古川緑波

牛鍋からすき焼へ—– 古川緑波

1 「おうなにしますか、それとも、ギュウがいいかい?」  と、僕の祖母は、鰻を「おうな」牛肉を「ギュウ」と言った。  無論、明治の話。然し、それも末期だ。だから、その頃は、牛鍋は、ギュウナベと言いました。  今でこそ、牛肉すき焼と、東京でも...
古川緑波

甘話休題—– 古川緑波

1  もう僕の食談も、二十何回と続けたのに、ちっとも甘いものの話をしないものだから、菓子については話が無いのか、と訊いて来た人がある。僕は、酒飲みだから、甘いものの方は、まるでイケないんじゃないか、と思われたらしい。  ジョ、冗談言っちゃい...
古川緑波

下司味礼讃—– 古川緑波

宇野浩二著『芥川龍之介』の中に、芥川龍之介氏が、著者に向って言った言葉、  ……君われわれ都会人は、ふだん一流の料理屋なんかに行かないよ、菊池や久米なんどは一流の料理屋にあがるのが、通だと思ってるんだからね。……  というのが抄いてある。 ...
古川緑波

このたび大阪——古川緑波

五月上旬から、六月へかけて、梅田コマスタジアムで「道修町」出演のため、大阪に滞在すること、約一ヶ月。  大阪での僕のたのしみの一つは、おどり(生海老)を食うことである。酔後、冷たいすしの舌ざわりは、何とも言えない、殊に、おどりは、快適で、明...
古川緑波

うどんのお化け—– 古川緑波

目下、僕は毎日、R撮影所へ通って、仕事をしている。そして、毎昼、うどんを食っている。  此の撮影所は、かなり辺鄙《へんぴ》な土地にあるので、食いもの屋も、碌に無い。だから、一番安心して食えるのは、うどんだと思って、昼食には、必ず、うどん。そ...
古川緑波

ああ東京は食い倒れ— 古川緑波

戦争に負けてから、もう十年になる。戦前と戦後を比較してみると、世相色々と変化の跡があるが、食いものについて考えてみても、随分変った。  ちょいと気がつかないようなことで、よく見ると変っているのが、色々ある。  先ず、戦後はじめて、東京に出来...
原田義人

流刑地で IN DER STRAFKOLONIE      フランツ・カフカ Franz Kafka ——-原田義人訳

「奇妙な装置なのです」と、将校は調査旅行者に向っていって、いくらか驚嘆しているようなまなざしで、自分ではよく知っているはずの装置をながめた。旅行者はただ儀礼から司令官のすすめに従ったらしかった。司令官は、命令不服従と上官侮辱とのために宣告を...
原田義人

変身 DIE VERWANDLUNG フランツ・カフカ Franz Kafka ——-原田義人訳

1  ある朝、グレゴール・ザムザが気がかりな夢から目ざめたとき、自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫に変ってしまっているのに気づいた。彼は甲殻のように固い背中を下にして横たわり、頭を少し上げると、何本もの弓形のすじにわかれてこんもりと盛り上が...
原田義人

判決    DAS URTEIL  フランツ・カフカ Franz Kafka ——-原田義人訳

すばらしく美しい春の、ある日曜日の午前のことだった。若い商人のゲオルク・ベンデマンは二階にある彼の私室に坐っていた。その家は、ほとんど高さと壁の色とだけしかちがわず、川に沿って長い列をつくって立ち並んでいる、屋根の低い、簡単なつくりの家々の...
原田義人

断食芸人               EIN HUNGERKUNSTLER フランツ・カフカ Franz Kafka ——原田義人訳

この何十年かのあいだに、断食芸人たちに対する関心はひどく下落してしまった。以前には一本立てでこの種の大きな興行を催すことがいいもうけになったのだが、今ではそんなことは不可能だ。あのころは時代がちがっていたのだ。あのころには町全体が断食芸人に...
原田義人

審判   DER PROZESS  フランツ・カフカ Franz Kafka ——-原田義人訳

第一章 逮捕・グルゥバッハ夫人との     対話・次にビュルストナー嬢  誰かがヨーゼフ・Kを誹謗《ひぼう》したにちがいなかった。なぜなら、何もわるいことをしなかったのに、ある朝、逮捕されたからである。彼の部屋主グルゥバッハ夫人の料理女は、...
原田義人

城    DAS SCHLOSS      フランツ・カフカ Franz Kafka  —–原田義人訳

第一章  Kが到着したのは、晩遅くであった。村は深い雪のなかに横たわっていた。城の山は全然見えず、霧と闇《やみ》とが山を取り巻いていて、大きな城のありかを示すほんの微かな光さえも射していなかった。Kは長いあいだ、国道から村へ通じる木橋の上に...
原田義人

最初の苦悩 ERSTES LEID フランツ・カフカ Franz Kafka —-原田義人訳

ある空中ブランコ乗りは――よく知られているように、大きなサーカス舞台の円天井の上高くで行われるこの曲芸は、およそ人間のなしうるあらゆる芸当のうちでもっともむずかしいものの一つであるが――、はじめはただ自分の芸を完全にしようという努力からだっ...
原田義人

皇帝の使者 EINE KAISERLICHE BOTSCHAFT フランツ・カフカ Franz Kafka ———原田義人訳

皇帝が――そう呼ばれているのだ――君という単独者、みすぼらしい臣下、皇帝という太陽から貧弱な姿で遠い遠いところへ逃がれていく影、そういう君に皇帝が臨終のベッドから伝言を送った。皇帝は使者をベッドのそばにひざまずかせ、その耳にその伝言の文句を...
原田義人

カフカ解説—– 原田義人

カフカがプルースト、ジョイス、フォークナーなどと並んで二十世紀のもっとも重要な作家の一人として考えられるようになったのは、彼の死後二十年余を経た第二次大戦後のことであるといってよい。今、たとえば一九三〇年ころに出版されて十万部を超《こ》える...
原田義人

火夫 DER HEIZER フランツ・カフカ Franz Kafka   —–原田義人訳

十六歳のカルル・ロスマンは、ある女中に誘惑され、その女とのあいだに子供ができたというので、貧しい両親によってアメリカへやられたのだが、彼がすでに速度を下げた船でニューヨーク港へ入っていったとき、ずっと前から見えていた自由の女神の像が、まるで...
原田義人

家長の心配 DIE SORGE DES HAUSVATERS フランツ・カフカ Franz Kafka—– 原田義人訳

ある人びとは、「オドラデク」という言葉はスラヴ語から出ている、といって、それを根拠にしてこの言葉の成立を証明しようとしている。ほかの人びとはまた、この言葉はドイツ語から出ているものであり、ただスラヴ語の影響を受けているだけだ、といっている。...
近松秋江

別れたる妻に送る手紙—— 近松秋江

拝啓  お前――別れて了ったから、もう私がお前と呼び掛ける権利は無い。それのみならず、風の音信《たより》に聞けば、お前はもう疾《とっく》に嫁《かたづ》いているらしくもある。もしそうだとすれば、お前はもう取返しの付かぬ人の妻だ。その人にこんな...
近松秋江

箱根の山々—– 近松秋江

夏が來て、また山の地方を懷かしむ感情が自然に私の胸に慘んでくるのを覺える。何といつても山を樂しむのは夏のことである。曾遊の夏の山水風光を、かうして今都會の中にゐて追憶して見るさへ懷かしさに堪へないで、魂飛び神往くの思ひがするのである。  日...
近松秋江

霜凍る宵—– 近松秋江

一  それからまた懊悩《おうのう》と失望とに毎日|欝《ふさ》ぎ込みながらなすこともなく日を過していたが、もし京都の地にもう女がいないとすれば、去年の春以来帰らぬ東京に一度帰ってみようかなどと思いながら、それもならず日を送るうち一月の中旬を過...