一
九月十一日、北緯八十一度四十分、東経二度。依然、われわれは壮大な氷原の真っただ中に停船す。われわれの北方に拡がっている一氷原に、われわれは氷錨《アイス・アンカー》をおろしているのであるが、この氷原たるや、実にわが英国の一郡にも相当するほどのものである。左右一面に氷の面が地平の遙か彼方《かなた》まで果てしなく展《ひろ》がっている。けさ運転士は南方に氷塊の徴候のあることを報じた。もしこれがわれわれの帰還を妨害するに十分なる厚さを形成するならば、われわれは全く危険の地位にあるというべきで、聞くところによれば、糧食は既にやや不足を来たしているというのである。時あたかも季節《シーズン》の終わりで、長い夜が再びあらわれ始めて来た。けさ、前檣下桁《フォア・ヤード》の真上にまたまた星を見た。これは五月の初め以来最初のことである。
船員ちゅうには著《いちじ》るしく不満の色がみなぎっている。かれらの多くは鯡《にしん》の漁猟期に間に合うように帰国したいと、しきりに望んでいるのである。この漁猟期には、スコットランドの海岸地方では、労働賃金が高率を唱えるを例とする。しかし、かれらはその不満をただ不機嫌な容貌《ようぼう》と、恐ろしい見幕《けんまく》とで表わすばかりである。
その日の午後になって、かれら船員は代理人を出して船長に苦情を申し立てようとしているということを二等運転士から聞いたが、船長がそれを受け容れるかどうかは甚《はなは》だ疑わしい。彼は非常に獰猛《どうもう》な性質であり、また彼の権限を犯すようなことに対しては、すこぶる敏感をもっているからである。夕食のおわったあとで、わたしはこの問題について船長に何か少し言ってみようと思っている。従来彼は他の船員に対していきどおっているような時でも、わたしにだけはいつも寛大な態度を取っていた。
スピッツバーゲンの北西隅にあるアムステルダム島は、わが右舷のかたに当たって見える――島は火山岩の凹凸《おうとつ》線をなし、氷河を現出している白い地層線と交叉《こうさ》しているのである。一直線にしても優に九百マイルはある。グリーンランド南部のデンマーク移住地より近い処には、おそらくいかなる人類も現在棲息していないことを考えると、実に不思議な心持ちがする。およそ船長たるものは、その船をかかる境遇に瀕《ひん》せしめたる場合にあっては、みずから大いなる責任を負うべきである。いかなる捕鯨船もいまだかつてこの時期にあって、かかる緯度の処にとどまったことはなかった。
午後九時、私はとうとうクレーグ船長に打ち明けた。その結果はとうてい満足にはゆかなかったが、船長は私の言わんとしたことを、非常に静かに、かつ熱心に聴いてくれた。わたしが語り終わると、彼は私がしばしば目撃した、かの鉄のような決断の色を顔に浮かべて、数分間は狭い船室をあちらこちちと足早に歩きまわった。最初わたしは彼をほんとうに怒らせたかと思ったが、彼は怒りをおさえて再び腰をおろして、ほとんど追従《ついしょう》に近い様子でわたしの腕をとった。その狂暴な黒い眼は著るしく私を驚かしたが、その眼のうちにはまた深いやさしさも籠《こも》っていた。
「おい、ドクトル」と、彼は言い出した。「わしは実際、いつも君を連れて来るのが気の毒でならない。ダンディ埠頭《クエイ》にはもうおそらく帰れぬだろうなあ。今度という今度は、いよいよ一《いち》か八《ばち》かだ。われわれの北の方には鯨がいたのだ。わしは檣頭《マストヘッド》から汐《しお》を噴《ふ》いている鯨のやつらをちゃんと見たのだから、君がいかに頭《かぶり》を横にふっても、そりゃあ駄目だ」
わたしは別にそれを疑うような様子は少しも見せなかったつもりであったが、彼は突然に怒りが勃発したかのように、こう叫んだ。
「わしも男だ。二十二秒間に二十二頭の鯨! しかも鬚《ひげ》の十フィート以上もある大きい奴をな!(捕鯨者仲間では鯨を体の長さで計らず、その鬚の長さで計るのである)
さて、ドクトル。君はわしとわしの運命とのあいだに多寡《たか》が氷ぐらいの邪魔物があるからといって、わしがこの国を去られると思うかね。もし、あしたにも北風が吹こうものなら、われわれは獲物を満載して結氷前に帰るのだ。が、南風《みなみ》が吹いたら……そうさ、船員はみんな命を賭けなければならんと思うよ。もっとも、そんなことは、わしにはたいしたことでもないのだ。なぜと言えば、わしにとってはこの世界よりも、あの世のほうが余計に縁がありそうなのだからね。だが、正直のところ君にはお気の毒だ。わしはこの前われわれと一緒に来たアンガス・タイト老人を連れて来ればよかった。あれならたとい死んでも憎まれはしないからな。ところで、君は……君は、いつか結婚したと言ったっけねえ」
「そうです」と、わたしは時計の鎖についている小盒《ロケット》のバネをぱくりとあけて、フロラの小さい写真を差し出して見せた。
「畜生!」と、彼は椅子から飛びあがって、憤怒の余りに顎鬚《あごひげ》を逆立てて叫んだ。「わしにとって、君の幸福がなんだ。わしの眼の前で、君が恋《れん》れんとしているようなそんな写真の女に、わしがなんの係り合いがあるものか」
彼は怒りのあまりに、今にもわたしを撲《う》ち倒しはしまいかとさえ思った。しかも彼はもう一度|罵《ののし》ったあとに、船長室のドアを荒あらしく突きあけて甲板《デッキ》へ飛び出してしまった。
取り残された私は、彼の途方もない乱暴にいささか驚かされた。彼がわたしに対して礼儀を守らず、また親切でなかったのは、この時がまったく初めてのことであった。私はこの文を書きながらも、船長が非常に興奮して、頭の上をあっちこっちと歩きまわっているのを聞くことが出来る。
わたしはこの船長の人物描写をしてみたいと思うが、わたし自身の心のうちの観念が精《せい》ぜいよく考えて見ても、すでに曖昧糢糊《あいまいもこ》たるものであるから、そんなことを書こうなどというのは烏滸《おこ》がましき業《わざ》だと思う。私はこれまで何遍も、船長の人物を説明すべき鍵《かぎ》を握ったと思ったが、いつも彼はさらに新奇なる性格をあらわして私の結論をくつがえし、わたしを失望させるだけであった。おそらく私以外には、誰しもこんな文句に眼をとめようとする者はないであろう。しかも私は一つの心理学的研究として、このニコラス・クレーグ船長の記録を書き残すつもりである。
およそ人の外部に表われたところは、幾分かその内の精神を示すものである。船長は丈《たけ》高く、均整のよく取れた体格で、色のあさ黒い美丈夫である。そうして、不思議に手足を痙攣的に動かす癖がある。これは神経質のせいか、あるいは単に彼のありあまる精力の結果からかもしれぬ。口もとや顔全体の様子はいかにも男らしく決断的であるが、その眼はまがうべくもなしに、その顔の特徴をなしている。二つの眼は漆黒《しっこく》の榛《はしばみ》のようで、鋭い輝きを放っているのは、大胆を示すものだと私は時どきに思うのであるが、それに恐怖の情の著るしく含まれたように、何か別種のものが奇妙にまじっているのであった。大抵の場合には大胆の色がいつも優勢を占めているが、彼が瞑想にふけっているような場合はもちろん、時どきに恐怖の色が深くひろがって、ついにはその容貌全体に新しい性格を生ずるに至るのである。彼はまったく安眠することが出来ない。そうして、夜なかにも彼が何か呶鳴《どな》っているのをよく聞くことがある。しかし船長室はわたしの船室から少し離れているので、彼の言うことははっきりとは分からなかった。
まずこれが彼の性格の一面で、また最も忌《いや》な点である。私がこれを観察したのも、畢竟《ひっきょう》は現在のごとく、彼とわたしとが日《にち》にち極めて密接の間柄にあったからにほかならない。もしそんな密接な関係が私になかったならば、彼は実に愉快な僚友であり、博識でおもしろく、これまで海上生活をした者としては、まことに立派なる海員の一人である。わたしはかの四月のはじめに、解氷のなかで大風《ゲール》に襲われた時、船をあやつった彼の手腕を容易に忘れ得ないであろう。電光のひらめきと風のうなりとの真っ最中に、ブリッジを前後に歩き廻っていたその夜の彼のような、あんな快活な、むしろ愉快そうに嬉嬉《きき》としていたところの彼を、わたしはかつて見たことがない。彼はしばしば私に告げて、死を想像することはむしろ愉快なことだ、もっとも、これは若い者たちに語るのはあまり芳《かん》ばしくないことではあるが――と言っている。
彼は髪も髭《ひげ》もすでに幾分か胡麻塩《ごましお》となっているが、実際はまだ三十を幾つも出ているはずはない。思うにこれは、何かある大きな悲しみが彼をおそって、その全生涯を枯らしてしまったのに相違ない。おそらく私もまた、もし万一わがフロラを失うようなことでもあったら、全くこれと同じ状態におちいることであろう。私は、これが彼女の身の上に関することでなかったなら、あしたに風が北から吹こうが、南から吹こうが、そんなことはちっとも構わないと思う。
それ、船長が明かり窓を降りて来るのが聞こえるぞ。それから自分の部屋にはいって錠《じょう》をかけたな。これはまさしく、彼の心がまだ解けない証拠なのだ。それでは、どれ、ペピス爺さんがいつも口癖に言うように、寝るとしようかな。蝋燭ももう燃え倒れようとしている。それに給仕《スチュワード》も寝てしまったから、もう一本蝋燭にありつく望みもないからな――。
二
九月十二日、静穏なる好天気。船は依然おなじ位置に在り。すべて風は南西より吹く。但《ただ》し極めて微弱なり。船長は機嫌を直して、朝食の前に私にむかって昨日の失礼を詫《わ》びた。――しかし彼は今なお少しく放心の態《てい》である。その眼にはかの粗暴の色が残っている。これはスコットランドでは「死《デス》」を意味するものである。――少なくともわが機関長は私にむかってそう語った。機関長はわが船員中のケルト人のあいだには、前兆を予言する人として相当の声価を有しているのである。
冷静な、実際的なこの人種に対して、迷信がかくのごとき勢力を有していたのは、実に不思議である。もし私がみずからそれを観たのでなかったらば、その迷信が非常に拡がっていることを到底《とうてい》信じ得なかったであろう。今度の航海で、迷信はまったく流行してしまった。しまいには私もまた、土曜日に許されるグロッグ酒と適量の鎮静薬と、神経強壮剤とをあわせ用いようかと、心が傾いてくるのを覚えてきた。迷信のまず最初の徴候はこうであった――。
シェットランドを去って間もなく舵輪《ホイール》にいた水夫たちが、何物かが船を追いかけて、しかも追いつくことが出来ないかのように、船のあとに哀れな叫びと金切り声をあげているのを聞いたと、しばしば繰り返して話したのがそもそも始まりであった。
この話はその航海が終わるまでつづいた。そうして、海豹《あざらし》漁猟開始期の暗い夜など、水夫らに輪番《りんばん》をさせるには非常に骨が折れたのであった。疑いもなく、水夫らの聞いたのは、舵鎖《ラダー・チェイン》のきしる音か、あるいは通りすがりの海鳥の鳴き声であったろう。わたしはその音を聞くために、いくたびか寝床から連れて行かれたが、なんら不自然なものを聞き分けることは出来なかった。しかし水夫らは、ばかばかしい程《ほど》にそれを信じていて、とうてい議論の余地がないのであった。わたしはかつてこのことを船長に話したところ、彼もまた非常にまじめにこの問題をとったには、私もすくなからず驚かされた。そうして、彼は実際わたしの言ったことについて、著るしく心を掻き乱されたようであった。わたしは、彼が少なくともかかる妄想に対しては超然としているだろうと、当然考えていたからである。
迷信という問題に就いて、かくのごとく論究した結果、わたしは二等運転士のメースン氏がゆうべ幽霊を見たということ――否《いな》、少なくとも彼自身は見たと言っている事実を知った。何ヵ月もの間、言いふるした、熊とか鯨とかいう、いつも変わらぬ極まり文句のあとで、なにか新らしい会話の種があるのは、まったく気分を新たにするものである。メースンは、この船は何かに取り憑《つ》かれているのだから、もし、どこかほかに行くところさえあれば、一日もこの船などにとどまってはいないのだが、と言っている。
実際、あの奴《やっこ》さん、ほんとうに怖気《おじけ》がついているのである。そこで、私は今朝あいつを落ち着かせるために、クロラルと臭素カリを少々|服《の》ませてやった。わたしが彼にむかって、おとといの晩、君は特別の望遠鏡を持っていたのだなと冷やかしてやると、奴さんすっかり憤慨していたようであった。そこで、わたしは彼をなだめるつもりで、出来るだけまじめな顔をして、彼の話すところを聴いてやらなければならなかった。彼はその話をまっこうから事実として、得《とく》とくとして物語ったのであった。
彼の曰《いわ》く――
「僕は夜半直の四点時鐘ごろ(当直《とうちょく》時間は四時間ずつにして、ベルは三十分毎に一つずつ増加して打つのである。よってこれは四点なればあたかも中時間である)船橋《ブリッジ》にいた。夜はまさに真の闇であった。空には何か月の欠けでもあったらしいが、雲がこれを吹きかすめて、遙かの船からははっきりと見ることが出来なかった。あたかもその時、魚銛発射手《もりなげ》のムレアドが船首から船尾へやって来て、右舷船首にあたって奇妙な声がすると報告した。僕は前甲板へ行って、彼と二人で耳をそろえてその声をきくと、ある時は泣き叫ぶ子供のように、またある時は心傷める小娘のようにも聞こえる。僕はこの地方に十七年も来ていたが、いまだかつて海豹《あざらし》が老幼にかかわらず、そんな鳴き声をするのを聞いたためしはない。われわれが船首にたたずんでいると、月の光りが雲間を洩れて来て、二人はさっき泣き声を聞いた方向に、なにか白いものが氷原を横切って動いているのを見た。それはすぐに見えなくなったが、再び左舷にあらわれて、氷上に投げた影のように、はっきりとそれを認めることが出来た。
僕はひとりの水夫に命じて、船尾へ鉄砲を取りにやった。そうして、僕はムレアドと一緒に浮氷へ降りて行った。おそらくそれは熊の奴だろうと思ったのである。われわれが氷の上に降りたときに、僕はムレアドを見失ってしまったが、それでも声のする方へすすんで行った。おそらく一マイル以上も、僕はその声を追って行ったであろう。そうして、氷丘のまわりを走って、いかにも僕を待っているかのように立っている、その頂きへまっすぐに登って、その上から見おろしたが、かの白い形をしたものはなんであったか、一向にわからない。とにかくに熊ではなかった。それは丈が高く、白く、まっすぐなものであった。もしそれが男でも、女でもなかったとしたらば、きっと何かもっと悪いものに違いないことを保証する。僕は怖くなって、一生懸命に船の方へ走って来て、船に乗り込んでようやくほっとした次第である。僕は乗船中、自己の義務を果たすべき条款《じょうかん》に署名した以上、この船にとどまってはいるが、日没後はもう二度と氷の上へはけっして行かないぞ」
これがすなわち彼の物語で、わたしは出来るかぎり彼の言葉をそのままに記述したのである。
彼は極力否定しているが、わたしの想像するところでは、彼の見たのは若い熊が後脚《あとあし》で立っていた、その姿に相違あるまい。そんな格好は、熊が何か物に驚いたりした時に、いつもよくやることである。覚束《おぼつか》ない光りの中で、それが人間の形に見えたのであろう。まして既に神経を多少悩ましている人においてをやである。とにかく、それが何であろうとも、こんなことが起こったということは一種の不幸で、それが多数の船員らに非常に不快な、おもしろからぬ結果をもたらしたからである。
かれらは以前よりも一層むずかしい顔をし、不満の色がいよいよ露骨になって来た。鯡《にしん》猟に行かれないのと、かれらのいわゆる物に憑かれた船にとどめられているのと、この二重の苦情がかれらを駆《か》って無鉄砲な行為をなさしめるかもしれない。船員ちゅうの最年長者であり、また最も着実な、あの魚銛発射手でさえも、みんなの騒ぎに加わっているのである。
この迷信騒ぎの馬鹿らしい発生を除いては、物事はむしろ愉快に見えているのである。われわれの南方に出来ていた浮氷は一部溶け去って、海潮はグリーンランドとスピッツバーゲンの間を走る湾流の一支流にわれらの船は在るのだと、わたしを信ぜしめるほどに暖かになって来た。船の周囲には、たくさんの小海蝦《こえび》と共に、無数の小さな海月《くらげ》やうみうし[#「うみうし」に傍点]などが集まって来ているので、鯨のみえるという見込みはもう十分である。果たしてその通り、夕食の頃に汐を噴いているのを一頭見かけたが、あんな地位にあっては、船でその跡《あと》を追いかけることは不可能であった。
九月十三日。ブリッジの上で、一等運転士ミルン氏と興味ある会話を試みた。
わが船長は水夫らには大いなる謎である。私にもそうであったが、船主にさえもそうであるらしい。ミルン氏の言うには、航海が終わって、給金済みの手切れになると、クレーグ船長はどこへか行ってしまって、そのまま姿を見せない。再び季節《シーズン》が近づくと、彼はふらりと会社の事務所へ静かにはいって来て、自分の必要があるかどうかを訊《たず》ねるのである。それまではけっしてその姿を見ることは出来ない。彼はダンディには朋輩を持たず、たれ一人としてその生い立ちを知っている者もない。船長として彼の地位は、まったく海員としての彼の手腕と、その勇気や沈着などに対する名声とによっているのである。そうして、その名声も彼が個個の指揮権を托される前に、すでに運転士としての技倆によって獲得したのであった。彼はスコットランド人ではなく、そのスコットランド風の名は仮名であるというのが、みんなの一致した意見のようである。
ミルン氏はまたこう考えている――船長という職は彼がみずから選み得るなかで最も危険な職業であるという理由によって、単に捕鯨に身をゆだねて来たのであって、彼はあらゆる方法で死を求めているのであると。ミルン氏はまた、それに就いて数個の例を挙げている。そのうちの一つは、もしそれが果たして事実とすれば、むしろ不思議千万である。ある時、船長は猟のシーズンが来ても、例の事務所に姿を見せなかったので、これに代る者を物色せねばならないことになった。それはあたかも最近の露土《ろど》戦争の始まっている時であった。ところが、その翌年の春、船長が再びその事務所へ戻って来た時には、彼の横頸には皺《しわ》だらけの傷が出来ていた。彼はいつもこれを襟巻で隠そう隠そうと努めていた。彼は戦争に従事していたのであろうというミルンの推測が、果たして真実なりや否やということは、私にも断言出来ないが、いずれにもせよ、これは確かに不思議なる暗合といわなければならなかった。
風は東寄りの方向に吹きまわしてはいるが、依然ほんの微風である。思うに、氷はきのうよりも密なるべし。見渡すかぎり白《はく》皚皚《がいがい》、まれに見る氷の裂け目か、氷丘の黒い影のほかには、一点のさえぎるものなき一大氷原である。遙か南方に碧《あお》い海の狭い通路がみえる。それがわれわれの逃がれ出ることの出来る唯一《ゆいいつ》の道であるが、それさえ日毎《ひごと》に結氷しつつあるのである。
船長はみずから重大な責任を感じている。聞けば、馬鈴薯のタンクはもう終わりとなり、ビスケットさえ不足を告げているそうである。しかし船長は相変わらず無感覚な顔をして、望遠鏡で地平線を見渡しながら、一日の大部分を檣《マスト》の上の見張り所に暮らしている。彼の態度は非常に変わりやすく、彼はわたしと一緒になるのをみずから避けているらしい。といって、何も先夜示したような乱暴を再びしたわけではない。
三
午後七時三十分。熟慮の結果、ようやくに得たる私の意見は、われわれは狂人に支配されているということである。この以外のものでは、クレーグ船長の非常な斑気《むらき》を説明することは不可能である。わたしがこの航海日誌を付けてきたのはまことに幸いである。われわれが彼をどんな種類の監禁のもとに置くにしても――この手段は最後のものとして、私は承認するのみであるが――われわれの行為を正当なるものと証拠だてる場合には、この日誌がどれほど役に立つことになるかもしれないからである。まったく不思議なことではあるが、精神錯乱を暗示したのは船長自身であって、その怪しい行為の原因が単なる特異の風変わりとは認められないのであった。
彼は約一時間ばかり前に、ブリッジの上に立っていた。そうして、私が後甲板をあちらこちらと歩いている間、絶えず例の望遠鏡でじっと立って眺めていた。船員の多くは下で茶を喫《の》んでいた。というのは、近ごろ見張りが規則正しく続けられなくなってきたからである。歩くに疲れて、わたしは舷檣に倚《よ》りかかりながら、周囲にひろがっている大氷原に、今しも沈もうとしている太陽の投げる澄明《ちょうめい》な光りを心から感歎して眺めていると、その夢幻の状態から、わたしは間近《まぢか》にきこえる嗄《しゃが》れ声のために突然われにかえった。それと同時に、船長があたりをきょろきょろ見廻しながら降りて来て、わたしのすぐ側に立っているのを見いだした。
彼は恐れと驚きと、何か喜びの近づいて来るらしい感情とが相争っているような表情で、氷の上を見まもっていた。寒いにもかかわらず、大きい汗のしずくがその額に流れていて、彼が恐ろしく興奮していることが明らかにわかった。その手足は癲癇《てんかん》の発作を今にも起こそうとしている人のように、ぴりぴりと引きつってきた。その口のあたりの相貌はみにくくゆがんで、固くなっていた。
「見たまえ!」と、彼はわたしの手首をとらえて、あえぎながら言った。
しかし、眼は依然として遠い氷の上にそそぎ、頭は幻影の野を横切って動く何物かを追うかのように、おもむろに地平のあなたに向かって動いていた。
「見たまえ! それ、あすこに人が! 氷丘のあいだに! 今、あっちのうしろから出て来る! 君、あの女が見えるだろう。いや、当然見えなければならん! おお、まだあすこに! わしから逃げて行く。きっと逃げているのだ……ああ、行ってしまった!」
彼はこの最後の一句を、鬱結《うっけつ》せる苦痛のつぶやきをもって発したのである。
これはおそらく永久にわたしの記憶から消え去ることはないであろう。彼は縄梯子《なわばしご》に取りすがって、舷檣の頂きに登ろうと努《つと》めた。それはあたかも去りゆくものの最後の一瞥《いちべつ》を得んと望むかのように――。
しかし、彼の力は足らず、集会室《ホール》の明かり窓によろめき退《しさ》って来て、そこに彼はあえぎ疲れて倚《よ》りかかってしまった。その顔色は蒼白となったので、私はきっと彼が意識を失うものと思って、時を移さずに彼を伴って明かり窓を降りて、船室のソファの上にそのからだを横たえさせた。それから私はその脣《くち》にブランディをつぎ込んだ。幸いにそれが卓効《たくこう》を奏して、蒼白な彼の顔には再び血の気があらわれ、ふるえる手足をようやく落ち着かせるようになった。彼は肘《ひじ》を突いてからだを起こして、あたりを見まわしていたが、われわれ二人ぎりであるのを見て、やっと安心したように、こっちへ来て自分のそばへ坐れと、わたしを手招きした。
「君は見たね」と、この人の性質とはまったく似合わないような、低い畏《おそ》れたような調子で、彼は訊いた。
「いいえ、何も見ませんでした」
彼の頭は、ふたたびクッションの上に沈んだ。
「いや、いや、望遠鏡を持ってはいなかったろうか」と、彼はつぶやいた。「そんなはずがない。わしに彼女をみせたのは望遠鏡だ。それから愛の眼……あの愛の眼を見せたのだ。ねえ、ドクトル、給仕《スチュワード》を内部へ入れないでくれたまえ。あいつはわしが気が狂ったと思うだろうから。その戸に鍵《かぎ》をかけてくれたまえ。ねえ、君!」
私は起《た》って、彼の言う通りにした。
彼は瞑想に呑み込まれたかのように、しばらくの間じっと横になっていたが、やがてまた肘を突いて起き上がって、ブランディをもっとくれと言った。
「君は、思ってはいないのだね、僕が気が狂っているとは……」
私がブランディの壜《びん》を裏戸棚にしまっていると、彼がこう訊いた。
「さあ、男同士だ。きっぱりと言ってくれ。君はわしが気が狂っていると思うかね」
「船長は何か心に屈託《くったく》があるのではありませんか。それが船長を興奮させたり、また非常に苦労させたりしているのでしょう」と、わたしは答えた。
「その通りだ、君」と、ブランディの効き目で眼を輝かしながら、船長は叫んだ。「全くたくさんの屈託があるのさ。……たくさんある。それでもわしはまだ経緯度を計ることは出来る、六分儀《ろくぶんぎ》も対数表も正確に扱うことが出来る。君は法廷でわしを気違いだと証明することはとうていできまいね」
彼が椅子に倚《よ》りかかって、さも冷静らしく自分の正気なることを論じているのを聞いていると、わたしは妙な心持ちになって来た。
「おそらくそんな証明は出来ないでしょう」と、私は言った。「しかし私は、なるべく早く帰国なすって、しばらく静かな生活を送られたほうがよろしかろうと思います」
「え、国へ帰れ……」と、彼はその顔に嘲笑の色を浮かべて言った。「国へ帰るというのはわしのためで、静かな生活を送るというのは君自身のためではないかね、君。フロラ……可愛いフロラと一緒に暮らすさね。ところで、君、悪夢は発狂の徴候かね」
「そんなこともあります」
「何かそのほかに徴候はないかね。一番最初の徴候は何かね」
「頭痛、耳鳴り、眩暈《めまい》、幻想……まあ、そんなものです」
「ああ、なんだって……?」と、突然に彼はさえぎった。「どんなのを幻想《デルージョン》というのだね」
「そこに無いものを見るのが幻想です」
「だって、あの女はあすこにいたのだよ」と、彼はうめくように言った。「あの女はちゃんとそこにいたよ」
彼は起ち上がってドアをあけ、のろのろと不確かな足取りで、船長室へ歩いて行った。
わたしは疑いもなく、船長は明朝までその部屋にとどまることと思った。彼がみずから見たと思った物がどんなものであるとしても、彼のからだは非常な衝動《ショック》を受けたようである。
船長は日毎《ひごと》にだんだんおかしくなってくる。わたしは彼自身が暗示したことが本当のことであり、またその理性が冒《おか》されているのを恐れた。彼が自己の行為に関して、何か良心の呵責《かしゃく》を受けているのであると、わたしは思われない。こんな考えは、高級船員などの間ではありふれた考え方であり、また普通船員のうちにあってもやはり同様であると信じられる。しかし私は、この考え方を主張するに足るべき何物をも見たことがない。彼には、罪を犯した人のような様子は少しも見えない。かれは苛酷な運命の取り扱いを受けて、罪人というよりはむしろ殉教者と認むべき人のような様子が多く見られるのであった。
今夜の風は南にむかって吹き廻っている。ねがわくば、われわれが唯一《ゆいいつ》の安全航路であるところの、あの狭い通路が遮断されないように――。大北極の氷群、すなわち捕鯨者のいわゆる「関所《バリアー》」のはしに位してはいるが、どんな風でも北さえ吹けば、われわれの周囲の氷を粉砕して、われわれを助けてくれることになる。南の風は解けかかった氷をみなわれわれのうしろへ吹きよせて、二つの氷山の間へわれわれを挾むのである。どうぞ助かるようにと、私はかさねて言う。
九月十四日。日曜日にして、安息日。わたしの気遣っていたことが、いよいよ実際となって現われた。
唯一の逃げ道であるべき碧《あお》い細長い海水の通路が、南の方から消えてきた。怪しげな氷丘と、奇妙な頂端を持って動かない一大氷原が、吾人の周囲につらなるのみである。恐ろしいその広原を蔽《おお》うものは、死のごとき沈黙である。今や一つのさざなみもなく、海の鴎《かもめ》の鳴く声もきこえず、帆を張った影もなく、ただ全宇宙にみなぎる深い沈黙があるばかりである。
その沈黙のうちに、水夫らの不平の声と、白く輝く甲板の上にかれらの靴のきしむ音とが、いかにも不調和で不釣合いに響くのである。ただ訪れたものは一匹の北極狐《アークチック・フォックス》のみで、これも陸上では極めてありふれたものであるが、氷群の上にはまれである。しかしその狐も船に近づかず、遠くから探るような様子をしたのちに、氷を超えて速《すみや》かに逃げ去ってしまった。これは不思議な行動というべきで、北極の狐は一般に人間をまったく知らず、また穿索《せんさく》好きの性質であるので、容易に捕えられるほど非常に慣れ近づくものであるからである。信ぜられないことのようであるが、この際こんな些細《ささい》な事件でさえも、船員らには悪影響を及ぼしたのであった。
「あの清浄な動物は怪物を知っている。そうだ。われわれを見てではなく、あの魔物を見たからなのだ」というのが、主だった魚銛発射手《もりうち》の一人の注釈であった。そうして、その他の者も皆それに同意を示したので、こんな他愛もない迷信に反対しようとする者さえも、まったく無益のことであった。かれらはこの船の上には呪いがあると信じ、そうして、たしかにそうであると決定してしまったのである。
船長は午後の約三十分、後甲板へ出てくる以外は、終日《しゅうじつ》自分の部屋にとじこもっていた。わたしは彼が後甲板で、きのう、かの幻影が現われた場所をじっと見入っているのを見たので、またどうかするのではないかとじゅうぶん覚悟していたが、別に何事も起こらなかった。私はそのそば近くに立っていたが、彼はかつて私を見る様子もなかった。
機関長がいつものごとくに祈祷をした。捕鯨船のうちで、イングランド教会の祈祷書が常に用いられるのはおかしなことである。しかも高級船員のうちにも、普通船員のうちにも、けっしてイングランド教会の者はいないのである。われわれは天主教徒《ローマン・カトリック》か長老教会派《プレスビテリアンス》のもので、天主教徒が多数を占めている。そこで、どちらの信徒にも異なる宗派の儀式が用いられているのであるから、いずれも自分たちの儀式がいいなどと苦情を言うことも出来ない。そうして、そのやりかたが気に入ったものであれば、かれらは熱心に傾聴するのである。
かがやく日没の光りが、大氷原を血の湖《うみ》のように彩《いろど》った。私はこんな美しい、またこんな気味の悪い光景を見たことがない。風は吹きまわしている。北風が二十四時間吹くならば、なお万事好都合に運ぶであろう。
四
九月十五日。きょうはフロラの誕生日なり。愛する乙女《おとめ》の君よ。君のいわゆるボーイなる私が、頭の狂った船長のもとに、わずか数週間の食物しかなくて、氷のうちにとじこめられているのが、君にはむしろ見えないほうがいいのである。うたがいもなく、彼女はシェットランドからわれわれの消息が報道されているかどうかと、毎朝スコッツマン紙上の船舶欄を、眼を皿にして見ていることであろう。わたしは船員たちに手本を示すために、元気よく、平静をよそおっていなければならない。しかも神ぞ知ろしめす。――わたしの心は、しばしば甚《はなは》だ重苦しい状態にあることを――。
きょうの温度は華氏十九度、微風あり。しかも不利なる方向より吹く。船長は非常に機嫌がいい。彼はまた何かほかの前兆か幻影を見たと想像しているらしい。ゆうべは夜通し苦しんだらしく、けさは早くわたしの室《へや》へ来て、わたしの寝棚によりかかりながら、「あれは妄想であったよ。君、なんでもないのだよ」と、ささやいた。
朝食後、彼は食物がまだどれほどあるかを調べて来るように、わたしに命じたので、早速二等運転士とともに行ったところ、食物は予期したよりも遙かに少なかった。船の前部に、ビスケットの半分ばかりはいったタンクが一つと、塩漬けの肉が三樽、それから極めてわずかのコーヒーの実と、砂糖とがある。また、後船鎗と戸棚の中とに、鮭の鑵詰、スープ、羊肉の旨煮《うまに》、その他のご馳走がある。しかし、それとても五十人の船員が食ったらば、瞬《またた》くひまに無くなってしまうことであろう。なお貯蔵室に粉《こな》二樽と、それから数の知れないほどに煙草がたくさんある。それら全体を引っくるめたところで、各自の食量を半減して、約十八日|乃至《ないし》二十日間ぐらいを支え得るだけのものがある――おそらく、それ以上はとうてい困難であろう。
われわれ両人がこの事情を報告すると、船長は全員をあつめて、後甲板の上から一場の訓示を試みた。私はこの時ほどの立派な彼というものを今まで見たことがない。丈高く引きしまった体躯、色やや浅黒く溌剌たる顔、彼はまさに支配者として生まれて来たもののようであった。彼は冷静な海員らしい態度で、諄《じゅん》じゅんとして現状を説いた。その態度は、一方に危険を洞察しながら、他方にありとあらゆる脱出の機会を狙っていることを示すものであった。
「諸君」と、彼は言った。「諸君はうたがいもなく、この苦境に諸君をおとしいれたものは、このわしであると思っていられるであろう。そうして、おそらく諸君のうちにはそれを苦《にが》にがしく思っている者もあるであろう。しかし多年の間、このシーズンにここへ来る船のうちで、どの船であろうとも、わが北極星号のごとく多くの鯨油の金をもたらしたものはなく、諸君も皆その多額の分配にあずかってきたことを、心にきざんでおいてもらわなければならない。意気地《いくじ》なしの水夫どもは娘っ子たちに会いたがって村へ帰ってゆくのに、諸君らは安んじてその妻をあとに残しておいて来たのである。そこで、もし諸君が金儲けが出来たためにわしに感謝しなければならぬというのならば、この冒険に加わって来たことに対しても、当然、わしに感謝していいはずで、つまりこれはお互いさまというものである。大胆な冒険を試みて成功したのであるから、今また一つの冒険を企てて失敗しているからといって、それをとやかく言うにはあたらない。たとい最も悪い場合を想像してみても、われわれは氷を横切って陸に近づくことも出来る。海豹《あざらし》の貯蔵のなかに臥《ね》ていれば、春まではじゅうぶん生きてゆかれる。しかし、そんな悪いことはめったに起こるものでない。三週間と経たないうちに、諸君は再びスコットランドの海岸を見るであろう。それにしても現在においては、いやとも各自の食量を半減してもらわなければならない。同じように分配して、誰も余計にとるようなことがあってはならない。諸君は心を強く持ってもらいたい。そうして、以前に多くの危険を凌《しの》いできたように、この後なおいっそうの努力をもってそれを防がなければならない」
彼のこの言葉は、船員らに対して驚くべき効果をあたえた。今までの彼の不人気は、これによってすっかり忘れられてしまった。迷信家の魚銛発射手の老人がまず万歳を三唱すると、船員一同は心からこれに合唱したのであった。
九月十六日。風は夜の間に北に吹き変わって、氷は解《と》けそうな徴候を示した。食糧を大いに制限されたにもかかわらず、船員らはみな機嫌をよくしている。もし危険区域脱出の機会が見えたらば、少しの猶予《ゆうよ》もないようにと、機関室には蒸気が保たれて、出発の用意が整っている。
船長はまだ例の「死」の相《そう》から離れないが、元気は旺溢《おういつ》している。こう突然に愉快そうになったので、私はさきに彼が陰気であった時よりも更に面喰らった。わたしには到底《とうてい》これを諒解することが出来ない。私はこの日誌の初めの方にそれを挙げたと思うが、船長の奇癖のうちに、彼はけっして他人を自分の部屋へ入れないことがある。現に今もなおそれを実行しているのであるが、彼は自身で寝床を始末し、ほかの船員らにもこれを実行させている。ところが、驚いたことには、きょうその部屋の鍵をわたしに渡して、その船室へ降りて行って、彼が正午の太陽の高度を測っている間、船長の時計で時間《タイム》を取るようにと私に命令したのであった。
部屋は洗面台と数冊の書籍とをそなえた飾り気のない小さい室《へや》である。壁にかけられた若干《じゃっかん》の絵のほかには、ほとんど何の装飾もない。それらの多くは油絵まがいの安っぽい石版画であるが、ただ一つわたしの注意をひいたのは、若い婦人の顔の水彩画であった。
それは明らかに肖像画であって、舟乗りなどが特に心を惹《ひ》かれるような、想像的タイプの美人ではなかった。どんな画家でも、こんな性格と弱さとが妙に混淆《こんこう》したところのものを、その内面的から描き出すことは、なかなかむずかしいことであったろう。睫毛《まつげ》の垂れた不活発そうな物憂い眼と、そうして思案にも心配にも容易に動かされないような、広い平らな顔とは、綺麗に切れて浮き出した顎《あご》や、きっと引き締まった下唇と、強い対照をなしていた。肖像画の一方の下隅に、「エム・ビー、年十九」と書かれていた。わずか十九年の短い生涯に、彼女の顔に刻まれたような強い意志の力をあらわし得るとは、その時わたしにはほとんど信じられなかった。彼女は定めて非凡な婦人であったに相違なく、その容貌はわたしに非常な魅力をあたえた。私は単にちらりと見ただけであったが、もしわたしが製図家であるならば、この日記に彼女の容貌のあらゆる点を描き出すことがきっと出来るであろう。
彼女はわが船長の生涯において、いかなる役割りを演じたのであろうか。船長はこの絵をその寝床のはしにかけておくので、彼の眼は絶えずこの画の上にそそがれているはずである。もし船長がもっと無遠慮であったらば、何かこのことに関して観察することも出来たのであろうが、彼は無口で控え目の性質であったので、奥深く観察が出来なかったのである。
彼の室内のほかのものについては、なんら記録にあたいするようなものはなかった。――すなわち船長服、携帯用の床几、小形の望遠鏡、煙草の鑵《かん》、いくつかのパイプ及び水煙管《みずぎせる》――ちなみに、この水煙管は船長が戦争に参加したというミルン氏の物語に少しく色をつけるが、その連想はむしろ当たらないらしい。
午後十一時二十分。船長は長いあいだ雑談に花を咲かせた後、たった今寝床についた。彼が気の向いているときは、実に惚れぼれするようないい相手である。非常に博識で、しかも独断的に見ゆることなしに、強く自己の意見を表示する力を持っている。それを思うと、わたしは自分の頭のよく働かないのが忌《いや》になる。
彼は霊魂の性質について話した。そうして、アリストテレスやプラトンの説をよく消化して、問題のうちに点出した。彼は輪廻《りんね》を学び、ピタゴラス(紀元前のギリシャの哲学者)の説を信ずるもののようである。それらを論じているうちに、われわれは降神術の問題に触れた。私はスレードの詐欺に対して、ふざけた引喩《いんゆ》をしたところ、彼は有罪と無罪とを混同しないようにと、はなはだ熱心にわたしに向かって警告した。そうして、キリスト教と邪教とをひとしく心に刻するのは正しい議論である、なぜなれば、キリスト教を詐《いつわ》りよそおったユダは悪漢《わるもの》であったと彼は論じた。それから間もなく、彼はお寝《やす》みと言って、自分の部屋へ退いて行った。
風は新たになり、確かに北から吹いている。夜は英国の夜のごとくに暗い。あすは、この氷の桎梏《かせ》からのがれ得ることを祈る。
九月十七日。再びお化け騒ぎ。ありがたいことに、わたしは至極大胆である。意気地のない水夫らの迷信と、熱心なる自信をもってかれらが語る詳細の報告とは、かれらの平生に慣れていない者を戦慄させるであろう。
妖怪事件については、多くの説がある。しかしそれらを要約すれば、何か怪しいものが船の周囲を終夜飛びあるくというのである。ピーターヘッドのサイディ・ムドナルドもそれを見たと言い、シェットランドの背高《せいたか》のっぽうのピーター・ウィリアムソンもそれを見たと言い、ミルン氏もまたブリッジで確かに見たという。これで都合三人の証人があるので、二等運転士が見た時よりは、船員の主張がいっそう有力になってきた。
朝食の後、私はミルン氏に話して、こういうばかばかしいことには超然としていなければならず、また、ほかの船員らによい手本を示さなければならないと言ってやった。ところが、彼は例によって何かを予言するように、風雨にさらされたその頭をふって、特殊の注意を払いながら答えたのは、こうであった――。
「おそらくそうであるかもしれず、そうでないかもしれないよ、ドクトル」と、彼は言った。「僕はそれを幽霊と呼びはしなかった。これについてはいろいろの言い分もあるが、僕は海お化けや、この種のものについて、自分の信条を本当らしく言い拵《こしら》えるようなことはしないつもりだ。僕はむやみに怖がるのではない。しかし明かるい日中にとやかく言わず、もし君がゆうべ僕と一緒にいて、あの怖ろしい形をした、白い無気味《ぶきみ》なものが、あっちへ行ったり、こっちへ来たりして、ちょうど母親を失った仔羊《こひつじ》のように、闇のなかを泣き叫ぶのを見たら、おそらく君だってぞっとしたろうと思う。そうすれば、君も、ばかばかしい話だなどと、そう簡単には片付けてしまわないだろうよ」
わたしは彼を説きつける望みはないと思って、この次にもしまた幽霊があらわれたらば、私を呼び上げてくれるように特に頼んでおくのほかはなかった。――この頼みを、彼は「そのような機会はけっして来ないように」との願いをあらわす祈りのことばをもって、ともかくも承知だけはすることになった。
五
わたしが望んだごとく、われわれのうしろの氷面が破れて、細い水の条《しま》が現われて来た。それが遠く全体にわたって拡がっている。今日われわれが在《あ》るところの緯度は北緯八十度五十二分で、これはすなわち氷群に南からの強い潮流がまじっていることを示すのである。風が都合よく吹きつづくならば、結氷と同じ速さでまた解氷するであろう。現在のわれわれは、煙草をふかして機会を待ち望むのほかに何事も手につかない。わたしは急激に運命論者にならんとしつつある。風や氷のような、とかく不確実な要素のものばかりを取り扱っていると、人間もしまいにはそうならざるを得ない。マホメットの最初の従者らの心を運命に従わしめたものは、おそらくアラビア砂漠の風か砂であったろう。
このようなお化け騒ぎが、船長に対して非常に悪い影響を与えてしまった。わたしは彼の敏感な心を刺戟するのを恐れて、このばかばかしい話を隠そうと努めていたが、不幸にして彼は船員の一人がこの話をほのめかしているのを洩れ聞いて、どうしてもそれを聞こうと言い出した。そうして、わたしが予期した通り、それがために船長のいったん鎮《しず》まっていた心がまた大いに狂い出した。これが昨夜、最も批判的聡明と最も冷静なる判断とをもって、哲学を論じたその同一人とは、とうてい信ぜられなかった。彼は後甲板を檻のなかの虎のようにあちらこちらと歩き廻っている。時どきに立ち停まって、うっとりとした様子で手を突き出しながら、何かたえられないように氷の上を見入っているのである。
彼は絶えずつぶやいている。そうして一度「ほんのちっとの間、愛して……ほんのちっとの間!」と叫んだ。
ああ、可哀そうに。立派な海員にして教養ある紳士が、こんな境遇に落ちてゆくのを見るのは悲しいことである。また真の危険もただ生活の一刺戟に過ぎぬとしているような船長の心を、あの空想と妄想とが威嚇するかと思うと、さらに悲しくなるのである。発狂せる船長と、幽霊におびえている運転士との間に、かつて私のような地位に立った者があるだろうか。わたしは時どきに思うのであるが、おそらくあの二等機関手を除いては、私がこの船中でただ一人の正気の人間ではあるまいか。しかし、かの機関手も一種の瞑想家で、彼を独りでおく限り、またその道具を掻きみださない限り、彼は紅海の悪魔に関するほかは何も注意しないのである。
氷は依然として速《すみや》かにひらいている。明朝出発することが出来そうな見込みはじゅうぶんである。国へ帰って、、これまでにあった不思議な出来事を話したらば、みんなきっと私が作り話をしていると思うであろう。
午後十二時。私は実にもう、ぞっとしてしまった。今はいくぶん落ち着いてはきたが、これとても強いブランディを一杯引っかけたお蔭である。以下この日記が証明するように、私はいまだ全く自己を取り戻してはいないのである。わたしは非常に不思議な経験を味わった。そうして、私にはどうしても合理的だとは思われないような事物を、かれらをたしかに見たというので、私は船中の者をみな狂人ときめてしまったが、今となってはそれが果たして正しいかどうか、はなはだ疑わしくなってきたのである。ああ、こんなつまらないことに神経を奪われてしまうとは、私もなんという大馬鹿者であろう。これはすべての馬鹿騒ぎのあとから起こったことであるが、ここに書き加える価値があると思う。いつも馬鹿にしていたことも、今みずからこれを経験するに及んで、もはやミルン氏の話も、例の運転士の話も、いずれもこれを疑うことが出来なくなったからである。
畢竟《ひっきょう》、これとてたいしたことではない――ただ一つの音だけであったに過ぎない。私はこの日記を読まれる人が、いつかこの条《くだり》を読むとしても、私の感情と共鳴し、あるいはその時わたしに及ぼしたような結果を実感せられるであろうとは思わない。
さて夕食が終わって、私は寝《しん》に就く前に、しずかに煙草をふかそうと思って、甲板へ登って行った。夜は甚《はなは》だ暗く――その暗さは、船尾端艇《ウォーターボート》の下に立っていてさえも、ブリッジの上にいる運転士の姿が見えないほどであった。前にも言った通り、非常な沈黙がこの氷の海に充《み》ち満ちているのである。この世界のほかの部分では、たといいかに不毛の地であろうとも、微《かす》かながらも大気の振動というものがある。――遠くの人の集まっている処からも、あるいは木の葉から、あるいは鳥の翼《つばさ》から、または地をおおう草のかすかなざわめきの音からさえも、何かかすかな響きがあるものである。人間は積極的に音響を知覚こそしないが、もし音というものが全然なくなってしまうと、実に物足りなくて寂しいものである。測り知られざる真の静けさが、あらゆる現実の無気味さをもって、われわれの上に押しせまっているのは、ここ北極の海においてのみで、わずかなつぶやきの声をも捉《とら》えんとして緊張し、船中にちょっと起こった小さい物音にまで熱心に注意する、われと我が鼓膜に気がつくのである。
こんな心持ちで、わたしは舷檣にひとり倚《よ》りかかっていると、ほとんど私のすぐ下の氷から、夜の静寂の空気を破って、鋭い尖《とが》った叫び声がひびいてきた。
最初はあたかも楽劇の首歌妓《プリマドンナ》も及ばぬような佳《い》い音調で、それがだんだんに調子を上げて、ついにその頂点は苦痛の長い号泣と変わってしまった。これは死者の最期の絶叫であったかもしれない。このものすごい絶叫は、今もなお私の耳にひびいている。悲哀――いうにいわれぬ悲哀がそのうちに表わされているかのようで、また非常な熱望と、それをつらぬいて時どきに狂喜の乱調とが伴っていた。それは私のすぐそばから叫び出したのであるが、わたしが暗闇《くらやみ》のうちをじっと見つめた時には、何も見分けることは出来なかった。私はややしばらく待っていたが、再びその音を聞くことがなかったので、そのままに降りて来た。実にわたしは、わが全生涯中にかつて覚えない戦慄を感じながら――。
明かり取りのあるところを降りて来ると、見張り番交代に昇って来るミルン氏に逢った。
「さて、ドクトル」と、彼は言った。「おそらくそれは馬鹿な話だろうよ。君はあの金切《かなき》り声を聞かなかったかね。たぶん、それは迷信だろうよ。君は今どうお考えだね」
私はこの正直な男に詫びを言い、そうして私もまた彼と同じように惑《まど》っていることを認めなければならなかった。おそらく、あすはわたしの考えも違ってくるであろう。しかも今の私は自分の考えをすべて書きしるす勇気はほとんどない。他日これらの忌《いや》な連想をいっさい振り落としたあかつきに再びこれを読んで、わたしはきっと自分の臆病を笑うであろう。
九月十八日。わたしはなお、かの奇妙な声に悩まされつつ、落ち着かない不安な一夜を過ごした。船長も安眠したようには見えない。その顔は蒼白《そうはく》で、眼は血走っていた。
わたしは昨夜の冒険を彼に話さなかった。いや、今後とてもけっして話すまい。彼はもう落ち着きというものが少しもなく、まったく興奮している。そわそわと立ったり居たりして、少しの間もじっとしていることが出来ないらしい。
けさは私の予期のごとく、あざやかな通路が群氷のうちに現われたので、ようやくに氷錨《アイス・アンカー》を解いて、西南西の方向に約十二マイルほど進むことが出来たが、またもや一大浮氷に妨げられて、そこに余儀《よぎ》なく停船することとなった。この氷山は、われわれが後に残してきたいずれもに劣らない巨大なものである。これが全くわれわれの進路を妨害したために、われわれは再び投錨して、氷のとけるのを待つのほかには、どうすることも出来なくなったのである。もっとも、風が吹きつづけさえすれば、おそらく二十四時間以内には氷は解けるであろう。鼻のふくれた海豹数頭が水中に泳いでいるのが見えたので、その一頭を射とめると、十一フィート以上の実に素晴らしいやつであった。かれらは獰猛な喧嘩好きの動物で、優に熊以上の力があるといわれているが、幸いにその動作はにぶく不器用なので、氷の上でかれらを襲ってもほとんど危険というものがない。
船長はこれが苦労の仕納めだとは全然思っていないようであった。他の船員らはみな奇蹟的脱出をなし得たと考えて、もはや広い大海へ出るのは確実であると思っているのに、なにゆえに船長は事態を悲観的にのみ見ているのか、わたしにはとうてい測り知られないことである。
「ドクトル。察するに、君はもう大丈夫だと思っているね」と、夕食の後、一緒にいる時に船長は言った。
「そうありたいものです」と、私は答えた。
「だが、あまり楽観してはならない。もっとも、たしかなことはたしかだが……。われわれはみな、間もなく自分自分のほんとうの愛人のところへ行かれるのだよ。ねえ、君、そうではないかね。しかしあまり楽観してはならない。……楽観し過ぎてはならないね」
彼は考え深そうに、その足を前後にゆすりながら、しばらく黙っていた。
「おい、君」と、彼はつづけた。「ここは危険な場所だよ。一番いい時でも、いつどんな変化があるか分からない危険な場所だ。わしはこんなところで、まったく突然に人がやられるのを知っている。ちょっとした失策の踏みはずしが、時どきそういう結果を惹き起こすのだ。――わずかに一つの失策で氷の裂け目に陥落して、あとには緑の泡が人の沈んだところを示すばかりだ。まったく不思議だね」
彼は神経質のような笑い方をしながら、なおも語りつづけた。
「ずいぶん長い間、毎年わしはこの国へ来たものだが、まだ一度も遺言状を作ろうなどと考えたことはない。もっとも、特にあとに残すようなものが何も無いからでもあるが……。しかし人間が危険にさらされている場合には、よろしく万事を処理し、また用意しておくべきだと思うが、どうだね」
「そうです」と、私はいったい、彼が何を思っているのかと怪しみながら答えた。
「誰にしたところが、それがみな決めてあると思えば安心するものだ」と、彼はまた言った。「そこで、何かわしの身の上に起こったら、どうかわしに代って君が諸事を処理してくれたまえ。わしの船室《キャビン》にはたいしたものもないが、まあ、そんなつまらないものでも売り払ってしまって、その代金は鯨油の代金が船員のあいだに分配されるように、平等にかれらに分配してやってくれたまえ。時計は、この航海のほんの記念として、君が取っておいてくれ。もちろん、これは唯《ただ》あらかじめ用心しておくというに過ぎないが、わしはこれをいつか君に話そうと思って、機会を待っていたのだ。もし何かの必要のある場合には、わしは君の厄介《やっかい》になるだろうと思うがね」
「まったくそうです」と、私は答えた。「船長さんがこういう手段をとられるからには、わたしもまた……」
「君は……君は……」と、彼はさえぎった。「君は大丈夫だ。いったい君になんの関係があろうか。わしは短気なことを言ったわけではない。ようやく一人前になったばかりの若い人が、〈死〉などということについて考えているのを、聞いているのは忌《いや》だ。さあ、船室のなかのくだらない話はもうやめにして、甲板へ行って新鮮の気を吸おうではないか。わしもそうして元気をつけよう」
この会話について考えれば考えるほど、私はますます忌な心持ちになって来た。あらゆる危険を逃がれ得られそうな時に、なぜ遺言などをする必要があるのであろう。彼の気まぐれには、きっと何かの方法があるに相違ない。彼は自殺を考えているのであろうか。私はある時、彼が自己破壊のいまわしい罪であることを、非常に敬虔《けいけん》な態度で語ったのを記憶している。しかし今の私は、彼から眼を離すまい。その私室へ闖入《ちんにゅう》することは出来ないにしても、少なくとも彼が甲板にある限りは、私もかならず甲板にとどまっていることにしようと思った。
ミルン氏は私の恐怖を嘲笑して、それは単に「船長のちょっとした癖」に過ぎないと言っている。彼は甚《はなは》だ事態を楽観しているのである。その言うところによれば、明後日までには、われわれは鎖《とざ》された氷から脱出することが出来る。それから二日にしてジャン・メーエンを過ぎ、また一週間ばかりにしてシェットランドが見られるであろうと――。どうか、彼が楽観し過ぎていなければいいがと思う。もっとも彼の意見は、船長の悲観的な考えとは違って、おそらく公平な判断であろう。彼はいろいろの古い経験に富んだ海員であって、なんでも物事をよく熟考した上でなくては、容易に口をきかないという人であるから――。
六
長い間、まさに来たらんとしていた不幸の大団円《だいだんえん》が、ついに来てしまった。私はそれをどう書いていいか、ほとんど分からない。船長は行ってしまった。あるいは彼は再び生きて帰るかもしれない。しかし、おそらく――おそらくそれは絶望であろう。
今は九月十九日の午前七時である。わたしは何か彼の足跡にでも逢着《ほうちゃく》することもあるまいかと、水夫の一隊を伴って、終夜前方の氷山を歩きまわったが、それは徒労に終わった。わたしは彼の行くえ不明について、ここに少しく書いてみよう。もし他日これを読む人があったならば、これは臆測や伝聞によって書いたものではなく、正気の、しかも教育あるわたしが、自分の眼前に現に発生したことを正確に記述しているものであることを必ず承知してもらいたい。わたしの推量は――それは単に私自身の推量であるに相違ないが、その事実に対して私はあくまでも責任を持つのである。
前述の会話の後、船長はまったく元気であった。しかし、しばしばその姿勢を変えたり、彼の癖の舞踏病的な方法でその手足を動かしたりして、神経質そうに苛《いら》いらしているように見えた。彼は十五分間に七たびも甲板へのぼって行った。そうして、二、三歩も大股に急ぎ足で甲板を歩いたかと思うと、また直ぐに降りて来る。わたしはその都度《つど》について行った。彼の顔の上に、なんとなく不安な影がただよっているのが見えたからである。彼は私のこの懸念《けねん》をさとったらしく、わたしを安心させようとして殊更《ことさら》に快活をよそおい、ほんのつまらない冗談にも、わざとからからと笑ったりしてみせた。
夜食の後、彼は再び船尾の高甲板へ登った。夜は暗く、円材にあたる風のひゅうひゅうという陰気な音を除いては、まったく静寂であった。密雲が北西の方から押し寄せて来て、その雲の投げたあらい触角《しょっかく》が、月の面を横ぎって流れていた。月はこの雲間を透して時どきに照るのである。船長は足早に往ったり来たりしていたが、私がまだついて来ているのを見て、彼はわたしのそばへ来て、下へ行ったらいいだろうということを、謎かけるように言うのであった。――それは言うまでもなく、甲板にとどまっていようとする私の決心をますます強めるものであった。
この後、彼は私の存在を忘れたように、黙って船尾の手摺りによりかかって、一部分は暗く、一部分は月の光りにおぼろに輝いている大氷原のあなたを、まじろぎもせずに見詰めていたのである。わたしは彼の動作によって、彼がいくたびか懐中時計をながめているのを見た。彼は一度、何か短い文句をつぶやいたが、ただその中の「もういいよ」という一語しか聴き取れなかった。
闇に浮かぶ船長の大きい朦朧《もうろう》とした姿をながめ、さらに彼があたかも媾曳《あいび》きの約束を守る人がぼんやりと物を考えているような姿で立っているのを見たとき、私は全身にさっと不気味な寒さを感じたことを白状する。しかし、誰との逢いびきであろう。私が一つの事実と他の事実とを接《つ》ぎあわせたとき、あるおぼろげな観念は浮かんで来たけれども、その結論はやはりまとまらないのであった。
彼が突然に熱狂したような様子を示したので、わたしは当然彼が何かを見たと思った。私はそっとそのうしろに忍び寄ると、彼は船と一直線上をすみやかに飛んでいる霧の圏のようなものを熱心に見つめていた。それは形のない朦朧たる一種の星雲体のもので、それに月の光りがさしたとき、ある時は大きく、ある時は小さく見えるのである。月はこのとき、あたかもアネモネの覆《おお》いのように、極めて薄い雲の天蓋をもって、その光りを小暗《おぐら》くしていた。
「ああ、やって来るよ、あの娘が……。ああ、やって来るよ」と、測り知れぬ優しさと、憐れみの籠った声で、船長は叫んだ。
それはあたかも長いあいだ待ち設けていた愛情をもって、可愛い者を慰めてやるように――。そうしてまた、愛を与えるのは、受けるのと同じく愉快であるといったように――。
その次のことは、まったく瞬間的に突発したのであって、私には何とも手のくだしようがなかった。彼は舷檣の天辺《てっぺん》にむかって飛んだ。それから再び飛ぶと、彼はすでに氷の上にあって、かの蒼白い朦朧たる物の足もとに立ったのである。彼はそれを抱くように両手を衝《つ》と差し出した。そうして、両方の腕をひろげて、何か色めいた言葉を口にしながら、闇の中へまっしぐらに走り去った。
わたしは硬くなって突っ立ったままで、その声が遠く消えてしまうまで、闇に吸われてゆく彼の姿を、大きい眼で見送っていた。私は再び彼の姿を見ようとは思わなかった。ところが、その瞬間に月は雲のあいだから皎《こう》こうと輝き出《いで》て、大氷原の上を照らしたので、わたしは氷原を横切って非常の速力で走ってゆく彼の黒影を、遙かに遠いあなたに認めた。これが、彼に対するわれわれの最後の一瞥《いちべつ》であった。――おそらく永久にそうであろう。
間もなく追跡隊が組織されて、私もそれに加わったが、みんなの気が張っていないので、何を見いだすことも出来なかった。数時間以内には、さらにもう一度、捜索が試みられるはずである。私はこれらのことを書きながら、自分は夢でも見ているのか、あるいは何か恐ろしい夢魔にでもおそわれているような心持ちがしてならない。
午後七時三十分。第二回の船長捜索から、疲れ切ってただいま帰って来た。捜索は不成功である。この氷山は途方もなく広いので、われわれはその上を少なくも二十マイルは歩いたが、行けども行けども果てしがありそうにも思われなかった。寒気は近ごろ非常に厳しいので、氷の上に降り積む雪が御影石《みかげいし》のように固くなっている。こんなことさえなければ、船長の足跡ぐらいはすぐに見つけられたであろう。
船員らは纜《ともづな》を解いて、氷山を迂回して南方にむかって船を進めようと、しきりにあせっている。氷も夜のあいだはひらけて、海水は地平線上に見えているからである。かれらは「クレーグ船長はきっと死んでいる。それであるから、われわれに脱出の機会があるにもかかわらず、ここにぐずぐずしているのはくだらなくみんな生命《いのち》の質《しち》をするものである」と論じている。ミルン氏とわたしとが大いに尽力して、ようよう明日の晩まで待つように一同を説き伏せたが、その以上はいかなる事情があっても、出発を延期しないと約束させられてしまった。そこで、われわれは数時間の睡眠を取った上で、最後の捜索に出発するように提議したのであった。
九月二十日、夜。わたしは今朝、氷山の南部を探索に出発し、ミルン氏は北の方へ出発した。十マイル乃至《ないし》十二マイルの間、およそ生きているものの影というものは全く見られず、ただ一羽の鳥がわれわれの頭の上を高く飛んで行ったばかりである。その飛び方によって、私はそれを鷹《たか》だと思った。氷原の南端は狭い岬《みさき》のように、その尖端が細まって海中に突出している。この岬の麓へ来た時に、一行は足を停めてしまった。しかし私はいかなる機会をもおろそかにしなかったという満足を得たかったので、岬の行き止まりまで探して見るようにと、みんなに頼んだ。
百ヤードほど行くか行かぬに、ピーターヘッドのムドナルドが、われわれの前方に何か見えると叫んで走り出した。われわれもまた、ちらりとそれを見て走り出した。最初はそれが白い氷に対して、ぼんやりと黒く見えただけであったが、近づくにつれてそれは人の形をなして来た。そうして、しまいにはわれわれが捜しているその人の形となって現われたのである。彼は氷の土手にうつむきに倒れていた。多くの小さな氷柱《つらら》や、雪の小片が、倒れている彼の上に吹きつけて、黒い水兵着の上にきらきらと光っていた。
われわれが近づいてゆくと、にわかに一陣の旋風がさっと吹いてきて、紛《ふん》ぷんたる雪片を空中に巻き上げたが、その一部は落ちて来て、また再び風に乗って、海の方へすみやかに飛んで行ってしまった。わたしの眼にはそれが単に吹雪としか見えなかったが、同行者の多くの者の眼には、それが婦人の形をして立ち上がり、屍《しかばね》の上にかがんでこれに接吻し、それから氷山を横ぎって急いで飛び去ったように見えたと言うのであった。
わたしは何事によらず、それがどんなに奇妙に思われても、ひとの意見をけっして嘲笑しないようにこれまで仕馴れてきた。たしかに、ニコラス・クレーグ船長は悼《いた》ましい死を遂げたのではなかったものと思う。彼の青く押し付けたような顔には、輝かしい微笑を含んでいる。そうして、死のあなたに横たわる暗い世界へ彼を招いた不思議の訪問者をとらえるかのように、彼はなお両手を突き出しているのである。
われわれは彼を船旗に包み、足もとに三十二ポンド弾を置いて、その日の午後に彼を葬《ほうむ》った。わたしが弔辞《ちょうじ》を読んだとき、荒らくれた水夫はみな子供のように泣いた。それというのも、そこにいる多くの者は彼の親切な心に感じていたのである。そうして、今こそその愛情を示すことが出来たのである。彼の生きている時には例の不思議な癖で、彼はむしろこういう愛情を不快に感じて、いつも拒絶してきたのであった。
船長の屍は、にぶい寂しい飛沫《しぶき》をあげて、船の格子を離れていった。わたしは青い水面を凝視していると、その屍は低く低く、遂に永久の暗黒にゆらめく白い小さい斑点となって、それさえもやがて見えなくなってしまった。秘密や、悲哀や、神秘や、あらゆるものを彼の胸にふかく秘めて、復活の日まで彼はそこに横たわっているのであろう。その復活の日には、海はその死者を放ち、わがニコラス・クレーグは笑みをたたえ、かの硬《こわ》ばった腕を突き出して挨拶しながら、氷の間から現われて来るであろう。彼の運命がこの世におけるよりは、あの世においていっそう幸福ならんことを、わたしは切《せつ》に祈るものである。
私はもうこの日記をやめにしよう。われわれの帰路は平穏無事であり、大氷原もやがては単に過去の思い出となるであろう。少し経てば、私はこの事件によって受けた衝動《ショック》に打ち克《か》つことが出来よう。この航海日誌をつけ始めたとき、私はそれを終わりまで書かなければならないとは考えていなかった。私は人のいない船室《キャビン》でこれを書いている。今もなお時どきにびくりとしたり、または頭の上の甲板に死んだ人の神経的な速《はや》い跫音《あしおと》を聞くように思ったりして――。
私は今晩、かねて私の義務であったので、公正証書のために彼の動産表を作ろうと思って、船長室へはいってみると、すべての物は以前にはいった時と少しも変わっていなかった。ただ、かの婦人の水彩画だけが――これは船長の寝床のはしにかけられていたと言ったが――ナイフのようなものでその枠から切り取られて、ゆくえ知れずになっていた。これを不思議な証跡の連鎖となるべき最後のものとして、私は「北極星号」のこの航海日誌の筆を擱《お》く。
(附記)――父のマリスターレー医師の注。――わたしは自分の忰《せが れ》の航海日誌に書かれている、北極星号の船長の死に関する不思議な出来事を通読した。すべての事がまさに記述のごとくに起こったということは、私の十分に信ずるところであり、また実際、最も正確なことである。というのは、彼は真実を語ることには最も慎重な注意を払うものであることを知っている。かつまた、この物語は一見非常に曖昧糢糊《あいまいもこ》としているところから、私は長い間その出版に反対していたのであるが、二、三日前、この問題について独立的な確実の証拠を握ったので、それによって新らしい光明があたえられることとなった。
わたしは英国医学協会の会合に出席するために、エジンバラへ行ったことがある。そこでドクトルP氏に出逢った。氏は古い大学の同窓生で、今はデボンシャーのサルタッシに開業しているのである。忰のこの経験談をわたしが物語ると、彼はその人をよく知っていると言った。さらに少なからず驚いたことには、私にかの船長の人相書をあたえた。それは船長がやや少し若く描かれているほかは、この日誌に記《しる》されたところと、まったく符合しているのである。彼の説明によれば、その船長はコーニッシ海岸に住んでいる非常に美しい若い婦人と許嫁《いいなずけ》の仲であった。ところが、彼が航海の留守中に、その婦人は奇怪なる恐怖が原因をなして死んでしまったというのであった。
底本:「世界怪談名作集 下」河出文庫、河出書房新社
1987(昭和62)年9月4日初版発行
2002(平成14)年6月20日新装版初版発行
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:大久保ゆう
2004年9月26日作成
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