一
四月なかばの土曜日の宵である。
「どうです。あしたのお天気は……」と、半七老人は訊《き》いた。
「ちっと曇っているようです」と、わたしは答えた。
「花どきはどうも困ります」と、老人は眉をよせた。「それでもあなた方はお花見にお出かけでしょう」
「降りさえしなければ出かけようかと思っています」
「どちらへ……」
「小金井です」
「はあ、小金井……。汽車はずいぶん込むそうですね」
「殊にあしたは日曜ですから、思いやられます」
「それでも当節は汽車の便利があるから、楽に日帰りが出来ます。むかしは新宿から淀橋、中野、高円寺、馬橋、荻窪、遅野井、ぼくや横町、石橋、吉祥寺、関前……これが江戸から小金井へゆく近道ということになっていましたが、歩いてみるとなかなか遠い。ここで一日ゆっくりお花見をすると、どうしても一泊しなければならない。小金井橋のあたりに二、三軒の料理屋があって、それが旅籠《はたご》を兼業ですから、大抵はそこに泊めてもらうことになるのですが、料理屋といっても田舎茶屋で、江戸から行った者にはずいぶん難儀でした」
「あなたもお出でになった事があるんですね」
「ありますよ」と、老人は笑った。「小金井の桜のいいことは、かねて聞いていましたが、今も申す通り、なにぶん道中が長いので、つい出おくれていましたが、忘れもしない嘉永二年、浅草の源空寺で幡随院長兵衛の三百回忌の法事があった年でした。長兵衛の法事は四月の十三日でしたが、この三月の十九日に子分の幸次郎と善八をつれて、初めて小金井へ遠出《とおで》を試みたと云う訳です。武家ならば陣笠でもかぶって、馬上の遠乗りというところですが、われわれ町人はそうは行かない。脚絆《きゃはん》をはいて、草履を穿《は》いて、こんにちでいう遠足のこしらえで、三人は早朝から山の手へのぼって、新宿、淀橋、中野と道順をおって徒《かち》あるきです。旧暦の三月ですから、日中は少し暖か過ぎる位でした。今から思うと、むかしの人間は万事が悠長だったのですね。途中の茶店などに幾たびか休んで、のん気に又ぶらぶら歩いて行く。それを保養と心得ていたのですよ。はははははは」
「しかしそれが本当の保養でしょう。今日のように、汽車に乗るにも気違いのような騒ぎじゃあ、遊びに行くのか、苦しみに行くのか判りません。どう考えても、ほんとうの花見は昔のことでしょうね。そこで、その時には別に変ったお話もありませんでしたか」
「ありましたよ」と、老人は又笑った。「犬もあるけば棒にあたると云いますが、わたくし共が出あるくと不思議に何かにぶつかるのですね。その時も小金井までは道中無事、小金井橋の近所で午飯《ひるめし》を食ってそこらの花をゆっくり見物して、ここでお泊まりにしてしまえば、まあ無事だったわけですが、どうせ泊まるなら府中の宿《しゅく》まで伸《の》そうと云うことになって、いずれも足の達者な奴らが揃っているので、畑のあいだの道を縫って甲州街道へ出て、小金井からおよそ一里半、府中の宿へ行き着いて、宿の中ほどの柏屋という宿屋にはいりましたが、まだ日が高いので、六所《ろくしょ》明神へ参詣ということになりました。闇祭りで有名の六所明神、ここへ来た以上は、一度参詣をしなければならないというわけです。あなたはお参りをなすった事がありますか」
「いいえ、小金井には学校時代に一度遠足に行った事があるだけで、府中は知りません」
「それでは少し説明をして置かなければならない。と云うのは、社《やしろ》の入口から随身門までおよそ一丁半、路の左右は松と杉の森で、四抱えも五抱えもあるような大木が天を凌《しの》いで生い茂っています。その森の梢にはたくさんの鷺《さぎ》や鵜《う》が棲んでいるが、寒《かん》三十日のあいだは皆んな何処へか立ち去って、寒が明けると又帰って来る。それが年々一日も違わないので、ここでは七不思議の一つと云われています。そこで、その鷺や鵜は品川の海や多摩川のあたりまで飛んで行って、いろいろの魚《さかな》をくわえて来るが、時にはあやまって其の魚を木の上から落とすことがある。土地の女子供はそれを見つけて拾って来る。ここらは海の遠い所ですが、鳥のおかげで、案外に海魚《うみうお》の新らしいのを拾うことが出来ると云うのは、何が仕合わせになるか判りません。早く云えば天から魚が降って来るようなわけで……」
「おもしろい話ですね。今でもそうでしょうか」
「さあ、今はどうだか知りませんが、昔はそうでした。現にわたくしも見たのだから嘘じゃありません」と、老人はつづけて笑った。「その時にも魚が降って来ましたよ。わたくしと幸次郎と善八、この三人が宿屋を出て、六所明神の社をさして行きかかると、今も申す通り、随身門までは右も左も松杉の大きい森、その森を横に見ながら辿《たど》って行くと、幸次郎がだしぬけにあっ[#「あっ」に傍点]と云う。何かと思ってその指さす方角を見ると、一羽の大きい白鷺が大空から舞いさがって、森のこずえに降りようとする途端に、どうしたはずみか、銜《くわ》えている黒い魚を振り落としたので、魚は天から降って来たという形。……すると、そこらに遊んでいた二人の子供がわっ[#「わっ」に傍点]と云って駈けて行く。ひとりは赤ん坊を負っている十四、五の女の児、ひとりは十一、二の男の児で、どっちも慌ててその魚を拾おうとする。こうなっちゃあ鷺も降りて来ることは出来ない。人間同士の取りっこです。
年上だけに女の児が素早く拾ったのを、男の児がまた取ろうとする。女の児はやるまいとする。両方が泣き顔になって一生懸命です。しょせんは子供同士の獲物《えもの》争い、笑って見て通ればそれ迄ですが、ただ見過ごせないのが私の性分で、怪我でもするといけないから留めてやれと幸次郎に云いますと、幸次郎は駈けて行って二人を引き分けました。いくら相手が子供でも、留男《とめおとこ》に出た以上は唯は済みません。女の児が先に拾ったのだから、魚は女の児にやらなけりゃいけない。その代りにお前にはこれをやると云って、幸次郎が三文か四文の銭《ぜに》を渡すと、男の児は大よろこびで承知しました。
しかし、この子供たちはふだんから仲が悪いのか、それとも魚を取られたのが口惜《くや》しいのか、男の児は相手の女の児を指さして、こいつの家《うち》へはお化けが出るんだよ。やあお化けだ、お化けだと呶鳴りながら、一目散に逃げて行きました。すると、こっちの女の児は手に掴んでいる魚を抛《ほう》り出して、わあっ[#「わあっ」に傍点]と泣き出しました。何が何だか判らないが、いつまでも子供を相手にしてもいられないので、三人はそのまま其処を立ち去って、随身門をはいって御社《おやしろ》に参詣、もとの宿屋へ帰って来ました。
唯これだけならば別にお話の種にもならないのですが、その晩は宿屋も閑《ひま》だったと見えて、女中ふたりが座敷へ来て酒の酌をする。そのときに例の魚の降って来た話が出ると、女中はその女の児を知っていました。男の児は誰だか判らないが、女の児はお三ちゃんに違いないと云うのです。お三の父親の友蔵は、四年ほど前までは布田《ふだ》の宿《しゅく》で多摩川の漁師をしていました。布田は府中よりも一里二十三丁の手前で、こんにちでは調布《ちょうふ》という方が一般に知られているようです。なにしろ府中と布田とは直ぐ近所で、土地の者は毎日往来していると云うことでした。
友蔵はどうも質《たち》の良くない人間で、博奕を打つ、喧嘩をする。そのほかにも何か悪いことをしたので、土地の漁師仲間からも追いのけられて、今では府中の宿へ流れ込んで、これという商売も無しにぶらぶらしている。女房には先年死に別れて、お国とお三という二人の娘がある。そんな奴だから年頃の娘を唯は置かない。姉のお国は調布の女郎屋へ売ってしまい、妹のお三は府中の喜多屋という穀屋《こくや》へ子守奉公に出しているのだそうです」
「その喜多屋へお化けが出るんですか」と、わたしは話の腰を折るように訊いた。
「いや、喜多屋に係り合いはないのですが、友蔵の家《うち》に出るという噂があるのです」
「なにが出るんですね」
「友蔵は宿のはずれに、小さな世帯を持っているが、家《うち》を明けっ放して毎日遊びあるいている。そこへ女と男の幽霊がでるという噂で……。女は調布の女郎屋に売られた娘のお国、男は江戸の若い男だというのです」
「二人は心中でもしたんですか」
「そうです。二人が心中をして、その幽霊が友蔵の家へ現われる。夜は勿論、雨のふる暗い日なぞには昼間でも出ると云うのだから恐ろしい。しかし友蔵は平気でいるところをみると、本当に出るのか出ないのか、それとも友蔵の度胸がいいのか、そこは好く判らないが、ともかくも其の家にお化けが出ると云うのは宿《しゅく》じゅうの評判で、誰でも知らない者はないと、宿屋の女中たちはまじめになって話しました」
「化けて出ると云うからには、その男と娘が何か友蔵を恨む訳があるんですね」
「恨むというのは……。まあ、こういう訳です」
二
おととしの五月、六所明神の闇祭りを見物に来た江戸の二人連れがあった。それは四谷の和泉屋という呉服屋の息子|清七《せいしち》と、その手代の幾次郎で、この柏屋に泊まったのであるが、祭りは殆ど夜明かしで朝まで碌々眠られなかったので、夜が明けてから寝床にはいって午《ひる》過ぎに起きた。これでは明るいうちに江戸へはいれまいと云うので、八ツ(午後二時)過ぎにここを出て、二人は調布に泊まることになった。いずれも二十二、三の若い同士であるので、唯の宿屋には泊まらないで、甲州屋という女郎屋にはいり込んだ。
ここは友蔵の娘が奉公している店で、そのお国が清七の相方《あいかた》に出た。お浅という女が幾次郎に買われた。お国はそのとき二十歳《はたち》で、この店の売れっ妓《こ》であったが、見すみす一夜泊まりと判っている江戸の若い客を特別に取り扱ったらしく、その明くる朝は互いに名残りを惜しんで別れた。
江戸には遊び場所もたくさんある。殊に眼のさきには、新宿をも控えていながら、清七はお国のことを忘れ兼ねて、店の方をどう云い拵えたか知らないが、その後もふた月に一度ぐらいは甲州屋へ通《かよ》っ[「っ」は底本では「つ」と誤植]て来た。その当時の甲州街道でいえば、新宿から下高井戸まで二里三丁、上高井戸まで十一丁、調布まで一里二十四丁、あわせて四里の道を通って来るのであるから、相手のお国はいよいよ嬉しく感じたらしい。こうして一年あまりを過ごしたが、何分にも江戸の四谷と甲州街道の調布ではその通い路が隔たり過ぎているので、二人のあいだに身請けの相談が始まった。
こうなると親にも打ち明けなければならないので、お国は父の友蔵を呼んで相談すると、友蔵はよろこんで承知した。しかし江戸の客が身請けをするなぞと云えば、主人も足もとを見て高いことを云うに相違ないから、おれが直々《じきじき》に掛け合って、親許身請けと云うことにして、十五両か二十両に値切ってやる。ともかくもその清七という男に二十両ばかりの金を持たせて来いと教えた。
その教えに従って、清七は二十五両ほどの金を持って、府中の友蔵をたずねて行くと、友蔵はおとなしい清七をだまして、その金をまき上げてしまった。そうして、十五両や二十両の端下金《はしたがね》で大事の娘をおめえ達に渡されるものか、娘がほしければ別に百両の養育料を持って来いとそらうそぶいた。それでは約束が違うと争ったが、清七は友蔵の敵でない。果てはさんざんに撲《なぐ》られて表へ突き出された。
くやし涙に暮れながら甲州屋へもどった清七は、お国とどういう相談を遂げたのか知らないが、その夜のうちに甲州屋をぬけ出して多摩川の河原に出た。水が浅いので死ねないと思ったのであろう。お国が持ち出した剃刀《かみそり》で、男は女の喉《のど》を突いた。さらに自分の喉を突いた。それでも直ぐには死に切れなかったらしく、血みどろの二人は抱き合ったままで、浅瀬にすべり込んで倒れているのを、明くる朝になって発見された。別に書置らしい物は残されていなかったが、二人が合意の心中であることは疑うまでもなかった。
それは去年の八月、河原の蘆《あし》の花が白らんだ頃の出来ごとで、若い男女をむごたらしい死の淵《ふち》に追いやったのは、友蔵の悪法に因ることが自然に世間にも知れ渡ったが、相手が悪いので甲州屋でも表向きの掛け合いをしなかった。それをいいことにして、友蔵は平気で遊び暮らしていたが、その以来、さなきだに評判の悪い友蔵はいよいよ土地の憎まれ者になった。お国と清七の幽霊が恨みを云いに出るという噂も立てられた。友蔵は昼間こそ平気な顔をしているが、夜は血だらけの幽霊ふたりに責められて、唸って苦しむなどと誠しやかに云い触らす者もあった。
宿屋の女中らの話は先ずこうである。成程ひどい奴だと半七らも云ったが、お国と清七が合意の心中である以上、表向きには友蔵をどうすることもできないのは判っているので、その上の詮索もしなかった。明くる朝、宿屋を立って、宿《しゅく》のはずれへ来かかると、きのうの男の児が二、三人の友達と往来に遊んでいるのを見付けたので、幸次郎は声をかけた。
「おい、おい。お化けの出る家《うち》と云うのは何処だえ」
「あすこだよ」と、男の児は指さして教えた。それは七、八軒さきの小さい茅葺《かやぶき》屋根の田舎家で、強い風には吹き倒されそうに傾きかかっていた。その軒さきには大きい槐《えんじゅ》の樹が立っていた。
どうで通り路であるから、その家の前を行き過ぎながら、三人は横眼に覗いてみると、槐の樹の股に一羽の大きい鵜がつないであって、その足に「うりもの」としるした紙片《かみきれ》が結び付けられていた。それを幸いと、善八は立ち寄って呼んだ。
「もし、この鳥は売り物ですかえ」
うす暗い奥にはひとりの男が衾《よぎ》をかぶって転がっていたが、それでも眼を醒ましていたと見えて、直ぐに半身《はんみ》を起こして答えた。
「むむ、売り物だよ」
「幾らですね」
「三|歩《ぶ》だよ」
「高《た》けえね」
「なに、高けえことがあるものか」
云いながら起きて来たのは、年ごろ四十二、三の、色の赭《あか》黒い、頬ひげの濃い、見るからに人相のよくない大男であった。彼は三人をじろじろ睨んで、俄かに声をあらくした。
「え、ひやかしちゃあいけねえ。おめえ達はその鳥を知っているのか。それは鵜だよ。荒鵜だよ。おめえ達のような人間の買う物じゃあねえぜ」
「鵜は知っているが、値を訊いてみたのよ」と、善八は答えた。
「それだからひやかしだと云うのだ。江戸の人間が鵜を買って行って、どうするのだ。それとも此の頃の江戸じゃあ、鵜を煮て喰うのが流行るのか。朝っぱらからばかばかしい。帰れ、帰れ」と、彼は眼をひからせて呶鳴った。
「まあ、堪忍してくんねえ」と、半七は喙《くち》をいれた。「まったくおめえの云う通り、鵜を買って行っても土産にゃあならねえ。話のたねに値段を訊いただけのことだから、ひやかしと云われりゃあ一言もねえ。だが、この鵜は何処で捕ったのだね」
「四、五日前に何処からか飛び込んで来たのよ。おおかた明神の森へ帰る奴が戸惑いをしたのだろう。森にいる奴を捕るのはやかましいが、おれの家へ舞い込んで来たのを捕るのは、おれの勝手だ。そいつは荒鵜のなかでも荒い奴だから、うっかり傍へ寄って喰い付かれても知らねえぞ。馴れている俺でさえも怪我をした」
云い捨てて彼は奥へはいってしまった。もう相手にならないと見て、半七は挨拶をしてそこを立ち去った。
「あいつが友蔵か。成程、可愛くねえ奴らしい」と、幸次郎はあるきながら云った。
「善ぱが詰まらねえひやかしをするので、あんな奴にあやまる事になった」と、半七は笑った。
「本当に幽霊が出るか出ねえか知らねえが、あんな奴のところへ出たら災難だ。幽霊に肩を揉ませるか、飯を炊《た》かせるか、判ったものじゃあねえ」
三人はその日の午過ぎに江戸へ帰り着いた。新宿で遅い午飯《ひるめし》を食って一と休みして、大木戸を越して四谷通りへさしかかると、塩|町《ちょう》の中ほどで幸次郎は急に半七の袖をひいた。
「もし、親分。和泉屋というのはそこですよ」
そこには和泉屋という暖簾《のれん》をかけた呉服屋が見えた。悪い奴に引っかかって、大事の息子を心中させて、気の毒なことをしたと思いながら、半七はそっと覗くと、四間|間口《まぐち》で、幾人かの奉公人を使って、ここらでは相当の旧家であるらしく思われた。これだけの店の息子が二十両や三十両のことで命を捨てるにも及ぶまいにと、半七はいよいよ気の毒になった。
「ほかにも何か仔細があるかな」と、半七は又かんがえた。
三
この年の花どきは珍らしく好い天気の日がつづいて、花にあらしの祟りもなかったが、四月に入ってから陰《くも》った日が多かった。そのあいだには卯の花ぐたしの雨が三日も四日も降りつづいて、時候はずれに冷える日もあった。それでも五月の節句前から晴れて、三、四、五、六、七の五日間は初夏らしい日の光りが、江戸の濡れた町をきらきらと照らした。
ほかの仕事が忙がしいので、半七も忘れていたが、五月はじめは府中の祭りである。六所明神の例祭は三日に始まって、六日の朝に終る。そのあいだすべて晴天であったのは仕合わせで、諸方から集まる参詣人の混雑も思いやられた。
その八日の午後である。半七は下谷まで用達しに行って帰ると、幸次郎が一人の客を連れて来て、親分の帰るのを待っていた。
「親分、天気がまた怪しくなって来ましたね」
「むむ。どうも長持ちがしねえので困ったものだ。また泣き出しそうになって来た」
云いながら不図《ふと》見ると、眼の前にも泣き出しそうな顔をした人が坐っていた。それは四十前後の痩形の男で、お店《たな》の番頭ふうであることは一と目に知られた。幸次郎はすぐに紹介した。
「この人は四谷坂|町《まち》の伊豆屋という酒屋さんの番頭さんですが、少し親分にお願い申してえことがあるので、わっしが一緒に連れて来ました」
その尾について、男も伊豆屋の番頭治兵衛であると名乗った。半七も初対面の挨拶をして、さてその用件を聞きただすと、治兵衛は重い口からこんなことを語り出した。
「ひと通りのことはさっき幸次郎さんにもお話し申したのでございますが、手前どもの店に少々困ったことが出来《しゅったい》いたしまして……」
自分を目ざして頼みに来る以上、いずれ何かの事件が出来したのは判り切っているので、半七は相手の話を引き出すように気軽く答えた。
「はあ、そうですか。そこで、その一件というのは何か面倒なことですかえ」
「実はこの五日のことでございますが、御承知の通り、府中の六所明神の御祭礼、その名物の闇祭りを一度見物いたしたいと申しまして、おかみさんと総領息子、それにわたくしと若い者の孫太郎と、都合四人づれで六ツ半(午前七時)頃から店を出ました。勿論おかみさんだけは駕籠で、男共は歩いて参りました。日の長い時節ではございますが、途中で休み休み参りましたので、府中の宿《しゅく》へ着きました頃には、もう薄暗くなって居りました。さてこのお祭りには初めて参ったのでございますが、噂に聞いたよりも大層な繁昌で、土地馴れない者はまごつく位、それでもどうやら釜屋という宿屋に泊めて貰うことになりましたが、その宿屋がまた大変な混雑で、これでは困ると思ったのですが、どこの宿屋も今夜はみんなこの通りだと聞かされて、まあ我慢することになりました」
「わたしもこの三月、府中に泊まりましたが、ふだんの時だから至ってひっそりしていました」と、半七は笑った。「しかしお祭りの時は大変だと、女中たちも云っていましたよ」
「まったく案外でございました」と、治兵衛は溜め息をついた。「それほど大きくもない宿屋に百何十人という泊まりですから、一つの部屋に十五人も二十人も押し込まれて、坐る所もないような始末。お夜食の膳もめいめいが台所へ行って、自分が貰って来なければならない。まるで火事場のような騒ぎでございます。こんな事と知ったら来るのじゃあなかったと、おかみさんも後悔していましたが、今さら帰るにも帰られず、まあ小さくなって辛抱して居りますと、やがて四ツ(午後十時)過ぎでもございましょうか、唯今お神輿《みこし》のお通りでございます。灯を消しますと触れて廻る声がきこえたかと思うと、内も外も一度に灯を消して真っ暗になってしまいました。
それ、お通りだというので、我れも我れもと店さきへ手探りながら駈け出しましたが、なんにも見えません。暗いなかでお神輿の金物《かなもの》がからりからりと鳴る音と、それを担いで行く白丁《はくちょう》の足音がしとしとと聞こえるばかり。お神輿は上の町のお旅所《たびしょ》へ送られて、暗闇のなかで配膳の式があるのだそうで……。そのあいだは内も外も真っ暗でございます。夜なかの八ツ(午前二時)頃に式を終りますと、一度にぱっと灯をつけて、町じゅうは急に明るくなりました。くどくど申す通り、それまでは真の闇で、どこに誰がいるか、さっぱり判りませんでしたが、さて明るくなって見ると、おかみさんの姿が見付かりません。若旦那も孫太郎も、わたくしも心配して、混雑のなかを抜けつ潜《くぐ》りつ、そこらを頻りに探して歩きましたが、どうしても姿が見えません。
なにしろ夜なかではあり、大変な混雑ですから、どうすることも出来ません。夜が明けたら何処からか出て来るだろうと、三人は一睡も致さずに、夜の白らむのを待って居りましたが、おかみさんの姿はどうしても見えません。そのうちに日が高くなって、ほかの客はだんだんに引き揚げてしまいましたが、わたくし共は帰ることが出来ません。宿屋の者にも頼みまして、心あたりを隈なく探させましたが、なんにも手がかりがございません。その晩はとうとう府中に泊まりましたが、おかみさんは帰って参りません。店の方でも心配しているだろうと存じまして、三人相談の上で、孫太郎だけが府中に残り、若旦那とわたくしは早駕籠で江戸へ戻りました。
主人もおどろきまして、親類などを呼びあつめて、ゆうべは夜の更けるまでいろいろ相談を致しましたが、みんなも心配するばかりで、さてどうという知恵もございません。町内の下駄屋さんがこの幸次郎さんとお心安くしていると云うことを聞きまして……」
「そういうわけで、わっしの所へ頼みに来なすったのですが……」と、幸次郎は取りなすように云った。「わっし一人で請け合うわけにゃあ行かねえ。まして江戸から五里七里と踏み出す仕事だから、親分にすがって何とかして貰おうと云うので、こうして一緒に出て来たのですが、どうでしょう、なんとかなりますめえか。番頭さんもひどく心配していなさるんですが……」
「若い者では無し、いい年をしたわたくしが供をして参りまして、おかみさんの姿を見失ったと申しては、主人は勿論、世間に対しても申し訳がございません。これがお武家ならば、腹でも切らなければならない処でございます。親分さん。お察しください」
四十男の治兵衛が涙をうかべて頼むのである。殊に幸次郎の口添えもある以上、半七も断わるわけにも行かなくなった。
「まあ、ようござんす。出来ることか出来ないことか知りませんが、折角のお頼みですから、なんとかやってみましょう」と、半七は請け合った。「おい、幸。この春、初めて府中へ行ったのも、何かの因縁かも知れねえ」
「そうですねえ」と、幸次郎もうなずいた。「そこで、親分。この番頭さんに何か訊いて置くことはありませんかえ」
「大有りだ。早速だが、そのおかみさんというのは幾つで、どんな人ですね」
「おかみさんはお八重と申しまして、十八の年に伊豆屋へ縁付いてまいりまして、翌年に総領息子の長三郎を生みました。その長三郎が当年|二十歳《はたち》になりますから、おかみさんは三十八で、容貌《きりょう》も悪くなく、年よりも若く見える方でございます」
治兵衛は半七の問いに対して、伊豆屋は四谷坂町に五代も暖簾《のれん》をかけている旧い店で、屋敷方の得意さきも多く、地所家作も相当に持っていて身上《しんしょう》も悪くない。主人の長四郎は四十三歳で、子供は長三郎のほかに、十七歳の四万吉《よもきち》、十四歳のお初がある。奉公人は自分のほかに、若い者が三人、小僧が二人、女中二人、あわせて十三人の家内であると答えた。
「おまえさんの家《うち》では塩町の和泉屋という呉服屋を御存じですかえ」と、半七は突然に訊いた。
「和泉屋さんは存じて居ります。別に親類というのではございませんが、先代からお附き合いをいたして居ります」
「和泉屋の息子は飛んだ事でしたね」
「まったく飛んだ事で……。あの一件につきましては、和泉屋さんでも、息子の死骸を引き取るやら何やかやで、随分の物入りであったそうで、なんとも申しようがございません。そんな一件がありますので、今度の府中行きも、主人は少し考えて居りました。わたくしも何だか気が進まなかったのでございますが、おかみさんが是非一度見物したいと申しますので、とうとう思い切って出かける事になりますと、又ぞろこんな事が起こりまして……。やっぱり止せばよかったと、今さら後悔して居りますような訳でございます」
「和泉屋の奉公人で、息子と一緒に府中へ行った者がありましたね」と、半七はまた訊いた。
「はい。幾次郎と申す者でございます」と、治兵衛は答えた。「これがちっと道楽者で、主人の息子を調布の女郎屋へ誘い込みましたのが間違いのもとで、それからあんな事になりましたので、主人に対しても申し訳のない次第でございますが、幾次郎は唯の奉公人でなく、主人の遠縁にあたる者でございますので、まあ、そのままに勤めて居ります」
「幾次郎は幾つでしたね」
「たしか、二十三かと思います。唯今も申す通り、堅気の呉服屋の手代にはちっと不似合いの道楽者で、近所の常盤津の師匠のところへ稽古に行くなぞという噂もございます」
「その幾次郎はお店へも来ることがありますか」
「ときどきには参ります」
それからまだ二つ三つの話をして、治兵衛は帰った。帰る時にも彼は何分お願い申しますと、幾たびか繰り返して頼んで行った。
四
「親分、どうですかね。大抵見当は付きましたか」と、幸次郎は訊いた。
「そう手軽にも行かねえ」と、半七は笑った。「去年の心中一件と、今度の一件と、まるで縁のねえ事か、それとも何かの糸が繋がっているのか、まずそれを考えなけりゃならねえ」
「友蔵の奴が又なにかやったかね」
「おれもそんな事をかんがえたが、若い娘ならばともかくも、やがて四十に手のとどく女房をかどわかすということもあるめえ。いくら暗闇だって、まわりに大勢の人がいるのだから、きゃあ[#「きゃあ」に傍点]とか何とか声を立てるぐらいのことは出来そうなものだ。まさかに友蔵に引っ担いで行かれたのでもあるめえ。おれももう少し考えるから、おめえは善ぱと手分けをして、伊豆屋と和泉屋の内幕を探ってくれ」
「こうなると此の春、府中へ行って来て好うござんしたね」
「むむ。なにが仕合わせになるか判らねえ。だしぬけにこんな事を持ち込まれたのじゃあ見当が付かねえ」
幸次郎を出してやって、半七は又しばらく考えた。伊豆屋の番頭の話だけでは詳しいことは判らない。番頭もまた一家の秘密を洩らすまい。したがって、その話のほかに、伊豆屋と和泉屋にからんで如何なる秘密がひそんでいないとも限らない。所詮《しょせん》は幸次郎と善八の報告を待って、それから正確の判断をくだすのほかはなかったが、半七は平生の癖として、ともかくも今までに与えられた材料によって一応の推測を試みようとした。中《あた》っても外《はず》れても、考えるだけは考えなければ気が済まないのであった。
表には苗売りの声がきこえた。けさから催していた雨がしずかに降って来た。その雨の音を聞きながら、半七は居眠りでもしたように目を瞑《と》じていたが、やがて手拭いと傘を持って町内の銭湯へ出て行った。
雨はだんだんに強くなって、夕暮れに近い空の色はますます暗くなった。湯から帰って来た半七の顔色も暗かった。子分ら二人が何かの報告を持って来るまでは、自分の肚《はら》をはっきりと決め兼ねたのである。
雨は明くる日も降りつづいて、本式の梅雨空《つゆぞら》となった。その日の暮れかかる頃に、善八が先ず顔をみせた。
「いよいよ梅雨になりました。ゆうべ幸次郎の話を聞いたので、けさから早速取りかかりました」
「おめえはどっちへ廻ったのだ」と、半七は待ち兼ねたように訊いた。
「わっしは塩町の呉服屋の方です。そこで先ず聞き込んだだけのことをお話し申しましょう」と、善八は云い出した。「和泉屋という家は店構えを見ても知られる通り、土地でも旧い店で、身代もしっかりしているという噂です。主人の久兵衛は五十ぐらい、女房のお大は後妻で三十四、五、先妻にも後妻にも子がないので、主人の甥の清七を養子に貰って、二十二の年まで育てて来ると、その清七は調布のお国と心中してしまったという訳です」
「清七は養子か」
「本来はおとなしい、手堅い人間だったそうですが、府中へ行った帰りに一と晩遊んだのが病み付きで、飛んだ事になったものだと、近所でも気の毒がっています。それから手代の幾次郎ですが、主人の遠縁の者だという事になっているが、実は番頭の息子だそうです。それにはちっと訳があるので……」
今から二十年ほど前に、和泉屋の番頭勇蔵が入牢《じゅろう》した。それは紀州家か尾張家かへ納めた品々に、何か不正のことがあったと云うのである。その吟味中に勇蔵は牢死した。しかも世間の噂では、主人の罪を番頭がいっさい引き受けて、主人はなんにも知らない事に取りつくろったのであると云う。その忠義の番頭勇蔵のせがれが幾次郎で、当時はまだ二、三歳の子供であったのを、母のおみのが引き連れて、甲州の身寄りの方へ立ちのいた。もちろん和泉屋では相当の扶助をしてやったに相違ない。
その幾次郎が八つか九つに成人した時に、恐らく前々からの約束があったのであろう。江戸へ出て来て旧主人の和泉屋に奉公することになった。表向きは遠縁の者だと云うことにして、主人も特別に眼をかけて使っていた。和泉屋に子が無いので、番頭の忠義に報いるために、或いはこの幾次郎を養子にするのでは無いかと云う者もあったが、その想像は外れて、主人の甥の清七が十三の年から貰われて来た。幾次郎はやはり奉公人として働いていて、彼が堅気の店の者に似合わず、稽古所ばいりをしたり、折りおりには新宿の遊女屋遊びをしたりするのを主人が大目《おおめ》に見ているのも、亡父の忠義を忘れない為であろう。たとい養子には据わらずとも、ゆくゆくは暖簾でも分けて貰って、一軒の店の主人になるであろう、と、昔を知るものは噂している。
「成程、幾次郎という奴には、そういう因縁があるのか」と、半七はうなずいた。「そこで、その幾次郎は相変らず店に働いているのか」
「きょうも店に坐っていました」と、云いかけて、善八は少しく声を低めた。「近所の噂だけで、確かなことは判らねえのですが、和泉屋の女房は節句の晩あたりから家《うち》にいねえらしいと云うのです。もちろん和泉屋じゃあ内証にしていますが、店の小僧が使に出たとき、誰かにしゃべったそうで……」
「和泉屋の女房もいねえのか」と、半七も眼をひからせた。「節句の晩といえば府中の闇祭りの晩だ。その同じ晩に、伊豆屋の女房は府中で姿をかくし、和泉屋の女房は江戸で姿を隠す。いかに両方が知合いの仲だと云っても、まさかに女同士が誘い合わせて駈け落ちをしたわけでもあるめえ。妙な事になったものだな」
女房二人のあいだに何かの係り合いがあるのか、但しは偶然の一致か、半七もその鑑定に苦しんだ。善八も黙って考えていた。
「ああ、降る、降る」
ひとり言のように云いながら、幸次郎がはいって来た。
「どうだ。何かおもしれえ掘出し物があったか」と、彼は善八に訊いた。
「むむ、まず一と通りは判った」と、半七は引き取って答えた。「第一の聞き込みは、和泉屋の女房も闇祭りの晩に姿をかくしたと云うことだ」
「ふむう」と、幸次郎も眼を丸くした。「そりゃあおもしれえ。そこで親分。善ぱと違って、わっしの方にゃいい見付け物もありません。伊豆屋のことは大抵あの番頭の云った通りですが、近所で訊くと、伊豆屋の主人はお人好しの方で、お八重という女房が内外《うちと》のことを一人で切って廻している、いわば嚊天下《かかあでんか》の家だそうで、もう年頃の息子や娘がありながら、お八重は派手なこしらえで神詣りにもたびたび出て歩くという評判です」
「別に浮気をしているような噂もねえのか」と、半七は訊いた。
「そんな女だから何か不埒を働いていやあしねえかと思って、わっしもいろいろ探ってみましたが、そんな噂もねえようです。よっぽど上手にやっているんでしょうか」
「和泉屋の手代の幾次郎とおかしいと云う噂は聞かねえか」
「聞きませんね。よそでそんな噂があるんですか」
「そうでもねえが、まあ訊いてみたのだ」
こう云って、半七はまた考えている処へ、女房のお仙が女中に鮨の大皿を運ばせて来た。どこからか届けて来たと云うのである。商売柄でこんな遣い物を貰うのは珍らしくない。すぐに茶をいれさせて、半七ら三人は鮨を喰いはじめると、そのそばで女房がこんなことを話し出した。
「わたしが今、お湯の帰りに自身番の前を通ると、雨が降るのに人立ちがしているから、なんだろうと思って覗いてみると、隣り町《ちょう》のしん吉のおっかさんが自身番へ駈け込んで、おいおい泣いているのよ」
しん吉というのは落語家《はなしか》しん生の弟子で、となり町の裏に住んでいる。年は二十四、五で、男前は悪くないが芸が未熟であるために、江戸のまん中の良い席へは顔を出されず、場末や近在廻りなどをして、母のおさが[#「おさが」に傍点]と二人で暮らしている。それでも芸人の端《はし》くれであり、且は近所でもあるので、半七はしん吉親子の顔を識っていた。
「しん吉のおふくろは何を泣いているのだ」
「それがね。なんだか取り留めのない話のようだけれども、おっかさんは一生懸命に泣いて騒いでいる。と云うのは、しん吉は先月から甲州街道の方角へ稼ぎに行って[#「行って」は底本では「云って」]、月ずえには江戸へ帰る筈のところが、今月になっても便りがない。おっかさんも毎日心配していると、おとといの晩、おっかさんが変な夢を見たんだとさ」
「どんな夢を見た……」
「おっかさんが火鉢のまえに坐っていると、しん吉が外からぼんやりはいって来て、だまって手をついている。おや、お帰りかえと声をかけても返事をしない。なぜ黙って俯向いているんだよと云うと、しん吉は小さな声で、顔を見せると阿母《おっか》さんがびっくりするからと云う。おまえの顔を見てびっくりする奴があるものか、旅から帰って来たら先ず無事な顔を親に見せるものだ、早く顔をお見せよと云うと、しん吉がひょいと顔をあげた……」
ここまで話して来て、お仙は思わず息をのみ込むと、幸次郎は笑いながら口を出した。
「なんだか怪談がかって来たようだね」
「まったく怪談さ」と、お仙は顔をしかめた。「しん吉が顔をあげると、顔は血だらけ……。なんでも砂利のような物で引っこすったように、顔一面に摺《す》りむけている。おっかさんも驚いてきゃっ[#「きゃっ」に傍点]と云うと、夢が醒めた……。もしやこれが正夢《まさゆめ》で、せがれの身の上に何か変事でもあったのじゃあ無いかと、おっかさんも頻りに案じていると、ゆうべも同じ夢をみて、せがれの顔はやっぱり血だらけ……。いよいよ心配していると、きょうの宵の口、おっかさんが銭湯から帰って来ると、暗い家のなかにしん吉がしょんぼりと坐っている。それが振り向くと、やっぱり血だらけの顔をしていたので、おっかさんはもう声が出なかったそうで……。これはどうしても唯事でない。せがれは何処でか非業《ひごう》の最期を遂げたに相違ないと、おっかさんは半気違いのようになって自身番へ泣き込んで来たと云うわけさ。自身番だってどうすることも出来ない。お前があんまり心配するから、そんな夢を見たのだろうとか、夢は逆夢《さかゆめ》だとか云って、まあいい加減になだめているのだが、親ひとり子ひとりの伜にもしもの事があったら、あたしも生きちゃあいられないとか云って、おっかさんは泣いて騒いでいる。そのうちに大屋《おおや》さんが来て、無理になだめて引っ張って帰ったが、考えてみれば可哀そうでもあり、しん吉は一体どうしたのかねえ」
聴いている三人は顔を見あわせた。外には暗い雨が小歇《こや》みなく降っていた。
「なるほど怪談だ」と、善八は冷えた茶を飲みながら云った。「だが、自身番で云う通り、お袋があんまり心配しているので、せがれの夢を見たり、せがれの姿を見たりしたのだろう。そんな事とは知らねえで、しん吉の野郎、近在をまわってちっとふところが暖《あった》まったので、今頃どこかの宿場《しゅくば》でおもしろく浮かれているかも知れねえ。親不孝な野郎だ」
「おい、お仙。傘を出してくれ」
半七は立ちあがって帯を締め直した。
「どこへ行くの」
「しん吉のおふくろに逢って来る」
「親分。怪談を真《ま》に受けて行くのかえ」と、幸次郎は半七の顔をみあげた。
「真に受けても受けねえでも、ちっと思いあたることがある。おれの帰るまで、おめえ達は待っていてくれ」
降りしきる雨の中を、半七は隣り町へ出て行った。
五
その明くる朝、半七は八丁堀同心の屋敷へ顔を出して、かくかくの次第で四、五日は江戸を明けると云うことを届けた上で、朝の四ツ(午前十時)頃に府中をさして出発した。幸次郎も善八も一緒に出た。
幸いに強い雨ではなかったが、きょうもしとしと降りつづいている。先度《せんど》の小金井行きとは違って、三人は雨支度の旅すがたで、菅笠、道中合羽、脚絆、草鞋に身を固め、半七はふところに十手を忍ばせていた。道順も先度とは少し違って、上高井戸から烏山、金子、下布田、上布田、下石原、上石原、車返し、染屋と甲州街道を真っ直ぐにたどって、府中の宿に行き着いたのは、七ツ半(午後五時)を過ぎる頃であった。
宿屋は先度の柏屋で、三人はここに濡れ草鞋をぬぐと、顔を見おぼえている宿の者は丁寧に案内して二階座敷へ通した。祭りの済んだ後といい、この天気に道中の旅びとも少ないとみえて、ここの二階はがら明きであった。
このあいだの遊山旅《ゆさんたび》とは違うので、風呂にはいって夕飯を済ませた後に、半七は宿の亭主を二階へ呼びあげて、自分たちの身の上を明かした。
「この宿《しゅく》に釜屋という同商売があるね」
「はい。手前共から五、六軒さきでございます」
「すこし訊きたいことがあるから、釜屋の亭主を呼んで来てくれ」
「はい、はい」
亭主はかしこまって、早々に釜屋の亭主文右衛門を呼んできた。文右衛門は四十五、六の篤実らしい男であった。江戸の御用聞きに呼び付けられて、彼は恐るおそる挨拶した。
「手前は釜屋文右衛門でございます。なにか御用でございましょうか」
「早速だが、この五日の闇祭りの晩に、おめえの店の女客が一人消えてなくなったそうだね。きょうでもう五日になる。まだなんにも手がかりはねえのかね」
「四谷坂町の伊豆屋のおかみさんが見えなくなりまして、手前共でも心配して居るのでございますが、まだなんにも手がかりがございませんので、実に困って居ります。なにぶんにも当夜は百四五十人の泊まり客で、二階も下もいっぱいの混雑、殊に火を消した暗闇の最中で、何がどうしたのか一向に判りません」と、文右衛門は云い訳らしく云った。
「そこで、その祭りの前の頃から、おめえの家《うち》に若い芸人が泊まっていなかったかね」
「はい。泊まって居りました。しん吉という江戸の落語家《はなしか》でございます」「いつ頃から泊まったね」
「しん吉さんは先月からこの近辺をまわって居りまして、ここでも東屋《あずまや》という茶屋旅籠屋の表二階で三晩ほど打ちました。一座の五人はそれから八王子の方へ行きましたが、しん吉さんは体が少し悪いと云うので、自分だけはあとに残って、先月の晦日《みそか》から手前共の二階に泊まって居りまして、闇祭りの日の午《ひる》すぎに、これから一座のあとを追って行くと云って立ちました」
「この宿《しゅく》はずれに友蔵という厄介者がいる筈だが、あれはどうしたな」と、半七はまた訊いた。
「友蔵は無事で居ります。これも先月の晦日ごろでございましょうか、江戸の方へ二、三日遊びに行ったとか申して居りましたが、唯今は帰って居りまして、現にきのうも手前どもの店の前を通りました。博奕にでも勝ったと見えまして、それから女郎屋へまいって景気よく飲んで騒いでいたとか申します」
「鵜でも売れたのだろう」と、半七は笑った。
「いえ、鵜はまだ売れません。家の前に売り物の札《ふだ》が付いて居ります」と、文右衛門はまじめに答えた。
「伊豆屋の若い者はどうしたね」
「きのうまで手前共に逗留《とうりゅう》でしたが、いつまでも手がかりが無いので、いったん江戸へ帰ると云って、今朝ほどお立ちになりました」
「それじゃ行き違いになったか」
釜屋の亭主を帰したあとで、半七は善八にささやいた。
「おめえは友蔵の家《うち》を知っているだろう。あいつは今夜、家にいるかどうだか、そっと覗いて来てくれ」
「ようがす」
善八はすぐに出て行った。
「友蔵の奴を挙げますかえ」と、幸次郎は訊いた。
「あいつ、どうも見逃がせねえ奴だ。不意に踏み込んで調べてやろう。先月の晦日ごろに江戸へ出たといい、景気よく銭を遣っているといい、なにか曰《いわ》くがあるに相違ねえ」
やがて善八は帰ってきた。
「友蔵は家《うち》で酒を喰らっていますよ」
「友達でも来ているのか」
「それがね。髪も形《なり》も取り乱しているが、ちょいと踏めるような中年増に酌をさせて、上機嫌に何か歌っていましたよ」
「それが例の幽霊かな」と、幸次郎は云った。
「なるほど蒼い顔をしていたが、確かに幽霊じゃねえ。第一、友蔵の娘という年頃じゃあなかった」
「よし」と、半七はうなずいた。「野郎ひとりに三人がかりも仰山《ぎょうさん》だが、折角来たものだから、総出としよう。おれは此のままで宿屋の貸下駄をはいて行く。野郎、あばれるといけねえから、おめえ達は支度をして行ってくれ」
三人は宿《やど》を出ると、今夜ももう五ツ(午後八時)過ぎで、まばらに暗い町の灯は雨のなかに沈んでいた。この宿《しゅく》には三、四軒の女郎屋がある。その一軒の吉野屋という暖簾をかけた店から、ひとりの若い男が傘もささずに出て来ると、又あとから其の相方《あいかた》らしい若い女が跣足《はだし》で追って来た。
「しんさん、お待ちよ」
「知らねえ。知らねえ」
男は振り切って行こうとするのを、女は無理にひき戻そうとして、たがいに濡れながら争っている。宿場の夜の風景、別にめずらしいとも思われなかったが、しんさんと云う声が耳について、半七は不図みかえると、男はかのしん吉であった。
「おい、しん吉、いくら江戸を離れていると云って、往来なかで見っともねえぜ」
だしぬけに声をかけられて、しん吉は降り返った。格子さきの灯のひかり、彼は半七の顔をすかして視ると、俄かにおどろいて逃げ出そうとしたが、その利き腕はもう半七の片手につかまれていた。こうなっては逃げるすべもない。彼は無言の半七に引き摺られて、二、三軒さきのうす暗いところへ連れて行かれた。
「やい、しん吉、てめえは太てえ奴だ。坂町の伊豆屋の女房をかどわかして何処へやった。さあ、云え。てめえは伊豆屋の女房と諜《しめ》し合わせて、自分は前から釜屋に待っていて、闇祭りのくらやみに女房を連れて逃げたろう。おれはみんな知っているぞ、どうだ」
しん吉は黙っていた。
「それにしても、伊豆屋の女房をどこへやった。もう三十八の大年増だ。まさかに宿場女郎にも売りゃあしめえ。あの女房をどこへ葬ったよ」
しん吉はやはり答えなかった。彼は一生懸命に半七を突きのけて又逃げ出そうとするのを、背後《うしろ》からどんと突かれて、往来のまん中へ比目魚《ひらめ》のように俯伏して倒れた。
「縄にしますか」と、幸次郎はしん吉の襟首を捉えながら訊いた。
「むむ。柏屋へ連れて行け。逃がすな」
縄つきのしん吉を幸次郎に預けて、半七と善八は友蔵の家へむかった。暗いなかにも目じるしの槐《えんじゅ》の大樹のかげに隠れて、二人は内の様子をうかがうと、内には女の忍び泣きの声がきこえた。毀《こわ》れかかった雨戸の隙間《すきま》から覗くと、うす暗い行燈の下に赤裸の女が細引のような物にくくられて転がされていた。女は破れ畳に白い顔を摺りつけて泣いているのを、友蔵はおもしろそうに眺めながら茶碗酒を呷《あお》っていた。
「あの女ですよ。さっき酌をしていたのは……。よもや幽霊じゃあありますめえ」と、善八は小声で云った。
「むむ。戸を叩け」と、半七は指図した。
「ごめんなさい。今晩は……」
善八が戸をたたくと、友蔵は茶碗を下に置いて、表を睨みながら答えた。
「だれだ。今ごろ来たのは……」
「おれだよ。このあいだの鵜を買いに来たのだ」と、半七は云った。
「なに、鵜を買いに来た……」
「あの鵜を百両に買いに来たのだ」
「冗談云うな」
とは云いながら、幾分の不安を感じたらしく、友蔵は身がまえしながら雨戸をあけに出た。その雨戸は内そとから同時にがらりと明けられて、善八はすぐに飛び込んだが、相手も用心していたので、もろくは押さえられなかった。殊にしん吉とは違って、頑丈の大男である。二人は入口の土間を転げまわって揉み合ううちに、友蔵は善八を突きのけて表へ跳り出ようとする、その横っ面に半七の強い張り手を喰らわされて、思わずあっ[#「あっ」に傍点]と立ちすくむところを、再び胸を強く突かれて、彼はあと戻りして土間に倒れた。善八は折り重なって縄をかけた。
「なんでおれを縛りゃあがるのだ」と、友蔵は吽《ほ》えるように呶鳴った。
「ええ、静かにしろ。おれは江戸から御用で来たのだ」と、半七は云った。
眼のさきに十手を突き付けられて、友蔵もさすがに鎮まった。
六
「お話はもうお仕舞いです」と、半七老人は笑った。「あとはあなたの御想像に任せますよ」
「いや、事件がなかなかこぐらかっているので、容易に想像が付きません」と、わたしも笑った。
「じゃあ、この友蔵の家《うち》に転がされていた女は、伊豆屋の女房か、和泉屋の女房か、あなたはどっちだと思います」
さかねじの質問を受けて、わたしは返事に困った。黙っているのも口惜《くや》しいので、わたしは出たらめに答えた。
「和泉屋の女房のようですね」
「ふむう」と、老人はわたしの顔を眺めた。「どうして判りました」
そう訊かれて、わたしはまた困った。
「どうと云うこともないので……。唯なんだか和泉屋のよう[#「よう」に傍点]だと思っただけですよ」
「そのよう[#「よう」に傍点]だと云うことが大切です」と、老人はまじめに云った。「明治のこんにちは警察のやりかたもすっかり変って、探偵の方法も新らしくなりましたが、昔の探索には何々のよう[#「よう」に傍点]だとか、誰誰のよう[#「よう」に傍点]だとか、まずわれわれの胸に泛かぶ。それがなかなかの役に立って、よう[#「よう」に傍点]だと睨んだことが不思議にあたった例がしばしばあるので……。そうです、わたしが家に坐って、眼をつぶって、腕を拱《く》んで、どうもそうらしいようだと考えていた事が、まず大抵は壷に嵌《はま》りましたからね。あなたの鑑定通り、その女は呉服屋の女房のお大でした」
「お大は家出をして、府中へ行ったんですか」
「そうです。わたくしは最初から和泉屋の手代の幾次郎という奴を、なんだか怪しいと睨んでいたのですが、やっぱりこいつが曲者でした。前にも申す通り、おやじの勇蔵が主人の罪をかぶって牢死した。その忠義に免じて、和泉屋でも眼をかけて使っていた。和泉屋には子がないので、行くゆくは養子にしてくれるかと内々楽しみにしていると、主人の親類から清七という養子が来てしまったので、幾次郎は的《あて》がはずれた。それが、そもそもの始まりで、自棄《やけ》も手伝って道楽をする。それでも主人が大目《おおめ》に見ているので、だんだんに増長して和泉屋乗っ取りを企てる事になりました。その場合、あなたならどうします」
「さあ、まず養子の清七を遠ざけるんですね」
「だれの考えも同じことで、まあそうするのほかはありません。和泉屋の女房は後妻で、亭主の久兵衛とは年がよほど違っている。そこで何日《いつ》かそのお大と不義を働くようになった。幾次郎に取っては勿怪《もっけ》の幸い、せいぜい女房の御機嫌を取って清七放逐の計略をめぐらしたが、あいにく清七がおとなしい男で、難癖をつけるような科《とが》が無い。そのうちに一昨年《おととし》の五月、幾次郎は清七を府中の闇祭りに連れ出して、その帰りに調布の甲州屋へ誘い込んだ。こうして道楽の味をおぼえさせて、だんだんに清七を堕落させ、それを落ち度にして和泉屋から放逐するという魂胆でしたが、その薬が利き過ぎて、相方のお国は清七に初会《しょかい》惚れ、清七の方でも夢中になる。さあ占めたと、幾次郎とお大は肚《はら》をあわせて主人の久兵衛にいろいろの讒言をする。久兵衛も馬鹿な男ではないのですが、自然それに巻き込まれて、清七の信用は次第に薄くなる。それでも清七の迷いは醒めないで、二十五両の金を持ち出してお国を身請けという事になったのです。勿論、幾次郎も蔭へ廻ってそそのかしたに相違ありません。
ところが、お国には友蔵という悪い親父が付いているので、いい鴨がかかったとばかりで、二十五両を横取り、喧嘩仕掛けで清七を逐い出してしまった。根がおとなしい人間ですから、清七はくやしさが胸いっぱい、もう一つには近ごろ養父や養母の機嫌を損じて、まかり間違えば離縁になるかも知れないと云うようなことも薄々感じている。二十五両の金とても帳合いをごまかした金だから、それが露顕すればいよいよ自分の身があやうい。お国もそれに同情して、又二つには邪慳《じゃけん》な親父への面当てもあったのでしょう、二人はとうとう心中という事になる。大願成就と幾次郎は手を拍《う》って喜んだのです」
「それじゃあ二人は幾次郎のところへも化けて出ていいわけですね」
「友蔵も悪いが、幾次郎は一倍悪い。まったく幾次郎の方へ幽霊が出そうなものですが、二人ともに幾次郎の巧みを知らなかったのでしょう。そこで内からは女房のお大が糸を引いて、清七の後釜《あとがま》に幾次郎を据える段取りになったのですが、主人も直ぐには承知しない。ふだんから大目に見ているものの、幾次郎が道楽者ということは主人もよく知っているので、それを相続人にして清七の二の舞をやられては困る。その懸念があるので主人も渋っている。
そうして半年ばかり過ごすうちに、お大は此のごろ幾次郎にむかって、二人が仲を主人に薄々感付かれたらしいから、いっそ連れて逃げてくれと云い出しました。そんな筈は無いから、まあ我慢しろと幾次郎がなだめても、お大は肯《き》かない。しかし幾次郎にしてみると、主人の女房と不義を働いているのも、和泉屋の養子に直って、その身代を手に入れたいからで、もう一と息というところまで漕《こ》ぎ付けながら、その大望を水の泡にして、年上の女と駈け落ちなどをする気はありません。しかしお大の方では頻りに迫って来る。もう忌《いや》とは云われない破目になって、幾次郎はまた悪巧みを考えました。その片棒をかついだのが彼《か》の友蔵です」
「幾次郎は友蔵を識っていたのですか」
「去年の心中一件のときに、友蔵は和泉屋へ押し掛けて来て、自分が二十五両を横取りした事などはいっさい云わず、ここの息子のために大事の娘を殺されてしまったから、どうかしてくれと因縁を付ける。その時に幾次郎が仲に立って、三十両の金を渡して追い返した。それが縁になって、幾次郎は友蔵を識っている。あいつは悪い奴で、金にさえなれば何でも引き受ける奴だと云うことも知っているので、今度の味方に抱き込んだのです。
そこで四月の末に友蔵を呼び寄せて相談の上、お大にむかってもいよいよ駈け落ちの相談を始めました。自分の育った甲府には、おふくろがまだ達者でいる。ひとまず其処へ身を隠そうと云うことにして、お大に二百両の金をぬすみ出させ、その一割の二十両だけをお大に持たせて、残りの百八十両は自分が預かりました。二人が一緒に出ては直ぐに覚られるから、おまえは一と足さきに出て、府中宿の友蔵の家に待ち合わせていてくれ。私はあとから尋ねて行くと、うまく瞞《だま》してお大を出してやる。闇祭りの日には江戸や近在の参詣人が大勢集まって来るから、却っていいと云うので、五月五日にお大をこっそり落としてやりました。
お大は男にだまされて府中へ行き、友蔵の家で待ち合わせていたが、幾次郎は来ない。その翌日になっても姿を見せない。それも道理で、幾次郎は最初から一緒に駈け落ちをする気はない。女のふところには二十両の金を持たせてあるから、それを巻きあげた上でどうとも勝手に始末してくれと、友蔵に頼んである。実にひどい奴もあるものです。
それを知らずに持っているお大にむかって、友蔵はいよいよ本性をあらわしましたが、自分に駈け落ちの弱味があるから、お大はじたばたすることも出来ない。ふところの二十両は早速にまきあげられて、その上に友蔵の慰み物です。逃げ出されては面倒だと思って、友蔵はお大を細引で縛って、用のない時は戸棚へ抛り込んで置く。お大は三十四、五ですが、容貌《きりょう》もまんざらで無いので、さんざん玩具《おもちゃ》にした上で何処かの田舎茶屋へでも売り飛ばそうという友蔵の下心《したごころ》。お大はひどい目に逢いながらも、今に幾次郎が来るものと思って、泣く泣く我慢していたと云いますから、よっぽどうまく男に瞞《だま》されていたものと見えます。
どう考えても幾次郎はひどい奴で、体《てい》よくお大を追い払って、百八十両の金を着服《ちゃくふく》して、自分はなんにも知らない顔をして和泉屋に残っている。忠義者の親父に引きかえて、こいつはよくよくの悪者です」
「怖ろしい奴ですね」と、わたしは嘆息した。「そこで、一方のしん吉はどうしたんです」
「こいつも亦ひどい奴で、幾次郎といい取組ですよ」と、老人もまた嘆息した。「伊豆屋という酒屋の女房お八重は、前にも云う通り、大きい子供の三人もありながら、派手づくりで出歩くような女ですから、どうで碌な事はしていまいと思っていると、案のとおり落語家のしん吉に浮かれて方方で逢い引きをしている。それでも上手にやっていたと見えて、近所へは知られなかったのですが、これも女が年上であるだけに熱度がだんだんに高くなる。いくらお人好しでも亭主がある以上、しん吉と思うように逢うことが出来ないので、これも駈け落ちの相談、ちょうど和泉屋の女房とおなじ行き方です。
この方は大抵お判りでしょうが、府中の方角へしん吉が稼ぎに廻っている時、かねて諜《しめ》し合わせてあるお八重は闇祭り見物ということにして、息子や番頭や若い者を連れて、大びらで家を出て行く。そうして、しん吉の泊まっている釜屋へ乗り込んで、祭りの暗まぎれに手を取って道行《みちゆき》、すべてが思い通りに運んで、その夜のうちに次の宿《しゅく》の日野まで落ち延びました。しん吉は世間の人に覚られないように、その日の午《ひる》過ぎに釜屋をいったん出立して、暗くなってから又引っ返して来たのです。府中から日野まで一里二十七丁という事になっていますが、女の足弱をつれて夜道の旅だから捗取《はかど》らない。八ツ(午前二時)過ぎにようよう日野の宿に行き着いて、寝ている宿屋を叩き起こして泊まりました。
きのうは昼も歩き、夜も歩き、その疲れで、お八重は日の高くなる頃に眼をさますと、しん吉のすがたが見えない。お八重は家から百五十両の金を持ち出して、それをしん吉に預けると、男はその金を持って影をかくしてしまったのです」
「なるほど幾次郎とおなじような手ですね」
「そうです、そうです。さては置き去りを喰ったのかと、お八重も初めて気が付いたが、どうする事も出来ない。巾着《きんちゃく》に残っている小遣い銭で、どうにか宿屋の払いをして出たが、今さら江戸へも帰られず、男にだまされたくやしさと、身の振り方に困った悲しさとで、いっそ死のうと思い詰めたのでしょう。それから二、三日は何処をうろついていたか知りませんが、その死骸が、調布の河原へ流れ着きました」
「身を投げたんですね」
「多摩川の深そうな所をさがして、身を投げたのでしょう。一方のしん吉はお八重を置き去りにして、又もや府中に引っ返して来て、吉野屋という女郎屋に隠れていた。と云うのは、その店のお鶴という女に熱くなっていたからです。お八重から巻き上げた金はあり、惚れた女のそばに居て、しん吉はいい心持に浮かれていたのですが、お定まりの痴話喧嘩で、もう帰るとか何とか云って、雨の降るなかへ飛び出したのが因果、丁度わたくしの眼にかかって、忽ち首根っこを押さえられました。やっぱり悪いことは出来ませんね。
悪いことは出来ないと云えば、伊豆屋のお大といい、和泉屋のお八重といい、どっちも同じような不埒を働いて、同じようなひどい目に逢っている。しかもその場所が同じ府中の宿で、おなじ闇祭りの晩だと云うのも、何かの因縁がありそうで、不思議に思われない事もありません」
「そうすると、しん吉のおっかさんが夢を見た……しん吉が血だらけの顔をしていた夢を見たと云うのは、なんでもない事だったんですね」
「さあ、それに就いて少し不思議なことが無いでもありません」と、老人は考えながら云った。「今も申す通り、しん吉は死ぬどころか、平気で酒を飲んで浮かれていたのですが、お八重の顔が疵だらけになっていました。どこから身を投げたのか知りませんが、その後の雨に水瀬が早くなって、お八重の死骸が流されて来る途中、川の砂利にでも擦られたのでしょう。顔一面が疵だらけで、丁度しん吉のおふくろが夢に見たような姿でした。してみると、おふくろの夢もまんざら取り留めのない事でも無いようで、お八重の魂がしん吉の姿を仮りて現われたのかも知れません。それとも偶然の暗合とでも云うのでしょうか。そういうことは学者先生に伺わなければ判りません。もう一つの不思議は、例の友蔵が売り物にしていた荒鵜がその晩から見えなくなってしまいました。しかしこれは不思議がるほどの事でもなく、どさくさ紛れに綱を切って、もとの明神の森へ飛んで行ったのかも知れません」
「関係者一同はどんな処分をうけました」
「今日の刑法では、誰も重い罪にはならない筈ですが、昔はみんな重罪です。まず伊豆屋の方から云いますと、お八重はもう死んでいますが、しん吉は死罪、しかしお仕置にならないうちに牢死しました。和泉屋の幾次郎は主人の女房と密通した上に、いろいろの悪事をたくらんだので獄門、女房のお大も死罪になりました。友蔵はほかにも悪い事をしているので、これも死罪。いくら江戸時代でも、これだけ一度に死罪を出すのは大事《おおごと》です。
和泉屋は前の清七の一件があり、又もや死罪が二人も出たので、女房の幽霊が出るの、手代の幽霊が出るのという評判、とうとう店を張り切れなくなって、さすがの旧家もどこへか退転してしまいました。伊豆屋の方は無事に商売していましたが、これも維新後にどこへか立ち去ったようです」
云いかけて、老人は耳を傾けた。
「おや、雨の音が……。あしたの小金井行きはあぶのうござんすよ」
雨はあしたの日曜まで降りつづいて、わたしの小金井行きはとうとうお流れになった。その翌年の五月なかばに、半七老人の去年の話を思い出して、晴れた日曜日の朝から小金井へ出てゆくと、堤《どて》の桜はもう青葉になっていた。その帰り道に府中へまわると、町のはずれに鵜を売っている男を見た。かの友蔵もこんな男ではなかったろうかと思いながら、立ち寄ってその値段を訊くと、男は素気《そっけ》なく答えた。
「十五円……。お前さんはひやかしだろう」
いよいよ友蔵に似て来たので、わたしは早々に逃げ出した。
底本:「時代推理小説 半七捕物帳(六)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年12月20日初版1刷発行
1997(平成9)年3月25日8刷発行
※この作品には、幡随院長兵衛の法事に関する記述がある。幡随院長兵衛の没年は1650年(1657年説もあり)。事件の起こった嘉永二年は、1849年であることから、「三百回忌の法事」は「二百回忌の法事」が相当と思われる。
入力:A.Morimine
校正:松永正敏
2001年2月13日公開
2004年3月1日修正
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