「宝島」はロバート・ルーイス・スティーヴンスン(一八五○―一八九四)の最初の長篇小説であり、彼の出世作であるが、また彼の全作中でも最も高名な名作であることは周知の通りである。紀行文、随筆《エッセー》、短篇小説などにおける彼の数年間の文筆生活の後に、一八八一年の九月、スコットランドのブレーマーでの療養中に書き始められた。作者自身の記すところによれば、彼が或る日彼の妻の連子である少年ロイド・オズバンのために空想で描いて与えた一枚の島の地図がその起源であったという。この地図にスティーヴンスンは想像力を刺激され、島を宝島と名づけて、それによってこの海賊と宝との物語を組立て、その少年を唯一人の聴き手として書き始めたのであるが、燈台技師であった作者の父トマス・スティーヴンスンもまたやがてその聴き手に加わった。かくしてこの小説はすでに最初から少年のみならず成人あるいは老人をも読者に有したと言い得るかも知れない。トマスは熱心な聴き手となって、作中のビリー・ボーンズの衣類箱が探される時にはその中にある種々の品物を挙げ、またフリントの船の名を「海象《ウオルラス》号」とつけたのも彼であった。こうして初めの十五章が書き上げられたが、当時は作の表題は「船の料理番《コック》」であった。それによっても察せられるように、本篇における最も重要な人物はヒスパニオーラ号の料理番として現れるジョン・シルヴァーなのである。スティーヴンスンは毎夕食後家族のためにこの物語を読み続けていたが、偶々アレグザーンダー・ジャップという人が訪れてその仲間に入り、この話にはなはだ興味を感じて、帰る時に最初の数章の原稿を持ち去り、それを友人である少年新聞「ヤング・フォークス紙」の編輯者ジェームズ・ヘンダスンに送った。間もなくこの作は同紙上に連載され始めた。題名を「宝島」と改めたのはヘンダスンである。しかし、第十五章の次で作者は恐らく行詰りを感じたのであろう、一度執筆を放棄したが、その冬を越すためにスウィスの保養地ダーヴォスに赴いてから、再びこの作のペンを執り上げ、物語の書き手を主人公ジム・ホーキンズから一時的に医師リヴジーに移して書き継ぎ、逐に最後の章まで完成させた。「ヤング・フォークス紙」には一八八一年の十月上旬から翌年の一月下旬までにわたって掲載され、その発表当時には批評家の注目をも惹かず、世評にも上らなかったが、一八八三年十二月に単行本として出版されるに至って、世人に歓喜をもって迎えられ、啻《ただ》に少年のみならず、政治家、法律家などに至るまでも耽読されたと言われ、スティーヴンスンの名声を初めて高めたのであった。それ以来今日まで引続いて広く読まれていると共に、また文学史上においても確乎たる古典的地位を贏《か》ち得ているのである。
「宝島」は洵《まこと》に少年文学であると同時に成人をも十分に愉しませ得る小説であり、大衆文学であると同時に文学に対して最も優れた理解力と鑑賞力とを有する人々にも愛読され得る作品である。この作が凡百の軽文学を遥かに抜いているのは、全篇の構成から措辞の末に至るまでに滲透している作者の芸術的感覚と手腕とによってであろう。スティーヴンスンがイギリス文学中有数の文章家《スタイリスト》であることは已に人の知るところであるが、本篇における彼の小説的技術もまた極めて高度のものであることは認めざるを得ない。ただ、第十六章から三章だけの書き手が異っていることは全体としては幾分の技術的欠陥とも言い得られぬではない。しかし、それらの章もそれ自身としては完全な効果を収めており、また通読に際して不自然ないしは不調和の感をほとんど与えない。この作にあってはスティーヴンスンの作家的短所は影を潜め、長所は遺憾なく発揮されている。事件、情景等の叙述、描写の比類少き巧みさは、恐らくすべての読者の直ちに気づくところであろう。全篇にわたって、脳裡に残る傑れた場面はかなり多くを挙げることが出来る。あるいは、全三十四章が印象的な場面のほとんど連続である。しかも、少年ジム・ホーキンズ、その母、老海賊ビリー・ボーンズ、医師リヴジー、海賊|黒犬《ブラック・ドッグ》、盲人ピュー、大地主トゥリローニー、船長スモレット、島の男ベン・ガン、舵手イズレール・ハンズ、船員ディック・ジョンソン、その他作中諸人物は各それぞれの明確さと自然さとをもって描かれているが、特に評家の最も讃歎するのは、隻脚の海賊ジョン・シルヴァーの性格創造である。この快活、饒舌、柔和、慇懃、陰険、横柄、勇敢、残忍、聡慧、雄弁、剛胆、狡猾――端倪すべからざる人物は、実に溌剌として紙上に躍っているのが見られるであろう。
一九三五年十月
佐々木直次郎
底本:「宝島」岩波文庫、岩波書店
1935(昭和10)年10月30日初版第1刷発行
1956(昭和31)年6月30日第17刷発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
その際、以下の置き換えをおこないました。
「亦→また、既に→すでに、甚だ→はなはだ、以て→もって、乃至→ないし、殆ど→ほとんど」
※底本で「灯」と使い分けられているは「燈」は、新字には改めませんでした。
※一部、ルビを補いました。
※入力に際しては、「宝島」新潮文庫(佐々木直次郎・稲沢秀夫訳)を参考にしました。
入力:kompass
校正:伊藤時也
2009年8月12日作成
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