「2019年5月」の記事一覧

緑色の太陽——高村光太郎
人は案外下らぬところで行き悩むものである。  いわゆる日本画家は日本画という名にあてられて行き悩んで…
木彫ウソを作った時–高村光太郎
  私は自分で生きものを飼う事が苦手のため、平常は犬一匹、小鳥一羽も飼っていないが、もともと鳥獣虫魚…
美術学校時代——高村光太郎
 僕は江戸時代からの伝統で総領は親父の職業を継ぐというのは昔から極っていたので、子供の時から何を職…
美の日本的源泉—–高村光太郎
民族の持つ美の源泉は実に深く、遠い。その涌《わ》き出ずる水源は踏破しがたく、その地中の噴き出口は人…
能の彫刻.——高村光太郎
 能はいはゆる綜合芸術の一つであるから、あらゆる芸術の分子がその舞台の上で融合し展開せられる。その…
智恵子抄——高村光太郎
  人に いやなんです あなたのいつてしまふのが―― 花よりさきに実のなるやうな 種子《たね》よりさきに…
智恵子の半生—–高村光太郎
 妻智恵子が南品川ゼームス坂病院の十五号室で精神分裂症患者として粟粒性《ぞくりゅうせい》肺結核で死…
智恵子の紙絵—–高村光太郎
精神病者に簡単な手工をすすめるのはいいときいてゐたので、智恵子が病院に入院して、半年もたち、昂奮が…
啄木と賢治—–高村光太郎
○岩手県というところは一般の人が考えている以上にすばらしい地方だということが、来て住んでみるとだんだ…
装幀について——高村光太郎
装幀美の極致は比例にあるといふのが私の持論である。尤も此は装幀に限らない。一般人事の究極は、すべて…
蝉の美と造型——高村光太郎
私はよく蝉の木彫をつくる。鳥獣虫魚何でも興味の無いものはないが、造型的意味から見て彫刻に適するもの…
人の首——高村光太郎
 私は電車に乗ると異状な興奮を感ずる。人の首がずらりと前に並んで居るからである。人間移動展覧会と戯…
触覚の世界—— 高村光太郎
 私は彫刻家である。  多分そのせいであろうが、私にとって此世界は触覚である。触覚はいちばん幼稚な感…
小刀の味—— 高村光太郎
 飛行家が飛行機を愛し、機械工が機械を愛撫するように、技術家は何によらず自分の使用する道具を酷愛す…
書について—— 高村光太郎
 この頃は書道がひどく流行して来て、世の中に悪筆が横行している。なまじっか習った能筆風な無性格の書…
自分と詩との関係— 高村光太郎
 私は何を措《お》いても彫刻家である。彫刻は私の血の中にある。私の彫刻がたとい善くても悪くても、私…
自作肖像漫談—– 高村光太郎
 今度は漫談になるであろう。この前肖像彫刻の事を書いたが、私自身肖像彫刻を作るのが好きなので、肖像…
詩について語らず ――編集子への手紙―― 高村光太郎
 詩の講座のために詩について書いてくれというかねての依頼でしたが、今詩について一行も書けないような…
山の雪—— 高村光太郎
 わたしは雪が大好きで、雪がふってくるとおもてにとび出し、あたまから雪を白くかぶるのがおもしろくて…
山の春—— 高村光太郎
 ほんとうは、三月にはまだ山の春は来ない。三月春分の日というのに、山の小屋のまわりには雪がいっぱい…