2019-05

黒島伝治

自画像——黒島傳治

なか/\取ッつきの悪い男である。ムッツリしとって、物事に冷淡で、陰鬱で、不愉快な奴だ。熱情なんど、どこに持って居るか、そんなけぶらいも見えん。そのくせ、勝手な時には、なか/\の感情家であるのだ。なんでもないことにプン/\おこりだす。なんにで...
黒島伝治

四季とその折々——黒島傳治

小豆島にいて、たまに高松へ行くと気分の転換があって、胸がすツとする。それほど変化のない日々がこの田舎ではくりかえされている。しかし汽車に乗って丸亀や坂出の方へ行き一日歩きくたぶれて夕方汽船で小豆島へ帰ってくると、やっぱり安息はここにあるとい...
黒島伝治

砂糖泥棒——黒島傳治

与助の妻は産褥についていた。子供は六ツになる女を頭に二人あった。今度で三人目である。彼はある日砂糖倉に這入《はい》って帆前垂《ほまえだれ》にザラメをすくいこんでいた、ところがそこを主人が見つけた。  主人は、醤油醸造場の門を入って来たところ...
黒島伝治

国境——-黒島伝治

一  ブラゴウエシチェンスクと黒河を距《へだ》てる黒竜江は、海ばかり眺めて、育った日本人には馬関と門司の間の海峡を見るような感じがした。二ツの市街が岸のはなで睨み合って対峙《たいじ》している。  河は、海峡よりはもっと広いひろがりをもって海...
黒島伝治

穴——-黒島傳治

一  彼の出した五円札が贋造紙幣だった。野戦郵便局でそのことが発見された。  ウスリイ鉄道沿線P―の村に於ける出来事である。  拳銃の這入っている革のサックを肩からはすかいに掛けて憲兵が、大地を踏みならしながら病院へやって来た。その顔は緊張...
黒島伝治

鍬と鎌の五月——黒島傳治

農民の五月祭を書けという話である。  ところが、僕は、まだ、それを見たことがない。昨年、山陰地方で行われたという、××君の手紙である。それが、どういう風だったか、僕はよく知らない。  そこで困った。  全然知らんことや、無かったことは、書く...
黒島伝治

外米と農民——黒島傳治

隣家のS女は、彼女の生れた昨年の旱魃にも深い貯水池のおかげで例年のように収穫があった村へ、お米の買出しに出かけた。行きしなに、誰れでも外米は食いたくないんだから今度買ってきたら分けあって食べましょうと云って乗合バスに乗った。近所の者は分けて...
黒島伝治

海賊と遍路——黒島傳治

私の郷里、小豆島にも、昔、瀬戸内海の海賊がいたらしい。山の上から、恰好な船がとおりかゝるのを見きわめて、小さい舟がする/\と島かげから辷り出て襲いかゝったものだろう。その海賊は、又、島の住民をも襲ったと云い伝えられている。かつて襲われたとい...
黒島伝治

渦巻ける烏の群——黒島伝治

一 「アナタア、ザンパン、頂だい。」  子供達は青い眼を持っていた。そして、毛のすり切れてしまった破れ外套《がいとう》にくるまって、頭を襟の中に埋《うず》めるようにすくんでいた。娘もいた。少年もいた。靴が破れていた。そこへ、針のような雪がは...
黒島伝治

愛読した本と作家から——-黒島傳治

いろ/\なものを読んで忘れ、また、読んで忘れ、しょっちゅう、それを繰りかえして、自分の身についたものは、その中の、何十分の一にしかあたらない。僕はそんな気がしている。がそれは当然らしい。中には、毒になるものがあるし、また、毒にも薬にもならな...
黒島伝治

まかないの棒——黒島傳治

京一が醤油醸造場へ働きにやられたのは、十六の暮れだった。  節季の金を作るために、父母は毎朝暗いうちから山の樹を伐りに出かけていた。  醸造場では、従兄の仁助《にすけ》が杜氏《とうじ》だった。小さい弟の子守りをしながら留守居をしていた祖母は...
黒島伝治

パルチザン・ウォルコフ——黒島伝治

一  牛乳色《ちちいろ》の靄《もや》が山の麓《ふもと》へ流れ集りだした。  小屋から出た鵝《がちょう》が、があがあ鳴きながら、河ふちへ這って行く。牛の群は吼《ほ》えずに、荒々しく丘の道を下った。汚れたプラトオクに頭をくるんだ女が鞭を振り上げ...
黒島伝治

チチハルまで——黒島伝治

一  十一月に入ると、北満は、大地が凍結を始める。  占領した支那家屋が臨時の営舎だった。毛皮の防寒胴着をきてもまだ、刺すような寒気が肌を襲う。  一等兵、和田の属する中隊は、二週間前、四平街を出発した。四※[#「さんずい+兆」、第3水準1...
黒島伝治

「紋」——黒島伝治

古い木綿布で眼隠しをした猫を手籠から出すとばあさんは、 「紋よ、われゃ、どこぞで飯を貰うて食うて行け」と子供に云いきかせるように云った。  猫は、後へじり/\這いながら悲しそうにないた。 「性悪るせずに、人さんの余った物でも貰うて食えエ……...
国木田独歩

恋を恋する人——国木田独歩

一  秋の初《はじめ》の空は一片の雲もなく晴《はれ》て、佳《い》い景色《けしき》である。青年《わかもの》二人は日光の直射を松の大木の蔭によけて、山芝の上に寝転んで、一人は遠く相模灘を眺め、一人は読書している。場所は伊豆と相模の国境にある某《...
国木田独歩

夜の赤坂——國木田獨歩

東京の夜の有様を話して呉れとの諸君《みなさん》のお望、可《よろ》しい、話しましよう、然し僕は重に赤坂区に住んで居たから、赤坂区だけの、実地に見た処を話すことに致します。  先づ第一に叔母様《をばさん》などは東京を如何《どんな》にか賑かな処と...
国木田独歩

忘れえぬ人々——国木田独歩

多摩川《たまがわ》の二子《ふたこ》の渡しをわたって少しばかり行くと溝口《みぞのくち》という宿場がある。その中ほどに亀屋《かめや》という旅人宿《はたごや》がある。ちょうど三月の初めのころであった、この日は大空かき曇り北風強く吹いて、さなきだに...
国木田独歩

武蔵野——国木田独歩

一 「武蔵野の俤《おもかげ》は今わずかに入間《いるま》郡に残れり」と自分は文政年間にできた地図で見たことがある。そしてその地図に入間郡「小手指原《こてさしはら》久米川は古戦場なり太平記元弘三年五月十一日源平小手指原にて戦うこと一日がうちに三...
国木田独歩

富岡先生——国木田独歩

一  何|公爵《こうしゃく》の旧領地とばかり、詳細《くわし》い事は言われない、侯伯子男の新華族を沢山出しただけに、同じく維新の風雲に会しながらも妙な機《はずみ》から雲梯《うんてい》をすべり落ちて、遂《つい》には男爵どころか県知事の椅子|一《...
国木田独歩

非凡なる凡人——国木田独歩

上  五六人の年若い者が集まって互いに友の上を噂《うわさ》しあったことがある、その時、一人が――  僕の小供《こども》の時からの友に桂正作《かつらしょうさく》という男がある、今年二十四で今は横浜のある会社に技手として雇われもっぱら電気事業に...