一
それからまた懊悩《おうのう》と失望とに毎日|欝《ふさ》ぎ込みながらなすこともなく日を過していたが、もし京都の地にもう女がいないとすれば、去年の春以来帰らぬ東京に一度帰ってみようかなどと思いながら、それもならず日を送るうち一月の中旬を過ぎたある日のことであった。陰気に曇った冷たい空《から》っ風《かぜ》の吹いている日の午前、内にばかり閉じ籠《こも》っていると気が欝いで堪えられないので、また外に出て何の当てもなく街を歩いていたが、やっぱり例の、女のもといたあたりに何となく心が惹《ひ》かれるのでそちらへ廻って行って、横町を歩いていると、向うの建仁寺《けんにんじ》の裏門のところを、母親が、こんな寒い朝早くからどこへ行ったのか深い襟巻《えりまき》をしてこちらへ歩いて来るのが、遠くから眼についた。私はそれを一目見ると、心にうなずいて、
「この機会をいつから待っていたか知れぬ」と、心の中に小躍《こおど》りしながら、そこの廻り角のところでどっちに行くであろうかと、ほかに人通りのない寂しい裏町なのでこちらの板塀《いたべい》の蔭《かげ》にそっと身を忍ばせて、待っていると、母親はそれとは気がつかぬらしく、その廻り角のところに来て、左に折れた。……そこを左に折れると、先々月の末に探しあてて行った例の路次裏の方へ行く道順である。私は、母親をやり過しておいて、七、八間も後《おく》れながら忍び忍び蹤《つ》いてゆくと、幾つもある廻り角を曲ってだんだんこの間の家の方へ近づいて行く。そして、とうとう、やっぱりその路次を入っていった。母親の姿が路次の曲り角を廻って見えなくなると、私は小走りに急いで後を追うてゆくと、母親は、やっぱり過日《いつか》の三軒並んだ中央《まんなか》の家の潜戸《くぐり》を開けて入ってゆくところであった。そして入ったあとをぱたりと閉めてしまった。
私はこちらの路次の入口のところに佇立《たちど》まって「ははあ」とばかりその様子を見ながら、心の中で、「今まで言っていたことは何もかも皆な※[#「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74]《うそ》ばかりであった。やっぱり女もこの家にいるにちがいない」と独《ひと》りでうなずいて、
「もうこうして居処《いどころ》を突き留めた以上は大丈夫である。これから一と思いに踏み込んでやろうか」と思ったが、いやいや長い間の気の縺《もつ》れに今は精神が疲労しきっている。今すぐ、あの戸を叩《たた》いては、また仕損じることがあってはいけない。あの家《うち》の中に女が潜んでいると知ったら安心である。あえて急ぐには及ばぬ。ゆっくり心を落ち着けて、精神の疲労を回復した上で話に取りかかっても遅しとせぬ。そう思案をして、そのままそっと路次を引き返して表の通りの方へ出て来た。そして早く一応宿へ帰って、積日の辛苦を寛《くつろ》げようと思って電車の方に歩いてくると、去年の十二月の初めから、空漠《くうばく》とした女の居処を探すためにひょっとしたら懊悩の極、喪失して病死しはせぬだろうかと自分で思っていた、その居処を突き留めた悦《よろこ》びやら悲しみやらが一緒に込み上げて来て、熱い玉のような涙がはらはらと両頬《りょうほお》に流れ落ちた。そして神経がむやみに昂《たかぶ》って、胸の動悸《どうき》が早鐘を撞《つ》くようにひびく。寒い外気に触れて頬のまわりに乾きつく涙を、道を行く人に憚《はばか》るようにしてそっと拭《ふ》きながら、私は心の中で、
「やっぱり初めからあすこにいたのだ。それを、あの母親の言うことにうまうまと騙《だま》されて、ありもせぬ遠くの方ばかし探していた。今のところに変って来る前|先《せん》の時もあの路次にはもういないというから、そうかと思っていると、やっぱりあすこにいたのであった。今度もまたそうであった。一度ならず二度までも軽々と、あの母親のいうことを真実《ま》に受けて、この貴重な脳神経を、どんなに無駄《むだ》に浪費したか知れぬ」と、口惜《くや》しさと憤《いきどお》りとがかっとなるようであった。
それから二、三日の間はつとめて心をほかのことに外《そ》らして気を慰め、神経を休めてから今度はよほどの強い決心をしてまたその路次に入って行った。そして入口の潜戸のところに立って引っ張ってみたが、やっぱり昼間でも中から錠を下ろしていると思われて開《あ》かない。
「ご免なさい」
と、声をかけてみた。すると、入口の脇《わき》の※[#「木+靈」、第3水準1-86-29]子窓《れんじまど》をそっと開けて、母親が顔を出した。
「おかあはん、やっぱりここにいるんじゃありませんか」と、私は、どこまでも好きな女の母親に物をいうように優しい調子でいうと、母親は、それでもまだ剛情を張って、
「ここは私の家《うち》と違います。先から、そういうてるやおへんか」と、あくまでも白ばくれようとする。
私も心でむっとしながら、
「いや、もう、そんなに隠さない方がいいです。あなた方は初めからここにいたのは分っているんだ。お園さんはどうしています?」
そういうと、母親もさすがに包みかねて、声を柔らげながら、
「今まだ病気が本当にようありまへんさかい。ようなったら、あんたはんにも会わせますいうてるやおへんか、どうぞ今度また会うてやっとくれやす」
と調子のいいことをいう。
「そこにいるんなら、今会ったっていいじゃありませんか」
「今ちょっと留守どすさかい。また加減がようなったら、私の方から、あんたはんにお知らせします。もうしばらくの間待ってとくれやす」
窓の内と外とで立ちながら、そんな話をしたが、母親は入口を開けて私を家の中へ入れようとせぬ。そしてしまいには、呆《あき》れて応答も出来ないような野卑な口をきいて毒づくのである。そもそも女に逢《あ》い初《そ》めた時分、それからつい去年の五月のころ、女の家に逗留《とうりゅう》していた時分に見て思っていた母親とは、まるで打って変った悪婆らしい本性を露出して来た。
それにつけても、まだ女の家にいたころ、女が私と二人ばかりの時、
「内のお母はん、ちょっと欲の深い人どすさかい」と一と口いったことのあったのを、ふと思い起した。それを質樸《しつぼく》な婆さんと見たのがこちらの誤りであったか……そんなことを思った。
私の心の中を正直に思ってみれば、もう、女の顔を見たいが一心である。ともかくも一度どうかして本人の顔が見たい。振《ふ》り顧《かえ》ってみると、母親にこそ近ごろたびたび会っているが、本人の顔を見たのは、もう、去年の七月の初め彼女のところから山の方に立っていった、あの時見たきり七、八カ月というもの見ないのである。流行感冒から精神に異状を来たして長い間|患《わずら》っていたというから、どんな容姿《すがた》をしているか、さぞ病み細っているであろう。どうかして一度顔を見たいものである。そして出来ることなら母親に内証で、こちらの胸をそっと向うに通ずる術《すべ》もないものかと、いろいろに心を砕いたが、好い方法も考えつかぬ。毎日そこの路次口にいって立っていたなら、風呂に行く時にでも会われはせぬかと思ってみたが、一月から二月にかけて寒い最中のこととて、あまり無分別なことをして病気にでもなったら、この上になおつまらぬ目に会わねばならぬと思うと、そんなことも出来ぬ。そして時々路次に入っていって入口のところに立って家の中の様子に耳を澄ましてみるが、人がいるのか、いないのか、ことりという音もせねば話し声も洩《も》れぬ。そっと音のせぬように潜戸《くぐり》を引っ張ってみても、相変らず閉めきっていて動かない。入口の左手が一間の※[#「木+靈」、第3水準1-86-29]子窓《れんじまど》になっていて、自由に手の入るだけの荒い出格子《でごうし》の奥に硝子戸《ガラスど》が立っていて、下の方だけ擦《す》り硝子《ガラス》をはめてある。そこから、手を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]《さ》し入れて、試みにそっとその硝子戸を押してみると五、六寸何のこともなくずうっと開きかけたが、ふっとそれから先戸が動かなくなったのが、どうやら誰か内側からそれを押えているらしく思われたので、こんどは二枚立っている硝子戸の左手の方を反対に右手に引こうとすると、それもまた抑《おさ》えたらしく開かない。どうしようかと思ってちょっと考えたが、一旦《いったん》押す手を止めておいて、その出窓が一尺ほどの幅になっているので、こんどは隣りの家の入口の方に廻って、その横手の方から、一と押しに力を入れて、ぐっと押すと、こちらの力が勝って、硝子戸は一尺ほどすっと開いた。そして内側をふっと見ると、向うの窓の下のところに、嬉《うれ》しや、彼女が繊細《かぼそ》い手でまだ硝子戸に指を押しあてたまま私の方を見て、黙ってにっこりとしている。その顔は病人らしく蒼白《あおじろ》いが、思ったよりも肥えて頬などが円々《まるまる》としている。近いころ髪を洗ったと思われて、ぱさぱさした髪を束ねて櫛巻《くしまき》にしている。小綺麗《こぎれい》なメリンスの掛蒲団《かけぶとん》をかけて置炬燵《おきごたつ》にあたりながら気慰みに絽刺《ろさ》しをしていたところと見えて、右手にそれを持っている。私は窓の横から窺《のぞ》きながら、
「お園さん」と低い調子で深い心の籠った声をかけた。
と、そこへ、その物音を聴《き》きつけて、次の間から母親が襖《ふすま》をあけて出て来て、
「なんで、そない端のところに出ているのや、早うこっちお入りんか。そなところにいるからや」と、ひそひそ小言をいいながら、力なげに起《た》ち上った彼女の背後《うしろ》に手を添えて奥の間の方へ推し隠してしまった。そして硝子戸を今度はぴっしゃり閉めてしまった。せっかく好いあんばいに顔を見ることが出来たのに、一と口も口を利《き》く間もなかった。
けれども、長い間恋い焦《こが》れて、たった一と目でもいいから見たい見たいと思っていた女の顔を見ることができたので、ちょうど、長い間|冬威《とうい》にうら枯れていた灰色の草原に緑の春草が芽ぐんだように一点の潤いが私の胸に蘇《よみがえ》ってきた。病後の血色こそ好くないが、腫《むく》んだように円々と肥って、にっとこちらを見て笑っていた容姿《すがた》には、決して心から私という者を厭《いと》うてはいないらしい毒気のないところが表われていた。ああして小綺麗なメリンス友禅の掛蒲団の置炬燵にあたりながら絽刺しをしていた容姿《すがた》が、明瞭《はっきり》と眼の底にこびりついて、いつまでも離れない。それにしても、あれは、何人が、ああさしておくのであろう? よもや背後《うしろ》に誰もついていないで、気楽そうにああしていられるはずがない。
そんなことを思うと、身を煎《い》られるような悩ましさに胸の動悸が躍って、ほとんどいても起《た》ってもいられないほど女のことが思われる。
そして、もう悪性の流行感冒に罹《かか》っても構わない、もし、そんなことにでもなったら、かえって身を棄《す》て鉢《ばち》に思いきったことが出来る、生半《なまなか》に身を厭えばこそ心が後れるのだ、誰か男が背後《うしろ》についているにちがいないとすれば大抵夜の八時九時時分には女の家に来ているであろうと、そのころを見計らって、ほとんど毎夜のように上京《かみぎょう》の方から遠い道を電車に乗って出て来ては路次の中に忍んで、女の※[#「木+靈」、第3水準1-86-29]子《れんじ》の窓の下にそっと立っていた。そして、家の中から男の話し声が洩れはせぬか、その男の声が聴きたい、どんなことを話しているであろう? と冷たい黒闇《くらやみ》の夜気の中にしばらくじっと佇《たたず》んでいても、家《うち》の中からは、ことりの音もせぬ。そっと例の硝子戸に触《さわ》ってみるけれど、重い硝子戸は容易に動かない。誰もいない留守なのかと思っていると、いるにはいると思われて、畳の上を人の歩く足音がする。それが母親であったら勝手が悪いと思ったが、試みに、誰とも分らないほどに低い声で、
「今晩は今晩は。……ご免なさいご免なさい」
と声をかけてみると、すっと内から硝子戸が一尺ばかり開いてそっと、白い顔を出したのは、中の電燈を後に背負って、闇《くら》がりではあるが、たしかに彼女である。そして、眼で外の闇の中を探るようにしている。
「お園さん」
と、私は思わず※[#「木+靈」、第3水準1-86-29]子窓に寄り添うようにして力の籠った低声《こごえ》で呼びかけながら手に物を言わせて、おいでおいでをして見せると、彼女は、声の正体が分ったので、そのまま黙って、急いで硝子戸を閉めてしまった。どうすることも出来ない私はちょうど猿《さる》が樹から落ちたような心持になった。向うで幾らかその気があるなら、何とか合図くらいのことはしてくれそうなものであるのに、少しもそんな様子のなかったのは、すっかり心が離れてしまっているからである。そう思うともう心に勢いが脱《ぬ》けて、その上つづけて寒い闇の中に佇んでいる力がなくなり、落胆と悲憤とに呼吸《いき》も絶え絶えになりそうな胸をそっと掻《か》き抱《いだ》きながら空《むな》しく引き返して戻《もど》ってくるのであった。
それ以来硝子戸を固く釘付《くぎづ》けにでもしたと思われて、夜の闇にまぎれて幾ら押してみても引いてみても開かなくなってしまった。相変らず出かけていって窓の下に佇んで家の中の物音に身体《からだ》中の神経を集めて耳を澄ましても母子《おやこ》の者の話す声さえせぬ。何とか家の中を窺いて見る方法はないかと思って、硝子戸を仰いで見ると、下の方は磨《みが》き硝子になっているが上の方は普通の硝子になっているので、路次の中に闇にまぎれて、人の通るのを恐る恐るそこらに足を踏み掛けてそっと※[#「木+靈」、第3水準1-86-29]子格子に取りついて身を伸び上って内を窺くと、表の四畳半と中の茶の間と両用の小さい電燈を茶の間の方に引っ張っていって、その下の長火鉢によりかかりながら彼女が独りきりでいつかの絽刺しをしているのが見える。そして身体が三分の一ばかり手前の襖に隠れているので、その蔭に母親もいるのか分らない。とにかく静かで、ただ絽刺しの針を運ぶ指先が動いているだけである。こちらが窓に伸び上っている物音でも聞えたら、ついと振り向きそうであるが、それも聞えぬのか、まるで石像のように静かにしている。ついでに内の中の様子を見ると、この間は気がつかなかったが、すぐ取付きの表の間には壁の隅《すみ》に二枚折りの銀屏風《ぎんびょうぶ》を立て、上り口に向いたところにはまた金地の衝立《ついたて》などを置いてある。
「あんな、いろんな家具などを買い込んでいる」と、それに何となく嫉妬《しっと》を感じながら、心|急《せ》き急《せ》きなおよく見ると、内は三間と思われて茶の間のも一つ奥が一枚襖を開いたところから、そちらは明るく見えている。そしてそこに寝床を敷いてあるのが半分ほど見えている。私は神経が凝結したようになってそちらを、なおじっと見ると、木賊色《とくさいろ》の木綿ではあるが、ふかふかと綿の入った敷蒲団を二、三枚も重ねて敷き、そのうえに襟のところに真白い布を当てた同じ色の厚い掛蒲団を二枚重ねて、それをまん中からはね返して、もう寝さえすればよいようにしてある。そちらの座敷が明るいので、よく見える。私はもう身体中の血が沸き返るようである。
「旦那《だんな》が来ているのだろうか?」と、小頸《こくび》を傾けてみた。
旦那らしい者があると思って見るさえ、何とも言えない不快な気持がするが、いかに欲目でそんなものはないと思おうとしても家《うち》の中の様子では、それがあることは確かである。はたして自分の他にまだそんな者があって、今その世話でこうなっているとすれば、どう、自分の身びいきという立場を離れて考えても不埒《ふらち》である。たとい売女《ばいた》にしても、容易にそんなことが出来るわけのものではない。しかしそれは彼女の自分の意思でそうなったものか? 本人の心底をよく訊《き》いてみなければならぬが、二、三日前の夜ちょっと顔を覗《のぞ》けた時、すげなく硝子戸を閉めたことと言い、そののちこうして硝子戸を開かなくしたことなどを思い合わしても女には私のことにぷっつり気がなくなってしまったのではなかろうか? 何とかしてこちらの懊悩《やきやき》している胸の中を立ち割ったようにして見せたいものだ。母親の言った詐《つく》りごとを真に受けて、あの十二月の初め寒い日に、山科《やましな》の在所《ざいしょ》という在所を、一日重い土産物《みやげもの》などを両手にさげて探し廻ったこと、それから去年の暮のしかも二十九日に押し迫って、それも母親のいう通りを信じて、わざわざ汽車に乗って、南山城《みなみやましろ》の山の中に入って行こうとしたこと、また京都中を探し歩いたこと、そんな心労を数え立てていう段になったら幾らいっても尽きない。……女は硝子戸一枚隔てたすぐ眼の前にいながら、この心の中を通ずる術《すべ》もない。
私は※[#「木+靈」、第3水準1-86-29]子格子からやっと手を放して地におり立ちながら、「旦那が来ているので、ああして寝床までちゃんと用意してあるのだろうか。それとも自分の寝床かしらん?」
そんな者が来ているなら、ああして自分独り黙って絽刺しをさしているはずもない、すると、あれは、これから自分の寝る床であろうか。どうかして旦那が来ているところを突き留めたい。それが、どんな人間であっても自分はそれに遠慮して手を引くのではない。自分より以上深い関係の人間がほかにあろうとは思えない。……
そうして心の中は瞋恚《しんい》の焔《ほのお》に燃えたり、また堪えがたい失望のどん底に沈んでしまったような心持になったりしながらもまたふと思い返してみると、女は長い間の苦界《くがい》から今ようやく脱け出《い》でて、ああして静かに落ち着こうとしているところである。それを無惨に突き崩《くず》そうとするのはみじめのようでもある。そうかと思うと、また自分という者を振り返ってみると、どうであろう。この真冬の夜半に寒風に身を曝《さら》して女の家の窓の下に佇みながら家へ入って行くこともならぬ。しかもこちらは彼女のために、長い間ほとんど自分のすべての欲求を犠牲にして出来る限りのことを仕尽して来ているのではないか。ああして温々《ぬくぬく》とした寝床などをしているのに、自分はどうかといえば、これから宿に帰って冷たい夜具の中に入って寂しく寝なければならぬのである。すると、またどう考えても道理に合わない母子《おやこ》の勝手至極を憤らずにはいられない。
「よし。どうあっても、これはこのままには棄てておかないぞ」と思ったが、あまりに心が疲労しているので、その晩はそのまま悄然《しょうぜん》として宿に戻った。
二
でも、どうかして女だけにこちらの心を通じたい。乱暴なことをして、女の心が、もし、自分から離れていなかったとしたならば、そのためにかえって、自分を遠ざかってゆくようなことがあってはならぬと思い、胸はいろんな思いで一杯になりながらやっぱり思いきったことをし得ないでいたが、もうそうしているのにたまらなくなって、二、三日過ぎた晩同じように窓の下に立ってみたが、相変らず静寂《しん》としている。男が来ているかいないか分らないが、来ていれば、こうすれば聞くであろう。その女には、こんな者がついているぞと思わせようと思って、潜戸《くぐり》のところに寄って、臆《おく》せず、二つ三つ、
「今晩は!」と高い声をかけた。
すると、
「どなたはんどす?」といいながら、母親が硝子戸を開けて顔を出した。
「今晩は。私です」
「ああ、あんたはんどすか。あんたはんには、もう用はない」と、いって、そのままぴしゃりと硝子戸を閉めてしまった。
そうなると、もう、耐《こら》えにこらえぬいている憤怒がかっと込み上げて抑えることが出来ない。私は、わざと夜遅く近処|合壁《がっぺき》に聞えるように、潜戸をどんどん打ち叩いて、
「今晩は今晩は今晩は今晩は」とやけに呼んだ。
すると、家《うち》の中でも黙っているわけにゆかず母親はまた硝子戸を開けて顔を出して、少し先《せん》よりも低い声で、
「何か用どすか」という。
「何か用どすかもないもんだ。用があるから呼んでいるのです。話があるからここを開けて下さい」
「開けられまへん。ここは私の家と違います」
「ああ、もう、そんないつまでも白ばくれたことをいいなさんな。幾ら口から出まかせをいって、人を騙《だま》そうとしても、こちらが正直なもんだから、一応は騙されているが、騙されたと知っただけよけい腹が立つ。私を一体何と思っているんだ。お前さんたちに、いつまでもいいようにされている子供じゃないんだぞ。東京でもうさんざっぱら塩を嘗《な》めて来ている私だ。今までここの女に焦《こが》れていればこそ馬鹿にされ放題馬鹿になっていたが、こう見えても丹波や丹後の山の中から出て来た人間とは人が違うんだ」私は、自分ながら少し下品だと思ったが真暗な夜のことではあり、人の往来もない、深く入り込んだ路次の中とて、母子《おやこ》に聴かすよりも、もし男でも来ていたら、それに聴かすつもりで、そんなことを癇《かん》高い調子でいい続けた。そしてもし、男が来合わせているならそこへ顔を出せばちょうどいいと思った。
すると、母親は、いつもに似ず私の剣幕が凄《すさ》まじいのと、近処隣りへ気を兼ねるので、いつもの不貞腐《ふてくさ》れをいい得ないで、私をそっと宥《なだ》めるように、
「まあ、あんたはんもそんな大きい声をせんとおいとくれやす。あんたはんも身分のある方やおへんか。あんたはんの心は私にもようわかってますよって、あの娘《こ》が病気が好うなったらまた会わせます」
「病気が好くなったら会わせますって、もう好くなっているじゃありませんか」私も少し声を低くした。「私が、どんなに、あなた方二人の身のことを長い間思って上げているか、――決して恩に被《き》せるのではないが――そのことを少し思ってみたなら、たとい今までのような商売をしていた者でも、私に※[#「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74]が吐《つ》かれるはずがない。……いや山科のお百姓の家《うち》に出養生をさしているの、いや南山城の親類が引き取ったのといって、みんな真赤な※[#「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74]じゃありませんか。あなたはよく金神様《こんじんさま》を信心しているが、何を信心しているのです」私の言葉はだんだん優しい怨《うら》み言《ごと》になって来た。
母親がそれについて何かいおうとするのを、押《お》っ被《かぶ》せるようにして言い捲《まく》った。
「ええ、ようわかってますよって、今夜はもう遅うおすさかい、また出直して来ておくれやす。あんたはんの気の済むようにお話しますよって」
「ああ、そうですか。それじゃまた近いうちに来ますからこんど、また、もう話すことはないなどと言っては承知しませんよ」そういって、私は、おとなしく振り返って帰ろうとすると、母親は、そういった口の下から、すぐ、
「勝手にせい。今度来たら寄せつけへん」と、棄てぜりふを、私の背後《うしろ》に浴びせかけながら、ぴしゃりと硝子戸を閉めた。
私は、「そらまた、あのとおりの悪たれ婆《ばばあ》だから始末にいけない」と心の中で慨歎《がいたん》しながら、後戻りをして、も一度戸を叩いて、近所へ恥かしい思いをさしてやろうかと思ったが、いつものとおり失望と悲憤との余り息切れがするまで精神が消耗しているので、そっと胸の動悸を抑えるようにしてそのまま路次を出て来た。
しかし、もう、そうなると、今までのように、女の気を測りかねて、差し控えてばかりいられなくなった。何とかして家《うち》の中へはいり込んでゆく方法はないものかとさまざまに心を砕きながら、好い機《おり》の来るのを待っていた。すると、いつもの通り夜九時ごろになって※[#「木+靈」、第3水準1-86-29]子窓の下に立って聞くと、めずらしい人が来ていると思われて男の話し声がする。はっと、私は胸を躍らしながら、じっと耳を澄ますと、来ているのは一人だけでないと思われて女の話し声も交っている。どんなことを話すかとなお聞いていると、
「ほんならもう帰りましょうか」と四、五十ばかりの女の声がして、
「ああ帰りましょう」と、それに応ずる男の声がする。その晩は家《うち》の中も明るい。それで急いでまたそっと格子に取りついて伸び上がって、ちらと家《や》の内を窺《うかが》うと、一番奥の、たしか六畳の座敷に、二、三人の客がちょうど今立ち上がって帰ろうとするところである。私は急いで格子を滑《すべ》り下りて、すぐ左手の隣りの家《うち》ではまだ潜戸《くぐり》を閉めずにあったので、それを幸いと、そこの入口に身を忍ばせて上《あが》り框《かまち》に腰を掛けながら、女の家から人の出てゆくのをやり過していると、
「えらい御馳走《ごちそう》さんどした」と口々に礼をいって、何か彼か陽気な調子で話しながら、ぞろぞろ出て来た。こちらは堅くなって息を詰め、両方の家の中から幽《かす》かに洩《も》れてくる灯《ひ》の明りに、路次の敷石をからから踏み鳴らしながら帰ってゆく人影を見張っていると、闇《くら》がりでよく分らぬが、女はお茶屋のおかみらしく、中央《まんなか》に行くのが男で、背が高い。はてな、旦那ならばこうして一緒に帰ってゆくはずもなかろうと思っていると、一番|後《あと》の女と並んで、何かひそひそと話しながらゆくのは母親である。私は、
「ああ、母親のやつめ、出てゆく。そこの路次の出口まで客を送り出すのであろう。きっと、すぐ帰ってくるので、潜戸を開けたままにしているかも知れぬ」
と、早速気がついて、それらが闇がりに路次の角を曲ったのを見済ましておいて、入口のところに来てみると、はたして潜戸を開け放しにしている。
私は、うまくしてやったりと心にうなずきながら、つっと内へ入りながら、中から潜戸を閉めておいて狭い通り庭をずっと奥へ進むと、茶の間と表の間との境になっている薄暗い中戸のところに、そこまで客を送り出したものと見えて女がひとりで立っている。
そして出し抜けに私がはいって来たのを見て、
「ああ!」と慴《おび》えたように中声を発して、そのままそこに立ち竦《すく》んだ。
私は、いい気味だというように強《し》いて笑いながら、
「お園さん、一遍あんたに会いたいと思っていたのだ」と、つとめて優しくいいつつ、私はそのまま茶の間へ上がって、火鉢の手前にどっかと坐ってしまった。
女はそこらをかたづけていたらしかったが、もう、おずおずしながらしかたなく自分も上にあがって、向うの方に膝《ひざ》を突きながら、
「あんたはんが今ここへ来ておくれやしたんでは、私、どない言うてええかわかりまへん」と悄然《しおしお》としてふるえ声にいう。その眼は何ともいえない悲痛な色をして私を見ている。
私は、気味がいいやら、可愛いやらである。
そこへ、がらがらと表の潜戸の開く音がして、母親が戻って来た。
三
私は、入って来た時、よっぽど、あの潜戸の猿を落して、母親に閉め出しを食わしてやろうかと思ったが、それも、あんまり意地が悪いようで、それまでにはし得なかった。それというのも、そうまでになっても、私の心の内は、やっぱり何とかして、母子《おやこ》の心が、自分の方へ向いてくるように優しく仕向けたいからであった。
母親は通り庭から中の茶の間の前に入ってくると、思いがけなく、火鉢の向うに私が来て坐っているのを見ると、びっくりしてたちまち狂気のようになって怒り出した。
「あんたはん、何でここの家《うち》へ入っておいでやした。ここは私の家《うち》とちがいます」と、いいながら上《あが》り框《かまち》をあがって、娘に向って、
「お前もどうしてるのや、よう気いおつけんか。あんたが入れたんやろ」と、小言をいう。娘はじっとそこに坐ったまま、
「わたし、そんなことをしいしまへん。この方が自分で入っておいでやした」と尋常な調子でいっている。
私はじっと両腕を組んで、その場の光景を見ながら、母親から何といわれても、ふてぶてしく黙り込んで、身動きもせずに坐っていた。すると、母親は、さすがに手出しはし得なかったが、今にも打ちかかって来そうな気勢《けはい》で、まるで病犬が吠《ほ》えつくような状態《ありさま》で、すこし離れたところから、がみがみいっている。
「あんたはん、何の権利があってここの家《うち》へ黙って入っておいでやした。ここの家は私の家と違いまっせ」と、いいつつ肱《ひじ》を突っ張ってだんだん私の傍《そば》に横から擦《す》り寄って来て、
「黙ってよその家《うち》へ入り込んで来て、盗人《ぬすっと》……盗人!」と、隣り合壁に聞えるような、大きな声を出してがなりつづけた。
「警察へ往《い》てそう言うてくる。警察、警察。さあ警察へうせい。警察へ連れて往く」と、母親は一人ではしたなくいきり立ったが、私が微塵《みじん》も騒ごうとせぬので、どう手出しのしようもない。本人の娘はむすめで、これもどうしていいか当惑したまま、そこに坐って口も利《き》かずに母親の騒ぐのをただ傍見しているばかりである。私は小気味のよさそうに、あくまでも泰然としていた。すると母親は、急を呼ぶように声を揚げて、
「兄さん! にいさん!」と、左手の隣家《となり》の主人を呼んだ。その隣家は、去年の十一月の末、はじめてその路次の中へ女の家を探《たず》ねて入っていった時から折々顔を見て口をきき合っていたのであったが、先《せん》だって中《じゅう》からまたたびたび私が出かけていって、母親と大きな声でいい諍《あらそ》ったりするのを見かねて、もう七十余りにもなる主人の母親というのが双方の仲に入って、ちょっと口を利きかけていたのであった。旅館や貸席などの多いその一郭を華客先《とくいさ》きにして、そこの家では小綺麗な仕出し料理を営んでいたが、兄さんと呼ばれた主人はまだ三十五、六の背の高い男で、その主人とは私はまだ顔を見ただけで一度も口を利いていなかった。母親がそういって大きな声で呼んだので、越前屋《えちぜんや》という仕出し屋の若い主人は印の入った襟のかかった厚子《あつし》の鯉口《こいぐち》を着て三尺を下の方で前結びにしたままのっそりと入って来た。
そうして吟々いっている母親と私とのまん中に突っ立ったまま、「まあまあ、どちらも静かにおしやす」と、両方の掌《て》で抑える形をして、
「ちょうど好いとこどした。此間《こないだ》から私も見て知らん顔はしていましたけど、一遍お話を聴いてみたいと思うてたのどす」といって、そこに腰を下ろすと、母親は隣りの主人が入ってきたので気が強くなって、一層がみがみ言い募った。主人はそれを宥《なだ》めて、
「お母はん。まあそういわんと、話はもっと静かにしててもわかりますよって」といって、こんどは私の方に向い、
「兄さん、えらい済んまへんがちょっとあんたはん私のとこへ往《い》とっておくれやす。……いえ、私も及ばぬながらこうして仲に入りましたからにはこのままには致しまへんよって」と、いう。
けれども私は、今までもう幾度か、いろんな人間が仲に入ったにもかかわらず、それらは皆母親に味方して、邪魔にこそなれ、こちらの要求するとおり、一度だって、肝腎《かんじん》の本人に差向いに会わしてくれて納得のゆく話をさする取計らいをしてくれようとはしなかった、それを思うて、私は幾度か腹の内で男泣きに泣いて、人の無情をどんなに憤ったか知れなかった。これまでは、自分の熱愛する女がそうせよというなら、もう一生京都に住んで京の土になっても厭いはせぬとまで懐《なつ》かしく思っていたその京都を、それ以来私はいかに憎悪《ぞうお》して呪《のろ》ったであろう。出来ることなら、薄情な京都の人間の住んでいるこの土地を人ぐるみ焦土となるまで焼き尽してやりたいとまで思っているのである。他人はことごとく無情である、自分のこの切なる心を到底察してくれない。そんな他人に同情してもらったり、憫《あわ》れんでもらったりしようとはかけても思わぬ。自分の大切な大切な魂の問題である。そのためによし病《わずら》って死んだって、また恥ずべき名が世間に立とうとも自分ひとりのことである。何人にもどうしてくれといいたくない。それゆえにこそ、実に一口に言おうとて言えないくらい、さまざまに胸の摧《くじ》ける思いをして、やっと今晩という今晩、またと得られない機会を捉《とら》えてこうして女の家に入り込んだのである。今までの母親の仕打ちからいったならば、この機会を逸したが最後二度と再びこんな好い都合なことはないのである。私は隣家《となり》の主人に向っていった。
「有難うございますが、今までちょいちょい御覧のとおりの次第で大抵私の恥かしい事情はお察しであろうと思いますが、今晩はどうあっても、この本人の意向を、私自身で訊《き》きたいと思っているのですから」
と、私は、傍でさっきから口の絶え間もなく狂犬のように猛《たけ》っている母親には脇眼もくれず、向うに静かにして坐っている女を指しながら堅い決意を表わした。そうして久しぶりに見れば見るほど女が好くってたまらない。
すると主人は、
「そやから、このままにはしまへんというています。姉さんには私が必ず後で逢わせますよって、ちょっと私の家へ往とっておくれやす」と万事飲み込んだようにいう。
それで私も物わかりよく素直に、
「それではあなたにおまかせしておきます」と、きっとした調子でいって、起《た》ち上がりかけると、彼女はどう思案したものか、静かに坐ったまま、やっと口を切って、「あんたはん、ほんなら、これから松井さんへ往て話しとくれやす」と、きっぱりした調子でいう。
それで、私は一旦起ちかけた腰をまた下ろしながら、
「うむ、それもよかろう。松井さんへ往けというなら、あそこへ往って、あそこの主人に話を聴いてもらうのもわるくはないが、あんたも私と一緒に往くか」
そういって訊くと、女はそれきりまた黙ってしまって返事をしない。
「お前が一緒に往くなら私も往く。さあ、どうする」
傍にいる越前屋の主人は、その時口を入れて、
「それがよろしいやろ。ほんならそうおしやす。私も何や、途中から入って、前の委《くわ》しいことはちょっとも知らんのどすさかい。お隣りにいて、黙って見てもいられまへんよって、何とかお話をしてみようと思うたのどすけど、松井さんやったら、よう、今までのことも知ってはりますやろから」
「わたし後で往きますよって、あんたはん先き往とくれやす」と、やっぱり落ち着いた調子でいう。
私は頭振《かぶ》りをふって、
「それじゃいけない。私を先きに出しやっておいて、ここからまた閉め出そうとするのだろう。今晩はもうその手は喰わないんだから」
「そんなことしいしまへん。あんたはん一足先きいてとくれやす。わたしちょっと遅れて往きます」
「ああそうか、たしかに来るね?」
「ええ往きます」
隣家《となり》の主人も、長い間の入りわけを知っている、以前《まえ》の主人のところに往って話を聴いてもらうのが一等よかろうと言ってすすめるので、私はその気になって起って庭に下りようとすると、さっきからまるで狂気になって、何か彼かひとり語《ごと》をくどくどと繰り返して饒舌《しゃべ》りつづけていた母親は、私が立って上り框から庭に下りようとするのを見て、
「貴様ひとりで、勝手にさっさっとうせえ。内の娘《こ》はそんなところへ出て往く用はない」といって、またいつもの悪態を吐《つ》く。
それを聞くと、私は、とても箸《はし》にも棒にもかからぬわからずやだとは、承知しているので、もう、なるべく母親とは、何をいわれても、口を利かぬ、相手にもせぬようにしておろうと堪《こら》えていても、やっぱり堪えきれなくなって、私は、上り框に下りかけたまま、
「何をいう」と、そっちを振り顧《かえ》って、「きっと、そんなことだろうと思っているのだ。よし、そんならもういい。もうどんなことがあってもここを立ち退《の》かないのだから、いつまでもここに居据《いすわ》っていましょう。……お隣りの親方、御免なさいよ」と、いって、私はまたもとの座に戻って坐った。
すると越前屋の親方は、
「まあ、ほんなら、兄さんちょっと私のところへ往てとくれやす。私が引き受けて一応お話をしてみますよって。お母はんも、もう、ちょっと静かにしてとくれやす。隣家《となり》が近うおすよって。そのことは私が、後でよう聴かしてもらいます」
と、いって、双方を宥《なだ》めようとする。
それで私はまた物わかりのよい子供のように素直に、隣家の主人のいうことを聴いて、
「それではちょっとお宅へ往ってお邪魔をしていますから、どうぞよろしく頼みます」といって出てゆこうとしながら、じっと女の方をなおよく見ると、平常《ふだん》から大きい美しい眼は、今にも、ちょっと物でも触《さわ》れば、すぐ泣き出しそうに、一層大きくこちらを見張って、露が一ぱい溜《たま》っている。私はその眼に心を残しながら、合壁《あいかべ》の隣家へ入っていった。
四
そこの家《うち》も、女の家と同じ造りで三間《みま》の家であったが、もうこの間から、そのことで、ちょいちょい顔を見合わして、口も利《き》いている七十余りの老婆は酒が好きと思われて中の茶の間の火鉢の前に坐って、手酌《てじゃく》でちびりちびり酒を飲んでいた。もう大分|上機嫌《じょうきげん》になっていたが、見るから一と癖も二た癖もありそうな、癇癪《かんしゃく》の強いぎょろりとした大きな出眼の、額から顳※[#「需+頁」、第3水準1-94-6]《こめかみ》のあたりが太い筋や皺《しわ》でひきつったようになって、気むずかしいのは、言わずと知れている。
そこには、その老婆のほかに主人の若い女房がいて庭に立ち働いていたり、主人の妹らしい三十くらいと二十《はたち》余りの女が来合わしていたりして、広くもない座に多勢の人間がいるのが、私には自分の年配を考えて、面伏せであったり遠慮であったりした。そして、近づきのない京都三界に来て、そうしたわけでそんな家《うち》の厄介《やっかい》になったりするのが何ともいえず欝屈《うっくつ》であったが、それも思いつめた女ゆえと諦《あきら》めていた。私は悄然としながら、案内せられるままにそちらに通ると、座蒲団《ざぶとん》を持って来てすすめたり、手焙《てあぶ》りに火を取り分けて出したりしながら、
「どうぞそないに遠慮せんと、寒うおすよって、ずっと大きな火鉢の方に寄っとおくれやす」と皆なしていってくれる。
これも何だか半分気狂いではないかと思われそうなそこの婆さんは酔狂の癖があると思われて、ひどく興奮してしまって、こちらから辞を卑《ひく》うして挨拶《あいさつ》をしてもそれに応答しようともせず、変に、自分ほど偉い者はないといった、頭《ず》の高い調子で、いつまでも、ちびりちびり飲んでいる。いつか聞くところによると、婆さんは、西郷隆盛《さいごうたかもり》などが維新の志士として東三本樹《ひがしさんぼんぎ》あたりの妓楼《ぎろう》で盛んに遊んでいたころ舞妓《まいこ》に出ていて、隆盛が碁盤の上に立たして、片手でぐっと差し上げたことなどあった。婆さんはそれを一つばなしに今でも折々人に話して聴かすのであった。私は、何のことはない、ちょうど、毛剃九右衛門《けぞりくえもん》の前に引き出された小町屋宗七《こまちやそうしち》といったような恰好《かっこう》で、その婆さんの前に手を突いて、
「いろいろとんだ御厄介をかけます。全体あなたに昨日《きのう》一応話をおねがいしておいたのですから、その返事を待っていればよかったのですが、今晩自分が勝手に隣の家へ入り込んで来て、こんなことになったものですから」
何によらず対手《あいて》の仕向けが少し気に入らないと、すぐ皮肉に横へ外《そ》れて出ようとする風の老婆と見たので、昨日の朝も、向うから、及ばずながら、仲に入って話してみましょうといってくれたのを幸いにちょっと頼んでおいたゆきがかりがあったから、そういって一言いいわけをすると、婆さんはぎょっと顔中を顰《しか》めたように意地の悪そうな眼をむいて、
「いいや、こんなことに年寄りの出るところやおへん」と一克《いっこく》そうに、わざと仰山《ぎょうさん》に頭振《かぶ》りをふったかと思うと、
「内の伜《せがれ》は年はまだ若うおすけどな、こんなことには私がよう仕込んでますよって、おためにならんようには取り計らいまへんやろ」とどこまでも偉い者のようにいう。
しかし私は、女さえ自分の物になるならば、どこまで阿呆《あほう》になっていても辛抱できるだけ辛抱する気で、婆さんが、どんなに偉そうなことをいったり、凄まじい気焔《きえん》を吐いても、ただ「へいへい」して、じっと小さくなってそこに坐っていた。そして、今のこのざまが、見も知らぬ人間の前でなかったならば、自分にはとても、こうして我慢していられないであろうと思うと、それが東京と遠く離れた京都の土地であるのが、せめてもの幸いであった。婆さんはむずかしそうな顔をして膳《ぜん》の上の肴《さかな》をつつきながら、ぶつぶつひとり言をいうように、
「まだどこのどなたとも一向お名前も承わりまへんけど、出ている者に金を取られるということは、世間に何ぼもあるならいどすよって、……茶屋の行燈《あんどん》には何と書いておす、え、金を取ると書いておす。こうお見受けしたところ、あんたはんも、まんざら物の出来《でけ》んお方でもおへんやろ。向うは人を騙《だま》さにゃ商売が成り立ちまへん。それを知って騙されるのはこちらの不覚。それをまた騙されんようでは、遊びに往ても面白うない。出ていた者が引いた後まで、馴染《なじ》みのお客やからいうて、一々義理を立てていては、今日その身が立ちまへん。……どこのどなたはんかまだお名前も知りまへんが、こりゃあ、わるい御量見や」婆さんは一語一語にもっともらしゅう力を籠めて説諭するようにいう。
私は、まだ名前を承わらぬと、厭味《いやみ》をいわれたので、それにはいささか当惑しながら、
「それは、まったく私の不行届きでした。ついこんどのことに心を取り乱して申し忘れていました。私はなにがしと申す者でございまして、生国はどこですが、もう長く東京に住んでおります」そういって初めて本名を語ると、婆さんはどこまでも皮肉らしく、
「いや、それを承わっても私どもには御用のないお方でございますやろけど」と、酒盃を口にあてながらわざと切り口上に言って、
「さだめしあんたはんにも親御たちがござりますやろ。わたくしのところにも、役には立ちまへんが、あのとおりまだ若い伜が一人ごわります。もうこの間から、あんたはんのおいでやすとこを見るにつけ、私はほかのことは思いまへん。これがわたしのところの伜であったら、わたしはどないな気がするやろと思うと、この胸が痛うなります」婆さんは、そういいながら、さもさも胸の痛みに触るように皺だらけの筋張った顔を一層|顰《しか》めて、そっと胸に手を当てる形をした。「あんたはんはそりゃ、御自分の好きな女子《おなご》のために勝手に自分の身を苦しめておいでやすのやろさかい、ちっとも私、構いまへんで。そやけど親御の身になったら、どないに思うか。わたしは、あんたはんの顔を見るのが辛い。もう、わたし、あんたはんがここの路次へ入って来るのを見るのが厭どす。見とうない、見せておくれやすな」
婆さんは一人で、きかぬ気らしく頭振《かぶ》りを振りながら言い続けるのである。私は、揉手《もみで》をせんばかりに、はいはいして、
「あなたのおっしゃることは、一々御もっともです。けれども私にとってはまた一と口に申すことの出来ない深いわけがあるのですから……」
「ああいや、もう、そのわけがようない。それは聴かいでもわかってます。まあ、伜が何んとか埒《らち》のつく話をしていますやろ。どうぞ遠慮せんと待っといでやす」いくらか気を鎮《しず》めてそういっているかと思うと、婆さんは、しきりに酒気を吐きながら、肴の皿《さら》を箸で舐《な》めまわして、
「当年、これで七十一になります。年は取ってますが、伜で話がわからなんだら、わたしが出て話します。私がこうというたら後に寄りまへん」婆さんは、皺だらけの腕を捲《まく》ってみせて、「まだまだ若いものではしょうむない。毎日私か小言のいい続けどす」まるで何を言っているのか、拘攣《こうれん》したように変なところに力を籠めて空談《くだ》を巻いている。
合壁一つ隔てた女の家《うち》では、いつまでも母親ががみがみがなる声ばかりが聞えていた。すると、やがて、越前屋の主人はどうしたのか、その母親を宥めすかしながら連れて戻って来た。そして優しい言葉で、
「お母さん、どうぞこちらへ。長うお手間は取らしまへんよって、ちょっとここでお待ちやしてとくれやす」といって、主人は自分で手まめに次の間から座蒲団などを取って来て、母親にすすめた。
私は、母親の入って来たのを見ると、まるで敵《かたき》同士なので、ぷいと立ってそこを外《はず》そうとすると、主人は、
「ああ、兄さんもどうぞそこにいてとくれやしたらよろしい。構《かま》しまへんがな。さあ、どなたはんも寒うおすさかい、遠慮せんと、ずっと火鉢の傍に寄って当ってとくれやす。……お母はんも、どうぞ私のところではもう何もいわんとおいとくれやす。お話はまた後でゆっくり聴きますよって」といって、私の方に向い、「兄さんも、どうぞそのおつもりで」と、顔に多く物を言わして、主人は再び隣りへ引き返していった。
主人がそういうのにつれて、ほかの者も狭い茶の間の一つところに母親や私を坐らした。見ると母親はさっきの激昂《げっこう》した様子は幾らか和らいで、越前屋の者に対しては笑顔《えがお》をしながら、それでもまだ愚痴っぽく「えらい遅うから兄さんもおいそがしいところ皆様にお世話かけてほんまに済まんことどす。……あんたはん、昨日こちらのお婆さんにお頼みやしたやおへんか。その返事もまだ聴かんうちから、よその家《うち》へ黙って入ってきやして、警察へ訴えて出たら、あんたはん罪人やおへんか。あの家は私の家とちがいます。旦那はんが今日は来ていやはらんからいいけど、もし旦那はんでも来といやしたら、どないおしやす」母親はまださっきの驚きと激怒の余熱《ほとぼり》の残っているように、くどくどと一つことを繰り返していっている。私は、もう母親を対手《あいて》に物をいいかけると、こちらまでが自分でも愛想の尽きるほど下劣な人間になり果てるような気がしてくるので、もう、どんな気に障《さわ》るようなことをいい出されても、じいっと腹に溜《た》めておろうとしても、「旦那はんが来ていたら……」などといわれたので、また、頭がかっとなるほど癪に障ったので、
「旦那が何です。私のほかにそんな者があろうはずがない。そんな男がもし来てでもいたら黙って引っ込んでいる私じゃない。そんな者があるなら、今晩それが来合わしていればよかったと思っているんだ。いつでも対手をしてやる」
私は堪《こら》えかねて、母親の方に向き直って言うと、生酔《なまえ》いに酔っぱらった越前屋の婆さんは、眼と眼との間に顔中の皺を寄せて、さもさも気色《きしょく》の悪そう、
「ああもう、うるさい。喧嘩《けんか》をするなら、私の家の中でせんと、どうぞ戸外《そと》に出てしてもらいまひょう。今伜があれほどいうて往《い》きよったのに、伜の顔を潰《つぶ》さんようにしてとくれやす」
そんな調子で私と母親とで睨《にら》み合っているところへ越前屋の主人はまた戻って来て、
「おかあはん、えらいお待ち遠さんどした。さあ、もう済みましたよって、どうぞ帰っとくれやす。ほんまにえらい済まんことどした」主人は撫《な》でるように優しくいうと、母親は内の人たちに繰り返しくりかえし礼をいいつつ、やがて自分の家へ帰っていった。
五
そして母親が出て帰ったあとの入口を、主人は何度も気にして振り顧って見ながら、その時まだ庭に立ち働いていた女房が、
「もうお帰りやした」といったので、安心したように、私の方を見て、
「さあ兄さん、えらいお待たせして済みまへん。どうぞ、もっとずっと火鉢《ひばち》の傍にお寄りやす。夜が闌《ふ》けてきつう寒うおす」と、いって自分も火鉢の向うに座を占めながら、
「あのお母はんが傍についていると、喧《やかま》しゅうて話が出来しまへんよって、それでちょっとこちらへ来てもろうてました」主人は落ち着いていった。
その顔をよく見ると、主人の眼は泣いたように赤く潤《うる》んでいる。そして火鉢の正座《しょうざ》に坐っている老母と、横から手を翳《かざ》して凭《よ》っている私との顔を等分に見ながら、低い声に力を入れて、
「お婆さん、わたし、今姉さんから話を聴いて呆《あき》れた。……」越前屋の主人は、あとの句も続かぬように湿っぽい調子になっている。
「なんでや?」
「なさぬ仲やの。……」と、声を秘《ひそ》めていって、「私、今はじめて聴かされた。そんなことがないか知らん思うとったんや。やっぱりそうやった」と主人は、ひどく人情につまされている。
婆さんは、それを聴くと、これはまた傷《いた》ましさに耐えられないように仰山に顔を顰《しか》めて、
「可哀そうに……」と、呆れた口を大きく開いて一句一句力をこめていって、うなずきながら、「そうか。それで皆読めた。……生《な》さぬ仲やと……」二度も三度も思い入ったように、それを繰り返して、もっともだというように、「……いえ、そうでもござりますやろ。……それでは話がまた一層ややこしゅうござります」
と、ようやく我に返った調子で、ひとり語《ごと》のようにいって沈吟している。
私はしばらく口を噤《つぐ》んで二人の話をじっと聴きながら最初は自分の耳を疑って訊き返してみた。主人は「ええ、真実の子やないのやそうにおす」と、私に答えておいて、「姉さんそれで今えろう泣いてた。私も一緒に泣かされた」
婆さんは深い歎息まじりに、しんみりとした調子で、
「いや、世の中は広うおす。世の中は広うおすわい。……実の子やったら、あの商売はさせられまへん。本当の親にそれがさせられよったら、鬼どす。鬼でのうて真実のわが子にそれがさせられるものやおへん」と、つくづく感じたようにいっている。
私は、心の中で、それを、いろいろに疑ってみた。はたして血を分けた母子《おやこ》の仲でないとすると、自分に対する考えも彼女と母親との腹は一つでないかも知れぬ。
「それを彼女《あれ》が自分で、こうだというのですか」
「ええ、姉さんそうおいいやした。……今のお母はんには何度も子供が生まれても、みんな死んでしもうて、大けうなるまで育たんので、自分はまだ三つか四つかの時分に今の親に貰われて来たのどすて。それで生みの親はどこかにあるちゅうことだけ聴いてはいるが、どこにどないしているかわからんのやそうや。それやよって、二人の間がいつも気が合わんので年中喧嘩ばかりしているけど、何でも自分の心を屈《ま》げて親のいうことに従うておらんならんいうて、姉さん今えろう泣いてはりました。私もほんまに貰《もら》い泣きをしました」
越前屋の主人はそういって、屈強な男の眼に真実涙を潤《うる》ませている。そしてなお言葉を継いで、私の方を見ながら、
「それぐらいやよって、こんどのことも少しも姉さんは自分の本心でそうしているのやない言うてはります」
しばらくじっと聴いていた婆さんはまた口を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]《はさ》んで、
「それが真実《ほんと》でござりますやろ」という。
「そうでしょうかなあ」私も小頸を傾けながら、「そうだとすると、事訳《ことわけ》が大分わかるのですが。……」といって、まだずっと以前初めて女に案内せられて、祇園町《ぎおんまち》の、とある路次裏に母親に会いに往った時の最初の印象を思い浮べてみた。その時すでに妙に似ていない母子だなと思ったのであった。その後も、去年の夏の初めのころ、彼女たち母子の傍に、一カ月あまりも寝泊りしている時にも、時々ふっと二人の顔容《かおかたち》から態度などを見比べて、どうも似ていない、娘には自分もこれほど心から深く愛着していながら、これがその母親かと思うと、さすがに思い込んだ恋も、幾らか興が醒《さ》めるような気がするのであった。そして心の中で、どうか、これが真実の母子でなくってくれたら好い、何かしかるべき人が内証の落胤《らくいん》とでもいうのであったならば……というような空想を描いたことも事実であった。が、そう思うたびにいつでもそれを、そうでないと、語っているかのごとく、私に考えさするのは二人の耳の形であった。それは、二人とも酷《ひど》く似た殺《そ》ぎ耳であって、その耳の形が明らかに彼らの身の薄命を予言しているかのごとく思われていた。
そして今、越前屋の主人が女から聞いて来たとおりに真実なさぬ仲であるならば、これまでに幾倍してひとしお可愛さも募る思いがするとともに、今人手に取られたようになっている女を自分の手に取り返す見込みも十分あるのであるが、主人の聞いて来た話によって、私はやや失望の奈落《ならく》から救い上げられそうな気持になりかけながら、そうなるとまた一層不安な思いに襲われて何だかあの耳一つが気にかかってくる。
「そうですかなあ……なるほどそういえば、顔容《かおかたち》にどこといって一つ似たところはないのですが」と、いって私は心に思っている耳の話をして、「始終親子でいい諍《あらそ》いすることのあるのは、私もよく見て知っていますが、その口喧嘩のしぶりから見ると、どうも真実の母子でなかったら、ああではあるまいかと思われることもあります」
私は、彼女の家に逗留していた時分の二人のしばしば物の言い合いをしていた様子を、つとめて思い起すようにしてみた。そして、その真偽いかんに彼女自身のいうことの真偽いかんが係っていると思った。越前屋の主人は、
「さあ、そんな以前のことは、私も、どや、よう知りまへんけど、姉さんは今自分でそういうてはりました。……うたがや、どっちでも疑えますけど、姉さんが泣き泣きいうのをみると、やっぱり貰われたのが本間《ほんま》どすやろ。しかし酷《ひど》いことをする親もあるもんどすなあ……そんなの芸子にはめずらしいこともおへんけど、あの商売にそんな酷いことをする親はまあたんとはおへんなあ」主人は肝腎《かんじん》の話を忘れてしきりに思い入ったようにいう。
「わたし聞きまへん。この年になるけど初めてや」と、強く頭振《かぶ》りをふって呆れている。
主人はさらに涙に湿った声をひそめながら、
「もう此間《こないだ》から何かこれには深いわけがあるにちがいないから、母親のおらんところで、とっくり姉さんの腹を一遍訊いてみたいと思うてたら、私の想像したとおりやった」と、分らなかった謎《なぞ》がやっと解けた時のような気持でいって、また私の方に顔を向けながら、
「ほて、姉さんはこういうてはります。……わたしは、あんたはん――あのお方のことは一日も忘れてはおらん、毎日毎日心の中ではあの人は今時分はどこにどないしておいやすやろ思うて気にかかっていたのやいうてはります。こんどのことには一口にいえん深い事情があって、自分のとうからこうしようと思うていたこととは、ちょうど反対したことになってしまったいうて、きつう泣いてはりました」といって、主人はしんみりとした調子で話した。
私は、主人がさっきから何度も繰り返していう、姉さんがきつうそれで泣いてはりますというのを聞かされるたびに、その女の泣いてくれる涙で、長い間の自分の怨《うら》みも憤りも悲しみもすべて洗い浄《きよ》められて、深い暗い失望のどん底から、すっと軽い、好い心地で高く持ち上げられているような気がしてきた。そして今までじっと耐《こら》えていた胸がどうかして一とところ緩《ゆる》んだようになるとともに、何ともいえない感謝するような涙が清い泉のように身体中から温《あたた》かく湧《わ》いてくるのが感じられた。私は、その涙を両方の指先に払いながら、
「ああそうですか。それで今ほかの人間の世話になっているというのですか」私は早く先きが訊きたくて心がむやみと急いだ。
主人はうなずいて、「それを姉さんいうてはりました。今世話になってる人というのは、一緒になるというような見込みのある人とちがう。おかみさんもあるし、子供も二人とか三人とかある人で、これまでにもう何度も引かしてやろう言うてたことはあったけど、姉さん自身ではもうあんたはんのところに行くことに、心は定めていたんやそうにおす。そこへ去年の秋のあの風邪《かぜ》が原因《もと》でえらい病気して自分は正気がないようになっているところを付け込んで、お母はんは目先の欲の深い人やよって、今の人がお母はんに金を五百円とかやって姉さんの身を引き受けよう、ほんなら、どうぞおまかせしますということに、自分の知らぬ間に二人で約束してしもうて、医者から何からみんなその人がしてくれて、お陰で病気も追い追い良うなったのやし、今となって向うの人にも深い義理がかかってあのお方の方ばかりへ義理を立てるわけにもゆかんようになった。それで今急にどうするということも出来んさかい、ここ半歳《はんとし》か一年待っていてもらいたい。その間に好い機《おり》があったらまたこちらから手紙を出すか、話をするかするさかい……」
「それで半歳か一年待ってくれというのですか」
「まあ、そういうてはるのどす。今急にあんたはんのところへ行けんことになったよって、それを私からあんたはんによう断りいうてくれるように、姉さんからくれぐれも頼んではりました。……そんなわけどすよって、あんたはんももう好い時節の来るまであまり気を急《せ》かんとおきやす。この話|急《せ》いたらあきまへん。私も御縁でこして及ばずながら仲に入って口をききました以上は決して悪い話には致しませんつもりどすよって」と、頼もしそうに私を慰めてくれて、
「それにしてもあの母親は、姉さんも、お母はんという人目先の欲の深い人どすいうてはったが、ひどいことをする婆さんどすなあ。ただ一時《いっとき》金貰うたかて見込みのない人やったらしかたがないやおへんか」繰り返してそれを呆れている。
「いろいろお骨折り有難うぞんじます」
と、私は主人の前に頭を下げて心から礼をいったが、そうしてむざむざ人の楽しみにさしておくのを承知しながら、今すぐにも自分の方へ取り戻すことの出来ぬのが堪えがたい不満であり、今までの長い間の、とてもいうに言えない自分の、その女のために忍んで来た惨憺《さんたん》たる胸中を考えれば考えるほど、そんな破滅になってしまったのがあまりに理不尽であるように思えてどうしたらこの耐えがたい胸を鎮めることが出来るかと思った。それとともに、向うの人間にどれだけの恩義を被《き》ているか、それは分らないにしても、またたとい、はたして彼女のいうことを信じて母親に対して生《な》さぬ仲の遠慮ということを認めるにしても、あまり女の心のいい甲斐《がい》なさと頼りなさとが焦躁《もどか》しかった。そしてその向うの人間というのは、いつか彼女が自分で話して聴かした去年の二月にも病気の時引かしてやろうといい出したその人間のことであろう。その人間ならば決してそう深いわけはなかったはずである。それにこの間の夜松井の女主人《おんなあるじ》のところへたずねて往って会った時の話にも、こんど病気でいよいよ廃業する時にももう女の身に付いた借金というほどのものもなかったというし、そんな深い客のあったことは知っているようでなかった。松井の女主人のいうのでは、あの仏壇の阿弥陀《あみだ》様の背後《うしろ》から出てきた羽織|袴《はかま》を着けた三十余りの男こそ前《さき》にも後にもただ一人きりの深い男であったが、それはもう今からいって一昨年《おととし》の夏の末に死んでしまった。松井の女主人は、先夜会った時にその死んだ男のことをいって、長火鉢の前で多勢ほかの妓《こども》のいる傍で私を、冷笑するような調子で、
「あんたはんお園はんには三野村《みのむら》さんという夫婦約束までした深い人がおしたがな。三野村さんが今まで生きとったら、もうとうに一緒になってはる」そういって三野村という、彼女の方からもひところは深く思いまた向うからは変らず深く思われていた男のあったことをいろいろいい出して、そんな深い男のあったのも知らずして、好い気で遠くの東京の空の果てにいながらただ一途《いちず》にその商売人の女を思いつめていたばかりか、こうなりゆいた今までも潔く諦めようとはせずにやっぱりその女に想《おも》いを残している男の呆気《うつけ》さ加減のあまりに馬鹿らしいのを、いささかの同情もなく冷たく笑っていた。その時の女あるじの口うらなどから細かに推察してみても、どうも、今の世話になっているその人間が女とさまで深いわけがあったとは考えられない。それどころではない、もとの女あるじが、
「三野村さんはあってもお園さんは、あんたはんも好きやった。三野村さんの死んだあとは、あんたはんのところに行く気やったのどすやろ」と一口いったことを思ってみても、女の底意は察することが出来るのである。私は、それを思うにつけても、毎度近松の作をいうようであるが、「冥途《めいど》の飛脚《ひきゃく》」の中で、竹本の浄瑠璃《じょうるり》に謡《うた》う、あの傾城《けいせい》に真実なしと世の人の申せどもそれは皆|僻言《ひがごと》、わけ知らずの言葉ぞや、……とかく恋路には虚《いつわり》もなし、誠もなし、ただ縁のあるのが誠ぞやという、思うにまかせぬ恋の悲しみの真理を語っている一くさりを思い合わせてふっとした行きちがいから、何年にも続いて、自分の魂を打ち込んで焦心苦慮したことがまるで水の泡になってしまったことを慨《なげ》いても歎《なげ》いても足りないで私はひとり胸の中で天道を怨みかこつ心になっていた。
そして何とかして今すぐにも女を自分の手に取り返す術《すべ》はないものかと思いつづけていた。
「それで今本人はどうしています? 私に会おうともいいませんか」私は彼女に面と向って怨みのたけを言いたかった。
「ええ、それで姉さん今ここへ来やはります。……お母はんには、あんたはんは、もうとうにここからお帰りやしたことにして」と、入口の方に気を配りながら、越前屋の主人はその前に坐っている婆さんにも聞えぬように、そうっと私の耳のところに口を持ってきて押っつけるようにしながら「それからなお姉さんがこんなことをいうてはりました。――えらい失礼やけど、もしまたあんたはんがお小遣いでもお入用どしたら私の手を経て姉さんの方からどうともしますよって、そのこともちょっというといてくれ言うてはりました」
私は、それをじいっと聞いていて、越前屋の主人の口から静かに吐き出す温かい息が軟《やわら》かに耳朶《みみたぶ》を撫《な》でるように触れるごとに、それが彼女自身の温かい口から洩れてくる優しい柔かい息のように感じられて、身体が、まるで甘い恋の電流に触れたように、ぞくぞくとした。
主人が口を離すのを待って、私は、嬉しさに堪えかねた気持で、
「ああ、そうですか。そんなことをもいいましたか。……いやしかし、それだけ聞けば満足です。私ももう何年もの間|彼女《あれ》のことばかり思い続けて何をするにも手につかずお話のならぬ不自由な目をして来ましたが、まさか私一人の用くらいに事は欠きませんから、そんな心配は無用にしてくれ、それよりも一日も早く自分の決心をしてくれるようにいっておいてください」私はもう少しも毒のない、優しい心に帰りながら静かにそういった。
主人は私のいうことを聞きながら、外の路次の方に気がかかるように、
「姉さんもう来やはりますやろ」といっているところへ、入口に立っていた越前屋の若い女房はそちらから、
「ああ来やはりました」と低声《こごえ》で知らせる。
主人はそれで、表の間の方に立っていって出迎えながらわざと声を大きくして隣りの母親に聞えるように、
「お母はんえらい済んまへんが、どうぞ、今お話しましたとおりですよって、ちょっと姉さんをお貸しやしとくれやす。……あのおかたはもうさっき帰らはりましたよって、どうぞ安心してとくれやす」といって、そこへ、おずおず入ってきた隣りの女をやさしくいたわり招じ入れた。
六
「さあ、姉さん、ずっとこちらへお入りやしとくれやす。ほかに遠慮するような人だれもいいしまへんよって」
といいつつ、主人は母親が今まで敷いていた蒲団を裏返して、長火鉢に近いところに直した。主人の背後《うしろ》に身を隠すようにしながら、庭から茶の間に入ってきた彼女は、隅の暗いところに立ち竦《すく》んだまま、へえへえと温順に会釈《えしゃく》ばかりして、いつまでもそこに居わずろうている風情《ふぜい》である。
婆さんもともに声をかけて、
「姉さん、なんもそないに遠慮せんかてよろしい。さあさあそなとこにおらんとずっとこちらへお上りやす。きつう寒うおす」
彼女が、そうしたまま、いつまでも家の人たちに口をきかしているのを傍にいて見かねながら、私もそちらを振り顧って、
「皆さんがいうて下されるのだから早うこちらへ上がったがいいだろう」と、声をかけながら、そこに佇《たたず》んだ容姿《すがた》をちらと見ると、蒼ざめた頬のあたりに銀杏返《いちょうがえ》しの鬢《びん》の毛が悩ましく垂《た》れかかって、赤く泣いた眼がしおしおとして潤《うる》んでいる。
女はなおも面羞《おもはゆ》そうな様子をしながら、
「わたし、もう、ここで失礼いたします」と、口の中でいって、上がろうとせぬ。
主人も婆さんも、声をそろえて、
「何おいやす、姉さん。そんなとこにいられしまへん。さあさあ」と急いだ。
女は、「へえ」と腰をこごめながら、それでやっと、「ほんならここからどうぞごめんやす」と沈み沈み言って、上り框に躙《にじ》り上がって、茶の間の板の間のところに小さくなって坐った。主人はそれを咎《とが》めるように、
「姉さん寒いのに、そんなとこにおられしまへんたら、さあこちらへおいでやして、兄さんの傍に来て火鉢におあたりやす」と手を取らんばかりに世話を焼いた。
女は幾たびもいくたびも催促せられて、まだ泣きじゃくりをしながら、ようよう座蒲団の上まで寄ってきた。
主人は、合壁の隣りに居残っている母親に気を兼ねて、声をひそめ、二人の仲を改めて取りなすような口を利《き》いて、
「さあ、姉さん、ここは私の内どす。もう誰に遠慮もいりまへんよって、兄さんと心置きのう話したい思うておいでやしたことをお話しやす」
そういったが、彼女は、何といわれても、ただ「へえ、へえ」と、低い声でいうのみで、憂わしそうに湿っている。
私も、あれほど会いたい、見たいと思っていながら、そうして面と顔を差し向ってみると、即座に何からいい出していいやらいいたいことがあり余って、かえって何にもいいえないような気がして、初心《うぶ》らしくただ黙っていると、主人は、小言のように、
「さあ、兄さんも何とか姉さんに言葉をかけてお上げやす」と言ったが、二人ともそのままやっぱり黙っていた。
そこでかえってそこにいて用のない生酔いの婆さんが傍からまたしてもうるさく口出しをするのを、彼女も私も同じ思いで、神経に障るように自然と顔に表わしていた。主人はそれを払い退《の》けるように、
「お婆さんあんた、あっちい往《い》といでやす。あんた自分で関係せんというといやしたやないか」とたしなめておいて、女の方を見て言葉を改めながら、
「姉さん、今いろいろあんたはんから聞きました事訳《ことわけ》はあらまし私から兄さんにお話して兄さんも心よう納得してくりゃはりましたよって、それはどうぞ安心しておくれやす……」といって、しばらく間《ま》をおいて一層声に力を籠《こ》めて、
「その代り私がこうして仲に入って口を利きました以上は、姉さん今度また私にまでも※[#「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74]をお吐《つ》きやすようなことがおしたら、その時こそ今度は私が承知しまへんで……。よろしいか」と、念を押すように言った。
彼女はそれでまた温順《おとな》しく、「へえ」とうなずきながら両手の襦袢《じゅばん》の袖《そで》でそっと涙を拭いている。まだ商売をしている時分から色気のないくらい白粉気《おしろいけ》の少い女であったが、廃《や》めてから一層|身装振《なりふ》りなど構わぬと思われて、あたら、つくれば、目に立つほどの標致《きりょう》をおもいなしにか妙に煤《すす》けたように汚《よご》している。そのうえ今泣いたせいか美しい眼のあたりがひどく窶《やつ》れている。ここのあるじがさっきも、戻って来てからの話に、
「姉さんがおいいやすのが本間《ほんま》に違いおへんやろ。自分も好きで世話になってる旦那があるのやったら、あんなものやおへん。この隣りに越しておいでやしてからでももう三月か四月になりますけれど、姉さんが綺麗にしておいでやすのを内の者だれかてちょっとも見いしまへん。お湯にかて、そうどすなあ、十日めくらいにおいでやすのを見るくらいのものどす」といって、隣家《となり》にいてそれとなく気のついている、女の平常《ふだん》のことを噂《うわさ》していたが、今じっと女の容姿《すがた》を打ちまもりながら心の中で、なるほど主人のいうとおり、今の彼女にはつくるの飾るのという気は少しもないものと見た。そして私もやっと口を切って、彼女に話しかけた。
「私も一伍一什《いちぶしじゅう》のことを話して、あんたにとくと聴いてもらいたいことは山ほどあるけれど、それをいい出す日になれば腹も立てねばならぬ、愚痴もいわねばならぬ。とても一と口や二た口では言い尽せぬし、あんたもそんな病後のことだから、それはまたの日に譲っておく。それで今こちらの親方から聴いたとおり、しかたがない好い機《おり》の来るまで辛抱しているつもりでいるから、あんたもその気でいてもらわねばならぬ」私は、あれほど、逢わぬ先は会ったらどうしてくれようと憤怒に駆られていたものが、そうして悄然と打ち沈んでいるのを面と向って見ると、打って変ったように気が弱くなってしまって、怨みをいうことはさておき、かえって、やっぱり哀れっぽい容姿《すがた》をしている女をいたわり慰めてやりたい心になった。
すると彼女は私からはじめて物をいいかけられて、どんな気になったのか、今までの温順しく沈んでいた様子とはやや変った調子になって、
「あんたはん何で山の井さんへいて、その話をしておもらいやさんのどす」と、神経質の口調で不足らしく言う。山の井というのは初めて女を招《よ》んでいた茶屋の名である。
私は、女のそういった発作的の心持を推測しかねて、ちょっと不思議そうに彼女の顔を見たが、
「あんた今、この場でそんなことをいい出したってしかたがないじゃないか」といったが、おおかた彼女の腹では自分の心にもなく今の人間に急に脱ぐことの出来ない恩義を被《き》なければならぬようになったのも、自分の知らぬ間に母親とその男との仲に立ってもっぱら周旋したのがその客で入っていたお茶屋の骨折りであったことを思って、もう今となっては、ちょっと抜き※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]《さ》しならぬ破目《はめ》になってしまったのも、私が最初からの茶屋を通して話を進めなかったことの手ぬかりを言うのであろうと思った。けれども、そうなり入った原因《もと》をいえばまた彼女にもそうした責めがないでもなかったのだ。
主人も私の言葉につれて、
「姉さん、そんなこともう、今いわんとおきやす。いつでも後になって、あんたはんたち二人でまた笑ってそんなことは話せますよって」と抑えるようにいって、
「……さあ、もうあんまり長うなると、お母はんがまた喧しゅういわはりますさかい……姉さんほんならよろしいなあ、どうぞ今夜の約束はこのお方でのうて私に対して違《たが》えんようにしておくれやす」
と主人は重ね重ね念を押していった。そして私に向って、
「兄さん、あんたはんも、もういうことおへんか……ほんならもう、どっちも異存おへんなあ」と、言いきって、また気を変えて、
「さあ、姉さんえらい御苦労さんどした。どうぞ帰ってお寝《やす》みやしとくれやす。遅うまで済みまへん」
彼女はそれをしおにようよう立ち上がって、礼をいいつつ、壁隣りの自分の家に帰った。
七
まだ二月半ばの厳《きび》しい寒威は残っていても、さすがに祇園町まで来てみると明麗な灯の色にも、絶ゆる間もない人の往来にも、何となくもう春が近づいて来たようで、ことに東京と異《ちが》って、京は冬でも風がなくって静かなせいか夜気の肌触《はだざわ》りは身を切るように冷たくっても、ほの白く露霜を置いた、しっとりとした夜であった。私は、その女の勤めていた先の女主人《おんなあるじ》に会うために、上京《かみぎょう》の方から十一時過ぎになって、花見小路《はなみこうじ》のその家に出かけて往った。
もう去年の十一月の末、女がそんなことになった時から、直接に女主人にぜひ一度会って、彼女の勤めていた時分のことから病気で引いた前後の事情を、自分の得心するように委《くわ》しく訊いてみたいと思っていたのであった。※[#「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74]を商売とするその社会の者の習いで、こちらが客として今まで外部から知ることの出来なかった裏面の真相を、はたしてどれだけの誠意を披瀝《ひれき》して聴かしてくれるものか、それと知りつつ、わざわざ笑われるために行くのも阿呆《あほ》らしいようで控えていたが、それでも、いつまでも女のいるところが知れなくって懊悩に懊悩を重ねていた時分には、もう思案に余って愚かになり、女の在所《ありか》を探し出すことが出来なければ、せめて彼女の話でも、誰かを対手にしていたい、それには先の主人に会っていろいろな話を訊いたならばあるいは手がかりが見つかるかも知れない。そう思って、その家へ電話をかけて女主人の都合を問い合わすと、いつも留守という返事であった。彼女が勤めていた時分にも電話をかけると、定《きま》って、女衆《おなごしゅ》の声で冷淡に、
「今留守どす」というのがそこの家の癖で、あんな不愛想なことでよく商売が出来ると思うくらいであったが、女衆の返事では、女主人は昼間から外に出て夜の九時か十時ごろでなければ帰らぬという。それがいつ訊《たず》ねても同じことなので、三度に一度は私ということを知ってわざと嫌《きら》ってそういわしているのかも知れないと疑ってみたりした。頭《てん》から会うのを嫌っているくらいなら会ったところで奥底のない話をしてくれるはずもない。先の女主人が私を向うに廻しているくらいなら女の話はもう所詮《しょせん》駄目と思わなければならぬ。そう思うと私はますますどこへ取りつく島もないような気がして、どっちを向いても京都の人間は揃《そろ》いもそろってよくもこう薄情に出来ているものだ、いっそ自分の名も命も投げ出して、憎いと思う奴《やつ》らをことごとく殺してやろうか、残らず殺すことさえ出来れば殺してやるんだがと思ったこともあった。けれどもそれもならず、女主人に会って見たならばと思う望みも絶えて、消え入るような乏しい心地になっていた。それでもどうかしてはまたたまらなくなって、どんな羞《はじ》を忍んでも厭《いと》わないから、一度会ってこちらの悲しい真心を立ち割って話して見たならば、いかに冷淡無情を商売の信条と心得ている廓者《くるわもの》でも、よもやこちらの赤誠が通じないことはあるまい。そう思い返して時々電話をかけて都合を訊いたり、自分で入口まで出かけて往ったことも一度や二度でなかったが、小面《こつら》の憎い女衆《おなごしゅ》はよく私の顔を覚えていると思われて、卑下しながら入口に立った私を見ると、わざと素知らぬ振りをして狭い通り庭の奥の方で働いていた。そして幾度も案内を乞《こ》うと、やっと渋々出て来て、「太夫《こったい》どすか、今いやはりゃしまへん」といって、それっきり中戸の奥にまた引っ返ってしまうのであった。
女主人は今から二十年ほど前まで祇園で薄雲太夫《うすぐもだゆう》といって長い間全盛で鳴らしたもので、揚屋の送り迎えに八文字を踏んで祇園街を練り歩いていたそのころ廓の者が太夫を尊敬して呼び習わした通称を今でもなお口にして太夫《こったい》といっているのであった。
電話で訊くと、今すぐならいるというので夜遅く遠くから急いで行ってみると、今まで内にいたがまたどこかへ出て往ったというよっなことがあって、私はほとんど耐えがたい屈辱を感じていたが、彼らの前にはどんなに馬鹿になっていても、それほど苦痛とも思わなかった。
そのうち女の居所が知れて、本人の心の奥底も分り幾らか自分にも心に張合いか出来たせいか、今までよりも少し勇気づいて、たとい効《かい》のないことにしてももとの女主人のところにもいって話してみようという気になって、また電話で都合を訊くと、「今晩は内にいやはりますよってどうぞ来ておくれやす。太夫《こったい》がそういうてはります」という、いつにない女衆《おなごしゅ》が気の軽い返事である。もっともその二、三日前に私はちょっとした物を持って、ただ入口まで顔を出したのであった。十二時近くになると花見小路の通りは冬の夜ながら妓共《こども》の送り迎えに、またひとしきり往来の人脚がつづいて、煌々《こうこう》としている妓楼の家の中はちょうど神経が興奮している時のように夜の深《ふ》けるに従って冴《さ》え返っている。その家の入口に立って訪《おとな》うと、今度はいつもとちがった小婢《おちょぼ》が取次ぎに出て、一遍奥に引き返したが、すぐまた出て来て、丁寧に、
「どうぞお通りやして」
といって、玄関から畳敷きの中廊下を伝うて、ずっと奥の茶の間に案内していった。八畳に六畳ばかりの二間つづきの座敷の片隅には長火鉢を置いて、鉄瓶《てつびん》にしゃんしゃん湯が煮立っている。女主人はその向う側に座を占めていた。見たところそこは多勢の抱妓《こども》たちをはじめ家中の者の溜り場にしてあると思われて縁起棚《えんぎだな》にはそんな夜深けでもまだ宵《よい》の口のように燈明の光が明るくともっていて、眩《まぶ》しいような電燈の灯影《ほかげ》の漲《みなぎ》ったところに、ちょうど入れ替え時なので、まだ二人三人の妓《こ》たちが身支度をして出たり入ったりしている。
私は心の中で今日は不思議に調子が柔かいなと思いながら、座敷の入口の方でわざと腰を卑《ひく》うしていると、女主人はわだかまりのない物の言い振りで、
「さあ、ずっとこちらへお越しやす」
と、年はもう五十の上を大分出ていると聞いているにもかかわらず、声はまだ、まるで二十《はたち》余りの女のように柔和である。顔から容姿《すがた》から、とてもそんな年寄りとは思えない。これがその昔祇園街で全盛を誇った薄雲太夫の後身かと思うと、私は妙な好奇心にも駆られながら、そう打ち融けた言葉をかけられたのを機会《しお》に、
「は、どうぞ、ご免なさいまし」
といって、さっと起って長火鉢のこちら側まで進んで小婢《おちょぼ》のなおした座蒲団の上に坐った。
色気のない束髪に結って、何かしら野暮な物を着た大柄で上品に見える女主人は柔和な顔で、二、三日前に持っていった物の礼をいったり、今までいつ訪《たず》ねて往っても留守がちであったりしたことを言って「こんな商売をしてますよって、朝は遅うおすし、昼からは毎日お詣《まい》りにゆくか、そでなけや活動が好きでよう活動見に往きますよって、いつも夜の今時分からでないと家《うち》にいいしまへんもんどすさかい」と、若い声でいっていた。
私は、多年情海の波瀾《はらん》を凌《しの》いで来た、海に千年山に千年ともいうべき、その女主人と差し向いに坐っていると、何だか、あまりに子供じみた馬鹿らしいことをいい出すのが気恥かしいようで、妙に自分ながら硬《かた》くなって口ごもっていると、そこへ外から今帰ったらしい若い妓《おんな》が一人出てきて、
「ただ今」といいながら長火鉢の傍に寄った。
女主人はそっちを向いて、
「おかえりやす」と返事しながら何か二言三言話していたが、また私の方を見て、
「あんたはん、この妓《ひと》を知っといやすやろ」という。
私はちょっと思い出せないので小頸を傾けながら、その妓の顔をまじまじと見ていると、向うではよく知っていると思われて、
「よう知っています」といいながら、私の顔を見て笑っている。十八、九ばかりの小柄な妓《おんな》であるが口元などの可愛い、優しい容姿《すがた》をしている。女主人も笑いながら、
「なあ、よう知ってやすはずどすがな」といって、私の顔を見ている。
私はこんな美しい妓《こ》に知っていられる覚えがないというよっに、なおもしきりに頭を傾けていると、女主人が、
「お園さんと一緒にようあんたはんに招《よ》ばれて往かはりましたがな、若奴《わかやっこ》さんどすがな」といったので、私はやっと思い起した。そして四、五年前に較《くら》べると全く見違えるほど成人した若奴の大人びた容姿を呆れたように見まもりながら、
「あッ、そうだったか、若奴さんとはちょっと気がつかなかった。あんたがあんまり好い芸妓《げいこ》さんになったもんだから、そういわれるまでどうしても思い出せなかった」そういって、私はまた彼女の顔をしみじみと見ていた。ほんとに四、五年前見ていた時分とはまるで比べ物にならぬくらい美しい女になっているのに私は驚いたのであった。
女主人は機嫌好げに彼女の顔と私の方とを交《かわ》る交《がわ》る見ながら、
「ほんまに好い芸妓《げいこ》さんになりゃはりましたでっしゃろ。この妓《ひと》にも、好きな人がひとりあるのっせ」と、軽く弄《からか》うようにいうと、若奴は優しい顔に笑窪《えくぼ》を見せて羞《はず》かしそうにしながら、両掌《りょうて》で頬のあたりを擦《こす》って、
「ほんまにあのころはよう寄せてもろていましたなあ」
と、過ぎ去った時分のことを思いうかべるような顔をしている。私もそれにつれてそのころのことがまた思い起されるのであった。
涼しい加茂の河原にもうぽつぽつ床《ゆか》の架かる時分であった。春の過ぎてゆくころからほとんど揚げつめていた女がだんだん打ちとけてくるにつけて、
「なあ、へ、内に、わたしの妹のようにしている可愛い芸者がひとりあるのっせ」というから、
「へえ、どんな芸者」と訊くと、
「そりゃ可愛い芸者。まだ十四どっせ」
「十四になる芸者、そんな若い芸者があるの。舞妓《まいこ》じゃないの」
「ちがいます。芸妓どす」
「おかしいなあ。なぜ舞妓にならないんだろう」
「さあ、そなことどうや、わたしようわけは知りまへんけど、初めから芸者で出てはります。そりゃ可愛《かわい》かわい人どっせ、あんたはんに一遍|招《よ》んでもろとくれやすいうて、わたし内の姐《ねえ》さんから頼まれていました」
そういうので、招んでみると、女のいうとおりまだ子供の芸者であった。それから後も時々女と一緒に来て方々外に連れて歩いたりしていたが、あれからずっと見なかったので、まるで別な女になっていた。私は、自分の女のことを、あまり正面から女主人に切り出すのをきまりわるく思っていたところへまたそんなほかの者が傍に来たのでいよいよいい出しかねていたが、若奴とちょうどそんな話になったので照れ隠しのように、
「若奴さん、ほんとに美《い》い芸妓さんになったなあ」と私はまたつくづくとその容姿《すがた》に見入りながら、
「こんな別嬪《べっぴん》になるんだと知っていたら、あんな薄情な女に生命《いのち》を打ち込んで惚《ほ》れるんじゃなかった」
と、わざといって笑っていった。
すると女主人は、自然にそっちへ話を向けてきて、
「お園さんにお会いやしたか」といって訊いた。
「ええ此間《こないだ》初めて一遍会いました」
「病気はどうどす。わたしも一遍見舞いにいこういこう思うて、ねっからよういきまへん」
「病気はもう大したこともなさそうです。一体不断から病人らしい静かにしている女ですから」
すると若奴も傍から、
「ほんまにそうどす。お園さんはおとなしい人どしたなあ。姐さんあんな静かな人おへんなあ」
私はだんだん話をそっちへ進めて、
「病気で気が変になったというのは、あれは真実《ほんとう》なのですか」といって女主人に訊ねた。
「そりゃ本間《ほんま》どす」と女主人は真面目《まじめ》な顔になって、「初めは私たちも熱に浮かされてそんなことをいうのか思うていましたが、そのころ病気の方はもうとうに良うなって、熱もないようになっているのに異《ちご》うたことをいい出したので、さあ、これは大変なことになった思うて心配しました。……あんたはんもよう知っといやすとおり、あの人たち母子《おやこ》二人きりどすさかい、同じ病気になるのやったかてまだお母はんの方やったら困っても困りようがちがいますけど、親を養わんならん肝腎《かんじん》の娘が病気も病気もそんな病気になってしもうてどうしようもなりまへんもんどすさかい。……そりゃ気の毒どした。あれで一生あのとおりやったら、どないおしやすやろ思うて心配していましたけど、それでもまあ早う良うおなりやして結構どす。一時はどないなるか思うてたなあ」女主人はそういって若奴の方を振り返って見た。
若奴は同情するような眼をしてうなずきながら、
「ほんまに気の毒どしたわ。皆なほかの人面白がって対手にしてはりましたけど、姐さんわたし何もよういえしまへなんだ。顔を見るさえ辛うて」
「そうやった。眼が凄《すご》いように釣《つ》り上がって、お園さんのあの細い首が抜け出たように長うなって、怖《こわ》いこわい顔をして」
私はそうであったかと思いながら、
「そんなにひどかったのですか」
といっていると、女主人は私の方をじっと見ながら、
「あんたはんよっぽどお園さんに酷《ひど》いことをおいいやしたんやなあ」とたずねるようにいう。
「どうしてです?」
「あんたはんの手紙に警察へ突き出すとか、どうとかするようなことをいうてあったと見えて、そのことをいつもよういうてました。ほかの者警察のことも巡査のことも何も言うておらんのに、お園さん、そら警察から私を連れに来た、警察が来る警察が来るいうて、警察のことばかりいうていました。よっぽどあんたはんの手紙に脅かされたものらしい」
彼女の言葉は婉曲《えんきょく》であるが、その腹の底ではお園が精神に異状を呈したのも大根《おおね》の原因《もと》は私からの手紙に脅迫されたのだと思っているらしい口振りである。
八
なるほどそう思われるのも全く無根の事実でもない。去年の春まだ私が東京にいて京都に来ない時分、もう何年にかわたるたびたびの送金の使途について委《くわ》しい返事を聞こうとしても、いつも、柳に風と受け流してばかりいて少しも要領を得たことをいってよこさなかったので、随分思いきった神経質的な激しいことを書いて怨んだり脅かしたりするようなことをいってよこしたのは事実であった。けれども、そんなことは他人に打ち明かすべきことでないから、自分ひとつの胸の底に深く押し包んでいたけれど、それほど気に染《そ》んで片時も思い忘れることの出来ない女を、一年も二年もじっと耐《こら》えて見ないでいて、金だけは苦しい思いをしてきちんきちんと送ってやり、ただわずかに女からよこす手紙をいつも懐《ふところ》にして寝ながら逢いたい見たい心の万分の一をまぎらしていたのではないか。あらゆる永遠の希望や目前の欲望を犠牲にし、全力を挙げてその女を所有するがために幾年の間の耐忍辛苦を続けて来たのである。自分でも時々、
「ああ馬鹿らしい。こんなにして金を送ってやっても、今時分女はよその男とどんなことをしているか……」
と、それからそれへ連想を馳《は》せると、頭がかっと逆上して来て、もういても起《た》ってもいられなくなり、いっそこの金を持って、これからすぐ京都へ往って、あの好きな柔和らしい顔を見て来ようかと思ったことが幾たびであったか知れなかったが、その都度、
「いやいや、往って逢いたいのは山々であるが、今の逢いたさ見たさをじっと耐えていなければ、この先きいつになったら首尾よく彼女を自分の物にすることが出来るか、覚束《おぼつか》ない」
そう思い返しながら、われとわが拳固《こぶし》をもって自分の頭を殴《なぐ》って、逸《はや》り狂う心の駒《こま》を繋《つな》ぎ止めたのであった。けれども、さすがの私も、後にはとうとう隠忍しきれなくなって、焦立《いらだ》つ心持をそのまま文字に書き綴《つづ》ってやったのである。女の方でも、こちらの心持はよく知っているので、手紙でいってやることを、ただ何でもなく聞いているわけにはいかなかったのである。それがために気が狂ったといえば当然のようでもあるがまた可憐《かれん》なような気もする。
私は何となく女主人《おんなあるじ》の顔から眼をそらしながら、
「脅かしたわけでもなかったんですが、私にしてもあれくらいのことをいう気になるのも無理はないと思うんです。……」と、私はいいなして、後をすこしくいい澱《よど》んでいたが、彼女がもうここにいなくなったのであるから、今となってそれをいったところで、格別女主人の気を悪くさする気づかいもないと思ったので、自分がとうから女の借金を払って商売の足を洗わすつもりであったことを話して、
「こんなことはもう幾十たびとなく知り飽きていられるあなたがたに向って今さらこんな土地にありうちの話をするも愚痴のようですけれど、そのために、私はとても一と口や二た口にいえない苦心をして来たのです」
私はもっぱら女主人の同情に訴えるつもりで肺腑《はいふ》の底から出る熱い息と一緒にかこち顔にそう言った。いくら冷淡と薄情とを信条として多勢の抱妓《かかえ》に采配《さいはい》を揮《ふ》っているこの家の女主人にしても物の入りわけはまた人一倍わかるはずだと思ったのであった。すると彼女は今まで話していた調子とすこし変って、冷嘲《れいちょう》するような笑い方をしながら、
「あんたはんそんなことをおいいやしたかて、お園さんにはもうずっと前から三野村さんという人がおしたがな。三野村さんが今まで生きとったらとうに夫婦になってはる」
遠慮もなく、ずばりといい放った。それを聴くと私はぐさりと心臓に釘を刺されたようにがっかりした。が、そんな深くいい交わした男があるのも知らずに、自分ひとりで好い気になって自惚《うぬぼ》れていたと思われるのがいかにも恥かしいので、強《し》いてそんな風を顔色に出さないようにしながら、私はややしばらくいうべき言葉もなかったが、やがてわざと軽い調子で、
「ええそんなことも少しは知らぬでもなかったのですが、そんな人間はあっても大丈夫お園は自分の物になると私は思っていたのです」と、私はあくまでも信ずるようにいった。
すると彼女は、一層|嵩《かさ》にかかって冷笑しながら、
「あんたはんだけ自分でそう思いやしたかて、お園さんあんたはんのところへ行く気いちょっともあらしまへんなんだんどすもの。……その人はもうお死にやしたけど」といって、私に語る言葉の端々が妙に粗雑《ぞんざい》になってくるに反して、その死んだ人間のことをいう時にはひどく思いやりのある調子になりながら、火鉢の傍に坐っている若奴の顔を振《ふ》り顧《かえ》って、
「なあ、三野村さんとお園さんのことでは何遍も揉《も》めたなあ」と、女あるじはその時分のことを思いうかべて心から亡くなった人の身を悲しむかのように、私が傍にいることなどてんで忘れてしまった風で、しんみりとなり、
「三野村さん死なはったのはついこの間のように思うてたら、もう一昨年《おととし》になる。そうやなあ、一昨年の夏のもうしまいごろやった。可哀そうやったなあ、あんなにお園さんに惚れていても死んでしもうたらしようがない」
彼女はとうとう独り言をいい出した。
私は厭あな気持で黙ってそれを聴いていた。私にあてつけて故意にそんなことをいっているのかと思って気をつけていたが、彼女は真実三野村という男の死を哀れんでいるらしい。それならば情涙の涸渇《こかつ》したと思っていたこの薄雲太夫の後身にもやっぱり人並の思いやりはあるのだ。ただ私に対して同情を懐《いだ》かないばかりなのだ。それにしても私のこれほど血の涙の出るほどの胸の中がどうして彼女の胸に徹せぬのであろう。私は自分で自分のことを思ってみても昔の物語や浄瑠璃などにある人間ならばともかくも今の世におよそ私くらい真情《まごころ》を傾け尽して女を思いつめた男があるであろうか……なるほどその三野村という男のことは、もう三、四年も前にちょっと耳にせぬでもなかったが、たといいかなる深い男があっても、自分のこの真情《まごころ》に勝《まさ》る真情を女に捧《ささ》げている者は一人もありはせぬ。それに、自分の観察したところによると、女は自分の方から進んでいって決して男に深くなるような気質は持っていない。男に惚れるような女ならばかえってまた手を施すことも出来るのであるが、彼女に限ってそういう風は少しもなかった。どうせ卑しい勤めをしているのであるから、いろんな男に近づきはあるにちがいない。どんな男があっても構わぬ。自分は猜疑《さいぎ》もしなければ、嫉妬もせず、ただ一と筋に真情《まごころ》を傾けて女の意のままに尽してやってさえいれば、いつかはこちらの真情が向うに徹しなければならぬ。ことさらにああいう稼業《かぎょう》の女はそんな嫉妬がましいことをいう男に対して厭気をさすのである。そう思って私は、三野村という男のことを全く知らぬこともなかったけれど、そんなことは彼女に向って戯談《じょうだん》にもあまり口に出したことはなかったのである。また私自身にしても、そんなことを思ってみるさえ堪えられない焦躁《もどか》しさに責め苛《さいな》まれるので、そんな悩ましい欝懐《おもい》をばなるべくそのままそっと脇へ押しやっておくようにしておいたのであった。が、今女あるじから初めて、入り組んだその男のことを聞くにつけ思い起したのは、去年の五月のころ女の家にいた時仏壇の奥から出て来た写真の和服姿の男がそれであろうと、そう思うと、その男と彼女との仲の濃《こま》やかな関係がはっきり象《かた》を具《そな》えて眼に見えて来た。私はちょうど沸《に》え湯《ゆ》を飲んだように胸が燃えた。
女主人は、私の今の胸の中を察してか、察せずしてか、今度は私の方を見ながら、
「そりゃ三野村さん死なはった時には可哀そうにおしたで」と私をまで誘い込むようにいうのであった。「けども死んだらあきまへんなあ。あんなに惚れていて死んでしもて……」
私はもう火を吹くような気持で、
「そしてお園の方でもやっぱりその男には惚れていたのですか」と、言葉だけは平気を装って確かめるように訊《き》いてみた。
「そりゃあお園さんかて惚れてはりましたがな。商売を止めたらお園さん自分でも三野村さんの奥さんになることに極《き》めておったのどす」女主人は当然のことを語るようにいう。
私の胸の中はますます引っ掻きまわされるようになった。そして、まさかそんなこととは夢にも知らずあくまでも女を信じきっていた自分の愚かさが、真面目に考えるにはあまりに馬鹿げていて、このうえなお女主人や若奴のいる前で腹を立てた顔を見せるのが恥の上塗りをするようで私はどこまでも弱い気を見せずに、
「だって三野村にはほかに女があったというじゃありませんか」といってみた。
自分がはじめて彼女を知って一年ばかり経《た》ってから女には、京都に土着の人間で三野村という絵師で深い男があるということを聞いたので、その後京都に往って女に逢った時、軽く、
「三野村という人とは相変らず仲が好いのかい?」と戯弄《からか》うようにいって気を引いてみた。
すると女は顔色も変えずに、
「あの人たまあにどす。それに奥さんのある人やおへんか」と、鼻の先でこともなげにいってのけたことがあった。
女と三野村のことをいったのは後にも前にもそれきりであったのみならず、自分でもそれっきりその人間のことを考えてもみなかった。その男のことなど物の数にも思わなかったのである。
そういうと女主人は、
「ええ、そりゃおした。そやけど三野村さんはあの女よりお園さんの方がどのくらい好きやったか知れまへん。……それで揉めたのどす」といって、前に遡《さかのぼ》って彼らの交情の濃やかであった筋道を思い出して話すのであった。
その男ももとは東京か横浜あたりの人間で絵の修行に京都に来る時一緒に東から連れて来た女があった。それは以前から茶屋女であったらしく、京都に来ても京極《きょうごく》辺の路次裏に軒を並べている、ある江戸料理屋へ女中に住み込ませて、自分も始終そこへ入り浸っているのであった。話の様子では職人風の絵師によくあるような、あまり上品な人間でもなかった。技術も捗々《はかばか》しく上達しないで死んでしまったが女のことにかけては腕があったらしく、一方その女が喰いついていて離れようとしないのに自分ではひどくお園に惚れていた。
女主人は今思い出しても、三野村がいとしくもありおかしくもあるというように笑いながら、
「あんなに惚れはって。……なあ、私、三野村さんがお園さんに惚れはったようにあんなにほれた人見たことおへんわ」そういってまた若奴と私に話しかけながら、「三野村さん、あんたお園さんのどこがようてそんなにほれたんどすいうて訊くと、三野村さんもお園さんの、ほんならどこが好《え》えというところもないけれど、ただこうどことなくおとなしいようなところがええいうのどす」
「じゃ、男の好きなのは誰の思うところも同じこった」
と、私は、その三野村が女を観《み》る眼にかけては自分と正《まさ》しく一致していたことを思うにつけても、なるほどと肯《うなず》けるのであった。女主人のいうとおり彼は深い心の底からお園に惚れていたのにちがいない。私もやっぱり女の起居《たちい》振舞などのしっとりして物静かなところが不思議に気に入っているのであった。そして、三野村の惚れようが傍《はた》の見る眼も同情に堪えないくらいそれはそれは切ないものであったことを女主人がしきりに繰り返していうのを聴かされると、またしても私がその三野村にまた輪をかけたほど惚れているのに、それを遺憾なくわからす術《すべ》のないのが焦躁《もどか》しかった。そして、
「私だってあの女には真実《ほんと》に惚れているんですよ」といったが、幾ら真剣なところを見せようとしても、それをそのとおり受け入れてくれそうにないので、半ば戯談にまぎらして、いっているよりほかなかった。
女主人はこっちの見ているとおり、そういってもただ、
「ええ」と心にもない義理の返辞をしているに過ぎなかった。そして三野村の話をしかけさえすれば好い機嫌で向うから進んでいろんな話をそれからそれへとするのであった。
「じゃその人はここへ――あなたのところへ来たのですな」
「ええもう始終ここへ来てはったのどす。……ひところよう来てはったなあ」女あるじは若奴の方に話しかけた。
「よう来てはりましたなあ」
私は、そんなことからすでにその男の敵でなかったことを思った。自分もずっと以前ならば、惚れた女の抱えられている家へ入り込んで行くくらいのことをしかねない人間ではあったが、どこまでも自分の顔を悪くしないで手際《てぎわ》よく事を運びたいとあまり大事を取り過ぎたのがいけなかった。やっぱりこういうことは押しが強くなくってはいけないのだと今さらのように心づきながら、
「そうですか……始終こちらへ来ていたのですか」私は思わずそれを繰り返してしばらく開いた口が塞《ふさ》がらなかった。
女主人は顔で若奴の坐している長火鉢の横を示しながら、
「ようここへお園さんと二人で並んで私とこのとおりに話してはりましたがな、家でもお園さんとよう泊まりやはった」
彼女の語ることは向うではその心でなくても言々句々縦横無尽に私の肺腑を刺した。私は真実胸の痛みを撫《な》でるようにしながら、
「そうですか。……しかし私には幾ら惚れていてもその女の抱えられている屋形《やかた》まで押しかけてゆくのは何となく遠慮があって、それは出来なかったのです」私は自分の慎みをいくらか誇りかにいうと女主人はそんなことは無用のことだというように、
「ここの内お茶屋どすがな。何も遠慮することあらしまへん。おいでやしたらええのに」
私はその家《うち》が揚げ屋をかねていることは、その時女主人がいうまで気がつかなかった。それととうから知っていたならば何の遠慮をすることがあろう、それにしても女はどういう心で私にはそれを明かさなかったか。旧《ふる》いことを思い出してみても最初行きつけのお茶屋から彼女を招《よ》ぶには並み大抵の骨折りではおいそれと来てくれなかった。それというのも今になっていろいろ思い合わすれば、やっぱりそういう深い男が始終ついているので滅多な客が自分の家《うち》へじかに来ることを好まなかったのかも知れぬ……それにしても五年前から自分と逢っていた場合の記憶をあの時はこうとさまざま思い浮べて見ると、それが何もかもみんな腹にもないことをただ巧んでしたりいったりしていたとばかりはどうしても思えない。……私はじっとひとり考え沈んでいた。
九
若奴も傍から折々思い直したように口を入れて、
「お園さんも三野村さんのところへよう行かはりましたなあ」
というと、女主人《おんなあるじ》はうなずいて、
「ふむ、よう通うて行てたあ」
といって話すところによると、彼らが馴染《なじ》みはじめの時分男は二、三人の若い画家と一緒に知恩院《ちおんいん》の内のある寺院に間借りをして、そこで文展に出品する絵などを描いていた。仲間の中でも彼がひとり落伍者《らくごしゃ》でついに一度も文展に入選しなかったが、お園は昼間体のあいている時間を都合し始終そこへ遊びに行っていた。そして画師《えし》が画枠《えわく》に向っている傍について墨を摺《す》ったり絵の具を溶かしたりした。
女あるじは笑っていっていた。
「三野村さんあなた、勉強をおしやすのにそないに女を傍に置いたりしてよう絵が描けますなあいうて私がきくと、そなことない、お園が傍についておってくれんと絵が描けんおいいやすのどす。……そうどすか、わたしまた何ぼ好きな女かて傍についていられたりしたら気が散って描けんやろ思われるのに、そんなこというてはりました」
私は、二人の情交の濃やかであったことを聞けばきくほど身体に血の通いが止まる心地がしながら、惚れた女を思う男の心は誰も同じだと、
「私だってそのとおりですよ。私の傍に引きつけておくことが出来ぬ代りに遠くにいてどんなに彼女《あれ》を思っていたか。その人間などはまだそうして傍に置いとくことが出来ただけでも埋め合せがつく」私は溢《こぼ》すようにいうのであった。
「三野村さんのようここでお園さんが傍にいるところでいうてはった。……頼りない女や。私が京都にいるからこうしているようなものやけど、東京の方にでも往ってしまえばそれきりやいうて、始終頼りない女やいうてはりました」
「ほんとにそのとおりだ。そしてお園は傍で聴いていて何というのです」
「お園さんただ黙って笑い笑いきいているだけどす。……ほて、そんなに惚れているくせにまた二人てよう喧嘩をする。喧嘩ばかりしていた。三野村さんよう言うてはりました。姉さん、ああして私のところへ遊びに来てくれるのはええが、顔さえ見ればいつでも喧嘩や。そしてしまいにはやっぱり翌日《あくるひ》までお花をつけることになるから来てくれるたびに金がいって叶《かな》わんいうてはりました。お園さんの方でもほんよう喧嘩をして戻ってかというのに、やっぱり戻らない、喧嘩をしながらいつまで傍についている」
そういって、女主人がなおつづけて話すのでは、ずっと先のころひとしきりあまりにお園の方から男のところに通うて行くので女主人が気に逆らわぬように三野村のところへ遊びにゆくのもよいが両方の身のためにならぬからあまり詰めて行かぬようにしたがよいといっていい含めたのであった。するとちょっと見はおとなしいようでも勝気のお園はそれが癪《しゃく》に触ったといって一月ばかりも商売を休んでいたことがあった。その後も三野村のことで時々そんなことがあった。女主人と同じように彼女の母親もそんな悪足《わるあし》のような男がついているのをひどく心配して二人の仲を切ろうとしていろいろ気を揉《も》んでいた。それでしばらく三野村との間が中絶していたこともあったが、男の方でどうしても思いきろうとしなかった。いろいろに手をかえて母親の機嫌を取ろうとすればするほど母親の方では増長して彼をさんざんにこき下ろすのであった。そして一度でも文展に入選したら娘をやってもよいとか、東京から伴《つ》れて来ている女と綺麗に手を切ってしまえば承諾するとか、その場かぎりの体《てい》の好いことをいっていた。そして母親や女主人の方で二人の間を堰《せ》くようにすればするほど三野村の方で一層躍起になってお園が花にいっている出先までも附き纏《まと》うて商売の邪魔になるようなことをしたりするのであった。
女主人は、それでも私が長居をしていろいろ話をしている間にいくらかこちらの心中がわかって来たようであったが、いくたびも澱《よど》むように私の顔をじっと見ながら、
「今やからあんたはんに言いますけど、真相《ほんとう》はこうやのどす」といって、なお委《くわ》しく話して聞かせたところによると、こうであった。
母親や女主人から、三野村のような男にいつまでも係り合っていては後の身のためにならぬと喧《やかま》しくいうのと、お園自身でだんだんそれとわかって来て、その後自分の方からはなるたけ男に遠ざかるようにしていたのであった。するとちょうどそのころ初めて私と知るようになった。その年春の終りから夏の半ばまで三月ばかりもいて私が東京に帰ってからも引きつづき絶えず手紙の往復をしているうち、秋になって女から急に体の始末について相談をしかけて来た。もちろんそのことはこちらから進んでそうするつもりであったから、こちらでも必死になって金の工夫をしてみたけれどついに思うだけの金は出来なかった。それで、自分の方ではそう急にといってはとても金の策はつかない。はなはだ残念であるが、やっぱりかねて約束しておいたとおり早くてもう半年くらいはどうしても待っていてもらわなければならぬ。それでも是非とも今に今身を退《ひ》かねばならぬという止《や》みがたい事情でもあるなら、ほかにしかたがない、その場合に処すべき非常手段について参考となるべきことを細かに書中にしてやったのであった。そして彼女からの手紙は来るたびごとに切なくなって、ひたすら不如意の身の境遇をかこち歎いていた。こちらからそれに応《こた》えてやる手紙もそれに相当したものであった。
三野村は、前にしばらく、祇園町から程近い小堀の路次裏に母親がひとりで住んでいるころそこの二階に同居していたこともあったくらいで、そこから他へ出ていってからもやっぱり時々母親のところへ訪ねて来ていたが、ある日母子二人とも留守の間に入って来てそこらを掻き探しているうちにふと私からやった手紙の蔵《しま》ってあったのを目つけて残らず読んでしまった。それには、抱えぬしのひどく忌むようなことが書いてあった。それまであるじから敵《かたき》のように遠ざけられていた三野村は好い物を握ったと小躍《こおど》りして悦び、早速それを持って往って、
「姐さんあんたは私ばかりを悪い者のように思っていますが、これ、こんなことを二人で相談している。用心しなけりゃいけません」
といって、私から女にあててやった秘密の手紙をすっかり女主人に見せてしまった。もし私と彼女と手紙で相談していたことが成就したならば、立場はおのおの異っていても彼らは利害を同じゅうせねばならなかった。
女主人はまた私の方を見て、
「私のとこでもそんなことでお園さんにあの時|廃《や》められでもすると困るさかい……それまでは私もあんたはんという人があってお園さんを深切にいうておくれやすいうことは蔭ながらよう知っていまして、あんたはんのところへ行くのでもなるたけ他を断ってもそこを都合ようしてお園さんを上げるようにしておいたのに、どうしてそんな私のとこの迷惑になるようなことをおしやすやろ思うて……こんなこというてはえらい済まんことどすけど、そんな手紙を見てから後あんたはんのことを怨んでいました。それで三野村さんも初めは私の方で、お園さんにあんな人をつけておいては後にお園さんの出世の邪魔になるというてだんだん二人の間を遠ざけるようにしてたのどすけど、あんたはんがそんなことをお園さんと手紙で相談してやすことを知ってから、こんどはまた私から進んで三野村さんとお園さんを手を握るようにさしたのどす。それは私の方でわざとそうさしたのどす」女主人は話に力を入れてそういうのであった。
その話はもう四、五年前のことであったけれど、今向きつけて女主人からこちらの秘密にしていたことを素破《すっぱ》抜かれては、早速何といってよいか言葉に窮した。自分ももうその時分の委しいことは大方忘れているが、女の方からあまり性急にやいやいいって、とても急には調《ととの》いそうもない額の金を請求して来て、もしこちらでそれだけの金が調わない時には、かねて自分を引かそうとしている大阪の方の客にでも頼んでなりともぜひともここで身を引かねば自分の顔が立たぬ、それもこれもみんな私への義理を立て通そうとする苦しい立場からのことであるというようなことを真実こめた言葉でいってよこすところから、その際こちらで出来る限りのことをしてやったうえで、それでどうすることもならなかったら止むを得ないから思いきって最後の手段に出るよりほかはなかろうといってやったのであった。もちろん女からの手紙には、来る手紙にも来る手紙にもこんどの抱えぬしの仕打ちに対して少なからず不満を抱いているらしい口吻《こうふん》をも洩《も》らしていた……私はその時分のことを心の中でまたいろいろ思い起してみながら、今はじめて聴く、こちらではそれと重きを置かなかった恋の競争者の三野村が、そうした極秘密の私の手紙まで女のところから奪い去って、しかもそれを利用して抱え主の女あるじの信用を回復し彼自身の恋の勝利を確実にしたとは!
ややしばらくして私は、
「ええ、そういわれればそんな手紙をよこしたことがあったのは自分でも覚えています。しかしその時分彼女から私によこした手紙ではこちらでいろいろ不平があったようなことをよくいってよこしていました。一体どんなことがあったのです。私の方から、それはどんなことで揉めているのかといって訊ねても、その内わけは何にもいわずに、ただ癪に触ることがあるから母のところに帰って店を休んでいる、一日も早く商売を廃めたいと言っていました」
そういって訊くと、女あるじは思い合わすような顔をして、
「ああ、そうやそうや。それが三野村さんのことで私の言うことが気に入らんいうてお園さん休んでた時のことどす」
そういうと、若奴も傍にいて、
「へえ、そうどした」という。
私はあれやこれやその時のことをさらに精《くわ》しく思い出して、
「じゃ、何もかも私のことが原因《もと》で屋形と捫着《もんちゃく》を惹《ひ》き起しているようなことをいって手紙をよこしていながら、それは皆な拵《こしら》え事で真相《ほんとう》は三野村のことが原因だったのですな……どうも、そうでしょう。私はあんたもご承知のとおりあの年の夏の三カ月ばかり京都にいて東京に帰ったきり手紙と金とを送ってよこすだけで、てんで自分の体は来ないんですもの、私のために捫着が起る道理がないのです。みんな※[#「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74]《うそ》をいっていたのだ、だからこうして話してみなければ真相は分らない。それでいて私こそ好い面の皮だ。三野村自身のことでそんなに揉めているのとは知らず、言ってくるがままに身受けの金のことまで遠くにいてどれだけ心配してやったか。……私は何もあなたの方の迷惑になるようなことを初めから好んで彼女《あれ》に勧めたわけじゃない。自分ではどこまでも穏便な方法で借銭を払って廃業させようと思っていたのです。それであまり火のついたようにいって強請《せが》んで来るからそうでもするよりほかにしかたがなかろうと思ったのです」
そういうと女あるじは幾らかこちらの事情も分ったように、
「三野村さんもずっと前に一度そんなことをお園さんに勧めたことがあったのどす。そんなことせられては私の方かて黙って見ておられんさかい、それでお園さんを長いこと三野村さんのお花にはやらんようにしてたのどす。そりゃあの人のことでは何度も揉めたことがあるのどす。あんたはんのいまおいいやす、あの時かて大変どした。お園さんもまた三野村さんのことやいうとあんなおとなしい人が本気になるのやもの……」
私はまたその四、五年前の当時女から悲しい金の工面を訴えて来た時のことを繰り返して思い浮べながら、
「しかし、そうであったかなあ。……」と、その時の女の心底を考え直してみた。「じゃその時私が彼女《あれ》からいって来ただけの金を調えて送ったら、それで脚を抜いて、そして体は私の方に来ないで三野村の方に往ってしまったな」
女あるじは真正面《まとも》に私の顔を見て、
「ええ、そしたらもう三野村さんの方にいてしまう気どしたのどす」
それでもまだ私は小頸を傾けて、
「そうでしょうかなあ。その時は無論三野村が離れずついているから、たといお園の方では自分だけの一存で私に金を頼んで来たのであっても、自由な体になってしまえば三野村がすぐ浚《さら》って去《い》ったにちがいない。……その時一日に追っかけて二度もよこした手紙が幾十通となく、今までも蔵って私は持っています。それで見ると、まさか※[#「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74]ばかりで私に頼んだものとは自惚《うぬぼ》れか知らぬがどうしてもそう思えないなあ」
私はひとり語のようにいって、心の中でその時血の出るような苦しい金の才覚をした悲しい記憶を呼び起した。すると女主人も思案するような顔をして、
「ふむ――変どすなあ……そやけどお園さんは、ええようにいうてお客さんを騙《だま》してお金を取るような悪い知恵のまわる人やない。私のとこに七年も八年もいたのどすさかい、あの人の気性は親よりも誰よりも私が一番よう知っています。商売かて方々渡って歩いたりしたこともないし、初めて私のところから出て廃めるまで一つところにいて、長い間商売はしてもいつまでも素人《しろうと》のとおりどした。三野村さんかて、お園さんがあんたから貰う金で花をつけて遊ぶのどうするのいうことはない、心の綺麗な人どした。……お園さん本当に三野村さんに惚れとったのやろか」
女主人はそういいさしてまた傍にいる若奴の方を振り顧った。私はそれに口を入れて、
「あの女は自分でもよくいっていた。わたし、こんな商売していたかて、まだ一度も男に惚れたいうことおへん。そういっていたが、三野村ともそんな捫着がたびたびあったくらいだから無論嫌いではなかったろうが、そう魂を打ち込んで男にほれるというような性質《たち》の女じゃなさそうですな」
「ようここで三野村さんと喧嘩してはりましたなあ」若奴がいう。
「ふむ、よう喧嘩をしてたなあ。あんなに惚れていてどうしてああ喧嘩したのやろ」女主人はその時分のことを思い出すような風で笑った。
「それは仲が好過ぎてする喧嘩でしょう」
そういうと、女主人と若奴とは口を揃《そろ》えてそれを否定し、
「いや仲が好過ぎてするのとちがう。仲が好うてする喧嘩とそうでのうてする喧嘩とは違っています。お園さんと三野村さんの喧嘩は本当に仲が悪うてするような喧嘩やったなあ」
「ええそうどす。お園さん、もうあんたはんのような人は嫌いや、もうここへ来んとおいとくれやすいうて、随分きついこというてはりました」若奴がそれにつけていった。
「男が死んだときお園はどうしていました。ひどく落胆《がっかり》していましたか」
女主人はまた若奴と顔を見合わしながら、
「死んだ時かて格別お園さんの方では力落したような風はなかったなあ」
若奴はその時分のことはよく覚えているらしく、
「ちょっともそんな様子はありゃしまへなんだわ。……そうそうあの時お園さん二、三日大阪へ行ってはりました。そして夜遅うなって帰って来やはりました。まあ、お気の毒に三野村さんがお死にやしたのに、お園さんは大方そんなこととも知らはらんやろか大阪に往《い》てどこで何しておいやすんやろいうて私うちで言うていました。ほて、ここへ入っておいでやした時、お園さんの顔を見ると、私すぐ、お園さん三野村さんが死なはりました、こっちゃは大きな声でいいましたけど、お園さんはびっくりともしやはらんで、ただ一と口そうどすかおいいやしたきりどっせ、姐さん。その時私、お園さん薄情な人やなあ思いました」
若奴がそういうと、女主人は、
「ふん、そうやったかなあ、わたしあの時どうしてたか内におらなんで、あとで聞いた。……死んだ時はそりゃあ可哀そうどしたで」
といって、また追憶を新たにする風であったが、私はそれよりも自分の目前の境遇の方がはるかに憐《あわ》れであった。
底本:「日本の文学 8 田山花袋 岩野泡鳴 近松秋江」中央公論社
1970(昭和45)年5月5日初版発行
入力:久保あきら
校正:松永正敏
2001年6月4日公開
2006年1月26日修正
青空文庫作成ファイル:
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