「投稿者: magoroku@tnnt」の記事一覧

学生時代—— 幸田露伴
 わたくしの学生時代の談話をしろと仰《おっし》ゃっても別にこれと云って申上げるようなことは何もござ…
華嚴瀧—— 幸田露伴
   一  昭和二年七月の九日、午後一時過ぐるころ安成子《やすなりし》の來車を受け、かねての約に從つ…
花のいろ/\ ——幸田露伴
     梅  梅は野にありても山にありても、小川のほとりにありても荒磯の隈にありても、たゞおのれの…
雲のいろ/\ —–幸田露伴
夜の雲  夏より秋にかけての夜、美しさいふばかり無き雲を見ることあり。都会の人多くは心づかぬなるべし…
運命は切り開くもの 幸田露伴
 此処に赤[#(ン)]坊が生れたと仮定します。其の赤[#(ン)]坊が華族の家の何不足無いところに生…
運命—— 幸田露伴
 世おのずから数《すう》というもの有りや。有りといえば有るが如《ごと》く、無しと為《な》せば無きに…
印度の古話—— 幸田露伴
 いづれの邦《くに》にも古話《むかしばなし》といふものありて、なかなかに近き頃《ころ》の小説家など…
囲碁雑考—– 幸田露伴
 棊は支那に起る。博物志に、尭囲棊を造り、丹朱これを善くすといひ、晋中興書に、陶侃荊州の任に在る時…
ねじくり博士—– 幸田露伴
 当世の大博士にねじくり先生というがあり。中々の豪傑、古今東西の書を読みつくして大悟《たいご》した…
富士屋ホテル——古川緑波
箱根宮の下の富士屋ホテルは、われら食子にとって、忘れられない美味の国だった。  戦前戦中、僕は、富士…
氷屋ぞめき—–古川緑波
近頃では、アイスクリームなんてものは、年がら年中、どこででも売っている。そば屋にさえも、アイスクリ…
八の字づくし——古川緑波
名古屋ってとこ、戦前から戦争中にかけて、僕は好きじゃなかった。名古屋へ芝居で来る度に、ああまた名古…
駄パンその他——古川緑波
武者小路先生の近著『花は満開』の中に、「孫達」という短篇がある。先生のお孫さんのことを書かれた、美…
想い出——古川緑波
 よき日、よき頃のはなしである。  フランスの汽船会社M・Mの船が、神戸の港へ入ると、その船へ昼食を…
浅草を食べる—–古川緑波
十二階があったころの浅草、といえば、震災前のこと。中学生だった僕は、活動写真を見るために毎週必ず、…
清涼飲料——古川緑波
 九月の日劇の喜劇人まつり「アチャラカ誕生」の中に、大正時代の喜歌劇(当時既にオペレットと称してい…
神戸——古川緑波
   久しぶりで、神戸の町を歩いた。  此の六月半から七月にかけて、宝塚映画に出演したので、二十日以…
食べたり君よ—–古川緑波
菊池先生の憶い出  亡くなられた菊池寛先生に、初めてお目にかかったのは、僕が大学一年生の時だから、も…
色町洋食—–古川緑波
大久保恒次さんの『うまいもん巡礼』の中に、「古川緑波さんの『色町洋食』という概念は、実に的確そのも…
古川ロッパ昭和日記 昭和九年 ——古川緑波
                 前年記  昭和八年度は、活躍開始の記憶すべき年だった。一月七日から…