2019-05

岡本かの子

星—– 岡本かの子

晴れた秋の夜は星の瞬きが、いつもより、ずつとヴイヴイツトである。殊に月の無い夜は星の光が一層燦然として美しい。それ等の星々をぢつと凝視してゐると、光の強い大きな星は段々とこちらに向つて動いて来るやうな気がして怖いやうだ。事実太洋を航海してゐ...
岡本かの子

雛妓 —–岡本かの子

なに事も夢のようである。わたくしはスピードののろい田舎の自動車で街道筋を送られ、眼にまぼろし[#「まぼろし」に傍点]の都大路に入った。わが家の玄関へ帰ったのは春のたそがれ近くである。花に匂《にお》いもない黄楊《つげ》の枝が触れている呼鈴を力...
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新時代女性問答—– 岡本かの子

一平 兎《と》に角《かく》、近代の女性は型がなくなった様《よう》だね。 かの子 形の上でですか、心の上でですか。 一平 つまり、心構《こころがま》えの上でさ。昔で云《い》えば新しい女とかいうようにさ。 かの子 特別な型はなくなりましたね。た...
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唇草—– 岡本かの子

今年の夏の草花にカルセオラリヤが流行《はや》りそうだ。だいぶ諸方に見え出している。この間花屋で買うとき、試しに和名を訊ねて見たら、 「わたしどもでは唇草といってますね、どうせ出鱈目《でたらめ》でしょうが、花の形がよく似てるものですから」  ...
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食魔—– 岡本かの子

菊萵苣《きくぢさ》と和名はついているが、原名のアンディーヴと呼ぶ方が食通の間には通りがよいようである。その蔬菜《そさい》が姉娘のお千代の手で水洗いされ笊《ざる》で水を切って部屋のまん中の台俎板《だいまないた》の上に置かれた。  素人の家にし...
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上田秋成の晩年—– 岡本かの子

文化三年の春、全く孤独になつた七十三の翁《おきな》、上田秋成は京都南禅寺内の元の庵居《あんきょ》の跡に間に合せの小庵を作つて、老残の身を投げ込んだ。  孤独と云つても、このくらゐ徹底した孤独はなかつた。七年前三十八年連れ添つた妻の瑚※[#「...
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小町の芍薬—– 岡本かの子

根はかち/\の石のやうに朽ち固つてゐながら幹からは新枝を出し、食べたいやうな柔かい切れ込みのある葉は萌黄色のへりにうす紅をさしてゐた。  枝さきに一ぱいに蕾《つぼみ》をつけてゐる中に、半開から八分咲きの輪も混つてゐた。その花は媚びた唇のやう...
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小学生のとき与へられた教訓—– 岡本かの子

或る晴れた秋の日、尋常科の三年生であつた私は学校の運動場に高く立つてゐる校旗棒を両手で握つて身をそらし、頭を後へ下げて、丁度逆立したやうになつて空を眺めてみた。すると青空が自分の眼の下に在るやうに見え、まるで、海を覗いてゐる気がした。ところ...
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勝ずば —–岡本かの子

夜明けであった。隅田川以東に散在する材木堀の間に挟まれた小さな町々の家並みは、やがて孵化《ふか》する雛《ひな》を待つ牝鶏《ひんけい》のように一夜の憩いから目醒めようとする人々を抱いて、じっと静まり返っていた。だが、政枝の家だけは混雑していた...
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女性崇拝—– 岡本かの子

西洋人は一体《いったい》に女性尊重と見做《みな》されているが、一概《いちがい》にそうも言い切れない。欧州人の中でも一番女性尊重者は十指《じっし》の指すところ英国人であるが、英国人の女性尊重は客間《きゃくま》だけの女性尊重で、居間へ入ると正反...
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女性の不平とよろこび—— 岡本かの子

女が、男より行儀をよくしなければならないということ。  人前で足を出してはいけない、欠伸《あくび》をしてはいけない、思うことを云《い》ってはいけない。  そんな不公平なことはありません。女だって男と同じように疲れもする、欠伸もしたい、云い度...
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女性と庭—– 岡本かの子

出入りの植木屋さんが廻つて来て、手が明いてますから仕事をさして欲しいと言ふ。頼む。自分の方の手都合によつて随時仕事が需められる。職業ではのん気な方の職業でもあり、また、エキスパートの強味でもある。手入れ時と見え、まづ松の梢の葉が整理される。...
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初夏に座す—– 岡本かの子

人生の甘酸を味はひ分けて来るほど、季節の有難味が判つて来る。それは「咲く花時を違へず」といつた――季節は人間より当てになるといふ意味の警醒的観念からでもあらう。季節の触れ方は多種多様で一概には律しられないが、触れ方が単純素朴なほど、季節は味...
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処女時代の追憶 断片三種 —–岡本かの子

○  処女時代の私は、兄と非常に密接して居ました。兄に就いていろいろの思ひ出があります。十六七の時でした、何でも秋の末だと思ひます。子供のうちから歌や文章を好んで居た私を、やはり文学者として立つつもりで高等学校に居た兄が、新詩社の與謝野晶子...
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春 ―二つの連作―—– 岡本かの子

(一) 一  加奈子は気違いの京子に、一日に一度は散歩させなければならなかった。でも、京子は危くて独りで表へ出せない。京子は狂暴性や危険症の狂患者ではないけれど、京子の超現実的動作が全ての現代文化の歩調とは合わなかった。たまたま表の往来へ...
岡本かの子

縮緬のこころ—– 岡本かの子

おめしちりめんといふ名で覚えてゐる――それでつくられてゐた明治三十年代、私の幼年時代のねんねこ[#「ねんねこ」に傍点]。それも母のきものをなほしたねんねこ[#「ねんねこ」に傍点]だつたからそれよりずつとむかし、明治二十年前後の織物だつたかも...
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酋長—– 岡本かの子

朝子が原稿を書く為に暮れから新春へかけて、友達から貸りた別荘は、東京の北|端《はず》れに在った。別荘そのものはたいしたことはないが、別荘のある庭はたいしたものだった。東京でも屈指の中であろう。そして、都会のこういう名園がだんだんそうなるよう...
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秋雨の追憶—– 岡本かの子

十月初めの小雨の日茸狩りに行つた。山に這入ると松茸の香がしめつた山氣に混つて鼻に泌みる。秋雨の山の靜けさ、松の葉から落ちる雨滴が雜木の葉を打つ幽かな音は、却つて山の靜寂を増す。水氣を一ぱいに含んだ青苔を草履で踏む毎に、くすぐつたい[#「くす...
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秋の夜がたり—— 岡本かの子

中年のおとうさんと、おかあさんと、二十歳前後のむすこと、むすめの旅でありました。  旅が、旅程の丁度半分程の処で宿をとつたのですがその国の都と、都から百五十里も離れた田舎《いなか》との中間の或る湖畔の街の静《しずか》なホテルです。  その国...
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秋の七草に添へて—- 岡本かの子

萩、刈萱、葛、撫子、女郎花、藤袴、朝顔。  これ等の七種の草花が秋の七草と呼ばれてゐる。この七草の種類は万葉集の山上憶良の次の歌二首からいひ倣されて来たと伝へる。   秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種の花   萩の花尾花葛花なでし...