鼠——– 岡本綺堂

     

 大田蜀山人の「壬戌《じんじゅつ》紀行」に木曾街道の奈良井の宿のありさまを叙して「奈良井の駅舎を見わたせば梅、桜、彼岸ざくら、李《すもも》の花、枝をまじえて、春のなかばの心地せらる。駅亭に小道具をひさぐもの多し。膳、椀、弁当箱、杯、曲物《まげもの》など皆この辺の細工なり。駅舎もまた賑えり。」云々《うんぬん》とある。この以上にわたしのくだくだしい説明を加えないでも、江戸時代における木曾路のすがたは大抵想像されるであろう。
 蜀山人がここを過ぎたのは、享和二年の四月|朔日《ついたち》であるが、この物語はその翌年の三月二十七日に始まると記憶しておいてもらいたい。この年は信州の雪も例年より早く解けて、旧暦三月末の木曾路はすっかり春めいていた。
 その春風に吹かれながら、江戸へむかう旅人上下三人が今や鳥居峠をくだって、三軒屋の立場《たてば》に休んでいた。かれらは江戸の四谷|忍町《おしまち》の質屋渡世、近江屋七兵衛とその甥の梅次郎、手代の義助であった。
「おまえ様がたはお江戸の衆でござりますな。」と、立場茶屋の婆さんは茶をすすめながら言った。
「はい。江戸でございます。」と、七兵衛は答えた。「若いときから一度はお伊勢さまへお参りをしたいと思っていましたが、その念が叶ってこの春ようようお参りをして来ました。」
「それはよいことをなされました。」と、婆さんはうなずいた。「お参りのついでにどこへかお廻《まわ》りになりましたか。」
「お察しの通り、帰りには奈良から京大阪を見物して来ました。こんな長い旅はめったに出来ないので、東海道、帰りには中仙道を廻ることにして、無事ここまで帰って来ました。」
「それではお宿へのおみやげ話もたくさん出来ましたろう。」
「風邪《かぜ》も引かず、水|中《あた》りもせず、名所も見物し、名物も食べて、こうして帰って来られたのは、まったくお伊勢さまのお蔭でございます。」
 年ごろの念願もかない、愉快な旅をつづけて来て、七兵衛はいかにものびやかな顔をして、温かい茶をのみながらあたりの春景色を眺めていると、さっきから婆さんと客の話の途切れるのを待っていたらしく、店さきの山桜の大樹のかげから、ひとりの男が姿をあらわした。かれは六十前後、見るから山国育ちの頑丈そうな大男で、小脇には二、三枚の毛皮をかかえていた。
「もし、お江戸のお客さま。熊の皮を買って下さらんかな。」と、彼は見掛けによらない優しい声で言った。
 熊の皮、熊の胆《い》を売るのは、そのころの木曾路の習いで、この一行はここまで来るあいだにも、たびたびこの毛皮売に付きまとわれているので、手代の義助はまたかという顔をして無愛想に断った。
「いや、熊の皮なんぞはいらない、いらない。おれ達は江戸へ帰れば、虎の皮をふんどしにしているのだ。」
「はは、鬼じゃあるまいに……。」と、男は笑った。「そんな冗談を言わないで、一枚おみやげに買ってください。だんだん暖かくなると毛皮も売れなくなる。今のうち廉《やす》く売ります。」
「廉くっても高くっても断る。」と、梅次郎も口を出した。「わたしらは町人だ。熊の皮の敷皮にも坐れまいじゃないか。そんな物はお武家を見かけて売ることだ。」
 揃いも揃って剣もほろろに断られたが、そんなことには慣れているらしい男は、やはりにやにやと笑っていた。
「それじゃあ仕方がない。熊の皮が御不用ならば、熊の胆《い》を買ってください。これは薬だから、どなたにもお役に立ちます。道中の邪魔にもならない。どうぞ買ってください。」
「道中でうっかり熊の胆などを買うと、偽物をつかまされるということだ。そんな物もまあ御免だ。」と、義助はまた断った。
「偽物を売るような私じゃあない。そこはここの婆さんも証人だ。まあ、見てください。」
 男はうしろを見かえると、桜のかげからまたひとりが出て来た。それは年ごろ十七八の色白の娘で、手には小さい箱のようなものを抱えていた。身なりはもちろん粗末であったが、その顔立ちといい姿といい、この毛皮売の老人の道連れにはなにぶん不似合いに見えたので、三人の眼は一度にかれの上にそそがれた。
「江戸のお客さまを相手にするには、おれよりもお前のほうがいいようだ。」と、男は笑った。
「さあ、おまえからお願い申せよ。」
 娘は恥かしそうに笑いながら進み出た。
「今も申す通り、偽物などを売るような私らではございません。そんなことをしましたら、福島のお代官所で縛られます。安心してお求めください。」
 梅次郎も義助も若い者である。眼のまえに突然にあらわれて来た色白の若い女に対しては、今までのような暴《あら》っぽい態度を執るわけにもいかなくなった。
「姐《ねえ》さんがそう言うのだから偽物でもあるまいが、熊の胆はもう前の宿《しゅく》で買わされたのでな。」と、義助は言った。
 これはどの客からも聞かされる紋切型の嘘である。この道中で商売をしている以上、それで素直に引下がる筈のないのは判り切っていた。娘は押返して、買ってくれと言った。梅次郎と義助は買うような、買わないような、取留めのないことを言って、娘にからかっていた。梅次郎は、ことし廿一で、本来はおとなしい、きまじめな男であったが、長い道中のあいだに宿屋の女中や茶屋の女に親しみが出来て、この頃では若い女に冗談の一つも言ってからかうようになったのである。義助は二つ違いの廿三であった。
 七兵衛はさっきから黙って聞いていたが、その顔色が次第に緊張して来て、微笑を含んでいるそのくちびるが固く結ばれた。彼は手に持つ煙管《きせる》の火の消えるのも知らずに、熊の胆の押売りをする娘の白い顔をじっと眺めていたが、やがて突然に声をかけた。
「もし、おじいさん。その子はおまえの娘かえ、孫かえ。」
「いえ……。」と、毛皮売の男はあいまいに答えた。
「おまえの身寄りじゃあないのかえ。」と、七兵衛はまた訊いた。
「はい。」
 七兵衛は無言で娘を招くと、娘はすこし躊躇しながら、その人が腰をかけている床几《しょうぎ》の前に進み寄った。七兵衛はやはり無言で、娘の右の耳の下にある一つの黒子《ほくろ》を見つめながら、探るようにまた訊いた。
「おまえの左の二の腕に小さい青い痣《あざ》がありはしないかね。」
 娘は意外の問いを受けたように相手の顔をみあげた。
「あるかえ。」と、七兵衛は少しせいた。
「はい。」と、娘は小声で答えた。
「店のさきじゃあ話は出来ない。」と、七兵衛は立ちあがった。「ちょいと奥へ来てくれ。おじいさん、おまえも来てくれ。」
 その様子がただならず見えたので、男も娘もまた躊躇していたが、七兵衛にせき立てられて不安らしく続いて行った。娘はよろめいて店の柱に突き当った。
「旦那はどうしたのでしょうな。」と、義助も不安らしく三人のうしろ姿をながめていた。
「さあ。」
 梅次郎も不思議そうに考えていたが、俄に思い当ったように何事かささやくと、義助もおどろいたように眼をみはった。二人は無言でしばらく顔を見あわせていたが、義助は茶屋の婆さんに向って小声で訊いた。
「あの毛皮売のじいさんは何という男だね。」
「その奈良井の宿《しゅく》はずれに住んでいる男で、伊平と申します。」
「あの娘の名は。」
「お糸といいます。」
 それからだんだん詮議すると、お糸は伊平の娘でも孫でもなく、去年の秋ももう寒くなりかかった夕ぐれに、ひとりの若い娘が落葉を浴びながら伊平の門口《かどぐち》に立って、今夜泊めてくれと頼んだ。ひとり旅の女を泊めるのは迷惑だとも思ったが、その頼りない姿が不憫でもあるので、伊平は宿《しゅく》の役人に届けた上で、娘に一夜のやどりを許すことになると、その夜なかに伊平は俄に発熱して苦しみ出した。
 伊平は独り者で、病気は風邪をこじらせたのであったが、幸いに娘が泊り合せていたので、彼は親切な介抱をうけた。独り身の病人を見捨てては出られないので、娘はその次の日も留まって看病していたが伊平は容易に起きられなかった。そして、三日過ぎ、五日を送って、伊平が元のからだになるまでには小半月を過ぎてしまった。そのあいだ、かの娘は他人とは思えない程にかいがいしく立ち働いて、伊平を感謝させた。近所の人達からも褒められた。
 娘は江戸の生れであるが、七つの時に京へ移って、それから諸国を流浪して、しかも、継母《ままはは》にいじめられて、言いつくされない苦労をした末に、半分は乞食同様のありさまで、江戸の身寄りをたずねて下る途中であるが、長いあいだ音信不通であったので、その身寄りも今はどこに住んでいるか、よくは判らないというのである。
 そういう身の上ならば、的《あて》もなしに江戸へ行くよりも、いっそここに足を留めてはどうだと、伊平は言った。近所の人たちも勧めた。娘もそうして下されば仕合せであると答えた。その以来、お糸という娘は養女でもなく、奉公人でもなく、差しあたりは何ということもなしに伊平の家に入り込んで、この頃では商売の手伝いまでもするようになった。お糸は色白の上に容貌《きりょう》も悪くない。小さいときから苦労をして来たというだけに、人付合いも悪くない。それやこれやで近所の評判もよく、伊平さんはよい娘を拾い当てたと噂されている。
 婆さんの口からこんな話を聞かされているうちに、七兵衛ら三人は奥から出て来た。七兵衛の顔には抑え切れない喜びの色がかがやいていた。

     

 近江屋七兵衛がよろこぶのも無理はなかった。彼はこの木曾の奈良井の宿で、一旦失った手のうちの珠《たま》を偶然に発見したのである。
 七兵衛は四谷の忍町に五代つづきの質屋を営んでいて、女房お此《この》と番頭庄右衛門のほかに、手代三人、小僧二人、女中二人、仲働き一人の十一人家内で、おもに近所の旗本や御家人《ごけにん》を得意にして、手堅い商売をしていた。ほかに地所|家作《かさく》なども持っていて、町内でも物持ちの一人にかぞえられ、何の不足もない身の上であったが、ただひとつの不足――というよりも、一つの大きい悲しみは娘お元のゆくえ不明の一件であった。
 今から十一年前、寛政四年の暮春のゆうがたに、ことし七つのひとり娘お元が突然そのゆくえを晦《くら》ました。最初は表へ出て遊んでいるものと思って、誰も気に留めずにいたのであるが、夕飯頃になっても戻らないばかりか、近所にもその姿が見えないというので、家内は俄にさわぎ出した。七兵衛夫婦は気ちがいのようになって、それぞれに手分けをして探させたが、お元のゆくえは遂にわからなかった。
 この時代には神隠しということが信じられた。人攫《ひとさら》いということもしばしば行われた。お元は色白の女の子であるから、悪者の手にかどわかされたのかも知れないという説が多かった。いずれにしても、ひとり娘を失った七兵衛夫婦の悲しみは、ここに説明するまでもない。お此はその後三月ほどもぶらぶら病で床についたほどであった。七兵衛も費用を惜しまずに、出来るかぎりの手段をめぐらして、娘のゆくえを探り求めたが、飛び去った雛鳥はふたたび元の籠《かご》に帰らなかった。
 そのうちに、一年過ぎ、二年を過ぎて、近江屋の夫婦は諦められないながらに諦めるのほかはなかった。それでも何時《いつ》どこから戻って来るかも知れないという空頼みから、近江屋ではその後にも養子を貰おうとはしなかった。お元が無事であれば、ことしは十八の春を迎えることになる。ゆくえの知れない子供の年をかぞえて、お此は正月早々から涙をこぼした。
 七兵衛が今度の伊勢まいりは四十二の厄除《やくよけ》というのであるが、そのついでに伊勢から奈良、京大阪を見物してあるく間に、もしやわが子にめぐり逢うことがないともいえない。そんな果敢《はか》ない望みも手伝って、長い道中をつづけて来たのであるが、ゆく先々でそれらしい便りも聞かず、望みの綱もだんだんに切れかかって、もう五、六日の後には江戸入りということになった。その木曾街道で測らずも熊の胆を売る娘に出逢ったのである。七つのときに別れたのであるが、その幼な顔が残っている。年ごろも丁度同様である。気をつけて見ると、右の耳の下に証拠の黒子《ほくろ》がある。さらに念のために詮議すると、左の二の腕に青い痣があるという。もう疑うまでもない、この娘はわが子であると、七兵衛は思った。彼は喜んで涙を流した。
 正直な伊平は思いもよらぬ親子のめぐり逢いに驚いて、異議なくかれを実の親に引渡すことになったので、七兵衛は多分の礼金を彼にあたえて別れた。お糸という名は誰に付けられたのか好く判らないが、娘はむかしのお元にかえって、十一年目に再会した父と共に奈良井の宿を立去った。甥の梅次郎も手代の義助も、不思議の対面におどろきながら、これも喜び勇んで付いて行った。
 江戸を出るときには男三人であったこの一行に、若い女ひとりが加わって帰ったのを見た時に、近江屋の家は引っくり返るような騒ぎであった。女房も番頭も嬉し泣きに泣いた。近江屋からは町《ちょう》役人にも届け出て、お元は再びこの家の娘となった。この話もこれで納まれば、筆者もめでたく筆をおくことが出来るのであるが、事実はそれを許さないで、さらに暗い方面へ筆者を引摺って行くのであった。
 お元が無事に戻って来たのを聞き、親類たちもみんな喜んで駈けつけた。町内の人々も祝いに来た。その喜ばしさと忙しさに取りまぎれて、当座はただ夢のような日を送るうちに、四月も過ぎて五月もやがて半ばとなった。このごろは家内もおちついて、毎日ふり続くさみだれの音も耳に付くようになった。その五月末の夕がたに、お元が仲働きのお国と共に近所の湯屋へ行った留守をうかがって、お此は夫にささやいた。
「おまえさんはお元について、なにか気が付いたことはありませんかえ。」
「気が付いたこと……。どんなことだ。」と、七兵衛は少しく眉をよせた。女房の口ぶりが何やら子細ありげにも聞えたからである。
「実はお国が妙なことを言い出したのですが……。」と、お此はまたささやいた。「お元には鼠が付いていると言うのです。」
「なんでそんなことを言うのだ。」
「お国の言うには、お元さんのそばには小さい鼠がいる。始終は見えないが、時々にその姿を見ることがある。お元さんが縁側なぞを歩いていると、そのうしろからちょろちょろと付いて行く……。」
「ほんとうか。」と、七兵衛はそれを信じないようにほほえんだ。
「まったく本当だそうで……。お国だって、まさかそんな出たらめを言やあしますまいと思いますが……。」
「それもそうだが……。若い女なぞというものは、飛んでもないことを言い出すからな。そんな鼠が付いているならばお国ばかりでなく、ほかにも誰か見た者がありそうなものだが……。」
 自分たち夫婦は別としても、ほかに番頭もいる、手代もいる、小僧もいる、女中もいる。それらが誰も知らない秘密を、お国ひとりが知っているのは不審である。奉公人どもについて、それとなく詮議してみろと、七兵衛は言った。しかし多年他国を流浪して来たのであるから、人はとかくにつまらない噂を立てたがるものである。迂濶なことをして、大事の娘に瑕《きず》を付けてはならない。お前もそのつもりで秘密に詮議しろと、彼は女房に言い含めた。
 それから三、四日の後に、甥の梅次郎がたずねて来た。梅次郁は七兵衛の姉の次男で、やはり四谷の坂町に、越前屋という質屋を開いている。万一お元のゆくえがどうしても知れない暁には、この梅次郎を養子にしようかと、七兵衛夫婦も内々相談したことがある。お元が今度発見されると、その相談がいよいよ実現されて、梅次郎をお元の婿に貰おうということになった。勿論それは七兵衛夫婦の内相談だけで、まだ誰にも口外したわけではなかったが、お此のほうにはその下ごころがあるので、きょう尋ねて来た甥を愛想よく迎えた。
 梅次郎は奥へ通されて、庭の若葉を眺めながら言った。
「よく降りますね。叔父さんは……。」
「叔父さんは商売の用で、新宿のお屋敷まで……。」
「お元ッちゃんは……。」
「お国を連れて赤坂まで……。」と、言いかけてお此は声をひくめた。「ねえ、梅ちゃん。すこしお前に訊きたいことがあるのだが……。お前、木曾街道からお元と一緒に帰って来る途中で、なにか変ったことでもなかったかえ。」
「いいえ。」
 それぎりで、話はすこし途切れたが、やがて梅次郎のほうから探るように訊きかえした。
「叔母さん、なにか見ましたか。」
 お此はぎょっとした。それでもかれは素知らぬ顔で答えた。
「いいえ。」
 話はまた途切れた。庭の若葉にそそぐ雨の音もひとしきり止んだ。この時、梅次郎は何を見たか、小声に力をこめてお此を呼んだ。
「叔母さん。あ、あれ……。」
 彼が指さす縁側には、一匹の灰色の小鼠が迷うように走り廻っていたが、忽ち庭さきに飛びおりて姿を消した。叔母も甥も息をつめて眺めていた。
 叔母が言おうとすること、甥が言おうとすること、それが皆この一匹の鼠によって説明されたようにも思われた。しばらくして、二人はほうっと溜息をついた。お此の顔は青ざめていた。
「お前、誰に聞いたの、そんなことを……。」と、かれは摺り寄って訊いた。
「実は、お国さんに……。」と、梅次郎はどもりながら答えた。
 堅く口留めをして置いたにも拘らず、お国は鼠の一件を梅次郎にも洩らしたとみえる。お此はそのおしゃべりを憎むよりも、その報告の嘘でないのに驚かされた。考えようによっては、鼠が縁側に上がるぐらいのことは別に珍しくもない。縁の下から出て来て、縁側へ飛びあがって、再び縁の下へ逃げ込む。それは鼠として普通のことであるかも知れない。それをお元に結びつけて考えるのは間違っているかも知れない。しかもこの場合、お此も梅次郎もかの鼠に何かの子細があるらしく思われてならなかった。
「ほんとうに江戸へ来る途中には、なんにも変ったことはなかったのかねえ。」と、お此はかさねて訊いた。
「まったく変ったことはありませんでした。ただ……。」と梅次郎は躊躇しながら言った。「あの義助と大変に仲がよかったようで……。」
「まあ。」
 お此はあきれたように、再び溜息をついた。それを笑うように、どこかで枝蛙のからから[#「からから」に傍点]と鳴く声がきこえた。

     

 きょうの鼠の一件がお此の口から夫に訴えられたのは言うまでもない。しかも七兵衛は半信半疑であった。一家の主人で分別盛りの七兵衛は、単にそれだけの出来事で、その怪談を一途《いちず》に信じるわけにいかなかった。
 お此はその以来、お元の行動に注意するは勿論、お国にもひそかに言い含めて、絶えず探索の眼をそそがせていたが、店の奉公人や女中たちのあいだには、別に怪しい噂も伝わっていないらしかった。
「義助さんと仲よくしているような様子もありません。」と、お国は言った。
 七兵衛にとっては、このほうが大問題であった。梅次郎を婿にと思い設けている矢先に、娘と店の者とが何かの関係を生じては、その始末に困るのは見え透いている。さりとて取留めた証拠もなしに、多年無事に勤めている奉公人、殊に先ごろは自分の供をして長い道中をつづけて来た義助を無造作に放逐することも出来ないので、ただ無言のうちにかれらを監視するのほかはなかった。
 うしなった娘を連れ戻って、一旦は俄に明るくなった近江屋の一家内には、またもや暗い影がさして、主人夫婦はとかくに内所話をする日が多くなった。この年は梅雨《つゆ》が長くつづいて、六月の初めになっても毎日じめじめしているのも、近江屋夫婦の心をいよいよ暗くした。
 その六月はじめの或る夜である。奥の八畳に寝ていたお此がふと眼をさますと、衾《よぎ》の襟のあたりに何か歩いているように感じられた。枕もとの有明行燈《ありあけあんどう》は消えているので、その物のすがたは見えなかったが、お此は咄嗟のあいだに覚った。
「あ、鼠……。」
 息を殺してうかがっていると、それは確かに小鼠で、お此の衾の襟から裾のあたりをちょろちょろと駈けめぐっているのである。お此は俄にぞっとして少しくわが身を起しながら、隣りの寝床にいる七兵衛の衾の袖をつかんで、小声で呼び起した。
「おまえさん……。起きてくださいよ。」
 眼ざとい七兵衛はすぐに起きた。
「なんだ、何だ。」
「あの、鼠が……。」
 言ううちに、鼠はお此の衾の上を飛びおりて、蚊帳の外へ素早く逃げ去った。暗いなかではあるが畳を走る足音を聞いて、それが鼠であるらしいことを七兵衛も察した。
「おまえさん。確かに鼠ですよ。」と、お此は気味悪そうにささやいた。
「むむ。そうらしい。」
 それぎりで夫婦は再び枕につくと、やがてお此は再び夫をゆり起して、今度は鼠が自分の顔や頭の上をかけ廻るというのである。それが夢でもないことは、今度も七兵衛の耳に鼠の足音を聞いたのである。もう打捨てては置かれないので、七兵衛は床の上に起き直って枕もとの燧石《ひうちいし》を擦った。有明行燈の火に照らされた蚊帳の中には、鼠らしい物の姿も見いだされなかった。念のために衾や蒲団を振ってみたが、いたずら者はどこにも忍んでいなかった。
「行燈を消さずに置いてください。」
 言い知れない恐怖に襲われたお此は、夜の明けるまで、一睡も出来なかった。七兵衛もそのお相伴《しょうばん》で、おちおち眠られなかった。この頃の夜は短いので、わびしい雨戸の隙間が薄明るくなったかと思うと、ぬき足をして縁側の障子の外へ忍び寄る者があった。お此ははっとして耳を傾けると、外からそっと呼びかけた。
「おかみさん。お眼ざめですか。」
 それはお国の声であったので、お此は安心したように答えた。
「あい。起きています。なにか用かえ。」
「はいってもよろしゅうございますか。」
「おはいり。」
 許しを受けて、お国は又そっと障子をあけた。かれは寝まきのままで、蚊帳の外へ這い寄った。
「おかみさん。ちょいとおいで下さいませんか。」
「どこへ行くの。」
「お元さんのお部屋へ……。」
 お此は又はっとしたが、一種の好奇心もまじって、これも寝まきのままで蚊帳から抜け出した。お元の部屋は土蔵前の四畳半で、北向きに一間の肱かけ窓が付いていた。その窓の戸を洩れる朝のひかりをたよりに、お此は廊下の障子を細目にあけて窺うと、部屋いっぱいに吊られた蚊帳のなかに、お元は東枕に眠っている。その枕もとに一匹の灰色の小鼠が、あたかもその夢を守るようにうずくまっていた。
「御覧になりましたか。」と、お国は小声で言った。
 お此はもう返事が出来なかった。かれは半分夢中でお国の手をつかんで、ふるえる足を踏みしめながら自分の八畳の間へ戻って来ると、七兵衛も待ちかねたように声をかけた。
「おい、どうした。」
 鼠の話を聞かされて、七兵衛は起きあがった。彼もぬき足をして、お元の寝床を覗きにゆくと、その枕もとに鼠らしい物のすがたは見えなかった。お国も鼠を見たと言い、お此も確かに見たと言うのであるが、自分の眼で見届けない以上、七兵衛はやはり半信半疑であるので、むやみに騒いではならないと女達を戒めて、お国を自分の部屋へさがらせた。
 夫婦はいつもの時刻に寝床を出て、なにげない顔をして、朝食の膳にむかったが、お此の顔は青かった。お元もけさは気分が悪いと言って、ろくろくに朝飯を食わなかった。その顔色も母とおなじように青ざめているのが、七兵衛の注意をひいた。
 その日も降り通して薄暗い日であった。午《ひる》過ぎにお元は茶の間へしょんぼりとはいって来て、両親の前に両手をついた。
「まことに申訳がございません。どうぞ御勘弁をねがいます。」
 だしぬけに謝られて、夫婦も煙《けむ》にまかれた。それでも七兵衛はしずかに訊いた。
「申訳がない……。お前は何か悪いことでもしたのか。」
「恐れ入りました。」
「恐れ入ったとは、どういうわけだ。」
「わたくしは……。お家《うち》の娘ではございません。」と、お元は声を沈ませて言った。
 夫婦は顔を見あわせた。取分けて七兵衛は自分の耳を疑うほどに驚かされた。
「家の娘ではない……。どうしてそんなことを言うのだ。」
「わたくしは江戸の本所で生れまして、小さい時から両親と一緒に近在の祭や縁日をまわっておりました。お糸というのがやはり私の本名でございます。わたくし共の一座には蛇つかいもおりました。鶏娘という因果物もおりました。わたくしは鼠を使うのでございました。芝居でする金閣寺の雪姫、あの芝居の真似事をいたしまして、わたくしがお姫様の姿で桜の木にくくり付けられて、足の爪先《つまさき》で鼠をかきますと、たくさんの鼠がぞろぞろと出て来て、わたくしの縄を食い切るのでございます。芝居ならばそれだけですが、鼠を使うのが見世物の山ですから、その鼠がわたくしの頭へのぼったり、襟首へはいったり、ふところへ飛び込んだりして、見物にはらはらさせるのを芸当としていたのでございます。」
 お元と鼠との因縁はまずこれで説明された。かれはさらに語りつづけた。
「そうしておりますうちに、江戸ばかりでも面白くないというので、両親はわたくし共を連れて旅かせぎに出ました。まず振出しに八王子から甲府へ出まして、諏訪から松本、善光寺、上田などを打って廻り、それから北国へはいって、越後路から金沢、富山などを廻って岐阜へまいりました。ひと口に申せばそうですが、そのあいだに、足掛け三年の月日が経ちまして、旅先ではいろいろの苦労をいたしました。そうして、去年の秋の初めに岐阜まで参りますと、そこには悪い疫病が流行っていまして、一座のうちで半分ほどばたばたと死んでしまいました。わたくしの両親もおなじ日に死にました。もうどうすることも出来ないので、残る一座の者は散りぢりばらばらになりましたが、そのなかにお角という三味線ひきの悪い奴がありまして、わたくしをだまして、どこかへ売ろうと企んでいるらしいので、うかうかしていると大変だと思いまして、着のみ着のままでそっと逃げ出しました。東海道を下ると追っ掛けられるかも知れないので、中仙道を取って木曾路へさしかかった頃には、わずかの貯えもなくなってしまって、もうこの上は、乞食でもするよりほかはないと思っていますと、運よく伊平さんの家に引取られて、まあ何ということなしに半年余りを暮していたのでございます。」
 お元は怪しい女でなく、不幸の女である。その悲しい身の上ばなしを聞かされて、気の弱いお此は涙ぐまれて来た。

     

 これからがお元の懺悔である。
「まったく申訳のないことを致しました。この三月の二十七日に、伊平さんの商売の手伝いをして三軒屋の立場茶屋へ熊の皮や熊の胆を売りに行きますと、あなた方にお目にかかりました。その時に旦那さまが子細ありそうに、私の顔をじっと眺めておいでなさるので、なんだか、おかしいと思っておりますと、やがてわたくしを傍へ呼んで、おまえの左の二の腕に青い痣《あざ》はないかとお訊きになりました。さてはこの人は娘か妹か、なにかの女をさがしているに相違ないと思う途端に、ふっと悪い料簡が起りました。こんな木曾の山の中に、いつまで暮していても仕様がない。ここで何とかごまかして……。こう思ったのがわたくしの誤りでございました。奥へ連れて行かれる時に、店の柱へ二の腕をそっと強く打ちつけて、急ごしらえの痣をこしらえまして……。わたくしはまた何という大胆な女でございましょう。旦那さまの口占《くちうら》を引きながら、いい加減の嘘八百をならべ立てて、表に遊んでいるところを見識らない女に連れて行かれたの、それから京へ行って育てられたの、継母《ままはは》にいじめられたのと、まことしやかな作りごとをして、旦那さまをはじめ皆さんをいいように欺してしまって、とうとうこの家へ乗り込んだのでございます。思えば、一から十までわたくしが悪かったのでございます。どうぞ御勘弁をねがいます。」と、かれは前髪を畳にすり付けながら泣いた。
 ここらでも人に知られた近江屋七兵衛、四十二歳の分別盛りの男が、いかにわが子恋しさに眼が眩《くら》んだといいながら、十七八の小女にまんまと一杯食わされたかと思うと、七兵衛も我ながら腹が立つやら、ばかばかしいやらで、しばらくは開《あ》いた口が塞がらなかった。それでもまだ腑に落ちないことがあるので、彼は気を取直して訊いた。
「そこで、鼠はどうしたのだ。おまえが持って来たのか。」
「それが不思議でございます。」と、お元はうるんだ眼をかがやかしながら答えた。「岐阜の宿をぬけ出す時に、商売道具は勿論、鼠もみんな置き去りにして来たのでございますが、途中まで出て気がつきますと、一匹の小鼠がわたくしの袂にはいっていたのでございます。どうして紛れ込んでいたのか、それともわたくしを慕って来たのか、なにしろ捨てるのも可哀そうだと思いまして、懐に忍ばせたり、袂に入れたりして、木曾路までは一緒に連れて来ましたが、伊平さんの家に落ちつくようになりました時に、因果をふくめて放してやりました。鼠はそれぎり姿を見せませんので、どこかの縁の下へでも巣を食ってしまったものと思っていますと、旦那さまと御一緒に江戸へ帰る途中、碓氷峠をくだって坂本の宿に泊りますと、その晩、どこから付いて来たのか、その鼠がわたくしの袂のなかにはいっているのを見つけて、実にびっくり致しました。それほど自分に馴染んでいて、こうしてここまで付いて来たかと思うと、どうも捨てる気にならないので、そっと袂に入れて来ました。それを梅次郎さんや義助さんに見付けられて、ずいぶん困ったこともありましたが……。まあ、旦那さまには隠して置いてもらうことにして、無事に江戸まで帰ってまいりますと、この頃になってまたどこからか出て来まして、時々にわたくしの部屋へも姿をみせます。しかも、ゆうべはわたくしの夢に、その鼠が枕もとへ忍んで来まして、袖をくわえてどこへか引っ張っていこうとするらしいのです。こっちが行くまいとしても、相手は無理にくわえていこうとする。同じような夢を幾たびも繰返して、わたくしもがっかりしてしまいました。そのせいか、今朝はあたまが重くって、何をたべる気もなしにぼんやりしていますと、仲働きと女中の話し声がきこえまして……。」
 あまりに気分が悪いので、お元は台所へ水を飲みにゆくと、女中部屋で仲働きのお国が女中お芳に何か小声で話しかけている。鼠という言葉が耳について、お元はそっと立聞きすると、ゆうべはあの鼠がおかみさんの蚊帳のなかへはいり込んだこと、お元の枕もとにも坐っていたこと、それらをお国が不思議そうにささやいているのであった。
 もう仕方がないとお元も覚悟した。娘に化けて近江屋の家督を相続する――その大願成就はおぼつかない。うかうかしていると化けの皮を剥がれて、騙《かた》りの罪に問われるかも知れない。いっそ今のうちにも何もかも白状して、七兵衛夫婦に自分の罪を詫びて、早々にここを立去るのほかはないと、かれは思い切りよく覚悟したのである。
「重々憎い奴と、定めしお腹も立ちましょうが、どうぞ御勘弁くださいまして、きょうお暇をいただきとうございます。」と、お元はまた泣いた。
 その話を聞いているあいだに、七兵衛もいろいろ考えた。憎いとはいうものの、欺されたのは自分の不覚である。当人の望み通りに、早々追い出してしまえば子細はないのであるが、親類の手前、世間の手前、奉公人の手前、それを何と披露していいか。正直にいえば、まったくお笑い草である。近江屋七兵衛はよくよくの馬鹿者であると、自分の恥を内外にさらさなければならない。その恥がそれからそれへと広まると、近江屋の暖簾《のれん》も瑕が付く。それらのことを考えると、七兵衛も思案にあぐんだ。
 女房のお此も夫とおなじように考えた。殊にお此は女であるだけに、自分の前に泣いて詫びているお元のすがたを見ると、またなんだか可哀そうにもなって来た。たとい偽者であるにもせよ、けさまでわが子と思っていたお元を、このまま直ぐに追い出すに忍びないような弱い気にもなった。
「まあ、お待ちなさいよ」と、お此はお元をなだめるように言った。「そう事が判れば、わたし達のほうにも又なんとか考えようがある。ともかくも今すぐに出て行くのはよくない。もうちっとの間、知らん顔をしていておくれよ。」
「それがいい。」と、七兵衛も言った。「いずれ何とか処置を付けるから、もうちっと落ちついていてくれ。私のほうでも自分の暖簾にかかわることだから、決してこれを表沙汰にして、おまえを騙《かた》りの罪に落すようなことはしない。まあ安心して待っていてくれ。」
 夫婦からいろいろに説得されて、お元もおとなしく承知した。
「それでは何分よろしく願います。」
 自分の部屋へ立去るお元のうしろ姿を見送って、深い溜息が夫婦の口を洩れた。いかにお此が弱い気になったからといって、すでに偽者の正体があらわれた以上、それをわが子として養って置くことは出来ない。さりとて、その事実をありのままに世間へ発表することも出来ない。しょせんはお元に相当の手切金をあたえて、人知れずにこの家を立ちのかせ、表向きは家出と披露するのが一番無事であるらしい。勿論それも外聞にかかわることではあるが、偽者と知らずに連れ込んだというよりはましである。一旦かどわかされた娘をようよう連れ戻して来たところ、その悪者どもが付けて来て、再びかどわかして行ったのであろうということにすれば、こちらに油断の越度があったにもせよ、世間からは気の毒だと思われないこともない。ともかくも大きな恥をさらさないで済みそうである。夫婦の相談はまずそれに一致した。
「それにしても、梅ちゃんも義助もあんまりじゃありませんか。」と、お此は腹立たしそうに言った。「江戸へ帰る途中で、お元の袂に鼠を見付けたことがあるなら、誰かがそっと知らせてくれてもいいじゃありませんか。お国が話してくれなければ、わたし達はいつまでも知らずにいるのでした。このあいだも梅ちゃんにきいたら、途中ではなんにも変ったことはなかった、なぞと白ばっくれているんですもの。」
「まあ、仕方がない。梅次郎や義助を恨まないがいい。誰よりも彼よりも、わたしが一番悪いのだ。私が馬鹿であったのだ。」と、七兵衛は諦めたように言った。「そんな者にだまされたのが重々の不覚で、今さら人を咎めることはない。みんな私が悪いのだ」
 さすがは大家《たいけ》の主人だけに、七兵衛はいっさいの罪を自分にひき受けて、余人を責めようとはしなかった。
 それから二日目の夜の更けた頃に、お元は身拵えをして七兵衛夫婦の寝間へ忍び寄ると、それを待っていた七兵衛は路用として十両の金をわたした。彼は小声で言い聞かせた。
「江戸にいると面倒だ。どこか遠いところへ行くがいい。」
「かしこまりました。おかみさんにもいろいろ御心配をかけました。」と、お元は蚊帳の外に手をついた。
「気をつけておいでなさいよ。」
 お此の声も曇っていた。それをうしろに聞きながら、お元は折からの小雨のなかを庭さきへ抜け出した。横手の木戸を内からあけて、かれのすがたは闇に消えた。
 あくる朝の近江屋はお元の家出におどろき騒いだ。主人夫婦も表面《うわべ》は驚いた顔をして、人々と共に立ち騒いでいた。
 その予定の筋書以外に、かれら夫婦を本当におどろかしたのは、四谷からさのみ遠くない青山の権太原の夏草を枕にして、二人の若い男が倒れているという知らせであった。男のひとりは近江屋の手代義助で、他のひとりは越前屋の梅次郎である。義助は咽喉を絞められていた。梅次郎は短刀で脇腹を刺されていた。その短刀は近江屋の土蔵にある質物《しちもつ》を義助が持ち出したのである。死人に口なしで勿論たしかなことは判らないが、検視の役人らの鑑定によれば、かれらはこの草原で格闘をはじめて、梅次郎が相手を捻じ伏せてその咽喉を絞め付けると、義助も短刀をぬいて敵の脇腹を刺し、双方が必死に絞めつけ突き刺して、ついに相討ちになったのであろうという。
 お元の家出と二人の横死と、そのあいだに何かの関係があるかないか、それも判らなかった。もし関係があるとすれば、お元と義助と諜《しめ》しあわせて家出をしたのを、梅次郎があとから追い着いて格闘を演ずることになったのか。あるいはそれと反対に、お元と梅次郎とが家出したのを、義助が追って行ったのか。かれらは何がゆえに闘ったのか、お元はどうしたのか。それらの秘密は誰にも判らなかった。
 お元が江戸へ帰る途中、その袂に忍ばせている鼠を梅次郎と義助に見付けられて、ずいぶん困ったこともあったというから、あるいはその秘密を守る約束のもとに、二人の若い男はお元に一種の報酬を求めたかも知れない。その情交のもつれがお元の家出にむすび付いて、こんな悲劇を生み出したのではないかと、七兵衛夫婦はひそかに想像したが、もとより他人《ひと》に言うべきことではなかった。
 ふたりの死骸を初めて発見したのは、そこへ通りかかった青山百人組の同心で、死骸のまわりを一匹の灰色の小鼠が駈けめぐっていたとのことであるが、それはそこらの野鼠が血の匂いをかいで来たので、お元の鼠とは別種のものであろう。
 お元の消息はわからなかった。
   昭和七年十一月作「サンデー毎日」

底本:「鎧櫃の血」光文社文庫、光文社
   1988(昭和63)年5月20日初版1刷発行
   1988(昭和63)年5月30日2刷
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:松永正敏
2006年6月2日作成
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