2019-05

甲賀三郎

ニッケルの文鎮—– 甲賀三郎

ええ、お話しするわ、あたしどうせお喋りだわ。だけど、あんたほんとに誰にも話さないで頂戴《ちょうだい》。だってあたし、あの人に悪いんですもの。  もう一年になるわね。去年のちょうど今頃、そうセルがそろそろ膚《はだ》寒くなってコレラ騒ぎが大分下...
甲賀三郎

ドイルを宗とす—– 甲賀三郎

私が探偵小説を書いて見ようという気を起したのは疑いもなくコナン・ドイルのシャーロック・ホームズ物語の示唆である。中学生だった私には、ホームズの推理は驚異であった。最初に読んだのは佐川春水氏が「銀行盗賊」と改題して訳述した「赤髪組合」か、それ...
甲賀三郎

キビキビした青年紳士–甲賀三郎

帝大土木科出身の少壮技術者の創設にかかるものでN・K・倶楽部というのがある。この倶楽部に多分大正十年頃だったと思うが、科学技術者が大挙して入会することとなり、私は準備委員といったわけで、丸の内の同倶楽部へ時々顔を出したことがある。その時分に...
甲賀三郎

「黒死館殺人事件」序—– 甲賀三郎

探偵小説界の怪物《モンスター》江戸川乱歩が出現して満十年、同じく怪物《モンスター》小栗虫太郎が出現した。この満十年という年月はどうも偶然でないような気がする。小栗君が現われた時に、私は江戸川君を誘って、満十年にして新人出で、探偵小説壇によき...
甲賀三郎

琥珀のパイプ—— 甲賀三郎

私は今でもあの夜の光景《ありさま》を思い出すとゾットする。それは東京に大地震があって間もない頃であった。  その日の午後十時過ぎになると、果して空模様が怪しくなって来て、颱風《たいふう》の音と共にポツリポツリと大粒の雨が落ちて来た。其の朝私...
高村光雲

幕末維新懐古談 私の父の訓誡 ——-高村光雲

さて、いよいよ話が決まりましたその夜、父は私に向い、今日までは親の側《そば》にいて我儘《わがまま》は出来ても、明日からは他人の中に出ては、そんな事は出来ぬ。それから、お師匠様初め目上の人に対し、少しでも無礼のないよう心掛け、何事があっても皆...
高村光雲

幕末維新懐古談 安床の「安さん」の事—— 高村光雲

町内に安床《やすどこ》という床屋がありました。  それが私どもの行きつけの家《うち》であるから、私はお湯に這入《はい》って髪を結ってもらおうと、其所《そこ》へ行った。 「おう、光坊《みつぼう》か、お前、つい、この間頭を結《い》ったんじゃない...
高村光雲

幕末維新懐古談 私の子供の時のはなし—– 高村光雲

これから私のことになる――  私は、現今《いま》の下谷《したや》の北清島町《きたきよしまちょう》に生まれました。嘉永《かえい》五年二月十八日が誕生日です。  その頃《ころ》は、随分|辺鄙《へんぴ》なむさくるしい土地であった。江戸下谷|源空寺...
高村光雲

まず、いろいろの話をする前に、前提として私の父祖のこと、つまり、私の家のことを概略《あらまし》話します。  私の父は中島兼松《なかじまかねまつ》といいました。その三代前は因州侯の藩中で中島|重左《じゅうざ》エ門《もん》と名乗った男。悴《せが...
高村光雲

佐竹の原へ大仏をこしらえた はなし—– 高村光雲

私の友達に高橋定次郎氏という人がありました。この人は前にも話しました通り、高橋鳳雲の息子さんで、その頃は鉄筆で筒を刻《ほ》って職業としていました。上野広小路の山崎(油屋)の横を湯島の男坂の方へ曲がって中ほど(今は黒門町か)に住んでいました。...
高村光雲

佐竹の原へ大仏をこしらえた はなし—— 高村光雲

江見水蔭

壁の眼の怪—— 江見水蔭

一  寛政《かんせい》五年六月中旬の事であった。羽州《うしゅう》米沢《よねざわ》の典薬|勝成裕《かつせいゆう》が、御隠居|上杉鷹山《うえすぎようざん》侯(治憲《はるのり》)の内意を受けて、一行十五人、深山幽谷に薬草を採りに分け入るという、そ...
江見水蔭

備前天一坊—— 江見水蔭

一  徳川《とくがわ》八代の将軍|吉宗《よしむね》の時代(享保《きょうほう》十四年)その落胤《らくいん》と名乗って源氏坊《げんじぼう》天一が出た。世上過ってこれを大岡捌《おおおかさば》きの中に編入しているのは、素《もと》より取るに足らぬけれ...
江見水蔭

丹那山の怪—— 江見水蔭

一  東海道《とうかいどう》は三島《みしま》の宿《しゅく》。本陣|世古六太夫《せころくだゆう》の離れ座敷に、今宵の宿を定めたのは、定火消《じょうびけし》御役《おやく》酒井内蔵助《さかいくらのすけ》(五千石)の家臣、織部純之進《おりべじゅんの...
江見水蔭

死剣と生縄——- 江見水蔭

一  武士の魂。大小の二刀だけは腰に差して、手には何一つ持つ間もなく、草履突掛けるもそこそこに、磯貝竜次郎《いそがいりゅうじろう》は裏庭へと立出《たちいで》た。 「如何《いか》ような事が有ろうとも、今日こそは思い切って出立致そう」  武者修...
江見水蔭

月世界跋渉記—— 江見水蔭

引力に因り月世界に墜落。探検者の気絶 「どうしよう。」 と思うまもなく、六人の月世界探検者を乗せた空中飛行船|翔鷲号《しょうしゅうごう》は非常な速力で突進して月に落ち、大地震でも揺ったような激しい衝動をうけたと思うと、一行は悉《ことごと》く...
江見水蔭

怪異黒姫おろし—— 江見水蔭

一  熊! 熊! 荒熊。それが人に化けたような乱髪、髯面《ひげづら》、毛むくじゃらの手、扮装《いでたち》は黒紋付の垢染《あかじ》みたのに裁付袴《たっつけばかま》。背中から腋の下へ斜《はす》に、渋段々染の風呂敷包を結び負いにして、朱鞘の大小ぶ...
江見水蔭

怪異暗闇祭—— 江見水蔭

一  天保《てんぽう》の頃、江戸に神影流《しんかげりゅう》の達人として勇名を轟かしていた長沼正兵衛《ながぬましょうべえ》、その門人に小机源八郎《こづくえげんぱちろう》というのがあった。怪剣士として人から恐れられていた。 「小机源八郎のは剣法...
江見水蔭

悪因縁の怨—— 江見水蔭

一  天保銭《てんぽうせん》の出来た時代と今と比べると、なんでも大変に相違しているが、地理でも非常に変化している。現代で羽田《はねだ》というと直ぐと稲荷《いなり》を説き、蒲田《かまた》から電車で六七分の間に行かれるけれど、天保時代にはとても...
幸田露伴

鵞鳥——- 幸田露伴

ガラーリ  格子《こうし》の開《あ》く音がした。茶の間に居た細君《さいくん》は、誰《だれ》かしらんと思ったらしく、つと立上って物の隙《すき》からちょっと窺《うかが》ったが、それがいつも今頃《いまごろ》帰るはずの夫だったと解《わか》ると、すぐ...