岡本綺堂

半七捕物帳 お文の魂—-岡本綺堂

        

 わたしの叔父は江戸の末期に生れたので、その時代に最も多く行はれた化物屋敷の不入《いらず》の間や、嫉み深い女の生靈《いきりやう》や、執念深い男の死靈や、さうしたたぐひの陰慘な幽怪な傳説を澤山《たくさん》に知つてゐた。しかも叔父は「武士たるものが妖怪などを信ずべきものでない。」といふ武士的教育の感化から、一切これを否認しようと努めてゐたらしい。その氣風は明治以後になつても失せなかつた。わたし達が子供のときに何か取留めのない化物話などを始めると、叔父はいつでも苦《にが》い顏をして碌々《ろくろく》に相手にもなつて呉れなかつた。
 その叔父が唯一度こんなことを云つた。
「併し世の中には解らないことがある。あのおふみの一件なぞは……。」
 おふみの一件が何であるかは誰も知らなかつた。叔父も自己の主張を裏切るやうな、この不可解の事實を發表するのが如何にも殘念であつたらしく、それ以上には何も祕密を洩さなかつた。父に訊《き》いても話してくれなかつた。併しその事件の蔭にはKのをぢさんが潜んでゐるらしいことは、叔父の口ぶりに因《よ》つて略《ほ》ぼ想像されたので、わたしの稚い好奇心は到頭《たうとう》わたしを促《うなが》してKのをぢさんのところへ奔《はし》らせた。私はその時まだ十二であつた。Kのをぢさんは、肉縁の叔父ではない。父が明治以前から交際してゐるので、わたしは稚い時から此人ををぢさんと呼び慣はしてゐたのである。
 わたしの質問に對して、Kのをぢさんも滿足な返答をあたへて呉《く》れなかつた。
「まあ、そんなことは何《ど》うでも可い。つまらない化物の話なんぞすると、お父さんや叔父さんに叱られる。」
 ふだんから話好きのをぢさんもこの問題については堅く口を結んでゐるので、わたしも押返して詮索する手がかりが無かつた。學校で毎日のやうに物理學や數學をどしどし詰め込まれるのに忙しい私の頭からは、おふみと云ふ女の名も次第に煙のやうに消えてしまつた。それから二年ほど經つて、なんでも十一月の末であつたと記憶してゐる。わたしが學校から歸る頃から寒い雨がそぼそぼと降り出して、日が暮れる頃には可なりに強い降りになつた。Kのをばさんは近所の人に誘はれて、けふは午前《ひるまへ》から新富座見物に出かけた筈である。
「わたしは留守番だから、あしたの晩は遊びにおいでよ。」と前の日にKのをぢさんが云つた。わたしはその約束を守つて、夕飯を濟ますと直ぐにKのをぢさんをたづねた。Kの家はわたしの家から直徑にして四町ほどしか距《はな》れてゐなかつたが、場所は番町で、その頃には江戸時代の形見といふ武家屋敷の古い建物がまだ取拂はれずに殘つてゐて、晴れた日にも何だか陰《かげ》つたやうな薄暗い町の影を作つてゐた。雨のゆふぐれは殊に侘《わび》しかつた。Kのをぢさんも或大名屋敷の門内に住んでゐたが、おそらく其の昔は家老とか用人とかいふ身分の人の住居であつたらう。兎《と》も角《かく》も一軒建になつてゐて、小さい庭には粗《あら》い竹垣が結びまはしてあつた。
 Kのをぢさんは役所から歸つて、もう夕飯をしまつて、湯から歸つてゐた。をぢさんは私を相手にしてランプの前で一時間ほども他愛もない話などをしてゐた。時々に雨戸を撫でる庭の八つ手の大きい葉に、雨の音がぴしやぴしやときこえるのも、外の暗さを想はせるやうな夜であつた。柱にかけてある時計が七時を打つと、をぢさんはふと話をやめて外の雨に耳を傾けた。
「大分降つて來たな。」
「をばさんは歸りに困るでせう。」
「なに、人力車《くるま》を迎ひにやつたから可い。」
 かう云つてをぢさんは又默つて茶を喫《の》んでゐたが、やがて少し眞面目《まじめ》になつた。
「おい、いつかお前が訊いたおふみの話を今夜聞かしてやらうか。化物の話はかういう晩が可いもんだ。しかしお前は臆病だからなあ。」
 實際私は臆病であつた。それでも怖い物見たさ聞きたさに、いつも小さい身體を固くして一生懸命に怪談を聞くのが好きであつた。殊に年來の疑問になつてゐるおふみの一件を測《はか》らずもをぢさんの方から切出したので、わたしは思はず眼をかゞやかした。明るいランプの下ならどんな怪談でも怖くないといふ風に、わざと肩を聳かしてをぢさんの顔を屹とみあげると、強ひて勇氣を粧ふやうな私の子供らしい態度が、をぢさんの眼には可笑く見えたらしい。彼はしばらく默つてにやにや笑つてゐた。
「そんなら話して聞かせるが、怖くつて家《うち》へ歸られなくなつたから、今夜は泊めて呉れなんて云ふなよ。」
 先づかう嚇《おど》して置いて、をぢさんはおふみの一件といふのを徐《しず》かに話し出した。
「わたしが丁度|二十歳《はたち》の時だから、元治元年――京都では蛤御門《はまぐりごもん》の戰《いくさ》があつた年のことだと思へ。」と、をぢさんは先づ冒頭《まくら》を置いた。
 その頃この番町に松村彦太郎といふ三百石の旗本が屋敷を持つてゐた。松村は相當に學問もあり、殊に蘭學が出來たので、外國掛《がいこくがかり》の方へ出仕《しゅつし》して、鳥渡《ちょつと》羽振の好い方であつた。その妹のお道といふのは、四年前に小石川西江戸川端の小幡《おばた》伊織といふ旗本の屋敷へ縁付いて、お春といふ今年三つの娘まで儲けた。
 すると、ある日のことであつた。そのお道がお春を連れて兄のところへ訪ねて來て、「もう小幡の屋敷にはゐられませんから、暇を貰つて頂きたうございます。」と、突然に飛んだことを云ひ出して、兄の松村をおどろかした。兄はその仔細を聞き糺《ただ》したが、お道は蒼い顔をしてゐるばかりで何も云はなかつた。
「云はないで濟む譯《わけ》のものでない、その仔細をはつきりと云へ。女が一旦他家へ嫁入りをした以上は、むやみに離縁なぞすべきものでも無し、されるべき筈のものでもない。唯だしぬけに暇を取つてくれでは判らない。その仔細をよく聞いた上で、兄にも成程と得心《とくしん》がまゐつたら、又掛合ひのしやうもあらう。仔細を云へ。」
 この場合、松村でなくても、先づかう云ふより外はなかつたが、お道は強情に仔細を明かさなかつた。もう一日もあの屋敷にはゐられないから暇を貰つてくれと、今年二十一になる武家の女房がまるで駄々つ子のやうに、たゞ同じことばかり繰返してゐるので、堪忍強い兄もしまひには悶《じ》れ出した。
「馬鹿、考へてもみろ、仔細も云はずに暇を貰いに行けると思ふか。また、先方でも承知すると思ふか。きのふや今日《けふ》嫁に行つたのでは無し、もう足掛け四年にもなり、お春といふ子までもある。舅《しうと》小姑《こじうと》の面倒があるでは無し、主人の小幡は正直で物柔かな人物。小身ながらも無事に上《かみ》の御用も勤めてゐる。なにが不足で暇を取りたいのか。」
 叱つても諭《さと》しても手堪《てごた》へがないので、松村も考へた。よもやとは思ふものゝ世間にためしが無いでもない。小幡の屋敷には若い侍がゐる。近所|隣《となり》の屋敷にも次三男の道樂者がいくらも遊んでゐる。妹も若い身空であるから、もしや何かの心得違ひでも仕出來《しでか》して、自分から身を退かなければならないやうな破滅に陥つたのではあるまいか。かう思ふと、兄の詮議はいよいよ嚴重になつた。どうしてもお前が仔細を明かさなければ、おれの方にも考へがある。これから小幡の屋敷へお前を連れて行つて、主人の目の前で何も彼も云はしてみせる。さあ一緒に來いと、襟髪《えりがみ》を取らぬばかりにして妹を引き立てようとした。
 兄の權幕《けんまく》があまり激しいので、お道も流石《さすが》に途方に暮れたらしく、そんなら申しますと泣いて謝つた。それから彼女が泣きながら訴へるのを聞くと、松村は又驚かされた。
 事件は今から七日前、娘のお春が三つの節句の雛を片附けた晩のことであつた。お道の枕もとに散らし髪の若い女が眞蒼な顔を出した。女は水でも浴びたやうに、頭から着物までびしよ濡れになつてゐた。その物腰は武家の奉公でもしたものらしく、行儀よく疊に手をついてお辭儀してゐた。女はなんにも云はなかつた。また別に人を脅かすやうな擧動も見せなかつた。たゞ默つておとなしく其處《そこ》にうづくまつてゐるだけのことであつたが、それが譬《たと》へやうもないほどに物凄かつた。お道はぞつ[#「ぞつ」に傍点]として思はず衾《よぎ》の袖に獅噛《しが》み付くと、おそろしい夢は醒めた。
 これと同時に、自分と添寢をしてゐたお春も同じく怖い夢にでもおそはれたらしく、急に火の付くやうに泣き出して、「ふみが來た。ふみが來た。」と續《つづ》けて叫んだ。濡れた女は幼い娘の夢をも驚かしたらしい。お春が夢中に叫んだふみ[#「ふみ」に傍点]といふのは、おそらく彼女の名であらうと想像された。
 お道は悸《おび》えた心持で一夜を明した。武家に育つて武家に縁付いた彼女は、夢のやうな幽靈話を人に語るのを恥ぢて、その夜の出來事は夫にも祕してゐたが、濡れた女は次の夜にも又その次の夜にも彼女の枕もとに眞蒼な顔を出した。その度《たび》ごとに幼いお春も「ふみが來た」と同じく叫んだ。氣の弱いお道はもう我慢が出來なくなつたが、それでも夫に打ちあける勇氣はなかつた。
 斯ういふことが四晩もつゞいたので、お道も不安と不眠とに疲れ果てゝしまつた。恥も遠慮も考へてはゐられなくなつたので、たうとう思ひ切つて夫に訴へると、小幡は笑つてゐるばかりで取合はなかつた。しかし濡れた女はその後もお道の枕邊《まくらべ》を去らなかつた。お道がなんと云つても、夫は受付けて呉れなかつた。しまひには「武士の妻にもあるまじき」と云ふやうな意味で機嫌を惡くした。
「いくら武士でも、自分の妻が苦しんでゐるのを笑つて觀《み》てゐる法はあるまい。」
 お道は夫の冷淡な態度を恨むやうにもなつて來た。かうした苦しみがいつまでも續いたら、自分は遲かれ速かれ得體《えたい》の知れない幽靈のために責め殺されてしまふかも知れない。もう斯うなつたら娘をかゝへて一刻《いつとき》も早くこんな化物屋敷を逃げ出すよりほかはあるまいと、お道はもう夫のことも自分のことも振返つてゐる餘裕がなくなつた。
「さういふ譯でございますから、あの屋敷にはどうしてもゐられません。お察し下さい。」
 思ひ出してもぞつとすると云ふやうに、お道は此話をする間にも時々に息を嚥《の》んで身ををのゝかせてゐた。そのおどおどしてゐる眼の色がいかにも僞りを包んでゐるやうには見えないので、兄は考へさせられた。
「そんな事がまつたくあるか知らん。」
 どう考へてもそんなことが有りさうにも思はれなかつた。小幡が取合はないのも無理はないと思つた。松村も「馬鹿をいへ」と、頭から叱りつけてしまはうかとも思つたが、妹がこれほどに思ひ詰めてゐるものを唯一概に叱つて追ひやるのも何だか可哀想のやうでもあつた。殊に妹はこんなことを云ふものの、この事件の底にはまだ他になにかこみいつた事情が潜んでゐないとも限らない。いづれにしても小幡に一度逢つた上で、よくその事情を確かめてみようと決心した。
「お前の片口《かたくち》ばかりでは判らん。兎もかくも小幡に逢つて、先方の了簡を訊いてみよう、萬事はおれに任しておけ。」
 妹を自分の屋敷に殘して置いて、松村は草履取一人を連れて、すぐに西江戸川端に出向いた。

        

 小幡の屋敷へゆく途中でも松村は色々に考へた。妹はいはゆる女子供のたぐひで固《もと》より論にも及ばぬが、自分は男一匹、しかも大小をたばさむ身の上である。武士と武士との掛合ひに、眞顔になつて幽靈の講釋でもあるまい。松村彦太郎、好い年をして馬鹿な奴だと、相手に腹を見られるのも殘念である。なんとか巧い掛合の法はあるまいかと工夫《くふう》を凝らしたが、問題が、あまり單純であるだけに、横からも縦からも話の持つて行きやうがなかつた。
 西江戸川端の屋敷には主人の小幡伊織が居あはせて、すぐに座敷に通された。時候の挨拶などを終つても、松村は自分の用向を云ひ出す機會を捉へるのに苦しんだ。どうで笑はれると覺悟をして來たものの、さて相手の顔をみると何うも幽靈の話は云ひ出しにくかつた。そのうちに小幡の方から口を切つた。
「お道は今日御屋敷へ伺ひませんでしたか。」
「まゐりました。」とは云つたが、松村はやはり後の句が繼《つ》げなかつた。
「では、お話し申したか知らんが、女子供は馬鹿なもので、なにか此頃《このごろ》幽靈が出るとか申して、はゝゝゝゝ。」
 小幡は笑つてゐた。松村も仕方がないので一緒に笑つた。しかし、笑つてばかりゐては濟まない場合であるので、彼はこれを機《しほ》に思ひ切つておふみの一件を話した。話してしまつてから彼は汗を拭《ふ》いた。かうなると、小幡も笑へなくなつた。かれは困つたやうな顔を皺《しか》めて、しばらく默つてゐた。單に幽靈が出るといふだけの話ならば、馬鹿とも臆病とも叱つても笑つても濟むが、問題が斯《か》う面倒になつて兄が離縁の掛合ひめいた使に來るやうでは、小幡も眞面目になつてこの幽靈問題を取扱はなければならないことになつた。
「なにしろ一應詮議して見ませう。」と小幡は云つた。彼の意見としては、若しこの屋敷に幽靈が出る――俗にいふ化物屋敷であるならば、けふまでに誰かその不思議に出逢つたものが他にもあるべき筈である。現に自分はこの屋敷に生れて二十八年の月日を送つてゐるが、自分は勿論のこと、誰からもそんな噂すら聞いたことがない。自分が幼少のときに別れた祖父母も、八年前に死んだ父も、六年前に死んだ母も、曾《かつ》てそんな話をしたこともなかつた。それが四年前に他家から縁付いて來たお道だけに見えるといふのが第一の不思議である。たとひ何かの仔細があつて、特にお道だけに見えるとしても、こゝへ來てから四年の後に初めて姿をあらはすといふのも不思議である。併しこの場合、ほかに詮議のしやうもないから、差當つては先づ屋敷中の者どもを集めて問ひ糺《ただ》してみようと云ふのであつた。
「何分《なにぶん》お願ひ申す。」と、松村も同意した。小幡は先づ用人《ようにん》の五左衞門を呼び出して調べた。かれは今年四十一歳で譜代の家來であつた。
「先《せん》殿様の御代《おだい》から、曾《かつ》て左様な噂を承はつたことはござりませぬ。父からも何の話も聞き及びませぬ。」
 彼は即座に云ひ切つた。それから若黨《わかたう》や中間《ちゆうげん》どもを調べたが、かれらは新參の渡り者で、勿論なんにも知らなかつた。次に女中共も調べられたが、彼等は初めてそんな話を聞かされて唯|顫《ふる》へ上るばかりであつた。詮議はすべて不得要領に終つた。
「そんなら池を浚《さら》つてみろ。」と、小幡は命令した。お道の枕邊にあらはれる女が濡れてゐるといふのを手がかりに、或は池の底に何かの祕密が沈んでゐるのではないかと考へられたからであつた。小幡の屋敷には百坪ほどの古池があつた。
 あくる日は大勢の人足をあつめて、その古池の掻掘《かいぼり》をはじめた。小幡も松村も立會つて監視してゐたが、鮒や鯉のほかには何の獲物もなかつた。泥の底からは女の髪一筋も見付からなかつた。女の執念の殘つてゐさうな櫛や笄《かんざし》のたぐひも拾ひ出されなかつた。小幡の發議で更に屋敷内の井戸を浚《さら》はせたが、深い井戸の底からは赤い泥鰌《どぜう》が一匹浮び出て大勢を珍しがらせただけで、これも骨折損に終つた。
 詮議の蔓はもう切れた。
 今度は松村の發議で、忌《いや》がるお道を無理にこの屋敷へ呼び戻して、お春と一緒にいつもの部屋に寢かすことにした。松村と小幡とは次の間に隱れて夜の更けるのを待つてゐた。
 その晩は月の陰《くも》つた暖かい夜であつた。神經の興奮し切つてゐるお道は迚も安らかに眠られさうもなかつたが、なんにも知らない幼い娘はやがてすやすやと寢ついたかと思ふと、忽ち針で眼球《めだま》でも突かれたやうにけたゝましい悲鳴をあげた。さうして「ふみが來た、ふみが來た。」と、低い聲で唸つた。「そら、來た。」
 待構へてゐた二人の侍は押取刀で矢庭《やには》に襖《ふすま》をあけた。閉め込んだ部屋のなかには春の夜の生あたゝかい空氣が重く沈んで、陰つたやうな行燈の灯は瞬《またた》きもせずに母子《おやこ》の枕もとを見つめてゐた。外からは風さへ流れ込んだ氣配が見えなかつた。お道は我子を犇《ひし》と抱きしめて、枕に顔を押付けてゐた。
 現在にこの生きた證據を見せつけられて、松村も小幡も顔を見合せた。それにしても自分達の眼にも見えない闖入者《ちんにゆうしや》の名を、幼いお春がどうして知つてゐるのであらう。それが第一の疑問であつた。小幡はお春を賺《すか》して色々に問ひ糺《ただ》したが、年弱《としよは》の三つでは碌々に口もまはらないので些《ち》つとも要領を得なかつた。濡れた女はお春の小さい魂に乗|憑《うつ》つて、自分の隱れたる名を人に告げるのではないかとも思はれた。刀を持つてゐた二人もなんだか薄氣味が惡くなつて來た。
 用人の五左衞門も心配して、あくる日は市ヶ谷で有名な賣卜者《うらなひしや》をたづねた。賣卜者は屋敷の西にある大きい椿の根を掘つてみろと教へた。とりあへずその椿を掘り倒してみたが、その結果はいたづらに賣卜者の信用を墜《おと》すにすぎなかつた。
 夜はとても眠れないと云ふので、お道は晝間寢床にはひることにした。おふみも流石に晝は襲つて來なかつた。これで少しはほつとしたものの武家の妻が遊女かなんぞのやうに、夜は起きてゐて晝は寢る、かうした變則の生活状態をつゞけてゆくのは甚だ迷惑でもあり、且《かつ》は不便でもあつた。なんとかして永久にこの幽靈を追ひ攘《はら》つてしまふのでなければ、小幡一家の平和を保つことは覺束《おぼつか》ないやうに思はれた。併しこんなことが世間に洩れては家の外聞にもかゝはると云ふので、松村も勿論祕密を守つてゐた。小幡も家來どもの口を封じて置いた。それでも誰かの口から洩れたとみえて怪しからぬ噂がこの屋敷に出入りする人々の耳に囁《ささや》かれた。
「小幡の屋敷に幽靈が出る。女の幽靈が出るさうだ。」
 蔭では尾鰭《おひれ》をつけて色々の噂をするものの、武士と武士との交際では流石に面と向つて幽靈の詮議をする者もなかつたが、その中に唯一人、頗《すこぶ》る無遠慮な男があつた。それが即ち小幡の近所に住んでゐたKのをぢさんで、をぢさんは旗本の次男であつた。その噂を聽くと、すぐに小幡の屋敷に押掛けて行つて、事の實否《じつぴ》を確めた。
 をぢさんとは平生《へいぜい》から特に懇意にしてゐるので、小幡も隱さず祕密を洩らした。さうして、なんとかしてこの幽靈の眞相を探り究める工夫はあるまいかと相談した。旗本に限らず、御家人に限らず、江戸の侍の次三男などと言ふものは、概して無役《むやく》の閑人《ひまじん》であつた。長男は無論その家を嗣《つ》ぐべく生れたのであるが、次男三男に生れたものは、自分に特殊の才能があつて新規御召出しの特典を享《う》けるか、あるひは他家の養子にゆくか、この二つの場合を除いては、殆ど世に出る見込みもないのであつた。彼等《かれら》の多くは兄の屋敷の厄介になつて、大小を横へた一人前の男がなんの仕事もなしに日を暮してゐるといふ、一面から見れば頗る呑氣らしい、また一面から見れば、頗る悲惨な境遇に置かれてゐた。
 かういふ餘儀ない事情は彼等を驅つて放縦懶惰《ほうじゆうらんだ》の高等遊民たらしめるより他はなかつた。かれらの多くは道樂者であつた。退屈|凌《しの》ぎに何か事あれかしと待構へてゐる徒《やから》であつた。Kのをぢさんも不運に生れた一人で、こんな相談相手に選ばれるには屈竟《くつきやう》の人間であつた。をぢさんは無論喜んで引受けた。
 そこで、をぢさんは考へた。昔話の綱《つな》や金時《きんとき》のやうに、頼光《らいこう》の枕もとに物々しく宿直《とのゐ》を仕つるのはもう時代おくれである。先づ第一にそのおふみと云ふ女の素性を洗つて、その女とこの屋敷との間にどんな絲が繋がつてゐるかといふことを探り出さなければいけないと思ひ付いた。
「御當家の縁者、又は召使などの中に、おふみといふ女の心當りはござるまいか。」
 この問に對して、小幡は一向に心當りがないと答へた。縁者には無論ない。召使はたびたび出代りをしてゐるから一々に記憶してゐないが、近い頃にそんな名前の女を抱へたことはないと云つた。更にだんだん調べてみると、小幡の屋敷では昔から二人の女を使つてゐる。その一人は知行所の村から奉公に出て來るのが例で、ほかの一人は江戸の請宿《うけやど》から隨意に雇つてゐることが判つた。請宿は音羽《おとわ》の堺屋といふのが代々の出入りであつた。
 お道の話から考へると、幽靈はどうしても武家奉公の女らしく思はれるので、Kのをぢさんは遠い知行所を後廻しにして、先づ手近の堺屋から詮索に取りかゝらうと決心した。小幡が知らない遠い先代の頃に、おふみといふ女が奉公してゐたことが無いとも限らないと思つたからであつた。
「では、何分よろしく、併《しか》しくれぐれも隱密にな。」と、小幡は云つた。
「承知しました。」
 二人は約束して別れた。それは三月の末の晴れた日で、小幡の屋敷の八重櫻にも青い葉がもう目立つてゐた。

        

 Kのをぢさんは音羽の堺屋へ出向いて、女の奉公人の出入帳を調べた。代々の出入先であるから、堺屋から小幡の屋敷へ入れた奉公人の名前はことごとく帳面に記《しる》されてある筈であつた。
 小幡の云つた通り、最近の帳面にはおふみといふ名を見出すことが出來なかつた。三年、五年、十年とだんだんに遡つて調べたが、おふゆ、おふく、おふさ、總べてふ[#「ふ」に傍点]の字の付く女の名は一つも見えなかつた。
「それでは知行所の方から來た女かな。」
 さうは思ひながらも、をぢさんはまだ強情《がうじやう》に古い帳面を片端から繰つてみた。堺屋は今から三十年前の火事に古い帳面を燒いてしまつて、その以前の分は一冊も殘つてゐない。店にあらん限りの古い帳面を調べても三十年前が行止まりであつた。をぢさんは行止りに突きあたるまで調べ盡さうといふ息込みで、煤《すす》けた紙に殘つてゐる薄墨の筆のあとを根《こん》好く辿つて行つた。
 帳面は勿論小幡家のために特に作つてあるわけではない。堺屋出入りの諸屋敷の分は一切あつめて横綴《よことぢ》の厚い一冊に書き止めてあるのであるから、小幡といふ名を一々拾ひ出して行くだけでも其面倒は容易でなかつた。殊に長い年代に亙つてゐるのであるから筆跡も同一ではない。折釘のやうな男文字のなかに絲屑のやうな女文字もまじつてゐる。殆ど假名ばかりで小兒《こども》が書いたやうな所もある。その折釘や絲屑の混雜を丁寧に見わけてゆく中《うち》には、こつちの頭も眼も眩《くら》みさうになつて來た。
 をぢさんもそろそろ飽きて來た。面白づくで飛んだことを引受けたといふ後悔の念も萌《きざ》して來た。
「これは江戸川の若旦那。なにをお調べになるんでございます。」
 笑ひながら店先へ腰を掛けたのは四十二三の痩せぎすの男で、縞の着物に縞の羽織を着て、だれの眼にも生地《きぢ》の堅氣《かたぎ》とみえる町人風であつた。色のあさ黒い、鼻の高い、藝人か何ぞのやうに表情に富んだ眼を有つてゐるのが、彼の細長い顔の著しい特徴であつた。かれは神田の半七といふ岡つ引で、その妹は神田の明神下で常盤津の師匠をしてゐる。Kのをぢさんは時々その師匠のところへ遊びにゆくので、兄の半七とも自然懇意になつた。
 半七は岡つ引の仲間でも幅利きであつた。併《しか》しこんな稼業のものにはめづらしい正直な淡白《さつぱり》した江戸兒風の男で、御用を嵩《かさ》に着て弱い者を窘《いぢ》めるなどといふ惡い噂は曾《かつ》て聞えたことがなかつた。彼は誰に對しても親切な男であつた。
「相變らず忙しいかね。」と、をぢさんは訊いた。
「へえ、今日も御用でこゝへ鳥渡《ちよつと》まゐりました。」
 それから二つ三つ世間話をしてゐる間に、をぢさんは不圖《ふと》かんがへた。この半七ならば祕密を明かしても差支へはあるまい、いつそ何も彼も打明けて彼の智慧を借りることにしようかと思つた。
「御用で忙がしいところを氣の毒だが、少しお前に聞いて貰ひたいことがあるんだが……。」と、をぢさんは左右を見まはすと、半七は快く首肯《うなづ》いた。
「なんだか存じませんが、兎《と》もかくも伺ひませう。おい、おかみさん。二階をちよいと借りるぜ。好いかい。」
 彼は先に立つて狭い二階にあがつた。二階は六疊|一間《ひとま》で、うす暗い隅には葛籠《つづら》などが置いてあつた。をぢさんも後からつゞいてあがつて、小幡の屋敷の奇怪な出來事について詳しく話した。
「どうだらう。巧《うま》くその幽靈の正體を突き止める工夫《くふう》はあるまいか。幽靈の身許《みもと》が判つて、その法事供養でもして遣《や》れば、それでよからうと思ふんだが……。」
「まあ、さうですねえ。」と、半七は首をかしげてしばらく考へてゐた。「ねえ、旦那。幽靈はほんたうに出るんでせうか。」
「さあ。」と、をぢさんも返事に困つた。「まあ、出ると云ふんだが……。私も見た譯《わけ》ぢやない。」
 半七は又默つて煙草を喫《す》つてゐた。
「その幽靈といふのは武家の召使らしい風をして、水だらけになつてゐるんですね。早く云へば皿屋敷のお菊を何うかしたやうな形なんですね。」
「まあ、さうらしい。」
「あの御屋敷では草雙紙のやうなものを御覽になりますか。」と、半七はだしぬけに思ひも付かないことを訊いた。
「主人は嫌ひだが、奥では讀むらしい。直きこの近所の田島屋といふ貸本屋が出入りのやうだ。」
「あの御屋敷のお寺は……。」
「下谷の淨圓寺だ。」
「淨圓寺……。へえ、さうですか。」と、半七はにつこり笑つた。
「なにか心當りがあるかね。」
「小幡の奥様はお美しいんですか。」
「まあ、美《い》い女の方だらう。年は二十一だ。」
「そこで旦那。いかゞでせう。」と、半七は笑ひながら云つた。「御屋敷方の内輪《うちわ》のことに、わたくしどもが首を突つ込んぢやあ惡うございますが、いつそこれはわたくしにお任せ下さいませんか。二三日のうちに屹《きつ》と埒《らち》をあけてお目にかけます。勿論、これは貴方《あなた》とわたくしだけのことで、決して他言は致しませんから。」
 Kのをぢさんは半七を信用して萬事を頼むと云つた。半七も受合つた。しかし自分は飽までも蔭の人として働くので、表面はあなたが探索の役目を引受けてゐるのであるから、その結果を小幡の屋敷に報告する都合上、御迷惑でも明日《あした》からあなたも一緒に歩いて呉《く》れとのことであつた。どうで閑の多い身體《からだ》であるから、をぢさんも直《じ》きに承知した。商賣人の中でも、腕利きと云はれてゐる半七がこの事件をどんな風に扱ふかと、をぢさんは多大の興味を持つて明日を待つことにした。その日は半七に別れて、をぢさんは深川の某所に開かれる發句の運座《うんざ》に行つた。
 その晩は遲く歸つたので、をぢさんは明日の朝早く起きるのが辛かつた。それでも約束の時刻に約束の場所で半七に逢つた。
「けふは先づ何處へ行くんだね。」
「貸本屋から先へ始めませう。」
 二人は音羽の田島屋へ行つた。をぢさんの屋敷へも出入りをするので、貸本屋の番頭はをぢさんを能く知つてゐた。半七は番頭に逢つて、正月以來かの小幡の屋敷へどんな本を貸入れたかと訊いた。これは帳面に一々記してないので、番頭も早速の返事に困つたらしかつたが、それでも記憶のなかから繰出して二三種の讀本《よみほん》や草雙紙の名をならべた。
「そのほかに薄墨草紙といふ草雙紙を貸したことはなかつたかね。」と、半七は訊いた。
「ありました。たしか二月頃にお貸し申したやうに覺えてゐます。」
「ちよいと見せて呉れないか。」
 番頭は棚を探して二冊つゞきの草雙紙を持ち出して來た。半七は手に取つてその下の卷をあけて見てゐたが、やがて七八丁あたりのところを繰擴げて窃《そつ》とをぢさんに見せた。その※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28] 繪は武家の奥方らしい女が座敷に坐つてゐると、その縁先に腰元風の若い女がしよんぼりと俯向《うつむ》いてゐるのであつた。腰元は正《まさ》しく幽靈であつた。庭先には杜若《かきつばた》の咲いてゐる池があつて、腰元の幽靈はその池の底から浮き出したらしく、髪も着物も酷たらしく濕《ぬ》れてゐた。幽靈の顔や形は女小兒を悸《おび》えさせるほどに物凄く描いてあつた。
 をぢさんはぎよつ[#「ぎよつ」に傍点]とした。その幽靈のもの凄いのに驚くよりも、それが自分の頭のなかに描いてゐるおふみの幽靈にそつくりであるのに脅《おびや》かされた。その草雙紙を受取つてみると、外題《げだい》は新編うす墨草紙、爲永瓢長作と記してあつた。
「あなた、借りていらつしやい。面白い作ですぜ。」と、半七は例の眼で意味ありげに知らせた。をぢさんは二冊の草雙紙を懐中に入れてこゝを出た。
「わたしもその草雙紙を讀んだことがあります。きのふあなたに幽靈のお話をうかゞつた時に、ふいとそれを思ひ出したんですよ。」と、往來へ出てから半七が云つた。
「して見ると、この草雙紙の繪を見て、怖い怖いと思つたもんだから、たうたうそれを夢に見るやうになつたのかも知れない。」
「いゝえ、まだそればかりぢやありますまい。まあ、これから下谷へ行つて御覽なさい。」
 半七は先に立つて歩いた。二人は安藤坂をのぼつて、本郷から下谷の池の端へ出た。けふは朝から些《ち》つとも風のない日で、暮春の空は碧い玉を磨いたやうに晴れかゞやいてゐた。
 火の見櫓の上には鳶が眠つたやうに止まつてゐた。少し汗ばんでゐる馬を急がせてゆく、遠乘りらしい若侍の陣笠の庇《ひさし》にも、もう夏らしい日がきらきらと光つてゐた。
 小幡が菩提所の淨圓寺は可《か》なりに大きい寺であつた。門を這入《はい》ると、山吹が一ぱいに咲いてゐるのが目についた。ふたりは住職に逢つた。
 住職は四十前後で、色の白い、髯《ひげ》のあとの青い人であつた。客の一人は侍、一人は御用聞きといふので、住職も疎略には扱はなかつた。
 こゝへ來る途中で、二人は十分に打ち合わせをしてあるので、をぢさんは先づ口を切つて、小幡の屋敷には此頃怪しいことがあると云つた。奥さんの枕もとに女の幽靈が出ると話した。さうして、その幽靈を退散させるために何か加持祈祷《かぢきたう》のすべはあるまいかと相談した。
 住職は默つて聽いてゐた。
「して、それは殿様奥様のお頼みでござりまするか。又、あなた方の御相談でござりまするか。」と、住職は珠數《じゆず》を爪繰《つまぐ》りながら不安らしく訊いた。
「それは何れでもよろしい。兎《と》に角《かく》御承知下さるか、どうでせう。」
 をぢさんと半七とは鋭い瞳《ひとみ》のひかりを住職に投げ付けると、彼は蒼くなつて少しく顫《ふる》へた。
「修行《しゆぎやう》の淺い我々でござれば、果して奇特《きどく》の有る無しはお受合ひ申されぬが、兎も角も一心を凝らして得脱《とくだつ》の祈祷をつかまつると致しませう。」
「なにぶんお願ひ申す。」
 やがて時分|時《どき》だといふので、念の入つた精進料理が出た。酒も出た。住職は一杯も飮まなかつたが、二人は鱈腹に飮んで食つた。歸る時に住職は、「御駕籠でも申付けるのでござるが……。」と、云つて、紙につゝんだものを半七にそつと渡したが、彼は突戻して出て來た。
「旦那、もうこれで宜しうございませう。和尚め、顫《ふる》へてゐたやうですから。」と、半七は笑つてゐた。住職の顔色の變つたのも、自分たちに鄭重な馳走をしたのも、無言のうちに彼の降伏を十分に證明してゐた。それでもをぢさんは未《ま》だよく腑に落ちないことがあつた。
「それにしても小さい兒が何うして、ふみが來たなんて云ふんだらう。判らないね。」
「それはわたくしにも判りませんよ。」と、半七は矢張《やはり》笑つてゐた。「子供が自然にそんなことを云ふ氣遣ひはないから、いづれ誰かゞ教へたんでせうよ。唯、念のために申して置きますが、あの坊主は惡い奴で……延命院の二の舞で、これまでにも惡い噂が度々あつたんですよ。それですから、あなたとわたくしとが押掛けて行けば、こつちで何にも云はなくつても先方は脛《すね》に疵《きず》で顫《ふる》へあがるんです。かうして釘をさして置けば、もう詰らないことはしないでせう。わたくしのお役はこれで濟みました。これから先はあなたの御考へ次第で、小幡の殿様へは宜しきやうにお話しなすつて下さいまし。では、これで御免を蒙ります。」
 二人は池の端で別れた。

        

 をぢさんは歸途《かへり》に本郷の友達の家《うち》に寄ると、友達は自分の識つてゐる踊の師匠の大浚《おほさら》ひが柳橋のあるところに開かれて、これから義理に顔出しをしなければならないから、貴公も一緒に附合へと云つた。をぢさんも幾らかの目録を持つて一緒に行つた。綺麗な娘子供の大勢あつまつてゐる中で、燈火《あかり》のつく頃までわいわい騒いで、をぢさんは好い心持に酔つて歸つた。そんな譯で其日は小幡の屋敷へ探索の結果を報告にゆくことが出來なかった。
 あくる日小幡をたづねて、主人の伊織に逢つた。半七のことは何にも云はずに、をぢさんは自分ひとりで調べて來たやうな顔をして、草雙紙と坊主の一條を自慢らしく報告した。それを聽いて、小幡の顔色は見る見る蔭った。
 お道はすぐに夫の前に呼び出された。新編うす墨草紙を眼の前に突き付けられて、おまへの夢に見る幽靈の正體はこれかと嚴重に吟味された。お道は色を失つて一言もなかつた。
「聞けば淨圓寺の住職は破戒の堕落僧だといふ。貴様も彼に誑されて、なにか不埒を働いてゐるに相違あるまい。眞直に云へ。」
 夫に幾ら責められても、お道は決して不埒を働いた覺えはないと泣いて抗辯した。しかし自分にも心得違ひはある。それは重々恐れ入りますと云つて一切の祕密を夫とをぢさんとの前で白状した。
「このお正月に淨圓寺へ御參詣にまゐりますと、和尚様は別間で色々お話のあつた末に、わたくしの顔をつくづく御覽になりまして、頻りに溜息を吐《つ》いておいでになりましたが、やがて低い聲で『あゝ御運の惡い方だ。』と獨り言のやうにおつしやいました。その日はそれでお別れ申しましたが、二月に又お詣りをいたしますと、和尚様はわたくしの顔を見て、又同じやうなことを云つて溜息を吐《つ》いておいでになりますので、わたくしも何だか不安心になつてまゐりまして、『それはどうした譯でございませう。』と怖々うかゞひますと、和尚様は氣の毒さうに、『どうも貴方《あなた》は御相《ごさう》がよろしくない。御亭主を持つてゐられると、今に御命にもかゝはるやうな禍《わざはひ》が來る。出來ることならば獨身におなり遊ばすとよいが、左もないと貴方ばかりでない、お嬢様にも、おそろしい災難が落ちて來るかも知れない。』と諭《さと》すやうに仰しやいました。かう聞いて私もぞつ[#「ぞつ」に傍点]としました。自分は兎《と》もあれ、せめて娘だけでも災難を逃れる工夫《くふう》はございますまいかと押返して伺ひますと、和尚様は『お氣の毒であるが、母子《おやこ》は一體、あなたが禍を避ける工夫をしない限りは、お嬢様も所詮逃れることはできない。』と……。さう云はれた時の……わたくしの心は……御察し下さいまし。」と、お道は聲を立てゝ泣いた。
「今のお前達が聞いたら、一口に迷信とか馬鹿々々しいとか蔑《けな》してしまふだらうが、その頃の人間、殊に女などは皆《み》んなさうしたものであつたよ。」と、をぢさんはこゝで註を入れて、わたしに説明してくれた。
 それを聽いてからお道には暗い陰が絆《まつ》はつて離れなかつた。どんな禍《わざはひ》が降りかゝつて來やうとも自分だけは前世の約束とも諦めよう。しかし可愛い娘にまでまきぞへの禍《わざはひ》を着せると云ふことは、母の身として考へることさへも怖ろしかつた。あまりに痛々しかつた。お道にとつては、夫も大切に相違なかつたが、娘は更に可愛かつた。自分の命よりもいとほしかつた。第一に娘を救ひ、あはせて自分の身を全うすることは、飽きも飽かれもしない夫の家を去るよりほかにないと思つた。
 それでも彼女は幾たびか躊躇した。そのうち二月も過ぎて、娘のお春の節句が來た。小幡の家でも雛を飾つた。緋桃白桃の影をおぼろに揺《ゆる》がせる雛段の夜の灯を、お道は悲しく見つめた。來年も再來年も無事に雛祭が出來るであらうか。娘はいつまでも無事であらうか。呪はれた母と娘とは何方《どちら》が先に禍《わざはひ》を受けるのであらうか。そんな恐れと悲しみとが彼女の胸一ぱいに擴がつて、あはれなる母は今年の白酒に酔へなかつた。
 小幡の家では五日の日に雛をかたづけた。今更ではないが雛の別れは寂しかつた。その日の午《ひる》すぎにお道が貸本屋から借りた草雙紙を讀んでゐると、お春は母の膝に取附きながらその※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28] 繪を無心に覗いてゐた。草雙紙は、かの薄墨草紙で、酷《むご》い主人の手討に逢つて、杜若《かきつばた》の咲く古池に沈められたお文といふ腰元の魂が、奥方のまへに形をあらはしてその恨みを訴へるといふところで、その幽靈がもの凄く描いてあつた。稚いお春もこれには餘ほど脅《おびや》かされたらしく、その繪を指して「これ、何。」と、怖々《こはごは》訊いた。
「それは文といふ女のお化けです。お前もおとなしくしないと、庭のお池からかういふ怖《こは》いお化けが出ますよ。」
 嚇《おど》す積《つも》りでもなかつたが、お道は何心なく斯う云つて聞かせると、それがお春の神經を強く刺戟したらしく、ひきつけたやうに眞蒼になつて母の膝にひしと獅噛《しが》み付いてしまつた。
 その晩にお春はおそはれたやうに叫んだ。
「ふみが來た!」
 明くる晩もまた叫んだ。
「ふみが來た!」
 飛んだことをしたと後悔して、お道は早々に彼の草雙紙を返してしまつた。お春は三晩つゞいてお文の名を呼んだ。後悔と心配とでお道も碌々に眠られなかつた。さうして、これが彼《か》の恐ろしい禍《わざはひ》の來る前觸れではないかとも恐れられた。彼女の眼の前にもお文の姿がまぼろしのやうに現れた。
 お道もたうとう決心した。自分の信じてゐる住職の教へにしたがつて、こゝの屋敷を立退くより他はないと決心した。無心の幼兒《をさなご》がお文の名を呼びつゞけるのを利用して、かれは俄に怪談の作者となつた。その僞りの怪談を口實にして、夫の家を去らうとしたのであつた。
「馬鹿な奴め。」と、小幡は自分の前に泣き伏してゐる妻を呆れるやうに叱つた。併しこんな淺墓《あさはか》な女の巧みの底にも人の母として我子を思ふ愛の泉の潜んで流れてゐることを、Kのをぢさんも認めないわけには行かなかつた。をぢさんの取りなしで、お道はやうやうに夫の宥《ゆる》しを受けた。
「こんなことは義兄《あに》の松村にも聞かしたくない。しかし義兄の手前、屋敷中の者どもの手前、なんとかをさまりを付けなければなるまいが、何うしたものでござらう。」
 小幡から相談をうけてKのをぢさんも考へた。結局、をぢさんの菩提寺の僧を頼んで、表向きは得體《えたい》の知れないお文の魂のために追善供養を營むと云ふことにした。お春は醫師の療治をうけて夜啼をやめた。追善供養の功力《くりき》によつて、お文の幽靈も其後は形を現さなくなつたと、まことしやかに傳へられた。
 その祕密を知らない松村彦太郎は、世の中には理窟で説明のできない不思議なこともあるものだと首をかしげて、日頃自分と親しい二三の人達にひそかに話した。わたしの叔父もそれを聽いた一人であつた。
 お文の幽靈を草雙紙のなかから見つけ出した半七の鋭い眼力を、Kのをぢさんは今更のやうに感服した。淨圓寺の住職はなんの目的でお道に怖ろしい運命を豫言したか、それに就いては半七も餘り詳しい註釋を加えるのを憚つてゐるらしかつたが、それから半年の後にその住職が女犯《によぼん》の罪で寺社方の手に捕はれたのを聽いて、お道は又ぞつ[#「ぞつ」に傍点]とした。彼女は危い斷崖の上に立つてゐたのを、幸ひに半七のために救はれたのであつた。
「今もいふ通り、この祕密は小幡夫婦と私のほかには誰も知らないことだ。小幡夫婦はまだ生きてゐる。小幡は維新後に官吏となつて今は相當の地位にのぼつてゐる。わたしが今夜話したことは誰にも吹聽《ふいちやう》しない方がいゝぞ。」と、Kのをぢさんは話の終りに斯う附け加へた。
 この話の濟む頃には夜の雨もだんだんに小降りになつて、庭の八つ手の葉のざわめきも眠つたやうに鎮まつた。

 幼いわたしの頭腦《あたま》にはこの話が非常に興味あるものとして刻み込まれた。併しあとで考へるとこれ等《ら》の探偵談は半七としては朝飯前の仕事に過ぎないので、それ以上の人を衝動するやうな彼の冒險仕事はまだまだ他に澤山あつた。彼は江戸時代に於ける隱れたシヤアロツク・ホームズであつた。
 わたしが半七によく逢うやうになつたのは、それから十年の後で、恰《あたか》も日清戰争が終りを告げた頃であつた。Kのをぢさんは、もう此の世にゐなかつた。半七も七十を三つ越したとか云つてゐたが、まだ元氣の好い、不思議なくらゐに水々しいお爺さんであつた。息子に唐物商《とうぶつや》を開かせて、自分は樂隱居でぶらぶら遊んでゐた。わたしは或《ある》機會から、この半七老人と懇意になつて、赤坂の隱居所へたびたび遊びに行くやうになつた。老人はなかなか贅澤で、上等の茶を淹れて旨い菓子を食はせてくれた。
 その茶話《ちやばなし》のあひだに、わたしは彼の昔語を色々聽いた。一冊の手帳は殆ど彼の探偵物語で填《うず》められてしまつた。その中から私が最も興味を感じたものをだんだんに拾ひ出して行かうと思ふ、時代の前後を問はずに――

底本:「定本・半七捕物帳 第1巻」同光社
   1950(昭和25)年1月25日初版発行
入力:小山純一
校正:浜野智
1998年7月9日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

岡本綺堂

くろん坊 ——岡本綺堂

    

 このごろ未刊随筆百種のうちの「享和《きょうわ》雑記」を読むと、濃州《のうしゅう》徳山くろん坊の事という一項がある。何人《なんぴと》から聞き伝えたのか知らないが、その附近の地理なども相当にくわしく調べて書いてあるのを見ると、全然架空の作り事でもないらしく思われる。元来ここらには黒ん坊の伝説があるらしく、わたしの叔父もこの黒ん坊について、かつて私に話してくれたことがある。若いときに聞かされた話で、年を経るままに忘れていたのであるが、「享和雑記」を読むにつけて、古い記憶が図らずもよみがえったので、それを機会に私もすこしく「黒ん坊」の怪談を語りたい。

 江戸末期の文久二年の秋――わたしの叔父はその当時二十六歳であったが、江戸幕府の命令をうけて美濃《みの》の大垣へ出張することになった。大垣は戸田氏十万石の城下で、叔父は隠密の役目をうけたまわって [#「うけたまわって 」はママ]幕末における大垣藩の情勢を探るために遣わされたのである。隠密であるから、もちろん武士の姿で入り込むことは出来ない。叔父は小間物を売る旅商人《たびあきんど》に化けて城下へはいった。
 八月から九月にかけてひと月あまりは、無事に城下や近在を徘徊《はいかい》して、商売《あきない》のかたわらに職務上の探索に努めていたのであるが、叔父の不注意か、但しは藩中の警戒が厳重であったのか、いずれにしても彼が普通の商人でないということを睨《にら》まれたらしいので、叔父の方でも大いに警戒しなければならなくなった。その時代の習いとして、どこの藩でも隠密が入り込んだと覚《さと》れば、彼を召捕るか、殺すか、二つに一つの手段をとるに決まっているのであるから、叔父は早々に身を隠して、その危難を逃がれるのほかはなかった。
 しかし本街道をゆく時は、敵に追跡されるおそれがあるので、叔父は反対の方角にむかって、山越しに越前の国へ出ようと企てた。その途中の嶮《けわ》しいのはもちろん覚悟の上である。およそ十里ほども北へたどると、外山《とやま》村に着く。そこまでは牛馬も通うのであるが、それからは山路がいよいよ嶮しくなって、糸貫川――土地ではイツヌキという。古歌にもいつぬき川と詠まれている。享和雑記には泉除《いずのき》川として一種の伝説を添えてある。――その山川の流れにさかのぼって根尾村に着く。ここらは鮎《あゆ》が名物で、外山から西根尾まで三里のあいだに七ヵ所の簗《やな》をかけて、大きい鮎を捕るのである。根尾から大字《おおあざ》小鹿、松田、下大須《しもおおす》、上大須を過ぎ、明神山から屏風《びょうぶ》山を越えて、はじめて越前へ出るのであるが、そのあいだに上り下りの難所の多いことは言うまでもない。
 叔父は足の達者な方であったが、なんといっても江戸育ちであるから、毎日の山道に疲れ切って、道中は一向にはかどらない。もう一里ばかりで下大須へたどり着くころに、九月の十七日は暮れかかって奥山のゆう風が身にしみて来た。糸貫川とは遠く離れてしまったのであるが、路の一方には底知れぬほどの深い大きい谷がつづいていて、夕靄《ゆうもや》の奥に水の音がかすかに聞える。あたりはだんだんに暗くなる、路はいよいよ迫って来る。誤ってひと足踏み損じたら、この絶壁から真っ逆さまに投げ込まれなければならないことを思うと、かねて覚悟はしていながらも、叔父はこんな難儀の道をえらんだことを今更に後悔して、いっそ運を天にまかせて本街道をたどった方がましであったかなどとも考えるようになった。
 さりとて元へ引っ返すわけにも行かないので、疲れた足をひきずりながら、心細くも進んでゆくと、ここらは霜が早いとみえて、路ばたのすすきも半分は枯れていた。その枯れすすきのなかに何だか細い路らしいものがあるので、何ごころなく透かしてみると、そこの一面に生い茂っているすすきの奥に五、六本の橡《とち》や栗の大木に取り囲まれた小屋のようなものが低くみえた。
「ともかくも行ってみよう。」
 すすきをかき分けて踏み込んでみると、果たしてそれは一軒の人家で表の板戸はもう閉めてある。その板戸の隙間《すきま》からのぞくと、まだ三十を越えまいかと思われる一人の若い僧が仏前で経を読んでいるらしく、炉には消えかかった柴の火が弱く燃えていた。
 戸をたたいて案内を乞うと、僧は出て来た。叔父は行き暮らした旅商人であることを告げて、ちっとの間ここに休ませてくれまいかと頼むと、僧はこころよく承知して内へ招じ入れた。彼は炉の火を焚きそえて、湯を沸かして飲ませてくれた。
「この通りの山奥で、朝夕はずいぶん冷えます。それでもまだこの頃はよろしいが、十一月十二月には雪がなかなか深くなって、土地なれぬ人にはとても歩かれぬようになります。」
「雪はどのくらい積もります。」
「年によると、一|丈《じょう》も積もることがあります。」
「一丈……。」と、叔父もすこし驚かされた。まったく今頃だからいいが、冬にむかって迂濶《うかつ》にこんな山奥へ踏み込んだらば、飛んだ目に逢うところであったと、いよいよ自分の無謀を悔むような気になった。
「お前、ひもじゅうはござらぬか。」と、僧は言った。「なにしろ五穀の乏《とぼ》しい土地で、ここらでは麦を少しばかり食い、そのほかには蕎麦《そば》や木の実を食っておりますが、わたしの家には麦のたくわえはありませぬ。村の人に貰《もろ》うた蕎麦もあいにくに尽きてしまいました。木の実でよろしくば進ぜましょう。」
 彼は木の実を盆に盛って出した。それは橡《とち》の実で、そのままで食ってはすこぶるにがいが、灰汁《あく》にしばらく漬けておいて、さらにそれを清水にさらして食うのであると説明した。空腹の叔父はこころみに一つ二つを取って口に入れると、その味は甘く軽く、案外に風味のよいものであったので、これは結構と褒めた上で、遠慮なしにむさぼり食っているのを、僧はやさしい眼をして興《きょう》あるように眺めていた。
「おまえはお江戸でござりますか。」と、僧は訊《き》いた。
「さようでございます。」
「わたしもお江戸へは三度出たことがありましたが、実に繁昌の地でござりますな。」
「三度も江戸へお下りになったのでございますか。」
「はい。しばらく鎌倉におりましたので……。」と、僧はむかしを偲《しの》び顔に答えた。
「道理で、あなたのお言葉の様子がここらの人たちとは違っていると思いました。」と、叔父はうなずいた。
「そうかも知れませぬ。しかし、わたしはこの土地の生れでござります。しかもここの家で生れたのでござります。」
 彼はうつむいて、そのやさしい眼を薄くとじた。その顔には一種の暗い影を宿しているようにも見られた。叔父は又訊いた。
「では、鎌倉へは御修業にお出でなされたのでございますか。」
「わたしが十一のときに、やはり大垣から越前を越えてゆくという旅の出家が一夜の宿をかりました。その出家がわたしの顔をつくづく見て、おまえも出家になるべき相《そう》がある。いや、どうしても出家にならなければならぬ運命があらわれている。わたしと一緒に鎌倉へ行って、仏門の修業をやる気はないかと言われたのでござります。わたしはまだ子供で世間の恋しい時でもあり、かねて名を聞いている鎌倉というところへ行ってみたさに、その出家に連れて行ってもらうことにしました。親たちもまたこんな山奥に一生を送らせるよりも、京鎌倉へ出してやった方が当人の行く末のためでもあろう。たとい氏素姓《うじすじょう》のない者でも、修業次第であっぱれな名僧智識にならぬとも限らぬと、そんな心から承知してわたしを手離すことになったのでした。あとで知ったのですが、その出家は鎌倉でも五山《ござん》の一つという名高い寺のお住持で、京登りをした帰り路に、山越えをして北陸道を下らるる途中であったのです。お師匠さま――わたしはそのあくる日からお弟子になったのです――は私をつれて、越前から加賀、能登、越中、越後を経て、上州路からお江戸へ出まして……。いや、こんなことはくだくだしく申上げるまでもありませぬ。わたしはその時に初めてお江戸を見物しまして、七日あまり逗留の後に鎌倉へ帰り着きました。それからその寺で足掛け十六年、わたしが二十六の年まで修業を積みまして、生来|鈍根《どんこん》の人間もまず一人並の出家になり済ましたのでござります。」
 生来鈍根と卑下しているが、彼の人柄といい物の言い振りといい、決して愚かな人物とはみえない。しかも鎌倉の名刹《めいさつ》で十六年の修業を積みながら、たとい故郷とはいえ、若い身空でこんな山奥に引籠っているのは、何かの子細《しさい》がなくてはならないと叔父は想像した。
「それで、唯今ではここにお住居でございますか。再び鎌倉へお戻りにならないのでございますか。」
「当分は戻られますまい。」と、僧は答えた。「ここへ帰って来て丸三年になります。これから三年、五年、十年……。あるいは一生……。鎌倉はおろか、他国の土を踏むことも出来ぬかも知れませぬ。」
「御両親は……。」と、叔父は訊いた。
「父も母もこの世にはおりませぬ。ほかに一人の妹がありましたが、これも世を去りました。」
 と、僧は暗然として仏壇をみかえった。
「どなたもお留守のあいだに、お亡くなりになったのでございますか。」
「そうでござります。」と、僧は低い溜息をついた。「妹はわたしの二十四の年に歿しました。その翌年に母が亡くなりました。又その翌年に父が死にました。」
「三年つづいて……。」と、叔父も思わず眉をよせた。
「はい、三年のうちに両親と妹がつづいて世を去ったのでござります。なにしろこんな辺鄙《へんぴ》なところですから、鎌倉への交通などは容易に出来るものではなく、父からは何の便りもありませんので、妹のことも母の事もわたしはちっとも知らずにおりました。それでも父の死んだ時には村の人々から知らせてくれましたので、おどろいで早々に帰ってみますと、母も妹も、もうとうに死んでいるということが初めて判りました。わたしはいよいよ驚きました。」
「ごもっともで……。お察し申します。」と、叔父も同情するようにうなずいた。「それから引きつづいてここにおいでになるのでございますか。」
「両親はなし、妹はなし、こんなあばら家一軒、捨てて行っても惜しいことはないのですが……。ある物に引留められて、どうしてもここを立去ることが出来なくなりました。唯今も申す通り、三年、五年、十年……。あるいは一生でも……。その役目を果たさぬうちは、ここを動くことが出来なくなったのでござります。」
 ある物に引留められて――その謎のような言葉の意味が叔父には判らなかった。あるいは両親や妹の墓を守るという事かとも思ったが、それならば当分といい、又は三年五年などという筈《はず》もあるまい。寂父はただ黙って聞いていると、僧もその以上の説明をつけ加えなかった。

     

 叔父はその晩、そこに泊めてもらうことになった。初めにそれを言い出したときに、僧は迷惑そうな顔をして断わった。
「これから下大須までは一里余りで、そこまで行けば十五、六軒の人家もあります。旅の人のひとりや二人を泊めてくれるに不自由のない家もあります。お疲れでもあろうが、辛抱してそこまでお出でなされたがよろしゅうござります。」
 しかし叔父は疲れ切っていた。殊に平地でもあることか、この嶮しい山坂をこれから一里あまりも登り降りするのは全く難儀であるので、叔父はその事情を訴えて、どんな隅でもいいから今夜だけはここの家根の下においてくれと頼んだ。
「何分にも土地不案内の夜道でございますから、ひと足踏みはずしたら、深い谷底へ真っ逆さまに転《ころ》げ落ちるかも知れません。わたくしをお助け下さると思召《おぼしめ》して、どうぞ今夜だけは……。」と、叔父は繰返して言った。
 深い谷底――その一句をきいたときに、僧の顔色は又曇った。彼はうつむいて少し思案しているようであったが、やがてしずかに言い出した。
「それほどに言われるものを無慈悲にお断わり申すわけには参りますまい。勿論、夜の物も満足に整うてはおりませぬが、それさえ御承知ならばお泊め申しましょう。」
「ありがとうございます。」と、叔父はほっ[#「ほっ」に傍点]として頭を下げた。
「それからもう一つ御承知をねがっておきたいのは、たとい夜なかに何事があっても、かならずお気にかけられぬように……。しかし熊や狼のたぐいはめったに人家へ襲って来るようなことはありませぬから、それは決して御心配なく……。」
 叔父は承知して泊ることになった。寝るときに僧は雨戸をあけて表をうかがった。今夜は真っ暗で星ひとつ見えないと言った。こうした山奥にはありがちの風の音さえもきこえない夜で、ただ折りおりにきこえるのは、谷底に遠くむせぶ水の音と、名も知れない夜の鳥の怪しく啼き叫ぶ声が木霊《こだま》してひびくのみであった。更けるにつれて、霜をおびたような夜の寒さが身にしみて来た。
「おまえはお疲れであろう、早くお休みなさい。」
 叔父には寝道具を出してくれて、僧はふたたび仏壇の前に向き直った。彼は低い声で経を読んでいるらしかった。叔父はふだんでもよく眠る方である。殊に今夜はひどく疲れているのであるが、なんだか眼がさえて寝つかれなかった。あるじの僧に悪気《わるぎ》のないのは判っている上に、熊や狼の獣《けもの》もめったに襲って来ないという。それでも叔父の胸の奥には言い知れない不安が忍んでいるのであった。
 僧はある物に引留められて、ここに一生を送るかも知れないと言った。その「ある物」の意味を彼は考えさせられた。僧は又たとい何事があっても気にかけるなと言った。その「何事」の意味も彼は又かんがえた。所詮《しょせん》はこの二つが彼に一種の不安をあたえ、また一種の好奇心をそそって、今夜を安々と眠らせないのである。
 前者は僧の一身上に関することで、自分に係合いはないのであるが、後者は自分にも何かの係合いがあるらしい。それなればこそ僧も一応は念を押して、自分に注意をあたえてくれたのであろう。山奥や野中の一軒家などに宿りを求めて、種々の怪異に出逢ったというような話は、昔からしばしば伝えられているが、ここにも何かそんな秘密がひそんでいるのではあるまいか。
 そう思えば、あるじの僧は見るところ柔和《にゅうわ》で賢《さか》しげであるが、その青ざめた顔になんとなく一種の暗い影をおびているようにも見られる。自分が一宿《いっしゅく》を頼んだときにも、彼は初めの親切にひきかえてすこぶる迷惑そうな顔をみせた。それにも何かの子細がありそうである。叔父は眠った振りをしながら、時どきに薄く眼をあいてうかがうと、僧はほとんど身動きもしないように正しく坐って、一心に読経を続けているらしかった。炉の火はだんだんに消えて、暗い家のなかにかすかに揺れているのは仏前の燈火《あかし》ばかりである。
 時の鐘など聞えないので、今が何どきであるか判らないが、もう真夜中であろうかと思われる頃に、僧はにわかに立上がって、叔父の寝息を窺《うかが》うようにちょっと覗《のぞ》いて、やがて音のせぬように雨戸をそっと開けたらしい。叔父は表をうしろにして寝ていたので、その挙動を確かに見届けることは出来なかったが、彼は藁草履《わらぞうり》の音を忍ばせて、表へぬけ出して行くように思われた。風のない夜ではあるが、彼が雨戸をあけて又しめるあいだに、山気《さんき》というか、夜気というか、一種の寒い空気がたちまち水のように流れ込んで、叔父の掛け蒲団の上をひやりと撫《な》でて行ったかと思う間もなく、仏前の燈火は吹き消されたように暗くなってしまった。
 掛け蒲団を押しのけて、叔父もそっと這《は》い起きた。手探りながらに雨戸をほそ目にあけて窺うと、表は山霧に包まれたような一面の深い闇である。僧はすすきをかき分けて行くらしく、そのからだに触れるような葉摺れの音が時どきにかさかさと聞えた。と思う時、さらに一種異様の声が叔父の耳にひびいた。何物かが笑うような声である。
 何とはなしにぞっ[#「ぞっ」に傍点]として、叔父はなおも耳をすましていると、それはどうしても笑うような声である。しかも生きた人間の声ではない。さりとて猿などの声でもないらしい。何か乾いた物と堅い物とが打合っているように、あるいはかちかち[#「かちかち」に傍点]と響き、あるいはからから[#「からから」に傍点]とも響くらしいが、又あるときには何物かが笑っているようにも聞えるのである。その笑い声――もしそれが笑い声であるとすれば、決して愉快や満足の笑い声ではない。冷笑とか嘲笑とかいうたぐいの忌《いや》な笑い声である。いかにも冷たいような、うす気味の悪い笑い声である。その声はさのみ高くもないのであるが、深夜の山中、あたりが物凄いほど寂寞《せきばく》としているので、その声が耳に近づいてからから[#「からから」に傍点]と聞えるのである。それをじっと聞いているうちに、肉も血もおのずと凍るように感じられて、骨の髄までが寒くなって来たので、叔父は引っ返して蒲団の上に坐った。
 僧が注意したのはこれであろう。僧はこの声を他人に聞かせたくなかったのであろうと、叔父は推量した。この声は一体なんであるか。僧はこの声に誘われて、表へ出て行ったらしく思われるが、この声と、かの僧とのあいだにどういう関係がつながっているのか、叔父には容易に想像がつかなかった。自分ばかりでなく、誰にもおそらく想像はつくまいと思われた。そんなことを考えている間にも、怪しい声はあるいは止み、あるいは聞えた。
「おれも武士だ。なにが怖い。」
 いっそ思い切ってその正体を突き留めようと、叔父は蒲団の下に入れてある護身用の匕首《あいくち》をさぐり出して、身づくろいして立ちかけたが、又すこし躇躊《ちゅうちょ》した。前にもいう通り、この声と、かの僧との関係がはっきりしない以上、みだりに邪魔に出てよいか悪いか。自分が突然飛び出して行ったがために、僧が何かの迷惑を感じるようでも気の毒である。僧もそれを懸念《けねん》して、あらかじめ自分に注意したらしいのであるから、自分も騒がず、人をも驚かさず、何事も知らぬ顔をして過すのが、一夜の恩に報いるゆえんではあるまいか。こう思い直して叔父はまた坐った。
 僧はどこへ行って何をしているのか、いつまでも戻らなかった。怪しい声も時どきに聞えた。どう考えても、何かの怪物が歯をむき出して嘲《あざけ》り笑っているような、気味の悪い声である。もしや空耳《そらみみ》ではないかと、叔父は自分の臆病を叱りながら幾たびか耳を引っ立てたが、聞けば聞くほど一種の鬼気《きき》が人を襲うように感じられて、しまいには聞くに堪えられないように恐ろしくなって来た。
「ええ、どうでも勝手にしろ。」
 叔父は自棄《やけ》半分に度胸を据えて、ふたたび横になった。以前のように表をうしろにして、左の耳を木枕に当て、右の耳の上まで蒲団を引っかぶって、なるべくその声を聞かないように寝ころんでいると、さすがに一日の疲れが出て、いつかうとうとと眠ったかと思うと、このごろの長い夜ももう明けかかって、戸の隙間から暁のひかりが薄白く洩れていた。
 僧は起きていた。あるいは朝まで眠らなかったのかも知れない。いつの間にか水を汲んで来て、湯を沸かす支度などをしていた。炉にも赤い火が燃えていた。
「お早うございます。つい寝すごしまして……。」と、叔父は挨拶した。
「いや、まだ早うございます。ゆるゆるとおやすみなさい。」と、僧は笑いながら会釈《えしゃく》した。気のせいか、その顔色はゆうべよりも更に蒼ざめて、やさしい目の底に鋭いような光りがみえた。
 家のうしろに筧《かけい》があると教えられて、叔父は顔を洗いに出た。ゆうべの声は表の方角にきこえたらしいので、すすきのあいだから伸びあがると、狭い山道のむこうは深い谷で、その谷を隔てた山々はまだ消えやらない靄《もや》のうちに隠されていた。教えられた通りに裏手へまわって、顔を洗って戻って来ると、僧は寝道具のたぐいを片付けて、炉のそばに客の座を設けて置いてくれた。叔父はけさも橡の実を食って湯を飲んだ。
「いろいろ御厄介になりました。」
「この通りの始末で、なんにもお構い申しませぬ。ゆうべはよく眠られましたか。」と、僧は炉の火を焚き添えながら訊いた。
「疲れ切っておりましたので、枕に頭をつけたが最後、朝までなんにも知らずに寝入ってしまいました。」と、叔父は何げなく笑いながら答えた。
「それはよろしゅうござりました。」と、僧も何げなく笑っていた。
 そのあいだにも叔父は絶えず注意していたが、怪しい笑い声などはどこからも聞えなかった。

     

 一宿《いっしゅく》の礼をあつく述べて叔父は草鞋《わらじ》の緒をむすぶと、僧はすすきを掻きわけて、道のあるところまで送って来た。そのころには夜もすっかり明け放れていたので、叔父は再び注意してあたりを見まわすと、道の一方につづいている谷は、きのうの夕方に見たよりも更に大きく深かった。岸は文字通りの断崖絶壁で、とても降《くだ》るべき足がかりもないが、その絶壁の中途からはいろいろの大木が斜めに突き出して、底の見えないように枝や葉を繁らせていた。
 別れて十間ばかり行き過ぎて振り返ると、僧は朝霜の乾かない土の上にひざまずいて、谷にむかって合掌しているらしかった。怪しい笑い声は谷の方から聞えたのであろうと叔父は想像した。
 下大須まで一里あまりということであったが、実際は一里半を越えているように思われた。登り降りの難所を幾たびか過ぎて、ようようにそこまで行き着くと、果たして十五、六軒の人家が一部落をなしていて、中には相当の大家内《おおやない》らしい住居も見えた。時刻がまだ早いとは思ったが、上大須まで一気にたどるわけにはいかないので、叔父はそのうちの大きそうな家に立寄って休ませてもらうと、ここらの純朴な人たちは見識らない旅人をいたわって、隔意《かくい》なしにもてなしてくれた。近所の人々もめずらしそうに寄り集まって来た。
「ゆうべはどこにお泊りなされた。松田からでは少し早いようだが……。」と、そのうちの老人が訊いた。
「ここから一里半ほども手前に一軒家がありまして、そこに泊めてもらいました。」
「坊さまひとりで住んでいる家《うち》か。」
 人々は顔をみあわせた。
「あの御出家はどういう人ですね。以前は鎌倉のお寺で修業したというお話でしたが……。」
 と、叔父も人々の顔を見まわしながら訊いた。
「鎌倉の大きいお寺で十六年も修業して、相当の一ヵ寺の住職にもなられるほどの人が、こんな山奥に引っ込んでしまって……。考えれば、お気の毒なことだ。」と、老人は心から同情するように溜息をついた。「これも何かの因縁というのだろうな。」
 ゆうべの疑いが叔父の胸にわだかまっていたので、彼は探るように言い出した。
「御出家はまことにいい人で、いろいろ御親切に世話をしてくださいましたが、ただ困ったことには、気味の悪い声が夜通しきこえるので……。」
「ああ、おまえもそれを聞きなすったか。」と、老人はまた嘆息した。
「あの声は、……。あの忌《いや》な声はいったいなんですね。」
「まったく忌《いや》な声だ。あの声のために親子三人が命を取られたのだからな。」
「では、両親も妹もあの声のために死んだのですか。」と、叔父は思わず目をかがやかした。
「妹のことも知っていなさるのか。では、坊さまは何もかも話したかな。」
「いいえ、ほかにはなんにも話しませんでしたが……。してみると、あの声には何か深い訳があるのですね。」
「まあ、まあ、そうだ。」
「そこで、その訳というのは……。」と、叔父は畳みかけて訊いた。
「さあ。そんなことをむやみに言っていいか悪いか。どうしたものだろうな。」
 老人は相談するように周囲の人々をみかえった。
 人々も目を見合せて返答に躊躇しているらしかったが、叔父が繰返してせがむので、結局この人はすでにあの声を聞いたのであるから、その疑いを解くために話して聞かせてもよかろうということになって、老人は南向きの縁に腰をかけると、女たちは聞くを厭《いと》うように立去ってしまって、男ばかりがあとに残った。
「お前はここらに黒ん坊という物の棲んでいることを知っているかな。」と、老人は言った。
「知りません。」
「その黒ん坊が話の種だ。」
 老人はしずかに話し始めた。
 ここらの山奥には昔から黒ん坊というものが棲んでいる。それは人でもなく、猿でもなく、からだに薄黒い毛が一面に生えているので、俗に黒ん坊と呼び慣わしているのであって、まずは人間と猿との合の子ともいうべき怪物である。しかもこの怪物は人間に対して危害を加えたという噂を聞かない。ただ時どきに山中の杣《そま》小屋などへ姿をあらわして、弁当の食い残りなどを貰って行くのである。時には人家のあるところへも出て来て、何かの食いものを貰って行くこともある。別に悪い事をするというわけでもないので、ここらの山家《やまが》の人々は馴れて怪しまず、彼がのそりとはいって来る姿をみれば、「それ、黒ん坊が来たぞ。」と言って、なにかの食い物を与えることにしている。ただし食い物をあたえる代りに、彼にも相当の仕事をさせるのであった。
 黒ん坊は深山《みやま》に生長しているので、嶮岨《けんそ》の道を越えるのは平気である。身も軽く、力も強く、重い物などを運ばせるには最も適当であるので、土地の人々は彼に食いものを与えて、何かの運搬の手伝いをさせるのであるが、彼は素直によく働く。もちろん、人間の言葉を話すことは出来ないのであるが、こちらが手真似をして言い聞かせれば、大抵のことは呑み込んで指図通りに働くのである。ある地方では山男といい、ある地方では山猿という、いずれも同じたぐいであろう。
 その黒ん坊と特別に親《した》しくしていたのは、杣《そま》の源兵衛という男であった。源兵衛は女房お兼とのあいだに、源蔵とお杉という子供を持っていて、松田から下大須へ通う途中のやや平らなところに一つ家を構えていた。それは叔父がゆうべの宿である。源兵衛は仕事の都合で山奥にも杣《そま》小屋を作っていると、その小屋へかの黒ん坊が姿をあらわして、食いものをもらい、仕事の手伝いをする時には源兵衛の家へもたずねて来ることもあって、家内の人々とも親しくなった。総領の源蔵は鎌倉へ修業に出てしまったので、男手の少ない源兵衛の家ではこの黒ん坊を重宝《ちょうほう》がって、ほとんど普通の人間のように取扱っていた。黒ん坊も馴れてよく働いた。
 こうして幾年かを無事に送っているうちに、源兵衛はあるとき彼にむかって、冗談半分に言った。
「源蔵は鎌倉へ行ってしまって、もうここへは戻って来ないだろう。娘が年頃になったらば、おまえを婿にしてやるから、そのつもりで働いてくれ。」
 女房も娘も一緒になって笑った。お杉はそのとき十四の小娘であった。その以来、黒ん坊は毎日かかさずに杣小屋へも来る。源兵衛の家へも来る。小屋へ来れば材木の運搬を手伝い、家に来れば水汲みや柴刈りや掃除の手伝いをするというふうで、彼は実によく働くのであった。ここらは雪が深いので、今まで冬期にはめったに姿を見せないのであったが、その後はどんな烈しい吹雪の日でも、彼はかならず尋ねて来て何かの仕事を手伝っていた。
 ここらは山国で水の清らかなせいであろう、すべての人が色白で肌目《きめ》が美しい。そのなかでもお杉は目立つような雪の肌を持っているのが、年頃になるにつれて諸人の注意をひいた。親たちもそれを自慢していると、お杉が十七の春に縁談を持ち込む者があって、松田の村から婿をもらうことになった。婿はここらでも旧家と呼ばれる家の次男で、家柄も身代も格外に相違するのであるが、お杉の容貌《きりょう》を望んで婿に来たいというのである。もちろん相当の金や畑地も持参するという条件付きであるから、源兵衛夫婦は喜んで承知した。お杉にも異存はなかった。
 こうして、結納の取交しも済んだ三月なかばの或る日の夕暮れである。春といっても、ここらにはまだ雪が残っている。その寒い夕風に吹かれながら、お杉は裏手の筧《かけい》の水を汲んでいると、突然にかの黒ん坊があらわれた。彼は無言でお杉の手をひいて行こうとするのであった。
「あれ、なにをするんだよ。」と、お杉はその手を振り払った。
 多年馴れているので、彼女《かれ》は別にこの怪物を恐れてもいなかったが、きょうはその様子がふだんと変っているのに気がついた。彼は一種兇暴の相《そう》をあらわして、その目は野獣の本性を露出したように凄まじく輝いていた。それでもお杉はまだ深く彼を恐れようともしないで、そのままに自分の仕事をつづけようとすると、黒ん坊は猛然として飛びかかった。彼はお杉の腰を引っかかえて、どこへか攫《さら》って行こうとするらしいので、かれも初めて驚いて叫んだ。
「あれ、お父《とっ》さん、おっ母さん……。早く来てください。」
 その声を聞きつけて、源兵衛夫婦は内から飛んで出た。見るとこの始末で、黒ん坊はほの暗い夕闇のうちに火のような目をひからせながら、無理無体に娘を引っかかえて行こうとする。お杉は栗の大木にしがみ付いて離れまいとする。たがいに必死となって争っているのであった。
「こん畜生……。」
 源兵衛はすぐに内へ引っ返して、土間にある大きい斧《おの》を持ち出して来たかと思うと、これも野獣のように跳《おど》り狂って、黒ん坊の前に立ちふさがった。まっこうを狙って撃ちおろした斧は外《そ》れて、相手の左の頸《くび》筋から胸へかけて斜めにざくりと打ち割ったので、彼は奇怪な悲鳴をあげながら娘をかかえたままで倒れた。それでもまだ娘を放そうとはしないので、源兵衛は踏み込んで又打つと、怪物の左の手は二の腕から斬り落された。お杉はようよう振り放して逃げかかると、彼は這いまわりながら又追おうとするので、源兵衛も焦《じ》れてあせって滅多《めった》打ちに打ちつづけると、かれは更に腕を斬られ、足を打落されて、ただものすごい末期《まつご》の唸《うな》り声を上げるばかりであった。
「これだから畜生は油断がならねえ。」と、源兵衛は息をはずませながら罵《ののし》った。
「お杉をさらって行って、どうするつもりなんだろうねえ。」と、お兼は不思議そうに言った。
 その一|刹那《せつな》に謎は解けた。
 黒ん坊が娘を奪って行こうとするのは、あながちに不思議とはいえないのである。夫婦はだまって顔をみあわせた。
「おっ母さん。怖いねえ。」と、お杉は母に取りすがってふるえ出した。
 あたかもそこへ杣仲間が二人来あわせたので、源兵衛はかれらに手伝ってもらって、黒ん坊の始末をすることになった。
 彼はまだ死に切れずに唸っているので、源兵衛は研《と》ぎすました山刀を持って来てその喉笛を刺し、胸を突き透した。こうして息の絶えたのを見とどけて、三人は怪物の死骸を表へ引摺り出した。
「谷へほうり込んでしまえ。」
 前には何十丈の深い谷があるので、死骸はそこへ投げ込まれてしまった。二人が帰ったあとで、女房は小声で言った。
「おまえさんがつまらない冗談をいったから悪いんだよ。」
 源兵衛はなんにも答えなかった。

     

 あくる朝、源兵衛は谷のほとりへ行ってみると、黒ん坊の死骸は目の下にかかっていた。二丈余りの下には松の大木が枝を突き出していた。死骸はあたかもその上に投げ落されたのである。勿論、谷底へ投げ込むつもりであったが、ゆう闇のために見当がちがって、死骸は中途にかかっていることを今朝になって発見したのである。二丈あまりではあるが、そこは足がかりもない断崖で、下は目もくらむほどの深い谷であるから、その死骸には手を着けることが出来なかった。
「畜生……。」と、源兵衛は舌打ちした。お兼もお杉も覗きに来て、互いにいやな顔をしていた。
 それはまずそれとして、さらにこの一家の心を暗くしたのは、かの縁談の一条であった。黒ん坊のことが杣仲間の口から世間にひろまると、婿の方では二の足を蹈《ふ》むようになった。源兵衛が黒ん坊にむかって冗談の約束をしたことなどは誰も知らないのであるが、なにしろ黒ん坊のような怪物に魅《みこ》まれた女と同棲するのは不安であった。その執念がどんな祟《たた》りをなさないとも限らない。又その同類に付け狙われて、どんな仕返しをされないとも限らない。婿自身ばかりでなく、その両親や親類たちも同じような不安にとらわれて、結納までも済ませた婚礼を何のかのと言い延ばしているうちに、黒ん坊の噂はそれからそれへと伝わったので、婿の家でもいよいよ忌気《いやき》がさして、その年の盂蘭盆《うらぼん》前に断然破談ということになってしまった。
 さてその黒ん坊の死骸はどうなったかというと、むろん日を経るにしたがって、その肉は腐れただれて行った。毛の生えている皮膚も他の獣《けもの》の皮とは違っているとみえて、鴉《からす》や他の鳥類についばまれた跡が次第に破れて腐れて、今はほとんど骨ばかりとなった。その骸骨も風にあおられ、雨に打たれて、ばらばらにくずれ落ちてしまったが、ただひとつ残っているのはその首の骨である。不思議といおうか、偶然といおうか、さきに木の上に投げ落されたときに、その片目を大きい枝の折れて尖っているところに貫かれたので、そればかりは骨となっても元のところにかかっているのであった。
 自分の家の前であるから、その死骸の成行きは源兵衛も朝晩にながめていた。女房や娘は毎日のぞきに行った。そうして、死骸のだんだん消えてゆくのを安心したように眺めていたが、最後の髑髏《どくろ》のみはどうしても消え失せそうもないのを見て、またなんだか忌な心持になった。何とかしてそれを打落そうとして、源兵衛は幾たびか石を投げたり枝を投げたりしたが、不思議に一度も当らないので、とうとう根《こん》負けがしてやめてしまった。婿の家からいよいよ正式に破談の通知があった夜に、その髑髏はさながら嘲り笑うようにからからと鳴った。
 今までは不安ながらも一縷《いちる》の望みをつないでいたのであるが、その縁談がいよいよ破裂と定まって源兵衛夫婦の失望はいうまでもなかった。お杉は一日泣いていた。その夜、髑髏が笑い出すと共に、お杉も家をぬけ出した。そのうしろ姿を見つけて母が追って出る間もなく、若い娘は深い谷底へ飛び込んでしまって、その亡骸《なきがら》を引揚げるすべさえもないのであった。
 その以来、木の枝にかかっている髑髏は夜ごとにからから[#「からから」に傍点]と笑うのである。笑うのではない、乾いた髑髏が山風に煽《あお》られて木の枝を打つのであると源兵衛は説明したが、女房は承知しなかった。髑髏が我れわれの不幸を嘲り笑うのであると、かれは一途《いちず》に信じていた。黒ん坊の髑髏が何かの祟りでもするかのように、土地の人たちも言い囃《はや》した。
 実際、髑髏はその秋から冬にかけて、さらに来年の春かち夏にかけて、夜ごとに怪しい笑い声をつづけていた。それに悩まされて、お兼はおちおち眠られなかった。不眠と不安とが長くつづいて、かれは半気違いのようになってしまったので、源兵衛も内々注意していると、七月の盂蘭盆前、あたかもお杉が一周忌の当日に、かれは激しく狂い出した。
「黒ん坊。娘のかたきを取ってやるから、覚えていろ。」
 お兼は大きい斧を持って表へ飛び出した。それはさきに源兵衛が黒ん坊を虐殺した斧であった。
「まあ、待て。どこへ行く。」
 源兵衛はおどろいて引留めようとすると、お兼は鬼女のように哮《たけ》って、自分の夫に打ってかかった。
「この黒ん坊め。」
 大きい斧を真っこうに振りかざして来たので、源兵衛もうろたえて逃げまわった。
 その隙をみて、かれは斧をかかえたままで、身を逆さまに谷底へ跳り込んだ。半狂乱の母は哀れなる娘のあとを追ったのである。
 こうして、この一つ家には父ひとりが取残された。
 しかし源兵衛は生れ付き剛気の男であった。打ちつづく不幸は彼に対する大打撃であったには相違ないが、それでも表面は変ることもなしに、今まで通りの仕事をつづけていた。この山奥に住む黒ん坊はただ一匹に限られたわけでもないのであるが、その一匹が源兵衛の斧に屠《ほふ》られて以来、すべてその影を見せなくなって、かれらの形見は木の枝にかかる髑髏一つとなった。その髑髏は源兵衛一家のほろび行く運命を嘲るように、夜毎にからから[#「からから」に傍点]という音を立てていた。
「ええ、泣くとも笑うとも勝手にしろ。」と、源兵衛はもう相手にもならなかった。
 その翌年の盂蘭盆前である。きょうは娘の三回忌、女房の一周忌に相当するので、源兵衛は下大須にあるただ一軒の寺へ墓参にゆくと、その帰り道で彼は三人の杣仲間と一人の村人に出会った。
「おお、いいところで逢った。おれの家までみんな来てくれ。」
 源兵衛は四人を連れて帰って、かねて用意してあったらしい太い藤蔓《ふじづる》を取出した。
「おれはこの蔓を腰に巻き付けるから、お前たちは上から吊りおろしてくれ。」
「どこへ降りるのだ。」
「谷へ降りて、あの骸骨めを叩き落してしまうのだ。」
「あぶないから止せよ。木の枝が折れたら大変だぞ。」
「なに、大丈夫だ。女房の仇、娘のかたきだ。あの骸骨をあのままにして置く事はならねえ。」
 何分にも屏風のように切っ立ての崖であるから、目の下にみえながら降りることが出来ない。源兵衛は自分のからだを藤蔓でくくり付けて、二丈ほどの下にある大木の幹に吊りおろされ、それから枝を伝って行って、かの髑髏を叩き落そうというのである。こうした危険な離れわざには、みな相当に馴れているのではあるが、底の知れない谷の上であるだけに、どの人もみな危ぶまずにはいられなかった。
 源兵衛も今まではさすがに躊躇していたのであるが、きょうはなんと思ったか、遮二無二《しゃにむに》その冒険を実行しようと主張して、とうとう自分のからだに藤蔓を巻いた。四人は太い蔓の端から端まで吟味して、間違いのないことを確かめた上で、岸から彼を吊り降ろすことになった。
 薄く曇った日の午《ひる》過ぎで、そこらの草の葉を吹き分ける風はもう初秋の涼しさを送っていた。髑髏も昼は黙っているのである。
 その髑髏のかかっている大木の上へ吊りおろされた源兵衛のからだは、もう四、五尺で幹に届くかと思うとき、太い蔓はたちまちにぶつりと切れて、木の上にどさりと落ちかかった。上の人々はあっ[#「あっ」に傍点]と叫んで見おろすと、彼は落ちると同時に一つの枝に取付いたのである。しかもそれが比較的に細い枝であったので、彼が取付く途端に強くたわんで、そのからだは宙にぶら下がってしまった。
「源兵衛、しっかりしろ。その手を放すな。」と、四人は口々に叫んだ。
 しかし、どうして彼を救いあげようという手だてもなかった。この場合、畚《ふご》をおろすよりほかに方法はなさそうであったが、その畚も近所には見当らないので、四人はいたずらに上から声をかけて彼に力を添えるにすぎなかった。
 源兵衛は両手を枝にかけたままで、奴凧《やっこだこ》のように宙にゆらめいているのである。その隣りの枝にはかの髑髏がかかっているので、源兵衛の枝がゆれるに誘われて、その枝もおのずと揺れると、黄いろい髑髏はからから[#「からから」に傍点]と笑った。
 細い枝は源兵衛の体量をささえかねて、次第に折れそうにたわんでゆくので、上で見ている人々は手に汗を握った。源兵衛の額にも脂汗が流れた。彼は目をとじ歯を食いしばって、一生懸命にぶら下がっているばかりで、何とも声を出すことも出来なかった。こうなっては、枝が折れるか、彼の力が尽きるか、自然の運命に任せるのほかはない。上からは無益《むやく》に藤蔓を投げてみたが、彼はそれに取りすがることも出来ないのであった。
 そのうちに枝は中途から折れた。残った枝の強くはねかえる勢いで、となりの枝も強く揺れて、髑髏はからからからから[#「からからからから」に傍点]と続けて高く笑った。源兵衛のすがたは谷底の靄にかくれて見えなくなった。上の四人は息を呑んで突っ立っていた。

 源兵衛の一家はこうして全く亡び尽くした。娘の死んだとき、女房の死んだとき、源兵衛はそれを鎌倉へ通知してやらなかったらしいが、こうして一家が全滅してしまった以上、無沙汰にして置くのはよろしくあるまいというので、村の人々から初めて鎌倉へ知らせてやると、せがれの源蔵は早々に戻って来た。
 源蔵も今は源光《げんこう》といって、立派な僧侶となっているのであった。棄恩入無為《きおんじゅむい》といいながら、源光はおのが身の修業にのみ魂を打込んで、一度も故郷へ帰らなかったことを深く悔んだ。
「あの髑髏がおのずと朽ちて落ちるまでは、決してここを離れませぬ。」と、彼は誓った。
 両親や妹の菩提《ぼだい》を弔うだけならば、必ずしもここに留まるにも及ばないが、悲しむべく怖るべきはかの髑髏である。
 如是畜生発菩提心《にょぜちくしょうほつぼだいしん》の善果をみるまでは、自分はここを去るまいと決心して、彼はこの空家に蹈みとどまることにした。そうして、丸三年の今日まで読経《どきょう》に余念もないのであるが、髑髏はまだ朽ちない、髑髏はまだ落ちない、髑髏はまだ笑っているのである。
 彼が三年、五年、十年、あるいは一生ここにとどまるかも知れないと覚悟しているのも、それがためであろう。
 この長物語を終って、老人はまた嘆息した。
「あまりお気の毒だから、いっそ畚をおろして何とか骸骨を取りのけてしまおうと言い出した者もあるのだが、息子の坊さまは承知しないで、まあ自分にまかせて置いてくれというので、そのままにしてあるのだ。」
 叔父も溜息をついて別れた。

 その晩は上大須の村に泊ると、夜中から山も震うような大あらしになった。
 この風雨がかの枝を吹き折るか、かの髑髏を吹き落すか。かの僧は風雨にむかって読経をつづけているか。――叔父は寝もやらずに考え明かしたそうである。

底本:「鷲」光文社文庫、光文社
   1990(平成2)年8月20日初版1刷発行
初出:「文藝倶楽部」
   1925(大正14)年7月
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:松永正敏
2006年10月31日作成
青空文庫作成ファイル:
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岡本綺堂

半七捕物帳 三河万歳—-岡本綺堂

     

 ある年の正月、門松《かどまつ》のまだ取れないうちに赤坂の家《うち》をたずねると、半七老人は格子の前に突っ立って、初春の巷《ちまた》のゆきかいを眺めているらしかった。
「やあ、いらっしゃい。まずおめでとうございます」
 いつもの座敷へ通されて、年頭の挨拶が式《かた》のごとくに済むと、おなじみの老婢《ばあや》が屠蘇の膳を運び出して来た。わたしがここの家で屠蘇を祝うのは、このときが二度目であったように記憶している。今とちがって、その頃は年礼を葉書一枚で済ませる人がまだ少なかったので、表には日の暮れるまで人通りが絶えなかった。獅子の囃子《はやし》や万歳の鼓《つづみ》の音も春めいてきこえた。
「麹町辺よりこちらの方が賑やかですね」と、わたしは云った。
「そうでしょうね」と、老人はうなずいた。「以前は赤坂よりも麹町の方が繁昌だったんですが、今ではあべこべになったようです。麹町も赤坂も、昔は山の手あつかいにされていた土地で、下町《したまち》にくらべるとお正月気分はずっと薄かったものです。川柳にも『下戸《げこ》の礼、赤坂四谷麹町』などとある。つまり上戸は下町で酔いつぶれてしまうが、下戸は酔わないから正直に四谷赤坂麹町まで回礼をしてあるくわけで、春早々から麹町や赤坂などの年始廻りをしているのは野暮《やぼ》な奴だというようなことになっていたんです。しかし万歳だけは山の手の方にいいのが来ました。武家屋敷が多いので、いわゆる屋敷万歳がたくさん来ましたからね。明治以後には出入り屋敷というものが無くなってしまいましたから、万歳も一年ごとに減って行くばかりで、やがては絵で見るだけのことになるかも知れません」
「どこの屋敷にも出入り万歳というものがあったのですか」と、わたしは訊《き》いた。
「そうです。屋敷万歳はめいめいの出入り屋敷がきまっていて、ほかの屋敷や町家へは決して立ち入らないことになっていました。幾日か江戸に逗留して、自分の出入り屋敷だけをひと廻りして、そのままずっと帰ってしまうのです。町家を軒別《けんべつ》にまわる町万歳は、乞食万歳などと悪口を云ったものでした。そういう訳ですから、万歳だけは山の手の方が上等でした。いや、その万歳について、こんな話を思い出しましたよ」
「どんなお話ですか」
「いや、坐り直してお聴きなさるほどの大事件でもないので……。あれは何年でしたか、文久三年か元治元年、なんでも十二月二十七日の寒い朝、神田橋の御門外、今の鎌倉|河岸《がし》のところに一人の男が倒れていました。男は二十五六の田舎者らしい風俗で、ふところに女の赤ん坊を抱いていた。それが、このお話の発端《ほったん》です」

 男は息が絶えていた。師走《しわす》の風の寒い一夜を死人のふところに抱かれていた赤児は、もう泣き嗄《か》れて声も出なかったが、これはまだ幸いに生きていた。つい眼と鼻のあいだの出来事であるから、検視のまだ下《お》りないうちに半七はすぐに其の場へ駈け付けてみると、死んだ男のからだには何も怪しい疵《きず》のあとは無かった。抱いている赤児にも別条はなかった。しかし半七をおどろかしたのは、その赤児が二本の鋭い牙《きば》をもっていることであった。赤児は生まれてからまだ二タ月か三月しか経つまいと思われるぐらいの嬰児《みずこ》であったが、その上顎の左右には一本ずつの牙が生えていた。俗にいう鬼っ児である。この鬼っ児をかかえて往来に倒れていた男――それには何かの仔細があるらしく思われた。近所の人にだんだん問い合わせると、前の晩の夜ふけに彼によく似た男が通りがかりの夜鷹蕎麦《よたかそば》を呼び止めて、燗酒《かんざけ》を飲んでいるのを見た者があるとのことであった。それらの話から考えると、かれは寒さ凌《しの》ぎに燗酒をしたたかに飲んでの前後不覚に酔い倒れて、とうとう凍《こご》え死んでしまったのではあるまいかと半七は判断した。かれは木綿の財布に小銭《こぜに》を少しばかり入れているだけで、ほかにはなんにも手掛りになりそうなものを持っていなかったが、半七はその右の手のひらの鼓胝《つづみだこ》をあらためて、彼はおそらく才蔵であろうとすぐ鑑定した。たとえ万歳であろうが、才蔵であろうが、勝手にくらい酔って凍え死んだというだけのことであれば、別にむずかしい詮議はいらない。そのまま町《ちょう》役人に引き渡してしまえばいいのであるが、彼のふところに抱えていた赤児の来歴がどうも判らなかった。他国者の才蔵が赤児をかかえて、寒い夜なかに江戸の町なかをさまよい歩いていたという、その理窟が呑み込めなかった。殊に赤児が二本の怪しい牙をもっているだけに其の疑いはいよいよ深くなった。
 やがて町奉行所から当番の役人が出張して、医師も立ち会いで検視をすませたが、死人のからだには仔細なく、やはり大酔のために路傍《みちばた》に倒れて、前後不覚のうちに凍死を遂げたものと決められてしまった。しかしかれの抱えている鬼っ児の正体は係り役人にも判らなかった。半七は八丁堀同心菅谷弥兵衛の屋敷へ呼ばれた。
「どうだ、半七。けさの行き倒れは、何者だと思う。あんな因果者を抱えているのをみると、香具師《やし》の仲間かな」と、弥兵衛は云った。
「さあ、手のひらの硬い工合《ぐあい》がどうも才蔵じゃねえかと思いますが……」
「むう。おれもそう思わねえでもなかったが、香具師ならば理窟が付く。やあぽんぽんの才蔵じゃあ、どうも平仄《ひょうそく》が合わねえじゃあねえか」
「ごもっともです」と、半七も考えていた。「しかし旦那の前ですが、その平仄の合わねえところに何か旨味《うまみ》があるんじゃありますまいか。ともかくもちっと洗いあげてみましょう」
「節季《せっき》師走《しわす》に気の毒だな。あんまりいい御歳暮でも無さそうだが、鮭《しゃけ》の頭でも拾う気でやってくれ」
「かしこまりました」
 半七は受け合って八丁堀を出たが、どこから手をつけていいかちょっと見当が決まらなかった。大江戸の歳の暮に万歳や才蔵を探してあるくのは、その相手のあまり多いのに堪えなかった。なんとかして手っ取り早く探し出す工夫《くふう》はあるまいかと考えながら、師走の忙がしい往来を、本郷の方角へぶらぶらあるいて来ると、橋の袂で二十四五の男に出逢った。
「やあ、親分。お早うございます」
 かれは亀吉という手先であった。もとは豆腐屋の伜で、道楽の果てから半七のところへ転げ込んで来たので、仲間では豆腐屋亀と呼ばれていた。
「おい、豆腐屋。いいところで面《つら》を見た。おめえにすこし助《す》けて貰いてえことがあるんだが……。おめえは鎌倉河岸の行き倒れを知っているか」
「知っています。今おまえさんの家《うち》へ行って、姐さんから詳しい話を聴きました。その行き倒れの抱えていた因果者というのが変じゃありませんか」
「それを少し洗って見てえんだ。才蔵が因果者をかかえて行き倒れになっている。どう考えても、変じゃねえか」
「変ですとも……。打っちゃって置くと、よその仲間に飛んだ鼻毛を抜かれますぜ」
「そんなことがねえとも云われねえ」
 ふたりは立ち話で相談をきめた。亀吉はおなじ子分の善八と手分けをして、亀吉は因果者師の方を調べる。善八は万歳の群れをあさる。こうして両方から洗いあげて行ったら、何かそこに一つの手がかりを見つけ出すであろうとのことであった。
「じゃあ、頼むぜ」
 亀吉にたのんで、半七は三河町の家へ帰った。その夜の五ツ(午後八時)過ぎになって、亀吉は寒そうな顔を三河町へ持って来た。なにぶんにも自分ひとりでは手が廻らないので、彼はほかの子分どもにも加勢をたのんで、江戸じゅうの香具師や因果者師をそれからそれへと詮議したが、この頃に鬼っ児などを取り扱った者もなかった。鬼っ児などを取られた者もなかった。香具師仲間の詮議の蔓《つる》はもう切れた、と、亀吉は落胆したように話した。
「そうすると、因果者には何もかかり合いのねえ素人《しろと》の餓鬼かな」と、半七は考えながら云った。
「まあ、そうでしょうね。香具師の仲間で猫の児をなくしたとか云って力を落している奴があるそうですが、猫の児じゃしようがありませんからね」
「そうよ、けさのは確かに人間の子だ。猫の児じゃあねえ」
 云いかけて半七は又かんがえていた。行き倒れの才蔵がふところに抱えていたのは、決して猫の児ではなかった。いくら因果者の鬼っ児でもそれが確かに人間の子である以上、それを畜生の児と一緒に見なすわけには行かなかった。しかしその一緒に見なされないものを一緒に結びつけて考えるのが、自分たちの眼の着けどころであると半七は思った。人間の子と猫の児と、そこにはどういう不思議の因縁がからまっているかということを彼はいろいろに考えてみた。
「そこで、そのなくしたとかいう猫の児はなんだ。金眼《きんめ》か銀眼か、それとも尻尾《しっぽ》が二、三本あるとでもいうのか」
「それは聞きませんでした。猫の児じゃあしようがねえと思ったもんですから」と、亀吉はきまりが悪そうに頭を掻いた。「すると、その鬼っ児と猫の児と何か係り合いがあるんでしょうか」
「そりゃあまだ判らねえ。が、それがどうも気になる。御苦労だがもう一度行って、その猫の児をどうしてなくしたのか。その猫はどういう猫か詳しく訊いて来てくれ」
「ようごぜえます。善八の方からはなんにも云って来ませんかえ」
「あいつの方からは沙汰なしだ。だが、あいつの方はちっと面倒だからすぐには行くめえ。なにしろ頼むよ」
 亀吉は承知して帰った。

     

 あくる二十八日の朝は空《から》っ風《かぜ》が吹いた。薬研堀《やげんぼり》の歳の市《いち》は寒かろうと噂をしながら、半七は格子の外に立って、町内の仕事師が門松を立てるのを見ていると、亀吉は三十五六の男を連れて来た。
「親分。この男を連れて来ましたよ。わっしの又聞きで何か間違うといけねえから、その本人を引っ張って来ました」
「そうか。やあ、おまえさん。節季の忙がしいところを御苦労でした。まあ、どうぞ、こっちへはいってください」
「ごめん下さい」
 男は恐る恐るはいって来た。かれは赭《あか》ら顔の小ぶとりに肥《ふと》った男で、左の眉のはずれに疱瘡《ほうそう》の痕が二つばかり大きく残っているのが眼についた。彼は下谷《したや》の稲荷町《いなりちょう》に住んでいる富蔵と名乗った。
「ただいま亀さんのお話をうかがいましたら、何かわたくしに御用がありますそうで……」
「なに、用というほどのむずかしいことじゃあねえので……。亀吉はどんなことを云って嚇《おど》かしたか知らねえが、実はほんの詰まらねえことで、わざわざ来て貰うほどのことでもなかった。ほかじゃあねえが、おまえさんは此の頃に猫の児をどうかしなすったかえ」
「へえ」と、富蔵は案外らしい顔をした。「それを何か御詮議になるんでございますか」
「いや、別に詮議というほどの角張《かくば》ったことじゃねえ。ただわたしの心得のために少し訊いて置きたいことがあるのだ」
「へえ」と、富蔵はまだ呑み込めないように相手の顔をながめていた。
「そんなことは嘘かえ」
「なにかのお間違いで……。わたくしは一向に存じません」
 話がまるで違っているので、亀吉も黙ってはいられなくなった。
「おい、おい。なにを云うんだ。おまえが大事の猫を逃がしたと云って、さんざん愚痴《ぐち》をこぼしていたということは、仲間の者から聞いて知っているんだ。隠しちゃあいけねえ。さもねえと、おれが親分に嘘をついたことになる。よく後先《あとさき》をかんがえて返事をしてくれ」
「でも、わたくしはなんにも知りませんのでございますから」
 富蔵は皺枯《しゃが》れ声ですらすらと弁じながら、飽くまでも知らないと強情を張った。亀吉はとうとう腹を立てて、喧嘩腰でしきりに問い落そうと試みたが、彼はどうしても口をあかなかった。自分は商売物の猫の児をなくした覚えはないと固く云い切った。亀吉も根《こん》負けがして親分の顔色をうかがうと、半七はしずかにうなずいた。
「よし、判った、判った。こりゃあ何かの間違いに相違ねえ。おまえさん、朝っぱらから飛んだ迷惑をさせて、どうもお気の毒でした。まあ、堪忍して帰ってください」
「じゃあ、もう帰りましても宜しゅうございますか」と、富蔵はほっ[#「ほっ」に傍点]としたように云った。
「ほんとうに堪忍しておくんなせえ。そのうちに何かで埋め合わせをするから」
「どう致しまして、恐れ入ります。じゃあ、これで御免を蒙ります」
 怱々に出てゆく富蔵のうしろ姿を見送って、亀吉は忌々《いまいま》しそうに舌打ちをした。
「あの野郎、横着な奴だ。きょうは無事に帰してやっても、すぐに証拠をあげてもう一度引き摺って来てやるから覚えていやあがれ」
「まあ、熱くなるな」と、半七は笑いながら云った。「あの野郎、猫をなくしたに相違ねえ。さっきからの様子で大抵わかっている。だが、それをむやみに隠すというのが判らねえ。ここでいつまでも云い合っていても論は干《ひ》ねえから、今はおとなしく帰してやって、あいつの家の近所へ行ってそっと訊いて見る方がいい。御用仕舞いでおれもきょうは暇だから、午飯《ひるめし》でも食ってから一緒にぶらぶら出かけて見よう」
「おまえさんが一緒に来てくんなさりゃあ大丈夫です。あの野郎、おれに恥をかかしゃあがったから、邪が非でも証拠をあげて、ぎゅう[#「ぎゅう」に傍点]という目に逢わしてやらにゃあならねえ」と、亀吉は激しい権幕《けんまく》で時刻の来るのを待っていた。
 午飯を食って、二人がこれから出掛けようとするところへ、善八がぼんやりしてやって来た。
「どうも面白い見付け物はありません。御存知の通り、麹町の三河屋は屋敷万歳の定宿《じょうやど》で、毎年五、六人はきっと巣を作っていますから、念のために其処《そこ》へも行ってみると、案の定《じょう》そこにもう五人ばかり来ていました。そのなかで市丸太夫という男の才蔵がまだ揃わないので、太夫は心配して朝から探しに出たそうです」
 以前は日本橋の四日市に才蔵市《さいぞういち》というものが開かれて、三河から出てくる万歳どもはみな其の市へあつまって、思い思いに自分の才蔵を択《えら》むことになっていたが、天保以後にはそれがもう廃《すた》れて、万歳と才蔵とは来年を約束して別れる。そうして、その年の暮に万歳が重ねて江戸へ下《くだ》ると、主《おも》に安房《あわ》上総《かずさ》下総《しもうさ》から出て来る才蔵は約束の通りその定宿へたずねて行って、再び連れ立って江戸の春を祝ってあるく。それが此の頃の例になっているので、万歳はその都度《つど》に才蔵を選ぶ必要はなかった。
 遠国《おんごく》同士の約束は甚だ不安のようではあるが、義理の固い才蔵は万一自分に病気その他の差し支えがある場合には、差紙《さしがみ》を持たせて必ず代人を上《のぼ》せることになっているので、大抵は間違いも無しに済んでいた。その才蔵が約束通りにたずねて来ない、又その代人もよこさないとあっては、万歳の市丸太夫が当惑するのも無理はなかった。いくら立派な出入り屋敷をたくさん持っていても、才蔵を連れない万歳は武家屋敷の門松をくぐる訳にはゆかなかった。
「その才蔵はなんという名で、どこの奴だ」と、半七は訊いた。
「下総の古河《こが》の奴で、松若というんだそうです」
「松若……。洒落《しゃれ》た名だな」と、亀吉は笑った。「すると、親分。その松若が詮議者ですね」
「で、その市丸太夫というのには逢わねえんだな」と、半七は念を押した。
「逢いません」と、善八は答えた。「なんでも五十二三の大柄の男で、酒を飲むとむやみに陽気に騒ぎ散らすと宿の女中が話していました。ふだんはまじめな面《つら》をしているが、なかなか道楽者らしい男で、酔うと三味線なんぞをぽつんぽつん弾《や》るということです」
「そうか。それじゃもう一度その三河屋へ行って、市丸太夫の帰るのを待っていて、その才蔵というのはどんな奴か、又その鬼っ児に何か心あたりはねえか、よく調べてくれ」
 善八を出してやって、ふたりは下谷の稲荷町へ足を向けた。朝からの空っ風が白い砂けむりを吹き巻いている広徳寺前をうろついて、ようように香具師の富蔵の家を探しあてた。鉤《かぎ》の手に曲がっている路地の奥で、隣りの空地《あきち》には、稲荷の社《やしろ》が祀《まつ》られていた。近所で訊いてみようと四辺《あたり》を見まわすと、三十格好の女房が真っ赤な手をしながら井戸端で大束《おおたば》の冬菜《ふゆな》を洗っていて、そのそばに七つ八つの男の児が立っていた。
「もし、おかみさんえ」と、半七は近寄って馴れなれしく声をかけた。「あすこの富蔵さんはお留守ですかえ」
「富さんはいませんよ」と、女房は素気《そっけ》なく答えた。「きょうは薬研堀《やげんぼり》の方へでも行ったかも知れません」
 富蔵は独身者《ひとりもの》で、香具師とはいうものの自分が興行をしているのではない。どこかの観世物小屋に雇われて木戸番を勤めているらしいことは、亀吉の報告でわかっていた。半七は小声でまた訊いた。
「あの富さんの家《うち》に猫が飼ってありましたか」
「猫ですか。あの猫じゃあ……」
 云いかけて女房は口を噤《つぐ》んでしまった。
「その猫がどうかしましたかえ」
 女房は自分のうしろをちょっと見かえってやはり黙っていた。素直には云いそうもないと思って、半七はふところに手を入れた。
「ここにいるのはおかみさんの子供かえ、おとなしそうな児だ。小父さんが御歳暮に紙鳶《たこ》を買ってやろうじゃねえか。ここへ来ねえ」
 紙入れから一朱銀を一つつまみ出してやると、裏店《うらだな》の男の児はおどろいたように彼の顔をみあげていた。女房は前垂れで濡れ手をふきながら礼を云った。
「どうも済みませんねえ。こんなものをいただいちゃあ……。おまえ、よくお辞儀をおしなさいよ」
「なに、お礼にゃあ及ばねえ。そこでおかみさん、しつこく訊くようだが、その猫がどうしたのかえ。その猫が逃げたんじゃあねえか」
「逃げたのならまだいいんですけど……」と、女房は小声で云った。「殺されたんですよ」
「誰に殺された」
「それがおかしいんですよ。富さんのいない留守に化け猫と間違って殺されてしまったんですが、そりゃあ無理もありません。あの猫は踊るんですもの」
「それじゃあ商売物だね」
「まあ、そうです。これからだんだん仕込もうというところを、化け猫だと思って殺されてしまったんですよ。富さんも大変に怒りましてね」
 一朱銀の効き目で、女房はその日の出来事をぺらぺらとしゃべり出した。

     

 富蔵の隣りにお津賀《つが》という二十五六の小粋《こいき》な女が住んでいる。よほどだらしのない女で、旦那取りをしているというのであるが、定《きま》った一人の旦那を守っているのでは無いらしく、大勢の男にかかり合って一種の淫売《じごく》同様のみだらな生活を営んでいるのだと近所ではもっぱら噂された。そのお津賀のところへ稀《まれ》にたずねてくる五十くらいの男があって、それは自分の叔父さんで、一年に一度ずつ商売用で上州から出て来るのだと彼女は云っているが、どうも上州者ではないらしく、又ほんとうの叔父さんではないらしい。それも例の旦那の一人であろうと長屋じゅうの者には認められていた。
 四、五日前の夕方に、その叔父という人が久し振りにたずねて来ると、あいにくお津賀はいなかった。かれは独身者で、外へ出るときに表の戸にしっかり[#「しっかり」に傍点]と錠《じょう》をおろしてゆくので、叔父ははいることが出来なかった。うす暗い門口《かどぐち》にぼんやりと立っている男の姿を気の毒そうに見て、井戸端から声をかけたのがこの女房であった。黙っていればよかったが、お津賀さんの帰るまで隣りの家へはいって待っていろと彼女は教えてやった。となりは富蔵の家で、かれは戸をあけ放したままで町内の銭湯《せんとう》へ出て行った留守であったが、奪《と》られるような物のある家では無し、殊にその男の顔も見知っているので、女房も安心してそう教えたのであった。すこし酔っているらしい男は礼を云って隣りへはいって、上がり框《がまち》に腰かけているらしかったが、そのうちに三味線をぽつんぽつんと弾《ひ》き出した音がきこえた。かれはお津賀の家へ来ても時々に三味線を弾くことがあるので、女房も別に不思議には思わないで自分の米を磨《と》いでしまって家へ帰った。
「それからが騒動なんですよ」と、女房は顔をしかめて話した。「富さんの家で何かどたんばたんという音が聞えたから、どうしたのかと思って駆けつけてみると、富さんは湯あがりの頭からぽっぽっ[#「ぽっぽっ」に傍点]煙《けむ》を立てて、その叔父さんという人の胸倉を掴んで、ひどい権幕で何か掛け合いを付けているんです。だんだん訊《き》いてみると、その人が富さんの猫を撲《ぶ》ち殺してしまったという一件なんです」
「なぜ殺したんだろう。だしぬけに踊り出したのかえ」と、半七は訊いた。
「そうなんですよ。踊り出したんですよ」
 女房の説明によると、富蔵は自分の飼っている白い仔猫に踊りを仕込むために、長火鉢に炭火をかんかん熾《おこ》して、その上に銅の板を置く。それは丁度かの文字焼を焼くような趣向である。その銅の板の熱くなった頃に仔猫の胴中を麻縄で縛って、天井から火鉢の上に吊りさげて、四本の足が丁度その銅の板を踏むようにすると、板は焼け切っているから、猫はその熱いのにおどろいて、思わず前後の足を代る代るにひょいひょい揚げる。それを待ち設けて、富蔵は爪弾きで三味線を弾き出すのである。勿論はじめのうちは猫の足どりを見て、こっちで巧く調子を合わせて行かなければならないのであるが、それがだんだんに馴れて来ると、猫の方から調子にあわせて前後の足をひょいひょいと揚げるようになる。更に馴れて来ると、普通の板や畳の上でも三味線の音につれて自然に足をあげるようになる。観世物小屋で囃し立てる猫の踊りは皆こうして仕込むので、富蔵もふた月ほどかかってこの白猫を馴らした。
 根気よく馴らして教えて、猫もどうやら斯うやら商売物になろうとしたところを、かの男に突然撲ち殺されてしまったのである。勿論、殺した方にも相当の理窟はあった。かれは框に腰をかけてぼんやりと待っている退屈まぎれに、壁にかけてある三味線をふと見付けて、少し酔っている彼はその三味線をおろして来てぽつんぽつんと弾きはじめると、長火鉢の傍にうずくまっていた白猫が、その爪弾きの調子にあわせて俄かに踊り出した。彼は実にびっくりした。うす暗い夕方の逢魔《おうま》が時《とき》に、猫がふらふらと起って踊り出したのであるから、異常の恐怖に襲われた彼は、もう何もかんがえている余裕もなかった。かれは持っている三味線を持ち直して猫の脳天を力任せになぐり付けると、猫はそのままころりと倒れて死んだ。そこへ飼い主の富蔵が帰って来た。
 誰がなんと云おうとも、ひとの留守へ無断にはいり込むという法はないと富蔵は怒った。おまけに大切な商売物をぶち殺してしまって、この始末はどうしてくれると彼は眼の色を変えて哮《たけ》った。その事情が判ってみると、男もひどく恐縮していろいろにあやまったが、富蔵は承知しなかった。自分も係り合いがあるので、かの女房も一緒に口を添えてやったが、富蔵はどうしても肯《き》かないで、殺した猫を生かして返すか、さもなくばその償《つぐな》い金を十両出せと迫った。それをいろいろにあやまって、結局半金の五両に負けて貰う事になったが、男にはその五両の持ち合わせがないので、どうか大晦日《おおみそか》まで待ってくれと頼むのを、富蔵は無理におさえ付けて、腕ずくでその紙入れを引ったくってしまった。しかし紙入れには三分ばかりしか這入っていなかったので、富蔵はまだ料簡しないで、これから俺と一緒に行ってすぐに其の金を工面《くめん》しろと責めているところへ、丁度にお津賀が帰って来て、きっと自分が受け合うから今夜のところは勘弁してくれと頻りに富蔵をなだめて、無事にその男を自分の家へ連れ込んだ。
 富蔵の猫はこういう事情で失われたのであった。かれが半七に対して、飽くまで知らないと強情を張っていたのは、たとい自分に相当の理があるとは云え、物取り同様に相手を手籠《てご》めにして、その紙入れを無体に取りあげたという、うしろ暗い廉《かど》があるからであろうと想像された。
「それからどうしたね。その男は後金《あとがね》を持って来たらしいかえ」と、半七はまた訊いた。
「その晩は無事に済んで、その人はそれからお津賀さんの家で小一刻《こいっとき》も話して帰ったようでしたが、その明くる晩また出直して来ると、なんだかお津賀さんと喧嘩をはじめて、両方が酔っていたらしいんですが、お津賀さんはその人をつかまえて表へ突き出してしまったんです」
「ひどい女だな」と、亀吉は眼を丸くした。
「そりゃなかなか強いんですから」と、女房は嘲るように笑っていた。「お前さんのような意気地なしはどうだとか斯うだとか云って、そりゃあもうひどい権幕で……。かりにも世間に対しては叔父さんだとか云っている人を、さんざん小突きまわして、表へ突き出してしまったんです。それでも其の人はなんにも云わないで、おとなしく悄々《しおしお》と出て行きました。もっともお津賀さんにかかっちゃあ大抵の男はかなわないかも知れませんよ」
「そのお津賀さんというのは家にいるかえ」と、半七はうしろを見返りながら訊いた。
 おなじ裏長屋でもお津賀の家は小綺麗に住まっているらしく、軒には亀戸《かめいど》の雷除《らいよ》けの御札《おふだ》が貼ってあった。表の戸は相変らず錠をおろしてあるので、内の様子はわからなかった。
「ゆうべから帰って来ないようですよ」と、女房はまた笑った。
「で、どうだい。隣りの富蔵とおかしいような様子はないかね」
「そりゃあ判りませんね。あの人のことですから」
「そうだろう」と、半七も笑った。「いや、日の短けえのに手間費《てまづい》えをさせて済みません。さあ、亀。もう行こうぜ」
 女房に挨拶して、ふたりは露路の外へ出た。
「親分。不思議なことがあるもんですね」
「むむ、広い世間にはいろいろのことがある」と、半七はうなずいた。「だが、まあ、ここまで足を運んだ効能はある。それでもう大抵|見当《けんとう》は付いたが、今度はその鬼っ児の出どころだ。いや、それもすぐに判るだろう。それでお前の方はもう年明《ねんあ》けらしい。おれは脇へ廻るからここで別れようぜ」
「富の野郎はどうしましょう」
「さあ、今のところじゃあしようがねえ。まあ打っちゃって置け」
「あい」と、亀吉は渋々に別れて行った。
 あまり長追いをするほどの事件でもないと思ったが、かれの性分としてなんでも最後まで突き留めなければ気が済まないので、半七はその足で山の手まで登ってゆくと、冬の日はもう暮れかかって寒そうな鴉の影が御堀の松の上に迷っていた。麹町五丁目の三河屋へたずねてゆくと、筋向うの煙草屋の店さきに善八が腰かけていた。
「親分、いけねえ。市丸はまだ帰らねえそうですよ」と、かれは待ちくたびれたように云った。
「大きに御苦労。その市丸のところへ近ごろ女がたずねて来たらしい様子はねえか」
「来ました、来ました。女中に聞いたら、なんでも小粋な二十五六の女が二、三度たずねて来たそうです。お前さんよく知っていますね」
「むむ、知っている」と半七は笑っていた。「もう大抵判っているんだから、きょうはこのくらいにしておこう。おめえも数《かぞ》え日《び》にここでいつまでも納涼《すず》んでもいられめえ。家へ帰って嬶《かかあ》が熨斗餅《のしもち》を切る手伝いでもしてやれ」
「じゃあ、もうようがすかえ」
「もうよかろう」
 ふたりは連れ立って神田へ帰った。寒い風は夜通し吹きつづけたので、火事早い江戸に住んでいる人達はその晩おちおち眠られなかった。とりわけて御用を持っているからだの半七は、いよいよ眼が冴えてまんじりともしなかった。あくる朝七ツ(午前四時)頃から寝床をぬけ出して、行燈の灯で煙草をのんでいると、割れるように表の戸を叩く者があった。
「誰だ。誰だ」
「わっしです。亀です」と、外であわただしく呼んだ。
「豆腐屋か。馬鹿に早えな」
 家の者はまだ起きないので、半七は自分で起って戸をあけると、亀吉は息をはずませて転げ込んで来た。
「親分。富蔵が殺《や》られた」

     

 見す見す猫をなくしたのを強情に知らないと云い張って、たとい一時でも親分の前で自分に恥をかかした富蔵を、亀吉は心から憎んでいた。きのう半七に別れてから彼は吉原へ遊びに行ったが、あまり好くも扱われなかったむしゃくしゃ腹で、引け前に廓《くるわ》を飛び出して、阿部川町《あべかわちょう》の友達を叩き起して泊めて貰った。彼もこの強い風に枕を揺《ゆす》られておちおち眠られずにいる耳もとに、人の立ち騒ぐような声が遠くひびいた。火事かしらとすぐに飛び起きてその騒がしい方角へ駈け付けてみると、果たして火事には相違なかったが、それは稲荷町の長屋の一軒焼けで鎮まった。
 火事は先ずそれで済んだが、済まないのは、その火元に男が死んでいることである。死んだ男はかの富蔵であった。一つ長屋のお津賀の死骸も井戸から発見された。
「こういうわけだから私ひとりじゃいけねえ。お前さんも早く来ておくんなせえ」
「よし、すぐに行く。なにしろ飛んだことになったものだ」
 半七は身支度をして、亀吉と一緒に出てゆくと、師走二十九日のあかつきの風は、諸刃《もろは》の大きい剣《つるぎ》で薙《な》ぎ倒そうとするように吹き払って来た。ふたりは眼口《めくち》をふさいで転げるようにあるいた。稲荷町へ行き着いてみると、富蔵の家は半焼けのままで頽《くず》れ落ちて、咽《む》せるような白い煙りは狭い露路の奥にうずまいて漲《みなぎ》っていた。町内の者も長屋の者も、その煙りのなかに群がってがやがや[#「がやがや」に傍点]と騒いでいた。
「どうも騒々しいことでした」
 きのうの女房を見掛けて半七が声をかけると、あわて眼《まなこ》のかれも一朱くれたきのうの人を見忘れなかった。
「きのうはどうも……。でも、まあ、この風でこのくらいで済めば小難でした」
「小難はおめでてえが、なにか変死があるというじゃありませんか。焼け死んだのですか」と、半七は何げなく訊いた。
「それが判らないんです。あの富さんが焼け死んで……。お津賀さんも……」
「そうですか」
 半七はすぐに火元へ行った。もうこうなっては仮面《めん》をかぶっていられないので、かれは自分の身分を名乗って、家主《いえぬし》立ち会いで焼け跡をあらためた。近所の人達が早く駈け付けて、すぐ叩き毀してしまったので、半焼けと云っても七分通りは毀れたままで焼け残っていた。半七はその家のまわりを見廻りながら、ふとその隣りの稲荷の祠《ほこら》に眼をつけた。
「この稲荷さまは無事だったんですか」
「火の大きくならなかったのも、お稲荷様のおかげだと云って、長屋じゅうの者も喜んでいます」と、家主は云った。
「喜ぶのは間違っている」と、半七はあざ笑った。「お稲荷さまに御利益《ごりやく》があるなら、はじめからこんな騒ぎを仕出来《しでか》さねえがいい。家を焼いて、人を殺して、御利益もねえもんだ。いっそ刷毛《はけ》ついでにこの稲荷も燃《も》してしまっちゃあどうです」
 無法なことを云うとは思ったらしいが、相手が相手なので、家主は苦《にが》り切って黙っていると、半七は足下《あしもと》にまだちろちろ[#「ちろちろ」に傍点]と燃えている木のきれを拾って松明《たいまつ》のように振りあげた。
「ようがすかえ。この稲荷に火をつけますぜ」
「お前さん。とんでもないことを……」
 家主はあわててその腕を押えると、半七は委細かまわず又呶鳴った。
「ええ、構うものか、こんな稲荷……。さあ、焼くぞ、こんな燧石箱《ひうちばこ》のような小っぽけな祠《ほこら》は、またたく間に灰にしてしまうぞ。野良狐《のらぎつね》が隠れているなら早く出て来い」
 稲荷様もこれには驚いたのかも知れない。その声に応じて正面の扉がさっとあいた。しかも這い出して来たのは野良狐ではなかった。それは頭から煤《すす》を浴びた五十前後の男であった。
「お前は市丸太夫だろう。正直にいえ」と、半七はかれの腕をつかんだ。「どうも稲荷様の中でごそごそいうと思ったら、案の定《じょう》こんな狐が這い込んでいた。さあ、番屋へ来い」
 町内の自身番へ引っ立てられて行った男は、果たして彼《か》の市丸太夫であった。かれはふところに小刀《こがたな》を呑んでいたが、その刃には血の痕がなかった。
「お前は富蔵を殺して、火をつけたのか」
「恐れ入りました」と、市丸太夫は白状した。「全くわたくしは富蔵を殺そうと存じてまいりました。しかし殺さないうちに火事が出て、富蔵は焼け死んだのでございます」
「なぜ富蔵を殺そうとした」
「わずかの金に差し支えましたのでございます」
 かれは誤って富蔵の猫を殺した始末を正直に申し立てた。それは長屋の者の推察通り、彼は一昨年の春からお津賀に関係して、毎年江戸へ出るたびに彼女のところへ訪ねて来て、松の内に稼ぎためた金の大部分を絞り取られていた。今年も一年ぶりで訪ねて来ると、あいにくお津賀は留守で、測《はか》らずも隣りの猫を殺すような間違いを仕出来してしまった。
「お津賀のあつかいで、その場だけは勘弁して貰ったのですが、あと金の四両一分の工面《くめん》がなかなか付きません。仲間の者も春にならなければ、まとまった金を貸してくれることは出来ませんので、わたくしも途方にくれました。差し当りお津賀の着物でも質《しち》に入れて、なんとか融通して貰おうと存じまして、その明くる晩出直して相談にまいりますと、剣もほろろ[#「ほろろ」に傍点]の挨拶で断わられました。ふた言三言云い合っていますうちに、お津賀は気の強い女で、とうとう私をつかまえて表へ突き出してしまいました。いい年を致して若い女に係り合いまして、飛んだ恥を申し上げなければなりません。それで悄々《しおしお》帰りますと、あくる日お津賀がわたくしの宿へ押し掛けて参りまして、後金を早くどうかしてくれなければ近所へ対して面目がないと強請《せが》みます。その日はまあなんとか宥《なだ》めて帰しますと、あくる日もまた押し掛けて来てやかましく申します。宿の手前、仲間の手前、お津賀のような女に毎日押し掛けて来られましては、わたくしもどうしてよいか、実に消え入りたいくらいで……」
 若い女にさいなまれている老人の懺悔《ざんげ》を、半七は嘲るような又あわれむような心持で聴いていると市丸太夫は恐る恐る語りつづけた。
「そういう次第で、わたくしも途方に暮れて居りますうちに、宿の女中から不図《ふと》こんなことを聞きましたのでございます。昨年の夏頃から宿に奉公して居りましたお北という若い女中が主《ぬし》の定まらない胤《たね》を宿して、だんだん起居《たちい》も大儀になって来たので、この七月に暇を取って新宿の宿許《やどもと》へ帰って、十月のはじめに女の児を無事に生み落しました。ところがその赤児はどうした因果か、生まれるときから上顎に二本の長い牙《きば》が生えている鬼でございまして、本人は勿論、兄弟たちも世間へ対して外聞が悪いと申して、ひどく困っているということを聞きましたので、わたくしはすぐにそのお北の家へたずねて参りました。お北とは顔馴染みでございますので、本人に逢ってその赤児をみせて貰いますと、なるほど立派な因果者でございます。正直のところわたくしはとても差し当って四両一分の工面は付きませんから、この因果者を富蔵のところへ持って行って、猫の形代《かたしろ》に受け取って貰おうと存じまして、この児をよそへやる気はないかと訊きますと、実は持て余しているところだから、片輪を承知で貰ってくれる親切な人があれば、何処へでもやりたいと申します。それでは一度相談して来ようと約束して帰りまして、その足でお津賀のところへ行って相談しますと、隣りの富蔵はあいにく居りませんでしたが、お津賀はその話を聞きまして、それがまったく商売になりそうなものならば富さんも承知してくれるかも知れないから、ともかくもその因果者を連れて来てみせろと申しました」
「それでとうとうその赤ん坊を取って来たのか。おめえも無慈悲な男だな」と、半七は苦々《にがにが》しそうに云った。
「重々恐れ入りましてございます。無慈悲は万々承知して居りましたが、なにぶんにも背に腹は換えられないと存じまして……。お北の方へはよいように話をしまして、ともかくもその鬼っ児を受け取ってまいりますと、ちょうど途中で才蔵に逢いました。松若はわたくしの宿へたずねて来る処でございましたから、これは幸いだと存じまして、あらましのわけを話して其の児をお津賀の家へとどけてくれるように松若に頼みました。松若もわたくしと一緒に行ったことがあるので、お津賀の家はよく知っている筈でございます。それは二十六日の宵の五ツ(午後八時)少し前でございましたが、松若はそれぎり帰ってまいりません。どうしたのかと案じて居りますと、そのあくる日の午過ぎにお津賀が又押し掛けてまいりまして、あの因果者はどうしたと催促いたします。ゆうべ松若にとどけさしたと云いましてもなかなか承知しませんで、いろいろ面倒なことを申しますので、わたくしもいよいよ困り果てました。そればかりでなく、だんだんその様子を見ていますと、お津賀はどうも富蔵と情交《わけ》があるのではないかと思われるような所もございますので、わたくしもなんだか忌々《いまいま》しくなりまして、今思えば実に恐ろしいことでございます。いっそ富蔵とお津賀を殺してしまえば、誰にも窘《いじ》められることは無いと存じまして、夜店で買いました小刀をふところに入れて、昨晩の夜ふけに稲荷町へそっと忍んでまいりますと、案の通りお津賀は隣りの家へはいり込んで、富蔵と差し向いで睦じそうに酒を呑んでいました。わたくしは赫《かっ》となってすぐに飛び込もうかと存じましたが、なにぶんにも相手は二人でございますから、何だか気怯《きおく》れがして、しばらく様子を窺って居りますと、ふたりはだんだんに酔いが廻って来まして、つまらないことから喧嘩をはじめましたが、お津賀もきかない気の女ですから、とうとう立ち上がって掴み合いになろうとするはずみに、そばにある行燈《あんどう》を倒しました。富蔵はもう酔っているので自由に身動きも出来ません。お津賀はあわててその火を揉み消そうとしましたが、これも酔っているので思うようには働けません。唯うろたえてまごまごしているうちに、火はだんだんに拡がってお津賀の裾や袂に燃え付きました。わたくしは呆気《あっけ》に取られて眺めていますと、お津賀はもうからだ中が一面の火になってしまいまして……」
 その当時の凄惨な光景を思い出すさえ恐ろしいように、市丸太夫は身ぶるいした。
「結い立ての天神髷を振りこわして、白い顔をゆがめて、歯を食いしばって、火焙《ひあぶ》りになって家中《うちじゅう》を転げ廻って、苦しみもがいている女の姿は……。わたくしのような臆病者にはとてもふた目とは見ていられませんので、思わず眼をふさいでしまいますと、お津賀ももう堪まらなくなったのでございましょう。框《かまち》から土間へ転げ落ちたような物音がきこえました。わたくしははっ[#「はっ」に傍点]と思って再び眼をあきますと、お津賀の燃えている姿は井戸の方へ……。からだの火を消す積りか、それともいっそ一と思いに死んでしまう積りか、それはわたくしにも能く判りませんでしたが、ともかくも井戸側の上で火の粉がぱっ[#「ぱっ」に傍点]と散ったかと思うと、お津賀の姿はもう見えなくなったようでございました。富蔵は……どうしたのか存じません。もうその頃には家中いっぱいの火になっていました。その騒ぎを聞きつけて近所の人達がばたばた駈け付けて来ましたので、わたくしも度を失いまして、ここらにうっかりしていて、とんだ連坐《まきぞえ》を受けてはならないと、前後のかんがえも無しにあの稲荷の祠《ほこら》のなかに隠れましたが、もしその火が大きくなってこっちへ焼けて来たらどうしようかと、実に生きている空もございませんでした。幸いに火は一軒焼けで鎮まりましたが、大勢の人が火元を取りまいてわやわや[#「わやわや」に傍点]騒いでいるので、いつまでも出るに出られず。わたくしも途方に暮れているところを、とうとうお前さんに探し当てられてしまいました。行燈を倒したときに、わたくしも早く駈け込んで、一緒に手伝って消してやればよかったのでございましょうが、わたくしは唯びっくりして居りまして……」
 びっくりしていたばかりではない。そこに残酷な復讐の意味が含まれているらしいのを半七は想像しないわけには行かなかった。
「おめえが直接《じか》に手をおろさないで、お津賀も富蔵も一度に片付けてしまえば、こんな世話のねえ事はねえ」と、半七は皮肉らしく云った。「だが、おめえも罪な人間だ。才蔵の松若はおめえの使に行く途中で凍《こご》え死んでしまったぜ」
「松若が死にましたか」と、市丸太夫は更にその顔を蒼《あお》くした。
「その鬼っ児をかかえて行く途中で、あんまり酒を飲み過ぎたせいだろう。食らい酔ったままで鎌倉河岸にぶっ倒れて、可哀そうに凍え死んでしまったんだ。鬼っ児に別条はねえ。親元が判ったらこっちから渡してやる。おめえにうっかり渡して、又なにかの種に使われちゃあ堪まらねえから」
 市丸太夫はもう一言もなかった。彼はゆがんだ皺面《しわづら》を灰いろにして、死んだ者のようにうずくまっていた。

 長い牙を持った因果者の赤児は、生みの母のお北に引き渡された。市丸太夫は表向きに彼を罪にすべき廉《かど》もないので、ただ叱り置くというだけで免《ゆる》されたが、すぐに宿を引き払って故郷へ帰った。それから後の江戸の春に市丸太夫の万歳すがたはもう見えなくなった。

底本:「時代推理小説 半七捕物帳(二)」光文社文庫、光文社
   1986(昭和61)年3月20日初版1刷発行
入力:tat_suki
校正:おのしげひこ
1999年9月11日公開
2004年2月29日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

岡本綺堂

半七捕物帳 小女郎狐—-岡本綺堂

     

 なにかのことから大岡政談の話が出たときに、半七老人は云った。
「江戸時代には定まった刑法がなかったように考えている人もあるようですが、それは間違いですよ。いくら其の時代だからといって、芝居や講釈でする大岡|捌《さば》きのように、なんでも裁判官の手心《てごころ》ひとつで決められてしまっちゃあ堪まりません。勿論、多少は係りの奉行の手心もありますけれども、奉行所には一定の目安書《めやすがき》というものがあって、すべてそれに拠って裁判を下《くだ》したもので、奉行の一料簡で殺すべきものを生かすなんて自分勝手のことは、なかなか出来ないような仕組みになっていたんです。それは昔も今も同じことです。しかしその目安書というのが今日の刑法などに比べると余ほど大づかみに出来ていますから、なにか毛色の変った不思議な事件が出来《しゅったい》すると、目安書だけでは見当が付かなくなって、どんな捌きを下していいのか、係りの役人どもはみんな頭を痛めてしまうんです。そこらが名奉行とぼんくら[#「ぼんくら」に傍点]の岐《わか》れるところで、大岡越前守や根岸肥前守はそういう難問題をうまく切り捌いたのでしょう。江戸の町奉行所さえその通りですから、まして諸国の代官所……それは諸国にある徳川の領地、俗に天領というところを支配しているので、その土地の出来事は皆この代官所で裁判することになっていたんです。……そこでは、とてもむずかしい捌きなどは出来ないし、又うっかりした捌き方をして、後日《ごにち》に譴責《けんせき》をうけるようなことがあっても困るので、少し手にあまるような事件には自分の意見書を添えて『何々の仕置可申付哉、御伺』といって、江戸の方までわざわざ問い合わせて来る。それに対して、江戸の奉行所から返事をやるのを『御指図書《おさしずがき》』といいます。つまり先方の意見に対して、その通りとか、再吟味とか、あるいは奉行所の意見を書き加えてやるとかするので、それに因って初めて代官所の裁判が落着《らくちゃく》するんです。死罪のような重い仕置は勿論のこと、多寡が追放か棒敲《ぼうたた》きぐらいの軽い仕置でも、その事件の性質に因っては江戸まで一々伺いを立てたもので、くどくも云う通り、いくらその時代だからといって、人間ひとりに裁判を下すということは決して容易に決められるものではなかったのです。
 いや、飛んだ前置が長くなりましたが、その代官所からわざわざ伺いを立てて来るほどのものは、いずれも何か毛色の少し変った事件ですから、江戸の奉行所でも後日の参考のために『御仕置例書《おしおきれいがき》』という帳面に書き留めて置くことになっていました。勿論、これは係りのほかに他見を許されないことになっているんですが、わたくしを贔屓《ひいき》にしてくれる吟味与力から貸して貰って、ちょっと珍しいと思うのだけを少し書きぬいて置きました。そうそう、そのなかに小女郎狐という変った事件がありましたから、お話し申しましょう。この事件は『御仕置例書』の日付けによると寛延元年九月とありますから、今からざっと百七十何年前、かの忠臣蔵の浄瑠璃が初めて世に出た年のことですから、ずいぶん遠い昔のことですよ」

「御仕置例書」にはいずれも国名と村名とを記《しる》してあるだけで、今日のように郡名を記してないので、ちょっと調べるのに面倒であるばかりでなく、その当時とは村の名の変っているのもあるので、その方角を見定めるのはいよいよ困難であるが、ともかくも「御仕置例書」には下総国《しもうさのくに》新石下村《しんいししたむら》とある。寛延元年九月十三日夜の亥《い》の刻(午後十時)から夜明けまでのあいだに、五人の若い男が即死、二人が半死半生という事件が出来《しゅったい》したので、村中は大騒ぎになった。
 場所は庄屋茂右衛門が持ちの猪番《ししばん》小屋で、そこには下男の七助というのが住んでいた。猪番小屋といえば何処でも小さい狭いものであるが、これはともかくも人の住めるだけには出来ていたらしく、番人の七助は夜も昼もそこを自分の家にして、昼は野良《のら》かせぎの手伝いに日を暮らし、夜はそこで猪の番をしていた。七助はまだ十九の若い者であるので、村の若い者たちはそこをいい遊び場所にして、毎晩のように寄りあつまって馬鹿話に夜をふかすばかりか、悪い手慰みなどもするという噂であったが、主人の茂右衛門は別に咎めもしないで捨てて置いた。
 事件の起った晩にあつまったのは、佐兵衛、次郎兵衛、弥五郎、六右衛門、甚太郎、権十の六人で、今夜は後《のち》の月見というので、何処からか酒や下物《さかな》を持ち込んで来て、宵から飲んで騒いでいた。
「猪番なんぞはどうでもいい。猪の奴め、この騒ぎにおっ魂消《たまげ》て滅多に出て来るもんじゃあねえ」
 こんなことを云って、番人の七助をはじめ、六人の者もさんざんにしゃべって、騒いで、いい心持に酔い倒れてしまった。畑中の一軒家ではあるが、かれらの笑い騒ぐ声が亥の刻頃まで遠くきこえたのを村の者は知っていた。しかしその夜が明けても猪番小屋の戸は明かなかった。いつも早起きの七助が今朝は起きて来ないのを怪しんで、庄屋の家の者が見まわりに来ると、表の戸は閉め切ってあって、戸の隙き間から眼にしみるような煙りが流れ出していた。いよいよおかしく思って戸をあけると、狭い小屋の中から薄黒い煙りが一度にどっと噴き出して来て、一時は眼口《めくち》もあけられない程であった。もともと狭い小屋のなかに、大の男が七人も重なり合って倒れているのであるから、殆ど足の踏みどころもない。それを一々呼び起すと、かすかに返事をしたのは甚太郎と権十の二人だけで、番人の七助と佐兵衛、次郎兵衛、弥五郎、六右衛門の五人はもう息が絶えていた。ほかの二人も半死半生であった。
 小屋|主《ぬし》の茂右衛門は勿論、村じゅうの者が駈けつけていろいろ介抱したが、どうにかこうにか正気づいたのは、やはり甚太郎と権十の二人だけで、ほかの五人はどうしても生きなかった。生き返った二人の話によると、かれらは正体もなく酔い倒れてしまったので、何事も知らない。夢うつつのように何だかむやみに息苦しくなったと思いながらも、身動きすることも出来なかったというのである。始めは何か食い物の毒あたりではないかという説もあったが、だんだん調べてみると、炉のなかには松葉を焚いたらしい灰がうず高く積っている。焼け残った青い松葉もそこらに散っている。かれらは夜寒《よさむ》を凌ぐために焚き火をして、その煙りに窒息したのではないかともおもわれたが、ふたりは松葉などを燃やした覚えはないと云い張っていた。夜がふけて雨戸をしめたのは知っているが、炉のなかに木の葉など炙《く》べたことはない、第一この小屋のなかには青い松葉などを積み込んであるのを見たことがないと云った。
 しかしここの炉に松葉をくべた証拠はありありと残っている。しかもおびただしい松葉を積みくべたのは、そのうず高い灰を見ても知られた。更に調べてみると、松葉ばかりでなく、青唐辛《あおとうがらし》をいぶした形跡もある。七人の男が正体もなく寝入っている隙をうかがって、何者かがこの小屋に忍び込んで、青松葉や青唐辛のたぐいを炉に積みくべて彼等をいぶし責めに責め殺したのであろう。狐つきの病人から狐を追い出そうとして、病人をむごたらしい松葉いぶしにして、とうとうそれを責め殺してしまったというような話は、江戸にも田舎にもときどきに伝えられるが、これは単に酔い倒れている男七人を松葉いぶしにしたのである。あまりの怖ろしさに人々も顔を見あわせた。
 場所が猪番の小屋であるから、それが盗みの目的でないことは判り切っていた。さりとて七人が七人、揃って人の恨みを受けそうもない。勿論、そのなかには何の罪もなく傍杖《そばづえ》の災難をうけた者もあるかも知れないと、庄屋の茂右衛門が先に立っていろいろに詮議をしたが、差しあたり是れという心あたりも見いだされなかった。そのうちに誰が云い出すともなく、それは狐の仕業《しわざ》であるという噂が伝えられた。
 昔からこの土地には、小女郎狐というのが棲んでいて、いろいろの不思議をみせると云い伝えられている。ある時には美しい女に化けて往来の人をたぶらかすこともある。美少年にも化ける、大入道にも化ける。あるときには立派な大名行列を見せる。源平|屋島《やしま》の合戦をみせる。こういう神通力《じんつうりき》をもっている狐であるから、土地の者も「小女郎さん」と畏《おそ》れうやまって、決して彼女に対して危害を加えようとする者もなかった。ところが、今から五、六日ほど前に、この畑で猪を捕るために掘ってある陥穽《おとしあな》のなかに小さい狐が一匹落ちて迷っているのを発見して、番人の七助とあたかもそこに来あわせた佐兵衛、次郎兵衛、弥五郎、六右衛門との五人がすぐにその狐の児を生け捕って、いたずら半分に松葉いぶしにして責め殺したことがある。おそらく彼《か》の小女郎狐の眷族《けんぞく》であって、その復讐のために彼等もまた松葉いぶしのむごたらしい死を遂げたのであろう。その証拠には直接に手をくだした五人は命をとられて、無関係の二人は幸いに助かった。それらの事情から考えると、どうしてもこれは人間の仕業でなく、たしかに狐の祟《たた》りに相違ないという説がだんだん有力になって来た。
 役人の検視も一応済んで、五人の死骸は村の高巌寺に葬られた。ここらの葬式は夜であったが、その宵に無数の狐火が寺のうしろの丘の上に乱れて飛んでいるのを見た者があった。

     

「どうも朝夕はめっきり冷たくなりました」
 八州廻りの目あかしの中でも古狸の名を取っている常陸《ひたち》屋の長次郎が代官屋敷の門をくぐって、代官の手附《てつき》の宮坂市五郎に逢った。長次郎はその頃もう六十に近い男で、絵にかいた高僧のように白い眉を長く伸ばしていた。
「やあ、常陸屋か。だんだんと日が詰まって来るな」と、市五郎は玄関に近い小座敷で彼と向い合った。
「なにかとお忙がしいでございましょうね」と、長次郎は会釈《えしゃく》して筒提げの煙草入れを取り出した。「早速でございますが、何か新石下の方に御検視があったそうで……。わたくしは親類に不幸がございまして、きのうまで土地を留守にして居りましたもんですから、一向に様子が判りませんのでございますが……」
「検視は八州の方で取り扱ったので、わたしもよくは知らないが、その顛末《てんまつ》だけは詳《くわ》しく知っている。新石下の百姓どもが五人死んで、ふたりは生き返った」
 松葉いぶしの一件を市五郎からくわしく説明されて、長次郎は顔をしかめた。かれは煙草を一服吸ってしまって、しずかに云い出した。
「なんだか妙なお話ですね。小女郎狐ということはわたくしも前から聞いては居りますが、その狐がかたき討に五人の男を殺すなんて、今の世の中にゃあちっと受け取れませんね。それこそ眉毛に唾《つば》ですよ。あなたのお考えはいかがです」
「わたしにも別に考えはない」と、市五郎は困ったような顔をしていた。「ほかに詮議のしようもないらしいので、まずそれに決めてしまったのだが、煙《けむ》にむせて死んだには相違ない。狐の祟りはどうだか知らないが、松葉いぶしはほんとうだ。生き残った二人はそんな覚えがないというけれども、自分たちが火を焚いたのを忘れているのだろう。なにしろ正体もないほどに酔っていたというからしようがあるまい」
「下手人《げしゅにん》はあるじゃありませんか」と、長次郎は笑った。「小女郎狐という立派な下手人があるんでしょう」
 市五郎は苦笑《にがわら》いをしていた。
「ねえ、宮坂さん」と、長次郎はひと膝すすめた。「及ばずながらわたくしがその小女郎狐を探索しようじゃございませんか。狐はきっとどっかにいますよ」
「むむ。こっちが古狸で、相手が狐、一つ穴だからな」
「洒落《しゃれ》ちゃあいけません。真剣ですよ。ともかくも古狸の狐狩というところで、常陸屋の働きをお目にかけようじゃありませんか。いずれ又伺いますが、御代官様にもよろしくお願い申します」
 市五郎に別れて出て、長次郎はその足で高巌寺へゆくと、そこらに群がって飛ぶ赤とんぼうの羽がうららかな秋の日に光って、門の中にはゆうべの風に吹きよせられたいろいろの落葉が、玄関に通う石甃《いしだたみ》を一面にうずめていた。庫裏《くり》をのぞくと、寺男の銀蔵おやじが薄暗い土間で枯れ枝をたばねていた。
「おい、忙がしいかね」と、長次郎は声をかけた。「焚き物はたくさん仕込んで置くがいい。もう直き筑波《つくば》が吹きおろして来るからね」
「やあ、お早うございます」と、銀蔵は手拭の鉢巻を取って会釈した。「まったく朝晩は急に冬らしくなりましたよ。なにしろ十三夜を過ぎちゃあ遣り切れねえ。今朝なんぞはもう薄霜がおりたらしいからね」
「十三夜といやあ、あの晩にゃあ飛んだことがあったそうだね。私もたった今、御代官所の宮坂さんから詳しいことを聞いて来たんだが、働き盛りの若けえのが五人も一度にいぶされちゃあ堪まらねえ。刈り入れを眼のまえにひかえて、どこでも困るだろう。五人の墓はみんなこの寺内にあるんだね」
「そうですよ。先祖代々の墓がみんなこの寺内にあるんだからね。ところが、どうも困ったことが出来てね」
「なんだ。何が困るんだ」と、長次郎はそこに束《たば》ねてある枯れ枝の上に腰をおろした。
「小女郎がやっぱり悪戯《いたずら》をするらしい。毎晩のようにやって来て、五人の墓の前に立っている新らしい塔婆を片っぱしから引っこ抜いてしまうんですよ。花筒の樒《しきみ》の葉は掻きむしってしまう。どうにもこうにも手に負えねえ。初七日《しょなのか》を過ぎてまだ間もねえことだし、親類の人達だって誰が参詣に来ねえとも限らねえから、あまりこう散らかして置いてもよくねえと思って、毎朝わしが綺麗に直して置くと、毎晩|根《こん》よく掻っ散らして行く。こっちも根負けがしてしまって、きのうも佐兵衛どんの兄貴が来た時にその訳をよく話して、もうそのままに打っちゃって置くつもりですよ。けさはまだ行って見ねえが、きっとやっているに相違ねえ。小女郎もあんまり執念ぶけえ。五人の命まで奪ったら、もういい加減に堪忍してやればいいのに……。生霊《いきりょう》や死霊とは違って、あの小女郎ばかりは和尚様の回向《えこう》でも供養でも追っ付かねえ。ほんとうに困ったもんですよ」
「村の者はみんな小女郎の仕業と決めているんだね」
「まあ、そうですよ」と、銀蔵は手拭で洟《はな》をこすりながらうなずいた。「なにしろ子狐を責め殺したのが悪かったんですよ。死んだ者の親戚の人達もまあ仕方がねえと諦めていたんだが、その中でたった一人、今も云った佐兵衛どんの兄貴の善吉、あの男だけはまだそれを疑って、どうも狐の仕業じゃあるめえと云い張っているんだが、ほかにはなんにも証拠も手がかりもねえことだから、どうにもしようがねえ。どう考えても狐の仕業と決めてしまうよりほかはありますめえよ」
「そうさ。それにしても執念ぶかく墓をあらすのは良くねえな。なにしろ、その新ぼとけの墓というのを拝ましてくれねえか」
 銀蔵に案内させて、長次郎は墓場の方へ行ってみると、かなりに広い墓場の入口に先ず六右衛門の墓場を見いだした。墓の前には新しい卒堵婆《そとば》が立っていた。樒の花筒がすこし傾いているのは昨夜の風の為であるらしく、何者にか掻き散らされた形跡も見えなかった。銀蔵は怪訝《けげん》な顔をして眼を見はった。
「はてね。けさは何ともなっていねえぞ」
 彼はあわてて石塔のあいだを駈けまわって、更に次郎兵衛の墓の前に出ると、ここにも卒堵婆や花筒が行儀よく立っていた。それから順々に見てまわると、ほかの三人の墓の前にも今朝はなんの異状もなかった。
「こりゃあ、不思議だ。もう十日にもなるから、小女郎も堪忍してくれたかな」と、銀蔵はほっ[#「ほっ」に傍点]としたように云った。
「きのうの朝はみんな倒してあったんだね」
「塔婆も花筒もみんな打《ぶ》っ倒してあったのを、わしが一々立て直したんですよ」
「むむ」と、長次郎は新らしい卒堵婆の一本に手をかけて、明るい日のひかりに透かして視た。かれは更に自分の足もとを見まわしながら云った。「お前、以前はずいぶん綺麗好きだったが、だんだんに年を取ったせいか、この頃はあんまり掃除が届かねえようだね。きのうここらを掃かねえのかね」
「きのうは葬式《とむらい》で、茶を沸かすやら、火を起すやら、わし一人でなかなかここらの掃除までは手が廻らなかったからねえ」と、銀蔵は笑っていた。
 長次郎は落葉を踏みわけて、五人の墓の卒堵婆を一々見てあるいた。中にはそれを引きぬいて、打ち返してじっと眺めているのもあった。かれは草履の爪さきでうず高い落葉を蹴散らしながら、墓のまわりの湿《しめ》った土の上をいつまでも見廻した。それが済んで引っ返そうとする時に、かれは隅の方に立っている小さい墓にふと眼をつけた。その前に立っている卒堵婆もあまり古いものではないらしく、花筒には野菊の新らしい花がたくさん生けてあった。長次郎は銀蔵を見かえって訊いた。
「あれはどこの墓だね」
「あれかね」と、銀蔵は伸び上がりながら指さした。「あれはおこよ坊の墓ですよ」
「花がたくさん供えてあるじゃねえか。おこよというのは、このあいだ身を投げた娘だろう。違うかね」
「そうですよ。可哀そうなことをしましたよ」
 ふたりの足はおのずとその墓の前に立った。
「おこよの死んだのはいつだっけね」
「先月……ちょうど十五夜の晩でしたよ」
「十五夜か」と、長次郎はすこし考えていた。「一体あの娘《こ》はどうして死んだんだ。いい娘だったという噂だが……」
「川のふちへ芒《すすき》を取りに行って滑り込んだというんだがね。世間じゃあいろいろのことを云いふらす者もあって、何がなんだか判らねえ」
「どんなことを云い触らすんだね」
 云いながら長次郎は身をかがめて、又もやその墓のまわりを身廻していた。
「仏に疵をつけるのはいけねえことだ」と、銀蔵は溜息をついた。「まして若けえ娘っ子に……。あんまり可哀そうで滅多なことは云われねえ」
 かれは固く口をつぐんで、その以上のことは何にも云わなかった。長次郎は無理に訊き出そうともしなかった。銀蔵おやじの強情なことをよく知っている彼は、ここで無益の詮議をするよりも、おこよの死についてはほかに幾らも探索の道があると思ったので、そのままに聞き流してこの寺を出た。

     

「おや、親分さん。いらっしゃいませ」
 茶店の女房は愛想《あいそ》よく長次郎を迎えた。茶店といっても、この村はずれに荒物屋と駄菓子屋とを兼ねている小さい休み茶屋で、店の狭い土間には古びた床几が一脚すえてあった。女房がすぐに持ち出して来た煙草盆と駄菓子の盆とを前に置いて、長次郎は温《ぬる》い番茶を一杯のんだ。店の前には大きい榎《えのき》が目じるしのように突っ立って、おあつらえ向きの日よけになっていた。時候の挨拶や、この出来秋《できあき》の噂などが済んで、長次郎はやがてこんなことを云い出した。
「ねえ、おかみさん。御用でおれは時々こっちへも廻って来るが、もともとこの村の落穂を拾っている雀でねえから、土地の様子はあんまりよく知らねえ。なんでも先月の十五夜の晩に、おこよといういい娘《こ》が川へ陥《はま》って死んだというじゃあねえか」
「ほんとうにあの娘は可哀そうなことをしましたよ」と、女房は俄かに眼をしばたいた。「村では評判の容貌《きりょう》好しで、おとなしい孝行者でしたが、十五夜の晩に芒《すすき》を取りに出たばっかりに、あんなことになってしまって……」
「十五夜は朝から判り切っているのに、日が暮れてから芒を取りに出るということもねえじゃねえか」と、長次郎はあざわらうように云った。「あの娘は幾つだったね」
「十九の厄年です」
「十九といえばもう子供じゃあねえ。お月さまの顔を拝んでから芒を取りに行くほどうっかり[#「うっかり」に傍点]してもいねえ筈だ。親孝行でも、おとなしくても、十九といえば娘盛りだ。おまけに評判の容貌好しというんだから、傍《はた》が打っちゃって置かねえだろう。あの娘が死んだのは、なんでもほかに訳があるんだと世間じゃあ専ら噂しているが、おかみさんは知らねえのかね」
「親分さんもそんな事をお聞き込みでしたか」と、女房は相手の顔をじっと見つめた。
「世間の口に戸は閉《た》てられねえ。粗相《そそう》で死んだのか、身を投げたのか、自然に人が知っているのさ。高巌寺でもそんなことを云っていたっけ」
「高巌寺で……。和尚様ですか、銀蔵さんですか」
「まあ、誰でもいい」と、長次郎はやはり笑っていた。「ねえ、おかみさんも知っているんだろう」
 相手が御用聞きである上に、高巌寺から大抵のことを聞き出して来たらしいので、女房もうっかり釣り込まれて、訳も無しに長次郎の問いに落ちた。その話によると、おこよの死は不思議なことがその原因をなしているのであった。
 おこよは四十を越えた盲目の母とふたりで貧しく暮らしている娘であった。水呑み百姓の父はとうに世を去って、今年十四になる妹娘のお竹は、四里ばかり距《はな》れたところに奉公に出ている。おこよは孝行者で、昼間は庄屋の茂右衛門の家へ台所働きに行って、夜は自分の家に帰って近所の人の賃仕事などをして、どうにか斯《こ》うにか片輪者の母を養っていたが、かれが容貌がいいのはここらでも評判であった。したがって、村の若い者どもから度々なぶられたり袖を曳かれたりしたこともあったが、おとなしい彼女は振り向いても見なかった。
 そのうちに、かれの身の上に思いもよらない幸運が向いて来た。かれの孝行と容貌好しとが隣り村にもきこえたので、相当の家柄の百姓の家から嫁に貰いたいという相談を運んで来て、母も一緒に引き取って不自由させまいというのであった。その媒介人《なこうど》はかの高巌寺の住職で、話はもう半分以上まで進行したときに、今度は思いもよらない不運がかれの上に落ちかかって来た。それは実に飛んでもない話で、かれは彼《か》の小女郎狐と親しくしているという噂であった。
 おこよは用の都合で暮れてから庄屋の家を出ることもあった。その帰り途で、彼女はここらにめずらしい寺小姓風の美少年に出逢って、暗い鎮守の森の奥や、ひと目のない麦畑のなかへ一緒に連れ立って行ったことがある。その美少年は小女郎狐か、もしくはその眷族の化身《けしん》で、かれは畜類とまじわっているのであるという奇怪の噂はだんだんに広まって来た。それが隣り村にもきこえたので、縁談は中途で行き悩みになった。さりとは途方もないことであると、高巌寺の住職はおどろいて怒って、その噂の主《ぬし》をしきりに詮議したが、確かにそれと取り留めたこともないうちに、折角の縁談はとうとう毀れてしまった。それから三日目の十五夜の晩に、おこよの死体は村ざかいの川しもに見いだされた。
 若い美しい娘の死については何かの秘密がまつわっているであろうとは、長次郎も最初から大抵想像していたが、かれの運命もまた小女郎狐に呪《のろ》われていようとはさすがに思いも寄らなかった。
「なるほど飛んでもねえ話だ」と、長次郎も溜息をついた。「しかし隣り村の家というのもあんまり※[#「しんにょう+(山/而)」、第4水準2-89-92]《はや》まっているじゃねえか。ほかの事と違って、嘘かほんとうかよく詮議して見たらよかろうに、それですぐに破談にしてしまうというのは可哀そうだ。それがために容貌よしの孝行娘を殺してしまったんだね」
「ほんとうにむごたらしいことをしましたよ」と女房も鼻をつまらせた。「つまりあの娘《こ》の不運なんですよ。狐のことは嘘かほんとうか判りません。なにをいうにも相手が小女郎さんですから、どんなことをしないとも限りませんけれど……」
 いずれにしても、おこよの死は悼《いた》ましいものであったと、女房はかれの不幸にひどく同情していた。そして、更にこんなことを付け加えて話した。おこよを嫁に貰おうとしたのは、となり村の平左衛門という百姓の家で、かれの夫となるべき平太郎という伜は小女郎狐の噂を絶対に否認して、是非ともおこよを自分の妻にしたいと云い張ったが、父の平左衛門は首をかしげた。むかし気質《かたぎ》の親類どもからも故障が出た。たといそれが嘘であろうとも、ほんとうであろうとも、仮りにもそんな忌《いま》わしい噂を立てられた女を迂濶《うかつ》に引き入れるということは世間の手前もある。ひいては家名にも疵がつく。嫁はあの女に限ったことではない。そういう多数の議論に圧し伏せられて、平太郎はよんどころなしに諦めてしまったが、内心はなかなか諦め切れないでいるところへ、おこよの水死の噂が伝わったので、それは芒を取りに行った為のあやまちではない、その死因はたしかに縁組の破談にあると彼は一途《いちず》に認定した。その以来、彼はなんだか物狂わしいような有様となって、ときどきには取り留めもないことを口走るので、家内の者も心配している。現に二、三日まえにも鎌を持ち出して、これから小女郎狐を退治にゆくと狂いまわるのを、大勢がようように抱き止めたというのであった。
「そうかえ」と、長次郎はまた溜息をついた。「そりゃあ困ったものだ。かさねがさねの災難だね」
「やっぱり小女郎さんが祟っているのかも知れません」と、女房は怖ろしそうにささやいた。「そればかりじゃありません。親分も御承知でしょうが、お庄屋さんの猪番小屋で五人も一緒に死ぬという、あれも唯事じゃありますまい」
 云うときに店の前に餌を拾っている雀がおどろいたようにぱっ[#「ぱっ」に傍点]と起ったので、長次郎はふとそっちに眼をやると、大きい榎のかげから一人の男が忍ぶように出て行った。長次郎はそのうしろ影を頤《あご》で指しながら小声で女房に訊いた。
「あの男は誰だえ。村の者だろう」
「善吉さんのようです」と、女房は伸びあがりながら云った。「このあいだ、猪番小屋で死んだ佐兵衛さんの兄さんですよ」
「むむ、そうか」
 長次郎はうなずきながらそっと店の先に出て、再び彼のうしろ姿を見送ると、善吉はなにか思案に耽っているらしく、俯向き勝ちにぼんやりと歩いて行った。うしろ姿から想像すると、かれはまだ二十四五の若い者であるらしかった。寺男の銀蔵おやじの話によると、かれは弟の横死を狐の仕業と信じていないという。――その話を長次郎は今更のように思い出した。
「おかみさん。どうもいつまでもおしゃべりしてしまった。だが、まあ気をつけねえ。お前のような年増盛りは、いつ小女郎に魅《み》こまれるかも知れねえ」
「ほほ、忌《いや》でございますよ。毎度ありがとうございました」
 茶代を置いて、長次郎はそこを出た。この村にはほかに知っている家もないので、彼はもう一度代官の屋敷へ引っ返して、宮坂のところで午飯を食わせて貰って、それから遠くもない隣り村へ出かけて行った。平左衛門の家の近所へ行って、よそながら平太郎の噂を聞くと、彼がこのごろ少し物狂わしくなったのは事実で、この月初めから二、三度も家を飛び出したことがある。世間の聞えをはばかって親達はそれを秘密にしているが、自分の妻にと思い込んだ女が突然に悲惨の死を遂げると同時に、かれも取り乱して本性を失ったのは、近所でもみな知っているとのことであった。平太郎は今年|二十歳《はたち》で、ふだんがおとなしい男であるだけに、一時に赫《かっ》と取り詰めたのであろうという者もあったが、大体に於いてはやはり彼《か》の小女郎の仕業という説が勝を占めていた。小女郎さんが魅《み》こんでいる女を横取りして自分の女房にしようとしたので、その祟りで女は執り殺された。平太郎にも狐が乗り憑《うつ》って、あんな乱心の体たらくになったのであると、顔をしかめてささやくものが多かった。
 乱心して時々に家を飛び出す男――すでに乱心している以上は何事と仕出《しで》かすか判らない。長次郎は更に平左衛門の家の作男《さくおとこ》をそっと呼び出して、主人の伜はこの十三夜の夜ふけに寝床をぬけ出して村境の川縁《かわべり》にさまよっていたのを、ようように見つけ出して連れ戻ったという事実を新らしく聞き出した。その家は成程ここらでも相当の旧家であるらしく、古い門の内には広い空地《あきち》があって、大きい柿の実の一面に色づいているのも何となく富裕にみえた。作男と話しながら、長次郎はときどき門の内を覗いていると、ひとりの若い男が何処からか不意にあらわれた。かれは跳りあがって長次郎の眼の前に突っ立った。
「さあ、一緒に来い。小女郎めを退治に行くから」
 それが平太郎であることを長次郎はすぐに覚った。彼はつづいて叫んだ。
「小女郎ばかりでねえ。佐兵衛も六右衛門もみな殺してやる。あいつらは狐の廻し者だ。あと方もねえことを触れて歩きゃあがって、おれの女房を狐の餌食《えじき》にしてしまやがった」
 長次郎は笑いながら彼の蒼ざめた顔をじっと眺めていた。

     

 その晩、新石下の村でまた一つの事件が起った。かの善吉の妹のお徳が兄の寝酒を買いに出た帰り途に、田圃路《たんぼみち》で何者にか傷つけられた。善吉と佐兵衛とお徳とは三人の兄妹《きょうだい》で、かれはまだ十五の小娘であった。近ごろ中《なか》の兄を失って心さびしい彼女は、宵闇の田圃路を急ぎ足にたどって来ると、暗いなかから何者かが獣のように飛び出して来て、だしぬけに彼女の顔を掻きむしったので、お徳はきゃっ[#「きゃっ」に傍点]と悲鳴をあげて、手に持っていた徳利を捨てて逃げ出した。ようように家へころげ込んで母や兄に見て貰うと、かれは頬や頸筋をめちゃくちゃに引っ掻かれて、その爪あとには、生血《なまち》がにじみ出していた。
「狐の仕業《しわざ》だ。佐兵衛を殺したばかりでは気が済まねえで、今度は妹に祟ったのに相違ねえ」
 こんな噂が又すぐに村じゅうにひろがった。これも寝酒を買いに出た高巌寺の銀蔵は、途中でその噂を聞いて急に薄気味悪くなって、どうしようかと路ばたに突っ立って思案していると、不意にその肩を叩く者があった。ぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]として透かしてみると、頬かむりをした長次郎が暗い蔭に忍んでいた。
「おお、親分。お聞きでしたか、小女郎がまた何か悪さをしたそうで……」
「そんな話だ」と、長次郎はうなずいた。「ときにお前に無心がある。今夜はお前のところへ一と晩泊めてくれねえか」
 耳に口を寄せてささやくと、銀蔵も幾たびかうなずいた。
「わかりました、判りました。さあ、すぐにお出でなせえ」
「お前、どっかへ行くんじゃあねえか」
「寝酒を一合買いに行こうと思ったんだが、まあ止《よ》しだ」
「酒はおれが買う。遠慮なく行って来ねえ」
「だが、まあ止そうよ」
「じいさんも狐が怖いか」と、長次郎は笑った。
「あんまり心持がよくねえ。おまけに今夜は闇だから」
 銀蔵は長次郎と一緒に引っ返した。庫裏《くり》に隣った彼の狭い部屋に案内されて、長次郎は炉の前でしばらく世間話などをしていたが、やがて四ツ(午後十時)に近いころに、彼は再び手拭に顔をつつんで暗い墓場の奥へ忍んで行った。宵闇空には細かな糠星《ぬかぼし》が一面にかがやいて、そこらの草には夜露が深くおりていた。大きい石塔のかげに這いかがんで、長次郎はしずかに夜のふけるのを待っていると、そより[#「そより」に傍点]とも風の吹かない夜ではあったが、秋ももう半ばに近いこの頃の夜寒が身にしみて、鳴き弱った※[#「虫+車」、第3水準1-91-55]の声が悲しくきこえた。
 半時あまりも息を殺していると、うしろの小さい丘を越えて、湿《しめ》った落葉を踏んで来るような足音がかさこそ[#「かさこそ」に傍点]と微かにひびいた。長次郎は耳を地につけて聞き澄ましていると、その小さい足音はだんだんにこちらへ近づいて、墓場の垣根をくぐって来るらしかった。垣根はほんの型ばかりに粗《あら》く結ってあるので、誰でも自由にくぐり込むことを長次郎は知っていた。星のひかりに透かしてみると、黒い小さい影は犬のように垣根をくぐって、一つの石塔の前に近寄ったかと思うと、その石塔の暗いかげからも又ひとつの黒い大きい影が突然あらわれた。
 大きい影は飛びかかって、小さい影を捻じ伏せようとするらしかった。小さい影は振り放そうと争っているらしく、二つの影は無言で暗いなかに縺《もつ》れ合っていた。やがて小さい影が組み伏せられたらしいのを見たときに、長次郎も自分の隠れ家から飛び出して、まずその大きい影を捕えようとすると、彼はそこにある卒堵婆を引きぬいて滅多なぐりに打ち払った。その隙をうかがって小さい影は掻いくぐって逃げようとしたが、大きい影はその掴んだ手を容易にゆるめなかった。長次郎に卒堵婆を叩き落されて、大きい影がそこに引き据えられると同時に、小さい影も一緒に倒れた。袂から呼子の笛を探り出して、長次郎がふた声三声ふき立てると、それを合図に銀蔵が枯枝の大松明《おおたいまつ》をふり照らして駈け付けた。
 松明の火に照らし出された二人の影の正体は、二十四五の大男と十四の小娘とであった。銀蔵は先ずおどろいて声をあげた。
「あれ、まあ、善吉どんにお竹っ子か」
 男は佐兵衛の兄の善吉であった。娘はかのおこよの妹のお竹であった。自分の弟の松葉いぶしに逢ったのを小女郎狐の仕業と確信することの出来ない善吉は、その墓をあらす者をも併せて疑って、果たしてそれが狐であるか無いかを確かめるために、かれは誰にも知らさずに昨夜もこの墓場に潜んでいると、夜の明けるまで何者も忍んで来る形跡はなかった。きょうの午前《ひるまえ》に、かれが村はずれの休み茶屋を通りかかると、茶屋の女房が客を相手に小女郎狐の噂をしていた。それがふと耳にはいったので、彼は店さきの榎のかげに隠れて立ち聴きをしていると、隣り村の平太郎の噂が耳にはいった。それに就いては少し思い当ることもあるので、かれは松葉いぶしの下手人の疑いを平太郎の上に置いた。そうして弟の仇を取るために、その方面にむかって探索しようと決心していると、その宵には妹のお徳が何者にか傷つけられた。かさねがさねの禍《わざわ》いに彼はいよいよ焦燥《いらだ》って、もう一度その実否《じっぴ》をたしかめるために、今夜もこの寺内に忍び込んで、長次郎より一と足さきに墓場にかくれて、自分の弟の墓のかげに夜のふけるのを待っていたのであった。
 さすがは商売人だけに、長次郎は足音をぬすむに馴れているので、善吉もそれには気がつかなかった。お竹の足音はすぐに判ったので、彼はその近寄るのを待ち受けて、とうとう彼女を取り押えた。しかしその曲者が十四の小娘であったのは、彼に取っても意外の事実であったらしく、善吉はいたずらに眼をみはって、松明の下にうずくまっているお竹の姿を見つめていた。
「お前はここへなにしに来た」と、長次郎は先ずお竹に訊いた。
「姉の墓まいりに……」
「そんならなぜ垣をくぐって来た」
「お寺の御門がもう閉まって居りましたから」と、お竹は小声ながらはっきりと答えた。
「むむ、子供のくせになかなか利口だな」と、長次郎は笑った。「よし、判った。それじゃあこっちへちょいと来い」
 かれはお竹を弥五郎の墓の前に連れて行って、一本の新らしい卒堵婆をぬいて見せた。銀蔵もあとから付いて来て松明をかざした。
「おい、お竹。お前の手を出してみろ」
「はい」
 何ごころなく差し出す彼女が右の手をぐっ[#「ぐっ」に傍点]と引っ掴んで、長次郎は卒堵婆の上に押し付けた。
「さあ、悪いことは出来ねえぞ。この塔婆にうすく残っている泥のあとを見ろ。泥のついた手でこの塔婆をつかんで引き抜いたから、指のあとがちゃんと付いている。どうも子供の手の痕らしいと思ったら、案の通りだ。てめえ、毎晩この墓場へ忍んで来て、塔婆を引っこ抜いたろう。花筒を掻っ散らしたろう。さあ、白状しろ。まだそればかりでねえ、てめえは庄屋の猪番小屋へ行って何をした」
 お竹はだまって俯向いていた。
「さあ、素直に云え」と、長次郎は畳かけて云った。「手前はなんの訳で墓あらしをしたんだ。いや、まだほかにも証拠がある。この五人の墓のまわりに小さい足跡が付いていることも昼間のうちにちゃん[#「ちゃん」に傍点]と見て置いたんだぞ。いくら強情を張っても、墓あらしはもう手前と決まっているが、猪番小屋の方はどうだ。これも確かに手前だろう。さあ、神妙に申し立てろ。さもないと盲目のおふくろを代官所へ引き摺って行って水牢へ叩き込むが、いいか」
 お竹はわっ[#「わっ」に傍点]と泣き出した。
「もう仕方がねえ。お前、おぼえのあることなら、親分さんの前で正直に云ってしまう方がよかろうぜ」と、銀蔵もそばからお竹に注意した。
 長次郎はともかくも、善吉とお竹を庫裏の土間へ引っ立てて行った。そうして、だんだん吟味すると、善吉が墓場に忍んでいた仔細は前にもいう通りの簡単なものであったが、お竹がそこへ忍んで来たのには驚くべき事情がひそんでいた。庄屋の猪番小屋に松葉と青唐辛とを積み込んで、番人をあわせて五人の男をいぶし殺したのは彼女の仕業であった。小女郎狐の正体はことし十四の少女であった。
 もう逃がれられないと覚悟したらしく、お竹は長次郎の前で何事も正直に申し立てた。かれは姉のかたきを取るために、男五人をむごたらしくいぶし殺したのであった。姉が変死の報らせを受け取って、かれは四里ほど離れている奉公先から暇を貰って帰ってくると、盲目《めくら》の母はただ悲嘆に沈んでいるばかりで、くわしい事情もよく判らなかったが、姉のおこよが縁組の破談から自殺を遂げたらしいことは、年のゆかない彼女にも想像された。そればかりでなく、かれは仏壇の奥から姉の書置を発見した。母は盲目でなんの気もつかなかったのであるが、お竹はすぐそれに眼をつけて、とりあえず開封してみると、それは姉から妹にあてたもので、おこよの死因は明白に記《しる》されてあった。
 おこよが隣り村へ縁付くことになったのを妬《ねた》んで、今まで自分たちの恋のかなわなかった若い者どもが、隣り村へ行って途方もないことを云い触らした。それは彼女が小女郎狐と親しくしているという噂で、かれはもう狐の胤《たね》を宿しているとまで吹聴した。罪の深いこの流言が正直な人達をまどわして、かれらが目論《もくろ》んだ通りおこよの縁談は無残に破れてしまった。それを云い触らした発頭人《ほっとうにん》はかの七助をはじめとして、佐兵衛、次郎兵衛、六右衛門、弥五郎、甚太郎、権十の七人であった。おこよは自分の縁談の破れたのを悲しむよりも、人間の身として畜生と交わりをしたという途方もない事実を云い触らされたのを非常に恥じて怨《うら》んだ。おとなしい彼女は世間にもう顔向けができないように思って、その事実の有無《うむ》を弁解するよりも、いっそ死んだ方が優《まし》であると一途に思いつめた。彼女はその書置に七人のかたきの名を記して、姉の恨みを必ず晴らしてくれと妹に頼んで死んだ。
 姉と違って勝ち気に生まれたお竹は、その書置を読まされて身も顫《ふる》うばかりに憤った。あられもない濡衣《ぬれぎぬ》をきせて、たった一人の姉を狂い死にさせた七人のかたきを唯そのままに置くまいと堅く決心したが、なにをいうにも相手はみな大の男である。ことし十四の小娘の腕ひとつで、容易にその復讐はおぼつかないので、しばらく忍んで時節を窺っているうちに、あたかもかの佐兵衛ら七人が十三夜の宵から猪番小屋にあつまったのを知って、かれは小屋の外にかくれて彼等の酔い倒れるのを待っていた。しかし自分の小腕で七人の男を刺し殺すことはむずかしいと思ったので、かれは俄かに松葉いぶしを思い立って、そこらから松葉や青唐辛をあつめて来て、七人のかたきを狐か狸のようにいぶしてしまった。
 お竹はその足ですぐに代官所へ名乗って出るつもりであったが、母のことを思い出して又躊躇した。姉も自分もこの世を去っては、盲目の母を誰が養ってくれるであろう。それを思うと、かれは命が惜しくなった。一日でも生きられるだけは生き延びるのが親孝行であると思い直して、かれは人に覚られないのを幸いに自分の家に逃げて帰った。偶然に思いついた松葉いぶしが勿怪《もっけ》の仕合わせで、世間ではそれを狐の祟りと信じているらしいので、彼女はひそかに安心していたが、それでもまだなんだか不安にも思われるので、それが確かに狐の仕業であるということを裏書きするために、かれは更に高巌寺に忍んで行って、五人の墓をたびたびあらした。しかし五人の遺族のうちで、佐兵衛の兄だけは狐の仕業であるか無いかを疑っているという噂があるので、かれは飽くまで狐であることを信用させるために、暗い田圃のなかに待ち受けていて、善吉の妹をも傷つけた。相手の顔を掻きむしったのも、狐の仕業と思わせる一つの手だてであった。乱心の平太郎がこの事件になんの関係もないことは明白であった。
「わたしくが生きて居りませんと、片輪の母を養うものがございません。もう一つには仇のうちで五人は首尾よく仕留めましたが、二人は助かりました。その二人を仕留めませんでは、姉の位牌に申し訳がないと存じまして、今まで卑怯にかくれて居りました。それがためにいろいろ御手数をかけまして重々恐れ入りました」
 お竹は悪びれずに申し立てた。

 この捌きには、土地の役人共も頭を悩まして、例の「御伺」を江戸へ差し立てると、ひと月余りの後に「御差図書」が廻って来た。江戸の奉行所の断案によると、かの七人の者どもは重罪である。あと方もなき風説を云い触らして、それがためにおこよという女を殺したのは憎むべき所業である。殊に人間が畜生の交わりをしたなどというのは、人倫を紊《みだ》るの罪重々である。すでに死去したものは是非ないが、生き残った甚太郎と権十の二人には死罪を申し付くべしというのであった。
 お竹は幼年の身として姉のかたきを討ったのは奇特《きどく》のことである。一切お咎めのない筈であるが、彼女はその罪跡を掩わんがために、墓場をあらしたのと、罪もないお徳の顔を掻きむしったのと、この二つの科《とが》によって所払いを申し付ける。しかし盲目の母を引き連れて流転《るてん》するのは難儀のことと察しられるから、村方一同はかれに代って母の一生を扶持すべしとあった。
 これでこの一件も落着《らくぢゃく》した。人間の幸不幸は実にわからない。幸いにいぶし殺されるのを免かれた甚太郎と権十とは一旦入牢の上で、やがて死刑に行なわれた。
 お竹は村を立ち退いて、水戸の城下へ再び奉公に出た。盲目の母は高巌寺に引き取られて村方から毎年何俵かの米を貰うことになった。その以来、この村では小女郎狐の噂も絶えてしまった。

底本:「時代推理小説 半七捕物帳(二)」光文社文庫、光文社
   1986(昭和61)年3月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:菅野朋子
1999年9月25日公開
2004年2月29日修正
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岡本綺堂

半七捕物帳 半七先生—-岡本綺堂

    

 わたしがいつでも通される横六畳の座敷には、そこに少しく不釣合いだと思われるような大きい立派な額《がく》がかけられて、額には草書《そうしょ》で『報恩額』と筆太《ふでぶと》にしるしてあった。嘉永|庚戌《かのえいぬ》、七月、山村菱秋書という落款《らくかん》で、半七先生に贈ると書いてあるのも何だかおかしいようにも思われた。この額のいわれを一度きいて見ようと思いながら、いつもほかの話にまぎれて忘れていたが、ある時ふと気がついてそれを言い出すと、老人は持っている煙管《きせる》でその額を指しながら大きく笑った。
「はは、これですか。ははははは。どうです、半七先生が面白いじゃありませんか。これでも先生ですぜ。この額をかいてくれたのは、神田の手習い師匠の山村小左衛門という人で、菱秋《りょうしゅう》というのは其の人の号ですよ」
「それにしても、報恩額というのはどういう訳です。なにかのお礼にでも書いてくれたんですか」と、わたしは訊《き》いた。
「そうですよ。まあ、お礼の心で書いてくれたんです。それにはこういう因縁があるので……。又いつもの手柄話をして聴かせますかね」

 嘉永三年七月六日の宵は、二つの星のためにあしたを祝福するように、あざやかに晴れ渡っていた。七夕《たなばた》まつりはその前日から準備をしておくのが習いであるので、糸いろいろの竹の花とむかしの俳人に詠《よ》まれた笹竹は、きょうから家々の上にたかく立てられて、五色《ごしき》にいろどられた色紙《いろがみ》や短尺《たんざく》が夜風にゆるくながれているのは、いつもの七夕の夜と変らなかったが、今年は残暑が強いので、それは姿ばかりの秋であった。とても早くは寝られないので、どこの店さきも何処の縁台も涼みながらの話し声で賑わっていた。半七も物干《ものほし》へあがって、今夜からもう流れているらしい天《あま》の河をながめていると、下から女房のお仙が声をかけた。
「ちょいと、お粂《くめ》さんが来てよ」
「そうか」と、云ったばかりで、半七はべつに気にも留めないでいると、つづいてお粂の声がきこえた。
「兄さん。ちょいと降りて来てくださいよ。すこし話があるんだから」
「なんだ」
 団扇《うちわ》を持って降りてくると、お粂は待ち兼ねたように摺り寄って云った。
「あの、早速ですがね、おまえさんも知っているでしょう、甲州屋のなあ[#「なあ」に傍点]ちゃんを……」
「むむ、知っている」
 半七の妹が神田の明神下に常磐津の師匠をして、母と共に暮らしていることは、前にもしばしば云った。そのすぐ近所に甲州屋という生薬屋《きぐすりや》があって、そこのお直《なお》という娘がお粂のところへ稽古に通っているのを、半七も知っていた。
「そのなあちゃんが何処へか行ってしまったのよ」と、お粂は少し小声で云った。
 かれの訴えによると、お直のなあ[#「なあ」に傍点]ちゃんは行方不明になったというのである。お直はことし十三で、手習い師匠山村小左衛門へも通っていた。山村は甲州屋から三町あまり距《はな》れているところに古く住んで、常に八九十から百人あまりの弟子を教えていて、書流は江戸時代に最も多い溝口《みぞぐち》流であった。手習い一方でなく、十露盤《そろばん》も教えていたが、人物も手堅く、教授もなかなか親切であるというので、親たちのあいだには評判がよかった。しかし弟子のしつけ方がすこぶる厳しい方で、かの寺小屋の芝居でもみる涎《よだれ》くりのように、水を持って立たされる手習い子が毎日幾人もあった。少し怠けると、すぐ大叱言《おおこごと》のかみなりが頭の上に落ちかかって来るので、いわゆる「雷師匠」として弟子たちにひどく恐れられていた。
 手習い子は手ならい草紙《そうし》で習って、ときどきに清書草紙に書くのであるが、そのなかでも正月の書初《かきぞ》めと、七月の七夕祭りとが、一年に二度の大清書《おおぜいしょ》というので、正月には別に半紙にかいて、稽古場の鴨居《かもい》に貼りつける。大きい子どもは唐紙《とうし》や白紙に書くのもある。七夕には五色のいろ紙に書いて笹竹に下げる。これは普通の色紙《しきし》でなく、その時節にかぎって市中の紙屋で売っている薄い短尺《たんざく》型の廉《やす》い紙きれであるが、この時にも大きい子供はほんとうの色紙や短尺に書くのもある。七月に入ると、手習い子はみな下清書をはじめて、前日の六日にいよいよ其の大清書にかかるのである。それが一種の学年試験のようなもので、師匠は一々それを審査して、その成績の順序を定めるのであるから、子供ごころにも競争心がないでもない。上位の方に択《よ》り出されたといえば、その親たちも鼻を高くするのである。きょうはその大清書の日で、甲州屋のお直も紅い短尺に何かの歌を書かされたのであるが、それがひどく出来がわるいというので師匠の小左衛門から叱られた。
 お直は手習いの成績はよい方であったが、今度はどうしたものか非常に出来が悪かったので、笹竹のずっと下の方にかけられた。ここの師匠は成績の順序で色紙《いろがみ》をかけるので、第一番のものは笹竹の頂上にひるがえっていて、それから順々に、下枝におりて来るのであった。お直は自分の短尺が同年の稽古朋輩のなかでも甚だしく下の方にかけられてあるのを見て、さっきからもう泣き声になっていたところを、更に師匠からきびしく叱られたので、彼女はとうとう声をあげて泣き出した。師匠の御新造《ごしんぞ》がさすがに気の毒がって、泣いているお直をなだめて帰してやったが、一人で帰すのはなんだか心もとないので、お力《りき》という近所の娘を一緒につけて出すと、お直は途中で不意にお力のそばを離れて横町へ駈け込んだまま姿を見うしなってしまった。それはきょうの午頃《ひるごろ》のことで、お直はそれぎり自分の店へも戻らないのであった。
 お粂がそれを知ったのは夕方のことで、もしやこちらにお直は来ていないかと甲州屋から聞きあわせに来たので、だんだんその仔細を訊《き》いてみると、それが手習いの帰りにゆくえ不明となったことが初めて判った。殊に前に云ったような事情があるだけに、お粂も一種の不安を感じて、日が暮れてから甲州屋をたずねると、お直はまだ帰らないとのことであった。親たちも心配して、親類や友達などの心あたりを方々聞きあわせたが、彼女はどこへも立ち廻った形跡はなかった。
 稽古帰りに無断でよそへ廻るなどは、今までかつて例のないことであると、甲州屋では云っていた。念のために師匠のところへも報《し》らせてやると、小左衛門の御新造のお貞もおどろいて駈けつけて来たが、どの人もただ心配するばかりでどうする術《すべ》も知らなかった。こうしているうちに時刻はだんだんに過ぎてゆくので、人々の不安はいよいよ募《つの》って来た。この場合、兄をたのむよりほかはないと思ったので、お粂はそのわけを人々にも話して、あまの河の大きく横たわっている空の下を神田三河町まで急いで来たのであった。
「ねえ、なあちゃんはどうしたんでしょう」と、お粂はこの話を終って兄の顔を見つめた。
「なにしろ、甲州屋でも心配しているだろう」
 半七はこれにやや似た探索の経験をもっていた。それは前に云った「朝顔屋敷」の一件であるが、それとこれとは全く事情が違っているらしく感じられた。
「お師匠さんがあんまり叱ったから悪いんだわね」と、女房のお仙がそばから口を出した。
「そりゃあそうですともさ」と、お粂は腹立たしそうに答えた。「かみなり師匠があんまりがみがみ云うからですわ。何か悪い事でもしたというなら格別、たなばた様の短尺なんぞちっとぐらい出来が悪いからといって、そんなに叱る事はないじゃありませんか。まして男と違って女の子ですもの、むやみな叱言《こごと》を云えば何事が出来《しゅったい》するかわからない。一体、あの雷師匠が判らずやなんですからね、ただむやみに呶鳴《どな》り散らせばいいかと思って……。あんなことで子供たちを仕立てて行かれるもんですかよ」
 彼女は口をきわめて雷師匠を罵《ののし》った。まえにも云う通り、小左衛門は手堅い人物であるので、ふだんから自分の手習い子が遊芸の稽古所などへ通うのをあまり懌《よろこ》ばないふうであった。それが自然とお粂の耳にもひびいているので、この場合、かみなり師匠に対する彼女の反感は一層強いらしかった。
「大勢のまえであまり激しく叱り付けられたもんだから、気の小さいなあ[#「なあ」に傍点]ちゃんは朋輩にきまりも悪し、家《うち》へ帰れば又叱られるだろうと思って、可哀そうに何処へか姿をかくしてしまったんですよ。ひょっとすると、井戸か川へでも飛び込んだかも知れない。そうなれば師匠が弟子を殺したも同然じゃありませんか。かみなり師匠の奴が下手人《げしゅにん》ですわ」と、お粂は泣き声をふるわせて又罵った。
「まあ、静かにしろ」と、半七は叱るように云った。「そんなことは今更云ったって始まらねえ。まあ、落ち着いて考えさせてくれ。甲州屋の娘もまだ十二や十三じゃあ、色気の方は大丈夫だろう」
「そりゃあ大丈夫。そんなことの無いのはあたしが受け合います」
「内輪《うちわ》になにも面倒はあるめえな」
「そんなことはない筈です」
 お直には藤太郎という兄がある。両親も揃っている。店の若い衆が二人と小僧が三人、ほかにはお広という老婢《ばあや》と、おすみという若い下女がいる。店がかりは派手でないが、手堅い商売をして内証も裕《ゆたか》であるらしい。親類たちのあいだにも面倒が起ったという噂も聞かない。したがって今度のお直の家出も、内輪の事情からではないに決まっていると、お粂は保証するように云った。
「そうか」と、半七はまだ考えていた。「だが、おめえばかりの話じゃあ判らねえ。ともかくも甲州屋へ行ってみよう」
「ああ、すぐに来てください」
 お粂は兄をうながして表へ出ると、暑いと云っても旧暦の七月の宵はおいおいに更《ふ》けて、夜の露らしいものが大屋根の笹竹にしっとりと降《お》りているらしかった。

     

 甲州屋へ行って、お直の親たちにも逢ったが、お粂が持ってきた報告以外の新らしい事実を、半七はなんにも探り出すことが出来なかった。どの人の意見もお粂と同様で、短尺の不出来と師匠の叱言《こごと》とが気の小さい娘をどこへか追いやったのであるということに一致していた。半七も先ずそう考えるよりほかはなかった。
 越《こし》ヶ谷《や》の方に甲州屋の親類があって、お直は母につれられて一度行ったことがあるので、よもやとは思うものの、兄の藤太郎が店の者をつれて、あしたの早朝に越ヶ谷へ訪ねてゆくことになっている。甲州屋に取っては、それがおぼつかない一縷《いちる》の望みであった。娘が家出のことは無論、町《ちょう》役人にも届けて置いた。両国や永代《えいたい》の川筋へも人をやって、その注意を橋番にもたのんで置いた。甲州屋としては、もうほかに施《ほどこ》すべき手だてもないので、半七は今更なんの助言をあたえようもなかった。しかし明日《あした》になったならば、子分の者どもに云いつけて、せいぜい心あたりを探させてみることを約束して、半七はもう四ツ(午後十時)頃、甲州屋を出ると、まだ半町も行き過ぎないうちに、あとから息を切って追ってくるものがあった。
「もし、親分さん、三河町の親分さん」
 女の声らしいので、誰かと思って立ち止まると、それは甲州屋のばあやのお広で、かれはあわただしくささやいた。
「親分さんに少し内々《ないない》で申し上げて置きたいことがございますが……。旦那やおかみさんは滅多《めった》にそんなことを云っちゃあならないと云っているのですが、どうも黙って居りましては気が済みませんので……。ちょいとお前さんのお耳に入れて置きたいと存じますが……」
 お広はお直の乳母として雇われたものであったが、その儘そこに長年《ちょうねん》して、お直が生長の後までもばあや[#「ばあや」に傍点]と呼ばれて奉公しているのであった。年はもう四十ぐらいの大柄な女で、ふだんから正直でよく働くと云われていた。
「そこで、どんな話ですえ」と、半七は小声できいた。
「申してもよろしゅうございましょうか」
「なんでもいいから聴かせてもらおうじゃあねえか」
「では、これはただ内々で申し上げるのでございますが……」
 まえ置きをして、お広がそっと話し出すのを聴くと、お広はきょうお直と一緒に帰って来たというお力がどうも怪しいというのであった。お力の家は隣り町《ちょう》の倉田屋という瀬戸物屋で、甲州屋とはふだんから心安く交際しているのであるが、倉田屋の女房はひどく見得坊《みえぼう》で、おまけに僻《ひが》み根性《こんじょう》が強くて、お広の眼から見るとどうも面白くない質《たち》の女であるらしい。倉田屋には二人の娘があって、姉のお紋は今年十八で、妹のお力はお直と同い年の十三である。その姉娘のお紋をお直の兄の藤太郎の嫁にくれるというような話が、かつて双方の親たちのあいだに起った事もあったが、別にたしかに取り極めた約束というでもなくて、まずそのままになっているうちに、甲州屋では今度京橋の同業者の店から嫁を貰う相談がまとまって、この九月にはいよいよ婚礼をすることになった。それを洩れ聞いて、倉田屋ではひどく怒っているらしい。勿論、許嫁《いいなずけ》というわけでもないので、表向きに苦情を持ち込んでくることは出来なかったが、内心では甲州屋を怨んでいるらしい。殊にひがみ根性の強い倉田屋の女房は、平生《へいぜい》あれほど懇意にしていながら、あまりに人を踏みつけにした仕方であると云って非常にくやしがっていることは、出入りの女髪結《おんなかみゆい》の口からも聞いている。現にこのあいだ、お広が倉田屋へ買物に行った時にも、女房は口に針を含んでいるような忌味《いやみ》を云った。それらの事情から考えると、倉田屋ではそれを根に持って、藤太郎の妹のお直に対して何かの復讐を加えたのではあるまいかというのであった。
「ふうむ、それは初めて聴いた」と、半七はうなずいた。「だが、唯それだけのことで、ほかにはもう証拠らしいものはないんだね」
「それに、倉田屋ではどうもなあ[#「なあ」に傍点]ちゃんを怨んでいるらしいんです」と、お広はさらに説明した。
「なあ[#「なあ」に傍点]ちゃんはお力ちゃんのところへ始終遊びに行くので、姉さんのお紋さんともよく識《し》っています。それで、こっちでお紋さんをもらうのを見合わせたのは、なあ[#「なあ」に傍点]ちゃんが何か親たちや兄さんにいいつけ口をしたように思っているらしいんです。一体、お紋さんという子も阿母《おっか》さんに似た見得坊で、おしゃべりのお転婆《てんば》で、近所で誰も褒める者はありゃしません。甲州屋でお嫁に貰うのを見合わせたのも、つまりはそのせいなんですが、それがやっぱり身贔屓《みびいき》で、自分の娘の悪いことは棚にあげて、ふだん遊びに行くなあ[#「なあ」に傍点]ちゃんが、家へ帰って何か讒訴《ざんそ》でもしたように思い込んでいるらしいんです。ひがみ根性の強いおかみさんのことですから、それも仕方がありませんけれども、外道《げどう》の逆恨《さかうら》みでむやみに人を怨んで、おまけに罪もないなあちゃんを疑って、万一そんなことを仕出来《しでか》したとすれば、どうしたって打《う》っちゃって置くことが出来ません。旦那やおかみさんが何と云おうとも、わたくしが黙っていられません。ねえ、親分さん。そうじゃございませんか」
 これはお広の一料簡でなく、甲州屋の親たちも内々のうたがいを懐《いだ》いていながら、迂闊《うかつ》にそんなことを口外することは出来ないので、わざと自分のあとを追わせて、お広の一料簡のつもりで密告させたのではあるまいかと半七は思った。
「それで、そのお力という娘はどんな子だえ」
「やっぱり阿母さんや姉さんにそっくりで、なかなかお転婆の、強い子なんですよ。からだも大きくって、なあ[#「なあ」に傍点]ちゃんと同い年ですけれど二つぐらいも年上にみえます」
「そうか。それじゃあともかくもその倉田屋へ行ってみよう。もう寝たかも知れねえが、まあ其の家《うち》だけでも教えてもらおう」
 お広に案内させて、半七は引っ返した。その瀬戸物屋は甲州屋の隣り町角から四軒目で、間口は三間か三間半ぐらいもあるらしく、その店がまえは悪そうもなかった。表の大戸はもう卸《おろ》してあったが、軒の下に細長い床几《しょうぎ》を置いて、ひとりの若い者と小僧とが涼んでいた。となりの糸屋は店を半分あけていて、その前にもやはり二、三人の男がたたずんで何かしゃべっていた。どこかで籠の虫の声もきこえた。
 途中で申し合わせてあるので、お広は近寄って倉田屋の若い者に声をかけた。
「今晩は……。どうもいつまでもお暑いことでございます」
「やあ、今晩は……」と、若い者も挨拶しながら床几を起《た》ちあがった。「ばあやさん。なあちゃんは帰りましたか」
 甲州屋からは昼間と宵と二度も聞きあわせの使が来ているので、ここの店の者共もお直が家出のことを知っていた。まだ帰らないというお広の返事をきいて、若い者も気の毒そうに云った。
「どうしたんでしょうねえ。内のおかみさんも大変に心配しているんですよ。お力ちゃんが一緒に帰ってきて、途中でこんなことがあっちゃあ、甲州屋さんにも申し訳がないと云って……」
「皆さんはもうお寝《やす》みになりましたか」と、お広は訊《き》いた。
「ええ、おかみさんもお紋さんもよそから帰って来て、もうすこし前に寝ましたが、起しましょうか」
「いいえ、それには及びません」
「ばあやさんはまだ探して歩いているんですかえ」
「なにしろ心配でなりませんからね。この方とごいっしょに、あてども無しにそこらを探してあるいているんです」
「それは御苦労さまですね。お察し申します」
「どうぞ皆さんによろしく」
 こんな挨拶をして、お広はここを立ち去った。半七もあとから黙って付いて行った。夜もおいおいに更《ふ》けて来て、とても今夜のことには行きそうもないので、半七は町内の角でお広に別れた。
 家へ帰る途中で、半七はいろいろに考えた。若い娘が清書の不出来を師匠に叱られて、朋輩の手前、親の手前、面目なさに姿をかくすというようなことは、あながち世間に例のない話でもない。お粂の意見もそれであった。婚礼を破談にされた遺恨から、心のひがんだ女親がその復讐のために、相手の男の妹娘をどこへか隠したのであろうというお広の密告は、少しく穿《うが》ち過ぎた想像ではあるが、そんなことが決してないとは云えない。一途《いちず》に思いつめた女の心のおそろしいことを、半七は多年の経験でよく知っていた。お粂の判断は自然であり、お広の想像はやや不自然であるが、世のなかには普通の尺度《ものさし》で測ることの出来ない不思議の多いのをかんがえると、半七はまだ容易にどちらへも勝負をつけるわけには行かなかった。彼は賽《さい》をつかんだまま神田の家へ帰った。

     

 その夜はあけて、七日の朝になった。きょうも朝から暑い日で、あまの河には水が増しそうもなかった。いろがみの林を作った町々の上に、碧《あお》い大空が光っていた。
 半七は朝飯をすませて、すぐに山村小左衛門の家をたずねると、きょうは五節句で稽古は休みであった。小左衛門もお直の一条では胸を痛めているので、半七を奥へ通すと、丁寧に挨拶して、なんとか探索の方法はあるまいかと頼むように相談した。かれは四十五六の人柄のいい男で、半七の問いに対してこう答えた。
「お直もお力も九つの春から手習いに来て居ります。わたくしも自分の教え子の行状については、ふだんから相当に気をつけて居りますが、お直はおとなしいようでもなかなか強情の気質、お力は男の子のように跳ね返っている女で、人間は少し愚《おろか》らしく見えます。それでも二人は仲がよかったようで、毎日誘いあわせて通って居りました。今度のことに就いては、わたくしが何かお直をきびしく叱ったので、それで家出したように甲州屋の親たちは思っているようですが、それは大きな間違いです。尤《もっと》も、わたくしは弟子のしつけ方は随分きびしい方で、世間ではかみなり師匠とか云っているそうですが、いかにわたくしが雷でも、仔細もなしにむやみに弟子たちを叱ったり折檻《せっかん》したりする筈はありません」
 かみなり師匠がお直を叱ったのは、たなばたの清書が不出来な為ばかりではなかった。きのうの朝、お直はこの稽古場でその袂《たもと》から二通の手紙を取りおとした。師匠はすぐにそれを見つけて、それはなんだと詮議すると、お直はあわててそれを自分のふところに押し込んでしまって、一言の返事もしなかった。封は切らぬから上書《うわがき》だけを見せろと云ったが、彼女は決して見せなかった。誰の手紙かと訊《き》いても、彼女はやはり強情に答えなかった。
 まだ十三の小娘で、まさかに色恋の文《ふみ》ではあるまいと思うものの、彼女が強情に隠しているだけに、小左衛門は一種の疑惑と不安を感じて、どうしてもその手紙をみせなければ、今日《きょう》はいつまでも止めて置くぞと嚇《おど》しつけると、お直はわっ[#「わっ」に傍点]と声をたてて泣き出した。その声が奥まできこえて、御新造のお貞も出て来た。ふだんから師匠のあまり厳しいのを苦にしているお貞は、とにかく仲裁して何事もなしに済ませたが、清書の不出来で叱られた上に、更に又こんな事件が出来《しゅったい》して、お直はいつまでも泣きやまないのを、お貞は賺《すか》し宥《なだ》めて、お力と共に帰してやったのである。甲州屋へ行って、お力はなんと告げたか知らないが、事実はまったく此の通りで、お直が強情に隠していたその文がなんであるかは判らない。甲州屋ではこの事情を知らないで、なにか自分が無理な叱言《こごと》でも云ったように誤解していられては甚だ迷惑であるから、実はこれから甲州屋へ出向いて、お直の親たちにもその訳を話して聞かせようと思っていると、小左衛門は云った。
「いや、判りました。わたくしは今まで大きに勘ちがいをして居りました」と、半七は微笑《ほほえ》みながら云った。
「就きましては、先生。どうかこの一件はわたくしにお任せ下さる訳にはまいりますまいか。きっと埒をあけてお目にかけます」
「勿論それはこちらからお願い申すので……。そうしますと、わたくしが甲州屋へ行くのはどうしましょうかな」と、小左衛門は少し考えていた。
「どうか、もうしばらくお見合わせが願いたいものですが……」
「承知しました」
 新らしい獲物をつかんで、半七はかみなり師匠の門《かど》を出た。師匠は嘘をつくような人物ではない。今の話がほんとうであるとすれば、お粂の判断は間違っていた。お広の想像も少しく的《まと》をはずれているらしい。半七はそれからすぐに甲州屋へゆくと、お直のゆくえはまだ知れないので、店じゅうの者がみな暗い顔をしていた。ゆうべはまんじりともしなかったというので、お広は眼を窪《くぼ》ませていた。
「若旦那はもう立ちましたかえ」と、半七は先ず訊《き》いた。
「まだでございます」と、居あわせた店の者が答えた。
「大層おそいじゃありませんか」
「六ツ半(午前七時)頃には立つ筈だったのですが、暁方《あけがた》から急に頭痛がすると云って、まだ二階に寝て居ります。たぶん寝冷えをしたのだろうというので、今朝《けさ》ほどは立つのを止めました」
「そうですか、それはあいにくでしたね。お見舞ながら二階へちょいと通ってもよござんすかえ」
「はい、ちょいとお待ちください」
 店の者は二階へあがって行ったが、やがて又引っ返して来て、取り散らしてありますが、どうぞお通りくださいと案内した。
 二階は六畳と八畳のふた間で、藤太郎は表に向いた六畳に寝ていたらしいが、半七のあがって行った時には、もう起き直って蒲団《ふとん》のうえに行儀よく坐っていた。藤太郎はことし二十歳《はたち》の小柄の男で、いかにも病人らしい蒼ざめた顔をしていた。
「お早うございます」と、藤太郎は手をついた。「このたびはいろいろと御心配をかけて恐れ入ります」
「どこかお悪いそうですね」と、半七はかれの顔をのぞきながら云った。「なるほど、顔の色がよくないようだ、起きていてもいいのですかえ」
「こんな体《てい》たらくで失礼をいたします。たいした事でもございませんが、どうも暁方《あけがた》から頭が痛みまして……。あいにくの時でまことに困って居ります」
 医者に診《み》て貰ったかと訊くと、それほどのことでもないらしいので、差しあたりは店の薬を飲んでいると藤太郎は云った。芝に上手な占《うらな》い者《しゃ》があるので、母は朝からそこへたずねて行った。父は日本橋の親類へ相談に行った。妹のたよりが一向判らないので、家《うち》じゅうがゆうべから碌々に寝ないで騒いでいると彼は話した。
「そうすると、おまえさんは病気のよくなり次第に、越ヶ谷とかへ行くつもりですかえ」と、半七はまた訊いた。
「はい。ともかくも念晴らしに一度は行って来たいと思って居ります」
「きっと出かけますかえ」
「はい」
「およしなせえ、くたびれ儲けだ。路用をつかうだけ無駄なことだ」
「そうでございましょうか」と、藤太郎はすこし考えているらしかった。
「なにも首をひねることはねえ。出かけるくらいなら、今朝《けさ》なぜ直ぐに出て行きなさらねえ」
と、半七はあざ笑った。「仮病《けびょう》をつかって、家の二階にごろごろしていることはねえ。さっさと飛び起きて、草鞋《わらじ》をはく支度をするがいいじゃあねえか」
「いえ、決して仮病では……。唯今も申す通り、どうも寝冷えをいたしたとみえて、暁方《あけがた》から頭が痛みまして……」
「あたまの痛てえのはほかに訳があるだろう。倉田屋の姉娘を呼んで来て看病して貰っちゃあどうだね」
 藤太郎の顔の色はいよいよ蒼くなった。
「おまえさんは妹を使にして、倉田屋の娘と文《ふみ》のやりとりをしているだろう」と、半七は畳みかけて云った。
「倉田屋の娘もやっぱり自分の妹を使にしている。どっちの妹も稽古朋輩だから、それはまことに都合がいいわけだ。ここの妹がきのう雷師匠に嚇かされたのは、清書が不出来のせいじゃあねえ。稽古場で手紙を落としたからだ。男のか女のか知らねえが、それを向うへ渡そうとするのか、それとも向うから受け取ったか、どっちにしてもお前さんと倉田屋の姉娘とは係り合いを逃がれられねえ。さあ、今更となっていつまでも隠し立てをしているのは、よくねえことだ。親たちに苦労をかけ、家じゅうの者をさわがして、お前さんが仮病をつかって平気で寝てもいられめえじゃあねえか。いや、仮病はわかっている。どうで越ヶ谷へ行っても無駄だということを百も承知しているから、頭が痛えの、尻が痒《かゆ》いのと云って、一寸逃がれをしているのだ。おまえさんの顔の色の悪いのは病気じゃあねえ。ほかに苦労があるからだ。薄ぼんやりしている倉田屋の妹娘を引っ張り出して、あたまから嚇かして詮議すれば何もかも判ることだが、そんなことはしたくねえから、それでこうして膝組みでおまえさんに訊《き》くんだ。一体おまえさん達は今までどこで逢っていたんだ。どうで遠いところじゃあるめえ。真っ先にそれを教せえて貰おうじゃあねえか」
 藤太郎は蒲団のうえに手をついたまま、しばらく顔をあげなかった。その蒼ざめた額《ひたい》からは汗のしずくが糸をひいたように流れ落ちていた。

     

 半七は甲州屋を出て、池《いけ》の端《はた》へ行った。近所で女髪結のお豊の家をきくと、すぐに知れて、それは狭い露路をはいって二軒目の小さい二階家であった。
 格子にならんだ台所で、三十三四の女が今夜のたなばたに供えるらしい素麺《そうめん》を冷やしていた。半七は近よって声をかけると、かれは主婦《あるじ》のお豊であった。ここに誰か倉田屋の人は来ていないかと訊くと、お豊は不安らしい眼をしてじろじろ眺めながら、誰も来ていないと冷やかに答えた。
「それでは、甲州屋さんから誰かまいって居りますまいか」
「いいえ」と、お豊はやはり無愛想に答えた。
「まったく来て居りませんでしょうか」
「来ていませんよ」と、お豊は煩《うる》さそうに云った。「一体おまえさんはどこから来たんです」
「甲州屋からまいりました」
 お豊は黙って半七の顔を見つめていると、半七はにやにや笑いながら云い出した。
「いえ、御心配なさることはありません。わたしは甲州屋の藤さんに頼まれて来たんです。倉田屋のお紋さんと藤さんが始終ここの二階へ来ることもみんな知っています。御存じだかどうだか知りませんが、甲州屋のなあ[#「なあ」に傍点]ちゃんが昨日《きのう》から家出をして今にゆくえが知れないので、家《うち》では大騒ぎをしているんです。藤さんが来る筈ですが、すこし加減が悪くって、けさから寝込んでいるので、わたしがその使をたのまれて来ました。なあ[#「なあ」に傍点]ちゃんは昨日から一度もここへ来ませんかしら」
「いいえ、一度もお見えになりませんよ」
 詞《ことば》づかいは余ほど丁寧になったが、彼女は見識らない使の男にたいしてやはり油断しないらしかった。
「もし、おかみさん、あの壁にかかっているのはなんですえ」と、半七は伸び上がってだしぬけに奥をゆびさした。
 残暑の強い朝であるから、そこらは明け放してあった。格子のなかの上がり口には新らしい葭戸《よしど》が半分しめてあったが、台所と奥とのあいだの障子は取り払われて、六畳くらいの茶の間はひと目に見通された。助炭《じょたん》をかけた長火鉢は隅の方に押しやられて、その傍には古びた箪笥が置いてあった。それにつづいた鼠壁には、どこからかの貰いものらしい二、三本の団扇《うちわ》が袋に入れたままで逆《さか》さに懸かっていた。
「あの団扇ですかえ」と、お豊は奥を見かえった。
「いいえ、あの団扇の隣りに懸かっているのは……。あれはなんですえ。お草紙《そうし》のようですね」
「うちの子供のお草紙です」
「ちょいと持って来て、見せてくれませんか」
「お草紙をどうするんですよ」
「どうしてもいい、用があるから見せろと云うんだ」と、半七は少し声をあらくした。「強情を張っていると、おれが行って取ってくる」
 草履をぬいで台所から上がろうとすると、お豊はさえぎるように起ちあがった。
「おまえさん。人の家《うち》へむやみにはいって来て、どうするんですよ」
 半七はつかつかと茶の間へ踏み込んで、団扇のとなりに懸けてある一冊の清書草紙を手に取った。
「今聞いていれば、うちの子供のお草紙だと云ったな。嘘つき阿魔《あま》め。ここの家にどんな子がいる。猫の子一匹もいねえじゃあねえか。六十幾つになるつんぼの婆さんとおめえの二人っきりだということは近所で訊《き》いて知っているぞ。第一この草紙の表紙になんと書いてある。庚戌《かのえいぬ》、正月、なお……このなお[#「なお」に傍点]というのはだれの名だ。世間におなじ名はあっても、ここでこの草紙を見つけた以上は云い抜けはさせねえ。甲州屋のむすめの手習い草紙がどうしてここに懸けてあるんだ。仔細をいえ。わけを云え」
 お豊は唖《おし》のように突っ立っていると、半七は片手に草紙を持ちながら、かた手で彼女の腕をつかんだ。
「婆はどこへ行った」
「近所へ買物に出ました」と、お豊は口のなかで答えた。
「そんなら二階へ案内しろ」
 彼女を引き摺るようにして、せまい掛け階子《ばしご》をのぼってゆくと、二階の四畳半には誰もいなかった。半七は念のために押入れをあけて見た。古い葛籠《つづら》をゆすってみた。
「まあ、坐れ」と、かれは再びお豊の腕をつかんで、四畳半のまんなかに引き据えた。「これ、正直に云え。さっきは甲州屋の使と云ったが、御用で調べるのだ。甲州屋のお直はきのうここへ来たか」
 草紙を眼のさきに突きつけられて、お豊はもう包み切れなくなった。かれは恐れ入って白状した。甲州屋のお直はここの家へ来たのである。きのうの午《ひる》頃にお豊が得意場から帰ってくると、途中で倉田屋の娘と甲州屋のむすめが二人連れで来るのに逢った。お直はしきりに泣いているのを、お力がなだめているらしかった。どちらも自分の得意場の娘であるので、お豊は見すごし兼ねて立ち寄って、もしや喧嘩でもしたのではないかと訊《き》くと、お直が師匠さんに叱られたのであると判った。それもほかのことで叱られたとあれば、お豊もいい加減になだめて別れるのであったが、お力から渡されたお紋の手紙を稽古場で取り落して、それを雷師匠に見つけられたのであると聞いて、お豊もすこし驚いた。
 甲州屋の息子と倉田屋の姉娘とのあいだには、半七が睨んだ通りの関係が結びつけられていた。親たち同士は単に口さきの軽い話ぐらいに過ぎなかったが、若いもの同士は更に深入りをして、おなじ手習い師匠にかよう双方の妹がいつも文《ふみ》づかいの役目を勤めさせられていた。女髪結のお豊は一種の慾心から時々自分の二階をお紋と藤太郎とに貸していた。こういうわけで、お豊もこの事件に係り合いがあるだけに、秘密の手紙を師匠に見つけられたと聞いて顔色をくもらせた。相手は名代《なだい》のかみなりであるから、おそらくこのままでは済ませまい。お直が怪しい手紙を隠し持っていたということを、甲州屋の親たちに一応通知するかも知れない。そうして、二人の秘密が発覚したあかつきには、その取り持ちをした自分も当然その係り合いを逃がれることは出来ない。双方の親たちからやかましい掛け合いをうけた上に、二軒の得意場をうしなうのは知れている。しかも彼女が現在住んでいる池の端の裏屋は甲州屋の家作《かさく》であるから、ここもおそらく追い立てられるであろう。そればかりでなく、そんな噂が世間にひろまれば、自分の信用はひどく傷つけられて、更に幾軒の得意場を失うかも知れない。あるいは此の土地で稼業が出来ないようになるかも知れない。それからそれへと考えてゆくと、お豊はなかなか落ち着いていられなくなった。
 なにしろ往来ではどうにもならないというので、彼女はともかくもお力とお直を自分のうちへ連れて行って、二人の娘の持っている清書草紙を下の壁にかけて置いて二階へ通した。お豊は更にお紋と藤太郎をよんで来て、なんとか善後策を講ずるつもりで、すぐ甲州屋へ行ってみると、息子はあいにく留守であった。倉田屋の店には娘がいたので、お豊はそっと呼び出してささやくと、お紋もおどろいて一緒に出て来た。
 女髪結の家の二階で、お紋は自分の妹とお直に逢った。かれはお直の不注意を激しく責め立てた。それが雷師匠に輪をかけたかとも思われるほど凄まじい権幕《けんまく》であるので、お豊は又びっくりした。しかしそれにはわけのある事で、お紋がこの頃すこしく取りのぼせているらしいことをお豊も内々知らないではなかった。若い同士の秘密を知らない甲州屋では、今度ある媒妁口《なこうどぐち》に乗せられて、倉田屋の話は忘れたように、よそから藤太郎の嫁をもらうことになった。気の弱い息子は正面からそれに反対する勇気もなくて、ただ内々で苦しんでいるうちに、その縁談はすべるように進行し、近々|結納《ゆいのう》を取りかわすまでに運ばれて来たので、それを知ったお紋は決して承知しなかった。かれは男の不実をはげしく責めて、一体わたしというものをどうしてくれるのだとせまったが、男の挨拶がとかくに煮え切らないので、お紋は焦《じ》れて怨んで、この頃ではなんだか半病人のようになっていた。
 倉田屋の親たちも無論に怒っていた。しかし自分の娘と藤太郎との関係がそんな峠まで登りつめているとはさすがに気がつかないで、いたずらに蔭口《かげぐち》を云うくらいですごしていたが、若い娘の胸の火はこの頃の暑さ以上に燃えて熱して、かれの魂は憤怒《ふんぬ》に焼けただれていた。かれは毎日のように長い手紙をかいて、それを妹に持たせてやって、男の妹の手から憎い男に突き付けさせていた。それほどに彼女の恨みの籠った手紙を、お直が不用意に取り落したと聞いて、お紋はむやみに怒った。一種の鬼女になっているような彼女は、噛みつくようにお直に食ってかかって、こんなことでは今までの手紙もたしかに兄さんにとどけてくれたかどうだか判らないなどと云った。それでもお豊の仲裁で、その方は先ずどうにか納まったが、一方の藤太郎が出て来ないのと、一方のお紋は半気違いのようになっているのとで、お豊が心配している肝腎の善後策は一向に要領を得なかった。彼女もこれには当惑して、お紋をなだめて待たせて置いて、再び藤太郎を呼び出しにゆくと、彼はまだ戻らないとのことであった。或いは隠れているのではないかとも疑ったが、しいて詮議もならないので其の儘むなしく帰ってくると、留守のあいだに大|椿事《ちんじ》が出来《しゅったい》していた。
 二階にはお紋の姉妹《きょうだい》とお豊の母とが黙って坐っていた。どの人の顔も真っ蒼になっていた。お豊は又おどろいて仔細をきくと、かれが出て行ったあとで、執念ぶかいお紋はお直にむかって、その兄に対する恨みを又さんざんに列《なら》べ立てた。それがだんだんに募って来て、わたしがこうして兄さんに捨てられたのも、おまえが蔭へまわって何か讒訴をしているからに相違ないと云い出した。それにはお直も黙っていなかった。彼女は持ち前の強情から飽くまでもそれを否認して、たがいに云い争っているうちに、お紋はいよいよ逆上して、いきなりにお直の胸倉を引っ掴んで小突きまわすと、どうしたはずみか彼女の喉を強く絞めて、十三の小娘はもろくも息が絶えてしまったのである。お豊もそれを聞いて呆気《あっけ》に取られた。よく見ると、まったく嘘ではない。お直は冷たい死骸となってそこに横たわっているので、お豊はあわてて出来るだけの介抱をした。水をのませても、水天宮様の御符《ごふ》を飲ませても、擦《さす》っても揺《ゆす》ぶっても、お直はもう正体がないので、彼女も途方にくれてしまった。
 こうなっては、とても自分ひとりの知恵や分別にはあたわないので、お豊は汗を流しながら再び倉田屋へかけ付けた。かれはお紋の母を呼び出して、そっとこの始末を訴えると、母もびっくりして半分は夢中で駈けて来たが、死んでしまったお直を生かす術《すべ》はなかった。表向きにすれば、お紋は無論に下手人である。この上はなんとかして此の事件を秘密に葬らなければならないと、母はお豊と額《ひたい》を突きよせて密談の末に、ようやく案じ出したのがお直の家出という狂言の筋書で、お力には母からよく云いふくめて、お直が途中からどこへか姿を隠したように甲州屋へ報告させてあった。師匠に当日叱られたということが、かれらに取ってはおあつらえ向きの材料で、お紋の母はそれから趣向をうみ出して、一個の狂言作者となりすましたのであった。
 それにしても、お直の死骸をどこへか処分しなければならないので、お豊は更にお紋の母と相談の上で、谷中《やなか》まで出て行った。そこに住んでいる石屋職人の千吉というのはお豊の叔父にあたるので、彼女は仔細をあかして死骸の始末をたのむと、千吉は慾に目がくらんで引き受けた。かれは日の暮れるのを待って、一挺の辻駕籠を吊らせて、駕籠屋の手前は病人のように取りつくろって、お直をそっと運び出して行った。
 これで万事解決したと思っていたが、お豊は壁にかけてある清書草紙を忘れていた。お力は帰るときに自分の草紙だけを持って行ったが、お直の分はそのままに残っていた。あまりに慌てていたのと、ふだんから草紙などというものに注意していないのとで、お豊は今朝《けさ》になってもその草紙には気がつかなかった。そうして、動かない証拠を半七に押えられたのであった。
 甲州屋の藤太郎は半七にむかって、お紋とのわけを正直に白状してしまった。二人が女髪結の家で出逢っていることも打ち明けた。しかし、そこの二階でこんな椿事が出来《しゅったい》していることを、彼は夢にも知らなかった。半七もさすがに思い付かなかった。たとい事情がどうであろうとも、人間ひとりが殺されては一大事である。なるべくはその死骸を片付けないうちに、石屋の千吉を取り押えてしまいたいと思ったので、彼はお豊を案内者として、すぐに谷中へ急いで行った。

「お話は先ずこれぎりです」と、半七老人は云った。「お直は生きていましたよ」
「生き返ったのですか」と、わたしは訊《き》いた。
「そうですよ。もとが女の手で喉《のど》を絞めたんですから、一時は息がとまっても、また生き返ったんです。駕籠にゆられて行く途中で自然に息を吹き返したのですが、駕籠屋は始めから病人だと思っているので、別に不思議にも思わなかったらしいんです。千吉はおどろいたんですが、まあともかくも自分の家まで連れ込ませて、駕籠屋を帰してしまいました。死んだ者が生きかえって、本来ならば喜ぶ筈なんですが、この千吉というのが良くない奴で、生かして帰してしまえば倉田屋からたんまりした礼金も貰えない。いっそ黙って何処へか売り飛ばして自分のふところを温めれば、一挙両得だという悪法を企《たくら》んで、お直には猿轡《さるぐつわ》をはませて戸棚のなかへ押し込んで置いたんです。そうして、倉田屋の方へは、その死骸を人の知らないところへ埋めたようなことを云って約束の礼金を貰い、その後も相手の弱味につけ込んで、時々ゆすりに行こうぐらいに考えていたんです。昔はこういう悪い奴が随分ありました。もうひと足おそいと、お直はどこかの山女衒《やまぜげん》の手に渡されて、たとい取り返すにしても面倒でしたが、いい塩梅《あんばい》にすぐに取り返してしまいました」
 お直が無事に戻って来たので、甲州屋では世間の手前をはばかって万事を内分にしたいと云った。倉田屋からも甲州屋の方へしきりに泣きついて来た。ほかの関係者はともかくも、千吉だけは免《ゆる》して置かれないと思ったが、かれを表向きに突き出せば関係者一同もその係り合いを逃がれられないので、半七は我慢して彼をも見逃がすことにした。それが動機となって甲州屋にはお紋という嫁が出来た。
 自分の弟子が救われたので師匠の山村小左衛門は半七のところへわざわざ挨拶に来た。かれは感謝の意を表するために、報恩額の三字を大きく書いた。甲州屋ではそれを立派な額に仕立てて半七に贈ったのであった。
「半七先生のいわれはこうですよ」
 老人は再び大きい声で笑った。わたしも釣り込まれて笑い出した。

底本:「時代推理小説 半七捕物帳(三)」光文社文庫、光文社
   1986(昭和61)年5月20日初版1刷発行
   1997(平成9)年5月15日11刷発行
※旺文社文庫版を元に入力し、光文社文庫版に合わせて校正した。この過程で確認した、両者の相違を示す。
・たなばたに供えるらしい素麺[#旺文社文庫版「たなばたに供えるらしい麦麺」]
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:網迫
校正:藤田禎宏
2000年8月22日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

岡本綺堂

半七捕物帳 化け銀杏———- 岡本綺堂

    

 その頃、わたしはかなり忙がしい仕事を持っていたので、どうかすると三月《みつき》も四月も半七老人のところへ御無沙汰することがあった。そうして、ときどき思い出したように、ふらりと訪ねてゆくと老人はいつも同じ笑い顔でわたしを迎えてくれた。
「どうしました。しばらく見えませんね。お仕事の方が忙がしかったんですか。それは結構。若い人が年寄りばかり相手にしているようじゃあいけませんよ。だが、年寄りの身になると、若い人がなんとなく懐かしい。わたくしのところへ出這入りする人で、若い方《かた》はあなただけですからね。伜はもう四十で、ときどき孫をつれて来ますが、孫じゃあ又あんまり若過ぎるので。はははははは」
 実際、半七老人のところへ出入りするのは、みな彼と同じ年配の老人であるらしかった。その故《ふる》い友達もだんだんほろびてゆくと、老人がある時さすがにさびしそうに話したこともあった。ところが、ある年の十二月十九日の宵に、わたしは詰まらない菓子折を持って、無沙汰の詫びと歳暮の礼とをかねて赤坂の家をたずねると、老人は二人連れの客を門口《かどぐち》へ送り出すところであった。客は身なりのなかなか立派な老人と若い男とで、たがいに丁寧に挨拶して別れた。
「さあ、お上がんなさい」
 わたしが入れ代って座敷へ通されると、いつも元気のいい老人が今夜はいっそう元気づいているらしく、わたしの顔を見るとすぐ笑いながら云い出した。
「今そこでお逢いなすった二人連れ、あれは久しい馴染《なじみ》なんですよ。年寄りの方は水原忠三郎という人で、わかい方は息子ですが、なにしろ横浜と東京とかけ離れているもんですから、始終逢うというわけにも行かないんです。それでも向うじゃあ忘れずに、一年に三度や四たびはきっとたずねてくれます。きょうもお歳暮ながら訪ねて来て、昼間からあかりのつくまで話して行きました」
「はあ、横浜の人達ですか。道理で、なかなかしゃれた装《なり》をしていると思いましたよ」
「そうです、そうです」と、老人は誇るようにうなずいた。「今じゃあ盛大にやっているようですからね。水原のお父さんの方はわたくしより七つか八つも年下でしょうが、いつも達者で結構です。あの人もむかしは江戸にいたんですが……。いや、それについてこんな話があるんです」
 こっちから誘い出すまでもなく、老人の方から口を切って、水原という横浜の商人と自分との関係を説きはじめた。

 文久元年十二月二十四日の出来事である。日本橋、通旅籠町《とおりはたごちょう》の家持ちで、茶と茶道具|一切《いっさい》を商《あきな》っている河内屋十兵衛の店へ、本郷森川|宿《じゅく》の旗本稲川|伯耆《ほうき》の屋敷から使が来た。稲川は千五百石の大身《たいしん》で、その用人の石田源右衛門が自身に出向いて来たのであるから、河内屋でも疎略には扱わず、すぐ奥の座敷へ通させて、主人の重兵衛が挨拶に出ると、源右衛門は声を低めて話した。
「余の儀でござらぬが、御当家を見込んで少々御相談いたしたいことがござる」
 稲川の屋敷には狩野探幽斎《かのうたんゆうさい》が描いた大幅の一軸がある。それは鬼の図で、屋敷では殆ど一種の宝物として秘蔵していたのであるが、この度《たび》よんどころない事情があって、それを金五百両に売り払いたいというのであった。河内屋は諸大家へも出入りを許されている豪商で、ことに主人の重兵衛は書画に格段の趣味をもっているので、その相談を聞いて心が動いた。しかし自分の一存では返答もできないので、いずれ番頭と相談の上で御挨拶をいたすということに取り決めて、源右衛門をひと先ず帰した。
「しかし当方ではちっと急ぎの筋であれば、なるべく今夜中に返事を聞かせて貰いたいが、どうであろうな」と、源右衛門は立ちぎわに云った。
「かしこまりました。おそくも夕刻までに御挨拶をいたします」
「たのんだぞ」
 主人と約束して、源右衛門は帰った。重兵衛はすぐに番頭どもを呼びあつめて相談すると、かれらもやはり商人であるから、探幽斎の一軸に大枚五百両を投げ出すというについては、よほど反対の意見があらわれた。しかし主人は何分にも其の品に惚れているので、結局その半金二百五十両ならば買い取ってもよかろうということに相談がまとまった。先方でも急いでいるのであるから、すぐに使をやらねばなるまいというので、若い番頭の忠三郎が稲川の屋敷へ出向くことになった。忠三郎が出てゆく時に、重兵衛はよび戻してささやいた。
「大切なお品を半金に値切り倒すといっては、先様《さきさま》の思召《おぼしめ》しがどうあろうも知れない。万一それで御相談が折り合わないようであったならば、三百五十両までに買いあげていい。ほかの番頭どもには内証で、別に百両をおまえにあずけるから、臨機応変でいいように頼むよ」
 内証で渡された百両と、表向きの二百五十両とを胴巻に入れて、忠三郎は森川宿へ急いで行った。用人に逢って先ず半金のかけあいに及ぶと、源右衛門は眉をよせた。
「いかに商人《あきんど》でも半金の掛合いはむごいな。しかし殿様がなんと仰しゃろうも知れない。思召しをうかがって来るからしばらく待て」
 半|時《とき》ほども待たされて、源右衛門はようよう出て来た。先刻から殿様といろいろ御相談を致したのであるが、なにぶんにも半金で折り合うわけには行かない。しかし当方にも差し迫った事情があるから、ともかくも半金で負けておく。勿論、それは半金で売り渡すのではない。つまり二百五十両の質《かた》にそちらへあずけて置くのである。それは向う五年間の約束で、五年目には二十五両一歩の利子を添えて当方で受け出すことにする。万一その時に受け出すことが出来なければ、そのまま抵当流れにしても差しつかえない。どうか其の条件で承知してくれまいかというのであった。
 忠三郎もかんがえた。自分の店は質屋渡世でない。かの一軸を質に取って二百五十両の金を貸すというのは少し迷惑であると彼は思った。しかし主人があれほど懇望《こんもう》しているのを、空手《からて》で帰るのも心苦しいので、彼はいろいろ思案の末に先方の頼みをきくことに決めた。
「いや、いろいろ無理を申し掛けて気の毒であった。殿様もこれで御満足、拙者もこれで重荷をおろした」と、源右衛門もひどく喜んだ。
 二百五十両の金を渡してすぐ帰ろうとする忠三郎をひきとめて、屋敷からは夜食の馳走が出た。源右衛門が主人になって酒をすすめるので、少しは飲める忠三郎はうかうかと杯をかさねて、ゆう六ツの鐘におどろかされて初めて起った。
「大切の品だ。気をつけて持ってゆけ」
 源右衛門に注意されて、忠三郎はその一軸を一応あらためた上で、唐桟《とうざん》の大風呂敷につつんだ。軸は古渡《こわた》りの唐更紗《とうさらさ》につつんで桐の箱に納めてあるのを、更にその上から風呂敷に包んだのである。彼はそれを背負って屋敷から貸してくれた弓張提灯をとぼして、稲川の屋敷の門を出た。ゆう六ツといってもこの頃は日の短い十一月の末であるから、表はすっかり暗くなっていた。しかも昼間から吹きつづけてた秩父|颪《おろし》がいつの間にか雪を吹き出して、夕闇のなかに白い影がちらちらと舞っていた。
 傘を持たない忠三郎は、大切な品を濡らしてはならないと思って、背中から風呂敷包みをおろして更に左の小脇にかかえ込んだ。森川宿ではどうにもならないが、本郷の町まで出れば駕籠屋がある。忠三郎はそれを的《あて》にして雪のなかを急いだ。幸いに雪は大したことでもなかったが、やがて小雨《こさめ》が降り出して来た。雪か霙《みぞれ》か雨か、冷たいものに顔を撲たれながら、彼は暗い屋敷町をたどってゆくうちに、濡れた路に雪踏《せった》を踏みすべらして仰向《あおむ》きに尻餅を搗いた。そのはずみに提灯の火は消えた。
 別に怪我もしなかったが、提灯を消したのには彼は困った。町まで出なければ火を借りるところは無い。そこらに屋敷の辻番所はないかと見まわしながら、殆ど手探り同様でとぼとぼ辿《たど》ってゆくと、雨は意地悪くだんだんに強くなって来た。寒さに凍《こご》える手にかの風呂敷包みをしっかり抱えながら、忠三郎は路のまん中らしいところを歩いてくると、片側に薄く明るい灯のかげが洩れた。頭のうえで寝鳥の羽搏《はばた》きがきこえた。忠三郎はうすい灯のかげに梢を見あげてぎょっとした。それは森川宿で名高い松円寺の化け銀杏であった。銀杏は寺の土塀から殆ど往来いっぱいに高く突き出して、昼でもその下には暗い蔭を作っているのであった。
 この時代にはいろいろの怪しい伝説が信じられていた。この銀杏の精もときどきに小児《こども》に化けて、往来の人の提灯の火を取るという噂があった。又ある人がこの樹の下を通ろうとすると、御殿風の大女房が樹梢《こずえ》に腰をかけて扇を使っていたとも伝えられた。ある者は暗闇で足をすくわれた。ある者は襟首を引っ掴んでほうり出された。こういう奇怪な伝説をたくさん持っている化け銀杏の下に立ったときに、忠三郎は急に薄気味悪くなった。昼間は別になんとも思わなかったのであるが、寒い雨の宵にここへ来かかって、かれの足は俄かにすくんだ。しかし今更引っ返すわけにも行かないので、彼はこわごわにその樹の下を通り過ぎようとする途端である。氷のような風が梢からどっと吹きおろして来たかと思うと、かれのすくめた襟首を引っ掴んで、塀ぎわの小さい溝《どぶ》のふちへ手ひどく投げ付けた者があった。忠三郎はそれぎりで気を失ってしまった。
 風は再びどっと吹きすぎると、化け銀杏は大きい身体《からだ》をゆすって笑うようにざわざわと鳴った。

     

「もし、おまえさん。どうしなすった。もし、もし……」
 呼び活《い》けられて忠三郎は初めて眼をあくと、提灯をさげた男が彼のそばに立っていた。男は下谷《したや》の峰蔵という大工で、化け銀杏の下に倒れている忠三郎を発見したのであった。
「ありがとうございます」
 云いながら懐中《ふところ》へ手をやると、主人から別に渡された百両の金は胴巻ぐるみ紛失していた。驚いて見廻すと、抱えていた一軸も風呂敷と共に消えていた。自分の羽織も剥《は》がれていた。忠三郎は声をあげて泣き出した。
 峰蔵は親切な男で、駒込《こまごめ》まで行かなければならない自分の用を打っちゃって置いて、泥だらけの忠三郎を介抱して、ともかくも本郷の通りまで連れて行って、自分の知っている駕籠屋にたのんで彼を河内屋まで送らせてやった。河内屋でも忠三郎の遅いのを心配して、迎いの者でも出そうかといっているところへ、半分は魂のぬけたような忠三郎が駕籠に送られて帰って来たので、その騒ぎは大きくなった。勿論捨てて置くべきことではないので、稲川の屋敷へも一応ことわった上で、その顛末《てんまつ》を町奉行所へ訴え出た。
 なにぶんにも暗やみであるのと、投げられるとすぐ気を失ってしまったのとで、忠三郎はなんにも心当りがなかった。しかしそれが化け銀杏の悪戯《いたずら》でないことは判り切っていた。彼を引っ掴んだのは化け銀杏であるとしても、かれの所持品や羽織までも奪いとって立ち去った者はほかにあるに相違ない。本郷の山城屋金平という岡っ引がその探索を云い付けられたが、金平はあいにく病気で寝ているので、その役割が隣りの縄張りへまわって、神田の半七が引き受けることになった。
「稲川の屋敷の奴が怪しい」
 半七は先ずこう睨《にら》んだ。忠三郎を酔わして帰して、あとから尾《つ》けて来てその一軸を取り返してゆく。悪い旗本にはそんな手段をめぐらす奴がいないともいえない。そこで手を廻してだんだん探ってみると、稲川の主人は行状のいい人で、今度大切の一軸を手放すというのも、自分の知行所がこの秋ひどい不作であったので、その村方の者どもを救ってやるためであるということが判った。それほどの人物が追剥ぎ同様の不埒を働く筈がない。半七は更にほかの方面に手をつけなければならなくなった。
「おい、仙吉。おめえに少し用がある」と、彼は子分の一人を呼んだ。「今夜からふた晩三晩、あの化け銀杏の下へ行って張り込んでいてくれ。それも黙っていちゃあいけねえ。なにか鼻唄でも歌って、木の下をぶらりぶらり行ったり来たりしているんだ。寒かろうが、まあ我慢してやってくれ。おれも一緒にいく」
 日が暮れるのを待って半七と仙吉は松円寺の塀の外へ行った。半七は遠く離れて、仙吉ひとりが鼻唄を歌いながら木の下をうろ付いていたが、四ツ(午後十時)を過ぎる頃まで何も変ったことはなかった。
「百両の仕事をして、ふところがあったけえので、当分出て来ねえかな」
 それでも二人は毎晩|根《こん》よく網を張っていると、十一月の晦日《みそか》の宵である。まだ五ツ(午後八時)を過ぎたばかりの頃に、低い土塀を乗り越して一つの黒い影のあらわれたのを、半七は星明かりで確かに見つけた。仙吉は相変らず鼻唄を歌って通った。黒い影は塀のきわに身をよせてじっと窺っているらしかったが、忽ちひらりと飛びかかって仙吉の襟髪をつかんだ。覚悟はしていながらも余り器用に投げられたので、仙吉は意気地なくそこへへたばってしまった。それでも物に馴れているので、かれは倒れながら相手の足を取った。
 それを見て半七もすぐに駈け寄ったが、もう遅かった。黒い影は仙吉を蹴放して、もとの塀のなかへ飛鳥のように飛び込んでしまった。
「畜生。ひどい目に逢わせやがった」と、仙吉は泥をはらいながら起きた。「だが、親分。もう判りました。あんないたずらをする奴は寺の坊主に相違ありませんよ。わっしのそばへ寄って来たときに、急に線香の匂いがしました」
「おれもそうらしいと思った。今夜は先ずこれでいい」
 相手が出家である以上、町方《まちかた》でむやみに手をつけるわけにも行かないので、半七はそれを町奉行所へ報告すると、町奉行所から更にそれを寺社奉行に通達した。寺社奉行の方で取り調べると、松円寺には当時住職がないので、留守居の僧が寺をあずかっていたのである。それは円養という四十ばかりの僧で、ほかに周道という十五六の小坊主と、権七という五十ばかりの寺男がいる。そのなかで最も眼をつけられたのは周道であった。かれは年の割に腕っ節が強く、自分でも武蔵坊弁慶の再来であるなどと威張っている。きっとこいつが化け銀杏の振りをして、往来の人を嚇《おど》したのであろうと見きわめを付けられた。
 寺社奉行の吟味をうけて、周道は正直に白状した。この寺の銀杏が化けるという伝説のあるを幸いに、彼はときどきに忍び出て、自分の腕だめしに往来の人を取って投げたのである。現に二十四日の雨の宵にも通りがかりの男を投げ倒したことがあると申し立てた。その男は河内屋の忠三郎に相違ない。しかし周道は単にその男を投げ出しただけで、所持品などにはいっさい手をつけた覚えはないと云い張った。何さま逞ましげな悪戯《いたずら》小僧ではあるが、まだ十五六の小坊主が百両の金を奪い、あわせて羽織まで剥ぎ取ろうとは思えないので、彼は吟味の済むまで入牢《じゅろう》を申し付けられた。
 周道の白状によって考えると、彼がいたずらに忠三郎を投げ出したあとへ、何者か来合わせて其の所持品を奪い取ったのであろうというので、その探索方を再び半七に云い付けられた。しかしこの探索はよほど困難であった。寺の奴等の仕業ならば格別、単に周道が忠三郎を投げ倒して気絶させたあとへ、あたかも通りかかった者がふとした出来心で奪いとって行ったとすると、差し当りなんにも手掛りがない。半七もこれには少し行き悩んでいると、ここに又一つ事件が起った。
 それはこの化け銀杏の下へ女の幽霊が出るというのであった。現に本郷二丁目の鉄物屋《かなものや》の伜が友達と二人づれで松円寺の塀外を通ると、そこに若い女がまぼろしのように立ち迷っていた。さなきだにこの頃はいろいろの噂が立っている折柄であるから、二人は胆《きも》を冷やして怱々《そうそう》に駈けぬけてしまったが、鉄物屋の伜はその晩から風邪《かぜ》を引いたような心持で床に就いているというのである。これも何かの手がかりになるかも知れないと思って、半七はその鉄物屋をたずねて病中の伜に逢った。せがれは清太郎といって今年十九の若者であった。
「おまえさんが見たという幽霊はどんなものでしたえ」
「わたくしも怖いのが先に立って、たしかに見定めませんでしたが、提灯の火にぼんやり映ったところは、なんでも若い女のようでした」
「女はこっちを見て笑いでもしたのかえ」
「いいえ、別にそんなこともありませんでしたが、なにしろ怖いので忽々に逃げて来ました。もう四ツ(午後十時)に近い頃に、女がたった一人で、場所もあろうに、あの化け銀杏の下に平気で立っている筈がありません。あれはどうして唯者じゃあるまいと思われます」
「そうですねえ」と、半七も考えていた。「そこで、その女は髪の毛でも散らしていましたかえ」
「髷《まげ》はなんだか見とどけませんでしたが、髪は綺麗に結っていたようです」
 もしや狂女ではないかと想像しながら、半七はいろいろ訊いてみたが、清太郎はふた目とも見ないで逃げ出してしまったので、なにぶんにも詳しい返答ができないと云った。彼は飽くまでもこれを化け銀杏の変化《へんげ》と信じているらしいので、半七も結局要領を得ないで帰った。
「化け銀杏め、いろいろに祟る奴だ」
 彼は肚《はら》のなかでつぶやいた。

     三

 鉄物屋の清太郎が見たという若い女は、気ちがいでなければ何者であろう。おそらく寺の留守坊主に逢いに来る女ではあるまいかと半七は鑑定した。かれは子分どもに云いつけて、その坊主の行状を探らせたが、円養は大酒呑みでこそあれ、女犯《にょぼん》の関係はないらしいとのことであった。女の幽霊の正体は容易に判らなかった。
 十二月十六日の朝である。半七が朝湯から帰ってくると、河内屋の番頭の忠三郎が待っていた。
「やあ、番頭さん。お早うございます」と、半七は挨拶した。「例の一件はなにぶん捗《はか》がいかねえので申し訳がありません。まあ、もう少し待ってください。年内には何とか埒《らち》をあけますから」
「実はそのことで出ましたのでございます」と、忠三郎は声をひそめた。「昨晩わたくしの主人が或るところで彼《か》の一軸《いちじく》をみましたそうで……」
「へえ、そうですか。それは不思議だ。して、それが何処にありましたえ」
 忠三郎の報告によると、ゆうべ芝の源助|町《ちょう》の三島屋という質屋で茶会があった。河内屋の主人重兵衛も客によばれて行った。その席上で、三島屋の主人がこの頃こういうものを手に入れたと云って、自慢たらだらで出してみせたのが彼《か》の探幽斎の鬼の一軸であった。稲川家の品は忠三郎が途中で奪われてしまって、重兵衛はまだその実物をみないのであるが、用人の話と忠三郎の話とを綜合してかんがえると、その図柄といい、表装といい、箱書《はこがき》といい、どうもそれが稲川家の宝物であるらしく思われてならなかった。しかもそれが贋物《にせもの》でない、たしかに狩野探幽斎の筆であると重兵衛は鑑定した。よそながら其の品の出所《しゅっしょ》をたずねると、牛込|赤城下《あかぎした》のある大身《たいしん》の屋敷から内密の払いものであるが、重代の品を手放したなどということが世間にきこえては迷惑であるから、かならず出所を洩らしてくれるなと頼まれているので、その屋敷の名を明らさまに云うことは出来ないとのことであった。
 その以上に詮議のしようもないので、重兵衛はそのまま帰って来たが、なにぶんにも腑に落ちないので、とりあえず半七の処へ報《し》らせてよこしたのであった。主人の話によって考えると、どうしてもそれは稲川家の品である。図柄も表装も箱書も寸分違わないと忠三郎も云った。
「いよいよ不思議ですね」と、半七も眉をよせた。「その三島屋というのはどんな家《うち》ですえ」
 三島屋は古い暖簾《のれん》で、内証も裕福であるように聞いていると、忠三郎は説明した。主人又左衛門は茶の心得があるので、河内屋とも多年懇意にしているが、これまで別に悪い噂を聞いたこともない。まさか三島屋一家の者がそんな悪事を働く筈もないから、おそらく不正の品とは知らずに何処からか買い入れたものであろうと彼は云った。
「そうかも知れませんね」と、半七はしばらく考えていた。「どっちにしても、それが確かに稲川の屋敷の品だかどうだか、それをよく詮議して置かなければなりませんよ。さもないと、物が間違いますからね。おまえさんがみれば間違いもなかろうが、念のために稲川の屋敷の御用人を一緒に連れて行ったらどうです。二人がみれば間違いはありますまい。だが、最初から表向きにそんなことを云って、万一違っていた時には、おたがいに気まずい思いをしなければなりませんからね」
「ごもっともでございます。主人も、もし間違った時に困ると心配して居りました」
「それだから、おまえさんが御用人を連れて行って、うまく話し込むんですね。このお方は書画が大変にお好きで、こちらに探幽の名作があるということを手前の主人から聞きまして、ぜひ一度拝見したいと申されるので、押し掛けながら御案内しましたとか何とか云えば、向うも大自慢だから喜んで見せるでしょう。もし又なんとか理窟を云って、飽くまでも見せるのを拒《こば》むようならばちっとおかしい。ねえ、そうじゃありませんか。そうなれば、また踏ん込んで表向きに詮議も出来ます。どっちにしても、御用人を連れて行って一度見て来てください」
「承知いたしました」
 忠三郎は怱々に帰った。
 その晩にでも再びたずねて来るかと、半七は心待ちに待っていたが、忠三郎は姿をみせなかった。その明くる日も来なかった。おそらく用人の方に何か差し支えがあって、すぐには行かれなかったのであろうと思いながらも、半七は内心すこし苛々《いらいら》していると、その晩に子分の仙吉が顔を出した。
「親分。探幽の一件はまだ心当りが付きませんかえ」
「むむ。ちっとは心当りがねえでもないが、どうもまだしっかりと掴むわけにも行かねえので困っているよ」
「そうですか。いや、それについて飛んだお笑いぐさがありましてね。なんでも物を握って見ねえうちは、糠《ぬか》よろこびは出来ませんね」と、仙吉は笑った。
「おめえ達のお笑いぐさはあんまり珍らしくもねえが、どうした」と、半七はからかうように訊《き》いた。
「それがおかしいんですよ。わっしの町内に万助という糴《せり》呉服屋があるんです。こいつはちっとばかり書画や骨董《こっとう》の方にも眼があいているので、商売の片手間に方々の屋敷や町屋《まちや》へはいり込んで、書画や古道具なんぞを売り付けて、ときどきには旨い儲けもあるらしいんです。その万助の奴がどこからか探幽の掛物を買い込んだという噂を聞いて、だんだん調べてみると、それがおまえさん、鬼の図だというんでしょう」
「むむ」と、半七も少しまじめになって向き直った。「それからどうした」
「それからすぐに万助の家へ飛び込んで、よく調べてみると、万助の奴め、ぼんやりしている。どうしたんだと訊くと、その探幽が贋物《にせもの》だそうで……」
 半七も思わず笑い出した。
「まったくお笑いぐさですよ」と、仙吉も声をあげて笑った。「なんでも二、三日まえ、あいつが御成道《おなりみち》の横町を通ると、どこかの古道具屋らしい奴と紙屑屋とが往来で立ち話をしている。なに心なく見かえると、その古道具屋が何だか古い掛物をひろげて紙屑屋にみせているので、そばへ寄って覗いてみると、それが鬼の図で狩野探幽なんです。万助の奴め、そこで急に商売気を出して、その古道具屋にかけ合って、なんでも思い切って踏み倒して買って来たんです。古道具屋の方も、探幽か何だか、碌にわからねえ奴だったと見えて、いい加減に廉《やす》く売ってしまったので、万助は大喜び、とんだ掘り出しものをして一と身代盛りあげる積りで、家へ帰って女房なんぞにも自慢らしく吹聴していたんですが、実は自分にもまだ確かに見きわめが付かねえので、ある眼利《めき》きのところへ持って行って鑑定して貰うと、なるほどよく出来ているが真物《ほんもの》じゃあない、これはたしかに贋物だと云われて、万助め、がっかりしてしまったんです。野郎、千両の富籤《とみくじ》にでも当った気でいたのを、大番狂わせになったんですからね。はははははは。いや、万助ばかりじゃあねえ、わっしも実はがっかりしましたよ」
「いや、がっかりすることはねえ」と、半七は笑いながら云った。「仙吉。おめえにしちゃあ大出来だ。これからもう一度万助のところへ行って、その贋物を売った道具屋はどんな奴だか、よく訊いて来てくれ」
「でも親分、それは贋物ですぜ」
「贋物でもいい。それを売った奴が判ったら、それからすぐにそいつの居どこを突きとめて来てくれ。なるたけ早いがいいぜ」
「承知しました」
 仙吉は怱々《そうそう》に出て行った。
 あくる朝になっても忠三郎は顔をみせないので、半七は日本橋辺へ用達しに行った足ついでに、通旅籠町《とおりはたごちょう》の河内屋をたずねると、忠三郎はすぐに出て来た。かれは気の毒そうに云った。
「親分さん。まことに申し訳ございません。早速うかがいたいと存じて居りますのですが、なにぶんにも稲川様のお屋敷の方が埒《らち》が明きませんので……」
「御用人が一緒に行ってくれないんですかえ」
「年末は御用繁多で、とてもそんな所へ出向いてはいられないから、来春の十五日過ぎ頃まで待っていろと仰しゃるので……。それを無理にとも申し兼ねて、わたくしの方でも困って居ります」
「そりゃあまったく困りましたね。年末と云ったってまだ二十日前だから、そんなに忙がしいこともあるまいに……」
「わたくしもそう思うのですが、なにぶんにも先方でそう仰しゃるもんですから……」と、忠三郎もひどく困ったらしい顔をしていた。
「いや、ようございます」と、半七はうなずいた。「向うでそう云うなら、こっちにも又考えがあります。まあ、御安心なさい。もう大抵の見当はつきましたから」
 忠三郎に安心させて、半七は神田の家へ帰ってくると、仙吉が待っていた。
「親分、わかりました」
「判ったか」
「万助の奴をしらべて、すっかり判りました。贋物を売った古道具屋は御成道の横町で、亭主は左の小鬢《こびん》に禿《はげ》があるそうです」

     

 師走の町の寒い風に吹かれながら、日の暮れかかる頃に半七は下谷へ出て行った。御成道の横町で古道具屋をたずねると、がらくた[#「がらくた」に傍点]ばかり列《なら》べた床店《とこみせ》同様の狭い家で、店の正面に煤《すす》けた帝釈《たいしゃく》様の大きい掛物がかかっているのが眼についた。小鬢に禿のある四十ばかりの亭主が行火《あんか》をかかえて店番をしていた。
「おお、立派な帝釈様がある。それは幾らですえ」と、半七はそらとぼけて訊いた。
 それを口切りに、半七はこのあいだの探幽斎の掛物のことを話し出した。
「わたしはあれを買った万さんを識《し》っているが、安物買いの銭うしないで、とんだ食わせものを背負い込んだと、しきりに滾《こぼ》しぬいていましたよ。はははははは」
「だって、おまえさん」と、亭主は少し口を尖らせて云い訳らしく云った。「まったくお値段との相談ですよ、中身は善いか悪いか知りませんが、あの表装だけでも三歩や一両の値打ちはありますからね。して見れば、中身は反古《ほご》だって損はない筈です。わたしもあんなものは手がけたことが無いので、一旦はことわったのですけれど、近所ずからで無理にたのまれて、よんどころなく引き取ったのですが、年の暮にあんな物を寝かして置くのも迷惑ですから、二百でも三百でも口銭《こうせん》が付いたら売ってしまう積りで、通りかかった屑屋の鉄さんを呼んで、店のまえであの掛地をみせているところへ、横合いからあの人が出て来て、何でもおれに売ってくれろと、自分の方から値をつけて、引ったくるように買って行ってしまったんですから、食わせ物も何もあったもんじゃありませんよ」
「そりゃあお前さんの云う通りだ。万さんもなかなか慾張っているからね。ときどき生爪《なまづめ》を剥がすことがあるのさ。そこで、あの掛地はどこの出物《でもの》ですえ」
「さあ、生まれは何処だか知りませんが、ここへ持って来たのは、裏の大工の家《うち》のお豊さんですよ」
 裏の大工は峰蔵という親方で、娘に弟子の長作を妻《めあ》わせて、近所に世帯を持たせてあるが、道楽者の長作は大工というのは表向きで、この頃は賽の目の勝負ばかりを争っている。舅《しゅうと》の峰蔵も心配して、いっそ娘を取り戻そうかと云っているが、もともと好いて夫婦になった仲なので、お豊がどうしても承知しない。峰蔵は堅気《かたぎ》な職人であるのに、とんだ婿を取って気の毒だと亭主は話した。それを聴いてしまって、半七は何げなくうなずいた。
「そりゃあまったく気の毒だね。なぜ又そんなやくざな奴に娘をやったんだろう」
「なに、長作もはじめは堅い男だったんですが、ふいと魔が魅《さ》して此の頃はすっかり道楽者になってしまったんです」
「その長作の家はどこだね」
「すぐ向う裏です。露地をはいって二軒目です」
 半七はその足で向う裏の長作の家をたずねると、女房のお豊が内から出て来た。お豊はようよう十八九で、まだ娘らしい女振りであったが、さすがにもう眉を剃《そ》っていた。かれの白い顔はいたましく蒼ざめていた。
「長さんはお家《うち》ですかえ」
「今ちょいと出ましたが……。どちらから」
「わたしは松円寺の近所から来ましたが……」
「また誘い出しに来たんですか」と、お豊はひたいを皺《しわ》めた。「もう止してくださいよ」
「なぜです」
「なぜって……。おまえさんは藤代《ふじしろ》様の御屋敷へ行くんでしょう」
 松円寺のそばには藤代大二郎という旗本屋敷のあることを半七は知っていた。その屋敷のうちに賭場《とば》の開かれることは、お豊が今の口ぶりで大抵推量された。
「お察しの通り、藤代の御屋敷へ行くんですが、まだ誰にも馴染《なじみ》がないもんですから、こちらの大哥《あにい》に連れて行って貰わなければ……」
「いけませんよ。なんのかのと名をつけて誘い出しに来ちゃあ……。誰がなんと云っても、内の人はもうそんなところへはやりませんよ」
「長さんはほんとうに留守なんですかえ」
「嘘だと思うなら家じゅうをあらためて御覧なさい。きょうは用達しに出たんですよ」
「そうですか」と、半七は框《かまち》に悠々と腰をおろした。「おかみさん。済みませんが煙草の火を貸しておくんなさい」
「内の人は留守なんですよ」と、お豊はじれったそうに云った。
「留守でもいいんです。実はね、わたしの知っている本郷の者が、このあいだの晩に森川宿を通ると、化け銀杏の下に女の幽霊の立っているのを見たんです。野郎、臆病なもんだから碌々に正体も見とどけずに逃げてしまったんですよ。いや、いくじのねえ野郎で……。江戸のまん中に化け物なんぞのいる筈がねえ。わたしなら直ぐに取っ捉まえてその化けの皮を剥いでやるものを、ほんとうに惜しいことをしましたよ。ははははは」
 お豊は黙って聴いていた。
「勿論わたしが見た訳じゃあねえんだから、間違ったら、ごめんなさいよ」と、半七はお豊の顔をのぞきながら云った。「ねえ、おかみさん。その幽霊というのはお前さんじゃありませんでしたかえ」
「冗談ばっかり」と、お豊はさびしく笑っていた。「どうせわたしのようなものはお化けとしか見えませんからね」
「いや、冗談でねえ、ほんとうのことだ。その幽霊は藤代の屋敷へ自分の亭主を迎えに行ったんだろうと思う。惚れた亭主は博奕《ばくち》ばかり打っている。それが因《もと》で父っさんの機嫌が悪い。両方のなかに挟まって苦労するのは、可哀そうにその幽霊ばかりだ。ねえ、おかみさん。その幽霊が真っ蒼な顔をしているのも無理はねえ。かんがえると実に可哀そうだ。わたしも察していますよ」
 お豊は急にうつむいて、前垂れの端《はし》をひねっていたが、濃い睫毛《まつげ》のうるんでいるらしいのが半七の眼についた。
「そりゃあほんとうに察していますよ」と、半七はしみじみ云い出した。「亭主は道楽をする。節季師走《せっきしわす》にはなる。幽霊だって気が気じゃあねえ。家のものだって質《しち》に置こうし、よそから預かっている物だって古道具屋にも売ろうじゃあねえか。眼と鼻のあいだの道具屋へ鬼の掛地を売るなんかは、あんまり浅はかのようにも思われるが、そこが女の幽霊だ。無理もねえ。それに……」
 話を半分聞きかけて、お豊は衝《つ》っと起ちあがったかと思うと、彼女は格子《こうし》にならんだ台所から跣足《はだし》で飛び出して、井戸端の方へ駈けて行こうとするのを、半七は追い掛けてうしろから抱きすくめた。
「いけねえ。いけねえ。幽霊が死んだら蘇生《いきかえ》ってしまうばかりだ。まあ、騒いじゃあいけねえ。おめえの為にならねえ」
 泣き狂うお豊を無理に引き摺って、半七は再び家のなかへ連れ込んだ。
「親分さん。済みません。どうぞ殺して……殺してください」と、お豊はそこに泣き伏した。彼女は半七の身分を覚ったらしかった。
「もう判ったかね」と、半七はうなずいた。「あの掛地を持って来たのは長作だろう。ほかには何も持って来なかったかえ。羽織を持って来やしなかったか」
「持ってまいりました」と、お豊は泣きながら云った。
「先月の二十四日の晩だろうね」
「左様でございます」
「もう斯《こ》うなったらしようがねえ。何もかもぶち撒《ま》けて云って貰おうじゃあねえか。長作はあの掛地と羽織を持って来て、なんと云ったえ」
「博奕に勝って、その質《かた》に取って来たと云いました。掛地や泥だらけの羽織はすこしおかしいと思いましたけれど、羽織の泥は干して揉み落して、そのままにしまっておきました」
「その羽織はまだあるかえ」
「いいえ、もう質《しち》に入れてしまいました」
「おめえのお父っさんも、その晩に森川宿の方へ行ったろう。なんの用で行ったんだ」
「内の人を迎えに行ったのでございます」と、お豊は云った。「藤代様のお屋敷の大部屋で毎日賭場が開けるもんですから、長作はその方へばかり入り浸《びた》っていて、仕事にはちっとも出ません。お父っさんも心配して、今夜はおれが行って引っ張って来ると云って、雪のふる中を出て行きますと、途中で行き違いになったと見えまして、長作は濡れて帰って来ました。それから一時《いっとき》ほども経ってからお父っさんも帰って来ました。門口《かどぐち》から長作はもう帰ったかと声をかけましたから、もう帰りましたと返事をしますと、そのまま自分の家へ帰ってしまいました」
「それから長作はどうした」
「あくる朝は仕事に出ると云って家を出て、やっぱりいつもの博奕場へはいり込んだようでございました。それからはちっとも家に落ち着かないで……。それまではどんなに夜が更《ふ》けても、きっと家へ帰って来たんですが、その後はどこを泊まりあるいているのですか、三日も四日もまるで帰らないことがあるもんですから、わたくしも心配でたまりません。といって、お父っさんの耳へ入れますと、また余計な苦労をかけなければなりませんから、わたくしがそっと藤代様のお屋敷に迎いに行きましたが、夜は御門が厳重に閉め切ってあるので、女なんぞは入れてくれません。どうしようかと思って、松円寺の塀の外に立っていて、いっそもうあの銀杏に首でも縊《くく》って[#「って」は底本では「つて」]しまおうかと考えていますと、そこへ二人連れの男が通りかかったもんですから、あわてて其処を逃げてしまいました」
「長作はそれぎり帰らねえのか」
「それから二、三度帰りました」
「掛地や羽織のほかに金を見せたことはねえか」
「掛地や羽織を持って帰ったときに、博奕に勝ったと云って、わたくしに十両くれました。けれども、その後に又そっくり取られてしまったからと云って、その十両をみんな持ち出してしまいました。だんだんに押し詰まっては来ますし、家には炭団《たどん》を買うお銭《あし》もなくなっていますし、お父っさんの方へもたびたび無心にも行かれませんし、よんどころなしにその羽織を質に入れたり、掛地を道具屋の小父さんに買って貰ったりして、どうにかこうにか繋いで居りますと、長作はけさ早くに何処からかぼんやり帰って来まして、一文無しで困るから幾らか貸してくれと云います。貸すどころか、こっちが借りたいくらいで、あの羽織も質に置き、掛地も売ってしまったと申しますと、長作は急に顔の色を悪くしまして、黙ってそれぎり出て行ってしまいました。出るときにたった一言《ひとこと》、誰が来て訊いても掛地や羽織のことはなんにも云うなと申して行きました」
「そうか。よし、それでみんな判った。いや、まだ判らねえところもあるが、そこはまあ大目《おおめ》に見て置く」と、半七は云った。「それにしても、長作の居どこの知れるまではお前をこのままにして置くわけには行かねえ。ともかくも町内預けにして置くからそう思ってくれ」
 半七はすぐ家主を呼んで来てお豊を引き渡した。それから更に峰蔵を自身番へ呼び出して調べると、正直な彼は恐れ入って素直に申し立てた。
「実はあの晩、長作を迎いに行きまして、ちょうど行き違いになって松円寺のそばを通りますと、化け銀杏の下に一人の男が倒れていました。介抱して主人の家へ送りとどけてやりましたが、その男は河内屋の番頭で、胴巻に入れた金と大切の掛地と双子《ふたこ》の羽織とを奪《と》られましたそうでございます。その時はなんにも気がつきませんでしたが、あとで聞きますと長作はその晩に掛地と泥だらけの双子の羽織とを持ち帰りましたそうで、それを聞いたわたくしは慄然《ぞっ》としました。しかし、今更どうすることも出来ませんので、娘にもそのわけをそっと云い聞かせまして、係り合いにならないうちに早く長作と縁を切ってしまえと意見をしましたが、娘はまだ長作に未練があるとみえまして、どうも素直に承知いたしません。困ったものだと思って居りますうちに、娘もいよいよ手許《てもと》が詰まったのでございましょう。その羽織を質に入れたり、掛地を道具屋に売ったりしたもんですから、とうとうお目に止まったような次第で、なんとも申し訳がございません」
 お豊が井戸へ飛び込もうとした仔細もそれでわかった。
 半七が大抵想像していた通り、かれは亭主の悪事を知っていたのであった。
 その明くる日の夕方、長作は藤代の屋敷へはいろうとするところを、かねて網を張っていた仙吉に召捕られた。忠三郎を投げ倒したのは周道のいたずらで、長作はなんにも係り合いのないことであった。彼はその晩博奕に負けてぼんやり帰ってくると、雪まじりの雨のなかに一人の男が倒れているのを見つけたので、初めは介抱してやるつもりで立ち寄ったが、かれの胴巻の重そうなのを知って、長作は急に気が変った。まず胴巻だけを奪い取って行きかけたが、毒食らわば皿までという料簡になって、彼は更に忠三郎が大事そうに抱えている風呂敷包みを奪った。羽織まで剥ぎ取った。しかも悪銭は身につかないで、百両の金も酒と女と博奕でみんなはたいてしまった。
「舅や女房はなんにも知らないことでございます。どうぞ御慈悲をねがいます」と、彼は云った。
 実際なんにも知らないと云えないのであるが、さすがに上《かみ》の慈悲であった。峰蔵もお豊も叱りおくだけで赦された。しかし長作の罪科は今の人が想像する以上に重いものであった。かれは路に倒れている人を介抱しないばかりか、あまつさえ其の所持品を奪い取るなど罪科重々であるというので、引き廻しのうえ獄門ときまって、かれの首は小塚ッ原に晒《さら》された。
 寺社奉行の命令で、松円寺の化け銀杏は往来に差し出ている枝をみな伐《き》り払われてしまった。

 これだけの話を聴いても、わたしにはまだ判らないことがあった。
「お豊が古道具屋へ売った探幽の鬼は贋物《にせもの》だったのですね。そうすると、忠三郎という番頭は稲川の屋敷から贋物を受け取って来たのでしょうか」
「そうです、そうです」と、半七老人はうなずいた。「稲川の屋敷でも初めから贋物をつかませるほどの悪気はなかったのですが、五百両を半分に値切られたので、苦しまぎれに贋物を河内屋へ渡して、ほん物の方を又ほかへ売ろうと企《たくら》んだのです」
「どうしてそんな贋物が拵えてあったのでしょう。初めから企んだことでもないのに……」
「それはこういうわけです。探幽のほん物は昔から稲川の家に伝わっていたんですが、なんでも先代の頃にどこかでその贋物を見つけたんだそうです。贋物とはいえ、それがあんまりよく出来ているので、こんなものが世間に伝わると、どっちが真物だか判らなくなって、自分の家の宝物に瑕《きず》がつくというので、贋物を承知で買い取って、再び世間へ出さないように、屋敷の蔵のなかへしまい込んで置いたのです。昔はよくこんなことがありました。それをここで持ち出して、今もいう通り、贋物を河内屋の番頭に渡してやって、ほん物の方を芝の三島屋へ四百両に売ったんです。そういういきさつ[#「いきさつ」に傍点]がありますから、稲川の用人は何とか理窟をつけて、三島屋へ一緒に行くことを拒《こば》んだわけなんです。そこで、この一件が表向きになると、稲川の用人は先ずわたくしのところへ飛んで来ました。勿論、河内屋の方へも泣きを入れて、万事は主人の知らないこと、すべて用人が一存で計らったのだという申し訳で、どうにかこうにか内済になりました。金は当然返さなければなりませんから、稲川の屋敷から二百五十両を河内屋へ返し、贋物の鬼を取り戻したんですが、稲川の主人もちょっと変った人で、畢竟《ひっきょう》こんなものを残して置くから心得ちがいや間違いが起るのだと云って、節分《せつぶん》の晩にその贋物の鬼を焼き捨ててしまったそうです。節分の晩が面白いじゃありませんか。
 河内屋からわたくしのところへ礼に来ましたが、とりわけて番頭の忠三郎はひどくそれを恩にきて、その後もたびたびわたくしを訪ねてくれました。それが今帰って行った水原さんで、維新後に河内屋は商売換えをしてしまいましたが、水原さんは横浜へ行って売込み商をはじめて、それがとんとん拍子にあたって、すっかり盛大になったんですが、それでも昔のことを忘れないで、わたくしのような者とも相変らず附き合っていてくれます。実はきょうも、例の化け銀杏の一件を話して帰ったんですよ」

底本:「時代推理小説 半七捕物帳(二)」光文社文庫、光文社
   1986(昭和61)年3月20日初版1刷発行
※「糴《せり》」の「入」の部分を、底本は「ハ」のようにつくっているが、ここでは「糴」として入力した。
※事件の発端となる日付を、底本は「文久元年十二月二十四日の出来事である。」としているが、本作品中の後の記述に照らせば、事件は十一月の末に起こっていなければ辻褄が合わないと思われる。
入力:tatsuki
校正:山本奈津恵
1999年11月6日公開
2004年2月29日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

岡本綺堂

二階から—— 岡本綺堂


   二階からといって、眼薬をさす訳《わけ》でもない。私が現在|閉籠《とじこも》っているのは、二階の八畳と四畳の二間で、飯でも食う時のほかは滅多《めった》に下座敷などへ降りたことはない。わが家ながらあたかも間借りをしているような有様で、私の生活は殆《ほとん》どこの二間に限られている。で、世間を観《み》るのでも、月を観るのでも、雪を観るのでも、花を観るのでも、すべてこの二階から観る。随って眼界は狭い。その狭い中から見出したことの二つ三つをここに書く。

     一 水仙

 去年の十一月に支那水仙を一鉢買った。勿論相当に水も遣《や》る、日にも当てる。一通りの手当は尽していたのであるが、十二月になっても更に蕾《つぼみ》を出さない。無暗《むやみ》に葉が伸びるばかりである。どうも望みがないらしいと思っているところへ、K君が来た。K君は園芸の心得ある人で、この水仙を見ると首を傾《かし》げた。
「君、これはどうもむずかしいよ。恐《おそら》く花は持つまい。」
 こういって、K君は笑った。私も頭を掻《か》いて笑った。その当時K君の忰《せがれ》は病床に横《よこた》わっていたが、病院へ入ってから少しは良《い》いということであった。ところが、その月の中旬に寒気が俄《にわか》に募《つの》ったためか、K君の忰は案外に脆《もろ》く仆《たお》れてしまった。K君の忰は蕾ながらにして散ってしまったのである。私の家の水仙はその蕾さえも持たずして、空しく枯れてしまうであろうと思われた。
 年が明けた。ある暖い朝、私がふとかの水仙の鉢を覗《のぞ》くと、長く伸びた葉の間から、青白い袋のようなものが見えた。私は奇蹟を目撃したように驚いた。これは確《たしか》に蕾である。それから毎日|欠《かか》さずに注意していると、葉と葉との間からは総て蕾がめぐんで来た。それが次第に伸びて拡《ひろ》がって来た。もうこうなると、発育の力は実に目ざましいもので、茎はずんずん[#「ずんずん」に傍点]と伸《のび》てゆく。蕾は日ましに膨《ふく》らんでゆく。今ではもう十数輪の白い花となって、私の書棚を彩《いろど》っている。
 殆ど絶望のように思われた水仙は、案外立派に発育して、花としての使命を十分果した。K君の忰は花とならずして終った。春の寒い夕《ゆうべ》、電灯の燦《さん》たる光に対して、白く匂いやかなるこの花を見るたびに、K君の忰の魂のゆくえを思わずにはいられない。

     二 団五郎

 新聞を見ると、市川団五郎が静岡で客死《かくし》したとある。団五郎という一俳優の死は、劇界に何らの反響もない。少数の親戚や知己は格別、多数の人々は恐らく何の注意も払わずにこの記事を読み過したであろう。しかも私はこの記事を読んで、涙をこぼした一人《いちにん》である。
 団五郎と私とは知己でも何でもない。今日まで一度も交際したことはなかった。が、私の方ではこの人を記憶している。歌舞伎座の舞台開きの当時、私は父と一所《いっしょ》に団十郎の部屋へ遊びにゆくと、丁度わたしと同年配ぐらいの美少年が団十郎の傍《そば》に控えていて、私たちに茶を出したり、団十郎の手廻りの用などを足していた。いうまでもなく団十郎の弟子である。
「綺麗な児《こ》だが、何といいます。」
 父が訊《き》くと、団十郎は笑って答えた。
「団五郎というのです。いたずら者で――。」
 答はこれだけの極めて簡短なものであったが、その笑みを含んだ口吻《くちぶり》にも、弟子を見遣《みや》った眼の色にも、一種の慈愛が籠っていた。この児は師匠に可愛《かあい》がられているのであろうと、私も子供心に推量した。
「今に好い役者になるでしょう。」
 父が重ねていうと、団十郎はまた笑った。
「どうですかねえ。しかしまあ、どうにかこうにかものにはなりましょうよ。」
 若い弟子に就ての問答はこれだけであった。やがて幕が明くと、団十郎は水戸黄門で舞台に現れた。その太刀持を勤めている小姓は、かの団五郎であった。彼は楽屋で見たよりも更に美しく見えた。私は団五郎が好きになった。
 けれども、彼はその後いつも眼に付くほどの役を勤めていなかった。番附をよく調べて見なければ、出勤しているのかいないのか判らない位であった。その中《うち》に私もだんだんに年を取った。団五郎に対する記憶も段々に薄らいで来た。近年の芝居番附には団五郎という名は見えなくなってしまった。二十何年ぶりで今日《こんにち》突然にその訃《ふ》を聞いたのである。何でも旅廻りの新俳優一座に加わって、各地方を興行していたのだという。それ以上のことは詳しく判らないが、その晩年の有様も大抵は想像が付く。
 日本一の名優の予言は外れた。団五郎は遂にものにならずに終った。師匠の眼識違《めがねちが》いか、弟子の心得違いか。その当時の美しい少年俳優がこういう運命の人であろうとは、私も思い付かなかった。

     三 茶碗

 O君が来て古い番茶茶碗をくれた。おてつ牡丹餅《ぼたもち》の茶碗である。
 おてつ牡丹餅は維新前から麹町《こうじまち》の一名物であった。おてつという美人の娘が評判になったのである。元園町《もとぞのちょう》一丁目十九番地の角店《かどみせ》で、その地続きが元は徳川幕府の薬園、後には調練場となっていたので、若い侍などが大勢集って来る。その傍《そば》に美しい娘が店を開いていたのであるから、評判になったも無理はない。
 おてつの店は明治十八、九年頃まで営業を続けていたかと思う。私の記憶に残っている女主人《おんなあるじ》のおてつは、もう四十位であったらしい。眉を落して歯を染めた小作りの年増《としま》であった。聟《むこ》を貰ったがまた別れたとかいうことで、十一、二の男の児《こ》を持っていた。美しい娘も老いて俤《おもかげ》が変ったのであろう。私の稚《おさな》い眼には格別の美人とも見えなかった。店の入口には小さい庭があって、飛石伝いに奥へ這入《はい》るようになっていた。門の際《きわ》には高い八《や》つ手《で》が栽《う》えてあって、その葉かげに腰を屈《かが》めておてつが毎朝入口を掃《は》いているのを見た。汁粉《しるこ》と牡丹餅とを売っているのであるが、私が知っている頃には店も甚だ寂《さび》れて、汁粉も牡丹餅もあまり旨《うま》くはなかったらしい。近所ではあったが、私は滅多《めった》に食いに行ったことはなかった。
 おてつ牡丹餅の跡へは、万屋《よろずや》という酒屋が移って来て、家屋も全部新築して今日《こんにち》まで繁昌している。おてつ親子は麻布の方へ引越したとか聞いているが、その後の消息は絶えてしまった。
 私の貰った茶碗はそのおてつの形見である。O君の阿父《おとう》さんは近所に住んでいて、昔からおてつの家とは懇意《こんい》にしていた。維新の当時、おてつ牡丹餅は一時閉店するつもりで、その形見といったような心持で、店の土瓶《どびん》や茶碗などを知己の人々に分配した。O君の阿父さんも貰った。ところが、何かの都合からおてつは依然その営業をつづけていて、私の知っている頃までやはりおてつ牡丹餅の看板を懸けていたのである。
 汁粉屋の茶碗というけれども、さすがに維新前に出来たものだけに、焼《やき》も薬《くすり》も悪くない。平仮名《ひらがな》でおてつと大きく書いてある。私は今これを自分の茶碗に遣《つか》っている。しかしこの茶碗には幾人の唇が触れたであろう。
 今この茶碗で番茶を啜《すす》っていると、江戸時代の麹町が湯気の間から蜃気楼《しんきろう》のように朦朧《もうろう》と現れて来る。店の八つ手はその頃も青かった。文金島田《ぶんきんしまだ》にや[#「や」に傍点]の字の帯を締めた武家の娘が、供《とも》の女を連れて徐《しず》かに這入って来た。娘の長い袂《たもと》は八つ手の葉に触れた。娘は奥へ通って、小さい白扇《はくせん》を遣っていた。
 この二人の姿が消えると、芝居で観る久松のような丁稚《でっち》が這入って来た。丁稚は大きい風呂敷包を卸《おろ》して椽《えん》に腰をかけた。どこへか使《つかい》に行く途中と見える。彼は人に見られるのを恐れるように、なるたけ顔を隠して先《ま》ず牡丹餅を食った。それから汁粉を食った。銭を払って、前垂で口を拭いて、逃げるように狐鼠狐鼠《こそこそ》と出て行った。
 講武所風の髷《まげ》に結って、黒木綿の紋附、小倉の馬乗袴《うまのりばかま》、朱鞘《しゅざや》の大小の長いのをぶっ込んで、朴歯《ほおば》の高い下駄をがら付かせた若侍《わかざむらい》が、大手を振って這入って来た。彼は鉄扇《てっせん》を持っていた。悠々と蒲団の上に座って、角細工《つのざいく》の骸骨《がいこつ》を根付《ねつけ》にした煙草入《たばこい》れを取出した。彼は煙を強く吹きながら、帳場に働くおてつの白い横顔を眺めた。そうして、低い声で頼山陽《らいさんよう》の詩を吟じた。
 町の女房らしい二人|連《づれ》が日傘を持って這入って来た。彼らも煙草入れを取出して、鉄漿《おはぐろ》を着けた口から白い煙を軽く吹いた。山の手へ上って来るのは中々|草臥《くたび》れるといった。帰りには平河《ひらかわ》の天神様へも参詣《さんけい》して行こうといった。おてつと大きく書かれた番茶茶碗は、これらの人々の前に置かれた。調練場の方ではどッ[#「どッ」に傍点]という鬨《とき》の声が揚った。ほうろく調練が始まったらしい。
 私は巻煙草を喫《の》みながら、椅子に倚《よ》り掛って、今この茶碗を眺めている。曾《かつ》てこの茶碗に唇を触れた武士も町人も美人も、皆それぞれの運命に従って、落付く所へ落付いてしまったのであろう。

     四 植木屋

 植木屋の忰《せがれ》が松の緑を摘《つ》みに来た。一昨年《おととし》まではその父が来たのであるが、去年の春に父が死んだので、その後は忰が代りに来る。忰はまだ若い、十八、九であろう。
 昼休みの時に、彼は語った。
 自分はこの商売をしないつもりで、築地の工手学校に通っていた。もう一年で卒業という間際《まぎわ》に父に死なれた。とても学校などへ行ってはいられない。祖母は父の弟の方へ引取られたが、家には母がある。弟がある。自分は父と同職の叔父《おじ》に附いて出入先を廻ることになった。これも不運で仕方がないが、親父がもう一年生きていてくれればと思うことも度々《たびたび》ある。自分と同級の者は皆学校を卒業してしまった。
 あきらめたというものの、彼の声は陰《くも》っていた。私も暗い心持になった。
 しかし人間は学校を卒業するばかりが目的ではない。ほかにも色々の職業がある。これからの世の中は学校を卒業したからといって、必ず安楽に世を送られると限ったものではない。なまじい学問をしたために、かえって一身の処置に苦《くるし》むようなこともしばしばある。親の職業を受嗣《うけつ》いで、それで世を送って行かれれば、お前に取って幸福でないとはいえない。今お前が羨《うらや》んでいる同級生が、かえってお前を羨むような時節がないとも限らない。お前はこれから他念なく出精《しゅっせい》して、植木屋として一人前の職人になることを心掛けねばならないと、私はくれぐれもいい聞かせた。
 彼も会得したようであった。再び高い梯《はしご》に昇って元気よく仕事をしていた。松の枝が時々にみしりみしり[#「みしりみしり」に傍点]と撓《たわ》んだ。その音を聴《きく》ごとに、私は不安に堪《たえ》なかった。

     五 蜘蛛

 庭の松と高野槙《こうやまき》との間に蜘蛛《くも》が大きな網を張っている。二本ながら高い樹で丁度二階の鼻の先に突き出ているので、この蜘蛛の巣が甚だ眼障《めざわ》りになる。私は毎朝払い落すと、午頃《ひるごろ》には大きな網が再び元のように張られている。夕方に再び払い落すと、明《あく》る朝にはまたもや大きく張られている。私が根よく払い落すと、彼も根よく網を張る。蜘蛛と私との闘《たたかい》は半月あまりも続いた。
 私は少しく根負けの気味になった。いかに鉄条網を突破しても、当の敵《かたき》の蜘蛛を打ち亡ぼさない限りは、到底最後の勝利は覚束《おぼつか》ないと思ったが、利口な彼は小さい体を枝の蔭や葉の裏に潜めて、巧みに私の竿《さお》や箒《ほうき》を逃れていた。私はこの出没自在の敵を攻撃するべくあまりに遅鈍であった。
 彼の敵は私ばかりではなかった。ある日強い南風が吹き巻《まく》って、松と槙との枝を撓《たわ》むばかりに振り動かした。彼の巣もともに動揺した。巣の一部分は大きな魚に食い破られた網のように裂《さ》けてしまった。彼は例の如く小さい体を忙がしそうに働かせながら、風に揺られつつ網の破れを繕《つくろ》っていた。
 ある日、庭に遊んでいる雀が物に驚いて飛び起《た》った時に、彼の拡《ひろ》げた翼はあたかも蜘蛛の巣に触れた。鳥は向う見ずに網を突き破って通った。それから三十分ばかりの間、小さい虫はまたもや忙がしそうに働かねばならなかった。彼は忠実なる工女のように、息もつかずに糸を織っていた。
 彼は善《よ》く働くと私はつくづく感心した。それと同時に、彼を駆逐《くちく》することは所詮《しょせん》駄目《だめ》だと、私は諦《あきら》めた。わたしはこの頑強《がんきょう》なる敵と闘うことを中止しようと決心した。
 私が蜘蛛の巣を払うのは勿論いたずらではない。しかし命賭《いのちが》けでもこれを取払わねばならぬというほどの必要に迫られている訳《わけ》でもない。単に邪魔だとか目障《めざわ》りだとかいうに過ぎないのである。これが有《あ》ったからといって、私の生活に動揺を来すというほどの大事件ではない。それと反対に、彼に取っては実に重大なる死活問題である。彼が網を張るのは悪戯《いたずら》や冗談《じょうだん》ではない、彼は生きんがために努力しているのである。彼は生きている必要上、網を張って毎日の食を求めなければならない。彼には生に対する強い執着《しゅうじゃく》がある。毎日払い落されても、毎日これを繕ってゆく。恐《おそら》く彼はいよいよ死ぬという最終の一時間までこの努力をつづけるに相違あるまい。
 私は、彼に敵することは能《でき》ないと悟った。
 小さい虫は遂に私を征服して、私の庭を傲然《ごうぜん》として占領している。

     六 蛙

 次は蛙である。青い脊中に軍人の肩章のような金色の線を幾筋も引いている雨蛙である。
 私の狭い庭には築山《つきやま》がある。彼は六月の中旬頃からひょこり[#「ひょこり」に傍点]とそこに現れた。彼は山をめぐる躑躅《つつじ》の茂みを根拠地として、朝に晩にそこらを這《は》い歩いて、日中にも平気で出て来た。雨が降ると涼しい声を出して鳴いた。
 今年の梅雨中《ばいうちゅう》には雨が少かったので、私の甥《おい》は硝子《がらす》の長い管で水出しを作った。それを楓《かえで》の高い枝にかけてあたかも躑躅の茂みへ細い滝を落すように仕掛けた。午後一時半頃、甥は学校から帰って来ると、すぐにバケツに水を汲み込んで水出しの設備に取《とり》かかる。細い水は一旦《いったん》噴き上って更に真直にさッ[#「さッ」に傍点]と落ちて来ると、夏楓の柔い葉は重い雫《しずく》に堪えないように身を顫《ふる》わした。咲き残っている躑躅の白い花も湿《ぬ》れた頭を重そうに首肯《うなず》かせた。滝は折々に風にしぶいて、夏の明るい日光の前に小さい虹を作った。湿《ぬ》れた苔は青く輝いた。あるものは金色《こんじき》に光った。
「もう今に蛙が出て来るだろう。」
 こういっていると、果して何処《どこ》からか青い動物が遅々《のそのそ》と這い出して来る。彼は悠然として滝の下にうずくまる。そうして、楓の葉を通して絶間《たえま》なしに降り注ぐ人工の雨に浴している。バケツの水が尽きると、甥と下女とが汲み替えて遣《や》る。蛙は眼を晃《ひか》らしているばかりでちっとも動かない。やがて十分か二十分も経ったと思うと、彼は弱い女のような細い顫え声を高く揚げて、からからから[#「からからから」に傍点]というように鳴き始める。調子はなかなか高いので二階にいる私にも能《よ》く聞えた。
 こんなことが十日ほども続くと、彼は何処へか姿を隠してしまった。甥がいくら苦心しても、人工の雨では遂に彼を呼ぶことが能《でき》なくなった。甥は失望していた。私も何だか寂しく感じた。
 それから四日ほど過ぎると朝から細雨《こさめ》が降った。どこやらでからからから[#「からからから」に傍点]という声が聞えた。甥は学校へ行った留守であったので、妻と下女とはその声を尋ねて垣の外へ出た。声は隣家の塀の内にあるらしく思われた。塀の内には紫陽花《あじさい》が繁って咲いていた。
「奥さんここにいますよ」と、下女が囁《ささや》いた。蛙は塀の下にうずくまって昼の雨に歌っているのであった。下女は塀の下から手を入れて難なく彼を捕えて帰った。もう逃げるのじゃないよといい聞かせて、再び彼を築山のかげに放して遣《や》った。その日は一日|降《ふり》暮《くら》した。夕方になると彼は私の庭で歌い始めた。
 家内の者は逃げた鶴が再び戻って来たように喜んだ。築山に最も近い四畳半の部屋に集って、茶を飲みながら蛙の声を聴いた。私の家族は俄《にわか》に風流人になってしまった。
 俄作《にわかづく》りの詩人や俳人は明る日になって再び失望させられた。蛙は再び逃げてしまった。今度はいくら探してももう見えなかった。
 その後にもしばしば雨が降った。しかも再び彼の声を聴くことは能《でき》なかった。隣の庭でも鳴かなかった。甥の作った水出しは物置の隅へ投げ込まれてしまった。
「あんなに可愛《かあい》がって遣《やっ》たのに……」と、甥も下女も不平らしい顔をしていた。
 実際、我々は彼を苦《くるし》めようとはしなかった。寧《むし》ろ彼を愛養していた。しかも彼を狭い庭の内に押込めて、いつまでも自分たちの専有物にしておこうという我儘《わがまま》な意思を持っていたことは否《いな》まれなかった。そこに有形無形の束縛があった。彼は自由の天地にあこがれて、遠く何処へか立去ったのであろう。
 蜘蛛は私に打克《うちか》った。蛙は私の囚《とら》われを逃れた。彼らはいずれも幸福でないとはいえまい。

     七 蛙と騾馬《らば》と

 前回に蛙の話を書いた折に、ふと満洲の蛙を思い出した。十余年前、満洲の戦地で聴いた動物の声で、私の耳の底に最も鮮かに残っているのは、蛙と騾馬との声であった。
 蓋平《がいへい》に宿《とま》った晩には細雨《こさめ》が寂しく降っていた。私は兵站部《へいたんぶ》の一室を仮《か》りて、板の間に毛布を被って転がっていると、夜の十時頃であろう、だしぬけに戸の外でがあがあ[#「があがあ」に傍点]と叫ぶような者があった、ぎいぎい[#「ぎいぎい」に傍点]と響くような者があった。その声は家鴨《あひる》に似て非なるものであった。殊《こと》にその声の大きいのに驚かされた。
 私は蝋燭《ろうそく》を点《つ》けて外を窺《うかが》った。外は真暗《まっくら》で、雨は間断《しきり》なしにしとしと[#「しとしと」に傍点]と降っていた。ぎいぎい[#「ぎいぎい」に傍点]という不思議の声は遠い草叢《くさむら》の奥にあるらしく思われたので、私は蝋燭を火縄《ひなわ》に替えた。そうして、雨の中を根《こん》好《よ》く探して歩いたが、怪物の正体は遂に判らなかった。私は夜もすがらこの奇怪なる音楽のために脅《おび》やかされた。
 夜が明けてから兵站部員に訊《き》くと、彼は蛙であった。その鳴声が調子外れに高いので、初めて聴いた者は誰でも驚かされる、しかも滅多《めった》にその形を視《み》た者はないとのことであった。漢詩では蛙の鳴くことを蛙鳴《あめい》といい蛙吠《あべい》というが、吠《べい》の字は必ずしも平仄《ひょうそく》の都合ばかりでなく、実際にも吠ゆるという方が適切であるかも知れないと、私はこの時初めて感じた。
 日本の演劇《しばい》で蛙の声を聞かせる場合には、赤貝を摺《す》り合せるのが昔からの習《ならい》であるが、『太功記《たいこうき》』十段目の光秀が夕顔棚《ゆうがおだな》のこなたより現《あらわ》れ出《い》でた時に、例の小田の蛙《かわず》が満洲式の家鴨のような声を張上げてぎいぎい[#「ぎいぎい」に傍点]と鳴き出したらどうであろう。光秀も恐《おそら》く竹槍を担《かつ》いで逃げ出すより他《ほか》はあるまい。私は独りで噴飯《ふきだ》してしまった。
 ただし満洲の蛙も悉《ことごと》くこの調子外ればかりではなかった。中には楽人《がくじん》の資格を備えている種類もあった。私が楊家屯《ようかとん》に露宿《ろじゅく》した夕《ゆうべ》、宵《よい》の間は例の蛙どもが破れた笙《しょう》を吹くような声を遠慮なく張上げて、私の安眠を散々に妨害したが、夜の更けるに随ってその声も漸く断えた。今夜は風の生暖い夜であった。空は一面に陰《くも》っていた。近所の溜りの池で再び蛙の声が起った。これは聞慣れた普通の声であった。わたしは久振《ひさしぶり》で故郷の音楽を聴いた。桜の散る頃に箕輪田圃《みのわたんぼ》のあたりを歩いているような気分になった。私は嬉しかった、懐かしかった。疲れた身にも寝るのが惜いように思われたのはこの夜であった。
 騾馬の嘶《いなな》きも甚だ不快な記憶を止めている。これも一種のぎいぎい[#「ぎいぎい」に傍点]という声である。どう考えても生きた物の声とは思われなかった。木と木とが触れ合ったらこんな響を発するであろうかと思われた。そうして如何《いか》にも苦しい、寂しい、悲しい、今にも亡びそうな声である。ある人が彼を評して亡国の声といったのも無理はない。決して目出たい声でない、陽気な声でない、彼は人間の滅亡を予告するように高く嘶《いなな》いているのではあるまいか。
 遼陽の攻撃戦が酣《たけなわ》なる時、私は雨の夕暮に首山堡《しゅざんぼう》の麓へ向った。その途中で避難者を乗せているらしい支那人の荷車に出逢った。左右は一面に高梁《こうりょう》の畑で真中《まんなか》には狭い道が通じているばかりであった。私はよんどころなしに畑へ入って車を避けた。車を牽《ひ》いているのは例の騾馬であった。車に乗っているのは六十あまりの老女と十七、八の若い娘と六、七歳の男の児《こ》の三人で、他に四十位で頬に大きな痣《あざ》のある男が長い鞭《むち》を執《と》っていた。車には掩蓋《おおい》がないので、人は皆|湿《ぬ》れていた。娘は蒼白《あおじろ》い顔をして、鬢《びん》に雫《しずく》を滴《た》らしているのが一入《ひとしお》あわれに見えた。
 路《みち》が悪いので車輪は容易に進まなかった。車体は右に左に動揺した。車が激しく揺れるたびに、娘は胸を抱えて苦しそうに咳き入った。わたしはもしや肺病患者ではないかと危ぶんだ。
 男は焦《じ》れて打々《ターター》と叫んだ。そうして長い鞭をあげて容赦なしに痩せた馬の脊を打った。馬は跳《おど》って狂った。狂いながらにいくたびか高く嘶いた。娘は老女の膝に倒れかかって、血を吐きそうに強く咳き入った。
 遼陽から首山堡の方面にかけて、大砲や小銃の音がいよいよ激しくなった。私は車の通り過ぎるのを待ち兼ねて、再び旧《もと》の路に出た。騾馬はまたもや続けて嘶いた。娘は揉み殺されそうに車に揺られていた。やがて男の児も泣き出した。
 私が一町ほど行き過ぎた頃にも、騾馬の声は寒い雨の中に遠く聞えていた。

     八 おたけ

 おたけは暇を取って行った。おとなしくて能《よ》く働く女であったが、たった二週間ばかりで行ってしまった。
 これまで奉公していたおよねは母が病気だというので急に国へ帰る事になった。その代りとしておたけが目見得《めみえ》に来たのは、七月の十七日であった。彼女《かれ》は相州の大山街道に近い村の生れで、年は二十一だといっていたが、体の小さい割に老《ふ》けて見えた。その目見得の晩に私の甥《おい》が急性|腸胃加答児《ちょういかたる》を発したので、夜半《よなか》に医師を呼んで灌腸をするやら注射をするやら、一家が徹夜で立騒いだ。来たばかりのおたけは勝手が判らないのでよほど困ったらしいが、それでも一生懸命に働いてくれた。暗い夜を薬取りの使《つかい》にも行ってくれた。目見得も済んで、翌日から私の家に居着《いつ》くこととなった。
 彼女は何方《どちら》かといえば温順《おとなし》過ぎる位であった。寧《むし》ろ陰気な女であった。しかし柔順《すなお》で正直で骨を惜まずに能く働いて、どんな場合にも決して忌《いや》そうな顔をしたことはなかった。好い奉公人を置き当てたと家内の者も喜んでいた。私も喜んでいた。すると四、五日経った後《のち》、妻は顔を皺《しか》めてこんなことを私に囁《ささや》いた。
「おたけはどうもお腹《なか》が大きいようですよ。」
「そうかしら。」
 私には能く判らなかった。なるほど、小作りの女としては、腹が少し横肥りのようにも思われたが、田舎生れの女には随分こんな体格の女がないでもない。私はさのみ気にも止めずに過ぎた。
 おたけはいくらか文字《もんじ》の素養があると見えて、暇があると新聞などを読んでいた。手紙などを書いていた。ある時には非常に長い手紙を書いていたこともあった。彼女は用の他《ほか》に殆《ほとん》ど口を利《き》かなかった。いつも黙って働いていた。
 彼女は私の家へ来る前に青山の某《ぼう》軍人の家に奉公していたといった。七人の兄妹のある中で、自分は末子であるといった。実家は農であるそうだが、あまり貧しい家ではないと見えて、奉公人としては普通以上に着物や帯なども持っていた。容貌《きりょう》はあまり好くなかったが、人間が正直で、能く働いて、相当の着物も持っているのであるから、奉公人としては先《ま》ず申分のない方であった。諄《くど》くもいう通り、甚《ひど》く温順い女で、少し粗匆《そそう》でもすると顔の色を変えて平謝《ひらあやま》りに謝まった。
 彼女は「だいなし」という詞《ことば》を無暗《むやみ》に遣《つか》う癖があった。ややもすると「だいなしに暑《あつ》い」とか、「だいなしに遅くなった」とかいった。病気も追々に快《よ》くなった甥などはその口真似《くちまね》をして、頻《しき》りに「だいなし」を流行《はや》らせていた。
 妻も彼女を可愛がっていた。私も眼をかけて遣《や》れといっていた。が、折々に私たちの心の底に暗い影を投げるのは、彼女の腹に宿せる秘密であった。気をつけて見れば見るほどどうも可怪《おかし》いようにも思われたので、私はいっそ本人に対《むか》って打付《うちつけ》に問《と》い糺《ただ》して、その疑問を解こうかとも思ったが、可哀《かあい》そうだからお止《よ》しなさいと妻はいった。私も何だか気の毒なようにも思ったので、詮議《せんぎ》は先《ま》ずそのままにしてしばらく成行《なりゆき》を窺《うかが》っていた。
 月末になると請宿《うけやど》の主人が来て、まことに相済まないがおたけに暇をくれといった。段々聞いてみると、彼女は果して妊娠六ヵ月であった。彼女は郷里にある時に同村の若い男と親しくなったが、男の家が甚だ貧しいのと昔からの家柄が違うとかいうので、彼女の老いたる両親は可愛い末の娘を男に渡すことを拒《こば》んだ。若い二人は引分けられた。彼女は男と遠ざかるために、この春のまだ寒い頃に東京へ奉公に出された。その当時既に妊娠していたことを誰も知らなかった。本人自身も心付かなかった。東京へ出て、漸次《しだい》に月の重なるに随って、彼女は初めて自分の腹の中に動く物のあることを知った。
 これを知った時の彼女の悲しい心持はどんなであったろう。彼女は故郷へこのことを書いて遣ったが、両親も兄も返事をくれなかった。帰るにも帰られない彼女は、苦しい胸と大きい腹とを抱えてやはり奉公をつづけていると、盆前になって突然に主人から暇が出た。ただならぬ彼女の身体《からだ》が主人の眼に着いたのではあるまいか。主人は給金のほかに反物《たんもの》をくれた。
 彼女はいよいよ重くなる腹の児《こ》を抱えて、再び奉公先を探した。探し当てたのが私の家であった。彼女としては辛くもあったろう、苦しくもあったろう、悲しくもあったろう。気心の知れない新しい主人の家へ来て、一生懸命に働いている間にも、彼女は思うことが沢山あったに相違ない。いくら陰陽《かげひなた》がないといっても、主人には見せられぬ涙もあったろう。内所《ないしょ》で書いていた長い手紙には、遣瀬《やるせ》ない思いの数々を筆にいわしていたかも知れない。彼女が陰《くも》った顔をしているのも無理はなかった。そんなこととは知らない私は、随分大きな声で彼女を呼んだ。遠慮なしに用をいい付けた。私は思い遣《や》りのない主人であった。
 それでも彼女は幸《さいわい》であった。彼女が奉公替をしたということを故郷へ知らせて遣った頃から、両親の心も和らいだ。子まで生《な》したものを今更どうすることも能《でき》まいという兄たちの仲裁説も出た。結局彼女を呼び戻して、男に添わして遣ろうということになった。そう決ったらば旧の盂蘭盆《うらぼん》前に嫁入させるが土地の習慣《ならわし》だとかいうので、二番目の兄が俄《にわか》に上京した。おたけは兄に連れられて帰ることになったのである。
 勿論、暇《いとま》をくれるという話さえ決れば、代りの奉公人の来るまでは勤めてもいいとのことであったが、私たちはいつまでも彼女を引止めておくに忍びなかった。嫁入仕度《よめいりじたく》の都合などもあろうから直《すぐ》に引取っても差支《さしつかえ》ないと答えた。彼女は明《あく》る日《ひ》の午後に去った。
 去る時に彼女は二階へ上って来て、わたしの椅子《いす》の下に手を突いて、叮寧《ていねい》に暇乞《いとまご》いの挨拶をした。彼女は白粉《おしろい》を着けて、何だか派手な帯を締めていた。
「私の方ではもっ[#「もっ」に傍点]と奉公していてもらいたいと思うけれども、国へ帰った方がお前のためには都合がいいようだから――。」
 私が笑いながらこういうと、彼女は少しく頬を染めて俯向《うつむ》いていた。彼女はさぞ嬉しかろう。貧乏であろうが、家柄が違おうが、そんなことはどうでもいい。彼女は自分の決めた男のところへ行くことが能るようになった。彼女は私生児の母とならずに済んだ。悲しい過去は夢となった。
 私も「だいなし」に嬉しかった。
 僅か二週間を私の家に送ったおたけは、こんな思い出を残して去った。

     九 元園町の春

 Sさん。郡部の方もだんだん開けて来るようですね。御宅の御近所も春は定めてお賑《にぎや》かいことでしょう。そこでお前の住んでいる元園町《もとぞのちょう》の春はどうだという御尋《おたず》ねでしたが、私共の方は昨今|却《かえ》ってあなたたちの方よりも寂しい位で、御正月だからといって別に取立てて申上げるほどのこともないようです。しかし折角《せっかく》ですから少しばかり何か御通信申上げましょう。
 この頃は正月になっても、人の心を高い空の果へ引揚げて行くような、長閑《のどか》な凧《たこ》のうなりは全然《まるで》聞かれなくなりました。往来の少い横町へ這入《はい》ると、追羽子《おいはご》の春めいた音も少しは聞えますが、その群の多くは玄関の書生さんや台所の女中さんたちで、お嬢さんや娘さんらしい人たちの立交っているのはあまり見かけませんから、門松を背景とした初春《はつはる》の巷《ちまた》に活動する人物としては、その色彩が頗《すこぶ》る貧しいようです。平手《ひらて》で板を叩くような皷《つづみ》の音をさせて、鳥打帽子を被《かぶ》った万歳《まんざい》が幾人《いくにん》も来ます。鉦《かね》や太皷《たいこ》を鳴らすばかりで何にも芸のない獅子舞も来ます。松の内|早仕舞《はやじまい》の銭湯におひねりを置いてゆく人も少いので、番台の三宝の上に紙包の雪を積み上げたのも昔の夢となりました。藪入《やぶいり》などは勿論ここらの一角《いっかく》とは没交渉で、新宿行の電車が満員の札をかけて忙がしそうに走るのを見て、太宗寺《たいそうじ》の御閻魔様《おえんまさま》の御繁昌を窃《ひそ》かに占うに過ぎません。
 家々に飼犬が多いに引替えて、猫を飼う人は滅多《めった》にありません。家根伝いに浮かれあるく恋猫の痩せた姿を見るようなことは甚だ稀です。ただ折々に何処《どこ》からか野良猫がさまよって来ますが、この闖入者《ちんにゅうしゃ》は棒や箒《ほうき》で残酷に追い払われてしまいます。夜は静です、実に静です。支那の町のように宵から眠っているようです。八時か九時という頃には大抵の家は門戸を固くして、軒の電灯が白く凍った土を更に白く照しているばかりです。大きな犬が時々思い出したように、星の多い空を仰いで虎のように嘯《うそぶ》きます。ここらでただ一軒という寄席《よせ》の青柳亭《あおやぎてい》が看板の灯《ひ》を卸《おろ》す頃になると、大股に曳き摺って行くような下駄の音が一《ひ》としきり私の門前を賑わして、寄席帰りの書生さんの琵琶歌《びわうた》などが聞えます。跡《あと》はひっそり[#「ひっそり」に傍点]して、シュウマイ屋の唐人笛《とうじんぶえ》が高く低く、夜風にわななくような悲しい余韻を長く長く曳《ひ》いて、横町から横町へと闇の奥へ消えて行きます。どこやらで赤児《あかご》の泣く声も聞えます。尺八を吹く声も聞えます。角の玉突場でかちかち[#「かちかち」に傍点]という音が寒《さ》むそうに聞えます。
 寒の内には草鞋《わらじ》ばきの寒行《かんぎょう》の坊さんが来ます。中には襟巻《えりまき》を暖かそうにした小坊主を連れているのもあります。日が暮れると寒参りの鈴の音も聞えます。麹町通《こうじまちどお》りの小間物屋《こまものや》には今日《こんにち》うし紅《べに》のビラが懸《か》けられて、キルクの草履《ぞうり》を穿《は》いた山の手の女たちが驕慢《きょうまん》な態度で店の前に突っ立ちます。ここらの女の白粉《おしろい》は格別に濃いのが眼に着きます。
 四谷街道に接している故《せい》か、馬力《ばりき》の車が絶間《たえま》なく通って、さなきだに霜融《しもどけ》の路《みち》をいよいよ毀《こわ》して行くのも此頃《このごろ》です。子供が竹馬に乗って歩くのも此頃です。火の番銭の詐欺《さぎ》の流行《はや》るのも此頃です。しかし風のない晴れた日には、御堀《おほり》の堤《どて》の松の梢が自ずと霞んで、英国大使館の旗竿の上に鳶《とび》が悠然と止まっているのも此頃です。
 まだ書いたら沢山ありますが、先《ま》ずここらで御免《ごめん》を蒙《こうむ》ります。さようなら。

     十 お染風

 この春はインフルエンザが流行した。
 日本で初めてこの病《やまい》が流行《はや》り出したのは明治二十三年の冬で、二十四年の春に至ってますます猖獗《しょうけつ》になった。我々はその時初めてインフルエンザという病名を知って、それは仏蘭西《フランス》の船から横浜に輸入されたものだという噂を聞いた。しかしその当時はインフルエンザと呼ばずに普通はお染風《そめかぜ》といっていた。何故《なぜ》お染という可愛《かあい》らしい名を冠らせたかと詮議すると、江戸時代にもやはりこれに能《よ》く似た感冒が非常に流行して、その時に誰かがお染という名を付けてしまった。今度の流行性感冒もそれから縁を引いてお染と呼ぶようになったのだろうとある老人が説明してくれた。
 そこで、お染という名を与えた昔の人の料見は、恐らく恋風というような意味で、お染が久松に惚《ほ》れたように、直《すぐ》に感染するという謎であるらしく思われた。それならばお染には限らない。お夏でもお俊《しゅん》でも小春でも梅川でもいい訳《わけ》であるが、お染という名が一番可愛らしく婀娜気《あどけ》なく聞える。猛烈な流行性を有《も》って往々に人を斃《たお》すようなこの怖るべき病に対して、特にお染という最も可愛らしい名を与えたのは頗《すこぶ》る面白い対照である、流石《さすが》に江戸児《えどっこ》らしい所がある。しかし例の大虎列剌《おおこれら》が流行した時には、江戸児もこれには辟易《へきえき》したと見えて、小春とも梅川とも名付親になる者がなかったらしい。ころり[#「ころり」に傍点]と死ぬからコロリだなどと智慧《ちえ》のない名を付けてしまった。
 既にその病がお染と名乗る以上は、これに馮着《とりつ》かれる患者は久松でなければならない。そこでお染の闖入《ちんにゅう》を防ぐには「久松留守《ひさまつるす》」という貼札《はりふだ》をするがいいということになった。新聞にもそんなことを書いた。勿論、新聞ではそれを奨励《しょうれい》した訳ではなく、単に一種の記事として昨今こんなことが流行すると報道したのであるが、それがいよいよ一般の迷信を煽《あお》って、明治二十三、四年頃の東京には「久松留守」と書いた紙札を軒に貼付けることが流行した。中には露骨に「お染御免」と書いたのもあった。
 二十四年の二月、私が叔父と一所に向島の梅屋敷へ行った、風のない暖い日であった。三囲《みめぐり》の堤下《どてした》を歩いていると、一軒の農家の前に十七、八の若い娘が白い手拭をかぶって、今書いたばかりの「久松るす」という女文字の紙札を軒に貼っているのを見た。軒の傍《そば》には白い梅が咲いていた。その風情は今も眼に残っている。
 その後《のち》にもインフルエンザは幾度も流行を繰返したが、お染風の名は第一回限りで絶えてしまった。ハイカラの久松に※[#「馮/几」、第4水準2-3-20]着くにはやはり片仮名《かたかな》のインフルエンザの方が似合うらしいと、私の父は笑っていた。そうして、その父も明治三十五年にやはりインフルエンザで死んだ。

     十一 狐妖

 音楽家のS君が来て、狐の軍人という恠談《かいだん》を話して聞かせた。
 それは明治二十五年の夏であった。軍人出身のS君はその当時見習士官として北の国の○○師団司令部に勤務中で、しかも自分が当番の夜《よ》の出来事であるから決して誤謬《ごびゅう》はないと断言した。狐が軍人に化けて火薬庫の衛兵を脅かそうとしたというのである。赤羽《あかばね》や宇治の火薬庫事件が頭に残っている際であるから、私は一種の興味を以てその話を聴《き》いた。
 どこも同じことで、火薬庫のある附近には、岡がある、森がある、草が深い。殊《こと》に夏の初めであるから、森の青葉は昼でも薄暗いほどに茂っていた。その森の間から夜半《よなか》の一時頃に一つの提灯《ちょうちん》がぼんやり[#「ぼんやり」に傍点]とあらわれた。歩哨《ほしょう》の衛兵が能《よ》く視《み》ると、それは陸軍の提灯で別に不思議もなかった。段々|近《ちかづ》いて来ると、提灯の持主は予《かね》て顔を見識《みし》っているM大尉で、身には大尉の軍服を着けていた。しかし規則であるから、衛兵は銃剣を構えて「誰かッ」と一応|咎《とが》めたが、大尉は何とも返事をしないで衛兵の前に突っ立っていた。
 返事をしない以上は直《すぐ》に突き殺しても差支《さしつかえ》ないのであるが、みすみすそれが顔を見識っている大尉であるだけに、衛兵もさすがに躊躇《ちゅうちょ》した。再び声をかけたが、大尉はやはり答えなかった。その中《うち》に衛兵は不思議なことを発見した。大尉の持っている提灯は紙ばかりで骨がなかった。大尉は剣も着けていなかった。衛兵は三たび呼んだが、それでも返事のないのを見て、彼はやにわに銃剣を揮《ふる》って大尉の胸を突き刺した。大尉は悲鳴をあげて倒れた。
 衛兵はその旨《むね》を届け出たので、隊でも驚いた。司令部でも驚いた。当番のS君は真先に現場《げんじょう》へ出張した。聯隊長その他も駈付《かけつ》けて見ると、M大尉は軍服を着たままで倒れていた。衛兵の申立《もうしたて》とは違って、その持っている提灯には骨があった。しかし剣は着けていなかった、靴も穿《は》いていなかった。殊《こと》に当番でもない彼が何故《なぜ》こんな姿でここへ巡回して来たのか、それが第一の疑問であった。取《とり》あえずM大尉の自宅へ使を走らせると、大尉は無事に蚊帳《かや》の中に眠っていた。呼び起してこの出来事を報告すると、大尉自身も面食《めんくら》って早々にここへ駈付けて来た。
 大尉は小作りの人であった。倒れている死体も小作りの男であった。何人《なにびと》も初めは一見して彼を大尉と認めていたが、ほんとうの大尉その人に比較して能く視ると、まるで似付かないほどに顔が違っていた。陸軍大尉の軍服は着けているが、どこの誰だか判らないということになってしまった。要するに彼はほんとうの軍人でない、何者かが軍人に変装してこの火薬庫へ窺《うかが》い寄ったのではあるまいかという決論に到着した。果してそうならば問題がまた重大になって来るので、死体を一先《ひとま》ず室内へ舁《か》き入れて、何や彼《か》やと評議をしている中《うち》に、短い夏の夜《よ》はそろそろ白んで来た。死体は仰向《あおむけ》に横《よこた》えて、顔の上には帽子が被せてあった。
 とにかくに人相書《にんそうがき》を認《したた》める必要があるので、一人の少尉がその死体の顔から再び帽子を取除《とりの》けると、彼は思わずあっ[#「あっ」に傍点]と叫んだ。硝子《ガラス》の窓から流れ込む暁《あかつき》の光に照された死体の顔は、いつの間にか狐に変っていた。狐が軍服を着ていたのであった。
「狐が化けるはずはない。」
 若い士官たちは容易に承認しなかった。しかし現在そこに横《よこたわ》っている死体は、人間でない、勿論M大尉でない。たしかに一匹の古狐であった。若い士官たちが如何《いか》に雄弁に論じても、この生きた証拠を動かすことは不可能であった。狐や狸が化けるという伝説も嘘ではないということになってしまった。S君も異議を唱えた一人《いちにん》で、強情に何時《いつ》までも死体を監視していたが、狐は再び人間に復《かえ》らなかった。朝がだんだん明るくなるに従って、彼は茶褐色の毛皮の正体を夏の太陽の強い光線の前に遠慮なく曝《さら》け出《だ》してしまった。ただし軍服や提灯の出所は判らなかった。
「狐が人間に化けるなどということは信じられません。私は今でも絶対に信じません。けれども、こういう不思議な事実を曾《かつ》て目撃したということだけは否《いな》む訳に行きませんよ。どう考えても判りませんねえ」と、S君は首をかしげていた。私も烟《けむ》にまかれて聴いていた。

底本:「岡本綺堂随筆集」岩波文庫、岩波書店
   2007(平成19)年10月16日第1刷発行
   2008(平成20)年5月23日第4刷発行
底本の親本:「五色筆」南人社
   1917(大正6)年11月初版発行
初出:「木太刀」
   1915(大正4)年3、7、8、9月、1916(大正5)年1、4月号
入力:川山隆
校正:noriko saito
2008年11月29日作成
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岡本綺堂

半七捕物帳 むらさき鯉——- 岡本綺堂

     

「むかし者のお話はとかく前置きが長いので、今の若い方たちには小焦《こじ》れったいかも知れませんが、話す方の身になると、やはり詳しく説明してかからないと何だか自分の気が済まないというわけですから、何も因果、まあ我慢してお聴きください」
 半七老人は例の調子で笑いながら話し出した。それは明治三十一年の十月、秋の雨が昼間からさびしく降りつづいて、かつてこの老人から聴かされた「津の国屋」の怪談が思い出されるような宵のことであった。今夜のような晩には又なにか怪談を聴かしてくれませんかと、私がいつもの通りに無遠慮に強請《ねだ》りはじめると、老人はすこしく首をひねって考えた後に、面白いか面白くないか知りませんけれども、まあ、こんな話はどうでしょうね、とおもむろに口を切った。
 その前置きが初めの通りである。
「いや、焦れったいどころじゃあありません。なるたけ詳しく説明を加えていただきたいのです」と、わたしは答えた。「それでないと、まったく私たちにはよく判らないことがありますから」
「お世辞にもそう云ってくだされば、わたくしの方でも話が仕よいというものです。まったく今と昔とは万事が違いますから、そこらの事情を先ず呑み込んで置いて下さらないと、お話が出来ませんよ」と、老人は云った。「そこで、このお話の舞台は江戸川です。遠い葛飾《かつしか》の江戸川じゃあない、江戸の小石川と牛込のあいだを流れている江戸川で……。このごろは堤《どて》に桜を植え付けて、行灯をかけたり、雪洞《ぼんぼり》をつけたりして、新小金井などという一つの名所になってしまいました。わたくしも今年の春はじめて、その夜桜を見物に行きましたが、川には船が出る、岸には大勢の人が押し合って歩いている。なるほど賑やかいので驚きました。しかし江戸時代には、あの辺はみな武家屋敷で、夜桜どころの話じゃあない、日が落ちると女一人などでは通れないくらいに寂しい所でした。それに昔はあの川が今よりもずっと深かった。というのは、船河原橋の下で堰《せ》き止めてあったからです。なぜ堰き止めたかというと、むかしは御留川《おとめがわ》となっていて、ここでは殺生《せっしょう》禁断、網を入れることも釣りをすることもできないので、鯉のたぐいがたくさんに棲んでいる。その魚類を保護するために水をたくわえてあったのです。勿論、すっかり堰いてしまっては、上から落ちて来る水が両方の岸へ溢れ出しますから、堰《せき》は低く出来ていて、水はそれを越して神田川へ落ち込むようになっているが、なにしろあれだけの長い川が一旦ここで堰かれて落ちるのですから、水の音は夜も昼もはげしいので、あの辺を俗にどんどん[#「どんどん」に傍点]と云っていました。水の音がどんどんと響くからどんどんというので、江戸の絵図には船河原橋と書かずにどんど橋と書いてあるのもある位です。今でもそうですが、むかしは猶さら流れが急で、どんどん[#「どんどん」に傍点]のあたりを蚊帳《かや》ヶ淵《ふち》とも云いました。いつの頃か知りませんが、ある家の嫁さんが堤を降りて蚊帳を洗っていると、急流にその蚊帳を攫《さら》って行かれるはずみに、嫁も一緒にころげ落ちて、蚊帳にまき込まれて死んでしまったというので、そのあたりを蚊帳ヶ淵と云って恐れていたんです」
「そんなことは知りませんが、わたし達が子どもの時分にもまだあの辺をどんどんと云っていて、山の手の者はよく釣りに行ったものです。しかし滅多《めった》に鯉なんぞは釣れませんでした」
「そりゃあ失礼ながら、あなたが下手だからでしょう」と、老人はまた笑った。「近年まではなかなか大きいのが釣れましたよ。まして江戸時代は前にも申したような次第で、殺生禁断の御留川になっていたんですから、魚《さかな》は大きいのがたくさんいる。殊にこの川に棲んでいる鯉は紫鯉というので、頭から尾鰭までが濃い紫の色をしているというのが評判でした。わたくしも通りがかりにその泳いでいるのを二、三度見たことがありますが、普通の鯉のように黒くありませんでした。そういう鯉のたくさん泳いでいるのを見ていながら、御留川だから誰もどうすることも出来ない。しかしいつの代にも横着者は絶えないもので、その禁断を承知しながら時々に阿漕《あこぎ》の平次をきめる奴がある。この話もそれから起ったのです」

 文久三年の五月なかばである。毎日降りつづく五月雨《さみだれ》もきょうは夕方からめずらしく小歇《こや》みになったが、星ひとつ見えない暗い夜に、牛込無量寺門前の小さい草履屋の門《かど》をたたく者があった。無量寺門前というのは今日の築土八幡町である。このごろは雨つづきで草履屋《ぞうりや》の商売も休みも同様であるばかりか、亭主の藤吉は宵から出ているので、女房のお徳は店を早く閉めて、奥の長火鉢の前で浴衣《ゆかた》の縫い直しをしている時、表の戸をそっと叩く音がきこえたので、お徳は針の手をやめて顔をあげた。今夜ももう四ツ(午後十時)に近い。この夜ふけに買物でもあるまい。おそらく道をきく人ででもあろうかと思ったので、かれは坐ったままで声をかけた。
「はい。なんでございます」
 外では又そっと叩いた。
「どなたですえ。お買物ですか」と、お徳はまた訊《き》いた。
「ごめん下さい」と、外では低い声で云った。
 なんだか判らないので、お徳もよんどころなしに起ちあがった。狭い店さきへ出て、再び何の用かと訊くと、外では女の細い声で、御亭主にちょっとお目にかかりたいという。内の人は唯今留守ですと答えると、それではおかみさんに逢わせてくれというので、お徳はともかくも表の戸をあけると、ひとりの痩形の女が夜目にも白い顔をそむけて、物思わしげに悄然とたたずんでいるのが薄暗い行灯《あんどう》の火にぼんやりと照らし出された。
「なにか御用でございますか」
「はい。あの、失礼でございますが、お店へあがりましてもよろしゅうございましょうか」と、女は忍びやかに云った。
 見ず識らずの女が夜ちゅうに人の店へあがり込もうというのは、なんだか胡散《うさん》らしいとも思ったが、お徳はもう三十を越している。相手は弱々しい女ひとり、別に恐れるほどのこともあるまいと多寡をくくって、そのまま店へあがらせると、女はうしろを見かえりながらそっと表の戸を閉め切ってはいった。そうして、なにを云い出すかと、お徳は相手の俯向き勝ちの顔をのぞくように見ていると、女はやがて低い声で云い出した。
「夜ふけに伺いまして、だしぬけにこんなことを申し上げるのも異《い》なものでございますが、わたくしはこの御近所に居りますもので、昨晩不思議な夢を見ましたのでございます」
「はあ」と、お徳も不思議そうに相手をいよいよ見つめた。思いも付かないことを云い出されて、かれは少しく煙《けむ》にまかれたのであった。
「ひとりの男……むらさきの着物を被《き》て、冠《かんむり》をかぶった上品な人でございました。それがわたくしの枕もとへ参りまして、自分の命はきょう翌日《あす》に迫っている。どうぞあなたの力で救っていただきたいと、こう申すのでございます。そこで、一体あなたは何処のお方ですかと訊きますと、わたくしは無量寺門前の草履屋《ぞうりや》の藤吉という人の家《うち》にいる。そこへお出でになれば自然にわかると、云うかと思うと夢が醒めました。なにぶんにも夢のことでございますから、そのままにして置きましたのですが、夜になって考えますと、なんだか気にもなりますので、とうとう思い切って今時分に伺いましたようなわけでございますが……」
 いよいよ判らないことを云い出すので、お徳はただ黙って聴いていると、女はひと息ついて又語り出した。
「それも夢だけのことでございましたら、わたくしもそれほどには気にかけないのでございますが、実はけさになってみますと、枕もとに魚の鱗《こけ》のようなものが一枚落ちていましたので……。それは紫がかった金色《こんじき》に光っているのでございます」
 お徳の顔色は俄かに動いて、おもわず台所の方をみかえると、そこでは大きい魚の跳ねるような音がきこえた。女客も俄かに耳を引っ立てた。
「あ、奥で何か跳ねるような……」
 お徳はやはり黙っていた。
「唯今申し上げたことで、何かお心あたりのようなことはございますまいか」と、女はしずかに云った。
「別にどうも……」と、お徳はあいまいに答えたが、その声は少しふるえていた。
「まったくお心あたりはないでしょうか」
 台所ではまた魚の眺ねる音がきこえた。女はその物音のする方を伸びあがるようにして覗《のぞ》きながら、また云い出した。かれの声も少しふるえていた。
「お願いでございます。お心あたりがございますならば、どうぞ教えていただきたいのでございますが……」
 その訴えるような声音《こわね》が一種の恨みを含んでいるらしくも聞えたので、お徳はまた俄かにぞっ[#「ぞっ」に傍点]とした。さっきからの話を聴いて、お徳も内々は思いあたることが無いでもなかったのである。実を云うと、夫の藤吉はこのあいだから彼《か》の江戸川のどんど[#「どんど」に傍点]橋のあたりへ忍んで行って、禁断のむらさき鯉の夜釣りをして、現にゆうべも一|尾《ぴき》の大きい鯉を釣りあげて来た。それに味を占めて、かれは今夜も宵から釣道具を持ち出して行ったのである。ゆうべの鯉は盥《たらい》に入れたままで台所の揚げ板の下に隠してある。それを知っているらしい彼の女は、いったい何者であろうかと、お徳は不安に思った。
 女の話がほんとうであるとすれば、鯉がその夢に入って救いを求めたものであろう。もし又それが嘘であるとすれば、夫が殺生禁断を犯しているのを知って、ひそかにその様子を探りに来たのかも知れない。どちらにしても薄気味のわるい女客を、お徳はどうあしらってよいか判らなかったが、この女が入り込むと同時に、今までおとなしかった台所の鯉が俄かにたびたび跳ねあがるのも不思議であるばかりか、女の顔に愁いを帯び、女の声に恨みを含んでいるらしいのが、お徳をいよいよ恐れさせた。あるいはその夢ばなしは作り事で、この女はかのむらさき鯉に何かの因縁のあるものではあるまいかという疑いも湧き出して、かれは更に薄暗い行灯の灯《ひ》かげで女の姿をよく視ると、女の髪は水を出て来たように湿《ぬ》れていた。今は雨も止んでいるのに、かれはどうして湿れて来たのかと、お徳のうたがいは一層強くなった。この女は水から出て来たのではあるまいかと思うと、気の強い女房も俄かにぞっとしたのである。
「あの、奥の方で何か跳ねているのは、なんでございましょう」と、女は訊《き》いた。
「そんな音がきこえましたか」と、お徳は白らばっくれてこたえた。「雨だれの音じゃありませんかしら」
 その苦しい云い訳を打ち消すように、台所の鯉はまた跳ねた。
「おかみさん、どうぞお隠しなさらないでください」と、女はいよいよ恨めしそうに云った。「唯今も申す通り、わたくしの枕もとに紫の鱗が落ちていました。奥で今跳ねているのは確かに魚でございます。魚の跳ねる音でございます。一生のおねがいでございますから、どうぞその魚を一度みせてください。その魚はきっとむらさきに相違ございません」
 お徳ももう返事に困って、唯おどおどしていると、女の様子がだんだんと物凄く変って来た。
「ごめんください。ちょっと奥へ行って拝見してまいります」
 女は起って奥へゆきかけるのを、お徳はさえぎる力もなかった。女の起ったあとを見ると、そこの畳の上は陰《くも》ったように湿《ぬ》れているので、かれは又ぞっ[#「ぞっ」に傍点]とした。

     

 むらさきの鯉は怪しい女の手によって、台所のあげ板の下から持ち出された。鯉はかれの両袖にかかえられて、おとなしく運び去られるのを、女房は唯うっかりと眺めていると、女は帰るときにお徳に云った。
「どうもありがとうございました。今のわたくしとしては別にお礼の致しようもございませんが、これからは蔭ながらおまえさん方夫婦の身の上を守ります」
 かれは足音もしないように表へ出て、その姿は五月《さつき》の闇に隠されてしまった。それを見送って、お徳はほっ[#「ほっ」に傍点]とした。かれは夢をみているのではないかとも疑ったが、だんだんに落ち着いてかんがえると、怪しい女はどうも江戸川の水の底から抜け出して来たらしく思われてならなかった。それが普通の人間ならば、いかに夢の告げがあったからといって、人の家の魚をただ取ってゆくという法はない。それに対して相当の償《つぐな》いをしてゆくべき筈であるのに、今のわたくしとしては別にお礼のしようもないと彼女は云った。その代りに、蔭ながらお前たち夫婦の身の上を守るとも云った。そんなことは普通の人間の云うべき詞《ことば》ではない。かれはおそらく一種の霊あるものであろうと、お徳は想像した。そうして、かれが再び引っ返して来るのを恐れるように、お徳は表の戸に栓をおろした。
「それでもすなおに鯉をわたしてやってよかった。うっかり逆《さか》らったらどんな祟りを受けたかも知れない」
 禁断の魚を捕るということがすでに逃がれがたい罪である。その不安に絶えずおびやかされている矢さきへ、測《はか》らずも今夜のような怪しい女に襲われて、お徳はいよいよその魂をおののかせた。夫が帰ったならばすぐにこの話をして聞かせて、今夜かぎりに夜釣りを止めさせなければならないと思いながら、再び長火鉢の前に坐りかけると、檐《のき》の雨だれの音がときどきに聞え始めた。又ふり出したのかと耳をかたむけると、雨の音はだんだんに強くなるらしい。それが今夜のお徳に取り分けて侘《わび》しくきこえて、洗いざらしの単衣《ひとえ》の襟がなんだか薄ら寒く感じられた。かぜでも引いたのかと、肩をすくめて身ぶるいする時、表の戸を軽くたたく音がきこえた。亭主が帰って来たのだろうと思いながら、さっきの女客におびえているお徳はすぐに起つのを躊躇していると、外では焦《じ》れるように小声で呼んだ。
「おい。もう寝たのか」
 それが夫の声であると知って、お徳は先ず安心した。
「おまえさんかえ」
「むむ、おれだ、おれだ。早くあけてくれ」と、外では小声で口早に云った。
 お徳は急いで表の戸をあけると、竹の子笠をかぶった藤吉がずぶ濡れになってはいって来た。かれは手になんにも持っていなかった。
「釣り道具は……」と、お徳は訊いた。
「それどころか、飛んだことになってしまった」
 手足の泥を洗って、湿《ぬ》れた着物を着かえて、藤吉はさも疲れ果てたように長火鉢の前にぐったりと坐った。かれは好きな煙草ものまないで、まず火鉢のひきだしから大きい湯呑みを取り出して、冷《さ》めかかっている薬罐《やかん》の湯をひと息に三杯ほども続けて飲んだ。ふだんから蒼白い彼の顔が更に蒼ざめているのを見て、女房の胸には又もや動悸が高くなった。
「おまえさん。どうしたのよ」
 気づかわしそうにのぞき込む女房の眼のひかりを避けるように、藤吉はうつむきながら溜息をついた。
「悪いことは出来ねえ。どうも飛んだことになった」
「だからさ、その飛んだ事というのは……。焦れったい人だねえ。早く、はっきりとお云いなさいよ」
「実は……。為さんが川へ引き込まれた」
 為さんというのは、町内のちいさい紙屋の亭主で、草履屋とはまったく縁のない商売でありながら、藤吉とは子供のときの手習い朋輩といい、両方がおなじ釣り道楽の仲間であるので、ふだんから親しく往きかいして、岡釣りに沖釣りに誘いあわせて行くことも珍らしくなかった。その道楽が遂に二人を禁断の釣り場所へ導くようにもなったので、お徳は自分の亭主の罪を棚にあげて、その相棒の為さんを悪い友達としてひそかに怨んでいた。しかも、その為さんが川へ引き込まれたと聞いては、かれも驚かずにはいられなかった。
「為さんが引き込まれた……。河童《かっぱ》にかえ」
「河童や河獺《かわうそ》じゃあねえ。魚《さかな》にやられたんだ。おれも驚いたよ」と、藤吉は顔をしかめてささやいた。「いつもの通りに堤《どて》を降りて、ふたりが列《なら》んで釣っていると、やがて為さんが小声で占めたと云ったが、なかなか引き寄せられねえ。よっぽど大きいらしいから跳ねられねえように気をつけねえよと、おれも傍から声をかけたが、なにしろ真っ暗だから見当が付かねえ。それでもどうにかこうにか綾なして、だんだんに手元へひき寄せたらしく、為さんは手網《たも》を持って掬いあげようとする。その途端に、今まで暗かった水の上が急に明るくなって、なんだか知らねえが金のようにぴかぴかと光ったものがあるかと思うと、大きい魚が跳ねかえる音がして、為さんはあっ[#「あっ」に傍点]という間もなしにすべり込んでしまったので、おれもびっくりして押えようとしたが、もういけねえ。暗さは暗し、このごろの雨つづきで水嵩は増している。しょせん手の着けようもねえので、おれも途方に暮れてしまったが、それでも川下《かわしも》の方へ流されて行くうちには、どこかの岸へ泳ぎ付くことがあるかも知れねえと、暗い堤下を探るようにして、どんどん[#「どんどん」に傍点]の堰《せき》の落ち口まで行ってみたが、真っ暗な中で水の音がどんどときこえるばかりで、為さんの上がって来る様子はねえ。為さんもひと通りは泳げるんだが、なにしろ馬鹿に瀬が早いからどうにもならなかったらしい」
「おまえさん、呼んでみればいいのに……」と、お徳は喙《くち》を容れた。
「それが出来ねえ」と、藤吉は首をふってみせた。「これがほかの所なら、為さんを呼ぶばかりじゃあねえ。大きい声で近所の人を呼んで、なんとか又、工夫《くふう》のしようもあるんだが、なにをいうにも場所が悪い、うっかり大きな声を出してみろ、こっちの身の上にもかかわることだ。もうこうなったら仕方がねえ、これもまあ為さんの運の悪いのだと諦めて、おれもそのまま帰って来たが、どうも心持がよくねえ。ああ、忌《いや》だ、忌《いや》だ」
「ほんとうに忌だねえ」と、お徳も溜息をついた。「だから、あたしがお止しと云うのに、お前さん達が肯《き》かないで出て行くからさ。為さんのことばかりじゃあない、内にも忌なことがあったんだよ」
「どんな事があったんだ」と、藤吉は不安らしく慌てて訊いた。「まさか為さんが来た訳じゃあるめえ」
「為さんが来るものかね。ほかに何だかおかしい女が来たんだよ」
 怪しい女に鯉を抱え出された一件を女房の口から聴かされて、藤吉はいよいよ顔の色を変えた。
「そりゃあどうもおかしいな。その女はいってえ何者だろう」
「ねえ、もしや川から出て来たんじゃ無いかしら」と、お徳は摺り寄ってささやいた。
「むむ。おれも何だかそんな気がする。ゆうべ釣って来たのは雄《おす》の鯉で、その雌《めす》が取り返しに来たんじゃあるめえかな」
「返してやったからいいようなものだが、なんだか気味が悪いね」
「どうも変だな」
 と、藤吉は今更のように表をみかえった。
「外では為さんがあんなことになる。内ではそんな女が押し掛けて来る。どう考えても、むらさきが俺たちに祟っているらしい。まったく悪いことは出来ねえ。もう、もう、これに懲《こ》りて釣りは止めだ」
「それにしても、越前屋の方はどうするの。まさかに知らん顔をしてもいられまいじゃないか」
「それをおれも考えているんだ。おれと一緒に行くことは、おかみさんも知っているんだからな」
「それだから知らん顔はしていられないと云うのさ。おまえさん、これから行って早く知らしておいでなさいよ」
「これから行くのか」と、藤吉は再び顔をしかめた。
「だって、打っちゃっては置かれまいじゃないか。夜が更《ふ》けても直ぐそこだから、早く行っておいでなさいよ」
 追い出すように急《せ》き立てられて、藤吉は渋々ながら出て行った。

     

「あの人はなにをしているんだろう」
 それから二刻《ふたとき》あまりを過ぎても亭主の藤吉は帰らないので、お徳はまた新らしい不安を感じ出した。そのころの二刻といえば今の四時間である。藤吉が出て行ったのは四ツを少し過ぎたころで、市ヶ谷八幡の鐘が夜《よる》の八ツ(午前二時)を撞《つ》いてからもう小半刻も経ったかと思うのに、かれはまだ帰って来なかった。あるいは越前屋の女房にたのまれて、為さんの死骸を探しにでも行ったのかとも思ったが、何分にもいろいろの奇怪な事件がそれからそれへと続出するのにおびやかされている彼女は、どうも落ち着いてはいられないような気がするので、更けてますます降りしきる雨の中を越前屋へたずねて行った。
 越前屋は小半町しか距《はな》れていないので、すぐに行き着くと、紙屋の店は表の戸をおろしてひっそりしている。常の時ならばそれが当然であるが、今夜こんなに寝鎮まっているのをお徳はすこし不思議に思いながら、ともかくもそっと戸を叩くと、内では容易に返事がなかった。焦《じ》れて幾たびか強く叩くと、小僧の寅次が寝ぼけ眼《まなこ》をこすりながら起きて来た。
「あの、内の人は来ていますかえ」と、お徳は待ちかねて訊《き》いた。
「いいえ」
「来ていませんか」
「今時分藤さんが来ているものか」と、寅次は腹立たしそうに云った。
「おかみさんは……」と、お徳はまた訊《き》いた。
「奥に寝ていますよ」
「旦那は……」
「旦那も寝ていますよ」
 お徳はびっくりした。鯉を釣りあげ損じて、川流れになった筈の為さんが無事に寝ているというのは案外であった。ほんとうに寝ているのかと念を押すと、寅次は確かに寝ていると云った。ゆうべ何処へ行って、何刻《なんどき》に帰って来たかと詮議すると、旦那は五ツ(午後八時)頃に出て行って、四ツ少し過ぎに帰って来たらしい。自分は四ツを合図に店を閉めて寝てしまったから、よくは知らないと寅次は云った。それでもお徳の不審はまだ晴れないので、旦那かおかみさんを起こしてくれと又頼むと、寅次は不承不承《ふしょうぶしょう》に奥へはいったが、やがて女房のお新を連れ出して来た。
「あら、お徳さん。今時分どうしたの。藤さんが急病人にでもなったんですか」と、お新は不思議そうに云った。
「実はこちらへ来ると云って、ふた刻も前に出たんですが、まだ帰って来ないので、なにをしているのかと様子を見に来たんですよ」と、お徳は正直に答えた。
「藤さんが……」と、お新は眉をよせた。「今夜は一度も見えませんよ」
「あら、そうですか」
 お徳は煙《けむ》にまかれてぼんやりと突っ立っていた。ゆうべからの事をかんがえると、かれはやはり夢でも見ているのか、それとも八幡の森の狐にでも化かされているのかと、自分で自分を疑うようにもなった。
「為さんはお内ですね」
 再び念を押すと、お新は内にいるとはっきり答えた。その上に詮議のしようもないので、お徳は気が済まないながらも一旦は空《むな》しく引き揚げるのほかはなかった。
「藤さんは浮気者だから、ここの家《うち》へ来るなんて旨いことを云って、どっかへしけ込んでいるんじゃありませんかえ」と、お新は笑っていた。
 年下の女にからかわれて、この場合、お徳も少しむっ[#「むっ」に傍点]としたが、そんなことを云い争っている時でもないので、かれはそれを聞き流して怱々《そうそう》に帰った。それにしても亭主はどこへ行ったのであろう、もしや留守のあいだに帰っているかも知れないと、急いで内へはいってみると、内は行灯を消したままで藤吉はまだ帰っていなかった。
 死んだはずの為さんは生きていて、生きていたはずの亭主がゆくえを晦《くら》ましたのである。為さんは無事に泳ぎついて助かったのかも知れないが、亭主のゆくえ不明がどうしても判らなかった。それともお新の云うように、いい加減のこしらえ事をして何処かの色女のところに隠れ遊びをしているのかと、お徳は半信半疑のうちにその夜をあかした。
 雨は暁方《あけがた》から又ひとしきり止んで、梅雨とは云っても夏の夜は早く白《しら》んだ。ゆうべは碌々に眠らなかったお徳は、早朝から店をあけて亭主の帰るのを待っていたが、藤吉はやはりその姿をみせなかった。もう一度、越前屋へ行って、亭主の為さんに逢って、くわしいことを詮議して来ようと思っているところへ、飛んでもない噂がここらまで伝わってお徳をおどろかした。藤吉の死骸が江戸川のどんど[#「どんど」に傍点]橋の下に浮かんでいたというのである。自分が追い立てるようにして越前屋へ出してやった亭主の藤吉が、どうして再び江戸川の方角へ迷って行って、そこに身を沈めるようになったのか。ゆうべ死んだというのは、為さんでなくて藤吉であったのか。ゆうべ帰って来たのは幽霊か。なにが何やら、お徳にはちっとも判らなくなってしまった。
 なにしろ其の儘にしては置かれないので、お徳はとりあえずその実否《じっぴ》を確かめに行こうとすると、家主《いえぬし》もその噂を聴いて出て来た。家主と両隣りの人々に附き添われて、お徳はこころも空に江戸川堤へ駈けつけると、死骸はもう引き揚げられていた。あら菰《ごも》をきせて河岸の柳の下に横たえてある男の水死人はたしかに藤吉に相違ないので、附き添いの人々も今更におどろいた。お徳は声をあげて泣き出した。
 死骸は検視の上でひと先ずお徳に引き渡されたが、その場所が御留川であるので、詮議は厳重になった。藤吉の死骸には少しも疵のあとが無いので、おそらく覚悟して身を投げたものであろうとは想像されたが、たとい自殺にしても一応はその仔細を吟味しなければならないというので、女房のお徳はきびしく取り調べられた。それに対して、お徳も最初は曖昧の申し立てをしていたが、しまいには包み切れなくなって、ゆうべの出来事を逐一に申し立てたので、草履屋の藤吉が越前屋の亭主と御留川へ夜釣りに行ったことや、その留守のあいだに怪しい女のたずねて来たことや、藤吉が一旦帰って来て更に越前屋へゆくと云って出たことや、それらの事実がすべて係り役人の耳にはいった。
 越前屋の亭主はすぐに召し捕られて吟味を受けた。かれはその名を為次郎と云って、当年三十五歳である。女房のお新は二十七歳、小僧の寅次は十五歳で、一家はこの夫婦と小僧との三人暮らしであるが、親ゆずりの家作三軒を持っていて、店は小さいが内証は苦しくない。世間の附き合いも人並にして、近所の評判も悪くなかった。為次郎は役人の吟味に対して、自分はこれまでに草履屋の藤吉と誘いあわせて岡釣りや沖釣りに出たことはあるが、御留川の江戸川などへ夜釣りに行ったことは一度もないと申し立てた。それではお徳の申し口とまったく相違するので、役人はいろいろに吟味したが、かれはどうしても覚えがないと云い張った。ゆうべは神田の上州屋という同商売の店に不幸があったので、その悔みに行って四ツ過ぎに帰って来たのであると彼は云った。念のために神田の上州屋を調べると、果たして為次郎は宵から悔みに来て、四ツ少し前に帰ったということが確かめられた。
 こうなると、役人の方でも何が何やら判らなくなって来た。お徳は自分の亭主の云うことを一途《いちず》に信じて、為さんも夜釣りの仲間であると申し立てているものの、実はふたりが連れ立って出るところを一度も見たことはないのであった。禁断を犯す仕事であるから、二人は忍び忍びに家を出て、どんど[#「どんど」に傍点]橋のわきで落ち合うことになっていたように聴いていると彼女は云った。してみると、藤吉は何かの都合で女房をあざむいて、自分ひとりで夜釣りに出ていたものかとも思われる。それにしても越前屋の亭主が鯉を釣り損じて川に落ちたなどという出たらめをなぜ云ったのか。そうして、自分がなぜ入水《じゅすい》したのか。又かの怪しい女は何者か、その女と藤吉とのあいだに何かの関係があるのか無いのか、役人たちもその判断に苦しんだ。
「どうだ、半七。あらましの本読みはこの通りだが、これだけじゃあ芝居も幕にならねえ。なんとか工夫して、めでたく打ち出しまで漕ぎ付けてくれ」と、八丁堀同心の村田良助が半七を呼んで云った。
「かしこまりました。まあ、なんとかこじつけてみましょう。しかし御寺社《おじしゃ》の方はよろしいのでございましょうな」
 寺の門前地は寺社奉行の支配で、町方《まちかた》の係りではない。そこへみだりに踏み込むことは出来ないので、半七が一応の念を押すと、良助はうなずいた。
「それは寺社の方から云って来たのだから、仔細はねえ。どこまでも踏み込んで片付けてくれ」

     

「さあ、これからの筋道を順々に講釈していては長くなる。いつまでも聴き手を焦らしているのが能《のう》でもありませんから、ちっと尻切り蜻蛉《とんぼ》のようですが、おしまいの方は手っ取り早くお話し申しましょう」と、半七老人は云った。「それから五日ばかりののちに、この一件もみんな埒があきましたよ」
「はあ、どういうふうに解決がつきました」と、わたしは熱心に訊《き》いた。「一体その怪談がかった女は何者ですか」
「いま時の方はまさか鯉の雌が女に化けて、自分の雄を取り返しに来たとも思わないでしょうが、昔の人間はみんなそう思ったんですよ」と、老人はまた笑った。「そこで、その怪談の主人公の女というのは、以前は西川|伊登次《いとじ》という看板をかけていた踊りの師匠で、今では高山という銀座役人の囲いものになって、牛込の赤城下《あかぎした》にしゃれた家を持って贅沢に暮らしている。銀座役人は申すまでもなく、銀座に勤める役人ですが、天下通用の銀を吹く役所にいるだけに何か旨いことがあるとみえて、こういう勤め向きの者はみんな素晴らしい贅沢をしていました。そのお気に入りの囲い者ですから、伊登次も今は本名のお糸になって、表がまえはともかくも、内へはいってみると実にびっくりするような立派な家に住んでいるという訳で、旦那の高山は三日にあげずに通って来る。ときどきには同役や御用達《ごようたし》町人なども連れて来る。そこで、かの事件のあった晩にも、高山は五人の同役をつれて来て、宵からお糸の家の奥座敷で飲んでいるうちに、いろいろの食道楽の話が出て、おれは江戸川のむらさき鯉を一度食ってみたいと云い出した者がある。いやなに、普通の真《ま》鯉でも紫鯉でも別段に変りはあるまいという者もある。それが昂じて高山も、物はためしだ、おれも一度は是非その鯉を食いたいと云うと、酌をしていたお糸はなんと思ったか、旦那がそれほどに喫《た》べたいと仰しゃるなら、わたくしがすぐに取ってまいりますと云う。これにはみんなも驚いて、さすがは高山の奥方だ。ほんとうにその鯉を取って来て下さるなら、我々もその御相伴《おしょうばん》にあずかりたいものだと冗談半分にがやがや云うと、お糸はどうぞ暫くお待ちくださいと云って座を起った。こっちは酔っているので別段気にも留めないで飲んでいると、お糸はいつまでも座敷へ戻って来ない。どうしたのだと女中に訊《き》くと、さっき表へ出たぎりで帰らないという。それではほんとうに取りに行ったのかとは云ったが、よもやと思って笑っていると、やがてお糸がお待ち遠さまでございましたと持ち出して来た皿の上には、眼の下一尺あまりもあろうという大きな鯉が生きていて、しかもその鱗《こけ》が燭台の灯《ひ》にも紫に映ったので、みんなもあっ[#「あっ」に傍点]と驚く。高山は上機嫌で、なるほどお糸でなければ出来ない芸だ。方々《かたがた》も褒めておやりなされ、この高山も褒めてやるぞと、飛んだ陣屋の盛綱を気取って、扇をあげて褒めそやすと、ほかの連中も偉い偉いと扇をひらいて煽ぎ立てる。いや、実にばかばかしい話ですが、昔はこんな連中がいくらもあったものです。天下の役人がこの始末、まったく江戸も末でしたよ」
「すると、そのお糸という女が草履屋の店へ化け込んだのですね。それにしても、どうしてその鯉のあることを知っていたのでしょうね」
 これは私でなくとも当然に起るべき疑問であろう。半七老人はご尤もとうなずいて、又しずかに語り出した。
「それは自然にわかります。まあ、おちついてお聴きください。この探索をはじめる時に、わたくしはきっとこの事件には魚屋《さかなや》が係り合っていると睨みました。草履屋の亭主はどんなに鯉が好きか知りませんけれども、自分が食うばかりでなく、どこへか売り込むに相違ない。それには魚屋の味方があると思いましたから、女房のお徳をだんだんに詮議すると、案のじょう、近所の川春《かわはる》という仕出し屋の手でどこへか持ち込むことが判りました。川春はなかなか大きい店で、旗本屋敷や大町人の得意場を持っている。前に云ったような人間の多い時代ですから、旗本の隠居や大町人の贅沢な奴らが川春の宇三郎にたのんで、御留川のむらさき鯉を食うのがある。魚の味は格別に変りはないのですが、そこが贅沢で、食えないものを食うという一種の道楽です。宇三郎はそこを附け込んで、うまい儲けをする。しかし自分たちが迂濶に釣ったり、網を入れたりすると、商売柄だけにすぐに眼につくという懸念《けねん》から、ふだんから心安い藤吉を抱き込んで、こいつにそっと釣らせていたんです。
 お徳の白伏でこれだけのことは判りましたが、鯉を取りに来たという女の正体がまだわからない。そこで更に手をまわして探索すると、この仕出し屋の料理番をしている富蔵という小粋な若い奴が、高山の囲い者のお糸と出来合っていることを探り出しました。富蔵はお糸が師匠をしている時からの馴染《なじみ》で、今も内所で逢い曳きをしている。それがわかったので、わたくしは子分の松吉に云いつけて、富蔵が近所の朝湯に行って帰る途中を引き挙げさせてしまいました。お徳の白状もあるのですから、すぐに宇三郎を召し捕ってもいいんですが、宇三郎という奴はなかなか食えない老爺《おやじ》らしいので、下手に当人を引き挙げて強情にシラを切っていられると面倒ですから、まず料理番の富蔵をおさえて、こいつの口から動かない証拠を挙げてしまおうと思ったんです。富蔵は案外に意気地のない奴で、ちょっと嚇かしたらすぐに何もかもしゃべってしまったばかりか、ほかに案外のことまで吐き出しました。それが即ちお糸の一件です。
 草履屋に鯉のあることをお糸がどうして知っていたかと云うと、この富蔵の口から聴いたんです。その前の晩、近所の女髪結の家《うち》の二階でお糸と富蔵とが逢った時、富蔵はいろいろの話のうちに、草履屋の藤吉が江戸川のむらさき鯉を内証で持ち込んで来ることを話しました。まだそればかりでなく、藤吉がだんだんに増長して、なにしろ御法度《ごはっと》破りの仕事だから、今までのように一|尾《ぴき》二分では売られない、これからは一尾一両ずつに買ってくれと云い出したが、宇三郎は承知しない。現にきょうもその捫著《もんちゃく》で、藤吉は一尾を売らずに帰ったという話をしたので、草履屋の家に一尾の鯉のあることをお糸は知っていたのです。お糸もその時は何の気無しに聴いていたんですが、その明くる晩に旦那の高山が同役を連れて来て、前に云ったようなわけで紫鯉の話が出ると、お糸は不図《ふと》ゆうべの富蔵の話をおもい出した。ここで一番自分の腕を見せてやろうという料簡になって、その鯉をすぐに取って来ようと安請け合いに受け合った。当人の腹では、色男の富蔵にたのんで、藤吉から売って貰うつもりであったんですが、あいにくに富蔵はどこへか出て行った留守で、川春の店にいない。と云って、立派に受け合って来た以上、今さら素手《すで》では帰れない。見ず識らずの草履屋へ行って、だしぬけに鯉を売ってくれと云ったところで相手が取りあう筈もない。思案に暮れた挙げ句の果てに、思いついたのが怪談がかりの狂言で、そこらの井戸の水か何かで髪をぬらしたり着物を湿《ぬ》らしたりして、草履屋の店へたずねてゆくと、丁度に亭主は留守で女房ひとりのところ。こっちは踊りの師匠ですから、身振りや仮声《こわいろ》も巧かったんでしょう、なんだか仔細らしく物すごく持ち掛けて、まんまと首尾よくその鯉をまきあげて行ったのには、芝居ならばこのところ大出来大出来というところかも知れません」
「いや、わかりました。なるほどお糸という女はなかなかの芝居師ですね。そこで、藤吉の方はどうしたのです」と、わたくしは追いかけて訊《き》いた。
「ここまでお話をすれば、あなた方にも大抵鑑定が付くでしょう。こうなれば、もう訳はありませんよ」と、老人はまだ判らないかと云うようにわたしの顔を眺めながら、息つぎの煙草を一服吸った。
「わたくしは富蔵の顔を睨んで、やい、てめえの頸のまわりや手の甲に引っかき疵のあるのはどうしたんだ。まさかに囲い者と痴話喧嘩をしたわけでもあるめえ。てめえ達はあの藤吉をどうしたと、頭から呶鳴り付けると、野郎め、蒼くなって縮み上がってしまいました。
 川春の亭主の宇三郎という奴は、ぼてえ[#「ぼてえ」に傍点]振りの魚屋から一代でそれだけの店に仕上げたくらいの人間ですから、年はもう六十に近いのですが、からだも頑丈で気も強い。藤吉が足もとを見てねだり掛けても、相手はびくともする奴じゃありません。藤吉はあべこべに云いまくられて、そのくやしまぎれに、お前が禁断のむらさき鯉を売り込んで、荒っぽい銭儲けをしているということを俺が一と言しゃべったら、ここの家《うち》にぺんぺん草が生えるだろうとか何とか嚇し文句をならべて立ち去っても、宇三郎はおどろかない。そんなことを迂濶に口外すれば宇三郎ばかりでなく、第一にわが身の上が危ういから、藤吉は忌々《いまいま》しいながらも我慢するよりほかはない。それで泣き寝入りにしていれば何事も無かったんですが、藤吉にも金の要ることがある。その訳はあとで話しますが、その晩も夜釣りに行くと云って家を出て、実は宇三郎の家へ行って、もう一遍かけ合ってみる積りで、川春の店さきまで行きかかると、丁度に料理番の富蔵が表に立っていたので、それを物蔭へよび出して、きのうの喧嘩はわたしが悪かったからおまえから親方によく話して、一尾一両の相談をきめてくれと頼んだが、富蔵は取りあわない。おれはほかに行くところがあるからと振り切って行こうとするのを、藤吉がひき留める。それがまた喧嘩のはじまりで、気の早い富蔵は相手の横っ面をぽかり[#「ぽかり」に傍点]となぐりつけると、藤吉はかっ[#「かっ」に傍点]となって富蔵の胸倉を引っ掴むと、そのはずみに喉を強く絞めたとみえて、富蔵はそのままぱったり倒れてしまったので、藤吉はびっくりして逃げ出した。
 藤吉だって悪い人間じゃあない、根は正直者なんですから、たとい粗相とは云いながら相手を殺した以上は、自分も下手人に取られなければならない。それが恐ろしさに、半分は夢中でそれからそれへと逃げ廻って、夜ふけを待って自分の家《うち》へこっそりと帰って来たらしい。しかしなんだか気が咎めるので、女房にむかって越前屋の為さんが川へ落ちて流されたなどと出たらめを云った。なぜそんな嘘ばなしをしたかというと、今も申す通り、なんだか気が咎めてならないからでしょう。犯罪人というものは妙なもので、自分の悪事を他人事《ひとごと》のように話して、それで幾らか自分の胸が軽くなるというような場合がある。藤吉もやはり其の例で、その時に何かそんなことを云わなければ気が済まなかったらしいんです。女房はそれを真《ま》に受けて、早く越前屋へ知らしてやれ、と云う。今更それは嘘だとも云えない破目《はめ》になって、よんどころなしに表へ出たが、もとより越前屋へ行くわけには行かない。そこでその後の様子を窺うために、川春の店さきへ忍んで行って戸の隙間から覗いていた。勿論、死人に口無しで確かなことは判りませんが、前後の事情から推して行くと、そう判断するよりほかはないんです。
 富蔵は一旦気絶したが、川春の店の者が見つけて内へ連れ込んで、水や薬を飲ませると、すぐに息をふき返して、何事もなく済んでしまったのです。そうと知ったら藤吉も安心したんでしょうが、間違いの起るときは仕方がないもので、一生懸命に内の様子をうかがっていると、そこへまた丁度に帰って来たのが亭主の宇三郎です。近所の二階に花合わせや小博奕の寄り合いがあって、いい旦那衆も集まって来る。これを内会《ないかい》と云います。宇三郎もその内会に顔を出して、夜なかに家へ帰ってくると、表には変な奴が覗いている。提灯の灯《ひ》で透かしてみるとかの藤吉なので、この野郎、今度はおれを殺しにでも来たのかと、襟首をつかんで内へ引き摺り込む。藤吉はうろたえて逃げ出そうとする。宇三郎は追いまわす。御承知の通り、仕出し屋のことですから店には洗い場があって、そこには大きい内井戸がある。普通の井戸とは違いますから、井戸側が低く出来ている。藤吉は逃げ廻るはずみに井戸端で足をすべらせて、井戸側へよろけかかったかと思うと、さかさまに転げ込んでしまった。その騒ぎに店の者も起きて来て、すぐと引き揚げたが藤吉はもう息が絶えている。富蔵と違って生き返りそうもない。といって、迂濶に医者を呼んでは、あとが面倒です。宇三郎は家内のものに口止めをして、夜ふけを幸いに藤吉の死骸をおもてへ運んで、そっと江戸川へ捨てさせました。死骸は大きい御膳籠《ごぜんかご》に入れて、富蔵と出前持ちふたりが持ち出して行ったのです」
「では、紙屋の亭主はなんにも係り合わなかったのですか」
「まったくなんにも知らないんです。ふだんから藤吉と釣り仲間ではありましたが、鯉の一件には係り合いの無いことが判りました。御承知かも知れませんが、赤城下はその以前に隠し売女《ばいた》のあったところで、今もその名残《なごり》で一種の曖昧茶屋のようなものがある。そこの白首《しろくび》に藤吉は馴染が出来て、余計な金が要る。御留川の夜釣りも畢竟《ひっきょう》はそういう金の要《い》り途《みち》があるからで、女房の手前は毎晩夜釣りに行くように見せかけて、三度に二度はその女のところへ飛んだ夜釣りに出かけていたんです。そういう時には今夜はあぶれたと誤魔化していたんですが、それでも自分ひとりでは何だか疑われそうに思われるので、釣り仲間の為さんも一緒だなどといい加減なことを云っていたらしい。紙屋の亭主こそ実に迷惑で、それがために思いもよらない災難をうけて、一旦は召し捕られたり、その後もたびたび番所へ呼び出されたり、どうもひどい目に逢いましたが、右の事情が判って無事に済みました。川春の宇三郎は死罪、富蔵は吟味中に牢死、出前持ちふたりは追放だとおぼえています。宇三郎の白状で、鯉を食った者はみんな判っているんですが、身分のある人は迂濶に詮議も出来ず、大町人は金を使って内々に運動したのでしょう、その方の詮議はすべて有耶無耶《うやむや》になってしまいました。高山もお糸も無事でしたが、この一件から富蔵との秘密がばれたらしく、お糸は旦那の手が切れて何処へか立ち去ったようでした」

底本:「時代推理小説 半七捕物帳(四)」光文社文庫、光文社
   1986(昭和61)年8月20日初版1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:おのしげひこ
1999年12月27日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

岡本綺堂

半七捕物帳 あま酒売—-岡本綺堂

     

「また怪談ですかえ」と、半七老人は笑った。「時候は秋で、今夜は雨がふる。まったくあつらえ向きに出来ているんですが、こっちにどうもあつらえむきの種がないんですよ。なるほど、今とちがって江戸時代には怪談がたくさんありました。わたくしもいろいろの話をきいていますが、商売の方で手がけた事件に怪談というのは少ないものです。いつかお話した津の国屋だって、大詰へ行くとあれです」
「しかし、あの話は面白うござんしたよ」と、わたしは云った。「あんな話はありませんか」
「さあ」と、老人は首をかしげて考えていた。「あれとは又、すこし行き方が違いますがね。こんな変な話がありましたよ。これはわたくしにも本当のことはよく判らないんですがね」
「それはどんなことでした」と、わたしは催促するように云った。
「まあ、待ってください。あなたはどうも気がみじかい」
 老人は人をじらすように悠々と茶をのみはじめた。秋の雨はびしゃびしゃというような音をたてて降っていた。
「よく降りますね」
 外の雨に耳をかたむけて、あたまの上の電燈をちょっと仰いで、老人はやがて口を切った。
「安政四年の正月から三月にかけて可怪《おかし》なことを云い触らすものが出来たんです。それはどういう事件かというと、毎日暮れ六ツ――俗にいう『逢魔《おうま》が時《とき》』の刻限から、ひとりの婆さんが甘酒を売りに出る。女のことですから天秤をかつぐのじゃありません。きたない風呂敷に包んだ箱を肩に引っかけて、あま酒の固練《かたね》りと云って売りあるく。それだけならば別に不思議はないんですが、この婆さんは決して昼は出て来ない。いつでも日が暮れて、寺々のゆう六ツの鐘が鳴り出すと、丁度それを合図のようにどこからかふらふらと出て来る。いや、それだけならまだ不思議という段には至らないんですが、うっかりその婆さんのそばへ寄ると、きっと病人になって、軽いので七日《なのか》や十日《とおか》は寝る。ひどいのは死んでしまう。実におそろしい話です。その噂がそれからそれへと伝わって、気の弱いものは逢魔が時を過ぎると銭湯《せんとう》へも行かないという始末。今日の人達はそんな馬鹿な事があるものかと一と口に云ってしまうでしょうが、その頃の人間はみんな正直ですから、そんな噂を聞くと竦毛《おぞけ》をふるって怖がります。しかも論より証拠、その婆さんに出逢って煩《わずら》いついた者が幾人もあるんだから仕方がありません。あなた方はそれをどう思います」
 私にはすぐに返事が出来ないので、ただ黙って相手の顔を見つめていると、老人はさもこそといったような顔をして、しずかにその怪談を説きはじめた。
 その怪しい婆さんを見た者の説明によると、かれはもう七十を越えているらしい。麻のように白く黄いろい髪を手拭につつんで、頭のうしろでしっかりと結んでいた。筒袖かとも思われるような袂のせまい袷《あわせ》の上に、手織り縞《じま》のような綿入れの袖無し半纒《はんてん》をきて、片褄《かたづま》を端折《はしょ》って藁草履をはいているが、その草履の音がいやにびしゃびしゃと響くということであった。しかしその人相をよく見識っている者がない。かれに一度出逢った者も、うす暗いなかに浮き出している梟《ふくろう》のような大きい眼、鳶《とんび》の口嘴《くちばし》のような尖った鼻、骸骨のように白く黄いろい歯、それを別々に記憶しているばかりで、それを一つにまとめて人間らしい者の顔をかんがえ出すことは出来なかった。
 かれは唯ふらふらと迷い歩いているのではない、あま酒を売っているのである。なんにも知らずにその甘酒を買った者もたくさんあったが、その甘酒に中毒したものはなかった。又その甘酒を買った者がことごとく病みついたというわけでもなかった。往来でうっかり出逢った者のうちでも、なんの祟《たた》りも無しに済んだものもあった。つまりめいめいの運次第で、ある者は祟られ、ある者は無難であった。いずれにしても婆さんの方は何事を仕向けるのでもない。ただ黙ってゆき違うばかりで、不運の者はその一刹那におそろしい災難に付きまとわれるのであった。
 眼にも見えないその怪異に取り憑《つ》かれたものは、最初に一種の瘧疾《おこり》にかかったように、時々にひどい悪寒《さむけ》がして苦しみ悩むのである。それが三日四日を過ぎると更に怪しい症状を表わして来て、病人はうつむいて両足を長くのばし、両手を腰の方へ長く垂れて、さながら魚の泳ぐような、蛇の蜿《のた》くるような奇怪な形をして這いまわる。さりとて家《うち》じゅうを這いまわるのでもない。大抵は敷蒲団の上を境として、その上を前へうしろへ、右へ左へ蜿うつのである。それが魚というよりむしろ蛇に近いので、看病の人たちはうす気味悪がった。思いなしか病人の眼は蛇のように忌《いや》らしくみえて、口から時々に紅い舌をへらへら[#「へらへら」に傍点]と吐く。こうした気味の悪い病症を三日五日も続けた後に、病人の熱は忘れたように冷めてけろり[#「けろり」に傍点]と本復するが、病中のことはなんにも記憶していない。なにを訊《き》いても知らないという。しかしそれらは軽い方で、重いのになるとその奇怪の症状を幾日も続けているうちに、とうとう病み疲れて藻掻《もが》き死にの浅ましい終りを遂げる者もあった。それが僅かに一人や二人であったならば、蛇を殺した祟りとでも云われそうなことであったが、なにをいうにも大勢であるために、その病人をことごとく蛇を殺した人間と認めるわけにも行かなかった。殊にそのなかには蛇を殺すどころか、絵に描いた十二支の蛇を見てさえも身をすくめるような若い娘たちもあったので、蛇の祟りと決めてしまうことは出来なかった。
「と云っても、あの蜿くる姿はどうしても蛇だ」
 こっちに祟られるような覚えがなくても、向うから祟るのであろう。蛇に魅《み》こまれるという伝説は昔からたくさんある。どう考えてもあの婆さんはやはり蛇の化身《けしん》で、なにかの意味で或る男や或る女を魅こむに相違ない。この説が結局は勝を占めて、怪しい老婆の正体は蛇であると決められてしまった。それが更に尾鰭《おひれ》を添えて、ある剛胆な男がそっと彼《か》の婆さんのあとをつけて行くと、かれは不忍池《しのばずのいけ》の水を渡ってどこへか姿を隠したなどと、見て来たように吹聴《ふいちょう》する者もあらわれて来た。不忍の弁天に参詣して巳《み》の日の御まもりをうけて来た者は、その禍いを逃がれることが出来るなどと、まことしやかに説明する者もあらわれた。
 それが町方《まちかた》の耳にはいると、役人たちも打っちゃって置くわけには行かなくなった。由来、かような怪しい風説を流布《るふ》して世間を騒がす者は、それぞれ処罰されるのが此の時代の掟《おきて》であったが、それが跡方もない風説とのみ認められないので、先ずその本人のあま酒売りを詮議《せんぎ》することになった。しかし、彼女の立ち廻る場所がどの方面とも限られていないので、江戸じゅうの岡っ引一同に対してかれの素姓あらためを命ぜられ、次第によっては即座に召し捕って苦しからずということであった。
 八丁堀同心伊丹文五郎は半七を呼んでささやいた。
「今度の一件を貴様はどう思うか知らねえが、悪くすると磔刑《はりつけ》のお仕置ものだぞ。その積りでしっかりやってくれ」
「クルスでございますかえ」
 半七は人差指で十字の形を空《くう》に書いてみせると、文五郎はうなずいた。
「さすがに貴様は眼が高い。蛇の祟りなんぞはどうも真《ま》に受けられねえ。ひょっとすると切支丹《キリシタン》だ。奴らがなにか邪法を行なうのかも知れねえから、そこへ見当をつけて詮索《せんさく》してみろ」
 こっちも内々それに目星をつけたので、半七はすぐに受け合って帰った。しかし、どこから先ず手を着けていいのか、彼もさすがに方角が立たないので、家へ帰ってからも眼をとじて考えていたが、やがて台所の方にむかって声をかけた。
「おい、誰かそこにいるか」
「あい」
 台所につづいた六畳の間に、大きい火鉢を取りまいていた善八と幸次郎とがばらばらと起《た》って来た。
「おめえたちはあま酒売りの婆さんを知っているか」と、半七は訊いた。
「出っくわしたことはありませんが、噂だけは聞いています」と、善八は答えた。
「伊丹の旦那からのお指図だ。どうにかしにゃあならねえ。この一件は俺ばかりじゃねえ、みんなも総がかりでやる仕事だから、なんでも早い勝ちだ。そこであんまり知恵のねえ話だが、まあお定まりの段取りで仕方がねえ。おめえ達はこれから手わけをして、甘酒の卸し売りをする問屋をみんな探してくれ。婆《ばばあ》だって自分の家であま酒を作るわけじゃあるめえ。きっとどこかで毎日仕入れて来るんだろうから、そういう変な婆が来るか来ねえか、方々の店で聞き合わせてくれ。こんなことは誰もがみんな手をつけることだろうが、こっちも心得のために一応は念をついて置かにゃあならねえ」
 ふたりの子分を出してやって、半七は午飯《ひるめし》を食ってしまうと、三月末の春の日はうららかに晴れていた。家にぼんやりと坐ってもいられないので、半七はどこをあてとも無しに神田の家を出て、百本|杭《ぐい》から吾妻《あずま》橋の方角へ、大川端をぶらぶらと歩いてゆくと、向島の桜はまだ青葉にはなり切らないので、遅い花見らしい男や女の群れがときどきに通った。その賑やかな群れのあいだを苦労ありそうにしょんぼり[#「しょんぼり」に傍点]とうつむき勝ちに歩いている一人の若い男が、その蒼ざめた顔をあげて半七の姿をふと見付けると、なんだか臆病らしい眼をしながら彼のあとをそっと尾《つ》けて来るらしかった。
 最初は素知らぬ顔をしていたが、こっちの横顔をぬすむように窺いながら三、四間ほども付いて来るので、半七も勃然《むっ》として立ち停まった。
「おい、大哥《あにい》。わっしになにか用でもあるのかえ。花見どきに人の腰を狙ってくると、巾着切《きんちゃっき》りと間違げえられるぜ」
 睨み付けられて男はいよいよ怯《おび》えたらしい低い声で、ごめんなさいと丁寧に挨拶して、そのままそこに立ちすくんでしまった。気障《きざ》な野郎だと思いながら、半七もそのまま通り過ぎたが、よほど行き過ぎてから彼はふと考えた。あの若い男の人相や風体は巾着切りなどではないらしい。勿論こっちで見覚えのない男であるが、或いは向うではこっちの顔を見知っていて、なにか話し掛けようとしながらも、つい気怯《きおく》れがしてそのままに云いそびれてしまったのではあるまいか。もしそうならば暴《あら》い詞《ことば》をかけるのではなかったと、半七は少し気の毒になって元来た方をふり返ると、男の姿はもう見えなかった。

     二

 それから二日目の七ツ下がり(午後四時過ぎ)に、善八と幸次郎が半七の長火鉢のまえに鼻をそろえた。二人はほかの子分たちとも申し合わせて、江戸じゅうの問屋を片っ端から調べてあるいたが、その怪しい婆さんは毎日おなじ家へ仕入れに来ないらしい。最初のうちは本所《ほんじょう》四ツ目の大坂屋という店へ半月以上もつづけて来たが、その後ばったり[#「ばったり」に傍点]と来なくなった。近頃ではやはり四ツ目の水戸屋という店へ三日ほどつづいて来たが、水戸屋ではかれの噂を知っているので、若い者のひとりが見えがくれにそのあとを尾《つ》けると、かれは浅草の方角に向って遅々《のろのろ》とたどって行った。しかしどこまで行っても際限がないので、こっちもしまいに根負《こんま》けがして、途中から空しく引っ返して来た。こういう訳で、かれの居どころはたしかに突き留められなかった。こっちに尾けられたことを彼女はおそらく覚《さと》ったのであろう、そのあくる日から彼女はその痩せた姿を水戸屋の店先に見せなくなった。それは三月初めのことで、その後はどこの問屋を立ちまわっているか、誰も知っている者はないとのことであった。
「ところで、親分。ついでに妙なことを聞き出して来たんですがね」と、善八は云った。「やっぱりその婆に係り合いのあることなんですが、なんでも五、六日まえの午過ぎだそうです。浅草の馬道《うまみち》に河内屋という質屋があります。そこの女中のお熊というのが近所へ使いに出ると、やがて真っ蒼になって内へかけ込んで来て、自分の三畳の部屋をぴっしゃり閉め切ってしまって、小さくなって竦《すく》んでいたそうです。なんだか変だと思っていると、誰が見つけたか知らねえが、河内屋の裏口に変な婆が来てそっと内をのぞいているというので、番頭や小僧が行って見ると、なるほど忌《いや》に影のうすい婆が突っ立っている。変だとは思ったが、真っ昼間のことだから大きな声で呶鳴《どな》り付けると、婆は忌な眼をしてこっちをじっと見たばかりで、素直《すなお》に何処へか行ってしまった。行ってしまったのはいいが、その晩から番頭ひとりと小僧一人が瘧疾《おこり》のように急にふるえ出して、熱が高くなる、蒲団の上をのたくる。医者にみせても容態はわからない。相手が変な婆であったもんだから、それもきっと例のあま酒婆だったということで、家《うち》じゅうのものは竦毛《おぞけ》をふるっているそうです。その時に出てみたのは、番頭ふたりと小僧一人だったんですが、ひとりの番頭だけは運よく助かったとみえて、今になんにも祟りがなく、ほかの二人が人身御供《ひとみごくう》にあがった訳なんですが、妙なこともあるじゃありませんか。してみると、その婆は夜ばかりでなく、昼間でもそこらにうろついているに相違ねえというんで、近所の者もみんな蒼くなっているんですよ」
「そうして、その熊という女はどうした。それには別条ねえのか」
「その女中にはなんにも変ったことはないそうです。なんでも使いに行って帰ってくると、その途中から変な婆がつけて来て、薄っ気味悪くて堪まらねえので、一生懸命に逃げて来たんだということです」
「おめえはその女を見たのか」
「見ません。なんでも河内屋へ出入りの小間物屋の世話で住み込んだ女で、年は十九か二十歳《はたち》ぐらいだが、台所働きにはちっと惜しいような代物《しろもの》だそうですよ」
「その小間物屋というのは何という奴だ」と半七はまた訊《き》いた。
「その小間物屋はわっしが識っています」と、幸次郎が代って答えた。「徳という野郎で、徳三郎か徳兵衛か知りませんが、まだ二十二三の生《なま》っ白《ちろ》い奴です。道楽者で江戸にもいられねえんで、小間物をかついで旅あきないをしていたんですが、去年の七、八月ごろから江戸へまた舞い戻って来て、どこかの二階借りをして相変らず小間物の荷を担《かつ》ぎあるいているようです」
「そうか。よし、判った。じゃあ、おめえはその徳という野郎の居どこをさがして引っ張って来てくれ。おれはその馬道の質屋へ行って、もう少し種を洗ってくるから」
「わっしも行きましょうか」と、善八は顔をつき出した。
「そうよ。又どんな用がねえとも限らねえ。一緒にあゆんでくれ」
「ようがす」
 善八を案内者につれて、半七が馬道へゆき着いた頃には、このごろの長い日ももう暮れかかって、聖天《しょうでん》の森の影もどんよりと陰《くも》っていた。
「なんだか忌《いや》な空合いになって来ましたね」と、善八は空を仰ぎながら云った。
「むむ。まったくいやな空だ。今夜は一つ降るかも知れねえ」
 旋風《つむじかぜ》のような風が俄かにどっと吹き出して、往来には真っ白な砂けむりが渦をまいて転げまわった。ふたりは片袖で顔を掩《おお》いながら、町屋《まちや》の軒下を伝って歩いていると、夕ぐれの色はいよいよ黒くなって来て、どこかで雷の声がきこえた。
「おや、雷が鳴る。妙な陽気だな」
 そのうちに、ふたりは河内屋の暖簾《のれん》の前に来たので、善八はすぐに格子をくぐって、帳場にいる番頭に声をかけた。
「もし、番頭さん。親分がすこし用があるんだ。ここじゃあいけねえから、表までちょいと顔を貸してくんねえ」
「はい、はい」
 四十五六の番頭が帳場から出て来て、暖簾の外に立っている半七に挨拶した。
「お前さんがここの番頭さんかえ」と、半七は手拭で顔の砂をはらいながら訊《き》いた。
「さようでございます。利八と申して、河内屋に三十四年勤めて居ります。どうぞお見識り置きを……」
「そこで利八さん。早速だがお前さんにちっと訊《き》きたいことがある。この間、こっちの裏口を変な婆さんが覗いていたとかいうじゃありませんか」
「はい。とんだ災難で、番頭ひとりと小僧一人が今にどっ[#「どっ」に傍点]と寝付いて居ります」
 利八の話によると、番頭と小僧はきょうまで熱が下がらないで、生殺《なまころ》しの蛇のように蜿《のた》うち廻っている。奉公人どもは気味を悪がって誰も寄り付かないので、主人と自分とが代る代るに看病しているが、なかなか三日や四日では癒《なお》りそうもない。世間の噂を綜合してかんがえると、その時の怪しい婆さんはどうも彼《か》の甘酒売りらしく思われる。実はきのうの午過ぎにも、その婆さんらしい女が店の前をうろ付いているのを近所のものが認めたとかいうので、この上にも重ねてどんな禍いがあろうかと、自分たちも内々恐れていると、かれは小声で半七に訴えた。
「それからお前さんの家《うち》にお熊という女がいるそうですね」
「はい。西国《さいこく》生まれだそうで、年は明けて十九でございます。ちょうど去年の九月、今までの奉公人が急病で暇をとりまして、出代り時でもないもんですから、差し当りその代りの女に困って居りますところへ、てまえ方へ質を置きにまいります徳三郎という小間物屋さんが、時にこんな女があるから使ってくれないかと申しますので、ちょうど幸いと存じて雇い入れましたような訳でございますが、人柄も悪くなし、人間も正直でよく働きます。で、これはよい奉公人を置きあてたと申して、主人を始めわたくし共も喜んで居ります」
「こっちに親戚でもあるんですかえ」
「なんでも芝の方の御屋敷の足軽を頼ってまいったのだそうでございます。と申しますと、まことに不念《ぶねん》のようで恐れ入りますが、なにぶん手前どもでも困っている矢先でもあり、徳さんが万事をひき受けると申しますものですから、その上にくわしくも詮議いたしませんで……」と、利八は小鬢《こびん》をかきながら答えた。
「その後、そのお熊になにも変った様子はないんですね」
「別に変ったこともございませんが、一度その婆さんにあとを尾《つ》けられてから、表へ出るのをひどく忌《いや》がるので困ります。もっともそれは無理もありませんので、大抵の使いにはほかの小僧を出して居りますが、当人も別に病気というわけでもございませんから、家の内ではいつもの通りに働いて居ります。御用があるなら唯今呼んでまいりましょうか」
「いや、呼んじゃあまずい」と、半七は首を振った。「うら口へまわって、そっとのぞくわけにゃあ行きませんか」
「よろしゅうございます。ちょうど夕方でございますから、台所ではたらいて居ります筈です。どうぞ隣りの露路からおはいりください」
 利八に教えられて、半七はせまい露路の溝板《どぶいた》を踏んでゆくと、この二、三日なまあたたかい天気がつづいたので、そこらではもう早い蚊の唸《うな》る声がきこえた。半七は手拭を取って頬かむりをして、草履の足音を忍ばせながら、河内屋の水口《みずくち》に身をよせていると、ひとりの若い女が手桶をさげて来た。うす暗い夕闇のなかにも其の白い顔だけは浮き出してみえた。と思う途端に、彼女はそこに忍んでいる半七の姿を見付けてあわただしく小声で訊いた。
「徳さんかえ」
 徳さんという男の地声《じごえ》を知らないので、半七は早速に作り声をするわけにも行かなかった。かれは頬かむりのままで無言にうなずくと、若い女は摺り寄って来た。
「おまえさん、この頃どうして来てくれないの。あれほど約束したのを忘れたのかえ」
 こっちがやはり黙っているので、女はすこしおかしく思ったらしい、だしぬけに片手をのばして半七の頬かむりを引きめくった。うす暗いなかでもその人違いをすぐに発見したらしく、かれはあれっ[#「あれっ」に傍点]と叫びながら手桶をほうり出して内へ逃げ込んだ。
 手拭も一緒にほうり出されたので、半七はそれを拾って泥をはたいていると、その頭の上を大きい雷ががらがらと鳴って通った。

     

 表へ出ると、利八と善八が待っていた。今鳴った雷の音につれて、雹《ひょう》のような大粒の雨がばらばらと落ちて来たので、利八はしばらく雨やどりをして行けと勧めたが、半七はそれを断わって、そのかわりに番傘を一本借りて出た。
「親分、相合傘《あいあいがさ》じゃあ凌《しの》げそうもありませんぜ」と、善八は云った。
「まあ、仕方がねえ。尻でも端折《はしょ》れ」
 雷はだんだん烈しくなって、傘をたたき破るかと思うような大雨が、どうどうと降りそそいで来た。ふたりの鼻のさきに青い稲妻が走った。
「親分、いけねえ、意気地がねえようだが、もう歩かれねえ」
 善八がひどく雷を嫌うことを半七もかねて知っているのと、時刻も丁度暮れ六ツ頃であるのとで、かれは雨宿りながらにそこらの小料理屋へはいって、ともかくも夕飯を食うことにしたが、雷はそれから小一※[#「日+向」、第3水準1-85-25]《こいっとき》も鳴りつづいたので、善八は口唇《くちびる》の色をかえて縮み上がってしまった。彼は眼の前にならんでいる膳を見ながら、好きな酒の猪口《ちょこ》をも取らなかった。話を仕掛けても碌々に返事もしなかった。
 小間物屋の徳三郎とお熊との関係はもう判った。徳三郎は旅商いに出ているあいだに、どこかでお熊と馴染《なじみ》になって、かれを誘い出して江戸へ帰って来たが、差し当りは女の始末に困って、河内屋へ奉公に住み込ませたに相違ない。それと同時に、このあいだ大川端で自分に声をかけようとした若い男は、その徳三郎であったらしくも思われて来た。かれは蒼ざめた顔をして、自分に何事を訴えようとしたのか、半七はいろいろに想像を描いていると、雷の音もだんだんに遠ざかって、善八は生き返ったように元気が出た。
「親分、すまねえ。まずこれでほっ[#「ほっ」に傍点]としやした。また移り換えもしねえうちから酷《ひど》い目に逢いましたよ」
「いい塩梅《あんばい》に小降りになったようだ。早く飯を食ってしまえ」
 早々に飯を食ってそこを出ると、夜は五ツ(午後八時)を過ぎているらしかった。雨はもう小降りになっていたが、弱い稲妻はまだ善八をおびやかすように、時々にふたりの傘の上をすべって通った。雷門の方へ爪先を向けた半七は急に立ち停まった。
「おい、もう一度河内屋へ行って見ようじゃねえか。考えると、どうも少し気になることがある。もう雨もやんだから、この傘を返しながらお熊という女はどうしているか訊《き》いてくれ」
 二人はまた引っ返して河内屋へ行った。善八だけが内へはいって、お熊はどうしているかと番頭に訊くと、利八はやはり台所にいる筈だと答えた。しかし念のために見て来ましょうと云って、かれは帳場から起《た》って行ったが、やがてあわただしく戻って来て、お熊の姿はどこにも見えないと云った。善八もおどろいて、すぐに表へ飛び出して注進《ちゅうしん》すると、半七は舌打ちした。
「まずいことをしたな。どうもあの女がおかしいと思ったんだ。いっそあの時すぐに引き挙げてしまえばよかった。畜生、どこへ行ったろう」
 どっちへ行ったか其の方角が立たないので、二人はぼんやりと門口《かどぐち》に突っ立っていると、どこかで女の声がきこえた。
「甘酒や、あま酒の固練り……」
 物に魘《おそ》われたように二人はぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]とした。そうして、その声のする方角を一度透かしてみると、今の強い雨でどこの店も大戸を半分ぐらいは閉めてしまったが、そのあいだから流れ出して来る灯のひかりは往来のぬかるみを薄白く照らして、雷門の方から跣足《はだし》でびしゃびしゃあるいて来る女の黒い影がまぼろしのように浮いてみえた。世間にあま酒を売ってあるく者は幾人もある。殊にその声があまり若々しく冴えてひびくので、半七は少し躊躇《ちゅうちょ》したが、ともかくも善八を促《うなが》して路ばたの軒下に身をひそめていると、声の主はだんだんに近寄って来た。かれはあま酒の箱を肩にかけて、びしょ濡れになっているらしかった。ふたりは呼吸《いき》をのんで窺っていると、かれは河内屋のまえに来て吸い付けられたように俄かに立ち停まった。声は若々しいのに似合わず、彼女がたしかに老女であることを知ったときに半七の胸は波を打った。
 かれは先ず河内屋の表をうかがって、更に露路口の方へまわった。半七もそっと軒下をぬけ出して露路の口からのぞいて見ると、彼女は河内屋の水口にたたずんで、しばらく内を窺っているらしかったが、やがて又引っ返して表へ出て来た。ここですぐに取り押さえようか、もうちっと放し飼いにして置いて其の成り行きを見とどけようかと、半七はちょっと思案したが、結局黙ってそのあとを尾《つ》けてゆくことにした。善八もつづいて歩き出した。二人はさっきから跣足になっているので、雨あがりのぬかるみを踏んでゆく足音が相手に注意をひくのを恐れて、わざと五、六間も引きさがって忍んで行った。
 河内屋の露路を出てから、彼女はあま酒の固練りを呼ばなくなった。かれは往来のまん中を黙って俯向《うつむ》いてゆくらしかった。
「親分。たしかに彼女《あいつ》でしょうね」と、善八はささやいた。
「河内屋を覗いて行ったんだから、あの婆《ばばあ》に相違ねえ」
 云ううちに彼女の姿は消えるように隠れてしまったので、ふたりは又おどろいた。善八は少しおじ気が付いたように立ちすくんだ。吉原へゆくらしい駕籠が二挺つづいて飛ぶようにここを駈けぬけて通ると、その提灯の火に照らされて、かれの痩せた姿は又ぼんやりと暗やみの底から浮き出した。その途端に、かれは思い出したように一と声呼んだ。
「あま酒の固練り……」
 この声がしずかな夜の往来に冴えてひびくと、通りぬけた駕籠の一挺が俄かに停まった。ひとりの武士らしい男が垂簾《たれ》をはねて、彼女のそばにつかつかと進み寄った。そうして、なにか小声でふた言三言押し問答しているかと思うと、白い刃のひかりが提灯の火にきらりと映って、婆は抜き打ちに斬り倒された。かれは声も立てないで、枯れ木を倒したように泥濘《ぬかるみ》のなかに横たわった。武士は刀を納めて再び駕籠に乗ろうとするところへ、半七は駈け寄ってその棒鼻をさえぎった。
「しばらくお待ちくださいまし。わたくしは町方《まちかた》の者でございます。唯今のは試し斬りでございますか、それとも何か仔細がございますか」
 たといそれが武士であろうとも、みだりに試し斬りなどをすれば立派な罪人である。次第によっては、かれも切腹の罪科《つみとが》は免かれない。相手を斬ってうまく逃げおおせればいいが、それが町方の眼にとまったりすると、甚だ面倒になる。飛んだところを見つけられて、武士はひどく迷惑したらしく、しばらく口籠って躊躇していると、まえの駕籠からも一人の武士が出て来た。どちらも若い武士であったが、新らしく出て来た一人は幾らか場慣れているらしく、半七にむかって我々は決して試し斬りではないと弁解した。しかし、その仔細を云うわけには行かない。屋敷の名を明かすわけにも行かない。どうかこのまま見逃がしてくれと彼はしきりに頼んだが、半七は素直に承知しなかった。一旦自分の眼にとまった以上、見す見す人殺しを見逃がすことは出来ないと云い張った。それは勿論正当の理窟であったが、もう一つには折角ここまで追いつめて来た大事の捕り物を、横合から不意に出て来て玉無しにされてしまったという業腹《ごうはら》がまじって、半七は飽くまでも意地悪くこの武士を窘《いじ》めにかかった。
 窘められて、相手はいよいよ困ったらしく、結局は金ずくで内済にしたいようなことまで云い出したが、半七はどうしても肯《き》かないで、とうとう彼等二人を再び駕籠にのせて、無理無体に近所の自身番へ引き摺って行った。婆を斬った若い武士はもう覚悟を決めているらしかった。
「たといなんと申されても屋敷の名を明かすわけにはまいらぬ。たって役人に引き渡すとあれば、手前これにて切腹いたす」
 こうなると、半七もなんだか可哀そうにもなって来て、いつまでも彼等を窘めていられなくなった。彼はほかの武士を表へ呼び出して、諭《さと》すようにささやいた。
「あなた方が辻斬りでないことは私も大抵察しています。ふたり連れで駕籠にのって、辻斬りをしてあるくのは珍らしい。それにさっき見ていると、あの婆さんの甘酒の固練りという声を聞くと、急に駕籠を停めさせてあっちのお武家が出て行った。それにはなにか訳があるらしい。あなた方はあの婆さんを御存じなんですかえ。御存じならば話してください。その訳さえわかれば、なにも無理に屋敷の名を聞くにも及びません。実を云うと、わたくしはこの間からあの婆さんを尾《つ》けているんです。それを横合いからだしぬけにばっさりとやられてしまっちゃあ、わたくしの役目が立ちません。それを察して正直に話してください。くどくも云うようだが、訳さえわかれば決して御迷惑はかけませんから」
 武士はそれでもまだ渋っていたが、半七からいろいろに説きすかされて、彼もようよう納得《なっとく》したらしく、内に引っ返して一方の武士と何かしばらくささやき合っていたが、結局思い切ってその事情を打ち明けることになった。
「では、屋敷の名は申さんでも宜しゅうござるな」
「よろしゅうございます」
 なんとかして、彼等に口を明かせなければならないので、その白状を聞かないまえに半七は安受け合いに受け合ってしまった。そうして、これから彼等がどんな秘密を打ち明けるかと、両方の耳を引き立てていると、あたかもそこへ足早に駈け込んで来た者があった。
「ああ、親分。いいところへ来ていてくんなすった。小間物屋の野郎、とんだことをしやあがって……女を殺しゃがった」
 それは小間物屋の居どころをさがしに行った幸次郎であった。

     

 幸次郎は小間物屋の徳三郎の居どころを探しあてて、田町に近い荒物屋の二階へたずねてゆくと、彼はあいにく留守であった。また出直して来ようと思って表へ出ると、あたかもかの雷雨が襲って来たので、近所の知人の家へかけ込んで雨やどりをして、小降りになるのを待って再びたずねていくと、下の婆さんはいなかった。そっと窺うと、二階には微かに人の唸るような声がきこえたので、彼は猶予なしに駈けあがると、うす暗い行燈《あんどう》のまえに若い女が血みどろになって俯向きに倒れていた。そのそばには徳三郎が血に染めた短刀を握って、喪心《そうしん》したようにぼんやりと坐っていた。どう見ても、かれが女を殺したとしか思えないので、幸次郎はその刃物をたたき落としてすぐに縄をかけた。徳三郎は別に抵抗もしなかった。
 倒れている女をあらためると、まだ微かに息が通っているらしかったので、幸次郎は近所の者を呼びあつめて医者を迎いにやったが、その医者の来ないうちに女は息が絶えてしまった。その出来事を報告するために、幸次郎は縄付きの徳三郎を近所のものに張り番させて、とりあえずここへ駈け付けて来たのであった。
 婆殺しと女殺しと二つの事件が同時に出来《しゅったい》して、しかもそれが何かの糸を引いているらしく思われたので、半七はすぐに徳三郎を自身番へひき出させた。真っ蒼になって牽《ひ》かれて来た徳三郎は、たしかに大川端で出逢った若い男であった。
「おい、徳三郎。おれの顔を識っているか」
 徳三郎は無言で頭を下げた。
「おれはまだ見ねえが、殺した女は河内屋のお熊だろう。とんでもねえことを仕出来《しでか》しゃあがった。手前なんで女を殺した。素直に申し立てろ」
「親分さん。それはお目違いでございます」と、徳三郎は喘《あえ》ぐように云った。「わたくしは決して女を殺しは致しません。お熊は自分で乳の下を突きましたのでございます。わたくしが慌てて刃物をもぎ取りましたけれど、もう間に合いませんでございました」
「その短刀は女が持っていたのか」
「いいえ、わたくしの品……」と、徳三郎は云いよどんだ。
「はっきり云え」と、半七は叱った。「てめえの短刀をどうして女に渡したんだ。てめえもまた商売柄に似合わねえ、なんで短刀なんぞを持っているんだ」
「はい」
「何がはいだ。はい[#「はい」に傍点]や炭団《たどん》じゃ判らねえ。しっかり物を云え。お慈悲につめてえ水を一杯のましてやるから、逆上《のぼ》せを下げた上でおちついて申し立てろ。いいか」
 善八が持って来た茶碗の水を飲みほして、徳三郎は初めて一切の事情をとぎれとぎれに申し立てた。彼は浅草で相当な小間物屋の伜に生まれたが、放蕩のために身代をつぶして、一旦は江戸を立退《たちの》くこととなった。やはり小間物の荷をかついで、旅あきないに諸国を流れ渡っているうちに、彼は京大阪から中国を経て九州路まで踏み込んだ。そうして、ある城下町にしばらく足を止めているあいだに、かれはその城下から一里ばかり距《はな》れた小さい村の女と親しくなった。女はかのお熊であった。お熊はお綱という老母と二人暮しであったが、この村の習いとしてほかの土地のものとは決して婚姻を許さない掟《おきて》になっているので、お熊は母を捨てて逃げた。徳三郎もはじめは旅先のいたずらにすぎない色事《いろごと》で、その女を連れ出して逃げるほどの執心もなかったのであるが、かれに魅《み》こまれたが最後、もうどうしても逃げることの出来ない因果にまつわられていた。お熊はこの土地でいう蛇神《へびがみ》の血統であった。
 ここらには蛇神という怖ろしい血統があった。その血をうけて生まれた者は一種微妙の魔力をもっていて、かれらの眼に強く睨まれると其の相手はたちまち大熱に犯される。単にそればかりでなく、熱に悶《もだ》えて苦しんで、さながら蛇のように蜿《のた》うちまわる。蛇神の名はそれから起ったのである。しかし、彼等はいかに眼を大きくして睨んだからといって、それだけでは決して相手に感応させるわけには行かない。それにはかならず、強い感情を伴わなければならない。妬《ねた》む、憎む、怨む、羨む、呪う、慕う、哀《かなし》む、喜ぶ、恐れる。そうした喜怒哀楽の強い感情がみなぎったときに、かれらの眼のひかりは怖るべき魔力を以って初めて相手を魅することが出来るのである。したがって、彼ら自身も故意にその魔力を応用することが出来ない。あいつを一つ苦しめてやろうなどと悪戯《いたずら》半分に睨んだところで、決してその効果はあらわれない。要するにそれは彼の心の奥から湧き出してくる自然の作用で、自分自身にも無理に抑《おさ》えることも出来ず、無理に働かせることも出来ず、唯その自然にまかせるほかはないのである。この村の者がほかの土地の者と結婚しないのも、この不思議な血統が主《おも》なる原因であった。
 徳三郎も初めてお熊に逢ったときに、この怪しい熱病に苦しめられて、お熊の手あつい看病をうけた。病いが癒《なお》ってから其の秘密を発見したが、今更どうすることも出来なかった。捨てて逃げようとしても、お熊はどうしても離れない。それを無理にふり放そうとすれば、お熊の睨む眼が怖ろしかった。もう一つには女が蛇神の血統であることを自分から正直に打ち明けて、どうぞ見捨ててくれるなと泣いて口説《くど》かれた時に、かれの心も弱くなった。所詮はこれも因果とあきらめて、徳三郎はお熊を連れて逃げることを決心した。
 かれの決心を強めたほかの動機は、かのおそろしい蛇神も箱根を越せば唯の人間になってしまって、なんの不思議を見せることも出来ないという伝説を、土地の老人から聞き知った為であった。それならばさのみ恐れることもないと幾分か安心して、かれはお熊と共に江戸へ帰った。九州の蛇神も江戸の土を踏めば唯の女になったらしく、気のせいか彼女の瞳のひかりも柔らかになった。お熊は容貌《きりょう》のよい情の深い女で、ほかに頼りのない身の上を投げかけて、かれ一人を杖とも柱とも取り縋《すが》っているのを徳三郎は惨《いじ》らしくも思った。こうして二人の愛情はいよいよ濃《こま》やかになったが、なにぶんにも小間物の担ぎ商いをしている現在の男の痩腕では、江戸のまん中で女と二人の口を養ってゆくのがむずかしいので、相談ずくの上でしばらく分かれ分かれに働くこととなって、お熊は男の口入れで河内屋に住み込んだ。幸いにその奉公先と徳三郎の宿とが遠くないので、お熊は主人の用の間をぬすんで時々に男のところをたずねていた。
 それで小半年は先ず無事にすごしたが、ことしの春になって此の若い二人の魂をおびやかすような事件が突然|出来《しゅったい》した。二月のなかばの夕方に徳三郎が商売から帰る途中、浅草の広徳寺前でひとりの婆さんがあま酒の固練りを売っていたが、それはたしかにお熊の母のお綱であった。彼女は眼ざとく徳三郎を見つけて、つかつかと寄ってその袂を引っ掴《つか》んで、娘はどこにいるか直ぐに返せと叫んだ。徳三郎は死神《しにがみ》に出合ったよりも怖ろしくなって、殆ど夢中でかれを突き倒して逃げた。その晩から彼は大熱を発して、十日ばかりも蛇のように蜿うち廻って苦しんだ。
 箱根を越せば蛇神の祟りはないというのも的《あて》にはならなかった。お綱はわが子のゆくえを尋ねて、九州から江戸まで遙々《はるばる》と追って来たのであろう。その強い執着心を思いやると、徳三郎はいよいよ怖ろしくなって来たので、彼はお熊に因果をふくめて娘を母の手に戻そうと覚悟したが、お熊はどうしても肯《き》かなかった。男にわかれて国へ帰るほどならば、いっそ死んでしまうと泣き狂うので、徳三郎も持て余した。そのうちに怪しい甘酒売りの噂はだんだん高くなって、それはお綱であることを徳三郎とお熊だけは知っていた。お熊は母に見付けられないように其の出入りを注意していたが、徳三郎はどうかんがえても不安に堪えなかった。世間の評判が高くなるほど彼の恐怖はいよいよ強くなって、再びお綱に見つけられたが最後、今度こそはおそらく自分の命を奪《と》られるであろうと恐れられた。かれは実に生きている空もなかった。
 こうした不安の日を送るうちに、彼は大川端で偶然に半七に出逢った。半七の方では彼を識らなかったが、徳三郎の方ではその顔を見識っていたので、いっそ此の事情を何もかも打ち明けて彼の救いを求めようかと思ったが、やはり気怯《きおく》れがしてとうとう云いそびれてしまった。しかし運命はだんだんに迫って来た。お綱は根《こん》よく江戸じゅうを探しまわっているうちに、娘が河内屋に忍んでいることを此の頃いよいよ覚ったらしく、そこらに度々さまよっているばかりか、現に河内屋の番頭や小僧が蛇神の祟りを受けたという事実を見せられて、徳三郎の恐怖はもう絶頂に達した。彼は身のおそろしさの余りに、更に怖ろしい決心をかためて、今度お綱に出逢ったならば、いっそ彼女を殺してしまおうと思いつめた。徳三郎は短刀を買って、それをふところにして毎日|商《あきな》いに出あるいていた。
 彼が借りている荒物屋の二階へ今夜もお熊が忍んで来て、二人にとっては重大の問題がまた繰り返された。徳三郎は短刀を女にみせて、自分の最後の決心を打ち明けた。併《しか》し自分も好んでそんなことをしたくない。人を殺したことが露顕《ろけん》すれば自分も命をとられなければならない。ここでお前がわたしのことを思い切って、すなおに母の手に戻ってくれれば三方が無事に済むのである。どうぞこれまでの縁とあきらめてくれと、彼はいろいろにお熊を説きなだめたが、女は強情に承知しなかった。彼女は泣いて泣いて、ものすごいほど狂い立って、いきなり男の短刀を奪い取って、自分の乳の下に深く突き透したのである。蛇神の血をひいた若い女は、こうして悲惨の死を遂げた。
「さりとは残念なこと。もう少し早くば、その娘だけは助けられたものを……」と、ふたりの武士はこの悲しい恋物語を聞き終って嘆息した。「この上はなにを隠そう、われわれはその蛇神の女と同国の者でござる」
 彼等もやはり西国の或る藩士で、蛇神のことはかねて知っていた。このごろ江戸じゅうをさわがす怪しい甘酒売りの女は、どうしても彼《か》の蛇神に相違あるまいと、江戸屋敷の者もみな鑑定していた。ついては早晩《そうばん》その女が捕われ、なにがし藩の領分内にはそんな奇怪な人種が棲んでいるなどと云い伝えられては、結局当屋敷の外聞にもかかわることであるから、見つけ次第に討ち果たせと重役から若侍一同に対して内密に云い渡されていたので、かれら二人は今夜その使命を果たしたのであった。しかし半七に対して、あからさまにその事情を説明するときは、自然に屋敷の名を出さなければならないのと、もう一つには時と場所が悪い。かれらは吉原へ遊びにゆく途中であった。武士|気質《かたぎ》の強いかれらの屋敷では、遊里に立ち入ることは厳禁されていた。かれらは半七に意地わるく窘《いじ》められて、屋敷の名や自分たちの身分を明かすよりも、むしろ死を択《えら》ぼうと覚悟したのであった。

「これで此の一件も落着《らくぢゃく》しました」と、半七老人はひと息ついた。「こう訳が判ってみると、誰が科人《とがにん》というのでもありません。その時代の習い、武士もこういう事情で斬ったという事であれば、やかましく云うわけにも行きません。わたくしもその事情を察して内分にすることにしましたが、八丁堀の旦那にだけはひと通り報告して置きました。徳三郎はこれぞという科《とが》もないんですが、なにしろこいつが女を引っ張り出して来たのがもとで、こんな騒ぎを仕出来《しでか》したんですから、遠島にもなるべきところを江戸払いで軽く済みました。そうして、もう一度旅へ出るつもりで江戸をはなれますと、神奈川に泊まった晩からまた俄かに大熱を発して、とうとうその宿で藻掻き死にに死んでしまったそうです。とんだ因果で可哀そうなことをしました。それでも徳三郎は本人ですから仕方がないとして、ほかの人達がなぜ祟られたのか判りません。おそらく前にも云ったような理窟で、ふと摺れ違ったりした時に、向うで何か羨ましいとか小癪《こしゃく》にさわるとか思って、じっと見つめると、すぐにこっちへ感じてしまうので、向うでは別に祟るというほどの考えはなくとも、自然にこっちが祟られるような事になってしまったのでしょう。なんだか薄気味の悪い話です。一体その蛇神というのはどういうものかよく判りませんが、わたくしの懇意な者に九州の人がありまして、その人の話によりますと、四国の犬神、九州の蛇神、それは昔から名高いものだそうです。嘘のようなお話ですが、彼《か》の地にはまったくこういう不思議の家筋の者があって、ほかの家では決してその家筋のものと縁組などをしなかったといいます。それに就いてまだいろいろな不思議のお話もありますが、まあこのくらいにして置きましょう。むかしはどこの国にもこういう不思議な伝説がたくさんあったのですが、今日《こんにち》ではそんな噂もまったく絶えてしまいました。学者がたに聞かせたら、それも一種の催眠術だとでも云うかも知れませんね」

底本:「時代推理小説 半七捕物帳(三)」光文社文庫、光文社
   1986(昭和61)年5月20日初版1刷発行
   1997(平成9)年5月15日11刷発行
入力:網迫
校正:おのしげひこ
2000年10月19日公開
2004年2月29日修正
青空文庫作成ファイル:
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岡本綺堂

半七捕物帳 ズウフラ怪談—— 岡本綺堂

     

 まず劈頭《へきとう》にズウフラの説明をしなければならない。江戸時代に遠方の人を呼ぶ機械があって、俗にズウフラという。それに就いて、わたしが曖昧《あいまい》の説明を試みるよりも、大槻《おおつき》博士の『言海』の註釈をそのまま引用した方が、簡にして要を得ていると思う。言海の「る」の部に、こう書いてある。――ルウフル(蘭語Rofleの訛)遠き人を呼ぶに、声を通わする器、蘭人の製と伝う。銅製、形ラッパの如く、長さ三尺余、口に当てて呼ぶ。訛して、ズウフル。呼筒。――
「江戸時代にも、ズウフルというのが本当だと云っている人もありました」と、半七老人は云った。「しかし普通にはズウフラと云っていました。博士のお説によると、ルウフルが訛《なま》ってズウフル。それがまた訛ってズウフラとなったわけですが、これだから昔の人間は馬鹿にされる筈ですね。はははははは。われわれズウフラ仲間は今さら物識り振っても仕方がない。やはり云い馴れた通りのズウフラでお話しますから、その積りでお聴きください。
 あなた方は無論御承知でしょうが、江戸時代の滑稽本に『八笑人』『和合人』『七偏人』などというのがあります。そのなかの『和合人』……滝亭鯉丈《りゅうていりじょう》の作です。……第三篇に、能楽仲間の土場六、矢場七という二人が、自分らの友達を嚇《おど》かすために、ズウフラという機械を借りて来て、秋雨の降るさびしい晩に、遠方から友達の名を呼ぶので、雨戸を明けてみると誰もいない。戸を閉めて内へはいると、外から又呼ぶ。これは大かた狸の仕業《しわざ》であろうというので、臆病の連中は大騒ぎになるという筋が面白おかしく書いてあります。その『和合人』第三篇は、たしか天保十二年の作だと覚えていますから、これからお話をする人たちも『和合人』のズウフラを知っていて、それから思い付いた仕事か、それとも誰の考えも同じことで、自然に一致したのか、ともかくもズウフラがお話の種になるわけで、ズウフラ怪談とでも申しましょうか」

 安政四年九月のことである。駒込富士前|町《ちょう》の裏手、俗に富士裏というあたりから、鷹匠《たかじょう》屋敷の附近にかけて、一種の怪しい噂が立った。
 ここら一円はすべて百姓地で、田畑のあいだに農家が散在していた。植木屋の多いのもここの特色であった。そればかりでなく、ここらは寺の多いところで、お富士様を祀った真光寺を始めとして、例の駒込吉祥寺、目赤の不動、大観音の光源寺、そのほか大小の寺々が隣りから隣りへと続いていて、表通りの町々も大抵は寺門前であるから、怪談などを流行《はや》らせるにはお誂え向きと云ってよいのであった。
 舞台は富士裏附近、時候は旧暦の秋の末、そこに伝えられた怪談は、闇夜にそこらを往来する者があると、誰とも知らず「おうい、おうい」と呼ぶのである。時には其の人の名を呼ぶこともある。その声が哀れにさびしく、この世の人とは思われないので、気の弱い者は耳をふさいで怱々《そうそう》に逃げ去るのである。たまに気丈の者が「おれを呼ぶのは誰だ」と大きい声で訊き返すこともあるが、それに対して何んの答えもないので、そのままにして行き過ぎると、又もや悲しい声で呼びかける。それが遠いような、近いような、地の底からでも聞えるような、一種異様のひびきを伝えるので、大抵の者はしまいには鳥肌になって、敵にうしろを見せることになるのであった。
「貴公たちはこの噂をなんと思う」
 こう云って一座の若者らを見渡したのは、鰻縄手《うなぎなわて》に住む奥州浪人の岩下左内であった。追分《おいわけ》から浅嘉町《あさかちょう》へ通ずる奥州街道の一部を、俗に鰻縄手という。その地名の起りに就いてはいろいろの説もあるが、そんな考証はこの物語には必要がないから省略することにする。岩下左内という奥州浪人は、四、五年前からここに稽古所を開いて、昼は近所の子供たちに読み書きを教え、夜はまた若い者共をあつめて柔術《やわら》や剣術を指南していた。
 江戸末期の世はだんだんに鬧《さわ》がしくなって、異国の黒船とひと合戦あろうも知れないという、気味の悪いうわさの伝えられる時節である。太平の夢を破られた江戸市中には、武芸をこころざす者が俄かに殖えた。武士は勿論であるが、町人のあいだにも遊芸よりも武芸の稽古に通う若者があらわれて来たので、岩下左内の町道場も相当に繁昌して、武家の次三男と町人とをあわせて二、三十人の門弟が毎晩詰めかけていた。師匠の左内は四十前後で、色の黒い、眼の鋭い、筋骨の逞ましい、見るから一廉《いつかど》の武芸者らしい人物であった。
 御新造《ごしんぞ》のお常は、この時代の夫婦としては不釣合いと云ってもいいほどに年の若い、二十七、八の上品な婦人で、ことばに幾分の奥州訛りを残していながらも、身装《みなり》も態度も江戸馴れしていた。その上に、誰に対しても愛想《あいそ》がいいので、門弟らのあいだにも評判がよかった。
「先生はちっと困るが、御新造がいいので助かる」
 これが門弟らの輿論《よろん》であった。左内も決して悪い人ではなかったが、誰に対しても厳格であった。殊に門弟らに対しては厳格を通り越して厳酷ともいうべき程であった。それでも昼の稽古に通う子供たちには、さすがに多少の勘弁もあったが、夜の道場に立った時には、すこしの過失も決して仮借《かしゃく》しないで、声を激しくして叱り付けた。武芸の稽古は命賭けでなければならぬというので、彼は息が止まるほどに門弟らを手ひどく絞め付け投げ付けた。眼が眩《くら》むほどに門弟らのお面やお胴をなぐり付けた。時には気が遠くなってぐったりしてしまうと、そんな弱いことで武芸の練磨が出来るかと、引き摺り起して又殴られるのである。
 いかに師匠とはいいながら、あまりに稽古が暴《あら》いというので、門弟のうちには窃《ひそ》かに左内を恨む者も出て来たが、その当時の駒込あたりには他に然るべき師匠もいないので、不満ながらも痛い目を忍んでいるのであった。もう一つには前にもいう通り、師匠の御新造が愛想のいい人で、蔭へまわって優しく労《いた》わってくれるので、それを力に我慢しているのもあった。
 今夜その道場で、かの富士裏の怪談の噂が出たのである。左内もその噂はかねて聴いていたので、一座の門弟らにむかって「貴公たちはこの噂をなんと思う」という質問を提出したが、その席にある十七、八人のうちに確かに答える者がなかった。あいまいな返事をすると、師匠に叱り付けられる。それが恐ろしいので、一同はただ顔を見合わせているばかりであった。
「怪談などと仔細らしく云うが、世に妖怪|変化《へんげ》などのあろう筈がない。所詮《しょせん》は臆病者が風の音か、狐狸か、あるいは鳥の声にでも驚かされて、あらぬ風説を唱えるに相違ない。貴公らのうちで誰かその正体を見とどけて来る者はないか」
 一同はやはり顔を見合わせているばかりで、進んでその役目を引き受けるという者もなかった。左内は例の気性で、堪えかねたように呶鳴った。
「さりとは無念な。わしが不断から武芸を指南するのも、こういう時の用心ではないか。よしよし、貴公らが臆病に後込《しりご》みしているなら、この左内が自身で行く」
 彼は帯を締め直して立ち上がった。これに励まされてばらばらと立ち上がったのは、旗本の次男池田喜平次、酒屋のせがれ伊太郎の二人であった。
「先生。わたくし共もお供いたします」
「むむ、誰でも勝手に来い」
 左内はあとをも見返らずに、大刀を腰にさして出て行った。こういう場合、留めても留まらないのを知っているので、御新造のお常は黙って見送った。喜平次と伊太郎も袴の紐をむすび直しながら続いて出た。
 九月末の暗い夜で、雨気《あまけ》を含んだ低い大空には影の薄い星が三つ四つ、あるか無きかのように光っていた。

     

 綱が立って綱が噂の雨夜かな――其角《きかく》の句である。渡辺綱が羅生門《らしょうもん》の鬼退治に出て行ったあとを見送って、平井ノ保昌《やすまさ》や坂田ノ金時《きんとき》らが「綱の奴め、首尾よく鬼を退治して来るだろうか」などと噂をしているというのである。古今変らぬ人情で、今夜も師匠や喜平次らの出て行ったあとで、他の十五、六人の門弟はその噂に時を移した。御新造のお常も出て来て、その噂の仲間入りをした。縁の下にはこおろぎが鳴いて、この頃の夜寒《よさむ》が人々の襟にしみた。
「先生は遅いな」と、一人が云い出したのは、今夜ももう四ツ(午後十時)に近い頃であった。
「そうですねえ」と、お常もやや不安そうに云った。
 鰻縄手から富士裏まではさのみの道程《みちのり》でもないから、往復の時間は知れたものであるが、まだ夜が更《ふ》けたというほどでも無いので、例の怪しい声が聞えないのではないか。師匠らはそれを待っているために、むなしく時を費しているのであろう。そんな意見が多きを占めて、さらに半刻ほどを過ごしたが、左内らはまだ帰らなかった。
「どうしたのでしょうねえ。まさか間違いはあるまいと思いますけれど……」と、お常は又もや不安らしく云った。
 こうなると、御新造の手前、人々も落ち着いてはいられなくなったので、念のために様子を見て来ようと、七、八人がつながって出た。表は暗いので、お常は提灯を貸してやった。
 御新造の手前ばかりでなく、人々もなんだか一種の不安を感じて来たので、提灯持ちの一人を先に立てて、足早にあるき出した。どこという目あても無いが、ともかくも富士裏のあたりを探してみる事にして、高林寺門前から吉祥寺門前にさしかかると、細道から出て来た二人連れが提灯の灯《ひ》を見て声をかけた。
「道場から来たのか」
 それは池田喜平次と伊太郎の声であった。こちらでも声を揃えて答えた。
「そうだ、そうだ。先生はどうした」
「先生は……。途中で失《はぐ》れてしまった」
「先生にはぐれた……」
「どこを探しても見えないのだ」
 喜平次らの報告によると、彼らは師匠の左内にしたがって、まず富士裏のあたりを一巡したが、怪しい声は聞えなかった。まだ時刻が早いせいかも知れないと云いながら田畑のあいだを歩き廻って、鷹匠《たかじょう》屋敷から吉祥寺の裏手まで戻って来たが、聞えるものは草むらに鳴き弱っている虫の声と、そこらの森のこずえに啼く梟《ふくろう》の声ばかりで、それらしい声は耳に入らなかった。やはり自分の推量の通り、臆病者が風の音か、狐の声か、梟の声などを聞き誤っているに相違あるまいと、左内は笑った。
 しかしここまで踏み出して来た以上、詮議に詮議を重ねなければならないというので、左内はふたたび富士裏の方角へ向って引っ返すことにした。暗い田圃《たんぼ》路を縫って、大泉院の神明宮の前を抜けて、さらに人家の無い畑地へ来かかると、路ばたには三百坪あまりの草原があって、その片隅には杉や欅《けやき》の大樹が木立《こだち》を作っていた。その木立のあたりで「おうい、おうい」と微かに呼ぶ声がきこえたので、三人は俄かに立ちどまって耳を澄ますと、呼ぶ声はつづけて聞えた。もう猶予すべきでないので、左内はその声をたずねて進んだ。喜平次と伊太郎も続いて行った。しかも今夜はあいにくに暗い夜である。三人はもちろん無提灯である。唯その声をたよりに尋《たず》ねて行くのほかは無いので、彼らは秋草を踏み分けながら手探りで歩いた。
 どうやら木立のあたりへたどり着いた頃には、怪しい声も止んでしまった。こうなると、見当《けんとう》が付かないので、三人は暗いなかに突っ立って暫く耳を傾けていると、やがて違った方角で再び呼ぶ声がきこえた。しかも今度は「岩下左内、待て、待て」というのである。自分の名をはっきりと呼ぶからには、風の音や梟の声の聞き誤りではない。左内は「おれを呼ぶのは誰だ、何者だ。ここへ出て来い」と呶鳴り返したが、声はそれには答えないで、左内の名を呼びつづけるのである。左内は焦《じ》れて、その声を追ってゆくと、さらにまた違ったが方角で「岩下左内やあい」と呼ぶのである。
 喜平次と伊太郎は気味が悪くなって来た。世間で噂する通り、その声が普通の人間とは違っているばかりか、近いような、遠いような、悲しんで泣くような、嘲《あざけ》って笑うような、判断に苦しむ此の声の主は何物であろう。もし人間ならば足音がきこえる筈であるのに、それが或いは前に、あるいは右に、音も無しに移動するのも不思議である。そう思うと、二人は何となく怯気《おじけ》が付いて、足の進みもおのずと鈍《にぶ》って来たが、左内は頓着なしにその声を追って行った。怪しい声は嘲るように斯《こ》う云った。
「貴様たちに正体を見とどけられるような俺だと思うか。おれはここらに年|経《ふ》る白狐《びゃっこ》だぞ」
「畜生、よく名乗った。この古狐め」
 左内は刀をぬいてまっしぐらに追ってゆくと、声はそれっきりで絶えた。左内の足音もやがて聞えなくなった。師匠を見失っては申し訳がないと、喜平次と伊太郎はふたたび勇気を振い起して、つづいて其のあとを追って行ったが、左内の姿は闇に埋められてしまった。二人は先生先生と呼びつづけながら、木立のあいだは勿論、草原や畑道をむやみに駈けまわったが、どこからも左内の返事は聞かれなかった。当処《あてど》も無しに駈けつづけて、二人は疲れ果てた。
「もう仕方が無い。道場へ帰って提灯を持って来て、手分けをして探そう」
 よんどころなく引っ返して来る途中、あたかも吉祥寺門前で迎えの人々に出逢ったのである。その報告を聞いて、人々は俄かに騒ぎ立った。提灯ひとつでは不足だというので、家の近い者は引っ返して自分の家から提灯を持って来た。その一人は道場へも知らせに行ったので、残っている者もみんな駈け出した。喜平次と伊太郎を案内者にして、都合十七、八人が五つ六つの提灯を振り照らしながら、ふた組に分かれて捜索にむかった。
 江戸の絵図を見ても判るが、ここらの百姓地はなかなか広い、しかも人家は少ない。その大部分は田畑と森と草原である。二組の捜索隊は先生を呼びながら、闇の夜道をたずねて歩いているうちに、伊太郎を先立ちのひと組が路ばたに倒れている師匠の死骸を発見した。そこには一本の大きい榛《はん》の木が立っていて、その下を細い田川が流れている。左内はその身に数カ所の傷を受けて、木の根を枕に倒れていたのである。
 それから五日の後である。この頃は朝夕が肌寒くなって、きょうも秋時雨《あきしぐれ》と云いそうな薄|陰《ぐも》りの日の八ツ半(午後三時)頃に、ふたりの男が富士裏の田圃路をさまよっていた。半七とその子分の亀吉である。
「ねえ、親分。わっしにゃあまだ判らねえ。後生《ごしょう》だから焦《じ》らさずに教せえておくんなせえ。その変な声というのがどうして聞えるのか、いくら考えても見当が付かねえ」と、亀吉はあるきながら云った。
「神田から駒込まで登って来るあいだに、まだ考え付かねえのか」と、半七は笑った。「おれにゃあちゃんと判っている。それはズウフラだ」
「ズウフラ……。ああ、判った、判った」と、亀吉も笑い出した。「和蘭《オランダ》渡りで遠くの人を呼ぶ道具……。吹矢《ふきや》の筒のようなもの……。成程それに違げえねえ。わっしも一度見たことがある」
「おれも或る屋敷でたった一度見せて貰っただけだが、今度の一件を聞いてすぐにそれだろうと鑑定した。だが、判らねえのは、なぜ其のズウフラで往来の人間を嚇《おど》かすのか。唯のいたずらか、それとも何か仔細があるのか。なにしろ、そのズウフラから剣術の師匠が殺されたというのだから、ひと詮議しなけりゃあならねえ。早く聞き込むと好かったのだが、ちっと日数《ひかず》が経っているので面倒だ。まあ、やれるだけやってみよう。ここらは寺門前が多いから、町方《まちかた》の手が届かねえ。それをいいことにして、悪い奴らが巣を食っているのだろう」
 そこらをひと廻りした後、半七はある植木屋の門口《かどぐち》に立った。ここらに植木屋の多いのは前に云った通りである。半七は形ばかりの木戸をあけて声をかけた。
「おい。じいさんはいるかえ」
「やあ、親分……。唯今まいります」
 柿の木の上で返事をして、五十四五の男が笊《ざる》をかかえながら降りて来た。彼は植木屋の嘉兵衛である。
「柿はよく生《な》ったね」と、半七は赤いこずえを見あげた。
「いえ、もう遅いので……。ことしは二百十日の風雨《あらし》で散々にやられてしまいました」
 嘉兵衛は先に立って二人を内へ案内すると、女房は煙草盆などを持ち出して来たので、半七らは縁に腰をかけて煙草を吸いはじめた。
「どうだね。この頃はここらで変な声が聞えるというじゃあねえか。狐か狸のいたずらだろう」と、半七は何げなく云った。
「そうですよ」と、嘉兵衛はうなずいた。「なんでもここらに棲んでいる古狐の仕業《しわざ》だそうです」
「ここらに悪い狐が棲んでいるのかえ」
「今までそんな噂を聞いたこともありませんが、このあいだの晩、自分から名乗ったそうで……。おれはここらに年経る狐だとか云ったそうで、それは確かに聞いた人が二人もあるのですから、まあ本当でしょう」
 その二人は池田の次男喜平次と、岡崎屋という酒屋のせがれ伊太郎であると、嘉兵衛は説明した。
「だが、狐が人を斬り殺す筈はあるめえ、狐ならば喰い殺すだろう」と、亀吉はあざけるように云った。「世間にゃあいろいろの狐や狸がいるからな」
「まあ、余計なことを云うなよ」と、半七はたしなめるように云った。「そこで、爺さん、その池田の次男と岡崎屋の伜というのは、どんな男だか知らねえかえ」
 それに就いて、嘉兵衛はこう答えた。池田の屋敷は小石川|原町《はらまち》にあって、二百五十石の小普請組《こぶしんぐみ》である。自分はその隣り屋敷へ出入りしているが、池田の屋敷は当主のほかに大勢の厄介《やっかい》があって、その内証はよほど逼迫《ひっぱく》しているらしい。次男の喜平次という人を一度も見たことは無いが、二十四五になるまで他家へ養子にも行かないで、実家の厄介になって剣術を修業しているという噂である。岡崎屋のせがれ伊太郎もやはり喜平次と同年配で、父の伊右衛門は五、六年前に世を去って、母のお国が残っている。伊太郎にはおそよという嫁があったが、ことしの三月に離縁になって実家へ帰った。岡崎屋は小石川の白山前町《はくさんまえまち》にある。嫁のおそよの実家もやはり酒屋で、小石川|指《さす》ヶ谷町《やちょう》にある。双方が同商売で、しかも近所であるために、互いに得意先を奪い合ったのが喧嘩の基で、おそよは遂に不縁になったらしいという。その余のことは嘉兵衛も詳しく知らなかった。
「いや、有難う。それで大抵は判った」と、半七はうなずいた。「爺さん。おめえはその声を聞いたことがあるかえ」
「ありませんよ。話のたねに一度聞いて置きたいと思うのですが、運が無いのか、まだ聞いたことがありませんよ」
「聞いたところで、運がいいと云うわけでもあるめえ」と、半七は笑った。「そこで、その声はまだ聞えるのかえ」
「道場の先生が殺された晩から、ぱったり聞えなくなりましたが、ゆうべは又きこえたという噂です。いや、噂どころじゃあない、現に怪我をしたという者があるのです」
「怪我をした者……。そりゃあ誰だね」と、亀吉は顔を突き出した。
「わたくしと同商売で、吉祥寺裏に六蔵というのがあります。そこの若い者の長助という奴が、ゆうべ血だらけになって帰って来たので、大かた喧嘩でもしたのだろうと思って、だんだんに訊きただしてみると、やっぱり何かにやられたので……。なんでも暗い道を通って来ると、うしろから哀れな声で呼ぶ奴がある。こいつ、例の一件だなと思ったので、こっちも若い勢いで誰だ誰だと云いながら、声のする方へむやみに向って行くと、いきなり真向《まっこう》をなぐられたので、額《ひたい》ぎわの左から顳※[#「需+頁」、第3水準1-94-6]《こめかみ》へかけて随分ひどく打ち割られて、顔じゅうが血だらけになってしまったのです。長助も一旦眼が眩《くら》んで、そばにある立ち木に寄りかかったまま暫くは夢のようだったが、やがて漸く正気になって、どうにか無事に親方の家《うち》まで帰って来たのだそうです。道場の先生の殺されたのは別として、これなんぞはどうも狐の悪戯《いたずら》らしく思われますね。長助の傷は石か何かで打たれたらしいということです」
 剣術の師匠は殺され、植木屋の職人はなぐられ、とかくに気味の悪いことが続くので困ると、嘉兵衛は顔をしかめて話した。

     

 植木屋を出ると、空はいよいよ陰って来た。
「親分、これからどっちへ廻ります」と、亀吉は空を仰ぎながら訊《き》いた。
「おめえは吉祥寺裏の植木屋へ行って、長助という若い奴に逢って、ゆうべ確かにその声を聞いたかどうだか突き留めて来てくれ。如才《じょさい》もあるめえが、本当になぐられたのか、出たらめの事を云うのか、よく念を押して訊きただしてくれ」と、半七は云った。
「あい、ようがす」
「おれは白山前から指ヶ谷町へまわって来る」
「どこで逢いますね」
「白山町に笹屋という小料理屋がある。そこで待ち合わせることにしよう」
 吉祥寺門前で亀吉に別れて、半七は土物店《つちぶつだな》から鰻縄手にさしかかった。岩下の道場の前を通りながら、門内をそっと覗いてみると、町道場といっても表には遠い家作りで、ここらに多く見る杉の生垣《いけがき》のうちに小さい畑などもあるらしかった。師匠が死んで稽古は無いはずであるのに、家内は何かごたごたしていた。半七は指を折って、あしたは初七日《しょなのか》、今夜はその逮夜《たいや》であることを知った。
 それから五、六間ゆき過ぎると、若い町人ふうの男が半七に摺れちがって通った。振り返って見送ると、男は道場の門をあけてはいった。半七の眼に映った若い男は、年のころ二十三四で、色の小白い、忌味《いやみ》のない男振りであった。それが岡崎屋の伊太郎ではないかと思ったが、呼びかえして詮議する場合でないと思い直し、半七はそのまま白山前町へ足を向けた。
 岡崎屋は相当の店がまえで、店には三人の若い者と二人の小僧が何か忙がしそうに働いていた。八丁味噌の古い看板なども見えた。帳場には四十四五の女房が坐っていた。それが伊太郎の母のお国であろうと、半七は想像した。さらに引っ返して指ヶ谷町へゆくと、そこには伊丹屋という酒屋の暖簾《のれん》が眼についた。ここが伊太郎の嫁の実家である。半七はずっと店へはいった。
「もし、お前さんは旦那ですかえ、番頭さんですかえ」と、半七は帳場にいる四十前後の男に声をかけた。
「はい。わたしは番頭でございます」と、男は帳面の筆をおいて答えた。
「旦那はお内ですかえ」
「いえ、こちらは女あるじで……」
「じゃあ、岡崎屋と同じことだね」
「左様で……」と、番頭はやや不審らしく半七の顔をみつめた。
「息子さんは無いのかね」
「息子はございますが、まだ肩揚げが取れませんので……」
「娘さんは幾人《いくたり》いるね」
「二人でございます」
「いや、こりゃあわたしが悪かった」と、半七は笑いながら云った。「だしぬけに押し掛けて来て、よその家の人別《にんべつ》を調べるから、お前さんにも変な顔をされるのだ。実はわたしはお上の御用を聞く者で、すこし調べる筋があって来たのだから、迷惑でもおかみさんに逢わしておくんなせえ」
 御用聞きと名乗られて、番頭も俄かに態度をあらためた。すぐに立って奥へ行ったが、やがて又出て来て、丁寧に半七を案内した。中庭にむかった八畳の座敷で、先代の主人の好みであろう、床の間や違い棚の造作もなかなか念入りに出来ていた。屋台骨のしっかりしている家らしいと、半七はひそかに思った。
 やがて女あるじというお勝が出て来て、これも丁寧に挨拶した。番頭もそばに控えていた。
「いや、別むずかしいことを訊くのじゃあありません。立ち話でも済むことですが、店さきではちっと工合《ぐあい》が悪いので、奥へ通して貰ったのです」と、半七はすぐに口を切った。「実はほかの事じゃあありませんが、こちらには娘さんが二人あるそうですね」
「はい。姉は下谷の方に縁付いて居ります」と、お勝は答えた。「妹は近所へ一旦片付きましたが……」
「じゃあ、それがおそよさんといって、白山前町の岡崎屋へ片付いたのですね。そこで、そのおそよさんが岡崎屋を不縁になったのは、同商売の競合《せりあ》いからだというような噂もありますが、そりゃあ本当ですか」
 なんと返事をしていいかと云うように、お勝はそっと番頭をみかえると、番頭は引き取って答えた。
「まあまあ、そんなような訳でございまして……。御承知の通り、商売|忌敵《いみがたき》とか申しまして……。いえ、別に喧嘩をいたしたと云うのではございませんが……。つまり縁が無いと申すのでしょうか……」
 その口ぶりと、女房の顔色とを見くらべながら、半七はしずかに云った。
「ねえ、番頭さん。わたしも御用で来たのだから、隠し立てをされちゃあ困る。決してお前さん達に迷惑は掛けねえから、みんな正直に云って貰おうじゃあありませんか。岡崎屋を不縁になったのは、何かほかに訳があるだろう。わたしはそれを訊きに来たのだ」
「お前さんのお言葉ですが、まったく同商売の顧客《とくい》争いというようなことから、双方の親たちのあいだが面白く参りませんので……」と、番頭は押し返して云った。
「親たちばかりでなく、当人同士の夫婦仲もなにぶん丸く参りませんので……」と、お勝もその尾に付いて云った。
 おそよは去年の五月、十八で岡崎屋へ嫁に行って、その当座はまず無事であったが、半年ほど過ぎると、とかくに折り合いが悪く、とうとう此の三月に別れることになったので、ほかに仔細も無いと、母は説明した。
 同商売の顧客争いから、親たちが不和になるというのは、随分ありそうなことである。当人同士の夫婦仲が悪いというのも珍らしくない。それで一応は離縁の理窟が立っているようであったが、半七はまだ不得心であった。
「どうもお前さん達じゃあ判らねえ。そのおそよという娘をここへ呼んでおくんなせえ。本人に逢って訊くとしましょう」
「いえ、その娘は唯今留守でございまして……」と、番頭はあわてて断わった。
「嘘をついちゃあいけねえ」と、半七は叱り付けるように云った。「それじゃあ仕方がねえから、わたしの方から口を切ろう。岡崎屋の息子には別に女がある。それが捫著《もんちゃく》のたねで不縁になった。早く云えばそうだろうね」
 お勝と番頭はぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]としたように顔を見あわせた。半七は黙ってその返事を待っていると、うしろの襖の外で何かの声がきこえた。それは女のすすり泣きの声であるらしいので、半七は衝《つ》と立ってその襖をあけると、果たしてそこには若い女が蒼白い顔を袖にうずめて泣き伏していた。

     四

 半七が伊丹屋を出て白山前へ引っ返したのは、その日ももう暮れかかる頃で、途中から秋時雨がさらさらと降り出して来た。
 傘を買う程でもないと思ったので、半七は手拭をかぶって笹屋という小料理屋へ駈け込むと、亀吉はひと足さきに来て門口《かどぐち》に待っていた。
「とうとうぱら付いて来ましたね」
「この頃の癖で仕方がねえ」と、半七は先に立って二階へあがった。
 座敷は狭い四畳半である。註文の酒肴が来るあいだに、亀吉は小声で話し出した。
「あれから吉祥寺裏へ行くと、親方は留守でしたが、長助という若い奴が鉢巻をしていましたよ。取っ捉まえて訊いてみると、どっかへ小博奕か何かに行って、ゆうべの四ツ過ぎころに富士裏を帰って来ると、例の声で呼ばれたそうです。おうい、おういじゃあねえ。女のような声で、もしもしと呼んだと云うのです。確かに女の声かと念を押すと、どうも女のようだったと云うのですが……。野郎、何だかおどおどしていて、どうもはっきりした事を云わねえのです。なにしろ、誰だと云いながら向って行くと、石のようなもので額をがん[#「がん」に傍点]とやられて、暫くは気が遠くなってしまったと云うだけで、詳しいことは自分でも覚えていねえと云うのです。小焦《こじ》れってえから、ちっと嚇かしてやったんですが、案外意気地のねえ野郎で、まったく嘘いつわりは云いませんからどうか勘弁してくれと、真っ蒼な顔をして泣かねえばかりに云うので、まあいい加減にして引き揚げて来ました」
「そうか」と、半七はうなずいた。「その長助という野郎も、唯は置かれねえ奴らしいが、そんな意気地なしならあと廻しでよかろう。おれは岡崎屋の嫁の里へ行って調べて来たが、岡崎屋の伊太郎は師匠の女房と不義を働いていて、それがために嫁のおそよは離縁になったのだ。おそよは亭主に未練があると見えて、可哀そうに泣いていたよ」
「すると、伊太郎が師匠を殺《や》ったのかね」
「そうだろうな。だが、伊太郎一人の仕業じゃああるめえ。その晩一緒に出て行ったという池田の次男……喜平次という奴も手伝ったのだろう」
「そいつも伊太郎に抱き込まれたのかね」
「池田の屋敷はひどく逼迫《ひっぱく》していると云うじゃあねえか。おまけに厄介者の次男坊だ。二十四や五になるまで実家の冷飯《ひやめし》を食っているようじゃあ、小遣いだって楽じゃあねえ。おそらく慾に眼が眩《くら》んで師匠殺しの手伝いをしたのだろうな」
「ひどい奴らだ」と、亀吉は溜息をついた。「どうも世が悪くなったな」
「人殺しもいろいろあるが、親殺しは勿論、主殺しや師匠殺しと来ちゃあ重罪だ。だんだんに事が大きくなって来た。それにしても、ズウフラの一件はどういうのかな」
「ズウフラで師匠を誘い出したのじゃあねえかね」
「そうすると、もう一人の同類が無けりゃあならねえ」と、半七は薄く眼を瞑《と》じた。「もっとも大勢の中にゃあ抱き込まれる奴が無いとも限らねえが……。いかに世が悪くなったと云っても、師匠殺しの味方をする奴がそんなに幾人もあるだろうか。こりゃあ少し考げえものだ。一体この江戸じゅうにズウフラなんぞを持っている奴がたくさんある筈がねえから、その持ち主さえ判ればいいのだか……」
「ズウフラの方はまあ別として、ともかくもこれだけのことを寺社の方へ届けて、岡崎屋の伊太郎を引き挙げてしまおうじゃありませんか」
「だが、まだ確かな証拠はねえ。ほかの事と違って重罪だ。むやみなことが出来るものか。まあ、もうちっと考えよう」
 註文の酒肴を運んで来たので、二人は黙って飲みはじめた。時雨《しぐれ》はひとしきりで通り過ぎたが、秋の日はまったく暮れ切って、女中が燭台を持って来た。その蝋燭の揺れる灯を見つめながら、半七は暫く考えていたが、やがて思い出したように云った。
「今夜は殺された師匠の逮夜で、岩下の道場は昼間からごたごたしていたようだ。弟子たちも相当に集まるだろう。あの辺へ行って網を張っていたら、なにか引っかかる鴨があるかも知れねえ」
「そうしましょう」
 二人は怱々《そうそう》に飯を食ってここを出た。鰻縄手へゆく途中で、半七はまた云い出した。
「おい、亀。おれもだんだん考えたが、あのズウフラというものは筒にどんな仕掛けがあるか知らねえが、遠くの人を呼ぶ以上、相当に大きな声を出さなけりゃあならねえ筈だ。いくら人通りの少ねえ畑や田圃路だといって、道のまん中に突っ立って呶鳴っていちゃあ、すぐに種が知れてしまうから、少し距《はな》れた所から低い声で呼ぶに相違ねえ。つまり其の人のすぐうしろにいねえと云うだけのことで、そんなに遠いところから呼ぶのじゃああるめえと思う。こっちが気を鎮めて窺っていれば、大抵の見当は付く筈だのに、みんなびくびくして慌てるからいけねえのだ」
「まったくお前さんの云う通り、そんなに遠いところから呼ぶのじゃああるめえ。今夜ひとつ張り込んで見ましょうか」
「むむ。道場の模様次第で、張り込んでみてもいいな」
 そんなことを云いながら、二人は岩下の道場の近所まで引っ返して来た。縁の無い者がむやみに表門からはいるわけにも行かないので、杉の生垣のあいだから覗いてみると、座敷には障子が閉めてあるので好くは判らないが、その障子に映る影を見ても、相当に大勢の人々が集まっているらしく、僧侶の読経《どきょう》の声や鉦の音も洩れてきこえた。
「成程ごたごた押し合っているようですね」と、亀吉はささやいた。
「むむ。押し合っているだけじゃあ仕様がねえが、今になにか始まらねえとも限らねえ。まあ、もう少し我慢しよう」
 半七の言葉が終らないうちに、果たして一つの不思議が始まったのである。どこからとも知れず、怪しい低い声が座敷の障子にむかって呼びかけた。
「御新造さん……。岩下の御新造さん……。お経なんぞを上げるのはお止しなさい」
 その声に、おどろかされて、二人は俄かにあたりを見まわしたが、夜は暗いので見当が付かなかった。内でもそれに驚かされたらしく、二、三人の男が障子をあけて縁側に出て来たが、やはり正体を見とどけ得ないで、何かこそこそ云いながら引っ込んでしまった。半七らは耳をすましていると、闇の中で怪しい声が又きこえた。
「御新造さん……。御新造さん……。仏さまは浮かびませんよ。今に幽霊になって出ますよ」
 座敷の障子をあけて、今度は七、八人がどやどやと出て来た。彼らは暗い庭さきを透かし視て、怪しい声の方角を聞き定めようとするらしく、その二、三人は庭へ出て、そこらの隅々を探し歩いた。
「なんだろう」
「どこだろう」
 彼らは口々に罵り騒いでいた。内から仏前の蝋燭を持ち出して、庭さきを照らしているのもあった。しかも怪しい物の姿はみえず、怪しい声もそれぎりで止んでしまったので、彼らも根《こん》負けがして再び内へ戻ると、それを窺っていたように怪しい声はまた呼んだ。
「御新造さん……。御新造さん……」
 さっきから耳を澄ましていた半七は、小声で亀吉に教えた。
「判った。あの屋根へ石を叩きつけろ」
 東どなりには少しばかり空地《あきち》があって、その隣りは法衣屋《ころもや》であった。往来の人を相手にする商売でないので、宵から早く大戸をおろして、店のくぐり障子に灯の影がぼんやりと映っていた。怪しい声はその屋根から送られて来るものと、半七は鑑定したのである。
 二人は探りながらに足もとの小石を拾って、隣りの屋根を目がけて投げ付けた。いわゆる闇夜の礫《つぶて》で、もちろん確かな的《まと》は見えないのであるが、当てずっぽうに投げ付ける小石がぱらぱらと飛んで、怪しい声の主《ぬし》をおびやかしたらしく、屋根の上を逃げて行くらしい足音がきこえた。ここらは板葺屋根が多いのであるが、隣りは平家《ひらや》ながら瓦葺であるために、夕方のひと時雨に瓦がぬれていたらしく、それに足をすべらせて何者かころげ落ちた。
「それ、逃がすな」
 半七と亀吉は駈け寄った。

     

「まず怪談はここら迄でしょうね」と、半七老人は笑った。
「屋根から落ちた奴は何者です」と、わたしはすぐに訊《き》いた。
「それは近所の質屋のせがれで辰次郎という奴です。年は十九ですが、一人前には通用しない薄馬鹿で……。こいつがどうしてズウフラなんぞを持っていたかと云うと、自分の店で質《しち》に取った品です。御承知でもありましょうが、江戸時代にはオランダ人が五年に一度ずつ参府して、将軍にお目通りを許される事になっていました。大抵二月の二十五日ごろに江戸に着いて、三月上旬に登城するのが習いで、オランダ人は日本橋|石町《こくちょう》三丁目の長崎屋源右衛門方に宿を取ることに決まっていました。その時には将軍家に種々の献上物をするのは勿論ですが、係りの諸役人にもそれぞれに土産物をくれます。かのズウフラも通辞役《つうじやく》の人にくれたのを、その人が何かの都合で質に入れたというわけです。質物《しちもつ》は預かり物ですから、庫《くら》にしまって大切にして置くべきですが、物が珍らしいので薄馬鹿の辰公がそっと持ち出した。いや、辰公ばかりでなく、それをおだてた奴がほかにあるんです。それは吉祥寺裏の植木屋の若い者の長助という奴で、こいつ白らばっくれていながら、実は辰公をおだてて悪いたずらをさせていたんですよ」
「じゃあ、その辰公はおもしろ半分にやっていたんですね」
「まあ、そうです。辰公も長助も別に深い料簡もなく、ただ面白半分に往来の人を嚇かしていただけの事だったのですが、そのいたずらから枝が咲いて、師匠殺しという大事件が出来《しゅったい》したんです。さっきからお話し申した通り、岩下左内は武骨一辺の人物、女房のお常は年が十二三も違う上に江戸向きに出来ている女、そこでお常はいつか弟子の伊太郎と関係するようになってしまった。それでも世間の手前、伊太郎は伊丹屋の娘を嫁に貰ったんですが、一方にお常という女があるのですから、どうで丸く治まる筈がありません。嫁の里方《さとかた》でも伊太郎が師匠の御新造と怪しいということを薄々感付いたので、とうとう別れ話になったんです。
 嫁の方はそれで片付いたにしても、済まないのはお常と伊太郎との関係で、こんな事がいつまで隠しおおせるものじゃあありません。弟子のうちで真っ先にそれを覚ったのが池田喜平次で、ひそかに伊太郎を嚇し付けて小遣い銭をいたぶっていたんです。この喜平次は貧乏旗本の次男で、二十四五になるまで実家の厄介になっていたんですが、武芸はなかなかよく出来るので、行く行くは自分も道場でも開く積りで勉強していた……。ここまでは好かったんですが、ふい[#「ふい」に傍点]と魔がさした。と云うのは、辰公のズウフラ一件です。
 岩下左内も悪い弟子を二人持ったのでした。一方の伊太郎は、万一自分たちの不義が露顕したら、日ごろの師匠の気質として捨て置く筈がない。即座《そくざ》に成敗《せいばい》されるに決まっている。いっそ師匠を亡きものにして、お常と末長く添い通そうと考えた。また一方の喜平次は、武芸にかけては此の道場でおれに及ぶ者はない。いっそ師匠を亡き者にして、自分がこの道場を乗っ取ろうと考えた。つまり一方は色、一方は慾、どちらも目ざす相手は師匠の左内で、なんとかして師匠をほろぼす工夫はないかと、お互いに悪事を考えている矢さきに、富士裏の怪談のうわさが立ったのが勿怪《もっけ》の幸い、師匠の左内に取っては飛んだ災難でした」
「そうすると、喜平次と伊太郎はその怪談を利用したわけなんですね」
「うまく師匠をばら[#「ばら」に傍点]してしまえば、道場を乗っ取った上に、伊太郎からも相当の礼金が貰えるというわけで、喜平次はすっかり悪人になってしまったんです。そこで、二人は打ち合わせをして置いて、師匠の前で富士裏の怪談をはじめると、左内は例の気質ですから其の正体を見とどけに行くという。二人はそれに付いて出る。すべてが思う壺にはまって、左内は闇討ち……。手をおろしたのは喜平次でした。ほかの弟子たちの手前はいい加減に誤魔化して、検視も済み、葬式も済み、あしたは初七日の墓参り、今夜は逮夜というところまで漕ぎ着けると、その逮夜の晩に怪しい声が又きこえたんです。
 なぜ辰公がそんないたずらをしたかと云うと、辰公は左内の殺された晩も、例のズウフラを持って富士裏のあたりを徘徊していて、喜平次らの闇討ちを木の蔭か何かで窺っていたんです。暗い中だから誰だか判りそうも無いもんですが、やっぱり悪いことは出来ないもので、左内を仕留めてから喜平次と伊太郎とが何か話していた。おまけに、用意の袂提灯を出して喜平次は血の付いた手を田川の水で洗った。そんなことで、下手人《げしゅにん》はこの二人だということを辰公に覚られてしまったんです。そこで辰公はその翌日、植木屋の長助にその話をすると、長助も一旦は驚いたが、そんなことを滅多《めった》に云ってはならないと、辰公に堅く口止めをしたんです。闇討ちが発覚すると、ズウフラの一件も発覚して、辰公は勿論、それを煽動した自分までが飛んだ係り合いになるのを恐れたからです。今でもそうですが、昔の人間はひどく引き合いということを忌《いや》がりましたからね」
「長助をなぐったのは誰ですか。辰公じゃあないんですか」
「お察しの通りですよ。長助は係り合いになるのを怖がって、闇討ち以来もうズウフラを持ち出すなと辰公に云い聞かせたので、その当座は止めていたんですが、根が薄馬鹿の辰公ですから、三日四日経つと又持ち出した。そこへ丁度に長助が通り合わせて、この馬鹿野郎めと散々叱り付けた上に、そのズウフラを取り上げようとすると、辰公も承知しない。いきなりズウフラを振り上げて、相手の額を力まかせに殴り付けたんです。なにしろ長さは三尺あまりで、銅でこしらえた喇叭《らっぱ》のような物ですから、それで手ひどく殴られては堪まらない。馬鹿とあなどって不意討ちを食った長助は、まったく眼が眩《くら》んで暫くぼんやりしているうちに、辰公は逃げて行ってしまった。と云って、表向きに辰公の家へ捻じ込むわけにも行かないので、長助はなぐられ損の泣き寝入り……。そこへ亀吉が調べに行ったので、長助はいよいよ閉口して、なにか出たらめを云って誤魔化していたというわけです。それがみんな露顕して、長助は所払いになりました。
 そこで、一方の辰公、いかに薄馬鹿の人間でも、見す見す闇討ちの一件を知っていながら、口を結んでいるということは、さすがに気が咎めてならない。そこで逮夜の晩、岩下の道場に大勢が集まっているのを知って、隣りの屋根からズウフラで呼びかけた。悪戯《いたずら》といえば悪戯ですが、本人としては御新造にそれとなく注意をあたえようとしたので、馬鹿相当の知恵を出したわけでしょう。勿論、岩下の女房と岡崎屋の伜との関係なぞは知らないんです。しかし馬鹿も馬鹿にはなりません。辰公が屋根から転げ落ちて、わたくし共に取り押えられた為に、それから口が明いて闇討ちの秘密もはっきりと判る事になったんです」
「喜平次も伊太郎もお常も、みんな挙げられたんですね」
「岡崎屋は白山前町にあるので、寺社の方へもことわって伊太郎を召し捕りました。お常も召し捕られました。お常は伊太郎との不義を白状しただけで、闇討ちのことは知らないと強情を張っていましたが、相手の伊太郎がべらべらしゃべってしまったので、どちらも引き廻しの上で磔刑《はりつけ》という重い仕置を受けました。喜平次はゆくえが知れません。何でもこの一件が親兄弟にも知れたので、表沙汰にならない先に、屋敷内で詰腹《つめばら》を切らされたという噂です。気の毒なのは通辞役の深沢さんという人で、ズウフラを質入れした事が露顕して、別に表向きの咎めはありませんでしたが、世間に対して頗る面目を失ったということです。辰公の親たちは不取締りのために質物を馬鹿息子に持ち出され、それからこんな騒動をひき起したというので、きびしいお咎めを受けました。馬鹿息子が質物を持ち出して毎晩あるき廻っているのを、親たちも店の者も気がつかなかったというのは、あんまり迂濶な話ですから、どんなお咎めを蒙っても仕方がありません。片輪の子ほど可愛いとかいって、親たちが甘やかし過ぎたのが悪かったんです。辰公も吟味中、町内預けになっていたんですが、いつか抜け出して行って、富士裏の森で首を縊《くく》って死んでしまいました。そうなると、又その幽霊が出るとかいうのでひと騒ぎ、世の中に怪談の種は尽きないものです」

底本:「時代推理小説 半七捕物帳(四)」光文社文庫、光文社
   1986(昭和61)年8月20日初版1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:しず
2000年1月4日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

岡本綺堂

中国怪奇小説集 捜神記(六朝)——- 岡本綺堂

主人の「開会の辞」が終った後、第一の男は語る。
「唯今御主人から御説明がありました通り、今晩のお話は六朝《りくちょう》時代から始める筈で、わたくしがその前講《ぜんこう》を受持つことになりました。なんといっても、この時代の作で最も有名なものは『捜神記』で、ほとんど後世《こうせい》の小説の祖をなしたと言ってもよろしいのです。
 この原本の世に伝わるものは二十巻で、晋《しん》の干宝《かんぽう》の撰《せん》ということになって居ります。干宝は東晋の元帝《げんてい》に仕えて著作郎《ちょさくろう》となり、博覧強記をもって聞えた人で、ほかに『晋紀』という歴史も書いて居ります。、但し今日になりますと、干宝が『捜神記』をかいたのは事実であるが、その原本は世に伝わらず、普通に流布するものは偽作《ぎさく》である。たとい全部が偽作でなくても、他人の筆がまじっているという説が唱えられて居ります。これは清朝《しんちょう》初期の学者たちが言い出したものらしく、また一方には、たといそれが干宝の原本でないとしても、六朝時代に作られたものに相違ないのであるから、後世の人間がいい加減にこしらえた偽作とは、その価値が大いに違うという説もあります。
 こういうむずかしい穿索《せんさく》になりますと、浅学のわれわれにはとても判りませんから、ともかくも昔から言い伝えの通りに、晋の干宝の撰ということに致して置いて、すぐに本文《ほんもん》の紹介に取りかかりましょう」

   首の飛ぶ女

 秦《しん》の時代に、南方に落頭民《らくとうみん》という人種があった。その頭《かしら》がよく飛ぶのである。その人種の集落に祭りがあって、それを虫落《ちゅうらく》という。その虫落にちなんで、落頭民と呼ばれるようになったのである。
 呉《ご》の将、朱桓《しゅかん》という将軍がひとりの下婢《かひ》を置いたが、その女は夜中に睡《ねむ》ると首がぬけ出して、あるいは狗竇《いぬくぐり》から、あるいは窓から出てゆく。その飛ぶときは耳をもって翼《つばさ》とするらしい。そばに寝ている者が怪しんで、夜中にその寝床を照らして視《み》ると、ただその胴体があるばかりで首が無い。からだも常よりは少しく冷たい。そこで、その胴体に衾《よぎ》をきせて置くと、夜あけに首が舞い戻って来ても、衾にささえられて胴に戻ることが出来ないので、首は幾たびか地に堕《お》ちて、その息づかいも苦しく忙《せわ》しく、今にも死んでしまいそうに見えるので、あわてて衾を取りのけてやると、首はとどこおりなく元に戻った。
 こういうことがほとんど毎夜くり返されるのであるが、昼のあいだは普通の人とちっとも変ることはなかった。それでも甚だ気味が悪いので、主人の将軍も捨て置かれず、ついに暇《ひま》を出すことになったが、だんだん聞いてみると、それは一種の天性で別に怪しい者ではないのであった。
 このほかにも、南方へ出征の大将たちは、往々《おうおう》こういう不思議の女に出逢った経験があるそうで、ある人は試みに銅盤をその胴体にかぶせて置いたところ、首はいつまでも戻ることが出来ないで、その女は遂に死んだという。

   猿

 蜀《しょく》の西南の山中には一種の妖物《ようぶつ》が棲んでいて、その形は猿に似ている。身のたけは七尺ぐらいで、人の如くに歩み、且《か》つ善く走る。土地の者はそれを※[#「けものへん+暇のつくり」、第4水準2-80-45]国《かこく》といい、又は馬化《ばか》といい、あるいは※[#「けものへん+矍」、23-7]猿《かくえん》とも呼んでいる。
 かれらは山林の茂みに潜《ひそ》んでいて、往来の婦女を奪うのである。美女は殊に目指される。それを防ぐために、ここらの人たちが山中を行く時には、長い一条の縄をたずさえて、互いにその縄をつかんで行くのであるが、それでもいつの間にか、その一人または二人を攫《さら》って行かれることがしばしばある。
 かれらは男と女の臭《にお》いをよく知っていて、決して男を取らない。女を取れば連れ帰って自分の妻とするのであるが、子を生まない者はいつまでも帰ることを許されないので、十年の後には形も心も自然にかれらと同化して、ふたたび里へ帰ろうとはしない。
 もし子を生んだ者は、母に子を抱かせて帰すのである。しかもその子を育てないと、その母もかならず死ぬので、みな恐れて養育することにしているが、成長の後は別に普通の人と変らない。それらの人間はみな楊《よう》という姓を名乗っている。今日、蜀の西南地方で楊姓を呼ばれている者は、大抵その妖物の子孫であると伝えられている。

   琵琶鬼

 呉《ご》の赤烏《せきう》三年、句章《こうしょう》の農夫|楊度《ようたく》という者が余姚《よちょう》というところまで出てゆくと、途中で日が暮れた。
 ひとりの少年が琵琶《びわ》をかかえて来て、楊の車に一緒に載せてくれというので、承知して同乗させると、少年は車中で琵琶数十曲をひいて聞かせた。楊はいい心持で聴いていると、曲終るや、かの少年は忽《たちま》ち鬼のような顔色に変じて、眼を瞋《いか》らせ、舌を吐いて、楊をおどして立ち去った。
 それから更に二十里(六|丁《ちょう》一里。日本は三十六丁で一里)ほど行くと、今度はひとりの老人があらわれて、楊の車に載せてくれと言った。前に少しく懲《こ》りてはいるが、その老いたるを憫《あわ》れんで、楊は再び載せてやると、老人は王戒《おうかい》という者であるとみずから名乗った。楊は途中で話した。
「さっき飛んだ目に逢いました」
「どうしました」
「鬼がわたしの車に乗り込んで琵琶を弾きました。鬼の琵琶というものを初めて聴きましたが、ひどく哀《かな》しいものですよ」
「わたしも琵琶をよく弾きます」
 言うかと思うと、かの老人は前の少年とおなじような顔をして見せたので、楊はあっ[#「あっ」に傍点]と叫んで気をうしなった。

   兎怪《とかい》

 これも前の琵琶鬼とやや同じような話である。
 魏《ぎ》の黄初《こうしょ》年中に或る人が馬に乗って頓邱《とんきゅう》のさかいを通ると、暗夜の路ばたに一つの怪しい物が転《ころ》がっていた。形は兎《うさぎ》のごとく、両眼は鏡の如く、馬のゆくさきに跳《おど》り狂っているので、進むことが出来ない。その人はおどろき懼《おそ》れて遂に馬から転げおちると、怪物は跳りかかって彼を掴《つか》もうとしたので、いよいよ懼れて一旦は気絶した。
 やがて正気に戻ると、怪物の姿はもう見えないので、まずほっとして再び馬に乗ってゆくと、五、六里の後に一人の男に出逢った。その男も馬に乗っていた。いい道連れが出来たと喜んで話しながら行くうちに、彼は先刻の怪物のことを話した。
「それは怖ろしい事でした」と、男は言った。「実はわたしも独りあるきはなんだか気味が悪いと思っているところへ、あなたのような道連れが出来たのは仕合わせでした。しかしあなたの馬は疾《はや》く、わたしの馬は遅い方ですから、あとさきになって行きましょう」
 彼の馬をさきに立たせ、男の馬があとに続いて、又しばらく話しながら乗ってゆくと、男は重ねてかの怪物の話をはじめた。
「その怪物というのは、どんな形でした」
「兎のような形で、二つの眼が鏡のように晃《ひか》っていました」
「では、ちょいと振り返ってごらんなさい」
 言われて何心なく振り返ると、かの男はいつの間にか以前の怪物とおなじ形に変じて、前の馬の上へ飛びかかって来たので、彼は馬から転げおちて再び気絶した。
 かれの家では、騎手《のりて》がいつまでも帰らず、馬ばかりが独り戻って来たのを怪しんで、探しに来てみると右の始末で、彼はようように息をふき返して、再度の怪におびやかされたことを物語った。

   宿命

 陳仲挙《ちんちゅうきょ》がまだ立身《りっしん》しない時に、黄申《こうしん》という人の家に止宿《ししゅく》していた。そのうちに、黄家の妻が出産した。
 出産の当時、この家の門を叩《たた》く者があったが、家内の者は混雑にまぎれて知らなかった。暫《しばら》くして家の奥から答える者があった。
「客座敷には人がいるから、はいることは出来ないぞ」
 門外の者は答えた。
「それでは裏門へまわって行こう」
 それぎりで問答の声はやんだ。それからまた暫くして、内の者も裏門へまわって帰って来たらしく、他の一人が訊《き》いた。
「生まれる子はなんという名で、幾歳《いくつ》の寿命をあたえることになった」
「名は奴《ど》といって、十五歳までの寿命をあたえることになった」と、前の者が答えた。
「どんな病気で死ぬのだ」
「兵器で死ぬのだ」
 その声が終ると共に、あたりは又ひっそりとなった。陳はその問答をぬすみ聴いて奇異の感に打たれた。殊にその夜生まれたのは男の児で、その名を奴と付けられたというのを知るに及んで、いよいよ不思議に感じた。彼はそれとなく黄家の人びとに注意した。
「わたしは人相《にんそう》を看《み》ることを学んだが、この子は行くゆく兵器で死ぬ相がある。刀剣は勿論《もちろん》、すべての刃物を持たせることを慎まなければなりませんぞ」
 黄家の父母もおどろいて、その後は用心に用心を加え、その子にはいっさいの刃物を持たせないことにした。そうして、無事に十五歳まで生長させたが、ある日のこと、棚の上に置いた鑿《のみ》がその子の頭に落ちて来て、脳をつらぬいて死んだ。
 陳は後に予章《よしょう》の太守《たいしゅ》に栄進して、久しぶりで黄家をたずねた時、まずかの子供のことを訊くと、かれは鑿に打たれたというのである。それを聞いて、陳は嘆息した。
「これがまったく宿命というのであろう」

   亀の眼

 むかし巣《そう》の江水がある日にわかに漲《みなぎ》ったが、ただ一日で又もとの通りになった。そのときに、重量一万|斤《きん》ともおぼしき大魚が港口に打ち揚げられて、三日の後に死んだので、土地の者は皆それを割いて食った。
 そのなかで、唯ひとりの老女はその魚を食わなかった。その老女の家へ見識《みし》らない老人がたずねて来た。
「あの魚《さかな》はわたしの子であるが、不幸にしてこんな禍《わざわ》いに逢うことになった。この土地の者は皆それを食ったなかで、お前ひとりは食わなかったから、私はおまえに礼をしたい。城の東門前にある石の亀に注意して、もしその眼が赤くなったときは、この城の陥没《かんぼつ》する時だと思いなさい」
 老人の姿はどこへか失《う》せてしまった。その以来、老女は毎日かかさずに東門へ行って、石の亀の眼に異状があるか無いかを検《あらた》めることにしていたので、ある少年が怪しんでその子細を訊くと、老女は正直にそれを打ち明けた。少年はいたずら者で、そんなら一番あの婆さんをおどかしてやろうと思って、そっとかの亀の眼に朱を塗って置いた。
 老女は亀の眼の赤くなっているのに驚いて、早々にこの城内を逃げ出すと、青衣《せいい》の童子が途中に待っていて、われは龍の子であるといって、老女を山の高い所へ連れて行った。
 それと同時に、城は突然に陥没して一面の湖《みずうみ》となった。
 もう一つ、それと同じ話がある。秦《しん》の始皇《しこう》の時、長水《ちょうすい》県に一種の童謡がはやった。
「御門《ごもん》に血を見りゃお城が沈む――」
 誰が謡《うた》い出したともなしに、この唄がそれからそれへと拡がった。ある老女がそれを気に病んで毎日その城門を窺《うかが》いに行くので、門を守っている将校が彼女をおどしてやろうと思って、ひそかに犬の血を城門に塗って置くと、老女はそれを見て、おどろいて遠く逃げ去った。
 そのあとへ忽ちに大水が溢れ出て、城は水の底に沈んでしまった。

   眉間尺

 楚《そ》の干将莫邪《かんしょうばくや》は楚王の命をうけて剣を作ったが、三年かかって漸《ようや》く出来たので、王はその遅延を怒って彼を殺そうとした。
 莫邪の作った剣は雌雄一対《しゆういっつい》であった。その出来たときに莫邪の妻は懐妊して臨月に近かったので、彼は妻に言い聞かせた。
「わたしの剣の出来あがるのが遅かったので、これを持参すれば王はきっとわたしを殺すに相違ない。おまえがもし男の子を生んだらば、その成長の後に南の山を見ろといえ。石の上に一本の松が生えていて、その石のうしろに一口《ひとふり》の剣が秘めてある」
 かれは雌剣一口だけを持って、楚王の宮へ出てゆくと、王は果たして怒った。かつ有名の相者《そうしゃ》にその剣を見せると、この剣は雌雄一対あるもので、莫邪は雄剣をかくして雌剣だけを献じたことが判ったので、王はいよいよ怒って直ぐに莫邪を殺した。
 莫邪の妻は男の子を生んで、その名を赤《せき》といったが、その眉間が広いので、俗に眉間尺《みけんじゃく》と呼ばれていた。かれが壮年になった時に、母は父の遺言を話して聞かせたので、眉間尺は家を出て見まわしたが、南の方角に山はなかった。しかし家の前には松の大樹があって、その下に大きい石が横たわっていたので、試みに斧《おの》をもってその石の背を打ち割ると、果たして一口の剣を発見した。父がこの剣をわが子に残したのは、これをもって楚王に復讐せよというのであろうと、眉間尺はその以来、ひそかにその機会を待っていた。
 それが楚王にも感じたのか、王はある夜、眉間の一尺ほども広い若者が自分を付け狙《ねら》っているという夢をみたので、千金の賞をかけてその若者を捜索させることになった。それを聞いて、眉間尺は身をかくしたが、行くさきもない。彼は山中をさまよって、悲しく歌いながら身の隠れ場所を求めていると、図《はか》らずも一人の旅客《たびびと》に出逢った。
「おまえさんは若いくせに、何を悲しそうに歌っているのだ」と、かの男は訊いた。
 眉間尺は正直に自分の身の上を打ち明けると、男は言った。
「王はおまえの首に千金の賞をかけているそうだから、おまえの首とその剣とをわたしに譲れば、きっと仇を報いてあげるが、どうだ」
「よろしい。お頼み申す」
 眉間尺はすぐに我が手でわが首をかき落して、両手に首と剣とを捧げて突っ立っていた。
「たしかに受取った」と、男は言った。「わたしは必ず約束を果たしてみせる」
 それを聞いて、眉間尺の死骸は初めて仆《たお》れた。
 旅の男はそれから楚王にまみえて、かの首と剣とを献じると、王は大いに喜んだ。
「これは勇士の首であるから、この儘《まま》にして置いては祟《たた》りをなすかも知れません。湯※[#「獲」の「けものへん」に代えて「金へん」、第3水準1-93-41]《ゆがま》に入れて煮るがよろしゅうござる」と、男は言った。
 王はその言うがままに、眉間尺の首を煮ることにしたが、三日を過ぎても少しも爛《ただ》れず、生けるが如くに眼を瞋《いか》らしているので、男はまた言った。
「首はまだ煮え爛れません。あなたが自身に覗《のぞ》いて卸覧になれば、きっと爛れましょう」
 そこで、王はみずから其の湯を覗きに行くと、男は隙《すき》をみてかの剣をぬき放し、まず王の首を熱湯《にえゆ》のなかへ切り落した。つづいて我が首を刎《は》ねて、これも湯のなかへ落した。眉間尺の首と、楚王の首と、かの男の首と、それが一緒に煮え爛れて、どれが誰だか見分けることが出来なくなったので、三つの首を一つに集めて葬ることにした。
 墓は俗に三王の墓と呼ばれて、今も汝南《じょなん》の北、宜春《ぎしゅん》県にある。

   宋家の母

 魏《ぎ》の黄初《こうしょ》年中のことである。
 清河《せいか》の宋士宗《そうしそう》という人の母が、夏の日に浴室へはいって、家内の者を遠ざけたまま久しく出て来ないので、人びとも怪しんでそっと覗《のぞ》いてみると、浴室に母の影は見えないで、水風呂のなかに一頭の大きいすっぽんが浮かんでいるだけであった。たちまち大騒ぎとなって、大勢が駈け集まると、見おぼえのある母のかんざしがそのすっぽんの頭の上に乗っているのである。
「お母さんがすっぽんに化けた」
 みな泣いて騒いだが、どうすることも出来ない。ただ、そのまわりを取りまいて泣き叫んでいると、すっぽんはしきりに外へ出たがるらしい様子である。さりとて滅多《めった》に出してもやられないので、代るがわるに警固しているあいだに、あるとき番人の隙《すき》をみて、すっぽんは表へ這い出した。又もや大騒ぎになって追いかけたが、すっぽんは非常に足が疾《はや》いので遂に捉えることが出来ず、近所の川へ逃げ込ませてしまった。
 それから幾日の後、かのすっぽんは再び姿をあらわして、宋の家のまわりを這い歩いていたが、又もや去って水に隠れた。
 近所の人は宋にむかって母の喪服を着けろと勧めたが、たとい形を変じても母はまだ生きているのであると言って、彼は喪服を着けなかった。

   青牛

 秦《しん》の時、武都《ぶと》の故道に怒特《どとく》の祠《やしろ》というのがあって、その祠のほとりに大きい梓《あずさ》の樹が立っていた。
 秦の文公《ぶんこう》の、二十七年、人をつかわしてその樹を伐らせると、たちまちに大風雨が襲い来たって、その切り口を癒合《ゆごう》させてしまうので、幾日を経ても伐り倒すことが出来ない。文公は更に人数を増して、四十人の卒に斧《おの》を執《と》らせたが、なおその目的を達することが出来ないので、卒もみな疲れ果てた。
 その一人は足を傷つけて宿舎へも帰られず、かの樹の下に転がったままで一夜を明かすと、夜半に及んで何者か尋ねて来たらしく、樹にむかって話しかけた。
「戦いはなかなか骨が折れるだろう」
「なに、骨が折れるというほどのことでもない」と、樹のなかで答えた。
 一人がまた言った。
「しかし文公がいつまでも強情《ごうじょう》にやっていたら、仕舞いにはどうする」
「どうするものか。根《こん》くらべだ」
「そう言っても、もし相手の方で三百人の人間を散らし髪にして、赭《あか》い着物をきせて、朱《あか》い糸でこの樹を巻かせて、斧を入れた切り口へ灰をかけさせたら、お前はどうする」
 樹の中では黙ってしまった。
 樹の下に寝ていた男はその問答を聞きすまして、明くる日それを申し立てたので、文公は試みにその通りにやってみることにした。三百人の士卒が赭い着物をきて、散らし髪になって、朱い糸を樹の幹にまき付けて、斧を入れるごとに其の切り口に灰をそそぐと、果たして大樹は半分ほども撃ち切られた。そのとき一頭の青い牛が樹の中から走り出て、近所の※[#「さんずい+豊」、第3水準1-87-20]水《ほうすい》という河へ跳り込んだ。
 これで目的の通りに、梓の大樹を伐り倒すことが出来たが、青牛はその後も水から姿をあらわすので、騎士をつかわして撃たせると、牛はなかなか勢い猛《たけ》くして勝つことが出来ない。その闘いのあいだに、一人の騎士は馬から落ちて散らし髪になった。彼はそのままで再び鞍《くら》にまたがると、牛はその散らし髪におそれて水中に隠れた。
 その以来、秦では旄頭騎《ぼうとうき》というものを置くことになった。

   青い女

 呉郡の無錫《むしゃく》という地には大きい湖《みずうみ》があって、それをめぐる長い坡《どて》がある。
 坡を監督する役人は丁初《ていしょ》といって、大雨のあるごとに破損の個所の有無を調べるために、坡のまわりを一巡するのを例としていた。時は春の盛りで、雨のふる夕暮れに、彼はいつものように坡を見まわっていると、ひとりの女が上下ともに青い物を着けて、青い繖《かさ》をいただいて、あとから追って来た。
「もし、もし、待ってください」
 呼ばれて、丁初はいったん立ちどまったが、また考えると、今頃このさびしい所を女ひとりでうろ付いている筈がない。おそらく妖怪であろうと思ったので、そのまま足早にあるき出すと、女もいよいよ足早に追って来た。丁はますます気味が悪くなって、一生懸命に駈け出すと、女もつづいて駈け出したが、丁の逃げ足が早いので、しょせん追い付かないと諦《あきら》めたらしく、女は俄かに身をひるがえして水のなかへ飛び込んだ。
 かれは大きな蒼い河獺《かわうそ》で、その着物や繖と見えたのは青い荷《はす》の葉であった。

   祭蛇記

 東越《とうえつ》の※中《みんちゅう》に庸嶺《ようれい》という山があって、高さ数十里といわれている。その西北の峡《かい》に長さ七、八丈、太さ十囲《とかか》えもあるという大蛇《だいじゃ》が棲《す》んでいて、土地の者を恐れさせていた。
 住民ばかりか、役人たちもその蛇の祟《たた》りによって死ぬ者が多いので、牛や羊をそなえて祭ることにしたが、やはりその祟りはやまない。大蛇は人の夢にあらわれ、または巫女《みこ》などの口を仮りて、十二、三歳の少女を生贄《いけにえ》にささげろと言った。これには役人たちも困ったが、なにぶんにもその祟りを鎮める法がないので、よんどころなく罪人の娘を養い、あるいは金を賭《か》けて志願者を買うことにして、毎年八月の朝、ひとりの少女を蛇の穴へ供えると、蛇は生きながらにかれらを呑んでしまった。
 こうして、九年のあいだに九人の生贄をささげて来たが、十年目には適当の少女を見つけ出すのに苦しんでいると、将楽《しょうらく》県の李誕《りたん》という者の家には男の子が一人もなくて、女の子ばかりが六人ともにつつがなく成長し、末子《ばっし》の名を寄《き》といった。寄は募りに応じて、ことしの生贄に立とうと言い出したが、父母は承知しなかった。
「しかしここの家《うち》には男の子が一人もありません。厄介者の女ばかりです」と、寄は言った。「わたし達は親の厄介になっているばかりで何の役にも立ちませんから、いっそ自分のからだを生贄にして、そのお金であなた方を少しでも楽にさせて上げるのが、せめてもの孝行というものです」
 それでも親たちはまだ承知しなかったが、しいて止めればひそかにぬけ出して行きそうな気色《けしき》であるので、親たちも遂に泣く泣くそれを許すことになった。そこで、寄は一口《ひとふり》のよい剣と一匹の蛇喰い犬とを用意して、いよいよ生贄にささげられた。
 大蛇の穴の前には古い廟があるので、寄は剣をふところにして廟のなかに坐っていた。蛇を喰う犬はそのそばに控えていた。彼女はあらかじめ数石《すうこく》の米を炊《かし》いで、それに蜜をかけて穴の口に供えて置くと、蛇はその匂いをかぎ付けて大きい頭《かしら》を出した。その眼は二尺の鏡の如くであった。蛇はまずその米を喰いはじめたのを見すまして、寄はかの犬を嗾《け》しかけると、犬はまっさきに飛びかかって蛇を噛んだ。彼女もそのあとから剣をふるって蛇を斬った。
 さすがの大蛇も犬に噛まれ、剣に傷つけられて、数カ所の痛手に堪《た》まり得ず、穴から這い出して蜿打《のたう》ちまわって死んだ。穴へはいってあらためると、奥には九人の少女の髑髏《どくろ》が転がっていた。
「お前さん達は弱いから、おめおめと蛇の生贄になってしまったのだ。可哀そうに……」と、彼女は言った。
 越《えつ》の王はそれを聞いて、寄を聘《へい》して夫人とした。その父は将楽県の県令に挙げられ、母や姉たちにも褒美を賜わった。その以来、この地方に妖蛇の患《うれ》いは絶えて、少女が蛇退治の顛末《てんまつ》を伝えた歌謡だけが今も残っている。

   鹿の足

 陳《ちん》郡の謝鯤《しゃこん》は病いによって官を罷《や》めて、予章《よしょう》に引き籠っていたが、あるとき旅行して空き家に一泊した。この家には妖怪があって、しばしば人を殺すと伝えられていたが、彼は平気で眠っていると、夜の四更《しこう》(午前一時―三時)とおぼしき頃に、黄衣の人が現われて外から呼んだ。
「幼輿《ようよ》、戸をあけろ」
 幼輿というのは彼の字《あざな》である。こいつ化け物だと思ったが、彼は恐れずに答えた。
「戸をあけるのは面倒だ。用があるなら窓から手を出せ」
 言うかと思うと、外の人は窓から長い腕を突っ込んだので、彼は直ぐにその腕を引っ掴んで、力任せにぐいぐい引き摺り込もうとした。外では引き込まれまいとする。引きつ引かれつするうちに、その腕は脱けて彼の手に残った。外の人はそのまま立ち去ったらしい。夜が明けてみると、その腕は大きい鹿の前足であった。
 窓の外には血が流れている。その血の痕《あと》をたどってゆくと、果たして一頭の大きい鹿が傷ついて仆《たお》れていた。それを殺して以来、この家にふたたび妖怪の噂を聞かなくなった。

   羽衣

 予章|新喩《しんゆ》県のある男が田畑へ出ると、田のなかに六、七人の女を見た。どの女もみな鳥のような羽衣《はごろも》を着ているのである。不思議に思ってそっと這いよると、あたかもその一人が羽衣を解《と》いたので、彼は急にそれを奪い取った。つづいて他の女どもの衣をも奪い取ろうとすると、かれらはみな鳥に化して飛び去った。
 羽衣を奪われた一人だけは逃げ去ることが出来なかったので、男は連れ帰って自分の妻にした。そうして、夫婦のあいだに三人の娘を儲《もう》けた。
 娘たちがだんだん生長の後、母はかれらにそっと訊いた。
「わたしの羽衣はどこに隠してあるか、おまえ達は知らないかえ」
「知りません」
「それではお父《とっ》さんに訊《き》いておくれよ」
 母に頼まれて、娘たちは何げなく父にたずねると、母の入れ知恵とは知らないで、父は正直に打ちあけた。
「実は積み稲の下に隠してある」
 それが娘の口から洩《も》らされたので、母は羽衣のありかを知った。
 彼女はそれを身につけて飛び去ったが、再び娘たちを迎いに来て、三人の娘も共に飛び去ってしまった。

   狸老爺《たぬきおやじ》

 晋《しん》の時、呉興《ごこう》の農夫が二人の息子を持っていた。その息子兄弟が田を耕《たがや》していると、突然に父があらわれて来て、子細《しさい》も無しに兄弟を叱《しか》り散らすばかりか、果ては追い撃とうとするので、兄弟は逃げ帰って母に訴えると、母は怪訝《けげん》な顔をした。
「お父《とっ》さんは家《うち》にいるが……。まあ、ともかくも訊いてみよう」
 訊かれて父はおどろいた。自分はさっきから家にいたのであるから、田や畑へ出て行って息子たちを叱ったり殴ったりする筈がない。それは何かの妖怪がおれの姿に化けて行ったに相違ないから、今度来たらば斬り殺せと言い付けたので、兄弟もそのつもりで刃物を用意して行った。
 こうして息子らを出してやったものの、父もなんだか不安であるので、やがて後から様子を見とどけに出てゆくと、兄弟はその姿を見て刃物を把《と》り直した。
「化け物め、また来たか」
 父は言い訳をする間もなしに斬り殺されてしまった。兄弟はその正体を見極めもせずに、そこらの土のなかに埋めて帰ると、家には父がかれらの帰るのを待っていた。
「化け物めを退治して、まずまずめでたい」と、父も息子らもみな喜んだ。化け物が父に変じていることを兄弟は覚《さと》らなかった。
 幾年か過ぎた後、ひとりの法師がその家に来て兄弟に注意した。
「おまえ達のお父《とっ》さんには怖ろしい邪気が見えますぞ」
 それを聞いて、父は大いに怒って、そんな奴は早速|逐《お》い出してしまえと息子らに言い付けた。それを聞いて、法師も怒った。かれは声を※[#「がんだれ+萬」、第3水準1-14-84]《はげ》しゅうして家内へ跳り込むと、父は忽ち大きい古狸に変じて床下へ逃げ隠れたので、兄弟はおどろきながらも追いつめて、遂に生け捕って撲《う》ち殺した。
 不幸な兄弟はこの古狸にたぶらかされて、真の父を殺したのである。一人は憤恨のあまりに自殺した。一人も懊悩《おうのう》のために病いを発して死んだ。

   虎の難産

 廬陵《ろりょう》の蘇易《そえき》という婦人は産婦の収生《とりあげ》をもって世に知られていたが、ある夜外出すると、忽ち虎に啣《くわ》えて行かれた。
 彼女はすでに死を覚悟していると、行くこと六、七里にして大きい塚穴《つかあな》のような所へ行き着いた。虎はここで彼女を下ろしたので、どうするのかと思ってよく視ると、そこには一頭の牝《めす》の虎が難産に苦しんでいるのである。
 さてはと覚って手当てをしてやると、虎はつつがなく三頭の子を生み落した。それが済むと、虎は再び彼女を啣えて元の所まで送り還した。
 その後、幾たびか蘇易の門内へ野獣の肉を送り込む者があった。

   寿光侯

 寿光侯《じゅこうこう》は漢の章帝《しょうてい》の時の人である。彼はあらゆる鬼を祈り伏せて、よくその正体を見あらわした。その郷里のある女が妖魅《ようみ》に取りつかれた時に、寿は何かの法をおこなうと、長さ幾丈の大蛇《だいじゃ》が門前に死んで横たわって、女の病いはすぐに平癒した。
 また、大樹があって、人がその下に止まると忽ちに死ぬ、鳥が飛び過ぎると忽ちに墜《お》ちるというので、その樹には精《せい》があると伝えられていたが、寿がそれにも法を施すと、盛夏《まなつ》にその葉はことごとく枯れ落ちて、やはり幾丈の大蛇が樹のあいだに懸《かか》って死んでいた。
 章帝がそれを聞き伝えて、彼を召し寄せて事実の有無をたずねると、寿はいかにも覚えがあると答えた。
「実は宮中に妖怪があらわれる」と、帝は言った。「五、六人の者が紅い着物をきて、長い髪を振りかぶって、火を持って徘徊《はいかい》する。お前はそれを鎮めることが出来るか」
「それは易《やす》いことでございます」
 寿は受けあった。そこで、帝は侍臣三人に言いつけて、その通りの扮装をさせて、夜ふけに宮殿の下を往来させると、寿は式《かた》の如くに法をおこなって、たちまちに三人を地に仆した。かれらは気を失ったのである。
「まあ、待ってくれ」と、帝も驚いて言った。「かれらはまことの妖怪ではない。実はおまえを試してみたのだ。殺してくれるな」
 寿が法を解くと、三人は再び正気に復《かえ》った。

   天使

 糜竺《びじく》は東海の※《く》というところの人で、先祖以来、貨殖《かしょく》の道に長《た》けているので、家には巨万の財をたくわえていた。
 あるとき彼が洛陽《らくよう》から帰る途中、わが家に至らざる数十里のところで、ひとりの美しい花嫁ふうの女に出逢った。女はその車へ一緒に載せてくれと頼むので、彼は承知して載せてゆくと、二十里ばかりの後に女は礼をいって別れた。そのときに彼女は又こんなことをささやいた。
「実はわたしは天の使いで、これから東海の糜竺の家を焼きに行くのです。ここまで載せて来て下すったお礼に、それだけのことを洩らして置きます」
 糜はおどろいて、なんとか勘弁してくれるわけには行くまいかとしきりに嘆願すると、女は考えながら言った。
「何分にもわたしの役目ですから、焼かないというわけには行きません。しかし折角のお頼みですから、わたしは徐《しず》かに行くことにします。あなたは早くお帰りなさい。日中には必ず火が起ります」
 彼はあわてて家へ帰って、急に家財を運び出させると、果たして日中に大火が起って、一家たちまち全焼した。

   蛇蠱《じゃこ》

 ※陽《けいよう》郡に廖《りょう》という一家があって、代々一種の蠱術《こじゅつ》をおこなって財産を作りあげた。ある時その家に嫁を貰ったが、蠱術のことをいえば怖れ嫌うであろうと思って、その秘密を洩らさなかった。
 そのうちに、家内の者はみな外出して、嫁ひとりが留守番をしている日があった。
 家の隅に一つの大きい瓶《かめ》が据えてあるのを、嫁はふと見つけて、こころみにその蓋《ふた》をあけて覗くと、内には大蛇がわだかまっていたので、なんにも知らない嫁はおどろいて、あわてて熱湯をそそぎ込んで殺してしまった。家内の者が帰ってから、嫁はそれを報告すると、いずれも顔の色を変えて驚き憂いた。
 それから暫くのうちに、この一家は疫病にかかって殆んど死に絶えた。

   螻蛄

 廬陵《ろりょう》の太守企《ろうき》の家では螻蛄《けら》を祭ることになっている。
 何ゆえにそんな虫を祭るかというに、幾代か前の先祖が何かの連坐《まきぞえ》で獄屋につながれた。身におぼえの無い罪ではあるが、拷問の責め苦に堪えかねて、遂に服罪することになったのである。彼は無罪の死を嘆いている時、一匹の螻蛄が自分の前を這い歩いているのを見た。彼は憂苦のあまりに、この小さい虫にむかって愚痴を言った。
「おまえに霊があるならば、なんとかして私を救ってくれないかなあ」
 食いかけの飯を投げてやると、螻蛄は残らず食って行ったが、その後ふたたび這い出して来たのを見ると、その形が前よりも余ほど大きくなったようである。不思議に思って、毎日かならず飯を投げてやると、螻蛄も必ず食って行った。そうして、数十日を経るあいだに虫はだんだんに生長して犬よりも大きくなった。
 刑の執行がいよいよ明日に迫った前夜である。
 大きい虫は獄屋の壁のすそを掘って、人間が這い出るほどの穴をこしらえてくれた。彼はそこから抜け出して、一旦の命を生きのびて、しばらく潜伏しているうちに、測らずも大赦《たいしゃ》に逢って青天白日《せいてんはくじつ》の身となった。
 その以来、その家では代々その虫の祭祀を続けているのである。

   父母の霊

 劉根《りゅうこん》は字《あざな》を君安《くんあん》といい、長安《ちょうあん》の人である。漢の成帝《せいてい》のときに嵩山《すうざん》に入って異人に仙術を伝えられ、遂にその秘訣を得て、心のままに鬼を使うことが出来るようになった。
 頴川《えいせん》の太守、史祈《しき》という人がそれを聞いて、彼は妖法をおこなう者であると認め、役所へよび寄せて成敗しようと思った。召されて劉が出頭すると、太守はおごそかに言い渡した。
「貴公はよく人に鬼を見せるというが、今わたしの眼の前へその姿をはっきりと見せてくれ。それが出来なければ刑戮《けいりく》を加えるから覚悟しなさい」
「それは訳もないことです」
 劉は太守の前にある筆や硯《すずり》を借りて、なにかの御符《おふだ》をかいた。そうして、机を一つ叩くと、忽ちそこへ五、六人の鬼があらわれた。鬼は二人の囚人を縛って来たので、太守は眼を据えてよく視ると、その囚人は自分の父と母であった。父母はまず劉にむかって謝まった。
「小忰《こせがれ》めが飛んだ無礼を働きまして、なんとも申し訳がございません」
 かれらは更に我が子を叱った。
「貴様はなんという奴だ。先祖に光栄をあたえる事が出来ないばかりか、かえって神仙に対して無礼の罪をかさね、生みの親にまでこんな難儀をかけるのか」
 太守は実におどろいた。彼は俄《にわ》かに劉の前に頭《かしら》をすり付けて、無礼の罪を泣いて詫《わ》びると、劉は黙って何処《どこ》へか立ち去った。

   無鬼論

 阮瞻《げんせん》は字《あざな》を千里《せんり》といい、平素から無鬼論を主張して、鬼などという物があるべき筈がないと言っていたが、誰も正面から議論をこころみて、彼に勝ち得る者はなかった。阮もみずからそれを誇って、この理をもって推《お》すときは、世に幽と明と二つの界《さかい》があるように伝えるのは誤りであると唱えていた。
 ある日、ひとりの見識らぬ客が阮をたずねて来て、式《かた》のごとく時候の挨拶が終った後に、話は鬼の問題に移ると、その客も大いに才弁のある人物で、この世に鬼ありと言う。阮は例の無鬼論を主張し、たがいに激論を闘わしたが、客の方が遂に言い負かされてしまった。と思うと、彼は怒りの色をあらわした。
「鬼神のことは古今の聖人|賢者《けんじゃ》もみな言い伝えているのに、貴公ひとりが無いと言い張ることが出来るものか。論より証拠、わたしが即ち鬼である」
 彼はたちまち異形《いぎょう》の者に変じて消え失せたので、阮はなんとも言うことが出来なくなった。彼はそれから心持が悪くなって、一年あまりの後に病死した。

   盤瓠

 高辛氏《こうしんし》の時代に、王宮にいる老婦人が久しく耳の疾《やまい》にかかって医師の治療を受けると、医師はその耳から大きな繭《まゆ》のごとき虫を取り出した。老婦人が去った後、瓠《ひさご》の籬《かき》でかこって盤《ふた》をかぶせて置くと、虫は俄かに変じて犬となった。犬の毛皮には五色《ごしき》の文《あや》があるので、これを宮中に養うこととし、瓠と盤とにちなんで盤瓠《ばんこ》と名づけていた。
 その当時、戎呉《じゅうご》という胡《えびす》の勢力が盛んで、しばしば国境を犯すので、諸将をつかわして征討を試みても、容易に打ち勝つことが出来ない。そこで、天下に触れを廻して、もし戎呉の将軍の首を取って来る者があれば、千|斤《きん》の金をあたえ、万戸《ばんこ》の邑《むら》をあたえ、さらに王の少女を賜わるということになった。
 やがて盤瓠は一人の首をくわえて王宮に来た。それはかの戎呉の首であったので、王はその処分に迷っていると、家来たちはみな言った。
「たとい敵の首を取って来たにしても、盤瓠は畜類であるから、これに官禄を与えることも出来ず、姫君を賜わることも出来ず、どうにも致し方はありますまい」
 それを聞いて少女は王に申し上げた。
「戎呉の首を取った者にはわたくしを与えるということをすでに天下に公約されたのです。盤瓠がその首を取って来て、国のために害を除いたのは、天の命ずるところで、犬の知恵ばかりではありますまい。王者は言《げん》を重んじ、伯者は信を重んずと申します。女ひとりの身を惜しんで、天下に対する公約を破るのは、国家の禍《わざわ》いでありましょう」
 王も懼《おそ》れて、その言葉に従うことになった。約束の通りに少女をあたえると、犬は彼女を伴って南山にのぼった。山は草木《そうもく》おい茂って、人の行くべき所ではなかった。少女は今までの衣裳を解き捨てて、賤《いや》しい奴僕《ぬぼく》の服を着け、犬の導くままに山を登り、谷に下って石室《いしむろ》のなかにとどまった。王は悲しんで、ときどきその様子を見せにやると、いつでも俄かに雨風が起って、山は震い、雲は晦《くら》く、無事にその石室まで行き着くものはなかった。
 それから三年ほどのあいだに、少女は六人の男と六人の女を生んだ。かれらは木の皮をもって衣服を織り、草の実をもって五色に染めたが、その衣服の裁ち方には尾の形が残っていた。盤瓠が死んだ後、少女は王城へ帰ってそれを語ったので、王は使いをやってその子ども達を迎い取らせたが、その時には雨風の祟《たた》りもなかった。
 しかし子供たちの服装は異様であり、言葉は通ぜず、行儀は悪く、山に棲むことを好んで都を嫌うので、王はその意にまかせて、かれらに好《よ》い山や広い沢地をあたえて自由に棲ませた。かれらを呼んで蛮夷といった。

   金龍池

 晋《しん》の懐帝《かいてい》の永嘉《えいか》年中に、韓媼《かんおん》という老女が野なかで巨《おお》きい卵をみつけた。拾って帰って育てると、やがて男の児が生まれて、その字《あざな》を※児《けつじ》といった。
 ※児が四歳のとき、劉淵《りゅうえん》が平陽《へいよう》の城を築いたが、どうしても出来ない。そこで、賞をかけて築城術の達者を募ると、※児はその募集に応じた。彼は変じて蛇となって、韓媼に灰を用意しろと教えた。
「わたしの這って行くあとに灰をまいて来れば、自然に城の縄張りが出来る」
 韓媼はそのいう通りにした。劉淵は怪しんで※[#「てへん+厥」、47-17]児を捉《とら》えようとすると、蛇は山の穴に隠れた。しかもその尾の端が五、六寸ばかりあらわれていたので、追っ手は剣をぬいて尾を斬ると、そこから忽ちに泉が涌《わ》き出して池となった。金龍池の名はこれから起ったのである。

   発塚異事《はつちょういじ》

 三国《さんごく》の呉《ご》の孫休《そんきゅう》のときに、一人の戍将《じゅしょう》が広陵《こうりょう》を守っていたが、城の修繕をするために付近の古い塚を掘りかえして石の板をあつめた。見あたり次第にたくさんの塚をぶち壊《こわ》しているうちに、一つの大きい塚を発《あば》くことになった。
 塚のうちには幾重《いくちょう》の閣《かく》があって、その扉《とびら》はみな回転して開閉自在に作られていた。四方には車道が通じていて、その高さは騎馬の人も往来が出来るほどである。ほかに高さ五|尺《しゃく》ほどの銅人《どうじん》が数十も立っていて、いずれも朱衣、大冠、剣を執って整列し、そのうしろの石壁には殿中将軍とか、侍郎常侍とか彫刻してある。それらの護衛から想像すると、定めて由緒ある公侯の塚であるらしく思われた。
 さらに正面の棺を破ってみると、棺中の人は髪がすでに斑白《はんぱく》で、衣冠鮮明、その相貌は生けるが如くである。棺のうちには厚さ一尺ほどに雲母《きらら》を敷き、白い玉三十個を死骸の下に置き列《なら》べてあった。兵卒らがその死人を舁《か》き出して、うしろの壁に倚《もた》せかけると、冬瓜《とうが》のような大きい玉がその懐中から転げ出したので、驚いて更に検査すると、死人の耳にも鼻にも棗《なつめ》の実ほどの黄金が詰め込んであった。
 次も墓あらしの話。
 漢の広川王《こうせんおう》も墓あらしを好んだ。あるとき欒書《らんしょ》の塚をあばくと、棺も祭具もみな朽ち破れて、何物も余されていなかったが、ただ一匹の白い狐が棲んでいて、人を見ておどろき走ったので、王の左右にある者が追いかけたが、わずかに戟《ほこ》をもってその左足を傷つけただけで、遂にその姿を見失った。
 その夜、王の枕もとに、鬚《ひげ》も眉もことごとく白い一個の丈夫《じょうふ》があらわれて、お前はなぜおれの左の足を傷つけたかと責めた上に、持ったる杖をあげて王の左足を撃ったかと思うと、夢は醒めた。
 王は撃たれた足に痛みをおぼえて一種の悪瘡《あくそう》を生じ、いかに治療しても一生を終るまで平癒しなかった。

   徐光の瓜

 三国の呉《ご》のとき、徐光《じょこう》という者があって、市中へ出て種々の術をおこなっていた。
 ある日、ある家へ行って瓜《うり》をくれというと、その主人が与えなかった。それでは瓜の花を貰いたいと言って、地面に杖を立てて花を植えると、忽ちに蔓《つる》が伸び、花が開いて実を結んだので、徐は自分も取って食い、見物人にも分けてやった。瓜あきんどがそのあとに残った瓜を取って売りに出ると、中身はみな空《から》になっていた。
 徐は天候をうらない、出水や旱《ひでり》のことを予言すると、みな適中した。かつて大将軍|孫※[#「糸+林」、第4水準2-84-35]《そんりん》の門前を通ると、彼は着物の裾《すそ》をかかげて、左右に唾《つば》しながら走りぬけた。ある人がその子細をたずねると、彼は答えた。
「一面に血が流れていて、その臭《にお》いがたまらない」
 将軍はそれを聞いて大いに憎んで、遂に彼を殺すことになった。徐は首を斬られても、血が出なかった。
 将軍は後に幼帝を廃して、さらに景帝《けいてい》を擁立し、それを先帝の陵《みささぎ》に奉告しようとして、門を出て車に乗ると、俄かに大風が吹いて来て、その車をゆり動かしたので、車はあやうく傾きかかった。
 この時、かの徐光が松の樹の上に立って、笑いながら指図しているのを見たが、それは将軍の眼に映っただけで、そばにいる者にはなんにも見えなかった。
 将軍は景帝を立てたのであるが、その景帝のためにたちまち誅《ちゅう》せられた。

底本:「中国怪奇小説集」光文社
   1994(平成6)年4月20日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:もりみつじゅんじ
2003年7月31日作成
2007年7月15日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

岡本綺堂

半七捕物帳 旅絵師—– 岡本綺堂

    

「江戸時代の隠密《おんみつ》というのはどういう役なんですね」と、ある時わたしは半七老人に訊《き》いた。
「芝居や講釈でも御存知の通り、一種の国事探偵というようなものです」と、老人は答えた。「徳川幕府で諸大名の領分へ隠密を入れるというのは、むかしから誰も知っていることですが、その隠密は誰がうけたまわって、どういう役目を勤めるかということがよく判っていないようです。この隠密の役目を勤めるのは、江戸城内にある吹上《ふきあげ》の御庭番で、一代に一度このお役を勤めればいいことになっていました。
 なぜ御庭番がこのお役を勤めることになったかというと、それにはいろいろの説がありますが、三代将軍家光公がある時、吹上の御庭をあるいている時に、御庭番の水野なにがしというのを呼んで、これからすぐに薩摩へ下《くだ》って、鹿児島の城中の模様を隠密に見とどけてまいれと、将軍自身に仰せ付けられたので、水野はその隠密の洩れるのを恐れて、自分の屋敷へ帰らずにお城からまっすぐに九州へ下ったということです。水野が庭作りに化けて薩摩へ入り込んで、城内の蘇鉄《そてつ》の根方に手裏剣を刺し込んで来たというのは有名な話ですが、嘘だかほんとうだか判りません。とにかくそれが先例になって、隠密の役はいつも吹上の御庭番が勤めることになったのだと、江戸時代ではもっぱら云い伝えていました。御庭番は吹上奉行の組下で若年寄の支配をうけていましたが、隠密の役に限ってかならず将軍自身から直接に云い付けられるのが例となっているので、御庭番はさして重い役ではありませんが、隠密の役は非常に重いことになっていました。
 それですから、御庭番の家に生まれた者はなんどき其の役目を云い付けられるか判らないので、その覚悟をしていなければなりません。勿論、侍の姿で入り込むわけには行きませんから、いざという時には何に化けるか、どの人もふだんから考えているんです。手さきの器用なものは何かの職人になる。遊芸の出来る者は芸人になる。勝負事の好きなものは博奕打《ばくちうち》になる。おべんちゃらの巧い奴は旅商人《たびあきんど》になる。碁打ちになる、俳諧師になる。梅川の浄瑠璃《じょうるり》じゃあないが、あるいは順礼《じゅんれい》、古手買、節季候《せきぞろ》にまで身をやつす工夫《くふう》を子供の時から考えていた位です。そうして、かの水野が先例になったのでしょう。その役目を云い付かると同時に将軍から直々《じきじき》御手許金を下さる。それを路用にしてお城からまっすぐに出発するのが習いで、自分の家へ帰ることは許されないことになっていました。
 幕府が諸大名の領内へ隠密を出すのは、いろいろの場合があるので一概には云えませんが、大名の代換《だいがわ》りという時には必ず隠密を出しました。それは例のお家騒動に注意するためです。前にもいう通り、隠密は一代に一度のお役で、それを首尾よく勤めさえすれば、あとは殆ど遊んでいるようなもので、まことに気楽な身分にも見えますが、この隠密という役はまったく命懸けで、どこの藩でも隠密が入り込んだことに気がつくと、かならずそれを殺してしまいます。もともと秘密にやった使ですから、見す見す殺されたことを知っていても、幕府からは表向きの掛け合いは出来ません。所詮は泣き寝入りの殺され損になるに決まっていたものです。隠密の期限は一年で、それが三年をすぎても帰って来なければ、出先で殺されたものと認めて、その子か又は弟に家督相続を仰せ付けられることになっていました。しかしひと思いに殺されたのは運のいい方で、意地の悪い大名になるとそれを召し捕って、面当てらしく江戸へ送り還《かえ》してよこすのがあります。それですから、万一召し捕られた場合には、たといどんな厳しい拷問をうけても、自分が公儀の隠密であるということを白状しないのが習いで、もし白状すれば当人は死罪、家は断絶です。そういう恐ろしいことになっていますから、隠密がもし召し捕られた場合には眼を瞑《つむ》って責め殺されるか、但しは自殺するか破牢するか、三つに一つを選むよりほかはないので、隠密はかならず着物の襟のなかにうす刃の切れ物を縫い込んでいました」
「なるほど、ずいぶん難儀な役ですね」
「それですから、隠密に出された人たちは、その出先で、いろいろのおそろしいこともあり、おかしいこともあり、悲劇喜劇さまざまだそうですが、なにしろ命懸けで入り込むんですから、当人たちに取っては一生懸命の仕事です。いや、その隠密についてこんな話があります。これは今云った悲劇喜劇のなかでは余ほど毛色の変った方ですから、自分のことじゃありませんけれど、受け売りの昔話を一席弁じましょう。このお話は、その隠密の役目を間宮鉄次郎という人がうけたまわった時のことで、間宮さんはこの時二十五の厄年《やくどし》だったと云います。それから最初におことわり申しておくのは、このお話の舞台は主《おも》に奥州筋ですから、出る役者はみんな奥州弁でなければならないんですが、とんだ白石噺《しらいしばなし》の揚屋のお茶番で、だだあ[#「だだあ」に傍点]やがあま[#「があま」に傍点]を下手にやり損じると却《かえ》ってお笑いぐさですから、やっぱり江戸弁でまっすぐにお話し申します」

 文政四年五月十日の朝、五ツ(午前八時)を少し過ぎた頃に、奥州街道の栗橋の関所を無事に通り過ぎた七、八人の旅人がぞろぞろ繋《つな》がって、房川《ぼうかわ》の渡《わたし》(利根川)にさしかかった。そのなかには一人の若い旅絵師がまじっていた。渡し船は幾|艘《そう》もあるので、このひと群れは皆おなじ船に乗り込んで、河原と水とをあわせて三百間という大河のまん中まで漕ぎ出したときに、向うから渡ってくる船とすれ違った。広い河ではあるが、船の行き馴れている路はいつも決まっているので、両方の船は小舷《こべり》が摺れ合うほどに近寄って通る。船頭は馴れているので平気で棹《さお》を突っ張ると、今日はふだんより流れのぐあいが悪かったとみえて、急に傾いてゆれた船はたがいにすれ違う調子をはずして、向うから来た船の舳先《へさき》がこっちの船の横舷《よこべり》へどんと突きあたった。
 つき当てられた船はひどく揺れて傾いたので、乗っていた二、三人はあわてて起《た》ちかかった。船頭があぶないと注意する間《ひま》もなしに、一人の若い娘はからだの中心を失って、河のなかへうしろ向きに転げ落ちてしまった。どの人も顔色を変えてあっ[#「あっ」に傍点]と叫ぶ間に、船頭は棹をすてて飛び込んだ。かの旅絵師もつづいて飛び込んだ。見る見る川しもへ押し流されて行った娘は、七、八間のところで旅絵師の手に掴《つか》まえられると、水練の巧みらしい彼は、娘を殆ど水のなかから差し上げるようにして、もとの船へ無事に泳いで帰ったので、大勢はおもわず喜びの声をあげた。取り分けその娘の親らしい老人と供の男とは手を合わせて彼を拝んだ。船頭は乗合一同にひどくあやまって、ともかく向う岸まで船を送り着けた。
 娘はさのみに弱ってもいなかった。そのころは五月であるから凍《こご》えることもなかった。渡し小屋で濡れた単衣《ひとえ》を着かえて、彼女は父と供の男とに介抱されながらしばらく休んでいるうちに、旅絵師は娘の無事を見とどけて、自分も着物を着かえて、そのまま行こうとすると、大切な娘の命を助けられたそのお礼がまだ十分に云い足りないというので、老人はしきりに彼を抑留《ひきと》めた。娘だけを駕籠に乗せて、自分たちは近い宿《しゅく》まで一緒にあるいて行って、老人はある立場《たてば》茶屋の奥座敷へ無理にかの旅絵師を誘い込んで、ここであらためて礼を云った上で酒や肴《さかな》を彼にすすめた。
 老人は奥州の或る城下の町に穀屋《こくや》の店を持っている千倉屋伝兵衛という者であった。年来の宿願《しゅくがん》であった金毘羅《こんぴら》まいりを思い立って、娘のおげんと下男の儀平をつれて、奥州から四国の琴平《ことひら》まで遠い旅を続けて、その帰りには江戸見物もして、今や帰国の途中であると話した。この時代に足弱《あしよわ》と供の者とを連れて奥州から四国路までも旅行をするというのは、よっぽど裕福の身分でなければならないことは判り切っていた。伝兵衛はもう六十と云っていたが、身の丈《たけ》も高く、頬の肉も豊かで、見るから健《すこや》かな、いかにも温和らしい福相をそなえた老人であった。
 旅絵師も自分のゆく先を話した。かの芭蕉の「奥の細道」をたどって高館《たかだち》の旧跡や松島塩釜の名所を見物しながら奥州諸国を遍歴したい宿願で、三日前のゆうぐれに江戸を発足《ほっそく》して、路草を食いながらここまで来たのであると云った。
「それはよい道連れが出来ました」と、伝兵衛は喜ばしそうに云った。「唯今申す通り、わたくし共も長の道中をすませて、これから奥州の故郷へ帰るものでございます。足弱連れで御迷惑かも知れませんが、これも何かの御縁で、途中まで御一緒においでなされませんか」
「いや、御迷惑とはこちらで申すこと、実はわたくしも奥州道中は初旅で、一向に案内が知れないので、心ぼそく思っていたところでございますから、御一緒にお連れくだされば大仕合わせでございます」
 相談はすぐに決まって、山崎|澹山《たんざん》とみずから名乗った若い旅絵師は、伝兵衛の一行に加わることになった。道連れといっても、これは自分の娘の命を救ってくれた恩人であるから、伝兵衛主従も決して彼を疎略には扱わなかった。
 その晩は小山の宿《しゅく》に泊まったが、旅籠《はたご》賃その他はすべて伝兵衛が賄《まかな》った。これから幾日もつづく道中に、それではまことに困ると澹山はしきりにことわったが、伝兵衛はどうしても肯《き》かなかった。あくる晩は宇都宮に着いたが、その翌日も午《ひる》すぎまでここに逗留して、伝兵衛は澹山を案内して二荒《ふたら》神社などに参詣した。その後の道中も、毎晩の宿はかなりの上旅籠で、澹山はなんの不自由もなしに奥州路にはいった。

     

 この年は正月から照りつづいて江戸近国は旱魃《かんばつ》に苦しんだと伝えられているが、白河から北にはその影響もなくて、五月の末には梅雨《つゆ》らしいしめり勝ちの暗い天気が毎日つづいた。この雨にふり籠められたばかりでなく、旅絵師の澹山は千倉屋の奥の離れ座敷に閉じ籠って、当分は再び草鞋《わらじ》を穿《は》きそうもなかった。
 その頃の旅絵師といえば、ゆく先々で自分の絵を売って、それを路用としてそれからそれへと渡ってゆくのが習いであった。千倉屋伝兵衛もその事情を知っているので、ともかくも自分の家に当分逗留して、相当の路用を作り溜めた上で出発することにしたらよかろうと途中でも切《しき》りにすすめたので、澹山もその親切をよろこんで、云わるるままに千倉屋の厄介になることにした。千倉屋は旅絵師が想像していたよりも更に大きい店構えで、十人あまりの奉公人が忙がしそうに働いていた。伝兵衛の女房は七、八年前に世を去ったということで、家族は主人のほかに惣領息子の伝四郎と妹娘のおげん二人ぎりであった。伝四郎は今年|二十歳《はたち》の独身者《ひとりもの》で、これも父に似て骨格のたくましい寡言《むくち》の男であった。おげんは二つちがいの今年十八で、色のすぐれて白い、ここらでは先ず眼につくような美しい眼鼻立ちを具《そな》えながら、どことなく薄のろいようにも見えるおとなしい娘であることを、毎日一緒に連れ立って来た澹山は知っていた。
 妹の命を救ってくれたということを聞いて、兄の伝四郎も若い旅絵師をよろこんで迎えた。彼は父と同じように、いつまでもここに逗留していてくれと無愛想な口で澹山にすすめた。こうして一家の人々から款待《かんたい》されて、澹山の方でもひどく喜んで、自分の居間として貸して貰った離れ座敷を画室として、ここでゆっくりと絵絹や画仙紙をひろげることになると、伝兵衛も自分の家の屏風や掛物は勿論、心安い人々をそれからそれへと紹介して、澹山のために毎日の仕事をあたえてくれた。それらの仕事に忙がしく追われながら、六七八の三月《みつき》はいつか過ぎて、ここらでは雪が降るという九月の中頃になった。
 この三月のあいだには別に記《しる》すべき事もなかった。ただ彼《か》の澹山が諸方から少なからず画料を貰って、その胴巻がよほど膨《ふく》れて来たのと、娘のおげんと特に親しみを増したのと、この二ヵ条のほかには何事もなかった。しかし、娘の問題は若い旅絵師に取ってすこぶる迷惑の筋であるらしかった。娘は自分の恩人という以上に澹山を鄭重《ていちょう》に取り扱った。かれが朝夕の世話は奉公人どもの手を借らずに、娘が何もかも引き受けていた。その親切があまりに度を過ぎるのを澹山は内心あやぶみ恐れていながらも、むやみにここを立退《たちの》くことの出来ない事情もあるらしく、迷惑を忍んで千倉屋の奥にうずくまっていた。
「先生。お寂しゅうござりましょう」
 柴栗の焼いたのを盆に盛って、おげんは行燈《あんどう》の前にその白い顔を見せた。奥州の夜寒に※[#「虫+車」、第3水準1-91-55]《こおろぎ》もこの頃は鳴き絶えて、庭の銀杏《いちょう》の葉が闇のなかにさらさらと散る音がときどきに時雨《しぐれ》かとも疑われた。娘は棚から茶道具をとりおろして来て、すぐに茶をいれる支度にかかった。
「いや、もう毎晩のこと、決してお構いくださるな」と、澹山は書きかけていた日記の筆を措《お》いて見かえった。「お父さんはどうなさった。きょうは一日お目にかからなかったが……」
「父は午《ひる》から出ましてまだ戻りません。今夜は遅くなるでございましょう」
 伝兵衛は囲碁が道楽で、ときどき夜ふかしをして帰ることは澹山も知っているので、別にそれを不思議とも思わなかった。
「兄さんは……」
「兄も父と一緒に出ました」
 おげんは茶をすすめて、更に柴栗を剥《む》いてくれた。その白い指先をながめながら澹山はしずかに訊《き》いた。
「御用人の御子息はその後御催促には見えませんか」
「はい」
「どうも思うように出来ないので甚だ延引、なんとも申し訳がありません」と、澹山は小鬢《こびん》をかいた。「頼まれたお方が余人でないので、せいぜい腕を揮《ふる》おうと思っているのですが、それがため却って筆先が固くなった気味で、まことにどうも困っています。千之丞殿も定めて御立腹、ひいては御推挙くだすったお父さんにも御迷惑がかかろうと心配していますが……」
「なんの、そんなことはございません」と、おげんは相手の顔を見つめながら云った。「あんな人の頼んだ絵など、いっそいつまでも出来ない方がようござります」
 この藩の用人荒木|頼母《たのも》の伜千之丞は、伝兵衛の推挙で先ごろ千倉屋へたずねて来て、澹山に西王母《せいおうぼ》の大幅を頼んで行った。その揮毫《きごう》がなかなかはかどらないので、五、六日前にも千之丞はその催促に来た。しかしその催促以外に、なにかの意味でおげんが千之丞を嫌っていることを、澹山もうすうす覚《さと》っていた。
「くどくも云う通り、頼まれたお方が余人でないので、わたくしも等閑《なおざり》には存じません」と、澹山は飽くまでもまじめに云い出した。「しかし、どうも出来ないものは仕方がないので、まあ、まあ、幾たびでも描き直して、これなればと自分でも得心《とくしん》のまいるまで根《こん》よくやってみるよりほかはありません。お前様からもよくお父さんに取りなして置いてください。頼みます」
 おげんは微笑《ほほえ》みながらうなずいた。片明かりの行燈は男と女の影を障子に映して、枕の草子の作者でなくても、憎きものに数えたいような影法師が黒くゆらいでいた。庭で銀杏《いちょう》の散るおとが又きこえた。
「千之丞殿の伯父御は先殿《せんとの》様の追腹《おいばら》を切られたとかいいますが、それはほんとうのことですか」と、澹山は思い出したように訊いた。
「確かなことは存じませんが、それは嘘だとか聞きました」と、おげんは躊躇《ちゅうちょ》せずに答えた。「先殿様の御葬式《おとむらい》がすむと間もなく、源太夫様もつづいてお亡《な》くなりなすったので、世間では追腹などと申しますが、ほんとうは千之丞様の親御《おやご》たちが寄りあつまって詰腹《つめばら》を切らせたのだとかいうことでござります」
「ほう。詰腹……」と、澹山は顔をしかめた。「武家では折りおりそんな噂を聞きますが、無得心のものを大勢がとりこめて切腹させる。考えてもおそろしい。しかし、源太夫殿とても御用人格の立派な御身分であるから、いわれ無しに詰腹など切らされる筈もあるまい。何かそこには深い仔細があることと思われるが……」
「大方そうでござりましょう」
「若殿の忠作様も実は御病死でない。それにも何か仔細があるように云う者もありますが、それも嘘ですか」と、澹山はまた訊いた。
「それもよくは存じません」
 彼女もまんざら愚鈍でないので、いかに打ち解けた男のまえでも、領主の家の噂を軽々しく口外することはさすがに慎しんでいるらしく見えたので、澹山も根問《ねど》いしないでその儘に口を噤《つぐ》んだ。用人の死、若殿の死、この二つの問題はそれぎりで消えてしまって、話はやがて来る冬の噂、それもおげんの重い口から途切れ途切れに語られるだけで、あんまり澹山の興味を惹かないばかりか、今夜も五ツ(午後八時)を過ぎたのに、おげんはただ黙って坐り込んだままで容易に動きそうにも見えないので、澹山は例の迷惑を感じて来た。
「おげんさん。もう五ツ半頃でしょう。そろそろおやすみになったらどうです」
「はい」と、云ったばかりで、おげんはやはり素直に起ち上がりそうもなかった。
「早く行ってお寝《やす》みなさい」と、澹山は優しい声ながらも少し改まって云った。
「はい」
 彼女はやはり強情に坐り込んでいた。そうして、重い口をいよいよ渋らせながら云い出した。
「あの、わたくしのような不器用なものにも絵が習えましょうか」
「誰でも習えないということはありません」と、澹山は、ほほえみながら答えた。
「では、これからあなたの弟子にして、教えていただくことは出来ますまいか」
 澹山は返事に少し躊躇した。もとより良家の娘が道楽半分に習うというのであるから、その器用不器用などは大した問題でもなかったが、澹山の別に恐れるところは、彼女が絵筆の稽古をかこつけに、今後はいっそう親しく接近して来ることであった。しかし今の場合、それをことわるに適当の口実をも見いだし得ないので、結局それを承知すると、おげんは初めて座をたった。
「では、きっとお弟子にしていただきます」
 そこらの茶道具を片付けて、かれは自分で澹山の寝床をのべて、丁寧に挨拶して出て行った。そのうしろ姿を見送って澹山は深い溜息をついた。
 旅絵師山崎澹山の正体が吹上御庭番の間宮鉄次郎であることは云うまでもあるまい。この土地の領主は三年あまりの長煩《ながわずら》いで去年の秋に世を去った。その臨終のふた月ほど前に、嫡子《ちゃくし》の忠作が急病で死んで、次男の忠之助を世嗣ぎに直したいということを幕府に届けて出た。嫡子が死んで、次男がその跡に直るのは別にめずらしいことでもない。むしろそれは正当の順序であるので、幕府でも無論それを聞き届けたが、それから間もなく当主が死んだ。その葬式が済むと、つづいて用人の一人貝沢源太夫が死んだ。それが禁制の殉死であるともいい、または毒害ともいい、詰腹ともいう噂があった。
 こうなると、嫡子の急病というのも一種の疑いが起らないでもない。当主の余命がもう長くないのを見込んで、何者かが嫡子を毒害などして次男を相続人に押し立てようと企てた。その反対者たる用人の一人は何かの口実のもとに押し片付けられてしまった。大名の家の代換りには、こういうたぐいのいわゆる御家騒動がたびたび繰り返されるので、幕府でも一応内偵をしなければならなかった。
 そうでなくても、大名の代換りには必ず隠密を放つのが其の時代の例であるのに、仮りにもこういう疑いが付きまとっている以上、今度の隠密は比較的重大な役目になって来た。それをうけたまわった鉄次郎は絵筆の嗜《たしな》みのあるのを幸いに、旅絵師に化けて奥州へ下ってくる途中で、偶然に房川《ぼうかわ》の渡しでおげんを救ったのが縁となって、千倉屋伝兵衛と親しくなった。しかも其の家は鉄次郎の澹山がこれから踏み込もうとする城下の町にあるというので、彼はこの上もない好都合をよろこんで、抑留《ひきと》められるままに千倉屋の客となった。そうして三月あまりを送るうちに、彼は伝兵衛の推挙で城の用人荒木頼母の伜千之丞から掛物の揮毫《きごう》を頼まれた。
 城内の者に知己を得るという事は、澹山に取っては最も望むところであったので、彼はいよいよ喜んでそれを引き受けたが、それがどうも思うように描きあがらないので、彼の心はひどく苦しめられた。あの絵師はまずいと一旦見限られてしまうと、城内の他の人々にも接近する機会を失うことになるので、彼はこの絵を腕一ぱいにかきたいと思った。もう一つには万一自分が隠密であるということが発覚した暁に、江戸の侍はこんなまずい絵を描き残したと後日《ごにち》の笑いぐさにされるのが残念である。十分に念を入れて描きたいと、あせれば躁《あせ》るほど其の筆は妙に固くなって、彼として相当の自信のあるような作物がどうしても出来あがらなかった。おれはほんとうの絵師ではない。おれは侍で、単に一時の方便のために絵を描くのであるから、所詮は素人の眼を誤魔化し得るだけに、ただ小器用に手綺麗に塗り付けて置けばよいのである。田舎侍に何がわかるものかと時々こう思い直すこともありながら、彼はやはり自分の気が済まなかった。現在の彼は江戸の侍、間宮鉄次郎の名を忘れて、山崎澹山という一個の芸術家となって苦しみ悩んでいるのであった。
 その最中に千倉屋の娘がうるさく付きまとって来て、いよいよ自分の弟子にしてくれという。それを邪慳《じゃけん》に突き放すすべもない彼は、いっそ此の家を逃げ出して、どこか静かなところに隠れて思うような絵をかいてみたいとも思ったが、その小さい目的のために他の大きい目的を犠牲にすることの出来ないのは判り切っているので、澹山はただ苦しい溜息をつくのほかはなかった。
 寺の鐘が四ツ(午後十時)を撞《つ》き出したのに気がついて、彼は寝床へ入ろうとした。用心ぶかい彼は寝る前にかならず庭先を一応見まわるのを例としているので、今夜も縁先の雨戸をそっとあけて、庭下駄を突っかけて、大きい銀杏の下に降り立つと、星の光りすらも見えない暗い夜で、早寝の町はもう寝静まっていた。広い庭を囲っている槿《むくげ》の生垣《いけがき》を越して、向うには畑を隔てた小家が二、三軒つづいている筈であるが、その灯も今夜は見えなかった。まして、その又うしろに横たわっている小高い丘や森の姿などは、すべて大きい闇の奥に埋められていた。
 落葉の音にも耳をすまして、澹山はやがて内へ引っ返そうとする時、向うの田圃路《たんぼみち》に狐火のような提灯の影が一つぼんやりと浮き出した。丘の上に祠《まつ》られてある弁天堂に夜まいりをした人であろうと思いながらも、彼はしばらく其の灯を見つめていると、灯はだんだんに近づいて生垣の外を通り過ぎた。灯に照らされた人のすがたは主人の伝兵衛と伜の伝四郎とであることを、澹山は垣根越しにはっきり認めた。
「碁を打ちに行ったのではない。親子連れで夜詣りかな」と、かれは小首をかしげた。
 座敷へ帰って、行燈《あんどう》をふき消して、澹山は自分の寝床にもぐり込むと、やがて母屋《おもや》の方からこちらへ忍んで来るような足音がきこえた。

     

 澹山は蒲団の下に隠してある匕首《あいくち》を先ず探ってみた。そうして自分の耳を蒲団に押し付けて、熟睡したような寝息をつくっていると、足音は障子の外でとまった。もしやおげんが執念ぶかく忍んで来たのかとも疑ったが、その足音はもっと力強いように思われた。
「先生」と、外の人は小声で呼んだ。「もうおやすみでござりますか」
 それが伝兵衛であると知って、澹山はすぐに答えた。
「いや、まだ起きて居ります。御主人ですか」
「はい。では、ごめんください」
 勝手を知っている伝兵衛は暗いなかへはいって来ると、澹山は起き直って行燈の火をともした。
「夜ふけにお邪魔をいたしまして相済みませんが、荒木様の御子息様からおあつらえの掛物はまだお出来に相成りませんか」と、伝兵衛は坐り直して訊《き》いた。
 申し訳のない延引と澹山があやまるように云うのを聴きながら、伝兵衛は少し考えていたらしいが、やがてやはり小声で云い出した。
「就きましては先生、一方の御仕事のまだ出来あがらないうちに、こんなことをお願い申すのは甚だ心苦しいようではござりますが、実は別に大急ぎで願いたいものがござりまして……」
「ははあ。それはどんなお仕事で……」
「御承知くださりますか」
「承知いたしましょう。わたくしで出来そうなことならば……」と、澹山は快く答えた。
「ありがとうござります」と、伝兵衛も満足したらしくうなずいた、「では、恐れ入りますが、これからわたくしと一緒にそこまでお出でくださりませんか。なに、すぐ近いところでござります」
 これからどこへ連れてゆくのかと思ったが、澹山は素直に起きて着物を着かえて、匕首をそっとふところに忍ばせた。その支度の出来るのを待って、伝兵衛は庭口の木戸から彼を表へ連れ出した。今度は提灯を持たないで、二人は暗い路をたどって行った。伝兵衛は始終無言であった。
 江戸の隠密ということが露顕したのかと、澹山はあるきながら考えた。城内の者が伝兵衛に云いつけて、自分をどこへか誘い出させて闇打ちにする手筈ではあるまいかと想像されたので、暗いなかにも彼は前後に油断なく気を配ってゆくと、伝兵衛はさっき帰って来た田圃道を再び引っ返すらしく、それを行きぬけて更に向うの丘へのぼって行った。丘のうえには昼でも暗い雑木林《ぞうきばやし》が繁っていて、その奥の小さい池のほとりには古い弁天堂のあることを澹山は知っていた。
 堂守《どうもり》は住んでいないのであるが、その中には燈明《とうみょう》の灯がともっていた。その灯を目あてに、伝兵衛は池のほとりまで辿って来て、そこにある捨て石に腰をおろした。澹山も切株に腰をかけた。
「御苦労でござりました。夜が更けてさぞお寒うござりましたろう」と、伝兵衛は初めて口を開いた。「そこで、早速でござりますが、わたくしが折り入って描《か》いて頂きたいのはこれでござります」
 澹山をそこに待たせて置いて、伝兵衛はうす暗い堂の奥にはいって行ったが、やがて二尺ばかりの太い竹筒をうやうやしく捧げて出て来た。彼は自分の家から用意して来たらしい蝋燭に燈明の火を移して、片手にかざしながらしずかに云った。
「まずこれを御覧くださりませ」
 かなりに古くなっている竹は経筒《きょうづつ》ぐらいの太さで、一方の口には唐銅《からかね》の蓋が厳重にはめ込んであった。その蓋を取り除《の》けて、筒の中にあるものを探り出すと、それは紙質も判らないような古い紙に油絵具で描かれた一種の女人像《にょにんぞう》で、異国から渡って来たものであることは誰の眼にも覚《さと》られた。伝兵衛がさしつける蝋燭の淡《あわ》い灯で、澹山はじっとこれを見つめているうちに彼の顔色は変った。
「これは何でございます」と、彼はしずかに訊《き》いた。
「弁天の御像でござります」
 それは嘘であることを澹山はよく知っていた。この古びた女人像は、切支丹《きりしたん》宗徒が聖母として礼拝するマリアの像であった。四国西国ならば知らず、この奥州の果ての小さい寂しい城下町でこんなものを見いだそうとは、澹山はすこしく意外に思って、手に持っている其の油絵と伝兵衛の顔とをしばらく見くらべていると、伝兵衛の方でも彼の顔をのぞき込みながら云った。
「先生、いかがでござりましょう。それを模写《もしゃ》して頂くわけにはまいりますまいか」
 澹山は黙っていた。伝兵衛もしばらく黙ってその返事を待っていた。蝋燭の灯は夜風にちらちらとゆれて、時々にうす暗くなる光りの前に、彼の顔は神々《こうごう》しく輝いているように見られた。澹山は一種の威厳にうたれて、おのずと頭が重くなるように感じた。
「大方は御不承知と察して居りました」と、伝兵衛はやがてしずかに云い出した。「それはわたくし共に取りましては、命にも換えがたい大切の絵像《えぞう》でござります。この弁天堂もわたくしの一力で建立《こんりゅう》したのでござります。娘を連れて金毘羅《こんぴら》まいりと申したのも、実は四国西国の信者をたずねて、それと同じような有難い絵像をたくさん拝んで来たのでござります。こう何もかも打ち明けて申しましたら、御禁制の邪宗門を信仰する不届き者と、あなたはすぐにわたくしの腕をつかまえて、うしろへお廻しになるかも知れません。しかしわたくし一人をお仕置になされても、私には又ほかに幾人もの隠れた味方がござります。迂闊《うかつ》な事をなさると、却ってあなたのお為になりますまい。あなたの御身分もわたくしはよく存じて居ります。今日まで百日あまりのあいだに、わたくしが一度口をすべらしましたら、失礼ながらあなたのお命はどうなっているか判りません。娘の命を助けてくだされた御恩もあり、もう一つは斯《こ》ういう御無理をお願い申したさに、今日《こんにち》までわたくしは固く口をむすんで居りました。この後とても決して口外するような伝兵衛ではござりません。その代りに……と申しては、あまりに手前勝手かは存じませんが、どうぞ快く御承知くださりませ」
 自分をここまで誘い出して、おそらく闇討ちにでもするのであろうと澹山は内々推量していたが、その想像はまったく裏切られて、彼は思いもよらない難題を眼のまえに投げ付けられた。彼は国法できびしく禁制されている切支丹宗門の絵像を描かなければならない羽目《はめ》に陥ったのである。隠密という大事の役目をかかえている彼は、手強くそれを刎《は》ねつけることが出来ない。相手が伝兵衛ひとりならばいっそ斬って捨てるという法もあるが、ほかにも彼と同じ信徒があって、その復讐のためにこっちの秘密を城内の者に密告されると、我が身が危《あぶ》ない。わが身のあぶないのは江戸を出るときからの覚悟ではあるが、大事の役目を果たさずには死にたくない。邪宗門ということが発覚すれば、伝兵衛も命はない。隠密ということが発覚すれば、澹山も命は無い。どっちも命がけの秘密をもっているのであるが、この場合には相手の方が強いので、澹山も行き詰まってしまった。
 しかし斯《こ》う順序を立てて考えたのは、それから余ほど後のことで、その一刹那の澹山はただ何がなしに相手に威圧されてしまったという方が事実に近かった。
「これを模写してどうするんです」と、彼はわざと落ち着き払って訊いた。
「それはおたずね下さるな」と、伝兵衛はおごそかに云った。「わたくしの方に入用があればこそ、こうして折り入ってお願い申すのでござります」
 自分の頼みを素直に引き受けてくれる上は、自分たちもかならずあなたの身の上を保護して、秘密の役目を首尾よく成就《じょうじゅ》させてやると、伝兵衛は彼の信仰する神のまえで固く誓った。

     

 それから一と月ほどの間、澹山は病気と云って誰にも逢わなかった。夜も昼も一と足も外へ踏み出さなかった。かれは千倉屋の離れ座敷に閉じ籠って、朝から晩まで絵絹にむかって、ある物の製作に魂をうち込んでいた。そのあいだに荒木千之丞は絵の催促にたびたび来たが、伝兵衛がいつもいい加減にことわっていた。十月の末になって、ここらでは早い雪が降った。
「先生、ありがとうござりました。御恩は一生忘れません」
 秘密の絵像が見事に出来あがって、澹山の手から伝兵衛に渡されたときに、彼は涙をながして澹山を伏し拝んだ。そうしてその報酬として、伝兵衛の手からもいろいろの秘密書類が澹山に渡された。この一ヵ月のあいだに伝兵衛はおなじ信徒を働かせて、また一方にはたくさんの金を使って、いろいろの方面から秘密の材料を蒐集して来たのであった。
 この城内における小さいお家騒動の事情はこれでいっさい明白になった。嫡子忠作の死は毒害などではなく、まさしく庖瘡《ほうそう》であったことが確かめられた。しかし藩中に党派の軋轢《あつれき》のあったことは事実で、嫡子の死んだのを幸いに妾腹の長男を押し立てようと企てたものと、正腹の次男を据えようと主張するものと、二つの運動が秘密のあいだに行なわれたが、結局は正腹方が勝利を占めて、家老のひとりは隠居を申し付けられた。用人の一人は詰腹を切らされた。そのほかに閉門や御役御免などの処分をうけた者もあって、この内訌《ないこう》も無事に解決した。
 これでもう澹山の役目は済んだものの、他人《ひと》のあつめてくれた材料ばかりを掴んで帰るのはあまりに無責任である。これだけの材料を土台として、自分が直接に調べあげて見なければ気が済まないので、澹山はここで年を越すことにした。千倉屋ではいよいよ鄭重に取り扱ってくれた。
 十一月になって雪のふる日が多くつづいたので、澹山はこのあいだに彼《か》の千之丞から頼まれた掛物を仕上げてしまおうと思い立って、再び絵筆を執《と》りはじめると、不思議にその西王母の顔が、かのマリアの顔に肖《に》てくるので、彼は自分ながら怪しく思った。幾度かき直しても絵絹の上にはマリアの顔が、ありありと浮き出して来るので、彼は自分もいつの間にか切支丹の魔法に囚《とら》われてしまったのではないかと疑った。そうして、千之丞からいくら催促をうけても当分は絵筆を持たないことに決めて、かれは雪の晴れ間を待って城下を毎日出あるいた。伝兵衛のあつめてくれた材料が彼に非常の便利をあたえたので、探索は思いのほかに容易《たやす》くはかどって、小さいお家騒動の秘密は伝兵衛の報告と違いないことが確かめられた。澹山は一々それを薄い雁皮紙《がんぴし》に細かく書きとめて、着物の襟や帯の芯《しん》のなかに封じ込んだ。
 秘密の絵像を描いているあいだは、父からも厳しく云い渡されていたのであろう。おげんも余りうるさく寄り付いて来なかったが、それがいよいよ出来あがると、彼女は先夜の約束通りにあなたのお弟子にしてくれと強請《せが》んで来た。澹山はよんどころなしに二つ三つの手本をかいてやると、彼女は熱心に稽古をつづけて、あまり器用らしくもない彼女が案外めきめきと上達するのに、師匠も少しく驚かされた。しかしその熱心の裏には何かの意味が忍んでいるらしくも想像されるので、澹山はなんだかいじらしいような暗い心持にもなった。
 江戸の旅絵師は奥州の春をむかえて、今年ももう二月になったが、ここらの雪はまだちっとも解けないで、うす暗い寒い日が毎日つづいた。今夜も細かい雪がさらさらと灰のように降っていた。
「お寒うござります」
 おげんは菓子鉢を持って、いつものように離れ座敷へ顔を出した。うるさい、いじらしいを通り越して、この頃の澹山は彼女の顔をみるのが何だか恐ろしいようにも思われた。小賢《こざか》しい江戸の女を見馴れた澹山の眼には、何だかぼんやりしたような薄鈍《うすのろ》い女にみえながら、邪宗門の血を引いているだけに、強情らしい執念深そうな、この田舎娘に飽くまでも魅《み》こまれたら、結局はどうしても彼女の虜《とりこ》になるのではないかと、自分ながらも一種の不安を感じて来たので、努めて彼女に接近するのを避けているのであるが、彼女にもおそらく自分の秘密を知られているのであろうという不安と、今では仮りにも師弟となっている関係とで、この頃いよいよ摺り寄ってくる彼女をどうしても払いのけることが出来なかった。
「ここらではいつ頃まで雪が降ります」と、澹山は手あぶり火鉢を彼女のまえに押しやりながら訊《き》いた。
「来月のはじめには歇《や》みましょう」と、おげんは茶をいれながら答えた。「もう十日か半月の御辛抱でござります。ここらで雪のやむ頃は、お江戸は花盛りでござりましょう」
 澹山は江戸の春が恋しくなった。去年の五月に江戸を発《た》って、やがて小一年になる。雪のやむのを待って早々に出発しても、上野や向島の今年の花はもう見られまいと思った。
 その心のうちを読むように、おげんはまた云った。
「雪がやむと、すぐにお発ちになるのでござりますか」
 うっかりした返事は出来ないので、澹山はあいまいに答えた。
「いや、まだ確かに決めていません。もう少しこちらに御厄介になりますか、それとも松島、塩釜の方へでも見物に行きますか」
「ほんとうでござりますか」と、おげんはまだ疑うように相手の顔色をうかがっていた。「松島塩釜はわたくしも一度見物に参ったことがござります。もし先生が御見物ならば、わたくしに御案内させてくださりませ」
 どこまでも附き纒おうとする彼女の執念におどろきながら、澹山はなにげなく答えた。
「自然そういうことになりましたら、ぜひ御案内をねがいます。わたくしは御承知の通り、奥州の方角は一向不案内ですから」
 庭の雨戸を軽くことこと[#「ことこと」に傍点]と叩くような物音がきこえた。雪の音らしくないので、二人は話をやめて思わず顔を見あわせると、その物音は又きこえた。おげんは初めて起ち上がって縁側へ出ると、澹山は片手をのばして行燈をひき寄せた。
「どなた、誰です」と、おげんは障子をあけながら声をかけた。
 外ではなんの返事もなかったが、雨戸をたたくような音はつづけて聞えた。おげんも根負けがして、雨戸を細目にあけながら、雪明かりの庭先をのぞいたかと思うと、忽ちあっ[#「あっ」に傍点]と叫んで座敷へ転げ込んで来て、澹山の膝のうえに半分倒れかかりながら、彼を掩うように両手をひろげた。澹山はすぐに手近の行燈を吹き消した。それとこれと殆ど同時に、ひと筋の手槍が暗いなかを縫ってきて、おげんの胸を突き透した。つづいて颯《さっ》という太刀風が彼女の小鬢をななめに掠《かす》めて通った。
 澹山はもうその時、おげんの背後《うしろ》にはいなかった。彼は早くも飛びさがって蝙蝠《こうもり》のように横手の壁に身をよせて息をのみ込んでじっと窺っていると、槍と刀とは空《くう》を突き、空を撃って、暗い座敷を二、三度流れたが、おげんの悲鳴を聞きつけて表の店から誰か駈けてくるらしい足音におどろかされて、槍と刀は早くも庭先に消えてしまった。澹山はそっと壁がわをはなれて、縁側に出て耳をすますと、凍《こお》っている雪を踏み散らしてゆく足音が生垣の外へ遠くきこえた。
「先生、どうなされましたか」
 暗いなかで呼びかけたのは、おげんの兄の伝四郎の声であった。
「あかりを早く……」と、澹山は小声で云った。「娘御が怪我をされたらしい」
 伝四郎は無言で引っ返したが、やがて店の者三、四人と共に、手燭をかざして再び駈け付けると、その火に照らされた座敷の内には、行燈が倒れていた。茶碗や土瓶がころげていた。襖の紙にも槍の痕と刀傷が残っていた。その狼藉をきわめたなかに、若い娘は血に染みて横たわっているのを一と目見て、伝四郎は思わず声をあげた。
「妹。おげん……しっかりしろ」と、かれは妹を自分の膝のうえに抱きあげて叫んだ。
「先生……」と、おげんは微かに云った。
「わたくしはここにいます」
 澹山はおげんの眼のまえに顔を出した。その顔をうっとりと見つめているうちに、彼女のからだは兄の膝からぐったりと滑《すべ》り落ちた。少し風邪をひいたと云って早寝をしていた伝兵衛が、眼をさましてここへ駈け付けた頃には、おげんの息はもう絶えていた。委細の事情を澹山から聞いて、彼は娘の死に顔を悲しげに眺めていたが、やがて何を考えたか、いたずらに恐怖の眼をみはっている奉公人どもの方に振り向いた。
「先生に少しお話がある。伝四郎だけはここに残って、皆はしばらく店の方へ行っていろ」
 彼等を追い遠ざけて、伝兵衛は澹山のまえに坐り直した。その顔は弁天堂の前で彼にマリアの絵像を頼んだときと同じように、なんとなく人を威圧するようなおごそかなものであった。
「先生、あなたの御身分は決して他人に洩らすまいと、神にも誓って置きながら、今夜のようなことが出来《しゅったい》いたしましては、定めてわたくしを偽り者ともお憎しみでござりましょうが、これには別に仔細がござります。今夜の闇討ちはおそらく先生の御身分を知ってのことではござりますまい。これは用人の荒木頼母がせがれ千之丞の仕業に相違あるまいと、わたくしは睨んで居ります」
 千之丞はかねて千倉屋の娘に懸想《けそう》していて、町人とはいえ相当の家柄の娘であるから、仮親《かりおや》を作って自分の嫁に貰いたいというようなことを人伝《ひとづ》てに申し込んで来たが、娘も親も気がすすまないので先ずその儘になっていた。彼が澹山の絵の催促にかこつけてたびたび此の店へたずねて来るのもそれが為であった。そのうちに誰の口から洩れたのか、娘が旅絵師と特別に親しくしているという噂が千之丞の耳にはいったらしい。現に先頃も絵の催促に来たときに、彼は直接に伝兵衛にむかって、あの旅絵師を娘の婿にするのかと訊いたこともある。彼は暴気《あらき》の若侍であるから、その嫉妬から旅絵師を亡き者にしようとたくらんで、おなじ暴れ者の若侍どもを語らって今夜の狼藉に及んだに相違あるまい。かれは江戸の隠密として澹山を殺しに来たのでなく、恋のかたきとして澹山をほろぼしに来たのであろう。おげんは彼を庇《かば》おうとして、その身代りに立ったのである。この意見には伝四郎も一致して、妹のかたきは千之丞に相違ないと云い切った。
「おやじ様、この仇をどうする」と、寡言《むくち》の伝四郎は憤怒に燃える眼をかがやかして父に迫った。
「かたきはきっと取る。家老でも免《ゆる》すものか」と、伝兵衛は再びおごそかに云った。「ついては先生。こういうことになりましては、又どんな御迷惑が出来《しゅったい》して、自然あなたの御身分が露顕するようなことが無いとも限りません。御用も大抵お片付きになったようでござりますから、雪のやむのを待たずに一日も早く御発足《ごほっそく》なさるようにお勧め申します。しかしこの領分ざかいを越えましたなら、きょうから数えて二十一日、娘の三七日《さんしちにち》の済むまでは、どうぞ其処に御逗留なさるように願います。きっと何かあなたのお耳にはいることがござりましょう」
 餞別の金や土産《みやげ》などをたくさん貰って、澹山はおげんの葬式のすんだ翌日に千倉屋を出発した。これがもうこの春の名残りらしい細かい雪が、けさも彼の笠の上にちらちらと降っていた。伝兵衛も伝四郎も町はずれまで送って来た。千倉屋の若い者二人は彼の警固をかねて領ざかいまで附き添って来た。
 隣国の他領へはいって、千倉屋から指定された宿屋に草鞋《わらじ》をぬいで、澹山は約束の三週間をここに逗留することになった。三月も半ばになって、ここらの雪もあたたかい春の日にだんだん解けはじめた頃に、隣国の用人の若い伜が、何者かに闇討ちにされたという噂がここまで聞えたので、澹山は初めて重荷をおろしたような心持になって、そのあくる日に出発した。
 江戸へ帰る途中で、彼は再び房川の渡しを越えるときに、おげんがここで自分の手に救われたのが仕合わせであったか不仕合わせであったかということを考えた。彼は北にむかって、ひそかに千倉屋の娘の冥福を祈った。
 無事に使命を果たして帰った彼は、組頭《くみがしら》にも褒められ、上《かみ》のおぼえもめでたかった、しかし彼は決して切支丹のことを口にしなかった。彼は再び絵筆を執らなかった。
 千倉屋からはその後何のたよりも無かったが、それから五年ほど経った後に、奥州のある城下町で切支丹宗門の者十一人が磔刑《はりつけ》にかかったという噂を聴いた時に、彼はすぐに伝兵衛|父子《おやこ》の名を思い出した。そうして、おげんはやっぱり仕合わせであったかとも思った。弁天堂の奥に秘められていたマリアの絵像も、かれが模写した同じ絵像も、どうなったか判らない。おそらく誰かの手で灰にされてしまったであろう。

底本:「時代推理小説 半七捕物帳(三)」光文社文庫、光文社
   1986(昭和61)年5月20日初版1刷発行
   1997(平成9)年5月15日11刷発行
※旺文社文庫版を元に入力し、光文社文庫版に合わせて校正した。
入力:網迫
校正:柳沢成雄
2000年9月23日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

岡本綺堂

半七捕物帳 松茸—— 岡本綺堂

     一

 十月のなかばであった。京都から到来の松茸の籠《かご》をみやげに持って半七老人をたずねると、愛想のいい老人はひどく喜んでくれた。
「いや、いいところへお出でなすった、実は葉書でも上げようかと考えていたところでした。なに、別にこれという用があるわけでも無いんですが、実はあしたはわたくしの誕生日で……。こんな老爺《じい》さんになって、なにも誕生祝いをすることも無いんですが、年来の習わしでほんの心ばかりのことを毎年やっているというわけです。勿論、あらたまって誰を招待するのでもなく、ただ内輪同士が四、五人あつまるだけで、あなたも御存じの三浦さんと、せがれ夫婦と孫が二人。それだけがこの狭い座敷に坐って、赤い御飯にお頭付《かしらつ》きの一|尾《ぴき》も食べるというくらいのことです。この前日に京都の松茸を頂いたのは有難い。おかげで明晩の御料理が一つ殖《ふ》えました。そういう次第で、なんにも御馳走はありませんけれども、あなたも遊びに来て下さいませんか」
「ありがとうございます。是非うかがいます」
 あくる日の夕方から私は約束通りに出かけてゆくと、ほかのお客様もみな揃っていた。そのうちの三浦老人は、大久保に住んでいて、むかしは下谷辺の大屋《おおや》さんを勤めていた人である。わたしは半七老人の紹介で、ことしの春頃からこの三浦老人とも懇意になって、大久保の家へもたびたび訪ねて行って「三浦老人昔話」の材料をいろいろ聴いていたので、今夜ここで其の人と逢ったのは嬉しかった。
 そのほかは半七老人の息子と、その細君と娘と男の児との四人連れであった。息子はお父さんと違って堅気一方の人らしく、細君と共に始終行儀よく控えているので、席上の座談は両老人が持ち切りという姿で、わたし達は黙ってその聴き手になっていると、半七老人は膳の上の松茸を指さして、これは私から貰ったのだと説明したので、息子たちからあらためて礼を云われて、私はすこし恐縮した。その松茸が話題になって、両老人のあいだに江戸時代の松茸の話がはじまると、やがて三浦老人が云い出した。
「松茸で思い出したが、あの加賀屋の人達はどうしたかしら」
「なんでも明治になってから横浜へ引っ越して、今も繁昌しているそうですよ。お鉄の家は浅草へ引っ越して、これも繁昌しているらしい」と、半七老人は答えた。「世の中の変るというのは不思議なもので、今ならば何でもないことだが、あの時分には大騒ぎになる。十二月の寒い晩に不忍池《しのばずのいけ》へ飛び込んで、こっちも危く凍《こご》え死ぬところ。あいつは全くひどい目に逢った」
 こうなると、いつもの癖で、わたしは黙って聴いてばかりいられなくなった。
「それはどういう事件なのですか。あなたが飛び込んだのですか」
「まあ、そうですよ」と、半七老人は笑っていた。「今夜はそんな話はしない積りだったが、あなたが聴き出したらどうで堪忍する筈がない。今夜の余興に、一席おしゃべりをしますかな。そうなると、三浦さんも係り合いは抜けないのだから、まず序びらきに太田《おおた》の松茸のことを話してください」
「ははは、これはひどい。わたしに前講《ぜんこう》をやらせるのか。まあ、仕方がない。話しましょう」
 三浦老人も笑いながら先ず口を切った。
「お話の順序として最初に松茸献上のことをお耳に入れて置かないと、よくその筋道が呑み込めないことになるかも知れません。御承知の上州太田の呑竜《どんりゅう》様、あすこにある金山《かなやま》というところが昔は幕府へ松茸を献上する場所になっていました。それですから旧暦の八月八日からは、公儀のお止山《とめやま》ということになって、誰も金山へは登ることが出来なくなります。この山で採った松茸が将軍の口へはいるというのですから、その騒ぎは大変、太田の金山から江戸まで一昼夜でかつぎ込むのが例になっていて、山からおろして来ると、すぐに人足の肩にかけて次の宿《しゅく》へ送り込む。その宿の問屋場にも人足が待っていて、それを受け取ると又すぐに引っ担いで次の宿へ送る。こういう風にだんだん宿送りになって行くんですから、それが決してぐずぐずしていてはいけない。受け取るや否やすぐに駈け出すというんですから、宿々の問屋場は大騒ぎで、それ御松茸……決して松茸などと呼び捨てにはなりません……が見えるというと、問屋場の役人も人足も総立ちになって出迎いをする。いや、今日からかんがえると、まるで嘘のようです。松茸の籠は琉球の畳表につつんで、その上を紺の染麻で厳重に縛《くく》り、それに封印がしてあります。その荷物のまわりには手代りの人足が大勢付き添って、一番先に『御松茸御用』という木の札を押し立てて、わっしょいわっしょいと駈けて来る。まるで御神輿《おみこし》でも通るようでした。はははははは。いや、今だからこうして笑っていられますが、その時分には笑いごとじゃありません。一つ間違えばどんなことになるか判らないのですから、どうして、どうして、みんな血まなこの一生懸命だったのです。とにかくそれで松茸献上の筋道だけはお判りになりましたろうから、その本文《ほんもん》は半七老人の方から聴いてください」
「では、いよいよ本文に取りかかりますかな」
 半七老人は入れ代って語り出した。

 文久三年の八月十五日は深川八幡の祭礼で、外神田の加賀屋からも嫁のお元《もと》と女中のお鉄、お霜の三人が深川の親類の家《うち》へよばれて、朝から見物に出て行ったが、その午《ひる》過ぎになって誰が云い出すともなしに、永代《えいたい》橋が墜《お》ちたという噂が神田辺に伝わった。文化四年の大|椿事《ちんじ》におびえていた人々は又かとおどろいて騒ぎはじめた。加賀屋ではお元の夫の才次郎も母のお秀も眼の色を変えた。番頭の半右衛門が若い者ふたりを連れてすぐ深川へ駈け付けると、それは何者かが人さわがせに云い触らした虚報で、お元も女中たちも無事に家に遊んでいた。それが判って先ず安心して、半右衛門は主人の嫁の供をして帰ると、お秀も才次郎も死んだ者が蘇生《いきかえ》って来たように喜んだ。こうして加賀屋の一家が笑いさざめいている中で、嫁のお元の顔色はなんだか陰《くも》って、まだ青い眉のあとが顰《ひそ》んでいるようにも見えた。
 お元の顔色の悪いのは、母や夫の眼にも付いたが、別に深く注意する者もなかった。加賀屋はここらでも草分け同様の旧家で、店では糸や綿を売っているが、主人の才兵衛は、八、九年前に世を去って、ことし二十三の才次郎がひとり息子で家督を相続していた。嫁のお元は夫とは三つちがいの二十歳《はたち》で、十八の冬からここへ縁付いて来て、あしかけ三年むつまじく連れ添っていた。かれは武州|熊谷在《くまがやざい》の豪農の二番娘で、千両の持参金をかかえて来たという噂であった。
 加賀屋の店も相当の身代《しんだい》であるから、別にその持参金に眼がくれたわけではなかった。お元は縁談のきまった時に、その親たちの云い込みには、何分ここらの片田舎では思うような嫁入り支度をさせて送ることも出来ない。もう一つには村でも最も古い家柄であるだけに、娘をよそへ縁付けるなどというといろいろ面倒な慣例《ならわし》もある。方々からも祝い物をくれる。又その返礼をする。それも其の土地に縁付くならば、どんな面倒な失費《ついえ》もよんどころないが、遠い江戸へ縁付けてしまうのに、そんな面倒をかさねるのはお互いにつまらない事であるから、さしあたっては行儀見習いの為に江戸の親類へ預けられるという体《てい》にして、万事質素に娘を送り出してしまいたい。勿論、江戸の方ではそういう訳には行くまいから、そちらで相当の支度をさせて儀式その他はよろしきように頼むというのであった。その頃の慣習として、嫁の里が相当の家であれば、たといそれが二十里三十里の遠方であっても、いわゆる里帰りに姑や聟も一緒に出かけて行って、里の親類や近所の人達にもそれぞれの挨拶をしなければならない。旅馴れないものが打ち揃って、江戸から熊谷まで出てゆくのは、ずいぶん厄介な仕事でもあるので、加賀屋の方でも却《かえ》ってそれを幸いに思って、先方の云い込みを故障なしに承諾した。お元は下谷《したや》の媒妁人《なこうど》の家に一旦おちついて、そこで江戸風の嫁入り支度をして、とどこおりなく加賀屋へ乗り込んだ。そういう事情で、豪家の娘が殆ど空身《からみ》同様で乗り込んできたのであるから、その支度料として親許から千両の金を送ってよこしたのも、別に不思議な事でもなかった。お元にはお鉄という若い女中が付いて来たが、それも珍らしいことではなかった。
 お元がここへ縁付いてから、ただ一度その親たちと姉とが江戸見物をかねて加賀屋へ訪ねて来て一と月ほども逗留して帰った。才次郎とお元との夫婦仲も至極むつまじかった。彼女はおとなしい素直な生まれ付きであるので、姑《しゅうと》のお秀にも可愛がられた。店や出入りの者のあいだにも評判がよかった。附き添って来た女中のお鉄はことし十八で、それも主人思いの正直な女であった。こういうふうであるから、若夫婦の仲にまだ初孫《ういまご》の顔を見ることの出来ないのをお秀が一つの不足にして、そのほかには加賀屋一家の平和を破るような材料は一つも見いだされなかった。店も相変らず繁昌していた。
 その嫁が深川の祭礼を見物に行って、その留守に永代橋墜落の噂が伝わったのであるから、加賀屋一家が引っくり返るように騒いだのも無理はなかった。それが無事と判って、また跳《おど》りあがって喜んだのも当然であった。しかし其の翌日になっても、お元の顔色の暗く閉じられているのが家内の者に一種の不安を感じさせた。とりわけて姑のお秀が心配した。
「お鉄や。ちょいと」
 かれは女中のお鉄を自分の居間へよんで、小声で訊《き》いた。
「あの、お元はきょうもなんだか悪い顔付きをしているようだが、どうかしましたかえ。お医者に診《み》て貰ったらどうだと先刻《さっき》も勧めたんだけど、別にどこも悪いんじゃないと云う。お前はきのう一緒に出て行って別になんにも思い当ることはありませんでしたかえ」
「はい。別になんにも……」と、お鉄は躊躇《ちゅうちょ》せずに答えた。「わたくしもお霜さんも始終御一緒に付いて居りましたが、なんにも変ったことは無かったように存じます。尤《もっと》も橋が墜ちて大勢の人が流されたという噂をお聞きになりました時には、真っ蒼になって震《ふる》えておいででございました」
「そりゃあ無理もありませんのさ」と、お秀もうなずいた。「それが噂とわかって、お前さん達の無事な顔を見るまでは、わたしも気が気でなかったくらいですから……。それにしても今日になってもまだ蒼い顔をしていて、けさの御膳も碌に喰べてなかったというから、わたしもなんだか不安心でね。だが、それに付いていたお前がなんにも知らないと云うようじゃあ、別に変ったことがあった訳でもあるまい。人ごみの場所へ行って、おまけにそんな噂を聴かされたので、血の道でも起ったのかも知れない。気分でも悪いようならば、二階へでも行ってちっと横になっているように、お前から勧めたらいいでしょう」
「はい、はい、かしこまりました」
 お鉄は丁寧に会釈《えしゃく》をして、主人の前をさがった。おなじ奉公人でも嫁の里から附き添って来た者であるから、主人の方でも幾分の遠慮があり、奉公人の方でも特別に義理堅くしなければならなかった。したがって里方から嫁入り先へ附き添ってゆくということは、どの奉公人も先ず忌《いや》がるのが習いで、もちろん普通よりも高い給金を払わなければならなかった。お鉄はお元の里方《さとかた》の小作人のむすめで、幼いときから地主の家に奉公して、お元とは取りわけて仲よくしている関係から、かれが江戸へ縁付くに就いても一緒に附き添ってきたのであった。年のわりには大柄で、容貌《きりょう》も醜《みにく》くない。もちろん当人もせいぜい注意しているのであろうが、その風俗にも詞《ことば》づかいにも余り田舎《いなか》者らしいところは見えなかった。
 お鉄はしとやかに障子をしめて縁側に出ると、小さい庭の四つ目垣の裾には、ふた株ばかりの葉鶏頭が明るい日の下にうす紅くそよいでいた。故郷の秋を思い出したのか、それともほかに物思いの種があるのか、かれは其の秋らしい葉の色をじっと眺めながら、やがて低い溜息を洩らした。

     

「おい、姐《ねえ》さん。お前、そこで何をしているんだ」
 両国橋の上には今夜の霜がもう置いたらしく、長い橋板も欄干も暗いなかに薄白く光っていた。その霜の光りと水あかりとに透かして視ながら、ひとりの男が若い女に声をかけた。男は神田の半七で、本所のある無尽講へよんどころなしに顔を出して帰る途中であった。
「ねえ、姐さん。今時分そんなところにうろ付いていると、夜鷹《よたか》か引っ張りと間違えられる。この寒いのにぼんやりしていねえで、早く家《うち》へ帰って温《あった》まった方がいいぜ。悪いことは云わねえ。早く帰んなせえ」
「はい」
 低い声で返事をしながら、若い女はまだ欄干を離れようともしないので、半七はつかつかと立ち寄って女の肩に手をかけた。
「おめえも強情な子だな。節季師走《せっきしわす》に両国橋のまん中に突っ立って何をしているんだ。四十七士のかたき討はもう通りゃあしねえぜ。それともお前、袂に石でも入れているのか」
 半七は初めから彼女を身投げと見ていたのであった。時候は節季師走という十二月の宵、場所は両国橋、相手は若い女、おあつらえの道具は揃っているので、彼はどうしてもこの女を見捨ててゆくわけには行かなかった。
「ほんとうに悪い洒落《しゃれ》だ。この寒空につめてえ真似をするもんじゃあねえ。早く行かねえと、引き摺って行って、橋番に引き渡すぜ」
 女は黙ってすすり泣きをしているらしかった。どうで死のうと覚悟するほどの女に、涙は付き物と知りながらも、半七はなんだか可哀そうになって来たので、つかまえた手をゆるめながら、優しく云い聞かせた。
「さっきから俺がこんなに口を利いているのがお前にはわからねえのか。橋番へ引き渡すなんて云ったのは俺が悪い。そんな野暮なことは止めにして、ここでお前の話を聞こうじゃあねえか。そうして、どうでも死ななけりゃあ納まらねえ筋があるなら、おれが手伝って殺してやるめえものでもねえ。また死なずとどうにか済みそうな筋合いなら、古い川柳じゃあねえが、ようごんす袂の石を捨てなせえ、と俺も相談に乗ろうじゃあねえか。おい、黙っていちゃあ困る。なんとか返事をしてくれねえか」
「ありがとうございます」と、女はやはり泣いていた。「折角でございますけれど、どうにもこればかりは申し上げられません」
「そりゃあどうで云いづれえことに相違ねえ。だが、云わずにいちゃあ果てしがつかねえ。くどいようだが決して悪くはしねえ。人に明かして悪いことなら、決して他言もしねえ。おれも男だ。こうして誓言《せいごん》を立てた以上は、かならず嘘はつかねえから、まあ安心して話して聞かせるがいいじゃあねえか」
「ありがとうございます」と、女は又すすりあげて泣いた。
「聞いたような声だな」と、半七は首をかしげた。「さっきもそう思ったが、どうも聞き覚えがあるようだ。おめえは識《し》っている人じゃあねえかえ。おれは神田の半七だよ」
 半七の名を聞いて、女は俄かに驚いたらしく、あわてて彼を押しのけるようにして逃げ出そうとした。しかし其の帯ぎわは半七の手にしっかり掴《つか》まれていた。
「おい、なにをする。お前はよくよく判らねえ女だな。もう仕方がねえ。腕ずくだ。さあ、歩《あゆ》べ」
 かれは女の腕を捉えて、橋詰の番小屋へぐんぐん曵き摺ってゆくと、橋番のおやじは安火《あんか》をかかえて宵から居睡りをしているらしく、蝋燭の灯《ひ》までが薄暗くぼんやりと眠っていた。半七はうつむいている女の顔をひき向けて、その灯の前に照らしてみた。
「むむ。おめえは加賀屋の奉公人だな」
 女は加賀屋のお鉄であった。半七は少し聞き合わせることがあって、ゆうべ加賀屋の店に腰をかけて番頭の半右衛門と話していると、小僧たちは湯に行っている留守であったので、奥から女中のお鉄が茶を持って来た。半七は商売だけに一度でかれの声も顔も記憶していたのであった。その加賀屋の女中がなぜ今頃ここらを徘徊して身投げを企てたのであろう。容貌《きりょう》も悪くなし、かつは年頃であるから、その原因はいずれ色恋の縺《もつ》れであろうと半七はすぐに覚《さと》った。
「こうなりゃあ猶さらのことだ。まんざら識らねえ顔じゃあなし、いよいよ此のままで、はい、さようならと云うわけにゃあ行かねえ。それでお前の名はなんというんだっけね」
「鉄と申します」
「むむ。そのお鉄さんがなんで死のうとしたんだ。相手は誰だ。店の者かえ」
「いいえ。そんな訳じゃございません」と、お鉄はあわてて打ち消した。「決してそんな淫奔事《いたずらごと》じゃございません」
 半七は少し的《あて》がはずれた。色恋以外になぜ死ぬ気になったのかと彼はいろいろに詮議したが、お鉄はどうしても口をあかなかった。そればかりはどうしても云われないと強情を張った。いくら嚇《おど》しても賺《すか》しても相手が飽くまでも根強いので、半七もしまいには持て余した。
「おめえ、どうしても云わねえか」
「相済みませんが、どうしても申し上げられません」と、お鉄はどんな拷問をも恐れないというようにきっぱりと云い切った。
 もうこの上は半七もさすがに手の付けようがなかった。さしあたっては別に罪人の疑いがあるというわけでも無し、ことに若い女ひとりをどう処置することも出来なかった。橋番に引き渡してゆくか、それとも本人の家へ送りとどけてやるか、まずその二つより途はないので、半七はいっそ町内まで一緒に連れて行ってやろうと思った。寝ぼけ眼《まなこ》をこすっているおやじには別に委《くわ》しい話もしないで、かれはお鉄をうながして橋番小屋を出た。師走の夜の寒さが身にしみるのか、なにか深い物思いに沈んでいるのか、お鉄は両袖をしっかりとかき合わせて、肩をすくめながらおとなしく付いて来た。
 小屋を出ながら不図《ふと》みかえると、頬かむりをした一人の男が往来にのっそり[#「のっそり」に傍点]と突っ立って、こっちをじっと覗《のぞ》いているらしいのが半七の眼についた。かれは立ちどまってその風体を見定めようとする間《ひま》に、相手は急に身をひるがえして、逃げるように橋を渡って行った。おかしな奴だと半七はしばらく見送っていた。
「おめえ、今の男を識っているのか」と、彼はあるき出しながらお鉄に訊《き》いた。
「いいえ」
 その声の少し震えているのを、半七は聞き逃がさなかった。
「おめえ、寒いのかえ」
「いいえ。別に……」
「だって、なんだか震えているじゃねえか。あの男とここで落ち合って、一緒に心中でもする約束だったんじゃねえか」と、半七はかま[#「かま」に傍点]をかけるように訊いた。
「いいえ。そんなことは決してございません」と、お鉄は小声に力をこめて答えた。
 二人はそれぎりで黙ってしまって、暗い柳原の堤《どて》をならんで行った。たとい心中は嘘にしても、かの頬かむりの男とこのお鉄とのあいだに、なにかの因縁があるらしく思われるので、半七はいろいろに考えながら歩いた。枯れ柳の暗いかげを揺りみだす夜風が霜を吹いて、半七は凍るように寒くなった。かれは柳の下に荷をおろしている夜鷹蕎麦《よたかそば》屋の燈火《あかり》をみて思わず足を停めた。
「おい、お鉄さん。どうだ、一杯つき合わねえか」
「わたくしはたくさんでございます」
「まあ、遠慮することはねえ。なにも附き合いというものだ。なにしろ、こう冷えちゃあ遣り切れねえ。まあいいから一杯|手繰《たぐ》って行きねえ」
 辞退するお鉄を無理に誘って、半七は熱い蕎麦を二杯たのむと、蕎麦屋は六助といって、下谷から神田の方へも毎晩まわって来る男であった。
「おや、親分さんでございましたか。今晩はどちらへ……」
「おお、六助|老爺《じい》さんか。べらぼうに寒いじゃねえか。今夜はよんどころなしに本所まで行って来たんだが、おめえも毎晩よく稼ぐね」
「へえ。わたくし共は今が書き入れ時でございます」
 云いながら彼は、行燈の暗い火に顔をそむけて立っているお鉄に眼をつけた。
「ああ、加賀屋のお鉄さん。今夜は親分と一緒かえ」と、かれは不思議の連れを怪しむように鍋の下をあおぐ団扇《うちわ》の手をやめた。
「なに、途中で一緒になったんで、柳原堤の道行《みちゆき》さ。ははははは」と、半七は笑った。「じいさんなんぞは夜の稼業だ。毎晩こんなものを幾組も見せ付けられるだろうね」
 おやじを相手に冗談を云いながら、半七は蕎麦を二杯代えた。そのあいだにお鉄は一杯の半分ほどをようよう啜《すす》り込んだばかりで箸をおいてしまった。

     

 外神田の大通りへ出ると、師走の夜の町はまだ明るかった。加賀屋の店もあいていた。自分の店へだんだん近づくに連れて、お鉄は半七に今夜の礼をあつく述べて、店まで親分さんに送って来て貰ってはまことに困るから、どうかここで別れてくれとしきりに頼んだ。主人持ちのかれとしては定めて迷惑するであろうと、半七も万々察していたので、この上かならず不料簡を起さないようにと、くれぐれも念を押してお鉄に別れた。彼はそれでも見えがくれに五、六間ついて行って、お鉄が主人の家の水口《みずくち》へはいるのを見とどけて、それから三河町の家へ帰った。
 本人の口からは確かに白状しないが、お鉄が身投げの覚悟であったらしいことは半七にも大抵想像された。どんな事情があるか知らないが、多寡《たか》が若い女のことで、どうでも死ななければならないというほどの深い訳があるのでもあるまい。こうして人間ひとりの命を助けたと思えば、半七は決して悪い心持はしなかった。それから二日ほど経つと、半七は加賀屋の近所でお鉄に出逢った。彼女はどこへか使にでも行くらしく、かなり大きい風呂敷包みを袖の下にかかえながら足早にあるいていた。向うでは気がつかないらしく、別に挨拶もしないで行き違ってしまったが、こうして無事に勤めているのを見て、半七もいよいよ安心した。
 節季師走にいろいろの忙がしい用をかかえた半七は、いつまでも加賀屋の女中のことなどに屈託《くったく》してもいられなかった。彼はもうそんなことを忘れてしまって、ほかの御用に毎日追われていると、押し詰った師走ももう十日あまりを過ぎて、いよいよ深川の歳《とし》の市《いち》というその前夜であった。半七は明神下の妹をたずねてゆくと、その町内の角でかの蕎麦屋の六助に出逢った。
「今晩は……。相変らずお寒いことでございます」
「ほんとうに寒いね。押し詰まるといよいよ寒さが身にしみるようだ」
 云いかけて半七は不図このあいだの晩のことを思い出した。かれは六助をよび止めて訊いた。
「おい、じいさん。お前にすこし聞きてえことがある。お前はあの加賀屋の女中を前から識っているのかえ」
「へえ、あすこのお店の近所へも商《あきな》いにまいりますので……」
「そりゃあそうだろうが、唯それだけの馴染かえ。ほかにどうということもねえんだね」
 相手が相手だけに六助も少し考えているらしかったが、耄碌頭巾《もうろくずきん》のあいだからしょぼしょぼ[#「しょぼしょぼ」に傍点]した眼を仔細らしく皺《しわ》めながら小声で訊き返した。
「親分さん。なにかお調べの御用でもあるんでございますか」
「御用番というほどのことでもねえが、あの晩、おれと一緒にいたお鉄というおんなに情夫《おとこ》でもあるのかえ」
「情夫だかなんだか知りませんが、若い男が時々にたずねて来るようです」
 六助の話によると、先頃から一人の若い男がときどきに加賀屋の近所へ来てうろうろしている。自分が荷をおろしているところへ来て、蕎麦を食ったことも二、三度ある。そうして、誰かを待っているらしい素振りであったが、やがてそこへ加賀屋の女中が出て来て、男を暗い小蔭へ連れて行って何かひそひそと囁《ささや》いていたというのである。その年ごろや風俗がこのあいだの晩、両国の橋番小屋の外にうろついていた男によく似ているらしいので、半七はいよいよ彼とお鉄とのあいだに何かの因縁の絆《まつ》わっていることを確かめた。
「その男というのは江戸者じゃございませんよ」と、六助は更に説明した。「どうも熊谷辺の者じゃないかと思われます。わたくしもあの地方の生まれですからよく知っていますが、詞《ことば》の訛《なま》りがどうもそうらしく聞えました。加賀屋の若いおかみさんも女中も熊谷の人ですから。やっぱり何かの知り合いじゃないかと思いますよ」
「そうだろう」と、半七もうなずいた。
 国者《くにもの》同士が江戸で落ち合って、それから何かの関係が出来る。そんなことは一向めずらしくないと彼も思った。このあいだの晩、お鉄が両国橋の上をさまよっていたのも、身投げや心中というほどの複雑《こみい》った問題でもなく、あるいは単に逢曳《あいび》きの約束をきめて、あすこで男を待ち合わせていたのかも知れない。こう考えるといよいよ他愛のない、甚だ詰まらないことになってしまうのであるが、半七の胸にただ一つ残っている疑問は、自分に対するその当時のお鉄の態度であった。かれはどうしてもその事情を打ち明けないと云った。その一生懸命の態度がどうも普通の出会いや逢いびきぐらいのことではないらしく、なにかもう少し入り組んだ仔細が引っからんでいるらしく思われてならなかった。しかし六助もその以上のことはなんにも知らないらしいので、半七もいい加減に挨拶して別れた。
 別れて一、二間あるき出して不図《ふと》みかえると、あたかも彼の立ち去るのを待っていたかのように、頬かむりをした一人の男が蕎麦屋の前に立った。そのうしろ姿が彼《か》の両国橋の男によく似ているので、半七もおもわず立ち停まった。案外無駄骨折りになるかも知れないとは思いながらも、この職業に伴う一種の好奇心も手伝って、かれはそっとあと戻りしてそこらの塀の外にある天水桶のかげに身をひそめていると、今夜も暗い宵で、膝のあたりには土から沁み出してくる霜の寒さが痛いように強く迫って来た。男は熱い蕎麦のけむりを吹きながら、時々にあたりを見まわしているのは、やはりかのお鉄を待ち合わせているのであろうと半七は想像した。
 しかも其のお鉄はなかなか出て来ないので、男はすこし焦《じ》れて来たらしく、二杯の蕎麦を代えてしまって銭《ぜに》を置いて、すっ[#「すっ」に傍点]と出て行った。ここは殆ど下谷と神田との境目にあるところで、南にむかった彼の足が加賀屋の方へ進むのは判り切っているので、半七もその隠れ場所から這い出して、すぐにそのかげを慕ってゆくと、男は果たして加賀屋に近い横町の暗い蔭にはいった。そこで彼は頬かむりを締め直して、両手を袖にしながら再びしばらくたたずんでいると、やがて女の下駄の音がきこえた。女は賑やかな大通りを避けて、うす暗い裏通りから廻り路をして来たらしく、あと先をうかがいながら男のそばへ忍んで行った。
 二人はその後も時々に左右を見かえりながら、なにか小声で囁き合っているようであったが、あいにく其の近いところには適当の隠れ場所が見あたらないので、唯その挙動を遠目にうかがうばかりで、かれらの低い声は半七の耳にとどかなかった。そのうちに談判はどう間違ったのか知らないが、男の声は少しあらくなった。
「じゃあ、どうも仕方がねえ。俺あこれから加賀屋へ行って、おかみさんに直談《じきだん》するだ」
「馬鹿な」と、女はあわててさえぎった。「その位ならこんなに訳を云って頼みやしないじゃないか。なんぼ何でもあんまりだよ。そんな約束じゃない筈だのに……」
 女はくやしそうに震えていた。男はせせら笑った。
「それはそれ、これはこれだよ。だから、おかみさんに訳を話して……。二人でどこへでも行こうじゃねえか」
「そんなことが出来るもんかね」と、女は罵るように云った。
 こうした押し問答が更に二、三度つづいたかと思うと、もう堪え切れない憤怒が一度に破裂したように、女の鋭い叫び声がきこえた。
「畜生。おぼえていろ」
 彼女は帯のあいだから刃物を取り出したらしい。相手の男も不意におどろいたらしいが、半七もおどろいた。彼はすぐに駈けて行って、男を追いまわしている女の利き腕を取り押さえた。女は剃刀《かみそり》を持っていた。
「おい、お鉄、つまらないことはするもんじゃあねえ」
 半狂乱のうちでも、お鉄はさすがに半七の声を聞き分けたらしく、身をもがきながら息を喘《はず》ませた。
「親分さん。どうぞ放してください。あいつ、畜生、どうしても殺さなければ……」
「まあ、あぶねえ。殺すほどの悪い奴があるなら、俺がつかまえてやる」
 その一句を聞くと、男はなんと思ったか俄かに引っ返して逃げ出した。もう猶予はならないので、半七は先ずお鉄の手から剃刀をもぎ取って、つづいて彼のあとを追って行った。男はやはり大通りへ出るのを避けて、うす暗い裏通りの横町を縫って池の端の方角へ逃げてゆくのを、半七も根《こん》よく追いつづけた。敵がだんだんに背後《うしろ》へ迫って来るので、逃げる男はいよいよ慌てたらしく、凍っている小石を滑《すべ》ってつまずくところへ、半七が追い付いてその帯の結び目をつかむと、帯は解けかかって、男は少しためらった。そこを付け入って更にかれの袖を引っ掴《つか》むと、男はもう絶体絶命になったらしく、着ている布子《ぬのこ》をするりと脱いで、素裸のままでまた駈け出した。半七はうしろからその布子を投げかけたが、ひと足の違いで彼は運よく摺り抜けてしまった。
 こうして一生懸命に逃げたが、敵は息もつかせずに追い迫って来るので、男はもう逃げ場を失ったらしい。かれは眼の前に大きく開けている不忍池の水明りをみると、滑るようにそこに駈けて行って、裸のままで岸から飛び込んだ。これほど強情に、逃げて、逃げて、しかも最後には池に飛び込むという以上、かれは何かの重罪犯人であるらしく思われたので、半七も着物をぬいでいる間《ひま》もなしに、この寒い夜に水にはいった。

     

 不忍池に沈んだ男の姿は容易に見あたらなかった。加勢の手をかりて、かれの凍った死骸を枯れた蓮の根から引き揚げたのは、それから小半|※[#「日+向」、第3水準1-85-25]《とき》の後であった。水練をしらないらしい彼が、この霜夜に赤裸で大池へ飛び込んだのであるから、その運命は判り切っていた。しかし彼の素姓も来歴もわからないので、その死骸を係りの役人に引き渡して置いて、半七は濡れた着物を着換えるために一旦自分の家へ帰ると、お鉄が蒼い顔をして待っていた。
「やあ、お鉄。来ていたのか」
「先程からお邪魔をして居りました」
「そりゃあ、丁度いい。実はこれからお前を呼び出そうと思っていたところだ」
 半七はすぐに着物を着かえて、今まで彼女の話し相手になっていた女房を遠ざけて、お鉄を長火鉢の前に坐らせた。
「早速だが、あの男は何者だえ」
「お召し捕りになりましてございましょうか」
「それが失敗《しくじ》ったよ」と、半七は額に皺をみせた。「おれに追いつめられて、とうとう池へ飛び込んでしまった。引き揚げたがもういけねえ。惜しいことをした。もうこうなると、どうしてもお前を調べるよりほかはねえ。このあいだの晩も云う通り、そりゃあいろいろ云いづれえこともあるだろうが、もう仕方がねえと覚悟して何もかも云ってくれねえじゃあ困る。それでねえと、おめえばかりでなく、加賀屋の店に迷惑になるようなことが出来ねえとも限らねえ。主人にまで迷惑をかけちゃあ済むめえが……。ねえ、そこを考えて正直に云ってくれ」
「よく判りましてございます」と、お鉄はおとなしく頭をさげた。「実はそれを申し上げようと存じまして、あれからすぐにこちらへ出まして、こうしてお待ち申して居りましたのでございますから、もう何もかも正直に申し上げます」
「むむ。それでなけりゃあいけねえ。そこで一体あの男は何者だえ。やっぱりおめえとおなじ土地の者かえ」
「はい、隣り村の安吉という百姓でございます」
「いつ頃から江戸へ出ているんだ」
「なんでもこの八月の中頃だと申して居りました。わたくしが逢いましたのは八月の十五日、若いおかみさんのお供をして八幡様のお祭りを見物にまいりました時でございます」
「それから彼奴《あいつ》はどこに何をしていたんだ」
「それはよく判りませんが、唯ぶらぶらしていたようでございます」と、お鉄は答えた。「なにしろ、土地にいた時も怠け者で、博奕《ばくち》なんぞばかりを打っていたような奴でございますから」
「その怠け者の安吉が今夜はなんの用で来たんだ」
 お鉄も少し云い淀んでいるらしく、しばらくはうるんだ眼を伏せて肩をすくめていた。
「いや、これからが肝腎《かんじん》のところだ。お前もあいつを殺そうと思いつめた程ならば、それにはよくよくの訳がなけりゃあならねえ。おめえが殺そうと思ったあいつはもう死んでいる。おめえの念もとどいた以上、今さら未練らしく隠し立てをするにも及ぶめえ。あれはお前の情夫《おとこ》かえ」
「いいえ、決してそんなことは……」と、お鉄は急に興奮したように口唇《くちびる》をおののかせた。「あいつはわたくしの仇《かたき》でございます」
「その仇のわけを聞こうじゃねえか。仇なら殺しても構わねえ。一体それは親の仇か、主人の仇か、おめえの仇か」
「主人のかたきで、わたくしにも仇でございます」
 かれの眼からは止め度もなしに涙が流れ落ちた。お鉄はいよいよ興奮したように云った。
「もうどうしても勘弁がならなくなって、いっそ殺してしまおうと思いました。実はこのあいだの晩も剃刀を持って両国橋の上に待っていたのでございます」
「そうか」と、半七も溜息をついた。「まさかそんなこととは気がつかなかった。そこでその主人というのは加賀屋のことかえ。それともお前が付いて来た若いおかみさんのことかえ」
 お鉄はまた黙ってしまった。くずれかかった銀杏返《いちょうがえ》しの鬢の毛をかすかにふるわせていた。
「それを話す約束じゃあねえか」と、半七はほほえみながら云った。「お前もまた、それを話す積りでわざわざ来たんだろうじゃあねえか。今さら唖《おし》になってしまわれちゃあ困る。え、その仇というのは若いおかみさんの仇かえ」
「左様でございます」と、お鉄は洟《はな》をつまらせながら答えた。「いろいろの無理を云って、わたくし共を窘《いじ》めるのでございます」
「なぜ窘める。こっちにも又、なにか彼奴に窘められるような弱身があるのかえ」
「はい」と、お鉄は両方の袂で顔を押さえながら、身をふるわせて泣き出した。
「なにか内証のことでも知っているのかえ」
 加賀屋の娘は熊谷の里にいた時に、何か内証の男でも拵《こしら》えていたので、その秘密を知っている隣り村の安吉が、それを枷《かせ》にかれらを苦しめているのであろうと半七は推量した。しかもそれに対するお鉄の返事は意外であった。
「はい、若いおかみさんの生まれ年を知っていますので……」
「生まれ年……」
「親分さんの前ですから申し上げますが、おかみさんは生まれた年を隠しているのでございます」
と、かれは思い切ったように云った。
 加賀屋の嫁のお元は弘化二年|巳《み》年の生まれと云っているが、実は弘化三年|午《うま》年の生まれであるとお鉄は初めてその秘密を明かした。単に午年ならば仔細はないが、弘化三年は丙午《ひのえうま》であった。この時代の習慣として、丙午の年に生まれた女は男を食い殺すという伝説が一般に信じられていたので、この年に生まれた女の子は実に不幸であった。生んだ親たちも無論にその不幸を分かたなければならなかった。お元も不幸に生まれた一人で、なんの不足もない豪家の娘と云いながら、その生まれ故郷ではとても相当の嫁入り先を見いだすことが出来そうもなかった。さりとて余りに身分違いの家と縁組するわけにもいかないので、親たちから土地の庄屋にたのんで、人別帳《にんべつちょう》をうまく取りつくろって、午年の娘を巳年の生まれと書き直して貰って置いた。それで表向きは先ず巳年で通るのであるが、土地の者は皆ほんとうの生まれ年を知っているので、親たちもいろいろに心配して、結局その嫁入り先を、遠い江戸に求めたのであった。お元が質素にして故郷を出て来たのも、その嫁入先を秘密にして置かなければならない必要に迫られたからであった。お鉄は勿論その事情をよく承知していた。
 これほどに苦労した甲斐があって、加賀屋の方ではなんの気もつかないらしく、お元は夫婦の仲も睦まじく、姑ともよく折り合って、一家円満に日を送っているので、本人は勿論、一緒に附き添って来たお鉄も先ずほっ[#「ほっ」に傍点]と息をついた。しかも足かけ三年目の秋になって、その平和を破壊すべき恐ろしい悪魔のかげが突然ふたりの女をおびやかした。それは隣り村の安吉という若い百姓であった。かれの母は取り上げ婆さんを職業にしていて、現にお元の生まれるのを取り上げた関係上、丙午の秘密をよく知っていた。勿論その当時、お元の親たちはかれに口止め料をあたえて秘密を守る約束を固めて置いたが、広い世間の口をことごとく塞《ふさ》ぐわけには行かなかった。ましてその伜の安吉がそれを知らない筈がなかった。かれは或る事情から江戸に出て来て、八幡祭りを見物に行った時に、偶然かのお元とお鉄とにめぐり逢ったのであった。
 江戸と熊谷と距《はな》れているので、ふたりの女はなんにも知らなかったが、安吉が江戸へ出て来たのは、かの太田の金山の松茸献上がその因をなしていたのであった。太田を出た御用の松茸は、上州から武州の熊谷にかかって、中仙道を江戸の板橋に送り込まれるのが普通の路順で、途中の村々の若い百姓たちはみなその人足に徴発されて、宿々の問屋場に詰めるのが習いであった。安吉もやはりその一人で他の人足仲間と一緒に宿《しゅく》の問屋場に詰めていたが、横着者の彼はあとの方に引きさがって悠々と煙草をのんでいた。やがて松茸の籠がこの宿に運び込まれたので、待ちかまえていた人足どもは一度にばらばら[#「ばらばら」に傍点]起ち上がった。早く早くと役人たちに急《せ》き立てられて、安吉もくわえ煙管《ぎせる》のままで駈け出して、籠に通してある長い青竹を肩にかついだが、啣《くわ》えている煙管の始末に困ってかれは何ごころなくそれを松茸の籠の結縄《ゆいなわ》にちょっと※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28] しこんで、そのままわっしょいわっしょい[#「わっしょいわっしょい」に傍点]と担ぎ出した。なにをいうにも大急ぎであるので、その籠を次の宿へ送り渡したとき、かれはその煙管を取ることを忘れてしまった。
 それが次の問屋場で発見されたので、その詮議がむずかしくなった。献上の松茸の籠にきたない脂煙管《やにぎせる》が挟んであったというので、問屋場の役人らは勿論、立ち会いの名主や百姓共も顔の色を変えた。途中の宿々の人足どもは無論に一々吟味されることになった。安吉も今更はっ[#「はっ」に傍点]と驚いたが、もうどうすることも出来なかった。問題が問題であるから、普通の疎忽《そこつ》や過失ではとても済む筈がない。どんな重い仕置《しおき》をうけるかも知れないと恐れられて、彼はその場からすぐに逐電《ちくてん》してしまった。なまじい土地の狭い田舎などに身を隠しては却って人の目につく虞《おそ》れがあるのと、もう一つにはふだんから江戸へ出て見たいという望みがあったのとで、かれは大胆に江戸へむかって逃げて来た。諸国の人間のあつまる江戸に隠れていた方が、却って詮議が緩《ゆる》かろうとも考えたのであった。しかし彼は路銀の用意もなかったので、殆ど乞食同様のありさまで、どうやらこうやら江戸まで辿りついた。江戸には別に知己《しるべ》もないので、かれはやはり乞食のようになって江戸じゅうをうろついていた。
 しかし彼はすぐにその乞食の境界から救われるようになった。江戸に入り込んでから三日目の朝に、かれは測《はか》らずも加賀屋の嫁と女中に出逢ったのである。評判の八幡祭りを見物したいのと、その祭礼で何かの貰いがあるかも知れないと思ったのとで、かれは朝から深川の町々をさまよっていると、混雑の中でお元とお鉄の姿を見つけたので、彼はよろこんで声をかけた。それが隣り村の、しかも取り上げ婆さんの伜であることを知った時に、ふたりの女は白昼に幽霊を見たよりも驚いた。お鉄は連れの女中に覚《さと》られないように、安吉をそっと物蔭へ連れていって、なんにも云わずに幾らかの金をやって別れた。
 その場はまずそれで済ませたが、安吉は執念ぶかく彼等のあとを尾《つ》けて行って、この女連れが親類の家へ入るのを見とどけた。そうして、お元が外神田の加賀屋の嫁になっていることを探り出したので、その後もたびたび加賀屋をたずねて、お鉄を呼び出して金の無心を云った。その無心を肯《き》かなければ、かの丙午の秘密をお元の夫や姑に訴えると嚇した。それは死ぬよりも恐ろしいことであるので、お元は弱い心をおびただしく悩まされた。お鉄も共々に心配して、しきりに口止めの方法を講じていたが、安吉の無心は際限がなかった。かれは本所の木賃宿《きちんやど》に転がっていて、お元から強請《ゆす》る金を酒と女に遣い果たすと、すぐに又お鉄をよび出して来た。お元も嫁の身の上で、店の金銭を自分の自由にするわけにはゆかなかった。熊谷の里へ頼んでやるにも適当の使がなかった。彼女はよんどころなくお鉄と相談して、自分の持ち物などをそっと質入れして、彼の飽くなき誅求《ちゅうきゅう》を充たしていたが、それも長くは続きそうもなかった。人の知らない苦労に、主人も家来も痩せてしまった。
 十一月の末に、安吉は又もや五両の無心を云って来た。しかし其れだけの都合が出来なかったので、お鉄は三両の金を本所の木賃宿までとどけにゆくと、安吉はひどく不平らしい顔をした。しかも彼は酔っている勢いでお鉄に猥《みだ》りがましいことを云い出した。お鉄は振り切って逃げて帰ろうとするのを、かれは腕ずくで引き留めたので、何事も主人のためと観念して、お鉄はなぶり殺しよりも辛い思いをしなければならない破目《はめ》に陥った。その安吉は自分もお尋ね者であることを初めて明かして、もうこうなった以上、お元からまとまった金を貰って、どこか遠いところへ行って、一緒に暮らそうとお鉄をそそのかした。
 その以来、お鉄はかれに対する今までの恐怖が俄かにおさえ切れない憎悪《ぞうお》と変じた。主人の為、いっそ憎い仇をほろぼしてしまおうと決心して、お鉄は巧みに詞《ことば》をかまえて、彼を両国橋の上によび出した。彼女は帯のあいだに剃刀を忍ばせて、宵から橋の上に安吉を待ちうけていた。半七が彼女を身投げと見あやまったのはその時で、その後のことはあらためて説明するまでもあるまい。安吉はさらにお元から百両の金をゆすり取って、一度手籠めにしたお鉄を無理に連れ出して、どこへか立退《たちの》こうと企てたが、それが最後の破滅を早める動機となって、かれはお鉄の刃物におびやかされ、更に半七に追いつめられた。丙午《ひのえうま》の問題だけならともかくも、彼にはそれよりも重大な松茸の問題があるので、一生懸命に逃げまわった末に、とうとう不忍の池の底へ自分の命を投げ込んでしまったのであった。
 ここまで話して来た時には、お鉄の涙ももう乾いていた。かれが更に半七を屹《きっ》と見あげたひとみには一種の強い決心が閃《ひら》めいていた。
「そういう訳でございますから、たとい相手に傷は付けませんでも、御法通りにお仕置を願います。唯わたくしの一生のお願いは、若いおかみさんの事でございます。どうでわたくしは、あんな奴に滅茶滅茶にされた身体でございますから、どうなってもかまいませんけれど、丙午のことが世間に知れまして、もしも御離縁にでもなりますようですと、おかみさんもきっと生きてはおいでになるまいと存じますから」
「よし、判った」と、半七は大きくうなずいた。「おまえの料簡はよく判っている。おれが受け合った。決しておめえの主人に迷惑はかけねえから、安心しているがいいぜ」
「ありがとうございます」と、お鉄はまた泣き出した。
 お鉄の忠義に免じて、半七は加賀屋に関する事件をいっさい発表しなかった。お鉄には勿論なんの咎めもなかった。安吉の死は単に松茸の問題だけで解決してしまった。お鉄は二十一の年まで加賀屋に奉公して、若夫婦のあいだに男の児が出来たのを見とどけて、近所の酒屋の嫁に貰われた。その媒妁人《なこうど》はかの三浦老人夫婦であった。
 その嫁入りのときに加賀屋でも相当の支度をしてくれたが、お元の里方からはお鉄の附金《つけがね》として二百両の金を送って来た。半七のところへも百両とどけて来た。

底本:「時代推理小説 半七捕物帳(三)」光文社文庫、光文社
   1986(昭和61)年5月20日初版1刷発行
   1997(平成9)年5月15日11刷発行
入力:網迫
校正:ごまごま
2000年12月21日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

岡本綺堂

半七捕物帳 海坊主—– 岡本綺堂

     一

「残念、残念。あなたは運がわるい。ゆうべ来ると大変に御馳走があったんですよ」と、半七老人は笑った。
 それは四月なかばのうららかに晴れた日であった。
「まったく残念でした。どうしてそんなに御馳走があったんです」と、わたしも笑いながら訊《き》いた。
「と云って、おどかしただけで、実はさんざんの体《てい》で引き揚げて来たんですよ。浅蜊《あさり》ッ貝を小一升と、木葉《こっぱ》のような鰈《かれい》を三枚、それでずぶ濡れになっちゃあ魚屋《さかなや》も商売になりませんや。ははははは」
 よく訊いてみると、きのうは旧暦の三月三日で大潮《おおしお》にあたるというので、老人は近所の人たちに誘われて、ひさしぶりで品川へ潮干狩《しおひがり》に出かけると、花どきの癖で午《ひる》頃から俄か雨がふり出して来た。船へ逃げ込んで晴れ間を待ちあわせていたが、容易に晴れるどころか、ますます強降りになって来るらしいので、とうとう諦めて帰ってくると、意地のわるい雨は夕方から晴れて、きょうはこんな好天気になった。なにしろ前に云ったような獲物だからお話にならない。浅蜊はとなりの家へやって、鰈は老婢《ばあや》とふたりで煮て食ってしまったというのであった。
 きのうの不出来は例外であるが、一体に近年はお台場の獲物がひどく少なくなったらしいと老人は云った。それからだんだんと枝がさいて、次のような話が出た。

 安政二年三月四日の午過《ひるす》ぎに、不思議な人間が品川沖にあらわれた。
 この年は三月三日の節句に小雨《こさめ》が降ったので、江戸では年中行事の一つにかぞえられているくらいの潮干狩があくる日の四日に延ばされた。きょうは朝から日本晴れという日和《ひより》であったので、品川の海には潮干狩の伝馬《てんま》や荷足船《にたりぶね》がおびただしく漕ぎ出した。なかには屋根船で乗り込んでくるのもあった。安房《あわ》上総《かずさ》の山々を背景にして、見果てもない一大遊園地と化した海の上には、大勢の男や女や子供たちが晴れた日光にかがやく砂を踏んで、はまぐりや浅蜊の獲物をあさるのに忙がしかった。
 かれらの多くは時刻の移るのを忘れていたので、午飯《ひるめし》を食いかかるのが遅かった。ある者は船に帰って、家から用意してきた弁当の重詰をひらくのもあった。ある者は獲物のはまぐりの砂を吐かせる間もなしに直ぐに吸物にして味わうのもあった。ある者は貝のほかに小さい鰈や鯒《こち》をつかんだのを誇りにして、煮たり焼いたりして賞翫《しょうがん》するのもあった。砂のうえに毛氈《もうせん》や薄縁《うすべり》をしいて、にぎり飯や海苔巻《のりまき》の鮓《すし》を頬張っているのもあった。彼等はあたたかい潮風に吹かれながら、飲む、食う、しゃべる、笑うのに余念もなかった。
 その歓楽の最中であった。ひとりの奇怪な人間が影のようにあらわれて来たのであった。勿論、どこから出て来たのか知れなかったが、かれは年のころ四十前後であるらしく、髪の毛をおどろに長くのばして、その人相もよくわからない。顔のなかから鋭い眼玉ばかりが爛々と光っていた。身には破れた古袷《ふるあわせ》をきて、その上に新らしい蓑《みの》をかさねて、手には海苔ヒビのような枯枝の杖を持って素足でぶらぶらと迷い歩いている。その風体《ふうてい》がここらの漁師ともみえなかった。さりとて普通の宿無し乞食とも思われない。まずは一種の気ちがいか、絵にかいてある仙人のたぐいかとも見られるので、彼の通る路々の人はいずれも眼をみはって見送っていた。こうして、不思議そうに見かえられ見送られながら、彼は一向平気で潮干の群れのあいだをさまよい歩いているので、若い女などは気味わるそうに人のかげに隠れるのもあった。船のなかへ逃げ込むのもあった。
 しかしこの奇怪な男は、別に他人に対して何事をするでもないらしかった。さりとて諸人が遊びたわむれているのを見物してあるいているのでも無いらしかった。唯その鋭い眼をひからせて、なにを見るともなしに迷いあるいているだけのことであったが、そのうちに彼は職人らしい一群に取り囲まれた。酔っている職人のひとりは彼のまえに立ちふさがって、大きい猪口《ちょこ》を突きつけた。
「おい、大将。頼む、一杯のんでくれ」
 奇怪な男はにやにや笑いながら、無言でその猪口を受け取って、相手のついでくれた酒をひと息にぐっと飲みほした。
「やあ、馬鹿に飲みっぷりがいいぜ、もう一杯たのもう」と、ほかの一人が入れ代って猪口を突き出すと、かれは猶予なしにそれをも飲んでしまった。
 それが一種の興をひいたらしく、ほかの群れから食いのこりの握り飯を持って来たものがあったが、彼はそれをも快くむしゃむしゃと食った。海苔巻の鮓や塩せんべいや、なんでもかでも彼のまえに突き出されたものは忽ちにみんな彼の口へはいってしまった。しかも彼は唯ときどきににやにやと笑うばかりで、かつて一と言も云わなかった。なにを話しかけても、なにを訊《き》いても、かれはつんぼうであるかのように、一切その返事をしなかった。かれは面白半分に職人から突き付けられた酒や食い物を、ただ黙って飲み食いしているだけであるので、まわりを取り巻いている人々も少しく倦《あ》きて来た。彼もさすがに満腹したらしく、勿論なんの挨拶もなしに、諸人の囲みをぬけて又ふらふらとあるき出した。
 彼はそれから何処へ行ったか、別に詮議《せんぎ》するものもなかった。どこの船でも午飯をすませて、再び潮干狩をつづけていると、やがて夕七ツ(午後四時)を過ぎたかと思うころに、かの男は又ふらふらとあらわれた。かれは誰に云うとも無しに、遠い沖の方を指さして叫んだ。
「潮がくる、潮がくる」
 その声におどろかされて、ある人々はかれの指さす方に眼をやったが、広い干潟《ひがた》に潮のよせてくるような景色はみえなかった。きょうの夕潮までにはまだ半刻《はんとき》あまりの間があることは誰も知っていた。かれは高い空を指さして又叫んだ。
「颶風《はやて》がくる。天狗が雲に乗ってくる」
 今度かれが指さしたのは沖の方でなかった。かれは反対に陸《おか》の方角を仰いで、あたかも愛宕山《あたごやま》あたりの空を示しているのであった。この気ちがいじみた警告に対して、別に注意の耳をかたむける人も少なかったが、それでも品川の海に馴れている者は少しく不安を感じて、かれの指さす方角をみかえると、春の日のまだ暮れ切らない江戸の空は青々と晴れて鎮まっていた。
「颶風《はやて》がくる」と、かれは又叫んだ。
 天気晴朗の日でも品川の海には突然颶風を吹き起すことがある。船頭たちは無論それを知っているので、この奇怪な男の警告を一概に笑って聞き流すわけにも行かなかったが、そうした恐ろしい魔風を運び出して来るらしい雲の影はどこにも見えないので、かれらはやはり油断していると、男はつづけて叫んだ。
「潮が来る。颶風が来る」
 かれの声はだんだんに激して来た。かれはいよいよ物狂おしいようになって、そこらじゅうを駈けまわって叫びあるいた。
「颶風がくる。潮がくる」
 颶風が襲って来るのと、潮が満ちて来るのとは、別問題でなければならなかった。それを知っている者はやはり笑っていたが、彼は諸人の危急がいま目の前に迫っているかのように、片手に空を指さし、片手に沖を指さして、跳《おど》りあがって叫びつづけた。
「颶風がくる」
 跳り狂って飛びまわっているうちに、彼は砂地の窪んだところへ足をふみ込んで、引き残った潮溜りのなかに横ざまに倒れた。倒れながらも彼はやはり其の叫び声をやめなかった。
「この気ちがいめ」
 気の早い者は腹を立てて、そこらに転がっている貝殻をつかんで投げつけた。ある者は砂をつかんで浴びせかけた。それでも彼は口をとじなかった。貝殻がばらばらと飛んでくるうちに、その大きい一つが彼の額にあたって左の眉の上からなま血が流れ出したので、血に染み、砂にまぶれた彼の顔は物凄かった。かれはその眼をいよいよ光らせて、颶風と潮とを叫んだ。こうなると一方に気ちがい扱いにしていながらも、かれの警告に対して諸人の胸の奥に一種の不安が微かに湧き出して来た。女子供を多く連れている組では、そろそろ帰り支度に取りかかる者もあった。そのうちに或る船の船頭……それは老人で、さっきから彼《か》の男と同じように、小手《こて》をかざして陸上の空を仰いでいたのであるが、俄かに突っ立ちあがって大音に呶鳴《どな》った。
「颶風だ、颶風だぞう。早く引きあげろよう」
 海の上に生活している彼の声は大きかった。それが遠いところまでも響き渡って諸人の耳をおどろかした。愛宕山の上かと思われるあたりに、たったひと掴《つか》みほどの雲があらわれたのである。ほかの船頭共も俄かにさわぎ出した。かれらも声をそろえて、颶風だ颶風だと叫んで触れまわった。潮の退《ひ》いている海ではあるが、それでも颶風の声は人々の胸を冷やした。遠いも近いも互いに呼びつれて、あわただしく自分たちの船へ引きあげようとする時、一陣のすさまじい風が突然に天から吹きおとして来た。黒い雲はちっとも動かないで、ゆう日の沈み切らない西の空はやはり明るく晴れているのであるが、海の上には眼に見えない風がごうごうと暴れ狂って、足弱《あしよわ》な女子供はとても立ってはいられなくなった。ある者はよろめき、ある者は吹き倒されて、いずれも砂の上にうつ伏してしまった。船の軒にかけてあるほおずき[#「ほおずき」に傍点]提灯《ちょうちん》や、そこらに敷いてある毛氈や薄縁《うすべり》のたぐいは、何者かに引っ掴まれたように虚空《こくう》遙かに巻きあげられた。人々は悲鳴をあげてうろたえ騒いだ。
 船頭どもは駈けまわって、めいめいが預かりの客をともかくも船のなかへ助け入れようと燥《あせ》っているうちに、きょうはどうしたものか、予定の時刻よりも出潮《でしお》が少し早いらしく、砂地のそこからもここからも無数の蟹が群がったように白い泡をぶくぶく噴き出して来たので、船頭どもは又あわてた。
「潮がさして来る。潮が来る」と、かれらは暴《つよ》い風と闘いながら叫びまわった。
 颶風も幸いに長くなかった。しかし潮はだんだんに満ちてくるので、人々はいよいようろたえて船へ逃げあがった。死人は一人もなかったが、颶風が吹いて通るときに木の枝や何かを叩きつけられて、顔や手足に負傷した者もあった。吹き倒されて貝殻や石に傷つけられた者もあった。手拭などは吹き飛ばされて、男も女もみな散らし髪になってしまった。船にぬいで置いた上衣《うわぎ》などは大抵どこへか飛んで行った。男の紙入れ、女のかんざし、そんな紛失物はかぞえ切れなかった。
 はまぐりや浅蜊の獲物も大抵捨てて帰った。命に別状のなかったのをせめてもの仕合わせにして、きょうの潮干狩の群れはさんざんの体でみな引き揚げた。

     

 めいめいの宿許《やどもと》へ引き揚げて、やれよかったと初めて落ちつくと共に、どの人の口に上《のぼ》ったのもかの奇怪な人間の噂であった。その風体《ふうてい》や挙動が奇怪であるのは云うまでもない、更に奇怪を感ぜしめたのは、彼が誰よりも先に颶風や潮を予報したことであった。老練の船頭すらもまだそれを発見し得ない間に、かれがどうして逸早《いちはや》くそれを予覚したのであろうか。はじめは気ちがいの囈言《うわごと》ぐらいに聞きながしていた彼の警告が一々図星にあたっていたのである。人か神か、仙人か、諸人はその判断に迷った。
 混乱の折柄で、彼がそれからどうしたか、どこへ行ってしまったか、誰もたしかに見とどけた者はなかったが、最後にここを引き揚げたのは、築地|河岸《がし》の船宿|山石《やまいし》の船で、その船頭は清次という若い者であった。乗合いは男五人と女ひとりで、船には酒肴《しゅこう》をたくさん積み込んで、潮干狩は名ばかりで、大抵は船のなかで飲み暮らしていたが、午《ひる》すぎになってから、船を出て、人真似に浅蜊などを少しばかり拾いはじめると、かの颶風に出逢って狼狽して、五人のうち二人は早々に船へ逃げ込んで来たが、ほかの三人と女とが戻って来ないので、ふたりは心配して又探しに出た。
 清次も見ていられないので、一緒にそこらを探してあるいたが、何分にも風が烈しいので、叩きつけるような砂や小石を眼口《めくち》に打ち込まれて、度をうしなって暫く立ちすくんでいるうちに、ふたりの男のゆくえを見失ってしまった。やがて眼をあいて再びそこらを探しあるいていると、よほど離れた砂の上にひざまずいて、ひとりの女がひとりの男と何か話しているらしいのを遠目にみた。女はどうやら自分の船の客らしいので、清次はもしもしと呼びながら近寄ろうとする時に、又もや颶風がどっと吹きおろして来たので、清次も堪まらなくなって砂地にうつ伏した。かれが頭をあげた時には、その女も男ももう見えなかった。船へ帰ると、五人の男もかの女客もいつの間にか無事に戻っていた。
 ただそれだけであれば、別に仔細もないが、その時かの女客と話していたらしい男が奇怪な人間の姿であったように清次の眼に映ったのである。混雑の場合でもあり、又そんなことを詮議すべきでもないので、清次はなんにも云わずに漕いで帰った。
 そこでは何も云わなかったが、かの奇怪な男の噂が出るたびに、清次はそれを人にしゃべった。自分の船の女の客がどうも彼《か》の奇怪な男と知り合いででもあったらしいと吹聴した。その日の客のうちで男ふたりは二度ばかり山石に船をたのみに来たことがあったが、馴染が浅いのでどこの人だか知れなかった。ほかの三人と女ひとりは初めての客であった。したがって彼等のすべてが何者であるか一向判らなかったが、なんでも下町《したまち》の町人らしい風俗で、船頭の祝儀も相当にくれた。
 それが半七の耳にはいった。かれはすぐ築地河岸へ出向いて、まず船頭の清次をしらべたが、清次は前にも云ったほかには何も知らないと云った。船宿では猶更《なおさら》知らなかった。
「もしその客のどれかが又来たら、きっとおれの所へ知らせてくれ。悪くすると飛んだ引き合いを食うぞ」
 半七は念を押して帰った。それはもうかの潮干狩から半月ばかり後であった。神田三河町の家へ帰ると、半七はすぐに子分の幸次郎をよんで、清次という若い船頭の身許をしらべろと命令した。幸次郎は受け合って帰ったが、そのあくる日すぐに出直して来た。
「親分、大抵はわかりましたが、船頭仲間で訊《き》いてみましたら、あの清次という野郎は今年二十一か二で、これまで別に悪い噂もなかったと云います」
「なんにも道楽はねえか」
「商売が商売だから、酒も少しは飲む、小|博奕《ばくち》ぐらいは打つようだが、別に鼻をつままれるような忌《いや》なこともしねえそうですよ。品川の女に馴染《なじみ》があるそうだが、これも若い者のことでしようがありますめえ」
「身にひきくらべて贔屓《ひいき》をするな」と、半七は笑った。「だが、まあ、いいや。そこまで判れば大抵の見当は付いた。御苦労ついでに品川へ行って、あいつが此の頃の遊びっぷりをしらべて来てくれ。店の名は判っているだろうな」
「わかっています。化《ばけ》伊勢のお辰という女です。すぐに行って来ましょう」
 幸次郎は又出て行ったが、その晩、かれが引っ返して来ての報告は半七を少し失望させた。
「清次は月に四、五たびは来るそうですが、まあ身分相当といったくれえの使いっぷりで、今月になって二度来たが、別に派手なこともしねえと云いますよ。どうでしょう。もう少しほかを洗ってみましょうか」
「まあ、よかろう。今になんとかなるだろう」と、半七は云った。「だが、まあ、これだけじゃあ済まねえ。これからもあの野郎に気をつけてくれ」
「ようがす」
 幸次郎はかさねて受け合って帰ったが、別に取り留めたことも探し出さないとみえて、それから又半月ほど過ぎるまで、この一件に就いてはなんの新らしい報告も持って来なかった。人の噂も七十五日で、潮干狩の噂はだんだんに消えて行った。半七もほかの仕事に忙がしく追われていたが、それでも彼の頭にはまだこの一件がこびり付いていて離れなかった。
「あの船頭はどうした」と、半七はときどきに催促した。
「親分も執念ぶけえね」と、幸次郎は笑っていた。「わっしも如才《じょさい》なく気をつけてはいますが、どうもなんにも当りがねえんですよ」
「その客というのもそれぎり来ねえか」
「それぎり顔をみせねえそうです」
 こうして四月も過ぎ、五月になって、梅雨《つゆ》らしい雨が毎日ふりつづいた。五月十日の朝である。半七がいつもよりも少し朝寝をして、楊枝《ようじ》をつかいながら縁側へ出ると、となりの庭の柘榴《ざくろ》の花があかく濡れていた。外では稗蒔《ひえまき》を売る声がきこえた。
「ああ、きょうも降るかな」
 鬱陶《うっとう》しそうに薄暗い空をみあげていると、表の格子をがたぴしと明けて、幸次郎があわただしく飛び込んで来た。
「親分。起きましたかえ」
「いま起きたところだ。何かあったか」
 潮干狩の一件以来、幸次郎は半七に催促されるのが苦しいので、築地河岸の船頭はいうまでもなく、芝浦から柳橋、神田川あたりの船宿をまわって、絶えず何かの手がかりを見つけ出そうと焦《あせ》っているうちに、けさ偶然にこんなことを聞き出したのである。しかもそれはゆうべのことで、神田川の網船屋の船頭の千八というのがおなじみの客をのせて隅田川の上《かみ》の方へ夜網に出た。客は本郷の湯島に屋敷をかまえている市瀬三四郎という旗本の隠居であった。あずま橋下からだんだんに綾瀬の方までのぼって行ったのは夜も四ツ(午後十時)をすぎた頃で、雨もひとしきり小歇《こや》みになった。もちろん濡れる覚悟であったから、客も船頭も蓑笠《みのかさ》をつけていたが、雨がやんだらしいので隠居は笠をぬいだ。笠の下には手ぬぐいで頬かむりをしていた。
「素人《しろうと》は笠をかぶっていると、思うように網が打てない」
 隠居は自分でも網を打つのである。今夜はあまり獲物が多くないので、かれは少し焦《じ》れ気味でもあった。
「網を貸せ。おれが打つ」
 船頭の手から網を取って、隠居は暗い水の上にさっと投げると、なにか大きな物がかかったらしい。鯉か鯰《なまず》かと云いながら、千八も手つだって引き寄せると、大きい獲物は魚でなかった。それはたしかに人の形であった。水死の亡骸《なきがら》が夜網にかかるのは珍らしくない。船頭はこれまでにもそんな経験があるので、又お客様かといやな顔をした。かがり火の光りでそれが男であることを知ると、彼はすぐに流そうとした。
「むかしの船頭仲間には一種の習慣がありましてね」と、半七老人はここでわたしに説明してくれた。「身投げのあった場合に、それが女ならば引き上げて助けるが、男ならば助けない。なぜと云うと、女は気の狭いものだから詰まらないことにも命を捨てようとする。死ぬほどのことでもないのに死のうとするのだから助けてやるが、男の方はそうでない。男が死のうと覚悟するからには、死ぬだけの理窟があるに相違ない。どうしても生きていられないような事情があるに相違ない。いっそ見殺しにしてやる方が当人の為だ、と、まあこういうわけで、男の身投げは先ず助けないことになっている。それが自然の習慣になって、ほかの水死人を見つけた時にも、女は引き上げて介抱してやるが、男は大抵突き流してしまうのが多い。男こそいい面《つら》の皮だが、どうも仕方がありませんよ」
 ここの船でも船頭が男の水死人を突き流そうとするのを、隠居は制した。
「まあ、引き上げてやれ。なにかの縁でおれの網にはいったのだ」
 こう云われて、千八も争うわけには行かなかった。かれは指図の通りに網を手繰《たぐ》って、ともかくもその男を船のなかへ引き上げると、かれは死んでいるのではなかった。網を出ると、彼はすぐにあぐらをかいた。
「なにか食い物はないか。腹が減《へ》った」
 隠居も千八もおどろいていると、男はそこにある魚籠《びく》に手を入れて、生きた小魚をつかみ出してむしゃむしゃと食った。二人はいよいよ驚かされた。
「まだ何かあるだろう。酒はねえか」と、彼はまた云った。「ぐずぐずしていやあがると、これだぞ」
 かれは腹巻からでも探り出したらしい、いきなりに匕首《あいくち》を引きぬいて二人の眼さきに突きつけたので、船頭は又びっくりした。しかし一方は武家の隠居である。すぐにその刃物をたたきおとして再び彼を水のなかへ投げ込んでしまった。
「はは、悪い河獺《かわうそ》だ」と、隠居は笑っていた。
 しかし、それが河獺でないことは判り切っていた。千八はただ黙っていると、隠居はこれに興をさましたらしく、今夜はもうこれで帰ろうと云った。船頭はすなおに漕いで帰った。
 この報告を終って、幸次郎は半七の顔色をうかがった。
「どうです。変な話じゃありませんか」

     

 半七は黙ってその報告を聞いていたが、やがて思い出したようにうなずいた。
「むむ、そんな話が去年もあったな。おめえは知らねえか」
「知りませんね」と、幸次郎は首をかしげた。「やっぱりそんな話ですかえ」
「まあ、そうだ。なんでもそれは麻布《あざぶ》辺の奴らだ。町人が三、四人で品川へ夜網に行くと、海のなかから散らし髪の男がひょっくり浮き出したので、船の者はびっくりしていると、その男はいきなり船へ飛び込んで来て、なにか食わせろと云うんだ」
「へえ、よく似ていますね」と、幸次郎は不思議そうに眼を見はった。「それからどうしましたえ」
「こっちは呆気《あっけ》にとられているから、なんでも相手の云うなり次第さ。船に持ち込んでいる酒と弁当を出してやると、息もつかずに飲んで食って、また海のなかへはいってしまったそうだ」
「まるで河童《かっぱ》か海坊主のような奴ですね。そうすると、ゆうべの奴もやっぱりそれでしょうよ」
「きっとそれだ」と、半七は云った。「いくら広い世のなかだって、そんな変な奴が幾人もいるわけのものじゃあねえ。きっとおなじ奴に相違ねえ。このあいだの潮干狩に出て来た奴もやっぱりそれだろう。だが、妙な奴だな。人間の癖に水のなかに棲んでいて、時々に陸《おか》や船にあがってくる。まったく河童の親類のような奴だ。葛西《かさい》の源兵衛堀でも探してみるかな」
「ちげえねえ」と、幸次郎も笑った。
 この頃、顔やからだを真っ黒に塗って、なまの胡瓜《きゅうり》をかじりながら、「わたしゃ葛西の源兵衛堀、かっぱの伜でござります」と、唄ってくる一種の乞食があった。したがって河童といえば生の胡瓜を食うもの、河童の棲家《すみか》といえば源兵衛堀にあるというように、一般の人から冗談半分に伝えられて、中にはほんとうにそれを信じている者もあったらしい。半七は笑いながら又|訊《き》いた。
「ゆうべの奴は匕首のようなものを出したと云ったな」
「そうです。なんでも光るものを船頭の眼のさきへ突き付けたそうですよ」
「いよいよ変な奴だな。そんな奴を打っちゃって置くと、世間の為にならねえ。しまいには何を仕出来《しでか》すか知れねえ。おれもよく考えて置こう。おめえも気をつけてくれ」
 幸次郎を帰したあとで、半七はいろいろに考えた。幸次郎の報告で、ゆうべの出来事も大抵は判っているものの、念のためにもう一度、その船頭の千八に逢ってくわしい話を聴いたらば、又なにかの手がかりを探り出すことがないとも限らない。半七は起《た》って窓をあけると、一旦晴れそうになった今朝の空もまた薄暗く陰《くも》って来た。
「しようがねえな」
 舌打ちしながら半七は神田の家を出ると、横町の角でわかい男に逢った。男は築地の山石の船頭清次であった。
「親分さん。お早うございます」
「やあ、清公。どこへ行く」
「おまえさんの家《うち》へ……。丁度いいところで逢いました」と、清次はすり寄って来てささやいた。「実はね、このごろは毎日天気が悪いので、商売の方もあんまり忙がしくないもんですから、きのうの午《ひる》すぎに小梅の友達のところへ遊びに出かけました。すると、その途中でひとりの女に逢ったんですよ。その女は近所の湯からでも帰って来たとみえて、七つ道具を持って蛇《じゃ》の目《め》の傘をさしてくる。どうも見おぼえのあるような女だと思って、すれちがいながら傘のなかを覗いてみると、それがね、親分さん。それ、いつかの潮干《しおひ》の時の女なんですよ」
 半七は無言でうなずくと、清次は左右を見かえりながら話しつづけた。
「こいつ、見逃がしちゃあいけねえと思ったから、わっしはそっとその女のあとをつけて行くと、それから小半町ばかり行ったところに瓦屋がある。そのとなりの生垣《いけがき》のある家へはいったのを確かに見とどけたから、それとなく近所で訊いてみると、その女はおとわといって深川辺の旦那を持っているんだそうです。なるほど、庭の手入れなんぞもよく行きとどいていて、ちょいと小綺麗に暮らしているようでした」
「そうか」と、半七は笑いながら又うなずいた。「それは御苦労、よく働いてくれた。その女は三十ぐらいだと云ったっけな」
「ちょいと見ると、二十七八ぐらいには化かすんだけれど、もう三十か、ひょっとすると一つや二つは面《つら》を出しているかも知れません。小股《こまた》の切れあがった、垢ぬけのした女で、生まれは堅気《かたぎ》じゃありませんね」
「判った。わかった。路の悪いのによく知らせに来てくれた。いずれお礼をするよ」
 清次に別れて、半七は往来に突っ立って少しかんがえた。清次が乗せた潮干狩の客は、かの怪しい男となにかの関係があるらしい。現にそのひとりの女は颶風の最中に彼と話していたらしいという。かたがたこの潮干狩の一と組を詮索すれば、自然に彼の正体もわかるに相違ない。これは神田川へ行って千八を詮議するよりも、まず小梅へ出張ってその方をよく突き留めるのが近道らしい。こう思案して、半七はまっすぐに小梅へゆくことにした。陰るかと思った空は又うす明るくなって、厩《うまや》橋の渡しを越えるころには濁った大川の水もひかって来た。
「傘はお荷物かな」
 半七はまた舌打ちをしながら、向う河岸へ渡ってゆくと、その頃の小梅の中《なか》の郷《ごう》のあたりは、為永春水《ためながしゅんすい》の「梅暦」に描かれた世界と多く変らなかった。柾木《まさき》の生垣を取りまわした人家がまばらにつづいて、そこらの田や池では雨をよぶような蛙の声がそうぞうしく聞えた。日和《ひより》下駄の歯を吸い込まれるような泥濘《ぬかるみ》を一と足ぬきにたどりながら、半七は清次に教えられた瓦屋のまえまで行きついた。
 となりと云っても、そのあいだにかなりの空地《あきち》があって、そこには古い井戸がみえた。井戸のそばには大きい紫陽花《あじさい》が咲いていた。半七はその井戸をちょっと覗いて、それから生垣越しに隣りをうかがうと、おとわという女の家はさのみ広くもないらしいが、なるほど清次の云った通り、ここらとしては小綺麗に出来ているらしい造作で、そこの庭にも紫陽花がしげっていた。
「しようがないねえ。また庭の先へ骨をほうり出して置いて……。お千代や。掃溜《はきだ》めへ持って行って捨てて来ておくれよ」
 縁先で女の声がきこえたかと思うと、女中らしい若い女が箒《ほうき》と芥《ごみ》取りを持って庭へ出て来て、魚の骨らしいものをかき集めているらしかった。犬か猫が食いちらしたのかと思ったが、半七は別に思いあたることがあるので、ぬき足をして裏口へまわってゆくと、女中はその骨のようなものを掃溜めへなげ込んで、すぐに台所へはいった。
 半七はそっと掃溜めをのぞいてみると、魚の骨はみな生魚《なまうお》であるらしかった。犬や猫がこんなに綺麗に生魚を食ってしまうのは珍らしい。更に注意して窺うと、掃溜めの底にはやはり生魚の骨らしいのが重なっていた。
 半七は引っ返して元の井戸ばたへ来ると、瓦屋の女房らしい女が洗濯物をかかえて出て来たので、道を訊《き》くような風をして如才《じょさい》なく話しかけて、となりの家ではどこの魚屋《さかなや》から魚を買っているかということを半七は聞き出した。それは半町ほど離れた魚虎という店で、ちょっとした料理も出来ると女房は口軽に話しかけた。
 魚虎へ行って、半七は更にこんなことを聞き出した。おとわの家はお千代という女中と二人暮らしで、深川の木場の番頭を旦那にしているということで、なかなか贅沢に暮らしているらしい。旦那が来た時には、いつでも三種四種《みしなよしな》の仕出しを取る。そのあいだにも毎日なにかの魚を買うが、三月の末頃からは生魚の買物が多い。別に人もふえた様子はないが、たしかに買物は多くなった。犬や猫は一匹も飼っていない。これだけのことが判って、半七の肚《はら》のなかには此の事件に対するひと通りの筋道が立った。

     

 これだけのことが判った以上、すぐにおとわを呼び出して吟味してもいいのである。しかし彼女は三十を越して旦那取りでもしているような女であるから、ひと筋縄では素直に口を明かないかも知れない。女の強情な奴は男よりも始末がわるい。半七はたびたびそれに手懲りをしているので、彼女がいかに強情を張ろうとも、抜きさしの出来ないだけの証拠をつかんで置かなければならないと考えながら、魚虎の店を出てまた引っ返してくると、途中で若い女に逢った。それはおとわの家の女中で、小風呂敷を持って何か買物にでも出てゆくらしかった。
「お千代さん、お千代さん」
 自分の名をよばれて、若い女中は不思議そうに見かえると、半七は近寄って馴れなれしく声をかけた。
「わたしは魚虎の親類の者で、二、三日前からあそこへ泊まりに来ているんですよ。きのうもお前さんが買物に来たときに、奥の方にいたのを知りませんでしたかえ。そら、お前さんが鯔《ぼら》を一尾、鱚《きす》を二尾、そうだ[#「そうだ」に傍点]鰹の小さいのを一尾、取りに来たでしょう。こちらから届けますというのに、いや急ぐからと云ってお前さんがすぐに持って行ったでしょう」
 お千代は黙っていた。空はいよいよ明るくなって、裂けかかった雲のあいだから日の光りが強く洩れて来たので、半七は彼女を誘うようにして、路ばたの大きい榎《えのき》の下に立った。
「ねえ、魚虎の帳面をみると、仕出しが時々にある。それは木場《きば》の旦那のだろう」
 お千代は無言でうなずいた。
「それは判っているが、もうひとりのお客様だ。そのお客は四、五日ぐらい途切れて又来ることがある。きのうは来たんだね」
 お千代はやはり黙っていた。
「そうして、日の暮れから出て行って、夜なかに帰って来たかえ。それとも今朝になって帰って来たかえ。なにしろ生魚をむしゃむしゃ食って、その骨を庭のさきなんぞへむやみに捨てられちゃあ困るね」
 相手はまだ黙っていたが、一種の不安がさらに恐怖に変ったらしいのは、その顔の色ですぐ覚《さと》られた。
「ねえ、まったく困るだろう」と、半七は笑いながら云った。「あんな仙人だか乞食だか山男だか判らねえお客様に舞い込まれちゃあ、まったく家の者泣かせよ。あの人はなんだえ。うちの親類かえ」
「知りません」
「名はなんというんだえ」
「知りません」
「時々に来るのかえ、始終来ているのかえ」
「知りません」
「嘘をつけ」と、半七は少しく声を暴《あら》くしてお千代の腕をつかんだ。「あすこの家に奉公していながら、それを知らねえという理窟があるか。まったく来ねえものなら、初めからそんな人は来ませんとなぜ云わねえ。家の親類かと訊《き》けば、知らねえという。名はなんというと訊けば、知らねえという。それが確かに来ている証拠だ。さあ、隠さずに云え。おまえはいくつだ」
「十八です」と、お千代は小声で答えた。
「よし、少しおしらべの筋がある。おれと一緒に番屋へ来い」
 お千代は真っ蒼になって泣き出した。
「番屋へ連れて行くのも可哀そうだ。魚虎まで来い」
 半七はかれを引っ立てて再び魚虎の店へ引っ返すと、魚屋《さかなや》の亭主や女房も半七が唯の人でないことを覚《さと》ったらしく、奥へ案内して丁寧に茶などを出した。夫婦は泣いているお千代をなだめて、もうこの上はなんでも正直に申し上げるのがお前の為であると説得したので、年のわかい彼女はとうとう素直に白状した。
 去年の冬の夜に、乞食だか仙人だか山男だか判らないような男がおとわをたずねて来た。どこから来たのか、それは知らないとお千代は云った。なんでもおとわが金をやっているらしかったが、男はそれを受け取らなかった。おとわは結局かれを物置へ連れ込んで住まわせることにした。男はときどきに抜け出して何処へかゆく。そうして、又ふらりと帰ってくる。不思議なことには、かれは好んで生魚を食う。勿論、普通の煮物や焼物も食うのであるが、そのほかに何か生物を食わせなければ承知しない。かれは生魚を頭からむしゃむしゃ食うのである。かれはふところに匕首を忍ばせていて、生魚を食わせないと直ぐにそれを振り廻すのである。それにはおとわも困っているらしい。お千代も気味を悪がって、なんとかして暇を取りたいと思っているが、主人からは余分の心付けをくれて、無理に引き留められるので困っている。どう考えても、あの男は一種の気ちがいに相違ない。しかし主人とどういう関係にあるのか、それはちっとも知らないとお千代は云った。
 それにしても、そんな怪しい人間が出這入りするのを、近所で気が付かない筈はないと半七は思った。その詮議に対して、お千代はこう答えた。かれは昼のあいだは物置に寝ていて、日が暮れてから何処へか出てゆく。帰ってくる時も夜である。ここらは人家が少ない上に、大抵の家では宵から戸を閉めてしまうので、今まで誰にも覚《さと》られなかったのであろう。現にゆうべも宵からどこへか出て行って、夜の明けないうちに戻って来て、あさ飯には小さいそうだ[#「そうだ」に傍点]鰹一尾を食って、その骨を庭さきへ投げ出して置いて、物置へはいって寝てしまったとのことであった。
 半七はすぐにお千代を案内者にして、おとわの家へ踏み込んだが、生魚を食う男のすがたは物置のなかから見いだされなかった。あるじのおとわも見えなかった。箪笥や用箪笥の抽斗《ひきだし》が取り散らされているのを見ると、かれは目ぼしい品物を持ち出して、どこへか駈け落ちをしたらしく思われた。
 木場の旦那は今夜来るはずだとお千代が云ったので、半七は幸次郎とほかに二人の子分をよびあつめて、おとわの空巣《あきす》に網を張っていると、果たして夕六ツ過ぎに、その旦那という男が三人連れでたずねて来た。
 連れの二人はすぐに押えられたが、旦那という四十前後の男は匕首をぬいて激しく抵抗した。子分ふたりは薄手を負って、あやうく彼を取り逃がそうとしたが、とうとう半七と幸次郎に追いつめられて、泥田のなかで組み伏せられた。
 彼等はすべて海賊の一類であった。
 おとわの旦那は喜兵衛というもので、表向きは木場の材木問屋の番頭と称しているが、実は深川の八幡前に巣を組んでいる海賊であった。ほかにも六蔵、重吉、紋次、鉄蔵という同類があって、うわべは堅気の町人のように見せかけながら、手下の船頭どもを使って品川や佃《つくだ》の沖のかかり船をあらしていた。時には上総《かずさ》房州の沖まで乗り出して、渡海の船を襲うこともあった。おとわは木更津の茶屋女のあがりで、喜兵衛の商売を知っていながら其の囲い者になっていたのである。
 疑問の怪しい男は、外房州の海上から拾いあげて来たのであると喜兵衛は申し立てた。去年の十月、かれらが房州の沖まで稼ぎに出て、相当の仕事をして引き揚げて来る途中、人のようなものが浪をかいて彼等の船を追ってくるのを見た。人か、海驢《あしか》か、海豚《いるか》かと、月の光りで海のうえを透かしてみると、どうもそれは人の形であるらしい。伝え聞く人魚ではあるまいかと、かれらも不思議に思って船足をゆるめると、怪しい人はやがてこちらの船へ泳ぎついて来た。喜兵衛は度胸を据えて引き上げさせると、かれは潮水に濡れたままで船端《ふなばた》に坐り込んで、だしぬけに何か食わせろと云った。云うがままに飯をあたえると、かれは平気で幾杯も食った。物も云えば、飯も食うので、それが普通の人間であることは判ったが、一体かれは何者で、どうして海のなかに浮かんでいたのか、その仔細は判らなかった。なにを訊《き》いても、かれの返事は要領を得なかった。かれは自分を江戸へ連れて行ってくれと云った。
 こんな者を連れて帰ってもしようがないので、喜兵衛は残酷に彼を元の海へ投げ込ませると、かれは再び浮き出して、執念ぶかく船のあとを追って来た。それが大抵の魚よりも早いので、喜兵衛もなんだか恐ろしくなって来た。迷信の強い彼等は、この怪しい男をすてて帰って、それがために何かの禍いをまねくことを恐れたので、再び彼を引き上げさせて、とうとう江戸まで連れて帰ることになった。
 金杉の浜へ着いて、ここで怪しい男と別れようとしたが、男は飽くまで付きまとって離れないので、喜兵衛らは持て余した。一つ船に乗せて来て、自分たちの秘密を薄々|覚《さと》られたらしい虞《おそ》れもあるので、いっそ彼を殺してしまおうかとも思ったが、人の腹の底を見透かしているような彼のするどい眼にじろりと睨まれると、胆《きも》の太い海賊共も思い切って手をくだすことが出来なかった。子分のひとりが品川に住んでいるので、喜兵衛はひと先ずそこに預けて彼を養わせることにしたが、かれは正覚坊《しょうがくぼう》のように大酒を飲んだ。不思議に生魚を好んで食った。そうしているうちに、どうして探し出したか、深川の喜兵衛の家へもたずねてきた。更に進んで、小梅のおとわの家へもその怪しい姿を見せるようになった。時によると、どうしても帰らないので、おとわはよんどころなく物置のなかに泊めてやることもあった。かれは品川に泊まって、今まで小半年《こはんとし》の月日を送っていたが、それが人の眼に立たなかったのは、いつでも隅田川から大川へ出て、更に沖へ出て、水のうえを往来していた為であろう。かれは魚とおなじように、どんなに冷たい水でも平気で泳いだ。ただ、水中で鮫なぞに襲われる危険を防ぐ為だと云って、常に匕首をふところに忍ばせていた。
 ことしの三月四日、喜兵衛が同類四人とおとわを連れて品川の潮干狩に出てゆくと、かの怪しい男がそこらを徘徊《はいかい》しているのを見た。悪い奴が来ていると思いながら、わざと素知らぬ顔をしていると、午すぎになって彼は「颶風《はやて》が来る、潮が来る」と叫んであるいた。そうして、その警告の通りに恐ろしい颶風が吹き出して、潮干狩の人々を騒がしたので、喜兵衛はいよいよ驚かされた。その以来、かれらは仕事に出るたびに、かならずこの怪しい男を一緒に乗せてゆくことにした。彼を乗せてゆくと、いつも案外のいい仕事があるので、かれらの迷信はますます高まった。かれらは彼の名を知らないので、冗談半分に誰かが云い出したのが通り名になって、かれらの仲間では先生と呼ばれていた。
 喜兵衛と同時に召し捕られたのは、重吉と鉄蔵のふたりで、その白状によって他の六蔵と紋次もつづいて縄にかかった。子分の船頭共もみな狩りあげられた。ただ、かの男とおとわのゆくえだけは当分知れなかったが、それから半月ほど経った後、羽田の沖に女の死骸が浮かびあがった。それはかのおとわで、左の乳の下を刃物でえぐられていた。

「大体のお話は先ずこれまでですが、どうです、その変な男の正体は……。お判りになりましたか」と、半七老人は云った。
「わかりませんね」と、わたしは首をかしげた。
「それはね。上総《かずさ》無宿の海坊主万吉という奴でした」
「へえ、その生魚を食う奴が……」
「そうですよ」と、半七老人はほほえんだ。「九十九里ヶ浜の生まれで、子供のときから泳ぎが上手で、二里や三里は苦もなく泳ぐというので、海坊主という綽名《あだな》を取ったくらいの奴です。そいつがだんだんに身状《みじょう》が悪くなって、二十七八の年にとうとう伊豆の島へ送られた。十年ほども島に暮らしていたのですが、もう辛抱が出来なくなって、島ぬけを考えた。といって、めったに船があるわけのものではありませんから、泳ぎの出来るのを幸いに、いっそ泳いで渡ろうと大胆に工夫《くふう》して月のない晩に思い切って海へ飛び込んだのです。いくら泳ぎが上手だからといって、一気に江戸や上総房州まで泳ぎ着ける筈はありませんから、その途中で荷船でも漁船でもなんでも構わない、見あたり次第に飛び込んで、食い物をねだって腹をこしらえて、あるところまで送って貰って、そうしてまた海へ飛び込んで泳ぐという遣り方をしていたんです。なにしろ変な人間が海のなかから不意に出てくるんですから、大抵の者はおどろいてしまって、まあ、云うなり次第にしてやるというわけで、廻り廻って房州の方へ……。はじめは故郷の上総へ帰る積りだったそうです」
「おそろしい奴ですね」
「まったく恐ろしい奴ですよ。ところで、房州沖で喜兵衛の船に泳ぎついて、そこで飯を食っているうちに不図かんがえ直して、故郷へうかうか帰るのは剣呑《けんのん》だ。いっそ此の船へ乗って江戸へ送って貰おうと……。それから先は喜兵衛の白状通りですが、こいつがなかなか図太い奴で、島破りのことなぞは勿論云いません。わざと気違いだか何だか得体《えたい》のわからないような風をして、ずうずうしく江戸まで付いて来たんです。しかも蛇《じゃ》の道は蛇《へび》で、この船が唯の船でないことを万吉は早くも睨んだものですから、江戸へ着いてからも離れようとしない。離れたらすぐに路頭に迷うから、執念ぶかく食いついている方が得《とく》です。こっちにも弱味があるから、どうすることもできない。結局、品川の子分のところへ預けられて、鱈腹《たらふく》飲んで食って遊んでいる。さすがの海賊もこんな奴に逢ったのが因果です。そのうちにだんだん増長して喜兵衛の家へ押し掛けて行く。おとわの家へも行く。それも飲み倒しだけならいいが、しまいには手籠《てご》め同様にしておとわを手に入れてしまったんです。おとわも勿論|素直《すなお》に云うことを肯《き》く筈はありませんが、旦那の喜兵衛も一目《いちもく》置いているような変な奴にみこまれて、怖いのが半分でまあ往生してしまったんでしょう。しかしそれを喜兵衛に打ち明けるわけにも行かないので、忌々《いやいや》ながら万吉のおもちゃになっているうちに、わたくし共がだんだんに手を入れ始めて、女中のお千代が魚虎へ引っ張られて行ったので、おとわもこれはあぶないと感付いたんでしょう。物置にかくしてある万吉をよび出して、早くここを逃げてくれと云うと、万吉はそんならおれと一緒に逃げろと云って、例の匕首をふりまわす。もう旦那と相談するひまも無しに、おとわは目ぼしい品物や有り金をかきあつめて、無理無体に万吉に引き摺られて、心にもない道行《みちゆき》をきめたんです。昼のうちは近所の藪のなかに隠れていて、夜になってから千住の方へまわって、汐入堤《しおいりつづみ》あたりの堤《どて》の下に穴を掘って棲んでいましたが、それも人の目に着きそうになったので、又そこを這い出して今度は神奈川の方へ落ちて行く途中、おとわが隙をみて逃げようとしたのが喧嘩の始まりで、とうとう例の匕首で命を取られることになってしまったんです」
「その万吉はどうしました」と、わたしは又|訊《き》いた。
「神奈川の町で金に困って、女の着物を売ろうとしたのから足がついて、ここでいよいよ召し捕られることになりましたが、その時には髭なぞを綺麗に剃って、あたまは毬栗《いがぐり》にしていたそうです。島破りの上に人殺しをしたんですから、引き廻しの上で獄門になりました。生魚を食うのは、子供のときから浜辺で育って、それから十年あまりも島に暮らしていた故《せい》ですが、だんだんに詮議してみると、なにも好んで生魚を食うというわけでもない。人を嚇かすためにわざと食って見せていたらしいんです。それがほんとうでしょう。こう煎じつめてみると別に変った人間でもないんですが、ただ不思議なのは潮干狩の日に颶風《はやて》の来るのを前以って知っていたことです。それは長い間、島に暮らしていて、海や空を毎日ながめていたので、自然に一種の天気予報をおぼえたのだということですが、それはほんとうか、それとも人騒がせのまぐれあたりか、確かなことは判りません。しかし万吉が牢内できょうは雷が鳴ると云ったら、果たしてその日の夕方に大きい雷が鳴って、十六ヵ所も落雷したと云って、明治になるまで牢内の噂に残っていました」
「じゃあ、きのうはその海坊主に天気予報を聞いて行けばよかったですね」と、わたしは云った。
「まったくですよ。ところが、きのうは生憎《あいにく》にそんな奴が出て来なかったので。あははははは」と、老人は又笑った。

底本:「時代推理小説 半七捕物帳(三)」光文社文庫、光文社
   1986(昭和61)年5月20日初版1刷発行
   1997(平成9)年5月15日11刷発行
※旺文社文庫版を元に入力し、光文社文庫版に合わせて校正した。この過程で確認した、両者の相違を示す。
・時々に陸《おか》や船に[#旺文社文庫版「時々に陸《おか》や船へ」]
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:網迫
校正:柳沢成雄
2000年9月23日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

岡本綺堂

半七捕物帳 冬の金魚— 岡本綺堂

     一

 五月のはじめに赤坂をたずねると、半七老人は格子のまえに立って、稗蒔売《ひえまきうり》の荷をひやかしていた。わたしの顔をみると笑いながら会釈《えしゃく》して、その稗蒔のひと鉢を持って内へはいって、ばあやにいいつけて幾らかの代を払わせて、自分は先に立って私をいつもの横六畳へ案内した。
「急に夏らしくなりましたね」と、老人は青々した小さい鉢を縁側に置きながら云った。「しかし此の頃はなんでも早くなりましたね。新暦の五月のはじめにもう稗蒔を売りにくる。苗屋の声も四月の末からきこえるんだから驚きますよ。ゆうべも一ツ木の御縁日に行ったら、金魚屋が出ていました。人間の気が短くなって来たから、誰も彼も競争で早く早くとあせるんですね。わたくし共のようなむかし者の眼からみると……これでも昔は気のみじかい方だったんですがね……むやみに息ぜわしくなって、まわり燈籠の追っかけっくらを見せられているようですよ。この分では今にお正月の床の間に金魚鉢でも飾るようになるかも知れませんね。いや、今の人のことばかり云っちゃあいられません。むかしも寒中に金魚をながめていた人もあったんですよ」
「天水桶にでも飼って置いたんですか」と、わたしは訊《き》いた。
「いや、天水桶の金魚は珍らしくもありません。大きい天水桶ならば底の方に沈んで、寒いあいだでも凌いでいられますからね。こんにちでは厚い硝子《ガラス》の容れ物に飼って、日あたりのいいところに出しておけば、冬でも立派に生きています。しかし昔はそんなことをよく知らないもんですから、ビードロの容れものに金魚を飼うなんて贅沢な人も少なかったようです。たまにあったところで、それはやっぱり夏場だけのことでした。ところが、又いろいろのことを考え出す人間があって、寒い時にも金魚を売るものがある。それは湯のなかで生きている金魚だというんだから、珍らしいわけですね。文化文政のころに流行《はや》って、一旦すたれて、それが又江戸の末になってちょっと流行ったことがあります。しょせんは一時の珍らしいもの好きで長くはつづかないんですが、それでも流行るときには馬鹿に高い値段で売り買いが出来る。例の万年青《おもと》や兎とおなじわけで、理窟も何もあったものじゃありません。そう、そう、その金魚ではこんな話がありましたよ」

 お玉ヶ池の伝説はむかしから有名であるが、その旧跡は定かでない。地名としては神田|松枝町《まつえちょう》のあたりを総称して、俗にお玉ヶ池と呼んでいたのである。その地名が人の注意をひく上に、そこには大窪詩仏や梁川星巌《やながわせいがん》のような詩人が住んでいた。鍬形惠斎《くわがたけいさい》や山田芳洲のような画家も住んでいた。撃剣家では俗にお玉ヶ池の先生という千葉周作の道場もあった。それらの人達の名によって、お玉ヶ池の名は江戸時代にいよいよ広く知られていた。
 これは勿論、それらの人々と肩をならぶべくもないが、俳諧の宗匠としては相当に知られている松下庵其月《しょうかあんきげつ》というのがやはりこのお玉ヶ池に住んでいた。この辺はむかしの大きい池をうずめた名残《なごり》とみえて、そこらに小さい池のようなものがたくさんあった。其月の庭には蛙も棲んでいられるくらいの小さい池があって、本人はそれがお玉ヶ池の旧跡だと称していたが、どうも信用が出来ないという噂が多かった。かれはその池のほとりに小さい松をうえて、松下庵と号していたのであるが、その点を乞いに来る者も相当あって、俳諧の宗匠としては先ず人なみに暮らしていた。
 弘化三年十一月のなかばである。時雨《しぐれ》という題で一句ほしいような陰《くも》った日の午《ひる》すぎに、三十四五の痩せた男が其月宗匠の机のまえに黒い顔をつき出した。
「おまえさんに少しお願いがあるんですがね」
 かれは道具屋の惣八という男で、掛物や色紙短冊《しきしたんざく》も多年取りあつかっている商売上の関係から、ここの家の門《かど》を度々くぐっているのであった。其月は机の上にうずたかく積んである俳諧の巻をすこし片寄せながら微笑《ほほえ》んだ。
「惣八さんのお願いでは、また何か掘り出しものの売り込みかね。おまえさんの物はこのごろどうも筋が悪いといって、どこでも評判がよくないようだぜ」
「ところが、これは大丈夫、正銘《しょうめい》まがいなしの折紙付きという代物《しろもの》です。宗匠、まあ御覧ください」
 風呂敷をあけて勿体《もったい》らしく取り出したのは、芭蕉の「枯枝に烏のとまりけり秋の暮」の短冊であった。それが真物《ほんもの》でないことは其月にもひと目で判った。もう一つは其角の筆で「十五から酒飲みそめて今日の月」の短冊で、これには其月もすこし首をかたむけたが、やはり疑わしい点が多かった。其月は無言で二枚の短冊を惣八のまえに押し戻すと、その顔つきで大抵察したらしく、惣八は失望したように云った。
「いけませんかえ」
「はは、大抵こんなことだろうと思った。承知していながら、押っかぶせようというのだから罪が深い」と、其月は取り合わないように笑っていた。
「どっかへ御世話は願えないでしょうか」
 其月はだまって頭《かぶり》をふった。
「困ったな」と、惣八はあたまを掻いていた。「其角の方もいけませんかしら」
「どうもむずかしい」
「やれ、やれ」と、惣八は詰まらなそうにしまい始めた。「ところで、もう一つ御相談があるんですがね」
 今度の相談は例の金魚で、寒中でも湯のなかで生きている朱錦《しゅきん》のつがいがある。それをどこへか売り込む口はあるまいか。売り手は二匹八両二歩と云っているのであるが、二歩はたしかに負ける。八両で売り込んでくれれば、宗匠にも二両のお礼をするというのであった。其月はまた笑った。
「おまえも慾がふかい男だ。商売のほかにいろいろの儲け口をあせるのだな」
「世が悪くなりましたからね。本業ばかりじゃ立ち行きませんよ」と、惣八も笑った。「ねえ、宗匠。この方はどうでしょう」
 それは其月にも心あたりが無いでもなかった。その金魚がほんものならば何処へか世話をしてやってもいいと答えると、惣八は急に顔の色を直した。
「ありがたい。是非一つお骨折りをねがいます。売り主も大事にしているんですから、その買い手がきまり次第、持って来てお目にかけます。このごろの相場として雌雄二匹で八両ならば廉《やす》いものです。十両から十四五両なんていうばかばかしい飛び値がありますからね。流行物《はやりもの》というものは不思議ですよ」
「まったく不思議だね」
 話が済んで、惣八が帰りかけると、出合いがしらに十七八の小綺麗な女が帰って来た。かれは女中のお葉《よう》であった。其月は今年四十六で、五年まえに妻をうしなったので、その後は女中と二人暮らしである。お葉は千住《せんじゅ》の生まれで、女中奉公をしている女としては顔や形も尋常に出来ているので、主人が独り身であるだけに、近所でもとかくの噂を立てる者もあった。惣八も時々にかれにからかうことがあるので、きょうも下駄を穿《は》きながら云った。
「やあ、お部屋さま、お帰りだね」
「若い者にからかってはいけない」と、其月はうしろからまじめに云った。
 惣八は首をちぢめて怱々《そうそう》に門を出た。外にはもう雨がふり出していたが、お葉は傘を持ってゆけとも云わなかった。惣八が横町の角を曲がったかと思うころに、時雨《しぐれ》は音をたてて降って来た。

     

 それから半月あまりを過ぎた十二月のはじめに、お玉ヶ池に一つの事件が出来《しゅったい》して、近所の人たちをおどろかした。松下庵其月の家で、主人は何者にか斬り殺されて、女中のお葉は庭の池に沈んでいたのである。ふだんから普通の奉公人でないらしく思われているだけに、近所ではまたいろいろの噂を立てた。検視の役人は出張した。自分の縄張り内であるから、半七もすぐに駈け付けた。
 俳諧師の庵《いおり》というだけに、家の作りはなかなか風雅に出来ていたが、其月の宅は広くなかった。門のなかには二十坪ほどの庭があって、その半分は水苔《みずこけ》の青い池になっていた。玄関のない家で、女中部屋の三畳、そのほかには主人が机をひかえている四畳半と、茶の間の六畳と、畳の数はそれだけに過ぎなかった。近所ではこの椿事《ちんじ》をちっとも知らなかったのであるが、かの道具屋の惣八が早朝にたずねて来て、枝折戸《しおりど》のようになっている門を推《お》すと、門はいつものように明いたので、なんの気もつかずにはいって行くと、松の木の根もとに女の帯の端《はし》がみえた。不思議に思って覗《のぞ》いてみると、その帯は紅い尾をひいたように池の薄氷のなかに沈んでいるのであった。試みにその帯の端をつかんで引くと、それは人間のからだに巻きついているらしい手応《てごた》えがしたので、惣八はびっくりした。
 まえにも云う通り、玄関のない家で、すぐに四畳半の座敷へ通うようになっているので、惣八はあわててその雨戸を叩こうとすると、それまでもなく、雨戸は末の一枚が半分ほど明けてあったので、彼はそのあいだから内をのぞくと、小さい机は横さまに傾いて倒れて、筆や筆立や硯《すずり》のたぐいが散乱しているなかに、宗匠の其月はすこし斜めに仰向けに倒れていた。かれの半身はなま血に塗《まみ》れて、そこらに散っている俳諧の巻までも蘇枋《すおう》染めにしているので、惣八は腰がぬけるほどに驚いた。かれは這うように表へ逃げ出して、近所の人を呼び立てた。こういうわけで、惣八は第一の発見者である係り合いから、町内の自身番に留められていろいろの詮議をうけたが、彼はこの以外にはなんにも知らないと申し立てた。
 この椿事が夜なかに起ったのでないのは、主人の部屋にも女中部屋にも寝床が敷いてないのを見ても察せられた。其月は机のまえに坐って、朱筆を持って俳諧の巻の点をしているところを、うしろからそっと忍び寄って、刃物でその喉を斬った。おどろいて振り向くところを、更にその頸筋を斬ったらしい。其月の死にざまは先ずそれで大抵わかったが、お葉はどうして死んだのか、ちょっと見当がつかなかった。自分で身を投げたのか、他人《ひと》に投げ込まれたのか、それすらも判らなかった。池から引き揚げられた彼女の死骸には傷のあとも見いだされなかった。
 家内に紛失物もないらしいのを見ると、この惨劇が物取りでないこともほぼ想像された。主人の其月もまだ老い朽ちたという年でもないから、ひとり者の主人と若い奉公人とのあいだに、近所で噂するような関係があったとすれば、なにかの事情から、お葉が主人を殺害して、自分も身を投げて死んだものと認められないでもない。ほかに情夫《おとこ》でもあって、お葉が主人を殺したのならば、当人が自滅する筈はあるまい。あるいは何者かが其月を殺し、あわせてお葉を池のなかへ投げ込んだのかも知れない。下手人《げしゅにん》が手をおろさずとも、お葉がおどろいて逃げ廻るはずみに、自分で足をすべらして転《ころ》げ落ちたのかも知れない。しかし表の戸も明けてあり、寝床も敷いてないのであるから、それが宵のうちの出来事らしく思われるにも拘らず、近所隣りでこれほどの騒ぎを知らなかったというのは少し不思議であるが、大事件が人の知らない間に案外|易々《やすやす》と仕遂げられた例はこれまでにもしばしばあるので、検視の役人たちもその点にはさのみ疑いを置かなかった。ただ、其月を殺したのはお葉の仕業《しわざ》か、あるいは主人も奉公人も他人の手にかかったのか、この事件の疑問は専らその一点に置かれているので、水にぬれたお葉の死骸は念を入れて検《あらた》められたが、別に手がかりとなるようなものも見いだされなかった。しかしその死骸が水を飲んでいるのをみると、息のあるうちに沈んだことだけは確かめられた。
「どうでしょう。この池を掻掘《かいぼ》りさせるわけには行きますまいか」と、半七は云った。
 池の底にどんな秘密がひそんでいないとも限らないので、役人たちもすぐに同意した。人足どもを呼びあつめて、師走《しわす》の寒い日にその池の掻掘りをはじめると、水の深さは一丈を越えていて、底の方から大小の緋鯉や真鯉が跳ね出して来たが、そのほかにはこれというような掘出し物もなかった。お葉のさしていたらしい櫛が一枚あらわれた。小半日をついやして、これだけの獲物《えもの》しかないので、役人たちも失望した。それから家内を隈なく猟《あさ》ってみたが、どこも皆きちんと片付いていて別に取り散らしたような形跡もみえなかった。差しあたりはこの以上に詮議のしようもないので、あとの探索は半七にまかせて、役人たちは一旦引き揚げた。
 半七はあとに残って、其月の身許《みもと》しらべに取りかかった。かれの親類や、かれの弟子や、出入りの者や、それらの住所姓名を一々に調べることにした。子分の庄太を千住へやって、お葉の身許もしらべさせた。検視が済んでも、誰かその始末をする者がなくては、二つの死骸をどうすることも出来ないので、家主と近所の者四、五人があつまって来て、ともかくもその死骸の番をしていることになった。半七も坐っていた。みじかい冬の日がもう暮れかかる頃になって、其月の弟子たちがだんだんに寄って来たが、かれらは不慮の出来事におどろき呆れているばかりで、どの人の口からも何かの手がかりになるような新らしい材料をあたえてくれなかった。あかりの点《つ》く頃に半七はそこを出て、町内の自身番へゆくと、道具屋の惣八は飛んだ係り合いで、まだそこに留められているので、番屋の炉のそばに寒そうに竦《すく》んでいた。
「道具屋さん。お気の毒だね。節季師走《せっきしわす》のいそがしい最中に、いつまでも留められていちゃあ困るだろう。もういい加減に帰っちゃあどうだね」
「帰ってもよろしゅうございましょうか」と、惣八は生きかえったように云った。
「どうで直ぐには埓《らち》があきそうもねえから、用があったら又よび出すとして、今夜はいったん帰ったらよかろう」
「ありがとうございます。お呼び出しがあればきっと直ぐにまいります」と、惣八はあわてて帰り支度にかかった。
「だが、ちょいと待ってくんねえ」と、半七は声をかけた。「すこし訊《き》きてえことがある。こっちでも手を入れて調べさせてはあるが、あのお葉という女中、あれは唯の奉公人じゃあるめえ、主人と係り合いがあるんだろうね」
「どうもそうらしいという評判です。わたくしもよくは知りませんが……」と、惣八はあいまいに答えた。
「長年《ちょうねん》しているのかえ」
「おととし頃から来ているように思います。ことしはたしか十八になりましょう。そんなことはお弟子のうちでも其蝶《きちょう》という人がよく知っている筈です」
 其蝶は本名を長次郎といって、惣八と同商売の尾張屋という家《うち》の惣領息子であるが、俳諧に凝りかたまって店の仕事は碌々見向きもしないので、おやじが去年死んだ後、おふくろは親類と相談の上で、妹娘のお花に婿をとって、其蝶の長次郎は別居させることになった。其蝶も結局それを仕合わせにして、若隠居というほどの気楽な身分でもないが、ともかくも柳原に近いところに小さい家を借りて、店の方から月々いくらかの小遣いを貰って暮らしている。しかしそれだけでは勝手向きが十分でないので、来年の春には師匠の其月をうしろ楯に、立机《りゅうき》の披露をさせて貰って、一人前の俳諧の点者として世をわたる筈になっている。かれは今年二十六で、女房も持たず、下女もおかず、六畳と四畳半とふた間の家に所謂《いわゆる》ひとり者の暢気《のんき》な生活をしているとのことであった。
「その其蝶とお葉とおかしいようなことはあるめえな」と、半七は笑いながら訊《き》いた。
「さあ」と、惣八もすこし考えていた。「そんなことは知りません。其蝶は師匠の家へ足を近く出入りはしていますが、まさかにそんなことはないでしょう。風流一方に凝りかたまっている偏人ですからね」
「あの宗匠は都合がいいかえ」
「相当に名前も売れていて、点をたのみに来るものも随分あるようですから、困るようなことはありますまい。いい弟子や、いい出入り先もありますから、内職のほうでも又相当の収入《みいり》があるようです」
「内職とはなんだえ。掛物や短冊の売り込みかえ」
「まあ、そうです」と、惣八はうなずいた。「わたくし共もときどきに持ち込みますが、筋のいい物でさえあれば大抵どこへか縁付けてくれます」
「おまえさん、この頃に何か持ち込んだかえ」
「へえ」と、惣八はなんだか詞《ことば》をにごしていた。
「隠しちゃあいけねえ。正直に云ってくれ。ほんとうに何か持ち込んだのかよ」
「芭蕉と其角の短冊を持って行きました」
「それだけかえ。そうして、それはどうした」
「どうも筋がよくないというので、取り合ってくれませんでした」と、惣八はにが笑いをした。
 店さきのうす暗い行燈《あんどう》のひかりで、半七はその顔色をじっと睨んでいたが、やがて少しく形をあらためた。
「おい、惣八。おめえはなぜ隠す。短冊や色紙のほかに、あの宗匠のところへ何か持ち込んだものがあるだろう。正直に云わねえじゃあいけねえ」
「へえ」
「へえじゃあねえ。はっきり云いねえ。下手《へた》に唾《つば》を呑み込んでいると、いつまでも帰さねえよ」
 ずいぶん悪摺れのしているらしい惣八も、半七に睨まれてさすがにうろたえた。なにぶんにも相手が相手であるので、なまじい隠し立てをしてはよくないと早くも観念したらしく、かれは正直に白状した。
「実はわたくしもそれに就いて少々迷惑していることがありますので……。それで今朝も宗匠のところへ出かけますと、あの一件で……。いや、どうも驚いているのでございます」
 それは例の金魚の一条であった。芭蕉と其角の短冊は問題にされなかったが、金魚の方は心あたりがあるというので、四、五日経ってから惣八は再びその模様を探りに行くと、其月はその売れ口があると云ったので、惣八はよろこんで帰って、早速その売り主の元吉というのを連れて行くことになった。一番《ひとつが》いの朱錦を小さい塗桶のようなものに入れて、元吉が大切にかかえて行った。見たところ普通の金魚と変らないのであるから、まず眼のまえで試《ため》してみなければならないというので、其月の家ではありあわせの銅盥《かなだらい》に湯を入れて持ち出した。湯のなかで生きていられるといっても熱湯ではとても堪まらないのであるから、売り主はいいくらいに湯加減をして置いて、さてその金魚を放してみると、二匹ながら紅い尾を振って威勢よく泳ぎまわったので、其月も得心《とくしん》した。惣八も今更のように感心した。これでいよいよ其月の手でどこへか売り込んでくれることに決まったが、其月はその売り先を明かさなかった。わたしにあずけて置いて下されば、きっと云い値で売ってあげると云った。かれが売りさきを明かさないのは、おそらくこっちの云い値以上に売り込んで、そのあいだで幾らかの儲けを見るつもりであろうと察したので、惣八らも深く詮議しなかった。売り込みで儲けた上に、こっちからも約束の礼金を取って、其月は二重の利益を得るわけであるが、それはめずらしくもないことであるので、惣八らも怪しまなかった。ふたりは何分おねがい申すと云って、かの金魚をあずけて帰ると、それから又五、六日の後にお葉が使に来て、惣八にいつでも来てくれと云うので、かれはすぐに出かけてゆくと、其月は金魚の代金八両二分をとどこおりなく渡してくれた。惣八ははじめの約束通りに、そのうちから二両の礼金を置いて帰った。
 これで片が付いたと思っていると、三日ほどの後に又もやお葉が迎えに来たので、惣八は何ごころなく行ってみると、其月がひどくむずかしい顔をして待っていた。そうして、おまえは多年わたしの家に出入りをしていながら、実に怪《け》しからん男だ。あんないかさま物を持ち込んで来て、人をぺてん[#「ぺてん」に傍点]にかけるとは何事だと、あたまから呶鳴《どな》りつけた。惣八は面喰らって、その仔細をだんだんに聞き糺すと、かの金魚は普通のもので、湯のなかで生きるものではないというのであった。なるほど、ここで試《ため》した時には無事であり、先方へ持って行って試した時にも無事であったが、金魚は二匹ながらその翌日死んでしまった。察するにこれは普通の金魚の肌へ何か薬をぬりつけて、一時を誤魔化したものに相違ない。その薬がだんだん剥《は》げるにしたがって、金魚は弱って死んだのであろう。そんな騙《かた》りめいたことをして済むと思うか。第一、売り先に対してわたしが面目を失うことになる。この始末はどうしてくれると、其月はひたいに青い筋をうねらせて手きびしく責めた。
「親分の前ですが、その時はまったく困りましたよ」と、惣八は今更のように溜息をついた。

     

「すると、その金魚がすぐに死んだので、宗匠は先方に申し訳がないと云うんだね」と、半七はすこし考えていた。「だが、もともと生き物のことだ。飼いようが悪くって死なねえとも限らねえ。時候の加減で斃《お》ちねえとも云われねえ。金魚だって病気もする、それを一途《いちず》にこっちのせいにされちゃあ困るじゃあねえか」
「それを云ったのでございますよ」と、惣八は訴えるように云った。「ところが、宗匠はどうしても肯《き》いてくれないで、なんでも贋物を売ったに相違ない。ふだんが不断だから、おまえの云うことは的《あて》にならないと……」
「不断よっぽどまやかし物を持ち込んでいるとみえるね」
「御冗談を……」と、惣八はあわてて打ち消した。「まったくあの宗匠は一国《いっこく》で、一旦こうと云い出したが最後、なんと云っても承知しないんですから」
「それからどうした」
「どうにもこうにもしようがありません。といって、あの宗匠の家の出入りを止められると、これからの商売にもちっと差しさわることもありますので、よんどころなしに御無理ごもっともと一旦は引きさがって来て、とりあえず売り主の元吉にその話をしますと、元吉も素直には承知しません。つまりお前さんが仰しゃったと同じような理窟を云っているので、わたくしも両方の仲に立って困ってしまいまして、実は今朝ほどもそのことで宗匠の家へ出かけて行くとあの一件で……。かさねがさね驚いているのでございます」
「一体その売り主の元吉というのは何者だえ」
「本所の金魚屋の甥でございまして、自分は千住に住んで居ります」と、惣八は説明した。
「そこも自分の叔母の家で、その二階に厄介になっていて、まあこれといって決まった商売もないのですが、叔父が金魚屋で、その方の手から出たというのですから、今度の金魚もまあ間違いはないと思っているのです。当人も決していかさま物ではないと云うのですが、わたくしも何分その方は素人《しろうと》のことで、実のところはどっちがどうとも確かには判らないので困って居ります」
「元吉というのは幾つだ」
「二十三でございましょう」
「そうか。まあ、そのくらいでよかろう。じゃあ、また呼び出したらすぐに来てくれ」
「かしこまりました」
 籠から放された鳥のように、惣八は怱々に出て行った。そのうしろ姿を見送って、半七は炉のそばで煙草を二、三服つづけて吸っていると、背のたかい男がうす暗い表から覗いた。それは子分の松吉であった。
「親分、いま帰りました」
「やあ、御苦労、寒かったろう。まあ、火のそばへ来い」
「まったく冷えますねえ。風はないが、身にしみます。近いうちに雪かも知れませんよ」と、松吉は店へあがって炉のまえに坐った。
「この寒空に金魚を売ろうの、買おうのと、つまらねえ道楽をするから、いろいろの騒動が出来《しゅったい》するんだ」と、半七はにが笑いした。「そこで、どうだ。ちっとは当りが付いたか」
「まあ、こんなことですがね」
 松吉が首を伸ばしてささやくのを聞くと、其月の家《うち》の女中のお葉は千住の荒物屋の娘で、家にはおまんという母と、今年十三になる源吉という弟がある。お葉は一昨年の春から初奉公《ういぼうこう》で近所の水戸屋という煙草屋の女中に住み込んだ。水戸屋は古い店で、商売のほかに田地などを持っているので、土地でも相当に幅をきかせていたが、主人は四、五年前に死んで、今はおむつという女あるじである。お葉はそこに小一年ほど奉公していたが、その年の暮に暇を取って、あくる年の三月からお玉ヶ池の其月の家へ二度目の奉公をすることになった。お葉が水戸屋を立ち去ったのは、自分の方から暇を取ったのではない。主人の甥とあまり睦まじくすることが主人の眼にとまって、出代りどきを待たずに暇を出されたらしいと云う者もある。お玉ヶ池へ行ってからは、去年の盆の宿さがりに千住の家へ一度帰って来ただけで、今年になっては正月にも盆にも顔をみせない。主人の家が無人で、めったに出られないというのであった。
 松吉がゆき着く前に、お玉ヶ池の近所の人から知らせて来たので、お葉の家ではもう娘の変死を知っていたが、あいにく母のおまんは風邪《かぜ》をひいて四、五日前から寝込んでいる。弟の源吉はまだ子供でどうすることも出来ないので、日が暮れてから近所の人たちが死骸を引き取りにくる筈になっている。松吉は病人の枕もとへ行っていろいろ詮議したが、まえにも云った通りでお葉はこの頃めったに帰って来ない。母は二度ばかりもお玉ヶ池へたずねて行ったが、主人の其月はいつも留守であったので、一体どんな人であるか、その顔さえも見|識《し》らない。そういうわけであるから、主人の家の事情などはなんにも知らない。勿論、主人と娘とのあいだにどんな関係があるか、ちっとも知ろう筈はないとおまんは云った。かれは正直な田舎風の女で、嘘をつきそうにも見えないので、松吉は先ずそのくらいにして引き揚げて来た。
「その煙草屋の甥というのは、本所の金魚屋の親類で、元吉という奴じゃあねえか」と、半七は訊《き》いた。
「そうです。そうです。元吉というんです。親分はもう聞き込みましたかえ」
「道具屋の惣八から聴いた。そいつから惣八にたのんで、惣八から宗匠にたのんで、どこへか金魚を売り込んだことがあるそうだ」
 冬の金魚の一件を聞かされて、松吉は幾たびかうなずいた。
「わかりやした。するとその元吉が宗匠を殺《や》ったんでしょう」
「おめえはそう思うか」
「だって親分」と、松吉は声をひそめた。「そいつの売り込んだ金魚は勿論いか[#「いか」に傍点]物に相違ありません。それで一杯食わせようとしたところが、やり損じて化けの皮があらわれて、宗匠からはむずかしく談じ付けられる。所詮《しょせん》は売った金を返さなければならねえ羽目《はめ》になったが、もう其の金は使ってしまって一文もねえ。苦しまぎれに悪気をおこして……。ねえ、そこらでしょう。ところで、お葉という女は、その元吉と前々から出来合っているので、男の手引きをして主人を殺させたのでしょう」
「むむ」と、半七はかんがえていた。「そうすると、そのお葉はどうして死んだ。元吉が殺したのか」
「まあ、そうでしょうね。手引きをさせて宗匠を殺したものの、この女を生かして置くと露顕の基だと思って、なにか油断させて置いて、不意に池のなかへ突き落したのでしょう。違いますかえ」
「なるほどうまく筋道は立つな。じゃあ、おめえはその積りで元吉の方をしらべてくれ」
「すぐに引き挙げてようがすかえ」
「馬鹿をいえ」と、半七は笑った。「ひとりで将棋をさすように、自分でばかり決めてかかってもいけねえ。確かな証拠も無しにむやみにそんなことをすると、旦那方に叱られるぞ。まあおちついて仕事をしろ。庄太はどうした。あいつにも片棒かつがせろ」
「あい。ようがす」
 十《とお》に九つはこっちの物だという顔をして、松吉は威勢よく出て行った。もう一度、宗匠の家へ行ってその後の模様を見とどけて来ようと思って、半七もつづいて表へ出ると、風のない夜ではあるが凍り付くような寒さが身にしみた。それも師走の宵だけに、往来の提灯のかげが忙がしそうに行き違っているなかを、半七は考えながらしずかに歩いて行った。
「やっぱりひょろ[#「ひょろ」に傍点]松の鑑定があたっているかな」
 其月の家には大勢の人があつまっていた。半七が出たあとでだんだんにその門人や知人などが寄って来たらしく、茶の間の六畳と女中部屋の三畳とに押し合って坐っていた。どれもみな男の顔であった。近所の人らしい女二、三人が狭い台所でなにか立ち働いていた。四畳半には主人と女中との死骸がならべてあって、お葉の家からはまだ誰も引き取りに来ないとのことであった。雨戸はみな閉め切ってあるので、線香の煙りは家《うち》じゅうにうずまいて流れていた。
 とても割り込んで坐るような席はないので、半七は台所へ廻って、流し元のあがり框《がまち》に腰をかけていると、ひとりの女房が手あぶりの火鉢を持って来てくれた。
「どうもお寒うございます。なにしろ、この通りのせまい家《うち》ですから」と、女房は気の毒そうに云った。
「もうおかまいなさるな。時にここのお弟子さんの其蝶[#「其蝶」は底本では「基蝶」]さんは見えていませんかえ」
「来ています。呼びましょうか」
「呼ばなくってもいい。どこにいるか教えて下さい」
「あれ、あすこに……」
 教えられた方を伸び上がって覗くと、狭い家だけに其の人はつい鼻のさきに見えた。彼は二つの死骸に最も近いところに行儀よく坐って、だまって俯向いていた。膝と膝とが摺れ合うように坐っている人達のあいだに、行燈や燭台が幾つも置いてあるので、其蝶の蒼ざめた横顔は明らかに照らされていた。其月の死骸のそばには文台《ぶんだい》が据えられて、誰が供えたのか知らないが、手向《たむ》けの句らしい短冊が六、七枚も乗せてあった。
 更によく視ると、其蝶はその右の手の小指を紙で巻いているらしかった。半七はふと思い出した。お葉の死骸の左の小指にも小さい膏薬が貼ってあった。検視の時には誰も格別の注意を払わなかったのであるが、其蝶が右の小指を痛めているのを見ると、両方のあいだに何か関係がないとも云えない。半七はもう一度お葉の死骸をあらためて見たいと思ったが、死骸に手をつけるには自分の身分を明かさなければならないので、彼は又すこし躊躇《ちゅうちょ》した。しかしいつまで睨み合っていても際限がないので、半七は更に伸びあがって声をかけた。
「もし、其蝶さん」
 呼ばれても彼は俯向いたままで返事もしなかった。
「其蝶さん。この方《かた》が呼んでいますよ」
 かの女房にも声をかけられて、其蝶は初めて顔をあげた。かれは大勢のなかを掻きわけて台所へ出て来た。
「どなたでございますか。どうぞこちらへ」と、彼はうす暗いところを透かしながら丁寧に云った。
「少しおまえさんにお願い申したいことがあります。わたしは神田の半七という者だが、御用でその死骸をあらために来ました」
「左様でございますか」と、其蝶はやや慌てたらしく答えた。
「なに、ちょいと覗かして貰えばいいんですから」
 一応ことわっておけば仔細はないので、半七はつかつかと奥へ入り込んだ。大勢がじろじろと視ているなかを通って、四畳半の死骸のそばへ立ち寄ったが、其月の方はもうあらためる要はない。半七はお葉の死骸の左手をとって、その小指をよく視ると、小さい膏薬が湿《ぬ》れたままで付いていた。そっと剥がしてみると、なにか刃物で切ったらしい疵《きず》のあとが薄く残っていたが、それはもう五、六日以上を経過したものらしく、疵口も大抵かわいて癒合《ゆごう》していた。この疵はゆうべの事件に関係のないことが十分に判って、半七は失望した。
 かれは更に其蝶の指の疵をあらためたいと思ったが、満座のなかではどうも都合がわるいので、再びかれを眼でまねいて、半七は台所の外に出た。そこの狭い空地には井戸があった。
「どうも宗匠は飛んだことだったが、なにか心当りはありませんかえ」と、半七は車井戸の柱によりかかりながら先ず訊《き》いた。
「どうもわかりません」と、其蝶はひくい溜息をついた。
「ここの家《うち》のことはお前さんが一番よく知っているということだが、宗匠は人に遺恨をうけるようなことでもありますかえ」
「そんな心当りはございません」
「このごろに何処へか金魚を売り込んだことがありますかえ」
「そんなはなしは聞きましたが、その売り先はよく存じません」と、其蝶は云った。「なんでも道具屋の惣八がいかものを持ち込んだとか云って、ひどく立腹していました」
「お葉という女は宗匠の妾ですかえ」
「さあ」と、其蝶は少し云い渋っていた。「なんだか世間ではそんなような噂をいたす者もありますが……」
「おまえさんは千住の元吉という男を識《し》っていますかえ」
「知りません」
「その元吉が宗匠を殺したという噂だが……。おまえさん、まったく知りませんかえ」
「知りません」
「おまえさんは指を痛めているようですね」と、半七は突然に云った。
 其蝶はだまっていた。半七は衝《つ》と寄ってその手首を強く掴《つか》んだ。
「どうして怪我をしたんだか、ちょいと見せてください」
 半七はかれを引き摺るようにして台所の口へ戻ると、其蝶もやはり黙って曳かれて来た。そこにある蝋燭の火を借りて、半七は其蝶の右の小指を幾重にもまいてある新らしい紙を解くと、疵口にあててある白い綿にはなまなましい血がにじんでいた。半七はその手首をつかんだままで、黙ってかれの顔を睨んだ。其蝶も無言で眼を伏せていた。
「もういけねえぜ」
 と、半七はあざ笑った。
「番屋まで来て貰おう」
 其蝶はもう覚悟をきめたらしく、すなおに牽《ひ》かれて表へ出た。

     

「これで一廉《いっかど》の手柄をした積りでいたところが、ちっと見当《けんとう》が狂いましたよ」と、半七老人は額をなでながら笑い出した。「まあ、だんだんに話しましょう」
 息つぎに茶をのんでいるのが、わたしにはもどかしかった。わたしは追いかけるように訊《き》いた。
「すると、その其蝶が殺したのじゃあないんですか」
「違いました」
「じゃあ元吉という男でしたか」
「やっぱり違いました」と、老人はまた笑っていた。
 なんだか焦《じ》らされているようで、わたしは苛々《いらいら》して来た。それと反対に老人はいよいよ落ちついていた。こういう話はひとを焦らしているところが値打ちだといったような顔をしているのが、きょうは少し憎らしいようにも思われて来た。老人は茶碗を下において、しずかに又話し出した。
「其月を殺したのはお葉でしたよ」
「お葉……。その女中がどうして殺したんです」と、わたしは意外らしく訊きかえした。
「まあ、お聴きなさい。そのお葉という女は小娘のときから色《いろ》っ早《ぱや》い奴で、十六の春から千住の煙草屋に奉公しているうちに、そこの甥の元吉と出来合ったことが知れて、その年のくれに暇を出され、あくる年からお玉ヶ池の其月のとこへ奉公に出たのは、前にも云った通りですが、なにしろ主人は独り身、奉公人は色っ早い奴と来ているんですから、すぐに係り合いが付いてしまって、どうも唯の女中ではないらしいと近所でも噂されるようになったんです。そんな女ですから、前の男の元吉に未練もなく、元吉の方でもそのあとを追いまわすこともなく、その方はおたがいに忘れてしまって、なんにも面倒はなかったんですが、ただ面倒なのは今の主人の其月で、これがなかなか悋気《りんき》ぶかい男。尤《もっと》も自分はやがて五十に手のとどく年で、女の方はまだ十八、親子ほども年が違う上に、商売が宗匠ですから若い弟子たちも毎日出這入りする。お葉が浮わついた奴で誰にも彼にも色目をつかうのですから、どうもこれは円《まる》く行かないわけです。といって、お葉は暇を取って立ち去るでもなく、やはり其月の妾のような形で全《まる》二年も腰をすえているうちに、其月の焼餅がだんだん激しくなって来て、時によると随分手あらい折檻《せっかん》をすることもある。ひどい時には女を素っ裸にして、麻縄で手足を引っくくって、女中部屋に半日くらい転がして置いたこともあるそうです。しかし近所の手前もあるので、そんな折檻も至極静かにする。女の方もどんな目に逢っても、決して声をたてるようなことはなく、不思議に歯を食いしばって我慢をしていたそうです。それで主人の方でも逐い出さず、女の方でも逃げ出さず、不断はひどく睦まじく暮らしていたと云います。それは大抵の弟子たちも薄々知っていたのですが、そのなかで其蝶は一番親しく出入りをするだけに、とんだ折檻の場へ来あわせて、留め男の役をつとめたことも度々あるそうです」
「そんなに度々折檻されていたら、お葉のからだに疵あとでも残っていそうなものでしたが……」
 死骸を検視のときになぜそこに眼をつけなかったかと、わたしは半七老人の不注意を嘲りたいように思った。
「ごもっともです」と、老人はまじめにうなずいた。「まったく我々の不注意と云われても一言もないわけです。しかし其月の折檻は普通の継子《ままこ》いじめなどのように、打ったり蹴ったり抓《つね》ったりするのではありません。ちょっとお話にも出来ないような、むごたらしい猥褻《わいせつ》な刑罰を加えて苦しめるのですから、死骸のからだを一応あらためたくらいでは判りません。そこはお察しを願います。そこで、其蝶がいつも仲裁役をつとめているうちに、根が浮気者のお葉ですから、そんな折檻にも懲《こ》りないで、其蝶に色目を使うようになって来たんです。其月がむごい折檻をすればするほど、女は意地になってますます気を揉むように仕向ける。こんにちの詞《ことば》でいえば、両方が残酷な興味を持って来たとでも云うのでしょうか。ところが其蝶という男は、まあ一種の偏人といったような人物で、むやみに俳諧と風流に凝り固まっているもんですから、お葉がどんな謎をかけても一向に取合わない。女もしまいに焦《じ》れて来て、鉄釘《かなくぎ》流の附文《つけぶみ》などをするようになる。こうなると、いくら偏人でも打っちゃって置くわけにも行かない。といって正直に師匠に訴えると、又どんな騒ぎを仕出来《しでか》すかも知れないので、其蝶もその処置に困ってしまったのです。そのうちにお葉の熱度はだんだん高くなって、使に出た途中、まわり途をして其蝶の家へ押しかけて行くというようになったので、偏人もいよいよ困り果てたのです。なにしろ、こういう女を師匠の家に置くのはよろしくない、ゆくゆくどんなことを惹き起すかも知れないから、何とかして放逐させてしまいたいと思ったが、師匠にむかってどうも明らさまにも云い出しにくいので、その後は句の添削《てんさく》をたのみに行くたびに、二、三句のうちにきっと一句ずつは落葉とか紅葉とかいう題で、おち葉を掃き出してしまえとか、紅葉を切って捨てろとかいうような句を入れて行ったそうです。お葉という女の名から思いついた謎で、なるほど風流人らしい知恵でした。いつもいつも同じような句を作っているので、宗匠も少し変に思っていると、一番最後に持って来たのが、『落葉して月の光のまさりけり』とかいうのだそうです。落葉は例のお葉で、月は其月の一字をよみ込んだものとみえます。お葉を逐《お》い出してしまえば、其月のひかりも増すという意味。それを読んで、其月宗匠も初めてさてはと覚《さと》ったのですが、それを又いつもの焼餅から妙にひがんで考えてしまったんです」
「其蝶とお葉とが訳があると思ったのですか」
「そうです、そうです。これは二人がいつの間にか出来合っていて、女が師匠の家にいては思うように媾曳《あいびき》も出来ない。さりとて、自分から暇を取っては感付かれると思って、なんとかしてこっちから暇を出させ、それから自由に楽しもうという下心《したごころ》だろうと、悪くひがんで考えてしまって、なにしろ、その方のことになると、まるで半気違いのようになる人なんですから、唯むやみに悪い方にばかり考えてしまって、例のごとくお葉をいじめ始めたんです。ことに今度は其蝶の発句《ほっく》という証拠物があるのだから堪まりません。お葉はもう我慢が出来なくなったと見えて、其蝶にあてた長い手紙をかきました。こんなに主人から無体に虐《いじ》められてはとても生きてはいられないから、いっそ主人を殺してしまって、お前さんのところへ駈け込んで行くというようなことを書いて、自分の小指を切った血を染めて、それをそっと其蝶にとどけたので、受け取った方ではおどろきましたが、まさか本気でそんなこともしまい、嚇しに書いてよこしたのだろう位に思って、四、五日はそのままに置いたのが手ぬかりでした。お葉が左の小指の疵はその時に切ったものとみえます。そこで、四、五日経ってから其蝶がお玉ヶ池へ出かけて行くと、それが丁度かの一件の晩で、まだ宵の五ツ(午後八時)頃だったそうです。いつものように門をあけてはいると、四畳半は一面の血だらけで、師匠は机のまえに倒れているので、あっ[#「あっ」に傍点]と思って立ちすくんでしまうと、三畳の女部屋で其蝶さん其蝶さんと呼ぶ声がする。それがお葉だとは知りながら、其蝶はたましいが抜けたように唯ぼんやりしていると、やがて女部屋から、お葉が出て来た。旦那様はわたしが殺してしまったと平気で云うので、其蝶はいよいよおどろきました。まったくお葉は主人を殺すつもりで、其月が俳諧の点をしている油断を見すまして、うしろから不意に剃刀《かみそり》で斬り付けたんだそうです。まだ驚くことは、そうして主人を殺して置いて、血のついた手を台所で綺麗に洗って、爪まで取って、着物も別のものに着かえて、血のはねている着物は丁寧にたたんで葛籠《つづら》の底にしまい込んで、それから髪をかきあげて外へ出る支度をしているところであったそうで、馬鹿というのか、大胆というのか、あんまり度胸がよすぎるので、其蝶も呆気《あっけ》に取られてしまったそうです」
「そうでしょう」と、わたしも思わず溜息をついた。
「いや、それからが又大変」と、老人は顔をしかめた。「あきれてぼんやりしている其蝶をつかまえて、お葉はこれからお前さんの家へ連れて行ってくれと云う。其蝶はもう呆れるというよりは、なんだかむやみに恐ろしくなって、碌々に返事もしないで突っ立っていると、お葉は急に眼の色をかえて、こういうところを見られた以上は唯は置かれない。素直にわたしを連れて行ってくれるか、さもなければここでおまえさんも殺してわたしも死ぬと云って、其月を殺した剃刀をつきつけたので、其蝶も絶体絶命、それでもさすがは男ですから無理に女の刃物を引ったくって、半分は夢中で庭さきへ逃げ出すと、お葉もつづいて飛び降りてくる。そのはずみに自分の帯が解けかかって、それに足をからまれて、お葉はよろけながら池のなかへ滑《すべ》り込んでしまった。其蝶はおそろしいのがいっぱいですから、あとがどうなったか振り向いてもみないで、転がるように表へ逃げ出して、一生懸命に自分の家へかけて帰って、入口の戸を堅く締め切って、息を殺して夜の明けるのを待っていたそうです。右の小指の疵は、お葉の手から剃刀をうばい取るときに自分で突き切ったので、その当座は夢中でしたが、あとでだんだん痛んで来たので、初めてそれと気がついたということです」
「其蝶はなぜ早くそれを訴え出なかったんでしょうね」
「わたくしも一旦はそれを疑いましたが、其蝶の申し立ての嘘でないことは、お葉の血染めの手紙をみて判りました。それまでに来た附文はみんな裂いてしまったんですが、最後の手紙だけはそのまま机のひきだしに入れてあったので、其蝶のためには大変に都合のいい証拠品となりました。其蝶がなぜそれを訴えなかったかというと、それを表向きにすれば内輪のことを何もかもさらけ出さなければならない。それでは第一に師匠の恥、第二には自分も何かのまきぞえを受けるかも知れないと、それを気づかって黙っていたのです。師匠を殺した相手がわからなければ格別、本人のお葉はもう自滅しているのだから、素知らぬ顔をして有耶無耶《うやむや》に葬ってしまう積りであったらしいのです。知っていながら黙っていたというのは悪いことですが、事情を察してみれば可哀そうなところもあるので、其蝶はまあ叱るだけで免《ゆる》してやりました」
「そうすると、金魚の方はなんにも係り合いはないんですね」
「それは確かに判りません」と、老人は云った。「なにを云うにも肝腎の其月が死んでしまったので、その売り先が知れません。だんだん探ってみると、どうも浅草の札差《ふださし》の家らしいのですが、こうなると先方でも面倒のかかるのを恐れて、一切《いっさい》知らないと云い張っていますから、どうにも調べようがありません。元吉や惣八が、人殺しにかかり合いのないことだけは明白ですが、金魚の方は、ほん物かいか[#「いか」に傍点]物か、とうとう判らないことになりました。勿論、こんな変りものは買う方も悪いということになっていましたから、たといいか[#「いか」に傍点]物を売り込んだことが知れても、重い罪にはなりません。冬の金魚も変りものですが、この宗匠も女中も人間のなかでは変りものの方でしょうね。こんにちのお医者にみせたら、みんな何とかいう病名がつくのかも知れませんよ」

底本:「時代推理小説 半七捕物帳(三)」光文社文庫、光文社
   1986(昭和61)年5月20日初版1刷発行
   1997(平成9)年5月15日11刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:網迫
校正:ごまごま
2000年12月21日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
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岡本綺堂

世界怪談名作集 廃宅 エルンスト・テオドーア・アマーデウス・ホフマン Ernst Theodor Amadeus Hoffmann—- 岡本綺堂訳

諸君はすでに、わたしが去年の夏の大部分をX市に過ごしたことを御承知であろう――と、テオドルは話した。
 そこで出逢った大勢《おおぜい》の旧友や、自由な快闊な生活や、いろいろな芸術的ならびに学問上の興味――こうしたすべてのことが一緒になって、この都会に私の腰をおちつかせてしまったが、まったく今までにあんなに愉快なことはなかった。わたしは一人で街を散歩して、あるいは飾窓の絵や、塀のビラを眺め、あるいはひそかに往来の人びとの運勢をうらなったりして、私の若い時からの嗜好を満足させていた。
 このX市には、町の門に達する広い並木の通りがあって、美しい建築物が軒をならべていた。いわばこの並木通りは富と流行の集合地である。宮殿のような高楼の階下は、贅沢品を売りつけようとあせっている商店で、その上のアパートメントには富裕な人たちが住んでいた。一流のホテルや外国の使節などの邸宅も、みなこの並木通りにあった。こう言えば、諸君はこうした町が近代的生活と悦楽との焦点になっていることを容易に想像するであろう。
 私はたびたびこの並木通りを散歩しているうちに、ある日、ほかの建築物に比《くら》べて実に異様な感じのする一軒の家をふと見つけた。諸君、二つの立派な大建築に挟まれて、幅広の四つの窓しかない低い二階家を心に描いてごらんなさい。その二階はとなりの階下の天井より僅かに少し高いくらいで、しかも荒るるがままに荒れ果てた屋根や、ガラスの代りに紙を貼った窓や、色も何も失っている塀や、それらが何年もここに手入れをしないということを物語っていた。
 これが富と文化の中心地のまんなかに立っているのであるから、実に驚くではないか。よく見ると、二階の窓に堅くドアを閉め切ってカーテンをおろしてあるばかりか、往来から階下の窓を覗かれないように塀を作ってあるらしい。隅の方についている門が入り口であろうが、掛け金や錠前らしいものもなければ、呼鈴《ベル》さえもない。これは空家《あきや》に相違ないと私は思った。一日のうち、なんどきそこを通っても、家内に人間が住んでいるらしい様子は更に見えなかった。
 私がしばしば不思議な世界を見たと言って、自分の透視眼を誇っていることは、どなたもよく御承知であろう。そうして、諸君はそんな世界を常識から観て、あるいは否定し、あるいは一笑に付せらるるであろう。私自身もあとになって考えると、それが一向不思議でもなんでもないことを発見するような実例がしばしばあったことを、白状しなければならない。そこで今度も最初のうちは、私をおどろかすようなこの異様な廃宅もまた、いつもの例ではないかと考えたのである。しかしこの話の要点を聞けば、諸君もなるほどとうなずかれるに相違ない。まずこれからの話をお聴きください。
 ある日、当世風の人たちがこの並木通りを散歩する時刻に、私は例によってこの廃宅《はいたく》の前に立って、じっと考え込んでいると、私のそばへ来て私を見つめている人のあることを突然に感じた。その人はP伯爵であった。伯爵は私にむかって、この空家はとなりの立派な菓子屋の工場である、階下の窓の塀はただ窯《かまど》のためにこしらえたもので、二階の窓の厚いカーテンは商売物の菓子に日光が当たらないようにおろしてあるまでのことで、別になんの秘密があるわけでは無いと教えてくれた。
 それを聞かされて、私はバケツの冷たい水をだしぬけにぶっかけられたように感じた。しかし、それが菓子屋の工場であるというP伯爵の話を何分にも信用することが出来なかった。それはあたかもお伽噺《とぎばなし》を聞いた子供が、本当にあったことだと信じていながらも、ふとした気まぐれにそれを嘘だと思ってみるような心持ちであった。しかし私は自分が馬鹿であるということに気がついた。かの家は依然としてその外形になんの変化もなく、いろいろの空想は自然に私の頭の中から消えてしまった。ところが、ある日偶然の出来事から再び私の空想が働き出すようになったのである。
 私はいつもの通りにこの並木通りを散歩しながら、かの廃宅の前まで来ると、無意識に二階のカーテンのおりている窓をみあげた。その時、菓子屋の方に接近している最後の窓のカーテンが動き出して、片手が、と思う間に一本の腕がその襞《ひだ》の間から現われた。私は早速にポケットからオペラグラスをとり出して見ると、実に肉付きのよい美しい女の手で、その小指には大きいダイヤモンドが異様にかがやき、その白いふくよかな腕には宝石をちりばめた腕環《うでわ》がかがやいていた。その手は妙な形をしたひょろ長いガラス罎《びん》を窓の張り出しに置いて、再びカーテンのうしろへ消えてしまった。
 それを見て、わたしは石のように冷たくなって立ち停まったが、やがて極度の愉快と恐怖とが入りまじったような感動が電流の温か味をもって、からだじゅうを流れ渡った。私はこの不思議な窓を見あげているうちに、おのずと心の奥から希望の溜め息があふれ出してきたのである。しかも再び我れにかえってみると、私の周囲には物珍らしそうな顔をして、かの窓をみあげている見物人がいっぱいに突っ立っているではないか。
 私は腹が立ったので、誰にも覚られないように、その人垣をぬけてしまった。すると、今度は常識という平凡きわまる悪魔めが私の耳のそばで、おまえが今見たのは日曜日の晴着《はれぎ》を着た金持の菓子屋のおかみさんが、薔薇《ばら》香水か何かをこしらえるために使ったあきびんを窓の張り出しに置いただけのことだとささやき始めた。考えてみると、あるいはそうかもしれない。しかもそのとたんに、非常な名案が浮かんだので、私は路《みち》を引っ返して、鏡のように磨き立てた菓子屋の店へはいった。まずチョコレートを一杯注文して、それを悠《ゆう》ゆうと飲みながら、私は菓子屋の職人に言った。
「君は隣りにうまい建物を持っているじゃあないか」
 相手は私の言葉の意味がわからないと見えて、帳場に寄りかかりながら怪訝《けげん》らしい微笑を浮かべて私を見ているので、私はあの空家を工場にしているのは悧口《りこう》なやりかただと、私の意見をくり返して言った。
「ご冗談でしょう、旦那。いったい隣りの家がわたしたちの店の物だなんて、誰からお聞きになったんです」と、職人は口を切った。
 わたしが探索の計画は不幸にして失敗したのである。しかし、この男の言葉から察すると、あの空家には何かの曰《いわ》くがあるらしいような気もするのであった。諸君は私がこの男から、かの廃宅について左のような話を聞き出して、どんなに愉快を感じたかを想像することが出来るであろう。
「わたしもよくは知りませんが、なんでもあの家はZ伯爵の持ち物だということだけはたしかです。伯爵の令嬢は当時ご領地の方に住んでいて、もう何年もここへお見えになりません。人の話を聞くと、あの家もまだ当今のような立派な建物ができない昔には、なかなか洒落たお邸で、この並木通りの名物だったそうでしたが、今じゃあもう何年となく空家同様に打っちゃらかしてあるんです。それでもあすこには、人に逢うのが嫌いだという偏屈な執事の爺《じい》さんと、馬鹿に不景気な犬がいましてね。犬の奴め、時どきに裏の庭で月に吠《ほ》え付いていますよ。世間じゃあ幽霊が出るなんて言っていますが、実のところ、この店を持っているわたしの兄貴とわたしとが、まだ人の寝しずまっている頃から起きて、菓子の拵《こしら》えにかかっていると、塀の向う側で変な音のするのを毎日聞くことがありますが、それがごろごろというように響くかと思うと、また何か掻きむしるような音がして、なんともいえない忌《いや》な心持ちがしますよ。ついこの間なども、変な声でなんだか得体《えたい》のわからない唄を歌っていました。それがたしかに婆さんの声らしいんですけれど、そのまた調子が途方もなく甲高《かんだか》で、わたしもずいぶんいろいろの国の歌い手の唄を聴いたことがありますが、今まであんな調子の高い声は聴いたことがありません。自然に身の毛がよだってきて、とてもあんな気ちがいじみた化け物のような声をいつまで聴いてはいられなかったので、よくはっきりとはわかりませんが、どうもそれがフランス語の唄のように思われました。それからまた、往来のとぎれた真夜中に、この世のものとは思われないような深い溜め息や、そうかと思うと、また気ちがいのような笑い声がきこえてくることもあるんです。なんなら、旦那。わたしの家の奥の部屋の壁に耳を当ててごらんなさい。きっと隣りの家の音がきこえますよ」
 こう言って、彼はわたしを奥の部屋へ案内して、窓から隣りを指さした。
「そこの塀から出ている煙突が見えましょう。あの煙突から時どき猛烈に煙りを噴《ふ》き出すので、どうも火の用心が悪いといって、家《うち》の兄貴がよくあの執事と喧嘩をすることがあるんです。それがまた、冬ばかりじゃあない、てんで火の気なんぞのいらないような真夏でさえもなんですからね。あの老爺《じじい》は食事の支度をするんだと言っているんです。あんな獣物《けだもの》が何を食うんだか知りませんけれど、煙突から煙りがひどく出るときには、いつでも家じゅうに変な匂いがするんですよ」
 ちょうどその時に店のガラス戸があいたので、菓子屋の職人は急いで店の方へ出て行って、今はいって来た客に挨拶しながら、ちらりと私の方を見かえって眼顔で合図したので、私はすぐにその客が例の不思議な邸の執事であることを直覚した。鷲鼻で、口を一文字に結んで、猫のような眼をして、薄気味の悪い微笑を浮かべて、木乃伊《みいら》のような顔色をしている、痩形の小男を想像してごらんなさい。さらに彼はその髪に古風な高い髢《かもじ》を入れて、その先きをうしろに垂らした上に、こてこてと髪粉をつけ、ブラシはよく掛けてあるがもうよほどの年数物らしい褐色の上衣《うわぎ》をきて、灰色の長い靴下に、バックルのついた爪さきの平たい靴をはいている。彼は痩せているにもかかわらず、すこぶる頑丈な骨ぐみをして、手は大きく、指は長く、かつ節高《ふしだか》で、しっかりした足取りで帳場の方へ進んで行ったが、やがてどことなく間のぬけたような笑いを見せながら「砂糖漬けのオレンジを二つと巴旦杏《はたんきょう》を二つと、砂糖のついた栗を二つ」と鼻声で言う、この小男の老人の姿をこころに描いてごらんなさい。
 菓子屋の職人は私に微笑を送りながら、老人の客に話しかけた。
「どうもあなたはお加減がよろしくないようですね。これもお年のせいとでもいうんでしょうな。どうもこの年というやつは、われわれのからだから力を吸い取るんでね」
 老人はその顔色を変わらせなかったが、その声を張りあげた。
「年のせいだと……。年のせいだと……。力がなくなる……。弱くなる……。おお……」
 彼はその関節が砕けるかと思うばかりに両手を打ち鳴らすと、店全体がびりびりと震えて、棚のガラス器や帳場はがたがたと揺れた。それと同時に、ものすごい叫び声がきこえたので、老人は自分のあとからついて来て足もとに寝ころんでいる黒犬に近寄った。
「畜生! 地獄の犬め」
 例の哀れな調子で唸《うな》るように呶鳴りながら、栗一つを袋から出して犬に投げてやると、かれは人間のような悲しそうな声を出したが、急におとなしく坐って、栗鼠《りす》のようにその栗をかじり始めた。やがて犬が小さな御馳走を平らげてしまうと、老人もまた自分の買物を済ませた。
「さようなら」と、老人はあまりの痛さに相手が思わずあっ[#「あっ」に傍点]と言ったほどに、菓子屋の職人の手を強く握りしめた。「弱い年寄りは、おまえさんがいい夢をみるように祈っているよ、お隣りの大将」
 老人は犬を連れて出て行った。彼は私に気がつかないらしかった。私はあきれたようにただ茫然《ぼうぜん》と見送っていると、職人はまた話し出した。
「どうです、ごらんの通りです。月に二、三度ここへ来るたびに、いつもきまってあんなふうなんです。あの爺《じい》さんについていくら探してみても、以前はZ伯爵の従者で、今はあの邸の留守番をして、何年もの長い間、主人一家の来るのを待っているのだということだけしか分からないんです」
 時はあたかも町の贅沢な人たちが一種の流行で、この綺麗な菓子屋へあつまって来る刻限になってきたので、入り口のドアは休みなしにあいて、店の中ががやがやし始めたので、私はもうこれ以上にたずねるわけにはゆかなくなった。

 わたしはさきにP伯爵があの廃宅について話したことが全然嘘であることを知った。あの人嫌いの老執事は不本意ながらも他の人間と一緒に住んでいて、その古い壁のうしろには何かの秘密が隠されているということを知った。それにしても、あの窓ぎわの美しい女の腕と、気味の悪い不思議な唄の声のぬしとをどう結び付けたものであろうか。あの腕が年を取った女の皺《しわ》だらけのからだの一部であろうはずがない。しかし菓子屋の職人の話では、唄の声は若い血気盛りの女性の喉から出るものでもないらしい。わたしはそれを贔屓眼《ひいきめ》に見て、これはきっと音楽の素養によって若い女がわざと年寄りらしい声を作ったものか、あるいは菓子屋の職人が恐怖のあまりに、そんなふうに聞き誤まったのではないかと、判断をくだしてみた。
 しかし、かの煙突の煙りのことや、異様な匂いや、妙な形のガラス壜のことが心に泛《う》かんだとき、宿命的な魔法の呪縛《じゅばく》にかかっている美しい一人の女の姿が、生けるがごとくにわたしの幻影となって現われてきた。そうして、かの執事は伯爵家とはまったく無関係の魔法使いで、あの廃宅のうちに何か魔法の竈《かまど》を作っているのではないかとも思われてきた。わたしのこうした空想はだんだんに逞《たく》ましくなって、その晩の夢に、かのダイヤモンドのきらめく手と、腕環のかがやく腕とを、ありありと見るようになった。薄い灰色の靄《もや》のうちから哀願しているような青い眼をした、可憐な娘の顔が見えたかと思うと、やがてその優しい姿があらわれた。そうして、わたしが靄だと思ったのは、まぼろしの女の手に握られているガラス壜のうちから、輪を作って湧き出している美しい煙りであった。
「ああ、わたしの夢に現われてきた美しいお嬢さん」と、わたしは張りさけるばかりに叫んだ。「あなたはどこにいるのです。何があなたを呪縛しているのです。それをわたしに教えてください。いや、私はみな知っています。あなたを監禁しているのは、腹黒い魔法使いです。八分の五の調子で悪魔の唄を歌ったあとで、褐色の着物に仮髪《かつら》をつけて、菓子屋の店をうろつきあるいて、自分たちの食いものを素早く掻きあつめ、栗をもって悪魔の弟子の犬めを飼っている、あの意地悪な魔法使いに囚《とら》われて、あなたは不運な奴隷《どれい》となっているのです。美しい、愛らしいまぼろしのあなたよ、わたしは何もかも知っています。あのダイヤモンドはあなたの情火の反映です。しかもあの腕にはめている腕環こそは、あなたを縛る魔法の鎖《くさり》です。その腕環を信じてはいけません。もう少し我慢なさい。きっと自由の身になれます。どうぞあなたの薔薇の蕾《つぼみ》のような口をあいて、あなたの居どころを教えてください」
 このとき節くれ立った手がわたしの肩越しにあらわれて、たちまちガラス壜をたたきつけたので、壜は空中で微塵にくだけて散乱し、弱い悲しそうなうめき声とともに、可憐の幻影はたちまち闇のうちに消え失せた。

 夜が明けて、わたしは夢から醒めると、急いで並木通りへ行って、いつものようにそれとなく例の廃宅を窺っていると、菓子屋に接した二階の窓にぴかりと何か光ったものがあった。近寄ってみると鎧戸《よろいど》があいて、細目にあけたカーテンの隙間《すきま》からダイヤモンドの光りがわたしの眼を射た。
「や、しめたぞ」
 夢のうちで見たかの娘が、ふくよかな腕に頭をもたせかけながら、しとやかに哀願するように私の方を見ているではないか。しかし、この激しい往来なかに突っ立っていると、またこの間のように人目に立つおそれがあるので、わたしはまず家の真正面にある歩道のベンチに腰をかけて、しずかに不思議な窓を見守ると、彼女はたしかに夢の女であるが、わたしの方を見ていると思ったのは間違いで、彼女はどこを見るともなしにぼんやりと下を見おろしているのであった。その眼《まな》ざしはいかにも冷やかで、もし時どきに手や腕を動かさなかったらば、わたしはよく描けている画を見ているのではないかと思うくらいであった。
 私はこの窓の神秘的な女性にたましいを奪われてしまって、私のそばへ押し売りに来たイタリー人の物売りの声などは耳に入らないほどに興奮していた。そのイタリー人はとうとう私の腕をたたいたので、私ははっと我れにかえったが、あまりに忌《いま》いましかったので、おれにかまうな、あっちへ行けと言ってやったが、まだ口明けだからと執拗《しつこ》く言うので、早く追い払おうと思ってポケットの金を出しにかかると、彼は言った。
「旦那。こんなに素敵な物があるんです」
 彼は箱の抽斗《ひきだし》から小さな円い懐中鏡をとり出して、わたしの鼻のさきへ突きつけたので、なんの気もなしに見かえると、その鏡のなかには廃宅の窓も、かのまぼろしの女の姿も、ありありと映っているではないか。
 私はすぐにその鏡を買った。そうして、鏡のなかの彼女の姿を見れば見るほど、だんだんに不思議な感動に打たれてきた。じっと瞳《ひとみ》をこらして鏡のなかを見つめていると、さながら嗜眠病がわたしの視力を狂わせてしまったようにも思われてきた。まぼろしの女はとうとうその美しい眼をわたしの上にそそいだ。その柔らかい眼の光りがわたしの心臓にしみとおってきた。
「あなたは可愛らしい鏡をお持ちですな」
 こういう声に夢から醒めて、わたしは鏡から眼を離すと、わたしの両側には微笑をうかべながら私を眺めている人たちがあるので、私もすこぶる面喰らってしまった。かの人たちはわたしと同じベンチに腰をかけて、おそらく私が妙な顔をして鏡をながめているのをおもしろがって見物していたのであろう。
「あなたは可愛らしい鏡をお持ちですな」
 私がさきに答えなかったので、その人は再びおなじ言葉をくりかえした。
 しかも、その人の眼つきはその言葉よりも更に雄弁に、どうしておまえはそんな気違いじみた眼つきをしてその鏡に見惚《みと》れているかと、わたしに問いかけているのであった。その男はもう初老以上の年輩の紳士で、その声音《こわね》や眼つきがいかにも温和な感じをあたえたので、私は彼に対して自分の秘密を隠してはいられなくなった。私はかの窓ぎわの女を鏡に映していたことを打ち明けた上で、あなたもその美しい女の顔を見なかったかと訊いた。
「ここから……。あの古い邸の二階の窓に……」
 その老紳士は驚いたような顔をして、鸚鵡《おうむ》がえしに問いかえした。
「ええ、そうです」と、私は大きい声を出した。
 老紳士は笑いながら答えた。
「や、どうも、それは不思議な妄想ですな。いや、こうなると私の老眼を神様に感謝せざるを得ませんな。なるほど私もあの窓に可愛らしい女の顔を見ましたがね。しかし、私の眼には非常に上手な油絵の肖像画としか見えませんでしたがね」
 わたしは急いで振り返って、窓の方をながめると、そこには何者もいないばかりか、鎧戸もしまっていた。
 老紳士は言葉をつづけた。
「惜しいことでしたよ。もうちっと早ければようござんしたに……。ちょうどいま、あの邸にたった一人で住んでいる老執事が、窓の張り出しに油絵を立てかけて、その塵埃《ほこり》を払って、鎧戸をしめたところでした」
「では、ほんとうに油絵だったのですか」と、私はどぎまぎ[#「どぎまぎ」に傍点]しながら訊きかえした。
「ご安心なさい」と、老紳士は言った。「わたしの眼はまだたしかですよ。あなたは鏡に映った物ばかり見つめていられたから、よけいに眼が変になってしまったのです。私もあなたぐらいの時代には、よく美人画を思い出しただけで、大いに空想を描くことができたものでした」
「しかし、手や足が動きました」と、わたしは叫んだ。
「そりゃ動きました。たしかに動きましたよ」
 老紳士はわたしの肩を軽く叩いて、起《た》ちあがりながら丁寧にお辞儀をした。
「本物のように見せかける鏡には、気をつけたほうがようござんすよ」
 こう言って、彼は行ってしまった。
 あのおやじめ、おれを馬鹿な空想家扱いにしやあがったなと、こう気がついた時の私の心持ちは、おそらく諸君にもわかるであろう。わたしは腹立ちまぎれに我が家へ飛んで帰って、もう二度とあの廃宅のことは考えまいと心に誓った。しかし、かの鏡はそのままにして、いつもネクタイを結ぶときに使う鏡台の上に抛《ほう》り出しておいた。
 ある日、わたしがその鏡台を使おうとして、なんの気もなしにかの鏡に眼を留めると、それが曇っているように見えたので、手に取って息を吹きかけて拭《ふ》こうとする時、私の心臓は一時に止まり、わたしの細胞という細胞が嬉しいような、怖ろしいような感激におののき出した。私がその鏡に息を吹きかけた時、むらさきの靄の中から、かのまぼろしの女がわたしに笑いかけているではないか。諸君は、わたしを懲《こ》り性《しょう》のない夢想家だと笑うかもしれないが、ともかくもその靄が消えるとともに、彼女の顔も玲瓏《れいろう》たる鏡のなかへ消え失せてしまったのである。

 それから幾日のあいだの私の心持ちを今更くどく説明して、諸君を退屈させることもあるまい。ただそのあいだに私はいくたびか、かの鏡に息をかけてみたが、まぼろしの女の顔が現われる時と現われない時とがあったことだけを断わっておきたい。
 彼女を呼び起こすことの出来ない時には、私はいつも、かの廃宅の前へ飛んで行って、その窓を眺め暮らしていたが、もうそこらには人らしいものも見当たらなかった。私はもう友達も仕事もまったく振り捨てて、朝から晩まで気違いのようになって、まぼろしの女のことを思いつめていた。こんなくだらないことはやめようと思いながらも、それがどうもやめられないのであった。
 ある日、いつもより激しくこの幻影におそわれた私は、かの鏡をポケットに入れると、精神病の大家のK博士のもとへ急いで行った。わたしは一切の話を包まず打ち明けて、この怖ろしい運命から救ってくれと哀願すると、静かに私の話を聴いていた博士の眼にも、一種の驚愕《おどろき》の色がひらめいた。
「いや、そう御心配のことはないでしょう。まあ、私の考えではじきに癒《なお》ると思いますよ。あなたは自分から魔法にかかっていると思い込んで、それと戦おうとしているがために、かえって妄念が起こるのです。まずあなたのその鏡を私のところへ置いていって、専心にお仕事に没頭なさるようにお努めなさい。そうして、忘れても並木通りへは足を向けないようにして、一日の仕事をしてから長い散歩をしては、お友達の一座と楽しくお過ごしなさい。食事は十分に摂《と》って、営養のゆたかな葡萄酒をお飲みなさい。これから私は、その廃宅の窓や鏡に現われる女の顔の執念ぶかい幻影と戦って、あなたを心身ともに丈夫にしてあげるつもりですから、あなたも私の味方をする気になって、わたしの言う通りを守って下さい」と、博士は言った。
 渋《しぶ》しぶながらに鏡を手放した私の態度を、博士はじっと見ていたらしかった。それから博士はその鏡に自分の息を吹きかけて、それを私の眼の前へ持って来た。
「何か見えますか」
「いいえ、なんにも」と、私はありのままを答えた。
「では、今度はあなた自身がこの鏡に息をかけてごらんなさい」と、博士はわたしの手に鏡をわたした。
 わたしは博士の言う通りにすると、女の顔が鏡のなかにありありと現われて来た。
「あっ。女の顔が……」という私の叫び声に、博士は鏡のなかを見て言った。
「私にはなんにも見えませんね。しかし実を言うと、鏡を見たときに私もなんとなくぶるぶる悪寒《さむけ》がしました。もっとも、すぐになんでもなくなりましたが……。では、もう一度やって見てください」
 私はもう一度その鏡に息を吹きかけると、そのとたんに博士はわたしの頸《くび》のうしろへ手をやった。女の顔は再び現われた。わたしの肩越しに鏡に見入っていた博士はさっと顔色を変えて、私の手からその鏡を奪うように引っ取って、細心にそれを検《あらた》めていたが、やがてそれを机の抽斗《ひきだし》に入れて錠をかけてしまった。それからしばらく考えたのちに、彼はわたしの所へ戻って来た。
「では、早速にわたしの指図通りにして下さい。実のところ、どうもまだあなたの幻影の根本が呑み込めないのですが、まあ、なるたけ早くあなたにそれを知らせることが出来るようにしたいと思っています」と、博士は言った。
 博士の命令どおりに生活するのは、私にとって困難なことではあったが、それでも無理に実行すると、たちまちに規則正しい仕事と営養物の効果があらわれて来た。それでもまだ昼間も――静かな真夜中には特にそうであったが――怖ろしい幻影に襲われることもあり、愉快な友達の一座にいて、酒を飲んだり、歌を唄ったりしている時ですらも、灼《や》けただれた匕首《あいくち》がわたしの心臓に突き透るように感じる時もあった。そういう場合には、わたしの理性の力などは何の役にも立たないので、よんどころなくその場を引き退がって、その昏睡状態から醒めるまでは再び友達の前へ出られないようなこともあった。
 ある時、こういう発作《ほっさ》が非常に猛烈におこって、かの幻影に対する不可抗力的の憧憬がわたしを狂わせるようになったので、私は往来へ飛び出して不思議な家の方へ走ってゆくと、遠方から見た時には、固くとじられた鎧戸の隙間から光りが洩れているらしく思われたが、さて近寄って見ると、そこらはすべて真っ暗であった。わたしはいよいよ取りのぼせて入り口のドアに駈けよると、そのドアはわたしの押さないうちにうしろへ倒れた。重い息苦しい空気のただよっている玄関の、うす暗い灯のなかに突っ立って、私は異常の怖ろしさと苛立《いらだ》たしさに胸をとどろかせていると、たちまちに長い鋭いひと声が家のなかでひびいた。それは女の喉《のど》から出たらしい。それと同時に、わたしは封建時代の金色《こんじき》の椅子や日本の骨董品に飾り立てられて、まばゆいばかりに照り輝いている大広間に立っていることを発見した。わたしのまわりには強い薫《かお》りが紫の靄《もや》となってただよっていた。
「さあ、さあ、花聟《はなむこ》さま。ちょうど、結婚の時刻でござります」
 女の声がした時に、私は定めて盛装した若い清楚な貴婦人が紫の靄のなかから現われて来るものと思った。
「ようこそ、花聟さま」と、ふたたび金切り声がひびいたと思う刹那《せつな》、その声のぬしは腕を差し出しながら私のほうへ走って来た。寄る年波と狂気とで醜《みにく》くなった黄色い顔がじっと私に見入っているのである。私は怖ろしさのあまりに後ずさりをしようとしたが、蛇のように炯《けい》けいとした鋭い彼女の眼は、もうすっかり私を呪縛してしまったので、この怖ろしい老女から眼をそらすことも、身をひくことも出来なくなった。
 彼女は一歩一歩と近づいて来る。その怖ろしい顔は仮面であって、その下にこそまぼろしの女の美しい顔がひそんでいるのではないかという考えが、稲妻《いなずま》のように私の頭にひらめいた。その時である。彼女の手が私のからだに触れるか触れないうちに、彼女は大きい唸り声を立てて私の足もとにばたりと倒れた。
「はははは。悪性者《あくしょうもの》めがおまえの美しさにちょっかい[#「ちょっかい」に傍点]を出しているな。さあ、寝てしまえ、寝てしまえ。さもないと鞭《むち》だぞ。手ひどいやつをお見舞い申すぞ」
 こういう声に、私は急に振り返ると、かの老執事が寝巻のままで頭の上に鞭を振り廻しているではないか。老執事はわたしの足もとに唸っている彼女を、あわやぶちのめそうとしたので、私はあわててその腕をつかむと、老執事は振り払った。
「悪性者め、もしわしが助けに来なければ、あの老いぼれの悪魔めに喰い殺されていただろうに……。さあ、すぐにここを出て行ってもらおう」と、彼は呶鳴った。
 わたしは広間から飛んで出たが、なにしろ真っ暗であるので、どこが出口であるか見当《けんとう》がつかない。そのうちに私のうしろでは、ひゅうひゅうという鞭の音がきこえて、女の叫び声がひびいて来た。
 たまらなくなって、私は大きい声を出して救いを求めようとした時、足もとの床がぐらぐらと揺れたかと思うと、階段を四、五段もころげ落ちて、いやというほどにドアへ叩きつけられながら、小さい部屋のなかへ俯伏《うつぶ》せに倒れてしまった。そこには今あわてて飛び出したらしい空《から》の寝床や、椅子の背に掛けてある褐色の上衣《うわぎ》があるので、私はすぐにここが老執事の寝室であることをさとった。すると、あらあらしく階段を駆け降りて来た老執事は、いきなり私の足もとにひれ伏して言った。
「あなたがどなたさまにもしろ、また、どんなことをしてあの下司女《げすおんな》の悪魔めがあなたをこの邸内へ誘い込んだにもしろ、どうぞここで起こった出来事を誰にもおっしゃらないでください。わたくしの地位にかかわることでございます。あの気違いの夫人は懲らしめのために、寝床にしっかりと縛りつけておきました。もうすやすやと睡っております。今晩は暖かい七月の晩で、月はございませんが、星は一面にかがやいております。では、お寝《やす》みなさい」
 彼はわたしに哀願したのち、ランプを取って部屋を出て、私を門の外へ押し出して錠をおろしてしまった。わたしは気違いのようになって我が家へ急いで帰ったが、それから四、五日は頭がすっかり変になって、この恐ろしい出来事をまったく考えることが出来なかった。ただ、あんなに長い間わたしを苦しめていた魔法から解放されたということだけは、自分にも感じられた。したがって、かの鏡に現われた女の顔に対する私の憧憬の熱もさめ、かの廃宅における怖ろしかった光景の記憶も、単に何かの拍子に瘋癲《ふうてん》病院を訪問したぐらいの追憶になってしまった。
 かの老執事が、この世の中からまったく隠されている高貴な狂夫人の暴君的な監視人であることは、もう疑う余地もなかった。それにしても、あの鏡はなんであろう。今までのいろいろの魔法はなんであろう。まあ、これから私が話すことを聴いてください。

 それからまた四、五日ののち、わたしはP伯爵の夜会にゆくと、伯爵は私を片隅に引っ張って来て、「あなたはあの廃宅の秘密が洩れ出したのをご存じですか」と、微笑を浮かべながら話しかけた。
 私はこれに非常に興味を感じて、伯爵がそのあとをつづけるのを待っていると、惜しいことにちょうど食堂が開かれたので、伯爵もそのまま黙ってしまった。私も伯爵の言葉を夢中になって考えながら、ほとんど機械的に相手の若い娘さんに腕をかして、社交的な行列のなかに加わった。
 そうして、私は定められた席へその娘さんを導いてから、はじめてその娘さんの顔をみると、いや、驚いた、かのまぼろしの女がわたしの眼の前に突っ立っているではないか。私は心の底まで顫《ふる》えあがったが、かの幻影に悩まされていた当時のように、気違いじみた憧憬は少しも起こって来なかった。それでも相手の娘さんがびっくりしたように私の顔をじいっと眺めているのを見ると、私の眼にはやはり恐懼《きょうく》の色が現われていたに相違なかった。私はやっとのことで気をしずめると、てれ隠しに、あなたには以前どこかでお目にかかったような気がしますがと言うと、意外にも、生まれてから初めてきのうこのX市に来たばかりですと、相手にあっさりと片づけられてしまったので、私の頭はよけいに混乱して、婦人に不作法ではあったが、そのままに黙っていた。しかも彼女の優しい眼で見られると、わたしは再び勇気が出て、この新しい相手の娘さんの心の動きを観察してみたいような気にもなってきた。たしかにこの娘さんは、可愛らしいところはあるが、何か心に屈託《くったく》がありそうにも見えた。おたがいの話がだんだんはずんできた時分に、わたしは大胆に辛辣《しんらつ》な言葉を時どきに用いると、いつも微笑していたが、その蔭にはあたかも傷口に触れられた時のような苦悩がひそんでいるようであった。
「お嬢さん、今夜は馬鹿にお元気がないようですが、けさお着きでしたか」と、私のそばに坐っていた士官がその娘さんに声をかけた。
 その言葉がまだ終わらないうちに、彼のとなりにいる男が士官の腕をつかんで何かその耳にささやいた。すると、また食卓の反対の側では、ひとりの婦人が興奮して顔をまっかにしながら、ゆうべ観て来た歌劇の話を大きな声で語り始めた。こうした愉快そうな環境が彼女の淋しい心にどう響いたのか、その娘さんの眼には涙がこみあげてきた。
「わたし、馬鹿ですわね」と、彼女はわたしの方を向いて言った。それからしばらくして彼女は頭痛がすると言い出した。
「なァに、ちょっとした神経性の頭痛でしょう。この甘美な、詩人の飲料(シャンパン酒)の泡のなかでぶくぶくいっている快活なたましいほど、よく効《き》く薬はありませんよ」と、私は心安だてにこう言いながら、彼女のグラスにシャンパンを一杯に注いでやると、彼女はちょっとそれに唇《くち》をつけて、わたしのほうに感謝の眼を向けた。
 彼女の気分は引き立ってきたらしく、このままでいったら何もかも愉快に済んだかもしれなかったのであるが、私のシャンパン・グラスがふとしたはずみで彼女のグラスと触れた刹那、彼女のグラスから異様な甲高《かんだか》い音が発したので、彼女もわたしも急に顔色を変えた。それはかの廃宅の気違い女の声の響きとまったく同様であったからであった。
 コーヒーが出てから、私はうまく機会を作ってP伯爵のそばへ行くと、伯爵は私のこの行動を早くもさとっていた。
「あなたは隣りの婦人がエドヴィナ伯爵家の令嬢であることを知っていますか。それから、長いあいだ不治の精神病に苦しみながらあの廃宅に住んでいるのが、あの娘さんの伯母であるということを知っていますか。あの娘さんは、けさ母親と一緒に不幸な伯母に逢いに来たのです。あの狂夫人の暴れ狂うのを鎮めることの出来るものは、かの老執事のほかになかったのですが、そのただひとりの人間がにわかに重病にかかったというわけです。なんでもあの娘さんの母親はK博士に伺って、あの家の秘密を打ち明けたそうですよ」
 K博士――その名はすでに諸君も御承知のはずである。そこで言うまでもなく、私は少しも早くその謎を解くために博士の宅を訪問して、私の安心が出来るように、くわしくかの狂女の話をしてくれと頼んだ。以下は、秘密を守るという約束で、博士がわたしに話してくれた物語である。

 アンジェリカ――Z伯爵令嬢はすでに三十の坂を越えていたが、まだなかなかに美しかったので、彼女よりもずっと年下のエドヴィナ伯爵は熱心に自分の恋を打ち明けた。そうして、二人はその運だめしに父Z伯の邸へ行くことになった。ところが、エドヴィナ伯爵はその邸へはいってアンジェリカの妹をひと目見ると、姉の容色が急に褪《あ》せてきたように思われて、彼女に対する熱烈な恋は夢のように覚《さ》めてしまい、さらに妹のガブリエルとの結婚を父の伯爵に申し込んだのである。Z伯爵は妹娘もエドヴィナ伯爵を憎く思っていないのを知って、すぐに二人の結婚を許した。
 姉のアンジェリカは男の裏切りを非常に怨《うら》んだが、表面はいかにも彼を軽蔑したように、「なァに、伯爵はわたしの鼻についた玩具《おもちゃ》であったということをご存じないんだわ」と言っていた。しかもガブリエルとエドヴィナ伯爵の婚約式が済んでからは、アンジェリカは一家の団欒《だんらん》の席に顔をみせないことも少なくなかった。それのみならず、彼女は食堂にも出ないで、ほとんど一日を森の中の独り歩きに暮らしていた。
 ここに一つの異様な事件がこの城における単調な生活を破った。ある日、村の百姓のうちから選抜されたZ伯爵家の猟人《かりうど》らが、最近にとなりの領地で殺人や窃盗をもって告訴されたジプシーの一団を捕縛して、男たちは鎖につなぎ、女子供は馬車に乗せて城の中庭へ引っ立てて来た。女のジプシーの群れの中では、頭から足のさきまで真っ赤な肩掛を着た一人のひょろ長い、痩せこけた、ものすごい顔の老婆がすぐに目についた。その老婆は馬車のなかに立って、いかにも横柄《おうへい》な声で自分を馬車から降ろせと命令するように言い放つと、その態度に恐れをなして、伯爵の家来たちはすぐにその老婆を降ろしてやった。
 Z伯爵は中庭へ降りて来て、この囚人団を城の地下室の牢獄へ繋ぐように命じた。そのとたんに、髪を乱し、恐怖の色をその顔にみなぎらしたアンジェリカが邸の内から走り出て、父の足もとにひざまずいた。
「あの人たちを赦《ゆる》してやってください、お父さま。あの人たちを赦してやってください。もしお父さまがあの人たちの血一滴でもお流しになれば、わたしはこのナイフで、わたくしの胸を突き透します」
 ナイフを打ち振りながら鋭い声でこう叫ぶと、そのまま気を失ってしまった。
「そうですとも、そうですとも、お美しいお嬢さま。私はあなたが私たちをお助けくださることをよく存じております」
 こう金切り声で叫んだのち、ジプシーの老婆は何か口の中でつぶやきながら、アンジェリカのからだに伸《の》しかかって、胸が悪くなるような接吻を彼女の顔といわず胸といわず浴びせかけた。それから肩掛けのポケットから、小さい金魚が銀の液体のなかで泳いでいるように見えるガラスの小壜を取り出して、アンジェリカの胸のところへ持ってゆくと、たちまちに彼女は意識を回復した。彼女は眼を老婆の上にそそぐと、やにわにがば[#「がば」に傍点]と身を起こして老婆を抱きかかえ、疾風《しっぷう》のごとくに城内へ連れ去ってしまったので、Z伯爵をはじめ、途中から出て来た妹のガブリエルも、その恋人のエドヴィナ伯爵も、あまりの驚異に身の毛をよだてた。Z伯爵はともかくもその囚人たちの鎖《くさり》をはずさせて、みな別べつの牢獄へ入れさせた。
 翌朝、Z伯爵は村びとを召集して、その面前でジプシーらには罪のないことを宣告した上、自分の領地の通過券を渡してやったが、その解放されたジプシーの一団のうちには、かの真っ赤な肩掛けを着た老婆の姿は見えなかった。きっと金鎖を頸《くび》に巻いて、スペイン風の帽子に赤い羽をつけているジプシーの親方が、前の夜ひそかに伯爵の部屋を訪問して、伯爵に頼み込んだのであろうと、村びとらはささやき合っていた。実際ジプシーらが去ってのち、かれらは殺人でも窃盗でもないことが分かった。
 ガブリエルの結婚式の日はいよいよ近づいてきた。ある日、中庭へ数台の荷馬車を挽《ひ》き込んで、それに家財道具や衣裳類を山のように積んであるのを見て、ガブリエルはびっくりした。次の日、Z伯爵はいろいろの事情から、アンジェリカがX市の別邸に自分ひとりで暮らしたいという申し出でを許したということを、ガブリエルに言って聞かせた。伯爵はその別邸を姉娘にあたえ、家族の者はもちろん、父の伯爵でさえ彼女の許可なくしてはその別邸へ出入りをしないということを、彼女に誓った。それからまた伯爵は、彼女の切《せつ》なる願いによって、自分の家僕を彼女の家事取締りのために付けてやることをも承諾した。
 結婚式は無事に済んだ。エドヴィナ伯爵と花嫁のガブリエルは自分たちの邸で水入らずの幸福な生活を営んだ。ところが、不思議なことには、何か秘密な悲しみが生命をむしばんで、快楽と精力とを奪い去ってゆくかのように、エドヴィナ伯爵の健康は日ごとに衰えてきた。新妻のガブリエルは夫の心配の原因をどうかして探り知ろうとして、あらゆる手段を尽くしてみたが、それはみな徒労であった。そのうちにエドヴィナ伯爵は、このままでは自然に喰い入ってくる呪《のろ》いのために執《と》り殺されてしまうのを恐れて、医者の指図するがままに断然その邸をあとにして、ピザへ出発した。そのおり彼の新妻は身重であったので、夫と一緒に旅立つことが出来なかった。
「以上はガブリエル夫人が私に打ち明けた物語であるが、それはあまりに狂気じみているので、よほど鋭い観察力をもってしなければ、話の連絡をつかむことが出来ないくらいであった」と、博士は注を入れて、また話した。
 ガブリエル夫人は、夫の不在中に女の子を生んだが、間もなくその赤ん坊は邸内から何者にか攫《さら》われて、八方手を尽くしてたずねたが、ついにその行くえが知れなかった。母親の夫人の悲歎《ひたん》は傍《はた》の見る目も憐れなくらいであったところへ、搗《か》てて加えて父のZ伯爵から、ピザにいるはずのエドヴィナ伯爵がX市のアンジェリカの邸で煩悶《はんもん》をかさねて瀕死の状態にあるという手紙に接して、夫人はほとんど狂気せんばかりになった。
 夫人は産褥《さんじょく》から離れるのを待って、父の城へ馳《は》せつけた。ある晩、彼女は生き別れの夫や赤ん坊の安否を案じわびて、どうしても眠られないでいると、気のせいか寝室のドアの外でかすかに赤児の泣くような声が聞こえるので、灯をともしてドアをあけて見ると、思わず彼女はぎょっとしたのである。ドアの外には真っ赤な肩掛けのジプシーの老婆が這《は》いつくばいながら、「死」をはめ込んだような眼でじっと彼女を見つめているばかりか、その腕には夫人を呼びさまさせた声のぬしの、赤ん坊を抱えていた。あっ! 私の娘だ――夫人はジプシーの老婆の腕から奪い取った我が子を、嬉しさに高鳴りするわが胸へしっかりと抱きしめた。
 夫人の叫び声におどろかされて、家人が起きてきた時には、ジプシーの老婆はもう冷たくなっていて、いくら介抱しても息を吹きかえさなかった。
 Z老伯爵はこの孫にかかわる不可思議な事件の謎が少しでも解けはしまいかと、急いでX市のアンジェリカの邸へ行った。今では彼女の気違いざたに驚いて女中はみな逃げてしまって、かの執事だけがただ一人残っていた。老伯爵がはいった時には、アンジェリカは平静であり、意識も明瞭であったが、孫の物語が始まると、彼女は急に手を打って大声で笑いながら叫んだ。
「まあ、あの小娘は生きていまして……。あなた、あの小娘を埋めてくださいましたでしょうね、きっと……」
 老伯爵はぞっとして、自分の娘はいよいよ本物の気違いであることを知ると、執事の止めるのも聞かずに、彼女を連れて領地へ帰ろうとした。ところが、彼女をこの家から連れ出そうとすることをちょっとほのめかしただけで、アンジェリカはにわかに暴れ出して、彼女自身の命どころか、父親の命までがあぶないほどの騒ぎを演じた。
 ふたたび正気にかえると、彼女は涙ながらに、この家で一生を送らせてくれと父親に哀願した。老伯爵はアンジェリカの告白したことは、みな狂気の言わせるでたらめだとは思ったが、それでも娘の極度の悩みに心を動かされて、その申し出《いで》を許してやった。その告白なるものは、エドヴィナ伯爵は自分の腕に帰ってきて、ジプシーの老婆が父の邸へ連れて行った子供は、エドヴィナ伯爵と自分との仲に出来た子供だというのであった。X市には、Z伯爵が哀れな姉娘を城へ連れて帰ったという噂が立ったが、その実、アンジェリカは依然として例の執事の監視のもとに、かの廃宅に隠されていたのであった。
 Z伯爵は間もなく世を去ったので、ガブリエル夫人は父の亡きあとの家庭を整理するためにX市に戻ってきた。もちろん、彼女が姉のアンジェリカに逢えば、かならず何かの騒動がおこるに決まっているので、ガブリエル夫人は不幸な姉に逢わなかった。しかも、その夫人は不幸な姉を老執事の手から引き離さなければならないことに気がついたと言っていたが、その理由は私にも打ち明けなかった。ただいろいろのことから帰納的に想像して、かの老執事が女主人公の暴れ出すのを折檻《せっかん》して取り鎮めるとともに、彼女が金を造り得るという妄信に釣り込まれて、彼女のものすごい試験の助手を勤めていたことだけはわかってきた。
「さて、こうした不思議な事件の心理的関係を、あなたにお話し申す必要はあるまいと思います。しかし、かの精神病の婦人の回復が死の鍵である最後の役目を勤めたのは、明らかにあなたであると思います。それからあなたに告白しなければならないのは、実は私があなたの頸《くび》のうしろに手を当てて、あなたの催眠状態の母体になっていた時、わたしは私自身の眼にもあの鏡の中に女の顔を見て、はっとしましたよ。しかし、ご安心なさい。あの鏡に映ったのはまぼろしの女ではなく、エドヴィナ伯爵夫人の顔であったということがやっと分かりましたよ」

 博士の話はこれで終わった。博士はわたしの精神に安心をあたえるためにも、この事件について、この以上には解釈のしようがないと言ったので、その言葉をここに繰り返しておきたい。
 私もまた今となって、アンジェリカとエドヴィナ伯爵と、かの老執事と私自身との関係――それは悪魔の仕業《しわざ》のようにも思えるが――その関係を、この上に諸君と議論する必要はないように思われる。私はこの事件の直後、拭《ぬぐ》い去ろうとしても拭い去ることの出来ない憂鬱症のために、逐《お》われるようにしてこのX市を立ち去った。それでもなお一、二ヵ月は気味の悪い感じがどうしても去らなかったが、突然それを忘れてしまって、なんともいえない愉快な心持ちが幾月ぶりかで私の心にかえってきたということだけを、最後に付け加えておきたいのである。
 わたしの心に、そうした気分の転換が起こった刹那に、X市ではかの気違いの婦人が息を引き取った。

底本:「世界怪談名作集 下」河出文庫、河出書房新社
   1987(昭和62)年9月4日初版発行
   2002(平成14)年6月20日新装版初版発行
入力:門田裕志
校正:hongming
2003年11月25日作成
青空文庫作成ファイル:
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岡本綺堂

半七捕物帳 広重と河獺——- 岡本綺堂

    一

 むかしの正本《しょうほん》風に書くと、本舞台一面の平ぶたい、正面に朱塗りの仁王門、門のなかに観音境内の遠見《とおみ》、よきところに銀杏の立木、すべて浅草公園仲見世の体《てい》よろしく、六区の観世物の鳴物にて幕あく。――と、上手《かみて》より一人の老人、惣菜《そうざい》の岡田からでも出て来たらしい様子、下手《しもて》よりも一人の青年出で来たり、門のまえにて双方生き逢い、たがいに挨拶すること宜しくある。
「やあ、これは……。お花見ですかい」
「別になんということもないので……、天気がいいから唯ぶらぶら出て来たんです」
「そうですか。わたくしは橋場《はしば》までお寺まいりに……。毎月一遍ずつは顔を見せに行ってやらないと、土の下で婆さんが寂しがります。これでも生きているうちは随分仲がよかったんですからね。はははははは。ところで、あんたはお午飯《ひる》は」
「もう済みました」
「それじゃあどうです。別に御用がなければ、これから向島の方角へぶらぶら出かけちゃあ……。わたくしは腹こなしにちっと歩こうかと思っているところなんですが……」
「結構です。お供しましょう」
 ずるそうな青年は、ああ手帳を持って来ればよかったという思《おもい》入れ、すぐに老人のあとに付いてゆく。同じ鳴物にて道具まわる。――と、向島土手の場。正面は隅田川を隔てて向う河岸をみたる遠見、岸には葉桜の立木。かすめて浪の音、はやり唄にて道具止まる。――と、下手より以前の老人と青年出で来たり、いつの間にか花が散ってしまったのに少しく驚くことよろしく、その代りに混雑しないで好いなどの台詞《せりふ》あり、二人はぶらぶらと上手へゆきかかる――。
 ここまで本読みをすれば、誰でも登場人物を想像するであろう。老人は例の半七老人で、青年はわたしである。老人はわたしの問うにしたがって浅草あたりの昔話を聞かせてくれた。聖天《しょうでん》様や袖摺《そですり》稲荷の話も出た。それからだんだんに花が咲いて、老人はとうとう私に釣り出された。
「いや、まったく昔はいろいろ不思議なことがありましたよ。その袖摺いなりで思い出しましたが……。まあ、あるきながら話しましょう」

 これは安政五年の正月十七日の出来事である。浅草|田町《たまち》の袖摺稲荷のそばにある黒沼孫八という旗本屋敷の大屋根のうえに、当年三、四歳ぐらいの女の子の死骸がうつ伏せに横たわっていたが、屋根のうえであるから屋敷の者もすぐには発見しなかった。かえって隣り屋敷の者に早く見つけられて、黒沼家でも初めてそれを知って騒ぎ出したのは朝の五ツ(午前八時)を過ぎた頃であった。足軽と中間《ちゅうげん》が長梯子をかけて、朝霜のまだ薄白く消え残っている大屋根にのぼって見ると、それはたしかに幼い女の児で、服装《みなり》も見苦しくない。容貌《きりょう》も醜《みにく》くない。ともかく担ぎおろして身のまわりをあらためたが、彼女は腰巾着を着けていなかった。迷子札《まいごふだ》も下げていなかった。したがって、何処の何者だかを探り出す手がかりも無いので、皆もしばらく顔を身合わせていた。
 彼女の身許がわからないということよりも、まず第一に諸人の頭を悩ましたのは、この幼い娘がどうして此の屋敷の大屋根の上に、小さい亡骸《なきがら》を横たえていたかという疑問であった。黒沼家は千二百石の大身《たいしん》で、屋敷のうちには用人、給人、中小姓、足軽、中間のほかに、乳母、腰元、台所働きの女中などをあわせて、上下二十幾人の男女が住んでいるが、一人もこの娘の顔を見識っている者はなかった。屋敷へふだん出入りする者の眷族《けんぞく》にも、こういう顔容《かおだち》の娘は見あたらなかった。身許不明の此の娘がどうして此の屋根のうえに登ったのか、その判断がなかなかむずかしかった。平屋《ひらや》作りではあるが、武家屋敷の大屋根は普通の町家よりも余っぽど高いのであるから、たとい長梯子を架けたとしても、三つや四つの幼い者が容易に這い上がれようとは思われない。そんなら天から降ったのか。あるいは天狗にさらわれて、宙から投げ落されたのではあるまいか。去年の夏から秋にかけて、江戸の空にはときどき大きい光り物が飛んだ。ある物は大きい牛のような異形《いぎょう》の光り物が宙を走るのを見たとさえ伝えられている。所詮はそういう怪しい物に引っ掴まれて、娘の死骸は宙から投げ落されたのではあるまいかと、賢《さか》しら立って説明する者もあったが、主人の黒沼孫八はその説明に満足しなかった。彼はふだんから天狗などというものの存在を一切否認しようとしている剛気の武士であった。
「これには何か仔細がある」
 いずれにしても其のままには捨て置かれないので、彼はその次第を一応は町奉行所にも届けろと云った。武家屋敷内の出来事であるから、表向きにしないでも何とか済むのであるが、彼はその疑問を解決するために町方《まちかた》の手を借りようと思い立って、わざと公《おおやけ》にそれを発表しようとしたのであった。
「かような幼い者に親兄弟のない筈はない。娘を失い、妹をうしなって、さだめし嘆き悲しんでいる者もあろう。その身許をよくよく詮議して、せめて亡骸《なきがら》なりとも送りとどけ遣わしたい。屋敷の外聞など厭うているべき場合でない。出入りの者どもにも娘の人相|服装《みなり》などをくわしく申し聞かせて、心あたりを詮索《せんさく》させろ」
 主人がこういう意見である以上、だれも強《し》いて反対するわけにも行かなかった。用人の藤倉軍右衛門はその日の午前《ひるまえ》に京橋へ出向いて、八丁堀同心の小山新兵衛を屋根屋新道の屋敷にたずねた。耳の早い新兵衛はもうその一件のあらましを何処からか聞き込んでいたらしかったが、軍右衛門は更にくわしい説明をあたえた上で、なんとかしてかの娘の身許を洗い出してくれないかと膝づめで頼んだ。そうして、正直にこういう事情も打ちあけた。主人は公にそれを発表しろと云っているけれども、自分の意見としてはやはり屋敷の外聞を考えなければならない。正月早々から屋敷の屋根に得体《えたい》の知れない人間の死体が降って来たなどということは、第一に不吉でもあり、世間に対して外聞の好いことでもない。ことに世間の口は煩《うる》さいもので、それからそれへと尾鰭を添えて、有ること無いことをいろいろに吹聴《ふいちょう》されると、結局はどんな迷惑の種をまかないとも限らない。かたがたこれは内分にして、なんとか詮議の術《すべ》はあるまいか。主人とても好んでこれを世間に吹聴したいわけではない。かの娘の身許が判って、その親類縁者に引き渡せばそれで安心するのであるから、そのつもりで内密に詮索してくだされば至極好都合であると、軍右衛門は懇願するように云った。
「よく判りました。では、なんとか然るべきようの取り計らい方を致しましょう」と、新兵衛は素直に承知した。
 軍右衛門を帰したあとで、新兵衛はすぐに神田の半七を呼んで、その一件をあらまし話してきかせた。
「まずそういう訳なんだから、縄張り違いかも知れねえが、一つ踏み込んでやってみてくれ。こういう仕事はお前にかぎる。いや、おだてるんじゃねえが、屋敷の仕事はちっと面倒だから誰でも好いというわけにも行かねえ。寒いところを御苦労だが、なにぶん頼むよ」
「かしこまりました。まあ、なんとか手繰《たぐ》ってみましょう」と、半七は考えながら云った。
「天狗がさらうというのも今どきは流行らねえ」と、新兵衛は笑った。「何かこれには綾があるだろう。洗ってみたら又面白い種があるかも知れねえぜ」
「そうかも知れません。なにしろこれから田町へ行って、御用人に逢って来ましょう」
 半七は八丁堀を出て、草履の爪先を浅草にむけた。黒沼の屋敷の通用門をくぐって用人をたずねると、軍右衛門は待ち兼ねていたように彼を自分の長屋へ案内した。
「なにか御迷惑な一件が出来《しゅったい》しましたそうで、お察し申し上げます」と、半七はまず挨拶した。
「まったくお察しください」と、軍右衛門は少し禿げかかった額《ひたい》ぎわに大きい皺をきざんで見せた。「なにぶんにも筋道の判らぬ一件で、手前共もまことに迷惑している。得体のわからぬ小娘の死骸をそのまま取り捨ててしまえば何の仔細もない事であるが、主人がどうしても不承知で、その身よりの者を探し出して必ず引き渡してやれという。さりとて当途《あてど》もない尋ねもの、第一にその死骸が何処をどうして屋敷の屋根の上に投げ込まれたのか、それすら一向に見当のつかぬような始末で、われわれ甚だ困却しているが、そちらは商売柄、なんとか筋道をたどって探索しては下さるまいか」
「へえ、小山の旦那からもお話がございましたから、何とか一と働きいたしたいと存じて居りますが……。そこでその死骸というのは何処にございます。寺の方へでももうお預けになりましたか」
「いや、夕刻までは手前の長屋に置いてある、一応見てください」
 用人の長屋は三畳と六畳と八畳の三間に過ぎなかった。その八畳の座敷の片隅に、小さい娘の死骸が北枕に寝かされて、さすがに水と線香とが供えてあった。半七は這い寄って娘の死骸をのぞいた。念のために死骸を抱き起して身体じゅうをあらためて見た。
「すっかり拝見しました」と、半七は死骸を元のように寝かしながら云った。それから起って縁側へ出て、手水鉢《ちょうずばち》で両手を浄《きよ》めて来て、しばらく黙って考えていた。
「判りましたか」と、軍右衛門は待ち兼ねて催促した。
「いや、すぐにはどうも……。そこで、心得のために伺って置きたいのでございますが、ゆうべから今朝にかけて、別にお心当りはなんにもございませんでしたか」
 無論に心当りはないと軍右衛門は躊躇せずに答えた。ゆうべは屋敷に歌留多《かるた》会の催しがあって、親類の人たちや隣り屋敷の子息や娘や、大供小供をあわせて二十人ほどが寄りあつまって、四ツ(午後十時)を過ぎる頃まで賑やかに騒ぎあかした。その疲れで屋敷じゅうの者もみんな好く寝込んでしまったので高い大屋根の上に這いのぼった者があったか、転げ落ちた者があったか、誰も一向気がつかなかった。現にけさもよそから注意されて初めてそれを発見したくらいであるから、それが宵のことか、夜半《よなか》のことか、暁け方のことか、まるでなんにも見当は付かないと云った。
「この子供の人相はまったく何人《どなた》も御存じないんですね」と、半七は念を押した。
「わたしは無論見おぼえがない。屋敷中のものも残らず詮議したが、誰も見識っている者はないと云っている。この娘の風体から見ると、どうも町人らしいが……」
「左様でございます」と、半七はうなずいた。「どうしても御屋敷方じゃございません。それから恐れ入りますが、この死骸の落ちていた大屋根のあたりを一度みせていただくわけにはまいりますまいか」
「承知いたしました」
 軍右衛門は先に立って長屋を出て、玄関先へ半七を案内した。かれは二人の中間《ちゅうげん》をよんで、玄関の横手から再び長梯子をかけさせると、半七は身づくろいをしてすぐにするすると登って行って、大屋根の上に突っ立った。そうして、誰か一緒に来てくれと、上から小手招《こてまね》ぎをすると、小作りの中間一人があとからつづいて登って来たので、その中間に教えられて、かれは死骸の横たわっていた場所は勿論、高い大屋根のうえをひと巡り見まわって降りた。

     二

 黒沼の屋敷を出て、半七は更に馬道《うまみち》の方へ行った。そこに住んでいる子分の庄太を呼び出して、あの屋敷に就いてふだんから何か小耳にはさんでいることはないかと詮索したが、庄太は別に聞き込んだことはないと云った。黒沼家は近所でも評判の堅い屋敷で、奉公人もみんな風儀が好い。今度の一件もおそらく屋敷内の者にかかり合いはあるまいとの判断であった。
「そうか。じゃあ、まあ仕方がねえ」と、半七は青々と晴れた正月の大空を仰いだ。「どうだ、庄太。きょうは天気も好し、あんまり空《から》っ風も吹かねえから、十万坪の方まで附き合わねえか」
「十万坪……」と庄太は妙な顔をした。「あんなところへ何しに出かけるんです」
「久しく砂村のお稲荷様へ参詣しねえから、ふいと思い立ったのよ。きょうは仕事も半ちくだから、急に御信心がきざしたんだ。迷惑でなければ一緒に来てくれ」
「ようがす。わっしもどうでひまな人足なんですから、どこへでもお供しますよ」
 二人はすぐに連れ立って出た。もうかれこれ八ツ(午後二時)過ぎだというのに、これから何で深川の果てまでわざわざ出かけるのかと、庄太は内心不思議に思っているらしかったが、黙って素直について来た。吾妻《あずま》橋を渡って、本所を通り越して、深川の果ての果て、砂村|新田《しんでん》の稲荷前にゆき着いたのは八幡の鐘がもう夕七つ(午後四時)を撞き出したあとで、春といってもまだ日※《ひあし》の短いこの頃の夕風は、堤《どて》下に枯れのこっている黄色い蘆の葉を寒そうにふるわせていた。
「親分。ちっと冷えて来ましたぜ」と、庄太は襟をすくめた。
「ああ、日が落ちかかると、やっぱり寒い」
 稲荷のやしろに参詣して、二人はそこにある葭簀《よしず》張りの掛茶屋にはいった。もうそろそろと店を仕舞いにかかっていた女房は、客を見て急に笑顔をつくった。
「お寒いのに遠方御信心でございます。なんにもございませんが、お団子でもあっためて差上げましょうか」
「なんでも好いから熱い茶を一杯飲まして貰おう」と、庄太はよほどくたびれたらしい顔をして、床几に腰をおろした。
 焼きざましの団子をもう一度あぶり直して、女房はいそがしそうに薬鑵の下を渋団扇であおいでいた。
「おかみさん。この頃はおまいりがたくさんありますかえ」と、半七は訊いた。
「なにしろお寒いもんですから」と、女房は茶を運びながら答えた。「これでも来月になるとずっとお賑やかになります」
「そうだろう。来月はもう初午《はつうま》だから」と、半七は煙草をすいながら云った。「それでも毎日二三十人はありますかえ」
「多い時はその位ございますが、きょうなぞは唯《た》った十二三人でございました。そのなかで半分ぐらいは日参の方《かた》ばかりでございます」
「やっぱりここまで日参の人がありますかえ、御信心はおそろしいものだ。わたしなんぞは一度でも好い加減にがっかりしてしまった」と、庄太は硬い焼団子を頬張りながら、いかにも感心したように云った。
「御信心もいろいろございますが、中には随分お気の毒なのもございます。けさ木場《きば》の方から見えた若いおかみさんなんぞはほんとうに惨《いじ》らしいようでございました。この寒いのに浴衣一枚で、これから毎朝|跣足《はだし》参りをするんだそうですが、見るから痩せぎすな、孱弱《ひよわ》そうな人ですから、からだを痛めなければいいがと案じています。そりゃあ御信心でございますけれど、あんまり無理をするとやっぱり長続きが致しませんからね」
「その若いおかみさんというのはどこの人で、どんな願《がん》を掛けているのかしら」と、半七も同情するように訊いた。
「それがまったくお気の毒なのでございます」と、女房は土瓶《どびん》の湯をさしながら相手の顔を覗いた。「その女の人は木場の材木問屋の通い番頭さんのおかみさんだそうで、まだようよう十九で、去年の秋ごろにお嫁に来たんだそうですが、その人は二度添いで、今年|三歳《みっつ》になる先妻の子供があるんです。きのうの夕方、その子供をつれて八郎兵衛新田にいる親類の家へたずねて行って、薄暗くなって帰ってくる途中、どうしたものか其の子供の姿が見えなくなってしまったんです。驚いて探し廻ったんですけれど、どうしても知れない。丸髷にこそ結っていますけれど、まだ十九という若いおかみさんですから、途方にくれて泣きながら自分の家に帰っていくと、御亭主が承知しないんです。そりゃあ勿論、おかみさんにも落度はあります。自分の連れている子供を迷子《まいご》にしたんですから御亭主に対して申し訳ないのはあたり前です。おまけに面倒なことは其の人が二度添いで、迷子にしたのは先妻の子供、自分にとっては継子《ままこ》ですから、なおなお義理が立ちません。義理が立たないばかりでなく、悪く疑えば継母根性でその子供をわざと何処へか捨てて来たかとも思われます。現に御亭主もそう疑っているらしく、なんでもおかみさんをきびしく叱って、おまえがそこらの川へ突き落してでも来たんだろう、というようなことを云ったらしいんです。おかみさんはひどくそれを口惜《くや》しがって、その晩すぐに家を飛び出して、自分の潔白を見せるために、近所の堀か川へでも身を投げようと思ったんですが、また急に思い直して、そのまま無事に家へ帰って、けさからこのお稲荷さまへ日参を始めたんだそうです。それにそのおかみさんの運の悪いことは、子供を外へ連れて出ようとして、着物を着換えさせてやる時に、よそゆきの帯に迷子札を着けかえるのを忘れてしまって、そのままで出てしまったもんですから、なんにも証拠が無いんです。それを悪く疑えば、わざと迷子札をつけずに置いたとも云われるんです。人の料簡はなかなかうわべから見えませんけれど、あんなに真っ蒼な顔をして、眼を泣き腫らして、どう見ても嘘やいつわりとは思われません、まったくあのお内儀さんの災難に相違なかろうと思うんですが、その子供が無事に出て来ない以上は、なんと疑われても仕方のないわけです」
 この長い話を聴かされて、半七と庄太は眼を見合わせた。
「おかみさん。その子供は女の児かえ」と、庄太は待ち兼ねて訊いた。
「はい。女の児だそうでございます。名はお蝶といって、お父ッつあんは次郎八というんだとか聞きました。子供のことですから、そんなに遠いところへ迷って行きも致しますまいし、川へでも陥《はま》ったのなら死骸がもう浮き上がりそうなもんですが、どうしたもんでしょうかねえ」と、女房は溜息をつきながら云った。「お稲荷さまの御利益《ごりやく》で、どうかまあ、ちっとも早くその子供の安否が知れるようにして上げたいと、わたくし共も蔭ながらお祈り申しております」
「そりゃあ全くだ。しかし信心の徳で、今になんとか判るだろう」
 半七は庄太に眼くばせして、幾らかの茶代を置いて床几を起った。茶店を出て、一間ほども行きすぎると、庄太はうしろを見かえりながらささやいた。
「親分。うまく突き当りましたね」
「犬もあるけば棒に当るとは此の事だ。もうこれで何もかもすっかり当りが付いた」と、半七はほほえんだ。
「けれども、まだ判らねえことがありますぜ」と、庄太は仔細らしく首をひねっていた。「その子供の身許はそれで判ったが、どうしてそれが黒沼の屋敷の大屋根に落ちていたんだろう。それがどうも腑におちねえ。一体、親分が今時分こんなところへ出てくるのがおかしいと思っていたんだが、十万坪へ行くの、砂村へおまいりするのと云って、なにか最初から心あたりがあったんですかえ」
「まんざらないこともなかったが、あんまり雲を掴むような話で、おめえに笑われるのも業腹《ごうはら》だから実は今まで黙っていたが、おめえをここまで引っ張り出したのは、もしやという心頼みがちっとはあったんだ」
「それにしても、こっちの方角とはどうして見当を付けなすった」
「それがおかしい。まあ、聞いてくれ」と、半七は又ほほえんだ。「黒沼の屋敷へ云って、用人の部屋で娘の死骸をみせて貰うと、からだには別に疵らしい痕もねえから、病死したものをそっと運んで来たのかとも思ったが、よく見ると娘の襟っ首に小さい爪のあとのようなものが薄く残っている。それも人間の爪じゃあねえ、どうも鳥か獣《けもの》の爪らしい。と云って、まさか天狗の仕業でもあるめえし、はて何か知らんとかんがえながら屋敷を出て、おめえの家の方角へぶらぶらやってくると、絵草紙屋の店先でふとおれの眼についた一枚絵がある。それは広重《ひろしげ》が描いた江戸名所で、十万坪の雪の景色だ。おめえ、知っているか」
「知りません。わっしはそんなものはきれえですから」と、庄太は苦笑いした。
「そうだろう。おれも別に好きというわけじゃあねえが、商売柄だから何にでも眼をつける。そこで、見るともなしにふと見ると、今もいう通り、その絵は十万坪の雪の景色で、雪が真っ白に降っていると、その大空に大きい鷲が羽をひろげて飛んでいるんだ。なるほど能く描いた、実に面白い図柄だと思っているうちに、また思いついたのが黒沼の屋敷の一件だ。まさかに天狗が掴んだのでもねえとすれば、娘を引っ掴んで来たのは鷲の仕業かもしれねえ。襟っ首に残っている爪の痕もそうだろう。しかしそれはほんの一時の出来心で、自分ながらあぶなっかしいと思ったから、ともかくもお前に逢ってだんだん訊いてみると、黒沼の屋敷に悪い評判はきこえず、お前もなんにも心当りがねえという。それじゃあ念のために十万坪の方角へ踏み出して見ようと思い立って、わざわざお前を引っ張り出したんだ。勿論、相手は鳥のことだから何も十万坪に限ったこともねえ。王子へ出るか、大久保へ出るか、とても見当の付くわけのもんじゃねえが、なにしろ十万坪の絵から考え出したんだから、ともかくも其の方角へ行って見た上で、又なんとか分別を付けようと思って、遠い砂村までわざわざ踏み出してみると、やっぱり無駄足にはならねえで、なんの苦もなしに突き当ててしまったんだ。考えてみれば拾い物よ。そのお蝶とかいう娘が、どこかでおふくろにはぐれてしまって、うす暗い処をうろうろしていると、大きな鷲が不意に降りてきて、帯か襟っ首を引っ掴んで宙へ高く舞い上がったに相違ねえ。八郎兵衛新田から十万坪のあたりは人家は少なし、隣りは細川の下屋敷と来ているんだから、誰も見つけた物がねえ。殊にうす暗い時刻ならば猶更のことで、鳥の羽音もなんにも聞いた者はあるめえ。それからどうしたか勿論わからねえが、娘は驚いて気を失ってしまって、もう泣き声も立てなかったんだろう。鷲の奴めも引っ掴んでは見たものの、どうにもしようがねえもんだから、そこら中を飛びあるいて、しまいには掴んだものを宙からほうり出すと、それが丁度に黒沼の屋敷の上に落ちたというわけだろう。早く見付けて手当てをしたらば、運よく蘇生《よみがえ》ったかも知れなかったが、明くる朝までそのまま打っちゃって置いたんだからもう助からねえ。ほんとうに飛んでもねえ災難で、先の長げえ者を可哀そうなことをしたよ。しかしまあ、死んだ者は仕方がねえから、早くその親たちに知らしてやって、諦めさせるのが肝腎だ。今の話の様子じゃあ、それから又いろいろな面倒が起って、若いおふくろまでがなんぞの間違いでも仕出来《しでか》さねえとも限らねえ。死んだ者より、生きたものを助ける工夫が大切だから、これからすぐに木場へまわって、この訳をよく云い聞かせてやらなけりゃあならねえ」
「そりゃあそうです」と、庄太もすぐに同意した。「子供はまだ三歳《みっつ》や四歳《よっつ》じゃあどうにもならねえが、そのおふくろというのはまだ十九だそうだから、間違いがあっちゃあ可哀そうだ」
「若い女房だと思って贔屓をするな」と、半七は笑った。「そんなこと云っていると、今度はてめえが鷲に引っさらわれるぞ」
「おどかしちゃいけねえ。急に薄っ暗くなって来た」
 二人は薄暗い川端をたどって、筏《いかだ》の浮かんでいる木場の町へ足を早めた。

「大体の話はまずこうです」と、半七老人は云った。「その途中で、女房の身を投げるところでも抱き止めれば芝居がかりになるのですが、実録じゃあそう巧くは行きませんよ。はははははは。ともかくも木場へ行って、次郎八という男の家を探し当ててその話をして聞かせると、夫婦ともにびっくりしていました。それからすぐに次郎八をつれて行って、黒沼の屋敷の用人に引きあわせると、用人も大安心で死骸を引き渡してくれました。死骸はたしかに次郎八の娘で、もう一と足遅いと寺へ送られてしまうところでした。勿論、普通の探索物と違いますから、この一件ばかりは確かにこうと突き留めるわけには行きませんが、どうもこれよりほかには鑑定の付けようがないので、娘は鷲にさらわれたものと決まってしまいました。これは広重の絵のおかげで、なにが人間の助けになるか判りません。その広重は大コロリで、その年の秋に死にました」

     

 こんな話をしているうちに、二人はいつか三囲《みめぐり》を通りすぎていた。堤《どて》はもう葉桜になって、日曜日でも雑沓していないのが、わたし達に取っては却って仕合わせであった。わたしは息つぎに巻煙草入れを袂から探り出して、そのころ流行った常磐《ときわ》という紙巻に火をつけて半七老人に一本すすめると、老人は丁寧に会釈して受け取って、なんだかきな臭いというような顔をしながら口のさきでふかしていた。
「どこかで休みましょうか」と、わたしは気の毒になって云った。
「そうですね」
 一軒の掛茶屋を見つけて、二人は腰をおろした。花時をすぎているので、ほかには一人の客も見えなかった。老人は筒ざしの煙草入れをとり出して、煙管《きせる》で旨そうに一服すった。毛虫を吹き落されるのを恐れながらも、わたしは日ざかりの梢を渡ってくる川風をこころよく受けた。わたしの額はすこし汗ばんでいた。
「むかしはここらに河獺《かわうそ》が出たそうですね」
「出ましたよ」と、老人はうなずいた。「河獺も出れば、狐も狸も出る。向島というと、誰でもすぐに芝居がかりに考えて清元か常磐津の出語りで、道行《みちゆき》や心中ばかり流行っていた粋《いき》な舞台のように思うんですが、実際はなかなかそうばかり行きません。夜なんぞはずいぶん薄気味の悪いところでしたよ」
「ほんとうに河獺なんぞが出ては困りますね」
「あいつは全く悪いいたずらをしますからね」
 なにを問いかけても、老人は快く相手になってくれる。一体が話し好きであるのと、もう一つには、若いものを可愛がるという柔かい心もまじっているらしい。彼がしばしば自分の過去を語るのは、あえて手柄自慢をするというわけではない。聴く人が喜べば、自分も共によろこんで、いつまでも倦《う》まずに語るのである。そこでこの場合、老人はどうしても河獺について何か語らなければならないことになった。
「つかんことを申し上げるようですが、東京になってからひどく減《へ》ったものは、狐狸や河獺ですね。狐や狸は云うまでもありませんが、河獺もこの頃では滅多《めった》に見られなくなってしまいました。この向島や千住ばかりじゃありません。以前は少し大きい溝川《どぶがわ》のようなところにはきっと河獺が棲んでいたもので、現に愛宕下の桜川、あんなところにも巣を作っていて、ときどきに人を嚇《おど》かしたりしたもんです。河童《かっぱ》がどうのこうのというのは大抵この河獺の奴のいたずらですよ。これもその河獺のお話です」

 弘化四年の九月のことで、秋の雨の二、三日ふりつづいた暗い晩であった。夜ももう五ツ(午後八時)に近いと思うころに、本所|中《なか》の郷《ごう》瓦町《かわらまち》の荒物屋の店障子をあわただしく明けて、ころげ込むようにはいって来た男があった。商売物の蝋燭でも買いに来たのかと思うと、男は息をはずませて水をくれと云った。うす暗い灯の影でその顔を一と目見て、女房はきゃっ[#「きゃっ」に傍点]と声をあげた。その男は額から頬から、頸筋まで一面になまなましい血を噴き出して、両方の鬢は掻きむしられたように乱れていた。散らし髪で血だらけの顔――それを表の暗やみから不意に突き出された時に、女房のおどろくのも無理はなかった。その声を聞いて奥から亭主も出て来た。
「まあ、どうしたんです」と、さすがは男だけに、彼はまず声をかけた。
「なんだか知りませんが、源森《げんもり》橋のそばを通ると、暗い中から飛び出して来て、傘の上からこんな目に逢いました」
 それを聞いて、亭主も女房も少し落ち着いた。
「それはきっと河獺です」と、亭主は云った「ここらには悪い河獺がいて、ときどきにいたずらをするんです。こういう雨のふる晩には、よくやられます。傘の上へ飛びあがって顔を引っ掻いたんでしょうよ」
「そうかも知れません。わたしはもう夢中でなんにも判りませんでした」
 親切な夫婦はすぐに水を汲んで来て、男の顔の血を洗ってやった。ありあわせた傷薬などを塗ってやった。男はもう五十を二つ三つも越しているかと思われる町人で、その服装《みなり》も卑しくなかった。
「なにしろ飛んだ御災難でした。今頃どちらへいらしったんです」と、女房は煙草の火を出しながら聞いた。
「なに、この御近所までまいったものです」
「お宅は……」
「下谷でございます」
「傘をそんなに破かれてはお困りでしょう」
「吾妻《あずま》橋を渡りましたら駕籠がありましょう。いや、これはどうもいろいろ御厄介になりました」
 男は世話になった礼だと云って、女房に一朱の銀《かね》をくれた。こっちが辞退するのを無理に納めさせて、新しい蝋燭を貰って提灯をつけて、かれは傘をさして暗い雨のなかを出て行った。出たかと思うと、やがて又引っ返して来て、男は店口から小声で云った。
「どうか、今晩のことは、どなたにも御内分にねがいます」
「かしこまりました」と、亭主は答えた。
 そのあくる日である。下谷|御成道《おなりみち》の道具屋の隠居十右衛門から町内の自身番へとどけ出た。昨夜、中の郷の川ばたを通行の折柄に、何者にか追いかけられて、所持の財布を取られたうえに、面部に数カ所の疵をうけたというのである。その訴えによって、町奉行所から当番の与力同心が下谷へ出張った。場所が水戸様の屋敷の近所であるというので、その詮議もひとしお厳重であった。十右衛門は自身番へ呼び出されて取り調べをうけることになった。
「半七。よく訊いてみろ」と、与力は一緒について来た半七に云った。
「かしこまりました。もし、道具屋の御隠居さん。お役人衆の前ですからね。よく間違わないように申し立ってくださいよ」と、半七はまず念を押して置いて、ゆうべの顛末《てんまつ》を十右衛門に訊いた。
「一体ゆうべは何処へなにしに行きなすったんだ」
「中の郷|元町《もとまち》の御旗本大月権太夫様のお屋敷へ伜の名代《みょうだい》として罷り出まして、先ごろ納めましたるお道具の代金五十両を頂戴いたしてまいりました」
「元町へ行った帰りなら源森橋の方へかかりそうなもんだが、どこか路寄りでもしなすったか」
「はい。まことに面目もない次第でございますが、中の郷瓦町のお元と申す女のところへ立ち寄りましてございます」
「そのお元というのはお前さんが世話でもしていなさるのかえ」
「左様でございます」
 お元は三年越し世話をしているが、あまり心柄のよくない女で、たびたび無心がましいことを云う。現にゆうべもお元の家へ寄ると、かれの従弟《いとこ》だといって引きあわされた政吉という若い男がいて、自分にしきりに酒をすすめたが、こっちは飲めない口であるから堅く辞退した。おいおい寒空にむかって来るから移り替えの面倒を見てくれとお元から頻りに強請《せが》まれたが、それもふところの都合が悪いので断わって出て来た。その帰途に、かれは瓦町の川ばたで災難に逢ったものである。あの辺には河獺が出るというから自分も一旦は河獺の仕業であろうかと思っていたのであるが、家へ帰ってみると、かの五十両を入れた財布がない。して見ると、どうも河獺ではないらしい。よって一応のお届けをいたした次第であると、十右衛門はおずおず申し立てた。
「そのお元というのは幾歳《いくつ》ですね」
「十九になりまして、母と二人暮らしでございます」
「従弟の政吉というのは……」
「二十一二でございましょうか。お元の家へしげしげ出入りしているようでございますが、わたくしはゆうべ初めて逢いましたので、身許なぞもよく存じません」
 一と通りの詮議は済んで十右衛門は下げられた。彼の申し立てによると、その疑いは当然お元という十九の女のうえに置かれなければならなかった。従弟の政吉というのは彼女の情夫《いろ》で、十右衛門の懐中に五十両の金をもっているのを知って、あとから尾《つ》けて来て強奪したのであろう。役人たちの鑑定は皆それに一致した。半七もそう考えるよりほかはなかった。併し金がないというだけのことで、すぐにお元を疑うわけにも行かなかった。かれは途中で取り落したかも知れない。よもやとは思っても、駕籠のなかに置き忘れて来たかも知れない。ともかくも中の郷へ行って、そのお元という女の身許を十分に洗った上のことだと半七は思った。
 彼はそれからすぐに自身番を出て、十右衛門の疵の手当てをしたという医師をたずねた。そうしてその疵の痕について彼の鑑定を訊きだしたが、医師には確かなことは判らないらしかった。鋭い爪で茨掻《ばらが》きに引っ掻きまわしたのか、あるいは鈍刀《なまくら》の小さい刃物で滅多やたらに突き斬ったのか、その辺はよく判らないとのことであった。殊にこうした刑事問題に対しては後日《ごにち》の面倒を恐れて何事もはっきりとは云い切らない傾きがあるので、半七も要領を得ずに引き取った。
「今日《こんにち》ならば訳のないことなんですがね、昔はこれだから困りましたよ」と、半七老人はここで註を入れて説明した。

     

 お元の情夫が十右衛門を傷つけて金を取ったのか、河獺が十右衛門を傷つけて、財布を別に取り落したのか、所詮は二つに一つでなければならない。半七は中の郷へ行って、近所の評判を聞いてみると、お元は十右衛門がいうような悪い女ではないらしかった。兄は先年死んだので、自分が下谷の隠居の世話になって老婆を養っているが、こんな身分の若い女には似合わない、至極|実体《じってい》なおとなしい女であるという噂であった。それを聞いて半七も少し迷った。
 それにしても一応は本人にぶつかって見ようと思って、かれは瓦町のお元の家へゆくと、小柄な色白の娘が出て来た。それがお元であった。
「下谷の隠居さんはゆうべ来ましたか」と、半七は何気なく訊いた。
「はい」
「よっぽど長くいましたか」
「いいえ、あの門口《かどぐち》で……」と、お元は顔を少し紅くしてあいまいに答えた。
「家《うち》へあがらずに帰りましたかえ。いつもそうですか」
「いいえ」
「ゆうべは政吉さんという人が来ていましたが、あの人はおまえさんの従弟ですか」
 お元は躊躇して黙っていた。これは正面から問い落した方がいいと思ったので、半七は正直に名乗った。
「御用で調べるんだから、隠しちゃあいけねえ。隠居の帰ったあとで、政吉はどこかへ出て行ったろう」
 お元はやはり不安らしく黙っていた。
「隠さずに云ってくれ。こうなれば判然《はっきり》云って聞かせるが、下谷の隠居は中の郷の川端で誰かに疵をつけられて、首にさげていた財布を取られたので、おれはそれを調べに来たんだ。おめえも隠し事をして、飛んだ引き合いを食っちゃあならねえ。知っているだけのことはみんな正直に云ってしまわねえと、おめえのためにならねえぜ」
 おどすように睨まれて、お元は真っ蒼になった。そうして、政吉は昨夜どこへも行かないと顫《ふる》え声で申し立てた。そのおどおどしている様子で、半七はそれが嘘であることをすぐ看破《みやぶ》った。彼は確かにそうかと念を押すと、お元はそれに相違ないと云い切った。しかし彼女の顔色がだんだん灰色に変って。もう死んだ者のようになってしまったのが半七の注意をひいた。彼はどうしても此の女の申し立てを信用することが出来なかった。
「もう一度きくが、たしかになんにも知らねえか」
「存じません」
「よし、どこまでも隠し立てをするなら仕方がねえ、ここで調べられねえから一緒に来い」
 彼はお元の手をつかんで引っ立てて行こうとすると、奥から五十ばかりの女があわてて出て来て半七の袖にすがった。彼女はお元の母のお石であった。
「親分さん。どうぞお待ちくださいまし。わたくしから何もかも申し上げますから、どうぞ此女《これ》はお赦しねがいます」
「正直に云えば上《かみ》にもお慈悲はある」と、半七は云った。
「実はその政吉はわたくしの甥で、瓦職人をいたして居ります。この娘と行くゆくは一緒にするという約束もございましたが、いろいろの都合がありまして、娘も唯今では他人《ひと》さまのお世話になって居りますような訳でございます。その政吉が昨晩たずねてまいりまして、娘やわたくしと火鉢の前で話して居りまして……。実のところ、下谷の旦那はなかなか吝《しま》っていらっしゃる方で、月々の極めた物のほかには一文も余計に下さらないもんですから、この寒空にむかってほんとうに困ってしまうと、娘やわたくしが愚痴をこぼして居りますところへ、丁度に旦那がおいでになりまして、外で其の話をお聴きになったのですか、それとも政吉がいたのを妙にお取りになったものですか、門口《かどぐち》で少しばかり口を利いてすぐに出て行っておしまいなさいました。どの道、御機嫌が悪かったようでございましたから、もし万一これぎりになっては大変だと、わたくしがあとで心配して居りますと、政吉も共々に心配いたしまして、自分のことをおかしく思ってのお腹立ちならばまことに迷惑だから、無理にも旦那をよび戻して来て、よくその訳をお話し申すと云って、わたくしが止めるのを肯かずに、提灯を持って出てまいりました」
「むむ、よく判った。それからどうした」
「やがてのことに帰ってまいりまして……」と、お石は少し云いよどんだが、思い切ったように話しつづけた。
「雨は降るし、真っ暗だもんだから、もう旦那のお姿が見えなくなったと申しました。それから……途中でこんなものを拾ったと云って、小判を二枚……」
 叔母とお元との愚痴話を先刻から気の毒そうに聴いていた政吉は、その小判を二人のまえに出して、これで移りかえの支度をしてくれと云ったが、正直なお石|母子《おやこ》は不安に思って、どうしてもそれを受け取らなかった。拾った物は授かりものだと云って、政吉が口を酸《すっぱ》くして勧めても、母子は強情に受け取ろうとしなかったので、彼はしまいには疳癪を起して、その小判を引っ掴んでどこへか黙って出て行ってしまった。拾ったと云えばそれまでであるが、小判二枚の出所がなんだか気にかかるので、母子がけさからその噂をしているところへ、半七が調べに来たのであった。
「そうか。よく申し立てた。そんなら娘はおふくろにあずけて置く。又どういうお調べがないとも限らないから神妙にしていろよ」と、半七は二人に云い聞かせた。
 お元が政吉をかばっていた仔細も判った。二人は許嫁《いいなずけ》の約束のある仲であった。苦しい生計《くらし》の都合から、お元は許嫁の男にそむいて、他人《ひと》の世話になっていた。それでもあくまで男をかばって、自分が罪におちるのも厭わずに何も知らないと云い張っている。それを思うと、半七もなんだかいじらしくなって来た。ことに二人ながら正直そうな女であるから、このまま放して置いても差し支えはないと思ったので、かれは町《ちょう》役人のところへ行って、よそながら二人を注意するように頼んで帰った。
 あくる朝、政吉は雨にぬれて吉原を出るところを大門《おおもん》口で捕えられた。前にも云った馬道の庄太が彼を召捕ったのである。半七は会所に待っていて、すぐに政吉を吟味したが、小判の出所については、きのうのお石の話と同じことを申し立てた。
「おとといの晩に下谷の御隠居のあとを追っ掛けて、源森橋の方まで河岸に付いて行きますと、下駄の先にぴかりと光る物がありましたから、提灯の火で透かしてみると、雨のふる中に小判が二枚落ちていました。お届けをすればよかったんですが、叔母のところの苦しい都合も知っていますので、何かの補足《たし》にさせようと思って、ちょうど人通りもないもんですから、それを拾って持って帰りますと、叔母もお元もああいう人間ですから、なんだか気味を悪がってどうしても受け取らないんです。わたしもしまいには自棄《やけ》になって、そんなら勝手にしろとその金をつかんで飛び出して、けさまで吉原で遊んでいました。金はまったく拾ったので、決して物取りなんぞをした覚えはございません」
 お石の甥というだけに、この職人も正直そうな人間であった。その申し立てには嘘はないらしく見えた。しかしこの時代でも遺失物は拾いどくという訳ではない。一応は自身番にとどけ出るのが天下《てんが》の法である。もう一つには、彼自身の申し口だけを信用するわけも行かないので、半七は彼を下谷へひいて行って、そこの自身番で十右衛門と突き合わせの吟味をすることになった。
 十右衛門は政吉を見識っていると云った。政吉も十右衛門を見識っていると云った。しかし十右衛門が何者かに襲われた時は一切夢中で、誰がどうしたのかちっとも覚えていないと云うのである。これには半七も少し弱った。そのうちふと思い出したことがあったので、かれは十右衛門に訊いた。
「わたしはお前さんの店の者に聞いて知っているが、おまえさんは顔や首にはそれほどの怪我をしながら、家《うち》へ帰って来た時には血も大抵止まっていたというが、どこで血止めの手当てをして来なっすたえ」
「浅草へまいりましてから、駕籠屋にたのんで水を汲んで来て貰いました」
「駕籠屋にも頼んだかも知らねえが、荒物屋でも水を汲んで貰やあしませんでしたか」
 十右衛門はぎょっとしたらしい。かれは黙って俯向いてしまった。
「なぜそれを隠しなさる。それが私に判らねえ。あの近所で夜遅くまで起きているのは荒物屋だから、わたしはきのうあすこへ行って何か心当りのことはなかったかと訊くと、はじめはあいまいなことを云っていたが、しまいにはとうとう白状して、かみさんがお前さんに一朱もらったことまで話しましたよ。その一朱は財布に入れてあったんじゃありませんか」
「それは紙入れに入れてありましたのでございます。財布は紐をつけて頸にかけて居りました」
「そうですか。そこで今云う通り、なぜ荒物屋の夫婦に口止めをしなすったんだ」
「そんなことが世間にきこえましては外聞が悪いとも存じまして……。しかし財布まで紛失いたしましては、もう内分にも相成りませぬので、お上にお手数をかけて恐れ入ります」
 云いながら、彼は政吉をじろり視た。その妬《ねた》ましげな眼のひかりを半七は見逃がさなかった。これはあくまでも此の事件を物取りのように云い立てて、政吉を罪に落そうとする彼の下心《したごころ》であるらしいと、半七は推量した。若い妾にたいする老人の嫉妬――それが根となってこの訴えを起したものだろうと、半七は鑑定した。
 それにしても彼の訴えがまったくの嘘でないのは、現に政吉が二両の金を拾ったことに因ってあきらかに証拠立てられる。十右衛門の訴えは何処までがほんとうで、政吉の申し立ては何処までがほんとうか、その寸法を測る尺度《ものさし》を見つけ出すのに半七も苦しんだ。その日も確かな調べは付かないので、十右衛門は宿へ下げられ、政吉はひとまず八丁堀の大番屋へ送られた。
 このままで済めば政吉は頗る不利益であった。いかに彼が冤罪《むじつ》を訴えても、小判二枚を持っていたという証拠がある以上、なかなかその疑いは晴れそうもなかった。しかも彼は幸運であった。無言の証人が源森橋の川しもにあらわれて、この事件の真相を説明してくれた。
 それは河獺であった。大きい一匹の河獺が死んで浮き上がったのである。河獺の首には財布の紐が堅くまき付いていた。そうして、その財布のなかには四十両あまりの小判がはいっていた。
 荒物屋の夫婦が想像した通り、暗い雨の夜に十右衛門を襲ったのは、やはりこの川にすむ河獺であった。いたずら者の彼は傘のうえに飛びあがって、人間の顔や頸筋をむやみに引っ掻いた。そのはずみに財布の紐が彼の爪に引っかかって、財布は十右衛門の首からぬけ出して更に彼の首に巻きついた。二枚の小判はその時に財布の口からころげ出したのであろう。かれは財布を頸にかけたままで元の川へ飛び込んだから、小判の重みで其の紐が強く吊れるので、かれはそれを取り除けようとして頻りに前脚を働かせるうちに、紐は意地わるくこぐらかって絡み付いて、かれは自分で自分の頸を絞めてしまった。
 死んでもかれは容易に浮かばなかった。頸に財布をかけていたからである。四、五日降りつづいた雨が晴れて、川の水がだんだん痩せるに連れて、岸の浅い処にかれの尾や足があらわれて来た。そうして、政吉の冤罪を証明したのであった。政吉は単に叱り置くというだけで赦された。
 十右衛門も最初は河獺であろうと思っていたらしい。しかも荒物屋の女房に一朱の礼をやった時に、財布の紛失しているのを発見すると同時に、彼は不図《ふと》あることを思い浮かんだ。それはお元と政吉とに対する嫉妬から湧き出した一種の復讐心で、たとい彼等がほんとうの罪人に落ちないまでも、一旦はその疑いをうけて番屋へ呼び出されたり、あるいは縄付きになったりして、いろいろの難儀や迷惑をするのを遠くから見物していようという、極めて残酷な陰謀であった。
 証拠のあがらないうちは、半七も思い切ったことをいうわけにも行かなかったが、政吉の無罪が証拠立てられた以上、彼は十右衛門を憎んでちくちく痛め付けたので、十右衛門もさすがに恐縮して、結局、その河獺の頸にかけていた四十何両の金を手切金としてお元に渡すことになった。
 お元と政吉は夫婦づれで半七の家へ礼に来た。

「相変らずおしゃべりをしてしまいました。この向島ではまだ、河童や蛇の捕物のお話もありますがね。それは又いつか申し上げましょう。いや、お茶代はわたくしに払わせてください。年寄りに恥をかかしちゃいけない」と、半七老人はふところから鬼更紗《おにさらさ》の紙入れをとり出して、幾らかの茶代を置いた。
 茶屋の娘とわたしとは同時に頭を下げた。
「さあ、まいりましょう。向島もまったく変りましたね」
 老人はあたりを眺めながら起ち上がるを木の頭《かしら》、どこかの工場の汽笛の音にチョンチョン、幕。むかしの芝居にこんな鳴物はない筈である。なるほど向島も変ったに相違ないと思った。

底本:「時代推理小説 半七捕物帳(一)」光文社文庫、光文社
   1985(昭和60)年11月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:菅野朋子
1999年6月21日公開
2004年2月29日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

岡本綺堂

白髪鬼—— 岡本綺堂

     

 S弁護士は語る。

 私はあまり怪談などというものに興味をもたない人間で、他人からそんな話を聴こうともせず、自分から好んで話そうともしないのですが、若いときにたった一度、こんな事件に出逢ったことがあって、その謎だけはまだ本当に解けないのです。
 今から十五年ほど前に、わたしは麹町の半蔵門に近いところに下宿生活をして、神田のある法律学校に通っていたことがあります。下宿屋といっても、素人家《しろうとや》に手入れをして七|間《ま》ほどの客間を造ったのですから、満員となったところで七人以上の客を収容することは出来ない。いわば一種の素人下宿のような家で、主婦は五十をすこし越えたらしい上品な人でした。ほかに廿八九の娘と女中ひとり、この三人で客の世話をしているのですが、だんだん聞いてみると、ここの家《うち》には相当の財産があって、長男は京都の大学にはいっている。その長男が卒業して帰って来るまで、ただ遊んでいるのもつまらなく、また寂しくもあるというようなわけで、道楽半分にこんな商売を始めたのだそうです。したがって普通の下宿屋とはちがって、万事がいかにも親切で、いわゆる家族的待遇をしてくれるので、止宿人《ししゅくにん》はみな喜んでいました。
 そういうわけで、私たちは家の主婦を奥さんと呼んでいました。下宿屋のおかみさんを奥さんと呼ぶのは少し変ですが、前にも言う通り、まったく上品で温和な婦人で、どうもおかみさんとは呼びにくいように感じられるので、どの人もみな申合せたように奥さんと呼び、その娘を伊佐子さんと呼んでいました。家の苗字は――仮りに堀川といって置きましょう。
 十一月はじめの霽《は》れた夜でした。わたしは四谷須賀町のお酉《とり》さまへ参詣に出かけました。東京の酉《とり》の市《まち》というのをかねて話には聞いていながら、まだ一度も見たことがない。さりとて浅草まで出かけるほどの勇気もないので、近所の四谷で済ませて置こうと思って、ゆう飯を食った後に散歩ながらぶらぶら行ってみることになったのですから、甚だ不信心の参詣者というべきでした。今夜は初酉だそうですが、天気がいいせいか頗《すこぶ》る繁昌しているので、混雑のなかを揉まれながら境内《けいだい》と境外を一巡して、電車通りの往来まで出て来ると、ここも露天で賑わっている。その人ごみの間で不意に声をかけられました。
「やあ、須田君。君も来ていたんですか。」
「やあ、あなたも御参詣ですか。」
「まあ、御参詣と言うべきでしょうね。」
 その人は笑いながら、手に持っている小さい熊手と、笹の枝に通した唐《とう》の芋とを見せました。彼は山岸猛雄――これも仮名です――という男で、やはり私とおなじ下宿屋に止宿しているのですから二人は肩をならべて歩き始めました。
「ずいぶん賑やかですね。」と、わたしは言いました。「そんなものを買ってどうするんです。」
「伊佐子さんにお土産ですよ。」と、山岸はまた笑っていました。「去年も買って行ったから今年も吉例でね。」
「高いでしょう。」と、そんな物の相場を知らない私は訊《き》きました。
「なに、思い切って値切り倒して……。それでも初酉だから、商人の鼻息がなかなか荒い。」
 そんなことを言いながら四谷見附の方角へむかって来ると、山岸はあるコーヒー店の前に立ちどまりました。
「君、どうです。お茶でも飲んで行きませんか。」
 かれは先に立って店へはいったので、わたしもあとから続いてはいると、幸いに隅の方のテーブルが空《す》いていたので、二人はそこに陣取って、紅茶と菓子を注文しました。
「須田君はお酒を飲まないんですね。」
「飲みません。」
「ちっともいけないんですか。」
「ちっとも飲めません。」
「わたしも御同様だ。少しは飲めるといいんだが……。」と、山岸は何か考えるように言いました。「この二、三年来、なんとかして飲めるようになりたいと思って、ずいぶん勉強してみたんですがね。どうしても駄目ですよ。」
 飲めない酒をなぜ無理に飲もうとするのかと、年の若い私はすこしおかしくなりました。その笑い顔をながめながら、山岸はやはり子細ありそうに溜息をつきました。
「いや、君なぞは勿論飲まない方がいいですよ。しかし私なぞは少し飲めるといいんだが……。」と、彼は繰返して言いましたが、やがて又俄かに笑い出しました。「なぜといって……。少しは酒を飲まないと伊佐子さんに嫌われるんでね。ははははは。」
 山岸の方はどうだか知らないが、伊佐子さんがとにかく彼に接近したがって、いわゆる秋波を送っているらしいのは、他の止宿人もみな認めているのでした。堀川の家《うち》では、伊佐子さんが姉で、京都へ行っている長男は弟だそうです。伊佐子さんは廿一の年に他へ縁付いたのですが、その翌年に夫が病死したので、再び実家へ戻って来て、それからむなしく七、八年を送っているという気の毒な身の上であることを、わたし達も薄々知っていました。容貌《きりょう》もまず十人並以上で阿母《おっか》さんとは違ってなかなか元気のいい活溌な婦人でしたが、気のせいか、その蒼白い細おもてがやや寂しく見えるようでした。
 山岸は三十前後で、体格もよく、顔色もよく、ひと口にいえばいかにも男らしい風采の持主でした。その上に、郷里の実家が富裕であるらしく、毎月少なからぬ送金を受けているので、服装もよく、金づかいもいい。どの点から見ても七人の止宿人のうちでは彼が最も優等であるのですから、伊佐子さんが彼に眼をつけるのも無理はないと思われました。いや、彼女が山岸に眼をつけていることは、奥さんも内々承知していながら、そのまま黙許しているらしいという噂もあるくらいですから、今ここで山岸の口から伊佐子さんのことを言い出されても、私はさのみ怪しみもしませんでした。勿論、妬むなどという気はちっとも起りませんでした。
「伊佐子さんは酒を飲むんですか。」と、わたしも笑いながら訊きました。
「さあ。」と、山岸は首をかしげていました。「よくは知らないが、おそらく飲むまいな。私にむかっても、酒を飲むのはおよしなさいと忠告したくらいだから……。」
「でも、酒を飲まないと、伊佐子さんに嫌われると言ったじゃありませんか。」
「あははははは。」
 彼があまりに大きな声で笑い出したので、四組ほどの他の客がびっくりしたようにこっちを一度に見返ったので、わたしは少しきまりが悪くなりました。茶を飲んで、菓子を食って、その勘定は山岸が払って、二人は再び往来へ出ると、大きい冬の月が堤の松の上に高くかかっていました。霽れた夜といっても、もう十一月の初めですから、寒い西北の風がわれわれを送るように吹いて来ました。
 四谷見附を過ぎて、麹町の大通りへさしかかると、橋ひとつを境にして、急に世間が静かになったように感じられました。山岸は消防署の火の見を仰ぎながら、突然にこんなことを言い出しました。
「君は幽霊というものを信じますか。」
 思いも付かないことを問われて、わたしもすこしく返答に躊躇しましたが、それでも正直に答えました。
「さあ。わたしは幽霊というものについて、研究したこともありませんが、まあ信じない方ですね。」
「そうでしょうね。」と、山岸はうなずきました。「わたしにしても信じたくないから、君なぞが信じないというのは本当だ。」
 彼はそれぎりで黙ってしまいました。今日《こんにち》ではわたしも商売柄で相当におしゃべりをしますが、学生時代の若い時には、どちらかといえば無口の方でしたから、相手が黙っていれば、こっちも黙っているというふうで、二人は街路樹の落葉を踏みながら、無言で麹町通りの半分以上を通り過ぎると、山岸はまた俄かに立ちどまりました。
「須田君、うなぎを食いませんか。」
「え。」
 わたしは山岸の顔をみました。たった今、四谷で茶を飲んだばかりで、又すぐにここで鰻を食おうというのは少しく変だと思っていると、それを察したように彼は言いました。
「君は家で夕飯を食ったでしょうが、わたしは午後に出たぎりで、実はまだ夕飯を食わないんですよ。あのコーヒー店で何か食おうと思ったが、ごたごたしているので止《や》めて来たんです。」
 なるほど彼は午後から外出していたのです。それでまだ夕飯を食わずにいるのでは、四谷で西洋菓子を二つぐらい食ったのでは腹の虫が承知しまいと察せられました。それにしても、鰻を食うのは贅沢です。いや、金廻りのいい彼としては別に不思議はないかも知れませんが、われわれのような学生に取っては少しく贅沢です。今日では方々の食堂で鰻を安く食わせますが、その頃のうなぎは高いものと決まっていました。殊に山岸がこれからはいろうとする鰻屋は、ここらでも上等の店でしたから、わたしは遠慮しました。
「それじゃあ、あなたひとりで食べていらっしゃい。わたしはお先へ失敬します。」
 行きかけるのを、山岸は引止めました。
「それじゃあいけない。まあ、附き合いに来てくれたまえ。鰻を食うばかりじゃない、ほかにも少し話したいことがあるから。いや、嘘じゃない。まったく話があるんだから……。」
 断り切れないで、私はとうとう鰻屋の二階へ連れ込まれました。

     

 ここで山岸とわたしとの関係を、さらに説明しておく必要があります。
 山岸はわたしと同じ下宿屋に住んでいるという以外に、特別にわたしに対して一種の親しみを持っていてくれるのは、二人がおなじ職業をこころざしているのと、わたしが先輩として常に彼を尊敬しているからでした。わたしも将来は弁護士として世間に立つつもりで勉強中の身の上ですから、自分よりも年上の彼に対して敬意を払うのは当然です。単に年齢の差があるばかりでなく、その学力においても、彼とわたしとは大いに相違しているのでした。山岸は法律上の知識は勿論、英語のほかにドイツ、フランスの語学にも精通していましたから、わたしはいい人と同宿したのを喜んで、その部屋へ押しかけて行っていろいろのことを訊くと、彼もまた根《こん》よく親切に教えてくれる。そういうわけですから、山岸という男はわたしの師匠といってもいいくらいで、わたしも彼を尊敬し、彼もわたしを愛してくれたのです。
 唯ここに一つ、わたしとして不思議でならないのは、その山岸がこれまでに四回も弁護士試験をうけて、いつも合格しないということでした。あれほどの学力もあり、あれほどの胆力もありながら、どうして試験に通過することが出来ないのか。わたしの知っている範囲内でも、その学力はたしかに山岸に及ばないと思われる人間がいずれも無事に合格しているのです。勿論、試験というものは一種の運だめしで、実力の優《まさ》ったものが必ず勝つとも限らないのですが、それも一回や二回ではなく、三回も四回もおなじ失敗をくり返すというのは、どう考えても判りかねます。
「わたしは気が小さいので、いけないんですね。」
 それに対して、山岸はこう説明しているのですが、わたしの視るところでは彼は決して小胆の人物ではありません。試験の場所に臨んで、いわゆる「場打《ばう》て」がするような、気の弱い人物とは思われません。体格は堂々としている。弁舌は流暢である。どんな試験官でも確かに採用しそうな筈であるのに、それがいつでも合格しないのは、まったく不思議と言うのほかはありません。それでも彼は、郷里から十分の送金を受けているので、何回の失敗にもさのみ屈する気色《けしき》もみせず、落ちつき払って下宿生活をつづけているのです。わたしは彼に誘われて、ここの鰻の御馳走になったのは、今までにも二、三回ありました。
「君なぞは若い盛りで、さっき食った夕飯なぞはとうの昔に消化してしまった筈だ。遠慮なしに食いたまえ、食いたまえ。」
 山岸にすすめられて、私はもう遠慮なしに食い始めました。ともかくも一本の酒を注文したのですが、二人ともほとんど飲まないで、唯むやみに食うばかりです。蒲焼の代りを待っているあいだに、彼は静かに言い出しました。
「実はね、わたしは今年かぎりで郷里へ帰ろうかと思っていますよ。」
 私はおどろきました。すぐには何とも言えないで、黙って相手の顔を見つめていると、山岸はすこしく容《かたち》をあらためました。
「甚だ突然で、君も驚いたかも知れないが、わたしもいよいよ諦めて帰ることにしました。どう考えても、弁護士という職業はわたしに縁がないらしい。」
「そんなことはないでしょう。」
「私もそんなことはないと思っていた。そんな筈はないと信じていた。幽霊がこの世にないと信じるのと同じように……。」
 さっきも幽霊と言い、今もまた幽霊と言い出したのが、わたしの注意をひきました。しかし黙って聴いていると、彼は更にこんなことを言い出しました。
「君は幽霊を信じないと言いましたね。わたしも勿論、信じなかった。信じないどころか、そんな話を聴くと笑っていた。その私が幽霊に責められて、とうとう自分の目的を捨てなければならない事になったんですよ。幽霊を信じない君たちの眼から見れば、実にばかばかしいかも知れない。まあ、笑ってくれたまえ。」
 わたしは笑う気にはなれませんでした。山岸の口からこんなことを聞かされる以上、それには相当の根拠がなければならない。といって、まさか幽霊などというものがこの世にあろうとは思われない。半信半疑でやはり黙っていると、山岸もまた黙って天井の電燈をみあげていました。広い二階に坐っているのはわれわれの二人ぎりで、隅々からにじみ出して来る夜の寒さが人に迫るようにも思われました。
 しかし今夜もまだ九時ごろです、表には電車の往来するひびきが絶えずごうごうと聞えています。下では鰻を焼く団扇《うちわ》の音がぱたぱたと聞えます。思いなしか、頭の上の電燈が薄暗くみえても、床の間に生けてある茶の花の白い影がわびしく見えても、怪談らしい気分を深めるにはまだ不十分でした。もちろん山岸はそんなことに頓着する筈もない、ただ自分の言いたいだけの事を言えばいいのでしょう。やがて又向き直って話しつづけました。
「自分の口から言うのも何だが、わたしはこれまでに相当の勉強もしたつもりで、弁護士試験ぐらいはまず無事にパスするという自信を持っていたんですよ。うぬぼれかも知れないが、自分ではそう信じていたんです。」
「そりゃそうです。」と、私はすぐに言いました。「あなたのような人がパスしないという筈はないんですから。」
「ところが、いけないからおかしい。」と、山岸はさびしく笑いました。「君も御承知だろうが、ことしで四回つづけて見事に失敗している。自分でも少し不思議に思うくらいで……。」
「私もまったく不思議に思っているんです。どういうわけでしょう。」
「そのわけは……。今も言う通り、わたしは幽霊に責められているんですよ。いや、実にばかばかしい。われながら馬鹿げ切っていると思うのだが、それが事実であるからどうにも仕様がない。今まで誰にも話したことはないが、わたしが初めて試験を受けに出て、一生懸命に答案を書いていると、一人の女のすがたが私の眼の前にぼんやりと現われたんです。場所が場所だから、女なぞが出て来るはずがない。それは痩形で背の高い、髪の毛の白い女で、着物は何を着ているかはっきりと判《わか》らないが、顔だけはよく見えるんです。髪の白いのを見ると、老人かと思われるが、その顔は色白の細おもてで、まだ三十を越したか越さないか位にも見える。そういう次第で、年ごろの鑑定は付かないが、髪の毛の真っ白であるだけは間違いない。その女がわたしの机の前に立って、わたしの書いている紙の上を覗き込むようにじっと眺めていると、不思議にわたしの筆の運びがにぶくなって、頭もなんだか茫として、何を書いているのか自分にも判らなくなって来る……。君はその女をなんだと思います。」
「しかし……。」と、わたしは考えながら言いました。「試験場には大勢の受験者が机をならべているんでしょう。しかも昼間でしょう。」
「そうです、そうです。」と、山岸はうなずきました。「まっ昼間で、硝子窓の外には明るい日が照っている。試験場には大勢の人間がならんでいる。そこへ髪の毛の白い女の姿があらわれるんですよ。勿論、他の人には見えないらしい。わたしの隣りにいる人も平気で答案を書きつづけているんです。なにしろ、私はその女に邪魔をされて、結局なんだか判らないような答案を提出することになる。何がなんだか滅茶苦茶で、自分にも訳が判らないようなものを書いて出すのだから、試験官が明き盲でない限り、そんな答案に対して及第点をあたえてくれる筈がない。それで第一回の受験は見ごとに失敗してしまった。それでも私はそれほどに悲観しませんでした。元来がのん気な人間に生れ付いているのと、もう一つには、幸いに郷里の方が相当に暮らしているので、一年や二年は遊んでいても困ることはないという安心があったからでした。」
「そこで、あなたはその女に就いてどう考えておいでになったんです。」
「それは神経衰弱の結果だと見ていました。」と、山岸は答えました。「幾らのん気な人間でも、試験前には勉強する。殊にその当時は学校を出てから間もないので、毎晩二時三時ごろまでも勉強していたから、神経衰弱の結果、そういう一種の幻覚を生じたものだろうと判断しました。したがって、さのみ不思議とも思いませんでした。」
「その女はそれぎり姿を見せませんでしたか。」と、わたしは追いかけるように訊いた。
「いや、お話はこれからですよ。その頃わたしは神田に下宿していたんですが、何分にも周囲がそうぞうしくって、いよいよ神経を苛立《いらだ》たせるばかりだと思ったので、さらに小石川の方へ転宿して、その翌年に第二回の試験を受けると、これも同じ結果に終りました。わたしの机の前には、やはり髪の白い女の姿があらわれて、わたしが書いている紙の上をじっと覗いているんです。畜生、又来たかと思っても、それに対抗するだけの勇気がないので、又もや眼が眩《くら》んで、頭がぼんやりして、なんだか夢のような心持になって……。結局めちゃめちゃの答案を提出して……。それでも私はまだ悲観しませんでした。やはり神経衰弱が祟っているんだと思って、それから三月ほども湘南地方に転地して、唯ぶらぶら遊んでいると、頭の具合もすっかり好くなったらしいので、東京へ帰って又もや下宿をかえました。それが現在の堀川の家で、今までのうちでは一等居ごころのいい家ですから、ここならば大いに勉強が出来ると喜んでいると、去年は第三回の受験です。近来は健康も回復しているし、試験の勝手もよく判っているし、今度こそはという意気込みで、わたしは威勢よく試験場へはいって、答案をすらすらと書きはじめると、髪の白い女が又あらわれました。いつも同じことだから、もう詳しく言うまでもありますまい。わたしはすごすごと試験場を出ました。」
 あり得《う》べからざる話を聴かされて、わたしも何だか夢のような心持になって来ました。そこへ蒲焼のお代りを運んで来ましたが、わたしはもう箸をつける元気がない。それは満腹の為ばかりではなかったようです。山岸も皿を見たばかりで、箸をとりませんでした。

     

 うなぎを食うよりも、話のつづきを聞く方が大事なので、わたしは誘いかけるように又訊きました。
「そうすると、それもやっぱり神経のせいでしょうか。」
「さあ。」と、山岸は低い溜息を洩らしました。「こうなると、わたしも少し考えさせられましたよ。実は今まで郷里の方に対して、受験の成績は毎回報告していましたが、髪の白い女のことなぞはいっさい秘密にしていました。そんなことを言ってやったところで、誰も信用する筈もなし、落第の申訳にそんな奇怪な事実を捏造《ねつぞう》したように思われるのも、あまり卑怯らしくって残念だから、どこまでも自分の勉強の足らないことにして置いたのです。ねえ、そうでしょう。わたしの眼にみえるだけで、誰にも判らないことなんだから、いくら本当だと主張したところで信用する者はありますまい。まして自分自身も神経衰弱の祟りと判断しているくらいだから、そんな余計なことを報告してやる必要もないと思って、かたがたその儘にして置いたんですが、三度が三度、同じことが続いて、おなじ結果になるというのは少しおかしいと自分でもやや疑うようになって来た。そこへ郷里の父から手紙が来て、ちょっと帰って来いというんです。父は九州のFという町でやはり弁護士を開業しているんですが、早い子持ちで、廿三の年にわたしを生んだのだから、去年は五十二で、土地の同業者間ではまずいい顔になっている。そのおかげで私もまあこうしてぶらぶらしていられるんですが……。その父も毎々の失敗にすこし呆れたんでしょう。ともかくも一度帰って来いというので、去年の暮から今年の正月にかけて……。それは君も知っているでしょう。それから東京へ帰って来たときに、わたしの様子に何か変ったところがありましたか。」
「いいえ、気がつきませんでした。」と、わたしは首をふりました。
「そうでしたか。なんぼ私のような人間でも、三回も受験に失敗しているんだから、久しぶりで国へ帰って、父の前へ出ると、さすがにきまりが悪い。そこは人情で、なにかの言い訳もしたくなる。その言い訳のあいだに口がすべって、髪の白い女のことをうっかりしゃべってしまったんです。すると、父は俄かにくちびるを屹《きっ》と結んで、しばらく私の顔を見つめていたが、やがて厳粛な口調で、お前それは本当かという。本当ですと答えると、父は又だまってしまって、それぎりなんにも言いませんでしたが、さてそうなると私の疑いはいよいよ深くならざるを得ない。父の様子から想像すると、これには何か子細のあることで、単にわたしの神経衰弱とばかりは言っていられないような気がするじゃありませんか。その時はまあそれで済んだんですが、それから二、三日の後、父はわたしに向って、もう東京へ行くのは止せ、弁護士試験なぞ受けるのは思い切れと、こう言うんです。実家に居据わっていても仕方がないので、わたしは父に向って、お願いですから、もう一度東京へやってください。万一ことしの受験にも失敗するようであったら、その時こそは思い切って帰郷しますと、無理に父を口説いて再び上京しました。したがって、ことしの受験はわたしに取っては背水の陣といったようなわけで、平素のん気な人間も少しく緊張した心持で帰って来たんです。それが君たちに覚られなかったとすると、私はよほどのん気にみえる男なんでしょうね。」
 山岸は又さびしく笑いながら語りつづけました。
「ところで、ことしの受験もあの通りの始末……。やはり白い髪の女に祟られたんですよ。かれは今年も依然として試験場にあらわれて、わたしの答案を妨害しました。言うまでもない事だが、試験場におけるわたしの席は毎年変っている。しかもかれは同じように、影の形に従うがごとくに、私の前にあらわれて来るのだから、どうしても避ける方法がない。わたしはこの幽霊――まず幽霊とでもいうのほかはありますまい。この幽霊のために再三再四妨害されて、実に腹が立ってたまらないので、もうこうなったら根くらべ意地くらべの決心で、来年も重ねて試験を受けようと思っていたところが、二、三日前に郷里の父から手紙が来て、今度こそはどうしても帰れというんです。この正月の約束があるから、わたしももう強情を張り通すわけにもいかないのと、もう一つ、わたしに強い衝動をあたえたのは、父の手紙にこういうことが書いてあるんです。たとい無理に試験を通過したところで、弁護士という職業を撰むことは、お前の将来に不幸をまねく基《もと》であるらしく思われるから、もう思い切って帰郷して、なにか他の職業を求めることにしろ。お前として今までの志望を抛棄するのは定めて苦痛であろうと察せられるが、お前にばかり強《し》いるのではない、わたしも今年かぎりで登録を取消して弁護士を廃業する。」
「なぜでしょう。」と、わたしは思わず喙《くち》をいれました。
「なぜだか判らない。」と、山岸は思いありげに答えました。「しかし判らないながらも、なんだか判ったような気もするので、わたしもいよいよ思い切って東京をひきあげて、年内に帰国するつもりです。父はF町の近在に相当の土地を所有している筈だから、草花でも作って、晩年を送る気になったのかも知れない。わたしも父と一緒に園芸でもやってみるか、それとも何か他の仕事に取りかかるか、それは帰郷の上でゆっくり考えようと思っているんです。」
 わたしは急にさびしいような、薄暗い心持になりました。どんな事情があるのか知れないが、父も弁護士を廃業する、その子も弁護士試験を断念して帰る。それだけでも聞く者のこころを暗くさせるのに、さらに現在のわたしとしては、自分が平素尊敬している先輩に捨てて行かれるのが、いかにも頼りないような寂しい思いに堪えられないので、黙って俯向いてその話を聞いていると、山岸は又言いました。
「今夜の話はこの場かぎりで、当分は誰にも秘密にしておいてくれたまえ。いいかい。奥さんにも伊佐子さんにも暫く黙っていてくれたまえ。」
 奥さんはともあれ、伊佐子さんがこれを知ったら定めて驚くことであろうと、わたしは気の毒に思いましたが、この場合、かれこれ言うべきではありませんから、山岸の言うがままに承諾の返事をして置きました。
 お代りの蒲焼は二人ともにちっとも箸をつけなかったので、残して行くのも勿体ないといって、その二人前を折詰にして貰うことにしました。それは伊佐子さんへのお土産にするのだと、山岸は言っていました。熊手と唐の芋と、うなぎの蒲焼と、重ね重ねのおみやげを貰って、なんにも知らない伊佐子さんはどんなに喜ぶことかと思うと、わたしはいよいよ寂しいような心持になりました。
 表へ出ると、木枯しとでも言いそうな寒い風が、さっきよりも強く吹いていました。宿へ帰るまで二人は黙って歩きました。

     

 おみやげの品々を貰って、伊佐子さんは果して大喜びでした。奥さんも喜んでいました。その呉れ手が山岸であるだけに、伊佐子さんは一層嬉しく感じたのであろうと思うと、わたしは気の毒を通り越して、なんだか悲しいような心持になって来たので、そうそうに挨拶して、自分の部屋へはいってしまいました。
 堀川の家で止宿人にあたえている部屋は、二階に五間、下に二間という間取りで、山岸は下の六畳に、わたしは二階の東の隅の四畳半に陣取っているのでした。東の隅といっても、東側には隣りの二階家が接近しているので、一間の肱かけ窓は北の往来にむかって開かれているのですから、これからは日当りの悪い、寒い部屋になるのです。今夜のような風の吹く晩には、窓の戸をゆする音を聞くだけでも夜の寒さが身に沁みます。もう勉強する元気もないので、私はすぐに冷たい衾《よぎ》のなかにもぐり込みましたが、何分にも眼が冴えて眠られませんでした。いや、眠られないのがあたりまえかとも思いました。
 わたしは今夜の話をそれからそれへと繰返して考えました。髪の白い女というのは、いったい何者であろうかとも考えました。山岸はそれを幽霊と信じてしまったらしいが、さっきも言う通り、白昼衆人のあいだに幽霊が姿をあらわすなどというのは、どうしても私には信じられないことでした。しかも山岸が彼の父にむかってその話を洩らしたときに、父の態度に怪しむべき点を発見したらしい事を考えると、父には何か思いあたる節《ふし》があるのかとも察せられます。ことに父も今年かぎりで弁護士を廃業するから、山岸にも受験を断念しろという。それには勿論、なにかの子細がなければならない。それから綜合して考えると、これは弁護士という職業に関連した一種の秘密であるらしい。山岸は詳しいことを明かさないが、今度の父の手紙にはその秘密を洩らしてあるのかも知れない。そこで彼もとうとう我《が》を折って、にわかに帰郷することになったのかも知れない。
 わたしの空想はだんだんに拡がって来ました。山岸の父は職業上、ある訴訟事件の弁護をひき受けた。刑事ではあるまい、おそらく民事であろう。それが原告であったか、被告であったか知らないが、ともかくも裁判の結果が、ある婦人に甚だしい不利益をあたえることになった。その婦人は、髪の白い人であった。彼女《かれ》はそれがために自殺したか、悶死したか、いずれにしても山岸の父を呪いつつ死んだ。その恨みの魂がまぼろしの姿を試験場にあらわして、彼の子たる山岸を苦しめるのではあるまいか。
 こう解釈すれば、怪談としてまずひと通りの筋道は立つわけですが、そんな小説めいた事件が実際にあり得るものかどうかは、大いなる疑問であると言わなければなりません。
 さっき聞き落したのですが、一体その髪の白い女は試験場にかぎって出現するのか、あるいは平生でも山岸の前に姿をみせるのか、それを詮議しなければならない事です。山岸の口ぶりでは、平生は彼女と没交渉であるらしく思われるのですが、それも機会を見てよく確かめて置かなければなりません。そんなことをいろいろ考えているうちに、近所の米屋で、一番鶏の歌う声がきこえました。
 あくる朝はゆうべの風のためか、にわかに冬らしい気候になりました。一夜をろくろく眠らずに明かした私は、けさの寒さが一層こたえるようでしたが、それでも朝飯をそうそうに食って、いつもの通りに学校へ出て行きました。その頃には風もやんで、青空が高く晴れていました。
 留守のあいだに何事か起っていはしないかと、一種の不安をいだきながら、午後に学校から帰って来ますと、堀川の一家にはなんにも変った様子もなく、伊佐子さんはいつもの通りに働いています。山岸も自分の部屋で静かに読書しているようです。私はまずこれで安心していると、午後六時ごろに伊佐子さんがわたしの部屋へ夕飯の膳を運んで来ました。このごろの六時ですから、日はすっかり暮れ切って、狭い部屋には電燈のひかりが満ちていました。
「きょうは随分お寒うござんしたね。」と、伊佐子さんは言いました。平生から蒼白い顔のいよいよ蒼ざめているのが、わたしの眼につきました。
「ええ、今からこんなに寒くなっちゃやりきれません。」
 いつもは膳と飯櫃《めしびつ》を置いて、すぐに立ちさる伊佐子さんが、今夜は入口に立て膝をしたままで又話しかけました。
「須田さん。あなたはゆうべ、山岸さんと一緒にお帰りでしたね。」
「ええ。」と、わたしは少しあいまいに答えました。この場合、伊佐子さんから山岸のことを何か聞かれては困ると思ったからです。
「山岸さんは何かあなたに話しましたか。」と、果して伊佐子さんは訊きはじめました。
「何かとは……。どんな事です。」
「でも、この頃は山岸さんのお国からたびたび電報がくるんですよ。今月になっても、一週間ばかりのうちに三度も電報が来ました。そのあいだに郵便も来ました。」
「そうですか。」と、私はなんにも知らないような顔をしていました。
「それには何か、事情があるんだろうと思われますが……。あなたはなんにもご承知ありませんか。」
「知りません。」
「山岸さんはゆうべなんにも話しませんでしたか。わたしの推量では、山岸さんはもうお国の方へ帰ってしまうんじゃないかと思うんですが……。そんな話はありませんでしたか。」
 わたしは少しぎょっとしましたが、山岸から口止めをされているんですから、迂濶《うかつ》におしゃべりは出来ません。それを見透かしているように、伊佐子さんはひと膝すりよって来ました。
「ねえ。あなたは平生から山岸さんと特別に仲よく交際しておいでなさるんですから、あの人のことについて何かご存じでしょう。隠さずに教えてくださいませんか。」
 これは伊佐子さんとして無理からぬ質問ですが、その返事には困るのです。一つ家に住んでいながら、一体この伊佐子さんと山岸との関係がどのくらいの程度にまで進んでいるのか、それを私はよく知らないので、こういう場合にはいよいよ返事に困るのです。しかし山岸との約束がある以上、わたしは心苦しいのを我慢して、あくまで知らない知らないを繰返しているのほかはありません。そのうちに伊佐子さんの顔色はますます悪くなって、飛んでもないことを言い出しました。
「あの、山岸さんという人は怖ろしい人ですね。」
「なにが怖ろしいんです。」
「ゆうべお土産だといって、うなぎの蒲焼をくれたでしょう。あれが怪しいんですよ。」
 伊佐子さんの説明によると、ゆうべあの蒲焼を貰った時はもう夜が更けているので、あした食うことにして台所の戸棚にしまっておいた。この近所に大きい黒い野良猫がいる。それがきょうの午前中に忍び込んできて、女中の知らない間に蒲焼の一と串をくわえ出して、裏手の掃溜《はきだめ》のところで食っていたかと思うと、口から何か吐き出して死んでしまった。猫は何かの毒に中《あた》ったらしいというのです。
 こうなると、わたしも少しく係合いがあるような気がして、そのまま聞き捨てにはならないことになります。
「猫はまったくそのうなぎの中毒でしょうか。」と、私は首をかしげました。「そうして、ほかの鰻はどうしました。」
「なんだか気味が悪うござんすから、母とも相談して、残っていた鰻もみんな捨てさせてしまいました。熊手も毀《こわ》して、唐の芋も捨ててしまいました。」
「しかし現在、その鰻を食ったわれわれは、こうして無事でいるんですが……。」
「それだからあの人は怖ろしいと言うんです。」と、伊佐子さんの眼のひかりが物凄くなりました。「おみやげだなんて親切らしいことを言って、わたし達を毒殺しようと巧《たく》らんだのじゃないかと思うんです。さもなければ、あなた方の食べた鰻には別条がなくって、わたし達に食べさせる鰻には毒があるというのが不思議じゃありませんか。」
「そりゃ不思議に相違ないんですが……。それはあなた方の誤解ですよ。あの鰻は最初からお土産にするつもりで拵えたのじゃあない、われわれの食う分が自然に残って、おみやげになったんですから……。わたしは始終一緒にいましたけれど、山岸さんが毒なぞを入れたような形跡は決してありません。それはわたしが確かに保証します。鰻がひと晩のうちにどうかして腐敗したのか、あるいは猫が他の物に中毒したのか、いずれにしても山岸さんや私には全然無関係の出来事ですよ。」
 わたしは熱心に弁解しましたが、伊佐子さんはまだ疑っているような顔をして、成程そうかとも言わないばかりか、いつまでもいやな顔をして睨んでいるので、わたしは甚だしい不快を感じました。
「あなたはどうしてそんなに山岸さんを疑うんですか。単に猫が死んだというだけのことですか、それともほかに理由があるんですか。」と、わたしは詰問するように訊きました。
「ほかに理由がないでもありません。」
「どんな理由ですか。」
「あなたには言われません。」と、伊佐子さんはきっぱりと答えました。余計なことを詮議するなというような態度です。
 わたしはいよいよむっとしましたが、俄かにヒステリーになったような伊佐子さんを相手にして、議論をするのも無駄なことだと思い返して、黙ってわきを向いてしまいました。そのときあたかも下の方から奥さんの呼ぶ声がきこえたので、伊佐子さんも黙って出て行きました。
 ひとりで飯を食いながら、わたしはまた考えました。余の事とは違って、仮りにも毒殺などとは容易ならぬことです。伊佐子さんばかりでなく、奥さんまでが本当にそう信じているならば、山岸のために進んでその寃《えん》をすすぐのが自分の義務であると思いました。それにしても、本人の山岸はそんな騒ぎを知っているのかどうか、まずそれを訊きただしておく必要があるとも考えたので、飯を食ってしまうとすぐに二階を降りて山岸の部屋へたずねていくと、山岸はわたしよりもさきに夕飯をすませて、どこへか散歩に出て行ったということでした。
 わたしも頭がむしゃくしゃして、再び二階の部屋へもどる気にもなれなかったので、何がなしに表へふらりと出てゆくと、そのうしろ姿をみて、奥さんがあとから追って来ました。
「須田さん、須田さん。」
 呼びとめられて、わたしは立ちどまりました。家から一五、六間も離れたところで、路のそばには赤いポストが寒そうに立っています。そこにたたずんで待っていると、奥さんは小走りに走って来て、あとを見返りながら小声で訊きました。
「あの……。伊佐子が……。あなたに何か言いはしませんでしたか。」
 なんと答えようかと、私はすこしく考えていると、奥さんの方から切り出しました。
「伊佐子が何か鰻のことを言いはしませんか。」
「言いました。」と、わたしは思い切って答えました。「ゆうべの鰻を食って、黒猫が死んだとかいうことを……。」
「猫の死んだのは本当ですけれど……。伊佐子はそれを妙に邪推しているので、わたしも困っているのです。」
「まったく伊佐子さんは邪推しているのです。積もってみても知れたことで、山岸さんがそんな馬鹿なことをするもんですか。」
 わたしの声が可なりに荒かったので、奥さんもやや躊躇しているようでしたが、再びうしろを見返りながらささやきました。
「あなたも御存じだかどうだか知りませんけれど、このごろ山岸さんのところへお国の方から電報や郵便がたびたび来るので、娘はひどくそれを気にしているのです。山岸さんは郷里へ帰るようになったのじゃあないかと言って……。」
「山岸さんがもし帰るようならば、どうすると言うんです。伊佐子さんはあの人と何か約束したことでもあるんですか。」と、わたしは無遠慮に訊き返した。
 奥さんは返事に困ったような顔をして、しばらく黙っていましたが、その様子をみて私にも覚られました。ほかの止宿人たちが想像していたとおり、山岸と伊佐子さんとのあいだには、何かの絲がつながっていて、奥さんもそれを黙認しているに相違ないのです。そこで、わたしはまた言いました。
「山岸さんはああいう人ですから、万一帰郷するようになったからといって、無断で突然たち去る気づかいはありません。きっとあなたがたにも事情を説明して、なにごとも円満に解決するような方法を講じるに相違ありませんから、むやみに心配しない方がいいでしょう。伊佐子さんがなんと言っても、うなぎの事件だけは山岸さんにとってたしかに寃罪です。」
 伊佐子さんに話したとおりのことを、わたしはここで再び説明すると、奥さんは素直にうなずきました。
「そりゃそうでしょう。あなたの仰しゃるのが本当ですよ。山岸さんが、なんでそんな怖ろしいことをするものですか。それはよく判っているのですけれど、伊佐子はふだんの気性にも似合わず、このごろは妙に疑い深くなって……。」
「ヒステリーの気味じゃあないんですか。」
「そうでしょうか。」と、奥さんは苦労ありそうに、眉をひそめました。
 伊佐子さんに対しては一種の義憤を感じていた私も、おとなしい奥さんの悩ましげな顔色をみていると、又にわかに気の毒のような心持になって、なんとか慰めてやりたいと思っているところへ、あたかも集配人がポストをあけに来たので、ふたりはそこを離れなければならないことになりました。
 そのときに気がついて見返ると、伊佐子さんが門口《かどぐち》に立って遠くこちらを窺っているらしいのが、軒燈の薄紅い光りに照らしだされているのです。わたし達もちょっと驚いたが、伊佐子さんの方でも自分のすがたを見付けられたのを覚ったらしく、消えるように内へ隠れてしまいました。

     

 奥さんに別れて、麹町通りの方角へふた足ばかり歩き出した時、あたかも私の行く先から、一台の自動車が走ってきました。あたりは暗くなっているなかで、そのヘッド・ライトの光りが案外に弱くみえるので、私はすこしく変だと思いながら、すれ違うときにふと覗いてみると、車内に乗っているのは一人の婦人でした、その婦人の髪が真っ白に見えたので、わたしは思わずぞっとして立停まる間に、自動車は風のように走り過ぎ、どこへ行ってしまったか、消えてしまったか、よく判りませんでした。
 これはおそらく私の幻覚でしょう。いや、たしかに幻覚に相違ありません。髪の白い女の怪談を山岸から聞かされていたので、今すれちがった自動車の乗客の姿が、その女らしく私の眼を欺いたのでしょう。またそれが本当に髪の白い婦人であったとしても、白髪の老女は世間にはたくさんあります。単に髪が白いというだけのことで、それが山岸に祟っている怪しい女であるなどと一途《いちず》に決めるわけにはいきません。いずれにしても、そんなことを気にかけるのは万々《ばんばん》間違っていると承知していながら、私はなんだか薄気味の悪いような、いやな心持になりました。
「はは、おれはよっぽど臆病だな。」
 自分で自分を嘲りながら、私はわざと大股にあるいて、灯の明るい電車路の方へ出ました。ゆうべのような風はないが、今夜もなかなか寒い。何をひやかすということもなしに、四谷見附までぶらぶら歩いて行きましたが、帰りの足は自然に早くなりました。帽子もかぶらず、外套も着ていないので、夜の寒さが身にしみて来たのと、留守のあいだにまた何か起っていはしまいかという不安の念が高まってきたからです。家へ近づくにしたがって、わたしの足はいよいよ早くなりました。裏通りへはいると、月のひかりは霜を帯びて、その明るい町のどこやらに犬の吠える声が遠くきこえました。
 堀川の家の門《かど》をくぐると、わたしは果して驚かされました。わたしが四谷見附まで往復するあいだに、伊佐子さんは劇薬を飲んで死んでしまったのでした。山岸はまだ帰りません。その明き部屋へはいり込んで、伊佐子さんは自殺したのです。その帯のあいだには母にあてた一通の書置を忍ばせていて、「わたしは山岸という男に殺されました」と、簡単に記《しる》してあったそうです。奥さんもびっくりしたのですが、なにしろ劇薬を飲んで死んだのですから、そのままにしておくことは出来ません。わたしの帰ったときには、あたかも警察から係官が出張して臨検の最中でした。
 猫の死んだ一件を女中がうっかりしゃべったので、帰るとすぐに私も調べられました。そこへあたかも山岸がふらりと帰ってきたので、これは一応の取調べぐらいではすみません、その場から警察へ引致《いんち》されました。伊佐子さんは自殺に相違ないのですが、猫の一件があるのと、その書置に、「山岸という男に殺されました」などと書いてあるので、山岸はどうしても念入りの取調べを受けなければならないことになったのです。
 警察の取調べに対して、山岸は伊佐子さんとの関係をあくまでも否認したそうです。
「ただ一度、ことしの夏の宵のことでした。わたしが英国大使館前の桜の下を涼みながらに散歩していると、伊佐子さんがあとからついてきて、一緒に話しながら小一時間ほど歩きました。そのときに伊佐子さんが、あなたはなぜ奥さんをお貰いなさらないのだと訊きましたから、幾年かかっても弁護士試験をパスしないような人間のところへ、おそらく嫁にくる者はありますまいと、わたしは笑いながら答えますと、伊佐子さんは押返して、それでも、もし奥さんになりたいという人があったらどうしますと言いますから、果してそういう親切な人があれば喜んで貰いますと答えたように記憶しています。ただそれだけのことで、その後に伊佐子さんからなんにも言われたこともなく、わたしからもなんにも言ったことはありません。」
 奥さんもこう申立てたそうです。
「娘が山岸さんを恋しがっているらしいのは、わたくしも薄々察しておりまして、もし出来るものならば、娘の望みどおりにさせてやりたいと願っておりましたが、二人のあいだに何かの関係があったとは思われません。」
 ふたりの申口が符合しているのをみると、伊佐子さんは単に山岸の帰郷を悲観して、いわゆる失恋自殺を遂げたものと認めるのほかないことになりました。猫を殺したのも伊佐子さんの仕業で、劇薬の効き目を試すために、わざと鰻に塗りつけて猫に食わせたのであろうと想像されました。猫の死骸を解剖してみると、その毒は伊佐子さんが飲んだものと同一であったそうです。
 ただ判りかねるのは、伊佐子さんがなぜあの猫の死を証拠にして、山岸が自分たち親子を毒殺しようと企てたなどと騒ぎ立てたかということですが、それも失恋から来た一種のヒステリーであるといえばそれまでのことで、深く詮議する必要はなかったのかも知れません。
 そんなわけで、山岸は無事に警察から還されて、この一件はなんの波瀾をもまき起さずに落着《らくちゃく》しました。ただここに一つ、不思議ともいえばいわれるのは、伊佐子さんの死骸の髪の毛が自然に変色して、いよいよ納棺というときには、老女のような白い髪に変ってしまったことです。おそらく劇薬を飲んだ結果であろうという者もありましたが、通夜の席上で奥さんはこんなことを話しました。
「あの晩、須田さんに別れて家へ帰りますと、伊佐子の姿はみえません。たった今、内へはいった筈だが、どこへ行ったのかと思いながら、茶の間の長火鉢のまえに坐る途端に、表へ自動車の停まるような音がきこえました。誰が来たのかと思っていると、それぎりで表はひっそりしています。はてな、どうも自動車が停まったようだがと、起って出てみると表にはなんにもいないのです。すこし不思議に思って、そこらを見まわしていると、女中があわてて駈け出して来て、大変だ大変だと言いますから、驚いて内へ引っ返すと、伊佐子は山岸さんの部屋のなかに倒れていました。」
 ほかの人たちは黙ってその話を聴いていました。山岸もだまっていました。私だけは黙っていられないような気がしたので、その自動車は……と、言おうとして、また躊躇しました。なんにも知らない奥さんの前で、余計なことを言わない方がよかろうと思ったからです。

 伊佐子さんの葬儀を終った翌日の夜行列車で、山岸は郷里のF町へ帰ることになったので、わたしは東京駅まで送って行きました。
 それは星ひとつ見えない、暗い寒い宵であったことを覚えています。待合室にいるあいだに、かの自動車の一件をそっと話しますと、山岸は唯うなずいていました。そのときに私は訊きました。
「髪の白い女というのは、あなたが試験場へはいった時だけに見えるんですか、そのほかの時にも見えるんですか。」
「堀川の家《うち》へ行ってからは、平生でも時々見えることがあります。」と、山岸は平気で答えました。「今だから言いますが、その女の顔は伊佐子さんにそっくりです。伊佐子さんは死んでから、その髪の毛が白くなったというが、わたしの眼には平生から真っ白に見えていましたよ。」
 わたしは思わず身を固くした途端に、発車を知らせるベルの音がきこえました。

底本:「異妖の怪談集 岡本綺堂伝奇小説集 其ノ二」原書房
   1999(平成11)年7月2日第1刷
初出:「文藝倶樂部」
   1928(昭和3)年8月
※「啄《くち》」と「喙《くち》」、「古老」と「故老」の混在は底本の通りとしました。
入力:網迫、土屋隆
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年6月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

岡本綺堂

半七捕物帳 菊人形の昔——- 岡本綺堂

     一

「幽霊の観世物」の話が終ると、半七老人は更にこんな話を始めた。
「観世物ではまだこんなお話があります。こんにちでも繁昌している団子坂の菊人形、あれは江戸でも旧《ふる》いものじゃあありません。いったい江戸の菊細工は――などと、あなた方の前で物識りぶるわけではありませんが、文化九年の秋、巣鴨の染井の植木屋で菊人形を作り出したのが始まりで、それが大当りを取ったので、それを真似《まね》て方々で菊細工が出来ました。明治以後は殆ど団子坂の一手専売のようになって、菊細工といえば団子坂に決められてしまいましたが、団子坂の植木屋で菊細工を始めたのは、染井よりも四十余年後の安政三年だと覚えています。あの坂の名は汐見坂《しおみざか》というのだそうですが、坂の中途に団子屋があるので、いつか団子坂と云い慣わして、江戸末期の絵図にもダンゴ坂と書いてあります。
 そこで、このお話は文久元年の九月、ことしの団子坂は忠臣蔵の菊人形が大評判で繁昌しました。その人形をこしらえたのは、たしか植梅という植木屋であったと思います。ほかの植木屋でも思い思いの人形をこしらえました。その頃の団子坂付近は、坂の両側にこそ町屋《まちや》がならんでいましたが、裏通りは武家屋敷や寺や畑ばかりで、ふだんは田舎のように寂しい所でしたが、菊人形の繁昌する時節だけは江戸じゅうの人が押し掛けて来るので、たいへんな混雑でした。それを当て込みに、臨時の休み茶屋や食い物店なども出来る。柿や栗や芒《すすき》の木兎《みみずく》などの土産物を売る店も出る。まったく平日と大違いの繁昌でした。
 ところが、その繁昌の最中に一つの事件が出来《しゅったい》しました。というのは、九月二十四日昼八ツ(午後二時)頃に、三人づれの外国人がこの菊人形を見物に来たんです。その頃はみんな異人と云っていましたが、これは横浜の居留地に来ている英国の商人で、男ふたりはいずれも三十七八、女は二十五六、なにかの用向きをかねて江戸見物に出て来て、その前夜は高輪《たかなわ》東禅寺の英国仮領事館に一泊して、きょうは上野から団子坂へ廻って来たというわけで……。勿論、その頃のことですから、異人たちの独り歩きは出来ません。東禅寺に詰めている幕府の別手組《べつてぐみ》の侍ふたりが警固と案内をかねて、一緒に付いて来ました。異人三人も別手組ふたりも、みんな騎馬でした。
 前にも申す通り、根津から団子坂へかかって来ると、ここらは大へんな混雑、殊にこんにちと違って道幅も狭いのですから、とても騎馬では通られない。そこで、五人は馬から降りて、坂下の空地《あきち》をさがして五匹の馬を立ち木につないで置きました。馬丁《ばてい》を連れていないので、別手組のひとりはここに馬の番をしていることになって、他のひとりが異人たちを案内して坂を昇って行きました。異人のめずらしい時代ですから、往来の人達はみんな立ちどまって眺めている。又そのあとへぞろぞろと付いて来るのもある。そのうちに一人の女が男の異人に摺れ違ったかと思うと、素早くそのポケットの紙入れを抜き取った。しかし異人の方でも油断していなかったと見えて、すぐにその女を取り押さえました。
 付いていた別手組もおどろいて、その女を押さえると、女は何も取った覚えはないと云う。袂や内ぶところや帯のあいだを探しても、紙入れは見付からない。異人はどうしても取ったと云う。女は取らないと云う。なにしろその品物を持っていないんだから、女の方が強味です。女は仕舞いには大きな声を出して、この異人はあたしに云いがかりをする。取りもしないものを取ったと云って、あたしに泥坊の濡衣《ぬれぎぬ》を着せる。皆さんどうぞ加勢をして下さいと、泣き声で呶鳴るという始末。
 異人嫌いの時代ですから、こうなると堪まりません。この毛唐人め、ふてえ奴だ。取りもしねえものを取ったと云って、日本人を泥坊扱いにしやあがる。こいつ勘弁が出来ねえというので、気の早い二、三人が飛びかかって、その異人をなぐり付ける。さあ、大変です。忽ちに弥次馬が大勢あつまって来て、三人の異人を袋叩きにするという騒ぎになりました。附き添いの別手組もたった一人ではどうすることも出来ない。まさかに刀をぬいて斬り払うわけにも行かないので、騒ぐなとか、静かにしろとか云って、しきりに制しているけれども、弥次馬連はなかなか鎮まらない。そのうちには石を投げ付ける者もあるのでいよいよあぶない。現に異人の男ひとりは、左の頬を石に撃たれて血が流れ出した。
 なにをいうにも多勢《たぜい》に無勢《ぶぜい》ですから、こうなったら逃げるよりほかはない。異人たちは真っ蒼になって坂下の方へ逃げました。別手組も一緒に逃げました。弥次馬は閧《とき》の声をあげて追って来る。事の仔細をよくも知らないで、相手が異人だから遣《や》っ付けてしまえと、無我夢中で加勢に出て来る者もある。敵はだんだんに殖えて来るばかりで、中には屋根に昇って瓦を投げる者がある。石ころでも竹切れでも、薪《まき》ざっぽうでも、手あたり次第に投げつけるのだから防ぎ切れない。異人たち三人も別手組もみな大小の疵を負って、血だらけになって逃げる。いや、飛んだ災難で気の毒でした。
 この騒ぎを聞きつけて、もう一人の別手組が駈けて来たが、これもどうすることも出来ない。早く馬に乗って逃げろと注意したんですが、大勢の敵に隔てられて、馬をつないである空地《あきち》の方角へ行くことが出来ない。結局、馬は置き捨てにして、命からがら池《いけ》の端《はた》の辺まで逃げました。異人たちはここへ来る途中で何か買物なぞをして来たんですが、それもみんな抛《ほう》り出してしまい、帽子もステッキもなくなって、散らし髪の血だらけという姿、実に眼も当てられません。
 追って来る連中ももう倦《あ》きたと見えて、途中からだんだんに減ってしまって、池の端まで来る頃には誰も付いて来ない。これで先ずほっ[#「ほっ」に傍点]としたんですが、さて困ったのは馬の一件で、そのままに捨てて帰るわけには行かない。といって、迂濶に引っ返すと又どんな目に逢うかも知れないので、異人たちは怖がって帰らない。女の異人などは顔の色をかえてふるえている。別手組二人で五匹の馬の始末はちっと困ると思ったが、ともかくも牽《ひ》いて来ることにして、二人の侍は元の空地へ戻ってみると、五匹のうちで二匹はゆくえ知れずになっている。この騒ぎにまぎれて、誰かが盗んで行ったに相違ない。一匹は女異人の乗っていた馬で、一匹は別手組の市川又太郎という人の馬でした。
 今更ここで詮議をしていることも出来ないので、異人たちを三匹の馬に乗せて、ひと足先へ帰すことにして、別手組の二人はあとから徒歩《かち》で帰りました。これでまあ済んだようなものですが、相手が異人ですから事が面倒になりました。殊に三人ながらみんな顔や手に負傷しているので、東禅寺の方からむずかしい掛け合いを持ち込んで来ました。まさかに償金を出せとも云いませんが、その乱暴者を処分して、今後を戒めるようにしてくれと云うのです。乱暴者の処分と云ったところで、大勢の弥次馬ですから誰が何をしたのか判る筈はありません。ただ、捨て置かれないのは、どさくさまぎれの馬泥坊です。異人の馬ばかりでなく、日本の侍の馬まで盗んで行ったんですから、こいつは何とかして探し出さなければなりません。
 八丁堀同心丹沢五郎治という人の屋敷へ呼ばれて、半七御苦労だが働いてくれという命令です。まあ、仕方がない。かしこまりましたと請け合って帰りました。かんがえて見ると、世の中にはいろいろの事件が絶えないものですね」

     二

 半七は主《おも》な子分らをあつめて評議の末に、皆それぞれの役割を決めた。九月二十六日の朝、自分は子分の幸次郎を連れて、ともかくも団子坂へ出てゆくと、菊人形は相変らず繁昌していた。別手組の一人が一緒に来てくれると、万事の調べに都合がいいと思ったのであるが、東禅寺警固の役目をおろそかには出来ないというので、現場へ同道することを断わられた。
 しかし、別手組の人達から詳しい話を聞いて来たので、まず大抵の見当は付いていた。半七は歩きながら云った。
「馬どろぼうとは別物だろうが、異人の紙入れを取ったとか取らねえとかいう女、それもついでに調べて置く方がよさそうだな」
「そうですね」と、幸次郎もうなずいた。「いずれ女の巾着切《きんちゃっき》りでしょう。異人の紙入れを掏り取って、手早く相棒に渡してしまったに相違ありませんよ。江戸の巾着切りは手妻《てづま》があざやかだから、薄のろい毛唐人なんぞに判るものですか」
 二人はそこらの休み茶屋へはいって、茶を飲みながらおとといの噂を訊くと、ここらの人達は皆よく知っていた。茶屋の女の話によると、その女は年ごろ二十八九の小粋な風俗で、ほかに連れも無いらしかった。彼女は騒動にまぎれて何処へか立ち去ったので、何者であるかを知る者はなかった。
 女の人相などを詳しく訊きただして、二人はそこを出ると、幸次郎はすぐにささやいた。
「今の話で大抵わかりました。その女は蟹《かに》のお角《かく》と云って、両腕に蟹を一匹ずつ彫っている奴ですよ」
「そいつの巣はどこだ」
「どこと云って、巣を決めちゃあいねえようですが、お角と判れば調べようもあります」
 二人は更に坂下の空地へまわると、秋草の乱れている中に五、六本の榛《はん》の木が立っていた。うしろは小笠原家の下屋敷で、一方には古い寺の生垣《いけがき》が見えた。一方には百姓の片手間に小商《こあきな》いをしているような小さい店が二、三軒つづいていた。それに囲まれた空地は五六百坪の草原に過ぎないで、芒のあいだに野菊などが白く咲いていた。五匹の馬をつないだのはかの榛の木に相違なく、そのあたりの草むらは随分踏み荒らされていた。
「馬を盗んで行った奴は素人《しろうと》でしょうね」と、幸次郎は云った。「商売人ならば日本馬か西洋馬か判る筈です。西洋馬なんぞ売りに行けばすぐに足が付くから、どうで盗むならば日本馬を二匹|牽《ひ》き出しそうなものだが、そこに気がつかねえのは素人で、手あたり次第に引っ張って行ったのでしょう」
「そうかな」と、半七は首をかしげた。
 こんにちと違って、その時代における日本馬と西洋馬との相違は、誰が眼にも容易に鑑別される筈であった。第一に鞍《くら》といい、鐙《あぶみ》といい、手綱《たづな》といい、いっさいの馬具が相違しているのであるから、いかなる素人でも西洋馬と知らずに牽き去るはずがないと、彼は思った。
 なにか手がかりになるような拾い物はないかと、一応はそこらを見まわしたが、何分にも草深いので探すことは出来なかった。ともかくも地つづきの百姓家へたずねて行って、その日の様子を訊いてみようと、二人は引っ返して歩き出そうとする時、幸次郎は小声であっ[#「あっ」に傍点]と云った。半七も振り向いた。
 江戸は繁昌と云っても、その頃の江戸市内に空地はめずらしくなかった。三百坪や四百坪の草原は到る所にある。まして半分は田舎のような根津のあたりに、このくらいの草原を見るのは不思議でもなかったが、ここの空地は取り分けて草が深い。その草のあいだに、古い小さい祠《ほこら》のようなものが沈んで見えるのを、二人は最初から知っていたが、今や彼等を少しく驚かしたのは、祠のうしろから一人の女の姿があらわれ出でたことであった。
 女は五十以上であるらしく、片手に小さい風呂敷包みと梓《あずさ》の弓を持ち、片手に市女笠《いちめがさ》を持っているのを見て、それが市子《いちこ》であることを半七らはすぐに覚った。市子は梓の弓を鳴らして、生霊《いきりょう》や死霊《しりょう》の口寄せをするもので、江戸時代の下流の人々には頗る信仰されていたのである。その市子が草にうもれた古祠のかげから突然にあらわれたのは、白昼でも何だか気味のいいものでは無かった。二人は黙って見ていると、女の方から声をかけた。
「もし、おまえさん方は何か探し物でもしていなさるのか」
「ええ、落とし物をしたので……」と、幸次郎はあいまいに答えた。
「おまえさん方の探す物は、ここらでは見付からないはずだ」と、老女は笑いながら云った。「もっと西の方角へ行かなければ……」
 市子は占《うらな》い者や人相見ではない。その口から探し物の方角などを教えられても、恐らく信用する者はあるまい。まして半七らがその忠告をまじめに聴くはずはなかった。
「いや、ありがとう」と、幸次郎も笑いながら答えた。
 それぎりで、二人は往来の方へあるき出すと、老女はそのあとを慕うように続いて来た。二人も無言、彼女も無言である。草をかき分けて往来へ出て、二人は左へむかって行くと、彼女もおなじく左へむかって来た。彼女はなかなか達者であるらしく、わずかに一間ほどの距離を置いて、男のようにすたすたと歩いて来る。それが自分たちのあとを尾《つ》けて来るようにも思われるので、幸次郎は振り返って訊いた。
「おめえはあすこに何をしていたのだ。あの祠《ほこら》を拝んでいたのかえ」
 老女は黙っていた。
「あの祠には何が祭ってあるのだ」
「神様です」と、老女は答えた。
「神さまは判っているが、なんの神様だ」
「知りません」
「毎日拝みに来るのかえ」
「あの祠を拝みに行けというお告げがあったので、毎日拝みに来ます」
「おめえの家《うち》はどこだ」
「谷中《やなか》です」
「谷中はどの辺だ」
「三崎《さんさき》です」
「おめえは市子さんかえ」
「そうです」
「商売は繁昌するかえ」と、幸次郎は冗談のように訊いた。
「繁昌します」と、彼女はまじめに答えた。
 そんなことを云っているうちに、半七らは百姓家の前に出た。それは片商売に荒物を売っている店で、十歳《とお》ばかりの男の児が店の前に立っていたが、半七らを見ると慌てて内へ逃げ込んだ。それに構わずに、二人は店へずっとはいると、三十二三の女房が奥の障子をあけて出た。彼女は先ず子供を叱った。
「なんだねえ、お前は……。お客さまが来たのに、逃げることがあるものか」
「狐使いだよ」と、男の児は表を指さすと、女房も表をちょっと覗いて、ふたたび小声で子供をたしなめるように叱った。
 男の児は半七らを恐れたのではなく、そのあとから付いて来た市子を恐れているのであろう。その口から洩れた「狐使い」の一句が半七らの注意をひいて、二人は一度に表をみかえると、市子の老女は、彼等にうしろを見せて谷中の方角へたどって行った。
「あの市子は狐を使うのかえ」と、半七は訊いた。
「よくは知りませんが、そんな噂があります」と、女房は答えた。
「ここらへも始終来るのかえ」
「この頃は毎日のようにここへ来て、あの祠を拝んでいるので、ここらの者は気味悪がっています」
「あの空地の祠はなんだね」
「わたくしも子供の時のことですから、詳しい話は知りませんが、あの空地のところは臼井様とかいう小さいお旗本のお屋敷があったそうです」と、女房は説明した。「なにかの訳で殿様は切腹、お屋敷はお取り潰しになりまして、その以来二十年余もあの通りの空地になっています。その当座は祟りがあるとか云って、誰も空地へはいる者もなかったのですが、この頃は子供たちが平気で蜻蛉《とんぼ》やばった[#「ばった」に傍点]なぞを捕りに行くようになりました。祠はその臼井様のお屋敷内にあったもので、お屋敷がお取り払いになる時にもそのままに残ったのですから、一体なにを祭ってあるのか誰も知っている者もありません。御覧の通りに荒れ果ててしまって、自然に立ち腐れになるのでしょう。仮りにも神様と名のつくものを打っちゃって置くのも良くないから、なんとか手入れをしようかと云う人もあるのですが、障らぬ神に祟り無しで、うっかりした事をして何かの祟りでもあるといけないというので、まあ其の儘にしてあります。そこへ此の頃あの市子さんが毎日御参詣に来るのですが、狐を使うなぞという噂のある人だけに、なんだか気味が悪いと近所の者も云っています。子供たちまでその姿をみると、狐使いが来たと云って逃げるのです」
「市子の名は何というのだね」
「おころさんと云うそうです」
「おころ……。めずらしい名だな」
 半七らの詮議は市子や狐使いでない。そんなことは出さきの拾い物に過ぎないのであるから、その詮索はこのくらいに打ち切って、二人はかの異人の一件について話し出した。
「おとといは大騒ぎだったと云うじゃあねえか」と、半七は何げなく訊いた。
「ええ、たいへんな騒ぎでした」と、女房はうなずいた。「異人を殺してしまえと云って、大勢が追っかけて来るので、どうなる事かと思いました。それでもまあみんな無事に逃げたそうです」
「五人の馬はそこの空地《あきち》につないであったのかえ」
「そうです。そのうちの二匹がなくなったというのですが、どうしたのでしょうかね」
 異人の騒ぎで、ここらの者はいずれも家を空明《がらあ》きにして駈け出した。その留守のあいだに、二匹の馬が紛失したのであるから、誰が牽《ひ》き出したのか知っている者もない。別手組の侍が来ていろいろ詮議したが、誰も答えることが出来なかったと、女房は話した。
「年増のおんなが引っ張って行ったなんて云いますけれど、それもどうだか判りません」と、彼女は更に付け加えた。
「女が引っ張って行った……」と、半七は訊きかえした。「それを誰か見た者があるのかえ」
「いいえ、おれが確かに見たという者もないので……。誰が云い出すと無しに、そんな噂を聞きますが……。まさか女が……。ねえ、お前さん」
 女房はその噂を信じないように云った。

     

 半七と幸次郎は荒物屋の店を出て、再びかの空地のまん中に立った。五六百坪のところに屋敷を構えていたのであるから、昔ここに住んでいたという臼井なにがしはよほどの小旗本であろう。武家屋敷のうちに祭られているのは、まず稲荷の祠が普通である。二人はその祠の正体を見とどけることにして、草の奥へ踏み込んで行った。
「ねえ、親分」と、幸次郎はあるきながら云った。「荒物屋のかみさんは気のねえように云っていましたが、おんなが馬を引っ張って行ったというのも、聞き流しにゃあ出来ねえようですね。もしやお角じゃあありますめえか」
「おれも何だかそんな気がしねえでもねえ。勿論、最初から企らんだことでもあるめえが、どさくさまぎれの出来ごころで馬を引っ張り出したかも知れねえ。しかし女ひとりで二匹の馬を牽《ひ》き出すのは、ちっと手際《てぎわ》がよ過ぎるようだ。相棒の巾着切りが手伝ったのだろう」
「そうでしょうね。なに、お角のありかが判れば、その相棒も自然に知れましょう」
 云ううちに、二人は古祠の前に行き着いた。祠は間口《まぐち》九尺に足りない小さい建物であるが、普請《ふしん》は相当に堅固に出来ていると見えて、二十年以上の雨風に晒されているにも拘らず、柱や扉などは案外にしっかりしているらしかった。扉をあけて覗くと、神体はすでに他へ移されたのであろう、古びた八束《やつか》台の上に一本の白い幣束《へいそく》が乗せてあるだけであった。その幣束の紙はまだ新らしかった。
「御幣は市子が納めたのだな」
 半七は更に隅々を見まわしたが、煤《すす》びた古祠のうちには何物も見いだされなかった。二人は祠のうしろへ廻って、草のあいだを暫くあさりあるいたが、そこにも別に掘り出し物はなかった。
「まあ、仕方がねえ。ここはこの位にして、一旦引き揚げよう。おめえはそのお角という女の居どころを突き留めてくれ、おれはこれから足ついでに谷中《やなか》へ廻って、三崎をうろ付いてみよう」
 幸次郎に別れて、半七は谷中の方角へ足を向けた。千駄木の坂下から藍染《あいそめ》川を渡って、笠森稲荷を横に見ながら、新幡随院のあたりへ来かかると、ここらも寺の多いところで、町屋《まちや》は門前町に過ぎなかった。その寺門前で市子のおころの家を訊くと、彼女は蕎麦屋と草履屋のあいだの狭い露路のなかに住んでいることが判った。
 おころは孀婦《やもめ》ぐらしの独り者で、七、八年前からここへ来て、市子を商売にしている。別に悪い噂もないが、一種の変り者で殆ど近所の附き合いをしない。彼女が狐を使うという噂は五、六年前にも一度伝えられたが、その噂もいつか止んだ。それがこの春頃から再び伝えられて、彼女は尾先《おさき》狐を使うとか、管《くだ》狐を使うとかいう噂が立った。しかし彼女はいわゆる狐使いのように、自分の狐を放して他人に憑《つ》かせるなどということはしないらしく、唯その狐の教えに依って、他人《ひと》の吉凶禍福や失せ物、または尋ね人のありかを占うに過ぎないのである。したがって、別に他人に害をなすというのではないが、ともかくも狐使いの名が其の時代の人々を恐れさせて、彼女が附き合いを好まないのを幸いに、近所の者も彼女と親しむことを避けていた。
 そんなわけであるから、近所の者も彼女が出這入りの姿を見るだけのことで、そのふだんの行状などについては多くを知らないと云うのである。半七は露路へはいっておころの家を窺うと、江戸のまん中と違ってここらの露路の奥は案外に広かった。入口の狭いにも似ず、そこはかなりの空地があって、近所の人たちの物干場になっていた。おころの家には格子がなく、入口は明け放しの土間になっていたが、それでもふた間くらいの小じんまりした住居で、家内も綺麗に片付いているらしかった。おころはさっき一度帰って来て、すぐ又出て行ったと、隣りの女房が話した。
 半七はその女房をつかまえて、おころのことを何か聞き出そうとしたが、壁ひとえの隣りに住みながら彼女はなんにも知らないと云った。唯その女房の口からこんなことが洩らされた。
「よくは知りませんが、おころさんには息子があって、どこかの屋敷奉公をしているそうです」
「その息子は時々たずねて来ますかえ」
「めったに来たことはありませんが、一年に二、三度くらいはたずねて来るようです」
「屋敷奉公といっても侍じゃああるめえ。足軽か中間だろうね」
「まあ、そうでしょうね」
「ここの家《うち》へ占いを頼みに来る人がありますかえ」と、半七は訊《き》いた。
「ここへ頼みに来る人は少ないようです。大抵は自分の方から出て行くのです」
「それじゃあ狐を連れて行くのだね」
「そうかも知れません」
 余り多くを語るをはばかるように、女房は口をつぐんだ。半七もいい加減に打ち切ってそこを出た。おころという女がたとい狐を使うとしても、他人《ひと》に格別の害をあたえない限りは、そのままに見逃がして置くのが其の時代の習いであるから、これだけの材料ではどうする事も出来ないのである。きょうは取り留めた獲物も無しに、半七は神田の家へ帰った。
 取り留めた獲物は無いと云っても、どこかの女が彼《か》の馬を牽《ひ》き出したらしいという噂と、おころの息子が屋敷奉公をしているという噂と、この二つを結びつけて半七は何事かを考えさせられたのであった。
 その晩に亀吉が来た。その報告によると、けさから方々の博労《ばくろう》を問い合わせてみたが、どこへも馬を売りに来た者は無いらしいと云うのである。馬を盗む以上は、どこへか売りに行くのが普通であるが、あるいは詮議を恐れて当分は隠して置くのかも知れないと思われた。
 あくる日の午過ぎに幸次郎が来た。
「お角の居どころは知れました。浅草の茅町《かやちょう》一丁目、第六天の門前に小さい駄菓子屋があります。おそよという婆さんと、お花という十三四の孫娘の二人暮らしで、その二階の三畳にお角はくすぶっているのです」
「商売は巾着切りか」と、半七は訊いた。
「若い時から矢場女をしたり、旦那取りをしたり、いろいろのことをやって来たようですが、この頃は決まった亭主も無し、商売も無し、まあ巾着切りが本職でしょうね。女のくせに酒を飲む、博奕を打つ、殊に博奕が道楽と来ているのだから、他人《ひと》の巾着を稼いだくらいじゃあ、あんまり旨い酒も飲めねえようですよ。それでもこの七月頃にゃあ、近所の近江屋という呉服屋の通い番頭を引っかけて、蟹の彫り物の凄いところを見せて、三十両とか五十両とか捲き上げたそうです。駄菓子屋の婆さんも近所の手前、お角の評判の悪いのに困り切って、なんとかして追い出そうとしているが、お角がなかなか動かねえので持て余しているらしく、わっしにも頻りに愚痴を云っていましたよ」
「人の目につかねえ為でもあろうが、駄菓子屋の三畳にくすぶっているようじゃあ、お角という女もあんまり景気がよくねえと見えるな」と、半七は笑った。「だが、異人の紙入れに幾らあったかな。勿論こっちの金に両替えしてあったろうが、外国の金だったら使い道はあるめえ。うっかり両替屋へ持って行ったら藪蛇《やぶへび》だ。巾着切りの方は現場《げんば》を見たわけでもねえから仕様がねえが、例の馬の一件、それが確かにお角の仕業だかどうだか、今のところじゃあ一向に手がかりがねえ。そこで、お角の相棒はどんな奴だ」
「駄菓子屋の婆さんの話じゃあ、色男だか相摺りだか知らねえが、いろいろの男が四、五人たずねて来るそうで……。時によると、その狭い三畳で賽《さい》ころを振ったりするので、婆さんもひどく弱っているようでしたよ。来る奴らの居どころも名前も、婆さんはよく知らねえのですが、そのなかで一番近しく出入りをするのは、長さんと平さん……。平さんというのがお角の男らしいと云うのですが……」
「そいつの居どころもわからねえのか」
「確かにはわからねえが、その平公は何でも本郷|片町《かたまち》辺の屋敷にいる奴だそうで……」
「本郷の屋敷にいる……」
 半七は偶然の掘り出し物をしたように感じた。市子のおころの息子は屋敷奉公をしていると云う、それがもしやこの平さんなる者ではないかと思い浮かんだのである。たとい取り留めた証拠はなくとも、探索はこんな頼りないようなことを頼りにして、根《こん》よくあさって行くのが成功の秘訣であることを、半七は多年の経験によってよく知っていた。
 しかし本郷片町というだけでは、どこの屋敷であるか判らない。平さんというだけでは、その人間を探し当てることも困難である。お角を調べたところで、それを素直に云う筈はない。さしあたりは駄菓子屋の近所に網を張って、平さんなる者の出入りを窺うのほかは無い、気の長い仕事のようであるが、まあ我慢して張り込んでくれと、半七は幸次郎に云い含めた。
「如才《じょさい》もあるめえが、そいつの帰るときに尾《つ》けて行って、なんという屋敷の何者だか突き留めるのだぜ」
「承知しました」
 幸次郎は請け合って帰ったが、それから二日ばかりは音沙汰もなかった。亀吉と善八は手を分けて近在までを詮議していたが、どこへも馬を売りに来たという噂は聞かなかった。ほかの物と違って、生馬《いきうま》を戸棚や縁の下に隠して置けるはずもないのであるから、近在の大きい農家か武家屋敷のうちにつないであるに相違ないと半七は鑑定して、亀吉らにもその注意をあたえて置いた。
 十月|朔日《ついたち》の朝である。けさは急に冬らしい風が吹き出したと云っているところへ、松吉が息を切って駈け込んで来た。
「親分。おころという市子が殺されました」

     

 松吉の報告によると、おころの死体はけさの六ツ半(午前七時)頃に、近所の人々に発見された。但し谷中の自宅に死んでいたのではなく、かの団子坂下の空地に倒れていたのである。
 その死体は古祠の前に横たわっていたが、よほど激しい格闘を演じたらしく、彼女は髪をふり乱し、着物の胸をはだけて、かた手に白い幣束《へいそく》を持ちながら、仰向けに倒れていた。彼女はその顔をめちゃめちゃに掻きむしられた上に、喉《のど》を絞められていたのであるが、その死因が頗る怪しかった。喉を紋められたというよりも、三枚の長い鋭い爪で頸の左右を強く刺されたような形で、爪のあとが皮肉《ひにく》のなかに深く喰い込んでいた。鋭い爪に脈を破られたと見えて、頸《くび》のあたりから流れ出した血汐が枯草を紅《あか》く染めていた。
 死に場所といい、その死にざまの怪しいのを見て、狐使いの彼女が狐に殺されたのであろうと、近所の者はおどろき恐れた。彼女は狐を夫にしていたが、近ごろほかに情夫《おとこ》をこしらえた為に、狐が怒って彼女を殺したのであると、まことしやかに云い触らす者もあった。彼女は自分の商売の種に狐を使いながら、碌々に毎日の食い物もあたえないので、狐が怨んで彼女を殺したのであると伝える者もあった。いずれにしても、怪しい市子の怪しい死について、いろいろの怪奇な浮説がそれからそれへと伝えられているのは事実であった。
「なにしろ、すぐに行ってみよう」
 松吉を連れて、半七は早々に団子坂へ駈けつけると、おころの死体は今や検視を終ったところであった。検視に出張ったのは、あたかもかの丹沢五郎治で、彼は半七の顔を見るとすぐに声をかけた。
「半七、早えな。又ここで変なことが始まったよ。この草ッ原はどうも鬼門だ」
「まったく困りました」
 半七は挨拶して、草のあいだに横たわっているおころの死体を一応あらためた。おころは大きい眼をむき出しにして死んでいた。
「狐に殺されたという噂だが、まさかにそんなこともあるめえ」と、丹沢は云った。「だが、爪のあとがちっとおかしい。まあ、よく調べてくれ。頼むぜ」
 検視の役人はやがて引き揚げて、市子の死体は長屋の者に引き渡された。おころには息子があるらしいが、どこに住んでいるか判らないので、知らせてやることも出来なかった。相長屋の人達があつまって通夜《つや》をして、翌日近所の寺へ葬ることになった。
 その通夜の晩に、亀吉はおころの露路の近所をうろ付いていた。半七と松吉は荒物屋の店を足溜まりにして、かの空地のあたりを見張っていた。
 夜も九ツ(午後十二時)を過ぎた頃であろう。昼からの風は宵に止んだが、夜ふけの寒さは身に泌みるので、半七と松吉は小さい火鉢に炭団《たどん》を入れてもらって、荒物屋の店の隅にすくんでいると、縁の下には鳴き弱ったこおろぎの声が切れ切れにきこえた。やがて表の暗いなかで犬の吠える声がきこえた。つづいて二匹三匹の吠える声がきこえた。
「忌《いや》ですね。ゆうべも夜なかに犬が吠えました」と、店の女房がささやいた。
 それを聞きながら、二人は立ち上がった。月のない夜ではあるが、星の光りはきらめいている。それをたよりに足音をぬすんで忍び出ると、犬の声は次第に近づいて、その犬の群れに追われながら、一つの黒い影が忍んで来るらしかった。注意して窺うと、犬の声はかの草原の方角にむかって行くのである。枯草を踏む犬の足音ががさがさと聞こえるので、人の足おとは確かに聞きわけかねたが、何者かが草原の奥へ忍んでゆくに相違ない。二人は息を殺して尾《つ》けてゆくと、犬の声はかの古祠のあたりに止まった。
 ここまで来ると、犬はみな吠えなかった。かれらはただ低く唸るばかりであった。黒い影は祠の前で何事をしているのか、半七らの眼には見えなかった。この上はもう猶予すべきでない。半七は突然に声をかけた。
「もし、おまえさんは誰だね」
 相手は返事をしなかった。
「わしらは御用でここに張り込んでいるのだ。返事をしねえと、つかまえるよ」と、半七は再び云った。
 相手はやはり返事をしなかった。
 二度までも念を押して、相手が黙っている以上、手捕りにするのほかはないので、松吉は探り寄って取り押さえようとすると、相手はいつの間にか摺り抜けてしまったらしく、そこらに人らしい物はいなかった。
「いねえか」と、半七は小声で訊いた。
「はてな」と、松吉はそこらを探し廻っていた。
 この時、犬の群れはまた吠え出して、何者かが草の上を這って行くらしいので、半七は走りかかって押さえ付けた。暗いなかで、その腰のあたりへ手をかけたかと思うと、相手は急に跳ね起きて両手で半七の喉を絞めようとした。半七はその手を取って、再び草の上に捻じ伏せた。
「つかめえましたか」と、松吉は声をかけた。
「仕様がねえ。石橋山の組討ちだ」と、半七は笑った。「だが、もう大丈夫。女だ、女だ」
 半七と松吉に引き摺られて、荒物屋の店の灯の前に照らし出された曲者は、六十前後の老女であった。その人柄や身装《みなり》によって察すれば、彼女もおころと同様に市子か巫子《みこ》のたぐいであるらしかった。
 店の框《かまち》に腰をかけながら、半七は訊いた。
「おめえは何処の者だ」
「信州から来ました」と、老女は案外におとなしく答えた。
 信州といえば、戸隠山《とがくしやま》の鬼女を想像させるが、彼女はそのやつれた顔に一種の気品を具えていた。その物云いや行儀も正しかった。
「名は何といって、いつから江戸へ来ているのだ」
「お千といいます。江戸へはこの六月に出て来ました」
「それまで国にいたのか」
「いいえ。江戸へ一度出て来まして、それから出羽奥州、東海道、中仙道、京、大坂、伊勢路から北国筋をまわって、十一年目に江戸へ来ました」
「なんでそんなに諸国を廻っていたのだ」
「尋ねる人がありまして……」
「たずねる人というのは……。市子のおころか」
「はい」
 老女の眼は怪しく輝いた。
「ゆうべおころを殺したのはお前だな」
「はい」と、彼女は素直に白状した。
「今夜はここへ何しに来た」
「狐を取りに来ました」
 膝の上に置いた彼女の両手の爪は、天狗のように長く伸びていた。取り分けて人差指と中指と無名指の爪が一寸以上も長く鋭く伸びているのを見ると、おころの死因も容易に想像された。半七も危くその恐ろしい爪にかかるところであった。
「おまえも狐を使うのか」
「使います。おころはわたくしの狐をぬすんで逃げたのです」
 お千は若いときから信州のある神社の巫子《みこ》であったが、二十歳《はたち》を越えてから巫子をやめて、市子を自分の職業としていた。彼女は一生独り身であった。彼女自身の申し立てによると、彼女は一匹の管狐《くだぎつね》を養っていた。管狐は決してその姿を見せず、細い管のなかに身をひそめているのである。彼女は市子を本業としながら、その管狐の教えによって他人《ひと》の吉凶を占っていた。
 あしかけ十一年の昔である。彼女は江戸へ出ようとして、信州から甲州へさしかかって石和《いさわ》の宿《しゅく》まで来た時に、風邪をこじらせて高熱に仆《たお》れた。それは木賃《きちん》同様の貧しい宿屋に泊まった時のことで、相宿《あいやど》の女が親切に看病してくれた。女はかのおころで、同商売といい、女同士といい、その親切に油断して、管狐の秘密をおころに話した。それから半月ほどの後、お千がどうやら起きられるようになった頃に、おころはかの管狐をぬすんで逃げた。
 それを知って、お千は狂気の如くに怒った。彼女は病み揚げ句の不自由な身をおこして、すぐにおころの後を追いかけたが、そのゆくえは知れなかった。ともかくも江戸へ出て半年あまりも探しあるいたが、おころのありかは遂に判らなかった。しかも彼女の決心は固かった。命のあらん限りは尋ねあるいて、どうしても管狐を取り戻さなければ置かないと、それから足かけ十一年、殆ど日本の半分以上をさまよい歩いて、ことしの六月、再び江戸の土を踏んだのである。
 かたきを尋ねる者は結局何処かでめぐり逢うと、昔から云い伝えている通り、彼女は九月のはじめに、上野の広小路でおころの姿を見つけた。ひそかにそのあとを尾《つ》けて行って、彼女が谷中の三崎に住んでいることを突き留めた。おころも最初はシラを切って、それは人違いであると云い抜けようとしたが、お千に激しく責められて、彼女もとうとう白状した。彼女は其の後二、三年のあいだ、伊豆相模のあたりを徘徊して、それから江戸へ戻って来たのである。しかし管狐を自分の家へ置くことは何だか気味が悪いばかりでなく、狐も人家の近いところに住むのを嫌うので、なるべく人家に遠いところを択《えら》んで養っていた。それも同じ場所では人の目につく虞《おそ》れがあるので、時々に場所を変えることにして、この頃は道灌山の辺に隠してあるから、いずれ持ち帰ってお前に戻すと誓ったので、お千も一旦は得心《とくしん》して帰った。
「おころは狐を返したか」と、半七は訊いた。
「返しません」と、お千の窪んだ眼はいよいよ異様にかがやいた。「わたくしも油断なく気をつけていますと、道灌山に隠してあるというのは嘘で、ほかに隠してあるらしいのです。その上に、わたくしが幾たび催促しても返しません。きのうの夕方、池の端で逢いましたから、きょうこそは勘弁ならないと厳しく催促しますと、実は団子坂の空地の古祠のなかに隠してあるから、夜更《よふ》けに行って取り出すと云うのです。それでは九ツ過ぎに逢おうと約束しまして、その時刻にこの空地へ来てみますと、おころは、ひと足先に来ていました。そこで祠の扉をあけると狐はいません。いつの間にか逃げたらしいと云うのですが、わたくしは本当にしません。わたくしをだまして、又どこへか隠したに相違ないとおころを激しく責めましたが、おころはどうしても知らないと云う。もういよいよ勘弁が出来なくなりましたから、その場で殺してしまいました」
「そこで、今夜は何しにここへ来たのだ」
「おころを殺しましたが、狐のありかは判りません。やっぱりここに隠してあるのかと思って、念の為にもう一度さがしに来たのです」

「まずこれで埓《らち》があきました」と、半七老人は笑った。
「そこで、馬の一件はどうなりました」と、わたしは訊いた。
「五、六日の後に幸次郎が平吉という奴を挙げて来ました。それが即ち平さんというので、本郷片町の神原|内蔵之助《くらのすけ》という三千石取りの旗本屋敷の馬丁でした。こいつはちょっと苦《にが》み走った小粋な男で、どこかの賭場でお角と懇意になって、それから関係が出来てしまったんです。お角のところへたずねて来たのを、張り込んでいる幸次郎に見付けられて、あとを尾《つ》けられたのが運の尽きです。それからだんだん探ってみると、異人の馬は神原の屋敷の厩《うまや》につないであることが判りました」
「じゃあ、主人も承知なんですか」
「承知なんです。と云うと、主人の神原も馬泥坊のお仲間のようですが、それには訳があります。神原という人は馬術の達人で、近授流の免許を受けていました。近授流というのは一場藤兵衛が師範で、文政の末に一場家滅亡と共に一旦断絶したのですが、天保以後に再興して、その流儀を学ぶ者が出来ました。御承知でもありましょうが、武家が馬術を学ぶのは自分の嗜《たしな》みにすることで、師範の家は格別、普通の者は馬術がよく出来るからといって立身出世することは出来ません。それですから、ひと通り以上に馬術を稽古するのは、馬に乗ることが好きだという人で、云わば本人の道楽です。神原は三千石の大身《たいしん》で、馬に乗るのが大好きでした。同じ道楽でも、武士としては誠に結構な道楽で、広い屋敷内に馬場をこしらえて毎日乗りまわし、時には方々へ遠乗りに出る。厩には三匹の馬を飼って、二人の馬丁を置いていました。そのなかでも平吉がお気に入りで、遠乗りの時なぞには大抵この平吉がお供をしていました。
 いつぞやお話をした『正雪の絵馬』と同じように、道楽が昂《こう》じると、とかくに何かの間違いが起こり易いものです。神原という人も決して馬鹿な人物ではなかったんですが、好きなことには眼がくらむ。このごろ異人が日本へ渡って来て、西洋馬に乗り歩くのを見ると、馬も立派であり、馬具のたぐいも珍らしい。といって、その当時にはいくら金を出しても、西洋馬や西洋馬具を手に入れることは出来ない。おれもああいう馬に西洋鞍を置いて一度乗り廻してみたいと、よだれを垂らしながら眺めているのほかはありません。
 そのうちに、かの団子坂の騒動が起こって、そこへちょうどに馬丁の平吉が通り合わせました。見ると、空地には西洋馬三匹と日本馬二匹がつないである。どさくさまぎれにこれを盗んで行けば、殿様もよろこぶに相違ない。こう云うと、たいへん忠義者のようですが、実は殿様から御褒美をたんまり頂戴しようという慾心が先に立って、一匹の西洋馬をこっそりと牽《ひ》き出しました。西洋馬にしましても、こっちは本職の馬丁ですから馬の扱い方には馴れているので、難なく牽いて出かけるところへ、お角が来かかったのです」
「異人の紙入れを掏ったのは、やっぱりお角でしたか」
「われわれの想像通り、蟹のお角でした。お角もあんな騒ぎになろうとは思わなかったんでしょうが、なにしろ、それが勿怪《もっけ》の仕合わせで、これもどさくさ騒ぎにまぎれて其の場を立ち去る途中、西洋馬を牽いて来る平吉に出逢ったのです。おや、平さん、その馬はとお角が声をかけると、平吉は眼で制して、おめえも一匹引っ張って来いと、冗談半分に云って行き過ぎると、お角もひどい奴、女のくせに平吉の真似をして、これも日本馬を一匹牽き出して行ったというわけです。誰が云い出したのか知りませんが、年増の女が馬を牽いて行ったという噂は、決して嘘ではなかったのです。
 それから本郷の屋敷へ牽いてゆくと、主人の神原も少しおどろきました。異人の馬を盗んで来るなぞは、もちろん良くないに決まっている。そこで平吉を叱って、元へ返すように指図すればいいんですが、さてそこが道楽の禍いで、平生から欲しい欲しいと思っていた西洋馬や西洋馬具を眼の前に見せられると、たまらなく欲しいような気もする。平吉もそばから勧める。結局その気になって、神原は西洋馬を自分の厩につないで置くことにしました。屋敷内の馬場を乗り廻っているだけならば大丈夫、表へ乗り出さなければ露顕する気遣いはないと多寡をくくっていた。平吉はその褒美に十五両貰ったそうです。しかし日本馬の方は主人の気に入らない。むやみに売りに行けば、それから足が付く虞れがあるので、平吉は浅草あたりの皮剥《かわは》ぎ屋へ牽いて行って、捨て値に売ってしまいました。殺して太鼓の皮に張るのです。
 こうして日本馬は処分してしまい、西洋馬は旗本屋敷の厩にはいってしまえば、容易に知れそうも無い理窟ですが、やっぱり悪いことは出来ないもので、その秘密もたちまち露顕することになりました。
 さっきもお話し申した通り、お角の借りている駄菓子屋の二階へは、長さんと平さんが一番近しく来るという。その長さんは長蔵という奴で、お角が巾着切りの相棒です。こいつもお角に気があるんですが、お角は平吉ばかりを可愛がって、長蔵の相手にならない。幸次郎はこの長蔵を取っ捉まえて詮議すると、こいつは馬の一件は大抵知っている。そこで平吉に対するやきもちから、自分の知っているだけの事をべらべら喋《しゃべ》ってしまいました。昔から色恋の恨みはおそろしい。こいつが喋ったので何もかも露顕しました。
 しかし相手が大身《たいしん》の旗本ですから、町方が迂濶に手を出すことは出来ません。そこで、町奉行所から神原家の用人をよび出して、その屋敷の馬丁平吉は行状よろしからざる者であるから、長《なが》の暇《いとま》を出したらよかろうと内々で注意しました。こう云われれば胸に釘で、用人もぎっくり堪《こた》えます。承知の上で屋敷へ帰って、平吉には因果をふくめて暇を出すと、門の外には幸次郎が待っていて、すぐ御用……」
「主人はどうなりました」
「本来ならば主人にも何かの咎めもある筈ですが、もともと悪気でした事でも無し、殊に幕末多事の際で、幕府も譜代の旗本を大事にする折柄ですから、馬を取り返されただけのことで、そのまま無事に済んでしまいました。神原内蔵之助という人は、維新の際に用人堀河十兵衛と一緒に函館へ脱走して、五稜郭《ごりょうかく》で戦死したそうですから、本人としては馬泥坊の罪を償《つぐな》ったと思っていたでしょう」
「平吉はおころという女の息子ですか」
「おころのせがれでした。しかし馬の一件と、狐の一件とは、別になんの係り合いも無かったのです」
「狐に馬を乗せたというわけですね」
「はは、しゃれちゃいけない。いや、その馬を取り返すのが面白い。神原の屋敷から表向きに牽き出しては、事が面倒です。そこで、夕がたの薄暗い時分に、本郷の屋敷の裏門からそっと牽き出して、かの団子坂の空地に放して置くと、町方の者が待っていて牽いて帰る。つまりは、馬が何処からか戻って来て、元の空地に迷っているのを取り押さえたということにして、外国側へ引き渡したのです。気の毒なのは別手組の侍で、この人の馬はもう皮を剥がれてしまったので、どうにも取り返しが付きませんでした」
「お角はどうなりました」
「蟹のお角、これに就いてはまだいろいろのお話がありますが、この一件だけを申せば、幸次郎が平吉を召し捕ると同時に、善八が茅町の駄菓子屋へむかった処、お角は早くも風をくらって、どこへか姿を隠しました」
 最後に残ったのは、狐使いの問題である。それについて半七老人は斯《こ》う説明した。
「今どきの方々にお話し申しても、とても本当にはなさるまいが、江戸時代には狐使いという者がありました。それにも種類があるんですが、まず管狐というのを飼っているのが多い。細い管のなかに潜《ひそ》んでいて、滅多にその姿を見せないが、その狐がいろいろのことを教えてくれるので、狐使いは占いのようなことをやる。時にはその狐を他人《ひと》に憑《つ》けることもあるというので、恐れられたり忌がられたりするのです。しかしその狐にはいろいろの供え物をしなければならないので、狐使いは一生貧乏すると云い伝えられました。
 おころが死んでしまったので、問題の管狐はどうなったか判りません。どこにか隠してあるか、逃げてしまったのか、そんなものが本当にあるのか無いのか、それらのことも判りません。お千はきっと何処にか隠してあるに相違ないと云っていました。人殺しですから、当然死罪になりそうなものでしたが、遠島で落着《らくぢゃく》しました。女牢にいるあいだも、今に狐が迎えに来てくれるなぞと云って、相牢の女どもを怖がらせていたそうですが、島へ行ってからどうしたか、あとの話は聞きません。
 わたくしも暫く団子坂へ行きませんが、新聞なぞを見ると、菊細工はますます繁昌して、人形も昔にくらべるとたいへん上手に出来ているようです。しかし団子坂の菊人形を見物に行く明治時代の人達は、三十余年前にここで異人を殺してしまえと騒いだり、狐使いが殺されたりした事を夢にも知りますまい。世の中はまったく変りました。異人だの狐使いだのという言葉さえも消えてしまいました。菊人形の噂を聞くたびに、わたくしはその昔のことが思い出されます」
 古歌に「月やあらぬ、春やむかしの春ならぬ、わが身ひとつは本《もと》の身にして」とある。半七老人の感慨もそれに似たものがあるらしい。私もさびしい心持で、この筆記の筆をおいた。

底本:「時代推理小説 半七捕物帳(五)」光文社文庫、光文社
   1986(昭和61)年10月20日初版1刷発行
入力:tat_suki
校正:小林繁雄
1999年5月22日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

岡本綺堂

半七捕物帳 幽霊の観世物——- 岡本綺堂

     

 七月七日、梅雨《つゆ》あがりの暑い宵であったと記憶している。そのころ私は銀座の新聞社に勤めていたので、社から帰る途中、銀座の地蔵の縁日をひやかして歩いた。電車のまだ開通しない時代であるから、尾張町の横町から三十間堀の河岸《かし》へかけて、いろいろの露店がならんでいた。河岸の方には観世物《みせもの》小屋と植木屋が多かった。
 観世物は剣舞、大蛇《だいじゃ》、ろくろ首のたぐいである。私はおびただしい人出のなかを揉まれながら、今や河岸通りの観世物小屋の前へ出て、ろくろ首の娘の看板をうっとりと眺めていると、黙って私の肩をたたく人がある、振り返ると、半七老人がにやにや笑いながら立っていた。洋服を着た若い者が、口をあいてろくろ首の看板をながめているなどは、余りいい図ではないに相違ない。飛んだところを老人に見つけられて、私は少々赤面したような気味で、あわてて挨拶した。老人は京橋辺の知人のところへ中元の礼に行った帰り路だとか云うことで、ふた言三言立ち話をして別れた。
 それから四、五日の後、わたしも老人を赤坂の宅へ中元の礼ながらにたずねてゆくと、銀座の縁日の話から観世物の噂が出た。ろくろ首の話も出た。
「世の中がひらけて来たと云っても、観世物の種はあんまり変らないようですね」と、老人は云った。「ろくろ首の観世物なんぞは、江戸時代からの残り物ですが、今に廃《すた》らないのも不思議です。いつかもお話し申したことがありますが、氷川《ひかわ》のかむろ蛇の観世物、その正体を洗えば大抵そんな物なんですが、つまりは人間の好奇心とか云うのでしょうか、だまされると知りながら木戸銭を払うことになる。そこが香具師《やし》や因果物師の付け目でしょうね。観世物の種類もいろいろありますが、江戸時代にはお化けの観世物、幽霊の観世物なぞというのが時々に流行りました。
 お化けと云っても、幽霊と云っても、まあ似たようなものですが、ほかの観世物のようにお化けや幽霊の人形がそこに飾ってあるという訳ではなく、まず木戸銭を払って小屋へはいると、暗い狭い入口がある。それをはいると、やはり薄暗い狭い路があって、その路を右へ左へ廻って裏木戸の出口へ行き着くことになるんですが、その間にいろいろの凄い仕掛けが出来ている。柳の下に血だらけの女の幽霊が立っているかと思うと、竹藪の中から男の幽霊が半身を現わしている。小さい川を渡ろうとすると、川の中には蛇がいっぱいにうようよ[#「うようよ」に傍点]と這っている。そこらに鬼火のような焼酎火が燃えている。なにしろ路が狭く出来ているので、その幽霊と摺れ合って通らなければならない。路のまん中にも大きい蝦蟇《がま》が這い出していたり、人間の生首《なまくび》がころげていたりして、忌《いや》でもそれを跨いで通らなければならない。拵え物と知っていても、あんまり心持のいい物ではありません。
 ところが、前にも申す通り、好奇心と云うのか、怖いもの見たさと云うのか、こういうたぐいの観世物はなかなか繁昌したものです。もう一つには、こういう観世物は大抵景品付きです。無事に裏木戸まで通り抜けたものには、景品として浴衣地《ゆかたじ》一反をくれるとか、手拭二本をくれるとか云うことになっているので、慾が手伝ってはいる者も少なくないんです」
「通り抜ければ、ほんとうに浴衣や手拭を呉れるんですか」と、わたしは訊《き》いた。
「そりゃあ呉れるには呉れます」と、老人は笑いながらうなずいた。「いくら江戸時代の観世物だって、遣ると云った以上はやらないわけには行きません。そんな与太を飛ばせば、小屋を打ち毀されます。しかし大抵の者は無事に裏木戸まで通り抜けることが出来ないで、途中から引っ返してしまうようになっているのです。と云うのは、初めのうちはさほどでもないが、いよいよ出口へ近いところへ行くと、ひどく気味の悪いのに出っくわすので、もう堪まらなくなって逃げ出すことになる。おれは無事に通って反物を貰ったなぞと云い触らすのは、興行師の方の廻し者が多かったようです。そのうわさに釣られて、おれこそはという意気込みで押し掛けて行くと、やっぱり途中できゃあ[#「きゃあ」に傍点]と叫んで逃げて来る。つまりは馬鹿にされながら金を取られるような訳ですが、前にも云う通り、怖い物見たさと慾とが手伝うのだから仕方がない。
 その幽霊の観世物について、こんなお話があります。一体こういう観世物は夏から秋にかけて興行するのが習いで、冬の寒いときに幽霊の観世物なぞは無かったようです。芝居でも怪談の狂言は夏か秋に決まっていました。そこでこのお話も安政元年の七月末――いつぞや『正雪の絵馬』というお話をしたでしょう。淀橋の水車小屋が爆発した一件。あれは安政元年の六月十一日の出来事ですが、これは翌月の下旬、たしか二十六七日頃のことと覚えています。
 その頃、浅草、仁王門のそばに、例の幽霊の観世物小屋が出来ました。これは利口なやりかたで、出口が二ヵ所にある。途中から路がふた筋に分かれていて、右へ出ればさのみに怖くないが、その代りに景品を呉れない。左へ出るといろいろな怖い目に逢うが、それを無事に通れば景物を呉れる。つまりは弱い者にも強い者にも見物が出来るような仕組みになっているので、女子供もはいりました。その女のなかで、幽霊におびえて死んでしまったのがある。それからひと騒動、まあ、お聴きください」

 死んだ女は日本橋材木|町《ちょう》、俗に杉の森|新道《じんみち》というところに住んでいるお半という者であった。お半といえば若そうにきこえるが、これは長右衛門に近い四十四五歳の大年増《おおどしま》で、照降町《てりふりちょう》の駿河屋という下駄屋の女隠居である。照降町は下駄や雪踏《せった》を売る店が多いので知られていたが、その中でも駿河屋は旧家で、手広く商売を営んでいた。
 駿河屋の主人仁兵衛は八年以前に世を去ったが、跡取りの子供がない。但しその以前から主人の甥の信次郎というのを養子に貰ってあったので、当座は後家のお半が後見をしていたが、三年前から養子に店を譲ってお半は近所の杉の森新道に隠居したのである。
 お半は変死の当日、浅草観音へ参詣すると云って、朝の四ツ(午前十時)頃に家を出た。女中も連れずに出たのであるから、出先のことはよく判らないが、まず観音に参詣して、そこらで午飯《ひるめし》でも食って、奥山のあたりでも遊びあるいて、それから仁王門そばの観世物小屋へ入り込んだのであろう。その死体の発見されたのは、夕七ツ(午後四時)に近い頃であった。
 下谷|通新町《とおりしんまち》の長助という若い大工が例の景品をせしめる料簡《りょうけん》で、勇気を振るって木戸をはいって、獄門首のさらされている藪のきわや、骸骨の踊っている木の下や、三途《さんず》の川や血の池や、それらの難所をともかくも通り越して二筋道の角《かど》に出た。
 最初からその覚悟であるから、長助は猶予せずに左の路を取って進むと、さなきだに薄暗い路はいよいよ暗くなった。どこかで燃えている鬼火の光りをたよりに、長助は二、三間ほども辿ってゆくと、不意に其のたもとを引くものがある。見ると、路ばたに小さい蒲鉾《かまぼこ》小屋のような物があって、その筵《むしろ》のあいだから細い血だらけの手が出たのである。ぜんまい仕掛けか何かであろうと思いながら、長助は取られた袂を振り払ってゆく途端に、なにか人のような物を踏んだ。透かして見ると、路のまん中に姙《はら》み女が横たわっているのであった。女は半裸体の白い肌を見せながら、仰向けに倒れていて、その首や腹には大きい蛇がまき付いていた。
「へん、こんなことに驚くものか。江戸っ子だぞ」と、長助は付け元気で呶鳴った。
 この時、なにか其の顔をひやりと撫《な》でたものがある。はっ[#「はっ」に傍点]と思って見あげると、一匹の大きい蝙蝠《こうもり》が羽《はね》をひろげて宙にぶらさがっていた。又行くと、今度はその頭の髷節《まげぶし》をつかんだような物がある。ええ、何をしやあがると見かえると、立ち木の枝の上に猿のような怪物が歯をむき出しながら、爪の長い手をのばしていた。
「さあ、鬼でも蛇《じゃ》でも来い。死んでも後へ引っ返すような長さんじゃあねえぞ」
 彼はもう捨て身になって進んでゆくと、眼のさきに柳の立ち木があって、その下には流れ灌頂《かんじょう》がぼんやりと見えた。このあたりは取り分けて薄暗い。その暗いなかに女の幽霊があらわれた。幽霊は髪をふり乱して、胸には赤児を抱いていた。どんな仕掛けがあるのか知らないが、幽霊は片手をあげて長助を招いた。
「な、なんだ。てめえ達に呼ばれるような用はねえのだ」と、長助は少しく声をふるわせながら又呶鳴った。
 路は狭い、幽霊は路のまん中に出しゃばっている。忌《いや》でもこの幽霊を押し退けて行かなければならないので、さすがの長助もすこし困ったが、それでも向う見ずにつかつかと突き進むと、幽霊はそれを避けるようにふわりと動いた。ざまを見ろと、彼は勝ち誇って進んでゆくと、その足はまた何物にかつまずいた。それは人であった。女であった。
 その女につまずいて、長助は思わず小膝を突くと、女は低い声で何か云ったらしかった。そうして突然に長助にむしり付いた。驚いて振り放そうとしたが、女はなかなか放さない。長助も一生懸命で、滅茶苦茶に女をなぐり付けて、どうやらこうやら突き倒して逃げた。こうなると、もう前へむかって逃げる元気はない。彼はあとへ引っ返して逃げたのである。
 表の木戸口まで逃げ出して、彼は木戸番に食ってかかった。
「ふてえ奴だ。こんないかさまをしやあがる。生きた人間を入れて置いて、人を嚇かすということがあるものか。さあ、木戸銭を返せ」
 木戸銭をかえすのはさしたることでも無いが、いかさまをすると云われては商売にかかわるというので、木戸番も承知しなかった。論より証拠、まずその実地を見とどけることになって、長助と木戸番は小屋の奥へはいると、果たして柳の木の下にひとりの女が倒れていた。それは人形でもなく、拵え物でもなく、確かに正真《しょうしん》の人間であるので、木戸番もびっくりした。
 こういう興行物に変死人などを出しては、それこそ商売に障るのであるが、所詮《しょせん》そのままで済むべきことではないので、事件は表向きになった。

     

 長助に踏まれた時には、女はまだ生きていたらしいが、それを表へ運び出して近所の医者を呼んで来た時には、まったく息は絶えていた。医者にもその死因は判然《はっきり》しなかった。恐らくかの幽霊におどろきの余り、心《しん》の臓を破ったのであろうと診断した。検視の役人も出張ったが、女の死体に怪しむべき形跡もなかった。からだに疵の跡もなく、毒なども飲んだ様子もなかった。
 ほかの観世物と違って、大勢が一度にどやどやと押し込んでは凄味が薄い。木戸口でもいい加減に人数を測って、だんだんに入れるようにしているのであるが、かの女は長助のはいる前に木戸を通った者である。女のあとから一人の若い男がはいった。それから男と女の二人連れがはいった。その三人はいずれも右の路を取って、無事に出てしまった。その次へ来たのが長助である。して見ると、かの女は大胆に左の路を行って、赤子を抱いた幽霊におどかされたらしい。
 これは浅草寺内の出来事であるから、寺社奉行の係りである。それが他殺でなく、幽霊を見て恐怖のあまりに心臓を破って死んだというのでは、別に詮議の仕様もないので、事件は手軽に片付けられた。
 さてその女の身許《みもと》であるが、それも案外に早く判った。その当日、駿河屋の養子の信次郎も、商売用で浅草の花川戸まで出向いた。その帰り路で、幽霊の観世物小屋で見物の女が死んだという噂を聞いたが、自分の義母《はは》の身の上とは知らないで、そのままに照降町の店へ帰ると、日が暮れてから隠居所の女中が来て、御隠居さんがまだ帰らないという。朝から観音参詣に出て、夜に入るまで帰らないのは不思議であるというので、ともかくも店の若い者一人が小僧を連れて、あても無しに浅草観音の方角へ探しに出た。
 それが出たあとで、若主人の信次郎はふとかの観世物小屋の噂を思い出した。もしやと思って、更に番頭と若い者を出してやると、その死人は果たして義母のお半であったので、早速に死体を引き取って帰った。それから三日ほどの後に、駿河屋では立派な葬式《とむらい》を営んだ。
 今年の夏は残暑が軽くて、八月に入ると朝夕は涼風《すずかぜ》が吹いた。その八日の朝である。三河町の半七の家へ子分の松吉が顔を出した。
「親分、なにか変ったことはありませんかね」
「ここのところは不漁《しけ》だな」と、半七は笑った。「ちっとは骨休めもいいだろう。このあいだの淀橋のようながらがら[#「がらがら」に傍点]を食っちゃあ堪まらねえ。幸次郎はどんな塩梅《あんばい》だ」
「おかげで怪我の方は日ましにいいようです。もうちっと涼しくなったら起きられましょう。実はきのう千住の掃部宿《かもんじゅく》の質屋に用があって出かけて行くと、そこでちっとばかり家作《かさく》の手入れをするので、下谷通新町の長助という大工が来ていました。だんだん訊いてみると、その大工は浅草の幽霊の観世物小屋で、照降町の駿河屋の女隠居が死んでいるのを見付けたのだそうで、その時の話をして聞かせやしたよ。長助はまだ若けえ野郎で、口では強そうなことを云っていましたが、こいつも内心はぶるぶる[#「ぶるぶる」に傍点]もので、まかり間違えば気絶するお仲間だったのかも知れません」と、松吉も笑っていた。
「むむ、そんな話をおれも聞いた」と、半七はうなずいた。「そこで、観世物の方はお差し止めか」
「いいえ、相変らず木戸をあけています。まあ、なんとか宜しく頼んだのでしょう。世の中はまた不思議なもので、幽霊におどろいて死んだ者があったなんて云ったら、客の足がばったり止まるかと思いのほか、却ってそれが評判になって毎日大繁昌、なにが仕合わせになるか判りませんね」
「そこで、長助という奴はどんな話をした」
「ちっとはお負けも付いているかも知れませんが、まあ、こんな事でした」
 松吉の報告は前にも云った通りであった。
 それを聴き終って、半七はすこし考えた。
「その女隠居はどんな女か知らねえが、観音まいりに出かけたのじゃあ、幾らも金を持っていやあしめえな」
「そうでしょうね。女ひとりで参詣に出たのじゃあ、いくらも巾着銭《きんちゃくぜに》を持っていやあしますめえ」
「女ひとりと云えば、その隠居は女のくせに、たった一人で左の方へ行ったのは、どういう訳だろう。まさかに景物が欲しかったのでもあるめえが、よっぽど気の強い女とみえるな」
「もちろん大家《たいけ》の隠居だから、景物が欲しかったわけじゃあありますめえ。小屋のなかは暗いのと、怖い怖いで度を失ったのとで、右と左を間違えて、あべこべに歩いて行ったのだろうという噂です。怖い物見たさではいったら、案外に怖いので気が遠くなったのかも知れません」
「そう云ってしまえばそれまでだが……」と、半七はまだ不得心らしく考えていた。「おい、松。無駄骨かも知れねえが、まず取りあえず駿河屋をしらべてくれ」
 半七の注文を一々うけたまわって、松吉は早々に出て行ったが、その日の灯《ひ》ともしごろに帰って来た。
「親分、すっかり洗って来ました」
「やあ、御苦労。早速だが、その女隠居は幾つで、どんな女だ」
「名はお半と云って、四十五です。八年前に亭主に死に別れて、三年前から杉の森新道に隠居して、お嶋という女中と二人暮らしですが、店の方から相当の仕送りがあるので、なかなか贅沢《ぜいたく》に暮らしていたようです。四十を越してもまだ水々しい大柄の女で、ふだんから小綺麗にしていたと云います」
「駿河屋の養子はなんというのだ」
「信次郎といって、ことし二十一です。先代の主人の妹のせがれで、先代夫婦の甥にあたるわけです。先代には子供がないので、十一の年から養子に貰われて来て、十三のときに先代が死んだ。何分にも年が行かねえので、当分は義母のお半が後見をしていて、信次郎が十八の秋に店を譲ったのです。十八でもまだ若けえが、店には吉兵衛という番頭がいるので、それが半分は後見のような形で、商売の方は差支え無しにやっているそうです。若主人の信次郎は色白のおとなしい男で、近所の若けえ女なんぞには評判がいいそうです」
「信次郎はまだ独り身か」
「そんなわけで、男はよし、身上《しんしょう》はよし、年頃ではあり、これまでに二、三度も縁談の申し込みがあったそうですが、やっぱり縁遠いというのか、いつも中途で毀れてしまって、いまだに独り身です。と云って、別に道楽をするという噂も無いようです」
「お半は四十を越しても水々しい女だというが、それにも浮いた噂はねえのか」
「それがね、親分」と、松吉は小膝をすすめた。「わっしも、そこへ見当をつけて、女中のお嶋という奴をだまして訊《き》いたのですが、この女中は三月の出代りから住み込んだ新参で、内外《うちと》の事をあんまり詳しくは知らねえらしいのです。だが、女中の話によると、隠居のお半は毎月かならず先代の墓まいりに出て行く。浅草の観音へも参詣に行く。深川の八幡へもお参りをする。それはまあ信心だから仕方がねえとして、そのほかにも親類へ行くとか何とか云って、ずいぶん出歩くことがあるそうです。後家さんがあんまり出歩くのはどうもよくねえ。この方には何か綾があるかも知れませんね」
「そうだろうな」と、半七はうなずいた。「三年前といえば四十二だ。養子だって十八だ。それに店を譲って隠居してしまうのは、ちっと早過ぎる。店にいちゃあ何かの自由が利かねえので、隠居ということにして、別居したのだろう。そうして、勝手に出あるいている。いずれ何かの相手があるに相違ねえ。そこで、もう一度訊くが、お半が観世物小屋へはいると、そのあとから一人の若けえ男がはいった。それから男と女の二人連れがはいった。その次に大工の長助がはいった……と、こういう順になるのだな」
「そうです、そうです」
「お半の前にはどんな奴がはいったのだ」
「さあ。それは長助も知らねえようでしたが……。調べましょうか」
「お半のあと先にはいった奴をみんな調べてくれ。如才《じょさい》もあるめえが、年頃から人相風俗、なるたけ詳しい方がいいぜ」
「承知しました。木戸番の奴らを少し嚇かしゃあ、みんなべらべらしゃべりますよ」
 松吉は請け合って帰ると、入れちがいに善八が来た。
「おお、いいところへ来た。おめえにも少し用がある」
「今そこで松に逢いましたら、これから浅草のお化けへ出かけるそうで……」
「そうだ。お化けの方は松に頼んだが、おめえは照降町へまわってくれ」
 半七から探索の方針を授けられて、善八も怱々《そうそう》に出て行った。

     

 観世物小屋の一件は寺社方の支配内であるから、半七は翌あさ八丁堀同心の屋敷へ行って、今度の一件に対する自分の見込みを報告し、あわせて寺社方への通達を頼んで帰った。寺社方に捕り手は無いのであるから、その承諾を得れば町方《まちかた》が手をくだしても差し支えはない。まずその手続きを済ませた上で、半七は更に北千住の掃部宿《かもんじゅく》へむかった。
 きょうは朝から曇って、この二、三日のうちでも取り分けて涼しい日であった。千住の宿《しゅく》を通りぬけて、長い大橋を渡ってゆくと、荒川の秋の水が冷やかに流れていた。掃部宿へゆき着いて、丸屋という質屋をたずねると、すぐに知れた。質屋と云っても半分は農家で、相当の身上《しんしょう》であるらしい。その裏手に二軒の家作《かさく》があって、大工や左官などがはいっていた。
「もし、長さんは来ていますかえ」と、半七はそこにいる大工の小僧に訊《き》いた。
「ええ、長さんはそこにいますよ」
 小僧はあたりを見まわして、一人の若い男を指さして教えた。彼は二十三四の職人であるが、しるし半纒の仕事着も着ないで、唯の浴衣《ゆかた》を着たままで、猫柳の下にぼんやりと突っ立って、他人《ひと》の仕事を眺めていた。よく見ると、かれは右の手を白布で巻いていた。顔にも二三ヵ所カスリ疵があった。彼は何か喧嘩でもして、右の手を痛めた為に、きょうは仕事を休んでいるのであろうと察せられた。
「おまえさんは大工の長さんだね」と、半七は近よって声をかけた。
「ええ、そうです」と、長助は答えた。
「おととい私の内の松吉がおまえさんに逢って、浅草の話を聴いたそうだが……」
 長助は俄かに顔の色をかえて、恐れるように半七をじっと見つめた。彼は松吉の商売を知っている。したがって、半七の身分も大抵想像したのであろう。それにしても、人を恐れるような彼の挙動が半七の注意をひいた。
「済まねえが、そこまで顔を貸してくれ」
 半七は彼を誘って、七、八間ほども距《はな》れた茗荷《みょうが》畑のそばへ出た。
「おめえ、きょうは仕事を休んでいるのか」
「へえ」と、長助はあいまいに答えた。
「怪我をしているようだな。喧嘩でもしたのかえ」
「へえ、詰まらねえことで友達と……」
 職人が友達と喧嘩をするのは珍らしくない。唯それだけの事で、彼が顔の色を変えたり、人を恐れたりする筈がない。半七は俄かに覚った。
「おい、長助。おめえは友達と喧嘩したのじゃああるめえ。きのうも仕事を休んだな」
 長助の顔色はいよいよ変った。
「きのうも仕事を休んで浅草へ行ったろう」と、半七は畳みかけて云った。「そうして幽霊の小屋へ行って、何かごた[#「ごた」に傍点]付いたろう。はは、相手が悪い。おまけに多勢《たぜい》に無勢《ぶぜい》だ。なぐられて突き出されて、ちっと器量が悪かったな」
 図星をさされたと見えて、長助は唖のように黙っていた。
「だが、相手はこんな事に馴れている。唯なぐって突き出したばかりじゃああるめえ。そこには又、仲裁するような奴が出て来て、兄い、まあ我慢してくれとか何とか云って、一朱銀《いっしゅ》の一つも握らせてくれたか」と、半七は笑った。
 長助はやはり黙っていた。
「もうこうなったら隠すことはあるめえ。おめえは一体なんと云って、あの小屋へ因縁を付けに行ったのだ」
「あの時、飛んだところへ行き合わせて、わたしもいろいろ迷惑しました」と、長助は低い声で云った。「観世物の方はあの一件が評判になって、毎日大入りです。なんとか因縁を付けてやれと、友達どもが勧めますので、わたしもついその気になりまして……」
「だが、そりゃあちっと無理だな。そんな所へ行き合わせたのは、おめえの災難というもので、誰が悪いのでもねえ。それで因縁を付けるのは、強請《ゆすり》がましいじゃあねえか」
 半七の口から強請と云われて、長助はいよいようろたえたらしく、再び口を閉じて眼を伏せた。
「まあ、いい。おめえはどうで仕事を休んでいるのだろう。丁度もう午《ひる》だ。そこらへ行って、飯でも食いながらゆっくり話そうじゃあねえか」
 長助はおとなしく付いて来たので、半七は彼を大橋ぎわの小料理屋へ連れ込んだ。川を見晴らした中二階で、鯉こくと鯰《なまず》のすっぽん煮か何かを喰わされて、根が悪党でもない長助は、何もかも正直に話してしまった。
「きょうのことは当分誰にも云わねえがいいぜ」と、半七は口留めをして彼と別れた。
 その足で更に浅草へ廻ろうかと思ったが、ともかくも松吉や善八の報告を待つことにして、半七はそのまま神田へ帰った。
 秋といっても、八月の日はまだ長い。途中で二軒ほど用達《ようたし》をして、家へ帰って夕食を食って、それから近所の湯へ行くと、その留守に善八が来ていた。
「どうだ。判ったか」
「大抵はわかりました」と、善八は心得顔に答えた。「駿河屋の女隠居には男があります。松の云う通り、女中は新参でなんにも知らねえようですが、わっしは近所の駕籠屋の若い者から聞き出しました」
「その男はどこの奴だ」
「葺屋町《ふきやちょう》の裏に住んでいる音造という奴で、小博奕なんぞを打って、ごろ付いているけち[#「けち」に傍点]な野郎ですよ」
「違うだろう」と、半七はひとり言のように云った。
「違いますかえ」
「いや、違うとも限らねえが……」と、半七は首をかしげていた。「そこで、その音造という奴は杉の森新道へ出這入りするのか」
「そんな奴が出這入りをしちゃあ、すぐに近所の眼に付くから、深川の八幡前の音造の叔母というのが小さい荒物屋をしている。そこの二階を出逢い所としていたようです。音造は二十七八で、いやにぎすぎすした気障《きざ》な野郎ですよ。あんまり相手が掛け離れているので、わっしも最初はおかしく思ったのですが、だんだん調べてみると、どうも本当らしいのです」
「駿河屋の若主人はまったく色気なしか」
「いや、これにも女の係り合いがあるようです。両国の列《なら》び茶屋にいるお米《よね》という女、これがおかしいという噂で、時々に駿河屋の店をのぞきに来たりするそうです。わっしも念のために両国へまわって、飲みたくもねえ茶を飲んで来ましたが、そのお米という女は若粧《わかづく》りにしているが、もう二十三四でしょう。たしか若主人よりも年上ですよ。ねえ、親分。照降町の駿河屋といえば、世間に名の通っている店だのに、その隠居の相手はごろつき、主人の相手は列び茶屋の女、揃いも揃って相手が悪いじゃあありませんか」
「それだからいろいろの間違いも起こるのだ」と、半七は苦笑《にがわら》いした。「そこで、その音造という奴はどうした」
「どうで慾得でかかった色事でしょうから、相手の隠居があんな事になってしまっちゃあ、金の蔓《つる》も切れたというものです。それでもまだ金に未練があると見えて、隠居の通夜《つや》の晩に、線香の箱かなんか持って来て、裏口から番頭の吉兵衛をよび出して、これを仏前に供えてくれと云う。番頭もそのわけを薄々知っているので、そんなものを貰ってはあとが面倒だと思って、折角だが受け取れないと云う。その押し問答が若主人の耳にはいると、信次郎は奥から出て来て、おまえからそんな物を貰う覚えはないと、激しい権幕で呶鳴り付けたそうです」
「激しい権幕で呶鳴り付けたか」と、半七はうなずいた。
「主人の勢いがあんまり激しいので、音造の野郎もさすがに気を呑まれたのか、それとも大勢がごたごた[#「ごたごた」に傍点]している所で喧嘩をしちゃあ自分の損だと思ったのか、主人にあたまから呶鳴り付けられて、尻尾《しっぽ》をまいてこそこそと逃げて帰ったそうです。どっちにしても、意気地のある奴じゃありませんね」
 善八は軽蔑するように笑っていた。

     

 やがて松吉も帰って来た。
 その報告によると、浅草の観世物小屋では、当日お半の来る前は客足がしばらく途切れていた。お半の少しあとから若い男がはいった。それから男と女の二人連れ、その次に長助、すべて前に云った通りである。長助はもう判っているが、他の男女三人の人相、年頃、風俗、その説明を松吉から聞かされて、半七は肚《はら》のなかでほほえんだ。
「じゃあ、いよいよ仕事に取りかからなければならねえが、松は木戸番に顔を識られているから拙《まず》い。善八、おめえは亀を誘って浅草へ行って、観世物小屋の裏手へ廻って、右と左の出口を見張っていてくれ。おれは客の振りをして、素知らぬ顔で表からはいる。あとは臨機応変だ。あしたの午頃までに間違いなく行ってくれ」
「承知しました」
 約束を決めて、その晩は別れた。あくる日はからりと晴れて、又すこし暑くなったが、顔をかくすには都合がいい。半七は日除《ひよ》けのように白地の手拭をかぶって、観世物小屋の前へ来かかると、善八と亀吉はひと足さきに来て、なにげなく小屋の看板をながめていた。勿論たがいに挨拶もしない。半七は眼で知らせると、二人はこころ得て裏手へ廻った。
 半七は十六文の木戸銭を払って、唯の客のような顔をして木戸口をはいった。狭い薄暗い路を通って、例の獄門首や骸骨を見ながら、二筋道の曲がり角を左に取ってゆくと、どこかで青白い鬼火が燃えているらしかった。半七も血だらけの細い手に袖をひかれた。姙《はら》み女の死骸をまたがせられた。大きい蝙蝠《こうもり》に顔をなでられた。もうここらだろうと思うときに、半七の頬かむりの手拭をつかむ者があった。
 髷節《まげぶし》を取られない用心のために、半七は髷と手拭のあいだに小さい針金を入れて置いたので、手拭は地頭《じあたま》よりも高く盛り上がっていた。それを知らない怪物は、いたずらに手拭を掴んだに過ぎなかった。爪の長い手が手拭をずるりと引いた時、半七はすぐに其の手を取って、あべこべにぐいと引くと、不意をくらって怪物は立ち木の枝からころげ落ちた。透かして見ると、それは猿のような姿である。
「馬鹿野郎」
 半七はその横っ面をぽかりと殴りつけると、怪物はあっ[#「あっ」に傍点]と悲鳴をあげた。半七はつづけて二つ三つ殴った。
「なんだ、てめえは……。変な物に化けやあがって、ふてえ奴だ。そっちの幽霊もここへ出て来い。おれは御用聞きの半七だ。どいつも逃げると承知しねえぞ」
 御用聞きの声におどろいて、猿のような怪物はそこに小さくなった。柳の下に立っていた女の幽霊も、思わずそこに膝をついた。行く先の藪のかげでも、何かがさがさいう音がきこえて、幽霊の仲間が姿を隠すらしく思われた。
 無事に左の路を通り抜けたものには、景品の浴衣地《ゆかたじ》をやるといい、それを餌《えさ》にして見物を釣るのであるが、十六文の木戸銭で反物をむやみに取られては堪まらない。そこで、左の路には作り物のほかに、本当の幽霊がまじっている。或る者が幽霊その他の怪物に姿を変じて、いろいろの手段を用いて人を嚇《おど》すのである。この時代にはこんな観世物のあることは半七はかねてから知っていた。
「てめえは猿か。名はなんというのだ」
「源吉と申します」と、十三四の小僧が恐れ入って答えた。
「そっちの幽霊は何者だ」
「岩井三之助と申します」と、幽霊は細い声で答えた。彼は両国の百日芝居の女形《おんながた》であった。
「こんないかさまをしやがって、不埓な奴らだ」と、半七は先ず叱った。「これから俺の訊《き》くことを何でも正直に云え。さもねえと、貴様たちの為にならねえぞ」
「へい」
 猿も幽霊も頭をかかえて縮みあがった。半七はそこにころげている捨石《すていし》に腰をおろした。
「先月の末に、照降町の駿河屋の女隠居がここで頓死した。貴様たちが何か悪い事をしたのだな。質《たち》のよくねえ嚇《おど》かし方をしたのだろう。隠さずに云え」
「違います。違います」と、二人は声をそろえて云った。
「それじゃあ誰が殺したのだ」
 二人は顔を見合わせていた。
「さあ、正直に云え。云わなけりゃあ貴様たちが殺したのだぞ。人を殺して無事に済むと思うか。どいつも一緒に来い」
 半七は両手に猿と幽霊をつかんで引っ立てようとすると、源吉も三之助も泣き出した。
「親分、勘弁してください。申し上げます。申し上げます」
「きっと云うか」と、半七は掴んだ手をゆるめた。「貴様たちの云う前に、おれの方から云って聞かせる。女隠居と一緒に、若い男がここへ来たろう」
「まいりました」と、三之助は答えた。「隠居さんは怖いから忌《いや》だというのを、男が無理に連れて来たようでした」
「そうか。そのあとから男と女の二人連れが来たろう。前の男と、あとの二人……。この三人のうちで、誰が隠居を殺した。おそらく前の男じゃあるめえ。あとから来た男が殺したか」
「へい」と、三之助は恐るおそる答えた。
「貴様たちは、ここにいて何もかも見ていたろう。あとから来た奴がどうして隠居を殺した」
「わたくしが女の髷をつかむと、女はぎゃっ[#「ぎゃっ」に傍点]と云って、男に抱き付きました」と、源吉は説明した。「男は、なに大丈夫だと云って、女を抱えるようにして三之助さんの方へ歩いて来ました」
「わたくしが手をあげて招くようにすると、女は又きゃっ[#「きゃっ」に傍点]と云って男にしがみ付きました」と、三之助が代って話した。「その時に、あとから来た男が駈け寄って、なにか鉄槌《かなづち》のような物で女の髷のあたりを叩きました。薄暗くって、よくは判りませんでしたが、女はそれぎりでぐったり倒れたようでした。それを見て、男同士はなにか小声で云いながら、怱々《そうそう》に引っ返してしまいました」
「連れの女はどうした」
「連れの女はあとの方から眺めているだけで、これも黙って立ち去りました」
 この事実を眼のまえに見ていながら、彼等はそれを口外しなかったのは、自分たちの秘密露顕を恐れたからである。あの観世物小屋には人間が忍ばせてあるなどという噂が立っては、商売は丸潰れになるばかりか、どんな咎めを受けないとも限らないので、かれらは素知らぬ顔をしていたのである。
「よし、それで大抵わかった。いずれ又よび出すかも知れねえが、そのときにも今の通り、正直に申し立てるのだぞ」
 半七は二人に云い聞かせて、左の裏口から出ると、そこには亀吉が待っていた。
「親分、どうでした」
「もういい。これから八丁堀へ行って、きょうの顛末を旦那に話して、それぞれに手配りをしなけりゃあならねえ」
 そこへ善八も廻って来た。
「駿河屋の女隠居を殺した奴らは三人だ」と、半七はあるきながらささやいた。「若けえ男というのは駿河屋の養子の信次郎だ。年頃から人相がそれに相違ねえ。女は列《なら》び茶屋のお米だ。もう一人の男が判らねえ」
「音造じゃありませんか」と、善八は訊いた。
「そうじゃあねえらしい。年頃は四十ぐれえで、堅気らしい風体《ふうてい》だったと云うから、お米の兄きとか叔父とかいう奴じゃあねえかと思う。なにしろ其奴《そいつ》が手をおろした本人だから、下手なことをやって、そいつを逃がしてしまうと物にならねえ。信次郎やお米はいつでも挙げられる。まず其の下手人を突き留めにゃあならねえ」
「じゃあ、すぐに洗って見ましょう」
「むむ。お米の親類か何かに大工のような商売の者はねえか、気をつけてくれ。下谷の長助も大工だが、あいつじゃねえ」
「ようがす。今夜じゅうに調べます」と、善八は請け合った。
 子分ふたりに途中で別れて、半七は八丁堀へむかった。
 日が暮れて、涼しい風が又吹き出した。油断すると寝冷えするなどと云いながら、四ツの鐘を聞いて寝床にはいると、その夜なかに半七の戸を叩いて、松吉が飛び込んだ。
「親分、たいへんな事が出来やした。駿河屋の信次郎が殺された」
「駿河屋が殺された……」と、半七もおどろいて飛び起きた。
「まだ死にゃあしねえが、もうむずかしいと云うのです」と、松吉は説明した。「なんでも今夜の四ツ過ぎに、清五郎という男と一緒に……。どこかで酒を飲んだ帰りらしい、ほろ酔い機嫌で親父橋《おやじばし》まで来かかると、橋のたもとの柳のかげから一人の男が飛び出して、不意に信次郎の横っ腹を突いたので……」
「相手は誰だ。音造という奴か」
「そうです。突いてすぐに逃げかかると、連れの清五郎が追っかけて押さえようとする。相手は一生懸命で匕首《あいくち》をふり廻す。そのはずみに清五郎は右の手を少し切られた。それでも大きい声で人殺し人殺しと呶鳴ったので、近所の者も駈けつけて来て、音造はとうとう押さえられてしまいました。信次郎は駿河屋へ送り込まれて、医者の手当てを受けているのですが、急所を深くやられたので、多分むずかしいだろうという噂です」
「連れの清五郎というのは何者だ」
「向う両国の大工だそうです。本人が番屋で申し立てたのじゃあ、駿河屋で何か建て増しをするので、その相談ながら両国辺でいっしょに飲んで、駿河屋の主人を照降町まで送って帰る途中だということです」
 半七は忌々《いまいま》しそうに舌打ちをした。
「やれやれ、飛んだ番狂わせをさせやあがる。その清五郎はまだ番屋にいるのか」
「清五郎の疵はたいした事でもねえので、そこで手当てをした上で、まだ番屋に残っています。なにしろ人殺しというのですから、八丁堀の旦那も出て来る筈です。住吉|町《ちょう》の親分も来ていました」
 ここらは住吉町の竜蔵の縄張り内である。その竜蔵が顔を出した上は、半七がむやみに踏み込んで荒らし廻るわけにも行かなくなった。仲間の義理としても、この手柄の半分を彼に分配するのほかはなかった。
「じゃあ、もう一度おやじ橋へ行って、竜蔵にそう云ってくれ。その清五郎という奴は大事の科人《とがにん》だから逃がしちゃあいけねえ。あしたの朝おれが行くまで厳重に番をしていてくれと……。音造も人殺しだが、それを押さえた清五郎も人殺しだ。うっかり逃がすと事こわしだ。いいか、よく其の訳を云ってくれ」

     

「これでお判りになりましたろう」と、半七老人は云った。「さっきからお話し申した通り、観世物小屋へは最初に女隠居のお半がはいる。つづいて養子の信次郎がはいる。そのあとから大工の清五郎とお米がはいる。お半を抱えていたのが信次郎で、うしろから鉄槌《かなづち》で叩いたのが清五郎です」
「それにしても、なぜお半を殺すことになったんですか」と、わたしは訊《き》いた。
「つまりはお定まりの色と慾です。お半と信次郎とは叔母甥とはいいながら、しょせんは他人、殊に三十代で亭主に別れたお半は、信次郎が十七八の頃から、おかしい仲になってしまったんです。そこで、一つ家にいては人目がうるさいので、お半は信次郎に店を譲って杉の森新道に隠居することにして、信次郎が時々にたずねて行ったり、誘い合わせて何処へか一緒に出かけたりしていた。それで済んでいればまだ無事だったんですが、そのうちにお半には音造、信次郎にはお米という別別の相手が出来た。それがこの一件の原因です」
「お半はどうしてそんなごろ付きのような男に関係したんですか」
「それはよんどころなく……。というのは、お半と信次郎が深川の八幡さまへ参詣に行って、そこらの小料理屋へはいり込むと、丁度にそこへ音造が来ていて、二人の秘密を覚られてしまったんです。照降町の駿河屋といえば、世間に知られた店です。その女隠居が養子と不義密通、それを悪い奴に見付けられたんですから、もう動きが取れません。しかし駿河屋には大勢の人間が控えているから、音造も店の方へは近寄らないで、杉の森新道の隠居所へ押し掛けて行く。最初は金をいたぶっていたんですが、度重なるうちに色気にころんで来る。それが斯ういう奴らの手で、色気の方に関係を付けてしまえば、何事も自分の自由になる。お半も我が身に弱身があるから仕方がない、忌忌《いやいや》ながら音造の云うことを肯《き》いていたというわけです。
 それを又、信次郎に覚られた。勿論、信次郎にも弱身があるから、表向きに音造を責めることも出来ず、お半を怨むわけにも行かない。しかし内心は面白くないから、幾らかお半に面当《つらあ》てのような気味で、両国の列び茶屋などへ遊びに行って、お米という女と関係が出来てしまった。それがお半に知れると、自分のことを棚にあげて信次郎を責める。信次郎も音造の一件を楯《たて》に取ってお半を責める。こういう風にこぐらかって来ると、ひと騒動おこるは必定《ひつじょう》。おまけにお米の叔父の清五郎というのが良くない奴で、相手が駿河屋の若主人というのを付け目に、お米をけしかけて駿河屋に乗り込ませる魂胆、これではいよいよ無事に済まない事になります。
 お半は隠居したと云うものの、信次郎は養子の身分であるので、家付きの地所家作なぞはまだ自分の物になっていない。お米を自分の店へ引っ張り込むなぞということは、とてもお半の承知する筈がない。かたがたお半を亡き者にしてしまわなければ、何事も自分の自由にはならない。以前の信次郎ならば、まさかそんな料簡も起こさなかったでしょうが、かの音造の一件からお半に対して強い嫉妬を感じている。そこへ付け込んで、清五郎がうまく焚き付けたので、とうとう叔母殺しという大罪を犯すことになったんです。年が若いとは云いながら、人間の迷いは恐ろしいものです。
 そこで、どうしてお半を片付けようかと狙っていると、かの浅草の観世物の評判が高い。そこへ引っ張り込んで殺すという計略、それは清五郎が知恵を授けたんです。当日お半と約束して、信次郎は花川戸の同商売の家へ行くと云い、お半は観音へ参詣すると云い、途中で落ち合って一緒に浅草へ出かけました。二人の出逢い場所はふだんから決まっているので、浅草辺の小料理屋の二階で午過ぎまで遊び暮らして、それから仁王門前の観世物小屋へ見物に行く。幽霊の観世物なぞは忌だとお半が云うのを、信次郎が無理に誘って連れ込んだ。しかし二人が一緒にはいっては人の目に付くというので、ひと足先にお半をはいらせて、信次郎はあとからはいる。かねて打ち合わせてあるので、又そのあとから清五郎とお米もはいる。お米に手伝いをさせる訳ではないが、木戸の者に油断させるために、わざと女連れで出かけたんです。
 お半は幽霊を怖がって、中途から右の路へ出ようというのを、胸に一物《いちもつ》ある信次郎は、無理に左の方へ連れ込むと、お半はいよいよ怖がって信次郎にすがり付く。そこを窺って、清五郎が鉄槌《かなづち》で頭をひと撃ち……」
「お半を殺した三人は、幽霊が生きていることを知らなかったんですね」
「そこが運の尽きです」と、老人はほほえんだ。「なんと云っても、みんな素人《しろうと》の集まりですから、こういう観世物の秘密を知らない。木の上の猿も、柳の下の幽霊も、それが生きた人間とは夢にも知らないで、平気で人殺しをやってしまったんです。しかし前にも申す通り、猿や幽霊の方にも秘密があるので、自分たちの眼の前に人殺しを見ていながら、それを迂濶《うかつ》に口外することが出来ない。そこで一旦は計略成就して、お半は幽霊におびえて死んだことになって、無事に死骸を引き取って、葬式までも済ませたんです。定めてあっぱれの知恵者と自慢していたんでしょうが、そうは問屋で卸《おろ》しませんよ」
「さっきからのお話では、あなたは最初から駿河屋の信次郎に眼を着けて居られたようですが、それには何か心あたりがあったんですか」
「心あたりと云う程でもありませんが、なんだか気になったのは、お半の帰りが遅いと云うので、店の若い者を浅草へ出してやる。そのあとで信次郎は、観世物小屋で女の見物人が死んだという噂をふと思い出して、更に番頭を出してやると、果たしてそうであったという。勿論、そういうことが無いとは限りません。しかしその話を聞いた時に、わたくしは何だか信次郎を怪しく思ったんです。義母の帰りが遅いからといって、幽霊の観世物を見て死んだんだろうと考えるのは、あんまり頭が働き過ぎるようです。本人は当日花川戸へ行って、その噂を聞いて来たと云うんですが、噂を聞いただけでなく、何もかも承知しているんじゃあないかという疑いが起こったんです。
 もう一つには、お半という女隠居が、自分ひとりで左の路を行ったことです。連れでもあれば格別、女のくせに右へは出ないで、左へ行ったのが少し不思議です。路に迷ったといっても、右と左を間違えそうにも思われません。おそらく誰かに連れて行かれたのじゃあ無いかと思われます。そうなると、信次郎も当日浅草へ行ったというのが、いよいよ怪しく思われないでもありません。だんだん調べてみると、お半のあとから木戸をはいった若い男の年頃や人相が信次郎らしいので、まず大体の見当が付きました」
「お半を殺したのは大工らしいというのは、鉄槌《かなづち》からですか」
「そうです。喧嘩でもして人を殺すならば、手あたり次第に何でも持ちますが、前から用意して行く以上、手頃な物を持って行くのが当然です。疵のあとを残さない用心といっても、わざわざ鉄槌を持ち出して行くのは、ふだんから手馴れている為だろうと思ったんです。本人の清五郎の白状によると、まだ驚いた事がありました。お半のあたまを鉄槌でがん[#「がん」に傍点]とくらわしたばかりで無く、長い鉄釘《かなくぎ》を用意して行って、頭へ深く打ち込んだのです。こんにちならば検視のときに発見されるでしょうが、むかしの検視はそんな所まで眼がとどきません。男と違って、女は髪の毛が多いので、釘を深く打ち込んでしまうと、毛に隠されて容易に判りません。これなぞも大工の考えそうなことで、長い釘を一本打ち込むのでも、素人では手際《てぎわ》よく行かないものです。
 頭へ釘を打ち込まれたら即死の筈です。そのお半が長助に武者振り付いたというのは、ちっと理窟に合わないようですが、長助は確かにむしり付かれたと云っていました。この長助は職人のくせに、案外に気の弱い奴ですから、内心怖いと思っていたので、死骸が自分の方へでも倒れかかって来たのを、むしり付かれたと思ったのかも知れません。
 わたくしが掃部宿《かもんじゅく》へたずねて行った時に、長助がなんだかびくびくしているのは変だと思いましたら、案の通り、浅草の観世物小屋へ因縁を付けに行って、幾らか貰って来たんです。お半にむしり付かれた時には、長助は半分夢中だったのですが、それでも幾らかは周囲の様子をおぼえている。その話によると、お半の倒れていたあたりには、人間の化け物が忍んでいたらしい。考えようによっては、その化け物がお半を殺したかとも疑われるんですが、わたくしは最初の見込み通り、どこまでも信次郎に眼をつけて、とうとう最後まで漕ぎ着けました。わたくし共の商売の道から云えば、これらはまぐれあたりかも知れませんよ。しかし幽霊の観世物を利用して人殺しを思いつくなぞは、江戸時代ではまあ新手《あらて》の方でしょうね」
「信次郎は死にましたか」
「あくる日の夕方に死にました。その朝、わたくしは駿河屋へ乗り込んで、まわりの者を遠ざけて、信次郎の枕もとに坐って、どうでお前は助からない命だ。正直に懺悔《ざんげ》をしろと云い聞かせますと、当人ももう覚悟したとみえて、何もかも素直に白状しました。その死にぎわには、おっかさんの幽霊が来たなぞと、囈語《うわごと》のように云っていたそうです。それでも信次郎は運がいいのです。もし生きていたら義母殺しの大罪人、引き廻しの上で磔刑《はりつけ》になるのが定法《じょうほう》であるのを、畳の上で死ぬことが出来たのは仕合わせでした。
 音造が信次郎を闇撃ちにしたのは、大抵お察しでもありましょうが、お半との関係を云い立てて、駿河屋から幾らかの涙金を取ろうとする。番頭の吉兵衛も世間体をかんがえて、結局幾らかやろうと云い出したんですが、信次郎がどうしても承知しない。金が惜しいのじゃあなくて、お半との関係について強く嫉妬心を持っていたからです。それがために話がいつまでも纒まらない。音造も表向きに持ち出せる問題じゃあないから、所詮は泣き寝入りにするのほかはない。その口惜しまぎれに刃物三昧に及んだわけですが、その音造を取り押さえた為に、清五郎もすぐに其の場から縄付きになるとは、天の配剤とでも云うのでしょうか、まことに都合よく行ったものです。
 音造も清五郎も無論死罪ですが、お米だけは早くも姿を隠しました。それから七、八年の後に、両国辺の人たちが大山《おおやま》参りに出かけると、その途中の達磨《だるま》茶屋のような店で、お米によく似た女を見かけたと云うのですが、江戸末期のごたごたの際ですから、そんなところまでは詮議の手がとどかず、とうとう其の儘になってしまいました」

底本:「時代推理小説 半七捕物帳(五)」光文社文庫、光文社
   1986(昭和61)年10月20日初版1刷発行
入力:tat_suki
校正:小林繁雄
1999年5月6日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
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