横光利一

新感覚派とコンミニズム文学—–横光利一

コンミニズム文学の主張によれば、文壇の総《すべ》てのものは、マルキストにならねばならぬ、と云うのである。 彼らの文学的活動は、ブルジョア意識の総ての者を、マルキストたらしめんがための活動と、コンミニストをして、彼らの闘争と呼ばるべき闘争心を...
横光利一

上海—– 横光利一

一 満潮になると河は膨《ふく》れて逆流した。測候所のシグナルが平和な風速を示して塔の上へ昇っていった。海関の尖塔が夜霧の中で煙り始めた。突堤に積み上げられた樽の上で、苦力《クリー》たちが湿って来た。鈍重な波のまにまに、破れた黒い帆が傾いてぎ...
横光利一

笑われた子—– 横光利一

吉をどのような人間に仕立てるかということについて、吉の家では晩餐《ばんさん》後毎夜のように論議せられた。またその話が始った。吉は牛にやる雑炊《ぞうすい》を煮《た》きながら、ひとり柴の切れ目からぶくぶく出る泡を面白そうに眺めていた。 「やはり...
横光利一

純粋小説論—– 横光利一

もし文芸復興というべきことがあるものなら、純文学にして通俗小説、このこと以外に、文芸復興は絶対に有り得ない、と今も私は思っている。私がこのように書けば、文学について錬達《れんたつ》の人であるなら、もうこの上私の何事の附加なくとも、直ちに通じ...
横光利一

春は馬車に乗って—– 横光利一

海浜の松が凩《こがらし》に鳴り始めた。庭の片隅《かたすみ》で一叢《ひとむら》の小さなダリヤが縮んでいった。  彼は妻の寝ている寝台の傍《そば》から、泉水の中の鈍い亀の姿を眺《なが》めていた。亀が泳ぐと、水面から輝《て》り返された明るい水影が...
横光利一

七階の運動—– 横光利一

今日は昨日の続きである。エレベーターは吐瀉を続けた。チヨコレートの中へ飛び込む女。靴下の中へ潜つた女。ロープモンタントにオペラパツク。パラソルの垣の中から顔を出したのは能子である。コンパクトの中の懐中鏡。石鹸の土手に続いた帽子の柱。ステツキ...
横光利一

時間—– 横光利一

私達を養っていてくれた座長が外出したまま一週間しても一向に帰って来ないので、或る日高木が座長の残していった行李を開けてみると中には何も這入っていない。さアそれからがたいへんになった。座長は私達を残して逃げていったということが皆の頭にはっきり...
横光利一

詩集『花電車』序—– 横光利一

今まで、私は詩集を読んでゐて、涙が流れたといふことはない。しかし、稀らしい。私はこの「花電車」を読みながら涙が頬を伝って流れて来た。極暑の午後で、雨もなく微風もない。ひいやりと流れて来たのはひと条の涙だけ――ああこれは、おれの涙かなと私は思...
横光利一

作家の生活—– 横光利一

優れた作品を書く方法の一つとして、一日に一度は是非自分がその日のうちに死ぬと思うこと、とジッドはいったということであるが、一日に一度ではなくとも、三日に一度は私たちでもそのように思う癖がある。殊に子供を持つようになってからはなおさらそれが激...
横光利一

御身—– 横光利一

一末雄が本を見ていると母が尺《さし》を持って上って来た。  「お前その着物をまだ着るかね。」  「まだ着られるでしょう。」  彼は自分の胸のあたりを見て、  「何《な》ぜ?」と訊《き》き返《かえ》すと、母はやはり彼の着物を眺めながら、  「...
横光利一

機械—– 横光利一

初めの間は私は私の家の主人が狂人ではないのかとときどき思った。観察しているとまだ三つにもならない彼の子供が彼をいやがるからといって親父をいやがる法があるかといって怒っている。畳の上をよちよち歩いているその子供がばったり倒れるといきなり自分の...
横光利一

街の底—– 横光利一

その街角には靴屋があった。家の中は壁から床まで黒靴で詰っていた。その重い扉のような黒靴の壁の中では娘がいつも萎《しお》れていた。その横は時計屋で、時計が模様のように繁っていた。またその横の卵屋では、無数の卵の泡の中で兀《は》げた老爺が頭に手...
横光利一

花園の思想—– 横光利一

一丘の先端の花の中で、透明な日光室が輝いていた。バルコオンの梯子《はしご》は白い脊骨のように突き出ていた。彼は海から登る坂道を肺療院の方へ帰って来た。彼はこうして時々妻の傍《そば》から離れると外を歩き、また、妻の顔を新しく見に帰った。見る度...
横光利一

火—– 横光利一

一初秋の夜で、雌《めす》のスイトが縁側《えんがわ》の敷居《しきい》の溝の中でゆるく触角を動かしていた。針仕事をしている母の前で長火鉢《ながひばち》にもたれている子は頭をだんだんと垂れた。鉄壜《てつびん》の手に触れかかると半分眼を開けて急いで...
横光利一

汚ない家—– 横光利一

地震以後家に困つた。崩れた自家へ二ヶ月程して行つてみたら、誰れだか知らない人が這入つてゐた。表札はもとの儘だ。其からある露路裏の洋服屋の汚い二階を借りた。それも一室より借れなかつた。ある日菊池師が朝早く一人でひよこつと僕の家へ来られた。二三...
横光利一

一条の詭弁—– 横光利一

その夫婦はもう十年も一緒に棲んで来た。良人は生活に窶れ果てた醜い細君の容子を眺める度に顔が曇つた。 「いやだいやだ。もう倦き倦きした。あーあ。」  欠伸ばかりが梅雨時のやうにいつも続いた。ヒステリカルな争ひが時々茶碗の悲鳴と一緒に起つた。 ...
横光利一

マルクスの審判—– 横光利一

市街を貫いて来た一条の道路が遊廓街へ入らうとする首の所を鉄道が横切つてゐる。其処は危険な所だ。被告はそこの踏切の番人である。彼は先夜遅く道路を鎖で遮断したとき一人の酔漢と争つた。酔漢は番人の引き止めてゐるその鎖を腹にあてたまま無理にぐんぐん...
横光利一

ナポレオンと田虫—– 横光利一

一 ナポレオン・ボナパルトの腹は、チュイレリーの観台の上で、折からの虹《にじ》と対戦するかのように張り合っていた。その剛壮な腹の頂点では、コルシカ産の瑪瑙《めのう》の[#「瑪瑙《めのう》の」は底本では「瑪瑠《めのう》の」]釦《ボタン》が巴里...
永井荷風

猥褻独問答—– 永井荷風

○猥褻なる文学絵画の世を害する事元より論なし。書生猥褻なる小説を手にすれば学問をそつちのけにして下女の尻を追ふべく、親爺猥褻《おそ》れざるべけんや。 ○然らば何を以てか猥褻なる文学絵画といふや。人をして淫慾を興《おこ》さしむるものをいふなり...
永井荷風

霊廟—– 永井荷風

〔Il suffit que tes eaux e'gales et sans fe^te〕 〔Reposent dans leur ordre et tranquillite',〕 〔Sans que demeure rien en le...