2019-05

葛西善蔵

父の葬式—– 葛西善蔵

いよいよ明日は父の遺骨を携《たずさ》えて帰郷という段になって、私たちは服装のことでちょっと当惑を感じた。父の遺物となった紋付の夏羽織と、何平《なにひら》というのか知らないが藍縞《あいじま》の袴《はかま》もあることはあるのだが、いずれもひどく...
葛西善蔵

父の出郷—– 葛西善蔵

ほんのちょっとしたことからだったが、Fを郷里の妻の許《もと》に帰してやる気になった。母や妹たちの情愛の中に一週間も遊ばしてやりたいと思ったのだ。Fをつれてきてからちょうど一年ほどになるが、この夏私の義母が死んだ時いっしょに帰って、それもほん...
葛西善蔵

浮浪—– 葛西善蔵

一 「また今度も都合で少し遅くなるかも知れないよ。どこかへ行つて書いて来るつもりだから……」と、朝由井ケ浜の小学校へ出て行く伜のFに声をかけたが、「いゝよ」とFは例の簡単な調子で答へた。  遠い郷里から私につれられて来て建長寺内のS院の陰気...
葛西善蔵

不良兒—– 葛西善藏

一月末から一ヶ月半ほど、私は東京に出てゐた。こんなことは今度が初めてと云ふわけではないので、私はいつものやうにFは學校へは行つてゐることと思つてゐた。ところが半月ほど經つて出したお寺からの手紙には、Fは私が出た後全然學校を休んで、いくらすゝ...
葛西善蔵

遁走—— 葛西善蔵

一  神田のある会社へと、それから日比谷の方の新聞社へ知人を訪ねて、明日の晩の笹川の長編小説出版記念会の会費を借りることを頼んだが、いずれも成功しなかった。私は少し落胆《らくたん》してとにかく笹川のところへ行って様子を聞いてみようと思って、...
葛西善蔵

椎の若葉—— 葛西善藏

六月半ば、梅雨晴《つゆば》れの午前の光りを浴びてゐる椎《しひ》の若葉の趣《おもむき》を、ありがたくしみ/″\と眺《なが》めやつた。鎌倉行き、売る、売り物――三題話し見たやうなこの頃の生活ぶりの間に、ふと、下宿の二階の窓から、他家のお屋敷の庭...
葛西善蔵

死児を産む—– 葛西善蔵

この月の二十日前後と産婆に言われている大きな腹して、背丈がずんぐりなので醤油樽《しょうゆだる》か何かでも詰めこんでいるかのような恰好《かっこう》して、おせいは、下宿の子持の女中につれられて、三丁目附近へ産衣《うぶぎ》の小ぎれを買いに出て行っ...
葛西善蔵

子をつれて—– 葛西善藏

一  掃除をしたり、お菜《さい》を煮たり、糠味噌を出したりして、子供等に晩飯を濟まさせ、彼はやうやく西日の引いた縁側近くへお膳を据ゑて、淋しい氣持で晩酌の盃を甞めてゐた。すると御免とも云はずに表の格子戸をそうつと開けて、例の立退《たちの》き...
葛西善蔵

湖畔手記—– 葛西善藏

たうとうこゝまで逃げて來たと云ふ譯だが――それは實際悲鳴を揚げながら――の氣持だつた。がさて、これから一體どうなるだらう、どうするつもりなんだらうと、旅館の二階の椅子から、陰欝な色の湖面を眺めやつて、毎日幾度となく自問自答の溜息をついた。海...
葛西善蔵

血を吐く—– 葛西善藏

おせいが、山へ來たのは、十月二十一日だつた。中禪寺からの、夕方の馬車で着いたのだつた。その日も自分は朝から酒を飮んで、午前と午後の二囘の中禪寺からの郵便の配達を待つたが、當てにしてゐる電報爲替が來ないので、氣を腐らしては、醉ひつぶれて蒲團に...
葛西善蔵

奇病患者—– 葛西善藏

薪の紅く燃えてゐる大きな爐の主座《よこざ》に胡坐を掻いて、彼は手酌でちび/\盃を甞めてゐた。その傍で細君は、薄暗い吊洋燈と焚火の明りで、何かしら子供等のボロ布片《きれ》のやうな物をひろげて、針の手を動かしてゐた。そして夫の、今夜はほとんど五...
葛西善蔵

贋物 —–葛西善蔵

一  車掌に注意されて、彼は福島で下車した。朝の五時であった。それから晩の六時まで待たねばならないのだ。  耕吉は昨夜の十一時上野発の列車へ乗りこんだのだ、が、奥羽線廻りはその前の九時発のだったのである。あわてて、酔払って、二三の友人から追...
葛西善蔵

哀しき父—– 葛西善藏

一  彼はまたいつとなくだん/\と場末へ追ひ込まれてゐた。  四月の末であつた。空にはもや/\と靄《もや》のやうな雲がつまつて、日光がチカ/\桜の青葉に降りそゝいで、雀《すゞめ》の子がヂユク/\啼《な》きくさつてゐた。どこかで朝から晩まで地...
葛西善蔵

おせい—– 葛西善藏

「近所では、お腹《なか》の始末でもしに行つたんだ位に思つてゐるんでせう。さつきも柏屋のお内儀さんに會つたら、おせいちやんは東京へ行つてたいへん綺麗になつて歸つたと、ヘンなやうな顏して視てましたよ」と、ある晩もお酌をしながら、おせいは私に云つ...
梶井基次郎

筧の話—– 梶井基次郎

私は散歩に出るのに二つの路を持っていた。一つは渓《たに》に沿った街道で、もう一つは街道の傍から渓に懸った吊橋《つりばし》を渡って入ってゆく山径だった。街道は展望を持っていたがそんな道の性質として気が散り易かった。それに比べて山径の方は陰気で...
梶井基次郎

檸檬—– 梶井基次郎

えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終|圧《おさ》えつけていた。焦躁《しょうそう》と言おうか、嫌悪と言おうか――酒を飲んだあとに宿酔《ふつかよい》があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。これはちょっ...
梶井基次郎

奎吉—– 梶井基次郎

「たうとう弟にまで金を借りる樣になつたかなあ。」と奎吉は、一度思ひついたら最後の後悔の幕迄行つて見なければ得心の出來なくなる、いつもの彼の盲目的な欲望がむらむらと高まつて來るのを感じながら思つた。  彼にとつてはもうこ[#「こ」に「(ママ)...
梶井基次郎

路上—– 梶井基次郎

自分がその道を見つけたのは卯《う》の花の咲く時分であった。  Eの停留所からでも帰ることができる。しかもM停留所からの距離とさして違わないという発見は大層自分を喜ばせた。変化を喜ぶ心と、も一つは友人の許《もと》へ行くのにMからだと大変大廻り...
梶井基次郎

矛盾の樣な眞實—–梶井基次郎

「お前は弟達をちつとも可愛がつてやらない。お前は愛のない男だ。」  父母は私によくそ[#「そ」に「(ママ)」の注記]う云つて戒めた。  實際私は弟達に對して隨分突慳貪であつた。彼等を泣かすのは何時でも私であつた。彼等に手を振り上げるのは兄弟...
梶井基次郎

橡の花 ――或る私信―― ——梶井基次郎

一  この頃の陰鬱な天候に弱らされていて手紙を書く気にもなれませんでした。以前京都にいた頃は毎年のようにこの季節に肋膜《ろくまく》を悪くしたのですが、此方《こちら》へ来てからはそんなことはなくなりました。一つは酒類を飲まなくなったせいかも知...