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下村千秋

天國の記録—— 下村千秋

彼女等はかうして、その血と 肉とを搾り盡された 一  三月の末日、空《から》つ風がほこりの渦を卷き上げる夕方――。  溝《どぶ》の匂ひと、汚物《をぶつ》の臭氣と、腐つた人肉の匂ひともいふべき惡臭とがもつれ合つて吹き流れてゐる、六尺幅の路地《...
下村千秋

泥の雨—– 下村千秋

日が暮れると、北の空に山のやうに盛り上つた黒雲の中で雷光が閃めいた。キラツと閃めく度にキーンといふ響きが大空に傳はるやうな氣がした。  由藏は仕事に切りをつけると、畑の隅に腰を下して煙草をふかし始めた。彼は死にかけてゐる親爺のことを考へると...
下村千秋

壇ノ浦の鬼火—– 下村千秋

一  天下《てんか》の勢力《せいりょく》を一|門《もん》にあつめて、いばっていた平家《へいけ》も、とうとう源氏《げんじ》のためにほろぼされて、安徳天皇《あんとくてんのう》を奉《ほう》じて、壇《だん》ノ浦《うら》のもくずときえてからというもの...
下村千秋

神様の布団—– 下村千秋

一  むかし、鳥取《とっとり》のある町に、新しく小さな一|軒《けん》の宿屋《やどや》が出来ました。この宿屋の主人は、貧乏《びんぼう》だったので、いろいろの道具類《どうぐるい》は、みんな古道具屋から買い入れたのでしたが、きれい好《ず》きな主人...
下村千秋

曲馬団の「トッテンカン」—– 下村千秋

一  いちばん先に、赤いトルコ帽《ぼう》をかむった一寸法師《いっすんぼうし》がよちよち歩いて来ます。その後から、目のところだけ切り抜《ぬ》いた大きな袋《ふくろ》をかむった大象《おおぞう》が、太い脚《あし》をゆったりゆったり運んで来ます。象の...
下村千秋

鬼退治 —–下村千秋

一  頭は少々|馬鹿《ばか》でも、腕《うで》っぷしさえ強ければ人の頭に立っていばっていられるような昔の時代であった。常陸《ひたち》の八溝山《やみぞさん》という高い山の麓《ふもと》の村に勘太郎《かんたろう》という男がいた。今年十八|歳《さい》...
下村千秋

飢餓地帯を歩く ――東北農村惨状報告書――    ——下村千秋

一  これは、青森県のある新聞に載せてあったもので、或る農村――八甲田山麓の村の一青年の詩である。詩としての良し悪しはここでは問題としない。只、この短かい詩句の中から、大飢饉に見舞われたこの地方の百姓達の、生きるための苦闘をはっきり想い浮べ...
下村千秋

とんまの六兵衛—— 下村千秋

昔、ある村に重吉《じゅうきち》と六兵衛《ろくべえ》という二人の少年が住んでいました。二人は子供《こども》の時分から大の仲《なか》よしで、今まで一度だって喧嘩《けんか》をしたこともなく口論《こうろん》したことさえありませんでした。しかし奇妙《...
下村千秋

あたまでっかち—– 下村千秋

一  霞《かすみ》ガ浦《うら》といえば、みなさんはごぞんじでしょうね。茨城県《いばらきけん》の南の方にある、周囲《しゅうい》百四十四キロほどの湖《みずうみ》で、日本第二の広さをもったものであります。  日本第一の近江《おうみ》のびわ湖《こ》...
沖野岩三郎

馬鹿七—— 沖野岩三郎

一  紀州《きしう》の山奥に、狸山《たぬきやま》といふ高い山がありました。其所《そこ》には、大きな樫《かし》だの、樟《くす》だのが生え繁《しげ》つてゐる、昼でも薄暗い、気味の悪い森がありました。森の中には百|穴《あな》といふのがありました。...
沖野岩三郎

山さち川さち—– 沖野岩三郎

一  昔、紀州《きしう》の山奥に、与兵衛《よへゑ》といふ正直な猟夫《かりうど》がありました。或日《あるひ》の事いつものやうに鉄砲|肩《かた》げて山を奥へ奥へと入つて行きましたがどうしたものか、其日《そのひ》に限つて兎《うさぎ》一|疋《ぴき》...
沖野岩三郎

源八栗 —–沖野岩三郎

一  もうりい博士は、みなとの汽船会社から、こまりきつたかほをして、かへつて来ました。それは、午後一時に、出るはずの汽船が、四時にのびたからです。  もうりい博士は今晩の八時から、次の町でお話をする、やくそくをしてあるのです。だから、四時の...
沖野岩三郎

硯箱と時計—– 沖野岩三郎

石之助《いしのすけ》が机にむかつて、算術をかんがへてゐますと、となりの金《きん》さんが来て、 「佐太《さだ》さん。石さんはよく勉強するね。きつと硯箱《すずりばこ》になりますよ。」と、言ひました。すると佐太夫は、 「いいえ。石之助はとても硯箱...
沖野岩三郎

熊と猪—— 沖野岩三郎

一  紀州《きしう》の山奥に、佐次兵衛《さじべゑ》といふ炭焼がありました。五十の時、妻《かみ》さんに死なれたので、たつた一人子の京内《きやうない》を伴《つ》れて、山の奥の奥に行つて、毎日々々木を伐《き》つて、それを炭に焼いてゐました。或日《...
沖野岩三郎

愚助大和尚—– 沖野岩三郎

愚助《ぐすけ》は忘れん坊でありました。何を教へましても、直《す》ぐ忘れてしまふので、お父様は愚助を馬鹿《ばか》だと思ひ込んで、お寺の和尚《をしやう》さまに相談にまゐりました。すると和尚さまは、 「其《そ》の子は御飯を食べますか。」と、ききま...
沖野岩三郎

岩を小くする—– 沖野岩三郎

後村上《ごむらかみ》天皇さまの皇子さまに、寛成《ひろなり》さまと申すお方がございました。  まだ、ごく御幼少の時、皇子さまは、多勢の家来たちと、御一しよに、吉野川の上流、なつみの川岸へ、鷹狩《たかがり》を御覧においでになりました。  川岸に...
沖野岩三郎

蚊帳の釣手—– 沖野岩三郎

一 万作《まんさく》は十二歳になりました。けれども馬鹿《ばか》だから字を書く事も本を読む事も出来ません。数の勘定もやつと一から十二までしか知らないのでした。 「おい万作! お前は幾歳《いくつ》になつた。」と問ひますと「十二です!」と元気よく...
沖野岩三郎

ばべるの塔—– 沖野岩三郎

まだ、電話も電信も、なんにもない、五六千年も、まへのおはなしです。  ひろいひろい、のはらを、みつけた男がありました。あまり、けしきがよいので、そのまんなかに、一けんの家を、たてました。すると、いつのまにか、われもわれもと、そこへ、何十万の...
沖野岩三郎

バークレーより——- 沖野岩三郎

サンフランシスコから渡船《フェリー》でオークランドに渡り、更にエス・ビーの電車で五哩程行くと、セミナリー・アヴェニュに出る。ここで下車して山手の方へ十町ばかり行くと、そこにユーカリプタスの森がある。その森の中には太平洋沿岸最古の女子大学ミル...
沖野岩三郎

にらめつくらの鬼瓦—– 沖野岩三郎

今雄《いまを》さんは、五年級甲組の一番でした。  京一《きやういち》さんは、五年級乙組の一番でした。  今雄さんのお父さまは、ごん七さんといふ名で、東山《ひがしやま》の中ほどに、大きな家を建てて、瓦屋《かはらや》をしてゐました。  京一さん...