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永井荷風

正宗谷崎両氏の批評に答う—–永井荷風

去年の秋、谷崎君がわたくしの小説について長文の批評を雑誌『改造』に載せられた時、わたくしはこれに答える文をかきかけたのであるが、勢《いきおい》自作の苦心談をれいれいしく書立てるようになるので、何となく気恥かしい心持がして止《よ》してしまった...
永井荷風

水 附渡船—– 永井荷風

仏蘭西人《フランスじん》ヱミル・マンユの著書都市美論の興味ある事は既にわが随筆「大窪《おほくぼ》だより」の中《うち》に述べて置いた。ヱミル・マンユは都市に対する水の美を論ずる一章に於て、広く世界各国の都市と其の河流《かりう》及び江湾の審美的...
永井荷風

申訳 —–永井荷風

昭和二年の雨ばかり降りつづいている九月の末から十月のはじめにかけて、突然僕の身の上に、種類のちがった難問題が二つ一度に差し迫って来た。  難事の一は改造社という書肆が現代文学全集の第二十二編に僕の旧著若干を採録し、九月の十五六日頃に之を販売...
永井荷風

深川の散歩—– 永井荷風

中洲《なかず》の河岸《かし》にわたくしの旧友が病院を開いていたことは、既にその頃の『中央公論』に連載した雑筆中にこれを記述した。病院はその後《のち》箱崎川にかかっている土洲橋《どしゅうばし》のほとりに引移ったが、中洲を去ること遠くはないので...
永井荷風

深川の唄—– 永井荷風

一  四谷見付《よつやみつけ》から築地両国行《つきじりょうごくゆき》の電車に乗った。別に何処《どこ》へ行くという当《あて》もない。船でも車でも、動いているものに乗って、身体《からだ》を揺《ゆす》られるのが、自分には一種の快感を起させるからで...
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妾宅 —–永井荷風

一  どうしても心から満足して世間一般の趨勢に伴《ともな》って行くことが出来ないと知ったその日から、彼はとある堀割のほとりなる妾宅《しょうたく》にのみ、一人|倦《う》みがちなる空想の日を送る事が多くなった。今の世の中には面白い事がなくなった...
永井荷風

書かでもの記—– 永井荷風

一  身をせめて深く懺悔《ざんげ》するといふにもあらず、唯|臆面《おくめん》もなく身の耻とすべきことどもみだりに書きしるして、或時は閲歴《えつれき》を語ると号し、或時は思出をつづるなんぞと称《とな》へて文を売り酒|沽《か》ふ道に馴れしより、...
永井荷風

十六、七のころ—– 永井荷風

十六、七のころ、わたくしは病のために一時学業を廃したことがあった。もしこの事がなかったなら、わたくしは今日のように、老に至るまで閑文字《かんもじ》を弄《もてあそ》ぶが如き遊惰《ゆうだ》の身とはならず、一家の主人《あるじ》ともなり親ともなって...
永井荷風

十日の菊—– 永井荷風

一 庭の山茶花《さざんか》も散りかけた頃である。震災後家を挙げて阪地に去られた小山内《おさない》君がぷらとん社の主人を伴い、倶《とも》に上京してわたしの家を訪《おとな》われた。両君の来意は近年|徒《いたずら》に拙《せつ》を養うにのみ力《つと...
永井荷風

十九の秋—– 永井荷風

近年新聞紙の報道するところについて見るに、東亜の風雲はますます急となり、日支同文の邦家《ほうか》も善鄰の誼《よ》しみを訂《さだ》めている遑《いとま》がなくなったようである。かつてわたくしが年十九の秋、父母に従って上海《シャンハイ》に遊んだこ...
永井荷風

寺じまの記—– 永井荷風

雷門《かみなりもん》といっても門はない。門は慶応元年に焼けたなり建てられないのだという。門のない門の前を、吾妻橋《あずまばし》の方へ少し行くと、左側の路端《みちばた》に乗合自動車の駐《とま》る知らせの棒が立っている。浅草郵便局の前で、細い横...
永井荷風

黄昏の地中海 —–永井荷風

ガスコンの海湾を越え葡萄牙《ポルトガール》の海岸に沿うて東南へと、やがて西班牙《スペイノ》の岸について南にマロツクの陸地と真白なタンヂヱーの人家を望み、北には三角形なすジブラルタルの岩山《いはやま》を見ながら地中海に進み入る時、自分はどうか...
永井荷風

一月一日—– 永井荷風

一月一日の夜、東洋銀行米国支店の頭取|某《なにがし》氏の社宅では、例年の通り、初春を祝ふ雑煮餅の宴会が開かれた。在留中は何れも独身の下宿住ひ、正月が来ても屠蘇《とそ》一杯飲めぬ不自由に、銀行以外の紳士も多く来会して、二十人近くの大人数である...
永井荷風

或夜 —–永井荷風

季子《すゑこ》は省線市川驛の待合所に入《はい》つて腰掛に腰をかけた。然し東京へも、どこへも、行かうといふ譯《わけ》ではない。公園のベンチや路傍の石にでも腰をかけるのと同じやうに、唯ぼんやりと、しばらくの間腰をかけてゐやうといふのである。  ...
永井荷風

にぎり飯—–永井荷風

深川古石場町の警防団員であつた荒物屋の佐藤は三月九日夜半の空襲に、やつとのこと火の中を葛西橋近くまで逃げ延び、頭巾の間から真赤になつた眼をしばだゝきながらも、放水路堤防の草の色と水の流を見て、初《はじめ》て生命拾《いのちびろ》ひをしたことを...
永井荷風

つゆのあとさき—-永井荷風

一  女給《じょきゅう》の君江《きみえ》は午後三時からその日は銀座通のカッフェーへ出ればよいので、市《いち》ヶ|谷《や》本村町《ほんむらちょう》の貸間からぶらぶら堀端《ほりばた》を歩み見附外《みつけそと》から乗った乗合自動車を日比谷《ひびや...
永井荷風

すみだ川—–永井荷風

一  俳諧師《はいかいし》松風庵蘿月《しょうふうあんらげつ》は今戸《いまど》で常磐津《ときわず》の師匠《ししょう》をしている実《じつ》の妹をば今年は盂蘭盆《うらぼん》にもたずねずにしまったので毎日その事のみ気にしている。しかし日盛《ひざか》...