2019-05

原田義人

変身 DIE VERWANDLUNG フランツ・カフカ Franz Kafka ——-原田義人訳

1  ある朝、グレゴール・ザムザが気がかりな夢から目ざめたとき、自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫に変ってしまっているのに気づいた。彼は甲殻のように固い背中を下にして横たわり、頭を少し上げると、何本もの弓形のすじにわかれてこんもりと盛り上が...
原田義人

判決    DAS URTEIL  フランツ・カフカ Franz Kafka ——-原田義人訳

すばらしく美しい春の、ある日曜日の午前のことだった。若い商人のゲオルク・ベンデマンは二階にある彼の私室に坐っていた。その家は、ほとんど高さと壁の色とだけしかちがわず、川に沿って長い列をつくって立ち並んでいる、屋根の低い、簡単なつくりの家々の...
原田義人

断食芸人               EIN HUNGERKUNSTLER フランツ・カフカ Franz Kafka ——原田義人訳

この何十年かのあいだに、断食芸人たちに対する関心はひどく下落してしまった。以前には一本立てでこの種の大きな興行を催すことがいいもうけになったのだが、今ではそんなことは不可能だ。あのころは時代がちがっていたのだ。あのころには町全体が断食芸人に...
原田義人

審判   DER PROZESS  フランツ・カフカ Franz Kafka ——-原田義人訳

第一章 逮捕・グルゥバッハ夫人との     対話・次にビュルストナー嬢  誰かがヨーゼフ・Kを誹謗《ひぼう》したにちがいなかった。なぜなら、何もわるいことをしなかったのに、ある朝、逮捕されたからである。彼の部屋主グルゥバッハ夫人の料理女は、...
原田義人

城    DAS SCHLOSS      フランツ・カフカ Franz Kafka  —–原田義人訳

第一章  Kが到着したのは、晩遅くであった。村は深い雪のなかに横たわっていた。城の山は全然見えず、霧と闇《やみ》とが山を取り巻いていて、大きな城のありかを示すほんの微かな光さえも射していなかった。Kは長いあいだ、国道から村へ通じる木橋の上に...
原田義人

最初の苦悩 ERSTES LEID フランツ・カフカ Franz Kafka —-原田義人訳

ある空中ブランコ乗りは――よく知られているように、大きなサーカス舞台の円天井の上高くで行われるこの曲芸は、およそ人間のなしうるあらゆる芸当のうちでもっともむずかしいものの一つであるが――、はじめはただ自分の芸を完全にしようという努力からだっ...
原田義人

皇帝の使者 EINE KAISERLICHE BOTSCHAFT フランツ・カフカ Franz Kafka ———原田義人訳

皇帝が――そう呼ばれているのだ――君という単独者、みすぼらしい臣下、皇帝という太陽から貧弱な姿で遠い遠いところへ逃がれていく影、そういう君に皇帝が臨終のベッドから伝言を送った。皇帝は使者をベッドのそばにひざまずかせ、その耳にその伝言の文句を...
原田義人

カフカ解説—– 原田義人

カフカがプルースト、ジョイス、フォークナーなどと並んで二十世紀のもっとも重要な作家の一人として考えられるようになったのは、彼の死後二十年余を経た第二次大戦後のことであるといってよい。今、たとえば一九三〇年ころに出版されて十万部を超《こ》える...
原田義人

火夫 DER HEIZER フランツ・カフカ Franz Kafka   —–原田義人訳

十六歳のカルル・ロスマンは、ある女中に誘惑され、その女とのあいだに子供ができたというので、貧しい両親によってアメリカへやられたのだが、彼がすでに速度を下げた船でニューヨーク港へ入っていったとき、ずっと前から見えていた自由の女神の像が、まるで...
原田義人

家長の心配 DIE SORGE DES HAUSVATERS フランツ・カフカ Franz Kafka—– 原田義人訳

ある人びとは、「オドラデク」という言葉はスラヴ語から出ている、といって、それを根拠にしてこの言葉の成立を証明しようとしている。ほかの人びとはまた、この言葉はドイツ語から出ているものであり、ただスラヴ語の影響を受けているだけだ、といっている。...
近松秋江

別れたる妻に送る手紙—— 近松秋江

拝啓  お前――別れて了ったから、もう私がお前と呼び掛ける権利は無い。それのみならず、風の音信《たより》に聞けば、お前はもう疾《とっく》に嫁《かたづ》いているらしくもある。もしそうだとすれば、お前はもう取返しの付かぬ人の妻だ。その人にこんな...
近松秋江

箱根の山々—– 近松秋江

夏が來て、また山の地方を懷かしむ感情が自然に私の胸に慘んでくるのを覺える。何といつても山を樂しむのは夏のことである。曾遊の夏の山水風光を、かうして今都會の中にゐて追憶して見るさへ懷かしさに堪へないで、魂飛び神往くの思ひがするのである。  日...
近松秋江

霜凍る宵—– 近松秋江

一  それからまた懊悩《おうのう》と失望とに毎日|欝《ふさ》ぎ込みながらなすこともなく日を過していたが、もし京都の地にもう女がいないとすれば、去年の春以来帰らぬ東京に一度帰ってみようかなどと思いながら、それもならず日を送るうち一月の中旬を過...
近松秋江

雪の日—– 近松秋江

あまり暖いので、翌日は雨かと思って寝たが、朝になってみると、珍らしくも一面の銀世界である。鵞鳥《がちょう》の羽毛を千切《ちぎ》って落すかと思うようなのが静かに音をも立てず落ちている。  私はこういう日には心がいつになく落着く。そうして勤めの...
近松秋江

黒髪—– 近松秋江

一  ……その女は、私の、これまでに数知れぬほど見た女の中で一番気に入った女であった。どういうところが、そんなら、気に入ったかと訊《たず》ねられても一々口に出して説明することは、むずかしい。が、何よりも私の気に入ったのは、口のききよう、起居...
近松秋江

湖光島影 琵琶湖めぐり—— 近松秋江

比叡山《ひえいざん》延暦寺《えんりやくじ》の、今、私の坐つてゐる宿院の二階の座敷の東の窓の机に凭《よ》つて遠く眼を放つてゐると、老杉|蓊鬱《おううつ》たる尾峰の彼方に琵琶湖の水が古鏡の表の如く、五月雨|霽《ば》れの日を受けて白く光つてゐる。...
近松秋江

狂乱—– 近松秋江

一  二人の男の写真は仏壇の中から発見されたのである。それが、もう現世にいない人間であることは、ひとりでに分っているのだが、こうして、死んだ後までも彼らが永《とこし》えに、彼女の胸に懐《なつ》かしい思い出の影像となって留《とど》まっていると...
近松秋江

伊賀國—– 近松秋江

伊賀國は小國であるけれども、この國に入るには何方からゆくにも相應に深い山を踰《こ》えねばならぬ。自分はいつも汽車の中に安坐しながら、此の國を通過するのであるが、西から木津川の溪谷を溯つて來るのもいゝし、東から鈴鹿山脈を横斷して南畫めいた溪山...
近松秋江

伊賀、伊勢路—– 近松秋江

私には、また旅を空想し、室内旅行をする季節となつた。東京の秋景色は荒寥としてゐて眼に纏りがない。さればとて帝劇、歌舞伎さては文展などにさまで心を惹かるゝにもあらず、旅なるかな、旅なるかな。芭蕉も   憂きわれを淋しがらせよ閑古鳥  といひ、...
近松秋江

うつり香—– 近松秋江

そうして、それとともにやる瀬のない、悔しい、無念の涙がはらはらと溢《こぼ》れて、夕暮の寒い風に乾《かわ》いて総毛立った私の痩《や》せた頬《ほお》に熱く流れた。  涙に滲《にじ》んだ眼をあげて何の気なく西の空を眺《なが》めると、冬の日は早く牛...