国枝史郎

印度の詩人—— 国枝史郎

印度《インド》独立運動が活溌になりガンジーの名が国際舞台へ大きくうつしだされてきた。  ガンジーにつれて思い出されるのは同国の詩人タゴールのことである。  タゴールがノーベル賞金を受けて世界的有名になった頃、日本観光に来た。それを招待してタ...
国枝史郎

一枚絵の女—— 国枝史郎

一  ご家人《けにん》の貝塚三十郎が、また芝山内で悪事をした。  一太刀で仕止めた死骸から、スルスルと胴巻をひっぱり出すと、中身を数えて苦笑いをし、 (思ったよりは少なかった)  でも衣更《ころもがえ》の晴着ぐらいは、買ってやれるとそう思っ...
国枝史郎

ローマ法王と外交—- 国枝史郎

一  帝国政府は今回ローマの法王庁へ原田健氏を初代公使として派遣することになったが時局がら洵《まこと》に機宜を得た外交手段だと思う。  この機会に歴代|羅馬《ローマ》法王のうち特にすぐれた外交家について検討を加えてみよう。  一体に歴代の羅...
国枝史郎

レモンの花の咲く丘へ– 国枝史郎

この Exotic の一巻を 三郎兄上に献ず、 兄上は小弟を愛し小弟 を是認し小弟を保護し たまう一人の人なり。 序に代うるの詩二編 孤独の楽調 三味線の音が秋の都会を流れて行く。 霧と瓦斯《ガス》との青白き光が Mitily の邦《くに》...
国枝史郎

ヒトラーの健全性—– 国枝史郎

ヒトラーが、未来派の絵画を罵倒した記事を見て、ヒトラーらしいなと思った。  そうしてヒトラーが画家として立ったなら、むしろ穏健な、さりとて古くない、ポストアンプレッショニストとして彩管を揮《ふる》ったことだろうと思った。  未来派は、表現派...
国枝史郎

戯作者—— 国枝史郎

初対面 「あの、お客様でございますよ」  女房のお菊《きく》が知らせて来た。 「へえ、何人《だれ》だね? 蔦屋《つたや》さんかえ?」  京伝《きょうでん》はひょいと眼を上げた。陽あたりのいい二階の書斎で、冬のことで炬燵《こたつ》がかけてある...
高村光太郎

珈琲店より——高村光太郎

例の MONTMARTRE の珈琲店《カフエ》で酒をのんで居る。此頃、僕の顔に非常な悲しみが潜んでゐるといつた君に、僕の一つの経験を話したくなつた。まあ読んでくれたまへ。  〔OPE'RA〕 のはねたのが、かれこれ、十二時近くであつた。花の...
高村光太郎

緑色の太陽——高村光太郎

人は案外下らぬところで行き悩むものである。  いわゆる日本画家は日本画という名にあてられて行き悩んでいる。いわゆる西洋画家は油絵具を背負いこんで行き悩んでいる。飛車よりも歩を可愛がるような羽目に自然と立ち至る事もあるのである。その MOTI...
高村光太郎

木彫ウソを作った時–高村光太郎

私は自分で生きものを飼う事が苦手のため、平常は犬一匹、小鳥一羽も飼っていないが、もともと鳥獣虫魚何にてもあれ、その美しさに心を打たれるので、街を歩いていると我知らず小鳥屋の前に足をとめる。母が生きていた頃だからもう十幾年か以前の事である。或...
高村光太郎

美術学校時代——高村光太郎

僕は江戸時代からの伝統で総領は親父の職業を継ぐというのは昔から極っていたので、子供の時から何を職業とするかということについて迷ったことはなかった。美術学校にも自然に入ってしまった。二重橋前の楠公の銅像の出来上ったのは明治二十六年頃で僕が十一...
高村光太郎

美の日本的源泉—–高村光太郎

民族の持つ美の源泉は実に深く、遠い。その涌《わ》き出ずる水源は踏破しがたく、その地中の噴き出口は人の測定をゆるさない。厳として存在し、こんこんとして溢《あふ》れて止まぬ其の民族を貫く民族特有の美の源泉は、如何なる外的条件のかずかずを並べ立て...
高村光太郎

能の彫刻.——高村光太郎

能はいはゆる綜合芸術の一つであるから、あらゆる芸術の分子がその舞台の上で融合し展開せられる。その融合の微妙さとその展開の為方の緊密にしてしかも回転自在な構成の美しさとに観る者は打たれる。しかし私のやうな彫刻家が能を観るたびにとりわけ感ずるの...
高村光太郎

智恵子抄——高村光太郎

人に いやなんです あなたのいつてしまふのが―― 花よりさきに実のなるやうな 種子《たね》よりさきに芽の出るやうな 夏から春のすぐ来るやうな そんな理窟に合はない不自然を どうかしないでゐて下さい 型のやうな旦那さまと まるい字をかくそのあ...
高村光太郎

智恵子の半生—–高村光太郎

妻智恵子が南品川ゼームス坂病院の十五号室で精神分裂症患者として粟粒性《ぞくりゅうせい》肺結核で死んでから旬日で満二年になる。私はこの世で智恵子にめぐりあったため、彼女の純愛によって清浄にされ、以前の廃頽《はいたい》生活から救い出される事が出...
高村光太郎

智恵子の紙絵—–高村光太郎

精神病者に簡単な手工をすすめるのはいいときいてゐたので、智恵子が病院に入院して、半年もたち、昂奮がやや鎮静した頃、私は智恵子の平常好きだつた千代紙を持つていつた。智恵子は大へんよろこんで其で千羽鶴を折つた。訪問するたびに部屋の天井から下つて...
高村光太郎

啄木と賢治—–高村光太郎

○岩手県というところは一般の人が考えている以上にすばらしい地方だということが、来て住んでみるとだんだんよく分ってきました。此の地方の人の性格は多く誠実で、何だか大きな山のような感じがします。為ることはのろいようですが、しかし確かです。天然の...
高村光太郎

装幀について——高村光太郎

装幀美の極致は比例にあるといふのが私の持論である。尤も此は装幀に限らない。一般人事の究極は、すべて無駄なものを脱ぎすて枝葉のばかばかしさを洗ひ落し、結局比例の一点に進んではじめて此世に公明な存在の確立を得るものと考へてゐる。比例は無限に洗錬...
高村光太郎

蝉の美と造型——高村光太郎

私はよく蝉の木彫をつくる。鳥獣虫魚何でも興味の無いものはないが、造型的意味から見て彫刻に適するものと適さないものとがある。私は虫類に友人が甚だ多く、バッタ、コオロギ、トンボ、カマキリ、セミ、クモの類は親友の方であり、カマキリの三角あたまなど...
高村光太郎

人の首——高村光太郎

私は電車に乗ると異状な興奮を感ずる。人の首がずらりと前に並んで居るからである。人間移動展覧会と戯《たわむれ》に此を称《たた》えてよく此事を友達に話す。近代が人に与えてくれた特別な機会である。此所に並んでいる首は、美術展覧会に於ける絵画彫刻の...
高村光太郎

触覚の世界—— 高村光太郎

私は彫刻家である。  多分そのせいであろうが、私にとって此世界は触覚である。触覚はいちばん幼稚な感覚だと言われているが、しかも其れだからいちばん根源的なものであると言える。彫刻はいちばん根源的な芸術である。  私の薬指の腹は、磨いた鏡面の凹...