2019-05

国木田独歩

詩想——国木田独歩

丘の白雲  大空に漂う白雲《しらくも》の一つあり。童《わらべ》、丘にのぼり松の小かげに横たわりて、ひたすらこれをながめいたりしが、そのまま寝入りぬ。夢は楽しかりき。雲、童をのせて限りなき蒼空《あおぞら》をかなたこなたに漂う意《こころ》ののど...
国木田独歩

糸くず LA FICELLE モーパッサン Guy De Maupassant—–国木田独歩訳

市《いち》が立つ日であった。近在|近郷《きんごう》の百姓は四方からゴーデルヴィル[#「ゴーデルヴィル」に二重傍線]の町へと集まって来た。一歩ごとに体躯《からだ》を前に傾けて男はのそのそと歩む、その長い脚《すね》はかねての遅鈍な、骨の折れる百...
国木田独歩

号外——国木田独歩

ぼろ洋服を着た男爵|加藤《かとう》が、今夜もホールに現われている。彼は多少キじるし[#「キじるし」に傍点]だとの評がホールの仲間にあるけれども、おそらくホールの御連中にキ[#「キ」に白丸傍点]的傾向を持っていないかたはあるまいと思われる。か...
国木田独歩

郊外——国木田独歩

【一】  時田《ときだ》先生、名は立派なれど村立《そんりつ》小学校の教員である、それも四角な顔の、太い眉《まゆ》の、大きい口の、骨格のたくましい、背《せい》の低い、言うまでもなく若い女などにはあまり好かれない方の男。  そのくせ生徒にも父兄...
国木田独歩

源おじ——-国木田独歩

上  都《みやこ》より一人の年若き教師下りきたりて佐伯《さいき》の子弟に語学教うることほとんど一年、秋の中ごろ来たりて夏の中ごろ去りぬ。夏の初め、彼は城下に住むことを厭《いと》いて、半里|隔《へだ》てし、桂《かつら》と呼ぶ港の岸に移りつ、こ...
国木田独歩

空知川の岸辺——國木田独歩

一  余が札幌《さつぽろ》に滞在したのは五日間である、僅に五日間ではあるが余は此間に北海道を愛するの情を幾倍したのである。  我国本土の中《うち》でも中国の如き、人口|稠密《ちうみつ》の地に成長して山をも野をも人間の力で平《たひら》げ尽した...
国木田独歩

牛肉と馬鈴薯——国木田独歩

明治|倶楽部《クラブ》とて芝区桜田本郷町のお堀辺《ほりばた》に西洋|作《づくり》の余り立派ではないが、それでも可なりの建物があった、建物は今でもある、しかし持主が代って、今では明治倶楽部その者はなくなって了《しま》った。  この倶楽部が未《...
国木田独歩

窮死——国木田独歩

九段坂の最寄《もより》にけち[#「けち」に傍点]なめし[#「めし」に傍点]屋がある。春の末の夕暮れに一人《ひとり》の男が大儀そうに敷居をまたげた。すでに三人の客がある。まだランプをつけないので薄暗い土間に居並ぶ人影もおぼろである。  先客の...
国木田独歩

畫の悲み——国木田独歩

畫《ゑ》を好《す》かぬ小供《こども》は先《ま》づ少《すく》ないとして其中《そのうち》にも自分《じぶん》は小供《こども》の時《とき》、何《なに》よりも畫《ゑ》が好《す》きであつた。(と岡本某《をかもとぼう》が語《かた》りだした)。  好《す》...
国木田独歩

河霧——国木田独歩

上田豊吉《うえだとよきち》がその故郷《ふるさと》を出たのは今よりおおよそ二十年ばかり前のことであった。  その時かれは二十二歳であったが、郷党みな彼が前途《ゆくすえ》の成功を卜《ぼく》してその門出《かどで》を祝した。 『大いなる事業』ちょう...
国木田独歩

運命論者——国木田独歩

一  秋の中過《なかばすぎ》、冬近くなると何《いず》れの海浜《かいひん》を問《とわ》ず、大方は淋《さび》れて来る、鎌倉《かまくら》も其《その》通《とお》りで、自分のように年中住んで居《い》る者の外《ほか》は、浜へ出て見ても、里の子、浦の子、...
国木田独歩

遺言——-国木田独歩

今度の戦《いくさ》で想《おも》い出した、多分|太沽《たいくう》沖にあるわが軍艦内にも同じような事があるだろうと思うからお話しすると、横須賀《よこすか》なるある海軍中佐の語るには、  わが艦隊が明治二十七年の天長節を祝したのは、あたかも陸兵の...
国木田独歩

わかれ——-国木田独歩

わが青年《わかもの》の名を田宮峰二郎《たみやみねじろう》と呼び、かれが住む茅屋《くさや》は丘の半腹にたちて美《うる》わしき庭これを囲み細き流れの北の方《かた》より走り来て庭を貫きたり。流れの岸には紅楓《もみじ》の類《たぐい》を植えそのほかの...
国木田独歩

まぼろし—— 国木田独歩

絶望  文造《ぶんぞう》は約束どおり、その晩は訪問しないで、次の日の昼時分まで待った。そして彼女を訪《たず》ねた。  懇親の間柄とて案内もなく客間に通って見ると綾子《あやこ》と春子とがいるばかりであった。文造はこの二人《ふたり》の頭《つむり...
国木田独歩

たき火—— 国木田独歩

北風を背になし、枯草白き砂山の崕《がけ》に腰かけ、足なげいだして、伊豆連山のかなたに沈む夕日の薄き光を見送りつ、沖《おき》より帰る父の舟《ふね》遅《おそ》しとまつ逗子《ずし》あたりの童《わらべ》の心、その淋《さび》しさ、うら悲しさは如何ある...
国木田独歩

おとずれ——- 国木田独歩

※上※  五月二日付の一通、同十日付一通、同二十五日付の一通、以上三通にてわれすでに厭《あ》き足りぬと思いたもうや。もはやかかる手紙願わくは送りたまわざれとの御意《ぎょい》、確かに承りぬ。されど今は貴嬢《きみ》がわれにかく願いたもう時は過ぎ...
国木田独歩

あの時分—— 国木田独歩

さて、明治の御代《みよ》もいや栄えて、あの時分はおもしろかったなどと、学校時代の事を語り合う事のできる紳士がたくさんできました。  落ち合うごとに、いろいろの話が出ます。何度となく繰り返されます。繰り返しても繰り返しても飽くを知らぬのは、ま...
国枝史郎

鸚鵡蔵代首伝説—— 国枝史郎

仇な女と少年武士 「可愛い坊ちゃんね」 「何を申す無礼な」 「綺麗な前髪ですこと」 「うるさい」 「お幾歳《いくつ》?」 「幾歳でもよい」 「十四、それとも十五かしら」 「うるさいと申すに」 「お寺小姓? それとも歌舞伎の若衆?」 「斬るぞ...
国枝史郎

鵞湖仙人—— 国枝史郎

一  時は春、梅の盛り、所は信州諏訪湖畔。  そこに一軒の掛茶屋があった。  ヌッと這入って来た武士《さむらい》がある。野袴に深編笠、金銀こしらえの立派な大小、グイと鉄扇を握っている、足の配り、体のこなし、将しく武道では入神者。 「よい天気...
国枝史郎

鴉片を喫む美少年—- 国枝史郎

1 (水戸の武士早川弥五郎が、清国|上海《シャンハイ》へ漂流し、十数年間上海に居り、故郷の友人吉田惣蔵へ、数回長い消息をした。その消息を現代文に書きかえ、敷衍し潤色したものがこの作である。――作者附記)  友よ、今日は「鴉片を喫む美少年」の...