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近松秋江

雪の日—– 近松秋江

あまり暖いので、翌日は雨かと思って寝たが、朝になってみると、珍らしくも一面の銀世界である。鵞鳥《がちょう》の羽毛を千切《ちぎ》って落すかと思うようなのが静かに音をも立てず落ちている。  私はこういう日には心がいつになく落着く。そうして勤めの...
近松秋江

黒髪—– 近松秋江

一  ……その女は、私の、これまでに数知れぬほど見た女の中で一番気に入った女であった。どういうところが、そんなら、気に入ったかと訊《たず》ねられても一々口に出して説明することは、むずかしい。が、何よりも私の気に入ったのは、口のききよう、起居...
近松秋江

湖光島影 琵琶湖めぐり—— 近松秋江

比叡山《ひえいざん》延暦寺《えんりやくじ》の、今、私の坐つてゐる宿院の二階の座敷の東の窓の机に凭《よ》つて遠く眼を放つてゐると、老杉|蓊鬱《おううつ》たる尾峰の彼方に琵琶湖の水が古鏡の表の如く、五月雨|霽《ば》れの日を受けて白く光つてゐる。...
近松秋江

狂乱—– 近松秋江

一  二人の男の写真は仏壇の中から発見されたのである。それが、もう現世にいない人間であることは、ひとりでに分っているのだが、こうして、死んだ後までも彼らが永《とこし》えに、彼女の胸に懐《なつ》かしい思い出の影像となって留《とど》まっていると...
近松秋江

伊賀國—– 近松秋江

伊賀國は小國であるけれども、この國に入るには何方からゆくにも相應に深い山を踰《こ》えねばならぬ。自分はいつも汽車の中に安坐しながら、此の國を通過するのであるが、西から木津川の溪谷を溯つて來るのもいゝし、東から鈴鹿山脈を横斷して南畫めいた溪山...
近松秋江

伊賀、伊勢路—– 近松秋江

私には、また旅を空想し、室内旅行をする季節となつた。東京の秋景色は荒寥としてゐて眼に纏りがない。さればとて帝劇、歌舞伎さては文展などにさまで心を惹かるゝにもあらず、旅なるかな、旅なるかな。芭蕉も   憂きわれを淋しがらせよ閑古鳥  といひ、...
近松秋江

うつり香—– 近松秋江

そうして、それとともにやる瀬のない、悔しい、無念の涙がはらはらと溢《こぼ》れて、夕暮の寒い風に乾《かわ》いて総毛立った私の痩《や》せた頬《ほお》に熱く流れた。  涙に滲《にじ》んだ眼をあげて何の気なく西の空を眺《なが》めると、冬の日は早く牛...
宮城道雄

昔の盲人と外国の盲人—— 宮城道雄

昔は盲人に特別の位を与えたものである。よく何市、何市とあるが、あれも市名《いちな》といって、盲人の位の一つで、一番下である。しかし何といっても一番よいのは検校であって、昔は 検校 になるには千両の金を納めなければならなかった。その代り十万石...
宮城道雄

声と性格—– 宮城道雄

私は盲人であるので、すべてのことを声で判断する。殊に婦人の美しさとか、若い乙女の純な心とかは、その声や言葉によって感じるわけである。従って、声が美しくて、発音が綺麗であると、話している間に、春の花の美しさとか、鳥の鳴き声をも想像する。  そ...
宮城道雄

声と人柄—– 宮城道雄

或時、横須賀から東京に向う省線に逗子駅から乗ったことがあった。ところがその電車が非常に混んでいて、空いた座席が殆どなかった。丁度その時、どこかの地方の青年団の人々が乗っていたが、その中の一人が、私の乗り込んだのを見てか「おい、起て起て」と言...
宮城道雄

声と食物—– 宮城道雄

私の経験から歌についていうと、言葉と節とが調和する時と、しない時とがある。従って、外国の歌を日本語に訳した際に、訳され方によって、音と言葉とがあっていないような気がする。殊にオペラなどにおいて、そうした点に無理なところがあるのを感じるのであ...
宮城道雄

心の調べ—– 宮城道雄

どんな美しい人にお会いしても、私はその姿を見ることはできませんが、その方の性格はよく知ることができます。美しい心根の方の心の調べは、そのまま声に美しくひびいてくるからです。声のよしあしではありません、雰囲気と申しますか、声の感じですね。  ...
宮城道雄

純粋の声—– 宮城道雄

私が上野の音楽学校に奉職することになった時、色々話があるからというので、或る日学校に呼ばれて行ったことがある。いよいよ講師としての辞令を渡された時、乗杉校長が、この学校は官立であるから、官吏という立場において体面を汚さぬようなことは、どんな...
宮城道雄

春雨—– 宮城道雄

家の者が、「座右寶」に梅原氏の絵が出ていると言うので、私はさわらせて貰った。さわってみても私に絵がわかる筈はないが、それでもやはりさわってみたい。いろいろと説明を聞きながらさわっている中に、子供の時に見た絵を想像した。  子供の時に見た絵を...
宮城道雄

耳の日記—– 宮城道雄

友情  いつであったか、初夏の気候のよい日に内田百間氏がひょっこり私の稽古場を訪ねて来て、今或る新聞社の帰りでウイスキーを貰って来たから※[#「てへん+僉」、第3水準1-84-94]※[#「てへん+皎のつくり」、第4水準2-13-7]にお裾...
宮城道雄

私の若い頃—– 宮城道雄

私は七八歳の頃、まだ眼が少し見えていたが、その頃何よりもつらく感じた事は、春が来て四月になると、親戚の子や、近所の子が小学校へ上ることで、私も行きたいが眼が癒らない。親達は気やすめに、学校用品を一揃い買ってくれたが、私はその鞄をかけて、学校...
宮城道雄

私のすきな人 宮城道雄

私のすきな人はたくさんあるので、みな書くことは出来ないが、最近倒れた印度のガンジー翁などはすきである。ラジオや新聞によると、ガンジーは、いつもヤギの乳や、ナツメの実ばかり食べて生活していたとか、それに何か願いごとがあると、よく断食をやったが...
宮城道雄

山の声—– 宮城道雄

私が失明をするに至った遠因ともいうべきものは、私が生れて二百日程たってから、少し目が悪かったことである。しかし、それから一度よくなって、七歳の頃までは、まだ見えていたのであるが、それから段々わるくなって、九歳ぐらいには殆ど見えなくなってしま...
宮城道雄

五十年をかえりみて—-宮城道雄

この度の音楽生活五十年記念演奏会に際し、皆様に御支援を戴いたことを心から感謝いたします。  私は九歳の年の六月一日に箏を習い始めてから、今年が還暦祝などというと、自分でじじくさく感じて心細くもある。しかしこの年を機会に若返っていよいよ勉強し...
宮城道雄

垣隣り—– 宮城道雄

普通の目の見える人が、自分の家のあたりの景色に親しみを持って見るのと同様に、私には自分の住んでいる近所の音が、私の生活の中に入っているわけである。これは自分の住んでいる周囲の音が懐しいのである。  気候が暖かになると、戸障子を明けるので、近...