「投稿者: magoroku@tnnt」の記事一覧

小刀の味—— 高村光太郎
 飛行家が飛行機を愛し、機械工が機械を愛撫するように、技術家は何によらず自分の使用する道具を酷愛す…
書について—— 高村光太郎
 この頃は書道がひどく流行して来て、世の中に悪筆が横行している。なまじっか習った能筆風な無性格の書…
自分と詩との関係— 高村光太郎
 私は何を措《お》いても彫刻家である。彫刻は私の血の中にある。私の彫刻がたとい善くても悪くても、私…
自作肖像漫談—– 高村光太郎
 今度は漫談になるであろう。この前肖像彫刻の事を書いたが、私自身肖像彫刻を作るのが好きなので、肖像…
詩について語らず ――編集子への手紙―― 高村光太郎
 詩の講座のために詩について書いてくれというかねての依頼でしたが、今詩について一行も書けないような…
山の雪—— 高村光太郎
 わたしは雪が大好きで、雪がふってくるとおもてにとび出し、あたまから雪を白くかぶるのがおもしろくて…
山の春—— 高村光太郎
 ほんとうは、三月にはまだ山の春は来ない。三月春分の日というのに、山の小屋のまわりには雪がいっぱい…
山の秋—— 高村光太郎
 山の秋は旧盆のころからはじまる。  カッコーやホトトギスは七月中旬になるともう鳴かなくなり、何とな…
九代目団十郎の首—— 高村光太郎
 九代目市川団十郎は明治三十六年九月、六十六歳で死んだ。丁度幕末からかけて明治興隆期の文明開化時代…
気仙沼—— 高村光太郎
女川から気仙沼へ行く気で午後三時の船に乗る。軍港の候補地だといふ女川湾の平和な、澄んだ海を飛びかふ…
顔—— 高村光太郎
顔は誰でもごまかせない。顔ほど正直な看板はない。顔をまる出しにして往来を歩いている事であるから、人…
開墾—— 高村光太郎
 私自身のやつてゐるのは開墾などと口幅つたいことは言はれないほどあはれなものである。小屋のまはりに…
回想録—— 高村光太郎
   一  私の父は八十三で亡くなった。昭和九年だったから、私の何歳の時になるか、私は歳というものを…
黄山谷について—- 高村光太郎
平凡社の今度の「書道全集」は製版がたいへんいいので見ていてたのしい。それに中国のも日本のも典拠の正…
ミケランジェロの彫刻写真に題す ——-高村光太郎
 ミケランジェロこそ造型の権化である。  造型の中の造型たる彫刻は従ってミケランジェロの生来を語るも…
ヒウザン会とパンの会——- 高村光太郎
 私が永年の欧洲留学を終えて帰朝したのは、たしか一九一〇年であった。  当時、わが洋画界は白馬会の全…
(私はさきごろ)—– 高村光太郎
 私はさきごろミケランジェロの事を調べたり、書いたりして数旬を過ごしたが、まったくその中に没頭して…
罠に掛った人 甲賀三郎
        一  もう十時は疾《と》くに過ぎたのに、妻の伸子《のぶこ》は未《ま》だ帰って来なかっ…
徹底的な浜尾君—— 甲賀三郎
 浜尾四郎君は鋭い頭の持主であった。それに卑しくも曖昧な事を許して置けない性質で、何事でも底まで追…
蜘蛛—— 甲賀三郎
 辻川博士の奇怪な研究室は葉の落ちた欅《けやき》の大木にかこまれて、それらの木と高さを争うように、…