黄鳥の嘆き ――二川家殺人事件 —–甲賀三郎

          一

 秘密の上にも秘密にやった事だったが、新聞記者にかゝっちゃ敵《かな》わない、すぐ嗅ぎつけられて終《しま》った。
 子爵《ししゃく》二川重明《ふたがわしげあき》が、乗鞍岳《のりくらたけ》の飛騨側の頂上近い数百町歩の土地を買占めただけなら兎《と》に角《かく》、そこの大雪渓《だいせっけい》を人夫数十人を使って掘り始めたというのだからニュース・ヴァリュ百パーセントである。
 二川家は子爵の肩書が示している通り、大名としては六七万石の小さい方だったが、旧幕時代には裕福《ゆうふく》だった上に、明治になってからも貨殖《かしょく》の途《みち》が巧みだったと見えて、今では華族中でも屈指の富豪だった。然《しか》し、当主の重明は未《いま》だやっと二十八歳の青年で、事業などにはてんで興味がなく、帝大の文科を出てからは、殆《ほとん》ど家の中にばかり閉じ籠っているような、どっちかというと偏屈者だったが、それが何と思ったか、三千メートル近い高山の雪渓の発掘を始めたのだから、新聞が面白|可笑《おか》しく書き立てたのは無理のないことである。
 二川重明の唯一の友人といっていゝ野村儀作は重明と同年に帝大の法科を出て、父の業を継いで弁護士になり、今は或る先輩の事務所で見習い中だが、この頃学校時代の悪友達に会うと、直《す》ぐ二川重明の事でひやかされるのには閉口した。
 野村の悪友達は、二川の事を野村にいう場合には、極って、「お前《めえ》の華族の友達」といった。この言葉は、親しい友達の間で行われる、相手を嫌がらせて喜ぶ皮肉たっぷりのユーモアでもあるが、同時に、彼等が「華族」というものに対する或る解釈――恐らくは羨望と軽侮との交錯――を表明しているのでもあることを、野村はよく知っていた。
 それで、野村は悪友達から二川の事をいわれるのを余《あま》り好《この》まなかった。野村は別に二川を友達に持っていることを、誇《ほこ》りとも、恥とも思っていないし、二川を格別尊敬も軽蔑もしていないのだが、それを変に歪めて考えられることは、少し不愉快だった。
 それに、野村と二川とは性格が正反対といっていゝほどで野村は極《ご》く陽気な性質《たち》だったし、二川は煮え切らない引込思案の男だった。この二人が親しくしていたのは、性格の相違とか、地位の相違とかを超越した歴史によったものだった。
 というのは、二川重明の亡父|重行《しげゆき》は、やはりもう故人になった野村儀作の父|儀造《ぎぞう》と、幼《ちいさ》い時からの学校友達であり、後年儀造は二川家の顧問弁護士でもあった。そんな関係で、野村と二川は極《ご》く幼い時から親しくし、小学校は学習院で、同級だったし、中学では別れたが、後に帝大で科は違うが、又顔を合せたりして、学校の違う間も互に往来《ゆきゝ》はしていたのでいわば親譲りの友人だった。卒業後は野村もあまり暇がないので、そう繁々《しげ/\》と二川を訪問することは出来なかったが、二川には野村が唯一人といっていゝ友人だったので、既に父も母も失っている彼は淋しがって、電話や手紙でよく来訪を求めた。野村も二川の友人の少いのを知っているので、三度に一度は彼の要求に応じて、訪ねて行く事にしていた。
 大体そういった交友関係だったが、二川が突然変った事を始めたので、野村は悪友達の半ば嘲笑的な質問攻めに会わなければならなくなったのだった。
「オイ、お前《めえ》の華族の友達あ、日本アルプスの地ならしを始めたていじゃねえか」
「一体《いってえ》、雪を掘って、何にする気だい」
「お前《めえ》の華族の友達あ、気が違ったんじゃねえか」
 こういった質問が代表的のものだった。
 この三つの代表的質問のうち、第一は、意味のない単なるひやかしに過ぎないので、野村はたゞ苦笑を以って、報いるだけだった。
 第二の質問には、やゝ意義があった。それはひやかしのうちに、幾分の好奇心を交えて、雪渓発掘の目的を訊いているのだった。
 雪渓発掘の目的については、当の二川ははっきりした事をいわないので、憶測を交えた噂がいろ/\と伝えられた。或者《あるもの》は、鉱脈を掘り当てる為だといい、或者は温泉を掘る為だといい、或者は登山鉄道でも敷くつもりではないかといった。然し、野村はそんな浮説《ふせつ》を全然信用しなかった。というのは、二川重明は鉄道とか温泉とか鉱山とかいう企業などには、少しも興味を持たない人間なのだ。又、登山などには、全然趣味がなく、恐らく五百メートル以上の山に登った事さえないだろうと思われるのだ。然し、野村にも、そんな男が何故急に日本アルプスの雪渓を掘り始めたかという理由は全然分らなかった。
 だから、第二の質問には、単に分らないと答えるだけだった。
 第三の質問は一番不愉快だった。この質問を受けると、野村はハッとせざるを得なかった。
 何故なら、野村も実は二川が発狂したのではないかと、私《ひそ》かに危懼《きぐ》の念を抱いていたからだった。
 二川は以前から痩せた方で、変に懐疑的なオド/\した人物ではあったが、色白の細面にはどこか貴族的な品位があり疑り深そうな大きな眼のうちには、同時に考え深そうな哲学者の閃めきがあり、時に物怯《ものお》じのする態度のうちにもどことなく悠揚迫らざるものがあったが、この二三年来、それらのものが全く一変して終《しま》った。
 猛烈な不眠症に陥ったのが原因らしいが、頬はゲッソリとこけて、頭ばかりが大きくなり、眼は落着なくギョロ/\と動いて、一種異様な光を発し、絶えず何者かに怯やかされているようにビク/\しているのだ。
 これらの症状は明かにひどい神経衰弱で、その行為にも言葉にも、別に甚《はなはだ》しい矛盾は現われなかったので、野村は幾分安心していたのだったが、乗鞍岳の雪渓を買占めて、発掘し出したという事になると、どうも発狂したのではないかと思わざるを得ないのだ。
 真夏になっても消え残っている広さ数十町歩、深さ幾丈だか分らないような大雪渓を掘るという事は想像以上の難事業で、到底人間業では出来ることではないのだ。我国には正しい意味での万年雪というのはないそうであるが恐らくその辺の雪は数世紀間溶ける事を知らないでいるのだろう。千古《せんこ》の雪の下の神秘を探るという事は、人間に許されない事ではなかろうか。又、二川は神秘の扉を開いて、そこに何を見出そうとするのだろうか。
 家人の反対も断乎として退け、唯一の友達の野村にさえその目的を洩らさないで、この無謀の挙を敢行する二川は、発狂したとしか野村には考えられないのだった。
 第三の質問には、野村はこう答えた。
「うん、気違いじみているよ。だが、何か目的があるんだろうよ」
 この後の半分の言葉は、質問者に答えているよりは、むしろ彼自身に安心の為にいって聞かせているのだった。

          

 七月の午後五時は未だカン/\日が照っていた。野村は休日の昼寝から眼が覚めて、籐椅子に長くなったまゝ夕刊を見た。そうして二川重明の自殺を知った。
 自殺の記事が眼に這入《はい》った瞬間に、野村はとうとうやったなと思った。次の瞬間には、頭ばかり大きくなって、眼をギョロ/\させている妖気に充ちた重明の顔が間近の中空に浮んで見えるような気がした。
 野村は実にいやあな気がした。それは友人の死を悼《いた》むとか悲しむとかいうはっきりした感情ではなくて、自分自身が真暗な墓穴の中に引込まれるような、一種の恐怖に似た不快さだった。
 野村は鉛のような重い灰色の空気に押し被《かぶ》された気持で、暫くは呼吸《いき》をするのさえ忘れたかのようだった。
 が、やがて深い溜息と共に、友を悼む気持が、急にこみ上げて来たのだった。
 二川は乗鞍岳の雪渓の発掘を始めてから、以前にも増して、容態が悪くなった。極度の不眠と食欲の減退で、痩せ方が更に甚《はなはだ》しく、その焦燥した態度は正視に堪えないほどだった。いよいよ発狂か、それでなければ自殺、二つのうち一つではないかと、野村は恐れていたのだ。
 それが、雪渓発掘に着手してから、十三日目に自殺になって現われたのだ。
 野村は唯一人の友人として、二川の自殺を阻止することの出来なかった事に、自責の念を感じた。彼が二川を愛することの足りなかった事が、犇々《ひし/\》と彼の心を責めた。
 と同時に彼はふと可成《かなり》重大な事に気がついた。それは彼が二川家から重明の自殺の報知を受けない事だった。
 野村はもう一度夕刊を見直した。


 ――乗鞍岳の大雪渓の発掘を始めて、問題を惹《ひ》き起していた二川子爵は、極度の神経衰 弱で苦しんでいたが、今朝十時寝室で冷くなって死んでいるのが発見された。死亡の原因は多量の催眠剤を呑んだ為らしく、それが自殺の目的で呑まれたのか、過失によるものか不明であるが、恐らく前者であろうと見られている。尚《なお》子爵家では自殺説を否認し、喪を隠している。

 流石《さすが》に華族たる身分に遠慮してか、余り煽情的な書方をせず、極《ご》く簡単にすませてあるが、死んでいるのを発見された時間は、午前十時と明記してある。今までに野村の所へ通知が来ないのは可笑《おか》しいのだ。
 尤も、子爵家では喪を隠しているというから、発表をさし控えているのだろうが、それにしても、生前の唯一の友人である野村に知らして来ないのは変だ。過失死でなく、自殺とすれば、恐らく野村に宛《あ》てた遺書がありそうなものである。
 野村は重明の叔父の二川重武がでっぷりした身体で、家の者を指図している姿を思い浮べた。両親もなく、妻を娶《めと》らずむろん子供のない重明には、叔父の重武が唯一人の肉親だった。重武は重明の祖父重和の妾腹の子で、父の重行には異母弟に当っていた。重行とは年が十ばかり違って、従って重明とは鳥渡《ちょっと》しか違わなかった。今年五十二三歳であるが、重明とは似《にて》もつかない、でっぷり肥った赤ら顔の、前額《まえびたい》が少し禿げ上って、見るから好色そうな男だった。
 重明はこの叔父をひどく嫌っていた。野村もむろん重武は好かなかった。若い時にひどく放蕩をしたというだけあって華族の出に似合わず、世馴れていて、中々愛想がよく、人を外《そ》らさないが、野村にはそれがひどく狡猾に見えて不愉快だった。
 重武には二川家で度々会っているし、野村と重明との関係を知らない筈はないのだが、野村は重明の死んだ事を知らして来ないのは、この叔父の指金のような気がするのだった。野村の方で好感情を持っていなかったので、重武の方でも、表面は兎に角、腹では余り野村を喜んでいないらしいのだ。そんな事で態《わざ》と通知しないに違いない。
(二川家も、今後はあの叔父に自由にされるのかな)
 と思うと、野村は一層淋しい気持になった。重明にもっと力になってやらなかった事が、益々後悔されるのだった。
 通知は貰わなくても、夕刊の記事を見た上は黙っている訳には行かなかった。叔父がもし自分を邪魔にしているのなら押しかけて行くのは気が進まなかったが、といって知らん顔はしていられないので、野村は支度を始めた。
 そこへ恰度《ちょうど》外出中だった母が帰って来たので、夕刊を見せると、母は、
「まア」といって吃驚《びっくり》しながら、「でも、知らせて来ないのは変ね」
 といって、首を傾けた。

 家を出て円タクを呼留めて、車中の人になると、野村の頭には、之という理由《わけ》もなく、幼《ちいさ》い時の事が思い浮んで来た。
 最初に二川の丸いクル/\とした色白の幼《おさ》な顔が浮び上って来た。それは母の朝子《あさこ》には似ないが、父の重行にそっくりだといわれていた。
 それは後から聞いた話によって、記憶を強化したのだろうが、父子爵が眼の中に入れても痛くないという風に、じっと眼尻を下げて、重明がヨチ/\歩くのを見入っている姿が、朧《おぼ》ろに野村の脳底に映じた。
 次は重行の葬式の当日の思出だった。
 重行の死は実に急だった。確か重明が五つの年で、重行は三十九だった。彼はどっちかというと肥った方で、その点は弟の重武に似ていたが、年に似合ず先天的に心臓が悪かったらしく、心臓の故障で急死したのだった。
 お葬式の日、重明の母が真白な着物を着て、その着物より白いかと思われるような蒼ざめた顔をして、必死に悲しみを耐《こら》えながら――この事は後に察したのだが――端然と坐っていた凄愴《せいそう》な姿が浮び上って来た。母の朝子は大へん綺麗《きれい》な優しい人だった。然し、病身でいつも蒼い顔をしていた。が、葬式の日は、一層蒼く美しかった。野村は子供心に大へん凄く思った。それから暫く彼は朝子未亡人の傍に行くのが恐かったほどだった。
 追憶の場面は一転して、葬式の前日か前々日あたりの、二川家の取り混みの最中の出来事に移った。
 重明も野村も未《いま》だ死という事がよく呑み込めなかったので家の中の騒ぎも他所《よそ》に、二人は庭で遊んでいた。そうしたら乳母にひどく叱られた。
 乳母というのは、姓は何といったか覚えていないが、二川はお清さんと呼んでいた。朝子が病身で二川を育てる事が出来なかったので、二川が生れ落ちるときから来ている乳母だが恰度朝子と同い年位で、器量も負けない位美しく、大へん優しいいゝ乳母だった。野村もよく可愛がられた事を覚えている。
 この乳母がその時は実に恐かった。
「坊ちゃん、そんな所で遊んでいてはいけません。早く家の中へお這入《はい》りなさい」
 と激しく叱責《しっせき》されたが、その時に乳母が眼を真赤に脹《は》らして、オイ/\泣声を上げたので、野村は之は大へんな事が起ったのだなと思った。
 その乳母は重明が十か十一の年にお暇を貰って行った。その時に彼女は野村に、
「うちの坊ちゃんと、いつまでも仲好くして下さいね。大《おおき》くなったら互いに力になって頂戴。うちの坊ちゃんはお友達が少いのですから、本当にいつまでも変らないでね」
 と、しんみりとしていった。子供心にも、野村は何だか変な気持になった。
(あの乳母はどうしているだろう。本当に優しいいゝ人だった)
 と、追憶すると共に、今までそれを思い出すこともなく、大して二川の力になれなかった事を、もう一度大へん済まないように思った。

 二川家は大へん混雑していた。新聞記者らしい者が二三人詰めかけていた。流石《さすが》に家柄だけに、縁辺の人や旧藩の人達が多勢来ていた。
 野村はむろん直ぐ通された。
 彼が想像した通り、叔父の重武が万事采配を振っていた。
 野村が通知されなかった事についていうと、重武は例の人を外らさない調子で、
「通知はどちらへもしませんでした。今見えている方は、みんな夕刊を見てお出《いで》になったのです。実は新聞の方も極力運動したんですが、どうも防ぎきれませんでした――」
 そこで野村は委《くわ》しい話を聞く事が出来た。
 今朝十時頃、いつもより眼覚めるのが遅いので、小間使の千鶴《ちず》が寝室を覗いて見ると、重明は半身を床《とこ》の外に乗り出して、両手を大の字なりに延ばしていた。どうも様子が変なので、
「御前さま、御前さま」
 と二三回呼んで見たが、一向返辞がない。
 それで、恐々《こわ/″\》側に寄って見ると、彼女は退《の》け反《ぞ》るように驚いた。重明は死んでいたのだった。
 それから大騒ぎになった。
 早速《さっそく》、かゝりつけの太田医学博士が駆けつけて来たが、死後既に十二時間位経過して、昨夜の十時前後にもう縡切《ことき》れているので、いかんとも仕方がなかった。十時前後といえば、恰度重明が寝に這入《はい》った頃で、彼は寝室に這入ると、直ぐ催眠剤を取る習慣になっているので、昨夜も確かにその通りにした形跡があった。
 催眠剤は太田博士が調製するので、博士は用心して、二日分|宛《ずつ》しか渡さなかった。重明は二年以上不眠症に悩んで、催眠剤を呑み続けていたので、今は次第に激しい薬剤を多量に取るようになって、普通の人なら、一回分でも危険な位の程度になっていた。然し、重明ならば二回分一時に呑んでも、生命に危険を及ぼす事はない筈だった。もし数回分を一時に呑めば危険だが、重明は太田医師から貰う催眠剤を溜めている様子は少しもなかった。一日置きに小間使の千鶴が太田医院に行って、貰って来る二日分を、きちんと二回に呑んでいたのだった。
 だから、重明の死因は太田医師の与えた催眠剤でない事は明白だった。然し、催眠薬は確かに呑んだ形跡があるから、恐らく、それと同時に取った他の毒薬の為に死んだものに違いないのだった。(無論自然死ではないのだ)二川家では過失で多量の催眠剤を呑んだ為かも知れないと、新聞記者に話したが、それは一つの体裁《ていさい》であって、過失という事は全然あり得ないのだった。覚悟の自殺という他はないのである。
「どういう毒物を呑んだのか、分りませんので、太田さんは解剖して見たらといっておられますがね、どうかと思っています」
 と、重武はつけ加えた。(之は後に警察側からの要求で、解剖される事になった)
「遺書はなかったのでしょうか」
 野村が訊くと、重武は眉をひそめて、
「えゝ、遺書らしいものは少しも見当らないんですよ」
「それは変ですね」
「全く。頭がどうかしていたんじゃないかと思われるんですが」
 野村はふと思いついて、
「そういえば、例の雪渓の発掘ですね。あれはどういう目的だったか、あなたはご存じありませんか」
「分りません。私はやっぱり頭が変になった所為《せい》じゃないかと思っているんですが――」
「でも、何か目的があったんでしょうね」
「本人にはあったのでしょうね。然し、どうも正気の考えじゃありませんな」
「雪の中に何か埋《うずも》れてゞもいるような事を考えたのでしょうか」
 重武はチラリと探るように野村の顔を見て、
「さあ」
「何か妄想を抱いたのでしょうね」
「えゝ、それに違いありません」
「乗鞍岳なんて、どこから考えついたのでしょう。むろん二川君は行った事はないと思いますが」
「地図を拡げて思いついたのでしょうよ。あれ[#「あれ」に傍点]は山と名のついた所へ行った事はありませんよ」
「そういえば」野村は又ふと思いついて、「あなたは若い頃旅行家だったそうですね」
「えゝ、旅行家というほどじゃありません。放浪ですな」
「中々登山をなすったそうじゃありませんか。アルプス方面では開拓者《パイオニア》だという事ですが」
「飛んでもない。物好きで、未《ま》だ他人《ひと》のあまり行かない時分に、登った事はありますが、パイオニアだなんて、そんな大したものではありません――鳥渡《ちょっと》失礼します」
 恰度他の弔問客が来たので、重武はそこで話を切上げて、その方に行った。
 野村は屍体の安置してある部屋に行って、線香を上げたり蝋燭をつけたりして、お通夜を勤めることにした。

          三

 野村は翌朝家に帰ると、ひどく疲れていたので、何を考える暇もなく、グッスリ寝込んで終《しま》った。
 正午《ひる》少し以前《まえ》に眼を覚して、食事をすませて、もう一度二川家へ行こうか、それとも鳥渡《ちょっと》事務所の方へ顔出ししようか、いっそ今日は休んで終《しま》おうかと迷っている所へ、母が這入って来た。
 母はいつにない厳粛な顔をしていた。
「鳥渡《ちょっと》話したい事がありますがね」
 野村は母の様子が余り真剣なので、思わず坐り直した。
「何ですか、お母さん」
「亡くなったお父さんのおいゝつけなんですが、もし二川家に何か変った事が起るか、それとも重明さんが亡くなった時に、儀作に之を渡すようにといって、書遺して置かれたものですが――」
 といって、母は手に持っていた大きな厚ぼったい書類袋を差出した。
 それには父の儀造の筆跡で、

二川家に関する書類

 と書いてあって別に朱で「厳秘」と書き添えてあった。
 野村は驚いてそれを受取った。
 母は多少その内容について知っているらしく、
「悠《ゆっく》りお読みなさい。今日は事務所へ出なくてもいゝでしょう」
「えゝ」
 野村の行っている法律事務所は、父が面倒を見たいわばお弟子の経営で、彼は無給で見習いをしているのだから、可成《かなり》勝手が出来るのだった。
「今日は休みますよ」
「そうなさい」
 といって、母は部屋を出て行った。
 野村は変に昂奮を覚えながら、書類袋を開《あ》けた。
 中には父の日記の断片と思われるものや、二川重行から来た書状や、告訴状の写し見たいなものや、報告書見たいなものが這入っていた。
 野村は一通り眼を通した後に、大略年代順に並べて見た。
 一番最初のものは、今から凡《およ》そ三十年以前のもので、重明や儀作の生れる二年ほど前の父の手記だった。

 今日、二川重行が事務所に訪ねて来た。鳥渡待たしたといって、ひどく機嫌が悪かった。華族で金持で我まゝ育ちだから、実に始末が悪い。先代の重和という人も、気短かな喧《やか》ましい人だった。どうも二川家の遺伝らしい。
 用件はというと、例の如く相続者の問題だ。
 僕も鳥渡癪に障ったから、
「一体君はいくつか」
 と訊いてやった。
「君と同じ年だ」
「じゃ、やっと、三十二じゃないか、奥さんは確か二十七だろう。未だ子供を諦める年じゃない。相続人、相続人といって騒ぐのは早い」
 すると、二川は妙に萎《しお》れていうのだった。
「いや、朝子は身体が弱いから、到底子供は望めない。それに僕は心臓に故障があるから、いつ死ぬか分らんし――」
「心細いことをいうな、大丈夫だよ」
「駄目だ」
「大丈夫だ」
 すると、二川は急に威丈高になって、
「君は何だ。僕の顧問弁護士じゃないか、相続の問題については、真面目に僕のいう事を聞く義務がある。君がそんな態度を執るなら、今日限り顧問弁護士を断って、他へ相談に行く」
 そういわれては仕方がないので、
「よし、じゃ聞こう」
「僕が死ぬと、誰が二川家を相続するのだ」
「いつもいう通り、奥さんに相続権があるが、それでは二川家は絶えて終う。重武君が相続する順になるだろう」
「それが僕は堪えられないんだ。あの放蕩無頼の重武に、二川家を相続させる事は、いかなる理由があっても嫌だ。卑《いや》しい女を母親に持って、居所も定めず放浪している人間なんかに、二川家を継がしてなるものか。そんな事をしたら、奴は朝子をどんな眼に会せるか分らない」
「その事は度々聞いた。或る程度まで僕は同感だ。それなら養子をするより仕方がない。尤も君が死んだ後に、奥さんが養子することも出来るが」
「僕は血の続きのない他人に、二川家を譲りたくない」
「そんな事をいっても無理だ。華族は法律上の親族か、或いは同族以外からは養子を迎える事が出来ない」
「あゝ」
 二川は落胆したように溜息をついた。
 二川家は代々子供の少い家で、重行の父の重和は一人子だし、祖父の重正には弟が一人あるきりだった。御維新後この弟の後はどうなったかはっきりしないが、仮りにその孫があるとして、重行の再従兄弟《またいとこ》になって法律上の親族であるが、養子にするにはその子でなければ年が釣合わないが、そうなるともう親族でなくなって終うのだ。
 それで、養子をするとすれば、全然血の続きがなくなり、それを嫌えば、重武に譲るより途はないのだ。
「あゝ」と、二川は又深い溜息をついて、「顧問弁護士として、何かいゝ方法を考えて呉れ」
「それは無理というものだ。重武君以外の血続きなら、君の祖父さんの弟の孫を探し出して、後を譲るより仕方がない」
 二川は暫く考えていたが、
「同族以外から養子をするには、仮令《たとえ》血続きでも、法律上の親族でなければいけないのだね」
「その通りだ」
「じゃ、君こういう方法はどうだ」と、二川は急に眼を異様に光らして、「祖父さんの弟の孫の子を、朝子の子にして届けるのだ。そうすれば血統を絶やさないで済む」
「戸籍法違反だ」
「然し、それ以外に方法がない」
「僕は顧問弁護士として、犯罪になることに加担は出来ん」
「然し、僕は法律というものは人情を無視して成立するものではないと思う。僕が二川家の血統を絶やしたくないと思うのも、無頼の重武如きに家を譲りたくないのも、無理のない人情じゃないか」
「――」
「華族でなければ、今いった子供をいつでも養子に出来るのだ。たゞ、法律上の親族でない為に――」
「僕は同意出来んよ。君がそうしたいという事には同感もし、同情するが、その事は中々難事業だよ。第一、相手の夫婦の承諾を要するし、産婆とか看護婦とか、乃至《ないし》医師にも口留めをしなければならんし、それに奥さんが承知されるかどうか、それも疑問だ」
「朝子は僕のいう通りになるよ。僕はあれ[#「あれ」に傍点]を幸福にしてやりたいと思ってするんだから」
「そういう事が幸福になるかどうか分らんよ。大抵はむしろ不幸に終るものだ」
 こゝまでいった時に、僕は二川の顔色が次第に険悪になって、唇をブル/\と顫わせているのに気がついた。僕は了《しま》ったと思って、幾分|宥《なだ》めるつもりで、
「然し――」
 といいかけたが、時既に遅かった。
 二川の癇癪は猛然破烈したのだった。
「よしッ、君などはもう頼まぬ。今日限り絶交だッ」
 僕はこうなっては負けていなかった。
「犯罪に加担しないといって、絶交されるのなら、むしろ光栄だッ」
 二川は憤怒で口が利けなかった。(後で考えたのだが、よくこの時に心臓の故障が起らなかったと思う。あんなに怒らすのではなかった)
 彼は猛然として、外へ飛出して行った。
 彼が去った後、暫く気持が悪かった。
 本当に之で絶交になれば、大へん淋しい事だと思った。

 之で、この時の手記は終っていた。
 次は一年半ばかり経った時の日記で、恰度野村達の生れる前後のものである。之で見ると、野村の父は前の事件以後一年ばかりは、重行と絶交状態らしかった。
 今日久し振りで二川を訪ねた。
 変な羽目で喧嘩別れをしてから、一年ばかりは全く絶交状態だった。その間にも、時々懐しくなったり、済まないような気になったりした。こっちから頭を下げて行くのは業腹《ごうはら》だから、じっと辛抱していた。後で聞いて見ると、向うでもやっぱり同じような気持だったらしい。
 その後半年ばかりの間に、集会の席で二三度会った。別に睨み合っていたという訳ではないが、それでも打解けなかった。
 今日はとうとう耐らなくなって、彼の家を訪ねたのである。
 最初は何となく気拙《きまず》かったが、暫く話しをしているうちに、やはり古い馴染というものは有難いものだ。いつの間にか障壁がとれて、もう昔の通り、君僕の会話になっていた。
 二川は顔色が少し悪く、健康状態はよくないらしかったが、予想以上に元気だった。朝子さんの姿が見えないので、
「奥さんは?」と訊くと、
「京都の里へ養生に行っているよ」
 朝子さんの里は京都の或る公家《くげ》なのだ。
「どう悪いんだい」
「なに、大した事じゃないんだ」
 と、二川、僕の視線を眩《まぶ》しそうに避けて、話したくない様子なのだ。仲直りをして早々《そう/\》、又気持を悪くさせてもいけないと思って、僕は直ぐ話題を変えた。
「弟はどうしている?」
「重武か」と、二川は吐き出すようにいって、「奴は相変らずだ。住所も定めずにうろつき廻っているが、感心に金だけはキチンと要求して来るよ」
「山登りを始めたというじゃないか」
「ウン、二三年来、日本アルプスとかいって、信州や飛騨の山を歩いているらしい。東京にいて女狂いや詐欺みたいな事をされるより勝《ま》しだと思っているんだ」
「そうとも、重武君もそうやって、登山なんか始めた所を見ると、性根が直ったのじゃないかね」
「駄目だよ。あの腐った性根は死ぬまで直りっこないよ。遇《たま》に神妙にしていると思えば、きっと何か企んでいるんだからね。僕はあれ[#「あれ」に傍点]が谷にでも落ちて死んで終《しま》えばいゝと思っているよ」
 重武の話で、彼は又そろ/\不機嫌になって来たので、再び話題を転じて、毒にも薬にもならない世間話をしていゝ加減の所で切上げて来た。
 帰りがけに彼は機嫌よく、
「又、ちょい/\来て呉れ給え。それから顧問弁護士の方も頼むよ」
 といった。
 顧問弁護士の方は兎も角、仲直りが出来て大へんよかったと思った

 次はそれから二三ヶ月経った頃の日記だった。
 今日二川の事をよく知っている男から、二川の細君は妊娠して、その養生の為京都の里に行っているという事を聞いた。
 僕は鳥渡意外に思った。といって、細君が妊娠した事を意外に思ったのではない。結婚後十数年経って、初めて子供の出来た例は乏しくないのだから、少しも不思議はない所《どころ》か、大変|目出度《めでた》いと思うのだが、何故二川がその事を僕に隠したのか、鳥渡解せないのだ。先年あんな事で喧嘩別れになったので、いい悪《にく》かったのか、それともその時になって発表して驚かそうというのか、どっちかだろう。道理で中々元気があると思った。
 此間会った時に、その事をいって呉れゝば、恰度僕の所も家内が妊娠中で、僕の所は初産ではないけれども、上は亡くなしているから、まア初めて見たいなもので、共に祝い合う事が出来たのに、一体どっちが先に生れるのだろう。

 年を繰って見ると、野村が生れた年は父は三十三歳だった。日記にも書いてある通り、上の子が夭折《ようせつ》したので、生れて来る子供に対して、父が大へん喜んでいる有様がよく分るので野村は思わず微笑んだ。
 次の手記はいよ/\二川重明が生れた時の事で、之で見ると、重行が子供を得た喜びが、野村の父のそれより遙かに勝っていた事が分るのだった。重明の生れたのが、野村より一月ばかり早かった事は、既に野村のよく知っている事だった。


 二川の子供が生れた。僕の方は一月ほど後らしい。
 子供が生れたという報を受取って、京都へ飛んで行き、やがて帰って来た時の、彼の歓喜雀躍ぶりは到底筆紙に尽せる所ではなかった。
 僕が喜びに行くと、彼は僕に抱きつかんばかりにして、
「君、君、男の子だよ。ぼ、僕にそっくりなんで。そりァとてもよく似ているぜ。君は信じないだろうけれども」
「え、僕が信じないって、そりァ、どういう意味だ」
 僕は彼が変な事をいうので、急いで訊き返したが、彼はもう夢中で、
「いやさ、君が信じようが信じまいが、僕の子供は僕にそっくりなんだぜ、丸々と肥った色の白い、とてもいゝ子なんだ」
「二川家も之で万々歳だね」
「そうだとも。もう大丈夫だ。重武なんかに指一本指させる事はない。朝子もどんなに仕合せだか分りやしない」
「奥さんも喜んだろうね」
「僕が躍り上って喜ぶのを見て、泣いていたよ」
「所でだがね」
 僕は重武の名が出たので、ふと思いついて、
「もう君も後継が出来たから安心だし、重武君もこの頃は大分身持も直ったようだし、目出度い事のあったのを幸いに、勘当を許して、東京に住むようにして上げたらどうだ」
 僕は多分二川は嫌な顔をするだろうと思ったが、案外しんみりとして、
「うん、朝子もそういうのだ。僕アもう五年ばかり会わんからなア」
 重武は重行の父重和が芸者を妾にして生ませた子で、それだから、重行がひどく嫌うのだが、元からそう悪い人間ではなかった。重武は十一の年に認知されて、二川家に引取られたが、父の重和は間もなく死ぬし、引取られた時には重行はもう二十一で、始めから反感を持っていたし、重武の方にも僻《ひが》みがあったし、それに何といっても行儀などは出来ていないので、召使までが蔭口をいうような有様で、重武を不良にしたのは、重行始め周囲のものの責任ともいえるのだ。
 重武は十八の年にはもう女と酒を知って、身を持崩し、二川家を飛出して、それから兄の名を騙《かた》って、方々で金を借り倒し、危く刑法に触れる事まで仕出かして、二十の年に放浪の旅に出て、爾来三年間、時々兄に無心を吹きかけては、旅を続けているのだった。
 重行はいい続けた。
「もうあれ[#「あれ」に傍点]に勝手な事をされる心配もないし、許してやってもいゝとは思っているんだが、まア考えて置こう」
 僕はそれ以上追及せずに帰って来た

 次の日記はそれから二三ヶ月経ったもので、野村は既に生れていたのである。


 どうも二川の溺愛ぶりには恐れ入った。僕もむろん生れた子を可愛いとは思うが、二川の真似は出来ない。彼は恰《まる》で外の事を忘れている。明けても暮れても、赤ン坊の顔ばかり眺めているのだ。あの若さで、子爵の御前が、不器用な手つきで赤ン坊を抱いて、あやしている姿は天下の珍景だ。
 然し、僕は二川が新たに生れた子供に対する態度を通じて、彼がどんなに妻を熱愛しているかを知る事が出来る。全く彼が子供を得た喜びの半分は、彼の亡き後に妻が頼って行くものが出来たという事にあるのだ。彼は飽くまで自分を短命なものと信じている。
 朝子さんの献身的態度にも敬服する他はない。流石《さすが》は公家の出である。病弱の身体で、あの気紛れな――今は大へんよくなったが――癇癪持ちの夫に仕えて、些《いさゝか》の不満も現わさず、唯々諾々として忠実を守っている姿は涙ぐましいものがある。兎に角、立派な夫婦だ、それに子供は出来たし、もう重武などを少しも恐れる所はないだろう。そういえば、重武は近々上京するという手紙を寄越したそうだが、仮令《たとえ》彼が東京で住む事になっても、二川家には大した波瀾は起らないだろうと思う。

 それから暫くは、二川家は泰平だったらしい。重明が歩き出すようになり、片言を喋るようになる時分に、野村はその遊び相手として、度々二川家に行った訳である。その時の事はむろん野村の記憶にはないが、時々はひどく掴み合ったそうで、成人してからは逆になったが、当時は二川の方が肥っていて力が強く、野村の方が分《ぶ》が悪かったらしい。掴み合いが始まると、むろん乳母はあわてゝ仲裁したに違いない。
 重武が上京したかどうかについては記録はないが、重行の葬式当日重武がいた記憶が野村にはないから、上京しなかったか、上京しても直ぐ又旅に出たものと思われるのだ。
 かくして、四五年の平和が続いた後に重行の急死となったのだった。
 野村はホッと一息した。そうして、次の書類を取上げたがそれは重行が野村に送った遺書だった。

          四

 二川重行の遺書は彼の死後、直ぐに野村の父に送られたものらしく、読んで行くうちに、それが思いがけなく重大な告白だったので、野村は次第に昂奮を覚えて来た。


 親愛なる野村儀造君
 君も知られる通り、僕は心臓に故障があるから、いつ死ぬか分らぬ。実は死ぬまでにこの告白を君にだけして置くべきであるが、僕にはそれが出来なかった。本当の事をいえば、僕は死んだ後も、君にこの事を知られたくはないのだ。然し、どうかすると重武が薄々感づいたかも知れぬ。仮令《たとえ》今は感づかなくても、あゝいう奴だから、いつ感づくか知れない。それも僕が生きていれば、大して恐れはしないが、死んだ後になって、どんな難題を朝子に吹きかけるか知れぬ。その時に朝子の力になって呉れるのは君一人だ。だから君にはどうしても隠すことは出来ない。この遺書は或る人に託して、僕が死ねば直ぐ君の手許に届くようにして置く。生きているうちに告白の出来なかった僕の卑怯を許して呉れ給え。
 野村君、実は重明は朝子の子ではないのだ。むろん僕の子でもない。全く他人の子なんだ。
 他人の子といっても、血は続いている。いつか君と口論をしたのを覚えているだろう。あの時に話に出た僕の祖父の弟の曾孫《そうそん》なんだ。
 祖父の弟は分家して二川姓を名乗り二男二女があった。僕は出来得る限り男系を辿って行ったのだが、長男は二川家を継いだが、その子供は女ばかしで、僕などと違って、二川家に執着はなかったと見えて、みんな他家に縁づけて終《しま》った。従って、二川家は絶えたわけである。
 二男の方は京都でも有数の旧家で、当時大きな呉服店だった高本という家に養子に行った。そこで彼は一男三女を挙げた。どうも二川の血統には男が少いのは奇妙である。その男が高本安蔵《たかもとやすぞう》といって、当時は未だ生きていた。この男は僕の再従兄弟《またいとこ》に当って、法律上の親族ではあるが、戸主であるし、僕より年長で、養子にすることは出来ない。又しようとも思わない。
 高本家は祖父の弟が養子に行った当時は、頗《すこぶ》る盛大だったが、その後間もなく家産が傾き始め、長男の代にはもういけなくなった。然し、未だ旧家の余勢で、その子の安蔵の所へは、公家の某家から片づいている。然し、家の方は僕が発見した時にはもう身代限りをして跡かたもなく、陋巷《ろうこう》に窮迫しているという有様だった。而《しか》も、安蔵は病の床に伏し、妻の清子は身重だった。
 二人はだから、僕の願いを直ぐ聞入れて呉れた。
 他には別に面倒はなかった。
 先ず朝子を妊娠と称して、京都にやり、高本の子供の生れるのを待っていた。
 幸か不幸か、安蔵は間もなく死んだので、この事を知っているのは、僕達夫妻と、お清と、たった一人の産婆だけである。産婆も然し、僕達の届出については全然関知しない。それに、今や、君を加えた訳である。
 お清は既にお察しの事と思うが、重明についていた乳母である。重明は生みの親に育てられたともいえるのだ。血続きとはいいながら、重明は僕にそっくりだった。その事が僕をどんなに喜ばしたか、君はよく知って呉れている筈だ。
 お清は余り長くつけて置いては悪いと思って、適当な時機に暇を与え、一生を楽に暮せるようにしてやろうと思っている。もしそれまでに僕が死ねば、朝子がそうするだろう。
 この遺書の事は朝子に全然いっていない。だから、大へん勝手な願いであるけれども、何か事が起って、君の力を借りなければならなくなるまで、君はこの事は知らないふりをしていて呉れ給え。むろん、そういう事をする君ではないと思うが、僕は重明の夢を破りたくない。彼は朝子を母と信じているのだ。朝子も本当に我子のように思っている。
 出来るならば、この秘密は永久に葬って終《しま》いたいと思う。今までの関係者以外に洩れないで、関係者達もそのまゝ墓場へ持って行けるように、僕は心の底から祈っているのだ。
 万々一、何か起った時に、頼みにするのは君一人だ。その時こそ、どうか朝子の力になって、世間に洩れないように処理して呉れ給え。
 生前は我まゝばかりいって済まなかった。死後も尚君の友情に頼らなくてはならない僕を哀れに思って、許して呉れ給え。
二川重行拝

 二川重行の告白書を読み終った時に、野村は恰度重明の自殺の報を見た時と同じような、いい現わすことの出来ない焦燥を感じた。
 初め母親から父の遺書を渡された時に、それが何か二川家の秘密に関するものであることは直ぐ察せられたし、年代順に読んで行って、それが重明に関するものであることも大体は推察された。然し、重明が父の重行によく似ていた点や、重行が溺愛していた点から、重行の子である事は疑わなかったのだったが、何ぞ図らん、彼は全然他人の子であった。而《しか》も、乳母として、お清さんと呼び、確か重明が十か十一の年までまめ/\しく仕えていた所の女が、彼の実母であったのだ!
 野村の脳裡には、蒼醒めた顔をして、言葉少なに、然し、重明を、十分愛していた母の朝子の姿と、健康そうな生々《いき/\》とした、然し、大へん優しくて、重明に対して忠実だったお清の姿とが、重なり合い、混り合った。
(重明はこの事を知っていたのだろうか)
 この事が十分の秘密を保たれていた事は疑うまでもない。重明はむろん関係者の口から秘密を語られた気遣いはないであろう。然し、重明は感じはしなかったろうか。
 幼少の時ならば知らず、相当の年齢に達した時には、母と仰《あお》いでいる人が、自分の生みの母親でない場合、その事は、何となく察せられるものではなかろうか。少くとも、重明はそんな疑いを持って、悶えていたのではなかろうか。
 然し、重明は真逆《まさか》父を疑ってはいなかったであろう。重行の子と信じていたに違いない。又、乳母のお清を真実の母だなんて、夢にも考えていなかったろう。むろん、彼は十か十一の時まで彼の側にいた乳母を忘れはしなかったろう。時々は思出したに違いない。そうして過去の甘酸ぱい思出に耽った事であろう。然し、恐らく一回だって、真実の母として考えた事はないだろう。
 野村は暫く先の方を読むのを忘れて、感慨に耽った。それはよく世間にある例だった。二川家の場合は、それが華族という約束に縛られて、表向き養子にすることが出来ず止むなくやった事であるが、世間では表向き養子に出来るにも係らず、子供が成長してから可哀想だという意味で、貰い子を自分達の真の子のように入籍して終うのだ。然し、それが果して真の子供を愛する所以であるかどうかは疑問だ。子供が教えられたり、悟ったりして、真実を知った場合は、今まで隠していたゞけ、反《かえ》って悪い影響が残るし、そうはっきりしない場合、子供が疑念を持ち、それに悩まされ続けるような事があったら、それは子供を終生苦しめるものではないか。然し、或場合には、子供は何の悟る事なしに、何の疑うことなしに、真の両親と信じて幸福であり得るかも知れぬ。世の多くの人達は、そういう幾パーセントかの幸福であり得る場合に望みをかけて、戸籍法違反を敢《あえ》てするのかも知れない。
 世間に、より多い例は、両親のうち片親が――大抵は父親であるが――真実の親であって、一方の親はそうでないにも係らず、その両親の真の子として届ける事である。この場合は、前の場合よりも、より複雑な関係があり、そうしなければならない事情は、より切実であるといえる。然し、そうしたからくり[#「からくり」に傍点]は子供の将来に悲劇を齎《もた》らさないとは断言出来ないであろう。

 ふと気がつくと、午後の日ざしは大分傾いて、割に涼しい風が吹いていたにも係らず、野村の身体は、恰《まる》で雨にうたれたかのように、汗でグッショリだった。然し、彼はそれを拭おうともせず、次の方に読み進んだ。

 二川子爵の告白書の次は、父の手記と、告訴状や抗告書などの写しとの錯綜だった。
 之で見ると、二川家では早くも悲劇が訪れたらしい。
 重行が死んで、五歳の重明が家督相続届を出した時に、突然、関西方面を放浪していた叔父の重武が上京して来た。そうして、彼は先ず未亡人朝子に難題を吹きかけたらしい。それが拒絶されると、彼は矢継早やに地方裁判所や区裁判所や戸籍役場に訴えを起したのだった。
 彼は重明の出生届を虚偽の届出であるとして、朝子に妊娠の能力なき事、妊娠分娩を証明すべきものなきこと、重明の真の父母は、高本安蔵とお清なること、等々を書並べて、区裁判所に、二川家の戸籍法違反の告発をなし、一方戸籍役場には、法律上許すべからざる記載として、戸籍簿の訂正を申請した。他方には又、地方裁判所に、重明の相続無効の訴訟を提起したのだった。
 野村の父は、重行の死後の依頼を余りにも早く果さなければならなかったのだった。


 重行の告白書を読み終った時に、余りの意外さに、暫くは唖然とした。彼は巧みに僕を欺いていたのだ。僕は鳥渡《ちょっと》立腹した。然し、直ぐに彼に同情した。善悪は兎に角、そうしなければならなかった彼の心情を憐む他はないのだ。
 然し、余りにも早く彼の恐れていたものが来たのには、之亦《これまた》驚くの他はなかった。

 当時の事を野村の父はこう書いていた。
 野村の父が何よりも苦心したのは、この事を絶対秘密裏に処理することだった。それがどんなにむずかしい事であったろうかは、察するに余りあることだ、そうして彼はそれに十分成功したらしい。今から二十四五年以前の事で、新聞紙も今ほど機敏ではなかったろうが、一方にはこんな事を喜んで書き立てる赤新聞もあったろうに、嗅ぎつけられもせず、よし嗅ぎつけられたとしても、それを紙上に出させなかったのは、確かに特筆すべき野村の父の功績といっていゝ、全くこの事は少しも世間に洩れないで済んだらしいのだ。
 一方には又、お清の文字通りの献身的な努力もあったらしい。彼女は重武と刺違って死のうとさえいい、又実行しかねない勢だった。この事を野村の父は「真に烈女というべし」といって感嘆している。今日の言葉でいえば所謂母性愛の発露であろうが、二川家の存亡に関することでもあり、朝子未亡人には重大な影響のあることでもあり、お清は猛然奮い起《た》ったものらしい。

 僕は何とかして重武の訴訟その他の抗告申請を取消させようと試みた。然し、彼は頑として応じない。彼にして見れば、この事にして成功せんか、一躍子爵の栄誉と巨万の富を得る事も不可能ではないのだから、強腰《つよごし》たらざるを得ないのだ。それに重行には圧迫された恨みも手伝っているし、生中《なまなか》な事でウンといわないのも無理もないのだ。
 僕の最も恐れたのは、事が長びくと外部に洩れる可能性が大きくなることだった。幸いに重武は単独で秘密を察したので、彼以外には未だ知るものはないのだ。
 僕はもう万策尽きた。到底取下げさせるという事は出来ないから、重武も別に動かすべからざる証拠を持っている訳ではなし、この上は最早法廷で争って、勝つより仕方がないとまで腹を決めた、その時に、この問題では誰よりも必死になっていたお清さんが、「|以[#レ]毒《どくをもって》|制[#レ]毒《どくをせいす》」の方法を考えついたのだった。つまり、重武はあゝいう生活をしていたのだから、きっと何か悪いことをしているに違いない。それを探り出して、首の根っ子を押えて、交換条件にして、取下げさせようというのだ。
 この方法は紳士的でない。僕の主義として、賛成出来ないのだが、背に腹は変えられぬ。殊に相手が非紳士的なのだから、止むを得ない所もあるのだ。そこで、僕はとうとう同意して、至急に重武の旧悪を探偵させる事にした。

 野村の父は遂いに窮余の策として、お清の提案たる「以[#レ]毒制[#レ]毒」の方法に同意したのだ。
 二川重武は多く関西方面にいたから、大阪の有名な私立探偵社の社長砂山二郎が、その為に選ばれることになった。
 所がこの謀計《はかりごと》は正に図に当ったらしいのだ。というのは、それから間もなく、重武はあっさりすぐこの訴訟抗告を取下げているのだ。検事の方でも、元々一家内の事だし、原告側にも確証はない、裁判にでもなると大へん面倒な事なので、原告が取下げたのを幸いに、不問にしたらしいのだ。
 書類の中に、砂山秘密探偵社の大きな封筒があって、「二川重武の調査報告」と書かれていたので、野村はやゝ胸をときめかしながら、それを開けたが、失望した事には中味は空だった。父の日記の方を見ると、
[#ここから2字下げ]
重武に関する調査報告書は本日重武に交付せり。
[#ここで字下げ終わり]
 と書いてあった。思うに重武は交換条件の一つとして、その調査書の原本も複製も残らず、彼の手に収める事にしたのだろう。そうしてそれは恐らく焼却して終ったのに違いない。探偵社の方へも、むろん少なからぬ金が、報酬の名義で送られたに相違ないのだ。
 重武の秘密というのは、いずれ詐欺とか横領とか、相当重い罪で、二川家の方で問題にすれば、きっと危なかったものに違いないと、野村は思った。
 然し、交換条件そのものは、可成重武に有利なものだったらしい。というのは、重武はその後東京に引移り、二川家から相当額の支給を受けて、大きな顔をしてブラリ/\と懐手《ふところで》で暮していたらしいのである。
 尤も、彼はお清は苦手らしかった。だから彼女が二川家にいる時分はやゝ遠退いていたが、彼女が去ると、次第に二川家に出入するようになって、今から約十年以前に未亡人朝子が死に、続《つゞい》て間もなく野村の父が死ぬと、もう恐ろしいものがないので、大びらに二川家に這入り込んで、我もの顔に振舞っていたのだった。未亡人の亡くなる前後から以来《このかた》の事は野村にも確乎《しっかり》した記憶があるのだ。

 書類を残らず読み終った時には、夏の日ももう暮れかゝっていた。
 野村は夕暗《ゆうやみ》の迫って来る、庭をじっと見つめながら、父がこの書類を殊更に遺して行った意味を考えた。
 母の言葉では、重明が死んだ時か、又は二川家に変った事が起った時に、開けて見よというのであるから、父は恐らく未だ重武に対して警戒をゆるめず、万一、何か野心を逞うして事件を起した時に、それを阻止するように野村に命じたものであろうか、重明が死んだ時にという方は、彼が死んで終《しま》えば、すべては解消するから、最早秘密はないというつもりなんだろう。重明が自殺を遂げたという事は、単に重明が死んだ場合のうちに入るのだろうか、それとも、二川家に変事の起ったうちに入るのだろうか――
 野村が思い惑っている時に、静かに襖が開いて、母が這入って来た。母の顔はひどく緊張していた。
「二川重明さんから、何か書いたものを送って来ましたよ」
「えッ、二川から」
 野村は吃驚《びっくり》した。母はうなずいて、
「えゝ、遺書らしいですよ。大へん部厚なもので、速達の書留で送って来ました」
 野村は半ば夢心地で受取った。
 野村の父儀造は、二川重明の父重行が急死すると、直ぐ彼の遺書を受取った。今又野村は重明が変死を遂げる途端に、彼から遺書を送られた。父子二代、こういう事が繰り返されるとは、何と奇《く》しき事ではないか。
 書留の書類には添え手紙があった。それは宮野得次という全く未知の弁護士から送られたもので、それにはかねて二川子爵から依頼を受けていたもので、絶対に秘密に保管して、子爵が死んだ時に、直ちに遅滞なく貴下宛に送るべく命ぜられていたもので、今やその命令通り実行するものである事が認《したゝ》められていた。母親は彼女の夫に先代子爵の遺書の送られた事をよく覚えているので、不安そうに、
「やっぱり遺書でしょう」
「えゝ、どうもそうらしいです」
 野村は封を切った。母親は暫く坐っていたが、
「ゆっくり読みなさい」
 野村はそれを見送って、電灯をパチンと捻《ひね》って、送られた遺書を読み始めた。(前篇終り)

          

 重明から送られた遺書は、一、二、三と三部に分《わか》たれて、それ/″\番号が附してあった。
 野村は順序に従って、先ず第一の番号のつけてあるものを取上げた。日付は書かれていなかったが、内容と前後の関係から推して、重明が雪渓の発掘を始める少し以前らしく、六月の終りか、七月の初めの頃と思われた。

 六月の雨は中世紀の僧院のように、暗くて静かだ。適《たま》に晴間を見せて、薄日が射すと、反《かえ》ってあたりは醜くなる。太陽の輝く都会は僕にとっては余りにど強《ぎつ》い。
 野村君、とこう親しく呼びかけても、或いはこの文章は君の眼に触れないかも知れない。実は僕はその方を望んでいるのだ。然し、兎に角、僕は梅雨に濡れた庭を眺めながら、之を書いている。
 野村君、考えて見ると、僕の人生は六月の雨のそれだった。暗くて静かだった。滅多に太陽を見ることが出来なかった。
 けれども、僕にとっては、却ってその方が気易かった。すべてが白日下に曝《さら》け出されることは、むしろ恐ろしいのだ。
 けれども、僕はいつまでも都合のいゝ世界で、安逸を貪っていることは許されなかった。僕はいつまでも卑怯である訳には行かなかったのだ。
 僕は物心のつく時分から、疑惑の世界に追込まれていた。僕は不幸だった。僕は悲しかった。然し、一面には僕は恵まれていた。考えさえしなければ、妥協さえしていれば、幸福だったのだ。実際にも、そうした状態で長い年月を送って来たのだった。
 然し、僕の身体に巣食っていた疑惑の病菌は、僕の意志の如何《いかん》に係らず、悠《ゆる》りと、然し確実に僕の全身に拡がりつゝあったのだ。そうして、それが一年ほど以前に、俄然爆発したのだった。恐ろしい病気が現われた時に病気が発生したのではなくて、発生そのものは遠い以前にあって、適々《たま/\》何かの誘因で、それが突然現われるものであることは、多くの人の知っていることだが、僕のは全くそれなのだ。而《しか》も、それは恐ろしい業病《ごうびょう》なのだ。
 僕の業病が何であるか、又何の為に君にこんな事を書き残そうとしたかを語る以前に、次の印刷物を読んで呉れ給え。之は或る社交倶楽部でなされた趣味講演の速記を印刷したもので、一般に販売されたものではない。僕は全く偶然に一年ほど以前に手に入れたものだが、あゝ、之こそ、僕の疑惑を固く包んだ結核を押し潰《つぶ》して、ドロ/\の血膿《ちうみ》を胸の中に氾濫させたものなのだ。
 野村君、必ず順序を狂わせないで、読んで呉れ給え。先ず次の切抜の印刷物を読み、それから第三と番号のうってある僕の遺書の続きを読んで呉れ給え。

 もし野村が突然この重明の遺書に接したのだったら、彼は恐らく重明がいよ/\発狂したのだと思ったであろう。然し、野村は幸いに父の遺書の方を先に読んでいたので、重明のいう疑惑という言葉に、大体の当りがついていたので、彼(重明)はやはり彼自身の秘密を多少察していたのだな、と今更ながら、彼(重明)の背負されていた重荷について、同情したのだった。
 野村は第二と番号をつけた印刷物を取り上げた。
 お歴々方の前でお話しするなんて、光栄の至りでございますが、馴れないことで、さっぱり上って終《しま》って、旨《うま》いことお喋りがでけ[#「でけ」に傍点]ない次第で、後でお叱りのないようにお願いいたします。只今御紹介下さいましたように、私は大体大阪のもんで、大阪の警察に永いこと勤めまして、辞《や》めてから、砂山探偵事務所に這入りまして、俗にいう私立探偵ちゅう奴で、名探偵などとは飛んでもない。全く見かけ倒しで、お話するような手柄話などはございまへ[#「へ」に傍点]ん。が、まア、取扱いました事件の中で、鳥渡《ちょっと》風変りな、奇妙な事件が一つありますンで、それを話させて頂きます。
 恰度私が砂山さんの所へ這入ったばかりの頃で、今からいうと、二十二三年以前の事でございます。関係者の中で現在生存している方もあるかも知れまへ[#「へ」に傍点]んので、全部仮名にさして頂きますが、三山《みやま》という華族さんの家に起った事件でございまして、闇から闇に葬られましたものの、当時之が発表されていましたら、相馬事件以上に問題になったこっちゃろうと思うとります。
 今申す二十二三年以前の秋だした。死んだ砂山さんが私を呼んで、「どうや、之一つやって見んか」ちゅう話です。「どいう事だンね」と訊きますと、「絶対秘密やが、三山子爵家が相続の事で揉めてるのや」ちゅうのです。私は吃驚《びっくり》しました。何しろ三山子爵ちゅうたら、華族仲間でも有名な金持だすからなア。砂山さんは「費用は何ぼでも出すし、成功したら一万円呉れる約束や」ちゅうて、ニヤ/\笑わはるのです。私はこいつア、余程むずかしい事やなと直感しました。
 段々話を訊いて見ると、先代の和行ちゅう人が、心臓病でポッコリと亡くなって、後に和秋《かずあき》ちゅう五つになる子供がある。之が当然相続人なんだすが、和行の腹|異《ちが》いの弟に和武ちゅう人があって、この人が訴えを起した。何ちゅうて訴えを起したかちゅうと、和秋は和行の本当の子やない、戸籍では本当の子になっとるが、実は貰子《もらいご》を実子のようにして、戸籍に入れたんや、それにはこれ/\の証拠があるちゅう訳なんだす。名門の事やから、検事局でも絶対秘密にするし、子爵家の方ではちゃんと新聞の方に、手を廻していますから、一行だって出やしまへん。世間では誰も知らんが、子爵家ではどうも弱ったらしい。というのが、貰子というのが本当らしいのだンな。貰子いうても、チャンと血統《ちすじ》を引いているのだすが、華族さんには喧《やかま》しい規則があって、親類でも無闇に養子に貰えん、ちゅうのでまあ実子に仕立てたのだンな。
 一つにはこの訴訟を起した和武ちゅうのが、和行のお父さんが芸者かなんかに生ました子で、腹異いの弟になっているが、和行はこの弟が大嫌いで、之に跡が譲りとうない、子供がないと、嫌でもその方に行くちゅうので、そういうからくりをした訳だす。
 和行ちゅう人がこの腹変りの弟を嫌うたのも訳のあることで、和武ちゅう人はでけ損いで、十八の年にはもう酒を呑み、女を拵えて、子爵家を出奔したちゅう、今の言葉でいうと、どえらい不良少年だす。尤も、だん/\探って見ると、気の毒な所もあるので、この人は十一二の年まで母親の所に育ち、それから子爵家に這入ったので、傍《はた》からは始終冷い眼で見られているちゅう訳で、グレ出したのも無理はないと思われる所もあります。
 そこで子爵家では、和武に飽くまで譲りとうないので、どうぞして訴訟を取下げさそうと思ったが、旨く行きまへん。そこで、和武の行状を洗って、どうせ叩けば埃の出る奴じゃから、何か弱点を握って、とっちめてやろいうので、考えて見れば卑怯な事だすが、自衛上止むを得んちゅうので、和武がずっと関西方面にいたので、砂山さんの所へ、素行調査を頼んで来た訳だす。なるほど之なら費用は何ぼでも出す。何か弱点を探り出せば、一万円の報酬というのは、まア当前《あたりまえ》だす。
 私は砂山さんに見込まれたんで、宜《よろ》しおま、と引受けましたが、何でもないと思うたが、之が中々難物だした。というのは、和武は十八の年に子爵家を出て、それから二三年はあちこちと放浪し続けて、めちゃくちゃな生活を送ったらしいが、二十《はたち》頃から急に身持が改って、山登りを始めた。山登りちゅうても、日本アルプスちゅう奴ですな。今こそ日本アルプスちゅうと、女でも子供でも行きますが、その頃は中々どうして、登る人も少く、道が悪いから人夫も仰山連れて行かなならんし、金持の坊ちゃんの道楽みたいなもんだした。道楽ちゅうても、女狂いから見たら、余程上等です。そこで和武も山登りを始めてから、すっかり身が固うなっています。
 一体、十八九で狂い出した者は、眼が覚めるちゅうても、中々二十代ではむずかしいもンで、三十四十になって、やっと改まるのがせい/″\だすが、この和武ちゅう人は、たった二三年の狂いで、二十になるともう素行が改まっています。之はどうも珍らしい事で、私の考えでは、事によるとこの人は心《しん》は固いのやろと思います。子爵家を飛び出す為に、態《わざ》と無茶をやったのか、そうでなかったら、子爵家のやり方が悪いので、一時的に自暴《やけ》見たいになったのか、どっちかやろうと思います。
 尤も子爵家でもその事は悟ったと見えて、和明ちゅう子供が生れた時に、一ぺん勘当を許して、上京せいというて来ています。その時は和武は二十三か四だしたが、一旦は喜んで上京するちゅう手紙を出して置きながら、とうとう行かなかったちゅう事実があります。之が誠に可笑しいので、後にそうやったのかと思い当ることがあるのだす。
 さて、私が調査を依頼された時は、和武は二十八か九やったと思いますが、今いう通り、すっかり固くなっているらしいので、どうも子爵家の注文のように運ばンので、弱りました。けンど、漸《ようや》くのことで、南の新地で時々遊ぶらしい事を嗅ぎ出して、馴染の妓《こ》を尋ね当てゝ、客になってちょい/\呼びました。
 和武の馴染の妓ちゅうのは、浜勇《はまゆう》ちゅうてその頃はあまり流行らない顔だしたが、まン丸い愛嬌の滴《したゝ》るような可愛い妓だしてな、まア、役徳ちゅう奴で、中々私等の身分で新地で散財するちゅうような事はでけ[#「でけ」に傍点]る事《こ》っちゃおまへんが、費用はなんぼでも出るので、お大尽さんになって、茶屋遊びだす。けンど、根が私立探偵で、遊びが主でのうて、何か探り出そうちゅうのだすから、素性を悟られへんかと思うて、ヒヤ/\しながら遊んでるので、身にも何にもつかしまへん。一ぺん、本まに仕事を離れて、あんな遊びをして見たいと思うてます。
 余談は置きまして、この浜勇ちゅう妓が、又中々口が固い。「あんた、えゝ人があるちゅうやないか」と探りを入れると、「あほらしい。そんなもん、あらへんし」と赤い顔もしまへん。「華族さんのお客さんがあるやろ」と訊くと、「ほら、うちかて芸者だす。適《たま》には華族はんも呼んで呉れはります」ちゅう返事で、一向|埓《らち》が開きまへん。けンど、こゝで根掘り問うたら、けったいな人やと警戒されますから、辛抱せんならん、中々辛い事だす。
 それでも暫く通ってますうちに、少しは様子が分って来ました。浜勇はどうも和武を嫌っているらしいのだすな。
「華族はんて、あんなもんだっかいな。いやらしいね」と或時吐き出すようにいいました。だん/\探って見ると、とても執拗《しつこ》いンやそうです。浜勇のいう話によりますと、和武ちゅう人は、口前《くちまえ》が上手で、ケチで下品で、とても華族ちゅう肩書の他には、とンと取柄がないちゅう結果になります。そうすると、改心したちゅうても、やっぱり心《しん》は下卑ていて、私の観測が違ったかいな、そうやったら、何ぞ弱い尻が掴めそうなもンやと、悲観して見たり、喜んだり、ちゅう訳です。
 所が、そのうちにふと浜勇の口から、和武が以前北の新地で散々遊んで、そこに深い馴染の妓があって、末は夫婦とまで約束したちゅう話を聞きました。
 それから私は北の新地へ行きましたな。何しろ、費用はなんぼでも出るし、こんな機会に遊んどかんと、又とでけ[#「でけ」に傍点]るこっちゃおまへんからな。所が、和武が北の新地で遊んだちゅうのは、四五年ももっと以前の話で、若い妓は一向知りまへなんだが、年増芸者は直ぐにうなずいて、「花江はんが可哀そうやわ」ちゅうほど、当時はこの世界で有名な事やったらしいのです。
 その花江ちゅう妓は、一旦引いて、二度の勤めで、照奴《てるやっこ》いうてました。もう二十四五で、年増盛りという所、早速呼びましたが、この妓の綺麗なンには驚きました。全く絵に書いた美人そっくりですな。面長で色が白うて、木目が細こうて、何ともいえん品があって、どこに一つの非のうち所がおまへん、之なら華族さんの奥さんいうても、誰でも承知するやろと思われるような女子《おなご》だした。
 この女子が又、顔で分るように芸者に似合ぬ人格者だしてな、中々昔の話をしまへん。けンど私も根気ようかゝりましてな、傍《はた》から聞いたり、本人の口からボツ/\探り出したりして、和武との関係を大体の所察することがでけました。
 和武は東京を飛び出して、関西に来ると間もなく、花江と馴染になったらしいのだす。和武はやっと二十で、花江は未だ十五か十六、むろん舞妓の時代だす。その時分の事をよう知っている者に聞きますと、当時の二人は恰《まる》でお雛さま見たいやったそうだす。私の観測はやっぱり当ってましたンやな。和武ちゅう人は流石に華族の坊ちゃんらしく、大人しゅうて品があって、口数も至って少なかったそうです。全く、一時の迷いでグレたんだすな。きっと悪い奴があって、不良の仲間に引込んだンだすやろ。子爵家で思っているほど、ひどい事をしたンやなかろうと思います。よし、したにせよ、それは本人の意志ではのうて、取巻連のした事やないかと思います。花江との間は、全く客と芸者と離れた本まの恋仲らしかったのだす。花江の方はそれこそ、処女の純情を捧げていたのだすな。
 その時の事を述懐して、花江の照奴はつく/″\いいました。「ホンマに考えて見ると夢のようだす。あたいも阿呆やったんだす。思うことの半分は愚か、十分の一もよういわんと、いわば雲の上の花でも見てるように、うっとりと眺めていたンだすわ」
 こうして、二人の関係は五年間続いたのだす。その間に花江は一本になり、いつか二人は互に許すようになって、末は夫婦と固く誓うたのでした。
 和武の二十三か四の年に、前にいったように、子爵家に和明ちゅう子供が生れて、子爵家でも和武の固うなったのを認めたと見えて、東京へ帰って来いといって来たのです。その時に和武は大へん喜んだそうで。照奴はその時のことをこういうて話しました。
「かーはんはえらい喜びようで、花江、とうとう僕も東京に帰れるようになった。僕は妾《めかけ》の子で、その為にどれだけ苦労したか知れないから、お前を日蔭者にはしとうない。といって、東京の兄さんは固い一方で、芸者なんて、頭から汚れたものだと思ってる。僕は何とかして君を引かそう。そうして、一年なり二年なり、堅気で暮して、然るべき人に口を利いて貰って、兄の許しを得て晴れて夫婦になろう。ね、そうしようね、とこういやはりました。うちも嬉しゅうて、本まにその時は泣きましたわ。うちは今でも、かーはんがその時に嘘をいやはったとは、どうしても思われまへん。その時に恰度山の方へ行く事に定《きま》っていましたんで、かーはんは兎に角山に行って来る。帰って来たら、すぐ東京に行って、今いった通り運ぶよって、いうて山へ行かはりました。それきり鼬《いたち》の道だす。山から帰ったとも、東京へ行ったとも、一言もいうて来ず、むろん姿は見せはりやしまへん。それからもう五年経ちますわ。うちは一辺引きましたけンど、河育ちはやっぱり河で死ぬちゅうてな、二度の勤めだす。諦めてンのかって、諦めるよりしようがないやおまへンか。ホヽヽヽ」と、照奴は淋しく笑いましたが、この頃の言葉でいいますと、一抹の悲哀ちゅいますか、何ともいえん悲しい顔付きをしましたので、私は思わずゾッとしたのを、今でもはっきり覚えとります。
 と、この話を聞いた時に、私は之は何か訳があるなと、ピンと来ました。刑事根性といいますかな。どうも物事を真直ぐにとらなくていかんのだすが、殊《こと》にこの時は、何か持ち出そう、と、一生懸命になっている時だすから、尚更ピンと来ました。
 それほど喜んでいながら、上京しない、それほど可愛がって、夫婦とまで約束した女子《おなご》の所へ、一辺に寄りつかなくなる。之は何かあるぞと思いました。
 それからは暫く、南と北の新地にちゃんぽんに通いました。私の一生のうちで一番|華《はなや》かな時だすな。尤も、賄《まかない》は向う持ちで、仕事の為なんだすからあきまへんけンど。
 すると、和武が南の新地に通い出したのは、この二三年のことで、山から帰ってから二三年ばかりは、先生はどこにどうしていたのか、さっぱり分りまへン。あれほど好きだった山登りもふっつり止めてることも発見しました。つまり、和武は山から帰ってから二三年ばかり、全然行方を晦《くら》ましているのだす。
 私はその秘密を探り出そう思うて、浜勇と照奴の間をせっせと往来しましたが、一番変に思われて来たンは、浜勇時代の和武と照奴の花江時代の和武とは、ころッと人が違うているのだす。というても顔や形が違うてる訳やないが、性質がえらい違うてます。花江の話では、和武は会うても口数の少い品のいゝ坊ちゃんやったのが、浜勇の所では、口前のえゝ、世馴れた旦那になっています。尤もその間に五年ほど経っていますさかい、年齢の関係でそう変ったのかも知れまへんが、もう一つ可笑しいのは、浜勇は執拗《しつこ》いいやらしい人やと眉をひそめてるのに、花江の話では、そういう事には、さっぱり冷淡やったいうのです。之も年齢の関係やいうたらそれまでだすが、私はどうも変や思いました。が、私がこいつは十分調べて見る価値があると思うたのは、深い馴染の女でのうては知れん身体の特徴の事で、花江と浜勇との話に、大きな食い違いがあることだした。どうも極《きわ》どい話で恐縮だすが、こんな所まで研究せんならん探偵ちゅう商売の辛い所と、苦心せんならん所を、お認め願いたい思います。
 そこで、私は和武が山から帰ってから二三年の間どこにどうしていたのか、そこに秘密があるに違いないと思うて、一生懸命に調べましたけンど、こいつが一向に分りまへん。結局山に登った前後の事まで突つめんならンようになって来ました。
 和武が二十三四の時に登った山ちゅうのは、乗鞍岳だした。いよ/\こゝへ行きかけた時に、私は泣きとうなりましたな。御承知の通り乗鞍岳は御嶽さんの南にある山だして、御嶽さんよりは鳥渡低いが、三千メートル上あります。北アルプスでは一番南よりの山で、割に登りよいのだそうだすが、どうして、年中雪のある山で、えらいこと、お話しになりまへん。何しろ、今から三十年も以前の話だすさかい、道は悪いし、途中に泊る小屋はなし、私は何の因果で、探偵になったのかいな思いました。南と北の新地で浮かれていた時とは、えらい違いだす。
 和武の登った路は、島々ちゅう所から、梓川《あずさがわ》ちゅう川に沿うて、野麦街道から奈川渡《なかわど》に出て、そこから、大野川に行って、山にかゝり、降りる時は、飛騨側の北平《きたゞいら》の雪渓を渡って、平湯鉱山から平湯に出て、それから高山へ出たらしいのだす。私もその通り行くことにしました。
 登り路は只《たゞ》えらいだけで、別にお話しはございまへん。えゝ景色やなアと思う所もおましたが、辛い方が主で、私は仕事で登りますのやさかい、仕方がありまへんが、こんな所へ楽しみで登らはるとは、一体どういう気やろと、つく/″\思いました。
 和武の登ったのは、もう四五年も以前の事だしたけれども、当時は滅多に人の行く所ではありまへんから、人夫達はよう覚えておりました。けンど、今いいました通り格別の話もなく、無事に頂上につきました。それからいよ/\降《くだ》りだすが、この雪渓渡りちゅうのが、大へんにも何にも、全く生命がけだす。今考えて見てもゾッとするほどで、一ぺん渡ったらどこまで行くか分らず、所々に、クレバスちゅうて、積った雪と雪の間に、大きな亀裂《ひゞ》がおまして、そこへ落ちたら、お終いだす。それに恰度|雪崩《なだれ》の心配のおます時で、えらい時期が悪いのやそうです。そんな事を知らんと、むちゃくちゃに来たような訳で、飛騨の方へ降りる時は、全く何べん生命はないものと思うたかしれまへん。
 飛騨へ降りる時には予《あらかじ》めうち合せて置いて、飛騨の人夫に変った訳だしたが、この人夫の口から、和武の事について、新しい事実を聞き出す事がでけ[#「でけ」に傍点]ました。それは何やいうと、こゝで和武の一行は遭難したんだンな。
 和武の一行は頂上近くで、突然吹雪交りの雨に会うて、動けなくなったのだす。頂上から北平の雪渓の方へ鳥渡降りた所に、小屋がおましたので、一行はそこへ避難しました。すると、間もなく飛騨の方から人夫も連れずに、たった一人で登って来た男がありまして、小屋に飛び込んで来たそうだす。
 一体野麦峠ちゅうのは、信州と飛騨との往還になっておりまして、当時は一日に二人や三人の旅人は通《かよ》ったもンだそうだす。で、そういう旅人は登山家とは違うて、別に人夫を連れたり、特別仕立の服を着たりしまへン。さて、晴れた日に野麦峠を通りますと、そこから乗鞍へは五時間ほどで行けますので、誰でも鳥渡頂上へ行って見たくなる。今いう旅人もそれで、野麦峠からふと乗鞍に登りたくなってやって来た。所が急に雨に会うて、生命から/″\小屋に逃げ込んで来たちゅう訳やったそうだす。
 この雨が中々晴れまへン。四五日籠城していますうちに食糧が心配になって来ました。そこで、晴間を見て、馴れた人夫が平湯まで食糧を取りにおりました。その留守の事だすが、茲《こゝ》に逃げ込んで来た旅人が、クレバスの中に落ちて、行方が分らなくなった椿事《ちんじ》が持ち上りました。
 この時の事を私は何とかして委《くわ》しゅう調べよ思うて、随分苦心しましたけンど、恰度その当時居合した人夫が、死んだり、他所《よそ》へ行ったりして、一人もおりまへん。平湯へ食糧を取りにおりた人夫はおりましたけンど、之は現場に居合さんのやよって、はっきりした事はいえまへん。歯痒《はがゆ》うてしようがおまへなンだが、結局、名前も住んでる所も何も分らん男が一人、雪と雪との間の亀裂《ひゞ》に落ちて死んだちゅう事だけで、委しい事は一向分りまへなンだ。
 で、つまる所、私が態々《わざ/\》乗鞍岳へ登って、得て来たちゅうものは、この一つだけだすが、之が、可成大きな発見だす。以前にも申しました通り、和武はこの時に山から帰ってから、二三年消息を晦《くら》まし、再び現われた時にはころッと性質が変っています。あれほど好きだった山登りもふっつり止めるし、惚れ抜いていた女子の所へも、ふっつり寄りつかなくなるし、喜んでいた上京も止めています。山で何事も起らんで帰って来たンなら兎に角、得体の知れぬ人間が途中で飛び込んで来て、四五日一緒にいて、忽《たちま》ち消えてなくなっております。鳥渡変な事が考えられるやおまへンか。
 そうなると、その変な旅人の人相が問題だすが、之が又はっきり覚えとる人夫があらへンのだす。和武と似ていたかちゅうて訊くと、なンやよう似ていたような気がするちゅう返事で間違えるほど似ていたかちゅうと、それほどでもないと答えるかと思うと、四五日の籠城の時に、一ぺん間違ったことがあるちゅうし、何をいうても山男見たいな人間のいうことで、さっぱり、はっきりした事がいえまへンので、どうにもならんのだす。
 けンど、所謂《いわゆる》情況証拠ちゅう奴が、大分揃うていますさかい、私はえらい大胆な判断やけど、ひょっとしたら、今の和武は偽者やないかしらんちゅう事を砂山さんに報告しました。
 砂山さんは、「ふーん」ちゅうて五分間ほど感心していましたが、「一つ首実験をして見よやないか」といいました。首実験ちゅうても、子爵家の人は十八の年から会わンのやよって、あきまへん。一番適任者は花江の照奴だす。所で、照奴に何ちゅうて和武の首実験をさしたらえゝか、大分苦心しました。結局旨く胡麻化して隙見《すきみ》をさせましたが一ぺンに違うといいまへン。よう似てるが、違う所もあるちゅうような事だす。いっそ、会うて話さしたら思うて、その事をいいましたが、之は照奴は何というても諾《き》きまへン。長うなりますから、省きますけンど、和武の鑑定の事につきましては、砂山さんと二人で、どんだけ苦労したやら知れまへン。
 で、結局、之という動かせない証拠は掴めまへンだしたが、こういう疑いが可成濃厚や、ちゅう事を子爵家に報告しました。
 すると、子爵家に男勝《おとこまさ》りの乳母がいましてな。おせいちゅうんだすが、この人が表向き和明ちゅう子の乳母になっておりますが、実は生みの親だンね、子爵家の縁故のもんで、子爵家の在亡に係る事だすし、現在の生みの子の一大事だすさかい、一生懸命だしてな、私もあれからこっち、あんな激しい気性の女子《おなご》を見た事がおまへン。このおせいさんが、和武に会うて、偽者やったらとっちめてやるちゅうて、諾《き》かはりまへン。子爵家の人もとうとう折れて、和武に会わしたンだす。
 この会見の内容はちょっとも分りまへン。が、その結果、和武は訴訟をすっかり取下げました。それと同時に、和武は東京に永住することになって、子爵家に大手を振って出入するようになりまして、子爵家の事にあれこれと口出しをするようになりましたンや。
 何や、狐に魅《つま》まれたようなお話で、お聞き下さいましたみなさんは、物足らんように思われますやろが、私も実はけったい[#「けったい」に傍点]な気がしました。けンど、私は雇われたンで、成功したちゅうて、ちゃんと報酬も貰いましたし、訴訟も片づき、万事丸う治まったンで、もう之以上何ともしようがありまへン。
 話ちゅうのは之だけで、何や解決したようなせんような、歯痒《はがゆ》い事だすけンど、小説と違うて実話だすさかい、どうもしよがおまへン。けれども、鳥渡毛色の異《ちが》った、面白味のある事件やと思いましたンで、お話し申上げたような訳でござります。

 読み終って、野村は又もやドシンと頭を殴りつけられたような気がした。父の遺書を読んで以来、幾度か驚き、幾度か意外の感に打たれたが、数多い書類を読み進むほど、事件は益々奥深くなり、神秘性を増して、底止《ていし》する所を知らないのだ。
 談話速記には尽《こと/″\》く仮名が使ってあるが、それが二川子爵家の出来事である事は、関係者にとっては余りにも明白だ。三十年も以前の事だと思って、不用意に述べられた談話は、どれだけ重明に打撃を与えたか、想像に余りあることだ。犯罪実話の語手《かたりて》の無責任な態度には、野村は少なからぬ義憤を感じた。
 が、重武が唾棄《だき》すべき詐欺漢《イムポースター》であるとは! 無論確証はない。然し、野村には、そうであることが確かに感ぜられるのだ。さて、この談話速記によって、二川重明はどんな事を感じ、どんな事をしようとしたゞろうか。野村は第三と番号のつけてある、重明の遺書を取上げた。
 野村君、順序通り読んで呉れたと思う。そうして、君はまさか速記の切抜が、僕の家に関係した事であることを否定しはしまい。実はこの速記を手に入れた時に、直ぐ君に相談しようと思ったけれども、君が頭から二川家に無関係であることを主張しやしないかと思って止めたのだ。僕はむろん速記を読み終るのと同時に、この談話の語手である刑事を探した。所が、なんと皮肉に出来ているではないか、彼は僕が探し当てた数日前に、脳溢血で死んでいるのだ! 最早僕にはこの話について、確めるべき人間は一人も残されていないのだ!
 僕が両親の実子でないこと、お清さんと呼んでいた乳母が実母であった事は、それほど僕を驚かさなかった。やっぱりそうだったかと、深い溜息をついただけだった。
 僕は物心のついた頃から、この疑惑に悩まされ続けていたのだ。それは、そういう事を経験した人でなければ、到底想像する事の出来ない苦しみだと思う。父母はどんなにか僕を熱愛して呉れたか。父は早く死んだけれども、母は長く僕を愛し慈《いつくし》んで呉れた。にも係らず、僕は絶えず他に父母を求めているのだ。この事については、最早長くは書くまい。
 叔父重武に関する秘密は、文字通り僕を驚倒させた。本当に僕は一時気が遠くなったほどだった。
 僕は以前から叔父に――といっても叔父その人ではなく、その立場に大へん同情していたのだ。何故なら、彼は妾腹に生れたばかりに、不愉快な生活を余儀なくされて――殊に十一二の年から十八までの二川家の生活は、どんなにか味気ないものだったろうと思う。父に別れてからは周囲は他人ばかりで、唯一の肉親である兄が却って白眼《はくがん》で見るのだ。只一人の同情者も持たない彼が、童心を苛《さい》なまれ、蝕ばまれて行った事がはっきり分るのだ。
 だが、僕は叔父その人には同情が持てなかった。何故なら彼は余りに俗的で、厚顔で金銭慾の強い、凡《およ》そ僕とは対蹠的な人間だったからだった。もし、彼がもっと典雅で、慎しみ深くて、無慾|恬淡《てんたん》だったら、僕は夙《と》うに彼に二川家を譲っていたかも知れぬ。何故なら彼こそ、二川家の正当の相続人なのだ。疑惑に止っていた間でも、僕はそう思っていたのだから、今や僕が二川家に対して、その権利を抛棄すべきであることが、はっきりした場合、一層そうしなければならない筈なのだ。
 けれども、僕はどうしても叔父が好きになれないのだ。そして、なんと、彼は汚らわしい詐欺漢《イムポースター》だというのではないか。むろん、それは確実ではない――けれども、僕はそれが確実のように思えてならないのだ。わが二川家の血統のうちに、あんな俗物が、あんな厚顔強慾の人間が出そうな筈はないと思うのだ。
 と同時に、僕は三十年前の相好と少しも変らないで、大雪渓の下に彫像のように眠っているであろう所の叔父重武が、無限に可憐《いと》しく、いじらしくなって来た!
 もし、今の叔父が偽者《イムポースター》であるならば、真の叔父は何という数奇な可憐な運命を背負った事であろう。刑事某の談話の如く、叔父は純情の持主だったのだ! 恋を語り、山を愛したこと、みな彼の純情のさせた事ではないか。彼はわが二川家の相続人として、十分の資格を備えていたのだ。それが童心を傷けられ、家を出て放浪の旅に登り、漸《ようや》く傷けられた胸を少女の捧ぐる愛と、高山の霊気に癒した時に、彼は恐るべき兇漢の為に、死の深淵に突き落されたのだ!
 が、然し、野村君、果して今の叔父は偽者《イムポースター》だろうか。僕は母以下が僕の素性の暴露するのを恐れて、叔父に関する事件をうやむやに葬り去った事を、心から憎む、鶯《うぐいす》は時鳥《ほととぎす》の卵を育てゝ孵《か》えすというが、その事は彼等の世界には、何等の悲劇も齎《もた》らさないのだろうか。人間の世界では、それは断じて許すべからざることだ。それはすべての関係者を、責め苛み、地獄に落すものだ!
 野村君、僕は一体どうしたらいゝのだろうか。叔父が確かに叔父その人に相違ないのなら、その人物の好悪《よしあし》に関係なく、僕は二川家を譲りたいと思う。何故なら彼が正当の相続者なのだから。けれども、もし彼が偽者《イムポースター》だったら。だが、どうしてそれを区別することが出来るのだ!
 もし真《まこと》の叔父が、大雪渓の下に眠っているのなら――あゝ、野村君、僕はあの呪われた速記を読んだ時以来、夜となく昼となく、この妄念につき纒《まと》われたのだ。
 僕は、仮令《たとえ》それが気違いじみていても、いや、気違いそのものの行為であっても、僕は乗鞍岳の雪渓を発掘せずにはいられなかったのだ。むろん、僕はその前に、乳母であり、僕の実母であった高本清《たかもときよ》を探した。然し、生きている筈なんだが、彼女をどうしても尋ね出すことが出来ないのだ。僕に残された方法は、たった一つだったのだ。
 野村君、僕が雪渓発掘の準備にかゝると、叔父重武は表面は何の動揺も示さなかったが、それ以来は、彼の見えざる看視《かんし》が、見えざる触手が、僕の周囲で犇《ひし》めいている事を僕ははっきり感ずるのだ。決して、それは僕の神経衰弱や、強迫観念のさせる事ではないのだ。
 野村君、僕はどんな困難と闘っても、やり遂げて見せるつもりだ。雪渓の発掘が失敗に終ったら、又別な方法を考えるつもりだ。一生かゝっても、無一文となっても。気違いと嘲けられても、馬鹿と罵られても、叔父が真の叔父か、偽者《イムポースター》であるか、きっと区別をつけるつもりだ。
 野村君、然し、叔父の眼は光っている。彼は僕よりも遙かに狡猾で、冷血で、そして、僕よりも、より絶望的《デスペレート》である筈だ。僕はそれを恐れているのだ。
 野村君、僕が生前僕の心境、僕の決意を、|打明けて《フランクリー》に話さなかった罪を許して呉れ給え。僕自身はこれが遺書になって、君の眼に触れる場合のない事を望んでいるのだ。然し、君は未知の弁護士から、これを僕の遺書として受取るかも知れぬ。その時こそ、僕が尋常の死に方をした時ではない筈だ。
 仮令《たとえ》僕が尋常でない死に方をしたといっても、僕は君にどうして呉れとは要求出来ないし、又要求もしない。どうか、君の思う通りにして呉れ給え。
 それから特につけ加えて置くが、僕は近頃不眠症が嵩じて、毎夜催眠剤を執っている。然し、断じて自殺などはしないから、自殺どころではない、重武との勝負がすむまで、うっかり病死も出来ないのだ。その点はしっかり考慮に入れて置いて呉れ給え。

          

 父の遺書から二川重明の遺書へと読み続けた野村は、昂奮から昂奮への緊張で、すっかり疲労して終った。
 重明が何故乗鞍岳の飛騨側の雪渓の発掘などと途方もない事を企てたのか、はっきり知る事が出来た。彼の行為そのものは気違いじみていたけれども、それは健全な頭から考え出されたものだった。彼は決して発狂したのではなかった。又、自殺を企てるような精神|耗弱者《もうじゃくしゃ》ではなかった。それ所ではない。彼はその遺書で、堅く自殺を否定しているのだ!
 然らば彼の死は?
 野村は今までに何度となく感じた所の、重明に対する友情の足らなかった事を、又もや強く感じるのだった。生前もっと相談相手になればよかった。こちらがもっと親身にすれば、彼の方だって、きっともっと打明けた態度になったであろう。生前にこの事実を知ったら、何か旨い忠告が試みられたかも知れない――が、すべては後の祭りだった。
 野村は、彼を信頼して、死後遺書を送って来た重明に対して、どうしたらいゝだろうか。
 すべては翌日の問題として、その夜は眠られぬまゝに明かした。

 警察或いは検事局に告発するという事が、翌朝野村の頭に浮んだ最初のものだったが、彼は少し躊躇した。そうした官署へ告発すべく、内容が余りに怪奇で、曖昧で、確証が少しもないのだ。私立探偵を、と考えたが、之は適当な人も思い浮ばなかったし、効果もどうかと思ったので、直ぐその考えを止めた。
 で、結局、野村自身が探偵に従事することにした。

 野村は二川邸に向った。一度聞いた事ではあるが、もう一度委しく重明の屍体発見当時の事を聞かなくてはならないのだ。
 昨日解剖の為に屍体が大学へ持って行かれたので、予定が一日延びて、いよ/\今夜最後の通夜をして、明日は荼毘《だび》に附する事になっていた。
 重武は葬儀委員長という格で、相変らず何くれと采配を振っていた。野村を見ると、
「やア」
 と、愛想よく挨拶《あいさつ》したが、思いなしか、野村にはそれが、態《わざ》とらしく聞えた。何だかジロリと探るような眼つきで見られたような気がした。そんな事は野村の邪推であるとしても、重武が何となく嬉しそうで、それを隠そうとして隠し切れず、変にソワ/\している事だけは、間違いはなかった。
 野村は重明の棺の安置した部屋で焼香をすませると、ソッと立って、廊下の所で小間使の千鶴を呼留めて、廊下の傍の洋室へ彼女を招き入れた。
「鳥渡《ちょっと》聞きたい事があるのだけれども」
 野村は何気なくいった積りだったが、やはりどことなく緊張していたと見えて、千鶴は、急に顔の筋を引締めて、
「は」
 と言葉少なに答えた。
「確か、あんたが最初に重明さんの死んでいるのを発見したんだったね」
「は」
「十時頃だったね」
「は、十時に二三分過ぎていましたと思います。時計を見ますと、そんな時刻でしたから、鳥渡御様子を見に参りました」
「その前に誰も部屋に這入らなかった?」
「はい、御前さまの部屋へは、私以外の方は出入しないことになっております」
「然し、もしかしたら、誰かゞ――」
「私が起きましてからは、お部屋に注意いたしておりましたから、決してそんな筈はございません」
「では、前の晩は」
「九時半頃、寝室にお這入りになりました。そして、私が持って参りましたコップの水で、お薬をお呑みになりまして、『お寝《やす》み』と仰有《おっしゃ》いましたので、私はお部屋を出ました。それっきり今朝まで、私はお部屋に這入りませんでした」
「部屋は中から締りが出来るのかね」
「いゝえ、誰でも出入が出来ます」
「じゃ、昨夜十時すぎから今朝までのうち、誰でも出入出来る訳だね」
「はい――でもどなたも出入などなさらなかったと思います。本当に御前様がお自殺遊ばさるなんて、夢のようでございます」
 千鶴はもう涙ぐんでいた。
「前の日、誰か客はなかったかね」
「どなたもお出《いで》になりませんでした」
「重武さんは、昨日より以前に、一番近く、いつ頃来られた?」
 野村は重武がどこかの隅から、彼をじっと見詰めているような気がした。事によると、実際に、廊下の外から扉《ドア》に耳を当てゝいるかも知れないのだ。
 千鶴はちょっと考えて、
「暫くお見えになりませんでした」
「そう」
 と、野村は直ぐに話題を転じて、
「重明さんの呑んだ薬というのは、いつも呑んでいた催眠薬に違いなかった?」
「えゝ、太田さまから頂く薬でございました」
「薬は誰が貰いに行くの」
「私が隔日に頂きに参ります。恰度その日の朝頂いて来たばかりでございました」
「他に薬はなかった?」
「えゝ、他に召し上るような薬はございませんでした」
「むろん、他に何か呑んだような形跡はなかったんだね」
「はい、別に見当りませんでした」
「有難う」
 野村は部屋を出た。

 重武は二川邸に暫く立寄らなかったという。彼が催眠剤を恐しい毒薬にスリ替えたとは思われない。重武からどんな薬を貰ったとしても、重明がそれを呑む気遣いはないのだ。子爵家の雇人は千鶴を始め、すべて信頼の置けるものばかりだ。殊に千鶴は情のある淑やかな娘で、身許も確かだし、女学校も出ているし、重明が安心して、身の廻り万端の世話をさしているので、重武に買収されて、医師の薬を毒薬にスリ替えるような大それた事は、絶対にするとは思えない。
 初めの野村の考えでは、当日重武が何食わぬ顔をして、ブラリと遊びに来て、巧みにスリ替えて行ったのではないかと思ったが、重武は当日は愚か、暫く二川家に立寄っていないのだ。当日は別に客はなかったというし、家の者には疑いを掛けるようなものは全然見当らないのだ。
 やはり自殺したのか。それとも過失死か?
 遺書には断じて自殺などしないと書いてあったけれども、人間の頭はどんな事で狂うかも知れぬ。突発的の発作で、自殺しないとも限らぬ。他殺だと考えられる点が全然ないではないか。
 過失死とすると――そうだ、太田医師の投薬の誤りかも知れない。野村はぎょっとした。医師が自分の過失を隠す。之はあり得る事だ。
 野村は口実を作って、二川邸を出た。そして、そこから余り遠くない太田医院に急いだ。

 太田医師というのは、丸顔のでっぷりした体格の、信頼出来そうなタイプの人だった。医院も大きくて堂々としていた。
「可成ひどい不眠症のようでして」と、太田医師は極めて気軽に話して呉れるのだった。「普通の人ならどうかと思われる位の量でしたが、あの方なら二回分一|時《どき》に呑んでも大丈夫です。何しろ、ひどい神経衰弱ですから、危いと思って、二回分しか渡さず、それだけの用心をして置いたのです。決して調剤の間違いじゃありません。私の方には専門の薬剤師が置いてありまして、責任を持って調製いたしておりますから、絶対に間違いはありません。殊にですな、解剖の結果、益々当方の過ちでない事が証明されましたよ。というのは、二川子爵は全然私達の薬局に備えつけてないような猛毒性のアルカロイドを摂取しておられるんですよ」
「解剖の結果、分ったのですか」
「えゝ」
 と、この時に野村は重大な事を思い出した。今までどうして気がつかなかったのだろうと思いながら、
「こちらで頂いた催眠剤は二回分あった訳ですな」
「そうです」太田医師は直ぐうなずいて、「当日取りに来たのでしたから、二回分あった筈です」
「すると、残りの一回はどうなったのでしょうか」
「二回分一緒にやっちゃったのですよ」
「二回分?」
「えゝ、今までに例のないことで、二川子爵は私を信頼して呉れましたし、中々よく医師のいいつけを守る患者で、之まで二回分を一度に呑むなんて事はなかったのでしたが、死を一層確実にしようと考えられたのでしょうかね。二度分を一|時《どき》に呑まれましたよ」
「然し――」
 そういう猛毒性の立どころに死ぬような毒薬を煽《あお》った者が、今更一回分の催眠剤を追加して見た所で仕方のない事ではないか。小間使の千鶴の前では確か一回分しか呑まなかった筈だ。これは小間使を安心させて、自殺することを悟られない為の用心と見られるが、小間使が出て行ってから、毒薬と一緒に残ったもう一回分の催眠剤を取ったのは可怪《おか》しいではないか。
 野村はこの事をいおうと思ったが、別に必要もない事だと思って直ぐ止めた。そして、
「どうもいろ/\有難うございました」
 といって、太田医院を出た。

 彼は再び二川邸に行った。
 そうして、もう一度千鶴を別室に呼んだ。
 重武が異様な眼で彼の行動を見守っているであろう事は、十分察せられたが、今は、そんな事を考慮に入れていられなかった。
「度々《たび/\》だけれども」野村は千鶴の利発らしい顔をじっと見つめながら、「前の晩、君が水を持って行った時に、重明さんは催眠剤を呑んだというが、むろん一回分だったろうね」
「はい、一度分でございました。一服だけ召し上って、もういゝからあっちへお出《いで》、おやすみと仰有《おっしゃ》いました」
「すると、もう一服残っていたね」
「はい」
「それで、翌日の朝部屋に行った時に、その残りの一服はどうなっていた?」
「覚えておりません」
 千鶴は始めて気がついたように、ぎょッとしながら、
「本当にうっかりしておりました。御前様が床の中から半分身体を出して、両手を拡げて死んでいらっしゃいましたので、つい、その方に気を取られまして、お薬の方は少しも気がつきませんでした。どうなったのでございましょうか」
「御前様が死んでおられるのを発見した時に、君は、どうしたの?」
「御前さまが大へんですッといって大声を上げました。そしたら、直ぐに市ヶ谷さまが飛んでお出になりました――」
「なにッ、市ヶ谷さまだって」
 野村は吃驚《びっくり》した。重武は市ヶ谷に住んでいたので、二川子爵家の雇人達は市ヶ谷さまと呼んでいたのだった。
 千鶴は野村の剣幕が激しいので、呆気にとられながら、
「はい」
「だって、君は重武さんは暫く見えなかったといったじゃないか」
「それは前の日までの事のように伺いましたから。当日の朝九時頃に参られましたのでございます」
「九時頃に」
「はい、御前さまは未だお寝み中です、と申し上げましたら、格別急ぐ用でもないから、待っていようと仰有いましたので――」
「そうか。それで君は十時頃部屋へ様子を見に行ったのだね」
「はい、それもございましたけれども、いつも朝早く一度お眼覚めになります習慣でしたので、少し心配になりまして見に行きましたのでございます」
「重武さんが見に行けといったのではなかったんだね」
「はい、市ヶ谷さまは何とも仰有いませんでした」
「それで、君が大声を上げると真先に重武さんが飛んで来られたのだね」
「はい」
「それからどうした?」
「市ヶ谷さまが、之は大変だ、直ぐ警察へ電話を掛けろ。誰も触っちゃいかんぞ、と仰有いました」
「警察へ――ふん、医者を呼べとはいわれなかったか」
「はい、その時は仰有いませんでした。後に太田さんを呼べと仰有いましたけれども」
 重武は何故重明が死んでいるのを見て、医師より先に警察を呼べといったか。秘密にする必要があるとはいえ、親しいものにも通知をしなかった点、又、真先に部屋に飛び込んだ点など、疑えばいくらでも疑える事ではないか。
 仮りに重武が薬をスリ替えたのだとすると、彼は残りの一服をどうかしなければならないのだ。それには太田医院の薬局にもないような新しく発見された猛毒が這入っているのだから、到底太田医院の調剤の過ちという事には出来ないのだ。彼は恐らく残った一服の内容をどこかへ明けて終《しま》って、重明が呑んで終ったように見せかけたのに違いない。何故なら太田医師は二服とも重明が呑んだものと信じているから、彼が駆けつけた時には、そうした状態になっていたのに相違ないのだ。
 だが、重武は一体いつ、どうして薬をスリ替える事が出来たろうか。

 野村は余り長く千鶴と対談していては、重武に益々怪しまれると思って、部屋を出て何気ない顔をして、棺の飾ってある部屋に行って、そこに坐った。
 けれども、彼の頭はどういう経路で、催眠剤が毒薬に変ったか、そればかり考えていた。
 太田医院の薬剤師を買収する、そんな事は考えられない。重武がそっと太田医院の薬局に忍び込んで、催眠剤の這入っている瓶の中味を、毒薬に変える、そんな事も出来そうにないのだ。第一後ですぐ発見される恐れがあるし、太田医院は整然としていて、無闇に薬局に這入ることは出来ないし、それに重武にそれだけの薬学の知識があろうはずがないのだ。
 薬局でスリ変えられたのでもなければ、二川家の邸内でスリ変えられたものでもないとすれば、医院から家へ持って帰る途中でスリ替えられたと考えるより他に仕方がないのだ。
 野村はハッと思いついて、部屋を出て、三度《みたび》千鶴を別室に連れ込んだ。
「君、最後に太田医院から薬を貰って来た時に、何か変った事が起りはしなかったか」
「いゝえ、別に」
「例えば、人に突当られたとか、何か貰ったとか、話かけられたとか――」
「いゝえ、そんな事はございません」
「では、途中でどこかに寄りはしなかったか」
「鳥渡買物に寄りました」
「なにッ、買物に。そこで君は薬包をどこかへ置きはしなかったか」
「いゝえ」
「ひょっと落して、人が拾って渡したようなことはなかったか」
「いゝえ」
「では、初めからずっと持ち続けていたんだね」
「はい」
「薬包はむき出しに持っていたのかね」
「いゝえ、松屋の風呂敷に包んで持っていました」
「松屋の風呂敷というと、あそこでお得意先にお使いものにしているものだね」
「はい、錦紗《きんしゃ》の風呂敷で松に鶴の模様がついております」
「ふうむ」
 野村はじっと考え込んだ。
 千鶴は漸く野村の考えている事が分って来たので、心配そうに野村の顔を見上げて、やはり何事か考えていたが、
「野村さま。アノ日には何事もございませんでしたが、その前には時々変な事がございました」
「え? ど、どんな事が――」
「二日目毎にお薬を頂戴に参りますのですけれども、この頃何だか変な人が始終私をつけているような気がいたしました」
「つけている?」
「はい、といっても、確かにそうだとはいえないんでございますけれども、行き帰りには何となくつけられているようなんですの」
「どんな人間に?」
「それがはっきり分らないのでございますよ。若い人のようだったり、年寄のようだったり、この人といい切れませんの」
「じゃ、つまり薬を貰いに行く往き帰りに、君をつけている人がある。然し、その都度違った人間だというんだね」
「えゝ、一度こんな事がありました。ずっと以前なんですけれども、お薬を貰って帰りがけに、買物に寄りまして、その店へ鳥渡薬を入れた風呂敷を置きましたの。そうしたら、鳥渡横向いている間に、それを取り上げた人がありますの。私|吃驚《びっくり》いたしまして、あゝ、それは私のでございますといいますと、その人は、之は失礼、風呂敷が同じだったもので間違いました、といって、私に渡しながら、でも大切なものはこんな所に置かない方がようございますね、と申しました」
「うむ」
「黒眼鏡を掛けた方で、黒眼鏡の他には之といって変った所はないのですけれども、私はどうしたものかとても嫌な気持になりまして、頭から水を浴せられたようにゾッといたしました。それ以来、薬包は絶対に手放さないようにして、帰りにも、なるべく寄り道をしないようにいたしておりました」
「うむ」
 野村にはすっかり分ったような気がした。重武は変装して千鶴につき纒って、絶えず薬包を狙っていたのだ! 隙さえあれば毒薬とスリ替えようとしているのだ。彼は予《あらかじ》め太田医院の薬袋紙《やくたいし》と外袋とを手に入れ、それには一見区別の出来ないように、それ/″\記入をして、その包紙の中には毒薬を入れ、千鶴の持っているのと同じ風呂敷を用意して、機会を待ち構えているのだった。
 だが、問題の日に千鶴は、買物には立寄ったけれども、薬を入れた包は一時も手から放さなかったという。では、いつどうしてスリ替える事が出来たろうか。
 何か千鶴が思い違いをしているのではなかろうか。買物をした時に、鳥渡どこかへ置いたものではなかろうか。
「一昨日《おとゝい》薬を貰って帰る時、本当に薬包を手放した事はないかね」
 野村はもう一度念を押した。
「決して手から放しません。絶対に間違いございません」
 千鶴はきっぱりと答えた。

 野村は座に居たゝまらなかった。
 彼は再び口実を設けて外に出た。
(うぬッ、重武なんかに負けて耐《たま》るものか。そやつの考え出した事が、俺に考えつかないなんて、そんな法があるものか)
 野村は必死になって考え続けながら、その辺を歩き廻った。
 ふと、気がつくと、彼は太田医院の前を歩いていた。正午近い時だったが、玄関には薬を貰う人達が群れていた。
 野村は立止った。
 今しも調剤した薬が、薬局の狭い口から出されて、看護婦が「誰々さん」と呼んだ。薬瓶と薬袋とは暫く、窓口の前の小さな台の上に乗っていた。やがて、女中らしい恰好した者がそれに進み出た。と、それと前後して、一人の中年の男が窓口に近づいた。
 野村はハッと気がついた。彼は躍り上った。そうして、医院の中にツカ/\と這入って、太田医師に頼んで、薬局係りの看護婦に会せて貰った。
 野村の呼吸《いき》は弾んでいた。
「一昨日ですね、二川さんから薬を取りに来た時の事を思い出して下さい。あなたが窓から出しましたか」
「はい、二川さんと呼んで、台の上に置きました」
「その時にですね、窓の側《そば》に誰かいませんでしたか」
「さア」と看護婦は鳥渡考えて、「一昨日の事ですから、よく覚えていませんけれども」
「思い出して下さいませんか」
「どなたかおられたかも知れません。然し、どうもよく覚えておりません」
「そうですか」野村はがっかりして、「では、昨日か今日薬取りに来なければならん人が、来ないという事はありませんか」
「あア、調べて見なければ分りませんけれども――一人ありますわ。一昨日初めて来られた方で、今日お出にならない方が」
「何という人ですか」
「えゝと、確か野村儀造と仰有いました」
「えッ」野村は飛上った。
 もう疑う余地はないのだ。重武は変装して、人もあろうに野村の父の名を騙って、太田医院で診察を受け、薬を貰う風をして、薬局の窓口にいて、二川さんといって看護婦が差出して台の上に置いた薬を、素早く毒薬とスリ替えて終《しま》ったのだ!
 だが――野村は帰り途で、低く頭を垂れながら考えるのだった。――太田医師と看護婦は果して、野村儀造と名乗った男を二川重武に違いないと証明するだろうか。重武はむろん否定するだろう。又仮りにそれが認められたとして、窓口で薬をスリ替えた事実が認められるだろうか。むろん重武は絶対に否認するに極っているのだ。偽名して診察を受けた事は不利ではあるが、それが何か恥かしい病気であれば、大して非難も出来ない事ではないか。それに彼が今日診察を受けに来ないのは、当然なのだ。彼は二川家で忙《せわ》しく采配を振っているのだ。
 検事局は告発は受理して呉れるとしても、果して検挙するだろうか。検挙しても起訴出来るだろうか。
 野村には重武の罪が明々白々のように思われた。然し、彼を罰せしむべく、十分の自信がないのだ。
 多くの事は時が解決して呉れる。然し、この事件に限り、時が経てば経つほど駄目になるのだ。赤いうちに打たねばならぬ鉄なのだ。
 野村はいら/\しながら、当度《あてど》もなく歩き廻っていた。

          

 翌日午後二時、青山斎場で二川重明の神式による葬儀がしめやかに行われた。
 斎主は二川家の相続者たる重武だった。
 重武は真白な喪服をつけて、玉串《たまぐし》を捧げて多数の会葬者の見守る中を、しず/\と祭壇に近づいた。
 と、突然、会葬者の中から脱兎の如く飛出して、重武に飛びついた者があった。
 それが中年の婦人であること、重武の純白の式服がみる/\真赤になって、彼がバッタリと斃れたこと。加害者たる中年の婦人が、返す刃《やいば》で咽喉を掻き切って、その上に折り重なったこと、それは全く瞬間的に、会葬者の眼に映じた事だった。彼等は恰《あたか》も悪夢を見るように暫くは呆然としていた。
 加害者の婦人は五十五六の品のいゝ老婆だった。即座に縡切《ことき》れたので、むろん、姓名も住所も分らなかった。
 野村儀作にだけ、この加害者婦人が、何という名で、何の目的で重武を斃したのか、はっきり分っていた。
 然し、彼は誰にもその事をいわなかった。
 こうして、由緒ある二川家は遂に断絶したのだった。
(〈新青年〉昭和十年八、九月号連載)

底本:「日本探偵小説全集1 黒岩涙香 小酒井不木 甲賀三郎集」創元推理文庫、東京創元社
   1984(昭和59)年12月21日初版
   1996(平成8)年8月2日8版
初出:「新青年」
   1935(昭和10)年8、9月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:網迫、土屋隆
校正:小林繁雄
2005年11月1日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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