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梶井基次郎

詩集『戰爭』—– 梶井基次郎

私は北川冬彦のやうに鬱然とした意志を藏してゐる藝術家を私の周圍に見たことがない。  それは彼の詩人的 career を貫いてゐる。  それはまた彼の詩の嚴然とした形式を規定してゐる。  人々は「意志」の北川冬彦を理解しなければならない。この...
梶井基次郎

講演會 其他(大正十五年二月號) 『青空』記事 —–梶井基次郎

舊臘二十三日私達は大津の公會堂で青空の講演會を開くことになつてゐた。講演會の直接の目的は讀者を殖すことであつた。世間へ出て私達の信ずるところを説く、私達共同で出來る正式な方法としてはさしあたりそれ以外にはない。  獻立は外村と淺沼がやつた。...
梶井基次郎

交尾—— 梶井基次郎

その一  星空を見上げると、音もしないで何匹も蝙蝠《こうもり》が飛んでいる。その姿は見えないが、瞬間瞬間光を消す星の工合から、気味の悪い畜類の飛んでいるのが感じられるのである。  人びとは寐《ね》静まっている。――私の立っているのは、半ば朽...
梶井基次郎

器楽的幻覚—– 梶井基次郎

ある秋|仏蘭西《フランス》から来た年若い洋琴家《ピアニスト》がその国の伝統的な技巧で豊富な数の楽曲を冬にかけて演奏して行ったことがあった。そのなかには独逸《ドイツ》の古典的な曲目もあったが、これまで噂ばかりで稀にしか聴けなかった多くの仏蘭西...
梶井基次郎

海 断片—– 梶井基次郎

……らすほどそのなかから赤や青や朽葉《くちば》の色が湧いて来る。今にもその岸にある温泉や港町がメダイヨンのなかに彫り込まれた風景のように見えて来るのじゃないかと思うくらいだ。海の静かさは山から来る。町の後ろの山へ廻った陽がその影を徐々に海へ...
梶井基次郎

過古—— 梶井基次郎

母親がランプを消して出て来るのを、子供達は父親や祖母と共に、戸外で待っていた。  誰一人の見送りとてない出発であった。最後の夕餉《ゆうげ》をしたためた食器。最後の時間まで照していたランプ。それらは、それらをもらった八百屋《やおや》が取りに来...
梶井基次郎

温泉—– 梶井基次郎

断片 一  夜になるとその谷間は真黒な闇に呑まれてしまう。闇の底をごうごうと溪《たに》が流れている。私の毎夜下りてゆく浴場はその溪ぎわにあった。  浴場は石とセメントで築きあげた、地下牢のような感じの共同湯であった。その巌丈《がんじょう》な...
梶井基次郎

闇の書—– 梶井基次郎

一  私は村の街道を若い母と歩いていた。この弟達の母は紫色の衣服を着ているので私には種々のちがった女性に見えるのだった。第一に彼女は私の娘であるような気を起こさせた。それは昔彼女の父が不幸のなかでどんなに酷《ひど》く彼女を窘《いじ》めたか、...
梶井基次郎

闇の絵巻—– 梶井基次郎

最近東京を騒がした有名な強盗が捕《つか》まって語ったところによると、彼は何も見えない闇の中でも、一本の棒さえあれば何里でも走ることができるという。その棒を身体の前へ突き出し突き出しして、畑でもなんでも盲滅法《めくらめつぽう》に走るのだそうで...
梶井基次郎

愛撫—— 梶井基次郎

猫の耳というものはまことに可笑《おか》しなものである。薄べったくて、冷たくて、竹の子の皮のように、表には絨毛《じゆうもう》が生えていて、裏はピカピカしている。硬《かた》いような、柔らかいような、なんともいえない一種特別の物質である。私は子供...
梶井基次郎

のんきな患者—– 梶井基次郎

一  吉田は肺が悪い。寒《かん》になって少し寒い日が来たと思ったら、すぐその翌日から高い熱を出してひどい咳になってしまった。胸の臓器を全部押し上げて出してしまおうとしているかのような咳をする。四五日経つともうすっかり痩せてしまった。咳もあま...
梶井基次郎

ある心の風景—– 梶井基次郎

一  喬《たかし》は彼の部屋の窓から寝静まった通りに凝視《みい》っていた。起きている窓はなく、深夜の静けさは暈《かさ》となって街燈のぐるりに集まっていた。固い音が時どきするのは突き当っていく黄金虫《ぶんぶん》の音でもあるらしかった。  そこ...
梶井基次郎

ある崖上の感情—– 梶井基次郎

1  ある蒸し暑い夏の宵《よい》のことであった。山ノ手の町のとあるカフェで二人の青年が話をしていた。話の様子では彼らは別に友達というのではなさそうであった。銀座などとちがって、狭い山ノ手のカフェでは、孤独な客が他所《よそ》のテーブルを眺めた...
梶井基次郎

Kの昇天 ――或はKの溺死—– 梶井基次郎

お手紙によりますと、あなたはK君の溺死《できし》について、それが過失だったろうか、自殺だったろうか、自殺ならば、それが何に原因しているのだろう、あるいは不治の病をはかなんで死んだのではなかろうかと様さまに思い悩んでいられるようであります。そ...
梶井基次郎

『青空』のことなど—–井基次郎

文藝部から嶽水會雜誌の第百號記念號へ載せる原稿をと請はれたが、病中でまとまつたものへ筆を起す氣力もなく、とりとめもない「青空」のことなどで私に課せられた責を塞ぐことにする。 「青空」といふ雜誌は大正十四年の一月から昭和二年の央まで發行されて...
梶井基次郎

『新潮』十月新人號小説評—– 梶井基次郎

子を失ふ話 (木村庄三郎氏)  書かれてゐるのは優れた個人でもない、ただあり來りの人間である。それらが不自然な關係の下に抑壓された本能を解放しようとして苦しむ。作者は客觀的な態度で個々の人物に即し個々の場面を追ひつゝ書き進んでゐる。作者は人...
梶井基次郎

『亞』の回想—–梶井基次郎

亞は僕にとつては毎月の清楚な食卓だつた。その皿の數ほどの頁、そしてリフアインされたお喋り。その椅子につくことは僕の閑雅なたのしみであり矜りであつた。伊豆へ來てもう一年にもなるが、その間に北川から送つてくれた亞は積つて、いつも机邊にあつた。そ...
梶井基次郎

「青空語」に寄せて(昭和二年一月號) 『青空』記事 ——梶井基次郎

文藝時代十二月號の小説は、林房雄だけが光つてゐる。『牢獄の五月祭』の持つ魅力が他の小説の光りを消すのだ。然し彼の作品の持つ明るさを以て、全世界を獲得すべきプロレタリヤの信念の明るさ、若しくは作者等の戰線を支配してゐる希望の明るさの表現されて...
梶井基次郎

「親近」と「拒絶」—-梶井基次郎

「スワン家の方」誌上出版記念會  佐藤君と淀野の譯したこんどの本を讀んで見て第一に感じることは、プルウストといふ人がこの小説において「回想」といふことを完成してゐるといふことだ。その形而上學から最も細かな記述に至るまですつかりがこのなかにあ...
下村千秋

旱天實景—— 下村千秋

一  桑畑の中に、大きな葉をだらりと力なく垂れた桐の木に、油蝉がギリ/\啼きしきる午後、學校がへりの子供が、ほこりをけむりのやうに立てゝ來る――。  先に立つた子が、飛行機の烟幕だといひながら熱灰が積つたやうなほこりの中を、はだしの足で引つ...