横光利一

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花園の思想—– 横光利一

一 丘の先端の花の中で、透明な日光室が輝いていた。バルコオンの梯子《はしご》は白い脊骨のように突き出ていた。彼は海から登る坂道を肺療院の方へ帰って来た。彼はこうして時々妻の傍《そば》から離れると外を歩き、また、妻の顔を新しく見に帰った。見る...
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火—– 横光利一

一 初秋の夜で、雌《めす》のスイトが縁側《えんがわ》の敷居《しきい》の溝の中でゆるく触角を動かしていた。針仕事をしている母の前で長火鉢《ながひばち》にもたれている子は頭をだんだんと垂れた。鉄壜《てつびん》の手に触れかかると半分眼を開けて急い...
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汚ない家—– 横光利一

地震以後家に困つた。崩れた自家へ二ヶ月程して行つてみたら、誰れだか知らない人が這入つてゐた。表札はもとの儘だ。其からある露路裏の洋服屋の汚い二階を借りた。それも一室より借れなかつた。ある日菊池師が朝早く一人でひよこつと僕の家へ来られた。二三...
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一条の詭弁—– 横光利一

その夫婦はもう十年も一緒に棲んで来た。良人は生活に窶れ果てた醜い細君の容子を眺める度に顔が曇つた。 「いやだいやだ。もう倦き倦きした。あーあ。」  欠伸ばかりが梅雨時のやうにいつも続いた。ヒステリカルな争ひが時々茶碗の悲鳴と一緒に起つた。 ...
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マルクスの審判—– 横光利一

市街を貫いて来た一条の道路が遊廓街へ入らうとする首の所を鉄道が横切つてゐる。其処は危険な所だ。被告はそこの踏切の番人である。彼は先夜遅く道路を鎖で遮断したとき一人の酔漢と争つた。酔漢は番人の引き止めてゐるその鎖を腹にあてたまま無理にぐんぐん...
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ナポレオンと田虫—– 横光利一

一  ナポレオン・ボナパルトの腹は、チュイレリーの観台の上で、折からの虹《にじ》と対戦するかのように張り合っていた。その剛壮な腹の頂点では、コルシカ産の瑪瑙《めのう》の[#「瑪瑙《めのう》の」は底本では「瑪瑠《めのう》の」]釦《ボタン》が巴...