横光利一

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鳥——-横光利一

リカ子《こ》はときどき私《わたし》の顔《かお》を盗見《ぬすみみ》するように艶《つや》のある眼《め》を上《あ》げた。私《わたし》は彼女《かのじょ》が何《な》ぜそんな顔《かお》を今日《きょう》に限《かぎ》ってするのか初《はじ》めの間《あいだ》は...
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赤い着物—–横光利一

村の点燈夫《てんとうふ》は雨の中を帰っていった。火の点《つ》いた献灯《けんとう》の光りの下で、梨《なし》の花が雨に打たれていた。  灸《きゅう》は闇の中を眺めていた。点燈夫の雨合羽《あまがっぱ》の襞《ひだ》が遠くへきらと光りながら消えていっ...
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静かなる羅列—–横光利一

一  Q川はその幼年期の水勢をもつて鋭く山壁を浸蝕した。雲は濃霧となつて溪谷を蔽つてゐた。  山壁の成層岩は時々濃霧の中から墨汁のやうに現れた。濃霧は川の水面に纏りながら溪から溪を蛇行した。さうして、層々と連る岩壁の裂け目に浸潤し、空間が輝...
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睡蓮《すいれん》—–横光利一

もう十四年も前のことである。家を建てるとき大工が土地をどこにしようかと相談に来た。特別どこが好きとも思いあたらなかったから、恰好《かっこう》なところを二三探して見てほしいと私は答えた。二三日してから大工がまた来て、下北沢《しもきたざわ》とい...
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厨房《ちゅうぼう》日記—–横光利一

こういう事があったと梶《かじ》は妻の芳江に話した。東北のある海岸の温泉場である。梶はヨーロッパを廻って来て疲れを休めに来ているのだが、避暑客の去った海浜の九月はただ徒《いたず》らに砂が白く眼が痛い。――  別に面白いことではない。スイスのあ...
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神馬—–横光利一

豆台の上へ延ばしてゐた彼の鼻頭へ、廂から流れた陽の光りが落ちてゐた。鬣が彼の鈍つた茶色の眼の上へ垂れ下ると、彼は首をもたげて振つた。そして又食つた。  肋骨の下の皮が張つて来ると、瞼が重くなつて来て、知らず/\に居眠つた、と不意に雨でも降つ...
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榛名—–横光利一

眞夏の日中だのに褞袍《どてら》を着て、その上からまだ毛絲の肩掛を首に卷いた男が、ふらふら汽車の中に這入つて來た。顏は青ざめ、ひよろけながら空席を見つけると、どつと横に倒れた。後からついて來た妻女が氷嚢を男の額にあてて、默つて周圍の客の顏を眺...
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新感覚論 感覚活動と感覚的作物に対する非難への逆説—–横光利一

独断  芸術的効果の感得と云うものは、われわれがより個性を尊重するとき明瞭に独断的なものである。従って個性を異にするわれわれの感覚的享受もまた、各個の感性的直感の相違によりてなお一段と独断的なものである。それ故に文学上に於ける感覚と云うもの...
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新感覚派とコンミニズム文学—–横光利一

コンミニズム文学の主張によれば、文壇の総《すべ》てのものは、マルキストにならねばならぬ、と云うのである。  彼らの文学的活動は、ブルジョア意識の総ての者を、マルキストたらしめんがための活動と、コンミニストをして、彼らの闘争と呼ばるべき闘争心...
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上海—– 横光利一

一  満潮になると河は膨《ふく》れて逆流した。測候所のシグナルが平和な風速を示して塔の上へ昇っていった。海関の尖塔が夜霧の中で煙り始めた。突堤に積み上げられた樽の上で、苦力《クリー》たちが湿って来た。鈍重な波のまにまに、破れた黒い帆が傾いて...
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笑われた子—– 横光利一

吉をどのような人間に仕立てるかということについて、吉の家では晩餐《ばんさん》後毎夜のように論議せられた。またその話が始った。吉は牛にやる雑炊《ぞうすい》を煮《た》きながら、ひとり柴の切れ目からぶくぶく出る泡を面白そうに眺めていた。 「やはり...
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純粋小説論—– 横光利一

もし文芸復興というべきことがあるものなら、純文学にして通俗小説、このこと以外に、文芸復興は絶対に有り得ない、と今も私は思っている。私がこのように書けば、文学について錬達《れんたつ》の人であるなら、もうこの上私の何事の附加なくとも、直ちに通じ...
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春は馬車に乗って—– 横光利一

海浜の松が凩《こがらし》に鳴り始めた。庭の片隅《かたすみ》で一叢《ひとむら》の小さなダリヤが縮んでいった。  彼は妻の寝ている寝台の傍《そば》から、泉水の中の鈍い亀の姿を眺《なが》めていた。亀が泳ぐと、水面から輝《て》り返された明るい水影が...
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七階の運動—– 横光利一

今日は昨日の続きである。エレベーターは吐瀉を続けた。チヨコレートの中へ飛び込む女。靴下の中へ潜つた女。ロープモンタントにオペラパツク。パラソルの垣の中から顔を出したのは能子である。コンパクトの中の懐中鏡。石鹸の土手に続いた帽子の柱。ステツキ...
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時間—– 横光利一

私達を養っていてくれた座長が外出したまま一週間しても一向に帰って来ないので、或る日高木が座長の残していった行李を開けてみると中には何も這入っていない。さアそれからがたいへんになった。座長は私達を残して逃げていったということが皆の頭にはっきり...
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詩集『花電車』序—– 横光利一

今まで、私は詩集を読んでゐて、涙が流れたといふことはない。しかし、稀らしい。私はこの「花電車」を読みながら涙が頬を伝って流れて来た。極暑の午後で、雨もなく微風もない。ひいやりと流れて来たのはひと条の涙だけ――ああこれは、おれの涙かなと私は思...
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作家の生活—– 横光利一

優れた作品を書く方法の一つとして、一日に一度は是非自分がその日のうちに死ぬと思うこと、とジッドはいったということであるが、一日に一度ではなくとも、三日に一度は私たちでもそのように思う癖がある。殊に子供を持つようになってからはなおさらそれが激...
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御身—– 横光利一

一 末雄が本を見ていると母が尺《さし》を持って上って来た。  「お前その着物をまだ着るかね。」  「まだ着られるでしょう。」  彼は自分の胸のあたりを見て、  「何《な》ぜ?」と訊《き》き返《かえ》すと、母はやはり彼の着物を眺めながら、  ...
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機械—– 横光利一

初めの間は私は私の家の主人が狂人ではないのかとときどき思った。観察しているとまだ三つにもならない彼の子供が彼をいやがるからといって親父をいやがる法があるかといって怒っている。畳の上をよちよち歩いているその子供がばったり倒れるといきなり自分の...
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街の底—– 横光利一

その街角には靴屋があった。家の中は壁から床まで黒靴で詰っていた。その重い扉のような黒靴の壁の中では娘がいつも萎《しお》れていた。その横は時計屋で、時計が模様のように繁っていた。またその横の卵屋では、無数の卵の泡の中で兀《は》げた老爺が頭に手...