2019-05

蒲 松齢

汪士秀–蒲松齢—田中貢太郎訳

汪士秀《おうししゅう》は盧州《ろしゅう》の人であった。豪傑で力が強く、石舂《いしうす》を持ちあげることができた。親子で蹴鞠《しゅうきく》がうまかったが、父親は四十あまりの時|銭塘江《せんとうこう》を渡っていて、舟が沈んで溺れてしまった。  ...
蒲 松齢

偸桃–蒲松齢—-田中貢太郎訳

少年の時郡へいったが、ちょうど立春の節であった。昔からの習慣によるとその立春の前日には、同種類の商買をしている者が山車《だし》をこしらえ、笛をふき鼓《つづみ》をならして、郡の役所へいった。それを演春《えんしゅん》というのであった。  私も友...
蒲 松齢

連城–蒲松齢—-田中貢太郎訳

喬《きょう》は晋寧《しんねい》の人で、少年の時から才子だといわれていた。年が二十あまりのころ、心の底を見せてあっていた友人があった。それは顧《こ》という友人であったが、その顧が没《な》くなった時、妻子の面倒を見てやったので、邑宰《むらやくに...
蒲 松齢

蓮花公主-蒲松齢–田中貢太郎訳

膠州《こうしゅう》の竇旭《とうきょく》は幼な名を暁暉《ぎょうき》といっていた。ある日昼寝をしていると、一人の褐色《かっしょく》の衣を着た男が榻《ねだい》の前に来たが、おずおずしてこっちを見たり後を見たりして、何かいいたいことでもあるようであ...
蒲 松齢

封三娘-蒲松齢—-田中貢太郎訳

范《はん》十一娘は※[#「田+鹿」、330-1]城《ろくじょう》の祭酒《さいしゅ》の女《むすめ》であった。小さな時からきれいで、雅致《がち》のある姿をしていた。両親はそれをひどく可愛がって、結婚を申しこんで来る者があると、自分で選択さしたが...
蒲 松齢

田七郎-蒲松齢—-田中貢太郎訳

武承休《ぶしょうきゅう》は遼陽《りょうよう》の人であった。交際が好きでともに交際をしている者は皆知名の士であった。ある夜、夢に人が来ていった。 「おまえは交游天下に遍《あまね》しというありさまだが、皆|濫交《らんこう》だ。ただ一人|患難《か...
蒲 松齢

促織- 蒲松齢—- 田中貢太郎訳

明《みん》の宣宗《せんそう》の宣徳年間には、宮中で促織《こおろぎ》あわせの遊戯を盛んにやったので、毎年民間から献上さしたが、この促繊は故《もと》は西の方の国にはいないものであった。  華陰《かいん》の令をしている者があって、それが上官に媚《...
蒲 松齢

成仙- 蒲松齢—- 田中貢太郎訳

文登《ぶんとう》の周生《しゅうせい》は成《せい》生と少い時から学問を共にしたので、ちょうど後漢の公沙穆《こうさぼく》と呉祐《ごゆう》とが米を搗《つ》く所で知己《ちき》になって、後世から杵臼《ききゅう》の交《こう》といわれたような親しい仲であ...
蒲 松齢

織成- 蒲松齢—- 田中貢太郎訳

洞庭湖《どうていこ》の中には時とすると水神があらわれて、舟を借りて遊ぶことがあった。それは空船《あきぶね》でもあると纜《ともづな》がみるみるうちにひとりでに解けて、飄然《ひょうぜん》として遊びにゆくのであった。その時には空中に音楽の音が聞え...
蒲 松齢

小翠- 蒲松齢—–田中貢太郎訳

王太常《おうたいじょう》は越人であった。少年の時、昼、榻《ねだい》の上で寝ていると、空が不意に曇って暗くなり、人きな雷がにわかに鳴りだした。一疋《いっぴき》の猫のようで猫よりはすこし大きな獣が入って来て、榻の下に隠れるように入って体を延べた...
蒲 松齢

珊瑚 蒲松齢—– 田中貢太郎訳

安大成《あんだいせい》は重慶《じゅうけい》の人であった。父は孝廉《こうれん》の科に及第した人であったが早く没くなり、弟の二成《じせい》はまだ幼かった。大成は陳《ちん》姓の家から幼《おさ》な名《な》を珊瑚《さんご》という女を娶《めと》ったが、...
蒲 松齢

庚娘 蒲松齢—– 田中貢太郎訳

金大用《きんたいよう》は中州《ちゅうしゅう》の旧家の子であった。尤《ゆう》太守の女《むすめ》で幼な名を庚娘《こうじょう》というのを夫人に迎えたが、綺麗《きれい》なうえに賢明であったから、夫婦の間もいたってむつましかった。ところで、流賊の乱が...
蒲 松齢

五通 蒲松齢—– 田中貢太郎訳

南方に五通《ごつう》というみだらにして不思議な神のあるのは、なお北方に狐のあるようなものである。そして、北方の狐の祟《たた》りは、なおいろいろのことをして追いだすことができるが、江蘇浙江《こうそせつこう》地方の五通に至っては、民家に美しい婦...
蒲 松齢

王成 蒲松齢—– 田中貢太郎訳

王成《おうせい》は平原《へいげん》の世家《きゅうか》の生れであったが、いたって懶《なま》け者であったから、日に日に零落《れいらく》して家は僅か数間のあばら屋をあますのみとなり、細君と乱麻《らんま》を編んで作った牛衣《ぎゅうい》の中に寝るとい...
蒲 松齢

嬰寧 蒲松齢—– 田中貢太郎訳

王子服《おうしふく》は※[#「くさかんむり/呂」、第3水準1-90-87]《きょ》の羅店《らてん》の人であった。早くから父親を失っていたが、はなはだ聡明で十四で学校に入った。母親がひどく可愛がって、ふだんには郊外へ遊びにゆくようなこともさせ...
蒲 松齢

阿繊 蒲松齢—– 田中貢太郎訳

奚山《けいざん》は高密《こうみつ》の人であった。旅に出てあきないをするのが家業で、時どき蒙陰《もういん》県と沂水《ぎすい》県の間を旅行した。ある日その途中で雨にさまたげられて、定宿《じょうやど》へゆきつかないうちに、夜が更《ふ》けてしまった...
蒲 松齢

阿霞 蒲松齢—– 田中貢太郎訳

文登《ぶんとう》の景星《けいせい》は少年の時から名があって人に重んぜられていた。陳《ちん》生と隣りあわせに住んでいたが、そこと自分の書斎とは僅かに袖垣《そでがき》一つを隔てているにすぎなかった。  ある日の夕暮、陳は荒れはてた寂しい所を通っ...
蒲 松齢

阿英 蒲松齢—– 田中貢太郎訳

甘玉《かんぎょく》は幼な名を璧人《へきじん》といっていた。廬陵《ろりょう》の人であった。両親が早く亡くなったので、五歳になる弟の※[#「王+玉」、第3水準1-87-90]《かく》、幼な名を双璧《そうへき》というのを養うことになったが、生れつ...
葛西善蔵

蠢く者—– 葛西善藏

父は一昨年の夏、六十五で、持病の脚氣で、死んだ。前の年義母に死なれて孤獨の身となり、急に家財を片附けて、年暮れに迫つて前觸れもなく出て來て、牛込の弟夫婦の家に居ることになつたのだ。その時分から父はかなり歩くのが難儀な樣子だつた。杖無しには一...
葛西善蔵

遊動円木—– 葛西善蔵

私は奈良にT新夫婦を訪ねて、一週間ほど彼らと遊び暮した。五月初旬の奈良公園は、すてきなものであった。初めての私には、日本一とも世界一とも感歎したいくらいであった。彼らは公園の中の休み茶屋の離れの亭《ちん》を借りて、ままごとのような理想的な新...