「2019年5月」の記事一覧

富士 —–岡本かの子
 人間も四つ五つのこどもの時分には草木のたたずまいを眺めて、あれがおのれに盾突くものと思い、小さい…
病房にたわむ花—– 岡本かの子
 春は私がともすれば神経衰弱になる季節であります。何となくいらいらと落付《おちつ》かなかったり、黒…
扉の彼方へ——- 岡本かの子
 結婚式の夜、茶の間で良人《おっと》は私が堅くなってやっと焙《い》れてあげた番茶をおいしそうに一口…
晩春—– 岡本かの子
 鈴子は、ひとり、帳場に坐って、ぼんやり表通りを眺めていた。晩春の午後の温かさが、まるで湯の中にで…
伯林の落葉—– 岡本かの子
 彼が公園内に一歩をいれた時、彼はまだ正気だった。  伯林にちらほら街路樹の菩提樹の葉が散り初めたの…
伯林の降誕祭—– 岡本かの子
  独逸でのクリスマスを思い出します。  雪が絶間もなく、チラチラチラチラと降って居るのが、ベルリン…
売春婦リゼット—– 岡本かの子
 売春婦のリゼットは新手《あらて》を考えた。彼女はベッドから起き上《あが》りざま大声でわめいた。 「…
巴里の秋—– 岡本かの子
 セーヌの河波《かわなみ》の上かわが、白《しら》ちゃけて来る。風が、うすら冷たくそのうえを上走り始…
巴里の唄うたい—– 岡本かの子
 彼等の決議  市会議員のムッシュウ・ドュフランははやり唄は嫌いだ。聴いていると馬鹿らしくなる。あん…
巴里のむす子へ—– 岡本かの子
 巴里の北の停車場でおまえと訣《わか》れてから、もう六年目になる。人は久しい歳月という。だが、私に…
巴里のキャフェ ―朝と昼― —–岡本かの子
    旅人のカクテール  旅人《エトランゼ》は先ず大通《グランブールヴァル》のオペラの角のキャフェ…
桃のある風景—– 岡本かの子
 食欲でもないし、情欲でもない。肉体的とも精神的とも分野をつき止めにくいあこがれ[#「あこがれ」に…
東海道五十三次—– 岡本かの子
 風俗史専攻の主人が、殊《こと》に昔の旅行の風俗や習慣に興味を向けて、東海道に探査の足を踏み出した…
鶴は病みき—– 岡本かの子
 白梅の咲く頃となると、葉子はどうも麻川荘之介氏を想《おも》い出していけない。いけないというのは嫌…
蔦の門—– 岡本かの子
 私の住む家の門には不思議に蔦《つた》がある。今の家もさうであるし、越して来る前の芝、白金《しろが…
茶屋知らず物語—– 岡本かの子
 元禄|享保《きょうほう》の頃、関西に法眼、円通という二禅僧がありました。いずれも黄檗《おうばく》…
男心とはかうしたもの 女のえらさと違う偉さ—– 岡本かの子
  尊敬したい気持  結婚前は、男子に対する観察などいつても、甚だ漠然としたもので、寧ろこの時代には…
荘子—– 岡本かの子
 紀元前三世紀のころ、支那では史家が戦国時代と名づけて居る時代のある年の秋、魏の都の郊外|櫟社《れ…
雪の日—– 岡本かの子
 伯林《ベルリン》カイザー街の古い大アパートに棲んで居た冬のことです。外には雪が降りに降っていまし…
雪—– 岡本かの子
  遅い朝日が白み初めた。  木琴入りの時計が午前七時を打つ。ヴァルコンの扉《ドア》が開く。 「フラ…