magoroku@tnnt

蒲 松齢

珊瑚 蒲松齢—– 田中貢太郎訳

安大成《あんだいせい》は重慶《じゅうけい》の人であった。父は孝廉《こうれん》の科に及第した人であったが早く没くなり、弟の二成《じせい》はまだ幼かった。大成は陳《ちん》姓の家から幼《おさ》な名《な》を珊瑚《さんご》という女を娶《めと》ったが、...
蒲 松齢

庚娘 蒲松齢—– 田中貢太郎訳

金大用《きんたいよう》は中州《ちゅうしゅう》の旧家の子であった。尤《ゆう》太守の女《むすめ》で幼な名を庚娘《こうじょう》というのを夫人に迎えたが、綺麗《きれい》なうえに賢明であったから、夫婦の間もいたってむつましかった。ところで、流賊の乱が...
蒲 松齢

五通 蒲松齢—– 田中貢太郎訳

南方に五通《ごつう》というみだらにして不思議な神のあるのは、なお北方に狐のあるようなものである。そして、北方の狐の祟《たた》りは、なおいろいろのことをして追いだすことができるが、江蘇浙江《こうそせつこう》地方の五通に至っては、民家に美しい婦...
蒲 松齢

王成 蒲松齢—– 田中貢太郎訳

王成《おうせい》は平原《へいげん》の世家《きゅうか》の生れであったが、いたって懶《なま》け者であったから、日に日に零落《れいらく》して家は僅か数間のあばら屋をあますのみとなり、細君と乱麻《らんま》を編んで作った牛衣《ぎゅうい》の中に寝るとい...
蒲 松齢

嬰寧 蒲松齢—– 田中貢太郎訳

王子服《おうしふく》は※[#「くさかんむり/呂」、第3水準1-90-87]《きょ》の羅店《らてん》の人であった。早くから父親を失っていたが、はなはだ聡明で十四で学校に入った。母親がひどく可愛がって、ふだんには郊外へ遊びにゆくようなこともさせ...
蒲 松齢

阿繊 蒲松齢—– 田中貢太郎訳

奚山《けいざん》は高密《こうみつ》の人であった。旅に出てあきないをするのが家業で、時どき蒙陰《もういん》県と沂水《ぎすい》県の間を旅行した。ある日その途中で雨にさまたげられて、定宿《じょうやど》へゆきつかないうちに、夜が更《ふ》けてしまった...
蒲 松齢

阿霞 蒲松齢—– 田中貢太郎訳

文登《ぶんとう》の景星《けいせい》は少年の時から名があって人に重んぜられていた。陳《ちん》生と隣りあわせに住んでいたが、そこと自分の書斎とは僅かに袖垣《そでがき》一つを隔てているにすぎなかった。  ある日の夕暮、陳は荒れはてた寂しい所を通っ...
蒲 松齢

阿英 蒲松齢—– 田中貢太郎訳

甘玉《かんぎょく》は幼な名を璧人《へきじん》といっていた。廬陵《ろりょう》の人であった。両親が早く亡くなったので、五歳になる弟の※[#「王+玉」、第3水準1-87-90]《かく》、幼な名を双璧《そうへき》というのを養うことになったが、生れつ...
葛西善蔵

蠢く者—– 葛西善藏

父は一昨年の夏、六十五で、持病の脚氣で、死んだ。前の年義母に死なれて孤獨の身となり、急に家財を片附けて、年暮れに迫つて前觸れもなく出て來て、牛込の弟夫婦の家に居ることになつたのだ。その時分から父はかなり歩くのが難儀な樣子だつた。杖無しには一...
葛西善蔵

遊動円木—– 葛西善蔵

私は奈良にT新夫婦を訪ねて、一週間ほど彼らと遊び暮した。五月初旬の奈良公園は、すてきなものであった。初めての私には、日本一とも世界一とも感歎したいくらいであった。彼らは公園の中の休み茶屋の離れの亭《ちん》を借りて、ままごとのような理想的な新...
葛西善蔵

父の葬式—– 葛西善蔵

いよいよ明日は父の遺骨を携《たずさ》えて帰郷という段になって、私たちは服装のことでちょっと当惑を感じた。父の遺物となった紋付の夏羽織と、何平《なにひら》というのか知らないが藍縞《あいじま》の袴《はかま》もあることはあるのだが、いずれもひどく...
葛西善蔵

父の出郷—– 葛西善蔵

ほんのちょっとしたことからだったが、Fを郷里の妻の許《もと》に帰してやる気になった。母や妹たちの情愛の中に一週間も遊ばしてやりたいと思ったのだ。Fをつれてきてからちょうど一年ほどになるが、この夏私の義母が死んだ時いっしょに帰って、それもほん...
葛西善蔵

浮浪—– 葛西善蔵

一 「また今度も都合で少し遅くなるかも知れないよ。どこかへ行つて書いて来るつもりだから……」と、朝由井ケ浜の小学校へ出て行く伜のFに声をかけたが、「いゝよ」とFは例の簡単な調子で答へた。  遠い郷里から私につれられて来て建長寺内のS院の陰気...
葛西善蔵

不良兒—– 葛西善藏

一月末から一ヶ月半ほど、私は東京に出てゐた。こんなことは今度が初めてと云ふわけではないので、私はいつものやうにFは學校へは行つてゐることと思つてゐた。ところが半月ほど經つて出したお寺からの手紙には、Fは私が出た後全然學校を休んで、いくらすゝ...
葛西善蔵

遁走—— 葛西善蔵

一  神田のある会社へと、それから日比谷の方の新聞社へ知人を訪ねて、明日の晩の笹川の長編小説出版記念会の会費を借りることを頼んだが、いずれも成功しなかった。私は少し落胆《らくたん》してとにかく笹川のところへ行って様子を聞いてみようと思って、...
葛西善蔵

椎の若葉—— 葛西善藏

六月半ば、梅雨晴《つゆば》れの午前の光りを浴びてゐる椎《しひ》の若葉の趣《おもむき》を、ありがたくしみ/″\と眺《なが》めやつた。鎌倉行き、売る、売り物――三題話し見たやうなこの頃の生活ぶりの間に、ふと、下宿の二階の窓から、他家のお屋敷の庭...
葛西善蔵

死児を産む—– 葛西善蔵

この月の二十日前後と産婆に言われている大きな腹して、背丈がずんぐりなので醤油樽《しょうゆだる》か何かでも詰めこんでいるかのような恰好《かっこう》して、おせいは、下宿の子持の女中につれられて、三丁目附近へ産衣《うぶぎ》の小ぎれを買いに出て行っ...
葛西善蔵

子をつれて—– 葛西善藏

一  掃除をしたり、お菜《さい》を煮たり、糠味噌を出したりして、子供等に晩飯を濟まさせ、彼はやうやく西日の引いた縁側近くへお膳を据ゑて、淋しい氣持で晩酌の盃を甞めてゐた。すると御免とも云はずに表の格子戸をそうつと開けて、例の立退《たちの》き...
葛西善蔵

湖畔手記—– 葛西善藏

たうとうこゝまで逃げて來たと云ふ譯だが――それは實際悲鳴を揚げながら――の氣持だつた。がさて、これから一體どうなるだらう、どうするつもりなんだらうと、旅館の二階の椅子から、陰欝な色の湖面を眺めやつて、毎日幾度となく自問自答の溜息をついた。海...
葛西善蔵

血を吐く—– 葛西善藏

おせいが、山へ來たのは、十月二十一日だつた。中禪寺からの、夕方の馬車で着いたのだつた。その日も自分は朝から酒を飮んで、午前と午後の二囘の中禪寺からの郵便の配達を待つたが、當てにしてゐる電報爲替が來ないので、氣を腐らしては、醉ひつぶれて蒲團に...