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岡本かの子

恋愛といふもの—– 岡本かの子

恋愛は詩、ロマンチツクな詩、しかも決して非現実的な詩ではないのであります。恋愛にも種々あります、幼時の初恋、青年期中年期の恋、その何れもが大部分自分の意識する処は、詩的感激、ロマンチツクな精神慾ではありますが、意識無意識にかゝはらず、その底...
岡本かの子

明暗—– 岡本かの子

智子が、盲目の青年北田三木雄に嫁いだことは、親戚や友人たちを驚かした。 「ああいう能力に自信のある女はえて[#「えて」に傍点]物好きなことをするものだ」 「男女の親和力というものは別ですわ。夫婦になるのは美学のためじゃあるまいし」  批評ま...
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娘—– 岡本かの子

パンを焼く匂いで室子《むろこ》は眼が醒めた。室子はそれほど一晩のうちに空腹になっていた。  腹部の頼りなさが擽《くすぐ》られるようである。くく、くく、という笑いが、鳩尾《みずおち》から頸を上って鼻へ来る。それが逆に空腹に響くとまたおかしい。...
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宝永噴火—– 岡本かの子

今の世の中に、こういうことに異様な心響を覚え、飽かずその意識の何物たるかに探り入り、呆然自失のような生涯を送りつつあるのは、私一人であろうか。たぶん私一人であろう。確《しか》とそうならば、これは是非書き遺《のこ》して置き度い。書くことによっ...
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母子叙情—– 岡本かの子

かの女は、一足さきに玄関まえの庭に出て、主人逸作の出て来るのを待ち受けていた。  夕食ごろから静まりかけていた春のならいの激しい風は、もうぴったり納まって、ところどころ屑《くず》や葉を吹き溜《た》めた箇所だけに、狼藉《ろうぜき》の痕《あと》...
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母と娘 —–岡本かの子

ロンドンの北郊ハムステット丘の公園の中に小綺麗な別荘風の家が立ち並んで居る。それ等の家の内で No.1 の奥さんはスルイヤと言って赤毛で赭《あか》ら顔で、小肥りの勝気な女。彼女に二年前に女学校を卒業したアグネスと言う十九歳の一人娘がある。ア...
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風と裾 ―何人か良案はないか?——-岡本かの子

春の雷が鳴つてから俄に暖気を増し、さくら一盛り迎へ送りして、今や風光る清明の季に入らうとしてゐる。  ところで、この季節の風であるが、春先からかけて関東は随分吹く。その激しいときは吹きあげる砂ほこりで空は麦粉色になり、太陽は卵の黄身をその中...
岡本かの子

富士 —–岡本かの子

人間も四つ五つのこどもの時分には草木のたたずまいを眺めて、あれがおのれに盾突くものと思い、小さい拳《こぶし》を振り上げて争う様子をみせることがある。ときとしては眺めているうちこどもはむこうの草木に気持を移らせ、風に揺ぐ枝葉と一つに、われを忘...
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病房にたわむ花—– 岡本かの子

春は私がともすれば神経衰弱になる季節であります。何となくいらいらと落付《おちつ》かなかったり、黒くだまり込んで、半日も一日も考えこんだりします。桜が、その上へ、薄明の花の帳《とばり》をめぐらします。優雅な和《なご》やかな、しかし、やはりうち...
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扉の彼方へ——- 岡本かの子

結婚式の夜、茶の間で良人《おっと》は私が堅くなってやっと焙《い》れてあげた番茶をおいしそうに一口飲んでから、茶碗を膝に置いて云いました。 「これから、あなたとは永らく一つ家の棟《むね》の下に住んで貰わなければならん。遠慮はなるべく早く切り上...
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晩春—– 岡本かの子

鈴子は、ひとり、帳場に坐って、ぼんやり表通りを眺めていた。晩春の午後の温かさが、まるで湯の中にでも浸っているように体の存在意識を忘却させて魂だけが宙に浮いているように頼り無く感じさせた。その頼り無さの感じが段々強くなると鈴子の胸を気持ち悪く...
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伯林の落葉—– 岡本かの子

彼が公園内に一歩をいれた時、彼はまだ正気だった。  伯林にちらほら街路樹の菩提樹の葉が散り初めたのは十日程前だった。三四日前からはそれが実におびただしい速度と量を増して来た。公園は尚更、黄褐色の大渦巻きだった。彼は、始め街をしばらく歩いて居...
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伯林の降誕祭—– 岡本かの子

独逸でのクリスマスを思い出します。  雪が絶間もなく、チラチラチラチラと降って居るのが、ベルリンで見て居た冬景色です。街路樹の菩提樹の葉が、黄色の吹雪を絶えずサラサラサラ撒きちらして居た。それが終ると立樹の真黒な枝を突張った林立となる。雪が...
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売春婦リゼット—– 岡本かの子

売春婦のリゼットは新手《あらて》を考えた。彼女はベッドから起き上《あが》りざま大声でわめいた。 「誰かあたしのパパとママンになる人は無《な》いかい。」  夕暮は迫っていた。腹は減っていた。窓向《まどむこ》うの壁がかぶりつきたいほどうまそうな...
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巴里の秋—– 岡本かの子

セーヌの河波《かわなみ》の上かわが、白《しら》ちゃけて来る。風が、うすら冷たくそのうえを上走り始める。中の島の岸杭がちょっと虫《むし》ばんだように腐《くさ》ったところへ渡り鳥のふん[#「ふん」に傍点]らしい斑《まだら》がぽっつり光る。柳《や...
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巴里の唄うたい—– 岡本かの子

彼等の決議  市会議員のムッシュウ・ドュフランははやり唄は嫌いだ。聴いていると馬鹿らしくなる。あんな無意味なものを唄い歩いてよくも生活が出来るものだ。本当に生活が出来るのかしら――こう疑い始めたのが縁で却ってだんだん唄うたいの仲間と馴染が出...
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巴里のむす子へ—– 岡本かの子

巴里の北の停車場でおまえと訣《わか》れてから、もう六年目になる。人は久しい歳月という。だが、私には永いのだか短いのだか判《わか》らない。あまりに日夜《にちや》思い続ける私とおまえとの間には最早《もは》や直通の心の橋が出来《でき》ていて、歳月...
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巴里のキャフェ ―朝と昼― —–岡本かの子

旅人のカクテール  旅人《エトランゼ》は先ず大通《グランブールヴァル》のオペラの角のキャフェ・ド・ラ・ペーイで巴里《パリ》の椅子の腰の落付き加減を試みる。歩道へ半分ほどもテーブルを並べ出して、角隅を硝子屏風で囲ってあるテラスのまん中に置いた...
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桃のある風景—– 岡本かの子

食欲でもないし、情欲でもない。肉体的とも精神的とも分野をつき止めにくいあこがれ[#「あこがれ」に傍点]が、低気圧の渦《うず》のように、自分の喉頭《のど》のうしろの辺《あたり》に鬱《うっ》して来て、しっきりなしに自分に渇《かわ》きを覚《おぼ》...
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東海道五十三次—– 岡本かの子

風俗史専攻の主人が、殊《こと》に昔の旅行の風俗や習慣に興味を向けて、東海道に探査の足を踏み出したのはまだ大正も初めの一高の生徒時代だったという。私はその時分のことは知らないが大学時代の主人が屡々《しばしば》そこへ行くことは確《たしか》に見て...