1
――今回はいよいよ第九番てがらです。
それがまた妙なひっかかりで右門がこの事件に手を染めることとなり、ひきつづいてさらに今回のごとき賛嘆すべきてがらを重ねることになりましたが、事の勃発《ぼっぱつ》いたしましたのは、前回の卍《まんじ》事件がめでたく落着いたしまして、しばらく間をおいた九月下旬のことでありました。下旬といってもずっと押しつまった二十八日のことでしたが、それも夜半をすぎた丑満《うしみつ》どきに近い刻限のことです。あたかも、その日は右門の先代の祥月命日に当たりましたので、夕がたかけて小石川の伝通院へ墓参におもむき、そこの院代の南円|和尚《おしょう》が、ちょうどまたよいことに右門とは互先という碁がたきでしたから、久しぶりについ一石と石をにぎり出したのが病みつきとなって、とうとう丑満どきに近いころまで打ちつづけ、ようようそのとき三石めの勝負番に中押しで勝ちをとりましたものでしたから、ほっとした気持ちで和尚の仕立ててくれた寺駕籠《てらかご》にうち乗りながら、ずっと道をお濠《ほり》ばたへ出て、あれから一本道をお茶の水へさしかかろうとすると、はしなくもその道の途中で、今回の第九番てがらとなるべき糸口にぶつかったのでありました。右門のそこを通り合わせたことが、それも父親のご命日に偶然とはいいながら、えりにえってそこを通り合わせたんだから、これも何かの因縁といえば因縁ですが、いずれにしても、右門にとってはまったく予期しないできごとでした。
「あッ、ちくしょう! だんな! 首っつりですよ! 首っつりですよ!」
発見したのはお供の先棒でしたが、心魂を打ち込んで石を囲んだ疲れのために、ついまどろむともなくまどろみながら、駕籠にもたれてとろとろやりだしたその出会いがしらに、突然お供が悲鳴をあげて右門を呼び起こしたものでしたから、ぎょっとなって、たれをはねのけながらやみをすかすと、なるほど、十間とへだたないそこの木の枝に、黒い影がだらりと見えたのです。しかし、よくよく見ると、ほんのいましがたやったものか、まだ手や足をひくひくさせていたものでしたから、駕籠をとび出すと同時でした。
「だいじょうぶ! まだ息があるぞ! 足場にするから、駕籠をもってこい!」
寺駕籠のお陸尺《ろくしゃく》にも似合わないで、もう歯の根も合わずにがたがたと震えているお供の者をしかり飛ばしながら、急いで木の下へかけつけると、ようやくさげてきた寺駕籠をふみ台にして、ともかくも大急ぎに本人を地上へ抱きおろしました。当人はまだ二十三、四ぐらいの、どこかお店者《たなもの》らしい若者でしたが、遠目に見届けたときのとおり、おりよくもそのときが断末魔へいま一歩という危機一髪のときでしたが、まだ肢体《したい》にぬくもりがありましたので、そこはもうお手のもの、術によって急所に活を入れると、徐々に息をふき返しましたものでしたから、普通の者ならばただちにその場で、事の子細を問いただすのがありきたりの型ですが、そこがむっつり右門の少し人と違うところでありました。顔の形相こそ、今の苦しみのためにまだ青ざめていましたが、その他の風采《ふうさい》をうち見たところ、ひと目に実直なりちぎ者ということがわかったものでしたから、当人には何もいわずに、すぐと駕籠の者に命じました。
「どうせ八丁堀へ行く駕籠だ。おれの代わりに、この若者を乗せていけ」
息を吹き返しているとはいいじょう、ついいましがた地獄の二丁目か三丁目あたりまで行ってきた人間を乗っけていけというのでしたから、いかに仏と縁の深い寺駕籠の陸尺たちであっても、これはあまりぞっとしない命令のはずでしたが、しかしむっつり右門の名声は、かれらにいやな顔をさせる余地のないほど広大でありました。深夜の町を黙々として八丁堀まで送り届けましたので、くだんの若い者を座敷へ伴っていくと、そこでようやく事の子細を尋ねることになりましたが、けれどもその尋ね方がまたまことに右門流です。
「どうだ、まだ死にたいか」
そして、からからとうち笑ったものです。その尋ね方のよく人情の機微をうがって少しもむだ口をきかないあたりといい、ことばは簡単ながらなおよく言外に義侠心《ぎきょうしん》の強さをはらましているあたりといい、普通の場合の人間であっても、ぐっと骨身にこたえるところでしたから、くだんの若者にとっては右門のたのもしそうなその一言は、なおさら心魂をゆりうごかしたことだったでしょう。もうたまらないといったように、わっとそこへ男泣きにくずれ伏しましたものでしたから、すかさずに右門が、なおいっそうのたのもしさと侠気《きょうき》とを言外に含めて、男の悲しみと苦痛を、その大きな胸へ抱き包むように尋ねました。
「もうよい、もうよい。わしという人間がどういう人がらの男であるか、それがわかってのことであろうから、もう泣くのはよして、かくさずに胸のうちを物語ったらどうじゃ」
しかし、男は嗚咽《おえつ》をつづけたままで、ただ身をよじるばかりでありました。告白するのが身の恥辱となるような内容ででもあるのか、それとも口外してはならぬようなことがらででもあるのか、じっと歯をくいしばるようにして、男泣きに泣きつづけながら、いつまでも子細を物語ろうとしなかったものでしたから、たいていの者ならばせっかく命を救ってやったのにと思って、いいかげん腹をたてるところでしたが、しかし口外せねば口外しないで、右門にはまた右門にのみ許された手段と明知という鋭い武器があります。しかも、それがまた右門にとってはまことによい偶然でしたが、身をよじって泣き入っているうちに、ふと男の懐中からはみ出して、はしなくも今いった右門のその鋭い明知の鏡に、ちらりと映った一品がありました。それも尋常一様の品物ではなく、一見して女の持ち物であったことを物語るなまめかしい紙入れでしたから、なんじょう右門のきわめつきの鋭知がさえないでいられましょう。さては女出入りが原因だなと、ただちにだいたいのめぼしがついたものでしたから、すばやく片手を伸ばすと、奪いとるようにして取り上げながら、鋭く若者にいいました。
「こんな品物、何用あって冥途《めいど》まで持参するつもりじゃった」
「あッ。いけませぬ! いけませぬ! そればかりは、どなたにも見られてはならぬ品でござりますから、お手渡しくださりませ! お手渡しくださりませ!」
取られたことをはじめて気がついて、若者がにわかにおどろきうろたえながら、必死に奪い返そうとしたものでしたから、いっそう疑惑のつのった右門が、どうしてそれを許すべき――。少し手荒なしうちとは思いましたが、この一品になにもかも事の子細の秘密がかくされていると思いましたので、十八番の草香流をちょっと用いて、なるべく痛くないように、だがけっして抜き取ることのできないように、術をもって若者の両手をおのがひざの下に敷いておくと、すばやく紙入れを改めました。
けれども、予期に反して、その紙入れの中にはただ一本の銀かんざしがだいじそうに忍ばされてあるばかりでした。何か子細をかぎ知りうるような女からの艶文《つやぶみ》だとか、ないしはまた誓紙証文とでもいったようなものでもありはしないかと、心ひそかに予期していたのでしたが、ただ一本銀のかんざしがすべてのなぞを物語っているように、奥深く隠されてあったばかりだったのです。だか、その銀かんざしがなみなみの品ではないので、珍しい紋がきざまれてありました。達磨《だるま》の紋です。師僧|般陀羅《はんだら》の遺示により、はるばるインドから唐土に渡って、河南のほとり崇山に庵室《あんしつ》をいとなみながら、よく面壁九年の座禅修業を行ないつづけたと伝えられている、あの達磨禅師をかたどった紋様です。
およそ何が珍しいといっても、おきあがりこぼしの達磨を紋にしておくような変わったかんざしもまれでしたから、早くも右門は明知の鋭さをそこに現わして、ひざに敷いている若者の心をえぐるようにいいました。
「よし、もうなにもかもあいわかったから、そなたの秘密をこのうえ聞こうとはいわぬが、そのかわり爾今《じこん》けっしてさきほどのような人騒がせのまねはせぬと誓約するか。さすれば、必ずともにわしがそなたの相談相手となってしんぜるが、どうじゃ」
いかなる難解の事件も、いかに秘密の堅い殻《から》に包まれたできごとであっても、いったん八丁堀のむっつり右門がこれに手を染めた以上は、あくまでも解決しないではおかぬといったように、侠気《きょうき》とたのもしさとをその目に物語らせながら、ぎろり若者の面を見すえたものでしたから、ようやく男も安心と決意がついたのでしょう。おろおろして、嘆願するように念を押しました。
「では、ほんとうにもう、てまえに子細をきかぬとお約束してくださりまするか」
「男の一言じゃ、くどうきかぬというたら断じてきかぬ」
「ありがとうござります。それならば、けっしてもうわたくしも、あのようなバカなまねはいたしませぬ」
「よしッ。では、この紙入れもそなたに返してつかわすによって、しっかり残り香なと抱き締めて、もうやすめ」
いちばんの懸念だった自殺のおそれがないと見きわめがついたものでしたから、右門も少しほっとなって若者の傷ついた魂を一刻も早く休息させてやるために、みずから夜具の用意をととのえてやりました。
おりからそれを待っていたもののごとく、いよいよ秋のふけまさった庭の草間で、ちち、と身にしみ入るごとく鳴きだした虫の声に、魂の傷つけられた若者はさらにひとしお世のはかなさをおぼえたものか、いくたびも輾転《てんてん》と床の中で寝返りを打っているけはいでしたが、みずからの明知を信じ、みずからの力量を信ずることの厚い右門は、憎いほどの安らかさを示して、いつかもう軽いいびきの中でした。
2
さて、そのあくる朝です。
いつものごとくおしゃべり屋伝六が、年じゅう忙しくてたまらないといったふうに、せかせかしながらやって来ると、しょうぜんと顔の青ざめた見知らぬ若者が、おどおどしながらへやのすみにうずくまっていたものでしたから、よほど不意を打たれたとみえて、遠慮もなく例のお株を始めました。
「おや、妙な若いお客人が天から降っていますね、だんなのご親類ですかい」
知らない男の顔をみると、すぐに親類と決めてしまう伝六も、およそ血のめぐりのよろしくない男といわねばなりませんが、しかし右門はいまさらそんなむだな質問に答うべきはずもありませんでしたから、伝六の来合わしたのと同時に、すぐさま外出のしたくをととのえました。それがまた、きょうはどうしたことか、黒羽二重五つ紋の重ね着を着用に及んで、熨斗目《のしめ》の上下こそつけね、すべての服装が第一公式のお武家ふうでしたものでしたから、うるさいことにまた伝六が、血のめぐりのよろしくないところを遺憾なく発揮いたしました。
「はてな、きょうは何かご番所に寄り合いでもござんしたかな――」
しきりと首をひねっていましたが、右門はひとことかんたんに前夜の若者へ外出を禁じておくと、いよいよこれから右門流の行動を開始するといわぬばかりに、さっさと表のほうへ出てまいりました。
しかも、出るといっしょにその目ざした方角は、意外や吉原《よしわら》の大門通りです――。誤解があるといけませんから、ちょっと地理についての説明をしておきますが、ここで申しあげる吉原は、むろん現在の新吉原ではないので、特に新吉原と新の字がついているように、現今の吉原は明暦三年の江戸大火以後いまの土地に移転したことになっていますから、この話の当時の吉原は、いわゆるもと吉原と称されている一郭です。和泉《いずみ》町、高砂《たかさご》町、住吉《すみよし》町、難波《なんば》町、江戸町の五カ町内二丁四方がその一郭で、ご存じの見返り柳がその大門通りに、きぬぎぬの別れを惜しみ顔で枝葉をたれていたところから、いき向きの人々はときに往々、柳町なぞとも隠し名にして呼んでいましたが、いずれにしても堅人たること天下折り紙つきのむっつり右門が、それも無粋といえば無粋な黒羽二重の五つ紋といういかめしい武家ふうの姿で、駕籠《かご》もうたせず、おひろいのまま、さっさとその大門をくぐって廓《くるわ》へはいりましたものでしたから、伝六がついにみたびめのうるさい質問を発しました。
「ちょっと待ってください、待ってください。廓へおはいりになるのはよろしゅうござんすが、まさかに、この朝っぱらからお遊びなさるんじゃござんすまいね」
実際、いちいちうるさいおしゃべり屋ですが、しかしまた一面からいえば無理もないのです。流連《いつづけ》大バカ、朝がえり小バカ、いきは昼間のないしょ遊びと番付はできていても、なにしろまだ五つといえば午前の八時なんだから、そんな時刻に大手をふりふり、さもお役所へ勤めにでも行くような気組みをみせて、どんどんと大門をくぐっていったものでしたから、一面からいうと伝六のうるさくなるのも無理のないことでしたが、すると右門がうそうそと笑いながら、おどろくべきことをぽつりといいました。
「廓《なか》へはいる以上は、遊ぶと決まっているじゃねえか。おれとて、石や木じゃねえんだからな」
のみならず、ほんとうに遊ぶけはいで、どこにしようかというようにあたりを物色しはじめたものでしたから、とうとう伝六がうわずった声を出してしまいました。
「そりゃだんな、ほんとうですか!」
「ほんとうだよ」
「きっとですね!」
「きっとだよ」
と――。聞き終わったそのとたんです。何を考えついたか、伝六が突然まっさおな顔になって、ややしばしからだを震わせていましたが、不意に変なことをいいました。
「だんな、あっしゃもう帰らしていただきます」
がらにもないおびえを見せたものでしたから、今度は右門のほうが不思議に思ったので――
「バカだな、いざとなっておっかなくなったのかい」
「いいえ、ちがいます」
「じゃ、うちへけえって、おめかしをし直して来ようというんか」
「めったなことをおっしゃいますな! 遊ぶとなりゃ、あっしだって、顔やがらで遊ぶんじゃねえんです」
「そんなら、なにもしり込みするこたあねえんじゃねえか。傾国の美人ってしろものをおめえにもとりもってやるから、しっぽを振ってついてきなよ」
「いやです、あっしゃ今から伊豆守《いずのかみ》さまのお屋敷へ駆け込み訴訟に参りますよ」
「伊豆守さま……? 急にまた、変な人の名まえを引き合いに出したものだが、伊豆守さまっていや、松平のあの殿さまのことかい」
「あたりめえじゃござんせんか。伊豆守さまはふたりとござんせんよ」
「そりゃまた何の駆け込み訴訟に行く考えなんだ」
「知れたこっちゃあござんせんか。もっと早く伊豆守さまがだんなにご新造をお世話しておいてくださいましたら、今になってだんなにこんな気の狂いはおきねえはずなんだからね。あっしゃ今から駆け込んでいって、うんと殿さまに不足をいうつもりですよ。だんなをごひいきなら、ごひいきのように、もっと身のまわりのことをお世話くださったって、ばちゃ当たらねえんだからね」
何かと思ったら、けっきょくそれは右門自身を思う純情からのこととわかりましたので、さすがの捕物《とりもの》名人も、苦笑するともなく苦笑していましたが、しかし伝六のほうはごくのまじめで、いまにもほんとうに駆けだしそうなあんばいでしたから、やむをえずに右門はちょっと本心をにおわしました。
「そんなに心配ならば、ほんとうのところを聞かしてやろう。実あ、さっきうちにころがっていたあの若い野郎のねた[#「ねた」に傍点]洗いだよ」
「えッ? じゃ、また何か事件《あな》ができたんですかい」
「まだ洗ってみねえんだからわからねえが、ひょっとすると大物じゃねえかと思ってな。とりあえず、小当たりにやって来たところさ」
「なんだ、ねた洗いだったのですかい。あっしゃまた、あんまりだんなが人騒がせなことをきまじめな顔でおっしゃいましたからね、ほんとうに松平のお殿さまをお連れ申そうと思いましたぜ。――ようがす、そうとわかりゃ、一刻も早く参りましょうよ。役目のかどで大門をくぐるぶんには、だんなをおひいきの女の子に見とがめられたって、ちっとも恥じゃござんせんからね。大手を振って参ろうじゃござんせんか」
まことに、伝六こそは腹に毒のない江戸っ子の典型で、それが役目のこととなると、にわかに相好をくずしながら先へたって、どんどん歩きだしたものでしたから、いろいろに態度を使い分ける伝六のかわいさに右門はいっそう苦笑しながら、ちょうどそこに見つかった尾張屋という揚げ屋へはいってまいりました。
――これもついでだから申し添えておきますが、当時はまだ現今のごとく揚げ屋と遊女屋が一軒ではなく、別々に営業を行ない、揚げ屋にはまた多くの場合同屋号のお茶屋がこれに付随していて、大通なお客はまず先にこのお茶屋へ上がり、敵娼《あいかた》となるべき人を遊女屋から招きよせて、しまり屋はしまり屋のごとくに感興を買い、はで好きはまたはで好きのように感興を買ってからはじめて揚げ屋へ参り、それぞれの流儀に浩然《こうぜん》の気を養うというのがその順序だったので、けれども右門はその他のすべての方面においては大々通であっても、この一郭ばかりはやや苦手でしたものでしたから、いきなり揚げ屋へとび込んでまいりました。しかも、そのあいさつたるや、またすこぶるぶこつの右門流だったのです。
「許せよ。少々遊興をいたしに参ったが、さしつかえはなかろうな」
揚げ屋へ参る以上は遊興すると相場が決まっているのに、それをごていねいに断わったものでしたから、これには向こうもひどくめんくらった様子でありましたが、よくよく見れば黒羽二重五つ紋の高家ふうで、やや少しがらっぱちながら、ともかくもそこにはお供をひとり召し連れていたものでしたから、なまじっかな半可通よりこのほうがだいじなかも[#「かも」に傍点]と思いましたものか、たいへんなもて方でありました。
しかし、右門はあいかわらずのぶこつまる出しで、いわゆる通人がきいたら笑うに耐えないようなことを、揚げ屋の者に尋ねました。
「女どもの種類はみな一様か」
「いえ。すべてでは千人あまりもござりましょうが、そのうちで太夫《たゆう》、格子《こうし》、局女郎《つぼねじょろう》なぞと、てまえかってな差別をつけてござります」
「ほう。では、遊女らも禄高《ろくだか》があるとみえるな」
遊女に禄高とはよくいったものですが、右門はおおまじめでしたから、揚げ屋の者は吹き出したいらしいところを必死ともみ手にごまかして、目的の中心へはいっていきました。
「ですから、お客さまのほうのお鳥目にしたがいまして、遊女のほうでもそれぞれの禄高のものが参りますが、どなたかおなじみでもござりましょうか」
「なじみと申すと、親類の者かな」
「さ、さようです。親類と申せば大きに親類でございますが、てっとり早く申せば、お一夜なりとご家内になったもののことで――」
「ああ、そのことか。残念ながら、ひとりもないわい」
「といたしますと、てまえどものほうでころあいの者をお見立ていたしまするが、よろしゅうござりまするか」
「よいとも、よいとも。だが、少々注文があるのじゃがな」
「どのようなご注文なんで――」
「なるべくがさつ者で、べらべらとよくしゃべる女がよいのじゃがな」
「それはまた変わったお好みで――。では、さっそく呼びたてまするでござりましょう」
心得たもののごとくに立ち上がりましたから、右門があわてて呼びとめました。
「まてまて、女はおおぜいいらぬ。その者ひとりでよいぞ」
「え? だんながたはおふたりでござりますのに、お敵娼《あいかた》は、あの、おひとりでよろしゅうござりまするか」
これは少し解せない注文でしたから、揚げ屋の者がいぶかってきき返したのを、このときまで黙って聞いていた伝六が、何がためひとり呼べばいいか、右門の意のあるところはちゃんともう知っていたので、突然横合いから口をさしはさみながら、例の調子でがらっぱちにしかりつけました。
「うるせえや。ひとりだって半分だっていいじゃねえか。煮て食うんでも、焼いて食うんでもねえんだから、さっさといいつけどおりに呼んできなよ」
特におしゃべり者をと注文したあたりといい、ふたりの男に女はひとりでいいといったあたりといい、揚げ屋の者はしきりとうさんくさがりながら引きさがっていきましたが、やがてのことに、注文の者に相当する女がみつかったとみえて、ひとりの花魁《おいらん》をそこに伴ってまいりました。
見ると、いかさまがさつ屋らしく、そこらあたりの小格子《こごうし》遊女ででもあるのか、すこぶる安手の女で、あまつさえもう大年増《おおとしま》です。しかし、ほかにどこにも要求のなかった右門には、むしろ大年増であったことが偶然中のさいわいで、いうまでもなく年増であることは、それだけ廓《くるわ》の内に長いこと住み古した事情通であることを物語っていましたから、心中喜びながら、まず何はおいてもしゃべらすための鼻薬にと、惜しげもなく小判一枚を祝儀にふるまいました。
揚げ代金が二十文だとか三十文だとかいわれていた安値の時代に、天下ご通宝の山吹き色一枚は、米の五、六石にも相当する大金でしたから、年増の小鼻を鳴らしたことはもちろんのことで、でれでれともう右門にしなだれかかろうとしたのを軽くあしらっておくと、静かに質問の矢を放ったものです。
「ちと異なことを尋ぬるがな。そなたはこの廓五町内のうちで、達磨《だるま》のおもちゃとか、達磨の紋様を特別に好む花魁衆《おいらんしゅう》を知ってはいぬか」
今ぞはじめて知らるる、わがむっつり右門のこの一郭に、ぶこつをひっさげておじけもなくやって来たそもそもの心中は、まこと前夜の首をつりそこなった若者の懐中からとび出したところの、あの達磨の紋様打ち彫りぬいた銀かんざしを愛用していた女の探索にあったので、しかるに偶然中のさいわいなことには、安手の、軽口屋らしい年増女は、果然事情通であったことを証拠だてて、右門のその質問をきくと、一瞬の考えまどう様子もなしに、すぐと答えました。
「知ってざますよ。知ってざますよ」
「なに、知っている※[#感嘆符疑問符、1-8-78] どこのものじゃ」
「江戸町の角菱楼《かどびしろう》にいなました薄雪さんざますよ」
「その者は、特に達磨がすきじゃったか」
「大好きも大好きも、どうしてあんなひょうげたものが好きやら、髪飾り帯下じゅばんの模様まで、身につけるほどの品物はみんな達磨の模様でありんした」
「さようか。では、その者いまも角菱楼とかにおるのじゃな」
「いいえ、それがもう手いけの花になりいした」
「なに、根引きされた※[#感嘆符疑問符、1-8-78] それはいつごろのことじゃ」
「つい十日ほどまえのことざます」
「相手は何者で、今の住まいはどこか知っていぬか」
「上方のものざますとかで、住まいは浅草馬道の、二つめ小路とかいうことでありいした」
「さようか、よいことを教えてくれた。では、ついでにも一つ相尋ぬるが、もしやその薄雪とやら申す花魁に、深く言いかわした男はなかったか」
「知ってざます、知ってざます。清吉さんとやらいいなまして、三年越しの深間だとかでありんした」
「二十三、四の、色の白い、小がらな男ではなかったか」
「そうざます、花魁衆の間夫《まぶ》にしては、思いのほかにりちぎらしいかたざました」
果然その面書きは前夜の若者の人相風体と一致していましたので、そのうえはそれなる達磨を好いた女について事実の有無をたしかめ、縊死《いし》を企つるに及んだ素因が単なる失恋の結果からであるか、それともほかに何かかくされた事件があるか、その二つを剔抉《てっけつ》すればいいのでしたから、もうこうなるとくるわにおける一介のぶこつ者は、断然として天下公知の捕物《とりもの》名人に早変わりいたしまして、その場からただちに例の疾風迅雷的な行動が開始されることとなりました。
「いや、いろいろとよいこと聞いて重畳《ちょうじょう》じゃった。では、せいぜいお客をたいせつに勤め果たして、はようそなたも玉の輿《こし》にお乗りなせえよ」
あっさりいうとすうと立ち上がって、おどろきあきれている揚げ屋の者に、ちゃらりと小判を投げ与えておくと、表へ出るや、伝六にもう鋭い声をかけました。
「さ、例のとおり、駕籠《かご》だ、駕籠だ」
「ようがす、だんなの口からそれが出るようになれば、もうしめこのうさぎだ」
用意のくるわ駕籠にうち乗ると、見返り柳もなんのその、思案橋も勇んで飛んで、一路目ざしたところは、いわずと知れた浅草馬道の二つめ小路です。
3
行き行くほどに空は曇って、まもなくぽつりぽつりとわびしい秋の雨でありました。見れば見捨てておけぬ侠気《きょうき》からとはいいじょう、死を選ぼうとした男のために、それほども愛し恋していた女のもとを代わって訪れようとする今のおのが身をふりかえると、わびしくふりだした秋雨についさそわれて、まだ恋知らぬ右門も、なにかしらあじけなく、はかない感じをおぼえましたが、そのまに駕籠はもう二つめ小路までさしかかっていたものでしたから、さっそくに目ざした家を捜しはじめました。
むろん、こういう仕事は伝六の役目で、またたくうちに当の住まいを見つけてまいりましたから、近寄って一見すると、だがこれが少し不思議です。お約束どおりの、舟板べいで見越しの松でもがあるかと思いのほかに、ただの町家で、それがまた、ついこのごろ建てたらしい新普請の、しかし人けは少ないらしい一構えでしたから、右門はややしばしなにごとかをうち案じていましたが、ふいっとまた伝六の目をぱちくりさせるような行動を開始いたしました。というのは、さっさと道をもとへ引き返してくると、むやみにぐるぐると、そこらあたりを回りだしたのです。それも、あっちの町へいったり、こっちの路地奥へいってみたり、しきりと何かを捜しているようなあんばいでしたが、三つめ小路の横かどに、按摩《あんま》灸針《きゅうしん》、吉田|久庵《きゅうあん》と看板の出ていた一軒を発見すると、ようやく見つかったといったような顔つきで、おどろき怪しんでいる伝六をしりめにかけたまま、ずかずかとそれなる家へはいってゆきながら、不意に横柄《おうへい》な口調で尋ねました。
「亭主はいるか」
「へえい、ここにひとりおります」
「ひとりおればたくさんだ。きさまが看板主の久庵か」
「へえい、さようで」
「でも、目があいているな」
「目あきじゃ按摩をしてならぬというご法度《はっと》でもあるんですか」
「へらず口をたたくやつじゃな。わしは八丁堀の者じゃ。隠しだてをすると身のためにならぬから、よく心して申すがよいぞ」
「あッ、そうでござんしたか。ついお見それ申しやして、とんだ口をききました。ときどき針の打ち違いはございますが、うそと千三つを申しあげないのがてまえの身上でございますので、だんながたのお尋ねならば、地獄の話でもいたします」
「いう下から地獄の話なぞと申して、もううその皮がはげるじゃないか。うち見たところ正直者らしゅうはあるが、なかなかきさまとんきょう者じゃな」
「へえい、さようで。それもてまえの身上でございますから、よく町内のお茶番狂言に呼ばれます」
「お座敷商売の按摩だけあって、口のうまいやつじゃ。では、相尋ぬるが、そこの二つめ小路に、このごろ吉原から根引きされた囲い者がいることを存じおるじゃろうな」
「へえい、よく存じおります。むっちりとした小太りで、なかなかもみでがございますよ」
「やっぱりそうか。にらんできたとおりじゃったな」
「え? にらんできたとおりとおっしゃいますと、どこかでだんなは、てまえがあの家へ出入りすること、お聞きなさったんでござんすか」
「くろうと上がりの女は、どういうものか女按摩より男按摩を好くと聞き及んでいたから、きさまの家の表に吉田久庵と男名があったのをみつけて、ちょっと尋ねに参ったのじゃ」
「さすがはお目が高い、おっしゃるとおりでござんすよ。このかいわいをなわ張りの女按摩がござんすのに、ご用といえばいつもこの老いぼれをお呼びですから、男は死ぬまですたりがないとみえますよ」
「むだ口をたたくに及ばぬ。家内は幾人じゃ」
「ふたりと一匹でございます」
「一匹とはなんじゃ」
「ワン公でございます。それもよくほえる――」
「亭主は何歳ぐらいじゃ」
「四十五、六のあぶらぎった野郎――と申しちゃすみませんが、人ごとながら、あんなべっぴんにゃくやしいくらいな、いやな男ですよ」
「商売はなんじゃ」
「上方の絹あきんどとか申しやしたがね」
予期しなかった一語を聞いたものでしたから、同時に右門の目がぴかりと光りました。これはまた光るのが当然なんで、甲州の絹商人とか、伊勢崎《いせざき》の銘仙《めいせん》屋とかいうのなら聞こえた話ですが、上方の絹商人とはあまり耳にしないことばでしたから、早くもいっそうの疑いを深めて、さらに屋内の様子を尋ねました。
「それなる亭主は、いつごろ在宅じゃ」
「さよう――ですな、夜分はいるようですが、昼のうちはたいてい不在のようでございますよ」
「そうか。では、すずりと紙をかしてくれぬか」
求めた二品を受け取ると、右門は即座にさらさらと次のような文面を書きしたためました。
「――事急なり。会いたし。かどのすずめずしにてお待ちいたす。清の字」
だが、書きおわるとややしばらくなにごとかをうち案じていましたが、すぐとまたそれを引き破くと、あらためて久庵に命じました。
「いや、おまえの口からじかに言ってもらおう。心きいた女ならば、偽筆ということ看破しないともかぎらないからな。あの家へいって、もしいま亭主がいないようだったら、女にこっそりというんだぞ。清吉さんから頼まれての使いだが、あそこのかどのすし屋で待っているから、ちょっくら顔を貸しておくんなさいとな。もし、そのとき女が清吉の人相をきいたら、二十三、四の小がらな男だというんだぞ。――いいか、そら、少ないがお使い賃じゃ」
小銀を一粒紙にひねって渡したものでしたから、何もかせぎと思ったものか、目あき按摩の久庵はほくほくしながら駆けだしました。
さて、もうここまで事が運べば、それなる達磨《だるま》を好いた花魁《おいらん》薄雪の来るか来ないかが、右門の解釈と行動の重大なる分岐点《ぶんきてん》です。彼女が清吉の名による呼び出しにすぐにと応ずるぐらいだったら、あれなる若者を苦しめて縊死《いし》を決行させるにいたった原因は、あの疑惑中の人物上方の絹商人ひとりにあるに相違なく、もしまた彼女が今の呼び出しに応じないで、少しでも清吉という名まえから逃げのびようとするけはいがあったら、断然女も上方の絹商人と同腹にちがいないと思われましたものでしたから、そのときはこう、このときはこうと、それぞれに対する成案をたてておいて、静かに右門はすずめずしの二階で、今の使いの結果を待ちうけました。
すると、まもなくのことです。
「おへやはどちら?」
なまめかしい声に胸のはずみを現わして、そこに姿をみせたものは、だれならぬ問題の女、薄雪その人でありました。薄雪は清吉とは似てもつかぬ右門主従がそこに居合わしたものでしたから、はいりざま少しぎょっとなって狼狽《ろうばい》の色をみせましたが、右門は女が清吉という名をきいて、胸をはずませながらとぶように駆けつけた事実から、身請けの主の絹商人とは同腹でないことをまず知りましたので、それならばと思いながら、源氏名薄雪といったそれなる女が、はたしてどんな人がらのものであるか、その点から観察の歩をすすめてまいりました。
ところがひと目見ると、これがまたどうして、なかなかたいへんな美人なのです。この種の商売人上がりの美女を形容する場合、おおむね世上では窈窕《ようちょう》という文字を使いますが、しかしそれなる薄雪にかぎってはその名の示すとおり窈窕は不適当で、むしろ玲瓏《れいろう》としてすがすがしい玉をのぞむような美しさでありました。そのすがすがしさがまたくるわの水でみがきあげたすがすがしさなんだから、普通一般の清楚《せいそ》とかすがすがしさといったすがすがしさではなく、艶《えん》を含んでかつ清楚――といったような美しさのうえに、そったばかりの青まゆはほのぼのとして、その富士額の下に白い、むっちりともり上がった乳をおおっている浜|縮緬《ちりめん》の黒色好みは、それゆえにこそいっそう艶なる清楚を引き立てていたものでしたから、同じ遊女のうちでもこんなゆかしい品もあるかと、ややしばらく右門もうち見とれていましたが、かくてはならじと思いつきましたので、こういう女の心を攻めるにはまた攻める方法を知っている右門は、ずばりと、いきなりその急所を突いてやりました。
「まだ存じまいが、そなたの好いている人は、ゆうべ首をくくりなすったぞ」
「ええ! あの、清、清さんは死になましたか!」
よほどの深い愛情を今も清吉に寄せているとみえて、薄雪は右門のことばを聞くと、もうすでにおろおろとしながら地ことばと里ことばをまぜこぜにして、身も世もあられないような驚愕《きょうがく》を見せたものでしたから、右門はここぞと、隠されているなぞをあばくべく、徐々に女の心をつかんでいきました。
「だから、そなたはこれからどうなさる?」
「知れたこと、二世かけて契った主さんでござりますもの、わちきもすぐと跡を追いましょう」
「では、なんじゃな、そなたも二世かけて契った主さんというたが、今のおつれあいはいっしょにいても、ほんとうにただのでくのぼうじゃというのじゃな」
すると、女はしまったというような色をみせて、つい驚きのために言いすぎたおのれの失言を後悔するかのように、極度な困惑の情を現わしたものでしたから、なんじょう右門ののがすべき、すぐに追いつめました。
「くどうはいわぬ。わしも多少は人に知られた男のつもりじゃ。いったんこうとにらんで乗り出した以上は、どのようにしてもそなたたちのために尽くしてみようと思うが、どうじゃ。何もかも隠さずにいうてみぬか」
「でも、そればっかりは……」
「だれであってもいえぬというか」
「はい……これを口外するくらいならば、わちきはもうひと思いに死にとうござります」
隠されている秘密は、一身上にとってよほどの重大事ででもあるのか、女も前夜の清吉同様、がんとして口外すまじきけしきを示したものでしたから、当然右門も困惑に陥るべきはずでしたが、しかし右門にはいくつかの右門流があります。最初は清吉を死んだことにしておいて、急所をついたが、こうなるうえはもう一度生き返して、秘密のなぞを物語らしてしまおうと思いつきましたものでしたから、不意に莞爾《かんじ》とするや、ごくこともなげにいいました。
「では、こちらから先にほんとうのことをいってやろう。清吉さんはてまえが救い出して、まだぴんぴんしていなさるぜ」
「えッ。まあ、あの、それは、ほんとうのことでござりますか!」
果然、二度めの薬がきいて、薄雪は目を輝かしだしたものでしたから、右門はさらに第三服めの薬を盛りました。
「だから、そなたも、もう隠さないで何もかもお打ち明けなさったらどうでござる。むやみと自慢たらしく自分の名まえを名のりたくはないが、むっつり右門といえばわしのことじゃ」
まあ! というように目をみはって、すでに薄雪もその名声には知己であるかのごとく、しげしげと右門の面を見直していましたが、並びのよろしい白い歯をかすかにのぞかせながら、こころもち微笑を含んだ右門の顔は、今にしていっそう男性美を増したごとく凛々《りり》しい美丈夫ぶりでしたから、慈悲、侠気《きょうき》、名声広大なむっつり右門ならば、思いきってそのふところにすがりついてみようという決心がついたものか、ようやく女は秘密の告白に取りかかりました。
「そうとは知らず、わちきにも似合わないお見それをいたしました。では、何もかも申しまするが、実は、あのだんなさんも、清吉さんも、ただの素姓ではござりませぬ」
「と申すと、なんぞうしろ暗い素姓ででもござるか」
「はい、浪花《なにわ》表で八つ化け仙次《せんじ》といわれている人が、なにを隠そう、わちきのだんなさんざます」
呉服屋専門の凶賊で、神出鬼没、変装自在なところから八つ化け仙次と称されて、もう長いことおたずね中にかかわらず、いまだにお手当とならないことを、同じ蛇《じゃ》の道で右門も耳に入れていましたものでしたから、はからずも女のいった陳述により、意外なことから意外な大捕物になりかけたことを心中右門も喜んで、ずんずんと女に告白を迫りました。
「すると、清吉さんもその手下だというのじゃな」
「それが芯《しん》からの悪仲間でござりましたら、わちきとてなじみはいたしませぬが、仙次さんのたくらみにかかって、ふたりとも今のように苦しめられ通しでありいすから、あんまりくやしいのでござります」
「では、なじみとなるまえ、清吉さんは真人間だったと申さるるか」
「真人間も真人間も、あの人がらでもわかるように、それまでは浪花表のさるご大家で、人の上に立つお手代衆でござりましたのを、思い起こせばもう三年まえでござります。わちきが廓《くるわ》へはいりぞめ、そのおりちょうど清吉さんも商用で江戸表に参られて遊里《さと》へ足をはいりぞめに、ふと馴《な》れそめたのが深間にはいり、それからというもの江戸に来るたびわちきのもとへお通いなさりましたが、そのうちにとうとうあのかたも行きつくところへ行きなまして、大枚百両というご主人のお宝を、わちきのためにつかい込みましたのでござります……」
「では、その百両の穴を八つ化け仙次が救ってでもくれたと申さるるのじゃな」
「はい、それもただのお恵み金ではありいせぬ。仙次さんもあちらで盗んだ品を江戸へさばきに来るうちときおりわちきのもとへお通いなさりましたが、たとえ遊女に身はおとしていても、おなごに二つの操はないと存じましたので、柳に風とうけ流していたのに、執念深いとはきっと、あの人のことでござりましょう。たまたま清吉さんが百両の穴に苦しんでいると聞きつけ、男を見せたつもりでわちきにお貸しなされまして、そのかわりに操を買おうとなされましたが、でもわちきがなびこうといたしませなんだので、とうとう今度のような悪だくみをしたのでござります」
「すると、なにか、百両貸してもそなたがはだを許さなかったために、むりやり身請けをしてしまったと申すのじゃな」
「いいえ、お目きき違いでござります。身請けされましたのは、わちきが進んでお頼み申したのでござります」
「なに、進んで? それはまた異なことをきくが、それほどきらいな男に、そなたが進んでとは、どうしたわけじゃ」
「仙次さんがあまり清吉さんを苦しめたからでござります」
「どのような方法で苦しめおった」
「金で買ってもわちきがなびかないゆえ、その償いにといっておどしつけ、とうとう無垢《むく》の清吉さんに恐ろしいどろぼうの罪を働かさせたのでござります」
「なるほど。それで、そなたたちふたりとも、申し合わせたように秘密を守っていたのじゃな。よし、おおよそもう話はあいわかったが、ときにその盗ませたとか申す品物はなにものでござった」
「それがだいそれた品を盗ませたのでござります。清吉さんがお勤めのお店にはご身代にも替えがたい品で、昔|豊太閤《ほうたいこう》様から拝領しなましたとかいう唐来の香箱なのでござります。それも、盗ませるおりに、もし首尾よくその香箱を持ち出してきましたならば、あのときの百両は帳消しにしたうえで、このわちきをももう執念《しゅうね》くつけまわすようなことはせぬといいなましたので、つい清さんも気が迷うたのでござりましょう。うかうか盗み出してきたその香箱をうけとると、急に今度は仙次さんがいたけだかになりまして、おまえもいったん盗みをしたうえは、もう傷のついたからだだと、このようにいうておどしつけ、そのうえになおわちきにも約束をたがえて、いろいろとしつこくいいよりましたので、清吉さんの身は詰まる、わちきも身は詰まる、いっそもうこうなればと心を決めまして、わちきが進んで身請けされたのでござります。そうやって敵のふところに飛び込んだうえで、おりあらば香箱を奪いとり、清さんの身の浮かばれるようにと思うのでござりましたが、相手も名うての悪党だけあって、なかなかわちきなぞの手にはおえませんので、それを苦にやみ思いつめて、おかわいそうに、とうとう死ぬ気にもなられたのでござりましょう――思えば、それもこれも、みんなわちきゆえからできたこと、ふびんでふびんでなりませぬ……」
いうと、美女薄雪はその愛の深さを物語るように、こらえこらえて忍び音に泣きくずれました。
しかし、右門は聞いた以上もう猶予すべきはずはないので、凛《りん》としながらいいました。
「よしッ、むっつり右門が腕にかけてもひっくくってやろう! すぐさま案内されい!」
「えッ! では、あの、ではあの、わちきたちの命を救ってくださりまするか!」
「聞いちゃほっておかれねえのがわしの性分じゃ。ふざけたまねしやがって、このうえおひざもとを荒らされたんじゃ、江戸一統の名折れではござらぬか。ついでに、その香箱とやらも取り返してしんぜようが、いま仙次の野郎は在宅でござるか」
「今は不在でござりまするが、暮れ六つまえには帰ると申しましたので、おっつけもうそのころでござります」
「さようか。では、張り込んでてやろう。さ、伝六! ひょっとすると、きさまの十手にものをいわさなくちゃならねえかもしれんから、土性骨を入れてついてきなよ」
かりにも浪花表で八つ化け仙次といわれている以上は、草香流ばかりではいけないかもしれないと思いましたものでしたから、ここに捕物《とりもの》を重ねること第九回、いまぞはじめて腰の一刀にものをもいわせようというかのように、蝋色鞘《ろいろざや》細身のわざものにしめりをくれておくと、さっそうとして立ち上がりました。
4
行きつくと幸運でした。早めに帰宅したものか、そこの茶の間の長火ばちの向こうに、どっかりとおおあぐらをかいて、八端《はったん》のどてらにその醜悪な肉体を包みながら、いかさま上方くだりの絹あきんどといったふうに化け込んで、当のその八つ化け仙次がやにさがっていたものでしたから、右門はずいと座敷へ上がっていきました。
しかし、上がると同時にちょっとまた意表をついたので。当の相手がそこにのめのめとやにさがっているんだから、すぐにも飛びかかるだろうと思われたのが、意外にも右門はくるりひざをまくると、伝法に長火ばちのこちらへおおあぐらをかいて、同じく伝法に、不意と妙な啖呵《たんか》をきりだしました。
「八つ化けの仙次さんとやら、お初でござりますね。聞きゃ、こちらへお越しで、いろいろおひざもとを食い荒らしていなさるそうだが、あんたは江戸に、ご家人の右衛門介《うえもんのすけ》っていうならずもののあっしがいることお耳にゃしなかったかね」
みずから無頼漢と名のる妙な男がぬうとはいってきて、いかにも度胸がよさそうに、いきなりくるりとひざをまくりながら、気味わるくにたりにたりとやって、突然八つ化け仙次とずぼしをさしたものでしたから、相手はおもわずぎょっとなったようでしたが、いっこうにおちつきはらっているのは右門です。度胸のよさがどの程度のものかわからないといったように、にたりにたり笑いながら、ますます伝法なことばをつづけていきました。
「いや、不意にとび込んできたんだから、びっくりなさるなあ無理ゃござんせんがね。なあ、八つ化けの仙次さん、あんたは見くびってのことかしらねえが、江戸のならずものぁ贅六《ぜいろく》のぐにゃぐにゃたあ、ちっと骨っぷしのできが違ってますぜ。聞きゃ清公をおどかしつけて香箱をまきあげ、あまつさえそこにいるあっしにゃ妹分の薄雪をしつこくつけまわっていなさるというが、こうと聞いちゃあとへ引かねえご家人の右衛門介が、わざわざお越しなすったんだ。ね、おい、八つ化けさん、すっぱり気よく色をつけてもらおうじゃござんせんか」
いいながら、しきりとじろじろあたりを見まわしました。実は、このじろじろとあたりを見まわしたのが右門流の手なんで、それというのはあの香箱をどこにかくまってあるか、それが第一の懸念だったからです。召し取ることはよいが、相手も相当名を売ったやつなんだから、もし刀にものをいわせるようなことになって、そのまま命を奪ってしまうようなことになれば、せっかく虎穴《こけつ》に入って、貴重な虎児《こじ》を取り逃がしてしまったのでは、また捜し出すまでの手数がいると思われましたものでしたから、召し取るまえにその隠匿個所をつき止めておこうと、そのためにありもせぬご家人の右衛門介にまで化け込んで、何かと時を引き伸ばしながら、じろじろとへや内を見まわしたのでしたが、しかしこういう場合、その目のつけどころがまたあくまでも右門流です。たいていの捕方《とりかた》だったら、品物が品物だからおそらくたんすか長持ちといったような貴重品の入れてある家財道具に着目すべきところを、右門は例のごとくその逆のからめてをたどって、なるべくなんでもなさそうなところ、くだらないちょっとしたところというような個所にばかり、鋭い視線を働かせていきました。
――と、はしなくも、その鋭い視線のうちにいぶかしくも映じたものは、床の間の隣の妙な壁です。本式な床なら格別、普通の略式なお座敷であったら、まず一間の床があって、その隣にはからかみ二本の押し入れでもが設けられてあるのがあたりまえですが、しかるに、それなる茶の間の奥の座敷を見ると、床は床であってもその床の隣の押し入れであるべきところが、妙なことに出っ張った土壁なのです。引っ込んだ土壁ならばまだよろしいが、壁をもってふさいだ押し入れのように、そこの一間が出っ張っていたものでしたから、なんじょう右門の慧眼《けいがん》ののがすべき、臭いなと思ってすっくと立ち上がりながら近づいていって、こころみにたたいてみると、果然出っ張った土壁の奥は空洞《くうどう》らしく、ぼんぼんと陰にこもった響きでありました。
と――そのとたんです。
「聞いたこともねえ名まえをぬかしやがって、おかしな因縁つけやがると思ったから黙っていわしておいたが、さては八丁堀のやつらじゃな」
仙次もさる者、それと見破ったもののごとく、がぜん敵意を示してきましたものでしたから、今ぞ莞爾《かんじ》としてうち笑ったのは右門でした。
「ようやくわかったか。ついでに名まえも聞かしてやらあ。おれがいま八丁堀でかくれもねえむっつり右門だ!」
「うぬッ、きさまだったか。こうなりゃもう百年めだ。黙ってさっき聞いてりゃ、ぐにゃぐにゃの贅六《ぜいろく》なんかときいたふうなせりふぬかしゃがって、とれるものならみごととってみろッ」
いうやいなや、かたわらの中わきざしを引きよせて、ぎらり秋水にそりを打たしながら八つ化け仙次が立ち上がったものでしたから、それぞ右門の期したるところ。さらに莞爾としてうち笑《え》むと、いとも涼しげに言い放ちました。
「無手なら草香流、得物をとらば血を見ないではおかぬ江戸まえの捕方《とりかた》じゃ、それでも来るか!」
「行かいでどうするッ。いざといわば仕掛けのその壁へかくれて、まんまと抜け裏へ逃げるつもりだったが、そいつを気づかれたんじゃ、八つ化け仙次も運のつきだ。さ、そっちのひょうげた野郎もいっしょにかかってこい!」
案の定、秘密の壁を右門に発見されたことによって、もう仙次はやぶれかぶれか、庭の土間先に逃げ口をふさぎながらがんばっていた伝六にまでもいどんできたので、伝六の目をむいたこと――。
「ちくしょうッ、おれさまをひょうげた野郎とほざきゃがったな!」
いうと同時に、手なれの十手をぴたり及び腰に擬しました。
だが、われらのむっつり右門は、仕掛けの壁をうしろにやくして、ごく泰然自若たるものです。なるべくならば血ぬらさないで、身ぐるみ丸取りにしようと思いましたものでしたから、仙次の腕やいかにと静かにその体へ目を配りました。見ると、浪花表の凶賊と誇称されている八つ化け仙次も、江戸まえの捕物名人むっつり右門の目にかかってはまことにたわいもないので、その小手先に歴然たる大きなすきがあったものでしたから、右門のとっさに抜き取ったるは奥義の手裏剣! 石火の早さでひゅうと飛んでいくと、ぷつりと小手にささりました。と同時に、肉をえぐる痛さで、ぽろり仙次がわきざしを取り落としたものでしたから、飛鳥のように体へはいると、血にぬれたその手をぎゅっとねじ上げたものはおなじみの草香流です。
「バカ野郎! みい! 痛いめに会うじゃねえか!」
いっしょに莞爾《かんじ》としたもので――、
「さ、伝六! くくしあげろ」
そして、その捕縛を命じておくと、なにより香箱の行くえをと、右門はただちに仕掛けの壁をあけるべく、巨細《こさい》にその構造を点検いたしました。
と――その目に映ったものは、床柱の横にぽっちりとみえた節のごとき一個のポチです。こころみにそれなるポチを押してみると、果然土壁は、からくり仕掛けの龕燈《がんどう》返しに、くるりと大きな口をあけました。見れば、いうまでもなくそのうしろには抜け裏がありましたが、それよりも右門の鼻をゆかしく打ったものは、そこのたなの上にある桐《きり》の小箱から発する異香のかおりでしたから、もう以下は説明の要がないくらいで、案の定それなる桐の外箱の中には、南蛮渡りの古金襴《こきんらん》に包まれて、その一品ゆえに若者清吉をして首をくくらし、遊女薄雪をして単身敵の胸中に入らしめた、豊太閤ゆかりの遺品と称する香箱が秘められてありました。だから、遊君薄雪のおどり上がったのは当然なことで――
「まあ! うれしゅうござります! うれしゅうござります!」
品物をうけとるやいなや、処女のごとき喜びをみせて、かきいだき占めたものでしたから、右門はなすがままにまかせながら促しました。
「では、早いこと清吉どんに、うれしい顔をみせてあげなさいましよ」
「はい、もうどこへでも参ります。お連れしてくんなまし」
すでにかいがいしい旅のしたくをととのえて立ち上がりましたものでしたから、右門はくくしあげられている八つ化け仙次に、いやがらせを一ついいました。
「江戸のならずものは、ちっと手口が違うだろ。どうだ、少しは身にこたえたかい。くやしかろうが、きさまの手いけの花も、ついでに憎い恋がたきのところへみやげにするぜ」
仙次は、いまいましそうに歯ぎしりしたが、むろんもうこれは手遅れなので――その歯ぎしりしたままのやつを、右門は道の途中の自身番へ投げこんでおくと、一路急いだところは八丁堀の組屋敷です。おどろいたのは清吉ですが、自分ではなに一つ密事も打ちあけなかったのに、右門が僅々《きんきん》一日の間で、胸中を読むこと鏡のごとく、おのれのほしいもののことごとくをそこにみやげとしながら携えかえったものでしたから、前後も忘れて薄雪に取りすがりました。右門はそれをここちよげに見守っていましたが、そのときふと思いついたので、まさにふたりの激発せんとしている愛情をせきとめながら、薄雪に尋ねました。
「そうそう、聞こうと思ってつい忘れていたが、あんたはまたなんで、あんなに達磨《だるま》なんかがお好きじゃった」
すると、薄雪はほんのりほおへ紅を散らしたと見えましたが、ちょっと意外なことをいいました。
「今まで三年ごし、どなたにも申しませんだが、だんなさまだから申します。実は、わちきのくるわへ身を売りましたのは、人さまのように、親のためや、恩をうけた主人のためではござりませぬ。もともと生まれおちるからの親なし子でござりましたのを、さるご親切なおかたさまに拾われて成人しましたが、人のうわさに、くるわはおなごにいちばんの苦界と聞きましたゆえ、すき好んでわれとわが身をその苦界に沈めたのでござります」
「それはまた珍しい話を聞くものじゃが、どうしてまた苦界と知って、われとわが身をお沈めなさったのじゃ」
「くるわはおなごの操のいちばん安いところと聞きましたゆえ、その安いくるわでどのくらいまでおなごの操を清く高く守り通されるかためすためでござりました。さればこそ、達磨大師の、面壁九年になぞらえて、わちきも操を守るための修業をしようと、朋輩《ほうばい》からさげすまれるほど、あのようなひょうげたものの姿を身のまわりにつけていましたが、お恥ずかしゅうござります……ついここの清さんばかりには心からほだされまして、守りの帯も解いてしまいました。――でも、ここの主さんをのぞいては、百万石を積まれてもだれひとりなびいた殿御はござりませぬ。身請けされた仙次さんなぞはいうまでもないこと、一つ家に十日あまり暮らしていても、指一つふれさせないで、主さんにさし上げたこのはだは守り通してござります」
おどろくべき貞操修業者の告白をきいて、右門はいまさらのごとくにその清楚《せいそ》とした遊君薄雪のあでやかさを見つめていましたが、いつにもないことをふいと感慨深げに漏らしました。
「そうか、それは惜しいことをしたな。そなたのようなかたがいると知ったら、わしも清吉どんの果報に少しあやかればよかったにな――」
ふたりが恥ずかしげに顔を伏せていきましたので、右門が追っかけていいました。
「さ、もうこれでわしの仕事は終わった。清吉どんは早くもとの無傷なからだになって、今度はふたりで夫婦達磨《めおとだるま》の修業をする義務があるゆえ、その香箱を携えて、こよいのうちにも上方へともども出立いたされよ」
なんで若きふたりの喜ばないでいられるべき、おどり狂うようにして右門に感謝の意をのこしながら、すぐと江戸をあとにいたしました。――そのうしろ姿にしぐれそぼふる九月末の、ふけまさった秋の夕やみが、そくそくと迫っていきました。
右門九番てがらは、かくて終わりを告げるしだいです。
底本:「右門捕物帖(一)」春陽文庫、春陽堂書店
1982(昭和57)年9月15日新装第1刷発行
入力:tatsuki
校正:Juki
2000年5月24日公開
2005年7月1日修正
青空文庫作成ファイル:
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