岡本綺堂

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雪女—— 岡本綺堂

一  O君は語る。  大正の初年から某商会の満洲支店詰を勤めていた堀部君が足かけ十年振りで内地へ帰って来て、彼が満洲で遭遇した雪女の不思議な話を聞かせてくれた。  この出来事の舞台は奉天《ほうてん》に近い芹菜堡子《ぎんさいほし》とかいう所だ...
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火薬庫—— 岡本綺堂

例の青蛙堂主人から再度の案内状が来た。それは四月の末で、わたしの庭の遅桜も散りはじめた頃である。定刻の午後六時までに小石川の青蛙堂へ着到《ちゃくとう》すると、今夜の顔ぶれはこの間の怪談会とはよほど変わっていた。例によって夜食の御馳走になって...
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こま犬—— 岡本綺堂

一  春の雪ふる宵に、わたしが小石川の青蛙堂に誘い出されて、もろもろの怪談を聞かされたことは、さきに発表した「青蛙堂鬼談」にくわしく書いた。しかしその夜の物語はあれだけで尽きているのではない。その席上でわたしがひそかに筆記したもの、あるいは...
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五色蟹—— 岡本綺堂

一  わたしはさきに「山椒の魚」という短い探偵物語を紹介した。すると、読者の一人だというT君から手紙をよこして、自分もかつて旅行中にそれにやや似た事件に遭遇した経験をもっているから、何かの御参考までにその事実をありのままに御報告するといって...
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経帷子の秘密—— 岡本綺堂

一  吉田君は語る。  万延元年――かの井伊大老の桜田事変の年である。――九月二十四日の夕七つ半頃(午後五時)に二挺の駕籠《かご》が東海道の大森を出て、江戸の方角にむかって来た。  その当時、横浜《ハマ》見物ということが一種の流行であった。...
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兜 ——岡本綺堂

一  わたしはこれから邦原君の話を紹介したい。邦原君は東京の山の手に住んでいて、大正十二年の震災に居宅と家財全部を焼かれたのであるが、家に伝わっていた古い兜が不思議に唯ひとつ助かった。  それも邦原君自身や家族の者が取出したのではない。その...
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女侠伝 ——岡本綺堂

一  I君は語る。  秋の雨のそぼ降る日である。わたしはK君と、シナの杭州、かの西湖《せいこ》のほとりの楼外楼《ろうがいろう》という飯館《はんかん》で、シナのひる飯を食い、シナの酒を飲んだ。のちに芥川龍之介氏の「支那游記」をよむと、同氏もこ...
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廿九日の牡丹餅—— 岡本綺堂

一  六月末の新聞にこんな記事が発見された。今年は暑気が強く、悪疫《あくえき》が流行する。これを予防するには、家ごとに赤飯を炊《た》いて食えと言い出した者がある。それが相当に行われて、俄かに赤飯を炊いて疫病《やくびょう》よけをする家が少くな...
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影を踏まれた女 ―「近代異妖編」—– 岡本綺堂

一  Y君は語る。  先刻も十三夜のお話が出たが、わたしも十三夜に縁のある不思議な話を知つてゐる。それは影を踏まれたといふことである。  影を踏むといふ子供遊びは今は流行《はや》らない。今どきの子供はそんな詰らない遊びをしないのである。月の...
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慈悲心鳥—— 岡本綺堂

一  人びとの話が代るがわるにここまで進んで来た時に、玄関の書生が「速達でございます。」といってかさ高の郵便を青蛙堂主人のところへ持って来た。主人はすぐに開封すると、それは罫紙に細かく書いた原稿ようのものに、短い手紙が添えてあるらしかった。...
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心中浪華の春雨—– 岡本綺堂

一  寛延《かんえん》二|己巳年《つちのとみどし》の二月から三月にかけて、大坂は千日前《せんにちまえ》に二つの首が獄門に梟《か》けられた。ひとつは九郎右衛門という図太い男の首、他のひとつはお八重という美しい女の首で、先に処刑《しおき》を受け...
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ゆず湯—– 岡本綺堂

一  本日ゆず湯というビラを見ながら、わたしは急に春に近づいたような気分になって、いつもの湯屋の格子をくぐると、出あいがしらに建具屋のおじいさんが濡れ手拭で額をふきながら出て来た。 「旦那、徳がとうとう死にましたよ。」 「徳さん……。左官屋...
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恨みの蠑螺 ——-岡本綺堂

一  文政四年の四月は相州《そうしゅう》江の島弁財天の開帳《かいちょう》で、島は勿論、藤沢から片瀬にかよう路々もおびただしい繁昌を見せていた。  その藤沢の宿《しゅく》の南側、ここから街道を切れて、石亀川の渡しを越えて片瀬へ出るのが、その当...
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異妖編—— 岡本綺堂

K君はこの座中で第一の年長者であるだけに、江戸時代の怪異談をたくさんに知っていて、それからそれへと立て続けに五、六題の講話があった。そのなかで特殊のもの三題を選んで左に紹介する。      一 新牡丹燈記  剪燈新話のうちの牡丹燈記を翻案し...
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怪獣—— 岡本綺堂

一 「やあ、あなたも……。」と、藤木博士。 「やあ、あなたも……。」と、私。  これは脚本風に書くと、時は明治の末年、秋の宵。場所は広島停車場前の旅館。登場人物は藤木理学博士、四十七、八歳。私、新聞記者、三十二歳。  わたしは社用で九州へ出...
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平家蟹—— 岡本綺堂

登場人物 官女 玉虫《たまむし》 その妹 玉琴《たまこと》 那須与五郎宗春《なすのよごろうむねはる》 旅僧 雨月《うげつ》 官女 呉羽《くれは》の局《つぼね》 同 綾の局 浜の女房 おしお 那須の家来 弥藤二《やとうじ》 ほかに那須の家来。...
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鼠——– 岡本綺堂

一  大田蜀山人の「壬戌《じんじゅつ》紀行」に木曾街道の奈良井の宿のありさまを叙して「奈良井の駅舎を見わたせば梅、桜、彼岸ざくら、李《すもも》の花、枝をまじえて、春のなかばの心地せらる。駅亭に小道具をひさぐもの多し。膳、椀、弁当箱、杯、曲物...
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中国怪奇小説集 捜神後記(六朝)——– 岡本綺堂

第二の男は語る。 「次へ出まして、わたくしは『捜神後記』のお話をいたします。これは標題の示す通り、かの『捜神記』の後編ともいうべきもので、昔から東晋《とうしん》の陶淵明《とうえんめい》先生の撰ということになって居りますが、その作者については...
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西瓜—— 岡本綺堂

一  これはM君の話である。M君は学生で、ことしの夏休みに静岡|在《ざい》の倉沢という友人をたずねて、半月あまりも逗留していた。  倉沢の家は旧幕府の旗本で、維新の際にその祖父という人が旧主君の供をして、静岡へ無禄移住をした。平生から用心の...
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鰻に呪われた男—— 岡本綺堂

一 「わたくしはこの温泉へ三十七年つづけて参ります。いろいろの都合で宿は二度ほど換えましたが、ともかくも毎年かならず一度はまいります。この宿へは震災前から十四年ほど続けて来ております。」  痩形《やせがた》で上品な田宮夫人はつつましやかに話...