宮原晃一郎

幸坊の猫と鶏—– 宮原晃一郎

    一

 幸坊《かうばう》のうちは、ゐなかの百姓でしたから、鶏を飼つてゐました。そのうちに、をんどりはもう六年もゐるので、鶏としては、たいへんおぢいさんのはずですが、どういふものか、この鳥にかぎつて、わか/\しくしてゐました。まつ白な羽はいつも生えたてのやうに、つや/\して、とさか[#「とさか」に傍点]は赤いカンナの花のやうにまつ赤で、くちばしや足は、バタのやうに黄いろでした。
 幸坊が餌《ゑ》をもつていくと、このをんどりがまつ先きにかけて来ます。幸坊がわざと、ぢらして餌をやらないと、をんどりは片足をあげながら、首をかしげて、ふしぎさうに餌箱を見上げますが、幸坊が笑ひながら、やつぱり餌をくれないでゐると、とう/\たまらなくなつてクウ/\と小さな声で鳴きます。
「幸ちやん、幸ちやん。ちやうだいな。そんな、いぢわるをしないで……」
 さう言つてゐるやうに聞えます。
「やるよ、やるよ。さア/\。」
 幸坊は、かはいさうになつて、餌をまいてやると、そこへ、いきなり、まつ黒な猫《ねこ》が一ぴきとび出してきます。ほかの鶏はびつくりして、クワツ/\と叫んでにげますけれど、をんどりだけはなか/\勇気があつて、ちよつと首をあげて、グウとのど[#「のど」に傍点]をならして、猫をにらみます。猫は面白がつて、飛びつきさうにしますと、をんどりは頭を下げ、首の毛をさかだてゝ、猫がそばに来たら、目をつゝいてやらうと、まちかまへてゐます。
「黒や、もうおよしよ。とうと[#「とうと」に傍点]がきらふからね。」
 幸坊はさう言つて、黒をだきあげて、そのつめたい鼻の先をじぶんの頬《ほ》つぺたにぴつたりとつけ、ビロードのやうなその背をなでてやります。黒は甘えて、のどをゴロ/\音させながら、するどい爪《つめ》で、しつかり幸坊の着物にすがりついてゐるのです。

    

 或日《あるひ》、幸坊《かうばう》が学校の当番で、おそくうちへかへりました。すると、お母さんが、困つた顔をしてかう言ひました。
「幸や、あのね。をんどりが見えなくなつたよ。そこらの藪《やぶ》にでも入つてゐないか見ておいで。悪い狐《きつね》が出るけれど、まさか昼だから、狐がとつたんでもあるまい。」
 幸坊はほんとにびつくりしました。あのうつくしい、かはいゝをんどりがゐなくなつたのか。それは大へんなことだ。どうしてもさがし出して来なければならないと思つて、肩からかばん[#「かばん」に傍点]をおろすとすぐ一本の竹切れをとつて、出かけようとしますと、どこからか黒《くろ》が出て来て、にやあんと鳴きながら、あとをついて来ます。
「黒や、いけないよ。おかへり。ぼくはね、をんどりのとうと[#「とうと」に傍点]をさがしにいくんだからね。おまいが犬だとつれていつて、さがす手つだひをさせるんだけれど、猫《ねこ》ぢやだめだ。」
 幸坊はしきりに黒を追ひかへさうとしますけれど黒はなか/\かへりません。仕方がないから、ほうつておくと、黒はさつさと先にいつて、畑の向うにある大きな森の中にはいつてしまひました。幸坊はをんどりばかりでなく、黒までゐなくしては大へんだと思つて、
「黒や、黒や。」と大きな声を出してよびますけれどどこへ行つたものやら、わかりません。
 森の中は、木の葉や、下草のために、昼でもまつ暗なのに、もう夕方が近いので、なほさら暗かつたのです。
「とうと[#「とうと」に傍点]、とうと[#「とうと」に傍点]、とうと[#「とうと」に傍点]。」
 幸坊は一しやうけんめいに声を出して、森の中を歩いてゐますけれど、をんどりは出て来ません。そのうち、どうしたことか、いつも馴《な》れきつてゐる森の中で、すつかり路《みち》をまよつて、どうしても出られなくなりました。
 今は、もう鶏や猫などにかまつてをれません。じぶんがどうしてこの森をぬけ出さうかと、困つてゐるとき、ふと向うに小さなうちを見つけました。
「まアよかつた。」と、幸坊は胸をなでおろして、そこへいきかけますと、その小さなうちの、かたくしめてある窓の下に、一ぴきの狐が、はうき[#「はうき」に傍点]のやうな大きな尾を地べたにひいて、おしりをすゑて、しきりにその窓を見てゐます。さて変だなと思つて、幸坊は立どまつて、ぢつと狐のすることに気をつけてゐました。すると、狐はやさしい、やさしい声を出して、かううたひました。――
[#ここから2字下げ]
カツカコー、かはいゝ鶏《とり》ちやん、
金の冠をもつたかはいゝ鶏《とり》ちやん、
つや/\光つた、かはいゝ小頭、
絹のおひげをたらした鶏《とり》ちやん、
窓をごらんな、小さな窓を、
こゝに、りつはな人が来て、
おいしいお豆をまいてゐる、
それでもだれもひろやせぬ。
[#ここで字下げ終わり]
 すると、小さな窓があいて、ひよつこり小さな頭を出したのは、幸坊のをんどりでした。
「あらツ! とうと[#「とうと」に傍点]がゐる!」
 幸坊が声をあげて、走り出したときには、もうおそかつたのです。狐はすぐとうと[#「とうと」に傍点]にとびついて、とうと[#「とうと」に傍点]をとつて、じぶんの巣へくはへて走りました。
「あれ、黒ちやん、狐がわたしをとつてまつ暗な森へ、私《わたし》の知らないところへつれて行く。黒ちやん、早く来ておくれ、たすけておくれ!」
 すると、ふしぎなことには、幸坊の黒猫がどこからか出て来て、ベースの球みたいに、はやく、ぶつ飛んで、狐のあとを追つていき、大きな爪《つめ》を狐の背に打ちこみましたので、狐は痛がつて、鶏をはなしてにげました。
「気をつけなさいよ、とうと[#「とうと」に傍点]ちやん。」と、猫は言ひました。「決して窓からお顔を出しちやいけない。又どんなことを狐が言つても、信じちやならないよ。あいつはおまいさんをたべて、骨ものこしやしないよ。」
 そして、黒はまたどこかへいつてしまひました。

    三

 幸坊《かうばう》は、ふしぎでたまらないものですから、すぐにその小屋のところへ走つて行きました。けれどもそのときにはもうおんどりは小屋のうちにはいり、なかから窓をしつかりしめてゐます。
「とうと[#「とうと」に傍点]や、とうと[#「とうと」に傍点]や!」
 幸坊は大きな声を出して呼びながら、小屋のまはりをまはつてみますけれど、中はひつそりとして音もしません。
「とうと[#「とうと」に傍点]や、私《わたし》だよ。狐《きつね》ぢやないよ。私だよ。」
 幸坊はしきりに窓の戸をたゝいて、をんどりを呼びましたけれど、狐だと思つて、戸を開けません。
「いけないよ、狐さん、私《わたし》をだまして、おまへ私をたべてしまつて、骨ものこさないつもりだらう。」
「さうぢやないよ。私《わたし》だよ。おまいを飼つてやつてる幸坊だよ。狐なんかゐやしない。」
「うそだ。狐さんだ。幸坊ちやんのまねをしてゐるんだ。」
「それほどうたぐるんなら、ぼく、窓のところから遠くはなれてゐるから、ほんの少し戸をあけてごらん。そしてもしかぼくが幸坊だつたら、すつかり開けて出ておいでね、とうと[#「とうと」に傍点]。」
 をんどりもさう言はれて、すこし安心したと見えて窓の戸を細く開けました。
「なるほど、幸坊さんね。ぢや、開けませう。」
 さう言つて、鶏はすつかり窓をあけて、こつちへ来ようとしました。が、そのとき、どこからともなく、狐がぴよこんと飛び出して、いきなりをんどりをくはへるが早いか、じぶんの巣をさして、一さんに走り出しました。
「黒さん、幸坊さん。狐が私《わたし》をとつていく。早く来て、たすけて下さい。」
 幸坊が追ひかけようとすると、又、黒がどこからか出て来て、いきなり狐の耳をバリ/\と引つかきましたから、狐は痛がつて、鶏をおいて、にげてしまひました。
「あれほど言つたのに、とうとさんはなぜ窓をあけたんだ。これからは、だれが何と言つて来ても、開けてはいけないよ。」
 黒猫はさう言ひ/\、いそいでをんどりを小屋に入れて、戸をしめて、さつさといつてしまひました。
「これ/\、黒、黒!」
 幸坊はしきりに呼びましたけれど、黒は見向きもしないで、いつてしまひました。
「をかしな猫《ねこ》だね。」と、幸坊はぶつ/\小言を言ひながら、又窓のところへいつて、をんどりを呼びました。
「とうと[#「とうと」に傍点]や、もう狐はゐないから、だいじやうぶだよ。早く出ておいで……」
「いやだ。そんなことをいつて、又狐がぴよつこり出てくるんだもの。」
「だいじやうぶだよ。ぼくが今度は窓のところに立つて番をしてゐるから……こゝにおまいのすきなお米ももつて来てゐるよ。ほうれ。」
 鶏はバラ/\まかれる米の音を聞いて、たべたくなつたと見え、そつと戸をあけてのぞきました。すると、幸坊がぢきそこに立つてゐるものですから、安心して、すつかり戸をあけて、出て来ました。
「もう、だいじやうぶだよ。狐はゐないからね。さアたくさんおあがり。そしてぼくと一しよにかへるんだよ。」
「どこへかへるの。」
「ぼくのうちへさ、おまいの住まつてゐた鶏小屋へさ。」
「わたしの小屋はこゝですよ。あなたのおうちツてどこなの。」
「をかしなとうと[#「とうと」に傍点]だね。じぶんのうちをわすれるなんて……あすこさ。あれ、向うの……」と、言つて、幸坊は、じぶんのうちの方をふりかへつて指さしました。
「あれツ! 狐が!」
 をんどりのさけび声に、びつくりして幸坊が向きなほつたときには、狐はをんどりをくはへて、もう一間ばかり先に走つてゐました。幸坊が後《うしろ》を向いたちよつとのゆだん[#「ゆだん」に傍点]を見すまして、狐はをんどりにとびかゝつたのでした。
「ちきしやう、うちころしてやるぞ。」
 幸坊は竹の棒をふりあげて、おひかけましたけれど、狐の足は早いものですから、たちまち見えなくなりました。こんどはどうしたものだか、黒猫もたすけに出て来ません。
 幸坊は、ぼんやりして、立つてゐますと、やつとそこへ黒猫が来ました。
「おい/\、黒。」と、幸坊が声をかけました。「とう/\をんどりは狐にとられてしまつたよ。おまい、どうするんだ。」
「やア、幸坊さんですか……」と、黒猫は言ひました。「困つたことをしましたね。あなたが戸をあけさしたからでせう。」
「さうだよ……でも狐があんなに早くとびつけようとは、ぼく思はなかつたんだ。」
「だから、私《わたし》が、だれが来ても戸をあけちやいけないと、いひつけておいたのです。しかたがないから狐の巣へいつて、とりもどして来ませう。」
「だつて、もう狐は骨ものこさずたべつちまつただらう。」
「いゝえ、あいつは、すぐにはたべません。これから飼つておいて、もつと大きく、おいしくなつてからたべるのです。」
「さうか。ぢや早くいかう。」
「したくをしますから、ちよつとおまちなさい。」
 黒猫はさう言つたかと思ふと、すぐどこへか行つて、長い外套《ぐわいたう》と、長靴《ながぐつ》と、三味線《さみせん》の竿《さを》の短かいのとをもつて来ました。
「さア、これでよろしい。まゐりませう。」

    

 幸坊《かうばう》は黒猫《くろねこ》について、狐《きつね》の巣へ行きました。穴の口もとに来ると、黒猫は三味線《さみせん》をひいてうたひ出しました。
「シヤン、シヤン、ツン、チントン。ハアよいやな。金のいとを張つた琴だぞ。きつね、きつねのおうちはこゝか。かはいゝきつねの子はどこぢや。」
 狐はその歌をきくと、一たいだれがうたつてゐるのだらうと思つて、まづ、じぶんの子どもを穴の外に出して、見させました。
「しめたツ。」と、黒猫は手早く子狐を取りおさへてじぶんの外套のすそにおしこんでしまひました。
 そしてまた、「チヤンリン、チントン、ハアよいやな」と、面白くうたつてゐると、狐は子狐がかへらないのに心配して、穴からそうツと顔を出すところを、黒猫がその目に爪《つめ》をうちこんだので、狐はおそろしい泣声をあげて、穴から飛出し、黒猫と大げんかをはじめました。
 そのさわぎに、をんどりがかつ/\と鳴いて飛出しましたから、幸坊は大急ぎで、それをつかまへて一さんにうちの方へ走りましたが、それから先のことは、じぶんでも、どうなつたかわからなくなりました。

    

 やうやく正気にかへつた幸坊《かうばう》は、じぶんのうちの床の上にねてゐました。
「とうと]は?」と、幸坊はまづかう聞きました。お母さんが枕《まくら》もとにゐて答へました。
「気がついたかい。やれ/\安心した。おまいは、どうしたんだか、あの森の中にきぜつしてゐたのだよ。」
「とうとは?」と、幸坊は又きゝました。
「心配おしでない。かへつて来たよ。」
「黒は?」
「黒もかへつて来たよ。けれども大へんけがをしてゐるよ……」
 幸坊は二三日、つかれて、床にねてゐました。がおきあがると、お母さんたちにないしよ[#「ないしよ」に傍点]で、そつと森にはいつて、小さな小屋や、狐《きつね》の穴をさがしてみました。
 けれども、どんなにさがしてもそんなものは影も形もありませんでした。たしかに夢ではなかつたのですが……。

底本:「日本児童文学大系 第一一巻」ほるぷ出版
   1978(昭和53)年11月30日初刷発行
底本の親本:「赤い鳥」赤い鳥社
   1926(大正15)年2月
初出:「赤い鳥」赤い鳥社
   1926(大正15)年2月
入力:tatsuki
校正:鈴木厚司
2005年12月2日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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