまった時、失望の沈黙のうちにお互いの顔を見交わしました。然し其の沈黙は直ちに破れました。人事を尽して天命を待つという諦めとは違った――吾々は今不幸だ、だから元気をつける為めに大饗宴を開こうという積極的な行動となって現われました。
村人等は女も男も村長の家へ有り合せのものを持って集りました。外套の貝ボタンのような雹が野も畑も一せいに叩きつけるさ中を我関せずえんと言うふうに酒宴と踊りが始まりました、娘達の元気な笑声に私はあきれてしまいました、一晩中踊り抜くというのです。私は暫らく居てイボギンヌを促がして帰って眠《ねむり》ました。帰途イボギンヌにあの大砲で雲が撒《ち》った事があるのかと尋ねて見たら、稀《まれ》に火薬の破裂で濃い雲が散った事があるそうです。今朝は晴れて一点の雲もありません。村人達は昨晩の天災の残した跡を修理に忙がしがって居ます。愈々《いよいよ》明日は巴里へ帰ります。イボギンヌの家で二日休んで直ぐ二人して予定のベルリンのジャネットの所へ向う計画です。

六月二十日 第五信(ベルリンにて)

 ママ、私共は昨晩十時五十分に巴里の北停車場からベルリン行きの国際列車に乗って途中|白耳義《ベルギー》に入りましたが夜中で眠って居たので知らずに通過して仕舞いました。やっと起きた朝八時頃にはもうドイツへ入って来ました。今日午後四時頃ベルリンのフリードリッヒ駅へ到着しました。ジャネットが直ぐ見付けて呉れました。ジャネットは思ったよりも大がらで、たくましくて日に焦《や》けて男の様な体格をして居るのに吃驚《びっくり》しました。ジャネットは英仏語がどちらも下手《へた》です。ジャネットの家族は母と兄のウイリーとだけの淋しい三人暮しだと言う事も、食料品店だという事も、イボギンヌ宛の手紙で私達は知って居ましたが、斯んなに家が狭くて貧しいとは想って居ませんでした。何もかも予想以外です。近隣の人達は誰れも不愉快そうな顔をして居ます。街には何んだか絶望のようなものを感じます。戦敗国の如何に惨めな事に深く心を打たれました。私達はたとえ独逸《ドイツ》を知り其の国語を習うためとは言え、陰惨なベルリンへやって来た事を少し後悔して居ります。でも二三日居付いたら、どう私達の考えが変るかわかりません。

六月二十一日 第六信(ベルリンにて)

 今日は一日ジャネットの家で話して暮しました。ジャネットの母はイリデと言うの。大変に憔《やつ》れて居るわ。私達の独逸語を習いたい事を話したら、笑って、――つまらない事だ、斯んな国の言葉を憶えたって役に立たないでしょう。でも昔は帝政時代のドイツはどんなに立派だったか、見せたい――
と言いました。ジャネットの兄のウイリーは目下仕事がないので大学の講義を聴きに行きます。仕事があれば――道路|普請《ぶしん》の人夫でも――大学を止めて働きに行くそうです。イリデ叔母様とジャネットと私達二人一緒になってお店の商品を片っぱしから英仏独で呼び合いました。とても滑稽でしたわ。もう少しやればお客様に応待出来るでしょうと言われて大笑いよ。晩方ちょっと通りへ出ただけでした。

六月二十四日 第七信(ベルリンにて)

 ママ、今日は早起きをしたの、五時にね。だってジャネットの学校を見せて貰うのだったから。ジャネットの学校はベルリンの西北隅に在る市立音響体操学校と言うの。女学校を卒業して一二年の間――結婚前のドイツ女子の希望者の為めに特に便宜を計って毎朝六時から八時頃まで色々の楽器――ピアノ、タンバリン、ヴァイオリンなどの音の強弱に合せて色々の体操をするのです。学生は大抵自転車で此の学校に駈けつけます。私達もちょっとやって見たくなりました。
今昼飯を食べた所なの。これからベルリン中央飛行場へドイツ最新型の尾の無い飛行機を見に行くの。ママ! 私はどうして斯うも飛行機が好きなんでしょう。――ママが身の痩《や》せる程私の飛行家になるのを恐れて居らっしゃるのに。私よく考えて見ますわ。
[#ここで字下げ終わり]

六月二十五日 第八信(ベルリンにて)

 ママ、私昨晩から泣き続けですの。今も泣きながら手紙を書いて居ます。昨日飛行場からの帰り途《みち》でジャネットに私がアーミー・ジョンソンの様に女流陸軍飛行家希望の事や、ママが賛成して呉れぬ事を話したの。そしたらジャネットは晩飯の時、イリデ叔母様に話したので、イリデ叔母様は非常に真剣になって自分の考えを聴かせて下さったの――
「あなたのお母様ばかりでなく、全世界の母親は自分の娘が戦争を誘発するような女流軍事飛行家になるのを遮《さえ》ぎるでしょう。ドイツの男達が科学へ科学へと世界人類の精神的幸福という事も考えずに何かしら新しいことを発明しようと猛進して得たものは戦敗と賠償金でした。斯《か》かる無謀を敢《あえ》てしたのはドイツ人の心の底に広大な温かい人類愛が欠けて居たからです。ドイツの娘達が男子と一緒になって殺伐《さつばつ》な競走ごっこばかりして居たからです。スポーツも必要ですけれど心の底の優しい愛の芽をはぐくんで、其の愛の力に依って、逸《は》やる男達の心を和《やわら》げ、社会を楽しい天国のように、他国の人とも融合させて行かねばなりません。あなた方は生れて間も無い頃でしたから御記憶がないでしょうが、あなたのお母様や私共は本当に戦争の惨忍さを、まざまざ味わわされたのです。●
女達は不安と饑餓で死にそうでした。夫は右足を砲弾の破片で傷けられ、切断されて一度帰って来ましたが義足で歩けるようになると再び召集されました。そして二度目に帰って来た時は、どうでしたろう。ドイツ人が始めて発明した毒|瓦斯《ガス》でやられたのです。而かも敵の毒瓦斯か、味方のものか解らないのです。其の毒瓦斯に気管から肺を侵されて恐ろしい喘息《ぜんそく》になったのです。夜昼なしの十年間の苦しみでした。ウウウーと唸る声は夫の死後八年の今でも私の耳の底に響いて聞えます。憎むべき戦争! 私の夫を嬲殺《なぶりごろ》しにしました。私はやっとジャネットとウイリーの為めに生き続けて来ました。あなたのお母様も屹度《きっと》あなたを頼りに生きておいでに違いない。私共女は落ち付いて静かな深い愛を以って此頃の不安の国際関係を朗らかな親しいものにするよう努力しなければならぬと思います。そして努めて努めても駄目な時、其の時こそ正義の為め、愛の敵の為め闘いましょう。あなたはそうは思いませんか?」暫らく言葉を切ったイリデ叔母はウイリーの方をちらっと見て――
「だのにウイリーはナチスの党員になって、先日も突撃隊を志願すると言うの。しまいにはローマや巴里へでも突撃して行くつもりでしょうよ」
と言葉をつぎました。イリデ叔母様は眼も鼻も、くしゃくしゃにしてハンケチでこすって居らっしゃいました。ジャネットもイボギンヌもウイリーさえも泣きました。ウイリーは母の肩をさすって――「突撃隊志願はもう止めたよ、心配しなくともよい」――って言いました。ママは何故イリデ叔母様のように胸の悲しみを私に打ち明けて下さいませんでしたの。でも今こそママの苦しかったことを察することが出来ます。私はママの為めに、イリデ叔母様の為めにも陸軍飛行隊へなんか習いに行きません。次ぎの欧洲大戦の始まるまで飛行家志願はおあずけにして置きましょう。安心して下さい。ママ、愈々明後日、私達三人打ちそろってベルリンのツオー駅を出発して和蘭《オランダ》を通って、丁度此の手紙の着く翌日頃にはロンドンのリバプール・ストリート駅へ到着します。私はママの心の中に融け込むような、なごやかな気持ちで帰って行きます、楽しみにして待って居て下さい………(後略)」
[#ここで字下げ終わり]

 前庭の芝生に面した居間、兼客間で午後の日射しを受けてアグネスからの最終の通信を読んで居たスルイヤは、今まで勝気に胸中の苦悶を圧《おさ》えつけて居ただけに、其の手紙の中に書かれてあるドイツの戦死者の未亡人イリデの嘆きに引き入れられて、烈しくむせび泣いた。夫の戦死以来の悲しい追憶が次ぎから次ぎへとスルイヤの胸をついて出た。彼女はやがて、ぐったり疲れた体を安楽椅子から起こしてぼろ[#「ぼろ」に傍点]自動車で踏み散らされた前庭を少し手入れしようと玄関の戸を開けて階段を下りかけたが、ちょっと立止まって晴れ上った夏の青空を眺めた。あんなに飛行家志願だった娘の心を自分の感情の為めに止させてしまったのが不憫《ふびん》で堪《たま》らないように感じた。それと同時に自分等の消極的平和主義の時代は過ぎ去って新しい時代、戦闘準備を完全にして始めて平和の保たれる時代が来て居るようにも感じられる。自分等の嘆きに娘の新しい思想を一がいにくらましてはならないとも感じられる。何事も娘が帰ってから更《あらた》めて語り合おうと心を定めた。そして彼女はともかくも久しぶりで娘の帰る嬉《よろこ》びにいそいそと料理場に入って行った。スルイヤはベジテリヤン(菜食主義者)であったが、其の家へ兎のシチュウの好きなフランス娘のイボギンヌと、ソーセージの好きな独逸《ドイツ》娘のジャネットが来るとアグネスが書いて寄こしたのを想い出しながら、可愛い娘の新らしい友達の為めに自分の主義はどうあろうと兎とソーセージは当分此の料理場に用意して置かずば――と決心した。

底本:「岡本かの子全集2」ちくま文庫、筑摩書房
   1994(平成6)年2月24日第1刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集 第一卷」冬樹社
   1974(昭和49)年9月15日初版第1刷
初出:「女性文化」
   1934(昭和9)年5月号
入力:門田裕志
校正:オサムラヒロ
2008年10月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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岡本かの子

風と裾 ―何人か良案はないか?——-岡本かの子

 春の雷が鳴つてから俄に暖気を増し、さくら一盛り迎へ送りして、今や風光る清明の季に入らうとしてゐる。

 ところで、この季節の風であるが、春先からかけて関東は随分吹く。その激しいときは吹きあげる砂ほこりで空は麦粉色になり、太陽は卵の黄身をその中へ落したやうである。郊外住宅者は干し物を東南方の側には出して乾せない日である。
 外を歩いてゐると、いつの間にか曇り出し小さいつむじ風が舗道の散らしビラを漏斗型に捲き上げる。この時である。和装の若い婦人たちが小さい叫び声をあげて所々に跼み竦むのは。いたづらな風が頻りに裾を奪うとするからである。

 風は害虫を攘ひ、花粉の交媒を助ける。五日乃至十日に雨とか風があることは東洋の諺では自然が順調だといふことになつてゐる。一概に風を咎め立ても出来ないし、また近年では和装にも丸綴ぢの腰布を下に着け、なほ重々の用意もあつて本当には何でもないのだが、しかし女の身として斯る場合には必ずシヨツクを受ける。褄は花の如く開かねば趣ないといふ廃頽的の江戸趣味も困るが、この理由をもつて、だからこそ和服も行灯式のスカートにせよといふ改良論者はまた行き過ぎる。

 風の日の外出には髪の網のやうに、褄止めの簡単な工夫が出来たら、もつと和服の着用者も颯々たる風を愛するやうになるだらう。誰人かによき考案を望む。

底本:「日本の名随筆37・風」作品社
   1985(昭和60)年11月25日第1刷発行
   1990(平成2)年10月31日第8刷発行
入力:渡邉つよし
校正:菅野朋子
2000年7月11日公開
青空文庫作成ファイル:このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

岡本かの子

富士 —–岡本かの子

 人間も四つ五つのこどもの時分には草木のたたずまいを眺めて、あれがおのれに盾突くものと思い、小さい拳《こぶし》を振り上げて争う様子をみせることがある。ときとしては眺めているうちこどもはむこうの草木に気持を移らせ、風に揺ぐ枝葉と一つに、われを忘れてゆららに身体を弾ませていることがある。いずれにしろ稚純な心には非情有情の界を越え、彼《ひ》と此《し》の区別を無《な》みする単直なものが残っているであろう。
 天地もまだ若く、人間もまだ稚純な時代であった。自然と人とは、時には獰猛《どうもう》に闘い、時には肉親のように睦《むつ》び合った。けれどもその闘うにしろ睦ぶにしろ両者の間には冥通する何物かがあった。自然と人とは互に冥通する何者かを失うことなしに或は争い或は親しんだ。
 ここに山を愛し、山に冥通するがゆえに、山の祖神《おやのかみ》と呼ばるる翁《おきな》があった。西国に住んでいた。
 平地に突兀《とつこつ》として盛り上る土積。山。翁は手を翳《かざ》して眺める。翁は須臾《しゅゆ》にして精神のみか肉体までも盛り上る土堆と関聯した生理的感覚を覚える。わが肉体が大地となって延長し、在るべき凸所に必定在る凸所として、山に健やけきわが肉体の一部の発育をみた。
 翁は、時には、手を長くさし出して地平の線に指尖を擬する。地平の線には立木の林が陽を享けて薄《すすき》の群れのように光っている。翁は地平のかなたの端から、擬した指尖を徐《おもむ》ろに目途《めじ》の正面へと撫《な》で移して行く。そこに距離の間隔はあれども無きが如く、翁の擬して撫で来る指の腹に地平の林は皮膚のうぶ毛のように触れられた。いつまでも平《たいら》の続く地平線を撫で移って行く感覚は退屈なものである。人間の翁がそう感ずると等しく、自然自体も感ずるのであろうか、翁の指尖が目途の正面を越して反対側へ撫で移るまもないところから地平は隆起し、麓《ふもと》から中腹にさしかかり、ついに聳《そび》え立つ峯巒《ほうらん》となる。遠方から翁の指尖はこつ[#「こつ」に傍点]に嵌《はま》ったその飛躍の線に沿うて撫で移って行くと音楽のような楽しいリズムを指の腹に感ずる。地の高まりというものは何と心を昂揚さすものであろう。人を悠久に飽かしめない感動点として山は天地間に造られているのであろう。
 火の端《はた》で翁は、つれづれであった。翁は腕を動かして自分の肉体の凸所を撫でまわす。肩尖、膝頭、臀部、あたま――翁の眼中、一々、その凸所の形に似通う山の姿が触覚より視覚へ通じ影像となって浮んで来た。
[#ここから2字下げ]
山処《やまと》の
ひと本すゝぎ
朝雨《あささめ》の
狭霧《さぎり》に将起《たゝん》ぞ
[#ここで字下げ終わり]
 翁は身体を撫でながら愛に絶えないような声調で、微吟した。
 山又山の峯の重なりを望むときの翁は、何となく焦慮を感じた。対象するもののあまりに豊量なのに惑喜させられたからだった。翁は掌を裏返しに脇腹を焦《じ》れったそうに掻いた。
 峯々に雲がかかっているときは、翁は憂《うれた》げな眼を伏せてはまた開いて眺めた。藍墨の曇りの掃毛目《はけめ》の見える大空から雲は剥《はが》れてまくれ立った。灰いろと葡萄《ぶどう》いろの二流れの雲は峯々を絡み、うずめ、解けて棚引く。峯々の雲は日のある空へ棚引いては消え去る。消え去るあとからあとから、藍墨の掃毛目の空は剥離して雲を供給する。峯はいつまで経っても憂愁の纏流《てんりゅう》から免れ得ないようである。それを見ている翁は、心中それほどの苦悩もないのだが、眼だけでも峯の愁いに義理を感じて、憂げに伏せてはまた開くのであった。そのうち翁は眼が怠《だる》くなって草原へごろりと臥《ね》てしまった。雲の去来は翁の眠っている暇にも続けられていた。だが、やがて雲は流れ尽き、峯は胸から下界へ向けて虹をかけ渡していた。
 西国にて知れる限りの山々を翁はみな自分の分身のように感じられた。翁は山々を愛するがゆえに、それ等の山々の美醜長短を、人間の性格才能のように感じ取った。事実、山には一目見ただけでも傲慢であったり、独りよがりのお人好しであったりしそうな性格に見立てられるものがある。翁がみるところによると、どの山の性格でも翁自身の性格の中に無い性格はなかった。中には自分に潜んでいて、却《かえ》って山に現れ出て、逆に自分に気付かせられるようなこともあった。翁は山を愛するが、しかし山を惧《おそ》れ、そして最後に山を信じた。
 翁は妻との間にたくさんこどもを生んだ。こどもが生れて一人動きできるようになると、翁はこれを山に持って行って置いて来た。
 山の麓にこどもを置去りにして来て、果してそれで育つものかどうか危ぶまれた。しかしどこへ置いたところでその幸《さち》のないものは、育った方が却って面白からぬことになるような育ち上りをしてしまうかも知れない。それなら一っそ、こどもを好きな山に賭けよう。山が育つべく思うほどのこどもなら山は育てよう。少くともこれほど信頼する山が悪しゅうは取計う筈はあるまい。もしこの上にして育たぬようだったら、山よ、わたしは諦める。だが、山よ、出来得べくはなる丈《た》け育てて呉れ。翁はこどもを山の方に捧げ、ひょこひょこひょこと三つお叩頭《じぎ》をして、置いて帰った。愛別離苦の悲しみと偉大なものに生命を賭ける壮烈な想いとで翁の腸は一ねじり捩れた。こどもを山にかずける度びに翁の腹にできたはらわたの捻纏《ねんてん》は、だんだん溜って翁の腹を縲《にな》の貝の形に張り膨らめた。それに腹の皮を引攣《ひきつ》られ翁はいつも胸から上をえび[#「えび」に傍点]蔓《づる》のように撓《たわ》めて歩いた。
 こどもの中には餓え死んだり、獣の餌になるものもあったが、大体は木の実を拾って食い、熊、狼の害を木の股、洞穴に避けて育った。山は害敵とそれを免れるものと両方を備え無言にして生命それ自ら護るべき慧智を啓発した。
 こどもたちは父親の翁に似て山が好きだった。その性分の上にあけ暮れ馴染む山は、はじめは養いの親であり、次には師であり、年頃になれば睦ぶ配偶でもあった。老年には生みの子とも見做される情愛が繋がれた。死ぬときには山はそのまま墓でもあった。しかし、生涯、山に親しみ山に冥通する何ものかを得たこどもたちは、老年に及び死を迎えるまえに生命を自然の現象に置き換える術を学び得ていた。彼等は死の来る一息まえ、わがいのちを山の石、峯の雲に托した。それゆえ彼等は悠久に山と共に鎮《しずも》り、峯に纏《まと》って哀愛の情を叙することができる。
 翁はその多くのこどもを西国の名だたる山に、ほぼ間配《まくば》りつけた。比叡、愛宕、葛城、鈴鹿、大江山――当時はその名さえ無かったのだが、便利のため後世の名で呼んで置く――山ほどの山で翁のこどもの棲付かぬ山もなかった。
 山に冥通を得たこどもたちは、意識に於て「妙」というほどの自在を得た。離れたときには山と自分と相対した二つとなり、融ずるときには自分を山となし、或は山を自分とする一致ができた。山におのおの特殊の性格があることは前の条で説いた。こどもたちは育った山の性その如き人間となった。身体つき容貌まで何やら山の姿、峯の俤《おもかげ》に似通って見えた。西国の山は冬は脱ぎ夏は緑を装った。こどもたちも亦《また》冬は裸に夏は藤ごろもを着た。緑の葉に混る藤の花房が風にゆらいで着ものから紫の雫《しずく》を撥《は》ねさした。
 もとより山のことにかけては何事でも暗《そら》んじているこどもを、麓の土民たちはその山の神と呼んだ。そして侍《かしず》き崇むる外に山に就ての知識を授けて貰った。たつきの業《わざ》を山からかずけられて生活する麓の土民は、山の秘密や消息を苦もなく明す人間を、感謝し、惧《おそ》れ、また親しんだ。ときどきは神秘に属する無理な人間の願事《ねぎごと》をも土民はこどもに山へ取次ぐよう頼んだ。こどもは苦笑しながら、しかし引受けた。冥通の力によって山に土民たちの望むことを聴き容れさしてやった。土民たちは助った。
 山の祖神《おやのかみ》の翁は西国の山々へはほとんどこどもを間配り終り、その山々の神としての成長をも見届けた。いまは望むこともないように思われた。ただ東国に目立った二つの山があって神々を欠くという噂を聞いていた。それは、どんな容貌性格の山だろうか、その性格は自分如きには無い性格の山だろうか。まだ見ぬ東国の山は翁に取っていま、一層に、慕《した》わしいものとなった。それへも骨肉を分けて血の縁を結んだなら自分の性格の複雑さも増す思いで、分身を雲の彼方にも遺す思いで、自分はどのようにかこの世に足り足らいつつ眼が瞑れることだろう。翁に、末のこどもの姉と弟があった。深く寵愛していたのでまだどこの山へも送らず、手元で養っていたのであるが、翁はとうとう決心した。翁は姉と弟を取って東路《あずまじ》へ帰る旅人の手に渡した。翁は眷属《けんぞく》の繁栄のため、そのおもい子を遥なるまだ見ぬ山の麓へおもい捨てた。

 自然に冥通の人間の上に、自然が支配する時間の爪の掻き立て方は人間から緩急調節できた。翁の上に幾たびかの春秋が過ぎた。けれども、翁の齢《よわい》の老《おい》に老の重なるしるしらしいものは見えなかった。翁は相変わらず螺の腹にえび[#「えび」に傍点]蔓の背をしてこそおれ、達者で、あさけ夕凪には戸外へ出て、山々の方を眺めた。そして心の中で、わが眷属は、分身は、性格の一面は、と想った。想う刹那《せつな》に、山々の方から健在のしるしの応《うけ》答えが翁の胸をときめかすことによって受取られた。翁は手をその方へ掲げて、彼等を祝福した。
 ただ東国の方へ遺った、まだ見ぬ山に棲める筈の姉と弟の方からは、翁のこれほどの血の愛の合図をもってしても何の感応道交も無かった。翁は白い眉を憂げに潜め
「除汝《なおきて》、除汝《なおきて》、はや」
 そういって力なく戸の中に戻った。
 空間といえども自然の支配下のものであろう。自然に冥通を得た翁の、僅にあずまと離れた空間の隔りに在る二人のいとし子に冥通の懸橋をさし懸けられぬいわれはなかった。だが翁の心に於て、まず最初に、こどもの存否を気遣う疑念があった。懐疑、躊躇《ちゅうちょ》、不信、探りごころ――こういう寒雲の翳は、冥通の取持つ善鬼たちが特に働きを鈍らす妨げのものであった。この翳が心路の妨げをなすことはただ[#「ただ」に傍点]人同志の間にもあることであろう。危む相手にまごころをば俄《にわか》にはうち出しにくい。
 翁は謙遜《けんそん》な人であった。たとえ長寿を保つことに自在を得ているにしろ、翁は人並を欲した。翁はこの時代の人寿のほどを慮《おもんばか》っておよそこれに做《なら》おうとした。その目安をもって計るに、もはやわが期すべき死は生き行きつつあるいまの日よりだいぶ前に過ぎ越している。翁は苦笑しながら直ちにも雲を変じ巌に化しても大事ないとは思った。しかし人間に居し人情を湛えた生涯を尽す最後の思い出にはどうか東国に送った二人のこどもの身の上を見定めてからのことにしたいと考えた。すでに死を期しては月色に冴えまさり行く翁の心丹に一ひら未練の情がうす紅色に冴え残った。翁は意識にこれを認めると、ぽたりぽたりと涙を零した。
 翁は、螺の腹にえび蔓の背をしたまま旅の餉《かれいい》を背負い、杖を手にして東路に向った。妻は早く死に、陽のさす暖い山ふところの香高い橘の木の根方に泰《やす》らかに葬ってある。もはやうしろ髪ひかるる思いのものは西国には何ものも無かった。

 鶏《とり》が鳴いて東《あずま》の国の夜は開けかけた。翁はきょうこそ見ゆれと旅路の草の衾《ふすま》から起上がった。きょうもまた漠々たる雲の幕は空から地平に厚く垂れ下り、行く手の陸の見晴しを妨げた。風は ビョウビョウ
《びょうびょう》たる海面から吹き上げて来て空の中で鳴った。風の仕業《しわざ》か雲の垂幕は無数の渦を絡み合せながら全体として、しずかにしずかに、東の方へ吹き移されて行く。いくら吹き移されても雲の垂幕は西のあとから手繰《たぐ》られて出た。翁は目あての山の一つが見える筈の東国へ足を踏み入れてから毎日この雲の垂幕に向って歩んでいる。山の祖神《おやのかみ》の翁はその冥通の力をもって、これはこの山は物惜しみする中年女の山なのではあるまいかと察した。また恥かしがりやの生娘の山なのではあるまいかとも思った。西国の山にかけては冥通自在な翁も、東国へ足を踏み入れ東国の山に対するとき、つい不勝手な気がしてその冥通の働きをためらわした。そこに判断を二亙《ふたわた》らす障《さわ》りがあった。
 季節は初冬に入っていた。旅寝の衣には露霜が置いていた。翁は湿り気をふるって起上った。僅かに残っている白い鬢髪からも、長く垂れた白い眉尖からも雫が落ちた。雨風に曝され見すぼらしくなった旅の翁をどこでも泊めようとしなかったのだ。翁は煩わしく雫を払いながら朝餉《あさがれい》を少し食べた。持ち亙って来た行糧ももはやほとんど無くなっていた。翁は朝餉を食べ終ると冷えた身体を撫でさすりいささかの暖味に心を引立たして貰って、きょうの旅路の踏出しにかかった。
 鶏はおちこちで鳴き盛って来たが、行く手の垂れ雲は晴れようともしなかった。捲き返す浪打際のいさごを踏んで翁はとぼとぼと辿《たど》って行った。海上の霧のうすれの明るみに松の生え並ぶ白州の浜が覗かれた。翁は島かとも見るうちにまた霧に隠れた。
 その日の夕近く、翁は垂れ雲を左手にした、垂れ雲の幕の面を平行する行路の上を辿るようになった。落日の華やかさもなく、けさがたからの風は蕭々《しょうしょう》と一日じゅう吹き続けたまま暮れて行くのであるが、翁には心なしか、左手の垂れ雲の幕の裾が一二尺|掠《かす》り除《のぞか》れて行くように思われた。あたりが闇に入る前に、翁はその幕の掠り除れた横さまの隙より山の麓らしい大ような勾配を認めたように思った。
 草枕、旅の露宿に加えて、夢も皺《しわ》かく老の身ゆえに、寝覚めがちな一夜であるのはもっとものことだが、この夜は別けて翁をして寝付かれしめぬものがあった。翁は興奮に駆られて自ら歓びをたしなめる下からまた盛り上る歓びにうたた反側しながら呟いた。
「山近し、山近し」
 と。
 あくる日は翁は一日歩いて、また一二尺掠り除かれた雲の裾から山の麓《ふもと》を、より確かに覗き取ったが、歩めども歩めども山の麓の幅の尽きらしい目度《めど》を計ることができなかった。
 年寄の歩みはたどたどしいにしても翁は次いで三日も歩んだ麓の幅を計ることはできなかった。
 これはひょっとしたらいくつかの山の麓が重り合っているのではないかと翁は疑った。でなければ、麓の丸の縁《へり》に取り付いてぐるぐる廻りをしているのではあるまいかとも思った。
 雲の裾は、今度は数間の丈けに掠り除られ、そのまま止まって少しも動かなくなった。その拡ごりの隙より、今や見る土量の幅は天幅を閉《ふた》ぎて蒼穹は僅かに土量の両|鰭《ひれ》に於てのみ覗くを許している土の巨台に逢着した。翁は呆《あき》れた。これが普通いう山の麓であることか、おおらおおら。
 翁は、慄えながら行き合せた野の人に訊ねた。そして、山は福慈岳《ふくじのたけ》、います神は福慈神《ふくじのかみ》というのであると教えられた。

 たそがれは天地に立籠め、もの皆は水のいろに漂いはじめたが、ただ一つ漂わされぬものがあって山ふもとの薄明りの野に、一点の朱を留めていた。それは庭の祭りのかがり火であった。神楽《かぐら》の音も聞えて来る。
 かがり火は、薪木の性と見え、時折、ぷちぱちと撥ね、不平そうに火勢をよじりうねらすが、寂莫たる天地は何の攪《か》き乱さるる様子もなく、天地創ってこのかた、たそがれちょうものの待つ、それは眠るにも非ず覚めたるにも非ざる中間に於て悠久なるものを情緒に於て捉《とら》えようとするかれ持前の思惟の仕方を続けている。水のいろをかがり火のまわりに浸して静に囲んでいる。
 かがり火も張合いがなく、まもなく火勢をもとの蕊《しべ》立ちの形に引伸し焔《ほのお》の末だけ、とよとよとよとよと呟かしている。神楽の音が聞えて来る。
 晩秋の夕の露気に亀縮《かじか》んだ山の祖神《おやのかみ》の老翁は、せめてこのかがり火に近寄ってあたりたかったが、それは許されないことである。今宵のこの庭のかがり火は純粋な神のみが使う資格のある聖なる祭の火であった。一点の人情をつけて恋々西国より東国へ娘の生い立ちにを見に下った螺の如き腹にえび蔓のような背をした老翁は、たとえ自然には冥通ある超人には違いないが、なお純粋の神とはいわれなかった。生きとし生けるものの中では資格に於ていわば半人半神の座に置かるべきものであった。
 娘の福慈《ふくじ》の神もそれをいい、純粋の神の気を享けて神の領から今年、神がはじめてなりいでさせ給うた神のなりものによって純粋の神を餐《あえ》まつることのよしを仲立に、一元に敏《と》く貫くいのちの力により物心両様の中核を一つに披《ひら》いて、神の世界をまさしく地上に見ようとする純粋にも純粋を要する今宵の祭に、鶏の毛ほどでもこと[#「こと」に傍点]人の気のある生けるものは、たとえ親でも遠慮して欲しいといった。娘の神が神としていちばん大事な修業をする間、少しでも娘の気を散らさないよう、爪の垢《あか》ほどの穢《けが》れを持来さしめぬよう心懸けて呉れるのがほんとの親子の情だといった。
 山の祖神は、山の裾野へさしかかって四日目にもう一日歩いて、たそがれ、かがり火を認めてたずね寄ったのではあったが――
 東の国のまだ見ぬ山へ、神として住みつきもやすると思い捨てた覚悟のもとに旅人に托けて送った末の娘が、思い設けたより巨岳の山の女神となって生い立ちなりわいつつあるのに、山の祖神は首尾よくめぐり会ったには違いないが――
 その夕は相憎《あいにく》とこの麓の里で新粟を初めて嘗むる祭の日であり、娘の神の館は祭の幄舎《あくしゃ》に宛てられていた。この祭には諱忌《きき》のあるものは配偶さえ戸外へ避けしめる例であった。生みの親の、その肉親の纏白《てんぱく》の情は、殊に老後の思い出に遥々たずね当った稀《まれ》なる歓びは心情の捻纏を一層に煩わしくしよう。娘の神は父の老翁に、こういう慮りから、宿は村里の誰かの家へ取ってあげますから、祭の今夜一夜だけは自分の家をば遠慮して欲しいと頼んだのであった。
 翁のふる郷の西国の山々にも新粟を初めて嘗むる祭はあった。しかしかかる純粋と深刻さで執り行う祭を、修業としての心得を、翁は東国へ来て生い立った娘の神からして始めて聞いた。
 翁は娘の神が口にしたこと[#「こと」に傍点]人という言葉をしきりに気にした。遥々尋ねて来た生みの親に向ってこと[#「こと」に傍点]人だという。何という薄情な娘なのだろう。しかしわけを聞いてみればその道理もないことはない。ふる郷を立つときから紅色に萌し始めた人情の胸の中の未練のほむらは子の慕わしさにかき立てられ旅の憂さに揺り拡げられ、こころ一面に燃え盛っている。福慈の神に出会い一目それをわが娘と知るや無我夢中になってしまって、矢庭《やにわ》に掻き抱こうとした旅塵の掌で、危うく白妙《しろたえ》の斎《いつき》の衣を穢《けが》そうとして、娘に止められて気が付いたほどである。これからしてみれば、一夜の間は心を静め澄さねばならない女神の斎《いつき》の筵《むしろ》にかかる動きゆらめくものが傍におることは親とはいえ娘の神の為めにならないことは判り切った話だ。ならば娘の神のいう通り村里へ下って娘の神のいい付けて呉れた誰かの家へ行って泊ってもやり度い。だが翁にはそれはできなかった。
 娘の神が自分をこと[#「こと」に傍点]人といったのは今夜の神聖に対し一夜だけのことにしていったのであろうか、それとも幼くして遥な国へ思い捨てた父に対しての無情の恨みの根を今も深く持ち添えそれでいったのであろうか、それが気になった。前の方の理由からならば一夜ぐらい離れていることはとかくに辛棒はしてもいい。しかし後の方の理由からとしたならこれは卒爾《そつじ》には済まされんことだ。そうしたことには山の祖神として自分にわけも気持もあってしたことの解き開きを娘の神にとくと諾《うなず》かして、根に持つ恨みを雪解の水に溶き流さすまではかの女の傍からは離れられない。そのことで今世の親子の縁は切られ度くない。そう思ってかさにかかって翁の娘の神に詰め寄りなじりかかろうとする刹那に神楽の音が起り祭が始ってしまった。本意なくも庭外まで退いたのであったが。腹はむしゃくしゃすると同時に堪えぬなつかしさの痛み、悔いないでよいことへの悔い――そういったことでごちゃごちゃになっていた。せめて娘の姿の望まれるところでしばらく心を宥《なだ》めよう。それにしても子というものは、しばらく離れてめぐり会った子というものは何と人間のような血の気を神の胸にも逆上さすものであろう。これが大自然に対しては冥通自在を得た山の祖神ともいわれるものの心行かよ。翁は庭のはずれの台のところに来て蹲《うずくま》りながら苦笑した。
 台の傾斜からは麓の野を越して、たそがれの雲の帳《とばり》が望まれた。上見ぬ鷲の翔らん天ぎわから地上へかけて雲の帳は相変らずかけ垂れていたが、深まり来るたそがれの色にあらがうように帳の色は明るく薄れ行きつつある。それにつれて帳の奥の福慈岳《ふくじのだけ》の姿はいまや山の祖神の前に全積を示しかけて来た。祖神の翁は片唾《かたず》を呑んだ。
 およそ山を見るほどのものの胸には山の高さに対して心積りというものがある筈である。見るほどのものはあらかじめの心積りの高さを率て実山に宛嵌《あては》め眺めるのであった。実山の高さが見るものの心積りの高さにかなりの相違があっても、全然見るものの心積りを根底から破却し去らない限り、そこに観念なるものと実在なるものと比較し得られる桟《かけ》はしがあってその上に立ち見るものをして両端の距りを心測して愕《おどろ》きの妙味を味い得しめるよすががある。ここにもし実在が観念と別な世界ほどの在りようで比較の桟はしを徹し去らるるときわれ等の心路は何によって味覚に達すべき。かかるとき愕きもない平凡もない。強いていおうならば北斗南面して看るという唐ようの古語にでも表現を譲《ゆず》るより仕方はあるまい。
 さて、山の祖神の老翁は、雲の帳に透く福慈岳の全積を、麓の方から目途を攀らして頂《いただき》へと計って行った。麓の道を横に辿《たど》ってその幅によりこれは只事でないと感じ取った翁の胸には、福慈岳の高さに就ても、その心積もりに相当しんにゅう[#「しんにゅう」に傍点]をかけたものを用意していた。翁はそれを目度《めど》に移して山の影を見上げて行った。翁は息を胸に一ぱい吸い込み思い切り見上げたつもりでそこで眼を止めた。山の峯はまだそこで尽きようともせぬ。翁の息の方が苦しくなった。翁はそこであらためて息を肺に吸い更え、もそっと上へ目度を運び上げて行った。
 また息の方が苦しくなったけれども山の高さは尽きようともしない。螺の腹でえび蔓の背をした老いの身体は後の丘の芝にいまや倒れるばかりに仰向いて天空を見上ぐるのであった。
 それかあらぬか、翁は天宙から頭上へ目庇《まびさし》のように覆い冠って来る塩尻の形の巨きな影を認めたかに感じた。そのときもはや翁の用意していた福慈岳に対する高さの心積りはあまりの見込み違いに切って数段に飛ばし散らされていた。翁は身体を丘の芝に上から掴み押えられた窮屈な形を強いて保ちながら愕き以上のものに弄《なぶ》られている。翁に僅に残っている頭の働きはこういうことを考えている。これが同じ地上に在って眺めらるものの姿であるのか。この仰ぎ見る天空の頂は麓の土とどういう関係に在るのか。麓はよし地上の山にしろ、頂はそれに何の縁もない雲に代って空から湧くまた一つの気体の別山なのではあるまいか。南の海の※[#「虫+亢」、279-10]螺《ごうら》が吐くという蜃気が描き出す幻山のたぐいではあるまいか。幻山を証拠立てるよう塩尻がたの尖から何やら煙のようなものの燻《くすぶ》り出るのが見えるようでもある。
 薄れ明るむ雲の垂れ幕とたそがれる宵闇の力とあらがう気象の摩擦から福慈岳の巨体は、巨体さながらに雲の帳の表にうっすり浮出で、または帳の奥に潜って見えたりする。何という大きな乾坤《けんこん》の動きであろう。しかも音もなく。呆れた夢に痺《しび》れさせられかけていた翁の心は一種の怯えを感ずるとぶるりと身慄いをした。翁の頭の働きはやや現実に蘇《よみがえ》って来る。
 翁は西国に於て、山ちょう山により自然と人間のことはほとんど学び尽し、性情にもあらゆる豊さを加えたつもりでいた。また永い歳月かかって体験から築き上げた考えと覚悟はもはや何物を持って来ても壊せず揺ぎないものと思っていた。ところがいま、模索した程度に過ぎないものの、福慈岳の存在に出遇ってみると、それ等のものは一時にけし飛び、自分なるものを穴に横匍う蘆間の蟹のように畸形にも卑小に、また、経めぐって来た永い歳月を元へ投げ戻されてただ無力の一|孩児《がいじ》とにしか感じられない。
「これは何ということだ。上には上があるものだ」
 翁は人の世の言葉ではじめてこういった。物の絶大の量と絶大の積は説明なくしてそれが一つの力強い思想として影響するものであることを翁は悟らせられた。
「負けたよ」
 翁はこうもいった。
 山と山神とは性格も容貌も二つに分つべからざる関係を持つことは翁が西国の諸山に間配って諸山の山神に仕立てた自分の子供たちによって知れるところのものである。この山の岳神となったわが娘福慈神の性格が果してこの山の如くならば、自分がこの娘に対して抱く考えも気持もまるで見当外れである。およそ桁《けた》が違っていよう。そしてまた西国の諸山と諸山に間配った自分の子どもたちの性格はおよそ山の祖神自身の性格の中に在るものであり、たとえ無かったものにしろそれは新に嚥《の》み入れて自分の性格の複雑さを増し得た程度の積量のものであった。それゆえ自分はかれ等を分身と思い做され、総ての上に臨んで自分は山の祖神であったのだが、いまこの山の娘の神に向ってはまるでそういうこともそうすることも覚束《おぼつか》なくも思われる。
「この山は嚥み切れない。もしもそうしたなら、自分の性格の腹の皮の方が裂けよう」
 翁はいまにもそれを恐れるように大事そうに螺の如き自分の腹を撫でた。
 夕風が一流れ亙った。新しい稲の香がする。祭の神楽の音は今|将《まさ》に劉喨《りゅうりょう》と闌《たけなわ》である。
 翁が呆然眺め上げる福慈岳の山影は天地の闇を自分に一ぱいに吸込んで、天地大に山影は成り切った。そう見られる黝《くろず》み方で山は天地を一体の夜色に均《なら》された。打縁流《うちよする》、駿河能国《するがのくに》の暮景はかくも雄大であった。

 神の道しるべの庭のかがり火は精気を増して燃えさかっている。
 山の祖神の翁は、泣いていいか笑っていいか判らない気持にされながら、かがり火越しに幄舎《あくしゃ》の方を観る。
 わが子でありながら超越の距《へだた》りが感じられる福慈の神は、白の祭装で、※[#「木+若」、第3水準1-85-81]机《しもとづくえ》に百取《ももとり》の机代《つくえしろ》を載せたものを捧げ、運び行くのが見える。
 長なす黒髪を項《うなじ》の中から分けて豊かに垂れ下げ、輪廓の正しい横顔は、無限なるものを想うのみ、邪《よこしま》なる想いなしといい放った皎潔《きょうけつ》な表情を保ちながら、しら雲の岫《くき》を出づる徐《おもむろ》なる静けさで横に移って行く。清らかな斎《いつき》の衣は、鶴の羽づくろいしながら泉を渡るに似て爽かにも厳《おごそ》かである。
 蛍光のような幽美な光りが女神の身体から照り放たれ、その光りの輪廓は女神の身体が進めば闇に取り残され、取残されては急いで、進む女神の身体に追い戻る。
 常陸《ひたち》の国の天羽槌雄神が作った倭文布《しずり》の帯だけが、ちらりと女神の腰に艶なる人界の色を彩《あやど》る。
 翁はわが子ながら神々しくも美しいと見て取るうち、女神の姿は過ぎた。
 娘の神が捧げて過ぎた机代のものの中で、平手《ひらて》に盛った宇流志禰《うるしね》の白い色、本陀理《ほだり》に入れたにいしぼり[#「にいしぼり」に傍点]の高い匂いが、自分に絶望しかけて凡欲の心に還りつつある翁の眼や鼻から餓えた腸にかぐわしく染みた。
 翁はから火を見ながらかさかさ乾いて亀縮《かじか》む掌を摩り合わせて「娘が子というものは」と考えた。
「手頃の育て方をして置くものだ」
 と、これは口に出していった。
「あの娘は、あまり偉くなりすぎたよ」
 口惜しさと悔いがぎざぎざと胸を噛んだ。
「あれじゃ、まるで取り付くしまもありはしない」
 ふと、翁にふる郷の西国の山と山神が懐しまれた。あれ等のものにはつんもりとした、ちょうど愛の掌で撫で廻される手頃なものがある。それ等の山には背があれば必ず山隈や谷があった。そのようにこどもの山神たちにも秀でた性格の傍、叱りたしなめはするがそれによってまた憐れみがかかり懐き寄せられもする欠点なるものがあるのだったが。
 この山の娘にはそれが無い。美しく偉いだけで親さえ親しめる隙が無さそうである。
「この娘を東国へ旅人の手に托《かず》けて送ったときの気持に戻って、いっそ、この娘を思い捨てるか。それにしてはこれだけになったものを、あまりに惜しい気もする。第一、山神の眷属の中からこれ程の女神を出したことは、山の祖神としていかなる気持の犠牲を払っても光栄とすべきではないか」
 そう思うまた下から、親ごころの無条件な気持でもって「娘よ」と呼びかけても、かの女の雪膚の如き玲瓏《れいろう》な性情に於て対象に立ち完全そのものの張り切り方で立ち向われて来るときの、こなたの恥さえ覚えるばかりの手持無沙汰を想像するとき、やはり到底、親子としては交際《つきあ》い兼ねる女なのではあるまいかと、懸念がすぐ起って来るのでもあった。
 とつおいつ思いあぐねるうち、いよいよ無力の孩児《がいじ》としての感じを自分に深めて来た老翁は、いまは何もかもかなぐり捨て、ひたすら娘に縋《すが》り付き度くなった。それは福慈神に向って娘としてよりも母らしいものへの寄する情に近かった。偉れて立優っているこの女神に対しこの流れの方向の感情に心を任せるとき、却って気持は自然に近いことを老翁は発見した。
 女神が捧げものを徹して持ち帰る姿が望まれた。
 翁は堪られなくなって声をかけた。
「娘よ。福慈神よ」
 それは始めから哀訴の声音だった。
 女神の片眉が潜められたが声は美しく徹っていた。
「あら、まだ、そこにいらっしゃいますの。お寒いのに、なぜ、おとり申上げた村里の宿へお出でになりませんの」
 翁は頑是《がんぜ》ない子供が、てれながら駄々を捏ねるように、掌に拳を突き当てつつ俯向《うつむ》き勝ちにいった。
「寂しいんだよ」
「では、どうして差上げたらよろしいのでございましょう」
「どんな端っこでもいい、おまえの家へ泊めとくれよ」
 翁の声は小さかったが強訴の響は籠っていた。「おまえの居ると同じ屋の棟の下にいれば気が済むのだから、決して祭りの邪魔はしないのだから」
「それが、おさせ申上られないことは、お出でにすぐ申上げたではございませんか。無理を仰《おっ》しゃっては困りますわ」
 娘の声は美しく徹ったまま、山が頂より麓へ土を揺り据えたように、どっしりとした重味が添わって来た。その気勢に圧せられた翁は、却ってあらがう気持を二つ弾のような言葉で、あと先立て続けに女神へ向けて放った。
「情のこわい女だぞ」「何をまだ、この上、親を断っても修業の祭をしようというのだ。いやさ、これほど出来上った山やおまえに何の力や性格を増し加えようというのだ、慾張り」
 女神は、しばらく黙って父の翁のいう言葉の意味の在所を突き止めていたが、やがて溜息をついたのち、静にいった。
「結局、おとうさまは、山の祖神の癖にこの福慈神だけはお知りになっていないことに帰着いたしますわね。よろしゅうございます、暁の祭までにはまだ間の時刻もございます。お話いたしましょう」
 といって、ちょっと美しく目を瞑り考えを纏《まと》めているようだったが、こう語り出した。
「おとうさま、この福慈岳は火を背骨に岩を肋骨《ろっこつ》に、砂を肉に附けていて少しの間も苦悩と美しさと成長の働をば休めない大修業底の山なのでございますわ。見損じて下さいますな」
 雨気が除かれたかして星が中天に燦《きら》めき出した。天空より以下巨大な三角形の影をもちて空間を阻み星が燦めきあえぬ部分こそ夜眠の福慈岳の姿である。頂の煙のみ覚めてその舌尖は淡く星の数十粒を舐《ねぶ》っている。

「わたくしが」
 と福慈の女神は静に言葉をついだ。女神の顔は氷花のように燦めき、自然のみが持つ救いのない非情と、奥底知れない泰らかさとが、女神の身体から狭霧のようにくゆり出す。
 岳神が変貌して、そしてこういうふうに言い出すとき、その「わたくし」は、最早岳神みずからのことを指すのではなかった。岳神が冥合しているところの山そのものを岳神の上で語らしめるその「わたくし」であった。
 山の祖神はさすがに、それとすぐ感じ取り、啓示を聴く敬虔《けいけん》な態度で、両の掌を組み合せ、篝火《かがりび》越しに聴こうとする。組んだ指の一二本だけ、組み堅め方を緩めて、ひょくひょく蠢《うご》めかしているのは、娘が何を言い出すことやらと、まだ、親振った軽蔑の念と好奇心と混ったものを山の祖神がいささか心に蓄えていることの現れと見れば見られる。
「わたくしが、わたくし自身を知ったということの誇らしさ、また、辛さ。それを何とお話したらよいでございましょう。判って頂ける言葉に苦しみます。ここでは、ただそれが、いのちを張り裂くほどの想いのもので……而《し》かも、たとえ、いのちが張り裂けようとて、心は狂いも、得死ぬことすら許されず、窮極の緊張の正気を続けさせられるという気持のものであるというぐらいしか申上げられないのを残念に思います」
 と言って、女神は、ここで溜息を一つした、白い息が夜気に淡くにじんだ。
「わたくしが、物ごころついた時分からでも、この大地の上に、四たびほど、それはそれは永く冷たい歳月と、永く暖かい歳月が、代る代る見舞うたのでありました」
 冷たい時期の間は、鈍《おぞ》く寒い大気の中に、ありとあらゆるものは、端という端、尖という尖から、氷柱《つらら》を涙のように垂らして黙り込んでいた。暖かい時期の間は、このわたりの林の中にもまめ[#「まめ」に傍点]桜が四季を通して咲き続け、三光鳥のギーッギーッという地鳴き一年じゅう絶間なかった。
「そして只今、この大地は、四度目に来た冷い時期の、そのまた中に幾たて[#「たて」に傍点]もこまかく冷温のきざみのある、ちょうどその二つ目の寒さの峠を下り降った根方の陽気の続いている時期にあるのでございます」
 まめ[#「まめ」に傍点]桜はひと年[#「ひと年」に傍点]の五月に一度咲き、同じその頃、三光鳥はこの裾野の麓へ来て鳴く。生けるものにはここしばらく住み具合のよい釣合いのとれた時期の続きであるだろう。
「この大地は、島山になっております。蜻蛉《あきつ》の形をしたこの島山の胴のまん中に、岩と岩との幅広い断《き》れ目の溝があって、そのあわいから、わたくしは生い立たせられつつあるのを見出したのでした」
 西の海を越えて、うねって来た二つの大きな山の脈系、それは島山の胴の裂け目を界にして南北に分けられる。そのおのおのには、内側のものと外側のものとの脈帯の襞《ひだ》が違《たが》っている。それすら、複雑|蟠纏《ばんてん》を極めているのに、下より突き上げ上から展《の》し重なるよう、十一の火山脈が縦横に走る。
 かくて、この島山は、潮の海から蜻蛉型に島山の肩を出すことが出来たのであった。重ね重ねの母胎の苦労である。その上、重く堅い巌《いわお》を火の力により劈《つんざ》き、山形にわたくしを積み上げさせたということは、仇《あだ》おろそかのすさびに出来る仕事ではない。非情の自然が、自らその頑《かたくな》な固定性に飽いて、抗《あらが》い出た自己嫌悪の旗印か、または非生の自然に却って生けるものより以上の意志があって、それを生けるものに告げようとする必死の象徴ででもあるのであろうか。
 あるべきもののある理由は、そのものになり切ったものにしてはじめて頷《うなず》けるほど、深刻なものであるのであった。山一つさえその通り――
「まだそのときのわたくしは、きしゃな細火を背骨にし、べよべよ撓《しな》るほどの溶岩を一重の肋骨として周りに持ち、島山の中央の断《き》れ目から島地の上へ平たく膨れ上っただけの山でした」
 世の中は、ただうとうとと、あま葛の甘さに感じられた。ただひとりぽっちが寂しかった。
 幼い青春が見舞った。「環境《わたり》」と「誰《た》」を感じた。突き上げて来た物恋うこころ。自らによって他を焼き度く希う情熱をはじめて自分は感じた。
 自分は眩暈《めまい》がして裂けた。息を吹き返して気が付いたときに、自分は見る影もない姿に壊れていた。胸から噴き流れて凝った血が、岩となって二枚目の肋骨としてまわりに張っていた。
 自分は泣く泣く砂礫を拾って、裸骨へ根気よく肉と皮を覆うた。
 しばらく、爽かで湛えた気持の世の中が見廻わせた。自分は第二の青春を感じた。
 同じく物恋うるこころ、それには、「疑い」と「恥かしさ」が、厚い殻となって冠っていた。それをしも押しのけて、自らによって他を焼き尽そう情熱、自分はまたしても眩暈《めま》いがした。裂けた。息を吹き返して気が付いたときに、自分は醜い姿に壊れていた。けれども自分の胸から噴き流れて凝った血は、三枚目の肋骨となって、まわりに張っていた。自分は泣く泣く砂礫を拾って裸骨へ根気よく砂礫の肉と皮を覆った。
 しばらく、物|憂《う》く、嫉《ね》たく、しかも陽気な世の中が自分に見《まみ》えた。自分は娯しい中に胸迫るものを感じ続けて来た。
 第三の青春を感じた。
 同じく物恋うるこころに変りはないけれども、自分はそれにも増して、「知る」ということの惧《おそ》ろしさとうれしさを始めて感じ出した。これほどに壊れても裂けても、また立上って来る自分。蘇っては必死に美しさに盛返そうとするちから[#「ちから」に傍点]。これは一体何だろう。他と競いごころを起すこの自分は一体何だろう。自分を自分から離して、冷やかに眺めて捌《さば》き、深く自省に喰い入る痛痒《いたがゆ》い錐揉《きりも》みのような火の働き、その火の働きの尖は、物恋うるほど内へ内へと執拗《しつこ》く焼き入れて行き、絶望と希望とが膜一重となっている胸の底に触れたと思ったとき、自分はまた裂けた。蘇って壊れた自分を観ると、そこにはまた第四の肋骨が出来上っていた。
 自分はそれに砂礫の肉と皮をつけた。
 しばらく、明暗が渦雲のように取り組む世の中に眺められる。自分を剖《さ》き分けて、近くへ寄ってみれば、焼石、焼灰の醜い心と身体、それは自分ながら吐き捨ててしまい度いようである。けれども、やっと取り纏めて、離れて眺めみれば、芙蓉のように美しく、「誰《た》」を魅する力があるもののようでもある。それにつれて、希望《のぞみ》という虹がうつらうつら夢みられて来る。
 美しくも力強い希望《のぞみ》。だが果して、その希望を実現し得られる力が自分の中にあるのだろうか。その力としてありそうに思える火の背梁だけは確に逞しくなっている。
 しかしまたこの大きな虹のような希望を捉えようと考え出したことがおおそれた想いのようでもあり、身体に激しい慄えが来る。かくてまたもや自分は裂けた。
「わたくしは只今、最初から数えて八枚目の肋骨まで出来ております。わたくしの身体の根は、この島山の北の海岸にひき、また南は遠い南の海の硫黄を吐く島までひいています。わたくしの身体の続きの上で同じく火を吐く幾つかの眷属。この島山に小さいながらも姿は等しい三十余の山々。それ等はみなわたくしを母のようにしております。わたくしに較ぶ山はございません。わたくしは確かに選まれたという自覚を今更どう取り消しようもございません。それにつれて、幼ない競い心も除かれました。選まれたということの孤独の寂しさ、また晴れがましさ、責任の重苦しさと権利の娯しさ。
 ですが、折角ここまで育ち上ったものに、またもや成長の破壊が来て、これからさき何度も死ぬような思いをするのはまだしものこと、女の身として、一度々々あの醜さになるのを自分の眼でまざまざと見なければならないということは、考えてもぞっといたしますわ」
 可哀そうに唖《おし》のような自然、それでいて、意志だけは持っている。その意志を人によって表現したがっている。一体、人というものは懶《なま》けもので、小楽《こらく》をしたがる性分である。驚異を与えないでは動かない。この島山に住む人は、山のわたくし同様、驚異でいのち[#「いのち」に傍点]に傷目をつけられ、美しさにいのち[#「いのち」に傍点]の芽を牽出され、苦悩に扱《しご》かれて、希望へと伸び上がらせられなければならない。
「わたくしは、それを人に伝えるために選まれました。
 父よ。あなたが、山の神の眷属としてわたくしを、ただ眷属中での褒められ者として育つのを望んだ娘は、この福慈岳に籠れる選まれた偉大ないのち[#「いのち」に傍点]の中に綯《な》い込められ、いまや天地大とも久遠劫来のものとなってしまいました。いまや娘はあなたの望まれる程度に程良くなることも、娘子として可愛らしくあることも出来ません。それはどんなにか悲しいことでしょうが、運命です。仕方ありません。おとうさま、あなたはもう一度娘を東国へ思い捨てた気持になって、わたくしを思い捨てて下さい。さあ、暁が白みかけました。わたくしは、暁の祭りにいそしまねばなりません。早く、取って差上げた村の宿屋へおいでになって、お寝《よ》って下さいまし。いつでもそうしておいでては身体にお毒ですわ。あしたは、もっとゆっくり、これに就てのお話も出来ましょうから」
「わしゃ、偉大なものへ生命を賭けることは大好きなのじゃよ。わしは最愛のこどもでそれをした。その愛別離苦の悲しみや壮烈な想いで、わしの腸はこんなに螺の貝のように捻じ巻いたのじゃないか」と山の祖神の翁は負けん気の声を振り立てていった。「だが、親子の縁は切り度くないもんじゃよ」
 とその言葉の下から縋り声で寄り戻した。
「あなたは生みの親、わたくしのいのちの親は、このあめつちと、この島山の人々。もはやあなたとわたくしを継ぐとか切るとかいうせきは放れております」と女神は淡々としていった。
「あなたが、わたくしを思い捨てなさるほど、わたくしはあなたに親しい愛娘になりましょう。その反対に、あなたが一筋でも低い肉親の血をわたくしにおつなぎのつもりがあったら、それは却ってわたくしから遠ざかりなさることになるのです。お判りになりませんか」
「わしが、おまえを東国へ思い捨てた歳からいま娘になるまでの歳月を数えてみるのに、いくら山の神々の歳月は人間の歳月と違うにしろ、数えて額《たか》が知れている。それを何十万年何百万年の生い立ちの話をするなんて、あんまり親をばかにし過ぎるぞ。……いくらこの山の座り幅が広いたって、三国か四国に亙っているに過ぎまい。それを海山遠く取入れた話をするなんて、あんまり大袈裟《おおげさ》だぞ。女の癖に」
 山の祖神のこういうたしなめ方に対し福慈の女神はもう何ともいわなかった。
「おい、娘、何とかいわんかい」
 と催促されてもうそ[#「うそ」に傍点]寒そうに袖の中に手を入れ合して立っているだけだった。
 山の祖神は
「こいつ氷のように冷たいおなごじゃねえ」
 といった。
「よし、きさまがそういう料簡《りょうけん》なら、こっちにもこっちの料簡がある」
 といい放った。
 山の祖神の翁に、噎返《むせかえ》るような怒りと愛惜の念、また、不如意の口惜しさ、老いて取残されるものの寂しさがこもごも胸に突き上げて来た。
 翁はじっとしていられなくなって廻された独楽《こま》のように身体のしん[#「しん」に傍点]棒で立上った。娘をはたっ[#「はたっ」に傍点]と睨《にら》み、焦げつく声でいった。
「よし、こうなったら、やぶれかぶれ。おれはきさまを詛《のろ》ってやる。金輪際《こんりんざい》まで詛ってやる。今更、この期になってびくつくまいぞ」
 娘の冴えまさる美しい顔を見ると、その毒心もつい鈍るので翁は眼を娘から外らしながら声を身体中から振り絞るべく、身体を揉み揺り地団太《じだんだ》踏みながら叫んだ。
「福慈の山、福慈の神、おまえは冷たい。骨の髄に浸みるまで冷たい。えい、冷たいままで勝手におれ、年がら年中冷たい雪を冠っておるのがいいのさ。草木も懐かぬ裸山でおれ。凍るものから、餌食を見出して来やがれ」
 ぺっぺっぺっと唾を三度、庭に吐き去りかけたが、ふとそこに落ちている小石の一つを拾って手早く懐に納め、
「ざまを見よ。やあいやあい」
 といって出て行った。
 この山の祖神の福慈の神に対する呪詛の言葉を常陸風土記では、
 汝所[#レ]居山、生涯之極、冬夏雪霜、冷寒重襲、人民[#レ]不登、飲食勿[#レ]奠者
 という文字で叙している。またこれにより富士は常に白雪を頂き、寒厳の裸山になったのだ、と古常陸地方の伝説は構成している。

 東国へ思い捨てたこどもに邂逅《めぐりあ》う望みを、姉の福慈岳の女神に失望した山の祖神は、せめて弟に望みを果し度いものだと、なおも東の方を志して尋ね歩るき出した。姉に訊いたら、あるいは消息を知ったかも知れないが、薄情を怒るどさくさ紛れに、つい訊くのを忘れたのを今更残念に思うものの、取って返して訊き直すこともならない。山の祖神の翁は行き合う人に訊ねることを唯一の手がかりにしてひたすら東の方にある山を望んで足を運ばせた。
 行糧の料はすでに尽き、衣類、履ものも旅の責苦に破れ損じた。この身なりで物乞うては餓を満たして行く旅の翁を誰も親切には教えて呉れなかった。
 足柄の真間の小菅を踏み、箱根の嶺《ね》ろのにこ草をなつかしみ寝て相模《さがみ》へ出た。白波の立つ伊豆の海が見ゆる。相模|嶺《ね》の小嶺《おみね》を見過し、真砂|為《な》す余綾《よろぎ》の浜を通り、岩崩《いわくえ》のかげを行く。
 東の国へ行くには二手の道があった。一つは山寄りの道を辿るのと、一つは海を越えて廻って行く道とであった。
 山寄りの道を行く方が山の岳神を探すに便利は多いようなものの、それ等の山は多く未開の山で、ちょっと人に訊いただけでも、山の主は、百足《むかで》であるとか、猿であるとか、鷲であるとか、気の利いた山の神ではなかった。これでは訪ねずとも判っている。翁は身に疲れも出たことなり、漸く舟人に頼み込み、舟の隅に乗せて貰って浪路を辿った。
 海路は相模国三浦半島から、今の東京湾頭を横断して房総半島の湊へ渡るのが船筋だった。
 土地不案内に加えて、右往左往した上、乗った船もここにはやて[#「はやて」に傍点]を除け、かしこに凪ぎを待つという進み方なので山の祖神の翁の上に人間の歳月の半年以上は早くも経ってしまった。
  夏麻《なつそ》挽く、海上潟《うみかみがた》の、沖つ州に、船は停《とど》めむ、さ夜更けにけり。
 しとしとと来た雨の夜泊の船中で、寝《い》ねがてた苫《とま》の雫の音を聞いていると翁の胸はしきりに傷んだ。翁は拾って来た娘の家の庭の小石を懐から取出して船燈のかげで検めみる。普通の石とは違っている。
 すべすべして赤く染った細長く固い石である。頭と尾は細く胴は張っている。背及び腹に鰭《えら》のようなものが附いている。魚の形と見られぬこともないが、より多く涙が結晶した形と見る方が生きて眼に映る石の形であった。それは福慈岳が噴き出した火山弾の一つであるのだった。
「娘が変っているだけに、庭の小石も変っていら」
 翁はそういって、なおも燈のかげで小石を捻っていた。
 傷むこころに、きらりと白銀の丸のような光りが刺した。
「おれはいま娘の涙を手に弄んでいるのではあるまいか」
 すると、娘がいったことであのときは不服のあまり胸に受けつけなかった意味のことが、まざまざと暗んじ返されてく来るのだった。
「庭の小石まで涙の形になってやがる。ひどい苦労は確にしたのだな」
 それに凝りずに、娘はなおも苦労を迎えてそれを支えた成長の肋骨を増やす積りでいる。凍るほど冷く感じられたおんなだったが、執拗《しつこ》く逞しく激しい火の性を籠らしている。その現れのようにこの涙型の石が血の色に赤く染っていることよ。石が尾鰭まで生やして、魚になっても生き上らんいのちの執拗さを示している。娘が何度も青春を迎えるといった言葉が思い出される。
 翁は掌の上に載せた火山弾にだんだん切ない重みを感じながら、その娘に対し氷にもなれというような呪詛をかけたことのおよそ見当違いでもあり、無慈悲な仕打ちであることが悔まれた。
 今頃、娘はどうしているだろう。福慈岳には夏に入るので白雪でも頂いていやしないか知らん。
 翁はすごすごと小石をまた懐へ入れた。苫に当る雨音を聞きながら一夜を寝苦しく船中に明した。

 房総半島に上り、翁は再び望多《うまぐさ》の峰《ね》ろの笹葉の露を分け進む身となった。葛飾《かつしか》の真間の磯辺《おすひ》から、武蔵野の小岫《ぐき》がほとり、入間路《いりまじ》の大家が原、埼玉《さきたま》の津、廻って常陸の国に入った。
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筑波|嶺《ね》に、雪かも降らる、否諾《いなを》かも、愛《かな》しき児等が、布乾《にぬほ》さるかも
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 山の祖神は、平地に禿立《とくりつ》している紫色の山を望み、それは筑波という山であって、それには人身の形をした山神が住んでいることを聞き知った。

 その山は全山が森林で掩われて鬱蒼としていた。麓の方は樫《かし》の林であり、中腹へかかるとそれが樅《もみ》の林に代る。頂に近いところは山毛欅《ぶな》となった。山の祖神《おやのかみ》の翁はまだ山に近付かないさきから山の林種はこれ等で装われていることを、陽《ひ》に映《は》ゆる山緑の色調で見て取った。この様子の山なら草木の種類はまだ他にたくさん宿っている筈だ。
「豊な山だな」
 翁は手を翳してほほ笑んだ。
 山の頂は二つに岐れていた。尋常な円錐形の峯に対し、やや繊細《かぼそ》く鋭い峯が配置よく並び立っている。この方は背丈けは他より抽んでているが翁には女性的に感じられる。翁はこの山には人身の岳神が住み守ると聞いたが、それにしたら、その岳神は結婚していて、恐らくその妻は良人より年長のいわゆる姉女房であるであろうと山占いをした。
 東国の北部の平野は広かった。茅草《ちがや》・尾花の布き靡《なび》く草の海の上に、櫟《なら》・榛《はり》の雑木林が長濤のようにうち冠さっていた。榛の木は房玉のような青い実をつけかけ、風が吹くと触れ合ってかすかな音を立てた。丸く見渡せる晴れ空をしら雲が一日じゅうゆるく亙《わた》って過ぎた。
 その山は北の方から南へ向けて走る大きな山脈の、脈端には違いないのだが、繋がる脈絡の山系はあまりに低いので、広い野に突禿《とつとく》として擡《もた》げ出された独立の山塊にしか見えない。母体の山脈は、あとに退き、うすれ日に透け、またはむれ雲の間から薔薇色に山襞《やまひだ》を刻んで展望図の背景を護っていた。
 平野のどこからも眺められるその山は、朝は藍に、昼はよもぎ色に、夕は紫に色を変えた。山の祖神の翁は、夕の紫の山をいちばん愛した。
 翁が、草の茵《しとね》に座って、しずかにその暮山を眺めやるとき、山のむらさきから、事実、ほのかで甘く、人に懐き寄る菫の花の匂いを翁の嗅覚は感じた。
 翁は眼を細めて
「山近し、山近し」
 と呟いた。
 その言葉は、翁が福慈神に近付くとき胸に叫んだと同じ言葉ではあるが、翁はただ呟いただけで山に急ぐこころは無かった。その山は急いで近寄らなければ様子が判らないというような山容ではなかった。離れて眺めているだけでも懐しみは通う山の姿、色合いだった。むしろ近付いたら却って興醒めのしそうな懸念もある遠見のよさそうな媚態《びたい》がこの山には少しあった。
 広野の中に刀禰《とね》の大河が流れていた。薦《こも》、水葱《なぎ》に根を護られながら、昼は咲き夜は恋宿《こいする》という合歓《ねむ》の花の木が岸に並んで生えている。翁はこの茂みの下にしばらく憩って、疲れを癒やして行こうと思った。何に疲れたのか。もちろん旅の疲れもある。しかしもっと大きいのは娘に対する疲れであった。
 福慈岳で女神の娘と訣れてから旅の中にすでに半歳以上は過ぎた。訣れは憤りと呪いを置土産にいで立ったものの、渡海の夜船の雨泊中に娘の家の庭から拾って来た福慈岳の火山弾を取出してみて、それが涙痕の形をしており、魚の形をしており、また血の色をしているところから福慈岳神としての娘の苦労を察し、決意のほどもほぼ覗《うかが》えた。それにつれて一時それなりに呵《か》し去れたと思えた娘の主張が再び心情を襲うて来て、手脚の患い以上に翁を疲らすのであった。
 娘のいったことは自然の意志としたならあまりに生きて情熱に過ぎている。もちろん人間の考えだけであれだけの超越の霜は帯ばれない。娘はいのちということをいったがそれは自然と人間を合せて中から核心を取出したそのものをいうのであろうか。翁は今までの生涯に生きとし生けるものの逃れず考えることは生活と幸福と生死ということであると思っていた。そしてこれ等のことは人間が山に冥通する力を得て二つの山の岳神となり得たとき総ては解決されるとまた思っていた。山の生活、山の幸福、そこに何一つ充ち足らわぬものがあろうか。命終せんとして雲に化し巌《いわお》に化す。そこに生死を解脱《げだつ》して永世に存在を完うしようとする人間根本の欲望さえ遂げ得られるのではないか。
 それに引代え娘はいくたたびの生死を語り、その生死毎に苦悩と美への成長を語り、生活とも幸福ともいわない。強《し》いてそれらしいものを娘の言葉の中から捕捉するなら娘がいったいくたたびか迎える辛くも新鮮な青春、かくて遂《つい》に老ゆることを知らずして苦しくも無限に華やぎ光るいのち。娘にしたらこれをこう生活とも幸福ともいうのだろうか。おう!
 山と人間を冥通するところの力に座して世に経るを岳神という。岳神も神には神である。だがこの程の生き方を望もうとも経られようとも思わぬ。
 それは人界の理想というものに似ている。現実に遠く距るほど理想である。しかもあの娘はその遠く距るものを現実に享《う》け生かそうとするものではなかろうか。
 娘は祭の儀を説いて神の中なる神に相逢うといった。
 思えば思うほどひとり壁立|万仭《ばんじん》の高さに挺身《ていしん》して行こうとする娘の健気《けなげ》な姿が空中でまぼろしと浮び、娘の足掻《あが》く裳からはうら哀しい雫《しずく》が翁の胸に滴《したた》って翁を苦しめた。
 取り付きようもない娘の心にせめて親子の肉情を繋ぎ置き度い非情手段から、翁は呪《のろ》いという逆手《ぎゃくて》で娘の感情に自分を烙印《らくいん》したのだったが、必要以上に娘を傷けねばよいが。
「どうしたらいいだろうなあ」
 山の祖神の翁は螺の如き腹と、えび蔓のように曲がった身体を岸の叢《くさむら》に靠《もた》せて、ぼんやりしていた。道々も至るところで富士の嶺は望まれたが見れば眼が刺されるようなので顧ってみなかった。
 岸の叢の中には、それを着ものの紐《ひも》につけると物を忘れることができるという萱草《わすれぐさ》も生えていたが、翁はそれも摘まなかった。せめて悩んでいてやることが娘に対する理解の端くれ[#「くれ」に傍点]になりそうに思えた。
 前には刀禰《とね》の大河が溶漾《ようよう》と流れていた。上つ瀬には桜皮《かにわ》の舟に小※[#「楫+戈」、第3水準1-86-21]《おがい》を操り、藻臥《もふじ》の束鮒《つかふな》を漁ろうと、狭手《さで》網さしわたしている。下つ瀬には網代《あじろ》人が州の小屋に籠《こも》って網代に鱸《すずき》のかかるのを待っている。
 翁はときどき、ひょん[#「ひょん」に傍点]なところで、ひょん[#「ひょん」に傍点]な憩い方をしていると、苦笑して悩みつつある一人ぼっちの自分を見出すのであったが、なかなか腰は上げ悪《にく》かった。
 東国のこのわたりの人は言葉や気は荒かったが、根は親切だった。餓えて憩っている老翁のために魚鳥の獲ものの剰ったのを持って来て呉れたり、菱の実や、黒慈姑《えぐ》を持って来て呉れたりした。雨露を凌ぐ菰《こも》の小屋さえ建てて呉れた。
 昼は咲き夜は恋宿《こいする》という合歓の木の花も散ってしまった。翁は寂しくなった。翁がこの木の下にしばし疲れを安めるために憩うたのは、一つは、葉の茂みの軟かさにもあるのだろうが一つは微紅《とき》色をした房花に、少女として自分の膝元に育て上げていた時分の福慈の女神の可憐な瞳の面かげを見出していたのではあるまいか。ぱっと開いてしかも煙れるような女神の少女時代の瞳を、翁は娘の成長に伴う親の悩みに悩まされるほど想い懐しまれて来るのだった。
 刀禰《とね》の流れは銀色を帯び、渡って来た、秋鳥も瀬の面《も》に浮ぶようになった。筑波山の夕紫はあかあかとした落日に謫落《たくらく》の紅を増して来た。稲の花の匂いがする。
「山近し、山近し」
 山の祖神の翁は今は使い古るしになっているこの言葉を呟いた。そしてやおら立上った。その山は確に葉守《はもり》の神もいそしみ護る豊饒な山に違いない。そしてまた、そこに鎮まる岳神も、嘗《かつ》て姉の福慈の女神と共に、東国へ思い捨てたわが末の息子が成長したものであろうという予感は沁々《しみじみ》とある。それでいてなお急ぐこころは湧き出でない。
 河口に湖のようになっている入江の秋水に影を浸《ひた》すその山の紫をもう一度眺め澄してから翁は山に近付いて行った。

 山麓《ふもと》の端山の千木《ちぎ》たかしる家へ山の祖神の翁は岳神を訪ねた。
 一年は過ぎたが不思議とその日は翁が福慈岳の女神を訪ねたと同じ頃で、この辺の新粟を嘗むる祭の日であった。岳神の家は幄舎《あくしゃ》に宛てられていた。神楽《かぐら》の音が聞えて来る。
 山の祖神の予感に違わず、この筑波の岳神は、自分の息子の末の弟だった。
 しかし息子は、父親の神の遥々の訪れをそれと知るや、直ちに翁を家の中へ導き入れ、紹介《ひきあわ》せたその妻もろとも下へも置かない歓待に取りかかった。そうしながら祭の儀も如才《じょさい》なく勤めた。
 その妻は翁の山占い通り、いささか良人より年長で良人の岳神を引廻し気味だった。彼女はいった。
「ふだん、どんなにか、お父上のことを二人して語り暮らしておりましたことでしょう。有難いことですわ。これで親孝行をさして頂けますわ」
 家の中のいちばんよい部屋を翁のために設けて呉れた。この山に生《な》るものの肥えて豊なさまは部屋の中を見廻しただけでも翁にはすぐそれと知れた。
 黒木の柱、梁、また壁板の美事さ、結んでいる葛蔓の逞しさ、簀子《すのこ》の竹材の肉の厚さ、翁は見ただけでも目を悦ばした。敷ものの獣の皮の毛は厚く柔かだった。
 壁の一側に※[#「木+若」、第3水準1-85-81]机《しもとづくえ》を置き、皿や高坏《たかつき》に、果ものや、乾肉がくさぐさに盛れてある。一甕の酒も備えてある。
 狩の慰みにもと長押《なげし》に丸木弓と胡※[#「たけかんむり/録」、第3水準1-89-79]《やなぐい》が用意されてあった。
 息子の夫妻は朝夕の間候を怠らず、食事どきの食事はいつも饗宴のような手厚さであった。
 息子夫妻のそつ[#「そつ」に傍点]の無い歓待振りはまことに十二分の親孝行に違いなかった。普通にいえばこれで満足すべきであろう。だが父の祖神の翁には物足りないものがあった。
 息子夫妻が父の祖神の翁に顔を合すとき、大体話は山の生産の模様、山民の生活の状況、それ等を統《たば》ねて行く岳神としての支配の有様、そのようなものであった。それは誰が聴いても円満で見上げたものであった。山民間に起った面白そうな出来事を噂話のように喋っても呉れた。だが、それだけだった。
 親子関係を離れて誰に向っても話せる筋合いの事柄ばかりである。折角、親子がたまにめぐり合うのは、もっと心情に食い込んだ、親子でなければできないという気持の話はないものか。人知れない苦労というものが息子の岳神にはないのか、囁いて力付けて貰ったり、慰めて貰ったりしたい秘密性の話はないのか。
 気を付けてみるのに、息子の岳神のこの公的な円満性は、妻に対してでもそうであった。
 夫妻は睦《むつまじ》くて仲が良い。良人を引廻し気味に見える才女の姉女房も、良人を立てるところには立派に立てた。岳神の家としての事務の経営は少しの渋滞もなく夫妻共に呼吸は合っている。それでいて何となく夫妻の間に味がない、お人良しでしかも根がしっかり者の良人の岳神が少しにやにやしながら、
「働けそうな女なので、共稼ぎにはいいと思いましてね、この奥地の八溝《やみぞ》山の岳神の妹だったのを貰《もら》って来ましたのです。これでも求婚の競争者が相当ございましてね」
 という意味のようなことを話しかけると、妻は
「まあまあ、そんなお話、どうでもいいじゃございませんか」
「それよりかまだ山の中でおとうさまがお見残しのとこもございましょう。幸いよい天気でございますから、あなたご案内して差上げたら」
 と、とかくに事物の歓待の方へ気を利かして行くのであった。
 翁の方からは何もいい出せなかった。いい出せる義理合いではないと翁は思っていた。すでに東国へ思い捨てた子である。それが自力でかかる豊饒な山の岳神ともなっていて呉れてるのだから何もいうことはない。山の祖神としては、この分身によって自分にも豊かさという性格を附け加え得られ、眷属《けんぞく》の繁栄を眼に見ることである。感謝すべきだ。
 姉娘に対してはとかく恋々たる山の祖神の翁も弟の岳神に対してはどういうものかこの点は諦めがよかった。
 ただ一言この弟の岳神の口から聞かして貰い度いのは姉娘の福慈岳の女神の批評だった。翁はそれを聞いて、もし悪罵《あくば》の声でも放って呉れるなら不思議に牽かれる娘の女神への恋々の情を薄めてでも貰えるようにさえ感ずるのだった。
 翁はここに於てはじめて姉娘に就いての口を切った。
「来る道で、実は福慈岳へも寄ってみたよ」
 弟の岳神は顔の色も動かさず
「それは何よりでございました。姉さんもお歓びでございましたでしょう」
「ところが生憎《あいにく》と祭の日だったのでね。泊めて貰うこともできなかったよ」
 翁はこういって弟の岳神の顔を見た。弟は諾《うなず》いたが声はあっさりしていた。
「そりゃお気の毒なことでございました。あちらはこちらと違って諸事、厳しいところもございましょう」
 翁は焦《いらだ》つように訊いた。
「おまえ等は、福慈とは交際《つきあ》っていないのかい」
 すると弟の岳神は言訳らしく
「なにしろ自分の持山のことで忙しく、ついついご無沙汰をしております」
 そのとき岳神の妻が傍から、ちょっと口を入れた。
「前にはお姉さまのところへも、ときどき伺ってみましたのですが、ああいうお偉い方のことですから、すぐこっちに話の接穂《つぎほ》が無くなってしまう場合も多く、それにああいうご勉強家のことですから、お邪魔しましても、何かお妨げするような気もいたしますので、ついついご無沙汰勝ちになってしまったのでございますわ」
 それからちょっと間を置き、
「ずいぶん、普通の女の子とは変っていらっしゃいますわね」
 その言葉につれて良人の岳神も
「どういうものか、あの人の前へ出ると、威圧される気がするところから、つい心にもない肩肘の張り方をしてしまう。どうも姉弟ながらうち解けにくい」
 と零《こぼ》した。
 山の祖神が息子夫妻から衷情を披瀝したらしい言葉を聴いたのは、この姉娘に対する非難めく口振りを通してだけだった。
 山の祖神はこれを聴くと、息子夫妻と一しょになって姉娘を非難したい気持なぞは微塵《みじん》もなくなった。腹の中で、「この平凡な若夫婦に、何であの福慈の女神のことなぞが判るものか」と想いながら、こういう言葉で姉娘に関る話は打切りにした。
「なに、あれで、なかなか女らしいところもあるんだよ」と。

 この山は人間が昵《なじ》み易い山だった。水無《みなの》川を越えて山腹にかけ山民の部落があった。石も多いがしかしそれに生え越して瑞々《みずみず》と茂った、赤松、樅《もみ》、山毛欅《ぶな》の林間を抜けて峯と峯との間の鞍部に出られた。そこはのびのびとしていて展望も利いた。
 二つに分れている峯にはどちらにも登れた。岳神の息子夫妻の象徴のように一方は普通の峯かたちで、一方はいくらか繊細《きゃしゃ》で鋭く丈《た》けも高かった。山の祖神の老いの足でも登れた。
 東の国の平野が目の下に望まれた。その岸に寝た刀禰の川水がうねうねと白く光って通っている。河口の湖のような入江。それから外海の波が青く光っている。
 西北の方には山群が望まれて、翁の心を沸き立たした。も少し自分の齢が若かったらこどもをあれ等の岳神に送るのにと思わしめた。山郡のところどころに高い山が見えた。煙りを噴いてる山も望まれる。遠く福慈岳が翁の眼に悲しく附き纏《まと》う。
 奇妙な形をしたいろいろの巨きな岩、滝――女体の峯から戻って来る道には、そういう目の慰みになるものもあった。虫を捉えて食べるという苔、実の頭から四つの羽の苞《つと》が出ている寄生木《やどりぎ》の草、こういうものも翁には珍らしかった。
 息子の岳神は暇な暇な、父の祖神を山中に案内して見せて廻るうち、ある日、山ふところの日当りの小竹《ささ》原を通りかかり、そこに二坪近くの丸さに、小竹之葉《ささがは》が剥げ、赤土が露《む》き出ているのを見付けると、息子の岳神は指して笑いながらいった。
「猪が仔猪をつれて来て相撲《すま》って遊ぶところです」
 赤土は何度か猪の蹄《ひづめ》に蹴鋤かれたらしく、綿のように柔かに、ほかほか暖そうであった。
「なるほど、この辺は人里離れて、猪の遊ぶのに持って来いだ」
 翁はそういって、傍の保与《ほよ》(寄生木)のついている山松を見上げた。その日は何心なくそれで過ぎた。
 岳神の父親が滞在すると聞き付けて、配下の土民たちはところところの産物を父の祖神に差上げて呉れと持って来た。
 加波山で猟れた鹿らしく鹿島の猟で採れた鰒《あわび》、新治《にいばり》の野で猟れた、鴫《しぎ》、那珂の川でとれたという、蜆貝《しじみがい》。中にははるばる西北の山奥でとれたのをまた貰いに貰って来たといって、牟射佐妣《むささび》という鳥だか、獣だか判らないものをお珍らしかろうと贈りに来た。老衰を防ぐにはこれが第一だといって武奈岐《むなき》を持って来て呉れるものもある。
 夜の奥の綾むしろは暖く、結燈台の油|坏《つき》に油はなみなみとしている。
 翁は衣食住の幸福ということも考えないではいられなかった。
 それで常陸風土記《ひたちふどき》によると一応はこうも事祝《ことほ》いでやった、
「人民集賀、飲食富豊、代々無[#レ]絶、日々弥栄、千秋万歳、遊楽不窮」と。
 しぐれ降る頃には、裳羽服《もはき》の津の上で少女男が往き集う歌垣が催された。
 男列も、女列も、青褶《あおひだ》の衣をつけ、紅の長紐を垂れて歌いつ舞った。歌の終り目毎に袖を挙げて振った。それは翁の心に僅かに残っている若やぐものに触れた。
 岳神の妻は、笑って冗談のようにして、
「この中に、もし、お気に入りの娘でも見当りましたら、お身のまわりのお世話に侍かせましょう」
 といって呉れた。
 しかし翁は寂しかった。
 ある日、土民の一人が瓜《うり》わらべを拾って持って来て呉れた。それは猪の仔で、生れて六七月になる。筒形をしていて柔かい生毛の背筋に瓜のような竪縞が入っていた。それで瓜わらべと呼び慣わされていた。
「これはよいものを貰った。肉は親の猪より軟かでうまいものです」
 息子の岳神はそういって、父の祖神に食べさすように妻に命じた。
 翁は、ういういしく不器用な形の獣の仔を見ると、何か心の喘ぎが止まるような気がした。とても殺して食べさせて貰う気なぞ出なかった。
「ちょっと待って呉れ。これはそのままでわしが貰おう」
 翁は、瓜わらべを抱えて戸外へ出た。瓜わらべはくねくね可憐な鳴声を立てて鼻面を翁の胸にこすりつけた。翁は何となく涙ぐんだ。
 翁は螺の腹にえび蔓の背をした形で、瓜わらべを抱え、いつの間にか、いつぞや、息子の岳神に教えられた山ふところの猪の相撲場に来ていた。蹄で蹴鋤いた赤土はほかほかしている。
 山の祖神は、あたりを見廻した。見ているものは保与《ほよ》のついた山松ばかりだった。翁は相撲場の中へ入り瓜わらべを土の上へ抱き下した。
 螺の腹にえび蔓の背の形をした老翁と、筒形の瓜わらべとは、猫が毬《まり》を弄ぶように、また、老牛が狼に食《は》まれるように、転びつ、倒れつ千態万状を尽して、戯れ狂った。初冬の風が吹いて満山の木が鳴った。翁は疲れ切って満足した。瓜わらべにちょっと頬ずりして土に置いた。瓜わらべの和毛《にこげ》から放つらしい松脂の匂いが翁の鼻に残った。
 翁はしばらく息を入れていた。瓜わらべは小竹の中へ逃げ込みそうなので片手で押えた。
 膝がしらがちくちく痛痒い。翁が検めみると獣の蝨《だに》が五六ぴき褌《はかま》の上から取り付いていた。猪の相撲場の土には親猪が蝨を落して行ったのだった。
「こいつ」
 といって翁は、膝頭の蝨を、宝玉を拾うように大事に、一粒ずつ摘み取る。老いの残れる歯で噛み潰した。獣の血臭いにおいがして翁の唇の端から血の色がうっすりにじんだ。満山の風がまた亙る。
 翁にはもう何の心もなくなった。手を滑った瓜わらべは逃れて小竹の茂みに走り込んだ。代りに親猪の怒れる顔面を翁は保与《ほよ》のついた山松の根方に見出した。
 山の祖神の事である、山に棲めるほどのものを自由に操縦できないいわれはない。けれども、翁は、
「命終のとき」
 といって、従容とその親猪の牙にかけられて果てた。

 初夏五月の頃、富士の嶺の雪が溶け始めるのに人間の形に穴があく部分がある。「富士の人型」といって駿南、駿西の農民は、ここに田園の営みを初める印とする。その人型は螺の腹をしえび蔓の背をした山の祖神の翁の姿に、似ている。いやそれにやや獣の形を加えたようでもある。
 ここにまた筑波の山中に、涙明神という社がある。本体には富士の火山弾が祭ってある。

 山の祖神《おやのかみ》が没くなるとまもなく子が無いことを託《かこ》っていた筑波の岳神夫妻の間にこれをきっかけに男女五人ほどのこどもができた。
 風の便りに聞けば、山の眷属の西国の諸山にも急にこどもの出生の数を増したという。
 老いたるは、いのちを自然に還して、その肥田から若きものの芽を芽出たしめるという。
 生命の耕鋤順環の理が信ぜられた。
 水無瀬女は、豊かな山に生れ、しかも最初に生れた総領娘なので、充分な手当と愛寵の中で育てられた。ふた親は常に女《ひめ》にいって聴した。「東国では、あなたが、あの偉大な山の祖慫神《おやのかみ》さまの一番の孫なのですよ」と。孫娘はおさな心に高い誇りを感じた。
 ふた親は、なお、祖父の神の偉大さを語るにこういう言葉を使った、「なにしろ、西国の山々はもちろんのこと、東国でも、福慈とか、この筑波とかいう名山には必ず、こどもをお遺しになり、山を拓かすと共に、眷属の繁栄《さかえ》をお図りになった方なのだから」と。
 祖父の偉れた点を語ることは、また、その孫娘に偉れることを慫慂《しょうよう》することでもあった。
 ふた親は、自分たちのことに就ては「わたし達は、何ということはない平凡なものさ。けれども、山を拓くことにかけては、これでも人知れない苦労はしたものさ」
 女《ひめ》は、幼いときから、礼儀作法を仕込まれた。女の嗜《たしな》みになる遊芸の道も仕込まれた。しかし最も躾《しつ》けに重きを置かれたのは生活の調度の道だったことは、ふた親の性格からして見易き道理であった。麻野には麻を蒔《ま》き、蚕時《こどき》には桑子《くわこ》を飼う。――もし鯛が手に入ったら蒜《ひる》と一しょにひしお[#「ひしお」に傍点]酢にし即座の珍味に客に供する。もし小江《さえ》の葦蟹を貰ったら辛塩を塗り臼でついて塩にして永く貯えの珍味とする。こういう才覚が母によって仕込まれた。女は歌垣に加わって歌舞する手並も人並以上に優れたが、それよりも、繭を口に含んで糸を紡ぎ出し、機糸の上を真櫛でもって掻き捌《さば》く伎倆の方が遥に群を抜いていた。
 女は容貌《みめかたち》も美しかったので、かかる才能と共に、輩下の部落の土民の間で褒《ほ》めものにされた。ふた親にとっては自慢の総領娘となった。
 ふた親にとっては姉に当り、自分にとっては伯母に当る駿河能国《するがのくに》の福慈の女神のことについては、どういうものかふた親はあまり多くを語らなかった。語るのを好まないようだった。強いて訊くと「あんな伯母さんのことを気にかけるものではありません」「仔細あって私たちは交際《つきあ》ってはいません」「あれで、なかなか裏に裏のある女でね」「あんな大きな山に住えば誰だって評判はよくなるさ。いってみれば運のよい女さ」「私たちと違って苦労知らずの女さ」「女のことは何一つできないあれが、どうして評判がいいのだろう」まずは悪評に近い方だった。しかしそれでいて、人々がふた親の目の前で福慈岳と女神のことを褒めると、ふた親は女神は自分たちの姉であることを明して、近しい眷属であることを誇った。
 水無瀬女は、ときどき山の峯の鞍部のところへ上って、伯母の山を眺めた。煙霧こそ距つれ、その山は地平の群山を圧して、白く美しく秀でていた。
「やっぱり、立派だわ、うらやましいわ」
 と声に出して言った。そしてふた親はいかにあれ、女神があの山の如きであるなら、どうか自分もあの伯母さんのようになり度いものだと、理想をかの山に置いた。
 女にだんだんもの心がつき、比較によって自分と他とを評価する力が生れて、福慈岳の評判を聞いてみると、その秀でさ加減はあまりにも自分の資格とはかけ離れたものであった。積といい量といい形といい、もはや生れながらにも及びつかない素質の異りがあると感じないわけには行かなかった。一つ山の眷属の女でどうしてこうも恵まれ方に違いがあるのだろう。女は福慈岳を眺めて、美しさよりぬけぬけとすまし返っているような感じが眼につくようになった。
「お伯母さまが、なにもかにも眷属中の女の良いところのものは一人で持ってらしってしまったのだわ」
 うらやましさが嵩じて嫉《ねた》みともなった。
「だから、あたしのような屑の女も、眷属中にできるのだわ」
 そして、ふた親がとかく福慈岳に対して反感を持つような態度であるのは、平凡が非凡から受ける無形の圧迫から来るものであること、また、自分に山の祖神の嫡孫の気位を高く持たせ、それに相応《ふさ》わしい偉れた女に生い立たしめようとするのも、伯母に対するふた親の無意識の競争心から来るものであることを感付かないわけにはゆかなかった。
「駄目々々。偉くなることなんて。あたしに、さっぱりそんな慾はなくってよ」
 捨てるともなく誇りと励みに背中を向けかけると、ふた親が説く、山の祖神の偉さというものより部落の間の噂に遺っている山の祖神の偉からざる方面のことが女には懐しまれて来た。
 祖父さまは山中の猪の相撲場で、猪の仔の瓜わらべと遊び戯れているとき、猪の親に襲われ、牙にかかってお果てなされた。祖父さまは娘の福慈の神のつれない待遇を恨まれ、娘の神に詛いをかけたのみか、執着は、峯のしら雪に消え痕ともなって自形《じぎょう》の人型をとどめられた。それは稚気と、未練であるでもあろう。それゆえ、ふた親は自分に秘して語らない。しかし部落の土民たちがこれを語るときに現す、山の祖神に対する親しげな面貌よ。稚気と未練に含まれて、そこに何かあるに違いない。
 女は年頃になった。相変らずこの界隈の褒めものの娘であり、ふた親の自慢娘ではあった。女はもはや山の鞍部へ上って伯母の山の姿を眺め見ることはせず、理想なるものを持たず、ただその日その日を甲斐々々しく働いた。雁金《かりがね》が寒く来鳴き、新治《にいばり》の鳥羽の淡海も秋風に白浪立つ頃ともなれば、女は自分が先に立ち奴たちを率いて、裾わの田井に秋田を刈った。冬ごもり時しも、旨飯を水に醸《かも》みなし客を犒《ねぎら》う待酒の新酒の味はよろしかった。娘はどこからしても完璧の娘だった。待酒を醸む場合に、女はまずその最初の杯の一杯を、社《やしろ》に斎《いつ》き祭ってある涙石に捧げた。それは祖父の山の祖神が命終のとき持てりしものの唯一の遺身《かたみ》の品とされていた。
 年頃になって、完璧の娘で、それでいて女に男の縁は薄かった。異性にしていい寄る恰好《かっこう》をするものもあるが、それは単に年頃にかかる娘への愛想か、岳神の総領娘に対しての敬意を変貌させたようなもので、恰好だけに過ぎなかった。もとより女自身からは乗り出せない。そういう触手は亀縮《かじか》んでいる。双親を通して申込まれる山々からの縁談も無いことはないのだが、ぜひ自分でなくてはと望むらしい熱意ある需《もと》めとは受取れなかった。良山良家の年頃の娘でさえあれば、一応、口をかけて問合わされる在り来りのものに過ぎなかった。双親はまた、自分たちの眼からしてたいしたものに思い做《な》している娘を、滅多な縁談にやれないといい張った。相手の山や岳神を詮議して、とかくそれ等に不足を見付け出した。娘の婚期は遅れて来た。双親は負け惜しみもあり、なに、それなら、水無瀬は筑波の岳の跡取にして、次の代の筑波は女神、女族長でやらして行くといっている。

 水無瀬は何となく生きて行くことにくさくさして来た。さほど醜くもなく、これだけ物事ができる自分が、せめて、どうして男の縁が薄いのだろうか。女が男に対する魅力とは、全然こういう資格や能力とは関係ないのか。それにつけても久振りに伯母の福慈の女神のことが思い較べられて来るのであった。
 往来の道が拓けるにつれ、東国の西の方よりこの東国の北部の方へ入り込んで来る旅人が多くなった。女はその人々の口からして伯母の女神のその後の消息を少しずつ詳しく聴くことができた。
「福慈の女神はだんだん若くなるようである」と旅人たちはいった。七つ八つの童女の容貌を持ち、ただその儘《まま》で身体は大きい。怒るときは、山腹にかみなり稲妻を起し満山は暗くなった。笑うときは峯の雪を日に輝して東海一帯の天地を朗なものにした。悲しむときは、鳴沢に小石が滑り落ちる音が止めどもなくしくしくと聞えて来る。
 平野に雲の海があるとき、霞棚引けるとき、それ等を敷筵《しきむしろ》にして、幽婉な寝姿が影となって望まれる。それは息もないようなしずかな寝姿であり、見る目|憚《はばか》らぬこどものように仰《あおむ》き踏みはだかった無邪気な寝姿でもある。
 しかも、女神の慧《さと》さと敏感さは年経る毎に加わるらしく、天象歳時の変異を逸早く丘麓の住民たちに予知さすことに長けて来た。従来、ただ天気の変りを予知さすだけに、峯の頂の天に掲げ出した、笠なりの雲も、近頃では、その色を黒白の二つに分け、黒の笠雲の場合は風雨のある前兆とし、白い笠雲の場合は風ばかりの前兆としたようなこまかさとなった。
 幾人の神人や人間が、この女神に恋をしたことであるだろう。女神は一々、まじめに、その恋を求むる男たちに見向ったらしい。だが何人がこの女神の逞しい火の性、徹る氷の性に、また氷火相闘つ矛盾の性に承《う》け応えられるものがあったろう。彼等のあるものは火取り虫のように却って羽を焼かれ、あるものは虫入り水晶の虫のように晶結させられてしまった。矛盾の性に見向われたものは、裂かれて二重の空骸となった。それ等の空骸に向って女神は、涙をぽたぽた垂しながら、撫《な》でさすり「可哀相に、いのちの愛までは届かぬ方」というというが、誰もその意味を汲取ったものはない。ただ女神にそういわれて撫でさすられた空骸は、土に還ると共に、そこからはこけ[#「こけ」に傍点]桃のような花木、薊《あざみ》のような花草が生えた。深山榛《みやまはん》の木の根方にうち倒れた、醜い空骸は、土に還ると共に、根方に寄生して、そこから穂のような花をさし出すおにく[#「おにく」に傍点]という植物になった。
 生けるものに失望したのか、それとも自分自身現実離れして行くのか、女神の姿は、住いの麓《ふもと》の館をはじめ地上ではだんだん見受け悪くなった。空間に浮ぶ方が多くなった。形よりも影、体よりも光り、姿よりも匂いで、人の見《まみ》ゆる方が多くなった。水にひたす影に於てこそ、もっとも女神の現身《うつしみ》をみることができる。
 見ぬ恋に憧れたあちこちの若い河神たちが、八人と[#「と」に「ママ」の注記]集って来た。彼等は思い思いの麓の野に土を掘り穿《うが》ち水を湛えた。水に映る女神の影を捉えようためである。たまたま女神は湛えた水の一つに姿をうつす。その場を張り守っていた河神は猶予なく姿を掴む。うたるる水の音のみ高く響いて、あとに残ったものは掌から肘に伝わる雫のみである。一とき聞くに堪えないような失望の呻き声が聞える。だが河神は肘の雫を啜っていう「私はこの女神のために諦めということを取失わされてしまった。消ゆるかに見えて、また立つ漣《さざなみ》……」
 岳麓にできた八つの湖、その一つ一つを見まもる八人の河神の若い瞳。その辛抱を試しみるように、湖面に、ときどきさざ波が立つ。
 旅人たちの話を綜合してみて、いちいち驚かれる伯母が持てるものである。水無瀬女は、また「お伯母さまが、なにもかにも持ってらしってしまったのだわ。眷属中の良いところのものを一人で」と託《かこ》ったが、男のこころまでかくも牽くということを聴くと、うらやましさが嵩じてなった嫉みは、更に毒を加えて燃えさせられ、激しい怒りとなった。女は「お伯母さまが、なにもかにも奪《と》ってってしまいなさるのだわ。あたしの分まで……」こういい直さないわけにはゆかなかった。女のこころは、決闘目《はたしめ》となって来た。かにかくに自分は一度伯母に会い、この詰《なじ》らないでは措けないものをうちかけてみたい気持に、迫られた。
 あのつん[#「つん」に傍点]とすまし、ぬけぬけと白膚を天に聳《そび》え立たしている伯母の山が、これだけは拭えぬ心の染班《しみ》のように雪消《ゆきげ》の形に残す。伯母にとっては父、自分にとっては祖父の執着未練な人型なるものを見度かった。それを見ることによって自分に一ばん懐しまれる性格の祖神にも会えるような気がした。
 母はやや老い、筑波の岳神の家では、働きものの水無瀬が主婦のような形になっていた。世間の男たちからは距てを構えられる女も、家の中の弟妹たちからは母よりも頼みとされ、親しまれた。彼等は外なぞから帰って来ると、まず「姉さまは」と、探し求めた。
 水無瀬はその弟妹の中の上の弟を語《かたら》って、三月の行糧を、山の窟《いわや》に蓄えた。姉の確りしたところで、いつも気を引立てられている勝気にも性の弱い弟は、この秘密で冒険な行旅を、姉の敢行力の庇《かげ》に在って、共々、行い味われたので、一も二もなく賛成した。
 さしむかう鹿島の崎に霞たなびき初め、若草の妻たちが、麓の野に莪蒿《うはぎ》摘みて煮る煙が立つ頃となった。女は弟を伴ってひそかに旅立った。うち拓けた常識の国から、未萌の神秘の国へ探り入る気ずつなさはあったが――

 甲斐々々しくとも足弱の女の旅のことである。女が駿河路にかかったときには花後の樗《おうち》の空に、ほととぎす鳴きわたり、摺《す》らずとも草あやめの色は、裳に露で染った。
 近づくにつれ、いよいよ驚かれるのは伯母の領《うしは》く福慈岳の姿である。姪の女はただ圧倒された。これがわが肉体の繋りかよ。しかもこのものに向って、争《あらが》おうと蓄えて来た胸の中のものなぞは、あまりに卑小な感じがして、今更に恥入るばかりであった。この儘に帰ろうか。それも本意ない。うち出して会おうとするには、すでに胸中見透されている気がして逡巡《しりご》まれた。願《ね》ぎかくるは伯母のまにまにである。そしてこっちは、ゆくりなく、漂泊《さすら》う旅の路上で、ふと伯母に見出されたという形であらしめ度い。胸中いかに見透されていようと少くともこの形の態度なら超越の伯母に対し、初対面の姪むすめの恰好はつけられる。
 水無瀬女は弟を伴って福慈岳の麓の野をあちらこちらと彷徨《さまよ》った。嘗《かつ》て常陸の山に在って旅人から聞いた話の、八つの湖に女神の姿を待ち侘ぶ河神たちの姿も眼の前に見た。河神たちの若い瞳は、陽炎《かげろう》を立てて軟く燃えているが、姿は骨立って痩せていた。冬はかくて痩せ細り夏に雨を得て肉附くことを繰返しながら、瞳は一途にあえかなるものに向って求めているのだと土民はいった。女はその瞳の一つだも贏《か》ち得たなら自分はどんなに幸福だろうと考えないわけにはゆかない。
 恋い死の空骸から咲き出でたという花木、花草は、今を春と咲き出していた。高く抽き出でた花は蒐《あつま》ってまぼろしの雲と棚曳き魂魄を匂いの火気に溶かしている。林や竹藪の中に屈《くぐ》まる射干《しゃが》、春蘭のような花すら美しき遠つ世を夢みている。これをしも死から咲き出たものとしたなら、この花等は自らの花をも楽しく謳っているようである。ぴんちょぴんちょ、たちからたちから。北から帰って来たという小鳥たちは身籠る季節まえのまだ見ぬ雄を慕うて、囀《さえず》りを立てている。
 麓の春の豪華を、末濃《おそご》の裳にして福慈岳は厳かに、また莞爾《かんじ》として聳立《そびえた》っている。一たい伯母さんは幾つの性格を持っているのか知らん。
 晴れた日は全山を玲瓏と人の眼に突付けて、瑕《きず》もあらば、看よ、看よと、いってるような度胸のよい山の姿である。曇った日は雪の帳《とばり》深く垂れ籠めて、臆した上にも病的な女が、人嫌いし出したようである。
 くさぐさの山の変化を見経ぐり、見分けながら、女はまだ伯母の女神の姿に遇わない。弓矢を提《たずさ》えて来た弟は、郷国《くに》の常陸には見受けない鳥獣を猟ってその珍しさに日の過ぐるのを忘れていたが、それも飽きていうようになった。
「伯母さんなんかに遇ったってつまんないじゃないか、もう帰ろうよ」
 部落の土民の間では、こういういい慣《ならわ》しがあった。「それはたぶん、女神が季節の変り目で、夏の化粧をされてるからだろう。でなければ厠《かわや》に上られてはこ[#「はこ」に傍点]されているからだろう」女神の化粧は自分で納得《なっとく》ゆくまで何遍でも仕代えさせられるので永い。女神の上厠は、はこ[#「はこ」に傍点]そのものよりも、うつらうつら物うち考えられるのでこれも永い。厠神の植山《はにや》姫、水匿女《みずはのめ》も永く場を塞がれて手を焼くそうであるという。
 若い瞳がうち看守る八つの湖、春を敷妙《しきたえ》の床の花原。この間にところどころ溶岩で成れる洞穴があった。形よき穴には生けるものが住んでいた。形悪しきには死にかかっているものが住んでいた。
 彷徨《さまよ》いあぐねてこの洞穴の一つのまえを通りかかった水無瀬女は、穴の中から※[#「口+奄」、第3水準1-15-6]《うめ》き声に混ってこういうのを聞いた。
「あの方は、いのち、いのちというが、ああ、いのちは、健康であるときにのみ有意義なのだ、この病める姿の醜さ。昼も夜もそのための尽きぬ嘆きに、ああ、わたしは、わたしに残れる僅かないのちの重味にさえ堪え兼ねている」
「この堪えられない程、烈しい息切れと、苦しい動悸のする身体。つくづく情無さを感ずる。呼吸を吸い込むと胸の中に枯枝か屑のようなものがつかえ、咽喉はいらいらと虫けらが這うように痒い。その不快さ。咳、濁って煤けた咳。六つも七つも続けさまに出る。胸から咽喉へかけて意地悪い痩せこけて骨張った手が捏《こ》ねくり廻しているようだ。辛い。わたしは顔をしかめる。思わず口を醜く開く。さぞ醜いさまだろう。この辛さ醜くさを続けてまで、いつまであの方はいのちを担って行けといわれるのだろうか」
「こんなに痩せ細ってしまって、この先どうするのだろう。私はともかくこうして二十七まで生きたんだから、もう死んでもいいのだと思うのだが。一日々々と醜く苦しませないで早く死なせて貰いたい。丈夫な時には、希望も、歓楽も、恋もあったが、病気になってみれば何にもない。死ねばどうなるのか私はそれを知らない。病が苦しいから死のうと思うだけだ」
「蛙の声が穴の中まで聞えて来る。外は春なのだなあ。蛙よ、唄ってくれ唄ってくれ。私はお前の唄に聞き惚れつつ、さまざまな思い出の中に眠るのが今はたった一つの楽しみなのだ。死というものの状態に似ているらしい眠りに就くことが……」
 その声は妙に水無瀬女の心に染みた。この時代に在っては、およそ生きとし生けるもので、生こそは欲すれ、死を望むことはいかなる条件の代償を得るにもせよ心に無いことだった。従ってその声のいうところは女に珍らしかった。女は、ここにも女神のために出来た奇妙な怪我《けが》人が一人いるのかと、久振りに伯母に対する義憤を催して、弟はその辺の狩に出し遣り、自分は洞穴《ほらあな》の中へ入って行った。
 弟が用意して呉れた僅な松明《たきまつ》の灯を掲げて、女は洞穴の中へ入って行った。歯朶《しだ》が生い囲んでいる入口の辺を過ぎると、岩窟の岩肌が灯に照し出された。頬を掠めて蝙蝠《こうもり》らしいものが飛んで女を驚した。
 僅な松明の灯に照し出される岩肌は、穴の屈曲に従って 拗《ねじ》けた瘤《こぶ》をつけ 波打つ襞《ひだ》を重ねる。岩室がぽっかり袋のように広くなったところもある。洞内の貫きよう、壁皴《かべひび》の模様、かてて加えて、岩徹る清水は岩の肌を程よく潤して洞は枯石の成るところのものとは思えない。女はなにかしら柔かくふにょふにょしたものの中を行くと思い做《な》されて来た。しかもそのなにかしらと感じていたものが、ふと生けるものの、女性の胎内とはかかるものではないかと思い浮べられて来たときに、女はわれ知らず、身体が熱くなり、顔の赭くなるのを覚えた。
 岩角を一つ曲ると、かすかな燈火の灯かげに照し出され、一人の若い男が、天井から垂れ下っている大きな乳房に吸い付いて余念もなく啜っている不恰好なさまを見出した。女はつい松明を取落し「あらっ!」と叫ばざるを得なかった。
 この若い男は、科野《しなの》国の獣神であって、福慈の女神により人間に化せしめられつつあるうち病気をしてしまったのでこの洞窟内で療養せしめられているのだといった。
 男の吸う乳房は、やはり岩瘤の一つで天井から垂れ下ったものであるが、尖には乳首の形もあった。これに伝わって滴る雫は、霊晶の石を溶し来て白濁し、人間の母が胸から湧かすところの乳の雫そのままであった。
 若い獣神はいう「この乳を、あの方は、生に対しても根が尽き果て、さればといって死へも急げない、生けるものに取っていちばん遣り切れないときに飲めと仰《おっ》しゃるんです。そのときがいちばん利くと。でも、そういう場合に飲もうとする努力は苦しいものですね」
 若い獣神はしきりに咳き込んだ。水無瀬女は背を撫でて介抱してやった。
 燈火のかすかな灯かげで女は獣神をよく見た。眼は落ち窪み 頬は痩《こ》け削《そ》げているが、やさしいたちの男らしかった。獣神にもこんな男がいるのか。女は眼を瞠った。ただ顔立ちに似気なく厚肉の唇は生《なま》の情慾に燃え血を塗ったようだった。男は荒い毛の獣の皮を着ていた。その衣の裾が岩床に敷くまわりに一ぱい痰《たん》が吐き捨ててあった。その痰の斑には濃い緑色のところと、黄緑色のところと、粘り白いところとある。淡く白いのは唾らしく無数の泡を浮べていた。眉をひそめて、それを眺めていると見て、男はそれを指しながらいった。
「こいつ等が、咽喉にうにょうにょして停滞しているときは、全く無作法な獣たちですね。私はそれが邪魔だから吐き出す。だがその度びに私から獣としてのいのちは吐き出されて行き、そのあとに果して人間のいのちが私に盛り上って来るか判りゃしません。いくらあの方が神仙の乳を飲まして下すったって……」
 いうことがどういうふうに女に響くか窃視《ぬすみみ》したのち、
「ねえ、お嬢さん。それで私はこの憎らしい、私を苦しめる痰を、吐き出すときに、一々、舌の上に載せて味ってやるんですよ。獣のいのちの名残りにしてそれには淡く塩辛いのもあり、いくらか甘くて――」
 といいかけたとき、女は急いで袖を自分の鼻口に当て手を差し出して止めた。
「もういいもういい。話は判っててよ」
 女は、この類《たぐ》いで、この若き獣神が生きとし生けるものの醜悪の底の味いを愛惜し、嘗め潜って来たであろうことを察して、悪寒《おかん》のある身慄いをした。と同時に不思議や亀縮《かじか》んでいた異性に対する本能の触手が制約の撻《むち》を放れてすくと差し延べられるのを感じた。
 男は苦しく薄笑いしながら、
「じゃ、こんな話は止めにしましょう、だがね、お嬢さん、洞の外は、すっかり春でしょう。青々とした春でしょうねえ。うらやましいこった」
 といったときには、女はもうこの男の傍を離れ難くなっていた。女は、
「たとえ、この男が、伯母さんに失恋した、いわば伯母さんの剰りものにしたところで、いいや、あたしはこの男を得るかも知れない。あたしはもう伯母さんに嫉みも恨みもなくなった。伯母さんにはまた伯母さんとしてのたくさんな担いものがあるらしいから」
 胸にこう自問自答して、女は洞の中の男の傍に介抱すべくとどまった。

 山は晴れ、麓の富士桜は、咲きも残さず、散りも始めない一ぱいのときである。洞から水を汲みに出た水無瀬女は、浅黄の空に、在りとしも思えず、無しと見れば泛ぶかの気の姿の、伯母の福慈の女神に遇った。
 女神はころころと笑った。
「水無瀬女よ、めぐし姪姫よ。山と岳神と二つになってる時代は去った。しばらくは人を中心にあめつちは支えられる。ただし、神を享けぬ人は低かろう、ただし獣の力を帯ばない人は弱かろう。看よ、看よ。わたしは山一つを人に遺して置く。山一つ。すべての訓えはこれにある。岳神のわたしは失《う》する。失することの楽しさ。失するということはあんた方の中に得ることである。あんたが悩むとき、美しくあるとき、青春に萌ゆるとき、わたしは在る。ほんとうに在る。あんたの肉体そのものに感ぜられるまでに、わたしは在る。今ぞわたしは失する。さくらの空に朗々と失することの楽しさ」
 またころころと笑う声は、珠うち鳴らしつつ距り行くが如く、霞を貫きおお空の宙にまであとをひいていつとしもなく聞えなくなった。
 福慈の岳の噴煙は激しくなって、鳴動をはじめた。

  不二の嶺《ね》のいや遠長き山路をも妹許《いもがり》訪へば気《け》に呻《よ》はず来《き》ぬ

 富士の西南の麓、今日、大宮町浅間神社の境内にある湧玉《わくたま》池と呼ばれる湛えた水のほとりで、一人の若い女が、一人の若い男に出会った。
 頃は、駿河国という名称はなくて、富士川辺まで佐賀牟《さがむ》国と呼ばれていた時代のことである。
 若い男は武装して弓矢を持っている。若い女は玉など頸にかけ古びてはいるがちょっとした外出着である。若い男は女をみると、一時|立竦《たちすく》むように佇《とま》り、まさ眼には見られないが、しかし身体中から何かを吸出されるように、見ないわけにはゆかないといった。
 女は、自分の前に佇った男は、身体の割に、手足が長くて、むくつけき中に逞しさを蔵している。獣のように毛深い。嫌だなと思うほど、女を撃《う》ち融《とろ》かす分量のものをもっている。女は生れ付きの女の防禦心から眼をわきへ外らした。しかし身体だけは、ちょっと腰を前横へ押出して僅かなしな[#「しな」に傍点]を見せた。池のほとりの桔梗《きちこう》の花の莟《つぼみ》をまさぐる。
 しばらく虚々実々、無言にして、天体の日月星辰を運行《めぐ》る中に、新生の惑星が新しく軌道を探すと同じ叡智が二人の中に駈け廻《めぐ》った。
 やがて男は、女の機嫌を取るように、ぎごちなく一礼した。
 女も、一礼した。
 今度は、男は眼に熱情を籠めて、じーっと見入った。女は下態はそのままで、上態は七分通り水の方へ捩じ向け、ふくふく水溜りの底から浮く、泡の湧玉を眺めている。手は所在なさそうに、摘み取った桔梗の枝の莟で、群る渚の秋花を軽くうっている。
 男の心の中に、表現し得ずして表現し度い必死の気持が、歯噛みをした。
 事実、男の歯はぱりぱりと鳴った。
 男は切なく叫ぶ、
「この大根《おおね》、嫁《とつ》かずであれ、――今に」
 といい、あとをも見ずに駈け去った。その走り方は、不器用な中に鳥獣のような俊敏さがあった。
 女は、きゅっきゅっと上態を屈めて笑った。男が精一杯のやけ[#「やけ」に傍点]力を出して自分をこの蕪野な蔬菜に譬えたのがおかしかった。
 女は笑いながら、しかし拵《こしら》えたものでなく、自然に、このことをおかしみ笑える自分を、男に見せられなかったのを残念に思った。そこにすでに男の虚勢を見透し、見透すがゆえに、余裕|綽々《しゃくしゃく》とした自分であることを男に示したかった。その余裕から一層男を焦《じ》らせて、牽付け度い女の持前の罪な罠もあろう。
 笑ったあとで、女は富士を見上げた。はつ秋の空にしん[#「しん」に傍点]と静もり返っている。山は自分の気持の底を見抜いていて、それはたいしたことはない、しかしいまの年頃では真面目にやるがよいといっているようでもある。
 高い峯を起して、鳥が渡って行く。次に次に。
 それは水溜りの泡の湧玉のように無限に尽きない。絶頂をわざわざ越す鳥は純な鷺だけだといわれているが、あの鳥はそうなのか。
 女は、
「ばかにしている」
 といって、つまらなさそうに、桔梗の莟の枝を水溜りに投込んだ。落魄《おちぶ》れた館へ帰って行った、
 二三日経って女はまた湧玉の水のほとりで、男と会った。男は、手頃に傷けてまだ息を残さしてある雄鹿を小脇に抱えていた。女を見出すと、片息の鹿を女の足元に抛り出した。それから身体中が辛痒ゆい毒の歯に噛まれでもするようにくねらせた。眼から鉾を突出すよう女を見入った。
 女は思慮分別も融けるような男の息吹きを身体に感じた。しかし前回での男とのめぐり合いののち、富士を眺め上げて、それはただ血の気の做すわざなんだか、もっと深く喰入るべきものがあるような気がしたのを想い出して、自然と抑止するものがあった。
「どうなしたの」
 とすずろのように訊いた。女は足元に投出された血だらけの矢の雄鹿を見ても愕かず、少しわきへ寄っただけであった。男の何かしら廻り諄《くど》い所作の道具に使われて、命を失いかけている小雄《さお》鹿を、その男と共に、無駄なことの犠牲になった悲運のものと思うだけだった。ただ、しゅくしゅく鳴きながら苦しみを訴える鹿の眼の懸命に戸惑う瞳の閃きに一点の偽りもないのを見ると掻き抱いてやり度いようだった。
 男は口を二三度もぐもぐさしたが、やはりいい出せなかった。女の方が却って男の不器用を察して気ずつない思いを紛《まぎ》らすために、わきを向きながら小さな声で唄った
 など  黥《さ》ける利目《とめ》
 など  黥《さ》ける利目《とめ》
 これは、男の顔を、ちらと見たとき、自然と思い浮べられた歌の文句だった。
 この薑《はじかみ》、口疼《ひび》く
 男は、叫ぶと猛然、女の代りに鹿に飛びかかって、毛深く逞しい拳を振り上げて、丁々と撃った。すでに傷き片息になっている毛もの[#「もの」に傍点]のこととて、※[#「足へん+宛」、第3水準1-92-36]《もが》くまもなく四股をくいくいと伸して息絶えた。なべてものの死というものの、何かおかしみがありながら頭を下げずにはいられない神秘を女は見透した。
「なんて、可哀相なことをなさるの」
 女は務めのようにそういった。
 男は、夢中で狂気染みた沙汰を醒めて冷く指摘されたように、口|銜《くぐま》り、みると額に冷汗までかいている。「この大根、嫁かずであれ、――今に」そういうかと思うと、たちまち、男はまた、不器用にも俊敏に去った。
 女は、何となく本意なく、富士の高嶺を見上げた。その姿は、いま眼のまえに横っている小雄鹿の死と同じ静謐さをもって、聳えて揺り据っている。今日も鳥が渡っている。

 男はそのかみ、神武御東征のとき、偽者《にしもの》土蜘蛛と呼ばれ、来目《くめ》の子等によって征服されて帰順した、一党の裔《すえ》であった。その祖先は天富命《あめのとみのみこと》が斎部の諸氏《もろうじ》を従え、沃壌地《よきところ》を求《ま》き、遥に、東国の安房の地に拓務を図ったのに、加えられて、東国に来り住んだ。種族の血を享けてか、情熱と肉体の逞しさだけあって、智慧は足りない方だった。彼は強いままに当時の上司の命を受けて、東国の界隈の土蜘蛛の残りの裔を討伐に向った。たまたまこの佐賀牟の国の富士の山麓まで遠征した。
 一方女は水無瀬女と獣の神の若者との間から生れ出て多くの門裔がこの麓の地に蔓《はびこ》ったその宗家の娘であった。祖先の水無瀬女から何代か数知れぬ継承の間に、宗家は衰え派出した分家、また分家の方が栄えた。どういうわけであろう。界隈の昇華した名家々々の流れを相互に婚姻を交えている間に、家の人間に土より生い立てる本能の慾望を欠き、夢以外に食慾が持てない咀嚼力の精神になってしまったのも原因の一つであろう。この女も人情のことは何でも判っていて、あまり判り過ぎるが故に、男に興味が持てなくなったという側の女となってしまっていた。
 ところがこの頃、湧玉の水のほとりで、度び度び遇う男は、女の醒めたものを攪乱する野太く、血熱いものを持っている。下品で嫌だなと思いながら、無ければ寂しい気がする。そして興味を牽いて救われるのは、その男が唖者のように表現の途を得ないで、いろいろに感情の内爆や側爆のこういう所作をすることである。
 それから後も、男は、得意の弓矢の業をもって、麓に住む荒い獣を半殺しの程度にして狩り取り、湧玉の水のほとりに待受けていて、女を見ると、屠《ほふ》り殺した。
 小牛ほどの熊を引ずって来て、それに掌で搏たれ、爪で掻れながら彼は、組打ち、小剣で腹を截り裂いた。截り裂くと同時に、彼は顔をぐわと、腹の腑の中に埋めた。血潮が迸る。彼は頭を腑中に抉《こ》じていたが、すぐ包もののような塊を銜《くわ》え出した。顔中のみか鬚髪まで血みどろになって恐ろしく異様な生ものに見えたと銜えた包もののような塊からも繋る腑の紐からも黒いほどの獣の血が滴った。彼はそうしながら、しょんぼりとして女の前に立つ。これはなんのつもりだろう。すると、不思議に、女は顔蒼ざめさせ体は慄えながら一種の酔心地とならざるを得なかった。生れて始めて力というものが身の中に育まれるのを感じた。
 だが女はこの気持を通しての、酔えるままにこの男と融け合ったならどういうところへ行くであろうと危く思う。
 女は、そ知らぬ顔をして富士を見上げた。碧い空をうす紫に抽き上げている山の峯の上に相変らず鳥が渡っている。奥深くも静な秋の大山。
 女は、所詮、どっちかからいい出さねばならない羽目が近付いているのを悟った。母親も気付いて相手の身分を図《はか》り近頃はぐずぐずいう。しかしこの情熱を生のままでは、たとえこのまま二人は結ばれたにしろ、のちのあくどさ[#「あくどさ」に傍点]が思い遺られる。
 その日はやはり「この大根、嫁かずであれ、――今に」といって駆去った男が、その翌日、何にも獣は持たずに水のほとりに来た。女を見ると、矢庭に弓矢を女に向けて張った。男はこの頃の興奮と思い悩みに、いたく痩せ衰え、逞しい胸で息せき切っている。かくしてもまだ口ではいい出せず、弓矢をもって代弁させなければならない、荒い男の高ぶった憶しごころを女ははじめて憐れとみた。
 女は、手で止め、ふと思い付き
「朝な朝なこの水に湧く、湧く玉の数を、数え尽しなさったら」
 寂《さび》しく笑いながらいった。男は弓矢をそこに抛《ほう》り出し、ぐずぐずと水のほとりに坐した。

 富士が生ける証拠に、その鼓動、脈搏を形に於て示すものはたくさんあるが、この湧玉の水もその一つであった。朝日がひむがしの海より出で、山の小額を薔薇色に染めかけるとき、この水の底から湧く泡の玉は特に数が多い。夜中に籠れる歇気を吐くのであろうか、夜中に凝る乳を粒立たすのであろうか、とにかく、この湧玉をみて、そして峯を仰ぐとき、確に山の眼覚めを思わせる。泡の玉は暗い水底より早昧そのものの色である浅黄色の中に、粒白の玉として生れ出で、途中真珠の色に染め做されつつ浮き泡となり水面に踊って散り失す。あなやの間ではあるが、消えてはまた生まれ、あちらと思えばこちら、連続と隠顕と、ひととき眼を忙失させるけれども、なお眼を放たないなら、眺め入るものに有限の意識を泡にして、何か永遠に通じさすところがある。ふつふつ、ふつふつ。仰げばすでに、はっきり覚めて、朝化粧、振威の肩を朝風に弄《なぶ》らせている大空の富士は真の青春を味うものの落着いた微笑を啓示している。
 男は今度、女が来たとき
「数は数え終えたよ」と微笑した。
 しかし、女はなお、男を試みて
「夕な夕な山を越して来る、鳥の数を数えなさったら」
 といった。
 男は秋の夕山を仰いで、渡り来る鳥群に眼をつけた。
 陽が西に沈むにつれ山は裾から濃紫に染め上って行く、華やかにも寂しい背光に、みるみる山は張りを弛めて、黒ずみ眠って行く。なお残る茜《あかね》の空に一むれ過ぎて、また一むれ粉末のまだら。無関心の高い峯の上を、その鳥群のまだら[#「まだら」に傍点]だけが愛を湛えて、哀しい大空にあたたかい味を運んで行く。
 今度女が来たとき男はいった。
「あの山を越す哀しい鳥の数も数え尽した」
「もう、いいわ、じゃ、ね」


  さぬらくは玉の緒ばかり恋ふらくは不二の高嶺《たかね》の鳴沢のごと

  駿河の海磯辺《むしべ》に生ふる浜つづら汝《いまし》をたのみ母にたがひぬ

底本:「岡本かの子全集6」ちくま文庫、筑摩書房
   1993(平成5)年9月22日第1刷発行
親本:「岡本かの子全集」冬樹社
入力:穂井田卓志
校正:高橋由宜
1999年10月14日公開
2004年1月10日修正
青空文庫作成ファイル:
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岡本かの子

病房にたわむ花—– 岡本かの子

 春は私がともすれば神経衰弱になる季節であります。何となくいらいらと落付《おちつ》かなかったり、黒くだまり込んで、半日も一日も考えこんだりします。桜が、その上へ、薄明の花の帳《とばり》をめぐらします。優雅な和《なご》やかな、しかし、やはりうち閉《とざ》された重くるしさを感じます。日本の春の桜は人の眉《まゆ》より上にみな咲きます。そして多くは高々と枝をかざして、そこにもここにもかしこにも人を待ちうけます――時にはあまりうるさく執拗《しつよう》に息づまるようななやましさをして桜は私の春の至るところに待ちうけます。こんな神経衰弱者の強迫観念や憂鬱《ゆううつ》感は桜にとって唯《ただ》迷惑でありましょう。しかしそれらは却《かえ》って私が桜を多くめでるのあまり桜の美観が私の深処に徹《てっ》し過ぎての反動かもしれません。かりに桜のない春の国を私は想像して見ます、いかに単調でありましょう。あまり単調で気が狂《くる》おう(※[#感嘆符疑問符、1-8-78])そして日本の桜花の層が、程《ほど》よく、ほどほどにあしらう春のなま温い風手《かざて》は、徒《いたずら》に人の面《おもて》にうちつけに触り淫《みだ》れよう。桜よ、咲け咲け、うるさいまでに咲き満《み》てよ。咲き枝垂《しだれ》よかし。
 だが、まだ私は、桜花に就《つ》いての憂鬱感や強迫観念を語りやめようとするのではありません。
 十年前、私は或《あ》る出来事のために私の神経の一部分の破綻《はたん》を招いたことがありました。私の神経がそのために随分|傷《いた》んでしまいました。その春、私が連れて行かれたその狂院《きょういん》に咲き満ちて居《い》た桜の花のおびただしさ、海か密雲《みつうん》に対するように始め私は茫漠《ぼうばく》として美感にうたれて居るだけでした。が、やがて可憐《かれん》な精神病患者が遊歩《ゆうほ》するのを認めて一種|奇嬌《ききょう》な美の反映をその満庭《まんてい》の桜から受け始めました。無意味ににやにや笑うもの、天を仰《あお》いで合掌《がっしょう》するもの、襦袢《じゅばん》一つとなって、脱いだ着物を、うちかえしうちかえしては眺《なが》むるもの、髪をといたり束《たば》ねたりして小さな手鏡にうつし見るもの、附《つ》き添いに、おとなしく手をとられて常人のごとく安らかに芝生《しばふ》等の上を歩《あゆ》むもの、すべて老若《ろうにゃく》の男女《なんにょ》を合《あわ》せて十人近い患者の群《むれ》が、今しも、病房《びょうぼう》から昼餉《ひるげ》ののちの暫時《しばらく》を茲《ここ》へ遊歩に解放されて居るのだと分《わか》りました。桜花が、しっきりなしにそれらの上へ散りかかります。患者のうちのあるものは、うるさそうにそれを髪から払いのけ、あるものは手を振ってよけました。が多くは、細かい花びらが頬《ほお》を掠《かす》めて胸に入っても、一向《いっこう》無関心でありました。無関心が一層《いっそう》あわれを誘いました。私は、診察の順番を待つ間――一時間近く――うかうかとその場景《じょうけい》に見入って居《お》りました。先刻《せんこく》から、殊《こと》に私の眼をひいた一人の四十前後の男の患者がありました。日露戦争の出征《しゅっせい》軍歌を、くりかえしくりかえし歌っては、庭を巡回《じゅんかい》して居《い》ました、その一回の起点が丁度《ちょうど》私達の立って見て居る廊下《ろうか》の堅牢《けんろう》な硝子《ガラス》扉《とびら》の前なのです。男は其処《そこ》へ来る毎《ごと》に直立して、硝子扉|越《ごし》の私達を見上げ莞爾《かんじ》としては挙手《きょしゅ》の礼をしました。私達もだまって素直に礼を返してやりました。男はそれに満足しまた身を返して広い桜庭を円形に歩み出すのでありました。軍歌は、幅の広いバスで、しかもところどころひどくかすれるのです、それは気のふれたひとの声の特長だとあとで聞きましたが、まことに悲痛に聞《きこ》えました。男は日露戦争中負傷の際に気が狂って以来ずっと茲《ここ》の病房《びょうぼう》の患者であるそうですが、病状は慢性な代《かわ》りに挙措《きょそ》は極めて温和で安全であると聞きました。その可憐《かれん》な男が、私達の前の一回の起点へ来る度《たび》に、一度は一度より増して桜の花片《はなびら》を多く身に着けて来るのでした。とりわけ男の頭へ沢山《たくさん》に散りかかって居る花片の間からところどころ延びた散髪に交《まじ》って立つ太い銀色の白髪《しらが》が午後の春陽に光って見えるのでありました。私はそれを見つけて見る見る憂鬱《ゆううつ》になってしまいました。私に附《つ》き添って居た者が気がついて私を診察室の方へ連れて這入《はい》ろうとした時に、廊下の突き当《あた》りの中庭を隔てた一棟の病房から、けたたましい狂女のあばれ狂《くる》う物音が聞《きこ》え始めました。茲にもたわわに咲きたわんだ桜の枝の重なる下――その病房の一つの窓が真黒く口を開けて居《お》りました。そこからかすかに覗《うかが》われる井の中の様《よう》な病房の奥に二人三人の人間の着物の袖《そで》か裾《すそ》かが白くちらちらと動いて見えました……私はあわてて目を逸《そ》らしました。あわてた視線が途惑《とまど》って、窓辺《まどべ》の桜に逸れました。私はぞっとしました。その桜の色の悽愴《せいそう》なのに。

 ずっと前の或《ある》夜、私は友の家の離れの茶室《ちゃしつ》に泊《とま》りました。私は夜中にふと目をさましました。戸の外を、桜|樹立《こだち》がぐるりと囲む……桜が……しんしんと咲き静まった桜樹立が真夜中に……棟《むね》を圧《あっ》して桜樹立が……桜樹立がしんしんと……私は、ぞっとして夜具《やぐ》をかぶった。
 私はあくる日の朝日がたけて、その部屋のまわりの桜樹立が明るくあたりにかがやくころ目をさました。私の体は夜具の底にかたく丸まり、じっくりと汗になって居《い》ました。

底本:「愛よ、愛」メタローグ
   1999(平成11)年5月8日第1刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集」冬樹社
   1976(昭和51)年発行
※「奇嬌《ききょう》」「しっきりなし」「じっくりと汗に」の表記について、底本は、原文を尊重したとしています。
※底本の「聞《きこ》こえ始めました」を「聞《きこ》え始めました」に改めました。
入力:門田裕志
校正:土屋隆
2004年3月30日作成
青空文庫作成ファイル:
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岡本かの子

扉の彼方へ——- 岡本かの子

 結婚式の夜、茶の間で良人《おっと》は私が堅くなってやっと焙《い》れてあげた番茶をおいしそうに一口飲んでから、茶碗を膝に置いて云いました。
「これから、あなたとは永らく一つ家の棟《むね》の下に住んで貰わなければならん。遠慮はなるべく早く切り上げるようになさるがいい」
 私は良人にこう云われると、持ち前の子供らしさが出てつい小さな欠伸《あくび》を一つ出して仕舞いました。良人はそれを見るとやや嗄《か》れたような中年男の声に、いたわりの甘味をふくめて、「ははあ」と軽く笑って云うのでした。
「一日中人中で式や挨拶やで嘸《さぞ》窮屈疲れがしたでしょう。今夜はゆっくり寝みなさるがいい。廻り椽の角の日本座敷、あすこはこの先ともずっとあなたの部屋になるところだから、どうにでも気儘《きまま》にして寛《くつろ》いで下さい」
 私はどぎまぎして良人のいうことの意味はよく酌《く》み取れませんでしたが、良人の気性を充分に知っている私は、夫のそのいたわりを全部善意にうけ取ることが出来ました。私は小学生が復習の日課を許して貰ったように、お叩頭《じぎ》をして、つい、
「有難うございます」と云って仕舞いました。
 そして「おやすみなさいまし」と元気よく云って立ち上り、良人が呼んで呉れた老女に導かれて部屋へ退こうとしました。その時良人はちょっと手を上げて私を呼び止め、微笑しながら云いました。
「あなたを大切にして上げる気持ち、判ってるでしょうね」
 私は、さきにも云いました通り、夫の言葉を全部善意に解して、何を誤解などしようかと、その時も何の気も付かずにいましたが、なるほどあとで考えれば、相手に嫌われてるのではないかと、まだ相手は心に打ち解けられないものを持っているのではあるまいかなど、随分疑ってもよい、良人の仕打ちでないことはありませんのです。私がずっと年下の後添《のちぞ》いの妻であるだけに、それが一層あってよい筈でした。
 ここでちょっと、私と只今の良人との結婚の事情を説明して、お話しますが、良人はもと私の父に使われていたある種の科学研究所の助手で、父と何か意見の衝突があって、学問は思いとどまり、自分で事業を経営して見たがうまく行かず、一度外国へ立退いて帰ってから一廉《ひとかど》の事業企劃家《プラン・メーカ》になったのだそうです。良人は四十も過ぎているし、私はやっと二十二の春を迎えた許《ばか》りですし、誰が見ても順当に運んだ新郎新婦とは受取りますまい。良人が父の助手時代は、私はまったくこどもで、良人の動静については殆ど知りませず、年頃になってから、正月と盆にだけ私の実家へ挨拶に来る紳士があって、それが今の良人であったのですが、ただ普通に義理堅い父の旧弟子の一人と思っていただけです。その時分はもう父はなくなっていましたから、良人は座敷へ上りはするが、母に会ってお土産《みやげ》の品を出し、簡単な世間話や、時候の挨拶位で、帰って行きました。
 たまたま私が居合せると、女中に代ってお茶を運ばせられることぐらいはあり、その時良人は私に向って、愛想に西洋の娘さんの話などしたり、ある時はまた父の在世中の逸話など二三して、「お亡《な》くなりになってから、やっぱり先生は偉い方だったと想い出されます」と母と私に向って、等分に云ったりしたのを覚えています。
 その人は骨組ががっしりして大柄な樫《かし》の木造りの扉《ドア》のような感じのする男で、橙《だいだい》色がかったチョコレート色の洋服が、日本人にしては珍らしく似合うという柄の人でした。豊な顎《あご》を内へ引いて髭《ひげ》はなく、鼻の根の両脇に瞳を正しく揃《そろ》え、ごく僅か上眼使いに相手を正視するという態度でした。左の手はしょっちゅう洋袴《ずぼん》のポケットへ入れていましたが、胸のハンカチを取出すとき、案外白い大きい手の無名指《くすりゆび》にエンゲージリングの黄ろい細金がきらりと光ったのを覚えています。
 その人が帰ったあと、私は母に何気なく
「あの方、結婚してなさるの」と訊きますと、母は
「してなさるが、どうも奥さんと面白くない噂でね」と云いました。

 私はそのとき、青年の珪次との恋に夢中になっていましたから、こんな壮年の妻帯者に興味どころではなく、全く没交渉の感じしか持っていませんでした。珪次はそのとき私と同じ年の二十一で、みずみずした青年でした。官立大学で経済を学んでいたために、父亡き後の母は、この遠縁に当って足繁く自家へ出入する青年を、何かと相談相手にして、いわば私との恋仲も黙許よりも、寧《むし》ろ奨励する形で、結婚にまで熟するのは容易な道行でありました。それが妨げられたのはたった一つの事件のためであります。
 私の母は気性の派手な、負けず嫌いな、その癖|締《し》め括《くく》りのない、学者の妻というよりは、まあ事業家の妻にした方が適任と思われる性質の女でした。私の家には私の外《ほか》に、弟妹四人あって、男二人は父親似の学者肌ですから、いつ独立して生活費の採れる見込みか判らないし、妹二人も母の性質にすれば、身分以上の仕度をしてよい家へ嫁入らせたかったのでしょう。どっちみちお金が欲しいところです。それで父親が遺して行った多少の動産を、珪次と相談して郷里の銀行へ出資したのだそうです。私はその方面に暗い女のことですからよくも判りませんが、その銀行は組織は無限責任の代りに出資者の利益は多い筈なのだそうです。
 それが見込み違いとなって、銀行はあやしくなり出して仕舞ったものですから、母は珪次を憎み出しました。
「あんな無責任な男はない」
 珪次にいわせると「そう性急《せっかち》に利益を挙げようたって無理だ」
 とにかく、私の行く手は遮《さえざ》られました。私は母に内密でそっと珪次に相談すると、
「関《かま》わないから、家を出てしまい給え。二人とも命がけならどんな事だって出来る」
 こう云った珪次と二人で思い切って借りて住んだアパートの生活も、始めは面白く行きましたが、すぐ珪次は飽きて来ました。
「やっぱり幸福には金は附きものだな。何とかして来よう」
 明るく気が利いて美貌の青年はどこの知合いへ行っても、おいしいものやお酒にはありつけます。しかし、お金を貸して呉れるほどの親身な知合いはありません。
 夜おそくドアを叩いて、ほろ酔い機嫌をわざと渋い表情で押えながら、
「きょうは留守の家ばかりにぶつかってね。あしたはきっと何とかなるよ」
 それから世間で聞いて来た面白い話や、とても景気のいい私たちの未来の空想話をして、床に入ると思うと、いい気持ちそうに直《す》ぐに鼾《いびさ》をかきました。
 それも度々では私に間が悪くなったと見え、三日目に一夜、二日目に一夜、友達の下宿へ泊って帰らぬようになりました。そのころのことです。ふと新聞の社会面で、今の良人の及川の妻が他の男と心中をした記事が出ているのを見つけましたのは。私はそのとき母がいつぞや「及川さん夫婦はうまく行かない」と云った噂は本当であり、そうまで妻にさせた及川にどんな事情があるにせよ、やっぱり酷い男なのではないかと思いはしたが、そのときの私には人の身の上を深く批判している余裕もなく、一途《いちず》に感情的な気持ちになって、それが自分達の身の上にふりかかっているせつなさと入り交って仕舞いました。珪次だとて、自分を嫌ってつれなくするのでなく、つまりは仕方なくなってこうもしているのだということが判っているものですから、ふと及川の妻の行為を知ってから、それに示唆されるような具合いに、むしろあしたでも帰って来たら、最初家出のときの覚悟の実行を珪次に勧めてみようかと思い定めて寝ました。
 そして、あくる朝、再びその新聞を見ると、八百屋が買物の蒟蒻《こんにゃく》を包んで呉れた古新聞で、日附は一年半ほども前の出来事です。私は何だか気が脱けてしまって、なんだと思っているところへ、ひょっこり帰って来た珪次の顔を見ると、生れつき何の屈托も取付けそうにない爽《さわやか》な青年なのを、私ゆえのために、こうもしょんぼりさせているのかと思うと、いじらしいような楽しみのような気持ちが起りまして、
「こらっ、いけずやさん、なぜ帰ったの」と笑いながら責めてやりました。すると珪次は案外に立ち勝った私の迎え方に有頂天になって、私の肩を抱えて、「御免、ね」と子供のように謝《あやま》りました。私は何とも知れぬ涙がはらはらと零《こぼ》れて、花のようなこの青年を決して私のために散らすまい。もし、そういう羽目にもなれば、自分一人だけの所決にしようと決心しました。
 その日は私の持ちものの最後を洗い浚《ざら》い持たせてやって、金に代えさせ、珪次を存分に御馳走してやりました。

 また二日ばかり経った珪次の留守の日のこと、私は小さい土鍋で、残った蒟蒻をくつくつ煮ていました。一寸《ちょっと》書き添えたいのですが、私はどういうものか子供の時から、あの捉えどころのないような味と風体《ふうてい》で人を焦《じ》らすような蒟蒻が大好物でした。私は鉛のような憂鬱に閉されて、湯玉で蒟蒻の切れの躍るのが、土鍋の中から嘲笑《あざわら》うように感じられるので、吹き上げるのも構わず、蓋《ふた》でぐっと圧《おさ》えていました。何も食べるものの無くなった今、蒟蒻は貴重な糧食であるばかりでなく、私はどうせ餓死するなら蒟蒻ばかり食べて死のうと、こんないこじな気持ちを募らせていました。丁度その時です。
「お嬢さん、クッキングですか」
 普通の人の背では届かぬアパートの部屋の窓の硝子《ガラス》戸の隙から、帽子の下の及川の正しく並んだ眼が覗《のぞ》いていました。顔は痩せて蒼黒く見えました。私は思わず部屋着の胸を掻き合せました。

「私も人生の失敗者です。その失敗者が同じ失敗者のあなたをお迎えに来るなんて妙なわけですが、おかあさまがお気の毒なので、お頼みをそのまま引受けてお迎えに参りました。場合によっては、自分のことは棚に上げて、ご意見でも何でも申しますよ」
 二人が部屋に向き合ってからの及川の言葉でありました。
 及川は寂しそうに笑いました。私はその男の寂しい笑顔を見ると、自分と珪次があんなに突き詰めて情熱を籠めて行動して来た生活が、まるで浮いた戯《たわむ》れのように顧られました。何と抗《さから》うてみても体験で固めたこの厚い扉のように堅く寂しい男の笑顔に対しては、爪も立たないように思われました。私をある悲惨な決意にさえ導きそうな現在の憂鬱さえ、彼の前にはまだ甘いものに感じられました。しかし、彼に黙って迎え取られて行く前に、たった一つ訊いてみなければならないことがある。私はちょっと口籠《くちごも》りながら、しかし勇気を起して訊ねました。
「あの、あなたの奥さまの悲劇はどういうことから起りましたの」
 すると、及川はぐっと口を結んだが、額《ひたい》の小鬢《こびん》には興奮の血管が太く二三筋現れました。けれどやがてその興奮をも強く圧えてから云った。
「つまり、私があんまり完全無欠に女を愛し切ろうとしたためです。あの種の女に取ってはそういう男の熱情がただ圧制とばかり感じられて、死にもの狂いの反抗心を起させると見えます。こんなことを人に話しても判って貰えないかも知れませんが……」
 及川は顔を悪魔のように皺《しわ》めて、
「やっぱり女には一部分それとなく気ままな自由を残して置いてやらなければ息がつけないと見えますね」
 悔いと怒りを堪えるために却って無表情に帰した中年男の逞ましい意旨だけが、大きく瞠いた眼と、膨れた鼻孔とに読めました。
「私も前半生に於て痛切な勉強をしたものです」と彼は小さく声を低めて云いました。
 私はむくりと骨から剥がれた肉の痛みのようなものを心に感じて、今居ない珪次が可愛相でならなくなりました。その痛みは珪次から離れて、この中年の男に牽かれ始めた私の魂の剥離作用に伴う痛みではなかったでしょうか。

 母の家政のやり方をただ虚栄で我儘と見た旧弟子達は、だんだん寄りつかなくなっていました。一人だけ昔と変りない及川に、母は娘の私を頼むより仕方がなかったのでした。私の少しばかりの身の廻り品を纏《まと》めて小風呂敷包みにして、それを抱えおじさんのように私に附添って母のところへ送り返した及川は、ごくあっさり
「お嬢さまは私が行った時、蒟蒻を煮ておいでになりました」
 と報告しました。私に武者振りついても、飽くまで詰責《きっせき》しようと待構えていた母も、これですっかり気先《きさき》を挫《くじ》かれて、苦笑するより仕方ありませんでした。そのあと母は泣き出して、おろおろ声で及川に頼むのでした。
「今後はこの子をあなたがいつまでも面倒見てやって下さい。私の手には余ります」
 すると及川は案外気さくに引受けて
「は、承知いたしました」
 及川はどういう意味に母の頼みを引受けるつもりか。そう云ってからからと笑いました。それから、眼を深く瞑《つむ》り腕組をして、
「さあ、こういう時に、歿《な》くなられた先生の批判が伺《うかが》い度いものです。及川、貴様は科学者にしては冷静を欠くと、よく先生に叱られたものですが……」
 良人の話によると、珪次は、良人が私との離別を云い出すと、激しく怒ったり泣いたりして、自殺するとまで云ったとのことであります。
「そこで安心して帰って来ました」と良人は云いました。私はあわてて
「それがどうして安心なのでございます」
 と訊いた。良人は
「あの時、珪次君がじーッと眼を据えて、唇を噛み、顔が鉛色にでもなるようだったら、監視も要し兼ねないでしょうが、ああいう風に即座にタップのステップでも踏んでしまうように興奮して仕舞えば、総《すべ》てが発散して、却ってあとには残らんでしょう」
「どうしてそんなことを……」
「僕は自分で苦しんだ体験に無いことは、自分で信じもせず、また人にも云えぬようになっていますね」
 私はこの人は恐ろしい男である。ひょっとすると、この力で巧んで私を珪次から奪い取ったのではあるまいかと、脅迫観念にさえ襲われました。しかし、仮りに奪われて来たにしろ、その力は讃嘆すべき程|頼母《たのも》しかった。こうして私はやがてこの人と結婚式を挙げました。

「どうだね、ここは」
 良人は浴室で一風呂浴びて来た血色のいい肌へ浴衣《ゆかた》に丹前を重ねたものを不器用に着て縁に立ちました。硝子《ガラス》戸越の早春の朝の陽差しを眩《まぶ》しい眼ざしで防ぎながら海を眺めていました。
 結婚後一ヶ月目の年の暮から、私をこの海岸の旅館に寄越して置いて、自分は年始廻りやら、正月の交際を済まして五日の日に宿へ来た彼は、割合に荷嵩《にがさ》な手荷物やらゴルフの道具やらを持ち込んだ。私は宿の女中に手伝って貰って、一先ずそれ等を部屋の中に適当に処置するために働いていました。
「気に入りましたわ。平凡なところが」
 私はこんな返事をしながら、良人があまりに胸高に締め過ぎた帯を後からそっと掴《つか》み下げてやるほど、形だけは遠慮がとれた妻になっていました。良人はちょっと私を振り返って、自分でも帯の前の方をずり下げながら、
「平凡かね。なるほど……いや、気に入らなければどこへでも移ってあげるよ」
 と云って、女中に座敷の中の煙草を取らして、そこの籐椅子《とういす》で、煙をふかし始めました。
「ほんとに皮肉でも何でもなく、平凡なところが結構でございますのよ」
 その平凡なところを結構とする私のこころはこうでありました。若《も》し、秀抜な山のたたずまいや、雄渾《ゆうこん》な波濤の海を眺めやったなら、それを讃嘆する心の興奮に伴って、さすがに埋め尽した積りの珪次との初恋の埋火《うずみび》が、私の心に掻き起されないものでもないような気がしてならなかったのでありました。実際この浜には乾いた枯蘆しかなく、水は遠浅の内海ですが、しかし沖のかたに潮満ち寄せる日中の白帆の群が介殻《かいがら》を立て並べたように鋭く閃めき、潮先の泡に向って飜り落ちてはまた煽《あお》ぎ上る鴎の光って入乱れる影が、ふと眼に入ると、どういうものか私は堪らなくなりました。水はしずしずと渚《なぎさ》に寄せて青く膨れ上る。悠久な天地は悠久なままで、しかも人を置き去りにして過ぎ去って行く。人はどんどん取り残される。淋しいことだ。その時私は珪次も良人も要らない。ただ初恋のあの情熱だけを、いま一度取り戻したい。いのちにかけても、そう思いながら自分で自分の胸を抱いて座敷に立ったまま、嗚咽《おえつ》の声を堪え兼ねるのでありました。
 夜になって闇の沖にいさり火の見えるのも苦しかった。見果てぬ夢をあまり短くして断ったそれを惜しませるような、冷たく揶揄《やゆ》するような沖の篝火《かがりび》でありました。灯は人の眼のように瞬《またた》くだけなお悪ったのです。私は早く月の夜になればいいと希《ねが》いました。月の夜になるとこの辺ではいさり火を焚く舟は出さないのです。
 私はふと気がついて自分の冥想をまぎらすように、
「ばあやどうしています」と良人に訊きました。それと良人が海を眺めていた顔を室内へ振り向けて、
「この宿の食事はどうかね」という言葉とがかち合いました。良人も実は何か考えていたのを紛らすためにいった言葉らしい声音でした。
 二人はただ微笑して、強いて返事を訊く必要もないお互の問いであることを、暗黙に示し合いました。そして暫くの間、浜辺に近い遠浅の春のようにあたたかい陽がのろりのろり淀んだ海面に練られている穏かな平凡の中に、万事を忘れるようにしました。岬をめぐって来る汽船の汽笛の音が聞えました。
「ほんとにこんなに永く滞在していて、あなたのお仕事はよいのですか」と私は良人に訊きました。正月も二十日過ぎです。
「僕はある点無茶な男でね。これが一番人生で、値打ちがあると信じたことに向っては、万事を放擲《ほうてき》して目的に取り組む。普段は随分打算家で、世間師の僕だがね。ここのところを君のお父さまは冷静を欠くと叱りなすったし、僕の前の……」と云いかけたが、ぐっと声を太めて、「僕の前の妻は圧制な暴君のように誤解して仕舞ったのだ」
 ここで良人は一寸《ちょっと》私の顔を見て、
「しかし、僕はこれが身上なのだ。これを取り去られては僕というものがない。だんだん判って来たでしょうが、あまり気にしないで呉れ給え」
 私は良人が私をうち見守る眼差の中で、結婚して始めての嬌態を作って、こう云わないでは居られませんでした。
「値打ちのある目的って、どんな目的をお持ちなのよ」
 すると良人は、逞ましい腕を伸ばして私を自分の胸に押しつけました。
「僕のこの頑固な胸を君に開いて貰いたいのだ」
 ああ、それは実に開くに骨の折れる重たい樫の木の扉《ドア》である。そしてその扉は良人の胸にばかりあるのかと思いの外、私の胸にもそれがあるのでした。一ばん困ることは、その扉を開けかけるとその隙間から、まず、結婚前のお互の想い出の辛い悲しい侏儒《しゅじゅ》がちろちろと魂に忍び込むことでした。良人にとっては前の妻であろうが、私にとっては珪次の想い出なのです。今頃、珪次はおとなしく再び学校通いを始めていて呉れているだろうか――。良人は一たん私を静かに胸から離して云いました。
「二人ともこれで実はそうとう深傷《ふかで》を負ってるのだなあ」
 私は生れて以来こんな悲壮な男らしい声を聞いたことがありません。逞ましい雄獅子が自分と妻の致命的な傷口を嘗《な》め労《いた》わりつつ呻《うめ》く、絶体絶命の呻きです。私の身体はぶるぶると慄えました。ここまで苦しんだなら、いくら厚い仕切りでも消える筈だ。私の心はくるりと全体の向きを変えました。二人をこの上とも苦しめようとするのは何者だろう。
 それは想い出だ。青春への未練だ。私はこの男にそれから逃れさすために、自分も潔《いさぎよ》くそれを捨てよう。私は女と生れた甲斐には気丈になって、この男を更生さしてやらなければならない。私は今度は進んで自分から良人の胸へ額を持って行きました。
「私も大人になりますから、あなたも過去のことは打切ってね。それからもう明日にも東京へ帰ることにして、すこしうちの事務の相談でもしましょうよ」
 結婚式は挙げても、二人の心境がほんとうに茲《ここ》まで進まなければ、事実上の良人と妻になってはならない――こう良人は潔い遠慮をし、私も自然にそれに従っていたのが、式後一ヶ月以上の礼儀正しい二人の生活内容であったのです。

 籔蔭に早咲きの梅の匂う浜田圃の畦《あぜ》を散歩しながら、私は良人が延ばしていた前の妻の墓標を建てることや、珪次の学費の補助のことや、感傷や遠慮を抜いた実質的な相談をしました。蒼溟として暮れかかる松林の上の空に新月が磨ぎ出された。一々私の相談を聞き取って確実な返事をしたのちに良人は和《なご》やかな気持ちになったらしい声で微笑しながら、
「この先の八幡が君の大好物の蒟蒻《こんにゃく》玉の名産地だそうだよ。今晩の夕飯に宿へ取寄せて貰って沢山食べ給えよ」

底本:「岡本かの子全集4」ちくま文庫、筑摩書房
   1993(平成5)年7月22日第1刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集」冬樹社
   1974(昭和49)年3月~1978(昭和53)年3月
初出:「新女苑」
   1938(昭和13)年2月号
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2010年3月2日作成
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岡本かの子

晩春—– 岡本かの子

 鈴子は、ひとり、帳場に坐って、ぼんやり表通りを眺めていた。晩春の午後の温かさが、まるで湯の中にでも浸っているように体の存在意識を忘却させて魂だけが宙に浮いているように頼り無く感じさせた。その頼り無さの感じが段々強くなると鈴子の胸を気持ち悪く圧え付けて来るので、彼女はわれ知らずふらふらと立ち上って裏の堀の縁へ降りて行った。
 材木堀が家を南横から東後へと取巻いて、東北地方や樺太《からふと》あたりから運ばれて来た木材をぎっしり浮べている。鈴子は、しゃがんで堀の縁と木材との間に在る隙間を見付けて、堀の底をじっと覗《のぞ》くのであった。
 彼女は、七八歳の子供の頃、店の小僧に手伝って貰って、たも[#「たも」に傍点]を持ってよく金魚や鮒《ふな》をすくって楽しんだ往時を想い廻《めぐら》した。その後、すっかり、振り向きもしなくなったこの堀が、女学校を卒業して暫くするとまた、急に懐《なつか》しくなって堀の縁へ游いで来る魚を見るだけではあったが、一日に一度、閑《ひま》を見て必ず覗きに来た。そんな癖のついた自分を子供っぽいと思ったり、哀なものだと考えたりする。
 今日もまた、堀の水が半濁りに濁って、表面には薄く機械油が膜を張り、そこに午後の陽の光線が七彩の色を明滅させている。それに視線を奪われまいと、彼女はしきりに瞬《まばた》きをしながら堀の底を透かして見ようとする。
 ただ一匹、たとえ小鮒でも見られさえすれば彼女は不思議と気持が納まり、胸の苦しさも消えるのだったが……鈴子が必死になって魚を見たがるのと反対に、此頃では堀の水は濁り勝ちで、それに製板所で使う機械油が絶えず流れ込むので魚の姿は仲々現われなかった。
 魚を見付けられぬ日は鈴子は淋しかった。落ち付けなかった。胸のわだかまりが彼女を夜ふけまで眠らせなかった。魚と、鈴子の胸のわだかまりに何の関係があるのかさえ彼女は識別しようともしなかったが……鈴子は二十歳を三つ過ぎてもまだ嫁入るべき適当な相手が見付からなかった。山の手に家の在る女学校時代の友達から、卒業と共に比較的智識階級の男と次ぎ次ぎに縁組みして行く知らせを受けて、鈴子は下町の而《しか》も、辺鄙《へんぴ》な深川の材木堀の間に浮島のように存在する自分の家を呪《のろ》った。彼女は、自分の内気な引込み思案の性質を顧みるより先に、此の住居の位置が自分を現代的交際場裡へ押し出させないのだと不満に思う。その呪いとか不満が彼女のひそかな情熱とからみ合って一種の苦しみになっていた。
 うっとりとした晩春の空気を驚かして西隣に在る製板所の丸鋸《まるのこ》が、けたたましい音を立てて材木を噛《か》じり始めた。その音が自分の頭から体を真二つに引き裂くように感じて鈴子は思わず顔が赤くなり、幾分ゆるめていた体を引き締め、開きめの両膝をぴったりと付ける、とたんにもくもくと眼近くの堀の底から濁りが起ってボラのような泥色の魚がすっと通り過ぎた。鈴子は息を呑《の》んで、今一度、その魚の現われて来るのを待ち構えた。
「鈴ちゃん、また堀を覗いている。そんなに魚が見度《みた》かったら、水族館へでも行けば好いじゃないか。順ちゃんがね、また喘息《ぜんそく》を起したからお医者へ連れて行ってお呉れ」
 忙がしく母親が呼ぶ声を聞いて鈴子は「あ、またか」と思った。六歳になる一人の弟の順一が昨年の春、百日咳にかかって以来、喘息持ちになって、何時《いつ》発作を起すか判らないので誰か必ず附いていなければならない。
 このお守りさんの為めにも鈴子は姉として母親代りに面倒を見なければならなかった。女学校を出て既に三四年もたち、自分の体を早くどうにか片付けなければならない大事な時期だというのに、弟のお守りなんかに日を送っていることはつらかった。
「誰も、私の気持ちなんか、本当に考えていて呉れない」
 鈴子はそう心に呟き乍らまだ堀へ眼を向けている。
「鈴ちゃん、順ちゃんが苦しんでいるって言っているのに判らないかい」
 母親の嘆くような声が再び聞えると鈴子はしぶしぶ立ち上って「私だって苦しいんだわ」とやけ[#「やけ」に傍点]に思った。しかし、いつまでしぶってもいられなかった。彼女は、急にしゃがんで小石を拾うと先刻ボラのような魚の現われた辺を目がけて投げ込んだ。すると、変な可笑しさがこみ上げて来た。鈴子は少し青ざめて、くくと笑い乍ら弟の様子を見に家へは入って行った。

底本:「岡本かの子全集2」ちくま文庫、筑摩書房
   1994(平成6)年2月24日第1刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集 第十四卷」冬樹社
   1977(昭和52)年5月15日初版第1刷
初出:「明日香」
   1936(昭和11)年6月号
入力:門田裕志
校正:オサムラヒロ
2008年10月15日作成
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岡本かの子

伯林の落葉—– 岡本かの子

 彼が公園内に一歩をいれた時、彼はまだ正気だった。
 伯林にちらほら街路樹の菩提樹の葉が散り初めたのは十日程前だった。三四日前からはそれが実におびただしい速度と量を増して来た。公園は尚更、黄褐色の大渦巻きだった。彼は、始め街をしばらく歩いて居た。こまかい菩提樹の葉が粉のように顔や肩や足元に散りかかった。それはひそかに無性な触覚の気安さから一たび風が吹き出すと、吹雪のように中空に、地上に舞い立ち渦巻くあわただしさと変った。だが、結局高い澄み切った青空の下で北欧の中秋の好晴の日は静粛な午後を保っていた。
 彼は街を足駄で歩いて居た。堅く尖った足駄の朴歯が、世界一堅固な伯林の道路面に当って端的な乾いた反動の音をたてた。その音は、外部に発しないで、一種の確実さをもって、彼の足部から彼の黒い熱塊のような苦痛に満ちた頭部へ衝き上った。程よい衝動は彼の苦痛に響いていくらかの慰撫となった彼は落葉の層をなるだけ除けて、堅い舗道面の露出して居る部分を殆ど、無意識に拾って歩いて居た。
 何故彼の日本の恋人が、彼を裏切って他の恋人に走ったということが確実に判った朝、彼は、彼の恋人のその宣言のような手紙を受取って読んだ瞬間つと立ち出でて、伯林の仲秋の街路へ出たのか彼にもはっきり判らなかった。そして、その時、殆ど何ものかに教えられたように、彼が二月前日本を発つ時、彼の恋人が、
 ――たまに公園でも散歩なさる時、おはきなさいまし。
 と、トランクへ入れて呉れた朴歯の下駄を、取り出して穿いたのかも彼には判らなかった。彼はただ歩きに歩いた。
 彼は伯林市の中央チーア公園に行き当った。
 公園にうず高く落ち敷く落葉、落ちる前の乾燥した黄褐色の木の葉を盛り上げた深い森林――この際、彼には何か神秘的な特殊性を包蔵する境区として結局はこの境区の何処かに彼の一寸ものに触れれば吼え出し相な頭の熱塊を溶解してしばらく彼の身心の負担を軽くして呉れる慰安の場所もあるように思えた。
 下駄の歯の根に血を持つような執拗な欲求をこめて彼はざくりと公園の落葉の堆積に踏み入った。下駄の歯は落葉の上層を蹴飛ばした。やや湿って落ち付いた下層の落葉は朽ちた冷たい気配と共に彼の足踏みを適当に受け止めた。
 森へはいって彼が一番先に遇ったのは軽装した親子の三人連れだった。男の子と女の子だけは彼にはっきり認識出来た。だが親は男親か女親か認識しなかった。彼の網膜に親らしい形だけ写った。それが凝結した彼の脳裡の認識にまで届かなかった。男の子は細い線状にくずれ落ちる落葉を短いステッキで縦横に截り乍ら歩いて居た。しゃっ、しゃっ、落葉の線条を截る男の子の杖の音が、彼の頭のしん[#「しん」に傍点]の苦痛の塊に気持ちよく沁みた。日曜の午前の教会へ行く人が男女五六人通り合せた。樹立ちの薄れた処なので、その人達が停ち止って彼を不審相に見る様子がはっきり判った。彼は下駄を穿いて居る上に寝巻にして居た日本服の古袷に長マントを着て居たので、彼の異国風俗を人々は見返ったのだ。彼は、公園にはいる前、街路で逢う人が度々振り返った理由をごくぼんやりと認識したが、それらが、彼に何であるのか、彼は、しゃにむに歩けば宜いのだ。彼は人々が石か岩の動くように感じただけだった。彼は一たん森を出た。またほかの森に這入った。公園内の車道に出た。自転車をよけた。自動車をやり過ごした。絶えず落葉が散って来た。粉のように線のように。しかしそれらが何であるのか、彼は歩きに歩いた。池のほとりに出た。ここらは樹がまた密生して居た。池をかこんだ樹陰のほの暗さ、池はその周囲の幽暗にくまどられ、明方の月のように静寂な水の面貌を浮べていた。白鳥が二三羽いた。落葉が水上で朽ちて小さな浮島のように処々にかたまっていた。白鳥は落葉のかたまりの個所ばかりを面白そうに巡っていた。彼は立ちどまって白鳥を眺めた。風が冷たく彼の襟元をめぐると彼は眼をしばだたいた。白鳥が提灯のように膨らんだ、月のように縮んだ、毯のようにはずんだ、花のようにゆがんだ、車のようにめぐった。とうとう水晶のように凝結した――彼は眼を皿にした。彼の瞳は冷たく燃えた。冷たい焔は何を写したか。池の右側、彼から五六十歩の距離に居る男女の密接に組んだ姿だ。ベンチの脚は落葉に殆ど没している。腰部を縮めて寄せ合い背部をくねらせて、肩と肩に載せ合った手。黒と茶色の服の色の交錯は女体と男体を、突差にはっきり区別させない。二人とも深く冠った帽子のふちで人のけはいを憚って居るようなひそかな様子だ。
 そこには彼自身が居る。彼のものだった彼女が居る。否、彼女を奪った男とそして、奪われて行った彼女が居る。
 彼自身が、そして奪われなかった彼女が居る。否、奪われた彼女と、奪った男。
 とにかく居る。男と女が。そして、今彼の眼にはそれが昔の彼女であり、彼であり、彼女を奪った男であり奪われた今の彼女である。
 彼は男女の背後に向ってうおーと一つ吼えた。男女は驚いてベンチから立ち上った。男女の突然立ち上ったけはいを受けて一条の落葉が散って来た。その間から男女の不意に慌てた四つの瞳光が彼に向った。彼はまたうおーと吼え男女をめがけて飛び立った。彼の脳裡の熱塊が彼から飛び出て四散した。彼は、逃げ出した男女を追った。彼から四散した脳の熱塊の四散を追った。追った。走った。落葉を蹴って、落葉を浴びて、男も女も彼も走った。男は女を抱え、女は男を捉えて走りに走った。男と女は公園から街への道を知り抜いて居る伯林児だ。彼よりもとっくに先きへ馳け抜けて、彼の追襲を街の同胞に訴えた。
 男女の姿を見失っても、彼は何かを追い廻して居た。彼がチア公園の落葉の森を出端れて街の太陽の光の中に出た時、彼の古マントの袖は破れ、下駄の緒は切れ、木の根で痛めた指からはなまなましく血が滲んで居た。そして森の落葉を唇に喰いそれをまた体中にまぶし付けた一人の日本男、狂人として彼は伯林市の市街巡査等の庇護の手にとらえられた。

底本:「世界紀行文学全集 第七巻 ドイツ編」修道社
   1959(昭和34)年8月20日発行
※末尾の「(昭和四年―七年)」は、底本で三作品をまとめた際につけられたものであるので、省きました。
入力:門田裕志
校正:田中敬三
2006年3月23日作成
青空文庫作成ファイル:
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岡本かの子

伯林の降誕祭—– 岡本かの子

  独逸でのクリスマスを思い出します。
 雪が絶間もなく、チラチラチラチラと降って居るのが、ベルリンで見て居た冬景色です。街路樹の菩提樹の葉が、黄色の吹雪を絶えずサラサラサラ撒きちらして居た。それが終ると立樹の真黒な枝を突張った林立となる。雪がもう直ぐに来るのです――そしてクリスマス。
 バルチック海から吹き渡って来る酷風が、街の粉雪《ふぶき》の裾を斜《ななめ》に煽る。そして行き交う厚い外套と雪靴の街、子供達の雪合戦の街、橇の其処にも此処にも散ばる街――その街はクリスマスの仕度の賑わう街なのです。処々どっしりした旧独逸の高級品屋が在り、柵を引しめる棒柱のように見えるので、下品には決して墜さないで、あとは軒並みの戦後独逸の安物屋、街のかみさんや、あんちゃん、ねえちゃんといった処へ、時々素晴らしい毛皮の令嬢奥様も交った調和が、かえって淋しく品の好い高級品屋の店頭より綺麗なのです。電燈までが安値に心易い光をそれらの人達にきらきら浴びせる美しさ、そして暖かさ、みなクリスマスの買物の人達を見せる光景です。それが殆ど軒並みなのです。
 菓子屋の店を覗く。豚のびっくりするような大きいチョコレート菓子可愛ゆい麦粉菓子のヒヨコ、馬鈴薯が本物かと思ったらやっぱり何かを練ってつくったお菓子なのです。それらの間をつづってオリーブのつくり葉が、金銀のモール線を綾なして居るのは、どこでも同じしつらえではあるが、独逸はやっぱり独逸らしい。靴屋の安売――運動靴に、平常《ふだん》靴に、雪靴に、金と赤のイヴニングシューズまで寄せて一円五十銭也と括りの紐の結び目に正札で下って居ます。――嘘ではないの、こんなに安く売っては儲からないでしょう。
 と言うと、靴屋の主人気むずかしい顔で愛嬌よく笑って、
 ――ほんとうですとも、いくらだってクリスマス前に売っちまわなけりゃあ、これが今の独逸の「クリスマス値段」ですから。
 そうしてみると、日本の大晦前のような財政情況なのかな、と私は覚りました。花屋の店の氾濫、カード屋のカード字も独逸風のややっこしい装飾文字が太く賑やかに刷られて居るのも、他の国のとは自然違う感じです。
 道端、街角、寸隙の空地、あらゆる所に樅の小林が樹ちます。ベルリン郊外の森林から伐り出して来るのです。世界で一番ベルリンがクリスマスツリーを、氾濫させるのだそうです。多く質朴な農夫の夫妻らしいのが、番をして売って居ます。絶えず降り積もる雪が地面にたまって根の無い樅を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]し並べて幹を直立に保たせて居るのです。
 さて、いよいよ私がベルリンで経験したクリスマスの当日になりました。朝、一番早く私の扉をたたいたのは、家主の娘さんでした。娘さんは、国から国へ渡って歩くレヴュー・ガールでした。娘さんは、その時スイッツルの雪娘に扮する時の着物を着て来ました。純白に襞の多い着物と、頭の白い花の冠が非常によく似合い、私に持って来たクリスマス・プレゼントのチョコレートの箱の飾リボンの縁が、清楚にうつり合った色彩は、私に思わずつかつかと傍へ寄らしてしまったような、好もしい感じを与えました。だが娘さんは、私に箱を与えると、いつもの懐しげな様子に似ずどんどん早足に帰ろうとします。私はお返しが上げ度くも気がせいて、手近に有合せの日本から持って行ったものを、一つかみにしてあとを追いました――猫の毛でつくった日本の細筆三本、五色のつまみ[#「つまみ」に傍点]細工の小箱一つ、桜の縫いのしてあるハンカチ一枚――あとで考えても、おかしな贈物でした。直ぐあとから、こつこつ可愛らしい靴の足音がして、パン屋の七つになる女の児が、パンとお砂糖でつくった猫を持って来て呉れた。猫の首まきへ私がいつか教えてやった[#「やった」は底本では「やつた」]日の丸を真似てこしらえた小さな日章旗と独逸の旗を二本※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]して来た。そして――おねえちゃま(外国人には東洋人の年齢がなかなか解らない)はい、クリスマス――と言ってさし出しました。私はあんまり可愛ゆくなって、日本から持って行った藤の花を描いた日傘を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]しかけて返して上げた。これもあとから思えばおかしな贈物。
 午後からは、男女まぜこぜのベルリン大学のお友達が沢山来た。日本のごもくめし[#「ごもくめし」に傍点]の好きな連中でした。夕方から、そのなかのSというプロレタリア党が「俺達の教会」へ私を連れて行こうと言うのです。するとN嬢が、その前に百貨店の飾窓のクリスマス・デコレーションを、私に是非見せ度いと言い張りました。プロレタリア党は、じゃFちゃんNちゃんTちゃんプチブル党だけが行って来な。俺達は茲で疲れやすめだ(クリスマス前夜の賑かな労働者街のダンスホールで踊り明したのでしょう。)と言って椅子の背へもたれてしまいました。
 諸嬢と市中へ行く。世界的百貨店[#「百貨店」は底本では「百貸店」]、ウェルトハイムの大飾窓に煌《きら》めく満天の星、神木の木の下の女神を取巻く小鳥、獣類、人間の小児《こども》、それらを囲る幽邃な背景が、エンジンの回転仕掛けで、めぐる、めぐる。次はヘルマン・チェッツ百貨店の二三町もあり相な延大な飾窓は、殆ど実物大の小屋の数層を数多見せ、サンタクロースが壮厳にある屋根から降りつつ見る下の此処彼処の家に、小児が贈物を待ちつつ眠るところ、何れも豪華に独逸の精力的な重大性を見せたものです。
「俺達の教会」では思わず吹き出し、そして感心しちまった――何とおめえ達そうじゃあねえか、信ぜよ、そして働けよ、だ。――これがプロレタリア牧師さんの言葉。聴手は勿論プロレタリア諸君。夜は医科大学生F兄弟の宅へ招ばれ、素晴らしく大きなクリスマス・ツリーの下で御馳走になり乍ら、医科大学の教室でつくるツリーへかける飾付けは、人間の心臓や肺、そのあらゆる人体諸臓器の形をボール紙で造らえて色彩《いろどり》をつけたものだという話など聞き夜を更かしました。

底本:「世界紀行文学全集 第七巻 ドイツ編」修道社
   1959(昭和34)年8月20日発行
※題名の「伯林の降誕祭」には「ワイナハト・イム・ベルリン」のルビがついています。
入力:門田裕志
校正:田中敬三
2006年3月23日作成
青空文庫作成ファイル:
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岡本かの子

売春婦リゼット—– 岡本かの子

 売春婦のリゼットは新手《あらて》を考えた。彼女はベッドから起き上《あが》りざま大声でわめいた。
「誰かあたしのパパとママンになる人は無《な》いかい。」
 夕暮は迫っていた。腹は減っていた。窓向《まどむこ》うの壁がかぶりつきたいほどうまそうな狐色《きつねいろ》に見えた。彼女は笑った。横隔膜《おうかくまく》を両手で押《おさ》えて笑った。腹が減り過ぎて却《かえ》っておかしくなる時が誰にでもあるものだ。
 廊下|越《ご》しの部屋から椅子《いす》直しのマギイ婆《ばあ》さんがやって来た。
「どうかしたのかい、この人はまるで気狂《きちが》いのように笑ってさ。」
 リゼットは二日ほど廉《やす》葡萄酒《ワイン》の外《ほか》は腹に入れないことを話した。廉葡萄酒だけは客のために衣裳戸棚《クロゼット》の中に用意してあった。マギイ婆さんが何か食物を心配しようと云《い》い出すのを押えてリゼットは云った。
「あたしゃやけ[#「やけ」に傍点]で面白いんだよ。うっちゃっといて[#「うっちゃっといて」に傍点]おくれよ。だがこれだけは相談に乗っとお呉《く》れ。」
 彼女はあらためてパパとママンになりそうな人が欲《ほ》しいと希望を持ち出した。この界隈《かいわい》に在《あ》っては総《すべ》てのことが喜劇の厳粛《げんしゅく》性をもって真面目に受け取られた。
 マギイ婆さんが顔の筋《すじ》一つ動かさずに云った。
「そうかい。じゃ、ママンにはあたしがなってやる。そうしてと――。」
 パパには鋸楽師《のこがくし》のおいぼれ[#「おいぼれ」に傍点]を連れて行くことを云い出した。おいぼれ[#「おいぼれ」に傍点]とただ呼ばれる老人は鋸《のこぎり》を曲げながら弾《ひ》いていろいろなメロディを出す一つの芸を渡世《とせい》として場末《ばすえ》のキャフェを廻《まわ》っていた。だが貰《もら》いはめったに無かった。
「もしおいぼれ[#「おいぼれ」に傍点]がいやだなんて云ったらぶんなぐって[#「ぶんなぐって」に傍点]も連れていくよ。あいつの急所は肝臓さ。」
 マギイ婆《ばあ》さんは保証した。序《ついで》に報酬《ほうしゅう》の歩合《ぶあい》をきめた。婆さんは一応帰って行った。
 リゼットは鏡に向《むか》った。そこで涙が出た。諺《ことわざ》の「ボンネットを一度水車小屋の磨臼《ひきうす》に抛《ほう》り込んだ以上」は、つまり一度|貞操《ていそう》を売物にした以上は、今さら宿命《しゅくめい》とか身の行末《ゆくすえ》とかそんな素人《しろうと》臭い歎《なげ》きは無い。ただ鏡がものを映《うつ》し窓掛《まどか》けが風にふわふわ動く。そういうあたりまえのことにひょいと気がつくと何とも知れない涙が眼の奥から浸潤《にじ》み出るのだ。いつかもこういう事《こと》があった。
 掛布団《かけぶとん》の端《はし》で撥《は》ねられた寝床《ねどこ》人形が床《ゆか》に落ちて俯向《うつむ》きになっていた。鼻を床につけて正直にうつ向きになっていた。ただそれだけが彼女を一時間も悲しく泣かした。
 涙と寝垢《ねあか》をリスリンできれいに拭《ふ》き取ってそのあとの顔へ彼女は「娘」を一人|絵取《えど》り出した。それは実際にはありそうも無い「娘」だった。曲馬《きょくば》の馬に惚《ほ》れるような物語の世界にばかり棲《す》み得る娘であった。この嘘《うそ》を現在の自分として今夜の街に生きる不思議を想《おも》うと彼女は嬉《うれ》しくて堪《たま》らなくなった。彼女はおしろいを指の先に捻《ね》じつけて鏡の上に書いた。
「わたしの巴里《パリ》!」
 マギイ婆さんとおいぼれ[#「おいぼれ」に傍点]がやって来た。二人とも案外《あんがい》見られる服装をしてやって来た。この界隈《かいわい》の人の間には共通の負けん気があった。いざ[#「いざ」に傍点]というときは町の小商人にヒケ[#「ヒケ」に傍点]はとらないという性根《しょうね》であった。その性根で用意した祭《まつり》の踊《おどり》に行く時の一張羅《いっちょうら》を二人はひっぱって来た。白いものも洗濯したてを奮発《ふんぱつ》して来た。
 三人はそこで残りの葡萄酒《ワイン》を分けて飲んだ。
「わたしの今夜の父親のために。」
 リゼットは盃《さかずき》を挙《あ》げた。
「わたしも今夜の愛する娘のために。」
 鋸楽師《のこがくし》は肝臓を押《おさ》えながらぬかりなく応答した。
 リゼットはマギイ婆さんに向《むか》っても同様に盃を挙げた。それに対して婆さんは盃を返礼した後|云《い》った。
「だがこのもくろみをレイモンが知ったら何と思うだろうね、リゼット。」
 リゼットはさすがにきまり[#「きまり」に傍点]の悪さを想像した。彼女の情人《じょうにん》は一《いっ》さい「技術」というものを解《げ》さない男だった。彼女は云《い》った。
「まあ、知れるまで知らないことにしようよ。あいつ[#「あいつ」に傍点]に玄人《くろうと》のやることはめったに判《わか》りゃしないから。」
 三人は修繕《しゅうぜん》中のサン・ドニの門を潜《くぐ》って町の光のなかに出た。リゼットの疲れた胃袋に葡萄酒《ワイン》がだぶついて意地の悪い吐気《はきけ》が胴を逆にしごいた。もし気分がそのまま外に現われるとしたら自分の顔は半腐《はんぐさ》れの鬼婆《おにばば》のようなものだろう。彼女は興味を持って、手提鞄《てさげかばん》の鏡をそっと覗《のぞ》いて見る。そこには不思議な娘が曲馬団《きょくばだん》の馬を夢みている。この奇妙さがふたたびリゼットへ稼業《かぎょう》に対しての、冒険の勇気を与えて彼女は毎夜《まいよ》のような流眄《ながしめ》を八方に配り出した。しかも今夜の「新らしい工夫」に気付くと卒然《そつぜん》と彼女の勇気が倍加《ばいか》した。
 リゼットは鋸楽師《のこがくし》の左の腕に縋《すが》っておぼこ[#「おぼこ」に傍点]らしく振舞《ふるま》うのであった。孤独《こどく》が骨まで浸《し》み込んでいる老楽師はめずらしく若い娘にぴたと寄り添われたので半身熱苦しく煽《あお》られた。彼はそれを防ぐように左肩を高く持上《もちあ》げ鼻の先に汗を掻《か》いた。うしろから行くマギイ婆さんは何となく嫉妬《しっと》を感じ始めた。
 ポアッソニエの大通《グランブールヴァル》はもう五色《ごしき》の光の槍襖《やりぶすま》を八方から突出《つきだ》していた。しかしそれに刺《さ》され、あるいはそれを除《よ》けて行く往来の人はまだ篩《ふるい》にかけられていなかった。ゴミが多かった。というのは午後十一時過ぎのように全《まった》く遊び専門の人種になり切っていなかった。いくらか足並《あしなみ》に余裕を見せている男達も月賦《げっぷ》の衣裳《いしょう》屋の飾窓《かざりまど》に吸付《すいつ》いている退刻《ひけ》女売子《ミジネット》の背中へ廻《まわ》って行った。商売女には眼もくれなかった。キャフェでは給仕男《ギャルソン》たちが眺めのいい窓の卓子《テーブル》へ集まってゆっくり晩飯を食べていた。当番の給仕男が同僚たちに客に対すると同様に仕付《しつ》けよく給仕していた。
「今日は遊びかね。」
 という声がした。すぐそれは探偵《たんてい》であることが判《わか》った。リゼットは怖くも何とも無《な》かった。この子供顔の探偵は職業を面白がっていた。リゼットが始めて彼に捉《とら》えられてサン・ラザールの館《シャトウ》――即《すなわ》ち牢屋《ろうや》へ送り込まれるときには生鳥《いけどり》の鶉《うずら》のように大事にされた。真に猟《りょう》を愛する猟人《かりうど》は獲《え》ものを残酷《ざんこく》に扱うものではない。そして彼女が鑑札《かんさつ》を受けて大びらで稼ぎに出るとなるとこの探偵は尊敬さえもしてくれた。尊敬することによって自分が一人前にしてやった女を装飾《そうしょく》することは職業に興味を持つ探偵に取って悪い道楽《どうらく》ではなかった。
「可愛《かわい》い探偵さん。鑑札はちゃんと持っててよ。」
 リゼットはわざと行人《こうじん》に聞《きこ》えるような大きな声を出した。
「ああ、いいよ、いいよ、マドモアゼル。」
 彼は却《かえ》って面喰《めんくら》った。だがその場の滞《とどこおり》を流すように、
「今日は僕も休日さ。」
 といってちょっとポケットから椰子《やし》の実を覗《のぞ》かして向《むこ》うへ行った。多分《たぶん》モンマルトルの祭《まつり》の射的《しゃてき》ででも当てたのだろう。
 モンマルトルへはリゼツトは踏み込めなかった。ポアッソニエの通りだけが彼女に許された猟区《りょうく》だった。その中でもキャフェ――Rが彼女の持場《もちば》だった。この店へは比較的英米客が寄り付くので献立表《こんだてひょう》にもクラブ・サンドウィッチとか、ハムエッグスとかいう通俗《つうぞく》な英語名前の食品が並べてあった。
 客が好んで落ちつく長椅子《ソファ》の隅《すみ》――罠《わな》はそこだ。その席上を一つあけて隣の卓子《テーブル》へ彼女の一隊は坐《すわ》った。
 彼女に惚《ほ》れているコルシカ生《うま》れの給仕男《ギャルソン》が飛んで来て卓子を拭《ふ》いた。
「注文はなに? ペルノか、よし、ところでたった今、レイモンがお前を尋《たず》ねて来たぜ。」
 彼は何でも彼女の事を知っていた。彼女の代《かわ》りに彼が金を貸してやった。
「どうせお前は持ってやしまいと思って。」
 商売仲間の女がそろそろ場を張りに来た。毛皮服のミアルカ、格子縞《チェック》のマルゲリット。そして彼女|等《ら》はリゼットを見るや「おや!」と云《い》った。「化《ば》けたね。」とも云った。
 巴里《パリ》へ来る遊び客は近頃商売女に飽《あ》きた。素人《しろうと》らしいものを求める。リゼットのつけ目はそこであった。
 パパの鋸楽師《のこがくし》と、ママンのマギイ婆《ばあ》さんが珍らしそうに英語名前の食《くい》ものを食っている間に入《い》り代《かわ》り立ち代り獲《え》ものは罠《わな》の座についた。しかし、英吉利《イギリス》人は疑い深くて完全に引っかからなかった。アメリカ人がまともに引っかかった。
 巴里は陽気だ。
 見せかけのこの親子連が成功するかしないかと楽屋《がくや》を見抜いた商売女たちや店の連中、定連《じょうれん》のアパッシュまでがひそかに興味をもって明るい電気の下で見まもっていた。そして三人がいよいよ成功してそのアメリカ人を取巻《とりま》いて巣へ引上《ひきあ》げようとかかるとみんな一斉《いっせい》に、
「家族万歳《ヴィヴラファミーユ》!」
 と囃《はや》した。その返礼にリゼットは後《うしろ》を向いて酒で焦《こ》げた茶色の舌をちょっと見せた。
 アメリカ人を巣に引き入れて衣裳戸棚《クロゼット》の葡萄酒《ワイン》の最後の一本を重く取り出した時リゼットは急に悲しくなった。
 レイモンは何してるだろう――彼女は自分に苦労させてはぶらぶら金ばかり使って歩く男がいとしくまた憎らしくもなった。疲れが一時に体から這《は》い出した。
 マギイ婆さんは鋸楽師のおいぼれ[#「おいぼれ」に傍点]を連れて自分の部屋へ引きとった。彼女は妙にいらいらしていた。なんとかかんとか鋸楽師を苛《いじ》めて寝かさなかった。おいぼれ[#「おいぼれ」に傍点]は一晩《ひとばん》中こごんで肝臓を庇《かば》っていた。

底本:「愛よ、愛」メタローグ
   1999(平成11)年5月8日第1刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集」冬樹社
   1976(昭和51)年発行
入力:門田裕志
校正:土屋隆
2004年3月30日作成
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