探偵夜話—— 岡本綺堂

火薬庫《かやくこ》

 例の青蛙堂主人から再度の案内状が来た。それは四月の末で、わたしの庭の遅桜も散りはじめた頃である。定刻の午後六時までに小石川の青蛙堂へ着到《ちゃくとう》すると、今夜の顔ぶれはこの間の怪談会とはよほど変わっていた。例によって夜食の御馳走になって、それから下座敷の広間に案内されると、床の間には白い躑躅《つつじ》があっさりと生けてあるばかりで、かの三本足の蝦蟆《がま》将軍はどこへか影をひそめていた。紅茶一杯をすすり終った後に、主人は一座にむかって改めて挨拶した。
「先月第一回のお集まりを願いました節は、あいにくの雪でございましたが、今晩は幸いに晴天でまことに結構でございました。今晩お越しを願いました皆様のうちには、前回とおなじお方もあり、また違ったお顔も見えております。そこで、こう申し上げると、わたくしは甚だ移り気な、あきっぽい人間のように思召《おぼしめ》されるかも知れませんが、わたくしは例の怪談研究の傍らに探偵方面にも興味を持ちまして、この頃はぼつぼつその方面の研究にも取りかかっております。もちろんそれも怪談に縁のないわけではなく、いわゆる怪談と怪奇探偵談とは、そのあいだに一種の連絡があるようにも思われるのでございます。わたくしが探偵談に興味を持ち始めましたのも、つまりは怪談から誘い出されたような次第でありまして、あながちに本来の怪談を見捨てて、当世流行の探偵方面に早変わりをしたというわけでもございませんから、どうぞお含み置きを願いたいと存じます。就きましては、今晩は前回と違いまして、皆様から興味の深い探偵物語をうけたまわりたいと希望しておりますのでございますが、いかがでございましょうか。」
 青蛙堂鬼談が今夜は青蛙堂探偵談に変わろうというのである。この注文を突然に提出されて、一座十五六人はしばらく顔をみあわせていると、主人はかさねて言った。
「もちろん、ここにお集まりのうちに本職の人のいないのは判っておりますから、当節のことばでいう本格の探偵物語を伺いたいと申すのではございません。今晩は単に一種の探偵趣味の会合として、そういう趣味に富んだお話をきかして下さればよろしいので、なにも人殺しとか泥坊とかいうような警察事故に限ったことではないのでございます。そこで、どなたからと申すよりも、やはり前回の先例にならいまして、今晩もまず星崎さんから口切りを願うわけにはまいりますまいか。」
 星崎さんは前回に「青蛙神」の怪を語った人である。名ざしで引き出されて、頭をかきながらひと膝ゆすり出た。
「では、今夜もまた前座を勤めますかな。なにぶん突然のことで、面白いお話も思い出せないのですが……。わたしの友人に佐山君というのがおります。現在は××会社の支店長になって上海《シャンハイ》に勤めていますが、このお話――明治三十七年の九月、日露戦争の最中で、遼陽陥落の公報が出てから一週間ほど過ぎた後のことです。――の当時はまだ廿四五の青年で、北の地方の某師団所在地にある同じ会社の支店詰めであったそうで、勿論、その地位もまだ低い、単に一個の若い店員に過ぎなかったのです。××会社はその頃、その師団の御用をうけたまわって、何かの軍需品を納めていたので、戦争中は非常に忙がしかったそうです。佐山君は学校を出たばかりで、すぐにこの支店に廻されて、あまりに忙がしいので一時は面くらってしまったが、それもだんだんに馴れて来て、ようよう一人前の役目がまずとどこおりなく勤められるようになった頃に、この不思議な事件が出来《しゅったい》したのですから、そのつもりでお聞きください。」
 こういう前置きをして、彼はかの佐山君と火薬庫と狐とに関する一場の奇怪な物語を説き出した。

 遼陽陥落の報知は無論に歓喜の声をもって日本じゅうに迎えられたが、殊に師団の所在地であるだけに、ここの気分はさらに一層の歓喜と誇りとをもって満たされた。盛大な提灯行列が三日にわたって行なわれて、佐山君の店の人達も疲れ切ってしまうほどに毎晩提灯をふって歩きつづけた。声のかれるほどに万歳を叫びつづけた。そのおびただしい疲労のなかにも、会社の仕事はますます繁劇を加えるばかりで、佐山君らはほとんど不眠不休というありさまで働かされた。
 けさも朝から軍需品の材料をあつめるために、町から四里ほども距《はな》れている近在を自転車で駈けずりまわって、日の暮れる頃に帰って来ると、もう半道ばかりで町の入口に行き着くというところで、自転車に故障ができた。田舎道をむやみに駈け通したせいであろうと思ったが、途中に修繕を加える所はないので、佐山君はよんどころなしにその自転車を引き摺りながら歩き出した。この頃の朝夕はめっきりと秋らしくなって、佐山君がくたびれ足をひきながらたどって来る川べりには、ほの白い蘆《あし》の穂が夕風になびいていた。佐山君は柳の立木に自転車をよせかけて、巻煙草をすいつけた。
「そんなに急いで帰るにも及ぶまい。おれは今日だけでもほかの人達の三倍ぐらいも働いたのだ。」
 こんな自分勝手の理屈を考えながら、佐山君は川柳の根方に腰をおろして、鼠色の夕靄がだんだんに浮き出してくる川しもの方をゆっくりと眺めていた。川のむこうには雑木林に深くつつまれた小高い丘が黒く横たわって、その丘には師団の火薬庫のあることを佐山君は知っていた。そうして、その火薬庫付近の木立《こだち》や草むらの奥には、昼間でも狐や狸がときどきに姿をあらわすということを聞いていた。
 煙草好きの佐山君は一本の煙草をすってしまって、さらに第二本目のマッチをすりつけた時に、釣竿を持った一人の男が蘆の葉をさやさやとかき分けて出て来た。ふと見るとそれは向田大尉であった。佐山君はほとんど毎日のように師団司令部に出入りするので、監理部の向田大尉の顔をよく見識っていた。
「今晩は……。」と、佐山君は起立して、うやうやしく敬礼した。
 大尉はたしかにこっちをじろりと見返ったらしかったが、そのまま会釈《えしゃく》もしないで行ってしまった。佐山君は自分に答礼されなかったという不愉快よりも、さらに一種の不思議を感じた。この戦時の忙がしい最中に、大尉が悠々と釣りなどをしているのもおかしい。殊に大尉は軍人にはめずらしいくらいの愛想のよい人で、出入りの商人などに対してもいつも丁寧に応対するというので、誰にもかれにも非常に評判のよい人である。その大尉殿が毎日のように顔を見あわせている自分に対して、なんの挨拶もせずに行き過ぎてしまったのは、どうもおかしい。うす暗いので、もしや人違いをしたのかとも思ったが、マッチの火にうつった男の顔はたしかに向田大尉に相違ないと、佐山君は認めた。
「わざと知らぬ顔をしていたのかも知れない。」
 大尉は忙がしい暇をぬすんで、自分の好きな魚釣りに出て来た。そこを自分に認められた。この軍国多事の際に、軍人が悠長らしく釣竿などを持ち出しているところを、人に見つけられては工合が悪いので、かれはわざと知らぬ顔をして行き過ぎてしまった。――そんなことは実際ないともいえない。佐山君は大尉が無愛想の理由をまずこう解釈して、そのままに自分の店へ帰った。夕飯を食うときに、佐山君は古参の朋輩に訊いた。
「向田大尉は釣りが好きですか。」
「釣り……。」と、かれはすこし考えていた。「そんな話は聞かないね。向田大尉は非常な勉強家で、暇さえあれば家で書物と首っぴきだそうだ。」
 川端でさっき出逢った話をすると、かれは急に笑い出した。
「そりゃきっと人違いだよ。大尉はこのごろ非常に忙がしいんだから、悠々と釣りなんぞしている暇があるものか、夜ふけに家へ帰って寝るのが関の山だよ。第一、あの川で何が釣れるものか。ずっと下《しも》の方へ行かなければなんにも引っかからないことは、長くここにいる大尉がよく知っている筈だ。あすこらで釣竿をふり廻しているのは、ほんの子供さ。大人がばかばかしい、あんなところへ行って暢気《のんき》に餌をおろしていられるものか。」
 そう聞くと、どうも人違いでもあるらしい。うす暗い川端で自分は誰かを見あやまったのであろう。かれが挨拶なしに行き過ぎてしまったのも無理はなかった。勤勉の大尉殿がこの際に、見す見す釣れそうもない所で悠々と糸を垂れている筈がない。こう思いながらも、佐山君の胸にはまだ幾分の疑いが残っていて、蘆のあいだから釣竿を持って出て来た人は、どうも向田大尉に相違ないらしく思われてならなかった。しかしどちらにしたところで、それがさしたる大問題でもないので、佐山君もその以上に深く考えて見ようともしなかった。
「それとも、君は狐に化かされたのかも知れないよ。」と、朋輩はからかうように又笑った。「君も知っているだろうが、あの火薬庫の近所には狐や狸がたびたび出て来るんだからね。この頃は滅多《めった》にそんな話は聞かないが、以前はよくあの辺で狐に化かされた者があったそうだ。」
「そうかも知れない。」
 佐山君も笑った。しかし内心はあまり面白くなかった。どう考えても、かの男は向田大尉に相違ないように思われた。なんとかして大尉が確かにあすこで魚釣りをしていたという証拠をつかまえて、自分をあざけっている朋輩どもを降参させてやりたいようにも思ったが、この上にそんなことを考えるべく彼はあまりに疲れていた。十時頃に店の用を片付けて、佐山君は自分の下宿さきへ帰った。
 疲れている彼は、寝床へもぐり込むとすぐにぐっすりと寝入ってしまった。そうしてこの一夜のうちに、どこでどんなことが起こっていたかをなんにも知らなかった。夜があけていつもの通りに出勤すると、どこで聞き出して来たのか、店員たちの間にはこんな奇怪な噂が伝えられた。
「向田大尉がゆうべ火薬庫のそばで殺されたそうだ。」
「いや、大尉じゃない。狐だそうだ。」
 きのうの夕方の一条があるので、この話は人一倍に佐山君の耳に強くひびいた。彼はその事件の真相を確かめたいのと、ほかにも店の用事があるのとで、かたがた例よりは早く司令部へ出張すると、司令部の正門からちょうど向田大尉の出て来るのに出逢った。大尉はふだんよりも少し蒼ざめた顔をしていたが、佐山君に対してはやはり丁寧に挨拶して行き過ぎた。呼び止めて、きのうの釣りのことを訊いてみようかとも思ったが、場合が場合であるので、佐山君は遠慮しなければならなかった。
 いずれにしても、向田大尉が健在であることは疑うまでもない。大尉が殺されたのではない、狐が殺されたのかも知れない。大尉と狐と、その間にどういう関係があるのか。佐山君はいよいよ好奇心にそそられて、足早に司令部の門をくぐった。店の用向きをまず済ませてしまって、それからだんだん聞いてみると、大尉殿の噂はみな知っていた。時節柄そんな噂を伝えると、それから又いろいろの間違いを生ずるというので、司令部では固く秘密を守るように言い渡したのであるが、問題が問題であるだけにその秘密が完全に防ぎ切れないらしく、将校たちはさすがに口をつぐんでいても、兵卒らは佐山君にみな打ち明けて話した。
「狐が向田大尉どのに化けたのを、哨兵に殺されたのさ。」
 佐山君はあっけに取られた。

 司令部の門を出ると、佐山君と相前後して戸塚特務曹長が出て行った。特務曹長とも平素から懇意にしているので、佐山君は一緒にあるきながら又訊いた。
「ほんとうですか。火薬庫の一件は……。」
「ほんとうです。」と、特務曹長は真面目にうなずいた。「わたしは大尉殿に化けているところも見ました。」
「狐が大尉殿に化けたのですか。」
「そうであります。司令部にかつぎ込んだ時には、たしかに大尉殿であったのです。それがいつの間にか狐に変わってしまったのです。」
「たしかに大尉殿であったのですか。」と、佐山君は念を押した。
「そうであります。わたしも確かに見ました。」
 一方の大尉が無事である以上、殺された大尉殿は狐でなければならない。しかしそれがどうしても佐山君には信じられなかった。昔話ならば格別、実際に於いてそんな事実が決してあり得べき筈がないと彼は思った。戸塚特務曹長はこれからその件に就いて火薬庫まで行くというので、佐山君もかれと一緒に行って現場の様子を見とどけ、あわせて昨夜の出来事の真相を知りたいと思って、かの川べりの丘の方へ肩をならべて歩き出した。
「で、いったいゆうべの事件というのはどうしたのですか。狐が大尉どのに化けて、何かいたずらでもしたのですか。」
「それはこういう訳です。」と、特務曹長は薄い口髭をひねりながら、重い口でぽつりぽつりと話し出した。「ゆうべ、いや今朝の一時頃です。あの火薬庫の草むらの中にぼんやりと灯のかげが見えたのです。あの辺は灌木やすすきが一面に生い茂っている所で、その中から灯が見えたかと思ううちに、ひとりの人間が提灯を持って火薬庫の前へ近寄って来ました。哨兵がよく見ると、それは向田大尉殿でありました。哨兵はむろん大尉殿の顔を識っています。ことに大尉殿は軍服を着て、司令部の提灯を持っているのですから、なんにも疑うところはないのであるが、軍隊の規律としてただ見逃がすわけには行かないので、哨兵は銃剣をかまえて『誰かッ』と声をかけたのです。けれども相手はなんにも返事をしない。哨兵は再び声をかけて『停まれッ』といったのですが、やはり停まらない。三度目に声をかけても、やはり黙っているので、哨兵はもう猶予するわけには行かなくなったのです。」
「でも、見す見す向田大尉殿だったのでしょう。」と、佐山君はさえぎるように言った。
「軍隊の規律ですから已むを得ません。」と、特務曹長はおごそかに答えた。「殊に火薬庫の歩哨は重大の勤務であります。三度まで声をかけても答えない以上、それが見す見す向田大尉殿であっても打っちゃっては置かれません。哨兵は駈け寄って、その銃剣でひと突きに突き殺してしまったのです。そうして、その次第を報告すると、司令部の方でも大騒ぎになって、当直の将校たちもすぐに駈け付けてみると、死んでいるのは確かに向田大尉殿でありました。」
「あなたも現場へ出向かれたのですか。」と、佐山君は啄《くち》をいれた。
「いや、わたしは行きませんでした。しかしその死体を運び込んで来るのは見ました。大尉殿は軍服を着て、顔の上に軍帽が乗せてありました。そこで、まず大尉殿の自宅へ通知すると、大尉どのはちゃんと自宅に寝ているのです。大尉殿が無事に生きているというのを聞いて、みんなも又おどろいて再びその死体をあらためると、それはどうしても大尉殿に相違ないのです。そうして、たしかに大尉殿の軍服と軍帽を着けているのです。ただ、帯剣だけはなかったのです。そのうちに、ほんとうの大尉どのが司令部に出て来て、自分でも呆れている始末です。」
 この奇怪な出来事の説明をきかされながら、佐山君はあかるい秋の日の下をあるいているのであった。大空は青々と澄み切って、火薬庫の秘密をつつんだ雑木林の丘は、砂のように白く流れて行く雲の下に青黒く沈んでいた。特務曹長はひと息ついて又語り出した。
「なにしろ、大尉の服装をした人間が火薬庫の付近を徘徊していたのは事実で、しかも今は戦時であるから、問題はいよいよ重大になったのであります。で、その怪しい死体を一室にかつぎ込んで、今井副官殿と、安村中尉殿と、本人の向田大尉殿とが厳重に張番して、ともかくも夜の明けるのを待っていたのです。すると、不思議なことには、夜がだんだんに白んで来ると、その死体がいつの間にか狐に変わってしまったのです。軍服はやはりそのままで、軍帽を乗せられていた人間の顔が狐になっているのです。靴はどうなったのか判りません。かれが持っていたという司令部の提灯も、普通の白張りの提灯に変わっているのです。これにはみんなも又おどろかされて、大勢の人達を呼びあつめて立会いの上でよく検査すると、かれはどうしても人間でない、たしかに古狐であるということが判ったのです。その狐はわたしも見ました。由来、火薬庫の付近には古狐がたくさん棲んでいると伝えられているのですが、その狐が何かのいたずらをするつもりで、かえって哨兵に突き殺されたのだろうというのです。余り奇怪な話で、われわれには殆んど信じられないことですが、何をいうにも論より証拠で、そこに一匹の狐の死体が横たわっているのであるから仕方がない。どう考えても不思議なことであります。」
「実に不思議です。」と、佐山君も溜め息をついた。ゆうべ逢った魚釣りの人もやはりその狐ではなかったかとも思われた。
 戸塚特務曹長が平素から非常にまじめな人物であることを佐山君はよく知っていた。口では信じられないと言いながらも、特務曹長は眼《ま》のあたりに見せ付けられたこの不思議を、あくまでも不思議の出来事として素直に承認するよりほかはないらしかった。話はこれでひとまず途切れて、二人は黙って丘の裾までゆき着いた。すすきや茅が一面に生い茂っている中に、ただひと筋の細い路が蛇のようにうねっているのを、二人はやはり黙って登って行った。頭の上からは枯れた木の葉が時々ひらひらと落ちて来た。
「大尉殿に化けた狐が殺されたのは、この辺だそうです。」
 特務曹長は指さして教えた。それは火薬庫の門前で、枯れたすすきが大勢の足あとに踏みにじられて倒れているほかには、なんにも新しい発見はなさそうであった。

 特務曹長に別れて帰る途中も、佐山君はこの奇怪な事件の解決に苦しんでいた。どう考えても、そんな不思議がこの世の中にあるべき筈がなかった。しかし何処の国でも戦争などの際にはとかくいろいろの不思議が伝えられるもので、現に戦死者の魂がわが家に戻って来たというような話が、この町でも幾度か伝えられている。こうした場合には狐が人間に化けたというような信じがたい話も、案外なんらの故障なしに諸人に受け入れられるものである。佐山君が店へ帰ってそれを報告すると、平素はなにかにつけて小理屈を言いたがる人達までが、ただ不思議そうにその話をきいているばかりで、正面からそれを言い破ろうとする者もなかった。
 いかに秘密を守ろうとしても、こういうことは自然に洩れやすいもので、火薬庫の門前に起こった奇怪の出来事の噂はそれからそれへと町じゅうに拡がった。それには又いろいろの尾鰭をそえて言いふらすものもあるので、師団の方では、この際あらぬ噂を伝えられて、いよいよ諸人の疑惑を深くするのを懸念したのであろう、町の新聞記者らをよび集めて、その事件の顛末をいっさい発表した。それは佐山君が戸塚特務曹長から聞かされたものと殆んど大同小異であった。諸新聞はその記事を大きく書いて、大尉に化けたというその狐の写真までも掲載したので、その噂にふたたび花が咲いた。
 それと同時に、また一種の噂が伝えられた。向田大尉はほんとうに死んだらしいというのである。狐が殺されたのではなく、向田大尉が殺されたのである。現にその事件の翌夜、大尉の自宅から白木の棺をこっそりと運び出したのを見た者があるというのである。しかし佐山君は、すぐにその噂を否認した。狐が殺されたという翌朝、自分は司令部の門前で確かに向田大尉と顔を見あわせて、いつもの通りに挨拶までも交換したのであるから、大尉が死んでしまった筈は断じてないと、佐山君はあくまでも主張していると、あたかもそれを裏書きするように、また新しい噂がきこえた。大尉の家から出たのは人間の葬式ではない、かの古狐の死骸を葬ったのである。畜生とはいえ、仮りにも自分の形を見せたものの死骸を野にさらすに忍びないというので、向田大尉はその狐の死骸をひき取って来て、近所の寺に葬ったというのであった。
「そうだ。きっとそうだ。」と、佐山君は言った。
 しかし、ここに一つの不審は、その後に司令部に出入りする者が曽て向田大尉の姿を見かけないことであった。大尉は病気で引き籠っているのだと、司令部の人達は説明していたが、なにぶんにも本人の姿がみえないということが諸人の疑いの種になって、大尉の葬式か、狐の葬式か、その疑問は容易に解決しなかった。ある時、佐山君が支店長にむかって、向田大尉殿はたしかに生きていると主張すると、支店長は意味ありげに苦笑いをしていた。そうして、こんなことを言った。
「狐の葬式はどうだか知らないが、向田大尉は生きているよ。」
 そのうちに、十月ももう半ばになって、沙河会戦の新しい公報が発表された。町の人達の注意は皆その方に集められて、狐の噂などは自然に消えてしまった。ここは冬が早いので、火薬庫付近の草むらもだんだんに枯れ尽くした。沙河会戦の続報もたいてい発表されてしまって、世間では更に新しい戦報を待ちうけている頃に、向田大尉は突然この師団を立ち去るという噂がまた聞こえた。これで大尉が無事に生きている証拠は挙がったが、他に転任するともいい、あるいは戦地に出征するともいい、その噂がまちまちであった。佐山君の支店ではこれまで商売上のことで、向田大尉には特別の世話になっていた。ことに平素から評判のよかった人だけに、突然ここを立ち去ると聞いて、誰もかれも今さら名残り惜しいようにも思った。
 支店長は相当の餞別を持って、向田大尉の自宅をたずねた。そうして、むろん司令部からも手伝いの者が来るであろうが、出発前に何かの用事があれば遠慮なく言い付けてくれと言い置いて帰った。その翌日、支店長の命令で、佐山君とほかに一人の店員が大尉の家へ顔を出すと、家じゅうは殆んどもう綺麗に片付いていた。大尉は細君と女中との三人暮らしで、別に大した荷物もないらしかった。
「やあ、わざわざ御苦労。なに、こんな小さな家だから、なんにも片付けるほどの家財もない。」
 大尉は笑いながら二人を茶の間に通した。全体が五間《いつま》ばかりで、家じゅうが殆んど見通しという狭い家の座敷には、それでも菰包みの荷物や、大きいカバンや、軍用行李などがいっぱいに置き列べてあった。
「皆さんにも折角お馴染みになりましたのに、急にこんなことになりまして……。」と、細君は自分で茶や菓子などを運んで来た。
 細君の暗い顔が佐山君の注意をひいた。もう一つ、かれの眼についたのは、茶の間の仏壇に新しい白木の位牌の見えたことであった。仏壇の戸は開かれて線香の匂いが微かに流れていた。
 どこへ転任するのか、あるいは戦地へ出征するのか、それに就いては大尉も細君もいっさい語らなかった。佐山君たちも遠慮してなんにも訊かなかった。混雑の際に邪魔をするのも悪いと思って、二人は早々に暇乞いをした。
「そうしますと、別に御用はございませんかしら。」
「ない、ない。」と、大尉は笑いながら首をふった。「支店長にもどうぞよろしく。」
「はい。いずれお見送りに出ます。」
 二人は店へ帰ってその通りを報告すると、支店長は黙ってうなずいていた。しかし彼の顔色もなんだか陰《くも》っているように見えた。向田大尉がここを立ち去るのは余り好い意味でないらしいと、佐山君はひそかに想像していた。それから三日目の夜汽車で向田大尉の一家族はいよいよここを出発することになった。大尉は出発の時刻を秘密にしていたのであるが、どこで聞き伝えたのか、見送り人はなかなか多かった。その汽車の出て行くのを見送って、支店長は思わず溜め息をついた。
「いい人だっけがなあ。」
 それから半月ほど経って、向田大尉から支店長にあてた郵便が到着した。状袋には単に向田とばかりで、その住所番地は書いてなかったが、消印が東京であることだけは確かに判った。佐山君はその郵便物を支店長の部屋へ持って行くと、彼は待ちかねたようにそれを受け取った。
「向田大尉殿は東京へ行ったのですか。」と、佐山君は訊いた。
「そうだ。」と、支店長は気の毒そうに言った。「今だから言うが、あの人はやめたんだよ。」
「なぜです。」
「悪い弟を持ったんでね。」
 支店長はいよいよ気の毒そうな顔をしていたが、その以上の説明はなんにも与えてくれなかった。向田大尉――あの勤勉な向田大尉は、軍国多事の際に職をやめたのである。佐山君もなんだか暗い心持になって、黙って支店長の前を退いた。

「お話はまずこれぎりです。」と、星崎さんは言った。「佐山君もその以上のことは実際なんにも知らないそうです。しかし支店長のただ一句、――悪い弟を持った――それからだんだん推測すると、この事件の秘密もおぼろげながら判って来るようにも思われます。向田大尉には弟がある。それがよくない人間で、どこからか大尉のところへふらりと訪ねて来た。佐山君が川べりで夕方出逢った男は、おそらく本人の大尉でなく、その弟であったろうと思われます。兄弟であるから顔付きもよく似ている。ことに夕方のことですから、佐山君が見違えたのかも知れません。いや、佐山君ばかりでなく、火薬庫の哨兵も司令部の人達も、一旦は見あやまったのでしょう。して見ると、狐が大尉に化けたのではなく、弟が大尉に化けたのらしい。その弟がなぜまた夜ふけに火薬庫の付近を徘徊していたのかそれはよく判りません。それが戦争中であるのと、本人がよくない人間であるのと、この二つを結びあわせて考えれば、大抵は想像が付くようにも思われます。弟が突き殺されてしまったところへ、兄の大尉が駈けつけて来て、いっさいの事情が明白になった結果、大尉の同情者の計らいで、その死体がいつの間にか狐に変わって、何事も狐の仕業《しわざ》ということになったらしい。大尉の家からこっそり運び出された白木の棺も、仏壇に祀られていた新しい位牌も、すべてその秘密を語っているのではありますまいか。こうしてまず世間をつくろって置いて、大尉も弟の罪を引受けて職をなげうった――。いや、これはみんな私の想像ですから、嘘かほんとうか、もちろん保証は出来ません。向田大尉のためにはやはり狐が化けたことにして置いた方がいいかも知れません。狐が化けたのなら議論はない。人間が化けたとなると、いろいろ面倒になりますからね。」
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剣魚《けんぎょ》[#「剣魚」は大見出し]

「へへえ、お珍らしいステッキでございますねえ。」
 宿のお島さんが頓狂な声を出したので、僕もびっくりして振り向いた――と、F君が代って話し出した。それはF君が上総《かずさ》ももう房州近い小さい町の或る海水浴旅館に泊まったときの出来事である。この頃はどうだか知らないが、その当時は海水浴旅館といっても頗る不完全なもので、相当に開けた大きい町を近所に持っているだけに、すべての繁昌をそちらへ吸い寄せられて、ここの町はあまり振わないらしかった。F君はむしろその寂しいのをえらんで、ここの小さい不完全な宿にひと夏を過ごしたのであった。
 それでも宿には三人の女中がいた。いずれも土地の者で、あまり気のきいたのは少なかったが、その頭《かしら》に立っているお島さんは深川の生まれだというだけに、からだはいやにでぶでぶ肥っていたが、どこにか小粋なところがあって、人間もはきはきしていた。年はもう廿七八の世帯くずしらしい女で色のあさ黒い、眼つきのちょっと可愛らしい、まずここらの宿の女中頭としては申し分のない資格をそなえていた。
 こういうと、ひどくお島さんに肩を入れるようだが、実際、逗留中はお島さんの世話になったよ。なかなかよく気のつく人でね――と、F君は更に説明した。
 そのお島さんがだしぬけにステッキをほめたので、僕も振り返って、そのステッキとステッキの持ち主とをじろりとみると、ステッキの持ち主は三十ぐらいの紳士で、すこし痩せた蒼白い顔に金ぶちの眼鏡をかけていた。九月ももう末で、朝晩は少しひやひやする風が吹くので、この紳士はセル地の単衣《ひとえもの》に縮緬のへこおびを締めていた。さてその次は問題のステッキだ。なるほどお島さんが不思議がるのも無理はない、僕も実は初めて見た。長さは四尺ぐらいで、色のうす白い、丸い、細長い、動物の角《つの》か牙《きば》のようにも見えるものであった。
「なんでしょうねえ。なにかの角ですかしら。」と、お島さんはステッキをひねくって眺めていると、青年紳士はにやにや笑っていた。
「それはね、アメリカへ行ったときに買って来たのだ。それでも、外国では風流な人が持つのだそうだ。」
「一体なんでございます。」
「なんということはない。まあ、こんなものさ。ははははは。」
 説明して聞かせても判るまいといったような顔をして、紳士は笑いながらそのステッキを振って、表へぶらぶら出て行ってしまった。お島さんはまだ気になると見えて、今度はそばに立っている僕の方へ話を向けた。
「ねえ、福原さん。あれは何でしょうね。」
「さあ、けものの角か、さかなの歯か、何かそんなものらしいね。」
「あんな長い歯や口ばしがあるでしょうか。」
「そりゃないとも限らない。ウニコールもあるからね。」
「ウニコールって何です。」
 僕も面倒になって来たので、かの紳士とおなじようにいいかげんな返事をして表へ出てしまった。お島さんにむかってウニコールの講釈をしているよりも、早く海岸へ出て夕方のすずしい空気を呼吸したいと思ったからであった。表へ出て、まだ一間とは歩き出さないうちに、うしろからお島さんが追いかけて来た。
「福原さん、これあなたのじゃありませんか。」
 入口の土間に落ちていたといって、お島さんは新しいハンカチーフをひろって来て見せた。
「僕のじゃない。」
「じゃあ、あの水沢さんのに違いない。あなたも海岸へ行くなら同じ道でしょう。途中で逢ったら届けてあげて下さいな。」
 ハンカチーフを僕の手に押し付けて、お島さんは内へ引っ込んでしまった。夏の初めから三月あまりも逗留して、家の人達ともみんな心安くなっているので、お島さんも遠慮なしにこんな用を言い付けたのであろうが、言い付けられた僕はあまり有難くなかった。妬《や》くわけではないが、一週間前からここに泊まっているあの水沢という青年紳士に対して、お島さんがいやにちやほやするのが少し気になった。お島さんが水沢をひどくもてなすのは、御祝儀をたんと貰ったという単純な理由以外に、なにかの秘密が忍んでいるらしくも思われるので、僕もなんだかおかしくもあった。
「へん、いい面《つら》の皮だ。」
 僕はそのハンカチーフをたもとへ押し込んで、町から海岸の方へ出ると、水沢のうしろ姿は一町ほど先きに見えた。息を切って追いかけて行くのもばかばかしいと思ったので、僕は相変わらずぶらぶら歩いて行くと、青空には秋の雲が白く流れて、頭の上はまだなかなか暮れそうもなかったが、水の上は磯ばたの砂の色とおなじように薄暗くにごって来た。沃度《ようど》を採るために海草を焚く白い煙りが海の方へ低くなびいていた。
 僕はだんだんに暗くなっていく海の色をしばらく眺めていた。頭の上の白い雲が雪のように溶けて消えるのをぼんやりと見あげていた。それから気がついてふと見ると、水沢は僕よりも半町ほども左に距《はな》れたばらばら松の下に立って、誰かと立ち話をしているらしかった。相手は誰だか判らない、男か女かもわからない。僕は一種の好奇心に誘われたのと、もう一つにはお島さんから頼まれたハンカチーフの使いを果たさなければならないと思ったので、足音のしないように砂浜を伝《つた》って、その松の立っている方へそろそろと歩いて行った。
 水沢と向かい合っているのは、確かに若い女であるらしかった。うす暗いのでその顔はよく見えなかったが、その背格好をうかがって僕はすぐに覚《さと》った。それは近所の大きい町から来た若い芸妓である。ゆうべ水沢は宿の奥二階で酒を飲んで、芸妓を呼んでくれと言い出した。お島さんはよほどそれに反対したらしかったが、なにをいうにも客の注文であるので、結局その命令通りに芸妓を呼ぶことになった。土地には芸妓というものは住んでいないので、そういう場合にはいつも隣りの町から呼び寄せるのが習いで、雛子とかいう若い芸妓が乗り込んで来た。僕は廊下ですれ違ったが、その雛子というのはまだ十八九で、色の白い、見るからおとなしそうな、お嬢さんのような女であった。
 紳士と芸妓との話はだいぶ持てたらしかった。お島さんの顔色は悪かった。なんだか泊まって行きたそうにぐずぐずしている芸妓を、お島さんは時間の制限を楯にして、無理無体に追い返してしまった。そうして、ここらの芸妓は風儀が悪くていけないと陰《かげ》でののしっていた。そのときは僕もまったくおかしかった。とにかくそういう事情があるので、今この松の蔭でささやいている水沢の相手の女は、きっとあの雛子に相違あるまいと僕は鑑定した。おそらく二人のあいだに何かの約束があって、ここで出逢うことになったのであろう。こういうところをお島さんに見せつけてやりたいと、僕は思った。
 そのうちに二人は松のかげを離れて、磯ばたの方へあるき出した。僕は呼びとめて彼《か》のハンカチーフを渡そうかと思ったが、ここで二人をおどろかすに忍びないような気がしたので、黙ってしばらくためらっていると、男は女の手をとって磯ばたにある小舟に乗り込んだ。そうして、櫂《かい》を操って沖の方へだんだんに漕いで行った。今夜は月夜の筈である。青年紳士と若い芸妓とは月の明かるい海の上に小舟をうかべて、心ゆくまでに恋を語るつもりかも知れない。僕もうらやましい心持で、その舟のゆくえをじっと見送っていたが、今夜の風は涼しいのを通り越して、なんだか薄ら寒くなって来たので、ややもすると風邪をひきやすい僕は早々にここを立ち去って、町の方へ引っ返して来た。
 宿へ帰って風呂にはいっていると、お島さんは風呂の入口から顔を出した。
「あのハンケチを届けて下すって……。」
「いや、追いつかないので止めたよ。」
「追いつかないので……。水沢さんはどこへ行ったんです。」
「海の方へ行ったよ。小舟に乗って……。」
「一人……。」
「むむ、一人で漕いで行ったよ。」
「まあ、漕げるんでしょうか。」
「そうらしいね。」
 それっきりでお島さんは行ってしまった。僕はやがて風呂からあがって、自分の座敷へ戻ってくると、女中のお文さんが夕飯の膳を運んで来た。
「お島さんがあなたのことを嘘つきだと言っていましたよ。」と、お文さんは給仕をしながら笑っていた。
「なぜだろう。」と、僕も笑っていた。
「だって、ハンケチを水沢さんに届けてくれとあなたに頼んだら、舟に乗って行ってしまったなんていって、届けてくれなかったというじゃありませんか。」
「ほんとうに舟に乗って行ったんだよ。」
「ほんとうですか。」
「うそじゃない。帰って来たらきいて見たまえ、僕は確かに見たんだから。」
 飯を食いながら僕はお文さんに訊いてみた。
「お島さんはなぜ水沢さんのことばかり気にしているんだ。え、おかしいじゃないか。」
 お文さんは黙って笑っていた。
「え、お島さんは水沢さんにおぼしめしがあるんだろう。もう出来ているんじゃないか。」
「ほほ、まさか。」と、お文さんは笑い出した。
 しかしお島さんが特別に水沢さんをもてなしていることは、家じゅうの女中たちもみな認めているらしかった。しかしここの家は非常に物堅いから、客と女中とのあいだにそんな間違いのあったためしは一度もないと、お文さんは保証するように言った。
「いくら主人が堅くっても当人同士の相対《あいたい》づくなら仕方がないじゃないか。」と、僕も笑って言った。
 ハンカチーフを届けてやらなかったということが、よほどお島さんの御機嫌を損じたらしく、今夜に限ってお島さんは一度も僕の座敷に顔を見せなかった。十時の時計を合図に、僕はお文さんに床を敷いてもらって、これから寝衣《ねまき》に着換えようとしていると、表の方が急に騒がしくなって、人の駈けて行く足音が乱れてきこえた。
「火事かしら。」
「ここらに火事なんかめったにありませんが…。」と、お文さんも不思議そうに耳を引き立てていた。
「それとも大漁かな。」
「そうかも知れません。」
 表はいよいよ騒がしくなったので、お文さんは降りて行った。

「あなた、人が殺されたんだそうです。」
 お文さんはやがて引っ返して話した。
「人が殺された。喧嘩でもしたのか。」
「芸妓が舟のなかで殺されたんですって。」
 僕のあたまには、紳士と芸妓とを乗せた小舟の影がすぐに映った。
「なんという芸妓が誰に殺されたんだ。」
「そこまでは聞いて来ませんでしたが……。」
 じれったくなったので、僕は一旦ぬいだ着物を再び引っかけて、急ぎ足に二階を降りると、店の入口にお島さんが蒼《あお》い顔をして立っていた。お島さんは僕をみると、駈けて来て小声で訊いた。
「あなた、水沢さんはほんとうに舟に乗って行ったんですか。」
「ほんとうさ。」
「一人でしたか。」
 この場合、なまじっかに隠すのはよくないと思ったので、僕は正直のことを話すと、お島さんはいよいよ蒼くなった。
「あなた、浜へ見に行くんですか。」
「むむ、行って見る。」
「一緒に行きましょう。」
 お島さんはゆるんだ帯を引き上げながら、僕のあとから付いて来た。そこらの家からも男や女が駈け出して行った。ばらばら松の下では二ヵ所ばかりのかがり火を焚いて、大勢の人影が黒く動いていた。がやがや言いののしる人声が浪にひびいて聞こえた。お島さんはもう気が気でないらしい、僕を途中に置き去りにして、夏の虫のようにかがり火の影をしたって駈け出した。
 そこにはもう警官が出張していた。そうして、僕の想像通りに真っ白な雛子の顔がかがり火の下に仰向けになっていた。夜網の漁師たちが沖へ漕ぎ出すと、主《ぬし》のない一艘の小舟がゆらゆらと漂《ただよ》っているので、不思議に思って漕ぎよせて見ると、船の底には若い女が倒れていた。女は両手にしっかりと櫂をつかんでいた。よくみると、女は脇腹を深く貫かれて、腰から下は血だらけになっているので、漁師たちも驚いた。それから浜じゅうの騒ぎになって、大勢があつまって来ると、磯ばたへ引きあげられた女の顔には見識り人があった。彼女は近所の町の雛子という若い芸妓であることが判った。しかし雛子がどうして海へ乗り出して、何者に殺されたのか、誰にも想像が付かなかった。かがり火の下の死骸を遠巻きにしている人達は思い思いの推量をくだして、がやがやと立ち騒いでいた。
 雛子がどうして海へ出たのか。何者に殺されたのか――その秘密を知っている者はおそらく僕一人かも知れない。そのほかには、僕の話を聞いているお島さんだけであろう。二人が口を結んでいれば、この秘密は容易に知れそうもなかった。僕がかがり火のそばへ近づいた時に、お島さんは又どこからか現われて来て、僕にからだを摺り付けるようにして立っていた。火に照らされたお島さんの顔は緊張していた。そうして、いつもの可愛らしい眼をけわしくして、ときどき僕の顔色を横眼に睨んでいるのは、僕の口からいつその秘密があばかれるかも知れないという大いなる恐れを懐いているらしかった。僕もしばらく黙って見ていると、お島さんはやがて僕のたもとを強くひいた。
「福原さん。もう行きましょうよ。」
 僕はやはり黙って見物の群れから出た。かがり火の影からだんだんに遠くなると、お島さんは暗いなかで僕にささやいた。
「あの芸妓はどうして殺されたんでしょう。」
「さあ。」
「あなた、後生《ごしょう》ですから誰にもなんにも言わずに下さいな。」と、お島さんは訴えるように言った。
「なにを黙っているんだ。」
「水沢さんと一緒に舟に乗ったことを……。」
「言っちゃ悪いか。」
「おがみますから、言わないでください。」
「お島さんは水沢さんとどういう関係があるんだ。」と、僕は意地わるく訊いてみた。
「別になんにも関係はありませんけれど……。」
「ただ、水沢さんが可愛いからか。」
「察してください。」
「なんでもない人に、それほど実《じつ》を尽くすのか。」
「それがあたしの性分ですから。それがために東京にもいられなくなって、上総《かずさ》三界までうろ付いているんですから。」
 僕はなんだかお島さんが可哀そうにもなって来たので、今夜のことは誰にも言うまいと、とうとう約束してしまった。
「それにしても水沢さんはどうしたろう。」
「どうしたでしょうか。」と、お島さんは溜め息をついた。「海へ飛び込んで逃げたんじゃありませんかしら。」
「そうかも知れない。それにしても、あのステッキはどうしたろう。」
「あなた、見ませんでしたか。巡査があのステッキの折れたのを持っていたのを……。船の中に落ちていたんですって……。何でもところどころに血が付いていたそうですよ。」
「そうすると、芸妓の方では櫂を持って、二人で叩き合ったんだね。」
「そうかも知れませんねえ。」
 二人は宿へ帰った。僕は素知らぬ顔をして自分の座敷へはいって、寝床のなかへもぐり込んだが、今夜は眼が冴えて寝つかれなかった。水沢はなぜあの芸妓を殺したのであろう。他愛もない痴話喧嘩の果てに、思いもつかない殺人罪を犯したので、かれもおどろいて入水《じゅすい》したのではあるまいか。泳いで逃げたか、覚悟の身投げか、あれかこれかと考えていると、夜は十二時を過ぎた頃であろう、障子の外から低い声がきこえた。
「福原さん。もうおやすみですか。」
「お島さんか。」と、僕は枕をあげた。
 返事の声を聞いて、お島さんはそっと障子をあけた。そうして、僕の枕もとへいざり寄って来た。
「あの、水沢さんが帰って来ましたよ。」
「帰って来た。どんな様子で……。」
「帳場はもう寝てしまったんですけど、あたしは何だか気になりますから、始終表に気をつけていると、誰か表のところへ来てばったり倒れた人があるらしいんです。それからそっと出てみると、水沢さんはびしょ濡れになって倒れていましたから、介抱して座敷へ連れ込んだのですが、なんだかきょときょとしているばかりで碌に口もきかないんです。どうしたんでしょう。」
「まあ、そっと寝かして置くより仕方がない。ここで騒ぐと藪蛇だよ。あしたになったら気が確かになるだろう。」
「そうでしょうか。」
 お島さんは不安心らしい顔をして、またそっと出て行った。ともかくも水沢が無事に帰って来たというのを聞いて、僕もすこし気がゆるんだとみえて、お島さんが出て行くと間もなく、うとうとと睡りついて、眼が醒めると家じゅうがすっかり明かるくなっていた。時計を見るともう九時を過ぎていた。あわてて飛び起きて顔を洗って来ると、お文さんが朝飯の膳を持って来た。
「あなた、御存じですか。水沢さんがけさ警察へ連れて行かれたのを……。」
「そうかい。」と、僕は思わず眼をみはった。お島さんがいくら僕の口止めをしても、よそから証拠があがったとみえる。お島さんはさぞ失望したろうと思いやられた。
「なんだって警察へ連れて行かれたんだ。」と、僕は空とぼけて訊いた。
「あなたも御存じでしょう。ゆうべ芸妓が舟のなかで殺されていたというので大騒ぎでしたろう。その芸妓を……。」と、言いかけてお文さんも息をのみ込んだ。
「水沢さんが殺したというのかい。」
「なんだか知りませんけれど、けさ早く巡査が来て、水沢さんの寝ているところをすぐに拘引して行ったんです。水沢さんはゆうべいつごろ帰って来たのか、わたくし共はちっとも知りませんでしたが、なんでも夜なかにそっと帰って来たのを、お島さんが戸をあけて入れてやったらしいんです。」
「お島さんはどうしている。」
「お島さんも調べられていました。」
「調べられただけで、やっぱり家《うち》にいるのか。」
「ええ。家にいますけれど、旦那もたいへんに心配して、お島さんを奥へ呼んで何か又しきりに調べているようです。」と、お文さんは顔をしかめながら話した。
「しかしお島さんは何にも知らないんだろう。」と、僕はまた空とぼけた。「お客が夜遅く帰って来たから、戸をあけてやっただけのことだろう。」
「どうもそうじゃないらしいんですよ。だって、水沢さんはびしょ濡れになって帰って来て、おまけに何だかぼう[#「ぼう」に傍点]としているのを、誰にも知らせないで、そっと連れ込んで寝かしてやったんですもの。」
 お文さんは更にこんなことを話した。水沢さんはここへ来る前に、ひと月ほども近所の町に逗留していて、殺された芸妓とは深い馴染みになっていたらしい。そうして、両方が心中でも仕かねないほどに登りつめて来たので、芸妓の抱え主の方でもだんだん警戒するようになった。それらの事情から水沢はそこを立ち退いてこの町へ来て、おとといの晩もわざわざ雛子を呼びよせたのである。雛子もその晩は抱え主の家へ一旦帰ったが、きのうの午《ひる》頃に又ふらりと家を出たままで、夜になっても帰らないので、抱え主も心配して心あたりを探していたところであった。
「そういうわけがあるんですもの、まず第一に水沢さんに疑いのかかるのも無理はありませんわ。おまけに水沢さんはその時刻に丁度どこへか行っていたんですもの。」
「なるほど、そうだ。」
 僕もお文さんに合いづちを打つよりほかはなかった。

 僕は毎朝海岸を一度ずつ散歩するのを日課のようにしていたが、けさに限って外へ出る気になれなかった。袂をさぐると、きのうお島さんから頼まれた白いハンカチーフが出た。僕はそれを眺めてなんだか暗い心持になった。
 注意していると、下へは警官がたびたび出入りをしているらしかった。番頭に案内させて、警官は奥二階の水沢の座敷へもふみ込んで、なにか捜索しているらしかった。由来、この宿の午飯《ひるめし》は少し早目なので、けさのように朝寝をした場合には、あさ飯が済むと、やがて追いかけて午飯を食うようになるので、午飯前にどうしても一度は散歩に出なければならないと思い直して、僕はなんだか気の進まないのをはげまして表へ出ようとすると、階子《はしご》のあがり口でお島さんに出逢った。お島さんはけさも蒼い顔をしていた。
「福原さん。お出かけですか。」
「少し歩いて来ようかと思っている。」と、言いかけて僕は声を忍ばせた。「水沢さんはとうとう連れて行かれたというじゃないか。」
「その事なんです。あなた、まあ聞いてください。」
 お島さんに押し戻されて、僕もふたたび自分の座敷へ帰った。
「水沢さんがまったく芸妓を殺したに相違ありませんよ。」と、お島さんは言った。「あたしちっとも知りませんでしたけれど、もう前からの深い馴染みだというんですもの。おとといの晩呼んだときも名指しなんです。あたしも何だかおかしいとは思っていましたけれど、まさかにそれほどの関係じゃあるまいと油断していたんですが、二人はもう死ぬほどに惚れ合っているんですって、あきれるじゃありませんか。」
 何もあきれることもあるまいと思ったが、僕は謹んで聞いていると、お島さんはいよいよ口惜《くや》しそうに言った。
「二人はその晩に心中の相談をしたらしいんです。そうして、きのうの夕方、あなたが浜辺で見つけたという時に、二人はそこに落ち合って、それから小舟に乗って沖へ出たんです。いいえ、確かにそうなんです。さっきも警察の人が来て、水沢さんの座敷を調べたら、あの芸妓からよこした手紙が見付かったんです。そりゃ何でもだらしのないことがたくさん書いてあって、つまり一緒に死ぬとか生きるとかいう……。なにしろそういう証拠があるんですから仕様がありませんわ。水沢さんは心中するつもりで、最初に女を殺したんでしょうけれど、急に怖くなって海へ飛び込んで、泳いで逃げて来たに相違ないんです。」
「それにしては、女がどうして櫂を両手に持っていたんだろう。」
「水沢さんが刀でもぬくあいだ、女が手代りに櫂を持っていたのかも知れません。なにしろ心中には相違ないんですよ。それにあのステッキの一件、あれが動かない証拠で、警察でも水沢さんに眼をつけているんです。けさもステッキの折れたのを持って来て、これに見覚えがあるかといって帳場の人に訊いていましたから、あたしがそばから啄《くち》を出して、たしかに見覚えがある、それは水沢さんのステッキに相違ないと言ってやりました。」
 僕もすこし驚いた。ゆうべは誰にも言ってくれるなと堅く頼んで置きながら、けさは自分の方からその秘密をあばくようなことをする。お島さんの料簡がどうして急激に変化したのか、僕には想像が付かなかった。
「黙っていればいいのに、なぜそんなことを言ったんだろう。そりゃどうせ知れるには相違なかろうが、お島さんの口から可愛い人の罪をあばくのはちっと酷《むご》いじゃあないか。」と、僕は皮肉らしく言った。
「酷いことがあるもんですか。あんな人、ちっとも可愛くはありませんわ。」と、お島さんはののしるように言った。「あたし、あの人に愛想がつきてしまいましたわ。」
「なぜさ。」
「なぜって……。ともかくも女と心中する約束をして置きながら、女の死んだのを見て急に気が変わるなんて、あんまり薄情じゃありませんか。あたし、あんな人大嫌いですわ。ちっともかばってやろうなんて思やしません。ですから、福原さん、あなたお願いですからこれから警察へ行って、ゆうべあの二人が舟に乗って出たところを確かにみたと言ってください。そうすれば、水沢さんだって、もう一言もないでしょう。」
 僕はいよいよ驚いた。しかしお島さんのような感情一辺の女としては、それも無理ではないかも知れない。お島さんは確かに水沢さんに思召《おぼしめし》があった。そうして、盲目的に水沢の犯罪を隠そうと試みたのであるが、その水沢はあの芸妓と心中するほどの深い約束があったことを発見して、お島さんの情熱はにわかに冷《さ》めた。それと同時に、心中の相手を見殺しにして逃げたという水沢の不人情が急に憎らしくなった。お島さんはあくまでも水沢を追いつめて、かれを死地におとしいれなければ堪忍が出来ないように思われて来たに相違ない。お島さんはそれで気が済むかも知れないが、善いにつけ、悪いにつけて、そのあやつり人形に扱われている僕は甚だ迷惑であるといわなければならない。僕はすぐに断わった。
「いや、僕は御免こうむる。水沢さんがすでに警察にあげられた以上は、警察の方で何とかするだろう。僕が横合いから出て行って余計なおしゃべりをする必要はないよ。心中の手紙もあり、ステッキの折れたのもあるんだから、証拠はもうそろっている。別に証人を探すことはないよ。」
「そうでしょうかねえ。」
 お島さんはしぶしぶ出て行ったので、僕はそのあとから続いて階子を降りた。そうして、いつものようにぶらぶらと海の方へあるいて行った。きょうはぬぐったように晴れた日で、海の上は鰹《かつお》の腹のように美しく光っていた。
「もしあの二人が心中のつもりで海へ乗り出したのならば、芸妓がなぜ両手にしっかりと櫂をつかんでいたのだろう。水沢のステッキがなぜ折れたのだろう。どう考えても、二人が舟のなかで叩き合って、水沢のステッキが折れたらしく思われる。心中するほどの二人がなぜ俄かにそんな叩き合いの喧嘩を始めたのだろう。やっぱり痴話喧嘩が昂じたのかな。」
 そんなことを考えながら、夢のように砂地をたどって行くと、かのばらばら松から一町ほどもはなれた磯ばたに出た。
「やあい、みんな来いよう。」
 だしぬけに大きい声がきこえたので、僕は夢から醒めたようにその声のする方へ眼をやると、そこには五、六人の漁師があつまっていた。子供達もまじって珍らしそうに立ち騒いでいた。なにか大きい魚でも寄ったのであろうかと、僕も少し早足にそこへ行って見ると、なるほどみんなの騒ぐのも無理はなかった。僕も生まれてから一度も見たことのない不思議な魚が、うす黒い砂の上に大きい腹を横たえていた。
 魚は鮪《まぐろ》にやや似たもので、長さは二間以上もあろう。背ひれは剣《つるぎ》のようにとがって、見るから獰悪《どうあく》の相《そう》をそなえた魚である。その著るしい特徴は、象牙のように長いくちばしをもっていることで、そのくちばしは中途から折れていた。左の眼は突き破られていた。
「なんという魚です。」と、僕は訊いた。
「さあ、鮪でねえ、鮫でもねえ。まあ刺魚《とげうお》の仲間かも知れませんよ。」
 漁師たちにもこの奇怪な魚の正体が判らないらしかった。この噂を聞きつけて、大勢の人達がゆうべのように駈け集まって来たが、誰もこの魚の名を知っている者はなかった。そのうちに僕はふと思い付いたことがあった。それはこの奇怪な大きい魚のくちばしがあの水沢のステッキによく似ていることで、アメリカから持って来たというあの珍らしいステッキは、この魚のくちばしで作ったものではあるまいか。
 そうすると、ここに又一つの問題が起こって来る。あの小舟のなかに残っていたというステッキの折れは、果たして水沢のステッキか、あるいはこの魚のくちばしか。現にこの魚のくちばしも中途から折れているではないか。死んだ芸妓が両手に櫂を持っていたのをみると、或いはこの奇怪な魚が不意に突進して来たので、一生懸命に櫂を振りあげて、そのくちばしを叩き折ったのではあるまいか。水沢はおどろいて海へ飛び込んだのかも知れない。しかしそうすると、心中の問題はどう解決する。芸妓はどうして死んだのであろう。僕は自分の頭のなかでいろいろの理屈を組み立てながら、それから半時間の後に宿へ帰った。
 その日の午後にお島さんは警察署へ呼び出されて長時間の取り調べを受けた。夕方になって帰って来て、僕にこんなことを話した。
「水沢さんという人もずいぶん卑怯じゃありませんか。どうしても芸妓を殺した覚えはないと強情を張っているんですもの。」
「水沢さんは気が確かになったのか。」
「ええ、もう落ち着いたようですよ。あんな嘘がつけるくらいなら大丈夫ですわ。」と、お島さんはあざけるように言った。
「どんな嘘をついたの。」
「だって、こんなことを言うんですもの。二人が舟に乗って沖へ出ると、急に浪があらくなって、なんだか得体《えたい》の知れない怖ろしい魚が不意に出て来て、舟を目がけて飛びあがって、剣のようなくちばしで芸妓の横腹を突いたんですって……。あんまり嘘らしいじゃありませんか。」
「それからどうした。」
「水沢さんはびっくりして、あわてて海のなかへ飛び込んで、夢中で泳いで逃げたんですって。」
「そうかも知れない。警察ではその申し立てを信用したのかね。」
「そんなことを言ったって、むやみに信用するもんですか。けれども、丁度に変な魚が流れ付いたもんですから、警察の方でも少し迷っているらしいんです。なんでも東京から博士を呼んで、その魚をしらべて貰うんだとか言っていました。あなたはその魚を御覧でしたか。」
「むむ、見た。水沢さんのステッキは確かにあの魚のくちばしだよ。」
「そのくちばしを取り返しに来たんでしょうか。」
「まさかそうでもあるまいが、とにかく水沢さんの申し立てはほんとうらしいよ。僕はどうもほんとうだろうと思う。不思議な物に突然襲われてあんまりびっくりしたので、一時はぼんやりしてしまったが、だんだん気が落ち着くにしたがって、その怖ろしい出来事の記憶が呼び起こされたのだろう。その魚が飛んで来て、芸妓の横っ腹を突いたもんだから、芸妓もきっと死に物狂いになって、そこにある櫂を取って無茶苦茶に相手を撲ったに相違ない。そこで、魚はくちばしを叩き折られる。眼だまを突きつぶされる。そうしてとうとう死んでしまったんだろう。つまり芸妓とその魚と相討ちになったわけだね。」
「あの芸妓にそんな怖ろしい魚が殺せるでしょうか。」
「今もいう通り、こっちも死に物狂いだもの、眼だまか何かの急所をひどく突かれたので、さすがに魚も参ってしまったんだろう。そんなことがないとも言えない。」
「なんだか嘘のようですねえ。」
 お島さんはなかなか得心しそうもなかった。彼女はあくまでも水沢さんが芸妓を殺したものと信じているのであった。お島さんばかりでなく、宿の者もみんなそう思っているらしかった。僕は一種の興味をもって、この事件の成り行きをうかがっていると、それから四、五日の間は、この町と近所の町とへかけて警察の探偵が大いに活動したらしかったが、どうも取り留めた材料を見付け出さないらしかった。そのうちに東京から高名の理学博士が出張して来た。
 博士の鑑定によると、かの奇怪な魚は原名をジビアスといって、これを直訳すると剣魚とでもいうべきものである。その特徴は二尺|乃至《ないし》四尺の長いくちばしをもっていることで、太平洋や太西洋に多く棲息している。やはりカジキの種族で、その大きいものは三間ほどもある。かれらは常に鱶《ふか》や鮫《さめ》のような獰猛の性質を発揮して、かの象牙のような鋭いくちばしで鱈《たら》や鯖《さば》のたぐいを唯ひと突きに突き殺すばかりでなく、ある時は大きい鯨さえも襲うことがある。汽船がかれに襲われて船腹を突かれたこともある。こういう奇怪な魚だけに、外国ではそのくちばしを珍重して、完全な長いものは往々ステッキに用いられている。
 これで事実の真相は判明した。水沢がそのステッキを米国から買って来たというのは嘘で、実は横浜の米国人から貰ったのであるが、どっちにしてもそれが剣魚のくちばしであることは事実であった。かれはそのステッキを持ったままで芸妓と一緒に沖へ乗り出すと、ほん物の剣魚が突然に襲って来て、そのくちばしで芸妓の脇腹を突き透したので、かれは異常の恐怖に打たれて、前後の考えもなしに海へ飛び込んで逃げた。そのときに彼のステッキは海に沈んでしまって、[#「しまって、」は底本では「しまって。」]船中に残ったのは新しく打ち折られた剣魚のくちばしであった。剣魚がどうしてくちばしを折られたか、どうして眼だまを突き破られたか、それは死んだ芸妓の手に持っていた櫂によって判断するよりほかはない。
 水沢は無事に放還された。大体の事実は僕の想像通りであった。水沢は絶対に心中を否認して、なるほど女の方からはそんな手紙を受け取ったこともあるが、自分はどうしてもそれに応じなかったと言っていたそうだ。何分にも相手が死んでしまったので、その辺の消息はよく判らない。或いはほんとうに心中するつもりで沖へ出たところへ突然に剣魚の邪魔がはいって、女だけ殺してしまったのかも知れない。この事件が解決すると同時に、水沢は早々に横浜へ帰ったので、僕はお島さんから預かっていたハンカチーフを返してやる機会を失ってしまった。
 翌月のなかばに僕も東京へ帰った。宿を発つときにお島さんは停車場まで送って来て、自分も今月かぎりで暇を取って房州の方へ奉公替えをするつもりだと言った。そうして、まだ疑うようにこんなことを言っていた。
「芸妓はまったくあの魚に殺されたんでしょうか。」
「そりゃ確かにそうだよ。水沢さんが殺したんじゃない。」と、僕は言い切った。
「でも、その魚さえ流れ着かなければ、水沢さんが殺したことになってしまったんでしょうね。」
「そうかも知れない。」
「そうでしょうねえ。」
 お島さんはなんだか残念そうな顔をしていた。僕は又、なんだか怖ろしいような、一種のいやな心持でお島さんに別れた。


  医師《いし》の家《いえ》

 T君は語る。

「おばん。」
 低い木戸をあけて、くつぬぎから声をかけた人があった。おばん[#「おばん」に傍点]というのはここらで「今晩は」という挨拶であることを私も知っていた。福島県のある古い町に住んでいる姉をたずねて、わたしは一昨日からそこに滞在していたが、別に見物するような所もない寂しい町で、町の入口に停車場をもちながらも近年だんだんに衰微の姿を見せているらしく、雪に閉じられた東北の暗い町は春が来てもやはり薄暗く沈んでいた。四月といっても朝夕はまだ肌寒いのに、けさは細かい雨が一日しとしとと降り暮らして、影のうすい電灯がぼんやりとともる頃になっても、檐《のき》の雨だれの音はまだ止まない。わたしは炉の前で姉夫婦と東京の話などをしていると、突然に外からおばんの声を聞いたのであった。
「おはいんなさい。」と、姉は返事をしながら入口の障子をあけると、卅二三の薄い口ひげを生やした男が洋傘《かさ》をすぼめて立っていた。
「や、お客様ですか。」
「いいえ、構いません。東京の弟が参っているのですから。」と、姉は言った。
「倉部さん。おはいんなさい。」と、義兄も炉の前から声をかけた。
「では、ごめんなさい。」
 男は内へあがって来て、炉を取りまく一人となった。義兄の紹介で、彼がこの町の警察署に長く勤めている巡査であることを私は知った。今夜は非番で遊びに来たのである。彼は東京から来たという私に対しては、おばん式の土地訛りを聞かせなかった。東北弁の重い口ながらも彼は淀みなしにいろいろの話を仕掛けて、一時間ほども炉のまわりを賑わした。わたしが土産に持って行った東京の菓子を彼はよろこんで食った。
「御職掌ですからいろいろ面白いこともありましょうね。」と、わたしは彼に訊いた。「探偵小説の材料になりそうな事件が……。」
「さあ。」と、彼はほほえんだ。「中央と違って、地方には余りおもしろい事件もありません。稀には重罪犯人も出ますけれども、何分にも土地が狭いもんですから、すぐに発覚してしまいます。犯罪の事情も割合に単純なのが多いようです。したがって、あなた方の材料になるような珍らしい事件はめったにありません。」
 それでも私にせがまれて、倉部巡査は自分の手をくだした奇怪な探偵物語を二つばかり話してくれた。その一つはこうであった。
 今から九年ほど前の出来事である。その頃、倉部巡査はこの町に近いある村の駐在所に奉職していたが、ちょうど今夜のような細かい雨がしとしとと降る宵であった。河童《かっぱ》のような一人の少年が竹の子笠をかぶって、短い着物のすそを高くからげて、跣足《はだし》でびしゃびしゃと歩きながら駐在所の前を通った。
「おい、与助じゃないか。どこへ行く。」と、倉部巡査は声をかけると、少年は急に立ち停まって、手に持っている硝子の罎《びん》を振ってみせた。
「酒を買いに行くのか。」
「うむ。」と、与助はうなずいた。
「なぜ女中を買いにやらないのだ。」
 与助は黙ってにやにや笑っていた。
「どうだ、お父《とっ》さんは相変わらず可愛がってくれるか。」
 与助はやはり笑いながらうなずいていた。
「まあ、気をつけて行って来るがいい。滑ってころぶと罎をこわしてしまうから、よく気をつけて行くんだぞ。いいか。路が暗いからすべるなよ。」と、倉部巡査は噛んでふくめるように言い聞かせると、与助は黙って又うなずいて、暗い雨のなかへ消えるようにその小さな姿を隠してしまった。
 与助は村の医師の独り息子で、ことし十六の筈であるが、打見《うちみ》はようよう十一二くらいにしか見えない、ほとんど不具《かたわ》に近い発育不全の少年であった。耳は多少きこえるらしいが、口は自由にまわらない。ただ時々に野獣のような牙《きば》をむき出して、「ああ。」とか「うむ。」とか奇怪な叫び声をあげるに過ぎなかった。しかし容貌《きりょう》は醜くない。かれは死んだ母に似て、細く優しげな眼と紅いくちびるとを持っていた。
 かれが幼いときの経歴は倉部巡査も直接には知らない。しかし村の者の伝えるところによると、不具の少年の過去はいたましい暗い影に掩われていた。かれの父の相原健吉はもう五十近い人品の好い男で、近所の或る藩の士族の子息だというので土地の者にも尊敬されているばかりか、ここらの村医としては比較的にすぐれた技倆を持っているので、近村の者にも相当の信用をうけて、わざわざ遠方から彼の診察を乞いに来るものもあった。もちろん、村の医師であるから、玄関が繁昌する割合に大きな収入《みいり》もなかったが、死んだ妻がなかなか経済家であった為に遠い以前から相当の財産を作って、商売の傍らには小金を貸しているという噂もあった。それは別に彼の信用を傷つけるほどの問題でもなかったが、その以外にかれの過去に暗い影を残したのは、その妻が横死を遂げたことであった。
 なんでも独り息子の与助が二歳の秋の出来事であったと伝えられている。相原医師の妻は与助を背負って、近所の山川へ投身した。妻は死んだが、幼い子は救われた。しかしその時に彼のからだにどんな影響をあたえたのか、与助はその後一種の白痴に近い低能児になってしまって、学齢に達しても小学校へ通うことも出来なくなった。相原の妻の死については、その当時いろいろの臆説を伝えられたが、結局はヒステリーということに帰着して、その噂は月日の経つに連れて諸人の記憶からだんだんに薄らいでしまった。相原の妻の横死は、夫が他に情婦を作った為だという噂もあったが、その後十四年の長い間、相原は白痴の与助と雇婆とたった三人のさびしい生活をつづけているのを見ると、それは一種の想像説に過ぎないらしかった。不具の子ほど可愛いとかいうが、相原は白痴に近い与助を非常に愛していた。与助も父をしたっていた。今夜は雇婆が風邪をひいて寝ているので、かれは父の寝酒を買うために町まで暗い夜路を走って行ったのであることを、倉部巡査は後に知った。
 しかし彼は普通の小買物をするくらいの使いあるきには差し支えなかった。町の人達もみな彼の顔を知っているので、彼の突きならべた銀貨や銅貨の数から算当して、それに相当の品物を渡してよこすのを例としていた。彼はむしろ喜んで父の使いに駈けあるいていた。低能児ながらも親思いであるということが、倉部巡査には取り分けていじらしくも思われて、彼が駐在所の前を通るたびにきっと声をかけて、かれの話し相手になってやった。かれは倉部巡査にもなついていた。
「これで相原医師の身の上も、低能児の与助のことも、まずひと通りはお判りになりましたろう。」と、倉部巡査は言った。「さて、これからがお話です。」
 与助は町まで酒を買いに行って、帰り途にも駐在所の前を通りましたが、今度はいよいよ笠を深くして、一散にかけ抜けて行ってしまいました。もっとも、その頃には雨がだんだん強くなって来たので、与助もさすがに急いで帰る気になったのでしょう。まあそれだけのことで、わたくしも気にも止めずにいますと、その明くる朝、相原の家に非常の事件が出来《しゅったい》していることを近所の者が発見したのです。主人の相原健吉と雇婆のお百とは何者にか惨殺されて、座敷のなかに枕をならべて倒れていて、与助は二つの死骸のまん中に坐って唯ぼんやりと眼をみはっているばかり。一体何がどうしたのかちっとも判りません。与助をいろいろにすかして調べてみましたが、なにをいうにも口もろくろくに利かれない低能児ですから、一向に要領を得ないには困りました。しかしその現場のありさまで二人の死因だけは容易に判断することが出来ました。兇行者は庭口から縁側へあがって、それから座敷へ忍び込んで、机の前に坐っている健吉にむかって撃ってかかって、そこでしばらく格闘を試みたらしいのです。その物音を聞きつけて台所のそばの女中部屋に寝ていたお百も起きて来て、主人の加勢をして兇行者に抵抗した。その結果二人ともに数ヵ所の重傷を負って倒れたので、兇器は手斧《ちょうな》か鉈《なた》のようなものであるらしく思われました。
 与助はその場にいたか、いなかったか、それはよく判らないのですが、かれが少しも負傷していないのを見ると、おそらく彼が酒を買いに行った留守の間に、この兇行が演じられたのではないかと想像されるのです。かれが一散に駈けて帰ったのも、なにか虫が知らせるというようなことがあったのかも知れません。そこで第一の問題は犯罪の動機です。相原医師は近所の人達にも尊敬と信用を受けて多年この土地に門戸を張っている人ですから、他から怨恨を受けるような原因がありそうにも思われません。しかし本業の傍らに小金を貸していたといいますから、なにか金銭上のことで、他から怨恨を受けていないとも限らない。又は相当の財産のあるのを知って、物とりの目的で忍び込んだのかも知れない。いずれにしても、その犯罪の動機には金銭問題がまつわっているらしいことは、誰にも容易に想像されることです。わたくしも無論その方面に眼をつけて、相原医師から金を借りている者や、ふだん親しく出入りしている者を一々内偵しましたが、どうも取り留めた証拠も挙がりませんでした。
 会津の方から相原医師の親戚が出て来て、ともかくもこの事件の落着《らくぢゃく》するまでは相原家を預かっていることになって、与助もやはり一緒に暮らしていました。殺された者の不幸はいうまでもありませんが、残された低能児の身の上も更に可哀そうです。ふだんから親思いであっただけに、毎日悲しそうな顔をしてそこらをうろうろしているのが近所の人たちの涙を誘って、あの児はこれからどうなるだろうとみんなが頻りにその噂をしていました。すると、ある日の午後です。与助は駐在所の前に来て、なにか内をのぞいているようですから、わたくしはすぐに声をかけました。
「おお、与助。なにか用か。」
 与助は黙ってわたくしの顔を眺めていましたが、やがて両足を踏ん張って両手を振りあげて、何か物を打つような姿勢をみせました。そうして急にきゝきゝきと気味の悪い声を出したのです。なんの意味だかわかりません。しかしわたくしも何がなしに笑ってうなずいて見せました。
「強いな、与助は。」
 与助は又奇怪な声をあげて笑い出しましたが、急に両手を振って大股に威張って歩いて行きました。そのうしろ姿を見送っているうちに、わたくしはふとある事が胸にうかびました。というのは、低能児の今の挙動です。わざわざ駐在所の前まで来て、両足をふん張って何か打つような真似をして見せたのはどういう料簡だろう。あるいは与助がその犯人を知っていて、これから復讐にでも行くという意味ではあるまいか。こう思うと、わたくしも打っちゃって置かれませんから、すぐに彼のあとを見えがくれに追って行きますと、与助は自分の家へは帰らないで、町の方角へすたすた歩いて行きましたが、途中でふと振り返ってわたくしの姿を見つけると、いよいよ足を早めて殆んど逃げるように町の方へ急いで行ってしまったので、私はとうとう彼の小さい姿を見失って、そのまま駐在所へ引っ返しました。しかしどうも不安でならないので、その日の夕方に相原の家の前に行って、そっと内の様子をうかがうと、そこらに与助の姿は見えませんでした。留守の人にきくと、さっき出たぎりでまだ帰らないというのです。あれから何処へ行って何をしているのか。いよいよ不安に思いながら引っ返して来ると、その晩の七時頃でした。駐在所の前を犬のように駈けて行く者がある。それがどうも与助らしいので、わたくしは再びそれを追って出ました。
 その晩は四月の末で、花の遅いここらの村ももう青葉になっていました。薄い月がぼんやりと田圃路《たんぼみち》を照らして、どこかで蛙の声がきこえます。わたくしはその薄月を頼りにして、一生懸命に与助のあとを付けて行きますと、与助は村はずれを流れている山川のふちに立って、なにか呪文でも唱えているらしく見えました。その川は与助の母が彼を背負って十四年前に沈んだという所です。与助はやがてそこを立ち去って今度は隣り村の方へ駈けて行くらしいので、わたくしも又つづいて追って行きますと、与助は大きい榎の立っている百姓家の門《かど》に忍び寄って、杉の生け垣のくずれから家をのぞいているようでしたが、やがてその生け垣を押し破って忍び込もうとするらしいので、わたくしは不意にうしろからその肩をつかんで引き戻しました。彼もさすがにびっくりしたらしいのですが、それでも私であることを覚って安心したらしく、自分の腰にさしている古い短刀を出して自慢そうに私に見せました。
「そんなものをどこから持ち出して来た。」と、わたくしはぎょっとして訊きました。
 与助は町の方を振り返って指さしました。町の古道具屋で買って来たらしいのです。いくら顔を見識っているといっても、こんな低能児に刃物を売るというのはけしからんと思いながら、わたくしはその短刀をぬいて見ますと、中身はよほどさびていて到底実用にはなりそうもありませんでした。それにしても刃物である以上、それをむやみに振り廻されてはやはり危険ですから、わたくしはすぐに取り上げてしまいました。
「お前はここのうちを知っているのか。」
「むむ。」と、与助はうなずいてみせました。
「ここの家へはいってどうする。」
 与助は物凄く笑っているばかりでした。わたくしはかれの腕をつかんで、五、六間手前までぐいぐいと引き摺って行って、また小声で訊きました。
「お前あの家《うち》の人を殺すつもりか。え、そうか。」
 与助はやはり黙っています。わたくしは手真似をまぜて又訊きました。
「あの家の人がおまえのお父さんを殺したのか。え、そうか。そんなら私がかたきを取ってやる。どうだ。それに相違ないか。」
「むむ。」と、与助はまたうなずきました。
「よし、そんなら今夜はおとなしく帰れ。わたしがお前の代りにきっと仇を取ってやる。さあ、来い。」
 無理に与助を引っ立てて帰って、留守の人に注意をあたえて引き渡しました。それからすぐに例の榎の立っている家について内偵しますと、それは五兵衛という六十ぐらいの百姓で、惣領のむすめは宇都宮の方に縁付いていて、長男は白河の町に奉公している。次男は町の停車場に勤めている。自宅は夫婦と末の娘と、三人暮らしで格別の不自由もないらしいが、五兵衛は博奕という道楽があるので、近所の評判はあまりよろしくない。しかしこれだけのことで、かれを直ちに相原家の兇行犯人と認めるのは証拠がなにぶんにも薄弱です。証人の与助は低能児で、詳しいことを取り調べる便宜がありません。そこでわたくしは、村の老人どもに就いて、さらに彼の素行その他を調査すると、偶然にこういう事実を発見しました。
 五兵衛には宇都宮に縁付いている惣領娘のほかに、おげんという妹娘があって、それは別に美人というほどの女でもなかったのですが、堅気《かたぎ》の百姓の家の娘としては、幾分か身綺麗にしていたそうです。もちろん身綺麗にしているだけならば別に議論もないのですが、それが二十歳《はたち》を越しても廿五を過ぎても何処へも縁付く様子もなく、ただ身綺麗にしてぶらぶら遊んでいるので、近所では当然不思議の眼をそばだてて、いろいろの蔭口を利くものもあったそうですが、さてこうという取り留めた事実もあらわれないで、おげんは相変わらず万年娘で暮らしているうちに、四年前の夏のこと、二、三日わずらったかと思うと、すぐにころりと死んでしまったそうです。わたくしはおげんが死んだ後にその駐在所に詰めるようになったのですが、おげんは評判ほどに浮気らしいみだらな女でもなかったと、今でも彼女を弁護している者もあるくらいです。
 あなた方がお考えになったらば余り軽率だと思召《おぼしめ》すかも知れませんが、わたくしはこれだけの事実を材料にして、おげんの父の五兵衛を拘引することに決めました。その翌日、わたくしが与助を連れて隣り村の榎の門をくぐった時に、五兵衛は炉の前に坐って干魚か何かをあぶっているようでしたが、わたくしが土間に立って拘引することを言い渡しますと、五兵衛は急に顔の色をかえて、はげしく抵抗でもするつもりでしたろう、そこにあった手頃の粗朶《そだ》を引っつかんで怖ろしい剣幕で起ち上がりましたが、わたくしのうしろからかの与助が小さい顔をひょいと出したのを見ると、かれは急にふるえ上がって、持っている粗朶をばたりと落としてしまいました。そして、素直に駐在所へひかれて行きました。

「お話はこれだけですよ。」と、倉部巡査は言った。「もう大抵お判りになりましたろう。」
「判りました。」と、私はうなずいた。「すると、そのおげんという女は相原医師の情婦であったんですか。」
「そうです。この女のために先《せん》の細君は身を投げるようなことになったのです。相原医師も、もちろん悪い人ではありませんから自分の罪を非常に後悔して、それがために低能児となった我が子を可愛がっていたのです。しかしおげんとの関係はその後も長く継続していて、世間の人にはちっとも気付かれないようによほど秘密に往来していたらしいのです。それでも与助や雇婆のお百はうすうす承知していたらしく、与助はともかくも、お百はおそらく口留めされていたのでしょう。そうしているうちに、おげんは死んでしまったのですが、その父の五兵衛はむかしの関係を頼ってその後も相原医師のところへ時々無心に出入りしていたそうです。おげんが死んでしまって見れば、相原医師もいつもいつも好い顔をして五兵衛の無心をきいているわけにも行きません。月日の経つに従ってだんだん冷淡になるのも自然の人情でしょう。五兵衛の方は博奕でも打つ奴ですから、その後も無頓着に無心を言いに来る。相原医師の方はだんだん冷淡になる。その結果がこの怖ろしい悲劇の動機となって、相原医師に相当の蓄財のあること知っている五兵衛は、雨のふる晩に手斧を持って相原家へ忍び込み、主人と雇婆を惨殺したのです。」
「やはり与助が酒を買いに行った留守ですか。」
「そうです。与助も無論殺してしまうつもりであったのです。主人と雇婆とを殺して、それから金のありかを探そうとするところへ、ちょうど与助が酒を買って帰って来たので、ついでに殺してしまおうかと思って手斧をふりあげると、与助が怖い眼をして睨んだそうです。それが遠いむかしに与助を負って身を投げた相原の先妻の顔にそっくりであったので、五兵衛も思わず身の毛がよだって、なんにも取らずに逃げ出してしまったそうです。」
「すると、与助は相手が五兵衛だということを知っていたんですね。」と、わたしは又訊いた。
「五兵衛は手拭で顔を深く包んでいたそうですけれど、与助はちゃんとひと目で睨んでしまったらしいのです。あの馬鹿にはきっと死んだおふくろが乗りうつったに相違ありませんと、五兵衛は警察でふるえながら白状しました。」
「与助はその後どうしました。」
「与助はそれから半年ほどの後に病死したので、相原の家は絶えてしまいました。」と、倉部巡査は顔の色を暗くした。
 外の雨はだんだんに強くなって、ぬかるみをびしゃびしゃと叩くその音が、あたかも酒を買いに行くその夜の低能児の足音かとも思われるので、私はなんだか襟もとが薄ら寒くなった。姉も黙って炉の粗朶を炙《く》べ足した。


椰子《やし》の実《み》

 B君は語る。

「ほんとうにこて[#「こて」に傍点]ちゃんは可哀そうでしたわねえ。」と、二十歳《はたち》ばかりの丸顔の芸妓がサイダーの罎の口をぬきながら、ひさし髪のひたいを皺めて低い溜め息をついた。
「それも何かの報いだろう。」と、安井君は大きなバナナの実を頬張りながら言った。
「まあ、可哀そうに。こて[#「こて」に傍点]ちゃんはそんな悪い人じゃありませんでしたわ。」
「一体そのこて[#「こて」に傍点]ちゃんとか、ごて[#「ごて」に傍点]ちゃんとかいうのは何者です。やっぱり芸妓ですか。」と、わたしはサイダーのコップをとって芸妓につがせながら、安井君を見かえった。
「芸妓ですよ。」と、安井君はすぐにうなずいた。「一時はなかなか流行妓《はやりっこ》でね。シンガポールの日本人でこて[#「こて」に傍点]ちゃんの名を知らない者はないくらいでしたよ。ほんとうの名は小鉄で、それをつづめて一般にこて[#「こて」に傍点]ちゃんと呼んでいたわけなんです。そのこてちゃんがちょうど去年の今頃に死んで、あしたがその一周忌の御命日にあたるというので、今もその噂が出たんですよ。」
 この話をしている我々三人は、マレー半島の一角に横たわっている小さい島――シンガポールの町の、ある料理屋の三階に食卓《ちゃぶだい》を取りまいているのであった。家は無論に西洋作りであるが床《ゆか》には日本の畳を敷きつめて、型ばかりの床《とこ》の間には墨絵の山水の新しい軸がかけてあった。窓には紅い硝子の風鈴が軽い音を立てて、南の海の夕風にゆらめいていた。
 欧州航路の○○丸が日本へ帰航の途中、このシンガポールに寄港したので、印度洋の暑さにうだっている乗客はわれさきにと争って上陸した。わたしも早朝から上陸して、かねて紹介状をもらっていたS商会をたずねると、あいにくにその若主人はゴム園の用向きで向う河岸のジョホールへ旅行していて留守であったが、安井君という若い店員が初対面の私をひどく懐かしそうに迎えてくれて、自動車でまず市中を見物させて、それから市外のゴム園へも案内してくれた。午飯《ひるめし》は或る外国ホテルで済ませたが、晩飯には日本の料理店や日本の芸妓とを紹介しようというので、安井君はこの町における日本の花柳界と称せられているマレー・ストリートの日本人町へ自動車を向けさせて、東京式の屋号を付けてある或る料理店へわたしを誘い込んだのであった。
 いろいろの贅沢をいっている場合でない。ともかくも久し振りで日本式の風呂に入って、日本の畳の上にあぐらをかいて、日本の浴衣の胸をくつろげて、団扇《うちわ》をばさばさと使った心持は、なんともいえないほどにのびのびしたものであった。
「シンガポールへ帰ると、もう日本へ帰ったようだというが、まったく本当ですね。」
「日本へ帰ったというほどにも行きませんが、まあ日本らしい風が少しはそよそよと吹きますね。」と、安井君は芸妓の配りものらしい古団扇で頭をしきりに煽ぎながら笑っていた。「だが、御覧なさい。みんな去年の古団扇で、これじゃあ余りいい風は出ませんよ。」
 安井君はここらでも相当に顔が売れているらしく、芸妓や女中などを相手にしてしきりに冗談などを言い合っていた。ここでおもな料理店はどことどことで、芸妓の頭数は四十人ほどあるということなどを私にも説明してくれた。そんな話をしているうちに、かのこて[#「こて」に傍点]ちゃんの小鉄の噂が偶然に安井君と芸妓とのあいだに持ち出されたのであった。そうして、このこてちゃんの死がどうも普通の病死ではないらしいのが私の注意をひいた。
「そのこてちゃんはどうして死んだのです。心中でもしたのですか。」
「心中……。いや、そんな粋《いき》なことじゃないんです。心中なら早速あなたの材料になるかも知れませんが……。」と、安井君は白い歯を少しみせたが、やがてまた真面目になって、ハンカチーフで口のまわりをなでた。「しかし材料にならないこともありませんね。ちょっとまあ変わっている死に方なんですから。」
「もうそんな話、お止しなさいよ。」と、芸妓は手を振った。「あたし、あの時のことを考えると今でもぞっとするわ。」
「聞くのがいやならあっちへ行きたまえ。僕はこの先生にお話をするんだから。いや、君もここにいてくれた方がいい。僕の忘れたところは君に教えてもらうから。」
「あら、いやですわ。」
 まさか逃げるわけにもいかないらしく、若い芸妓は顔をしかめたままで、やはり食卓の前を離れなかった。女中がいつの間にかスイッチをひねって行った電灯は十五畳ばかりの座敷を明かるく照らして、むき捨てたバナナの皮にあつまってくる蝿の翅《つばさ》も鮮やかにみえた。窓の風鈴は死んだように黙ってしまった。
「風が止まった。」と、安井君はからだを捻じむけて、窓のあいだから暗い空を仰いた。
「驟雨《シャワー》がくるかも知れません。一遍ざっとくると、あとはよほど凌ぎよくなるんですが……。それでも一年じゅうでこの頃が一等しのぎいいんです。」
 ここらでは二、三月頃が最も暑く、七、八月のこの頃は最も涼しい時節であると、安井君はシンガポール地方の気候を説明して、さらに本題のこてちゃん一件に取りかかった。
 こてちゃんの小鉄は十九の年に本国からこの土地へ出稼ぎに来て、去年の夏であしかけ三年目であった。小鉄の身許をよく知っている者はなかったが、神奈川の生まれで、横浜でも少しばかり稼いでいたことがあると本人自身は言っていた。細面《ほそおもて》で鼻の高い、肉付きのかなりいい、それで背のすらりとした、いかにも容姿のいい女で、髪の毛が少し黄ばんでいるのと、鈴のような眼が少し窪んでいるのと、この二つの小さな瑕《きず》を見つけ出して、神奈川生まれだけにおそらく混血児《あいのこ》だろうなどと悪口をいう客もあったが、それとても別に取り留めた証拠があるのではなかった。あまりはしゃいだ質《たち》でもなかったが、ひどく沈んでいるという程でもなく、渡り者の多いここらの花柳界ではまず上品な部にかぞえられて、土地でもいい客筋の座敷が多かった。その小鉄が去年の八月、あしたがあたかもその命日にあたるという日に、椰子林のなかで不思議の死を遂げたのである。
 安井君の説明によると、小鉄はその前夜、土地の南風楼という料理店へよばれた。よんだ客は六十近い外国人で、なにかの商売でジャワの島へ渡るのだと言っていた。ここからジャワへ渡る船は一週間に一度ぐらいしか出ないので、船待ちの客はどうでもこの町に滞在して、ゴム園見物などに日を暮らすよりほかはない。その外国人もやはり海岸のホテルに逗留して、土曜日の出帆を待ち合わせているとのことであった。その晩その座敷へよばれたのはかの小鉄と、もう一人は花吉という若い芸妓であった。
「その花吉はこの女ですよ。」と、安井君はわれわれの前にいる芸妓を団扇でしめした。
「すると、君もこの事件の関係者なんだね。」と、わたしは一種の好奇心にそそられて、今更のように女の顔をながめた。
「関係者という訳じゃないんですけれど……。」と、花吉は打ち消すように言った。「その晩、こてちゃんと一つお座敷に出たのは本当なんです。」
「その外国人は英国人で、日本語もよく出来たそうだね。」と、安井君は芸妓の話を釣り出すように言った。
「ええ。なんでも横浜にも神戸にも久しくいたことがあるとかいって、日本の言葉もなかなかよく出来ましたよ。その晩は別に変わったこともなくって、あたしたちは八時頃から十時頃まで、ちょうど二時間ばかりもお座敷を勤めて帰りました。今もいう通り、その外国人は日本語もよく出来るくらいですから、日本のお料理をなんでも食べて……。箸の持ちようなんぞも巧いんですよ。お刺身なんぞも喜んで食べていました。」
「ところで、それだけならば別に問題も起こらなかったんだが、その明くる日の昼ごろにも南風楼へまたやって来て、今度は小鉄ひとりをよんだのです。」と、安井君は言った。「それから一緒に午飯を食って、自動車をよんでもらって、小鉄と相乗りでゴム園や植物園を見物に行った。それは誰でもすることで別に不思議もないんですが、事件はそれからで……。その英国人が小鉄を連れて南風楼を出て行ったのは、なんでも午後の二時頃で、それから一時間ほど経ったかと思う頃に、ここの名物のシャワーがどっと降り出して、半時間ばかりは眼の先きもみえないほどに降り続けたんです。勿論、ここらの人間は年じゅう馴れ切っていますから、シャワーなんぞは別になんとも思っていませんでしたが、その雨もやんで、日が暮れても、小鉄は帰って来ないんです。抱え主の方から念のために南風楼へ聞きあわせると、ここへも帰って来ないというんです。それでもまあ、お客と一緒に出たんですから、抱え主の方でも安心していると、夜がふけても小鉄は帰って来ない。」
 ここまで話してくると、若い芸妓は眉をすぼめて安井君のそばへ摺り寄っていった。
「安井さん、もうお止しなさいよ。」
「馬鹿。これからが大事のところだ。夜があけると、郊外の椰子の林のなかに倒れている女があるのを土人が発見して、だんだん調べてみると、それが小鉄だということが判ったんです。医師の検案によると、小鉄の死因は頭を強く打たれたので……。髪も着物もぐしょ濡れになっているのを見ると、きのうのシャワーが降ってくる前か、あるいは降っている最中かに、そこで変死を遂げたらしいんです。相手の英国人はどうしたか判らない。なにしろ、大事の稼ぎ人を殺したんですから、抱え主は気違いのようになって騒ぐ。町じゅうの評判もまた大変で、流行妓のこてちゃんが死んだことについていろいろの想像説が尾鰭をつけて言い触らされる。」
「あなたなんぞは一番さきに触れてあるいた方ですわ。」と、花吉は上眼《うわめ》で安井君を睨んだ。
「僕ばかりじゃない。実際、みんなが大問題にして騒いだよ。」と、安井君は口のさきを少し尖らせた。「で、一方には連れの英国人を穿索すると同時に、当日その二人を乗せて行った自動車の運転手が警察で調べられた。運転手は土人で、南風楼でもふだんから顔を見識っている正直な人間です。この運転手の申し立てによると、かれは英国人と小鉄とを自動車にのせて、郊外のゴム園の方角へ走らせて行く途中で、小鉄はうしろからハンカチーフを振って運転手をよび止めた。そうして、片言《かたこと》のマレー語で、もうここらでいいから降ろしてくれと言った。運転手は素直に車を停めると、二人はすぐに降りて来て、自分達はこれから歩いて行くから、おまえはもう帰ってもいいと言った。その車代や祝儀はみんな小鉄が払ったそうです。ここで自動車を帰してしまって、その帰りにはどうするつもりだったか知らないが、土人の運転手は貰うだけのものを貰って、やはり素直に引っ返してしまった。かれの申し立てはこれだけで、その後のことはなんにも知らないというんです。それから英国人のありかを探すと、それが容易にわからない。外国人の泊まるホテルの数《かず》は知れているんですが、どこにもそれらしい人間は泊まっていない。南風楼でもきのう今日の客であるから、なんという人か知らない。警察でもだんだん調べていって、結局それはピーチ・ホテルに滞在していたリチャード・ダルトンという英国人らしいということに決着したんですが、そのダルトンはきのうの朝、ホテルの勘定を済ませてどこへか立ち去ってしまったんです。」
「むむう。」と、わたしは溜め息をつきながらうなずいた。
「ねえ、おかしいでしょう。けれども、そのダルトンという老人が直接に小鉄を殺したと決めるわけにもいかないんです。小鉄は頭を打たれて死んだのですから。」
 その意味が私にはよく判らなかった。頭を打たれて死んだからといって、それが他殺でないとはいわれない。むしろ他殺として有力な証拠ではあるまいかとも思われたので、わたしは黙って相手の顔を見つめていた。

 安井君はわたしに教えてくれた。小鉄が頭を打たれて死んでいたのは椰子の林の中である。椰子の林ではこうした悲惨な出来事がある。勿論、めったにそんなことはないのであるが、大きい椰子の実が高い梢から落ちて来た場合に、うっかりその下に立っていて、硬い重い木実《きのみ》で脳天を強く打たれたが最後、大きい石に打たれたとおなじように、人は樹根を枕にして倒れてしまうのである。外国人はふだん注意しているので、その禍いに出逢うものは極めて稀であるが、土人は往々油断してその犠牲になることがある。小鉄の死に場所が椰子の林であるだけに、その頭を打ったものは人間か木実か、容易に判断をくだすことが出来ない。若い美しい芸妓が椰子の木の下をうろついているところへ大きい木実が突然に落ちて来て、その脳天をむざんに打ち砕いたのかも知れない。もし果たしてそうならば、単に一場のいたましい出来事として、その不運を憐れむよりほかはない。同伴者のダルトンを疑うわけにはいかない。
 しかしダルトンにもうしろ暗い点がないでもない。もしそういう非常の事件が発生したならば、同伴者のかれは当然その付近の人家へ駈け付けて、その出来事を報告しなければならない。そうして、かれとして能うかぎりの手当てをも加えなければならない。椰子の実に頭を砕かれた若い女を、そのまま見捨てて逃げ去るという法はない。異常の恐怖におそわれて、前後の分別もなしに逃げ出したといっても、若い者ならば知らず、もう六十にも近い老人としてはあまりに軽率である。この点において、かのダルトンも一応の詮議を受けなければならない。警察でも手を分けて、かれのゆくえを捜索した。
 安井君の話がここまで運んで来たときに、わたしの胸にふと泛かんだのは、そのダルトンという老人がどうも直接の犯罪者ではないらしいということであった。それはなぜだか自分にも確実には判らなかったが、ふだんから外国の探偵物語などを耽読していた私の予備知識が、ただなんとなしにそう教えてくれたらしく、小鉄の死については、なにか他の一種の秘密が潜んでいるように感じられてならなかった。それで、わたしは話の中途から喙《くち》をいれた。
「その小鉄という女には情夫《おとこ》のような者はなかったのですか。」
「ごもっともで……。」と、安井君はほほえみながらうなずいた。「誰でもまずそこに眼をつけそうなことです。警察は勿論、われわれもみんなその方面を物色することになりました。ところが、それがどうも確実に判らない。いや、判っていてもみんなが隠していたのかも知れない。現にこの人なんぞも……。」
「あら。」と、花吉は頓狂な声を出して、ハンカチーフで安井君の膝を打った。「あたし、ほんとうになんにも知らなかったんですわ。」
「まあ、いい。とにかく誰も知らないというので、一向に手がかりが付かない。けれども、ここらへ来ているくらいの女に……。いや、君はまあ別だが……。」と、安井君はもう一度振り上げそうな芸妓のハンカチーフを団扇で防ぎながら言った。「実際、情夫の一人ぐらいは無いはずがない。利口でおとなしい女だから、きっと朋輩たちにも隠していたに相違ない。こういう議論が勝を占めて、われわれも暇をつぶして素人の探偵を試みたくらいですが、どうもうまく探し出すことが出来ない。で、一方は小鉄の死骸の始末ですが、なにしろ暑い国ですから、いつまでもうっちゃって置くわけにはいかないので、その翌日の夕方に郊外の共同墓地へ葬ることになりました。流行妓《はやりっこ》でもあり、そういう悲惨の死に方をしたというのに対して世間の同情もあつまって、会葬者もたくさん、なかなか立派な葬式でした。その葬式の出るころに、また例のシャワーが烈しく降り出して、会葬者は大難儀。」
「あなたもびしょ濡れでしたわね。」と、花吉は笑いながら言った。してみると、安井君も当日の会葬者の一人であったらしい。
「そんなことはどうでもいい。」と、安井君は少し慌てたように打ち消した。「しかしまあその葬式は無事に済んで、会葬者は思い思いに引き取る。抱え主の家でもその晩だけは商売を休んで、仏壇にお燈明や線香を供えていた。すると、花ちゃん、何時頃だったっけね。」
「もう十一時頃でしたわ。」
「むむ、その晩の十一時頃に入口の扉《ドア》をそっと叩く者がある。みんなも薄気味悪がって、始めは容易に出て行く者もなかったんですが、結局、抱え主の女将《おかみ》が度胸を据えて……。といっても、やっぱり内心はぶるぶるもので、ともかくも扉を少しあけると、星明かりの軒下に一人の大きい男が突っ立っていたんです。顫《ふる》え声でどなたですかと訊くと、その男は日本語で『静かにして下さい。』と言ったそうです。しかしそれが日本人でないことをすぐに覚ると、女将はまたぎょっとした。というのが、日本語をよく話す外国人、おそらく小鉄をゴム園見物に誘い出した外国人に相違あるまい――と思うと、人間は不思議なもので、今まで弱かった女将が急に強くなって……。いや、強くなったというよりも、憎いと口惜《くや》しいとが一度にかっと込み上げて、もう怖いのも忘れてしまったんでしょう。跣足《はだし》で表へ飛び出して、いきなり相手の腕にしがみついて、気違いのようにおいおい泣き出して、咽喉が裂けそうな声で畜生、畜生と呶鳴ったそうです。それを聞いて、ほかの抱妓《かかえ》や女中共もばたばた駈け出してくる。相手の外国人は『静かにしてください。』と、しきりになだめながら、女将にひき摺られて内へはいってくる。ここにいる花吉が証人で、その男はたしかに小鉄をよんだ老人に相違ないんです。なにしろその老人が小鉄を殺したものと一途《いちず》に思い詰めているんですから大騒ぎで、すぐに巡査でも呼んで来そうな勢いです。それを老人はしきりに取り静めて、かくしから小さい状袋に入れた物を出して、これを小鉄の遺族にやってくれという。封をあけると、五千|弗《ドル》の銀行切手がはいっていたので、みんなもまた驚いた。しかしなかなか油断は出来ないので、ただじっとその老人の顔を見つめていると、かれは眼をうるませて小鉄の悔みを述べて、無理にその五千弗を女将に押し付けて行ってしまったんです。」
 話がいよいよ入り組んで来たので、わたしもその晩の人達と同じように、瞬《またた》きもしないで相手の顔を見つめていると、安井君はコップのサイダーをひと口飲んでまた話しつづけた。
「五千弗という金に眼が眩《く》れた訳でもないんですが、その老人の様子がいかにも殊勝《しゅしょう》で、心の底から小鉄の死を悲しむようにも見えた。その誠心《まごころ》に感動したとでもいうのでしょうか。女将も、始めとは打って変わって、半分は煙《けむ》にまかれたような心持で、その老人をおめおめと帰してしまったんだそうです。しかし、そのままにして置くわけにはいかないので、あくる朝その次第を警察へ届けて出たので、世間の評判はまた大きくなって、その老人は小鉄を殺した罪滅ぼしに、そんな大金を届けに来たのだろうという説もありました。すると、またここに一つの事件が起こったんです。郊外の椰子の林――ちょうどかの小鉄が死んでいたのと同じ場所で、また一人死んでいた。いや、一人じゃない、一人と一匹が死んでいるのを発見したんです。」
「一人と一匹……。」と、わたしは首をかしげた。「一匹とはなんです。犬ですか。」
「猿です。土人と猿とが殺《や》られたんです。これは疑う余地もない他殺で、人間も猿もピストルで撃たれたんです。それが今もいう通り、小鉄とおなじ死に場所だからおかしいじゃありませんか。あなたはそれをどう解釈します。」
「さあ。」
 私はかさねて首をひねった。安井君は無論この秘密の鍵を握っているに相違ない。芸妓もこの謎を解いているであろう。ここに向かい合っている三人のなかで、迷いの霧に閉じられているのは私一人である。わたしは何だかじれったいような心持にもなったが、この場合どうすることも出来ないので、ただ黙って相手の教えを待つよりほかはなかった。
「土人は椰子の林の番人で、一日に三度ずつそこらを見廻って歩くんです。」と、安井君はおもむろに説明した。「ですから、誰か椰子の実を盗みに来た者があって、それを取りおさえようとして撃ち殺された――と、まあ解釈するのが普通でしょう。猿は土人が飼っているのですから、主人を助けようとしてこれも一緒に殺された――と、こう考えれば理屈が付く。で、警察でもその方針で捜査を始めたんですが、ここに一つの疑問は、その殺人事件が小鉄の事件と全然無関係であるか、それとも何かの糸を引いているかということで、もし無関係ならばなんにも議論はないが、万一なにかの関係があるとすれば、事件はすこぶる複雑になるわけで、われわれは一種の興味をもってその成り行きをうかがっていました。」
 安井君がこういう以上、この二つの事件が何かの関係を持っているらしいことは容易に想像されたが、美しい若い芸妓とマレーの土人と猿と、この三つをどう結び付けていいか、私にはやはり判らなかった。
 窓の風鈴が急に眼をさましたように忙がしく鳴り出したかと思うと、なまぬるい風がすう[#「すう」に傍点]と吹き込んで来た。土地っ子の二人は顔を見あわせると、花吉はすぐに立って窓を閉めた。その窓硝子を叩き割るかとも思われるような大きな礫《つぶて》がたちまちばらばらと落ちて来て、この町一円を押し流しそうなシャワーが滝のようにどうどうと降り出した。座敷のなかは蒸し暑くなった。

「どうもひどい降りですね。」
「いつもこうです。」と、安井君は平気で答えた。「なに、直きにやみますよ。」
 雨の音があまりに強いので、話し声はそれに打ち消されたようにしばらく途切れた。女中が二階や三階を見回りに来たので、安井君はさらにビールと肴とを注文した。
「そこで、土人と猿の一件ですがね。」と、安井君は表の雨の音と闘うように調子を少し張りあげた。
「お話は前にさかのぼりますが、かの小鉄の死体が発見された当時、その死体のそばに椰子の実は落ちていなかったんです。ところが、今度は二つの椰子の実が二つの死体のそばにころげていた。といって、椰子の実で頭を撃たれた形跡はない。人間と猿とは確実にピストルで撃ち殺されたに相違ない。こういう風に、すべての事が反対にいっているので、いよいよ判らない。しかし一方のリチャード・ダルトンという英国人はジャワ行きの船に乗るはずで、すでに船室まで予約してあるから、たとい何処に忍んでいようとも出帆の際には姿をあらわすだろう。そこを取りおさえて訊問したらば、小鉄の死について何かの秘密が判るかも知れない。あるいは彼自身がその犯人であるかも知れない。こういう考えで警察の方でも専ら波止場《はとば》を警戒していると、ジャワ行きの船がいよいよ出帆するというその前夜、海岸で突然にピストルの音が二発つづけて聞こえたので、土地の者もおどろいて駈けて行く。むろん警官も駈け付ける。そうして、今逃げ出して行こうとする一人の支那人を取り押えると、少し離れたところには外国人が倒れている。それがすなわちダルトンで、左の腕を撃たれて負傷していたんですが、幸いに重傷ではないので、すぐにかれを病院へ送ると同時に、その加害者と認められる支那人を警察へ拘引して、厳重に取り調べると、ここにいっさいの秘密が明白になりました。」
「その支那人とダルトンとの間には、どういう関係があるんですか。」と、私は待ちかねて訊いた。
 表の雨の音がだんだん静まるにつれて、安井君もおちついた声で静かに話しつづけた。
「支那人とダルトンとは従来なんの関係もない人間であったんですが、ダルトンがこの土地へ渡って来てから一種の関係が繋がったんです。この二人を継ぎ合わせる楔子《くさび》はかの小鉄で、小鉄はダルトンの娘であるという事実が判った時にはわれわれも意外に思いました。小鉄を混血児《あいのこ》だなんていったのは、あながちに人の悪口ばかりでもありません。小鉄は実際英国人と日本人とのあいだに生まれた女であったんです。ダルトンが横浜に住んでいた時に、小鉄のおふくろを妾同様にしていて、そのあいだに小鉄が生まれた。そうして、小鉄が七つか八つのときに、ダルトンは本国へ一旦帰ることになって、相当の金を渡して別れたんですが、小鉄のおふくろというのはあまり身持のよろしくない女で、二、三年のうちにその金を煙《けむ》にしてしまって、小鉄が小学校を卒業すると同時に、横浜のある芸妓屋へ半玉にやった。小鉄もこのおふくろのためには随分苦しめられたらしいんですが、おふくろが死んでから間もなく、このシンガポールへ住み替えに出て、まあいい塩梅《あんばい》に売れていたんです。それでおとなしく辛抱していれば無事だったんですが、厄介者のおふくろがいなくなって、本人の気にもゆるみが出る。商売の方も繁昌する。こうなると、とかく魔がさすもので、小鉄はいつの間にか梁福《リャンフー》という若い支那人と関係を付けるようになったんです。」
「その支那人は何者ですか。」
「御承知の通り、この土地には支那人が十七八万人も移住しています。その三分の一は福建省の人間です。」と、安井君は説明した。「梁福もやはりその地方の生まれで、以前は広東のあたりで、俳優か何かをしていたこともあるそうです。こっちへ来てからは同国の商人の店に雇われて、うわべは真面目らしく働いていましたが、実際は博奕などを打って遊びあるいている道楽者で、小鉄を食い物にするつもりか、それとも本当に惚れ合ったのか、とにかく両方が深い馴染みになってしまったんです。しかし相手が支那人だけに、周囲の者もちょっと気が付かない。
 小鉄もむろん秘密にしていたので、誰も知らない。そこでまあ無事に済んでいるうちに、かのダルトンという老人が突然にあらわれた。ダルトンは[#「ダルトンは」は底本では「ダルトルは」]久し振りで横浜へ帰ってくると、小鉄のおふくろはもう死んでしまった。娘のゆくえは知れない。だんだん詮議すると、シンガポールへ出稼ぎに行っていると判ったが、すぐに会いにいくわけにも行かないので、ついそのままになっていると、今度商売用でジャワへ出張することになったので、この機会をはずさずに恋しい娘の顔を見ようと、シンガポールへ上陸するのを待ちかねて、すぐに南風楼へ行って小鉄をよんだというわけです。」
 商売用を兼ねているとはいえ、旅から旅をさまよって、南の国の椰子の葉影に懐かしい娘のゆくえを尋ねて来た親の心を思いやると、私はそのダルトンという未知の老人を憐れむような、さびしい悲しい心持になった。安井君もかれに同情するように言った。
「考えてみると気の毒です。なにしろ久しく逢わないので、娘がどんな人間に変わっているか判らない。ダルトンは小鉄ばかりでなく、もう一人の芸妓――この花吉です――をよんで、なにげなく遊んでいながら、小鉄の身許やその人間をよそながら探ってみると、たしかに自分のむすめに相違ない。人間も悪く変わっていないらしい。ダルトンは喜んで安心して、その晩はそのまま別れてしまって、あくる日さらに出直して小鉄をよんだ。そうして、あらためて親子の名乗りをすると、小鉄も今まで忘れていた父親の顔をはっきり思い出して、これも大変に喜んで……。いや、人間の運命はわからないもので、小鉄はここで生みの親にめぐり逢わなかったら、不幸の死を招くようなことも出来《しゅったい》しなかったかも知れなかったんですが、どうも仕方がありません。あいにくその日は南風楼が非常に繁昌して、となり座敷では三味線をひいてじゃかじゃか騒ぎ立てる。どうも落ち着いていろいろの話をするわけにもいかないので、ゴム園見物ということで、ここを出て、閑静な場所で今後のこともゆっくり相談しようと約束して、すぐに自動車を呼んで二人が乗り出して、その途中で自動車を帰して、なるべく人の眼に立たないような椰子の林のなかへはいり込んで、何かひそひそ話しているところへ、かの梁福が突然に出て来たんです。」
「二人のあとを尾《つ》けて来たんですか。」
「そうです。小鉄が途中から自動車を帰して、ダルトンと仲好くならんで歩き出すところへ、梁福がちょうど通りかかって遠目にそれを見つけたんです。かれは非常に嫉妬深い男なので、老人とはいえダルトンが小鉄に手をひかれて、睦まじそうに歩いて行くのを見て、急にむらむらとなって、すぐに二人のあとを追って行って、椰子林のなかへ駈け込んでダルトンに喧嘩を吹っかけたんです。その剣幕があまり激しいので、相手も少しおどろいた。もう一つには、かれが小鉄と深い関係のあるらしいのを覚って、ダルトンは逆らわずに一旦そこを立ち去ってしまった。ここでダルトンがなにもかも正直に打ち明けたら、梁福もあるいはおとなしく得心したのかも知れませんが、相手が支那人であるのと、その人物もあまりよろしくないように見えたのとで、ダルトンは黙ってその場を外《はず》してしまったんです。そのあとで、梁福は小鉄をつかまえて、何かいろいろのことをきびしく詮議して、なぜ途中から自動車を帰して二人がこんなところへはいり込んだのだという。小鉄もその事情を打ち明けるのを憚って、なにかあいまいなことを言っているので、相手の方ではいよいよ疑って、いよいよ厳しく責め立てる。結局、小鉄も切羽《せっぱ》つまって、ダルトンと自分との関係を明かしたが、梁福はまだ素直に信用しない。その悶着《もんちゃく》の最中に、椰子の梢でがさがさという音がして、大きい一つの実が小鉄の頭の上に……。なにしろ不意のことでもあり、こっちの悶着に気をとられていたので、とても避《よ》ける暇などはありません。」
「小鉄はすぐに殺《や》られてしまったのですね。」
「脳天を強く打たれて、そのまま倒れてしまったんです。」と、安井君も顔をしかめた。
 そばに聞いている芸妓もハンカチーフで顔をおさえた。シャワーはもう通り過ぎて、窓の硝子も薄明かるくなったが、誰も起ってその窓を明けようとする者もなかった。
「その椰子の実は自然に落ちたのですね。」と、わたしは少し汗ばんだ額を拭きながら訊いた。
「ところが、自然でない。木の上には猿がいたんです。」
「猿が……。」
 土人と一緒に殺されたという猿を、私はすぐに思い出した。
「猿も悪いたずらをした訳じゃないんです。」と、安井君はさらに新しい事実を教えてくれた。「この近所のスマトラ島では土人が猿を飼っています。ここでも飼っている者があります。それは椰子の実を取らせるためで、自分たちが梯子をかけて登るよりは楽ですからね。木の下へ行って猿を放してやると、猿めは梢へするすると登って行って、熟した椰子の実をもぎ取って咬《かじ》ろうとするが、皮が硬くて歯が立たないので、癇癪を起こしてほうり出して、さらにほかの実を取って咬ってみると、これもやはり硬いのでまたほうり出すのを、土人は下にいて片っ端から拾いあつめる。こういうわけで、ここらの土人の中には猿を飼っているのが随分あります。小鉄の頭の上に椰子の実をほうり落としたのもやはりその猿で、番人の眼を盗んでぬけ出して、木から木をつたっているうちに、熟した椰子の実を見つけてもぎ取ったが、例の通り硬くて食えない。自棄《やけ》になって上からほうり出すと、小鉄が運悪くその下に立っていて、脳天を打たれたというわけです。梁福もかねてそれを知っているので、小鉄が倒れると同時に、あわてて木の上を見あげると、大きい猿が歯をむき出して見おろしている。梁福はその椰子の実を拾って、すぐに猿を目がけて投げかえしたが、梢が高いのでとても届かない。こっちはじれて地だんだを踏んでいると、猿は高いところで嘲るように悠々と眺めている。よんどころなく諦めて、さらに小鉄を引き起こして介抱したが、これは即死でどうにも手の着けようがない。そのうちに例のシャワーがざっと降り出してくる。梁福もいよいよ途方に暮れて、小鉄の死骸を置き去りにしたままで、ひとまずここを立ち去ってしまったんです。」
「それで、その支那人は警察へも訴えなかったのですね。」
「勿論、訴えれば子細はなかったんですが、梁福はどうも警察へ出ることを好まない。というのは、かれが常に賭博に耽っているのと、まだほかにもなにか後ろ暗いことのあるのを、警察でも薄々さとっているらしいので、脛《すね》に疵持つかれは、こういう問題について警察へ顔を出すことを恐れている。その結果、かれはなんにも知らない振りをして自分の家へ帰ってしまったんだといいます。いや、かれの申し立てはまずこうなんですけれど、まだそのほかにも何か思慮《おもわく》があったらしく、かれはその以来、ダルトンのありかをひそかに探していたんです。ダルトンはまた警察へ行って、かの支那人のことを早く訴えたら、すぐに手がかりが付いたかも知れなかったんですが、これも警察沙汰にすると、小鉄と自分との秘密が暴露するのを憚って、慌てて宿を換えてしまったんです。こういうわけで、両方が努めて秘密主義を取っていたので、小鉄の死因にも疑惑が残っていたわけです。しかし梁福の身になると、その猿めが憎くってならない。自分の大事な女をむごたらしく殺した畜生を、どうしてもそのままにはしておかれないので、ピストルを懐中して例の椰子の林へ忍んで行くと、猿はその日も木の上に登っていたので、そっと近寄ってただ一発で撃ち落とすと、きょうは猿ばかりでなく、番人もその近所にいたもんだから、すぐに駈けて来てかれを取りおさえようとする。こっちは嚇し半分にまた一発撃つと、それが番人の胸にあたってその場に倒れる。こっちはいよいようろたえて、あとをも見ないで逃げてしまった。その場に落ちていた二つの椰子の実は、やはり猿が投げたものらしい。これで人間ひとりと猿一匹の死因も判ったでしょう。」
「判りました。」
 わたしは再び額を拭くと、初めてそれに気がついたらしく、芸妓は急に起ち上がって窓をあけると、宵の空は世界が変わったように青白く晴れ渡って、金色《こんじき》の大きい星が窓のあいだから鮮かに見えた。雨あがりの涼しい風が水のように流れ込んで来て、わたしは温室《むろ》から出たようなさわやかな気分になった。安井君は語りつづけた。
「梁福はまったく良くない奴で、ダルトンと小鉄との秘密を知ったのを幸いに――勿論、初めにはそれを信じなかったんですが、だんだんに落ち着いて考えてみると、やはりそれが本当であるらしくも思われて来たんです――ダルトンを強請《ゆす》って幾らかの金をまき上げようと巧らんで、相手の居所を探しあるいているうちに、その晩とうとう海岸で出逢ったので、かれはダルトンをつかまえて幾らか恵んでくれという。ダルトンは容易に承知しない。けれども、小鉄の抱え主のところへ五千弗の金を届けたくらいならば、自分にも相当の金をくれてもよかろう。自分は小鉄の夫であると、梁福はここで悪党の本音をあらわして強請りかけたが、ダルトンはどうしても承知しない。単に承知しないばかりでなく、あの時にお前が邪魔に来なければ小鉄はあんな死にざまをしなかったかも知れないと、かえって逆捻じに相手を罵ったので、双方がたがいに言い募った末に、梁福はまたぞろ例のピストルを持ち出して、おどし半分に突き付けるはずみに、引き金がはずれてダルトンの左の手にあたったので、おどろいて逃げ出すところを取りおさえられた。そういう事情ですから、小鉄を殺したのはダルトンでもなく、梁福でもなく、まったく猿の仕業《しわざ》です。梁福は悪い奴に相違ないのですけれども、猿を殺すのが主なる目的で、番人を殺したのは故殺《こさつ》に過ぎないのですから、死刑にはなりませんでした。何年かの禁獄で、今でも暗いところにはいっているはずです。ダルトンは傷が癒って病院を出ても、もうジャワの方へは渡らないで、ここから横浜へ辞表を送って、すぐに本国へ帰ってしまったということです。」
「ほんとうにこて[#「こて」に傍点]ちゃんは可哀そうですわねえ。」と、花吉は団扇で口を掩いながら言った。
 わたしは黙ってうなずいた。
「けれども、どうでしょう。小鉄も可哀そうには相違ないが、死んだ方はいっそひと思いです。生き残っている親の方がさらに気の毒じゃありませんかしら。」と、安井君は言った。
 わたしは黙ってまたうなずいた。


山《やま》の秘密《ひみつ》

 U夫人は語る。

 わたくしは女のことで、探偵趣味のお話の材料などを持ち合わせていよう筈もございません。ほんの申し訳ばかりに、こんなことで御免を蒙りたいと存じます。その場所もその関係の方たちのお名前も、はっきりとは申し上げられませんが、わたくしが学校を出ました翌年の夏の事でございました。わたくしは東京から五時間ばかりの汽車旅行をして、お友達の吉川三津子さんをおたずね申したのでございます。勿論これは仮りの名と御承知ください。三津子さんは学校を卒業する前から、関井さんというかたとお約束が取りかわされていて、卒業すると間もなく東京で結婚式をあげて、すぐにそのかたの勤め先きへ一緒に連れてゆかれることになったのでございます。
 わたくしは三津子さんと同期生で、一緒に卒業式につらなったのですが、家庭の事情や何かでその翌年まで自分の家《うち》にまだぶらぶらしていますと、その年の夏の初めに三津子さんから手紙が来て、ことしの暑中にはぜひ一度遊びに来てくれということでした。三津子さんのお連合《つれあ》いは林学士で、ある地方の小林区署長を勤めていらっしゃるのでございます。その官舎はなんでも山の中の寂しいところで、近所に人家などは一軒もないような、寂しいのを通り越してなんだか物凄いようなところだと聞いていました。しかしわたくしはこの通り陰気な質《たち》で、賑かなところへ出るのは大嫌い、寂しいところならば大抵は我慢の出来る方ですから、その寂しいということはさのみに恐れもしませんでした。そんなところならば、夏は定めて涼しいに相違あるまい。もう一つには、多年仲よく御交際をしていた三津子さんが、そんな山の中でどんな新家庭を作っているかということにも一種の興味――と申しては、ちっと穏当でございませんが、まあどんな様子か、一度は見て置きたいような心持にもなったので、とうとう思い切ってこの夏はおたずね申しますという返事を出しますと、三津子さんの方からまた折り返して手紙が来て、それではかならず訪ねてくれ、お目にかかって是非お話し申したいこともあるからということでしたから、わたくしも母や兄の許可《ゆるし》をうけて、七月の末になったらばきっと行くことに約束してしまいました。
 七月の初めに、三津子さんから又ぞろ長い手紙がとどいて、きっと約束を守ってくれと諄《くど》いように念を押して来ましたので、わたくしもすぐに返事を書いて、この月の廿五日の午前何時には東京を出発するといって、汽車の時間までも報らせてやりました。わたくしの一家はみんな旅行好きで、わたくしも子供の時からたびたび方々へ連れてゆかれたこともありますので、今度の旅もさのみ億劫《おっくう》には思いませんでした。しかしどうしても半月以上は先方に滞在する予定ですから、女としては相当の準備をしなければなりません。殊にそんな山の中では、三津子さんも定めて食べ物にも不自由しているだろうと思ったので、いろいろの罐詰物などを買いあつめて、バスケットへいっぱいに詰め込みました。
 出発の朝はどんより陰《くも》って、なんだか霧のような細雨《こさめ》が時々に降って来るらしいので、どうしようかと一旦は※[#「足へん+寿」、第4水準2-89-30]躇したのですが、汽車の時間まで先方へ報らせてあることでもあり、却ってこんな日の方が涼しくていいかも知れないとも思ったので、わたくしは思い切って家を出ました。荷物が少し多いので、中学へ通っている弟が停車場まで送って来てくれました。汽車は北の方角へむかって行くのでしたが、途中から陰った空はすっかり剥げてしまって、汽車みちの両側では油蝉の声が熬《い》り付くようにきこえました。強い日光は鎧戸の外まで容赦なく迫って来て、約五時間の汽車旅行にはわたくしもかなり疲れました。気味の悪いあぶら汗が襟もとにねばり付いて、絶えずそれを拭いているハンカチーフが絞るように湿《ぬ》れてしまいました。
「三津子さんの住んでいる山の中はさぞ涼しかろう。」
 そんなことを考えて、努めて涼しそうな気分をよび出すようにして、わたくしはどうにかこうにかこの暑苦しい汽車旅行を終って、小さい田舎の停車場に降り立ったのは、午後一時に近い頃でした。停車場の前には百日紅《さるすべり》の大きい枝がさながら日除けのように拡がっていましたが、そのたくさんの花が白昼《まひる》の日にあかあかと照らされているのが、まぶしいほどに暑苦しく見えました。
「村上さん。」
 よびかけられて振り向くと、三津子さんはパラソルをつぼめて、その百日紅の木かげに立っていました。三津子さんはわたくしと同い年の廿一で、年よりも若くみえる質《たち》の人でしたが、一年あまり逢わないうちにめっきりと老《ふ》けたようで、眼の美しい下膨《しもぶく》れの顔が少し痩せたようにも見えました。なにしろ久し振りで逢ったのですから、おたがいに懐かしさは胸いっぱいで、しばらくは碌々に挨拶も出来ないくらいでした。
「よく来て下すってね。」と、三津子さんはほんとうに嬉しそうに言いました。「あなたのことですから、よもや嘘じゃあるまいと思っていましたけれど、こうしてお目にかかるまでは、まだどうだろうかと危ぶんでいたのでございますわ。途中はずいぶんお暑かったでしょう。」
「わざわざお出迎えで恐れ入りました。おことばにあまえてお邪魔に出ました。」
「どうぞごゆっくり御逗留なすってください。田舎も田舎、そりゃ大変な山奥のようなところですけれど、折角いらしって下すったもんですから、ひと月でも二月でも……。あなたが帰ると仰しゃっても、わたくしの方で無理にお引き留め申しますわ。」
 どの道、先方へゆき着けば、ゆっくりとお話が出来るのですけれど、大抵のことはここで言ってしまわなければならないように、それからそれと話題は尽きないのが女の癖でございましょうか。それでも三津子さんはやがて気がついたように百日紅の樹の蔭を離れました。そうして、もう前から誂えてあったらしい二台の人車《くるま》を呼びました。ここらの車夫は百姓の片手間なので、前から頼んで置かないと乗りはぐれることがあるそうです。案内者の三津子さんが前の人車に、わたくしが後の人車に乗せられて、木賃宿のようなきたない旅籠屋《はたごや》や茅葺き屋根の下に小さい床几を出している氷屋などがならんでいる、さびしい停車場前を横に切れて、黍《きび》畑のつづいている長い田圃《たんぼ》みちを駈けぬけて行きました。停車場から山の裾までは二里あまりで、その山路へ差しかかってから更に一里半ほども登るのだということをたった今、三津子さんから聞かされているので、この道中はなかなか容易でないことをわたくしも内々覚悟していますと、田圃をぬけると又すこし人家のつづいている村里にはいって、それから再び田圃にさしかかって、再び人家のまばらな村にはいる。こうした単調な道中を幾度もくり返しているので、田舎めずらしいわたくしも少し倦《う》んで来ました。
 二台の人車は西北の方角へ走ってゆくようでした。その方角にはかなりに高い山が牛を臥《ね》かしたように横たわっていて、人車はそれを目標にして行くように思われました。あの山のなかに三津子さんの家がある――それを思うと、わたくしはなんだか寂しい心持にもなりました。いくらお連合いと一緒に暮らしているとはいいながら、東京のまんなかで不自由なしに育って来た三津子さんが、こんなところに新しい家庭を作っている――それが又わたくしには何だか嘘のようにも思われました。
 山路へさしかかっても、一里ばかりの間はどうにか斯うにか人車がかようのでありました。もっともその途中、狭い嶮しい崖みちで人車からおろされたことが二、三度ありました。麓で見あげた時にはたいそう優しげな山の形でしたが、さて踏み込んでみると、ずいぶん嶮しい山坂で、こんなところに住んでいては日常生活が定めて不便なことであろうと、わたくしはつくづく思いやりました。途中でたった一人、芒《すすき》のようなものをたくさんにたばねて馬の背に積んで来る男にゆき逢いましたが、そのほかには往来の人も見えませんでした。路が下り坂になろうとして、どこやらで水の音が聞こえるところで、わたくし共は人車から降ろされました。これから先きはもう人車がかよわないというのです。車夫は二台の人車を路ばたの樹の下に置き捨てたままで、わたくしの荷物をかついで送って来てくれました。
「あなた、あるけますか。」と、三津子さんは微笑《ほほえ》みながらわたくしを見かえりました。
 もし歩けなければ、車夫に負ぶってもらうというのでしたが、わたくしは断わりました。下り坂を降りると、熊笹の一面に生いしげっている底に水の音がきこえました。山川の習いで、かなりに瀬が早いらしいと思っているうちに、五、六間もあろうかと思われる山川が眼の前にあらわれました。川の中にはところどころに大きい石が聳えている。ぐゎうぐゎうという響きを立ててむせび落ちて来る清らかな水は、そこにもここにも白い泡を噴いています。その川べりを縫って、およそ一町あまりも歩いたかと思うときに、ふと見るとひとりの小さい人間が川の中の平たい石の上に身をかがめていました。わたくしは思わず立ち停まって、あの人は何をしているのかと眺めていますと、そばにいる車夫が教えてくれました。
「あれは山女《やまめ》という魚《さかな》を捕っているのです。」
「男の児でしょうか。」と、わたくしは小声で訊きました。
 その人間の姿がどうも男か女かよく判らなかったからでございます。
「女でしょうよ。」と、車夫はまた言いました。
 そういわれれば、なるほど女であるらしくも思われました。うしろ向きになっているので、その人相は判りませんけれども、長い髪の毛を藤蔓のようなものでぐるぐると巻き付けて、肩のあたりに垂れていました。着物は縞目も判らないように汚れている筒袖のようなものを着て、腰にはやはり藤蔓のようなものを巻いていましたが、裳《すそ》が短いので腰から下はむき出しになっていました。身体は小作りで、まだようよう十三四の子供であるらしく、なんだか山猿に着物をきせたのではないかとも思われるような形で、一心に水の底をうかがっているらしく思われました。藤蔓をわがねて、流れて来る魚を不意に引っかけて、片手で素早く掴んでしまうのだと車夫がまた説明しました。
 その説明を聴きながら川上の方へのぼって行こうとすると、わたくしどもの足音を聞きつけたらしく、かがんでいた女の児は水の上から眼を離して、じっとこちらを見つめました。山の中に住んでいるせいか、その児の色の白いのが、わたくしの眼につきました。容貌《きりょう》も悪くはない方でした。唯その眼付きがなんだか人間らしくない、その姿とおなじように山猿を連想させるような一種の強い光りをもっているのが、わたくしに言い知れない不安と不快の感じをあたえました。その眼が三津子さんの眼と出逢った時に、三津子さんの眼の色も俄かに変わったように思われました。しかし三津子さんはなんにも言わないで、わたくしの先きに立って歩いてゆきました。女の児は石の上でいつまでもこっちを睨むように見送っていました。川をつたってゆくと、芒の茂っている山路は再び上り坂になりました。

 三津子さんの家《うち》へたどり着いたのは、もう日の暮れた頃でした。車夫を帰して、三津子さんに案内されて奥へ通ると、家は四間ばかりの小さい建物でしたが、家具などは案外に整頓していました。見おぼえのある三津子さんのピアノも座敷に据えてありました。こんなものをここまで運搬して来るのはずいぶん大変であったろうとわたくしは思いやりました。しかし三津子さん夫婦にとっては、この楽器が毎日どんなに大きい慰藉《いしゃ》をあたえているか判るまいとも思いました。
 うしろの森へはいって、何かの仕事をしていた三津子さんのお連合い――前にも申した林学士の関井さんでございます――がやがて帰って来ました。関井さんはたしか卅一だと聞いていますが、これも一年あまりお目にかからないうちに、なんだか急に老けたようにも思われました。去年の夏、東京で新婚の御披露のあった時に、わたくしも御招待をうけて、関井さんにはお目にかかったことがあります。出発の時にも停車場までお見送りに行きました。そういうわけで、関井さんに逢うのは今度で三度目ですが、去年から見るとなんだか顔の色がひどく蒼ざめて、急に病身にでもなったのではないかとも思われるようでした。それでも、わたくしの来たのを大層よろこんで、重い口からいろいろのお世辭などを[#「お世辭などを」はママ]いってくれました。
「こんな山奥でどうにもなりませんけれど、まあ涼しいのを取り得にして、どうぞいつまでも御逗留ください。草花には東京で見られないような、なかなか美しいのがあります。秋になると紅葉《もみじ》も見事です。御用がなければごゆっくりお泊まりください。」
 それから東京の噂などが二つ三つ出た頃に、一人の男が庭さきから廻って来て、お風呂が沸きましたと知らせました。この男は麓の村の者で、前の署長の時代から小使い兼帯でここに雇われているのだそうです。名は六助といって、もう六十に近い巌乗らしい老爺《じいや》でした。
「じゃあ、早く行っていらっしゃい。汗になって気味が悪いでしょう。」
 関井さんに勧められて、わたくしは風呂場へ出て行きました。風呂は母屋《おもや》から十間以上もはなれた大きい桐の木の下に建てられて、その立木があたかもその三方を取り囲むように植えつけてありました。風呂にはいって、いい心持にひたっていますと、そこらで虫の声が一面にきこえました。汗を流して出てくると、母屋の上には又一つの大きい峰が落ちかかるように聳えていて、真っ黒な大空には銀色の大きい星がかがやいています。桐の葉が山風にざわざわとそよいで、秋よりも冷たい山の空気が湯あがりの肌にぞっと沁みました。かぜでも引きはしまいかと危ぶまれて、わたくしは早々に母屋へ引っ返しました。その間、三津子さんはお夜食の支度に忙がしかったようでした。
 みなさんのお風呂が済みますと、八畳のお座敷に大きい食卓が運び出されて、ランプの下でお夜食が始まりました。六助じいやにも手伝わせて、三津子さんはいろいろのお料理をかいがいしく運んで来ました。
「山の中ですから、これが精いっぱいの御馳走でございますわ。」と、三津子さんは笑いながらわたくしにすすめてくれました。
 わたくしの来るのを前から知っていたので、台所には相当の準備があったらしく、オムレツや、フライや、鳥のお吸物や、この山で取れるという竹の子のお旨煮や、たくさんの御馳走が列べられたのには、わたくしも少しく驚かされました。こんな山の奥でもこんな御馳走がたべられるのかと思いました。お午《ひる》には汽車の中でまずいサンドウイッチを少しばかり食べただけで、それでこの山の中まで登って来たのですから、随分お腹《なか》が空いているので、わたくしはあとで考えるとほんとうに極まりが悪いほどにたくさんいただきました。しかもそのいろいろのお料理のうちで、フライのお魚がかの山女であるということを知った時に、わたくしはなんだか箸をつける気になれませんでした。それはなぜであるか、自分にもよく判りませんでしたが、やはりさっきの山猿のような女の児のことがなんだか気になっているらしいのでした。
「このお魚はさっきの川で捕れるのでございますか。」と、わたくしは三津子さんに訊きました。
「はあ。あすこらには余りたくさんいませんけれど、しもの方へ行くとずいぶん捕れます。」
「やはりここらまで売りに来るのですか。」
「売りには来ませんが……。」と、関井さんは横眼で奥さんの顔をちらりと視ました。
「うちのじいやが村まで降りて買って来るのです。なに、ここらでは非常に廉いものですよ。」
 関井さんの笑い顔の寂しいのがわたくしの眼につきました。関井さんばかりでなく、三津子さんの顔にも暗い影がさしたように思われました。そうして、わたくしばかりでなく、三津子さんもその山女のフライには箸をつけないのです。どうという取り留めた理屈もないのに、山女という魚を中心にして、どの人もなんだか暗い気分を誘い出されたらしいのは不思議なことで、わたくしは詰まらないことを言い出したのを今さら後悔しました。しかしそれもほんのちっとの間で、関井さんの夫婦はすぐに元の晴れやかな顔色に戻って、再び東京の噂や、ここらの山住居の話などを始めて、それからそれへといろいろの話に花が咲きました。
「あなたもさぞお疲れでしょう。今夜はもうこの位にして、あした又ゆっくりお話をうかがいましょう。」と、関井さんは言いました。
 それは置時計が十時を打った頃で、山奥の夜はいよいよ冷えて来ました。ランプの灯を慕って来たらしい機織《はたお》り虫が天井で鳴き出しました。三津子さんは縁側に出て、空を眺めているようでした。
「ちょっと来て御覧なさい。星がずいぶん綺麗ですこと。」
 呼ばれてわたくしも出てみると、星はさっきよりもおびただしい数を増して、どれが天の河だか判らないくらいに、低い空一面にかがやいていました。外には暗い杉の木立がすくすくと突っ立っているばかりで、山風の音もきこえません。寝鳥のさわぐ音もきこえません。その鎮まり返った中でじっと耳を澄ましていると、どこからか水の音が遠くひびいて来るようです。さっきの女の児が山女を捕っていた川の音であろうと思うと、わたくしはまた女の児のことを思い出しました。
 その途端に、六助じいやが何か叱っているような声がきこえました。じいやは母屋から少し距《はな》れたところに小屋のような家を作って、そこに寝起きをしているのでした。その声を聞くと、三津子さんは急にそこにある草履を突っかけて、ふた足ばかり庭さきにあるき出して、子細らしく耳を傾けているようでした。わたくしも何事かと聞き澄ましていると、じいやの声は暗い中でとぎれとぎれに聞こえました。
「また来たか。いけねえ、いけねえ。もう遅いから、帰れ、帰れ。ぐずぐずしていると、狼に食われるぞ。」
 狼――わたくしは思わずぎょっとしました。ここらにも狼が出るのかしらと、なんだか急に怖くなりましたが、三津子さんはやはり身動きもしないで、じいやの声をちっとも聞きはぐるまいと熱心に耳を引き立てているようでした。
「さあ、悪いことはいわねえ。帰れ、帰れ。山女なんぞもう要らねえよ。」
 山女――それが又、狼とおなじようにわたくしの耳に強くひびきました。山女がどうしたのであろう、誰が山女を持って来たのであろう。さっきの山猿のような女の児の姿が再びわたくしの眼のさきに泛かび出しました。じいやの声はそれぎり途切れて、その後はなんの音もないので、三津子さんはほっとしたように縁さきへ引っ返して来ました。
 寝床を敷いてもらって、わたくしは枕に顔を押し付けました。蚊はいないというので、七月の末にも蚊帳を吊ってありませんでした。一日の疲れで、定めて正体もなしに寝られるだろうと思っていましたのに、なぜか眼が冴えて眠られません。寝どこが変わったせいばかりでなく、これにはなんだか訳がありそうに考えられてなりませんでした。山猿のような女の児と山女と――それが不思議にわたくしを寝苦しくさせるようでした。わたくしは午前二時の時計の音を聞いて、それからようよう寝付きました。
 夜があけると、一面の霧でした。じいやが氷のように冷たい水を汲んで来てくれたので、それで顔を洗って、わたくしは生き返ったようなさわやかな気分になりました。けさも三津子さんは台所の方が忙がしそうなので、わたくしも何かお手伝いをしましょうと言いましたが、三津子さんはどうしても承知しませんでした。
「いいえ、あなたはお客様ですから、どうぞあちらへ行っていてください。こんなことはじいやを相手にして、毎日仕馴れているんですから。」
 一家の主婦として、台所を一人で切って廻している若い奥さんのお邪魔をするのも却ってよくないと思って、わたくしは素直に元の座敷へ戻って来ますと、関井さんは縁側に二つの籐椅子を持ち出して、わたくしにもすすめてくれました。やがて三津子さんが運んで来てくれた紅茶を飲みながら、関井さんはけさも山住居の話をはじめました。この小林区署には、ほかにまだ山林属が一人、技師が一人、主事が八人とかいるそうですが、二人は暑中休暇で半月ばかり帰省しているのと、他の三人は近村の山林の巡回に出ているのとで、当時ここに住んでいるのは関井さんの夫婦と雇い人の六助じいやと、ほかに五人だということでした。
「わたくしもここへ来てからもう三年になります。山林生活にはすっかり馴れてしまいましたから、別に寂しいとも不自由とも思いませんけれど、一つ所に長くいるといけません。そのうちに、どこへか転勤しようと思っています。どうで猿か熊のように山から山を伝ってあるくのですが、どうも一つ所はいけません。又ほかの山を探そうと思っています。」
「一つ所に長くいらっしゃると、随分お飽きになりましょうが、しかし又、違ったところへお出でになると、当分は何かと御不自由なこともございましょう。」
「それもそうですが……。」と、関井さんは少し考えるように眼を瞑《と》じていました。「実際、ここらは夏涼しくって、冬もさのみ寒くもなく、まず住みいい方なんでしょうが、やはり一つ所には長く住みたくありませんよ。」
「わたくしはなんにも存じませんけれど、御用はなかなかお忙がしいのでございますか。」
「なに、ここらは比較的に閑《ひま》な方です。土地の人気《じんき》が一体におだやかですから、盗伐などという問題もめったに起こりません。ただ時々に山窩《さんか》が桐の木を盗むぐらいのことです。」
 山窩というものに就いて、関井さんは説明してくれました。それは山の中に小屋や洞穴《ほらあな》などを作って棲んでいる下等人種で、ときどきに里に出て、乞食をする、盗みを働く、人殺しなども平気でやるという始末に負えない浮浪者の群れで、この山のなかにも二三十人ほどは巣を作っているのだそうです。あまりに悪いことをすると、巡査が隊を組んで山狩りを始めるのですが、そういう徒《やから》ですから、どこへか素早く逃げ隠れてしまって、なかなか狩り尽くすというわけにはゆかないそうです。この山林には桐の木が多いので、山窩の群れは時々にそれを伐り出して盗んでゆく。それを監視するのはやはりこの小林区署の役目で、盗伐者を見つけると取り押えなければならないのですが、相手が例の山窩ですから、まことに始末が悪いということです。そればかりでなく、山窩の或る者はここらの官舎へも食べ物などを貰いに来て、こちらが油断していると、そこらにあるものを手あたり次第に掻っ攫って行くそうです。
 そんな話を聞かされて、わたくしは山川のふちできのう出逢った山女捕りの女の児をまた思い出しました。あれもきっとその山窩に相違あるまいと思って、関井さんにその話をしますと、関井さんは急にまじめになったようなふうで、少し小声になって訊き返しました。
「その女の児というのは幾歳《いくつ》ぐらいでした。」
「そうでございますね。わたくしにもよく判りませんでしたけれど、なんだか十三四ぐらいのように見えました。それとも、もう少し大きいかも知れません。色の白い、顔立ちは悪くない児でございました。」
「なんにも声をかけませんでしたか。」
「はあ。」
 関井さんは黙ってうなずいて、それぎりなんにも言いませんでしたけれど、その顔色になんだか穏かならないところがあるようにも見えました。山霧はもうだんだんに剥げて来ました。

 朝涼《あさすず》のうちに、関井さんの夫婦はわたくしを近所の森の中や川端へ案内してくれました。東京より十度以上は違うと三津子さんのいったのも嘘ではありません。まったく朝晩は冷々《ひやびや》して単衣《ひとえもの》の上に羽織ぐらいは欲しいほどでした。路ばたには名も知れないいろいろの草花が一面に咲きみだれて、それが冷たい朝霧にしっとりと湿《ぬ》れている風情は、なんともいえないほどに美しいものでした。
「わたくしは少し見廻るところがありますから、これでちょっと失礼します。」
 関井さんは途中でわたくし共に別れて、そこらの大きい森の中へはいって行きました。取り残された二人は、官舎の方へしずかに戻って来ました。山の朝は気味の悪いほどに寂かで、どこかで山鳩の声がきこえました。
「ふだんはいろいろ御不自由なこともありましょうけれども、こういう所に住んでいらっしゃるのは全くからだの薬でございますわ。」と、わたくしは足もとの草花を眺めながら言いました。
「不自由は初めから覚悟して来たのですから、それほどにも思いません。」と、三津子さんは笑いながら言いました。「世間のうるさいお付合いはありませんし、そりゃ全く気楽ですわ。空気もよし、景色もよし、からだのためには全くいいんですけれど……。主人とも相談して、どこかほかのところへ転勤するように運動して貰おうかと思っているんです。」
「関井さんもそんなことを仰しゃっておいででした。」
「主人もあなたにそう申しましたか……。まったくここには忌《いや》なことがあるもんですから……。」
「山窩とかいうものがたくさん棲んでいるそうでございますね。」
 わたくしがうっかりと口をすべらせると、三津子さんの顔色は急にむずかしくなりました。
「主人が山窩のことをお話し申しましたか。」
「はあ、悪いことをして困るとかいうことで……。」
「悪いこともしますけれど……。」と、三津子さんは低い溜め息をつきました。「なにしろこんなところに長く住まいたくありません。いいえ、山の生活が忌になったという訳じゃ決してありません。都会の生活が恋しくなった訳でもありません。わたくし共には山の生活の方がむしろ気楽で幸福だと思っているんですけれど、ここはどうも面白くありません。こんなところに長く住んでいるのは、わたくしども夫婦に取ってどうも良くないように思われますから、同じ山の中でもどこかほかのところへ移りたいと祈っているんです。その訳は……。あなただけにはお話し申そうかと思っていたんですけれど、こうしてお目にかかってみると、やはり思い切ってお話し申すことが出来なくなりました。いずれ後日にお判りになることがあるかも知れませんが、今度はまあなんにも申し上げますまい。人の住まないような山の奥には又いろいろの秘密があります。」
 三津子さんは寂しくほほえみました。山の奥の秘密――それが何であるか、わたくしにはもとより判ろう筈はありません。しかしその秘密には山窩と山女とが何か絡《から》んでいるのではあるまいかと、むやみに疑われてなりませんでした。いくら親友の間柄でも、その秘密を無理にさぐり出すわけにはいきませんから、わたくしも唯黙って聴いているよりほかはありませんでした。
「しかし別にこれといって見物するところも無いんですから、長く御逗留下すったらきっと御退屈なさるでしょうね。」と、三津子さんは、わたくしの顔を覗きながら言いました。
「いいえ。わたくしもこういう静かなところが大好きでございますから、十日や半月では決して飽きるようなことはございません。お天気のいい日にはこうして散歩でもしていますし、雨でも降った日には久し振りであなたのピアノでも伺いますから。」
「ピアノは折角持って来ましたけれど……。こちらへ来た当座は五、六たび弾《ひ》いてみたこともありますけれど……。あんなものを弾くと、猿や狼があつまって来ていけませんから、この頃はただ飾って置くだけです。」
「この山には猿や狼がたくさん棲んでいますか。」と、わたくしはゆうべの六助じいやの詞《ことば》を思い出しながら訊きました。
「はあ。たくさん棲んでいます。わたくしどもに取っては怖ろしい猿や狼が……。わたくし全くこの山にいるのは忌ですわ。」
 その猿や狼というのが本当の獣《けもの》であるのか、又はかの山窩のたぐいを意味するのか、わたくしにもその判断が付きかねていると、三津子さんは又こんなことを沁々と言い出しました。
「あなたの前でこんなことを申すのも何ですけれど、関井はほんとうにいい人です。ほんとうにわたくしを愛してくれます。その点ではなんにも不足はありません。わたくしは幸福な人間だと思っています。どんなことがあっても、わたくしは関井に背いて、この山を降りようとは思いません。人の妻として、わたくしがそれだけの決心をもっていることは、あなたも記憶していてください。」
 さっきから三津子さんのいうことは、すべて一種の謎のようで、わたくしには何がなんだか一向に判りません。そこにいわゆる「山の秘密」が含まれているのでしょう。ここにこうして幾日も逗留しているあいだには、自然にその秘密の扉《とびら》をひらく鍵を握ることが出来るかも知れない。そう思って、わたくしはやはり黙って聞いていました。
 家へ帰ったのは、もう十一時に近い頃で、三津子さんはすぐにまた午《ひる》の御飯の支度にかかりました。その間に、わたくしは東京の家やお友達にあてた手紙を書き始めました。あしたの午後には六助じいやが村へゆくといいますから、それに頼んで郵便局へとどけて貰おうと思っていました。お午ごろになっても、関井さんはまだ帰って来ないので、わたくしは三津子さんと二人で御飯を済ませました。
 手紙をみんな書いてしまったのは午後一時頃で、さすがに日の中はかなりに暑くなりました。わたくしはその手紙を持って、六助じいやの小屋へ出てゆきますと、小屋の中にはじいやのほかにもう一人の姿が見えました。この小屋は母屋から相当の距離を取って、背中あわせに建てられたもので、家のまわりにはやはり大きい桐の木が五、六本、あたかも日かげを作るように掩っていました。入口は三坪ばかりの土間になっていて、その正面に四畳半ぐらいの一間が見えました。土間にはお風呂のたき物にでもするかと思うような枯枝が積んでありました。
 わたくしは何心なくその土間に片足踏み込んで、家の中をのぞいて見ますと、じいやは切株のようなものに腰をかけて、小さい鉈《なた》で枯枝を余念もなくおろしていました。それから少し離れて、ひとりの女の児が高く積まれた枯枝の幾束に倚りかかって、これもじっと鉈の光りを見つめていました。その女の児は藤蔓に鰓《えら》を通した五、六|尾《ぴき》の山女をさげていました。それをひと目みると、わたくしはなぜか知らず俄かにぞっとしました。女の児はきのうの夕方、山川の石の上で山女を捕っていた児に相違ありません。して見ると、六助じいやにゆうべ叱られていたのも恐らくこの児であったろうと想像されました。
「おお、いらっしゃいまし。」
 六助じいやは鉈をやすめて、笑いながらわたくしに挨拶しました。
「あの、あしたは何かの御用で村の方へおいでなさるそうですね。」
「はあ。まいります。」と、言いながらじいやはわたくしの手に持っている郵便に眼をつけました。
「ああ、郵便でございますか。よろしゅうございます。たしかにお預かり申しました。」
「どうぞ願います。葉書と封書と両方で五通ありますから。」
 こんなことを言っている間、女の児はやはり黙ってじっと我々を見つめていました。じいやはそれに気がついて、急にその児の方に向き直りました。
「それ、お客様がおいでだから、もう帰れ、帰れ。山女はきょうも要らねえ。さあ、真っ直ぐに帰るんだぞ。奥の方へ行ってうろうろするんじゃねえぞ。いいか。」
 女の児はなんにもいわずに素直に出てゆくと、じいやは門口《かどぐち》へ出て、そのうしろ姿をちょっと見送って、又すぐに内へはいって来ました。
「今度は突然に出ましていろいろ御厄介になります。」と、わたくしはお土産のしるしに幾らかのお金をつつんでじいやにやりました。
「こりゃどうも恐れ入ります。」
 びっくりしたような顔をしてお礼をするのを見ても、このじいやの朴訥なことが察せられます。わたくしは思わずそこにある枯枝のひと束に腰をおろして、打ち解けてじいやに話しかけました。
「あの児はどこの児です。」
「どこの児だか判りませんよ。」と、じいやは苦笑いをしていました。「どこかに親も兄弟もあるんでしょうが、なにしろあんな人間でございますからね。」
「やっぱり山窩とかいうんですか。」
「そうですよ。ここらの山の中にはあんな者が棲んでいて、時々に村へ降りて行っていろいろの悪さをして困りますよ。」
「山女を売りに来たんですか。」
「なに、売りに来たんじゃありません。ああして自分の捕ったのを持って来てくれるんですよ。」
「その代りにこっちでも何か食べ物でもやるんですか。」と、わたくしはまた訊きました。
「なにか食べ物をやることもありますが……。毎日のようにうるさく来るので、この頃は相手にならずに追い返してしまうんです。考えてみりゃあ可哀そうのようでもありますけれど……。」
「まったく可哀そうですわね。」
「毎日ああして山女を捕って来てくれるんですからね。まったく涙が出るように可哀そうなこともありますけれども、どうにもこうにも仕様がありません。あんな者のことですから、そのうちには又どうにかなりますよ。」
 山窩の小娘に、じいやはひどく同情しているような口ぶりもみえます。わたくしはこのじいやの口から山の秘密をなにか探り出したいと思ったので、なにげなしに又訊きました。
「あの児はなんという名です。」
「名なんか知りませんよ。たびたびここへ来ますけれど、名前なんか訊いてみたこともありません。当人も知らないかも知れません。」
「いくつぐらい、もう十三四でしょうね。」
「いや、もう十六七かも知れませんよ。あんな奴等はみんな猿のように、からだが小そうございますからね。ええ、そうです。どうしても十六ぐらいにはなっていましょうよ。」
「そうですかねえ。まるで子供のように見えますけれど、もうそんなになるんですかねえ。あの娘はここへ来て、別に何も悪いことをするんじゃないでしょう。」
「悪いことはしません。」と、じいやはうなずいた。「以前は悪いことをして、ここの旦那につかまったこともあるんですが、この頃はちっとも悪いことはしません。唯ぼんやりとここへ来て突っ立っているんです。考えると可哀そうですよ。」
 じいやは繰り返してあの娘に同情するようなことを言いました。人の物を盗むような山窩の娘が、自分の折角捕った魚をなぜ持って来てくれるのか判りません。山窩の娘と山女とそれがいつまでも一種の謎でありました。
 表に靴の音がきこえたので、じいやもわたくしも伸び上がって見ますと、関井さんは額の汗を拭きながら帰って来ました。
「お帰んなさいまし。」と、二人は一度に声をかけました。
「やあ。」
 関井さんはちょっと立ち停まって、じいやとわたくしの顔を子細ありそうに見較べていましたが、そのまま奥へはいってしまいました。

 お話し上手のかたですと、これだけの筋道をもっと掻いつまんで要領を得るようにお話しが出来るのでございましょうが、わたくしの癖で、なんでも自分の見た通り、聞いた通りをありのままにお話し申さなければ、気が済まないように思われるもんですから、詰まらないことをついだらだらと長くなってしまいました。さてこれからが本当の本文《ほんもん》でございますから、もう少々御辛抱を願います。
 少なくも半月ぐらいはここに滞在している筈のわたくしが、たった五日目に早々立ち去ることになりました。というのは、わたくしが東京を発ちました翌日から、母が急病でどっと倒れまして、初めはほんの暑さあたりだろうぐらいに思っていたのですが、急性腸胃|加答児《カタル》という医師の診断におどろかされて、兄からわたくしのところへ電報を打ってよこしたのでございます。山の中ですから、その電報を遅くうけ取って、気が気でないわたくしは慌てて東京へ帰ることにしました。ほかの事と違いますから、三津子さん夫婦も無理に引き留めるわけにもゆかないので、しきりに残念がりながら山の下まで送って来てくれました。六助じいやも荷物を持って停車場まで一緒に来ました。
 わたくしの逗留しているあいだに、その後もじいやの小屋で二度ばかり山窩の娘のすがたを見ましたが、なにぶんにも短い滞在でしたから、いわゆる「山の秘密」とかいうようなものは結局なんにも判りませんでした。
 母の病気は一時なかなかの重体で、わたくし共もずいぶん心配いたしましたが、幸いに翌月の初旬には全快しました。そのあいだに三津子さんからたびたび見舞の手紙をくれましたので、こちらからもいよいよ全快のことを報らせてやりますと、大層よろこんでいるという返事が来まして、もう一度出直して来ないかと誘われましたが、そうもいかない事情もありますので、来年かさねておたずね申しますと言ってやりました。
 秋になって、三津子さんから紅葉を観ながら遊びに来いと又誘われましたが、わたくしはやはりお断わりをして行きませんでした。すると、十一月の中頃に関井さんが突然たずねて来て、こんなお話がありました。
「わたくしは今度いよいよ他の土地へ転勤することになりました。今度は千葉県の暖いところですから、寒くなったら避寒かたがた是非お遊びにお出でください。三津子もしきりに申しておりました。」
 関井さんはその転勤のことについて、突然東京へ出て来ることになったので、二、三日の後には再び元の山へ帰って、十二月はじめに官舎を引き払うということでした。
「千葉県へ移るについては、どうしても東京を通過しなければなりませんから、三津子もその節にお伺い申すかも知れません。」
 こう言って、関井さんはその日は早々に帰ってしまいました。
 あの御夫婦がどこへか転勤を希望していることは、わたくしもよく知っていますので、別に不思議ともなんとも思いませんでした。かえって御夫婦のためには好都合であろうと喜んでいました。わたくしはすぐに三津子さんのところへ手紙を出して、御転勤をお祝い申してやりました。その手紙が三津子さんの手に届いたか、まだ届かないかと思われる頃に、わたくしは或る朝の新聞紙上で飛んでもない怖ろしい記事を発見しました。
 その記事はその地方の電話に拠ったもので、ほんの七、八行の簡単なものでしたけれど、わたくしは雷《らい》に撃たれたように驚かされました。小林区署長の奥さんの関井三津子さんは、主人が公用で出京している留守中に、何物にか惨殺されたというのです。わたくしはその新聞をじっと見つめているうちに、なんだか頭がぼうとなって殆んど卒倒しそうになりました。まったく夢のようで、しばらくは泣くことも出来ませんでした。三津子さんは誰に殺されたのでしょう。どうして殺されたのでしょう。わたくしは無理に気を落ち着けて、だんだん考えてみますと、この七月の末に三津子さんから聞かされて謎のような話や、六助じいやから聞かされた山窩の娘のこと、藤蔓に吊るした山女のこと、それやこれやが廻り燈籠のように頭の中をくるくると廻転して来ました。
「あの山窩の娘が三津子さんを殺したんじゃないかしら。」
 わたくしは何という理屈もなしに、そんなことを考えました。そうして、取りあえず関井さんの宿へ電話をかけますと、関井さんは今朝の一番汽車でもう出発したということでした。なんにしても、もう落ち着いてはいられないので、わたくしは母や兄に相談して、すぐに関井さんのあとを追っ掛けてゆくことにしました。三津子さんの死に顔も早く見たいと思いましたのと、もう一つにはその最期のありさまも委《くわ》しく知りたいと思ったからです。一度経験のある旅行ですから、わたくしは一人で汽車に乗って、相変わらず寂しい田舎の停車場に降りました。陰って薄ら寒い日で、三津子さんの今まで住んでいた山の形も、きょうは灰色の雲に掩われていました。
 あいにくに人車《くるま》は一台も見えないので、わたくしも途方にくれました。ぐずぐずしていて、途中で日が暮れては大変だと思いましたから、わたくしは一生懸命になって歩き出しました。町を突っ切って、見おぼえのある田圃みちへ出ようとする時に、横合いから不意に声をかけられました。
「村上さんのお嬢さん。」
 それは六助じいやでした。じいやは死体を始末するために棺桶や何かを注文して、これから山へ帰るところでした。いい路連れが出来たので、わたくしもほっとしました。じいやは次の村へ行って人車を探してやるから、そこまで一緒にあるいて行けと言いました。
「どうも飛んだことで、ほんとうにびっくりしてしまいました。」と、わたくしは歩きながら言いました。「奥さんはどうなすったのでしょう。一体、誰が殺したんです。」
「おとといの午過ぎでしたよ。わたくしがうしろの山へ枯枝を拾いに行って、一時間ばかり経って帰って来て、それから枝を伐《おろ》そうと思うと、土間に置いた筈の鉈が見えねえ。どうしたのかと思って探していると、その鉈は小屋の外の桐の木の下に捨ててありました。見ると、鉈には血が付いている。わたくしははっと思って奥へ駈けて行ってみると、奥さんが血だらけになって座敷の縁側に倒れていました。あなたも御存じでしょう。八畳の座敷には奥さんのピアノが据え付けてあります。奥さんはこの頃めったにピアノを弾いたことはなかったのですが、その日に限ってピアノを弾いていたのが、わたくしの小屋までよく聞こえました。わたくしが山へ行く時までピアノの音はきこえていましたから、奥さんが余念もなしにピアノを弾いているところへ、うしろから誰かがそっと忍んで行って、鉈で脳天をぶち割ったに相違ありません。座敷の畳にもピアノの台にもなまなましい血のあとが付いていました。奥さんはおどろいて障子を蹴放して縁さきへ転げ出すところを、また追っ掛けて行って滅茶苦茶になぐって……。おまけに喉笛に啖《くら》いついて……。わたくしの行ったときには、奥さんはもう息が絶えていました。それですから、顔も頭も胸のあたりも一面に血だらけで、そりゃもうふた目と見られないような酷《むご》たらしい……。わたくしも実にぞっとしてしまいましたよ。」
 じいやがぞっとしたのは無理もありません。その話を聞いただけでも、わたくしは総身の血が一度に凍ってしまいました。
「それで、殺した者は知れないんですか。」
「知れませんよ。みんな巡回に出ていて、誰もいない留守のことですから。」と、じいやの詞は少し途切れました。
「あの、もしや山窩とかの娘じゃありませんかしら。」
 わたくしが思い切ってこう言いますと、じいやはじろりと横目で睨んだばかりで、しばらく黙っていましたが、やがてしずかに言い出しました。
「お嬢さん。あなたは奥さんから何かお聞きでございましたか。」
「いいえ、別に……。けれども、何だかそんなような気がしてならないんです。ほんとうにそうじゃありませんかしら。」
「そうかも知れませんよ。」と、じいやは唸るように言いました。「あなたがそう仰しゃるならば言いますが、わたくしもそうじゃないかと思っています。こんなことを仕出来《しでか》して、あいつも可哀そうですけれど、奥さんは猶更お可哀そうですよ。奥さんは全くなんにも御存じないんですから。」
 この前にもそうでしたが、このじいやの言い振りはなんだか奥歯に物が挾まっているようで、焦れったくってなりません。殊に今の場合にそんな謎のようなことを聞かされては堪まりません。わたくしはもう苛々《いらいら》して来て、じいやの胸ぐらを捉《と》らないばかりにして、無理無体に根ほり葉掘りの詮議をしますと、じいやもしまいには根負けがしたらしく、とうとうこれだけのことを白状しました。
 その話によりますと、例の山窩の娘はときどきにじいやの小屋へ食べ物を貰いに来ていました。それがだんだんに増長して、じいやの留守に奥の方まで忍んで行って、なにか盗み出そうとするところを、ちょうど居合わせた関井さんに見つけられたのです。見付けられて、つかまえられて……。それからどうしたのか判りませんが、その後は山窩の娘がこの官舎へうるさく来るようになりました。じいやの小屋へも来るのですが、奥の方へもたびたび忍んで行くのです。そんなことが小一年もつづいているうちに、去年の夏から三津子さんという新しい奥さんがここへ乗り込んで来ました。その以来、山窩の娘は奥の方へ行かなくなりました。奥へゆくと、叱って追い出されるので、いつでも小屋へ来て黙ってしょんぼりと立っているのです。じいやは可哀そうに思いますけれども、どうにも仕様がありませんでした。
 ここらの山川には山女という魚が棲んでいて、それが山住居の人には唯一《ゆいいつ》の旨いお魚でした。前にもお話し申した通り、ここらの山に住んでいるものは、藤蔓をわがねて其の魚を捕るのが上手で、山窩の娘もそうして捕った魚を今までも度々持って来てくれましたが、新しい奥さんが来た後もその魚だけは、やはり持って来てくれました。お金をやっても食べ物をやっても受け取らないで、ただ黙ってその魚をくれて行くのでした。それがじいやにはなんだか惨《いじ》らしくも思われるので、叱ったり諭《さと》したりして、たびたび断わるのですけれど、どうしても肯《き》きません。その娘の持って来た魚を、関井さんもはじめは喜んでたべたのですが、新しい奥さんが来てからは一切《いっさい》たべなくなりました。現にわたくしに御馳走してくれたフライの山女も、山窩の娘が持って来たのでないということをよく確かめてから、お料理に取りかかったくらいでした。
 山窩の娘は殆んど毎日のようにじいやの小屋へ姿を見せていましたが、別に乱暴を働くわけでもなく、ただ黙って突っ立っているばかりでした。しかし不思議なことには、奥でピアノの音がきこえると、それをじっと聴いているうちに、なんだか眼の色が怪しくかがやいて来て、一度はそこにある枯枝をつかみ出して行って、奥の縁側へだしぬけに投げ込んだことがありました。その以来、この官舎でピアノの音は絶えてしまったそうです。
 それらの事情からかんがえると、殊にその兇器を小屋の中から持ち出したのをみると、奥さんを殺した犯人はどうも山窩の娘であるらしいと六助じいやは鑑定しているのでした。唯ここに一つの疑問は、どうで殺すくらいならば今日まで一年あまりもなぜ猶予していたかということで、その理屈がどうも判りません。あるいは関井さんの夫婦が近々にここを立ち去るということを知って――それもどうして知ったのか判りません。六助じいやは決してしゃべった覚えはないといっていました――。急に妬ましさが募って来て、ふだんから憎んでいる奥さんを殺そうと思い立ったのか。それとも、久し振りでピアノの音を聴いて、不意にむらむらと殺意を起こしたのか。なにぶんにも相手が相手ですから、普通のわれわれの考えでは確かにこうという見極めは付きそうもありません。いずれにしても、三津子さんは世に悼ましい生贄《いけにえ》でありました。
 山窩の娘については、三津子さんもその秘密を知っていたに相違ありません。それはわたくしと一緒に散歩に出たときの口ぶりでも想像されます。その当時は一種の謎のようで、頭の悪いわたくしには何がなんだか一切夢中でしたが、今となって考えればその謎もだんだんに解けて来るように思われます。そういう事情があるので、関井さんも三津子さんも早くこの山を立ち去りたいと祈っていたのでしょうが、それが却って禍いの基になったのかも知れません。
 この話の間に、わたくし共は長い寒い田圃みちをゆきぬけて次の村の入口へたどり着くと、六助じいやはそこらの百姓家をたずねて、一台の人車をようよう見付けて来てくれました。
 もうそのさきのことは別に申し上げるまでもありますまい。三津子さんのむごたらしい死骸は火葬にして、わたくし共はその遺骨を護って東京へ帰りました。
 関井さんは千葉県へゆくのを止めて、すぐに辞職してしまいました。問題になった山窩の娘はどうしたか判りません。人の知らないところへ行って、身でも投げたか、首でも縊《くく》ったか。それとも平気で生きているか。そんなことはいっさい判りません。


蛔虫《かいちゅう》

 T君は語る。

「あの時は僕もすこし面食らったよ。」と、深田君がわたしに話した。深田君自身の説明によると、かれはその晩、地方から出京した親戚のむすめを連れて向島のある料理店兼旅館へ行って、芋と蜆汁を食っていたのだというのである。親戚の娘を妙なところへ連れ込んだものだと思うが、ともかくもその説明を正直にうけ取って、仮りに親戚の娘としておく。その娘は二十歳《はたち》ぐらいで、深田君の話ぶりによるとなかなか粋な女であるらしい。
 それは九月の彼岸前で、日の中は盛夏《まなつ》のようにまだ暑いが、暮れるとさすがに涼しい風がそよそよと流れて、縁の柱にはどこから飛んで来たか機織《はたおり》虫が一匹鳴いていた。深田君はその虫の音を感に堪えたように聞いていたが、やがて一人で庭に降りた。なにか少し面白くないことがあって、いわゆる親戚の娘を座敷に置き去りにして来たのである。
 今夜はどこの座敷もひっそりして、明かるい月の下に冷々とながれている隅田川の水を眺めているのは、この家《うち》じゅうで深田君一人かと思われるくらいであった。深田君は出来そこないの謡《うたい》か何かを小声で唸りながら、植え込みの間をぶらぶら歩いているうちに、かれはたちまち女の声におどろかされた。
「あら。」
 だしぬけに金切り声を叩き付けられて、深田君はびっくりして立ち停まった。親戚の娘がさき廻りをしていて、いたずらにおどしたのかとも思ったが、そうでないことはすぐに判った。深田君をおどろかした女はやはり二十歳ぐらいで、庇《ひさし》の大きい束髪に結っていたが、そのなまめかしい風俗がどうも堅気の人間とは受け取れなかった。女の方でも深田君の姿がだしぬけにあらわれたので、思わず驚きの声を立てたらしく、急に気が付いたように言葉をあらためて謝まった。
「どうも失礼。まことにすみません。」
「いや、どうしまして。」
 言いながらよく見ると、女は色の丸顔の小作りで、まぶしそうに月明かりから顔をそむけた睫毛《まつげ》には白い露が光っていた。女はこの木のかげに隠れて一人で泣いていたらしかった。そう思うと何だか気になるので、深田君はまた話しかけた。
「いい月ですね。」
「そうでございますね。」と、女はうるんだ声で答えた。
 それがいよいよ気にかかるので、深田君は判り切っているようなことを訊いた。
「あなたお一人ですか。」
「はあ。」
「お一人ですか。」と、深田君は不思議そうに念を押した。
「はあ。」
「あなたはこの土地の人ですか。」
「いいえ。」
 若い女がただ一人でここへ来て、木のかげに隠れて泣いている。深田君はいよいよ好奇心をそそられて、どうしてもこのままに別れることが出来なくなった。もう一つには、この女がどう見ても堅気の人間でないらしいことが、深田君の心を強くひき付けた。
「お一人で御退屈ならわたしの座敷へお遊びにいらっしゃい。あなたとお話の合いそうな女もおりますから。」
「ありがとうございます。」
 もうその以上には何とも話しかける手づるがないので、深田君は心を残してかの女に別れた。二、三間行きすぎて振り返ると、女は土にひざまずいて木の幹に顔を押し付けてまた泣いているらしかった。なにぶん見逃がすことが出来ないので、深田君はまたそっと引っ返して来て声をかけた。
「あなた、どうしたんです。心持でも悪いんですか。」
 女は返事もしないですすり泣きをしていた。
「え、どうしたんです。訳をお話しなさい。あなたは一体どうして一人でここへ来ているんです。」と、深田君は無遠慮に切り込んで訊いた。「だしぬけにこんなことを言っちゃあ失礼ですけれども、一応その訳をうかがった上で、またなんとか御相談にも乗ろうじゃありませんか。あなたは一体なにを泣いているんです。」
 女は容易にすすり泣きを止めないのを、いろいろになだめてすかして詮議すると、女は上州前橋の好子《よしこ》という若い芸妓であった。土地の糸商の上原という客に連れられて、きのうの夕方東京に着いて、ゆうべは上野近所の宿屋に泊まって、きょうは浅草から向島の方面を見物して、午後三時頃にこの料理店にはいった。風呂をすませて、夕飯を食って、今夜はここに泊まるはずであったが、上原はちょっとそこまで行ってくるといって、好子を残して出たままで今に帰って来ないのをみると、自分はきっと置き去りにされたに相違ない。ここの家の勘定もまだ払っていない。自分は旅費も持っていない。どうしていいかと途方に暮れて、いっそこの川へ身でも投げてしまおうかと、さっきから庭に出て泣いていたのであると判った。
「そこで、その上原という人は何時頃に出て行ったんです。」
「五時過ぎでしたろう。」
 今夜はまだ八時を過ぎたばかりで、五時から数えてもまだ三時間を多く越えない。それですぐに置き去りと決めてしまうのは、あまりに早まっているように深田君は思った。用向きの都合では二時間や三時間を費すこともないとはいえない。その理屈をいって聞かせても、好子はなかなか承知しなかった。上原は自分を振り捨ててどこへか姿を隠したに相違ないと、泣きながら強情を張った。これには何か子細があると見て、深田君は無理に彼女をなだめて、ともかくも自分の座敷へ連れて行くと、親戚の娘も気の毒がって親切にいたわってやった。それからまただんだん問いつめて行くと、上原という男はことし卅一で、女房もあれば子供もある。ことに養子の身分で、家には養父も養母も達者である。そういう窮屈な身分で土地の芸妓と深い馴染みをかさねたのであるから、なんらかの形式で一種の悲劇が生み出されずにはすまない。家庭にはいろいろの葛藤がもつれにもつれて、結局|自棄《やけ》になった彼は女を連れて養家を飛び出した。男も女も再び前橋へは帰らない覚悟であった。男は二百円ほどの金を持っていて、その金の尽きた時が二人の命の終りであるということも、お互いのあいだに堅く約束されていた。
「上原さんはきっと急に気が変わって、あたしを置き去りにして逃げたに相違ありません。」と、好子はくやしそうに泣いて訴えた。
 この場合、そうした偏僻《ひがみ》や邪推の出るのも無理はなかった。知らない東京のまんなかへ突き出されて、一緒に死のうとまで思いつめている男に振り捨てられたとなれば、定めて悲しくもあろう。口惜しくもあろう。深田君もひどく彼女の身の上に同情したが、その男が果たして変心したのかどうか、実はまだ確かに判らないのである。もし変心しないとすれば、かれらは早晩死の手につかまれなければならない。変心したとすれば、女は一人で捨てられなければならない。いずれにしても、不運は好子という女の上に付きまとっているのである。深田君はなんとかしてかの女を救ってやりたいと思った。
 男が無事に帰って来たらば、その突きつめた無分別をさとしてやろう。男が果たして帰らなかったらば、女に旅費を持たせて前橋へ送り返してやろう。深田君は二つに一つの料簡をきめて、親戚の娘と共に好子をしきりになだめていると、それから一時間ほども経った頃に、家の女中たちが庭をさがし歩いているような声がきこえた。
「なんでも庭の方を歩いていらしったようですが……。」
「庭に出ていましたか。」と、男の不安らしい声もきこえた。
 それが好子の連れの男であることは直ぐに想像されたので、深田君は早く行けとうながしたが、好子はなぜか容易に起とうともしなかった。庭の方ではしきりに探しているらしいので、深田君は気の毒になって声をかけた。
「もし、もし、お連れの御婦人ならばここにおいでですよ。」
 その声を聞きつけて、男の方はすぐに駈けて来た。それが上原というのであろう。顔の青白い、眼の色のにぶい、なんだか病身らしい痩形の男で、深田君に丁寧に挨拶して好子を連れて行こうとすると、好子は狂女《きちがい》のように飛びかかって男の腕を強くつかんだ。
「薄情、不人情、嘘つき……。人をだまして、置き去りにして……。」
 力任せに小突きまわして、好子は噛み付きそうに男の薄情を責めた。それがヒステリーの女であることを深田君はさとった。上原という男も人の見る前、すこぶるその処置に困ったらしく、いろいろにすかして連れて行こうとしたが、好子はなかなか肯かないで、大きい庇髪《ひさしがみ》をふりくずしながら、自分の泣き顔を男の胸にひしと押し付けて、声をあげて狂いわめいた。深田君も見ていられないので、親戚の娘と一緒にそれをなだめて、どうにかこうにか座敷の外へ送り出すと、上原は詫びやら礼やらを取りまぜて、すみませんすみませんと繰り返して言いながら、無理に好子を引き摺るようにして、自分の座敷へ連れて行った。
「気が狂ったんでしょうか。」と、親戚の娘はほっとしたように言った。
「ヒステリーだろう。」
「だって、男が帰って来たらいいじゃありませんか。」
「そこが病気だよ。理屈には合わない。お前だって時々そんなことがあるぜ。」と、深田君は笑った。
 男が帰って来たらばその無分別を戒しめてやろうと待ちかまえていた深田君も、この騒ぎに少し気をくじかれて、今すぐに何を言っても仕方がない。男もこっちの意見を聞いている余裕はあるまい。ともかくも女のちっと落ちつくのを待って、それからおもむろに言うだけのことを言って聞かそうと思い直して、かれは良い月を見ながら酒を飲んでいた。
「あなたもあたしを置き去りにして行くと、あたしヒステリーになってよ。」と、親戚の娘は酌をしながら言った。
 こっちにも少し悶着が起こっていたのであるが、よその騒ぎでうやむやのうちに納まってしまって、深田君はいい心持に酔いが廻った。青白い顔の男もヒステリーの女も、かれの記憶からだんだんに遠ざかって、とうとうそこにごろりと寝ころんでしまった。

「あなた、お起きなさいよ。大変よ。」
 親戚の娘にゆり起こされて、深田君は寝ぼけ眼《まなこ》をこすりながら顔をあげると、かれはいつの間にか蚊帳のなかに寝かされていた。枕もとの懐中時計を見ると、もう午前一時を過ぎていた。
「あなた、さっきの人が死んだんですとさ。」
「男か女か。」と、深田君はぎょっとして起き直った。
「男の人ですって……。警察から来るやら、大騒ぎですわ。」
 深田君は蚊帳を這い出して、すぐに上原の座敷へ行ってみると、座敷のなかには警部らしい人の剣の音がかっかっと鳴っていた。刑事巡査らしい平服の男も立っていた。蚊帳はもうはずしてあった。二つならべてある一方の蒲団の上には、寝みだれ姿の好子が真っ蒼な顔をして坐っていた。深田君は廊下からそっと覗いているのであるから、その以上のありさまはうかがい知ることが出来なかった。死人の姿は見えなかった。
 家の女中達もみな起きて来て、遠くから怖そうにうかがっていた。その中に深田君の座敷を受持ちの女中もいたので、一体どうしたのかと訊いてみると、今から小一時間も前に、この座敷でけたたましい叫び声がきこえた。不寝番がおどろいて駈け付けると、男は蒲団から転げ出して死んでいた。女は魂のぬけたような顔をしてその死骸をぼんやりと見つめていた。女のいうところによると、二人ともに眼が冴えて寝付かれないので、夜のふけるまで起き直って話していると、男は突然に空をつかんでばったり倒れてしまった。事実は単にそれだけで、彼女は出張の警官に対してそう申し立てたのである。しかしそこには何か不審の点があるらしく、女はなお引きつづいて警官の取り調べを受けているのであった。
 その話を聞いているうちに、刑事巡査らしい平服の男が廊下へ出て来て、深田君のたもとを軽くひいた。
「あなた、ちょいと顔を貸してくれませんか。」
「はい。」
 かれに誘われて、深田君は庭に出ると、明かるい月は霜をふらしたような白い影を地に敷いて、四つ目垣に押っかぶさっている萩や芒《すすき》の裾から、いろいろの虫の声が湧き出すようにきこえた。その葉末の冷たい露に袖や裾をひたしながら、二人はならび合って立った。
「あなたは今夜あの女にお逢いだったそうですね。」と、男は言った。「あなたはお一人ですか。」
 いわゆる親戚の娘を連れているだけに、こういう取り調べを受けるのは深田君に取ってすこぶる迷惑であったが、よんどころなしに何もかも正直に申し立てると、男は一々うなずいて聞いていた。
「すると、あの男と女は心中でもしそうな関係になっているんですね。」
「まあ、そうらしいんです。わたくしも意見してやろうと思っているうちに、つい酔っ払って寝込んでしまって……。」
「そうでしょう。お連れがありますから。」と、男はひやかすように言った。「男の死体は医師が一応調べたんですが、脳貧血、脳溢血、心臓麻痺、そんな形跡は少しも見えないで、どうも窒息して死んだらしいという診断です。男の喉《のど》のあたりには薄い爪の痕が二、三ヵ所残っています。そうすると、どうしても女に疑いがかかる訳ですが、女はなんにも知らないとばかりで、ちっとも口を明かないんです。一体あの女は気が少しおかしいんじゃありませんかしら。」
「御鑑定の通りです。あの女はどうもヒステリー患者だろうと思われます。」
「そうでしょう。」
 男はしばらく黙って考えていた。深田君も黙っていた。さっきのありさまから想像すると、女はあくまでも自分を置き去りにしたように男を怨んで、ヒステリー的の激しい発作《ほっさ》から突然に男の喉を絞めたのではあるまいか。男の喉に爪のあとが残っているというのが疑いもない証拠である。それでも深田君は念のために訊いた。
「で、なにか紛失品はなかったんですか。」
「それも一応取り調べたんですが、別に紛失したらしい物品もないようです。あの二人は小さい信玄袋のほかにはなんにも持っていないんですから。」と、男は説明した。「いや、あなたのお話でもう大抵判りました。ついては幾度もお気の毒ですが、あの座敷の方へもう一度行ってくれませんか。」
 重々迷惑だとは思ったが、深田君はそのいうがままに再びもとの座敷へ引っ返して来ると、好子はやはりおとなしく坐っていた。なにを訊いても固く唇を結んでいるので、警部も持て余しているらしかった。刑事巡査らしい男は深田君を案内して、好子の眼の前へ連れ出した。
「おい。いつまで世話を焼かせるんだ。」と、彼はさとすように好子に言い聞かせた。「おまえはこの人を知っているだろう。お前はゆうべこの人の見ている前で、上原という男にむしり付いたというじゃないか。」
「人を置き去りにしようとしたからです。」と、好子はほろほろと涙を流した。
「それが嵩じて、ここでも上原に武者ぶり付いたんだろう。もとより殺す気じゃなかったんだろうが、夢中で絞め付けるはずみに相手の息を止めてしまったんだろう。え、そうだろう。正直に言わないじゃいけない。」
「そんなことはありません。」
「だって、ほかに誰もいない以上は、お前が手を出したと認めるよりほかはない。お前はどうしても知らないと強情を張るのか。」
「知りません。」
 男は深田君の方を見返って、なにか言ってくれと眼で知らせるらしいので、深田君はいよいよ迷惑した。しかしどう考えても、好子がその加害者であるらしいので、かれも一応の理解を加えてやろうと思った。
「好子さん。さっきは失礼しました。上原さんというかたはどうも飛んだことでしたね。一体どうしてこんなことになったんでしょう。あなたが傍にいてなんにも知らないはずはないでしょう。上原さんの喉には爪のあとが付いていたというじゃありませんか。」
「どうだか知りません。」と、好子はまた泣いた。
 男をうしなった悲しみの涙か、男を殺した悔みの涙か、その白いしずくの色を見ただけでは深田君には判断が付かなかった。
「今もいう通り、あなたが上原さんを殺す気でないことは判っています。」と、深田君はまた言った。
「勿論、あなたが上原さんを殺すはずがありません。しかし物事には時のはずみということがあります。時のはずみで心にもない事件が出来《しゅったい》する例はたくさんあります。あなたが腹立ちまぎれに上原さんの胸倉でもつかんで、それがなにかのはずみで……。ねえ、そんなことじゃないんですか。それならば早く正直に言った方があなたのためです。もともと殺す料簡でしたことではない、あなたと上原さんとはまた特別の関係にもなっているんですから、別に重い罪にもなるまいと思われますが……。」
 噛んでふくめるように言って聞かせても、好子はどうしても白状しなかった。しまいには声をあげて泣くばかりであった。もう仕方がないので、警官は彼女を警察へ引致《いんち》しようとすると、好子は気違いのようにまた叫んだ。
「どうしてもあたしを人殺しだというんですか。あたしがなんで、上原さんを……。あたしはそんな女じゃありません。上原さん、上原さん。あなた後生《ごしょう》ですから、もう一度生き返って来て、あたしのあかしを立ててください。それでなければいっそあたしを殺してください。上原さん、上原さん。あなたとうとうあたしを置き去りにして行ったんですね。置き去りにした上に、あたしをこんな目に逢わせるんですか、上原さん……。」
 好子は声のつづく限り、悲しげな叫びをあげながら曳かれて行った。

 好子が出て行ったあとで、深田君も悲しい暗い心持になった。宵に自分が他愛なく酔い倒れてしまわなければ、このわざわいを未然に防ぎ止めることが出来たかも知れない。自分の不用意のために、見す見すかの男と女とを暗いところへ追いやってしまったのである。そうした悔恨に責められながら彼はぼんやり起ち上がろうとすると、どうしたはずみか彼は一方の蒲団の端につまずいて、足の爪さきに蛇のようなぬらぬらしたものを踏みつけた。時が時だけに彼はひやりとして、あわてて電灯の光りに透かしてみると、それはみみずの太いようなものであった。上原の死体はさきに警察に運び去られていたが、その敷き蒲団の下にこんな薄気味のわるい虫がひそんでいたことを誰も発見しなかったのであろう。深田君は身をかがめてよく見ると、虫はもう死んでいた。それは一尺ほどの蛔虫であった。
 深田君も子供の時にたびたび蛔虫に悩まされた経験があるので、ひと目見てそれが蛔虫であることをすぐに覚った。ここに一匹の蛔虫が横たわっている以上、それが人間の口から吐き出されたに相違ないと思った。上原の病身らしい顔付きから想像して、彼が蛔虫の持ち主であることも考えられた。
「いいものを見付けた。なにかの証拠になるかも知れない。」
 かれはその蛔虫をハンカチーフに包んで、すぐに警察へ持って行った。

「話はこれっきりだ。」と、深田君は言った。「この蛔虫一匹で万事が解決してしまったんだよ。好子は結局無関係とわかって放還された。」
「じゃあ、上原という男はどうして死んだのだ。蛔虫に殺されたのか。」と、わたしは訊いた。
「まさにそうだ。僕も毎々経験したことがあるが、蛔虫という奴は肛門から出るばかりじゃない、喉の方からも出ることがある。僕も叔母の家へ遊びに行っている時に、口から大きい奴を吐き出して、みんなを驚かしたことがあった。上原もその蛔虫に苦しめられていて、その晩も口から一匹吐き出した。つづいてもう一匹出ようとする奴を、女の手前無理にのみ込もうとしたらしい。一旦出かかった虫は度を失って、もとの食道へは帰らずに気管の方へ飛び込んで、それから肺へ潜《もぐ》り込んで、かれを窒息させてしまったのだ。こんな例はまあ珍らしい。最初に一匹吐き出したのを、女が早く見つけていたら、飛んだ冤罪を受けずとも済んだかも知れなかったが、男がそっと隠してしまったのでちっとも気が付かなかったらしい。僕が提出した蛔虫が証拠となって、結局その死体を解剖すると、気管の奥からも大きい蛔虫が発見されて、ここに一切の疑問が解決されることになったのだ。上原の喉の傷は、その前に好子に引っ掻かれたのか、あるいは本人が蛔虫を吐き出す苦しまぎれに自分で掻きむしったのか、どっちにしても死因がすでに判明した以上は深く穿索すべき問題でもあるまい。上原という男は可愛い女を置き去りにして、蛔虫と一緒に死のうとは、その一刹那まで夢にも思っていなかったろう。一寸さきは闇の世の中……むかしの人は巧いことを言ったよ。」
 深田君は今更らしい嘆息をした。


有喜世新聞《うきよしんぶん》の話《はなし》

 S君は語る。

 明治十五年――たしか五月ごろの事と記憶しているが、その当時発行の有喜世新聞にこういう雑報が掲載されていた。京橋築地の土佐堀では小鯔《いな》が多く捕れるというので、ある大工が夜網に行くと、すばらしい大鯔《おおぼら》が網にかかった。それを近所の料理屋の寿美屋の料理番が七十五銭で買い取って、あくる朝すぐに庖丁を入れると、その鯔の腹のなかから手紙の状袋が出た。もちろん状袋は濡れていたが女文字で○之助様、ふでよりというだけは明らかに読まれた。
 有喜世新聞社では一種の艶種《つやだね》と見過ごして、その以上に探訪の歩を進めなかったらしく、単にそれだけの事実を報道するにとどまっていた。鯔の腹から手紙のあらわれたことは支那の古い書物にも記《しる》されている。鯔の腹から状袋が出ても、さのみ不思議がるにも当たらないかも知れない。殊にその当時七十五銭で買われるくらいの大鯔ならば、なにを呑んでいるか判ったものではない。記者もそのつもりで書き流し、読者もそのつもりで見過ごしてしまったであろうが、僕は偶然の機会からその状袋の秘密を知ることが出来たのである。
 といっても、明治十五年――そのころは僕がようよう小学校へ通いはじめた時分であるから、その時すぐに判ったのではない。後日に偶然聞き出したのであることを、まず最初に断わっておく。僕の叔父の知人に溝口|杞玄《きげん》という医師がある。その医師がこの新聞をみると、すぐに京橋の警察署へ出頭して、秘密に某事件の捜査を依頼したのであった。
 溝口医師はそのころ麹町の番町で開業していた。今でも番町の一部はあまり賑かではないが、明治初年の番町辺はさらにさびしかった。元来がほとんど武家屋敷ばかりであった所へ、維新の革命で武家というものが皆ほろびてしまったのであるから、そこらには毀れかかった空《あ》き屋敷が幾らもある。持ち主が変わっても、その建物は大抵むかしのままであるから、依然として江戸以来の暗い空気に閉じられている。今ではおおかた切り払われてしまったが、その古い屋敷の土塀のなかには武蔵野以来の建物で、今日《こんにち》ならば差しづめ古樹保存の札でも立てられそうな大木が往来の上まで枝や葉を繁らせて、さなきだに暗く狭い町をいよいよ暗くしていた。昼でも往来の人は少ない。まして日が暮れると土地の人でもよんどころない用事のほかは外出しなかったらしい。現に僕も二月の午後八時ごろ、三番町から中六番町をぬけて麹町の大通り付近までくるあいだに、ひとりの人にも出逢わないで、ずいぶん怖いさびしい思いをした経験を持っている。そういう時代、そういう場所ではあるが、溝口医師は相当の病家を持って相当の門戸を張っていた。
 門戸といえば、溝口医師の家は小さい旗本の古屋敷を買って、それに多少の手入れをしたもので、門の一方には門番でも住んでいたらしい小さい家があり、他の一方にも小さい長屋二軒が付いていたので、門番の小屋には抱えの車夫を住まわせ、他の長屋二軒は造作を直して、表から出入りの出来るように格子戸をこしらえ、一軒一円五十銭ぐらいの家賃で人に貸していた。なんでも三畳と四畳半と六畳の三|間《ま》であったということで、それで造作付一円五十銭は今考えると嘘のようであるが、それでも余り安い方ではないという評判であった。そのせいか、門に近い方の一軒は塞《ふさ》がっていたが、となりの一軒は明いていた。
 ふさがっている方の借家人は矢田友之助という大蔵省の官吏であった。そのころは官吏とはいわない、官員といっていたのである。矢田はことし廿四五で、母のお銀とふたり暮らしであったが、たとい末班でも官員さんの肩書をいただいている以上、一ヵ月一円五十銭の家賃を滞納するようなこともなく、無事に一年あまりを送っていた。
「友さんは遅いねえ。」
 ひとり言をいいながら、母のお銀は格子をあけて表を見た。明治十三年九月の末の薄く陰った宵で、柱時計が今や八時を打ったのを聞いてから、お銀は長火鉢の前を離れて門口《かどぐち》へ出たのであった。せがれの友之助は独身の若い者であるから、残り番だとか宿直だとか名をつけて、ときどきは夜おそく帰ったり、泊まって来たりすることもある。お銀もそれを深くとがめようとはしなかったが、親ひとり子ひとりの家庭であるから、せがれの帰らない夜はなんとなく寂しい。今夜も遅いのか、それとも帰らないのかと、お銀は単衣《ひとえもの》ではもう涼し過ぎるような夜風に吹かれながら、わびしげに暗い往来をながめている時、ふと気がつくと、隣りのあき家の出窓の下にひとりの女の立っているらしい姿がみえた。窓の下には細い溝《どぶ》があって、石のあいだにはこおろぎが鳴いている。その溝のふちにたたずんで、女は内をのぞいているようにも見えたので、お銀はすこし不審に思った。
「もし、どなたでございます。お隣りは空き家ですが……。」と、お銀は試みに声をかけた。
「はあ。」
 女は低い声で答えたかと思うと、そのまま暗いなかに姿をかくしてしまった。それを見送って、お銀は内へはいったが、せがれはまだ帰らなかった。筋むこうの屋敷内に高く聳えている大銀杏《おおいちょう》の葉の時々落ちる音が寂しく聞こえるばかりで、夜露のおりたらしい往来には人の足音も響かなかった。今夜にかぎってお銀はひどく寂しい。もしや出さきで我が子の上に何か変わったことでも出来たのではあるまいかなどと、取越し苦労に半時間ほどを過ごしたかと思う頃に、人力車の音がだんだんに近づいて来た。家主の溝口医師が病家から帰ったのか、それともせがれが車に乗って帰ったのかと、お銀は再び起ちあがって、今度は出窓から表をのぞこうとした時、表では何か口早に話すような人声がきこえた。それは溝口医師と抱え車夫の元吉の声であった。
「ともかくも家《うち》まで乗せて行け。」
 溝口の命令する声がきこえて、やがて車は門前におろされた。お銀は窓から伸びあがって覗いてみると、車夫の元吉は梶棒をおろして、くぐり門から一旦はいったかと思うと、さらに内から正面の門を左右にひらいて、車を玄関さきまで挽《ひ》き込んで行った。その提灯のひかりに照らされた車上の人は若い女であった。そのあとから溝口もつづいてはいった。
 お銀はさらに台所へまわって、水口《みずくち》の戸をすこし明けてうかがうと、溝口と元吉は女を介抱して奥へ連れ込んで行くらしい。元吉は夫婦者で、お新という若い女房がある。そのお新も自分の家から駈け出して行って、なにか手伝っているのを見ても、それが急病人か怪我人であるらしいことは、容易に想像された。まさかにコレラでもあるまいとお銀は思った。
 そのうちに元吉とお新の夫婦が奥から出て来たので、お銀は水口から出てそっと様子を訊くと、元吉はあたまを掻きながら答えた。
「いや、どうも大しくじりをやってしまいましてね。旦那をのせて帰ってくると、すぐそこの角で暗いなかから若い女が不意に出て来たので、あっと思って梶棒を振り向けようとする間もなしに、相手を突っこかしてしまったんです。」
「よっぽどひどい怪我でもしましたか。」と、お銀は顔をしかめながらまた訊いた。
「なに、半分|轢《ひ》きかかって危うく踏みとまったので、たいした怪我はないようです。それでも転んだはずみに手や足をすりむいたりしましたからね。早くいえば出逢いがしらで、どっちが悪いというわけでもないんですが、なにしろ怪我をさせた以上は、そのままにもしておかれませんや。旦那も大変に気の毒がって、いろいろ手当てをしているようです。」
 電車や自動車はなし、自転車も極めて少ないこの時代における交通事故は、馬車と人力車にきまっていた。馬車もさのみ多くはなかったが、人力車が衝突したとか人力車に轢かれたとかいう事故は、毎日ほとんど絶えなかった。今夜の出来事もその一つである。お銀はやはり顔をしかめながら聞いていると、お新がそばから喙《くち》を出した。
「どこの娘さんか知りませんけれど、服装《なり》はいいというほどじゃありませんけれど、容貌《きりょう》はなかなかいいんですよ。なんでも士族さんの娘さんでしょうね。」
 士族さんなどという言葉がこの時代には盛んに用いられた。お銀の家も中国辺のある藩の士族さんであった。それだけの話を聞いてしまって、お銀は自分の家へ引っ込むと、せがれの友之助が帰って来た。かれは母から今夜の話を聞かされても、別に気にも留めないらしかった。前にもいった通り、人力車に突き当たったり轢かれたりするのは珍らしくもなかったからである。

 溝口医師の車にひかれた娘は、幸いにたいした怪我でもなかった。ひき倒されて転んだときに、左の臂《ひじ》と左の足とをすりむいただけのことで、出血の多かった割合に傷は浅かったので、溝口もまず安心した。
 あくる日一日は無理に寝かしておいたが、娘は次の日から跛足《びっこ》をひきながら起きた。しかし彼女はここを立ち去ろうともしないで、そのままこの家に居据《いすわ》っていることになった。というのは、彼女は帰るべき家を持たないからであった。溝口医師の家は久住弥太郎という旗本の屋敷で、かのむすめはその用人を勤めていた箕部五兵衛の子で、その名をお筆というのであると自分の口から話した。幕府が瓦解の後、久住は無禄移住をねがい出て、旧主君にしたがって駿府《すんぷ》(静岡)へ行ったので、陪臣の箕部もまたその主君にしたがって駿府へ移ったが、もとより無禄というのであるから、どの人もなにかの職業を求めなければならない。箕部の一家も手内職などをしてわずかにその日を送っているうちに、お筆の母がまずこの世を去り、つづいて父の五兵衛も死んだので、ことし十七のお筆は途方にくれた。
 父が遺言に、東京の四谷見付外と小石川伝通院前とに遠縁の者がいる。それをたずねて何とか身の処置を頼めとあったので、お筆はちっとばかりの家財を路用の金にかえて、こころ細くも身ひとつで東京へ出て来て、まず小石川へたずねて行くと、その人はとうにそこを退転してしまって、そのゆくさきも判らなかった。さらに四谷をたずねると、これも行くえ不明であるので、お筆は実にがっかりした。それにつけても父がむかし住んでいた番町の屋敷というのはどんな所であるか、一度は見たいような気もしたので、彼女は暗くなってからそっと覗きに来たのである。お筆も六つの年までここで育ったのであるが、子供のときのことであるから確かな記憶はない。筋向かいの屋敷にある大銀杏を目あてにして、大かたここであろうと長屋窓の外から覗いているところを、隣りの人に怪しまれて早々にそこを立ち去ったが、さてこれからの身の処置をどうしていいか、差しあたっては今夜のやどりをどうしていいかと、お筆は案じわずらいながら、どこをあてともなしにさまよい歩いているうちに運の悪いときは悪いもので、測らずも溝口医師の車と衝突したのであった。
 こういう事情がわかってみると、溝口の家でも彼女を逐い出すに忍びなくなった。溝口にはお道という細君もあり、お蝶という娘もある。ことにお蝶はお筆と一つちがいの十六であるので、おなじ年ごろの子を持つ溝口夫婦の思いやりも深かった。お蝶もひどくお筆の身の上に同情した。そこで、ゆく末は知らず、差しあたりはまずここの家におちついたら好かろうということになって、親類でもなく奉公人でもなく、一種の掛《かか》り人《うど》としてお筆は溝口家に身を寄せることになったのである。何といっても士族のむすめであるから、行儀も好い、読み書きや針仕事も出来る。その上に容貌も好い。こういう身の上であるから、当人も努めて遠慮勝ちにしているのであろうが、人間も素直でおとなしい。これでは誰にも嫌われ憎まれよう筈はないので、お筆は溝口一家の人々からも可愛がられた。とりわけてお蝶は彼女と姉妹《きょうだい》のように親しんでいた。
 あまりに口のよくない抱え車夫の女房もお筆をほめていた。お銀は一番最初に彼女を見つけて声をかけたのが何かの因縁であるようにも思われて、ゆくゆくはあの娘をわが子の嫁になどとも内々かんがえていたのと、もう一つには不運のむすめに同情する女ごころで、ときどきに半襟や襦袢の袖などを贈ることもあった。お筆はその親切をよろこんで、お銀の家へも親しく出入りをして、その家の用などを手伝ってやっていた。
 こうして半年ばかりは無事に過ぎたが、あくる十四年の三月になって、溝口家にはまた一人の掛り人が殖えた。それは上林吉之助という青年で、溝口医師と同郷人であった。吉之助はことし廿一で、実家は農であるが相当に暮らしている。かれは次男で、医学修業のために上京したのであるが、うかつに下宿屋などに寄宿させるのは不安であるというので、吉之助の親許から万事の世話を溝口方へたのんで来て、溝口もこころよくそれを引き受けたのである。吉之助は小野という若い薬局生と玄関のわきの六畳の部屋に同居して、本郷辺のある学校に通いながら、かたわらに薬局の手伝いなどをしていた。
 前置きの説明がすこし長くなったが、これだけの事を言って置かないと、あとの話が判らなくなるおそれがあるから、まあ我慢してもらいたい。とにかくに溝口の家にお蝶という娘のあるところへ、さらにお筆という娘がはいり込んで来た。表長屋には矢田友之助という若い男がいるところへ、さらに溝口家に上林吉之助という若い男がはいり込んで来た。若い娘ふたりに若い男ふたり、それが接近していては、どうも無事に済みそうもないのは誰にも想像されるであろう。
 しかし表面はきわめて無事円満であった。吉之助もおとなしく勉強していて、溝口一家の信用を傷つけるようなことはなかった。お筆もお蝶と仲よくして、小間使のように働いていた。友之助は無事に役所へ出勤していた。この年の十月には政府に大更迭があって、大隈重信が俄かに野にくだった。つづいて板垣退助らが自由党を興した。それらの事件も、溝口と矢田の両家にはなんの影響をあたえないで、両家は依然として平和に暮らしていた。しかも、その平和の破れる時節がだんだん近づいて来た。
 友之助の母お銀はその以前からお筆を嫁に貰いたい下心《したごころ》があった。お筆はことし十八で、来年は十九の厄年にあたるから、なるべくは年内に婚礼を済ませてしまいたいとお銀は思った。勿論それは溝口夫婦の同意を得なければならないのであるが、第一に本人同士の意思を確かめておく必要があるので、お銀はまずせがれの友之助に相談すると、かれは故障なく承知した。
「阿母《おっか》さんさえ好いというお考えならば、わたしに異存はありません。」
 そこで、友之助が役所へ出て行ったあとで、お銀はお筆をそっと呼んで、かの相談をうち明けると、お筆はその返事を渋っていて、自分は他家の厄介になっている身の上であるから、まだ当分は嫁に行くなどという気はないと答えた。お銀は年寄りで気が短かい。一旦思い立った以上、どうしてもこの相談をまとめてしまいたいと思って、いろいろに説得してみたが、お筆はいつまでもあいまいな返事をしているので、お銀も年寄りの愚痴やひがみもまじって、どうでわたしの忰のような者はあなたの気には入るまいとか、ろくな月給も貰わない安官員では士族のお嬢さまと縁組は出来まいとか、厭味らしいことをだんだんに言い出して来たので、お筆もひどく迷惑したらしい様子で、最後にこんなことを言った。
「そう仰しゃられると、わたくしもまことに困ります。実はあの……。こちらの友之助さんは、家《うち》のお蝶さんと……。」
「え。友之助がお蝶さんと……。ほんとうですか。」と、お銀はおどろいて訊きかえした。
「どうかこれは御内分にねがいます。」
「まあ、それはちっとも存じませんでした。一体いつ頃からでしょう。」
「わたくしもよくは存じませんけれども……。」と、お筆はかんがえていた。「なんでもこの八月か九月頃からのように思われます。」
「そうですか。」と、お銀は溜め息をついた。
 わたくしの口からこれを聞いたことはくれぐれも内証にしてくれと、お筆が念を押して帰ったあとで、お銀は再び溜め息をついた。お蝶もみにくい容貌ではないが、お筆にくらべると確かに劣る。勿論、今更そんな優劣を論じている場合ではない。出来たものなら仕方がないとしても、ここに第一の難儀は、お蝶がひとり娘であるということである。友之助も矢田家の相続人である以上、婿にも行かれず、嫁にも貰えず、この処置をどうしたら好いかと、お銀も思案にあぐんだのであった。その晩、友之助の帰るのを待ちかねて、お銀は早々にその詮議をすると、友之助もお蝶と関係のあることを白状した。それならばなぜお筆との縁談を承知したかと詰問すると、友之助の返事は甚だあいまいであった。かれは母にきびしく追求されて、とうとうこんなことまで白状に及んだ。
「実はわたしは最初からお筆さんの方が好いと思っていたのです。それでこの八月ごろ内証でお筆さんに話してみたところが、お筆さんのいうには、折角の思召《おぼしめ》しだがその御返事は出来ない。あなたは御存じあるまいが、内のお蝶さんがふだんからあなたを思っている。それを知りつつわたくしがあなたと夫婦になられる訳のものではない。嘘だと思うならば、二、三日のうちにお蝶さんを連れて来て逢わせるというのです。それから二日目の夕方にお筆さんがそっと来て、今晩お蝶さんと二人で招魂社の馬場へ涼みに行くから、あなたもあとから来てくれというので、私もついふらふらとその気になって招魂社まで出かけて行きました。」
 お蝶と友之助との関係がお筆の取り持ちであることを知って、お銀は又おどろいた。おとなしそうな顔をしていながらお筆という女も随分の大胆者であると、むかし気質《かたぎ》のお銀は腹立たしくもなった。それと同時に、すでにお蝶との関係が成り立っていながら、出来るものならば牛を馬に乗りかえて更にお筆と結婚しようとする、わが子の手前勝手をも憎まずにはいられなかった。
「今のわかい人達にも困るね。」
 こう言って、お銀は又もや嘆息するのほかはなかった。友之助もなんだか詰まらないような顔をして、自分の居間兼座敷にしている六畳の部屋へ起って行った。かれは置きランプの心《しん》をかき立てて、机の上でなにか長い手紙のようなものを書いているらしかった。

 お銀はその夜はおちおちと眠られなかった。あくる朝、再びせがれを自分の前によび付けて、この解決をどうするつもりかと詰問すると、友之助はただ恐れ入っているらしく、別にはかばかしい返事もしなかった。しかし昔気質のお銀としては、ひとの娘をきず物にして唯そのまま済むわけのものではないと思った。殊に自分がそれを知った以上、なおさら捨てて置くわけにはいかない。ともかくも溝口の奥さんに逢って、その事情を一切うちあけて、自分のせがれの不埒を詫びた上で、あらためて今後の処置を相談するよりほかはないと一途《いちず》に思いつめたので、お銀は忰が役所へ出勤したのを見とどけて、すぐに奥の家主をたずねた。
 それについて、溝口医師は僕の叔父にむかって、こう話したそうである。
「あの一件はわれわれがまったく無考えでした。矢田の母がたずねて来たときは、わたしは急病人の往診をたのまれて不在でしたが、家内も矢田の母からその話をきかされて、寝耳に水でびっくりしたそうです。なにしろお蝶はまだ十七で、ほんとうの子供だと思っていたのですからね。勿論、家内の一存でどうすることも出来ない。矢田の母はむかし気質の物堅い人ですから、涙をこぼしてあやまって帰ったそうです。それから家内はすぐ娘をよび付けて詮議すると、娘は唯泣くばかりで何にも言いません。しかしそれを否認しないのを見ると、まったく覚えのあることに相違ない。実をいうと、この春からわたしの家に来ている上林吉之助は、人間も悪くなし、学問の成績もよし、殊に次男でもありますから、もう少しその成り行きを見とどけた上で、お蝶の婿にしようなどと、家内と内々相談をしていたのですが、もうこうなっては仕様がありません。ひとり娘を嫁にやるのは困るのですが、今更そんなことを言ってもいられないので、わたしは家内と相談して、思い切ってお蝶を矢田の家へやることに決めました。無理に生木《なまき》をひきさいて、それがために又なにかの間違いでも出来て、結局は新聞の雑報種になって、近所隣りへ来て大きい声で読売りでもされた日には、飛んだ恥さらしをしなければなりませんから、家内にも因果をふくめて、とうとうそういうことに決めてしまったのです。矢田も悪い人間ではないのですが、月給は十五円か十六円の安官員で、それが家内の気に入らないようでしたが、くどくもいう通り、もうこうなっては仕様がないと諦めさせて、あらためて家内から矢田の母にも挨拶させると、こちらの不埒を御立腹もなくて、ひとり娘のお嬢さんをわたくし共のところへお嫁に下さるとは、まことに相済まないことでございますと言って、矢田の母は又もや涙をこぼして喜んだそうです。そこで、ことしももう余日がないので、来春になったらばいよいよお蝶を輿入れさせるということに取りきめて、まずこの一件も一埒《いちらち》明いたのでした。しかし物事にはすべて裏の裏がある。その詮索をおろそかにして、ただ月並の解決法を取って、それで無事に納まるものと思い込んでいたのは、まったくわれわれの間違いであったということを後日になって初めてさとったのです。」
 こう決めた以上は、もとより隠すべきことでもないので、溝口家ではその年の暮れから婚礼の準備に取りかかった。溝口の細君は娘を連れて、幾たびか大丸や越後屋へも足を運んだ。そうしたあわただしいうちに年も暮れて、ことしは取り分けて目出たいはずの明治十五年の春が来た。二月の紀元節の夜にいよいよ婚礼ということに相談が進んで、溝口矢田の両家ではその準備もおおかた整った一月二十九日の夜の出来事である。やがて花嫁となるべきお蝶が薬局の劇薬をのんで突然自殺した。もちろん商売柄であるから、溝口もいろいろに手を尽くして治療を加えたが、それを発見した時がおくれていたので、お蝶はどうしても生きなかった。
 婿と嫁と、この両家のおどろきはいうまでもない。婚礼の間ぎわになってお蝶がなぜ死んだのか、その子細は誰にも判らなかった。どの人もただ呆れているばかりで、暫くは涙も出ないくらいであったが、なんといってももう仕方がないので、溝口家からは警察へも届けて出て、正規の手続きを済ませてお蝶のなきがらを四谷の寺に葬った。溝口家からは警察にたのんで、事件を秘密に済ましてもらったので、お蝶の死は幸いに新聞紙上にうたわれなかった。
 お蝶は一通の書置きを残していたので、それが自殺であることは疑うべくもなかったが、その書置きは母にあてた簡単なもので、自分は子細あって死ぬから不孝はゆるしてくれ、父上にもよろしくお詫びを願いたいというような意味に過ぎなかった。したがって、死ななければならない子細というのはやっぱり不明に終ったのである。それはそれとして、彼女の死が周囲の空気を暗くしたのは当然であった。矢田の母は気抜けがしたようにがっかりしてしまった。友之助もやけになって諸方を飲みあるいているらしく、毎晩酔って帰って来た。溝口の細君も半病人のようにぼんやりしていた。
 こうなって来ると、誰からも好い感じを持たれないのはかのお筆という女の身の上で、彼女がお蝶と友之助とを結びあわせた為に、こんな悲劇が生み出されたらしくも想像されるのであった。お蝶の死因がはっきりしない以上、みだりにお筆を責めるわけにもいかないのであるが、そんな取り持ちをしたというだけでも、彼女は良家の家庭に歓迎されるべき資格をうしなっていた。可愛い娘に別れてややヒステリックになっている溝口の細君は、お筆を放逐してくれと夫に迫った。
「あんな女を家へ入れた為にお蝶も死ぬようになったのです。一日も早く逐い出してください。」
 それがお筆の耳にもひびいたとみえて、彼女は自分の方から身をひきたいと申し出た。しかし何処にか奉公口を見つけるまでは、どうかここの家に置いてくれというのである。それは無理のないことでもあり、今さら残酷に逐い出すにも忍びないので、溝口も承知してそのままにして置くと、お筆は矢田の母のところへ行って、どこにか相当の奉公口はあるまいかと相談したが、彼女を憎んでいるお銀は相手にならなかった。お筆はさらに近所の雇人|請宿《うけやど》へ頼みに行ったが、右から左には思わしい奉公口も見いだせないらしく、二月の末まで溝口家にとどまっていた。
「お筆さんもずうずうしい。まだ平気でいるんですかねえ。」
 細君が夫にむかって彼女の放逐をうながす声がだんだんに高くなるので、お筆も居たたまれなくなったらしく、三月のはじめ、お蝶の三十五日の墓参をすませると、いよいよ思い切って溝口家を立ち去ることになったが、そのゆく先きをはっきりと明かさなかった。
「今度の奉公さきは一時の腰掛けでございますから、いずれ本当におちつき次第、あらためてお届けにあがります。」と、お筆は言った。
 いささか不安に思われないでもなかったが、溝口もその言うがままに出してやった。そのころの習いで、幾らかの食雑用《くいぞうよう》を払えば請宿の二階に泊めてくれる。お筆も一時そうした方法を取って、奉公口を探すのではあるまいかと溝口は想像していた。
 お蝶は死ぬ、お筆は去る。溝口家では俄かに二つの花をうしなった寂しさが感じられた。一方の男ふたりは無事で、友之助は自棄酒を飲みながら、相変わらず役所へ勤めていた。吉之助はとどこおりなく学校にかよっていた。この年の五月はとかく陰り勝ちで、新暦と旧暦を取り違えたのではないかと思われるような五月雨《さみだれ》めいた日が幾日もつづいた。その廿三日の火曜日の夜である。きょうは友之助がめずらしく早く帰ったので、お銀は夕飯を食ってから平河天神のそばに住んでいる親類をたずねた。久し振りの話が長くなって、午後九時ごろにそこを出ると、暗い空から又もや細かい雨がふり出して来た。前にもいった通り、番町辺は殊に暗いので、お銀は家から用意して行った提灯のひかりを頼りに、傘をかたむけて屋敷町の闇をたどってくると、むこう屋敷の大銀杏が暗いなかにもぼんやりと見えた。
 お銀のとなりの家は今も空き家になっている。おととしの暮れに一旦借手が出来たが、その人はどうも陰気でいけないとかいって、去年の六月に立ち去ってしまった。その後にも二、三人の借手が見に来たが、どれも相談がまとまらなかった。
「高い声では言われませんけれど、どうもお家賃が高うござんすからねえ。」と、車夫の女房はお銀にささやいたことがある。陰気でいけないのか、家賃が高いのか、いずれにしても隣りの貸家はその後もやはり塞がらなかった。しかしこの時代にはどこにも空き家が多かったので、たとい小一年ぐらいは塞がらずにいても、誰も化物屋敷の悪い噂を立てる者もなかったのである。友之助もこの空き家でお蝶に逢っていたことをお銀はあとで知った。
 その空き家が眼のまえに近づいた時、お銀はひとつの黒い影が音もなしに表の格子から出て来たのを認めた。すこし不思議に思って提灯をかざしてみると、その影は傘をかたむけて反対の方角へたちまちに消えて行った。そのうしろ影が、かのお筆によく似ているとお銀は思った。
 自分の家へはいると、留守をしている友之助のすがたは見えなかった。二、三度呼んだが、どこからも返事の声はきこえなかった。もしやと思ってお銀は表へ出て、となりの空き家をあらためると、錠をおろしてある筈の格子がすらりと明いた。なんだか薄気味が悪いので、内へ引っ返して提灯をとぼして来て、沓《くつ》ぬぎからそっと照らしてみると、ひとりの男が六畳の座敷に倒れていた。いよいよ驚いて表へ飛び出して、門のそばの車夫の家へ駈け込むと、元吉は丁度居あわせたので、すぐに一緒に出て来た。
 座敷のまんなかに倒れているのは上林吉之助であった。そればかりでなく、矢田友之助が台所に倒れていた。友之助は水を飲もうとして台所まで這い出して、そのまま息が絶えたらしい。亭主のあとから怖々覗きに来た元吉の女房は、ふだんのおしゃべりに引きかえて、驚いて呆れて声も出せなかった。お銀は夢のような心持で突っ立っていた。
 元吉の注進をきいて、奥の溝口家からも皆かけ出して来た。溝口医師の診察によれば、かれらもお蝶とおなじ劇薬をのんだもので、もはや生かすべき術《すべ》もなかった。家内を残らずあらためたが、別に怪しむべき形跡も見いだされないので、かれら二人がどうして死んだのか、その子細はちっとも判らなかった。
「あいつです、あいつです。きっとあいつが殺したのです。」と、お銀は泣きながら叫んだ。「わたしが今帰って来たときに、ここの家からぬけ出して行ったのは確かにお筆でした。」
 お筆の名を聞いて、人びとも又おどろいた。

 お筆がここから出て行く姿を、お銀がたしかに見とどけたとすれば、お筆もこの事件の関係者には相違ないが、果たして男ふたりを毒殺するほどの怖るべき兇行を敢てしたかどうかは疑問であった。さりとて男同士の心中でもあるまい。ほかに書置きもなく、手がかりとなるべき遺留品も見あたらないので、警察でもこの事件の真相をとらえるのに苦しんだ。
「お筆という女はどうしてそんなに祟るんでしょう。」と、溝口の細君はくやしそうに罵った。「ほんとうに飛んでもない悪魔にみこまれて、娘を殺されて、上林さんを殺されて、矢田さんを殺されて、しまいにはわたし達も殺されるかも知れません。」
 悪魔――あるいはそうかも知れない。お筆という女は、自分のむかしの家を乗っ取られたのを怨んで、悪魔となって入り込んで来たのかも知れないと溝口医師も思った。文明開化の世の中にそんな馬鹿なことがあるものかと一方には打ち消しながらも、お筆が相変わらずここらを徘徊して、友之助と吉之助との死についても何かの関係をもっているらしいということが、何だか一種の不思議のように思われてならなかった。こういう場合にはどの人も素人探偵になる。溝口も家内や出入りの者などをいろいろに詮議して、この事件について何かの秘密をさぐり出すことに努力したが、どうも思わしい効果を得なかった。唯そのなかで薬局生の小野の口から一つの新しい事実を聞き出した。
 小野はことし十九で、東京へ出てから足かけ四年になるのであるが、元来が薄ぼんやりした質《たち》の男で、いつまで経っても山出しの田舎書生であった。その上に一体が無口の方で、これまでなんにも話したことはなかったのであるが、先生から厳重の詮議をうけて、彼はどもりながらにこんなことを言った。
「あのお筆さんという人は上林君によほど恋着していたようです。お嬢さんも上林君を慕っていたようでした。去年の暮れ頃からお筆さんと上林君とはいよいよ親密になって、夜になって上林君が散歩に出ると、そのあとからお筆さんもそっと出て行くことがありました。」
 それを早くに知らしてくれたら、なんとか方法もあったものをと、今更にかれを責めてももう遅かった。又それだけのことを知ったのでは、この事件の謎を解くにはまだ不十分であった。しかしこういうヒントをあたえられて、溝口医師は前後の事情を照らしあわせて、ともかくも一種の推断をくだすことが出来るようになった。
 小野のいう通り、お筆とお蝶とが上林吉之助に恋着していたのは恐らく事実であろう。小野が薄ぼんやりしているを幸いに、若い女たちは薬局へはいり込んで、かなり大胆に振舞っていたかも知れない。こうなると、二人の女のあいだに競争の起こるのは当然である。殊にお蝶には両親という味方があって、ゆくゆくは吉之助を婿にしようかという意向のあることを、慧眼のお筆は早くも覚ったらしい。それを防ぐには何とかしてお蝶を遠ざけてしまう必要がある。お筆はその方法をかんがえているところへ、あたかも矢田友之助から恋をささやかれたので、彼女はそれを巧みに利用して、自分に対する友之助の恋をさらにお蝶に移したのである。
 友之助に対してお筆がなんと言ったか、それは男自身の口から母の前で説明されているが、お蝶に対して彼女がなんと言いこしらえたか、それは判らない。おそらく友之助をあざむいたと同じような口ぶりでお蝶をあざむいたのであろう。それに欺かれたお蝶は勿論あさはかであったに相違ない。お蝶は処女の好奇心から、うかうかとお筆に釣り出されて、自分に恋しているという友之助に招魂社で逢った。両者のあいだに立って、お筆が巧みにあやつったのはいうまでもない。こうして、恋ならぬ恋が不思議にむすび付けられて、友之助の隣りの空き家が、二人の逢いびきの場所にえらばれた。かれらはその後もお筆のあやつるがままに動かされていたが、この二つの人形にはさすがに魂がある。形はたがいに結び付けられていても、友之助のたましいはやはりお筆にかよっていた。お蝶の魂はやはり吉之助にかよっていた。
 形とたましいとが離れ離れになっていたところに、この悲劇の根がわだかまっていたらしいが、お筆も魂の問題までは考えていなかったであろう。ともかくもお蝶を友之助に押し付けて、これで自分の競争者を追っ払ったとひそかに祝福していると、さらに友之助の母から自分に対する縁談を持ちかけられた。それはむしろ好機会であると思ったので、お筆はよんどころないような顔をして、お蝶と友之助との秘密をあばいてしまった。それがお銀をおどろかし、溝口夫婦をおどろかして、結局はお蝶と友之助との結婚を早めることになった。秘密が暴露した夜に、友之助が長い手紙をかいていたのは、おそらくお筆にあてたもので、自分たちの秘密をあばいたのを怨んだものか、あるいは自分の魂はいつまでもお筆のふところにはいっていると訴えたものか、又それに対してお筆がどんな返事をあたえたか、あるいはなんにも返事をしなかったか、それらの事情はもちろん判らない。
 いずれにしても縁談は滑《すべ》るように進行して、結婚の吉日が切迫して来た。小野の話によって想像すると、お蝶の縁談がいよいよ決定すると共に、お筆はもう誰に遠慮することもないという風で、ますます吉之助の方へ接近して行ったらしい。それを見せつけられて、お蝶の胸の火は燃えあがった。しかも友之助にわが身を許してしまったという弱味がある以上、彼女は今更どうすることも出来なかった。彼女はお筆の罠《わな》にかかって、自分のほんとうの恋人を横取りされたことを覚《さと》ったかも知れないが、今となっては恨みを呑んでその勝鬨の声を聞くのほかはなかった。そのうちに結婚の日は眼のまえに迫って来るので、一種の嫉妬と悔恨とに堪えかねて、お蝶はわれと我が若い命を縮めるようになったらしい。死後に父の医師が検査すると、彼女はもう妊娠三ヵ月になっていたのである。
 お蝶の書置きは簡単なもので、お筆や吉之助の問題には何にも触れていなかったが、その悼《いた》ましい最後はお筆に対して、一種の復讐手段となった。お蝶がとどこおりなしに友之助と結婚すれば、お筆に取っては最も好都合であり、又そうなるのが当然であると信じていたところへ、思いもよらないお蝶の自滅という事件が突発して、お筆は溝口家に居たたまれないような羽目になってしまった。しかしお蝶の死後一ヵ月あまりの間に、彼女は確実に吉之助を自分の物にしてしまったので、思い切ってここの家を立ち退いた。その後お筆は何処にどうしていたか、それはちっとも判らないが、いずれにしても時々に吉之助をよび出して、どこかで交情をつないでいたらしい。あるいはやはりお銀の隣りの空き家を利用していたかも知れない。こうして、三、四、五の三月間をまず無事に送っていたが、いよいよ最後の破滅の時が来た。
 ここまで説明して来て、溝口医師は僕の叔父に言った。
「ここまでは私の推測がおそらくあたっているだろうと思うのですが、さていよいよの最後の問題です。矢田の母はあたかも不在であったので、前後の事情はよく判らないのですが、となりの空き家でお筆と吉之助とが密会しているところへ、友之助がそれを発見して踏み込んで行ったのは事実でしょう。さあ、それからがなかなかむずかしい。お筆と吉之助は心中でもするつもりで劇薬を持ち込んだのか、それならば吉之助ひとりが飲むのもおかしい。あるいは吉之助がまず飲んだところへ、突然に友之助が押し込んで来たのか、それにしても、友之助がどうしてそれを飲んだか、飲まされたか。あるいは最初から心中などする料簡ではなく、単に吉之助の持っていた劇薬を、お筆が何かの邪魔になる友之助に飲ませようとして、吉之助もあやまって一緒に飲むような事になったのか、それとも何かの事情から男ふたりを一度に葬るつもりで、お筆が吉之助と友之助とに飲ませたのか、それらの秘密はお筆の白状を待つのほかはありません。したがって、永久の秘密に終るかも知れません。」
「お筆のゆくえはそれっきり知れないのですか。」と、叔父は訊いた。
「それから二、三日の後、有喜世新聞にあの記事が出て、築地河岸で夜網にかかった鯔の腹から破れた状袋があらわれた。その状袋には○之助様、ふでよりと書いてあったというのです。○之助だけでは、吉之助か友之助か判りませんが、差出人の名が「筆」とあるのをみると、どうもあのお筆の書いたものらしく思われたので、念のために京橋の警察へ行って聞きあわせたのですが、肝腎の状袋は寿美屋の料理番が捨ててしまったというので、その筆蹟を見きわめることの出来なかったのは残念でした。」
「お筆は身でも投げたのでしょうか。」
「さあ、ふたりの男の死んだのを見て、お筆はそこをぬけ出して、築地か芝浦あたりで身を投げた。そうして、帯のあいだか袂にでも入れてあった状袋が流れ出して、かの鯔の口にはいった――と、想像されないこともありません。あるいは単に不用の状袋をひき裂いて川に投げ込んだのを、鯔がうっかり呑み込んだ――と、思われないこともありません。警察でも築地河岸から芝浦、品川沖のあたりまでも捜索してくれたのですが、それらしい死体は勿論、何かの手がかりになりそうな品も見付かりませんでした。お筆は死んだのか、生きているのか、それも結局判らずに終ったわけです。警察から静岡の方へも照会してくれましたが、そこには今でも久住弥太郎という士族が住んでいて、その家来の箕部五兵衛は先年病死、五兵衛の娘のお筆というのは親類をたずねて東京へ出たっきりで、その後の便りを聞かない。久住の屋敷は番町のしかじかというところだということで、総てがいちいち符号していますから、お筆の身許に嘘はないようです。してみると、お筆という女は自分の故郷に帰って来て、しかも自分の生まれた家のなかでいろいろの事件をしでかして、そのまま生死不明になってしまったので、まったく不思議な女です。」
 S君の話はこれで終った。

 鯔の腹から状袋が出た――わたしはそれに一種の興味を感じて、その翌日近所の某氏をたずねた。某氏の土蔵の二階には明治初年の古新聞がたくさんに積み込んであることをかねて知っていたからである。有喜世新聞があるかと訊くと、たしかにある筈だという。そこでだんだん調べてみると、果たして明治十五年五月十八日(日曜日)の有喜世新聞第千三百十号の紙上に、その記事が掲載されていた。その頃の雑報には標題がないので、ぶっ付けにこう書いてあった。
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◎鯛を料理 鯉を割きて宝物や書翰を得るは稗史《はいし》野乗《やじょう》の核子《かくし》なれど茲に築地の土佐堀は小鯔《いな》の多く捕れる処ゆゑ一昨夜も雨上りに北鞘町の大工喜三郎が築地橋の側の処にて漁上《とりあ》げたのは大鯔にて直ぐに寿美屋の料理番が七十五銭に買求め昨朝庖丁した処腹の中から○之助様ふでよりと記した上封《うわふう》じが出たといふがモウ一字知れたら艶原稿の続きものにでもなりさうな話。
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 これでS君の話の嘘でないことが証拠立てられた。それと同時に、かのお筆という女のゆく末が知りたくなったが、何分にも今から四十年以上の昔のことであるから、その筋の本職の人ならば知らず、われわれ素人には到底探索の方法を見いだし得られそうもない。
  大正十四年八月作「文芸倶楽部」


娘義太夫《むすめぎだゆう》

 K君は語る。

「あなたがもし、この話を何かへ書くようなことがあったら、本名を出すのは堪忍してやってください、関係の人間がみんな生きているんですからね。よござんすか。」
 女義太夫の富寿《とみじゅ》がまずこう断わって置いて、わたしに話したのは次の出来事である。今から七、八年前の五月に、娘義太夫竹本富子の一座が埼玉県の或る町へ乗り込んだ。太夫や糸やその他をあわせて十二人が町の宿屋に着くと、その明くる朝、真打《しんうち》の富子をたずねて来た女があった。
「どうも御無沙汰をしています。いつも御繁昌で結構ですこと。」と、女はすこし嗄《しわが》れた声で懐かしそうに言った。
「どうもしばらく。なんでもこっちの方だということはかねがね伺っていましたけれど、何かと忙がしいもんですから、つい御無沙汰ばかりしておりました。」と、富子も美しい笑い顔をみせながら摺り寄って挨拶した。
 こう見たところは、お互いにいかにも打ち解けた昔馴染みであるらしくも思われるが、その事情をよく知っている富寿らの眼からみると、彼女と富子とのあいだには大きい溝《みぞ》がしきられている筈であった。彼女は富子を仇《かたき》と呪っている筈であった。
 彼女は富子と同い年の廿四で、眼の細いのと髪の毛のすこし縮れているのとを瑕《きず》にして、色白の品の好い立派な女振りであった。彼女も以前は竹本雛吉といって、やはり富子と同じ商売の人気者であった。富子も雛吉も十七八の頃からもう真打株になっていて、かれらが華やかな島田に結って、紅い総《ふさ》のひらめくかんざしをさして、高座にあらわれた肩衣姿《かたぎぬすがた》は、東京の若い男達の渇仰《かっこう》のまととなっていた。容貌《きりょう》は富子の方が少し優っていたが、雛吉は又それを補うだけの美しい声の持ち主であった。
 したがって、どっちにも思い思いの贔屓がついて、二人の出る席はどこも大入りであった。そのひいき争いがだんだん激しくなって来るに連れて、ふたりの若い芸人のあいだにも当然の結果として激しい競争が起こって来た。一方を揚げて一方を貶《けな》すようなひいき連の投書が、新聞や雑誌をしばしば賑わした。
 かれらがこうして鎬《しのぎ》をけずって闘っている最中である。富子と雛吉とが或る富豪の宴会の余興によばれて、代る代るに一段ずつ語った。その順序の前後についても余ほど面倒があったらしかったが、結局くじ引きときまって、富子が先きに、雛吉がその次に語ることになった。その晩、雛吉は得意の新口《にのくち》村を語ったが、途中から喉《のど》の工合いがおかしくって、持ち前の美音が不思議にかすれて来た。それでもその場はどうにかこうにか無事に語り通したが、あくる朝から彼女の声はまるでつぶれてしまった。勿論、すぐに専門の医師の治療をうけて或る程度までは恢復したが、その声はもう昔の美しさを失ってしまった。
 雛吉が人気盛りであるだけに、その不幸に同情する者も多かった。声の美しさが衰えたといっても商売が出来ないほどではなかった。初めから現在の雛吉よりも悪い声をもっている太夫も世間にはたくさんあったが、女の芸人として唯一《ゆいいつ》の誇りを失った彼女は、再び芸を売って世間に立つ心は失せてしまった。周囲の人達がしきりに止めるのも肯《き》かないで、雛吉は思い切って鑑札を返納して、素人の大八木お春になった。寄席の明き株を買ってやろうなどと言ってくれる人もあったが、彼女はそれをも断わって故郷の埼玉県へ帰ってしまった。声変わりのした鴬――ゆく春と共に衰えゆく身の行く末を、雛吉はおそらく想像するに堪えなかったのであろうと、日頃の気性を知っている人びとからいたまれた。
 こういう悲惨な運命をになって東京を立ち退くことになった竹本雛吉に対して、世間の同情はおのずと集まって来た。判官《ほうがん》びいきの人たちはその反動から競争者の富子を憎んだ。雛吉が俄かに天性の美音を失ったのは、富子が水銀剤を飲ませたのであると言い触らすものもあった。富子が自分の弟子に言い付けて、かの宴会の余興の楽屋で雛吉の湯呑茶碗に水銀剤をついだのであると、見てきたように講釈する者がだんだんに殖えて来た。勿論それには取り留めた証拠があるのではなかったが、その噂は雛吉がまだ東京にいる時から広まっていたので、その耳にもはいっていた。
「富子さんだって真逆《まさか》そんなことをしやしないでしょう。万一そうであったとしても、証拠のないことですから仕方がありません。つまりはわたしの運がないのですから。」
 雛吉はこう言ったように世間では伝えていた。しかしそれも確かに本人の口から出たのかどうか判らなかった。彼女が芸人をやめて故郷へ帰ったのは十九の秋で、その後に土地の料理屋の養女に貰われたとかいう噂が東京へもきこえたが、去るものは日々にうとしで、足かけ六年の時の流れは世間の人の記憶から竹本雛吉の名を洗い去って、今ではそんな不運な女芸人が曽て東京の人気を湧き立たせたことを思い出す人さえも少なくなった。それに引きかえて、一方の富子は世間の人気を独り占めにして、その評判は年ごとに高くなった。
 その富子が偶然に雛吉の故郷の町に乗り込んで、六年ぶりで互いに顔を見合わせたのであった。うわべはいかに懐かしそうに美しく付き合っていても、両方の胸の奥には一種の暗い影がつきまつわっているらしいことを、傍にいる者どもは大抵察していた。富子の方はともあれ、少なくも雛吉のお春の方には昔の仇にめぐり合ったような呪いの心持をもっているのであろうと思いやられたが、お春はそんな気振りをちっとも見せないで、一時間ばかりむつまじく話して帰った。お春が料理屋の養女に貰われたのは事実であった。それは彼女が遠縁にあたる家で、町でも第一流の堀江屋という大きい料理屋であるので、昔馴染みの富子のために町の芸妓たちをも駆りあつめて、初日の晩から花々しく押し掛けるとのことであった。
「何分よろしくお願い申します。」と、人気商売の富子はくれぐれもお春に頼んで、何十本かの配り手拭を渡した。
「せいぜい賑かにしたいと、思っています。」と、お春は言った。「もう少し早く判っていると、後幕《うしろまく》か幟《のぼり》でも何するんでしたけれど、今夜が初日じゃあもう間に合いません。せめてハイカラに花環のようなものでも贈ることにしましょうよ。ここらは田舎ですから、どうで東京のような器用なものは出来ませんけれど、唯ほんの景気づけに……。いずれ後程おとどけ申します。これはほんの皆さんのお茶受けです。」
 彼女は手土産の菓子折を置いて機嫌よく帰ったので、そばにいる者共はほっとした。昔馴染みはやはり頼もしいと富子も喜んでいると、午後になって堀江屋から大きい見事な花環をとどけて来た。なるほど東京とは少し拵え方が違っているが、百合や菖蒲の季節物が大きい花を白に黄に紫に美しくいろどっていた。
「地方でなければこんな花環は見られませんね。」と、富寿らも感心して眺めていた。
「ほんとうに綺麗だわね。ここらじゃあそこらに咲いているのを直ぐに取って来るんだから。」と、富子も花の匂いをかいだりしていた。
 その花環は芝居小屋の木戸前にかざられて、さらに一段の景気を添えた。五月の長い日も暮れかかって、一座の者も宿屋の風呂にはいって今夜のお化粧に取りかかっていると、富子は急に顔や手さきがむずがゆいと言い出した。それでもさのみ気にも留めないで、自体が美しい顔を更に美しくつくって、いよいよその晩の初日をあけると、約束通りにお春は家《うち》の女中たちや出入りの者や土地の芸妓たちを誘って来て、座敷いっぱいに陣取っていた。その晩は木戸止めという大入りであった。
 初日が予想以上の大成功であったので、一座の者もみんな喜んで宿へ帰ると、その夜なかから真打の富子は俄かに熱が出て苦しんだ。みんなも心配してすぐに医師を呼んでもらったが、医師にもその病気が確かには判らなかった。夜があける頃には少し熱がさがったが、それと同時に富子の顔には一種の発疹が一面にあらわれた。それは赤と紫とをまぜたような気味の悪い色の腫物らしくも見えた。
 富子は鏡をみて泣き出した。一座の者もおどろいた。義太夫語りである以上、のどに別条さえなければ差し支えはないようなものであるが、容貌《きりょう》が一つの売物になっているだけに、これは富子に取って大いなる打撃であった。おいおいには癒るとしても、差しあたり今夜の興行に困った。気分が悪いばかりでなく、こんなお化けのようなみにくい顔を諸人の前にさらすのは死んでもいやだと、富子は泣いて狂った。その発疹はひどくかゆいので、みんなが止めるのも肯かないで、物狂わしいように自分の顔を掻きむしると、顔のところどころにはなまなましい血がにじみ出した。そばにいる者は唯はらはらして、そのむごたらしい怖ろしい顔を眺めているばかりであった。その場合、だれの胸にも泛かぶのは、彼女とお春との関係であった。お春がむかしの復讐のために、何かの手段をめぐらしたのではないかという疑惑が皆の胸を支配した。お春がきのう持って来た菓子のなかに、何かの毒がまぜてあったのではないかと疑われたが、その菓子は富子ばかりでなく、一座の者もみな食ったのであるから、原因がそこに忍んでいるらしくも思われなかった。その次の疑いはかの花環であった。その花に毒薬でも塗ってあって、それをかいだ富子に感染したのではあるまいかという、西洋の小説にでもありそうな想像説も起こった。そうしたささやきが宿の者の耳にも伝わって、いろいろの臆説が尾鰭を添えて忽ちに広がった。見舞いに来た興行師もおどろいて首をかしげていた。
「どうもこれは唯事でないらしい。医師にも容体が判らないというのはいよいよ不思議だ。」
 富子は半狂乱の姿で寝てしまったので、今夜の二日目はとうとう臨時休みの札をかけることになった。これが土地の警察の耳にもはいって、刑事巡査は富子の宿へも調べに来た。それに応対したのはかの富寿で、さすがにむかしの関係を詳しく説明するのを憚ったが、とにかく、堀江屋のお春が久し振りでたずねて来たことを話した。お春が手土産の菓子をくれたこと、見事な花環をくれたことも申し立てた。もちろん、露骨にはなんにも言わなかったのであるが、その子細ありげな口ぶりと、宿の女子《おなご》たちの噂などを総合して、巡査もまずお春に疑いの眼を向けたらしく見えた。だんだん調べてみると、ここにもう一つ怪しい事実を発見した。
 それはこの宿に奉公しているお留という今年十八の女が、きのうの朝お春が富子に別れて帰るのを店の外まで追って出て、往来でなにかひそひそと立ち話をしていたというのである。宿の二階には、富子一人が八畳の座敷を借りていて、その他の者は次の間の十畳と下座敷の八畳とに分かれてたむろしていたが、お留は富子の座敷の受持ちで、しばしばそこへ出入りしていた。それらの事情をかんがえると、お留はふだんから心安いお春に頼まれて、なにかの毒剤を富子の飲食物の中へ投げ込んで置いたかとも見られるので、彼女はすぐに下座敷で厳重な取り調べを受けた。
「おまえは堀江屋の娘と心安くしているのか。」
「はい、堀江屋の姐さんはふだんからわたくしを可愛がってくれます。」と、お留は正直そうに答えた。
「じゃあ、なぜ堀江屋へ行かないで、ここの家《うち》にいつまでも奉公しているのだ。」
「同じ町内でそんなことも出来ませんから。」
「お前はきのうの朝、堀江屋の娘と往来でなにを話していた。」
「別になんということも……。」と、お留は少し口ごもっていた。「唯いつもの話を……。」
「いつもの話とはなんだ。」
「なんでもありません。ただ、時候の挨拶をしていたんです。」
「往来のまん中まで追っかけて行って時候の挨拶をする……。」と、巡査はあざ笑った。「嘘をつかないで正直にいえ。堀江屋の娘に何か頼まれたろう。」
 お留は黙っていた。
「なにか頼まれたことがあるだろう。」
「いいえ。」と、彼女は低い声で言った。
「隠すな。きっとなんにも頼まれないか。」
 お留はまた黙ってしまった。からだこそ大きいが、近在から出て来た田舎者で、見るから正直そうな彼女がとかくに何か隠し立てをするのが、いよいよ相手の注意をひいた。巡査はおどすように言った。
「隠すとおまえのためにならないぞ。ここで嘘をいうと懲役にやられるぞ。お父《とっ》さんにもおっ母さんにも当分逢われないぞ。」
 お留はしくしく泣き出した。それでも、なんにも頼まれた覚えはないと強情を張るので、巡査もすこし持て余して、いずれ又あらためて警察の方へ呼び出すかも知れないからと言って、宿の主人に彼女をあずけて帰った。

 ここまで話して来て、富寿は更にわたしにこう言った。
「ねえ、あなた、いくら当人が知らないと強情を張ったって仕様がないじゃありませんか。堀江屋のお春さんに頼まれて、なにか悪いことをしたに相違ないと思われるでしょう。こうなると、わたくしも面《つら》が憎くなって、どうかして証拠を見つけ出してやろうと思って、そっとお留の様子を見ていますと、その日のもう夕方近い頃でした。洋服を着た一人の男が宿の裏口へ来て、それから横手の塀の外へ廻って、人待ち顔にうろうろしていると、いつの間にかお留がぬけ出して行ったんです。」
 それは廿八九の色白の男で、金ぶちの眼鏡をかけていた。お留は何かささやいていたかと思うと、そのまま大通りの方へ駈けて行った。男はいつまでも塀の外に立っていた。やがてお留が息を切って帰って来て、再びなにかささやいているうちに、堀江屋のお春が忍ぶようにあとから来た。お春は男の腕に手をかけて親しげに又ささやいていた。
 富寿は二階の肱掛け窓からじっとそれを見おろしていると、そこへさっきの巡査が再び来て、少し離れて立っているお留をなにか調べているらしかった。巡査はさらにお春にむかっても取り調べをはじめると、洋服の男もそばから口を出して今度は洋服の男と巡査との問答になった。
「往来じゃいけない。ともかくも内へはいりましょう。」と、洋服の男は激したように言った。
 その声だけは二階の富寿にもはっきりと聞こえた。そうして、かれと巡査とお春とお留とが一緒につながって宿へはいって来た。
 一種の好奇心も手伝って、富寿はそっと二階を降りて来ると、下座敷のひと間にかの四人が向かい合っていた。宿の主人や番頭も廊下に出て不安らしく立ち聞きをしていた。
「一体このお春という婦人がお留にたのんで、富子とかいう義太夫語りに毒を飲ませたとかいうには確かな証拠でもありますか。」と、洋服の男はいよいよ激昂したように言った。「確かな証拠もないのに、往来でむやみに取り調べるなぞとは不都合じゃありませんか。」
「いや、お留を取り調べようとするところへ、丁度お春も来ていたのです。」と、巡査は言った。「それであるから一緒に取り調べたまでのことです。いずれにしても、あなたには無関係であるから、構わずお引き取りください。」
「いや、そうはいきません。あなたがこの二人の女に対してどんな取り調べ方をするか、わたくしはここで聴いています。」
「それはいけません。あなたがお春という女にどういう関係があろうとも……。」と、巡査は意味ありげに言った。「こちらで無関係と認める人間を立ち会わせるわけにはいきません。早くお帰りなさい。」
「帰りません。」
「あなたの身分を考えて御覧なさい。」と、巡査はほほえみながら諭すように言った。
「身分なんか構いません。免職されても構いません。」と、男は真っ蒼になって唇をふるわせていた。
「あなた、あなた。」
 お春は小声で男をなだめるように言った。彼女の細い眼にも感激の涙が浮かんでいるらしかった。
「わたくしは全くなんにも覚えのないことですから、どんなに調べられても怖いことはありません。どうぞ心配しないで帰ってください。」
 お留もうつむいて眼を拭いていた。巡査は黙って三人の顔を見つめていた。そのうちに興奮した神経も少し鎮まったらしく、かれは努めて落ち着いたような調子で巡査に言った。
「では、どうでしょう。わたくしも少し思い付いたことがありますから、その富子という人に逢わせてくれませんか。」
 巡査は別に故障を唱えなかった。かれは宿の番頭を呼んで、誰かこの人を富子の座敷へ案内しろと言い付けたので、丁度そこに立っていた富寿がその男を二階へ連れて行った。あたまから衾《よぎ》を引っかぶっていて、誰にもみにくい顔をみせまいと泣き狂う富子をすかして、ようように衾を少しばかり引きめくると、男はその顔をじっと見つめてうなずいた。
「判りました。わかりました。」と、かれは俄かに喜びの声をあげた。「わたしはこれを研究しているんです。あなたはこっちへ来てから庭や畑へ出たことがありますか。」
「そんなことは一度もありません。」と、富寿は代って答えた。
「そうですか。」と、男はしばらく考えていた。「それじゃあその花環というのは何処にあります。」
「芝居の表にかざって置きましたが、今は休みですから下の座敷に持って来てあります。」
「そうですか、一緒に来てください。」
 かれは富寿を急がせて再び二階を降りた。花環を入れてある下座敷の前に来たときに、かれはまた立ち停まった。
「あなた一人じゃいけない。警官を呼んで来てください。ほかの人もなるたけ大勢呼んでください。」
 どやどや集まって来た人達と一緒に、かれはその座敷へ踏み込んで花環の前に立った。そうして、しおれかかった花を子細に検査していたが、やがて跳り立って声をあげた。
「これだ、これだ。御覧なさい。」
 彼は手をのばして、その花の一つをむしるようにゆすぶると、白い菖蒲の花のかげから二、三匹の紫色の小さい蝶がひらひらと舞い出した。かれは持っているハンカチーフで、すぐにその一匹を叩き落とした。

「それは台湾蝶というものなんだそうです。」と、富寿は説明した。「毒のある蝶々で、それに刺されるとひどく腫れ上がって熱が出ることがあるんだそうです。何処にでもいるという訳じゃないんですが、ここらでは時々に見掛けることがあるので、その人は頻りにそれを研究していたんだということです。」
「すると、お春という女からくれた花環のなかに、ちょうど台湾蝶が棲んでいたんですね。」と、わたしは訊いた。
「お春さんも無論知らない。富子さんも知らないで、うっかりとその花環をいじくっているうちに、いつかその毒虫に刺されたんです。こう判ってみれば何でもありませんけれど、前の事情があるからどうしてもお春さんを疑うようにもなりますわね。その男の人というのは、その町の中学の理科の教師だそうでした。」
「お春とは関係があったんですね。」
「そうでしょう。」と、富寿はうなずいた。「お春さんも自分の家へ引っ張り込むのは奉公人なんぞの手前もあるので、わたくし達の泊まっていた宿屋を出逢い場所にして、いつもお留という女中がその使いをしていたらしいんです。お留がお春さんのあとを追っかけて行って、なにか内証話をしていたのもその相談だったんでしょう。けれども、巡査にむかって正直にそれを言うわけにもいかないので、お留も困ったに相違ありません。それだけに又余計な疑いがかかったという訳で、かんがえて見ると可哀そうでしたが、まあ、まあ、無事に済んでようござんした。」
「しかしもう一つ疑えば、お春が男の知恵をかりて、台湾蝶を花環の中へわざと入れてよこしたんじゃないかしら。」
「あなたも疑いぶかい。そんなことをいえば際限がありませんわ。病気の原因が判ったので、富子さんはその手当てをして、その後間もなく癒りました。」


穴《あな》

 Y君は語る。

 明治十年、西南戦争の頃には、わたしの家《うち》は芝の高輪にあった。わたしの家といったところで、わたしはまだ生まれたばかりの赤ん坊であったから何んにも知ろう筈はない。これは後日になって姉の話を聞いたのであるから、多少のすじみちは間違っているかも知れないが、大体の話はまずこうである――。

 今日《こんにち》では高輪のあたりも開け切って、ほとんど昔のおもかげを失ってしまったが、江戸の絵図を見ればすぐにわかる通り、江戸時代から明治の初年にかけて高輪や伊皿子の山の手は、一種の寺町といってもいい位に、数多くの寺々がつづいていて、そのあいだに武家屋敷がある。といったら、そのさびしさは大抵想像されるであろう。殊に維新以後はその武家屋敷の取りこわされたのもあり、あるいは住む人もない空《あ》き屋敷となって荒れるがままに捨てて置かれるのもあるという始末で、さらに一層の寂寥を増していた。そういうわけであるから、家賃も無論にやすい。場所によっては無銭《ただ》同様のところもある。わたしの父も殆んど無銭同様で、泉岳寺に近い古屋敷を買い取った。
 その屋敷は旧幕臣の与力《よりき》が住んでいたもので、建物のほかに五百坪ほどの空き地がある。西の方は高い崖《がけ》になっていて、その上は樹木の生い茂った小山である。与力といってもよほど内福の家であったとみえて、湯殿はもちろん、米つき場までも出来ていて、大きい土蔵が二戸前《ふたとまえ》もある。こう書くとなかなか立派らしいが、江戸時代にもかなり住み荒らしてあった上に、聞くところによれば、主人は維新の際に脱走して越後へ行った。官軍が江戸へはいった時におとなしく帰順した者は、その家屋敷もすべて無事であったが、脱走して官軍に抵抗した者は当然その家屋敷をすてて行かなければならない。そこで、ここの主人は他の脱走者の例にならって、その屋敷を多年出入りの商人にゆずり渡して行ったのである。この場合、ゆずり渡しというのは名儀だけで、大抵はただでくれて行く。それに対して、貰った方では餞別《せんべつ》として心ばかりの金を贈る。ただそれだけのことで遣り取りが済んだのであるが、明治の初年にはこんな空き屋敷を買う者もない。借りる者も少ないので、新しい持ち主もほとんど持てあましの形で幾年間を打ちすてて置いた。
 こういう事情で建ちぐされのままになっていた空き屋敷を、わたしの父がやすく買い取って、それに幾らかの手入れをして住んでいたのであるから、今から考えるとあまり居ごころのよい家ではなかったらしい。第一に屋敷がだだっ広い上に、建物が甚だ古いと来ているから、なんとなく陰気で薄っ暗い。庭も広過ぎて、とても掃除や草取りが満足には出来そうもないというので、庭の中程に低い四つ目垣を結って、その垣の内だけを庭らしくして、垣の外はすべて荒地にして置いたので、夏から秋にかけてはすすきや雑草が一面に生い茂っている。万事がこのていであるから、その荒涼たる光景は察するに余りありともいうべきであるが、その当時は東京市中にもこんな化物屋敷のような家がたくさんに見いだされたので、世間の人も居住者自身も格別に怪しみもしなかったらしい。
 わたしの家《うち》ばかりでなく、周囲の家々もまず大同小異といった形で、しかも一方には山や森をひかえているのであるから、不用心とか物騒とかいうことは勿論であると思わなければならない。人間ばかりでなく、種々の獣《けもの》も襲ってくるらしい。現に隣りの家では飼い鶏をしばしば食い殺された。それは狐か狢《むじな》の仕業であろうということであった。夕方のうす暗いときに、なんだか得体のわからない怪獣がわたしの家の台所をうかがっていたといって、年のわかい女中が悲鳴をあげて奥へ逃げ込んで来たこともあった。夏になると、蛇がむやみに這い出して、時には軒先きからぶらりと長く下がって来ることがある。まったく始末におえない。
 前置きが少し長くなったが、これらの話はそういう場所で起こったものであると思って貰いたい。その年の八月、西郷隆盛がいよいよ日向《ひゅうが》の国に追い籠められたという噂が伝えられた頃である。わたしの家の庭内で毎晩がさがさという音が聞こえるというので、女中たちはまた怖がりはじめた。なんでも夜がふけると、人か獣か、庭内を忍びあるくというのである。その当時、わたしの家庭は父と母と姉とわたしと、ほかに女中二人であったが、姉とわたしは子供と赤ん坊であるから問題にはならない。男というのは父ひとりで、ほかはみな女ばかりであるから、なにかの事があると一倍に騒ぎ立てるようにもなる。それがうるさいので、父ももう打ち捨てては置かれなくなった。
「おおかた野良犬でも這い込むのだろう。」
 こうは言いながらも、ともかくもそれを実験するために、父はひと晩眠らずに張り番していた。それには八月だから都合がいい。残暑の折り柄、涼みがてらに起きていることにして、家内の者はいつものように寝かしつけて置いて、父ひとりが縁側の雨戸二、三枚を細目にあけて、庭いっぱいの虫の声を聞きながら、しずかに団扇《うちわ》を使っていた。まだその頃のことであるから、床《とこ》の間《ま》には昔を忘れぬ大小が掛けてある。すわといえばそれを引っさげて跳り出すというわけであった。
 ことしはかなりに残暑の強い年であったが、今夜はめずらしく涼しい風が吹き渡って、更けるに連れて浴衣一枚ではちっと涼し過ぎるほどに思われた。月はないが、空はあざやかに晴れて、無数の星が金砂子《きんすなご》のようにきらめいていた。夜ももう十二時を過ぎた頃である。庭のどこかでがさがさという音が低くひびいた。それが夜風になびく草の葉ずれでないと覚《さと》って、父は雨戸の隙き間から庭の方に眼をくばっていると、その音は一ヵ所でなく、二ヵ所にも三ヵ所にもきこえるらしい。
「獣だな。」と、父は思った。やはり自分の想像していた通り、のら犬のたぐいが忍び込んで何かの餌をあさるのであろうと想像された。
 しかし折角こうして張り番している以上、その正体を見とどけなければ何の役にも立たない。そうして、その正体をたしかに説明して聞かせなければ、女どもの不安の根を絶つことは出来ない。こう思って、父はそっと雨戸を一枚あけて、草履をはいて庭に降りた。縁の下には枯れ枝や竹切れがほうり込んであるので、父は手ごろの枝を持ち出して静かにあるき始めた。庭には夜露がもう降《お》りているらしく、草履の音をぬすむには都合がよかった。
 耳をすますと、がさがさという音は庭さきの空き地の方から低く響いてくるらしい。前にもいう通り、ここは四つ目垣を境にしてただ一面の藪のようになっているので、人の丈《たけ》よりも高いすすきの葉に夜露の流れて落ちるのが暗いなかにも光ってみえる。父は四つ目垣のほとりまで忍んで来て、息をころして窺うと、あたかもその時、そこらの草むらがざわざわと高く騒いで、忽ちにきゃっ[#「きゃっ」に傍点]という女の悲鳴がきこえた。
 女の声は少しく意外であったので、父もぎょっとした。しかしもう猶予はない。父は持っている枝をとり直して、四つ目垣をまわって空き地へ出ると、草むらはまた激しくざわざわ揺れてそよいだ。すすきや雑草をかきわけて、声のした方角へたどって行ったが、ふだんでもめったにはいったことのない草原で、しかも夜なかのことであるから、父にも確かに見当はつかない。父は泳ぐような形で、高い草のあいだをくぐって行くと、俄かに足をすべらせた。露にすべったのでもなく、草の蔓《つる》に足を取られたのでもない。そこには思いも付かない穴があったのである。はっと思う間に、父はその穴のなかに転げ落ちてしまった。
 落ちると、穴の底ではまたもやきゃっ[#「きゃっ」に傍点]という女の声がきこえた。父がころげ落ちたところには、人間が横たわっていたらしく、その胸か腹の上に父のからだが落ちたので、それに圧しつぶされかかった人間が思わず悲鳴をあげたのである。その人間が女であることは、その声を聞いただけで容易に判断されたが、一体どうしてこんなところに穴が掘ってあったのか、またそのなかにどうして女がひそんでいたのか、父にはなんにも判らなかった。
「あなた誰ですか。」と、父は意外の出来事におどろかされながら訊いた。
 女は答えなかった。あたまの上の草むらは又もやざわざわと乱れてそよいだ。
「もし、もし、あなたはどうしてこんな所にいるんですか。」
 女が生きていることは、そのからだの温か味や息づかいでも知られたが、かの女は父の問いに対してなんにも答えないのである。父はつづけて声をかけてみたが、女は息を殺して沈黙を守っているらしかった。
 なにしろ暗くてはどうにもならない。ここから家内の者を呼んでも、よく寝入っている女どもの耳に届きそうもないので、父はともかくもその穴を這い出して家からあかりを持って来ようと思った。探ってみると、穴の間口はさほどに広くもないが、深さは一間半ほどに達しているらしく、しかも殆んど切っ立てのように掘られてあるので、それから這いあがることは頗る困難であったが、父は泥だらけになってまず無事に這い出した。そのときに草履を片足落としたが、それを拾うわけにもいかないので、父は片足に土を踏んで元の縁先きまで引っ返して来た。

[二[#「二」は中見出し]

 父に呼び起こされて、母や女中たちも出て来た。
「早く蝋燭《ろうそく》をつけてこい。」
 裸蝋燭に火をつけて女中が持って来たのを、心のせくままに父はすぐに持ち出したが、その火は途中で夜風に奪われてしまった。父は舌打ちしてまた戻って来た。
「はだか蝋燭ではいけない。提灯をつけてくれ。」
 母は奥へかけ込んで提灯を持ち出して来た。それに蝋燭の火を入れて、父は再び現場へ引っ返したが、さてその穴がどの辺であったか容易に判らなくなった。ひと口に空き地といっても、ここだけでも四百坪にあまっていて、そこら一面に高い草が繁っている。さっきは暗やみを夢中で探り歩いたのであるから、どこをどう歩いたのか判らない。倒れている草をたよりにして、そこかここかと提灯をふり照らしてみると、そこにもここにも草の踏み倒された跡があるので、一向に見当がつかない。と思ううちに、父は又もや足をふみはずして、深い穴のなかに転げ落ちた。
 落ちると共に蝋燭の火は消えてしまったので、父はさっきの困難を繰り返さなければならないことになった。ようやく這いあがったものの、あたりが暗いので何が何やらよくわからない。父は又もや引っ返して蝋燭の火を取りに行った。
「もう今夜は止して、あしたのことにしたらどうです。」と、母は不安らしく言った。
 しかしかの穴には女が横たわっている。それをそのままにはして置かれないので、父は強情に提灯を照らして行ったが、かの穴はどこらにあるのか遂に見いだすことは出来なかった。暗やみで確かに判らなかったが、父が最初に落ちた穴と、二度目に落ちた穴とは、どうも同一の場所ではないらしかった。第二の穴には人間らしいものはもちろん横たわっていなかったのである。それから考えると、この草原には幾ヵ所かの穴が掘られているらしいが、それが昔から掘られてあるのか、近頃新しく掘られたのか、又なんのために掘られたのか父にはちっとも判らなかった。
「あの女はどうしたろう。」
 それが何分にも気にかかるので、父は根《こん》よく探して歩いたが、どうしてもそれらしいものを見いだせないばかりか、よほど注意していたにもかかわらず、父はさらに第三の穴に転げ落ちたのである。提灯は又もや消えた。
「畜生。おれは狐にでも化かされているのじゃないかな。」
 まさかとも思いながらも、再三の失敗に父はすこし疑念をいだくようになった。
「もう思い切って今夜は止めよう。」
 父は第三の穴をはいあがって家へ引っ返した。すすきの葉で足や手さきを少し擦り切っただけで、別に怪我というほどの怪我はしなかったが、三度もおとし穴に落ちたのであるから、髪の毛にまで泥を浴びていた。父は素裸になって、井戸端で頭を洗い、手足を洗った。
「まったく狐の仕業かも知れませんね。」と、母は言った。
 父ももう根負けがして、そのままおとなしく蚊帳のなかにはいった。しかもかの女のことがどうも気になるので、夜の明けるまでおちおちとは眠られなかった。
 夜は明けても今朝は一面の深い靄が降りていて、父の探索を妨げるようにも見えた。それが晴れるのを待ちかねて、父は身ごしらえをして再びゆうべの跡をたずねると、草ぶかい空地のまん中から少しく西へ寄ったところに、第一の穴を発見した。それが最初にころげ込んだ穴であることは、片足の草履が落ちているのを見て証拠立てられたが、そこに女のすがたは見えなかった。それからそれへと探しまわると、五百坪ほどの空き地のうちに都合九ヵ所の穴が掘られていることが判った。そのうちの二ヵ所は遠い以前に掘られたものらしく、穴の底から高い草が生え伸びていたが、他の七ヵ所は近ごろ掘られたもので、その周囲には新しい土が散乱していた。しかもその穴を掩うために大きな草をたくさんに積み横たえて、さながら一種のおとし穴のように作られているのが父の注意をひいた。
「なんのために掘ったのでしょうねえ。」と、父のあとから不安らしくついて来た母が言った。
 何者がこんなことをしたのかはもとより判らないが、一体なんの為にこんなことをしたのかを、父はまず知りたかった。おとし穴の目的とすれば、こんなところに穴を掘るのもおかしい。たとい草原同様の空き地であるとしても、ここはわたしの家の私有地で、他人がみだりに通行すべき往来ではない。そこへ毎夜忍んで来ておとし穴を作るなどとは、常識から考えてちょっと判断に苦しむことである。それにしても、そのおとし穴に落ちたらしいかの女は何者であろうか。おそらく父が引っ返して提灯を持って来るあいだに、そこを這い出して姿をかくしたのであろうが、その当時二、三ヵ所でがさがさという響きを聞いたのから考えると、かの女のほかにも何者かが忍んでいたのかも知れない。あるいは近所の男と女とがこの空き地を利用して密会していたのではあるまいか。かれらは何かに驚かされて、あるいは父の足音におどろかされて、あわてて逃げようとするはずみに、女はあやまってかの穴に転げ落ちたのではあるまいか。それでまず女の解釈は付くとしても、かのおとし穴のようなものは何であろうか。あるいは彼等がそこで密会することを知って、何者かがいたずら半分にそんな落とし穴を作って置いたのであろうか。
 こう解釈してしまえば、それは極めてありふれた事件で、単に一場の笑い話に過ぎないことになる。父もそう解釈して笑ってしまいたかったが、その以上に何かの秘密がひそんでいるのではないかという疑いがまだ容易に取りのけられなかった。そればかりでなく、ともかくも自分の所有地へ入り込んで、むやみに穴を掘ったりする者があるのは困る。いずれにしても、今夜ももう一度張り番して、その真相を確かめなければならないと、父は思った。
 父は官吏――その時代の言葉でいう官員さんであるので、そんな詮議にばかり係り合ってはいられない。けさも朝から出勤して夕方に帰って来たが、留守のあいだに別に変わったことはなかった。今夜も家内の者を寝かしてしまって、父ひとりが縁側に坐っていると、ゆうべろくろくに眠らなかったせいか、十二時ごろになると次第に薄ら眠くなって来た。きょうも暑い日であったが、ふけるとさすがに涼しい夜風が雨戸の隙き間から忍び込んで来る。それに吹かれながら、父は縁側の柱によりかかって、ついうとうとと眠ったかと思うと、また忽ち眠りをさまされた。例の空き地の草むらの中で、犬のけたたましく吠える声がきこえるのであった。つづいて女の悲鳴が又きこえた。
 雨戸をあけて、父は庭さきへ跳り出た。ゆうべの経験によって今夜は提灯を用意して行ったのである。片手には提灯、かた手には木の枝を持って、四つ目垣をまわって駈けていくあいだにも、犬は狂うように吠えたけっていた。その声をしるべにして、父は草むらをかき分けて行くと、犬は提灯の光りをみて駈けよって来た。
 その当時、英国の公使館が私の家の隣りにあって、その犬は何とかいう書記官の飼い犬である。犬は毎日のようにわたしの庭へも遊びに来て、父の顔をよく知っているので、今この提灯を持った人に対しては別に吠え付こうともしなかったが、それでも父の前に来て子細ありげに低く唸っていた。父は犬にむかって、手まねで案内しろといった。犬はその意をさとったらしく、又もや頻りにそこらを駈け廻っているので、父もそのあとに付いて駈けあるいていると、犬はひとむら茂るすすきの下へ来て、前足ですすきの根をかきながら又しきりに吠えた。急いで近寄って提灯を差し付けると、そこにも一つの穴があって、その穴から一人の大男があたかも這い上がって来た。
 よく見ると、それは公使館付きの騎兵で、今は会計係か何かを勤めているハドソンという男であった。かれは手にピストルを持っていた。
「今夜は犬がひどく吠えます。」と、ハドソンは明快な日本語で言った。「わたくし見まわりにまいりました。こちらの藪のなかに人が隠れておりました。その人は穴を掘っております。わたくし取り押えようとしますと、その人逃げました。わたくし穴に落ちました。」
「その人、男ですか、女ですか。」と、父は訊いた。
「暗いので、それ判りません。」と、ハドソンはからだの泥を払いながら答えた。
 二人はしばらく黙って露の中に突っ立っていた。犬はまだ低くうなっていた。ハドソンはおそらく泥坊であろうといったが、泥坊がなぜ幾つもの穴を掘るのか、それが解きがたい謎であった。
 あくる朝になって父は再び空き地を踏査すると、なるほど新しい穴がまた一つふえていた。ハドソンの落ちたのは古い穴で、かれはそんな穴が幾つも作られていることを知らないで、一昨夜の父とおなじような目にあったのである。

 何者がなんのためにここへ来て、根《こん》よく幾つもの穴を掘るのか、父はいよいよその判断に苦しめられた。そこで、ハドソンと相談して、今夜はふたりが草むらの中に隠れている事にすると、年の若い英国の騎兵はこの探険に興味を持っているらしく、宵のうちから草むらに忍んでいて、なにかの合図には口笛を吹くといった。しかも十時を過ぎる頃までかれの口笛はきこえなかった。家内の者を寝かしてから、父も身支度して空き地へ出張したが、今夜は風のない夜で、草の葉のそよぐ音さえもきこえなかった。二人は夜露にぬれながら徒らに一夜をあかした。
「奴等も警戒して迂濶に出て来ないのだろう。」と、父は思った。第一の夜には父に追われ、第二の夜には犬に追われ、かれらも自分たちの危険をおもんぱかって、ここへ近寄ることを見あわせたのであろう。常識から考えても、そうありそうなことである。
 ハドソンはその後三晩も張り番をつづけたが、遂になんの新発見もなかった。父は夜露に打たれた為に少しく風邪を引いたので、当分は張り番を見あわせることになった。それでも毎朝一度ずつは空き地を見廻って、新しい穴が掘られているかどうかを調べていたが、最初に発見された九ヵ所と後の一ヵ所と、その以外には新しい穴は見いだされなかった。かれらもこのいたずら――まずそうらしく思われる――を中止したらしかった。
 それから半月あまり無事に過ぎた。その以来、家内の女たちをおびやかすような怪しい響きもきこえなくなって、この問題も自然に忘れられかかった時に、父はふとあることを思いついた。それはあたかも日曜日の朝であったので、父はすぐに近所の米屋をたずねた。
 米屋は前にいったような事情で、わたしの家を昔の持ち主から譲りうけて、更にそれをわたしの父に売り渡したのである。そうして、現在もわたしの家へ米を入れている。その米屋の主人に逢って、昔の持ち主のことをたずねると、主人はこう答えた。
「その節も申し上げましたが、あなたのお屋敷には安達さんというお武家が住んでいらしったのでございますが、そのお方は脱走して、越後口で討死をなすったということでございます。」
「その安達という人の家族はどうしたね。」と、父はまた訊いた。
「どうなすったか判りませんでしたが、ひと月ほども前に、その奥さんがふらりと尋ねておいでになりまして、なんでも今までは上総《かずさ》の方とかにお出でになったというお話でした。そうして、わたしの家には誰が住んでいるとお聞きになりましたから、矢橋さんという方がお住まいになっていると申しましたら、そうかといってお帰りになりました。」
「その奥さんは今どこにいるのだろう。」
「やはり同区内で、芝の片門前にいるとかいうことでした。」
「どんなふうをしていたね。」
「さあ。」と、主人は気の毒そうに言った。「ひどく見すぼらしいという程でもございませんでしたが、あんまり御都合はよくないような御様子でした。」
「奥さんは幾つぐらいだね。」
「瓦解の時はまだお若かったのですから、三十五ぐらいにおなりでしょうか。」
「子供はないのですかね。」
「お嬢さんが一人、それは上総の御親類にあずけてあるとかいうことでした。」
「片門前はどの辺か判らないかね。」
「さき様でも隠しておいでのようでしたから、わたくしの方でも押し返しては伺いませんでした。」
 それだけのことを聞いて、父は帰った。父の想像によると、庭の空き地へ忍んで来て、一度は穴に落ち、一度は犬に追われた女は、この安達の奥さんであるらしく思われた。勿論、取り留めた証拠があるわけではないが、庭の空き地に穴を掘るのは単にいたずらの為にするのではない。おそらくは土を掘りかえして何物をか探し出そうとするのであろう。安達の家に何かの伝説でもあるか、あるいは脱走の際に何かの貴重品でもうずめて立ち去ったか、二つに一つで、それを今日《こんにち》になってひそかに掘り出しに来るのではあるまいか。今日では土地の所有権が他人に移っているので、表向きに交渉するの面倒を避けて、ひそかに持ち出して行こうとするのではあるまいか。穴を掘るのは心あたりの場所を掘って見るのであろう。それが成功して幾度も取りに来るのか、あるいは不成功のために幾度もさがしに来るのか、それは判らない。また、かの女のほかに幾人の味方があるか、それも判らない。
 もし果たしてそうであるとすれば、まことに気の毒のことである。自分は決して自己の所有権を主張して、遺族らの発掘を拒んだり、あるいはその掘り出し物の分け前を貰おうとしたりするような慾心を持たない。正面からその事情を訴えて交渉してくれば、自分はこころよくその発掘を承諾するつもりである。もしその住所がわかっていれば念のために聞き合わせるのであるが、片門前とばかりでは少し困る。父は再びかの米屋へ行って、安達の奥さんという人が重ねて来たらば、その住所番地を聞きただして置いてくれと頼んだ。
 それでも父はまだ気になってならなかった。米屋の主人の話によると、かの奥さんはあまり都合が好くないらしいという。してみれば、埋めてある財《たから》を一日も早く取り出したいと思っているに相違ない。片門前は二町であるが、さのみ広い町ではない。軒別《けんべつ》にさがして歩いても知れたものであると、父はその次の日曜日に思い切って探しに出た。広い町でないといっても、一丁目から二丁目にかけて軒別に探しまわるのは容易でない。父はほとんど小半日を費して、ついに安達という家を見いだし得ないで帰った。あるいは他人の家に同居でもしているのではないかとも思われた。
 この上は米屋の通知を待つのほかはなかったが、安達の奥さんは再び米屋の店にその姿をみせなかった。わたしの庭の空き地へも誰も忍んで来る様子はなかった。
 それから又、半月あまりを過ぎて、九月はじめの新聞紙上に片門前の女殺しの記事があらわれた。森川権七という古道具屋の亭主がその女房のおいねを殺したというのである。権七は卅一歳で、おいねは年上の卅七であった。新聞の記事によると、おいねは旧幕臣の安達源五郎の妻で、源五郎は越後へ脱走するときに、中間《ちゅうげん》の権七に供をさせて妻のおいねと娘のおむつを上総《かずさ》の親戚の方へ落としてやったが、源五郎戦死の噂がきこえて後、おいねと権七の主従関係はいつか夫婦関係に変わってしまった。それには親戚の者どもの反対もあったらしく、おいねは娘のおむつを置き去りにして、若い男と一緒に上総を駈落ちして、それからそれへと流れ渡った末に、去年の春頃から東京へ出て来て、片門前に小さい古道具屋をはじめたのである。
 権七は小才のきく男で、商売の上にも仕損じがなく、どうにか一軒の店を持ち通すようになると、かれは年上の女房がうるさくなって来た。殊においねは旧主人をかさにきて、とかくに亭主を尻に敷く形があるので、権七はいよいよ気がさして来た。目と鼻のあいだには神明の矢場がある。権七はそこの若い矢取り女になじみが出来て、毎晩そこへ入りびたっているので、おいねの方でも嫉妬に堪えかねて、夫婦喧嘩の絶え間はなかった。
 その晩もいつもの夫婦喧嘩から、一杯機嫌の権七は、店にならべてある商売物のなかから大工道具の手斧《ちょうな》を持ち出して、女房の脳天を打ち割ったので、おいねは即死した。権七もさすがに驚いてどこへか姿をかくした。
 安達の奥さんの消息はこれでわかった。古道具屋の店は森川権七の名になっているので、父がさがし当てなかったのも無理はなかった。二、三日の後に、父が米屋の主人に逢うと、主人もこの新聞記事におどろいていた。
「権七という中間はわたくしも知っています。上州の生まれだとか聞きましたが、小作りの小粋な男でした。あれが御主人の奥さんと夫婦になって……。おまけに奥さんをぶち殺すなんて……。まったく人間のことはわかりませんね。」と、主人は歎息していた。

 九月の末に大あらしがあった。午後から強くなった雨と風とが宵からいよいよはげしくなって、暁け方まであれた。殊にここらは品川の海に近いので、東南《たつみ》の風はいっそう強く吹きあてて、わたしの家の屋根瓦もずいぶん吹き落とされた。庭の立木も吹き倒された。塀も傾き、垣もくずれた。
 しかし東の白らむ頃から雨も風もだんだん鎮まって、あくる朝はうららかに晴れた日となったが、どこの家にも相当の被害があったらしい。父は自分の家の構え内を見まわって歩くと、前にいった立木や塀の被害のほかに、西側の高い崖がくずれ落ちているのを発見した。幸いにその下は空き地であったが、もしも住宅に接近していたらば、わたしの家は潰《つぶ》されたに相違なかった。
 早速に出入りの職人を呼んで、くずれ落ちた土を片付けさせると、土の下から一人の男の死体があらわれた。男は崖くずれに押し潰されて生き埋めとなったのである。かれは手に鍬《くわ》を持っていた。警察に訴えてその取り調べをうけると、生き埋めになった男は、女房殺しの森川権七とわかった。
 権七はかの事件以来、どこにか踪跡を晦ましていたのであるが、どうしてここへ来てこんな最期を遂げたのか、だれにも想像がつかなかった。
「やっぱりわたしの想像があたっていたらしい。」と、父は母にささやいた。
 空き地の草原へ穴を掘りに来た者は、おそらく権七とおいねであったろう。父が想像した通り、かれらは何かの埋蔵物を掘り出すために、幾たびか忍んで来たらしい。権七は女房を殺して、どこにか姿を隠していながらも、やはりかの埋めたるものに未練があって、風雨の夜を幸いに又もや忍び込んで来て、今度は崖の下を掘っていたらしいことは、かれの手にしていた鍬によって知られる。しかも風雨はかれに幸いせずして、かえって崖の土をかれの上に押し落としたのであった。
 これらの状況から推察すると、かれらは遂に求むるものを掘り出し得なかったらしい。それが金銀であるか、その他の貴重品であるか、勿論わからない。父はかれらに代って、それを探してみようとも思わなかった。
 明治十年――今から振り返ると、やがて五十年の昔である。あの辺の地形もまったく変わって、今では一面の人家つづきとなった。権七夫婦が求めていた掘り出し物も、結局この世にあらわれずに終るらしい。
                    大正十四年九月作「写真報知」


狸《たぬき》の皮《かわ》

 N君は語る。

「信越線の或る停車場に降りると、細かい雪がちらりちらりと舞うように落ちて来た。」
 古河君はまずこう言って、そのときの寒さを思い出したように肩をすくめた。古河君は七年ほど前の二月に、よんどころない社用で越後の方まで出張したが、その用向きが思いのほかに早く片付いたので、大きい声ではいえないが、途中でひと息つくつもりで、会社の方から受け取っている旅費手当てで二、三日を或る温泉場に遊び暮らそうとした。かれが今降り立ったのは、上州のある小さい停車場で、妙義の奇怪な形も唯ぼんやりと薄黒く陰っている日の午後四時半頃であった。
 なにしろ信越地方の二月の雪を衝いて、けさの一番汽車で発って来たのであるから、古河君は骨まで凍ってしまった。汽車を降りると、寒さが又急に加わって、細かい雪を運ぶ浅間おろしがひゅうひゅうと頬を吹きなぐって来るので、古河君は又縮みあがって、オーヴァーコートの襟を引き立てながら、小さい旅行鞄をさげて歩き出すと、客引きに出ている旅館の若い者が二、三人寄って来た。
 初めてこの土地に下車したので、古河君は別に馴染みの宿もなかった。どこでも構わないと思ったので、真っさきに来た若い者に鞄をわたして、ともかくも駅前の休憩所へ案内されると、入口の土間には小さいテーブルを取り囲んで粗末な椅子が四、五脚ならべてあった。寒いあいだは乗り降りの客も至って少ないので、ほかのテーブルや椅子はみな隅の方へ押し片付けられて、たった一つのこのテーブルが店さきに寂しく据えられているだけであった。
「お寒うございましょう。どうぞこちらへ。」と、店にいる三十ぐらいの女房が愛想よく声をかけた。
 畳の上には大きい炉を切って、自在にかけた大きい鉄びんの口からは白い湯気をさかんにふき出していた。鉄びんの下には炭火がぱちぱちはねる音がきこえた。古河君もその火を恋しく思ったが、靴をぬぐのが面倒であったので、やはり椅子に腰をおろして土間に休んでいると、女房が瀬戸の火鉢に火を入れて運び出して来た。
「きょうはまったく冷えます。今晩はちっと白いものが降るかも知れません。」
「それでもここらは積もっていませんね。」
「へえ。積もるほども降りませんが、なにしろ名物の空《から》っ風で……。」
 言いかけて、若い者は急に立ちあがって入口の硝子戸をあけた。若粧《わかづく》りにはしているが、もう廿七八かとも思われる立派な身装《みなり》の婦人がこの休憩所へはいって来たのであった。婦人は大きい旅行鞄を重そうにさげて、片手に毛皮の膝掛けをかかえていた。この頃は商売がひまなので、どこの旅館からも一人ぐらいしか客引きを出していない。その一人が古河君を案内して来たあとへ、この婦人はおくれて下車したので、重い荷物を自分でさげて来なければならないことになったのであろう。古河君も気の毒に思った。若い者はなおさら恐縮したように自分の不注意を詑びていた。
「いえ、なに、荷物も見かけほどは重くないんです。」と、婦人は冷たそうな顔に笑みをうかべながら言った。「済みませんが、お湯を一杯下さいませんか。」
「はい、はい、お湯がよろしゅうございますか。どうぞまあお掛けください。」
 女房が湯を汲みに起つと、婦人は古河君に会釈《えしゃく》して隣りの椅子に腰をかけた。そうして、瀬戸の火鉢に手をかざすと、右の無名指《くすりゆび》には青い玉が光っていた。左の指にも白い玉がきらめいていた。
「さっきはどうも失礼をいたしました。さぞおやかましゅうございましたろう。」
 挨拶をされて、古河君も気がついた。この婦人も自分とおなじ二等車に乗り込んでいて、襟巻に顔をうずめて隅の方に席を取っていた。そのそばには四十ぐらいの商人《あきんど》風の男と、二十歳《はたち》前後の小間使風の女が乗っていたが、男は寒さ凌ぎにびん詰の正宗をむやみにあおって、しまいには酔ってなにか大きい声で歌い出したので、小間使風の女はほかの客に気の毒そうな顔をして時々になだめていた。この婦人は傍にいながら知らん顔をして澄ましていたので、かれらとは全然無関係の人であろうと古河君は思い込んでいたのであったが、今の挨拶を聞かされて、この婦人もやはりかれらの道連れであることを初めて知った。
「いえ、どういたしまして……。お連れさんは御一緒じゃないんですか。」
「いえ、連れと申す訳でもございませんので……。越後の宿屋で懇意になりましただけのことでございます。丁度おなじ汽車に乗り合わせるようになりまして、途中まで一緒にまいったのですけれど、あんまり煩さいのでわたくしはここで降りてしまいました。」
「そうでしたか。それは御迷惑でしたろう。」
 そんなことを言っているうちに、若い者は起ち上がって、その婦人の大鞄と古河君の小さい鞄とを持った。そうして、お支度がよろしければそろそろ御案内をいたしましょうと言った。ふたりは茶代を置いて椅子を起つと、若い者は気がついて又引っ返して来た。
「この膝掛けは奥さんのでございますね。」
「はあ。いえ、なに、それはわたしが自分で持っていきます。」
 婦人は店さきに置いてあった毛皮の膝掛けをかかえて出た。もう薄暗い夕方で、炉の火に照らされた毛皮の柔かそうなつやつやしい色が古河君の眼をひいた。それは狸の皮であるらしかった。
 雪は袖を払いながら行くほども降らなかったが、尖った寒い風はいよいよ身にしみて来た。三人は黙って狭い坂路を降りていくと、石で畳んだ急勾配の溝《みぞ》を流れ落ちる水の音が冷たい耳を凍らせるように響いた。
「随分お寒うございますね。」と、婦人はうつむきながら言った。
「まったく寒うござんすよ。」と、古河君は咳《せ》きながら答えた。「こっちには長く御滞在の御予定ですか。」
「さあ、どうしますか。まだ判りませんのです。」と、婦人は答えた。「あなたは当分御滞在ですか。」
「まあ二、三日遊んで行こうかと思っています。」
 温泉場は停車場から遠くないので、長い坂を降り尽くすと、古風な大きい旅館の建物がすぐ眼の前に突っ立っていた。古河君は表二階の新しい六畳の座敷へ通った。それからひと間離れたやはり六畳らしい座敷へ、この婦人は案内されたらしかった。
 寒さ凌ぎに古河君はすぐに風呂へ行って、冷え固まっている手足を好い心持にあたためて、ようよう人心地が付いて帰ってくると、やがて夕飯の膳を運んで来た。
「今晩はお静かでございますね。」と、女中は給仕をしながら言った。「夜になってお泊まりがあるかも知れませんが、唯今のところではこのお座敷と十一番だけでございますから。」
「滞在は一人もないの。」
「はあ、お寒い時分はまるで閑《ひま》でございます。ここらはどうしても三月の末からでなければ、滞在はめったにございません。」
「そりゃ寂しいね。」と、古河君は少し首をすくめた。
「ちっとお寂しいかも知れません。十一番さんは御存じの方じゃないんですか。」
「いや、知らない。休憩所から一緒になったんだ。」
 女中の話によると、その婦人はかぜを引いたようだとか言って、風呂へもはいらずに寝てしまったとの事であった。

 汽車の疲れで、古河君はその晩ぐっすり寝入ってしまった。眼をさまして枕もとの懐中時計をみると、けさはもう九時を過ぎていた。いつの間にか女中が火を運んで来たとみえて、火鉢に炭火がいせいよく起こっていて、茶道具などもきれいに掃除してあった。床の上に這い起きて巻煙草をすいつけようとする時、階子《はしご》をあがって来る足音がしずかにきこえた。と思うと、障子の外からそっと声をかけた者があった。
「もうお目ざめでございますか。」
 それは十一番の婦人の声であった。
「はい。大寝坊をして、今ようよう目をあいたところです。」と、古河君は床の上で答えた。
「あの、ちょっとお邪魔をいたしてよろしゅうございましょうか。」
「まだ寝床にはいっているんですが……。」と、古河君は迷惑そうに言った。
「さようでございますか。」と、外でも※[#「足へん+寿」、第4水準2-89-30]躇しているらしかったが、やがて又押し返して言った。「お寝みのところへ失礼でございますが、お差し支えがございませんければ、ちょっとお目にかかりたいのでございますが……。」
 それでも悪いとも断わりかねて、古河君はその婦人を座敷へ呼び入れると、彼女は忍ぶようにいざり込んで来てささやいた。
「実は私、すこし紛失物がございますのですが……。」
「なにがなくなったんです。」
「膝掛けがなくなりましたので……。」
「ああ、あの毛皮の……。」
「さようでございます。狸の皮の……。」
 ゆうべは気分が悪かったので、風呂へもはいらずに寝てしまったが、狸の皮の膝掛けは鞄と一緒に床の間に置いた筈である。それが今朝になると見えなくなってしまった。しかし鞄にはなんの異状もなく、膝掛けだけが紛失したのである。正直のところ、あの膝掛けは自分のものではなく、他に縁付いている妹の品を借りて来たのであって、妹は去年の暮れに百八十円で買ったとか聞いている。それも時の災難と諦めるよりほかはないが、ゆうべこの宿にはほかに一人も泊まり客が無かったということであるから、差しあたっては宿の者に疑惑をかけたくなる。それを表向きにしようか、それともいっそ黙って泣き寝入りにしてしまおうかと、彼女は古河君のところへ相談に来たのであった。
「そりゃ表向きにした方がいいでしょう。」と、古河君はすぐに答えた。
 彼女は宿の者を疑うと言っているが、ほかに泊まり客が一人もない以上、自分もたしかに有力な嫌疑者であることをまぬがれないと古河君は思った。それは是非とも表向きにして、ほんとうの犯人を探し出さなければ、単に被害者の迷惑ばかりでなく、自分としても甚だ迷惑であると考えたので、彼はあくまでもそれを表向きにすることを主張した。
「よろしいでしょうか。なんだか罪人をこしらえるのも気の毒のようにも思われますので……。」と、女はまだ※[#「足へん+寿」、第4水準2-89-30]躇していた。
「いいえ、気の毒なんて言っている場合じゃありません。そうして下さらないと、わたくしも困ります。あなたから言いにくければ、わたくしが帳場へいってその訳を話して来ましょう。」
 古河君はすぐに飛び起きて、宿のどてらのままで縁側へ出ると、まばらにあけてある雨戸のすきまから外一面が真っ白にみえた。雪はゆうべのうちによほど降り積もったらしく、軒さきに出ている槙《まき》の梢もたわむほどに重い綿をかぶっていて、正面にみえる坂路の方からは煙りのような粉雪が渦をまいて吹きおろして来た。このあいだから毎日の雪に責められつづけている古河君は、この景色を見ただけでもううんざり[#「うんざり」に傍点]してしまった。いっそきのう真っ直ぐに東京へ帰ってしまえばよかったと悔みながら、彼はどてらの袖をかき合わせて階段を足早に降りていった。
 店の帳場へいって、毛皮紛失の一件を報告すると、主人も番頭もおどろいた。一と口に狸の毛皮といっても、それが百八十円の品と聞いてはいよいよ打っちゃっては置かれなかった。当時はここらも商売がひまなので、夏場にくらべると男女の奉公人の頭かずが非常に減っている。帳場の番頭ひとりと若い者が一人、ほかに料理番二人と風呂番が一人、座敷へ出る女中はたった二人っきりで、いずれも身許の確かな者ばかりである。夏場繁昌の時季になると、渡り者の奉公人も随分入り込むが、現在のところではそんな疑いをかけるような者は一人もいない筈であると主人は言った。
「しかしほかの事と違いますから、誰が出来心でどんなことをしないとも限りません。ともかくも十一番の座敷へ出まして、詳しいことを伺ってまいりましょう。」
 主人と番頭は古河君と一緒に表二階へあがっていくと、婦人は蒼ざめた顔をして火鉢の前へ坐っていた。主人からいろいろのことを訊かれても、彼女は歯がゆいような返事をしていた。そうして、結局こんなことを言った。
「そんなに皆さんをお騒がせ申しては済みません。なに、ほかに類のないという品じゃありませんから、そんなに御詮議をなすって下さらないでもよろしゅうございます。」
「いえ、あなたの方ではそう仰しゃっても、手前の方では十分に取り調べをいたします。」
 こう言って、主人と番頭は引きさがった。雪はまだやまないので、婦人はもう一日滞在すると言っていた。古河君もむろん出発する勇気はないので、遅いあさ飯を食って、風呂にはいって、再び衾《よぎ》を引っかぶってしまった。狸の皮の問題で一時興奮した神経もだんだんにしずまって、かれは午《ひる》過ぎまで好い心持に眠った。
「随分よくお寐《よ》られますね。ほほほほほ。」
 女中に笑われながら、古河君が遅い午飯《ひるめし》の膳の前に坐ったのは、もう午後三時を過ぎた頃で、勿論それまでに女中が幾度も起こしに来たが、古河君はなかなか目を醒まさなかったとのことであった。
「十一番のお客はどうしたい。」と、古河君は飯をくいながら訊いた。
「お午前《ひるまへ》[#ルビの「ひるまへ」はママ]の汽車でお連れさんがお出でになりまして、一緒にお午の御飯を召し上がって、一時間ほど前にどこへかお出掛けになりました。」
「連れというのはどんな人だい。」
「四十ぐらいの男のかたです。」と、女中は説明した。その人相や風俗から想像すると、彼はきのうの汽車の中でむやみに正宗のびん詰をあおっていた男であるらしく思われた。
「雪はやんだの。」
「はあ、さっきから小降りになりました。」
 女中は障子をあけて見せた。なるほど天から舞い落ちる影は少しまばらになったが、地に敷いた綿はいよいよ厚くなって、坂下の家々の軒は重そうに白く沈んでいた。女と男とはこの雪のなかを何処へ出て行ったのであろう。河原の方へ雪見に行ったのかも知れないと、女中は言った。
「ずいぶん風流なことだな。」と、古河君は笑っていた。
 日が暮れてもかの二人は帰って来ないというので、宿では又騒ぎ出した。もしやこの雪に埋められたのではないかと、宿の者は総出でその捜索に行った。近所の宿屋の者も加勢に出た。土地の若い人たちも駐在所の巡査と一緒になって広い河原の上下《かみしも》をあさりに出た。河原は古河君の宿から半町ばかりの北にあって、このごろの水は著るしくやせているが、まん中には大小の岩石がおびただしくわだかまっていて、その石を噛んで跳り越えていく流れの音はなかなかすさまじくきこえた。水明かりと雪あかりを頼りにして、大勢の人影は白いゆうぐれの中をさまよっていた。
 古河君は二階の縁側に出て、河原を眼の下に見おろしていると、雪は又ひとしきり烈しくなって来て、河原もだんだんに薄暗くなったのであろう、町からは松明《たいまつ》を持ち出して来たものもあった。魚を捕るための角燈を振り照らしているのもあった。その火のひかりが吹雪の底に消えるかと思うと又あらわれて、美しいような物凄いような雪の夜の景色をいろどっていた。
 午後八時ごろになって、二人の死体は川しもの大きい石のあいだに発見された。男と女とは抱き合ったような形で倒れていたが、二人とも石で頭を打ったらしい形跡が見えた。土地の勝手を知らない二人は、河原をうかうか歩いているうちに、雪に埋められている大きい石につまずいて、倒れるはずみに頭を強く打たれて、一時気を失ってしまったのを、誰も認める者もなかったので、そのまま凍《こご》え死んだのであろうという鑑定で、ふたりの死体はひとまずその宿へ運び込まれた。
 しかし、その鑑定は間違っているらしかった。医師の検案によると、男は劇薬をのんでいるらしいというのであった。女の方にその形跡はない。女は諸人の想像通りに、頭部を石で打たれて気絶してそれから凍え死んだものであろうという診断であった。こうなると、二人の死因が容易に判らなくなって来た。
 もう一つの不思議は、この婦人が紛失したといった狸の皮が、その座敷の戸だなの隅から発見されたことであった。百八十円で買ったとかいう狸の皮の裏には黒い汚点《しみ》のあとがところどころに残っていて、それは生々《なまなま》しい人間の血であると医師は言った。婦人は故意に紛失したといって騒いだのか、あるいは戸棚の隅へしまい忘れていたのか、それは判らなかった。
「それにしても血のあとがおかしい。」と、古河君は首をかしげた。
 そのうちに彼はふとある事が胸に泛かんだ。それは古河君がきのうの一番汽車で出発した越後の町のある旅館で、宿泊客の一人が劇薬自殺を遂げたということであった。古河君はそのとなりの旅館に泊まっていたので詳しいことは知らないが、なんでも男と女との二人づれで、女は宵から出て帰らない、男は劇薬をのんで死んでいたという噂であった。狸の皮の膝掛けをかかえた婦人は、その翌朝の一番汽車で古河君と一緒に、まだ薄暗い停車場を出発したのである。しかも彼女と共にここの河原で死んでいた男も、やはり劇薬をのんだ形跡があるという。古河君はかの事件とを結びあわせて考えたくなった。
「僕の推測はやっぱり当たっていたのだ。」と、古河君は誇るように説明した。「狸の皮の膝掛けをかかえていた婦人は、蝮《まむし》とか蟒蛇《うわばみ》とかいう渾名《あだな》のある女で、いつでも汽車のなかを自分のかせぎ場にして、掏摸を働いたり、男を欺したりしていたのだ。今度も汽車のなかで心安くなった横浜の糸商人をうまく引っ掛けて、越後の宿屋へくわえ込んだのだが、仕事がどうも思うようにいかなかったと見えて、とうとう荒療治を考えてその男に劇薬をのませて、所持金を引っさらって逃げ出した。そのときに膝掛けでも敷いて坐っていたとみえて、男の口から吐き出した血のあとが毛皮の裏にも泌み付いたらしい。その毛皮をかかえて、そっと宿屋をぬけ出して、夜の明け切らないうちに一番汽車に乗り込んで、それから僕とおなじ温泉へ入り込んだのだということが、あとでみんな判った。」
「それにしても、河原で一緒に死んでいたという男は何者だろう。」と、わたしは訊いた。「それもその狸の皮の同類か。」
「いや、同類じゃない。それは高崎のやはり糸商人で、小間使のように見えた若い女は彼の妾であったようだ。汽車のなかで丁度となりに席を占めていたので、狸の皮の方からなにか魔術を施したらしい。そうして、すきを見てその紙入れを掏り取ってしまった。男は高崎の家へ帰ってからそれを発見して、すぐに警察へ告訴すればいいものを、狸の皮が下車した駅を知っているので、そのあとを追って温泉場へ探しに来た。と、まずこう判断するのだが、死人に口なしでその辺はよく判らない。あるいは狸の皮の魔術に魅せられて、紙入れの詮議以外になにかの目的を懐《いだ》いて、雪のふる中をわざわざ引っ返して来たのかも知れない。どっちにしても、自分自身で詮議に来るくらいだから、狸の皮にうまく丸められて、遂にそこに居すわることになってしまったのだ。」
「で、その男も劇薬をのまされたのか。」
「それには訳がある。」と、古河君は又説明した。「だんだん聞いてみると、その男も越後では狸の皮とおなじ旅館に泊まっていたのだそうだから、あるいはその晩の劇薬事件について幾分か感づいていたことがあるのかも知れない。女は自分の秘密をかれに知られたらしいのを恐れて、雪見とかなんとか言ってかれを河原へ誘い出して、うまくだまして劇薬をのませたものらしい。で、毒のいよいよ廻ったのを見て、男を置き去りにして逃げ出そうとすると、男の方では気がついて女をつかまえようとする。こっちは逃げようとする。そのはずみに滑ってころんで、女は石で頭を打った。それが二人の命の終りであるらしい。狸の皮の紛失問題については、僕は彼女がしまい忘れたのであろうと想像する。自分が殺した男の血が沁みていることを発見して、さすがにそれを目のさきに置くのを嫌って、宵に戸棚の奥へ押し込んでしまったのを、翌あさになってすっかり忘れて、誰かに奪られたものと一|途《ず》に思い込んだのだろう。殊に他の品と違って、それには血のあとが残っているだけに、彼女も神経を痛めたのかも知れない。そうして、人騒がせをしたあとで、戸棚にしまい込んであったことを思い出したので、今更それを取り消すのもきまりが悪く、あいまいのことをいって誤魔化していたのだろう。なにしろ怖ろしい女さ。二日のうちに二人の男を殺したのだからね。もっとも色の白い、小股の切れ上がった、好い女だったが……。」
「その晩は君と二人ぎりだったというのに、女はよくなんにも係り合いを付けに来なかったね。君は狸の皮にも見放されたと見えるんだね。」と、わたしは笑った。
「こっちは神に近い人間だから、いかなる悪魔も近寄らないさ。」
 そういう口の下から、古河君はしきりに狸の皮の持ち主の美人であったことを説いていた。
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狸尼《たぬきあま》[#「狸尼」は大見出し]

 A君は語る。

「僕の郷里には狸が尼に化けていて、托鉢中に犬に咬み殺されたという古い伝説がある。現にその尼のかいた短冊などが残っているとかいうことで、僕は子供のときに祖母から度々その話を聴かされたものだ。しかし今日《こんにち》になってみると、そういうたぐいの伝説は諸国に残っていて、どれがほんとうであるか判らないくらいだ。ところが、僕の郷里にはそれに類似の新しい怪談がもう一つ伝えられている。それは明治十四年、僕が九つのときの出来事であるから、僕もその人間をよく知っているのだ。」
 梶沢君はこう言って、眼のふちに小皺をよせながら私の顔を軽く見た。その顔付きがなんだか一つからかってやろうとでも言いそうに見えたので、こっちも容易に油断しなかった。
「そりゃ君の生まれ故郷だから、そんな人間もたくさん棲んでいるだろう。現に僕の目の前にも、狸だかむじなだか正体のわからない先生が一人坐っているからね。」と、わたしは煙草のけむりを鼻から噴きながら、軽く笑っていた。
「いや、冗談じゃない。これはまじめの話だ。」と、梶沢君は肩をゆすりながらひと膝乗り出した。
「その人間が果たしてほんとうの狸であったかなかったかは別問題として、とにかくに一種不思議な事件の発生したことは事実だ。今もいう通り、僕もその人間を見識っているし、ほかにも証人が大勢ある。まあ、黙って聞きたまえ。事実の真相はまずこうだ。」
 梶沢君は医師で、神田の大きい病院の副院長を勤めている。快活な性質で、ふだんから洒落や冗談を得意としている人物であるから、うっかりすると見事に引っかつがれるおそれがあるので、われわれもこの先生とむかい合った時には内々警戒しているのであるが、きょうはどうやらまじめらしく、その専門の医学上から何かの秘密を説明しようとするかのようにも見えたので、わたしも相手の命令通りに、おとなしく黙って聞いていると、梶沢君はまずこんなことから話し始めた。

 僕の郷里――君も知っている通り、宇都宮から五里ほども北へ寄っている寂しい村だ。それでも人家は百七八十戸もあって、村の入口には商売店なども少しはある。――昔は奥州街道の一部で、上り下りの大名の道中や、旅人の往来などでかなりに繁昌したそうだが、汽車が開通してからは、まるで火の消えたように寂れてしまった。この話の起こった明治十四、五年の頃はまだ汽車もなかった時代だが、それでも昔にくらべると非常に衰微したといって、僕の祖母などはときどきに昔恋しそうな溜め息をついていたのを、僕も子供心に記憶している。これから僕が話すのは、その亡びかかった奥州街道の薄暗い村里に起こった奇怪な出来事だと思ってくれたまえ。
 その頃は村の奥に大きい平原があって、それはかの殺生石《せっしょうせき》で有名な那須野ヶ原につづいているということであった。今日《こんにち》では大抵開墾されてしまって、そこには又新しい村がだんだんに出来たが、僕の少年時代にはなるほど九尾《きゅうび》の狐でも巣を作っていそうなすすき原で、隣り村へいくにはどうしてもそのすすき原の一角を横切らなければならない。そこには、夏になると大きい青い蛇が横たわっているのを見た者がある。秋から冬にかけては狐が啼く。維新前には追剥ぎにむごたらしく斬り殺された旅人もあった。そんな噂のかずかずに小さい魂をおびやかされて、僕も日が暮れてからは決してそのすすき原を通り抜けたことはなかった。ところが、ある時に父の使いでどうしても隣り村まで行かなければならないことが出来《しゅったい》した。
 それがすなわち明治十四年の三月なかばのことで、その当時十三の兄貴は修行のために東京の親類へあずけられていて、家にいる者は祖母と作男二人と下女一人とで、作男はほかにいろいろの用があるから、昼間は遠方へ使いなどにやってはいられない。父は侍あがりで、身体も達者、気も強い方であったから、大抵の用事ならば自分自身でどこへでも出ていくという風であったが、そのとき半月ほど前から風邪をひいて、まだ炬燵を離れずに寝たり起きたりしていたので、僕が名代《みょうだい》として隣り村まで使いにやられることになってしまった。その用向きはなんだか知らないが、父は僕に一封の手紙を渡して、これを田崎の小父さんのところへ届けて来いと言ったばかりであった。その頃、父は隣り村の田崎という人と共同で、開墾事業を計画していたから、それについて何か至急に打ち合わせでもしたい用件が出来たらしかったが、子供の僕は別にそれを詮議する必要もないので、ただ言い付けられたままに手紙をしっかり握って、隣り村へすたすた出て行ったのは正午を少し過ぎた頃であった。
 となり村といっても一里余も離れていて、その途中の大部分は例のすすき原を通らなければならない。勿論、春のはじめですすきはみんな枯れ尽くしていたが、那須ヶ獄から吹きおろして来る風はまだ寒い。お前もかぜを引くといけないといって、ふだんから僕を可愛がってくれる祖母が一種の耄碌頭巾《もうろくずきん》のようなものをかぶせてくれたので、僕はその頭巾のあいだから小さい目ばかり出して、北の方を向いて足早にあるいて行った。原を通りぬけて無事に隣り村へ行き着くと、田崎の小父さんは近所までちょっと用達しに出たから少し待っていてくれという。そこの家にもおばあさんがあって、僕の来たのを珍らしがって、丁度きょうは先祖の御命日とかで五目飯をこしらえたからまあ上がって、ゆっくり食って行けというので、僕も囲炉裏のそばに坐り込んで、その五目飯を腹いっぱいに食った。
 食ってしまったが、田崎の小父さんはなかなか帰って来ないので、家でも待ちかねて迎いに行ってくれると、小父さんはやがて帰って来たが、その返事を書くのが又なかなかひま取ったので、僕がいよいよ手紙をうけとって、家の人達に挨拶してそこを出たのは、もうかれこれ四時近い頃であった。
「日が暮れないうちに早く帰れよ。」
 小父さんの優しい声をうしろに聞きながら、僕はふたたび耄碌頭巾をかぶった人となって、もと来た路をまっすぐに急いで帰った。この頃の日はまだ短い。途中で日が暮れたら大変だと思いながら、僕は小さい足を早めて行くと、原の途中まで来かかった頃には日の影がだんだんに薄れて来て、広い平原をざわざわと吹いて通る夕暮れの風が、いよいよ身にしみ渡るように思われた。僕は手紙をふところに入れて、俯向きながら急いで行くと、僕の目のまえに、一人のうしろ姿があらわれた。おそらく突然にあらわれた訳ではあるまい。僕はさっきからうつむいて歩いていたので、自分の行くさきに立っている人間のあることを今まで見いださなかったのであろう。いずれにしても、この寂しい原なかの夕暮れに、突然自分の前に立っている人影を発見したときに、僕はぎょっとして立ちすくんだ。
 その人は鼠色の法衣《ころも》を着て、おなじ色の頭巾をかぶっていた。白足袋に低い朴歯《ほうば》の下駄をはいて、やはり俯向き勝ちにとぼとぼ[#「とぼとぼ」に傍点]と歩いていた。そのうしろ姿をこわごわ透かしてみて、僕は少し安心した。その僧形の人間は、僕の村はずれの小さい堂を守っている地蔵尼という尼僧らしく思われたのであった。こうなると、僕もだんだんに気が強くなって、更にその正体を確かめるために、足を早めてそのうしろ影を追って行った。原は広いが、往来の人に多年踏み固められたひと筋の通路は、蛇のようにうねって細い。僕はその細い路をまっすぐにたどって行って、やがて追いついた頃から少し横にそれて、すすきの根の残っている高低《たかひく》の土を踏みながら、ふた足三足通り越して振り返ると、尼も僕の足音に初めて気がついたらしく、俯向いていた目をあげてこっちをぬすむようにそっと見た。僕の推量通りで、それは果たしてかの地蔵尼であった。
「坊さん。どちらへ。」と、尼はほほえみながら言った。
 断わって置くが、彼女が僕に対して坊さんと呼びかけたのは坊主という意味ではない。いわゆる坊ちゃんという意味である。父が士族であるので、土地の者は僕を尊敬して坊さんと呼ぶのが普通であった。坊さんの僕は呼ばれて立ち停まった。そうして、尼に対して丁寧に頭を下げた。
「隣り村へお使いでござりますか。」と、尼は何もかも知っているように又言った。
「はい。」
 このままにかの尼を置き去りにして行くのは、なんだか失礼であるかのようにも思われたので、僕は自然に足の速度をゆるめて、尼が路を譲ってくれるままに、狭い路をならんであるき出した。日が暮れかかって、このさびしい野原のまん中を唯ひとりで行くよりも、路連れのある方が気丈夫であると思ったのと、もう一つには僕の祖母がふだんからこの尼を尊敬して、尼が托鉢に来るときには必らず幾らかの米か銭かをやるのを見馴れているので、僕も尼に対しては一種の敬意と懐かし味とをもっているためであった。
 宗旨はなんだか知らないが、尼はきょうも隣り村へ托鉢に出たとみえて、片手には鉄鉢《てっぱつ》をささげていた。片手には珠数をかけて、麻の袋をさげていた。袋のなかには米のはいっていることを僕は知っていた。尼はしずかに歩きながら優しい柔かい声で僕にいろいろのことを話しかけたが、子供の僕は軽く受け答えをするだけで、大抵はだまって聞きながら歩いていた。原を通りぬける間、路を行く人には一人も出逢わなかった。
 尼の足が遅いので、原をぬけた頃にはもう暮れ切ってしまって、僕とならんで行く尼の顔も唯うす白く見えるばかりであった。夕の寒さはだんだんに深くなって来て、青ざめた大空の下に僕の村里の灯が微かに低く沈んでいた。原の入口には石の地蔵がさびしく立っている。古い地蔵は二十年ほど前の大雪に圧し倒されて、鼻や耳をひどく傷めていたので、その後新しく作りかえるに就いて、日光の町から良い職人をわざわざ呼んで来て、非常に念を入れて作らせたのだとかいって、村の者がふだん自慢しているのを僕もうすうす聞いていた。
 地蔵さまは僕よりも大きかった。まず十五六の少年ぐらいの立像で、その顔はいかにも柔和な慈悲深そうな、気高い、美しい、いわゆる端麗とでもいいそうな、ここらの田舎には珍らしいくらいの尊げな石像であった。これを作る費用は幾らかかったか知らないが、ともかくもこれ程の立派な地蔵さまが我が村境に立たせたもうことは、村に取って一種の誇りであったであろうと僕は今でも思っている。この地蔵さまがこの話に大関係をもっているのだから、よく記憶していてもらいたい。
 われわれ二人が今この地蔵さまの前に来かかると、尼は僕のそばをつい[#「つい」に傍点]と離れて俄かに立像の下にひざまずいた。鉄鉢も麻袋も投げ出すように地に置いて、尼はしばらく尊像を伏し拝んでいた。僕は一緒になって拝む気にもなれなかったので――その癖、祖母と一緒に来て、花を供えたりしたこともあるのだが――唯ぼんやりと突っ立っているばかりであった。
 尼は僕という路連れのあることを忘れたように、しばらくそこにひざまずいて拝んでいた。

 村にはいって、小さい茅ぶき堂のまえで僕は尼と別れた。
 ここでこの尼の身の上を少しく説明しておく必要がある。僕は前にその名を地蔵尼といったが、ほんとうの名は無蔵尼というのだそうである。生まれは京都だとか聞いているが、その優しい音声に幾らかの京なまりをとどめているだけで、ふだんの言葉には上方弁《かみがたべん》らしい点もなかった。若いときから諸国の寺々を修行してあるいたと本人自身も言っていたが、ほんとうの年は幾つだか誰も知らない。本人も人に話したことはなかったが、もう三十ぐらいであろうと僕の祖母は推測していた。しかしその推測の年よりも若くみえるので、僕の母などはまだ廿五六ではないかとも言っていた。
 かの尼が年よりも若く見えるというのは、その容貌《きりょう》がいかにも、若々しいからであったろう。大抵の尼僧は痩せ枯れて蒼白い人が多いのであるが、地蔵尼は大柄でこそなけれ肉付きは決して貧しくなかった。もちろん肉食などをする筈はないのであるが、白い顔に薄い紅味《あかみ》を帯びて、見るから色艶のいい、頬の肉の豊かな、ちっとも俗人と変わらないみずみずしい風※[#「蚌のつくり」、第3水準1-14-6]《ふうぼう》を具えているのが、村の若い者の注意をひいた。
「あれが尼さんでなければなあ。」
 こんなことを言う不埒な奴もあった。その不埒な若者の二、三人がある晩酒に酔った勢いで、尼のところへからかいにいくと、尼は堂の扉をかたく鎖ざして入れなかった。そうして、仏前にむかって高い朗かな声で経をよみ始めた。その威厳におびやかされて不埒者の群れは喧嘩に負けた犬のように早々に逃げ帰った。こんなことから、かの尼に対する村の信仰はいよいよ強められた。
 尼がこの村に足を入れたのは今から三年ほど前で、それまでは宇都宮の方にいたとの話であった。修行のために奥州の方角を廻るつもりで、この街道を托鉢しながら通る途中、かのありがたい石地蔵の前に立ったときに、尼は言い知れない随喜渇仰《ずいきかっこう》の念に打たれて、ここにしばらく足を停めることに決心して、村はずれに茅ぶきの小さい堂を建立《こんりゅう》した。僕は子供の時のことで、それらの事情を詳しく知らないが、なんでも以前からやはりそこには堂のようなものがあって、堂守がどこへか退転した後は久しく破損のままになっていたのを、かの尼が村じゅうを勧化《かんげ》して更に修覆したのだとも聞いていた。いずれにしても、かの尼は一人でその小さい堂を守って、経を読むのと托鉢に出るのと、かの地蔵さまを拝むのと、それだけを自分の日々の勤めとして、道徳堅固に行ない澄ましていた。尼は地蔵さまを信仰することが厚いので、本名の無蔵尼がいつか地蔵尼に転じてしまって、村の者はみな地蔵尼と呼ぶようになった。僕の祖母も母もやはり地蔵さんと呼んでいた。
 その晩、家へ帰ると、僕の戻りの遅いのを幾らか不安に思っていたらしい祖母や母も、地蔵さんと一緒に帰って来たと聞いて喜んでいた。祖母はあくる朝、かの尼が托鉢に来るのを待ち受けて、きのうの礼を頻りに言っているらしかった。
 それからふた月ばかりは別に何事もなかったが、五月ももうなかば頃のことと記憶している。ある晩、父がかの田崎の小父さんのところへ行って、酒の馳走になって夜更けて帰って来ると、原の出はずれで不思議なことを見たと言った。
「あの尼はどうもおかしい。おれが今あすこを通ったら、石の地蔵さまにしっかりすがり付いて、何か泣いているようであった。」
「いつもの御信心でお地蔵さまを拝んでいたのでしょう。」と、母は別段気にも留めていないらしかった。
「それに相違ない。お前は酔っているから何かおかしく見えたのだろう。」と、祖母も母に合い槌を打った。
 なにぶんにも酔っているという弱味があるので、父はあくまでも自分の目を信ずるわけにもいかないらしかったのと、かの尼に対して格別に強い信仰も持っていなかったのとで、父もそれに対して深く反抗しようともしなかった。父はそれぎり黙って囲炉裏のそばに寝ころんでしまった。しかしそれが僕の幼い好奇心を動かして、その夜の父の話はいつまでも耳の底に残っていた。
 その後も尼は毎日托鉢に出て、ときどき僕の家《うち》の門《かど》にも立った。祖母はかならず米か銭かをやった。僕もかの尼の顔をみると必らずお辞儀をした。こうして又ふた月ほど経つうちに、かの尼に対して更に一種不思議な噂が伝えられた。それを僕たちに報告したのは、家の作男の倉蔵であった。
「皆さま、お聞きなせえましよ。あの地蔵さんはこの頃気が狂い出したのかも知れねえという者もあるし、又別になんだかおかしなことを言い触らす者もありますよ。どっちが本当か知れねえが、なにしろ変な話でね。」
「あの地蔵さんがどうしました。」と、母は縁側にいる倉蔵に声をかけた。
「どうしたといって……。」と、かれは声を低めた。「夜ふけに村はずれへ出て行って、石地蔵さまにしっかり取っ付いて、泣いたり笑ったりしているそうですよ。村じゅうで確かに見たというものが二、三人ありますから、よもや嘘じゃあるめえと思います。」
 いつかの父の話を思い出したらしく、母と祖母とは不安らしい目をみあわせた。庭に遊んでいた僕も眼をかがやかして縁さきへ戻って来た。
「なぜそんなことをするのかね。」と、祖母はまだ半信半疑らしい口ぶりで言った。
「そりゃ判りません、だれにも判りません。」と、倉蔵も不思議そうに又ささやいた。「それからね。まだおかしいことを言い触らす者があるんですよ。どうもあの尼さんは尋常《ただ》の人間じゃないと……。」
「ただの人間じゃない。まあ、どうして……。」と、母も目をみはりながら直ぐに訊き返した。
「皆さまも御承知でしょう、あの尼さんはふだんから犬が大嫌いで……。犬が吠えると顔色を変えるそうですよ。それがこの頃はだんだん烈しくなったようで、この間もあの石地蔵さまを拝んでいるところへ、原の方から野良犬が二匹出て来てわんわん[#「わんわん」に傍点]吠え付いたら、尼さんは怖ろしい顔をして、はじめは手に持っている珠数で打ち払うような真似をしていたんですが、しまいにはもう気違いのようになって、そこらにある石塊《いしころ》や木の切れを拾って滅茶苦茶に叩きつけて、じだんだを踏んで飛びあがって……。そこへ村の利助が丁度に通りかかって、犬どもを追っ払ってしまったんですが、その時の尼さんの顔はまるで人相が変わって、目を据えて、歯を食いしめて……。利助も思わずぞっとしたといいますよ。それがみんなの耳にはいると、さあどうもおかしい、そんなに犬を嫌うのは唯事じゃあるめえ、ひょっとすると尼さんの正体は狐か狸じゃあるめえか……。」
 こういうと、僕の生まれ故郷の人間はひどく無知蒙昧のように思かれるかも[#「思かれるかも」はママ]知れないが、なにしろまだ明治十四五年頃の田舎のことで、しかもその近所には九尾《きゅうび》の狐で有名な那須野ヶ原がある。前にもいった通り、狸が尼僧に化けていたという古い伝説もある。そうした空気のなかで育てられたその当時の人たちが、こういう考えを懐《いだ》くのはあながちに笑うべきではあるまいと、僕は郷里の人間を代表してここに一応の弁解をのべて置きたい。実はこの話をする僕自身ですらも、それを聞いたときには驚いて顔色を変えた。祖母も母も息をのみ込んでしばらくは声を出さなかった。
「でも、めったなことを言ってはなりません。犬の嫌いな人は世間にないことはない。犬が嫌いだからといって、狐の狸のと……。まあ、まあ、黙ってもう少しなりゆきを見ている方がいい。」と、祖母はまだ素直にそれを信用しないらしかった。
 外から帰って来た父は、それを聞いて笑い出した。
「はは、いま時そんなことがあって堪まるものか。しかしあの尼が石地蔵に取っ付くというのは本当だ。いつかも話した通り、おれも確かに一度見とどけたことがある。」
 いつかの話が裏書きされたので、僕達ももうそれを疑う余地はなかった。なぜそんな変な真似をするのか、その子細は誰にも判らなかった。判らないにつれてそこに又いろいろの臆説も湧き出して、尼に対する諸人の信仰も尊敬もだんだんに薄れて来た。僕の家ではその後も相変わらず米や銭を喜捨していたが、村の或る者はかの尼が托鉢の鉦《かね》を鳴らして来ても、顔をそむけて取り合わないのもあった。あるいは手を振って断わるのもあった。
 こういう風に自分の村の信仰がだんだん剥落《はくらく》して来たので、尼は生活の必要上、かのすすき原を遠く横切って、専ら隣り村の方へ托鉢に出るようになった。隣り村ではかの尼をどう見ていたか知らないが、僕の村ではその評判がますます面白くなくなって来た。いたずら小僧はそのあとをつけていって、わざと犬をけし[#「けし」に傍点]かける者もあった。ある若者は夜の更けるまで村はずれに忍んでいて、尼が石地蔵に取り縋りに来るところを確かに見とどけようと企てたが、それはみな失敗に終ったらしく、その後に尼の怪しい行動を見つけたという者は一人もなかった。
「それ見なさい。ここらの人達はなにを言うのか。」と、祖母は自分の信用の裏切られないのを誇るように言った。
 祖母ばかりでなく、根が正直な村の人達は、あまりに早まって尼をうたがい過ごしたのをいささか悔むような気にもなったらしく、一度は顔をそむけていた者もこの頃では再び親しみをもつようになって、自分の村じゅうを廻っただけでも尼の托鉢はかなりに重くなるらしかった。こうして、かの尼に対する村人の信仰がだんだんよみがえって来ると反対に、尼の顔容《かおかたち》のだんだんにやつれて来るのが目についた。豊かな頬の肉はげっそりと痩せて、顔の色は水のように蒼白くなった。今までは毎日欠かしたことのない托鉢を、ときどきに怠る日さえあった。
「地蔵さんこの頃は病気じゃないかしら。」と、祖母は心配そうにひたいを皺めていた。
 尼の顔色の悪いのは、この間からの悪い噂に気を痛めたせいであろうと、祖母は言った。さもなければ、女の足で遠い隣り村まで毎日托鉢に出て行った疲労であろうと、母は言った。村の人たちもやはりそんな風に解釈したらしく、取り留めもない噂を立てて直接間接にかの尼を迫害した自分たちの罪をいよいよ悔むようになった。その罪ほろぼしというわけでもなかろうが、尼の住んでいる茅ぶき堂も近来よほどいたんで来たので、盂蘭盆でも過ぎたらばみんなが幾らかずつ喜捨して、堂の修繕をしてやろうという下相談まで始まった。しかも尼の顔色の衰えはいよいよ目立って来て、この頃ではいたましいほどにやつれてしまった。
「御病気でございますか。」
 尼が托鉢に来たときに、僕の祖母が同情するように訊いたが、尼はそれを否認して、別に変わったこともないと答えた。
 そのうちに盂蘭盆が来た。その当時、ここらではもちろん旧暦によっていたので、新暦ではもう八月の末であったろう、日が落ちるとひやひやする秋風が那須野の方から吹いて来た。旧暦十五日の宵には村の家々で送り火を焚いた。僕の家でも焚いた。その夜、地蔵尼は例の地蔵さまの足もとに死んで倒れていた。
 それが又、村じゅうの大問題になった。

「尼さんが死んだ。地蔵さんが死んだ。」
 こういう噂が村じゅうに広まると、大勢の人達はおどろいて村はずれに駈け付けた。僕も無論に駈けていった。それは午前六時すこし過ぎた頃であったろう。まだ晴れ切らない朝霧は大きい海のように広い平原の上を掩っていて、冷たい空気がひやひやと襟にしみた。僕がいきついた頃には、もう十二三人の男や女がかの石地蔵のまわりを取り巻いて、なにかわやわや[#「わやわや」に傍点]と立ち騒いでいるので、その袖の下をくぐって覗いてみると、地蔵尼は日ごろ信仰する地蔵さまの台石を枕にして、往来の方へ顔をむけて横さまに倒れていた。その顔が生きている時と同じように白く美しくみえたのが今でも僕の記憶に残っている。かの尼は死んだのではない、疲れて眠っているのではないかとも思われた。
 駐在所の巡査も出張した。裁判所の役人も来た。その後の手続きはどうであったか、子供の僕にはなんにも判らなかったが、父や母の話を聞くと、地蔵尼の死体にはなんの異状もなく、唯その左の※[#「月+径のつくり」、第4水準2-85-21]《はぎ》に薄い歯のあとが残っているだけであった。どうして死んだのか判らない。むろん自殺ではない。さりとて他殺ともみえない。医師の検案によると、死後五、六時間を経過しているらしいとのことであるから、尼の死は夜なかの十二時頃から一時頃までの間に起こったものであろうと想像されたが、そんな時刻になぜそこらにさまよっていたのか、その子細ももちろん判らなかった。
 その夜なか頃に地蔵さまのあたりで犬の吠える声を聞いた者がある。尼の白い※[#「月+径のつくり」、第4水準2-85-21]に残っている薄い歯のあとから鑑定して、あるいは犬に咬まれたのではないかという噂も起こったが、警察の側ではその説に耳を仮さないらしく、なにか頻りに他の方面を捜査しているとのことであった。
「村の若い奴等が何か悪さをしたのかな。」
 父が母にささやいているのを、僕は小耳に聞いた。父がなぜそんな判断をくだしたのか僕にはちっとも判らなかったが、父は駐在所の巡査とふだんから懇意にしているので、その方から何か聞き込んだことでもあるのかも知れないと、ひそかに想像していた。
「もし本当にそんなことでもあったのなら大変です。お地蔵さまの罰《ばち》があたります。」と、母も容易ならぬことのように顔をしかめていた。
 とりわけてふだんから地蔵尼に信仰をもっていた祖母は、尼の死を深くいたむと同時に、その怪しい死にざまについていろいろの判断をくだしているらしかった。それから三、四日経ってから隣り村から田崎の小父さんがたずねて来たが、隣り村でもいろいろの臆説が伝わっているらしく、そのなかでも犬に咬まれたというのが最も有力な説であるらしかった。しかし僕の父は一言のもとにそれを言破ってしまった。
「なんの馬鹿な、急所でも咬まれたら知らぬこと。足をちっと咬まれたぐらいで、人間ひとりが死んでたまるものか。」
 田崎の小父さんもしいてそれに反対しなかった。実をいうと、僕も二、三年前に右の足を野良犬に咬まれたことがある。しかし五、六日の後にはすっかり癒ってしまって、こうして平気で生きている。それを思うと尼が犬に咬み殺されたというのはどうも嘘らしいと、僕もひそかに父の意見に賛成していた。田崎の小父さんが帰ったあとで、父は家内の者にこんなことを言った。
「隣り村でもやっぱり馬鹿なことを言っているらしい。今に見ろ、ほんとうの罪人があらわれてびっくりするから。」
 果たしてそれから十日あまりの後に、村の若い者が二人まで拘引された。一人は喜蔵、ひとりは重太郎といって、人間は悪い者ではないが、酒の上がよくない上に、身持ちも治まらない道楽者であった。かれらはかつて酒に酔った勢いで、夜ふけに尼の堂を襲いに行ったいたずら者の仲間であった。そればかりでなく、重太郎は現場に有力な証拠品を遺していたということが、この時はじめてはっきりした。
 巡査は尼の倒れていた石地蔵を中心として、その付近のすすき原を隈なく穿索すると、地蔵さまの足もとから二間ほども離れたすすき叢《むら》のなかに馬士《まご》張りの煙管《きせる》の落ちていたのを発見したが、捜査の必要上、今まで秘密に付していたのであった。もう一つは、尼の死体にもかの歯の跡ばかりでなく、なにか怪しむべき点のあったことが発見されていたのであった。
 煙管の持ち主がはっきりすると同時に、その晩一緒に帰ったというかの喜蔵も共犯者の嫌疑をうけた。かれらふたりは盆踊りに行って、夜ふけに連れ立って帰って来た。そうして、尼の死体の傍らに重太郎の煙管が落ちていた。殊にかれらはふだんから身持ちがよくない。酒の上も悪い。それがいよいよかれらの不利益となって、尼僧殺しの嫌疑者と認められてしまったのである。僕の父が予言した通り、かれらはなにかの悪さをして、尼僧を死に致したものと認められたのである。二人が拘引されると、村じゅうの者は又たちまちにかれらを悪魔のように憎んだ。
「呆れた奴等だ。とんでもねえ奴等だ。人もあろうに、清浄の尼さんにそんないたずらをして、挙げ句の果てが殺すとは……。あいつら、どうせ地獄へ堕ちるに決まっている。首を斬られても仕方がねえ。」
「それ見ろ。」と、僕の父も誇るように言った。「犬に食われたなんて嘘の皮だ。犬よりも人間の方が余っ程おそろしい。」
 嫌疑者のふたりは強情に白状しなかった。かれらは警官の取り調べに対して、こういうことを申し立てた。なるほど自分たちは先年も尼の堂を襲おうとしたことがある。実は盆踊りの夜にも尼に出逢った。しかし自分たちは決して尼の徳操を汚したこともなければ、からだを傷つけたこともない。その晩、盆踊りに夜がふけて、踊り疲れた二人が村はずれの地蔵さまのそばまで戻ってくると、すすきのあいだに白い影がぼんやりと浮き出してみえた。幽霊かと思って怖々ながら透かしてみると、それはかの地蔵尼であった。尼は白い着物をきて、地蔵さまのまわりを幾たびかしずかに廻っていた。
 何をしているか判らなかったが、ともかくもその正体が判ったので、ふたりは急に心強くなった。そればかりでなく、尼が夜ふけに地蔵さまの近所をさまよっていることは今までにも度々聞いているので、かれらは尼が一体何をしているかを見とどけようとして、ひそかにささやき合ってすすきの茂みに身を隠していると、尼はそんなことに気が付かないらしく、夜露に裳《もすそ》をひたしながらしばらくはそこらをうろうろと迷っていた。
 尼は安らかに眠られないので、冷たい夜風に吹かれているのかも知れないと二人は想像していた。尼は容易にそこを立ち去らなかった。遠い原なかで狐の啼く声がきこえた。薄い月がぼんやりと弱い光りを投げて、そこに立っている石地蔵の姿がまぼろしのように薄白く見られた。尼はやがて立ち停まって、狐のように左右を見まわしていたが、さながら吸い寄せられたように地蔵さまの前にふらふらと近寄った。と思うと、尼は両手を大きくひろげて冷たい石に抱きついた。そうして、何かひそひそとささやいているらしかった。
 この奇怪な行動を二人は眼を放さずにうかがっていると、尼のからだは吸い着いたように離れなかった。それが五分もつづいた。十分もつづいた。二人はもう根負けがしたのと、藪蚊に襲われる苦しさとで、思わず身動きをすると、かれらを包んでいるすすきの葉がざわざわと鳴った。その物音に初めて気がついたらしく、尼は石をかかえた手を放して、急にこっちを見返った。どこかで狐の鳴く声が又きこえた。なんだか薄気味悪くもなって来たので、二人はやはり息を殺して忍んでいると、尼は何者かをあさるようにこちらへだんだんに歩み寄って来た。二人のすがたは忽ちに見いだされた。
「おまえさん方はさっきからそこにおいででしたか。」と、尼は弱い声で訊いた。
 二人は黙っていると、尼は更に摺り寄って来て、今度はすこし力強い声でまた訊いた。
「おまえさん方は何か見たでしょうね。」
 二人は正直に答えるのを※[#「足へん+寿」、第4水準2-89-30]躇した。かれらは何とはなしにこの尼が怖ろしいようにも思われて来て、とてもここでからかうような元気は出なかった。ただ黙ってその白い顔をながめていると、尼はしずかに言い出した。
「見たらば見たとはっきり言ってください。見ましたか、見たに相違ありますまい。今夜のことは決して誰にも言ってくださるな。もしおまえさん方の口からこの事が世間に知れると、わたしは未来までも怨みますぞ。」
 尼の顔色は物凄かった。気のせいか、その口は耳までも裂けるかと思われた。二人はぎょっとしてほとんど無意識に承諾の返事をあたえると、尼はかさねて念を押した。
「きっと他言してくださるな。」
「ようごぜえます。なんにも言いません。」
 早々に二人はそこを逃げ出した。行き過ぎてそっと見かえると、尼はやはりそこにたたずんで、すすきのあいだに白い半身をあらわしながらこっちをじっと見つめているらしかった。二人はいよいよ気味が悪くなって、足を早めて帰ってしまった。

 喜蔵と重太郎の申し立ては、その後幾たびの取り調べに対しても決して変わらなかった。かれらはその以外にはなんにも知らないと固く言い張っていた。煙管は重太郎の所持品に相違なかったが、それはすすきのなかに忍ぶ時に遺失したもので、ほかには何の子細もないといった。しかし尼の行動に対するかれらの申し立てがあまりに奇怪であるために、警察では容易にそれを信用しなかった。深夜に石地蔵を抱いて何事をかささやいている――しかもそれを決して他言するなという――そんな不思議な事実をならべ立てただけでは、道楽者二人が無罪であるという証拠にはならなかった。
 かれらがなんと言い張っても、警察の側では尼の死体を検案の結果、一つの動かない証拠をつかんでいるので、嫌疑者は尼の徳操を汚したものと認められていた。かれらは泣いて無実を訴えたが、ひとまず裁判所へ送られてしまった。しかしかれらの申し立てた事実が世間に洩れきこえると、一方にはまたかれらを弁護する者があらわれて来た。今までにも尼が夜ふけに地蔵さまのほとりをふらふら徘徊しているのを見かけた者は、かれら二人のほかに幾人もあった。尼が一度その信用をおとしてしまったのもそれがためであった。して見れば、尼がその当夜そんな怪しい行動を演じていたというのも、まんざら跡方のないことでもあるまいというのであった。この弁護説がだんだん広がると、かれら二人に対する大勢の憎しみが又おのずから薄らいで来た。それと同時に尼に対する新しい疑惑が再び起こって来た。これはどうしても尼さんの正体が怪しいと人々は噂し合った。――僕の家の倉蔵が又こんなことを報告した。
「御隠居さま、慶善寺の話をお聴きになりましたか。」
 慶善寺というのはこの村にたった一つの古い由緒のある寺で、地蔵尼の亡骸《なきがら》はここに埋葬されたのである。その寺に何事が起こったか、僕達はなんにも知らなかったので、祖母はさらに摺り寄って訊いた。
「どうしたの、お寺に何かあったのですか。」
「この頃、お寺の墓場で毎晩のように犬の吠える声が聞こえるのでございます。それがゆうべは取り分けて激しいので、お住持がそっと起きて行ってみると、一匹の小さい狸が野良犬に咬み殺されて死んでいました。狸は爪のさきで新仏の墓土を掘り返そうとしているところを、犬に咬まれて死んでしまったのでございます。唯それだけならば、狸めのいたずらで事が済むのですが、その墓が尼さんの……。」
「まあ。」と、祖母は息をのんだ。そばで聞いている僕も耳をかたむけた。
 あとでその事件を父に訴えると、父はただ冷やかに笑っていた。
「狸めはよくそんないたずらをするものだ。」
 父の解釈は単にそれだけであったが、村の者はそれを狸のいたずらとのみ見過ごさないで、その以上に深い秘密がひそんでいるように解釈するものが多かった。地蔵尼は非常に犬を嫌っていた。その死体の脛にも薄い歯のあとが残っていた。その新しい墓土を狸がほり起こしに来て、犬に咬み殺された。こういう事実をむすび付けて考えると、地蔵尼と犬と狸と、そのあいだに何かの連絡がありそうにも思われた。尼に対する一種の疑惑が又もや強い力をもって大勢の心を支配するようになった。
「あの尼はやっぱり尋常《ただ》の人間じゃない。狸だ、狸だ。」
 死体の※[#「月+径のつくり」、第4水準2-85-21]に残っていた歯のあとがいよいよ有力の証拠となって、尼は犬にくい殺されたものと決められてしまった。喜蔵と重太郎とが通り過ぎたあとで、尼はまだそこをうろうろしているところを、野良犬に咬まれたに相違ないと、多数の意見が一致した。僕の母なぞも少しその説に傾きかかった。祖母と父とはいつまでも強情にそれを否認していたが、大勢《たいせい》はもう動かすことが出来なかった。たとい狸の化けたのでないとしても、地蔵尼の本性はおそらく直人間ではあるまいということに決められた。
「村の奴等にも困ったものだ。」と、僕の父はにが笑いをしていた。
 そのうたがいを解くために、尼の死体を発掘してみようという説も起こったが、慶善寺の住職は頑として肯かなかった。警察でも許さなかった。したがって、その実否《じっぷ》を確かめることは出来なかったが、怪しい死を遂げた美しい尼僧は、だれが言い出したともなしに、狸尼の名をかぶせられてしまって、雪の深いその年の冬にも、炉のほとりの夜話にその名がしばしば繰り返された。
 足かけ四月ほども未決囚として繋がれていた二人の嫌疑者は、その年の暮れにいずれも証拠不十分で放免された。二人の嫌疑が晴れると同時に、尼に対する疑いはいよいよ深くなった。狸尼の名は僕よりも小さい子供ですらもよく知っている。堂は無住のままで立ち腐れになってしまった。尼を信仰していた僕の祖母も、狸が人間に化ける筈がないと主張していた僕の父も、この問題に対しては口をつぐんでしまった。
 尼の遺産――といったところで、もちろん目ぼしいものは何にもなかったが、白木の経机と、三、四冊の経文と、三、四枚の着換えとが残っていたのを、みな慶善寺に納めることになった。そのほかに古い手文庫のようなものが一つ見いだされたが、それは警察の方へ引きあげられた。文庫のなかには書き散らしの反古《ほご》のようなものがいっぱいに詰めてあったが、その大部分はいろいろの地蔵さまの顔を模写したもので、問題の種になった村はずれの地蔵さまの顔は二十枚以上も巧みに模写してあったと伝えられている。昔ならばこれも狸の描いた絵などといって珍らしがられたのであろうが、警察で焼き棄てられたか、あるいはそのままに保存してあるか、そのゆくえは判らない。しかしかの尼が地蔵さまの絵姿をたくさん持っていたのから割り出して、僕の父はこういう解釈をくだしていた。
「あの尼は信仰に凝り固まって、一種のお宗旨気違いになってしまったのだ。石の地蔵さまに抱きついたとか、縋り付いたとかいうのはそのせいだ。別に不思議があるものか。」
 尼は狸ではない、気違いであったかも知れない。僕は半信半疑で父の説明を聴いていた。田崎の小父さんに逢ったときにその話をすると、小父さんもうなずいて、成る程そんなことかも知れないと言っていた。
「それにしても尼はどうして死んだのだろう。やはり犬に咬まれたのかしら。」と、小父さんは更に首をかしげていた。僕にもそれは判らなかった。
 すると、来年の二月の末になって、ここらも漸く春めいて来た頃に、隣り村の源右衛門という百姓が突然拘引された。源右衛門はもう五十以上の男で、これまで別に悪い噂もきこえない人間であっただけに、かれが尼殺しの嫌疑者として拘引されたという事実が又もや世間をおどろかした。かれは陽気の加減か、この頃少しく気が触れたような工合で、ときどきにおかしなことを口走った。
「狸が来た。狸が迎いに来た。」
 それが警察の耳にはいって、かれは遂に拘引されることになったのであった。なんだか取りのぼせているらしいので、ひとまず近所の町の医院へ送られたが、ふた月ばかりで正気にかえった。それから警察へ送られ、さらに裁判所へ送られ、小半年の後に懲役にやられた。しかしかれは直接に尼を殺しのではないということであった。そんならどうして懲役にやられたのか、子供の僕にはくわしい事情を知ることが出来なかった。祖母や母も僕にむかっては十分の説明をあたえてくれなかった。
 それからだんだんに年が過ぎて、僕は近所の町の中学校へ通うようになった。ある年の夏休みに、僕の兄が東京から帰省したとき、一緒にそこらを散歩していると、二人は村はずれの石地蔵の前に出た。兄は誰から聞いたのか知らないが、狸尼のことは勿論、源右衛門のこともよく知っていて、今まで僕の知らなかった事実を話してくれた。
 源右衛門は尼の死ぬ一週間ほど前に、尼に関係したことがあるのを白状した。源右衛門が夜ふけて例の地蔵さまの前を通ると、尼は石の仏をかかえて何事をかささやいているのを見つけた。尼は自分の秘密を覚《さと》られたのを知って、決してそれを他言してくれるなと彼にたのんだ。五十を越した源右衛門は自分の足もとにひざまずいている若い尼僧を見ているうちに、俄かに浅ましい妄念を起こした。そうして、その口留めの代りとして或る要求を提出した。尼は無論に拒《こば》んだのであるが、かれは脅迫的に自分の目的を達して別れた。
 それから一週間の後に尼は怪しい死を遂げた。しかし狸尼の噂が隣り村まで伝えられたので、源右衛門は後悔と恐怖とに襲われた。日を経るにしたがって、その恐怖がいよいよ彼のたましいを脅《おびや》かして、自分が狸に取りつかれたように感じられて来た。かれは取り留めもないことを口走って、とうとう自分のからだを暗いところへ運ぶようになったのであった。しかしかれ自身が尼を殺したのでないという申し開きが立って、軽い懲役で済んだ。
 兄もその以上のことは知らないらしかった。

「話はまずそれだけのことさ。」と、梶沢君は言った。「結局、その地蔵尼はどうして死んだのか判らないことになっているのだ。今日《こんにち》であったならば死体解剖の結果その死因を確かめることも出来たのだろうが、なにしろ明治十四五年の頃で、しかもまだ開けない田舎の村の出来事であるから、とうとうそれなりになってしまったらしい。警察では無論に狸とは認めていないが、土地の者は今でも半信半疑で、やはり狸尼の噂が残っているのを見ると、むかしから各地に伝えられている怪談も、大抵はこんなたぐいが多いのだろうと想像される。それで、尼の死因はまず疑問として、もう一つの疑問は尼と石地蔵との一件だ。夜ふけに石地蔵を抱いて何事をかささやいていたとかいう、それを僕の父が解釈したように一種の宗教狂と認めることが出来ないでもないが、僕は医学上の見地からむしろそれを一種の色情狂と認めたいと思っている。早くいえば、尼はその地蔵さまに惚れているのだ。いや、冗談じゃない。外国にもそんな例はたくさんある。外国にも銅像を抱く色情狂もある。靴をふところにする色情狂もある。尼が地蔵さまに恋していたことは、その手文庫のなかにその絵像をたくさん持っていたのを見ても想像することが出来る。殊に普通の人間と違って、若い女盛りで尼僧生活を送っている以上、その生理上にも一種の変態をおこすのは怪しむに足らない。尼はなんでもない、単に一種の色情狂者に過ぎないのであろうと僕は鑑定している。尼が犬をなぜ嫌ったか、それは判らない。それが彼女を狸の方へひき寄せる一つの理由になっているのであるが、おそらく子供の時に犬に咬まれた怖ろしい経験をもっているか、あるいは生まれついて犬を嫌う性質であるか、単にそれだけのことで、他に深い理由がありそうにも思われない。それから割り出していけば、彼女の死もほぼ想像されないこともない。その晩、例のごとく石地蔵を抱いていたところを二人の若い者に見付けられたの州で勿論その口留めをしなければならない。しかしその前の源右衛門じじいの凌辱に懲りているので、彼女は一生懸命に、努めて端厳の態度で二人に接したに相違ない。それが一方にはなんとなく薄気味悪いようにも感じられたのだろう。二人が立ち去ったあとへ、大嫌いの野良犬がどこからか出て来て、突然に彼女の裳《すそ》をくわえたか、あるいは足を咬んだか、それに強くおびやかされて、彼女は心臓を破ったか、あるいはおどろいて倒れたはずみに石地蔵で頭を打って、脳震盪でも起こしたか。死因はおそらくそこらにありはしまいかと思われるが、今日になってはもう確かなことは断言できない。尼の新しい墓を狸が掘ったとかいうのは、この事件になんの関係もないことで、新仏の墓を犬や狸がほり返すことは往々ある。ある地方では河童の仕業《しわざ》だなどと言い伝えている所もある。まあこれで狸の正体も大抵判ったろう。狸に関係したと思いつめていた源右衛門おやじは出獄後どうなったか、それは僕も聞いていない。」


百年前《ひゃくねんぜん》の黒手組《くろてぐみ》

 E君は語る。

 僕は古い話で御免を蒙ろう。
 文政五年十二月なかばのことである。芝神明前の地本問屋和泉屋市兵衛の宅では、女房の難産で混雑していた。女房は日の暮れる頃から産気づいたのであるが、腹の子は容易にこの世に出て来ない。結局は死産であったが、母だけは幸いに命をとりとめた。その混雑の最中である。夜の五つ時(午後八時)にひとりの男が封書を持って来て、これは注文状であるから主人に渡してくれといって、店さきへ投げ込んで早々に立ち去った。
 前にいったようなわけで、主人の市兵衛は宵から店に出ていない。そこに居あわせた手代どもがその封書の上書《うわが》きをみると、和泉屋市兵衛様、弥左衛門としるしてあった。聞き知らない名前ではあるが、注文状であるというのでともかくも封をひらいて読むと、それは商売物の書籍類の注文ではなくて、ある浪人から無心|合力《ごうりょく》の手紙であった。なんでこんな手紙をよこしたのかと評議しているうちに、奥の産婦もひとまず落ちついたので、主人の市兵衛も店へ出て来た。
 手代どもからその話を聞かされて、市兵衛は眉をよせながらまずその書状の文面をよむと、大略左のようなことが書いてあった。
[#ここから2字下げ]
拙者事、四五年以前まで御隣町にまかりあり、御世話にあづかり居り候処、その後いよいよ不如意にまかり成り候て、当時は必至と難儀いたし候、もつとも在所表は身分相応の者どもに候間、右国許へまかり越し、金子才覚いたし度候へども、なにぶん路用に差支へ候、近ごろ無心の至りに候へども、金子二分借用いたし度候、もつとも当大晦日までには相違なく返済いたすべく候、右の趣、御承知くだされ候はば、二分なりとも小粒なりとも、この袋に入れ、御見世の仲柱へ地より三尺ほど上げて御張りおき下さるべく候、今晩深更におよび、猶又まかり越し候て、受納いたすべく候
さて又拙者事、なにがしが門人にて、年来剣術柔術等修行いたし、松浦流と申す一流をたて候へども、諺にいふ生兵法大疵のもとにて、先年修行のために諸国を経めぐり候節、信州に於て思はずも不覚をとり侯ことなど有之候、さりながら右体の御恩にあづかり候儀に候へば、謝礼の為に素人衆にても時の間にあひ、災難をのがれ候こころ得を伝授いたすべく候、別紙をつねづねよく御覧なされ候て、御工夫なされ候へば、夜中往来などの時、災難をのがれ易く候、云々《しかじか》
[#ここで字下げ終わり]
 その文言《もんごん》は非常に丁寧にしたためてあって、別紙には十箇条ほどの「やわら伝授の目録」というものが添えてあった。その伝授は、たとえば往来で喧嘩をしかけられ、又は酔狂人などに出逢って、よんどころない羽目に陥ったときに、こうこうして相手の腕を取れとか、こうこうして相手の肩をうてば気絶するとかいうようなことを多く書きあつめて、素人にもわかり易く、いかにも柔術免許のような書きぶりで、奥には和泉屋市兵衛殿と記《しる》し、松浦弥左衛門という我が名を大きく書いて、書判《かきはん》も据えてあった。その手蹟も拙《つた》なからず、武士らしい手筋とみえた。本文の書状のうちには、二分判一つを入れるほどの小さい袋もまき込んであるなど、なかなかよく行きとどいていた。なお本文の末にこういう意味のことが書き添えてあった。
[#ここから2字下げ]
もしこの無心聞き済み無く候はば、別封にいたし置候一通を披見なさるべく候、御聞きとどけ下され候はば、右の別封は御開封におよばず、そのまま御返し下さるべく候
[#ここで字下げ終わり]
 開封に及ばずとあれば、あけて見たいのが人情である。市兵衛はその別封をあけて見ろというと、手代共も一種の興味をそそられて、すぐに封をあけた。主人も奉公人も店の灯の下に顔をつきよせて、その別封の文面をよんでみると、これは本文の丁寧なのに引きかえて、穏かならざる文言が列べ立ててあった。万一この無心を聞きとらない時は、屹《きっ》と思い知らせるから覚悟しろ。あるじは勿論、家内の小者にいたるまで、日が暮れてから外へ出たらば命はないものと思え。それを恐れて夜中外出しなければ、さらに火を放って焼き払うぞというような、おそろしい文句のかずかずが列べてあるので、人びとも顔のいろを変えた。それでも主人の市兵衛は他の人びとほどには驚かず、なにしろこの取り込みの最中にどうもなるわけのものでない。まずそのままに捨てて置け。但し後日証拠ともなるものであるから、その書状は大切にしまって置けと言い付けて、再び産婦の方へ行ってしまった。
 主人は落ち着いているものの、店の者どもは少なからぬ恐怖を感じた。もしこの文面の通りであれば、日が暮れてから近所の銭湯へも迂濶にいくことは出来ない。どうしたらよかろうと、いろいろに評議していると、そのなかに親類のなにがしという男があった。この男もやはり芝に住んでいて、宵から産婦の見舞いに来ていたのであるが、しばらく思案して、こう言い出した。
「たとい捨てたとしても、わずかに二分のことだ。もしその無心を聞いてやらないで、とんでもない意趣がえしをされてはつまらないから、ともかくも二分判一つをその袋に入れて、表へ出して置くがよかろうではないか。」
 手代共もすぐに同意して、その袋に金を入れ、かれの指定通りに表へ貼りつけて置いた。
 夜があけて、主人が店へ出て来たので、手代共はゆうべのことを話して、親類の御意見で、先方の注文通りに取り計らったと報告すると、市兵衛は再び眉をよせた。
「そうして、その金はどうなった。」
「いつもの通り、四つ(午後十時)に大戸をおろしましたが、けさ起きて見ると、袋も金もなくなっておりました。」
「そうか。」と、市兵衛はうなずいた。「世にはめずらしい押し借りもあるものだ。こういうことは名主、家主にも届けて置かなければならない。」
 そうは言いながらも、産婦のことや店のことに取りまぎれて、朝の四つ(午前十時)頃までそのままになっていると、同町内の絵草紙屋若狭屋の主人が町代《ちょうだい》の男と一緒にあわただしく和泉屋の店へ来て、ゆうべこちらの店にこうこうのことはなかったかという。その通りだと答えると、若狭屋は息を切りながら言った。
「実はゆうべわたしの店にも同じ筋のことがありました。ところが、けさ早くに八町堀の御定廻《ごじょうまわ》りからお呼び出しがあったので、とりあえずお役宅へ出てみると、和泉屋も一緒に来たかというお尋ね。まだまいりませんと申し上げると、早く帰って和泉屋も呼んで来いということだから、いそいで引っ返して呼びに来ました。早くお訴えをして置かないと、後日にどんなお咎めをうけるかも知れない。すぐに支度しておいでなさい。」
 市兵衛は今更にあわてて、すぐに連れだって八町堀の役宅へ出ていくと、定廻りの同心は、かれを呼び込んで、ゆうべお前の家にこうこういうことがあったかと訊問した。市兵衛はありのままを正直に申し立てると、同心は笑いながら言った。
「その騙《かた》りめはもう御用になっている。よく面《つら》を見ておけ。」
 指さす方をみかえると、そこには一人のわかい男が厳重にくくられていた。浪人者の、やわら取りのというからは、どんな逞ましい強そうな男かと思えば、それはまだ廿二三歳の町人風で、色の小白い痩せぎすの、小二才とか青二才とかいいそうな、薄っぺらな男であったので、市兵衛も案に相違して、しばらく呆れてその顔をながめていた。
 それから一旦引き退がって、市兵衛は若狭屋と一緒に正式の訴状を出した。和泉屋からはかの書状をも添えて差し出した。若狭屋からはかの書状のほかに、金を入れた袋をも差し出した。どちらの書状もその文言は一字も違っていなかった。和泉屋では金を取られたが、若狭屋では金を取られなかったのである。若狭屋ではかの手紙をなげ込まれて、いろいろ評議の末に、まずそれを家主に告げ、さらに名主に告げ、その処置について相談したが、それはおまえの料簡次第で、こちらからその金をやれともやるなとも指図は出来にくいことであると、名主はいった。それらのことで、夜もだんだんに更けてくるので、わずか二分の金を惜しんで万一の間違いがあってはならないと、誰の考えもおなじことで、若狭屋でも相手の注文通りに金の袋を出しておいたが、それは夜のあけるまでそのままになっていた。
 賊はまず和泉屋の表へ忍び寄って、金の袋をぬすみ取り、それから若狭屋へ向かったが、ここでは前にいう通り、家主に届け、名主に相談して、なにやかやと暇取っていたために、賊が忍んで来た頃には、まだその袋が出してなかったので、幸いに難を逃がれたのであった。和泉屋に成功し、若狭屋に失敗した賊は、さらに転じて近所の宇田川町桐山という薬種屋へ向かうと、ここには落とし穴が設けられていた。
 桐山でもおなじ書状を投げ込まれたのであるが、主人は度胸がすわっているので、その脅迫状をみて驚くよりもむしろ怒った。これは一種の強盗である。こんな奴をゆるして置いては諸人の難儀になるというので、家主や町代とも相談の上で、かれは生け捕る手段をめぐらした。出入りの鳶の者に腕自慢の男がいるので、それを語らって軒下の物かげに伏せておくと、賊は果たして夜ふけに忍んで来た。表の柱には金を入れた袋が出ているので、賊はその柱に手をかけようとする途端に、隠れていた鳶の者は飛び出して、うしろから彼に組みついた。不意に組まれて、彼もうろたえたらしかったが、ふところに持っていた一本の緡《さし》(銭四百文)をとり出して、それを得物にして相手の眉間《みけん》を強く撲《う》った。撲たれて皮肉を破られて、血汐が目にしみるほどであったが、鳶はすこぶる剛気の男で組みついた手をゆるめず、泥坊をつかまえたぞと呶鳴り立てたので、待ち設けていた桐山の店の者どもはもちろん、筋向こうの自身番からも近所となりからも大勢の人びとが落ち合って、手取り足取り捻じ倒して、その賊をぐるぐる巻きにした上で、定廻りに訴え出た。ただし途中捕りということにして頂きたいという願いで、表向きは桐山の名を出さないことにした。それは後日の引きあいの面倒を恐れたからである。途中捕りというのは、捕り方がむかって来たときに桐山の方では一旦その縄をといて往来へ突き放すと、捕り方が更に引っとらえて、縄をうつのである。こういうわけで、彼はその夜のうちに召し捕られてしまった。賊は浅草観音のそばに住んでいる錺《かざ》り職人で、家には母もあり、妻子もある。貧の出来心から松浦弥左衛門という偽手紙をこしらえて、方々の店へなげこみ、おどして合力を求めただけのことで、ほかに旧悪はないと申し立てた。しかし手紙の文句といい、筆蹟といい、どうも彼のごとき職人のひとり仕事とは思われないので、ほかに同類か教唆者があろうと厳しく吟味されたが、かれは固く口をとじて容易に白状しなかった。かれは一個の職人で、もちろん剣術も柔術も知っているものではなかったが、その手紙に自分は浪人であるといい、やわら伝授の目録などを添えて置いたのは、腕に覚えがあると見せかけて、相手を威嚇するためであった。殊に、「生兵法大疵の基で先年信州にて思わぬ不覚を取り」などと書いたのは、町人どもが生兵法《なまびょうほう》にわれを生け捕るなどと企てると、思わぬ不覚をとるぞよと暗に戒めたものらしく、その用意周到なる点がどう考えても貧しい職人風情の知恵ばかりとは思われず、その背後に何者かが糸を引いているものと係りの役人はにらんだが、彼はあくまでも強情を張り通しているので、その裁判はすぐに落着《らくぢゃく》しなかった。
 かれが手紙をなげ込んだのは、日本橋馬喰町から芝宇田川町まで十軒あまりで、どの家の主人もたびたび奉行所へよび出されて迷惑した。そのなかですぐに訴え出たものは唯一軒で、これは無事に済んだが、他のものは早く訴え出なかったという落度で、みな叱られた。殊に和泉屋市兵衛は訴え出《い》でを怠るのみか、賊のいうに任せてその金をつかわしたのは不埒であるというので、最もきびしく叱られた。賊が手紙をなげ込むに、歴々の大《おお》町人を目指さず、また小商人《こあきんど》の店をも避けて、中流の町家のみを狙ったのもなかなか賢こい遣り方で、その金高も二分にとどめたのは、相手は思い切って出し易いためであろう。それがもう一両となれば、どこでも※[#「足へん+寿」、第4水準2-89-30]躇するに相違ない。それらの用心から察しても、あるいはほんとうの浪人者などが知恵を授けたのではないかと思われたが、彼はどうしても自分ひとりの思い立ちであると言い切っていた。右の十軒あまりの中で金を出して置いたのは和泉屋と若狭屋だけで、後者は無難に済んだのであるから、実際の被害は和泉屋だけに過ぎなかった。その二分の金は宇田川町で捕えられたときに振り落としてしまったのか、それとも誰かの手に伝わったのか、結局被害者へは戻らなかったそうである。金をうしなった上に、最もきびしいお咎めを蒙って、和泉屋が一番貧乏くじを引いたわけであった。
 江戸時代にこういう手段を用いた賊は甚だめずらしいといわれた。したがって判決の先例がないので、奉行所でもその処分に苦しんで、その七月まで落着延引しているうちに、賊は七月八日に牢死した。伝えるところによると、奉行所では遠島と内定していたそうである。本来ならば結局重追放ぐらいで済むべきであったが、その書状のうちに放火して焼き払う云々というおどし文句があるので、かりにも放火などというは重々不埒であると、死罪に次ぐべき重罪に問われることになったのであるという。
 今から百年前には、この種の犯罪も係りの役人の頭を悩ますほどに珍らしがられたのであった。今日の不良少年もその時代に生まれたら、あっぱれの知恵者として世間をおどろかしたかも知れない。
                    大正十三年二月作「新小説」

底本:「岡本綺堂読物選集 6 探偵編」青蛙房
   1969(昭和44)年10月10日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:和井府清十郎
校正:門田裕志
2012年7月10日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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