色町洋食—–古川緑波

大久保恒次さんの『うまいもん巡礼』の中に、「古川緑波さんの『色町洋食』という概念は、実に的確そのものズバリで」云々と書いてある。
 ところが、僕は、色町洋食なんて、うまい言葉は使ったことがないんだ。僕の所謂日本的洋食を、大久保さんが、うまいこと言い変えて下さったもの。然し、色町洋食とは、又何と、感じの出る言葉だろう。
 もっとも、これは関西でないと通じない、東京では、色町とは言わないから。
 で、僕も、大久保さんの、色町洋食という言葉を拝借して、その思い出を語らして貰おう。
 色町洋食と言われて、いきなり思い出したのは、宗右衛門町の、明陽軒だ。入口に、磨硝子《すりガラス》の行燈が出ていて、それに「いらせられませ、たのしいルーム」と書いてあった。
 その、たのしいルームへ、僕は幾たび通ったことであろう。
 南の妓、AとBとCと――ああ思い出させるなア、畜生――然し、そういう色っぽい話は又別のことにしよう。やっぱり僕は、専攻の洋食について語らねばならない。
 A女は、アスパラガスを好みたりき。
 B女は、「うち、チキンカツやわ」と言う。その、「カツやわ」を、「カッチチヤワ」と発音する。
 C女は、「ハラボテお呉れやす」
 ハラボテとは、オムライスのこと。オムライスの、ふっくりとふくれた姿を、ハラボテ女に見立てたものだろう。
 僕は、今、昔の遊蕩と、食慾の思い出に、頬の熱くなるものを覚える。
 南に、たしか、タカザワという、うるさい洋食屋があった。うるさいというのは、此の店の主人(兼料理人)が、うるさい。口ぎたなく客に喧嘩を売るようなことを言う、つまりは、「うちの洋食がまずかったら銭は要らねえ」式の、江戸っ子で、ポンポン言う奴なのだ。で又、それが、売りものになり、名物にもなっていたんだろう。
 タカザワの名物は、カレーライスだった。ピリッと辛いが、それは中々うまかった。
 そこである夜、僕が食っていると、色町のオチョボさん(ていうんだろう。牛若丸みたいな髪を結ってる小女だ)が、出前の註文に来た。
「あンネへ」というような、可愛らしい前置詞(?)があって、カレーライスを何人前とか届けて呉れ、と言うのだ。
 但し、お客さんが咽喉を悪くしているから、辛くないカレーライスにして下さい。
 そう言った。これは、大阪弁に翻訳すると益々可愛く聞えるのである。
 すると、うるさいオヤジが、いきなり言った。
「うちにゃア、辛くねえカレーライスなんてものは無えよ」
 と速口だから、オチョボは、きき取れなかった。
「へ?」
 ときき返す、その可愛い顔へ、ぶつけるように、オヤジ又言った。
「カレーライスってものは辛いもんだ。うちにゃあ、辛くねえカレーは無えんだよ」
 まるで、叱られたみたいに、オチョボは、ちぢみ上ったように、
「へ、そうだっか」
 と言うなり、逃げるように、出て行ってしまった。
 僕はオヤジを憎んだ。あんな可憐な少女に対して、あんな乱暴な口をきくなんて!
 そして又、僕は想像した。オチョボが帰って、報告すると、又、仲居か何かに、叱られるのではないか。
 少女を可哀そうに思い、オヤジを憎んだ。
 カレーライスは、うまかったが、僕はそれっきり、あの店へ行かなかった。
 併しそれも、二十年の昔である。かの可憐なるオチョボも、今は、如何に暮しているであろうか。
 色町洋食という言葉が、一番ピッタリ来るのは、無論東京ではない、大阪でもなく、それは京都であろう。
 祇園の三養軒、木屋町の一養軒など(京都には、何養軒と名乗る洋食屋の如何に多き)の、第一、入ったところの眺めが、他の土地には見られない、建物なり装飾ではあるまいか。
 カーテンで、やたらに、しきって、お客同士が顔を合わせないようになっている。だから、何処のテーブルに就いても、たちまちカーテンで、しきって呉れる。
 そこへ、「おおきに」の声もろとも、祇園の、或いは先斗町の、芸妓や舞妓が、入って来る。
 旦那(とは限らないが、つまりは、お客)が、先程からお待兼で、「よう待ってたよ」てなことになる。
 つまりは、これ等の洋食屋は、レストランというよりは、花柳界の、色町の、延長と言ってもいいだろう。
 だから、こういう店には、ボーイに、古老の如きオッサンが必ずいて、痒いところへ手の届くようなサービスをして呉れる。
 此の旦那がいらしったら、祇園の何番へ電話を掛ければいいとか、あの姐さんが来たら、こういう酒を出せばいいとか、万事心得ていて、トントンと運んで呉れる。だから、チップも、はずまなきゃならない。
 然しねえ、木屋町の一養軒あたりでさ、川のせせらぎをききながら、一献やりの、海老のコキールか何か食べながら、ねえ、あの妓の来るのを待ってる気持なんてものは、ちょいと又、寄せ鍋をつつきながら、レコを待ってるのとは違って、馬鹿にハイカラでいい心持のもんだ。
 なんてえのは、戦争前のはなしだがね。いいえ、戦後だって、そういう店は、昔の通りやってますよ。やっぱり、カーテンで、しきってさ、「姐ちゃん、おおきに」なんて言ってるさ。
 けど、その祇園・先斗町のですな、妓なるものがだ、マイコなるものがだ、何うも近頃のは、昔のようなわけにゃあ行かない。
 なんて、小光・万竜の昔は知らず、初子・桃千代なんて舞妓さんのプロマイド買って、胸をときめかした、僕らにしてみれば、何うも妥協出来ないものがあるんだなあ。
 いえ、ごめんなさい。近頃は、京都へ行ったって、祇園だ先斗町だって、遊び廻ったことはないんだ、高いからね。だから、いまのことは、知らないってことにしときましょうよ。
 昔は安かったからね。遊べもしたんでさ。

底本:「ロッパの悲食記」ちくま文庫、筑摩書房
   1995(平成7)年8月24日第1刷発行
   2007(平成19)年9月5日第3刷発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2011年11月29日作成
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