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甲賀三郎

青服の男—— 甲賀三郎

奇怪な死人  別荘――といっても、二昔《ふたむかし》も以前《まえ》に建てられて、近頃では余り人が住んだらしくない、古めかしい家の中から、一人の百姓女が毬《まり》のように飛出して来た。 「た、大へんだア、旦那さまがオッ死《ち》んでるだア」  ...
甲賀三郎

真珠塔の秘密—— 甲賀三郎

一  長い陰気な梅雨が漸《ようや》く明けた頃、そこにはもう酷《きび》しい暑さが待ち設けて居て、流石《さすが》都大路も暫《しばら》くは人通りの杜絶える真昼の静けさから、豆腐屋のラッパを合図に次第《しだい》に都の騒がしさに帰る夕暮時、夕立の様な...
甲賀三郎

支倉事件 甲賀三郎

呪の手紙  硝子《ガラス》戸越しにホカ/\する日光を受けた縁側へ、夥《おびたゞ》しい書類をぶち撒《ま》けたように敷散らして其中で、庄司利喜太郎氏は舌打をしながらセカ/\と何か探していた。彼は物事に拘泥しない性質《たち》で、十数年の警察生活の...
甲賀三郎

血液型殺人事件—— 甲賀三郎

忍苦一年  毛沼《けぬま》博士の変死事件は、今でも時々夢に見て、魘《うな》されるほど薄気味の悪い出来事だった。それから僅《わずか》に一月|経《た》たないうちに、父とも仰《あお》ぐ恩師|笠神《かさがみ》博士夫妻が、思いがけない自殺を遂《と》げ...
甲賀三郎

計略二重戦 少年密偵—– 甲賀三郎

隠れた助力者  道雄少年のお父さんは仁科猛雄《にしなたけお》と云って、陸軍少佐です。しかし、仁科少佐は滅多《めった》に軍服を着ません。なぜなら少佐は特別の任務についているからです。特別の任務と云うのは、外国から入り込んで、隙《すき》があった...
甲賀三郎

黄鳥の嘆き ――二川家殺人事件 —–甲賀三郎

一  秘密の上にも秘密にやった事だったが、新聞記者にかゝっちゃ敵《かな》わない、すぐ嗅ぎつけられて終《しま》った。  子爵《ししゃく》二川重明《ふたがわしげあき》が、乗鞍岳《のりくらたけ》の飛騨側の頂上近い数百町歩の土地を買占めただけなら兎...
甲賀三郎

愛の為めに—— 甲賀三郎

夫の手記  私はさっきから自動車を待つ人混みの中で、一人の婦人に眼を惹かれていた。  年の頃は私と同じ位、そう二十五六にもなるだろうか。年よりは地味造りで縺毛《ほつれげ》一筋ない、つやつやした髷に結って、薄紫の地に銀糸の縫をした半襟、葡萄の...
甲賀三郎

ニッケルの文鎮—– 甲賀三郎

ええ、お話しするわ、あたしどうせお喋りだわ。だけど、あんたほんとに誰にも話さないで頂戴《ちょうだい》。だってあたし、あの人に悪いんですもの。  もう一年になるわね。去年のちょうど今頃、そうセルがそろそろ膚《はだ》寒くなってコレラ騒ぎが大分下...
甲賀三郎

ドイルを宗とす—– 甲賀三郎

私が探偵小説を書いて見ようという気を起したのは疑いもなくコナン・ドイルのシャーロック・ホームズ物語の示唆である。中学生だった私には、ホームズの推理は驚異であった。最初に読んだのは佐川春水氏が「銀行盗賊」と改題して訳述した「赤髪組合」か、それ...
甲賀三郎

キビキビした青年紳士–甲賀三郎

帝大土木科出身の少壮技術者の創設にかかるものでN・K・倶楽部というのがある。この倶楽部に多分大正十年頃だったと思うが、科学技術者が大挙して入会することとなり、私は準備委員といったわけで、丸の内の同倶楽部へ時々顔を出したことがある。その時分に...
甲賀三郎

「黒死館殺人事件」序—– 甲賀三郎

探偵小説界の怪物《モンスター》江戸川乱歩が出現して満十年、同じく怪物《モンスター》小栗虫太郎が出現した。この満十年という年月はどうも偶然でないような気がする。小栗君が現われた時に、私は江戸川君を誘って、満十年にして新人出で、探偵小説壇によき...
甲賀三郎

琥珀のパイプ—— 甲賀三郎

私は今でもあの夜の光景《ありさま》を思い出すとゾットする。それは東京に大地震があって間もない頃であった。  その日の午後十時過ぎになると、果して空模様が怪しくなって来て、颱風《たいふう》の音と共にポツリポツリと大粒の雨が落ちて来た。其の朝私...
高村光雲

幕末維新懐古談 私の父の訓誡 ——-高村光雲

さて、いよいよ話が決まりましたその夜、父は私に向い、今日までは親の側《そば》にいて我儘《わがまま》は出来ても、明日からは他人の中に出ては、そんな事は出来ぬ。それから、お師匠様初め目上の人に対し、少しでも無礼のないよう心掛け、何事があっても皆...
高村光雲

幕末維新懐古談 安床の「安さん」の事—— 高村光雲

町内に安床《やすどこ》という床屋がありました。  それが私どもの行きつけの家《うち》であるから、私はお湯に這入《はい》って髪を結ってもらおうと、其所《そこ》へ行った。 「おう、光坊《みつぼう》か、お前、つい、この間頭を結《い》ったんじゃない...
高村光雲

幕末維新懐古談 私の子供の時のはなし—– 高村光雲

これから私のことになる――  私は、現今《いま》の下谷《したや》の北清島町《きたきよしまちょう》に生まれました。嘉永《かえい》五年二月十八日が誕生日です。  その頃《ころ》は、随分|辺鄙《へんぴ》なむさくるしい土地であった。江戸下谷|源空寺...
高村光雲

まず、いろいろの話をする前に、前提として私の父祖のこと、つまり、私の家のことを概略《あらまし》話します。  私の父は中島兼松《なかじまかねまつ》といいました。その三代前は因州侯の藩中で中島|重左《じゅうざ》エ門《もん》と名乗った男。悴《せが...
高村光雲

佐竹の原へ大仏をこしらえた はなし—– 高村光雲

私の友達に高橋定次郎氏という人がありました。この人は前にも話しました通り、高橋鳳雲の息子さんで、その頃は鉄筆で筒を刻《ほ》って職業としていました。上野広小路の山崎(油屋)の横を湯島の男坂の方へ曲がって中ほど(今は黒門町か)に住んでいました。...
高村光雲

佐竹の原へ大仏をこしらえた はなし—— 高村光雲

江見水蔭

壁の眼の怪—— 江見水蔭

一  寛政《かんせい》五年六月中旬の事であった。羽州《うしゅう》米沢《よねざわ》の典薬|勝成裕《かつせいゆう》が、御隠居|上杉鷹山《うえすぎようざん》侯(治憲《はるのり》)の内意を受けて、一行十五人、深山幽谷に薬草を採りに分け入るという、そ...
江見水蔭

備前天一坊—— 江見水蔭

一  徳川《とくがわ》八代の将軍|吉宗《よしむね》の時代(享保《きょうほう》十四年)その落胤《らくいん》と名乗って源氏坊《げんじぼう》天一が出た。世上過ってこれを大岡捌《おおおかさば》きの中に編入しているのは、素《もと》より取るに足らぬけれ...