国木田独歩

小春——国木田独歩

 十一月|某日《それのひ》、自分は朝から書斎にこもって書見をしていた。その書はウォーズウォルス詩集である、この詩集一冊は自分に取りて容易ならぬ関係があるので。これを手に入れたはすでに八年前のこと、忘れもせぬ九月二十一日の夜《よ》であった。ああ八年の歳月! 憶《おも》えば夢のようである。
 ことにこの一、二年はこの詩集すら、わずかに二、三十巻しかないわが蔵書中にあってもはなはだしく冷遇せられ、架上最も塵《ちり》深き一隅《いちぐう》に放擲《ほうてき》せられていた。否《いな》、一月に一度ぐらいは引き出されて瞥見《べっけん》された事もあったろう、しかし要するに瞥見たるに過ぎない、かつて自分の眼光を射て心霊の底深く徹した一句一節は空《むな》しく赤い線《すじ》青い棒で標点《しるしづ》けられてあるばかりもはや自分を動かす力は消え果てていた。今さらその理由を事々《ことごと》しく自問し自答するにも当たるまい、こんな事は初めからわかっているはずである、『マイケル』を読んでリウクの命運のために三行の涙をそそいだ自分はいつしかまたリウクを誘うた浮世の力に誘われたのだ。
 そして今も今、いと誇り顔に「われは老熟せり」と自ら許している。アア老熟! 別に不思議はない、
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[#横組み]“Man descends into the Vale of years.”[#横組み終わり]
『人は歳月の谷間へと下る』
[#ここで字下げ終わり]
という一句が『エキスカルション』第九編中にあって自分はこれに太く青い線《すじ》を引いてるではないか。どうせこれが人の運命《おさだまり》だろう、その証拠には自分の友人の中でも随分自分と同じく、自然を愛し、自然を友として高き感情の中に住んでいた者もあったが、今では立派な実際家になって、他人《ひと》のうわさをすれば必ず『彼奴《きゃつ》は常識《コンモンセンス》が乏しい』とか、『あれは事務家だえらいところがある』など評し、以前《もと》の話が出ると赤い顔をして、『あの時はお互いにまだ若かった』と頭をかくではないか。
 自分がウォーズウォルスを見捨てたのではない、ウォーズウォルスが自分を見捨てたのだ。たまさか引き出して見たところで何がわかろう。ウォーズウォルスもこういう事務家や老熟先生にわかるようには歌わなかったに違いない。
 ところで自分免許のこの老熟先生も実はさすがにまるきり老熟し得ないと見えて、実際界の事がうまく行かず、このごろは家にばかり引きこもっていて多く世間と交わらない。その結果でもあろうかウォーズウォルス詩集までが一週間に一、二度ぐらいは机の上に置かれるようになった。
 さて十一月|某日《それのひ》、自分は朝から書斎にこもって書見をしていた、とあらためて書き出す。

 昨日《きのう》も今日《きょう》も秋の日はよく晴れて、げに小春《こはる》の天気、仕事するにも、散策を試みるにも、また書を読むにも申し分ない気候である。ウォーズウォルスのいわゆる
『一年の熱去り、気は水のごとくに澄み、天は鏡のごとくに磨《みが》かれ、光と陰といよいよ明らかにして、いよいよ映照せらるる時』
である、気が晴ればれする、うちにもどこか引き緊《し》まるところがあって心が浮わつかない。断行するにも沈思するにも精いっぱいできる。感情も意志も知力もその能を尽くすべき時である。冬はいじけ[#「いじけ」に傍点]春はだらけ[#「だらけ」に傍点]夏はやせる人でも、この季節ばかりは健康と精力とを自覚するだろう。それで季節が季節だけに自分のウォーズウォルス詩集に対する心持ちがやや変わって来た、少しはしんみり[#「しんみり」に傍点]と詩の旨を味わうことができるようである。自分は南向きの窓の下で玻璃《ガラス》越しの日光を避《よ》けながら、ソンネットの二、三編も読んだか。そして[#横組み]“Line Composed a few miles above Tintern Abbey”[#横組み終わり]の雄編に移った。この詩の意味は大略左のごとくである。
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 五年は経過せり[#「五年は経過せり」に白丸傍点]。しかしてわれ今再びこの河畔《かはん》に立ってその泉流の咽《むせ》ぶを聴《き》き、その危厳のそびゆるを仰ぎ、その蒼天《そうてん》の地に垂《た》れて静かなるを観《み》るなり。日は来たりぬ、われ再びこの暗く繁《しげ》れる無花果《いちじく》の樹陰《こかげ》に座して、かの田園を望み、かの果樹園を望むの日は再び来たりぬ。
 われ今再びかの列樹《なみき》を見るなり。われ今再びかの牧場を見るなり。緑草直ちに門戸に接するを見、樹林の間よりは青煙|閑《しず》かに巻きて空にのぼるを見る、樵夫《しょうふ》の住む所、はた隠者の独座して炉に対するところか。
 これらの美なる風光はわれにとりて、過去五年の間、かの盲者における景色のごときものにてはあらざりき。一室に孤座する時[#「一室に孤座する時」に白丸傍点]、都府の熱閙場裡[#「都府の熱閙場裡」に白丸傍点]([#割り注]ねっとうじょうり[#割り注終わり])にあるの日[#「にあるの日」に白丸傍点]、われこの風光に負うところありたり[#「われこの風光に負うところありたり」に白丸傍点]、心屈し体[#「心屈し体」に白丸傍点]倦《う》むの時に当たりて[#「むの時に当たりて」に白丸傍点]、わが血わが心はこれらを[#「わが血わが心はこれらを」に白丸傍点]懐《おも》うごとにいかに甘き美感を[#「うごとにいかに甘き美感を」に白丸傍点]享《う》けて躍りたるぞ[#「けて躍りたるぞ」に白丸傍点]、さらに負うところの大なる者は[#「さらに負うところの大なる者は」に白丸傍点]、われこの不可思議なる天地の秘義に悩まさるるに当たり[#「われこの不可思議なる天地の秘義に悩まさるるに当たり」に白丸傍点]、これらの風光を憶[#「これらの風光を憶」に白丸傍点]([#割り注]おも[#割り注終わり])うことによりて[#「うことによりて」に白丸傍点]、その圧力を[#「その圧力を」に白丸傍点]支《ささ》え得たることなり[#「え得たることなり」に白丸傍点]。もしそれこれを憶うていよいよ感じ、瞑想[#「もしそれこれを憶うていよいよ感じ、瞑想」に白丸傍点]([#割り注]めいそう[#割り注終わり])静思の極にいたればわれ実に一呼吸の機微に万有の生命と触着するを感じたりき[#「静思の極にいたればわれ実に一呼吸の機微に万有の生命と触着するを感じたりき」に白丸傍点]
 もしこの事、単にわが空漠《くうばく》たる信念なりとするも、わが心この世の苦悩にもがき暗憺《あんたん》たる日夜《にちや》を送る時に当たりて、われいかにしばしば汝《なんじ》に振り向きたるよ、ああ[#「ああ」に二重丸傍点]ワイ[#「ワイ」に二重傍線]の流[#「の流」に二重丸傍点]! 林間の逍遙子[#「林間の逍遙子」に二重丸傍点]([#割り注]しょうようし[#割り注終わり])よ[#「よ」に二重丸傍点]、いかにしばしばわが心汝に振り向きたるよ[#「いかにしばしばわが心汝に振り向きたるよ」に二重丸傍点]!
 しかしてわれ今、再びここに立つ。わが心は独《ただ》に今のこの楽しさを感ずるのみならず、実にまた来たるべき歳月におけるわが生命とわが食物とは今のこの時の感得中にあるべきなり[#「実にまた来たるべき歳月におけるわが生命とわが食物とは今のこの時の感得中にあるべきなり」に傍点]。あえて望むはその感得の児童の際のごとからんことなり。
 あの時は山羊《やぎ》のごとく然《しか》り山野泉流ただ自然の導くままに逍遙《しょうよう》したり。あの時は飛瀑《ひばく》の音、われを動かすことわが情《こころ》のごとく、巌《いわお》や山や幽※[#「二点しんにょう+(穴かんむり/豬のへん)」、第4水準2-90-1]《ゆうすい》なる森林や、その色彩形容みなあの時においてわれを刺激すること食欲のごときものありたり。すなわちあの時はただ愛、ただ感ありしのみ、他に思考するところの者を藉《か》り来たりて感興を助くるに及ばざりしなり。されどかの時はすでに業《すで》に過ぎ逝《ゆ》きたり。
 しかもわれはこの経過を[#「しかもわれはこの経過を」に白丸傍点]唸《なげ》かず哀[#「かず哀」に白丸傍点]([#割り注]かな[#割り注終わり])しまざるなり[#「しまざるなり」に白丸傍点]。われはこの損失を償いて余りある者を得たり。すなわちわれは思想なき児童の時と異なり、今は自然を観ることを学びたり[#「今は自然を観ることを学びたり」に二重丸傍点]。今や人情の幽音悲調に耳を傾けたり[#「今や人情の幽音悲調に耳を傾けたり」に二重丸傍点]。今や落日[#「今や落日」に二重丸傍点]、大洋[#「大洋」に二重丸傍点]、清風[#「清風」に二重丸傍点]、蒼天[#「蒼天」に二重丸傍点]、人心を一貫して流動する所のものを感得したり[#「人心を一貫して流動する所のものを感得したり」に二重丸傍点]。
 かるが故《ゆえ》にわれは今なお牧場、森林、山岳を愛す、緑地の上、窮天の間、耳目《じもく》の触るる所の者を愛す、これらはみなわが最純なる思想の錨《いかり》、わが心わが霊及びわが徳性の乳母《うば》、導者、衛士《えいし》たり。
 ああわが最愛の友よ(妹ドラ嬢を指《さ》す)、汝《なんじ》今われと共にこの清泉の岸に立つ、われは汝の声音中にわが昔日の心語を聞き、汝の驚喜して閃《ひらめ》く所の眼光裡にわが昔日の快心を読むなり。ああ! われをしてしばしなりとも汝においてわが昔日を観取せしめよ、わが最愛の妹よ!
 そもそもまたかく祈る所以《ゆえん》の者は、自然は決して彼を愛せし者に背[#「自然は決して彼を愛せし者に背」に二重丸傍点]([#割り注]そむ[#割り注終わり])かざりしをわれ知ればなり[#「かざりしをわれ知ればなり」に二重丸傍点]。われらの生涯を通じて歓喜より歓喜へと導くは彼の特権なるを知ればなり。彼より[#「彼より」に傍点]享《う》くる所の静と[#「くる所の静と」に傍点]、美と[#「美と」に傍点]、高の感化は[#「高の感化は」に傍点]、世の毒舌[#「世の毒舌」に傍点]、妄断[#「妄断」に傍点]([#割り注]もうだん[#割り注終わり])、嘲罵《ちょうば》、軽蔑をしてわれらを犯さしめず[#「軽蔑をしてわれらを犯さしめず」に傍点]、われらの楽しき信仰を擾[#「われらの楽しき信仰を擾」に傍点]([#割り注]みだ[#割り注終わり])るなからしむるを知ればなり[#「るなからしむるを知ればなり」に傍点]。
 かるが故に[#「かるが故に」に二重丸傍点]、月光をして汝[#「月光をして汝」に二重丸傍点](妹)の逍遙を照らしめよ[#「の逍遙を照らしめよ」に二重丸傍点]、霧深き山谷の風をしてほしいままに汝を吹かしめよ[#「霧深き山谷の風をしてほしいままに汝を吹かしめよ」に二重丸傍点]。汝今日の狂喜は他日汝の裏に熟して荘重深沈なる歓《よろこび》と化し汝の心はまさに※[#「(冫+熈-れんが)/れんが」、第3水準1-14-55]《たの》しき千象の宮、静かなる万籟《ばんらい》の殿たるべし。
 ああ果たしてしからんか、あるいは孤独、あるいは畏懼《いく》、あるいは苦痛、あるいは悲哀にして汝を悩まさん時、汝はまさにわがこの言を憶《おも》うべし。
 他日もし、われまた汝を見るあたわざるの地にあらんか、汝まさにわれと共にこの清泉の岸に立ちしことを忘るなかれ。
[#ここで字下げ終わり]
 まずザットこういう意味である。自分は繰り返して読んだ。そしてどういう句に最も強くアンダーラインしてあるかと見れば、最初の『五年は経過せり[#「五年は経過せり」に白丸傍点]』の一句及び『わが心は独《ただ》に今のこの楽しさを感ずるのみならず、実にまた来たるべき歳月におけるわが生命《いのち》とわが食物とは今のこの時の感得中にあるべきなり』の句を始めとして『自然は決して彼を愛せし者に背《そむ》かざりし』の句のごとき、そして
[#ここから4字下げ]
[#ここから横組み]
“Therefore let the moon
Shine on thee in thy solitary walk;
And let the misty mountain winds
be free to blow against thee.”
[#ここで横組み終わり]
[#ここで字下げ終わり]
の句に至っては二重にも線が引いてある。何のために引いたか、そもそもまたこの濃い青い線をこれらの句の下に引いたのは、いつであるか。
『七年は経過せり』と自分は思わず独語した。そうだ。そうだ! 七年は夢のごとくに過ぎた。

 自分が最も熱心にウォーズウォルスを読んだのは豊後《ぶんご》の佐伯《さいき》にいた時分である。自分は田舎《いなか》教師としてこの所に一年間滞在していた。
 自分は今ワイ[#「ワイ」に二重傍線]河畔の詩を読んで、端《はし》なく思い起こすは実にこの一年間の生活及び佐伯の風光である。かの地において自分は教師というよりもむしろ生徒であった、ウォーズウォルスの詩想に導かれて自然を学ぶところの生徒であった。なるほど七年は経過した。しかし自分の眼底にはかの地の山岳、河流、渓谷、緑野、森林ことごとく鮮明に残っていて、わが故郷の風物よりも幾倍の色彩を放っている。なぜだろう?
『月光をして汝《なんじ》の逍遙《しょうよう》を照らさしめ』、自分は夜となく朝となく山となく野となくほとんど一年の歳月を逍遙に暮らした。『山谷《さんこく》の風をしてほしいままに汝を吹かしめよ』、自分はわが情とわが身とを投げ出して自然の懐《ふところ》に任した。あえて佐伯をもって湖畔詩人の湖国と同一とはいわない、しかし湖国《ここく》の風土を叙して
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 そこには雨、心より降り、晴るる時、一段まばゆき天気を現わし、鳴らざりし泉は鳴り、響かざりし滝は響き、泉も滝も、水あふるれど少しも濁らず、波も泡《あわ》も澄み渡り青味を帯べり、
[#ここで字下げ終わり]
とウォーズウォルスが言いしを真とすればわが佐伯も実にその通りである。
[#ここから1字下げ]
 往々雨の丘より丘に移るに当たりて、あるいは近くあるいは遠く、あるいは幽《くら》くあるいは明らかに、
[#ここで字下げ終わり]
というもまた全く同じである、もしそれ雲霧《うんむ》を説いて
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 あるいは黙然《もくねん》遊動して谷より谷に移るもの、往々にして動かざる自然を動かし、変わらざる景色を変え、塊然たる物象を化して夢となし、幻《げん》となし、霊となし、怪となし、
[#ここで字下げ終わり]
というに至っては水多く山多き佐伯また実にそうである、しかししいてわが佐伯をウォーズウォルスの湖国と対照する必要はない。手帳《ノートブック》と鉛筆とを携えて散歩に出掛けたスコットをばあざけりしウォーズウォルスは、決して写実的に自然を観《み》てその詩中に湖国の地誌と山川草木を説いたのではなく、ただ自然その物の表象変化を観てその真髄の美感を詠じたのであるから、もしこの詩人の詩文を引いて対照すれば、わが日本国中数えきれぬほどの同風光を見いだすだろう。
 ただ一|言《げん》する、『自分が真にウォーズウォルスを読んだは佐伯におる時で、自分がもっとも深く自然に動かされたのは佐伯においてウォーズウォルスを読んだ時である』ということを。
 爾来《じらい》数年の間自分は孤独、畏懼《いく》、苦悩、悲哀のかずかずを尽くした、自分は決して幸福な人ではなかった、自分の生活《ライフ》は決して平坦《へいたん》ではなかった。『ああワイ[#「ワイ」に二重傍線]の流れ! 林間の逍遙子よ、いかにしばしばわが心汝に振り向きたるよ!』その通りであった。わが心はこれらの圧力を加えらるるごとにしばしば藩匠川|畔《はん》の風光を憶《おも》った。
 今やいかに、今やいかに、わがこの一、二年の生活はほとんど佐伯を忘れしめ、しかしてたまさかに佐伯を憶えばあの時の生活はわれながらわれのごとくには思われなくなった。

 自分は詩集をそのままにして静かに佐伯のことを憶《おも》いはじめた。さすがに忘れ果ててはいない、あの時の事この時のこと、自分の繰り返した逍遙の時を憶うにつけてその時自分の目に彫り込まれた風光は鮮《あざ》やかに現われて来る、画《え》を見るよりも鮮明に現われて来る。秋の空澄み渡って三里隔つる元越山の半腹からまっすぐに立ち上る一縷《いちる》の青煙《せいえん》すら、ありありと目に浮かんで来る。そこで自分は当時の日記を出して、かしこここと拾い読みに読んではその時の風光を思い浮かべていると
『兄《にい》さんお宅《うち》ですか』と戸外《そと》から声を掛けた者がある。
『お上がり』と自分は呼んでなお日記を見ていた。
 自分の書斎に入《はい》って来たるは小山《こやま》という青年で、ちょうど自分が佐伯にいた時分と同年輩の画家である、というより画家たらんとて近ごろ熱心に勉強している自分と同郷の者である。彼は常に自分を兄さんと呼んでいる。
『ご勉強ですか。』
『いや、そうじゃアない、今ウォーズウォルスを読んで佐伯のことを思い出したから日記を見ていたところだ。』
『どうです散歩にお出になりませんか、今日は写生しようと思って道具を持って来ました。』
『なるほど、将几《しょうぎ》ができたね。』
『やっと買いました、大枚一円二十五銭を投じたのですがね、未《いま》だ一度しか使って見ません。』
と畳んで棒のごとくする樫《かし》の将几を開いて見せた。
『いよいよ本式になったナ』と自分は将几と小山とを見比べて言った。
『そうです、もうここまで行けば後《あと》へは退《ひ》けません』と言い放ったが何となくかれの顔色はすぐれなかった、というものはそのはずだ、彼は故郷なる父母の意に反してその将来を決しているからである。画《え》に対する彼の情は燃ゆるようで、ほとんど本気のさたかと彼の友は疑うほどである。これまで彼は父母の意に従って高等学校に入るべき準備をしていた時でも、三角に対する冷淡は画に対する熱心といつも両極をなしていた。さらにさかのぼって、彼の小学校にある時すら彼は画のみを好んでおったのを自分は知っている。この少年に向かって父母は医師たらんことを希望しているのである。彼は父母の旨を奉じて進んで来た。しかるに幸か不幸か、彼の健康はいかにしても彼の嗜好《しこう》に反する学術を忍んで学ぶほどの弾力を有していない。彼は二年間に赤十字社に三度入院した。医師に勧められて三度|湯治《とうじ》に行った。そしてこの間彼の精神の苦痛は身体の病苦と譲らなかったのはすなわち彼自身その不健康なるだけにいよいよ将来の目的を画家たるに決せんと悶《もが》いたからである。
 それでこのごろは彼も煩悶《はんもん》の時を脱して決心の境に入り着々その方に向かって進んで来たが未《いま》だ故郷の父母にはこの決心を秘しているのである。彼がややもすると不安の色を顔に示すはこの故である。
『ナニ画のためになら倒れてやむだけの覚悟はもう決めていますから平気です、』と彼は言いだしてさびしく笑った。
『君のことだからそうだろう。』
『そうですとも、ほんとにね兄さん、昨日《きのう》も日が西に傾いて窓から射《さ》しこむと机の上に長い影を曳《ひ》いて、それをぼんやり見ていると何だか哀れぽい物悲しい心持ちがして来ましたが、ふと画の事を考えて、そうだ今だとすぐ画板を引っ掛けて飛び出ました。画のためとなら小生《わたくし》はいつでも気が勇み立ちます、』といって彼はその蒼白《あおじろ》い顔に得意の微笑を浮かべた。
 彼は画板の袋から二、三枚の写生を取り出して見せたが、その進歩はすこぶる現われて、もはや素人《しろうと》の域を脱しているようである。
『どうです散歩に出ましょう、今日は何だか霞《かすみ》がかってまるで春のようですよ。』と小山は自分を促した。
『そう、もうじき昼だから飯を食ってからにしよう』と自分は小山を止めて、それよりウォーズウォルスの詩について自分の観《み》るところを語った。
『ちょうど君の年だった、僕がウォーズウォルスに全心を打ちこんだのは。その熱心の度は決して君の今画に対する熱心に譲らなかった。君が画板を持って郊外をうろつきまわっているように、僕はこの詩集を懐《ふところ》にし佐伯の山野《さんや》を歩き散らしたが、僕は今もその時の事を思いだすと何だか懐《なつ》かしくって涙がこぼれるような気がするよ』と自分はよい相手を見つけたので、さっきから独《ひと》りで憶《おも》い浮かべていた佐伯の自然について、図まで引いて話しだした。
 同じ自然の崇拝者である、彼は画によって、自分は詩に導かれて。自分の語るところは彼によくわかる。彼の問うところは自分の言わんと欲するところ。
『まずそんなあんばいでただもう夢中であった。しかし君と異《ちが》うのは、君は観《み》るとすぐ画《えが》きたくなる僕はただ感ずるばかりだ。それで君は時とすると自然の美のあまりに複雑して現われているのに圧倒せられてしまう、僕にはそんなことはない、君は自然を捉《とら》えようと試みる、僕は観て感じ得るだけを感ずる、だいぶ僕の方が楽だ。時によると僕も日記中に君の見取り図くらいなところを書きとめたこともあるが、それは真の粗雑《ざっ》としたものだ。』
『そのスケッチが見とうございますね、』と小山の求めるままに十一月三日の記から読みだした。
『野を散歩す日《ひ》暖《うらら》かにして小春の季節なり。櫨紅葉《はじもみじ》は半ば散りて半ば枝に残りたる、風吹くごとに閃《ひら》めき飛ぶ。海近き河口に至る。潮|退《ひ》きて洲《す》あらわれ鳥の群《ぐん》、飛び回る。水門を下《お》ろす童子《どうじ》あり。灘村《なだむら》に舟を渡さんと舷《ふなばた》に腰かけて潮の来るを待つらん若者あり。背低き櫨《はじ》堤《つつみ》の上に樹《た》ちて浜風に吹かれ、紅《くれない》の葉ごとに光を放つ。野末はるかに百舌鳥《もず》のあわただしく鳴くが聞こゆ。純白《まっしろ》の裏羽を日にかがやかし鋭く羽風を切って飛ぶは魚鷹《みさご》なり。その昔に小さき島なりし今は丘となりて、その麓《ふもと》には林を周《めぐ》らし、山鳩《やまばと》の栖処《ねぐら》にふさわしきがあり。その片陰に家|数《かず》二十には足らぬ小村あり、浜風の衝《しょう》に当たりて野を控ゆ。』
 その次が十一月二十二日の夜
『月の光、夕《ゆうべ》の香をこめてわずかに照りそめしころ河岸《かわぎし》に出《い》ず。村々浦々の人、すでに舟とともに散じて昼間のさわがしきに似ずいと寂《さ》びたり。白馬一匹|繋《つな》ぎあり、たちまち馬子《まご》来たり、牽《ひ》いて石級《いしだん》を降《くだ》り渡し船に乗らんとす。馬|懼《おそ》れて乗らず。二三の人、船と岸とにあって黙してこれを見る。馬ようやく船に乗りて船、河の中流に出《い》ずれば、灘山《なだやま》の端を離れてさえさえと照る月の光、鮮やかに映りて馬白く人黒く舟危うし。何心なくながめてありしわれは幾百年の昔を眼前に見る心地《ここち》して一種の哀情を惹《ひ》きぬ。船|回《めぐ》りし時われらまた乗りて渡る。中流より石級の方を望めば理髪所の燈火《あかり》赤く四囲《あたり》の闇《やみ》を隈《くま》どり、そが前を少女《おとめ》の群れゆきつ返りつして守唄《もりうた》の節《ふし》合わするが聞こゆ。』
 その次が十一月二十六日の記、
『午後|土河内《どこうち》村を訪《と》う。堅田|隧道《トンネル》の前を左に小径《こみち》をきり坂を越ゆれば一軒の農家、山の麓《ふもと》にあり。一個の男、一個の妻、二個の少女麦の肥料を丸めいたり。少年あり、藁《わら》を積み重ねし間より頭を出して四人の者が余念なく仕事するを余念なくながめいたり。渡頭《わたし》を渡りて広き野に出《い》ず。野は麦まきに忙しく女子みな男子と共に働きいたり。山の麓に見ゆるは土河内村なり、谷迫りて一|寰区《かんく》をなしことさらに世と離れて立つかのごとく見ゆ、かつて山の頂《いただき》より遠くこの村を望み炊煙の立ちのぼるを見てこの村懐かしくわれは感じぬ。村に近づくにつれて農夫ら多く野にあるを見たり。静けき村なるかな。小児の群れの嬉戯《きぎ》せるにあいぬ。馬高くいななくを聞きぬ。されど一村寂然たり。われは古き物語の村に入るがごとき心地せり。若者一個庭前にて何事をかなしつつあるを見る。礫《こいし》多き路《みち》に沿いたる井戸の傍《かたわ》らに少女《おとめ》あり。水枯れし小川の岸に幾株の老梅並び樹《た》てり、柿《かき》の実、星のごとくこの梅樹《うめ》の際《きわ》より現わる。紅葉《もみじ》火のごとく燃えて一叢《ひとむら》の竹林を照らす。ますます奥深く分け入れば村|窮《きわ》まりてただ渓流の水清く樹林の陰より走《は》せ出《い》ずるあるのみ。帰路|夕陽《せきよう》野にみつ』
 自分は以上のほかなお二、三編を読んだ。そしてこれを聴《き》く小山よりもこれを読む自分の方が当時を回想する情に堪《た》えなかった。
 時は忽然《こつぜん》として過ぎた、七年は夢のごとくに経過した。そして半熟先生ここに茫然《ぼうぜん》として半ば夢からさめたような寝ぼけ眼《まなこ》をまたたいている。

 午後|二人《ふたり》は家を出た。小山は画板を肩から腋《わき》へ掛け畳将几《たたみしょうぎ》を片手に、薬壜《くすりびん》へ水を入れてハンケチで包んだのを片手に。自分はウォーズウォルス詩集を懐《ふところ》にして。
 大空は春のように霞《かす》んでいた。プルシャンブリューでは無論なしコバルトでも濃い過ぎるし、こんな空色は書きにくいと小山はつぶやきながら行った。
 野に出て見ると、秋はやはり秋だ。楢林《ならばやし》は薄く黄ばみ、農家の周囲に立つ高い欅《けやき》は半ば落葉してその細い網のような枝を空にすかしている。丘のすそをめぐる萱《かや》の穂は白銀《しろかね》のごとくひかり、その間から武蔵野《むさしの》にはあまり多くない櫨《はじ》の野生がその真紅の葉を点出《てんしゅつ》している。
『こんな錯雑した色は困るだろうねエ』と自分は小さな坂を上りながら頭上の林を仰いで言った。
『そうですね、しかしかえってこんな色の方がごまかされて描《か》きよいかもしれません、』と小山は笑いながら答えた。
『下手《へた》な画工が描《か》きそうな景色というやつに僕は時々出あうが、その実、実際の景色はなかなかいいんだけれども。』
『だから下手が飛び付いて描くのですよ、自分の力も知らないで、ただ景色のいいに釣られてやるのですからでき上がって見ると、まるで景色の外面《うわつら》を塗抹《なすく》った者になるのです。』
『自然こそいい迷惑だ、』と自分は笑った。高台に出ると四辺《あたり》がにわかに開けて林の上を隠見《みえがくれ》に国境の連山が微《かす》かに見える。
『山!』と自分は思わず叫んだ。
『どこに、どこに、』と小山はあわただしく問うた。自分の指さす方へ、近眼鏡を向けて目をまぶしそうにながめていたが、
『なるほど山だ、どうですこの瞑《かす》かな色は!』とさも懐《なつ》かしそうに叫んだ。
 この時自分の端《はし》なく想《おも》い出したのは佐伯にいる時分、元越山の絶頂から遠く天外を望んだ時の光景である。山の上に山が重なり、秋の日の水のごとく澄んだ空気に映じて紫色に染まり、その天末《てんまつ》に糸を引くがごとき連峰の夢よりも淡きを見て自分は一種の哀情《メランコリー》を催し、これら相重なる山々の谷間に住む生民《せいみん》を懐《おも》わざるを得なかった。
 自分は小山にこの際の自分の感情を語りながら行くと、一条《ひとすじ》の流れ、薄暗い林の奥から音もなく走り出《い》でまた林の奥に没する畔《ほとり》に来た。一個の橋がある。見るかげもなく破れて、ほとんど墜《お》ちそうにしている。
『下手な画工が描《か》きそうな橋だねエ』と自分は林の陰からこれを望んで言った。
『私が一つ描いて見ましょうか。』
『よしたまえな、ありふれてるから。』
『しかしこんな物でも描かなければ小生《わたし》の描く物がありません。』
 そこで小山はほどよき位置を取って、将几《しょうぎ》を置き自分には頓着《とんちゃく》なく、熱心に描き始めた。自分は日あたりを避けて楢林《ならばやし》の中へと入り、下草《したぐさ》を敷いて腰を下《お》ろし、わが年少画家の後ろ姿を木立ちの隙《ひま》からながめながら、煙草《たばこ》に火をつけた。
 小山は黙って描く、自分は黙って煙草をふかす、四囲は寂然《せきぜん》として人声《じんせい》を聞かない。自分は懐《ふところ》から詩集を取り出して読みだした。頭の上を風の吹き過ぎるごとに、楢の枯れ葉の磨《す》れ合う音ががさがさとするばかり。元来この楢はあまり風流な木でない。その枝は粗、その葉は大、秋が来てもほんのり[#「ほんのり」に傍点]とは染まらないで、青い葉は青、枯れ葉は枯れ葉と、乱雑に枝にしがみ[#「にしがみ」に傍点]着いて、風吹くとも霜降るとも、容易には落ちない。冬の夜嵐《よあらし》吹きすさぶころとなっても、がさがさと騒々しい音で幽遠の趣をかき擾《みだ》している。
 しかし自分はこの音が嗜《す》きなので、林の奥に座して、ちょこなん[#「ちょこなん」に傍点]としていると、この音がここでもかしこでもする、ちょうど何かがささやくようである、そして自然の幽寂《ゆうじゃく》がひとしお心にしみわたる!
 自分はいつしか小山を忘れ、読む書にもあまり身が入らず、ただ林の静けさに身をまかしていると、何だか三、四年|前《ぜん》まで、自分の胸に響いたわが心の調べに再び触れたような心持ちがする。
『兄さん!』と小山は突然呼んだ、『兄さん、人の一生を四季にたとえるようですが、春を小生《わたし》のような時として、小春は人の幾歳ぐらいにたとえていいでしょう』と何を感じたか、むこうへ向いたまま言った。
『秋かね?』
『秋と言わないで、小春ですよ!』
『僕のようなのが小春だろう!』と自分は何心なく答えて、そしてわれ知らず、未《いま》だかつて経験した事のない哀情が胸を衝《つ》いて起こった。
『君が春なら僕は小春サ、小春サ、いまに冬が来るだろうよ!』
『ハハハハハ冬が過ぎればまた春になりますからねエ』と小山はさも軽々《かるがる》と答えた。
 四囲《あたり》は再びひっそりとなった。小山は口笛を吹きながら描いている。自分は思った、むしろこの二人が意味ある画題ではないかと。


(明治三十三年十一月作)

底本:「武蔵野」岩波文庫、岩波書店
   1939(昭和14)年2月15日第1刷発行
   1972(昭和47)年8月16日第37刷改版発行
   2002(平成14)年4月5日第77刷発行
底本の親本:「武蔵野」民友社
   1901(明治34)年3月
初出:「中学世界」
   1900(明治33)年12月
入力:土屋隆
校正:門田裕志
2012年8月7日作成
2012年9月29日修正
青空文庫作成ファイル:
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