国木田独歩

小春——国木田独歩

一  十一月|某日《それのひ》、自分は朝から書斎にこもって書見をしていた。その書はウォーズウォルス詩集である、この詩集一冊は自分に取りて容易ならぬ関係があるので。これを手に入れたはすでに八年前のこと、忘れもせぬ九月二十一日の夜《よ》であった...
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女難——国木田独歩

一  今より四年前のことである、(とある男が話しだした)自分は何かの用事で銀座を歩いていると、ある四辻《よつつじ》の隅《すみ》に一人の男が尺八を吹いているのを見た。七八人の人がその前に立っているので、自分もふと足を止めて聴《き》く人の仲間に...
国木田独歩

初恋——国木田独歩

僕の十四の時であった。僕の村に大沢先生という老人が住んでいたと仮定したまえ。イヤサ事実だが試みにそう仮定せよということサ。  この老人の頑固《がんこ》さ加減は立派な漢学者でありながらたれ一人《ひとり》相手にする者がないのでわかる。地下《じげ...
国木田独歩

初孫——国木田独歩

この度《たび》は貞夫《さだお》に結構なる御《おん》品|御《おん》贈り下されありがたく存じ候、お約束の写真ようよう昨日でき上がり候間二枚さし上げ申し候、内一枚は上田の姉に御《おん》届け下されたく候、ご覧のごとくますます肥え太りてもはや祖父《じ...
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春の鳥——国木田独歩

一  今より六七年前、私はある地方に英語と数学の教師をしていたことがございます。その町に城山《しろやま》というのがあって、大木暗く茂った山で、あまり高くはないが、はなはだ風景に富んでいましたゆえ、私は散歩がてらいつもこの山に登りました。  ...
国木田独歩

酒中日記 国木田独歩

五月三日(明治三十〇年) 「あの男はどうなったかしら」との噂《うわさ》、よく有ることで、四五人集って以前の話が出ると、消えて去《な》くなった者の身の上に、ツイ話が移るものである。  この大河|今蔵《いまぞう》、恐らく今時分やはり同じように噂...
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鹿狩り——国木田独歩

『鹿狩《しかが》りに連れて行《い》こうか』と中根《なかね》の叔父《おじ》が突然《だしぬけ》に言ったので僕はまごついた。『おもしろいぞ、連れて行こうか、』人のいい叔父はにこにこしながら勧めた。 『だッて僕は鉄砲がないもの。』 『あはははははば...
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詩想——国木田独歩

丘の白雲  大空に漂う白雲《しらくも》の一つあり。童《わらべ》、丘にのぼり松の小かげに横たわりて、ひたすらこれをながめいたりしが、そのまま寝入りぬ。夢は楽しかりき。雲、童をのせて限りなき蒼空《あおぞら》をかなたこなたに漂う意《こころ》ののど...
国木田独歩

糸くず LA FICELLE モーパッサン Guy De Maupassant—–国木田独歩訳

市《いち》が立つ日であった。近在|近郷《きんごう》の百姓は四方からゴーデルヴィル[#「ゴーデルヴィル」に二重傍線]の町へと集まって来た。一歩ごとに体躯《からだ》を前に傾けて男はのそのそと歩む、その長い脚《すね》はかねての遅鈍な、骨の折れる百...
国木田独歩

号外——国木田独歩

ぼろ洋服を着た男爵|加藤《かとう》が、今夜もホールに現われている。彼は多少キじるし[#「キじるし」に傍点]だとの評がホールの仲間にあるけれども、おそらくホールの御連中にキ[#「キ」に白丸傍点]的傾向を持っていないかたはあるまいと思われる。か...
国木田独歩

郊外——国木田独歩

【一】  時田《ときだ》先生、名は立派なれど村立《そんりつ》小学校の教員である、それも四角な顔の、太い眉《まゆ》の、大きい口の、骨格のたくましい、背《せい》の低い、言うまでもなく若い女などにはあまり好かれない方の男。  そのくせ生徒にも父兄...
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源おじ——-国木田独歩

上  都《みやこ》より一人の年若き教師下りきたりて佐伯《さいき》の子弟に語学教うることほとんど一年、秋の中ごろ来たりて夏の中ごろ去りぬ。夏の初め、彼は城下に住むことを厭《いと》いて、半里|隔《へだ》てし、桂《かつら》と呼ぶ港の岸に移りつ、こ...
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空知川の岸辺——國木田独歩

一  余が札幌《さつぽろ》に滞在したのは五日間である、僅に五日間ではあるが余は此間に北海道を愛するの情を幾倍したのである。  我国本土の中《うち》でも中国の如き、人口|稠密《ちうみつ》の地に成長して山をも野をも人間の力で平《たひら》げ尽した...
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牛肉と馬鈴薯——国木田独歩

明治|倶楽部《クラブ》とて芝区桜田本郷町のお堀辺《ほりばた》に西洋|作《づくり》の余り立派ではないが、それでも可なりの建物があった、建物は今でもある、しかし持主が代って、今では明治倶楽部その者はなくなって了《しま》った。  この倶楽部が未《...
国木田独歩

窮死——国木田独歩

九段坂の最寄《もより》にけち[#「けち」に傍点]なめし[#「めし」に傍点]屋がある。春の末の夕暮れに一人《ひとり》の男が大儀そうに敷居をまたげた。すでに三人の客がある。まだランプをつけないので薄暗い土間に居並ぶ人影もおぼろである。  先客の...
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畫の悲み——国木田独歩

畫《ゑ》を好《す》かぬ小供《こども》は先《ま》づ少《すく》ないとして其中《そのうち》にも自分《じぶん》は小供《こども》の時《とき》、何《なに》よりも畫《ゑ》が好《す》きであつた。(と岡本某《をかもとぼう》が語《かた》りだした)。  好《す》...
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河霧——国木田独歩

上田豊吉《うえだとよきち》がその故郷《ふるさと》を出たのは今よりおおよそ二十年ばかり前のことであった。  その時かれは二十二歳であったが、郷党みな彼が前途《ゆくすえ》の成功を卜《ぼく》してその門出《かどで》を祝した。 『大いなる事業』ちょう...
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運命論者——国木田独歩

一  秋の中過《なかばすぎ》、冬近くなると何《いず》れの海浜《かいひん》を問《とわ》ず、大方は淋《さび》れて来る、鎌倉《かまくら》も其《その》通《とお》りで、自分のように年中住んで居《い》る者の外《ほか》は、浜へ出て見ても、里の子、浦の子、...
国木田独歩

遺言——-国木田独歩

今度の戦《いくさ》で想《おも》い出した、多分|太沽《たいくう》沖にあるわが軍艦内にも同じような事があるだろうと思うからお話しすると、横須賀《よこすか》なるある海軍中佐の語るには、  わが艦隊が明治二十七年の天長節を祝したのは、あたかも陸兵の...
国木田独歩

わかれ——-国木田独歩

わが青年《わかもの》の名を田宮峰二郎《たみやみねじろう》と呼び、かれが住む茅屋《くさや》は丘の半腹にたちて美《うる》わしき庭これを囲み細き流れの北の方《かた》より走り来て庭を貫きたり。流れの岸には紅楓《もみじ》の類《たぐい》を植えそのほかの...