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江見水蔭

丹那山の怪—— 江見水蔭

一  東海道《とうかいどう》は三島《みしま》の宿《しゅく》。本陣|世古六太夫《せころくだゆう》の離れ座敷に、今宵の宿を定めたのは、定火消《じょうびけし》御役《おやく》酒井内蔵助《さかいくらのすけ》(五千石)の家臣、織部純之進《おりべじゅんの...
江見水蔭

死剣と生縄——- 江見水蔭

一  武士の魂。大小の二刀だけは腰に差して、手には何一つ持つ間もなく、草履突掛けるもそこそこに、磯貝竜次郎《いそがいりゅうじろう》は裏庭へと立出《たちいで》た。 「如何《いか》ような事が有ろうとも、今日こそは思い切って出立致そう」  武者修...
江見水蔭

月世界跋渉記—— 江見水蔭

引力に因り月世界に墜落。探検者の気絶 「どうしよう。」 と思うまもなく、六人の月世界探検者を乗せた空中飛行船|翔鷲号《しょうしゅうごう》は非常な速力で突進して月に落ち、大地震でも揺ったような激しい衝動をうけたと思うと、一行は悉《ことごと》く...
江見水蔭

怪異黒姫おろし—— 江見水蔭

一  熊! 熊! 荒熊。それが人に化けたような乱髪、髯面《ひげづら》、毛むくじゃらの手、扮装《いでたち》は黒紋付の垢染《あかじ》みたのに裁付袴《たっつけばかま》。背中から腋の下へ斜《はす》に、渋段々染の風呂敷包を結び負いにして、朱鞘の大小ぶ...
江見水蔭

怪異暗闇祭—— 江見水蔭

一  天保《てんぽう》の頃、江戸に神影流《しんかげりゅう》の達人として勇名を轟かしていた長沼正兵衛《ながぬましょうべえ》、その門人に小机源八郎《こづくえげんぱちろう》というのがあった。怪剣士として人から恐れられていた。 「小机源八郎のは剣法...
江見水蔭

悪因縁の怨—— 江見水蔭

一  天保銭《てんぽうせん》の出来た時代と今と比べると、なんでも大変に相違しているが、地理でも非常に変化している。現代で羽田《はねだ》というと直ぐと稲荷《いなり》を説き、蒲田《かまた》から電車で六七分の間に行かれるけれど、天保時代にはとても...
幸田露伴

鵞鳥——- 幸田露伴

ガラーリ  格子《こうし》の開《あ》く音がした。茶の間に居た細君《さいくん》は、誰《だれ》かしらんと思ったらしく、つと立上って物の隙《すき》からちょっと窺《うかが》ったが、それがいつも今頃《いまごろ》帰るはずの夫だったと解《わか》ると、すぐ...
幸田露伴

旅行の今昔—— 幸田露伴

旅行に就いて何か経験上の談話をしろと仰《おっし》ゃるのですか。  どう致しまして。碌に旅行という程の旅行を仕た事も無いのですもの、御談し仕度くっても是といって御談し申上げるような事も有りません。いくら経験だと申して、何処其処の山で道に迷った...
幸田露伴

野道—— 幸田露伴

流鶯《りゅうおう》啼破《ていは》す一簾《いちれん》の春。書斎に籠《こも》っていても春は分明《ぶんみょう》に人の心の扉《とびら》を排《ひら》いて入込《はいりこ》むほどになった。  郵便脚夫《ゆうびんきゃくふ》にも燕《つばめ》や蝶《ちょう》に春...
幸田露伴

夜の隅田川—— 幸田露伴

夜の隅田川の事を話せと云ったって、別に珍らしいことはない、唯闇黒というばかりだ。しかし千住から吾妻橋、厩橋、両国から大橋、永代と下って行くと仮定すると、随分夜中に川へ出て漁猟《りょう》をして居る人が沢山ある。尤も冬などは沢山は出て居ない、然...
幸田露伴

名工出世譚—— 幸田露伴

一  時は明治四年、処は日本の中央、出船入船賑やかな大阪は高津のほとりに、釜貞と云へば土地で唯一軒の鉄瓶の仕上師として知られた家であつた。主人は京都の浄雪の門から出た昔気質の職人肌、頑固の看板と人から笑はれてゐた丁髷《ちよんまげ》を切りもや...
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魔法修行者—— 幸田露伴

魔法。  魔法とは、まあ何という笑《わら》わしい言葉であろう。  しかし如何《いか》なる国の何時《いつ》の代にも、魔法というようなことは人の心の中に存在した。そしてあるいは今でも存在しているかも知れない。  埃及《エジプト》、印度《いんど》...
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墨子—— 幸田露伴

墨子は周秦の間に於て孔子老子の學派に對峙した鬱然たる一大學派の創始者である。  墨子の學の大に一時に勢力のあつたことは孔子系の孟子荀子等が之を駁撃してゐるのでも明白で、輕視して置けぬほどに當世に威※[#「陷のつくり+炎」、第3水準1-87-...
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平将門—— 幸田露伴

千鍾《せんしよう》の酒も少く、一句の言も多いといふことがある。受授が情を異にし※[#「口+卒」、第3水準1-15-7]啄《そつたく》が機に違《たが》へば、何も彼《か》もおもしろく無くつて、其れも是もまづいことになる。だから大抵の事は黙つてゐ...
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風流仏—– 幸田露伴

発端《ほったん》 如是我聞《にょぜがもん》       上 一向《いっこう》専念の修業|幾年《いくねん》  三尊《さんぞん》四天王十二童子十六|羅漢《らかん》さては五百羅漢、までを胸中に蔵《おさ》めて鉈《なた》小刀《こがたな》に彫り浮かべる...
幸田露伴

貧乏—— 幸田露伴

その一 「アア詰《つま》らねえ、こう何もかもぐりはまになった日にゃあ、おれほどのものでもどうもならねえッ。いめえましい、酒でも喫《くら》ってやれか。オイ、おとま、一|升《しょう》ばかり取って来な。コウト、もう煮奴《にやっこ》も悪くねえ時候だ...
幸田露伴

馬琴の小説とその当時の実社会 ——幸田露伴

皆さん。浅学不才な私如き者が、皆さんから一場の講演をせよとの御求めを受けましたのは、実に私の光栄とするところでござります。しかし私は至って無器用な者でありまして、有益でもあり、かつ興味もあるというような、気のきいた事を提出致しまして、そして...
幸田露伴

二日物語—– 幸田露伴

此一日       其一  観見世間是滅法《くわんけんせけんぜめつぽふ》、欲求無尽涅槃処《よくぐむじんねはんしよ》、怨親已作平等心《をんしんいさびやうどうしん》、世間不行慾等事《せけんふぎやうよくとうじ》、随依山林及樹下《ずゐえさんりんきふ...
幸田露伴

突貫紀行——- 幸田露伴

身には疾《やまい》あり、胸には愁《うれい》あり、悪因縁《あくいんねん》は逐《お》えども去らず、未来に楽しき到着点《とうちゃくてん》の認めらるるなく、目前に痛き刺激物《しげきぶつ》あり、慾《よく》あれども銭なく、望みあれども縁《えん》遠し、よ...
幸田露伴

努力論—— 幸田露伴

自序  努力は一である。併し之を察すれば、おのづからにして二種あるを觀る。一は直接の努力で、他の一は間接の努力である。間接の努力は準備の努力で、基礎となり源泉となるものである。直接の努力は當面の努力で、盡心竭力の時のそれである。人はやゝもす...