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岡本かの子

女性の不平とよろこび—— 岡本かの子

女が、男より行儀をよくしなければならないということ。  人前で足を出してはいけない、欠伸《あくび》をしてはいけない、思うことを云《い》ってはいけない。  そんな不公平なことはありません。女だって男と同じように疲れもする、欠伸もしたい、云い度...
岡本かの子

女性と庭—– 岡本かの子

出入りの植木屋さんが廻つて来て、手が明いてますから仕事をさして欲しいと言ふ。頼む。自分の方の手都合によつて随時仕事が需められる。職業ではのん気な方の職業でもあり、また、エキスパートの強味でもある。手入れ時と見え、まづ松の梢の葉が整理される。...
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初夏に座す—– 岡本かの子

人生の甘酸を味はひ分けて来るほど、季節の有難味が判つて来る。それは「咲く花時を違へず」といつた――季節は人間より当てになるといふ意味の警醒的観念からでもあらう。季節の触れ方は多種多様で一概には律しられないが、触れ方が単純素朴なほど、季節は味...
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処女時代の追憶 断片三種 —–岡本かの子

○  処女時代の私は、兄と非常に密接して居ました。兄に就いていろいろの思ひ出があります。十六七の時でした、何でも秋の末だと思ひます。子供のうちから歌や文章を好んで居た私を、やはり文学者として立つつもりで高等学校に居た兄が、新詩社の與謝野晶子...
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春 ―二つの連作―—– 岡本かの子

(一) 一  加奈子は気違いの京子に、一日に一度は散歩させなければならなかった。でも、京子は危くて独りで表へ出せない。京子は狂暴性や危険症の狂患者ではないけれど、京子の超現実的動作が全ての現代文化の歩調とは合わなかった。たまたま表の往来へ...
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縮緬のこころ—– 岡本かの子

おめしちりめんといふ名で覚えてゐる――それでつくられてゐた明治三十年代、私の幼年時代のねんねこ[#「ねんねこ」に傍点]。それも母のきものをなほしたねんねこ[#「ねんねこ」に傍点]だつたからそれよりずつとむかし、明治二十年前後の織物だつたかも...
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酋長—– 岡本かの子

朝子が原稿を書く為に暮れから新春へかけて、友達から貸りた別荘は、東京の北|端《はず》れに在った。別荘そのものはたいしたことはないが、別荘のある庭はたいしたものだった。東京でも屈指の中であろう。そして、都会のこういう名園がだんだんそうなるよう...
岡本かの子

秋雨の追憶—– 岡本かの子

十月初めの小雨の日茸狩りに行つた。山に這入ると松茸の香がしめつた山氣に混つて鼻に泌みる。秋雨の山の靜けさ、松の葉から落ちる雨滴が雜木の葉を打つ幽かな音は、却つて山の靜寂を増す。水氣を一ぱいに含んだ青苔を草履で踏む毎に、くすぐつたい[#「くす...
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秋の夜がたり—— 岡本かの子

中年のおとうさんと、おかあさんと、二十歳前後のむすこと、むすめの旅でありました。  旅が、旅程の丁度半分程の処で宿をとつたのですがその国の都と、都から百五十里も離れた田舎《いなか》との中間の或る湖畔の街の静《しずか》なホテルです。  その国...
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秋の七草に添へて—- 岡本かの子

萩、刈萱、葛、撫子、女郎花、藤袴、朝顔。  これ等の七種の草花が秋の七草と呼ばれてゐる。この七草の種類は万葉集の山上憶良の次の歌二首からいひ倣されて来たと伝へる。   秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種の花   萩の花尾花葛花なでし...
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取返し—–物語 岡本かの子

前がき  いつぞやだいぶ前に、比叡の山登りして阪本へ下り、琵琶湖の岸を彼方《あちら》此方《こちら》見めぐるうち、両願寺と言ったか長等寺と言ったか、一つの寺に『源兵衛の髑髏』なるものがあって、説明者が殉教の因縁を語った。話そのものが既に戯曲的...
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時代色 ―歪んだポーズ —–岡本かの子

センチメンタルな気風はセンチと呼んで唾棄《だき》軽蔑《けいべつ》されるようになったが、世上《せじょう》一般にロマンチックな気持ちには随分《ずいぶん》憧《あこが》れを持ち、この傾向は追々《おいおい》強くなりそうである。  飛躍する気持になり度...
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慈悲—— 岡本かの子

ひとくちに慈悲ぶかい人といえば、誰にでもものを遣る人、誰のいうことをも直ぐ聞き入れてやる人、何事も他人の為に辞せない人、こう極《き》めて仕舞うのが普通でしょう。それはそうに違いないでしょう、それが慈悲ぶかい人の他人に対する原則ですから。  ...
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私の書に就ての追憶—— 岡本かの子

東京の西郊に私の実家が在つた。母屋の東側の庭にある大銀杏の根方を飛石づたひに廻つて行くと私の居室である。四畳半の茶室風の間が二つ連なつて、一つには私の養育母がゐた。彼女はもう五十を越してゐたが、宮仕へをした女だけあつて挙措が折目正しく、また...
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山茶花—–岡本かの子

ひとの世の男女の  行ひを捨てて五年  夫ならぬ夫と共《ともに》棲《す》み  今年また庭のさざんくわ  夫ならぬ夫とならびて  眺め居《ゐ》る庭のさざんくわ  夫ならぬ夫にしあれど  ひとたびは夫にてありし  つまなりしその昔より  つまな...
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山のコドモ—–岡本かの子

ヤマキチ ハ ヤマオク ノ キコリ ノ コ デアリマシタ。チイサイ トキカラ、ヤマ ノ ケモノ ヤ、トリタチ ト、ナカヨク アソンデ ソダチマシタ。アルヒ、ヤマキチ ノ トモダチデ、イチワ ノ オオキナ タカ ガ、ヤマキチ ヲ ヒロイ ツバ...
岡本かの子

雜煮—–岡本かの子

維新前江戸、諸大名の御用商人であつた私の實家は、維新後東京近郊の地主と變つたのちまでも、まへの遺風を墨守して居る部分があつた。  いろは順で幾十戸前が建て列ねた藏々をあづかる多くの番頭、その下の小僧、はした、また奧女中の百人近い使用人へ臨ん...
岡本かの子

桜——岡本かの子

桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命《いのち》をかけてわが眺《なが》めたり さくら花《ばな》咲きに咲きたり諸立《もろだ》ちの棕梠《しゆろ》春光《しゆんくわう》にかがやくかたへ この山の樹樹《きぎ》のことごと芽ぐみたり桜のつぼみ稍《やや》ややに...
岡本かの子

高原の太陽—–岡本かの子

「素焼の壺と素焼の壺とただ並んでるようなあっさりして嫌味のない男女の交際というものはないでしょうか」と青年は云った。  本郷帝国大学の裏門を出て根津|権現《ごんげん》の境内《けいだい》まで、いくつも曲りながら傾斜になって降りる邸町の段階の途...
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鯉魚—–岡本かの子

一  京都の嵐山《あらしやま》の前を流れる大堰川《おおいがわ》には、雅《みや》びた渡月橋《とげつきょう》が架《かか》っています。その橋の東詰《ひがしづめ》に臨川寺《りんせんじ》という寺があります。夢窓国師《むそうこくし》が中興の開山で、開山...