見るさえまばゆかった雲の峰《みね》は風に吹《ふ》き崩《くず》されて夕方の空が青みわたると、真夏とはいいながらお日様の傾《かたむ》くに連れてさすがに凌《しの》ぎよくなる。やがて五日|頃《ごろ》の月は葉桜《はざくら》の繁《しげ》みから薄《うす》く光って見える、その下を蝙蝠《こうもり》が得《え》たり顔にひらひらとかなたこなたへ飛んでいる。
主人《あるじ》は甲斐甲斐《かいがい》しくはだし尻端折《しりはしょり》で庭に下り立って、蝉《せみ》も雀《すずめ》も濡《ぬ》れよとばかりに打水をしている。丈夫《じょうぶ》づくりの薄禿《うすっぱげ》の男ではあるが、その余念《よねん》のない顔付はおだやかな波を額《ひたい》に湛《たた》えて、今は充分《じゅうぶん》世故《せこ》に長《た》けた身のもはや何事にも軽々《かろがろ》しくは動かされぬというようなありさまを見せている。
細君は焜炉《しちりん》を煽《あお》いだり、庖丁《ほうちょう》の音をさせたり、忙《いそ》がしげに台所をゴトツカせている。主人が跣足《はだし》になって働いているというのだから細君が奥様然《おくさまぜん》と済《すま》してはおられぬはずで、こういう家の主人《あるじ》というものは、俗にいう罰《ばち》も利生《りしょう》もある人であるによって、人の妻たるだけの任務は厳格に果すように馴《な》らされているのらしい。
下女は下女で碓《うす》のような尻を振立《ふりた》てて縁側《えんがわ》を雑巾《ぞうきん》がけしている。
まず賤《いや》しからず貴《とうと》からず暮《く》らす家の夏の夕暮れの状態としては、生き生きとして活気のある、よい家庭である。
主人は打水を了《お》えて後満足げに庭の面を見わたしたが、やがて足を洗って下駄《げた》をはくかとおもうとすぐに下女を呼《よ》んで、手拭《てぬぐい》、石鹸《シャボン》、湯銭等を取り来らしめて湯へいってしまった。返って来ればチャンと膳立《ぜんだ》てが出来ているというのが、毎日毎日版に摺《す》ったように定《き》まっている寸法と見える。
やがて主人はまくり手《で》をしながら茹蛸《ゆでだこ》のようになって帰って来た。縁に花蓙《はなござ》が敷《し》いてある、提煙草盆《さげたばこぼん》が出ている。ゆったりと坐《すわ》って烟草《たばこ》を二三服ふかしているうちに、黒塗《くろぬり》の膳は主人の前に据《す》えられた。水色の天具帖《てんぐじょう》で張られた籠洋燈《かごランプ》は坐敷《ざしき》の中に置かれている。ほどよい位置に吊《つる》された岐阜提灯《ぎふぢょうちん》は涼《すず》しげな光りを放っている。
庭は一隅《ひとすみ》の梧桐《あおぎり》の繁みから次第に暮れて来て、ひょろ松《まつ》檜葉《ひば》などに滴《したた》る水珠《みずたま》は夕立の後かと見紛《みまご》うばかりで、その濡色《ぬれいろ》に夕月の光の薄く映ずるのは何とも云《い》えぬすがすがしさを添《そ》えている。主人は庭を渡《わた》る微風《そよかぜ》に袂《たもと》を吹かせながら、おのれの労働《ほねおり》が為《つく》り出した快い結果を極めて満足しながら味わっている。
ところへ細君は小形の出雲焼《いずもやき》の燗徳利《かんどくり》を持って来た。主人に対《むか》って坐って、一つ酌《しゃく》をしながら微笑《えみ》を浮《うか》べて、
「さぞお疲労《くたびれ》でしたろう。」
と云ったその言葉は極めて簡単であったが、打水の涼しげな庭の景色《けしき》を見て感謝の意を含《ふく》めたような口調《くちぶり》であった。主人はさもさも甘《うま》そうに一口|啜《すす》って猪口《ちょく》を下に置き、
「何、疲労《くたびれ》るというまでのことも無いのさ。かえって程好《ほどよ》い運動になって身体《からだ》の薬になるような気持がする。そして自分が水を与《や》ったので庭の草木の勢いが善くなって生々《いきいき》として来る様子を見ると、また明日《あした》も水撒《みずまき》をしてやろうとおもうのさ。」
と云い了《おわ》ってまた猪口を取り上げ、静《しずか》に飲み乾《ほ》して更《さら》に酌をさせた。
「その日に自分が為《や》るだけの務めをしてしまってから、適宜《いいほど》の労働《ほねおり》をして、湯に浴《はい》って、それから晩酌に一盃《いっぱい》飲《や》ると、同じ酒でも味が異《ちが》うようだ。これを思うと労働ぐらい人を幸福にするものは無いかも知れないナ。ハハハハハ。」
と快げに笑った主人の面からは実に幸福が溢《あふ》るるように見えた。
膳の上にあるのは有触《ありふ》れた鯵《あじ》の塩焼だが、ただ穂蓼《ほたで》を置き合せたのに、ちょっと細君の心の味が見えていた。主人は箸《はし》を下《くだ》して後、再び猪口を取り上げた。
「アア、酒も好い、下物《さかな》も好い、お酌はお前だし、天下|泰平《たいへい》という訳だな。アハハハハ。だがご馳走《ちそう》はこれっきりかナ。」
「オホホ、厭《いや》ですネエ、お戯謔《ふざけ》なすっては。今|鴫焼《しぎやき》を拵《こしら》えてあげます。」
と細君は主人が斜《ななめ》ならず機嫌《きげん》のよいので自分も同じく胸が闊々《ひろびろ》とするのでもあろうか、極めて快活《きさく》に気軽に答えた。多少は主人の気風に同化されているらしく見えた。
そこで細君は、
「ちょっとご免《めん》なさい。」
と云って座を立って退いたが、やがて鴫焼を持って来た。主人は熱いところに一箸つけて、
「豪気《ごうぎ》豪気。」
と賞翫《しょうがん》した。
「もういいからお前もそこで御飯《ごぜん》を食べるがいい。」
と主人は陶然《とうぜん》とした容子《ようす》で細君の労を謝して勧めた。
「はい、有り難う。」
と手短に答えたが、思わず主人の顔を見て細君はうち微笑《ほほえ》みつつ、
「どうも大層いいお色におなりなさいましたね、まあ、まるで金太郎のようで。」
と真《しん》に可笑《おかし》そうに云った。
「そうか。湯が平生《いつも》に無く熱かったからナ、それで特別に利いたかも知れない。ハハハハ。」
と笑った主人は、真にはや大分とろりとしていた。が、酒呑《さけのみ》根性《こんじょう》で、今一盃と云わぬばかりに、猪口の底に少しばかり残っていた酒を一息に吸い乾してすぐとその猪口を細君の前に突《つ》き出した。その手はなんとなく危《あやう》げであった。
細君が静かに酌をしようとしたとき、主人の手はやや顫《ふる》えて徳利の口へカチンと当ったが、いかなる機会《はずみ》か、猪口は主人の手をスルリと脱《ぬ》けて縁に落ちた。はっと思うたが及ばない、見れば猪口は一つ跳《おど》って下の靴脱《くつぬぎ》の石の上に打付《ぶつか》って、大片《おおきいの》は三ツ四ツ小片《ちいさい》のは無数に砕《くだ》けてしまった。これは日頃主人が非常に愛翫《あいがん》しておった菫花《すみれ》の模様の着いた永楽《えいらく》の猪口で、太郎坊太郎坊と主人が呼んでいたところのものであった。アッとあきれて夫婦はしばし無言のまま顔を見合せた。
今まで喜びに満されていたのに引換《ひきか》えて、大した出来ごとではないが善いことがあったようにも思われないからかして、主人は快く酔《よ》うていたがせっかくの酔《よい》も興も醒《さ》めてしまったように、いかにも残念らしく猪口の欠けを拾ってかれこれと継《つ》ぎ合せて見ていた。そして、
「おれが醺《よ》っていたものだから。」
と誰《だれ》に対《むか》って云うでも無く独語《ひとりごと》のように主人は幾度《いくど》も悔《くや》んだ。
細君はいいほどに主人を慰《なぐさ》めながら立ち上って、更に前より立優《たちまさ》った美しい猪口を持って来て、
「さあ、さっぱりとお心持よく此盃《これ》で飲《あが》って、そしてお結局《つもり》になすったがようございましょう。」
と慇懃《まめやか》に勧めた。が、主人はそれを顧みもせずやっぱり毀《こわ》れた猪口の砕片《かけら》をじっと見ている。
細君は笑いながら、
「あなたにもお似合いなさらない、マアどうしたのです。そんなものは仕方がありませんから捨てておしまいなすって、サアーツ新規に召し上れな。」
という。主人は一向言葉に乗らず、
「アア、どうも詰《つ》まらないことをしたな。どうだろう、もう継げないだろうか。」
となお未練《みれん》を云うている。
「そんなに細《こま》かく毀れてしまったのですから、もう継げますまい。どうも今更仕方はございませんから、諦《あきら》めておしまいなすったがようございましょう。」
という細君の言葉は差当って理の当然なので、主人は落胆《がっかり》したという調子で、
「アア諦めるよりほか仕方が無いかナア。アアアア、物の命数には限りがあるものだナア。」
と悵然《ちょうぜん》として嘆《たん》じた。
細君はいつにない主人が余りの未練さをやや訝《いぶか》りながら、
「あなたはまあどうなすったのです、今日に限って男らしくも無いじゃありませんか。いつぞやお鍋《なべ》が伊万里《いまり》の刺身皿《さしみざら》の箱を落して、十人前ちゃんと揃《そろ》っていたものを、毀したり傷物にしたり一ツも満足の物の無いようにしました時、傍《そば》で見ていらしって、過失《そそう》だから仕方がないわ、と笑って済ましておしまいなすったではありませんか。あの皿は古びもあれば出来も佳《よ》い品で、価値《ねうち》にすればその猪口とは十倍も違《ちが》いましょうに、それすら何とも思わないでお諦めなすったあなたが、なんだってそんなに未練らしいことを仰《おっ》しゃるのです。まあ一盃《ひとつ》召《め》し上れな、すっかり御酒《ごしゅ》が醒《さ》めておしまいなすったようですね。」
と激《はげ》まして慰めた。それでも主人はなんとなく気が進まぬらしかった。しかし妻の深切《しんせつ》を無にすまいと思うてか、重々しげに猪口を取って更に飲み始めた。けれども以前のように浮き立たない。
「どうもやはり違った猪口だと酒も甘《うま》くない、まあ止めて飯《めし》にしようか。」
とやはり大層|沈《しず》んでいる。細君は余り未練すぎるとややたしなめるような調子で、
「もういい加減にお諦らめなさい。」
ときっばり言った。
「ウム、諦めることは諦めるよ。だがの、別段未練を残すのなんのというではないが、茶人は茶碗《ちゃわん》を大切《だいじ》にする、飲酒家《さけのみ》は猪口を秘蔵にするというのが、こりゃあ人情だろうじゃないか。」
「だって、今出してまいったのも同じ永楽ですよ。それに毀れた方はざっとした菫花《すみれ》の模様で、焼も余りよくありませんが、こちらは中は金襴地《きんらんじ》で外は青華《せいか》で、工手間《くでま》もかかっていれば出来もいいし、まあ永楽という中《うち》にもこれ等《ら》は極上《ごくじょう》という手だ、とご自分で仰《おっし》ゃった事さえあるじゃあございませんか。」
「ウム、しかしこの猪口は買ったのだ。去年の暮におれが仲通の骨董店《どうぐや》で見つけて来たのだが、あの猪口は金銭《おあし》で買ったものじゃあないのだ。」
「ではどうなさったのでございます。」
「ヤ、こりゃあ詰らないことをうっかり饒舌《しゃべ》った。ハハハハハ。」
と紛《まぎ》らしかけたが、ふと目を挙《あ》げて妻の方を見れば妻は無言で我が面をじっと護《まも》っていた。主人もそれを見て無言になってしばしは何か考えたが、やがて快活《きさく》な調子になって、
「ハハハハハハ。」
と笑い出した。その面上にははや不快の雲は名残《なごり》無く吹き掃《はら》われて、その眼《まなこ》は晴やかに澄《す》んで見えた。この僅少《わずか》の間に主人はその心の傾《かたむ》きを一転したと見えた。
「ハハハハ、云うてしまおう、云うてしまおう。一人で物をおもう事はないのだ、話して笑ってしまえばそれで済むのだ。」
と何か一人で合点《がてん》した主人は、言葉さえおのずと活気を帯びて来た。
「ハハハハハ、お前を前に置いてはちと言い苦《にく》い話だがナ。実はあの猪口は、昔《むかし》おれが若かった時分、アア、今思えば古い、古い、アアもう二十年も前のことだ。おれが思っていた女があったが、ハハハハ、どうもちッと馬鹿《ばか》らしいようで真面目《まじめ》では話せないが。」
と主人は一口飲んで、
「まあいいわ。これもマア、酒に酔ったこの場だけの坐興で、半分位も虚言《うそ》を交《ま》ぜて談《はな》すことだと思って聞いていてくれ。ハハハハハ。まだ考のさっぱり足りない、年のゆかない時分のことだ。今思えば真実《ほんと》に夢《ゆめ》のようなことでまるで茫然《ぼんやり》とした事だが、まあその頃はおれの頭髪《あたま》もこんなに禿《は》げてはいなかったろうというものだし、また色も少しは白かったろうというものだ。何といっても年が年だから今よりはまあ優《ま》しだったろうさ、いや何もそう見っともなく無かったからという訳ばかりでも無かったろうが、とにかくある娘に思われたのだ。思えば思うという道理で、性《しょう》が合ったとでもいう事だったが、先方《さき》でも深切にしてくれる、こっちでもやさしくする。いやらしい事なぞはちっとも口にしなかったが、胸と胸との談話《はなし》は通って、どうかして一緒《いっしょ》になりたい位の事は互《たがい》に思い思っていたのだ。ところがその娘の父に招《よ》ばれて遊びに行った一日《あるひ》の事だった、この盃で酒を出された。まだその時分は陶工《やきものし》の名なんぞ一ツだって知っていた訳では無かったが、ただ何となく気に入ったので切《しきり》とこの猪口を面白《おもしろ》がると、その娘の父がおれに対《むか》って、こう申しては失礼ですが此盃《これ》がおもしろいとはお若いに似ずお目が高い、これは佳いものではないが了全《りょうぜん》の作で、ざっとした中にもまんざらの下手《へた》が造ったものとは異《ちが》うところもあるように思っていました、と悦《よろこ》んで話した。そうすると傍《そば》に居た娘が口を添えて、大層お気に入ったご様子ですが、お気に召しましたのは其盃《それ》の仕合せというものでございます、宜《よろ》しゅうございますからお持帰下さいまし、失礼でございますけれど差上げとうございます、ねえお父様、進上《あ》げたっていいでしょう、と取りなしてくれた。もとより惜むほどの貴いものではなし、差当っての愛想《あいそ》にはなる事だし、また可愛《かわい》がっている娘の言葉を他人《ひと》の前で挫《くじ》きたくもなかったからであろう、父《おや》は直《ただち》に娘の言葉に同意して、自分の膳にあった小いのをも併《あわ》せて贈《おく》ってくれた。その時老人の言葉に、菫《すみれ》のことをば太郎坊次郎坊といいまするから、この同じような菫の絵の大小二ツの猪口の、大きい方を太郎坊、小さい方を次郎坊などと呼んでおりましたが、一ツ離《はな》して献《あ》げるのも異なものですから二つともに進じましょう、というのでついに二つとも呉《く》れた。その一つが今|壊《こわ》れた太郎坊なのだ。そこでおれは時々自分の家で飲む時には必らず今の太郎坊と、太郎坊よりは小さかった次郎坊とを二ツならべて、その娘と相酌《あいじゃく》でもして飲むような心持で内々《ないない》人知らぬ楽みをしていた。またたまにはその娘に逢《あ》った時、太郎坊があなたにお眼にかかりたいと申しておりました、などと云って戯《たわむ》れたり、あの次郎坊が小生《わたくし》に対って、早く元のご主人様のお嬢様《じょうさま》にお逢い申したいのですが、いつになれば朝夕お傍に居られるような運びになりましょうかなぞと責め立てて困りまする、と云って紅《あか》い顔をさせたりして、真実《ほんとう》に罪のない楽しい日を送っていた。」
と古《いにし》えの賤《しず》の苧環《おだまき》繰《く》り返して、さすがに今更|今昔《こんじゃく》の感に堪《た》えざるもののごとく我《わ》れと我が額に手を加えたが、すぐにその手を伸して更に一盃を傾けた。
「そうこうするうち次郎坊の方をふとした過失《そそう》で毀してしまった。アア、二箇《ふたつ》揃っていたものをいかに過失とは云いながら一箇《ひとつ》にしてしまったが、ああ情無いことをしたものだ、もしやこれが前表《ぜんぴょう》となって二人が離ればなれになるような悲しい目を見るのではあるまいかと、痛《いた》くその時は心を悩《なや》ました。しかし年は若《わかい》し勢いは強い時分だったからすぐにまた思い返して、なんのなんの、心さえ慥《たしか》なら決してそんなことがあろうはずはないと、ひそかに自《みず》から慰めていた。」
と云いかけて再び言葉を淀《よど》ました。妻は興有りげに一心になって聞いている。庭には梧桐を動かしてそよそよと渡《わた》る風が、ごくごく静穏《せいおん》な合の手を弾《ひ》いている。
「頭がそろそろ禿げかかってこんなになってはおれも敵《かな》わない。過般《こないだ》も宴会《えんかい》の席で頓狂《とんきょう》な雛妓《おしゃく》めが、あなたのお頭顱《つむり》とかけてお恰好《かっこう》の紅絹《もみ》と解《と》きますよ、というから、その心はと聞いたら、地が透《す》いて赤く見えますと云って笑い転《ころ》げたが、そう云われたッて腹《はら》も立てないような年になって、こんなことを云い出しちゃあ可笑いが、難儀《なんぎ》をした旅行《たび》の談《はなし》と同じことで、今のことじゃあ無いからなにもかも笑って済《す》むというものだ。で、マア、その娘もおれの所へ来るという覚悟《かくご》、おれも行末はその女と同棲《いっしょ》になろうというつもりだった。ところが世の中のお定まりで、思うようにはならぬ骰子《さい》の眼《め》という習いだから仕方が無い、どうしてもこうしてもその女と別れなければならない、強いて情を張ればその娘のためにもなるまいという仕誼《しぎ》に差懸《さしかか》った。今考えても冷《ひや》りとするような突き詰めた考えも発《おこ》さないでは無かったが、待てよ、あわてるところで無い、と思案に思案して生きは生きたが、女とはとうとう別れてしまった。ああ、いつか次郎坊が毀れた時もしやと取越苦労《とりこしぐろう》をしたっけが、その通りになったのは情け無いと、太郎坊を見るにつけては幾度《いくたび》となく人には見せぬ涙《なみだ》をこぼした。が、おれは男だ、おれは男だ、一婦人《いっぷじん》のために心を労していつまで泣こうかと思い返して、女々《めめ》しい心を捨ててしきりに男児《おとこ》がって諦めてしまった。しかし歳《とし》が経《た》っても月が経っても、どういうものか忘れられない。別れた頃の苦しさは次第次第に忘れたが、ゆかしさはやはり太郎坊や次郎坊の言伝《ことづて》をして戯れていたその時とちっとも変らず心に浮ぶ。気に入らなかったことは皆《みな》忘れても、いいところは一つ残らず思い出す、未練とは悟《さと》りながらも思い出す、どうしても忘れきってしまうことは出来ない。そうかと云ってその後はどういう人に縁付いて、どこにその娘がどう生活《くら》しているかということも知らないばかりか、知ろうとおもう意《こころ》も無いのだから、無論その女をどうこうしようというような心は夢《ゆめ》にも持たぬ。無かった縁に迷《まよ》いは惹《ひ》かぬつもりで、今日に満足して平穏《へいおん》に日を送っている。ただ往時《むかし》の感情《おもい》の遺《のこ》した余影《かげ》が太郎坊の湛《たた》える酒の上に時々浮ぶというばかりだ。で、おれはその後その娘を思っているというのではないが、何年後になっても折節は思い出すことがあるにつけて、その往昔《むかし》娘を思っていた念《おもい》の深さを初めて知って、ああこんなにまで思い込んでいたものがよくあの時に無分別をもしなかったことだと悦《よろ》こんでみたり、また、これほどに思い込んでいたものでも、無い縁は是非が無いで今に至ったが、天の意《こころ》というものはさて測られないものではあると、なんとなく神さまにでも頼《たよ》りたいような幽微《かすか》な感じを起したりするばかりだった。お前が家へ来てからももうかれこれ十五六年になるが、おれが酒さえ飲むといえばどんな時でも必らずあの猪口で飲むでいたが、談《はな》すには及《およ》ばないことだからこの仔細《しさい》は談しもしなかった。この談《はなし》は汝《おまえ》さえ知らないのだもの誰《だれ》が知っていよう、ただ太郎坊ばかりが、太郎坊の伝言《ことづて》をした時分のおれをよく知っているものだった。ところでこの太郎坊も今宵《こよい》を限りにこの世に無いものになってしまった。その娘はもう二十年も昔から、存命《ながら》えていることやら死んでしもうたことやらも知れぬものになってしまう、わずかに残っていたこの太郎坊も土に帰ってしまう。花やかで美しかった、暖かで燃え立つようだった若い時のすべての物の紀念《かたみ》といえば、ただこの薄禿頭、お恰好の紅絹《もみ》のようなもの一つとなってしもうたかとおもえば、ははははは、月日というものの働きの今更ながら強いのに感心する。人の一代というものは、思えば不思議のものじゃあ無いか。頭が禿げるまで忘れぬほどに思い込んだことも、一ツ二ツと轄《くさび》が脱《ぬ》けたり輪《わ》が脱《と》れたりして車が亡《な》くなって行くように、だんだん消ゆるに近づくというは、はて恐ろしい月日の力だ。身にも替《か》えまいとまでに慕《した》ったり、浮世を憂《う》いとまでに迷ったり、無い縁は是非もないと悟ったりしたが、まだどこともなく心が惹かされていたその古い友達の太郎坊も今宵は摧《くだ》けて亡くなれば、恋《こい》も起らぬ往時《むかし》に返った。今の今まで太郎坊を手放さずおったのも思えば可笑しい、その猪口を落して摧いてそれから種々《いろいろ》と昔時《むかし》のことを繰返して考え出したのもいよいよ可笑しい。ハハハハ、氷を弄《もてあそ》べば水を得るのみ、花の香《におい》は虚空《そら》に留まらぬと聞いていたが、ほんとにそうだ。ハハハハ。どれどれ飯《めし》にしようか、長話しをした。」
と語り了《おわ》って、また高く笑った。今は全く顔付も冴えざえとした平生《つね》の主人であった。細君は笑いながら聞き了りて、一種の感に打たれたかのごとく首を傾けた。
「それほどまでに思っていらしったものが、一体まあどうして別れなければならない機会《はめ》になったのでしょう、何かそれには深い仔細があったのでしょうが。」
とは思わず口頭《くちさき》に迸《はし》った質問で、もちろん細君が一方《ひとかた》ならず同情を主人の身の上に寄せたからである。しかし主人はその質問には答えなかった。
「それを今更話したところで仕方がない。天下は広い、年月《つきひ》は際涯無《はてしな》い。しかし誰一人おれが今ここで談す話を虚言《うそ》だとも真実《ほんと》だとも云い得る者があるものか、そうしてまたおれが苦しい思いをした事を善いとも悪いとも判断してくれるものが有るものか。ただ一人遺っていた太郎坊は二人の間の秘密をも悉《くわ》しく知っていたが、それも今|亡《むな》しくなってしまった。水を指さしてむかしの氷の形を語ったり、空を望んで花の香《か》の行衛《ゆくえ》を説いたところで、役にも立たぬ詮議《せんぎ》というものだ。昔時《むかし》を繰返して新しく言葉を費《ついや》したって何になろうか、ハハハハ、笑ってしまうに越したことは無い。云わば恋の創痕《きずあと》の痂《かさぶた》が時節到来して脱《はが》れたのだ。ハハハハ、大分いい工合《ぐあい》に酒も廻《まわ》った。いい、いい、酒はもうたくさんだ。」
と云い終って主人は庭を見た。一陣《いちじん》の風はさっと起《おこ》って籠洋燈《かごランプ》の火を瞬《またた》きさせた。夜の涼しさは座敷に満ちた。
(明治三十三年七月)
底本:「ちくま日本文学全集 幸田露伴」筑摩書房
1992(平成4)年3月20日第1刷発行
底本の親本:「現代日本文学全集4」筑摩書房
入力:林 幸雄
校正:門田裕志
2002年12月5日作成
2003年7月20日修正
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