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宮原晃一郎

怪艦ウルフ号—– 宮原晃一郎

一  時は欧洲《おうしう》大戦の半ば頃《ごろ》、処《ところ》は浪《なみ》も煮え立つやうな暑い印度洋《いんどやう》。地中海に出動中の日本艦隊へ食糧や弾薬を運ぶ豊国丸《ほうこくまる》は、独逸《どいつ》商業破壊艦「ウルフ号」が、印度洋に向つたとい...
宮原晃一郎

科學的の神祕—– 宮原晃一郎

ストリンドベーリが科學に造詣の深かつたことは、その莫大な著作中に、幾多の科學的研究があることで知れる。ところが、彼は晩年になつてスウェデンボーリの影響を受けて、神祕主義者になつてしまつた。  その種類の勞作のうち、最大なるものは、青書 Bl...
宮原晃一郎

悪魔の尾—– 宮原晃一郎

それはずつと大昔のことでした。その頃《ころ》は地球が出来てからまだ新しいので、人間はもちろんのこと、鳥や獣すら住まつてゐませんでした。住まつてゐるものはたゞ悪魔ばかりであつたのです。  悪魔たちはみんな恐ろしく長い尾をもつてをりましたので、...
宮原晃一郎

愛人と厭人—– 宮原晃一郎

有島武郎君の「惜みなく愛は奪ふ」は出版されるや否や非常な売れ行きであるさうな。しかし売れ行きといふことが直にその本の真価を示すものではないと同時に、売れ行く本は直に俗受けのものと独断して、文壇の正系(?)が之を無視するのはよくないことだ。過...
宮原晃一郎

ラマ塔の秘密—– 宮原晃一郎

一 白馬《はくば》の姫君 「ニナール、ちよつとお待ち」と、お父様のキャラ侯がよびとめました。ニナール姫は金銀の糸で、ぬひとりした、まつ赤な支那服《しなふく》をきて、ブレツといふ名のついたまつ白な馬にのつて、今出かけようとするところでした。 ...
宮原晃一郎

イプセンの日本語譯—– 宮原晃一郎

感想といふところであるから、正確な材料によるものではないし、その上、そんな材料を集めたりすることに餘り興味を持たない私であるから、此處では、只永い年月、イプセンの日本語譯に接した折々に、感じたことを、思ひ出すまゝに書付けて見よう。  イプセ...
蒲原有明

緑蔭叢書創刊期—– 蒲原有明

藤村君のこれまでの文壇的生涯を時代わけにして、みんなが分擔して書きたいことを書きとめておくのもよい企である。わたくしには「若菜集」の出るやうになつた頃のことを書かぬかどうかといふ相談があつた。しかし藤村君とのつきあひは「夏草」出版直後からで...
蒲原有明

龍土會の記—– 蒲原有明

龍土會といつても誰も知る人のないぐらゐに、いつしか影も形もひそめてしまつてゐる。そのやうに會はたとへ消滅したものであるにしても、會員であつた人々は殘つてゐなくてはならないが、さて自分が會員であつたと名のりを揚げる特志者はまづ無いといつてよい...
蒲原有明

夢は呼び交す ――黙子覚書―― —–蒲原有明

書冊の灰  二月も末のことである。春が近づいたとはいいながらまだ寒いには寒い。老年になった鶴見には寒さは何よりも体にこたえる。湘南の地と呼ばれているものの、静岡で戦災に遭《あ》って、辛《つら》い思いをして、去年の秋やっとこの鎌倉へ移って来た...
蒲原有明

都喜姫—– 蒲原有明

つき姫とは仮に用ひし名なり、もとの事蹟悽愴むしろきくに忍びず、口碑によれば「やよがき姫」な り、領主が寵をうけしものから、他の嫉みを招くにいたり、事を構へて讒する者あり、姦婬の罪に行はる。身には片布をだに着くるを允《ゆる》さず馬上にして城下...
蒲原有明

長谷川二葉亭—– 蒲原有明

長谷川二葉亭氏にはつい此あひだ上野精養軒で開かれた送別會の席上で、はじめてその風※[#「蚌のつくり」、第3水準1-14-6]に接したぐらゐであるから、わたくしには氏に對して別に纏つた感想などのありやうもない。だが、質素な身なりと、碎けた物言...
蒲原有明

仙人掌と花火の鑑賞—蒲原有明

わたくしはいつもの瞑想をはじめる。――否、瞑想ではない、幻像の奇怪なる饗宴だ。雜然たる印象の凝集と發散との間に感ずる夢の一類だ。さうしてゐるうちに突然とわたくしの腦裡に、仙人掌と花火といふ記號的な概念が浮んでくる。その概念が内容を摸索する。...
蒲原有明

新しき聲—– 蒲原有明

(一)  同時代に生れ出た詩集の、一は盛《さか》へ他は忘れ去られた。「若菜集」と「抒情詩」。「若菜集」は忽ちにして版を重ねたが、「抒情詩」は花の如く開いて音もなく落ちて了つた。  島崎氏の「若菜集」がいかに若々しい姿のうちに烈しい情※[#「...
蒲原有明

松浦あがた—– 蒲原有明

一 「黄櫨成[#レ]列隴※[#「縢の糸に代えて土」、107-上-4][#「※[#「縢の糸に代えて土」]」は底本では※[#「月+祭」]]間 南望平々是海湾 未[#レ]至[#二]栄《サガ》城[#一]三五駅 忽|従《ヨ》[#(リ)][#二]林際[...
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小山内謝豹—– 蒲原有明

小山内君は一時謝豹といふ雅號を用ゐてゐました。それをおぼえてゐる人は恐らく稀でせう。もう十五六年も前のことになります。そのころ生田葵君のやつてゐた「活文壇」といふ雜誌に、知與子とか謝豹とか署名して、ちよくちよくシエレエの詩の飜譯が出たもので...
蒲原有明

詩の將來について—–蒲原有明

こゝに掲げた標題が私に課せられた難問である。私は答案に窮するより外はない。  近頃は社會萬般に亙つて何事も見透しがつきかねるといふ噂さである。詩も多分さうであらうことは、この出題によつても推測されるとほりに、私にも少しばかり思當りがないでも...
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劇壇の新機運—– 蒲原有明

わたくしは劇壇の新しい運動が自由劇場の試演とまで漕ぎつけたことに就ては、勿論贊意を表し且つその成功を祈つてゐた。それと同時にかういふ運動は我邦に於て全く破天荒のことではあるし、第一囘の試演が蓋を開けるまではこの運動の効果に對し多少の疑懼を擁...
蒲原有明

狂言綺語—– 蒲原有明

諸君子のひそみに倣つて爆彈のやうな詩を書いて見ようと思はぬでもない。も少し穩かなところで、民衆詩あたりでも惡くはなからうと思はぬでもない。さうは思ふが、さてどうにもならない。  格にはまつた詩も、格にはづれた詩も、いづれにしても、わたくしに...
蒲原有明

虚妄と眞實—– 蒲原有明

「食後」の作者に  ――君。僕は僕の近來の生活と思想の斷片を君に書いておくらうと思ふ。然し實を云へば何も書く材料はないのである。默してゐて濟むことである。君と僕との交誼が深ければ深いほど、默してゐた方が順當なのであらう。舊い家を去つて新しい...
蒲原有明

泣菫氏が近業一篇を読みて —–蒲原有明

穉態を免れず、進める蹤を認めずと言はるる新詩壇も、ここに歳華改りて、おしなべてが浴する新光を共にせむとするか、くさぐさの篇什一々に数へあげむは煩はしけれど、めづらしき歌ごゑ殊に妙《たへ》なるは、秀才泣菫氏が近作、「公孫樹下にたちて」と題せる...