古川緑波

富士屋ホテル——古川緑波

箱根宮の下の富士屋ホテルは、われら食子にとって、忘れられない美味の国だった。
 戦前戦中、僕は、富士屋ホテルで、幾度か夏を過し、冬を送ったものだった。それが、終戦後、接収されて、日本人は入れなくなってしまった。そして又、それが一昨年の夏だったか、解除になって、再び日本人も歓迎ということになり、ホテルから通知が来た。
 行きたいとは思いながら、暇もなかったし、又一つには(と言って、実は、これが重要な点であるが)高いだろうなあと思って、今まで行く機会が無かった。
 戦前から戦後にかけての値段は、三食と、お八つ(コーヒー又は紅茶に、トースト)が附いて、バス附の部屋で、一泊二十円(サーヴィス料一割)位だった。さあそれが、今の世の中では、一体幾ら位になっていることだろう。
 再開の通知を貰うと、折返し、値段を報《しら》せろと言ってやったので、それが届いた。三食附のアメリカンシステムではなくなって(戦後アメリカンシステムではなくなったのは面白い)(面白かあないか)食事は別になっている。そして、僕の計算によると、戦前の一泊二十円は、大体に於て、五千円位になるのではないか。但し、三食は食うが、酒を飲んだらそれでは済むまい。(それは、戦前とても同じではあるが)となると、安くないからなあ。今の僕の身分と致しましては、一寸考えちまった。それが、此の三月のことである。スポンサーが附いた(つまり、万事|奢《おご》ってくれる人が出来たこと)。行ってみようじゃないかということになって、而《しか》も、東京から、彼スポンサー氏の自ら運転する自動車(無論自家用のパリだ)で、富士屋ホテルの玄関へ、堂々と到着した。
 まことに、いい気持であった。
 玄関で、自動車《くるま》を下りた途端に、四辺を見廻しながら、
「うーん、昔のまんまだねえ」
 と言ってしまった。戦災を受けていないから、当りまえである。そして、花御殿という離れの一室に、落ち着いたのであるが、さて然し、此処の食堂も昔のまんまだろうか、と心配になって来た。
 昔の、富士屋ホテル。
 ここで、溶暗――溶明。
 昭和十五年の、僕の食日記が登場する。昔の富士屋ホテルの姿である。
 一月三十一日 夕方、宮の下富士屋ホテル着。夕食=白葡萄酒(ソーテルン)小壜一本。オードヴルが、実によく、ビフテキ、プディング、美味し。
 二月一日 朝食=オレンジ・ジュース、オートミール、煎《い》り卵、コーヒー、トースト。昼食=オードヴル、ポタアジュ、車海老のフライ、鶏とヌードル。夜食=ローストビーフが、よし。
 二月二日 朝食=煎《い》り卵と、コーンビーフ・ハッシュ。昼食=マカロニ・メキシカン、車海老のカレーライス。夕食=トマトクリームスープと、プラム・プディングが、よかった。
 二月三日 朝食=オートミールと、煎り卵。昼食=ポタアジュ、よし。ボイル・ディナーと、ポーク・ソーセージ。夕食=ソーテルン一本。
 もう二三日滞在したのだが、此の辺にして置く。
 ただ、これだけは、メニュウを披露しただけで、その美味さを伝えることは出来ないが、毎食、僕は、タンノウし、此処は何と言っても、一流中の一流の味だと感心していたのである。昭和十五年といえば、まだアメリカとの戦争前だから、物資も、それ程不足していなかった、ということも、このメモで分る。
 戦争苛烈となり、愈々《いよいよ》セッパ詰って来ると、流石に富士屋ホテルも弱って来て、食事の量は半分以下になり、とても僕など一人前では足りないので、食堂で定食を食うと、大急ぎで、グリルへ駆けつけて、又食うというようなことになって来た。何うも僕は、大食いのようだ。
 今更、大食いの「ようだ」なんて言うのは可笑しいが、自分でも、一種の大食いだとは思っている。美味いものなら、いくらでも食えるからである。不味いものとなったら、全く食わない。
 大食いで思い出したが、やっぱり此の富士屋ホテルで、面白いことがあった。たった一人で、或る冬のこと、十日間ばかり、此処に滞在したことがある。外に雪が降っていたから、冬に違いない。
 或る晩、その雪の降るのを、窓外に眺めながら、食堂へ行くと、客は、まばらで、空《す》いていた。大分滞在も長くなって退屈だから、何か変ったことにぶつかりたくなっている。
 こんな時に、一つ試みるかな?
 というのは、僕が此処へ来る度に、大分以前から考えている企画なので、食堂のメニュウを上から下まで全部食ってみよう、という試みなのである。
 メニュウは、好みで選ぶようになっているが、全部食ったって、値段は同じわけだ。だから、こんな時に、暇にあかして、上から下まで、みんな平げてやろう。
 そう思ったのだが、流石に、これは、アッサリと、「全部食ってみせるから、持って来い」とは言いにくい。
 で、傍に立っているボーイに、
「ねえ君、此処には随分方々の国の人が来るだろうが、何国人が一番大食いかね?」
 と聞いてみた。
 こういう風にして、からめ手から、段々と攻めて行こうという腹なんだ。
 ボーイは、こっちに、そんな企みがあるとは知らない。
「インドの方が一番よく召し上るようでございますな。フランスなんかも割合に、大食の方が多いようで――」
 なんて答えた。
「フーム、日本人は何うだい?」
「日本人でも、随分召し上る方が、ございます」
「でも、このメニュウを、上から下まで、全部食った、なんて人は、日本人には居ないだろうね?」
「いえ、それが、ございます。何とか会社の社長さんの坊ちゃんで、ラグビーの選手でいらっしゃいますが、その坊ちゃんが、メニュウ全部召し上がりましたよ」
「ホホウ、そうかね。それじゃあ一つ、俺もやってみようか」
「ハ?」
「いや、その坊ちゃんみたいに、俺も、全部食ってみようか」
「ハア」
 ボーイは、呆れたような顔をしたが、次の瞬間には、面白くなったらしい。
「では、早速お持ち致しましょう」
 と、勇んで、一旦テーブルを去った。
 で、これから、先ず、オードヴルから、スープは、コンソメ、ポタアジュの二つを平げ、順々に十数種を食うことになるのである。
 然し、何うです、僕の、話の持ちかけ方ってものは、うまいもんでしょう?
 からめ手から、攻めて行くところなんか、うまいと思うんだが、そうでもないかな。
 兎に角、メニュウを、全部上から下まで食ってみようじゃないか、ということになって、僕は、ひそかに、バンドをゆるめて、待ち構えていたのであった。
 ここに、一寸御参考までに、富士屋ホテルの食堂のランチのメニュウを御紹介する。
 これは、戦後、つい最近の、つまり僕が行った時のものであって、昔のは、もっと豊富だったと思っていただきたい。が、先ず、此処に掲げたメニュウを、読者諸子が、上から下まで全部食べるんだ、そういう運命になったんだ、と思って、眺めていただきたいのである。

LUNCH
Sunday March 18th 1956
~~~~~
APPETIZER
1 Supreme of Grapefruit and Orange
SOUP
〔2 Potage a
la Sue'doise〕 3 Hot Consomme en Tasse FISH 4 King Fish Saute Baloise 〔ENTRE'E〕 5 Glorious Lamb Stew VEGETABLE 6 Buttered Brussels Sprouts 7 Corn Fritters 8 Whipped Potatoes CHOICE OF 9 Grilled Chicken Piquaute 10 Prawn Curry and Rice SALAD 11 Grand Union Salad DESSERT 〔12 Crepes a la Suzette〕
13 Bavaroise Napolitaine
~~~~~
14 Assorted Fruits
Coffee Tea Green Tea
\ 1,000
FUJIYA HOTEL
Miyanoshita
Inspection of Kitchen
Cordially Invited

富士屋のホテルのメニュー

 1は、こりゃあ何でもない。
 が、スープの部へ入ると、2は、ポタアジュで、3が、コンソメである。これを両方とも吸い尽さなければならない。この辺で、ヘコタレては、問題にならない。
 4の魚から、5のラムシチュウと平げて、野菜は、678とも皆食べてしまわなければならない。そして、此の辺から段々むずかしくなる。
 チョイスと書いてあるが、無論、此の際、チョイスなどしてはいられない。9の、グリルド・チキンと、10[#「10」は縦中横]の海老のカレーライスが、二つとも運ばれて来る。これを皆胃袋の中へ収めてしまうと、11[#「11」は縦中横]のサラダから、デザートに入る。ここでは、12[#「12」は縦中横]のクレープ・スゼット、13[#「13」は縦中横]のバヴァロアの二種。それから、果物の何種類かを食べて、コーヒーを飲み、紅茶を飲み、そして、此処に書いてあるからには、グリーン・ティーも飲まなくてはならない。
 ――という次第です。如何ですか?
 無論、この位なら行《い》けると思われる方《かた》もあるだろう。が、随分大食と言われる人でも、うんざりだ、と言って降参する方《ほう》が多いんじゃなかろうか。そして、これは、はじめにも言った通り、戦後の、而も、ランチのメニュウなのだ。
 昔の富士屋は、もっと品数が多かったし、ディナーのメニュウともなれば、更に豊富だったに違いない。
 で、僕は、ディナーの際に、此の冒険を試みたのである。
 先ず、オードヴルから始まって、スープ二種、魚が二種、肉も二種、野菜もふんだん。はじめっから自信は、あったんだが、やってみると、割に楽だった。
 大したことはないじゃないか、と心の中で思う。然し、胃袋が、大分《だいぶ》前方へ、せり出して来たようだ。
 サラダが終って、デザートに入る。と、しめたものだ。僕は、甘いものが大好きで、脂っ濃いものの後なら、益々いい。今でも僕は、温いプディングなんかには目が無くて、必ずお代りをしてしまう。(わが糖尿病に栄光あれ)
 そんな風だから、お菓子の二三種類位は、何でもありはしない。ペロペロと平げた後が、コーヒー、紅茶に、グリーン・ティー。
「なァるほどねえ」
 と、傍に立って、見ていたボーイが、感心した。
 本来は、チョイスのシステムであるから、これだけ食われては、その頃にしても、合わなくなったろうが、さりとて、アメリカンシステムで、食事代は、宿泊料にこめてあるのだから、別に金を取るわけには行かない。そういう次第で、第一夜は成功、全部平げた。
 別段、胃袋をこわすようなこともなく、翌朝は又、適当に腹が減っていた。
 で、朝食のテーブルに就くと、ボーイの方で心得ちまって、朝のメニュウも全部運んで来た。
 ジュース二三種、オートミール、コーンフレークス、それに卵の料理が、五六種類。マフィンに、クラッカー、トースト等々。
 こんなものは、何でもない。
 ホットケーキに、コーヒー、ココア、紅茶、皆歓迎だ。
 かくて、僕は、此の食堂に於ては、必ず、メニュウの全部を運ばせることに、定ってしまったのである。年も若かったが、随分無茶をしたものだと、今ふり返ってみれば、そう思う。
 然し、その頃の僕にしてみれば、これは決して、大食いなんてものじゃない、と思っていた。
 大食い競争じゃない。第一、相手がいない、一人っきりである。そして、我慢して、苦しがって食うのではないのだ、一々を美味いと思って、味わいながら食うのである。だから、世に言う大食いとは違う。彼等は、大福を何百と食ったり、飯を何升とか食ったりするのだが、それは、もう美味くも何ともないに違いないし、同種類の物を、やたらに詰め込むというのは、下品なことだ。俺のは、違う種類の色々なものを、順序よく食うのであるから、上品なスポーツだ。そんな風に思っていたのである。
 ところが、このスポーツも、一人の時は、よかったが、同じテーブルで誰かと一緒に食う時は弱った。
 喜多村緑郎先生が、食堂へ入って来られて、丁度いいから、一緒になろうというんで、お話をしながら、同席することになった。と、僕のところへだけ、スープが、コンソメから、ポタアジュと運ばれるので、「おや?」と、喜多村先生は驚かれた。「いや、実は――」と言って、一々その説明をするのが、辛かった。
 然し、本当のことを言えば、毎食毎に、メニュウを全部平げていた日には、腹具合は兎も角として、倦き倦きしちまう。種類は、いくら多くても、結局は、西洋料理なんだから、うんざりして来る。
 然し、意地ってものがある。途中から、全コースというのをやめるのは嫌だ。又その頃の富士屋には、日本料理の定食もあったんだが、それを食うことも恥とした。いよいよ苦しくなったら、滞在を切り上げて、帰るべきだ、という悲壮な気持だった。で、そうだな、かれこれ一週間、苦行を続けたと思うんだが――苦行とは言っても、やはり美味いものは美味くって、苦しみつつも、毎食一品位は、喜んで食ったものだ、――そして、一週間目位に、全身洋食の如き感じになり、もはや、堪えがたしと覚えた。で、富士屋ホテルを去って、熱海へ出た。
 熱海の日本宿で、朝食を食った時、ああ、こんなに、日本食ってものは、うまいものか! と感嘆した。
 コーヒーとトーストに、ハムエッグス、ベーコン等の朝食から、熱海の名物の干物、納豆、みそ汁に、生卵という朝飯の、ああ何とも言えない、うまさであった。
 それは、日本人の幸福とも言えた。
 又、富士屋ホテルの美味地獄から、解放された悦びでもあった。

 そして僕は、今年の三月十七日に、富士屋ホテルに一泊した。
 着いたのが、夕方だったので、部屋に落ち着いて、バスに浴したりしている間に、もう八時近くになってしまった。
 食堂は、八時半までで閉まる。グリルの方は、十時半頃まで開いているときいたので、それじゃあ、今夜は、グリルの方にしよう。八時半迄というんじゃあ、気が急《せ》くから、食堂の方はやめにして。と、連れにも、そう言って、ゆっくり構えた。
 八時廻った頃に、部屋を出て、グリルの方へ歩いて行くと、ボーイが、「グリルでございますか。食堂へいらした方がサーヴィスが、よろしうございますが」と言った。
 でも、気が急くからね、と、それを聞き流して、グリルへ行く。
 グリルも、昔とは場所が変った。前は食堂の上の方の、小さな建物だったのが、今度は、場所が変って、ずっと大きくなっている。
 そのグリルへ入った途端、これは殺風景だなあ、と驚いた。食堂の、落ち着いた感じと比べると、この方は、ひどくガサツだ、悪く言えば、ステーションの食堂へ入ったような感じなのだ。そして、ボーイたちが、訓練されていず、モソモソしていて、入った時から、もう落ち着かない。
 ああ然し、それもこれも、思えば、このホテルにしてみれば、十年間ほどのブランクがあったのだからな。アメリカさんの接収の間は、やはりこの若いボーイ達が、サーヴィスしていたのであろうか、或いは又、この若者たちは、去年再開後に雇われて来たものか。
 兎に角、サーヴィス道も、一年や二年で、会得出来るものではない。十年前と同じようなサーヴィスを、求める方が無理だった。
 さればこそ、さっき廊下で、ボーイが、食堂の方が、サーヴィスがいいと言ったのであったか。
 サーヴィス道を心得た者は、食堂に働いていて、グリルは、ニュウフェイスばかりなのかも知れない。
 兎に角、席に就くや否や、それが気になったので、今宵の食事は、辷《すべ》り出しが悪かった。
 殺風景な飾り付けも、アメリカ人向きの、衛生的装飾かも知れない。
 メニュウを見ても、アメリカ的影響が大きく見られた。
 ジョニーウォーカーの、ハイボールを取って、オードヴルから始めた。
 オードヴルには、アメリカ的影響は無かったが、特徴のない、平凡なもの。
 鶏の唐揚げ、というのが、メニュウにあって、アメちゃん好みで、きっと、よく出る[#「出る」に傍点]んだろう、と思って試みたが、これも頗る平凡だった。
 メニュウを尚も漁って、ロースト・ビーフがあったから、それを註文。
 ロースト・ビーフ(無論ホットの方)は、大きくはあったが、桃色の、嬉しい肉ではなくて、色が憎々しかった。これは然し、今考えてみると、照明のせいもあったかも知れない。
 ホースラディッシュは附いていたが、ヨークシャープディングは添えてない。それはまあいいとして、この味、何うにも、うまいとは言えなかった。
 その味気ない、ロースト・ビーフを食いながら、僕は思ったのだ。
 すべては、アメリカ人向きなんだ、これは。殺風景な部屋の飾りも、照明も、食物の味も、みんな、アメリカ式になってしまったのだ。
 先代の山口大人が生きていたとしてもこの流れには抗し難かったに違いない。誰が悪いのでもない、戦争に負けたのが悪いのである。
 かくて、グリルは失望に終った。そして、僕は、朝食を、本食堂で食うのを、たのしみにして、寝たのであった。
 翌朝。食堂へ入る。女の子が、サーヴィス。これは、行き届いていて、先ず気持よし。
 メニュウ持つ手も、たのし。
 然し、(ああ、然し)この朝飯のメニュウにしてからが、アメリカ然としていることを、何うすることも出来なかった。
 昔のここの朝飯のことは、判然覚えていないが、何うも、こんな風では、なかったようだ。
 トマトジュースを書き出しに、ジュースの数は、やたらに多い。然し、これらを皆飲んでみたところで、面白くはあるまい。
 よっぽど僕は、昔に返って、このメニュウにあるもの皆持っといで、と言いたかったが、その元気が出なかった。
 うまそうだな、と思うものが、無いんだもの。
 これは僕の記憶違いであろうか、昔は朝から、ビフテキでも何でも出たように思うんだが――今は、魚は、フライだけだ。卵の種類は色々あるが、卵は、何としても卵だ、つまらない。
 で、僕は、コーヒーを、ふんだんに飲み、(自ずと、アメリカ流になる)パンは、トーストの他に、マフィンも貰い、オートミールから、スパニッシュ・オムレツ。それで、おしまい。
 これじゃあ、全く物足りないし、第一腹が張らない。そこで、又、メニュウを何度も見て、シナモン・トーストを一つ。
 これも亦、アメリカの味に違いあるまい。
 アメリカ式なんだろうか、肉のものが出ないのは。
 そうだっけ、昔は、ここの朝飯に、コーンビーフ・ハッシュってものが出た。あれは、うまかった。今は、メニュウに無い。
 何もかも、アメリカのせいにするわけじゃないが、この朝飯の物足りなさは、やっぱり、アメリカのせいだろう。
 まことに、頼りなきままに、食堂を出ると、僕は、台所の方へ歩いて行った。
 富士屋ホテル長年の料理長、小島君を訪れたのである。
 小島君は、台所の奥から出て来て、やあしばらく、と言って呉れたが、何うも僕は、機嫌が悪くて、お愛想が言えない。
 何となく、嘆かわしいというようなことばかり言っていたようである。
 敗けた日本ばかりじゃないんだ。アメリカ式、合理的、衛生的という行き方は、もはや全世界に、放射能の如く流行っているんだ。
 富士屋ホテルも亦、その渦中に巻き込まれないわけには行かなかったのである。
 僕は、連れのスポンサー氏に、せめてもう一食、昼飯を此処で食って行こう、と言ったのであるが、彼は、やっぱりこの朝飯に、すっかり懲りたらしく、
「いや、もう早く熱海へ行って、重箱のうなぎを食いましょう」
 と言うではないか。
 で、私たちは、(いや、私ばかりは)心ならずも、その昼には、熱海へ到着して西山の重箱で、うなぎを食っていたのである。
「これで、日本を取り戻した」
 そう思いながら。

底本:「ロッパの悲食記」ちくま文庫、筑摩書房
   1995(平成7)年8月24日第1刷発行
   2007(平成19)年9月5日第3刷発行
※(次頁参照)を省略し、該当箇所に「メニュウ」を挿入しました。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2011年11月29日作成
青空文庫作成ファイル:
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古川緑波

氷屋ぞめき—–古川緑波

近頃では、アイスクリームなんてものは、年がら年中、どこででも売っている。そば屋にさえも、アイスクリームが、あるという。
 私たちの子供のころは、アイスクリームなんてものは、むろん夏に限ったものだったし、そうやたらに売っているものではなかった。
 中流以上の家庭には、いまの電気洗濯機がある程度に、アイスクリームをつくる機械があって、時に応じて、ガラガラとハンドルを廻して、つくったものである。
 そのころのアイスクリームってもの、どういうものか、今のより、ずっと黄色かった。卵がうんと入っているように見せて、そんな色を着けたのかも知れない。
 映画館の中売りが売って歩いたのは、正にその黄色で、牛乳も何も入っていない、名前も、アイスクリンだった。
 アイスクリームよりも、もうちょっと安いのが、ミルクセーキ。
 これはたいていの氷屋に、一種の運動機具のごとき機械があってこれも手廻しで、註文に応じて、つくった。
 アイスクリームも、ミルクセーキも、その名は、そのまま今も残っているが、味は全く違ったものになった。昔のは、もっと原始的な味だったが、素朴でよかった。
 硝子《ガラス》の玉をつないだ、氷屋ののれんも、今はあんまり見られなくなったが、昔は、氷屋ののれんから夏が来たものだった。
 大阪の氷屋と東京のと、どう違うか?
 東京では、コップの底に、タネモノ(シロップなり小豆なり)を入れて、その上へ、氷をかいて積み上げる。
 大阪では、(小豆なんかは、やっぱり底にあったかな?)氷をかいて山にして、その上からシロップをかける。
 見た目は、赤や青で美しいが、私たちは、やっぱり東京流がいい。
 大阪といえば、ミルキンというのがあるのを御存知かしら。ミルキンとは、ミルク金時の略。金時とは、東京でいう氷小豆だ。その氷小豆の上から、ミルク(牛乳のところもあるが、コンデンスミルクを溶いたものが多い)を、ジャブジャブと、かけたもの。
 こいつは、くどいだろうと思ったが、ちょっと試みると、確かにくどいけれど、うまい。
 でも、お代りしたら、きっと腹を下すだろうと思った。が、意地きたなしの僕は、お代りをした。そして、予想通り腹下しをした。
 大阪の氷屋に、「すいと」と書いてあった。
「すいと」とは何だろう。すいとんのことでもなさそうだし――と、きいてみたら、ところてんだった。
 ところてんを、酢糸とは、シャレてる。

底本:「ロッパの悲食記」ちくま文庫、筑摩書房
   1995(平成7)年8月24日第1刷発行
   2007(平成19)年9月5日第3刷発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2011年12月1日作成
青空文庫作成ファイル:
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古川緑波

八の字づくし——古川緑波

名古屋ってとこ、戦前から戦争中にかけて、僕は好きじゃなかった。名古屋へ芝居で来る度に、ああまた名古屋か、と、くさったものだ。というのは、食いものが、何うにも面白くなかった。
 一口に言えば、名古屋ってとこ、粗食の都だったんじゃないか。それが、戦後は、変りましたね、食いもの屋の多いこと、贅沢になったこと、驚くべし。
 だから、戦後は、名古屋行きは、苦にならない。
 まず、宿へ着いたら、八丁味噌の汁を、ふんだんに、と、たのむ。それも、身は、他のものでは、いけない。里芋に限る。それも、東京式に、小さな里芋を、まるごと入れたんでは駄目、短冊(?)に切った奴。朝食には、その八丁味噌汁の三杯汁だ。
 それに名古屋で嬉しいのは、抹茶が何処でも飲めること。大抵の宿屋で、すぐ作って呉れるから、これも三杯汁の式で、毎朝、何服と行く。
 名物のういろうが、お茶に合います。納屋橋まんじゅうも結構だ。
 併し、これらの味は、戦前から、あったもの。戦後に、名古屋が食い倒れの都と化した、その一番先きは、洋食じゃないだろうか。
 僕が脂っ濃いもの好きで、淡《あっさ》りした日本料理を解さないせいかも知れないが、洋食店が、殖えたことは、名古屋の変化の、一つの大きな現象だろう。
 戦前、名古屋で、洋食と言ったら、老舗の中央亭、朝日ビルのアラスカ、観光ホテル、ぐらいのものではなかったか。
 そりゃあ、名古屋にだって、得月とか、何とか、上等の、うまいもの屋は、あった。けど、そいつは、脂の好きな僕には、縁がなく、せいぜい、加茂女の豚の角煮ぐらいしか覚えていない。
 それが、戦後の名古屋の洋食は、ワアッとひらけた。
 町名を忘れたが、今松というグリルが、戦後の洋食の草分けではないのか。これが、松阪屋裏の、バンガローとなって、こくのあるフランス料理を食わしたもんだが、今松もなくなり、バンガローは、喫茶店になったとかきいたが。
 八雲って店も、「先生」と呼ばれる、老チーフが、科学実験してるみたいな顔で、眼の前で料理するのが、たのしかった。
 八千代の、ビフテキも、結構である。東京へ出したって、立派だ。
 八百文という店を御存知か?
 名宝前の小さな、古風な洋食屋だが、ここのタンシチュウは、実にいい。量も、たっぷりで、昔流の味だが、うまくて、安い。僕は、名古屋へ行く度に、必ず食っている。
 と書いていて、今、僕の列記した店の名前が、みんな、八の字が附いていることに気がついた。八雲、八千代、八百文。
 もう一つ、八の字を追加すれば、天ぷらの八重垣だろう。これは、洋食じゃあないが。
 これも町名不詳。最近八重垣へ行ったら、おかみさんが、「高い天ぷら食べて下さいますか」と言った。僕が曾《かつ》て此の店のことを、何かの雑誌に、天ぷらは、うまいが、高い高いと、もっとも、それは戦争はるか以前のことなんだが、そう書いたのを、読んだらしい。
 その頃は、全く高かったんです。
 では、今は如何というと、今は、うまくって、お値段も安い。そう書けば、おかみさん、文句ないだろう?

底本:「ロッパの悲食記」ちくま文庫、筑摩書房
   1995(平成7)年8月24日第1刷発行
   2007(平成19)年9月5日第3刷発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2011年12月1日作成
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古川緑波

駄パンその他——古川緑波

武者小路先生の近著『花は満開』の中に、「孫達」という短篇がある。先生のお孫さんのことを書かれた、美しい、たのしい文章である。
 その中に、四人のお孫さん達が、食べものの好き嫌いがあるということを書いて、
 ……僕は勿体ないとか行儀が悪いとか言うので、たべたがらないものを無理に食べさすことにはあまり賛成ではなく、偏食はよくないと思うが、食慾が起らないものを無理に食べさす必要はないのではないかと思っている。食物を外にすてる方が不経済か、胃腑の中にすてる方が不経済か、僕にはわからない。……
 と言って居られるのは、大変面白い言い方だと思った。全く、嫌いな物を食べることは、胃腑の中へ捨てるようなものだろう。
 丁度、これを読んだ頃、サンデー毎日の「パリ勤めの苦しさ」(板倉進)というのを読んだら、ここには、「食べ残し」の説が出ていた。パリのレストオランに於ては、
 ……先ず食べ残すことを覚えるのが、第一課である……
 とあり。
 これも、無駄なものを、胃腑の中に捨てることはいけないと言う説である。
 パリのレストオランのことを読んでいて、思い出すのは、それは文藝春秋の四月号だった、福島慶子さんの「巴里たべある記」の中に、
 ……凝ったフランス料理は、いくら美味でも毎日食べたら胃袋も財布も堪らない。こういう食事をした晩は何もしないで体を休め、翌日は断食、三日目に僅かな粗食と果物類を主にとり、四日目に再び美食に向って突進するに限る。さもなければ我々菜食人種は病気になる事受合だ。……
 とあったことだ。
 僕は、これを読んだ時、ああ福島慶子さんは偉い、流石《さすが》は武士の心がけ! と感心したので、ノートして置いたのである。まことに、此の中の「翌日は断食」というところでは、感動した。
 この心がけがなくては、食通とは言えない。食物を愛する者とは言えないと思う。胃袋のコンディションのよくない時に、何を食ったって、第一、味が判りはしない。「腹の減った時に不味《まず》いものはない」とは永遠の真理である。
 Hunger is the best Sauce.
 という表現も、同じことを訓《おし》えている。
 そういう受け入れ態勢を、自分で用意することは、料理人に対する礼であろう。料理人も亦、芸術家なのだから、芸術家に対するエチケットを心得るべきである。
 そして、福島慶子さんは、言うのである。
「四日目に再び美食に向って突進するに限る」
 ああ、美食に向って、突進[#「突進」に傍点]!
 花柳章太郎、鴨下晃湖などを同人とする、俳句の雑誌「椿」(第十二号)に、伊藤鴎二氏の「喰べもの記」がある。その中に、パン(いわゆるショクパン)のうまいのを探す話が出て来る。
 プルニエのパンを賞めているのは、賛成。
 ……併しパンだけ貰いに行くわけには行くまい。……
 と、なるほど、プルニエへ、パンだけお呉れと言って行くわけにも行かないだろう。
 僕にしてからが、レストオランで、うまいパンにぶつかった時は、帰りに「分けて呉れ」と言うことはあるが、それは料理を食った後のことだ。
 この伝で、僕は、十八屋のフランスパンを、よく買って帰ることがある。レストオランで、パンのうまいのは、割に少い。
 伊藤氏が、OSSのパンを、「色も白く軽い風味で、ビフテキなぞの対手にはもって来いである」と評しているが、あの、アメリカ式の、なるほど色は白いが、スカスカと、味もソッケもないパンは、僕は嫌だ。アメリカ式の、純白パンは、終戦直後にこそ、輝くばかり、宝物のように見えたものだが、今となっては、パンは、アメリカ式の製法のは、ごめんだ。
 レストオランで、パンのうまいところを、最近発見した。それは、日活国際ホテルの食堂である。ここのは、パンが、うまいと言うよりは、種類を色々出して呉れるのが嬉しい。ボーイが、持って来る銀盆に、五六種のパンが載っているのを見るとウワーと声を出したくなるほど嬉しい。
 再開されてから、未だ行く機会がないが、箱根の富士屋ホテルの食堂を思い出した。
 戦前の、富士屋ホテルは、パンの種類が揃っていて、ボーイの運ぶ銀盆を眺めて、「さて、どのパンにしようか」と迷う時の幸福を忘れない。再開後も、果していろいろなパンを出して呉れるであろうか?
 又、此の文中に、三州味噌のはなしが、出る。僕も、味噌汁が大好きなので、毎朝の味噌に苦労しているが、三州味噌は、結構なものである。特に、しじみの味噌汁は、三州味噌に限るのではなかろうか。
 岡崎の八丁味噌も、僕は好きだ。
 ココアのように、濃い奴、そして身は、里いも(名古屋辺では、何とか別の名があったようだが、兎に角、里いものたぐいだ)の、それも、大きい奴(八つ頭ほどは、大きくない)を薄く切ったのに限ると思っているのだが。
 僕の味噌汁好きは、相当なもので、夏の朝食は、パンにしているが、それでも、味噌汁は欠かさない。
 トーストに味噌汁ってのは、合わないようでいて、まことに、よく合う。それも、豚肉や牛肉を入れたりして、味噌のポタージュと言ったものにしないで、純日本式の、いつもの[#「いつもの」に傍点]がいい。身は、豆腐、大根、葱、里いも――何でもいい。
 あんまり同好の士は、ないようであるが、一度試みていただきたい。
 トーストのバターの味と、味噌の味が混り合って、何とも言えなく清々《すがすが》しい、日本の朝の感じを出して呉れるから。
 パンの話で思い出した。
 近ごろ――と言って、これは一体、何時ごろから売っていたものなのだろう――カレーパンだの、コロッケパンというものがある。少くとも、これは僕らの若き日には、見たことがない。見た目からして、駄パンである。(駄菓子の駄の字なり)
 多く、学生たちが、お昼に食ったり、遠足などに持って行くものらしいが、お値段が、一個十円なんで、これは、安い。
 カレーパンというのは、カレーライスの上にかかっている、カレー汁を、パンで包み、それを、ドーナッツの如く揚げてあるのだが、兎《と》に角《かく》これが十円は安い。甘いような、辛いような、馬鹿にされたような味であるが、この値段を思えば、実に、上等な食物であろう。
 コロッケパンも、店によるだろうが、僕の食ったのは、とても美味くて、やっぱり一個十円だった。
 駄パンも亦、よきかな。
 文藝春秋九月号に、ジョージ・ルイカー氏の「日本料理は女房の味」が、ある。この中では、
 ……所謂料亭と名のつく様な場所では、高級料亭である程、それに正比例して、中身は益々少く、容器は増々大きくなる様である。……
 という観察を、面白いと思った。

底本:「ロッパの悲食記」ちくま文庫、筑摩書房
   1995(平成7)年8月24日第1刷発行
   2007(平成19)年9月5日第3刷発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2011年12月1日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

古川緑波

想い出——古川緑波

 よき日、よき頃のはなしである。
 フランスの汽船会社M・Mの船が、神戸の港へ入ると、その船へ昼食を食べに行くことが出来たものだった。
 はじめての時は、フェリックス・ルセルという船だった。
 その碇泊中の船の食堂で、食べたフランス料理の味を、僕は永遠に記念したい。
 落着いた食堂で、純白のテーブル掛のかかったテーブルに着くと、黒ん坊のウェイターが、サーヴィスして呉れる。
 パンを、皿に載せないで、直《じ》かに、テーブルクロースの上へ置かれたのに、いささか面喰いつつ――パンの粉を、黒ん坊のウェイターが、時々刷毛で掃除して呉れた。――先ず出て来た、フォアグラの味に、もう、うっとりとしてしまった。
 本場のフランス料理ってものを、M・M汽船の食堂で覚えたことは、或いは僕にとって、生涯の不幸だったかも知れない。
 だって、フェリックス・ルセルをはじめとして、それから僕が、神戸へ行く度に通った[#「通った」に傍点]船は、クイン・ドウメル、アラミス等々と数多いが、皆それは、戦争のはじまり頃のことなのだ。
 やがて、フランスの船へ食べに行くことなど、まかり成らない御時世にもなったし第一もう、M・Mの船なんか、日本へ来なくなってしまったのだもの。
 そして、わが国の食糧事情という奴が、もうセッパ詰って来て、洋食の如きも、殆んど姿を消すに至ったのだもの。
 うまい御馳走を、ちょいと味わわせて貰った、その後が、めちゃくちゃな食いものの時代になったのだから、たまらない。
 何を食ったって、船の食堂を思い出す。たまに、洋食のようなものが出たって、ああ、船では――と思っちまう。
 いっそ、罪な目に遭った。そんな気がした。なまじ、あんな美味《うま》いものを知らなきゃあ、こんな苦労はあるまいものをと、戦時中、幾たび嘆いたか分らない。
 又、戦後の今日、もはや何でも出揃い申し候の今日に至っても、M・Mの船で食ったフランス料理の味は、時々思い出す。
 今でも、ラングース・テルミドオー(とでも発音するのか)という、伊勢海老のチーズ焼。それが出て来ると、ハッと思い出すのだ、船の食堂を。
 船の食堂では、昼食には、スープは出なかった。いきなりが、オードヴルとしてのフォアグラ(ああその味!)(氷でこしらえた白鳥の背中などに盛られてありし――)が出て、その次が、伊勢海老のチーズ焼。
 ホカホカ熱いのを、フーフー言いながら食べる。甘いシャムパンのような酒が出る。ああこう書いていても、僕の心は躍るのだ。
 倦《あ》きも倦かれもせぬ仲を、無理に割かれた、そのかみの恋人を思うように。
 伊勢海老でない時は、そうだ、平目のノルマンディー風、なんてのもあったっけ。おお、そして、車海老のニューバーグ!
 いずれにしても、チーズの、じゅーッと焦げたのが、舌に熱かった。
 チーズといえば、もう食事の終る頃に、いろいろなチーズの(やっぱり、ここではフロマージュと発音しないと感じが出ない)並んだ大きな皿が出る。
 カビの生えた、それも青々と、そして、やたらに穴のあいているのなどを、これがオツなんだと言われて、口に入れてはみたものの、あんまりオツすぎて、プフッと言っちまって、あわてて、甘口のシャムパンを飲んだことなども思い出す。
 フランス語と来ては、まるで分らない。それが食い気のために一心不乱、何とかして通じさせようと思って、覚えた。
 氷は、グラスっていうんだっけ。
 ええと、それから、パンは何だっけな?
 英語では、ブレッドだが、フランス語では? と、あわてたが、何のことフランス語でも、パンは、パンだった。
 魚の皿が引込んで、白い葡萄酒が、赤に変ると、肉が出る。
 テクニカラー映画でも、あの、桃色とも、赤とも言えない、ロースト・ビーフの色は中々に出まいと思われる。
 おおそして、その肉に従属するところの、もろもろの野菜たちよ!
 貪欲倦くところなき僕は、幾たびか又その肉のお代りをしたものである。
 ひょいと後を向いて、又お代りだという表情をすると、黒ん坊のウェイターは、笑いもせずに、たちどころに、大きな皿を僕の傍へ持って来るのだった。
 食事が終って、葉巻になる。
 フィンガーボールは、レースの敷きものに乗っていて、水には、レモンが浮いていた。これじゃあ、飲みものと間違えても、しようがない、という姿だった。
 甘いシャムパンと、赤白の葡萄酒の、ほろ酔いである。
 甘い酒は、かおが酔いますね。
 頬っぺたが、くすぐったくて、眼がボーッとなる。そこへ葉巻を吸うでしょう?
 おなかは張っているし――いい心持。
 さ、そのフランス船での食事も、馴れて来ると、二度目三度目、さのみ美味いとも思わなくなったんだが、そこがそれ、前にもお話したように、それから、段々わが国の食べものが無くなって来て、世にも悲しいものばっかり食膳に並ぶようになったんだから、さてそれからというものは、夢にうつつに、フランス船を思い出したというわけでございます。
 これは、わたくしの一生の不幸になったかも分りません。
 かなしくも、なつかしき思い出でございます。

底本:「ロッパの悲食記」ちくま文庫、筑摩書房
   1995(平成7)年8月24日第1刷発行
   2007(平成19)年9月5日第3刷発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2011年11月29日作成
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古川緑波

浅草を食べる—–古川緑波

十二階があったころの浅草、といえば、震災前のこと。中学生だった僕は、活動写真を見るために毎週必ず、六区の常設館へ通ったものだ。はじめて、来々軒のチャーシュウ・ワンタンメンというのを食って、ああ、何たる美味だ! と感嘆した。
 来々軒は、日本館の前あたりにあって、きたない店だったが、このうまかったこと、安かったことは、わが生涯の感激の一つだった。少年時代の幼稚な味覚のせいだったかも知れないが、いや、今食っても、うまいに違いない、という気もする。
 支那料理は、五十番や品芳楼もあったが、何と言っても来々軒が圧倒的だった。
 今の松竹座の横、六区への道に、オーギョチという、これこそは浅草だけにしか無い、不思議な食いものがあった。台湾産の植物からつくったとかいう、ところてんの如き、怪しげな、食いもの(というより飲みものに近い)だった。愛玉只と書いて、オーギョチと読むんだから、よほど不思議なことがお分りだろう。震災後は見かけたが、今はない。
 そのオーギョチの、何とも形容出来ない、甘ずっぱい味を、ふと思い出すことがある。
 みつ豆の舟和も古い。芋ようかん、あん玉の舟和、これは今日まで続いている。
 仲見世まで行くと、観音様へ向って右の裏通りに、だるま、宇治の里などという、今で言えば、大衆向きの料理屋があった。これは中学生以前、まだ子供だったころ、父母に連れられて、よく行った。たまご焼だの、きんとんが、雀躍したい程うまかった。
 震災後の浅草は昭和八年に、笑の王国という喜劇団を結成して、僕は喜劇役者になり、三年間も、毎日浅草に出ていたのだから、ずいぶん、浅草中の食いものには、馴染んだ。
 今半、ちんや、松喜の牛鍋(すきやきとは言わなかった)から、中清、清水、天藤の天ぷら、金田の鳥、と書いていて区役所横丁の雑居屋のシチュウは、うまかったなあ。(俺はどうして、食いもののことになると記憶がいいんだろう?)
 話をもとに戻して、昭和八、九年だ。新仲見世の、みやこという小料理屋、そこが、うまくて安くて、こたえられなかった。鍋ものがよかった。あんかけ豆腐が、十銭だった。僕は、三年間を三日にあけず、みやこへ通ったものだった。戦後は、浅草で再開せず、銀座へ出たが、もはや高級店である。
 浅草独得(ではないが、そんな気がする)の牛めし、またの名をカメチャブという。屋台でも売っていたが、泉屋のが一番高級で、うまかった。高級といっても、普通が五銭、大丼が十銭、牛のモツを、やたらに、からく煮込んだのを、かけた丼で、熱いのを、フウフウいいながら、かきこむ時は、小さい天国だった。
 話は飛んで、戦後の浅草。ところが、僕、これは、あんまり詳しくない。それに、浅草自体が、独得の色を失って、銀座とも新宿ともつかない、いわば、ネオンまばゆく、蛍光灯の明るい街になってしまったので、浅草らしい食いものというのが、なくなってしまった、ということもある。
 鳥の金田も、牛肉のちんやも、天ぷらの中清も、みんな再開したが、それらの店も特に浅草らしい、においは持っていない。
 天ぷらの中清で、思い出した。浅草の食いもの店からスターが何人か生まれている。中清の息子が、新東宝の中村竜三郎。牛肉の米久の娘が松竹の泉京子だ。
 米久の娘さんです、と言って紹介された時、僕は、このグラマーを見ていて、食欲をおぼえた。
 それから、トンカツの香登利の一人息子が歌手の高橋伸。
 浅草から、こんな人たちが巣立ったというのも、時代の波という奴でしょうな。
 浅草が浅草くさくなくなった代りに、銀座に出しても、ひけはとらないというような立派な店も多くなった。喫茶のアンジェラスあたりも、きれいだし、コーヒーは、うまい。洋食店なども高級なのがかなりある。
 が、それにさからうように、浅草式で押し通しているところもあって、洋食のヨシカミ、ぱいちなどは僕愛用の店である。
 が、それらにもまして、片手洋食のベルを忘れてはなるまい。片手とは、五だ。洋食何品によらず一品五十円というんだから、ちょっとおどろいて貰いたい。で、それが決してひどいもんじゃないんだから嬉しい。
 もう一つ、これこそは浅草独特、絶対他にないのが、飯田家の天ぷらのすしだ。
 天ぷらの載っているすし。八個ぐらいあって一人前百円也。味は読者よ、いろいろと想像なさるがよい。

底本:「ロッパの悲食記」ちくま文庫、筑摩書房
   1995(平成7)年8月24日第1刷発行
   2007(平成19)年9月5日第3刷発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
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古川緑波

清涼飲料——古川緑波

 九月の日劇の喜劇人まつり「アチャラカ誕生」の中に、大正時代の喜歌劇(当時既にオペレットと称していた)「カフエーの夜」を一幕挿入することになって、その舞台面の飾り付けの打ち合せをした。
 日比谷公園の、鶴の噴水の前にあるカフエー。カフエーと言っても、女給のいる西洋料理店の、テラスである。
 となると、誰しもが、当時そういうところには必ず葡萄棚が出来ていて、造花の葡萄が下っていたり、季節によっては藤棚になったりしていたもんだねえ、と言い合った。そして、その棚からは、季節におかまいなしに、岐阜提灯が、ぶら下っていた。岐阜提灯には、三ツ矢サイダー、リボンシトロンなどの文字が見えた。
「金線サイダーってのがあったな」
 誰かが言った。そうそう、金線サイダーってのは、相当方々で幅を利かしていたっけ。清涼飲料、何々サイダーという広告。
 清涼飲料という名前は、うまいなあ。如何にも、サイダーが沸騰して、コップの外へ、ポンポンと小さな泡を飛ばす有様が浮んで来るようだ。
 清涼飲料にも、いろいろあった。と「カフエーの夜」から、思い出が又拡がった。
 金線サイダーも、リボンシトロンも、子供の頃からよく飲んだ。が、やっぱり一番勢力のあったのは、三ツ矢サイダーだろう。
 矢が三つ、ぶっ違いになっている画のマークは、それに似たニセものが、多く出来たほどだった。
 その頃、洋食屋でも、料理屋でも、酒の飲めない者には必ず「サイダーを」と言って、ポンと抜かれたものである。
 ビールや、サイダーに、「お」の字を附けたのは、何時の頃からであろうか。
 三ツ矢サイダーの他に、小さい壜の、リボンラズベリーや、ボルドー、リッチハネーなんていうのもあった。が、それらの高級品よりも、われら子供時代の好みは、ラムネにあったようだ。
 ラムネを、ポンと抜く、シューッと泡が出る。ガラスの玉を、カラカラと音をさせながら転ばして飲むラムネの味。
 やがて、僕等が中学生になった頃だと思うんだが、コカコラが、アメリカから渡来したのは。
 いまのコカコラとコカコラが違った。
 第一、名前も、コカコーラと、引っぱらずに、コカコラと縮めて発音していた(日本ではの話ですよ)。そして、名前ばっかりじゃないんだ、味も、色も、確かに違っていた。
 色は、いまのコーラが、濃いチョコレート色(?)みたいなのに引きかえて、アムバーの、薄色で、殆んど透明だったようだ。
 味には、ひどく癖があって、一寸《ちょっと》こう膠《にかわ》みたいなにおいがする―兎《と》に角《かく》、薬臭いんだ。だから、いまのコーラとは、殆んど別な飲みものだと言っていい。コカコラの中に、コカインが入っていたってのは、その頃の奴じゃないだろうか。いまのには、そんなものが入っているような気がしないし、第一、うまくない。
 尤《もっと》も、終戦直後、GIたちの、おこぼれを頂戴して飲んだ頃は、うまいなあと思った。僕は、併し、ペプシコーラの方が好きだったが。
 春山行夫氏が東京新聞に書かれた「コカコーラの不思議」の中に、
 ……コカコーラは消防自動車のような赤いポスターや看板を出すので、美術の国イタリアは、その点を嫌がっている。……
 とある。
 全く、コカコラの赤は、あくどい。
 コカコラばっかりじゃあない。アメリカは赤が一番嫌いな筈だのに、宣伝や装飾には、ドキツイ赤を平気で使う。赤や黄色、青の原色そのままが多い。
 これは然し、僕の観察によると、戦争前は、アメリカ自身も、もう少し好みがよかったと思うんだが如何だろう。
 例えば、タバコの Lucky Strike だ。白地に、まっ赤な丸(日の丸ですな)のデザインでしょう、今は? ところが、戦争前は、白地のところが、ダークグリーンの、落ち着いた色だった。それを覚えている方もあると思う。今のより、ずっと感じのいいデザイン、色彩。従って、タバコの味も、もっとうまかった。
 いいえ、タバコの内容のことを言ってるんじゃない、箱のデザインや色が、よければタバコも、うまくなるって言ってるんです。ほんとなんだ、これは。
 あの煙草が好き、こっちの方がいい、という人々は、各々の好きな、デザインの、好きな色の箱を選んでいる場合が多い。例えば、キャメルが好き、ラッキイ・ストライクでなくっちゃいけないっていうような、タバコ好きでも、まっ暗なところで、一本吸わして、それが何という煙草か、ハッキリ判ることは、めったにないものである。
 タバコなんて、そんなものである。
 タバコのデザインばっかりじゃありません。昔はコカコラの広告にしたって、真っ赤な消防ポンプじゃなかった。もっと、まともな顔をしていた、確かに。
 食べものの味にしたところで、アメリカ料理は、まずいという定評だが、戦前は、アメリカだって、もっと美味かったんじゃなかろうか。それは、僕が度々書いていることだ、少くとも、東京に於けるアメリカ料理は、戦前の方が、ずっと美味かったんだから、本国の方もそうだったんじゃないか、と思うんです。
 してみると、戦争って奴が、アメリカ自身の文化をも、ブチこわしたんだな、つまり。

底本:「ロッパの悲食記」ちくま文庫、筑摩書房
   1995(平成7)年8月24日第1刷発行
   2007(平成19)年9月5日第3刷発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
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古川緑波

神戸——古川緑波

  
久しぶりで、神戸の町を歩いた。
 此の六月半から七月にかけて、宝塚映画に出演したので、二十日以上も、宝塚の宿に滞在した。
 撮影の無い日は、神戸へ、何回か行った。三の宮から、元町をブラつくのが、大好きな僕は、新に開けたセンター街を抜けることによって、又、たのしみが殖えた。
 センター街は然し、元町に比べれば、ジャカジャカし過ぎる。いささか、さびれた元町であるが、僕は元町へ出ると、何だか、ホッとする。戦争前の、よき元町の、よきプロムナードを思い出す。
 戦争前の神戸。よかったなあ。
 何から話していいか、困った。
 で、先ず、阪急三の宮駅を下りて、弘養館に休んで、ゆっくり始めよう。
 三の宮二丁目の、弘養館。それは一体、何年の昔に、ここのビフテキを、はじめて食べたことであったろうか。子供の頃のことには違いないのだが。
 弘養館という店は、神戸が本店で、横浜にも、大阪にも、古くから同名の店があった。
 神戸の弘養館は、昔は、三の宮一丁目にあったのだが、今は二丁目。
 今回、何年ぶりかで、弘養館へ入って、先ず、その店の構えが、今どきでなく、三四人宛の別室になっているのが、珍しかった。
 昔のまんまの「演出」らしいのだ。と言っても、その昔は、もう僕の記憶にない程、遠いことなので、ハッキリは言えない。でも、いきなり、こんなことで商売になるのかな? と思う程、全く戦前的演出であった。
 四人位のための一室に、連れの二人と僕の三人が席を取って、さて、「メニュウを」と言ったら、ボーイが、「うちは、メニュウは、ございません」
 と、思い出した。此の店は、ビフテキと、ロブスターの二種しか料理は無かったんだ。昔のまんまだ。やっぱり。弘養館へ来て、メニュウをと言うのは野暮だった。
「ビフテキを貰おう」
 スープも附くというから、それも。
 先ず、スープが運ばれた。深い容器に入っている、ポタージュだ。ポタージュ・サンジェルマンと言うか、青豆のスープ。それが、まことに薄い。
 ひどく薄いな。そして、無造作に、鶏肉のちぎって投げ込んだようなのが、浮身(此の際、浮かないが)だ。
 ポタージュの、たんのうする味には、縁の遠い、ほんの、おまけという感じだ。つまりは、此の店、これは、ビフテキの前奏曲として扱っているんだろう。
 然し、何んだか昔の味がしたようだ。
 ビフテキは、先ず、運ばれた皿が嬉しかった。藍《あい》染附の、大きな皿は、ルイ王朝時代のものを模した奴で、これは、戦後の作品《もの》ではない。疎開して置いたものに違いない。この皿は、昔のまんまだ、少くとも、これだけは。
 ビフテキは、如何焼きましょうと言われて、任せると言ったので、中くらいに焼けている。ここにも昔の味があった。近頃のビフテキには無いんだ、この味。悪く言えば、何んだかちいっと、おかったるいという味。然し、ビフテキってもの、正に昔は、こうだった。
 子供の昔に返ったような気持で、ビフテキを食い、色々綺麗に並んでいる添野菜を食う。
 温・冷さまざまの料理が、一々念入りに出来ていたのが嬉しい。此の藍色の皿で、野菜を食っていて、ふいッと思い出した。
 そうだ、僕が、生れてはじめて、アテチョック(アルティショー―食用|薊《あざみ》)ってものを食ったのは、神戸の弘養館だった。
 中学生か、もっと幼かりし日かの僕。アテチョックを出されて、食い方が分らなくて、弱ったんだっけ。そして、僕を連れて行って呉れた伯父に教わって、こわごわ食った。その時、伯父は、これはアテチョコというものだと、それも教えて呉れた。
 昔のことを思い出しながら、食い終って、僕は、此の店の主人に会いたいと申し入れた。昔のはなしが、ききたかったから。
 ボーイが、「はい、大将いてはります」と言う。大将と呼ぶことの、又何と、今どきでないことよ。
 大将に会って、きいてみたら、何と、此の店は、現在の大将の祖父の代から、やっているのだそうで、七八十年の歴史があると言うのだ。
「へえ、祖父の代には、パンが一銭、ビフテキが五銭でしてん」
 そんなら僕が、幼少の頃に来た時は、二代目の時世だったのだろう。そんな昔からの、そのままの流儀で、押し通して来た、弘養館なのである。
 味も、建物も、すべてが、昔風。こんなことで商売になるのかと心配したが、時分時《じぶんどき》でもない、午後三時頃に、僕の部屋以外にも、客の声がしていた。
 七八十年の歴史。売り込んだものである。
 さて、弘養館を出ると、又、僕は思い出すのである。
 三の宮バーは、無くなったのかな?
 此の近くにあった、小さな店。バーとは言っても、二階がレストオランになっていて、うまくて安い洋食を食わせた。
 安洋食に違いないが、外人客が多いから、味はいいし、第一、全く安かった。スープが、二十銭だったと思う。ちゃんとした、うまいコンソメだった。神戸の夜を遊ぼうというには、先ず、此処を振り出しにした。ここで、アメリカのウイスキー、コロネーションとか、マウンテンデュウなどという、これが又安いんだ、それをガブガブ飲み、安い洋食を、ふんだんに食ってしまう。
 こうして、酔っぱらって置けば、女人のいるバーへ行ってから、あんまり飲まずに済むからというんで、下地を作ったわけだ。
 戦争になる前のことだ。
 戦争になってからは、やっぱり、すぐ此の辺にあった、シルヴァーダラーへ、よく通った。
 酒も食物も乏しくなった時に、シルヴァーダラーのおやじは、そっと、うまい酒を飲ませて呉れ、ツルネード・ステーキなどを慥えて呉れた。他の客のは、鯨肉なのに、僕のだけは、立派なビーフだった。涙が出る程、嬉しかった。
 大阪の芝居が終ると、阪急電車で駈けつけた、あんまりよく通ったので、おやじが、勲章の代りに、シルヴァー・ダラーの名に因《ちな》んで、大きな、外国の銀貨を呉れたものだった。
 三の宮から元町の方へ歩いて行くと、僕の眼は、十五銀行の方を見ないわけには行かない。もうそこには、今は無いのだが、ヴェルネクラブが、あったからである。
 十五銀行の地下に、仏人ヴェルネさんの経営する、ヴェルネクラブがあった。
 僕が、そこを覚えたのは、もう二十年近くも以前のことだろう。それから戦争で閉鎖となり、又終戦後一度復活したのだが、又閉店して、今は同じ名前だが、キャバレーになってしまった。
 ヴェルネクラブの、安くてうまい洋食は、先ずそのランチに始まった。むかしランチは確か一円だったと思う。それでスープと軽いものと、重いものと二皿だった。
 それは、此の辺に勤めている外国人、日本人の喜ぶところで、毎日の昼食の繁盛は、大変なものだった。
 ランチも美味かったが、ヴェルネさんに特別に頼んで、別室で食わして貰ったフランス料理の定食は、今も思い出す。何処までも、フランス流の料理ばかり。そして、デザートには、パンケーキ・スゼット。
 それが、戦争になって、材料が欠乏して来ると、ヴェルネさんは嘆いていた。
「ロッパさん、(それが、フランス式発音なので、オッパさんというように聞えた)むずかしい。沢山、むずかしい」
 そう言って、両手を拡げて、処置なしという表情。材料が無くなり、ヤミが、やかましくなって、彼の商売は、沢山むずかしくなって来た。
 やがて閉鎖した。
 此の間、何年か相立ち申し候。
 昭和二十五年の夏だった。
 再開したと聞いて、僕は、ヴェルネへ駆けつけた。
「オッパさん!」と、ヴェルネさんが、歓迎して呉れて、昔の僕の写真の貼ってあるアルバムを出して来たりした。
 テーブルクロースも昔のままの、赤と白の格子柄。メニュウを見ると、昔一円なりしランチが、二百五十円と五百円の二種。五百円のを取ると、オルドヴルから、ポタージュ。大きなビフテキ。冷コーヒーに、ケーキ。
 ビフテキも上等だったが、それにも増して嬉しかったのは、フランスパンの登場だった。終戦後は、アメリカ風の、真ッ白いパンばっかり食わされていたのが、久しぶりで(数年ぶり)フランスパンが出たので、嬉しかった。
 その時の神戸滞在中、七八度続けて通った。そして、グリル・チキン、スパゲティ、ピカタ、アントレコット等、行く度に色々食ったものであった。
 それが、それから数年経って行ってみたら、キャバレーになっていた。
 でも、僕は、その辺を通る度に、ちらっと、在りし日のヴェルネクラブの方を見るのである。
 今日も、ちらりと、その方を見ながら、元町へ入る。此の町は、昔から、日本中で一番好きな散歩道なのだが、ここには別段食いものの思い出は無い。
 食うとなると、僕は、南京町の方へ入って、中華第一楼などで、支那料理を食ったので、元町の散歩道では、昔の三ツ輪のすき焼を思い出す位なものだ。
 こっちから入ると、左側の三ツ輪は、今は、すき焼は、やっていない。牛肉と牛肉の味噌漬、佃煮を売る店になったが、昔は此の二階で、すき焼を食わせた。
 もう少し行くと、左側の露路に、伊藤グリルがある。戦争前からの古い店で、戦争中に、よく無理を言っては、うまい肉を食わして貰った。
 だから伊藤グリルを忘れてはならなかった。
 戦後も行って、お得意の海老コロッケなどを食った。ここは気取らない、大衆的なグリルである。
 そうだ、此の露路に、有名な豚肉饅頭の店がある。
 森田たまさんの近著『ふるさとの味』にそこのことが出て来るので、一寸抄く。
 ……神戸元町のちょっと横へはいった、――あすこはもう南京町というのかしら、狭い露地の中に汚ならしい支那饅頭屋があって、そこの肉饅頭の味は天下一品と思ったが、それも一つには、十銭に五つという値段のやすさが影響しているに違いない。この肉饅頭は谷崎先生のおたくでも愛用されたという話を、近頃うかがって愉快である。……
 全く此の肉饅頭は、うまいのである。そして、森田さん、十銭に五つと書いて居られるが、僕の知っている頃(昭和初期か)は、一個が二銭五厘。すなわち、十銭に四つであった。
 そのような安さにも関わらず、実に、うまい。他の、もっと高い店のよりも、ずっと、うまいんだから驚く。中身の肉も決して不味くはないが、皮がうまい。何か秘訣があるのだろう。
 その肉饅頭も、無論戦争苛烈となるに連れて姿を消したが、終戦後再開した。
 そして又、ベラボーな安価で売っている。今度は、二十円で三個である。
 ところが、それでいて、又何処のより美味い。これは、声を大にして叫びたい位だ。
 昔もそうだったが、そんな風だから、今でも大変な繁盛で、夕方行ったら売切れている方が多い。
 この肉饅頭の店、そんなら何という名なのか、と言うと、これは恐らく誰も知らないだろう。饅頭は有名だが、店の名というものが、知られていない。
 知られていないのが当然。店に名が無いのである。
 今回も、気になるから、わざわざあの露路へ入って、確かめてみた。
「元祖 豚まんじゅう」という看板が出ているだけだ。店の名は、何処を探しても出ていない。(包紙なども無地だ)
 標札に、「曹秋英」と書いてあった。
 兎に角、この豚饅頭を知らずして、元町を、神戸を、語る資格は無い、と言いたい。
 露路を出て、元町ブラをする。
 これは戦後いち早く出来た、アルドスというアイスクリームの店。大きな店構えで、アイスクリーム専門だった。暫くうまいアイスクリームなんか口に出来なかった戦後のことだから、ここのアイスクリームは、びっくりする程うまかった。
 ヴァニラと、チョコレートとあって、各々バタを、ふんだんに使ったビスケット附き。それも美味かった。
 それが、今度行ってみたら、アルドスという店は無くなっていた。アイスクリームは、全国的に、ソフトに食われてしまったのか。
 戦後に、やはり此の辺に、神戸ハムグリルという大衆的な、安い洋食を食わせる店があって愛用したものだが、それも、見つからなかった。
 もっと行くとこれも左側にコーヒー屋の藤屋がある。戦争中は、ここのコーヒーが、素晴しかった。今は代が変ったのか、大分趣が変ってしまった。
 元町から、三の宮の方へ戻ろう。
 ヴェルネクラブのあった、十五銀行の方を又振り返り、そしてその向うの、海の方も気にしながら――
 というのは、此処の海には、フランス船の御馳走の思い出があるからだ。M・Mの船の、クイン・ドウメルや、アラミスなどというので食べた、本場のフランス料理、此のことは既に書いたから、略す。
 三の宮へ引返すのに、センター街を通って行く。昔は元町と三の宮の間には、繁華街は無くて、生田筋から、トアロードを廻ったりしたものだが、今はセンター街がある。
 センター街の賑わいは、ともすると、元町の客を奪って、昔の元町のような勢を示している。
 ここにも、うまいものの店は、あるのだろうが、僕は、此処については、まだ詳しくない。
 知っているのは、センター街の角にある、ドンクというベーカリー。そこのパンを僕は絶賛するものである。ドンク(英字ではDONQ)のフランスパンは、日本中で一番うまいものではあるまいか。僕は、此処のパンを、取り寄せて食べている。
 センター街から、三の宮附近へ戻る。
 生田神社の西隣りに、ユーハイムがある。歴史も古き、ユーハイムである。無論、元は場所が違った。もっと海に近い方にあったのだが、戦後、此方へ店を出した。
 神戸といえば、洋菓子といえば、ユーハイム、と言った位、古く売り込んだ店である。今回行って、コーヒーを飲み、その味、実によし、と思った。
 モカ系のコーヒーで、丁寧に淹《い》れてあって、これは中々東京には無い味だった。
 関西では兎角《とかく》、ジャワ、ブラジル系のコーヒーが多いのに、此の店のは、モカの香り。そして、洋菓子も、流石に老舗を誇るだけに、良心的で、いいものばかりだった。ミートパイがあったので試みた。これも、今の時代では最高と言えるもので、しっとりとした、いい味であった。
 ユーハイムを出て少し行くと、ハイウェイがある。これは戦前からのレストオランで、もとの場所とは、一寸違うが、すぐ近くで開店。又最近、北長狭通へ移った。きちんとした、正道の西洋料理店。戦時は、大東グリルという名に改めた。大東亜の大東かと思ったら、主人の名が大東だった。それも、昔のハイウェイを名乗って再開。やっぱり、折目正しい、サーヴィスで、柾目の通ったものを食わせる。最近行って、ビフテキを食ったが、結構なものだった。
 その直ぐ傍に、平和楼がある。中華料理で、かなり庶民的。僕は、神戸へ行く度に必ず此処へ行く。
 平和楼と言えば、戦前神戸には有名な平和楼があった。支那料理ではあるがかなり欧風化した、そして日本人の口に合うような料理を食わせる店だったが、その平和楼とは、場所も経営者も違う。但し、全然縁が無いことはないので、此の店の経営者は、昔の平和楼の一番コックだった人である。が、今度は、欧風又は日本風の料理ではなく、純支那風のものを食わせる。これでなくちゃあ、ありがたくない。で、僕が此処で、必ず第一番に註文するのは、紅焼魚翅だ。ふかのひれのスープ。これが何よりの好物で、三四人前、ペロペロと食ってしまう。
 東京の支那料理屋では、何《ど》うして、こういう風に行かないだろう。魚翅も随分方々で食ってみるが、こういう、ドロドロッとした、濃厚なスープには、ぶつからない。
 東京で食うのは、魚翅もカタマリのまんまのや、それの澄汁のような、コンソメのようなの、又は、ポタージュに近くても、濃度も足りないし、色々な、オマケの如きものが混入していて、つまらない。こればっかりは、神戸の、本場の中国人が作ったものには敵わないのではないか。
 平和楼以前に、僕は、戦後二三年経って、神戸のトアロードの、かなり下の方にあった、福神楼というので、紅焼魚翅を食った。それが此の、ドロドロの、僕の最も好むところのものであった。此の福神楼は、今はもう無い。
 平和楼の、ドロドロの、ふかのひれ。これを思うと、僕は、わざわざ東京からそれだけのためにでも、神戸へ行きたくなるのである。
 その他の料理も皆、純中国流に作られていて、近頃の東京のように、洋食に近いような味でないのが、嬉しい。
 此の店、階下を、流行のギョウザの店に改装し、これも中々|流行《はや》っている。
 支那料理の話になったら、神戸は本場だ、もう少し語らなくてはなるまい。
 戦前から、戦中にかけて、僕が最も愛用したのは、元町駅に近い、神仙閣である。これは、谷崎潤一郎先生に教わって行った。そして、その美味いこと、安いことは、実に何とも言いようのないものであった。
 現今流行の、ギョウザなどというものも、此の店では、十何年前から食わしていた。
 さて、戦後(一九五四年)、戦災で焼けてから、建ち直った神仙閣へ行った。
 入口のドアを開けると、中国人が大きな声で、「やアッ、ヤーアッ!」というような、掛け声の如き、叫びを叫んだ。
「いらっしゃい」と言う、歓迎の辞であろう。途端に、ああ昔も、此の通りだったな、と思い出した。そして、久しぶりで此処の料理を食ったのであるが、昔に変らず美味かった。但し、いささか味が欧風化されたのではないかという疑問が残ったが。
 そして、ここいらで、忘れないうちに書いて置かなくてはならないことは、これらの支那料理は、全部、神戸は安い、ということだ。
 東京では、こうは行かない、という値段なのだ。つまり、神戸の支那料理は、何処へ行ったって、東京よりは、うまくって、安い。これだけは、書いておかなくっちゃ。
 さて、その神仙閣は、一昨年だったか、火事になって焼失し、今度は又、三の宮近くに、三階建のビルディングを新築して開店。大いに流行っているそうだが、まだ今回は、試みる暇がなかった。
 次の機会には、行ってみよう。又もや入口を入ると、「やアッ、ヤヤヤッ!」というような歓迎を受けることであろう。それが、先ず、たのしみだ。

底本:「ロッパの悲食記」ちくま文庫、筑摩書房
   1995(平成7)年8月24日第1刷発行
   2007(平成19)年9月5日第3刷発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2011年11月29日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

古川緑波

食べたり君よ—–古川緑波

菊池先生の憶い出

 亡くなられた菊池寛先生に、初めてお目にかかったのは、僕が大学一年生の時だから、もう二十何年前のことである。
 当時、文藝春秋社は、雑司ヶ谷金山にあり、僕はそこで、先生の下に働くことになった。
 初対面後、間もなくの或る夕方、先生は僕を銀座へ誘って、夕食を御馳走して下さった。
 今尚西銀座に、ダンスホールとなって残っているエーワン、それが未だカッテージ風の小さな店で、その頃一流のレストオランであった。
 学生の身分などでは、そんな所で食事するなど及びもつかないことなので、エーワンへ入ったのは、これが初めてであった。
 その上、まだ初対面から間もない菊池先生を前にしては、とても堅くなっちまって、どきまぎしていた。
「スープと、カツレツと、ライスカレー。僕は、それだけ。君は?」
「ハ、僕も、そうさして戴きます」
 で、スープからカツレツ、ライスカレーと、順に運ばれるのを、夢心地で片っぱしから平げた。
 先生のスピードには驚いた。スープなんぞは、匙《さじ》を運ぶことの急しいこと、見る見るうちに空になる。ライスカレーも、ペロペロッと――
 生まれて初めて食べたエーワンの、それらの料理。そして、デザートに出た、ババロアの味、ソーダ水の薄味のレモンのシロップ。
 ああ何と美味というもの、ここに尽きるのではないか!
 実に、舌もとろける思いで、その後数日間、何を食っても不味かった。
 然し、エーワンの料理は、その頃にして、一人前五円以上かかるらしいので、到底その後、自前で食いに行くことは出来なかった。
 正直のところ、僕は、ああいう美味いものを毎日、思うさま食えるような身分になりたい。それには、何《ど》うしても千円の月収が無ければ駄目だぞ、よし! と発憤したものである。
 それから十何年経って、僕は菊池先生の下を離れて、役者になり、何うやら千円の月収を約束されるようになった。
 が、何ということであろう。戦争が始まり、食いものは、どんどん無くなり、エーワンも何も、定食は五円以下のマル公となり、巷には、鯨のステーキ、海豚《いるか》のフライのにおいが、漂うに至った。
 文藝春秋社に、先生を訪れて、
「僕あ、ああいう美味いものを毎日食いたいと思って、努力を続け、漸く、それ位のことが出来るような身分になりました。ところが、何うでしょう先生、食うものが世の中から消えてしまいました」
 と言ったら、先生は、ワハハハハと、まるで息が切れそうに、何時迄も笑って居られた。

久保田先生とカツレツ

 久保田万太郎先生といえば、江戸っ子の代表のようなもの。
 食べものなんかも、吃度《きっと》うるさくて、江戸前の料理ばっかり食べて居られるに違いあるまい。うっかり、先生の前で、豚カツなんか食べようもんなら、何という田舎者だと、叱られるのではあるまいか。
 と、僕は、久保田先生の作品から受ける印象でいつもそういう風に考えていた。
 その久保田先生と、或る料亭でお目にかかった時、僕は、酒が好きなくせに、江戸前の料理なんてものは、てんで受け付けない性質で、酒の肴に、オムレツか豚カツという大百姓なのだ。鰹や鮪なんていう江戸っ子の食いものは、うっかり食うと、プトマイン中毒を起すという厄介な身体。
 だから、その酒席で、僕は、ただ飲むだけにしていた。オムレツが食いたいなんて言ったら忽《たちま》ち久保田先生に叱られると思ったから――
 ところが、宴|酣《たけなわ》なるに及んで、久保田先生は、もう大分酔って居られたが、「おいおい、ボクに、カツレツとって呉れよ」と仰有《おっしゃ》るではないか。
 おやおや、江戸大通人は、カツレツがお好きなのか? 僕は意外な気がして、吃驚《びっくり》したかおして、
「先生は、カツレツなんか召し上るんですか。僕は又、先生は日本料理ばっかりかと思っていました」
 と言ったら、先生は仰有った。
「いやボクは、ナマの魚なんか食えません。専ら、カツレツだのオムレツがいい」
 なアーンだ、それで安心した。
 それから、先生も僕も、カツレツを何枚|宛《ずつ》か食べてしまった。

谷崎先生と葡萄酒

 これも日本ゴキゲンなりし昔のこと。
 谷崎潤一郎先生が、兵庫県の岡本に住んで居られた頃である。
 今や越境後、ソヴィエットの何処かに健在なりときく岡田嘉子――この頃日活の大スターたりし岡田嘉子である――と共に、雑誌の用で、僕は先生のお宅を訪れたことがある。
 要件が済んで、先生が「これから大阪へ出て、何か食おうじゃないか」と、誘って下さって、岡本から大阪へ出た。
「何を食おう?」
「何が食いたい?」
 結局、宗右衛門町の本みやけへ行って、牛肉のヘット焼を食おうということに話が定って、円タクを拾って乗る。
 谷崎先生は、円タクを途中で止めて、「一寸待ってて呉れ」と、北浜の、サムボアという酒場へ寄り、「赤い葡萄酒一本」と命じて、やがて葡萄酒の壜を持って来られた。
 そして、――思い出す、それは暑い日だった。――本みやけへ着くと、すぐ風呂へ入り、みんな裸になって――岡田嘉子を除く――ヘット焼の鍋を囲んだ。
 赤葡萄酒を抜いて、血のしたたるような肉を食い、葡萄酒を飲んだ。
 その時である。
 牛肉には赤葡萄酒。
 ということを、僕が覚えたのは。

底本:「ロッパの悲食記」ちくま文庫、筑摩書房
   1995(平成7)年8月24日第1刷発行
   2007(平成19)年9月5日第3刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2011年12月1日作成
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古川緑波

色町洋食—–古川緑波

大久保恒次さんの『うまいもん巡礼』の中に、「古川緑波さんの『色町洋食』という概念は、実に的確そのものズバリで」云々と書いてある。
 ところが、僕は、色町洋食なんて、うまい言葉は使ったことがないんだ。僕の所謂日本的洋食を、大久保さんが、うまいこと言い変えて下さったもの。然し、色町洋食とは、又何と、感じの出る言葉だろう。
 もっとも、これは関西でないと通じない、東京では、色町とは言わないから。
 で、僕も、大久保さんの、色町洋食という言葉を拝借して、その思い出を語らして貰おう。
 色町洋食と言われて、いきなり思い出したのは、宗右衛門町の、明陽軒だ。入口に、磨硝子《すりガラス》の行燈が出ていて、それに「いらせられませ、たのしいルーム」と書いてあった。
 その、たのしいルームへ、僕は幾たび通ったことであろう。
 南の妓、AとBとCと――ああ思い出させるなア、畜生――然し、そういう色っぽい話は又別のことにしよう。やっぱり僕は、専攻の洋食について語らねばならない。
 A女は、アスパラガスを好みたりき。
 B女は、「うち、チキンカツやわ」と言う。その、「カツやわ」を、「カッチチヤワ」と発音する。
 C女は、「ハラボテお呉れやす」
 ハラボテとは、オムライスのこと。オムライスの、ふっくりとふくれた姿を、ハラボテ女に見立てたものだろう。
 僕は、今、昔の遊蕩と、食慾の思い出に、頬の熱くなるものを覚える。
 南に、たしか、タカザワという、うるさい洋食屋があった。うるさいというのは、此の店の主人(兼料理人)が、うるさい。口ぎたなく客に喧嘩を売るようなことを言う、つまりは、「うちの洋食がまずかったら銭は要らねえ」式の、江戸っ子で、ポンポン言う奴なのだ。で又、それが、売りものになり、名物にもなっていたんだろう。
 タカザワの名物は、カレーライスだった。ピリッと辛いが、それは中々うまかった。
 そこである夜、僕が食っていると、色町のオチョボさん(ていうんだろう。牛若丸みたいな髪を結ってる小女だ)が、出前の註文に来た。
「あンネへ」というような、可愛らしい前置詞(?)があって、カレーライスを何人前とか届けて呉れ、と言うのだ。
 但し、お客さんが咽喉を悪くしているから、辛くないカレーライスにして下さい。
 そう言った。これは、大阪弁に翻訳すると益々可愛く聞えるのである。
 すると、うるさいオヤジが、いきなり言った。
「うちにゃア、辛くねえカレーライスなんてものは無えよ」
 と速口だから、オチョボは、きき取れなかった。
「へ?」
 ときき返す、その可愛い顔へ、ぶつけるように、オヤジ又言った。
「カレーライスってものは辛いもんだ。うちにゃあ、辛くねえカレーは無えんだよ」
 まるで、叱られたみたいに、オチョボは、ちぢみ上ったように、
「へ、そうだっか」
 と言うなり、逃げるように、出て行ってしまった。
 僕はオヤジを憎んだ。あんな可憐な少女に対して、あんな乱暴な口をきくなんて!
 そして又、僕は想像した。オチョボが帰って、報告すると、又、仲居か何かに、叱られるのではないか。
 少女を可哀そうに思い、オヤジを憎んだ。
 カレーライスは、うまかったが、僕はそれっきり、あの店へ行かなかった。
 併しそれも、二十年の昔である。かの可憐なるオチョボも、今は、如何に暮しているであろうか。
 色町洋食という言葉が、一番ピッタリ来るのは、無論東京ではない、大阪でもなく、それは京都であろう。
 祇園の三養軒、木屋町の一養軒など(京都には、何養軒と名乗る洋食屋の如何に多き)の、第一、入ったところの眺めが、他の土地には見られない、建物なり装飾ではあるまいか。
 カーテンで、やたらに、しきって、お客同士が顔を合わせないようになっている。だから、何処のテーブルに就いても、たちまちカーテンで、しきって呉れる。
 そこへ、「おおきに」の声もろとも、祇園の、或いは先斗町の、芸妓や舞妓が、入って来る。
 旦那(とは限らないが、つまりは、お客)が、先程からお待兼で、「よう待ってたよ」てなことになる。
 つまりは、これ等の洋食屋は、レストランというよりは、花柳界の、色町の、延長と言ってもいいだろう。
 だから、こういう店には、ボーイに、古老の如きオッサンが必ずいて、痒いところへ手の届くようなサービスをして呉れる。
 此の旦那がいらしったら、祇園の何番へ電話を掛ければいいとか、あの姐さんが来たら、こういう酒を出せばいいとか、万事心得ていて、トントンと運んで呉れる。だから、チップも、はずまなきゃならない。
 然しねえ、木屋町の一養軒あたりでさ、川のせせらぎをききながら、一献やりの、海老のコキールか何か食べながら、ねえ、あの妓の来るのを待ってる気持なんてものは、ちょいと又、寄せ鍋をつつきながら、レコを待ってるのとは違って、馬鹿にハイカラでいい心持のもんだ。
 なんてえのは、戦争前のはなしだがね。いいえ、戦後だって、そういう店は、昔の通りやってますよ。やっぱり、カーテンで、しきってさ、「姐ちゃん、おおきに」なんて言ってるさ。
 けど、その祇園・先斗町のですな、妓なるものがだ、マイコなるものがだ、何うも近頃のは、昔のようなわけにゃあ行かない。
 なんて、小光・万竜の昔は知らず、初子・桃千代なんて舞妓さんのプロマイド買って、胸をときめかした、僕らにしてみれば、何うも妥協出来ないものがあるんだなあ。
 いえ、ごめんなさい。近頃は、京都へ行ったって、祇園だ先斗町だって、遊び廻ったことはないんだ、高いからね。だから、いまのことは、知らないってことにしときましょうよ。
 昔は安かったからね。遊べもしたんでさ。

底本:「ロッパの悲食記」ちくま文庫、筑摩書房
   1995(平成7)年8月24日第1刷発行
   2007(平成19)年9月5日第3刷発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2011年11月29日作成
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古川緑波

古川ロッパ昭和日記 昭和九年 ——古川緑波

                 前年記
 昭和八年度は、活躍開始の記憶すべき年だった。一月七日から公園劇場で喜劇爆笑隊公演に特別出演し、之は一ヶ月にてポシャり、二月は一日より大阪吉本興行部の手で、京都新京極の中座といふ万才小屋と、富貴といふ寄席で声帯模写をやり、大阪へ廻って、南北の花月に出演、名古屋松竹座へ寄り、三月帰京、此の月一杯遊び、四月一日より常盤興行の手で、「笑の王国」創立、四月一杯のつもりの仕事が、好評満員で、五・六・七月と常盤座で打ち続け、僕無休で働いた。
 八月の酷暑も松竹座に出演し、九月は公園劇場だったので休演、川口・東氏の手で東海道を、徳川夢声と共に旅行し、ムザンなる目にあひ、十月は再び「笑の王国」金龍館公演に加はり、十・十一・十二月と大入りを続けて、打ち通した。目下の状態は、「笑の王国」は、金龍館を本城として常打ちといふことになってゐる。そして、僕はその代表、座長といふことになってゐる。
「笑の王国」は、今年何うなるか、古川緑波は何うなるか、昭和九年こそ自重すべく、ます/\ハリ切るべき年である。

昭和九年一月

   一月一日(月曜)
 昨暁明治神宮へ参拝。本日は午前七時起床、入浴し、雑煮を祝って、八時半自動車来り、雷門まで。浅草観音へ参拝。公園を一巡して金龍館へ来る。正月気分が今年程、稀薄だったのは初めてだ。仕事のせいが一ばんあるだらうが、世間も段々さうなって来るのではあるまいか。十時開幕が少しおくれて開く。「凸凹世界漫遊」ドッと受けない。初日にもさう思ったが、レヴィウ式のものを書くには、もっと準備が必要だ。スラ/\と運びすぎるし、ギャグも少かった。夕方大入つく。大分客足がいゝので三回半、即ち「凸凹」までに定る。楽屋へハイダシ来り、大いに憂鬱なり。ギャング気分横溢、館の用人棒とハイダシの喧嘩さわぎ等、これが浅草の正月か。

   一月二日(火曜)
 松の内は九時半着到十時開演。寝坊ちっとも出来ず。「凸凹世界漫遊」は漸くスピードも出て来て、及第点の出来。二回目、三回目はギッシリ大入りで漸く正月らしく、三階の客悲鳴をあげて、「五十銭出してるんだからよく見せてくれ」「押すな痛い/\」それにかまはずドン/″\走って芝居する気分、之が浅草の正月らしい。又々ギャングみたいな奴来り、「先生おめでたうござい、エヘゝゝ」と二円持って行く。之もお正月らしいと笑って置くか。
 正月の客は、つまらぬことでもワッワと笑ふ。いつもなら手の来べきところで来なかったり――兎に角正月の出し物は他愛なくあれ。

   一月三日(水曜)
 九時に起されて、急いで風呂へ入り、食事をし、紅茶一杯飲む暇もなく、円タクで出かける。正月の三ヶ日、漸く此の商売を辛いと思ふ。が、のんびり起きて、さて行くところもないのよりは遙にいゝ。今日も割れる程の大入り。客席も正月らしいが、又々楽屋へ小ギャング来り、金一円をせしめて去る。昨日表方女給へお年玉を出したので今日は裏方大道具でせびられる、内外共に攻め寄せる、正月はいつもの通りの給金じゃいけなかった、と言ったところで手おくれ。

   一月四日(木曜)
 今日よりマル三回で三十分おくれて開演。座へ行くと、徳川夢声胃病で休み故、「女なりゃこそ」の野呂平といふ役を一回だけやってくれと言はれ、仕方なく引受ける。本日から、マル三回の時は八時前にからだがあく、さて此う早く終っても困ったもの――って気持。伊馬鵜平・長谷川修二等年始に来た。大入つく。此の分なら七日までは確実。ハネまで事務所で次狂言「坊ちゃん」の脚本を読み、川口・東・生駒と共に、大支へ行きいろ/\話す。

   一月五日(金曜)
 今日は五日で又景気いゝらしく打込みからザッと一杯になる。
 楽屋にゐて、毎日困ることは、さて今日は何を食はう? といふこと、考へるだけで肩が凝る。大阪屋が休みで、来々軒の雲呑ですます。P・C・Lの滝村・山天・田沼徹等来楽。二六新報の人来り、連載ユーモア物の口述をたのまれたが、考へさせてくれと返事しといた。二六じゃ相手が悪い。小林勇来楽、いろ/\話して帰る。第三回終って七時半、ゆっくり吸入して、銀座へ出る。

   一月六日(土曜)
 朝、昨夜酒のんだので全く起き辛い。咽喉具合もあまりよくなし。一回目、竹久千恵子無断欠演、「凸凹」一寸困る、清川虹子代演、馬力をかけてロクローにかゝり、クタ/\にしてしまふ。渡辺篤休み、出し物してゐて休まれちゃ全く困る、「荒木又右衛門」の又右衛門は、中根竜太郎が代る。何うも代役沢山で困る。徳山※[#「王+二点しんにょうの連」、第3水準1-88-24]来楽、食ひ物に困り、みや古へ使をやり、玉子焼とかも大根をとって飯を食ふ。
「女なりゃこそ」で恋人同士をやってゐる島・若宮。第一回の舞台で、若宮がフラついたのを、島が「これ、フラついてるが、おつかれ様」と言ったのを、若宮大いに怒り、「あなたみたいな方とはもう出ません」と島をナジったが、皆にナダメられ、第二回に又恋人同士をやるが、さてちっとも気分出ず、抱き合ふところなど、てんで気がなかった。これは扱ひやうで面白い芝居になる。

   一月七日(日曜)
 今日は七草の日曜書入れで早出。竹久又欠勤、渡辺篤も一回目来らず昨日通りの代役でやる。しょがないな。若宮美子も、昨日のモメの余燼だらう、欠勤。しょがないな。七草とはいへあまり活気づかず、客席のざはめきが大したことなし、二回終って、上海亭へ東と行き、夕食する。三回目の「凸凹」のすんだのが七時すぎ、もう身体があいてしまった。今日、元日のアダヨの仲直り手打をするから云々で、又もや部屋で十円いかれた。

   一月八日(月曜)
 今日から入りは静かになった。次狂言の配役をする。「水戸黄門」続篇の助さんが廻って来た、オワイの桶へ狐に化かされて入浴するとこがあるってのは困る。大辻作の「不如帰」に片岡をといふ注文だが、之はゴメンかうむり、第三の長谷川稔作くだらぬレヴィウ風のものに、生駒と二人で万才風のことをやることにした。終ったのが七時半、東宝劇場へ急ぎ、「花詩集」の前篇後半から見る。劇場は豪華、日本劇場程ケバ/″\しくなくて結構。「花詩集」は、実にきれいで豪華で大道具大仕掛で感心したが、それだけだ、舞台から呼びかける何ものもない。所詮少女レヴィウは、われらの劇とは別なものだ。

[#1字下げ]一月九日(火曜)[#「一月九日(火曜)」は中見出し]
 今日から十二時開き、二回半といふことになる、つまりその位の景気になって来た。「凸凹」のウインナの景、「カティンカ」のギャグが、昨日見た「花詩集」にもあったので一寸驚いた。尤も之は白井鉄造から教はったギャグだったが。どうも毎日のんでは体がもたん、つく/″\労れて、今日楽屋で数回按摩をとった。健康を少し注意しよう。正月もすんだから。風邪ひき多けれど、わりに僕丈夫で有がたい。

[#1字下げ]一月十日(水曜)[#「一月十日(水曜)」は中見出し]
 今日も二回半、入りはパッとせず。菊田一夫に、「続水戸」の中で、助さんが肥溜へ入浴の件を池に変えて貰ふことをたのむ、ウン水はどうもいかん。ハネ後、友田純一郎・池田一夫・生駒等でサリーで茶をのむ。
「サンデー毎日」へ「役者商売」七枚書いた。

[#1字下げ]一月十一日(木曜)[#「一月十一日(木曜)」は中見出し]
 今日は二時頃からの出勤なのでゆっくりだ。東電本社の社長室を訪れ、小林一三氏と話す、東宝劇場の三月は八重子と専属連(之が疑問)で開ける、之に声帯模写を、浅草とカケ持ちでやることの話をすゝめる。九月頃有楽座が落成する。此の方へは距月位に我ら出演といふ予定ださうだ。兎も角現在のまゝ僕は浅草で打ち続けてゐていゝといふことになった。大辻、旅より帰り、「不如帰」で、片岡をやらないのはひどいと言ふ。やらせるのは、そっちがひどい。今日からは二回で帰れるので、大変らくになった。

[#1字下げ]一月十二日(金曜)[#「一月十二日(金曜)」は中見出し]
 十一時半から芝三椽亭で清和婦人会の新年会、今年初めてのオザ。政友系の婦人連の集まりで、歌舞伎の声色は大受け。そこを済ませて浅草へ来たが、まだ早いので万成座の万才をのぞく、グランデッカールってレヴィウが北村小松の「淑女と髯」をそのまゝやってるのは驚いた。中西で食事して、一回すませ、アンマをとる。客うすし。然しもうこんなものだらう。大阪の吉田(高級アダヨ)来り、渡辺と二人で五円やる。生駒と三・四月以後いよ/\劇界多事になる話をする、正に多事になると思ふ、愉快。

[#1字下げ]一月十三日(土曜)[#「一月十三日(土曜)」は中見出し]
 家で、伊馬鵜平にたのまれた、「レヴィウ オヴ レヴィウ」の原稿、「原秀子論」を三枚書いた。浅草へ来たがまだ早いので、常盤座の「キートンの麦酒王」をのぞく、二三場面見てつまらんと分ったので出て、松竹座の日本舞踊ばかりの「春のをどり」を見る、きれいだが、それっきり。一回終り、上海亭で食事した。今日はラク、夢声は本日より日劇でもうやってる、こっちを休み。二回終って、又松竹座へ行き、「中尉さんと花売娘」のおしまひの方を見る、弥次・掛声の盛なること驚くべく、三階で女の声、「ターキー/\」と言へば、又反対党が「ツサカ/\オリエ/\」と喧嘩だ。ハネ後「水戸黄門」の稽古、随分ハメを外した脚本だ。

[#1字下げ]一月十四日(日曜)[#「一月十四日(日曜)」は中見出し]
 今日十一時より稽古、尤も今日は、稽古休みせず、ひる稽古して夜は客を入れる。「黄門」の中には、渡辺篤と二人のアパッシュがある、大変なことになった。「黄門」をすまして、高島屋デパートから、福引の案をたのまれ一寸顔を出す、浅草へ帰ると四時、もう客を入れてゐる。大辻の「不如帰」、いやはや大したものだが、客は笑ってゐる。今日日曜でいつもならワン/\と客が立つところだが警視庁令とかで、定員以外一切まかりならぬとあって全く静粛、之を三日間食った館十何軒の由。「水戸黄門」ムザン、着変へも間に合はなかったり、穴があいたり大くさり。残って「レヴィウ艦隊」は稽古し直し。そのあと、菊田と大いに改良案を出す。

[#1字下げ]一月十五日(月曜)[#「一月十五日(月曜)」は中見出し]
 早目に出て、川口に、長谷川稔作の「レヴィウ艦隊」へ出るのはごめんかうむりたいと申し出る、プロに出てゐないし、長谷川って奴が事毎に気に入らないので尚更嫌だから。机を五円出して買った。鏡台の傍に置く、之で一寸気分よくなった。「水戸黄門」どうも面白くならない。二十日マゲ本でヴァライエティ台本を引受けた。今日夜の部は、警察との了解ついたらしく、客をすし詰にした、之で漸く大入つく。ハネ後、渡辺・生駒と僕、表から川口・東と五人で田圃の平埜へ。牛肉食ひ乍ら座をかためる相談をする。今日出る筈の金が出ないので驚いた。

[#1字下げ]一月十六日(火曜)[#「一月十六日(火曜)」は中見出し]
 今日はやぶいりで書入れ、午前九時開場。何うやら三のヴァラエティーは逃れて一本になったが、今日は三回アホられる。朝から体が辛い、昨日も一昨日も酒のまないのに、体中がコって/\たまらない。一回終って、アラスカの七階宴会場へ、近藤利兵衛商店の会で行く。二十五分やる(五十円)。二回目の「黄門」大向ふから「声帯模写じゃいけねえらしいな」といふ妙な声がかゝり気になる。兎に角、助さんて役が二枚目でゐて三枚目なのでヤリにくゝてしようがない、脚本がひどいものだし、くさる。金、今日出た。凡そ五十円以上、いろ/\なことでとられる。三回終る、何とも元気なくなる。

[#1字下げ]一月十七日(水曜)[#「一月十七日(水曜)」は中見出し]
 脚本がよくなくちゃ役者はみぢめなものだと、つく/″\思ふ。事務所へ寄って、次狂言の相談をする、春日・藤田・清洲・神田・花井で「モダン五人女」をヴァライエティー式にやってみようといふ考を持出す、菊田と計ることゝする。「黄門」一回終る、何とも憂鬱。理髪せんとて出かけると、何と三枚目、今日は何処も床屋は休み。
 鈴木俊夫今日来て、ポリドール吹込の約束をする筈のが来ない、菊田も姿を見せず。報知のニュース漫談をたのまれた。

[#1字下げ]一月十八日(木曜)[#「一月十八日(木曜)」は中見出し]
 昨夜飲み過ぎたゝめ起きるのゝ辛かったこと。十時から邦楽座で、マークス兄弟の「吾輩はカモである」Duck Soop の試写があるので行く。めちゃくちゃなナンセンスで、此処迄つひに来たか! と驚くべきもの、批評する気のしない画。ヤングで理髪して座へ出る。「黄門」楽でくさり芝居。サトウロクロー酔払って大辻に「浪子は悪趣味だ、よしなさい」と言ひ、大受け。青木繁も舞台でロレツ廻らず。夜の回は、青木酔ってつとまらずとあって、大部屋の小堀て奴が代役、之が又酔払ってゐて、醜態。

[#1字下げ]一月十九日(金曜)[#「一月十九日(金曜)」は中見出し]
 午前中、伊藤松雄訪問、一時まで何かと話す。座へ出て、川口と話をする、三月を一周年記念興行として、脚本募集をしようと決定。二月一の替りは「只野凡児」と「ディアボロ」、二の替りに「梅ごよみ」を行かうなどゝ話す。一回終る、雨ひどく外出もならず。ヴァラエティー「五人娘」菊田と相談しようと思ってるのが、来ない。鈴木俊夫も来る/\と嘘ばかり言ってゝ来ない。友田純一郎・山野一郎等来訪。

[#1字下げ]一月二十日(土曜)[#「一月二十日(土曜)」は中見出し]
 報知のニュース漫談の材料、楽屋にあるので早く来て、「吾輩はハチ公である」五枚書いた。「水戸黄門」相変らずくさり。一回終ったら、浜田捷彦来り、平埜へ肉を食ひに行く。菊田一夫の「続水戸黄門」は、もう五年前に出たら、客の三分の二が怒り、三分の一に受けたらうが、今日では、三分の二が喜び、三分の一が怒ってゐる。バカ/″\しさも兎に角一つの魅力なのだ。事務所で、「五人娘」の案を練る。大辻が明日あたり新年会をやらうと言ふ、皆あまり進まぬが、結局、むかし家あたりへのすことゝなる。ハネてから山野来り、一緒に家へ帰って、珍しや、家でオルドパーを飲む。

[#1字下げ]一月二十一日(日曜)[#「一月二十一日(日曜)」は中見出し]
 本日は一回目から中々入りはよし。一回終って、すぐ原稿紙に向ひ、プチ・レヴィウ「銀界に踊る」といふ三景もの十九枚書き上げた。二回目客ます/\入り、三ヶ日の景気。「水戸黄門」バカ/″\しいまゝに受けてゐるらしい。食事して、又もやアンマを呼ぶ。三回終り入浴。大道具の奴がドン/″\入って来るのできたなくて弱る。ハネ後、新年会、むかし家へ、川口・東を我々で招く。

[#1字下げ]一月二十二日(月曜)[#「一月二十二日(月曜)」は中見出し]
 早起きして、邦楽座へ、「会議は踊る」[#横組み]“Der Kongress Tants”[#横組み終わり]の試写会へ行く。早起きした甲斐ある、よきもの。歌は、白井鉄造が「ブケダムール」に使ったもの、よき主題歌。ウイリー・フリッチの芸に感心した。済んでサトウハチローに逢ひ、此の主題歌をハチローの訳したものを二月下旬ヴァラエティーでやらうと話す。座へ来て次狂言の1・2の脚本読む、共に感心せず。明日配役、それまでに又二本読まねばならず。バカに入りがいゝ。「いえ今日は河岸の公休で」なんて、何うしても川口、我らのせい[#「せい」に傍点]で入るとは言はぬ。

[#1字下げ]一月二十三日(火曜)[#「一月二十三日(火曜)」は中見出し]
 一回終ってすぐ表へ行き、配役する。僕は「只野凡児」の只野凡児と、「快賊|金剛五郎《デイアボロ》」の五郎の二役。この間書上げた「銀界に踊る」も三に据へ、渡辺・島等も出し、いゝものにすることにした。「凡児」と「五郎」の脚本読んだ、大したことないが「凡児」の方に興味あり。六時半の日比谷公会堂へ駈つける、慈恵大学の会で、福田の宗ちゃん等の伴奏附き、気持よくやる。アンコール盛、「モン・パゝ」を一とくさり歌ふ。それから築地明石町の「治作」へ一寸寄り、竹屋さんの馳走で水たきを食べた。急いで座へ帰り、二回目をやる。客大して来ず昨日はやっぱり河岸のせいかな。

[#1字下げ]一月二十四日(水曜)[#「一月二十四日(水曜)」は中見出し]
 午前中、東宝事務所へ行くと、今日から日比谷映画劇場の三階に移ったとあり、そっちへ行き秦豊吉氏と三月のことを話す、「あなたは高いといふ評判で弱ってる」などゝ言ってたが、値のことは兎に角出たいと直サイに言っとく。一回済ませて、生駒と二人で明治座へ行き、名を名乗って二階席へ入れて貰ふ。明治座第二「新家庭双六」から見る。こっちでやれるものかと思って見に行ったのだが、本もつまらず、田之助あまりにまづくて驚いた。第三「魚河岸の朝」金子洋文の作、新派代表物。井上と水谷の第二の「大尉の娘」だ。二十分の休憩に食事して帰り、二回目をやる。稽古は明後日から。

[#1字下げ]一月二十五日(木曜)[#「一月二十五日(木曜)」は中見出し]
 早く浅草へ出て、日本館へ入り、「ディアボロ」を見た。ローレル・ハーディーのうまさは大したものだが、ハル・ローチは所詮短篇喜劇の監督で、大物をこなす腕はない。音楽効果に、いろ/\参考になった。一回目をやってから、むしずしと、中西のソボロめしを食った。これから又一回「水戸黄門」をやるのかと思ふと気が重い。二回終ると、ぐったり、くだらぬ芝居は何うも労れる。山縣七郎来訪、生駒と三人でみやこへ行く。

[#1字下げ]一月二十六日(金曜)[#「一月二十六日(金曜)」は中見出し]
 十二時すぎに出て、内幸町の旬報へ寄り、スティルの新しいのを五六枚貰って来た。二時、大阪ビルレインボーで永井龍男と奥野何子嬢の結婚式あり。一寸ゐてすぐ失敬し、座へ来るとすぐ第一回の「黄門」。中根竜太郎事務所で怒られたとか言って、まるで舞台を投げる、個人の問題を舞台に持ち越す無礼者、こんなのは結局早くゐなくなって貰ひたい奴。二回目すみ、「人生勉強」十二時までかゝり、タップリ稽古して、労れた。今日の稽古は菊田も力を入れてゐるし、僕も色々指図したので相当面白いものになる自信がついた。

[#1字下げ]一月二十七日(土曜)[#「一月二十七日(土曜)」は中見出し]
 本日渡辺篤休み、大辻司郎に格さんを演らせる、やっぱり渡辺の味がいゝといふことを思ふ。どうも客は笑はぬ。本社の大久保氏に呼ばれて行く、正月の奮闘に対し、座員の慰労として金一封出る。川口・東に相談して適当に分配する。一回終って東と、松喜で食事。本日は「銀界に踊る」の立稽古、渡辺と島と春日が休みで困る。踊りと歌が主のもの故、まあ何うにか見られるものにはなりさう。

[#1字下げ]一月二十八日(日曜)[#「一月二十八日(日曜)」は中見出し]
 起きて入浴、食事して、又ごろっとなったらうと/\とした、こんな日、のう/\と一日寝ていたらいゝだらうと思ふ。昨日から右眼にモノモラヒが出来て重っ苦しくて困る。座へ来ると又渡辺休み、今日は大辻が逃げて島が格さんを演る。又々つまらず、段々笑はなくなる。日曜で入りもよし、此ういふ日に休まれちゃ全く困る。二回終り、すぐに山春の新年会へ顔出し、十円会費おさめてすぐ帰る、馬鹿な話。座へ帰ってすぐ又「金剛五郎」の稽古をする。大して面白くなさゝうだ。労れてすぐ帰る。

[#1字下げ]一月二十九日(月曜)[#「一月二十九日(月曜)」は中見出し]
 早く出たので「世界大洪水」を見に常盤座へ行く。大洪水のとこだけ見て出る。モノモラヒがまだ治り切らず、憂鬱だ。楽屋で「梅ごよみ」を読む、つまらなくて弱った、まるで創作して行かねばならぬ。一回二回共、気乗りせず。ハネ後、又「金剛五郎」の稽古。浅井栄二作曲のつまらんセレナーデを覚えさせられる。十二時までかゝって漸く稽古終る。

[#1字下げ]一月三十日(火曜)[#「一月三十日(火曜)」は中見出し]
 出がけに日本劇場へ寄り、チャップリンを見ようと行く。[#横組み]“City Lights”[#横組み終わり]を見る。あんまり期待してたせいか、少々期待外れ。ヴァジニア・チエリルってのが、エドナ・パヴィアンスだったら――と思ふ。ある場面は、キーストンへ復帰で感心しない。要するにチャップリンものとしては筋が持廻りすぎてゐる。然し、チャップリンの横顔見てたら何となく涙が出さうになった。座へ来る前、ハゲ天で食ったハシラのかき上げが悪かったらしく腹痛み、ひるの部ます/\気のりなし。夜の部は全然三枚目の顔をして、いろ/\ふざけた。楽屋には受けるが、出る人間がみな可笑しい顔してゐては反って客は笑はない。夜又々「只野凡児」の稽古。十二時。

[#1字下げ]一月三十一日(水曜)[#「一月三十一日(水曜)」は中見出し]
 本日稽古。早目に浅草へ来たので、オペラ館をのぞく。丸山和歌子の歌のみよし。田谷が一寸出た、きれいな声。あとの歌ひ手ひどし。次に万成座をのぞく、三亀松の声色、その演出段々枯れて来た。グランデッカールのレヴィウ「世界一周」お粗末なもの、澄川久、ひとり本格に歌ふ。「只野凡児」の稽古、三時すぎに始まる、先づ面白くなる自信ついた。次の「銀界に踊る」は、演出する。三省堂から衣裳を取りよせたので中々スマート。之も先づよからう。「金剛五郎」の幕あきは一寸凄い。終ったのが十一時。入浴して、さて之より家へ帰ってセリフをやらねばならぬ。右の眼のモノモラヒ全快。
 本日金が出た。

昭和九年二月

[#1字下げ]二月一日(木曜)[#「二月一日(木曜)」は中見出し]
 二月興行本日初日。一回の終り頃には満員、一杯立った。一、二はあんまりパッとしないらしいが、三の「只野凡児」第一回としては頗る気持よく行った。セリフは珍しくすっかり入ってゐたのでいゝ。菊田の本もいゝが、此の役は僕自信あり。四の「銀界に踊る」は、見たいのだが、見る時間なし。之もスマートで、又相当笑ふ由。五、「金剛五郎」後半全然セリフが入ってゐないのだが、何うにか胡麻化した。幕が開けば閉るとは千古の名言だ。ひるの部終って、大阪屋のホワイトシチュウとハムエッグス、フランスパンで食事した。やがて夜の部、今回は休む暇が全く少い。

[#1字下げ]二月二日(金曜)[#「二月二日(金曜)」は中見出し]
 朝雨、しょぼ。ひるの終り頃は階下満員。ひるの「人生勉強」横尾がトチって穴があいたり、暗転がのびたり、実に気持よく行かなかった。「金剛五郎」は全く僕の役は書けてゐないのでやりやうがない。ひるの終る頃から、食事何にしようかと迷ふ。蒸しずしを食ふ。その後でシチュウとフランスパンを食った。夜の部。「人生」は当り芸と、評判よし。「金剛」は、たゞ衣裳が豪華なだけ、何うにも長すぎるらしい。菊田にカットをたのむ。ハネ後、銀座かもめへ、東宝の樋口来り、三月はカケ持でやることを話すため、月曜に東宝事務所へ行くことゝする。

[#1字下げ]二月三日(土曜)[#「二月三日(土曜)」は中見出し]
 起きて驚く銀世界。出がけ医院へ寄る。尿検査したが蛋白は無し、糖も少いさうで安心した。ひるの部の「人生」は随分僕としては脂濃くやってゐる。「金剛五郎」白塗りをトノコ朱銅入りに改めた。夜の部、わりによく入る。夜、又医院へ寄る。夜の部の「金剛」の幕開きで豆撒きをした。

[#1字下げ]二月四日(日曜)[#「二月四日(日曜)」は中見出し]
 午前中医院へ寄って出る。ひるの部の「人生」段々手に入って来るのでうける。「金剛」も昨日より一景カット、他セリフをうんと刈り込んだのでスピードが出てよくなった。「銀界に踊る」も好評だ。夜の部の「金剛五郎」の終ったのが七時四十分。熱七度三分、早く帰って寝たいと思ふが、夜更し癖がついてゐるので帰るのが辛い。
「金剛五郎」の最中、コーラス連をサトウがノシちまったといふ事件が起った。カーテン前の芝居をしてる時、次景のために待ってゐた娘の子達がガヤ/″\しゃべって芝居の邪魔になる。ロクローが注意したが、今日もガヤ/″\しゃべったので娘子の引込みを待って順々に、ロクローがゲンコツで頭をノシた。ノサれた中にはおとなしくしてた子もゐるのでシク/\泣き出し、田島辰夫の妹、港鶴子などは、兄に訴へる、田島は怒り、サトウと争ふといふさわぎがあった。その後始末を少しして帰る。

[#1字下げ]二月五日(月曜)[#「二月五日(月曜)」は中見出し]
 午前中、日比谷へ行き、東宝グリルで秦支配人と樋口とで三月のことを話す、六時から七時といふ時間で、カケ持することに大体定る。徳川・大辻も出ることになるらしい、向ふでは之をトリオと心得てるんだから困る。十二時半楽屋入り。ひるも夜も今日は実に客が悪くて、つまらんことを笑ひ、いゝとこを受ける頭が無いのでくさった。菊田の説によると、前週「不如帰」だの「水戸黄門」などゝ、馬鹿々々しいものばかり並べたので、インテリ客を今週は逃しちまったんだと言ふ。一理ある。帰りに医院へ寄る。大道具の一人が男子出生とあって金三円やる。

[#1字下げ]二月六日(火曜)[#「二月六日(火曜)」は中見出し]
 医院へ寄って出る、大分いゝらしい。此の分なら安心。事務所で川口と話す、東宝との問題、東宝で引抜きはしたものゝ始末に弱ってるらしい水久保澄子・逢初夢子の二人を、こっちへ借りようといふ話をすると大乗気。ひるの部「金剛五郎」のフィナーレの梯子がよく打ってないので落ちた、体の悪い時故吃驚した。注意しておく。菊田・東等と次週の相談。「坊ちゃん」が出るので、僕は一本にして貰ひ、「梅ごよみ」は誰か他の人にたのむことにする。夜終って、医院へ寄る。

[#1字下げ]二月七日(水曜)[#「二月七日(水曜)」は中見出し]
 医院へ寄る、段々快方らしいので安心する。一回終って、表へ呼ばれ、次狂言の配役を立ち合ふ。島耕二は次狂言から断はる由、ハラダ・コウゾウもなり。中根竜太郎も今月一杯でチョンの由、之で不純分子一掃、ます/\よくなるであらう。次週は「坊ちゃん」一本にして貰った。脚本も書きたいし、又静養もしたいので。夜、東坊城・畑本秋一等見物に来た由。終って、鏑木が風邪で倒れたので、大庭六郎を供に連れて、病院へ寄る。

[#1字下げ]二月八日(木曜)[#「二月八日(木曜)」は中見出し]
 今日、島耕二「新興へ定ったので名残惜しいが二の替りから休むよ」と言ふ、丁度東からはクビ話が出かゝってゐる折柄、うまく話が運んだらしくてよかった。ハラダの方も今日クビの申渡しがあった筈、本人大分悄気らしい。出がけに病院へ寄った。快方らしい。次狂言の「坊ちゃん」台本来る。まあ/\ってとこ、来週は、これ一本だから少し気を入れてやらう。

[#1字下げ]二月九日(金曜)[#「二月九日(金曜)」は中見出し]
 出がけに病院へ寄る、どうもまだいけないらしい、憂鬱である。一回終って、次狂言の宣伝文句を書く。クリームドチキンで飯を食って、すぐ夜の部だ。つく/″\労れる。夜の「人生」子役の遠藤英一に「先生、ボケてますよ」と言はれる。夜の部終り、大庭を連れて病院へ寄り、帰る。

[#1字下げ]二月十日(土曜)[#「二月十日(土曜)」は中見出し]
 病院へ寄り、座へ出る。渡辺篤とサトウロクローの二人が休んじまった、「人生勉強」も代役が多くて弱ったが、「金剛五郎」と来ては全くひどいことになった、渡辺の役を横尾泥海男、サトウの役を田島がやり、しどろもどろで何うやら終った。土曜で客もいゝのに弱ったもの。一回終って、中西のソボロ。今日はハネ後カケ持あり、朝日講堂へ、西村小楽天・渡辺遊声の兄弟会といふのへ、遊声は生駒の弟子なので義理で行く。トリ二十分やる(20[#「20」は縦中横])。

[#1字下げ]二月十一日(日曜)[#「二月十一日(日曜)」は中見出し]
 日曜だから十時半あき。早目に出て病院へ寄る、まだハッキリしない。一回終る頃、森岩雄氏来り、中清で川口・森と三人で、今後東宝と笑の王国の連絡は、やっぱり森氏がやって呉れるといふことに定る。二回目終る頃、樋口正美来訪、東宝との間をうまく行かせるために、十九日頃、秦豊吉等と川口とを会はせることにしようと定める。

[#1字下げ]二月十二日(月曜)[#「二月十二日(月曜)」は中見出し]
 今朝は早起きして、お灸の先生のとこへ寄った、五日ばかり続けてすえれば屹度よくなると言ふ、今日は流石に入り悪し。然しエノケンの方よりいゝとか。ひるの部終って、日比谷公会堂へ、近藤利兵衛商店主催PCLの「踊子日記」試写会のトップを切って、十五分やる(50[#「50」は縦中横])。すぐ引返し、「人生」をやる。客が入ってないとオナラが出たくなったりクシャミが出かゝったりしてダレる。それに近来ピッタリ酒を飲まぬので神経ピリ/\してくだらぬ事が気になっていけない。ハネ後、三階で「坊ちゃん」の稽古、脚本がつまらないのでくさる。

[#1字下げ]二月十三日(火曜)[#「二月十三日(火曜)」は中見出し]
 午前お灸へ寄る、大分具合よろし、安心。一回目、ラクにしてはいゝ方の入り。客よく、よく笑ふ。「人生」が済むと、東喜代駒来り、ひるを終ったらすぐに公会堂へ出て呉れと言ふ。六時開会を二十分早めて貰ひ、キッチリまでやり又すぐ引返す(25[#「25」は縦中横])。夜の部終ると、新興へ定った島耕二、クビになったハラダ・コウゾウ等「永々お世話に」と挨拶に来る。島の方はいゝが、ハラダの方はイヤーな気がする、五円やる。

[#1字下げ]二月十四日(水曜)[#「二月十四日(水曜)」は中見出し]
 出がけにお灸。「坊ちゃん」何うも自信が無い。笑はせる個所がないやうな気がする。セリフも三・四景あたり以後は全く入ってないので不安。稽古してからツナシマへ行って理髪、モリナガで食事して、座へ帰った。本日金が出た。「坊ちゃん」やってみると、やっぱりいゝ筈はない。が、ひどくもなし。山野が見てゝ、兎に角エノケンのよりはいゝよと言ふ。

[#1字下げ]二月十五日(木曜)[#「二月十五日(木曜)」は中見出し]
 今日は十五日だからといふので十時半開き。座へ来てみると、割に入ってる。「坊ちゃん」大分体を動かすので草臥れる。あんまり受けもしないが、大して悪くもないらしい。ひるの部終るとすぐ内幸町へ、レインボーグリルの文藝春秋祭へ行く。いろんな人に逢ふ、小林一三・雲野かよ子等もゐる。五時半から声帯模写少々やる。急いで座へ引返す。十五日だから相当入りがある。

[#1字下げ]二月十六日(金曜)[#「二月十六日(金曜)」は中見出し]
 出がけに早稲田の中野実氏宅を訪問。脚本の話、芝居の話をする。「梅ごよみ」の丹次郎のよきアイデア(一生に一度失恋してみたいといふ心理)を貰った。辞して浅草へ。表へエノケン来り、立話してゐると人がたかる。ひるの部、「坊ちゃん」の暗転の時、大道具のセイ公て奴が、ジョーシキをパッと打つけて、「マゴ/″\するな」と言った、今度は道具方も急しいのだから――と我慢してたが、会田にセイ公が「ボヤ/″\しねえやうに注意しとけ」と言ったときいてムッとして、シャツに浴衣ひっかけて「おい君か、俺にボヤ/″\するなと言ったのは!」とどなり込むと、セイ公いきり立って、トンカチを持ち「ロッパが何でえ!」とさわぐ。此ういふ風では困るから東を中へ立てゝよく注意させ、セイ公にあやまらせた。おかげで十円ばかりすしと酒を買はされる。一回終って、レインボーの「只野凡児」出版記念会へ出席。

[#1字下げ]二月十七日(土曜)[#「二月十七日(土曜)」は中見出し]
 午前十時新宿駅楼上で森岩雄氏と東宝と掛持問題につき話す、東宝は虫が好すぎるから高飛車におやんなさいとすゝめられる。大勝館の「唄へ踊れ」[#横組み]“Too much Harmony”[#横組み終わり]は期待外れ。セニョリタ・ヴァニタの踊り二つも感心せず。座へ来て、三の「凸凹レヴィウ団」の幕開きを見て、いさゝか寒くなった、エライ芝居をやってゐる。ひるの部済んで、新京へ行って支那食を食ひ、サリーで茶をのんで帰る。よるの部終ったのが九時四十五分。
 伊馬鵜平(レヴィウ雑誌を出すのをやめたとて、わざ/″\原稿を返しに来、礼に原稿紙一冊置いて行った、いゝ奴だ。)

[#1字下げ]二月十八日(日曜)[#「二月十八日(日曜)」は中見出し]
 今日は日曜で十時十分開き。ひるの部終ると、新派の花和幸一が梅田重朝の倅といふのを連れて来て、此の劇団に入りたいと言ふ。見たとこ、さう悪くなくモボ。それから又、本郷の生野とかいふ婆さんが、僕の妹のお染さんは何うしてるかときく、さっぱり分らぬまゝに帰った。お染ってのは芸者だってからひどい。浜尾四郎の紹介で関川といふ青年来る、映画俳優志願。加藤雄策と一党来り、飯食ひに平埜へ行き、タラフク肉を食った。今夜は二回半だから、七時一寸すぎに体があいた。やれ/\。

[#1字下げ]二月十九日(月曜)[#「二月十九日(月曜)」は中見出し]
 今暁四時すぎにねたので十二時すぎまでねた。昨夜来えらい風で看板など吹飛ばされたところ多し。意外にも大入りだ。「坊ちゃん」は割に好評。ひるの部終って銀座へ出て、病院へ寄り、オリムピックで食事、日劇に山野、邦楽座へ肥後を訪れなどして帰る。東宝の島村竜三来り、「東宝もノンビリしすぎて困る」と言ってた。全くノンキだ、もう十九日といふのに何等正式に申込みが無い。一寸いやんなる。公園のベッ甲屋の大親分を殺した中村直考といふのが三月九・十日観音へ出て呉れと言って来た。ハネてから、東・山野と逢ひ、三月より山野加入のことにつき色々話す。

[#1字下げ]二月二十日(火曜)[#「二月二十日(火曜)」は中見出し]
 十一時起き。お灸据えて、二時すぎ座へ来てみると、意外に入ってゐる。ひるの部から景気よくどよめく。一回済んで表へ行き、三月からの連名を苦労して作る。大庭六郎を準幹部どこに昇進させたり、中々むづかしい。それから鳥鍋へ行って夕食し、帰って一休み。神田俊二の紹介で、日活にゐたといふ喜劇俳優が志願に来た。読売の夕刊に、「坊ちゃん」の評、大体よろし。

[#1字下げ]二月二十一日(水曜)[#「二月二十一日(水曜)」は中見出し]
 早く出て、東宝事務所へ、あんまり何も言って来ないから、こっちから秦豊吉を訪れた。劇場の方にゐるといふので行くと、舞台で、自転車競争の稽古をやらせて、人を待たせた切りだ、ムカ/\して、よっぽど帰ってしまはうかと思ったが我慢した。もうすっかり出るものと頭から定めてかゝり、うちの事情など少しも分らぬらしい、秦って奴のゐる間は、東宝はダメだ、と思った。座へ来てみると、川口と東は、丁度僕が東宝にゐる時間に、砧のP・C・Lへ森岩雄を訪れて、常盤興行並に金龍館笑の王国の立場として、今日に至るまで東宝の方から正式な挨拶が無いから、古川を貸すことはお断りしたいと、森を通じて東宝へ言ったのださうだ。すると森氏もそれは御尤も、実は秦があんまり分らず、P・C・Lの俳優も一切貸さないことにしたと言ってたさうだ。で、その足で、川口は松竹本社へ行って、大谷社長と逢ひ、「ロッパも東宝へ行くさうだな」と言はれ、「いや、ロッパも劇団のためを思ひ、結局断はることにしました。」と言ったさうだ。すると、大谷社長大満悦で「気に入った。一つロッパの面倒見てやらう。」と言ったさうで、川口も「何うです、何が幸せになるか、すっかり大谷さんに認められましたぜ。」と笑ふ。今夜は必ず来ると言った秦来らず、森氏から何とか言ったらしい。
 本日も相当の入り。

[#1字下げ]二月二十二日(木曜)[#「二月二十二日(木曜)」は中見出し]
 昨夜二時半に帰り、寝床の中で、「話」の原稿を書き出した、ペラ三十枚書いたら、ねちまった。午前八時すぎ、東宝の秦だと言ふから、しようがなしに起きて、不機嫌のまんま話し出すと、交換女の声で「午前中にこちらの樋口さんが伺ひますから」と言ふ。すべて秦のやり方は此の式の無礼なのだ。ツイデに起きちまひ、ペラ十枚書いて、漸く四十枚にまとめて「浅草裏おもて」として届けさせる。十時半、樋口来り、結局出て貰はなくてはならないと言ふ。では、やっぱり森氏を煩はして今夜にも川口・東に会って貰ひたいと話して帰す。ところが本日何の音沙汰もなし。フンガイ。

[#1字下げ]二月二十三日(金曜)[#「二月二十三日(金曜)」は中見出し]
 本日午前中鏑木を東宝へつかはし、何の返事なきは何事ぞと言はせようとしたところ、樋口がゐないで、秦に会ひ、「古川君がいくら言っても川口等がダメと言ふんなら行ってもムダだ。小林さんには、ひょっとすると古川はダメらしいと言っとく。」なんて言った由。何うもシャクであるから明日森氏に逢ひたい旨電話した。ひるを終るとすぐ、明治座へかけつけ、「仇吉と米八」を見た。伊井友三郎の丹次郎が貧弱なので見てゐられない。本も無理が多くていけない。夜の部をやって又すぐ明治へ行き、「復活」のしまひの方二幕見る。梅島のうまいこと今更の如く感じる。

[#1字下げ]二月二十四日(土曜)[#「二月二十四日(土曜)」は中見出し]
 一時A1で森氏に逢い、秦の不法なることを話す、「今回のことは兎も角として小林さんに妙に思はれてはいかんから行ってらっしゃい。」と言はれ、東電本社へ小林さんを訪ねると、「今朝秦が来て、古川の方は座頭のカケ持はいかんと断られました、と報告があったよ。」とのこと。いやそれはさうだが、了解さえ得て下されば、何うにかなるものを秦氏は一度も顔を出して呉れないので、僕は出たいのに此ういふ結果になったのだ、と話して辞す。二時公会堂で「ウテナ」の会。「複式漫談」てのを、声帯模写を山野一郎をあしらってやってみた、之はブッツケにしては大受け。研究の余地大いにあり。夜は、青山青年館に徳川夢声の代りに一寸出て、又公会堂へ行き、又金龍へ帰り、「坊ちゃん」やって、「サクラ・ニッポン」の稽古を十二時までやった。おゝしんど。

[#1字下げ]二月二十五日(日曜)[#「二月二十五日(日曜)」は中見出し]
 午前中伊藤松雄氏訪問。ニットーへ又吹込み、何かいゝ案を練って置かうと約す。ひるの部終って、山縣七郎来訪、丁度新宿伊勢丹ホールのオザあり、そこへ一緒に行く。一席やって(25[#「25」は縦中横])、三福食料デパートで、ビフテキとすしを食って、浅草へ帰り、よるの部をやる。今日は、川口・東・菊田・渡辺・生駒と僕の例会、第一回をやる。
 本日楽屋廊下に左の貼出しが出た。
     *
 古川緑波氏の東宝劇場出演の噂あるも、右は同氏の専属劇団「笑の王国」に対する自己の営業上の節操観念に基き、同氏として自発的にその出演交渉を拒絶せり。
 右真相を報告す。                      川口三郎

[#1字下げ]二月二十六日(月曜)[#「二月二十六日(月曜)」は中見出し]
 本日早く浅草へ来て、川口と三月二の替りのことなど話す、「西遊記」をやり、もう一つは何か僕が書かうなどゝ引受けたが、考へてみると四日締切、一寸ムリだな。「坊ちゃん」中根が昨日と今日続けてトチリ穴をあける、しゃくにさはって芝居に身が入らぬ。「日刊キネマ」の前沢来り、五枚書かされちまった。東が来て、次狂言宣伝のウタヒを書かされ、ゲンナリする。夜の部終って、レコードかけて「巴里祭」の歌を稽古し、それから三階で新撰組の立げいこ。どうも面白くなさゝうなので弱った。

[#1字下げ]二月二十七日(火曜)[#「二月二十七日(火曜)」は中見出し]
 今日朝刊「都新聞」に、緑波男を挙げる――の標題で東宝入りを断はったことが出てゐる。一時にオリムピックで大辻が会ひたいと言ふので行く、大辻は大分傾勢が変ってゐるので面喰ったらしい。ひるの部大いにダレる。レコードをかけて「巴里祭」の歌を覚へたり「江戸役者」を読んだりしてるうちに、ちゃんと時間になっちまふ。明日より山野が僕の抱き子として此の部屋へ入る、せまくなり寝転べなくなるのは往生だが、又可笑しくなるだらう。夜の部は、大分ふざけて、可笑しくて弱った。

[#1字下げ]二月二十八日(水曜)[#「二月二十八日(水曜)」は中見出し]
 九時すぎに起きて入浴し、すぐに浅草へ向ふ。本日十一時より舞台稽古。川口に会ふと今朝秦が大辻と一緒に来た由。川口曰く、「怒っちゃいけませんよ、大辻はその時、乃公あロッパと違って売り込みをしたんじゃないからなアと言ひましたよ。」大辻はカゲへ廻れば何を言ふ奴か分らない。稽古はかなり手間どる。「サクラニッポン」は装置に金をかけて、金龍としては初めての豪華版。女の子が背景のドロップで天井から下りる、辛からうと思ふ。「われらが新撰組」にかゝったのが九時近い、たっぷりおそくなりさうだ。どうも一向面白くないらしいので、弱る。


昭和九年三月

[#1字下げ]三月一日(木曜)[#「三月一日(木曜)」は中見出し]
 昨夜久しぶり少々飲みすぎたので頭痛む。テーリンのむ。初日で十時半開きだから、早目に出る。あまりツッカケがよくないので川口機嫌よくない、現金な人だ。今度は狂言が皆長い、「さくら音頭」先づ無事に終る。フィナーレは大豪華で一寸驚かす。「新撰組」は皆セリフが入ってないので、パッとしなかった。山野一郎今日から部屋にゐる、馬鹿話をすると此の位面白い奴はゐない。夕食大阪屋のホワイトシチュウとハヤシライス。「サクラ」の方も「新撰組」の方も、ちっとも演どころが無いし、至極らくはらくだがパッとしないのでつまらない。

[#1字下げ]三月二日(金曜)[#「三月二日(金曜)」は中見出し]
 狂言が長いので今日も十時半開きだ。「サクラニッポン」の始まり頃は一向客が入らない、山野をからかって「お前が入ったせいだ」と言ふと、「いや全くそれがあるかも知れねえ」と言ふ。「サクラ」は何うもつまらん。「新撰」は更につまらん。此の半月は憂鬱だ。一回終って食事、カツめし。夜の部、客がやっぱり悪い。ハネてから、山野・生駒と甲子郎おでんやで色々話す。結局狂言が悪い、並べ方がいけないってことになる。いくら人気のある劇団でも、少しも気がゆるせぬところがこはい。
 邦枝完二の「江戸役者」を読み上げた。近頃のよき読物であった。八代目市川団十郎の心境まことによし。邦枝の創作、その創意もよし、又プロットが大時代で結構。

[#1字下げ]三月三日(土曜)[#「三月三日(土曜)」は中見出し]
 今日は三日目で節句の土曜といふのに何うも感心した入りでない。つく/″\思ふに今週は、「笑の王国」らしい特徴が少しもないせいだらうと思った。「さくら音頭」みたいなヴァラエティー物にかける大道具の費用を、そっくり原作にかけるべきだと思ふ。川口のとこへ行き、「さくら音頭」を次週へくり越すことは大反対、その代りに非豪華版のヴァラエティーを書かうと言ふ。松喜へ東と行って牛肉食ひ乍ら、脚本のいゝのを集めようと話す。夜の部も大ダレだ。今度の役は二つ共何うにもやりやうがない。

[#1字下げ]三月四日(日曜)[#「三月四日(日曜)」は中見出し]
 三月第一日曜としては思はしからざる入りだ。エノケンの方や大江美智子の出てる公園劇場あたりがワンサ/\の入りで、こっちが悪いのは何ういふものか、全く大辻なんかの人気は無いといふことが分る。舞台でも大辻大アセリ、一々ウケやう/\としてるのが見苦しい。大辻にきくと東宝は客は入ってるらしいが、秦の作「さくら音頭」がひどいものらしく、てんで笑はせないさうだから愉快だ。一回の終る頃は何うにかいつもの第一日曜並の入りになった。四時、市公会堂へ、第一高女の会へ出演、二十分やり、すぐ引返した。日劇・東宝あの辺一帯の人出は大したものだ。夜の部、相当な満員。大入つく。

[#1字下げ]三月五日(月曜)[#「三月五日(月曜)」は中見出し]
 観音様へ参詣し、本屋へ吉川英治の「金忠輔」を注文して、座へ来ると、今日サトウロクロー休み、「サクラ日本」の役は堀井が代る。誰がやっても同じやうな役、僕も九日には一回休んでマーカス・ショウを川口と見に行く約束になってゐる。入りは何うもパッとしない。中川(山春)に五円、又いろ/\なアダヨ来り憂鬱である。一回終って、ワンタンめんと蒸しずしを食ひ、堀井英一を呼んで次のヴァラエティーの相談する、書くと引受けはしたものゝハヤ苦しい。夜の部、大辻ます/\邪演す。ハネ後鈴木重三郎来り、山野・渡辺・生駒等にて甲子郎おでんへ行く。のんでしまっては今夜は書けない。

[#1字下げ]三月六日(火曜)[#「三月六日(火曜)」は中見出し]
 サトウロクローの口がくさかった、きいてみたら大蒜を食ってるんだそうだ。一回終ってすぐ堀井英一と二人で東宝へ行かうと出かける。五十銭席満員なので名乗って入る。「さくら音頭」が始まる。見て驚いた。脚本も悪すぎるが演出がひどい。結局、徳川・大辻あたりの立場はムザン。徳山※[#「王+二点しんにょうの連」、第3水準1-88-24]一人光ってゐる。伏見信子ってのはいゝ女優だ。引張って来たい粉だ。夜の部。東宝あたりであんなひどいものやってるのかと思へば、反ってやりよくなった。可笑しなものだ。いろ/\出銭多く小遣ひ少し弱る。

[#1字下げ]三月七日(水曜)[#「三月七日(水曜)」は中見出し]
 ひるの部、大辻何の芝居もめちゃ/\をやる、まるでセリフを言はない。ニヤ/\笑って立ってたり、兎に角一人で受けよう/\としてる、此奴が大崎のセリフを蔭できいてゝ「しっかりした演出者がゐないと困るね」は大笑ひだった。ひる終って、川口・東・菊田、今度入った文芸部の貴島で、四月の案を練る。僕の案で「鍋島の猫」之を菊田に「われらが猫騒動」として書かせ、僕はレヴィウ「芝居の世の中」を書くことを約した。猫は、中に「瀕死の猫」なるバレーを入れる等ギャグ多し。夜の部終って、銀座へ出た。
 森岩雄氏へ久々で手紙書いた。森氏だけは頼れる人だ。

[#1字下げ]三月八日(木曜)[#「三月八日(木曜)」は中見出し]
 早目に座へ来て、次狂言の脚本を読む、貴島の「われらが三家庭」と、津村京村の「吾輩はヒゲ」二つともひどいもので、すっかりくさった。ます/\よき脚本を自ら立って書かうと決心する。ひるの部、いつもの通りくさりつゝやる。渡辺篤休み。大切な役の時よく休む、困った人だ。ひる終って表へ行き、配役をする。四に据へたオンパレード物の寸劇に一つと、「西遊記」の三蔵と二つ役をとる。「三家庭」は逃げた。
 放送局より話あり二十三日に、公会堂から中継で模写をやる。原稿依頼その他仕事多し、有がたい、片ッぱしから片付けたし。

[#1字下げ]三月九日(金曜)[#「三月九日(金曜)」は中見出し]
 座へ行くと、今日は警視庁から台本を見比べて出張員沢山あり、一同ビク/″\でやる。大辻などおびえちまってまるでセリフが言へない。「日頃の心がけが悪いからな。いつも作者の領域を犯してる奴だから。」と言ってやった。比ういふ[#「比ういふ」はママ]時はこっちは反って気持よくやれる。ひるを終って、観音劇場へ、中村の親分への義理で出演。楽屋で「キング」に娯楽頁物六枚書いた。大いに働け/\。

[#1字下げ]三月十日(土曜)[#「三月十日(土曜)」は中見出し]
 今日第一回を休演、川口・東と鏑木とで日本劇場へ、マーカス・ショオを見に行く。人数沢山で賑かではあるが同じやうなものゝ繰返しばかりだ。感心するものなし。終って川口等とオリンピックへ寄り、栄ずしでひらめ食って浅草へ。夜の部だけ出る。一回でも休むと気が抜ける。報知へ四枚半、やつつけ乍らニュース漫談を書いた。ハネるとすぐ円タクで日本青年館へ行く。「名犬ハチ公の夕」で、トリに漫談る。昨夜あたりより咳が出る。

[#1字下げ]三月十一日(日曜)[#「三月十一日(日曜)」は中見出し]
 今日は日曜だから早い。ひる終って咽喉は悪し、肩は凝るので、按摩をとる。「芝居の世の中」第一景の考へがついたが、総体の荒筋が立たなくて困る。夜の部も一向気のりせぬまゝに終る。今日は日曜だが、いつもの土曜位の入りだ。九時すぎ終って菊田と友田純一郎とでみやこでウイスキをのみつゝ色々話す。それから、歌の稽古で座へ来て、少しゐて帰る。

[#1字下げ]三月十二日(月曜)[#「三月十二日(月曜)」は中見出し]
 昨夜来風邪気味、ダるくて、休みたい位。芝居がつまらないせいもあるが、休みたくなるなんど、此の商売に馴れすぎたか。座へ来て「サクラ日本」だけやり、「新撰組」は中根に代って貰ふことにした。部屋へねころんで、みたが、寒くて気持が悪いから、逆に雪みたいなのゝ降る中を、生駒と松喜へ牛肉食ひに行く。帰りに森永でコゝアとショートケーキ。山野がゐると可笑しいこと多し。女優部屋へヤタラ行ってねころぶくせがある、やっぱり大物になれぬ奴だ。夜の部「サクラ」の途中で停電、一時休み。二十分たつとパッと来たのでやる。咳出て苦しい、「新撰」は夜も中根に代らした。明日は休んで本を書きたい。何しろ今夜はけいこ、雪がジャン/″\だし。

[#1字下げ]三月十三日(火曜)[#「三月十三日(火曜)」は中見出し]
 今日は一日芝居を休むことにした。で、兎に角先づねろとばかり、昨夜一時半から午後一時半までねた。それからプランを練って、「芝居の世の中」を書き出した。床をとって腹ん這ひに寝て書いたり、起きて机で書いたり、夕方までに八景の予定が三景まで行かぬ。近頃こんなに苦労した本はない。夕食、すきやきをした。座へ電話して大庭六郎を呼び、傍にゐさせて、どん/″\書く。大庭も寝かして、「芝居の世の中」全七十枚書き終ったのが三時。表紙まで書いて、場割と配役まで書いて、手首きり/\と痛めど、下戸の知らねえいゝ心持だ。

[#1字下げ]三月十四日(水曜)[#「三月十四日(水曜)」は中見出し]
 昨夜書き上げてねたが、夢ばかり見て休まらぬ眠り。十時半に起こされ、大庭六郎等同道浅草へ。「芝居の世の中」の出来たのが嬉しくて、今日の稽古初日の方は、うはの空だ。座へ来て、「芝居の世の中」を研成社へ廻す。「西遊記」の稽古終ったのがもう六時なので、今日は一・二・五だけ出ることになる。四の「凸凹展覧会」は、まだ稽古もしてないので今夜残るらしい。「西遊記」てんでセリフ入らず、歌知らず、「幕があきゃあしまる」とはいふものゝ全くいかぬ。でも今狂言、思った程つまらなくはなさゝうだ。

[#1字下げ]三月十五日(木曜)[#「三月十五日(木曜)」は中見出し]
 四の「凸凹展覧会」今日始めて出る。審査員といふ役だが、てんで受けないのでくさる。三蔵の方も昨日よりはましといふ位の出来だ。客は割に入ってゐる。狂言は悪いんだが、何うも分らぬものなり。ひるの部終って、カシオペヤからシチュウとカツレツとめしをとる。丸山夢路が上海へ行くと別れを告げに来た。ねころんで「文芸」を読む。川口松太郎の「直木三十五ものがたり」がいゝ。谷幹一が宝田といふ人と来て、ハネ後帝国ホテルで飲む。マーカス・ショウのエルマー・コーディ他いろんな芸人達と飲み面白かった。

[#1字下げ]三月十六日(金曜)[#「三月十六日(金曜)」は中見出し]
 ひるの部、「凸凹展覧会」の中の一幕、審査員のつまらなさ、横尾泥海男も大ぐさり、全く今週のくさりだ。「西遊記」は、モタレ役だから今日のやうに宿酔気味の日などアクビが出て困る。徳川夢声の紹介状を持って、指圧治療法の浪越といふ人が来たから、早速やらせる、一時間余りやって、参円とられたのは参った。山野本日ひる丸トチリす、困る奴。食事は大阪屋ハヤシライスとホワイトシチュウ。

[#1字下げ]三月十七日(土曜)[#「三月十七日(土曜)」は中見出し]
 午前八時頃宅へ警視庁の人が来て「麻雀のことで一寸」と言った由、新聞に菊池寛以下蒲田の女優連が麻雀賭博でアゲられてると出てるからこの事であらうが、もう僕は時効ものと分ってるからいくら調べられても平気だ。ひるの「西遊記」終るとすぐ東・鏑木と共に代役を立てゝ貰ふことゝし、警視庁へ向ふ。いろ/\調べられたが何しろ二三年以前のことなので、「随分昔はやりましたが、役者になってからはキレイにやめました」と述べた。向ふは「ウソつけ」とか何とか言ったが結局、時効で問題にならず九時十五分釈放。玄関口でパッパッと新聞社のフラッシュを浴びた、これが何う新聞に出るのか、頗る心配。

[#1字下げ]三月十八日(日曜)[#「三月十八日(日曜)」は中見出し]
 起きてすぐ新聞を見る。時効で釈放と伝へてゐる。ま、大したこともないが、いくらか宣伝になるだらう。ひるが終るとすぐ、紺野守夫と二人で生駒雷遊の家へピアノがあるから明朝吹込みの、明治キャラメルの歌「僕は天下の人気もの」を習ひに行く。大てい大丈夫と見込つけて、辞し、松喜で紺野と肉を食った。昨日は中根が三蔵の代役、「麻雀のことならしょうがない、わしがやりませう」と言った由。今日は順が狂ひ、二回と二でとり、九時前に身体があいた。林寛が寺島雄作といふ役者連れて来り、(中野実の紹介状あり)入座の希望。二十日の朝、中野実氏のとこへ行く約束する。

[#1字下げ]三月十九日(月曜)[#「三月十九日(月曜)」は中見出し]
 午前八時半起き、ゆふべアダリン四錠のんだのでまだフラ/\。十時に青山のポリドールへ行く。二回歌って、三回目のは本盤。出がうまく行かなかったやうな気がするが、O・Kなら早く帰らうと浅草へ。此の分、広告だからもっとうんと取りたかったのだが鈴木俊夫が仲へ入ったので(50[#「50」は縦中横])しかとれず。浅草で理髪し、ひるの部終って中西でランチを食ひ、青山師範の雨天体操場へ、卒業生の送別会で六時から一席(20[#「20」は縦中横])。学生のことゝて大受け。帰ると、福田宗吉来り、二十二・三日の仕事のことを打ち合せる。これから此の四五日つゞけさまにオザあり。シーズンが来たと見える、あまりムチャをせず、声を養生しよう。

[#1字下げ]三月二十日(火曜)[#「三月二十日(火曜)」は中見出し]
 早く出て早稲田の中野実氏宅へ。話は寺島雄作をうちへ入れること。中野が二三日うち座へ来て川口に話することに定めた。「道化師」その他二篇、中野の古い脚本を借りて来た。座へ来て、又、くさり芝居。かにや大道具の若大将といふのが、先日の「坊ちゃん」の時の大道具の無礼を、おそまき乍らとあやまりに来た。ひる終って表へ行き、狂言をきめる。「鍋島の猫」をトリに据えて、四本立て。「芝居の世の中」を三に据えることゝした。それから朝日講堂へ、国民芸術観賞[#「観賞」に「ママ」の注記]の夕てのへ出る(15[#「15」は縦中横])。よるの部終って、向島の夕立荘へ、大辻と二人、矢井乾電池の若旦那てものに馳走になりに行く。

[#1字下げ]三月二十一日(水曜)[#「三月二十一日(水曜)」は中見出し]
 大変な風それに雨だ。ビュー/″\って音だ。でも祭日のことゝて、早く出かける。浅草も流石にあんまり人が出てゐない。ポカ/°\あったかいし、三蔵法師は大汗だ。ひる終ってすぐ朝日講堂へかけつけて、一席やる。此の嵐に祟られてか入り少し。済んで七階の食堂で食事。麻生豊・山内光等に逢った。まだ風やまず、ビュー/″\言ってる。座へ帰ると、今日は嵐だから八時半バネってことになり、ハネてからすぐ朝日講堂へ又かけつけて一席(45[#「45」は縦中横])。夜も入りがない。こゝをすませて銀座へ出た。

[#1字下げ]三月二十二日(木曜)[#「三月二十二日(木曜)」は中見出し]
 ひるの部終って表へ行き、狂言の相談。やっぱり五本立にして、四に「芝居の世の中」を据えることゝした。五時半に工業倶楽部へ、放送局の九周年何とかの会てのへ行く。福田宗吉以下五人ばかりの伴奏。しまひに天勝の声帯模写封切した。之が自分でも驚く程よく出来た。明日は公会堂で同じ会あり、之に出て第二放送に中継となる。座へ帰り、脇屋氏に「佐野次郎左衛門」の本をたのむ。菊田の「鍋島」が漸く出来た由。又、大詰までつかまるさうで、時間をつかまることに於て一寸くさる。

[#1字下げ]三月二十三日(金曜)[#「三月二十三日(金曜)」は中見出し]
 午前十一時起き、今日放送が芝居の方と何うしてもツくので、ひるは休むことゝし、一時頃家を出て、公会堂へ(70[#「70」は縦中横])。放送局聴衆七十万記念の会、舞台で放送室をかざり、そのまゝを見せる。三時半近くから二十分やる。おしまひの天勝のうまさは自分で感心した。すんですぐ浅草へ帰り、森永で食事し、表へ行って、役割をする。「芝居の世の中」は、すっかり僕の予定通り定る。「鍋島」は光茂公といふ殿様。六時から、熊天にたのまれたムザンなオザ、朝日講堂へ(15[#「15」は縦中横])、トップで一席やり、すぐ帰った。よるの部済んでから、例会で、今回は渡辺篤が幹事、上野の翠松園へ行く。大した話なし。

[#1字下げ]三月二十四日(土曜)[#「三月二十四日(土曜)」は中見出し]
 午前中雑司ヶ谷の墓参りをして母上と共に浅草へ。昨夜稽古で女の子等の残ってるとこへ暴力団の奴が来て、あばれ、紺野がノサれて血を出すやら大さわぎで、結局巡査が来て連れて行った由。浅草ってとこはいやだな。ひるの部終ってすぐ東京会館のオザ(40[#「40」は縦中横])。日比谷平左衛門未亡人の八十の祝とかで、阿部のダヨ伯母だのその他親類がゐるし、やりにくゝて弱った。僕の他花柳喜美。大阪の三益愛子より電報、四月から出たいと言って来た、表でも皆賛成なので、すぐ来いと返電させる。

[#1字下げ]三月二十五日(日曜)[#「三月二十五日(日曜)」は中見出し]
 今日日曜、十時開きだから早く出る。入りは相当。ひるの部終ってすぐ、女子職業学校富士見町へ行く(30[#「30」は縦中横])。女学生ばかり、あんまり笑ふので笑ひを待つ間、随分のびる。すむとサイン攻め。さう悪い気持ではない。三益愛子から電報「〇二五〇イイカ ヨケレバ スグオクレ」月給二百五十円の意味だらうが、之では一寸話にならぬ。表でも百五十円迄ならいゝが、それでは困ると言ふ。手紙出してみよう。夜の部すんだのが八時半、東とカブを先日の警視庁問題の日の慰労に銀座へさそふ。明日より稽古で当分遊べないから。

[#1字下げ]三月二十六日(月曜)[#「三月二十六日(月曜)」は中見出し]
 六時起きして、日暮里の久保田万太郎氏のとこへ行く。久保田氏と共に、竜泉寺町の沢村源之助宅へ。要するに四月下旬あたりに佐野次郎左衛門を出して八ツ橋を行かうといふ考へなので、その型を――と行ったわけだが、マトモにそんなことも出来ず、四方山話して辞す。帰りは久保田氏と浅草迄歩く。サトウロクローが「芝居の世の中は大傑作だ」と賞める。本日久邇宮家より廿八日にオザ申込みあり。ハネ後、「芝居の世の中」を、読み合せして、それから立ったから一時になっちまった。

[#1字下げ]三月二十七日(火曜)[#「三月二十七日(火曜)」は中見出し]
 出がけに、伊藤松雄氏を訪問、此の間のラヂオの評をきく、ワーッと受ける声は僕のが絶大だった由。天勝がやっぱりよかったらしい。日比谷公会堂へ、サクマドロップの会(30[#「30」は縦中横])とかいふのに出る。子供ばかりのひどい会、声帯を子供向きに一席やって引きあげ、さて座へ来てみると、もう一寸ってところでトチリ、横尾が代って「凸凹展覧会」をやってゐた、数日前から制定になったトチリの始末書をとられる。ひるの部終って、蛇の目へ行き、すし一円半がとこ食っちまった。よるの部、相変らず客よし、終ってから「芝居の世の中」を立つ。

[#1字下げ]三月二十八日(水曜)[#「三月二十八日(水曜)」は中見出し]
 午前座へ出て、「ラヂオ科学」の原稿五枚書いちまった。大辻が部屋へ来て「久邇宮へ行ったらね、お役所の人に言っといてくれよ、実は僕のとこへかゝったんだけどね、時間がとれないから他へ廻して下さいって言ったんだよ」嘘かほんとか、兎に角大辻って奴、此ういふことを言って、自分を売り出さうとする。ほんとゝしても、嘘なら尚更、とっちめてやらなくちゃならぬ。キングレコードの人来り、サトウハチローの作詞「お嫁さん選べば」の譜を置いて行った。ハネ後、三階で「鍋島」の立稽古、それが済むと、舞台で、フィナーレの総踊りのけいこ、之を又つきあはされ、ヘト/\になりながら、二二三、四二三、とやる。一時になった。

[#1字下げ]三月二十九日(木曜)[#「三月二十九日(木曜)」は中見出し]
 寒い/\と思ったら、雪だ。而も紛々と降り続ける。客はそれでも一寸ばかりゐるから妙だ。一回終って、みやこで食事し、雪見酒――ってっても一寸わけありでだが、ウイスキーを十杯ばかりひっかけたからフラーリ/\。仕事中に酒をのんだのは初めて、思った通りヤな気持だ。でも舞台へ出りゃシャンとする、セリフもちゃんと言へたが、さてさめて来るとたまらない。ハネ後さめ際の、キュッ/\とゲロが出さうで出ないって状態で、「猫」の立げいこ、又フィナーレの踊りをやり、でも十一時に終った。

[#1字下げ]三月三十日(金曜)[#「三月三十日(金曜)」は中見出し]
 二時近くから「芝居の世の中」の稽古、ヘンな背景が出来て来ちまって、キャバレエ・ウインナの感じまるで出ず、(「会議は踊る」のビアガーデンの図を描いてやったのに)衣裳もてんで成ってないので少からずくさった。芝居の方は自信あり、大丈夫受けるものになると思ふ。間に、大阪屋のシチュウとハヤシライスを食ひ、六時頃から「われらが猫騒動」の稽古。出場が少いからラクだが、衣裳の着換へがあり面倒くさし。明治製菓から先日吹込んだレコードを届けて来た。声がまだ大きすぎた。「鍋島」の稽古済んだのが九時。

[#1字下げ]三月三十一日(土曜)[#「三月三十一日(土曜)」は中見出し]
 十時半起き、座へ来てみると、あんまり突かけがよくないので憂鬱。「芝居の世の中」は、大過は無いのだが、神田がセリフを入れてないので、芝居がこはれてしまった。「鍋島」全く出たとこ勝負で、ごま化してしまふ。一回終ったのが四時半。すぐ夜の部になる。夜の「芝居」では、不覚やMボタンをまるで外したまゝ出て、上手の客だけが笑ったり、珍現象、これで又芝居をブチこはしてしまった。「鍋島」の終り近く、山本五郎一家のゴロ酒井ってのが、袖で着換へをしてる渡辺篤をひっぱたいた。どうも暴力がのさばるのは困る。本日金が出た。借があるからそれを五十円さし引いて、他に脚本料五十円を貰ったが、さて出銭の多いこと全く驚くべきもので、暴力のおさへだとかって、十円だ十五円だととられ、弟子達に小遣ひをやったりすると結局合計百円以上。これじゃとてもやって居られない――何とか考へなくちゃならない。


昭和九年四月

[#1字下げ]四月一日(日曜)[#「四月一日(日曜)」は中見出し]
 雨で、一日で日曜、悪からう筈のない日。打込みから大分いゝ。第一回「芝居」気のりせず、でも客は此のスマートな味を買ってるらしい。「鍋島」の中で、僕の殿様が「こりゃ/\汝と麻雀の手合せするも久しぶりじゃのう」と言ふと、横尾の家来が、手を縛られた恰好して、「これ以来でござりましたなア」と云ふセリフがある。これが大した受け方、ドッと客が笑ふ、ゴシップ神経てものは馬鹿にならぬ。新聞も随分宣伝になる。第二回が済んだのが、八時二十分。随分早く済んだ、心持よし。
 二月十六日に、僕に無礼のふるまひありし大道具のセイ公はクビとなれり。

[#1字下げ]四月二日(月曜)[#「四月二日(月曜)」は中見出し]
 ひるの部の「芝居」で、若宮とロクローがトチリ、「鍋島」で大辻がトチった、始末書をすぐとられる。「芝居」の五景―六景の、芝居と現実の差を出すことに於て、会得するところあり。四時に一回終った。すぐ紺野を連れて生駒の家へピアノを借りて歌を習ひに行く。五日吹込みのポリドール、サトウハチロー作詞、竹岡信幸曲の「お嫁を選べば」っての。五六回ひいて貰って、引揚げる。夜の部の客とてもよく、「芝居の世の中」のウケること頻り、すっかり気をよくした。「鍋島」の方は何うでもいゝってもの。ハネ後、コーラス娘三人つれて、銀座へ出た。

[#1字下げ]四月三日(火曜)[#「四月三日(火曜)」は中見出し]
 十時あき。ひるの部、二階のつっかけがよくない。「芝居」は、ピッタリ今日の客には来ないらしい。一寸くさり。「鍋島」は横尾が、調子をやったので、荒井雅吾が代った、これがコケ、くさり。一回終って、大辻・吉野と上海亭へ食事しに行く。夜も「鍋島」で又荒井にくさらされ、あんなのに何故代役させたかと頭取を呼んでカス。終ってすぐ公園の一直へ、医者の会で一席やり、公会堂へかけつけて、ポリドールの会で、歌ふ。ストトンとモンパゝの譜を用意するやうに言っといたのに、通ってないので大くさり、歌もうまく行かなかったが、客は大受け。歌ひ手商売も中々よし。

[#1字下げ]四月四日(水曜)[#「四月四日(水曜)」は中見出し]
 咽喉具合わるくて困る。座へ来てみると、月曜としては相当の入りだ、「芝居の世の中」は、物日の出しものじゃない、今日の客には実にピッタリ来るらしい。「鍋島」横尾休み、大庭が代る、荒井よりはよっぽどまし。ひる終って帝国ホテルへ、山春主催の函館義捐の夕てのへ行き、トップを切る。タゞのザシキ程つまらぬものなし。しゃくにさはる。三益愛子よりO・Kの電報来る、「ミマスヲタノムナカノ」と中野英治からも電報、その旨川口に言ふと、「あれは要りません」といふ返事、それじゃこっちの立場がない、大いにフンガイ。ま、今日は川口のお天気わるいのでそのまゝ。

[#1字下げ]四月五日(木曜)[#「四月五日(木曜)」は中見出し]
 午前九時起き、ポリドールより迎ひの自動車来り、青山へ。「お嫁を選べば」の吹込み、コンディションとても悪く、かなりいけなかったやうに思ふ。浅草へ出て、大勝館で、ローレル・ハーディーの喜劇と、「不思議の国のアリス」を少し見て、座へ。「芝居」大いに受ける。が、段々考へてみると、此の脚本は、ハイブロー過ぎた。まだ/″\此処迄行ってはいけなかったと思ふ。ひる済んで、カシオペヤのシチュウと卵子で飯を食ひ、アンマをとる。「芝居」の神田の未熟さがつく/″\いやんなった。女優がゐない。三益を、やっぱり必要と思ふ。ハネ後、先日募集した一周年記念の脚本にいゝのがないので、こっちで書かうと、みやこで、菊田に「黄金狂時代」のアイデアを話す。

[#1字下げ]四月六日(金曜)[#「四月六日(金曜)」は中見出し]
 座へ来てみると、千束町の鈴木二郎といふ男から、「芝居の世の中」は、自分が「笑の王国」の脚本募集に応募した脚本のアイデアを、ヘウセツしたものだ、とオドカシを並べ、結局使ってくれといふ手紙。怒気心頭に発し、すぐ「馬鹿言ふな、そんな脚本は見たこともない」と返事を書く。今日は一日中このことでシャクにさはっちまった。ひるの部終って、大辻が四月後半に三日程休みたいと言ふ。事務所へ寄り、狂言の相談。「芝居の世の中」を書いてからすっかり考へ方が変って来た。何うにも高級ものはいけないと思ふ。冬のやうに寒いので、何うも入りがない。

[#1字下げ]四月七日(土曜)[#「四月七日(土曜)」は中見出し]
 咽喉がすっかり悪くなり、声が出ないから、「古川緑波風邪のため声出ず云々」といふ貼紙をして貰ふことにした。楽屋へ来てみると、昨日の鈴木二郎といふのから、すっかり謝罪した手紙が来てゐた。これで大分気をよくした。やっぱり怒ってよかったと思ふ。「芝居」をやったが、とても声が出ないので、歌は神田と香山に分けた。「鍋島」の方は、中根に代って貰ひ、風呂へ入り、アンマをとり、吸入一回やる。声調子わるし。夜の部又「鍋島」を中根にたのみ、報知講堂へ、アダヨの会、顔だけ出してくれてのへ一寸出る。中野実氏来楽。

[#1字下げ]四月八日(日曜)[#「四月八日(日曜)」は中見出し]
 今日は日曜だから十時あき、だが思はしい入りにあらず、「芝居」だけに出る。声、まだいけない。ひるの「芝居」終ると、三益愛子より電話、上海亭にて逢ふ。目下中野の女房まがひの由、一切僕に任せる故、何卒よろしくと言ふ。柄もよし、女優らしい色気もタップリあり、やっぱりいゝと思ふ。表へ連れてって三益を川口に改めてひきあはせたら「フンちっとも君なぞほしくはないんだがね。よく覚えとけよ。」とひどい挨拶だった。本人くさり、なぐさめておく。九時頃から例会で公園裏の昇鯉へ。大辻が三日休むって話から、来週は休んで貰ふことに決定した。ちっとも欲しくないものになっちまったものだ。十二時すぎまで飲み、語る。

[#1字下げ]四月九日(月曜)[#「四月九日(月曜)」は中見出し]
 どうも入りが思はしくない。全く、何うしたら客が喜んで来るのかは永久に掴めさうもない。狂言がバカ/″\しくて、とんでもないものゝ時はいつもいゝんだから分らない。川口、今日は機嫌よく、三益は僕の要求通り、いゝ役二つふられる。若宮美子休みで、「芝居」のうらゝ役は柏が代る、珍景を呈した。ひる終って理髪に出かけ、森永で食事して部屋にゐると、コワイ奴、丸越の親分てのが来て、ワケの分らんこと言って威張って帰った。浅草はいやだな。夜「芝居」だけ出て、山縣七郎と共に銀座へ。

[#1字下げ]四月十日(火曜)[#「四月十日(火曜)」は中見出し]
 出がけに伊藤松雄のとこへ寄り、明治のレコードをきかせる、「こりゃ君、ジャズ歌ひになれる」と言ふ。ニットーの方の吹込みの相談して、座へ来る。まだ声がいつもの六分の一しか出ない。今夜は歌はなくちゃならないし弱る。「社交」って雑誌へ四枚書く。夜の部済ませると、すぐ朝日講堂へ。明治製菓とヘチマコロンと、朝日の広告部の主催で、「緑波の歌と夢声の漫談発表会」(50[#「50」は縦中横])。「僕は天下の人気者」と「モンパゝ」それにストトンで模写をやる。大ウケである。軽いユーモアの歌を沢山おぼえちまって、これからチョイ/\やる手がある。明治製菓の内田誠と徳川夢声でかもめへ行く。

[#1字下げ]四月十一日(水曜)[#「四月十一日(水曜)」は中見出し]
 昨夜又のんだがのどの調子は段々いゝ。今日母上が見物に来られた。一回終って菊田と、友田純一郎・大黒東洋士とで釜めしを食ひに出た。乞食で紅茶のんで帰る。山野一郎が東に、「緑波は僕に役をつけるの嫌がって又いやな役しか呉れない。女の子に抱きつけばナグられるし、我まゝな奴だ。」とコボしてた由。どっちが我まゝか、女の子に助平なまねをしたり、役のことなんか不服言ふとはもっての外だ。こんな調子じゃやっぱり山一は呼ばない方がよかった。夜終って、「僕は天下の人気者」のけいこ。三枚目なのでやりよさゝうだ。

[#1字下げ]四月十二日(木曜)[#「四月十二日(木曜)」は中見出し]
 客がます/\入らない。これは一つには鍋島の猫の祟りだらうといふ説と、又、清洲すみ子など妊娠七ヶ月のが出てる、これが不浄でいかんらしいなどかつぐ者あり。ひる終って、菊田・堀井・東と食事、次の旧物は「幡随院長兵衛」に定めようと話す。乞食へ寄ると、喜多その他の女の子が学生と茶をのんでゐる、夜半四時迄けいこじゃ此の二時間の幕間が彼女等にあたへられた唯一の休息時間なのだ。今日渡辺又休む。ハネ後「大番頭小番頭」の立けい古。山野僕に無断で昨日と今日のけい古を休んだ。ます/\腹の立つ奴。「大番頭」面白くなし。

[#1字下げ]四月十三日(金曜)[#「四月十三日(金曜)」は中見出し]
 雨。十一時迄ねて、座へ。昨日よりはラクでも今日の方が入りがいゝ。山野とは全然物を言はない。ムッツリだまってゐやがる。不愉快極まる奴、そのうちひどい目に遭はしてやりたい。ひる終って大阪屋のポタージュとハヤシライスを食って、おね/\してるともう夜の「芝居」が開く。夜の「鍋島」の殿様は、赤鼻のトン狂な顔をして、オドケてみた、此れは楽屋受けもし、客にも受けたが、可笑しな顔さへ拵へれば、笑はすのはワケないと思ふ。兎に角、「芝居の世の中」で、浅草に向かぬものをはっきり分ったから、之からは土地の水に合ふことを勉強してみよう。

[#1字下げ]四月十四日(土曜)[#「四月十四日(土曜)」は中見出し]
 今日は稽古初日。十二時半頃座へ来る。一寸風邪気味だ。三の「大菩薩峠」で大分長びいて、「僕は天下の人気者」は、芝居抜きで歌と踊りだけやり、五の「大番頭小番頭」を終ったらもう六時半。「大番」がつまらないことおびたゞしい、全くイヤンなった。山野とは相変らず無言をつゞけてゐる。四の「人気者」は、ロクローを面喰はせる大熱演で、徹底的な三枚目をやり、大受け。最後の幕で、明菓の宣伝のとこへ来ると客「よせやい宣伝は」と来て少々くさる。その辺のセリフを改めさせることにした。「大番頭」思った程つまらなくもなし、終ったのが、何と十一時半。

[#1字下げ]四月十五日(日曜)[#「四月十五日(日曜)」は中見出し]
 十一時すぎ家を出て、深川の八名川小学校てのへ行き、一席やる(30[#「30」は縦中横])。近頃の小学校は凄い、ちゃんとフットライトの設備ある舞台あり。座へ来ると、浅草の人出は正月以上だ。松竹座の前など通れない程の人。うちは人は立ってないが、中にはギッシリ詰ってゐる。山野とは依然無言。ひるの「人気者」大汗熱演。「大番頭」は大したことないがラクにやれる。ひる終って大辻に山野のことを話し、「部屋から出してしまふから、生駒・大辻両人で引受けて呉れ」と言っておく。夜は此の分じゃ又十一時になりはせぬかと心配。何しろ終るとすぐ、十時五十五分で出発のつもりなので。「大番頭」終ったのが十時十分、急いで東京駅へかけつけ、十時五十五分に乗った。

[#1字下げ]四月十六日(月曜)[#「四月十六日(月曜)」は中見出し]
 芝居の方は病気で一日休むことにして、大阪へ行く。悪いことは出来ないもので、バッタリ蒲生重右衛門・中田晴康等に、又、プレイガイドの加藤に逢ひ、内証のことをたのむ。十時四十分、大阪着。明治商店の者迎へに来り、すき焼を食べて、ポリドールの吹込所へ。毛谷平吉ヴァイオリンに久しぶりで逢ひ、練習をし、定刻六時、朝日会館へ。牧野某の大阪風の漫談のあと、「僕は天下の人気者」を歌ふ。「モン・パゝ」と二つやり、一部の終り、二部で又、声帯模写を、ストトンをトリにして、二十五分ばかり。大受け。終って十時四十分で大阪を立ち、東京へ迎ふ。

[#1字下げ]四月十七日(火曜)[#「四月十七日(火曜)」は中見出し]
 午前十時十五分東京駅着。心配だから座へ電話してみると、すっかり病気ってことになってる。で、ゆっくり座へ出る。皆「如何ですか」と心配してる。何うも嘘ついてることの苦しさてものつく/″\思はせられる。狂言が何うにも長くて昨日から「天下の人気者」を一、二回の間に一回出すことになってる。山野の問題の解決をする。きいてみると、結局東が山野をケシかけて僕の悪口を言はせちまったゞけのことなのだが、どんな理由にしても、無言の行だの稽古欠席は許せぬことだと言ひ、之はあやまらせ、今後は生駒・大辻で責任持つからとのことで先づ和解。中根に十円昨日の代役料をやる。

[#1字下げ]四月十八日(水曜)[#「四月十八日(水曜)」は中見出し]
 今日から「凸凹守備隊」が一回になり、「人気者」も「大番」も二回宛やらされる。「人気者」の三・四景は大熱演、大受け。「大番」も思った程つまらなくなし、写実の芸てものは、らくで気持がいゝ。旬報の脚本募集一等当選が無いので、僕のストーリーで菊田に書かせたのを当選としたので、百円来た。之を東に十円、菊田三十、友田三十、僕三十と分ける。夜の部、大いに客来る。やっぱりハデな出しものゝ方がいゝらしい。会田少年三日間休む。此の間からちょく/\休むが、もうつとめ切れなくなったものらしい。将来の二枚目としてほしいものなのだが――。

[#1字下げ]四月十九日(木曜)[#「四月十九日(木曜)」は中見出し]
 十時、雑誌「旭」の記者が速記者を連れてやって来た。鏑木に言ってあると言ふが、ちっとも通じてない、不機嫌の寝起きで、三十分間「われらが愛国劇」って話をしてやる。座へ出て、ひるの部終ると鳥鍋で食事して、又夜の部、客ワンサ入ってる。「人気者」は大受けだ。「ロッパうまいぞ」なんて声がかゝる。「大番」の方は何うも、らくなだけ。ハネ後、サトウロクローを、毎日舞台で踏み台にするから一杯飲ませようと、大庭六郎と共に銀座へ出る。

[#1字下げ]四月二十日(金曜)[#「四月二十日(金曜)」は中見出し]
 座へ出たのが十二時。昨夜飲みすぎたので何うも苦しい。のんびりと丸窓のある、梅でも庭に咲いてるってな茶室で、うすい蒲団かけて昼寝したい、などゝ思ふ。「大番頭」が済んで、がっかりした。大阪屋のトマトのポタアジュとトースト。品芳のカツ丼を食ひ、水上雪江に按摩して貰ふ。此の女とてもうまくて、一時間以上やって貰った。夜の部終ってから、飛行館へ、松竹座の静家のお爺さんの隠退興行てのへ義理で出る。行くと、エノケン・二村がやってた。大分待たされて、十一時に舞台へ上る。まるで客がバカばかり、近頃こんないやな舞台を踏んだことはない。

[#1字下げ]四月二十一日(土曜)[#「四月二十一日(土曜)」は中見出し]
 十二時楽屋入り。雨が朝降ったから入りは悪くない。ひるの部終って、何をするでもなく楽屋にねころび居る。
 近頃、文筆スランプで、引受けた原稿二三、破約したし、手紙一本書く気にならぬ。書くものは此の日記だけ。山野を誘って、理髪にツナシマへ行き、帰りにみや古で食事し、雨に濡れつゝ座へ帰る。

[#1字下げ]四月二十二日(日曜)[#「四月二十二日(日曜)」は中見出し]
 日曜日、突かけよろし。ひるの部終ったのが四時すぎ。「人気者」で熱演するので知らぬ間に、ひざのとこへ痣が二つも三つも出来てるのは驚く。三枚目ってのはむづかしくなくって面白い。楽屋に三益・柏・香山等が遊びに来たので、ポテトパイを買はせて食ひ、いろ/\話す。終ったのは十時二十分だ。昔の喜劇弁士小川紫友が、うらぶれて来た、みや古で一杯飲ませ、生駒も呼んで話す、小川は入座希望、之はいゝかも知れない。

[#1字下げ]四月二十三日(月曜)[#「四月二十三日(月曜)」は中見出し]
 今日から大辻が休むので「人気者」中の漫談がなくなって、少し早くなって来た。今日は暖くて汗かく。一回終ると、明治製菓の内田誠氏来楽、そのうち又タイアップで何かやりたいと言ふ希望だった。表へ行き、五月下旬には、ヴァラエティー寄席ごっことして、五分宛いろ/\な芸をやることを提議したら大賛成。キングレコード「お嫁さんもらうなら」が出来て来た。思った程悪くない、之なら吹込み直しの必要もあるまい。夜の部、やっぱり大汗だ。

[#1字下げ]四月二十四日(火躍)[#「四月二十四日(火躍)」は中見出し]
 ひるの部すんで表へ行き、配役をやる。今度は「幡随院」の幡随院と、「笑の王国祭」のムッシュ古川の二役、四と五でかなり楽らしい。役割りしてから部屋で、宣伝文句を一から五まで書く。夜の部終ってから一寸残って、「笑の王国祭」のフィナーレの歌を稽古する。

[#1字下げ]四月二十五日(水曜)[#「四月二十五日(水曜)」は中見出し]
 今日は、不意にサトウロクロー休みで、堀井英一が代役。でも大胆によくやるものだ。花井淳子と夫婦でラヴシーンをやるとこは一寸やりにくさうだった。今日は日が悪いのか色々事故あり、大庭六郎は生駒との立廻りで右眼を突かれて怪我。若宮の上へドロップが落ちかゝって頭をヅーンとやられた。ひる終ってすぐ天野雉彦の夫人の天野家庭塾春宵の集ひての幸楽へ行き、上品なる令嬢ばかりの前で一席(30[#「30」は縦中横])。山野も連れてってやらせる。東京駅地下室荘司でホットサンド食って座へ帰る。

[#1字下げ]四月二十六日(木曜)[#「四月二十六日(木曜)」は中見出し]
 ひるの部済んですぐ帝大の新入生歓迎会てのへ行く。吹きっさらしのとこで学生は土の上へ座ってきく、こいつは参った。二十五分もやって、すぐ座へ帰る(30[#「30」は縦中横])。今日もサトウ休みで、堀井だ。「大番頭」では、若宮が袖で笑はせる、狐みたいな顔をもっとヘンテコにして笑はす、つひフイちまったから、逆に、袖で尻をまくって笑はしてやる。今日は稽古なし、明日より稽古だ。

[#1字下げ]四月二十七日(金曜)[#「四月二十七日(金曜)」は中見出し]
 今日は靖国神社の祭で大分入りがある様子。「人気者」サトウが出て来たので漸っと調子が出て来た。ひるの部終って入浴し、本郷の帝大病院内の、看護婦慰安会へ行く(30[#「30」は縦中横])。大いにカンゴフさん達を喜ばせて、本郷通りへ出て、青木堂でコゝアを飲み、折笠医院へ一寸寄って、糖を診て貰ふと、大へんよろしいと言はれ大いに安心し、座へ帰る。夜の部終るとすぐ、千駄ヶ谷の中村歌右衛門邸へ。声色やらされるなら嫌だと言っといたのに何うしてもやれとあり、歌右衛門・福助・菊五郎・三升等の前で、コップに一杯熱燗をのんで十五分程やる。金一封を寄越したが之は返して、新宿へ出る。

[#1字下げ]四月二十八日(土曜)[#「四月二十八日(土曜)」は中見出し]
 宿酔気味で、アイスコゝアのんだりメロン水をガブ/″\飲んだりしてみるが気分が直らず、辛し。ひるの「大番」で、田島が大トチリし、多和が代役で小番頭をやる。之じゃまるで気が乗らず。一回終って工業倶楽部のオザへ行く。結婚式の余興である(40[#「40」は縦中横])。すぐ引返して、夜の部。すんでから「幡随院」の立稽古をやる。

[#1字下げ]四月二十九日(日曜)[#「四月二十九日(日曜)」は中見出し]
 今日は千秋楽だが日曜のことゝて相当入りがある。「人気者」も最後の奮闘とばかり大いに脂がのる。一回終ると菊田と友田純一郎を誘って松喜へ牛肉食ひに行き、サリー森永でパイ食って帰る。夜の「大番」は、若宮の女房にヒステリー起されて逃げ廻るところで、めちゃに逃げ廻り、胸ぐらとられると、わざとはだけて大さわぎをした、若宮ふき出す大さわぎ。ハネ後、歌のけいこで十二時すぎた。

[#1字下げ]四月三十日(月曜)[#「四月三十日(月曜)」は中見出し]
 今日は稽古で一日休みだ。早目に出ると、中々始まりさうもない。松竹座のグランド・オペラ・ルヴィウてのを見に行く。徳山※[#「王+二点しんにょうの連」、第3水準1-88-24]がゐて、並んで見る。「ラヴパレード」「ボッカチオ」の醜態見るにたへない。リキー宮川てのゝジャズソングをきく、これは一寸いける。魅力てもの、それだけがジャズ歌ひの生命だ、と思ふ。座へ引返す。始まったのが六時すぎ。道具が出来なかったり、衣裳を待ったりして、終ったのはもう十一時半だ。「笑の王国祭」のつまらなさは言語にたへたもの、貴島って作者は実にしようのない奴だ。「幡随院」も充分つまらないが、此の方が稍々いゝだらう。


昭和九年五月

[#1字下げ]五月一日(火曜)[#「五月一日(火曜)」は中見出し]
 初日。十時半開きだから十二時半頃来た。三のキネマ旬報一等当選脚本(実は菊田一夫が書いた)の「沙漠のメリーゴーランド」てものが、ひどいものださうで、役者皆大くさり。四は「笑の王国祭」こいつはまるでつまらないが、歌と踊りとで何とか見せちまふらしい。僕の役はまるで面白くなし。「幡随院」は、セリフが入ってないので苦しかったが、でも他の奴は皆ひどすぎると見え、菊田に大いにカス食ってゐた。五時半すぎ一回終る。夜は、三を抜く。抜いても、とても出きれない。終ったのが何と十一時廻ってゐる。森永でウイスキ少量のみ、新宿ですし食って帰る。

[#1字下げ]五月二日(水曜)[#「五月二日(水曜)」は中見出し]
 一時すぎに「王国祭」始まる。どうもつまらなくてやってる気がしない。貴島って奴は何うにもならぬ奴、ほと/\嫌んなる。「幡随」も相変らずつまらず。一回終って、来々軒の雲呑と中華丼を食った。夜の部のクサリ又ひどし、此んなことをしてたんじゃ人気が落ちる、来週は大いにハリ切ってやらうと、「寄席ごっこ」のプラン立てる。来替りは、「われらが金色夜叉」と定る。貫一を、かなり三枚目にして僕、渡辺の富山、サトウの荒尾、お宮を神田、赤樫を三益ってとこだ。ハネが今日も十時半、一本抜いて之じゃ困る。

[#1字下げ]五月三日(木曜)[#「五月三日(木曜)」は中見出し]
 十二時座へ来る。東と森永で茶をのみ、一時から「王国祭」、又くさる。つく/″\いやだ、うんとカットしたいと思ふ。「幡随院」又くさり。ひるの部すんですぐ、大勝館へエノケンのP・C・Lトーキー「青春酔虎伝」を見に行く。山本嘉次郎、エノケンの個性をよく活かしてゐる。おしまひの格闘などすばらしいスピードでよろし。帰って、又これからくさり劇かと思ふと、ガッカリする。今夜もくさりくさって演り、終ったのが十時半。ゲッソリ労れた。

[#1字下げ]五月四日(金曜)[#「五月四日(金曜)」は中見出し]
「オール読物号」送って来たの見ると、とう/\書けずにスッポかした「春の旅」て特集に、僕の名で堂々と「道行き何とか」てのが出てる、不愉快、一言のことはりもないのはいやだ。時事新報から写真班来り、楽屋のひとゝきてのをほしいと言ふので、山一のコーシャクを皆できいてるとこを撮す。「健康時代」に、注文の「接吻後の飲食物」五枚書く。夕食は大阪屋のポタージュに、トースト、オムレツと食ふ。夜の部、客「ロッパはり切れッ」と言ふ。それ程ダレてゐる。

[#1字下げ]五月五日(土曜)[#「五月五日(土曜)」は中見出し]
 神田千鶴子、今日、市電バス早廻り競争てのへ選手として出場、二等賞となってくたびれて帰って来た。ひるの部相変らず、くさり演。すんですぐ神田の日大歯科の大会(30[#「30」は縦中横])てのへ行くと、野天の屋台だ、こいつには参ったが、二十分程やり、すぐ近くの小川町小学校教員の慰安会とか(30[#「30」は縦中横])、又二十分ばかりやって、神保町を一人歩き、杏花楼てんで食事して帰る。夜の部、又々ダレる。全く嫌な芝居につかまってゐるのは辛い。ハネ後、神田の祝ひにかもめへ、菊田・如月敏・鏑木その他女優二三連れて行く。大辻がチン入して来て不愉快だった。

[#1字下げ]五月六日(日曜)[#「五月六日(日曜)」は中見出し]
 日曜である。出がけに理髪してサッパリした気持で出る。客はワンサと来てゐる。なるべくクサらぬやう心を引き立てゝやる。昼の部に、大谷竹次郎が「幡随院」を見て、こいつは面白いと言ってた由。ひる済んで、如月敏とカブとで、銀座へのし、スコットでポタアジュとヒレビフカツ。三すしで平目を七八つ食ひ、コロンバンで菓子と紅茶をやり、流石に腹はって、座へ帰る。「幡随院」の中で渡辺と僕が下手へ、生駒・山野・田島が上手へ陣取って、武士と町人の喧嘩で、「ダマレ百姓」「何をオケラ」てな罵言の投合ひがある、そこで山野が、「うるさいぞシュウマイ」と来たんで、渡辺に「何をこの湯たんぽ」と言はせたらその受けたの何のって、客も楽屋も大笑ひ。ピンどりなのでいつもより少し早く終った。

[#1字下げ]五月七日(月曜)[#「五月七日(月曜)」は中見出し]
 ひるの部の、「幡随院」の泥試合では、山野が「何を此のシュウマイ」に対して、僕原作の渡辺篤のセリフ「何を此の子供のオバケ」。これが人気で楽屋じゃ此の場をたのしみにしてゐる。夜の部終るとすぐ中村福助を訪れると、今日は父もゐないから家へゐらして下さい、と言ふので千駄ヶ谷へ行き、中村翫太郎てふ「私め三代福助に仕へて居ります。」てえ老人と、福助、それにオバさんて人とで酒をのむ。翫太郎老人のヨカ/\芝居と、滑稽芝居の話が面白かった。写真を沢山貰って帰る。

[#1字下げ]五月八日(火曜)[#「五月八日(火曜)」は中見出し]
 又もや如月敏が昨夜泊った。如月敏此処三日家をあけてるので家でさわいで迎へに来た。ところが敏、プイと姿を消しちまった。ひるの部終ると、田中三郎久々であらはれた、実は敏が大変なことをし出来したとのこと、会社のしくじりなり、で姿を消したことが心配になり出した。夜の部終って、「金色夜叉」を少しやり、それから田中三郎と友田純一郎と松喜で食事し、傍ら八方人を走らせて敏の行方を探す、分らず。大いに心配しつゝ帰る。

[#1字下げ]五月九日(水曜)[#「五月九日(水曜)」は中見出し]
 今朝、敏無事の報を得て、本郷の敏の姉の家てのへ寄る、無事だったが大分量見方がコハい、死なうとしたらしい。三郎と二人で充分なぐさめておく。座へ出ると、すぐ又くさりだ、まだ此の芝居済まぬかと思へば実にいやになる。ひる済むと、ぐったり。熱とってみると七度三分程ある。咽喉からの熱である。ルゴールで治るから心配ない。夜の部相変らずクサリ演。ハネ後、例会にて、僕幹事、大森都新地お千代にて開く。新入の座員は一応必ず相談あるべきことをのべる。生駒雷遊はロクロー偏重を頻りに述べてゐた。

[#1字下げ]五月十日(木曜)[#「五月十日(木曜)」は中見出し]
 十一時までねる。昨夜は四時になったから。座へ出ると、「笑の王国」誌五月号が出来て来た、鏑木に任せとくと、とてもダメだ、も少ししっかりしたものにさせたいと思ふ。咽喉まだハッキリせず、七度近くあり。ひるの部終って、三益を連れ、公会堂の「大関」の会へ(30[#「30」は縦中横])。東京駅地下室でホットサンドウィッチ食って、公会堂で一席やり、すぐ引返す。夜の部、客席に久米正雄氏がゐると、山野が発見した。終るのを待って迎へにやり、楽屋内を案内した。氏の「夏の日の恋」をこはしてやらして貰ふことを約束した。川口に話し、片岡半蔵の新加入は断はらせる。

[#1字下げ]五月十一日(金曜)[#「五月十一日(金曜)」は中見出し]
 十一時に起きる。座へ出ると渡辺篤が休み、してやられた。僕も今週は一日位休養したかったのに。で、「幡随院」の唐犬は山野が代役する。ひるの部終って入浴、食事は大阪屋のトマトポタアジュにタイヨーのハムエグスと野菜ライス。「直木三十五随筆集」を少し読む、「私程度のものなら一日三十枚位書けない位なら作家はやめちまへ。」といふのはよかった。夜の部終って、「金色」の歌の稽古、とてもこいつは沢山あってやり切れない。川口、渡辺篤の休みですっかり怒ってる。ラヂオ二十日は、菊田一夫作「笑ふ巴里」と定めて、アゲ本する。

[#1字下げ]五月十二日(土曜)[#「五月十二日(土曜)」は中見出し]
 ひるの部の最中、井上三枝叔母と娘、支那料理持ってたづねて来て呉れた。ひる終ってすぐ丸の内蚕糸会館へ「銃後の会」(40[#「40」は縦中横])。東喜代駒がハリ扇を持って来て呉れた。三益と万才の打合せ、これも相当骨だ。夜の部終ってすぐ「金色夜叉」の立稽古、作曲も入れて歌は三四十もあるので、覚えるのが大変だ。十二時半頃までつきあったが、とても労れたので、明日と明後日みっちりやることにして帰る。

[#1字下げ]五月十三日(日曜)[#「五月十三日(日曜)」は中見出し]
 雨。出がけに深川の中村高等女学校てのゝ会へ寄り二十分やって(30[#「30」は縦中横])、座へ。雨で人出は少いにかゝはらず客よし。ひる終ってすぐ浅草松屋のホールへ、塾友会といふので二十分(30[#「30」は縦中横])。とても蒸暑くて汗びっしょり。赤ん坊ギャー/″\泣く、全く不愉快。座へ帰って、せんべいを食ひ、紅茶コーヒーを湯水の如く飲む。夜の部「笑の王国祭」は、しまひまで結局くさり通した、もう/\こんなものは始めっから断ることだ。「幡随」の例のドナリ合ひのとこ、渡辺篤に知恵をつけといて、楽しみに待ってると、山野先づ血迷って、「何を此の助平のゴミタメのカス」と来たのを、アッサリ渡辺が「何言ってやんでエ山野一郎」で客も裏も大受け、愉快。千秋楽らしき笑ひなり。大入つく。残って二時まで歌のけいこ。

[#1字下げ]五月十四日(月曜)[#「五月十四日(月曜)」は中見出し]
 十時半から稽古だ。十二時すぎに座へ来てみると、二をやってる。貴島の作で、エノケンで一度やったことのあるものだ、何でこんなバカなものを出すか困ったものだ。政木時子てへのが今度だけ入り、道成寺を踊る。大したイカモノ、五九郎の大部屋で、川口のホヨらしいとのこと、こんなバカな踊り長々とやられちゃたまらない。松竹座へ天勝引退興行をのぞき、四時に華族会館へ鋭五の結婚式あり、行く。「四時過ぎに古川|郁郎《ロッパ》の声帯模写あり」と場内に貼札してある。兄貴の婚礼に弟が声色やりゃ世話はない。「寄席ごっこ」を立ち、「金色夜叉」を終ったのが十七時四十分。まあ/\今度は大丈夫らしい。

[#1字下げ]五月十五日(火曜)[#「五月十五日(火曜)」は中見出し]
 十時半あきで初日。何ういふわけか新聞広告をまるでしないので客足悪し。一・二と三がひどいものらしい。四は「寄席ごっこ」で、これは大分受けてゐるし、内容もいゝ。山野の落語、田島の手品から僕と三益の万才で、これは大いに大阪弁ペラ/\やり、かなりいゝ出来だった、五「金色夜叉」は、少し歌が多すぎた感じだが、まあ/\これは無難。入浴して、ポタアジュとトースト。久ずしのすし五六個。しきりに水ものを飲む、二升や三升水をのむのはワケはない。夜の部は三を抜いて、一・二・四・五だから休む間ロクになし。ヴァラエティーで「お嫁を選べば」を歌ふ。ピアノの譜だけしかないので全然淋しい。

[#1字下げ]五月十六日(水曜)[#「五月十六日(水曜)」は中見出し]
 暑い。座へ来てすぐ入浴する。「寄席」は好評だが、しまひの道成寺の二十分で全くダレちまふらしい。今日から歌は神田に代らせる。「金色」は、相変らず横尾がちっともセリフが入ってないし、おまけにアガっちまふのでやりにくいこと甚しい。これはロクローに演らせたかった。P・C・Lから僕とロクロー・清川の体を借りたい旨、言って来た。ロク・清川の方は何とかしてやることゝする。今日の夕刊に漸く広告が出た。これで、まあ少しは入るだらう。ハネ後ラヂオの「笑ふ巴里」の読み合せ。とんだものを選んだ、歌を覚えるだけでも大した努力である。毎日残るのは飲めなくて困る。

[#1字下げ]五月十七日(木曜)[#「五月十七日(木曜)」は中見出し]
 天気よし、三社祭の太鼓の音ひゞき、夏祭りの景気、昨日よりはいゝといふ程度の入りだ。ひるの部すんで入浴。裸で涼んでると、すし久来る、ひらめを食ふ。それから又新京へ行き、支那食して帰る。川口と大辻と会ひ、六月下旬、大辻としては四日間休むだけで旅行したいらしいのだが、さうは行かさぬことゝなる。夜の部「金色」のうけること大したものだ、万才の方は初日あたりの方がよかったやうだ、ハコに入って来ると何うもいけないらしい。ハネ後又歌の稽古だ。十二時十五分になる。全くからだを使ひすぎる感じ。

[#1字下げ]五月十八日(金曜)[#「五月十八日(金曜)」は中見出し]
 十時起き。座へ早く出ると、今朝山野大トチリ、四十分も開演をおくらした由。お祭の神輿かついで廻ってたと言ふ、「いつもお祭よりバカなまねしてるんだ、今更みこしかつぐこたあるまい」と毒づく。山野の下司さは全くアイソがつきる。ひるの部万才も「金色」も出来がよくなかった。ひる済んで、森永のカツライスを食ひ、水上に一時間位按摩して貰った。先日来、部屋に元弁士の小川紫友がゐる、これがノッソリとして、一向に役に立たず腹が立って弱る。少年を一人見つけたし。夜の部大汗流し、入浴して、放送局へ行く。二時半までかゝってテストしたが、女の子も僕らも歌が入ってないので醜態なり。

[#1字下げ]五月十九日(土曜)[#「五月十九日(土曜)」は中見出し]
 早起きして入浴してると、海野十三の紹介で第一生命の勧誘員二名来る、こんなものに朝っぱらから来られると碌なことはない。銀座の栄ずしでひらめ五六個食って座へ出る。表で次狂言のプラン。六月下旬は、久米正雄の「夏の日の恋」を海のレヴィウと銘打ってやらうと定める。森岩雄氏来て話し乍ら観音劇場のところまで来ると西条八十氏と娘の子に出逢ひ、金龍館ごらん下さいと、特等へ案内する。夜の部汗演して後、又明日のラヂオの歌の稽古をする。中野英治京都より来り、三益を可愛がってやって呉れと言ふ。明日はラヂオのため狂言順大いに狂ひ、「金色」から始め、三回出す由。

[#1字下げ]五月二十日(日曜)[#「五月二十日(日曜)」は中見出し]
 八時半に起き、浅草へ。十時の打込みから階下満員。いきなり「金色夜叉」だ、朝は声が出ないし、客は乗って来ない。次に「寄席」をやって、放送局の迎の自動車で山へ。一時二十分から菊田一夫作「笑ふ巴里」(旧作で玉木座で演ったことのあるもの)を放送、急稽古の歌だから、こいつ先づ自信なき上、セリフもいやなのが多くて、ちっとも嬉しくない放送であった(40[#「40」は縦中横])。すまして浅草へ帰る。昨日より大西といふ青年来る、之に腰をもませる。旬報のため「エノケンを評す」五枚書く。夜、三回目の「金色」やる。大した受け方で、あんまり受けるので気がさして熟演出来ない位。中野英治・三益・敏と共に銀座へ出る。

[#1字下げ]五月二十一日(月曜)[#「五月二十一日(月曜)」は中見出し]
 昨夜より敏泊り、十時起き、十一時に出て芝公園の吉川英治氏宅へ、敏のことたのみに行く。雨模様で入り中々よし。ひるの部済んで鳥鍋へ食事。夜の部万才、段々馴れて来ると大阪弁でなくなるのが困る。P・C・Lの滝村来り、用談。「健康時代」の婦人記者来り又七枚ばかり約束する。夜の部全く暑い、マント着て、「寒い/\」と言ふセリフなんだからあんまり汗もふけず弱る。

[#1字下げ]五月二十二日(火曜)[#「五月二十二日(火曜)」は中見出し]
 出がけに昨夜新宿でムーランの斎藤豊吉と約束したので伊藤松雄のところへ寄り、斎藤もゐて話しをする。座へ出る、火曜でこれだけ満員なら全く文句はあるまい。「金色」は要するに大当りだ。「寄席」も随分客を呼んでゐるらしい。小林勇来り昔の映画ばなしをする。それから、中西のソボロ丼を食ふ。夜の部の万才で三益、ボケて「外にゐるのにウチの人とはこれ如何」ばかり二度も言ふ。客大笑ひ悪落ちしてしまらず。

[#1字下げ]五月二十三日(水曜)[#「五月二十三日(水曜)」は中見出し]
 早く家を出ようとしてると会田来る、「結局何うする気だ」ときくと、明日からチャンとやりますと言ふ。では、さうしろと言ひ、鏑木と、京橋の明治製菓へ寄り、内田誠氏とタイアップの話をする。座へ出る。昨日一高の生徒来り、文句言ったさうだが、今日警視庁へ言ったらしく、一高の寮歌を歌ふことを禁じられた。帽子の白線も三本にし、金ボタンにする。「金色」大いに受ける。声しきり。ひる終って雑然と食ふ。夜の部、万才乗らざりし。ひるは、吉本の本職の万才が来てるんで緊張したが、夜の部わりに早く済み、九時四十分。

[#1字下げ]五月二十四日(木曜)[#「五月二十四日(木曜)」は中見出し]
 十二時半に座へ出る。ひるの部「金色」は出の一高の寮歌を急に改めて歌ふ。汗だく。ひる終って事務所で次狂言の配役をする。僕は、「愚弟賢兄」の貢二と、「水戸黄門」の助さんの二本。事務所でソーダ水と大阪屋のハヤシライスを食ひ、理髪しに行く。今日から会田が出て来た。やっぱりいゝ。夜、雨になる。入り薄し。上山雅輔「雷親爺」てふ脚本を持って来た。

[#1字下げ]五月二十五日(金曜)[#「五月二十五日(金曜)」は中見出し]
 午前中、金子ゆき子氏来訪、座へ案内する。入り薄し。「愚弟賢兄」の本が来た、何うも面白くないらしくてくさる。ひるの部終って入浴、加藤雄策来る、妓と共に。三益・清川・大辻を誘って、平埜へ牛肉を食ひに行く。夜の部汗演。熱海など大いに馬力。終って、加藤雄策と共に浅草へ。

[#1字下げ]五月二十六日(土曜)[#「五月二十六日(土曜)」は中見出し]
 座へ出ると、都の小ニュースに、渡辺篤P・C・Lへの話が出ちまったので川口等怒ってる、又滝村が早まっちまやがった。僕が断はる代りに渡辺は何うかと言ったのがもう出ちまっちゃ困る。森氏へ電話して文句言っとく。後で滝村が来て詫まって、何とか渡辺を貸して呉れと言ってた。ひるの部あんまりいゝ入りでなし。終って大阪屋のコールビーフとパン、来々軒のわんたん。本日楽屋で東と元うちにゐた少女優高子とが話してゐたところを、ヒス女(東ホヨ)若宮がやいて少女をなぐりつけた事件あり。苦々しきことなり。東によく一度話してやらう。

[#1字下げ]五月二十七日(日曜)[#「五月二十七日(日曜)」は中見出し]
 日曜なれば早目に出る。座へ来てみると、日曜の入りとしてはいゝ方でもないが、まあもう千秋楽近いんだから。ひる終って、オペラ館の丸山和歌子来り、森永で少時話す、「笑の王国」へ入りたいらしいが、うちでは歌手に三百円出せるか何うか疑問。山野又々トチる、おくれて帰って来たから、「バカヤロー、ふざけるのもいゝ加減にしろ!」とどなりつけてやる。友田来り、レヴィウ名鑑を作るにつき、僕の短い自伝を書けと言ふ、四枚書く。九時に体があいて川口と丸山和歌子のことを話し、東には若宮のことは身の破滅となること故、よく/\考へて、若宮をよさせるべきだと話す、東も此のことは僕にたのむと言ふ。「愚弟」の稽古あり、つまらぬので大くさり。

[#1字下げ]五月二十八日(月曜)[#「五月二十八日(月曜)」は中見出し]
 座へ出る前に、銀座教文館ビルへ寄り、R・K・Oのオフィスに、若宮美子の夫、樽原を訪れ、若宮は大分健康を害して、ヒステリーだから少し休ませろとすゝめたが、金が無いらしく、あまり休ませたくないらしい様子だった。ひるの部をやって、チャシュウワンタンを食ひ、ねころぶ。山野がオコワを食ったので又之をつきあひ、渡辺がクヅモチ食ったのを又つきあひ、満腹す。今日「健康時代」の先日の稿料、一枚一円呆れた、もう書く気なくなれり。夜の部の万才大いに受ける。「金色」熱演し、ハネ後、タイヨーのジンフィズを飲みつゝ、少々稽古を見る。

[#1字下げ]五月二十九日(火曜)[#「五月二十九日(火曜)」は中見出し]
 今日で千秋楽だ。ひるの「金色」は、客が妙に甘くて、すぐ拍手して弱った。大阪屋のポタアジュとトースト、ハッシュライスを食ひ、又大西・会田に揉ませる。「健康時代」の婦人記者来り、三十一日までには何うしても書いて呉れと言ふ。一円なので嫌なせいばかりでなく、何も書く気が出なくて困る。夜の部、「寄席」の、ラストへ出る大辻がショッパナへ出て、くだらんことを色々言ったので、一体に受けなくなっちまった。「金色」では、熱海で踊ってやったり、「宮さん/\」と言って「お馬の前にヒラ/\するのは何じゃいナ」と面白くやり、ハネ後、「水戸黄門」を立つ。まるでつまらないらしい。

[#1字下げ]五月三十日(水曜)[#「五月三十日(水曜)」は中見出し]
 今日は暁の四時半にねたので、十二時起き。座へ出ると、丁度二の狂言の舞台稽古をやってゐる。三の「にんじん」の間、松屋へ行ってカン/\と、ネクタイを買ったりする。四の「愚弟賢兄」何うもにもハヤ困っちまった。アチャラカにして笑はすには余りリアルだし、まじめにやっちゃ笑はせようもなし、いやんなる。五の「水戸」が又とんでもないつまらぬもの。これじゃ今度は何うにもくさりだらう。然し、狂言は短いとみえ、今夜稽古のすんだのが九時。

[#1字下げ]五月三十一日(木曜)[#「五月三十一日(木曜)」は中見出し]
 本日初日、少しゆっくり目に座へ出る。初日といふに、殆んど何もセリフが入ってゐない、いゝ度胸になったものだ。四の「愚弟賢兄」はてんでつまらぬと定めてかゝったゞけに間違なくつまらない。五の「黄門」は、助さんの役はひどい役だし芝居もひどい。狂言が一体に短かいと見え四時すぎ一回終る。すんでセリフを又入れようとしたが面倒になり、森永へ行き、部屋でのびる。鋭五氏が鼻の手術とかして危険状態に陥ったとの報あり。初日だのにハネは九時四十分。珍しいことなり。「黄門」はやればやる程つまらなくなりさうだ。

昭和九年六月

[#1字下げ]六月一日(金曜)[#「六月一日(金曜)」は中見出し]
 出がけに鋭五を三楽病院に見舞ふ。座へ来て、川口に「水戸黄門」あまりに辛いから出場をカットして貰ひたいと言っとく。今日はひるから大した入りだ。エノケン悪く、新宿のグランルヴィウも悪いといふに、こんなつまらぬ狂言でワンサの入りとは分らない。ひるの一回終って、先づビックリの氷結アイスと、福仙の天ぷら五個とにぎりめし、そこへ又久ずし来り五六個行きおまけに五目ワンタン食ったのは一寸驚いた。夜の部、ひるより一寸客は減った感じ。でも先づ一杯の入りだ。

[#1字下げ]六月二日(土曜)[#「六月二日(土曜)」は中見出し]
 敏昨夜より泊り、一緒に座へ出る。一時半頃、四が開く。「愚弟」の方は、リアルを脱してかなり三枚目的な演出をし出したが此の方が受ける、顔も初日はきれいにしたが段々三枚目にして演ってゐる。「黄門」昨夜より七景の出場をカットして貰って少し楽になったが何うにもつまらない。ひる終って、市政講堂のオザ。麻布小学校の映画と音楽の夕のトップ十五分やる。帰って夜の部、狂言短くて、ハネが九時二十分だ。

[#1字下げ]六月三日(日曜)[#「六月三日(日曜)」は中見出し]
 出がけに母上と三楽病院へ鋭五氏を見舞ひ、物日故早く座へ出る。今日は二回と三までだと思ひ、早く体があくと喜んでゐたところ、三回目は序カットで四まで出すてんでガッカリ。尤もこれでトリまでつかまらないと気が済まないってとこもあるんだから妙だ。第一回からえらい満員。一回すんで、食ひ物で悩む、結局、中華丼に野菜スープ、久ずしのすし三四個食ふ。二回すんで、ねころぶ。夜の部三回目をやる。「愚弟」ワッワと受ける。意外である。うちの客は此ういふものが大分好きらしい。友田・上山・池田一夫とみやこで十一時半までのみ、いろ/\芸談す。

[#1字下げ]六月四日(月曜)[#「六月四日(月曜)」は中見出し]
 早く出て「笑の王国」女優軍の歌をきゝに行く。神田・花井等何うもお寒きもの。表へ寄ってみると、鈴木ケイ助ってのが此の次から入ると言ふ、相談無しに入れちまふとはひどい、サトウロクローは、古川・大辻並の金を呉れなきゃーと申出て来たから断はると言ってた。一回終ってから、食物に苦労するのも嫌なので、アラスカまで行く。入口で六代目とその一党、「よお」と肩たゝかれた。ヴィルピカタとグリンピース、コンビネーション・サラダ食って出る。楽屋でねころんでゐないで歩いた方がいゝとつく/″\思った。旅をして海を見るのがいゝやうに、円タクで街を見るだけでもいゝ。ハネ九時二十分、それから例会。

[#1字下げ]六月五日(火曜)[#「六月五日(火曜)」は中見出し]
 本日東郷さんの葬儀で市内大劇場は皆休みであるが、浅草はアクどい。午前は休み、二時開演、それも一・二をカットして三から始まるんだから、ナニちっともいつもと変りはない。午前中鋭五を見舞に寄る。もう大丈夫らしい。二時半に座へ出る。一杯だ、やっぱり此ういふ日は浅草の書入れになるんだ、休まないのも無理はない。「愚弟」大いに受ける。「黄門」くさる。ウテナの伊藤って人と逢ふ、八月に若し此っちを休むならぜひ来てくれと言ふ話だ。森永でオムレツ、中西でビフカツと飯。金なくていやな気持なり。表へ又借りたしと言っとく。夜すんで森永でアイスクリームのむ。

[#1字下げ]六月六日(水曜)[#「六月六日(水曜)」は中見出し]
 少し早く出たので公園をブラつく。新国劇新人座ってのゝ看板が大したグロ、その上、文字に曰く「演劇の狂」と来た、何のことか分らず。ひる終って、食物のこと考へたら、何うにも救はれない気持になって来た、一っそ又アラスカへ行っちまへと、円タク。ポタアジュと、ティンボール・アラスカ、コムビネーションサラダと、マロン・シャンティリーのアイスクリーム、それからアイスティーを飲み、程よき満腹で帰る。夜の部が済むとすぐ、鏑木と二人、川崎へ向ふ。十一時に、川崎市の市場みたいな広場の何千人て人の前で、大くさりで屋台でやらされた。川崎から新橋。ジャネットバーで島津保次郎と逢ひ気焔をあげる。

[#1字下げ]六月七日(木曜)[#「六月七日(木曜)」は中見出し]
 午前九時起き、昨夜のんでるからとても辛し、急いで家を出て、東横沿線の白楽ってとこの、石井別荘、松花会といふ跡見の卒業生の集りへ行く(40[#「40」は縦中横])。それから新橋まで来て、今度は十二時半、高島屋ホールのクラブ歯磨の会で又やる(30[#「30」は縦中横])。母上と高島屋で落ち合って、座へ。ひる終って、母上、来合せた如月敏とスコットへ。友田純一郎も呼んで、ポタージュとポークチャップ。スコットはまづい。やっぱりアラスカだ。三すしで鯛を五六つ、七八つ。コロンバンでアイスクリーム。大分の満腹。山野一郎今日休み。夜の部、相変らずダレて、九時四十分ハネ。

[#1字下げ]六月八日(金曜)[#「六月八日(金曜)」は中見出し]
 浅草へ早く来て、理髪した。ツナシマ。五十銭で、すっかりやって、爪磨きがつくとは安い。座へ来て、皆で相談しつゝ配役する。僕は四の「チョコレート娘」と五の「夏の日の恋」の二本。座員が多いと、相当の奴がひどい役ばかりになったりする。夜の部、加藤雄策来り「愚弟」を見て、あんな脚本やってちゃダメだと言ふ。「愚弟」が評判がいゝので、ひょっとしたらいゝのかと思ひかけてたが、これでやっぱりダメはダメと分る。ハネ後、山野共々加藤と銀座へ出る、街上、徳山

[#1字下げ]一月七日(日曜)[#「一月七日(日曜)」は中見出し]
 今日は七草の日曜書入れで早出。竹久又欠勤、渡辺篤も一回目来らず昨日通りの代役でやる。しょがないな。若宮美子も、昨日のモメの余燼だらう、欠勤。しょがないな。七草とはいへあまり活気づかず、客席のざはめきが大したことなし、二回終って、上海亭へ東と行き、夕食する。三回目の「凸凹」のすんだのが七時すぎ、もう身体があいてしまった。今日、元日のアダヨの仲直り手打をするから云々で、又もや部屋で十円いかれた。

[#1字下げ]一月八日(月曜)[#「一月八日(月曜)」は中見出し]
 今日から入りは静かになった。次狂言の配役をする。「水戸黄門」続篇の助さんが廻って来た、オワイの桶へ狐に化かされて入浴するとこがあるってのは困る。大辻作の「不如帰」に片岡をといふ注文だが、之はゴメンかうむり、第三の長谷川稔作くだらぬレヴィウ風のものに、生駒と二人で万才風のことをやることにした。終ったのが七時半、東宝劇場へ急ぎ、「花詩集」の前篇後半から見る。劇場は豪華、日本劇場程ケバ/″\しくなくて結構。「花詩集」は、実にきれいで豪華で大道具大仕掛で感心したが、それだけだ、舞台から呼びかける何ものもない。所詮少女レヴィウは、われらの劇とは別なものだ。

[#1字下げ]一月九日(火曜)[#「一月九日(火曜)」は中見出し]
 今日から十二時開き、二回半といふことになる、つまりその位の景気になって来た。「凸凹」のウインナの景、「カティンカ」のギャグが、昨日見た「花詩集」にもあったので一寸驚いた。尤も之は白井鉄造から教はったギャグだったが。どうも毎日のんでは体がもたん、つく/″\労れて、今日楽屋で数回按摩をとった。健康を少し注意しよう。正月もすんだから。風邪ひき多けれど、わりに僕丈夫で有がたい。

[#1字下げ]一月十日(水曜)[#「一月十日(水曜)」は中見出し]
 今日も二回半、入りはパッとせず。菊田一夫に、「続水戸」の中で、助さんが肥溜へ入浴の件を池に変えて貰ふことをたのむ、ウン水はどうもいかん。ハネ後、友田純一郎・池田一夫・生駒等でサリーで茶をのむ。
「サンデー毎日」へ「役者商売」七枚書いた。

[#1字下げ]一月十一日(木曜)[#「一月十一日(木曜)」は中見出し]
 今日は二時頃からの出勤なのでゆっくりだ。東電本社の社長室を訪れ、小林一三氏と話す、東宝劇場の三月は八重子と専属連(之が疑問)で開ける、之に声帯模写を、浅草とカケ持ちでやることの話をすゝめる。九月頃有楽座が落成する。此の方へは距月位に我ら出演といふ予定ださうだ。兎も角現在のまゝ僕は浅草で打ち続けてゐていゝといふことになった。大辻、旅より帰り、「不如帰」で、片岡をやらないのはひどいと言ふ。やらせるのは、そっちがひどい。今日からは二回で帰れるので、大変らくになった。

[#1字下げ]一月十二日(金曜)[#「一月十二日(金曜)」は中見出し]
 十一時半から芝三椽亭で清和婦人会の新年会、今年初めてのオザ。政友系の婦人連の集まりで、歌舞伎の声色は大受け。そこを済ませて浅草へ来たが、まだ早いので万成座の万才をのぞく、グランデッカールってレヴィウが北村小松の「淑女と髯」をそのまゝやってるのは驚いた。中西で食事して、一回すませ、アンマをとる。客うすし。然しもうこんなものだらう。大阪の吉田(高級アダヨ)来り、渡辺と二人で五円やる。生駒と三・四月以後いよ/\劇界多事になる話をする、正に多事になると思ふ、愉快。

[#1字下げ]一月十三日(土曜)[#「一月十三日(土曜)」は中見出し]
 家で、伊馬鵜平にたのまれた、「レヴィウ オヴ レヴィウ」の原稿、「原秀子論」を三枚書いた。浅草へ来たがまだ早いので、常盤座の「キートンの麦酒王」をのぞく、二三場面見てつまらんと分ったので出て、松竹座の日本舞踊ばかりの「春のをどり」を見る、きれいだが、それっきり。一回終り、上海亭で食事した。今日はラク、夢声は本日より日劇でもうやってる、こっちを休み。二回終って、又松竹座へ行き、「中尉さんと花売娘」のおしまひの方を見る、弥次・掛声の盛なること驚くべく、三階で女の声、「ターキー/\」と言へば、又反対党が「ツサカ/\オリエ/\」と喧嘩だ。ハネ後「水戸黄門」の稽古、随分ハメを外した脚本だ。

[#1字下げ]一月十四日(日曜)[#「一月十四日(日曜)」は中見出し]
 今日十一時より稽古、尤も今日は、稽古休みせず、ひる稽古して夜は客を入れる。「黄門」の中には、渡辺篤と二人のアパッシュがある、大変なことになった。「黄門」をすまして、高島屋デパートから、福引の案をたのまれ一寸顔を出す、浅草へ帰ると四時、もう客を入れてゐる。大辻の「不如帰」、いやはや大したものだが、客は笑ってゐる。今日日曜でいつもならワン/\と客が立つところだが警視庁令とかで、定員以外一切まかりならぬとあって全く静粛、之を三日間食った館十何軒の由。「水戸黄門」ムザン、着変へも間に合はなかったり、穴があいたり大くさり。残って「レヴィウ艦隊」は稽古し直し。そのあと、菊田と大いに改良案を出す。

[#1字下げ]一月十五日(月曜)[#「一月十五日(月曜)」は中見出し]
 早目に出て、川口に、長谷川稔作の「レヴィウ艦隊」へ出るのはごめんかうむりたいと申し出る、プロに出てゐないし、長谷川って奴が事毎に気に入らないので尚更嫌だから。机を五円出して買った。鏡台の傍に置く、之で一寸気分よくなった。「水戸黄門」どうも面白くならない。二十日マゲ本でヴァライエティ台本を引受けた。今日夜の部は、警察との了解ついたらしく、客をすし詰にした、之で漸く大入つく。ハネ後、渡辺・生駒と僕、表から川口・東と五人で田圃の平埜へ。牛肉食ひ乍ら座をかためる相談をする。今日出る筈の金が出ないので驚いた。

[#1字下げ]一月十六日(火曜)[#「一月十六日(火曜)」は中見出し]
 今日はやぶいりで書入れ、午前九時開場。何うやら三のヴァラエティーは逃れて一本になったが、今日は三回アホられる。朝から体が辛い、昨日も一昨日も酒のまないのに、体中がコって/\たまらない。一回終って、アラスカの七階宴会場へ、近藤利兵衛商店の会で行く。二十五分やる(五十円)。二回目の「黄門」大向ふから「声帯模写じゃいけねえらしいな」といふ妙な声がかゝり気になる。兎に角、助さんて役が二枚目でゐて三枚目なのでヤリにくゝてしようがない、脚本がひどいものだし、くさる。金、今日出た。凡そ五十円以上、いろ/\なことでとられる。三回終る、何とも元気なくなる。

[#1字下げ]一月十七日(水曜)[#「一月十七日(水曜)」は中見出し]
 脚本がよくなくちゃ役者はみぢめなものだと、つく/″\思ふ。事務所へ寄って、次狂言の相談をする、春日・藤田・清洲・神田・花井で「モダン五人女」をヴァライエティー式にやってみようといふ考を持出す、菊田と計ることゝする。「黄門」一回終る、何とも憂鬱。理髪せんとて出かけると、何と三枚目、今日は何処も床屋は休み。
 鈴木俊夫今日来て、ポリドール吹込の約束をする筈のが来ない、菊田も姿を見せず。報知のニュース漫談をたのまれた。

[#1字下げ]一月十八日(木曜)[#「一月十八日(木曜)」は中見出し]
 昨夜飲み過ぎたゝめ起きるのゝ辛かったこと。十時から邦楽座で、マークス兄弟の「吾輩はカモである」Duck Soop の試写があるので行く。めちゃくちゃなナンセンスで、此処迄つひに来たか! と驚くべきもの、批評する気のしない画。ヤングで理髪して座へ出る。「黄門」楽でくさり芝居。サトウロクロー酔払って大辻に「浪子は悪趣味だ、よしなさい」と言ひ、大受け。青木繁も舞台でロレツ廻らず。夜の回は、青木酔ってつとまらずとあって、大部屋の小堀て奴が代役、之が又酔払ってゐて、醜態。

[#1字下げ]一月十九日(金曜)[#「一月十九日(金曜)」は中見出し]
 午前中、伊藤松雄訪問、一時まで何かと話す。座へ出て、川口と話をする、三月を一周年記念興行として、脚本募集をしようと決定。二月一の替りは「只野凡児」と「ディアボロ」、二の替りに「梅ごよみ」を行かうなどゝ話す。一回終る、雨ひどく外出もならず。ヴァラエティー「五人娘」菊田と相談しようと思ってるのが、来ない。鈴木俊夫も来る/\と嘘ばかり言ってゝ来ない。友田純一郎・山野一郎等来訪。

[#1字下げ]一月二十日(土曜)[#「一月二十日(土曜)」は中見出し]
 報知のニュース漫談の材料、楽屋にあるので早く来て、「吾輩はハチ公である」五枚書いた。「水戸黄門」相変らずくさり。一回終ったら、浜田捷彦来り、平埜へ肉を食ひに行く。菊田一夫の「続水戸黄門」は、もう五年前に出たら、客の三分の二が怒り、三分の一に受けたらうが、今日では、三分の二が喜び、三分の一が怒ってゐる。バカ/″\しさも兎に角一つの魅力なのだ。事務所で、「五人娘」の案を練る。大辻が明日あたり新年会をやらうと言ふ、皆あまり進まぬが、結局、むかし家あたりへのすことゝなる。ハネてから山野来り、一緒に家へ帰って、珍しや、家でオルドパーを飲む。

[#1字下げ]一月二十一日(日曜)[#「一月二十一日(日曜)」は中見出し]
 本日は一回目から中々入りはよし。一回終って、すぐ原稿紙に向ひ、プチ・レヴィウ「銀界に踊る」といふ三景もの十九枚書き上げた。二回目客ます/\入り、三ヶ日の景気。「水戸黄門」バカ/″\しいまゝに受けてゐるらしい。食事して、又もやアンマを呼ぶ。三回終り入浴。大道具の奴がドン/″\入って来るのできたなくて弱る。ハネ後、新年会、むかし家へ、川口・東を我々で招く。

[#1字下げ]一月二十二日(月曜)[#「一月二十二日(月曜)」は中見出し]
 早起きして、邦楽座へ、「会議は踊る」[#横組み]“Der Kongress Tants”[#横組み終わり]の試写会へ行く。早起きした甲斐ある、よきもの。歌は、白井鉄造が「ブケダムール」に使ったもの、よき主題歌。ウイリー・フリッチの芸に感心した。済んでサトウハチローに逢ひ、此の主題歌をハチローの訳したものを二月下旬ヴァラエティーでやらうと話す。座へ来て次狂言の1・2の脚本読む、共に感心せず。明日配役、それまでに又二本読まねばならず。バカに入りがいゝ。「いえ今日は河岸の公休で」なんて、何うしても川口、我らのせい[#「せい」に傍点]で入るとは言はぬ。

[#1字下げ]一月二十三日(火曜)[#「一月二十三日(火曜)」は中見出し]
 一回終ってすぐ表へ行き、配役する。僕は「只野凡児」の只野凡児と、「快賊|金剛五郎《デイアボロ》」の五郎の二役。この間書上げた「銀界に踊る」も三に据へ、渡辺・島等も出し、いゝものにすることにした。「凡児」と「五郎」の脚本読んだ、大したことないが「凡児」の方に興味あり。六時半の日比谷公会堂へ駈つける、慈恵大学の会で、福田の宗ちゃん等の伴奏附き、気持よくやる。アンコール盛、「モン・パゝ」を一とくさり歌ふ。それから築地明石町の「治作」へ一寸寄り、竹屋さんの馳走で水たきを食べた。急いで座へ帰り、二回目をやる。客大して来ず昨日はやっぱり河岸のせいかな。

[#1字下げ]一月二十四日(水曜)[#「一月二十四日(水曜)」は中見出し]
 午前中、東宝事務所へ行くと、今日から日比谷映画劇場の三階に移ったとあり、そっちへ行き秦豊吉氏と三月のことを話す、「あなたは高いといふ評判で弱ってる」などゝ言ってたが、値のことは兎に角出たいと直サイに言っとく。一回済ませて、生駒と二人で明治座へ行き、名を名乗って二階席へ入れて貰ふ。明治座第二「新家庭双六」から見る。こっちでやれるものかと思って見に行ったのだが、本もつまらず、田之助あまりにまづくて驚いた。第三「魚河岸の朝」金子洋文の作、新派代表物。井上と水谷の第二の「大尉の娘」だ。二十分の休憩に食事して帰り、二回目をやる。稽古は明後日から。

[#1字下げ]一月二十五日(木曜)[#「一月二十五日(木曜)」は中見出し]
 早く浅草へ出て、日本館へ入り、「ディアボロ」を見た。ローレル・ハーディーのうまさは大したものだが、ハル・ローチは所詮短篇喜劇の監督で、大物をこなす腕はない。音楽効果に、いろ/\参考になった。一回目をやってから、むしずしと、中西のソボロめしを食った。これから又一回「水戸黄門」をやるのかと思ふと気が重い。二回終ると、ぐったり、くだらぬ芝居は何うも労れる。山縣七郎来訪、生駒と三人でみやこへ行く。

[#1字下げ]一月二十六日(金曜)[#「一月二十六日(金曜)」は中見出し]
 十二時すぎに出て、内幸町の旬報へ寄り、スティルの新しいのを五六枚貰って来た。二時、大阪ビルレインボーで永井龍男と奥野何子嬢の結婚式あり。一寸ゐてすぐ失敬し、座へ来るとすぐ第一回の「黄門」。中根竜太郎事務所で怒られたとか言って、まるで舞台を投げる、個人の問題を舞台に持ち越す無礼者、こんなのは結局早くゐなくなって貰ひたい奴。二回目すみ、「人生勉強」十二時までかゝり、タップリ稽古して、労れた。今日の稽古は菊田も力を入れてゐるし、僕も色々指図したので相当面白いものになる自信がついた。

[#1字下げ]一月二十七日(土曜)[#「一月二十七日(土曜)」は中見出し]
 本日渡辺篤休み、大辻司郎に格さんを演らせる、やっぱり渡辺の味がいゝといふことを思ふ。どうも客は笑はぬ。本社の大久保氏に呼ばれて行く、正月の奮闘に対し、座員の慰労として金一封出る。川口・東に相談して適当に分配する。一回終って東と、松喜で食事。本日は「銀界に踊る」の立稽古、渡辺と島と春日が休みで困る。踊りと歌が主のもの故、まあ何うにか見られるものにはなりさう。

[#1字下げ]一月二十八日(日曜)[#「一月二十八日(日曜)」は中見出し]
 起きて入浴、食事して、又ごろっとなったらうと/\とした、こんな日、のう/\と一日寝ていたらいゝだらうと思ふ。昨日から右眼にモノモラヒが出来て重っ苦しくて困る。座へ来ると又渡辺休み、今日は大辻が逃げて島が格さんを演る。又々つまらず、段々笑はなくなる。日曜で入りもよし、此ういふ日に休まれちゃ全く困る。二回終り、すぐに山春の新年会へ顔出し、十円会費おさめてすぐ帰る、馬鹿な話。座へ帰ってすぐ又「金剛五郎」の稽古をする。大して面白くなさゝうだ。労れてすぐ帰る。

[#1字下げ]一月二十九日(月曜)[#「一月二十九日(月曜)」は中見出し]
 早く出たので「世界大洪水」を見に常盤座へ行く。大洪水のとこだけ見て出る。モノモラヒがまだ治り切らず、憂鬱だ。楽屋で「梅ごよみ」を読む、つまらなくて弱った、まるで創作して行かねばならぬ。一回二回共、気乗りせず。ハネ後、又「金剛五郎」の稽古。浅井栄二作曲のつまらんセレナーデを覚えさせられる。十二時までかゝって漸く稽古終る。

[#1字下げ]一月三十日(火曜)[#「一月三十日(火曜)」は中見出し]
 出がけに日本劇場へ寄り、チャップリンを見ようと行く。[#横組み]“City Lights”[#横組み終わり]を見る。あんまり期待してたせいか、少々期待外れ。ヴァジニア・チエリルってのが、エドナ・パヴィアンスだったら――と思ふ。ある場面は、キーストンへ復帰で感心しない。要するにチャップリンものとしては筋が持廻りすぎてゐる。然し、チャップリンの横顔見てたら何となく涙が出さうになった。座へ来る前、ハゲ天で食ったハシラのかき上げが悪かったらしく腹痛み、ひるの部ます/\気のりなし。夜の部は全然三枚目の顔をして、いろ/\ふざけた。楽屋には受けるが、出る人間がみな可笑しい顔してゐては反って客は笑はない。夜又々「只野凡児」の稽古。十二時。

[#1字下げ]一月三十一日(水曜)[#「一月三十一日(水曜)」は中見出し]
 本日稽古。早目に浅草へ来たので、オペラ館をのぞく。丸山和歌子の歌のみよし。田谷が一寸出た、きれいな声。あとの歌ひ手ひどし。次に万成座をのぞく、三亀松の声色、その演出段々枯れて来た。グランデッカールのレヴィウ「世界一周」お粗末なもの、澄川久、ひとり本格に歌ふ。「只野凡児」の稽古、三時すぎに始まる、先づ面白くなる自信ついた。次の「銀界に踊る」は、演出する。三省堂から衣裳を取りよせたので中々スマート。之も先づよからう。「金剛五郎」の幕あきは一寸凄い。終ったのが十一時。入浴して、さて之より家へ帰ってセリフをやらねばならぬ。右の眼のモノモラヒ全快。
 本日金が出た。
[#改段]

[#3字下げ]昭和九年二月[#「昭和九年二月」は大見出し]

[#1字下げ]二月一日(木曜)[#「二月一日(木曜)」は中見出し]
 二月興行本日初日。一回の終り頃には満員、一杯立った。一、二はあんまりパッとしないらしいが、三の「只野凡児」第一回としては頗る気持よく行った。セリフは珍しくすっかり入ってゐたのでいゝ。菊田の本もいゝが、此の役は僕自信あり。四の「銀界に踊る」は、見たいのだが、見る時間なし。之もスマートで、又相当笑ふ由。五、「金剛五郎」後半全然セリフが入ってゐないのだが、何うにか胡麻化した。幕が開けば閉るとは千古の名言だ。ひるの部終って、大阪屋のホワイトシチュウとハムエッグス、フランスパンで食事した。やがて夜の部、今回は休む暇が全く少い。

[#1字下げ]二月二日(金曜)[#「二月二日(金曜)」は中見出し]
 朝雨、しょぼ。ひるの終り頃は階下満員。ひるの「人生勉強」横尾がトチって穴があいたり、暗転がのびたり、実に気持よく行かなかった。「金剛五郎」は全く僕の役は書けてゐないのでやりやうがない。ひるの終る頃から、食事何にしようかと迷ふ。蒸しずしを食ふ。その後でシチュウとフランスパンを食った。夜の部。「人生」は当り芸と、評判よし。「金剛」は、たゞ衣裳が豪華なだけ、何うにも長すぎるらしい。菊田にカットをたのむ。ハネ後、銀座かもめへ、東宝の樋口来り、三月はカケ持でやることを話すため、月曜に東宝事務所へ行くことゝする。

[#1字下げ]二月三日(土曜)[#「二月三日(土曜)」は中見出し]
 起きて驚く銀世界。出がけ医院へ寄る。尿検査したが蛋白は無し、糖も少いさうで安心した。ひるの部の「人生」は随分僕としては脂濃くやってゐる。「金剛五郎」白塗りをトノコ朱銅入りに改めた。夜の部、わりによく入る。夜、又医院へ寄る。夜の部の「金剛」の幕開きで豆撒きをした。

[#1字下げ]二月四日(日曜)[#「二月四日(日曜)」は中見出し]
 午前中医院へ寄って出る。ひるの部の「人生」段々手に入って来るのでうける。「金剛」も昨日より一景カット、他セリフをうんと刈り込んだのでスピードが出てよくなった。「銀界に踊る」も好評だ。夜の部の「金剛五郎」の終ったのが七時四十分。熱七度三分、早く帰って寝たいと思ふが、夜更し癖がついてゐるので帰るのが辛い。
「金剛五郎」の最中、コーラス連をサトウがノシちまったといふ事件が起った。カーテン前の芝居をしてる時、次景のために待ってゐた娘の子達がガヤ/″\しゃべって芝居の邪魔になる。ロクローが注意したが、今日もガヤ/″\しゃべったので娘子の引込みを待って順々に、ロクローがゲンコツで頭をノシた。ノサれた中にはおとなしくしてた子もゐるのでシク/\泣き出し、田島辰夫の妹、港鶴子などは、兄に訴へる、田島は怒り、サトウと争ふといふさわぎがあった。その後始末を少しして帰る。

[#1字下げ]二月五日(月曜)[#「二月五日(月曜)」は中見出し]
 午前中、日比谷へ行き、東宝グリルで秦支配人と樋口とで三月のことを話す、六時から七時といふ時間で、カケ持することに大体定る。徳川・大辻も出ることになるらしい、向ふでは之をトリオと心得てるんだから困る。十二時半楽屋入り。ひるも夜も今日は実に客が悪くて、つまらんことを笑ひ、いゝとこを受ける頭が無いのでくさった。菊田の説によると、前週「不如帰」だの「水戸黄門」などゝ、馬鹿々々しいものばかり並べたので、インテリ客を今週は逃しちまったんだと言ふ。一理ある。帰りに医院へ寄る。大道具の一人が男子出生とあって金三円やる。

[#1字下げ]二月六日(火曜)[#「二月六日(火曜)」は中見出し]
 医院へ寄って出る、大分いゝらしい。此の分なら安心。事務所で川口と話す、東宝との問題、東宝で引抜きはしたものゝ始末に弱ってるらしい水久保澄子・逢初夢子の二人を、こっちへ借りようといふ話をすると大乗気。ひるの部「金剛五郎」のフィナーレの梯子がよく打ってないので落ちた、体の悪い時故吃驚した。注意しておく。菊田・東等と次週の相談。「坊ちゃん」が出るので、僕は一本にして貰ひ、「梅ごよみ」は誰か他の人にたのむことにする。夜終って、医院へ寄る。

[#1字下げ]二月七日(水曜)[#「二月七日(水曜)」は中見出し]
 医院へ寄る、段々快方らしいので安心する。一回終って、表へ呼ばれ、次狂言の配役を立ち合ふ。島耕二は次狂言から断はる由、ハラダ・コウゾウもなり。中根竜太郎も今月一杯でチョンの由、之で不純分子一掃、ます/\よくなるであらう。次週は「坊ちゃん」一本にして貰った。脚本も書きたいし、又静養もしたいので。夜、東坊城・畑本秋一等見物に来た由。終って、鏑木が風邪で倒れたので、大庭六郎を供に連れて、病院へ寄る。

[#1字下げ]二月八日(木曜)[#「二月八日(木曜)」は中見出し]
 今日、島耕二「新興へ定ったので名残惜しいが二の替りから休むよ」と言ふ、丁度東からはクビ話が出かゝってゐる折柄、うまく話が運んだらしくてよかった。ハラダの方も今日クビの申渡しがあった筈、本人大分悄気らしい。出がけに病院へ寄った。快方らしい。次狂言の「坊ちゃん」台本来る。まあ/\ってとこ、来週は、これ一本だから少し気を入れてやらう。

[#1字下げ]二月九日(金曜)[#「二月九日(金曜)」は中見出し]
 出がけに病院へ寄る、どうもまだいけないらしい、憂鬱である。一回終って、次狂言の宣伝文句を書く。クリームドチキンで飯を食って、すぐ夜の部だ。つく/″\労れる。夜の「人生」子役の遠藤英一に「先生、ボケてますよ」と言はれる。夜の部終り、大庭を連れて病院へ寄り、帰る。

[#1字下げ]二月十日(土曜)[#「二月十日(土曜)」は中見出し]
 病院へ寄り、座へ出る。渡辺篤とサトウロクローの二人が休んじまった、「人生勉強」も代役が多くて弱ったが、「金剛五郎」と来ては全くひどいことになった、渡辺の役を横尾泥海男、サトウの役を田島がやり、しどろもどろで何うやら終った。土曜で客もいゝのに弱ったもの。一回終って、中西のソボロ。今日はハネ後カケ持あり、朝日講堂へ、西村小楽天・渡辺遊声の兄弟会といふのへ、遊声は生駒の弟子なので義理で行く。トリ二十分やる(20[#「20」は縦中横])。

[#1字下げ]二月十一日(日曜)[#「二月十一日(日曜)」は中見出し]
 日曜だから十時半あき。早目に出て病院へ寄る、まだハッキリしない。一回終る頃、森岩雄氏来り、中清で川口・森と三人で、今後東宝と笑の王国の連絡は、やっぱり森氏がやって呉れるといふことに定る。二回目終る頃、樋口正美来訪、東宝との間をうまく行かせるために、十九日頃、秦豊吉等と川口とを会はせることにしようと定める。

[#1字下げ]二月十二日(月曜)[#「二月十二日(月曜)」は中見出し]
 今朝は早起きして、お灸の先生のとこへ寄った、五日ばかり続けてすえれば屹度よくなると言ふ、今日は流石に入り悪し。然しエノケンの方よりいゝとか。ひるの部終って、日比谷公会堂へ、近藤利兵衛商店主催PCLの「踊子日記」試写会のトップを切って、十五分やる(50[#「50」は縦中横])。すぐ引返し、「人生」をやる。客が入ってないとオナラが出たくなったりクシャミが出かゝったりしてダレる。それに近来ピッタリ酒を飲まぬので神経ピリ/\してくだらぬ事が気になっていけない。ハネ後、三階で「坊ちゃん」の稽古、脚本がつまらないのでくさる。

[#1字下げ]二月十三日(火曜)[#「二月十三日(火曜)」は中見出し]
 午前お灸へ寄る、大分具合よろし、安心。一回目、ラクにしてはいゝ方の入り。客よく、よく笑ふ。「人生」が済むと、東喜代駒来り、ひるを終ったらすぐに公会堂へ出て呉れと言ふ。六時開会を二十分早めて貰ひ、キッチリまでやり又すぐ引返す(25[#「25」は縦中横])。夜の部終ると、新興へ定った島耕二、クビになったハラダ・コウゾウ等「永々お世話に」と挨拶に来る。島の方はいゝが、ハラダの方はイヤーな気がする、五円やる。

[#1字下げ]二月十四日(水曜)[#「二月十四日(水曜)」は中見出し]
 出がけにお灸。「坊ちゃん」何うも自信が無い。笑はせる個所がないやうな気がする。セリフも三・四景あたり以後は全く入ってないので不安。稽古してからツナシマへ行って理髪、モリナガで食事して、座へ帰った。本日金が出た。「坊ちゃん」やってみると、やっぱりいゝ筈はない。が、ひどくもなし。山野が見てゝ、兎に角エノケンのよりはいゝよと言ふ。

[#1字下げ]二月十五日(木曜)[#「二月十五日(木曜)」は中見出し]
 今日は十五日だからといふので十時半開き。座へ来てみると、割に入ってる。「坊ちゃん」大分体を動かすので草臥れる。あんまり受けもしないが、大して悪くもないらしい。ひるの部終るとすぐ内幸町へ、レインボーグリルの文藝春秋祭へ行く。いろんな人に逢ふ、小林一三・雲野かよ子等もゐる。五時半から声帯模写少々やる。急いで座へ引返す。十五日だから相当入りがある。

[#1字下げ]二月十六日(金曜)[#「二月十六日(金曜)」は中見出し]
 出がけに早稲田の中野実氏宅を訪問。脚本の話、芝居の話をする。「梅ごよみ」の丹次郎のよきアイデア(一生に一度失恋してみたいといふ心理)を貰った。辞して浅草へ。表へエノケン来り、立話してゐると人がたかる。ひるの部、「坊ちゃん」の暗転の時、大道具のセイ公て奴が、ジョーシキをパッと打つけて、「マゴ/″\するな」と言った、今度は道具方も急しいのだから――と我慢してたが、会田にセイ公が「ボヤ/″\しねえやうに注意しとけ」と言ったときいてムッとして、シャツに浴衣ひっかけて「おい君か、俺にボヤ/″\するなと言ったのは!」とどなり込むと、セイ公いきり立って、トンカチを持ち「ロッパが何でえ!」とさわぐ。此ういふ風では困るから東を中へ立てゝよく注意させ、セイ公にあやまらせた。おかげで十円ばかりすしと酒を買はされる。一回終って、レインボーの「只野凡児」出版記念会へ出席。

[#1字下げ]二月十七日(土曜)[#「二月十七日(土曜)」は中見出し]
 午前十時新宿駅楼上で森岩雄氏と東宝と掛持問題につき話す、東宝は虫が好すぎるから高飛車におやんなさいとすゝめられる。大勝館の「唄へ踊れ」[#横組み]“Too much Harmony”[#横組み終わり]は期待外れ。セニョリタ・ヴァニタの踊り二つも感心せず。座へ来て、三の「凸凹レヴィウ団」の幕開きを見て、いさゝか寒くなった、エライ芝居をやってゐる。ひるの部済んで、新京へ行って支那食を食ひ、サリーで茶をのんで帰る。よるの部終ったのが九時四十五分。
 伊馬鵜平(レヴィウ雑誌を出すのをやめたとて、わざ/″\原稿を返しに来、礼に原稿紙一冊置いて行った、いゝ奴だ。)

[#1字下げ]二月十八日(日曜)[#「二月十八日(日曜)」は中見出し]
 今日は日曜で十時十分開き。ひるの部終ると、新派の花和幸一が梅田重朝の倅といふのを連れて来て、此の劇団に入りたいと言ふ。見たとこ、さう悪くなくモボ。それから又、本郷の生野とかいふ婆さんが、僕の妹のお染さんは何うしてるかときく、さっぱり分らぬまゝに帰った。お染ってのは芸者だってからひどい。浜尾四郎の紹介で関川といふ青年来る、映画俳優志願。加藤雄策と一党来り、飯食ひに平埜へ行き、タラフク肉を食った。今夜は二回半だから、七時一寸すぎに体があいた。やれ/\。

[#1字下げ]二月十九日(月曜)[#「二月十九日(月曜)」は中見出し]
 今暁四時すぎにねたので十二時すぎまでねた。昨夜来えらい風で看板など吹飛ばされたところ多し。意外にも大入りだ。「坊ちゃん」は割に好評。ひるの部終って銀座へ出て、病院へ寄り、オリムピックで食事、日劇に山野、邦楽座へ肥後を訪れなどして帰る。東宝の島村竜三来り、「東宝もノンビリしすぎて困る」と言ってた。全くノンキだ、もう十九日といふのに何等正式に申込みが無い。一寸いやんなる。公園のベッ甲屋の大親分を殺した中村直考といふのが三月九・十日観音へ出て呉れと言って来た。ハネてから、東・山野と逢ひ、三月より山野加入のことにつき色々話す。

[#1字下げ]二月二十日(火曜)[#「二月二十日(火曜)」は中見出し]
 十一時起き。お灸据えて、二時すぎ座へ来てみると、意外に入ってゐる。ひるの部から景気よくどよめく。一回済んで表へ行き、三月からの連名を苦労して作る。大庭六郎を準幹部どこに昇進させたり、中々むづかしい。それから鳥鍋へ行って夕食し、帰って一休み。神田俊二の紹介で、日活にゐたといふ喜劇俳優が志願に来た。読売の夕刊に、「坊ちゃん」の評、大体よろし。

[#1字下げ]二月二十一日(水曜)[#「二月二十一日(水曜)」は中見出し]
 早く出て、東宝事務所へ、あんまり何も言って来ないから、こっちから秦豊吉を訪れた。劇場の方にゐるといふので行くと、舞台で、自転車競争の稽古をやらせて、人を待たせた切りだ、ムカ/\して、よっぽど帰ってしまはうかと思ったが我慢した。もうすっかり出るものと頭から定めてかゝり、うちの事情など少しも分らぬらしい、秦って奴のゐる間は、東宝はダメだ、と思った。座へ来てみると、川口と東は、丁度僕が東宝にゐる時間に、砧のP・C・Lへ森岩雄を訪れて、常盤興行並に金龍館笑の王国の立場として、今日に至るまで東宝の方から正式な挨拶が無いから、古川を貸すことはお断りしたいと、森を通じて東宝へ言ったのださうだ。すると森氏もそれは御尤も、実は秦があんまり分らず、P・C・Lの俳優も一切貸さないことにしたと言ってたさうだ。で、その足で、川口は松竹本社へ行って、大谷社長と逢ひ、「ロッパも東宝へ行くさうだな」と言はれ、「いや、ロッパも劇団のためを思ひ、結局断はることにしました。」と言ったさうだ。すると、大谷社長大満悦で「気に入った。一つロッパの面倒見てやらう。」と言ったさうで、川口も「何うです、何が幸せになるか、すっかり大谷さんに認められましたぜ。」と笑ふ。今夜は必ず来ると言った秦来らず、森氏から何とか言ったらしい。
 本日も相当の入り。

[#1字下げ]二月二十二日(木曜)[#「二月二十二日(木曜)」は中見出し]
 昨夜二時半に帰り、寝床の中で、「話」の原稿を書き出した、ペラ三十枚書いたら、ねちまった。午前八時すぎ、東宝の秦だと言ふから、しようがなしに起きて、不機嫌のまんま話し出すと、交換女の声で「午前中にこちらの樋口さんが伺ひますから」と言ふ。すべて秦のやり方は此の式の無礼なのだ。ツイデに起きちまひ、ペラ十枚書いて、漸く四十枚にまとめて「浅草裏おもて」として届けさせる。十時半、樋口来り、結局出て貰はなくてはならないと言ふ。では、やっぱり森氏を煩はして今夜にも川口・東に会って貰ひたいと話して帰す。ところが本日何の音沙汰もなし。フンガイ。

[#1字下げ]二月二十三日(金曜)[#「二月二十三日(金曜)」は中見出し]
 本日午前中鏑木を東宝へつかはし、何の返事なきは何事ぞと言はせようとしたところ、樋口がゐないで、秦に会ひ、「古川君がいくら言っても川口等がダメと言ふんなら行ってもムダだ。小林さんには、ひょっとすると古川はダメらしいと言っとく。」なんて言った由。何うもシャクであるから明日森氏に逢ひたい旨電話した。ひるを終るとすぐ、明治座へかけつけ、「仇吉と米八」を見た。伊井友三郎の丹次郎が貧弱なので見てゐられない。本も無理が多くていけない。夜の部をやって又すぐ明治へ行き、「復活」のしまひの方二幕見る。梅島のうまいこと今更の如く感じる。

[#1字下げ]二月二十四日(土曜)[#「二月二十四日(土曜)」は中見出し]
 一時A1で森氏に逢い、秦の不法なることを話す、「今回のことは兎も角として小林さんに妙に思はれてはいかんから行ってらっしゃい。」と言はれ、東電本社へ小林さんを訪ねると、「今朝秦が来て、古川の方は座頭のカケ持はいかんと断られました、と報告があったよ。」とのこと。いやそれはさうだが、了解さえ得て下されば、何うにかなるものを秦氏は一度も顔を出して呉れないので、僕は出たいのに此ういふ結果になったのだ、と話して辞す。二時公会堂で「ウテナ」の会。「複式漫談」てのを、声帯模写を山野一郎をあしらってやってみた、之はブッツケにしては大受け。研究の余地大いにあり。夜は、青山青年館に徳川夢声の代りに一寸出て、又公会堂へ行き、又金龍へ帰り、「坊ちゃん」やって、「サクラ・ニッポン」の稽古を十二時までやった。おゝしんど。

[#1字下げ]二月二十五日(日曜)[#「二月二十五日(日曜)」は中見出し]
 午前中伊藤松雄氏訪問。ニットーへ又吹込み、何かいゝ案を練って置かうと約す。ひるの部終って、山縣七郎来訪、丁度新宿伊勢丹ホールのオザあり、そこへ一緒に行く。一席やって(25[#「25」は縦中横])、三福食料デパートで、ビフテキとすしを食って、浅草へ帰り、よるの部をやる。今日は、川口・東・菊田・渡辺・生駒と僕の例会、第一回をやる。
 本日楽屋廊下に左の貼出しが出た。
     *
 古川緑波氏の東宝劇場出演の噂あるも、右は同氏の専属劇団「笑の王国」に対する自己の営業上の節操観念に基き、同氏として自発的にその出演交渉を拒絶せり。
 右真相を報告す。[#地付き]川口三郎

[#1字下げ]二月二十六日(月曜)[#「二月二十六日(月曜)」は中見出し]
 本日早く浅草へ来て、川口と三月二の替りのことなど話す、「西遊記」をやり、もう一つは何か僕が書かうなどゝ引受けたが、考へてみると四日締切、一寸ムリだな。「坊ちゃん」中根が昨日と今日続けてトチリ穴をあける、しゃくにさはって芝居に身が入らぬ。「日刊キネマ」の前沢来り、五枚書かされちまった。東が来て、次狂言宣伝のウタヒを書かされ、ゲンナリする。夜の部終って、レコードかけて「巴里祭」の歌を稽古し、それから三階で新撰組の立げいこ。どうも面白くなさゝうなので弱った。

[#1字下げ]二月二十七日(火曜)[#「二月二十七日(火曜)」は中見出し]
 今日朝刊「都新聞」に、緑波男を挙げる――の標題で東宝入りを断はったことが出てゐる。一時にオリムピックで大辻が会ひたいと言ふので行く、大辻は大分傾勢が変ってゐるので面喰ったらしい。ひるの部大いにダレる。レコードをかけて「巴里祭」の歌を覚へたり「江戸役者」を読んだりしてるうちに、ちゃんと時間になっちまふ。明日より山野が僕の抱き子として此の部屋へ入る、せまくなり寝転べなくなるのは往生だが、又可笑しくなるだらう。夜の部は、大分ふざけて、可笑しくて弱った。

[#1字下げ]二月二十八日(水曜)[#「二月二十八日(水曜)」は中見出し]
 九時すぎに起きて入浴し、すぐに浅草へ向ふ。本日十一時より舞台稽古。川口に会ふと今朝秦が大辻と一緒に来た由。川口曰く、「怒っちゃいけませんよ、大辻はその時、乃公あロッパと違って売り込みをしたんじゃないからなアと言ひましたよ。」大辻はカゲへ廻れば何を言ふ奴か分らない。稽古はかなり手間どる。「サクラニッポン」は装置に金をかけて、金龍としては初めての豪華版。女の子が背景のドロップで天井から下りる、辛からうと思ふ。「われらが新撰組」にかゝったのが九時近い、たっぷりおそくなりさうだ。どうも一向面白くないらしいので、弱る。
[#改段]

[#3字下げ]昭和九年三月[#「昭和九年三月」は大見出し]

[#1字下げ]三月一日(木曜)[#「三月一日(木曜)」は中見出し]
 昨夜久しぶり少々飲みすぎたので頭痛む。テーリンのむ。初日で十時半開きだから、早目に出る。あまりツッカケがよくないので川口機嫌よくない、現金な人だ。今度は狂言が皆長い、「さくら音頭」先づ無事に終る。フィナーレは大豪華で一寸驚かす。「新撰組」は皆セリフが入ってないので、パッとしなかった。山野一郎今日から部屋にゐる、馬鹿話をすると此の位面白い奴はゐない。夕食大阪屋のホワイトシチュウとハヤシライス。「サクラ」の方も「新撰組」の方も、ちっとも演どころが無いし、至極らくはらくだがパッとしないのでつまらない。

[#1字下げ]三月二日(金曜)[#「三月二日(金曜)」は中見出し]
 狂言が長いので今日も十時半開きだ。「サクラニッポン」の始まり頃は一向客が入らない、山野をからかって「お前が入ったせいだ」と言ふと、「いや全くそれがあるかも知れねえ」と言ふ。「サクラ」は何うもつまらん。「新撰」は更につまらん。此の半月は憂鬱だ。一回終って食事、カツめし。夜の部、客がやっぱり悪い。ハネてから、山野・生駒と甲子郎おでんやで色々話す。結局狂言が悪い、並べ方がいけないってことになる。いくら人気のある劇団でも、少しも気がゆるせぬところがこはい。
 邦枝完二の「江戸役者」を読み上げた。近頃のよき読物であった。八代目市川団十郎の心境まことによし。邦枝の創作、その創意もよし、又プロットが大時代で結構。

[#1字下げ]三月三日(土曜)[#「三月三日(土曜)」は中見出し]
 今日は三日目で節句の土曜といふのに何うも感心した入りでない。つく/″\思ふに今週は、「笑の王国」らしい特徴が少しもないせいだらうと思った。「さくら音頭」みたいなヴァラエティー物にかける大道具の費用を、そっくり原作にかけるべきだと思ふ。川口のとこへ行き、「さくら音頭」を次週へくり越すことは大反対、その代りに非豪華版のヴァラエティーを書かうと言ふ。松喜へ東と行って牛肉食ひ乍ら、脚本のいゝのを集めようと話す。夜の部も大ダレだ。今度の役は二つ共何うにもやりやうがない。

[#1字下げ]三月四日(日曜)[#「三月四日(日曜)」は中見出し]
 三月第一日曜としては思はしからざる入りだ。エノケンの方や大江美智子の出てる公園劇場あたりがワンサ/\の入りで、こっちが悪いのは何ういふものか、全く大辻なんかの人気は無いといふことが分る。舞台でも大辻大アセリ、一々ウケやう/\としてるのが見苦しい。大辻にきくと東宝は客は入ってるらしいが、秦の作「さくら音頭」がひどいものらしく、てんで笑はせないさうだから愉快だ。一回の終る頃は何うにかいつもの第一日曜並の入りになった。四時、市公会堂へ、第一高女の会へ出演、二十分やり、すぐ引返した。日劇・東宝あの辺一帯の人出は大したものだ。夜の部、相当な満員。大入つく。

[#1字下げ]三月五日(月曜)[#「三月五日(月曜)」は中見出し]
 観音様へ参詣し、本屋へ吉川英治の「金忠輔」を注文して、座へ来ると、今日サトウロクロー休み、「サクラ日本」の役は堀井が代る。誰がやっても同じやうな役、僕も九日には一回休んでマーカス・ショウを川口と見に行く約束になってゐる。入りは何うもパッとしない。中川(山春)に五円、又いろ/\なアダヨ来り憂鬱である。一回終って、ワンタンめんと蒸しずしを食ひ、堀井英一を呼んで次のヴァラエティーの相談する、書くと引受けはしたものゝハヤ苦しい。夜の部、大辻ます/\邪演す。ハネ後鈴木重三郎来り、山野・渡辺・生駒等にて甲子郎おでんへ行く。のんでしまっては今夜は書けない。

[#1字下げ]三月六日(火曜)[#「三月六日(火曜)」は中見出し]
 サトウロクローの口がくさかった、きいてみたら大蒜を食ってるんだそうだ。一回終ってすぐ堀井英一と二人で東宝へ行かうと出かける。五十銭席満員なので名乗って入る。「さくら音頭」が始まる。見て驚いた。脚本も悪すぎるが演出がひどい。結局、徳川・大辻あたりの立場はムザン。徳山※[#「王+二点しんにょうの連」、第3水準1-88-24]一人光ってゐる。伏見信子ってのはいゝ女優だ。引張って来たい粉だ。夜の部。東宝あたりであんなひどいものやってるのかと思へば、反ってやりよくなった。可笑しなものだ。いろ/\出銭多く小遣ひ少し弱る。

[#1字下げ]三月七日(水曜)[#「三月七日(水曜)」は中見出し]
 ひるの部、大辻何の芝居もめちゃ/\をやる、まるでセリフを言はない。ニヤ/\笑って立ってたり、兎に角一人で受けよう/\としてる、此奴が大崎のセリフを蔭できいてゝ「しっかりした演出者がゐないと困るね」は大笑ひだった。ひる終って、川口・東・菊田、今度入った文芸部の貴島で、四月の案を練る。僕の案で「鍋島の猫」之を菊田に「われらが猫騒動」として書かせ、僕はレヴィウ「芝居の世の中」を書くことを約した。猫は、中に「瀕死の猫」なるバレーを入れる等ギャグ多し。夜の部終って、銀座へ出た。
 森岩雄氏へ久々で手紙書いた。森氏だけは頼れる人だ。

[#1字下げ]三月八日(木曜)[#「三月八日(木曜)」は中見出し]
 早目に座へ来て、次狂言の脚本を読む、貴島の「われらが三家庭」と、津村京村の「吾輩はヒゲ」二つともひどいもので、すっかりくさった。ます/\よき脚本を自ら立って書かうと決心する。ひるの部、いつもの通りくさりつゝやる。渡辺篤休み。大切な役の時よく休む、困った人だ。ひる終って表へ行き、配役をする。四に据へたオンパレード物の寸劇に一つと、「西遊記」の三蔵と二つ役をとる。「三家庭」は逃げた。
 放送局より話あり二十三日に、公会堂から中継で模写をやる。原稿依頼その他仕事多し、有がたい、片ッぱしから片付けたし。

[#1字下げ]三月九日(金曜)[#「三月九日(金曜)」は中見出し]
 座へ行くと、今日は警視庁から台本を見比べて出張員沢山あり、一同ビク/″\でやる。大辻などおびえちまってまるでセリフが言へない。「日頃の心がけが悪いからな。いつも作者の領域を犯してる奴だから。」と言ってやった。比ういふ[#「比ういふ」はママ]時はこっちは反って気持よくやれる。ひるを終って、観音劇場へ、中村の親分への義理で出演。楽屋で「キング」に娯楽頁物六枚書いた。大いに働け/\。

[#1字下げ]三月十日(土曜)[#「三月十日(土曜)」は中見出し]
 今日第一回を休演、川口・東と鏑木とで日本劇場へ、マーカス・ショオを見に行く。人数沢山で賑かではあるが同じやうなものゝ繰返しばかりだ。感心するものなし。終って川口等とオリンピックへ寄り、栄ずしでひらめ食って浅草へ。夜の部だけ出る。一回でも休むと気が抜ける。報知へ四枚半、やつつけ乍らニュース漫談を書いた。ハネるとすぐ円タクで日本青年館へ行く。「名犬ハチ公の夕」で、トリに漫談る。昨夜あたりより咳が出る。

[#1字下げ]三月十一日(日曜)[#「三月十一日(日曜)」は中見出し]
 今日は日曜だから早い。ひる終って咽喉は悪し、肩は凝るので、按摩をとる。「芝居の世の中」第一景の考へがついたが、総体の荒筋が立たなくて困る。夜の部も一向気のりせぬまゝに終る。今日は日曜だが、いつもの土曜位の入りだ。九時すぎ終って菊田と友田純一郎とでみやこでウイスキをのみつゝ色々話す。それから、歌の稽古で座へ来て、少しゐて帰る。

[#1字下げ]三月十二日(月曜)[#「三月十二日(月曜)」は中見出し]
 昨夜来風邪気味、ダるくて、休みたい位。芝居がつまらないせいもあるが、休みたくなるなんど、此の商売に馴れすぎたか。座へ来て「サクラ日本」だけやり、「新撰組」は中根に代って貰ふことにした。部屋へねころんで、みたが、寒くて気持が悪いから、逆に雪みたいなのゝ降る中を、生駒と松喜へ牛肉食ひに行く。帰りに森永でコゝアとショートケーキ。山野がゐると可笑しいこと多し。女優部屋へヤタラ行ってねころぶくせがある、やっぱり大物になれぬ奴だ。夜の部「サクラ」の途中で停電、一時休み。二十分たつとパッと来たのでやる。咳出て苦しい、「新撰」は夜も中根に代らした。明日は休んで本を書きたい。何しろ今夜はけいこ、雪がジャン/″\だし。

[#1字下げ]三月十三日(火曜)[#「三月十三日(火曜)」は中見出し]
 今日は一日芝居を休むことにした。で、兎に角先づねろとばかり、昨夜一時半から午後一時半までねた。それからプランを練って、「芝居の世の中」を書き出した。床をとって腹ん這ひに寝て書いたり、起きて机で書いたり、夕方までに八景の予定が三景まで行かぬ。近頃こんなに苦労した本はない。夕食、すきやきをした。座へ電話して大庭六郎を呼び、傍にゐさせて、どん/″\書く。大庭も寝かして、「芝居の世の中」全七十枚書き終ったのが三時。表紙まで書いて、場割と配役まで書いて、手首きり/\と痛めど、下戸の知らねえいゝ心持だ。

[#1字下げ]三月十四日(水曜)[#「三月十四日(水曜)」は中見出し]
 昨夜書き上げてねたが、夢ばかり見て休まらぬ眠り。十時半に起こされ、大庭六郎等同道浅草へ。「芝居の世の中」の出来たのが嬉しくて、今日の稽古初日の方は、うはの空だ。座へ来て、「芝居の世の中」を研成社へ廻す。「西遊記」の稽古終ったのがもう六時なので、今日は一・二・五だけ出ることになる。四の「凸凹展覧会」は、まだ稽古もしてないので今夜残るらしい。「西遊記」てんでセリフ入らず、歌知らず、「幕があきゃあしまる」とはいふものゝ全くいかぬ。でも今狂言、思った程つまらなくはなさゝうだ。

[#1字下げ]三月十五日(木曜)[#「三月十五日(木曜)」は中見出し]
 四の「凸凹展覧会」今日始めて出る。審査員といふ役だが、てんで受けないのでくさる。三蔵の方も昨日よりはましといふ位の出来だ。客は割に入ってゐる。狂言は悪いんだが、何うも分らぬものなり。ひるの部終って、カシオペヤからシチュウとカツレツとめしをとる。丸山夢路が上海へ行くと別れを告げに来た。ねころんで「文芸」を読む。川口松太郎の「直木三十五ものがたり」がいゝ。谷幹一が宝田といふ人と来て、ハネ後帝国ホテルで飲む。マーカス・ショウのエルマー・コーディ他いろんな芸人達と飲み面白かった。

[#1字下げ]三月十六日(金曜)[#「三月十六日(金曜)」は中見出し]
 ひるの部、「凸凹展覧会」の中の一幕、審査員のつまらなさ、横尾泥海男も大ぐさり、全く今週のくさりだ。「西遊記」は、モタレ役だから今日のやうに宿酔気味の日などアクビが出て困る。徳川夢声の紹介状を持って、指圧治療法の浪越といふ人が来たから、早速やらせる、一時間余りやって、参円とられたのは参った。山野本日ひる丸トチリす、困る奴。食事は大阪屋ハヤシライスとホワイトシチュウ。

[#1字下げ]三月十七日(土曜)[#「三月十七日(土曜)」は中見出し]
 午前八時頃宅へ警視庁の人が来て「麻雀のことで一寸」と言った由、新聞に菊池寛以下蒲田の女優連が麻雀賭博でアゲられてると出てるからこの事であらうが、もう僕は時効ものと分ってるからいくら調べられても平気だ。ひるの「西遊記」終るとすぐ東・鏑木と共に代役を立てゝ貰ふことゝし、警視庁へ向ふ。いろ/\調べられたが何しろ二三年以前のことなので、「随分昔はやりましたが、役者になってからはキレイにやめました」と述べた。向ふは「ウソつけ」とか何とか言ったが結局、時効で問題にならず九時十五分釈放。玄関口でパッパッと新聞社のフラッシュを浴びた、これが何う新聞に出るのか、頗る心配。

[#1字下げ]三月十八日(日曜)[#「三月十八日(日曜)」は中見出し]
 起きてすぐ新聞を見る。時効で釈放と伝へてゐる。ま、大したこともないが、いくらか宣伝になるだらう。ひるが終るとすぐ、紺野守夫と二人で生駒雷遊の家へピアノがあるから明朝吹込みの、明治キャラメルの歌「僕は天下の人気もの」を習ひに行く。大てい大丈夫と見込つけて、辞し、松喜で紺野と肉を食った。昨日は中根が三蔵の代役、「麻雀のことならしょうがない、わしがやりませう」と言った由。今日は順が狂ひ、二回と二でとり、九時前に身体があいた。林寛が寺島雄作といふ役者連れて来り、(中野実の紹介状あり)入座の希望。二十日の朝、中野実氏のとこへ行く約束する。

[#1字下げ]三月十九日(月曜)[#「三月十九日(月曜)」は中見出し]
 午前八時半起き、ゆふべアダリン四錠のんだのでまだフラ/\。十時に青山のポリドールへ行く。二回歌って、三回目のは本盤。出がうまく行かなかったやうな気がするが、O・Kなら早く帰らうと浅草へ。此の分、広告だからもっとうんと取りたかったのだが鈴木俊夫が仲へ入ったので(50[#「50」は縦中横])しかとれず。浅草で理髪し、ひるの部終って中西でランチを食ひ、青山師範の雨天体操場へ、卒業生の送別会で六時から一席(20[#「20」は縦中横])。学生のことゝて大受け。帰ると、福田宗吉来り、二十二・三日の仕事のことを打ち合せる。これから此の四五日つゞけさまにオザあり。シーズンが来たと見える、あまりムチャをせず、声を養生しよう。

[#1字下げ]三月二十日(火曜)[#「三月二十日(火曜)」は中見出し]
 早く出て早稲田の中野実氏宅へ。話は寺島雄作をうちへ入れること。中野が二三日うち座へ来て川口に話することに定めた。「道化師」その他二篇、中野の古い脚本を借りて来た。座へ来て、又、くさり芝居。かにや大道具の若大将といふのが、先日の「坊ちゃん」の時の大道具の無礼を、おそまき乍らとあやまりに来た。ひる終って表へ行き、狂言をきめる。「鍋島の猫」をトリに据えて、四本立て。「芝居の世の中」を三に据えることゝした。それから朝日講堂へ、国民芸術観賞[#「観賞」に「ママ」の注記]の夕てのへ出る(15[#「15」は縦中横])。よるの部終って、向島の夕立荘へ、大辻と二人、矢井乾電池の若旦那てものに馳走になりに行く。

[#1字下げ]三月二十一日(水曜)[#「三月二十一日(水曜)」は中見出し]
 大変な風それに雨だ。ビュー/″\って音だ。でも祭日のことゝて、早く出かける。浅草も流石にあんまり人が出てゐない。ポカ/°\あったかいし、三蔵法師は大汗だ。ひる終ってすぐ朝日講堂へかけつけて、一席やる。此の嵐に祟られてか入り少し。済んで七階の食堂で食事。麻生豊・山内光等に逢った。まだ風やまず、ビュー/″\言ってる。座へ帰ると、今日は嵐だから八時半バネってことになり、ハネてからすぐ朝日講堂へ又かけつけて一席(45[#「45」は縦中横])。夜も入りがない。こゝをすませて銀座へ出た。

[#1字下げ]三月二十二日(木曜)[#「三月二十二日(木曜)」は中見出し]
 ひるの部終って表へ行き、狂言の相談。やっぱり五本立にして、四に「芝居の世の中」を据えることゝした。五時半に工業倶楽部へ、放送局の九周年何とかの会てのへ行く。福田宗吉以下五人ばかりの伴奏。しまひに天勝の声帯模写封切した。之が自分でも驚く程よく出来た。明日は公会堂で同じ会あり、之に出て第二放送に中継となる。座へ帰り、脇屋氏に「佐野次郎左衛門」の本をたのむ。菊田の「鍋島」が漸く出来た由。又、大詰までつかまるさうで、時間をつかまることに於て一寸くさる。

[#1字下げ]三月二十三日(金曜)[#「三月二十三日(金曜)」は中見出し]
 午前十一時起き、今日放送が芝居の方と何うしてもツくので、ひるは休むことゝし、一時頃家を出て、公会堂へ(70[#「70」は縦中横])。放送局聴衆七十万記念の会、舞台で放送室をかざり、そのまゝを見せる。三時半近くから二十分やる。おしまひの天勝のうまさは自分で感心した。すんですぐ浅草へ帰り、森永で食事し、表へ行って、役割をする。「芝居の世の中」は、すっかり僕の予定通り定る。「鍋島」は光茂公といふ殿様。六時から、熊天にたのまれたムザンなオザ、朝日講堂へ(15[#「15」は縦中横])、トップで一席やり、すぐ帰った。よるの部済んでから、例会で、今回は渡辺篤が幹事、上野の翠松園へ行く。大した話なし。

[#1字下げ]三月二十四日(土曜)[#「三月二十四日(土曜)」は中見出し]
 午前中雑司ヶ谷の墓参りをして母上と共に浅草へ。昨夜稽古で女の子等の残ってるとこへ暴力団の奴が来て、あばれ、紺野がノサれて血を出すやら大さわぎで、結局巡査が来て連れて行った由。浅草ってとこはいやだな。ひるの部終ってすぐ東京会館のオザ(40[#「40」は縦中横])。日比谷平左衛門未亡人の八十の祝とかで、阿部のダヨ伯母だのその他親類がゐるし、やりにくゝて弱った。僕の他花柳喜美。大阪の三益愛子より電報、四月から出たいと言って来た、表でも皆賛成なので、すぐ来いと返電させる。

[#1字下げ]三月二十五日(日曜)[#「三月二十五日(日曜)」は中見出し]
 今日日曜、十時開きだから早く出る。入りは相当。ひるの部終ってすぐ、女子職業学校富士見町へ行く(30[#「30」は縦中横])。女学生ばかり、あんまり笑ふので笑ひを待つ間、随分のびる。すむとサイン攻め。さう悪い気持ではない。三益愛子から電報「〇二五〇イイカ ヨケレバ スグオクレ」月給二百五十円の意味だらうが、之では一寸話にならぬ。表でも百五十円迄ならいゝが、それでは困ると言ふ。手紙出してみよう。夜の部すんだのが八時半、東とカブを先日の警視庁問題の日の慰労に銀座へさそふ。明日より稽古で当分遊べないから。

[#1字下げ]三月二十六日(月曜)[#「三月二十六日(月曜)」は中見出し]
 六時起きして、日暮里の久保田万太郎氏のとこへ行く。久保田氏と共に、竜泉寺町の沢村源之助宅へ。要するに四月下旬あたりに佐野次郎左衛門を出して八ツ橋を行かうといふ考へなので、その型を――と行ったわけだが、マトモにそんなことも出来ず、四方山話して辞す。帰りは久保田氏と浅草迄歩く。サトウロクローが「芝居の世の中は大傑作だ」と賞める。本日久邇宮家より廿八日にオザ申込みあり。ハネ後、「芝居の世の中」を、読み合せして、それから立ったから一時になっちまった。

[#1字下げ]三月二十七日(火曜)[#「三月二十七日(火曜)」は中見出し]
 出がけに、伊藤松雄氏を訪問、此の間のラヂオの評をきく、ワーッと受ける声は僕のが絶大だった由。天勝がやっぱりよかったらしい。日比谷公会堂へ、サクマドロップの会(30[#「30」は縦中横])とかいふのに出る。子供ばかりのひどい会、声帯を子供向きに一席やって引きあげ、さて座へ来てみると、もう一寸ってところでトチリ、横尾が代って「凸凹展覧会」をやってゐた、数日前から制定になったトチリの始末書をとられる。ひるの部終って、蛇の目へ行き、すし一円半がとこ食っちまった。よるの部、相変らず客よし、終ってから「芝居の世の中」を立つ。

[#1字下げ]三月二十八日(水曜)[#「三月二十八日(水曜)」は中見出し]
 午前座へ出て、「ラヂオ科学」の原稿五枚書いちまった。大辻が部屋へ来て「久邇宮へ行ったらね、お役所の人に言っといてくれよ、実は僕のとこへかゝったんだけどね、時間がとれないから他へ廻して下さいって言ったんだよ」嘘かほんとか、兎に角大辻って奴、此ういふことを言って、自分を売り出さうとする。ほんとゝしても、嘘なら尚更、とっちめてやらなくちゃならぬ。キングレコードの人来り、サトウハチローの作詞「お嫁さん選べば」の譜を置いて行った。ハネ後、三階で「鍋島」の立稽古、それが済むと、舞台で、フィナーレの総踊りのけいこ、之を又つきあはされ、ヘト/\になりながら、二二三、四二三、とやる。一時になった。

[#1字下げ]三月二十九日(木曜)[#「三月二十九日(木曜)」は中見出し]
 寒い/\と思ったら、雪だ。而も紛々と降り続ける。客はそれでも一寸ばかりゐるから妙だ。一回終って、みやこで食事し、雪見酒――ってっても一寸わけありでだが、ウイスキーを十杯ばかりひっかけたからフラーリ/\。仕事中に酒をのんだのは初めて、思った通りヤな気持だ。でも舞台へ出りゃシャンとする、セリフもちゃんと言へたが、さてさめて来るとたまらない。ハネ後さめ際の、キュッ/\とゲロが出さうで出ないって状態で、「猫」の立げいこ、又フィナーレの踊りをやり、でも十一時に終った。

[#1字下げ]三月三十日(金曜)[#「三月三十日(金曜)」は中見出し]
 二時近くから「芝居の世の中」の稽古、ヘンな背景が出来て来ちまって、キャバレエ・ウインナの感じまるで出ず、(「会議は踊る」のビアガーデンの図を描いてやったのに)衣裳もてんで成ってないので少からずくさった。芝居の方は自信あり、大丈夫受けるものになると思ふ。間に、大阪屋のシチュウとハヤシライスを食ひ、六時頃から「われらが猫騒動」の稽古。出場が少いからラクだが、衣裳の着換へがあり面倒くさし。明治製菓から先日吹込んだレコードを届けて来た。声がまだ大きすぎた。「鍋島」の稽古済んだのが九時。

[#1字下げ]三月三十一日(土曜)[#「三月三十一日(土曜)」は中見出し]
 十時半起き、座へ来てみると、あんまり突かけがよくないので憂鬱。「芝居の世の中」は、大過は無いのだが、神田がセリフを入れてないので、芝居がこはれてしまった。「鍋島」全く出たとこ勝負で、ごま化してしまふ。一回終ったのが四時半。すぐ夜の部になる。夜の「芝居」では、不覚やMボタンをまるで外したまゝ出て、上手の客だけが笑ったり、珍現象、これで又芝居をブチこはしてしまった。「鍋島」の終り近く、山本五郎一家のゴロ酒井ってのが、袖で着換へをしてる渡辺篤をひっぱたいた。どうも暴力がのさばるのは困る。本日金が出た。借があるからそれを五十円さし引いて、他に脚本料五十円を貰ったが、さて出銭の多いこと全く驚くべきもので、暴力のおさへだとかって、十円だ十五円だととられ、弟子達に小遣ひをやったりすると結局合計百円以上。これじゃとてもやって居られない――何とか考へなくちゃならない。
[#改段]

[#3字下げ]昭和九年四月[#「昭和九年四月」は大見出し]

[#1字下げ]四月一日(日曜)[#「四月一日(日曜)」は中見出し]
 雨で、一日で日曜、悪からう筈のない日。打込みから大分いゝ。第一回「芝居」気のりせず、でも客は此のスマートな味を買ってるらしい。「鍋島」の中で、僕の殿様が「こりゃ/\汝と麻雀の手合せするも久しぶりじゃのう」と言ふと、横尾の家来が、手を縛られた恰好して、「これ以来でござりましたなア」と云ふセリフがある。これが大した受け方、ドッと客が笑ふ、ゴシップ神経てものは馬鹿にならぬ。新聞も随分宣伝になる。第二回が済んだのが、八時二十分。随分早く済んだ、心持よし。
 二月十六日に、僕に無礼のふるまひありし大道具のセイ公はクビとなれり。

[#1字下げ]四月二日(月曜)[#「四月二日(月曜)」は中見出し]
 ひるの部の「芝居」で、若宮とロクローがトチリ、「鍋島」で大辻がトチった、始末書をすぐとられる。「芝居」の五景―六景の、芝居と現実の差を出すことに於て、会得するところあり。四時に一回終った。すぐ紺野を連れて生駒の家へピアノを借りて歌を習ひに行く。五日吹込みのポリドール、サトウハチロー作詞、竹岡信幸曲の「お嫁を選べば」っての。五六回ひいて貰って、引揚げる。夜の部の客とてもよく、「芝居の世の中」のウケること頻り、すっかり気をよくした。「鍋島」の方は何うでもいゝってもの。ハネ後、コーラス娘三人つれて、銀座へ出た。

[#1字下げ]四月三日(火曜)[#「四月三日(火曜)」は中見出し]
 十時あき。ひるの部、二階のつっかけがよくない。「芝居」は、ピッタリ今日の客には来ないらしい。一寸くさり。「鍋島」は横尾が、調子をやったので、荒井雅吾が代った、これがコケ、くさり。一回終って、大辻・吉野と上海亭へ食事しに行く。夜も「鍋島」で又荒井にくさらされ、あんなのに何故代役させたかと頭取を呼んでカス。終ってすぐ公園の一直へ、医者の会で一席やり、公会堂へかけつけて、ポリドールの会で、歌ふ。ストトンとモンパゝの譜を用意するやうに言っといたのに、通ってないので大くさり、歌もうまく行かなかったが、客は大受け。歌ひ手商売も中々よし。

[#1字下げ]四月四日(水曜)[#「四月四日(水曜)」は中見出し]
 咽喉具合わるくて困る。座へ来てみると、月曜としては相当の入りだ、「芝居の世の中」は、物日の出しものじゃない、今日の客には実にピッタリ来るらしい。「鍋島」横尾休み、大庭が代る、荒井よりはよっぽどまし。ひる終って帝国ホテルへ、山春主催の函館義捐の夕てのへ行き、トップを切る。タゞのザシキ程つまらぬものなし。しゃくにさはる。三益愛子よりO・Kの電報来る、「ミマスヲタノムナカノ」と中野英治からも電報、その旨川口に言ふと、「あれは要りません」といふ返事、それじゃこっちの立場がない、大いにフンガイ。ま、今日は川口のお天気わるいのでそのまゝ。

[#1字下げ]四月五日(木曜)[#「四月五日(木曜)」は中見出し]
 午前九時起き、ポリドールより迎ひの自動車来り、青山へ。「お嫁を選べば」の吹込み、コンディションとても悪く、かなりいけなかったやうに思ふ。浅草へ出て、大勝館で、ローレル・ハーディーの喜劇と、「不思議の国のアリス」を少し見て、座へ。「芝居」大いに受ける。が、段々考へてみると、此の脚本は、ハイブロー過ぎた。まだ/″\此処迄行ってはいけなかったと思ふ。ひる済んで、カシオペヤのシチュウと卵子で飯を食ひ、アンマをとる。「芝居」の神田の未熟さがつく/″\いやんなった。女優がゐない。三益を、やっぱり必要と思ふ。ハネ後、先日募集した一周年記念の脚本にいゝのがないので、こっちで書かうと、みやこで、菊田に「黄金狂時代」のアイデアを話す。

[#1字下げ]四月六日(金曜)[#「四月六日(金曜)」は中見出し]
 座へ来てみると、千束町の鈴木二郎といふ男から、「芝居の世の中」は、自分が「笑の王国」の脚本募集に応募した脚本のアイデアを、ヘウセツしたものだ、とオドカシを並べ、結局使ってくれといふ手紙。怒気心頭に発し、すぐ「馬鹿言ふな、そんな脚本は見たこともない」と返事を書く。今日は一日中このことでシャクにさはっちまった。ひるの部終って、大辻が四月後半に三日程休みたいと言ふ。事務所へ寄り、狂言の相談。「芝居の世の中」を書いてからすっかり考へ方が変って来た。何うにも高級ものはいけないと思ふ。冬のやうに寒いので、何うも入りがない。

[#1字下げ]四月七日(土曜)[#「四月七日(土曜)」は中見出し]
 咽喉がすっかり悪くなり、声が出ないから、「古川緑波風邪のため声出ず云々」といふ貼紙をして貰ふことにした。楽屋へ来てみると、昨日の鈴木二郎といふのから、すっかり謝罪した手紙が来てゐた。これで大分気をよくした。やっぱり怒ってよかったと思ふ。「芝居」をやったが、とても声が出ないので、歌は神田と香山に分けた。「鍋島」の方は、中根に代って貰ひ、風呂へ入り、アンマをとり、吸入一回やる。声調子わるし。夜の部又「鍋島」を中根にたのみ、報知講堂へ、アダヨの会、顔だけ出してくれてのへ一寸出る。中野実氏来楽。

[#1字下げ]四月八日(日曜)[#「四月八日(日曜)」は中見出し]
 今日は日曜だから十時あき、だが思はしい入りにあらず、「芝居」だけに出る。声、まだいけない。ひるの「芝居」終ると、三益愛子より電話、上海亭にて逢ふ。目下中野の女房まがひの由、一切僕に任せる故、何卒よろしくと言ふ。柄もよし、女優らしい色気もタップリあり、やっぱりいゝと思ふ。表へ連れてって三益を川口に改めてひきあはせたら「フンちっとも君なぞほしくはないんだがね。よく覚えとけよ。」とひどい挨拶だった。本人くさり、なぐさめておく。九時頃から例会で公園裏の昇鯉へ。大辻が三日休むって話から、来週は休んで貰ふことに決定した。ちっとも欲しくないものになっちまったものだ。十二時すぎまで飲み、語る。

[#1字下げ]四月九日(月曜)[#「四月九日(月曜)」は中見出し]
 どうも入りが思はしくない。全く、何うしたら客が喜んで来るのかは永久に掴めさうもない。狂言がバカ/″\しくて、とんでもないものゝ時はいつもいゝんだから分らない。川口、今日は機嫌よく、三益は僕の要求通り、いゝ役二つふられる。若宮美子休みで、「芝居」のうらゝ役は柏が代る、珍景を呈した。ひる終って理髪に出かけ、森永で食事して部屋にゐると、コワイ奴、丸越の親分てのが来て、ワケの分らんこと言って威張って帰った。浅草はいやだな。夜「芝居」だけ出て、山縣七郎と共に銀座へ。

[#1字下げ]四月十日(火曜)[#「四月十日(火曜)」は中見出し]
 出がけに伊藤松雄のとこへ寄り、明治のレコードをきかせる、「こりゃ君、ジャズ歌ひになれる」と言ふ。ニットーの方の吹込みの相談して、座へ来る。まだ声がいつもの六分の一しか出ない。今夜は歌はなくちゃならないし弱る。「社交」って雑誌へ四枚書く。夜の部済ませると、すぐ朝日講堂へ。明治製菓とヘチマコロンと、朝日の広告部の主催で、「緑波の歌と夢声の漫談発表会」(50[#「50」は縦中横])。「僕は天下の人気者」と「モンパゝ」それにストトンで模写をやる。大ウケである。軽いユーモアの歌を沢山おぼえちまって、これからチョイ/\やる手がある。明治製菓の内田誠と徳川夢声でかもめへ行く。

[#1字下げ]四月十一日(水曜)[#「四月十一日(水曜)」は中見出し]
 昨夜又のんだがのどの調子は段々いゝ。今日母上が見物に来られた。一回終って菊田と、友田純一郎・大黒東洋士とで釜めしを食ひに出た。乞食で紅茶のんで帰る。山野一郎が東に、「緑波は僕に役をつけるの嫌がって又いやな役しか呉れない。女の子に抱きつけばナグられるし、我まゝな奴だ。」とコボしてた由。どっちが我まゝか、女の子に助平なまねをしたり、役のことなんか不服言ふとはもっての外だ。こんな調子じゃやっぱり山一は呼ばない方がよかった。夜終って、「僕は天下の人気者」のけいこ。三枚目なのでやりよさゝうだ。

[#1字下げ]四月十二日(木曜)[#「四月十二日(木曜)」は中見出し]
 客がます/\入らない。これは一つには鍋島の猫の祟りだらうといふ説と、又、清洲すみ子など妊娠七ヶ月のが出てる、これが不浄でいかんらしいなどかつぐ者あり。ひる終って、菊田・堀井・東と食事、次の旧物は「幡随院長兵衛」に定めようと話す。乞食へ寄ると、喜多その他の女の子が学生と茶をのんでゐる、夜半四時迄けいこじゃ此の二時間の幕間が彼女等にあたへられた唯一の休息時間なのだ。今日渡辺又休む。ハネ後「大番頭小番頭」の立けい古。山野僕に無断で昨日と今日のけい古を休んだ。ます/\腹の立つ奴。「大番頭」面白くなし。

[#1字下げ]四月十三日(金曜)[#「四月十三日(金曜)」は中見出し]
 雨。十一時迄ねて、座へ。昨日よりはラクでも今日の方が入りがいゝ。山野とは全然物を言はない。ムッツリだまってゐやがる。不愉快極まる奴、そのうちひどい目に遭はしてやりたい。ひる終って大阪屋のポタージュとハヤシライスを食って、おね/\してるともう夜の「芝居」が開く。夜の「鍋島」の殿様は、赤鼻のトン狂な顔をして、オドケてみた、此れは楽屋受けもし、客にも受けたが、可笑しな顔さへ拵へれば、笑はすのはワケないと思ふ。兎に角、「芝居の世の中」で、浅草に向かぬものをはっきり分ったから、之からは土地の水に合ふことを勉強してみよう。

[#1字下げ]四月十四日(土曜)[#「四月十四日(土曜)」は中見出し]
 今日は稽古初日。十二時半頃座へ来る。一寸風邪気味だ。三の「大菩薩峠」で大分長びいて、「僕は天下の人気者」は、芝居抜きで歌と踊りだけやり、五の「大番頭小番頭」を終ったらもう六時半。「大番」がつまらないことおびたゞしい、全くイヤンなった。山野とは相変らず無言をつゞけてゐる。四の「人気者」は、ロクローを面喰はせる大熱演で、徹底的な三枚目をやり、大受け。最後の幕で、明菓の宣伝のとこへ来ると客「よせやい宣伝は」と来て少々くさる。その辺のセリフを改めさせることにした。「大番頭」思った程つまらなくもなし、終ったのが、何と十一時半。

[#1字下げ]四月十五日(日曜)[#「四月十五日(日曜)」は中見出し]
 十一時すぎ家を出て、深川の八名川小学校てのへ行き、一席やる(30[#「30」は縦中横])。近頃の小学校は凄い、ちゃんとフットライトの設備ある舞台あり。座へ来ると、浅草の人出は正月以上だ。松竹座の前など通れない程の人。うちは人は立ってないが、中にはギッシリ詰ってゐる。山野とは依然無言。ひるの「人気者」大汗熱演。「大番頭」は大したことないがラクにやれる。ひる終って大辻に山野のことを話し、「部屋から出してしまふから、生駒・大辻両人で引受けて呉れ」と言っておく。夜は此の分じゃ又十一時になりはせぬかと心配。何しろ終るとすぐ、十時五十五分で出発のつもりなので。「大番頭」終ったのが十時十分、急いで東京駅へかけつけ、十時五十五分に乗った。

[#1字下げ]四月十六日(月曜)[#「四月十六日(月曜)」は中見出し]
 芝居の方は病気で一日休むことにして、大阪へ行く。悪いことは出来ないもので、バッタリ蒲生重右衛門・中田晴康等に、又、プレイガイドの加藤に逢ひ、内証のことをたのむ。十時四十分、大阪着。明治商店の者迎へに来り、すき焼を食べて、ポリドールの吹込所へ。毛谷平吉ヴァイオリンに久しぶりで逢ひ、練習をし、定刻六時、朝日会館へ。牧野某の大阪風の漫談のあと、「僕は天下の人気者」を歌ふ。「モン・パゝ」と二つやり、一部の終り、二部で又、声帯模写を、ストトンをトリにして、二十五分ばかり。大受け。終って十時四十分で大阪を立ち、東京へ迎ふ。

[#1字下げ]四月十七日(火曜)[#「四月十七日(火曜)」は中見出し]
 午前十時十五分東京駅着。心配だから座へ電話してみると、すっかり病気ってことになってる。で、ゆっくり座へ出る。皆「如何ですか」と心配してる。何うも嘘ついてることの苦しさてものつく/″\思はせられる。狂言が何うにも長くて昨日から「天下の人気者」を一、二回の間に一回出すことになってる。山野の問題の解決をする。きいてみると、結局東が山野をケシかけて僕の悪口を言はせちまったゞけのことなのだが、どんな理由にしても、無言の行だの稽古欠席は許せぬことだと言ひ、之はあやまらせ、今後は生駒・大辻で責任持つからとのことで先づ和解。中根に十円昨日の代役料をやる。

[#1字下げ]四月十八日(水曜)[#「四月十八日(水曜)」は中見出し]
 今日から「凸凹守備隊」が一回になり、「人気者」も「大番」も二回宛やらされる。「人気者」の三・四景は大熱演、大受け。「大番」も思った程つまらなくなし、写実の芸てものは、らくで気持がいゝ。旬報の脚本募集一等当選が無いので、僕のストーリーで菊田に書かせたのを当選としたので、百円来た。之を東に十円、菊田三十、友田三十、僕三十と分ける。夜の部、大いに客来る。やっぱりハデな出しものゝ方がいゝらしい。会田少年三日間休む。此の間からちょく/\休むが、もうつとめ切れなくなったものらしい。将来の二枚目としてほしいものなのだが――。

[#1字下げ]四月十九日(木曜)[#「四月十九日(木曜)」は中見出し]
 十時、雑誌「旭」の記者が速記者を連れてやって来た。鏑木に言ってあると言ふが、ちっとも通じてない、不機嫌の寝起きで、三十分間「われらが愛国劇」って話をしてやる。座へ出て、ひるの部終ると鳥鍋で食事して、又夜の部、客ワンサ入ってる。「人気者」は大受けだ。「ロッパうまいぞ」なんて声がかゝる。「大番」の方は何うも、らくなだけ。ハネ後、サトウロクローを、毎日舞台で踏み台にするから一杯飲ませようと、大庭六郎と共に銀座へ出る。

[#1字下げ]四月二十日(金曜)[#「四月二十日(金曜)」は中見出し]
 座へ出たのが十二時。昨夜飲みすぎたので何うも苦しい。のんびりと丸窓のある、梅でも庭に咲いてるってな茶室で、うすい蒲団かけて昼寝したい、などゝ思ふ。「大番頭」が済んで、がっかりした。大阪屋のトマトのポタアジュとトースト。品芳のカツ丼を食ひ、水上雪江に按摩して貰ふ。此の女とてもうまくて、一時間以上やって貰った。夜の部終ってから、飛行館へ、松竹座の静家のお爺さんの隠退興行てのへ義理で出る。行くと、エノケン・二村がやってた。大分待たされて、十一時に舞台へ上る。まるで客がバカばかり、近頃こんないやな舞台を踏んだことはない。

[#1字下げ]四月二十一日(土曜)[#「四月二十一日(土曜)」は中見出し]
 十二時楽屋入り。雨が朝降ったから入りは悪くない。ひるの部終って、何をするでもなく楽屋にねころび居る。
 近頃、文筆スランプで、引受けた原稿二三、破約したし、手紙一本書く気にならぬ。書くものは此の日記だけ。山野を誘って、理髪にツナシマへ行き、帰りにみや古で食事し、雨に濡れつゝ座へ帰る。

[#1字下げ]四月二十二日(日曜)[#「四月二十二日(日曜)」は中見出し]
 日曜日、突かけよろし。ひるの部終ったのが四時すぎ。「人気者」で熱演するので知らぬ間に、ひざのとこへ痣が二つも三つも出来てるのは驚く。三枚目ってのはむづかしくなくって面白い。楽屋に三益・柏・香山等が遊びに来たので、ポテトパイを買はせて食ひ、いろ/\話す。終ったのは十時二十分だ。昔の喜劇弁士小川紫友が、うらぶれて来た、みや古で一杯飲ませ、生駒も呼んで話す、小川は入座希望、之はいゝかも知れない。

[#1字下げ]四月二十三日(月曜)[#「四月二十三日(月曜)」は中見出し]
 今日から大辻が休むので「人気者」中の漫談がなくなって、少し早くなって来た。今日は暖くて汗かく。一回終ると、明治製菓の内田誠氏来楽、そのうち又タイアップで何かやりたいと言ふ希望だった。表へ行き、五月下旬には、ヴァラエティー寄席ごっことして、五分宛いろ/\な芸をやることを提議したら大賛成。キングレコード「お嫁さんもらうなら」が出来て来た。思った程悪くない、之なら吹込み直しの必要もあるまい。夜の部、やっぱり大汗だ。

[#1字下げ]四月二十四日(火躍)[#「四月二十四日(火躍)」は中見出し]
 ひるの部すんで表へ行き、配役をやる。今度は「幡随院」の幡随院と、「笑の王国祭」のムッシュ古川の二役、四と五でかなり楽らしい。役割りしてから部屋で、宣伝文句を一から五まで書く。夜の部終ってから一寸残って、「笑の王国祭」のフィナーレの歌を稽古する。

[#1字下げ]四月二十五日(水曜)[#「四月二十五日(水曜)」は中見出し]
 今日は、不意にサトウロクロー休みで、堀井英一が代役。でも大胆によくやるものだ。花井淳子と夫婦でラヴシーンをやるとこは一寸やりにくさうだった。今日は日が悪いのか色々事故あり、大庭六郎は生駒との立廻りで右眼を突かれて怪我。若宮の上へドロップが落ちかゝって頭をヅーンとやられた。ひる終ってすぐ天野雉彦の夫人の天野家庭塾春宵の集ひての幸楽へ行き、上品なる令嬢ばかりの前で一席(30[#「30」は縦中横])。山野も連れてってやらせる。東京駅地下室荘司でホットサンド食って座へ帰る。

[#1字下げ]四月二十六日(木曜)[#「四月二十六日(木曜)」は中見出し]
 ひるの部済んですぐ帝大の新入生歓迎会てのへ行く。吹きっさらしのとこで学生は土の上へ座ってきく、こいつは参った。二十五分もやって、すぐ座へ帰る(30[#「30」は縦中横])。今日もサトウ休みで、堀井だ。「大番頭」では、若宮が袖で笑はせる、狐みたいな顔をもっとヘンテコにして笑はす、つひフイちまったから、逆に、袖で尻をまくって笑はしてやる。今日は稽古なし、明日より稽古だ。

[#1字下げ]四月二十七日(金曜)[#「四月二十七日(金曜)」は中見出し]
 今日は靖国神社の祭で大分入りがある様子。「人気者」サトウが出て来たので漸っと調子が出て来た。ひるの部終って入浴し、本郷の帝大病院内の、看護婦慰安会へ行く(30[#「30」は縦中横])。大いにカンゴフさん達を喜ばせて、本郷通りへ出て、青木堂でコゝアを飲み、折笠医院へ一寸寄って、糖を診て貰ふと、大へんよろしいと言はれ大いに安心し、座へ帰る。夜の部終るとすぐ、千駄ヶ谷の中村歌右衛門邸へ。声色やらされるなら嫌だと言っといたのに何うしてもやれとあり、歌右衛門・福助・菊五郎・三升等の前で、コップに一杯熱燗をのんで十五分程やる。金一封を寄越したが之は返して、新宿へ出る。

[#1字下げ]四月二十八日(土曜)[#「四月二十八日(土曜)」は中見出し]
 宿酔気味で、アイスコゝアのんだりメロン水をガブ/″\飲んだりしてみるが気分が直らず、辛し。ひるの「大番」で、田島が大トチリし、多和が代役で小番頭をやる。之じゃまるで気が乗らず。一回終って工業倶楽部のオザへ行く。結婚式の余興である(40[#「40」は縦中横])。すぐ引返して、夜の部。すんでから「幡随院」の立稽古をやる。

[#1字下げ]四月二十九日(日曜)[#「四月二十九日(日曜)」は中見出し]
 今日は千秋楽だが日曜のことゝて相当入りがある。「人気者」も最後の奮闘とばかり大いに脂がのる。一回終ると菊田と友田純一郎を誘って松喜へ牛肉食ひに行き、サリー森永でパイ食って帰る。夜の「大番」は、若宮の女房にヒステリー起されて逃げ廻るところで、めちゃに逃げ廻り、胸ぐらとられると、わざとはだけて大さわぎをした、若宮ふき出す大さわぎ。ハネ後、歌のけいこで十二時すぎた。

[#1字下げ]四月三十日(月曜)[#「四月三十日(月曜)」は中見出し]
 今日は稽古で一日休みだ。早目に出ると、中々始まりさうもない。松竹座のグランド・オペラ・ルヴィウてのを見に行く。徳山※[#「王+二点しんにょうの連」、第3水準1-88-24]がゐて、並んで見る。「ラヴパレード」「ボッカチオ」の醜態見るにたへない。リキー宮川てのゝジャズソングをきく、これは一寸いける。魅力てもの、それだけがジャズ歌ひの生命だ、と思ふ。座へ引返す。始まったのが六時すぎ。道具が出来なかったり、衣裳を待ったりして、終ったのはもう十一時半だ。「笑の王国祭」のつまらなさは言語にたへたもの、貴島って作者は実にしようのない奴だ。「幡随院」も充分つまらないが、此の方が稍々いゝだらう。
[#改段]

[#3字下げ]昭和九年五月[#「昭和九年五月」は大見出し]

[#1字下げ]五月一日(火曜)[#「五月一日(火曜)」は中見出し]
 初日。十時半開きだから十二時半頃来た。三のキネマ旬報一等当選脚本(実は菊田一夫が書いた)の「沙漠のメリーゴーランド」てものが、ひどいものださうで、役者皆大くさり。四は「笑の王国祭」こいつはまるでつまらないが、歌と踊りとで何とか見せちまふらしい。僕の役はまるで面白くなし。「幡随院」は、セリフが入ってないので苦しかったが、でも他の奴は皆ひどすぎると見え、菊田に大いにカス食ってゐた。五時半すぎ一回終る。夜は、三を抜く。抜いても、とても出きれない。終ったのが何と十一時廻ってゐる。森永でウイスキ少量のみ、新宿ですし食って帰る。

[#1字下げ]五月二日(水曜)[#「五月二日(水曜)」は中見出し]
 一時すぎに「王国祭」始まる。どうもつまらなくてやってる気がしない。貴島って奴は何うにもならぬ奴、ほと/\嫌んなる。「幡随」も相変らずつまらず。一回終って、来々軒の雲呑と中華丼を食った。夜の部のクサリ又ひどし、此んなことをしてたんじゃ人気が落ちる、来週は大いにハリ切ってやらうと、「寄席ごっこ」のプラン立てる。来替りは、「われらが金色夜叉」と定る。貫一を、かなり三枚目にして僕、渡辺の富山、サトウの荒尾、お宮を神田、赤樫を三益ってとこだ。ハネが今日も十時半、一本抜いて之じゃ困る。

[#1字下げ]五月三日(木曜)[#「五月三日(木曜)」は中見出し]
 十二時座へ来る。東と森永で茶をのみ、一時から「王国祭」、又くさる。つく/″\いやだ、うんとカットしたいと思ふ。「幡随院」又くさり。ひるの部すんですぐ、大勝館へエノケンのP・C・Lトーキー「青春酔虎伝」を見に行く。山本嘉次郎、エノケンの個性をよく活かしてゐる。おしまひの格闘などすばらしいスピードでよろし。帰って、又これからくさり劇かと思ふと、ガッカリする。今夜もくさりくさって演り、終ったのが十時半。ゲッソリ労れた。

[#1字下げ]五月四日(金曜)[#「五月四日(金曜)」は中見出し]
「オール読物号」送って来たの見ると、とう/\書けずにスッポかした「春の旅」て特集に、僕の名で堂々と「道行き何とか」てのが出てる、不愉快、一言のことはりもないのはいやだ。時事新報から写真班来り、楽屋のひとゝきてのをほしいと言ふので、山一のコーシャクを皆できいてるとこを撮す。「健康時代」に、注文の「接吻後の飲食物」五枚書く。夕食は大阪屋のポタージュに、トースト、オムレツと食ふ。夜の部、客「ロッパはり切れッ」と言ふ。それ程ダレてゐる。

[#1字下げ]五月五日(土曜)[#「五月五日(土曜)」は中見出し]
 神田千鶴子、今日、市電バス早廻り競争てのへ選手として出場、二等賞となってくたびれて帰って来た。ひるの部相変らず、くさり演。すんですぐ神田の日大歯科の大会(30[#「30」は縦中横])てのへ行くと、野天の屋台だ、こいつには参ったが、二十分程やり、すぐ近くの小川町小学校教員の慰安会とか(30[#「30」は縦中横])、又二十分ばかりやって、神保町を一人歩き、杏花楼てんで食事して帰る。夜の部、又々ダレる。全く嫌な芝居につかまってゐるのは辛い。ハネ後、神田の祝ひにかもめへ、菊田・如月敏・鏑木その他女優二三連れて行く。大辻がチン入して来て不愉快だった。

[#1字下げ]五月六日(日曜)[#「五月六日(日曜)」は中見出し]
 日曜である。出がけに理髪してサッパリした気持で出る。客はワンサと来てゐる。なるべくクサらぬやう心を引き立てゝやる。昼の部に、大谷竹次郎が「幡随院」を見て、こいつは面白いと言ってた由。ひる済んで、如月敏とカブとで、銀座へのし、スコットでポタアジュとヒレビフカツ。三すしで平目を七八つ食ひ、コロンバンで菓子と紅茶をやり、流石に腹はって、座へ帰る。「幡随院」の中で渡辺と僕が下手へ、生駒・山野・田島が上手へ陣取って、武士と町人の喧嘩で、「ダマレ百姓」「何をオケラ」てな罵言の投合ひがある、そこで山野が、「うるさいぞシュウマイ」と来たんで、渡辺に「何をこの湯たんぽ」と言はせたらその受けたの何のって、客も楽屋も大笑ひ。ピンどりなのでいつもより少し早く終った。

[#1字下げ]五月七日(月曜)[#「五月七日(月曜)」は中見出し]
 ひるの部の、「幡随院」の泥試合では、山野が「何を此のシュウマイ」に対して、僕原作の渡辺篤のセリフ「何を此の子供のオバケ」。これが人気で楽屋じゃ此の場をたのしみにしてゐる。夜の部終るとすぐ中村福助を訪れると、今日は父もゐないから家へゐらして下さい、と言ふので千駄ヶ谷へ行き、中村翫太郎てふ「私め三代福助に仕へて居ります。」てえ老人と、福助、それにオバさんて人とで酒をのむ。翫太郎老人のヨカ/\芝居と、滑稽芝居の話が面白かった。写真を沢山貰って帰る。

[#1字下げ]五月八日(火曜)[#「五月八日(火曜)」は中見出し]
 又もや如月敏が昨夜泊った。如月敏此処三日家をあけてるので家でさわいで迎へに来た。ところが敏、プイと姿を消しちまった。ひるの部終ると、田中三郎久々であらはれた、実は敏が大変なことをし出来したとのこと、会社のしくじりなり、で姿を消したことが心配になり出した。夜の部終って、「金色夜叉」を少しやり、それから田中三郎と友田純一郎と松喜で食事し、傍ら八方人を走らせて敏の行方を探す、分らず。大いに心配しつゝ帰る。

[#1字下げ]五月九日(水曜)[#「五月九日(水曜)」は中見出し]
 今朝、敏無事の報を得て、本郷の敏の姉の家てのへ寄る、無事だったが大分量見方がコハい、死なうとしたらしい。三郎と二人で充分なぐさめておく。座へ出ると、すぐ又くさりだ、まだ此の芝居済まぬかと思へば実にいやになる。ひる済むと、ぐったり。熱とってみると七度三分程ある。咽喉からの熱である。ルゴールで治るから心配ない。夜の部相変らずクサリ演。ハネ後、例会にて、僕幹事、大森都新地お千代にて開く。新入の座員は一応必ず相談あるべきことをのべる。生駒雷遊はロクロー偏重を頻りに述べてゐた。

[#1字下げ]五月十日(木曜)[#「五月十日(木曜)」は中見出し]
 十一時までねる。昨夜は四時になったから。座へ出ると、「笑の王国」誌五月号が出来て来た、鏑木に任せとくと、とてもダメだ、も少ししっかりしたものにさせたいと思ふ。咽喉まだハッキリせず、七度近くあり。ひるの部終って、三益を連れ、公会堂の「大関」の会へ(30[#「30」は縦中横])。東京駅地下室でホットサンドウィッチ食って、公会堂で一席やり、すぐ引返す。夜の部、客席に久米正雄氏がゐると、山野が発見した。終るのを待って迎へにやり、楽屋内を案内した。氏の「夏の日の恋」をこはしてやらして貰ふことを約束した。川口に話し、片岡半蔵の新加入は断はらせる。

[#1字下げ]五月十一日(金曜)[#「五月十一日(金曜)」は中見出し]
 十一時に起きる。座へ出ると渡辺篤が休み、してやられた。僕も今週は一日位休養したかったのに。で、「幡随院」の唐犬は山野が代役する。ひるの部終って入浴、食事は大阪屋のトマトポタアジュにタイヨーのハムエグスと野菜ライス。「直木三十五随筆集」を少し読む、「私程度のものなら一日三十枚位書けない位なら作家はやめちまへ。」といふのはよかった。夜の部終って、「金色」の歌の稽古、とてもこいつは沢山あってやり切れない。川口、渡辺篤の休みですっかり怒ってる。ラヂオ二十日は、菊田一夫作「笑ふ巴里」と定めて、アゲ本する。

[#1字下げ]五月十二日(土曜)[#「五月十二日(土曜)」は中見出し]
 ひるの部の最中、井上三枝叔母と娘、支那料理持ってたづねて来て呉れた。ひる終ってすぐ丸の内蚕糸会館へ「銃後の会」(40[#「40」は縦中横])。東喜代駒がハリ扇を持って来て呉れた。三益と万才の打合せ、これも相当骨だ。夜の部終ってすぐ「金色夜叉」の立稽古、作曲も入れて歌は三四十もあるので、覚えるのが大変だ。十二時半頃までつきあったが、とても労れたので、明日と明後日みっちりやることにして帰る。

[#1字下げ]五月十三日(日曜)[#「五月十三日(日曜)」は中見出し]
 雨。出がけに深川の中村高等女学校てのゝ会へ寄り二十分やって(30[#「30」は縦中横])、座へ。雨で人出は少いにかゝはらず客よし。ひる終ってすぐ浅草松屋のホールへ、塾友会といふので二十分(30[#「30」は縦中横])。とても蒸暑くて汗びっしょり。赤ん坊ギャー/″\泣く、全く不愉快。座へ帰って、せんべいを食ひ、紅茶コーヒーを湯水の如く飲む。夜の部「笑の王国祭」は、しまひまで結局くさり通した、もう/\こんなものは始めっから断ることだ。「幡随」の例のドナリ合ひのとこ、渡辺篤に知恵をつけといて、楽しみに待ってると、山野先づ血迷って、「何を此の助平のゴミタメのカス」と来たのを、アッサリ渡辺が「何言ってやんでエ山野一郎」で客も裏も大受け、愉快。千秋楽らしき笑ひなり。大入つく。残って二時まで歌のけいこ。

[#1字下げ]五月十四日(月曜)[#「五月十四日(月曜)」は中見出し]
 十時半から稽古だ。十二時すぎに座へ来てみると、二をやってる。貴島の作で、エノケンで一度やったことのあるものだ、何でこんなバカなものを出すか困ったものだ。政木時子てへのが今度だけ入り、道成寺を踊る。大したイカモノ、五九郎の大部屋で、川口のホヨらしいとのこと、こんなバカな踊り長々とやられちゃたまらない。松竹座へ天勝引退興行をのぞき、四時に華族会館へ鋭五の結婚式あり、行く。「四時過ぎに古川|郁郎《ロッパ》の声帯模写あり」と場内に貼札してある。兄貴の婚礼に弟が声色やりゃ世話はない。「寄席ごっこ」を立ち、「金色夜叉」を終ったのが十七時四十分。まあ/\今度は大丈夫らしい。

[#1字下げ]五月十五日(火曜)[#「五月十五日(火曜)」は中見出し]
 十時半あきで初日。何ういふわけか新聞広告をまるでしないので客足悪し。一・二と三がひどいものらしい。四は「寄席ごっこ」で、これは大分受けてゐるし、内容もいゝ。山野の落語、田島の手品から僕と三益の万才で、これは大いに大阪弁ペラ/\やり、かなりいゝ出来だった、五「金色夜叉」は、少し歌が多すぎた感じだが、まあ/\これは無難。入浴して、ポタアジュとトースト。久ずしのすし五六個。しきりに水ものを飲む、二升や三升水をのむのはワケはない。夜の部は三を抜いて、一・二・四・五だから休む間ロクになし。ヴァラエティーで「お嫁を選べば」を歌ふ。ピアノの譜だけしかないので全然淋しい。

[#1字下げ]五月十六日(水曜)[#「五月十六日(水曜)」は中見出し]
 暑い。座へ来てすぐ入浴する。「寄席」は好評だが、しまひの道成寺の二十分で全くダレちまふらしい。今日から歌は神田に代らせる。「金色」は、相変らず横尾がちっともセリフが入ってないし、おまけにアガっちまふのでやりにくいこと甚しい。これはロクローに演らせたかった。P・C・Lから僕とロクロー・清川の体を借りたい旨、言って来た。ロク・清川の方は何とかしてやることゝする。今日の夕刊に漸く広告が出た。これで、まあ少しは入るだらう。ハネ後ラヂオの「笑ふ巴里」の読み合せ。とんだものを選んだ、歌を覚えるだけでも大した努力である。毎日残るのは飲めなくて困る。

[#1字下げ]五月十七日(木曜)[#「五月十七日(木曜)」は中見出し]
 天気よし、三社祭の太鼓の音ひゞき、夏祭りの景気、昨日よりはいゝといふ程度の入りだ。ひるの部すんで入浴。裸で涼んでると、すし久来る、ひらめを食ふ。それから又新京へ行き、支那食して帰る。川口と大辻と会ひ、六月下旬、大辻としては四日間休むだけで旅行したいらしいのだが、さうは行かさぬことゝなる。夜の部「金色」のうけること大したものだ、万才の方は初日あたりの方がよかったやうだ、ハコに入って来ると何うもいけないらしい。ハネ後又歌の稽古だ。十二時十五分になる。全くからだを使ひすぎる感じ。

[#1字下げ]五月十八日(金曜)[#「五月十八日(金曜)」は中見出し]
 十時起き。座へ早く出ると、今朝山野大トチリ、四十分も開演をおくらした由。お祭の神輿かついで廻ってたと言ふ、「いつもお祭よりバカなまねしてるんだ、今更みこしかつぐこたあるまい」と毒づく。山野の下司さは全くアイソがつきる。ひるの部万才も「金色」も出来がよくなかった。ひる済んで、森永のカツライスを食ひ、水上に一時間位按摩して貰った。先日来、部屋に元弁士の小川紫友がゐる、これがノッソリとして、一向に役に立たず腹が立って弱る。少年を一人見つけたし。夜の部大汗流し、入浴して、放送局へ行く。二時半までかゝってテストしたが、女の子も僕らも歌が入ってないので醜態なり。

[#1字下げ]五月十九日(土曜)[#「五月十九日(土曜)」は中見出し]
 早起きして入浴してると、海野十三の紹介で第一生命の勧誘員二名来る、こんなものに朝っぱらから来られると碌なことはない。銀座の栄ずしでひらめ五六個食って座へ出る。表で次狂言のプラン。六月下旬は、久米正雄の「夏の日の恋」を海のレヴィウと銘打ってやらうと定める。森岩雄氏来て話し乍ら観音劇場のところまで来ると西条八十氏と娘の子に出逢ひ、金龍館ごらん下さいと、特等へ案内する。夜の部汗演して後、又明日のラヂオの歌の稽古をする。中野英治京都より来り、三益を可愛がってやって呉れと言ふ。明日はラヂオのため狂言順大いに狂ひ、「金色」から始め、三回出す由。

[#1字下げ]五月二十日(日曜)[#「五月二十日(日曜)」は中見出し]
 八時半に起き、浅草へ。十時の打込みから階下満員。いきなり「金色夜叉」だ、朝は声が出ないし、客は乗って来ない。次に「寄席」をやって、放送局の迎の自動車で山へ。一時二十分から菊田一夫作「笑ふ巴里」(旧作で玉木座で演ったことのあるもの)を放送、急稽古の歌だから、こいつ先づ自信なき上、セリフもいやなのが多くて、ちっとも嬉しくない放送であった(40[#「40」は縦中横])。すまして浅草へ帰る。昨日より大西といふ青年来る、之に腰をもませる。旬報のため「エノケンを評す」五枚書く。夜、三回目の「金色」やる。大した受け方で、あんまり受けるので気がさして熟演出来ない位。中野英治・三益・敏と共に銀座へ出る。

[#1字下げ]五月二十一日(月曜)[#「五月二十一日(月曜)」は中見出し]
 昨夜より敏泊り、十時起き、十一時に出て芝公園の吉川英治氏宅へ、敏のことたのみに行く。雨模様で入り中々よし。ひるの部済んで鳥鍋へ食事。夜の部万才、段々馴れて来ると大阪弁でなくなるのが困る。P・C・Lの滝村来り、用談。「健康時代」の婦人記者来り又七枚ばかり約束する。夜の部全く暑い、マント着て、「寒い/\」と言ふセリフなんだからあんまり汗もふけず弱る。

[#1字下げ]五月二十二日(火曜)[#「五月二十二日(火曜)」は中見出し]
 出がけに昨夜新宿でムーランの斎藤豊吉と約束したので伊藤松雄のところへ寄り、斎藤もゐて話しをする。座へ出る、火曜でこれだけ満員なら全く文句はあるまい。「金色」は要するに大当りだ。「寄席」も随分客を呼んでゐるらしい。小林勇来り昔の映画ばなしをする。それから、中西のソボロ丼を食ふ。夜の部の万才で三益、ボケて「外にゐるのにウチの人とはこれ如何」ばかり二度も言ふ。客大笑ひ悪落ちしてしまらず。

[#1字下げ]五月二十三日(水曜)[#「五月二十三日(水曜)」は中見出し]
 早く家を出ようとしてると会田来る、「結局何うする気だ」ときくと、明日からチャンとやりますと言ふ。では、さうしろと言ひ、鏑木と、京橋の明治製菓へ寄り、内田誠氏とタイアップの話をする。座へ出る。昨日一高の生徒来り、文句言ったさうだが、今日警視庁へ言ったらしく、一高の寮歌を歌ふことを禁じられた。帽子の白線も三本にし、金ボタンにする。「金色」大いに受ける。声しきり。ひる終って雑然と食ふ。夜の部、万才乗らざりし。ひるは、吉本の本職の万才が来てるんで緊張したが、夜の部わりに早く済み、九時四十分。

[#1字下げ]五月二十四日(木曜)[#「五月二十四日(木曜)」は中見出し]
 十二時半に座へ出る。ひるの部「金色」は出の一高の寮歌を急に改めて歌ふ。汗だく。ひる終って事務所で次狂言の配役をする。僕は、「愚弟賢兄」の貢二と、「水戸黄門」の助さんの二本。事務所でソーダ水と大阪屋のハヤシライスを食ひ、理髪しに行く。今日から会田が出て来た。やっぱりいゝ。夜、雨になる。入り薄し。上山雅輔「雷親爺」てふ脚本を持って来た。

[#1字下げ]五月二十五日(金曜)[#「五月二十五日(金曜)」は中見出し]
 午前中、金子ゆき子氏来訪、座へ案内する。入り薄し。「愚弟賢兄」の本が来た、何うも面白くないらしくてくさる。ひるの部終って入浴、加藤雄策来る、妓と共に。三益・清川・大辻を誘って、平埜へ牛肉を食ひに行く。夜の部汗演。熱海など大いに馬力。終って、加藤雄策と共に浅草へ。

[#1字下げ]五月二十六日(土曜)[#「五月二十六日(土曜)」は中見出し]
 座へ出ると、都の小ニュースに、渡辺篤P・C・Lへの話が出ちまったので川口等怒ってる、又滝村が早まっちまやがった。僕が断はる代りに渡辺は何うかと言ったのがもう出ちまっちゃ困る。森氏へ電話して文句言っとく。後で滝村が来て詫まって、何とか渡辺を貸して呉れと言ってた。ひるの部あんまりいゝ入りでなし。終って大阪屋のコールビーフとパン、来々軒のわんたん。本日楽屋で東と元うちにゐた少女優高子とが話してゐたところを、ヒス女(東ホヨ)若宮がやいて少女をなぐりつけた事件あり。苦々しきことなり。東によく一度話してやらう。

[#1字下げ]五月二十七日(日曜)[#「五月二十七日(日曜)」は中見出し]
 日曜なれば早目に出る。座へ来てみると、日曜の入りとしてはいゝ方でもないが、まあもう千秋楽近いんだから。ひる終って、オペラ館の丸山和歌子来り、森永で少時話す、「笑の王国」へ入りたいらしいが、うちでは歌手に三百円出せるか何うか疑問。山野又々トチる、おくれて帰って来たから、「バカヤロー、ふざけるのもいゝ加減にしろ!」とどなりつけてやる。友田来り、レヴィウ名鑑を作るにつき、僕の短い自伝を書けと言ふ、四枚書く。九時に体があいて川口と丸山和歌子のことを話し、東には若宮のことは身の破滅となること故、よく/\考へて、若宮をよさせるべきだと話す、東も此のことは僕にたのむと言ふ。「愚弟」の稽古あり、つまらぬので大くさり。

[#1字下げ]五月二十八日(月曜)[#「五月二十八日(月曜)」は中見出し]
 座へ出る前に、銀座教文館ビルへ寄り、R・K・Oのオフィスに、若宮美子の夫、樽原を訪れ、若宮は大分健康を害して、ヒステリーだから少し休ませろとすゝめたが、金が無いらしく、あまり休ませたくないらしい様子だった。ひるの部をやって、チャシュウワンタンを食ひ、ねころぶ。山野がオコワを食ったので又之をつきあひ、渡辺がクヅモチ食ったのを又つきあひ、満腹す。今日「健康時代」の先日の稿料、一枚一円呆れた、もう書く気なくなれり。夜の部の万才大いに受ける。「金色」熱演し、ハネ後、タイヨーのジンフィズを飲みつゝ、少々稽古を見る。

[#1字下げ]五月二十九日(火曜)[#「五月二十九日(火曜)」は中見出し]
 今日で千秋楽だ。ひるの「金色」は、客が妙に甘くて、すぐ拍手して弱った。大阪屋のポタアジュとトースト、ハッシュライスを食ひ、又大西・会田に揉ませる。「健康時代」の婦人記者来り、三十一日までには何うしても書いて呉れと言ふ。一円なので嫌なせいばかりでなく、何も書く気が出なくて困る。夜の部、「寄席」の、ラストへ出る大辻がショッパナへ出て、くだらんことを色々言ったので、一体に受けなくなっちまった。「金色」では、熱海で踊ってやったり、「宮さん/\」と言って「お馬の前にヒラ/\するのは何じゃいナ」と面白くやり、ハネ後、「水戸黄門」を立つ。まるでつまらないらしい。

[#1字下げ]五月三十日(水曜)[#「五月三十日(水曜)」は中見出し]
 今日は暁の四時半にねたので、十二時起き。座へ出ると、丁度二の狂言の舞台稽古をやってゐる。三の「にんじん」の間、松屋へ行ってカン/\と、ネクタイを買ったりする。四の「愚弟賢兄」何うもにもハヤ困っちまった。アチャラカにして笑はすには余りリアルだし、まじめにやっちゃ笑はせようもなし、いやんなる。五の「水戸」が又とんでもないつまらぬもの。これじゃ今度は何うにもくさりだらう。然し、狂言は短いとみえ、今夜稽古のすんだのが九時。

[#1字下げ]五月三十一日(木曜)[#「五月三十一日(木曜)」は中見出し]
 本日初日、少しゆっくり目に座へ出る。初日といふに、殆んど何もセリフが入ってゐない、いゝ度胸になったものだ。四の「愚弟賢兄」はてんでつまらぬと定めてかゝったゞけに間違なくつまらない。五の「黄門」は、助さんの役はひどい役だし芝居もひどい。狂言が一体に短かいと見え四時すぎ一回終る。すんでセリフを又入れようとしたが面倒になり、森永へ行き、部屋でのびる。鋭五氏が鼻の手術とかして危険状態に陥ったとの報あり。初日だのにハネは九時四十分。珍しいことなり。「黄門」はやればやる程つまらなくなりさうだ。
[#改段]

[#3字下げ]昭和九年六月[#「昭和九年六月」は大見出し]

[#1字下げ]六月一日(金曜)[#「六月一日(金曜)」は中見出し]
 出がけに鋭五を三楽病院に見舞ふ。座へ来て、川口に「水戸黄門」あまりに辛いから出場をカットして貰ひたいと言っとく。今日はひるから大した入りだ。エノケン悪く、新宿のグランルヴィウも悪いといふに、こんなつまらぬ狂言でワンサの入りとは分らない。ひるの一回終って、先づビックリの氷結アイスと、福仙の天ぷら五個とにぎりめし、そこへ又久ずし来り五六個行きおまけに五目ワンタン食ったのは一寸驚いた。夜の部、ひるより一寸客は減った感じ。でも先づ一杯の入りだ。

[#1字下げ]六月二日(土曜)[#「六月二日(土曜)」は中見出し]
 敏昨夜より泊り、一緒に座へ出る。一時半頃、四が開く。「愚弟」の方は、リアルを脱してかなり三枚目的な演出をし出したが此の方が受ける、顔も初日はきれいにしたが段々三枚目にして演ってゐる。「黄門」昨夜より七景の出場をカットして貰って少し楽になったが何うにもつまらない。ひる終って、市政講堂のオザ。麻布小学校の映画と音楽の夕のトップ十五分やる。帰って夜の部、狂言短くて、ハネが九時二十分だ。

[#1字下げ]六月三日(日曜)[#「六月三日(日曜)」は中見出し]
 出がけに母上と三楽病院へ鋭五氏を見舞ひ、物日故早く座へ出る。今日は二回と三までだと思ひ、早く体があくと喜んでゐたところ、三回目は序カットで四まで出すてんでガッカリ。尤もこれでトリまでつかまらないと気が済まないってとこもあるんだから妙だ。第一回からえらい満員。一回すんで、食ひ物で悩む、結局、中華丼に野菜スープ、久ずしのすし三四個食ふ。二回すんで、ねころぶ。夜の部三回目をやる。「愚弟」ワッワと受ける。意外である。うちの客は此ういふものが大分好きらしい。友田・上山・池田一夫とみやこで十一時半までのみ、いろ/\芸談す。

[#1字下げ]六月四日(月曜)[#「六月四日(月曜)」は中見出し]
 早く出て「笑の王国」女優軍の歌をきゝに行く。神田・花井等何うもお寒きもの。表へ寄ってみると、鈴木ケイ助ってのが此の次から入ると言ふ、相談無しに入れちまふとはひどい、サトウロクローは、古川・大辻並の金を呉れなきゃーと申出て来たから断はると言ってた。一回終ってから、食物に苦労するのも嫌なので、アラスカまで行く。入口で六代目とその一党、「よお」と肩たゝかれた。ヴィルピカタとグリンピース、コンビネーション・サラダ食って出る。楽屋でねころんでゐないで歩いた方がいゝとつく/″\思った。旅をして海を見るのがいゝやうに、円タクで街を見るだけでもいゝ。ハネ九時二十分、それから例会。

[#1字下げ]六月五日(火曜)[#「六月五日(火曜)」は中見出し]
 本日東郷さんの葬儀で市内大劇場は皆休みであるが、浅草はアクどい。午前は休み、二時開演、それも一・二をカットして三から始まるんだから、ナニちっともいつもと変りはない。午前中鋭五を見舞に寄る。もう大丈夫らしい。二時半に座へ出る。一杯だ、やっぱり此ういふ日は浅草の書入れになるんだ、休まないのも無理はない。「愚弟」大いに受ける。「黄門」くさる。ウテナの伊藤って人と逢ふ、八月に若し此っちを休むならぜひ来てくれと言ふ話だ。森永でオムレツ、中西でビフカツと飯。金なくていやな気持なり。表へ又借りたしと言っとく。夜すんで森永でアイスクリームのむ。

[#1字下げ]六月六日(水曜)[#「六月六日(水曜)」は中見出し]
 少し早く出たので公園をブラつく。新国劇新人座ってのゝ看板が大したグロ、その上、文字に曰く「演劇の狂」と来た、何のことか分らず。ひる終って、食物のこと考へたら、何うにも救はれない気持になって来た、一っそ又アラスカへ行っちまへと、円タク。ポタアジュと、ティンボール・アラスカ、コムビネーションサラダと、マロン・シャンティリーのアイスクリーム、それからアイスティーを飲み、程よき満腹で帰る。夜の部が済むとすぐ、鏑木と二人、川崎へ向ふ。十一時に、川崎市の市場みたいな広場の何千人て人の前で、大くさりで屋台でやらされた(30[#「30」は縦中横])。川崎から新橋。ジャネットバーで島津保次郎と逢ひ気焔をあげる。

[#1字下げ]六月七日(木曜)[#「六月七日(木曜)」は中見出し]
 午前九時起き、昨夜のんでるからとても辛し、急いで家を出て、東横沿線の白楽ってとこの、石井別荘、松花会といふ跡見の卒業生の集りへ行く(40[#「40」は縦中横])。それから新橋まで来て、今度は十二時半、高島屋ホールのクラブ歯磨の会で又やる(30[#「30」は縦中横])。母上と高島屋で落ち合って、座へ。ひる終って、母上、来合せた如月敏とスコットへ。友田純一郎も呼んで、ポタージュとポークチャップ。スコットはまづい。やっぱりアラスカだ。三すしで鯛を五六つ、七八つ。コロンバンでアイスクリーム。大分の満腹。山野一郎今日休み。夜の部、相変らずダレて、九時四十分ハネ。

[#1字下げ]六月八日(金曜)[#「六月八日(金曜)」は中見出し]
 浅草へ早く来て、理髪した。ツナシマ。五十銭で、すっかりやって、爪磨きがつくとは安い。座へ来て、皆で相談しつゝ配役する。僕は四の「チョコレート娘」と五の「夏の日の恋」の二本。座員が多いと、相当の奴がひどい役ばかりになったりする。夜の部、加藤雄策来り「愚弟」を見て、あんな脚本やってちゃダメだと言ふ。「愚弟」が評判がいゝので、ひょっとしたらいゝのかと思ひかけてたが、これでやっぱりダメはダメと分る。ハネ後、山野共々加藤と銀座へ出る、街上、徳山※[#「王+二点しんにょうの連」、第3水準1-88-24]・秦豊吉・大橋武雄等に逢ふ。

[#1字下げ]六月九日(土曜)[#「六月九日(土曜)」は中見出し]
 十一時半までねる。ひるの部済んでから、又もやアラスカへ行く。ポタアジュとティンボール・モナコってのを食ふ。マロンシャンティリーのアイスクリーム、此処は菓子物はダメだ。それから東京会館へ清元梅吉からたのまれた、五代與兵衛の会てのへ余興で行く。大谷・城戸なんてとこや時蔵がきいてゐるので一寸参った、一体にちっとも笑はない。座へ帰ってみると、吉川英治来訪の跡あり。旬報でレーニンが愚弟の演じ方があまり白痴すぎると、評してゐる。中々うまき評なり。

[#1字下げ]六月十日(日曜)[#「六月十日(日曜)」は中見出し]
 日曜だから早い。今夜は八時前に終るから、東劇へ六代目を見に行くことにし、渡辺と二人で円タクで東劇へかけつける。菊五郎の日本俳優学校生徒第一回公演で、六代目は「鏡獅子」と長谷川伸の「暗闇の丑松」だけに出てゐる。丁度「鏡獅子」が終って、「丑松」があいたところ。脚本を読んでみないと六代目の演出について詳しいことは分らぬが、兎に角、写実以上の写実演出、やっぱり唸らせる。にくい。こんな芝居を見るのは、参考になるより、やっぱりたのしみだ。

[#1字下げ]六月十一日(月曜)[#「六月十一日(月曜)」は中見出し]
 早く出て、大勝館へ「にんじん」を見に行く。評判だけあって中々いゝ。「誰も可愛がっちゃ呉れない!」と言ってにんじんが馬に鞭つところは、思はずワイ/\涙が出た、みっともないほど嗚咽といふ感じに泣けた。おしまひ少し残して時間なので出た。子供には見せちゃいけないが、親は一度見ていゝ写真だ。ひる終って、大阪屋のコールビーフとオムレツで食事し、又アンマをとってごろ/″\。夜の部まことにダレたり。夜は、歌のけいこで残ったが、コーラスだけで結局意味なかりし。

[#1字下げ]六月十二日(火曜)[#「六月十二日(火曜)」は中見出し]
 まるで今日は入りが悪い。つく/″\ダレてることを感じる。つまり常打ちとなった落着きが、ダレとなって現はれるのだ。それに表が浮《うは》々してゐて、松竹館の方へ駈[#「駈」に「ママ」の注記]持させてみたり、新宿をあけたりするから自然とダレたものが出来て来るのだ。何とかしなくちゃーと思ふ。ひる済んで、大阪屋のランチとポタアジュ。夜もまことにダレたり。稽古は、「夏の日の恋」で、結局菊田は原作に負けて、そのまんまの個所が多いだけに、僕の役は、大まじめで行くよりない。前入歯がグラ/″\して、つひにとれた。明日寺木行きだ。

[#1字下げ]六月十三日(水曜)[#「六月十三日(水曜)」は中見出し]
 早く出て寺木ドクトルへ。入歯の具合を見て貰ふ、もう一とつ造って呉れる由、此のまゝ一寸持たせとかうと、ゴムでハめて呉れた。座へ出る。どうもダレてる感じ。一つに表のやり方である、川口・東ってものゝ誠意なき点、仕事に熱のないことで、この興行師を信頼することは実にいやになって来た。ひるの部、渡辺、セリフを突如ボケて忘れた。ひる終って趣きを変へて、須田町食堂のオムレツと飯、大森のお千代のおみやげのシュクリーム食ってたら又前歯ガクンと、とれた。グラ/″\のまゝさし込んでおく。夜の「水戸」横尾が休む。ハネ後、コーラスの稽古で二時半近くになった。

[#1字下げ]六月十四日(木曜)[#「六月十四日(木曜)」は中見出し]
 歯科寺木へ寄る。次の新しい入歯の型をとり、今のはそのまゝセメンでつけて貰ふ。座へ出ると、新人ナヤマシ会に僕・渡辺その他王国のメムバーズラリと並んだ広告が今朝出たので川口がヒスを起してゐる、それよりも松竹館の今度のヴァライティーは「熊と人との争闘」山野一郎司会と来ちゃ腹の立つのは通り越してアイソがつきた。ます/\川口に対する信頼を失ふ。稽古は五の「夏の日」から始める、此の方は大丈夫ハコに嵌れば受けるものになる。「チョコレート娘」の方は、僕作といふことになってるが、何ともハヤストーリーがなってないし、歌の稽古は雑だし、いゝものになりさうもない。稽古済みが十二時。歌を残って、一時すぎ。本日金が出た。明治から脚本料も。

[#1字下げ]六月十五日(金曜)[#「六月十五日(金曜)」は中見出し]
 十一時まで寝て、すぐ「夏の日」のセリフをおぼへながら、座へ出た。まるで入りが淋しい、初日って景気じゃない。此んなとこで分らぬ興行師に使はれてちゃいけないとつく/″\思ふ。今度は皆狂言が長い、「チョコレート」の方は僕歌が入ってないので弱った。「夏の日」は何うかと思ったが好評、自づと梅島になるらしく皆言ってる。やっぱり内容のあるものがいゝ。一回の終りが五時すぎ、今日は五をカットする由。「チョコレート」でトリ、九時四十分にハネた。実にパッとしない。「夏の日」でトリたかった。島津保次郎と逢ふべく、出井へ行く。

[#1字下げ]六月十六日(土曜)[#「六月十六日(土曜)」は中見出し]
 昨夜ビールとウイ、チャンポンなので起き辛し。十二時半に公会堂へ入る。大妻女学校の会、奥田良三のあとへ出る。座へ出て「チョコレート」は今回のクサリ狂言とつく/″\思ふ。「夏の日」はリアルだからよい。ひる終ってすぐ早稲田大隈講堂早大商学部大会へ。三益愛子と二人で万才、早大学生のオーケストラで「お嫁をもらへば」「モンパゝ」と模写のストトンをやり、中学時代にカツめし食った浩養軒でカツめし食って座へ帰る。夜の部の「夏の日」大受け。

[#1字下げ]六月十七日(日曜)[#「六月十七日(日曜)」は中見出し]
 日曜だから早い。座へ出ると、もう満員だ。どうも「チョコレート」の方はくさりだ。「夏の日」何ういふものか、てんで下手くなっちまったやうな気がした。セリフが入ってないとこへプロンプタがきこへないので、間が狂っちまったのだ。くさった。一回終って、次狂言の相談したが、五に据へるべきいゝ案がない。菊田・友田と共に、松喜へ行き、食事。どうも考へが浮ばない。一つには、表にアイソつかしたゝめもあるが。夜の部終ったのが九時、今日は二ドリである。神田神保町の夜店を、上山雅輔と共に歩き、「江戸小咄研究」と「楽屋風呂」を求めた。

[#1字下げ]六月十八日(月曜)[#「六月十八日(月曜)」は中見出し]
 暑くなった。楽屋を常盤座の方へ移すと言ってながら、一体何時になったら実現することか。ひるの部「チョコ」はくさり、「夏の日」の方もプロンプタがうまく行かず、いかず。一回終って次の演物の相談。結局五は「祇園囃子」といふ題で菊田が書くことゝなる。七月二の替り即ち盆興行は僕久しぶりでヴァライエティを書く約束をした。
 それから森永でビフステキで食事。会田又休む、島津に此の間もたのんだし、チャンと色々考へてやってるのに、ちと困る奴だ。

[#1字下げ]六月十九日(火曜)[#「六月十九日(火曜)」は中見出し]
 今日も思ったより入ってゐる。ひるの部「夏の日」で、松井がトチった、女中役が出ないので大さわぎ。丁度松井美恵子の母親が見物してゝ先生にすまないからと、ビワ一折届けて来た。一回終って、新京で食事し、日本青年館へ、松竹座の大井にたのまれた、慶応の会へ行き、十五分やる(20[#「20」は縦中横])。座へ帰ると、渡辺篤、此の部屋あんまり暑いから大辻が今回ゐない間だけでもと、三階へ化粧前を移した。部屋は山野と二人きり、これなら多少暑くても我まん出来る。夜の「夏の日」は稍々うまく行った。ハネ後、友田と銀座へ出る。

[#1字下げ]六月二十日(水曜)[#「六月二十日(水曜)」は中見出し]
 今日雨、座へ出ると又、舞台傍に雨もりで、ビショ/″\。此ういふことも劇団の盛な時には悲惨にも見えないが、逆境に在る時は全くめ入る。ひる、「チョコ」はくさり、「夏の日」は大分うまく行くやうになって来た、セリフが入ったせいもあるが。ひる終ってP・C・Lの東京事務所へ森さんを訪れ、約一時間話す、川口に明日か明後日逢って色々話して上げるとのこと、つまり芸術的座長を徹底させることゝ、給金値上の件だ。森さんは間違ひのない人だ。雨となった。不二アイスで食事して座へ帰る。大雨。ひるは満員、夜もよし。ハネて銀座へ。

[#1字下げ]六月二十一日(木曜)[#「六月二十一日(木曜)」は中見出し]
 昨夜から殆んど夜明ししたから眠い。一時、座へ出ると渡辺が休みとあり、あはてゝ代役を立てる。「チョコレート」は堀井がやる、もと/\メチャ劇のとこへ又わけの分らぬことになり、とても気持悪し。「夏の日」の方は、斉藤紫香が演ったが、ピッチがまるで上らぬ男なので何うにもならない。ひる終って表へ行き、連名の書き代へをやる。女優の方は三益を書き出しにして、神田を二枚目に据へる。夜の部も代役なので全く気が入らず。大汗。浴して天野喜久代のバーキクヨへ寄る。歌手を一人世話して呉れるやうたのむ、ラヂオで二人掛合をやる相談などし、すしやへ寄って帰る。人形町の都ずしのうまかったこと。鯛よし殊に海老よし。

[#1字下げ]六月二十二日(金曜)[#「六月二十二日(金曜)」は中見出し]
 十一時起き、すぐ浅草へ。楽屋へ入ると、暑い/\。ソーダ水二三杯のむ。渡辺篤ひるは休みの由、くさる。「チョコ」「夏の日」共に気が入らぬ。全く此ういふ時に代役は、相手へ廻ったものは迷惑だ。ひる終って入浴し、部屋にねころんで揉ませたり、上の部屋へ行って遊んだりする。大阪屋のランチですませ、ミルクセーキを飲む。夜の部渡辺篤出て来た、出て来ても「チョコ」の方は何うもしょがなし、「夏の日」やっぱり渡辺なら大いに受ける。今日は九時半頃済んだ。

[#1字下げ]六月二十三日(土曜)[#「六月二十三日(土曜)」は中見出し]
 今暁五時にねた、十一時起き。座へ出る。暑くてたまらん。今日も入ってゐる、随分今度のは当った。浅草まつりといふ催しが東日主催で行はれつゝある、そのためか女子供多く、ギャー/″\泣いたりして困る。一回終って表へ行き、次の配役。僕は四の「かっぽれ」と五の「祇園囃子」とに出る。今度は狂言全部つまらないやうな気がするが如何かしら。夜の「夏の日」又々大受けである。

[#1字下げ]六月二十四日(日曜)[#「六月二十四日(日曜)」は中見出し]
 明治生命館の地下マーブルで昼、一円の定食とスパゲティを食ふ。十二時すぎ座へ出る。日曜で中々よく入ってゐる。「チョコ」此ういふ日は尚更くさりだ。「夏の日」はよし。一回終って、入浴し、東京会館へ、久世・山尾両家婚礼の余興で行く(40[#「40」は縦中横])。アラスカへ寄り、たっぷり食って座へ帰る。夜の部がすんだのが八時。明治座へ第五の「虞美人草」だけ見られると、かけつける。梅島が出てないので全然くさった。水谷の二役が気がよさゝうなだけ。村田正雄に至っては渡辺篤の役どこを下手にやってるだけのもの。しまひ迄見る気になれず出る。

[#1字下げ]六月二十五日(月曜)[#「六月二十五日(月曜)」は中見出し]
 寺木から、いゝ歯が出来たからと頻りにハガキなので、行くと新しいのが入った。前のより少し長くて笑へばチラホラ見える程、具合よさゝうなので嬉しがって座へ出て、芝居してると、何うも少しグラつくし、口をスボめるとガクリとなる、物を食ってみると、うまく行かぬし、沢庵なんざあ噛めない。弱ったな。明後日奥歯が入る筈、前歯もしっかりつけて貰はう。一回終ってすぐ次回の宣伝文を書いた。六時から大隈講堂の何とも知れぬ会へ、東からのたのみで行く(10[#「10」は縦中横])。一席やり、すぐ座へ帰る。

[#1字下げ]六月二十六日(火曜)[#「六月二十六日(火曜)」は中見出し]
 どうも歯がグラつくので出がけに寺木へ寄り、ゴムでしっかりつけて貰ふ。座へ出ると、東が「今度の連名が気に入らない、あんな看板なら止めさして下さいと、神田が川口に申し出た」と言ふ。女子と小人は養ひがたしで全く女優なんてものは、バカで、無知で困る。神田が、今度の看板でもめて、而もそれを僕に言はずに、川口へ直接言ったといふことは許せぬことだ、バカめ、もう可愛がってやらない。青木休みで大庭が「夏の日」の松本の役をやる、一人代っても全くやりにくゝなる。夜すんでから「かっぽれ」の稽古があったが、スカして川口と二人で、浅草裏へ行き、いろ/\懇談する。森氏の言ふ通り中々川口って奴かなはぬところがある。

[#1字下げ]六月二十七日(水曜)[#「六月二十七日(水曜)」は中見出し]
 ゆっくり家を出て寺木へ寄り、座へ出る。暑いの何のって、大したものだ。神田が鏑木迄「あたし昨日母に話しましたらやめろと言ふのでやめますわ」と申し出た由、ます/\腹が立った。母って奴はいかんから父の方を呼ぶことにする。ひる終って、部屋は死にさうに暑いので廊下に蒲団しいてアイスクリームをのみ猥談する。六時から本所業平座へ中村直彦のたのみで、出る(ロハ)。夜の部が済むと、「かっぽれ」の稽古。汗びっしょり、少し習ったが馬鹿々々しくて、やめて、見物。

[#1字下げ]六月二十八日(木曜)[#「六月二十八日(木曜)」は中見出し]
 寺木へ寄る、前歯をすっかりセメントで完成させ、右の奥へ入歯した、明日完成する。座へ出る。今日も暑い/\。ひるの部が済むと、上森健一郎来る、金を三十円程貸せと言ふのだ。先日は没落の玉村が五十円貸せと言ふので、昔のこともあるから貸した。今度又没落人上森だ、一寸泣けちゃう。ねころんでアイスクリームをのみ、大阪ずしを食ふ。夜の部汗大変だ。神田はその後口をきかず、生意気なバカである。ハネ後、「祇園祭」の立稽古。どうも面白くないらしい。明日の稽古は、五から逆にやることにした。

[#1字下げ]六月二十九日(金曜)[#「六月二十九日(金曜)」は中見出し]
 今日の舞台稽古は五から逆にやるので、十一時に楽屋入りしたが、菊田が来ない、やがて、家庭争議で眼鏡をこはしちゃったと、渋い目をして来た。「祇園」全くひどいものなり。「かっぽれ」を簡単にやって、もう終った。三時、入浴して、さて心地よし、之で帰れるのだ。帝国館へ入り、島津保次郎のトーキー「隣の八重ちゃん」を見る。中々いゝ。ストーリーらしきストーリーもなく、うまく纏めてゐる。トーキーの境地に入ってゐる。それから生駒と二人で、銀座へ出て、寺木へ寄り歯を完成させ、マーブルで夕食して、東日主催の浅草まつりの祝ひがあり、それへ出て一席やり、又銀座へ出る。

[#1字下げ]六月三十日(土曜)[#「六月三十日(土曜)」は中見出し]
 初日、けどまるでセリフも入ってないし歌も覚えてゐない、大して之でも心配もせずに家を出る。「かっぽれ」が開く。何の演出もないんだから、仕方がないが、何ともくさった。「祇園囃子」がひどい、本もひどいし、こっちが投げてゐるし、何ともハヤくさりくさって一回終る。大ぐさりだ、こんな狂言ばかりやってた日にゃしょうがない。暑くて/\部屋にはゐられないし、裸で廊下でアイスクリームをのむ。大阪屋のカレーライス。林達子とその友二人が訪れて来たが、今日は見ちゃいけない/\と言って帰す。
 食ひ物が、暑くなるとまづい。やたらワニ/\食ふと、あと満腹してからの不快はたまらない。少量でうまいもの――となると、浅草にはてんで無い。食ったあと、後悔のないのは、やっぱりアラスカ位のものだ。新しい野菜のイキのいゝ奴と、トロッとしてうまい肉で軽く腹をこしらへて、自動車に揺られて帰る気持は素敵だ。やっぱり人間うまいもの食ってなきゃいけないとつく/″\思ふ。白飯てものは、それにしても夏はよした方がよさゝうだ。
[#改段]

[#3字下げ]昭和九年七月[#「昭和九年七月」は大見出し]

[#1字下げ]七月一日(日曜)[#「七月一日(日曜)」は中見出し]
 今日は日曜だから早目に出る。座内の暑さは殺人的だ、じっとしてるのが一ばん辛い。狂言「かっぽれ」は、クサリくさった揚句、司会者役を買って出て、芸は何もしない。「祇園」に至っては何とも拙劣な脚本で、僕の役など性根がまるで書けてゐない。何てハンマで、下手な役者だ! と思はれるようで出てるのが辛い。一回終って、外へ出る元気もなく、食事は大阪屋のクリームドチキンとカレーライス。二回目終ったのが八時。さて早く終るのも困ったものだ。生駒、津田秀水と共に、神楽坂演芸場へ行く。小勝・小南・小さん・三亀松等にて中々よかりし。

[#1字下げ]七月二日(月曜)[#「七月二日(月曜)」は中見出し]
 先日来、山野が策動して、松竹座の岩田の旗下に一旗あげようとしてゐることを探知してゐたが、昨夜新宿で夢声に逢ひ、夢声・翠声へも勧誘ありしこときいて、座へ来るとすぐ川口・東に此の事を発表、山野への処分については後に話さうと言っとく。ひる、割に客よし。ひる終ってすぐ、新宿のほてい屋デパートへ。三福でビフテキとすしを御馳走になり、屋上で浴衣の写真をとり、マイクを通して店内に一言やり、帰る。夜の部、凡そ熱し。神田千鶴子、全然無言、生意気なり。早くオヤヂを呼べと言ふ。

[#1字下げ]七月三日(火曜)[#「七月三日(火曜)」は中見出し]
 暑い。床の中から汗ビッショリなんだからもう真夏の気持。「かっぽれ」と「祇園」共にくさりの極、いやな芝居は、やればやる程いやになるものなり。ひる終って入浴、生きた心地じゃない。松竹館へ入って、「浪子の一生」の後半を見る。英百合子が、いゝ母性を描き出してゐる。が、ワリキレない芸でいけない。うちの二の「エロチック艦隊」ってのを見たらこいつは又ひどいものだった、こんな愚劇ばっかり見せられてゝよく客は怒らぬものだ。夜も全く汗。

[#1字下げ]七月四日(水曜)[#「七月四日(水曜)」は中見出し]
「かっぽれ」も嫌だし「祇園」は更に殺人的に嫌だ。全く今週の辛さはない。ひる終って入浴、表へ行ってお盆狂言の相談、蒲田から与太者組の、阿部正三郎・磯野秋雄と小桜葉子が来ることになり、「次郎長日記大政小政」が僕の次郎長で出る。山野の話は、もう明日あたり首を申し渡すのだと言ってゐる。上海亭で一人でやきそばなど食ひ、座へ帰る。

[#1字下げ]七月五日(木曜)[#「七月五日(木曜)」は中見出し]
 今日山野に、東から申し渡したさうだ。「他に運動してるさうだが、此の際身をひいて貰ひたい」と言ったら、しようがないって顔してた由。僕としても、同し部屋にヌケ/\とねころんでばかりゐて、時には僕を、「ねえロッパおい」と呼ぶやうな馬鹿は、結局ゐない方が助かるってもの。ひるは、まだ/″\客がゐたが、夜は一寸珍しい位悪かった、てんでゐないって感じだ。エノケンとこも下が六分だってえからひどからう。「かっぽれ」の大辻の漫談てものます/\バカ/″\しく、ます/\狂ひじみて来た。気味が悪い位だ。
 八月は休まず、松竹座へ進出のことが定りさうだ。

[#1字下げ]七月六日(金曜)[#「七月六日(金曜)」は中見出し]
 暑い。全く殺人的だ。座へ出ると川口と話す、山野一面可哀さうではあるが、己れを知らぬ奴は結局此ういふ目に遭ふのが当然であらう。ひるの部終ると、日日の記者来り、声帯模写につき色々話させ、写真を撮って帰る。表で配役する。蒲田のヨタ者の来演に応援して「海と与太者」に出づっぱりの、「大政小政」に次郎長で出づっぱりと来た、いやはや。上山雅輔が宣伝部として入ることになった。夜の部、相も変らずクサリクサって演ず。全く辛し。

[#1字下げ]七月七日(土曜)[#「七月七日(土曜)」は中見出し]
 暑い。マーブルへ寄り、座へ出る。東が一寸と言ふ、実は神田が川口支配人に口説かれて弱ってる由、でも僕に怒られてるので言つける人もなく途方にくれてるとのこと、馬鹿女め、とう/\音をあげた。本人を呼び「此の間からしてることのバカさを覚ってあやまりなさい、その上でお父さんを一辺[#「一辺」に「ママ」の注記]呼んで来い」と言っとく。川口にも困ったものだ。ハネ後、「雷親爺」上山雅輔作の稽古、僕演出。台本読んだ時はいゝやうに思ったが、さて立ってみると、まだ/″\いけない。森永へ行き、菊田・貴島と色々話す、川口の毒手(?)問題、今後配役はます/\公平無私、芸術本位で行かうと話す。

[#1字下げ]七月八日(日曜)[#「七月八日(日曜)」は中見出し]
 日曜だから早い。ひる終って、又マーブルへでも行きたかったが部屋にゐて、チキングリルと来々軒の焼そば。東日の夕刊「声帯模写の秘伝」と題し、写真入りで大きく出てゐる。ついでに買はした都の夕刊に、エログロの緑波といふんで、浅草の名も知らぬ芸者とのことが出てゐ、神田千鶴子のことも出て、緑波のあと近頃は川口といふ男が云々――と、神田の口から出たらしいゴシップなど、一寸不愉快だが、書いたのが伊藤司旭と署名してるからいゝ。二回終ったのが八時、東宝へ菊田・堀井を誘って「トウランドット姫」を見る、感心せず。入りも少し。演舞場へ島田正吾を訪れる、此の方は入ってゐる。

[#1字下げ]七月九日(月曜)[#「七月九日(月曜)」は中見出し]
 九時起きで、内幸町大阪ビル、メトロ試写室へ、「虹の都へ」Going Hollywood を見に行く、西洋の声帯模写があるとの話だったが、ちょぼッとだけ、メリオン・デヴィス、ビング・クロスビーで、愚にもつかぬ愚劇なりし。二戸・大黒・上山とでマーブルへ行き、食事して座へ。大辻が八・九と出て、十月頃洋行したいと言ふ。新京へ神田の父親が来てるので、神田も傍に置いて、よく言ひきかせる、父もよろしくたのむと言ふので、今後も預ってやることゝする。たゞ困ったのは川口の求愛(といふよりもっと露骨なもの)物凄く、あんまりつけ廻されるので恐がり、休ませたい位だと言ふ、放ってもおけないので夜は大西にでも送らしてやることにする。

[#1字下げ]七月十日(火曜)[#「七月十日(火曜)」は中見出し]
 九時に起きて、ムサシノ館へ「プレジャンのトト」[#横組み]“Toto”[#横組み終わり]の試写へ行く。これは久しぶりにいゝもので、前半殊によく、後半もフランス気分ではないが見られる。肥後博に逢ひ、又マーブルへ寄る、平岡権八郎が「毎日何うも―」と喜んでゐる。座へ出る。神田は、来替りから休ませよう、それより他に手は無い。ひるの部終って、川口を神田と結びつけようとした清川を呼んで、一言注意を与へた。夜の部済んでから、「大政小政」を立つ。神田へは父へ手紙を持たして帰し、明日から休めと言ってやる。「大政」の歌のけいこもありて二時近くなる。

[#1字下げ]七月十一日(水曜)[#「七月十一日(水曜)」は中見出し]
 午前十時起き、上山雅輔来る。一緒に出て、神保町の古本町を漁る、シェクスピアの「じゃ/″\馬馴らし」を買った。古くからあるチャップハウスで一寸食って座へ出る。生駒・大辻その他も、僕の預ってる子と知って口説いたりする川口は、結局われらをナめてゐるんだから此の際一つ強くやってくれといふ意見だ。ひる済んだところへ放送局の飛島が来た。二十日放送、漫談をとの注文。放送局の自動車で又マーブル迄送って貰ひ、スパゲティを食ふ。やっぱりうまい。今夜は「大政小政」の歌をやる。安来節が入ったりして大衆受けのするやうには出来てゐるから先づ大丈夫と思ふ。川口の顔見てるとシャクにさはる。十二時半終る。

[#1字下げ]七月十二日(木曜)[#「七月十二日(木曜)」は中見出し]
 雨、馬鹿に涼しい、十二時朝日新聞へ集合で、与太者二人と小桜葉子を連れ、生駒・大辻・渡辺に東と、各新聞を廻る。マーブルへ寄り食事して座へ出ると、千秋楽といふのに満員。エノケンの方は初日で大したことないらしく、可笑しなもの。ひる終って、森永でランチを食ったが、不味くて食へない。アラスカ・マーブルなんどを愛用し出したので、不味くて困る。夜の部終って、ホッとする、こんなムザン芝居を休みもせずよくも演ったよ。神田昨日より休み、次狂言も休むと申出たら川口は、あはてたと見え、菊田に明朝神田の家へ寄ってくれとたのみし由。

[#1字下げ]七月十三日(金曜)[#「七月十三日(金曜)」は中見出し]
 今日から常盤座の二階楽屋へ移った。部屋は、僕・渡辺・生駒・大辻の四人。此の部屋は風通しよくてよろし。稽古は十二時に始まる。「雷親爺」を演出する、上山の作、どうも面白くない。神田の代りに、先日川口のヒスの犠牲となってクビになった柏を迎へにやった、之で計画の第一は成功、次に神田の復帰については大いに条件を出してやるつもりだ。夕刻頃から「海と与太者」の稽古、何うもこりゃつまらぬ、僕の役たゞ/″\モタれる。「大政」の方は大丈夫受けるものだ。十一時にすっかり済んだが、残って歌だけやる。ジンをのんで浮れ/\てやる。十二時半頃終る。

[#1字下げ]七月十四日(土曜)[#「七月十四日(土曜)」は中見出し]
 今日初日。涼しい日が続く、今日も割によく入ってゐる。序幕が済んだところへ座へ着き、それからセリフを覚えにかゝる。三は「海と与太者」だ。二枚目のもたれで、栄えぬが、与太者三人のおつきあい、まあ楽にやってのける。四、「清水次郎長大政小政」あんまり長くてしょがないのでカット二景ばかりして貰った。大阪屋のランチ、コーヒー、コゝア等飲む。「次郎長」はカットになったので、まあよくなった。まだ/″\歌が長すぎるので、残ってカットする。

[#1字下げ]七月十五日(日曜)[#「七月十五日(日曜)」は中見出し]
 九時起き、お盆だ、早出。座へ来るともう満員。昨夜来咽喉がいけない。「与太者」は大したこともなかったが、「次郎長」に至っては、声の出ない嘆きをかなり感じた。一回終って、エンボツで吸入したがもう手おくれ。「次郎長」の歌、全くひどくなってしまった。客は大満員、「おい三階落ちるよ」ってさわぎ。今日は「与太者」でトリ。飛島来り、漫談の題は「一人トーキー」とする。大分のどが悪いが、一寸一杯といふつもりで、みや古へ上山と菊田を連れて行き、サトウ・鈴木も来て、一同一緒になり大分飲む。

[#1字下げ]七月十六日(月曜)[#「七月十六日(月曜)」は中見出し]
 昨夜ですっかり調子がとまっちまって、「与太者」でも口を動かしてるだけで結局まるで声が無い状態。「次郎長」は歌を人にふりかへたり、コーラスに廻したりして兎に角出ることは出たが之亦無声版だ。「きこへねえぞ」と客がどなる、きこえねへ筈、何も言ってないんだから。これじゃしようがない、代役を東と相談して立てる、与太者は、生駒、次郎長を中根に。表へ寄って川口と、八月松竹座の出しものにつき相談した。又、田丸などにつまらぬ脚本を書かしてるらしい。マーブルへ寄りラヂオの原稿書いてねちまふ。と、十二時すぎ、山野一郎来訪。

[#1字下げ]七月十七日(火曜)[#「七月十七日(火曜)」は中見出し]
 アダリン六錠がきいて午後二時までねちまった。まだまるで声の無い状態だ。床をとったまゝ、ラヂオの「一人トーキー」の原稿書く。東が鏑木と一緒に見舞に来た。病気じゃないから元気だ、いろ/\愚談する。昨夜山野が来て、「半月分給金を貰ってない」と言ひ出した話などして東帰り、一人で夕食して、蚊帳の中で松竹座八月用の「海・山・東京」の案を立てる。アダリン四錠のんでねる。

[#1字下げ]七月十八日(水曜)[#「七月十八日(水曜)」は中見出し]
 十時起き、たっぷり寝不足を取返した。が、まだ調子はいけない、耳の辺までボーッとしてゝ、気持が悪い。夜は出ることにして、ひるは休む。母上とマーブルへ行き食事してから座へ。出てみると、渡辺篤も調子やって休んじまったさうで、「次郎長」は、ムザンな状態になってゐる。部屋へ来てみると、机の此の日記の入ってる抽斗が鍵をこはされてゐる、泥棒が金目のものが入ってないので呆れたらしい形跡。「次郎長」を終って公会堂へかけつけ、声の出ないことを断って、渡辺・横尾と一緒に手品めいたものをやる(30[#「30」は縦中横])。それから与太者三人をかもめで馳走し、神田を送って家迄行き、父母と話して帰る。

[#1字下げ]七月十九日(木曜)[#「七月十九日(木曜)」は中見出し]
 今日一日だけ「海と与太者」の松山先生を生駒に代って貰ふことゝした。「次郎長」やったが、何うも声が本当でない。ひる終って事務所へ川口を訪れ、芸術方面の一切を僕に任せてほしいといふと、頭から、そりゃ御損ですよ、お止めなさいと取り合はない。それから神田のことに話が行った、こっちは恥をかゝせないやうに、女をノボせさせたが、それは川口氏にも罪があるだらうと云ふ言ひ方をして、許してやったものか何うかと話したら、敵は何ともハヤ呆れ返った白っぱくれ方で、神田がそんなにノボせてるなら他にいくらも女優はあること故、あっさり断ったらいゝでせうと来た。よろしい、その量見なら! とこっちの腹も定ったから、八月松竹座の時からこっちへ出さないことゝした。七時すぎ終ると、公会堂のほてい屋の会へ行く(30[#「30」は縦中横])。それから放送局へ、明日のテスト。福田宗吉の擬音実によく、頗るよきものとなる自信もついた。森岩雄氏へ電話し、神田のことをたのむべく二十一日朝、逢ふ約束をした。

[#1字下げ]七月二十日(金曜)[#「七月二十日(金曜)」は中見出し]
 昨夜来川口の態度に不満を感ずること極端となり、到底之以上長いつきあひは出来ない、とつく/″\思ふ。今日はラヂオの日。大辻今日より旅へ出ちまって休み、ひどい奴だ。「次郎長」の大政は林寛が代る。「次郎長」を中根にたのんで置いて、放送局へはちと早いからマーブルへ行き、夕食。小勝が僕の前、之が大分のびちまって此っちの時間へ食ひ込む。昨夜のテストで時間とったのも意味なし、しまひの方はあはてゝ歌も一つカットしちまった。「一人トーキー」の此の試みは多分成功と思ふ。

[#1字下げ]七月二十一日(土曜)[#「七月二十一日(土曜)」は中見出し]
 昨夜は早く帰り、八月松竹座用の脚本、レヴィウ「海・山・東京」を三時までかゝって書き上げた。アダリン三錠のんでねた。新宿駅楼上で森岩雄氏と逢ふ約束なので八時起き、その辛さったら。九時、森氏と逢ふ。神田を八月からP・C・Lへたのむ、よろしいと引受けて呉れた。川口のことも色々話した、結局森氏の言によってよく考へてから戦ふことゝする。座へ来ると、今日から「次郎長」が先になる。「バルコン」の婦人記者、「婦人子供報知」の記者等、談話をとりに来る。本日になって、八月松竹座の興行には、蒲田から城多二郎・井上雪子・竜田静枝他もっとくだらないとこが沢山加入するときゝ、大くさり。

[#1字下げ]七月二十二日(日曜)[#「七月二十二日(日曜)」は中見出し]
 昨夜大分飲んだので気にしたが調子大して悪くもなし。渡辺も調子を押して出てゐる。大阪屋は生意気故常盤のカツレツ・オムレツとめし。花井淳子、過労から倒れた、あんまり人類を酷使するから、みんな参るのだ。今日は又、次月此の金龍館へかゝる五九郎劇の脚本に、われらが頻りに推薦した「笑の王国」向きの脚本、山下の「恋と十手と巾着切」をやらせるとのことをきいた。不満、毎日積るばかり。銀座へ、珍しくルパンへ寄る。

[#1字下げ]七月二十三日(月曜)[#「七月二十三日(月曜)」は中見出し]
 今日から十一時半開き、一時に入る。花井淳子休み、三益が代る。磯野秋雄が撮影で、代りに小藤田正一が来た。之は磯野の方がいゝ。菊田の書く「弥次喜多」は、まだアゲ本しないとかで、警視庁で大変怒ってるさうだ、八月一日にはとても許可出来ぬと言ってる由、こりゃ面白くなった、ひょっとすると休みになる。夜の部になって時間をのばして呉れってさわぎ。九時四十五分ハネ。松竹座へ寄り、装置の村上と、「海・山・東京」の絵のこと打ち合せる。貴島と新宿へ行く。

[#1字下げ]七月二十四日(火曜)[#「七月二十四日(火曜)」は中見出し]
 午前中、伊藤松雄訪問、先日のラヂオを馬鹿に賞め、十二時十五分までゐて、座へ。松竹座が松竹キネマの直営となり、川口が乗り出すなどゝいふデマだか何だか飛んでゐる。兎に角五九郎の方へばかり一生けんめいになってゐるらしい。ひるの部、今日から花井も治って出た。汗だく/″\。又インキンで困る。夜の部終ってから松竹座へ。エノケンの「国定忠次」のフィナーレ大格闘てとこを見る、本水使用てんで舞台は大豪華、うらやましいやうなものだったが、芝居は何うも見当違ひだ。渡辺篤の弟子みたいにしてる三井銀子の父が来て渡辺と話してゐる、きいてみると、その子を芸妓に売ると言ってる由、渡辺のとこへは本人が「助けてくれ」と言ふ。どうも悲劇だ。

[#1字下げ]七月二十五日(水曜)[#「七月二十五日(水曜)」は中見出し]
 ひるの部終って事務所で配役。何しろ次の狂言は、役が少い上に、蒲田軍の来演てことになったので何うにも役が足りない、蒲田軍てものが既に忘れられた人々ばっかり、スターが竜田静枝のヅー/″\と来てるから何うにもハヤ。で結局、僕の「海・山・東京」には井上雪子だけを使ふことゝした。「弥次喜多」は渡辺と二人で行くつもりだったのに、大辻とやることになった、之には全くクサった。その他自分のヴァラエティーで声色屋ともう一つ気のいゝのをやる。夜の部終って牛込をブラつき、田原屋へ。

[#1字下げ]七月二十六日(木曜)[#「七月二十六日(木曜)」は中見出し]
「次郎長」は中日位から伊井張りでやってるんだが、小道具の春ちゃんてのが「向島でやってますね」と言ったきり、あんまり近頃の客には分らぬらしい、「歯が抜けてるやうだ」と言った奴があるのは困った。ひる終ると川口が今夜皆でのみませうと言ふ、一寸気味が悪い。部屋で、大阪屋のランチとハムエグス。夜の部終ってすぐ、川口に連れられて公園裏昇鯉へ行く。渡辺・生駒と東が一緒。松竹座へハリ切って行きたいために一杯のんで戴きたいと言ふんだが、渡辺が役のことを話しても、僕が楽屋風呂がこはれてゝ困るて話してもちっとも受けつけない。ちっとも愉快にならず。

[#1字下げ]七月二十七日(金曜)[#「七月二十七日(金曜)」は中見出し]
 座へ来ると、渡辺が次の「新婚旅行」の役が嫌だとモメてゐる、結局ふり代へておさまったが、何しろ配役を川口が自分の考へばかりで、定めちまふからミスキャストが尽きないのである。ひるの部終って、渡辺が親子丼を食ってるんで、会田に「ミツバ抜きで」と命じたら、ミツバが入って来ちまった、会田が言ふのを忘れたと言ふ、腹が立ったがもう一つ改めて言はせる、今度は向ふが間違へてミツバを入れて来た、之は大辻が引受けて食った、「バカ!」もう腹の立つことしきり。結局大阪ずしで胡麻化す。夜、みやこで代役した連中を奢る。

[#1字下げ]七月二十八日(土曜)[#「七月二十八日(土曜)」は中見出し]
 暑いといへど、まだ本当の暑さでない。神田千鶴子の父親来訪、八月から神田をP・C・Lへ一年半か二年預けることにさせる。田中栄三氏、J・Oトーキーの自分の作に、ぜひ三益を貸してほしいとのこと、川口に話してみたが八月松竹座の時ではうまく行きさうもない。ひるの部の「次郎長」フィナーレの時、森八郎が女の子とベチャ/″\舞台で喋ってるので、どなりつける。いろ/\腹の立つこと多し。松竹座の支配人は、川口直属の山田剛と定りし由、これでもとても永続きはしまいと、誰でもが言ふ。夜の部終って、「海・山・東京」多ぜいのところをまとめる。十二時半すぎになる。

[#1字下げ]七月二十九日(日曜)[#「七月二十九日(日曜)」は中見出し]
 昨夜から本格的に暑くなって来たから、お客は正直、海へとられて此の日曜は、昨日より悪い位。いろ/\腹の立つこと多く、汗流しつゝ全く不機嫌である。要するに川口の支配下にある「笑の王国」は意味なしといふことになるのだ。次の転期への準備である。一回終って、卵をかけて飯を食ひ、コブ茶をのみ、ミルクコーヒーをのんで、吸入をかける。夜の部の「次郎長」に至って又々声嗄れ、全く苦しくなってしまった。ハネ後、三階で「弥次喜多」の稽古をする。全く声出ず、くさる。
 今日、川口全然顔を見せず。

[#1字下げ]七月三十日(月曜)[#「七月三十日(月曜)」は中見出し]
 アダリン三錠のんだのでグッスリ眠れたが、声はいけない。とてもやれさうもない状態なので、中根に次郎長の方だけ代って貰ふことゝした。「海と与太者」の方だけ演る。もういろ/\くさりがあるから全く投げた芝居をする。投げた後は気持が悪いことは分ってるが、投げたい気持になることはあるもの。夜の部も「次郎長」は出なかった。ハネ後、音楽合せで総員残り、一時になった。

[#1字下げ]七月三十一日(火曜)[#「七月三十一日(火曜)」は中見出し]
 午前中、山王ホテルへ池永浩久に逢ひに行く。J・Oトーキーで、九月頃何うだといふやうな話。三益が川口に何か又くだらぬことを言はれたらしい。川口が三益に自分を売り込み、僕から離さうとするやうなことを言ったらしいので、腹が立って/\もう顔がホてって来た。川口を呼ばせて、「何をつまらぬことを三益に言ふのです」とキツ問した、答によっては、許さぬつもりだったが、川口て奴は全く敵はない奴だ、脚本配役、僕に全部任せることゝ、値上についても、何とかするから何卒まあ辛抱せよといふことで、結局又丸め込まれた形だった。九時、「海・山・東京」の舞台稽古にかゝって驚いた。装置は松竹座の村上なんだが、手を抜いちまって、まるで画が描いてない。之が、背景に頼ったものだけにもう演出も気を抜いちまった。次が「弥次喜多」。静御前に扮し、吉野山の一席は先づ自分乍らアサマシヤと思った。何と、稽古終ったのが午前二時。「弥次喜多」稽古中、菊田又例のカンシャクを起し、台本を以て、女の子の頭をポカ/\なぐった。弱ったものだ。すぐ帰ってねる。
[#改段]

[#3字下げ]昭和九年八月[#「昭和九年八月」は大見出し]

[#1字下げ]八月一日(水曜)[#「八月一日(水曜)」は中見出し]
 初日松竹座。客席を覗くと大満員だ。今日が又大変な涼しさなので先づ恵まれた。何しろ五本の出物が皆一時間以上なので、「海・山・東京」が開いたのはもう夕方だ。何しろバックに頼ったのが駄目になったので、気乗りせず。声帯模写はまだ声が治り切らないので源之助と大辻だけやる、之は受けた。「弥次喜多」は、芝居のとこまで大受け。あとはダレである。「弥次喜多」が終ったのが六時半近い。夜の部は一、二、三でトリ。四と五のわれらはもう帰れる。金龍の事務所で川口と話し、一人でマーブルへ寄り定食とスパゲティ食って帰る。

[#1字下げ]八月二日(木曜)[#「八月二日(木曜)」は中見出し]
 今日二日目、十時あき。松竹座は楽屋も天井が高くて住心地ぐっとよろし。「海・山・東京」は、声色屋受けるが、まだ調子が出なくて具合がわるい。「弥次喜多」は、初日よりグッと落ちた。大辻・横尾と来たらアガっちまって何するか分らない、くさる。蒲田から来た、島田・押本が又見てられない。ひる終って入浴。インキンと、又少しオデキが出来かゝって弱る。金龍の事務所で狂言のプラン。大分前に常盤座で出した「かごや大納言」を、先頃出た「めをと大学」を前にくっつけて五に据へ、四はヴァラエティー、三には「結婚適齢記」と定まる。大辻には「あるぷす大将」を出させる。

[#1字下げ]八月三日(金曜)[#「八月三日(金曜)」は中見出し]
 声具合悪し、今日は「海・山・東京」の声色のとこをカットした。「弥次喜多」つく/″\又憂鬱。大辻って奴はまるきりセリフが分らない、それに一人で受けよう/\とあせる。こんな奴と年中つきあってたら人気が落ちてしまふ。全く、くさった。ひる終って、常盤の洋弁と、福仙のサツマアゲ等食堂で食ひ、ねころぶ。大西、勤務中床屋へ行く。何うして此うバカばかり揃ふか、非常識漢多きかを嘆く。

[#1字下げ]八月四日(土曜)[#「八月四日(土曜)」は中見出し]
 昨日から頻りに暑くなったので、入りはよくない。ひるの部、声色、源之助だけやってみる、まだ、ほんとでない。「弥次喜多」は相変らず半くさりだ。ひる終って、吸入しようとしたが、アルコールが無いやら、何が足りないやら、何うして此うバカばかりゐるのか! と怒る。大勝館へ、「流行の王様」Fashions of 1934 を見る。ウィリヤム・ポエルよろし。極く渋いものではあるが中々野心的なものである。たゞ一時間半は長すぎる。夜の部、大辻の芝居はます/\ひどくなる。もうふる/\共演はお断りだ。ハネ後、森永へ大庭・森と、金龍へ出てる牧野周一等と行き、ウイスキーをのむ。

[#1字下げ]八月五日(日曜)[#「八月五日(日曜)」は中見出し]
 声は昨日あたりより少し出て来たやうだ。日曜で暑し、今日は海へとられて、とても入りはあるまいと思ってたが、何うして中々の満員だ。いよ/\「笑の王国」時代だ。ひるの部「海・山・東京」声色やっても、今の客には源之助なんど分らないらしい。「弥次喜多」大辻にくさる。食堂で常盤のカツとオムレツで飯。川端康成来訪、旬報へ「近頃の雑感」五枚書いた。夜の部の「弥次喜多」一景で後に並んでる連中の中、岩井がベチャ/″\話をしてる。幕が下りるとすぐ大カスを食はす。何うもうちの役者は遊びたがって困る、うんとやかましくすることにしよう。ハネ後、森永から銀座へ出る。

[#1字下げ]八月六日(月曜)[#「八月六日(月曜)」は中見出し]
 午前中、榊の磐彦・日出子・叔母等来訪、日出子の縁談のことでもめてゐる。暑い/\。だが、その割に客は入ってゐる。ひるの部「弥次喜多」で又女の子が話をしてるので怒る。汗、汗、汗。大阪の弘三来訪、びっくりアイスをのませる。夜の部「弥次喜多」序幕では柏と大辻が又話をしてる、大辻にも柏にもさう言ってやる。今日、次狂言の脚本、「結婚適齢記」と貴島のヴアラエティーの本読む。前者は先づ/″\だが、貴島て奴あ何うして此う愚にもつかぬものを書くのか。ハネ後、川口・東・生駒と銀座へ。

[#1字下げ]八月七日(火曜)[#「八月七日(火曜)」は中見出し]
 夏は飲まない方がいゝんだと知りつゝ飲む、いかん。もう酒も飲まずモリ/\能率をあげようと思ふ。何しろ金が無くてしようがない、借金々々で身動きがつかない。いかん。午前中、隈部叔父死去、大番町の家へ寄る。座へ出てみると今日は流石に、暑いから客が悪い。ひる終って湯を浴びる。(ケンサとかで昨日から三日間風呂なし)常盤の洋弁食って、三階の大部屋で九日のラヂオの読合せをする、みんなナマリとクセ多く、直し切れない感じ。夜の部大汗。

[#1字下げ]八月八日(水曜)[#「八月八日(水曜)」は中見出し]
 昨日より全く暑し、今日は出がけにマーブルへ寄って、座へ来るも、汗滝の如し、やり切れない。ひるの部終って、金竜の事務所で、次狂言の配役をする。僕は「かごや大納言」の宗春と、「結婚適齢記」の藤村といふ三枚目の二つ。大阪ずしを事務所で食ひ、舟和のあづきアイスでおしまひ。今日は流石に暑さで客少し。十時に迎へが来て放送局へ、明日の放送のテストに行く。和田邦坊作で、連作の第四回「五十銭銀貨」てふ駄作。何て知恵のないこった。つく/″\やってゝいやになる、無能なることよ。馬鹿々々しいと思ひつゝ十二時まで。

[#1字下げ]八月九日(木曜)[#「八月九日(木曜)」は中見出し]
 昨夜から稍々涼しい、今日は夜放送のため順序を狂はして、「弥次喜多」から始める。入りのない日は何うにもバカ/″\しくて出来ぬ芝居だ。ひるを終って、常盤のオムレツ、メンチボールと飯。「モダン日本」のために五枚、「楽屋実話」を書いた。それから次狂言の宣伝文句を苦労して書き、次の「かごや大納言」の本に印をつける、中々面白く行きさうである。今度は稍々セリフも覚える気が出た。夜は放送局へ。八時三十五分より二十五分やる。つまらないもの乍ら、うちの役者達は、さう下手じゃないなと思った。

[#1字下げ]八月十日(金曜)[#「八月十日(金曜)」は中見出し]
 暑さ、いくらかよろし。座へ出て、少し早いので森永でコゝアをのむ。「弥次喜多」相変らず大辻を困ったものと思ひつゝ演る。ひる済んで、中華丼食ひ、旬報の、五日に書いたのを又三枚足して書直す。夜の部終って入浴。三階で「結婚適齢記」の立稽古あり。僕の役は大阪弁で、よくはないがまあ儲け役。済んで、階段下りて来ると、先日芸妓に売られそこなった渡辺の弟子三井銀子がゐて、話をきくと可哀さう、何とかしてやらうと話す。

[#1字下げ]八月十一日(土曜)[#「八月十一日(土曜)」は中見出し]
 座へ出る。調子、ほんとならず、何しろ連日飲むので。「弥次喜多」大辻と二人組で芝居するのは、フル/\いやだと、又思ふ。ひる終って、ランチと支那そば。ねころんで「適齢記」のセリフ覚える。珍しいこと。今夜は大辻の放送のため「弥次」が先になる。走り走るので全然早く終っちまふ。「海・山」がトリで、九時半にハネた。入浴して、森永へ、大庭・小堀・桂介で行く。

[#1字下げ]八月十二日(日曜)[#「八月十二日(日曜)」は中見出し]
 日曜だが、今日は二を出揃はすので、一時すぎに始まる。三益が銀座へ出ようと言ふ、金がないよと言ふと今日はオゴるからーと言ふので、マーブル迄行ったら休み。では、とボストンのグリルが大分有名なので行ってみる、之が外れだった。スパゲティもハンガリーシチュウとカレーライス皆いけない、ポタージュだけよかった。夜の部終って三階で「かごや大納言」の立稽古。十九景だから時間がかゝる。稽古中、渡辺篤のとこへギャング来りあばれた由。新太郎事水越が頭痛で倒れたので送り乍ら帰る。

[#1字下げ]八月十三日(月曜)[#「八月十三日(月曜)」は中見出し]
 今日は誕生日。母上が、楽屋の者に食べさせろとて、上野風月の洋食弁当を十人前届けさして下さった。今日は又、市電の招待だから千秋楽ながら客は悪くない。放送局の安藤が吉川子爵の若様を連れて来て見物させて行った。ひる終ったとこで、誕生祝の洋食を皆にふるまふ。川口のとこへ行き、九月より値上の件、よろしくと言って置く。夜の部は、停電があったりしたので一時間以上おくれさうなので、「弥次喜多」をめちゃ/\に走って、十時十五分に終らせてしまった。今夜は此のまゝ帰れる。

[#1字下げ]八月十四日(火曜)[#「八月十四日(火曜)」は中見出し]
 十一時から稽古だが、かなり早く浅草迄来てしまひ、大勝館へ入る、「夜間飛行」の後半、オールスターキャストだ、ジョンバリが肥ったのは驚く。マーナ・ロイも見違へるばかりの肥り方だ。一時半座へ来て、「結婚適齢記」の準備、之が又三時頃からで終って六時すぎ。九時になって漸く「かごや大納言」が始まる、十九景といふ大作で、鬘は重いし、昨夜の睡眠不足もあって全く辛し。フラ/\しながらやる汗の化物。終ったのが一時、くた/\のくた。これ毎日やらされたら何うなるんや!

[#1字下げ]八月十五日(水曜)[#「八月十五日(水曜)」は中見出し]
 初日である。十二時に入る。入りは先づ上の部。「結婚適齢記」は、竜田静枝に結城一朗なんて素人の中へ僕一人だから、全く一人で浚っちまふ感じで、気まりが悪い程だ。之が済んで、大納言の支度にかゝる。何しろ長いの長くないのって、二時間二十分かゝった。レコードだ。一回終ったのがもう六時半だ。此れじゃ辛い/\とこぼしてゐたら、明日から三の「結婚適齢記」を、まん中へ一回といふことになった、いくらか助かる、「かごや」も一時間台で終るやうカットする由。鏑木、今日又休み、体が悪い由、何うも弱くて困る。十時十五分終り、森永から新宿へ。

[#1字下げ]八月十六日(木曜)[#「八月十六日(木曜)」は中見出し]
 二日目、今日から三を間へ※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]むので、「かごや」からである。今日から四景ばかりカットしたので昨日より大分らくである。夏場は白塗りや殿様はつく/″\やるもんじゃない、扇も使へず汗も拭けないのはたまらない。入浴して、ねころび、カシオペアのランチを食って、さて又ねころぶ。夜は「かごや」一本だから楽なやうなものゝ全く此の汗は泣ける。堀井夫妻・菊田・鏑木等と銀座へ出る、オデオンへ行ったら、放送局の小林徳次郎に逢ひ、「金色」放送の話から、放送用の僕のプランいろ/\話すと、ぜひやって呉れと言ふ。

[#1字下げ]八月十七日(金曜)[#「八月十七日(金曜)」は中見出し]
 九時に起きて、メトロゴルドインへ、メイ・ロブスンて老女優の[#横組み]“You can not buy Everything”[#横組み終わり]って八巻物の試写を見に行く。脚色は充分苦労してゐるが、結局長すぎることゝ暗いことがいけない。メイ・ロブスンは、ドレスラーよりいゝが、何しろ老婆だから救ひはない。大黒と上山でオリムピックへ寄り、トマトスープと、チャプスイを食ふ、トマトスープはいゝが、チャプスイはゼロ。浅草へ来て、「かごや」と「結婚」を続けさまにやり、入浴して、川口と次狂言の話。「次男坊」を出しものとし、これ一本として貰ふ。ヴァラエティー一本書く約束する。夜の部終って、中町と銀座へ出てそれから横浜までドライヴした。

[#1字下げ]八月十八日(土曜)[#「八月十八日(土曜)」は中見出し]
 昨夜――暁四時に帰ったので、十一時までねた。座へ出ると、間もなく「かごや」である、毎日飲むから何時迄たっても調子が本当にならなくて困る。島耕二ロケーションで上京したと訪れたので、飯を食はうとマーブルへ行く、丁度土曜で海老カレーの日。夜の部「かごや」又汗汗。終って入浴し、銀座へ出て、シネショットで遊ぶ。
 熊岡天堂来り、満州へ一と月行ってくれとの話、てんで話に乗らず。

[#1字下げ]八月十九日(日曜)[#「八月十九日(日曜)」は中見出し]
 日曜である。涼しいから今日は海へ客をとられないだらうと思ってたら果して大入満員である。笑の王国ももう大丈夫ってとこだと思ふ。「結婚」の方、一人で笑はしてはゐるが相手が素人だから芝居が盛り上らず、結局つまらん。一回終ると、二科の東郷青児来訪、去年もプログラム作ってやったのだが、今年も作ってくれと言ふ話。放送局の小林に、菊田の脚本と、プラン三つ書いた手紙を鏑木に持たして出す。今夜の会議で定めると言ってゐた由。夜の部も順序通りやって、汗みどろ。終ったのは十時近く。

[#1字下げ]八月二十日(月曜)[#「八月二十日(月曜)」は中見出し]
 今日は又少々暑い。十二時半に座へ出た。大分ギャング出入りが多いので楽屋訪問客は交番の許可が無くては入れないことになった。有がたくもあるが随分不便もあるだらうと思ふ。加藤雄策来訪、飯食ひに出ようといふので、アラスカへ。アラスカの一円半の定食、大したこともないがまあうまし。マロンシャンティリーアイスクリームを飲む。座へ帰ると、島耕二が来てた。今日は大入満員だ。川口が明日ハネてから一杯やりませうと言ふ。

[#1字下げ]八月二十一日(火曜)[#「八月二十一日(火曜)」は中見出し]
 今日は又暑い。座へ来ると、間もなく化粧にかゝる、何しろ白塗り故手間がかゝる。「かごや」は大分受ける。ひる終ったら、グッタリ労れて眠くなった、此ういふ時、静かなとこでひるねしたい、と思ふ。が、いざ、ひるね出来る身になれば、ひるね出来ぬ身が羨ましいと思ふであらう。東宝の樋口、話したしとあるので、行く。廿四日、小林一三氏に逢ふことにした。夜の部終って、川口がみや古へ行かうといふので、渡辺・生駒・東と共にウイスキー大いに飲みつゝ談じた。

[#1字下げ]八月二十二日(水曜)[#「八月二十二日(水曜)」は中見出し]
 昨夜飲んだので、咽喉具合悪くなった、之は弱る。座へ来て、大辻が文芸部の新米を失敗の故に便所へとぢ込めた件を怒ってやった。それに因を発して、進行係の秋元・西田とその新米が辞職した由、明日から新しい進行が来るさうだ。ひる済んで、東劇へ行き、好太郎と会ひ、二十七日にこっちへ来るやうに話をきめて来た。福助の部屋へも寄る。夜の部、汗演。加藤・生駒等と銀座へ出る。

[#1字下げ]八月二十三日(木曜)[#「八月二十三日(木曜)」は中見出し]
 暑い。昨夜、蚊帳の中へ蚊が入ったので、それに汗があんまり出るので寝られず、眠不足の感じ。座の前に大きく「九月一日よりエノケン公演」と出てる、予告にしては早すぎる、東に言って看板を下ろさせた。今日又調子ぐっと悪くなり、ガサ/″\声しか出ず、大いにくさる。ひる終って、森永へ。三門菊子の叔母てのに逢ひ、相談に乗ってやる。煩はしいが、世話好きな僕と見える。それにしても此の数日の金欠には大困り、川口に逢って金のことを話さんと思へども本日出て来ず、ヤレ/\。ハネる頃中町来り、又もや銀座へ。

[#1字下げ]八月二十四日(金曜)[#「八月二十四日(金曜)」は中見出し]
 十時起き、声ます/\いかん。十一時の約束で、東宝へ、樋口と逢ひ、ペパミントソーダを飲む、お互に宿酔らしいので。それから東電本社へ小林一三氏に逢ひに行く。銀座の花月で牛肉のすきやきを御馳走になりつゝ色々な話をする。「東宝へ来るのが一ばんいゝよ」と言ふが、来いとは言はず、小林さんて人は面白い。座へ出る。「結婚」すませて入浴、外出せず昼寝せんとつとむれど、稽古場のピアノを、たど/″\しく草津ぶしなどひくので「楽員以外ピアノひくこと禁ず」の貼紙させる。夜昨年の八月もやった燈火管制の予習とあって、又々全市暗くなる。

[#1字下げ]八月二十五日(土曜)[#「八月二十五日(土曜)」は中見出し]
 今日は理髪しようとてツナシマへ行くと全然三枚目、二十五日定休。昨日よりは稍々涼しい。今日生駒急病で休み、家老村越の役を斉藤紫香が代った。まるで芝居を見たこともないと見えて、さなきだにつまらない前半がめちゃ/\。一回終って配役しに金龍の事務所へ。今度は僕、約束通り一本、「次男坊」だけ出る。あとの役を拾って、宣伝文句を書いてやる、之が一つのたのしみなればしようがなし。夜の部終ったのは九時半。

[#1字下げ]八月二十六日(日曜)[#「八月二十六日(日曜)」は中見出し]
 今日は俄然涼しくなった。朝七時に目がさめて、コンビネションの上へ寝衣を着た位。座へ。「結婚」こいつは段々いけなくなるやうだ、結城一朗なんてのがまるでバカで能が無い。「かごや」今日は生駒も出たので、大いに受ける。「かごや」は全く当り狂言だ。食ひものに苦労した、一っそ毎日屋で豆と白あへでも食はうかと買ひにやったが休み、来々軒の焼売とゴモクワンタン食ったら、まづいの何のって。浅草へ誰か洋食屋を出さないかな全く。夜の部終り十時近く。地下鉄で銀座へ赴く。

[#1字下げ]八月二十七日(月曜)[#「八月二十七日(月曜)」は中見出し]
 出がけ、約束なので坂東好太郎を松竹座へ連れて来ようと思ったんだが、昨夜カニを食って下痢し、ねてゐると言ふので、ダメ。ヤングへ寄って理髪する、モミアゲを変に剃り込まれてクサる。ひる終って日比谷へ行く途中、マーブルへ寄ると久保田万太郎先生に逢ひ、明朝沢村源之助を訪れることを約す、「かごや」を見て呉れた由。日比谷新音楽堂へ報知の納涼の会で行く(30[#「30」は縦中横])。新興の連中も来てゝ、大谷社長がゐた、「菊池先生にお願ひしてありますが近く三人で逢って話さして下さい」と言っとく。座へ帰り、「かごや」をやって、帰る。

[#1字下げ]八月二十八日(火曜)[#「八月二十八日(火曜)」は中見出し]
 十一時に上野駅で久保田氏と逢ひ、沢村源之助を訪問、九月三日夜、沢村源之助芸談を放送する、話のきゝ手として僕が出ることになり、その下相談。昼頃になり鳥料理など御馳走になり、一時すぎ辞して座へ。「かごや」は、やればやる程よくなり、「結婚」はやる程悪くなる。ひる終って、加藤雄策、海軍少尉の服で来たので大受け。外出せず、中西のビフカツとオムライスで食事すませ、ミルクコーヒーなどのみ、ねころんで揉ませる。左の耳が二三日前から一寸悪い気がする。夜の部終ってから、三階で「次男坊」の読み合せあり、大いに肩こる。

[#1字下げ]八月二十九日(水曜)[#「八月二十九日(水曜)」は中見出し]
 ひるの「かごや」の半頃で、耳がとても気になり出し、芝居してる気がせず、帰って休まうかとさへ思った、声も出なくて、之も心持悪し。三益が休み柏が代る、此の花魁には参った。母上や榊叔母・磐・湯浅叔母等が見物されたので、一緒にマーブルへ行き夕食しつゝ、このまゝ帰らうかと言ってると、島田正吾が楽屋へ来てる電話。座へ帰り、島田と話し、「かごや」を演り、鏑木・大西を連れて帰宅。久しぶりで帰ってみれば家庭もよろし。吸入し、アスピリンのみ、サロメチール塗り、アダリンのみて十二時眠る。

[#1字下げ]八月三十日(木曜)[#「八月三十日(木曜)」は中見出し]
 午前十時――昨夜十二時からよく眠ったので、清々しい。榊磐彦来り、鉄道病院へ連れてって呉れる、耳鼻科で診て貰ふ、別に手当の要なしとあって安心する。榊と共に座へ。咽喉具合稍々よろし。「かごや」又三益休み、柏の花魁でやりにくし。「結婚」の大詰、倒れるところ一寸勢ひ込んだので袴まくれ、猿股までまる出しになって皆笑っちまった。中西のハムエグスとおこわを食ふ。夜の「かごや」第一景で羽二重がづっちまって、会田に直させようとしたが、ゐず、カンシャク起して、不機嫌演。終りのとこで停電、かまはず演ってるとパッとつく。今日松竹座千秋楽。夜に入りて雨、金龍へ化粧前の引越し。金龍の三階で「次男坊」を立つ。

[#1字下げ]八月三十一日(金曜)[#「八月三十一日(金曜)」は中見出し]
 馬鹿に涼しい、朝湯で瓦斯をつけ直す位、十時半まで快く眠る。午前中、竜泉寺町の沢村源之助宅へ行き、三日のラヂオの打合せをする。本日は舞台稽古、四の「サーカス来る」を先にやる。五の「次男坊」までの間、松喜へ行き牛肉。涼しい/\。金出た、値上げのことは「追って」と云ふ挨拶。秋立つ如き冷風。あゝ秋はよろし、冬は更に又。結局「次男坊」がすんだのが十二時すぎ。入浴して帰りかけると、生駒に呼止められ、新ばしの寅家へ渡辺も共に行き、すしを食ひ二時近くまで。
[#改段]

[#3字下げ]昭和九年九月[#「昭和九年九月」は大見出し]

[#1字下げ]九月一日(土曜)[#「九月一日(土曜)」は中見出し]
 涼しい朝、十一時半頃までねてゐたが、起きて食事し、セリフ覚えようとしてたら眠くなり一時頃までねた。此う涼しくちゃ気持がよくってしようがない。二時に家を出て座へ来ると、もう四の「サーカス」だ。次男坊は学生が大ぜい出るので、会田も大西も、その他部屋子が皆かり出されて並ぶ。「次男坊」は涙もので、極く古い新派だ、稽古の時は馬鹿々々しいと思った処も、客が入ってみると、泣けて来て、二三個所、ほんとに泣けた。先づ無事なものらしい。本日雨、去年八月の如く燈火管制。「空襲!」ってさわぎ。夜の部、燈火管制のわりには満員。ハネてまっくらの道を帰る。

[#1字下げ]九月二日(日曜)[#「九月二日(日曜)」は中見出し]
 もう之がほんとの涼しさか知ら? レンコート着て出る。日曜だから、一時すぎに、もう表は客を止めてゐる。「次男坊」相当受ける、大新派だけにくさくやればくさくやる程いゝらしい。一回終って、涼しさを味はひつゝ菊田と森永へ行き食事。座へ帰ると、友田来てゐて、旬報十五周年号が出来たと見せる。九時前に体があいたので、生駒・渡辺と一緒に、エノケンを松竹座へ見に行く。「インチキ太閤記」を半分ばかり見る。やっぱりよくやってゐる。友田・鈴木桂介・山下三郎とでみや古へ。本日の上り、松竹座三五〇〇・金龍二七〇〇の由。

[#1字下げ]九月三日(月曜)[#「九月三日(月曜)」は中見出し]
 今日も涼しくて曇り。座へ出る前、大勝館へ行き、「若きハイデルベルヒ」を見る。凡作。ドラマティック・ギャグあれど、デッサンが確りしてないのと、所と時を得て行はれないので皆ピンと来ぬ。座へ出て「次男」やる、何うも調子いかん。放送局へ行く前、銀座へ出て、スコットでポタアジュとヒレステーキと、スパゲッティをやる。ポタアジュ一ばん、ビフテキは駄目、スパはソース過多なれど、うで具合よろし。放送局へ、源之助芸談。七時三十分より八時七分前迄、芸談を引き出し、最後は笑の一手を用ゐてチョン。あはてゝ自動車走らせ、座へ帰り「次男」をやる。調子いかん。

[#1字下げ]九月四日(火曜)[#「九月四日(火曜)」は中見出し]
 十時半に起きる、声いかん。伊藤松雄訪問、昨日のラヂオは成功と言ふ。座で、「次男」やってすぐ表へ行き、次のヴァラエティーは「笑の王国ニュース」ってことにしたらと案を立てる。五十番でシュウマイと中華丼、このまづさに呆れる。大勝館へ、評判がいゝので、コロンビアの「或夜の出来事」[#横組み]“It happend one night”[#横組み終わり]を見る、長きこと二時間近し、とてもよきものなり。シナリオもいゝが、フランク・キャプラってリアリストの監督に参った。音を実によく選んでゐる。此ういふもの見ると、リアルな映画やってみたくなる。夜の部終って、中町と銀座へ。

[#1字下げ]九月五日(水曜)[#「九月五日(水曜)」は中見出し]
 午前九時に起きて、メトロの試写室へ、[#横組み]“Men in white”[#横組み終わり]の試写を見る。苦しい重い圧力のあるストーリー、全くストーリー本位で、監督の影も薄い。だが、クラーク・ゲイブルって役者はいゝ役者だ。テーマに押された後、パッとしたくなり、マーブルへ行き、定食とスパゲティを食ふ。座へ来て、次のヴァラエティーの本を書く。「笑の王国ニュースレヴィウ」。ひるの部、声全くいかん、又禁酒しようと思ふ。徳川夢声妻、死去、去月三十一日、もう葬式も済んだ由、今夜皆で顔を出すことにした。大阪屋のハヤシライスとトースト。ハネ後、荻窪まで急行する。

[#1字下げ]九月六日(木曜)[#「九月六日(木曜)」は中見出し]
 十一時までねた。今日も早く出たから何か見ようと、常盤座の蒲田トーキー「新婚旅行」を少し見た、小桜葉子を高く買ふ。座へ出る。声又々いかん、くさり演。大辻セリフをトチって、こっちのせいにしようとする、舞台じゃ負けてゐられない食ってかゝってやる。ひる終って、松竹座のエノケン「世界与太者全集」のおしまひの方見る、感心するとこはなし。大勝館でチャプリンの古典、エッサネイ頃の「伯爵」って奴、チャプリンは十何年前にエノケンをやってゐた。その映画の中でスパゲティを食ふとこで急に気がつき、マーブルへ急行、ポタアジュとスパと犢を食った。座へ帰って「次男」やり、鏑木・森八等と銀座へ出る。

[#1字下げ]九月七日(金曜)[#「九月七日(金曜)」は中見出し]
 出がけの自動車に乗る時、バタンと鏑木がしめたらガラスが破れた、下りる時、弁償しろと言はれ、腹が立つので交番に渡す。巡査もてあまし、よくお願ひして幾らか戴けと言ふので、頭を下げるならと、一円やる。座へ出ると、昨日も市電のストライキが祟ってまるで入らなかったが今日又ひどし。ひる済むと、阿部金剛来訪、森永で食事して、歩いてると、「上原の舎弟」と称する若いギャングが「ちとノサばってるって評判ですぜ」、凄味がゝって脅かさうとした。おどされちゃ一文も出さない。夜の部終って入浴、又々変なアダヨ部屋へ来り、くさる。

[#1字下げ]九月八日(土曜)[#「九月八日(土曜)」は中見出し]
 一時すぎ座へ出る。又暑い。アイスミルクコゝア、コーヒー立続けに飲む。「次男」ハコに入ってやりよくはあれど客少きを如何せん。ひる終って、次狂言の配役、僕は四・五の二つ。四は三益と二人で歌入りの万才てことにした。五は「旗本退屈男」の早乙女主水之介。大阪ずしを食ひ乍ら配役。森岩雄氏来訪、夢声、妻君没後、くさりて入院のことなどきゝ明日暇あらば見舞に行かうと約す。放送局より「喧嘩オン・パレード」をすぐ書けとの注文あり、急しいが嬉しい。三四日の禁酒のおかげでのど大分よくなった。夜の部すんで、サトウロクロー・大庭等と公園裏のドン/″\焼屋へ行く。今日も飲まず。

[#1字下げ]九月九日(日曜)[#「九月九日(日曜)」は中見出し]
 森氏より電話、明日赤十字へ行くとのこと。座へ出る、日曜だが市電ストがまだ祟って、入り少し。今日は又々夏の如し。家からの弁当で夕食すませる。八時頃体があくから東劇へ菊・吉を見に行かうと定める。生駒・渡辺と東劇へ。長谷川伸作の「盗人と親」これは脚本が悪い、序幕はまだいゝが、二幕目はヤッツケ芝居だ。菊は相変らずいゝ。
 東劇、入場料六円である。われらの芝居は、特等一円だ。六円の六分の一のこと、だけでもあるまいではないか。

[#1字下げ]九月十日(月曜)[#「九月十日(月曜)」は中見出し]
 風強し。昨夜久しぶりで飲んじまったが、まあ大丈夫らしい。座へ出る前、夢声を見舞に青山の赤十字病院へ行った。大分弱ってるらしいが、妻君の死後、裟婆っ気が出たことは確かだ。「あんまり皆に見舞ひに来られたくない」とのこと。座へ来ると、昨日位入ってゐる。飛島来り、明日正午迄に放送局へ届けるやう書いてくれとのこと、引受ける。今夜は徹夜で書きだ。入浴して極めて早く帰る。帰って又入浴、腹ん這ひになり書始める。

[#1字下げ]九月十一日(火曜)[#「九月十一日(火曜)」は中見出し]
 午前四時までかゝって、ラヂオ風景「喧嘩之研究」を書き上げた。放送局へ届けさせる。十二時に起きて食事、母上今日見物さる。「次男」済んで一休みしたところへ、放送局の小林来り、「すまんが、三十日にのばさせて呉れ」と言ふ。拍子抜けした。ところへ又、旬報へ「或夜の出来事」その他のことを書いたのに、早田が間に合はぬと断って来たといふので、電話をかけたら無礼だったから、うんと怒った。悪かった、と言って早田来訪。原稿持って帰った。ハネ後、「笑の王国ニュースレヴィウ」の立稽古をやる。之はまあ相当のものになると思ふ。生駒・大庭・友田とみやこへ。

[#1字下げ]九月十二日(水曜)[#「九月十二日(水曜)」は中見出し]
 十二時半、白木屋ホールへ雑誌週間の催し。僕、初めに模写、調子わるくまるで似ない声しか出ないので大くさり。少し休んで三益と二人で万才をやる。之だけ働いて、三十円にならなかったが、どうもしょがない。終るとすぐ座へかけつけ、「次男」やる。模写はいかんが声は普通、酒やめてドン/″\仕事したい。夜の部終って、三階で「旗本退屈男」を立つ、今夕台本が届いたってんだから驚く。何ともはやむづかしいセリフの連続で、覚えられるもんじゃない。投げた。それに全く面白くなし、いやんなっちゃった。

[#1字下げ]九月十三日(木曜)[#「九月十三日(木曜)」は中見出し]
 今日けい古日。三時より早くは始まるまいからと、日比谷映画劇場へ行き、「絢爛たる殺人」[#横組み]“Murder at the Vanities”[#横組み終わり]を見る、脚色がゴタついたのと、マクラグレンとオーキーを活用せんとして結局無為に終ったことで、傑作とは言ひがたいが、見てゝは面白い。ついでにJ・Oトーキーの「恋の舗道」を見る、田中栄三原作脚色で、ねらひどころはルビッチなんだが、伊奈の監督、とても及ばず、醜ガイをさらす。東宝事務所へ、吉岡重三郎に逢ったら、名人座出演のことしきりにすゝめられたが、座へ出て川口に話したが、イカン断はれと言ふ。モダン日本まつりの日比谷新音楽堂へ行く、三益と二人で万才(10[#「10」は縦中横])。菊池先生がきいてたのは弱った。すぐ座へ引返して、ヴァラエティーの演出し、「旗本」の舞台稽古終ったのは十二時半。

[#1字下げ]九月十四日(金曜)[#「九月十四日(金曜)」は中見出し]
 一昨日より少々風邪気味、咽喉もいかん。鏑木を、東宝へ断はりにやり、週刊朝日へ「喧嘩之研究」を持たしてやる。今日初日だがてんでセリフを覚えてゐない、ヤケだ、やっつけろ! って気持だ。「笑の王国ニュースレヴィウ」は、トン/\行かぬ、自分演の個所もムザン。「旗本退屈男」は天晴れ殆んど何も知らずに出て、プロンプタをたよる、全く以て呆れた度胸だが、幕があけばしまるで、何うやら終った。そこへ又夜はカットで四までと思ってたのが三カットの出揃ひと来たので不機嫌の極。表へ行き、川口に逢ったが、金のこと少しもハッキリしない。夜の部、「ニュースレヴィウ」は、まだいゝ、「旗本」大くさり。ハネ後入浴し、みや古でのむ。

[#1字下げ]九月十五日(土曜)[#「九月十五日(土曜)」は中見出し]
 自動車の中で思ふ、浅草に住むこと一年と五ヶ月――もうそろ/\動きを見せなくちゃいけないと、つく/″\。座へ出る、「ニュースレヴィウ」は、まあ/\狙いどこを外さず。又声が悪くなって困る、酒てものピチッと止めることは中々むづかしい。「旗本退屈男」は作者菊田、ひるの部に来ず、カットすると思ってたとこ又やらされる。菊田は仕事は一ばんいゝが人間がルーズで困る。ひる終って、大勝館へ、白十字で食事して行くと、おめあての「ワンダバー」[#横組み]“Wonder Bar”[#横組み終わり]のつまらぬこと、豪華キャストと、映画ならではのレヴィウシーンがいゝだけ、つまらんので出ちまった。「週刊朝日」の赤井より「喧嘩之研究」は不適当なりとして返却して来た。かせぎそこなひ――くさり。夜の部から、四五景カットになったので九時四十分にハネた。入浴して、森永でウイのみ、銀座へ出る。

[#1字下げ]九月十六日(日曜)[#「九月十六日(日曜)」は中見出し]
 午前中、山野来訪、笑の王国へ戻るやうにして呉れと言ふのだ、座へ来て、みんなにたのめと言って一緒に出る。今日は日曜だから大分人は出てる、うちも満員ではあるが大したことなし。声てんで悪く歌へず困る。「旗本」の四五景カットになったので、楽にはなったが、僕の芝居が無くなり、渡辺・サトウのアチャラカのつきあひになっちまった、が、まあ楽な方がいゝ。王国を去って一旗――について、近頃しきりに考へる。夜の部終って入浴し、みや古で、川口・東・生駒・渡辺・紺野・堀井・田丸・貴島・菊田とで会議する。途中、下の座敷からエノケンの方の松ノボル・野中と土方てのが来て喧嘩となり、メチャなりけり。

[#1字下げ]九月十七日(月曜)[#「九月十七日(月曜)」は中見出し]
 何しろ毎夜飲むので声がいつ迄たっても嗄れてゐる。よし! 今晩から禁酒だ。と決心する。又、山野が来た、一緒に座へ出る。声出ぬから「モンパゝ」の歌をカットして、万才をやる。「旗本」はてんで退屈。終って金田へ行き、鶏を食って座へ帰る。相変らず入りは悪い。川口が休みらしく、本日金借りる筈なのに――困る。夜の部終ってみや古へ山野が来たので、色々話した。山野は、東に給金は包金の百五十円、と言はれた、それは仕方がないが、部屋は僕のゐるとこへたのむと言ふ、僕としては居ない方がいゝ人間なのだが、食ふに困っちゃ可哀さう故、ま、相談にはのってやる。尚帰りに、仕事以外で生意気な点をうんとたしなめておいた。

[#1字下げ]九月十八日(火曜)[#「九月十八日(火曜)」は中見出し]
 雨。十一時までうと/\とねる。昨夜飲むまいと決心して、又のんじまったのが残念。座へ出る、涼しいので、あったかいミルクコーヒーの味よろし。客、わりに入ってゐる。飛島来る、黒田謙同道、入座のこと半決定してゐるのだが、川口がゐないので、話も出来ず。川口が来たら、いろ/\話があるのだが。――で、とう/\来らず、一文なしといふ目に逢った。夜の部も客よし。「旗本退屈男」は、去年やった「水戸黄門」の、又輪をかけた程のアチャラカで、梅坊主復活ともいふべきムザン物だが、客は大いに喜ぶ、いやんなる。いゝものゝ時より必ずこんなものゝ方がいゝんだから。

[#1字下げ]九月十九日(水曜)[#「九月十九日(水曜)」は中見出し]
 今日は又少し蒸暑い、座へ出るのに金一円しかなし、天下の名優哀れをとゞめた。ひるの部、ロクローが声を小さくしか出さず、その上警官が来てるのでヨタは言へず、まことにハヤだれたり。ひる終って川口に色々話さうと思ひ行ったが、不在なので、芝居を見たが、「凸凹ジャズ海軍」の中で、大部屋の村田が、チン/\といふ役の名を、「おチン/\は居らんか」と言ったのに呆れ、部屋へ帰りバリ/″\怒る。とう/\川口は不在。夜の部、くさり演、神田千鶴子来訪、名古屋からの土産を持って来た。

[#1字下げ]九月二十日(木曜)[#「九月二十日(木曜)」は中見出し]
 午前十一時頃までねる。生駒が、先日来、金のことでダレちまって、JOのアフレコの仕事を、十月にはしたいと言ってゐる。僕も胸に一物あるので芝居に身が入らぬ。ひる終って、早速川口と逢ひ、山野復帰の話、黒田謙の話等して、さてこれから又問題にかゝらうと思ってると、飛島が入って来て猥談になっちまひ、とう/\重要の話出来ず。雨で、客は悪い。安藤徳器が今晩迎へに来るから女優も共に待ってゝ呉れと言ふから、待ってたのに来ない、プリ/\怒って帰る。
 ギャング上長へつけ届けがおくれたとかでゴタついたが、漸くケリがついたらしい。浅草はいやだな。

[#1字下げ]九月二十一日(金曜)[#「九月二十一日(金曜)」は中見出し]
 大した風で、屋根の瓦が落ちる。午前中、山野来り、一緒に伊藤松雄訪問、一時間余り雑談して、座へ。此んな風では、入りもあるまいと思ったが、さうでもない、分らんもの。ひるをすまして、川口のとこへ行き、色々話す、金のことは中々いゝ返事をしないが、兎に角何とかして貰ふことにする。そんなこんなの話を一度大谷社長に話したいですナと言ったら、そりゃいゝでせう! といふんで、二十六七日の朝、本社へ行くことにした。夜を済まして、のまぬつもりが又、生駒と二人でみやこへ行き、ウイを大分のんでしまひけり。

[#1字下げ]九月二十二日(土曜)[#「九月二十二日(土曜)」は中見出し]
 午前十一時の約束新宿駅、マルヤの夢声愛人氏と共に赤十字へ夢声見舞に行く。二十五日には退院するとて、大分元気である。それから、旬報へ久しぶりで寄る、いろんなスティルを沢山貰って、座へ。シュヴァリエその他のスティルを部屋へ飾り、泥海男にはウォレス・ビアリーのを、三益にはメエウエストを分ちやる。ひる、あんまり入りなし。ひる終って、塩せんと南京豆を食ふ。夜の部終って、今日より本月一杯絶対禁酒を誓った、その第一日、東郷青児と麻雀しようと思ったが都合つかず、結局大庭六郎を連れて、スコテキへ寄り食事して帰り、昔のプロなど見る。

[#1字下げ]九月二十三日(日曜)[#「九月二十三日(日曜)」は中見出し]
 日曜で少し早い。本日配役。「ガラマサどん」のガラマサと菊田の書いた「海賊万歳」のアルフレッドと二役とる、ガラマサの老けは初めての役だが、一方はつまらん二枚目。夜の部が七時半すぎに終った。堀井、鏑木と共に、東宝へ「憂愁夫人」を見にかけつける。中西武夫といふ新人の作だが、思ひの外の傑作、第一に驚くべき豪華セットのおかげで立派な舞台になる、演出・作共に多分にドラマチックで、トーキー的だ、ネタは「バラのワルツ」ださうだが、兎に角、女の子の男役向きにイヤ味なくスラ/\書けてゐる。感心した。スコットへ寄り、スープとスパゲット食ひ、コロンバンで茶。
 シェクスピア・坪内逍遙訳の「じゃ/″\馬ならし」読上る。実に難解で、役の名も、どれがどれか分らなくなってしまったが、まあ重要な筋だけ読んぢまった。之で一つ書ける。

[#1字下げ]九月二十四日(月曜)[#「九月二十四日(月曜)」は中見出し]
 晴れて祭日、まあみっともないことはない程度の入りだ。部屋へ入ると、プーンと渡辺篤のニンニクのにほひ。ひるの部、舞台でも、くさい/\と思ってるので不快。ひる終って入浴、事務所へ避難して次の宣伝文を書く。渡辺外出ときいて、部屋で、親子をとって食ふ。渡辺が帰って来たので、「まだニンニク食ふ気か」と言ったら、サトウロクローと共演すると、ツバをかけられる、ロクローは病人故、予防にのむと言ふのだ。さんざ悪罵をあびせてみるが、こたへず、「法律で取締って貰ふんだね」と言ふ。ロクローから病気をうつされては困るといふ弱気は愛せるが、さらば、他人の迷惑もかまはぬという態度には全く反感を持った。――案外、こんなことで役者の反目、劇団の分裂なんてことが起るんじゃないか、としたらニンニクも罪つくりである。――と此う日記を書いてゐたら、ねてゐた渡辺がムックリ起きて、「大分皆に迷惑かけるらしいから下へでもうつるよ」と言ひ、横尾・中根のゐる下の部屋へ下りて行った。やがて夜の部始まり、舞台へ行く道、何うしても下のその部屋を通らねばならぬので通ると、渡辺曰く「こゝも通り道が一寸くさいでせうがそいつは我慢して下さい」と言った。僕の答へもよかった。「こゝよりは地下室へ一人で行って貰ふんだったね」と。此の問題果して何うおさまるか。夜すんで、「ガラマサどん」の読み合せ。

[#1字下げ]九月二十五日(火曜)[#「九月二十五日(火曜)」は中見出し]
 座へ早目に出る、と、渡辺病気休演とある。やれ/\昨日の問題がとう/\彼をして此う出さしめたか。今迄の僕の絶対の好意に対して此ういふ礼を欠いたやり方をするならよし! と思った。此処二三日千秋楽まで休んで、次の初日から出る気だらう、さうなったらこっちがおさまらぬぞ。ひるの部、「ニュース」の方は大辻、「旗本」の方は、鈴木桂介に代らせる。この桂介の珍演には舞台で吹き通しだった。東宝の樋口来り、みやこの奥で逢ひ、話す。樋口は今度は東宝小劇場の主任になった由。小林さんと逢ふ話等して別れる。夜済んで、表三階で「ガラマサ」の立稽古と、「海賊」の読合せと立つゞけにやって一時すぎた。

[#1字下げ]九月二十六日(水曜)[#「九月二十六日(水曜)」は中見出し]
 雨だ。座へ出る前、ツナシマへ寄って理髪する。座へ出ると、今日はもう千秋楽近いといふに割に入ってる、分らんもの。渡辺が又休みらしく、まだ来てない。ひる終って、三勝さんといふ義太夫師匠を呼び、部屋で熊谷陣屋をほんの一寸覚える。中々むづかしいもので、それより草臥れるには驚いた、一時間ばかりでヘタっちまい、又明日といふことにした。来々軒のワンタンと中華丼。紅茶とケーキ二つ。夜の部終って、今日は歌のけい古、渡辺がゐないから「海賊」の立稽古はのびて明日といふこと。稽古十二時に終り生駒と色々話す。

[#1字下げ]九月二十七日(木曜)[#「九月二十七日(木曜)」は中見出し]
 昨日義太夫の稽古やり、夜歌のけい古と来たので咽喉が多少面喰ったかたち、折角数日間完全な禁酒をしてゐるにもかゝはらず調子よからず、くさる。座へ出ると、渡辺又休みだ、千葉は三日休んだが、今夜の稽古から出て来ると言った由。ひるの部やってすぐ入浴、吸入する。表へ行き、今夜の稽古から渡辺は出ると言ってる由、それでは僕の顔が丸潰れ故、共演したくなし、「海賊」はお返しする、と言ったら、川口も東も、そんなこと言はずにおさまって呉れと、しきりに言ふ。夜の部終って、「海賊」の立稽古だ、渡辺が来ないものだから、先へ音楽合せをやり、待つ――十一時になっても、まだ来ない。新興入江トーキーの方へ運動してるといふ情報が飛ぶ。腹が立ってたまらない、此れだけ待たしといて、のめ/\とやって来たら、こっちが帰るつもりでゐた、が、十一時すぎとなると川口も東も流石に黙ってもゐられぬと見え、相談の結果、黒田謙をいきなりトッパーの役にふりかへちまった。之で、まあ済んじまったが、川口と東の本日の態度は僕にとっては頗るあきたらぬものがあった。渡辺の腹も見抜けないで、やたらに僕の怒りをおさへようとした川口は、もう信頼しない。此のおさまり如何で相当こっちも覚悟せねばならぬ。

[#1字下げ]九月二十八日(金曜)[#「九月二十八日(金曜)」は中見出し]
 風邪気味で咽喉の調子又々悪し。今日明日明後日とオザあり、困るなァ。一っそ酒のんじまはうかとも思ふ。座へ出る、舞台稽古。今日より山野復帰、馬鹿野郎、鏡台をどん/″\僕らの部屋へ持ち込む、冗談じゃない、頭取呼んで他へ移させる。「ガラマサ」の稽古してると、渡辺が来たと言ふ、「のめ/\と、今日出て来てやるんなら、一つ乃公の方の我まゝも通してほしいね」と東に言った。即ち、今週一本にすること、「ガラマサ」だけ。部屋を早速変へることの二つだ。ガラをすますと、東が来て、こっちの言ひ分も通す、とあるので、やれ/\と入浴した。部屋は早速変ることになり、僕・生駒がサトウロクローを抱いて、金龍の昔の部屋へ。渡辺は三階へ横尾・中根・山野等とおさまることになった。もう役も済んだし、(今日けい古時間のびたゝめ、ホテルのオザへ、山野を代りにやったが、やらんでもいゝよ、金はやるが――と言はれて帰って来た、三枚目な奴)一本となったら心軽し。渡辺に逢ったら「いや何うもすみませんでした」「ニンニクかい」「いゝえ、病気でね」と。十時すぎから、来合せた原田耕造と、森永でウイをのむ。のまなくても調子やってるんじゃバカ/″\しいってんで、大分のむ。山一もあとから来て話してると、アダヨ来り、二円たかられる。山一のことを「認識はいゝが、表現がゼロの男」と定める。ハラコー興奮して面白かりし。ベロとなる。

[#1字下げ]九月二十九日(土曜)[#「九月二十九日(土曜)」は中見出し]
 本日初日、「ガラマサ」一本になったものゝセリフは半分しか入ってない。座へ行ってすぐグロテスクな顔をつくり、気持となって演る。が、何しろセリフが入ってないから落つかぬ。一回やってすぐ、軍人会館の小石川高女の会てのへ、昼の部をやりに行く(60[#「60」は縦中横])。軍人会館で食事し、夜の部やるため残り、その間に「ガラマサ」のセリフ大半覚えちまった。「ガラマサ」夜は入りもよく大いに受けた。終ってすぐ放送局へ、明日放送の「喧嘩の研究」のテストに行く。十一時近くより一時半まで。声はガサ/″\となった。ねむし/\。

[#1字下げ]九月三十日(日曜)[#「九月三十日(日曜)」は中見出し]
 今朝は九時起きで大番町の隈部へ、叔父歿につき後目を叔母がつぐことの親族会議で、届に捺印してすぐ辞し、座へ、今日は放送のため順を狂はして、「ガラマサ」が十一時すぎに始まる。調子まるでいかん、全然ガラ/″\どんである。入りはガラならず。一回すむと、軍人会館へ今日も昼夜(60[#「60」は縦中横])。声の出ない話を少しして、エノケンの真似だけやり、駿河台のチャップハウスで食事して座へ帰る。「ガラマサ」をやり、放送局へ駈けつけ、七時三十分より「喧嘩の研究」三十分やる。僕原作演出、うちの役者ばかりでかためた。先づ之なら大丈夫といふ出来。之をすませて又すぐ走り、軍人会館。前に卵のんだのでわりによかった。
[#改段]

[#3字下げ]昭和九年十月[#「昭和九年十月」は大見出し]

[#1字下げ]十月一日(月曜)[#「十月一日(月曜)」は中見出し]
 鏑木が十二時すぎに入ればいゝと言ふので、円タクの選り好みをしたりして、ゆっくり出たら、もう前が終って幕間、大あはてゞ「ガラマサ」の扮装をした。ひる終って大勝館へM・G・Mの「ターザンの復讐」[#横組み]“Tarzan and his mate”[#横組み終わり]を見る。猛獣百出、たゞめちゃ/\な面白さである。ローレル・ハーディの短篇を見て、白十字でビフカツと飯を食ひ、座へ帰る。夜の「ガラマサ」をやって、新宿第一劇場(元新歌舞伎)の松竹少女歌劇を見に行く。先づ入りの無いのに驚く。「秋のをどり」たゞいつもの通りといふだけ。マイクを使ってるのがとてもいけない。岩田氏に「笑の王国」をかけて一つ一杯にしてみようじゃありませんか、と笑って、十時四十五分、母上を新宿駅に、上高地への旅を送る。

[#1字下げ]十月二日(火曜)[#「十月二日(火曜)」は中見出し]
 ひるから相当入りよろし。「ガラマサ」済むと、まだ一時だ。エノケン見物に、松竹座へ行く。「武家商法」といふ、落語レヴィウと銘打ったもの、和田五雄作、愚や及ぶべからざるムザン物。エノケンも労して効なし。次のライトコンサート「ポピュラーソング」は、まだいゝが、菊谷栄作、連続レヴィウの二、世界与太者全集の中ロシア篇「イワンとペーペル」極めてつまらず、菊谷といふ作者も、此ういふものになるとまるでダメ。レヴィウながら歌貧弱、振付鹿島光滋ゼロで、エノケンも活躍の余地無し。夜の部「ガラマサ」幕の内外、評判よろし。すんでから、大庭を連れてオペラ館をのぞく。此処は又別天地だ、「――チャン/\/\」「何チャン」のかけ声頗る盛、中々満員。みや古へ寄る。

[#1字下げ]十月三日(水曜)[#「十月三日(水曜)」は中見出し]
 八時半起きで、帝劇へ試写を見に行く、昨夜のんでるので、評判のカザリン・ヘプバーンの「若草物語」[#横組み]“Little Women”[#横組み終わり]の半分頃まで見てたらねむくて辛くなり、出ちまった。「ガラマサ」相変らず受ける、ひる終って、ねころんでると国民学芸部の記者来り、「秋のにほひ」について語れと無理を言ふ。それからそぼ降る雨の中を一人で、上野のポンチ軒まで食事しに行く。カツレツよろし、ビフスチウは普通。紅谷で紅茶二杯の菓子二つ。満腹。のびて足をもませる、一寸天国。夜の部の「ガラ」大した受け方、ヤンヤという笑ひだ。「モダン日本」の大島来り、「ガラ」の写真うつして行った。

[#1字下げ]十月四日(木曜)[#「十月四日(木曜)」は中見出し]
 今日は鏑木休み、若いくせに病気に弱い、しようのない奴だ。座へ来ると今日はちと入りが悪い。「ガラマサ」は評判よく、客の喜ぶのがよく分る。それにしても、芝居は「間」のもの、何と皆の下手さ、その間のとれなさを軽蔑したい。サトウもその点駄目だ。渡辺・生駒はその点はいゝ。菊池寛の「話の屑籠」を読む。あの位の人物になると、何を書いてるのを見ても肯けるやうな気がする。加藤雄策来訪、新年号からレヴィウの雑誌を非凡閣から出せとすゝめると、よからう一つ見算ってみると言ってた。夜の「ガラ」済んで、加藤とみやこへ寄り、友田と三人で久方ぶり橘弘一路宅へ赴き、麻雀。

[#1字下げ]十月五日(金曜)[#「十月五日(金曜)」は中見出し]
 久しぶり橘の宅で麻雀で徹夜してしまった。尤も僕が、やらう/\と後をひくのだが、午前七時までやり、而も少々負。座へ出て、声の具合も、寝不足でます/\いかんのだが、「ガラマサ」をやり、入浴し吸入し、楽屋で眠る。いつも寝られないたちだが、今日はねられた。これに馴れたら汽車の中などでもらくに寝られるやうになるだらう。さうなるのは嫌だ――然し、此の生活に入ってから随分その汽車で寝られる奴になってはゐるのだらうが。夜の部済まして上山を呼び、昨日加藤と話したレヴィウ雑誌について案を立てる。みや古へ之を延長し、飛島・生駒・黒田と話す。

[#1字下げ]十月六日(土曜)[#「十月六日(土曜)」は中見出し]
 雨、寒くなった。座へ出る。「ガラマサ」相変らず気がいゝ。一回終ってすぐ、講談社へ呼ばれ、例の如きヘンテコな速記をとられる、まるで警視庁の調べ室だ。金がある時ならこんなの断はっちまふんだが――何しろ貧なので。而も今日は帰りに金をよこさず、くさる。西村小楽天とポンチ軒へ寄りカツレツを食ふ。座へ帰ると表で配役してる。渡辺が一本だから、こっちも一本にして呉れと言ってみたが、「二つのネクタイ」のアルバースと、「青春音頭」に、何と有閑マダムをやることになった。四十近い女ださうだ、これは自信がある。夜の部終って、友田等と日本館へ「空襲と毒瓦斯」[#横組み]“I Was a Spy”[#横組み終わり]を見た、前半で草疲れて出る。英国トーキー、芸のないもので材料のまゝ見る感じがいやだった。
 下谷御徒町ガード傍のポンチ軒、名は古くからきいてゐたが、初めて行くと、カツレツ、ビフシチュウその他二三、メニューはそれだけ。カツレツは生パン粉で、よくあがってゐる、之はいたゞける。ビーフシチュウは、軟くよく出来てはゐるが、安いブラウン・ソースの味がいけない。こゝのカツレツは、ソースもいゝが、卓上に出てるケチャップで食ふとよさゝうだ。

[#1字下げ]十月七日(日曜)[#「十月七日(日曜)」は中見出し]
 雨、もう、ぐっと寒くなった。昨夜乱暴飲みしてるので一寸辛い。座へ来る、市電ストライキが又起ってるといふにもかゝはらず大入満員。「ガラマサ」の受けること大したもの、あんまり受けてセリフが通らなくて困った。ワッワと笑の嵐である。一回終って、入浴、吸入して、部屋でうと/\とした。二回目の「ガラ」が済むと六時、で、軍人会館の法政の学生の会てのへ出る(10[#「10」は縦中横])、又もや声が出ない、くさりつゝやり、終ってその足で、市政講堂の、ギャングの会で、くさる(10[#「10」は縦中横])。まるで又声が出ない。無理してやる心持の悪さ。

[#1字下げ]十月八日(月曜)[#「十月八日(月曜)」は中見出し]
 又雨、よく降る。座へ出る、ツカれて「ガラマサ」も気のりせず。終ると入浴し、川口の紹介状を持って明治座を見に行く。川口松太郎作「悪縁」、雑誌で読んだ時、あんまり感心しなかったが、やっぱり大したものでなし。井上の中老役がいゝ、「活殺」といふものが如何に必要かを思はせた。花柳の四十女、いかん。最もいかんのは伊志井の青年役、まるでモダン味無く、不快。竹久千恵子よろし、新しいものゝ魅力。幕間に、支那そばと洋食の定食。次の「春色昼夜帯」の序幕一寸見て帰る。帰って「ガラマサ」やる。肩のこりはげしくて困る。ハネ後、川口・東・渡辺・生駒と、大森へ牛肉会で行く。
 ウテナの宣伝で九州へといふ話が来た、十一月一日から二十何日間、千五百円といふいゝ値だったが、こっちの仕事のことを思ひ、断った。惜しいが、あせるまい、今に、もっといゝ話がドン/\来ると思ふ。

[#1字下げ]十月九日(火曜)[#「十月九日(火曜)」は中見出し]
 雨が漸く上って、秋晴――と来ちゃあ、果して入りは悪い。飛島からきいた話だが、帝劇へ初めて沢正が出た時、幸四郎が「フーム、この男はよっぽど寝なくちゃ死ぬぜ」と言った由。あの声の無理だったこと、並に声を使ふ者は寝ることが必要、もっと/\暇にあかしてねることだと思ふ。で、ひる済むとすぐねてみる。大阪屋のシチュウ丼が出来たといふので赤と白両方注文する。熱いホワイトシチュウとトマトシチュウをトーストで食った。ハネ後、蒲田から小田浜太郎来り、「青春音頭」のプロローグとして撮影する。ツケ睫毛して、凡そ気分出した女となり撮す。

[#1字下げ]十月十日(水曜)[#「十月十日(水曜)」は中見出し]
 十時半まで眠る、座へ出る、昨夜女の子の稽古五時近くまでだった由、大ていではない。ひるの「ガラマサ」どうももう倦きて/\。早く来週になればいゝと思ふ。食ひ物で頭をひねった揚句、中西へ使をやり、おでんと赤飯を食ふ。夜の部迄の間に地下の楽士室で歌を覚える、声が何うも定まらぬ。稽古は「二つのネクタイ」と「青春」と両方なので一時半になる。アダヨが入って来たり、大部屋が酒気を帯びていたりするので全く不愉快。済んで、一杯飲みたくなり、甲子郎へ行くと、山一がゐた、さて飲まうとしてるとこへ、乱酔した柳田貞一が入って来て、「何でエ古川緑波め、セヴィラのことを何故あんなこと書きやがった」と言ふ、エノケンで演ったセヴィラの理髪師の評を僕が書いたといふのだ、そんなもの書いた覚えはないと言っても、「この野郎ウソつきめ、何でエ、貴様ピアノひけるか」とか「今夜は山野一郎がゐるから我まんしてるんだ」とかわけの分らぬ詈言を吐き、無礼を極めるので、「こっちゃシラフで、そっちが飲んでちゃ喧嘩にならねえ、乃公あ帰る」と、ドン/″\帰って来ちまった。兎に角気になるから帰って、旬報の批評を出して読んでみると、あった/\、飯島正が「セヴィラ」の評を書いてる、その頁の上欄に、僕が「エノケンを評す」てのを書いてる、下手に読むと、之がゴッチャになるのだ、それをバカめ錯覚してるらしい、よし、あの無礼、このまゝには捨て置かんぞ! 明日シラフの時一つうんととっちめてやるから、さう思へ。と思ひつゝ眠る。

[#1字下げ]十月十一日(木曜)[#「十月十一日(木曜)」は中見出し]
 昨夜の柳田貞一の酔態がシャクなので、旬報を持って、出る。又雨だ。「ガラマサ」又も調子をやり、この方が老けには反っていゝ。柳田のとこへは山野に手紙持たしてやる。「昨夜の極りなき無礼に対し解決したい、そっちから来るかさもなければこっちから行く。」と。夜の部。佐々木邦先生夫妻が見物してるてんで緊張した。やってから佐々木先生に逢ふ。山野がエノケンの方から帰って来て「柳田は大恐縮、エノケンが此の話をきいて俺が中へ入る」と言ってる由面白くなった。夜大阪屋のシチュウを食ひ、セリフを覚えたりしてると、終演、稽古は「青春音頭」。十二時半にすむと、山野と森八を連れて、エノケンの指定の麻布の梅の家といふ家へ行く。柳田とエノケンゐて、柳田しきりにあやまる、が、結局文人の気持分らず、低い生活しか知らぬ者の悲しさに、ピンと来ることは言へない。ウイスキー一本持参して、抜かせる。グイ/″\やり出し、大分酔って一時はエノケンとつかみ合いになったり――ふと気がつくと、夜は白々とあけてもはや七時だ、驚いた。ふウ/\しながら自動車に揺られて帰る。

[#1字下げ]十月十二日(金曜)[#「十月十二日(金曜)」は中見出し]
 エノケンと飲み明してねたのは八時だ。十二時頃眼がさめたが、やる気せず、ひるだけ休むことに定めて、又ねる。四時頃家を出て、松竹座のエノケンとこを訪れる、今暁四時頃、エノケンと僕がつかみ合ひになったので、あはてた待合の女中が、近くのエノケン宅までかけつけ、エノの伯父等を連れて来たさうだ、来てみるともう機嫌直して二人でのんでるんで安心した由、ナンセンスだ。座へ出て、「ガラマサ」やる。ひるは山野が代役で、義太夫は未曽有の珍声を出して皆を面喰はしたさうだ。まるで声いけない、鼻つまり、のどエゴ/\。熱七度二分ばかり。ハネ後、「二つのネクタイ」の読み合せをやる。全く熱っぽくて苦しい。

[#1字下げ]十月十三日(土曜)[#「十月十三日(土曜)」は中見出し]
 熱あるらしく食物の香りなくまことに苦しし。今日は舞台稽古なれば一時頃出かける。「二つのネクタイ」の稽古始まる、衣裳と道具は豪華だが芝居のつまらぬこと限りなし、貴島てのはつく/″\駄目だな。終って、持参の松茸飯を皆で食ひ、五にかゝるのがもう九時。有閑マダムの扮装して、先夜撮したプロローグの映画を見る、いやもう恐るべきハリキった女で自分乍らぞっとした。今度は五のさまで笑はせる手しかなし。熱七度四分を一寸越ゆ。十二時にあがる。

[#1字下げ]十月十四日(日曜)[#「十月十四日(日曜)」は中見出し]
 どうも声が大分いかんが、と気にしつゝ座へ出る。初日で十時あきだ。「二つのネクタイ」舞台へ出て、声のまるで無いのに驚いた、調子やったのでなく芯から参ってるんだからひどい。その上芝居がつまらないんだからくさる。五の「青春音頭」は、プロローグの映画が大受けだ。いでたちで大いに笑はせるが、さて声が無いに近い状態じゃしょがない。一回すんで大隈講堂の小学校の会へ、此の声で出る。来々軒のワンタンメンと、大阪屋のシチュウとトースト、紅茶とカステラ。終って、今日は金が出ないのでくさって帰る。

[#1字下げ]十月十五日(月曜)[#「十月十五日(月曜)」は中見出し]
 九時起き、帝劇へ東和商事の試写会「今宵こそは」を見に行く。ジャンキープラといふ本格歌手を生かした、音楽映画だが、何うも買へない。第一に下司だ、アレンヂも、脚色もいかん。すむとすぐ座へ。入りがよくない。昨夕の毎夕に、古川緑波・生駒雷遊、恋の争奪って見出しで、スキャンダルが出てる。全然意味なく二枚目になってるとこが受けた。が、いやな感じ。川口も毎夕で神田の件、さんざんにやられてるのでくさってた。そして曰く、「お互に自重しませうな」と。苦笑ものだ。夜熱七度四分半となる。反対療法してみるつもりで、みや古でウイスキーをのむ。

[#1字下げ]十月十六日(火曜)[#「十月十六日(火曜)」は中見出し]
 昨夜飲み、今朝は大分心配したが反って昨日あたりよりは大分いゝやうだ。「二つのネクタイ」の歌などらくだった。然し何う考へてもつまらない芝居だ。ひる終ってすぐに、松喜へ牛肉を食ひに行った。表へ行って次狂言のプラン立てる、結局、僕の「凸凹ローマンス」を改訂して出さうといふことになった。他に好太郎がやった大森痴雪の「世直し大明神」てのをやる。渡辺・サトウ振はず、生駒馬脚をあらはし、目下僕より他、何か[#「何か」に傍点]やる奴が無い感じだ。山野でも少しチャンスを与へてやらうかと思ふ。夜の部すむと軍人会館へ行き一席(40[#「40」は縦中横])、それから又走って大隈講堂へ行き、地下鉄の夕で一席(35[#「35」は縦中横])。すませて又浅草へ戻り甲子郎でみや古のウイをとりよせてのむ。アダヨ入来、二円いかれる。

[#1字下げ]十月十七日(水曜)[#「十月十七日(水曜)」は中見出し]
 甲子郎で昨夜おそくなり、ねたのが四時、大分のんだし一寸応へる朝、物日で早出だ。雨に恵まれて何処も入りはいゝらしい。のどは昨日より稍悪いといふ程度。「二つのネクタイ」は全くつまらん。貴島のセリフは馴れて来るにつれて馬鹿らしくて言へなくなって来る。ひる終ってすぐ浅草の富士小学校同窓会てのへたのまれて行く(15[#「15」は縦中横])、森永で食事した。今日は序幕でトリ。女形をすませてすぐに大隈講堂へ行き、嗄声で一席やり(35[#「35」は縦中横])、雨をついて円タク、大崎館て小屋へアダヨ(新門の何とか)ザシで行く。五分やって生駒と一緒に又浅草へ。みやこで鈴木桂介に、「海賊万歳」やらした礼にのませる。山一・大庭も共に。

[#1字下げ]十月十八日(木曜)[#「十月十八日(木曜)」は中見出し]
 又もや甲子郎で、芸術を論じて徹夜しちまった、毎日つゞけてウイスキーの御厄介、でもさほど咽喉にこたへず。座へ出て、すぐ「二つのネクタイ」をやる、一々セリフが気に入らないのでやり辛いこと。女形の方は、あまりネバ/″\と色気を出すので皆が驚いている。ひる終って、ツナシマへ理髪に行く。床屋へは行く迄と、やってる間が面倒だが行って損することはない。喜太八とんかつへ寄り一人でいろ/\食ひ、五十一銭也で夕食をすます。夜の部をすませて、さて今日はのまずに帰らう。吸入して、日記をつけ、たっぷり眠らうと思ふ。

[#1字下げ]十月十九日(金曜)[#「十月十九日(金曜)」は中見出し]
 今日から十一時あき。十二時に入った。今日はよく寝たので声大分恢復した。ひるの部終って、事務所へよばれ、「十一月から常盤座に定りました。」と言ふ。こいつはありがたいこと故喜ぶ。四時に迎へが来て、アラスカへ婦女界の座談会で行く。サトウハチロー・アナウンサーの河西・早川雪洲なんて顔ぶれ、ヴィクターの専属といふ渡辺はま子、顔よろし、嘱望。帰りの俥代払ってないのは婦女界いかん。夜、役終って、邦楽座へR・K・Oの試写、「クカラチャ」を見に、山野と行く。レーニンの野郎、秘密の試写だなんて言ふから何んなものかと思ったが、テクニカラーのトーキーてだけのもの。又、みや古でサトウ・山野とのむ。

[#1字下げ]十月二十日(土曜)[#「十月二十日(土曜)」は中見出し]
 座へ出てすぐ「二つのネクタイ」全く声いかん。歌など具合わるし。部屋へ山野来り猥談となる、此奴やっぱり面白い動物なり。生駒は「いや全くいゝ男が一人ゐたよ」と鏡を見入る病ひが激しくなって来て、半分以上本気になってるらしい、ロクローは子供みたいなことを言って喜んでるし、中々よき友は無し。夕食は、又大阪屋のホワイトシチュウとトーストに、大阪ずし少々。今日の八時半からの放送松井翠声病気で生駒が代りに行くことゝなる、で今夜は思はぬみいり故生駒が奢るとある。ハネ後、銀座で新しいすき焼屋大和てのへ行ってみる、こゝでウイスキとらせて、大いに食った。銀座裏、東宝を出て国民の方へ行く角に、すき焼のネオンが二階に出てる、感じのよさゝうなうちが出来たのを前から狙ってたが、二十日夜行ってみる。はぢめ、大阪の本みやけ式に「ヘット焼」とあるから、それをやってみる、之はやはり大阪風に肉の切味を厚く、小さいビフテキ位にしなくてはいけないのに、薄いので事をこはす、が、ねぎの切り方よくいためて食ふねぎはよろし。次に普通のすきをやった、ウイスキーで酔ってはゐたが此のワリシタは、たしかに欠点あり、即ち醤油味でいけない。ザクにも難がある。

[#1字下げ]十月二十一日(日曜)[#「十月二十一日(日曜)」は中見出し]
 夢で、舞台で身ぶりよろしく、筋のある歌を歌ってる自分を見た、而も引込みは螢の光のメロディーで、泣き顔を見せつゝ引込むのである、大いに受けてゐた。出がけに「ロッパ節」創造について考へる。ありふれたメロディーと、作曲とをないまぜ、脚色は自らやり、やってみよう。座へ早く出る。声まだいけず、「ネクタイ」でくさって、女形でいくらか気をよくする。家から持参のいなりさんを皆にも分け、自らも六つ七つ食い満腹した。鏑木が一昨日より、千葉へ母病気で行きっ放し。夜の「ネクタイ」まったくダレる。いやな芝居のトリは憂欝である。みやこのウイ少々とってのみ、帰る。

[#1字下げ]十月二十二日(月曜)[#「十月二十二日(月曜)」は中見出し]
 昨夜の夢で霊感を得たロッパ節は、これだけで立派に一代の芸術家になれるものだといふ気がする。「弥次喜多」「サトウハチローの失恋大福帳」など、すぐにかゝってみたいと思ふ。座へ出る、会田が又休み、此う休まれると嫌になる。鏑木も夕方漸く出て来た。貧乏でたのしみ少し。毎日十円位宛表から借りる始末。とんかつ喜太八から串を買って食ふ。大辻司郎明後日出発、外遊と言って来る。小学校の友畑郁三郎「莨」って雑誌の原稿を依頼に来る。夜、佐藤節・山野とみやこ。酔って向島の梅島のうちをたゝいたが、留守。

[#1字下げ]十月二十三日(火曜)[#「十月二十三日(火曜)」は中見出し]
 招魂社のお祭りだてんで三十分早くあく。マダムの扮装をとるとすぐ、東京女子宝塚会のオザで、日比谷東宝小劇場へ行く。座へ帰ると、口番が「お部屋に梅島昇さんが来てますよ」と言ふ、びっくりして部屋へ入ると、生駒の化粧前に真ッ赤な梅島昇が座ってゐる。「やア、昨夜、君ぁ僕んとこを夜中にたゝいて呉れたさうだな、それで俺ぁ今日突如としてやって来た、何うだいゝだらう?」大分酔ってゐるらしい。で、今夜築地の金竜亭で大いに論じようといふことになった。で、九時頃、生駒・山野・サトウ・斎藤と横尾も共に、築地金竜へ行き、梅島昇の気焔をきく。

[#1字下げ]十月二十四日(水曜)[#「十月二十四日(水曜)」は中見出し]
 十時半起きで出る。飲みが続くのでからだダレて、ひるの「ネクタイ」などてんで辛し。実に辛し。飲みをつゝしまうと思ふ。ひる終って入浴し、部屋で大阪屋の丼シチュウ赤を終って白を食ってると、サトウロクローのとこへ、花井淳子がどなり込んで来た。舞台のことでサトウが花井に注意を与へた、それが言ひやうが悪かったか、きゝやうがいけなかったか、花井が怒って、「畜生」と叫びざまロクローを、バンドでなぐった、と、ロクローも怒り立って、花井をなぐる。その情景にたへられなくなって、いきなりサトウをつかまへ、「女をなぐるとは何だ、許さんぞ」と言ひざま、とめてる(誰か分らぬが)をふりはらひつゝゴンとロクローの耳の裏あたりをノシてゐる自分。急をきいて、菊田と堀井が駈けつけ、堀井は花井の夫だが、これは全く劇壇人的冷静を失はず、淳子はメンスだしまあ兄妹喧嘩みたいなもんだからと言ってロクローをなだめてゐた。僕も漸く昂奮からさめてみれば、何もロクローをのすことはなかったんだが、前に女の子を十人ばかり、舞台のこと、その熱心からではあるが、ノシたことを思ひ出して昂奮したのだ。然し何ともハヤこっちも他人のことは言へない。花井淳子も冷静になったところで、ロクローも共にあやまって、ハトヤのコーヒーをとって水に流すことにした。さて今夜はハネ後、大辻司郎の送別会をやるので、白十字の二階へ、五十銭会費で、王国の人六十人ばかり集まった。誰も衷心から送別の気持があるわけでない、それに僕は、飲み労れの上、先っき昂奮したので労れ/\て、テーブルスピーチも気乗りせず、たゞ鈴木桂介・時田昭男・山野一郎はいゝ余興であった。大辻、二十五日一時出発の由。

[#1字下げ]十月二十五日(木曜)[#「十月二十五日(木曜)」は中見出し]
 座へ出ると、サトウロクローが今日は中耳炎のやうな具合で休むと言って来た由、「二つのネクタイ」は斉藤紫香が代役した。「青春」の少し前、青い顔してロクロー来り、「オヤヂ打ちどこが悪かったよ」と、耳をおさへてゐる。さう言はれてみればしようのないこと、そいつぁ悪かったなと言ふ。次の配役。常盤座へ移って十一月一日からの分。僕は「凸凹ロマンス」の一役と、「世直し大明神」は、ド三枚目を一つ貰ふ。かくて夜まで食事の間もなく腹ペコで演ず、女形で大向ふが「水谷八重子そっくり」のかけ声には気をよくした。次狂言の序幕が、警視庁の役人の道楽劇で、序幕につかまりの連中くさり。

[#1字下げ]十月二十六日(金曜)[#「十月二十六日(金曜)」は中見出し]
 毎日どんより、雨。座へ出る、すぐ始まる。又昨夜のんじまったので、辛くて/\たまらない。ひる終って、ダレた体を揉ませようとしてると、放送(二十九日)のことで新聞記者連がドヤ/″\と五六人来ちまひ、一たん落した女形を又塗り直して写真二三枚とる。之が帰ると宇賀神が来て、当日の音楽打合せをした、そこへ又報知の西田といふ物分りの悪い新聞記者来り、生ひ立ちを話せとあって、之に話す、続いて法政の野球選手二人を熊岡天堂が連れて来ちまひ、もませる暇もなく夜の部をやっちまった。ハネ後、黒田謙が飛島を呼び、みやこへ。飛島に女形の心得をきく、参考になった。

[#1字下げ]十月二十七日(土曜)[#「十月二十七日(土曜)」は中見出し]
 十二時に座へ出る。客てんで来ず、バラ/″\で、やって居られない位だ。客種もグンと悪く女形の時など馬鹿声出してハア/\笑ふのでやって居れん。梅島昇の「劇界へのへのもへじ」を読む、おしまひの方の「役者と女」あたりから、大いに面白く読めた。飯は大阪屋のシチュウに楽屋売店の茶飯と、毎日だから白あへをとって食ふ。近頃けい古済んで泊る女の子の部屋へ夜這ひする楽士ありとのことで、男子止宿一切ならぬとの貼出しあり。ハネ後凸凹のけい古。然し渡辺と鈴木がゐないので打合せだけして、あと踊りの稽古。

[#1字下げ]十月二十八日(日曜)[#「十月二十八日(日曜)」は中見出し]
 日曜で早く出る、大したこともあるまい、秋晴れで早慶野球戦の第四日曜と来ては。即ちその通り。二三原稿の約束があるのだが暇が無い。次の本もろくに見てゐない始末。夜の部イキな客あり横尾泥海男の旧劇に「よ白木屋ァ」と一声あびせた由。夜の部終るとすぐエノケンを見に松竹座へ。「嫁取り婿取り」が丁度見られた。何よりも舞台、文芸部と、役者以外のもの全部が整然と仕事してることを羨ましく思ひ、引返すと、うちは序ドリ、この序は、曽て僕が馬劇といふ称を与へた、川口三郎案の曽我廼家種のもの、そのなさけなき装置、寒々とした舞台を見せられちまって、がっかりした。川口如くコンマ以下の頭の人間がプランを出したり、配役をしたりしてゐるやうでは、折角此処迄来たものがムザンなことになってしまふ。ハネ後「世直し」の稽古。つまらんものらしいが、ド三枚目のボケで何うにかやれさうだ。

[#1字下げ]十月二十九日(月曜)[#「十月二十九日(月曜)」は中見出し]
 昨夜から九十才の祖母上が家に泊り、朝、「こゝとサカ町が海ならよかろ、朝鮮船流して源之助をのせてあとから岩井条三郎」ってボン/″\歌のあった話などきく。座へ出ると、渡辺、とう/\病院へ入った由、土台トーキーとのカケ持は無理なんだ、而もこっちの取り分は川口がモノにしちまってる、との話。中根が代役するので、女形の方の夜は正木にやらせることになる。大阪屋の赤シチュウとトースト。夜の「ネクタイ」だけ済ますとすぐ放送局から迎への自動車で、山へ行く。九時きっちりから三十分。「弁士時代」てのをやる、昔の映画音楽をきいていゝ心持になる。終るとすぐ浜町浜の家へ、エノケンと一問一答のため行き、二時近く迄いろ/\喋る。

[#1字下げ]十月三十日(火曜)[#「十月三十日(火曜)」は中見出し]
 よく寝たのでさほど労れてゐない。座へ出る、金龍館今日限り、明日から常盤座へ移る。ひるの部、夜の部共に客がわりにいくのは可笑しかった。ひる終って、約束なので「莨」へ六枚、書いた。懐古癖緑波、古いこと幼い頃のことを書いてると実に味がある、と自ら思った。売店の芋てんぷらとおでんに、大阪屋の白シチュウ、トースト。夜の部の「ネクタイ」ふざけて面喰はしてやった。三益と抱き合ふとこで、プッと一発、くさいので三益参ってゐた。夜の部終ると、引越し。ハネ後、表三階で「凸凹ローマンス」を立つ。一ぺん手心のあるものだから簡単に之は片付けたが、「世直し」の立ちは、一時すぎ迄かゝった。

[#1字下げ]十月三十一日(水曜)[#「十月三十一日(水曜)」は中見出し]
 どうも弟子共の弁当代がかゝり過ぎる、少し此の方面を考へないといけないと思ふ。一時半不二アイスで、樋口正美に逢ひ、小林さんを四日の朝早く訪れることを約す。座へ出るとまだ序幕をやってる、川口三郎自ら演出で、道具が揃はぬとか役者がセリフが入ってないとか荒れてゐた。「凸凹」は、去年より背景もよくなったし、端役などを選んだからひき立つだらう。「世直し」にかゝったのはもう十時近く。稽古終ったのが二時半――やれ/\。大労れ。
[#改段]

[#3字下げ]昭和九年十一月[#「昭和九年十一月」は大見出し]

[#1字下げ]十一月一日(木曜)[#「十一月一日(木曜)」は中見出し]
 今日は常盤座の初日、雨に恵まれて、つっかけよろし。「凸凹」、去年手心あるものだから安心して出来る、セリフもプロンプターがつけば思ひ出すので初日のやうな気分じゃない。大いに受ける。安心した。「世直し」は、三枚目で尻抜け伝次、ヌーッと出て一人で浚っちまふ。夜の部は「凸凹」ドリ、ハネたのが十時十分。かなりへたったが、鈴木桂介・多和利一・大庭六郎を連れて、みや古へ行き、大いにウイをのむ。もう調子がすっかり治ったからいゝ。

[#1字下げ]十一月二日(金曜)[#「十一月二日(金曜)」は中見出し]
 十時半あきのところ、中根がトチったので十一時にあいた。入りは昨日程ではないが、先づ悪くなし。「凸凹」大丈夫大受け、「世直し」のボケも、人の呆れる程ボケてみせる、之がやはり当り。今日は開きがおくれたので、青山日本青年館の会は無理言って、六時にトップを切り、約二十分やってすぐ引っ返すといふきはどい芸当をやる(40[#「40」は縦中横])。山縣七郎来訪、人形町のつるやへ、生駒・山野と共に行き御馳走になる。今日はうちは満員、エノケンの方は遙にアホられて、全然入りはムザンだったさうだ。調子全く治った。

[#1字下げ]十一月三日(土曜)[#「十一月三日(土曜)」は中見出し]
 十時きっちり開き。物日で大入満員。どよめく程入ったんだが何しろ回数アホれないので――それに割引もあるとかで、大入りはつかず、皆くさる。(此の日日記する暇なかりしため記憶なし。気がぬけて、あとでは日記書けぬなり。)

[#1字下げ]十一月四日(日曜)[#「十一月四日(日曜)」は中見出し]
 十時あき、秋晴、天高肥馬的の日曜だから何うかと思ったが、打込みからの大満員、此ういふ日は回数をアホってやりたいんだが、狂言が長いからアホれない。「凸凹」大いに受ける、この受け方は正に「凸凹放送局」以来の笑ひだ。「世直し」のボケも頗る受ける。夜の部終ると、九時だ、急いで支度して丸の内蚕糸会館の大日活の会へ顔を出す(30[#「30」は縦中横])。全く声は旧に復したので快い。浅草へ引返して、おさとで川口・東・生駒と菊田・貴島で会合あり。クビにしたい人間を文芸部として書き出して来た。正月は一つ「三人吉三」と行かうなんて話が出る。

[#1字下げ]十一月五日(月曜)[#「十一月五日(月曜)」は中見出し]
 座へ出ると、生駒が昨夜文芸部が、斎藤・青木その他数名をクビにすることを申し出たが、生意気だと昂奮してゐる、全く文芸部――といふより菊田が思ひ上ってゐるところはある、が、それを生駒は昂奮のあまり、皆のゐるところで喋るのは困った。果して一回の終り頃には、役者連がうるさくなってゐる。菊田・貴島は喋られちまふとは思はないから、困ってゐる。どうもしようがない。然し、人事の出入れにまで積極的行動に出ようとする文芸部は一寸ノサバリ過ぎてゐるとは言へる。やっぱり僕がもっと矢表に立ってゐばるべきかなーとも思ふ。入り悪からず。ハネ後、まっすぐ。

[#1字下げ]十一月六日(火曜)[#「十一月六日(火曜)」は中見出し]
 座へ出ると、間もなく「凸凹」だ、随分長く演ったものだけど、之は倦きない、何しろ受けるから。「世直し」の方はダレて来る。受けるのだが、自分として、あんまり面白くもない。今日こそ「週刊朝日」を書かうと思ってたんだが、根気がなくなり、電話であやまらしてしまひ、訪れた、藤原義江の支配人長尾克と松喜へ肉を食ひに行く。それから帝国ホテルへ聖橋の女学校の会てのへ。夜の部終って、昨日の問題以後気になってるので、中根・斎藤・青木・生駒をかもめに招いて、話をきく。クビ問題から段々と、文芸部がオヤかってるから大いに僕もしまってオヤかるから――と又色々ホヨ話などする。

[#1字下げ]十一月七日(水曜)[#「十一月七日(水曜)」は中見出し]
 座へ出ると渡辺篤、顔がひどくはれちまって出られないとあって休み、こいつには参った、山野を代役でいかせることにした。「凸凹」の方はまだよかったが、何しろ三枚目山野じゃ「世直し」の方は、まるで可笑しくって、こっちのボケがひき立たず弱った。やっぱり何うしても書けとあって、「週刊朝日」へ、自信なきもの十七枚書いて送る。夜の部終ると、明日と明後日、引受けた神田の剣道の会の仕事トリやめにすると剣士みたいのが来た、鏑木が母病歿のため、放り出し過ぎたのと、時間を無理言ったので怒ったらしい。川村秀治と堀井英一・友田純一郎とでみや古へ芸術談に夜を更かす。

[#1字下げ]十一月八日(木曜)[#「十一月八日(木曜)」は中見出し]
 九時半に起き、本郷顕本寺へ鏑木の母の葬式へ行く。鏑木といふ奴も変ってゐる、母親の葬式にゐない、剣道の会の方で大分もめてたらしいから、前金でも取ってゝ困ってるのじゃあるまいか。座へ出ると、今日も渡辺休みだ。「凸凹」は、渡辺にハメて書いたものだけにてんで山野じゃ調子が出ない。とてもいかん。「世直し」も、ボヤ/″\してるので、サトウロクローが投げちまって、腹が立った。馬鹿だからロクローなんて奴は、おさへなくちゃ駄目だ。

[#1字下げ]十一月九日(金曜)[#「十一月九日(金曜)」は中見出し]
 今日も渡辺が休み。山野が「凸凹」と「世直し」両方共代役する、てんでピッチが上らなくてダレちまふ。ひるの部終って配役する。文芸部員は、あれ以来全く気勢上らず、川口と僕とでポン/\定めちまふ。「忠臣蔵」は、大星を避けて勘平をとった。道行のふりごと、腹切りの型等すっかり覚えて勉強してみよう。「フーピーアパート」てのでは、之は再演で、気乗りがしないが、他に役もないので、之に一役。ハネてから、山野・鈴木桂介に、水島道太郎を連れてみや古へ行き、ウイをのみ、芸談。然し、此う毎日続いちゃいけない、参った。

[#1字下げ]十一月十日(土曜)[#「十一月十日(土曜)」は中見出し]
 舞台は、今日から渡辺が出て来て「凸凹」の方だけやるので、いくらか救はれた、「世直し」の方は、山野でやるのでピッチが上らず、ダレる。ひる終ってさて原稿書かうかと思ってると、梅園竜子や長尾克、文藝春秋の人など来り、気がせいてしようがない。が、スピード/″\で夜のあく迄に、「講談雑誌」の十三枚、「ホームライン」に四枚書いた。「凸凹」の間に中華丼をかっ込む。夜の部終り、今日はもう飲みたくないと思ってたのだが、佐藤節が杉浦敦って人連れて来て、之につきあはされて又ウイスキーをのむ。

[#1字下げ]十一月十一日(日曜)[#「十一月十一日(日曜)」は中見出し]
 日曜だから早く出る。大した入りではない。今日は山野一郎休演、しょうがないので今日は両方渡辺がやる。「凸凹」も「世直し」も、これで元へ戻った。やっぱり、役者が違ふ。ひるの部終って地下室の売店へ、しるこやおいなりさん、うんと食って十七銭。プロの投書は予期したより沢山来たが、初日二日あたりに見たといふ投書はムチモーマイが多く、段々とよくなって来るのは不しぎだ。夜の部は大分入りよし。ハネ後、「フーピー」の稽古だ。立ってみるとバカ/″\しくてとても出来ない、之は返す気だ。声を悪くしたのが八月の十五日、それから、十月一杯、ずーっとやりっ放しだったが、十一月一日から、すっかり治ってしまった、之は或意味で、ふっ切ったやうでもある、地声が確かに太くなった。声帯模写は相変らず、チャンと出来る。

[#1字下げ]十一月十二日(月曜)[#「十一月十二日(月曜)」は中見出し]
 マーブルへ昼食しに寄る、一円の定食は安い、スパゲティは今日は少し堅くて不出来だった。座へ出る。大庭六郎が、頭取迄「急用があるので休む」と言って来た由、「親が死んでもといふ劇界、急用では理由にならぬ」が、まあ休ましてやる。一回終って事務所へ、皆がゐるので、金のこと等は話せなかったが、「フーピーアパート」の役だけは之は困る――と返して来た。中根におさめる。終って入浴。之より「忠臣蔵」のけい古あり。「忠臣」一本にして、うんと又物を見て歩きたいし、物も書きたし―又オザの具合もいゝし、中根になるべくおさめるつもり。
 キネマ旬報に芦原英了といふ人の「凸凹ロマンス」の評が出た。非常に痛いとこを突かれた。作者の気持と役者の役をよく理解した、いゝ批評家である。

[#1字下げ]十一月十三日(火曜)[#「十一月十三日(火曜)」は中見出し]
 今日はらく。かなり入りは悪いがエノケンの方はもっとひどい由。ひるの部終ると、放送局の小林・飛島両人来り、二十二日に「坊ちゃん」を、僕の坊ちゃんで、他に王国の役者を出してたのむとのこと、川口にも話し引受ける。脚色も自分でやる。事務所へ行き、プロの投書をまとめる。夜の部終ると、「日の出」の座談会へ赤坂幸楽へ行く。上山草人・花柳章太郎・飯塚敏子・竹久千恵子・夢声・山野・井口に僕といふ顔ぶれ、ウイスキーを山野と二人で一本のんじまって、殆んどシュー/\すべからざる状態になってしまった。二時半までやる。

[#1字下げ]十一月十四日(水曜)[#「十一月十四日(水曜)」は中見出し]
 今日は舞台げい古、「忠臣」にかゝったのが二時頃で、これが又トン/\と行かず、去年四月初演当時と同じやうに、台本が完備してないためにいろ/\支障あり、勘平の終ったのがもう七時近く。で、東宝の「ヂャブヂャブコント」を見に、堀井・川村と鏑木を連れて行く、まるで入りがない。二十七景は何としても長すぎた。幻燈使ったのや二三いゝ演出があったが、寸劇風のもの皆いけず、凡作だ。太田屋へ寄ってすきやきを食ふ。十二時頃座へ帰り、歌をやり、一時すぎ帰る。

[#1字下げ]十一月十五日(木曜)[#「十一月十五日(木曜)」は中見出し]
 十時あきだが今度は四だけだからゆっくり出る。入り悪し、当りまへだ、狂言が成っちょらんし、僕は一本だし渡辺は活躍しないと来ちゃあ、客が来ないのも無理はない。今回はエノケンにあほられの巻らしい。「忠臣ぐら」凡そ勘平て奴をとったのが間違いだった、やっぱりヌーッと由良でおさまっときゃよかった。くさりくさった、白ぬりを夜は三枚目にしてみようかとも思った。夜の部は三カットで「忠臣」も出る、又一くさりだらう。夜の部迄の間に「坊ちゃん」を読んで放送台本の案を立てる。夜の部の「忠臣」大丈夫くさり。

[#1字下げ]十一月十六日(金曜)[#「十一月十六日(金曜)」は中見出し]
 十一時迄ねられるのは有がたい。家を出て円タク――近頃いゝのを拾へなくて困る。座へ出ると、二日目のこと故、さほどムザンでもないが、入りは悪い。道行きも山崎街道も、勘平宅も大くさり、今週はいかん/\。ひる終って入浴し、すぐ腹這ひになって、「坊ちゃん」の放送台本を二十五枚迄書いてしまった。夜の部の勘平で又一くさり。放送局の飛島来り、黒田謙と生駒とでみや古へ行く。黒田のおごりで、小言をきく会なんだが、黒田は人がよいばかりで小言を言ふ気にもならない。ウイ五本のみ、酔って帰ると、残り十何枚まとめて、四十枚の「坊ちゃん」脱稿、三時半ねる。

[#1字下げ]十一月十七日(土曜)[#「十一月十七日(土曜)」は中見出し]
 昨夜書いた「坊ちゃん」を鏑木に放送局へ持たしてやる。九時に起きて、大阪ビルのパラマウントへ「クレオパトラ」の試写見に行く。次の替りは、僕のクレオパトラと定ったので、菊田・堀井・川村・貴島とで見る。デミルはやっぱり、大物をやっても小味にまとめるところが偉い。クレオパトラの現代訳だ。終って、マーブルへ四人を連れて行って、スパゲティを食はせる。座へ出ると、とっくに届いてる筈の放送局から台本の催促しきりだ。鏑木、省線の中へ忘れて、東神奈川まで取りに行ったのだと、呆れたものだ、何うして此う皆仕事を大切に思はないのか情けなくなる。ひる終ると山縣七郎来り、ポンチ軒へ、カツとシチュー。紅屋で菓子を食って座へ戻る。夜終ってまっすぐ。

[#1字下げ]十一月十八日(日曜)[#「十一月十八日(日曜)」は中見出し]
 第三日曜だから早い。十二時に入ると、もう「忠臣」のあくところ、白塗り、憂鬱である、手足などに塗ることの不快さはえも言へぬ。一ばんいやな六段目は現代語で半分やってみた。ひる終って神田の教育会館へ、在郷軍人の会みたいなのあり、二十分やる。それからチャップハウスへ寄って夕食。早く上ったから、松竹座へエノケンを見に行く。「法界坊」をやってる、之が中々いゝ、いゝんじゃないあたりまへなんだが、本が菊田などに比べるとずっとうまく、本当に出来てゐるので見てゝ気持よし。それからみや古へ、大庭・森・鈴木・白川・水島等を連れてって呑ませる。いろ/\論じつゝのむ。

[#1字下げ]十一月十九日(月曜)[#「十一月十九日(月曜)」は中見出し]
 昨夜又大分のんだので、宿酔だ。いかん。酒をのんでもちっともいゝことはないんだが、何故まあのむかいな。ひる終って入浴し、里見※[#「弓+享」、第3水準1-84-22]の「自然解」に親しむ。此ういふ、のんどりしたものを読むと、昔の暇な時代がなつかしくなる。五時から俵家の叔母の何ヶ日忌かで山水楼へ招かれ、食ふ。あんまりうまくなし、山水楼は一流とは言ひがたい。帰ってすぐ又「忠臣」いや/\やって、入浴。サトウロクローが独立を夢みて、十二月旗挙の計画進みつゝある由。川口に話し、山野の時、同様の手段をとらせよう。中根には「フーピー」演って貰った礼もあり、山一・東も共に下谷でのむ。

[#1字下げ]十一月二十日(火曜)[#「十一月二十日(火曜)」は中見出し]
 午前十時起き、山王ホテルへ岡田静江を訪れ、パーラーで話す。新興へ入るらしい。美松などをひやかして座へ。東来り、サトウロクローは、決してそんな計画は無いと否定してるさうだ、うまく行かなかったのだらう。このまゝにも出来まい、考へてみよう。ひる終ると東京劇場へ、新派を見に。川口松太郎作「明治十三年」といふ喜多村の出しもの、大新派といふのみ。次の小出英男作・真山青果補といふ「明路暗路」が意外にもとてもよかった、作もよし、井上正夫がとてもうまかった。一寸いゝ新派を見た感じ。座へ帰り、くさり乍ら勘平をやり、入浴して、川口のとこでロクロー問題を凝議し、明日生駒・渡辺も呼んで相談しようと定る。銀座へ、ルパンで岩田専太郎に逢った。

[#1字下げ]十一月二十一日(水曜)[#「十一月二十一日(水曜)」は中見出し]
 昨夜も又のんでねた、腹具合スッとせず、便所へ行ってもドッと出ず、くさい屁がよく出て困る。座へ出て、「女夫鎹」に眼を通す、一寸難物だが、何うにかなるだらう。ひるの部、腐演、つく/″\いやだ。終って入浴、あんまのうまくなった点で大西は大切な人間となった。ねそべって「自然解」に親しむ。五時半、マーブル迄行く。母上と鵜飼家の人々と夜食、母上はすき焼、一寸つゝいてみたがタレに難あり、昔の三河屋のやうなタレを食はせるうちはない。座へ帰って又もや勘平腐演し、終演後、迎の自動車で放送局へ、十二時半迄「坊ちゃん」のテストする、時間が余るので音楽を入れることにした。キャストは学生が失敗、老の声で成っちゃゐない、之は参った。

[#1字下げ]十一月二十二日(木曜)[#「十一月二十二日(木曜)」は中見出し]
 今日は放送のため狂言順を入れかへ、「忠臣蔵」を三に据へたので早く出る。勘平ます/\不機嫌、早く「クレオパトラ」をやりたい。サトウロクローの名、今日の都に新宿歌舞伎座出演と出てゐる、又、斉藤紫香にもさそひをかけたりしたことがハッキリした以上、早く処置したい。ひる終ると山一・桂介を連れて森永で食事。夜の「忠臣」すませると朝日講堂へかけつけ、明大ハモニカの会で一席やり、放送局へ急ぎ、八時四十五分からラヂオ小説「坊ちゃん」をやる。わりにトン/\と行き、メリハリにも独自の境を示したつもり、急拵への音楽もキチンとはまって出来はよかったつもりだ。山からまっすぐ。

[#1字下げ]十一月二十三日(金曜)[#「十一月二十三日(金曜)」は中見出し]
 新嘗祭で早い。入り相当よし。クサリ演で「忠臣蔵」を終ると、銀座へ出た。千吉で、すき焼を食ふ、やっぱりうまくはない。座へ帰ると、梅島昇が又酔っぱらって「やあ古川緑波ゐた/\」と、部屋へ来た。それから客席へ廻ったらしく、道行の時しきりに声がかゝった。済んで入浴したところへ、すしや横町の久の家てふ座敷天ぷらにゐるからと、梅島から迎へで、行った。日本酒は苦手だが大分飲み、天ぷら中々いけるので大分食ひ、梅島と又芸談数刻、花柳と喧嘩してるらしいのはいかん、と言ったら、僕が間へ入るなら逢ってもいゝと言ふ。よく念を押すと、大丈夫だとしきりに言ってゐた。

[#1字下げ]十一月二十四日(土曜)[#「十一月二十四日(土曜)」は中見出し]
 今日から「忠臣蔵」が三、「フーピー」が四に入れ代った、之は夜の割引をきかせるつもりらしい。「忠臣」は何処迄行ってもくさりである。ひるを済ませると鏑木と二人で松屋へ行き、地下鉄で三越へ、手袋を求め、銀座の松屋へ行く。デパートめぐりも、くたびれるが、中々面白し。但し懐中に金なき時は此の限りにあらずだが。久しぶりで煉瓦亭でカツレツとホワイトシチューを食って、酒まんじう食って帰る。夜の部すませると入浴。衣裳屋のお幸と桂介を連れてみや古へ。

[#1字下げ]十一月二十五日(日曜)[#「十一月二十五日(日曜)」は中見出し]
 日曜だから――って程入りもしまいが早くあける。勘平の白粉を落すと、マーブルへ、ってふと食事みたいだが、実は、オザ。凡そ馬鹿みたいな奴ばかりで、やりにくいの何のって。それから軍人会館へ、若越会てふのでこゝの客は敏感なので気をよくしたが、さて二つ共、お代は後程ってことで、がっかり。懐中頗るピイとなり、しょげつゝ御徒町のポンチ軒へ寄って、食事し、座へ帰る。夜の部すませると、黒田謙からたのまれた八王子のオザへ、約一時間半、関谷座てふ小屋、大した悲しい小屋、で十五分ばかりやって(30[#「30」は縦中横])、鏑木と二人だけ自動車で帰る。東京へ帰ると十時半、演舞場へ島田正吾を訪れ、共に銀座でのむ。

[#1字下げ]十一月二十六日(月曜)[#「十一月二十六日(月曜)」は中見出し]
 座へ出る、ひるの「忠臣」腐演。サトウロクローの問題、事務所側にクビの意志がないから、之以上進展しさうもないが、しゃくにさはる。何とかしてやらう。東京劇場へ文藝春秋愛読者大会あり、行きがけに、久の家ではしらのかきあげを、一寸気にし乍ら食った、これがいけなかった、東劇へ着くとシク/\腹が痛み出し、舞台へ出る時大分キヤ/\して弱った。東劇の舞台は流石気持よし(20[#「20」は縦中横])。一席やって座へ帰る。ハシラが大分祟って、とてもキヤ/\してかなはない、背中からサロメチールを塗り、腹へは懐炉を入れて、公会堂の日日新聞主催東北救済の会へ出て、一席やる(30[#「30」は縦中横])。それから東劇へかけつけて、小島政二郎と山本安英の「時の氏神」を見る、菊池寛が運転手になって一寸出た、之が大受け、何とも滑稽味の豊な人ではある。之がすんで山水楼で慰労会があり、行く。ウイスキーをのむ。一つそこで腹を治す気だ。大佛次郎のキングコング、関口次郎が変態のメイランファン、林芙美子のどぜうすくひ等々のあとで、僕、山寺で菊池寛等いろ/\やる。久保田万太郎氏と酔っ払って浅草へ、おでんやで二時すぎ迄のむ。

[#1字下げ]十一月二十七日(火曜)[#「十一月二十七日(火曜)」は中見出し]
 今朝になったら、宿酔気味だし、づる気分で鏑木を座へやり今日は休む、昨夜から腹下しで、と言はせる。どうせ夜は稽古で、之だけは出る気だ。むしずし一個食ひ、演舞場の「冬の夜の出来事」を見に行く。外国物の翻案、島田が之を浅草でやってはと言ってたから気をつけて見たが、何うも浅草向ではない、丸の内向きの気のきいた探偵物だ。千吉へ寄り、鏑木に意見などして座へ、表二階で「女夫鎹」の立けい古。

[#1字下げ]十一月二十八日(水曜)[#「十一月二十八日(水曜)」は中見出し]
 座へ出る、昨日は斉藤紫香が代役したので礼を言ひ、化粧前へ座ると山野から手紙「手紙など書かず口で言へばいゝのですが」と書き出しで、川口宛に山野が値上嘆願の手紙を書いたことの詫と共に、次狂言に僕が復讐として、ひどい役を三つつけたといふて怒って来てゐる。馬鹿々々しいが、誤解だけはいかんと思ひ、「役割のことは君の誤解、役割当日不在、又君をそれ程問題にしてやせん、明日あたり話すであらう」と書いてやる。ひる終って日比谷三信ビルの眼鏡屋へ誂へに行く。紫外線よけのと普通の二つ誂へる。山水楼で食事し、座へ帰り、夜の部やってから、「クレオパトラ」を立つ。

[#1字下げ]十一月二十九日(木曜)[#「十一月二十九日(木曜)」は中見出し]
 ひる終って入浴、部屋で「自然解」を読みつゝ大西に揉ませる。山野からの手紙に対し、いろ/\考へ今夜にも暇あらば話してやる気。大阪屋のシチュウとトースト。ふとそんな気になってツナシマへ理髪に行く。チャキ/\といふはさみの音をきゝ乍ら、うと/\眠った。座へ帰り、くさりの勘平のらくだ。道行はいつもの通りだが、六段目では、狸角を渡辺篤が買って出て、与市兵衛の屍にわざ/″\桃色のサックをふくらましてキン玉まで造ってかついで来る。こっちは腹へ、ヘソを口にして舌を赤でかき、足の裏へも顔をかいて出て、しきりに笑はせるので、めちゃくちゃになっちまった。済んでから日記、又揉ませる。

[#1字下げ]十一月三十日(金曜)[#「十一月三十日(金曜)」は中見出し]
 昨夜山野とみや古へ行き一時までいろ/\と意見してやり、かた/″\飲んだので今朝十一時半までねた。それから母上と一緒に新宿歌舞伎座へ、名流大会といふ催しで行く、あんまり入ってない、一席やって、まだ早いが座へ出る。久しぶり「女優さんと散歩しようか」と、三益・柏とで松邑へしるこ食ひに行く。四時頃から「女夫鎹」となり、八時近くまでかゝった。まあ之は面白く演れるものなり。終るとすぐに、又新宿歌舞伎座へ夜の部をやりに行き(50[#「50」は縦中横])、座へ帰り、「クレオパトラ」。何うも寒いので驚いた。或日クレオパトラ、メリヤスのシャツを着て出演といふことになりさうだ。終ったのが一時半。帰って五時迄かゝって、セリフをやる。「女夫鎹」だけはまあ入った。
[#改段]

[#3字下げ]昭和九年十二月[#「昭和九年十二月」は大見出し]

[#1字下げ]十二月一日(土曜)[#「十二月一日(土曜)」は中見出し]
 今朝十時起き。「女夫鎹」だけはうす/\入ったが「クレオパトラ」は行く道の円タクの中で覚える始末。三の「女夫鎹」が開く。長谷川伸の涙をさそふセリフは、口にする時涙がわい/\出て、いゝ心持だ。先づ、気をよくした。評判もいゝ筈。「クレオパトラ」は全然くさり、僕が女になっちまふので客は笑はない、作者がドラマツルギを知らないから、てんで役どこてものが分ってないので此うなる。作者等部屋へ来て、何うしよう/\とさわいでるが、土台書けてない脚本じゃ芝居は出来ない。ハネが十時。

[#1字下げ]十二月二日(日曜)[#「十二月二日(日曜)」は中見出し]
 三時頃ねたのに又十時起きだからとても眠い。「女夫鎹」は、酔っ払ひの件は少々苦しいが、あとはとても気がよくって、泣けて来るし、いゝ心持。客も意気がよくって、「沢瀉屋ア」てなことを言ふ。最もいゝのは幕があく途端、まだ芝居が始まらぬうちに「東劇そっくりー」と来たのが可笑しかった。「クレオ」は短くしたがどうもいけない。女になっちまふのが可笑し味のなくなる原因らしい。夜の部は、二ドリなので早く終った。隣の金龍館、木村時子と杉寛の「カフェの夜」オテクさんを見、川口・東・貴島・菊田と生駒で田圃の平埜で牛肉食いつゝ十二月下旬以後のプランを立て、十二時、甲子郎おでんへ行き、山一他と又のむ。調子が一寸可笑しい。

[#1字下げ]十二月三日(月曜)[#「十二月三日(月曜)」は中見出し]
 たしかに多少調子をやってゐるのだが、人の気のつく程でもない。「女夫鎹」でハリ切って叫ぶところがあるのだ、それでやるらしい。ひる終ると、松屋へ行き、一人で食事し、座へ帰る。夜の部「女夫」は酔っぱらひのとこがセリフが後先になってしようがない、が、酔ってるとこ故何うにか胡麻化して行ける。「クレオ」は隣りの木村時子等が見て「笑はないのは当りまへ、河合武雄がクレオパトラをやってると思へばいゝ、古川さんのは女になってる」と言った由。気をよくした。夜すんでからみや古で飲み、又大分酔った。

[#1字下げ]十二月四日(火曜)[#「十二月四日(火曜)」は中見出し]
 又昨夜も三時。こんなに毎日飲んでばかりゐちゃいかん、ぐん/″\仕事して金を儲けなくちゃ飲み代が――何だイ、それじゃ同じことになっちゃうじゃないか。ま、そんなこと考へて、母上と一緒に出て大学病院へ時政の見舞に寄る、何うも肺病の見舞は嫌だ。座へ出て、「女夫鎹」。袖が繁昌して女の子等が見ちゃ泣いてる。結局内輪に評判のいゝ芝居でなくちゃ駄目だ。ひる終って入浴し、毛利の肉まんと、大阪のビフシチュウに飯。夜の部、「女夫」は又気が入って、涙サン/\。「クレオ」でくさり。帰り甲子郎でおでん食ってまっすぐ。

[#1字下げ]十二月五日(水曜)[#「十二月五日(水曜)」は中見出し]
 雪が降った。朝はあがったが、稍々白し。座へ出ると、「三益がチゝキトクの電報で帰阪したので休み」とある、実は中野が御乱行とかで泣いたり、ヤケ酒のんだりしてたさうで、そのための偽電だらうとの説、イヤハヤ女子と小人養ひがたし、折角ハコに入って来た「女夫鎹」が今日は正木代役、之も役どこは嵌ってたが、三益程のモダニズムに欠けてゐるのでさっぱり。ひる終って家から持参の茸飯を、豚汁とって食った。夜の部、正木も少し手に入って来たが、三益の方がやっぱりいゝ。「クレオ」は今日寒さ身に浸みた。幕切の馬鹿々々しさ、やってゝも実にいやだ。ハネて入浴し、誰か一杯飲ましてやらうと思って探したが鈴木桂介しかゐず、甲子郎で意味なくのむ。

[#1字下げ]十二月六日(木曜)[#「十二月六日(木曜)」は中見出し]
 昨夜鈴木桂介とのみて話をきくと、中幹部部屋で、色々なデマがとんでゐるらしく、「笑の王国」も解散だと言ってる奴もある由――ところが今朝座へ出ると、川口が此処んとこ不入りなので十二月下半は休みたいとか、或は十日替りにしようとか言ってる由、結局そんなこと言ってゝ値下したいんだらうが、さう来る前に、こっちは準備してやらなくちゃ――と思ふ。ひるの部「女夫」よし「クレオ」くさり。終って大阪屋のホワイトシチュウ、チキンカツと飯。ハネて入浴し、銀座のジュンコバーで飯田蝶子・吉川満子等に逢ふ。

[#1字下げ]十二月七日(金曜)[#「十二月七日(金曜)」は中見出し]
 朝伊藤松雄を訪問し、色々話す。座へ出る、今日も入りは悪い。然し「女夫」は気持がいゝ。「クレオ」又くさって、ひる済むと入浴。佐伯孝夫に、ロッパ節の創生につきお話したいから来て呉れと手紙を書く。川口と正月興行の相談、「大久保彦左衛門と一心太助」などは何うだらうなど/″\話し、夜の部をやる、汗をかき、次に又寒がり、約束だったので友田純一郎とみやこへ行き、菊田一夫・川村秀治等も来り十二時半までのみ、食ふ。
 貧乏なり、困る。

[#1字下げ]十二月八日(土曜)[#「十二月八日(土曜)」は中見出し]
 十二時半近く時政家の不幸に一寸顔出しをして座へ出る。ひるの「女夫鎹」は妙に気が入らず、土曜にしては大悪の客だし、「クレオ」と来て、どん/″\ダレた。三益愛子続けて休演、京都から手紙をよこし、十日には帰ると言って来た、よく意見してやらう。ひる終って入浴し、大阪屋のハヤシライスと毛利の肉まん。白井鉄造来訪。加藤雄策が来たから今日は奢って貰はうと思ってたら頭痛がするからとて帰っちまふ。大辻のとこから、大辻の兄といふイヤな奴、例の金のことを言ひに来やがった、腹が立った。いゝ日じゃない、シャクにさはる。

[#1字下げ]十二月九日(日曜)[#「十二月九日(日曜)」は中見出し]
 昨夜はのまず。鏑木、診断書をよこして曰く、もう十日位休みと。座へ出る、「女夫」は日曜の客向きじゃないとみえ、ワッとは来ない。「クレオ」でくさって、ひる終ると配役。次週は「坊ちゃん」とヴァラエティだけに出る。夜の部終ったら六代目見に行くことゝして、「クレオ」を走ることゝする。東劇へかけつけると丁度「金子市之丞」の前の幕間。二幕六場、まる/\見られた、六代目三役早替り、結局凝っては思案といふ感じ。「くらやみの丑松」の方がずっとよかった。渡辺篤とのむ。

[#1字下げ]十二月十日(月曜)[#「十二月十日(月曜)」は中見出し]
 座へ出る。貧乏で困るから、会田を使に出し、博文館へ稿料とりにやり、大辻のとこへ、シャクだから三十五円持たしてやる。ひるの部、入り薄し、「女夫」も気が入らない、「クレオ」は尚更。終って、肉丼を食ひ、一寸表へ出てすぐ帰る。会田使から帰り、博文館より二十五円来た。大辻の方は「先生気を悪くなさらぬやう」と言伝、気を悪くしてる。夜の部「女夫」は、荒井猛トチリ、その他袖がうるさくて弱った。シンミリ物の時は、今後よく注意しよう。夜の部「クレオ」は寒し。ハネて入浴、千吉へ寄りまっすぐ。

[#1字下げ]十二月十一日(火曜)[#「十二月十一日(火曜)」は中見出し]
 座へ出る、入り悪し。十日に帰ると言って来た三益まだ帰らず、正木だから尚いけない。一っそこんな入りのない日は「クレオ」がらくでいゝ。日本評論新聞の記者てのが二人、赤新聞のひどいのだ、いろ/\言って結局年賀広告を出せと言ふのだ。次には松ノボルってエノケンの役者が猥画を買うて呉れと言って来たり、いやはや。然し一々来るヘンな物もらひに、ズバ/″\金を呉れてやりたいものだ。夜の部やって新宿まるやへ徳川夢声に逢ひに行く。

[#1字下げ]十二月十二日(水曜)[#「十二月十二日(水曜)」は中見出し]
 座へ出る、入ります/\悪い。「女夫」は笑の王国の客にはシックリ来ないらしく、盛り上って来れば来る程、ヘンな感じが客席にみなぎるやうな気がする。三益、まだ帰って来ない、しようのない奴だ。「クレオ」寒し。ひる終って、東亭の肉丼。ねそべって「オール読物」へ九枚書いた。「頓馬太平記」の時、進行係の清水が女の子を怒って、「淫売!」と言ったてんで女の子部屋では問題となり、代表で新太郎が御注進に来た。何とかせねばならぬ。生駒から菊田に叱るやう言はせた。三益、夜になって帰って来た、「しょがない奴だね」と怒ってみたが、やっぱりいゝ奴だ。

[#1字下げ]十二月十三日(木曜)[#「十二月十三日(木曜)」は中見出し]
 三益が帰って来た、やっぱりいゝ。「クレオ」は、らくだから大分ふざける、ふざけ栄えもない、全く客の来ないこと激しいもので二百円もおぼつくまいといふ話だ。ひる終って肉丼食って、ねころんでると、金語楼のマネエジャ来り、一月のオザのことで話して帰る、今年は一体に不景気らしい。川口が蒲田のアフレコをたのみたい旨言って来た由、暮のこと故いゝだらう。夜の部の「女夫」は大熱演して、「クレオ」終って、ヤレ/\とホッとし、入浴して「坊ちゃん」を、表二階で立つ、十一時まで。大庭・山野・藤山とみや古へ。

[#1字下げ]十二月十四日(金曜)[#「十二月十四日(金曜)」は中見出し]
 午前中、伊藤松雄の家へ行って話し込み、二時近くに座へ出る、今日は稽古初日だが、「坊ちゃん」は舞台稽古無し。わりに入りは悪からず。大分暇があるので大勝館へ行く。「合点承知」古きルウコディーが出てるのが懐しかったゞけ。ジャック・オーキー舞台裏ものばかりやってる。「征服王大脱線」ひどい名をつけたもの、原名[#横組み]“Hollywood Party”[#横組み終わり]ジミイ・デュランド感じ出ず、ロレル・ハーディーのアチャコ・エンタツ振りいと面白し。殊に卵割のとこなど面白かりし。とんかつ屋で食事して座へ。「坊ちゃん」学生をやる連中が二月の時より悪く、一寸おやからぬ感じ。十時二十分ハネ、堀井・川村と、みや古で、次のヴァラエティーの案を練る。
 今日金の出る日なのに、百円しか表から呉れぬ。

[#1字下げ]十二月十五日(土曜)[#「十二月十五日(土曜)」は中見出し]
 二日目、出がけに軍人会館へ寄る、横浜の女学校の会で一席。トップで客がザワ/″\入って来る時は全くやりにくい。座へ出て、ひるの部、「坊ちゃん」も大丈夫。ひる終って外出せず、部屋で、正月のヴァラエティーの案を練ったり、ねころんで揉ませたり、そのうちとろ/\と眠った。夜の部、「坊ちゃん」のウケ方てものは大したものである。之は、やってゝも楽だし、当り狂言の一つであらう。ハネて入浴し、大庭を連れて森永へ。

[#1字下げ]十二月十六日(日曜)[#「十二月十六日(日曜)」は中見出し]
 九時半起き、蒲田撮影所へ。蒲田スナップ「春は朗らか」の、セレモニー役で、もう出来てるスナップにアフレコで、説明を入れる。それだけでは曲がないので、紙芝居屋で出て呉れといふ。あまり嬉しくないのだが年末のことだし、子役連を前に紙芝居屋のまねをする。一時間で終り、あとは十八日か二十日の夜、アフレコをやる由。自動車で座へ、今日は気持よく入ってる。鏑木漸く出て来た。ひるの部は「坊ちゃん」あまり実が入らず、でも大受け。夜の部「坊ちゃん」大いに受ける。九時に終る。金龍館に「女軍出征」をのぞき憂欝になり、上野永藤へ寄ってまっすぐ。

[#1字下げ]十二月十七日(月曜)[#「十二月十七日(月曜)」は中見出し]
 一時一寸すぎに座へ出る、山野一郎調子をやり、ヴァラエティー中の万才でイヤ声を出す、野だいこもムザンなので夜から変らせることにした。ひるの部終って、正月のヴァラエティー用の本を書く。東が金をあと二百円持って来た。これでも金が足りなくって何うにもしょがない。来年から値上して貰はねばやるだけ損だと思ふ。川端康成来訪、梅園竜子同伴、一向話もせずして帰る。夜の部「坊ちゃん」大声で話する奴あり、芝居出来ず、大いにどなったが、犯人出ず怒りっぱなし引込みつかず。頭取と進行にカス。ハネ後みやこへ大庭・木島・森八と。

[#1字下げ]十二月十八日(火曜)[#「十二月十八日(火曜)」は中見出し]
 九時に起きて、JOトーキー「百万人の合唱」を見に行く。徳山※[#「王+二点しんにょうの連」、第3水準1-88-24]と夏川がよろしい、歌手が沢山出るし、中々面白い、批評家には評判がよくないが、結構見られる写真ではある。吉田信に逢ったら、オーゴンレコードの吹込をたのまれてると言ふので、その話に乗る。暮のこと故、ちょっと稼ぎたし。教文館五階のR・K・Oへ寄り、レーニンと話し、二十日午前「キングコングの復讐」の試写をして貰ふことにした。座へ出ると、山野休みで一安心した。ひる終って、上野永藤まで食事しに行く、ビフテキとチキンカレー。座へ帰って川口と正月の二の替りを立てる。ハネ後、轟等を連れて銀座へ。

[#1字下げ]十二月十九日(水曜)[#「十二月十九日(水曜)」は中見出し]
 座へ出る。日本評論新聞の馬鹿記者来り、「今日の新聞ごらんでしたかへゝゝゝ」と出したその新聞てのが三益愛子と僕が出来てるとか何とか出てる、これでおどかさうとするんだから始末が悪い。「御感想は」ときくから「こっちから伺ひたいですな、こんなことあるんですか」と言ってやる。ひる終って入浴、米久へ牛肉を食ひに行く。夜の部終ると蒲田から迎への自動車が来て、撮影所へ行く。「春は朗らか」一巻、之にアフレコで説明を入れる、いゝ仕事じゃないが、言葉のギャグを考へ/\、三時近くまでやって、漸くチョン、労れて帰る。

[#1字下げ]十二月二十日(木曜)[#「十二月二十日(木曜)」は中見出し]
 十二時近くまでねた。風邪っ気の咽喉。座へ出る、鏑木又休み、会田も又休みだ、此の二人のつとめっぷり全くゼロである。ひる終って外出する元気もなく、マリダンゲームで遊ぶ。一寸面白い。夜の部終ると、佐伯孝夫とヴィクターの青砥来る、共に、丸の内邦楽座へ昨夜吹込んだ「春は朗らか」の試写を見に行く。もう一寸練習が必要だったと思ふ。佐伯・青砥と下谷へ赴き、ロッパ節について語る、二時近し。

[#1字下げ]十二月二十一日(金曜)[#「十二月二十一日(金曜)」は中見出し]
 十時半、教文館ビルのフジアイスに集り、R・K・Oの「キングコングの復讐」[#横組み]“Son of King Kong”[#横組み終わり]を、菊田・堀井その他女の子達も見せてやる。愚も甚しきものの、てんでお笑草映画。その他カリオカの踊りのとこだけ一寸写して貰ひ、千疋屋で食事して座へ出る、咽喉いけず、吸入しようとすれば大西間違へてへんな薬を買って来る、腹の立つこと頻りである。マリダンゲームで遊ぶ、皆相当上達した。夜の部は熱が七度二分なので大分苦しい、榊磐彦とその友の医者来訪、正木その他を誘ってかもめへ行く。

[#1字下げ]十二月二十二日(土曜)[#「十二月二十二日(土曜)」は中見出し]
 十時起き、風邪具合よろしからず。母上と三越本店へ行き、ソフトと靴、鯛めしの折詰など買って、食事して、座へ出る。鏑木が休み、大西が又無断欠勤、会田も来ず、何とはや呆れはてたる者共である。ひるの部終って、マリダンで遊び、折詰を食ひ、事務所へ行って、配役。川口に、値上のことを何うしてもたのむと言っとく。暮に金を借りること、それも言っとく。正月は大久保彦左をやれと川口は言ふ。「新婚」の方が行きたいのだが、本極りは明日といふことに。夜の部終って雷門の明治製菓で笑の王国の忘年会、川口が百人を招いて一席訓辞、十一時半散会。
 三越の特別食堂てので、スパゲティを食ってみた、淡々たる味で、(ナポリタン)うまい。少し水気が切れない感じ。ポークロース、普通。五十銭宛だが、値にしてはうまい。

[#1字下げ]十二月二十三日(日曜)[#「十二月二十三日(日曜)」は中見出し]
 日曜なので少し早く出る。大西、昨日はちゃんと鏑木に断はって電話かけるやう頼んだ、とある。鏑木は家を出てゐるらしいのに、こっちへ顔を出さぬ、グータラは許せない。ひるの部終ると、配役で又一もめ。結局僕は「新婚」を読んでみたら、貴島の無能さをバクロしたものなので呆れ返り、やっぱり「大久保」の大久保を行くことにした、渡辺が喜内をやり、生駒に望みの太助を行かせることになった。夜は九時に体があいた。ムランルージュのヴァラエティーが好評なので、かけつけてみたが、古いアイデアが多くてあまり感心しなかった。ムーランの穂積純太郎とのむ。

[#1字下げ]十二月二十四日(月曜)[#「十二月二十四日(月曜)」は中見出し]
 十一時迄ねた。上山雅輔エヤシップを持って歳暮に来る、此の男にも報ゐること少くて気の毒だが、よくやってゐる。伊藤松雄のところへ上山を連れて行き、しばらく話して一時半に自動車で出る。すぐひるの部。咳が出さうで困る。配役のことで文芸部へ。結局、「新婚」の方をやることにした。貴島を連れて米久へ牛肉を食ひに行き、白十字で茶をのみ座へ帰る。夜の部をすませると部屋で一寸又マリダンして、友田等とみや古へ行った。

[#1字下げ]十二月二十五日(火曜)[#「十二月二十五日(火曜)」は中見出し]
 十一時迄ねた。座へ出て、すぐ文げい部へ行き、春狂言のうたい文句を書く、それから「週刊浅草」てのへ二枚書く。朝から能率をあげた。オーゴンレコードの人来り、二三日うちに、二枚だけ声帯模写を一枚八十円で吹込む約束をした、安いが年末じゃしようがない。それから鏑木と銀座の伊東屋へ行き、クリスマスプレゼントを買ひ、菓子をしこたま座の女の子達にだけ分ける。十銭のを三十個。僕の留守に飛島が来たので生駒が黒田のクビのことを話したら、一月だけ何とか――としきりに頼んで帰った由。夜の部終ってから、銀座のかもめへ、うちの女の子五人連れてって、クリスマスをした。

[#1字下げ]十二月二十六日(水曜)[#「十二月二十六日(水曜)」は中見出し]
 九時に起きて、江戸川の講談社へ、三益愛子と行き、講談倶楽部のため万才の写真をとる、来年の三月号だから可笑しい。ツナシマで理髪し、舟和でチョコレートアイスクリームソーダをのむ、宿酔気味で色々水分を欲する朝だ。座へ出てひるの部を終ると、講談倶楽部へ今日の万才の原稿四枚書いた。大阪屋のビフテキと飯、森永のハンバクサンド。夜の部終ると、オーゴンレコードの田口勝三郎来り、サロン春のクリスマスに招かれた。

[#1字下げ]十二月二十七日(木曜)[#「十二月二十七日(木曜)」は中見出し]
 十一時迄ねた。咳が出てしょうがない。「坊ちゃん」の森八郎、「いなごはぬくいところが好きじゃけれ大方ひとりでおはいりたのやろ」のセリフが、尻上りになり、何遍直さしても直らないので舞台でカンが立ってどなる。丁度「バカヤロ」とどなるところなのでいゝ。都の近くのヒラヰ軒て洋食屋へ入ってみる、駄洋食で、メンチシチュウ、ヤサイシチュウなどあって直でよろし。飛島来り、黒田は身をひかせることに定った。飛島は大分奮慨してゐるやうだが、何しろ黒田じゃ仕方がない。夜の部終って、「新婚」の立ち。何ともハヤつまらぬこと大したもの。くさって、川口・東と浩養軒へ寄り、一杯のむ。

[#1字下げ]十二月二十八日(金曜)[#「十二月二十八日(金曜)」は中見出し]
 八時起き、田端のオーゴンレコードへ行き、吹込みしようとすると、鏑木に言っといた譜を忘れて来やがって又取りに行くやら腹の立つこと続出。いざ吹込み、声の調子わるく、苦しいが、金がほしいのでやっつける。一枚すんで、二枚目のAだけやったが、Bの案無く、又一月に吹込むことにした。金は二枚分呉れた(160[#「160」は縦中横])。大分助かる。座へ出ると咽喉具合全くいけず、安来節をカットにした、その代り山野に漫談しろと言ったらドテラのまゝ出たってんで驚いた、呆れた奴だ。此ういふ奴は全くゐない方がいゝ。ひる終って、牛鍋本店て家へ肉を食ひに行き、帰りに大勝館へ入って漫画二三見る、シリイシムフォニーの極彩色よろし。

[#1字下げ]十二月二十九日(土曜)[#「十二月二十九日(土曜)」は中見出し]
 殆んど一年に一度って感じだから、今朝は雪がジャン/″\降ってるが、下二へ行く。隠宅で二時近くまでゐて辞す。雪だが、客は相当入ってゐる、ひるの部終ると、飛島来り、放送局、声帯模写を一月八日にたのむとあるので、声帯模写十八番として原稿すぐ作って渡す。事務所の川口のとこへ行く。「来年は一つ小林さんに話して有楽座のコケラ落しか、宝塚中劇場あたりへ何うです?」なんて意外なことを言ひ出した。金は三十一日でなきゃ出ないらしい、何うもひどいものだ。皆ふくれまいことか。夜の部終って、みやこにてのむ。

[#1字下げ]十二月三十日(日曜)[#「十二月三十日(日曜)」は中見出し]
(なし)

[#1字下げ]十二月三十一日(月曜)[#「十二月三十一日(月曜)」は中見出し]
 今日は稽古初日だ。座へ行くと、もう借金取がおしかけて来る。が、まだ金が出ないんだから可笑しい、可笑しいどころじゃないが、大晦日の午近くなってもまだ出ないとなると皆妙に不安である。金は、先日の蒲田の礼が百円、表から無理を言って四百五十円ばかり借りた。それを案分しちまふと、正月の小遣てものは殆んど淋しいものになってしまった。来年から一つケチ/\して、表の借もキッチリして、ワン/\かせぐこっちゃ、あんまり使ふまいぜ、と思ふ。いや毎年の感想ではあるが今年のはほんとにつく/″\感じたんだから大丈夫だ。四時半稽古終り、客を入れるとすぐに開演。こんなくさったもの近来稀なり。ヴァラエティ終って入浴。諸払ひをすませ寒々と正月を迎へる気持。
[#改段]

[#3字下げ]台本メモ[#「台本メモ」は大見出し]

[#ここから1字下げ]
「凸凹世界漫遊」[#「「凸凹世界漫遊」」は中見出し]
 三十枚程度のレヴィウ台本。サトウ・ロクローのドタバタ演技を念頭にして、それに宝塚の歌で、僕愛唱の「ニャン/\メイ/\チョ」と「すみれの花咲く頃」とを入れて書いたもので、宝塚の「ミス上海」などの影響を受けてゐるし、自信なき一篇である。又とやりたいとは思はない。

「銀界に踊る」[#「「銀界に踊る」」は中見出し]
 何かヴァライエティー風のもの急に欲しいといふので、楽屋で大急ぎでデッチ上げた二十枚もの。踊りや歌を手頼ったので、大していゝものではないが、プチ・レヴィウと銘打ったゞけに小品として、頗るスマートでいゝと好評。女の子の会話が、大分モダンなためか、女学生より投書で賞めて来た。

「芝居の世の中」[#「「芝居の世の中」」は中見出し]
 七十枚の力作。久しぶりで身を入れて書いたもの。ネタは、中野実の「女優と詩人」。あれをのばしたやうなものだが、構成はかなりうまく行ってゐるつもりだ。でも書き上げた時、いゝものだといふ自信もついたが、「結婚二重奏」の二の舞をやったやうな不安もあった。イタにかけてみると、かなりむづかしい芝居だった。神田の役が何うにも無理だった。それにテマがむづかしいのか客にのみ込めないらしいとこがあり、浅草向でなさすぎた。丸の内あたりでも一度やり直したい。

「海・山・東京」[#「「海・山・東京」」は中見出し]
 松竹座の大舞台を利用し、日頃考へてゐた、キネオラマ又はパノラマ式の背景効果を狙って書いた、レヴィウである。踊り子は少いし、歌手はないし、結局海の背景で「沖のいざ[#「ざ」に「ママ」の注記]り火涼しく見へて夢を見るよな佐渡ヶ島」と佐渡おけさにつれて、背景に灯入り、月が出て波に映るさまを見せる、そんなことで手をとらうとしたのだが、之は見事に裏切られた。大道具の費用節約のため、装置部も、まるで手を抜いちまって、画はみんな書割り、それもひどいものばかり、カーテンは皆ワリドンで胡麻化すって有様、小村雪岱張りでと注文した「街の夕涼み」の景など、てんで黒バックで、一寸切り出しが出るだけ。さんざんなので見る元気もなし。芝居としては、一景の氷柱のギャグが一ばん成功した。山のとこは熊の縫ひぐるみがチャチすぎて失敗、声色のとこは狙った通り成功。「わが家の海」も先づ/″\ってとこ。フィナーレに、考へた「光と音の交響楽」は、もう一度試みたい、此んな装置じゃとても駄目だ。

「サーカス来る」[#「「サーカス来る」」は中見出し]
 これは作品といふ程のものではない。堀井英一の振付で、踊り沢山、それにたゞ間を縫って、セリフ無しのパントマイムばかりを並べた、断り書に曰く、「これはボード※[#濁点付き片仮名ヰ、1-7-83]ルクラシックの一小集成である」と書いた通り、天勝やその他の古いコミック、ウィリアム・テルやその他、胡蝶の舞まで入れてみた。ほんのつまらぬもの。

「笑の王国ニュースレヴィウ」[#「「笑の王国ニュースレヴィウ」」は中見出し]
 プロローグに大辻を司会者で出し、一景は「キング・オブ・ジャズ」か何かの中で見た寸劇を直して「最も新しきニュース」として、渡辺にあづけ、「学生のカフェ入り禁止」「女豪傑」(女学生が泥棒を捕へた件)と、三益と僕で万才をやり――等、ニュースを取入れたもので、ほんの短い十二三枚もの。わりに寸劇はピンと来て、暗転々々に笑ひがとれた。
[#ここで字下げ終わり]

底本:「古川ロッパ昭和日記〈戦前篇〉 新装版」晶文社
   2007(平成19)年2月10日初版
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2011年12月23日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

[#「王+二点しんにょうの連」、第3水準1-88-24]・秦豊吉・大橋武雄等に逢ふ。

[#1字下げ]六月九日(土曜)[#「六月九日(土曜)」は中見出し]
 十一時半までねる。ひるの部済んでから、又もやアラスカへ行く。ポタアジュとティンボール・モナコってのを食ふ。マロンシャンティリーのアイスクリーム、此処は菓子物はダメだ。それから東京会館へ清元梅吉からたのまれた、五代與兵衛の会てのへ余興で行く。大谷・城戸なんてとこや時蔵がきいてゐるので一寸参った、一体にちっとも笑はない。座へ帰ってみると、吉川英治来訪の跡あり。旬報でレーニンが愚弟の演じ方があまり白痴すぎると、評してゐる。中々うまき評なり。

[#1字下げ]六月十日(日曜)[#「六月十日(日曜)」は中見出し]
 日曜だから早い。今夜は八時前に終るから、東劇へ六代目を見に行くことにし、渡辺と二人で円タクで東劇へかけつける。菊五郎の日本俳優学校生徒第一回公演で、六代目は「鏡獅子」と長谷川伸の「暗闇の丑松」だけに出てゐる。丁度「鏡獅子」が終って、「丑松」があいたところ。脚本を読んでみないと六代目の演出について詳しいことは分らぬが、兎に角、写実以上の写実演出、やっぱり唸らせる。にくい。こんな芝居を見るのは、参考になるより、やっぱりたのしみだ。

[#1字下げ]六月十一日(月曜)[#「六月十一日(月曜)」は中見出し]
 早く出て、大勝館へ「にんじん」を見に行く。評判だけあって中々いゝ。「誰も可愛がっちゃ呉れない!」と言ってにんじんが馬に鞭つところは、思はずワイ/\涙が出た、みっともないほど嗚咽といふ感じに泣けた。おしまひ少し残して時間なので出た。子供には見せちゃいけないが、親は一度見ていゝ写真だ。ひる終って、大阪屋のコールビーフとオムレツで食事し、又アンマをとってごろ/″\。夜の部まことにダレたり。夜は、歌のけいこで残ったが、コーラスだけで結局意味なかりし。

[#1字下げ]六月十二日(火曜)[#「六月十二日(火曜)」は中見出し]
 まるで今日は入りが悪い。つく/″\ダレてることを感じる。つまり常打ちとなった落着きが、ダレとなって現はれるのだ。それに表が浮《うは》々してゐて、松竹館の方へ駈[#「駈」に「ママ」の注記]持させてみたり、新宿をあけたりするから自然とダレたものが出来て来るのだ。何とかしなくちゃーと思ふ。ひる済んで、大阪屋のランチとポタアジュ。夜もまことにダレたり。稽古は、「夏の日の恋」で、結局菊田は原作に負けて、そのまんまの個所が多いだけに、僕の役は、大まじめで行くよりない。前入歯がグラ/″\して、つひにとれた。明日寺木行きだ。

[#1字下げ]六月十三日(水曜)[#「六月十三日(水曜)」は中見出し]
 早く出て寺木ドクトルへ。入歯の具合を見て貰ふ、もう一とつ造って呉れる由、此のまゝ一寸持たせとかうと、ゴムでハめて呉れた。座へ出る。どうもダレてる感じ。一つに表のやり方である、川口・東ってものゝ誠意なき点、仕事に熱のないことで、この興行師を信頼することは実にいやになって来た。ひるの部、渡辺、セリフを突如ボケて忘れた。ひる終って趣きを変へて、須田町食堂のオムレツと飯、大森のお千代のおみやげのシュクリーム食ってたら又前歯ガクンと、とれた。グラ/″\のまゝさし込んでおく。夜の「水戸」横尾が休む。ハネ後、コーラスの稽古で二時半近くになった。

[#1字下げ]六月十四日(木曜)[#「六月十四日(木曜)」は中見出し]
 歯科寺木へ寄る。次の新しい入歯の型をとり、今のはそのまゝセメンでつけて貰ふ。座へ出ると、新人ナヤマシ会に僕・渡辺その他王国のメムバーズラリと並んだ広告が今朝出たので川口がヒスを起してゐる、それよりも松竹館の今度のヴァライティーは「熊と人との争闘」山野一郎司会と来ちゃ腹の立つのは通り越してアイソがつきた。ます/\川口に対する信頼を失ふ。稽古は五の「夏の日」から始める、此の方は大丈夫ハコに嵌れば受けるものになる。「チョコレート娘」の方は、僕作といふことになってるが、何ともハヤストーリーがなってないし、歌の稽古は雑だし、いゝものになりさうもない。稽古済みが十二時。歌を残って、一時すぎ。本日金が出た。明治から脚本料も。

[#1字下げ]六月十五日(金曜)[#「六月十五日(金曜)」は中見出し]
 十一時まで寝て、すぐ「夏の日」のセリフをおぼへながら、座へ出た。まるで入りが淋しい、初日って景気じゃない。此んなとこで分らぬ興行師に使はれてちゃいけないとつく/″\思ふ。今度は皆狂言が長い、「チョコレート」の方は僕歌が入ってないので弱った。「夏の日」は何うかと思ったが好評、自づと梅島になるらしく皆言ってる。やっぱり内容のあるものがいゝ。一回の終りが五時すぎ、今日は五をカットする由。「チョコレート」でトリ、九時四十分にハネた。実にパッとしない。「夏の日」でトリたかった。島津保次郎と逢ふべく、出井へ行く。

[#1字下げ]六月十六日(土曜)[#「六月十六日(土曜)」は中見出し]
 昨夜ビールとウイ、チャンポンなので起き辛し。十二時半に公会堂へ入る。大妻女学校の会、奥田良三のあとへ出る。座へ出て「チョコレート」は今回のクサリ狂言とつく/″\思ふ。「夏の日」はリアルだからよい。ひる終ってすぐ早稲田大隈講堂早大商学部大会へ。三益愛子と二人で万才、早大学生のオーケストラで「お嫁をもらへば」「モンパゝ」と模写のストトンをやり、中学時代にカツめし食った浩養軒でカツめし食って座へ帰る。夜の部の「夏の日」大受け。

[#1字下げ]六月十七日(日曜)[#「六月十七日(日曜)」は中見出し]
 日曜だから早い。座へ出ると、もう満員だ。どうも「チョコレート」の方はくさりだ。「夏の日」何ういふものか、てんで下手くなっちまったやうな気がした。セリフが入ってないとこへプロンプタがきこへないので、間が狂っちまったのだ。くさった。一回終って、次狂言の相談したが、五に据へるべきいゝ案がない。菊田・友田と共に、松喜へ行き、食事。どうも考へが浮ばない。一つには、表にアイソつかしたゝめもあるが。夜の部終ったのが九時、今日は二ドリである。神田神保町の夜店を、上山雅輔と共に歩き、「江戸小咄研究」と「楽屋風呂」を求めた。

[#1字下げ]六月十八日(月曜)[#「六月十八日(月曜)」は中見出し]
 暑くなった。楽屋を常盤座の方へ移すと言ってながら、一体何時になったら実現することか。ひるの部「チョコ」はくさり、「夏の日」の方もプロンプタがうまく行かず、いかず。一回終って次の演物の相談。結局五は「祇園囃子」といふ題で菊田が書くことゝなる。七月二の替り即ち盆興行は僕久しぶりでヴァライエティを書く約束をした。
 それから森永でビフステキで食事。会田又休む、島津に此の間もたのんだし、チャンと色々考へてやってるのに、ちと困る奴だ。

[#1字下げ]六月十九日(火曜)[#「六月十九日(火曜)」は中見出し]
 今日も思ったより入ってゐる。ひるの部「夏の日」で、松井がトチった、女中役が出ないので大さわぎ。丁度松井美恵子の母親が見物してゝ先生にすまないからと、ビワ一折届けて来た。一回終って、新京で食事し、日本青年館へ、松竹座の大井にたのまれた、慶応の会へ行き、十五分やる(20[#「20」は縦中横])。座へ帰ると、渡辺篤、此の部屋あんまり暑いから大辻が今回ゐない間だけでもと、三階へ化粧前を移した。部屋は山野と二人きり、これなら多少暑くても我まん出来る。夜の「夏の日」は稍々うまく行った。ハネ後、友田と銀座へ出る。

[#1字下げ]六月二十日(水曜)[#「六月二十日(水曜)」は中見出し]
 今日雨、座へ出ると又、舞台傍に雨もりで、ビショ/″\。此ういふことも劇団の盛な時には悲惨にも見えないが、逆境に在る時は全くめ入る。ひる、「チョコ」はくさり、「夏の日」は大分うまく行くやうになって来た、セリフが入ったせいもあるが。ひる終ってP・C・Lの東京事務所へ森さんを訪れ、約一時間話す、川口に明日か明後日逢って色々話して上げるとのこと、つまり芸術的座長を徹底させることゝ、給金値上の件だ。森さんは間違ひのない人だ。雨となった。不二アイスで食事して座へ帰る。大雨。ひるは満員、夜もよし。ハネて銀座へ。

[#1字下げ]六月二十一日(木曜)[#「六月二十一日(木曜)」は中見出し]
 昨夜から殆んど夜明ししたから眠い。一時、座へ出ると渡辺が休みとあり、あはてゝ代役を立てる。「チョコレート」は堀井がやる、もと/\メチャ劇のとこへ又わけの分らぬことになり、とても気持悪し。「夏の日」の方は、斉藤紫香が演ったが、ピッチがまるで上らぬ男なので何うにもならない。ひる終って表へ行き、連名の書き代へをやる。女優の方は三益を書き出しにして、神田を二枚目に据へる。夜の部も代役なので全く気が入らず。大汗。浴して天野喜久代のバーキクヨへ寄る。歌手を一人世話して呉れるやうたのむ、ラヂオで二人掛合をやる相談などし、すしやへ寄って帰る。人形町の都ずしのうまかったこと。鯛よし殊に海老よし。

[#1字下げ]六月二十二日(金曜)[#「六月二十二日(金曜)」は中見出し]
 十一時起き、すぐ浅草へ。楽屋へ入ると、暑い/\。ソーダ水二三杯のむ。渡辺篤ひるは休みの由、くさる。「チョコ」「夏の日」共に気が入らぬ。全く此ういふ時に代役は、相手へ廻ったものは迷惑だ。ひる終って入浴し、部屋にねころんで揉ませたり、上の部屋へ行って遊んだりする。大阪屋のランチですませ、ミルクセーキを飲む。夜の部渡辺篤出て来た、出て来ても「チョコ」の方は何うもしょがなし、「夏の日」やっぱり渡辺なら大いに受ける。今日は九時半頃済んだ。

[#1字下げ]六月二十三日(土曜)[#「六月二十三日(土曜)」は中見出し]
 今暁五時にねた、十一時起き。座へ出る。暑くてたまらん。今日も入ってゐる、随分今度のは当った。浅草まつりといふ催しが東日主催で行はれつゝある、そのためか女子供多く、ギャー/″\泣いたりして困る。一回終って表へ行き、次の配役。僕は四の「かっぽれ」と五の「祇園囃子」とに出る。今度は狂言全部つまらないやうな気がするが如何かしら。夜の「夏の日」又々大受けである。

[#1字下げ]六月二十四日(日曜)[#「六月二十四日(日曜)」は中見出し]
 明治生命館の地下マーブルで昼、一円の定食とスパゲティを食ふ。十二時すぎ座へ出る。日曜で中々よく入ってゐる。「チョコ」此ういふ日は尚更くさりだ。「夏の日」はよし。一回終って、入浴し、東京会館へ、久世・山尾両家婚礼の余興で行く(40[#「40」は縦中横])。アラスカへ寄り、たっぷり食って座へ帰る。夜の部がすんだのが八時。明治座へ第五の「虞美人草」だけ見られると、かけつける。梅島が出てないので全然くさった。水谷の二役が気がよさゝうなだけ。村田正雄に至っては渡辺篤の役どこを下手にやってるだけのもの。しまひ迄見る気になれず出る。

[#1字下げ]六月二十五日(月曜)[#「六月二十五日(月曜)」は中見出し]
 寺木から、いゝ歯が出来たからと頻りにハガキなので、行くと新しいのが入った。前のより少し長くて笑へばチラホラ見える程、具合よさゝうなので嬉しがって座へ出て、芝居してると、何うも少しグラつくし、口をスボめるとガクリとなる、物を食ってみると、うまく行かぬし、沢庵なんざあ噛めない。弱ったな。明後日奥歯が入る筈、前歯もしっかりつけて貰はう。一回終ってすぐ次回の宣伝文を書いた。六時から大隈講堂の何とも知れぬ会へ、東からのたのみで行く(10[#「10」は縦中横])。一席やり、すぐ座へ帰る。

[#1字下げ]六月二十六日(火曜)[#「六月二十六日(火曜)」は中見出し]
 どうも歯がグラつくので出がけに寺木へ寄り、ゴムでしっかりつけて貰ふ。座へ出ると、東が「今度の連名が気に入らない、あんな看板なら止めさして下さいと、神田が川口に申し出た」と言ふ。女子と小人は養ひがたしで全く女優なんてものは、バカで、無知で困る。神田が、今度の看板でもめて、而もそれを僕に言はずに、川口へ直接言ったといふことは許せぬことだ、バカめ、もう可愛がってやらない。青木休みで大庭が「夏の日」の松本の役をやる、一人代っても全くやりにくゝなる。夜すんでから「かっぽれ」の稽古があったが、スカして川口と二人で、浅草裏へ行き、いろ/\懇談する。森氏の言ふ通り中々川口って奴かなはぬところがある。

[#1字下げ]六月二十七日(水曜)[#「六月二十七日(水曜)」は中見出し]
 ゆっくり家を出て寺木へ寄り、座へ出る。暑いの何のって、大したものだ。神田が鏑木迄「あたし昨日母に話しましたらやめろと言ふのでやめますわ」と申し出た由、ます/\腹が立った。母って奴はいかんから父の方を呼ぶことにする。ひる終って、部屋は死にさうに暑いので廊下に蒲団しいてアイスクリームをのみ猥談する。六時から本所業平座へ中村直彦のたのみで、出る(ロハ)。夜の部が済むと、「かっぽれ」の稽古。汗びっしょり、少し習ったが馬鹿々々しくて、やめて、見物。

[#1字下げ]六月二十八日(木曜)[#「六月二十八日(木曜)」は中見出し]
 寺木へ寄る、前歯をすっかりセメントで完成させ、右の奥へ入歯した、明日完成する。座へ出る。今日も暑い/\。ひるの部が済むと、上森健一郎来る、金を三十円程貸せと言ふのだ。先日は没落の玉村が五十円貸せと言ふので、昔のこともあるから貸した。今度又没落人上森だ、一寸泣けちゃう。ねころんでアイスクリームをのみ、大阪ずしを食ふ。夜の部汗大変だ。神田はその後口をきかず、生意気なバカである。ハネ後、「祇園祭」の立稽古。どうも面白くないらしい。明日の稽古は、五から逆にやることにした。

[#1字下げ]六月二十九日(金曜)[#「六月二十九日(金曜)」は中見出し]
 今日の舞台稽古は五から逆にやるので、十一時に楽屋入りしたが、菊田が来ない、やがて、家庭争議で眼鏡をこはしちゃったと、渋い目をして来た。「祇園」全くひどいものなり。「かっぽれ」を簡単にやって、もう終った。三時、入浴して、さて心地よし、之で帰れるのだ。帝国館へ入り、島津保次郎のトーキー「隣の八重ちゃん」を見る。中々いゝ。ストーリーらしきストーリーもなく、うまく纏めてゐる。トーキーの境地に入ってゐる。それから生駒と二人で、銀座へ出て、寺木へ寄り歯を完成させ、マーブルで夕食して、東日主催の浅草まつりの祝ひがあり、それへ出て一席やり、又銀座へ出る。

[#1字下げ]六月三十日(土曜)[#「六月三十日(土曜)」は中見出し]
 初日、けどまるでセリフも入ってないし歌も覚えてゐない、大して之でも心配もせずに家を出る。「かっぽれ」が開く。何の演出もないんだから、仕方がないが、何ともくさった。「祇園囃子」がひどい、本もひどいし、こっちが投げてゐるし、何ともハヤくさりくさって一回終る。大ぐさりだ、こんな狂言ばかりやってた日にゃしょうがない。暑くて/\部屋にはゐられないし、裸で廊下でアイスクリームをのむ。大阪屋のカレーライス。林達子とその友二人が訪れて来たが、今日は見ちゃいけない/\と言って帰す。
 食ひ物が、暑くなるとまづい。やたらワニ/\食ふと、あと満腹してからの不快はたまらない。少量でうまいもの――となると、浅草にはてんで無い。食ったあと、後悔のないのは、やっぱりアラスカ位のものだ。新しい野菜のイキのいゝ奴と、トロッとしてうまい肉で軽く腹をこしらへて、自動車に揺られて帰る気持は素敵だ。やっぱり人間うまいもの食ってなきゃいけないとつく/″\思ふ。白飯てものは、それにしても夏はよした方がよさゝうだ。
[#改段]

[#3字下げ]昭和九年七月[#「昭和九年七月」は大見出し]

[#1字下げ]七月一日(日曜)[#「七月一日(日曜)」は中見出し]
 今日は日曜だから早目に出る。座内の暑さは殺人的だ、じっとしてるのが一ばん辛い。狂言「かっぽれ」は、クサリくさった揚句、司会者役を買って出て、芸は何もしない。「祇園」に至っては何とも拙劣な脚本で、僕の役など性根がまるで書けてゐない。何てハンマで、下手な役者だ! と思はれるようで出てるのが辛い。一回終って、外へ出る元気もなく、食事は大阪屋のクリームドチキンとカレーライス。二回目終ったのが八時。さて早く終るのも困ったものだ。生駒、津田秀水と共に、神楽坂演芸場へ行く。小勝・小南・小さん・三亀松等にて中々よかりし。

[#1字下げ]七月二日(月曜)[#「七月二日(月曜)」は中見出し]
 先日来、山野が策動して、松竹座の岩田の旗下に一旗あげようとしてゐることを探知してゐたが、昨夜新宿で夢声に逢ひ、夢声・翠声へも勧誘ありしこときいて、座へ来るとすぐ川口・東に此の事を発表、山野への処分については後に話さうと言っとく。ひる、割に客よし。ひる終ってすぐ、新宿のほてい屋デパートへ。三福でビフテキとすしを御馳走になり、屋上で浴衣の写真をとり、マイクを通して店内に一言やり、帰る。夜の部、凡そ熱し。神田千鶴子、全然無言、生意気なり。早くオヤヂを呼べと言ふ。

[#1字下げ]七月三日(火曜)[#「七月三日(火曜)」は中見出し]
 暑い。床の中から汗ビッショリなんだからもう真夏の気持。「かっぽれ」と「祇園」共にくさりの極、いやな芝居は、やればやる程いやになるものなり。ひる終って入浴、生きた心地じゃない。松竹館へ入って、「浪子の一生」の後半を見る。英百合子が、いゝ母性を描き出してゐる。が、ワリキレない芸でいけない。うちの二の「エロチック艦隊」ってのを見たらこいつは又ひどいものだった、こんな愚劇ばっかり見せられてゝよく客は怒らぬものだ。夜も全く汗。

[#1字下げ]七月四日(水曜)[#「七月四日(水曜)」は中見出し]
「かっぽれ」も嫌だし「祇園」は更に殺人的に嫌だ。全く今週の辛さはない。ひる終って入浴、表へ行ってお盆狂言の相談、蒲田から与太者組の、阿部正三郎・磯野秋雄と小桜葉子が来ることになり、「次郎長日記大政小政」が僕の次郎長で出る。山野の話は、もう明日あたり首を申し渡すのだと言ってゐる。上海亭で一人でやきそばなど食ひ、座へ帰る。

[#1字下げ]七月五日(木曜)[#「七月五日(木曜)」は中見出し]
 今日山野に、東から申し渡したさうだ。「他に運動してるさうだが、此の際身をひいて貰ひたい」と言ったら、しようがないって顔してた由。僕としても、同し部屋にヌケ/\とねころんでばかりゐて、時には僕を、「ねえロッパおい」と呼ぶやうな馬鹿は、結局ゐない方が助かるってもの。ひるは、まだ/″\客がゐたが、夜は一寸珍しい位悪かった、てんでゐないって感じだ。エノケンとこも下が六分だってえからひどからう。「かっぽれ」の大辻の漫談てものます/\バカ/″\しく、ます/\狂ひじみて来た。気味が悪い位だ。
 八月は休まず、松竹座へ進出のことが定りさうだ。

[#1字下げ]七月六日(金曜)[#「七月六日(金曜)」は中見出し]
 暑い。全く殺人的だ。座へ出ると川口と話す、山野一面可哀さうではあるが、己れを知らぬ奴は結局此ういふ目に遭ふのが当然であらう。ひるの部終ると、日日の記者来り、声帯模写につき色々話させ、写真を撮って帰る。表で配役する。蒲田のヨタ者の来演に応援して「海と与太者」に出づっぱりの、「大政小政」に次郎長で出づっぱりと来た、いやはや。上山雅輔が宣伝部として入ることになった。夜の部、相も変らずクサリクサって演ず。全く辛し。

[#1字下げ]七月七日(土曜)[#「七月七日(土曜)」は中見出し]
 暑い。マーブルへ寄り、座へ出る。東が一寸と言ふ、実は神田が川口支配人に口説かれて弱ってる由、でも僕に怒られてるので言つける人もなく途方にくれてるとのこと、馬鹿女め、とう/\音をあげた。本人を呼び「此の間からしてることのバカさを覚ってあやまりなさい、その上でお父さんを一辺[#「一辺」に「ママ」の注記]呼んで来い」と言っとく。川口にも困ったものだ。ハネ後、「雷親爺」上山雅輔作の稽古、僕演出。台本読んだ時はいゝやうに思ったが、さて立ってみると、まだ/″\いけない。森永へ行き、菊田・貴島と色々話す、川口の毒手(?)問題、今後配役はます/\公平無私、芸術本位で行かうと話す。

[#1字下げ]七月八日(日曜)[#「七月八日(日曜)」は中見出し]
 日曜だから早い。ひる終って、又マーブルへでも行きたかったが部屋にゐて、チキングリルと来々軒の焼そば。東日の夕刊「声帯模写の秘伝」と題し、写真入りで大きく出てゐる。ついでに買はした都の夕刊に、エログロの緑波といふんで、浅草の名も知らぬ芸者とのことが出てゐ、神田千鶴子のことも出て、緑波のあと近頃は川口といふ男が云々――と、神田の口から出たらしいゴシップなど、一寸不愉快だが、書いたのが伊藤司旭と署名してるからいゝ。二回終ったのが八時、東宝へ菊田・堀井を誘って「トウランドット姫」を見る、感心せず。入りも少し。演舞場へ島田正吾を訪れる、此の方は入ってゐる。

[#1字下げ]七月九日(月曜)[#「七月九日(月曜)」は中見出し]
 九時起きで、内幸町大阪ビル、メトロ試写室へ、「虹の都へ」Going Hollywood を見に行く、西洋の声帯模写があるとの話だったが、ちょぼッとだけ、メリオン・デヴィス、ビング・クロスビーで、愚にもつかぬ愚劇なりし。二戸・大黒・上山とでマーブルへ行き、食事して座へ。大辻が八・九と出て、十月頃洋行したいと言ふ。新京へ神田の父親が来てるので、神田も傍に置いて、よく言ひきかせる、父もよろしくたのむと言ふので、今後も預ってやることゝする。たゞ困ったのは川口の求愛(といふよりもっと露骨なもの)物凄く、あんまりつけ廻されるので恐がり、休ませたい位だと言ふ、放ってもおけないので夜は大西にでも送らしてやることにする。

[#1字下げ]七月十日(火曜)[#「七月十日(火曜)」は中見出し]
 九時に起きて、ムサシノ館へ「プレジャンのトト」[#横組み]“Toto”[#横組み終わり]の試写へ行く。これは久しぶりにいゝもので、前半殊によく、後半もフランス気分ではないが見られる。肥後博に逢ひ、又マーブルへ寄る、平岡権八郎が「毎日何うも―」と喜んでゐる。座へ出る。神田は、来替りから休ませよう、それより他に手は無い。ひるの部終って、川口を神田と結びつけようとした清川を呼んで、一言注意を与へた。夜の部済んでから、「大政小政」を立つ。神田へは父へ手紙を持たして帰し、明日から休めと言ってやる。「大政」の歌のけいこもありて二時近くなる。

[#1字下げ]七月十一日(水曜)[#「七月十一日(水曜)」は中見出し]
 午前十時起き、上山雅輔来る。一緒に出て、神保町の古本町を漁る、シェクスピアの「じゃ/″\馬馴らし」を買った。古くからあるチャップハウスで一寸食って座へ出る。生駒・大辻その他も、僕の預ってる子と知って口説いたりする川口は、結局われらをナめてゐるんだから此の際一つ強くやってくれといふ意見だ。ひる済んだところへ放送局の飛島が来た。二十日放送、漫談をとの注文。放送局の自動車で又マーブル迄送って貰ひ、スパゲティを食ふ。やっぱりうまい。今夜は「大政小政」の歌をやる。安来節が入ったりして大衆受けのするやうには出来てゐるから先づ大丈夫と思ふ。川口の顔見てるとシャクにさはる。十二時半終る。

[#1字下げ]七月十二日(木曜)[#「七月十二日(木曜)」は中見出し]
 雨、馬鹿に涼しい、十二時朝日新聞へ集合で、与太者二人と小桜葉子を連れ、生駒・大辻・渡辺に東と、各新聞を廻る。マーブルへ寄り食事して座へ出ると、千秋楽といふのに満員。エノケンの方は初日で大したことないらしく、可笑しなもの。ひる終って、森永でランチを食ったが、不味くて食へない。アラスカ・マーブルなんどを愛用し出したので、不味くて困る。夜の部終って、ホッとする、こんなムザン芝居を休みもせずよくも演ったよ。神田昨日より休み、次狂言も休むと申出たら川口は、あはてたと見え、菊田に明朝神田の家へ寄ってくれとたのみし由。

[#1字下げ]七月十三日(金曜)[#「七月十三日(金曜)」は中見出し]
 今日から常盤座の二階楽屋へ移った。部屋は、僕・渡辺・生駒・大辻の四人。此の部屋は風通しよくてよろし。稽古は十二時に始まる。「雷親爺」を演出する、上山の作、どうも面白くない。神田の代りに、先日川口のヒスの犠牲となってクビになった柏を迎へにやった、之で計画の第一は成功、次に神田の復帰については大いに条件を出してやるつもりだ。夕刻頃から「海と与太者」の稽古、何うもこりゃつまらぬ、僕の役たゞ/″\モタれる。「大政」の方は大丈夫受けるものだ。十一時にすっかり済んだが、残って歌だけやる。ジンをのんで浮れ/\てやる。十二時半頃終る。

[#1字下げ]七月十四日(土曜)[#「七月十四日(土曜)」は中見出し]
 今日初日。涼しい日が続く、今日も割によく入ってゐる。序幕が済んだところへ座へ着き、それからセリフを覚えにかゝる。三は「海と与太者」だ。二枚目のもたれで、栄えぬが、与太者三人のおつきあい、まあ楽にやってのける。四、「清水次郎長大政小政」あんまり長くてしょがないのでカット二景ばかりして貰った。大阪屋のランチ、コーヒー、コゝア等飲む。「次郎長」はカットになったので、まあよくなった。まだ/″\歌が長すぎるので、残ってカットする。

[#1字下げ]七月十五日(日曜)[#「七月十五日(日曜)」は中見出し]
 九時起き、お盆だ、早出。座へ来るともう満員。昨夜来咽喉がいけない。「与太者」は大したこともなかったが、「次郎長」に至っては、声の出ない嘆きをかなり感じた。一回終って、エンボツで吸入したがもう手おくれ。「次郎長」の歌、全くひどくなってしまった。客は大満員、「おい三階落ちるよ」ってさわぎ。今日は「与太者」でトリ。飛島来り、漫談の題は「一人トーキー」とする。大分のどが悪いが、一寸一杯といふつもりで、みや古へ上山と菊田を連れて行き、サトウ・鈴木も来て、一同一緒になり大分飲む。

[#1字下げ]七月十六日(月曜)[#「七月十六日(月曜)」は中見出し]
 昨夜ですっかり調子がとまっちまって、「与太者」でも口を動かしてるだけで結局まるで声が無い状態。「次郎長」は歌を人にふりかへたり、コーラスに廻したりして兎に角出ることは出たが之亦無声版だ。「きこへねえぞ」と客がどなる、きこえねへ筈、何も言ってないんだから。これじゃしようがない、代役を東と相談して立てる、与太者は、生駒、次郎長を中根に。表へ寄って川口と、八月松竹座の出しものにつき相談した。又、田丸などにつまらぬ脚本を書かしてるらしい。マーブルへ寄りラヂオの原稿書いてねちまふ。と、十二時すぎ、山野一郎来訪。

[#1字下げ]七月十七日(火曜)[#「七月十七日(火曜)」は中見出し]
 アダリン六錠がきいて午後二時までねちまった。まだまるで声の無い状態だ。床をとったまゝ、ラヂオの「一人トーキー」の原稿書く。東が鏑木と一緒に見舞に来た。病気じゃないから元気だ、いろ/\愚談する。昨夜山野が来て、「半月分給金を貰ってない」と言ひ出した話などして東帰り、一人で夕食して、蚊帳の中で松竹座八月用の「海・山・東京」の案を立てる。アダリン四錠のんでねる。

[#1字下げ]七月十八日(水曜)[#「七月十八日(水曜)」は中見出し]
 十時起き、たっぷり寝不足を取返した。が、まだ調子はいけない、耳の辺までボーッとしてゝ、気持が悪い。夜は出ることにして、ひるは休む。母上とマーブルへ行き食事してから座へ。出てみると、渡辺篤も調子やって休んじまったさうで、「次郎長」は、ムザンな状態になってゐる。部屋へ来てみると、机の此の日記の入ってる抽斗が鍵をこはされてゐる、泥棒が金目のものが入ってないので呆れたらしい形跡。「次郎長」を終って公会堂へかけつけ、声の出ないことを断って、渡辺・横尾と一緒に手品めいたものをやる(30[#「30」は縦中横])。それから与太者三人をかもめで馳走し、神田を送って家迄行き、父母と話して帰る。

[#1字下げ]七月十九日(木曜)[#「七月十九日(木曜)」は中見出し]
 今日一日だけ「海と与太者」の松山先生を生駒に代って貰ふことゝした。「次郎長」やったが、何うも声が本当でない。ひる終って事務所へ川口を訪れ、芸術方面の一切を僕に任せてほしいといふと、頭から、そりゃ御損ですよ、お止めなさいと取り合はない。それから神田のことに話が行った、こっちは恥をかゝせないやうに、女をノボせさせたが、それは川口氏にも罪があるだらうと云ふ言ひ方をして、許してやったものか何うかと話したら、敵は何ともハヤ呆れ返った白っぱくれ方で、神田がそんなにノボせてるなら他にいくらも女優はあること故、あっさり断ったらいゝでせうと来た。よろしい、その量見なら! とこっちの腹も定ったから、八月松竹座の時からこっちへ出さないことゝした。七時すぎ終ると、公会堂のほてい屋の会へ行く(30[#「30」は縦中横])。それから放送局へ、明日のテスト。福田宗吉の擬音実によく、頗るよきものとなる自信もついた。森岩雄氏へ電話し、神田のことをたのむべく二十一日朝、逢ふ約束をした。

[#1字下げ]七月二十日(金曜)[#「七月二十日(金曜)」は中見出し]
 昨夜来川口の態度に不満を感ずること極端となり、到底之以上長いつきあひは出来ない、とつく/″\思ふ。今日はラヂオの日。大辻今日より旅へ出ちまって休み、ひどい奴だ。「次郎長」の大政は林寛が代る。「次郎長」を中根にたのんで置いて、放送局へはちと早いからマーブルへ行き、夕食。小勝が僕の前、之が大分のびちまって此っちの時間へ食ひ込む。昨夜のテストで時間とったのも意味なし、しまひの方はあはてゝ歌も一つカットしちまった。「一人トーキー」の此の試みは多分成功と思ふ。

[#1字下げ]七月二十一日(土曜)[#「七月二十一日(土曜)」は中見出し]
 昨夜は早く帰り、八月松竹座用の脚本、レヴィウ「海・山・東京」を三時までかゝって書き上げた。アダリン三錠のんでねた。新宿駅楼上で森岩雄氏と逢ふ約束なので八時起き、その辛さったら。九時、森氏と逢ふ。神田を八月からP・C・Lへたのむ、よろしいと引受けて呉れた。川口のことも色々話した、結局森氏の言によってよく考へてから戦ふことゝする。座へ来ると、今日から「次郎長」が先になる。「バルコン」の婦人記者、「婦人子供報知」の記者等、談話をとりに来る。本日になって、八月松竹座の興行には、蒲田から城多二郎・井上雪子・竜田静枝他もっとくだらないとこが沢山加入するときゝ、大くさり。

[#1字下げ]七月二十二日(日曜)[#「七月二十二日(日曜)」は中見出し]
 昨夜大分飲んだので気にしたが調子大して悪くもなし。渡辺も調子を押して出てゐる。大阪屋は生意気故常盤のカツレツ・オムレツとめし。花井淳子、過労から倒れた、あんまり人類を酷使するから、みんな参るのだ。今日は又、次月此の金龍館へかゝる五九郎劇の脚本に、われらが頻りに推薦した「笑の王国」向きの脚本、山下の「恋と十手と巾着切」をやらせるとのことをきいた。不満、毎日積るばかり。銀座へ、珍しくルパンへ寄る。

[#1字下げ]七月二十三日(月曜)[#「七月二十三日(月曜)」は中見出し]
 今日から十一時半開き、一時に入る。花井淳子休み、三益が代る。磯野秋雄が撮影で、代りに小藤田正一が来た。之は磯野の方がいゝ。菊田の書く「弥次喜多」は、まだアゲ本しないとかで、警視庁で大変怒ってるさうだ、八月一日にはとても許可出来ぬと言ってる由、こりゃ面白くなった、ひょっとすると休みになる。夜の部になって時間をのばして呉れってさわぎ。九時四十五分ハネ。松竹座へ寄り、装置の村上と、「海・山・東京」の絵のこと打ち合せる。貴島と新宿へ行く。

[#1字下げ]七月二十四日(火曜)[#「七月二十四日(火曜)」は中見出し]
 午前中、伊藤松雄訪問、先日のラヂオを馬鹿に賞め、十二時十五分までゐて、座へ。松竹座が松竹キネマの直営となり、川口が乗り出すなどゝいふデマだか何だか飛んでゐる。兎に角五九郎の方へばかり一生けんめいになってゐるらしい。ひるの部、今日から花井も治って出た。汗だく/″\。又インキンで困る。夜の部終ってから松竹座へ。エノケンの「国定忠次」のフィナーレ大格闘てとこを見る、本水使用てんで舞台は大豪華、うらやましいやうなものだったが、芝居は何うも見当違ひだ。渡辺篤の弟子みたいにしてる三井銀子の父が来て渡辺と話してゐる、きいてみると、その子を芸妓に売ると言ってる由、渡辺のとこへは本人が「助けてくれ」と言ふ。どうも悲劇だ。

[#1字下げ]七月二十五日(水曜)[#「七月二十五日(水曜)」は中見出し]
 ひるの部終って事務所で配役。何しろ次の狂言は、役が少い上に、蒲田軍の来演てことになったので何うにも役が足りない、蒲田軍てものが既に忘れられた人々ばっかり、スターが竜田静枝のヅー/″\と来てるから何うにもハヤ。で結局、僕の「海・山・東京」には井上雪子だけを使ふことゝした。「弥次喜多」は渡辺と二人で行くつもりだったのに、大辻とやることになった、之には全くクサった。その他自分のヴァラエティーで声色屋ともう一つ気のいゝのをやる。夜の部終って牛込をブラつき、田原屋へ。

[#1字下げ]七月二十六日(木曜)[#「七月二十六日(木曜)」は中見出し]
「次郎長」は中日位から伊井張りでやってるんだが、小道具の春ちゃんてのが「向島でやってますね」と言ったきり、あんまり近頃の客には分らぬらしい、「歯が抜けてるやうだ」と言った奴があるのは困った。ひる終ると川口が今夜皆でのみませうと言ふ、一寸気味が悪い。部屋で、大阪屋のランチとハムエグス。夜の部終ってすぐ、川口に連れられて公園裏昇鯉へ行く。渡辺・生駒と東が一緒。松竹座へハリ切って行きたいために一杯のんで戴きたいと言ふんだが、渡辺が役のことを話しても、僕が楽屋風呂がこはれてゝ困るて話してもちっとも受けつけない。ちっとも愉快にならず。

[#1字下げ]七月二十七日(金曜)[#「七月二十七日(金曜)」は中見出し]
 座へ来ると、渡辺が次の「新婚旅行」の役が嫌だとモメてゐる、結局ふり代へておさまったが、何しろ配役を川口が自分の考へばかりで、定めちまふからミスキャストが尽きないのである。ひるの部終って、渡辺が親子丼を食ってるんで、会田に「ミツバ抜きで」と命じたら、ミツバが入って来ちまった、会田が言ふのを忘れたと言ふ、腹が立ったがもう一つ改めて言はせる、今度は向ふが間違へてミツバを入れて来た、之は大辻が引受けて食った、「バカ!」もう腹の立つことしきり。結局大阪ずしで胡麻化す。夜、みやこで代役した連中を奢る。

[#1字下げ]七月二十八日(土曜)[#「七月二十八日(土曜)」は中見出し]
 暑いといへど、まだ本当の暑さでない。神田千鶴子の父親来訪、八月から神田をP・C・Lへ一年半か二年預けることにさせる。田中栄三氏、J・Oトーキーの自分の作に、ぜひ三益を貸してほしいとのこと、川口に話してみたが八月松竹座の時ではうまく行きさうもない。ひるの部の「次郎長」フィナーレの時、森八郎が女の子とベチャ/″\舞台で喋ってるので、どなりつける。いろ/\腹の立つこと多し。松竹座の支配人は、川口直属の山田剛と定りし由、これでもとても永続きはしまいと、誰でもが言ふ。夜の部終って、「海・山・東京」多ぜいのところをまとめる。十二時半すぎになる。

[#1字下げ]七月二十九日(日曜)[#「七月二十九日(日曜)」は中見出し]
 昨夜から本格的に暑くなって来たから、お客は正直、海へとられて此の日曜は、昨日より悪い位。いろ/\腹の立つこと多く、汗流しつゝ全く不機嫌である。要するに川口の支配下にある「笑の王国」は意味なしといふことになるのだ。次の転期への準備である。一回終って、卵をかけて飯を食ひ、コブ茶をのみ、ミルクコーヒーをのんで、吸入をかける。夜の部の「次郎長」に至って又々声嗄れ、全く苦しくなってしまった。ハネ後、三階で「弥次喜多」の稽古をする。全く声出ず、くさる。
 今日、川口全然顔を見せず。

[#1字下げ]七月三十日(月曜)[#「七月三十日(月曜)」は中見出し]
 アダリン三錠のんだのでグッスリ眠れたが、声はいけない。とてもやれさうもない状態なので、中根に次郎長の方だけ代って貰ふことゝした。「海と与太者」の方だけ演る。もういろ/\くさりがあるから全く投げた芝居をする。投げた後は気持が悪いことは分ってるが、投げたい気持になることはあるもの。夜の部も「次郎長」は出なかった。ハネ後、音楽合せで総員残り、一時になった。

[#1字下げ]七月三十一日(火曜)[#「七月三十一日(火曜)」は中見出し]
 午前中、山王ホテルへ池永浩久に逢ひに行く。J・Oトーキーで、九月頃何うだといふやうな話。三益が川口に何か又くだらぬことを言はれたらしい。川口が三益に自分を売り込み、僕から離さうとするやうなことを言ったらしいので、腹が立って/\もう顔がホてって来た。川口を呼ばせて、「何をつまらぬことを三益に言ふのです」とキツ問した、答によっては、許さぬつもりだったが、川口て奴は全く敵はない奴だ、脚本配役、僕に全部任せることゝ、値上についても、何とかするから何卒まあ辛抱せよといふことで、結局又丸め込まれた形だった。九時、「海・山・東京」の舞台稽古にかゝって驚いた。装置は松竹座の村上なんだが、手を抜いちまって、まるで画が描いてない。之が、背景に頼ったものだけにもう演出も気を抜いちまった。次が「弥次喜多」。静御前に扮し、吉野山の一席は先づ自分乍らアサマシヤと思った。何と、稽古終ったのが午前二時。「弥次喜多」稽古中、菊田又例のカンシャクを起し、台本を以て、女の子の頭をポカ/\なぐった。弱ったものだ。すぐ帰ってねる。
[#改段]

[#3字下げ]昭和九年八月[#「昭和九年八月」は大見出し]

[#1字下げ]八月一日(水曜)[#「八月一日(水曜)」は中見出し]
 初日松竹座。客席を覗くと大満員だ。今日が又大変な涼しさなので先づ恵まれた。何しろ五本の出物が皆一時間以上なので、「海・山・東京」が開いたのはもう夕方だ。何しろバックに頼ったのが駄目になったので、気乗りせず。声帯模写はまだ声が治り切らないので源之助と大辻だけやる、之は受けた。「弥次喜多」は、芝居のとこまで大受け。あとはダレである。「弥次喜多」が終ったのが六時半近い。夜の部は一、二、三でトリ。四と五のわれらはもう帰れる。金龍の事務所で川口と話し、一人でマーブルへ寄り定食とスパゲティ食って帰る。

[#1字下げ]八月二日(木曜)[#「八月二日(木曜)」は中見出し]
 今日二日目、十時あき。松竹座は楽屋も天井が高くて住心地ぐっとよろし。「海・山・東京」は、声色屋受けるが、まだ調子が出なくて具合がわるい。「弥次喜多」は、初日よりグッと落ちた。大辻・横尾と来たらアガっちまって何するか分らない、くさる。蒲田から来た、島田・押本が又見てられない。ひる終って入浴。インキンと、又少しオデキが出来かゝって弱る。金龍の事務所で狂言のプラン。大分前に常盤座で出した「かごや大納言」を、先頃出た「めをと大学」を前にくっつけて五に据へ、四はヴァラエティー、三には「結婚適齢記」と定まる。大辻には「あるぷす大将」を出させる。

[#1字下げ]八月三日(金曜)[#「八月三日(金曜)」は中見出し]
 声具合悪し、今日は「海・山・東京」の声色のとこをカットした。「弥次喜多」つく/″\又憂鬱。大辻って奴はまるきりセリフが分らない、それに一人で受けよう/\とあせる。こんな奴と年中つきあってたら人気が落ちてしまふ。全く、くさった。ひる終って、常盤の洋弁と、福仙のサツマアゲ等食堂で食ひ、ねころぶ。大西、勤務中床屋へ行く。何うして此うバカばかり揃ふか、非常識漢多きかを嘆く。

[#1字下げ]八月四日(土曜)[#「八月四日(土曜)」は中見出し]
 昨日から頻りに暑くなったので、入りはよくない。ひるの部、声色、源之助だけやってみる、まだ、ほんとでない。「弥次喜多」は相変らず半くさりだ。ひる終って、吸入しようとしたが、アルコールが無いやら、何が足りないやら、何うして此うバカばかりゐるのか! と怒る。大勝館へ、「流行の王様」Fashions of 1934 を見る。ウィリヤム・ポエルよろし。極く渋いものではあるが中々野心的なものである。たゞ一時間半は長すぎる。夜の部、大辻の芝居はます/\ひどくなる。もうふる/\共演はお断りだ。ハネ後、森永へ大庭・森と、金龍へ出てる牧野周一等と行き、ウイスキーをのむ。

[#1字下げ]八月五日(日曜)[#「八月五日(日曜)」は中見出し]
 声は昨日あたりより少し出て来たやうだ。日曜で暑し、今日は海へとられて、とても入りはあるまいと思ってたが、何うして中々の満員だ。いよ/\「笑の王国」時代だ。ひるの部「海・山・東京」声色やっても、今の客には源之助なんど分らないらしい。「弥次喜多」大辻にくさる。食堂で常盤のカツとオムレツで飯。川端康成来訪、旬報へ「近頃の雑感」五枚書いた。夜の部の「弥次喜多」一景で後に並んでる連中の中、岩井がベチャ/″\話をしてる。幕が下りるとすぐ大カスを食はす。何うもうちの役者は遊びたがって困る、うんとやかましくすることにしよう。ハネ後、森永から銀座へ出る。

[#1字下げ]八月六日(月曜)[#「八月六日(月曜)」は中見出し]
 午前中、榊の磐彦・日出子・叔母等来訪、日出子の縁談のことでもめてゐる。暑い/\。だが、その割に客は入ってゐる。ひるの部「弥次喜多」で又女の子が話をしてるので怒る。汗、汗、汗。大阪の弘三来訪、びっくりアイスをのませる。夜の部「弥次喜多」序幕では柏と大辻が又話をしてる、大辻にも柏にもさう言ってやる。今日、次狂言の脚本、「結婚適齢記」と貴島のヴアラエティーの本読む。前者は先づ/″\だが、貴島て奴あ何うして此う愚にもつかぬものを書くのか。ハネ後、川口・東・生駒と銀座へ。

[#1字下げ]八月七日(火曜)[#「八月七日(火曜)」は中見出し]
 夏は飲まない方がいゝんだと知りつゝ飲む、いかん。もう酒も飲まずモリ/\能率をあげようと思ふ。何しろ金が無くてしようがない、借金々々で身動きがつかない。いかん。午前中、隈部叔父死去、大番町の家へ寄る。座へ出てみると今日は流石に、暑いから客が悪い。ひる終って湯を浴びる。(ケンサとかで昨日から三日間風呂なし)常盤の洋弁食って、三階の大部屋で九日のラヂオの読合せをする、みんなナマリとクセ多く、直し切れない感じ。夜の部大汗。

[#1字下げ]八月八日(水曜)[#「八月八日(水曜)」は中見出し]
 昨日より全く暑し、今日は出がけにマーブルへ寄って、座へ来るも、汗滝の如し、やり切れない。ひるの部終って、金竜の事務所で、次狂言の配役をする。僕は「かごや大納言」の宗春と、「結婚適齢記」の藤村といふ三枚目の二つ。大阪ずしを事務所で食ひ、舟和のあづきアイスでおしまひ。今日は流石に暑さで客少し。十時に迎へが来て放送局へ、明日の放送のテストに行く。和田邦坊作で、連作の第四回「五十銭銀貨」てふ駄作。何て知恵のないこった。つく/″\やってゝいやになる、無能なることよ。馬鹿々々しいと思ひつゝ十二時まで。

[#1字下げ]八月九日(木曜)[#「八月九日(木曜)」は中見出し]
 昨夜から稍々涼しい、今日は夜放送のため順序を狂はして、「弥次喜多」から始める。入りのない日は何うにもバカ/″\しくて出来ぬ芝居だ。ひるを終って、常盤のオムレツ、メンチボールと飯。「モダン日本」のために五枚、「楽屋実話」を書いた。それから次狂言の宣伝文句を苦労して書き、次の「かごや大納言」の本に印をつける、中々面白く行きさうである。今度は稍々セリフも覚える気が出た。夜は放送局へ。八時三十五分より二十五分やる。つまらないもの乍ら、うちの役者達は、さう下手じゃないなと思った。

[#1字下げ]八月十日(金曜)[#「八月十日(金曜)」は中見出し]
 暑さ、いくらかよろし。座へ出て、少し早いので森永でコゝアをのむ。「弥次喜多」相変らず大辻を困ったものと思ひつゝ演る。ひる済んで、中華丼食ひ、旬報の、五日に書いたのを又三枚足して書直す。夜の部終って入浴。三階で「結婚適齢記」の立稽古あり。僕の役は大阪弁で、よくはないがまあ儲け役。済んで、階段下りて来ると、先日芸妓に売られそこなった渡辺の弟子三井銀子がゐて、話をきくと可哀さう、何とかしてやらうと話す。

[#1字下げ]八月十一日(土曜)[#「八月十一日(土曜)」は中見出し]
 座へ出る。調子、ほんとならず、何しろ連日飲むので。「弥次喜多」大辻と二人組で芝居するのは、フル/\いやだと、又思ふ。ひる終って、ランチと支那そば。ねころんで「適齢記」のセリフ覚える。珍しいこと。今夜は大辻の放送のため「弥次」が先になる。走り走るので全然早く終っちまふ。「海・山」がトリで、九時半にハネた。入浴して、森永へ、大庭・小堀・桂介で行く。

[#1字下げ]八月十二日(日曜)[#「八月十二日(日曜)」は中見出し]
 日曜だが、今日は二を出揃はすので、一時すぎに始まる。三益が銀座へ出ようと言ふ、金がないよと言ふと今日はオゴるからーと言ふので、マーブル迄行ったら休み。では、とボストンのグリルが大分有名なので行ってみる、之が外れだった。スパゲティもハンガリーシチュウとカレーライス皆いけない、ポタージュだけよかった。夜の部終って三階で「かごや大納言」の立稽古。十九景だから時間がかゝる。稽古中、渡辺篤のとこへギャング来りあばれた由。新太郎事水越が頭痛で倒れたので送り乍ら帰る。

[#1字下げ]八月十三日(月曜)[#「八月十三日(月曜)」は中見出し]
 今日は誕生日。母上が、楽屋の者に食べさせろとて、上野風月の洋食弁当を十人前届けさして下さった。今日は又、市電の招待だから千秋楽ながら客は悪くない。放送局の安藤が吉川子爵の若様を連れて来て見物させて行った。ひる終ったとこで、誕生祝の洋食を皆にふるまふ。川口のとこへ行き、九月より値上の件、よろしくと言って置く。夜の部は、停電があったりしたので一時間以上おくれさうなので、「弥次喜多」をめちゃ/\に走って、十時十五分に終らせてしまった。今夜は此のまゝ帰れる。

[#1字下げ]八月十四日(火曜)[#「八月十四日(火曜)」は中見出し]
 十一時から稽古だが、かなり早く浅草迄来てしまひ、大勝館へ入る、「夜間飛行」の後半、オールスターキャストだ、ジョンバリが肥ったのは驚く。マーナ・ロイも見違へるばかりの肥り方だ。一時半座へ来て、「結婚適齢記」の準備、之が又三時頃からで終って六時すぎ。九時になって漸く「かごや大納言」が始まる、十九景といふ大作で、鬘は重いし、昨夜の睡眠不足もあって全く辛し。フラ/\しながらやる汗の化物。終ったのが一時、くた/\のくた。これ毎日やらされたら何うなるんや!

[#1字下げ]八月十五日(水曜)[#「八月十五日(水曜)」は中見出し]
 初日である。十二時に入る。入りは先づ上の部。「結婚適齢記」は、竜田静枝に結城一朗なんて素人の中へ僕一人だから、全く一人で浚っちまふ感じで、気まりが悪い程だ。之が済んで、大納言の支度にかゝる。何しろ長いの長くないのって、二時間二十分かゝった。レコードだ。一回終ったのがもう六時半だ。此れじゃ辛い/\とこぼしてゐたら、明日から三の「結婚適齢記」を、まん中へ一回といふことになった、いくらか助かる、「かごや」も一時間台で終るやうカットする由。鏑木、今日又休み、体が悪い由、何うも弱くて困る。十時十五分終り、森永から新宿へ。

[#1字下げ]八月十六日(木曜)[#「八月十六日(木曜)」は中見出し]
 二日目、今日から三を間へ※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]むので、「かごや」からである。今日から四景ばかりカットしたので昨日より大分らくである。夏場は白塗りや殿様はつく/″\やるもんじゃない、扇も使へず汗も拭けないのはたまらない。入浴して、ねころび、カシオペアのランチを食って、さて又ねころぶ。夜は「かごや」一本だから楽なやうなものゝ全く此の汗は泣ける。堀井夫妻・菊田・鏑木等と銀座へ出る、オデオンへ行ったら、放送局の小林徳次郎に逢ひ、「金色」放送の話から、放送用の僕のプランいろ/\話すと、ぜひやって呉れと言ふ。

[#1字下げ]八月十七日(金曜)[#「八月十七日(金曜)」は中見出し]
 九時に起きて、メトロゴルドインへ、メイ・ロブスンて老女優の[#横組み]“You can not buy Everything”[#横組み終わり]って八巻物の試写を見に行く。脚色は充分苦労してゐるが、結局長すぎることゝ暗いことがいけない。メイ・ロブスンは、ドレスラーよりいゝが、何しろ老婆だから救ひはない。大黒と上山でオリムピックへ寄り、トマトスープと、チャプスイを食ふ、トマトスープはいゝが、チャプスイはゼロ。浅草へ来て、「かごや」と「結婚」を続けさまにやり、入浴して、川口と次狂言の話。「次男坊」を出しものとし、これ一本として貰ふ。ヴァラエティー一本書く約束する。夜の部終って、中町と銀座へ出てそれから横浜までドライヴした。

[#1字下げ]八月十八日(土曜)[#「八月十八日(土曜)」は中見出し]
 昨夜――暁四時に帰ったので、十一時までねた。座へ出ると、間もなく「かごや」である、毎日飲むから何時迄たっても調子が本当にならなくて困る。島耕二ロケーションで上京したと訪れたので、飯を食はうとマーブルへ行く、丁度土曜で海老カレーの日。夜の部「かごや」又汗汗。終って入浴し、銀座へ出て、シネショットで遊ぶ。
 熊岡天堂来り、満州へ一と月行ってくれとの話、てんで話に乗らず。

[#1字下げ]八月十九日(日曜)[#「八月十九日(日曜)」は中見出し]
 日曜である。涼しいから今日は海へ客をとられないだらうと思ってたら果して大入満員である。笑の王国ももう大丈夫ってとこだと思ふ。「結婚」の方、一人で笑はしてはゐるが相手が素人だから芝居が盛り上らず、結局つまらん。一回終ると、二科の東郷青児来訪、去年もプログラム作ってやったのだが、今年も作ってくれと言ふ話。放送局の小林に、菊田の脚本と、プラン三つ書いた手紙を鏑木に持たして出す。今夜の会議で定めると言ってゐた由。夜の部も順序通りやって、汗みどろ。終ったのは十時近く。

[#1字下げ]八月二十日(月曜)[#「八月二十日(月曜)」は中見出し]
 今日は又少々暑い。十二時半に座へ出た。大分ギャング出入りが多いので楽屋訪問客は交番の許可が無くては入れないことになった。有がたくもあるが随分不便もあるだらうと思ふ。加藤雄策来訪、飯食ひに出ようといふので、アラスカへ。アラスカの一円半の定食、大したこともないがまあうまし。マロンシャンティリーアイスクリームを飲む。座へ帰ると、島耕二が来てた。今日は大入満員だ。川口が明日ハネてから一杯やりませうと言ふ。

[#1字下げ]八月二十一日(火曜)[#「八月二十一日(火曜)」は中見出し]
 今日は又暑い。座へ来ると、間もなく化粧にかゝる、何しろ白塗り故手間がかゝる。「かごや」は大分受ける。ひる終ったら、グッタリ労れて眠くなった、此ういふ時、静かなとこでひるねしたい、と思ふ。が、いざ、ひるね出来る身になれば、ひるね出来ぬ身が羨ましいと思ふであらう。東宝の樋口、話したしとあるので、行く。廿四日、小林一三氏に逢ふことにした。夜の部終って、川口がみや古へ行かうといふので、渡辺・生駒・東と共にウイスキー大いに飲みつゝ談じた。

[#1字下げ]八月二十二日(水曜)[#「八月二十二日(水曜)」は中見出し]
 昨夜飲んだので、咽喉具合悪くなった、之は弱る。座へ来て、大辻が文芸部の新米を失敗の故に便所へとぢ込めた件を怒ってやった。それに因を発して、進行係の秋元・西田とその新米が辞職した由、明日から新しい進行が来るさうだ。ひる済んで、東劇へ行き、好太郎と会ひ、二十七日にこっちへ来るやうに話をきめて来た。福助の部屋へも寄る。夜の部、汗演。加藤・生駒等と銀座へ出る。

[#1字下げ]八月二十三日(木曜)[#「八月二十三日(木曜)」は中見出し]
 暑い。昨夜、蚊帳の中へ蚊が入ったので、それに汗があんまり出るので寝られず、眠不足の感じ。座の前に大きく「九月一日よりエノケン公演」と出てる、予告にしては早すぎる、東に言って看板を下ろさせた。今日又調子ぐっと悪くなり、ガサ/″\声しか出ず、大いにくさる。ひる終って、森永へ。三門菊子の叔母てのに逢ひ、相談に乗ってやる。煩はしいが、世話好きな僕と見える。それにしても此の数日の金欠には大困り、川口に逢って金のことを話さんと思へども本日出て来ず、ヤレ/\。ハネる頃中町来り、又もや銀座へ。

[#1字下げ]八月二十四日(金曜)[#「八月二十四日(金曜)」は中見出し]
 十時起き、声ます/\いかん。十一時の約束で、東宝へ、樋口と逢ひ、ペパミントソーダを飲む、お互に宿酔らしいので。それから東電本社へ小林一三氏に逢ひに行く。銀座の花月で牛肉のすきやきを御馳走になりつゝ色々な話をする。「東宝へ来るのが一ばんいゝよ」と言ふが、来いとは言はず、小林さんて人は面白い。座へ出る。「結婚」すませて入浴、外出せず昼寝せんとつとむれど、稽古場のピアノを、たど/″\しく草津ぶしなどひくので「楽員以外ピアノひくこと禁ず」の貼紙させる。夜昨年の八月もやった燈火管制の予習とあって、又々全市暗くなる。

[#1字下げ]八月二十五日(土曜)[#「八月二十五日(土曜)」は中見出し]
 今日は理髪しようとてツナシマへ行くと全然三枚目、二十五日定休。昨日よりは稍々涼しい。今日生駒急病で休み、家老村越の役を斉藤紫香が代った。まるで芝居を見たこともないと見えて、さなきだにつまらない前半がめちゃ/\。一回終って配役しに金龍の事務所へ。今度は僕、約束通り一本、「次男坊」だけ出る。あとの役を拾って、宣伝文句を書いてやる、之が一つのたのしみなればしようがなし。夜の部終ったのは九時半。

[#1字下げ]八月二十六日(日曜)[#「八月二十六日(日曜)」は中見出し]
 今日は俄然涼しくなった。朝七時に目がさめて、コンビネションの上へ寝衣を着た位。座へ。「結婚」こいつは段々いけなくなるやうだ、結城一朗なんてのがまるでバカで能が無い。「かごや」今日は生駒も出たので、大いに受ける。「かごや」は全く当り狂言だ。食ひものに苦労した、一っそ毎日屋で豆と白あへでも食はうかと買ひにやったが休み、来々軒の焼売とゴモクワンタン食ったら、まづいの何のって。浅草へ誰か洋食屋を出さないかな全く。夜の部終り十時近く。地下鉄で銀座へ赴く。

[#1字下げ]八月二十七日(月曜)[#「八月二十七日(月曜)」は中見出し]
 出がけ、約束なので坂東好太郎を松竹座へ連れて来ようと思ったんだが、昨夜カニを食って下痢し、ねてゐると言ふので、ダメ。ヤングへ寄って理髪する、モミアゲを変に剃り込まれてクサる。ひる終って日比谷へ行く途中、マーブルへ寄ると久保田万太郎先生に逢ひ、明朝沢村源之助を訪れることを約す、「かごや」を見て呉れた由。日比谷新音楽堂へ報知の納涼の会で行く(30[#「30」は縦中横])。新興の連中も来てゝ、大谷社長がゐた、「菊池先生にお願ひしてありますが近く三人で逢って話さして下さい」と言っとく。座へ帰り、「かごや」をやって、帰る。

[#1字下げ]八月二十八日(火曜)[#「八月二十八日(火曜)」は中見出し]
 十一時に上野駅で久保田氏と逢ひ、沢村源之助を訪問、九月三日夜、沢村源之助芸談を放送する、話のきゝ手として僕が出ることになり、その下相談。昼頃になり鳥料理など御馳走になり、一時すぎ辞して座へ。「かごや」は、やればやる程よくなり、「結婚」はやる程悪くなる。ひる終って、加藤雄策、海軍少尉の服で来たので大受け。外出せず、中西のビフカツとオムライスで食事すませ、ミルクコーヒーなどのみ、ねころんで揉ませる。左の耳が二三日前から一寸悪い気がする。夜の部終ってから、三階で「次男坊」の読み合せあり、大いに肩こる。

[#1字下げ]八月二十九日(水曜)[#「八月二十九日(水曜)」は中見出し]
 ひるの「かごや」の半頃で、耳がとても気になり出し、芝居してる気がせず、帰って休まうかとさへ思った、声も出なくて、之も心持悪し。三益が休み柏が代る、此の花魁には参った。母上や榊叔母・磐・湯浅叔母等が見物されたので、一緒にマーブルへ行き夕食しつゝ、このまゝ帰らうかと言ってると、島田正吾が楽屋へ来てる電話。座へ帰り、島田と話し、「かごや」を演り、鏑木・大西を連れて帰宅。久しぶりで帰ってみれば家庭もよろし。吸入し、アスピリンのみ、サロメチール塗り、アダリンのみて十二時眠る。

[#1字下げ]八月三十日(木曜)[#「八月三十日(木曜)」は中見出し]
 午前十時――昨夜十二時からよく眠ったので、清々しい。榊磐彦来り、鉄道病院へ連れてって呉れる、耳鼻科で診て貰ふ、別に手当の要なしとあって安心する。榊と共に座へ。咽喉具合稍々よろし。「かごや」又三益休み、柏の花魁でやりにくし。「結婚」の大詰、倒れるところ一寸勢ひ込んだので袴まくれ、猿股までまる出しになって皆笑っちまった。中西のハムエグスとおこわを食ふ。夜の「かごや」第一景で羽二重がづっちまって、会田に直させようとしたが、ゐず、カンシャク起して、不機嫌演。終りのとこで停電、かまはず演ってるとパッとつく。今日松竹座千秋楽。夜に入りて雨、金龍へ化粧前の引越し。金龍の三階で「次男坊」を立つ。

[#1字下げ]八月三十一日(金曜)[#「八月三十一日(金曜)」は中見出し]
 馬鹿に涼しい、朝湯で瓦斯をつけ直す位、十時半まで快く眠る。午前中、竜泉寺町の沢村源之助宅へ行き、三日のラヂオの打合せをする。本日は舞台稽古、四の「サーカス来る」を先にやる。五の「次男坊」までの間、松喜へ行き牛肉。涼しい/\。金出た、値上げのことは「追って」と云ふ挨拶。秋立つ如き冷風。あゝ秋はよろし、冬は更に又。結局「次男坊」がすんだのが十二時すぎ。入浴して帰りかけると、生駒に呼止められ、新ばしの寅家へ渡辺も共に行き、すしを食ひ二時近くまで。
[#改段]

[#3字下げ]昭和九年九月[#「昭和九年九月」は大見出し]

[#1字下げ]九月一日(土曜)[#「九月一日(土曜)」は中見出し]
 涼しい朝、十一時半頃までねてゐたが、起きて食事し、セリフ覚えようとしてたら眠くなり一時頃までねた。此う涼しくちゃ気持がよくってしようがない。二時に家を出て座へ来ると、もう四の「サーカス」だ。次男坊は学生が大ぜい出るので、会田も大西も、その他部屋子が皆かり出されて並ぶ。「次男坊」は涙もので、極く古い新派だ、稽古の時は馬鹿々々しいと思った処も、客が入ってみると、泣けて来て、二三個所、ほんとに泣けた。先づ無事なものらしい。本日雨、去年八月の如く燈火管制。「空襲!」ってさわぎ。夜の部、燈火管制のわりには満員。ハネてまっくらの道を帰る。

[#1字下げ]九月二日(日曜)[#「九月二日(日曜)」は中見出し]
 もう之がほんとの涼しさか知ら? レンコート着て出る。日曜だから、一時すぎに、もう表は客を止めてゐる。「次男坊」相当受ける、大新派だけにくさくやればくさくやる程いゝらしい。一回終って、涼しさを味はひつゝ菊田と森永へ行き食事。座へ帰ると、友田来てゐて、旬報十五周年号が出来たと見せる。九時前に体があいたので、生駒・渡辺と一緒に、エノケンを松竹座へ見に行く。「インチキ太閤記」を半分ばかり見る。やっぱりよくやってゐる。友田・鈴木桂介・山下三郎とでみや古へ。本日の上り、松竹座三五〇〇・金龍二七〇〇の由。

[#1字下げ]九月三日(月曜)[#「九月三日(月曜)」は中見出し]
 今日も涼しくて曇り。座へ出る前、大勝館へ行き、「若きハイデルベルヒ」を見る。凡作。ドラマティック・ギャグあれど、デッサンが確りしてないのと、所と時を得て行はれないので皆ピンと来ぬ。座へ出て「次男」やる、何うも調子いかん。放送局へ行く前、銀座へ出て、スコットでポタアジュとヒレステーキと、スパゲッティをやる。ポタアジュ一ばん、ビフテキは駄目、スパはソース過多なれど、うで具合よろし。放送局へ、源之助芸談。七時三十分より八時七分前迄、芸談を引き出し、最後は笑の一手を用ゐてチョン。あはてゝ自動車走らせ、座へ帰り「次男」をやる。調子いかん。

[#1字下げ]九月四日(火曜)[#「九月四日(火曜)」は中見出し]
 十時半に起きる、声いかん。伊藤松雄訪問、昨日のラヂオは成功と言ふ。座で、「次男」やってすぐ表へ行き、次のヴァラエティーは「笑の王国ニュース」ってことにしたらと案を立てる。五十番でシュウマイと中華丼、このまづさに呆れる。大勝館へ、評判がいゝので、コロンビアの「或夜の出来事」[#横組み]“It happend one night”[#横組み終わり]を見る、長きこと二時間近し、とてもよきものなり。シナリオもいゝが、フランク・キャプラってリアリストの監督に参った。音を実によく選んでゐる。此ういふもの見ると、リアルな映画やってみたくなる。夜の部終って、中町と銀座へ。

[#1字下げ]九月五日(水曜)[#「九月五日(水曜)」は中見出し]
 午前九時に起きて、メトロの試写室へ、[#横組み]“Men in white”[#横組み終わり]の試写を見る。苦しい重い圧力のあるストーリー、全くストーリー本位で、監督の影も薄い。だが、クラーク・ゲイブルって役者はいゝ役者だ。テーマに押された後、パッとしたくなり、マーブルへ行き、定食とスパゲティを食ふ。座へ来て、次のヴァラエティーの本を書く。「笑の王国ニュースレヴィウ」。ひるの部、声全くいかん、又禁酒しようと思ふ。徳川夢声妻、死去、去月三十一日、もう葬式も済んだ由、今夜皆で顔を出すことにした。大阪屋のハヤシライスとトースト。ハネ後、荻窪まで急行する。

[#1字下げ]九月六日(木曜)[#「九月六日(木曜)」は中見出し]
 十一時までねた。今日も早く出たから何か見ようと、常盤座の蒲田トーキー「新婚旅行」を少し見た、小桜葉子を高く買ふ。座へ出る。声又々いかん、くさり演。大辻セリフをトチって、こっちのせいにしようとする、舞台じゃ負けてゐられない食ってかゝってやる。ひる終って、松竹座のエノケン「世界与太者全集」のおしまひの方見る、感心するとこはなし。大勝館でチャプリンの古典、エッサネイ頃の「伯爵」って奴、チャプリンは十何年前にエノケンをやってゐた。その映画の中でスパゲティを食ふとこで急に気がつき、マーブルへ急行、ポタアジュとスパと犢を食った。座へ帰って「次男」やり、鏑木・森八等と銀座へ出る。

[#1字下げ]九月七日(金曜)[#「九月七日(金曜)」は中見出し]
 出がけの自動車に乗る時、バタンと鏑木がしめたらガラスが破れた、下りる時、弁償しろと言はれ、腹が立つので交番に渡す。巡査もてあまし、よくお願ひして幾らか戴けと言ふので、頭を下げるならと、一円やる。座へ出ると、昨日も市電のストライキが祟ってまるで入らなかったが今日又ひどし。ひる済むと、阿部金剛来訪、森永で食事して、歩いてると、「上原の舎弟」と称する若いギャングが「ちとノサばってるって評判ですぜ」、凄味がゝって脅かさうとした。おどされちゃ一文も出さない。夜の部終って入浴、又々変なアダヨ部屋へ来り、くさる。

[#1字下げ]九月八日(土曜)[#「九月八日(土曜)」は中見出し]
 一時すぎ座へ出る。又暑い。アイスミルクコゝア、コーヒー立続けに飲む。「次男」ハコに入ってやりよくはあれど客少きを如何せん。ひる終って、次狂言の配役、僕は四・五の二つ。四は三益と二人で歌入りの万才てことにした。五は「旗本退屈男」の早乙女主水之介。大阪ずしを食ひ乍ら配役。森岩雄氏来訪、夢声、妻君没後、くさりて入院のことなどきゝ明日暇あらば見舞に行かうと約す。放送局より「喧嘩オン・パレード」をすぐ書けとの注文あり、急しいが嬉しい。三四日の禁酒のおかげでのど大分よくなった。夜の部すんで、サトウロクロー・大庭等と公園裏のドン/″\焼屋へ行く。今日も飲まず。

[#1字下げ]九月九日(日曜)[#「九月九日(日曜)」は中見出し]
 森氏より電話、明日赤十字へ行くとのこと。座へ出る、日曜だが市電ストがまだ祟って、入り少し。今日は又々夏の如し。家からの弁当で夕食すませる。八時頃体があくから東劇へ菊・吉を見に行かうと定める。生駒・渡辺と東劇へ。長谷川伸作の「盗人と親」これは脚本が悪い、序幕はまだいゝが、二幕目はヤッツケ芝居だ。菊は相変らずいゝ。
 東劇、入場料六円である。われらの芝居は、特等一円だ。六円の六分の一のこと、だけでもあるまいではないか。

[#1字下げ]九月十日(月曜)[#「九月十日(月曜)」は中見出し]
 風強し。昨夜久しぶりで飲んじまったが、まあ大丈夫らしい。座へ出る前、夢声を見舞に青山の赤十字病院へ行った。大分弱ってるらしいが、妻君の死後、裟婆っ気が出たことは確かだ。「あんまり皆に見舞ひに来られたくない」とのこと。座へ来ると、昨日位入ってゐる。飛島来り、明日正午迄に放送局へ届けるやう書いてくれとのこと、引受ける。今夜は徹夜で書きだ。入浴して極めて早く帰る。帰って又入浴、腹ん這ひになり書始める。

[#1字下げ]九月十一日(火曜)[#「九月十一日(火曜)」は中見出し]
 午前四時までかゝって、ラヂオ風景「喧嘩之研究」を書き上げた。放送局へ届けさせる。十二時に起きて食事、母上今日見物さる。「次男」済んで一休みしたところへ、放送局の小林来り、「すまんが、三十日にのばさせて呉れ」と言ふ。拍子抜けした。ところへ又、旬報へ「或夜の出来事」その他のことを書いたのに、早田が間に合はぬと断って来たといふので、電話をかけたら無礼だったから、うんと怒った。悪かった、と言って早田来訪。原稿持って帰った。ハネ後、「笑の王国ニュースレヴィウ」の立稽古をやる。之はまあ相当のものになると思ふ。生駒・大庭・友田とみやこへ。

[#1字下げ]九月十二日(水曜)[#「九月十二日(水曜)」は中見出し]
 十二時半、白木屋ホールへ雑誌週間の催し。僕、初めに模写、調子わるくまるで似ない声しか出ないので大くさり。少し休んで三益と二人で万才をやる。之だけ働いて、三十円にならなかったが、どうもしょがない。終るとすぐ座へかけつけ、「次男」やる。模写はいかんが声は普通、酒やめてドン/″\仕事したい。夜の部終って、三階で「旗本退屈男」を立つ、今夕台本が届いたってんだから驚く。何ともはやむづかしいセリフの連続で、覚えられるもんじゃない。投げた。それに全く面白くなし、いやんなっちゃった。

[#1字下げ]九月十三日(木曜)[#「九月十三日(木曜)」は中見出し]
 今日けい古日。三時より早くは始まるまいからと、日比谷映画劇場へ行き、「絢爛たる殺人」[#横組み]“Murder at the Vanities”[#横組み終わり]を見る、脚色がゴタついたのと、マクラグレンとオーキーを活用せんとして結局無為に終ったことで、傑作とは言ひがたいが、見てゝは面白い。ついでにJ・Oトーキーの「恋の舗道」を見る、田中栄三原作脚色で、ねらひどころはルビッチなんだが、伊奈の監督、とても及ばず、醜ガイをさらす。東宝事務所へ、吉岡重三郎に逢ったら、名人座出演のことしきりにすゝめられたが、座へ出て川口に話したが、イカン断はれと言ふ。モダン日本まつりの日比谷新音楽堂へ行く、三益と二人で万才(10[#「10」は縦中横])。菊池先生がきいてたのは弱った。すぐ座へ引返して、ヴァラエティーの演出し、「旗本」の舞台稽古終ったのは十二時半。

[#1字下げ]九月十四日(金曜)[#「九月十四日(金曜)」は中見出し]
 一昨日より少々風邪気味、咽喉もいかん。鏑木を、東宝へ断はりにやり、週刊朝日へ「喧嘩之研究」を持たしてやる。今日初日だがてんでセリフを覚えてゐない、ヤケだ、やっつけろ! って気持だ。「笑の王国ニュースレヴィウ」は、トン/\行かぬ、自分演の個所もムザン。「旗本退屈男」は天晴れ殆んど何も知らずに出て、プロンプタをたよる、全く以て呆れた度胸だが、幕があけばしまるで、何うやら終った。そこへ又夜はカットで四までと思ってたのが三カットの出揃ひと来たので不機嫌の極。表へ行き、川口に逢ったが、金のこと少しもハッキリしない。夜の部、「ニュースレヴィウ」は、まだいゝ、「旗本」大くさり。ハネ後入浴し、みや古でのむ。

[#1字下げ]九月十五日(土曜)[#「九月十五日(土曜)」は中見出し]
 自動車の中で思ふ、浅草に住むこと一年と五ヶ月――もうそろ/\動きを見せなくちゃいけないと、つく/″\。座へ出る、「ニュースレヴィウ」は、まあ/\狙いどこを外さず。又声が悪くなって困る、酒てものピチッと止めることは中々むづかしい。「旗本退屈男」は作者菊田、ひるの部に来ず、カットすると思ってたとこ又やらされる。菊田は仕事は一ばんいゝが人間がルーズで困る。ひる終って、大勝館へ、白十字で食事して行くと、おめあての「ワンダバー」[#横組み]“Wonder Bar”[#横組み終わり]のつまらぬこと、豪華キャストと、映画ならではのレヴィウシーンがいゝだけ、つまらんので出ちまった。「週刊朝日」の赤井より「喧嘩之研究」は不適当なりとして返却して来た。かせぎそこなひ――くさり。夜の部から、四五景カットになったので九時四十分にハネた。入浴して、森永でウイのみ、銀座へ出る。

[#1字下げ]九月十六日(日曜)[#「九月十六日(日曜)」は中見出し]
 午前中、山野来訪、笑の王国へ戻るやうにして呉れと言ふのだ、座へ来て、みんなにたのめと言って一緒に出る。今日は日曜だから大分人は出てる、うちも満員ではあるが大したことなし。声てんで悪く歌へず困る。「旗本」の四五景カットになったので、楽にはなったが、僕の芝居が無くなり、渡辺・サトウのアチャラカのつきあひになっちまった、が、まあ楽な方がいゝ。王国を去って一旗――について、近頃しきりに考へる。夜の部終って入浴し、みや古で、川口・東・生駒・渡辺・紺野・堀井・田丸・貴島・菊田とで会議する。途中、下の座敷からエノケンの方の松ノボル・野中と土方てのが来て喧嘩となり、メチャなりけり。

[#1字下げ]九月十七日(月曜)[#「九月十七日(月曜)」は中見出し]
 何しろ毎夜飲むので声がいつ迄たっても嗄れてゐる。よし! 今晩から禁酒だ。と決心する。又、山野が来た、一緒に座へ出る。声出ぬから「モンパゝ」の歌をカットして、万才をやる。「旗本」はてんで退屈。終って金田へ行き、鶏を食って座へ帰る。相変らず入りは悪い。川口が休みらしく、本日金借りる筈なのに――困る。夜の部終ってみや古へ山野が来たので、色々話した。山野は、東に給金は包金の百五十円、と言はれた、それは仕方がないが、部屋は僕のゐるとこへたのむと言ふ、僕としては居ない方がいゝ人間なのだが、食ふに困っちゃ可哀さう故、ま、相談にはのってやる。尚帰りに、仕事以外で生意気な点をうんとたしなめておいた。

[#1字下げ]九月十八日(火曜)[#「九月十八日(火曜)」は中見出し]
 雨。十一時までうと/\とねる。昨夜飲むまいと決心して、又のんじまったのが残念。座へ出る、涼しいので、あったかいミルクコーヒーの味よろし。客、わりに入ってゐる。飛島来る、黒田謙同道、入座のこと半決定してゐるのだが、川口がゐないので、話も出来ず。川口が来たら、いろ/\話があるのだが。――で、とう/\来らず、一文なしといふ目に逢った。夜の部も客よし。「旗本退屈男」は、去年やった「水戸黄門」の、又輪をかけた程のアチャラカで、梅坊主復活ともいふべきムザン物だが、客は大いに喜ぶ、いやんなる。いゝものゝ時より必ずこんなものゝ方がいゝんだから。

[#1字下げ]九月十九日(水曜)[#「九月十九日(水曜)」は中見出し]
 今日は又少し蒸暑い、座へ出るのに金一円しかなし、天下の名優哀れをとゞめた。ひるの部、ロクローが声を小さくしか出さず、その上警官が来てるのでヨタは言へず、まことにハヤだれたり。ひる終って川口に色々話さうと思ひ行ったが、不在なので、芝居を見たが、「凸凹ジャズ海軍」の中で、大部屋の村田が、チン/\といふ役の名を、「おチン/\は居らんか」と言ったのに呆れ、部屋へ帰りバリ/″\怒る。とう/\川口は不在。夜の部、くさり演、神田千鶴子来訪、名古屋からの土産を持って来た。

[#1字下げ]九月二十日(木曜)[#「九月二十日(木曜)」は中見出し]
 午前十一時頃までねる。生駒が、先日来、金のことでダレちまって、JOのアフレコの仕事を、十月にはしたいと言ってゐる。僕も胸に一物あるので芝居に身が入らぬ。ひる終って、早速川口と逢ひ、山野復帰の話、黒田謙の話等して、さてこれから又問題にかゝらうと思ってると、飛島が入って来て猥談になっちまひ、とう/\重要の話出来ず。雨で、客は悪い。安藤徳器が今晩迎へに来るから女優も共に待ってゝ呉れと言ふから、待ってたのに来ない、プリ/\怒って帰る。
 ギャング上長へつけ届けがおくれたとかでゴタついたが、漸くケリがついたらしい。浅草はいやだな。

[#1字下げ]九月二十一日(金曜)[#「九月二十一日(金曜)」は中見出し]
 大した風で、屋根の瓦が落ちる。午前中、山野来り、一緒に伊藤松雄訪問、一時間余り雑談して、座へ。此んな風では、入りもあるまいと思ったが、さうでもない、分らんもの。ひるをすまして、川口のとこへ行き、色々話す、金のことは中々いゝ返事をしないが、兎に角何とかして貰ふことにする。そんなこんなの話を一度大谷社長に話したいですナと言ったら、そりゃいゝでせう! といふんで、二十六七日の朝、本社へ行くことにした。夜を済まして、のまぬつもりが又、生駒と二人でみやこへ行き、ウイを大分のんでしまひけり。

[#1字下げ]九月二十二日(土曜)[#「九月二十二日(土曜)」は中見出し]
 午前十一時の約束新宿駅、マルヤの夢声愛人氏と共に赤十字へ夢声見舞に行く。二十五日には退院するとて、大分元気である。それから、旬報へ久しぶりで寄る、いろんなスティルを沢山貰って、座へ。シュヴァリエその他のスティルを部屋へ飾り、泥海男にはウォレス・ビアリーのを、三益にはメエウエストを分ちやる。ひる、あんまり入りなし。ひる終って、塩せんと南京豆を食ふ。夜の部終って、今日より本月一杯絶対禁酒を誓った、その第一日、東郷青児と麻雀しようと思ったが都合つかず、結局大庭六郎を連れて、スコテキへ寄り食事して帰り、昔のプロなど見る。

[#1字下げ]九月二十三日(日曜)[#「九月二十三日(日曜)」は中見出し]
 日曜で少し早い。本日配役。「ガラマサどん」のガラマサと菊田の書いた「海賊万歳」のアルフレッドと二役とる、ガラマサの老けは初めての役だが、一方はつまらん二枚目。夜の部が七時半すぎに終った。堀井、鏑木と共に、東宝へ「憂愁夫人」を見にかけつける。中西武夫といふ新人の作だが、思ひの外の傑作、第一に驚くべき豪華セットのおかげで立派な舞台になる、演出・作共に多分にドラマチックで、トーキー的だ、ネタは「バラのワルツ」ださうだが、兎に角、女の子の男役向きにイヤ味なくスラ/\書けてゐる。感心した。スコットへ寄り、スープとスパゲット食ひ、コロンバンで茶。
 シェクスピア・坪内逍遙訳の「じゃ/″\馬ならし」読上る。実に難解で、役の名も、どれがどれか分らなくなってしまったが、まあ重要な筋だけ読んぢまった。之で一つ書ける。

[#1字下げ]九月二十四日(月曜)[#「九月二十四日(月曜)」は中見出し]
 晴れて祭日、まあみっともないことはない程度の入りだ。部屋へ入ると、プーンと渡辺篤のニンニクのにほひ。ひるの部、舞台でも、くさい/\と思ってるので不快。ひる終って入浴、事務所へ避難して次の宣伝文を書く。渡辺外出ときいて、部屋で、親子をとって食ふ。渡辺が帰って来たので、「まだニンニク食ふ気か」と言ったら、サトウロクローと共演すると、ツバをかけられる、ロクローは病人故、予防にのむと言ふのだ。さんざ悪罵をあびせてみるが、こたへず、「法律で取締って貰ふんだね」と言ふ。ロクローから病気をうつされては困るといふ弱気は愛せるが、さらば、他人の迷惑もかまはぬという態度には全く反感を持った。――案外、こんなことで役者の反目、劇団の分裂なんてことが起るんじゃないか、としたらニンニクも罪つくりである。――と此う日記を書いてゐたら、ねてゐた渡辺がムックリ起きて、「大分皆に迷惑かけるらしいから下へでもうつるよ」と言ひ、横尾・中根のゐる下の部屋へ下りて行った。やがて夜の部始まり、舞台へ行く道、何うしても下のその部屋を通らねばならぬので通ると、渡辺曰く「こゝも通り道が一寸くさいでせうがそいつは我慢して下さい」と言った。僕の答へもよかった。「こゝよりは地下室へ一人で行って貰ふんだったね」と。此の問題果して何うおさまるか。夜すんで、「ガラマサどん」の読み合せ。

[#1字下げ]九月二十五日(火曜)[#「九月二十五日(火曜)」は中見出し]
 座へ早目に出る、と、渡辺病気休演とある。やれ/\昨日の問題がとう/\彼をして此う出さしめたか。今迄の僕の絶対の好意に対して此ういふ礼を欠いたやり方をするならよし! と思った。此処二三日千秋楽まで休んで、次の初日から出る気だらう、さうなったらこっちがおさまらぬぞ。ひるの部、「ニュース」の方は大辻、「旗本」の方は、鈴木桂介に代らせる。この桂介の珍演には舞台で吹き通しだった。東宝の樋口来り、みやこの奥で逢ひ、話す。樋口は今度は東宝小劇場の主任になった由。小林さんと逢ふ話等して別れる。夜済んで、表三階で「ガラマサ」の立稽古と、「海賊」の読合せと立つゞけにやって一時すぎた。

[#1字下げ]九月二十六日(水曜)[#「九月二十六日(水曜)」は中見出し]
 雨だ。座へ出る前、ツナシマへ寄って理髪する。座へ出ると、今日はもう千秋楽近いといふに割に入ってる、分らんもの。渡辺が又休みらしく、まだ来てない。ひる終って、三勝さんといふ義太夫師匠を呼び、部屋で熊谷陣屋をほんの一寸覚える。中々むづかしいもので、それより草臥れるには驚いた、一時間ばかりでヘタっちまい、又明日といふことにした。来々軒のワンタンと中華丼。紅茶とケーキ二つ。夜の部終って、今日は歌のけい古、渡辺がゐないから「海賊」の立稽古はのびて明日といふこと。稽古十二時に終り生駒と色々話す。

[#1字下げ]九月二十七日(木曜)[#「九月二十七日(木曜)」は中見出し]
 昨日義太夫の稽古やり、夜歌のけい古と来たので咽喉が多少面喰ったかたち、折角数日間完全な禁酒をしてゐるにもかゝはらず調子よからず、くさる。座へ出ると、渡辺又休みだ、千葉は三日休んだが、今夜の稽古から出て来ると言った由。ひるの部やってすぐ入浴、吸入する。表へ行き、今夜の稽古から渡辺は出ると言ってる由、それでは僕の顔が丸潰れ故、共演したくなし、「海賊」はお返しする、と言ったら、川口も東も、そんなこと言はずにおさまって呉れと、しきりに言ふ。夜の部終って、「海賊」の立稽古だ、渡辺が来ないものだから、先へ音楽合せをやり、待つ――十一時になっても、まだ来ない。新興入江トーキーの方へ運動してるといふ情報が飛ぶ。腹が立ってたまらない、此れだけ待たしといて、のめ/\とやって来たら、こっちが帰るつもりでゐた、が、十一時すぎとなると川口も東も流石に黙ってもゐられぬと見え、相談の結果、黒田謙をいきなりトッパーの役にふりかへちまった。之で、まあ済んじまったが、川口と東の本日の態度は僕にとっては頗るあきたらぬものがあった。渡辺の腹も見抜けないで、やたらに僕の怒りをおさへようとした川口は、もう信頼しない。此のおさまり如何で相当こっちも覚悟せねばならぬ。

[#1字下げ]九月二十八日(金曜)[#「九月二十八日(金曜)」は中見出し]
 風邪気味で咽喉の調子又々悪し。今日明日明後日とオザあり、困るなァ。一っそ酒のんじまはうかとも思ふ。座へ出る、舞台稽古。今日より山野復帰、馬鹿野郎、鏡台をどん/″\僕らの部屋へ持ち込む、冗談じゃない、頭取呼んで他へ移させる。「ガラマサ」の稽古してると、渡辺が来たと言ふ、「のめ/\と、今日出て来てやるんなら、一つ乃公の方の我まゝも通してほしいね」と東に言った。即ち、今週一本にすること、「ガラマサ」だけ。部屋を早速変へることの二つだ。ガラをすますと、東が来て、こっちの言ひ分も通す、とあるので、やれ/\と入浴した。部屋は早速変ることになり、僕・生駒がサトウロクローを抱いて、金龍の昔の部屋へ。渡辺は三階へ横尾・中根・山野等とおさまることになった。もう役も済んだし、(今日けい古時間のびたゝめ、ホテルのオザへ、山野を代りにやったが、やらんでもいゝよ、金はやるが――と言はれて帰って来た、三枚目な奴)一本となったら心軽し。渡辺に逢ったら「いや何うもすみませんでした」「ニンニクかい」「いゝえ、病気でね」と。十時すぎから、来合せた原田耕造と、森永でウイをのむ。のまなくても調子やってるんじゃバカ/″\しいってんで、大分のむ。山一もあとから来て話してると、アダヨ来り、二円たかられる。山一のことを「認識はいゝが、表現がゼロの男」と定める。ハラコー興奮して面白かりし。ベロとなる。

[#1字下げ]九月二十九日(土曜)[#「九月二十九日(土曜)」は中見出し]
 本日初日、「ガラマサ」一本になったものゝセリフは半分しか入ってない。座へ行ってすぐグロテスクな顔をつくり、気持となって演る。が、何しろセリフが入ってないから落つかぬ。一回やってすぐ、軍人会館の小石川高女の会てのへ、昼の部をやりに行く(60[#「60」は縦中横])。軍人会館で食事し、夜の部やるため残り、その間に「ガラマサ」のセリフ大半覚えちまった。「ガラマサ」夜は入りもよく大いに受けた。終ってすぐ放送局へ、明日放送の「喧嘩の研究」のテストに行く。十一時近くより一時半まで。声はガサ/″\となった。ねむし/\。

[#1字下げ]九月三十日(日曜)[#「九月三十日(日曜)」は中見出し]
 今朝は九時起きで大番町の隈部へ、叔父歿につき後目を叔母がつぐことの親族会議で、届に捺印してすぐ辞し、座へ、今日は放送のため順を狂はして、「ガラマサ」が十一時すぎに始まる。調子まるでいかん、全然ガラ/″\どんである。入りはガラならず。一回すむと、軍人会館へ今日も昼夜(60[#「60」は縦中横])。声の出ない話を少しして、エノケンの真似だけやり、駿河台のチャップハウスで食事して座へ帰る。「ガラマサ」をやり、放送局へ駈けつけ、七時三十分より「喧嘩の研究」三十分やる。僕原作演出、うちの役者ばかりでかためた。先づ之なら大丈夫といふ出来。之をすませて又すぐ走り、軍人会館。前に卵のんだのでわりによかった。
[#改段]

[#3字下げ]昭和九年十月[#「昭和九年十月」は大見出し]

[#1字下げ]十月一日(月曜)[#「十月一日(月曜)」は中見出し]
 鏑木が十二時すぎに入ればいゝと言ふので、円タクの選り好みをしたりして、ゆっくり出たら、もう前が終って幕間、大あはてゞ「ガラマサ」の扮装をした。ひる終って大勝館へM・G・Mの「ターザンの復讐」[#横組み]“Tarzan and his mate”[#横組み終わり]を見る。猛獣百出、たゞめちゃ/\な面白さである。ローレル・ハーディの短篇を見て、白十字でビフカツと飯を食ひ、座へ帰る。夜の「ガラマサ」をやって、新宿第一劇場(元新歌舞伎)の松竹少女歌劇を見に行く。先づ入りの無いのに驚く。「秋のをどり」たゞいつもの通りといふだけ。マイクを使ってるのがとてもいけない。岩田氏に「笑の王国」をかけて一つ一杯にしてみようじゃありませんか、と笑って、十時四十五分、母上を新宿駅に、上高地への旅を送る。

[#1字下げ]十月二日(火曜)[#「十月二日(火曜)」は中見出し]
 ひるから相当入りよろし。「ガラマサ」済むと、まだ一時だ。エノケン見物に、松竹座へ行く。「武家商法」といふ、落語レヴィウと銘打ったもの、和田五雄作、愚や及ぶべからざるムザン物。エノケンも労して効なし。次のライトコンサート「ポピュラーソング」は、まだいゝが、菊谷栄作、連続レヴィウの二、世界与太者全集の中ロシア篇「イワンとペーペル」極めてつまらず、菊谷といふ作者も、此ういふものになるとまるでダメ。レヴィウながら歌貧弱、振付鹿島光滋ゼロで、エノケンも活躍の余地無し。夜の部「ガラマサ」幕の内外、評判よろし。すんでから、大庭を連れてオペラ館をのぞく。此処は又別天地だ、「――チャン/\/\」「何チャン」のかけ声頗る盛、中々満員。みや古へ寄る。

[#1字下げ]十月三日(水曜)[#「十月三日(水曜)」は中見出し]
 八時半起きで、帝劇へ試写を見に行く、昨夜のんでるので、評判のカザリン・ヘプバーンの「若草物語」[#横組み]“Little Women”[#横組み終わり]の半分頃まで見てたらねむくて辛くなり、出ちまった。「ガラマサ」相変らず受ける、ひる終って、ねころんでると国民学芸部の記者来り、「秋のにほひ」について語れと無理を言ふ。それからそぼ降る雨の中を一人で、上野のポンチ軒まで食事しに行く。カツレツよろし、ビフスチウは普通。紅谷で紅茶二杯の菓子二つ。満腹。のびて足をもませる、一寸天国。夜の部の「ガラ」大した受け方、ヤンヤという笑ひだ。「モダン日本」の大島来り、「ガラ」の写真うつして行った。

[#1字下げ]十月四日(木曜)[#「十月四日(木曜)」は中見出し]
 今日は鏑木休み、若いくせに病気に弱い、しようのない奴だ。座へ来ると今日はちと入りが悪い。「ガラマサ」は評判よく、客の喜ぶのがよく分る。それにしても、芝居は「間」のもの、何と皆の下手さ、その間のとれなさを軽蔑したい。サトウもその点駄目だ。渡辺・生駒はその点はいゝ。菊池寛の「話の屑籠」を読む。あの位の人物になると、何を書いてるのを見ても肯けるやうな気がする。加藤雄策来訪、新年号からレヴィウの雑誌を非凡閣から出せとすゝめると、よからう一つ見算ってみると言ってた。夜の「ガラ」済んで、加藤とみやこへ寄り、友田と三人で久方ぶり橘弘一路宅へ赴き、麻雀。

[#1字下げ]十月五日(金曜)[#「十月五日(金曜)」は中見出し]
 久しぶり橘の宅で麻雀で徹夜してしまった。尤も僕が、やらう/\と後をひくのだが、午前七時までやり、而も少々負。座へ出て、声の具合も、寝不足でます/\いかんのだが、「ガラマサ」をやり、入浴し吸入し、楽屋で眠る。いつも寝られないたちだが、今日はねられた。これに馴れたら汽車の中などでもらくに寝られるやうになるだらう。さうなるのは嫌だ――然し、此の生活に入ってから随分その汽車で寝られる奴になってはゐるのだらうが。夜の部済まして上山を呼び、昨日加藤と話したレヴィウ雑誌について案を立てる。みや古へ之を延長し、飛島・生駒・黒田と話す。

[#1字下げ]十月六日(土曜)[#「十月六日(土曜)」は中見出し]
 雨、寒くなった。座へ出る。「ガラマサ」相変らず気がいゝ。一回終ってすぐ、講談社へ呼ばれ、例の如きヘンテコな速記をとられる、まるで警視庁の調べ室だ。金がある時ならこんなの断はっちまふんだが――何しろ貧なので。而も今日は帰りに金をよこさず、くさる。西村小楽天とポンチ軒へ寄りカツレツを食ふ。座へ帰ると表で配役してる。渡辺が一本だから、こっちも一本にして呉れと言ってみたが、「二つのネクタイ」のアルバースと、「青春音頭」に、何と有閑マダムをやることになった。四十近い女ださうだ、これは自信がある。夜の部終って、友田等と日本館へ「空襲と毒瓦斯」[#横組み]“I Was a Spy”[#横組み終わり]を見た、前半で草疲れて出る。英国トーキー、芸のないもので材料のまゝ見る感じがいやだった。
 下谷御徒町ガード傍のポンチ軒、名は古くからきいてゐたが、初めて行くと、カツレツ、ビフシチュウその他二三、メニューはそれだけ。カツレツは生パン粉で、よくあがってゐる、之はいたゞける。ビーフシチュウは、軟くよく出来てはゐるが、安いブラウン・ソースの味がいけない。こゝのカツレツは、ソースもいゝが、卓上に出てるケチャップで食ふとよさゝうだ。

[#1字下げ]十月七日(日曜)[#「十月七日(日曜)」は中見出し]
 雨、もう、ぐっと寒くなった。昨夜乱暴飲みしてるので一寸辛い。座へ来る、市電ストライキが又起ってるといふにもかゝはらず大入満員。「ガラマサ」の受けること大したもの、あんまり受けてセリフが通らなくて困った。ワッワと笑の嵐である。一回終って、入浴、吸入して、部屋でうと/\とした。二回目の「ガラ」が済むと六時、で、軍人会館の法政の学生の会てのへ出る(10[#「10」は縦中横])、又もや声が出ない、くさりつゝやり、終ってその足で、市政講堂の、ギャングの会で、くさる(10[#「10」は縦中横])。まるで又声が出ない。無理してやる心持の悪さ。

[#1字下げ]十月八日(月曜)[#「十月八日(月曜)」は中見出し]
 又雨、よく降る。座へ出る、ツカれて「ガラマサ」も気のりせず。終ると入浴し、川口の紹介状を持って明治座を見に行く。川口松太郎作「悪縁」、雑誌で読んだ時、あんまり感心しなかったが、やっぱり大したものでなし。井上の中老役がいゝ、「活殺」といふものが如何に必要かを思はせた。花柳の四十女、いかん。最もいかんのは伊志井の青年役、まるでモダン味無く、不快。竹久千恵子よろし、新しいものゝ魅力。幕間に、支那そばと洋食の定食。次の「春色昼夜帯」の序幕一寸見て帰る。帰って「ガラマサ」やる。肩のこりはげしくて困る。ハネ後、川口・東・渡辺・生駒と、大森へ牛肉会で行く。
 ウテナの宣伝で九州へといふ話が来た、十一月一日から二十何日間、千五百円といふいゝ値だったが、こっちの仕事のことを思ひ、断った。惜しいが、あせるまい、今に、もっといゝ話がドン/\来ると思ふ。

[#1字下げ]十月九日(火曜)[#「十月九日(火曜)」は中見出し]
 雨が漸く上って、秋晴――と来ちゃあ、果して入りは悪い。飛島からきいた話だが、帝劇へ初めて沢正が出た時、幸四郎が「フーム、この男はよっぽど寝なくちゃ死ぬぜ」と言った由。あの声の無理だったこと、並に声を使ふ者は寝ることが必要、もっと/\暇にあかしてねることだと思ふ。で、ひる済むとすぐねてみる。大阪屋のシチュウ丼が出来たといふので赤と白両方注文する。熱いホワイトシチュウとトマトシチュウをトーストで食った。ハネ後、蒲田から小田浜太郎来り、「青春音頭」のプロローグとして撮影する。ツケ睫毛して、凡そ気分出した女となり撮す。

[#1字下げ]十月十日(水曜)[#「十月十日(水曜)」は中見出し]
 十時半まで眠る、座へ出る、昨夜女の子の稽古五時近くまでだった由、大ていではない。ひるの「ガラマサ」どうももう倦きて/\。早く来週になればいゝと思ふ。食ひ物で頭をひねった揚句、中西へ使をやり、おでんと赤飯を食ふ。夜の部迄の間に地下の楽士室で歌を覚える、声が何うも定まらぬ。稽古は「二つのネクタイ」と「青春」と両方なので一時半になる。アダヨが入って来たり、大部屋が酒気を帯びていたりするので全く不愉快。済んで、一杯飲みたくなり、甲子郎へ行くと、山一がゐた、さて飲まうとしてるとこへ、乱酔した柳田貞一が入って来て、「何でエ古川緑波め、セヴィラのことを何故あんなこと書きやがった」と言ふ、エノケンで演ったセヴィラの理髪師の評を僕が書いたといふのだ、そんなもの書いた覚えはないと言っても、「この野郎ウソつきめ、何でエ、貴様ピアノひけるか」とか「今夜は山野一郎がゐるから我まんしてるんだ」とかわけの分らぬ詈言を吐き、無礼を極めるので、「こっちゃシラフで、そっちが飲んでちゃ喧嘩にならねえ、乃公あ帰る」と、ドン/″\帰って来ちまった。兎に角気になるから帰って、旬報の批評を出して読んでみると、あった/\、飯島正が「セヴィラ」の評を書いてる、その頁の上欄に、僕が「エノケンを評す」てのを書いてる、下手に読むと、之がゴッチャになるのだ、それをバカめ錯覚してるらしい、よし、あの無礼、このまゝには捨て置かんぞ! 明日シラフの時一つうんととっちめてやるから、さう思へ。と思ひつゝ眠る。

[#1字下げ]十月十一日(木曜)[#「十月十一日(木曜)」は中見出し]
 昨夜の柳田貞一の酔態がシャクなので、旬報を持って、出る。又雨だ。「ガラマサ」又も調子をやり、この方が老けには反っていゝ。柳田のとこへは山野に手紙持たしてやる。「昨夜の極りなき無礼に対し解決したい、そっちから来るかさもなければこっちから行く。」と。夜の部。佐々木邦先生夫妻が見物してるてんで緊張した。やってから佐々木先生に逢ふ。山野がエノケンの方から帰って来て「柳田は大恐縮、エノケンが此の話をきいて俺が中へ入る」と言ってる由面白くなった。夜大阪屋のシチュウを食ひ、セリフを覚えたりしてると、終演、稽古は「青春音頭」。十二時半にすむと、山野と森八を連れて、エノケンの指定の麻布の梅の家といふ家へ行く。柳田とエノケンゐて、柳田しきりにあやまる、が、結局文人の気持分らず、低い生活しか知らぬ者の悲しさに、ピンと来ることは言へない。ウイスキー一本持参して、抜かせる。グイ/″\やり出し、大分酔って一時はエノケンとつかみ合いになったり――ふと気がつくと、夜は白々とあけてもはや七時だ、驚いた。ふウ/\しながら自動車に揺られて帰る。

[#1字下げ]十月十二日(金曜)[#「十月十二日(金曜)」は中見出し]
 エノケンと飲み明してねたのは八時だ。十二時頃眼がさめたが、やる気せず、ひるだけ休むことに定めて、又ねる。四時頃家を出て、松竹座のエノケンとこを訪れる、今暁四時頃、エノケンと僕がつかみ合ひになったので、あはてた待合の女中が、近くのエノケン宅までかけつけ、エノの伯父等を連れて来たさうだ、来てみるともう機嫌直して二人でのんでるんで安心した由、ナンセンスだ。座へ出て、「ガラマサ」やる。ひるは山野が代役で、義太夫は未曽有の珍声を出して皆を面喰はしたさうだ。まるで声いけない、鼻つまり、のどエゴ/\。熱七度二分ばかり。ハネ後、「二つのネクタイ」の読み合せをやる。全く熱っぽくて苦しい。

[#1字下げ]十月十三日(土曜)[#「十月十三日(土曜)」は中見出し]
 熱あるらしく食物の香りなくまことに苦しし。今日は舞台稽古なれば一時頃出かける。「二つのネクタイ」の稽古始まる、衣裳と道具は豪華だが芝居のつまらぬこと限りなし、貴島てのはつく/″\駄目だな。終って、持参の松茸飯を皆で食ひ、五にかゝるのがもう九時。有閑マダムの扮装して、先夜撮したプロローグの映画を見る、いやもう恐るべきハリキった女で自分乍らぞっとした。今度は五のさまで笑はせる手しかなし。熱七度四分を一寸越ゆ。十二時にあがる。

[#1字下げ]十月十四日(日曜)[#「十月十四日(日曜)」は中見出し]
 どうも声が大分いかんが、と気にしつゝ座へ出る。初日で十時あきだ。「二つのネクタイ」舞台へ出て、声のまるで無いのに驚いた、調子やったのでなく芯から参ってるんだからひどい。その上芝居がつまらないんだからくさる。五の「青春音頭」は、プロローグの映画が大受けだ。いでたちで大いに笑はせるが、さて声が無いに近い状態じゃしょがない。一回すんで大隈講堂の小学校の会へ、此の声で出る。来々軒のワンタンメンと、大阪屋のシチュウとトースト、紅茶とカステラ。終って、今日は金が出ないのでくさって帰る。

[#1字下げ]十月十五日(月曜)[#「十月十五日(月曜)」は中見出し]
 九時起き、帝劇へ東和商事の試写会「今宵こそは」を見に行く。ジャンキープラといふ本格歌手を生かした、音楽映画だが、何うも買へない。第一に下司だ、アレンヂも、脚色もいかん。すむとすぐ座へ。入りがよくない。昨夕の毎夕に、古川緑波・生駒雷遊、恋の争奪って見出しで、スキャンダルが出てる。全然意味なく二枚目になってるとこが受けた。が、いやな感じ。川口も毎夕で神田の件、さんざんにやられてるのでくさってた。そして曰く、「お互に自重しませうな」と。苦笑ものだ。夜熱七度四分半となる。反対療法してみるつもりで、みや古でウイスキーをのむ。

[#1字下げ]十月十六日(火曜)[#「十月十六日(火曜)」は中見出し]
 昨夜飲み、今朝は大分心配したが反って昨日あたりよりは大分いゝやうだ。「二つのネクタイ」の歌などらくだった。然し何う考へてもつまらない芝居だ。ひる終ってすぐに、松喜へ牛肉を食ひに行った。表へ行って次狂言のプラン立てる、結局、僕の「凸凹ローマンス」を改訂して出さうといふことになった。他に好太郎がやった大森痴雪の「世直し大明神」てのをやる。渡辺・サトウ振はず、生駒馬脚をあらはし、目下僕より他、何か[#「何か」に傍点]やる奴が無い感じだ。山野でも少しチャンスを与へてやらうかと思ふ。夜の部すむと軍人会館へ行き一席(40[#「40」は縦中横])、それから又走って大隈講堂へ行き、地下鉄の夕で一席(35[#「35」は縦中横])。すませて又浅草へ戻り甲子郎でみや古のウイをとりよせてのむ。アダヨ入来、二円いかれる。

[#1字下げ]十月十七日(水曜)[#「十月十七日(水曜)」は中見出し]
 甲子郎で昨夜おそくなり、ねたのが四時、大分のんだし一寸応へる朝、物日で早出だ。雨に恵まれて何処も入りはいゝらしい。のどは昨日より稍悪いといふ程度。「二つのネクタイ」は全くつまらん。貴島のセリフは馴れて来るにつれて馬鹿らしくて言へなくなって来る。ひる終ってすぐ浅草の富士小学校同窓会てのへたのまれて行く(15[#「15」は縦中横])、森永で食事した。今日は序幕でトリ。女形をすませてすぐに大隈講堂へ行き、嗄声で一席やり(35[#「35」は縦中横])、雨をついて円タク、大崎館て小屋へアダヨ(新門の何とか)ザシで行く。五分やって生駒と一緒に又浅草へ。みやこで鈴木桂介に、「海賊万歳」やらした礼にのませる。山一・大庭も共に。

[#1字下げ]十月十八日(木曜)[#「十月十八日(木曜)」は中見出し]
 又もや甲子郎で、芸術を論じて徹夜しちまった、毎日つゞけてウイスキーの御厄介、でもさほど咽喉にこたへず。座へ出て、すぐ「二つのネクタイ」をやる、一々セリフが気に入らないのでやり辛いこと。女形の方は、あまりネバ/″\と色気を出すので皆が驚いている。ひる終って、ツナシマへ理髪に行く。床屋へは行く迄と、やってる間が面倒だが行って損することはない。喜太八とんかつへ寄り一人でいろ/\食ひ、五十一銭也で夕食をすます。夜の部をすませて、さて今日はのまずに帰らう。吸入して、日記をつけ、たっぷり眠らうと思ふ。

[#1字下げ]十月十九日(金曜)[#「十月十九日(金曜)」は中見出し]
 今日から十一時あき。十二時に入った。今日はよく寝たので声大分恢復した。ひるの部終って、事務所へよばれ、「十一月から常盤座に定りました。」と言ふ。こいつはありがたいこと故喜ぶ。四時に迎へが来て、アラスカへ婦女界の座談会で行く。サトウハチロー・アナウンサーの河西・早川雪洲なんて顔ぶれ、ヴィクターの専属といふ渡辺はま子、顔よろし、嘱望。帰りの俥代払ってないのは婦女界いかん。夜、役終って、邦楽座へR・K・Oの試写、「クカラチャ」を見に、山野と行く。レーニンの野郎、秘密の試写だなんて言ふから何んなものかと思ったが、テクニカラーのトーキーてだけのもの。又、みや古でサトウ・山野とのむ。

[#1字下げ]十月二十日(土曜)[#「十月二十日(土曜)」は中見出し]
 座へ出てすぐ「二つのネクタイ」全く声いかん。歌など具合わるし。部屋へ山野来り猥談となる、此奴やっぱり面白い動物なり。生駒は「いや全くいゝ男が一人ゐたよ」と鏡を見入る病ひが激しくなって来て、半分以上本気になってるらしい、ロクローは子供みたいなことを言って喜んでるし、中々よき友は無し。夕食は、又大阪屋のホワイトシチュウとトーストに、大阪ずし少々。今日の八時半からの放送松井翠声病気で生駒が代りに行くことゝなる、で今夜は思はぬみいり故生駒が奢るとある。ハネ後、銀座で新しいすき焼屋大和てのへ行ってみる、こゝでウイスキとらせて、大いに食った。銀座裏、東宝を出て国民の方へ行く角に、すき焼のネオンが二階に出てる、感じのよさゝうなうちが出来たのを前から狙ってたが、二十日夜行ってみる。はぢめ、大阪の本みやけ式に「ヘット焼」とあるから、それをやってみる、之はやはり大阪風に肉の切味を厚く、小さいビフテキ位にしなくてはいけないのに、薄いので事をこはす、が、ねぎの切り方よくいためて食ふねぎはよろし。次に普通のすきをやった、ウイスキーで酔ってはゐたが此のワリシタは、たしかに欠点あり、即ち醤油味でいけない。ザクにも難がある。

[#1字下げ]十月二十一日(日曜)[#「十月二十一日(日曜)」は中見出し]
 夢で、舞台で身ぶりよろしく、筋のある歌を歌ってる自分を見た、而も引込みは螢の光のメロディーで、泣き顔を見せつゝ引込むのである、大いに受けてゐた。出がけに「ロッパ節」創造について考へる。ありふれたメロディーと、作曲とをないまぜ、脚色は自らやり、やってみよう。座へ早く出る。声まだいけず、「ネクタイ」でくさって、女形でいくらか気をよくする。家から持参のいなりさんを皆にも分け、自らも六つ七つ食い満腹した。鏑木が一昨日より、千葉へ母病気で行きっ放し。夜の「ネクタイ」まったくダレる。いやな芝居のトリは憂欝である。みやこのウイ少々とってのみ、帰る。

[#1字下げ]十月二十二日(月曜)[#「十月二十二日(月曜)」は中見出し]
 昨夜の夢で霊感を得たロッパ節は、これだけで立派に一代の芸術家になれるものだといふ気がする。「弥次喜多」「サトウハチローの失恋大福帳」など、すぐにかゝってみたいと思ふ。座へ出る、会田が又休み、此う休まれると嫌になる。鏑木も夕方漸く出て来た。貧乏でたのしみ少し。毎日十円位宛表から借りる始末。とんかつ喜太八から串を買って食ふ。大辻司郎明後日出発、外遊と言って来る。小学校の友畑郁三郎「莨」って雑誌の原稿を依頼に来る。夜、佐藤節・山野とみやこ。酔って向島の梅島のうちをたゝいたが、留守。

[#1字下げ]十月二十三日(火曜)[#「十月二十三日(火曜)」は中見出し]
 招魂社のお祭りだてんで三十分早くあく。マダムの扮装をとるとすぐ、東京女子宝塚会のオザで、日比谷東宝小劇場へ行く。座へ帰ると、口番が「お部屋に梅島昇さんが来てますよ」と言ふ、びっくりして部屋へ入ると、生駒の化粧前に真ッ赤な梅島昇が座ってゐる。「やア、昨夜、君ぁ僕んとこを夜中にたゝいて呉れたさうだな、それで俺ぁ今日突如としてやって来た、何うだいゝだらう?」大分酔ってゐるらしい。で、今夜築地の金竜亭で大いに論じようといふことになった。で、九時頃、生駒・山野・サトウ・斎藤と横尾も共に、築地金竜へ行き、梅島昇の気焔をきく。

[#1字下げ]十月二十四日(水曜)[#「十月二十四日(水曜)」は中見出し]
 十時半起きで出る。飲みが続くのでからだダレて、ひるの「ネクタイ」などてんで辛し。実に辛し。飲みをつゝしまうと思ふ。ひる終って入浴し、部屋で大阪屋の丼シチュウ赤を終って白を食ってると、サトウロクローのとこへ、花井淳子がどなり込んで来た。舞台のことでサトウが花井に注意を与へた、それが言ひやうが悪かったか、きゝやうがいけなかったか、花井が怒って、「畜生」と叫びざまロクローを、バンドでなぐった、と、ロクローも怒り立って、花井をなぐる。その情景にたへられなくなって、いきなりサトウをつかまへ、「女をなぐるとは何だ、許さんぞ」と言ひざま、とめてる(誰か分らぬが)をふりはらひつゝゴンとロクローの耳の裏あたりをノシてゐる自分。急をきいて、菊田と堀井が駈けつけ、堀井は花井の夫だが、これは全く劇壇人的冷静を失はず、淳子はメンスだしまあ兄妹喧嘩みたいなもんだからと言ってロクローをなだめてゐた。僕も漸く昂奮からさめてみれば、何もロクローをのすことはなかったんだが、前に女の子を十人ばかり、舞台のこと、その熱心からではあるが、ノシたことを思ひ出して昂奮したのだ。然し何ともハヤこっちも他人のことは言へない。花井淳子も冷静になったところで、ロクローも共にあやまって、ハトヤのコーヒーをとって水に流すことにした。さて今夜はハネ後、大辻司郎の送別会をやるので、白十字の二階へ、五十銭会費で、王国の人六十人ばかり集まった。誰も衷心から送別の気持があるわけでない、それに僕は、飲み労れの上、先っき昂奮したので労れ/\て、テーブルスピーチも気乗りせず、たゞ鈴木桂介・時田昭男・山野一郎はいゝ余興であった。大辻、二十五日一時出発の由。

[#1字下げ]十月二十五日(木曜)[#「十月二十五日(木曜)」は中見出し]
 座へ出ると、サトウロクローが今日は中耳炎のやうな具合で休むと言って来た由、「二つのネクタイ」は斉藤紫香が代役した。「青春」の少し前、青い顔してロクロー来り、「オヤヂ打ちどこが悪かったよ」と、耳をおさへてゐる。さう言はれてみればしようのないこと、そいつぁ悪かったなと言ふ。次の配役。常盤座へ移って十一月一日からの分。僕は「凸凹ロマンス」の一役と、「世直し大明神」は、ド三枚目を一つ貰ふ。かくて夜まで食事の間もなく腹ペコで演ず、女形で大向ふが「水谷八重子そっくり」のかけ声には気をよくした。次狂言の序幕が、警視庁の役人の道楽劇で、序幕につかまりの連中くさり。

[#1字下げ]十月二十六日(金曜)[#「十月二十六日(金曜)」は中見出し]
 毎日どんより、雨。座へ出る、すぐ始まる。又昨夜のんじまったので、辛くて/\たまらない。ひる終って、ダレた体を揉ませようとしてると、放送(二十九日)のことで新聞記者連がドヤ/″\と五六人来ちまひ、一たん落した女形を又塗り直して写真二三枚とる。之が帰ると宇賀神が来て、当日の音楽打合せをした、そこへ又報知の西田といふ物分りの悪い新聞記者来り、生ひ立ちを話せとあって、之に話す、続いて法政の野球選手二人を熊岡天堂が連れて来ちまひ、もませる暇もなく夜の部をやっちまった。ハネ後、黒田謙が飛島を呼び、みやこへ。飛島に女形の心得をきく、参考になった。

[#1字下げ]十月二十七日(土曜)[#「十月二十七日(土曜)」は中見出し]
 十二時に座へ出る。客てんで来ず、バラ/″\で、やって居られない位だ。客種もグンと悪く女形の時など馬鹿声出してハア/\笑ふのでやって居れん。梅島昇の「劇界へのへのもへじ」を読む、おしまひの方の「役者と女」あたりから、大いに面白く読めた。飯は大阪屋のシチュウに楽屋売店の茶飯と、毎日だから白あへをとって食ふ。近頃けい古済んで泊る女の子の部屋へ夜這ひする楽士ありとのことで、男子止宿一切ならぬとの貼出しあり。ハネ後凸凹のけい古。然し渡辺と鈴木がゐないので打合せだけして、あと踊りの稽古。

[#1字下げ]十月二十八日(日曜)[#「十月二十八日(日曜)」は中見出し]
 日曜で早く出る、大したこともあるまい、秋晴れで早慶野球戦の第四日曜と来ては。即ちその通り。二三原稿の約束があるのだが暇が無い。次の本もろくに見てゐない始末。夜の部イキな客あり横尾泥海男の旧劇に「よ白木屋ァ」と一声あびせた由。夜の部終るとすぐエノケンを見に松竹座へ。「嫁取り婿取り」が丁度見られた。何よりも舞台、文芸部と、役者以外のもの全部が整然と仕事してることを羨ましく思ひ、引返すと、うちは序ドリ、この序は、曽て僕が馬劇といふ称を与へた、川口三郎案の曽我廼家種のもの、そのなさけなき装置、寒々とした舞台を見せられちまって、がっかりした。川口如くコンマ以下の頭の人間がプランを出したり、配役をしたりしてゐるやうでは、折角此処迄来たものがムザンなことになってしまふ。ハネ後「世直し」の稽古。つまらんものらしいが、ド三枚目のボケで何うにかやれさうだ。

[#1字下げ]十月二十九日(月曜)[#「十月二十九日(月曜)」は中見出し]
 昨夜から九十才の祖母上が家に泊り、朝、「こゝとサカ町が海ならよかろ、朝鮮船流して源之助をのせてあとから岩井条三郎」ってボン/″\歌のあった話などきく。座へ出ると、渡辺、とう/\病院へ入った由、土台トーキーとのカケ持は無理なんだ、而もこっちの取り分は川口がモノにしちまってる、との話。中根が代役するので、女形の方の夜は正木にやらせることになる。大阪屋の赤シチュウとトースト。夜の「ネクタイ」だけ済ますとすぐ放送局から迎への自動車で、山へ行く。九時きっちりから三十分。「弁士時代」てのをやる、昔の映画音楽をきいていゝ心持になる。終るとすぐ浜町浜の家へ、エノケンと一問一答のため行き、二時近く迄いろ/\喋る。

[#1字下げ]十月三十日(火曜)[#「十月三十日(火曜)」は中見出し]
 よく寝たのでさほど労れてゐない。座へ出る、金龍館今日限り、明日から常盤座へ移る。ひるの部、夜の部共に客がわりにいくのは可笑しかった。ひる終って、約束なので「莨」へ六枚、書いた。懐古癖緑波、古いこと幼い頃のことを書いてると実に味がある、と自ら思った。売店の芋てんぷらとおでんに、大阪屋の白シチュウ、トースト。夜の部の「ネクタイ」ふざけて面喰はしてやった。三益と抱き合ふとこで、プッと一発、くさいので三益参ってゐた。夜の部終ると、引越し。ハネ後、表三階で「凸凹ローマンス」を立つ。一ぺん手心のあるものだから簡単に之は片付けたが、「世直し」の立ちは、一時すぎ迄かゝった。

[#1字下げ]十月三十一日(水曜)[#「十月三十一日(水曜)」は中見出し]
 どうも弟子共の弁当代がかゝり過ぎる、少し此の方面を考へないといけないと思ふ。一時半不二アイスで、樋口正美に逢ひ、小林さんを四日の朝早く訪れることを約す。座へ出るとまだ序幕をやってる、川口三郎自ら演出で、道具が揃はぬとか役者がセリフが入ってないとか荒れてゐた。「凸凹」は、去年より背景もよくなったし、端役などを選んだからひき立つだらう。「世直し」にかゝったのはもう十時近く。稽古終ったのが二時半――やれ/\。大労れ。
[#改段]

[#3字下げ]昭和九年十一月[#「昭和九年十一月」は大見出し]

[#1字下げ]十一月一日(木曜)[#「十一月一日(木曜)」は中見出し]
 今日は常盤座の初日、雨に恵まれて、つっかけよろし。「凸凹」、去年手心あるものだから安心して出来る、セリフもプロンプターがつけば思ひ出すので初日のやうな気分じゃない。大いに受ける。安心した。「世直し」は、三枚目で尻抜け伝次、ヌーッと出て一人で浚っちまふ。夜の部は「凸凹」ドリ、ハネたのが十時十分。かなりへたったが、鈴木桂介・多和利一・大庭六郎を連れて、みや古へ行き、大いにウイをのむ。もう調子がすっかり治ったからいゝ。

[#1字下げ]十一月二日(金曜)[#「十一月二日(金曜)」は中見出し]
 十時半あきのところ、中根がトチったので十一時にあいた。入りは昨日程ではないが、先づ悪くなし。「凸凹」大丈夫大受け、「世直し」のボケも、人の呆れる程ボケてみせる、之がやはり当り。今日は開きがおくれたので、青山日本青年館の会は無理言って、六時にトップを切り、約二十分やってすぐ引っ返すといふきはどい芸当をやる(40[#「40」は縦中横])。山縣七郎来訪、人形町のつるやへ、生駒・山野と共に行き御馳走になる。今日はうちは満員、エノケンの方は遙にアホられて、全然入りはムザンだったさうだ。調子全く治った。

[#1字下げ]十一月三日(土曜)[#「十一月三日(土曜)」は中見出し]
 十時きっちり開き。物日で大入満員。どよめく程入ったんだが何しろ回数アホれないので――それに割引もあるとかで、大入りはつかず、皆くさる。(此の日日記する暇なかりしため記憶なし。気がぬけて、あとでは日記書けぬなり。)

[#1字下げ]十一月四日(日曜)[#「十一月四日(日曜)」は中見出し]
 十時あき、秋晴、天高肥馬的の日曜だから何うかと思ったが、打込みからの大満員、此ういふ日は回数をアホってやりたいんだが、狂言が長いからアホれない。「凸凹」大いに受ける、この受け方は正に「凸凹放送局」以来の笑ひだ。「世直し」のボケも頗る受ける。夜の部終ると、九時だ、急いで支度して丸の内蚕糸会館の大日活の会へ顔を出す(30[#「30」は縦中横])。全く声は旧に復したので快い。浅草へ引返して、おさとで川口・東・生駒と菊田・貴島で会合あり。クビにしたい人間を文芸部として書き出して来た。正月は一つ「三人吉三」と行かうなんて話が出る。

[#1字下げ]十一月五日(月曜)[#「十一月五日(月曜)」は中見出し]
 座へ出ると、生駒が昨夜文芸部が、斎藤・青木その他数名をクビにすることを申し出たが、生意気だと昂奮してゐる、全く文芸部――といふより菊田が思ひ上ってゐるところはある、が、それを生駒は昂奮のあまり、皆のゐるところで喋るのは困った。果して一回の終り頃には、役者連がうるさくなってゐる。菊田・貴島は喋られちまふとは思はないから、困ってゐる。どうもしようがない。然し、人事の出入れにまで積極的行動に出ようとする文芸部は一寸ノサバリ過ぎてゐるとは言へる。やっぱり僕がもっと矢表に立ってゐばるべきかなーとも思ふ。入り悪からず。ハネ後、まっすぐ。

[#1字下げ]十一月六日(火曜)[#「十一月六日(火曜)」は中見出し]
 座へ出ると、間もなく「凸凹」だ、随分長く演ったものだけど、之は倦きない、何しろ受けるから。「世直し」の方はダレて来る。受けるのだが、自分として、あんまり面白くもない。今日こそ「週刊朝日」を書かうと思ってたんだが、根気がなくなり、電話であやまらしてしまひ、訪れた、藤原義江の支配人長尾克と松喜へ肉を食ひに行く。それから帝国ホテルへ聖橋の女学校の会てのへ。夜の部終って、昨日の問題以後気になってるので、中根・斎藤・青木・生駒をかもめに招いて、話をきく。クビ問題から段々と、文芸部がオヤかってるから大いに僕もしまってオヤかるから――と又色々ホヨ話などする。

[#1字下げ]十一月七日(水曜)[#「十一月七日(水曜)」は中見出し]
 座へ出ると渡辺篤、顔がひどくはれちまって出られないとあって休み、こいつには参った、山野を代役でいかせることにした。「凸凹」の方はまだよかったが、何しろ三枚目山野じゃ「世直し」の方は、まるで可笑しくって、こっちのボケがひき立たず弱った。やっぱり何うしても書けとあって、「週刊朝日」へ、自信なきもの十七枚書いて送る。夜の部終ると、明日と明後日、引受けた神田の剣道の会の仕事トリやめにすると剣士みたいのが来た、鏑木が母病歿のため、放り出し過ぎたのと、時間を無理言ったので怒ったらしい。川村秀治と堀井英一・友田純一郎とでみや古へ芸術談に夜を更かす。

[#1字下げ]十一月八日(木曜)[#「十一月八日(木曜)」は中見出し]
 九時半に起き、本郷顕本寺へ鏑木の母の葬式へ行く。鏑木といふ奴も変ってゐる、母親の葬式にゐない、剣道の会の方で大分もめてたらしいから、前金でも取ってゝ困ってるのじゃあるまいか。座へ出ると、今日も渡辺休みだ。「凸凹」は、渡辺にハメて書いたものだけにてんで山野じゃ調子が出ない。とてもいかん。「世直し」も、ボヤ/″\してるので、サトウロクローが投げちまって、腹が立った。馬鹿だからロクローなんて奴は、おさへなくちゃ駄目だ。

[#1字下げ]十一月九日(金曜)[#「十一月九日(金曜)」は中見出し]
 今日も渡辺が休み。山野が「凸凹」と「世直し」両方共代役する、てんでピッチが上らなくてダレちまふ。ひるの部終って配役する。文芸部員は、あれ以来全く気勢上らず、川口と僕とでポン/\定めちまふ。「忠臣蔵」は、大星を避けて勘平をとった。道行のふりごと、腹切りの型等すっかり覚えて勉強してみよう。「フーピーアパート」てのでは、之は再演で、気乗りがしないが、他に役もないので、之に一役。ハネてから、山野・鈴木桂介に、水島道太郎を連れてみや古へ行き、ウイをのみ、芸談。然し、此う毎日続いちゃいけない、参った。

[#1字下げ]十一月十日(土曜)[#「十一月十日(土曜)」は中見出し]
 舞台は、今日から渡辺が出て来て「凸凹」の方だけやるので、いくらか救はれた、「世直し」の方は、山野でやるのでピッチが上らず、ダレる。ひる終ってさて原稿書かうかと思ってると、梅園竜子や長尾克、文藝春秋の人など来り、気がせいてしようがない。が、スピード/″\で夜のあく迄に、「講談雑誌」の十三枚、「ホームライン」に四枚書いた。「凸凹」の間に中華丼をかっ込む。夜の部終り、今日はもう飲みたくないと思ってたのだが、佐藤節が杉浦敦って人連れて来て、之につきあはされて又ウイスキーをのむ。

[#1字下げ]十一月十一日(日曜)[#「十一月十一日(日曜)」は中見出し]
 日曜だから早く出る。大した入りではない。今日は山野一郎休演、しょうがないので今日は両方渡辺がやる。「凸凹」も「世直し」も、これで元へ戻った。やっぱり、役者が違ふ。ひるの部終って地下室の売店へ、しるこやおいなりさん、うんと食って十七銭。プロの投書は予期したより沢山来たが、初日二日あたりに見たといふ投書はムチモーマイが多く、段々とよくなって来るのは不しぎだ。夜の部は大分入りよし。ハネ後、「フーピー」の稽古だ。立ってみるとバカ/″\しくてとても出来ない、之は返す気だ。声を悪くしたのが八月の十五日、それから、十月一杯、ずーっとやりっ放しだったが、十一月一日から、すっかり治ってしまった、之は或意味で、ふっ切ったやうでもある、地声が確かに太くなった。声帯模写は相変らず、チャンと出来る。

[#1字下げ]十一月十二日(月曜)[#「十一月十二日(月曜)」は中見出し]
 マーブルへ昼食しに寄る、一円の定食は安い、スパゲティは今日は少し堅くて不出来だった。座へ出る。大庭六郎が、頭取迄「急用があるので休む」と言って来た由、「親が死んでもといふ劇界、急用では理由にならぬ」が、まあ休ましてやる。一回終って事務所へ、皆がゐるので、金のこと等は話せなかったが、「フーピーアパート」の役だけは之は困る――と返して来た。中根におさめる。終って入浴。之より「忠臣蔵」のけい古あり。「忠臣」一本にして、うんと又物を見て歩きたいし、物も書きたし―又オザの具合もいゝし、中根になるべくおさめるつもり。
 キネマ旬報に芦原英了といふ人の「凸凹ロマンス」の評が出た。非常に痛いとこを突かれた。作者の気持と役者の役をよく理解した、いゝ批評家である。

[#1字下げ]十一月十三日(火曜)[#「十一月十三日(火曜)」は中見出し]
 今日はらく。かなり入りは悪いがエノケンの方はもっとひどい由。ひるの部終ると、放送局の小林・飛島両人来り、二十二日に「坊ちゃん」を、僕の坊ちゃんで、他に王国の役者を出してたのむとのこと、川口にも話し引受ける。脚色も自分でやる。事務所へ行き、プロの投書をまとめる。夜の部終ると、「日の出」の座談会へ赤坂幸楽へ行く。上山草人・花柳章太郎・飯塚敏子・竹久千恵子・夢声・山野・井口に僕といふ顔ぶれ、ウイスキーを山野と二人で一本のんじまって、殆んどシュー/\すべからざる状態になってしまった。二時半までやる。

[#1字下げ]十一月十四日(水曜)[#「十一月十四日(水曜)」は中見出し]
 今日は舞台げい古、「忠臣」にかゝったのが二時頃で、これが又トン/\と行かず、去年四月初演当時と同じやうに、台本が完備してないためにいろ/\支障あり、勘平の終ったのがもう七時近く。で、東宝の「ヂャブヂャブコント」を見に、堀井・川村と鏑木を連れて行く、まるで入りがない。二十七景は何としても長すぎた。幻燈使ったのや二三いゝ演出があったが、寸劇風のもの皆いけず、凡作だ。太田屋へ寄ってすきやきを食ふ。十二時頃座へ帰り、歌をやり、一時すぎ帰る。

[#1字下げ]十一月十五日(木曜)[#「十一月十五日(木曜)」は中見出し]
 十時あきだが今度は四だけだからゆっくり出る。入り悪し、当りまへだ、狂言が成っちょらんし、僕は一本だし渡辺は活躍しないと来ちゃあ、客が来ないのも無理はない。今回はエノケンにあほられの巻らしい。「忠臣ぐら」凡そ勘平て奴をとったのが間違いだった、やっぱりヌーッと由良でおさまっときゃよかった。くさりくさった、白ぬりを夜は三枚目にしてみようかとも思った。夜の部は三カットで「忠臣」も出る、又一くさりだらう。夜の部迄の間に「坊ちゃん」を読んで放送台本の案を立てる。夜の部の「忠臣」大丈夫くさり。

[#1字下げ]十一月十六日(金曜)[#「十一月十六日(金曜)」は中見出し]
 十一時迄ねられるのは有がたい。家を出て円タク――近頃いゝのを拾へなくて困る。座へ出ると、二日目のこと故、さほどムザンでもないが、入りは悪い。道行きも山崎街道も、勘平宅も大くさり、今週はいかん/\。ひる終って入浴し、すぐ腹這ひになって、「坊ちゃん」の放送台本を二十五枚迄書いてしまった。夜の部の勘平で又一くさり。放送局の飛島来り、黒田謙と生駒とでみや古へ行く。黒田のおごりで、小言をきく会なんだが、黒田は人がよいばかりで小言を言ふ気にもならない。ウイ五本のみ、酔って帰ると、残り十何枚まとめて、四十枚の「坊ちゃん」脱稿、三時半ねる。

[#1字下げ]十一月十七日(土曜)[#「十一月十七日(土曜)」は中見出し]
 昨夜書いた「坊ちゃん」を鏑木に放送局へ持たしてやる。九時に起きて、大阪ビルのパラマウントへ「クレオパトラ」の試写見に行く。次の替りは、僕のクレオパトラと定ったので、菊田・堀井・川村・貴島とで見る。デミルはやっぱり、大物をやっても小味にまとめるところが偉い。クレオパトラの現代訳だ。終って、マーブルへ四人を連れて行って、スパゲティを食はせる。座へ出ると、とっくに届いてる筈の放送局から台本の催促しきりだ。鏑木、省線の中へ忘れて、東神奈川まで取りに行ったのだと、呆れたものだ、何うして此う皆仕事を大切に思はないのか情けなくなる。ひる終ると山縣七郎来り、ポンチ軒へ、カツとシチュー。紅屋で菓子を食って座へ戻る。夜終ってまっすぐ。

[#1字下げ]十一月十八日(日曜)[#「十一月十八日(日曜)」は中見出し]
 第三日曜だから早い。十二時に入ると、もう「忠臣」のあくところ、白塗り、憂鬱である、手足などに塗ることの不快さはえも言へぬ。一ばんいやな六段目は現代語で半分やってみた。ひる終って神田の教育会館へ、在郷軍人の会みたいなのあり、二十分やる。それからチャップハウスへ寄って夕食。早く上ったから、松竹座へエノケンを見に行く。「法界坊」をやってる、之が中々いゝ、いゝんじゃないあたりまへなんだが、本が菊田などに比べるとずっとうまく、本当に出来てゐるので見てゝ気持よし。それからみや古へ、大庭・森・鈴木・白川・水島等を連れてって呑ませる。いろ/\論じつゝのむ。

[#1字下げ]十一月十九日(月曜)[#「十一月十九日(月曜)」は中見出し]
 昨夜又大分のんだので、宿酔だ。いかん。酒をのんでもちっともいゝことはないんだが、何故まあのむかいな。ひる終って入浴し、里見※[#「弓+享」、第3水準1-84-22]の「自然解」に親しむ。此ういふ、のんどりしたものを読むと、昔の暇な時代がなつかしくなる。五時から俵家の叔母の何ヶ日忌かで山水楼へ招かれ、食ふ。あんまりうまくなし、山水楼は一流とは言ひがたい。帰ってすぐ又「忠臣」いや/\やって、入浴。サトウロクローが独立を夢みて、十二月旗挙の計画進みつゝある由。川口に話し、山野の時、同様の手段をとらせよう。中根には「フーピー」演って貰った礼もあり、山一・東も共に下谷でのむ。

[#1字下げ]十一月二十日(火曜)[#「十一月二十日(火曜)」は中見出し]
 午前十時起き、山王ホテルへ岡田静江を訪れ、パーラーで話す。新興へ入るらしい。美松などをひやかして座へ。東来り、サトウロクローは、決してそんな計画は無いと否定してるさうだ、うまく行かなかったのだらう。このまゝにも出来まい、考へてみよう。ひる終ると東京劇場へ、新派を見に。川口松太郎作「明治十三年」といふ喜多村の出しもの、大新派といふのみ。次の小出英男作・真山青果補といふ「明路暗路」が意外にもとてもよかった、作もよし、井上正夫がとてもうまかった。一寸いゝ新派を見た感じ。座へ帰り、くさり乍ら勘平をやり、入浴して、川口のとこでロクロー問題を凝議し、明日生駒・渡辺も呼んで相談しようと定る。銀座へ、ルパンで岩田専太郎に逢った。

[#1字下げ]十一月二十一日(水曜)[#「十一月二十一日(水曜)」は中見出し]
 昨夜も又のんでねた、腹具合スッとせず、便所へ行ってもドッと出ず、くさい屁がよく出て困る。座へ出て、「女夫鎹」に眼を通す、一寸難物だが、何うにかなるだらう。ひるの部、腐演、つく/″\いやだ。終って入浴、あんまのうまくなった点で大西は大切な人間となった。ねそべって「自然解」に親しむ。五時半、マーブル迄行く。母上と鵜飼家の人々と夜食、母上はすき焼、一寸つゝいてみたがタレに難あり、昔の三河屋のやうなタレを食はせるうちはない。座へ帰って又もや勘平腐演し、終演後、迎の自動車で放送局へ、十二時半迄「坊ちゃん」のテストする、時間が余るので音楽を入れることにした。キャストは学生が失敗、老の声で成っちゃゐない、之は参った。

[#1字下げ]十一月二十二日(木曜)[#「十一月二十二日(木曜)」は中見出し]
 今日は放送のため狂言順を入れかへ、「忠臣蔵」を三に据へたので早く出る。勘平ます/\不機嫌、早く「クレオパトラ」をやりたい。サトウロクローの名、今日の都に新宿歌舞伎座出演と出てゐる、又、斉藤紫香にもさそひをかけたりしたことがハッキリした以上、早く処置したい。ひる終ると山一・桂介を連れて森永で食事。夜の「忠臣」すませると朝日講堂へかけつけ、明大ハモニカの会で一席やり、放送局へ急ぎ、八時四十五分からラヂオ小説「坊ちゃん」をやる。わりにトン/\と行き、メリハリにも独自の境を示したつもり、急拵への音楽もキチンとはまって出来はよかったつもりだ。山からまっすぐ。

[#1字下げ]十一月二十三日(金曜)[#「十一月二十三日(金曜)」は中見出し]
 新嘗祭で早い。入り相当よし。クサリ演で「忠臣蔵」を終ると、銀座へ出た。千吉で、すき焼を食ふ、やっぱりうまくはない。座へ帰ると、梅島昇が又酔っぱらって「やあ古川緑波ゐた/\」と、部屋へ来た。それから客席へ廻ったらしく、道行の時しきりに声がかゝった。済んで入浴したところへ、すしや横町の久の家てふ座敷天ぷらにゐるからと、梅島から迎へで、行った。日本酒は苦手だが大分飲み、天ぷら中々いけるので大分食ひ、梅島と又芸談数刻、花柳と喧嘩してるらしいのはいかん、と言ったら、僕が間へ入るなら逢ってもいゝと言ふ。よく念を押すと、大丈夫だとしきりに言ってゐた。

[#1字下げ]十一月二十四日(土曜)[#「十一月二十四日(土曜)」は中見出し]
 今日から「忠臣蔵」が三、「フーピー」が四に入れ代った、之は夜の割引をきかせるつもりらしい。「忠臣」は何処迄行ってもくさりである。ひるを済ませると鏑木と二人で松屋へ行き、地下鉄で三越へ、手袋を求め、銀座の松屋へ行く。デパートめぐりも、くたびれるが、中々面白し。但し懐中に金なき時は此の限りにあらずだが。久しぶりで煉瓦亭でカツレツとホワイトシチューを食って、酒まんじう食って帰る。夜の部すませると入浴。衣裳屋のお幸と桂介を連れてみや古へ。

[#1字下げ]十一月二十五日(日曜)[#「十一月二十五日(日曜)」は中見出し]
 日曜だから――って程入りもしまいが早くあける。勘平の白粉を落すと、マーブルへ、ってふと食事みたいだが、実は、オザ。凡そ馬鹿みたいな奴ばかりで、やりにくいの何のって。それから軍人会館へ、若越会てふのでこゝの客は敏感なので気をよくしたが、さて二つ共、お代は後程ってことで、がっかり。懐中頗るピイとなり、しょげつゝ御徒町のポンチ軒へ寄って、食事し、座へ帰る。夜の部すませると、黒田謙からたのまれた八王子のオザへ、約一時間半、関谷座てふ小屋、大した悲しい小屋、で十五分ばかりやって(30[#「30」は縦中横])、鏑木と二人だけ自動車で帰る。東京へ帰ると十時半、演舞場へ島田正吾を訪れ、共に銀座でのむ。

[#1字下げ]十一月二十六日(月曜)[#「十一月二十六日(月曜)」は中見出し]
 座へ出る、ひるの「忠臣」腐演。サトウロクローの問題、事務所側にクビの意志がないから、之以上進展しさうもないが、しゃくにさはる。何とかしてやらう。東京劇場へ文藝春秋愛読者大会あり、行きがけに、久の家ではしらのかきあげを、一寸気にし乍ら食った、これがいけなかった、東劇へ着くとシク/\腹が痛み出し、舞台へ出る時大分キヤ/\して弱った。東劇の舞台は流石気持よし(20[#「20」は縦中横])。一席やって座へ帰る。ハシラが大分祟って、とてもキヤ/\してかなはない、背中からサロメチールを塗り、腹へは懐炉を入れて、公会堂の日日新聞主催東北救済の会へ出て、一席やる(30[#「30」は縦中横])。それから東劇へかけつけて、小島政二郎と山本安英の「時の氏神」を見る、菊池寛が運転手になって一寸出た、之が大受け、何とも滑稽味の豊な人ではある。之がすんで山水楼で慰労会があり、行く。ウイスキーをのむ。一つそこで腹を治す気だ。大佛次郎のキングコング、関口次郎が変態のメイランファン、林芙美子のどぜうすくひ等々のあとで、僕、山寺で菊池寛等いろ/\やる。久保田万太郎氏と酔っ払って浅草へ、おでんやで二時すぎ迄のむ。

[#1字下げ]十一月二十七日(火曜)[#「十一月二十七日(火曜)」は中見出し]
 今朝になったら、宿酔気味だし、づる気分で鏑木を座へやり今日は休む、昨夜から腹下しで、と言はせる。どうせ夜は稽古で、之だけは出る気だ。むしずし一個食ひ、演舞場の「冬の夜の出来事」を見に行く。外国物の翻案、島田が之を浅草でやってはと言ってたから気をつけて見たが、何うも浅草向ではない、丸の内向きの気のきいた探偵物だ。千吉へ寄り、鏑木に意見などして座へ、表二階で「女夫鎹」の立けい古。

[#1字下げ]十一月二十八日(水曜)[#「十一月二十八日(水曜)」は中見出し]
 座へ出る、昨日は斉藤紫香が代役したので礼を言ひ、化粧前へ座ると山野から手紙「手紙など書かず口で言へばいゝのですが」と書き出しで、川口宛に山野が値上嘆願の手紙を書いたことの詫と共に、次狂言に僕が復讐として、ひどい役を三つつけたといふて怒って来てゐる。馬鹿々々しいが、誤解だけはいかんと思ひ、「役割のことは君の誤解、役割当日不在、又君をそれ程問題にしてやせん、明日あたり話すであらう」と書いてやる。ひる終って日比谷三信ビルの眼鏡屋へ誂へに行く。紫外線よけのと普通の二つ誂へる。山水楼で食事し、座へ帰り、夜の部やってから、「クレオパトラ」を立つ。

[#1字下げ]十一月二十九日(木曜)[#「十一月二十九日(木曜)」は中見出し]
 ひる終って入浴、部屋で「自然解」を読みつゝ大西に揉ませる。山野からの手紙に対し、いろ/\考へ今夜にも暇あらば話してやる気。大阪屋のシチュウとトースト。ふとそんな気になってツナシマへ理髪に行く。チャキ/\といふはさみの音をきゝ乍ら、うと/\眠った。座へ帰り、くさりの勘平のらくだ。道行はいつもの通りだが、六段目では、狸角を渡辺篤が買って出て、与市兵衛の屍にわざ/″\桃色のサックをふくらましてキン玉まで造ってかついで来る。こっちは腹へ、ヘソを口にして舌を赤でかき、足の裏へも顔をかいて出て、しきりに笑はせるので、めちゃくちゃになっちまった。済んでから日記、又揉ませる。

[#1字下げ]十一月三十日(金曜)[#「十一月三十日(金曜)」は中見出し]
 昨夜山野とみや古へ行き一時までいろ/\と意見してやり、かた/″\飲んだので今朝十一時半までねた。それから母上と一緒に新宿歌舞伎座へ、名流大会といふ催しで行く、あんまり入ってない、一席やって、まだ早いが座へ出る。久しぶり「女優さんと散歩しようか」と、三益・柏とで松邑へしるこ食ひに行く。四時頃から「女夫鎹」となり、八時近くまでかゝった。まあ之は面白く演れるものなり。終るとすぐに、又新宿歌舞伎座へ夜の部をやりに行き(50[#「50」は縦中横])、座へ帰り、「クレオパトラ」。何うも寒いので驚いた。或日クレオパトラ、メリヤスのシャツを着て出演といふことになりさうだ。終ったのが一時半。帰って五時迄かゝって、セリフをやる。「女夫鎹」だけはまあ入った。
[#改段]

[#3字下げ]昭和九年十二月[#「昭和九年十二月」は大見出し]

[#1字下げ]十二月一日(土曜)[#「十二月一日(土曜)」は中見出し]
 今朝十時起き。「女夫鎹」だけはうす/\入ったが「クレオパトラ」は行く道の円タクの中で覚える始末。三の「女夫鎹」が開く。長谷川伸の涙をさそふセリフは、口にする時涙がわい/\出て、いゝ心持だ。先づ、気をよくした。評判もいゝ筈。「クレオパトラ」は全然くさり、僕が女になっちまふので客は笑はない、作者がドラマツルギを知らないから、てんで役どこてものが分ってないので此うなる。作者等部屋へ来て、何うしよう/\とさわいでるが、土台書けてない脚本じゃ芝居は出来ない。ハネが十時。

[#1字下げ]十二月二日(日曜)[#「十二月二日(日曜)」は中見出し]
 三時頃ねたのに又十時起きだからとても眠い。「女夫鎹」は、酔っ払ひの件は少々苦しいが、あとはとても気がよくって、泣けて来るし、いゝ心持。客も意気がよくって、「沢瀉屋ア」てなことを言ふ。最もいゝのは幕があく途端、まだ芝居が始まらぬうちに「東劇そっくりー」と来たのが可笑しかった。「クレオ」は短くしたがどうもいけない。女になっちまふのが可笑し味のなくなる原因らしい。夜の部は、二ドリなので早く終った。隣の金龍館、木村時子と杉寛の「カフェの夜」オテクさんを見、川口・東・貴島・菊田と生駒で田圃の平埜で牛肉食いつゝ十二月下旬以後のプランを立て、十二時、甲子郎おでんへ行き、山一他と又のむ。調子が一寸可笑しい。

[#1字下げ]十二月三日(月曜)[#「十二月三日(月曜)」は中見出し]
 たしかに多少調子をやってゐるのだが、人の気のつく程でもない。「女夫鎹」でハリ切って叫ぶところがあるのだ、それでやるらしい。ひる終ると、松屋へ行き、一人で食事し、座へ帰る。夜の部「女夫」は酔っぱらひのとこがセリフが後先になってしようがない、が、酔ってるとこ故何うにか胡麻化して行ける。「クレオ」は隣りの木村時子等が見て「笑はないのは当りまへ、河合武雄がクレオパトラをやってると思へばいゝ、古川さんのは女になってる」と言った由。気をよくした。夜すんでからみや古で飲み、又大分酔った。

[#1字下げ]十二月四日(火曜)[#「十二月四日(火曜)」は中見出し]
 又昨夜も三時。こんなに毎日飲んでばかりゐちゃいかん、ぐん/″\仕事して金を儲けなくちゃ飲み代が――何だイ、それじゃ同じことになっちゃうじゃないか。ま、そんなこと考へて、母上と一緒に出て大学病院へ時政の見舞に寄る、何うも肺病の見舞は嫌だ。座へ出て、「女夫鎹」。袖が繁昌して女の子等が見ちゃ泣いてる。結局内輪に評判のいゝ芝居でなくちゃ駄目だ。ひる終って入浴し、毛利の肉まんと、大阪のビフシチュウに飯。夜の部、「女夫」は又気が入って、涙サン/\。「クレオ」でくさり。帰り甲子郎でおでん食ってまっすぐ。

[#1字下げ]十二月五日(水曜)[#「十二月五日(水曜)」は中見出し]
 雪が降った。朝はあがったが、稍々白し。座へ出ると、「三益がチゝキトクの電報で帰阪したので休み」とある、実は中野が御乱行とかで泣いたり、ヤケ酒のんだりしてたさうで、そのための偽電だらうとの説、イヤハヤ女子と小人養ひがたし、折角ハコに入って来た「女夫鎹」が今日は正木代役、之も役どこは嵌ってたが、三益程のモダニズムに欠けてゐるのでさっぱり。ひる終って家から持参の茸飯を、豚汁とって食った。夜の部、正木も少し手に入って来たが、三益の方がやっぱりいゝ。「クレオ」は今日寒さ身に浸みた。幕切の馬鹿々々しさ、やってゝも実にいやだ。ハネて入浴し、誰か一杯飲ましてやらうと思って探したが鈴木桂介しかゐず、甲子郎で意味なくのむ。

[#1字下げ]十二月六日(木曜)[#「十二月六日(木曜)」は中見出し]
 昨夜鈴木桂介とのみて話をきくと、中幹部部屋で、色々なデマがとんでゐるらしく、「笑の王国」も解散だと言ってる奴もある由――ところが今朝座へ出ると、川口が此処んとこ不入りなので十二月下半は休みたいとか、或は十日替りにしようとか言ってる由、結局そんなこと言ってゝ値下したいんだらうが、さう来る前に、こっちは準備してやらなくちゃ――と思ふ。ひるの部「女夫」よし「クレオ」くさり。終って大阪屋のホワイトシチュウ、チキンカツと飯。ハネて入浴し、銀座のジュンコバーで飯田蝶子・吉川満子等に逢ふ。

[#1字下げ]十二月七日(金曜)[#「十二月七日(金曜)」は中見出し]
 朝伊藤松雄を訪問し、色々話す。座へ出る、今日も入りは悪い。然し「女夫」は気持がいゝ。「クレオ」又くさって、ひる済むと入浴。佐伯孝夫に、ロッパ節の創生につきお話したいから来て呉れと手紙を書く。川口と正月興行の相談、「大久保彦左衛門と一心太助」などは何うだらうなど/″\話し、夜の部をやる、汗をかき、次に又寒がり、約束だったので友田純一郎とみやこへ行き、菊田一夫・川村秀治等も来り十二時半までのみ、食ふ。
 貧乏なり、困る。

[#1字下げ]十二月八日(土曜)[#「十二月八日(土曜)」は中見出し]
 十二時半近く時政家の不幸に一寸顔出しをして座へ出る。ひるの「女夫鎹」は妙に気が入らず、土曜にしては大悪の客だし、「クレオ」と来て、どん/″\ダレた。三益愛子続けて休演、京都から手紙をよこし、十日には帰ると言って来た、よく意見してやらう。ひる終って入浴し、大阪屋のハヤシライスと毛利の肉まん。白井鉄造来訪。加藤雄策が来たから今日は奢って貰はうと思ってたら頭痛がするからとて帰っちまふ。大辻のとこから、大辻の兄といふイヤな奴、例の金のことを言ひに来やがった、腹が立った。いゝ日じゃない、シャクにさはる。

[#1字下げ]十二月九日(日曜)[#「十二月九日(日曜)」は中見出し]
 昨夜はのまず。鏑木、診断書をよこして曰く、もう十日位休みと。座へ出る、「女夫」は日曜の客向きじゃないとみえ、ワッとは来ない。「クレオ」でくさって、ひる終ると配役。次週は「坊ちゃん」とヴァラエティだけに出る。夜の部終ったら六代目見に行くことゝして、「クレオ」を走ることゝする。東劇へかけつけると丁度「金子市之丞」の前の幕間。二幕六場、まる/\見られた、六代目三役早替り、結局凝っては思案といふ感じ。「くらやみの丑松」の方がずっとよかった。渡辺篤とのむ。

[#1字下げ]十二月十日(月曜)[#「十二月十日(月曜)」は中見出し]
 座へ出る。貧乏で困るから、会田を使に出し、博文館へ稿料とりにやり、大辻のとこへ、シャクだから三十五円持たしてやる。ひるの部、入り薄し、「女夫」も気が入らない、「クレオ」は尚更。終って、肉丼を食ひ、一寸表へ出てすぐ帰る。会田使から帰り、博文館より二十五円来た。大辻の方は「先生気を悪くなさらぬやう」と言伝、気を悪くしてる。夜の部「女夫」は、荒井猛トチリ、その他袖がうるさくて弱った。シンミリ物の時は、今後よく注意しよう。夜の部「クレオ」は寒し。ハネて入浴、千吉へ寄りまっすぐ。

[#1字下げ]十二月十一日(火曜)[#「十二月十一日(火曜)」は中見出し]
 座へ出る、入り悪し。十日に帰ると言って来た三益まだ帰らず、正木だから尚いけない。一っそこんな入りのない日は「クレオ」がらくでいゝ。日本評論新聞の記者てのが二人、赤新聞のひどいのだ、いろ/\言って結局年賀広告を出せと言ふのだ。次には松ノボルってエノケンの役者が猥画を買うて呉れと言って来たり、いやはや。然し一々来るヘンな物もらひに、ズバ/″\金を呉れてやりたいものだ。夜の部やって新宿まるやへ徳川夢声に逢ひに行く。

[#1字下げ]十二月十二日(水曜)[#「十二月十二日(水曜)」は中見出し]
 座へ出る、入ります/\悪い。「女夫」は笑の王国の客にはシックリ来ないらしく、盛り上って来れば来る程、ヘンな感じが客席にみなぎるやうな気がする。三益、まだ帰って来ない、しようのない奴だ。「クレオ」寒し。ひる終って、東亭の肉丼。ねそべって「オール読物」へ九枚書いた。「頓馬太平記」の時、進行係の清水が女の子を怒って、「淫売!」と言ったてんで女の子部屋では問題となり、代表で新太郎が御注進に来た。何とかせねばならぬ。生駒から菊田に叱るやう言はせた。三益、夜になって帰って来た、「しょがない奴だね」と怒ってみたが、やっぱりいゝ奴だ。

[#1字下げ]十二月十三日(木曜)[#「十二月十三日(木曜)」は中見出し]
 三益が帰って来た、やっぱりいゝ。「クレオ」は、らくだから大分ふざける、ふざけ栄えもない、全く客の来ないこと激しいもので二百円もおぼつくまいといふ話だ。ひる終って肉丼食って、ねころんでると、金語楼のマネエジャ来り、一月のオザのことで話して帰る、今年は一体に不景気らしい。川口が蒲田のアフレコをたのみたい旨言って来た由、暮のこと故いゝだらう。夜の部の「女夫」は大熱演して、「クレオ」終って、ヤレ/\とホッとし、入浴して「坊ちゃん」を、表二階で立つ、十一時まで。大庭・山野・藤山とみや古へ。

[#1字下げ]十二月十四日(金曜)[#「十二月十四日(金曜)」は中見出し]
 午前中、伊藤松雄の家へ行って話し込み、二時近くに座へ出る、今日は稽古初日だが、「坊ちゃん」は舞台稽古無し。わりに入りは悪からず。大分暇があるので大勝館へ行く。「合点承知」古きルウコディーが出てるのが懐しかったゞけ。ジャック・オーキー舞台裏ものばかりやってる。「征服王大脱線」ひどい名をつけたもの、原名[#横組み]“Hollywood Party”[#横組み終わり]ジミイ・デュランド感じ出ず、ロレル・ハーディーのアチャコ・エンタツ振りいと面白し。殊に卵割のとこなど面白かりし。とんかつ屋で食事して座へ。「坊ちゃん」学生をやる連中が二月の時より悪く、一寸おやからぬ感じ。十時二十分ハネ、堀井・川村と、みや古で、次のヴァラエティーの案を練る。
 今日金の出る日なのに、百円しか表から呉れぬ。

[#1字下げ]十二月十五日(土曜)[#「十二月十五日(土曜)」は中見出し]
 二日目、出がけに軍人会館へ寄る、横浜の女学校の会で一席。トップで客がザワ/″\入って来る時は全くやりにくい。座へ出て、ひるの部、「坊ちゃん」も大丈夫。ひる終って外出せず、部屋で、正月のヴァラエティーの案を練ったり、ねころんで揉ませたり、そのうちとろ/\と眠った。夜の部、「坊ちゃん」のウケ方てものは大したものである。之は、やってゝも楽だし、当り狂言の一つであらう。ハネて入浴し、大庭を連れて森永へ。

[#1字下げ]十二月十六日(日曜)[#「十二月十六日(日曜)」は中見出し]
 九時半起き、蒲田撮影所へ。蒲田スナップ「春は朗らか」の、セレモニー役で、もう出来てるスナップにアフレコで、説明を入れる。それだけでは曲がないので、紙芝居屋で出て呉れといふ。あまり嬉しくないのだが年末のことだし、子役連を前に紙芝居屋のまねをする。一時間で終り、あとは十八日か二十日の夜、アフレコをやる由。自動車で座へ、今日は気持よく入ってる。鏑木漸く出て来た。ひるの部は「坊ちゃん」あまり実が入らず、でも大受け。夜の部「坊ちゃん」大いに受ける。九時に終る。金龍館に「女軍出征」をのぞき憂欝になり、上野永藤へ寄ってまっすぐ。

[#1字下げ]十二月十七日(月曜)[#「十二月十七日(月曜)」は中見出し]
 一時一寸すぎに座へ出る、山野一郎調子をやり、ヴァラエティー中の万才でイヤ声を出す、野だいこもムザンなので夜から変らせることにした。ひるの部終って、正月のヴァラエティー用の本を書く。東が金をあと二百円持って来た。これでも金が足りなくって何うにもしょがない。来年から値上して貰はねばやるだけ損だと思ふ。川端康成来訪、梅園竜子同伴、一向話もせずして帰る。夜の部「坊ちゃん」大声で話する奴あり、芝居出来ず、大いにどなったが、犯人出ず怒りっぱなし引込みつかず。頭取と進行にカス。ハネ後みやこへ大庭・木島・森八と。

[#1字下げ]十二月十八日(火曜)[#「十二月十八日(火曜)」は中見出し]
 九時に起きて、JOトーキー「百万人の合唱」を見に行く。徳山※[#「王+二点しんにょうの連」、第3水準1-88-24]と夏川がよろしい、歌手が沢山出るし、中々面白い、批評家には評判がよくないが、結構見られる写真ではある。吉田信に逢ったら、オーゴンレコードの吹込をたのまれてると言ふので、その話に乗る。暮のこと故、ちょっと稼ぎたし。教文館五階のR・K・Oへ寄り、レーニンと話し、二十日午前「キングコングの復讐」の試写をして貰ふことにした。座へ出ると、山野休みで一安心した。ひる終って、上野永藤まで食事しに行く、ビフテキとチキンカレー。座へ帰って川口と正月の二の替りを立てる。ハネ後、轟等を連れて銀座へ。

[#1字下げ]十二月十九日(水曜)[#「十二月十九日(水曜)」は中見出し]
 座へ出る。日本評論新聞の馬鹿記者来り、「今日の新聞ごらんでしたかへゝゝゝ」と出したその新聞てのが三益愛子と僕が出来てるとか何とか出てる、これでおどかさうとするんだから始末が悪い。「御感想は」ときくから「こっちから伺ひたいですな、こんなことあるんですか」と言ってやる。ひる終って入浴、米久へ牛肉を食ひに行く。夜の部終ると蒲田から迎への自動車が来て、撮影所へ行く。「春は朗らか」一巻、之にアフレコで説明を入れる、いゝ仕事じゃないが、言葉のギャグを考へ/\、三時近くまでやって、漸くチョン、労れて帰る。

[#1字下げ]十二月二十日(木曜)[#「十二月二十日(木曜)」は中見出し]
 十二時近くまでねた。風邪っ気の咽喉。座へ出る、鏑木又休み、会田も又休みだ、此の二人のつとめっぷり全くゼロである。ひる終って外出する元気もなく、マリダンゲームで遊ぶ。一寸面白い。夜の部終ると、佐伯孝夫とヴィクターの青砥来る、共に、丸の内邦楽座へ昨夜吹込んだ「春は朗らか」の試写を見に行く。もう一寸練習が必要だったと思ふ。佐伯・青砥と下谷へ赴き、ロッパ節について語る、二時近し。

[#1字下げ]十二月二十一日(金曜)[#「十二月二十一日(金曜)」は中見出し]
 十時半、教文館ビルのフジアイスに集り、R・K・Oの「キングコングの復讐」[#横組み]“Son of King Kong”[#横組み終わり]を、菊田・堀井その他女の子達も見せてやる。愚も甚しきものの、てんでお笑草映画。その他カリオカの踊りのとこだけ一寸写して貰ひ、千疋屋で食事して座へ出る、咽喉いけず、吸入しようとすれば大西間違へてへんな薬を買って来る、腹の立つこと頻りである。マリダンゲームで遊ぶ、皆相当上達した。夜の部は熱が七度二分なので大分苦しい、榊磐彦とその友の医者来訪、正木その他を誘ってかもめへ行く。

[#1字下げ]十二月二十二日(土曜)[#「十二月二十二日(土曜)」は中見出し]
 十時起き、風邪具合よろしからず。母上と三越本店へ行き、ソフトと靴、鯛めしの折詰など買って、食事して、座へ出る。鏑木が休み、大西が又無断欠勤、会田も来ず、何とはや呆れはてたる者共である。ひるの部終って、マリダンで遊び、折詰を食ひ、事務所へ行って、配役。川口に、値上のことを何うしてもたのむと言っとく。暮に金を借りること、それも言っとく。正月は大久保彦左をやれと川口は言ふ。「新婚」の方が行きたいのだが、本極りは明日といふことに。夜の部終って雷門の明治製菓で笑の王国の忘年会、川口が百人を招いて一席訓辞、十一時半散会。
 三越の特別食堂てので、スパゲティを食ってみた、淡々たる味で、(ナポリタン)うまい。少し水気が切れない感じ。ポークロース、普通。五十銭宛だが、値にしてはうまい。

[#1字下げ]十二月二十三日(日曜)[#「十二月二十三日(日曜)」は中見出し]
 日曜なので少し早く出る。大西、昨日はちゃんと鏑木に断はって電話かけるやう頼んだ、とある。鏑木は家を出てゐるらしいのに、こっちへ顔を出さぬ、グータラは許せない。ひるの部終ると、配役で又一もめ。結局僕は「新婚」を読んでみたら、貴島の無能さをバクロしたものなので呆れ返り、やっぱり「大久保」の大久保を行くことにした、渡辺が喜内をやり、生駒に望みの太助を行かせることになった。夜は九時に体があいた。ムランルージュのヴァラエティーが好評なので、かけつけてみたが、古いアイデアが多くてあまり感心しなかった。ムーランの穂積純太郎とのむ。

[#1字下げ]十二月二十四日(月曜)[#「十二月二十四日(月曜)」は中見出し]
 十一時迄ねた。上山雅輔エヤシップを持って歳暮に来る、此の男にも報ゐること少くて気の毒だが、よくやってゐる。伊藤松雄のところへ上山を連れて行き、しばらく話して一時半に自動車で出る。すぐひるの部。咳が出さうで困る。配役のことで文芸部へ。結局、「新婚」の方をやることにした。貴島を連れて米久へ牛肉を食ひに行き、白十字で茶をのみ座へ帰る。夜の部をすませると部屋で一寸又マリダンして、友田等とみや古へ行った。

[#1字下げ]十二月二十五日(火曜)[#「十二月二十五日(火曜)」は中見出し]
 十一時迄ねた。座へ出て、すぐ文げい部へ行き、春狂言のうたい文句を書く、それから「週刊浅草」てのへ二枚書く。朝から能率をあげた。オーゴンレコードの人来り、二三日うちに、二枚だけ声帯模写を一枚八十円で吹込む約束をした、安いが年末じゃしようがない。それから鏑木と銀座の伊東屋へ行き、クリスマスプレゼントを買ひ、菓子をしこたま座の女の子達にだけ分ける。十銭のを三十個。僕の留守に飛島が来たので生駒が黒田のクビのことを話したら、一月だけ何とか――としきりに頼んで帰った由。夜の部終ってから、銀座のかもめへ、うちの女の子五人連れてって、クリスマスをした。

[#1字下げ]十二月二十六日(水曜)[#「十二月二十六日(水曜)」は中見出し]
 九時に起きて、江戸川の講談社へ、三益愛子と行き、講談倶楽部のため万才の写真をとる、来年の三月号だから可笑しい。ツナシマで理髪し、舟和でチョコレートアイスクリームソーダをのむ、宿酔気味で色々水分を欲する朝だ。座へ出てひるの部を終ると、講談倶楽部へ今日の万才の原稿四枚書いた。大阪屋のビフテキと飯、森永のハンバクサンド。夜の部終ると、オーゴンレコードの田口勝三郎来り、サロン春のクリスマスに招かれた。

[#1字下げ]十二月二十七日(木曜)[#「十二月二十七日(木曜)」は中見出し]
 十一時迄ねた。咳が出てしょうがない。「坊ちゃん」の森八郎、「いなごはぬくいところが好きじゃけれ大方ひとりでおはいりたのやろ」のセリフが、尻上りになり、何遍直さしても直らないので舞台でカンが立ってどなる。丁度「バカヤロ」とどなるところなのでいゝ。都の近くのヒラヰ軒て洋食屋へ入ってみる、駄洋食で、メンチシチュウ、ヤサイシチュウなどあって直でよろし。飛島来り、黒田は身をひかせることに定った。飛島は大分奮慨してゐるやうだが、何しろ黒田じゃ仕方がない。夜の部終って、「新婚」の立ち。何ともハヤつまらぬこと大したもの。くさって、川口・東と浩養軒へ寄り、一杯のむ。

[#1字下げ]十二月二十八日(金曜)[#「十二月二十八日(金曜)」は中見出し]
 八時起き、田端のオーゴンレコードへ行き、吹込みしようとすると、鏑木に言っといた譜を忘れて来やがって又取りに行くやら腹の立つこと続出。いざ吹込み、声の調子わるく、苦しいが、金がほしいのでやっつける。一枚すんで、二枚目のAだけやったが、Bの案無く、又一月に吹込むことにした。金は二枚分呉れた(160[#「160」は縦中横])。大分助かる。座へ出ると咽喉具合全くいけず、安来節をカットにした、その代り山野に漫談しろと言ったらドテラのまゝ出たってんで驚いた、呆れた奴だ。此ういふ奴は全くゐない方がいゝ。ひる終って、牛鍋本店て家へ肉を食ひに行き、帰りに大勝館へ入って漫画二三見る、シリイシムフォニーの極彩色よろし。

[#1字下げ]十二月二十九日(土曜)[#「十二月二十九日(土曜)」は中見出し]
 殆んど一年に一度って感じだから、今朝は雪がジャン/″\降ってるが、下二へ行く。隠宅で二時近くまでゐて辞す。雪だが、客は相当入ってゐる、ひるの部終ると、飛島来り、放送局、声帯模写を一月八日にたのむとあるので、声帯模写十八番として原稿すぐ作って渡す。事務所の川口のとこへ行く。「来年は一つ小林さんに話して有楽座のコケラ落しか、宝塚中劇場あたりへ何うです?」なんて意外なことを言ひ出した。金は三十一日でなきゃ出ないらしい、何うもひどいものだ。皆ふくれまいことか。夜の部終って、みやこにてのむ。

[#1字下げ]十二月三十日(日曜)[#「十二月三十日(日曜)」は中見出し]
(なし)

[#1字下げ]十二月三十一日(月曜)[#「十二月三十一日(月曜)」は中見出し]
 今日は稽古初日だ。座へ行くと、もう借金取がおしかけて来る。が、まだ金が出ないんだから可笑しい、可笑しいどころじゃないが、大晦日の午近くなってもまだ出ないとなると皆妙に不安である。金は、先日の蒲田の礼が百円、表から無理を言って四百五十円ばかり借りた。それを案分しちまふと、正月の小遣てものは殆んど淋しいものになってしまった。来年から一つケチ/\して、表の借もキッチリして、ワン/\かせぐこっちゃ、あんまり使ふまいぜ、と思ふ。いや毎年の感想ではあるが今年のはほんとにつく/″\感じたんだから大丈夫だ。四時半稽古終り、客を入れるとすぐに開演。こんなくさったもの近来稀なり。ヴァラエティ終って入浴。諸払ひをすませ寒々と正月を迎へる気持。
[#改段]

[#3字下げ]台本メモ[#「台本メモ」は大見出し]

[#ここから1字下げ]
「凸凹世界漫遊」[#「「凸凹世界漫遊」」は中見出し]
 三十枚程度のレヴィウ台本。サトウ・ロクローのドタバタ演技を念頭にして、それに宝塚の歌で、僕愛唱の「ニャン/\メイ/\チョ」と「すみれの花咲く頃」とを入れて書いたもので、宝塚の「ミス上海」などの影響を受けてゐるし、自信なき一篇である。又とやりたいとは思はない。

「銀界に踊る」[#「「銀界に踊る」」は中見出し]
 何かヴァライエティー風のもの急に欲しいといふので、楽屋で大急ぎでデッチ上げた二十枚もの。踊りや歌を手頼ったので、大していゝものではないが、プチ・レヴィウと銘打ったゞけに小品として、頗るスマートでいゝと好評。女の子の会話が、大分モダンなためか、女学生より投書で賞めて来た。

「芝居の世の中」[#「「芝居の世の中」」は中見出し]
 七十枚の力作。久しぶりで身を入れて書いたもの。ネタは、中野実の「女優と詩人」。あれをのばしたやうなものだが、構成はかなりうまく行ってゐるつもりだ。でも書き上げた時、いゝものだといふ自信もついたが、「結婚二重奏」の二の舞をやったやうな不安もあった。イタにかけてみると、かなりむづかしい芝居だった。神田の役が何うにも無理だった。それにテマがむづかしいのか客にのみ込めないらしいとこがあり、浅草向でなさすぎた。丸の内あたりでも一度やり直したい。

「海・山・東京」[#「「海・山・東京」」は中見出し]
 松竹座の大舞台を利用し、日頃考へてゐた、キネオラマ又はパノラマ式の背景効果を狙って書いた、レヴィウである。踊り子は少いし、歌手はないし、結局海の背景で「沖のいざ[#「ざ」に「ママ」の注記]り火涼しく見へて夢を見るよな佐渡ヶ島」と佐渡おけさにつれて、背景に灯入り、月が出て波に映るさまを見せる、そんなことで手をとらうとしたのだが、之は見事に裏切られた。大道具の費用節約のため、装置部も、まるで手を抜いちまって、画はみんな書割り、それもひどいものばかり、カーテンは皆ワリドンで胡麻化すって有様、小村雪岱張りでと注文した「街の夕涼み」の景など、てんで黒バックで、一寸切り出しが出るだけ。さんざんなので見る元気もなし。芝居としては、一景の氷柱のギャグが一ばん成功した。山のとこは熊の縫ひぐるみがチャチすぎて失敗、声色のとこは狙った通り成功。「わが家の海」も先づ/″\ってとこ。フィナーレに、考へた「光と音の交響楽」は、もう一度試みたい、此んな装置じゃとても駄目だ。

「サーカス来る」[#「「サーカス来る」」は中見出し]
 これは作品といふ程のものではない。堀井英一の振付で、踊り沢山、それにたゞ間を縫って、セリフ無しのパントマイムばかりを並べた、断り書に曰く、「これはボード※[#濁点付き片仮名ヰ、1-7-83]ルクラシックの一小集成である」と書いた通り、天勝やその他の古いコミック、ウィリアム・テルやその他、胡蝶の舞まで入れてみた。ほんのつまらぬもの。

「笑の王国ニュースレヴィウ」[#「「笑の王国ニュースレヴィウ」」は中見出し]
 プロローグに大辻を司会者で出し、一景は「キング・オブ・ジャズ」か何かの中で見た寸劇を直して「最も新しきニュース」として、渡辺にあづけ、「学生のカフェ入り禁止」「女豪傑」(女学生が泥棒を捕へた件)と、三益と僕で万才をやり――等、ニュースを取入れたもので、ほんの短い十二三枚もの。わりに寸劇はピンと来て、暗転々々に笑ひがとれた。
[#ここで字下げ終わり]

底本:「古川ロッパ昭和日記〈戦前篇〉 新装版」晶文社
   2007(平成19)年2月10日初版
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2011年12月23日作成
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古川緑波

牛鍋からすき焼へ—– 古川緑波

1

「おうなにしますか、それとも、ギュウがいいかい?」
 と、僕の祖母は、鰻を「おうな」牛肉を「ギュウ」と言った。
 無論、明治の話。然し、それも末期だ。だから、その頃は、牛鍋は、ギュウナベと言いました。
 今でこそ、牛肉すき焼と、東京でも言うようになったが、すき焼というのは、関西流で、東京では、ギュウナベだったんだ。今でも、ギュウナベと言いたいんだが、そんなこと言ったら、映画を活動写真と言うのより、もっと嘲《わら》われそうだ。いいえ、通じないんじゃないか、第一。
 僕が、その牛鍋を、はじめて食ったのは、四谷見附の三河屋だった。
 三河屋の牛鍋は、それから何十年間、成長してからも、食った。そして、今でも、牛肉と言えば、三河屋を思う程、深い馴染の店だった。
 そして、誰が何と言っても、三河屋くらい美味い店は無かった、と思っている。
 四角い、長方形の薄い皿に、牛肉が並んでいる。皿は、周囲に藍色の模様、肉の並べてある中央部は白。その皿が、ずうっと何十年間続いていた。
 他と違うのは、その皿の中に、牛肉の上に、タレがかけてあったこと。
 タレと言っては間違い、ワリシタと呼ぶのが正しいそうだが、ま、何《ど》っちにしても、その汁がかけてあって、女中が、その皿から、牛肉を鍋へ入れた後、皿に残った汁を、鍋の中へあけていたのを覚えている。
 三河屋の牛肉のうまかったのは、牛肉そのものの吟味してあったことは言うまでもないが、ワリシタが、よかった。皿の中の汁以外に、ワリシタを入れた器があり、それに秘伝もののワリシタが入っているのだが、その蓋を除ると、プーンと強い味淋《みりん》の匂いがしたのを、これも判然覚えている。
 三河屋では、ザクは、葱一点張りで、(いや、シラタキはあったような気もするが)豆腐などは出さなかった。
 そして、ああこれは肝腎《かんじん》なことだった。その頃は、生卵なんか附けて食いませんでした。生卵を附けて食うのは、あれは(今では、もう東京でも何処でも、やっていますが)関西から渡って来た、食い方で、三河屋は、ワリシタ自慢。生卵など出さなかった。(後年は、出した)
 うまかったなあ、絶対。
 子供の頃から大人になるまで、何十遍か何百遍か通った、三河屋も、戦争が始まる前あたりかな、姿を消してしまった。僕は今でも、四谷見附を通る度に、あああの辺だったな、と思い出す。
 牛込神楽坂にも、島金という牛鍋屋があった。此処は、牛鍋専門ではなくて、色々な料理が出来た。
 子供の時、父に連れられて、幾度か、島金へも行ったが、牛鍋の他に、親子焼(鶏肉の入った卵焼)の美味かったことを覚えている。
 一昨年の冬だった。或る雑誌の座談会が、此の島金で催されて、何十年ぶりかで行った。なつかしかった。然し今は、牛鍋屋でなくて、普通の料理屋になっている。
 同じ神楽坂に、えびす亭がある。
 ここいらは、早稲田の学生頃に、よく行ったが、学生向きで安直なのが、よかった。
 安直ということになれば、米久の名が出る。米久は、一人前五十銭(?)から食わせた、大衆向の牛鍋屋で、而も、その五十銭の牛鍋の真ン中には、牛肉が塔の如く盛り上げてあったものである。
 米久は、いろはの如く、方々に支店があり、どの店も安いので流行っていた。
 そして、各店ともに、大広間にワリ込みで、大勢の客が食ったり、飲んだりしている。その間を、何人かの女中が、サーヴィスして廻る光景が、モノ凄かった。客の坐ってる前を、皿を持った姐さんが、パッと、またいで行く。うっかりしていると、蹴っとばされそうだった。「牛屋《ギュウヤ》の姐さんみたいに荒っぽい」という形容が、ここから生れたのである。
 本郷へ行けば、大学生相手の、豊国、江知勝。
 浅草まで飛べば、ちんや、松喜《まつき》、今半《いまはん》。
 僕は昭和八年から、足かけ三年間を、浅草で暮したので、随分、この辺の牛鍋も突ついている。
 ちんや、今半も、それぞれ特色はあったが、僕は、松喜を愛した。
 新派の梅島昇と、その頃よく松喜へ行ったのを思い出す。彼は、田圃の平埜《ひらの》が本城なのだが、松喜も好きだったらしい。
 浅草の牛屋は、まだまだあって、夜あかしの東亭や、米久なども数えなくてはなるまい。牛ドンの、カメチャブ屋のことは、今回は語らないことにしよう。
 銀座方面には又、銀座の松喜、今朝《いまあさ》、太田屋――僕は、今朝を愛用していた。
 さて、まだまだ東京中の牛屋を語って行けば、話は尽きないが、ここで、牛鍋からすき焼へという時代となるので、そこんところを、じっくりと語りたい。
 今までの話は、これ大体牛鍋の話なのである。東京式の、醤油や味淋のワリシタで、煮る、牛鍋だ。ところが、それが段々と、すき焼という名の牛鍋に変遷するのであるが、これは関西風の、すき焼ってものから語らなければ、ならない。
 牛鍋を一寸一遍、火から、おろして、すき焼の方にかかろう。
 僕が、はじめて関西風の、すき焼なるものを食ったのは、さアて――大正何年位のことかなあ?
「肉すき致しましょうでっか?」
 というようなことを言われて、関西風の、すき焼を、はじめて致した時は、かなり面喰ったものであった。
 ザラメを入れる、味噌を入れる。ザクの数が又、やたらに多い、青い菜っぱ、青い葱、ゆばから麩《ふ》まで入れる。そこへ又、牛肉そのものの、薄い大きい片を、まぜこぜにして、ぶち込んで、かき廻す。なるほど、こいつは、ギュウナベじゃなくって、すき焼って感じだった。
 醤油ッ辛い奴ばかり食い馴れていた僕は、此の生ぬるいような味には、妥協出来なかったものだ。それが、大阪は南、本みやけの、すき焼から、網清だの、何のと食い歩いているうちに、ギュウ鍋とは又別のものとして、すき焼も亦、いいではないか、という気がして来た。
 本みやけでは、ヘット焼と称して、ビフテキの小さい位の肉を、ジュージュー焼いて食わせるのを始めた。
 これを、初めて食ったのは、谷崎潤一郎先生に連れて行っていただいた時だった。
「フーム、こいつは食えます」
 と、やたらに食って先生を呆れさせた。
 神戸の三ツ輪の、紅の肉が紙の如く薄く切ってあるのを、嘆賞したのも、京都の三島亭を覚えたのも、丁度その、震災直後ぐらいのことだったようだ。
 京都では三島亭の他に、おきなだの、鹿の子を知り、ヘット焼を、油煮《あぶらだき》としてあらためて食わされたものだ。
 さて、ここに、それら関西風の、すき焼を語ったのは、やがてこれが、関東へ進出して、ギュウ鍋軍と戦い、ついに勝って、東京も亦、すき焼の天下となるおはなしの序である。
 関西すき焼軍勝利のテンマツは、次回の読みつづきと致します。

2

 前回からの読みつづき。
 関東牛鍋軍、ついに関西すき焼勢の軍門に下るという、眼目に入ります。
 さて、前回に、関西の牛肉すき焼と、関東の牛鍋(ギュウナベと読むんですぞ)の在り方について、かなり、くどく語ったが、それは、関東流と関西流とが、かなり違った食いものであったことを、念を押したかったのである。
 そして、僕の如きは関東の牛鍋が、勿論好きであるが、牛鍋とは又全く別な食いものとして、関西流すき焼も亦、悪くはないと、両方を食い比べているうちにそういう心境に迄至ったのであった。
 が、さて、判然と、これは大正何年とか昭和何年とか、言うことは出来ないけれど、大体に於て、大正十二年の関東大震災の後ぐらいからではあるまいか、東京にも、関西風すき焼が進出して来たのは。そして、大いにこれが勢力を得て、それから段々と、東京の店でも、牛鍋とは言わなくなり、専ら、すき焼と称するようになった。看板も、牛鍋という文字は、見られなくなって、すべて、すき焼となってしまった。
 然し、これは名前だけのことで、実は関西流のすき焼が、東京でも全面的に行われるようになったわけではない。
 戦後の今日に至っても、純関西風すき焼の店はあんまり無くて、やっぱり昔からの東京風牛鍋なんだが、名前は全部すき焼となってしまった。然し、ふり返ってみると、一時は、大分その関西風すき焼が、東京へも進出して、東京風との間を行く、アイノコ流が流行ったことがある。
 昭和十年頃のことかと思う。日本橋に井上というスキヤキ屋が出来て、ここでは、京都の三島亭から肉を取寄せているとかいうことで、その「演出」も、すっかり京都風だった。
 ヘット焼と言ったか、オイル焼と言ったか、手っ取り早く言えば、油炒めであるが、ジャガ薯だの、カブなんかも入れて、ジュージュー焼いて、大根おろしで食わせたのは、東京としては珍しかったし、夏場は冷房などもあって、中々贅沢なものだった。
 それから、やっぱりその頃だったと思う。浜町に橋本という、すきやき屋が出来て、菊池寛先生などは、愛用されていた。この店については、小島政二郎先生の『食いしん坊』でも、三河屋等に優る味だったと絶讃してある。
 僕の昭和十一年三月三日の日記が、此の橋本に触れているので、抄いてみる。
 ……浜町の橋本へ、牛肉を食いに行く。肉はいいが、ワリシタが、いけない。ナマに、胡椒をかけて来ること、葱の切り方、すべて京都三島亭あたりのやり方なり。僕は、井上の方が好きだ。……
 これを以て見ても、その頃の、スキヤキは、関西流が大分流れ込んで来ていることが判る。
 又、やはりその頃のことだろうか。東京会館の屋上で、スキヤキを食わせるようになったのは。夏場だけ、屋上で、スキヤキをやり、別に、スキヤキ・ルームと称する部屋も出来たが、これらは皆、関西風だった。
 そのうちに、戦争。それが済んで、東京中に、食いもの屋が氾濫するに至ったが、さて、割合に、スキヤキ屋は、数が多くない。
 築地に、夕ぎりという、これも冷暖房完備の、女中美人多しの、スキヤキ屋が出来た。伊勢松阪から肉を取寄せているそうで、上等なものだ。然しここは、関西風で、醤油ッ辛いワリシタの、牛鍋気分とは縁が遠い。これだの、その他、戦後派の店が幾つかあるが、すし屋だの、支那料理屋に比べれば、スキヤキの数は全く少いと言えよう。
 戦前からやっていた、今朝《いまあさ》の新橋の店は、やっている。ここのは、関西風ではなく、ワリシタで食わせるので、牛鍋気分である。
 浅草の今半《いまはん》だの、松喜《まつき》も又やり出した。そしてこれらは、皆関東流である。
 牛肉の鍋で変った店があったのを、思い出した。新橋の、うつぼ。牛肉ぶつ切りという奴。これは、ネギマのマグロの如く、牛肉をブツ切りにしたのと、葱も五分に切ったのを、味噌煮で食うのである。これは、如何にも安っぽくて、ゲテな味だったが、こんな店も、今の東京に一軒ぐらいあった方がいいな。
 牛肉の鍋では、まだ変ったのがあった。終戦後間もなくの頃、と言ったら、まだ食いものの乏しい頃のことである。京都へ興行に行った時、谷崎潤一郎先生に連れて行っていただいた十二段家の鍋だ。終戦直後のことで、まだ自動車も乏しく、南座からそこ迄、人力車で行ったことを思い出す。
 十二段家と言っても、昔の、幕の内だの何か食わせる十二段家ではなく、今のは、祇園花見小路にあって、洋食屋だ。谷崎先生に、その十二段家の、独特の牛肉鍋を御馳走になった。牛肉の鍋と言っても、ここのは頗《すこぶ》る変っている。火鍋子《ホーコーツー》が出て、その中へ自分で、ナマを入れて茹でて(というのは、火鍋子の中の汁には味が附いていない)適当なところで引き揚げて、一種の味噌の如きもの(これに秘伝があるのだろう)を附けて食うのであった。ベトベトとした味噌の如きものには、胡麻のにおいがしたような気がする。何しろ、食物の乏しい頃だったから、貪るように食ったので、味についての記憶があんまり判然していない。昂奮する程の味ではなかったが、あっさりしているから、いくらでも食えた。
 やっぱり、その時の京都だったか、白水(?)という店で、牛肉のバタ焼を御馳走になり、肉に飢えていた頃のことだから、僕は大いに食って食って、食いまくって、
「えらいもんやなあ。先生、あんた、牛肉一万円食うて呉れはりましたで」
 と御馳走した人をして喜ばしめ(?)たことがある。
 その後、いささか礼節を知ったのか、まだ、一人で一万円の肉を食った経験《こと》はない。
 近頃での、面白い経験は、去年の暮、笑の王国の旧メンバーの忘年会で、サクラ鍋を食ったことであろう。サクラとは勿論馬肉のことだ。俗に言うケットバシ屋。浅草の、あづまという店。僕は、あんまりゲテモノ好きではないので、サクラときいては、どっとしなかった。だから、恐る恐る鍋を突ついたのであるが、これは割合にイケました。味噌ダレでクタクタに煮ちまうんだからよく味は判らない。が、まあ下手な牛肉を食う位のことはある。黙って食わされりゃあ牛肉だと思ったに違いない。
 さて、お話は、大分可笑しくなって、牛鍋スキヤキ合戦記は、ウヤムヤになってしまい、馬が飛び出してしまった。
 食談から駒が出てしまいました。
 というのは、サゲになりませんかな。

底本:「ロッパの悲食記」ちくま文庫、筑摩書房
   1995(平成7)年8月24日第1刷発行
   2007(平成19)年9月5日第3刷発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2011年11月29日作成
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古川緑波

甘話休題—– 古川緑波

1

 もう僕の食談も、二十何回と続けたのに、ちっとも甘いものの話をしないものだから、菓子については話が無いのか、と訊いて来た人がある。僕は、酒飲みだから、甘いものの方は、まるでイケないんじゃないか、と思われたらしい。
 ジョ、冗談言っちゃいけません。子供の時は、酒を飲まないから、菓子は大いに食ったし、酒を飲み出してからだって甘いものも大好き。つまり両刀使いって奴だ、だからこそ、糖尿病という、高級な病いを何十年と続けている始末。
 じゃあ、今日は一つ、甘いものの話をしよう。今両刀使いの話の出たついでに、そこから始める。
 僕は、いわゆる左党の人が、甘いものは一切やらないというのが、何《ど》うも判らない。
 然し、まんざら、酒飲み必ずしも、甘いものが嫌いとは限らない証拠に、料理屋などでも、一と通り料理の出た後に、饅頭なぞの、菓子を出すではないか。
 あれが僕は好きでね。うんと酒を飲んだ後の甘いものってのは、実にいい。
 殊に、饅頭の温めた奴を、フーフー言いながら食うのなんか、たまらない。
 アンコのものでも、ネリキリじゃあ、そうは行くまいが、饅頭系統のものは、温めたのに限る。京都の宿屋で、よくこれを朝出すが、結構なもんだ。
 と、話は餅菓子、和菓子に及んだが、僕は、洋菓子党です。
 子供の時から、ビスケットや、ケーキと呼ばれる洋菓子を愛し、今日に至っても、洋菓子を愛している。子供の頃、はじめて食べた、キャラメルの味から、思い出してみよう。
 森永のキャラメルは、今のように紙製の箱に入ってはいず、ブリキ製の薄い缶に入っていたと覚えている。そして、キャラメルそのものも、今の如く、ミルク・キャラメルの飴色一色ではなく、チョコレート色や、オレンジ色のなど、いろいろ詰め合せになっていた。
 味も、ぐっとよくて、これは、森永さんとしては、はじめは、高級な菓子として売り出したものではないかと思う。
 ブリキの缶には、もうその頃から、羽の生えた天使のマークが附いていた。
 森永のミルク・キャラメルに前後して、森永パール・ミンツなどという、これは庶民的なキャンディーも売り出された。
 これらの菓子は、種苗などを入れるような紙の袋に入っていた。
 小学校の遠足に、それらの菓子が如何にもてはやされたか。
 キャラメルも、ネッスルのや、その他色々出来たし、水無飴もその頃出来た。
 チュウインガムが流行り出したのも、その頃。
 その頃というのは明治末期のこと。
 さて然し、それらはみんな庶民的な、西洋駄菓子であって、贅沢なおやつ[#「おやつ」に傍点]には風月堂のケーキ、青木堂のビスケットなどが出たものである。
 風月堂の、御進物用の箱を貰った時の悦びを忘れない。上等なのは、桐の箱入りで、デコレーションの附いた、スポンジケーキが、ギッシリと詰っていて、その上へ、ザーッと、小さな銀の粒や、小さな苺《いちご》の形をしたキャンディーが掛けてあった。
 掛けてある、という感じなのだ。そのスポンジケーキの合間々々に在る姿が。
 桐の箱の蓋を除ると、プーンと、ケーキのにおいが鼻へ来る。温かいような、バタのにおいである。
 青木堂のビスケットと書いたが、ビスケットと言っても、これはクッキーである。その種類色々あり。
 マカロンが先ず第一の贅沢なもの、これは後年「人形の家」のノラが、しきりに食べることを知り、イプセンも、マカロンの愛用者ではなかったかと思った。
 マカロンの、いささか濃厚な味は、然しフランスの乾菓(キャンディーではない。いまで謂《い》うクッキー)の王者だった。
 マカロンの他にデセール、サブレー、ウーブリ、ビスクイなどという種類があり、乾葡萄の枝ごとのもあった。
 これらは、実に美味いとも何とも、口に入れれば、バタのコッテリした味が、ほろほろと甘えて来る。ああ思い出す。
 僕は後年、あれは(あんなに美味かったのは)子供の頃のことを、美化して思い出しているんじゃないかな? という気がして来た。つまり、あれを今食べてみれば、大したことはないんじゃないか、と。
 ところが、最近その頃の青木堂に関係していた人に、青木堂では、それらの乾菓は、当時フランスから輸入していたのだということを聞いて、それじゃあ美味かった筈だと思い、昔は随分日本も贅沢だったんだなあと思った。
 青木堂という店は、当時市内何軒かチェーンストアーがあり、僕の言っているのは麹町の店のことである。
 本郷の赤門傍にも青木堂があって、その二階は喫茶部になっていた。そこで食ったシュウクリームの味、それに大きなコップに入ったココアの味を覚えている。
 そういう乾菓を愛したせいか、長ずるに及んでも、僕はクッキーの類が好きだった。
 戦争前は銀座のコロムバンのクッキーが、何と言ってもよかった。
 神戸のユーハイムその他にも、クッキーは美味いのがあったが、僕はコロムバンのを一番好み、二番目は、トリコロールのだった。トリコロールの方は、少し甘過ぎて、ひつこかったが、又別な味があった。
 これらのクッキーを、僕は旅行先へも送らせて、毎朝愛食したものである。
 さて、それでは、クッキーは戦後何処がうまいか、ということになると、僕は戦前ほどうまいものは現在は無い、と答える。
 然し、それは無理もないのだ。第一にコナの問題だ。第二にバタである。戦前のような、見るからに黄色い、濠洲バタというものが入らなくなったのであるから、(今のようなバタくさくないバタというものは、此の場合何うにもならない)やむを得ないことなのだ。そのため、現在の東京で造られているクッキーは、その原料の関係上何うしても昔のような、適当な堅さが保てなくて、堅すぎるか軟かすぎるか、何っちかになっている。
 イヅミヤのクッキーは、大分有名になったが、一寸煎餅を食うような堅さで、ポリポリ食わなければならない。味はバタっ気こそ少いが、うまく出来ている。
 クローバーのはちと甘過ぎるが、味はリッチな感じ。一方が甘過ぎるからというのか、ここにはチーズ味の(甘味抜きの)クッキーもあり、これは「飲める」。
 ケテルでも、クッキーを売っているが主力を注いではいない、パウンドケーキや、フルーツケーキは上等だが、ここのクッキーは、こわれやすくて、家へ持って帰れば、粉々になってしまう。
 ジャーマン・ベーカリー、コロムバンなども試みたが、今のクッキーの欠点、こわれやすいというのを免れない。
 先日、大阪へ行った時、此の話が出て「そんならうちのを食ってみて下さい」と、阪急の菓子部から、クッキー一箱貰って持って帰ったが、汽車中、こわれることもなく、味もオーソドックスで、結構なものだった。
 アマンドのクッキーは、甘過ぎる行き方でなく、割に淡い味なので飽きが来ない。店の名の通り、アーモンドをうんと使った、クレセントマカロンが一。小さなパルミパイもよし。堅さも適当だ。
 専らクッキーについて語った。
 次回にも、もう少し甘い話を続ける。

2

 クッキーから、ケーキへと、今日は洋菓子の今昔を語ろう。
 ケーキと一口に称される洋菓子にも色々あるが、戦前、はるか明治の昔から、スポンジケーキ(カステラの類い)の上等だったのは、前回にも触れたが、風月堂のチェーンのそれだった。バタを、ふんだんに使った、ガトーの味は、リッチな感じで、贅沢なものだった。
 風月堂には、名物として、ワッフルがあったっけ。日本流に言えば、ワップルだ。そのワップルに二色あって、一つはクリーム入り、もう一つは、杏子《あんず》のジャムが入っていた。戦後も尚、ワップルは健在であろうか。
 風月堂の他に、戦前の銀座でうまいケーキを求めれば、モナミ、ジャーマン・ベーカリー、コロムバン、エスキーモ――順に歩いてみよう、思い出の銀座を。
 モナミは、今もやっているが、昔の方がシックだったし、流行ってもいたようだ。二階の洋食も悪くなかった。ケーキも総て本格的で、美味いし、値段も程々だった。
 戦前のジャーマン・ベーカリーは、独特のバームクーヘンや、ミートパイなど、他の店に無いものが揃っていた。
 ミートパイは、戦後のジャーマン・ベーカリー(有楽町駅近く)でも、やっているが、昔の方が、もっと大きかったし、味も、しっとりとしていて、美味かった。
 それでも、ミートパイは、あんまり他に無いので、僕はわざわざ有楽町の店へ行くが、「ミートパイは、土曜日だけしか造りません」などと言われて落胆する。
 又、此の店独特のバームクーヘンにしてからが、近頃では、土曜と水曜だけというようなことになって、わざわざそれを狙って行く人を失望させている。
 現在、バームクーヘンは、他にだって売っている。神戸のユーハイムあたりから始まった菓子だと思うが、買って帰って、家で食っては、つまらない味だ。第一、ああいう風に薄く切れないし、クリーム無しで食っては半分の値打もない。
 話をもう一度、ミートパイに戻す。ミートパイは、八重洲口の不二家でも売っているが、これはアメリカ式で、ゴツイもの。
 ケテルさんの経営するデリケテッセン(並木通り)にも、終戦直後から、ドイツ流のミートパイがあるが、これは菓子というよりも、酒の肴である。
 パイの話のついでに、最近、新橋のアマンド(喫茶でなく、洋食の店の方)で、久しぶりで、ゲームパイを食ったことを報告しよう。戦前、帝国ホテルのグリルには、常にこれがあった。それが、思いもかけずに、アマンドにあったので嬉しかった。
 話が、甘いものから横道へ入った。表通りへ戻ろう、戦前の銀座の。
 銀座通りのコロムバン。今のは、代が変ったんだそうで、もとの経営者のやっている同じ名前の店が西銀座にある。
 表通りの店は、戦前は、クッキーが一番で、ケーキも念入りに出来ていた。店の表に近いところに椅子テーブルを置いて、そこで、コーヒーを飲みながら、銀座の人通りを眺めるのが、パリー気分だというので、テラス・コロムバンと称されていた。今は大分大衆的になって、昔のようではない。
 エスキーモも、現在やっているが、戦前の感じとは、まるで違う。
 戦前のエスキーモの、ファンシー・アイスクリーム、シンバシ・ビューティーは正に銀座名物と言ってよかろう。挽茶・チョコレート・苺・ヴァニラ等のアイスクリームを五色の酒のように一つコップへ重ねて盛り上げたもの。そのコップの底に、苺のジャムが入っていたのを思い出す。
 ビューティーばかりではなく此店のチョコレートと、挽茶のアイスクリームのよかったことも忘れない。
 段々新橋の方へ近づくと、千疋屋。ショートケーキは、流石に此の店が美味かった。果物屋さんだけにシャーベットもよかった。
 アイスクリームの話になると、又、尾張町の方へ戻って、戦前のオリムピックを忘れてはなるまい。アメリカ式の、色んなファンシー・アイスクリーム、何々サンデーを揃えていた。バナナをあしらったり、胡桃《くるみ》の砕いたのを掛けたりしたのは、オリムピックあたりが、はじまりではなかろうか。
 それらのコッテリしたアイスクリームもいいが、シャーベットの、銀色のコップに入っているのなどは、見るから涼しくて、夏のリフレッシュメントとしては適当だ。然し、戦後の東京には、うまいシャーベットを食わせる店が少くなった。
 これはアメリカ渡来の、ソフトアイスクリームって奴に押されているせいだろうと思う。ソフトって奴も、あれはあれで、結構なものだと思う。が、あれをベロベロと食っている姿は、お子様に限るようだ。そこへ行くと、シャーベットは大人向きだ。それが、銀座あたりでも滅多に見つからないし、いいのが無い。
 神戸へ去年の夏行って、ウィルキンソンで、久しぶりで美味しいシャーベットを食べて、東京へ帰ってから探したが、中々見つからなくて、帝国ホテルのグリルで漸《や》っとのこと、ありついた。そのウィルキンソンにしても、冬行ったら、やっていないのでがっかりした。
 ソフトアイスクリームは、都会なら何処にでもある。シャーベットなどというオツなものは、不急品になってしまったのか。

3

 ソフトアイスクリームを、お子さまたちが、ベロベロと舐め、コーンもムシャムシャと食べてしまう。見ていても、うまいんだろうな、と思う。
 アイスクリームってものを、僕が生れてはじめて、食ったのは、何時頃だったろう?
 銀座の函館屋という、食料品店。その奥が、今で言う喫茶部になっていて、そこで食ったアイスクリームを覚えている。
 小さな、ガラスのコップに、山盛りになっている。そのアイスクリームの山のてっぺんから、少し宛《ずつ》舐めて行く時の悦び。アイスクリームの色が、今よりも、ずっと黄色かったことと、函館屋の照明が、青白いガスだったことを、覚えている。
 明治四十何年ぐらいの、銀座だった。
 その頃、活動写真館の中売りが「ええアイス、アイスクリン」と呼びながら売っていた、薄味のアイスクリームも、少年の日の思い出だ。
 薄味というのは、卵も牛乳も碌《ろく》に入っていない、お粗末な、だから一個五銭位だったろう、そういうアイスクリームなのだ。いいえ、アイスクリームじゃない、売り声の通り、アイスクリンなのである。
 でも、それを買って、活動写真(と言わして呉れ。映画と言っちゃあ感じが違うんだ)を見ながら食べるのは、幸福だった。
 アイスクリームを、うまいと思ったのは、大人になってから、北海道へ行った時、札幌の豊平館で、量も、ふんだんに食った時だった。
 中学時代。はじめて自分の、小遣いというもので、食べたのは、三好野だの、そういう類《たぐい》の、しるこ屋――というより大福屋と言いたい店。豆大福や、スアマなんていう菓子があったっけ。十銭二十銭の豪遊。
 学校の往復に、ミルクホールへ寄るのも、楽しみだった。
 僕は、早稲田中学なので、市電の早稲田終点の近くにあった、富士というミルクホールへ、殆んど毎日、何年間か通った。
 ミルクホールは、喫茶店というものの殆んど無かった頃の、その喫茶店の役目を果した店で、その名の如く、牛乳を飲ませることに主力を注いでいたようだ。
 熱い牛乳の、コップの表面に、皮が出来る――フウフウ吹きながら、官報を読む。
 何ういうものか、ミルクホールに、官報は附き物だった。
 ミルクホールの硝子器に入っているケーキは、シベリヤと称する、カステラの間に白い羊羹を挿んだ、三角型のもの。(黒い羊羹のもあった)エクリヤと呼ぶ、茶褐色の、南京豆の味のするもの。その茶褐色の上に、ポツポツと、赤く染めた砂糖の塊りが、三粒附いているのが、お定りだ。(だからシュウクリームにチョコレートを附けた、エクレールとは全然違う)
 丁度同じ時代に、東京市内には、パンじゅう屋というものが、方々に出来た。
 パンじゅうとは、パンと、まんじゅうを合わせたようなもので、パンのような軽い皮に包まれた餡《あん》入りの饅頭。それが、四個皿に盛ってあって、十銭だったと思う。
 パンじゅうの、餡の紫色が、今でも眼に浮ぶ。
 カフエー・パウリスタが出来たのも、僕の中学生時代のことだろう。
 カフエーと言っても、女給がいて、酒を飲ませる店ではなく、学生本位の、コーヒーを主として飲ませる店だ。
 パウリスタは、京橋、銀座、神田等に、チェーンストアを持ち、各々、一杯五銭のコーヒーを売りものにしていた。そのコーヒーは、ブラジルの、香り高きもので、分厚なコップに入っていた。
 砂糖なんか、あり余っていた時代だ。テーブルの上に置いてある砂糖壺から、いくらでも入れることが出来た。学生の或る者は、下宿への土産として、此の砂糖をそっと紙などに包んで持って帰る者もあった。
 パウリスタで思い出すのは、ペパーミントのゼリー。それから、自動ピアノというものが、各店に設備してあり、これも五銭入れると、「ウイリアム・テル」だの「敷島行進曲」だのを奏するのであった。
 兎も角も、あの時代の、そういう喫茶店、菓子を食わせる店の、明るく、たのしかったことよ。
 そして、例によって、僕は、「それに引きかえて現今の」と言って、嘆こうというのであるが、昔を知る諸君なら、誰だって、同感して貰えると思うのだ。
 いまの、戦後の、喫茶店というものの在り方だが――
 純喫茶というものだけでも、数ばかり如何に多くなったことよ。
 東京も、大阪も、京都、名古屋も、コーヒーの店は、実に多くなった。
 関西へ行くと、コーヒーは、ブラジルの香りが高い。東京では、モカ系が多く、関西は、ブラジル、ジャワなどの豆を、ミックスしているらしい。
 有楽町のアートコーヒーへ行けば、ブラジルでも、モカでも好みの豆が揃っていて、註文すれば、何でも飲める。
 昔の五銭に比べれば、今の、最低五十円のコーヒーは、馬鹿々々しい。が、おしぼりが出たりして、サーヴィスは中々いい。
 喫茶店のサーヴィスで、一番気に入ったのは、アマンドのチェーン、各店が、コーヒーなどの後に、コップ入りの番茶を、サーヴィスすることで、これは、後から後からと、所謂「回転」を急いで、追い立てられる感じと違って、「何卒ごゆっくり」と言われているようで気持がいい。
 そういう、明るい純喫茶とは別に、近頃、ジャズをきかせる喫茶店が、銀座に出来た。
 それも、二軒や三軒ではなく、目下も、殖えつつあるようだ。
 戦前から戦時にかけて、新興喫茶と称する店が出来て、レコードをきかせ、昆布茶などを飲ませたが、そして、それらは、女給の美しいのを売りものにしたものだが、今回の、ナマの音楽を売りものの喫茶店は、(これも社交喫茶の部に入りますか?)随分ヘンテコなものだ。
 最近開店した、ジャズ、クラシック共に演奏するという店へ入ってみた。入口で、飲食券を買わされるのが、先ず落ち着かない。
 入れば、殆んど真っ暗だ。僕など、眼が弱いので、手さぐりでなくては歩けなかった。
 そして、真っ昼間から、音楽をやり、その音が強いから、アベックさんも、碌に話が出来ないらしい。コーヒーもケーキも、決してうまくはないし、こんなところへ入る人は、何を好んで、妙な我慢をしているのかと、全く僕には判らなかった。

底本:「ロッパの悲食記」ちくま文庫、筑摩書房
   1995(平成7)年8月24日第1刷発行
   2007(平成19)年9月5日第3刷発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2011年11月29日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

古川緑波

下司味礼讃—– 古川緑波

 宇野浩二著『芥川龍之介』の中に、芥川龍之介氏が、著者に向って言った言葉、
 ……君われわれ都会人は、ふだん一流の料理屋なんかに行かないよ、菊池や久米なんどは一流の料理屋にあがるのが、通だと思ってるんだからね。……
 というのが抄いてある。
 そうなんです、全く。一流の料理屋というのは、つまり、上品で高い料理屋のことでしょう! そういう一流店でばっかり食べることが通だと思われちゃあ、敵《かな》わないと僕も思うのである、そりゃあ、そういう上品な、高い料理を、まるっきり食わないというのも、可笑しいかも知れない。たまにゃ、一流もよろしい。が、然し、うまい!って味は、意外にも、下司《げす》な味に多いのである。だから、通は、下司な、下品な味を追うのが、正当だと思うな。
 例えば、だ。天ぷらを例にとって話そう。いわゆるお座敷天ぷら。鍋前に陣取って揚げ立てを食う。天つゆ[#「天つゆ」に傍点]で召し上るもよし、食塩と味の素を混ぜたやつを附けてもよし、近頃では、カレー粉を附けて食わせるところもある。そういう、いわゆる一流の天ぷら。その、揚げ立ての、上等の天ぷらを食って、しまいに、かき揚げか何かを貰って、飯を食う。或いは、これがオツだと仰有《おっしゃ》って、天ぷらを載っけたお茶漬、天茶という奴を食べる。そりゃあ、結構なもんに違いないさ。
 然し、そういう、一流の上品な味よりも、天ぷらを食うなら、天丼が一番|美味《うま》い。と言ったら、驚かれるだろうか。抑々《そもそも》、天ぷらって奴は、昔っから、胡麻《ごま》の油で揚げてたものなんです。だから、色が一寸ドス黒い位に揚がっていた。それを、見た目が下品だとでも言うのか、胡麻の油をやめて、サラダ油、マゾラを用いるようになったのは、近年のことである。これは、関西から流行《はや》ったんだと思う。そして、近頃では東京でも、何処の天ぷら屋へ行っても、胡麻の油は用いない(或いは、ほんの少し混ぜて)で、マゾラ、サラダ油が多い。だから、見た目はいいし、味も、サラッとしていて、僕なんか、いくらでも食える。
 然しだ、サラッと揚がってる天ぷら、なんてものは、江戸っ子に言わせりゃあ、場違いなんだね。食った後、油っくさいおくびが、出るようでなくっちゃあ、いいえ、胸がやけるようでなくっちゃあ、本場もんじゃねえんだね。ってことになると、こりゃあ、純粋の胡麻の油でなくっちゃあ、そうは行かない。だから、先っき言った天丼にしたって、胡麻でやったんでなくっちゃあ――此の頃は、天丼も、上品な、サラッとした天ぷらが載ってるのが多いが、それじゃあ駄目。
 丼の蓋を除ると、茶褐色に近い、それも、うんと皮(即ちコロモ、即ちウドン粉)の幅を利かした奴が、のさばり返っているようなんでなくっちゃあ、話にならない。その熱い奴を、フーフー言いながら食う、飯にも、汁が浸みていて、(ああ、こう書いていると、食いたくなったよ!)アチアチ、フーフー言わなきゃあ食えないという、そういう天丼のことを言ってるんです。
 その絶対に上品でないところの、絶対に下品であり、下司であるところの、味というものは、決して一流料理屋に於ては、味わい得ないところのものに違いあるまい。
 と、こうお話したら、大抵分って戴けるであろう、下司の味のよさを。天ぷらばっかりじゃない。下司|味《あじ》の、はるかに一流料理を、引き離して美味いものは、数々ある。おでんを見よ。
 おでんは、一流店では出さない。何となれば、ヤス過ぎるからであり、従って下品だからである。然し、おでんには、ちゃんと店を構えて、小料理なんぞも出来ますというようなところで食うよりも、おでんの他には、カン酒と、茶めし以外は、ござんせんという、屋台店の方が、本格的な味であろう。何《ど》うも近頃は、と年寄りじみたことを言うようだが、おでんのネタが、変ったね。バクダンと称する、ウデ卵を、サツマ揚げで包んだ奴、ゴボウ巻き、海老巻き、そんなものは、昔は無かったよ。おれっちの若い頃にゃあね、「ええ何に致しますかね? ちくわに、はんぺん、ヤツにガンモ」なんてんで、(ヤツは八つ頭。ガンモはガンもどきなり)「ええと、そいじゃあ、ガンモに、ニャクと願おうか」ってな具合だったね。
 一々めんどくさいが、ニャクとはコンニャクのことですよ。「へい、ちイっと、ニャクが未だ若いんですが――」なんてな、若いてえのは、まだよく煮えていねえってことなんでがす。おでん屋の、カン酒で、ちと酔った。
 酔って言うんじゃあ、ございませんが、おでんなんてものこそ、一流の店じゃあ、金輪際《こんりんざい》食えねえ、下司の味だと思いやすがね、何うですい?
 おでんの他にも、まだまだあるよ。むかし浅草に盛《さかん》なりし、牛ドンの味。カメチャブと称し、一杯五銭なりしもの。大きな丼は、オードンと称したり。
 あの、牛(ギュウ)には違いないが、牛肉では絶対にないところの、牛のモツや、皮や(角《つの》は流石《さすが》に用いなかった)その他を、メッチャクチャに、辛くコッテリ煮詰めた奴を、飯の上へ、ドロッとブッかけた、あの下司の味を、我は忘れず。
 ああ下司の味!

底本:「ロッパの悲食記」ちくま文庫、筑摩書房
   1995(平成7)年8月24日第1刷発行
   2007(平成19)年9月5日第3刷発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
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古川緑波

このたび大阪——古川緑波

五月上旬から、六月へかけて、梅田コマスタジアムで「道修町」出演のため、大阪に滞在すること、約一ヶ月。  大阪での僕のたのしみの一つは、おどり(生海老)を食うことである。酔後、冷たいすしの舌ざわりは、何とも言えない、殊に、おどりは、快適で、明朝の快便をさえ思わせるものがある。だから、大阪へ行ったら、おどりを、と、たのしみにしているわけ。  東京では、すし屋へ行っても、おどりを食わせる店は少いし、あっても活きが悪くて、大阪の如く、尻ッ尾が、ピチッピチッと動いたりしない。動いても、スローモーションで、グニャッグニャッと動く。  ところが、大阪のすし屋は、何《ど》うも生海老が早く売切れる。われわれ、夜の仕事が終って行くと、もう売切れです、と断わられる。  その断わり方が妙に生意気にきこえる。「相済みませんねえ、今夜はあいにく売切れましたんで――」というような、愛想のいい言葉は殆んど使わずに、どの店でも、きっと、おどりが食いたきゃあ、もっと早く来りゃあいいんだ、今頃来やがって、何を言っているんだというような感じで、「おまへんわ」位のことを、アッサリ言う。 「じゃあ、何時頃来りゃあいいんだ?」  ときくと、七八時迄に来て呉れなきゃあ売切れちまうと言う。馬鹿野郎、俺たちの商売、七八時に、すし食いに来られるわけがねえじゃねえか! と腹を立てる。  早く売切れるのが自慢のような口振りだ。然し、早く売切るってことは、仕込みがケチだってことを現わしているではないか、ちっとも自慢することはないんだ。  これは、ある一軒を指して言うんじゃない、戦後数カ年、僕は随分大阪のすし屋へ行っているが、何処へ行っても、この愛想なしと、売切れたのを自慢するような傾向がある。  東京のすし屋の、あの荒っぽい、無礼な言葉を、大阪流に翻訳したつもりでもあるまい。東京のすし屋ことばは、ちょいときくと、荒っぽくて、喧嘩を売られてるみたいだが、決して、威張り散らしているわけではない。近頃の東京には、場違いな奴もいて、時々無礼を極めるようなこともあるが、本来は、あの荒々しい言葉の中に、おあいそも、お世辞も含まっている筈なのである。東京ことばには、そういうニュアンスがあるのである。  無論、大阪弁にも、もっともっと含みがあるだろうが、此の場合は、大阪のすし屋諸君に、僕は苦言を呈したい。  売切れたということは、決して自慢にはならない。又、自慢したくても、折角、それを食いに来て呉れたお客に対しては、有りがたい、相済まん、ということを表現すべきである。  これは然し、すし屋に限らず、大阪の食いもの屋には、少しキザなのが多すぎはしないか。名人芸みたいな顔をする食物屋が随分あるような気がする。  何処そこの何という店へ案内したいが、そこのオヤジは変っていて、何人以上では困るとか、何人以下では断わるとか言い、又、時間も、何時でなくてはいかんとか言うので、と言われて、僕は言下に、「そんなうちは、こっちが、ごめんだ」と断った。そういう家に限って、高い金を取りゃあがるに定っている。  大阪の食通の諸君も、そんな家を、ノサバラせないように、監督して貰いたいものである。  さて、話は、すし屋へ戻る。  OTVの「二つの椅子」で、大久保恒次氏と対談した。その中で、右の、夜おそくなると、大阪では、おどりが食えないという不服を語った。  と、その翌日。  南のバアのママさんが、テレビできいたが、夜おそくても、例え十二時すぎでも、おどりでも何でも食える店へ案内しましょう、と誘って呉れた。  黒門というところだった。そこの屋台店みたいな、すし平という店で、なるほど、おどりがいくらでもあった。而《しか》も、握っても、まだ尻っ尾が、躍動している。酔後の舌に、冷たい生海老が快くて、十ばかり食った。  何故黒門というところだけに、おどりが夜おそくまであるのか、その点は、未だに判らない。  大阪滞在中の食日記、概略。  五月十二日 北新地豊八のすし。夜おそかりしため、おどり売切れ。専ら、あこう鯛を食う。十三日 北の菊屋で昼食。階下の腰掛。合鴨のロースが、うまし。海老のかき揚げは、梅月のシステムで、大きく軽し。赤だしを貰って飯。夜は、梅田の、すし屋ひょうたん。おそくまでおどりあり、こっちへ来て、はじめて、たんのうす。十七日 夜、宗右エ門町の西明陽軒へ。オヤジと久濶《きゅうかつ》。海老のニュウバーグ他何品か食う。久しぶりで、品のいい、少量の皿を幾つも食った。十八日 大好きな紅焼魚翅を食いたさに、ハネ後、神戸迄ノシて、Hへ行く。出来た魚翅を一目見て、がっかり。料理人が変ってしまった。もう全く食う気のしないものばかり。三年も行かないうちに、世も変る。十九日 南の野間の天ぷら。お上品で、軽くて、いくらでも食える。二十日 北の駅前、香穂のお狩場焼。蛤《はまぐり》や海老等の海産物と、牛肉豚肉鶏肉、ごっちゃまぜ。エプロンかけて、紙製の帽子までかぶせられたのは、どういうものであろうか。二十二日 宗右エ門町の六番館。鉄板焼の牛肉。肉がいいから、文句なし。野菜も、いろいろあってよし。これで、「うちでは、ポンズであがっていただきます」などと気取らなければ尚いい。そんなことを言われると、こっちは逆らって、「俺は食塩で食うよ」。二十一日 ハネ後、K氏邸へ招待され、集英楼の中華料理を御馳走になる。燕巣にはじまる此の一コース、頗るよかった。二十四日 酔後、南のすし屋小政へ。ここも、おどりは売切れで、つまらない。平目、穴子など食う。二十六日 昼食、船場の一平。おどりを主として、すし十何個。赤だしが出て、今更に、東京では見られない此の演出、大阪独特だな、と思う。然し、すしと赤だしとは、果して、合うものだろうか。二十八日 夜食。宗右エ門町、菱富。久しぶりで、東京風うなぎ蒲焼で飯を食った。これは正に東京の味だった。色々出た中で、あこう鯛の蒸したのが実にうまく、あこうというものを、あらためて認識した。二十九日 北のミツヒサ、夜食。ビフテキよし、チキンよし。三十日 今宵、アチャコ、トニー谷と共に、再び北の菊屋で。話が面白くて、何を食ったか覚えなし。三十一日 一人、昼食に、アラスカへ。チーフ飯田君と何年ぶりか(戦争中に、色々援護して貰って以来だから、十何年だ)で逢う。トロリと舌をまどわすポタージュに、カフスレバアの煮込みの味、昼間から美味に酔う。六月二日 北ガスビル裏の、にしん料理小原女へ。戦争中、この家も、随分食わせて呉れた家で、もとは、小原女茶屋と言った。 「これ覚えてますか」と、主人が、もう古びた短冊をもって来た。そこには僕の、「にしん食いすぎてお腹《はら》めちゃや」と書いたのが、赤ッ茶けていた。 底本:「ロッパの悲食記」ちくま文庫、筑摩書房    1995(平成7)年8月24日第1刷発行    2007(平成19)年9月5日第3刷発行 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:門田裕志 校正:仙酔ゑびす 2011年12月1日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

古川緑波

うどんのお化け—– 古川緑波

目下、僕は毎日、R撮影所へ通って、仕事をしている。そして、毎昼、うどんを食っている。
 此の撮影所は、かなり辺鄙《へんぴ》な土地にあるので、食いもの屋も、碌に無い。だから、一番安心して食えるのは、うどんだと思って、昼食には、必ず、うどん。そのせいか、大変、腹具合はいい。
 そばも食いそうなものだが、僕は、そばってものは嫌い。嫌いと言うよりも、そばを食うとたちまち下痢する。子供の頃は、そんなことは、なかったんだが二十代から、そうなった。だから、江戸っ子の癖に、そばが食えない。従って、僕の食談には、そばに関することは、殆んど出て来ないのである。
 ヘンなもので、同業エノケン、榎本健一君が、大変な、そば嫌いである。彼は、先天的の、そば嫌悪症らしく、初恋の女性が、そばを好んだために、彼は、彼女を、あきらめてしまったという話がある位だ。
 同業ではありながら、何もかも僕とは正反対の芸を持っているエノケンが、そば嫌いという点でのみ、共通している(おっと、酒を好むことを落してはならなかった)のは、面白い。
 さて、うどんの話であるが、撮影所の近くにある、そば屋へ、毎日註文するとなると、さて、何うどんにしようかと、迷う。おかめ、卵とじ、鴨南蛮、鍋焼――と、昔風なのからカレーうどん、きつねうどん(油揚げの入った奴。無論関西から来たもの)或いは、又、たぬきというのもある。これは、何かと思ったら(昔は、あんかけを、たぬきに称していたようだが)揚げカスを、載っけた奴であった。それなら、つい先頃まで、ハイカラうどんと称していた筈である。
 ま、そんなところを、毎日メニュウを変えて註文しているうちに、何《ど》うも、十日以上にもなると、倦きちまって、カレーうどんに生卵を落して呉れと註文したり、おかめと、きつねの合併したのを造って呉れと、言ったりし始めた。
 或る日のこと、又色々考えた末に、今日は一つ、おかめと卵とじの合同うどんを拵《こしら》えて呉れないか、と註文した。やがて、出前持ちの青年が、それを持って来たので、こんな妙な註文をする客は、他には無いだろうね、と言ったら、出前持ち曰く、
「いいえ、これはカメトジと言って、ちょいちょい註文があります」
 へーえ? と僕は驚いた。
 が、更に、驚いたのは、出前持ち氏の次の言葉である。
「随分いろんなこと註文する方がありましてねえ。ええ、お化けっての知ってますか?」
 僕は、たちまち面白くなっちまって、
「お化け? へーエ、うどんに、そんなのがあるのかい?」
「あるんです」
「何んなんだい?」
「ええ、ネタを全部ブチ込んじゃうんです。おかめも、きつねも、たぬきも――」
「ハハア、それが、お化けか」
 何と、お化けとは!
 然し僕は、可笑《おか》しくなっちまった。うどん食いにも、通はあるもんだな、と。
 で、そのお化けを、次の日早速試みたが、こいつは、正に、お化けで、味もヘンテコなものであった。
 うどんと言えば、関西の鍋やきうどんを思い出す。薄く切った牛肉が入っているのが、馬鹿に嬉しい。東京の鍋やきとは、全く趣きを異にしている。
 そばのことは知らず、うどんそのものは、東京のが一番|不味《まず》いんじゃないだろうか。
 名古屋のきしめん、京都の大黒屋なんかのは、ダシより、うどんそのものが、美味《うま》い。飯坂温泉で食った、うどんのカケが、憎々しいほど太かったのも、よかった。
 などと、うどんについて語る資格は、無いんだが。そして、うどん界の女王、水之江滝子《ターキー》女史に、きかれたら笑われるであろう。
 ターキーの、うどん好きは、昔から有名。彼女が、殆んど、飯を食わず、三食とも、うどんだという、噂はきいていたが、交際《つきあ》うまでは、あんまり気にしていなかった。ところが、或る映画で、海岸地へ、一緒にロケーションに行って、そのうどんファン(ドン・ファンに非ず)ぶりを見るに及んで、なるほど、これは噂以上だ哩《わい》! と感心した。
 朝っから、いきなり、うどんである。ネタは、何でもいいらしい。大体に於て本当の、うどん好きなら、カケだ。
 朝から、カケ二つか三つ。
「ロッパさんも、つきあいなさいよ」
 と言われて、そのロケーション中に、随分僕は、うどんを食った。
 僕が、うどんを食うようになったのはそれ以来かも知れない。
 ターキーは、うどんのみならず、粉食なら何でも歓迎らしい。支那そば、雲呑《ワンタン》の、うまいところなんか、彼女に、きけば、たちまち判る。
 戦時、代用食として、焼うどんなどというものを、食わされた。然し、焼うどんてものを、僕が、生れて初めて食ったのは、関西で、それは戦争はるか以前のことだった。うどんと言っても、たしかヒモカワだった。挽肉を掛けて、炒麺のように、軽く炒めたものである。これはこれで、お値段から言って、決して悪い食いものではなかった。今でも、焼うどんを食わせる店は、東京にもあるが、僕は、汁の中へ浸っているのより、此の方を愛す。
 というところを見ても、僕は、江戸前のそばに関しては、大きな口は、きけそうもない。
 そば屋ばかりじゃない。すし屋についても、僕は、すし通は、並べられない。何しろ、まぐろが食えないんだから、トロもヅケもない。まぐろを食えば、たちまち蕁麻疹《ジンマシン》。赤身の魚は一切駄目。すし屋へ行ったって、食えるものと言ったら、こはだ、あなご、卵と言ったところ。それから、関西風の生海老、所謂《いわゆる》おどりというのは大好きだ。そして、僕は、ゴハン(シャリ)も、江戸風の酢で黄色くなってるようなのより、関西風の、酢の弱いシャリの方が好きというんだから、ますます以て、江戸っ子の顔よごしであろう。
 いいえ、野暮な話だが、大阪の押しずし、蒸しずし(ぬくずし)なんかも、好きだ。魚ってもの、貝ってもの(貝に至っては貝と名のつくものは一切食えない)を、食わない、いや、食えないんじゃあ、日本食について語る資格は、自分でも無いと思っている。旅なんかして、宿屋の食事には、常に参っちまう。野菜ばっかりの方が、ずっといい。
 日本料理については、カラ駄目。
 その代り、ちょいと脂っこいもののことになったら、うるさいよ。

底本:「ロッパの悲食記」ちくま文庫、筑摩書房
   1995(平成7)年8月24日第1刷発行
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入力:門田裕志
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古川緑波

ああ東京は食い倒れ— 古川緑波

 戦争に負けてから、もう十年になる。戦前と戦後を比較してみると、世相色々と変化の跡があるが、食いものについて考えてみても、随分変った。
 ちょいと気がつかないようなことで、よく見ると変っているのが、色々ある。
 先ず、戦後はじめて、東京に出来た店に、ギョーザ屋がある。
 以下、話は、東京中心であるから、そのつもりで、きいていただきたい。
 ギョーザ屋とは、餃子(正しくは、鍋貼餃子)を食わせる店。むろん、これも支那料理(敗戦後、中華料理と言わなくちゃいけないと言われて来たが、もういいんだろうな、支那料理って言っても)の一種だから、戦前にだって、神戸の本場支那料理屋でも食わせていたし、又、赤坂の、もみぢでは、焼売《シューマイ》と言うと、これを食わせていたものである。尤も、もみぢのは、蒸餃子であったが。然し、それを、すなわち、ギョーザを看板の、安直な支那料理屋ってものは、戦後はじめて東京に店を開いたのだと思う。
 僕の知っている範囲では、渋谷の有楽という、バラック建の小さな店が、一番早い。餃子の他に豚の爪だの、ニンニク沢山の煮物などが出て、支那の酒を出す。
 此の有楽につづいて、同じ渋谷に、ミンミン(字を忘れた)という店が出来、新宿辺にも、同じような店が続々と出来た。
 新宿では、石の家という店へ行ったことがある。餃子の他に、炒麺や、野菜の油炒め、その他何でも、油っ濃く炒めたものが出る。客の方でも、ニンニクや、油っ濃いのが好きらしく、
「うんと、ギドギドなのを呉れ」
 と註文している。
 ギドギドとは、如何にも、油っ濃い感じが出る言葉ではないか。これらの餃子屋は、皆、安直で、ギドギドなのを食わせるので、流行《はや》っている。
 もともと、支那料理だから、東京にも昔からあったものであるが、これは、高級支那料理とは違うし、又、所謂ラーメン看板の支那そば屋とも違って、餃子を売りものの、デモクラティックな店なのである。
 餃子屋につづくものは、お好み焼。
 これとても、戦前からあったものに違いないが、その数は、戦前の何倍に及んでいるか。兎《と》に角《かく》、やたらに、お好み焼屋は殖えた。腹にもたれるから、僕はあんまり愛用はしないが、冬は、何しろ火が近くに在るから、暖かくていい。
 お好み焼屋のメニュウは、まことに子供っぽく、幼稚だ。そして、お好み焼そのものも、いい大人の食うものとは思えない。が、これが結構流行るのは、お値段の安直なことによる。
 そうは言っても、お好み焼にも、ピンからキリまであって、同じ鉄板を用いても、海老や肉を主とした、高級なのもある。むろん、そうなると、安くはない。
 お好み焼は、何と言っても、材料の、メリケン粉のいいところが、美味いし、腹にも、もたれないから、粉のいいところを選ぶべきである。
 それと、今度は、アメリカ式料理の多くなったことだ。
 衛生第一、然し味は、まことに貧弱な、アメリカ式の料理(料理という名も附けたくない)が、到る所で幅を利かしている。ハンバーガーと称する、ハンバーグ・サンドウイッチや、チーズバーガーなんていうものが、スナック・バアでは、どんどん売れている。
 ハウザー式という健康食も、味は、全く何うでもいいらしい。ミキサーが、やたらに方々で、音を立てているが、これとても、果物の味は、ミキサーの廻転と共に、ふっ飛んでしまっている。
 その他、カン詰の国アメリカの、そのカン詰料理の、はかない味は、常に、僕をして、薄い味噌汁を味わうような、情なさを感ぜしめる。そのくせ、尾張町の近くにあった、不二アイスのような、純アメリカ式ランチ屋は無くなってしまった。不二アイスの、スチュウド・コーンや、パムプキン・パイは、今でも時々は食いたいと思うことがある。
 不二アイスばかりじゃなく、アスターだの、オリムピックのような、ランチ屋も、今は無くなった。星製薬のキャフェテリアなども、代表的な、アメリカン・ランチ屋だったが。そして、それらの昔の店の方が、今のアメリカ料理よりは、遥かに美味かったのは、何ういうものであろうか。
 さて然し、戦後、食いもの屋の中で、一番数が多くなったのは――いいえ、食いもの屋全体の数が、戦前の一体、何倍になっているか――やっぱり、支那料理屋であろう。それに続いて可笑しいことには、主食の販売が、うるさくなるにつれて、ゴハン物の店が、ぐっと多くなっていることだ。すし屋が、そうだ。釜めし屋、お茶漬屋だって、たとえば、戦前の銀座には、あすこは此処とと、数える位しか無かったのが、今の銀座は、横丁へ入る毎にそういうゴハン物の店があるようになった。
 やきとり屋も、やたらに多くなった。これについては又後に詳説するつもりであるが、銀座ばかりではなく、東京の盛り場には、やきとり屋は、これも戦前の何倍かになっているであろう。
 もう一つ。それは各国料理屋が、色々と店を拡げたこと。戦前から、少し宛《ずつ》はあったが、今のようにロシア料理、ドイツ料理、イタリー料理、などの店が、各々東京都内だけでも数軒、或るものは数十軒もあるというようなことは無かった。朝鮮料理、台湾料理の店もある。各国料理の店、そして、成吉思汗鍋から、ミルクワンタンというような変り種、さてはホルモン料理のゲテもの屋の数々。
 かと思うと、戦前からの古い、有名な店々――ぼうずしやも、ももんぢや、豆腐料理の笹の雪、あい鴨のとり安、等々も、昔の通り流行っている。近くは、揚げ出しも復活したとかきいた。
 かくて、今や、ああ東京は食い倒れである。

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