蒲原有明

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緑蔭叢書創刊期—– 蒲原有明

藤村君のこれまでの文壇的生涯を時代わけにして、みんなが分擔して書きたいことを書きとめておくのもよい企である。わたくしには「若菜集」の出るやうになつた頃のことを書かぬかどうかといふ相談があつた。しかし藤村君とのつきあひは「夏草」出版直後からで...
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龍土會の記—– 蒲原有明

龍土會といつても誰も知る人のないぐらゐに、いつしか影も形もひそめてしまつてゐる。そのやうに會はたとへ消滅したものであるにしても、會員であつた人々は殘つてゐなくてはならないが、さて自分が會員であつたと名のりを揚げる特志者はまづ無いといつてよい...
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夢は呼び交す ――黙子覚書―― —–蒲原有明

書冊の灰  二月も末のことである。春が近づいたとはいいながらまだ寒いには寒い。老年になった鶴見には寒さは何よりも体にこたえる。湘南の地と呼ばれているものの、静岡で戦災に遭《あ》って、辛《つら》い思いをして、去年の秋やっとこの鎌倉へ移って来た...
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都喜姫—– 蒲原有明

つき姫とは仮に用ひし名なり、もとの事蹟悽愴むしろきくに忍びず、口碑によれば「やよがき姫」な り、領主が寵をうけしものから、他の嫉みを招くにいたり、事を構へて讒する者あり、姦婬の罪に行はる。身には片布をだに着くるを允《ゆる》さず馬上にして城下...
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長谷川二葉亭—– 蒲原有明

長谷川二葉亭氏にはつい此あひだ上野精養軒で開かれた送別會の席上で、はじめてその風※[#「蚌のつくり」、第3水準1-14-6]に接したぐらゐであるから、わたくしには氏に對して別に纏つた感想などのありやうもない。だが、質素な身なりと、碎けた物言...
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仙人掌と花火の鑑賞—蒲原有明

わたくしはいつもの瞑想をはじめる。――否、瞑想ではない、幻像の奇怪なる饗宴だ。雜然たる印象の凝集と發散との間に感ずる夢の一類だ。さうしてゐるうちに突然とわたくしの腦裡に、仙人掌と花火といふ記號的な概念が浮んでくる。その概念が内容を摸索する。...
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新しき聲—– 蒲原有明

(一)  同時代に生れ出た詩集の、一は盛《さか》へ他は忘れ去られた。「若菜集」と「抒情詩」。「若菜集」は忽ちにして版を重ねたが、「抒情詩」は花の如く開いて音もなく落ちて了つた。  島崎氏の「若菜集」がいかに若々しい姿のうちに烈しい情※[#「...
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松浦あがた—– 蒲原有明

一 「黄櫨成[#レ]列隴※[#「縢の糸に代えて土」、107-上-4][#「※[#「縢の糸に代えて土」]」は底本では※[#「月+祭」]]間 南望平々是海湾 未[#レ]至[#二]栄《サガ》城[#一]三五駅 忽|従《ヨ》[#(リ)][#二]林際[...
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小山内謝豹—– 蒲原有明

小山内君は一時謝豹といふ雅號を用ゐてゐました。それをおぼえてゐる人は恐らく稀でせう。もう十五六年も前のことになります。そのころ生田葵君のやつてゐた「活文壇」といふ雜誌に、知與子とか謝豹とか署名して、ちよくちよくシエレエの詩の飜譯が出たもので...
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詩の將來について—–蒲原有明

こゝに掲げた標題が私に課せられた難問である。私は答案に窮するより外はない。  近頃は社會萬般に亙つて何事も見透しがつきかねるといふ噂さである。詩も多分さうであらうことは、この出題によつても推測されるとほりに、私にも少しばかり思當りがないでも...
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狂言綺語—– 蒲原有明

諸君子のひそみに倣つて爆彈のやうな詩を書いて見ようと思はぬでもない。も少し穩かなところで、民衆詩あたりでも惡くはなからうと思はぬでもない。さうは思ふが、さてどうにもならない。  格にはまつた詩も、格にはづれた詩も、いづれにしても、わたくしに...
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虚妄と眞實—– 蒲原有明

「食後」の作者に  ――君。僕は僕の近來の生活と思想の斷片を君に書いておくらうと思ふ。然し實を云へば何も書く材料はないのである。默してゐて濟むことである。君と僕との交誼が深ければ深いほど、默してゐた方が順當なのであらう。舊い家を去つて新しい...
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泣菫氏が近業一篇を読みて —–蒲原有明

穉態を免れず、進める蹤を認めずと言はるる新詩壇も、ここに歳華改りて、おしなべてが浴する新光を共にせむとするか、くさぐさの篇什一々に数へあげむは煩はしけれど、めづらしき歌ごゑ殊に妙《たへ》なるは、秀才泣菫氏が近作、「公孫樹下にたちて」と題せる...
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機縁 (友なる画家の画稿に題す) —–蒲原有明

その一 大海《おほうみ》かたち定めぬ劫初《はじめ》の代《よ》に 水泡《みなわ》の嵐たゆたふ千尋《ちひろ》の底。 折しも焔《ほのほ》はゆるき『時』の鎖《くさり》、 まひろく永き刻みに囚《とらは》れつつ、 群鳥《むらどり》翔《かけ》る翼のその噪...
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鴎外を語る—– 蒲原有明

鴎外を語るといつても、個人的接触のごとき事実は殆ど無く、これを回想してみるよすがもない。をかしなことである。錯戻であらう。さうも思はれるぐらゐ、自分ながら信じられぬことである。  それにはちがひないが、鴎外としいへば、その影は、これまでとて...
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ジヨオジ・ムウア—– 蒲原有明

わたくしはこのごろジヨオジ・ムウアの書いたものを讀んでゐる。それについての話を少しして見よう。別にムウアの書物が珍らしいといふのではない。今まであまり人の口にかゝらなかつたと云ふまでゝあるが、むかふでも多少評判になつてきてゐるやうである。な...
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『聊斎志異』より—– 蒲原有明

香玉  労山の下清宮といふは名だゝる仙境なり。ここに耐冬あり、その高さ二丈、大さ数十囲。牡丹あり、その高さ丈余。花さくときぞ美はしう※[#「王+粲」、第3水準1-88-31]《きらゝ》かなるや。  そが中に舎《しや》を築きて居れるは膠州の黄...
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『二十五絃』を読む—–蒲原有明

詩はこれを譬ふれば山野の明暗、海波の起伏なり。新しき歌の巻を読むは、また更にわが身に近くして、さながら胸の鼓動を聴くここちす。今『二十五絃』を繙いて、泣菫子が和魂の帰依[#「和魂の帰依」に傍点]に想ひ到れば、この荒びし世をつつむは黄金の靄、...
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『行く春』を読む—— 蒲原有明

薄田泣菫氏の才華はすでに第一の詩集『暮笛集』に於て、わが新詩壇上いちじるしき誉れとなりしを、こたびの集『ゆく春』の出づるに及びて、また新たに、詩人繍腸の清婉は日ごろ塵に染みたる俗心の底にもひびきぬ。ことしもうら寂しく暮れゆかむとする詩天のか...
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「有明集」前後—– 蒲原有明

明治三十八年に「春鳥集」を出したときには、多少の自信もあり自負もあつた。わたくしのやうな氣弱なものも詩作上思ひきつて因襲に反撥を試みたのである。あの稚拙な自序を卷頭に置いたのもその爲で、少しきおつたところが見えて落ちつかぬが、それも致しかた...