センチメンタルな気風はセンチと呼んで唾棄《だき》軽蔑《けいべつ》されるようになったが、世上《せじょう》一般にロマンチックな気持ちには随分《ずいぶん》憧《あこが》れを持ち、この傾向は追々《おいおい》強くなりそうである。
飛躍する気持になり度《た》い。何物かに酔《よ》うて恍惚《こうこつ》とした情熱にわれを忘れたい。大体《だいたい》こういう気風である。だが、世上一般の実状はその反対を強《しい》ている。それだけ人々は却《かえっ》てそれを欲《ほ》っするのかも知れない。
世上一般の実状が人々に強いるものはリアリズムである。如何《いか》に苦しく醜《みにく》い現実でも青眼《せいがん》に直視せよと言うのである。然《しか》らざれば生活の足を踏み滑《すべ》らす。
リアリズムの用心深い足取りで生活の架け橋を拾い踏み渡りながら、眼は高い蒼空《そうくう》の雲に見惚《みと》れようとする。歪《ゆが》んだポーズである。此《この》矛盾《むじゅん》が不思議な調子で時代を彩色《いろど》る。
純情な恋の小唄《こうた》を好んで口誦《くちずさ》む青年子女に訊《き》いてみると恋愛なんか可笑《おか》しくって出来《でき》ないと言う。家庭に退屈した若い良人《おっと》が、ダンス場やカフェ這入《はい》りを定期的にして、而《しか》もそれに満足もしない。肯定と否定とが一人の人の中に同棲《どうせい》している。そして、そのような矛盾のままで性格が固定し切っているかと思えば、そうでない。気分の動きにつれて肯定と否定の両頭《りょうとう》は直《す》ぐ噛《か》み合いを始める。今日の都会の青年子女に就《つい》て、気持ちの話になって、はっきり一つの意味の言葉を言切《いいき》る者は尠《すくな》い。必ず意味に濁《にご》りを打つか取消しの準備を言内に付け加えている。これは相手に向っての用心ばかりでなく、恐らく自分自身に向っても保証し切れないからであろう。
しかし、この矛盾に堪《た》えぬものは現代の落伍者《らくごしゃ》である。逞《たくま》しい忍耐を以《もっ》て、この歪《ゆが》んだポーズに堪え、根気よく真に魅力ある理想を探って行き度《た》い。
底本:「愛よ、愛」メタローグ
1999(平成11)年5月8日第1刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集」冬樹社
1976(昭和51)年発行
入力:門田裕志
校正:土屋隆
2004年3月30日作成
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