右門捕物帖 生首の進物—— 佐々木味津三

     

 ――むっつり右門第二番てがらです。
 前回の南蛮幽霊騒動において、事のあらましをお話ししましたとおり、天下無類の黙り虫の変わり者にかかわらず、おどろくべき才腕を現わして、一世を驚倒させたあの戦慄《せんりつ》すべき切支丹《きりしたん》宗徒の大陰謀を、またたくうちにあばきあげ、真に疾風迅雷《しっぷうじんらい》の早さをもって一味徒党を一網打尽にめしとり、八丁堀お組屋敷の同僚たちを胸のすくほど唖然《あぜん》たらしめて、われわれ右門ひいきの者のために万丈の気を吐いてくれたことはすでに前節で物語ったとおりでありますが、しかし人盛んなれば必ずねたみあり――。世のこと人のことは、とかく円満にばかりはいかないものとみえます。あの大|捕物《とりもの》とともにわれわれのひいき役者むっつり右門がうなぎのぼりに名声を博し、この年の暮れにはその似顔絵が羽子板になって売られようというほどな評判をかちえてまいりましたものでしたから、同じお上の禄《ろく》をはむ仲間どうしにそんな不了見者はあってはならないはずでしたが、やはり人の心は一重裏をのぞくと、まことに外面如菩薩内心如夜叉《げめんにょぼさつないしんにょやしゃ》であるとみえまして、しだいに高まってきた右門のその名声に羨望《せんぼう》をいだき、羨望がやがてねたみと変わり、ねたみがさらに競争心と変わって、ついには右門を目の上の敵と心よく思わない相手がひとり突如としてここに現われてまいりました。通称あばたの敬四郎といわれている同じ八丁堀の同心で、いうまでもなくその顔の面にふた目とは見られぬあばた芋があったからのあだ名ですが、しかし一面からいうと、あばたの敬四郎が、その顔の醜いごとく右門に対して心に醜い敵対心をいだきだしたことは、まんざら無理からぬことでした。もともとがむっつり右門などの駆けだし同心とは事かわって、敬四郎は年ももうおおかた四十に手が届こうという年配であり、その経験年功からいってはるかに右門なぞには大先輩の同心でありましたから、後輩もずっと後輩のまだ青々しい右門によってすっかり人気をさらわれてしまったことが、第一にしゃくの種となったのです。そこへもっていってまた悪いことには、通常二十五人が定めである与力にひとり欠役があって、順序からいえば上席同心の敬四郎がはしごのぼりにその職へつかれるはずでありましたが、奉行職《ぶぎょうしょく》にどういう考えがあったものか、いっこうにお取り立てのおさたがなかったものでしたから、いわゆる疑心暗鬼というやつで、あまりにもむっつり右門の評判が高まりすぎたために、ひょっとすると自分をさしおいて右門が先に抜擢《ばってき》昇進されるのではないだろうか、という不安がわいたからでした。功名を期するほどの男子にとってはまことに無理からぬねたみというべきですが、だから敬四郎は南蛮幽霊事件の落着後ことごとに右門を敵に回し、同時にまた功もあせって、今度こそはという意気込みを示しながら、何か犯罪があったと知ると、その大小を見きわめず、かたっぱし手を染めて、しきりと右門に競争的態度をとってまいりました。しかし、われわれの右門はそんなことに動ずる右門ではない。すべては力と腕と才略の競争なんだから、きわめて平然とおちついたもので、むっつりとまた昔の唖《おし》にかえると、敬四郎の敵対行為などはどこを風が吹くかといいたげに黙殺したままでした。勤番の日は奉行所の控え席に忘れられた置き物のごとく黙々と控え、非番の日にはお組屋敷でいかにもたいくつそうにどてらを羽織り、ひねもすごろごろと寝ころがって、しきりと無精ひげを抜いては探り、探ってはまた抜いてばかりいましたので、こうなると自然気をもみだしたのは右門の手下の岡《おか》っ引《ぴ》き、おなじみのおしゃべり屋伝六です。また、伝六にしてみれば、右門のてがらのしりうまにのっかって、かれの名声も相当高まっていたものでしたから、もう一度柳の下の大どじょうをすくってみたく思ったのは無理もないことだったのでしょう。ちょうどその日は非番の日でしたが、じれじれしながら様子を伺いにやって行くと、表はもう四月の声をきいてぽかぽかと頭の先から湯気の出そうな上天気だというのに、右門は豚のように寝ころがりながら、あいかわらず無精ひげを抜いては探り、探っては抜いていましたので、伝六はさっそくお株を出して、例のごとく無遠慮にがみがみといったものでした。
「ちえッ。だんなにかかっちゃかなわねえな。このあったけえのにどてらなんぞ着ていたひにゃ、おへそにきのこがはえますぜ」
 しかし、右門はすましたものです。金看板のむっつり屋をきめこみながら、じろりと伝六に流し目をくれただけで、依然あごひげを抜いては探り、探ってはまた抜いていましたので、伝六はますますじれ上がって、いっそうつんけんといいました。
「だから、今までだっても顔を見るたびいわねえこっちゃねえんだ。だんなほどの男まえなら、女房の来てなんぞ掃くほどあるから、早くひとり者に見切りをつけなせえといっているのに、ちったあいろけもお出しなせえよ。色消しにもほどがごわさあ、芋虫みたいに寝っころがって、その図はなんですかい。きのこどころか、うじがわきますぜ」
 と――少し意外でした。ほんとうに芋虫のごとく寝ころがって無精ひげをまさぐっていた右門が、むっくり起き上がると、きまじめな顔でぽつりと伝六にいいました。
「では、今からその女房二、三人掃きよせに参ろうか」
「え? ほんとうですかい? 正気でおっしゃったのでげすかい?」
 いつにも口にしたことのないいきなことばを、きわめて真顔で右門がいったものでしたから、おもわず伝六が正気でげすかいと念を押したのも無理からぬことでしたが、すると右門はいよいよ意外でした。
「この天気ならば、辰巳《たつみ》の方角がよいじゃろう。三、四匹ひっかけに、深川あたりへでも参るかな」
 さらにいきなことを言いながら、やおらのっそりと立ち上がると、どてらを小格子双子《こごうしふたご》の渋い素袷《すあわせ》に召し替えて、きゅっきゅっとてぎわよく一本どっこをしごきながら、例の蝋色鞘《ろいろざや》を音もなく腰にしたので、伝六はすっかり額をたたいてしまいました。
「ちえっ、ありがてえな。だから、憎まれ口もきくもんさね。おいらのだんなにかぎって女の子の話なんざ耳を貸すめえて思ってましたが、急に目色をお変えなすったところをみると、その辰巳《たつみ》とやらにはさだめしお目あてがござんしょうね」
 しかし、右門はいかにも伝六の額をたたいて喜んだとおりりゅうとした身なりを整え、まちがいもなく表へやってまいるにはまいりましたが、出がけにふと庭すみの物置きへ立ち寄ると、袋入りのつりざおにすすけきった魚籃《びく》を片手にさげながら、ゆうゆうと現われてまいりましたものでしたから、いま額をたたいて喜んだ伝六の口からは、たちまち悲鳴が上がりました。
「こいつだ。だんなのやるこたあ、いつでもこの手なんだからね。ほんとうに人をぬか喜びさせるにもほどがあるじゃごわせんか。なんでげすかい。春先にゃ辰巳の方角につりざおへひっかかる女の子がいるんですかい?」
 けれども、これは不平をいう伝六が無理でした。美丈夫なること右門のごとく、道心堅固なることまた右門のごとき、男でさえもほれぼれとするようなその人がらを、よく知っていながら、早まって早がてんをしたほうが悪いので、むろん右門は最初から気晴らしに、すすきでもつりに行こうというつもりでしたから、にこりともせずに伝六の不平をうしろへ聞き流しておくと、さっさと門を外へ出ていきました。
 と、その出会いがしらに、ぱったりとぶつかった男がある。ほんとうに、文字どおりぱったりとぶつかった男がありました。だれか?――だれでもない、あばたの敬四郎です。そして、真にその一瞬でありましたが、いや一瞬というよりもそのとたんといったほうが正しい。行きずれに、なにやらあわてふためいてお組屋敷へ駆け込んでいった敬四郎の姿をちらり右門が認めたかと思うと、まことに不思議な変わり方だった。ぴたり――右門の足が突然そこへくぎづけにされてしまいました。同時に、鋭い声で――。
「伝六!」
「え? てんかんでも起きたんでござんすか?」
「バカ! どうやら大きなさかながかかりそうだぞ」
「どこです? どこに泳いでいます?」
「あいかわらず、きさまはひょうきん者だな、敬四郎どのの様子が尋常でない。今からすぐお奉行所までひとっ走り行ってこい!」
「またあれだ。やぶからぼうに変なことをおっしゃって、このうえあっしをかつぐ気でござんすかい?」
 これは無理もないので。ひとことも訳は語らないで、ほんとうにやぶからぼうに右門の空もようががらりと変わりましたものでしたから、なにがなにやらふにおちかねて伝六が二の足を踏んだのはまことに無理からぬことでしたが、しかし、名犬はよくそのにおいによって獲物の大小をかぎ分く――実はそれが右門の右門たるところで、早くもかれは、その全身にみなぎりあふれている名同心のたぐいまれな嗅覚《きゅうかく》で、事の容易ならざるけはいをかぎとったのです。何によってかぎとったか?――いわずと知れた今のその敬四郎の目の色で、それからそのうろたえ方で、こいつなにかでか物[#「でか物」に傍点]の事件が起きたな、というけはいを見てとったものでしたから、こうなるとむっつり右門はつねにそうでありましたが、すべての態度がもはやまったく疾風迅雷という形容そのままでした。かれは、きょとんと目をひらいて戸惑っている伝六へ、しかるようにいいました。
「きさまだって、あばたの敬四郎がこのごろおれと功名争いしているくらいなことは知ってるだろう」
「え! あっ! そうでしたかい。じゃ、今のあいつの様子で、事起こるとにらんだのですね」
 ひょうきん者のおしゃべり屋ではありましたが、そこはやはり職業本能で、右門のそのひとことで、ぴりっと胸にこたえたものがあったのでしょう。ところへ、さながらおあつらえ向きのように、今あわてふためいて自分のお小屋のほうへ駆け込んでいった相手の敬四郎が、大急ぎで狩り集めたらしく、配下の手下小者を引き具して、どやどやと血相変えながら出てまいりましたので、いよいよ伝六にも事の容易ならぬけはいが感得できたものか、もうあとはいっさいが目まぜと目まぜと、それからましらのごときすばしっこさのみでした。むしろ、こうなると、がってんの伝六とでもいうほうが適当なくらいですが、しかし右門は反対に、もうそのときは林のごとく静かでした。面の清らかなることはまた天上の星のごとくに清澄で、騒がずにおのがお小屋に帰っていくと、ごろり横になりながら、自信そのもののごとくに、すぐと毛抜きを取り出したものでした。

     

 待つことおよそ小半とき――。日はうららにもうららかな孟春《もうしゅん》四月の真昼どきでした。そして、案の定、右門のにらんだずぼしは、まちがいもなく的中したのです。
「偉い! さすがに目が高い!」
 肩息で駆けかえりながら、汗もふかずに、まず伝六がずぼしの的中を証拠だてたので、右門もようやく手から毛抜きを放しました。しかし、ことばは氷のごとく冷ややかでした――。
「どうだ。さかなは大きかったろう」
「大きいにもなんにも、まるで怪談ですぜ」
「つじ切りか」
「どうしてどうして、これですよ。これですよ」
 話すまもぶきみにたえないといいたげな身ぷりをしながら、手まねでこれといったので、そのこれといった伝六の指先でさし示している方角を見守ると、右門の眼光は同時にぎろりと光って、ことばに鋭さが加わりました。
「首?」
「さようで、それもただの首じゃごわせんぜ。まだ血のべっとりと流れている生首ですぜ」
「どこかにそいつがころがってでもいたというんか」
「ところが、そいつがただのところにころがっちゃいないんだから、まるで怪談じゃごわせんか。ね、肝をすえてお聞きなせえよ。お屋敷は番町だそうで、名まえは小田切久之進《おだぎりきゅうのしん》っていうもう五十を過ぎたお旗本だそうながね、お禄高《ろくだか》は三百石だというんだから、旗本にしちゃご小身でしょうが、とにかくそのお旗本のだんなが、眠っている夜中に、どうしたことか急に胸が重くなって、なんか胸先のあたりを押えつけられるような気がしましたものだからね、はっと思って、ふと目をあけてみるてえと――」
「胸のうえに、生首が置いてあったというのか」
「さようで、お約束どおりのざんばら髪でね。青黒いその生首に、べっとりと、いま出たばかりと思われるようなまだ少しなまあったかい血がしみているというんですよ。しかも、そいつが女の首で、おまけに片目えぐりぬいてあるっていうんですよ」
「なるほど、少し変わってるな」
「変わってる段じゃない。いまにおぞ毛が立ちますから、もう少しお聞きなせえよ。ところでね、その生首がひと晩きりじゃねえんですよ。あくる晩にも、やっぱりまた胸もとが変に重くなったから、ひょいと目をあけてみるてえと、今度は座頭の坊主首――」
「なに、座頭? めくらだな」
「さようで。ところが、その生首のめくらの目玉が、やっぱり片方えぐりぬいてあるっていうんだから、どうしたってこいつ怪談ですよ」
「目はどっちだ。左か、右か」
「そいつが、女の生首のときも、座頭の生首のときも、同じように左ばかりだというんだから、いよいよもって怪談じゃごわせんか、だからね、騒ぎがだんだんと大きくなって、三晩めには屋敷じゅう残らずの者が徹夜で警戒したっていうんですよ。するてえと、三晩めにはいいあんばいに生首のお進物がやって来なかったものでしたから、ちょうどきのうです、ご存じのように、きのうはいちんち朝から陰気なさみだれでしたね。ほんとうに降りみ降らずみっていうやつでしたが、つい前夜の疲れが出たものでしたから、屋敷じゅうの者残らずがうたた寝をしているてえと、その雨の真昼間に寝ている旗本のだんなの胸先が、やっぱりまた急に重くなったんで、ひょいと目をさましてみると、今度は年寄りの生首のお進物が、同じように左の目をえぐりぬかれて、べっとりと生血に染まりながら胸先にのっかっていたというんですよ」
「ふうむのう」
 二度まではさほどにぶきみとも思わなかったのですが、ついにそれが三たびも続き、しかもその三たびめは雨の日とはいいながら昼日中に行なわれて、加うるに三度が三度違った生首であることが奇異なところへ、いずれもその死に首の左目ばかりがえぐり抜かれていたといったのでしたから、さすが物に動じない右門も、はじめてそのときぞっと水を浴びながら、おもわず、うめき声を発しました。けれども、それはしかし、ほんの瞬間だけのうめき声でした。明皎々《めいこうこう》たること南蛮渡来の玻璃鏡《はりきょう》のごとき、曇りなく研《と》ぎみがかれた職業本能の心の鏡にふと大きな疑惑が映りましたので、間をおかず伝六に不審のくぎを打ちました。
「だが、一つふにおちないことがあるな。それほどの奇異なできごとを、小田切久之進とやら申すその旗本は、なぜ今日まで訴えずにいたのかな」
「そこでがすよ、そこでがすよ。あっしもねた[#「ねた」に傍点]は存外その辺にあるとにらんだのでがすがね。三百石の小身とはいい条、ともかくもれっきとしたお直参のお旗本なんだから、ご奉行さまだって、ご老中だって、身分がらからいったひにゃ同等なんでがしょう。してみりゃ、なにも三日の間それほどの化け物話を隠しだてしたり、ないしはまた遠慮なんぞするにゃあたらないんだからね。しかるに、おかしなことには、きょうそのお旗本のだんながこっそりお奉行所へやって来て、直接お奉行さまに会ったうえで、身分がらにかかわるんだから、事件のことも、探索のことも、ごく内密にしてくれろといったんだそうでがすよ」
「え? そりゃほんとうか」
「ほんとうともほんとうとも、そこは蛇《じゃ》の道ゃなんとやらで、すっかりかぎ出しちまったんですがね。だもんだから、お奉行さまも、ではだれか腕っこきの者にでもごく内密にやらせましょう、っていってるところへ、運よく行き合わしたのがあばたのあのだんななんです。だから、先生すっかりおどり上がって、今度こそはという意気込みで、自分からそれを買って出たという寸法なんですよ」
 聞き終わると同時に眼をとじてしばらく黙々と考えていましたが、まもなく右門の口からは、りんとして強い一語が放たれました。
「よしッ、そうと聞きゃ男の意地だ! 勝つか負けるか、功名を争ってやろうよ」
 決心したとなれば、まことにはやきこと風のごとし――もう、かれの足は真昼中の往来を小急ぎに歩きつづけていたのでした。行く先はいうまでもなく番町の旗本小田切久之進方――目的は、これまたいうまでもないこと、どこからどういうふうに探索の手を下すにしても、まず小田切その人に当たる必要があったからです。会って、そしてまず第一に、それが目的あっての犯罪であるか、それともただのいたずらであるか? 犯罪としたら、どういう目的のもとにかかる奇怪事を三たびまでも繰り返して行なったか? 第二には、疑問の中心点であるごく内密にしてほしいといったそのことの理由について、なんらかの糸口とひっかかりを発見しないことには、それこそ伝六のいいぐさではないが、このぶきみきわまる怪談のあばきようがないと思いついたからでした。
 けれども、せっかく勢い込んでやって行ったのに、残念ながら右門の出動はひと足おそかったのです。
 むろん、自分より先にあばたの敬四郎が手を下していることは知っていましたから、おおよその覚悟も予想もつけていったのでしたが、事実ははるかにそれを越えて、小田切方の屋敷内はすでにその直属の岡っ引き目あかしなぞ配下一統の者によつて、秘密に厳重な出入り禁止を施されたあとだったからでした。小しゃくなと思いましたが、目的は主人の小田切久之進にありましたから、かれらが町方の者ならば、自分も同じお公儀の禄《ろく》をはむ者であるという見識を示して、堂々その禁を破り、堂々と官職姓名を名のって主人に面会を申し込みました。
 ところが――当然会わねばならないはずのものが会ってくれない! 不思議なことに、会ってくれない! もはや手配済みでござるから、このうえのご配慮は迷惑でござる――そういう理由のもとに、半ばお直参の威嚇を示しながら、ぴたりと面会を峻拒《しゅんきょ》いたしました。
「臭いな」
 右門の疑惑は二倍に強まりましたので、その威嚇を犯して、あくまでも面談を強請いたしました。けれども、小田切久之進は顔さえも見せないで、いよいよ奇怪なことに、いっそうろこつなお直参の威嚇を示しながら、重ねて右門の申し入れを峻拒いたしました。これはどうしたって、会わないというその事がらに対して疑いを深めるより道はないのだけれども、相手は小身ながらともかくもお直参のかさを着たお旗本なんでしたから、右門は三倍に疑惑を強めながらも、第一段の方策は放棄するのほかはありませんでした。放棄すれば、いうまでもなく事件のいっさいについて、いたずらであるか、目的を持った犯行であるか、また何がゆえにそうまでも秘密を守り、かつまた会うことを避けねばならないのであるか、それらの糸口となるべき材料をつかむことも、その探索への順序を立てることすらも、なんら判断を下すことが不可能になったのですから、自然の結果として、かれに残された道はただ一つ、その事件から手を引く以外にはないことになりました。
 しかし、そんなことで、さじを投げるような右門とは右門が違います。こうなれば、残らず物的証拠を洗いたてて、かれがつねに得意の戦法としているからめてから糸をたぐり、あくまでもこの怪奇な秘密に包まれた事件の底を割ってみせようと思いたちましたから、ふふんというように小気味のいい冷笑を敬四郎配下の小者どもに残しておくと、さっさと表へ出ていきながら、たこのように口をとんがらしてひとり腹をたてていた伝六に突然命じました。
「大急ぎで駕籠《かご》屋を二丁ひっぱってこい!」
「え? また駕籠ですか。南蛮幽霊のときもそうでござんしたが、あいつと同じ轍《てつ》で、また江戸じゅうを駆けまわるんでげすかい?」
「いやか」
「どうしてどうして、生まれつき、あっしゃ駆けまわるのが大好きですからね。回ってろといや、一年でも二年でも回ってますが、いったいきょうは、どこを探るんでげすかい?」
「きさまは南町ご番所配属の自身番という自身番を残らず改めろ。この三日以内に、生首をもぎとられた者はないか、行くえ知れずになったものはないかといってな、あったら、例の三つの首の主と思える者の素姓を洗ってくるんだ」
「ありがてえッ、じゃ、いよいよあばたのだんなと本気のさや当てになりましたね。ちくしょう! おしゃべり屋の伝六様がついてらあ。じゃ、ちょっとお待ちなせえよ。この辺は屋敷町で店駕籠はねえかもしれませんからね」
 いうや否や、韋駄天《いだてん》で行ったかと思いましたが、案外にさっそく見つかったとみえて、屈強な替え肩を二人ずつ伴いながら、早駕籠仕立てで威勢のいいところを二丁ひっぱってまいりましたので、一丁は伝六へ、一丁は右門自身で、そして右門みずからは北町奉行ご配下をひとめぐりしようと、すぐに息づえを上げさせました。
 順序として、右門はまず呉服橋の北町ご番所へ乗りつけました。だが、首を切られた、という届け出も、首のない死体があったという届け出も、行くえ知れずの者さえも、およそ事件に関係のあるらしい殺傷ごとはなに一つなかったのです。ではというので、ただちにもよりの自身番からかたっぱし当たってまいりましたが、しかし、どこの番所でも、答えたことばは、ただ次のごときあっさりとした一語のみでした。
「へえい、またですか。つい先ほど、あばたの敬四郎だんなもそんなことおっしゃって、目色を変えながら早駕籠で尋ねてまいりましたが、どこかで首を盗まれた人間でもあるんですか」
 しかも、行った先、行った先の番所の者が異口同音にそういって、すでにひと足お先に敬四郎の回ったことを立証しましたものでしたから、心当たりのなかったことよりも、あてのはずれてしまったことよりも、敬四郎に先んじられたくやしさと、敬四郎と同じ方法で探索の歩を進めていることに対する焦燥とで、右門はことごとくがっかりとなってしまいました。しかたなくあきらめると、とっぷりとすでに暮れきった夜の町を、力なく駕籠にゆられながらお組屋敷へ引き揚げました。ところへ、同時のように伝六も引き揚げてまいりましたが、その報告はこれも同様、手がかりとなるべきものはなに一つなく、やはり敬四郎配下の者が、すでにひと足先に回っていたということだけがわかったばかりでしたから、右門はいよいよがっかりとなって、黙然と腕こまぬきながら、今後いかにすべきかその方法について、ひたすら考えを凝らしました。
 だが、どれだけ考えてみても、この三日前後に江戸において行き方しれずになった者もなく、首を失った者の届け出もないとすれば、けっきょく探索の中心点を疑問の旗本小田切久之進において、事件の糸口をほぐし出すべく、詳細な犯罪調査と、同時に久之進その人の身がら調査を行なうよりほかには、もう残された方法がないわけでしたから、としたならば、いかにしてその二つの調査を進めていったらいいか?――右門は考えの中心をその一点に集めて、いかにすべきかの方法について、くふうをこらしました。その結果として案出されたものは、次の二つでした。知らるるとおり、正面から当たったのでは面会をさえも拒絶しているんですから、いずれもからめてから糸をほぐしていこうという方法でありましたが、すなわち第一は、なんびとか久之進一家の内情を熟知している者によって、あの疑雲に包まれている秘密の殿堂をあばこうという方法で、第二は、ほかならぬあばたの敬四郎に向かって間者か付き人かを放ちながら、その手中に納めている材料を巧みに盗みとろうという手段――。そこで、あらたに起こって来る問題は、一と二とのそのいずれを選ぶべきかという点でありますが、いうまでもなく二の方法は一の方法よりもたやすいのです。間諜間者《かんちょうかんじゃ》を放つというような問題になれば、何をいうにもそれが本職の人たちなんだから、たとい鈍感なることおしゃべり屋の伝六のごとき者を使ったにしても、一の方法のなにほどか多分の手数を要するに反し、二の方法は少なくも半分の手軽さで行かれるわけでした。だから――だが、そのたやすい第二の方法には、人の苦心を盗み取るということで、卑しむべき卑劣さがありました。少なくも二本差している者の面目上からいって、恥ずべき卑劣さがありました。卑劣や、ひきょうは、断わるまでもなく、またいうまでもなく、われわれの嘆賞すべきむっつり右門の断じて選ぶべき道ではない!
「よしッ。おれはあくまでもおれひとりの力によって、正々堂々と天地に恥じぬ公明正大な道を選んでやろう!」
 ですから、瞬時のうちに、迷うところなく進むべき道が決心つきましたので、右門は凛然《りんぜん》として立ち上がると、ただちにはせ向かったところは、ほかならぬ松平|伊豆守信綱《いずのかみのぶつな》のお下屋敷でありました。いうまでもなく、伊豆守は時の老中として右門なぞのみだりに近づきがたい権勢な位置にありましたが、前章で述べたとおり、あの奇怪な南蛮幽霊の大捕物によって、右門はその功を伊豆守から認められ、過分のおほめのことばをさえ賜わっていたので、小当たりにそれとなく当たってみたら、老中というその職責からいって、疑問の旗本小田切久之進の身がら人がら素姓に関し、何か得るところがあるだろうと思いついたからでした。
 案の定、伊豆守は老中という権職の格式を離れて、親しくそのご寝所に右門を導き入れながら、気軽に接見してくれました。けれども、たやすく引見はしてくれましたが、結果は案外にも不首尾だったのです。疑惑の中心人物小田切久之進については、次のごとき数点を語ってくれたばかりで、すなわちその素姓に関しては、ご当代に至って新規お取り立てになった旗本であるということ、それまでは卑禄《ひろく》のお鷹匠《たかしょう》であったということ、だから他の三河以来の譜代とは違って、僅々《きんきん》この十年来の一代のお旗本にすぎないということ、したがって人がらはお鷹匠上がりの生地そのままにきわめて小心小胆であること、小胆なくらいだから性行はごくごくの温厚篤実で、その点さらになんらの非の打ちどころはないというのでした。加うるに、肝心の屋敷の様子ならびに家族の者に関する内情はいっこうに存じ寄りがないというのでしたから、これはどうあっても不結果です。ことに、その性行が温厚篤実という一条に至っては、いやしくも老中職の松平知恵|伊豆《いず》が、釜《かま》のような判を押して保証しただけに、大のおもわく違いで、温厚なものならむろん人に恨みを買うような非行もないはずでしたから、人に恨みをうけないとすれば、置かれるものに事を欠いて胸の上に気味のわるい生首なぞをのっけられるはずもないわけで、とすると全然のいたずらか?――それとも、あるいは伝六のいったごとく、ほんとうの怪談か?――右門の心はしだいに乱れ、推断もまたしだいに曇って、美しい顔の色がだんだんとくらまっていきました。その顔の色で万策の尽きたことを知ったものか、伝六がそばから伝六なみの鬱憤《うっぷん》を漏らしました。
「ちくしょうめ。相手にことを欠いて、また悪いやつが向こうに回ったものだね。ほかのだんななら、それほどくやしいとも、しゃくだとも思いませんが、あのあばたの大将にてがらされると思うと、あっしゃ江戸じゅうの女の子のためにくやしいね。どこの女の子にしたって、いい男にいいてがらさせるほうが、夢に見るにしたって、話に聞くにしたって、ずっといいこころもちがするんだからね」
 まったくそうかもしれないが、しかし、あばたの敬四郎がたとい日本第一の醜男《ぶおとこ》であったにしても、一歩先んじられたという事実はあくまでも事実なんだから、右門はそのきりっとした美しい面にほろ苦い苦笑をもらすと、やがて寂しくいいました。
「あした来な」
 そして、ごろりそのまま横になってしまいました。

     

 しかし、翌日はあいにくのじめじめとしたさみだれでした。わるいことには、その雨の日にかぎってまたちょうど勤番で、もちろん事件がその手にあったならば、勤番、非番の区別はないわけでしたが、知らるるとおりこの生首事件はかれの手に委嘱されたものではなかったのでしたから、非役のてまえとして、出仕するの必要がありました。けれども、たとい非役であったにしても、このぷきみな怪談を耳に入れて、いまさら出仕などゆうちょうなまねが、なぜにしていられましょうぞ! 手に材料がないだけに、一歩敬四郎に先んじられているだけにいっそう競争意識をあおられましたので、かれは病気のていにつくろって、当分出仕ご免の許しを得ておくと、心を新たにして事件に向かおうと思いたちました。こういうときに、すなわち、心を新たにしようというときに、いつも右門の取る方法は、碁盤に向かうことです。お打ちになられるかたがたはご存じのことと思いますが、心に煩悶《はんもん》の多いときに、ないしはくふうのつかない事件なぞがあるときに、まず端然と威儀を改め、それからおもむろに心気を静めて盤に面し、しかるのちに、あのかぐわしきかや[#「かや」に傍点]の木の清浄なかおりをたしなみながら、ひんやりと手に冷たい石をとりあげて、戞然《かつぜん》と音たてながら打ちこんで行くことは、まことに颯々爽々《さつさつそうそう》として心気の澄み静まるもので、だから右門はちゅうちょなく盤に対しました。腕は職業初段に先というところ――したがって、石の音は真に戞然と高い!
 と――まことに人は碁のごとき清戯をも覚えておくものですが、その第一石の石の音が終わるか終わらないうちに、ふと気がついて、右門はおもわず、なんのことだ! そう吐き出すように大きく叫びました。肝心なことに、ほんとうに肝心かなめの肝心なことについて気がつかずにいたことが、ふと思い出されたからです。ほかでもなく、それは首――三晩つづけて胸の上にのっかっていたというその生首の実物を、このときにいたるまで、まだ一度も改めずにいたことが思い出されたからでした。訴えてきた以上は、むろんご番所へその実物を提供してあるにちがいないと思われましたので、右門は気がつくと同時に、一刻を争いながら数寄屋橋《すきやばし》へ駆けつけました。
 と――はたしてあった。三個とも厳重に蝋封《ろうふう》を施した箱に入れて、ちゃんとご奉行席のわきに置かれてあったのです。かれはただちに、内見をお奉行神尾元勝に申し入れました。功名はたてておきたいもので、これが普通の与力同心ならば、ごく内密にといったそのことばのてまえ、容易に披見は許されないはずですが、右門の才腕がものをいいました。
「内聞にいたせよ」
 そういう注意のもとに、お奉行神尾元勝みずからが蝋封を破ってくれましたものでしたから、右門はひとみをこらしながら、順次に三個の生首へ目をそそぎました。伝六の報告どおり、第一の首はまだうら若い女、第二の首は坊主頭、第三の首は五十を越した老人で、左の片目はこれも報告どおり、一様にえぐりぬかれてあるのです。それから、べっとりと血がまだたれたままで。――
 けれども、じっと見つめているうちに、右門ははっと思いました。血が新しい割合にしては首が古い! だのに、首が古い割合にしては腐乱が見えない! 四月というこの陽気ですから、かりに腐乱が来ないにしても、もうにおいぐらいはついていなければならないはずですが、古い首なのに、それすらもないのです。
「はてな!」
 と思いましたから、右門はぶきみなことをも忘れながら、かまわずに指先をもってその首の面をなであげました。と――なにかねっとりとした湿気を感じましたから、さらにひるむことなく首に触れたその指先をくちびるにあててみると――塩っ辛い! まるで、口がゆがむほど塩っ辛いのです! 右門はすかさずにお奉行へ問いただしました。
「これなる首は、当ご番所へ参りましてから塩づけになされたのでござりまするか」
「なに、塩づけ……? そのような形跡があるとすれば少しく奇怪じゃが、いずれもそれらは小田切殿持参されたままの品じゃぞ」
 持参のままの品と聞きましたから、右門の明知は瞬時にさえ渡って、瞬間に断案を下しました。首は拾いものか買いものか、いずれにしても塩づけの骨董品《こっとうひん》をほかから求めきたったものに相違ないのです。そして、その骨董品を生首と見せかけるべく、別な血を塗ったものに相違ないのです。としたら――右門は必死と考えました。いったい、この首の骨董品はいずこに売っているか?――いうまでもなく、人の死に首なぞ売りひさぐ酔狂な商家は、江戸広しといえどもあるはずはないんですから、出所はむろんのことに、平生塩づけの首の貯蔵を許されている個所に相違ないはずでした。しからば、その公許の塩づけ貯蔵個所なるものは、そもそもどこであるか?――右門の判断を待つまでもなく、それは鈴ガ森と小塚《こづか》ッ原《ぱら》の二個所です。すなわち、首は罪人の首、いまわしきあの獄門首に相違ないという判定が、たなごころをさすごとくたちどころにつきましたものでしたから、右門はただちにお番所の獄門記録について、事件前後に死罪に処せられたさらし首で、右の三名に相当するものの有無を調査いたしました。
 と――ある、ある! 俗称|白縫《しらぬい》のお芳《よし》、窃盗きんちゃっ切りの罪重なるをもって四月三日死罪に処せられしうえ梟首獄門《きょうしゅごくもん》。座頭《ざとう》松の市、朋輩《ほうばい》をあやめしかどにより四月四日|斬罪《ざんざい》のうえ梟首獄門。尾州無宿の久右衛門《きゅうえもん》、破牢の罪により四月五日江戸引きまわしのうえ梟首獄門。しかも、三個ともにさらし首とされたところは小塚ッ原であることまでも判明しましたのでしたから、もうしめたものでした。さみだれをおかしながら、時を移さずに小塚ッ原へ一路ご番所を駆けだそうとすると、いいことのあるときは、いいことの重なるものですが、ばったり出会ったのは伝六で――顔を合わせるやいなや、のっけにいいました。
「おっ、だんな! いいところで会いやした。もう、しめこのうさぎでがすよ」
 なんか新しい材料をつかんできたらしいなということがすぐにわかりましたから、右門はたたみかけてききました。
「きさまも何かひきあげたな」
「え? きさまもというと、じゃ、だんなもほしを拾いましたね。そうと決まりゃてっとり早くいいますがね。ちょうどゆんべでさ。あれからうちへけえったんですが、あばたのだんなにしてやられるかと思うと、いかにも業腹で寝られませんからね、当たって砕けろと思って、実あこっそり小田切のお屋敷へ様子見に出かけたんでがすよ。するてえと、裏口の不浄門がこっそりあいて、中間かなんかでがしょう、いいかげん年寄りのおやじが、とくりをさげて出てきたじゃごわせんか。こいつ寝酒の買い出しだなとにらんだものでしたから、あばたのだんなの手下どもが居眠りしてたのをさいわい、うまいことそのおやじを抱き込んで、二、三本もよりの居酒屋でふるまいながら、すっかりうちの様子聞いちまったんでがすよ」
「なに、うちの様子? そいつぁおめえに似合わないてがらだが、ほしゃどんな筋だ」
「どんなにもこんなにも、つまり、そのほしが下手人でがさあ。ね、そのおやじのいうことにゃ、ついこの一カ月ばかりまえに、小田切のだんなのうちで長年使われていた用人がお手討ちになったっていうんでがすよ。ところが、その首にされた用人の顔てえものがただの顔じゃなくて、つまり、この事件の因縁話になるところだと思うんでがすがね。そら、例の目が、左の目玉が、あの生首の顔のように、一方つぶれていたというんでがすよ。だから、ははんそうか、さてはだれかその用人の身内の者がお手討ちの恨みを晴らすために、あんな左の目のない生首をこしらえて、味なまねしやがったんだなと思いましたからね、すぐにおやじへきいたんでがすよ。その用人にゃ、せがれか、甥《おい》か、血筋の者はなかったかってね」
「あったか!」
「大あり、大あり。二十五、六のせがれで、飲む、打つ、買うの三拍子そろったならず者があったというからね、あっしゃもうてっきりそいつのしわざだと思うんでがすがね」
「ちげえねえ」
 その報告が事実とするなら、まさにこれは「ちげえねえ」にちがいありますまい。手討ちにされた用人の片目であったところから思いついて、生首の左の目玉ばかりを同じようにくりぬき、これでもかこれでもかと、いやがらせにあんなまねをしたにちがいないので、それにしては今までの苦心の大きかった割合に、あまりにもてっとり早く下手人のめぼしがつきすぎたものですが、しかし、だいたいのほしがついた以上はもう猶予がなりませんでしたから、小塚ッ原行きなぞはむろん不必要、伝六が聞いてきたそのならず者の宿所をたよりに、右門はすぐさまめしとりの行動を開始いたしました。
 伝六は十手、取りなわ、右門はふところ手に例の細身を長めにおとして、雨中を表へご番所を門から出ようとすると、行き違いに向こうから、意気|昂然《こうぜん》とひとりのなわつきを従えながらやって参りました者がありました。だれでもない、あばたの敬四郎です。
「あっ!」
 同時にそれを認めた伝六があっといいましたので、右門もぴんと感じてささやきました。
「あのなわつきが、きさまの聞いたほしか!」
「そうらしいでがすよ、そうらしいでがすよ。おやじの話した人相書きによると、その若い野郎は右ほおに刀傷があるといいましたからね。ちえッ! ひと足先にやられたか。くやしいな! いかにもくやしいな!」
 まことならば万事休す!

     

 だが、事実は、そこからさらに怪談以上の怪談に続いていたから、まだまだ、万事は休さなかった。しょっぴいてきた若者をお白州へ引きすえて、大得意の敬四郎がぴしぴしと痛み吟味をかけているさいちゅうへ、その配下の者がまろび込むように駆け込んできながら、歯の根も合わずに新しい事実を敬四郎に報告したからです。
「ね、だんな、だんな! 下手人はあがったから、もう小田切様のところの張り込みを解けというお使いでございましたからね。その気になってみんなの者が引き揚げようとしたら、また変なことがわき上がりましたぜ。にわかにお屋敷が騒がしくなって、小田切のだんなが気を失っちまったというんでね、引き返してみましたら、また生首が――あれと同じ左の目のない生首が、それも今度はいっぺんに四つ、床の間へずらりと並べてあったのですよ」
 この昼中に、それも今度はいちどきに四つ、しかもまだ敬四郎の配下の者が屋敷うちにちゃんと張り込み中、大胆に怪業が繰り返されたというんですから、敬四郎のぎょっとなって青ざめたのはもちろんのことですが、右門もまた同様でした。しかし、右門のぎょっとなったのはほんの一瞬で、突然、あっそうか! おれにも似合わねえ早がてんしたもんだな……つぶやきながら、かんからとうち笑っていましたが、ふいっと立ち上がって伝六をこかげに手招くと、ささやくように小声でききました。
「きさま、さっき小田切の家の様子、みんなきいたっていったな」
「ええ、いいやした。いいましたが、なんぞふにおちないことでもあるんでげすか」
「あるからこそきくんだよ。腰元とか女中とか女がいるんだろうが、幾人ぐれえだ」
「え※[#感嘆符疑問符、1-8-78] 女?」
「男でない人間のことを、昔から女っていうんだ。そういう人間がいるはずだが、いくたりぐれえだ」
「たった三人きりだっていいやしたよ」
「どういう三人だ」
「ひとりは飯たきばばあ、あとのふたりはきょうだい娘で、姉は二十一、妹は十六だとかいいやしたがね」
「その姉妹が、つまり小田切のお腰元なんだな」
「お腰元にもなんにも、女のけはその三人。男のけは、例のおやじと、小田切のだんなと、もうひとり玄関番の三人きりで、ご内室はとうになくなったっていうんだから、いずれその姉妹がいろいろとお腰元代わりをするんでがしょうがね、しかし、その娘たちゃ身内同然だといいましたぜ。なんですか、小田切のだんなの姪《めい》の姪に当たるとか、いとこの娘だとかで、ともかくも血筋引いてるといいましたからね」
「そのふたりの娘について、なんぞ変わったことは聞かなかったか」
「それがでさあ、だんなにそういわれて、今ふいっとあっしも気がつきやしたがね。なんでも、その姉娘はすばらしい器量よしだそうなが、どうしたことか、ついこの五、六日まえから急にきつねつきになったそうでがすよ」
「なに、きつねつき※[#感嘆符疑問符、1-8-78]」
「突然きゃっというかと思うと、いきなりげらげらと笑ってみたりしてね、いちんちじゅう夜となく昼となく髪をおどろにふりみだしながら、屋敷じゅうをうろうろしてるとかいいましたよ」
 聞きながら、右門はじっと目をとじて何ものかをさぐっていましたが、突然意想外なことを伝六に命じました。
「よしッ。きさま今から古着屋へとっ走って、御嶽行者《おんたけぎょうじゃ》の衣装を二組み借りてこい」
 意表をついた命令で目をぱちくりしている伝六をしり目にかけながら、右門はそのまますうと内奥へやって参りました。内奥はいわずと知れた南町奉行神尾元勝のお座所です。そのことがすでに不思議なところへ、右門はいよいよ不思議なことをおくめんもなくお奉行へ猪突《ちょとつ》に申し入れました。
「ちと必要がござりまして、ご奉行職ご乗用の御用|駕籠《かご》を二丁ばかりご拝借願いたいものでござりますが、いかがなものでござりましょうか」
「私用ではあるまいな」
「むろん、公用にござります」
「公用とあらば、お上の聞こえもさしつかえあるまい。自由にいたせ」
 お許しが出たものでしたから、右門は飛んでかえると、ただちに供の者へ出駕《しゅつが》の用意を命じました。ところへ、伝六が命じた御嶽行者の装束を抱きかかえながら、帰ってまいりましたので、右門は即座にその一着を自身にまとい、他の一着を驚き怪しんでいる伝六にまとわせて、すっかり御嶽教の怪行者になりすましてしまうと、定紋打ったる奉行職の御用駕籠にはみずからうち乗り、紋ぬきのご番所駕籠には伝六をうち乗せながら、番町の小田切邸へ――ほがらかな声でそう行き先を命じたものでしたから、伝六はとうとう奇声をあげて、うしろの駕籠から呼びかけました。
「だんな! 気はたしかですかい?」
「しゃべるな、きょう一日は近藤右門が南町奉行、きさまは供の者だ」
 まったく、駕籠だけの外観を見た者はだれしもそう解釈したいいでたちで――行くほどにやがて近まってまいりましたものは小田切久之進の陰気な屋敷。むろんのことに、敬四郎がもうひと足先に駆けつけ、配下の者を集めも鳩首謀議《きゅうしゅぼうぎ》をこらしながら、出入り禁止の厳重な見まわりをしていましたものでしたから、ばらばらと門内の木立ちの中から見知った顔が現われて、その行く手をさえぎりました。しかし、駕籠にはれきれきとしたご奉行職の絞がある――。
「あっ! ご奉行さまおじきじきにご入来だ! さあ、どうぞお静かに――」
 まことすうと胸のすくこと、駕籠そとの定紋が物をいって、にせ者とは知らずにさっさと道を開いたものでしたから、いかな伝六にもわからないはずはありますまい。人々の視線からのがれて式台ぎわへ駕籠がつくと同時のように、溜飲《りゅういん》をさげていいました。
「さすがはおいらのだんなだ。御用駕籠なぞに納まって、なんにするかと思ってましたが、出入り禁止の見張りのがれに使うたあ、お釈迦《しゃか》様でも気がつきますめえよ。偉い! 偉い! 知恵伊豆様だって、おらがだんなにゃ及びますまいよ!」
 しかし、まだそれでは伝六のほめ方が足りませんでした。なぜかならば、わが親愛なるむっつり右門はただにそれをあばたの敬四郎にむかって使用したばかりではなく、さらにその駕籠の定紋を小田切久之進一家の者に向かって利用したからです。
「ごらんのとおり、てまえども両人はご奉行神尾殿からお話しこうむって、きつねつきのお腰元をお静めに参った御嶽行者でござる。霊験はまことにあらたか、たちまちきつねめは退散させてお目にかけるによって、その者にお会わしくだされい」
 こういわれたら、いかな小田切久之進でも会わさないわけにはいきませんでしたので、せめてきつねつきのほうなりと直してくれたらと思いましたものか、すぐに通しましたものでしたから、右門はすましながら奥へ上がりました。
 と、見ると、なるほど窈窕《ようちょう》としてあでやかなひとりの美人が、おどろ髪に両眼をきょとんとみひらいて、青白い面にはにたにたとぶきみな笑いをのせながら、妹の介添えうけてちょこなんとそこにすわっておりましたから、右門はすぐに言いかけました。
「きさまはどこの野ぎつねじゃ」
「てへへへへ、道灌《どうかん》山のおきつねさまじゃ。きさまこそ、どこのこじき行者じゃ」
 すると、言下に女は下等な笑いをつづけながら、この種のきつねつきがつねにそうするように、目をむいて反抗の態度を示しましたものでしたから、右門も負けずに続けました。
「よろしい、おれの霊験を見せてやろう。おれのいうとおりまねができるな!」
「できるとも!」
「では、一二三四五六七八九十」
「一二三四五六七八九十」
「そのさかしまだ、十から一までいってみい!」
「十九八七六五四三二一!」
 立て板に水を流すごとく、そのきつねつきが答え終わったとたんでありました。
「伝六! きさま、このにせ者のきつねつきと妹とをしょっぴいていって駕籠にのせろ!」
 命じながら先へたって、もう右門が表へおりていったので、伝六のあっけにとられたのはもちろんですが、それ以上あぜんとしたのはお庭先にまだまごまごしていた敬四郎の一味で、今ゆうぜんとしてはいっていったお駕籠のお奉行が実はむっつり右門であったばかりではなく、その右門が身には異様な着衣をまとい、しかもゆうぜんとしながら、きつねつき姉妹をめしとって出てまいりましたものでしたから、等しくその顔の色がさっと変わりました。しかし、顔の色を変えたくらいではもう手おくれで、さっそくお白州へかけてみると、案の定右門のにらんだごとくに、きつねつきはにせ者で、そしてその姉妹両名が、怪談めかしたこの生首事件の真犯人でした。しかも、犯行の動機は、可憐《かれん》といえば可憐ですが、一種しゃれたかたき討ちでした。
 小田切久之進とはやはり血縁の者で、彼女らの父親は小田切久之進の前身と同様、微禄《びろく》なお鷹匠《たかしょう》だったのですが、お鷹匠といえばご存じのとおり、鷹を使って、将軍家がお鷹野へおこしになられたみぎり鷹先を勤める役目ですから、慣らした鷹にとらせるための野鳥小鳥をおびき集めることが必要でした。そのために、すなわち小鳥たちをおびきよせるために、自然お鷹匠たちは小鳥の鳴き声をまねたいろいろの小笛をくふうするもので、ところが彼女らの父親が、その小笛について実に七年という長い年月の心血をそそいだ結果、希代の名品をくふうしたのです。
 それまでは小鳥の種類によっていちいち擬音の小笛を取り替えねばならなかったのですが、新たにくふうされたその名品というのは、一本の竹を吹き方によっていろいろと鳴き分けられるという便利なもので、だが、奸黠《かんきつ》な小田切久之進がことば巧みにその名笛を巻きあげて、まんまとそれを自分のくふうのごとくによそおいながら、将軍家に披露《ひろう》しましたものでしたから、松平伊豆守が右門に小田切久之進のその素姓を物語ったごとく、新規お旗本にお取り立てという古今|未曾有《みぞう》の出世となったわけで、だからその功を盗まれた彼女らの父親が、悲憤のうちに悶死《もんし》したのは当然なことにちがいなく、しかし、その臨終のときに父親は、まだいたいけな子娘だった彼女ら姉妹に、おどろくべき一語を言いのこしたのです。ふくしゅうをしろ。必ずこのふくしゅうをしろ。それも最も残忍な方法で。あの名笛は七年間の心血をそそいだものだから、それに相当するだけの最も残忍な方法で、必ずふくしゅうをしろ――実に恐るべき一語といわなければなりませんが、ことほどさように、彼女らの父親の悲憤のさまが彷彿《ほうふつ》と思い浮かべられますが、だから、久之進がいくぶんの罪滅ぼしというつもりから、彼女ら姉妹をその邸内に引き取ってくれたのをさいわいに、そのふくしゅうの機会をねらっていると、十年ののちに好機きたる! あの片目の用人が、何かのことから手討ちにされて首を飛ばされてしまったのです。ところが、その首の形相がすごいにもすごいにも、半眼をあけてきっと久之進をにらみつけたものでしたから、伊豆守が折り紙をつけたとおり、小心なにわか旗本の小田切久之進は、その夜からうなされるというわけで、そこへ目をつけたのは、残忍な方法でという遺言を守りながら、十年|臥薪嘗胆《がしんしょうたん》をしていた姉妹たちでした。片目の首を取っ替え取っ替え胸の上にのっけておいたら、手討ちにした用人の怨霊《おんりょう》とおじけあがって、いまに小胆な久之進が狂い死にするだろうと考えついたわけで、まことに小心な久之進にしてみれば、このくらい残忍にしてかつまたぶきみなふくしゅうのされ方というものはまたとないわけですが、したがって事件の発生当時から、一はおのれの旧悪をおおわんがために、二にはおのれの旗本にも似合わしからぬ小胆をおし隠そうためから、ごく内密にという条件が付されたわけでした。けれども、問題はその無数の首です。出所はむろん右門のにらんだとおり、あとの四つも小塚ッ原の獄門首だったのですが、しかし、いかにしてかかる無数の生首を天下のご法に反して手に入れたか! まっかになってうつむいていた姉娘の代わりに、それらの首の提供者であった小塚ッ原の獄門番人の見るからにけがらわしい中年の非人が、べろり舌なめずりをして恬然《てんぜん》と答えました。
「えへへへへへ。獄門首にしろ、ともかくもお上の預かりものなんですからね。それをくれてやるからにゃ、銭金ぐらいの安い代償じゃ、命にかかわるご法はまげませんよ。あの姉のほうの、まっかな顔をしてうつむいている、そこの美しい女の子の、命よりもたいせつな雪の膚をちょうだいしたんですよ」
 貞操との交換といったそのひとことには、がらっ八なることおしゃべり屋の伝六までがまゆをひそめていましたが、事件に組みした連座の者を八丁堀の平牢《ひらろう》にさげてしまうと、ふと思いついたか、伝六がたちまちおしゃべり屋のお株を発揮して、黙々とゆううつげに押し黙っている右門に、しつこく話しかけました。
「ね、だんな、それにしても、あっしゃ解せないことがあるんですがね。このまえの南蛮幽霊のときにゃ、だんなはその耳でほしを聞きあてたとおっしゃいましたが、今度のほしはなんでかぎ出したんでがすかい? あっしにゃ、今もってあの女を下手人とだんなのにらんだことがわかりやせんがね」
 と――右門の顔が少しばかり明るくなったと思うと、ねっちりいいました。
「それが初めはおれも、おれに似合わねえ大早がてんをしたものさ。きさまからあの片目の用人のせがれのならず者の話を聞いたときにゃ、てっきりほしと思ったんだが、あとで考えてみると大笑いだよ。お旗本の用人といや、ともかくもりっぱな二本差しの身分だろ。そのせがれなら、いかにならず者でも武士のはしくれだから、武士ならばかたき討つのに、あんなまわりくどいまねはしないよ。返り討ちになるにしても、一度はばっさりやる気になるんだからな。としたら、子どものしわざか、女の子のしわざか、刀持つすべを知らない人間とにらむな順序じゃないか。それに、あのときご注進に来た敬四郎の手下の者の話を聞くと、まだ屋敷の外に綱張っているうちに、また首が床の間にあったといったからな、こいつ屋敷の中に巣食っている人間のしわざだなとにらんだだけさ。そこへきさまが、きつねつきの女がいるといったものだから、ぴんときたのさ。きつねつきときちゃ、怪談に縁のあるしろものだからな」
「なるほどね。しかし、あの御嶽行者のまじないは、なんのためでがしたい?」
「きつねつきがほんものかにせものかをためしただけだよ。ところが、大にせものさ。ほんものだったら、一二三四でも百まででも、こっちの口まねをするから数えるだけいわれるがね。こっちで数えないでその逆をいってみろというと、そこがけだもののあさましさ、数字の観念がないからな、口まねならいえるが、自分で数えることはできないものだよ。しかるに、あの女にせものだったから、その計略を知らずに、べらべらとつい人間の本性を出して自分で数えたのさ」
「それにしても、なんできつねつきなんぞのまねをしたのかね。あったら女がバカなことをしたものじゃごわせんか」
 すると、右門は急に悲しげな表情を現わして、ほんとうにこの世でいちばん悲しいときの悲しげな表情を現わして、吐き出すように答えました。
「女が命よりもたいせつなはだを、人の仲間にもはいれない非人に許すんだもの、気違いのまねでもしなきゃ、正気じゃできねえじゃねえか」
 ――しかし、それほどのしんけんなふくしゅうに、貞操をふみにじってまでも行なったふくしゅうに、上のお慈悲が届かないはずはありませんでした。獄門番の非人は上つ方の女性を犯したうえに首を与えし罪軽からずとなして極刑の斬罪《ざんざい》、旧罪をあばかれた小田切久之進の江戸払いは当然のことでしたが、ふたりの姉妹たちのうえには、人を騒がした罪は憎しとするも、根がかたき討ちにその動機を発していましたものでしたから、四日の入牢《にゅうろう》だけで軽く放免になりました。放免するとき、右門は姉妹たちに寂しい声で言い渡しました。
「ふたりとも尼寺へでもいきなよ――」
 寂しい声ではあったが、情けあることばでそういいました。

底本:「右門捕物帖(一)」春陽文庫、春陽堂書店
   1982(昭和57)年9月15日新装第1刷発行
   1996(平成8)年12月20日新装第7刷発行
入力:大野晋
校正:福地博文
1999年6月8日公開
2005年6月28日修正
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