「投稿者: magoroku@tnnt」の記事一覧

知々夫紀行—— 幸田露伴
 八月六日、知々夫の郡へと心ざして立出ず。年月隅田の川のほとりに住めるものから、いつぞはこの川の出…
淡島寒月氏—— 幸田露伴
 寒月氏は今年七十歳を以て二月廿三日に永逝した。本間久雄氏から、予の知るところの寒月氏を傳へて呉れ…
淡島寒月のこと—— 幸田露伴
 吾が友といつては少し不遜に當るかも知れないが、先づ友達といふことにして、淡島寒月といふ人は實に稀…
太郎坊——- 幸田露伴
 見るさえまばゆかった雲の峰《みね》は風に吹《ふ》き崩《くず》されて夕方の空が青みわたると、真夏と…
鼠頭魚釣り—– 幸田露伴
 鼠頭魚は即ちきすなり。其頭の形いとよく鼠のあたまに肖たるを以て、支那にて鼠頭魚とは称ふるならん。…
雪たたき—— 幸田露伴
 上  鳥が其巣を焚《や》かれ、獣が其|窟《あな》をくつがえされた時は何様《どう》なる。  悲しい声…
水の東京—— 幸田露伴
 上野の春の花の賑ひ、王子の秋の紅葉の盛り、陸の東京のおもしろさは説く人多き習ひなれば、今さらおの…
水—— 幸田露伴
 一切の味《あぢはひ》は水を藉《か》らざれば其の味を発する能はず。人若し口の渇くこと甚しくして舌の…
震は亨る—— 幸田露伴
 震《しん》は亨《とほ》る。何をか悪《にく》まむやである。彖伝《たんでん》には、震来つて※[#「隙の…
少年時代—–幸田露伴
 私は慶応三年七月、父は二十七歳、母は二十五歳の時に神田の新屋敷というところに生まれたそうです。其…
些細なやうで重大な事—— 幸田露伴
 人間には色々の仕草があるがつゞめて言へば、事に処すると、物に接するとの二ツになる、事に処すると云…
骨董—— 幸田露伴
 骨董といふのは元来支那の田舎言葉で、字はたゞ其音を表はしてゐるのみであるから、骨の字にも董の字に…
五重塔—— 幸田露伴
     其一  木理《もくめ》美《うるは》しき槻胴《けやきどう》、縁にはわざと赤樫を用ひたる岩畳《…
言語体の文章と浮雲—- 幸田露伴
 二葉亭主人の逝去は、文壇に取っての恨事で、如何にも残念に存じます。私は長谷川君とは対面するような…
幻談—— 幸田露伴
 こう暑くなっては皆さん方《がた》があるいは高い山に行かれたり、あるいは涼《すず》しい海辺《うみべ…
侠客の種類——- 幸田露伴
 侠客と一口に言つても徳川時代の初期に起つた侠客と其の以後に出た侠客とは、名は同じ侠客でも余程様子…
菊 食物としての—— 幸田露
 菊の季節になつた。其のすが/\しい花の香や、しをらしい花の姿、枝ぶり、葉の色、いづれか人の心持ち…
雁坂越 ——幸田露伴
   その一  ここは甲州《こうしゅう》の笛吹川《ふえふきがわ》の上流、東山梨《ひがしやまなし》の釜…
観画談—— 幸田露伴
 ずっと前の事であるが、或《ある》人から気味合《きみあい》の妙《みょう》な談《はなし》を聞いたこと…
蒲生氏郷—— 幸田露伴
 大きい者や強い者ばかりが必ずしも人の注意に値する訳では無い。小さい弱い平々凡々の者も中々の仕事を…