2019-05

高村光太郎

山の秋—— 高村光太郎

山の秋は旧盆のころからはじまる。  カッコーやホトトギスは七月中旬になるともう鳴かなくなり、何となく夏らしい勢が山野に見えなくなってしまい、たんぼの稲穂がそろそろ七月末にはきざしてくる。稲穂の育ってくる頃、山や野にツナギという恐ろしいアブが...
高村光太郎

九代目団十郎の首—— 高村光太郎

九代目市川団十郎は明治三十六年九月、六十六歳で死んだ。丁度幕末からかけて明治興隆期の文明開化時代を通過し、国運第二の発展期たる日露戦争直前に生を終ったわけである。彼は俳優という職業柄、明治文化の総和をその肉体で示していた。もうあんな顔は無い...
高村光太郎

気仙沼—— 高村光太郎

女川から気仙沼へ行く気で午後三時の船に乗る。軍港の候補地だといふ女川湾の平和な、澄んだ海を飛びかふ海猫の群団が、網をふせた漁場のまはりにたかり、あの甘つたれた猫そつくりの声で鳴きかはしてゐる風景は珍重に値する。湾外の出嶋《いづしま》の瀬戸に...
高村光太郎

顔—— 高村光太郎

顔は誰でもごまかせない。顔ほど正直な看板はない。顔をまる出しにして往来を歩いている事であるから、人は一切のごまかしを観念してしまうより外ない。いくら化けたつもりでも化ければ化けるほど、うまく化けたという事が見えるだけである。一切合切投げ出し...
高村光太郎

開墾—— 高村光太郎

私自身のやつてゐるのは開墾などと口幅つたいことは言はれないほどあはれなものである。小屋のまはりに猫の額ほどの地面を掘り起して去年はジヤガイモを植ゑた。今年は又その倍ぐらゐの地面を起してやはりジヤガイモを植ゑるつもりでゐる。外には三畝ばかりの...
高村光太郎

回想録—— 高村光太郎

一  私の父は八十三で亡くなった。昭和九年だったから、私の何歳の時になるか、私は歳というものを殆と気にとめていない。実は結婚する時自分の妻の年も知らなかった。妻も私が何歳であるか訊《き》きもしなかった。亡くなる五六年前に一緒に区役所に行って...
高村光太郎

黄山谷について—- 高村光太郎

平凡社の今度の「書道全集」は製版がたいへんいいので見ていてたのしい。それに中国のも日本のも典拠の正しい、すぐれた原本がうまく選ばれているようで、われわれ門外漢も安心して鑑賞できるのが何よりだ。  今、このアトリエの壁に黄山谷の「伏波神祠詩巻...
高村光太郎

ミケランジェロの彫刻写真に題す ——-高村光太郎

ミケランジェロこそ造型の権化である。  造型の中の造型たる彫刻は従ってミケランジェロの生来を語るものであり、ミケランジェロの他の営為――土木、建築、絵画、詩歌の類はすべて彼の彫刻家的幽暗の根源から出ている。彼の眼に映ずる世界は一切彫刻的形象...
高村光太郎

ヒウザン会とパンの会——- 高村光太郎

私が永年の欧洲留学を終えて帰朝したのは、たしか一九一〇年であった。  当時、わが洋画界は白馬会の全盛時代であって、白馬会に非ざるものは人に非ずの概があった。しかし、旧套墨守《きゅうとうぼくしゅ》のそうしたアカデミックな風潮に対抗して、当時徐...
高村光太郎

(私はさきごろ)—– 高村光太郎

私はさきごろミケランジェロの事を調べたり、書いたりして数旬を過ごしたが、まったくその中に没頭していたため、この岩手の山の中にいながらまるで日本に居るような気がせず、朝夕を夢うつつの境に送り、何だか眼の前の見なれた風景さえ不思議な倒錯を起して...
甲賀三郎

罠に掛った人 甲賀三郎

一  もう十時は疾《と》くに過ぎたのに、妻の伸子《のぶこ》は未《ま》だ帰って来なかった。  友木《ともき》はいらいらして立上った。彼の痩《やせ》こけて骨張った顔は変に歪んで、苦痛の表情がアリアリと浮んでいた。  どこをどう歩いたって、この年...
甲賀三郎

徹底的な浜尾君—— 甲賀三郎

浜尾四郎君は鋭い頭の持主であった。それに卑しくも曖昧な事を許して置けない性質で、何事でも底まで追究しなければ止まない風があった。従って時には根掘り葉掘り問い質して、為に相手がしどろもどろになる事があった。之は一見意地悪るのようであるが、決し...
甲賀三郎

蜘蛛—— 甲賀三郎

辻川博士の奇怪な研究室は葉の落ちた欅《けやき》の大木にかこまれて、それらの木と高さを争うように、亭々《ていてい》として地上三十尺あまりにそびえている支柱の上に乗っていた。研究室は直径二間半、高さ一間半ばかりの円筒形で、丸天井をいただき、側面...
甲賀三郎

青服の男—— 甲賀三郎

奇怪な死人  別荘――といっても、二昔《ふたむかし》も以前《まえ》に建てられて、近頃では余り人が住んだらしくない、古めかしい家の中から、一人の百姓女が毬《まり》のように飛出して来た。 「た、大へんだア、旦那さまがオッ死《ち》んでるだア」  ...
甲賀三郎

真珠塔の秘密—— 甲賀三郎

一  長い陰気な梅雨が漸《ようや》く明けた頃、そこにはもう酷《きび》しい暑さが待ち設けて居て、流石《さすが》都大路も暫《しばら》くは人通りの杜絶える真昼の静けさから、豆腐屋のラッパを合図に次第《しだい》に都の騒がしさに帰る夕暮時、夕立の様な...
甲賀三郎

支倉事件 甲賀三郎

呪の手紙  硝子《ガラス》戸越しにホカ/\する日光を受けた縁側へ、夥《おびたゞ》しい書類をぶち撒《ま》けたように敷散らして其中で、庄司利喜太郎氏は舌打をしながらセカ/\と何か探していた。彼は物事に拘泥しない性質《たち》で、十数年の警察生活の...
甲賀三郎

血液型殺人事件—— 甲賀三郎

忍苦一年  毛沼《けぬま》博士の変死事件は、今でも時々夢に見て、魘《うな》されるほど薄気味の悪い出来事だった。それから僅《わずか》に一月|経《た》たないうちに、父とも仰《あお》ぐ恩師|笠神《かさがみ》博士夫妻が、思いがけない自殺を遂《と》げ...
甲賀三郎

計略二重戦 少年密偵—– 甲賀三郎

隠れた助力者  道雄少年のお父さんは仁科猛雄《にしなたけお》と云って、陸軍少佐です。しかし、仁科少佐は滅多《めった》に軍服を着ません。なぜなら少佐は特別の任務についているからです。特別の任務と云うのは、外国から入り込んで、隙《すき》があった...
甲賀三郎

黄鳥の嘆き ――二川家殺人事件 —–甲賀三郎

一  秘密の上にも秘密にやった事だったが、新聞記者にかゝっちゃ敵《かな》わない、すぐ嗅ぎつけられて終《しま》った。  子爵《ししゃく》二川重明《ふたがわしげあき》が、乗鞍岳《のりくらたけ》の飛騨側の頂上近い数百町歩の土地を買占めただけなら兎...
甲賀三郎

愛の為めに—— 甲賀三郎

夫の手記  私はさっきから自動車を待つ人混みの中で、一人の婦人に眼を惹かれていた。  年の頃は私と同じ位、そう二十五六にもなるだろうか。年よりは地味造りで縺毛《ほつれげ》一筋ない、つやつやした髷に結って、薄紫の地に銀糸の縫をした半襟、葡萄の...