2019-05

宮原晃一郎

虹猫と木精—– 宮原晃一郎

第一回の旅行をすまして、お家《うち》へ帰つた虹猫《にじねこ》は、第二回の旅行にかゝりました。  或日《あるひ》、れいのとほり、仕度をして、ぶらりと家《うち》を出て、どことはなしに、やつて行きますと、とうとう木精《こだま》の国に来てしまひまし...
宮原晃一郎

動く海底—– 宮原晃一郎

一  オーストラリヤの大陸近くに、木曜島《もくえうとう》といふ真珠貝の沢山取れる有名な島があります。そこには何百人といふ日本人の潜水夫が貝をとつてゐます。  今は昔、そこにゐる潜水夫のうちで、太海《ふとみ》今太郎《いまたらう》といふ少年潜水...
宮原晃一郎

豆小僧の冒険—– 宮原晃一郎

一  昔、或《あ》る大きな山の麓《ふもと》に小さなお寺がありました。小さな和尚さんと、小さな小僧とたつた二人さみしくそこに暮してをりました。  お寺のそばには小さな村がありました。小さな村の人たちは、小さなお寺と、小さな和尚さんと、小さな小...
宮原晃一郎

拾うた冠—– 宮原晃一郎

みなさん神社の神官がお祭の時などにかぶつてゐる帽子をご存じでせう。又あれが冠といふものであることもご存じでせう。あの冠は位によつて種類があります。丁度《ちやうど》金筋の何本はひつた帽子は大将で、何本のは中将であると今軍人の帽子で官の位がわか...
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蛇いちご —–宮原晃一郎

林の中に行つてみると、紅のいろをした美しい蛇《へび》いちごが生《な》つてをります。 「蛇いちごを食べてはいけないよ。あれは毒ですからね。あれを食べると、体は溶けて水になつてしまひますよ。」  お母さん達《たち》はかう子供に教へます。恐しい毒...
宮原晃一郎

子良の昇天 —–宮原晃一郎

一  むかし三保松原《みほのまつばら》に伯良《はくりやう》といふ漁夫《れふし》がゐました。松原によく天人が遊びに降りてくるのを見て、或日《あるひ》その一人の天《あめ》の羽衣を脱いであつたのをそつと隠しました。天人は天に上る飛行機の用をする羽...
宮原晃一郎

幸坊の猫と鶏—– 宮原晃一郎

一  幸坊《かうばう》のうちは、ゐなかの百姓でしたから、鶏を飼つてゐました。そのうちに、をんどりはもう六年もゐるので、鶏としては、たいへんおぢいさんのはずですが、どういふものか、この鳥にかぎつて、わか/\しくしてゐました。まつ白な羽はいつも...
宮原晃一郎

孝行鶉の話—– 宮原晃一郎

一  ある野原の薄藪《すすきやぶ》の中に、母と子との二匹の鶉《うづら》が巣を構へてをりました。母鶉はもう年よりなので羽が弱くて、少し遠いところには飛んで行くことが出来ませんでした。ですから巣から余り遠くないところで、小さな虫を捕つたり、粟《...
宮原晃一郎

賢い秀雄さんの話—宮原晃一郎

日吉《ひよし》さんの秀雄《ひでを》さんは今年七つ。ほんとに賢い子供だ。毎日、ランドセルをせおつていきほひよく、 「いつてまゐります。」と、ごあいさつをして、家《うち》を出る。まつすぐに、道草なんかくはないで、さつさと学校へいつて、教室では先...
宮原晃一郎

熊捕り競争—– 宮原晃一郎

一  御維新の少し前頃《まへごろ》、北海道|有珠《うす》のアイヌ部落《コタン》にキクッタとチャラピタといふ二人の少年がゐました。キクッタは十七で、チャラピタは一つ下の十六でした。小さなときから、大へん仲好《なかよ》しで、遊ぶにも魚をとるにも...
宮原晃一郎

漁師の冒険—– 宮原晃一郎

いつの頃《ころ》でしたか、九州の果の或《ある》海岸に、仙蔵《せんざう》と次郎作《じろさく》といふ二人の漁師がをりました。  或日二人はいつものとほり小さな舟にのつて沖へ漁に出ますと大風が吹いて、とほくへ流されました。けれども運よく舟も沈まず...
宮原晃一郎

怪艦ウルフ号—– 宮原晃一郎

一  時は欧洲《おうしう》大戦の半ば頃《ごろ》、処《ところ》は浪《なみ》も煮え立つやうな暑い印度洋《いんどやう》。地中海に出動中の日本艦隊へ食糧や弾薬を運ぶ豊国丸《ほうこくまる》は、独逸《どいつ》商業破壊艦「ウルフ号」が、印度洋に向つたとい...
宮原晃一郎

科學的の神祕—– 宮原晃一郎

ストリンドベーリが科學に造詣の深かつたことは、その莫大な著作中に、幾多の科學的研究があることで知れる。ところが、彼は晩年になつてスウェデンボーリの影響を受けて、神祕主義者になつてしまつた。  その種類の勞作のうち、最大なるものは、青書 Bl...
宮原晃一郎

悪魔の尾—– 宮原晃一郎

それはずつと大昔のことでした。その頃《ころ》は地球が出来てからまだ新しいので、人間はもちろんのこと、鳥や獣すら住まつてゐませんでした。住まつてゐるものはたゞ悪魔ばかりであつたのです。  悪魔たちはみんな恐ろしく長い尾をもつてをりましたので、...
宮原晃一郎

愛人と厭人—– 宮原晃一郎

有島武郎君の「惜みなく愛は奪ふ」は出版されるや否や非常な売れ行きであるさうな。しかし売れ行きといふことが直にその本の真価を示すものではないと同時に、売れ行く本は直に俗受けのものと独断して、文壇の正系(?)が之を無視するのはよくないことだ。過...
宮原晃一郎

ラマ塔の秘密—– 宮原晃一郎

一 白馬《はくば》の姫君 「ニナール、ちよつとお待ち」と、お父様のキャラ侯がよびとめました。ニナール姫は金銀の糸で、ぬひとりした、まつ赤な支那服《しなふく》をきて、ブレツといふ名のついたまつ白な馬にのつて、今出かけようとするところでした。 ...
宮原晃一郎

イプセンの日本語譯—– 宮原晃一郎

感想といふところであるから、正確な材料によるものではないし、その上、そんな材料を集めたりすることに餘り興味を持たない私であるから、此處では、只永い年月、イプセンの日本語譯に接した折々に、感じたことを、思ひ出すまゝに書付けて見よう。  イプセ...
蒲原有明

緑蔭叢書創刊期—– 蒲原有明

藤村君のこれまでの文壇的生涯を時代わけにして、みんなが分擔して書きたいことを書きとめておくのもよい企である。わたくしには「若菜集」の出るやうになつた頃のことを書かぬかどうかといふ相談があつた。しかし藤村君とのつきあひは「夏草」出版直後からで...
蒲原有明

龍土會の記—– 蒲原有明

龍土會といつても誰も知る人のないぐらゐに、いつしか影も形もひそめてしまつてゐる。そのやうに會はたとへ消滅したものであるにしても、會員であつた人々は殘つてゐなくてはならないが、さて自分が會員であつたと名のりを揚げる特志者はまづ無いといつてよい...
蒲原有明

夢は呼び交す ――黙子覚書―― —–蒲原有明

書冊の灰  二月も末のことである。春が近づいたとはいいながらまだ寒いには寒い。老年になった鶴見には寒さは何よりも体にこたえる。湘南の地と呼ばれているものの、静岡で戦災に遭《あ》って、辛《つら》い思いをして、去年の秋やっとこの鎌倉へ移って来た...