2019-05

幸田露伴

旅行の今昔—— 幸田露伴

旅行に就いて何か経験上の談話をしろと仰《おっし》ゃるのですか。  どう致しまして。碌に旅行という程の旅行を仕た事も無いのですもの、御談し仕度くっても是といって御談し申上げるような事も有りません。いくら経験だと申して、何処其処の山で道に迷った...
幸田露伴

野道—— 幸田露伴

流鶯《りゅうおう》啼破《ていは》す一簾《いちれん》の春。書斎に籠《こも》っていても春は分明《ぶんみょう》に人の心の扉《とびら》を排《ひら》いて入込《はいりこ》むほどになった。  郵便脚夫《ゆうびんきゃくふ》にも燕《つばめ》や蝶《ちょう》に春...
幸田露伴

夜の隅田川—— 幸田露伴

夜の隅田川の事を話せと云ったって、別に珍らしいことはない、唯闇黒というばかりだ。しかし千住から吾妻橋、厩橋、両国から大橋、永代と下って行くと仮定すると、随分夜中に川へ出て漁猟《りょう》をして居る人が沢山ある。尤も冬などは沢山は出て居ない、然...
幸田露伴

名工出世譚—— 幸田露伴

一  時は明治四年、処は日本の中央、出船入船賑やかな大阪は高津のほとりに、釜貞と云へば土地で唯一軒の鉄瓶の仕上師として知られた家であつた。主人は京都の浄雪の門から出た昔気質の職人肌、頑固の看板と人から笑はれてゐた丁髷《ちよんまげ》を切りもや...
幸田露伴

魔法修行者—— 幸田露伴

魔法。  魔法とは、まあ何という笑《わら》わしい言葉であろう。  しかし如何《いか》なる国の何時《いつ》の代にも、魔法というようなことは人の心の中に存在した。そしてあるいは今でも存在しているかも知れない。  埃及《エジプト》、印度《いんど》...
幸田露伴

墨子—— 幸田露伴

墨子は周秦の間に於て孔子老子の學派に對峙した鬱然たる一大學派の創始者である。  墨子の學の大に一時に勢力のあつたことは孔子系の孟子荀子等が之を駁撃してゐるのでも明白で、輕視して置けぬほどに當世に威※[#「陷のつくり+炎」、第3水準1-87-...
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平将門—— 幸田露伴

千鍾《せんしよう》の酒も少く、一句の言も多いといふことがある。受授が情を異にし※[#「口+卒」、第3水準1-15-7]啄《そつたく》が機に違《たが》へば、何も彼《か》もおもしろく無くつて、其れも是もまづいことになる。だから大抵の事は黙つてゐ...
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風流仏—– 幸田露伴

発端《ほったん》 如是我聞《にょぜがもん》       上 一向《いっこう》専念の修業|幾年《いくねん》  三尊《さんぞん》四天王十二童子十六|羅漢《らかん》さては五百羅漢、までを胸中に蔵《おさ》めて鉈《なた》小刀《こがたな》に彫り浮かべる...
幸田露伴

貧乏—— 幸田露伴

その一 「アア詰《つま》らねえ、こう何もかもぐりはまになった日にゃあ、おれほどのものでもどうもならねえッ。いめえましい、酒でも喫《くら》ってやれか。オイ、おとま、一|升《しょう》ばかり取って来な。コウト、もう煮奴《にやっこ》も悪くねえ時候だ...
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馬琴の小説とその当時の実社会 ——幸田露伴

皆さん。浅学不才な私如き者が、皆さんから一場の講演をせよとの御求めを受けましたのは、実に私の光栄とするところでござります。しかし私は至って無器用な者でありまして、有益でもあり、かつ興味もあるというような、気のきいた事を提出致しまして、そして...
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二日物語—– 幸田露伴

此一日       其一  観見世間是滅法《くわんけんせけんぜめつぽふ》、欲求無尽涅槃処《よくぐむじんねはんしよ》、怨親已作平等心《をんしんいさびやうどうしん》、世間不行慾等事《せけんふぎやうよくとうじ》、随依山林及樹下《ずゐえさんりんきふ...
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突貫紀行——- 幸田露伴

身には疾《やまい》あり、胸には愁《うれい》あり、悪因縁《あくいんねん》は逐《お》えども去らず、未来に楽しき到着点《とうちゃくてん》の認めらるるなく、目前に痛き刺激物《しげきぶつ》あり、慾《よく》あれども銭なく、望みあれども縁《えん》遠し、よ...
幸田露伴

努力論—— 幸田露伴

自序  努力は一である。併し之を察すれば、おのづからにして二種あるを觀る。一は直接の努力で、他の一は間接の努力である。間接の努力は準備の努力で、基礎となり源泉となるものである。直接の努力は當面の努力で、盡心竭力の時のそれである。人はやゝもす...
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知々夫紀行—— 幸田露伴

八月六日、知々夫の郡へと心ざして立出ず。年月隅田の川のほとりに住めるものから、いつぞはこの川の出ずるところをも究《きわ》め、武蔵禰乃乎美禰と古《いにしえ》の人の詠《よ》みけんあたりの山々をも見んなど思いしことの数次《しばしば》なりしが、ある...
幸田露伴

淡島寒月氏—— 幸田露伴

寒月氏は今年七十歳を以て二月廿三日に永逝した。本間久雄氏から、予の知るところの寒月氏を傳へて呉れと依頼を受けたので、ほんとにたゞ予の知れる限りの寒月氏――予の知らぬ他の方面の寒月氏も定めし多いだらうが、それに就ての臆測や聞取りなぞを除いて―...
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淡島寒月のこと—— 幸田露伴

吾が友といつては少し不遜に當るかも知れないが、先づ友達といふことにして、淡島寒月といふ人は實に稀有な人であつた。やゝもすれば畸人の稱を與へたがる者もあるが、畸人でも何でもない、むしろ常識の圓滿に驚くばかり發達した人で、そして徹底的に世俗の眞...
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太郎坊——- 幸田露伴

見るさえまばゆかった雲の峰《みね》は風に吹《ふ》き崩《くず》されて夕方の空が青みわたると、真夏とはいいながらお日様の傾《かたむ》くに連れてさすがに凌《しの》ぎよくなる。やがて五日|頃《ごろ》の月は葉桜《はざくら》の繁《しげ》みから薄《うす》...
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鼠頭魚釣り—– 幸田露伴

鼠頭魚は即ちきすなり。其頭の形いとよく鼠のあたまに肖たるを以て、支那にて鼠頭魚とは称ふるならん。俗に鱚の字を以てきすと訓ず。鱚の字は字典などにも見えず、其拠るところを知らず。蓋し鮎鰯鰰等の字と同じく我が邦人の製にかゝるものにて、喜の字にきす...
幸田露伴

雪たたき—— 幸田露伴

上  鳥が其巣を焚《や》かれ、獣が其|窟《あな》をくつがえされた時は何様《どう》なる。  悲しい声も能《よ》くは立てず、うつろな眼は意味無く動くまでで、鳥は篠《ささ》むらや草むらに首を突込み、ただ暁の天《そら》を切ない心に待焦るるであろう。...
幸田露伴

水の東京—— 幸田露伴

上野の春の花の賑ひ、王子の秋の紅葉の盛り、陸の東京のおもしろさは説く人多き習ひなれば、今さらおのれは言はでもあらなん。たゞ水の東京に至つては、知るもの言はず、言ふもの知らず、江戸の往時《むかし》より近き頃まで何人《なんびと》もこれを説かぬに...